Tumgik
ashi-yuri · 6 days
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Shanonのこと
KRZでAct.1のエルクホーン鉱山に来てたシャノン、たぶんあそこで死んでもいいと思ってたんだろうなと思う。
ワーカホリック気味でずっと生きがいとしていたアナログ機械の修理・メンテナンスの仕事はデジタル化に押され下り坂で、仕事場からは閉め出されてかなり追い込まれてるところに、勝手に失踪して死んだと思っていた従姉妹から電子音声現象で「みんなが死んだ場所を通って幸せになろう」というメッセージが送られてきて、家族や地域の人が多く事故死して閉山した廃鉱に身一つで行くのはかなりまずい状況だと思うし。
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あなたは幽霊を信じる? Act.1 エルクホーン鉱山
鉱山に行く送りをだれかに車で頼んでいても、帰りの迎えは頼んでないことを考えると、自殺とは言わないけれど、死んでもしかたないくらいのことは思ってたんじゃないかな。
じゃあ、あまり先に行かないようにする。私が運転しても大丈夫?ここまで乗せてきてもらったんだけど、帰りのことは、その、わからなかったというか...いつ戻るのかとか。運転ならできるから。 Act.1 エルクホーン鉱山出口にて
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なんでこんなとこで電話してるんだろうと思ってたけど、別れの電話のつもりだったのかな。
その先でコンウェイと出会い、彼が負傷して、共感や罪悪感から旅に同行して、いろいろあってコンウェイのひとつの終わりを見届けて、どこにも繋がらない場所にたどり着いて、馬を埋めることが、彼女にとってなんだったのかな、とたまに考える。
懐かしいような新しいようなすべての終わりのようなハナミズキの咲くあの家が、彼女にとってあたらしい居場所となるのかもしれないし、たとえいまの彼女にとってそこが「家」ではなくても、ウィーバーはずっとあそこで待ってるんだと思う。
シャノンがいつか死ぬその時まで。
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不気味とか呪いとかそういうことではなくて、ただ単にいなくなった者はずっとそこにいるし、誰もがいつかはいなくなるし、そのことをまだ生きてる従姉妹に見せたかったのかなという意味で。
『できるだけ深く地下へ潜って。空気は冷たく、大地は湿っていて、眼を閉じれば死者たちがとり囲んでいる。その場所がどこだか覚えている?その場所からたどり着ける。そこがあなたの探している場所。すぐに洗い流されるものもあるけれど、郵便局や学校、そしてあの悲劇的な馬たちがいなくなっても、あなたならここで幸せになれる。』
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ashi-yuri · 26 days
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T・S・エリオット「荒地」 荒地遊びの記録
まずはじめに言葉があった
Kentucky Route Zeroの解説でモダニズムや詩を扱うにはやっぱりエリオットは読んでおきたいなと思ったのと、単純に「『荒地』を読んだことのある人」になりたかったので。
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岩波文庫、岩崎宗治訳、2010年8月刊行
難解な詩ということで構えて読み始めたけれど、荒地の前の初期の詩は、意外と近代文学青年の懊悩という見慣れたテーマが基調にあって読みやすい。いろいろ含みのある詩なので、訳注・解説がコンパクトかつ充実してるのはたいへん助かる。
荒地以前の詩も収録してくれているので、肉体・精神の不全感や自分にはどうにもできない情欲への羨望と怒り、反転した『女性』への失望と不信みたいなのが一貫して描かれてるのが理解できたのもよかった。
信ずるべきものを失い凋落する近代ヨーロッパ社会に生きる近代青年の不安とか孤独とか、それを伺いしれぬ女性への畏れや関係性の不和に重ねて見る主題は、いまの自分にとって多く共感することは難しいけれど、作り込まれてる言葉を読めるのはいい。
翻訳のいかにもすこし古い文学青年という文体のおかげでわかりやすいところもあり、ちょっと野暮ったい印象もあり、ほかの翻訳でも読みたいかも。でも、ところどころとても印象的な一節があって気になる。
四月は最も残酷な月、死んだ土から ライラックを目覚めさせ、記憶と 欲望をないまぜにし、春の雨で 生気のない根をふるい立たせる。 冬はぼくたちを暖かくまもり、大地を 忘却の雪で覆い、乾いた 球根で、小さな命を養ってくれた。  「荒地」 『1 死者の埋葬』 冒頭より(岩崎宗治訳)
内容はともかく、この「荒地」という詩のよさが自分には未知数な感じ。そもそも原文で読むべきなんだろうけれど、さすがにその元気はない。
春風社、滝沢博訳、2019年7月刊行
別翻訳者の最新版で2巡目中。
岩波文庫版よりさらに訳注と解説が充実し、こちらはきちんと意味を噛み砕いて翻訳しててよりわかりやすい。テキストそのものの印象はプレーンで、岩波文庫版よりちょっと弱いかも。
なんでこれがモダニズム詩の傑作となってるのかいまいちよくわからない。
最後の、「断片だけが自分を荒廃から支えてくれるんだ」というくだりはすごくよかったな。とてもまともには語ることはできなくて、断片でしか語りえないことを語る詩なので。
結局気になって、グーテンベルグ・プロジェクト(青空文庫の海外版)による英語原文読んだ。
The Project Gutenberg eBook of The Waste Land, by T. S. Eliot
最高にいいテキスト!
言葉同士が緊張感にみなぎり、呼応しあって、エリオット個人の、凋落するヨーロッパの、逃れられない普遍の、荒廃と再生を語る。
英語という言語が持つ明快さや歯切れのよさを活かした描写と響きで、あんなに難解に見えたのにすっと言葉と意味が腑におちる。明快なのに謎めいた象徴性と多義性を湛え、重すぎる意味を相対化するような言葉遊びの軽やかさも備え、そしてなによりテキスト、言葉そのものへの賛歌である。
どんなに多重に込められた意味よりも、編まれた言葉そのものがありえない再生がありうることを信じさせてくれる。神の再生を信じさせるような詩だったんだね。
そりゃみんな夢中で読み解きたくなるし、いろんな翻訳も出るわけだ。
もちろんこう思えるのは、日本語翻訳みて丁寧な訳注や解説を読めてある程度作品理解ができたおかげなので。神の再生はとにかく、ほんとに最高のテキストなので、あとで好きなとこだけ勝手に訳して遊ぼう。
英語読むなら詩形見やすいこっちがおすすめ
『四月は最も残酷な月』、ということで春に読めてよかった。
近代を語るモダニズムの嚆矢として、過去の文学を背骨としながら、象徴的な言葉で個人・コミュニティ・そして普遍について語ろうとする野心、断片的な語りなどKRZとの共通点も多い。
編集者としてエリオットの詩作を支え、本作を大きく刈り込み、余白と遊びの多い形で送り出してくれた詩人のエズラ・パウンドは偉大だし、「ありがとう、エズラ!」(敬称略)という気持ちがとても大きくなったので、Kentucky Route Zero的にも読んでよかった。
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おまけの荒地遊び
原文テキスト見て作った遊び訳。趣味で散文ばかり読んでる門外漢で素人の自分が、「荒地」を理解し楽しむために作っただけで、意味の正確性・適切性はまったく保証しないので悪しからず。引用として一節だけ。
様々な大家や専門家により研究・翻訳が進められていてあまりに畏れ多いし、人に見せるクオリティではないけれど、おんなじテキストからこんなに違う文章が出てくるから、やっぱりそれだけ豊かで楽しいテキストなんだなということが伝わればうれしいです。原文のよさも少しは伝われば。
まだまだほかの人の荒地遊びを見てみたいなと思いました。
Ⅰ「死者の埋葬」よりヒアシンス娘のシーン(35,36)
憧れと恋情がいちばんみずみずしく出てる、理想化された追憶の存在、ヒヤシンス娘の一節。
She/Herなどの三人称は出てこないし、モデルとなってるのがかつての同級生や、モチーフとなってるヒュアキントスの同性愛のイメージを持ってると解説にあったのを受けて、今ならもうちょっとその面を打ち出しても楽しいかなと思ったので。
原文
“You gave me hyacinths first a year ago; “They called me the hyacinth girl.”
岩波文庫版
「あなたが初めてヒアシンスをくださったのは一年まえ、 「みんなからヒアシンス娘って呼ばれたわ」
遊び訳
「君は一年前はじめて、ヒヤシンスをくれたよね 「みんな僕をヒヤシンス娘と呼ぶんだ」
Ⅱ「チェス遊び」より詰問シーン(126-130)
神経が参ってる(と男が一方的に解釈してる)女に詰問されて、だんまりしかできず自分のダメさを吐露するシーン、この手の文芸ではすでに伝統芸能的に繰り返されてるけど、何度読んでもいい。
この前の対話(できない)シーンが緊張感高くてほんとに良い。
ずっと妻?の質問になにも答えず黙ってるのに、シェイクスピアのくだりで内心ふざけだすひどくて笑える箇所から。滝沢氏の訳注いわく、このOOOOはジャズ風らしい。
原文
“Are you alive, or not? Is there nothing in your head?”                         But O O O O that Shakespeherian Rag— It’s so elegant So intelligent
岩波文庫版
「あなた、生きてるの、死んでるの?頭の中、なにもないの?」 だが、 おお、おお、おお、<あのシェイクスピヒアリング・ラグ>- なんて優雅 なんて知的
遊び訳
「あなたって生きてるの、それとも死んでるの?頭の中になにもないんじゃないの?」 でも、 O(オー) O O O これぞシェイクスピアまがいのラグじゃない なんてエレガント なんてインテリジェント
(おまけ)エリオット本人による「荒地」朗読
7:50あたりでエリオット本人によるOOO(オーオーオー)煽りが聞ける。
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Ⅱ「チェス遊び」より最終シーン(168-172)
閉店のご挨拶と第一次大戦による欧州終了のお知らせ、あるいは対話の不可能性。
原文
HURRY UP PLEASE IT’S TIME HURRY UP PLEASE IT’S TIME Goonight Bill. Goonight Lou. Goonight May. Goonight. Ta ta. Goonight. Goonight. Good night, ladies, good night, sweet ladies, good night, good night.
遊び訳
お急ぎください、お時間です! お急ぎください、お時間です! おやすみ、ビル。おやすみ、ルー。おやすみ、メイ。おやすみ。 バイバイ。おやすみ。おやすみ。 おやすみなさい、お嬢さん方、おやすみなさい、かわいいお嬢さんたち、おやすみ、おやすみ。
おやすみと言うと自動的に終わるのがいい。
おやすみなさい。
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ashi-yuri · 2 months
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Disc Room
夥しい死と試行、あるいはコンタクトの記録
アクションゲームでめずらしくハードモードまでしっかりやり込んだので。X/Twitterやブログに置くにはちょっとセンシティブな画像やネタバレスクリーンショットを記録しておく。レビューはブログの方に書いた。
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コンタクトのはじまり(残酷ソラリス)
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ボイジャー探査機のゴールデンレコード!
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この解法じゃなかった...
