Tumgik
#あなたは私の星であり、私の宇宙です
sucwita · 1 year
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
Earth the Heart of the Cosmos — あなた
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
183 notes · View notes
koch-snowflake-blog · 3 months
Text
Tumblr media
大久保 桜子は、日本の女優、グラビアアイドル。オスカープロモーション所属。身長152cm。 神奈川県横浜市出身。暁星国際小学校・中学校・高等学校卒業。2017年4月から大学在学中。 ウィキペディア
生年月日: 1998年7月20日 (年齢 25歳)
出生地: 神奈川県 横浜市
学歴: 暁星国際小学校
身長: 152 cm
事務所: Wonderwave; (2012年 - 2020年); HI RANK INDUSTRIES; (2021年 - 2023年); オスカープロモーション; (2023年 - )
小学校から高校までインターナショナル・スクールに通っていた。インタビューで「お兄ちゃんがインターナショナルスクールに通っていて、『兄弟揃って英語をしゃべれたらかっこいい』と、お母さんが思ったみたいで、私もお兄ちゃんと同じ学校に通うことになりました」と述べている。
本人のインスタライブで、ファンから「YouTuberデビューの予定は?」と聞かれるも、本人は「定期的に同じことをするのが苦手」と語っており、YouTuberデビューする予定は無いと言っていたが、2021年に自身のYouTubeチャンネルを開設し、YouTuberデビューをした。
自身の性格については「根暗」と述べており、役柄として喋ることはできるが、舞台挨拶やクロストークなどは苦手であるという。
『宇宙戦隊キュウレンジャー』のメイン監督である柴﨑貴行は、大久保について体育会系でサバサバした性格であると評している。同作品で共演した岐洲匠は、大久保は最初クールで少し怖かったが、徐々に打ち解けると明るく接してくれたと述べている。
休日の時はお菓子作り。得意なお菓子はフレンチトースト。バレンタインデーは『キュウレンジャー』の撮影現場でカップケーキ50個を作った。
「桜子」という自身の名前の由来についてインタビューで「よく『春に生まれたの?』と聞かれたのですが、7月生まれです。兄が生まれるときに、お母さんが女のコだったら桜子とつけようと決めていたそうなのですが、男のコだったためにつけられず。私に名前がスライドしてきました(笑)」と述べている。
  
524 notes · View notes
painpainpain1990 · 3 months
Text
美しい喪失を重ねていく、側溝に落としたピアスも君もいつか星に
宇宙にひとつ、地球滅亡後に届く不器用なうた
泣きたい夜も空を見上げてしまうのは、月の横にある宇宙のほくろが木星だと教えてくれたから
セックスをする、葬式に出る、人間の営みを繰り返す私を許して神様
「死にたい」にいいねとか付けちゃうと死んじゃうよ、心配ボタンをください
お父さんの手首に自殺の跡、私の心にはお父さんの傷があるのに、ずるい、ずるいよ
愛とか恋とか全部嘘だし、なんか普通に怖いし
「中学生の時いじめっ子だったんだ」あぁ、やっぱりと思った、BBQの炭がパチンと跳ねた
衝動的に書いた遺書は、思いのほか低かった2階からの景色にほどけて溶けて
ずっと体調が悪いです、ずっと君がすきです、ずっと助けを待っています
世界で一番美しい言葉を残せたら死んでもいいと思う、遺書じゃなくて告白だよ
27 notes · View notes
yoga-onion · 1 year
Photo
Tumblr media
Celtic beliefs in trees (12)
N for Nion (Ash) - February 18th - March 17th
“The World Tree, Tree of Life - Third month of the Celtic tree calendar”
Colour: white; Stars: Sun, Neptune; Gems: turquoise; Gender: female; Elements: air, water; Patrons: Odin, Nemesis, Poseidon, Neptune; Symbols: balance + harmony, cosmic power, positive thinking, power of the sea
Ash is native to northern Europe and the British Isles, grows well on moist limestone soils and is one of the most common trees found in lowland forests. It is a graceful tree with thin, bird's-feather-like leaves and grey bark. The leaflets are usually odd-numbered, and finding a leaf with an even number of leaflets is said to bring good luck, the same as a four-leaf clover.
In the old days, wearing green ash bark as a garter would repel a wizard's curse, and eating ash buds on the night of the summer solstice would nullify a spell of witchcraft. The ash leaves were also believed to bring luck in love and building wealth. Sleeping with a young leaf under your pillow is said to bring psychic dreams.
Ash forms the centre of belief in a number of ancient cultures. In Greek and Norse mythology, the first humans were born from ash trees. Such ash trees were always cherished by the ancient Irish as trees with very magical powers. According to the lore of the ancient Irish olavs ( ollamh, ollam: one of the highest ranks of druids), these trees were cut down in 665 BCE. This would seem to indicate that Christianity uprooted paganism in ancient Ireland. 
For the Celts, the ash tree, symbolising the cosmic order, held the key to the truth of the universe. The Druids referred to the different phases of existence as the 'three rings of existence'. This eternal 'trinity' can be interpreted variously as 'past, present and future', 'body, mind and spirit' or 'chaos, harmony and creation'. Since the rings of existence cannot be unrelated to each other, what happens at one level will spill over to the other two levels. Every action causes a reaction and nothing is complete on its own, the Celts believed. We are part of the elements that make up the cosmic order, and in the endless cycle of life, we can never escape its flow. For the Celts, the ash was such a guardian of the universe.
According to Norse legend, the ash tree is the world tree, the Yggdrasil that occupies the centre of the universe. All events take place around the ash tree. And its roots and branches travel around the world, symbolising the universality that connects the world of God, this world and the underworld.
