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#考古学遺跡
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Sean bienvenidos a un nueva entrega un tanto especial, ya que tengo el gusto de presentaros Ishibutai, localizado en la prefectura de Nara data del periodo Asuka(592-710). - En un principio se barajaron hipótesis de que podría haber sido utilizado para espectáculos, en la década de los 30, Ishibutai es un kofun y os estaréis preguntando ¿no se supone que tenían ojo de cerradura? - Los podian a ver de muchos tipos se empiezan a construir en el año 300 al 592 d.c pero eso será otro capítulo de la arqueología y prehistoria japonesa. La tumba pudo pertenecer a Soga no Umako un político y ocupa una extensión de 54 m es la mayor estructura megalítica conocida en Japón. - ¿Hasta cuando estuvo utilizada? la edad de uso os dejará helados se construyó en el siglo VI y estuvo hasta el siglo VII para ser más exactos en este segundo dato en el 626 d.c. - En 1957 fue nombrado patrimonio nacional por la Unesco, ¿Cuánto pesa esta mole? un total de 30 rocas que le suman un peso aproximadamente de 2300 toneladas y las piedras del techo suman una friolera de 77 toneladas aproximadamente. - Espero que os haya gustado y nos vemos en una nueva publicación de arqueología y prehistoria arqueología japonesa. - Welcome to a new, somewhat special installment, as I have the pleasure of introducing you to Ishibutai, located in the Nara prefecture, dating from the Asuka period (592-710). - At first, hypotheses were considered that it could have been used for shows, in the 1930s, Ishibutai is a kofun and you may be wondering, aren't they supposed to have a keyhole? - You could see them of many types, they began to be built in the year 300 to 592 AD but that will be another chapter of Japanese archeology and prehistory. The tomb could have belonged to Soga no Umako, a politician, and occupies an area of 54 m, it is the largest megalithic structure known in Japan. - Until when was it used? The age of use will leave you frozen. It was built in the 6th century and was there until the 7th century to be more exact in this second data in 626 AD. - In 1957 it was named a national heritage site by UNESCO. How much does this mass weigh? a total of 30 rocks that add up to a weight of approximately 2,300 tons and the stones of the roof add up to a whopping 77 tons approximately. - I hope you liked it and see you in a new publication of archeology and prehistory Japanese archaeology. - 新しい、ちょっと特別な回へようこそ。今回は、飛鳥時代 (592 ~ 710 年) に遡る、奈良県にある石舞台についてご紹介したいと思います。 - 当初は、1930 年代にショーに使用されたのではないかという仮説が考えられていました。 石舞台は古墳ですが、鍵穴があるはずではないかと疑問に思うかもしれません。 - さまざまなタイプのそれらを見ることができ、それらは西暦 300 年から 592 年に建てられ始めましたが、それは日本の考古学と先史学の別の章となるでしょう。 この墓は政治家蘇我馬子の墓と考えられ、面積は54メートルあり、知られている巨石建造物としては日本最大である。 - いつ頃まで使われていましたか? この 2 番目のデータは西暦 626 年で、6 世紀に建てられ、より正確には 7 世紀まで存在していました。 - 1957 年にユネスコによって国家遺産に指定されましたが、この塊の重さはどれくらいでしょうか? 30 個の石を合計すると約 2,300 トン、屋根の石を合計すると約 77 トンにもなります。 - 気に入っていただければ幸いです。考古学と先史時代の日本の考古学の新しい出版物でお会いしましょう。
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catdoll007 · 1 year
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本物の人間の骨(全身)
丸ごと残ってる🦴☠️
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takahashicleaning · 1 year
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TEDにて
サラ・パーカック:ペルーの失われた文明を人工衛星、人工知能で探す
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
世界には、数知れない失われた古代遺跡があり、土に埋もれて隠されています。衛星考古学者のサラ・パーカックはそれを盗掘者よりも先に発見しようと心に決めています。
TED Prize 2016によりパーカックが構築しているのは、GlobalXplorerという市民科学のオンラインツールで、たくさんのボランティア探検家たちが世界中の隠れた遺産を発見し保護できるようにする訓練ツールです。
このトークでは、パーカックが第一の調査地のペルーを垣間見せてくれます。マチュピチュ、ナスカの地上絵をはじめとする考古学上の奇跡の地が、発見されるのを待っています。
このプロジェクトがすごいのは、ナショナルジオグラフックによる出資のはしりであり、1912年にナショジオ誌の表紙を飾ったことです。この教授は、最先端の撮影機器を使ってこの遺跡を撮影し、それ以降の探検をすっかり様変わりさせました。
その遺跡とはマチュピチュで、発見し調査したのはハイラム・ビンガム教授です。彼はこの遺跡を見てこう言いました「これはあり得ない夢だ。これはいったい何なのか?」と。
そして、今日100年の時を経て、みなさんを途方もない旅へと誘います。
私たちが、やろうとしているのは、まさに先端技術を使って、1つの国全体を調査することです。
これは、ハイラム・ビンガム教授が、始めた夢ですが、私たちは舞台を全世界へと広げ、考古学調査をもっとオープンで包括的にし、以前には不可能だった規模で行うつもりです。
私たちは、ハイラム・ビンガム教授の夢を受け継ぎ、みんなで共有することのできる素晴らしい未来に変えようとしています。
ペルーには、マチュピチュだけでなく、こちらでご覧のような息を呑むような宝飾品があります。人の形をしたユニークなモチェの陶器があります。ナスカの地上絵や素晴らしい織物があります。TED Prizeのプラットフォームの一環として、私たちは、素晴らしい組織と提携することになっています。
