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#ギリシア神話画
kyary1976 · 1 year
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とりあえずおやすみなさい😴💤⭐🌙 . . . #一般社団法人亜細亜美術協会 #一般社団法人社員画家 #亜細亜現代美術展 #ワンセブンライブ奏蒼 #17ライバー奏蒼 #ほとんどの配信アプリでキャリさん #美女たちの森と沼 #奏蒼マジック #変態枠 #世界のピンク枠 #broadcast #livestreaming #BIGO #REALITY #ゲーム配信 #宮崎県産まれ三重県育ち #統一を諦めない精神は多様性を称揚する #否定ほど芸術に多くを与えるものはない #似顔絵 #ギリシア神話画 #世界一の画家になるために https://www.instagram.com/p/CpFPiTopVjo/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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petapeta · 11 months
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地球平面説という神話(ちきゅうへいめんせつというしんわ)は、近代に生まれた誤解で、中世西欧では地球球体説ではなく地球平面説がはびこっていたという謬説である[1][2]。地球平面説と天動説を混同したのであろうこの説は20世紀前半に広範に流布されたとみられており、イギリスの歴史学協会の1945年の会報に以下のように述べられている: 「地球が平らだとコロンブスの時代の教養人が信じていたという説や、同時代人がそう信じていたことがコロンブスの障害となったがやがてコロンブスはそれに打ち勝っていったという説は、歴史教育において最も強固な間違いである」[3]。 中世初期には既に、元々古代ギリシア人たちが示した球体説をほとんど全ての学者が支持していた。教養人たちの間では14世紀までに地球平面説が完全に死滅した。ただし、ヒエロニムス・ボスによる著名な三連祭壇画『快楽の園』の外面が、ルネサンス時代における地球平面説の一例となっている。そこには透明な天球の中に浮かぶ円盤状の大地が描かれている[4]。 スティーヴン・ジェイ・グールドによると、「(古今の社会一般において私達の住む惑星がどのように概念化されたかはさておき)学者たちの間で『地球平面説が信じられた暗黒時代』など存在しない。古代ギリシア以来の地球が球体であるという知識が消え去ったことなどなく、中世の主だった学者は皆、宇宙論上確立された事実として地球が丸いことを支持していた[5]。」 科学史家のデイヴィッド・リンドバークとロナルド・ナンバーズも「中世のキリスト教徒の学者で〔地球が〕丸いことを認めず、地球の近似的周長を知らないものなどほとんどいなかった[6]」と指摘している。 歴史家のジェフリー・バートン・ラッセルは、中世に地球平面説が流行したという誤解は1870年から1920年にかけてはびこり、また、進化論によって作り出されたイデオロギー的な状況とも関係したと述べている[7]。ラッセルは、「まれな例外を除けば、紀元前3世紀以降の西洋文明の歴史に連なる教養人で地球が平面だと信じたものなどいなかった」と主張し、ジョン・ウィリアム・ドレイパー、アンドリュー・ディクソン・ホワイト、ワシントン・アーヴィングらが地球平面説という神話を流布したのだと考えている[8][9]。
地球平面説という神話 - Wikipedia
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boooooooooooook · 1 year
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2023年1月、2月、3月読んだ本
「レオス・カラックス映画を彷徨うひと」フィルムアート社 「女パンクの逆襲 フェミニスト音楽史」ヴィヴィエン・ゴールドマン Pヴァイン 「プラネテス全4巻」幸村誠 講談社 「合格テキスト日商簿記1級商業簿記・会計学 1・2・3」TAC出版 「合格テキスト日商簿記1級工業簿記・原価計算 1・2・3」TAC出版 「究極の計算&仕訳集 日商簿記1級」TAC出版 「究極の会計学理論集 日商簿記1級全経上級対策」TAC出版 「なぜ読解力が必要なのか?」池上彰 講談社アルファ新書 「ももこの世界あっちこっちめぐり」さくらももこ 集英社 「世界の現場から」犬養道子 中央公論社 「ちくま1月号、2月号、3月号」 「図書1月号、2月号、3月号」 「波1月号、2月号、3月号」 「みすず1月号、2月号、3月号」 「デッドエンドの思い出」よしもとばなな 文芸春秋 「犬婿入り」多和田洋子 講談社 「択訳ギリシア神話」ロバード・グレイブズ 「笑いと忘却の書」ミラン・クンデラ 集英社 「私の旅に荷物はもういらない」マヤ・アンジェロウ 立風書房 「家族の復権」林道義 中公新書 「マガジン青春譜」猪瀬直樹 小学館 「詩集大戦序曲」橋本治 河出文庫 「老人力」赤瀬川源平 筑摩書房 「常識論」赤瀬川源平 大和書房 「吉田茂とその時代」岡崎久彦 PHP文庫 「死神の精度」伊坂幸太郎 「朝のコント 夜のコント」筒井康隆 「90年代ディスクガイド USオルタナティブインディーロック編」松村正人 Pヴァイン 「新明解 故事ことわざ辞典」三省堂
新年早々コロナウイルスに感染し病舎で12日間過ごしました。2月には高校の本校へ訪問する機会があり、3月には無事卒業式を迎え感慨深いものがありました。4月以降他の施設に移送になります。今は日商簿記一級合格目指して勉強しています。
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elle-p · 5 months
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P3xP4 World Analyze pages 36-37 transcription.
停滞する時の中で過去を垣間見る “時の狭間”
異なる時空の歪み
ニュクスとの戦いが終わって2ヶ月。リーダーを失った特別課外活動部は影時間がなくなったことでその活動目的も喪失していたが、別の異変によって寮に閉じ込められることとなった。
3月31日が延々と繰り返され、“次の日” がこない。寮は外界と時空そのものが隔絶した状態となり、外にも出られない。寮のロビーに出現した階段を降りると砂漠のような空間が広がり、いくつも立ち並ぶ扉からは “時の狭間” と呼ばれる不可思議な空間へと繋がっており、進んでゆくと特別課外活動部のメンバーそれぞれがペルソナ能力を獲得した過去の記憶を目の当たりにすることとなる。
異変の始まりとともに現れた自称 “アイギスの妹” メティスとともに、特別課外活動部は探索を始める。そこにはやはりシャドウたちが存在し、彼らは再び戦いに身を投じることになったのである。
“時の狭間” は、扉を通じて7つの異なる時空へと通じている。階段で降りていくことで、先へと進むことができる。
異変の原因
リーダーの立場となって、特別課外活動部を率いることになるのは、アイギスである。リーダーを失ったことで悲しみを感じていた彼女は、ただのロボットでいたほうがよかったとさえ思っていた。そこに現れた “妹” と戦いになったとき、出現したペルソナはリーダーと同じオルフェウスであり、“ワイルド” の力に目覚めた者としてベルベットルームにも招待される。メティスの協力もあって、アイギスは新たな装備を追加されるが、オルギアモードは使えなくなった。その代わり、同行するメティスにリーダーとしてオルギアモードを指示することができるようになった。
“妹” メティスが現れたことがこの探索行の始まりであり、ベルベットルームの主人イゴールが言った通り “命のこたえ” を見つけることが目的となる。“時の狭間” はアイギスに起こったさまざまな変化と繋がった、いわばアイギス自身が原因となって生まれた空間である。
寮から出ることはできないが、ポロニアンモールと直結していて、アイテムなどを購入することはできる。
ダンテ『神曲』
行く先々の名称などはメティスが教えてくそれらは13世紀イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの『神曲』が元になっている。この三部構成の長編叙情詩では、著者であるダンテ自身が地獄、煉獄、天国を巡る旅をする。ダンテが幼少期に出会ったあこがれの少女ベアトリーチェが案内役として登場するが、実在したベアトリーチェは『神曲』が書かれたときすでに死んでおり、その悲しみから神格化し、登場させたとされている。“時の狭間” でアイギスたちが感じる、リーダーを失った悲しみと符合する要素である。
ダンテは敬虔なカトリック教徒であり、キリスト教神学をベースに地獄を描いているが、その描写にはギリシア神話からの影響も強い。地獄の入口はギリシアに実在するアケロン川を渡ったところにあり、渡し守はニュクスの子であるカロン。ミノス王やケルベロスなども登場している。“時の狭間” では9つある地獄の8番目以降の名称が使われている。
造られた “姉妹”
アイギスは桐条のラボで造られた最後の対シャドウ兵器であり、その完成とともに開発計画は終了している。アイギス以降に新たなタイプは造られていないし、アイギスより前に実働可能な機体も存在しなかった。アイギス以上の性能を持ち、しかもより人間的な感情も持ったメティスは、同型機種としての姉妹ではありえない。アイギスの心から生まれた分身 (シャドウ)と言うべき存在である。
[プシュケイ]
人間の王の娘でありながら、美の女神アフロディーテに嫉妬されるほどの美しさを持つプシュケイ。母を裏切り、身分を隠して愛し合った夫クピドを自らの手で殺してしまい、取り戻すため冥界へ下ることになる。こうしたタイプの神話には珍しく、プシュケイは冥界の協力を受け、夫を取り戻すことに成功する。神々の王ゼウスやアフロディーテらにも認められ、プシュケイ自身も神に等しい永遠の命を得たとされる。
時の狭間より接続された8つの “時空”
古の路マレボルゼ
ボルサとはイタリア語でカバンを意味する言葉で、『神曲』に描かれる8つ目の地獄には10の “悪の袋 (マレボルゼ)” があって、罪人は罪の種類によって振り分けられ焼かれたり切り裂かれるなどの責め苦を受ける。その中には、聖職売買などで神聖なるものを目流した者が入れられる袋もある。
罪の路コキュトス
ギリシア神話の異界を取り巻くように流れる川のひとつで、三途の川ステュクスの支流。冥界の最下層を流れ “嘆き悲しむ” という意味の名を持っている。『神曲』では9つ目の地獄として最も重い罪 “裏切り” を罰する場所となる。カイーナからジュデッカまでは、それぞれコキュトスの一部。
力の路カイーナ
コキュトスは4重の円で構成されていて、一番外側にあるのがカイーナ。肉親に対する裏切りを罰する地獄で、『創世記』で弟アベルを殺害したカインから名付けられた。『神曲』では、父アーサー王を殺したモードレッドの名も挙げられ、氷漬けになっている悪人の罪状が語られる。
夜の路アンテノラ
コキュトスの2番目の円で、祖国に対する裏切りを罰する地獄。ギリシア神話の『トロイア戦争』で、トロイア王の助言役でありながら門を開いてギリシア軍を手引きした人物が、裏切り者として地獄の名前の元となった。ただし、本当に裏切っていたのかは神話上はっきりとは描かれていない。
哀の路トロメイア
