Tumgik
#あなたがすべきことはあなたの仕事をすることであり結果を出すことではない結果のために働いてはいけないただ漫然としていてもいけない自分としっかり向き合い自分をなすべきこと
nanaintheblue · 10 months
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2年前の日記 
一軒目のスーパーで肉や牛乳を買い、二軒目のコンビニでキャベツを買う。通勤鞄に入りきらないのでラグビーボールみたいに手で抱えて帰路につく。昭和の盗人みたいに。 さくらに手紙の返事を送ってから一か月近く経つ。その返事、「ついたよ」という連絡が一向にない。
理由はなんとなくわかっているからこそ「届いた?」という確認のラインを送れずにいた。新幹線の中で一気に書き上げ、ほとんど推敲せずに会社で印刷して送った。多くなるとわかっていたのでwordで打ったものの、印刷すると5枚で、印字で送るには厚みおよび手紙としての気迫が足りない、と思い最初のページにちょっとしたイラストを落書きして「手書きじゃなくてごめんよ」と吹きだしを足しておいた。エアメールなのに名前だけ癖で日本語で書いてしまい、あわててSakuraと郵便局でローマ字を振った。 さくらは不思議な友人だと思う。
サークルの同期だった。それなので付き合い自体はかなり長いのだけれど、本当に素で彼女と話せるようになったのは結局のところ社会人になってからだった。 1年の新歓時期だかに部室で会ったのが最初の出会いだった。初手から、綺麗な子だなと思っていた。その頃のわたしにとって、その感想はイコール「仲良くなってもらえないかもしれない」という危惧とあきらめに直結していた。 かつ、さくらは明るくて元気でなつっこい性格で、当時そんな言葉はなかったが言うなればどう見ても「陽キャ」で、日なたの国道を歩いてきた子のように見えた。事実はどうかわからない、けれど、容姿のきれいさ、人にしゃべりかける屈託のなさ、応じている人の嬉しそうな笑み、そのどれも自分が持ちえないものだった。こういう人はわたしとは仲良くしたいと思わないだろう、と決めつけて遠巻きにしていたものの、さくらからしゃべりかけてきて、そこにはなんのへだてもなかった。あ、こういう子なんだ、と思った。性格に裏表がない天真爛漫な美人。わたしの中にある、「顔が綺麗な人はこういうもの」という偏見の型のどれにもあてはまらなかった。 仲良くなれるはずがない、と思った。性格が悪ければ品のない話で盛り上がったり誰かの陰口に花を咲かせるなり、という邪道な方法で近しくなることもできるのだけれど、さくらは本当に、目に見えるままの子だった。完敗だった。「さくらちゃんって冗談通じないタイプだよねー」と性格の悪いイケメンの先輩がいつだったか彼女がいない場で漏らしていて、それを聞きながらこっそり溜飲を下げている自分がとてもくだらなく、浅ましい存在だと思った。 1年の終わりに部長を決めなければならなかったので、誰もいないだろと思って立候補してみたらさくらも手を挙げたので正直びびった。お互いに打ち明けていなかったので、その時点ではまだ表面的な「仲良し」だったんだと思う。投票で決めることになり、なんとなくわかっていたが、さくらが部長になり、わたしは副部長になった。 票がどんなふうに割れたのかは結局知らないのだけれど、さくらが選ばれた、という事実は、当時のわたしをそれなりに傷つけた。わたしの方が部室に顔を出していたし、展覧会で作品もまめに出していて、部員として「まじめ」だった。本当に部長を務めたかったのかと言えば、いまに思えばそうでもなかった気はする。ありていにいえばそもそもなんで立候補したのかもいまひとつその時の自分の気持ちを思いだせない。でも、負けた、と思ったし、わたしではなくてさくらの方がこの場では上だとみんなに思われてるんだなあ、と思った。もちろん、単に人気投票ということではなく性格や適性や総合的なことを鑑みて選挙がおこなわれたにすぎないのだけれど、当時のわたしは結果をみんなで分かち合っている、という状況がいたたまれなくてしょうがなく、羞恥の意識が身体を貫いた。立候補なんてしなければよかった、と思った。 思いだせないなりにいま振り返ると、わたしは部長になりたかったのではなくて(むしろめんどくさそうだなと思っていたのだし)、「そうだよね、このメンツだったら**ちゃんがふさわしいと思う」とみんなにうなずいてほしかっただけなのかもしれない。けど、結果はそうじゃなった。 別にその一件を通してさくらと関係がぎこちなくなったとかわたしがよそよそしい態度をとったとか、そういうことは特になく、そのあとも適度に仲は良かった。逆に言えば、一定の友だちではあったけれど、深い仲になることもなかった。さくらがどう思っていたかはわからないけれど、わたしは結構確信的に、この子とはここまでだ、と思っていた。決定的なことがなくてもしにたいと思ってしまうことや、サークルの中でかっこいいなと思っている異性のことや、サークル内で聞きかじった下世話な噂話をさくらと盛り上がれる想像が全くつかなかった。 憶えていることがある。新入部員の頃、先輩に「さくらちゃん彼氏いたことあるでしょ! むしろいまいる?」と聞かれて「ないですよ」とこたえ、「うそー! 絶対もてるでしょー!」と騒がれ、さくらは素で困ったようにはにかんで、話題が変わるのをしずかに待っていた。そのやりとりを見ながら、ああ、ほんとにこの人は自覚がないんだ、と思った。自分がひかっていて、それはどうにだって武器にできるものなのに、居心地悪そうな顔をして。 嫌い、と思えた方が楽だったと思う。ただひっそりと、ちゃんとしゃべったことないけどたぶんこういう子はわたしの苦手なタイプだろうな、と思った。そしてその思い込みは、結局大学を卒業するまで、石のように残りつづけたまま、それでもサークルはおなじであるからして、「友だち」でいた。 東京に出たわたしは、23区ではなく国分寺に配属された。仙台よりいなかじゃんか、と思いながら、どうにか慣れない日々や人や街に慣れようと必死だった。そんな時、さくらが「東京行くから泊めて」と連絡を寄越してきた。遠いけど来なよ、と言うと「ありがとう!」と返ってきた。さくらは大学在学中アメリカに留学していたので、ストレートに学部を卒業したわけではない。そもそもいまひとつ、いまどういう状況なのかも知らないでいた。 夜遅く、さくらがマンションに来た。遠かったでしょ、と言うと、遠かった、と笑っていた。着いたのは22時過ぎとかだったので、お風呂を貸して、すぐ布団を並べて寝ることにした。 「**はどういう会社に入って、何の仕事をしてるの?」  川の水を掬ったような澄んだ声で問われ、一瞬言葉に詰まった。在学中に作家になれず、挫折をひきずったまま出版社に潜り込もうとしたものの内定は出ず、そうなるともう自分が何をしたいかなどまったくわからなかった。手当たり次第に企業を受けたものの、結局、自分がなるとはまったく想定していなかった職につき、当然、業務内容に全く関心をもてないまま社会人生活は始まってしまった。 ごまかしようもないので職種と日々の仕事内容をありのままに説明すると、「そうなんだ、意外だね」と言われた。本人が一番そう思っているのでへらへらするしかなかった。 「**はやりたいことがあって、仕事もちゃんとやって両方がんばってて、すごいね。わたしは自分が何をやりたいのか、まだよくわからないから」 「さくらっていまどうしてるの? まだ大学にいるの?」 いまさらのように尋ねると、アメリカの大学でアニメーションの勉強をしているのだと明かしてくれた。さくらは建築学科だったので、意外だった。「アニメーターを目指してるの?」と尋ねると、まだ決めていない、としずかに返ってきた。 「**みたいに、小説が心から好きで、一所懸命書いてるのうらやましい。わたしは、まだ自分がどうしたいのか定まってないから。向こうでいろいろ美術のこと勉強中」向こうでは、デッサンの基礎を学んだりアニメーションを実際につくったりしているらしかった。美術部は完全に趣味で在籍していたわたしからすれば、せっかく名前のある大学に入ったのに随分思い切った進路だなあ、とひそかに思ったけれど、小説を書かない人間からしたらわたしがしていることだって相当突飛だろう、と思い直した。 「**みたいに、これだ、って思える芯があるわけじゃないから羨ましいよ」 わたしは黙り込んだ。 会社のトイレで泣き、月曜日から木曜日まで毎日「早く金曜日にならないかなあ」と思いを馳せながら働き、日に日に時計を確認する頻度が上がる、東京の郊外での些末な暮らし。仙台にいる恋人からは4月に「別れよう」と言われてから別れ話がこじれにこじれ、肝心の小説は、失恋や引っ越しで精神がめちゃくちゃにになったことを盾に事実上筆を折っていた。新人賞用の原稿はせっかく書き上げていたのに推敲が面倒くさくなり、というか急に点数をつけられるということが怖くなって土俵に送り込まずにボツにして、新しい小説は書こうとしては途中で投げていた。こんなの全然「羨ましい」なんかじゃないよ、と思ったけれど、いまの自分のていたらくを一つひとつ明かす勇気も気力もなかった。そして、こんなめちゃくちゃな生活でも、羨ましい、と思えるような面がまだ残っているのであれば、その虚像をまだ信じていたかった。さくらが、誰かを、それも自分を「羨ましい」と思うことがあるなんて、想像もしていなかった。 