まず、DigitalGlobe(デジタルグローブ社)という商用の高精細衛星画像を提供する最大の企業です。
素晴らしいクラウドソーシングのプラットフォームを持っていて、我々の構築を支援してくれます。それを使って行われたのが、墜落したマレーシア航空370便の捜索でした。もちろん、彼らは、衛星画像の提供も行ってくれます。
ナショナルジオグラフィックは、教育と調査の支援をしてくれます。また、我々のプラットフォームにコンテンツの提供もしてくれます。
冒頭でご覧頂いたような画像のアーカイブやドキュメンタリー映像などです。このプラットフォームの構築と計画は既に始まっていてもう興奮するばかりです。
ここからがいいところです。チェイス・チャイルズ率いる我々のチームは、既に、衛星画像の幾つかを精査し始めています。ご覧いただいているのは、解像度30cmのデータです。これは、ペルー北部にあるチャンチャン遺跡で紀元850年まで遡ります。本当に素晴らしい都市です。ズームインしましょう。
こんな種類と解析度のデータを誰もが見られるようになるんです。構造物や建物の1つ1つを見ることができます。以前には、知られていなかった遺跡が既に発見されています。今の時点で、既に言えるのは、プラットフォームの一員として、皆さんは数え切れないほどの未知の遺跡の発見に貢献できるということ。
この遺跡やこのもっと大きそうな遺跡のような残念なことに、大規模な盗掘の跡も見つかり始めています。これのような非常に多くのペルーの遺跡が脅威にさらされています。
しかし、このプラットフォームの素晴らしい点は、データが全て第一線で研究をする考古学者に共有され、遺跡の保護につながることです。
つい最近、私は、ペルーへ行きペルーの文化大臣やユネスコの人たちに会ってきました。私たちは、彼らと密に協力する予定です。申し上げておきますが、ウェブサイトは英語とスペイン語、両方で表示されます。そうすることが、ペルーを始めとするラテンアメリカの人たちが確実に参加できるために不可欠だからです。
私たちの中心プロジェクトの共同主任調査員が、こちらの人物ルイス・ハイメ・カスティーヨ博士、ペルーのカトリカ大学の教授です。尊敬されているペルーの考古学者として、元副大臣として、彼は、私たちが考古学者同士で協力やデータ共有する橋渡しをし、現場での考古学調査を可能にしてくれるでしょう。
博士は、この素晴らしいドローン地図作成プロジェクトも運営していて、その画像が後ろに出ています。
これとか、これとか、このデータはプラットフォームに組み込まれて、みなさんが新たに発見する遺跡の幾つかを博士が撮影することになっています。
調査現場で、私たちのパートナーとなり、教育、地域支援、遺跡保存といった面で助けてくれることになっているのが「持続可能な保全イニシアチブ(SPI)」で、ラリー・コーベン博士率いる組織です。お気づきでないかもしれませんが、世界の最貧困地域の幾つかは、世界で最も有名な遺跡と隣り合わせています。
SPIが行っているのは、こういった地域のとくに女性に対し、新たな商業手法や実務教育を通じて助成をすることです。SPIは女性に、美しい手工芸品を作る方法を教えて観光客に売れるようにしています。そうすることで女性たちは、自分たちの文化的遺産を大切にし所有できるようになります。
私は、そういった女性24人とひとときを過ごす機会に恵まれました。リマ郊外にある有名なパチャカマック遺跡でのことです。
ペルーは手始めにすぎません。私たちはこのプラットフォームを世界に広げる予定ですが、私のもとには、既に何千通ものメールが、世界中の学者、教育者、学生 そして、他の考古学���から届いていて、みなさん参加協力に意欲的です。実際、既に発見を助けるべく、素晴らしい候補地の提案をしています。
アトランティスもその1つです。
アトランティスを探すかどうかはわかりませんが、先のことなんてわかりません。
プラットフォームの公開が楽しみで仕方がありません。申し上げておきますが、私のチームの過去何週間かの発見が何らかの目安となるなら、世界が発見するものは想像を絶するものになるでしょう。
人工知能の活用も基本的人権に配慮しています。
素晴らしい。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
他のいくつかある民間衛星法人のひとつに、Maxar Technologies(旧DigitalGlobe)衛星も民間の衛星です。アメリカのコロラド州ウェストミンスターに本社があります。
ナショナルジオグラフィックの他に、通信、地球観測、レーダー、軌道上サービス衛星の製造、衛星製品、関連サービスを専門とする宇宙技術法人になります。
Maxar(マクサー)は、人工衛星や地理空間データなどの宇宙技術ソリューションを提供する宇宙業界のリーディングカンパニー。
アメリカ政府の超高解像度画像の中心的サプライヤーとしての地位を確立しており、宇宙船を製造、打ち上げ、ゲーム、3D地理空間画像、プログラムのソフトウェア開発、データサイエンス、エンジニアリング、分析、アーキテクチャサービスなど幅広い分野を後方支援します。
火星に向けて設置される予定のすべてのロボットアームを製造し、NASAと契約して、人類を火星に帰還させるためのプログラムであるアルテミス計画の動力・推進装置を製造しています。
ロイターやCNNが、衛星画像として採用し、2022年のロシアのウクライナ侵攻によって生じた戦争犯罪のファクトチェックにも活用されています。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明���
立法と行政の関係において���、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。科学者やエンジニアに特化したのは、サイエンスプロトコルとここでは定義します。
基本的人権がないと科学者やエンジニアはどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
<おすすめサイト>
サラ・パーカック:宇宙から見た考古学
ニザール・イブラヒム:スピノサウルスを発掘するまで
ジュヌヴィエーヴ・フォン・ペツィンガー:ヨーロッパ中の洞穴に描かれた32個のシンボルの謎
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
ケネス・ラコバラ:恐竜の化石探しを通して知った、宇宙における人類
<提供>
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upto24 · 2 years
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シリアのテル・ブラク遺跡の眼の神殿が建てられた紀元前三千年中頃に麦や羊での物々交換があった
Twitterで見付けたメトロポリタン美術館に所蔵される眼の偶像が非常に印象深くて引用ツイートしたけれどもブログでも取り上げるに至った。
調べてみると貨幣の起源と結び付いているのがさらに面白かったし、偶々ながら貨幣の成り立ちまでちょっと覚えてしまったのが嬉しかった。
現在の貨幣の原型のエレクトロン貨の前に銀の秤での等量交換があってもう一つ前にシリアのテル・ブラク遺跡の眼の神殿が建てられた紀元前三千年中頃に麦や羊での物々交換があったんだ。
眼の偶像を一つだけ見て母親が子供を抱いているような感じがして微笑ましいと思った。しかし他にも色んなタイプが作られていて人間の目のような部分が付いているのはどれも同じだけれども想像力を刺激する素晴らしい芸術性を持っている。
古代人の自己表現というとブログではもっとずっと遡ってラスコーの壁画(約一万五千年前のクロマニョン人が描いた)を取り上げたりもしたけど、とにかく考えるよりも感じるままに行っているという印象を与えるからそれ自体が学問よりも芸術に余程と寄り添うはずだし、僕にとっては創作活動に励んでばかりいるから目が離せなくなってしまうんだ。
人々の生き方が真っ直ぐそのものなのが純心だから感動を誘う
自己表現から分かるけれどもシリアのテル・ブラク遺跡の眼の偶像は虚飾を排したデザインで本音を余す所なく示しているような仕上がりが素晴らしく格好良い。
現代の情報化社会で大量の情報という観念の洪水に溺れるように自分を見失いがちな状態に追い込まれるのとは対極的なので、古代人の自己表現は芸術家として常に見習うべきだと考えるし、さらに予想だにしない遥か彼方の世界が好奇心を掻き立てられながら引き付けられて止まない。
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yoga-onion · 1 year
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Legends and myths about trees
Forest spirits and natives (3)
Menehune - Legendary dwarves who live in the deep forests of Hawaii
Menehune are a mythological race of dwarf people in tradition who are said to live in the deep forests and hidden valleys of the Hawaiian Islands, hidden and far away from human settlements.
