Tumgik
#渡韓ごっこ
goodknees-kawaii · 2 years
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chikuri · 21 days
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「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何���決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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ari0921 · 2 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)3月22日(金曜日)
    通巻第8186号 
【書評】
ラピダスの2ナノ半導体は、「できっこない」のか
  経済安全保障のアングルに特化、日本再生を展望する『元気の出る本』
平井宏治『新半導体戦争』(ワック)
************************
 半導体戦争は米国vs中国がメインの戦場だが、半導体世界一は台湾のTSMC、韓国のサムスンとSKハイニックスであり、米国のインテルは後塵を拝している。だからバイデン政権はインテルに破格の195億ドルを支援し、捲土重来を期す。
 アップルの新型iPhoneは3ナノ半導体を搭載している。すでに3ナノを量産するTSMCは次世代最先端の1・4ナノ開発センターを台湾に開設した。エヌビディアは新型半導体を発表し斯界の度肝を抜いた。
 米国勢は頭脳部分の基本設計とルールを先に決めるのが得意だが、ものつくりはじつに下手くそ。そのくせ賃金が高いから、競争では負ける。インテルの優位回復は難儀するのではないか。
 さてバイデン政権は対中政策を厳格にすると言いながら、最高機密はどんどん中国の盗まれており『ザル法』と化している。そのうえ米国の半導体業界はバイデンの対中政策に反対しているから話はややこしい。
 評者(宮崎)も拙著『半導体戦争』(宝島社)で指摘しておいたが、半導体はもはや『産業のコメ』ではなく、『戦略物資』であり次世代の武器ならびに兵器システム、とくに兵士ロボットに用いられる。イラク戦争でピンポイント攻撃の制度が挙がったが、これから根本的に戦争形態が変わるのである。
 1980年代に日本は世界半導体市場の80%を占めていた。その頃、TSMCは誕生もしていなかった。
 それが様変わり、日本は先端の半導体競争ではるか後方にあって、もはや再生は不可能、絶望的と言われていた。
 ラピダスが挑む2ナノは2027年量産開始予定だが、現実の日本の半導体は40ナノ程度の生産しか出来ない。その格差は九世代、台湾系エヌビィディアのCPUには十世代の開きがある。つまり、9から10の「周回遅れ」である。
 そのうえ、第二の敗戦が重なり、「喪われた三十年」の間に半導体の技術者が日本から払底していた。優秀なエンジニアは外国企業に移籍した。
 TSMCには適わないと鬱々としていた。それが日本の半導体業界の空気だった。
「ラピダスが2ナノを2027年につくる」と宣言するや、「できっこない」の大合唱が日本のビジネスジャーナリズムを覆い尽くした。筆者の平井氏もいささか懐疑的である。
 たしかに2ナノ実現は「困難である」。しかし日本はこの目標を達成しなければならないのである。
 嘗て日米半導体協定で日本を潰したのはアメリカである。
 そのアメリカが「心変わり」。いきなり2ナノ半導体開発を日本に奨め、ラピダスに全面協力となった背景がある。IBMがラピダスを支援する態勢が急速に組まれ、突然、日本政府は9200億円の補助金を供与するまでになった。
 これは戦後GHQが日本を非武装の三流農業国家として落とし込んできた占領政策を百八十度変えて、武装と産業復活を推奨し始めたこととに似ている。この基軸の転換の直接動機は朝鮮戦争だった。
 半導体戦争で対日戦略をがらりと一変させたのは、まさに朝鮮戦争のケースと似ている。
 すなわち平井宏治氏が指摘するように「米国は中国を『競争相手』と位置づけるが、中国は米国を『超限戦』の対象、『闘争相手』」なのである。
 米国は中国に新技術を渡さないと決意し、ものつくりは『カントリーリスクの高い』台湾、韓国より日本がふさわしいという政治判断に至ったのだ。
 なぜか。
ファーウェイの新製品に7ナノ半導体が使われていたが、これはADSLのエンジニアが機密データを中国に渡したこと、韓国、台湾からスカウトされて技術者たちが協力し、当該半導体は流通の「抜け穴」を通じて中国のSMICに漏れたからだ。
 本書はつぎに中国にのめり込んでにっちもさっちもいかなくなったSBG(ソフトバンクグループ)と中国に売り上げの半分を依存する村田製作所の危ない体質に危険信号を発している。
 また中国に甘いドイツですら、中国国防七校からの留学生を閉め出し始めた。オランダもそうしているが、日本はノーテンキに受け入れ続けている。アメリカは「中国人とみたらスパイと想え」という認識で留学生受けいれを厳格にしており、大学留学も一年ごとにヴィザの切り替えをさせている。
平和惚けの日本は自衛隊基地の近くに土地や不動産を中国人が購入しても放置してきた。国家安全保障という概念が欠落しているからだ。
 次の指摘も重要だろう
 「日本の経済安全保障推進法にある四つの重要事項、(1)重要物資の安定的な供給確保、(2)基幹インフラの安定提供、(3)先端的重要技術の開発を支援、(4)特許出願の非公開条項である。これらを基盤とした「セキュリティクリアランス制度」は、これすべて「半導体産業に関連する」のである。
 平井氏は経済安全保障のアングルに絞り込んで、状況を分析しつつ、「眠れる半導体大国」の日本が再生するために何を為すべきかを具体的に述べる。理由
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takigawa · 4 months
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プラザ合意とペトロダラーと戦争ビジネスを睨んだ国際ビジネスマンの視点 #プラザ合意 #ペトロダラー #戦争ビジネス #note https://note.com/takigawa/n/nd2388572add1 昨日は国際的に活躍するビジネスマンと打ち合わせがあった。 彼は仕事の話をする前に良く国際政治経済の話をする。 彼の話が全て事実で真実かどうかは分からないがほぼ本当の事のように感じた。 因みに彼は日本人でもアメリカ人でも無い。 彼は言う「そもそもアメリカ🇺🇸は戦前は本土にいた蒋介石を応援して来た。彼を通してアジアをコントロールしたかったが、中国共産党に負けて🇹🇼逃げてしまったので、じゃあ日本🇯🇵を通してアジアをコントロールするか、となって日本は朝鮮戦争特需もあり、大きな経済成長を遂げた。 だけど大成功しすぎて、日本は大喜びしていた。 そこでアメリカは【プラザ合意】で日本の成長を制限する事にした。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6%E5%90%88%E6%84%8F さすがに日本の国土でアメリカ本土全部を2.5回買えるぐらいまで成長するとは思ってなかった。 このプラザ合意の後、日本は失われた30年を過ごす事になる。 瀧川さん、アメリカの強さはどこにあるか分かりますか? アメリカは昔はドル💲金本位制だったでしょう。今はドルを持っていても同価値の金をFRB(連邦準備銀行)が保管していないから、金💰と交換してくれないでしょう? アメリカのドルはペトロダラー(石油に裏打ちされたドル)なんですよ。 世界の産油国ランキング1位はアメリカなんですよ。 瀧川が「ブラジル🇧🇷、ロシア🇷🇺、インド🇮🇳、中国🇨🇳、南アフリカ🇿🇦のBRICSはドル💲とは別の新しい通貨で石油取引をすると合意したんじゃないですか?」と質問すると 彼は「BRICSは新しい通貨を創ると言ってるけれど、お互いの国の通貨との利害が一致しないから、実効性無いでしょ。」と答えた。 そして 「アメリカは日本を抑えた後、ドイツ🇩🇪やEU🇪🇺の復活を気にして、今は中国、ロシアを抑えようとしているでしょう? ドイツ��ロシアから石油パイプラインを引いて依存し始めてた訳ですよ。それでドイツは経済絶好調で喜んでいた。アメリカはじっと見ていて、ウクライナとロシアの戦争を画策して、実行した訳ですよ。 そしたら、当然、ドイツやEUへの石油パイプラインが止まり、ドイツやEUはヒーヒー言ってるんです。戦争でロシアも疲弊させた。 中国と台湾の危機もアメリカが煽ってる感じがする。何故ならアメリカは今、中国を最も警戒してるから。台湾と中国がドンパチやったらその瞬間に上海株式市場、北京株式市場、香港株式市場が大暴落📉するから中国🇨🇳は戦争はやりたくないんですよ。 アメリカは中国を疲弊させる為には台湾とドンパチして欲しい。 習近平はやりたくない。口では強気で言ってるけどやりたくない。 それと中国はこれまで多額の公共投資を重ねて道路、橋、ダム、ビルなどインフラ作りまくって、雇用を産み、関連産業が潤い、かなら上手く行ってた。習近平も凄い自信を持っていた。自信を持ち過ぎた。 ここに来てバブル崩壊すると思うし、アメリカが【中国がアメリカを抜く事】を許さないから、ここから20年は中国は苦しいと思う。 逆にここから20年はアメリカは日本を優先するから日本はラッキーな時代になるよ。 あとね、ウクライナ🇺🇦には韓国🇰🇷の武器弾薬がアメリカ経由流れてるし、ロシアには北朝鮮🇰🇵からの武器弾薬が流れてますよ。 正確には韓国が新たに製造した武器弾薬はアメリカに残って、アメリカにあった古い在庫の武器弾薬がウクライナに渡っている。つまり古い武器弾薬の在庫一掃セールなんだよね。アメリカにとって戦争はビジネスなんだよね。 イスラエル🇮🇱とハマスの戦いも両方とも腐敗したヤツらでハマスの3人のリーダーは10億ドル以上の資産家ですよ。イスラエルのネタニエフ首相は、ユダヤ教会に労働義務、軍役義務を免除する事で支持を得て首相になったんだけど、その義務免除対象人口が国民の25%にもなってしまって、75%の国民が食わせなきゃいけなくなってて不満がたまってたから、ハマスと戦争が始まったら一部の国民はお祭り騒ぎやイベントみたいな感じで空爆を見てたりするんですよ。