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生ける円盤の鼓動
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それは記憶、それは探究。未知との遭遇のために。
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死はすでに��題ではない。
これは最後の問いであり、これを十分に理解したと思えるなら、あとは最適な結果を引くまで試行を続けるだけ。
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コンプリート!
痛みも死も未知も、もう恐れて逃げることはない。
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繰り返す死はコンタクト。生も死もすでに意味はなく、その先にあるものを見にいくだけ。
ハードモードは大変だけどあっさりすぎでした。
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残酷で死に満ちた探求より、生存はハードで退屈ってことかも。それは必要なことだけれど。
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ashi-yuri · 2 months
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「ボーはおそれている」感想
君はまだ生まれる前の硬くて歪んだ殻のなか
長いしホラーは苦手なので見る気なかったけど、IGNの映画語り「銀幕にポップコーン」のネタバレ感想聞いて楽しそうなので見に行った。
怪作、なのに共感してしまう?『ボーはおそれている』の感想を語る:第329回 銀幕にポップコーン - YouTube
野口さんの怖がってる感想がとくによい。監督の前々作「ヘレディタリー」感想会で千葉さんが意図せず怖がってるのもいい。アリ・アスター監督が引き出すひとの恐怖を聞くのは楽しいなと思う。ひとが恐れているものを見たり聞いたりするのはいつだって楽しいので。
トラウマ必至!現代ホラーの傑作『ヘレディタリー/継承』:第65回 銀幕にポップコーン (youtube.com)
なので、「ボーはおそれている」もたのしかった。長いし疲れたけど。自分は怖がりなほうなので、わりと理解しやすかったのもよかった。
以下、ネタバレありの感想。公式のネタバレページだけ見た。
第一部で「社会に対する恐怖」、第二部で「家族に対する恐怖」、そして物語ることの虚構性と欺瞞性を挟んだうえで、第三部で「愛と性と生殖に対する恐怖」と、どんどん個人的で根源的な恐怖にさかのぼってくの、構成としてはきれいでわかりやすく楽しかった。一作品としては盛り込み過ぎだと思うけど、全部描きたい気持ちは伝わるから自分はわりと好きな感じ。
賑やかすぎる第一部より、第二部以降のほうがじっくり考えながら見れてたのしかった。話がすすむにつれて大げさでばかばかしく虚構性が高くなっていくのもよい!
ぜんぶ主観の中でしか話ができなくなってるから、うるさすぎる周囲の声も家族の声も結局ぜんぶ自分自身の声だし、母親以外の他者はぜんぶイメージでしかなくて、ほんとに「他者」「外部」が皆無。当然出口も解決もない八方ふさがりで、だからこそ鮮烈で不穏なイメージの中を堂々巡りするのは楽しかった。
この主観の硬い殻は、たぶん彼が己を守るために作り上げた強固な殻で、その殻がないと生きるのむずかしそうなので、もう好きなように語ってくれ、という気分になりました。
映画を見終わって、愛情と責任感と不安と支配が混然一体となってる雰囲気のあるご家庭を垣間見たことを少しだけ思い出した。たしかお子さんがすこし体が弱いということだったと思う。もうどこで見たのかも思い出せないし、時間が経つことや距離を置くことが、少しでも良い方向に働いているといいなと思うことしかできないけれど。
あとは思ったことをとりとめなくばらばらと。分け方は適当。
第一部「終わってる街篇」
うるさすぎる!
第二部「平和な家族篇」
『息子』を大事にしすぎ。みんな家族としてしか生きてない。悲劇。
幕間「家族の物語」
家族の物語をしすぎてる。その物語が見世物で虚構であることに気づいてるのに。母も息子も物語にこそ縛られてるのに。
妊婦に母子像をあげるという作中唯一の善行の報われなさが笑えました。このあたりから爆発オチなどバカらしさが加速してよい!
第三部「家に帰る篇」
このあたりからぜんぶ嘘くさくばかばかしくなってより楽しい。
母の語りに押し込められて、びっくり男性器モンスターと衰弱した人間に分離させられてしまった「父」も、実在性のないイメージです!という感じでばかばかしすぎる。
一番の恐怖の根源である「生まれること」につながる生殖(父は失敗して死んだ)を死なずにやりとげてやったー!というところで全部ネタ晴らしされるのはさすがにかわいそうだけど、シーンとしてはいちばんバカバカしいので、怖いところで笑かしたいのかもしれない。
愛?と執着がつよすぎて母親もボーもお互いぜんぜん分離できなくなってるところや、ボーが母親の一面を非常に解像度高く理解しているのと同じくらい、ぜんぜん理解できてなさそうなところがリアルだなと思う。空の水槽(愛情が存在しないことのメタファー)に母親の死体を突っ込むのが結局虚無だ!という感じでよかったね。それも嘘だけど。
なんとか愛そうとしたことも、愛していることも、ほんとは愛していないことも、人生を奪われたことも、人生を捧げたことも、生まれてきてほしくなかったことも、生まれたくなかったことも、期待も、失望も、申し訳ないと思ってることも、許せないことも、憎んでいることも、死んでほしいと思ってることも、死んでほしくないと思ったことも、お互いぜんぶほんとだろうから、ぜんぶそのまま描いてるのはえらいなと思った。
第四部「最後の審判篇」
大げさすぎる審判のシーン、びっくりするくらい意味なくてすごくよかったな。声高でやたら大げさに自分と母の物語ばかり語ることのくだらなさ、ちゃんとわかってるんだ...としみじみしてしまった。
自分の見ていた映画館では第二部後半や謎の演劇シーンあたりから立ち上がって劇場から帰る人がぽつぽつ出始めてたんだけど、それもショーの観客が興味を失い帰っていくシーンとシンクロしていて良かった。こんなの付き合いきれないし帰る人が出るのは当然。
水と静寂だけが残るラストシーン、たぶんどんなに無意味だろうと、鮮烈でなによりも大事であると同時に、どこにでもある些末でバカみたいな家族の話をこれからも語り続けてくれるんだろうなという信頼と罪深さを感じた。次回作もたのしみ。
アリ・アスター監督の映画は自身のセラピーだとよく言われてるし、実際監督自身も、たぶん自分自身のフィクションを物語り続けないとおかしくなってしまう(ヘレディタリーのお母さんみたいに)自覚があるんだろうなと作品見て感じるけど、話作りがうまくて想像力がある分セラピーの道のりは長そうだな、と勝手な素人の印象としては思った。
作者側の物語ることへの強い執着と、自分も含め他人の恐怖のセラピーの物語を見たいという観客側の欲望がもたらす共犯関係、不健全でよくないことのような気もするけど、それもお互いおそろしい世界で生きていくうえで必要なことかもね、ということで納得して終わりにする。
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ashi-yuri · 2 months
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Kentucky Route Zero テキストを巡る冒険(中編)
Kentucky Route Zeroの日曜研究として、KRZにおけるプレイヤー論を考えつつ、ゲームであり文芸・美術作品でありメディアアートである本作の側面を断片的に語る試み。あるいは、訳者解説と鑑賞案内のはざま。
まだ半分程度の途中段階だけれど、自分で見返す用の暫定まとめ。
前編はこちら
11.テキスト(小説)
主観・客観を自在に移動しながら多様な視点・構造・テキストを用いて一日の旅を語る本作は、まさにインタラクティブな実験小説といえる。
欧米圏をはじめとする海外近代文学を読んできた者であれば、多くの作品が本作のテキストに直接・間接的に影響を与えていることがわかるだろう。
ガルシア・マルケスによる架空の町『マコンド』を舞台とするマジックリアリズムの名作「百年の孤独」、古典『オデュッセイア』を下敷きにひとりの平凡な人物の一日を描写しながら彼の生きる国そして普遍の運命を語るジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」、様々な文学手法を駆使してアメリカ南部道徳の衰退と家族の没落を描くウィリアム・フォークナーの「響きと怒り」、さまざまなカルチャー・テクノロジーを貪欲に吸収しながら誇大してアメリカを語り続けるトマス・ピンチョンの巨作群、時間のなかで記憶と感覚の繋がりを問いながら文学を語るプル-ストの「失われた時を求めて」、乾いた文体で書くことそのものを問い続けるポール・オースターの「幽霊たち」、「伝記集」をはじめ幻想的で端正な語りで円環構造を用いるホルヘ・ルイス・ボルヘスの著作、挙げきれないほどのたくさんの文学作品たち。
これらの近代文学作品が生み出してきた文学手法は、奇抜さや遊戯性だけでなく、近代化という時代の変化のなかでこれまで以上に複雑化した社会と変わりゆく個人について、既存の手法では表現しきれないことを表現し伝えようとするための、試行錯誤のなかで編み出されたものだ。
他者から辺境として語られることを拒み自ら伝承や生活感覚に基づくリアリティにより土地の歴史と苦難を語ろうとするマジックリアリズム、理性と単線的な語りでは捉えられない現実を夢と偶然性から語ろうとしたシュールレアリスム、言葉のうつろいと共に個人を固定したものではなく流動的に捉える「意識の流れ」、ふたつの世界大戦による大きな単一の物語への幻滅の後に多様な視点・テキストによる語りへと物語の進化を試みるポリフォニー、視点と構造を撹乱し読者(プレイヤー)との関係性の再構築を目指すメタフィクション、異化効果、反復、などなど…
Kentucky Route Zeroは20世紀文学の金字塔たちが築き上げ、発展させてきた成果をその文章に惜しげもなく注ぎ込む。静かで抑制的な文章でありながら、本作のテキストには幾重にも文学の魔法がかけられている。
これらの文学手法を張り巡らせた文章で、KRZが何を描こうとしたのか、その手法を採ることにどのような意味があるのかについては後述する(予定...)。