The Menehune are described as superb craftspeople. They built temples (heiau), fishponds, roads, canoes, and houses. Some of these structures that Hawaiian folklore attributed to the Menehune still exist. They are said to have lived in Hawaii before settlers arrived from Polynesia many centuries ago. Their favorite food is the maiʻa (banana), and they also like fish. Legend has it that the Menehune appear only during the night hours to build masterpieces. But if they fail to complete their work in the length of the night, they’ll leave it unoccupied. No one but their children and humans connected to them can see the Menehune.
While archaeologists have never found remains of a distinctively small race of ancient people in Hawaii, many think the Menehune legend may well have a basis in fact. In 2003, a species of dwarf human was discovered on the Indonesian island of Flores. Homo floresiensis was only about 1 meter in height and fully bipedal. The skull has human-like teeth with a receding forehead and no chin.
Fossils have been discovered from 38,000 to 18,000 years ago, though archeological evidence suggests it lived on Flores between at least 95,000 and 13,000 years ago. It used stone tools and fire, and hunted pygmy elephants, Komodo dragons, and the giant rats found on Flores. Its discoverers believe that h. floresiensis is a dwarf form of Homo erectus. It is not uncommon for dwarf forms of large mammals to evolve on islands. Modern humans arrived on Flores between 55,000 and 35,000 years ago, and presumably interacted with h. floresiensis (Refrence: “The Three Menehune of Ainahou (Maui)” by Charles Kauluwehi Maxwell Sr).
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木にまつわる伝説・神話
森の精霊たちと原住民 (3)
メネフネ 〜 ハワイの深い森に住む伝説の小人族
メネフネとは、ハワイに伝わる神話上の小人族で、ハワイ諸島の深い森や隠れた谷に住み、人里から遠く離れたところに住んでいると言われている。
メネフネ族は、優れた職人で、神殿 (ハワイ語:ヘイアウ)、養魚池 (メネフネ養魚池)、道路、カヌー、家などを建設した。ハワイの民間伝承では、メネフネのものとされるこれらの建造物は、今でもいくつか残っている。彼らは、何世紀も前にポリネシアから入植者たちがやってくる以前からハワイに住んでいたと言われている。好物はバナナ (ハワイ語: マイア) で、魚も好物である。伝説によると、メネフネたちは夜の間だけ現れ、傑作を作り上げると言われている。しかし、夜の長さの中で作品を完成させることができなければ、その作品は無人のまま放置される。彼らの子供と彼らにつながることが出来る人間以外には、メネフネを見ることはできない。
ハワイでは、考古学者が小人類の遺跡を発見したことはないが、メネフネ伝説には根拠があると考える人は多い。2003年、インドネシアのフローレス島で、小人の一種が発見された。ホモ・フロレシエンシスは、身長が1メートルほどしかなく、完全な二足歩行であった。頭蓋骨には人間のような歯があり、額は後退し、顎はない。
3万8000年前から1万8000年前の化石が発見されているが、考古学的な証拠から、少なくとも9万5000年前から1万3000年前まではフローレス島に住んでいたと考えられている。石器や火を使い、ボルネオ象やコモドドラゴン、フローレス島に生息する巨大ネズミを狩っていた。発見者たちは、ホモ・エレクトスの小人型であると信じている。大型哺乳類の矮小型が島で進化するのは珍しいことではない。現生人類は、5万5千年前から3万5千年前の間にフローレス島に到着し、ホモ・エレクトスと交流があったと推定される (参考文献: チャールズ・クルウェヒ・マックスウェル・シニア著「アイナホウ(マウイ島)の3人のメネフネ」より)。
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Azran Legacy Guidebook: Page 89
Previous Page: Page 88 Next Page: Page 90
Bronev
CV: Masachika Ichimura
Targent’s Azran-obsessed boss. Willing to do whatever it takes to achieve his goals, with the great organizational power of Targent behind him, he continues to work in secret. His full name is Leon Bronev.
At the cave in Froenborg, he used his armed men to threaten and abduct Aurora. The power Targent holds can be seen at their base “The Nest” (lit. God Street)
Underneath his Sunglasses…
Bronev always wears sunglasses, and never relaxes his intense facial expression. Nobody has seen his true face. All of Targent’s members wear sunglasses
Actually an Archaeologist
His obsession with finding Azran ruins stems from him being an Archaeologist. The reason for his actions seems to come from his one-track inquisitive mind.
After abducting Aurora, he reveals himself to be an archaeologist. His room in The Nest is lined with objects that an archaeologist would take interest in (lit. objects that make one feel like an archaeologist).
Actions in the Prequel Trilogy
Bronev first appeared in “Miracle Mask”. Targent siezed the Nautilus Chamber found by Layton with their overwhelming numbers. At that time, Targent’s goals were unknown. However, there is some sort of connection between him and Descole, and he also seemed to know Layton, too.