四年も付き合いがある中で、初めて、いろんな話をした。ほかの、さくらよりもっと親しいと思っていた部員にも言ったことのない本音や、愚痴や、夢や、感情のことを話した。次の日は「**がこの町で好きなところに連れて行ってよ」と言うので、妹尾図書館まで歩いて行って、お昼を食べて、さくらを駅まで送った。 その一件から、わたしのさくらへの気持ちや関係性の捉え方が変わった。時々ラインを交わし、時差のすきまで電話をした。 そして、社会人1年目の年末、さくらから再び連絡があった。日本に帰ってきてるから晩御飯食べよ、と誘われ、自分の職場である新大久保のトッポギを食べることにした。学生時代からうすうす気づいてはいたが、さくらは辛い物、というかげてものが好きなタイプの女の子だった。言いはしなかったけれど、可愛いのにへんなやつ、と失礼な感想を持っていた。 「そういえばさ、さくらは死にたいとか思ったことなさそう、って昔**に言われたな」  さくらが選んだ店は、大久保でも有名な激辛の店だった。熱くて辛い、痛みの根源のような食べものと格闘しているさなか、急にさくらが言いだした。ぎょっとして「そんなこと言った?」ととっさに言い返した。さくらは邪気のない笑顔で言ったよ、とうなずいた。 「なんてこというんだ! って思ったもん。覚えてないの?」 全く、覚えていなかった。頭があせりで真っ白になった。 大学生の頃だったら、さくらのように明るく、人に囲まれたきれいな子はしにたいとか思うはずがない、と思い込んでいたかもしれない。いや、かもしれないとかじゃなくて、そう思っていた。 覚えがない。でも言ったのかもしれない。あの頃の自分ならありうる。内心汗をかいていると、さくらはあっさりと別の話題を話し始めた。正直に言えば、言った言わないの問答にならなかったことに心から安堵した。さくらがそういうなら言ったんだろう、と思った。 新しい仕事や近況の話をして、残ったトッポギは包んでわたしが持って帰ることにした。新宿駅に向かって歩きだし、線が違ったので地下へ降りる階段の前で別れた。 よいお年を、と口にしたら「おない年の人と言い交わすのって変な感じ」とさくらが笑った。それを見て、どうしようもなく、さみしい気持ちになった。 あ、いまわたしこの人に抱きつきたいかも、と思った。同性の友達に対してそんなふうに思ったのは初めてだったし、友達とハグをした経験も数えるほどしかなかった。正確に言えば、こういう場面でそういう、突発的なハグをしたことがなかった。びっくりされそうな気がして、言わ��いでおいた。 だって、さくらとはそういうんじゃないし。この期に及んで、そう思う自分が、確かにいた。遠慮、後ずさり、虚勢。結局、また明日学校で会うみたいな顔をして、手を振って別れた。 それからもなんどか電話した。突然ラインをくれるのはいつも彼女だった。あれからいちどもわたしの失言についての言及はなく、読んだマンガやいま書いている作品について、あるいははまっているアイドルについてとりとめもなく雑談した。塩釜で全裸になったときの原稿を送ったらすぐ電話をくれて、会社の非常階段で15分くらい話した。性的な話を全くかわしたことがなかったので、道徳的な観点で批判されたり軽蔑されたらちょっとやだな、と思っていたけれど、そんな無粋なことは全くさくらは口にせず、ただただ面白がっていた。 この人はわたしが思うような人ではなかったのかもしれない。友だちになってから随分時間が経つというのに、いまさらのようにそう思った。そして、離れてからしか気づけなかった自分が、あまりにもおろかだと思った。自分の保身ばかり目を向けていて、さくらを「顔のきれいな人」としか見ていなかったのだ、といまになって思った。 さくらから突然ポストカードが届いたのは8月の終わりのことだった。玄関で、靴も脱がずにそれを読んで、わっと泣いた。とくべつな内容ではなく、日本の小説を読んで、わたしと話したくなって、筆を執った、そういう簡潔な内容だった。まぎれもなくわたしだけにあてられた手紙だった。 大学生の頃、わたしはさくらとはここで終わりだろう、と思っていた。もちろん一人の友だちに対して明確にそう思っていたのではなく、社会人になっても遊んだり、連絡を取ったりするだろうとは全く思っていなかった。それを、さびしいとも、正直に言えば思っていなかった。さくらとはここまで、と思っていたから。 でも、大学を出て4年経ったいまでも、わたしたちは友だちだ。それはさくら一人の力によって関係性がつづいているんじゃないだろうか。だって、わたしから連絡をするのは、書き上げた小説を送る時くらいだ。それは、よく言えば信用しているから読ませているとも言えるけれど、わたしは当事者だから自分の気持ちはわかっていた。 ものをつくっている人に送れば、内容に問わず書き上げたことに「すごいね」と言ってもらえるとわかっていたから、その賞讃ほしさに送っていただけなんじゃないだろうか。 でもさくらはそうじゃなくて、本当にただ純粋に友だちとしてわたしを好きで、信じている。はっきりそう書いてあったわけではないにしろ、そういうことが伝わる手紙だった。というよりも、アメリカからわざわざ手紙を送るという行動だけで、充分だった。封筒には、きらめくはなびらの切り紙も一緒に入っていた。ラブレターだ、と思った。 さまざまな感情が津波のように打ち寄せ、長い手紙を書こう、と思った。集中して書きたい、と思って移動中に書き上げた。それはさくらに対する感情の変化を綴った、独白のような懺悔のような、一方的な内容だった。書いている時は集中していたので気づいていなかったけれど、送って数日後に読み返して、うわ、と思った。顔が、赤ではなく蒼くなるのを感じた。さくらが寄越したものがラブレターだとしたら、これは単なる弁解だった。許してほしい、とうわめづかいが浮かび上がるような。 うーんと思っているうちに、ひさしぶりに東京で大きな地震があった。(これは、本当にだめなほうの地震かもしれない)と思った。部屋の真ん中で硬直しているうちに揺れはおさま��た。 そういえば忘れてたな、地震ってくるもんだったな、とぼんやりしているうちに、いまだったら、送りそびれているいくつかのメッセージを送れそうだと思った。どれも年単位で滞っている連絡で、地震程度ではやはり、勇気が湧かずに素通りした中で、さくらには送れる、いま、と思った。 【手紙届いてる?】 次の日に連絡があった。【手紙で返信送ろうと思ってた!ごめんね】【来週一時帰国するから会おう!】だった。拍子抜けした。怒って連絡を寄越さない、ってわたしじゃあるまいしさくらにかぎってありえないか、と思ってちょっと笑った。 【13日なら空いてる うち泊まりなよ】 さくらからの手紙には、「**とべろべろになるまで飲んでいっぱい話したい」とあった。さくらが結構お酒に強いことを、ふっと小さい風が吹くようにして思いだす。さくらがうちに来るまでに、ヘパリーゼと一ノ蔵を買っておこうと思う。
2021.11
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sakase · 2 months
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Nijisanji ENのセレン龍月さん契約解除のお知らせから今日までに感じたこと
初めに
これは私の言葉であり感情です。私以外の誰かが別の誰かに対して武器として扱わないでください。また、これは一連の話題について誰かの証拠として述べ、情報を提示・精査しているものではありません。
ここで明確に怒りをむけている相手は主に誹謗中傷を行なっている人達と行き過ぎたサポーター達に対してです。にじさんじEN、所属しているライバー、セレンさん(以降Dokiさん)に対してはそれぞれを心配していますし一刻も早く安寧が訪れることを願っています。しかし衝撃が大きかったのがDokiさんのポストなので当たりが強いと捉えられたら申し訳ありません。
私は普段物静かなリスナーです。リスナーの声を望むライバーには申し訳ないですが静かに楽しむのが好きなのであまり公の場でコメント等をしていません。ですが見聞きしています。偽のリスナーにしないでください。
長いです。誤解を招きたくないので主言語である日本語で書きます。
沈黙は金という言葉がありますが、死人と同じとされる場合もありますね。 であれば私は今墓場から声を上げている亡者です。それほどまでに現在の状況が悲しいです。あまりにも長い呻き声です。ごめんなさい。 今苦しい気持ちでいる方々にまずハグを。
今回の件で運営は手段やタイミングを尽く間違えたかもしれません。少なくとも良くはないと感じます。事情があるにせよ、これまでの立ち回りを思えば全てを是とすることは出来ませんし、不満は当然出るでしょう。とはいえ、何をぶつけてもいいわけではありません。
あの時ショックを受けたのは運営側のお知らせだけが原因ではありませんでした。熱心なサポーターがDokiさんのアカウントを早々に広めて回っていましたからその時から見ています。
【Notice: Termination of Selen Tatsuki’s Contract with ANYCOLOR】
運営お知らせポスト後のDokiさんポスト
ハラスメントを受け続けた末に未遂に至ったというエピソードは権利関係の違反云々とは別に重要なポイントです。しかし感情的になる以前にどうにも両者の間には不明瞭な部分が多くありました。