図1:Act.4(森)ふたりの登場人物の会話が、ふたつのウィンドウにわかれ各自の視点で表示される。ウィンドウ内では会話とともに、双方の回想を語る文章がシームレスに入り混じる。
図2:Act.1(EQUUS石油)台詞にてガルシア・マルケスの名前から引用した登場人物や感覚と記憶の関連性について触れる。
図3:Act.5(町)ホルヘ・ルイス・ボルヘスの名を引用した登場人物の話をしている。
図4:Act.2(森) シュールレアリスムを代表する画家のひとりルネ・マグリットの絵画「白紙委任状」をゲームとして再構成するステージとなっている。
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12.テキスト(詩)
本作のテキストは詩情をたたえるが、そのほとんどは脚本・散文調で書かれており、形式的に「詩」といえる文章は数か所しかない。
その詩は、詩のいくつかがそうであるように、短くも作品全体を貫く精神を象徴する。
1.  はじまりの詩
3つの文章からひとつ選ぶ選択を3回繰り返せば、パソコンのパスワードとなる詩が完成する。単体では美しい響きを持つだけの言葉は、組み合わせることで必然のように先の展開の予兆となる。
このパスワードは、どんな選択をしても間違いにならない。プレイヤーの選択を報酬・展開の変化等によりゲームが評価することはなく、すべての選択は等価である。プレイヤーが何を選ぶかは、この先もずっと自由に任される。
最初に作るこの詩から「マルケス」というキーワードが開け、本作の旅は始まる。
図5:Act.1(EQUUS石油)パソコンのパスワードとして、3つの文章から3回選んで詩を作り入力する。
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2. 町はずれの者の死を悼む詩
アマチュア詩人である「町」の住人ニッキがコミュニティテレビWEVP-TVで披露する詩。
町民たちのHomeであったコミュニティ「町」が、より弱い立場にある町はずれの者に対して振るった暴力と罪を悔い記憶するための詩。
もうこの詩の他に思い出されることのない、Homeなき者への詩。
図6:Act.4幕間劇「Un Pueblo de Nada」
ニッキ:町外れの者へ。 どの鷲があなたを終の眠りへと運んだだろう? あなたを運び、眠りにつかせたのは人ではない。 泥と泥水の流れる小川を選んだ者たちは、血まみれのあなたを残して逃げ出した。(以下略)
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3. 終わりの詩
終わりを迎える時、プレイヤー=あなたはなにもわからず宙ぶらりんでさまよう気持ちのまま、それでも詩を紡がなければならない。
まったく現実の世界でもそうであるように。
喪失、追悼、後悔、慰安、再生、悲嘆、鎮魂、決意、休息
悲劇といわれる旅の終着点で、だれに、なにに向けて��るのか。この作品があなたにとって何だったのか。
作り手たちとの言葉と混ざり合いながら、あなたは短い言葉で詩を紡ぐ。それを表明するために、あなたはこの場にいるのだから。
図7:Act.5(町)最後に捧げる詩の言葉を選ぶ
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詩という形式で、短く象徴的に凝縮されたこれらの言葉こそが、本作の精神をよく表しているといえるだろう。
いや、「迷ったと感じるべき」なんだ、ジョセフ。我々が常に迷い続けているように。 あの哀れな、放浪する雇い人サイラスのように。道をさまよい、帰るべき家を探しながら。 Act.1(EQUUS石油)舞台監督ジェームズ・キャリントンの台詞より
(参照)
ウォルト・ホイットマン「草の葉」
ウォルト・ホイットマンは19世紀アメリカの代表的な詩人であり、放浪しながら一般民衆に広く詩を行きわたらせた彼の生き方と共に、「自由詩の父」と呼ばれる。「草の葉」はホイットマンの代表作であり、その詩にはおおらかで気宇壮大で自然と理想に満ちたアメリカ建国時のイメージが映る。
最後の詩の一部及び第5幕の実績「あなたの足元にいる私を探して」は彼の詩から引用されている。
おれはおれ自身を土に遺す、やがては愛しき草地から生え出るように、 もしおれをまた求めるなら、おまえの靴底の下を探すがいい ウォルト・ホイットマン「草の葉 おれ自身の歌(抄)」より 飯野友幸訳
図8:Act.5(町)
ニッキ:「私を探すなら君の足元を見るがいい!」、そんな言葉があったわね。
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ロバート・フロスト「雇い人の死」
ロバート・フロストは、『選ばなかった道』などの詩により知られる20世紀のアメリカを代表する詩人。簡潔で平易な言葉を用いながら、象徴的で喪失感・諦観に満ちて謎めいた詩を多く残した。アメリカを代表する詩人であるとともに、一見平易な彼の詩はアメリカ一国を超えてひろく読まれてきた。
彼の作品「雇い人の死」は、老いてどこにも行く当てのない雇われ小作人サイラスが放浪の末、雇用先の納屋で誰にも知られぬままひっそりと息を引き取るさまを雇用主夫婦の会話により描いた詩である。
KRZは、「『家』に帰ること」をテーマとするこの詩に基づき、作られていることがキャリントンの口から示唆されている。
図9:Act.1(EQUUS石油)
キャリントン:私はこの12年間を人生における最高傑作を作り出すため捧げてきた。ロバート・フロストの詩「雇い人の死」を、壮大かつ実験的な演劇へと翻案することに。
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詩の題名をそのまま引用している最後の幕間劇「雇い人の死」では、作品テーマとなるHomeについての議論が行われたのち、サイラスの最期と重なるように、雇い人ブランドンが眠りにつくことでKRZは終わりを迎える。
それがなにを意味するのか、作品はフロストの詩と同様になぞめいて自ら語ることはない。
図10:Act.5幕間劇「雇い人の死」
ハリー:眠らせてやろう。
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「ウォレン」と彼女。「彼は死ぬためにうちに戻ったの。��う今度は途中でいなくなる心配はいらないわ」。 「うちにね」、彼はおだやかに皮肉をこめた。 「だってうちじゃない。うちをどう考えるかで、話はずいぶん違うけど。もちろん彼は私たちには赤の他人で、それは以前、森から出てうちに来た見知らぬ犬―長い旅路でやつれ果てたあの犬と変わりはないわ」。 ロバート・フロスト「フロスト詩集」『雇われ農夫の死』より 川本皓嗣編
(参考)「雇い人の死」和約:神戸親和女子大学学術リポジトリ
(以下、追記予定)
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ashi-yuri · 2 months
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Kentucky Route Zero テキストを巡る冒険(前編)
Kentucky Route Zeroの日曜研究として、KRZにおけるプレイヤー論を考えつつ、ゲームであり文芸・美術作品でありメディアアートである本作の側面を断片的に語る試み。あるいは、訳者解説と鑑賞案内のはざま。
まだいろいろ暫定の途中段階だけれど、自分で見返す用のとりあえずのまとめ。
曖昧で捉え難いと言われる本作がなにを為そうとしたのか、アドベンチャーゲームというジャンルにとってどうして特別な作品であるのか、その実験を少しでも言語化できたらいいですね。
1.Player(役者)
プレイヤーはコンウェイ・シャノン等の主要登場人物を、通りすがりの脇役を、骸骨を、犬を、猫を、様々な人物・生き物を演じていく。
Act.2の幕間劇「エンターテイメント」では、直接ゲームに「飲んだくれ」という役名でプレイヤーは役者として参加できる。
なお、エンターテイメントはもともとVRとして独立したゲームとして作成され、実際に役者として参加できるようになっている。脚本も作成され、別途演劇として上演されてもいる。
開発者ニュース
VR版・脚本は公式ホームページからDL可能
図1:Act.1 (マルケス農家) プレイヤーはコンウェイを演じる。
図2:Act.3 (ハードタイムズ蒸留所) プレイヤーは骸骨を演じる
図3:Act.5(町) プレイヤーは猫を演じる
図4:Act.2幕間劇(エンターテイメント)プレイヤーは役者「飲んだくれ」となって劇に参加する
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2.Player(脚本家)
プレイヤーは登場人物の台詞を、時に出番を選択し、こまかく彼らの性格付けと劇の方向性を決定する。
彼はアルコールに溺れていたのか、それとも風景に耽溺していたのか。彼女は皮肉屋か、真面目なワーカホリックだったのか。彼らがなぜこの旅を続けるのか、その目的も。
図5:Act.1(EQUUS石油)プレイヤーはコンウェイの台詞を選択し、彼が何を考える人物か選択する。
図6:Act.5(町)プレイヤーはどの登場人物が、いつ、なにを話すか選択する
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(参照)
「Rock, Paper, Shotgun」 『なにがKentucky Route Zeroのダイアログを魅力的にしているのか?』
KRZを開発当初から追っている英ゲームメディアの記事。脚本のジェイク・エリオット氏のインタビューを挟みながら、選択肢・テキストの提示方法含めその魅力について記載している。
3.Player(監督)
プレイヤーは監督(Director)として、この劇でどの場面を見せるのか、どの順番で幕を演じるか・演じないかを決定することができる。
この劇をいつ演じる(Play)のか、いつやめるのか決めるのは監督の仕事である。
図7:Act.1(事故車)進行に必須ではないこの場面を見るか、見ないかはプレイヤーが決める
図8:メニュー画面(劇・幕間劇の円環)どの順番で何を演じるかはプレイヤーが決める
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(参照)
【ケンタッキー0号線を行く】Kentucky Route Zero: PC Edition(からあげうどん氏による配信)
こちらの配信では第1幕から飛んで第4幕をプレイし、その後第2幕・第3幕をプレイすることで、円環をときに逆流しながら最後まで劇が進む。変則的な進み方でありつつ、この劇は同様に楽しむことが可能となっている。(プレイ・配信ありがとうございました!)