全然、ユダヤ教のイメージじゃないし、若者に麻薬が蔓延している。 アメリカは世界一の産油国で、元々アメリカと親しかったサウジアラビアがここに来てバイデンを無視したりして、アメリカに楯突いてるんだけど、OPECのリーダーを自認するサウジアラビアは【石油価格維持】の方針を強く打ち出していた。 でもアメリカが下げたら57ドルぐらいまで下がっちゃった。サウジアラビアは80ドルで採算取りたいから頑張ってたんだけど、結局、サウジアラビアも下げちゃった。これでOPEC諸国からの信任がかなり下がったんだよね。 これもアメリカがサウジアラビアが強気に出るのを見てて泳がしてから、痛い目に遭わせる、という常套手段だと感じるよね。 日本、ドイツ、サウジアラビア、みんなそう、そしてその力の源泉は石油とドルですよ。 トランプ氏は2024年の大統領選挙に向けて47の政策綱領を発表したんだけどその中に【バイデン大統領が進めているEV義務化をやめる】とハッキリ言ってるんだよね。 EVは中国を利するだけ、という主旨。 ドイツやEUも中国EVが普及し過ぎて、制限しそうな感じ。 ここでも中国潰しが進行しそう。 トランプ氏はアメリカ大統領選挙で当落の行方に影響を与える共和党と民主党の支持が同じぐらいで選挙のたびに行ったり来たりする6つの州(スウィングステート)の内、5つで支持を拡大していると言う話があって、トランプ氏が復活の可能性がかなり出て来た。」 僕が「選挙で各州の最高裁判所がトランプ氏への投票を認めないって判決がポロポロ出てるけど、どうなんですか?」と聞いたら 彼は「それは元々、アメリカ民主党支持の州での話なので、どっちにしてもカリフォルニア州やニューヨーク州はいつも民主党なので余り影響は無いよ。もちろんスウィングステートでその判決が出たら影響あるけど、連邦最高裁判所判事が今は共和党シンパが過半数だから、連邦最高裁判所の判断になれば【トランプ氏に投票させない】とはならないでしょう。トランプ氏が大統領時代に判事が共和党シンパにどんどんと代わった経緯もあり、こんな影響が出てくるのはトランプ氏はラッキーかもね。 ただトランプ氏はアメリカ第一で同盟国とか国連は二の次の方針だから、外国から見るとやりにくくなる可能性はある。 まぁアメリカの行動は大統領が誰になってもCIA的な覇権、ペトロダラー、戦争ビジネスだから、変わらない部分はあるよ。」 なんでそんな話をするのかと思ったら、彼はアメリカに会社を創り、そこを上場させようとしているんだけど、アメリカ政界のかなりトップに近い人から、アメリカ資本を80%以上にして欲しいと言われてて、彼はアメリカ資本オンリーは嫌だなぁと思っていて「他の国はどこなら良いの?」とその人にアドバイスを求めた。 そしたら上記の今のタイミング(ここから20年)は「日本だよ」と言われたと言う話でした。 流石にこの長文を読んでくれた人は余り居ないかも知れませんが、ここまで読んでいただいた人には感謝します。 ありがとうございます。 彼の発言はあくまでも彼の意見なので、そこはご理解のほど、よろしくお願いいたします。 あと、思い出したら、追記とか修正する可能性もあります。 よろしくお願いいたします。 #日本 #日本復活 #アメリカ #中国 #台湾 #ロシア #戦争 #ドイツ #ウクライナ #イスラエル #ハマス #トランプ #産油国 #EV #バイデン #CIA ☆☆☆ 🇯🇵 新しい企画や海外展開を目指す。元・スペースシャワー取締役、元・石森プロ副社長、元コミックスウェーブ非常勤取締役、元・アイキャスト社長。JSAT、スカパー!、MOTTAINAI、インドネシア特撮ヒーローBIMA、立ち上げ♫
https://note.com/takigawa/n/nd2388572add1
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hachikenyakaiwai · 2 months
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【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
(事件のあらまし) 朝鮮の上々官名ハとううんとうと申を、対州の家中通詞役鈴木伝蔵といふ者、右上々官を鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し自害の体をしつらいさし殺しけり。右上々官ハ日本にて大目附役の人なるよし其趣を聞に、西国にて人参を荷打せしと偽りて金銀を私欲したる事ありて此役人に伝蔵より返済せねばならぬ金子有しを毎々催促しける、大坂にて相渡べき約束なりしをいまだ相渡さず、よって厳しく催促致しける故、何とやら私欲の義も露顕に及ぶべきやうになりしゆへ止事を得ず、右のごとく害しける由也(『明和雑記』)。
(犯行現場および時刻) 西本願寺津村別院棕櫚の間(朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図)。初七日戊子陰寒(『趙済谷海槎日記』)。コメント欄に写真 ▼朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図 조선인래조대판려관서본원사좌할겸소옥괘회도 京都国際学園「関西に残された朝鮮通信使の足跡」より。
(殺害方法および凶器) 寝所へ忍入、鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し、自害の体をしつらいさし殺しけり(『明和雑記』)。関の兼永の槍(『通航一覧』)長さ4寸ほど(『差上記』)。
(事件の目撃者) このとき賊は、三房格軍(水夫)の姜右文の足を誤って踏み、驚いて目を覚ました姜によって目撃されている(『日東荘遊歌』訳注)。
(指名手配) 一 行年廿六歳 一 背ノ高サ五尺三寸中肉にて顏の色白ク眼は少シ大キク張強シ人体骨柄賤からず 一 其節之着類黒羽二重之袷下には群内大嶋の襦袢 右体之者見付次第訴出候ハゝ御褒美被下候間可遂吟味者也 四月九日(「鈴木伝蔵人相書」)。
(犯行の動機) 崔天悰は高麗人参の密貿易に絡んで鈴木伝蔵を叱責した。事の露見を恐れた伝蔵が崔を殺害した(『明和雑記』『摂陽奇観』)。伝蔵の自白によると、人参の取引がもとで殺したというが、真相は到底わからず(『日東荘遊歌』)。
(事件の背景) 朝鮮と対馬の通詞が手を組んで密貿易(積荷の横領)を繰り返していた(『扶桑録』『東槎日記』「海遊録』)。舞台は主に大坂であり、一行はできるだけ長く大坂にとどまろうとした(『扶桑録』)。「裨将の言うままに放っておいたら《略》崔天悰事件のようなこと必ずやまた起こるでありましょう」(金仁謙)。※鈴木伝蔵は通信使が絡んだ密貿易の一味。崔天悰もそうであったかは不明。
(事件の余波) この一件を初めに歌舞伎化したのは並木正三で、67年(明和4)2月大坂嵐雛助座(角の芝居)で《世話料理鱸庖丁(すずきぼうちよう)》を上演。史実に近かったため2日間で中止を命ぜられ、ただちに奥州藤原の世界に改めた《今織蝦夷錦》を上演した。『世界大百科事典(旧版)』【韓人漢文手管始】より。
(写真)「世話料理鰭庖丁 絵番付」1467(『摂陽奇観』所収)
(浜松歌国は)鈴木傳藏の朝鮮信使殺害事件を詳記し、次に其の事件があってから四年目、この事件が角の芝居嵐雛助座に於て、並木正三により新狂言に取組まれたことを書き加へたのみでなく、當時板行の繪番附を其のまゝに貼りつけてゐます。この鈴木傳藏事件が上演されたは、歌國が生れる十年前のことで、その當時の繪番附を手に入れることは容易ではなかつたらうと思はれます(校訂者識)。『浪華叢書 第四』より=写真も。
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kennak · 6 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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gupaooooon · 10 months
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」��」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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lilgurlcollins · 2 months
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旅日記⑤ in South Korea🇰🇷
Busan編
釜山に旅行してか3ヶ月経ってしまいましたが、旅日記は残すべく、今更ながら思い出語り。
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何日に何したか、どこのお店行ったかの記憶が朧げなので釜山の魅力を書きます😭次の旅行はその日に書こう。反省。
釜山とソウルどちらも行った身としては、韓国に旅行してみたいけどどこ行こう?という人に、断然釜山をおすすめしたい。(美容にさほど興味のない男性は尚のこと)
釜山の魅力
①ソウルで味わえるようなご飯屋さんは網羅されてる上に、釜山ならではの新鮮な海鮮のお店が多い(し、ちゃんと美味しい)。カンジャンケジャン(写真5枚目)の艶ヤバくないですか?生臭さなんてものは一切なくて、とても美味しかった。
②都会と自然が両方ある。
釜山でいちばん思い出に残っているのは海(海雲台海水浴場:写真1,2枚目)。2枚目の電車はガイドブックに載っているので、多くの観光客が訪れるスポットだけど、予約した乗車時間までの暇つぶしで近辺を散歩していたらたまたま海辺まで辿り着けた。海青くてちゃんと綺麗だな?!!?!?!と興奮した。
Sydneyでもそうだったのだけど、高層ビルと綺麗な海が隣接している絵面が個人的にたまらなく好きで、地震大国の日本では見られない光景なのが少し残念。
③ローカルな朝ごはん屋さんが多い。
これもまた日本にはあまり馴染みのない文化だけど、海外では朝ごはんを外で食べる習慣が根付いている気がする。
美味しかった朝ごはん3選
(1)カルグクス(写真下)
カルグクス(「カル」=包丁,「グクス」=麺)は「韓国風うどん」とも呼ばれていて、味のバリエーションがとても豊富(訪れたお店はいりこの出し汁を売りにしていた)。先輩たちはソンカルグクス(温)、私はネンカルグクス(冷)を注文。優しい味のスープで目が覚めました。