Tumblr media
木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (11)
NはNion (トリネコ) - 2月18日~3月17日『世界樹、生命の木〜ケルトの木の暦の第3月』
色: 白; 星: 太陽、海王星; 宝石: トルコ石; 性: 女性; 要素: 空気、水; 守護神: オーディン、ネメシス、ポセイドン、ネプチューン; シンボル: バランス+調和、宇宙の力、ポジティブ思考、海の力
トリネコは北ヨーロッパとイギリス諸島が原産地で、湿気を含む石灰岩土壌でよく成長し、低地に広がる森で最もよく見られる木のひとつ。鳥の羽根ような薄い葉と灰色の樹皮をもつ優美な木である。葉片はふつう奇数で、偶数葉片をもつ葉を見つけたら幸運が訪れると言われるのは、四つ葉のクローバーと同じである。
昔はグリーン・アッシュの樹皮をガーターがわりに身につけていると魔術師の呪いを跳ね返し、夏至の夜にトネリコの芽を食べると魔女の魔法を無効にすると言われていた。トネリコの葉は恋愛運をもたらし、財産を築くと考えられ、若葉を枕の下に入れて眠りにつくと予言的な夢をみるとも言われている。
トリネコは古代の数多くの文化の中で、信仰の中心を成している。ギリシャ神話や北欧神話では、最初の人類はトネリコの木から生まれたとされている。そんなトネリコの木を古代アイルランド人は非常に不思議な力を持つ木としていつも大切にしていた。古代アイルランドのオラヴ (ドルイドの最高位のひとつ)たちの言い伝えでは、これらの木は紀元前665年に切り倒されたとなっている。これはキリスト教が古代アイルランドの異教を根こそぎにしたことを物語っていると思われる。
ケルト人にとって、宇宙の秩序を象徴するトネリコは、宇宙の真理を知る鍵を握っていたのである。ドルイドたちは、存在のさまざまな段階を「存在の3つの環」と呼んでいた。
この永遠の「三位一体」は、「過去・現在・未来」、「肉体・精神・霊」、「混沌・調和・創造」など、さまざまに解釈することができる。存在の環は互いに無関係ではいられないので、あるレベルで起きたことは他の2つのレベルにも波及することになる。すべての行為は反作用を引き起こし、それだけで完結するものはない、とケルト人は考えていた。私たちは宇宙の秩序を構成する要素の一部であり、無限に循環する生命という存在において、決してその流れから逃れることはできないのものである。ケルト人にとって、トネリコはこうした宇宙の守護神であった。
北欧の伝説によれば、トネリコは世界樹、宇宙の中心を占めるユグドラシル。すべての出来事はトネリコの木の周辺で起こる。そして、その根と枝は世界中を巡り、神の世界と現世、黄泉の国を結ぶ普遍性の象徴である。
144 notes · View notes
higashiyashiki · 7 months
Text
アルバムをリリースしました
nyan nyan inovation(open)です
Bandcampのアレのサブスク版みたいな感じです
書き下ろしが4曲 BandcampとかサンクラYouTubeのみだった曲がそれ以外の8曲です。
以前からプラズマとかカスの骨は要望が多かったのでサブスクに出せて良かったです。
近況
栃乙女ざくろの編曲のお仕事と並行して私点滅する意識もフューチャリングや作詞の提供などで忙しくしていました。昨年9月のライブと今年の4月のライブもありましたし、色々な方からお声掛け頂くことが増えて恐縮でした。
今後も何卒…って感じです。
以下楽曲セルフレヴュー
1.teokure泣
この曲はかなり最近の僕らの思想が出ていると思っています。正直義務感で曲の尺を3から4分に引き伸ばすことに後ろめたさを感じていて、リリックや楽曲の展開の都合以上の理由がない限り無理矢理長尺にしたくなくなっちゃいました。リリックはほぼ全センテンス元ネタがありますので探してみてください。一つだけつまむと、何もしなくて良くなったら〜はDo it yourselfの結愛せるふさんからの引用。しなくていいことをこれまでもやってきたからね……
2.今夜、すべてのyoutubeliveで
想像よりずっと好評いただいてびっくりした曲
前曲のレヴューの流れで言うと前半だけだと言葉が足りてないし後半のリリックで丁度、それ以上は野暮みたいな感じでする。トラックの参考はモエアンドゴーストの曲で、イメージは有頂天のパーティー特有の個々人の感傷を踏み潰しつつ進んでいく感じ。大きな流れの前にワシらは無力や…ってやるせなさが美味しいと思う。
だいあちゃんのgifをコメント欄で拾ってくれてる人がいて嬉しかった
3.virtual local
ここからは数曲は覚えてる範囲のレヴューになりますねえ(結構前の曲なので) 
当時の僕ら(ひがしやしき、奴隷商人、法務局)は全員がトラックが作れる(トラックメイカーをメンバーに有してる)から持ち回りで一曲ずつマイクリレーを作ろうってことがあって、その中の栃乙女ざくろがトラックを担当した楽曲です。サビのリリックは星間飛行の引用でもあるし、星間飛行を引用したkoedawgの時空を超え 宇宙を超えの引用っていう二重引用です。いまだに現場の空気は苦手です。
4.yunn
友人の三周忌です
5.plasma
今ではなかなかやらない疾走感がある音作りで凄いね…
歌詞は徹頭徹尾ショウバイロックのプラズマジカの話してます。リリックビデオにつかったシアンちゃんのgifは日本有数の可愛さ
過去の記事になんならplasmaのレビューあったしそっちの方が詳しいかも!
6.onion
エレクトライブのみで完結させてます
YouTube版と違って各トラックをパラで録音し直してミックスし直したバージョン。リリックは異世界転生したとしても結局皮を剥いだら自分がいるだけだよーみたいな、大槻ケンヂのなんかの歌詞であったやつだと思う(世界の果てまで逃げても一番嫌いな自分はついてくるぜ)みたいなやつ
7.alligator
もういない人〜をリリースしてマジで頭真っ白だった時期に作った。この曲を作った直後にシロバコを一気見してその流れで劇場版を見に行ったからこの辺の記憶がすっぽり抜け落ちているのです。
8.kasunohone
アリゲーターの次に書いた曲だと思う
この曲はかなり現実逃避的な話をしててここで作った気持ちが!強くノンフィクションなんてもうしまいの歌詞のベースになってると思う。「片付けられた死体より僕はみたいの姉妹百合」とかはかなり肝やね…
9.koucha(嗜み)
ほぼエレクトライブのみで作ってます。最近アシッドハウスに興味津々でミョンミョンしたベースがめっちゃ前に出てる曲をやりたくて作りました。歌詞は可愛いお部屋で可愛いお洋服を着て甘いもの食べたいけど👀や社会性をもとに構成された自分はそれを許さないから家だけで美少女としてすごすんです…って曲です リリックビデオがお気に入り koedawgのフェミ男も参考にした
10.ヘイガイズウィーハブギフトフォーユー
超大作とか感化されそうになるメッセージ性の強いアニメや漫画もいいけど、作者も意図してないギャグ漫画の一コマのセリフとかが意外と生きる指標になったりして、自分も実際そうありたいみたいな歌詞。かなり明るくした呂布カルマみたいなイメージで作ったとおもう。突き放しじゃなくて大きな容認。筆者の意図より作品から何を持って帰るかが全てだと思うからこのタンブラー読んだ後も好きに受け取ってくださいね…
11.let's go 無人島
比喩曲です。野暮いのであまり言いませんが何かを無人島と喩えてるんですねえ。トラックはトロピカルかつノリノリなイメージで、ギターと安っぽいシンセブラスがお気に入り。フェードアウトのアウトロはdo it yourselfの影響
B'zの今宵月が見える丘での「今夜僕は寝ないよ〜♪」ってやつもある
12.鍋アニメ
歌詞は幸せについてです。let's go無人島でも幸せの話をしてたし、自分の幸せについて考える時期なのかもね… 幸せ 楽しい どう違うとかで検索したりした。トラックはこういう進行なかなか自分でやらないな〜って思った c d g g / c d g g RADWIMPSが好き
長年使ってきたcakewalkをbitwigへ移行したところ最近曲作りが楽しくてしょうがないので案外また近いうちに新曲をおきかせできるかもしれません。
アルバムを聴いてくださった方ありがとうございました
ひがしやしき(栃乙女ざくろと点滅する意識)でした
またどこかでお会いしましょう
25 notes · View notes
iktsarpok · 8 months
Text
Tumblr media
それと…
♪生きてるだけで丸儲け♪
優里の曲のこの歌詞が気になっていて…
そんなふうに生きることができるヒトたちをすごいと思うし、好ましくも感じている
ほんとです。
この曲、好きですよ。はい。
けれど、
この世界には、重いものを背負って産まれてきて、
1日1日を苦しみ、悶えるように生きてる人がいるはずで、
丸儲け♪なんて簡単に言えなくないか?
と心の隅で呟く私がいる
なぜ、ヒトは生きてる?
なんのために産まれてくる?
苦しみながらも、生きることの意味は?
人だけのことでなく、花、虫、動物、命あるもの、みんな生まれてきては死んでの繰り返し。
なんなんだ、それ
あ〜
キタキタ、答えがあるのかないのかわからない事をうらうらと考えてしまう波が
確か数年前にも似たようなテーマでうらうら考えたっけ
そのときの私のとりあえずの答えは、
この世界の誰かさんたちには生きる意味や与えられた使命があるかもしれないけれど、私みたいな人間には生きる意味など与えられちゃあ、おらぬ
でも、産まれてきちゃった。
仕方ないから、楽しんでやろう
そんでもって、最期の瞬間、
あ〜、楽しかった!