コキュトスの3番目の円で、客人に対する裏切りを罰する地獄。迎え入れた客 (マレビト) を眠らせてから殺すという物語は日本でも “ヤマンバ” と呼ばれる存在としてよく描かれるが、古代パレスチナのエリコの王が客として訪れたイスラエルの祭司シモン・マカパイを殺したことに由来する。
業の路ジュデッカ
コキュトスの4番目の円で、主人に対する裏切り者を罰する地獄。イエス・キリストの弟子でありながら裏切ったイスカリオテのユダの名がつけられており、最も重い罪として地獄の最奥部にある。この中心には、悪魔ルシフェルが氷漬けになっており、ユダはその口に咥えられている。
王居エンピレオ
地獄と煉獄を巡ったダンテが最後に訪れた場所で、天国の中でも至高の場所。キリストをはじめ数多くの聖人や聖母マリアが暮らす平和な地で、ダンテは神が空に描いた光の文字で “愛” を知る。ダンテの愛したベアトリーチェが “愛” そのものであったように、リーダーもそうだったのだろうか。
コロッセオ・プルガトリオ
『神曲』第二部の煉獄にあたる場所で、罪人たちが浄罪の炎で清められる山のこと。“七つの大罪” それぞれを浄罪する場所があり、それぞれの罪に応じた責め苦を負わされ、罪を悔い改める。山頂は天国にもっとも近い楽園で、アダムとイヴが無垢な時代に暮らした場所とされる。
繋ぎ留められた “記憶”
トロメイアでは、幼き美鶴がペルソナ能力を獲得し、父親とともに浄罪を始める姿を見ることができる。
カイーナでは、中学���時代の美鶴と明彦が出会った時を見ることができる。美鶴の過去は “時の狭間” の鍵でもある。
最後の試練の扉 “エレボス”
“暗黒” を意味するギリシア神話の神のひとり。ニュクスの兄弟であると同時に夫でもあり、夜の空であるニュクスに対する地の闇にあたる。ギリシア神話において “地獄” の意味で使われる言葉のひとつでもあり、地獄の最も深い部分を指すとされることが多い。神々の系統上の役割を考えると、“大地” ガイアや “冥府” ハデスとともに、“奈落” タルタロスをも含めた “地の領域” 全体を表すものとも取れる。
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sskyt · 9 months
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『「呪術」の呪縛』上巻読書ノート
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江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(上)リトン、2015年。
 今、呪術がかつてないほど注目されている。近代西欧に成立したreligionに対して、劣位に置かれるmagic概念を所与のものとして前提とすることなく、改めて問い直し、概念史や各国の事例研究といった観点からその諸相に光を当てる書。
 以下、所収論文についての読書メモ。 江川純一・久保田浩「「呪術」概念再考に向けて:文化史・宗教史叙述のための一試論」
 全体の導入論文。日本語の「魔法」と「呪術」、学問的概念としてのmagic、西洋文化史におけるmagic、そして、本書の背景と構成が論じられる。「魔法」(1474)が室町中期に現れているのに対して、「呪術」は『続日本紀』(699)に言及がある。  とはいえ、「呪術」は近世・近代において人口に膾炙しておらず、20世紀後半にフレイザーのmagicの訳語として定着した(それ以前は「魔法」)。また、学問的概念としてのエティックな次元と日常言語としてのイーミックな次元の区別の重要性が指摘される。  学問的概念としてのmagicで要注目なのはタイラーとフレイザーであり、特に後者のmagic→religion→scienceという図式が重要。その後のmagic研究の系譜はある意味ですべてここから始まった。他方で、イーミックな次元で見れば、magicの語源は古代ペルシア語に由来するギリシア語のμάγοςに発する。  すなわち、magic概念には、そもそもペルシア由来という他者性が付与されており、つねに地理的他者(非西洋)、歴史的他者(古代)、宗教的他者(異教)という含意がある。近代的なreligionとscienceは、他者にmagicという名を与えることで、自己を正当化してきた歴史的経緯がある。 第一部 呪術概念の系譜
藤原聖子「アメリカ宗教学における「呪術」概念」
 ウェーバー以来、ピューリタンは「世界の脱魔術化」として位置づけられてきたが、1980年頃からピューリタンも呪術を実践していたとする研究が盛んになった。これらの研究を島薗進の新宗教研究(呪術と近代化は背反しない)と比較対象する論文。  アメリカにおけるピューリタンの呪術実践研究では、呪術と近代化の関係は問題とならず、呪術の感情面が重視され、信仰と理性の対立図式、すなわち、アメリカの知性主義対反知性主義というナショナル・アイデンティティの問題へと引きつけて理解されている。  たしかに考えてみれば、アメリカのホラー映画は、魔女、魔法、霊、占い、ゾンビと呪術に事欠かない。むしろ合理性の反作用としての呪術に取り憑かれているようにさえ見える。それはアメリカという国のアイデンティティに関わる問題で、非常に興味深い。  ちなみに、アメリカの呪術総決算的なホラー映画として「キャビン」おすすめです! この『呪術』論集は、「宗教」概念批判を経た後で、「宗教」周辺の重要概念をアプリオリに前提とせず、反省的にその概念の意味を問い直すという点で、『ニュクス』第5号「聖なるもの」特集と双子のような存在ですね。
竹沢尚一郎「イギリスとフランスにおける呪術研究」
 エヴァンズ=プリチャードのアザンデ研究における妖術論とグリオールのドゴン研究における占い論の検討を通じて、呪術を複雑な世界の「縮減」(ルーマン)の仕組み���あるとする仮説を提唱する。
 注で触れられている、レイモン・ファースの師マリノフスキーへの問い「もしすべてがすべてに結びついているとすれば、どこで記述を終えたらよいのでしょうか」は、いかにもラトゥール的な問いのように思える。 横田理博「ウェーバーのいう「エントツァウベルンク」とは何か」
 この論文は何度読んでも面白い。ウェーバーのEntzauberung(脱呪術化、魔術からの解放)は有名な概念で、様々な論者によって援用されるにもかかわらず、ウェーバー自身はこの概念を定義しないために、その内容は実は不明確である。  著者は丁寧な読解によって、「脱呪術化」が『プロ倫』における「救いの手段としての呪術の否定」と、『職業としての学問』における「世界の意味づけの否定」という二つの意味をもつことを明らかにする。また、前者が呪術から宗教への移行であるのに対して、後者は「世俗化」を意味する。  ちなみに、私が『現代思想』のウェーバー特集に寄稿した「世界に魔法をかける」の元ネタはこの論文です。「脱呪術化」という概念でひとつ気になるのは、この語はつねにEntzauberung der Weltと「世界の/世俗の」という言葉を伴っていること。この点も「脱呪術化」を援用する論者に見落とされがちだ。
高橋原「初期の日本宗教学における呪術概念の検討」
 日本の宗教学の歴史の中でmagicの訳語としての「呪術」が定着していった過程を跡付ける。明治時代はmagicの訳語として「呪術」は用いられていなかったが、日本の宗教学の確立とともに大正時代にフレイザーの影響の下、「呪術」が定着していった。 谷内悠「呪術研究における普遍主義と相対主義、そして合理性:分析哲学と認知宗教学から」
 「呪術は合理的である」と言われるときの「合理性」について、タンバイアの普遍主義/相対主義の議論を批判的にアップデートさせることで解決しようとする。概念図式/メタ概念図式の議論はガブリエルの「意味の場」の議論を想起させる。  ただ、普遍主義と相対主義の対立をメタ概念図式によって解決するというのは、問題を一段先送りにしただけのような気もするし、最後に出てきた「生物的合理性」は素朴な自然主義のように思えて、正直なところ、肩透かしの感がある。 第二部 事例研究:アジア
鈴木正崇「スリランカの呪術とその解釈:シーニガマのデウォルを中心に」
 スリランカで最も呪力の強いとされるデウォルについての神話と実際の呪術実践から、呪術の特徴を探る。呪術は「外来」「異人」といった境界的状況に対する意味付与・統御として発生するのであり、現在のグローバル化による変動もまた呪術が力をもつ場である。  たしかにマゴスの語源的意味にしても、フェティッシュにしても、文化的・地理的・時間的な境界において、あるいは、他者との界面において、「呪術」(なるもの)は発生するように思われる。個人的には、障り、罪、穢れ、害、悪を意味するシンハラ語の「ドーサ」という概念が面白い。 木村敏明「プロテスタント宣教師の見た「呪術」と現地社会:ヨハネス・ワルネック著『福音の生命力』をめぐって」
 スマトラのバタックに宣教したヨハネス・ワルネック『福音の生命力』に基づいてキリスト教から見た呪術の意義と効用を検討する。ワルネックは、インドネシアの宗教をアニミズムとして特徴づけたが、その評価は両義的である。  著者はこれを「世界観としてのアニミズム」と「エートスとしてのアニミズム」に分類し、前者が称賛されるのに対して、後者は現世利益を追求する自己中心的な呪術実践であるがゆえに非難されるとする。しかし、ヨハネスはこうした呪術を逆手にとって宣教が可能となるとして、利用価値も認めている。 池澤優「中国における呪術に関する若干の考察:呪術という語の呪術的性格」
 面白かった。呪術を「非人格的な法則性に基づく宇宙の操作」と定義すると、人間の作為が宇宙の経営に関与するという点で、陰陽五行説のみならず、古代中国思想全般が「呪術」になってしまうが、これは概念の使い方として非生産的である、という。  古代中国宗教研究における「呪術」の用例として、『詩経』研究が取り上げられ、そこではおおむね「呪術」が素朴な宗教を指す語として用いられ、特に言霊信仰のようなものが想定されている、と指摘される。  私は特に、グラネ『中国古代の祭礼と歌謡』の解釈が面白かった。詩は個人の感情を歌ったものではなく、慣習によって定められた集団の感情を表出したものであり、慣用句は「興」という強制力をもって、自然を循環させる力をもつ、という。詩はいわば礼のような宇宙の形式なのだろう。
川瀬貴也「近代朝鮮における「宗教」ならざるもの:啓蒙と統治との関係を中心に」
 朝鮮における近代化、日本の植民地支配という観点から、「宗教」と「宗教」ならざるもの(呪術・迷信)との区別が何を意味しているかを示す論文。特に、今村鞆、村山智順による植民地下の民俗学的調査の視線が見つめる「迷信」が興味深い。  近代化・啓蒙によって退けられた「巫俗」が宣教師たちによって朝鮮宗教の本質と捉えられ、さらに、朝鮮民族のナショナリズムへと結びつき、現代韓国社会において伝統と見なされるようになった、という指摘が面白い。この辺りの話はどうしても「コクソン」を思い出さざるをえない。 第三部 事例研究:日本
井関大介「熊沢蕃山の鬼神論と礼楽論」
 近世日本儒学における鬼神の問題を、白石・徂徠・蕃山を中心に、主に「礼」の観点から検討する。蕃山にとって、祭祀儀礼の意義は、人心を無意識裡に統御し、社会を統治することにあったが、それは天人相関論によって宇宙の運行を正しく経営することでもあった。  蕃山によれば、鬼神祭祀の礼は、社会が経済的に豊かになって人心が堕落し始めたとき、富の余剰を有益無害な仕方で蕩尽させるために整備された、とのことだが、これはまんまバタイユの社会的蕩尽の理論と同じですね。 一柳廣孝「魔術は催眠術にあらず:近藤嘉三『魔術と催眠術』の言説戦略」