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(2)ソコギクッパ(写真下)
ソコギクッパ(「ソコギ」=牛🐄)は、もやしや大根などの野菜を大釜にたっぷり入れ、牛肉と一緒に煮込んだスープ。韓国では二日酔いの日は朝に食べるのが定番らしい。個人的にはデジクッパより好みだった。
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(3)デジクッパ(写真下)
デジクッパ(「デジ」=豚🐖)は、豚骨を丸1日かけてじっくりと煮込んで出汁を取ったスープに、茹でた豚肉とねぎとご飯を加えて、たくさんの種類の薬味の中から好みの味付けをして食べる料理。西面にはデジクッパ通りというのがあるくらい人気の料理で、とても美味しかった。
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※ 「クッパ」はスープと米を混ぜた料理。お米も入ってるのでお腹も溜まる。
④観光地らしい観光地が結構豊富。↓
甘川洞文化村(山の斜面に建物が連なってて「韓国のマチュ・ピチュ」といわれている美しい村。星の王子さまのオブジェが有名)
海東龍宮寺(韓国でいちばん美しいと有名な寺。寺に向かう108段の階段を降りる(登るんじゃなくて?!)と願いが叶うらしい)
国際市場(なんか栄えてる市場。)
五六島スカイウォーク(崖の上から海上に突き出したガラス張りの展望台で、高所恐怖症の人は多分無理。)
釜山ダイヤモンドタワー(夜景スポット、たぶん日本でいう東京タワーみたいなやつ)
海雲台(釜山でいちばん有名なリゾートビーチ。海めっちゃ綺麗。今回の旅でいちばん良かったスポット)
海雲台ブルーラインパーク(4人乗りのノロノロ列車なので1人で乗ったら多分暇だけど、カラフルで可愛いし綺麗な海をずっと一望できるからおすすめ)
南浦洞(釜山のキラキラ繁華街。渋谷っぽかったです)
とかとか、他にも韓流の『サムマイウェイ』のロケ地もあって3泊4日では全然制覇できなかったくらいに観光地多い。ソウルは観光地らしい観光地が少ないイメージだからそこに関しては釜山の方が充実してた。
⑤百貨店やブランド通りもあるので、ほぼ有名なブランドやスポーツ用品店は揃っていて(調べたら多少はソウルにしかないものもあるんだろうけど)、ソウルと同じくらい買い物も楽しめる。
釜山にしかないOPTATUMのハンドクリーム、ぜひお土産に購入してください。
North faceのホワイトレーベル(韓国限定ブランド)のトップスを罪滅ぼしで兄にお土産で購入した😅(正月の航空事故の影響で福岡からギリギリ東京に到着した際、タクシー待ちの列が5時間で、韓国行きの成田便に間に合わない〜と詰んでいた妹を、国試1ヶ月切っていたのにレンタカーで千葉から迎えに来てくれました、、神)
ちなみに屋台もソウルと同じくらい栄えてて楽しかった。屋台のホットク、毎日食べたい。
⑥街の散策が苦じゃない。
個人的な印象だけど、ソウルよりも一駅間を歩くのが苦じゃなかったような気がする。たくさんご飯を食べた後、次の目的地まで二駅だから歩いちゃおう!みたいなことができて良かった。
韓国旅行はグルメメインになるので、胃もたれでしんどくなるイメージが強かったけど、歩きやすい街並みと胃に優しい朝ごはんのおかげで、たくさん食べてたくさん歩いて健康な旅!という感じでした。
⑥ソウルと比べてローカルな都市なだけあって、人との距離が近め(な気がした)。
電車にて3人で日本語で喋っていたら隣に座っていたおじさんたちから話しかけられたり、お店で鍋を突いていたら隣のお姉さんたから声をかけられたり。みんな親切であったかくてなんて素敵な街なんだ〜!と思った。
余談)
新世界百貨店の新世界スパランドもおすすめ(10種類以上のチムジルバンがあって、一番高い温度のチムジルバンは79度)。温泉のあとのご飯が美味しいっていう文化は世界共通なのか。
写真7枚目のフレーク入りヨーグルトは韓国の定番の朝ごはんで、美味しすぎるので日本でも売ってほしい。欲張ってたくさんスーツケースに詰めたら、飛行機の気圧で潰れてスーツケースがヨーグルトまみれになりました。ビニール袋に入れておくべきだった。
タラタラ感想を述べたらえげつない長文日記になってしまいましたが、大好きな先輩2人と楽しい3泊4日を過ごせて幸せな渡韓だった。
またどこか旅行しましょうね🙈
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gobangiri-news · 3 days
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全国生中継舞台挨拶オフィシャルレポート!
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このたび、映画『碁盤斬り』の公開を記念して全国生中継舞台挨拶を開催いたしました!公開2日目を迎えたこの日の舞台挨拶は、全国47都道府県327の劇場に生中継。満席の会場を笑顔で見渡した草彅さんは「全国のみなさーん、見えてますかー?こんにちは!」とカメラに向かって手を振りました。「昨日公開で今日は2日目。昨日と変わらず、ずっとドキドキしていて、朝からエゴサーチしてました(笑)」と報告。「みなさんよろこんでくれたり、楽しい時間をすごしてくださったようで、うれしいです」と反響に感謝した草彅さんは「今日は、マスコミが入らない舞台挨拶なので、より深くおもしろい裏話ができると思います」とニヤリ。会場からは貴重なトークに期待を込めた大きな拍手が沸き起こりました。「映画では僕の新しい顔が見られると思います。みなさんに支えられて役を作り上げることができました」と共演者に感謝した草彅さんは「ひとりでも多くの人に観てほしいと思っています。よろしくお願いいたします!」と呼びかけました。萬屋源兵衛役の國村隼さんは「タイトルにもあるように、囲碁のお話です」と切り出し、「囲碁というものは打ち手の品性や性格、手筋などいろいろなものが出てきます。打ち手同士が影響し合う、お互いがお互いにインスパイアされるような関係性です。それでいて、人が変わっていくある種の成長譚でもあり、物語が進んでいくと復讐譚にも変わっていく。そういうところを観て楽しんでいただければと思います」と囲碁の性質に触れながら映画の注目ポイントを語りました。長兵衛役の市村正親さんは「どうもー!全国のみなさーん、会場のみなさーん、舞台俳優の市村正親でーす。今回は白石監督の映画に出させてもらいました!とてもうれしいでーす!」とハイテンションで挨拶。「いい親分(役)ができたと思います」と出来栄えに自信を滲ませ「全国のみなさーん、観てくださーい!」と会場の隅々まで届く声量で観客を圧倒しました。お庚役の小泉今日子さんも市村さんのテンションに釣られて大きく手を振り、会場と生中継先に挨拶。「お庚は廓(くるわ)の女将で、世の中の表も裏も見て来た貫禄のある女性。格之進と(清原果耶さん演じる)お絹ちゃんを優しく見守っているのか、厳しくしているのか、そのあたりが見どころだと思います」と役と見どころを説明。初日舞台挨拶の参加は叶わなかったが、格之進とお絹の二人を見守る役の気持ちが続いていたのか、「昨日はずっとエゴサーチ(笑)。評判もよろしかったようで、よかったです」とホッとした様子の小泉さんは、「(書き込みを)見ているので、ハッシュタグをつけてつぶやいてください!」と感想の書き込みを促していただきました。「朝から観てくださってありがとうございます」とお礼を伝えた白石監督は「念願の時代劇。草彅さんをはじめ、本当に素敵なキャストのみなさんと、京都という伝統ある場所で今もずっと働き続けているクリエイターのみなさんと一緒に映画作りができました」とニッコリ。続けて「扮装にもセットにもひとつひとつに感動しながら映画を撮っていました。僕の感動のすべてがスクリーンに詰まっています」と充実感を滲ませました。格之進を演じる草彅さんは、スクリーンで普段とは違うかっこよさで魅了します。『碁盤斬り』の舞台挨拶ではたびたび草彅さんのギャップが話題に。「かっこよさにもいろいろあるんでね(笑)」と話した草彅さんは「僕の顔(映画のポスター)を貼り付けたバスも運転したりして」と都内5箇所を周遊中(5月27日までの予定)の本ポスタービジュアルをラッピングしたロンドンバスについて言及。「僕が運転しているわけじゃないけれど」と笑いながら、「僕に見えないとか、誰だか分からないというのは褒め言葉だと思って(感想を)受け取っています。それだけ役に入り込んでいたと思うようにしています」と反響への思いを語り、「僕も(映画を)観た後に僕じゃないって思いました。芸能生活の中で、1番大人な顔を撮ってくれたんだと思います」と白石監督の方を向き深々とお辞儀。新しい顔を引き出すことができたのは、共演者の存在もあったとし、「みなさんと共にお仕事をして来た、(これまでの)いろいろなつながりもあってできたのかな」としみじみ。「自分が観てもかっこいいって思うし、1番気に入っている作品になっています」と新たなお気に入りができたと報告し、大きな拍手を浴びました。
