Tumgik
#古典芸能
harimayasukeroku · 2 years
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祇園祭/金剛能奉納/Gion Festival/Noh
八坂神社で行われた能奉納を拝見してきました。日本の伝統芸能は素晴らしいです。
2022年7月11日撮影
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【新潟県謡曲古跡めぐり中越編】4箇所目  2021/6/28
能「松山鏡」「田村」
刑部屋敷 《 十日町市松之山中尾 》 越後国松之山に住む男は、妻の三回忌の命日に持仏堂へ向かう。すると、そこにいた自分の娘が何かを隠すので、世間の噂のとおり、新しく迎えた継母を呪詛しているのだと思い叱る。しかし隠したのは亡き母が遺した鏡で、娘は鏡の中に母の姿が見えると慕い泣く。鏡に映る自分の姿を母と信じていたのだ。  そこに、あまりの娘の心に感じて地獄から母の霊が戻って来、鏡にまつわる説話を語る。そのうち地獄から倶生神が現れ、母を連れ戻そうと鏡に娑婆での罪科が写っていると母に示すが、そこに写っていたのは菩薩の姿だった。娘の孝行心の故である。胸を打たれた倶生神は母を連れることなく、地獄へ戻っていったのだった。
 大伴家持が特に越後に住んだ史実がある証拠は見当たりません。隣の越中には国守として4年間赴任していますので、何かの機会に越後を訪れなかったとは言い切れませんが推測の域を出るものではありません。ましてや住み着いたとは言うことはできないでしょう。
 また晩年に蝦夷征伐のための陸奥按察使・持節征東将軍、鎮守府将軍などに補されていますが、特に功績や失敗などは知られておらず、そのまま延暦4年(785)に没します。没した直後に当時造営中だった長岡京の建設責任者・藤原種継が暗殺された事件に関して首謀者とされ、除名・官位剥奪・領地没収のうえ、その遺骨が隠岐に流されました。この辺りのことが、伝説に影響はしているのでしょうが、伝説は伝説として考えるのが良さそうです。
雪深い旧・松之山町の中でも南西端部に位置するここ中尾地区に、平安時代歌人として有名な大伴家持の拠った「形部屋敷跡」がある。地元の区長さんの説明によれば、今でも4m以上の豪雪地帯で、地滑りの危険に悩まされている地域であるという。
 この館跡に関しては、謡曲・「松山鏡」として伝えられている。  「鏡ヶ池」と「形部屋敷跡」は、この中尾集落の奥部にあり、「鏡ヶ池公園」として駐車場を中に挟んで、北側に「形部屋敷」、南側に「鏡ヶ池」がある。更に、池の南上の台地には十二神社が祀られ、この地区も要害としての臭いが感じられる。十二神社の台地の北東端には、県の指定文化財であった中尾の大杉(亀杉)の大木があったが、平成23年の長野県北部地震と大水害によって倒木となり、当時の雄姿を見ることはできないが、今はその分身として、亀杉から再生された、さし木苗と、接ぎ木苗が倒木株の根元に植えられている。
#能楽 #能 #Noh #申楽 #猿楽 #狂言 #風姿花伝 #世阿弥 #芸術論 #幽玄 #歌舞劇 #演劇 #能面 #マスク #文化 #旅行 #トラベル #名所旧跡 #神社 #寺院 #像 #碑 #巡礼 #古跡 #謡曲 #新潟 #中越 #伝統 #Travel #GoTo #ruins #wreckage #Mansion #屋敷 #abuse #maltreatment #suicide #pond #daughter #stepmother #noble #aristocracy #aristocrat #conquest #subjugation #overcoming #general #Shogun #magpie #Waka #継母 #娘 #虐待 #自殺 入水 #投身 #母親 #親子 #池 #貴族 #征伐 #蝦夷 #将軍 #追放 #和歌 #古典 #童謡
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anamon-book · 9 months
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やっぱり出たかおすぎの猛毒!!-芸能界てんやわんや 杉浦孝昭 カッパ・ホームズ 光文社 カバーデザイン=長友啓典 K2、カバーイラスト=大竹雄介
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kennak · 8 months
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とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。 一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書かれ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。 作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。 その問題の処し方は、ヴァーグナーが切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。 20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。 が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。 第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言ったら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。 ただ、この新古典主義ですが、形式への回帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。 何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイーブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・ロシア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。 悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。ナチスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているのは実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドやバーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。 要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。 さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩壊したものと思��れます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。 対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音楽は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐに飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。 一応、メシアンだのブー��ーズだのケージだのライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。 戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛反発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。 それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその路線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。 それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかもしれません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなかエポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。 クラシック的(あくまで「的」ですよ)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。 が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
なぜ、現代に、クラシックの大作曲家が輩出されないのですか?大昔の作曲家のみで、例えば1960年生まれの大作曲家なんていません。なぜでしょうか? - Quora
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myonbl · 9 months
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2023年7月30日(日)
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今日は納車日、2年11ヶ月お世話になった旧車の走行距離は33,209kmとなっている。今月初めにドア傷の修理見積をお願いしたことから、急展開で買い換えることになったのだ。10時ジャストに<ホンダカーズ京都・五条店>へ、新しい車は<FIT RS>、渋めのカラーでなかなか精悍な面構えをしている。今回は<5年間のサブスク契約>なので、おそらく自家用車として運転する最後の車となるだろう。よろしく頼むよ、相棒!