私はこの段階で、「彼女に弁護士がついていて法的に責任を追及するつもりであれば、いずれ裁判で明らかになるのだろう」と考え、一先ず静観しました。が、別のところでは瞬く間に炎は大きくなっていき衝撃と困惑を携えた人々はぶつけ合い始めていました。
所属ライバー達のメッセージ(動画)
日本語訳つきはこちら
メッセージ配信を受けたDokiさんのポスト
↑のポストから2時間後のスレッド
文書共有の懸念について説明
田角社長の声明
ライバー達はDokiさんの知らないうちに情報に触れる機会を得て自らの感情や状況を話しました。おそらくハラスメントとされたものに対して認識に誤りがあると伝えたかったのだろうと汲んでいます。そこでは追撃の示唆も、早急に公の場での回答を求む声はなく、聞いた人達には弁護士が関わる話だからこれ以上は言えない、攻撃はやめてほしいと願うのみでした。
ここに関してはDokiさんも同じように主張されていますね。
どちらが正しい振る舞いかどうか?正直今の段階ではどちらも言い分は分かるが手段は最善でないと考えます。沈黙を愛せる状況にさせなかったのは私達リスナーや乗じて騒ぐ人達の声でしょう。しかしリスナーが応援したい人の傷ついた姿を見れば忽ち感傷的になるのも想像に容易いです。更に文書の存在・閲覧を仄めかす程度に出したことでより事態を複雑にしました。
彼らは同僚として活動し、友人としても関係を築いていたのですから、何かしら誤解やすれ違いがあったのかもしれません。運営、彼女のマネージャーも各々尽力したが彼女の期待には及ばなかったのかもしれない…想像しか出来ません。もし誰かが嘘をついているなら、それは法の下で暴かれ、裁かれるものです。文書公開・共有範囲についてもどちらの国にそってどう考えるべきかも複雑で、最早部外者が判断出来るラインを越えているでしょう。少なくとも運営が出したポストでは違法性はないと言い、どんなに立ち回りが悪かろうとそれなりに大きい企業ですからこの点は一旦信じています。こういったケースを経験した当事者と専門家がそれほど多く存在するとも思えません。
2/15 Dokiさんのポスト
これは私にとって本当に衝撃的でした。
先に言っておくと話題になった文書や録音についてはここでは触れていません。今は情報の精査は部外者に判断出来るものではないからです。
私が衝撃を受け、人々の反応に戸惑ったのはその後の部分です。
打ち明けられた情報に対してリアクションをしたのは理解できます。結果的に一部の混乱を抑えてくれたことにも感謝しています。改めて彼女は今後サポートされるべきだと思います。しかし、たとえ人々に聞いてほしい一心からだったとしても、優しさ故だったとしても、これが良い手段・内容だとは思えません。
どうしてまた秘めていたエピソードを追加で公開したのでしょう。 1度目の告白で既に多くの人がその痛みに寄り添い毛布をかけていたと記憶しています。ライバー側のメッセージ内容を考えても、胸に秘めておきたかったのならそれを今深く掘り下げずともよかったはずです。一部の情熱的なサポーター達の他にも、興味津々で“次の材料”を常に待ち伏せしている人達もいる。弁護士や専門医と相談の上での発言だと信じたいですが、その場合、その人達へ攻撃しないよう願う為に更に傷を抉って伝える必要があると判断されたのですか?今のDokiさんの状態を慮った上で? 人々は彼女に寄り添うでしょうが、反応を見て分かるはずです。この開示の影響力がどれほどか。これからのことを考えるなら言う側も聞く側ももっと慎重に扱っていい話題のはずです。
自らの命を絶つ。その選択に至るまでの環境や心身の状態はたとえ同じように試みた人間であっても容易に計り知れません。「生きてさえいれば」とは簡単に言えない。死が包み込んでいった現実は余程救いであったと思えない限り、後の他者にとってもただただやるせないです。 Dokiさんには十分なケアを受けてほしいし、今後その意見を尊重してもらえる環境下で生きてほしい。既に前に進もうとしている決意の背中には拍手を送りたいです。 しかし、未遂を打ち開けることは、状況次第で他者にとっては“自分自身の命を盾にした強力な脅迫”に成り得ます。中には苦しみや痛み、自分の欲求を訴える手段として自ら命にナイフを突きつけてみせることを選択してしまう人がいるのも事実です。慎重になる人が出るのは仕方がないと考えます。(Dokiさんをそういう人だと断定する為に言うのではありません。決して。)
私は日本で主に仏教に基づく生活を送り、自死に対しては身に近い話題ですが肯定的ではありません。宗教によってはより痛ましく捉えられるのでしょう。何にせよそこに至った、それだけで重みは十分にあります。
当人がつらい境遇にあった事は責めることでないですし今後報われるべきです。しかし、たとえ本人に悪意や支配の欲求はなくても、『その手段に一度でも行き着いた人間である』と意識されることで、忽ち他者に強く働きかける力を否応なく持ってしまう。どうとも思っていない外野ならともかく、誠実に向き合おうとする相手や好意を抱いてくれる相手にはとても強力に働きます。実際、近くに居る人の中にはその気配をひどく怖れるようになってしまう人、必要以上に自らを責め苛んだり深く傷つく人、当人に代わり周囲への警戒心が強まり攻撃的になる人もいます。これは私の経験にも基づく話ですし、Dokiさんもポスト内でご両親のことを記載されているので想像出来得るかと。
自他ともに心身への負荷や影響・リスクが伴う可能性が高い。今後、追い詰められる前に人に頼ったり助けを求めるハードルを低くしていくのに厄介ではありますが、自覚しておかなければ望まない傷を負い、負わせかねません。
運営の対応や公開されている内容に憤る方も多いですが、私はDokiさんを担当されている弁護士や専門医の方にも、彼女から相談されているならば、より気をつけてほしいと切に願います。
強く意見している人達もどうか注意してください。自己犠牲や起こった悲劇を悲しみ、生き延びたことを喜び励まし合うことはあっても、聖なる灯のように、英雄のように掲げるのは違います。ましてやその名の下に義憤し、周囲へ矛を突き立てるのは行き過ぎています。
過去には自らの願いや訴えを社会に痛烈に伝える手段として自決を選んだ人もいますが彼女の場合はそうではなかったはずです。
起こってしまった以上は先を臨むしかない。完璧ではない企業や運営に改革を求めるのはご尤もです。ですが何人をも裁く権利を司法以外は未だ誰も持っていません。今はそれぞれ信じたいライバーに目を向け、愛情と優しさを持って根気強くサポートしてほしいと願うばかりです。心を深く痛めている人はどうか休んでください。全てがあなたの痛み、責任ではありません。自分に余裕が持てたなら一緒に前を向いてください。
少々話は逸れますが、今回の件では日本人リスナーの反応について過去のにじさんじライバーの件がよく話題に挙げられています。が、私はその件については深く知りませんでした。私は最近起こった、ある悲しい一件に似ていると捉えていました。
2024年1月末、日本では自らの作品の映像化脚本について声明を出した漫画家が急遽亡くなってしまい、現在も話題になっています。彼女は当初脚本について説明する為に声を上げました。彼女の声明内容は瞬く間に波及し、彼女の作品の映像化にあたった関係者や企業、脚本家においてはその知り合いまで巻き込み、SNSで発言を暴き晒し始めたり誹謗中傷が飛び交い、他の創作者達も意見を出し���各所で混乱が起こりました。死に至った明確な理由はわかりません。ただ非常に戸惑っていただろうととれる当人のポストは今も残っています。 他にも浮かぶエピソードはあります。そういったものを通して“必要以上に騒ぎ立てる内に渦中の人物が突然命を絶ってしまい、公の場で必要な裁きや真相究明が困難なままに葬りさられたり、取り返しのつかない展開を迎える怖さ”を知っている人は少なくないでしょう。
最後に、今回の件でヘイトを発信し、国間ヘイトまで煽られている方々。国内外問わず多くいらっしゃいますね。
おかげで私は墓場から声を上げる亡者になりました。きっとお読みにならないでしょうけれど書いておきます。
どうか愚かな壁を先んじて建てないでください。 言語を始め、様々なフィルターは確かにあり、言い���したらキリがないです。しかしそんな中でも各々翻訳したり、ライバーを支えたい一心で必死に配信やポストを聞き応えようとしたり、リスナーたちと交流を試みている人々も国を問わずいらっしゃいます。その末に疲弊し、心を痛めている人も。 時に他言語話者が翻訳機を通しその思いを伝えてくれるように、伝えたい思いや分かち合いたいものがあります。各言語を堪能に扱えなくても心を砕こうとしている人がいることも知っていてほしいです。
国、人種、性差別と取れる表現を軽々と交える人に何かを嘲る資格はありません。
“くろさんじ”が俗に言うブラック企業という言葉の意味を被せているのは知っています。だからといって、そこには黒しかないだろうと笑ったり、誰かを必要以上に蔑むその口が、本当の意味で“anycolor”(どんな色、どんな個性も)を尊重するべきと、守りたいものの美しさをどうして訴えられますか?
どんな色でも、少なからず歴史を知る上で、未だ色色に忌み物のラベルをして、平気で石を投げ楽しんでいる姿を見ると落胆します。結局は自分の飾りたい、認めたい色を都合よく掲げていると気づいていますか?