って言ってやろう
なんて、
そのときは、答えを出すことを放棄、とりあえず生きることにした。
さて、今回は。
2、3日考えてみたけれど
やっぱり、生きることに意味があるとは思えない。
これまでこの世界で流れてきた時間とか
繰り返されてきたこと、そんな大きな(って言葉さえ小さい)ことの意味を��タシが出せるわけもない。
星空を見上げたときにワタシが感じる宇宙との繋がりさえ、ささやかすぎる。
若い頃のワタシなら、人生が意味のない時間、と思うと、なんとなく虚しさも感じたけれど、
今の私は、意味のないこともそう悪くないと感じる。
あらゆることに意味があると思うなんて、小さい、小さい。
足元の小さな花のように、
ちょこまか動いてるアリンコのように
霧になったり海になったり、流氷になったり大忙しの水のように
在るべし。
人間が持ってる、感情と言葉とともに在るべし、
なのです。
さて、次のうらうらの波が来たとき、私はどんなこと、感じるのかなあ?
30 notes · View notes
kennak · 3 months
Quote
1980年代当時、薬師丸ひろ子や原田知世などの人気スターを続々と送り出し、 映画界の話題を独占していた角川のアニメ参入第1弾として大々的なプロモーションを展開していた「幻魔大戦」と、 未だに熱狂的なファンを持つ「機動戦士ガンダム」の完結編を除くと、 松本零士作品か「ドラえもん」しか残らないという状況。 「うる星やつら2」が公開された1984年は、「風の谷のナウシカ」「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」など アニメ界の流れを大きく変える作品が続々と登場していたのだが、興収的には今ひとつ振るわなかった。 種の蒔かれる瞬間を劇場で観ることの出来た、幸運な世代である私は 「宇宙戦艦ヤマト 完結編」が公開された翌年に「風の谷のナウシカ」と「うる星やつら2」が 相次いで公開されたことの衝撃を良く覚えている。 ここから劇場アニメの概念が大きく変わるだろうと確信を持てる2作だった。 サントラも「愛はブーメラン」のシングルも、関連雑誌も買いまくった。 多少の想い出補正がかかっていることを差し引いても、 どちらの作品も未だに古びない素晴らしい作品で、あの頃の衝撃が正しかったことをこの歳になって再確認している。 あたるとラムの夫婦漫才のような関係をベースに 多彩なキャラクターが集まったドタバタアニメとして人気を集めていた「うる星やつら」が 突然ダークファンタジー全開の作風になったことで「押井守がやり過ぎた」だの、 「高橋留美子が激怒した」だのと、当時は様々な憶測が飛び交った。 Blu-ray発売までに随分と時間がかかってしまった(しかも一度中止になっている)ことも、 噂に信憑性を持たせる理由になっていたのだが、待てば海路の日和ありとは良く言ったもので こうしてプライムビデオでいつでも見られるようになるとは夢にも思っていなかった。 奇しくも今年で劇場公開から40年。長かったようで、振り返るとあっという間だった。
「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」がAmazonプライムビデオで見放題に - 忍之閻魔帳
10 notes · View notes
ashi-yuri · 3 months
Text
トマス・M・ディッシュ「SFの気恥ずかしさ」
神を信じないあなたが贈るSFへの信仰告白
昨年国書刊行会から出たSF評論集。ディッシュのSF短編集「アジアの岸辺」をむかし読んで、すごく露悪的だし悪意に満ちてるけれど、どこかさわやかなところが印象に残っていたので買って積んでた。
Tumblr media Tumblr media
同業他者の本をこう評す文章が楽しめる人は楽しめるとおもう。わ��と楽しかったです。
この本は小説ではなくて治療的読書の英語で書かれた空想である。それが私にはうまく働かない。
ディズニーランドに行った疑り深い人間のように、私はつい本物でない細部に目が向かう。つまり椰子の木のコンクリートの幹だとか、すりきれた人工芝だとか、人造ライオンの生気のないうなり声だとか。しばらくすると旅行者ばかりが気にかかる。つまり、どこのどいつがこんなに手順通りのにせものを楽しめるのだろうか、楽しめるのだとしたら、本物でないから楽しいのだろうか、それとも、とても信じられないが、あえて虚構性に目をつぶっているのだろうか、と。
「SFの気恥ずかしさ」
実験・思弁小説としてではなく、いわゆる大衆小説としてのSF批判なんだと思う。現代日本に置き換えると需要層に向けてもっとピーキーになった「なろう小説」批判に近いように思える。
ただ、ここで批判される子供っぽい欲望や恨みという感情、さらにそれに対する複雑で変わりゆく眼差し自体を消費させながらすごい速度で大量の情報と欲望を集めて、メディアミックスを駆使しテキストをお金集約装置へと変えていくあまりにもファストなシステムを横目で見てると、本編は大衆小説批判としては少し古びてしまった印象
それとはまったく別にSFへの信仰告白としては100点
いまいったようなことは、どれも重要ではないと。そして、結局のところ、こういう調子で締めくくって、どこがいけないのでしょうか?たとえ完全な真実ではなくても、それは良い本をかこうとするものの信仰の祈りでなければならない。わたしはそれを信じます。みなさんもそれを信じるべきなのです。
「アイデア」「壮大なアイデアと行き止まりのスリル」
古今東西のさまざま文学と結びつけ、するどい言葉でさくさく刻んでいくのが読み物として楽しい。個別の作品がわからないので適切な批評かはよくわからない。ポーへの批判がすごい。ディックは高評価。
ポーは昔読んだきりだけど、これ聞いてなるほどと思うとともに、奇想と雰囲気いいのでポーっぽい一人称ホラー短編ゲームは楽しそうと思った。
「ポーのあきれた人生」「テーブルいっぱいのトゥインキー」
ポーとかブラッドベリとかに半分自己嫌悪に近い形で悪口言ってるときのが筆が乗ってていきいきしていて魅力的。以下、ブラッドベリの悪口から引用。
たくさんの大人たちにとってこうした短編は早すぎる埋葬をこうむった十一歳の自分に戻る戸口となり、子供たちは(ずっと昔、私がそうだったように)まるで本物であるかのようにこの魅力にとびつくのだろう。―ホステスのトゥインキーやキャンディー・コーンやストロベリーのクール・エイドが、どれもギラギラと火星のように赤色二号の怪しい光を放って並ぶビュッフェであるかのように。
「レイバーデイグループ」「聖ブラッドベリ祭」
二流作品(ディッシュ評)お焚き上げの会。文章も性格もわるくていいですね。
「ヴィレッジ・エイリアン」「最初の茶番」
ベストセラーとなったUFO連れ去り事件ノンフィクションor小説?についてのフィクション込みの論考。往年の高橋源一郎の文学探偵みたいで、嫌味と紙一重のもってまわった技巧含めて楽しかった。 ディッシュ、すごくSFを愛してるからこそSFづらして出てくるいい加減な作品のこと許せないんだろうな。
「『未知との遭遇』との遭遇」
スピルバーグの未知との遭遇の解題。宇宙戦争とかもそうだけど、結構宗教的だなあと思うスピルバーグをよく説明してくれている。最後の皮肉っぽさ、ディッシュだなという感じ。
それが本当に映画のサブテクストだとしたら、どうしてこんなにヒットしたのだろう。(中略)観客が映画の教訓に感銘を受けたからではなく、迫力ある映像、金色の仔牛としての神という、印象的な神の実像を描いてみせたからだ。我々は神の顔を見たいと渇望しても、神のために狂人になる覚悟はない。大勢の宗教者が狂気は神にいたる道だとくり返し説いてきたが、凡人にできることではない。しかし、それを映画のシミュレーションで見るなら楽しめるし、しかもその映像がSFのお約束のイメージで無菌化されていれば、なおさら考える必要はない。SFはその定義からして、重要なことを決して意味しないのだから。