「笠(かさ)姿がかっこいい!」という小泉さんの言葉に、「そう!自分でもそう思います!」と満面の笑みを浮かべる草彅さん。「今、笠をかぶったら世界1じゃない?」との小泉さんの褒め言葉に、「日本を飛び越えて。国際的な。ワールドナンバーワン笠!」とキャッチフレーズをつけ会場を笑い声と拍手でいっぱいにした草彅さん。小泉さんからの大絶賛にご機嫌の草彅さんは「先輩方に囲まれて、(映画の中で)ちゃんと仕事しています!」と、かっこよさのギャップが堪能できるのは、真剣にお芝居に向き合っていたからと胸を張る場面もありました。國村さんは「格之進という人はものすごく几帳面な人。この人の碁に僕が演じるキャラクターは心酔しちゃう、そういう関係性です。そこからいろいろなことが起こってくる」と物語の流れを解説。「四角四面でカチカチの格之進が源兵衛をはじめ、いろいろな町人たちと関わる中で、いろいろなものを見るようになって…」と國村さんが格之進の変化に触れると「『おっさんずラブ』なんですよね」とニコニコの草彅さん。「本当にそれに近い!」と國村さんも反応。草彅さんは「性別を超えた人間愛の物語」と補足。國村さんが「まさにそう。碁敵っていう言葉があるけれど…」と話し始めたところで、「ごがたき?」とポカンとした草彅さん。「碁敵。碁を挟んだ敵同士」との國村さんの説明に「あー、その碁ね。なんかことわざなのかと思っちゃった“百聞は一見にしかず”みたいな」と苦笑いの草彅さん。「碁敵はイコール恋人に近いかな。人間としてのリスペクトから始まる物語なので」との國村さんの指摘を受け、草彅さんは「まさに。なるほど、碁敵、碁敵」と復唱し、格之進と源兵衛の関係性を表す言葉を取り込んでいました。「市村さんとも『おっさんずラブ』がある!」と、格之進と長兵衛の関係性にも“ラブ”が存在するとした草彅さん。「そうそう!」とうれしそうに身を乗り出す市村さんの隣で、「親分とも『おっさんずラブ』があるね」と笑顔の國村さん。「つよぽんは、綺麗な格好で出てくるけれど、だんだん汚くなっていく…」と映画の中での格之進の身なりの変化を説明する市村さんに「1番汚いときに出会って…」と2人の出会いを振り返った草彅さん。「そこに何かを見つける、キュン!ってね」と指ハートを作った市村さんに大爆笑の草彅さんだったが、「僕はずっとキョンキョンにラブし続けている」と突如、役を離れ、個人的なキュンを告白。小泉さんは「いつも本当にありがとう」と自分への愛を語る草彅さんに感謝。「マジでずっとラブ。だからキョンキョンと國村さんが仲がいいのにかなり嫉妬していて…」と草彅さんの話題はラブから嫉妬へ。「ヤキモチ妬かない!」との市村さんのツッコミに「だってずっと話してるんだもん!」と拗ねる草彅さん。「京都でもごはん一緒に食べに行った!」との小泉さんの報告に「ズルい!」と草彅さんのジェラシーはメラメラ。「どうやったらキョンキョンとごはんに行けるの?どっちが誘うの?」と矢継ぎ早に質問する草彅さんに小泉さんは大笑い。「僕が誘うんだよ」とサラッと答えた國村さんに「えーーー!!」と叫ぶ草彅さん。小泉さんが「國村さんは京都に詳しいから、“どこかおいしいお店ないですか?”って訊いて」と経緯を話し始めると、國村さんが「知ってるよ、一緒に行く?ってなる」とニヤニヤ。2人のやりとりに「なるほど。國さんからか。あ、昨日から國さんって呼んじゃってるけれど…」と話題が逸れそうになるも、小泉さんとの食事を実現したい草彅さんは「大人としていろいろ知っておくことが大事なのか。まずは京都のおいしいお店とか」と頭に叩き込むような仕草を見せる。すると小泉さんが「だって、古着屋さんしか行かないでしょ?」と草彅さんの京都での過ごし方に触れると、「ちょっと狭いんや!」と興味を持つ範囲に國村さんからもダメ出しが。「確かに、狭いな」と納得した草彅さんは「テーマはそこだな」と頷き、笑いを誘いました。
MCから小泉さんの興味のあることを知ることが大切とのアドバイスも。すると小泉さんが「韓国語を覚えたい。教えてください」とコメントし、草彅さんを優しくリード。「いいですね」とまんざらでもない草彅さんだったが小泉さんから「チョナン・カンさんに教えて欲しい!」と具体的にリクエストされると、「少しは教えられるかも…」とちょっぴり遠慮気味に。「具体化されると引くんだよね(笑)」との小泉さんの鋭い指摘に、「國さんついてきて!」と國村さんにすがるような仕草を見せた草彅さんに一同大爆笑。「韓国語でけへんで」と答える國村さんだったが「國さん、韓国作品たくさん出てるから大丈夫」と答えた草彅さんに「それは関係ないで〜」と返し、流れるようなトークで会場を笑いの渦に包み込みました。撮影現場も舞台挨拶のように和やかで笑いが絶えなかったのかとのMCからの質問に「監督が穏やかな方なので。『孤狼の血』のようなバイオレンスを撮る方とは思えない!」と白石監督自身と作品とのギャップに触れ、草彅さんらのトークに大笑いしていた白石監督が「現場ではもっと集中していたはず」と話すと、小泉さんも「寡黙にやってましたよね」と。すると草彅さんは「そういうところはちゃんと保っておかないと、仕事なくなっちゃう(笑)。あいつ、ずっとふざけてるなってなっちゃうと商売あがったりなので。先輩方に比べたらまだまだだけど、芸能界でちょっと長くやってきたので、“侘び寂び”というのは意識しているつもりです」と草彅節を展開。侘び寂びではなくメリハリかな…といった声が会場からも漏れ聞こえていましたが、草彅さんのトークはさらに続き「京都の撮影所は銀幕のスター、高倉健さんも入り浸っていた場所。毎日、映画を観に行くように撮影所に通っていたそうなので、そんなことを思いながらやっていました」と撮影中は役に、作品に没頭していたこと、さまざまな思いや過っていたことも明かしました。笑いいっぱいのトークの中に、こういったエピソードをサラッと挟むのも草彅さんらしさであり、舞台挨拶に足を運ぶ醍醐味です。長兵衛の寡黙さについて訊かれた市村さんは「僕は全然寡黙じゃない。寡黙(火・木)というより月水金!」と回答し、真面目なトークが続くと思いきや、今度は市村劇場の時間に。「すごいね、市村さん!」とウキウキの草彅さんに市村さんは「こういうことを言ってないと居心地が悪くて」とギャグを言わずにはいられない理由を明かす場面も。「今日は記者の方がいなくてよかったです」と笑いながら話す草彅さんに市村さんは「ほんとに。いたら“またやってる”って書かれちゃう」と大笑いした後、流れを変えようと「全国のみなさーん、観てますかー?」と中継先に手を振り始め、「旅公演っていうのがあるけれど、ここにいて全国に行ってるような気分になる」とさらにテンションを上げて大きく手を振り続けました。「327館ってすごいよね」としみじみした草彅さんが「大型映画じゃん!今気づいた。『ミッドナイトスワン』のときはこんなになかったもん」と振り返る場面も。MCから「結構たくさんやってましたよ、中継で」とのフォローも。市村さんが「海外でも賞を獲っているし…」とコメントし、日本だけでなく海外からも注目度が高い作品だと話すと、白石監督が「イタリアで(第26回ウディネ・ファーイースト映画祭」)批評家賞(ブラック・ドラゴン賞)をいただきました。イタリアの方たちも侍映画を観たいんだな、って思いました」と好感触だったことを明かしました。「いずれ、全世界の映画館で(生中継)!」と目を輝かせた市村さんが「全世界のみなさーん!」とカメラに手を振ると、「いずれね。目標は高いほうがいい。(受賞は)すごく誇らしいし、幸先のいいスタートになりました」と草彅さんも一緒に世界に向けて手を振り、2人で「今のカメラはすごいね、みんなの顔が見えるよ」などとミニコントのようなやりとりで笑わせました。脱線気味のトークにハッとした草彅さんは「月水金や寡黙の話。今日は自由に話していい、ここでしか聞けないトークになっているのでいっぱい拡散してください」と、楽しい舞台挨拶のお裾分けも促しました。
舞台挨拶とは全く違う雰囲気の映画が楽しめるとのMCのコメントに「こんな雰囲気の映画だったら、お客さん入らないよ」と笑いが止まらない草彅さん。市村さんも「僕が出てきたら、月水金の人出てきたーってなったら嫌だな」と発言を後悔するような表情を見せたが、会場の笑い声と拍手はより大きいものとなりました。拡散を意識してか、再び映画についてじっくり語る場面も。役作りのこだわりについて草彅さんは「僕は、あまりやらない。みなさんのオーラとグルーヴ感っていうのかな。みなさんの顔を見たらその役になれるというか。(芝居は)1人で作業するものではないと思うので、やっぱりみんなで作り上げていくものだし。いくら台本を読んでも、実際に目の前に役者さんがくると、台本を読んだときとは違う感覚がたくさん出てくる。その場その場で感じたことを表現するのがフレッシュだし、伝わるものがあります」と解説。アドリブはしないそうで、「セリフは台本通りにちゃんとやります。でも、台本に書かれてないものが湧き出ていいものになるとは思っているから、そうなりたいなと心がけてやっています」と丁寧に語りました。國村さんは「カメラが回っている間、考えているのはいかに自由でいられるかどうか。相手を感じながらリアクションが出る。それがお芝居というもの。10テイク撮ったら、10テイク違うものが撮れる。同じものは2つとないですよね、監督?」とのフリに白石監督は「まさにその通りです」と返し、「もちろん(10テイクの中から)チョイスはするけれど、ここにいる人たちは俳優としてはもちろんですけれど、人としてもいろいろな経験をされて、いろいろな意見を持っている。そういう懐の深さ、大きさがスクリーンに焼きついています。そういう形で大きく映画に貢献してくれるすごい俳優が集まってくれたすごい映画です!」と太鼓判。衣裳を着て、かつらをつけることで役になりきれるという市村さんは「役の気持ちが入った状態で、いざ、格之進と対峙したときに、つよぽん演じる格之進が僕が演じる長兵衛を見ることで役が出来上がる。格之進とのやりとり、呼吸をする中で、芝居というものは生まれてきます」と真面目にコメント。小泉さんも相手とのやりとりで芝居が生まれるとし、「さらに今回は時代劇。自分のセリフを言うための説得力として、知らない情報を埋めていくという作業はみなさんしていると思います。そんな中で古い映画に出会ったりして。この映画に出てくるまあるい橋が出てくるかっこいい映画にも出会いました。そういうふうに(役のための情報を)埋めていく時間も楽しかったりします」と語りました。小泉さんが挙げた映画に登場する橋には白石監督のこだわりが詰まっています。「吉原大門の前の橋は『緋牡丹博徒 お竜参上』(加藤泰監督)にでてくる橋。京都(撮影所)にその図面が残っていたので、映画的な表現を使って、ドラマチックに表現しています。映画の知恵が詰まったシーンなので、そんなところにも注目してほしいです!」と白石監督がおすすめすると小泉さんも「今回、初めて京都の撮影所に行って。やっと(映画俳優に)仲間入りした感じ。美術もプロフェッショナルでとても素敵でした」とよろこびを噛み締めました。白石監督は貧乏長屋の障子紙の貼りものにもこだわりが詰まっていると話し、小泉さんも「江戸と関西での様式の違い。そういうものもちゃんと美術さんが作ってくれたことにも感動です!」と京都撮影所のこだわりにうなっていました。