The size and extent of Targent’s power was can be seen. He was searching for the Azran legacy
Japanese below cut
CV :市村正親
アスラント文明に執着しているタージェントのボス。目的のためには手段を選ばない強引さとタージェントの強大な組織力を持って暗躍を続ける。フルネ ー ムはプロネフ・ライネル。
スノーラの洞窟では、武力で強引にアーリアを連れ去った タージェントの本拠地「ゴッド街」でその力を見せつける
サングラスの下は・・・ いつもサングラスをかけ、厳しい表情を崩すことはないプロネフ。その素顔を見た者はいない。 タージェントのメンーは全員サングラスをかけている
実は考古学者 アスラント遺跡に執着を見せるのは、彼か考古学者だったから。その行動の理由はひとえに探究心からのものらしい。
アーリアを奪ったあと、自ら考古学者だと名乗った ゴッド街の彼の部屋には、考古学者を感じさせるものが並ぶ
セカンドシ ー ズンでの暗躍 プロネフが最初に姿を見せたのは「奇跡の仮面』。レイトンたちが発見したアスラント遺跡の無限回廊を、タージェントの圧倒的な武力で制圧している。その当時はタージェントの目的はわからなかった。ただ、デスコールとは何らかの因縁があり、レイトンのことも知っている様子だった。
タージェントの組織力の大きさを、いやというほど見せつけた アスラント文明の遺産(レガシそ)を探していた
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ari0921 · 1 month
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月19日(金曜日)
   通巻第8221号
 後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
  やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった
*************************
 皇統後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
 「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。
 皇統は神武以来の万世一系で男子が継承し、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の内親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。
 小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。
 もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派が狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。
  
 4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。
 「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
 自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。
 各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
 (2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。
そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
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(再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
 皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。 
 古代史最大の謎は応神天��と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
 新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
 「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
 新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
 将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
 そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
 ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
 ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
 白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
 皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
 第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
 その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
                 (『月刊日本』から再録です)
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kennak · 12 days
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滋賀県文化財保護協会は、近江八幡市の日野川の中で見つかった江頭南遺跡が、5世紀後半~6世紀前半の古墳時代の前方後円墳だったと発表した。川の中で古墳が見つかるのは全国的にも珍しく、同協会は「川や谷に埋没した遺跡の存在を物語り、古墳の築造工程を知る重要な資料」としている。(矢野彰)  江頭南遺跡は2019年、バードウォッチング中の住民が川の中の埴輪を見つけたのをきっかけに調査が行われ、円筒埴輪が6点、川の中州に一列に並んでいるのを発見。古墳の存在が明らかになった。  古墳時代の琵琶湖の水位は今より低く、陸地にあった古墳が川の流れで運ばれた土砂に埋もれていたが、近年の豪雨や河川改修の影響で再び現れたとみられる。県が行う日野川の河川改修工事に伴い、同協会が22、23年度に発掘調査していた。  今回は、前回埴輪が見つかった近くの土が盛り上がった場所など約450平方メートルを調査。土の中を調べると、整地した後に盛り土され、粘土を含んだ強固な構造となっていることがわかり、古墳の墳丘の一部と判断した。  また、19年に見つかった埴輪の南側に、一列に配置された13点の円筒形の埴輪が新たに見つかり、埴輪が「ハの字」に並んでいることが判明。埴輪は古墳の形に合わせて並べられることが多く、前方部の両側の埴輪列にあたると考えられることから、前方後円墳の前方部と推定したという。  後円部の大半や古墳の裾にあたる部分は川の流れで浸食され、古墳の正確な大きさは不明だが、少なくとも高さは1・5メートル以上に及んだとみられる。前方部の形や須恵器窯で焼かれた埴輪の特徴から築造年代を絞り込んだ。  京都橘大の中久保辰夫准教授(考古学)は「約1500年前に造られた前方後円墳が一部でも川の中から見つかるのは奇跡だ。当時の築造技術の高さを示している」と説明。「有力者がいる地域だと示すランドマークの役割もあったのではないか」と推測している。  調査地の立ち入りが危険なことから、現地説明会や一般公開は行われず、すでに古墳は埋め戻されている。
川の中で発見の前方後円墳、識者「奇跡だ」…ハの字に並ぶ埴輪も見つかる(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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1994mj700v2c · 2 years
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このような素晴らしい若者がまだ日本に居る。
国連スピーチされた事に心より感謝申し上げます。
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水田 安美さん 国連スピーチ全文(日本語版)
今日、私は日本の若者を代表してここへ来ました。
私が伝えたいのは、日本は素晴らしい国だから、自虐史観に終止符を打ちたいこと、そして皆さんと共に地球規模で幸せを実現するために、力を合わせていきたいということを伝えるために日本からやってきました。
今から日本の素晴らしさを皆さんに伝えます。
まずは、日本の国旗です。
 
このように一見、シンプルな白色の真ん中に赤い丸という国旗です。
この赤い丸は「太陽」だと言われており、日本の信仰の象徴でもあります。
それは、「太陽信仰」といって、天照大神という存在が国家の神として認められて、日本全体がそれを承認し、今の日本にある皇室制度が成り立っています。
それは「百二十五代」続いています。
その間、途切れずに続いており、系図もはっきり遺っています。
そしてその史実は、少なくとも二千年近い歴史があることは、ほぼ確実です。
「統一王朝として、二千数百年存在する」ということを考えると、これだけ連綿と続いた国家があるのは、すごいことです。
「世界史のなかの奇跡」と言っている人もいます。
私もそう思います。
もう一つは、日本の神話です。
古事記や日本書紀など日本人が古くから大切にしている伝統や書物があります。
そのなかに描かれている象徴的なものから「生き方」を学べます。
嘘をついてはいけない、勤勉に生きる、人に優しくするなどといったことが今では、お爺ちゃんやお婆ちゃんの口から二千年も語り継がれているのです。
なので、東日本大震災などの大きな災害があっても、お互い譲り合ってできるのです。
このように、日本には「統一王朝や日本の神話が二千数百年の長きに渡って現在まで大切にされてきたこと」ということは、本当に素晴らしいことで、これは「世界遺産に匹敵する」ことくらい、すごいことだと私は思います。
そして最後に、アジアの植民地解放、アジアやアフリカ諸国の独立に貢献したということです。
第二次世界大戦の敗戦後、天皇陛下の一言で日本人は一斉に武器を捨てました。
そして、その後も日本に帰らず、戦いの現地に残ってその国の独立のために武器の使い方を教え、共に戦った日本人が多くいます。
何故だと思いますか?