不満や怒りを抱き、反する意思を見せるのは構いません。ですが理性のラインまで見失わないでください。もしあなたが今信念を持って、誰かや何かを想って立ち上がっているなら、一度落ち着いてまずは我が身と筆先を整えることをおすすめします。
人は日々様々なものを経験しつつ進んでいる道の上で物事を目の当たりにしています。こうした難所に対峙した時の対処法や姿勢は人によります。 ここから先のお願いはあなたにとって心地よければ是非やってみてください。 あなたがサポートしたい誰かが励んでいるなら傍で支えましょう。やがて物事が明るみに出るであろうことを願いながら過ごしましょう。 その間、愉快なドラマをみたがって囃し立てる人達もいるでしょうが拳を振るうよりブロックや通報をして、出来得る範囲で自分と大切に思うその人を温かく包んで。 もし息苦しいなら一旦離れてみましょう。美味しいものを食べたり飲んだり、違う場所へ行ったり、休息をとってください。 綺麗事ではありますが各々大切な人と穏やかに日々を過ごせるよう心から願っています。
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kennak · 1 year
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40代地方在住独身。ぱっとしない生活が一変した話をどこかに吐き出したくて書く。ひょんなことから数ヶ月前は考えられない毎日を送っている。 いわゆるロスジェネ世代なので就職は苦労したが、都会で働いてからUターンして、ちょっとした専門分野で奮闘してなんとか生き延びている。裕福ではないがまあ生活に困ることはない。田舎暮らしは嫌いでもないが、若い頃から文化的な面が乏しいのには辟易していた。その反動で都会にいた頃はライブやイベント、美術館などにもよく通ったが、地元に戻ってからは同世代と話題が合わないことにやっぱり困った。もう諦めたけど。周囲はギャンブル(パチンコ)とか、女性のいる店の話ばかりの人が多い。そういうのが趣味じゃないので、仕事以外はせいぜい家で映画見るかゲームしてるか、くらいの日々だった。 漫画はもともと少し読む習慣があった。といって���最近はアプリで無料作品を中心に物色するくらい。勧められて「よふかしのうた」という作品を読んでみた。なかなか面白い。世界観が趣味に合った。ぱっとしない日々にどこか嫌気が差していた自分を、日常から逃れて夜を彷徨うストーリーに重ねたのかもしれない。アニメはほとんど見ないのだが、この作品がアニメ化されていることを知って、興味本位で見はじめてみた。 考えてみれば、もともと「好きな声」というのはあった。声が好きで聞いていたラジオ番組もある。好きなバンドとかミュージシャンも、声の方向性が似ている。このアニメの主人公の女性の声が、妙に引っかかった。漫画を読んでいたとき脳内で再生されていた声とも近かったし、たぶん元来好きな声に近かったのだと思う。これまで気にしたこともなかった、アニメのキャスト欄を見てみた。 七草ナズナ - 雨宮天 初めて見る名前。声優といえば大山のぶ代さんと野沢雅子さんくらいしかまともに知らなかったのだから当然だ。読み方すらもわからなかった。 別の日、なんとなくYouTubeで流れてきたTHE FIRST TAKEを見ていた。地方でカルチャーに飢えている音楽好き中年にとってYouTubeは貴重な情報源だ。さすがに若者には知らないミュージシャンも増えてきているのだが、同年代と比較するとまあまあ幅広く聴いている方だとは思う。動画の中で歌っている、知らない女性の名前に見覚えがあった。 雨宮天(あまみやそら)さん、というらしい。アーティストとして歌う女性の声と、アニメのあの声が一致するまでには、少し時間がかかった。しかしそうだとわかると、この歌声にもぐっと引き込まれた。オリジナル曲らしいが、当然知らない曲だった。こうなると調べずには居られない性格で、いろいろ検索してみた。声優歴が約10年、早くからアーティスト活動も行っていて、ライブなどもやっているようだ。 公式YouTubeチャンネルをすべて見た。MVやライブ映像。声に惹かれたのだな、という認識で見ていたが、彼女の表現の幅の広さや人柄を感じるたびに不思議と引き込まれていった。YouTubeには別の企画チャンネルというのがあった。こちらはその名の通り、ゲームしたり料理したり、様々な企画をやっているだけで歌や演技が見られるわけではない。作りとしてはよくあるYouTuberのチャンネルと同じようなものなのだろうが、これがもう、ダメだった。ただただリアクションしている彼女の姿を見たくて声を聞きたくて、何度もリピートして見てしまう。 端正な見た目とは裏腹に、面倒くさがりだったり大雑把だったり、時に負けず嫌いや努力家の部分が顔を見せることがあり、その全てが魅力的に見えた。幸か不幸か、お金のかかる趣味も特になく、リリース済みの彼女の作品で購入できるものは一斉に大人買いした。アニメなど全く見てこなかったのに、気がつくと過去の出演作に遡ってひとつずつ追いかけている。今季の作品では「スパイ教室」が楽しみで、リピートして見ている。「久保さん」はやっと登場したと思ったら制作が延期になってしまった。4月からの再スタートを心待ちにしている。総務省のワイドFMや、DMM TVのCM映像は、何回見たかわからない。 BeatFitといういわゆるフィットネスアプリがある。ちょっと前に、このアプリのトレーナー音声を彼女が担当するという企画があったらしい。間に合わなかったことを悔やんでいたら、よく調べるとこの音声が好評で、パッケージとしてリリースされていた。これも販売終了してしまっていたが、某フリマアプリで入手した。 本当に自分でも生活が変わりすぎてキモいと思うのだが、運動をはじめた。それでなくても、ラジオ番組や過去の楽曲などを何度も聴いてしまうので、どうせなら聴きながらジョギングしてみようと思ったのだ。1ヶ月ほどだが、体調がすこぶるいい。中年になって弛んだ身体の体重も少しずつ落ち始めた。 アニメ作品の関連で、パチンコ音声にもなっているらしいというのを見て、生まれて初めてパチンコ屋に行ってみた。が、これは駄目だった。そもそもアニメ作品のパチンコ台は提供されている時期が限られているらしい。それよりも何よりも、あんな騒々しい環境では彼女の声を楽しめるはずがない。軍資金に備えていたお金で、ちょっとした高級イヤフォンを買った。これでアニメも歌もYouTubeもより楽しめる。 気がついたら、仕事をしている時間以外は、ほぼ彼女の作品に触れて過ごしている。コロナが少し落ち着いてぼちぼち増えてきた飲みの誘いを断り、家にこもってPCの前に座り、アニメやYouTubeを見ている自分を客観的に考えると、いったいどうしてしまったのかと思う。しかしその時間を確保するために仕事も全力でこなすようになった。もともと必死で生き延びようとしてきた仕事なので、気合が入った結果、不思議と少しずつ仕事上の成果も出始めている。先日、Anime Japan というイベントがあったらしい。新作アニメのプロモーションなどが中心の企画で、これまでなら全く興味を持つことがなかったと思う。仕事で行けるはずもない日程だったのだが、彼女がいくつかのステージに出演していたと聞いて心がざわつくのを感じた。遠征費用くらいなんてことはないし、前もって調整すれば東京や大阪まで遠征することも不可能ではない。映像作品の中の彼女を、実際に見て生の声を聴いたらいったいどうなってしまうのだろう。もう、帰ってこられないような気がしている。  こちとら田舎暮らしで、周囲の同世代には同じような趣味を持つ人がいる気がしない。自分でも全くよくわからない感情なのだが、とにかく努力して前向きに日々を過ごさねば、と思うようになった。仕事もそこそこの成果を出し、いつでも使いたいものにお金と時間を使えるように。先日のラジオで、彼女は「日曜の朝はカフェなどで早朝から勉強している」というようなことを言っていた。本当に馬鹿なのだが、感化されて日曜朝を勉強の時間に充てることに決めた。新しい資格を取ろうと思っている。 これが推し活というやつなのだろうか。40代でこんな生活をしていて、これからどうなってしまうのだろう。   【追記】おっさんの1人語りを書きなぐっただけのつもりだったのにブクマがたくさんついて驚いている。ブコメもひとつひとつに返信できないので全部見たけど気になったところだけ。 結婚報告があったら、の話。彼女の年齢を考えても充分に有り得る話だと思うし、もしそうなったら、と想像してみたけど、素直に嬉しいと思う。増田は一回りも歳の離れたおっさんなので、これまで恋愛経験という意味では失敗もたくさんしてきたし、彼女に対してはそういう感じじゃない。本人がそれを望んで結婚するのなら、私生活が充実してさらに表現の幅が広がるといいな。もし、報告にあたり配信とかあったとしたら、思い切ったスパチャを送ってるのが俺です。結婚を機に、でもそうでなくても、活動休止とか引退とかなら、ちょっとショックを受けるかもしれない。 人気声優だからたくさん出演作があってよかったね、について。そういう視点は今までなかったので新鮮だった。たしかに、出演作が限られている声優さんだったら、いろいろと辛かったかもしれない。そういう意味では、これからも活躍して欲しい。 全般的に、いいことじゃん!みたいな声が多かったのはなんか嬉しかった。昔、バンドとかミュージシャン系のファンだったときにはけっこうファンコミュニティの中にアンチもたくさんいて殺伐としてた記憶がある。それに対して、彼女のファンはみんなコメントが優しい、というか声優コミュニティの人がみんな優しい世界な気がしている。この世界を知れただけでもよかった。 パチンコとか女性のお店についても、ちょっと誤解があったらいけないので。カルチャーにはいいも悪いもなくて、for meかnot for me のどちらかなんだと思う。楽しめているなら、他人が好きなものを下げる必要はないよね。そういうふうに読めたなら文章力の無さのせいです。あくまで自分はこれが好き、っていうことを言いたいだけなので他意はないです。○○もぜひ、とおすすめしてくれてるブコメについて。ほんとにありがとう。他の声優さんという意味では、天さんに近いところからTrySailのおふたりとか、交友関係が深そうな水瀬いのりさんとか、高橋李依さんとかはなんとなく目に(耳に)触れるようになってきています。知らない世界を知ってゆくだけで楽しい。ライブもそのうち参戦するんだと思う。のめり込みすぎて心配、という声もごもっともなので、ほどほどに楽しめるようにします。アイドルマスターミリオンライブ?は全くまだ手つかず。ライブが配信でも見られるという情報があったので調べてみる。「このすば」は見始めてるけど、Audibleにオーディオブックがあるのは知らなかった!マジでありがとう。買います。「心が叫びたがってるんだ」も未履修。こうやっていろいろ教えてもらえるのは本当に嬉しかった。他のブコメも全部見てます。