最後の挨拶で草彅さんが「キョンキョンとは29年前に共演して、市村さんとはドラマ『ホテルビーナス』以来20年ぶり。國村さんとはドラマ『ペペロンチーノ』以来3年ぶりで。今朝はそんな御三方と会うんだなっていろいろと思い出していて。僕はこの映画で何を伝えたかったのかなってちょっと真面目なことも考えている中で、僕と格之進の決定的な違いって何だろうって思ったときに“覚悟が違う!”って気づいて。生きる覚悟が僕にはない、格之進にはある」と話したところで、「あるよ」「覚悟だらけじゃない!」との言葉が登壇者から飛び、すると草彅さんは「ネガティブじゃなくて。切腹とか生きる覚悟、すなわち死ぬ覚悟。そういう覚悟を持って格之進は生きている。覚悟の度合いが違うって思ったんです。でも、シンプルに考えたら、毎日生きているってことは毎日命がけってこと。格之進から“お前は覚悟を持って生きているのか…”みたいに言われているように感じて。覚悟を決めて生きていく人生ってかっこいいじゃないですか。何気なく過ごしている日も覚悟を決めて命をかけて生きているわけだから、そういうマインドを新しく格之進に書き換えてもらったのかなと今日、思いついちゃって(笑)」と最新の発見に満面の笑みを浮かべた草彅さんは、「僕の作品を観て心を動かしてもらいたい。そういうことに命をかけてこれから生きていこうかな、ということを格之進から教わりました」と語りました。そんな気づきも、共演者との出会いがあったからとし、「みなさんと長くおつきあいしてきた中から生まれたのかなって。便利な時代だけど、自分が何に命を燃やしているとか、少し考えてもらえるきっかけになればいいな、なんて、最後にそんなことを話したかったんです!」と自身の思いを真摯に伝える草彅さんに、この日1番の大きな拍手が贈られました。
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akunews · 1 month
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J-WAVE SPECIAL PREVIEW一般試写会レポート
4月11日、本作の公開を前にして、主演の大美賀均、撮影を担当した北川喜雄、そして編集の山崎梓が登壇するトークショーを行いました。当日は濱口監督よりビデオメッセージも上映しました。 当日のレポートを掲載いたします。
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登壇者の登壇前に、「みなさま最初で最後の試写会いかがだったでしょうか?皆さんの反応が気になるのですが、その場にいられなくて申し訳なく思っています。ただ、自分たちとしても、すごく良い仕事ができたなという感触を持っています。音楽の石橋英子さんの発案から始まった企画ですが、自分にとって充実した、幸福な制作でした。映画の内容は幸せだけではないところもありますが、皆さんにとって楽しめるものであったらいいなと思います。あそこはこうだったんじゃないか、ここが好きだ、嫌いだ、とかそういう話を皆さんとしていただいて、話題にしていただければと思います。アフタートークも是非最後までお楽しみください。」と濱口監督のビデオメッセージが流され、その後MCの呼びかけで登壇した登壇者。
 早速、どのようなきっかけで本作が始まったのかという話になると、撮影の北川が、「大美賀さんが合流する前に、まずは石橋さんに会いに行こう、ということと、音楽映画をどういうふうに撮ったら良いのかという命題の元に、石橋さんのスタジオに濱口さんとふたりでカメラを持っていったのが一番最初でしたね。その時点では、まだタイトルも決まっていなくて、石橋さんのパフォーマンスのバックグラウンドに流れる映像制作ということだけ聞いていました。」とはじまりを語る。
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大美賀も「濱口さんとは、『偶然と想像』という作品で制作部として入ったのが始まりでした。そこから、今回も初めはスタッフとして、北川さんと三人でシナハン、ロケハンに回っていきましたね。」と、自身のはじまりを語ると、北川が「小淵沢に三人で行ったのが始まりでしたね。みんなで田舎暮らしはどういうものだろう、と言ってやってみようということでスタンドインをしながら、薪割ったりしましたね。」と、当時を重ねて振り返る。そこから、どういったかたちで“主演”を務めることになったか聞かれた大美賀は、「2回くらいシナハンに行って帰ってきたタイミングで、「驚かないで聞いてください。」と濱口監督から電話がかかってきました。何かやってしまったのかな、とちょっと怖いですよね(笑)そして、「出る方に興味ありませんか?」ということで本当にサプライズでした。」と、まさかのサプライズに観客からも驚きの声が上がった。「当然びっくりするわけですが、濱口監督は経験豊かで、『ハッピーアワー』も経て職業俳優ではない方と映画をつくら���てきた方なので、そんな監督がそう言うなら面白いだろうと思いました。濱口監督にとっても新しいことをやってみようということだったので、その一員になれるなら、とワクワクしていましたね。」とオファー当時を振り返る大美賀。
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濱口監督とは東京藝大の同期であったと言う山崎は「在学中は一回も一緒にやっていなくて、実質、卒業後からでしたね。わたしが卒業後は大学院の方に残って4年くらい大学で助手をやっていて、その間に海外の学校との合作など色々なプロジェクトが動いている中で、『THE DEPTH』という韓国の大学との制作にはいるときに、わたしが学校にいたということと、私が編集を続けるという選択肢をしていたということとか、私がいると学校にいるので機材もつかえますし(笑)とか色々あり、一緒にやりました。その『THE DEPTH』をやる前に『永遠に君を愛す』というのもありましたね。」と濱口監督との制作のはじまりを話す。そこから、「今回は、「石橋さんの『GIFT』という作品のためのものを、撮ってあります」ということから始まって素材を渡されて、「え!」みたいな。(笑)台本はいまでももらっていないです。」と、ここでも驚きのエピソードが飛び出す。北川も山崎が入ったタイミングのことを、「撮影中盤で、『悪は存在しない』という映画をまずは成立させた後に、その編集を解体して『GIFT』をつくる、という話を聞いていたんですけど、良い撮影ができていって、撮影の終盤に『GIFT』の方を山崎さんに頼もうと思うんだよね、っていうのを濱口監督がぼそっと言っていたのを覚えています。」と思い返す。山崎は「確信犯ですね。(笑)」と突っ込みつつ、「素材自体は一般的な音声が入っている映像が届いたんですけど、撮影順に整理されていて、「どうぞ」と言う感じでしたね。(笑)何をどうするか、というのはずっと手探りでいて、まずは素材を観て、何ができるかを考えようということで、頭から最後まで(濱口監督と)一緒に観て、「何をつくりましょうか?」という話になりましたね。前提として、石橋さんのための音楽ということはあったので、『GIFT』の編集の時は最初から、スピーカーをミュートにしてやっていました。」と、編集の裏側が明かされていき、観客も聞き入る。続けて、「『GIFT』の方を着手して、色々試行錯誤していく中で、『悪は存在しない』も並行してやって、どこがどうこのふたつは違うのか、じゃあ『GIFT』がこうしたいなら、『悪は存在しない』はどうするのか、“編集交換日記”というか、お互いどうしてるのかみたいなのを話していましたね。部分的に繋いだもので、良きものはどちらかに入れたり、というのを並行してやっていました。」と本プロジェクトだからこその共同作業のプロセスも明かされる。
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本作以前より濱口監督と関わりのあった三人に、他の作品との制作の違いを尋ねると、山崎は「今までの作品は、完成形が「こうなる映画である」というのが明確にあったと思うんですね。今回、『GIFT』は特に全くなかったので、今回の試行錯誤の多さは今までに全くなかったものですね。ストーリー展開も自由で、寓話っぽいかたちで、そういうものも受けいれられる自由度の大きいプロジェクトでしたね。」と、しみじみ語る。北川も10人前後での制作体制の現場を振り返りながら、「濱口さんの場合は、皆がやったことひとつひとつが、この作品のためにどうなるか、自覚しながら、現場が作られる、場がつくられます。みんなが作品のために何をやっているかちゃんと明確に分かって仕事ができる、それが喜びにつながるし、それがすごく楽しいですね。そういう場をつくってくれるのが濱口さんですね。」と濱口監督ならではの現場での体験を語る。
映画中盤のグランピング建設の説明会のシーンの話になると、「ホン読みを何度も繰り返しやって、あの説明会のシーンは2日間あったのですが、1日目の午前中は丸々ホン読みに使いましたね。」と贅沢な時間の使い方を振り返る大美賀。「現地のエキストラの方と、東京から来た方、50人くらいのエキストラの方が演じる人の背景や、グランピングに賛成なのかどうなのかという設定を、助監督の方がひとりひとりにお渡ししてましたね。大変だなというのを見ながら、自分は撮影の準備に集中していました。(笑)」と、北川も振り返るが、そういった積み重ねがあったからこそ現地のフィルムコミッションから「こんなにエキストラの皆さんが楽しそうにやっているのは見たことがなかった」という声が上がったことも明かす。編集の山崎も、「編集素材を見ていてもそれはすごく伝わってきました!そのシーンはなんか揉めてるなと思って見ていたのですが(笑)、2日間で撮影した説明会って2カメで、素材は通常の倍以上あるわけですが、全然楽しかった!このおじさんすごい賛成している、というのも分かるので、(演じている)皆さんも何回もやっているはずなのに、白熱して、とても楽しそうでしたよ。」と絶賛。現場にいた北川も、「エキストラの方も、生で舞台上で演技をしている人の中に入って見ているような状況なので、アトラクション感ありますよね。最初はどのタイミングで誰が立つのかわからないので、面白かったはずです。」と話す。
そんな中、初めての演技経験に挑戦した大美賀は「いままでにない緊張をしましたね。頭を打ったりすると目の前に蝿が飛ぶってあるじゃないですか。あれが本当に起こるんですよ!(笑)本当にセリフが出てこなくて、間があったり、三行のうち二行を飛ばしてしまったり、最初のテイクはかなり続いてしまったんですが、濱口監督は「それはそれでオッケーです」とか、「本当に集中している時はセリフを飛ばします」と言われるんですよね。」と現場での濱口監督のフィードバックを明かしながらも不安そうな表情をする。そこで、北川は「実は初日の3ターン目くらいに、(撮影の)飯岡さんが「大美賀さんのいいところが撮れたよ」って言ってくれていましたよ。」という話を明かし、安心した表情の大美賀だった。