 明治期の催眠術ブームのベストセラー、近藤嘉三『心理応用魔術と催眠術』にしたがって、明治期の「魔術」イメージを検討する。近藤によれば、魔術とは心の中の霊気を通じて感通する手法であり、睡魔術と醒魔術に分けられ、前者は催眠術からは区別される。  魔術は、感通によって、施術者の意思が被術者へと影響を与えることであり、催眠術とは睡魔術のの導入部分にすぎず、近藤は催眠術による治療は有害であるとさえいう。ここら辺は黒沢清の「CURE」っぽい話ですね。 宮坂清「科学と呪術のあいだ:雪男学術探検隊、林寿郎がみた雪男」
 これは面白い。1959~60年の雪男学術探検隊に参加した動物学者林寿郎の記録から、雪男に関する科学的視点と呪術的視点の関係を問う。学者が探求していた「雪男」とシェルパにとっての「イエティ」が、実は同じではなかったことが判明する件がハラハラして特に面白い。  日本の雪男ブームの出発点は、今西錦司(1952年のマナスル登山隊が雪男の足跡を目撃)だったんだね。知らなかった。あと、雪男探検隊って、川口浩探検隊みたいなものかと思ってたら、ちゃんとした科学的調査隊が派遣されていたのも知らなかった。 今井信治「「魔法少女」の願い」
 1960年代の『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』から現代の『魔法少女まどか☆マギカ』まで、魔法少女アニメを時系列順にたどりながら、そこで描かれている「魔法」表象があとづけられる。  東映魔女っ子シリーズが女子の人気を博したのは、当時、女子向けのテレビ番組がなかったからで、別に魔法でなくてもよかったとの分析だが、そうはいっても「セーラームーン」の継続的な人気や、映画「マジカル・ガール」を見ると、やはり女の子にとって魔法は特別な意味をもっているようにも思われる。 堀江宗正「サブカルチャーの魔術師たち:宗教学的知識の消費と共有」
 アニメやライトノベルで人気の「魔術」を分析することを通じて、データベース消費型のサブカルチャーがその消費者にとって「宗教」よりもリアリティをもつようになった現状を明らかにする。  「魔術」関心層は20~30代の男性であることと、魔術・宗教的語彙をもったメディア作品の受容者は自分を能動的に魔的キャラクターを使役する存在(つまり魔術師)として同定しているという分析を組み合わせると、なかなかに痛い実態が見えてくるような気がする。
 魔術を扱った代表的な作品として『とある魔術の禁書目録』が挙げられているが、現在(2023年)に改めて同様の問題を扱ったら、おそらく代表的な作品は『呪術廻戦』が挙げられることだろう。また、作中では錬金術はあくまでも「科学」であって「魔法」ではないとされるが、実態としてはどう見ても「魔術」を扱っている『鋼の錬金術師』がまったく言及されないのは不思議。
追記
藤原聖子「「呪術」と「合理性」再考:前世紀転換期における〈宗教・呪術・科学〉三分法の成立」『思想』No. 934、2002年、120-141頁。
 呪術は、科学と比べて「非合理的」とされる場合(フレイザー)と、宗教と比べて「合理的」とされる場合(ウェーバー)があるが、これは両者で「合理性」の意味が異なるためである。著者によれば、さらに第三の失われた合理性概念がある。  すなわち、呪術は、理論ー合理的な科学に対して、理論ー非合理的であるが、実践(合目的的)ー非合理的な宗教に対しては、実践ー合理的である。この2種の合理性に加えて、呪術には「ゾッとさせる」という意味での「実体的非合理性」が含意されている(デュルケーム、オットー)。  奇跡論においては、古代末期か~中世末期、奇跡は「聖」に結びついていたが、19世紀末には「超自然」と結びつくようになった、という話(マリン)が面白かった。つまり、キリスト教では奇跡が聖人の業として呪術に対置されていたが、近代以降、科学と対立するがゆえに超自然と結合した、ということ。
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kuroiookami · 1 year
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コード77
ソーラーコード77「運命の過酷さに打たれた向こう見ずな若者の頭に、豊かな思索家の魂が芽生える」
コードの現象化���態:社会的リーダーシップ。精神的成長や知的成長。強い精神的苦悩。精神的苦痛をともなうショックな出来事。グループや集団内における立場の上昇と責任の増加に伴う重圧。諦めずにチャレンジを続けることによる成功。精神的苦しみをともなう恋愛や、まれに離婚。
テロ攻撃に関する計画。テロリストや過激派の攻撃の失敗や計画の発覚や頓挫や逮捕。著名人の離婚、離別、不運、傷病、死。有名または実績のある作家や哲学者や科学者の離婚、離別、不運、傷病、死。有名または実績のあるスポーツ選手の離婚、離別、不運、傷病、死。スポーツ選手の頭部の負傷や、それを原因とする死亡事故の増加。
ルナーコード77「頭と足に羽の生えたギリシア神話の知恵の神(ヘルメース、足軽)が、天国と地獄の間を忙しく行き来する」
コードの現象化形態:良いことと悪いことが一挙に訪れる。プレッシャーやストレスのある状況下で、多忙さと格闘する。知的成長。知的リーダーシップ。精神世界の学びへの適性。ギリシャやローマやイタリアやフランスでの犯罪やテロ事件、あるいは国家的ネガティヴの増加。
有名スポーツ選手(特に、サッカー選手やマラソンその他の陸上選手やスプリンターやキックボクサー[一部ボクサー]や格闘家など足をメインに使うスポーツ競技の選手)を狙った凶悪犯罪やテロ攻撃。そうした人々のけが、病気、手術、入院、事故、交通事故、犯罪、犯罪被害、死亡。高級服飾ブランドの不運。高級服飾ブランドの経営者や幹部やデザイナーなどの不運(病気、事故、怪我、犯罪被害、死亡など)や醜聞、不祥事、犯罪、地位の低下、失脚(話)、辞任(話)、引退(話)など。エルメス、その他の伝統的高級ブランドにとっての良くない問題の発生。飛び降り自殺。首吊り自殺
【コード77】 ■対向コード:257 ■統合コード:283 ■直角コード:167
オズの魔法使いの主力スターゲート・コード77「天国と地獄を行き来する神の伝令にして強盗と泥棒の守護神ヘルメス(エルメス)」
コード77もコード123も、顕著な「自殺コード」です。コード77は「飛び降り自殺」や「首吊り自殺」を強く誘発し、コード123は「服毒自殺」や「服薬自殺」や、その他ガスなどの有害物質による自殺を強く誘発します。さらにそうした故意の他に類種の事故も誘発します。
ソーラーコード77「運命の過酷さに打たれた向こう見ずな若者の頭に思索家の魂が芽生える」は、人に(ときには、自殺さえ考えさせてしまう)「強い苦悩」をもたらします。
コード文にある「思索家の魂」というのは、毒盃による死を受け入れた際の哲学者のソクラテスのような死への覚悟や悟りの境地を(広義には含めて)表しています。このコードの現象化傾向の代表的なものは、事故、病気、死、金銭苦、生活苦、犯罪、犯罪被害、トラブル、苦悩、自殺、不運、逮捕…など。
ルナーコード77「兜と足に羽の生えたギリシア神話の知恵の神ヘルメース(エルメス)が、天国と地獄の間を忙しく行き来する」は、とりわけ(各界の著名な)賞の受賞者、教師、大学教授、学者、化学者、科学者、哲学者、研究家、作家、文筆家、クリエイター、ミュージシャン、デザイナー、スポーツ選手、アスリート、格闘家、泥棒、強盗、学生や若者の〈シグニフィケーター〉(=それらを表わすもの)となっています。
ヘルメースが音楽や牧畜(牧場、牛・羊・豚・山羊・鶏)の神であることから、そうした職業の人、および関係者や動物にもコード77のエネルギーは強く波及します。ヘルメースが被っている兜は、軍人(自衛隊含む)や工事関係者、パイロット、競輪・競艇・競馬の選手や野球選手など、ヘルメットを被る人、帽子に関係する人に、そして、ヘルメースが手に携えている医療のシンボルにもなっている魔法の杖は、医師・医療・病院関係者に、このコードの不運凶事[MNC]のエネルギー(現象化形態)を強く波及させます。
コード77には「天国と地獄」というキーワードが含まれていますため、容易にコード111と同語シンクロ相互強大相乗作用をともなって現象化します。
ソーラーコード111「有名な歌手がオペラ『地獄のオルフェ』(天国と地獄)の公演で、その妙技を披露し、有名な映画監督は水鏡に倒れ込んだ男(ナルシス)の最後の姿をフィルムに収める」
コードの現象化形態:有名大物歌手の体調不良・病気・入院・手術・死、その他の不運凶事の多発。有名映画監督や有名映画俳優女優の体調不良・病気・入院・手術・死、その他の不運凶事の多発。(ときに)多数の犠牲者をもたらす大地震や大洪水などの大災害の発生。水死。溺死。(風呂、温泉、川・滝・池・湖・貯水槽・ダム・貯水槽・用水路など、各種)水場での事故や重症や死。
ルナーコード111「体調不良をおしてステージに立った歌手が、歌の途中でめまいを起こしてしゃがみ込み、慌てた数名のスタッフが、走って彼の元に駆け寄る」
コードの現象化形態:有名大物歌手の体調不良・病気・入院・手術・死、その他の不運凶事の多発。
コード77は、「神の砦」の「オズ(バフォメット)の魔法使い」の「聖戦と正義の復讐の法の魔力」が、4次元を飛ばしてこの地上(3次元の人間界)にダイレクトに侵入してくるスターゲート(超時空次元接続特異点コード)です。
それゆえに、人も魔界(アカシック)も、その「奪い殺す力」を防ぐことはできません。 アレイスター・クロウリーは『第77の書 オズの書』にこう記しています。 「われらには、殺す権利あり。」
オズは火星(マーズ=ホルス)。「神の家」「戦争の砦」に満ちるコード77の力。それは大きく地を揺るがし、堅固な建物の中に居る者も死の力で脅かす。コード5の天鷲蝶の地震る神天使メダリオンとコード77のオズの魔法使い死天使アザゼルが一つになった時、その力は最強になる。エピファニー(神の力の御公現)。コード257の「イースター」(復活祭)。即ち、タロットの大アルカナ20番「最後の審判」(ホルスのアイオーン)の前に来る先触れのしるし。
「神居即自然、自然即神居」とは、別の言い方をすれば、「エヒエ・アシェル・エヒエ」(われは、在りて在る者なり)ということです。 KAMVI(カムイ われらが母なる大地のごとく)=20+1+40+6+10=77=OZ(神の砦、軍隊、超常能力、ヌーメン)
【ホルスの言葉】 王家の館とは、天の単眼から放たれる最後の審判の日の雷電を冠としてその頭上に戴く神の使徒たる魔法使いたちの無敵の砦のことである。そしてその数は77である。
【マスター・アマラルマヌの教え】 309+128=437(400[ケルビム、すなわち生命の輪の沈黙の監視者たる動物天使たちと神の人からなるイデア的世界]・30[真理と正義の女神マートの審判の広間]・7[神剣])=77(オズ、砦、軍隊、力、霊力・超能力[フォース])イルミナティの「鷲の目」はすべてを射抜く。「火よ、われと共に歩め」。コードは「不可知」の中で燃え尽きる墓標の真実を物語る。 ヘルメースよ。来たりて、その灰を集め、ヨグ・ソトートの大いなる暗黒の目の深淵に投げ込め。
おお!わが至高の魔力によりてなされるその魔法式の数は、77+152+286=155なり。 見よ、こはハムハゼルの数ではなかったか。かくて証はここになされた。 わが元にあるは「戦争と復讐の神」ラー・ホール・クートのすべての力。
われはイルミナティの最高位の女祭司、かの「緋色の女」なり。「火よ、われと共に歩め!」「汝、火の声を聞け!」 われはOZの魔法使い。77は、その力の偉大な門なり。 われは世界の三部の学、哲学・天文学・自然科学を極めたヘルメース・トリスメギストスより当然のごとく偉大なる者なり。われが「世界の救世主」であることを明かす、これなる三重の印において。 77+186+309=212 エア・フォース! フェニックス! ラー・ホール・クイト! そしてわれはサタンの蛇を捕える!!