4.Player(観客)
プレイヤーはコントローラーで操作しながら、Kentucky Route Zeroという悲劇をずっと劇の外側から観賞している。
劇の「外側」のキャラクターとして登場するエミリー・ボブ・ベンの3人のキャラクターは、プレイヤーの立ち位置を代弁するキャラクターでもある。彼らは幕間劇Limit & Demonstrationでは鑑賞者として美術館を訪問し、Entertainmentで��観客としてエンターテイメントという演劇をを眺めている。同時に彼らは「外側」の存在として、Act.1-4で劇を盛り上げる歌唱隊を担っている。
コンウェイら登場人物と彼ら3人はも、劇の「内側」の登場人物と劇の「外側」の観客となり表現の位相が異なる。そのため、同じ空間に存在していてもお互いにコミュニケーションを取ることは当初できない。
図9:Act.1幕間劇(Limit& Demonstration)3人は作中登場人物ルーラ・チェンバレンの回顧展「極限と展示」にて美術作品を鑑賞する
図10:Act.2幕間劇(Entertainment)3人は舞台後方観客席から劇中劇「エンターテイメント」を鑑賞する
図11:Act.1(マルケス農場)画面手前で歌唱隊として"You've Got To Walk"を歌う3人
図12:Act.1(EQUUS石油)3人は登場人物コンウェイの存在を認識できない (コンウェイは足を踏み鳴らすが、テーブルの人々は反応しない)
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5.Player(批評家)
プレイヤーを代弁する劇の「外側」のキャラクターでもあるエミリー・ボブ・ベンは、Act.1幕間劇Limit & Demonstrationで美術館に展示された芸術作品について感想を述べ、批評する。Act.2幕間劇Entertainmentでは、観客席からこの幕間劇についての評論が提示される。
本作はプレイヤーが本作を批評することを意識し、その視点を内在化している。プレイヤーはこの劇について当然自由に感想を述べることができ、つまらなければいつでも席を立って構わない。低評価レビューを書くことも。
Act.2幕間劇のメモより
観客の多くが席を立つことを検討する。もし立ち去りたいのなら、そうさせればいい。劇場は刑務所ではない。われわれは観客の痛みを敬う。 脚本家レム・ドゥリトル
図13:Act.1幕間劇(Limit& Demonstration) エミリー・ベン・ボブは劇中登場人物ルーラ・チェンバレンの回顧展に訪れ、作品の感想・批評を述べている。
図14:Act.2 幕間劇(Entertainment)「Entertainment」を評するコメントが表示される。 『時に退屈な「エンターテイメント」』
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(参照)
海外ゲームメディアVideogamer・Josh Wise氏によるKentucky Route Zeroレビュー(英語)
作品評価は高くないものの、マグリットやフロストやルシェ等文学・芸術系の引用を踏まえて読み込んでいるレビュー。末尾に本作の自己批評的側面について言及あり。
私の批評のどれもが、10年間作品に取り組んできた開発者たちにとっては目新しいものではないだろうし、それは自意識過剰なわけでもない。とあるシーン(訳者注:Act.2 幕間劇)で、地元新聞の演劇レビューとして作品について「借金と不誠実さの悪を描いた、焦点が定まっていないとはいえ、引き込まれるところのあるドラマだった」と書いてある文章を読むことがあった。ほんとその通りだよ。
6.Player(ゲームプレイヤー)
そしてもちろんあなたはゲームプレイヤーである。
小説や演劇を志向しながら、同時に本作はゲームであることに強く自覚的である。プログラムで構成されたテキストと音と画像の隙間をマウスでクリックするだけの体験は、選択と冒険というアドベンチャーゲームの原始的な愉しみを再現しながら、同時にその可能性を強く広げるものとなっている。
図15:Act.3 (Equus石油)コンピューターゲームを遊ぶ
図16:Act.3(XANADU)アドベンチャーゲームの始祖”Adventure”を再構成したゲーム「XANADU」を遊ぶ。
1976年に洞窟探検家でもあるクラウザー氏により開発され“Adventure”は別名’Colossal Cave Adventure’と呼ばれる、ケンタッキー州のマンモス洞窟を舞台とするテキストアドベンチャーゲーム。Adventureでは、不思議で抽象的なテキストが示される中、コンピューターにテキストでコマンド入力を行っていくことで洞窟を探検していく。
図17:Act.1(EQUUS石油)ガソリンスタンドの地下でエミリー・ベン・ボブがボードゲームで遊ぶ。
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あなたはコンピューターゲームを遊ぶ。
あなたはアドベンチャーゲームの始祖“Adventure”を古ぼけた記憶で再構成した“Xanadu”をプレイする。
何度目かのダイスを振ってキャラクターを進める。
いにしえから伝わる運命のゲームをプレイする。
プログラムで描写されたKentucky Route Zeroというゲームをプレイする。
何度も。
7.Player(とは)
時に内側から監督として劇を采配し、脚本を書き、役者を演じて劇に主体的に参加する。時に外側から観客として受動的に劇を見つめ、作品を評することで作品に関わる。
プレイヤーが多層的な役割を担うことは他作品でも同様であるが、本作が特異なのは、それを明示的かつ流動的に劇中に取り込んでいることだ。
プレイヤーの役割を代弁し、劇の「外側」のキャラクターであったはずのエミリー・ベン・ボブの3人は、Act.3幕間劇で作中人物ウィルと電話を通じて交信を行ってから、どんどんと劇の内側へと潜っていく。
Act.4幕間劇で彼らは役者を務め、Act.5ではついにフィナーレを飾る。そして、Act.5幕間劇にてエミリーと作中登場人物の会話による短い楽屋オチと本作の寸評を��み、円環の劇は幕を閉じる。
図18:Act.3幕間劇(エコー川沿いのあちこち)観光客のエミリー・ベン・ボブは、観光案内として電話を介して作中人物ウィルの声を聞く
図19:Act.5幕間劇(雇人の死)他の登場人物とともに、エミリーがこの劇を振り返り、寸評する
図20:Act.4幕間劇(ウン・プエブロ・デ・ナダ)とある日のWEVP-TVを描く劇。エミリー・ベン・ボブは登場人物として出演する
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(補足1)厳密には、美術品の鑑賞や劇の鑑賞、ゲームのプレイも外側とは言わず、その行為自体が作者・作中人物たちとの間接的コミュニケーションといえる。
(補足2)ウィルは作中登場人物でありつつ、劇の外側の観客(プレイヤー)に目を向けるキャラクターとして描かれている。
Act.3幕間劇での観光案内、Act.4エコー川の語り部としてプレイヤーに語り掛ける語り、Act.3幕間劇の内線を通じて現実の電話と人間を使って録音された留守電を聞くシーン、そして、複数回挟まれる観客側をまっすぐ見つめるカットは、劇の外側とのコミュニケーションを象徴しているといえるだろう。
図21:Act.4(マッキーマンモス号)登場人物のなかでウィル(中央の男性)だけがこちらをまっすぐ見つめる
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8.Player(流動的)
KRZにおいて、これらプレイヤーの多層的役割は何のためにあるのだろうか。ただ単にゲームを複雑にし、「アート」らしく思わせぶりにするためだろうか。
少なくとも手間をかけられたこれらの演出には意図があり、KRZにはプレイヤーが多層の役割を担うことで見えてくるものがあると考える。
それがなにかを考えるために、もう少しKRZを作りあげているメディアとテキストを見ていく寄り道をしたいと思う。
図22:Act.1幕間劇(リミット&デモンストレーション)ベンとエミリーが美術館の展示について語る
ベン:きっとなにかの象徴だよ。アーティスト、夕日、馬か。アナグラムか?それとも何かのコード...なのか?
エミリー:それか、単なる思わせぶりとかね。
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9.メディアアート
KRZはゲームであるとともに、様々なメディアを組み合わせて表現活動を行おうとするメディアアートでもある。
本作がメディアアートであることは、Act.1幕間劇「リミット&デモンストレーション」で展示されている最も注力されたインスタレーション『オーバーダブ・ナム・ジュン・パイク・インスタレーション エドワード・パッカードのスタイルで』で端的に意思表示されている。
ナム・ジュン・パイクは、テレビ・ビデオ等のメディアを用いてメディアアートを始めた先駆者であり、本インスタレーションは彼の作品『Random Access』をそのまま引用している。
図23:Act.1幕間劇(リミット&デモンストレーション)展示作品『オーバーダブ・ナム・ジュン・パイク・インスタレーション エドワード・パッカードのスタイルで』
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観客はテープレコーダーから取り外されたサウンドヘッドを使って、壁に貼られたテープを走行させ、場所や速度によって音の並びを常に変化させることができます。このように、音楽の素材にランダムにアクセスすることで、来場者は自分自身の作曲を行うことができるのです。 『Random Access』作品解説より
そして、もうひとりの引用元、エドワード・パッカードが生み出した読者選択型で冒険を進めていく小説形式のテキストアドベンチャーシリーズ「Choose Your Own Adventure」は1979年に刊行が開始された。この作品により彼はインタラクティブ・フィクションの親ともいわれる。
そのシリーズ1巻目の名前は“Cave of Times(時の洞窟)”という。
エドワード・パッカード:ブックリスト(WebArchive)
テキストゲーム研究家のアーロン・A・リード氏による「Cave of Times」解説
これらふたつの引用元を冠する『オーバーダブ・ナム・ジュン・パイク エドワード・パッカードのスタイルで』、この作品名の意味するところを嚙み砕いて言うと「テキストアドベンチャースタイルでメディアアートを始めるよ!」ということだ。
この宣言のとおり、ゲーム・テレビ・電話・コンピュータ・ラジオなど様々なメディアを組み合わせながら、演劇・散文・詩・歌・テキストアドベンチャーなど様々な形式にテキストを自在に変化させるゲームは幕を開ける。
(補足予定)
開発者たちの出身校であるシカゴ美術館付属大学でのメディアアート運動及び活動の引用(Act.4幕間劇等)について。
フィルモートン教授とサンディン画像プロセッサ
Copy It Right
10.テキスト(演劇)
本作を特徴づけるキャラクター名とセリフにより構成された脚本のようなテキストは、話す台詞を選択することで、展開や登場人物の性格付けを微妙に変化させることができる。
同時に、具体の要素をそぎ落として抽象的に表現されるキャラクター造形は、プレイヤーに演技の演出をある程度委ねさせる。
図24:Act.3(冒頭)プレイヤーは主人公コンウェイの台詞を二つのうちからひとつ選択する。キャラクターや背景はポリゴンで描写され、個性や特徴を持ちながらもどこか抽象的に見える
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さらに、KRZに特徴的な静的な画面背景は、いくつかを演劇から借りている。
Act.1マルケス農家における抽象化された家は、近代社会における家族の崩壊を映す米作家アーサー・ミラーによる演劇「セールスマンの死」から借景したもの。これはもちろんここに住むマルケス家の崩壊と重なっている。
Act.3「木」において、呼んでも来ないレッカーを待ちながら意味のほぼない会話を交わす場面は、セリフ回しも含め、20世紀を代表するサミュエル・ベケットによる不条理演劇「ゴドーを待ちながら」を引用している。
図25:Act.1(マルケス農家)
図26:Act.3(木)
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Act.2幕間劇「エンターテイメント」では、直接的に演劇そのものを鑑賞し、同時に出演することになる。この劇は、経済的苦境と近代人の苦悩を描く20世紀中盤のユージーン・オニールの演劇「氷人来たる」を現代風に翻案した学生演劇であり、プレイヤーは観客・役者として劇に参加する。なお、この幕間劇はもともとVRで参加できる仕掛けとなっている。
このようにKRZは、演劇という形式にテキストにおいても演出面においても大きく負っている作品であるが、なにより本作そのものがアメリカを代表する詩人のひとりであるロバート・フロストの詩「雇人の死」を翻案した演劇を目標とすることが、作中登場人物であり舞台監督であるキャリントンにより示唆されている。
演劇に多用される極度に抽象化された象徴的な舞台・台詞まわしは、本作のテキストや美術に大きく影響を与えていると言えるだろう。