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最後に、北川が「噂によると、2、3回目観るとまた違う感覚に陥ると、そのようにできていると、監督と石橋さんもおっしゃっています。(笑)すごく綺麗な自然の中、そしてミニマムながら一番いい光の時間を考えながら、楽しく撮影できた作品なので、大きなスクリーンで観ていただけたら嬉しい気持ちでいっぱいです。」と、山崎が「濱口さんの作品の編集が終わった時、「観たことない映画ができたな」という感覚になるのですが、今回も「観たことがない」というのを本当に感じたので、皆さんも宣伝にご協力いただき、また観ていただけたらと思います。」と、大美賀が「僕もこの映画は8、9回観ているのですが、山崎さんが仰るように、説明会のシーンの町の方の顔一つとっても、観るべきところがあります。自然と音楽と、とても気持ち良いですよね。この後、お酒でも飲みながら話したり、観た後も楽しい作品です。感想等、書いていただいたら励みになりますので、宜しくお願いします。この映画を気に入っていただいた暁には、『義父養父』(大美賀の監督作)も観ていただけたら、理解が深まると思いますので、宜しくお願いします。」と話し、トークショーは終了した。
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mimikioo · 2 months
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久しぶりの海外であった☕️
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2024.3.22
1月に韓国に行きましたが
いつぶりの海外でしょうと思って
2015年1月にスペインに行って
9年ぶりだったのでした🐏
その時友達が世界一周の旅してて
よんでくれて
スペイン滞在の時をめがけて
いったのでした
これも貴重な体験で感謝
丁度行く前に、友達が荷物とられる事件にあい
囲まれて鞄ごととられたみたい
携帯もなくなったけど
ネットカフェからFacebookつかって別の友達づたいで連絡きて、
新しい携帯を日本からもっていく事ができたのでした
私はFacebook全然稼働してなくてメッセージも気づけない状況だったけど、こーゆう時いいなと当時思���たのでした。
まだ日曜日ギリギリクリスチャンの頃で
旅も神様と無関係のように思いましたが
友達に携帯等を渡せるように
神様がその様にしてくださったように思ったのでした。
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ignitiongallery · 10 months
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朗読フェス ’23
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三軒茶屋にある本屋&ギャラリー&カフェ『twililight』で、 心にあそびが生まれる夏の一日を。 翻訳家、詩人、ミュージシャン、俳優、画家、モデル、作家たちの表現を、 からだで聴き、知らないあなたと分かち合える喜びを。
「朗読フェス ’23」を、8月16日に開催します。
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日程:2023年8月16日(水)
会場:twililight (世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
タイムテーブルと料金:
10時45分:開場
11時:柴田元幸(翻訳家)                           料金:1,500円
12時30分:水沢なお(詩人)                            料金:1,500円
14時:浮(シンガーソングライター)                      料金:2,500円
15時30分:菊池明明(俳優)+小山義人(画家)                   料金:2,500円
17時:前田エマ(モデル、作家)                        料金:1,500円
18時30分:安達茉莉子(作家)                           料金:1,500円
20時:butaji(シンガーソングライター)                      料金:2,500円
21時30分:ninoheron(イラストレーター、ミュージシャン)  料金:2,500円(キャンセル待ち)
22時15分:終演
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出演者ごとに定員18名の入れ替え制になります。
2回参加は合計金額から200円OFF、3回参加は500円OFF、4回参加は700円OFF、5回参加は1000円OFF、6回参加は1500円OFF、7回参加は2000円0FF。
一日通し券(キャンセル待ち)は3000円OFFの13,000円です。
件名を「朗読フェス’23」として、
お名前・ご予約人数・当日のご連絡先・参加ご希望の出演者名を明記の上、メールをお送りください。
複数回予約される方は、出演者それぞれのお名前をご明記ください。一日通し券をご希望の方は、一日通し券とご明記ください。
*当日無断キャンセルの方にはキャンセル料を頂戴しております。
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出演者プロフィール:
柴田元幸(しばた・もとゆき)
1954年、東京生まれ。米文学者、翻訳家。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞、『メイスン&ディクスン(上・下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞、2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌『MONKEY』の責任編集も務める。
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水沢なお(みずさわ・なお)
静岡県生まれ。詩人。2016年第54回現代詩手帖賞、2020年第1詩集『美しいからだよ』(思潮社)で中原中也賞受賞。詩集『シー』(思潮社)、小説集『うみみたい 』(河出書房新社)。
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浮(ぶい) 
米山ミサによるソロユニット。 2018年頃から「浮」としてガットギターの弾き語り、作詞曲を始める。 2019年、FABIENNEより1stAlbum"三度見る"をリリース。 2020年、白と枝、松井亜衣とユニット”ゆうれい”を結成。 2021年、藤巻鉄郎(ds)、服部将典(cb)とトリオ”浮と港”の活動を開始。 2022年11月1日、Sweet Dreams Pressより2nd Album"あかるいくらい”リリース。
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菊池明明(きくち・めいめい)
千葉県出身。和光大学在学中に演劇をはじめる。2008年ナイロン100℃劇団員オーディションに合格、2009年に劇団員となり2023年4月まで在籍。ナカゴー『黛さん、現る!』にて2012年度佐藤佐吉賞最優秀助演女優賞受賞。2021年に第一子を出産、2022年に復帰し、映画やドラマなど映像出演の機会も増えている。公開中の出演作は映画『テン・ストーリーズ』(山西竜矢監督他)、『おーい!どんちゃん』(沖田修一監督)、『家族・する』(渡邉高章監督)。近年の出演舞台はマームとジプシー『cocoon 』、東葛スポーツ『ユキコ』、ナカゴー特別劇場『もはや、もはやさん』、東京にこにこちゃん『シュガシュガ・YAYA』など。
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小山義人 Yoshito Koyama
イラストレーター、ペインター。セツ・モードセミナー卒業。 主な仕事に装画『ベルリンは晴れているか』(深緑野分 著 / 筑摩書房) 、『バグダードのフランケンシュタイン』(アフマド・サアダーウィー 著 / 集英社) 、『首相が撃たれた日に』(ウズィ・ヴァイル 著 / 河出書房) など。
HP https://www.yoshito-koyama.net Instagram https://www.instagram.com/yoshito_koyama/ Twitter https://twitter.com/koyama_13
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前田エマ(まえだ・えま)
1992年生まれ、神奈川県出身。東京造形大学卒業。オーストリア ウィーン芸術アカデミーに留学経験を持つ。現在、韓国・ソウルの語学堂に留学中。モデルを中心に、執筆やラジオパーソナリティ、ペインティングなど、幅広く活動。著書に小説集『動物になる日』(ミシマ社)。『オズマガジン』の他、ウェブサイト『ミシマガジン』『ARToVILLA』『Hanako web』でエッセイ連載中。
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安達 茉莉子 (mariko adachi)
作家・文筆家。大分県日田市出身。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関での勤務、限界集落での生活、留学など様々な組織や場所での経験を経て、言葉と絵による作品発表・執筆をおこなう。 著書に『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』(ビーナイス)、『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE 』(三輪舎)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)、『世界に放りこまれた』(ignition gallery)など。