【ホルスの言葉】 もしお前が、幸福や豊かさや満足を目指しながらも、なかなかそこに到達できず、もがき苦しんでいるのだとするなら、おそらく今のお前にまだ足りないのは、幸福や豊かさや満足ではなく、さらなる苦境や欠乏や試練なのだ。これは私がたんなる意地悪で言っているわけではなく、アカシックのエネルギー上のパラドックスについての真理なのだ。「地獄下り昇天」という言葉がある。多くの人、いや、ほとんど全ての人は、まず天国を真っ先に目指し、そしてほぼ100%近く失敗する。ゆえに、真の賢者がまず目指すべきは、天国の安楽さではなく、地獄の試練(試罪法X)のほうなのだ。終わりよければ全てよし。だから、「楽園」に向かう途中にある苦しみについては過大評価するな。聖と俗、光と闇の戦いが避けられぬ以上は、楽園を実現するために苦しみが存在することもまた避けられぬことであるのだから。そしてそれが自然の理なのであれば、逆に、苦悩するのではなく、苦しい時こそ、なんとかして笑いを生み出せ。いまいる場所に(たとえそこが地獄であっても)、超人の笑いを生み出せるように生きよ。これはコード77とコード226の教えである。 【〈哲学者の毒盃〉、あるいは〈超人の笑い〉、あるいは〈逃走=闘争線〉の術式】 77+226=303
コード5+コード77=コード82 メダリオンとアザゼルが、コード82のゲートを領しました。 このコード82は、これまでセドラという悪魔が、そこからエネルギーを吸い、そして、光の子らを苦しめるためにそのゲートを使うことが多かったのですが、今後は光の影響の方が、より強まることになります。
コード77 頭 手 足
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medickalmalpractice · 9 months
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
 新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れ���。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。  『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。  『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。  同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。  (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。  (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。  宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。  騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。  こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。  (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。  私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。  (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。  (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。  武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。  「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。  (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。  こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。  世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。  (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。  (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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ogawa-xd · 2 years
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「声の文化と文字の文化」
オング「声の文化と文字の文化」を読む。多くの文献がひかれていて難儀もしたが、ここ数年でも最高度におもしろかった。ページをめくるごとに刺激があり、すべての内容を読み切れてもいないが、熱いうちにまとめておく。この刺激が揮発してしまうのは、あまりに残念すぎる。
「声の文化と文字の文化」W-J・オング
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大筋:
文字の文化の前に声の文化があった。 現在われわれは、文字文化の中にいる。文字文化は手書きからはじまったが、途中では印刷という大きな波を経験し、今はエレクトロニクスという第二の波の最中である。
(ただし執筆は1982年であり、テレビやラジオが主で、コンピュータといってもインターネット普及以前でWebもSNSもない時代だ。BBSがかろうじてあったくらい。2003年に亡くなられているようだが、この時代に関する感想を聞きたかったものだ。)
われわれもはや、声の文化における思考の仕方やものごとの捉え方を忘れてしまっているが、両方をしっかりと考えて位置づけることが、未来をとく鍵にもなる。
文字の文化の前にあった声の文化の重要性。 声文化が文字のベースになっていることはそのとおりとしても、少なくとも、それは文字文化の改良以前の「劣った」前バージョンではない。別のものだ。
第1章 声としてのことば (一次的)声の文化 文字を書くことをまったく知らない人びとの文化、その人たちの世界認識のしかたは、現代のわれわれの想像をはるかに超えたものである。 ことば(声)の獲得以後/ことば(文字)の獲得以前
P.24 現存する言語:3000、そのうち文字を持っているのは78言語 自然言語 → 無意識から生じる コンピュータ言語 → 意識から直接生じる(ので扱わない)
ogawa: 彼の述べている「コンピュータ(言語)」は、インターネット/Web/SNS/ビッグデータ/クラウド/AI以前であり、コンピュータにまつわる彼の理解は今となってはあまり現実的ではない。プログラムによって自然言語を解析したり処理することも、含まれていない。 「プログラム言語」自体の言語性については、彼のスタンスで問題はないと思われるが、コンピュータが「自然言語」に影響する在り様は、印刷術(という技術)が言語に与えたインパクトに匹敵する、というかそれ以上の影響力を持っていると自分は考えている。今はまだその途上であって、途上にして大きな影響が顕在しているので、最終的にはどこまでのことが進展していくのか予想がつかないが、これは自分の最終課題である。
p.26 声 → 一次的なモデリング・システム(表現方法) → 研究が起きない → 集団的な過去に参加することによって学ぶ、見習う 文字 → 二次的なモデリング・システム(表現方法) → 研究は文字あって起きる → 「研究」によって学ぶことができる
p.33 「(ことばで表された)概念は、絶えずその語源を引きずっていく傾向がある」
p.34 ことば → 口頭での話し(声)に基礎を持つ 書くことば → ことばを ”視覚的な場に、むりやり永久に固定してしまう
p.39 声文化の人びと → 今日では文字を学びたいと強く思っているが、同時に、声の文化の心を沸き立たせる多くの愛するものを手放さなければならないことに哀惜の念もいだいている(「ピダハン」は、どうなのか?) → 「生き続けるためには、死ななければならない」
p.40 文字文化 → 先行する声文化を食べ尽くす/声文化が存在したという記憶すら破壊する しかし → 文字文化かぎりない順応性があり/完全でないにしろ声文化の記憶も再建されうる 文字文化による声文化の再建によって、人そのものの意識を高める
ogawa: [声→文字]の変遷の形式を、[文字→コンピュータ化] にシフトさせて見ることに意義がある。
第2章 近代における一次的な声の文化の発見
p.57 ホメロスの時代のギリシア人は陳腐な常套句を評価 → 声文化の認識世界/思考世界全体が、きまり文句的な思考の組立に頼っていたから → 声文化では、獲得した知識を忘れないように絶えず反復しなくてはならなかった   → 知恵をはたらかせ、効果的にものごとを処理するために、型にはめて固定した思考パターンが欠かせない
ogawa: 好きなジュリアン・ジェインズについてまるまる1ページ割かれていてにうれしくなる。細部には難を示しつつも、大筋において好意的や賞賛が感じられる。
第3章 声の文化の心理的力学
p.73 すべての感覚は時間の中でおきる。 なにかをよく調べるためには、それを静止させる必要がある/視覚は固定するのが得意で、それによって視覚は動きを記録する。 しかし、音には静止画にあたるものがない。
p.74 声文化の人にとってことばには魔術的な力がある。 かれらにとって、ことばは話され、音として響くもの、ゆえに力によって発せられる 文字文化の人はそれを忘れがち。 かれらにとって、ことばは投げだされた「モノ」で、非活動的で「死んでいる」 → 魔術とは結びつかない
p.76 「知っているというのは、思い出せること」
複雑な問題を考えて解にたどり着いたとする。その問題も解もある程度は複雑である → それらを文字や記録無しで、記憶しておくことは困難である なんの助けも借りず、もう一度思考の流れをたどり、吟味することは不可能である。
声文化の人の長く続く思考は、つねに人とのコミュニケーションと結びついている
どうするか → 記憶できる範囲内で思考する すぐ口に出せるくらいの記憶(量)に基づいた思考に留める
口に出せることが、記憶を助ける → 強いリズムを持つ、均衡の取れた記憶しやすい「型」にはめる、反復や対句、韻を踏む、あだ名のような形容句、きまり文句、紋切り型のテーマ、などなど。
p.92 声文化の中での知識の獲得 → 何年もかけて何度も口に出して根気よく習得し憶えていなければならない → 知識は得がたく貴重で、これを保存している古老が高く評価される  (文字として知識が外化されるようになると古老の価値はさがる   /新しいことの発見者としての若者の価値があがる) → 精神は伝統主義的で保守的な構えとなり、知的な実験を禁止する
p.102 声文化は定義に無関心 辞書にあたるものがない/語の意味はつねに現実の状況に固着している(その変遷や経緯は問わない/問えない)
p.119 声文化の人に関するさまざまな実験から見いだしたこと: 声文化の人の不得手なこと → 幾何学的な図形、抽象的なカテゴリーによる分類、形式論理的な推論手続き、定義、包括的な記述、ことばによる自己分析 → だから劣っているという意味ではない → そういった能力は、テキスト(文字)によって獲得したものであるという事実
p.153 視覚は分離し、音は合体させる 聞くことの中にひたることはできるが、視覚の中にはひたれない 視覚は切り離す感覚、音は統合する感覚。 視覚の理想は明晰判明性/分けて見る、聴覚の理想はハーモニー/一つにすること 知識は究極的には、分断ではなく統合であり、ハーモニーを求めること
p.161 ことばを記号と考えること → 人間的な経験を視覚に類似したものと考えがち カレンダーや時計で時間を理解することは、時間を空間扱い(視覚物扱い)して、わかった気になっているにすぎない → 空間還元主義
空間還元主義 → 計り知れぬほど有用で、技術的な必要性が高い → 否定できない but: 空間還元主義には知的な限界もあるし、ときに人を欺く
第4章 書くことは意識の構造を変える
p.166 書くことは、どんな発明にも増して、人間の意識を作りかえた
p.174 技術は、たんに外的なたすけになるだけのものではなく、意識を内的に変化させる
p.176 道具をみずからの一部とし、技術的なわざを学習することによって、人間が非人間的になることはまずない。むしろ、技術の使用によって、人の心は豊かになり、人間の精神は広がり、内的な生は密度を濃くする。
p.201 印刷物によって、書くことが人々の心に深く内面化されるまでは、人びとは、自分たちの生活の一瞬一瞬が、抽象的に計算される時間のようなもののなかに位置づけられているとは思ってもいなかった。中世、さらにルネサンス期になってもまだ、西欧の人びとの大部分は、いまが暦のうえで何円にあたるかといったことを日常生活のなかで意識していたっとはとても思えない。
p.223 文字言語の語彙が豊かになりはじめたのは、書くことにともなってだが、その豊かさの開花は印刷のおかげである。 文字言語があるところには、その文法と慣用がならずある 秩序(文法や慣用)という概念そのものの感覚的な基盤は、かなりの部分、視覚(文字言語が書かれ印刷されること)にある。
