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#記憶
nora-yoko · 5 months
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luckymentalityflower · 2 months
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2月
少しずつ光は差すはず
前をみて前進!
とは、なかなかいかず💦
後に下がって、前に進んで、ぼちぼちで
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moji2 · 9 months
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「幼少期」
記憶が確かなら、僕は幼い頃、宇宙人に連れされて、気がついたら小学2年生だったんだよね。ほんと、わけわかんないけど、そんな記憶が、残っている。そんなわけはないんだけどね。
綺麗な朝焼けでした。
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crystal-linity · 4 months
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mémoire…
distant memories…
遠い
記憶。。
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key-cat · 1 year
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人生って、繰り返し見る度に変化していく映像のようなものだ。そうだろう?
Isn’t life a series of images that change as they repeat themselves?
Andy Warhol アンディ・ウォーホル
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tsumakoushika · 2 months
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生きる
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ここにある記憶は、いつかは消滅してしまう
ここに存在した事実は、確かだから 強く生きなきゃ
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szkyyk · 1 year
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あの子を思い出す。
その行為は、彼女の身体ではなく、魂を呼び覚ますそんな行為だと思う。
 2020年の暮れにそんなことは起きて、突然いなくなった存在に私は色んな都合のいい想像を膨らませ、自分を納得させていた。
体がなくなっただけ、死んでないとか。ただ、彼女は死んでないとか。
でもやはり忘れたら死ぬ、と思う。
この世の中に生き続けている人が、その事を忘れてしまったら死ぬと思う。
だから私は友達同士を繋げる、そして出会いを楽しんでいる。
その数だけ、それがきた時その人の為にならないかと、思う。
そう思ってみたら、自分の今の生き方が間違っていないと、納得できるような気がする。
顔見知りでも、名前だけでも、何かが思い出せなくてもいいから、彼女、彼の何かを思い出せればそれでいいと。
私のこの生き方はただのキューピットだの、仲介人だので終わらせない面白い生き方をしてるかもしれない。
これはすべて彼女から習ったこと。
ありがとう。
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brabham8modena · 2 years
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clouds and ghost
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bearbench · 1 year
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wada-yurie · 2 years
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👻 . . . 個展『ふり返えるといるよ』 ギャラリーyururi 東京都目黒区緑が丘2-7-14 会期:9月23日〜9月25日 時間:12時〜19時(最終日18時まで) . #ふり返るといるよ #WADAYURIE #イラスト #illustration #illustrator #art #design #おばけ #👻 #思い出 #ノスタルジック #イラストグラム #ゆるいイラスト #cute #memories #today #nostalgic #illustgram #記憶 #ghost #思い出 #lookback #drawing #アクリル絵の具 https://www.instagram.com/p/CijFPtHpSaO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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anuyamay · 2 years
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220705
仕事で香川県へ。朝から新幹線に乗り、岡山駅でマリンライナーに乗り換え、高松に到着する。朝から台風が迫っているといういやな情報を小耳に挟みつつ、現地の天気予報を見ては大丈夫だと頷き西へ西へ。
マリンライナーの道中は、瀬戸大橋を渡るので少しのあいだ海上移動がたのしめる。私は、これを楽しみにしていた。海に浪漫を感じざるを得ない、いつからか。岡山駅を出発し、本土を離れるときは、ほんの少しだけ不安な気持ちになる。海の上という心許ない場所に、放り出されている寂しさを感じるのかもしれない。でも、しばらくすると、ぽこぽこと現れる小さな島々の形に釘付けになる。改めて、島とは不思議なものだなぁ。海の上に隆起した土がこんもり盛られているよう。子どもたちが砂場で山を作るかの如く、きれいに形作られている。こんなものが、自然的にできるとは、はて?と、大地に思いを馳せている間も無く四国にたどり着く。
島々の形だけでなく、わたしは、せとうちの海がだいすきだ。穏やかで、光をたくさん含んでいて、軽やかで、悲しいことやつらいことを全て吸収してくれるような海。なにかにつけてここに帰ってきたくなる。故郷でもないのに「おかえりなさい」が聞こえるかのような不思議な場所。
なんども訪れたせとうちだけど、今日海から島々を眺めて、強く「うつくしい」と感じた。誰にも奪われてはいけないと思った。ただの移動なのに、すごく大きく感情が揺らいで、それだけで、今日はよかったと思えた。
せめてもの旅みやげに、きびだんご。
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五味太郎のこのパッケージ、頬が勝手ににやける。
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luckymentalityflower · 2 months
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1月
夫婦というのは不思議なもので、
あんなに喧嘩をしていたのに、どちらかがかけると儚いものなんだなと母をみて感じる日々
母さんがんばれ
父さんが見れなかった新しい日々を過ごしてね
わたしもがんばらないと
頑張れ自分
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key-cat · 2 years
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知らざるを知らずとなす これ知るなり
Confess your ignorance, and you will escape ignorance.