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butaji
東京に住むシンガーソングライター。幼少期からクラシック音楽に影響を受けて作曲を始める。コンセプト立てた楽曲制作が特徴で、生音を使ったフォーキーなものから、ソフトシンセによるエレクトロなトラックまで幅広い楽曲制作を得意とする。2013年に自主制作したep「四季」が話題を呼び、1stアルバム「アウトサイド」、2ndアルバム「告白」を発売。2021年に3rdアルバム「RIGHT TIME」を発売し、「APPLE VINEGAR – Music Award2022」の大賞を受賞。2022年にはドラマ『エルピスー希望、あるいは災い-』主題歌「Mirage」に作詞、作曲で参加した。ライブでは弾き語りを始めバンド、デュオなどさまざまな形態で活動中。トラックメイカーの荒井優作とのユニット・butasakuとしてもライブ&リリース中。
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ninoheron(にのへろん)
東京を拠点に活動するイラストレーター/ミュージシャン。 バンドや雑誌などにアートワークを提供しつつ自身の制作活動を行う。 2022年9月、1stアルバム『Image』を自主レーベル「MADAM」より発表。 楽曲とドローイングが一冊にまとまった作品集となっている。 uri gagarnやgroup_inouのメンバーとしても活動。
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宣伝美術:ササキエイコ
企画:twililight
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ari0921 · 2 months
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「もしトラ」でなく「ほんトラ」に備えよ
            櫻井よしこ
本当にトランプ氏が戻ってくる。
去年9月末に米軍の統合参謀本部議長を退いたマーク・ミリー氏の長時間インタビューを、雑誌『アトランティック』(2023年11月号)で読んだ。元陸上幕僚長の岩田清文氏の強い勧めによる。
トランプ、バイデン両氏に仕えたミリー氏は少なからぬ米軍人がそうであるように日本との関連も深い。父親は硫黄島とサイパンで日本軍と戦った。熾烈な戦いだった。80代になり、パーキンソン病を患った父は、苛烈な戦いの記憶に悩まされることがある。「ジャップが来た。逃げろ、早く逃げろ」と叫ぶ。その度にミリー氏は「大丈夫だ。我々は勝ったんだ。今、僕たちはカナダとの国境に近い東部にいる」と語りかけて、父親を落ち着かせるそうだ。
ミリー氏は15年に陸軍参謀総長に、19年9月にトランプ政権の統合参謀本部議長に就任、21年1月の政権交代までトランプ政権の下で1年4か月をすごし、その後、バイデン政権でも同じ地位にとどまった。退官が23年9月末だったことはすでに述べた。
一方、トランプ氏は20年11月の大統領選挙でバイデン氏に敗北したが、その結果を受け入れず、勝利は盗まれたのだと、今でも主張する。敗北当時、どうしても大統領職にとどまりたかったトランプ氏は熱烈な支援者たちに呼びかけて米国議会に乱入させるなどして、この3年余り、一連の事案で係争中だ。
ミリー氏の回想は日本にとって幾重にも教訓となる。現状を見れば、トランプ氏の再選を前提にしてわが国の外交・安全保障政策を準備しなければならないのは明らかだ。
今更ではあるが、トランプ氏の大統領としての資質に、当時の側近の多くが疑問を抱いたことに、まずアトランティック誌は焦点を当てている。たとえば、17年~18年に大統領首席補佐官としてトランプ氏に仕えたジョン・ケリー氏と、トランプ政権の最初の国防長官、ジェームス・マティス氏の秘かなる相互誓約である。両氏は「大統領を監督できない状況を作らないために、どんな時も2人同時に国を離れることのないようにする」と誓約し合った。
つまり、大統領が突然、軍を好きに動かせないように見張っておく必要を感じていたというのだ。
「クレイジーなことはしない」
米国では20年5月に黒人のジョージ・フロイド氏が警官に首を圧迫されて死亡、そのあとBLM(黒人の命も大切だ)運動が全米に広がった。その年の11月にはトランプ氏の再選をかけた選挙が行われる。トランプ氏の周りにはBLMに代表される極端な左翼運動に強い敵意を抱く人々が少なくなかった。彼らは「BLM運動の左翼活動家が米国を燃やし尽くします」というような極論をトランプ氏に吹き込んだという。そうした見方に影響されたトランプ氏が自らの求心力を高めるために危機を創出する、
たとえば他国への攻撃に踏み切りかねないという懸念が浮上した。そのひとつがイラン攻撃の議論だ。
大統領選挙前にトランプ政権の下でアメリカの国論をひとつにまとめる一手として、核兵器製造作業をやめないイランを攻撃すべきだという声があった。一方で大規模な先制攻撃は正当化されないというミリー氏らに代表される反対論も強く、ホワイトハウスは二分されていた。
もうひとつが中国だ。当時、「中国はトランプ氏が武力攻撃をかけてくると信じている」とのインテリジェンス情報を、米国側が入手した。そこでミリー氏は大統領選挙投票日直前の20年10月30日、人民解放軍(PLA)の李作成・連合参謀部参謀長に電話をした。
ミリー氏はこう言ったそうだ。我々は5年来の知り合いだ。米国政府は安定しており、全てはコントロールされている。もし、我々が攻撃する場合、私が事前に貴方に通報する。万が一、米中間に物理的攻撃(kinetic action)が起きても、歴史が示すように必ず、再建されるだろう、と。
ミリー氏は21年1月8日、中国に2度目の電話をかけている。1月6日にトランプ氏の熱烈な支持者らが米国議事堂に乱入したその2日後だ。民主主義だから色々あるが、米国は大丈夫だと伝えたとされている。いずれの電話も国防長官、国務省、CIAなどの了承を得て、会話は彼らも聞いている中で進行した。
21年1月の議会乱入の後、ナンシー・ペロシ下院議長がミリー氏に電話をかけた。ペロシ氏は「トランプは狂っている。貴方もそのことは分かっているでしょう。米国の核はきちんと保管されているか」と尋ねたそうだ。トランプ氏への評価に関して、ミリー氏はペロシ氏に同意し、「核を含む軍事力について、110%、違法なこと、クレイジーなことはしないと約束する」と語った。
核の使用を単独で決定
この会話の直後、彼は核のオペレーションに関係する軍幹部全員を緊急招集した。氏は核攻撃がなされる場合の正規の手続きを改めて皆に徹底させたうえで、少しでも通常とは異なる異常事態が発生した場合、自身を含む全員が情報を共有しておかなければならない、と言い渡した。
大統領は核の使用を単独で決定できるが、実際の発射は実は一人ではできない。大統領が核攻撃を決断すると、その決定は国防長官に伝えられる。国防長官は戦略軍司令官に伝え、そこから基地の司令官に伝えられる。最後に、スイッチを押す兵士たちに命令が届く。
こうしてみると、統合参謀本部議長のミリー氏は右の指揮命令系統には入っていないことが分かる。それでもミリー氏は通常の状況を外れた事態が起きたら、全員がその情報を共有しなければならないと、核に関する部署の全員に言い渡した。危機感はそれほど強かったということだ。
ここまで読んだ読者の皆さんは、この雑誌アトランティックの記事はかなり強い反トランプの視点で書かれていることに気づくだろう。トランプ氏が再選されると、まるですぐに核が使用されかねないような印象を与えるかもしれない。そうはならないと私は思う。それでも今、私たちの地球社会が核の脅威に満ちていることへの懸念は強く持っている。
プーチン氏はウクライナでの核使用を14年のクリミア半島奪取のときから準備していた。氏自身がそのことを公表済みだ。北朝鮮は日本と韓国に対して核とミサイルを準備している。中国は台湾占領のために、台湾での核の使用も念頭に入れている。台湾有事は必ず日本有事に重なる。日本は中国の多層的ミサイル・核攻撃の標的であることを忘れてはならない。
ウクライナ侵略戦争の行方を他人事と考えてはならないように、核の被害を受けた日本だから核廃絶を声高に提唱するだけでよい、と思ってはならない。まず、世界で核・軍事力が実際にどのように使われようとしているか、現実を見て考えることがとても大事だ。
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wic1956 · 5 months
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study abroad diaries 〜北京編〜
大家好~!!早稲田大学文化構想学部3年の下田葉月です!
9月からの1年間、中国の清華大学に交換留学しています🐼
アジア圏、特に中学へ留学する人はかなり少数派なのではないでしょうか、、(私が知る中でもWICでは私しかいないような、、)
私自���準備を進める段階からなかなか中国留学の情報は出回っていないなという風に感じているので、特に中国に興味のある人、留学を考えている人の参考になればと思います🌼
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↑故宮博物館(明と清の時代の宮殿、紫禁城)
① 北京と清華大学について
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清華大学は中国の首都北京の海淀区というところにあり、北京首都国際空港から車でおよそ50分の場所に位置しています。北京大学と並んで中国で最も有名な大学であり、中国各地から優秀な学生たちが集まる場所です。北京にはこれ以外にもたくさんの大学がありますが、清華大学のキャンパスは北京内で最も大きい面積を誇り、なんと早稲田大学の約15~20倍ほどです、、
このような環境の中で生活するうえで欠かせないのが、自転車です!!私は小学生の頃に自転車で転んで以来トラウマで一切乗っていなかったのですが、大学内での移動で徒歩ではなかなか限界があったために、大学で自分の自転車を買いました✨(9000円くらいでした)
今では自転車技術も向上し、大学の中でも外でもどこへでも自転車に乗っていきます!!