ある声優に生活を一変させられている
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tutai-k · 4 months
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2023年が終わるらしい
2023年のはじまりは、3月から転職も決まっていたし、持病の悪化による日常生活への不安もあったので、2月いっぱいまで休職した。 療養もかねて尾道に一週間滞在したが、出発の日に地元が大雪ですっころび、カメラのレンズを破壊するという暗黒の始まりを告げるなど、つらいことがたくさんあった。 2月も、結局、休養することがないまま、次の職の仕事をずっとしていた。どこかで休みたいと思いながら、全く休めないまま、2023年が終わりそうだ。 意外だったのは、誰の力も金銭的援助も借りずに十年近くひとりでやってきたこと、というのは、なんだかんだ「使える」ということだった。通用するんだ、これが。というおどろきは大きかった。手応えがあったとか、結果が出たとか、そういう意味ではなく、するっと不安なくやっていける。いままでやってきた、他人の顔色をうかがい、他人の動作に合わせて平均的に働くというのとは違った。積んできたものが、無駄にならない機会に巡り会えてよかったと思う。 休みたいと思いながら、休めないでここまで来たし、年始の休みも8日まであるけど、いろいろと休めないことが多い。雇用契約のある労働は休みだが、個人的な仕事はいくらでもあるし、なんなら山積みになっている。九日間で終わるのだろうか…と思いながら一日目をもう半日終えてしまった。(2024年のしいたけ占いには、おまえはだいたい気づいたら働きまくっていて休んでない、みたいなことが書かれていてちょっと悲しかった)
毎年毎年、何を年間のまとめに書いていただろうかと思うわけで、今年も悩んでいる���けだが、全然答えが出ない。とりあえず、読んだ本とか作った本をまとめていたような気がするから、それをやる。
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★作った本★ 1月 『山梔の處女たち』 pixivのいつだったかの百合文芸で佳作をもらったオメガバース百合「首輪とロマンス」、恋愛/性愛から離れたところで手を取り合う少女たちの魔法学園小説「魔女の選択」収録の短編集。Kindle版は、いつだったかのKino-Kuni文学賞で大賞をもらった滅び行く漁村の女二人の物語「迎え火」も収録している。
5月 『けものと船乗り』 現代物、というか、現実世界の不均衡や理不尽に焦点を当てたものがたりを多く書いてきたな、という自覚もあり、あと「幻想文学はもう書かないんですか」とたくさん声をかけてもらったりもしたので、ひさしぶりに幻想文学らしい幻想文学を。 全ての船を沈めてしまうけものが棲むという「島」を望む岬でまちのひとたちにこれまた「けもの」と呼ばれている存在が、船乗りを拾って海へこぎ出そうとするお話。 『ヤールルカ』 写真家の女の短い物語。撮ること/撮られることの暴力を考えているので、そのこととかを中心に、これは短い物語だったが、もう少し長く書けたらいいなと思ってちょっとずつ書いてる。ひとつ、暴力的な経験を「してしまった」ので、それも書けるか…とすごくいやな気持ちになりながら思っており、だが、これは書くことでしか報復も抗議もできないという思いがあるので、この物語とは2024年以降きちんと向き合いたいと思う。
9月 『ゆけ、この広い広い大通りを』 日々詩編集室から出た本。二児の子持ちの専業主婦・バイクと音楽がすきなトランスの女性・都会で働けなくなったフェミニスト、三人の同級生が「地元」でささやかな試みをするお話。 「ちがいのある人がともに過ごせる共有地をつくる」をコンセプトにしている団体を母体にもつ出版社から出る本だったので、いろいろ考えたし、思っていた以上にいままで読んでくれていたひと以外のひとに受け取ってもらえてよかった。自分が持つ切実な課題とかもたくさん載せた物語だったので、ベストをつくしたし、2023年のベストだと思う。この物語に全力をつくしていたので、2023年は、ヨモツヘグイニナでは大きめの物語は作らなかった。 この本は、ヨモツヘグイニナの通販の他に、本屋lighthouseさんとか、シカクさんとか、mychairbooksさんとか、日々詩編集室とかでも買えるので、お気に入りの書店さんで買ってもらえるとうれしい。 『いづくにか、遠き道より』 再録短編集。たくさんたまっていたのでつくった。2014年に書いた小説とかをおそるおそる読み返したら、思っていた以上に「小説」だったのでほっとした。
11月 『アルバトロスの語りの果てへ』 売れない作家のノイと、そのパートナーで人気役者のターが、アルバトロスの繁殖ボランティアに参加するお話。 物語を自分自身が語るとき、そこには当然自分も含まれている物語のこともあるし、そうでないこともある。だけど、埒外にあっても内にあっても、ひとは、語ったり語られたりせずとも、勝手に他者に物語を見いだし、それを消費してゆく構造がある。『山梔の處女』収録の「魔女の選択」によく似た内面を持つ物語だと思うが、他者のふるまいや言動に「物語」を見いだすとき、「なにを見ているか」に自覚的になりたいよね…というようなことを考えながら書いていた。
12月 『浜辺の村の大みそか』 日々詩編集室で出た小さい本。『浜辺の村でだれかと暮らせば』の番外編みたいなやつ。いまから日和と八尋がやったような大晦日をわたしも過ごします。
★読んだ本とか観た映画そのほか★ 色々読んだけど、印象深かったものについて。 『銀河英雄伝説』全巻 銀英伝のコンセプトバーやカフェにいくので読んだ。相変わらずめちゃくちゃおもしろい。 『豊穣の海』全4巻 来年参加する八束さんのアンソロジー父親の死体を棄てに行くやつの資料(?)イメージをつかむのに読んだ。今西が金閣寺のように燃えて、それを本多が眺めている(『暁の寺』)がよかった。あと、大人になって読み返してみると松枝清顕……「全部おまえが悪いじゃん!」ってなるのがおもしろかった。勲に対しては共感するところも多かったし、あいかわらず『天人五衰』が一番好き。 『雨の島』 今年の1月1日に読み終えてた。呉明益の本、『歩道橋の魔術師』も読みたいんだけど、未訳のチョウチョのなんとか…?が読みたい。 『苦海浄土』 ネイチャーライティングをやろうとすると必ず出てくる石牟礼道子、の代表作。水俣へ3月と10月といくことになったし、石牟礼道子を筆頭に水俣関係の本をとてもたくさん読めた一年だった。とてもよかった。来年は『水俣病を旅する』『苦海浄土』(全3巻)を読みたい。 『アフターヘブン』 八束さんの本。めちゃくちゃよかった。 『フィリックス・エヴァー・アフター』 すっごくおもしろくて、何度でも読み返したい! 『鋼鉄紅女』 最高だった……「地獄へようこそ……」って武則天が宣言したところから、もう一気に読んだ。家父長制と、男女の二人の「ペア」というかたちに反旗を翻す最高のSF小説。 『私と夫と夫の彼氏』 2023年で読んだ中で、一番一番おもしろかった漫画!11巻が待ち遠しい! 『琥珀の夢で酔いましょう』 この漫画もめっちゃおもしろかった~! 『父の時代、私の時代』 堀内誠一の自伝的エッセイ。「ウッチェロ!!!!!!!」澁澤龍彦・瀬田貞二との思い出を添えて。めちゃくちゃ古本価格高騰していたので文庫で出してくれてありがとう! 『ガザに地下鉄が走る日』 ずっと読みたかったけど、なかなか読めずにいて(岡真理さんの本は『記憶/物語』を2020年に読み、もう一度これも今年再読した)やっと読む。見過ごしてしまわないように、何が出来るかを考え続け、アクションを取る、できることをやるしかないんだけど、「人間が人間として生活するということ」が、誰にでもある世界にたどり着きたい。 本だと、吉田育未さんの翻訳作品を井上彼方さん/紅坂紫さん編集の『結晶するプリズム』で知り、『聖なる証』『星のせいにして』を読む。めちゃくちゃおもしろかった!年越し読書本は『イエルバブエナ』。「このひとが翻訳している本ならぜったいおもしろい!」という翻訳者さんに出会えたのがうれしかった。 映画もいろいろみたけどとくに『バービー』『his』『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』がよかったな~。結局体力がなくて窓際のトットちゃんを見に行けなかったのがちょっとさみしい。 さいたま文学館で開催されていた澁澤龍彦の展示にはいけた。パンケーキも食べた。 12/24にITOプロジェクトの『高丘親王航海記』を見に行く。それについてのくわしいことは静かなインターネットに書いた。