図27:Act.2幕間劇(エンターテイメント)酒場で会話するハリーとイヴリン。両名とも、ユージーン・オニール「氷人来たる」に登場するキャラクターを現代風に再解釈したものである。
図28:Act.1(EQUUS石油)キャリントンの台詞「私はこの12年間を人生における最高傑作を作り出すため捧げてきた。ロバート・フロストの詩『雇い人の死』を、壮大かつ実験的な演劇へと翻案することに」
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(参照)
エンターテイメント
VR・脚本
http://kentuckyroutezero.com/the-entertainment/
VR参加の様子 https://www.handeyesociety.com/event/wordplay-fest-pics-and-showcase-links/
続き(途中まで)
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ashi-yuri · 2 months
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ドナルド・バーセルミ「雪白姫」
物語から逃げ去ってテキストの断片になってよ
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かなり久しぶりに再読
「白雪姫」を解体して、再構成しない。
1から2ページほどの細かい断章がひたすら続く。たまに詩や商品の羅列、この作品に対するアンケートなんかも挟まるが、意味はなくテキストがただ楽しい。
さすがに50年以上前に書かれてるので、雪白姫が男性による性搾取的イメージから構成されるという構造自体に、時代と普遍性の薄らぎを感じるところもなくはないけれど、やっぱりテキストの断片がすごくいい。そこはずっと変わらずいい。というかそういうイメージの集積を拒み、そこから逃げ去るテキストであるし。
「雪白姫」とぼくらはいった。「どうしてきみはぼくらといっしょにいるんだい?ここにさ?この家にさ?」沈黙があった。それから彼女はいった。「きっとそれは、そうね、想像力の欠陥のせいだわ。あたし、もっといいこと想像できないんだもの。」あたし、もっといいこと想像できないんだもの。(中略) 「でもあたしの想像力は動き出しているのよ」雪白姫は言った。「長らく眠っていた株券が新たな投資利息のために緑の金庫の中で急に生気を取り戻したみたいに、あたしの想像力が動き出してるの。油断しないでいてね。」 ドナルド・バーセルミ「雪白姫」白水社 p.73より
詩とならずにテキストのまま、散文であることの楽しさがあるなと思った。
雪白姫も小人も王子も魔女もアメリカという国も、みんなあまりに退屈しきってて意味がなくて、言葉だけがクール。今思えばわかりやすいほどのポップアートだし、父権主義へのポップな反抗としてのアメリカ文学でも当然あるけど、あまりそういうこと言いたくない気分にさせるテキスト。
おやじは何ひとつ他人に知られない男だった。いまもって何ひとつ知られていない。ぼくらに調理法を伝授してくれた。あまり面白みのない人物だった。立木のほうが面白味はあった。階段のほうが面白かった。缶詰のほうが面白かった。父賛歌を歌う時、ぼくらは父があまり面白味のない人物だったことに気づく。賛歌の歌詞がそのことに気づいてる。それは本文中に、はっきりと注釈されている。 ドナルド・バーセルミ「雪白姫」白水社 p.23より
柳瀬尚紀の翻訳もこの翻訳がむずかしすぎるテキストに敢然と楽しそうに向き合ってて元気が出る。原書見てないけど、日本語としての強度が高く、ちゃんと作品のなにかを伝えているんだろう。柳瀬訳で未読のバーセルミ「死父」もそのうち読もうかな。
小説家が小説家に拒絶される小説を書いたって悪くない、そんな小説家がひとりくらいいたって悪くない。そんな小説がひとつくらいあっても悪くない。たとえば、そう、人生についても社会についても愛についても何ひとつ教えてくれない小説。思わせぶりな謎すらも与えてくれない小説。 「『雪白姫』と七人の大人」(訳者あとがき)より
雪白姫とジェインのテキストがすごくクールなのがよかった。他の登場人物がみんな不安と手垢のついたイメージにまみれた意味のないテキストでしかないからだけど。
「しかし愛はどうなんだい?スタンダールの言う愛、五感をとらえ、無責任の眩暈のうちにほかの一切の思慮を破壊する愛は?」「あなたが『無責任の眩暈』っていうのはもっともだわ、ホーゴー。あたしはまさしくその状態にないのよね。あたしは平静。平静そのもの、国務長官と同じくらい平静。あなたが眩暈でふらついてるのと同じくらい平静。」(中略)「じゃあお休みなさい。ホーゴー。あなたの黒い訴えは持ち帰ってちょうだい。あなたの腹黒い訴えはね。」 ドナルド・バーセルミ「雪白姫」白水社 p.210,211より
ジェインのこの脅迫、読めばわかるけど意味不明でかっこいいので一度は言ってみたいものですね。
つまりいつどんな瞬間にも、私がたった一度電話をかければあなたの充満空間を突き刺すことができるというわけ、九八九-七七七七を回すだけで。(中略)あなたは本質的に私の掌中にあります。無記載番号になさってはいかが。 草々 ジェイン ドナルド・バーセルミ「雪白姫」白水社 p.56より
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ashi-yuri · 2 months
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X/Twitterで書いていることはほとんど変わってないはずなのに、最近なぜか自分が予想している以上のインプレッションやフォローがつくようになっていることがまるで理解できない。
ふしぎなアルゴリズムの波に乗せられているんだろうか。
1ツイート、140字にまとまっているちょっとおかしなお得情報は人気が出やすいだけ。情報との接触数は加算ではなく乗数的に増加すると頭ではわかっているけれど……周囲に増えていく有象無象の情報のなかで、自分の言葉もどんどん情報の断片になっていく気がする。
情報となって、あの場所に漂うふしぎなアルゴリズムの波を恐れず乗りこなしていける人が、発信者やインフルエンサーになっていくんだろうか。自分はそうなりたいわけでもない気がするけれど、いちど乗った波から降りる方法もわからない……
とりあえず、やりかけの翻訳と読みかけの本をちゃんと終わらせて、KRZの話を続けていくしかないのだけど。今はその話がしたいだけなのだから。
X/Twitterの交流は自分にとっては貴重な経験で、みんなよくしてくれて、いやな思いをしたこともほとんどないはずなのに、私はなにを恐れているのだろう……
追記
不安を書き出したら自ずと対処法が見えたので、意外と大丈夫かもなという気になってきた。
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ashi-yuri · 3 months
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Citizen Sleeperと模範的な宇宙都市
都市に溶けて
現代欧州の都市を一宇宙船へと翻案しサイバーパンクに味付けした模範的SF小説がするっと読めました。良質都市小説でもある。
以下、実験的なテキストゲーム、SF・都市小説についてのとりとめない感想。DLC含めてネタバレ
直前にディッシュの「SFの気恥ずかしさ」を読んでたせいか、SFに期待しすぎてるめんどくさいマニアの感想になっちゃった。
最初の眠りでの自我の語りのシーン、いろんなひとが指摘してるとおりすごくDisco Elusiumオマージュ。テキスト表示欄も意識的に寄せてるはず。
テキストメインの実験的ゲームとして、Disco ElysiumとかKentucky Route Zeroあたりと比較されるのも見るけど、本作はわりと素直な模範的ゲームだと思う。
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ゲームシステムはダイスロールや選択肢によるダイナミックな変化とかはなく、遊びやすく簡素な印象。
硬派めSF小説を読ませるため、ページをめくる代わりにダイス振りと魅力的な立ち絵とクールでシンプルなUIを用意することは、テキストへの感情移入を容易にし、あまり小説読まない人など含めてより広い層へテキストを届ける試みとしてうまくいってるのだと思う。
淡々としたプレイフィールも文章を読むことを阻害せず、端正な読書体験として自分は楽しめた感じ。
基本的に、UIやインタラクティブ性やゲームプレイではなく、テキストそのもので素直に語りたいゲームという印象だった。
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逆に、UIそのものが語りと演出の機能を強くもつ前作“In Other Waters”と比べると、実験性は薄れた代わりにふつうに読みやすく遊びやすくなってるんだと思う。
SF小説・SFゲームとしては自分は前作の方が好きだけれど、Citizen Sleeperはより広い層に向けて訴求するゲームとして進もうとしてるのかもしれない。前作の3倍以上のSteamレビュー数は、この試みがちゃんと目的を達成したことを証明しているのだろう。
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肝心のテキストについても、素直で模範的なところは物語そのものに結構ダイレクトに出ていて、善人と悪人はかなりはっきりわかるようになってるし、でてくる人たちの9割は模範市民だし、展開も最後まで素直だし、現代欧州都市が持つ労働・移民・環境・政治などの課題はSF的に翻案されつつ現実そのままの手触りで持ち込まれ、SFとしては手堅くオーソドックスな手法で解決される。バイオオルタナ生物としてのきのこの話や自我論とかも出てくるけど、SFとしての奇抜さや飛躍は少なめ。
SFフィクションとしてはAIの擬人化などベタに感じる部分もあるけど、生々しいテーマをフィクションとして丁寧で魅力的なコーティングすることでより広い層に届ける役に立っているのだと思う。
SF小説好きとしては、本作のテキストは手堅く良質だけど、もうちょっと科学とフィクションの力でSFとして跳んでくれたら嬉しかったなという印象。一方、その手堅さや淡々とした模範性が本作のいいところかなあと思う。
自分はプレイ始めてから、記憶もなく得体の知れない異邦人である主人公に対して出会う人みんな最初から好意的でやさしすぎるし、やたらと仕事を頼んで頼りにしてくるのがずっと引っかかっていて、人情噺としてはいいけど、資本主義崩壊後の辺境都市としてのリアリティは削がれてると感じる。そのあたりは、Disco Elysiumはじめ都市を描いたゲームや都市小説と比較すると、都合の良いフィクションぽい感じが強い。
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でもそれは物語の都合なのかもしれないし、深読みすれば、登場人物たちはみな傷ついた労働者であり、おなじく傷ついた労働者たる主人公に対する共感・連帯によるものなのかもしれない。
逆に後半は、主人公が「瞳」という都市に対して献身的で、勤勉な労働者であることが実感できてくるので、出会う人みんな親切で頼りにしてくれることに納得感があった。(逆にDLCまで行くと主人公がなんでもできすぎる無双感が出てくる)
「どんな者でも労働による社会参加を通じて、その場所に受け入れられることができる」という感覚が本作にはある。だから真面目に都市の中で働けば、市民として受け入れられ、物語は報いてくれる。そして、労働を放棄した賞金稼ぎや奪うことしかできない傭兵、労働者として団結しえない者は悲しい結末を迎えてしまう。
この作品は資本主義が行きすぎた都市のリアリティより、危うい立ち位置にある現代都市でもこうあってほしいという労働者の模範性を描く。困っている隣人には手を差しのべ、勤勉に働き、労働者みなが都市というコミュニティの健全な存続を願い、行動することの価値を。都市が生み出す不道徳・罪悪を書くことを選ばず、あるべき労働者の姿を描写することを、作品はすでに選んでいる。だから本質的にプレイヤーの選択は不要で、ゲームはほぼ一本道のルートとなる。
欲望と資本主義の最果てを題材とするサイバーパンクにおいて、まっとうさと真面目な労働を真正面からよしと描くことは稀有な試みでもある。ゲームという、プレイヤーの欲望・願望により奉仕的なメディアでは特に。
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In other watersのようなオリジナルな実験性を勝手に期待してたところがあるので、Citizen Sleeperの真面目で模範的な姿勢にどこか物足りなさを感じつつも、でもやっぱりそういうゲームがしっかり人気を博す位置にいることは大事だなと思う。
その模範的な姿勢は今のゲーム、フィクション、そしてそんなフィクションが描かれる現代の都市に求められているものだとも思うので。
DLCクリア後の追記
労働、対話、寛容こそが私たちの信じる価値
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すごくよかった!