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2時45分起床。
日誌書く。
二度寝する。
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朝食。
洗濯2回、シーツと掛け布団カバーを洗う。
ツレアイは奈良で太鼓の練習、今日は朝バージョンなので8時に京都駅まで送る。
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ホンダとの約束は10時、ボディーからは濃いめのグレー、このタイプ専用のフロントグリルはなかなか精悍だ。このバンパーの形状のために、ボディサイズが5cm長くなったとのこと。狭い我が家にはギリギリかな。まずはナビで自宅の登録、続いて満タン給油時のトリップメーターのりセットを設定する。さらに、<ETCマイレージ>の登録内容を修正する。後はぼちぼちチェックしていこう。
西大路花屋町のセブンイレブンで、昨日購入した鈴本演芸場のチケットを発券する。
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続いてセントラルスクエア花屋町店へ、さすがにスーパーは鰻一色、結局鹿児島産のものを選んだ。
ランチ、息子たちには素麺を用意する。準備中にツレアイから連絡、13時に家を出て油小路八条交差点まで迎えに行く。
残り物をカレー仕立てにしてランチ、もちろん🍷も。
録画番組視聴。
▽笑福亭銀瓶 落語「宿題」
初回放送日: 2023年7月29日
関西の笑いをたっぷりと!今回は笑福亭銀瓶さんの落語『宿題』をお送りします。▽企画コーナーでは桂あおばさんが自らの知名度調査を決行!果たしてその結果は…
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途中でウトウト・・・。
車の調整続き、<HONDA TOTALCARE>のパスワードをリセットしたのだが、同じ情報でログインできるはずのリモート機能のアプリに入れない。困った・・・。
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息子たちには松花堂弁当箱を使っての鰻膳、スパークリングワインと一緒に。
録画番組視聴。
古今亭志ん輔 落語「らくだ」
初回放送日: 2023年3月20日
古今亭志ん輔さんの落語「らくだ」をお送りします(令和4年11月20日(日)収録)【あらすじ】ずうたいが大きくてのそーっとしているところから「らくだ」というあだ名の乱暴者。このらくだの家を兄貴分が訪れると、当人は食中毒で死んでいた。兄貴分は通りかかったくず屋をつかまえて、長屋の月番に香典を集めさせろ、大家から弔いの酒とさかなをもらってこいと無理難題の数々を言いつける…
ご当人のブログを毎日拝見しているが、認知症のおツレアイとのやり取りがとても興味深い。噺の方は、マクラに仕込みが合ったのかも知れないが、サゲがぴんと来なかった。
片付け、入浴、体重は500g増、休日だから仕方ない。
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歩数は少し足りないが、なんとか3つのリング完成。明日から夏休み、毎日のウォーキングを復活させよう。水分は、1,470ml。
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foucault · 9 months
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昨日に続いて新入荷品より、豊永盛人・琉球張り子「アポロンとねずみ」。
琉球張り子の古典を踏まえたねずみの干支張り子に、オリュンポス十二神の一柱、芸能芸術の神・アポロンが光背しょって月桂冠を被り、竪琴を抱き、象に乗った普賢菩薩のように堂々と立つ。……なんで?と当然思うわけですが、盛人さんから付された解説に曰く、「予言・竪琴・医術・疫病の神アポロン。突然死はアポロンのせい。じつは怖い神様。「ねずみの神」の異名を持つ」から、と。確かに、心筋梗塞などの突然死について「アポロンの矢を受ける」と言ったりしますね。一方でアポロンは病を払う治療の神でもある。多様な姿を示すギリシヤ神話における神々を代表する一人だなと思います。
明日31日は定休日です。
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manganjiiji · 11 months
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スフィア
なんと。開幕爆撃頭痛から回復できず、欠勤。そんな。今日が現場デビューのはずだったのに。ショックです。でもほんとうにびっくりするほど頭が痛いのと吐き気が全く何をどうしてもおさまらなくて、早めに欠勤の連絡を入れて、すこし横になってからどうにか脳神経外科(かかりつけ)に行った。偏頭痛薬の残弾も残り1になっていたので、新しい保険証はまだ手元にないが、とにかく今日しかないと思って行った。偏頭痛にしても緊張型頭痛にしても変な感じで、どっちの痛み止めを飲んでも鈍い痛みが続き、脳神経外科の待合室でも頭を抱えて椅子にうずくまっていた(検査技師の方に心配して声をかけられた瞬間に診察になり、ほとんど声も出ないほどに痛かったがなんとか薬を出してもらった。「飲みすぎないでくださいね」と先生に2回も言われた。そんな。