第5章 印刷、空間、閉じられたテクスト
p.242 印刷が → ルネサンス、宗教改革、近代資本主義、大航海時代を引き起こし → 生活と政治、知識を広め、万人識字、近代科学の興隆、社会的、知的生活を変えた そして印刷が人の意識を変えた
p.249 印刷によって、聴覚優位から視覚優位が確固たるものになった。 読みやすさ、速読、黙読を可能に。 語を空間の中に位置づける〜空間の中に釘づけにする → 索引、リスト(一覧表)、内容とレッテル(タイトルページ)、図像的なレッテル
p.260 版面が意味を運ぶ 正確に反復できる視覚情報(※ページの統合的なデザイン/デザインルール) → 近代科学はその一つ:正確な観察を正確な表現に結びつけたこと
p.263 タイポグラフィックな空間/空白 活字の作りだす空間 → 科学的想像力、哲学的創造料、文学的想像力に、はたらきかける
p.266 印刷が → 西洋人の認識のエコノミー「心性」に直接的影響を与えた → レトリック(声の文化にもとづく)技術を学問的教養の中心から追い出した → 数学的分析、ダイヤグラム、チャートによって、知識の数量化をおしすすめた → 辞書(あらゆることばを網羅)、正しい言語規則を打ち立てる欲求を喚起 → 小さく持ち運びできる本 → 一人で静かに黙読 → 内容の私有感覚
p.270 印刷は → テクストが閉じられている感覚をうながす → テクストの「内容」が、ある終わりによって区切られ、「完成」しているという感覚
認識の場が閉じられている感覚 → 書くことにより、思考は、対話相手から切りはなされ、紙面に隔離される
印刷物は → どんな反論にも無関心 → 内容(発話と思考)は、独立し、自足し、完全なものとして提示される (印刷は、同じ作品についての、まったくおなじ視覚的、物理的堅牢さをもった何千部もの版本のなかに、その作品の思考を閉じ込めてしまう。)
第6章 声の文化に特有な記憶、話しのすじ、登場人物の性格
p.285 物語は、いつどこでも、言語芸術の主要なジャンル もっとも抽象的な言語芸術形態の根底にさえ、物語は存在する。 人間の知識は、時間(と、それにしたがう物語)から生まれる。 → 抽象的な科学的知識の背後にさえ、観察の物語があり、抽象的な知識は、そうした物語にもとづいて定式化される。 → 実験室の学生たちは、実験結果を「書きあげ」なければならない。つまりおこなったことと、それをしたときに何が起こったのかを物語らなければならない。ある種の一般化や抽象的結論が引き出されるのは、物語からである。
第7章 いくつかの定理〔応用〕
p.363 声の文化と文字の文化の相互作用 → 人間の究極の関心と願望(としての宗教)にもかかわる   → 宗教的伝統は、声の文化に根ざした起源をもち、話されることばを重んじている   → また聖なるテクスト(ヴェーダ、聖書、コーラン)の発展によって内面化された
p.364 声の文化と文字の文化に関する問題は、いまや無数にある。 声の文化と文字の文化の力学は、現代の意識の進化の流れである、いっそうの内面化と開放にむけて合流していく。
(220929読了)
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ryotarox · 2 years
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【学芸員コラム】 ヘーゲルとベートーヴェン ~神話の解体と形成~|水戸芸術館
今年はベートーヴェン(1770-1827)が生誕250年ということで一層注目されているが、ドイツの哲学者ヘーゲル(1770-1831)も同じ年に生まれている。  ヘーゲルは、哲学の領域に芸術を取り込み、「芸術哲学」の礎を築いたドイツ観念論の到達点に位置する哲学者だ。しかし、どういう訳か、ヘーゲルはベートーヴェンについて、終生言及することがなかった。勿論、ヘーゲルが、同世代、同郷であるベートーヴェンの存在やその作品を知らなかったとは、到底考えられない。  ヘーゲルといえば、合理的な思考のモデルとして、「テーゼ(命題)」と「アンチテーゼ(反対命題)との対立葛藤の中で、より高度な「ジンテーゼ(統合命題)」が導き出されるという「弁証法」を定式化したことで知られている。    ベートーヴェンによって集大成された2つの対比的な主題により展開されるソナタ形式の音楽は、まさにヘーゲルの弁証法のモデルとの並行関係が見出され、20世紀ドイツの哲学者、社会学者のアドルノは、「ベートーヴェンの音楽はヘーゲルの哲学そのものである。」と高らかに述べている(テオドール・W・アドルノ[大久保健治訳]『ベートーヴェン 音楽の哲学』作品社1997)。  しかし、ヘーゲル自身は、ベートーヴェンの音楽については沈黙し続けた。何故なのだろうか。
 
ヘーゲルは、芸術を3つのカテゴリーに分けて考察している。   ①古代ギリシア以前の「象徴的芸術」(例えばインド、エジプト、ヘブライの芸術など)、 ②古代ギリシアの「古典的芸術」、 ③キリスト教的な近代の「ロマン的芸術」。 なお、ヘーゲルの用いる「古典的」「ロマン的」というのは、一般に言われている「古典主義」「ロマン主義」とは重ならない点で注意が必要だ。  ①の「象徴的芸術」には建築が、②の「古典的芸術」には彫刻が分類されているのに対して、③の「ロマン的芸術」に絵画や詩とともに音楽が位置づけられている。
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zworktwo · 3 days
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名前の魔力
 名が体をあらわす、とも言う。
 悪魔祓いや呪術においては何より相手の名を知ることが必須とされ、優れた人物の名を新生児につければその者の能力が継承されると考えられた。
 ギリシア語やラテン語、更に多くの国語において「名」は「霊魂」と同じ語で表現され、身の安全を図るために「真の名」を秘匿する習俗はそれこそ世界各地において散見される。とにもかくにも、名前と言うものが単に個体を識別するためのラベルに留まらず、そのものの本質また生命に関わる呪的な紐帯(ちゅうたい)たりうると考えられていたと言うことは、フレイザー卿を始めとする多くの民俗学者の指摘するところである。
 ならば、この名前という側面から「悪魔城ドラキュラ」を考察してみるのも、あるいは一興ではあるまいか。もしかしたら何か面白いことが分かるかもしれない。そう、「悪魔城ドラキュラ」の世界や魂にまで関わるような重大な秘密が、もしかしたら開陳されるやも知れないのだ。
 名前の魔力の元、今、ここに――
 まず、ゲームタイトルともなっている悪魔城の主、ドラキュラ伯爵について見てみよう。
 15世紀ワラキアのヴラド串刺し公がどうのという話は、読者諸氏におかれてももはや耳にたこが出来ているであろうからこの際割愛させてもらうとして、「ドラキュラ」なる名が何を意味するかと問うなら、それは「悪魔の子」そして「竜の子」。この二つと言うことになる。
 象徴学の世界において「竜」とは日食を引き起こす巨大な魔物であり、また英雄たる息子に恐怖を引き起こさせる「恐ろしい父親」の寓意であるとされている。「恐ろしい父」――これはドラキュラ伯爵に奉られた心理学的解釈に他ならない。
 ドラキュラ。悪魔の子にして竜の子。ドラキュラ家の紋章は竜。竜は太陽を食らうもの――地上に闇をもたらすもの――英雄と戦うもの――英雄を恐怖させる恐ろしい父――悪魔にして竜――キリスト教美術において竜は蛇と共に悪魔を表すものとされる――嗚呼、なんと言う強烈な負のイメージの洪水であろうか。
 これだけでもドラキュラ伯爵は十分に暗黒世界の王たり得るであろうが、しかし「ドラキュラ」なる名に込められた闇の暗喩はこれのみにとどまらない。
 それと言うのも、映画「ドラキュラ72」(71)においてクリストファー・リー演じるドラキュラ伯爵が、ピーター・カッシング扮するロリマー・ヴァン・ヘルシング教授に向かって言った台詞に、こんなものがあるからである。
「私と闘う気か? 世界の王たる私と?」
 世界の王とはまた随分と大仰な台詞である。しかし、「ドラキュラ」の象徴的な意味を考察するにあたっては、これは決して見過ごしてはならない重要なキーワードである。
 実はキリスト教世界において「世界の王」とは、聖書のヨハネ伝14章30節、またヨハネ第一書5章19節のゆえに魔王サタンの称号と考えられているのだ。つまり、この台詞はドラキュラ伯爵のアンチ・キリストとしての側面を強調したものだと見ることが出来るのである。(ちなみにキリストの称号は「the King of Kings=王の王」である)
 以上の情報を統合すると、「ドラキュラ」の名に込められた象徴的イメージとは、「悪魔」「竜」「英雄と戦うもの」「恐ろしい父」「闇をもたらすもの」――そして「魔王サタンそのもの」であると言うことになる。いやはや、伊達に邪心の神は名乗っていないと言うところであろうか。まさにシリーズを通しての敵役に相応しい名であると言えよう。
 次に、ドラキュラ伯爵の宿敵たる英雄ベルモンド家について考えてみよう。
 ベルモンド――これはフランス語で「美しい山」から来た者、という意味のある名である。
 「悪魔城ドラキュラ」シリーズの舞台であるルーマニアの言語は、主にルーマニア語、ハンガリー語、ドイツ語、トルコ語、セルビア・クロアチア語とそれにイデッシュ語であるそうだから、この名はベルモンド家がルーマニアとは異なる言語圏からやって来た一族であると言うことを意味しているものと見ていいだろう。しかし本論にて注目すべきは、この「山」なるキーワードである。実はこの「山」と言う語には、まことに深遠、かつ神聖な象徴的意味が込められているのである。
 そもそも山とは、その高さゆえに天と地が触れ合うところと見なされていた。多くの民族において天が神そのもの、ないし神のまします所と考えられていたことは今更言うまでもない。ならば、その天と地をつなぐ山の重要性はいかばかりであったろうか。
 ノアの方舟はアララトの山に漂着し、モーセはシナイ山で十戒を授かった。預言者エリヤはシナイ山の別峰たるホレブの山で神の言葉を聞き、キリストもまた祈りや説教をするために山に登った。山とはすなわち天より啓示が下る場所であり、聖なるものとの霊交の場、神を崇拝し、その永遠の力と信義を目の当たりに見るための場所なのである。
 また、山の形に作られた神殿はシュメールのジッグラト、カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥール仏教寺院、インカの太陽の神殿と多数あるが、これらは全て「宇宙の中心」としての山を表象するものであり、霊魂の上昇、天へ昇るはしごを意図するものと考えられている。いずれにせよ、山は神や聖なるものと密接な関係を持つ。
 すなわち――
 美しい山から来た者――ベルモンド家とは、文字通りカルパチア山脈を越えてトランシルバニアにやって来た異邦異言語の一族であると共に、神を祀る山に起源を持つ強力な祭祀者集団であったと解することが出来るのだ。ベルモンド家が聖者の家系、それも「太古にまでさかのぼる古い血筋」を持つ一族と言われる所以であろう。なにしろ、山を神聖視する考えは人類の文明そのものにも匹敵するくらいに旧いのだから。
 これだけでもベルモンド家は英雄の貫禄十分と言えるのだが、上記のドラキュラ伯爵の場合と同様、「ベルモンド」の名に秘められた聖なる暗喩はこれのみにとどまらない。
 山は高い。高いがゆえに、そこは太陽が生まれ、死ぬところと考えられている。太陽とは純潔や正義、そして神の力を表すと共に、英雄の象徴であると考えられている。英雄は宿命的に竜を殺す者。また、雪に覆われた山々は高貴さ、抽象的な思考、そして冷たい理性を表している。吸血鬼は悪疫の象徴と考えられていたがゆえに、古典的吸血鬼小説において吸血鬼殺し、ないし吸血鬼殺しの指導者には医学の心得のある者がその任にあたったことはよく知られていることである。悪疫を滅ぼす医学とは理性の産物に他ならない。更に山の中には英雄が眠り、いつの日か目覚めて姿を現し、この世を救い再生させると言う伝説がある。
 山、天、神、聖、魂の向上、太陽の昇るところ、正義、竜を殺す英雄、英雄の寝所、理性の象徴。「ベルモンド」――ドラキュラ伯爵と共にシリーズを支える英雄一族の名としては、これ以上相応しいものはないだろう。
 「悪魔城ドラキュラ」シリーズを支える、ふたつの勢力の名前についての考察は以上の通りである。いずれも闇と光、邪と聖、黒と白とソロモンの神殿の柱さながら好対照を呈している様は見事と言う他はない。これもまた「悪魔城ドラキュラ」シリーズがゴシックホラーと謳われる所以であろう。闇を制する光という構図は、古典的吸血鬼物語のセオリーに他ならないからだ。
 続いて、ベルモンド家の勇者たちの名前について考察してみるとしよう。
 まず、初代「悪魔城ドラキュラ」、およびMSX版「悪魔城ドラキュラ」ストーリーの冒頭にて語られる伝説の男、英雄クリストファーについて。
 クリストファーと言えば旅行者の守護聖人として、また十四救難聖人の一人として広く尊敬を集めた人物として有名だが、その名の意味するところは「キリストを運ぶ者」・・・つまり「クリスチャン」のことなのである。
 と、すると、「悪魔城ドラキュラ」のストーリー冒頭にて語られる英雄クリストファー伝説とは、ベルモンド家が神を奉じる一族であると言う事実をまずプレイヤーに提示するための暗喩なのだと解することが出来はしないであろうか? かつてドラキュラを倒した男がただの英雄ではなく、この世の光の側面を代表する者であったと言うことを、その名をもって象徴しているのだと考えられはしないであろうか?