「SF ゲットーへの案内」
欧米SFをくさすレムに、もっとちゃんと現代欧米SFを読んでくれ!という訴え
ディッシュは無神論者だったらしいけど、全体的にSF信仰を強く感じる。SFの価値を信じてて、SFかくあるべしというのが強固にあるからこそ、各作品をきちんと読んだうえで駄作という批判も傑作という賛辞も強く示していくそういう文章はきらいじゃない。
ディッシュの破綻してしまった人生最後の支離滅裂な小説「The Word of God」が、SFへの殉教だったのかなとSFロマンチストとしては考えてしまうところ。参照Wiki
ところで、マンハッタンについてのインタラクティブテキストであるところの「アムネジア」というテキストADVゲームの脚本書いていたのははじめて知った。
6 notes · View notes
fantasybrade · 1 year
Text
ネームにつまったので何か書き散らす
BombRushCyberfunkの発売を控え、またもJetSetRadioFutureを再プレイしながら、特にいまはスペースチャンネル5について考えている
スペースチャンネル5、もちろん子供の頃はけっこうハマっていた まだ園児だった頃に初めて触ったゲーム機はDreamcastで、当時は他にも色々と遊んでいた クルクルトゥーンとかセガラリーとかも好きだった ただスペースチャンネル5だけが放つ異様な気配みたいなものがある
もちろん他のソフトも個性に満ちあふれていて、SEGAは10年早かった…などと言われたりするのだけど、10年どころか20年経ったいま、実際にSEGAは時代を先取りしていたかと言われると結構怪しいと思う まあみんな言わないだけだとは思うけど、正直べつにDreamcastのゲームは最先端だったわけじゃない 奇抜だっただけ ゲームとして優れていないものも沢山ある
ただ、スペースチャンネル5だけはその中でも特に抜きん出た異常さを感じる
あのゲームの中には、踊りだけが存在する まずゲームメカニクスありき、というゲームの世界の作られ方は、昔からのアーケードの流れだとは思うけど、それにしたって世界設計が異常極まりない
https://www.youtube.com/watch?v=reNNpZhY41c&t=3266s&pp=ygUc44K544Oa44O844K544OB44Oj44Oz44ON44OrNQ%3D%3D
「宇宙人の侵略によって、人々が踊らされています!」と、リポーターでありプレイヤーであるうららが叫ぶ 彼女はスペースチャンネル5という番組の視聴率を上げるため、踊らされている人々を踊りで助ける
敵であるモロ星人は人間を強制的に踊らせているが、プレイヤーはその踊りを完璧に踊り返すことによって彼らを救う 救われた人がどうなるかというと… うららの後ろに出現し、うららの後ろで踊りだす
Tumblr media
つまり、この世界で踊っていない人はいない
これはもうシュールとかそういうものではなくて、なんというか価値が一つしかない 踊るか踊らないか、ではない 「踊らない」が選択肢に存在せず、彼ら彼女らは例外なく踊っている!人間であるかどうかすら関係なく 「踊らされている」か、「踊っている」かの違いだけがある…
そしてこの、異常なんだけど完璧な世界設計とゲームメカニクスは、ゲームのプレイ開始からクリアまで一貫して存在しつづける プレイヤーが救った人間が、プレイヤーの後ろに出現し、ともに行進し踊る という、最初のシーケンスを通過した時点で、実は最後にどうなるのかプレイヤーには予想可能なんです。つまるところそれは、「全員で踊ってラスボスを倒す」という、唯一のエンディングへの光の道筋
この神々しい道筋をうららがメチャクチャかっこいい歩き方で行進しつづける このゲームは、ハッキリいって完全に完成している 足したり引いたりするべきものがなにもない 他のSEGAの作品と比べてもあきらかに一線超えている
一部のゲームは、プレイすると「景色」を理解させられる と思ってる 景色 というのはつまり、文字通りの景色…グラフィックであったり、美しいデザインであったり、つまりは直感的に感じるゲームの表面のあらゆる部分のことで 「理解できない景色」を「理解させてくる」ゲーム、というのがある
このゲームはまず、見たことがない異常な景色を提供してくる 宇宙人によって踊らされる人々と、それを救うスラリと手足の伸びたうららという謎の少女 ゲームは、物語や言葉ではなく「遊び」を通してプレイヤーと対話することができるので、この異常な景色を理解せずともプレイヤーはこのゲームをプレイすることができる 宇宙人が「アップ」と言えば、↑ボタンを押せばいいだけ それだけで楽しくなれてしまうから そしてプレイヤーは「アップ」だけでなく、「チュー」ができるようになり、「アップダウンアップダウンチューチューチュー」ができるようになり、「アップアップアップライトライトライトダウンダウンダウンチューチューチュー」ができるようになる そうしてプレイヤーは、ゲームメカニクスを通してゲームに洗脳されていく 何をされたら何をやればいいのか、という、そのゲームをやる時以外には絶対に使わない脳の回路を生成していく こうしてプレイヤーとゲームは高揚感の中で一体化する するとわかってくる どうしてみんな踊っているのか どうして私は踊っているのか その理由
このゲームは通常のゲームと同様、プレイする時間が長くなればなるほど難易度も上昇していくようになっているけど、ラスボス戦になると、いきなり1面と同じくらい簡単な踊りをやらされる仕組みになっている
つまりプレイヤーは、自分がまだ何一つ理解していなかった時のゲームのシーケンスを再プレイさせられることになる そうして気付く 自分が全てを理解していることに アップダウンアップダウンチューチューチューとはなんだったのか、というのをプレイヤーは理解する というか、「理解していることを理解させられる」
Tumblr media
そうして銀河中の人々と踊りながら銀河の果てまで大行進するんだけど…
ゲームメカニクスという、言語や物語に依存しない感覚の楽しさに訴えかけるカタチのあるもの(再現性のあるもの)で何かを伝え理解させることができるという点において自分はゲームに(他のメディアには存在しえない)真実性みたいなものを信仰してしまっている
25 notes · View notes
oka-akina · 5 months
Text
1130-1205
1130 うちはトイレと物置が隣にあって同じドアが並んでいて、物置に何か取りに行ったつもりが隣のトイレのドアを開けていて、あれおしっこしたかったっけ…とか思いながら用を足している。物置に何か用事があったのを忘れてしまう。こういうことはスマートフォンの上でもよくあって、メールをチェックするつもりがツイッターを開いている。 なんか電車が空いていた。べつに理由はないんだろうけどなんでだろうと思ってしまう。理由を探してしまう。窓の外の荒川が濃い色をしていて冬だなーと思う。そしてその窓に、明らかにデマというかインチキ医療の本の広告が貼ってあり、こういう本が堂々と出版されているのにどうしてわたしの小説は同人誌なんだろうなーとか思う。やつあたりみたいに思う。