私は飲みすぎるタイプじゃないから大丈夫なのに、相当理性を失っているように見えたのだろうか)。その後なんとか痛みでもやがかかったような頭(かなり重い)でマックに寄ってパイナップルのフラッペみたいなものとポテトLを完食し(なんでだよ。早く帰って寝ろよ)、ふらふらとがんばって家に帰り、横になるも、何も回復しない。熱もないのに熱があるように体が痛く、2020年末のコロナの時のような倦怠感、あの時ほど酷くはないが。いま、つまり26日の3:15になってやっと体の緊張がやわらいできた。今日だけで何錠薬を飲んだのだ。飲んでもほとんど意味がなかったので、飲まないほうがよかったのか?しかし胃は強いので気にしなくていいだろう。というか、消化系も重だるくなってほぼ停止していて、頭痛の波が引いても吐き気で起き上がれない状態が続いた。こんな原因不明の体調不良はひさしぶり。熱中症の心当たりもない。もしかして初現場への緊張がなせるわざ!?いやそんなやわな性質ではない。さすがに。変なものを食べたわけでもないし、本当に何だったんだろう。先程やっとコンタクトを外すことができ、就寝に向かっている。明日の朝には何もかも解決しているといいのだが。
病院への行き帰りで、伴名練編の日本SFの臨界点『死んだ恋人からの手紙』(恋愛篇)を買ってから3年弱経って初めて読み進めた。表題作「死んだ恋人からの手紙」がかなり良かった。ティプトリージュニア(愛はさだめ、さだめは死)を読んでいた時も思っていたけれど、私はSFに温かみを求めているなと思う。2篇目の「奇跡の石」も、そこまで真剣ではないが、読んだ。これはそこまでおもしろくは…というか、好みではなかった。キャラクタの魅力が私の好み/非好みを決めているのであって、展開とか構造とか物語のうまさとかそういうことではない。どんなに面白い話でも、キャラクタがただそこに配置されているだけの、恣意的な没個性キャラクタだと、興味がわかない。性格のいい人とか、善人とか、誰かを愛している人とか、容姿がととのっている人とか、そういうわかりやすく魅力的なキャラクタ���好きである。ホームズは読めるかもしれないが、アガサ・クリスティは読める気がしない。とはいえ小学六年生の頃、学校の図書室でアガサを借りるのが流行り、その中ではミス・マープルの話が好きだった。ポアロとかもいるな。よく考えたらたぶん魅力的なキャラクタはいるのだと思うが、なんか、自分好みにひと捻りされているキャラクタを望んでしまう。ホームズはカンヴァーバッチの『SHERLOCK』の1作目を見ているので、たぶん面白いだろうなと思っている。つまり、物語の展開とか、トリックとか、どんでん返しとか、そういうことにあまり興味がないので。キャラクタがいかにかっこいいかしか興味がないので。それにしてもミステリを読む気が起きない。エンタメの礎を全く読んでこなかったしこれからも読まないであろうことを考えると、エンタメの素養が0。シナリオ・センターの講座を受けている時、毎年の、世界の100人が選ぶミステリの10位までは最低限読めとおっしゃっている先生がいて、たしかに。と思った。その時に『春にして君を離れ』がタイトルが美しくて買ったのだがまだ読んでいない。『アクロイド殺し』も持っているが読んでいない。読みなよ。『流れよわが涙、と警官は言った』『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』なども持っていたはずだが(読まずに)消えた気がする。27歳の時に、精神も身体もどん底になり、本の背表紙を見ることさえきつくなってかなりの未読の本を手放してしまった。『盤上の夜』とか『皆勤の徒』とか『バレエ・メカニック』とか、ほぼ読まずに。その路線で行くと、いまだに諦められないのが『グラン・ヴァカンス』でこれはまだ生家のどこかにあるはず。爆笑問題の太田さんがものすごく凄いと言っていた『タイタンの幼女』は持ってきているはず。どれもこれも10年前とかそのあたりに買ったものです。そのあたりから小説をほとんど読めなくなっている。ようは、学生時代までは読めていた。社会人になってから、というか、より正確に言えば投薬を始めてから小説を読むのにものすごい困難というか疲弊というか徒労感をかんじて、最初の1ページだけ読んでは次の本を買う、「買うだけの人」になった。昨年からすこし頑張って小説を読もうとしているので、昨年はそれ��でよりは読めたと思う。相変わらず腰を据えて大作(というか、溜めている古典的名作)に挑んではいないが。小説は1年に1冊読み切れればいいほう。歌集、詩集、新書、選書、その他専門書のライトなものなどは読める(だいたいノートにメモを取りながら読んでいる)。積極的に読んでいる。ただ、フィクションを摂取するのがかなり難しい。そのなかでも昨年は『月と六ペンス』がここ10年でいちばん面白かったと感じられるくらい良い読書体験だった。手を動かさずにただ「読む」という行為が耐えられないのかもしれない。要因は色々あると思う。最近は今のところ、村上春樹の新刊も面白いなと思って少ないが進められているし、今日も日本SFの臨界点を少し読んだし(はたして円城塔の「ムーンシャイン」までたどり着きたいものだ)、小説の内容を目で追って読むという能力は近年すこしずつ回復しているかもしれない。これがpixivの二次創作だといくらでも読めるんだけど、それは前述の通りキャラクタが魅力的であることが確約されているから。一般文芸は、キャラクタの全体像が見えてくるまで我慢してさまざまな「事象」を頭に入れていかなければならない。そのなかには非好みのキャラクタも出てくるし、とにかくたるい。2行読んだら話が進んでいてほしい。私の読む速度がもう少し速ければ(眼球運動を意識して速めれば)かなり行けるのではないだろうか。どんな小説を書くにも、たとえ文体とキャラクタだけを書きたいにしても、展開がなくてはならない。どんでん返しとか意表を突くものでなくても、とにかく何かが起こって、キャラクタがそれに対応しなければならない。そうなると、どんなに純文学が書きたいと思っても、エンタメのインプットからは逃れられない。手っ取り早いのは映画とか、映像。ただ流しておくだけでよいから。でも私は本との関係を切りたくないので、これからも引き続き小説の読解にも取り組んでいく。