 「ドラキュラ伝説」、そして「ドラキュラ伝説Ⅱ」と二作に渡って主役をつとめながらも、不思議とその活躍に触れられることの少ないクリストファー=ベルモンド。しかしその不思議も名前の魔力を追求することによって一応の解決を見る。つまりクリストファー=ベルモンドとは、実際に存在し活躍した英雄と言うよりは、むしろ象徴的な存在なのである。
 次に、「悪魔城ドラキュラ」シリーズ最多の活躍回数を誇るシモン=ベルモンドについて。
 シモンと言う名は、元来はユダヤ系の名前であり、その原型である「シメオン」を含めれば、旧約聖書の創世記にまでも登場するほどに旧いものである。ゆえにその起源が果たしてヘブライ語にあるかも不明なのだが、その意味するところはまことに神の民らしく、「神は聞き給う」、あるいは「神の言葉を聞く」と言うものなのである。
 「悪魔城ドラキュラ」をプレイする者は、ここに聖なる暗示を読み取らなければならない。冒頭のクリストファー伝説によって、美しい山から来た祭祀者たちが神に仕え、闇を制する者であることが提示された。そして今、神の言葉を聞き、また彼の祈りを神が聞くという戦士が登場したのである。美しい山から来た祭祀者ベルモンド、キリストを運ぶ者クリストファー、そして神の言葉を聞く者シモン。初代「悪魔城ドラキュラにおいてこれら三重の聖なる暗示が提示されたがゆえに、一連のシリーズにおける初代「悪魔城ドラキュラ」と、その主人公をつとめたシモン=ベルモンドの地位は不動のものたり得るのである。
 お次は「ドラキュラ伝説Ⅱ」に登場した男、ソレイユ=ベルモンド。
 ソレイユとはフランス語で「太陽」を意味する語である。太陽が英雄の寓意であることは既に述べた。美しい山から昇る太陽の英雄。しかし、勇士ヘラクレスの例を引くまでもなく、太陽英雄はしばしばその絶頂期に狂気に陥ることがある。ソレイユ=ベルモンドは成人と同時にドラキュラ伯爵の魔力によって操られるという憂き目に遭った。ドラキュラ伯爵の紋章は竜、すなわち太陽を食らい日食を引き起こす魔物である。竜に食らわれ、輝きを失う太陽。狂気の彷徨。そして日食の終わりと共に回復する太陽の輝き――クリストファー・ソレイユ父子の物語を考えれば、これはまたなんと言う奇妙な符合であろうか。
 続いて、「血の輪廻」で活躍したリヒター=ベルモンドについて一席。
 リヒターなる語がドイツ語で「裁判官」を意味することを知っている向きは多いかと思う。つまり、リヒター=ベルモンドは悪に鉄槌を下す正義の化身なのである。さらにドイツ語で神のことをDer Hochste Richer――「至高の審判者」と表現することを思えば、彼が単なる人間正義の体現者にとどまらず、絶対の裁き主としての神の側面を地上で顕現する者であるとも考えることが出来るだろう。歴代のベルモンド家の戦士の中ではトップクラスの強さを誇り、最強のバンパイアハンターと謳われたリヒター=ベルモンド。彼の強さは、まさしくその名において明示されているのである。
 しかしながら、西洋美術において「正義」を擬人化した場合、手に天秤と剣を持ち、公正な裁きを下すために目隠しをした女性として表されることを思えば、「血の輪廻」のラストシーンにおいて彼がドラキュラ伯爵と問答をしてしまったのは失敗ではなかったろうか。
 相手に心の隙を見せるなと言うことは、魔術戦のみならず悪霊調伏においても鉄則とされることである。ましてや神の正義という属性を名前に帯びている者なれば、尚更リヒター=ベルモンドはドラキュラ伯爵の言葉に耳を貸してはならなかったのだ。しかし彼はドラキュラ伯爵と問答し、そして裁きを下す者らしからぬ動揺を見せてしまった。その時点で、彼は「裁きを下す者」「神の正義を体現する者」の資格を失ってしまったのである。その謂いで、「月下の夜想曲」におけるリヒター=ベルモンドの変貌は、前作「血の輪廻」のラストシーンにおいて既に予言されていたのだと言っても極論とのそしりは受けるまい。
 次に、ベルモンド姓ではないのだが、リヒター=ベルモンドの妹と言うことでマリア=ラーネッドについても少々。
 マリアと言う名を聞いた時、まず頭に浮かぶのはキリストの母マリアのことであろう。カトリック教会や正教会において聖母として賛美され、数多くの美術の題材ともなったマリア。この名前との関連によって、マリア=ラーネッドが聖母マリアの如き慈愛深い心の持ち主であると言うイメージが喚起されるのである。
 更に、マリアなる名の原型が持つ象徴イメージがまた実に興味深い。そもそもマリアと言う名はギリシア語音訳であり、本来の形はミリヤム、すなわち「海の星」「欲しがられた子」また「愛されし者」なる意味を持つ名前である。そしてミリヤムとは出エジプト記で名高いモーセの姉にあたる女性であり、ユダヤ史上初の女預言者としてその名を知られている人物でもあるのである。
 マリア=ラーネッドが「悪魔城ドラキュラ」シリーズ初の正規女性プレイヤーキャラクターであったことを考えれば、これはまたよく出来た符合であろう。すなわち、マリア=ラーネッドと言う名前こそ、彼女が心優しき少女であり、愛されし者であり、そしてシリーズ史上に海の星(=金星)の如く燦然と輝く初の正規女性プレイヤーキャラクターであると言うことを雄弁に物語っているのである。また、ミリヤムと言う名にはあまり好ましからざる一面として、「苦難」「落とされた者」などと言う意味が含まれていることを考えれば、この名は彼女の苦しい恋の道を暗示しているとの解釈も、あるいは可能かもしれない。
 そして、「漆黒たる前奏曲」のソニア=ベルモンド。
 名称学の本の説くところによると、ソニアとかソフィー、ソーニャなどという名前は、全てSophia、つまりギリシア語の「知恵」を意味する名より派生したものと考えられているそうである。知恵、すなわち悪疫を駆逐する医術の化身。もっとも彼女の情熱的な生き方を思えばヘレンと言う名の方が相応しかったかもしれないが、彼女がバンパイアハンターである以上はソニアの名なればこそ平仄(ひょうそく)が合うと言うものであろう。
 ・・・以上の如く、ベルモンド家のバンパイアハンターたちの名前を分析して来た訳だが、そのいずれもが聖なる象徴、また、その人となりや運命に相応しい暗喩をその名に帯びているということにはただただ驚嘆する他はない。いささか関係妄想気味とのそしりを受けるかもしれないが、とにかくベルモンド家の英雄たちの名は、いずれも神を奉ずる者、闇を制する光として説明がつけられるのである。――ただ一人を除いて。
 そう。・・・ラルフ=C=ベルモンド。
 歴代のベルモンド家の勇者の中で、彼の名だけが分からない。ベルモンド家のハンターたちの中で、彼の名だけが他のそれとは同列に扱うことの出来ない微妙な色合いを帯びている。いや、はっきり言うならこのラルフと言う名前は、およそベルモンド家の人間には相応しくない、異様な名前なのである。
 ラルフ=C=ベルモンド。「悪魔城伝説」の主人公。
 名前の人気という点から見ると、このラルフと言う名は短縮形や定まった指小辞形を欠くためにあまり好まれなかったとされている。しかし、実を言うと「ラルフ」とはこれ自体が既に短縮形であり、その原型はラドルフ、すなわちドイツ語で「助言する狼」なる意味を持つ名前なのである。
 そして、本論においては、この「狼」なる要素こそが曲者なのだ。
 ベルモンド家の勇者がどうして「狼」などと名づけられたのだ!? 聖書のみならずゾロアスター教やイーリアスなどの無数の神話伝承においても、狼は生命を脅かす暗黒の諸力の代理人と考えられていると言うのに!?
 狼とは野性、貪欲、残忍、死体を食らうもの、悪魔、夜の側面に属するもの――そしてなにより、吸血鬼の化身のひとつ。狼は確かに勇気のシンボルでも、また戦士と言う職業のエンブレムであるかもしれない。しかし、その象徴するところはいずれにせよ、闇である。ドラキュラ伯爵の眷属の潜む、深く、そして暗い闇。
 なんと言うことであろうか――
 「漆黒たる前奏曲」にて明らかにされたベルモンド家の血の宿命は、「悪魔城伝説」の主人公がラルフと名づけられた時点で既に決定していたと言えるのである!!
 嗚呼、まったくもってなんと言うことであろうか。殊のほかのベルモンド家至上主義者である筆者としては、あのような事実はなかった、と思いたい。だが、まことに恐ろしいことに、ベルモンド家に流入したあの血の真実を裏付けるが如き暗喩の存在は、ラルフ=C=ベルモンドの名前だけにとどまらないのだ。
 シモン=ベルモンド。
 ラルフ=C=ベルモンドの子孫にして、「悪魔城ドラキュラ」の象徴とも言うべき男。ベルモンド家の血の秘密を暗喩する恐るべき象徴は、他ならぬこの男の名前に秘められていたのである。
 シモンと言う名が「神の言葉を聞く」、また「神は聞き給う」と言う意味を有していることは既に述べた。だが、この名前にはもうひとつ、「小さなハイエナ」――あるいは「雌狼とハイエナの子」と言う意味が含まれているのである。
 ハイエナは夜にさまよう闇の眷属。狼もまた然り。そしてこれら闇の生物の混血種。三重の闇の暗示。
 ・・・シモン=ベルモンドは、確かに神の言葉を聞く者であった。だが、同時に彼はベルモンド家の血の秘密をも、烙印としてその名に負っていたのである。
 象徴はすべてに通ずる。
 ゆえに、同じ象徴の力を用いてこの禍禍しい暗示を善きものに変換することは、可能である。
 ラルフなる名は、ゲルマンの言葉で「助言する狼」と言う意味を持つ。この「助言」なるキーワードに着目して、ラルフ=C=ベルモンドを闇の力を善き業(わざ)に変換する者、闇を光に変える者と解釈することは、確かに可能である。あるいはイザヤ書第65章25節において平和の象徴として歌われた子羊と共に草を食む狼の面影を重ねることも、また彼の「C」から始まるセカンド・ネームを「クリストファー」あるいは「クリスチャン」であると定義することによって、これらの名前の持つ聖なる暗喩を付加することも、決して不可能ではない。
 だが、このラルフ=C=ベルモンドなる男の名には、「漆黒たる前奏曲」で語られた通りの闇の側面があると言うこともまた、事実なのである。
 ――すべては仕組まれたことなのだろうか? 製作者がユーザーに仕掛けた、大いなるパズルなのだろうか?