ずいぶん前に買ったエッセイの本を読んでいる。とても自由であたたかい家庭の話だと思うのに読んでいるとどんどん心がささくれだっていく。夫婦でやっているお店の話で、お店の仕事は女の人がメイン。本の語り手の男の人はサポートと広報をやっていて、その流れで本を出したようす。 なんかこうなんかこう、あなたの話はいいからこの女の人の話がききたいよとか思ってしまう。この女の人がどのように考えて店をやっているのか、あなたの口からじゃなくてこの女の人の言葉でききたい。声をききたい。いやそんなのは役割分担だとは思うのに、まったく何も取り繕わない自分の気持ちとしては、こいつなんかいけすかねえな〜!と思ってしまう。仕事の役割が夫婦で逆だったら、サポートしている女の人に本を書きませんかって話はきたかな〜とか訝ってしまう。そうしてあるいは、これが女の人同士のカップルだったら、わたしはこんなふうに思うんだろうか。 じゃあつまり自分にはひどいミサンドリーがあるんだよな…。この本に限らず日常の中のほんとにいろんな瞬間で自分のミサンドリーにぶちあたり、しょんぼりする。ハッとしたときはもう遅くて、本当になにかこう、ごく自然に、嫌悪の感情がある。 自分にべったりしみついた差別心や偏見はもうどうにもならないんじゃないかと怖くなる。わたしは自分の性格をなんて意地悪なんだろうと思っているけど、意地悪どころでは済まないひどいものが自分のすみずみまでがっつりしみついていて、このような土をいくら耕したってここから生えるものはみんなだめなんじゃないか。わたしのやっていることは本当にぜんぜんだめなんじゃないか。ときどき絶望的な気持ちになる。
夕方、通販と書店さんへの荷物を送った。思ったより手間取ったし部屋もとっ散らかった。そんなにたくさん送ったわけではないんだけどたぶん要領が悪い。本の梱包とか荷造りとかがとても苦手で、何年やってんだって感じだけど本当に慣れない。引き続き腹も痛いし尻も痛い。夕飯は豚肉とチンゲンサイとえのきと春雨を炒め煮したやつとかつおのたたきと厚揚げ。
1201 今日も通販の荷物を送る。このところほとんど毎日やってるのにぜんぜん梱包うまくならないのどうなってんだ。ガムテープをまっすぐ貼るのがへたくそすぎるし本を袋詰めするのもなんかきれいにならない。手のしびれ、震えのこともあるとは思うけど、送る荷物が格好悪くてまいどほんとに恥ずかしい。お手に取ってくださった方は薄目で見てほしい…。
書店さん宛に送った荷物が届きはじめているようで、犬と街灯さん(表紙を描いてくださった谷脇栗太さんのお店)がさっそくネットショップに追加してくださっていた。ツイートを見て、ほんとにある���と驚いた。驚くって言い方はなんか変なんだけど、遠くのお店にほんとにあるんだな…と感慨深くなる。本屋lighthouseさんからも本が届いたよと連絡がきていて、ほんとに置いてもらえるんだな〜とドキドキした。書店委託はまったくの初めてではないんだけどなんかこうどうしたんだろう。 「顔たち、犬たち」関連はずっと気持ちが張り詰めている。新しい小説の本を出すときはいつもtumblrにステイトメントみたいな記事を書くんだけどそれも書けていない。言いたいことや話したいことがいっぱいあって、どっからどうしたらいいのか、やりたいことが目詰まりしている…。そうしてそんなに激重感情でやってるのに小説自体はほんとにしょ〜もない話で、よわよわおちんぽの〆切直前もそうだったけど、悲壮感を出すような作品ではないのでなんかチグハグしている。
でもこの「しょうもない話」はちょっといい傾向かなとも思っている。執筆の佳境とか書き終わる直前ってなんかこう気持ちが盛り上がってしまって、作品を「大層な話」にしたくなってしまいがちというか…。なんていうの、谷川俊太郎の「魂のいちばんおいしいところ」みたいに書きたいみたいな、高望みした欲がある。
私たちの上に広がる青空にひそむ あのあてどないものに逆らって そうしてあなたは自分でも気づかずに あなたの魂のいちばんおいしいところを 私にくれた
長めの話に時間をかけて取り組むと自分の中のそういう…純っぽいもの…?を差し出したくなってしまうというか、自分の芯を取り出したものでありたいみたいな、そういう欲がわいてしまう。やけに体重をのせてしまう。 で、最近それを回避したくて、けっこう意識的に「しょうもない話」をやっているふしがある。単純に作品がくどくなるのを避けたいのもあるし、なんかこう自分の差別心や意地悪ってそういうとこからきてるんじゃないかみたいなことも思って。これはまとまってないのでもうちょっと考える。
夕飯はおでん。夜中、ふと思い立って虐殺反対のステッカーを作った。ネットプリントにした。
12/2 ゴルフの練習に行って洗濯をして掃除機をかけた。お昼はきのうのおでんの残りとチャーカラ(チャーハン唐揚げ弁当のこと)。きのうのステッカーをプリント���ウトしてみたらいい感じだった。ロボット掃除機が壊れたかもしれない件はやっと言えた。まるでいま壊れたかも?みたいな感じで言った。えもからもらった柿をジャムにした。柿プリンも作ってみたけどあんまり固まらなかった。やけに疲れてしまって2時間くらい昼寝した。寒いので夕飯は鍋。アド街を見ながら食べた。
夜中、通販などの荷造り。本を袋に入れて送るだけのことがどうしてわたしはこんなにへたくそなんだ…と散らかった部屋で途方に暮れた。毎日同じことを思っている。
12/3 プリパラプリチャンプリマジのライブ。毎年恒例の幕張メッセでのライブで、前回の幕張がついこのあいだのように感じる。一年が早すぎる。きのうの残りの鍋を食べて車で出かけた。幕張メッセの駐車場は一日千円なので、二人分の電車代やコーヒー代を考えたらこっちの方が安い。昼公演と夜公演の間の待ち時間を過ごせる場所があるのも気楽だし。スタンレーの水筒にお茶を入れて持って行った。夜になっても湯気が立った。
今年は演出がとてもよかった。とくにプリマジの各キャラクターのソロ曲、ほかのキャラクターがうしろで盛り上げてるの最高最高最高だった。庄司宇芽香さんの演じるあまね様が本当に素晴らしくてたくさん手を振った。声出しOKライブでよかった。今日の公演のためだけに髪の毛真っ赤にしてくれたのかと思うと胸がいっぱいになる。夜公演はアリーナの花道そばだったので、一回だけ目があって本当に泣いちゃうかと思った。 プリマジは9月のリーディングイベントのときも思ったけど、女性が女性にキャーキャーいうのがどまんなかにきているので本当に居心地がいい。なんていうのかな、「本来は女児向けのアニメにいわゆる大きなお友だちのオタク男性が大挙して…」みたいな感じでもないんだよな。男オタが女の子(女の子のキャラクターだったりそれを演じる若い女性の演者だったり)を愛でてやるぜ的な感じがあんまなくて、みんながキャーキャーいいながら女の人たちの格好よさ、かわいさ、楽曲のよさを喜んでいる。本当にすごい。長いシリーズを通して作品が変化しているのもあるし、観客を育ててきた感があるなーと思う。演者も客も年齢を重ねたのもあるかも。 そしてプリティーシリーズ通してだけど、ファンにセクマイが多いのをなんとなく認知してくれているように思う。もちろん演者によって濃淡はあるのでたまーに発言にハラハラすることはあるんだけど、あなたのための席がありますと言い続けてくれているシリーズだと思う。リングマリィの「コトバブーケ」は「おとぎ話の通りじゃなくても私はヒロイン」「おとぎ話の通りじゃない方が自分らしい」と始まる曲で、まっすぐ女性同士のウエディングを描いていてすごくうれしい…。それを冷やかすような反応や百合!みたいな茶化した感じの反応が今回はあんまなかった気がして(あることはあるんだけど前より減った感じで)よかった。