『精読 アレント 「人間の条件」』も数ヶ月寝かせてからやっととりかかっている。これはノートにまとめながら。ノートに文字を書くのが楽しすぎて、ノートを取りながら読むものは意外と進める。今日はパンセクシャル認知の日らしい。
眠気がやってきたので眠れそう。
2023.5.25
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sdeet · 1 year
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オルフェウスとエウリディケの物語が題材のオペラとダンスを今、配信で観るためのメモ
オルフェウスの物語はギリシア神話のひとつで、死んだ妻を冥界に迎えに行くが失敗する、という話です。
この題材は音楽・舞台芸術でもよくつかわれていて、オペラではモンテヴェルディ作曲の『オルフェオ』、グルック作曲の『オルフェオとエウリディーチェ』が有名どころです。
なんでこんな記事を書いているかというと、ここ数年プレイしているゲームの「第五人格(IdentityV)」の基礎構造がオルフェウスの物語だからで、さらに現在ゲーム内で開催されているイベントが直球でオペラ『オルフェオ』モチーフだからです。アプリ立ち上げのオープニングの曲がモンテヴェルディになっているので。
ゲーム中で題材にされているのはモンテヴェルディの『オルフェオ』ですがグルックの『オルフェオとエウリディーチェ』作品も並べていきます。オルフェウスの物語は様々な方法で語られているのでいろんなものがある。
というわけで、観ましょう。
一番アクセスしやすいだろう、youtubeのOperaVisionのチャンネルを紹介します。
世界各国のオペラの上演作品がそれぞれ期間限定で無料で見られます。たいへんありがたい。文化ぢから。昨年から日本の新国立劇場も参加しました。
youtube
ORFEO Monteverdi – Garsington Opera
配信は2023年4月20日まで
サムネイルは毒々しい色合いだけど、本編はのどかな庭園での器楽演奏、舞台美術も緑あふれる場所からスタートします。後半冥界のヴィジュアルになるとどんどんゴスくなる。境界の表現が円形なんだね。
youtube
ORPHEUS Monteverdi, Degun – Opera North
配信は2023年4月30日まで
これはインド伝統音楽と混交したタイプのオルフェウス。 音楽はモンテヴェルディと、シタール奏者のヤスディープ・シン・デグン。
歌はイタリア語ウルドゥー語 マラヤーラム語 ベンガル語 パンジャブ語 ヒンディー語 タミル語だそう。字幕は英語です。
あらすじとキャスト表はこちら https://operavision.eu/performance/orpheus
オルフェウスとエウリディケの結婚式が西欧とアジア(インド)の結ばれみたいな感じ。色鮮やかな人々と様々な音色が面白い。
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ORFEO ED EURIDICE Gluck – New National Theatre Tokyo
配信は2023年4月7日まで(今週で終わり)
これは新国立劇場の『オルフェオとエウリディーチェ』。勅使川原三郎振付作品です。 音楽はグルックのほう。日本語字幕が選択可能です。
ダンスの要素が強めの作品で、���手の他にダンサーがいて、歌+踊りで場面場面が物語られます。
ここまで、OperaVisionの作品群はフル尺で見られます。いままでオペラ見たことない方も、気軽に視聴してみてください。家で見る最大の利点は気軽さです。中断もできるし面白そうなとこまで飛ばしてもいいし寝落ちてももう一回見られるしBGMにもできる。
私は舞台を観に劇場に行くのがもちろん好きですが、映像は映像で好きなように楽しめていいと思っています。まあ海外のオペラハウスなんてそうそう行く機会ないから日本に住んでたら映像で観るしかないけどね。
ここからは私の好きな作品紹介です。作品鑑賞はソフトを探して買うか配信課金するかしてください。
私がオペラ『オルフェオ』を意識したのはジョルディ・サヴァール指揮のリセウ大歌劇場のオルフェオの舞台映像を見てめっちゃいいなって思ったのが確かはじまり。↓これね。
youtube
これDVD持っているんですが、劇場がすごく良いね……ってまじまじ見てしまう。演出とか演奏とかもちろんいいんですが箱の力が強いと思う。もともと古楽が好きなので、楽器の音だけでも楽しいっていう気持ちはあるけど、映像で観たいやつです。映像ソフトはもう入手困難だと思うんだけど、どこかクラシック系のVODで配信してたりするかな? 色々あるから調べきれてないんだよね。
音源だけなら各種サブスクリプションで配信もあります。
サヴァール指揮のオルフェオ最近のやつはこれ。ポリーヌ・ベール演出。