 「悪魔城ドラキュラ」の歴史を通覧せる時、このシリーズが時には迷走とも取れる紆余曲折を経てきたことは衆目の一致せるところである。しかし、名前の魔力と言う観点から考察を加えたところ、迷走とも、あるいは恐るべき暴挙とも思える数々の展開が、実は巧妙に関連し合い繋がり合っていると言う事実が判明したのである。
 まるで、「悪魔城ドラキュラ」そのものが、自らの意思を持ってでもいるかのように。
 すべては仕組まれたことなのだろうか? 製作者がユーザーに仕掛けた、大いなるパズルなのだろうか?
 それとも、製作者は中世の魔術師よろしく造り出してしまったのか? 名前の魔力のもと自らを育み、自己の矛盾をも修正し統合してしまう「悪魔城ドラキュラ」と言う名の恐るべき怪物を?
 慄然たる思いに凍りついた筆者をよそに、魔力に満ちた「悪魔城ドラキュラ」の伝説はなおも語り継がれて行く。
(1999.7.8   K.T.)
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kyary1976 · 1 year
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自分の死期を悟ったのちの、微笑ましい心の余裕として。 太陽️☀️.°は沈むが、また昇って来る。 私が没してもまた私の魂はこの世に帰って来て、また絵を描いているだろう。 今まで生き急いで焦って来たが、自分の死期を悟った今では心の余裕がぜんぜん違う。 あと残り少ない人生は、俺の身勝手で残した家族に多大なる遺産を残すだけに留まる。 もはや、これまでのように自分の人生を賭けて秩序を求めてひたすら絵を描いて生きて行く必要も無い。 少しはやり残した事も犯しながら、のんびり🦥*̣̩⋆とこれから俺は生きてゆくだろう。 パウル・クレーに学んで自分の絵が何クラスもクラスアップした。 これからは写実絵画よりも抽象画を描き残してゆく。 俺は何万、何千という日数を自分がこの世に生きた証を残すことのために生きてきた。 烏合の衆とは訳が違うんだ。 . . . #一般社団法人亜細亜美術協会 #一般社団法人社員画家 #亜細亜現代美術展 #ワンセブンライブ奏蒼 #17ライバー奏蒼 #ほとんどの配信アプリでキャリさん #美女たちの森と沼 #奏蒼マジック #変態枠 #世界のピンク枠 #broadcast #livestreaming #BIGO #REALITY #ゲーム配信 #宮崎県産まれ三重県育ち #統一を諦めない精神は多様性を称揚する #否定ほど芸術に多くを与えるものはない #似顔絵 #ギリシア神話画 #世界一の画家になるために #ミルダム顔出し配信キャリさん #REALITYキャリさん https://www.instagram.com/p/CooxQvHOOHr/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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poetry-for-absence · 5 days
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『白井 晟一』  - 夜の知性と夢の受肉- (2017)
・夜の知性
 夜はすべてを結びつける。建築家白井晟一は、比喩的にも現実的にも(夜を徹する読書の生活)、夜を生きた者であった。そうした白井の建築には時代の、人々の、世界の夢が受肉した。
 白井の建築のパトスには、同化や融合への意志がある。異質なものの同化と融合。第一に、西洋的な物質や空間への感性と、日本の建築形式の融合があげられる。また、構成の水位においての同化と融合には、エレメントの衝突と、物質への感応によるセンシュアリティなどがある。
 初期の住宅の構成では、断片的なシーンがぶつかり合い、それをシンメトリーの中に押し込んだ。その結果、いびつな平面プランが出来ている。そこには、アルフレッド・ヒッチコックのセットの図面との相似が認められる。(参照文献:  The Wrong House, The Architecture of Alfred Hitchcock ) 映画とは時代の夢を映す。白井の建築にはそれと同じように、象徴の直接言語による断片の集積としての夢の様相を呈する。
・同化と陶酔のディオニュソス的原理 
 理解の様態には「分けること」=分かること(分別知)と、「それになること」=同化(無分別知)がある。美的な状態や認識では二つの知の様態がバランスを取っている。ニーチェの言明になぞらえれば、アポロ的ディオニュソスの様態がある。白井はヤスパースに西洋哲学を学んだゆえに、その源流であるギリシアには厚い思い入れがあっただろう。また、ニーチェを深く読書しており、西洋文明の起源たる力に大いに触れたことであろう。
 
 白井には根源への遡行がある。それが、日本的なるものの源流としての「縄文」への感応へと向かわせた。白井はその暗い原初の普遍で夢をみる。それは人類や世界すべての宿る、神話的次元の夢である。
・夢の受肉
 白井は、煥乎堂についての文章において、「建築家は施主の夢を占う」と書いている。人々の潜在的な願望=夢 を感じ取り、神に代わりその世界を実現させるのが Architect という西洋文明が人間に与えた職能である。人びとは夢の中で自らの真実の姿を見る。芸術はいつも理想への郷愁というかたちで予感される。
 秋の宮役場(1952)や、松井田町役場(1956)はともに地方の自治体における庁舎建築である。白井は、秋の宮役場の仕事を終えた後で、「もし自分の仕事を通じてこの地方の人々に明るい冬を過ごさせ、わずかな燃料であたたかな仕事をしてもらえることができるとすれば、都会の大きな規模の建物をつくるために働くよりはるかに楽しいことに違いないと思うようになった。」と書いている。ここには人々に対する全幅の信頼がある。善照寺(1958)は、浮遊する純粋な形態の建築物であり、内部には静謐な光が満ちている。これは浅草の人々の日々の暮らしの中で、心のよすがとなるものであろう。これら建築作品には、人々の希望に満ちた明るい夢が感じられる。
 そのように、白井建築は西洋の受容を求められた日本的感性の時代当時のひとびとの夢の受肉なのだ。 
 そしてそれは、悪夢もはらむ。原爆堂(1955)である。原爆堂はアンビルドの建築であるが、どこまでも克明なドローイングの強度はすさまじいものがある。建築家の鈴木了二は、原爆堂について触れて、世界の分断的状況が白井において像を結ぶことが、白井晟一の建築史における積極的意義であると述べている。
 白井晟一には、人類のみる明るい夢も、または悪夢も、ともに透徹した眼差しで見つめた澄んだ人間愛が宿っている。そうして人間とは矛盾した存在であるから、そのような姿勢を貫くことには多くの苦悩も伴っただろう。
 夢の受肉としての建築。ニーチェの『悲劇の誕生』において引用される、ハンス・ザックスの『マイスター・ジンガー(職人詩人)』の中での言葉をあげて文章を閉じたく思う。
 
 
君、夢解きこそ
詩人の仕事だ。
人間の一番真実な思いは
夢のなかであらわれる。
すべて詩歌の道は
夢ときに他ならない
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catonoire · 1 month
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「中国陶磁の色彩 ―2000年のいろどり―」展
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永青文庫で「中国陶磁の色彩 ―2000年のいろどり―」展を見る。所蔵品を通しておよそ2000年にわたる中国陶磁の歴史をたどる企画展である。
展示は灰色の灰陶から始まる。通常ならば「色がない」と見做されるであろう地のグレーも「色彩」「いろどり」のひとつとして取り扱っているのがよい。加彩されていても地の色に意識的に目を向けることができる。下のチラシ画像の右上が灰陶の展示品のひとつ、灰陶加彩馬で、墳墓の副葬品として作られたもの。馬の尾が短いのは、当時の習慣で尾を結っているためらしい。
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灰色の次には多色の唐三彩が登場する。上のチラシ画像、馬の隣がその例である。唐の時代の三彩花弁文盤で、重要文化財に指定されているだけあって出来も状態も良好。
次いで緑釉。ここに属する展示品は2点だけで、明の時代の香炉および清の時代の鉢だった。
次に来るのはモノクロームの白と黒、白磁と黒釉。磁州窯の白磁が、手の込んだ文様だったり洒落た文様だったりで洗練されていた。上のチラシ画像、左上がその例。黒釉のコーナーには天目茶碗が4種類。木葉天目、黄天目、油滴天目、禾目天目。油滴天目がいちばん好みだった。上のチラシ画像右下がそれである。
そして青。青磁、澱青釉、青花。鈞窯の澱青釉紫紅斑盤の、濃い水色と赤紫色の取り合わせの妙に特に目を引かれた。青花は日本でいうところの染付で、景徳鎮のものが多く並んでいた。たとえば上のチラシ画像、下の段の右から2番目の青花梅樹文観音尊がその一例。
ふたたび多色になり、五彩と桃花紅。五彩は上絵付で、発色が鮮やかな感じがする。上のチラシ画像下段中央のように西洋風の絵のものもあり、これはギリシア神話のパリスの審判(3人の女神のうち誰がいちばん美しいか、羊飼いのパリスが判定する話)がモチーフとのこと。桃花紅は、桃の花をことのほか好む中国ではやはりとても好まれたであろうと想像される。景徳鎮の桃花紅合子はピンク色と緑色のコンビネーションが美しかった。
最後に、中国陶磁に影響を受けた近代日本の作品の紹介。梅原龍三郎や河井寛次郎など。
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russellian-j · 2 months
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バートランド・ラッセルの言葉366_画像版 n.2679j (March 2, 2024)
 プラトンの対話(対話篇)に登場する若者達は哲学への献身心を示しているが、それは経済的な安定と奴隷世帯の円滑な運営に依存している。メルボルン卿は、グレヴィルが記録したホランド・ハウスでの会話はその教養の幅の広さにおいて今でも魅力的であり、また、妻のバイロン風の浪費に文明的な不屈の精神で耐えた人物であるが、彼の業績を可能にした収入は、炭鉱での子供達の拷問から得たものである。従って、奴隷制や社会的不公正が、過去において文明の発展に有益な役割を果たしたことは認めなければならない。
The young men in Plato’s dialogues show a devotion to philosophy which depends upon financial security and a smoothly running household of slaves. Lord Melbomne, whose conversation at Holland House, as recorded by Greville, is still fascinating in its breadth of culture, and who endured with such civilized fortitude the Byronic extravagances of his wife, derived the income which made his merits possible from the torture of children in coal mines. We must therefore admit that slavery and social injustice have, in the past, served a useful purpose in the development of civilization
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954, preface. More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0807.htm
<寸言>  現代においても奴隷制度を前提とした貴族制度をラッセルは評価しているのかと、早とちりする人がいるかもしれません。ラッセルは貴族でしたが、ラッセル自身は英国の貴族制度は廃止したほうがよいと何度も書いていました。  ラッセルが言おうとしているのは、プラトンなどの古代ギリシア哲学は評価すべきものであること、ただし、当時の経済水準においては,それは奴隷制度があったからこそ可能であったことを認識する必要があること、の2点です。現在の経済水準であれば、奴隷制度は不要であり、忌むべきものということになります。もちろん、当時であっても、仮にその時代に自分が奴隷として生きていたのなら、奴隷制は忌むべきものだと考えるはずで
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jaguarmen99 · 2 months