そして大好きな大好きな厚木那奈美さんが本当に本当に…いつも変わらずお姫さまみたいで…本当に素敵だった…。内側から光ってるんだよな…存在が光、祝福なんだと思う。厚木那奈美さんを前にするとわたしはいつも幼稚園の子どもになってしまう。厚木那奈美さんがお姫さまの国でリスとかネズミとかコロボックルとかになって暮らしたいよ…。「ブランニューガール」はミディアムテンポのちょっとセンチメンタルな曲なんだけどけっこうしっかりめの振り付けで、でも厚木那奈美さんはニコニコ笑顔で歌って踊っていて、本当に本当に宇宙に神さまに星々に絶対絶対絶対愛されているほんもののお姫さまなんだな〜!って泣いた。厚木那奈美さんの長い手足がすらーっとすーっとどこまでも伸びていって、ほんとにもう東京湾くらいなら全然余裕でまたげるんじゃないかと思う。厚木那奈美さんが微笑めば木からどんぐりが落ちてきて、リスとかネズミとかコロボックルはそれをぎゅっと抱きしめます。 厚木那奈美さん、友だちや知り合いにわたしはこの人が好きなんだよ〜って教えると「うわ好きそー」って納得されるのすごい面白い。わかりやすくどタイプ。厚木那奈美さんとかムンビョルさんとか美少女さんとか、おかわだくんはこういうスラッとした人が本当に大好きだよね…。
あと泣いたといえば、コスモさんの「君100%人生」やってくれて! 久しぶりにライブで聴けて爆泣した。君100の何がいいって、「次は負けないよ」「取り戻せ」「自信出して 元気になって」「体 心 鍛え直すよ人生」のとこ。わかりやすく励ます歌詞ではあるんだけど、それ以上に「今回は負けたよね、いろんなもの奪われたし失くしちゃったよね、自信も元気もないよね、体も心もおしまいだよね」っていうのをまんま受け止めてくれるのがすごい好き。おまえは今回負けたよねって目をそらさず認めてくれるのとても安心する。 日記やけに長くなってるからここらへんにしとくけど、小林竜之さんのアサヒの仕上がりがやばすぎてすっげーよかった。ほんとに「マジヤッベーチョースッゲー」だった。34歳男性のあの感じ最高ですわ。小林竜之さん40歳のアサヒ役ぜってえぜってえ観たいのでプリティーシリーズを今後とも応援していこうと思った。
ライブがあまりにもよかったので、やっぱプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいな〜と思った。わたしは二次創作的なのは書けないので、「プリティーシリーズのことを考えて書いた小説」とかになっちゃうんだけど、それを本にしたい…そしてなんかいろんな人にゲスト原稿を依頼したい…すごく同人誌って感じするやつ…。いったい誰が読むんだって感じなんだけどそういう変なアンソロをやりたいよね…。 そしてウキウキの気持ちで帰ってきたらKADOKAWAがろくでもねえトランスヘイト本を刊行しようとしているのでテンションだだ下がりになった。ふざけるなよとインスタのストーリーズでキレ散らかした。
12/4 えもとなむあひさんと遊んだ。朝パン屋で待ちあわせて多摩川に行った。いい天気で冬って感じの空だった。広々していて気持ちいい。二子玉川の駅を降りてすぐこの景色なのほんといいよな。橋を渡る電車がずっとごとんごとんいっていて、遠くの橋や向こう岸で車が流れている。水や物がずっと動いている。サギがたくさんいた。白くて大きな鳥が冬の濃い青い空にたくさん舞っているのが、なんだかうそみたいにすがすがしい眺めだった。 えもから個展のDMをもらった。先々週会ったときに元の絵を見せてもらっていたけど、すごくきれいに色が出ていてほんと展示楽しみだなーと思った。あと「あいじょうぶ」ブローチももらった。「俺の愛があるから大丈夫!あいじょうぶや!」のブローチ(ナポリのすぎるのやつ)。草の上に置いて写真を撮った。 なむあひさんが「顔たち、犬たち」の感想を伝えてくださってうれしかった。なんかこうがんばって書いていきたいよな…という話をした。本を持ってきてくださったので表紙の優人さんに川を見せてあげた(?) そのあと昼から磯丸水産に行って飲んだ。トマトハイめっちゃ薄かったけど美味しかった。えもとわたしで何杯飲んだんだ…。このあいだなむあひさんと焼き鳥食べたとき、注文したはずのタコウインナーが結局来なくて、わたしはすっかり忘れていたんだけど次の日なむあひさんがそういえばタコウインナー来なかったですねって思い出していて、じゃあ今度リベンジしましょうって言ってたんだけど2週間で早くもそれが叶うの面白いな。川行って、(磯丸だけど)イカとかウインナーとか網で焼いて、実質バーベキューみたいだった。あとプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいんですよ〜という話をした。いきなりどうしたって思ったろうな…。 夕方もっかい川に行って、あまりにも楽しくて手つないでワーイとかした。えもの手が小さくて冷たくてびっくりした。
KADOKAWAに問い合わせメール送った。刊行中止してくださいとははっきり書かず(できないだろうと思った)、なんでこういうのを出そうと思ったのか経緯を知りたかった。それで質問を送った感じ。
12/5 これぜったい乾かないよなと思いながら朝洗濯物を干して出かけた。曇っていたし寒かった。昼にチバユウスケの訃報を知って驚いた。これがきのうえもと一緒にいるときに知ったらどうだったろう。明るい川べりで知ったら、真昼間の磯丸水産で知ったらどんなふうだったろう。コンビニでコーヒーを買って小袋成彬の「Night Out」を聴いた。今日はとても寒くて、外もずっと暗かった。むかしの友だち、ミッシェルを好きだった人たちの顔がつぎつぎ浮かんだ。なんかツイートではなにも言えなくてリツイートのカウンターがまわるのをじっと見ていた。ものすごい熱心なファンとかではないけどなんかこういっぱい思い出深い…みたいな距離感だからだと思う。いま小説のあれこれでやりとりしている人や現在進行形で作品を生み出している人、みんなひとり残らずいつかいなくなるのだ…とすごく当たり前のことを思った。夜になって、長いこと連絡をとっていなかった人からチバのこと悲しいねってメールがきていた。携帯電話のキャリアメール宛で、迷惑メールかと思った。そういやこの人のLINE知らないや。そうだねみたいなことをちょっと書いて送って、それ以上はべつにやりとりしたくない気がした。これを機に旧交をあたためようなんていうのはなんかこう格好悪いだろと思った。いやこれがめっちゃ好きな人からきた連絡だったらしっぽ振って返事送るんだろうけどさ…。洗濯物は厚手の靴下がやっぱり乾いていなかった。Mリーグを見ながらキムチ鍋を食べた。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
9 notes · View notes
harawata44 · 2 months
Text
日本でも「宇宙天気」予報がスタート。新年度にも運用開始予定 | ギズモード・ジャパン
Tumblr media
以下引用
太陽が嵐を起こす。
私たちが外出する時にチェックする天気予報。さらにこれからは、宇宙天気にも注意して行動する必要がありそうです。
実は近年の太陽活動によって、高いエネルギーを持つ粒子や放射線が地球に降り注ぎ、様々な被害がもたらされています。 SpaceX(スペースエックス)が打ち上げたスターリンク衛星もその被害に遭っています。 この時は、打ち上げた49基のうち40基が磁気嵐に見舞われ、空の塵と消えてしまいました。
磁気嵐や放射線を監視 → 宇宙天気予報でお知らせ
人工衛生などにダメージを与える磁気嵐は、太陽フレアと呼ばれる爆発現象によって発生します。 そこで総務省を中心に、情報通信研究機構(NICT)が開発したシステムで太陽フレアを監視し、具体的な影響を国民に知らせる宇宙天気予報のスタートを検討していました。 総務省は2024年度中の運用開始を目指しています。