★旅行★ 「今年はいろんなところへ行ったんじゃないですか?」と言われたけど実はあんまり行ってなかったりする(さみしい) 1月 尾道 ライターズインレジデンス尾道でまたみはらし亭に滞在する。だいたい伊勢うどん食べてた。 3月 水俣 はじめて水俣へ。というか九州自体がはじめて。いろんなひとに出会い、いろんなことを学び、いろんなおいしいものを食べた。『常世の船を漕ぎて』を水俣病歴史考証館で買った。 5月 東京 行ったという記憶しかない。なにしたっけ…?なにもしてないのか…もしかして…。 9月 大阪 銀英伝のバー「海鷲」へ行く。ロイエンタールの透けてる板を買った。文フリ大阪も行った。 10月 東京 銀英伝のカフェ「イゼルローンフォートレス」へ行く。かおりさんと会う。ながいことSNS上ではお付き合いがあるのに生身で会うのは初めてで、だけど「すっぱいものきらいだもんね」とか長年付き合ってきた人間同士の会話ができてとてもおもしろかった。次の日は吉祥寺や多磨へいき、緑色のインコとオナガを見る。 水俣 ふたたび水俣へ。熊本市内も立ち寄ったが、土砂降りだったので熊本大学と、橙書店へ行く。島尾ミホと石牟礼道子の対談集というめちゃつよBOOKを買った!めちゃくちゃ楽しかった。 11月 文フリ東京。ヒマラヤ鍋を食べる。次の日は埼玉文学館へ。武蔵野うどんに衝撃を受ける。
★来年の予定とか★ 1月14日に文フリ京都。辰年なので澁澤龍彦のコラージュみたいな『兎島にて』という本をだします。こういう物語で「兎」って単語がでると、誰か特定の人をみんな思い浮かべると思うんですけど、その特定の人は卯年のわたしです。他の誰でもありません。 3月までに出さないといけない原稿がめっちゃいっぱいあるので頑張ってます。 オープンにしてるのは八束さんの家父長制アンソロだけだけど、そのほかもまた媒体に載るなどしたらお知らせします。 やりたいことは、三宅島・舳倉島・天売島、この三つのどれかの島にいきたい!2023年は労働が忙しすぎてぜんぜん鳥写に行く���とがなかった(かなしい)一年になっちゃったから、2024年はちゃんと鳥写したいです。 あと、日々詩編集室から『ゆけ、この広い広い大通りを』もでたことだし、もうちょっと小説を書いて発表する幅みたいなものをひろげたいかなと思っている。つらいことがたくさんありすぎたから、アンソロは主催も参加もいやだったけど、そういうのとか……あと、書いたらお金がもらえるタイプの原稿とかも、書ける媒体があるのなら書いていこうかと思っている。 これはずっとそうなんだけど、賃労働をしながらほかにわたしの体力で「できる」ことが「小説を書く」ことしかなかったので……。タイミングや機会があれば、頑張ってみようと思っている。
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yuri-hachiko · 11 months
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2023/5/28
結婚式が終わった。ふいーーーー
いろんな人と会っていろんなことを話したからか、それとも式に際していろいろ準備を進めていたものが一段落したからか、何をしていても心がざわざわする。もんじゃ食べててもざわざわ。寝てもざわざわ。友人や妹と喋っててもざわざわ。
重量のある感情がたくさん心のなかに溢れかえっていて収集がついてない感じなので、いったん全部取り出して眺めてみようと思う。
・明日からの仕事やだなあ
とにかく働きたくない。わたしは本当に注意が散漫で、コーチングをするときの5倍くらいのエネルギーを使わないと、人並みに働けない。マニュアルを作ってみてもチェックリストの通りに仕事をしようとしても思ったようにうまくいかないのは、当人としても「うそだろ」という感じで、人から指摘されても治るものではなくほとほと困り果てている。悲しきかな、完全に特性だと思う。
そんななかで結婚式をやり、完全に「自分を肯定してもらえたモード」に入っているので、月曜からまた自身のしんどい部分に向き合う必要があると考えると頭が痛い。
自分でも「周囲の人が認めてくれるわたし自身の良さ」と「コーチングで活きているわたし自身の良さ」がかなりシンクロしている自覚があるので、余計に今の仕事に対するもどかしさが大きいのだと思う。
結婚式で、わたしの節目節目を見てくれていた大切な友人から「結婚したらあなたがわたしのあなたでなくなってしまうのではないかと思って、夫さんに嫉妬をした」「深い部分を理解し合っている人はわたしの他にもいるのだということを会場で知り、他の参列者の人にもジェラシーを感じた」「あなたはわたしの内的な部分を細やかに理解し汲み取ってくれる、精神的恋人だと思っている」というようなことを(それも何人もの人から)言われた。うーんそれは友人関係としてヘルシーなのか???という気持ちはありつつも、なんだかわたしは一つ一つの人間関係に、それも相手の心の機微にいつだって全力投球だったし、その投球がちゃんと届いていたのだということも分かってよかった。これが所謂「コーチングに活きている部分」だとは思うが、自分の人生を形作ってきた大事な特性なので、安易に仕事に結びつけたくないという気持ちもある。けれど、わたしはこれだという気持ちが拭えない。会社員をやめて、安心安全な経済の土台を手放すのも怖い。わたしはどうすれば。
そう言えば小学生の頃に、母が保護者面談で担任の先生から「ゆりちゃんは放っておけない感じがするんですよね」と言っていたのを何故か今急に思い出した。今日は思考が忙しい。
・「生き急いでる感じ」
結婚式の新郎新婦紹介コーナーで、中学の頃の友人が「当時の新婦はどんな人だった?」と尋ねられ、少し宙を仰いだあとに「……生き急いでたなと……」と言っててたいそう驚いた。もっとびっくりしたのは、その場にいたわたしの友人たちが皆爆笑したりしきりに首肯していたりして、彼女の言葉に疑問を呈するような人が一人もいなかったことだ。近しい関係の人がみなそう言うならきっとそうなんだろうと思う。個人的には生き急ぎ期間は大学以降だと思っていたので、そんなに早くから……??と当本人が呆然としてしまった。
生き急ぐと言ったって中学の頃から大学とか未来のこととか考えたりは全くしてなかったし、むしろそうしたことに無頓着すぎて本格的な受験勉強をギリギリで始めるような人間だったので、なんというか、明確な到達地点が少し先の時間軸上あってそこにはやく向かいたい!という感じではないのだろうと思う。じゃあ何なんだろう。わたしをここまで急き立てるものは。
……と問いかけてみて思ったけれど、やっぱり「人の期待に応えたい」これに尽きると思う。と書いたところでどうにも涙がでてきて止まらない。そっかあ人の期待に応えようと必死で、つま先立ちをするようなことばかりしてきたなあ、わたしは。と思っている。
・無意識にやってること
無意識に書いてるし、無意識に生き急いでるのだけど、無意識領域でいろいろしっちゃかめっちゃかしてるといよいよわたしは何をしたらいいのかわからなくなる。ブラ��クボックス感。
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manganjiiji · 1 year
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なみだもかわかして
久しぶりに日記を書いてから寝ようと思う。最近は夜更かししがちで、本当の就寝が3時になったりして、でも4〜6時間続けて寝られたりするので、結構いいなと思っている、雨戸を閉めている効果だと思う(睡眠薬代わりのクエチアピンは基本的に飲んでいない)。今日久しぶりに頭痛になって偏頭痛の薬を飲んだので手帳に記録しなくては、とページをひらいたら、まるまる2週間も体調記録が真っ白だった。ようはその期間うつ状態にもなっていないし大きな打撃も受けていないということで別にいいのだが、運動記録も兼ねているので、かなり運動をさぼっていることがわかる。食事量を減らすことはできてきたが、運動量はなかなか増やせていない。眠る時間が多くなっている。というのも、薬がなくても眠れることが可能になってきたので、寝れる時には寝ようという(目の前に食べ物があるなら食べておこう)精神が働いてしまって、積極的に寝ているからである。今までの不眠期間を考えれば、あと何年か眠り続けてもいいだろうとは思うが、現実的に寝てばかりいては話が進まないので、ほどほどにして体力作りもしなきゃな、と思う。せめてフォームローラーと腹筋その他くらいは継続しろよ、と思っているのだが、毎日体調がはっきりしない。できるときはがんがん動けるし運動もできるのだが、できないときは何も出来ない。まあでも完全に寝たきりというわけではないので、いいか。と思っている。縄跳びはまだ1回しかやっていない。リポビタンDを飲むとその2時間は元気になるのでその間に運動するようにしていたが、ここ数日はリポビタンDを飲んでもなかなか上がらない。今日は朝の薬を飲む時に間違えて夜の薬を飲んでしまい、限界量のイフェクサーを倍の量摂取してしまった。そのせいでもう、なんだか午後からぐらぐらして、吐き気も収まらず、緊張型頭痛も勃発した(これも偏頭痛薬を飲んだがあてが外れて緊張型頭痛のほうだった、EVEで治った)。それにつけてもいつももくりに来てくれる友人たちに感謝ばかり。私がぐったりして寝ていてもまだスペースにいてくれて、ホストとして今日は良くなかったと反省したが、みんなのあたたかな空気に救われた。私のもくりで出会っただけの縁の人達が集まっている場で、私が寝ていてもとりあえず空間を共有してくれているのはすごいことだと思った。といっても、私の友人はみな図抜けて素晴らしい人ばかりなので、私がいないくらいでは何もかも大丈夫なのだけれど、たぶん。私のもくりでのみの縁の友人が、今日たまたま二人、同じ誕生日だったので、前夜から歌ったりしてお祝いした(まさか今日のガンダムでハッピーバースデーが呪いソングになってしまうとは思わなかったが)。私はなにわ男子の「月火水木君曜日」という曲のメロディーを覚えることができた1日だった(今日の成果はむしろそれくらいしかない)。