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何回モンテヴェルディ聴くんよってなるんですが、個々のプロダクションの出来や好き嫌いはともかく、何度も語られ直すという現象を含めて作品で強さなんだろうなと思います。
舞台演出で好きなのといえばロバート・ウィルソン演出、スカラ座の『オルフェオ』。
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何が好きっていうか、ロバート・ウィルソン演出のブレない様式美が好きなんですよね。白塗り人物&ポーズ+構図。苦手な人は苦手だっていうのもわかる。トンチキ且つつまんねえっていう声が聞こえる。でも私は好きなんで……グルックの『オルフェオとエウリディーチェ』も演出しているみたいなんですがそっちは観れてないです。どんなんだろうな。
これはダンス。曲はグルックのほうです。ピナ・バウシュ振付。Amazonでも配信してます。
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ピナ・バウシュの振付が好きなので貼った。観て。
ちなみに私はダンスと演劇を観る者で、振付家と演出家、または現代美術家がキャリアを積んでいくとオペラを手掛けるようになるという経緯で振付・演出を軸にオペラを見ているので、音楽方面に詳しいわけではないので音楽のことは音楽が詳しい方にお問い合わせください。
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jaguarmen99 · 1 year
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アベプラでこのニュースを扱うと、竹山は「いよいよこんな時代になっちゃったなって。落ちちゃいけないところに落ちるからお笑いになるんですよね。こんな風にたたかれてしまう時代になったから、もうこういうこともできないってことでしょうね。ある意味、ロケに行って水があって、そこに例え動物がいようと落ちるていうのは、日本のお笑いの古典芸能みたいなものだったから。こういうふうになるのは時代だなって思う」と本音を語った。続けて、「実際ペンギンにとっては迷惑。いいとは決して言わない」としながらも、バラエティー番組に携わる立場としては「諦めしかない。時代がそうなったら、これからはやれない。ただそれだけ」と残念がった。「テレビ局が園に対して謝りなさいって、それで終いの話。周りで、ネットで、いろいろ言い出すのは気持ち悪くねーか」と指摘した。
カンニング竹山、「スッキリ」ペンギン池落下騒動で「いよいよこんな時代になっちゃったなって」 - ライブドアニュース
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ryotarox · 2 years
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近代美術と現代美術 - Wikipedia
芸術史的特徴を見ると、「近世美術」と「近代美術」の一部は教会や王侯貴族が美術の担い手だった時代の美術、「現代美術」は富裕層が美術の担い手になっている時代の美術という傾向も見出せる。 近代美術の定義 近代美術の時代区分、範囲にはおおむね以下のものがある。 • ビザンツ帝国崩壊以後 • ジョット以後 • 18世紀のロココ以降 • 19世紀前半の、新古典主義・ロマン主義・写実主義以降 • 19世紀後半の、印象主義(印象派)・象徴主義・後期印象主義(後期印象派)以降 • 19世紀末の後期印象派以降 • 20世紀初頭のフォーヴィスム・ドイツ表現主義以降 • 20世紀初頭のキュビスム以降 • 日本に限っていえば、明治維新頃、または1910年代以降の美術 • 第二次世界大戦以前(1945年以前)の美術を近代美術とする考え方 • これ以外も定義可能 現代美術の定義 近代美術に対して、現代美術の時代区分、範囲には以下のものがある。 • 20世紀初頭のフォーヴィスム・ドイツ表現主義以降を現代美術とする考え方 • 20世紀初頭のキュビスム 以降を現代美術とする考え方 • 20世紀前半のシュルレアリスム・抽象絵画(抽象美術)以降を現代美術とする考え方 • 第二次世界大戦後(1945年以後)の美術を現代美術とする考え方 • これらとは別に、20世紀以降の美術全体を現代美術とする考え方 • これ以外 なお、5番目の考え方のような範囲の美術を示す場合には、誤解が生じないように「20世紀の美術」または「20世紀美術」と呼ぶこともある。
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wakamiho · 2 years