それは、他国を侵略したいと思ってないからです。
先ほども述べた日本人の考え方のなかに「困っている人がいたら助けたい」という、思いがあるからです。
それがよくわかる「インパール作戦」を例に挙げます。
日本ではインパール作戦というと、一番残酷で失敗の作戦だったと習います。
ですが、インドではこのように言われています。
インド国軍50周年記念で現地の方がこう言われたと、実際その場所に行かれた日本の人に聞きました。
「インパール作戦であれほど日本軍が自分たちの犠牲を払って戦ってくれたから今この日を迎えられます。そのことに感謝、尊敬しています」
当時の日本人は同じアジア民族としてある民族だけが、肌の色が違うだけで虐待されるのが許せず、黙って見てられなかったのです。
それは、日本の上の人だけではなく、日本国民が皆そう思っていました。
そうした、神様が見られる視点・地球的正義感を日本人は持っていました。
そしてそのアジア独立に感化されたアフリカも独立への動きに変わっていきました。
そんな日本をインドも、アジア諸国の人も尊敬しています。
以前、マレーシアに行ったとき、現地の人に手を握られ、涙を流しながら「アリガトウ、アリガトウ」と言われたことを今でも覚えています。
私は、それがすべてだと思います。
私は日本に生まれたことを誇りに思います。
なので、日本という国はもっと自信を持ってもいいのです。
この国自体が「世界の誇り」であり、「世界遺産そのもの」そう思っていいはずであります。
これを知るだけでもこの素晴らしい日本に生まれた日本人が「自虐史観」で、自分の国が嫌いという考え方を変えなければならないということが、はっきり分かってくるはずです。
他にも数えきれないくらい、日本の素晴らしいところがたくさんあります。
今、日本は誇りと自信を失いかけています。
なぜなら日本は悪い国だと他の国に言われ、また学校の先生に、そう教えられているからです。
私自身も、お婆ちゃんから教えてもらっていた日本の歴史と学校から教わった歴史があまりにも違っていたことから歴史の勉強を始めました。
そして自信を無くした子供たちは、いじめや犯罪に走ります。
私自身も、学生時代いじめられた経験があります。
日本にはあまりにも自分のことが嫌いな子供が多すぎます。
しかし、日本には素晴らしい文化や思想、伝統がたくさんあります。
日本国内でその声を挙げても小さな声にしかなりません。
なので、皆さん一人ひとりが自分の国を愛するように、日本のことも愛してください。
幸福を祈ってください。
その思いが、日本の子供たちの命を救います。
日本の人々の勇氣になります。力になります。
誇りと自信に繋がります。
もう、日本の自分の国が嫌いという考え方「自虐史観」に、この戦後70周年の今、終止符を打ちたいのです。
日本が再び誇りと自信を取り戻すことはもちろん、日本だけではなく世界各国がそれぞれの国で誇りと自信を持ち、地球規模で幸福と平和と安らぎが実現する未来を私は本氣で祈っています。
このスピーチが世界の幸福の一助になることを願います。
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catonoire · 2 months
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「オリエントへのまなざし -古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-」展
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早稲田大学 會津八一記念博物館で「小野義一郎コレクション オリエントへのまなざし -古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-」展を見る。西アジアの古代ガラスやイスラーム陶器、エジプトのコプト織、東南アジアの陶磁など約80点が展示されている。古代ガラスはこれまで見る機会が多少はあったものの、まとまった数を見るのは初めて。コプト織はまったく未知の領域。東南アジアの陶磁も、散発的に見たことならあった気がするけど……という程度。そんな自分にはおあつらえ向きの企画展で、新鮮な鑑賞体験ができた。また、たとえば古代ガラスだと、ガラスの歴史を通観する展示のなかで見るのと、考古資料の展示の一環として見るのと、古代ガラスだけを集めた展示で見るのとでは、見えかたが違ってきたり、ひいてはそこから気づくことも違ってきたりする。同一ジャンルに属する文物を異なる文脈で繰り返し見ることができるのは幸いである。
さて、メインビジュアルに採用されているのは、ガラスの面カット装飾浅鉢。サーサーン朝時代、4〜6世紀、イランあたり。この下の自分の撮った写真より、上の展示室風景のビジュアル写真のほうが装飾がいくぶん見やすいかもしれない。
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円形切子装飾椀。サーサーン朝、5~7世紀、東地中海沿岸。全体的に黄白色なのは風化のためで、本来は淡緑色の透明ガラスとのこと。円形にカットされた装飾が確認できる。風化した風情も正直なところ好きなのだが、「いまでこそ経年変化で時代がかった見た目になっているけど、作った当時は古色はついていなかったの��から、元の姿を想像しながら見よう」と思いながら(心の目で)見るよう努めた。
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次の2点はイスラーム時代のガラス。左は12~13世紀、シリアかエジプト、マーブル装飾扁壺。文様がちょっとラテアートっぽい。右は型吹長頚瓶、11~12世紀、イラン。香水を散布するために使われたもの。10世紀ごろ蒸留技術が確立してバラ水などが普及したことから、このようなガラス製品が作られたものと見える。
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ローマ時代のミルフィオリ・パテラ形杯。前1~1世紀、東地中海沿岸。棒ガラスを組み合わせて金太郎飴のように輪切りにして文様を作っている。
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これもローマ時代、型吹双面瓶、1世紀後半〜2世紀、東地中海沿岸。微笑んでいる顔と怒っている顔が型吹きの技法で作られている。
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前期青銅器時代、紀元前2300~前2000年ごろの土器、掻落彩文杯。シリア北西部で出土したもの。直線や波線の文様はヘラのようなもので掻き落として作られている。
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ラスター彩人物文鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。2人の女性が描かれている。
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藍釉鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。
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色絵金彩鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。花のような太陽のような星のようなものが描かれている。白釉の上に藍彩で下絵付けをして焼成し、その上に色絵金彩で上絵付けを施す、ミナイ陶器と呼ばれるタイプらしい。
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コプト織は、エジプトの遺跡から出土する染織品の総称で、必ずしもコプト教と関係があるとは限らない。下の2点は6~7世紀のコプト織で、左は踊る女たち、右は馬に乗る男の図柄。
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10~11世紀の幾何学文のコプト織。
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左は4人の聖人が並んでいる図柄、7~8世紀。右は5~6世紀、幾何学文だが、ふたつの四角形を組み合わせた形はキリストの十字架を表現したものらしい。そして貴重な染料で紫色に染められている。
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蕾モチーフのコプト織、6~7世紀。蕾のモチーフはコプト織でとても好まれていた由。
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クメール陶器、黒褐釉象形壺。12~13世紀。壺の高台が象の4本脚になっていてかわいらしい。象は背中に宝珠のようなものを背負っている。
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クメール、12~13世紀の黒褐釉線文壺。黒褐釉の平壺はクメール陶器の典型のひとつだそう。
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クメール、11~12世紀、施釉刻線蓋付高坏。須弥山を模したと思しきこの形もクメール陶器の特徴とのこと。アンコールワットなどのクメール建築とも相通じていておもしろい。
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ベトナム、14世紀、鉄絵草花文椀。ベトナム産の鉄絵陶器は日本の大宰府などからも出土しているとか。海外へ輸出するために数多く生産されたらしい。
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ベトナム、15世紀、青花神獣文瓶。獣類の長である麒麟と鳥類の長の鳳凰が描かれている。
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タイ、14~15世紀、青磁刻線文双耳小壺。小さくてかわいいやつ。
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タイ、15世紀、白磁鳥形水注。
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タイ、15~16世紀、白・黒象嵌瓶。象嵌する土と胎土とでは耐火度や収縮率などが異なるため、ひび割れたり象嵌が剥がれたりしないためには高い技術力が必要だとのこと。つまり下の写真の陶器は手練の作なのだろう。