基本的なことは上の印象から大きく変わってはいないけれど、自分たちの住む場所から離れざるを得なかった避難船団の人々、ヨーロッパに押し寄せる難民をモチーフとするであろう彼らの背負うものが多様で切実で魅力的で、ひとつの都市をさまざまな視点からら否応なく見させられることで、都市、そしてHomeを描くテキストとしてぐっと厚みが増している。
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故郷を捨てざるをえなかった人、終の住処として残る人、矛盾に縛られながら守る人、しがらみとともに捨てる人、生きるために去る人、過去を見る人、未来を見る人、誰もが物語を持ち、出会いと別れが交錯する、儚く忘れがたい場所としての都市の物語。
価値重視の理想主義的なところ含めて、ヨーロッパの先進都市から生まれるべくして生まれた作品なんだと思う。
最近ちょっと町の持続性とかよその国の都市のこととかいろいろ思うところがあったので、今の自分の気分にもはまってよかったな。
行動範囲が広くなってお散歩気分が増えたことと、限られたターン内にひたすら単調な物資集め・労働ターンを反復するタスク感も、「労働してる」という感じがして好感触。期限内にタスク全部こなせるとやっぱりうれしいね。
Citizen Sleeper2では銀河のはみだしもの・賞金稼ぎ的な世界が描かれるみたいなので、「労働による社会参加」が困難なひとたちのサイドからまたこの宇宙が描かれるのかなあと予想してる。今作で拾えなかったことをしっかり拾っていこうとする、そんなテーマ設定も真面目で模範的だね。
あとがき
いろいろぐだぐだ書いた結果、最初クリアしたときより満足してきたかも。
非常にウェルメイドで気持ちよくプレイできたし、やっぱり一市民として都市に溶けていくようなエンディングはとてもよかったし、きのこになれるのも楽しかった。次回作も楽しみ。
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(おまけ)
Night Call
薄いフィクションの膜で包んだだけの、現代パリを克明に描くビターでずっと薄暗いタクシー会話シミュレータ。都市の包容力と矛盾、都市市民の失望と矜持を表わす80人を超す多様な登場人物のリアルな会話テキストがほんとにいい!すごいテキスト量にもかかわらず、苦闘の末に個人翻訳MOD作っていただいてほんとうに感謝。
バグの多さやゲームシステムのこなれなさなど大きな欠点をいくつも抱えているけれど、現代欧州の一都市を描いたゲームとしてとても好み。
※スクリーンショットは非公式日本語MOD使用
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日本語MODへのリンク
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ashi-yuri · 3 months
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トマス・M・ディッシュ「SFの気恥ずかしさ」
神を信じないあなたが贈るSFへの信仰告白
昨年国書刊行会から出たSF評論集。ディッシュのSF短編集「アジアの岸辺」をむかし読んで、すごく露悪的だし悪意に満ちてるけれど、どこかさわやかなところが印象に残っていたので買って積んでた。
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同業他者の本をこう評す文章が楽しめる人は楽しめるとおもう。わりと楽しかったです。
この本は小説ではなくて治療的読書の英語で書かれた空想である。それが私にはうまく働かない。
ディズニーランドに行った疑り深い人間のように、私はつい本物でない細部に目が向かう。つまり椰子の木のコンクリートの幹だとか、すりきれた人工芝だとか、人造ライオンの生気のないうなり声だとか。しばらくすると旅行者ばかりが気にかかる。つまり、どこのどいつがこんなに手順通りのにせものを楽しめるのだろうか、楽しめるのだとしたら、本物でないから楽しいのだろうか、それとも、とても信じられないが、あえて虚構性に目をつぶってい���のだろうか、と。
「SFの気恥ずかしさ」
実験・思弁小説としてではなく、いわゆる大衆小説としてのSF批判なんだと思う。現代日本に置き換えると需要層に向けてもっとピーキーになった「なろう小説」批判に近いように思える。
ただ、ここで批判される子供っぽい欲望や恨みという感情、さらにそれに対する複雑で変わりゆく眼差し自体を消費させながらすごい速度で大量の情報と欲望を集めて、メディアミックスを駆使しテキストをお金集約装置へと変えていくあまりにもファストなシステムを横目で見てると、本編は大衆小説批判としては少し古びてしまった印象
それとはまったく別にSFへの信仰告白としては100点
いまいったようなことは、どれも重要ではないと。そして、結局のところ、こういう調子で締めくくって、どこがいけないのでしょうか?たとえ完全な真実ではなくても、それは良い本をかこうとするものの信仰の祈りでなければならない。わたしはそれを信じます。みなさんもそれを信じるべきなのです。
「アイデア」「壮大なアイデアと行き止まりのスリル」
古今東西のさまざま文学と結びつけ、するどい言葉でさくさく刻んでいくのが読み物として楽しい。個別の作品がわからないので適切な批評かはよくわからない。ポーへの批判がすごい。ディックは高評価。
ポーは昔読んだきりだけど、これ聞いてなるほどと思うとともに、奇想と雰囲気いいのでポーっぽい一人称ホラー短編ゲームは楽しそうと思った。
「ポーのあきれた人生」「テーブルいっぱいのトゥインキー」
ポーとかブラッドベリとかに半分自己嫌悪に近い形で悪口言ってるときのが筆が乗ってていきいきしていて魅力的。以下、ブラッドベリの悪口から引用。
たくさんの大人たちにとってこうした短編は早すぎる埋葬をこうむった十一歳の自分に戻る戸口となり、子供たちは(ずっと昔、私がそうだったように)まるで本物であるかのようにこの魅力にとびつくのだろう。―ホステスのトゥインキーやキャンディー・コーンやストロベリーのクール・エイドが、どれもギラギラと火星のように赤色二号の怪しい光を放って並ぶビュッフェであるかのように。
「レイバーデイグループ」「聖ブラッドベリ祭」
二流作品(ディッシュ評)お焚き上げの会。文章も性格もわるくていいですね。
「ヴィレッジ・エイリアン」「最初の茶番」
ベストセラーとなったUFO連れ去り事件ノンフィクションor小説?についてのフィクション込みの論考。往年の高橋源一郎の文学探偵みたいで、嫌味と紙一重のもってまわった技巧含めて楽しかった。 ディッシュ、すごくSFを愛してるからこそSFづらして出てくるいい加減な作品のこと許せないんだろうな。
「『未知との遭遇』との遭遇」
スピルバーグの未知との遭遇の解題。宇宙戦争とかもそうだけど、結構宗教的だなあと思うスピルバーグをよく説明してくれている。最後の皮肉っぽさ、ディッシュだなという感じ。
それが本当に映画のサブテクストだとしたら、どうしてこんなにヒットしたのだろう。(中略)観客が映画の教訓に感銘を受けたからではなく、迫力ある映像、金色の仔牛としての神という、印象的な神の実像を描いてみせたからだ。我々は神の顔を見たいと渇望しても、神のために狂人になる覚悟はない。大勢の宗教者が狂気は神にいたる道だとくり返し説いてきたが、凡人にできることではない。しかし、それを映画のシミュレーションで見るなら楽しめるし、しかもその映像がSFのお約束のイメージで無菌化されていれば、なおさら考える必要はない。SFはその定義からして、重要なことを決して意味しないのだから。
「SF ゲットーへの案内」
欧米SFをくさすレムに、もっとちゃんと現代欧米SFを読んでくれ!という訴え
ディッシュは無神論者だったらしいけど、全体的にSF信仰を強く感じる。SFの価値を信じてて、SFかくあるべしというのが強固にあるからこそ、各作品をきちんと読んだうえで駄作という批判も傑作という賛辞も強く示していくそういう文章はきらいじゃない。
ディッシュの破綻してしまった人生最後の支離滅裂な小説「The Word of God」が、SFへの殉教だったのかなとSFロマンチストとしては考えてしまうところ。参照Wiki
ところで、マンハッタンについてのインタラクティブテキストであるところの「アムネジア」というテキストADVゲームの脚本書いていたのははじめて知った。
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ashi-yuri · 3 months
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馬を埋めること。
翻訳したので許可とってどこか載せるつもり。死んだ野良猫を川原に埋めに行く小説を書きたいなとずっと思っていたことを思い出したので。結局、一行も書かなかったけれど。
"そして、私たちは馬を埋めた。"
あと、ウィーバーの話がしたいんだよな。
彼女のメッセージについて。電子音声現象とか、エジソンのなぞ研究の話とかと繋いで。自分以外話をする人もいないだろうし。 飛躍の多い妄想に近いので少しまとめたらここにひっそり置こうと思う。
PIZZICATO FIVE「メッセージソング」
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ashi-yuri · 3 months
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Kentucky Route Zeroテキストを巡る冒険12
X/Twitterで投稿規制になぜか引っかかってしまったため、今回からこちらにて。最終的には全部まとめてブログに投稿する予定です。
テキスト(詩)
本作のテキストは詩情をたたえるが、そのほとんどは脚本・散文調で書かれており、形式的に「詩」といえる文章は数か所しかない。
その詩は、詩のいくつかがそうであるように、短くも作品全体を貫く精神を象徴する。
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ジョセフ:パスワードは長くて、ちょっとした詩みたいなものでね。人生を要約した短い詩さ。
1.    はじまりの詩
3つの文章からひとつ選ぶ選択を3回繰り返せば、パソコンのパスワードとなる詩が完成する。
単体では美しい響きだけの言葉は、組み合わせることで必然のように先の展開を予兆させる。
このパスワードでは、どんな選択も間違いにならない。プレイヤーの選択を報酬・展開の変化等によりゲームが評価することはなく、すべての選択は等価となる。プレイヤーが何を選ぶかは、この先もずっと自由に任される。
最初に作るこの詩から「マルケス」というキーワードが開け、本作の旅は始まる。
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(Act.1 EQUUS石油:パソコンのパスワードとして、3つの文章から3回選んで詩を作り入力する。)
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2.町はずれの者の死を悼む詩
アマチュア詩人である「町」の住人ニッキがコミュニティテレビWEVP-TVで披露する詩。
居場所でありよりどころであった「町」がより弱い立場にある町はずれの者に対して振るった暴力と罪を悔い記憶するための詩。
もう思い出す者もいないHomeなき者への詩。
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ニッキ:町外れの者へ。 どの鷲があなたを終の眠りへと運んだだろう? あなたを運び、眠りにつかせたのは人ではない。 泥と泥水の流れる小川を選んだ者たちは、血まみれのあなたを残して逃げ出した。(以下略)
3.最後の詩
なにもわからず宙ぶらりんでさまよう気持ちのまま、あなたはそれでも詩を紡がなければならない。
まったく現実の世界でもそうであるように。
喪失、追悼、後悔、慰安、再生、悲嘆、鎮魂、決意、休息
悲劇といわれる旅の終着点で、だれに、なにに向けて祈るのか。この作品があなたにとって何だったのか。
作り手たちとの言葉と混ざり合いながら、あなたは短い言葉で詩を紡ぐ。それを表明するために、あなたはこの場にいるのだから。
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(Act.5:最後に捧げる詩の言葉を選ぶ)
ウォルト・ホイットマン「草の葉」
「自由詩の父」と呼ばれ、放浪しながら一般民衆に広く詩を行きわたらせた19世紀アメリカの代表的な詩人のひとり。「草の葉」は彼の代表作であり、おおらかで気宇壮大で自然と理想に満ちたアメリカ建国時のイメージが映る。
最後の詩の直前の台詞及び第5幕の実績「あなたの足下にいる私を探して」はここから引用されている。
おれはおれ自身を土に遺す、やがては愛しき草地から生え出るように、 もしおれをまた求めるなら、おまえの靴底の下を探すがいい 「草の葉 おれ自身の歌(抄)」ウォルト・ホイットマン 飯野友幸訳より
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ニッキ:「私を探すなら君の足元を見るがいい!」、そんな言葉があったわね。
ロバート・フロスト「雇い人の死」
『選ばなかった道』などの詩で有名なアメリカ詩人。簡潔で平易な言葉を用いながら、象徴的で喪失感・諦観に満ち謎めいた詩を多く残した。