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今年のハロウィンは昨晩のエロチカヴァに置いてきました👿 浮き浮き空中生活ですが、陸上での独り芝居のお稽古もスタートしました! 23周年記念公演、贋作一条さゆり、みにきてねー! 11/3〜6at浅草リトルシアター 若林美保23周年記念公演 だらく舘第二十五回公演 独り芝居 芸人列伝第四伝 「贋作・一条さゆり」 ※予約受付中です http://blog.livedoor.jp/waka_miho/archives/56952694.html 【芸能人ブログ専門サイト】 ダイヤモンドブログ毎日更新しております。 日々の徒然、是非見てくださいませ。 若林美保|わかばやしみほ(女優) official ブログ http://www.diamondblog.jp/official/wakamiho/ 10/19祖師ヶ谷大蔵カフェムリウイ 纐纈雅代(サックス)×若林美保(舞)×桜井明弘(ギター、ボーカル) 開場19:00/開演19:30 詳細はこちらから https://note.com/muriwui/n/na0f6f1803af0 10/20赤坂Dominatrix 20:00〜25:00 ゲスト出勤します。 https://dominatrix-bar.com/sp/ 10/22,23足柄ビオトピアにて インドの祭典「CAMPLUGGEDvol.5」 10/23Bhari Snayu(keiko&ラウド&若林美保)でポールマラカンブショウやります。 https://www.biotopia.jp/mebyofes/ 【野毛うっふ】 エアリアルショー(19:00/20:00/21:00) 10/27w.エミ・エレオノーラ 11/9w. 蜂鳥あみ太=4号+pf佐藤真也+wb宮坂洋生 12/24WAサーカス(w.秋月穂乃果) 1/15w.黒色すみれ https://oeuf-yokohama.jimdofree.com/ 10/28生・淫スタ♡大奥の乱 〜生放送淫乱スタジオ 三代目葵マリー、伊織涼子、若林美保の3人でお届けする葵屋本店FC2生放送。 20:00〜 https://live.fc2.com/15217745/ [ストリップ劇場出演情報】 11/11〜20川崎ロック座 http://kawasaki-rockza.com/ 12/1〜5ニュー道後ミュージック http://www.dougo.com/ (Tokyo Japan) https://www.instagram.com/p/Cj4Vcjyp9g9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【新潟県謡曲古跡めぐり上越編】2日目2箇所目  2021/6/27-28
能「巴」
三丁字稲荷神社 《 上越市南城町 》 「巴御前」の墓として伝わる墓標がある上越市南城町4の三丁字稲荷神社で4月29日、春の例祭が開かれた。おそろいの法被を着た子ども、大人がみこしを担ぎ、町内を練り歩いた。  巴御前は平安時代末期、木曽義仲の側近として活躍した女性で、弓の名手として知られている。 上越タイムス社 2018.05.03
稲荷神社(東城)| 新潟県上越市東城町4丁目|JR北陸新幹線/妙高はねうまライン「高田」駅よりバスまたは徒歩20分くらい 上越市にある五社神社の北、高田城の東にある稲荷社境内にある宝篋印塔は巴御前の墓と伝えられる。木曽殿敗死後、尼になって高田に住み後生を弔ったと言う。笠の隅飾りの形は鎌倉期の様式で古そうだが基礎が華奢すぎるのが気になる。。。
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0shoyamane0 · 2 years
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死の技法とスケートボーディング・ミックステープ
スピードは死を連想させる、という考えはもはや古典である。というよりも、死にはスピードが必要であると仮定することが現代の気構えというものなのではないだろうか。
現代社会というものは基本的に加速度的に退廃するものであるし、私はそうあるべきとも思うが、その速度に抗おうとするものがいることも知っている。彼らは自動車を運転しない。オートバイに乗らない。そしてスケートボーディングをしない。
スケートボードに乗るときに必要な道具は何か。それはヘルメットでもプロテクターでも、スケートボード自体でもましてや身体でもない。必要なものはただ一つ、死ぬ為の技法である。
イッツ・ベリー・アン・アート・オブ・デス。
スケートボーディングのミックステープをご覧になったことがある人──見たことのない人よりも数は多い──は総じて日常生活の中から死に方を学んでいる。
人は特段、自分から望まなくても死に面している。胎内にいる時から絶えず動き続けている脈動が今日止まらないという保証はどこにもないし、大きな鳥が何かの手違いで亀の甲羅を落っことしてしまうことだって否定できない。大雨の日には雷に打たれる準備があるし、交差点ではよそ見運転をした車がこちらに目がけて進んでくることなど、起こらないことの方がよっぽど不思議なのである。
アスモンテスの『然るべき在り方』によれば「自ら死にもたれかかっているくらいがちょうど歩きやすい」と書いているし、モンテスキューの『エセー』には「哲学することは死に方を学ぶこと」という章もある。まるきり死を生活と切り離して過ごしている方がおっかないと思うのは私だけではないだろう。
スケートボードは言うなれば木の板に車輪がくっついた、素朴な遊び道具であり、一見するとイタイケである。しかしながら、我々は洗面器を満たすだけの水で窒息死できることを思い起こしてほしい。車輪のついた板が洗面器より鋭い致死性を持っていることなど容易に想像がつくだろう。人はおもちゃで遊ぶこともできるし死ぬこともできる。
スケートボーディングにおけるミックステープを見れば難易度の高いトリックを成功させた際のその難易度を強調する演出技法として、複数回の失敗テイクが挿入されていることに気付くだろう。これはある種のスーサイド・ポルノ(自殺に関する誘発刺激)とも言える。ライブ・リークが存在しない今、人は過激な映像を求めてスケートボーディング・ミックステープを見漁るようになった。