Confucius 孔子
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hajime-hayakawa · 11 days
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ダムの記憶
初夏の日差しとダムの記憶がいつまでもキラリ輝いている
あのまぶしさがダムの記憶を呼び起こす
戻れないあの日に続くただ一つの道
水底から見上げる日のまぶしさなのかもしれないね
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benimadonna · 1 month
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東京で、一人暮らしの母83歳。毎月様子伺いに、わたしは上京する。
毎月上京する機会を作ることになったのは、母がコロナになったからだ。
2022年、1月6日。新年の挨拶に実家へ。いつもは玄関を開けたら犬のように飛んでくるのに、なかなか待っても来ない。家にあがると、リビングのソファでぐったり座っていた。
やばい。やばいやばいやばーい!私の直感は当たる。翌日は用事があったので、2日後に検査に引っ張ってでも連れて行くと、やはりコロナ陽性だ。
しかしなんで歳をとると母親ってのは病院にいきたがらないんだろう?年金暮らし、病気にかかったら金がない→行きたくない、と考えてしまうのか。そんな考えにする日本の国ってなんなんや
部下の母親も心配をかけたくない、金がない、という理由で乳から膿が出ようが病院にいかず、乳がんのステージがあがり、亡くなってしまったと聞いた。まったくやりきれない。貧困は死だ。
母親はすぐ我慢する。でも我慢したら迷惑がさらにかかるということがわからないのか?早めのパブロン、それは正解だ。
コロナになっても、区役所と電話連絡のやり取りだけ。症状が悪いとやる気のないナイトドクターが3人も来て、適当に様子をきくだけだった。母はもともと体温が低いし酸素濃度は標準だから区役所は聞く限りだけで症状は回復だと説得する。しかし、目の前にいる母は、1週間経っても具合は悪くなるいっぽう、立ち上がれず吐きまくる、食べれなくなった。わたしも京都に帰れない。会社に行けない。ほかに3人姉妹がいるが、夜のズームでは喧嘩ばかり。ほとほと疲れた。
ついに区役所のサポートが終わる最終日に泣いて頼んだ。あんなに懇願したことはない。私が目の前でみてる母は今にも死にそうだったからだ。心も折れそうで寝ずに看病して倒れそうだった。1人で孤独に闘っていたのもしんどかった。
そしたら区役所のSさんが理解を示してくれた。緊急車両を手配してくれた。ここで自分をほめたいのは、病院の手配を頼んだ点だ。区役所から提示されたのは病院かケア施設(ホテル療養含む)。ケア施設なら看護師的な人が決まった時間に体温はかりなさい、弁当食べなさいってくるくらいだと言われた。そこを選んでたらきっと母は間違いなく死んでた。運命の分かれ道だった。
母は新宿の大久保病院へ運ばれた。これがよかった。母は電解質異常でナトリウムが標準以下。腎臓が悪くなっていたし、すでにせん妄状況、死んでおかしくない状況だと、検査で判明した。重体だったのだ。しかし運良く大久保病院には腎臓のスペシャリストがいた。それが一命を取り留めた。
母がせん妄になるのはそばにいてみてて怖かった。でも娘の前だからと頑張っていたんだろう。看病してたから当然私もコロナがうつった。ここでさらに帰れなくなるのだった。
お見舞いにもいけず集中治療室にいた母が心配だったが、せん妄だからLINEも電話もメールもやり方を忘れたらしい。私のこともどこまで覚えてるのか、それを考えると怖かった。このまま会えずに死んだらどうしよう。心臓が潰れそうになった。自分を保つためにしたこと。それは、とにかく毎日掃除してた。延命措置をするか聞かれるくらい悪かっが、私は母が戻ると信じてひたすら大掃除をした。布団も干したし冷蔵庫のなかの賞味期限切れの瓶を廃棄し、リビングの汚い机はリメイクシートを貼ってきれいにし、戻ってきても気持ちよく過ごせるよう整えた。自分も気持ちが整理できて、すっきりした。
ある日病院の看護師から、母が私に伝えたいことがあるというから、代理で電話をかけたと連絡してきた。せん妄の母が電話?びっくりしたが、そういえば母のスマホケースに、「思い出したら私に電話して声を聴かせてほしい」と番号付きのメモを挟んでいたのだ。看護師が母に電話をかわると私に「ドキドキ5人家族の録画を頼む」と言って、切られてしまった。唖然とした。せん妄でも韓国ドラマを忘れない母。ぱねぇー!
瀕死の状況から見事生還、母の意識も戻った。
母が生き返って本当に良かった。
一割負担でよかった。
人生はまさかの坂がある。身に染みてわかった。
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