20世紀のアメリカを代表する詩人のひとりであるとともに、その詩はアメリカ一国を超えてひろく読まれてきた。
「雇い人の死」は、老いてどこにも行く当てのない雇われ小作人サイラスが放浪の末、雇用先の納屋で誰にも知られぬままひっそりと息を引き取るさまを雇用主夫婦の会話により描いた詩。KRZはこの詩を基調として作られていることがキャリントンの口から示唆されている。
「雇い人の死」和約:神戸親和女子大学学術リポジトリ
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Act.1 EQUUS石油 キャリントン:私はこの12年間を人生における最高傑作を作り出すため捧げてきた。ロバート・フロストの詩「雇い人の死」を、壮大かつ実験的な演劇へと翻案することに。
最後の幕間劇「雇い人の死」においてサイラスの最期と重なるように雇い人ブランドンがひとまずHomeで眠りにつくことでKRZは終わりを迎える。
「ウォレン」と彼女。「彼は死ぬためにうちに戻ったの。もう今度は途中でいなくなる心配はいらないわ」。 「うちにね」、彼はおだやかに皮肉をこめた。 「だってうちじゃない。うちをどう考えるかで、話はずいぶん違うけど。もちろん彼は私たちには赤の他人で、それは以前、森から出てうちに来た見知らぬ犬―長い旅路でやつれ果てたあの犬と変わりはないわ」。 「フロスト詩集」『雇われ農夫の死』 ロバート・フロスト 川本皓嗣編より
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ハリー:眠らせてやろう。
詩という形式で、短く象徴的に凝縮されたこれらの言葉こそが、本作の精神をよく表しているといえるだろう。
いや、「迷ったと感じるべき」なんだ、ジョセフ。我々が常に迷い続けているように。 あの哀れな、放浪する雇い人サイラスのように。道をさまよい、帰るべき家を探しながら。 Act.1 EQUUS石油 劇演出家ジェームズ・キャリントン
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ashi-yuri · 3 months
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Behind Every Great Oneおまけ
「スペースの不足」という題材でゲームジャム用に作られ、個別短編となったゲーム。
夫婦・家族の不和や自分の人生が奪われていく辛さという、広く取り扱われながらも、ゲームでは珍しいテーマをミニマルに上手く落としこみ、リアルな辛さが味わえる良品。
以下、最後までプレイしての感想
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ゲームの中で、ストレス値を上げる家族に会いたくなくて家でうろうろするか、煙草を吸いにとりあえずベランダいったりを繰り返すのだけど、最後、家族や親せきに部屋を取られてもう泣くところがなくなった!と焦るところがおもしろかった。トイレにも人がいるから…
パーソナルスペースは大事。
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向こう見ずで迷惑かけて時に見下してくるけど自分のために怒ってくれる妹や、デリカシーに大いに欠けるけど親に抱えたコンプレックスを芸術に昇華しようとしながら自分の作品に価値を見いだせない夫のことを愛してるからこそ辛いという葛藤があって、一方的に主人公のことを被害者として扱ってないところがよかったな。
愛と社会構造により搾取される女性の話か、愛してなくて終わりの家族の話を想定してたので。
ラストの後味を悪くとる人も多いけど、夫婦としては、自分のコンプレックスでしかない絵に絵の具をぶちまけられて、セックスレスになって、お互いの不満をぶつけ合うようになってからがはじまりだ!という感じもす��。
ふたりとも変わらないまま破綻するのかもしれないし、そのまま地獄のように続くのかもしれないし、お互い変わってもう少しましな関係になるのかもしれないし、先のことはわからないけど。
Deconstructeamの描くものの方向性が作品ごとに少しずつ変わっていることを思うと、そんなに悲観すべきではないのかもしれないと個人的には思う。この夫婦には愛も金も時間もあるのだし。
変わるのがいちばん大変なことなのかもしれないけれど。
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にしても、あの絵はばかばかしい感じがいいので、ペンキぶちまけられた後に共作として展示に出せばスキャンダラスで楽しそうだなと思いました。
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Deconstructeamの花屋も気になるなと思いつつ、リスホチキスの次の作品とか、リーガルダンジョン・未解決事件を終わらすのとかプレイしたい作品が多いので困りどころ。
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ashi-yuri · 3 months
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オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
きのこみたいな語りで
とらえがたく、湿っていて、色とりどりの断片たちを夢やインターネットや記憶が菌糸のようにつなぐ、ふしぎなポーランドの小説
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細かで夢のようにとりとめなく、へんに入念な記述の掌編がつらなっていて、きのこ料理、マルタというふしぎな老女、刃物の宗教、人を食べて狼となった男、男性から女性へ変異することを夢見る修道士、キリストの顔を浮かべる聖女、などなど話は四方八方に一見無秩序に広がっていく。
最初は読みづらいと思ったけれど、きのこのように自分ではわからないなにかで繋がっているのだと気づいてからはだいぶ読みやすくなり楽しく読めた。
植物・動物とも違い、超然として生死や人間の理屈を超えて、謎めいた効果を与えたり与えなかったりしながら、地下に伸びる菌糸でいろいろなものを結びつけ、過去も未来もなくただ現在を生きる存在としての観念きのこ。
わたしにはマルタがわからなかったし、いま考えてもわからない。だけどそもそも、わかる必要なんてあるかしら。彼女の行動の動機を明らかにし、話のいっさいの出処をつきとめることに、なにか価値があるものかしら。マルタに履歴みたいなものがあるとしても、それを知ってわたしが得られることなんてあるだろうか。もしかしたら、履歴のない人、過去も未来もない人がいるのかもしれない。そういう人は傍から見れば、いつも現在に生きているのだろう。 オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」マルタより(p.12) 
作者はポーランドの方で、作品全体に大戦時のドイツによる侵略の暗い影が残ってはいるけ���ど、古いおとぎばなしのような語りで進むこともありどこか俯瞰してるような視点が新鮮。
調べたらトカルチュク氏、ノーベル文学賞受賞してた。
どこか湿り気があって、まるくなめらかで、なんとなくポーランド郊外の森や町ってこんなかんじなのかなあと思うような文体と、もやっと繋がるさまざまなモチーフが、馴染みの少ない国への想像力を刺激してくれてよかったです。急に料理のレシピとか挟んでくるのもたのしい。
なにかを食べたり食べなかったりすることが、まるで私たちを死から救うとでもいうみたい。なにを食べようが食べまいが、なにをしようがするまいが、考えようが考えまいが、わたしたちは死んでいく。死ぬことは、生きることよりも自然なことに思われる。(中略)ヒダハタケを食べたそのとき、生き残る人もいれば、死ぬ人もいる。何パーセントかは生きていて、何パーセントかは死んでいる。片方からもう片方へ、いつ一線を越えるのか、はっきりとは、言いにくい。どうして人は、「あるいは」から「あるいは」へ移るこんなにも短い瞬間に、あれほどの重きを置くのかわからない。 ウラベニイロガワリのワインとスメタナ煮のレシピは以下。(後略) オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」ウラベニイロガワリのワインとスメタナ煮のレシピより(p.222)
ほかにポーランドだとSFのレムや偏執的な視点が興味深いゴンブローヴィチを読んだことあるくらいだろうか。
ポーランド郊外の狭い地域の話だけれど、ドイツやチェコと地続きで、時代も数百年単位で飛ぶし、インターネットや夢でいろんな国の人々と繋がってる感覚もあり、物語と同様に小さくまとまらないで広がっていく感じがあるのがおもしろかった。
トカチュルクさん心理学を専攻してフロイトやユングを学んだと書いてあって、安易な結びつけはよくないけれど、他者との夢の共同性・繋がりみたいなアイデアはそのあたりからなんだろうか。意図的に合理性とか歴史の中の位置付けとか秩序を切り離す視点を取っていて、ちょくちょく反出生主義にも近いような強烈に虚無的な描写が出てくるのだけど、そういう人にはきのこがあったほうがいいんだろうなと思った。きのこの語りにより絶妙なバランスが保てているというか。
マルタもきのこだったのかな。
最後に、町の描写の羅列だけなのに本作でいちばんエモーショナルな断章から。
ノヴァ・ルダ
美容院と古着屋がたくさんある町。男たちのまぶたが、炭で煤けている町。小さい橋のかかる町。現れては消える川、いつも水の色が異なり、どんどん派手な色になる、そういう川に橋はかかっている。(中略)湿気の後が家の壁に残る町。家の窓から通行人の足しか見えない町。迷路みたいな中庭の多い町。終着駅の町。旅行で列車を乗り換える町。犬がさまよっている町。(中略)雪がけっして溶けきらない町。(中略)水っぽいアイスクリームを売る町。(中略)ピレネー山脈にあることを夢見る町。太陽が昇らない町。出ていった人が、いつか必ず帰る町。ドイツが掘った地下トンネルが、プラハとヴロツワフとドレスデンに通じている町。断片の町。シロンスクと、プロイセンと、チェコと、オーストリア=ハンガリーと、ポーランドの町。周縁の町。頭の中ではお互いのことを呼びすてにするくせに、実際に呼ぶときには敬称をつける町。土曜と日曜には空っぽになる町。時間が漂流する町。ニュースが遅れて届く町。名前が誤解をまねく町。あたらしいものは何もなくて、現れた途端に黒ずみ、埃の層に覆われ、腐っていく町。存在の境界で、みじんも動かずに、ただあり続ける町。 オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」ノヴァ・ルダより(p.365)
本書はおすすめをいただき読むことができました。全く知らない作品だったので、作品に出会う機会をいただき感謝。
断片小説だとバーセルミの「雪白姫」が好きだったなと久々に思い出したので、そのうち読み返そうかな。
表紙がいい。
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ashi-yuri · 4 months
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SLUDGE LIFEサントラあそび
お正月に聞いてたSLUDGE LIFEのサントラタイトルが面白かったので、リハビリも兼ねて私家翻訳あそび。
自分にしては意訳・パロディ多め。韻踏みは擬態語に置き換えて、口にしてたのしい感じを出してみたつもり。音楽に語らせる作品でもあるので、翻訳というより自分なりのSLUDGE LIFEの解釈とファンレターみたいなイメージなのかもしれない。
お気に入りは、24.ゴーストのCEO機パクり作戦(GHOST WHIP THE CEO SHIP)と30.シギーな生活(Ciggy Lives)かな。怠惰でご機嫌な感じが好きなので。
BIG MUDの曲、歌詞わからないかなあ。作曲者ご本人のホームページにも掲載がない。
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SLUDGE LIFE OST
1.BOOT UP 00:09
 起動
2.GLUG SUCKS 02:48
 GLUGはクソ
3.CLIMBING PIPE 02:40
 パイプを登れ
4.MOSCA MOSCA MOSCA 03:12
 モスカ・モスカ・モスカ
5.NOTHING WORKS 02:26
 本日は営業中止
6.ISLAND FEVER 02:40
 島嶼熱
7.TIA KNOWS BEST 03:28
 ティアは知っている
8.ALL DUSK EVERYTHING 02:49
 すべては暮れゆく
9.HI FROG EYE 00:48
 ハイ・カエル
10.B BOYS REVENGE VI 02:24
 B BOYSの復讐 VI
11.LL COOL HANS 03:12
 LL・クール・ハンス
12.BASS WATER 02:40
 水は低きに流れる
13.SEDATIVE EXPRESS 02:40
 特急鎮痛剤
14.DOUBLE DOUBLE 01:36
 ダブル・ダブル
15.THE WHISTLER 01:24
 口笛吹き
16.BIG MUD DONT SLEEP 02:07
 ビッグ・マッドは眠らない
17.GHOST PHONE HOME 01:52
 ゴーストのおうち
18.UZZI DOES IT 03:12
 ウージーはやる!