でも北京には交通ルールや秩序がほぼないので、たとえ信号が青でもしっかり確認して車の合間を縫って走らないと本当の本当にひかれます、毎日がスリル満点です。
中国ではレンタルの自転車も充実していますが、殆どの人が自分の自転車か小型のバイクを持っています。日本と比べ物にならないほど自転車とバイクが多いですが、道が平坦で広いため比較的走りやすいです。(でも日本よりはるかに危険です)
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↑ピーク時の大学内、誰も譲らないのでよくぶつかります
② 学習面
私は交換留学の言語プログラムなので、とっている授業はすべて中国語の授業で固定です。授業は毎朝8時からはじまり(毎日6時半起きです、、)午前中には終わります。私のクラスには日本、韓国、タイ、ベトナム、フィリピン、ドイツ、オーストリア、オランダ、カナダ、アメリカ、ロシア、キルギスからの学生が集まっていて、その年齢も様々です。私はクラスで最年少ということもあり、中国に留学に来る人は院生をはじめとした年上の人が多いなあという印象を受けます。
中国に留学してみて驚いたのが、中国にルーツを持つ日本の留学生の多さです。私の周りでも体感9割ほどが両親のどちらかが中国人だったり、もともと国籍が中国であったり、または昔中国に住んでいた、など何らかの形で中国につながりを持っています。ここが他の国への留学とはちょっと違うところなのではないかなあ、と個人的に感じています。
ルーツを持たない留学生のうちでもほとんどが日本の大学で中国語を専攻している学生なので、そのどちらでもない私はかなりレアなケースだと思います、、。上のような事情から中国語がもともとできる子が多いのでコンプレックスを感じることもありますが、今はそんな自分に誇りを持てるようになり、元々中国語が好きなので楽しんで勉強できています✨
毎日顔を合わせることもあり韓国のクラスメイト2人と日本のクラスメイトの4人ですごく仲がいいのですが、全休の日や週末にみんなで北京の色々な場所へ遊びに行っています!!実は北京にはユニバーサルスタジオもあるんですよ❤️
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(上から天坛公园、万里の長城、ユニバーサルスタジオ北京)
③ 生活面
渡航前からなんとなくこんなところかな、、というイメージはありましたが、予想以上に北京は何もないところです、、。広大な中国の首都ですが、政治の中心という要素が大きいのか、不思議なことに都市の雰囲気がなく、日本に北京と似た都市はないとも言われます。
私は留学する大学を決める時に首都だから北京かな、と思って実際多くの大学が集まる北京を選びましたが、特に上海に住んでいた人や言ったことのある人はみんな上海がいいと言います(東京に似ているみたいです!)😭
そんな北京は、最近は気温が日に日に下がり、今12月の今日は最高気温がマイナス5度、最低気温がマイナス13度です、、。4日後にはマイナス20度になるそうです😥
とにかく体験したことのないような寒さで、露出しているところがあると痛いのでおしゃれもできません泣 
ここで、皆さん気になっているであろう、中国の食事についても紹介したいと思います🌸「美食の砂漠」と揶揄されることもある北京ですが、首都であるという特徴ゆえ様々な地方の中国料理を食べることができます!!私はほとんどの食事を大学の食堂ですませていますが、一食100~200円ほどで食べられて、種類も豊富でとても美味しいので飽きることがありません。私は特に辛いものが大好きなので、中国の暮らしや食に適応できています!
外で食べる火鍋や羊肉串などの中国料理は絶品なので、一度食べたら病みつきになること間違いなしです!ほかにも北京にはたくさんの韓国料理屋さんや日本料理屋さん(居酒屋)があり、様々な料理にありつけます!洋食もあることはあるのですが、中国料理で完結している感が強く、日本よりは期待できないと思います、、。              
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美味しくて種類豊富な飲み物が安く飲めます💕
④ 最後に
最初は中国の食や環境に適応するのが大変で中国に来て何度もおなかを壊し(急性腸炎にもなりました)、肺炎にもなりました。公共のお手洗いなどは、清潔な日本に比べるとやっぱり少し難易度が高いので、中国に住むことは色々な面から忍耐力を要します、、。
さらに中国はビザをはじめとしたすべての手続きがすごく複雑で厳しいので、それを1つ1つこなすのにも体力と精神力が必要です。また、ライン、インスタグラム、ツイッター、Google、ユーチューブなどの普段頻繁に使うSNSが中国では政府の規制により使えないので、VPNを使用する必要があるなど中国留学には独自の厳しさがあるようにも思います😭
しかし、皆さんにお伝えしたいのは、中国はすごく素敵な国であるということです。観光地に行けば何千年もの長い歴史をその美しい景色から感じることができ、食べ物の種類も豊富で飽きることがなく、さらに中国の方は情熱的で優しい方がすごく多いです。
もともと中国語と中国に興味があり留学を決めましたが、やっぱり素敵な国だなあ、と毎日のように思いながら生活しています✨
中国はビザの手続きの煩雑さやなんとなくのイメージからなかなか行きにくい国ではあるかもしれません。しかしながら、旅行に行くにも留学するにも素晴らしい国なので、みなさんぜひ目を向けてみてください!!
少しでも中国留学の実態と中国の魅力をお伝え出来たなら嬉しく思います!最後までお読みいただきありがとうございました💐再见~!!
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yorithesims · 11 months
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7月のお出かけカフェはしご編。 ワインとフレンチを提供するお店のランチで「タルト・フランベ」という謎食べ物をお目当てに。無事完売前に注文。でっかいインパクトながらペラッペラの生地だからふつーに完食できる~wやばい!おいしいいーーー!キッシュも飽きずに食べられる美味しさらしいから今度はそれを食べたい。 若いお嬢さんたちにウケているらしい「韓国っぽカフェ」参戦!雨の湿度に耐える待ち時間、、、大きなスーツケースで並ぶ女の子たち、目の前で友達とセルフィーする女の子たち。その画面内の仕上がりと遜色ない可愛らしさのリアルの姿に驚愕するのであった。見渡す限りの美女集団&かわいい美味しいで眼福の時間…ッ!
しかしまぁ、ちょっと仕事が忙しくバテ気味のここんとこ。来月まではちょっとおとなしく静養したいやで。
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kennak · 2 months
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「まず皆さん、来ていただいてありがとうございます。僕も話したかったのでうれしく思っていますし、チームの関係者も皆さん、ぼく自身もそうですけど、ファンの皆さんもここ一週間くらいですかね、厳しい一週間だと思うのですけど、皆さんも含めて我慢とご理解をしていただいたのは、すごくありがたいなと思っています。まず、僕自身が信頼していた方の過ちというのを悲しくというか、ショックですし、今はそういう風に感じています」「現在進行中の調査もありますので、きょう話せることにまず限りがあるということにご理解いただきたいということと、また、きょうここに詳細をまとめた、わかりやすく皆さんにお伝えするためにまとめたメモがありますので、そちらの方に従って、何があったのかというのをまず説明させていただきたいなと思います」「まずはじめに僕自身は何かに賭けたりとか、誰かに代わってスポーツイベントに賭けたりとか、それをまた頼んだりということはないですし、僕の口座からブックメーカーに対して誰かに送金を依頼したことももちろん全くありません」「本当に数日前まで、彼がそういうことをしていたというのも全く知りませんでした」「結論から言うと、彼が僕の口座からお金を盗んで、なおかつ、僕の周りに、みんなに嘘をついていたというのが結論からいうとそういうことになります」「まず初めにいうと、先週末、僕の代理人に対してメディアの方から、私が国内ですね、日本のブックメーカーから僕が関与しているのではないかという、スポーツ賭博について関与しているのではないかという打診、連絡がありました」「一平さんは僕にこういった取材の依頼があるということをまず僕には話していなかったし、僕にはそういう連絡が来ていなかったということと、初めに代理人には一平さんは僕と話してわかったのは、一平さんにではなく、某友人の借金の肩代わりとして支払ったという風に、僕の代理人を含めてみんなに話していました」「その翌日にさらに尋問で、一平さんは僕の代理人に対して、借金は自分のもの、つまり一平さん自身がつくったものということを説明しました」「それを僕が肩代わりしたという話を、その時に代理人に話しました」「そしてこれらは全くすべてが嘘だったということです」「一平さんは取材依頼のことも僕にもちろんその時伝えていなかったですし、代理人の人たちに対しても、『僕はすでに彼と話してコミュニケーションを取っていた』ということも嘘をついていました」「僕、代表、チームにも、代理人たちに対しても、僕とコミュニケーションを取っていたと嘘をつきました」「そして僕がこのギャンブルに関しての問題を初めて知ったのは、韓国の第1戦が終わった後に行われたチーム・ミーティング、試合の後のチーム・ミーティングの時です」「そのミーティングで彼は全部英語で話していたので、僕に通訳もついていなくて、すべて英語で話していたので、完全には理解できていなくて、何となくこういう内容であるとはおそらくは理解できていましたけど、何となく違和感はその時は感じていました」「でまあ、その時彼は僕に対してホテルに帰った後で、2人でより詳しいことを2人で話したいので今は待ってくれという風に言っていたので、僕はまずその時はホテルまで待つことにしました」「僕は一平さんがその時に、ミーティングの時にギャンブル依存症だということを僕はもちろん知らなかったですし、彼が借金をしていることもそのミーティングの時は知りませんでした」「僕は彼の借金返済にもちろんその時同意していませんし、ブックメーカーに対して彼に送金してくれと頼んだことも許可したことももちろんないです」「そのあと、試合後ホテルに戻って、一平さんと初めて話をして彼に巨額の借金があることをその時知りました」「彼はその時私に僕の口座に勝手にアクセスしてブックメーカーに送金していたということを僕に伝えました」「僕はやっぱりおかしいなと思って代理人に話したいということで、代理人を呼んでそこで話し合いました」「話を終わってこれを聞いて、僕の代理人もやっぱり彼に嘘をつかれていたということを初めて知って、すぐにドジャースの皆さんと弁護士の人たちにその時に連絡しました」「ドジャースの皆さんも弁護士の人たちも、彼らもその時に初めてまた嘘をつかれていたということをその時に知りました」「そして僕が、弁護士の人たちがこれは窃盗と詐欺のことなので、これを警察の当局に引き渡すという報告をその時にしました」「これがそこまでの流れなので、僕はもちろんスポーツ賭博にもちろん関与していないですし、ブックメーカーに送金していたという事実は全くありません」「正直ショックという言葉がまあ、正しいとは思わないですし、それ以上の言葉では表せないような感覚で、この一週間くらいはずっと過ごしてきたので、今はそれを言葉にするのは難しいなと思っています」「ただ今シーズンも本格的にスタートするので、ここからは弁護士の方々にもお任せしますし、僕自身も警察当局の協力に、全面的に協力したいと思っています」「気持ちを切り替えるのは難しいですけれども、シーズンに向けてまたスタートしたいですし、きょうまたお話できてよかったと思っているので、まあきょうは質疑応答は、これが今お話しできるすべてなので、質疑応答はしませんが、これからさらに進んでいくと思います」「以上です。ありがとうございました」
「僕の口座からお金を盗んだ」「すべてがうそだった」大谷翔平選手の声明全文 - 産経ニュース
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