フェイル・ヴィデオ(失敗映像)の堆積はやがて芸術性を拡大させ、既存の芸術と結びついた。その傍点としてスケートボーディング・ミックステープは、在る。これによって人は擬似的に死ぬことが可能になった。それは性的情動をポルノグラフィを鑑賞することによって代替することに幾分か合致する。言い換えれば、人はもう死に方を学ぶために哲学しなくて良くなった! 必要なことはただ一つ、スケートボーディング・ミックステープを見ればいい──。
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r-m-glim · 2 years
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\POP UP!/アートスイッチ・東川アートフェスティバル
HIGASHIKAWA ART FESTIVAL アートスイッチ ー芸術が集う祭典ー 2022年9月11日(日) OPEN 11:00 CLOSE 19:00 入場無料 会場 せんとぴゅあ 新しいスタイルのアートイベント アートと向き合い、 創造と可能性を高める試み 水と空気がおいしい東川町 会場は町のシンボル"せんとぴゅあ"で アートのお祭りを開催 アーティスト usagininngen(ウサギニンゲン) @usaginingen Boojil(ブージル) @boojil Shhhhh @shhhhh_kaneko jealousguy KAZUYA PEE @upemuzika 特別出展 澤田 賛恵 @sae.film 澤田 希望(サムエル・リー) @samuellee.north サニー早苗 @sunny_cooking 出店 -東川町- UPE/UPE MUZIKA(雑貨・カスタムジュエリー ) @upe_higashikawa Pavan-ti(雑貨・アクセサリー) @pavanti_higashikawa Kolonihave baskets(根曲り竹籠) @kolonihave_baskets Pagewood(古書販売) @pagewood44 自由咖哩(ジャークチキン) @guanchai00 liko(カキ氷・ドリンク・焼き菓子) @liko_higashiawa @kurashinotane.0331 OGU ATKARIBA by TOSHIMAYA(ベリードリンク) @ogu_atkariba シモオオゾノミホ(プラバンアクセサリー) @mihoshimoozono tekago(焼き菓子) @te_ka_go ちゃみせ(玄米おむすび) @chamise_higashikawa -旭川- あさひかわ編集室BAITEN(雑貨・古物) @editasahikawa r.m.glim(コスチュームジュエリー) @rmglim 小さなタイ食堂 トコ(タイ料理・タイ雑貨) @toco_159 Benchtime Bread Studio(カレーパン) @benchtime_c Cafe HOPE(ガーリックシュリンプ) @cafehopeasahikawa Faire tele world(アクセサリー) @kiyoe9.9 -江丹別- MENDORIn.(そば粉のガレット・珈琲) @mendorin525 -余市- 骨董遊具貸喫茶yaoyoroZ(骨董・遊具) @amaterasu_yoichi -帯広- ELEPHANT IN THE ROOM(antiques & collectibles) @elephant_in_the_room 創り舎(白樺・くるみ・ヤナギ細工) @tukurisya -札幌- Shanti books(旅古書) @shanti_books 溜美香(ZIN・ペーパーグッズ) @tamarimika ocho(junk&forkART) @ocho.jp -ニセコ- Pyram Organics & Plants(ナッツ&ドライフルーツ量り売り) @pyram_organics
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myonbl · 1 year
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しんじ落語会@古々粋亭
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近鉄奈良駅近くの<落語喫茶・古々粋亭>、いろんな番組を企画されていますが、今日は露の新治さんの会があるということで朝から出かけてきました。第1部は<露の新治ひとり会>、第2部は<桂文福・露の新治二人会>、後の都合があるので第1部だけ、それでもたっぷり3席を堪能しました。落友のNさんとも久しぶりにお会いしてあれやこれやと情報交換、多忙でしたが稔り多い1週間を締めくくることができました。
今回は、3席全てネタ出しでした。
仏馬(36分)
東京では柳家喬太郎師が掘り起こした噺としてよく知られていますが、上方では亡くなられた露の慎悟師が演じられ、それを新治さんが受け継がれたと聞いています。同席したNさんに外国の民話に元ネタがあるとご教示いただき、ググってみると<古典落語『仏馬』について>というページがありました。冬休みにでも、少し時間をかけて調べてみようと思います。
それはともかく、破戒僧の弁長が仏罰で馬の姿になったという設定は落語ならでは。生臭坊主のせがれとして生を受けた私(!)には、彼が可愛くさえ思われます。想像の芸である落語の特長を最大限活かした噺の一つとして、近頃お気に入りのネタであります。
崇禅寺馬場(27分)