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Sean bienvenidos, japonsistasarqueológicos, a una nueva entrega arqueológica, en esta ocasión os voy a hablar del túmulo Shofuku-ji una vez dicho esto, pónganse cómodos que empezamos. - ¿Dónde se localiza el túmulo Shofuku-ji? Se localiza en la ciudad de Kawanishi, en la prefectura de Hyōgo, localizado a su vez en la región de Kansai. La cámara funeraria se descubrió en la era Meiji. En 1934, el Dr. Sueharu Umehara de la Universidad de Kyoto realizó un estudio de campo y en la década de 1970, se realizó un estudio llevado a cabo por la Junta de Educación de la ciudad de Kawanishi que descubrió un ataúd de madera en la que se enterraron: puntas de flecha de hierro, espadas de hierro. - Data del siglo V y el siglo V y corresponde al periodo Kofun, con una longitud total de 40 m y fue construido a principios del siglo VI. Se descubrió un haniwa, que fue desenterrado durante la excavación, y se hizo de una manera muy similar al haniwa en la región de Owari que corresponde a la actual prefectura occidental de Aichi. - Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones, que pasen una buena semana. 日本の考古学者の皆さん、ようこそ!今回は、正福寺古墳についてお話します!では、早速始めましょう。 - 正福寺塚はどこにあるのですか?関西地方に位置する兵庫県川西市にあります。古墳が発見されたのは、明治時代です。1934年に京都大学の梅原末治博士が現地調査を行い、1970年代には川西市教育委員会の調査で木棺が発見され、その中に鉄鏃、鉄剣、鉄刀が埋められていました。 - 5~5世紀の古墳時代に相当し、全長40m、6世紀初頭に造られたものである。発掘調査で出土した埴輪は、現在の愛知県西部の尾張地方にある埴輪と酷似した作りのものが発見されています。
Welcome, Japanese archaeologists, to a new archaeological instalment, this time I am going to talk to you about the Shofuku-ji tumulus, having said that, make yourselves comfortable and let's get started. - Where is the Shofuku-ji mound located? It is located in the city of Kawanishi, Hyōgo Prefecture, located in the Kansai region. The burial chamber was discovered in the Meiji era. In 1934, Dr. Sueharu Umehara of Kyoto University conducted a field survey and in the 1970s, a survey conducted by the Kawanishi City Board of Education uncovered a wooden coffin in which were buried: iron arrowheads, iron swords, and iron swords. - It dates from the 5th-5th century and corresponds to the Kofun period, with a total length of 40 m and was built in the early 6th century. A haniwa, which was unearthed during excavation, was discovered and made in a very similar manner to the haniwa in the Owari region of what is now western Aichi Prefecture. - I hope you liked it and see you in future posts, have a nice week.
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catdoll007 · 1 year
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ジオラマで再現されていました🐟️🎣🏹
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kensasuke23 · 11 months
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ジオスタゆざわという学習施設。
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土偶や独鈷石に目を奪われました。
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あと、院内銀山異人館も見学。ここにも考古資料が展示されてます。でも、残念ながら写真撮影禁止。秋ノ宮川連遺跡の遮光器土偶は良い資料。
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myonbl · 3 months
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2024年2月16日(金)
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例年通り、今日は確定申告の日だ。私の場合は給与と年金の源泉徴収票、それにNGO・NPOへの寄付の領収書が必要書類である。個人事業主の方は大変だろうが、私など国税庁のサイトで15分もあれば終了する。結果はというと・・・、今年も還付金がいただける。昨年は¥20.915、今年は¥28,243、安倍派のバカどもと比ぶべくもないが、庶民感覚と���ては戻ってくるだけで有り難いのだ。
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4時45分起床。
今日は有休を取得する。
日誌書く。
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朝食。
洗濯。
可燃ゴミ、20L*1&30L*1。
ツレアイを職場まで送る。
ごぼう茶を煮る。
酢タマネギ仕込む。
auPayマーケットで、お気に入りの自転車ワイン*12、ポイント利用でかなりお安く注文する。
天満大阪昆布に、昆布革命と昆布締め用昆布を注文する。こちらの支払はPayPayが使えるのがありがたい。
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コレモ七条店で買物、手羽中が安かったので今夜はこれを頂こう。こちらの支払、今日はWAONを使用。
ポワロ録画。
洗濯槽、洗浄開始。
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ランチ、私は天ぷらうどん、三男にはきつねうどん。
軽く午睡。
SOU・SOUの節分クーポン、500円が2枚残っているので、春の10%オフキャンペーンで私のシャツを1枚予約する。
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所得税の確定申告、すでに必要書類は用意してあるので、実際の作業時間は15分程度か。今年も還付、よかった。
コレモへ買物、レタスを買い足す。
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夕飯、手羽中の唐揚げ・チクワとたこウィンナー・茹でカリフラワー・トマトとレタス、かき玉汁。
録画番組視聴、ポワロ。
第4話「死との約束」/ Appointment with Deathシーズン 11, エピソード 4 中東シリアで遺跡見学ツアーに参加中のポワロは、考古学者ボイルトン卿の家族と遭遇する。再婚した妻であるボイルトン夫人は威圧的で、連れ子の息子レイモ ンドと2人の娘キャロルとジニー、婆やのテイラーは常にビクビクしていた。その夜、ポワロは、「あの女に死んでもらおう」と話すキャロルとレイモンドの会 話を耳にする。
腹ごなし町内ウォーキング。
片付け、入浴、体重は200g増、水分は1,380ml。
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やはり、12,000歩をコンスタントに歩きたい。
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senpenbanka0426 · 5 months
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コレクションハンター - Part3
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引き続きJungle Adventureのコレクションコンプリートを目指してプレイ。
で、「オミスカの宝物」を遺跡最奥から回収する以外に手に入れる方法として↑こんな感じのチャンスカードを成功させる必要がある。 チャンスカードではあるが、対応するスキルをMAXまで持ってればおおよそ成功するんでスキル習得してからSelvadorada行った方が楽っちゃ楽。
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(↑セルヴァドラーダ文化のスキル訓練中の図)
チャンスカードの該当するスキルが、器用さ、フィットネス、論理、考古学、セルヴァドラーダ文化、魅力、だったか?(見落としで、まだあるかもしれないが(笑))
ただ、全部のチャンスカードで宝物が貰える訳じゃない。2、3種類のチャンスカードのみから確率で「オミスカの宝物」が出てくる感じだったはず。
なんで、最奥の遺跡行くまでに「手に入ったらラッキー」くらいで挑戦してた。それでも遺跡探索回数を1回でも減らせる可能性があるなら無いよりマシ。
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んで、最後にあと2種類でコンプリート出来るのに出ない!ってなったから最終手段を発動。
遺跡最奥の宝箱前で一旦セーブ→箱を開ける→欲しい宝が出なかったらメインメニュー戻ってロードし直し→宝箱を開ける……ってのを繰り返したZOY!