午前中、GUで長袖のパジャマ(1450円)を買ってもらい、ニトリで毛布を見て、そのうち暖かい毛布を買ってもらえるかもしれないことになった。今は敷きパッドと毛布を掛け布団代わりにして(?)寝ているのだが、朝方は冷えるのでこれからはさらにもう1枚毛布を追加したいところ。1000円プラスすれば薄手の掛布団もあり、どちらにしようか迷う(梅子さんも迷っていたので決定は後日にした)。ニトリのNウォームというシリーズ、暖かさが3段階に分かれていて、やはり3段階め(極)が良さそうだった。毛布なら4900円くらいで、高いが、長くは使えると思うし結構暖かいと思う。重い毛布の見本とかが無いかなあと期待して行ったのだが、��店舗には重い毛布はどこにもなかった(田舎だからかも)。ともかく今日から長袖のパジャマで過ごすことができ、非常に快適で嬉しい。半袖短パンはさすがに先頃は体に悪いなと思っていた。29日に痔瘻の手術が決まっていて、5日間の入院があるので、そのためにもパジャマが必要だと判断してくれたようで梅子さんが買ってくれた。やった〜。早く働いてお金を稼ぎたいなあという思いと、純粋に働くことが好きなので早く働きたいなあと思っているのが並行して、今は2件選考待ちだが、あまり期待せず…とは思いつつもわくわくしている。キャミソールも随分穴が空いたりヘタレてきてしまっていたのでGUの700円台のやつを1枚買ってもらった。やや高いが、大切に?着ようと思う。夏はキャミを着なくてもいい時が多いが、冬はさすがに着る機会が多い。といっても肥満かつ暑がりなので、着ない時も結構ある。それでも汗を吸う下着はやはり着ておいた方がいいなと感じる。なんでこんな当たり前のことを書いているんだろう。毎日、「今更?」ということをいちいち感じているのでいちいち書いてしまいます。レノックスの魔道具の鍵が、ファウストが投獄されていた牢の鍵だということにも昨日気づきました。
ということで鍛冶屋のイベスト読みました。厄災がなかなか出てくれなくていつもより回収に時間がかかったが、蝶子さんの応援のもと、無事イベスト読了までこぎつけました。ありがとう蝶子さん。イーサンというキャラクタ、すごくいいじゃないか、と思いました。何も精算できていない(まだ蹴りをつけられていない)ファウストは何を思ったのだろうか…というところはあったけれども、それは今後のメインストーリーに期待ですね。フィガロがファウストのお師匠然としていたり、二人でレノックスを見守る上司ムーブがあったりして、そういうとこよかったです。シノやミチル、ネロも眩しかったな。こういう時やっぱりルチルの影が若干薄くなるよな、と思うけどこの人数を出すならまあ仕方ないか、誰もが末満健一じゃないし。ミチルがヒースクリフを抱えられると言ったところ、ヒースクリフがお姫様じゃん、と思ってとても良かった。貴族というか、ノーブル…なんというか高貴さというのはいいものだなと思った、今の日本社会にはないものだから憧れる。
ここ2日くらいでだいぶ轟爆を読みました、pixivで。原作を読む限り私は出勝しか感じられないのですが、こういう2人がもしこういう関係になったとしたら、というifのもと描かれる関係性としてすごく納得できる作品があり、こういうのいいな…となった。ただし原作を思い出すと結局出勝のことしか考えられなくなり、最終的に「かっちゃん……」と呟くだけのbotになってしまう。こんな状態なのにまだ原作は16巻です。最新刊まであと20冊もある。嘘だろ。ここから怒涛の後半戦が始まっていくんだなあと思っています。アニメも見たいけど今とにかく堀越先生の描くこの物語に夢中。アニメは流れはわかりやすいけど、感情はやっぱり漫画からの方が私は流れ込んできやすい。とくにかっちゃんの。そう、わかるよ、堀越先生、かっちゃんのことと、かっちゃんのことを思う時のデクを描いてる時、絶対ゾーン入ってるよ。心の乱され方が違うもんな。また今日もかっちゃんのことを色んな人に言ってしまった。正直なにわ男子のコンサートを見ているときでさえ(すごい良席でした)、あ、この歌、出勝じゃん…などと頭をよぎっていたので、世界の音楽全てが出勝に聞こえています。恋愛に限らず、そこに、人間と人間がいると思えるもの全部に投影している。はまりたての狂気です。フィガファウに関してもたぶん2年前はこうだったと思います。まずaikoから自カプに聞こえてくるんだよな。「自カプ」という言葉もなんなんだ、という感じだけど(推しカプ、のほうがまだ分かりやすい)、「腐女子」の言い換えが自分の中でまだ見つけられなていないなあと考えたりした。「男同士のセックスファンタジーを妄想したり読んだり書いたりすることが大好きな人間」ということでいいとは思うのだが、いかんせん長い。あと二次創作を嗜んでいる(公式のキャラを勝手に改変してストーリーを捏造して勝手に熱を上げている)というニュアンスも持たせるにはこれでは不十分だ。もちろん、もとの「腐女子」も、人によって思い入れは千差万別だと思うので、個々人が自分の存在を表すことばを考えればいいと思う。まあ、暫くはおたくとか同人女とかBL愛好者とかそういう色んな用語を自称してTPOに対応していけばいいのかな、と思っています。「腐女子」「腐」ということばは、男性同性愛者の方に不快感を与える(それがどのような意識や理解の経路をたどったとしても)ということで、それはまずいなと思い、数年前から使うのを控えています。BL好きの女オタクが勝手に不快感を覚える分にはどうでもいいのですが、関係の無い人に害を与えるのはだめだと思った。世の中にこれだけBLや「腐女子」という言葉がばらまかれてしまった現在、場外で傷つく人がでるというのなら控えざるを得ない。私の感覚としては、公式のキャラクターの性的指向その他を改竄してあまつさえ時にはポルノとしてえがく、ということに対して「腐」という感覚を持っていたので、そうなると「夢女子」というのも二次創作を嗜む以上は私にとっては「腐女子」の一形態という分類だった。夢という漢字も、腐ると同じくらいグロテスクだと私は思っていたから(このあたりは時代の当事者でないと持ちえない感覚だと思う)。また、公式でカップルとなっている組み合わせを扱う際も、さすがにポルノは「腐っている」という感覚だった。じゃあ公式のカップルの恋愛でも性描写がなければ「性的消費」にあたらないのか?と問われたら、それもまた、境界線の話になるのか、それとももっと別の話になるのか、よく考えなければわからない。ただ、公式の設定をはみ出さないように注意が配られている二次創作は、ファンアートとして「表の世界」に出るのは構わないだろうと思っていた。性的、というニュアンスが入ってくると、物事なんでも、俄然難しくなってくる。早く人間から性欲が失われて、人工的に子供が作れる時代になればいいのにな。こうして「性からの逃亡」というかたちでSFを好んでいるふしが私にはある。性の部分は人間の中にあるもっとも動物的な部分で、理屈が通用しないことが多いから、考えても「どうにもならない」の壁にぶち当たって、疲れて蹲ってしまうことが多いからだ。それでも私たちは肉体を持っており、なんらかの性的欲求を抱えたり抱えなかったりしており、その欲求を織り込んだ形でこの社会が制度化されている。人間が動物であるという事実は、なかなかまだ、無視することはできない大きな問題としてこれからも私の前に立ちはだかるだろう。めんどくさいな…。ともかくも私は男同士のセックスファンタジーポルノが好きであり、原作者の意に反する改変を施したキャラクター達に恋愛をさせ続けます。それを許している企業もあれば、許していない企業もある。これは表現の自由と、著作物そのものがもつ権利というものの衝突になってくるのだろうか。私は自分の書いたものでも、誰かに読まれた瞬間から、半分はその読者のものになると考えるたちなので(もっと言えば、私のものに限って言えば、全部が読者のものになる)、二次創作は別にいいんじゃないでしょうか、という立場だけれども、「自分の作品が二次創作されるのは絶対に嫌だ」と考える作者がいることもまた知っている。もちろん、自分そのもの(芸能人やアスリートなど公人)をポルノ消費されることが嫌だと考える人間がいることも。これに関しても私は生きている限り自分が誰かに性的に消費されることは仕方がないし、それに対し特になんとも思わないという立場だが、そうもいかない人も大勢いるだろう。性的な問題には、個々人の感覚の差異も大きく関係してくるので、話が無限大に難しくなる。
そんなことを書いていたら2時になってしまったので寝ます。明日こそ障害年金申請のための各所への連絡をするぞ。うう。がんばろう。
2022.11.6
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aarc2017 · 1 month
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5 days ともう1日 お母さん、あの赤いストールどこにいったんでしょうね。
2023年5月の光州滞在に続いて、韓国にいった。3月6日(水)から11日(月)までパジュとソウル。
日曜日10日の夜の便で関空に帰国するつもりが、勘違いして(なのか、購入してから忘れてたのか)翌日に帰国。到着した日から、帰国まで密度の高い滞在だった。
3月6日(水)JEJUairで新千歳空港から仁川国際空港に入る。
ほぼ定刻で到着したけど、パスポートコントロールが長蛇の列で、到着してゲートをでるまで約2時間かかって、ほとんど座れなくてぐったり。機内からの眺めは野山がちゃいろっぽくうつった、冬の終わり、春の手前の韓国。
Yeonyeonが空港まで車で迎えてきてくれてた、やっと会えて急ぐYeonyeonにひっぱられながら、5日間のSIMカードを交換、現金は1万円のみをウォンに両替して、あとはクレジットカードでなんとかするつもり、前回の現金も70000ウォン くらい残っていたし。それにしても日本円が安い。確か80000ウォン くらいにしかならなかった。
気つけにアイスラテを飲み駐車場へ。Yeonyeonが私に合わせたい人がいるといって、そのままイルサン(高陽/コヤン市)へと走る。図書館で仕事中の大学の教授と会うようだ。目の前に小さな公園がある、運動器具が設置されている。