冒頭、この地名の説明として<崇禅寺馬場の仇討>という実際の事件があったことを説明されました。大阪市立図書館の<大阪に関するよくある質問>の一つとして詳細な説明がありますので、興味をお持ちの方はリンク先をご覧下さい。
本編の入りは<つる>と同じ展開、ひっくり返って足が<5本>、次には<2本>、後半については私は初めて聴いて大笑い。もちろん、ここには書きません(笑)。東京では<鈴ヶ森>として演じられますが舞台は刑場、そちらの方が旅人の恐怖感を煽るにはより相応しい場所かも知れません。新治さんご自身は、子どもの頃に大友柳太朗主演の映画をご覧になったとか。当時は仇討ちの場所として人口に膾炙したことでしょうから、このサゲもピッタリですね。
夢の二分金(36分)
これから暮れにかけて必ず演じられる「芝浜」、但しこれは地名故に上方では意味をなしませんからこのような外題になるのですね。個人的には以前に一度聴いてはいるのですが、新治さんの演出の特徴などは覚えていません。今回新鮮だったのは、腕の良い魚屋・勝五郎がなぜ酒浸りとなるのか、その間の事情が冒頭に説明されていて納得できました。女将さんの表現も控えめで、必死に勝五郎を(騙しながら)励ます健気さと、自分のアホさを正直に受けとめて改心し働く勝五郎、いい夫婦だなとしみじみ感じさせられました。
季節も趣向も異なる3席、師匠にはお疲れだったでしょうが、胸いっぱいの満足感をいただいて帰路につきました。
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from.) なおこさん
ベーコン
Francis Bacon
生没年:1561-1626
絶対主義時代イギリスの政治家,哲学者。エリザベス朝の国璽尚書ニコラス・ベーコンの八男としてロンドンに生まれた。12歳でケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学,3年後退学してグレー法曹院に入り,1576年駐仏大使に従ってフランスに渡った。3年後父の死のため帰国,84年下院議員となった。この後国会ごとに下院議員として活躍したが,念願の官職に就くことがなかなかできず,ジェームズ1世のもとで初めて法務次官となった。以後は法務長官,枢密顧問官,国璽尚書を歴任,1618年には大法官,男爵,21年には子爵となった。同年失脚,その後復帰を認められたが隠退して著述と研究に専念,26年ハイゲートに向かう途中に病気となり,4月9日没した。
 彼は政治家,法律家,歴史家としては,一貫してイギリス絶対主義の確立のために活躍したが,他方,思想,哲学,科学においては古代や中世を乗り越える学問・思想の〈大革新〉を企てた。すなわち,中世的思想に対し古典古代の学芸を復活するだけでは不十分であることを見てとり,これまでのあらゆる学問に批判的検討を加えて,未開拓の新研究分野を明らかにした。彼の〈大革新〉のかなめは〈人間の生活を新しい発見と資財によって豊かにすること〉が学問の目標であるとすることである。したがって学問のための学問や名声を得るための学問を批判する。そのような新しい学問は,個人的天才によってではなく人類の共同作業であると彼は考えた。そこで提案された方法は,独断論(合理論)と経験論をともに批判し,帰納と演繹の二つの道を総合する方法であった。したがってベーコンの立場はアリストテレス主義でもプラトン主義でもない,経験論と合理論を総合した新しい学問の立場であった。彼はこの方法に従ってみずから自然研究に従い,大著《大革新》に集大成しようとした。しかし実際に書かれ刊行されたのはその一部で,未来の人々が完成してくれることを期待していた。《大革新》の第1部をなすのは《学問の尊厳と進歩》で,すでに1605年に《学問の前進》と題して英語で刊行された書物の増補ラテン語版である。これは独自の基準によって学問分類を行い,当時の学問を概観すると同時に,あるべき学問についても示したものである。すなわち学問を人間の持つ三つの知的能力,記憶・想像・理性に対応させて大きく歴史・詩・哲学に区分し,それぞれをまた細区分するしかたであった。その中で,技術史や機械学などその後に発展した学問を提案している。また情報伝達の技術についても1巻を捧げている。《大革新》の第2部は自然研究の方法論で《ノウム・オルガヌム》と題されている。第3部は《宇宙の諸現象》の自然誌で,ベーコンは個人で完成しえないものと考えていたが,結局国家の援助が得られず膨大な原稿が残された。一部分は生前に出版されたが,ここでも自然誌だけでなく多くの技術誌を提案しかつ書き残している。ベーコンは死ぬまでこの努力を続け,死の翌年《森の森》と題して出版された。第4部の《知性の梯子--別名,迷宮の糸》は序論の原稿だけが残っている。第5部と第6部の《第二哲学》の部分も短い序文しか残っていない。他の著作としては,もっとも早く出版され広く読まれてきた《随筆集》(1597),久しく忘れられていたが近年重要視されつつある《古人の知恵》(1609),大著《ヘンリー7世治世史》(1622),遺稿となった理想郷物語《ニュー・アトランティス》(1627)がある。
 ベーコンを前提としてデカルトによる近代哲学の確立があり,またベーコン的な態度はローヤル・ソサエティやフランスの百科全書派(アンシクロペディスト)に受け継がれた。日本では明治以来《随筆���》で知られてきたが,最近はその〈人類のための科学〉という思想があらためて注目されてきている。
執筆者:坂本 賢三
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