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203 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2024/02/17(土) 23:31:40.41 kxmiwzJLジャンプは何故テニスをスポーツじゃない何かにしたがるのか226 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2024/02/17(土) 23:32:10.07 ook8GJZk>>.203テニス以外の競技も大概だぞ425 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2024/02/17(土) 23:38:41.14 /ILUsDvu>>.203テニプリ界の世界トップレベルはどうなってるんだ……という長年の話題「トッププロは主人公達みたいな変態技すべて見切れるので、見た目普通にテニスやってる」説がファンの間であるらしい昔同じジャンプ超人漫画「リングにかけろ」では、メインキャラ(剣崎順)が中学ボクシング界卒業した直後デビュー戦で世界戦やって世界王者になった、という解決法をとった513 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/02/17(土) 23:40:28.88 25rj156x>>.425車田正美ってボクシングの仕組み知らないのかw865 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2024/02/17(土) 23:50:27.49 /ILUsDvu>>.513主人公達がパンチ一発で相手選手を競技場の外まで吹っ飛ばすレベルになり、ギリシア十二神も倒したので、超特例措置でライセンスが供給され、デビュー戦から世界戦という措置が取られた(剣崎順が大財閥の跡取りでバックアップがある、ってこともあったかと)なお世界王者ジーザス・クライストもパンチ七発で相手を死亡させることができ、剣崎も死亡したので大丈夫だ(なにが)剣崎はセコンドについた主人公の涙のパンチ(「テリオス」)で心臓再始動するので、さらに大丈夫だ
続・妄想的日常
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shunsukessk · 5 months
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「遺跡としての晴海団地」参考文献
「遺跡としての晴海団地」は日本建築学会のウェブサイト「建築討論」で2023年1月から11月にかけて連載された。もしかすると、いつか誰かの役に立つかもしれないので、参考文献の一覧をまとめておく。なお、赤字は連載内で2回以上触れたもの。
都市
磯崎新「都市の類型」、『磯崎新建築論集2 記号の海に浮かぶ〈しま〉』、岩波書店、2013年。
磯崎新「建築=都市=国家・合体装置」、『磯崎新建築論集6 ユートピアはどこへ』、岩波書店、2013年。
レム・コールハース『S,M,L,XL+』、太田佳代子、渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫、2015年。 ・「シンガポール・ソングライン」 ・「ビッグネス、または大きいことの問題」
藤村龍至「超都市(ハイパー・ヴィレッジ)の建築」、『SD2021』、鹿島出版会、2021年。
山岸剛『TOKYO RU(I)NS』、山岸剛、2022年。
ジル・ドゥルーズ「無人島の原因と理由」、前田英樹訳、『ドゥルーズ・コレクション1 哲学』、河出文庫、2015年。
里見龍樹『不穏な熱帯 人間〈以前〉と〈以後〉の人類学』、河出書房新社、2022年。
晴海
『万博』1938年5月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
「オリンピック中止 万国博覧会の延期 閣議で承認」、東京朝日新聞(夕刊)、1938年7月16日。
『万博』1938年11月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
東京都中央区役所編『昭和32年版 中央区政概要』、東京都中央区役所、1957年。
東京都中央区役所編『中央区史 下巻』、東京都中央区役所、1958年。
『観光お国めぐり 東京都の巻(上)』、国土地理協会、1959年。
東京都中央区役所編『昭和35年版 中央区政年鑑』、東京都中央区役所、1960年。
「運転手、死体で発見 血だらけ乗捨てタクシー」、朝日新聞(夕刊)、1963年12月7日。
「個人タクシーご難 晴海 三人組強盗に襲わる」、朝日新聞、1965年8月10日。
「運転手しばり放り出す 晴海 三人組タクシー強盗」、朝日新聞、1966年5月26日。
「スペインが初名乗り 万国博参加」、朝日新聞、1966年8月27日。
三島由紀夫『鏡子の家』、新潮文庫、1969年。
「カーサ晴海」、『近代建築』1977年8月号、近代建築社。
東京都中央区役所編『中央区史三十年史 上巻』、東京都中央区役所、1980年。
日東製粉社史編纂委員会編『日東製粉株式会社65年史』、日東製粉株式会社、1980年。
『第二次東京都長期計画』、東京都企画審議室計画部、1986年。
晴海をよくする会『晴海アイランド計画の提案』、晴海をよくする会、1986年。
「ソ連の一万トン客船 あす初寄港」、朝日新聞、1987年3月20日。
東京都港湾局、社団法人東京都港湾振興協会、東京港史編集委員会編『東京湾史 第1巻 通史 各論』、東京都港湾局、1994年。
小柴周一「晴海アイランド トリトンスクエア」、『新都市開発』1998年1月号、新都市開発社。
『晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業』、住宅・都市整備公団、晴海一丁目地区市街地再開発組合、1999年。
吉本隆明『少年』、徳間書店、1999年。
茅野秀真、大村高広「再開発地区計画の活用による一体的な広場・歩行者空間形成の実現──晴海アイランドトリトンスクエアにおける実践例──」、『再開発研究』第18号、再開発コーディネーター協会、2000年。
『トリトンプレス』vol.2、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2000年。
『トリトンプレス』vol.5、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2001年。
「晴海トリトンで「いい日常」」、朝日新聞(夕刊)、2001年3月23日。
「晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業 晴海アイランド トリトンスクエア」、『近代建築』2001年6月号、近代建築社。
佐藤洋一『図説 占領下の東京』、河出書房新社、2006年。
夫馬信一『幻の東京五輪・万博1940』、原書房、2016年。
渡邊大志『東京臨海論』、東京大学出版会、2017年。
晴海団地
「港に近く、高層アパート群」、朝日新聞東京版、1956年1月22日。
大髙正人「東京晴海の公団アパート」、『国際建築』1956年11月号、美術出版社。
志摩圭介「団地ずまい礼讃」、『新しい日本 第2巻 東京(2)』、国際情報社、1963年。
「団地に住んでゼンソクになった 工場ばい煙規制へ」、朝日新聞(夕刊)、1963年10月8日。
種村季弘『好物漫遊記』、ちくま文庫、1992年。
種村季弘ほか『東京迷宮考』、青土社、2001年。
中央区教育委員会社会教育課文化財係編『中央区の昔を語る(十六)』、中央区教育委員会社会教育課文化財係、2002年。
晴海団地15号館(晴海高層アパート)
小野田セメント株式会社創立七十年史編纂委員会編『回顧七十年』、小野田セメント、1952年。
河原一郎、大髙正人「新しい生活空間へ」、『新建築』1957年1月号、新建築社。
野々村宗逸「住宅公団の晴海高層アパート」、『住宅』1957年4月号、日本住宅協会。
『建築文化』1959年2月号、彰国社。 ・大髙正人「設計の概要」 ・河原一郎、大沢三郎「都市の住居:高層アパート」 ・野々村宗逸「いつまでも豊かさを」
川添登「晴海高層アパート──将来への遺跡」、『新建築』1959年2月号、新建築社。
前川建築設計事務所「晴海高層アパート」、『近代建築』1959年2月号、近代建築社。
木村俊彦「構造計画論の展開と私の立場」、『建築』1962年1月号、中外出版。
ロジャー・シャーウッド編『建築と都市 臨時増刊 現代集合住宅』、エー・アンド・ユー、1975年。
「アンケート:パブリック・ハウジングの可能性」、『都市住宅』1980年8月号、鹿島出版会。
日本経営史研究所編『小野田セメント百年史』、小野田セメント、1981年。
日経アーキテクチュア編『有名建築その後 第2集』、日経マグロウヒル社、1982年。
レイナー・バンハム「世界の建築の日本化」、伊藤大介訳、鈴木博之編『日本の現代建築』、講談社、1984年。
枝川公一『都市の体温』、井上書��、1988年。
大髙正人、小西輝彦、小林秀樹「昭和の集合住宅史(6)高密度高層住宅 広島市営基町住宅と公団高島平団地」、『住宅』1992年3月号、日本住宅協会。
野沢正光「〝ささやかな悠久〞をおびやかすもの──晴海高層アパート1958によせて──」、『住宅建築』1994年10月号、建築資料研究社。
住宅・都市整備公団、日本建築学会編『晴海高層アパートの記録』、住宅・都市整備公団、1996年。
『住宅建築』1996年8月号、建築資料研究社。 ・小畑晴治、野沢正光、初見学、松隈洋「座談会──晴海高層アパートから引き継げるもの」 ・初見学「晴海高層アパート残照」
井出建「都市に住まうことの戦後史 「晴海アパート」取り壊しと集合住宅の未来」、『世界』1998年1月号、岩波書店。
志岐祐一「晴海高層アパート 可変性検証の記録」、『住宅建築』1998年3月号、建築資料研究社。
高橋郁乃「「晴海高層アパート」は歴史館に行き、そして晴海は…」、『建築ジャーナル』1998年9月号、建築ジャーナル。
前川國男
田中誠「住宅量産化の失敗と教訓──プレモス前後」、『今日の建築』1960年9月号、玄々社。
ル・コルビュジエ『今日の装飾芸術』、前川國男訳、鹿島研究所出版会、1966年。
佐々木宏編『近代建築の目撃者』、新建築社、1977年。
前川國男、宮内嘉久『一建築家の信條』、晶文社、1981年。
丹下健三「前川先生の死を悼む」、『新建築』1986年8月号、新建築社。
伊東豊雄「公共建築の死・前川國男を悼む」、『住宅建築』1986年9月号、建築資料研究社。
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』、晶文社、2005年。
生誕100年・前川國男建築展実行委員会監修『建築家 前川國男の仕事』、美術出版社、2006年。 ・井出建「前川國男と集合住宅」 ・「日本万国博覧会建国記念館 コンペ応募案」
前川國男建築設計事務所OB会有志『前川國男・弟子たちは語る』、建築資料研究社、2006年。 ・河原一郎「前川國男」 ・松隈洋「「生誕一〇〇年・前川國男建築展」という出発点」
団地
島田裕康「住宅団地におけるコンクリート塊の再生利用」、『月刊建設』1996年10月号、全日本建設技術協会。
原武史『団地の空間政治学』、NHK出版、2012年。
祝祭
岡本太郎、針生一郎「万博の思想」、『デザイン批評』第6号、風土社、1968年。
岡本太郎『新版 沖縄文化論』、中公叢書、2002年。
「五輪チケット、販売済みは収容人数の42% 7割が地元」、朝日新聞デジタル、2021年6月11日。URL=https://www.asahi.com/articles/ASP6C66BZP6CUTIL05R.html
「IOC広報部長、コロナと五輪「パラレルワールド」無関係強調」、毎日新聞デジタル、2021年7月29日。URL=https://mainichi.jp/articles/20210729/k00/00m/050/117000c
ギリシャ神話
ヘシオドス『神統記』、廣川洋一訳、岩波文庫、1984年。
呉茂一『ギリシア神話(上)』、新潮文庫、2007年。
賃金
労働大臣官房労働統計調査部編『昭和33年 賃金構造基本調査結果報告書 特別集計』、労働法令協会、1960年。
「賃金構造基本統計調査」、厚生労働省ウェブサイト。URL=https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html
銀座
東京都中央区役所編『中央区史 中巻』、東京都中央区役所、1958年。
赤岩州五編著『銀座 歴史散歩地図』、草思社、2015年。
築地
テオドル・ベスター『築地』、和波雅子、福岡伸一訳、木楽舎、2007年。
東京タワー
電気興業社史編纂委員会編『電気興業 40年史』、電気興業株式会社、1990年。
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