“注意報”や“警報”でお知らせ
太陽フレアによって人工衛星の故障や通信障害が発生した場合、 ・電話回線が使えなくなる ・テレビやラジオが使えなくなる ・インターネットが使えなくなる ・GPSが作動しなくなる・誤差が発生する ・船や飛行機の通信ができなくなる といった影響が予測されています。 これらの事象が発生してしまうと生活は大混乱です。 そこでパニックや混乱をできる限り抑えるため、あらかじめどれだけの影響が出るかを注意報や警報として注意喚起する予定です。
太陽の動きは今も見られます
情報通信研究機構(NICT)は現在も太陽の動きを観測(NICTの宇宙天気予報へリンク)しています。 ちなみに2月27日の宇宙天気予報は、 "太陽活動はやや活発でした。今後1日間、太陽活動は非常に活発な状態が予想されます。地磁気活動は静穏でした。引き続き今後数日間、地磁気活動は静穏な状態が予想されます。電離圏は乱れた状態でした。今後1日間、電離圏は静穏な状態が予想されます。" でした。 これからは地球天気予報と宇宙天気予報を見る日常がやってきそうです。
4 notes · View notes
koch-snowflake-blog · 3 months
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
大久保 桜子は、日本の女優、グラビアアイドル。オスカープロモーション所属。身長152cm。 神奈川県横浜市出身。暁星国際小学校・中学校・高等学校卒業。2017年4月から大学在学中。 ウィキペディア
出生地: 神奈川県 横浜市
生年月日: 1998年7月20日 (年齢 25歳)
学歴: 暁星国際小学校
身長: 152 cm
事務所: Wonderwave; (2012年 - 2020年); HI RANK INDUSTRIES; (2021年 - 2023年); オスカープロモーション; (2023年 - )
小学校から高校までインターナショナル・スクールに通っていた。インタビューで「お兄ちゃんがインターナショナルスクールに通っていて、『兄弟揃って英語をしゃべれたらかっこいい』と、お母さんが思ったみたいで、私もお兄ちゃんと同じ学校に通うことになりました」と述べている。
本人のインスタライブで、ファンから「YouTuberデビューの予定は?」と聞かれるも、本人は「定期的に同じことをするのが苦手」と語っており、YouTuberデビューする予定は無いと言っていたが、2021年に自身のYouTubeチャンネルを開設し、YouTuberデビューをした。
自身の性格については「根暗」と述べており、役柄として喋ることはできるが、舞台挨拶やクロストークなどは苦手であるという。
『宇宙戦隊キュウレンジャー』のメイン監督である柴﨑貴行は、大久保について体育会系でサバサバした性格であると評している。同作品で共演した岐洲匠は、大久保は最初クールで少し怖かったが、徐々に打ち解けると明るく接してくれたと述べている。
休日の時はお菓子作り。得意なお菓子はフレンチトースト。バレンタインデーは『キュウレンジャー』の撮影現場でカップケーキ50個を作った。
「桜子」という自身の名前の��来についてインタビューで「よく『春に生まれたの?』と聞かれたのですが、7月生まれです。兄が生まれるときに、お母さんが女のコだったら桜子とつけようと決めていたそうなのですが、男のコだったためにつけられず。私に名前がスライドしてきました(笑)」と述べている。
  
78 notes · View notes
tamashiinookazu · 8 days
Text
今朝目覚めながら
「待つとし聞かばいま帰り来む」
という七七(しちしち)の音が急に浮かびました。
これは和歌の下の句ですね。
「私の帰りを待つと聞いたなら、すぐに戻ってまいりましょう。」
すぐに上の句もそらんじました。「立ち別れいなばの山の峰に生ふる」
百人一首に取られている中納言在原行平の歌です。
切ない、思い。
この歌は、別れを惜しむ歌ですが、
一方で、後世には、いなくなった人や動物が戻ってくるように願う、願かけ、おまじないの歌として有名になったそうです。
どうしてこれが心に浮かんだのか。
同時に
「長い深い孤独」と浮かびました。
それはこれから来るのか?と自分に尋ねると
どうやら「ようやく終わる」ようです。
 
わたしは確かに長らくそのストーリーを待っていたのかもしれないです。
ちょうど昨日が誕生日でしたので
何かの節目のときが来たのかもしれません。
さて、「まつとしきかば・・・・」と言えば、
わたしは中学高校で古典を教えてきました。
「かぐや姫」を扱うことがあり、
許される環境の時は、みんなで関連の映画を見ました。
高畑勲さんの「かぐや姫の物語」
Tumblr media Tumblr media
実はこの和歌が出てくるのをご存知ですか?
「天女の歌」です。
姫は
近所のそこらの庶民の子らに紛れて
大地にころころまろげながら元気に生い育つのですが
少女のある日、いつものわらべ歌を歌ってたはずが
自然に転調して哀感のある歌詞を独りで歌います。
天女の歌 作詞:高畑勲 坂口理子 作曲:高畑勲
まわれ めぐれ めぐれよ 遥かなときよ めぐって 心を 呼びかえせ めぐって 心を 呼びかえせ 鳥 虫 けもの 草 木 花 人の情けを はぐくみて まつとしきかば 今かへりこむ
わたしは生徒たちの一番後ろで一緒に見ていたのですが
この歌のワンシーンだけ
涙が出て止まらなくなりました。
だって自分のことでした。
この地球で生きてきたすべて。
星へと帰還することも。
映画では、
ふと彼女が自分の遠い星の記憶につながる瞬間です。
挿入歌の歌の部分はYouTubeのこれです。
これだけでも聞くとうるっと迫り来るものがありますが
実際の映画の中では相当グッときます。
youtube
さて出典の「竹取物語」
貴公子に難題を出し、決して結婚しない姫。知らない人はいないストーリーですね。
貴種流離譚であるこのお話しは元は漢文で
西暦900年頃に貴族男性が書いたと言われます。
今見ても、悲哀を感じながらも、反骨がおもしろい。
作者不詳とされていますが、候補としては
空海とか遍照、源順(みなもとのしたごう)、源融(みな もとのとおる)、紀長谷雄(きのはせお)
とされています。
https://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/hosizora/astron/astron9/astron9_P11-12.pdf
わたしは空海、遍昭の路線はまずないと思います。
実は、
竹取物語の作者の男性は
今世で誰に生まれ変わっているかと言いますと
この女性歌手だということを聞いています。
このvideoのこの構成、納得しませんか?(イルミナティの霊波動が邪悪なので閲覧注意ですが貼ります)
youtube
大胆推理を入れてみますと
源融 ではないでしょうか。
彼は、藤原氏専横政治の犠牲者の一人です。
竹取物語には藤原氏への反骨精神が色濃く現れています。
彼は、源氏物語の光源氏のモデルとされています。
わたしは「ヒカル」という芸名は偶然ついたものではないと思います。
https://note.com/syuji230/n/n50121c80bf1d
かの一族の横暴と闇をできるものならば暴露したかったのは
当時闇を目撃した女たちも同じことだったというのが
わたしの持論です。
(ところでこの記事の源融の子孫が松田聖子やこ◯されたZARD坂井泉というのはまことでしょうかねー?)