19.DRYER TRIER 01:09
 ドライヤー・トライヤー
20.ZOOMED OUT 02:20
 ズーム・アウト
21.BURGERMON 01:21
 バーガモン
22.TOXIC ENVIRONMENT 00:54
 汚染環境下
23.EYES OUT 01:32
 目をこらせ
24.GHOST WHIP THE CEO SHIP 02:11
 ゴーストのCEO機パクり作戦
25.LIFE LOOP BLUES 01:06
 ライフ・ループ・ブルース
26.BIG MUD - BUBBLE UP 03:13
 湧き上がる
27.BIG MUD - SLUDGE LIFE 03:31
 SLUDGE LIFE
SLUDGE LIFE2 OST
1.Boot Up Twice 00:05
 起動2回目
2.Ciggy City Sweet 03:12
 シギー・シティ・スゥィート
3.Crab With Attitude 03:12
 毅然としたカニ
4.Half Face Heat 02:24
 ハーフ・フェイス・ヒート
5.Hot Snake Take 03:44
 あつあつの蛇
6.Do Disturb 03:12
 お邪魔します
7.Slug Speed 03:12
 ナメクジのろのろ
8.Smokers Unite 03:12
 喫煙連盟
9.Luxury Sucks 03:12
 金持ちはクソ
10.Ooo Poo 02:24
 ウー・プー
11.Yay Creeps 03:12
 よ、みんな
12.Room To Zoom 03:12
 ルーム・トゥ・ズーム
13.Dolo Does It Better 01:36
 ドロならうまくやるのに!
14.Shiney Yet Slimey 03:12
 ぴかぴかでヌルヌル
15.Sunless Summer 03:12
 太陽なき夏
16.Peep Peep 02:24
 ポッポー!!
17.Glug Dot Mud 03:12
 Glug.Mud
18.Potty Rock 03:26
 いかれ岩
19.Ovni Bop 02:39
 踊ろオヴニ
20.Slowest Yo 04:48
 ゆっくり・ヨー
21.Fun Dungeon 02:08
 たのしいダンジョン
22.Screwed Mood 02:56
 ムードはぐるぐる
23.Dragging Trash 02:40
 ゴミを引きずって
24.Dumpster Slump 01:28
 ゴミ捨て場へ落下
25.Ciggy Beach 04:32
 シギー・ビーチ
26.Uzzi Returnz 02:40
 ウージーの帰還
27.Shoot It To Shreds 00:58
 ずたずたになるまで撃て!
28.Granma Loves You 00:57
 グランマはあなたを愛しています。
29.Sludgething Is King 01:09
 スラッジこそキング
30.BIG MUD - Ciggy Lives 02:24
 シギーな生活
31.BIG MUD - No Sequel 03:32
 続かない
32.BIG MUD - Git Dum 03:50
 ごみくず
33.BIG MUD - Sky Scrape 03:41
 摩天楼から
34.BIG MUD - Eat The Rich 03:40
 金持ちを食らえ
35.BIG MUD - Double Bubble 03:58
 湧き上がる・Double Bubble
コンポーザーのDoseone氏のご機嫌インタビュー動画
@ 01:55:10
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ashi-yuri · 4 months
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「ファースト・カウ」とロマンチックなアメリカの夢
掘り起こして語らん、アメリカの夢物語を
西部開拓時代のオレゴン州でたまたま出会った料理人と中国人移民のふたりが、この地に一頭しかいない「牛のミルク」を使ったクッキーを作って売ることで成功を夢見るはなし。
非常によかった!
出てくる人物たち、その服装、表情、動き、出自、自然音、犬、牛、たくさんの動物たち、川、森、キノコ、苔、曇り空、骨、豊かなディテールすべてが象徴として語るべきことを語っていて、それは静かで決然としたカウボーイ映画の語り直しでもある。
人を選ぶ作品ではあって、アメリカ映画やそのテーマに興味なかったり、象徴表現慣れてないと地味で退屈に思う人もいるかもしれない。自分は好きなタイプの作品なので満足。音のいい映画館で見れてラッキーでした。
以下、映画本編の内容に触れる。
最初よくわからないしねむいかなと思ってたけれど、撮影がきれいで音がよく、映るもの・聞こえるものすべてに意味を持たせているので緊張感が途切れずに見ることができた。主人公が勝手に薄汚れた家のお掃除はじめるシーンがおかしくて特によかったな。何度か出てくる、いろんな船が川を下るシーンもタイムレスでいい。最後の結末も必要十分な語り方も観客を信頼してて好みだった。象徴や間接表現含めると、意外と出し惜しみせずにぜんぶ語りきってくれていると感じた。寡黙だけど、映画で語ろうとする自負がすごい!
絶対に直接暴力描写を映さないこと、馬にも車にも乗らず森のなかを徒歩で移動しつづけること、生活のための営みを描き続けること、それでも豚の屠殺や数多の喧嘩・私闘など避けられない暴力が周りに満ちていることなど、すごく明確に「アンチ・カウボーイ映画として、自分がアメリカン・ドリームの概念を語り直すぞ!」という思想が出ていて、そういうやる気のある映画を見たなあという満足感もある。
荒野の決闘とかワイルドバンチとワーロックとか許されざる者とかむかしに見て、カウボーイ映画結構好きなので嬉しいし。「銃に象徴される暴力を手に、自然に対抗できる馬・車などの機動力を持つこと」がカウボーイ映画(及びその派生)の条件だと勝手に思ってるけど、徹底的にこれを避けて描いているのが新鮮でおもしろかった。アメリカンドリーム創生の歴史を語り直すというと抽象的になってしまうけど、人物同士の細かい描写がリアルだから、頭でっかちにならずにちゃんと二人の物語に落とし込めてるのも好印象。「牛」は最初から最後まで象徴すぎてちょっとおもしろかった。狼以外の動物はみんなかわいい。イニシェリン島の精霊も動物はかわいかったな。
メリーランド出身のクッキーが「ここはいい場所だよね」と牛に語り掛け、中国出身のキングが「ここなら自分たちの好きなように歴史を作れる」と・ルーがいうの、感慨深い台詞で印象に残った。中国歴史SFをいくつか読んでるけれど、中国の方たちはほんとうに歴史が一個人を呑み込んでいくほど重く感じている人がいるんだなあと思ったので。みんながそういうわけではないだろうけれど。
ラスト、最善の結末ではまったくないし、ほかの道を選ぶことができなかったのだとしても、それでも彼らのわずかな選択と決断があの場所をHomeとしているのだなと思えたので、あんまり暗く悲しい気分にならない気持ちで見終えることができた。
どこにもHomeがない流れ者たちふたりの物語としてはわりとハッピーエンドでは?
「男たちの友情物語」として売り込まれるているけれど、主人公ふたりともべたべたに信頼してるわけでもないし、リアリスティックな視点は常にあって、一方ですごくアメリカらしいロマンチックな話でもあったなと思いました。なにかが叶わなくて、なにかが叶って、最後まで夢見て終われるところが。振り返って最初の骨のシーンも、そんな反転したアメリカン・ドリームなのかもしれない。語り直しという行為そのものが、時代に合わせた延命措置だしね。
すてきな夢を。
ネタバレぎみだけどまとまっててよいレビュー
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ashi-yuri · 4 months
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テリー・ビッスンSF短編集「平ら山を越えて」
Discordに書いた感想まとめ。
ビッスンさんはラファティがいちばん好きな作家と聞いてすごく納得。訳者解説の通り、おおらかでユーモアがあってSFというよりほら話みたいなところがよく似てる。
子供たちの視点からどうしようもなかったものをファンタジックで哀切に、でも力強く描く「ちょっとだけ違う故郷」が自分はいちばんよかったな。
「平ら山を越えて」
消える町、変わる自然、すべてが変わっても変わらぬ営み in Kentucky
作者がケンタッキー州出身とのことで、ケンタッキーの地名が出てきて行ったことはないけれど懐かしい感じ。
最後”Vaya con Dios”(スペイン語)で格好良く締めるのだけど、FAITHのガルシア神父のお手紙の締めと一緒でおかしかった。
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「ちょっとだけ違う故郷」 原題:Almost Home
すぐそこのありえたはずの故郷、どちらも等価な故郷
すごくよかった。途中だけど、たぶんこの短編集でいちばんいいんじゃないかな。ふしぎなジュブナイル味もあり、KRZのエズラやフローラの語る冒険みたいでもある。
「これじゃへんてこすぎるよ」と彼はいった。 「そうともかぎらないわよ。ちょうどいいへんてこかも」とチュト。
「ザ・ジョー・ショウ」
恒星間セクハラ。艶笑譚かな。
それはそれとして、ラジオやテレビの狭間に幽霊がいるってアメリカだとよくある怪談なんだろうか。
「光を見た」
いぬのきもち "You, Good Dog!"
ファーストコンタクトものに見せかけたべつのはなし。それもしあわせだね。
「マックたち」
被害者の権利と処罰感情と『決着』に向けた技術的解決の提示について
技術で未来を拡張していく、よくある悪夢っぽい短編SFで面白い話だなと思ってたら、アメリカで実際に起きた事件を元に描いているらしく震えた。死刑を中継するのは...
現実の凄惨な事件から距離を取りながらフィクションとして興味深くテーマを浮き上がらせていく手腕はさすがで、ネビュラ賞等を受賞してるのも納得。自分が関係者だったらどう思うかはわからないけれど。
オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件 - Wikipedia
「謹啓」
誰かのための、あなたのための死
風刺色の強いディストピアSFだけど、テーマや物語の筋より、作者の過激派左翼運動団体に所属していた実経験をベースとする運動団体の理想と実情とか、かつて思想を共にし年老いた仲間たち(男性・女性二人ずつペア)の連帯意識・関係性みたいな細かな描写がおもしろかった。
展開がブラックスラップスティックコメディ映画みたいなので、映画で見てもおもしろそう。
ふたりジャネット書いたひとなんですね。奇想コレクション気になりつつ、SF短編集シリーズではちょっと地味なイメージもあってほとんど読めてないけれど。
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