どうやら「オミスカの宝物」の抽選は開けるまで確定されてないっぽい。(初見プレイ時は遺跡のマップロードした瞬間に宝の種類が確定されてそうって思ってたわww)
いや、しかしセーブ&ロード戦法が使えてもダブりが凄くて大変だったww 最後の1つはロード20回くらい繰り返してやっと出たわww(屑運すぎぃ!)
これ、せめて魔法のコピペ呪文が使えたらもうちょい楽なコレクションになるんだけどなぁ……ww
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そんな感じで「オミスカの宝物」をコンプリート! マジで疲れたww
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そんなこんなしてたら科学者キャリアもレベルMAXまで行って、ワームホールのアップグレード完了。
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シグザムに来るのも何年ぶりだろうか……ww ここでしか取れないアイテムは結構あるが、そこまで重要な物でも無いから個人的に忘れがちなスポットだわww
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でも、Seasons導入状態でコレクション完成させようとすると、最低3回はここに来なきゃいけない。
ここに生えてる植物3種類はいずれも種袋から出て来なかったはず……。しかも3種類とも季節がバラバラとかいう、なんの嫌がらせだよ!って言いたくなる仕様でワロタ。(ちなみに季節は春と夏と冬だZOY)
しかもさ、植物の実って自シムがその区画にずっといないとスポーンしなくない? 昔は行けば必ず実ってた気がするんだが……記憶違いか?
結局「疲れ知らず」の能力でずっとその場に平然と居られたから良いけど、普通のシムだったらキツイ気がする。(ここトイレもベンチもないよね?) 割とかなりの時間シグザムで過ごしたZOY。
(あと、私は未検証なんだが、シグザムで手に入った「MySimsトロフィー」のカプセルからは必ず「希少度:レア」の物が出てくる……らしい。これ本当だったら最初に無理してトロフィーコンプリートする必要なかったかもしれんww)
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で、シグザム内で色々回収しまくって「金属」をコンプリート。
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家に帰ってダブったクリスタルと金属を地���調査に送って「元素」もコンプリート。
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その後、Selvadoradaに2回くらい行き直して「クリスタル」をコンプリート。(Jungle Adventureでクリスタルが追加されてたのをすっかり忘れてたww)
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そんで、家に帰って来た後もシグザムに何回か足を運んで「晶洞石」をコンプリート。(手に入る場所が限定的すぎて凄い影の薄いコレクションだと個人的に思うww)
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Get To Workは終わったな、って事でお次はOutdoor Retreat関係のコレクションをスタート。
季節も丁度、夏になってたからラッキーだったZOY。(ちなみに科学者キャリアは退職済み)
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で、早速、特殊エリアに出発。隠者と一緒に魚釣り。(なお一匹狼ゆえ会話は一切してない模様)
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DLCで追加される魚は餌が要らないから、かなり楽だww これにて「魚」コレクション、コンプリート。
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何日か時間は掛ったが、「昆虫」も終了。かなり見づらい状態でスポーンするのが昆虫採集の辛い所。それでもポイントは固定で何度もリスポンするから左程運要素は薄いかなぁ。
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で、Outdoor Retreatのコレクションが終わったから今度は卵でも集めるか、って事で祝日を追加。
夏にイースターイベントって、正気か?とか言われそうだが気にしてはいけない。
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庭の開いてるスペースにキッチンカウンター並べて卵取ったらSimRayで変身させて、また卵を取るって感じでやってみたが、卵取れない家具に変身するパターンが多すぎて微妙……ww
素直に建築モードでカウンター設置し直した方が早かったww
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そんな感じで「デコレーション・エッグ」はサクッとコンプリート。
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お次はクローン装置でコンプリート済みのマジックビーンをもうワンセット作成。で、切り株に置いて水をあげて、
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木に成長させて「植物シムの禁断の果実」をGET。
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次はStrangerVilleに出かけて土産物屋から「謎の果実」を購入。
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ヴァンパイアのForgotten Hollowにも移動して、ニンニク、ブラッドフルーツ、シグザムカトリグサの種を入手。
魔法使いが使う作物は「魔法のアーティファクト」集める時で良いかって思ったんで、ガーデニングの残りは後回しに。
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先にDine Outの「エクスペリメント料理の写真」をやろうかと思い立ったから専用のコンロを設置。(そう言えばポストカードの時に「唯一運が絡まないコレクション」とか言ったが、これも運に左右されない簡単なコレクションだったわ)
しかし、食べないと作れない料理だったことをすっかり忘れてたww
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しゃーない、レストランをテキトーな区画に置くか、とかやったが……すげぇ面倒臭かったww
まず席に案内するウェイターがスポーンしなくて詰んだ。 次に店を購入してスタッフ雇ってレストラン売却してから客として訪問したが、料理の注文メニューが出て来なくて詰んだ。
……いや、マジでバグだらけでワロタ。
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で、結局もう一回レストランを購入してからスタッフを雇い直してオープン。
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レストランのオーナーだが、ウェイターに席を案内してもらってエクスペリメント料理を注文して写真撮ったZOY。
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レストランの所有者として貸し切り状態で写真撮って食いまくった結果コレクションコンプリート。ずっとオープンさせておくと「従業員を働かせすぎです!」みたいな通知が来るから何回かに分けて営業したけど……。
いや、しかし面倒臭かったww レストラン買ったり売ったり、ゲームロードし直したり……コレクション関係ない所で躓くのもこのゲームらしいわww(何年たっても変わらない物(バグ)があるんやなって……ww)