「竹取物語」映画実写版というと
沢口靖子さんの出ている作品があります。
これも相当前、最近では7年前くらいかな、
近所の女子校の女子たちみんなと見ました。
ラストシーンが見ものです。
宇宙船、シップがモロに出てきましてその描きっぷりに
みんなで笑いましたが(笑)
姫は最後に光の柱の中でシップに掲挙されるのです。
彼女たち数十人くらいには
ちょっといい情操教育ができたな!と思います。
みんなきっとあと数年で経験することですものね😃
youtube
⭐️無断転載、引用固くお断りします。
2 notes · View notes
sakanafromhell · 18 days
Text
微生物がいたからってなんなの(1999字)
Tumblr media
 亜沙子が生身のまま宇宙に旅立ったというのは人づてに聞いていた。戻っていたのは知らなかった。  何が起きてもたいして話題にならない時代だ。愛もお金も才能も、今では人類の共有財産。働かなくても生きていけるし、生きていなくても死んでない。格差はあっても怨嗟はないし、英雄もいなければ悪漢もいない。人類は対立せず、疑問を持たず、我関せず、ただ綿毛のように漂っている。
 亜沙子は林檎ひとつを左手に持って、ふらりと私のもとを訪れた。会うのはいつ以来だろう。以前と変わらない神秘的な瞳でじっと私を見つめると、挨拶もそこそこに妙なことを口走った。 「これ、ニュートンが ** を発見したときに見ていた、あの日の林檎。宇宙で見つけた。宇宙には失われたすべてのものが置いてある。地球だって宇宙の一部だが? みたいなのは今はやめてね」 「へえ~」とだけ私は言う。「で、宇宙どうだった?」 「まあまあ退屈かな。踊れないし。文脈もないし」 「友達できた?」 「友達の定義を持っていない」 「じゃあ私って何なんだろ」 「忘れたんだ?」 「勝手に宇宙なんか行くから……。でもさ、宇宙広いでしょ? 友達じゃなくても、知的生命体とかいなかったの」 「ぜんぜん。微生物みたいなのは見つけたけど」 「えっ。大発見じゃないの、それ」 「微生物が?」 「昔よく話題になってなかった? NASAとかが凄い時間とお金をかけてさ。遠い星に微生物の痕跡を発見しました、ってのが大ニュースになったりして」 「微生物がいたからってなんなの」 「なんなんだろ」 「なんでもないでしょ」 「いやいや。人類はどこから来てどこへ行くのか? とかそういうね、昔からある問答の役に立つんじゃない? いずれ。微生物が」 「気の長いこと」亜沙子はせせら笑う。「人類はどこからも来てないし、どこにも行きゃあしない。せいぜいが子宮から来てイオンモール行く程度。だろ?」 「宇宙でパンクとか聞いてた? 初期の」 「遅すぎるんだよね、何もかも。ニュートンは一瞬で世界を変えたのに。この林檎を見た瞬間にすべてを思いついた。ニュートンが創作するまで、 ** なんてこの世には存在しなかったんだよ」 亜沙子は左手に持っていた林檎をかじった。   白い歯に咀嚼され、   舌の上で蹂躙され、   喉の暗闇を通って、   亜沙子の体内に落ちていく、   真っ赤な林檎。
 **なんてこの世には存在しなかったんだよ。
     重
 力
   だ。
 私は重力を再発見する。
 重力。  最近では流行らない、どころかすっかり忘れ去られたアイデアだ。何しろ今はあ��ゆるものが宙にぷかぷか浮いている。綿毛のように。  そういえば、宇宙から帰った亜沙子はずっと地面に足をつけている。私は浮かんでいることが急に恥ずかしくなって、なんとか着地しようともがくのだけど上手くいかない。  見かねた亜沙子が腕を伸ばして私の手首をつかむ。それで私の手首の骨は粉々に砕けてしまった。皮膚の中で、たぶん星みたいに散っている。  激しい痛み。  でも、ぞっとするほど懐かしい感覚だ。自分の輪郭がくっきり濃くなったような。  亜沙子に手を引いてもらって、私はようやく地面に降り立つことに成功した。  偉大なる一歩。  地面に足をつけると、私と地面がまったく別のものだってことがよくわかる。そんなことすら忘れていたのだ。接することで距離を感じる。別々の物体だからこそ、反発したり引きあったりしてしまう。  亜沙子が私を抱き寄せた。  亜沙子の質量。  押し返してくる肌の弾力。  息づかい。  まつ毛のたわみ。  発する言葉。  あらゆるものに重力を感じる。亜沙子の肩に落ちる髪にも。においにも。視線にも。初夏の日射しにも。戦争とか貧困にも。愛とか平和にも。怒りとか憎しみにも。虚勢とか汚辱にも。金儲けとか陰謀論にも。エヴァンゲリオンとかフロイト式の精神分析にも。二時間後の流星群とか古びたミサンガにも。神とか悪魔にも。砂漠にも。森にも。スタジアムにも。失われていた重さが宿る。 「久しぶり」亜沙子は私の頬に手を置いた。  触れられた部分がたちまち焼け爛れる。 「あれ?」焼け爛れながら私は言った。「私、なんか……幸せかも?」 「不幸になったんだよ」亜沙子は笑いながら言う。「私たちは思い出してしまった。本当はどんな些細なものも共有できない生き物だってことを」 「これって不幸なの?」 「不幸の典型だね。空にぷかぷか浮かんで、みんなでひとつの夢を見ていたほうが幸せに決まってる。人類が進むべき方向はそっちだよ。事実そうなりつつある。でも進化の道からはぐれてしまうのも悪くない。二人きりなら。そう思わない?」  私たちは地面に立っている。この星で私たちだけが重力を感じている。  だけどそれは何のニュースにもならないだろう。  ロケットの燃料みたいに世界から切り離されて、ただ燃え落ちてゆくだけの私たち。  恋愛感情を万有引力に喩えてきた、古今東西の凡庸な詩の群れ。  その残骸の山。  私と亜沙子は新たにそこに加わった、珍しくもない屍のひとつだ。
2 notes · View notes
bobowhipsblog · 27 days
Text
Tumblr media
惑星や小惑星との関連における太陽のアスペクト
性格(character)が運命(destiny)であるという占星術の基本の前提から、私たちは太陽が位置するサインやハウスの中に含まれているエネルギーの種類へと目を向けていくことになる。その次に惑星や小惑星と関連する太陽のアスペクトを熟考することで、そのレンズをさらに鋭く精緻にしていく。これらのアスペクトが伝統的にポジティヴかネガティヴのどちらかであると考えられているとしても、それらは人格を形成し、それゆえ運命をしばしば作り出す。
Tumblr media
太陽と月のノードのアスペクト
インド占星術でラーフ(ノース・ノード)とケートゥ(サウス・ノード)と呼ばれる月の二つのノードは、宇宙空間の中で太陽の軌道と月の軌道が交差する重要な場所を示す。それらは出生図の中で、とりわけ太陽と月のいずれかと直接的なアスペクトにある場合、極めて重要な場所となる。もし太陽と月のいずれかとコンジャンクションないしはオポジションしている場合、その人は食が起こるとき、ないしはその近いときに生まれている。
Me: opposition moon/north node
Tumblr media Tumblr media
3 notes · View notes
moko1590m · 29 days
Quote
月に標準時が必要な理由はざっくり言うと、GPSを機能させるため。時間が決まってないとGPSがうまく機能させられなくて、位置の特定ができないからなんです。というかその前に、月を周回する人工衛星がない…。 月への人工衛星設置と人類を送る計画が背景に そもそも私たちが普段使っているGPSも、人工衛星のおかげで成り立っています。位置の特定には地球のスマホと宇宙にある人工衛星の時間差を計算して位置を割り出しているのですが、月には軌道上を周回する人工衛星がありません。そのため、月を周回する人工衛星を配備しようよ、という計画が立ち上がりました。その名はムーンライト(Moonlight)計画。現在ESAが推進していて、ナビゲーションシステムや通信システム構築を目指しています。
NASA、「月の標準時」設定の準備はじめました | ギズモード・ジャパン
3 notes · View notes