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んで、レストランを売却してお次は魔法の国へ。
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サクッと薬のレシピと呪文集めてRealm of Magicの願望2つ達成して最高ランクの魔法使いになったZOY。
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オーバーチャージ中でも死亡しないように能力を取ったから、ここからガンガン魔法の決闘をしていく。 もはや話しかけてきた奴全員と勝負じゃ!……とかやってるともはやただの辻斬りでワロタ。
「魔法のアーティファクト」は結構ダブりが酷いイメージ。つーか、バグ?かなんかでこれだけコンプリート不可能なんだよな。 一応、コレクション完成で貰えるプレートは貰えるっちゃ貰える。けど、コレクションアイテム一覧表はチートなしでは絶対埋められないって聞いたわ。(ぶっちゃけ、初見プレイ時も埋められなかった思い出)
そんな感じで、あと少しで終り。次回へ続く。
次回へ
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zikzwz · 7 years
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2017年ギリシャ旅行記
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2017年のギリシャ旅行の写真をまとめました。上の写真はスニオンのポセイドン神殿
飛行機は関空発ドバイ経由エミレーツ。快適でした。
入国審査で引っかかり(写真の人相が違いすぎた)心が折れそうになるも、気さくなタクシーのおじちゃんやバスターミナルのおじちゃんに優しくしてもらい元気になれた初日でした。この日は遠目にアクロポリスを拝んでホテルに戻る
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翌日はアクロポリスからのスタート!アテナ・ニケ神殿の裏っかわを拝んだり門?をくぐったりしながら奥にすすむと…
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パルテノンだー!写真で何度も見たやつ!!!
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大きい、全てが。もっといろんな建物撮ってあるんですけどたんぶらの制限でなんと1投稿30枚に収めなきゃいけない 頑張れ
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"都市守護神ゼウスの聖域とアテネの街なみ" zikzwz on twitter
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裏手に回ってディオニュソス神域とディオニュソス劇場、アスクレピオス神域
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日が変わります。ゼウス推しのハドリアヌス帝が力技で建てたゼウス神殿。でっっっかいぞ!ここは元々昔からゼウス神域だったそうで、もしかしたら何か下に埋まってんのかな
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こちらは古代アゴラ。役所が集まってます。奥がヘパイストス神殿、手前はアレス神域
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"アゴラ泣きながら歩き回った…とっても広くていろんな施設が集まってる…古代の人々の声が聞こえて来そうだった…" zikzwz on twitter
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"その後はアゴラ前でちょっと遅めの昼食でした!メニュー見てたらお店のお兄さんが話しかけてくれた助かった…生搾りレモンジュース(たぶん砂糖入ってない)が疲れた体に染み渡った…ムサカ食べた後に飲んだらめっちゃ酸っぱかったから相当疲れてた" zikzwz on twitter
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日付が変わり、この日は高速バスでネメアに向かい、ゼウス神殿を訪れました。ギリシャの三大競技祭開催神域の1つであり、ギリシャの三大ゼウス神域の1つ。
神域の近くには禊のための浴場があり、道路を挟んだ場所に競技場があります。ピストルの代わりに棒を倒して競争の合図をする装置があって、それが競技場に現存してる!
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ぶどう畑に埋もれるみたいに佇んでいるゼウス神殿。行きのバスで降り場所を間違えてカフェのお兄さんにタクシー呼んでもらったり、神殿近くのワイナリーで試飲してお土産ワイン買ったり地元の人との接点が多かった。この日はネメアだけで燃え尽きました。
"あづううううう16時の日差しじゃないっての!!!" zikzwz on twitter
"あととかげいすぎ。これがお家の中入って来たら確かに鬱陶しい…" zikzwz on twitter
これはトカゲ殺しのアポロン(害虫駆除)を思い出してのツイート
"トラクター通るし…のどかだなあ…" zikzwz on twitter
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日付が変わります!この日はテラモン兄弟の生まれ故郷、サラミス島を訪れました。最初ピレウスに来たらそこからは船があんま出ていないと分かり、隣の港ペラマまで移動…
松と岩に覆われた島です 発掘途中っぽそうなミケーネ時代の遺跡はフェンスがない場所もありました。それでいいんか
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魚介類さんのテラモン兄弟Tと一緒にパシャリ!テラモン兄弟もこの風景を見ながら暮らしてたのかな〜
ひとしきり見終わって行きのタクシーのおっちゃんに電話するも塩対応でお迎えも来ないという恐怖体験。かける番号名刺の裏表で間違えてた
"あー浜辺で降ろした日本人ね!おっけーおっけーおっけー!!!って言われたあったけえ…そしてすまん" zikzwz on twitter
"おっけーおっけーおっけー!すらギリシャ語という英語は通じにくい島です…こんなところにバルバロイ1人乗り込んですみません…ありがとう…" zikzwz on twitter
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旅行最終日、早起きしてバスに乗り、まずはアッティカ半島の突堤先スニオンに来ました。
"おはようございまーーーす!開館前に開けてくれた!貸し切り!!!スニオン岬のポセイドン神殿" zikzwz on twitter
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朝日が反射する海を見ながらビスケットをかじりました。この旅行はご飯をかなり疎かにしてた反省
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スニオンのかわいいイワシャコちゃんをご覧ください 枚数制限があるなか3枚貼っちゃうぞ
このあとはアテネ考古学博物館にほんのちょっとだけ寄って帰路につきました。予定が押し押しになって展示物しっかり見て回れなかったのでリベンジしたいところ。
この旅ではアクロポリス博物館、ネメアの神殿横の博物館に行きました。古代アゴラ内の博物館も見そびれてる…
"私が無事帰ってきたら相川みたいなどんくさいやつでもギリシャ行って来れたんだからわたしなんか楽勝!っていう人が増えてみんな気軽にギリシャ行くようになる。TLにギリシャの写真が増える。幸せ。" zikzwz on twitter
2017年のギリシャ旅行はこんな感じでした。みんな気軽にギリシャ行こう!やさしい人たくさんいるよ!
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