Kim, Sang Chae教授。家が近いとかでいつもこの図書館で仕事をしているんだとか、歩いてカフェにいく、すごくお腹がすいていたのでカプチーノとベーグルをごちそうになる。Kim教授はギャラリーも運営していて、Yeonyeonはそこで展示をしたのだそう。土曜日にオープニングがあるから来たらどう?とか、南の方の市でKim教授のご友人がディレクターをしているアートフェスティバルのこと、国際AIRを始めようとしているという話を聞いた。札幌とつながるのは面白そう。名刺交換をして、YeonYeonの夫、ミンギが働いているアーティスト(ス・ドホ)のスタジオにミンギをピックアップに急いでウルサンをあとにした。
韓国は車両が右側通行で左ハンドル。Yeonyeonの車はペパーミントグリーンで小さくでかわいい。予想通りだけど、運転がほんとに上手。
時間は19時に近くて、暗くなったパジュの中心部を通り過ぎてヨンヨン一家が住む住宅地に急ぐ。ヨンヨンはずっと急いでいる、会ってからずっと!ラヨンをお友達の家からピックアップしてヨンヨン一家のアパートに到着。アパートの住民には決まった駐車場がなくて、空いているところを使うんだとか。建物内が禁煙で、外で立ちタバコをする、慣れた状況。
ヨンヨンの家!!!すごく素敵な天井の高いアパートだった。なんでもおしゃれだったし、すごく掃除が行き届いている。毎日やっているの?ときいたら、どうぜん(なんで聞くか?)とヨンヨン。室内には、ほかのアーティストたちの作品によるヨンヨンコレクションがある、リビングにはこたつと漫画でぎっしりうまった本棚。どうやらヨンヨンたちの寝室を私が使うようだ、なんだか申し訳ない気分になる。そして床暖房。そして夕飯に。
カルグクスの店にいくよ、と言われて行った先は、どうも地元の人気店だった。けど我々の到着時間が遅かったみたいで、ほかにお客さんはいなかった。鍋のシメは、お店の主人がつくってくれるおじやで海鮮の出汁がでた鍋のおじや、最高なのだった。
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ヨンヨン一家は、今年の年明けから天神山アートスタジオに滞在してて、私の韓国の旅の1週間くらい前までいっしょにいたので、なんかへんな感じ。レジデンス直後のアーティストに会うのは、アーティストが気持ちを切り替えられないだろうから、どうかなと思ったけど札幌の延長戦のようなものかもしれないし、いる間も展覧会をどうするかという話はばかりだったので、ほかのもっとひとりの人として話をしたり聞いたりということができていなかったから、帰国後のアーティストに会いに行くという私の好奇心がまさってしまったし、うちに泊まりなさいというヨンヨンの言葉にすっかり甘えることにしたわけです。いまも、ちょっと帰国直後にいってほんとによかったのかなと心配にはなっているけど。
ヨンヨンは、日本は料理がプライドだけど、韓国は食べることがプライドなんだと教えてくれる。だからともかく食べるよーとどんどんやってくる。満腹なのに、お茶に行こうという流れになって、アーティストヴィレッジのカフェに入る。ミニシアターもあるカフェだそうで、お客さんもちらほらいる。韓国伝統茶(五味子)をいただく。
いったん、ミンギとラヨンをアパートにおろして、私のリクエストにより大きなスーパーマーケットe-martに連れて行ってもらった。買い物するといより、どんな感じなのか興味があったから。果物は安い、あと量が多いという印象だった。結局、ヨンヨンおすすめの韓国のお茶や事務所のみんなにお土産にしようと決めていた朝鮮人参のゼリーなど、初日から買ってしまった。
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ヨンヨンに松尾さんからのプレゼントをようやく渡すことができた。松尾さんは、天神山のご近所さんで、オープニングにお寿司を持参して娘さんと参加してくれた。その後、ヨンヨンともう一度話がしたいといって再訪してくれたんだけど、すでに彼女たちは帰国していたので松尾さんは会えずにとても残念がっていた。その時、持参してらした贈り物をわたしが韓国に運ぶと約束して預かっていたのです。 松尾さんは、ヨンヨンへとその場で手紙を書いてくれた。この気持ちをヨンヨンに贈り物といっしょに手渡すことができて、ほんとによかった。
ようやく帰宅すると、ヨンヨンがはやくシャワーを浴びろという、夜のプログラムもあるらしい。シャワーが終わって、リビングにいくと、すでにヨンヨンがフルーツとおちゃを出してくれて、テレビでは、NetflixでEye love youが流れている。ここで日本製のラブロマンスをみんなでみることになるとは!ドラマの中のラブシーンはやっぱり気まずい雰囲気になるが、まあてきとうにいなす。わやわやあれこれ話して夜が更けてようやく就寝。朝は、ヨンヨンはミンギとラヨンを送り出すために8時に起きるという、アーティストで親で、ほんとに忙しい。
ミンギの働いているスタジオは、アーティストが��ンギを含めて2人いて、それ以外に近所のおばさんたちがきているのだとか。ミンギは白ごはんだけを自宅からもっていくと、おばさんたちがおかずをもちよって食べさせてくれるらしい。韓ドラで描かれる景色そのまま、と感動した。
3月7日(木)パジュを廻り、ソウルへ。
天神山アートスタジオでの約2ヶ月の留守で植物の鉢がいくつか枯れているのをベランダでみた。ヨンヨンは天神山の滞在の最後に展示をした。そのタイトルが50 days、ヨンヨンとパジュから始まった私の韓国の旅のリポートはそこからきている。窓の外には、川がみえるその先には北朝鮮。パジュは国境の町なのだ、アパートの隣の敷地は軍施設。去年の9月にリサーチで天神山に滞在した3人(分断イメージセンター:ジェハ、ソルジ、ジェヨン)は、週末にソウルでパフォーマンスをする。札幌で(日本で)北朝鮮の気配と強制労働の歴史をリサーチしたのだった。パジュは、ヨンヨンが一晩の宿を提供してくれたから、行くことになったけど、そこが国境の町だったとあとになってしって、ほんとうに肉眼で「分断」の景色を見ていることが不思議だったし、必然的だった。
ヨンヨンが帰ってきて、さあ散歩にいきましょうといってくれて出発。
ヨンヨンのスタジオ
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地元の会社の社長さんがヨンヨンの支援者(スポンサー)で、社屋の隣の空きビルをスタジオとして提供してくれているのだとか。同じビルの中にミンギのスタジオもある。ヨンヨンの作品もいくつも置かれていて、作業に徹するようなシンプルなスタジオだった。社長は、猫のお母さんだそうで、オフィスに2匹、会社の敷地には野良猫のための寝床や餌場がちゃんといくつもおいてある。なんだかシンパシー。この場所で、レジデンスもできるかもしれないと話すヨンヨン。昨日、京畿道にソウルからアーティストがスタジオを移しているという話を聞いた。
次は、ヘイリ芸術家村。
20年前にアーティストのスタジオとして開かれたエリアが、いまはほとんど全てのスペースがカフェになって観光化している場所。このヘイリの中で、アーティスト村時代からいるカップルの経営するカフェ、オーガニックショップ、ギャラリーはヨンヨンの親しい人たちというので訪ねる。温かいジンジャーミルクをご馳走になる。店の外には鶏小屋がある。think green cafe 「わたしたちはゆっくりいきる」年齢層の高い、このカップルの旧知と思われる人々が次々やってくる、この二人には話を聞いてみたい。とても���い空間だった。
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なぜ、どういう経緯でここに芸術村ができ、20年を経過して観光地となったのかという話を聞いてみたい。次回かならず。
ヨンヨンは、いま岐路にいるようだ。これまで彼女の実力を評価されてきている女性を描いたシリーズ、抽象的な表現のシリーズをスタジオで紹介してくれながら、これからどこに向かうべきかと独り言のように聞いている。家庭と自分の制作のバランスを取ること、母親である彼女が振り払うことのできない家族への思い、がむしゃらな彼女は創作への意欲もさげず、でも取り組むことも多さや複雑さに疲れきっているようでもある。実際、切り盛りしている姿をみて、やりすぎないようにとか、少し手を抜きなよ、とかそんなヨンヨンには邪魔になるような言葉をいいたくなる、いわなかったけど。でも、こうして記憶を辿りながら、急がなくてもなんとかなる、どっかで辻褄があってくるからと、やっぱりいいたくなっている。ヨンヨンにメッセージしよう。
ソウルに出発するまでの間にヨンヨンがつめこんだスケジュールの次はランチ。ローカルのレストラン、スジェビの店。 入ると、店主のコレクションや植木がどころ狭しとびっしりおいてある、いい感じ。先客に消防士か救急隊員のようなグループあり、不思議とそういう職種の人が顔つきが違う(贔屓目)。昼時なので、席は満席、隣のテーブルで注文されている料理に釘付けになる。
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ここのスジェビと名物のチヂミはともかく素晴らしかった!すごい量だったので、まったく終わらず、チヂミのほとんどを持ち帰りにしてもらった。スパニッシュオムレツのようなチヂミ。再現してみたいけど、できるだろうか、ともかく美味しかったし面白かった。そして、昨日の夜のカルグクスの店もそうだったけど、お店ででてくるキムチが美味しい。
また、満腹。
そして、強制的に次は伝統茶のカフェへ。ヨンヨンは、韓国伝統茶がとても好きなのだという、カフェは古民家空間で、お母さんと娘さんが営んでいるようだった。こんがりやいたお餅が出てきた。お茶は、石の碗でぐらぐらに煮立った状態で運ばれてきた。私のお茶には銀杏の実が入っていたので、それはヨンヨンに、去年のお正月に突如発症した銀杏アレルギーがあるのです、でもお茶自体はその後もなにも起こらなかったし、サジで熱々の甘いお茶をちびちび楽しむのはすごくよかった。70-80年代の音楽がかかっていた。かかっていた曲で、好きだったのが学生による民主化運動の時の女性歌手の曲。
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カフェの庭から北朝鮮が見える。
アパートに荷物を取りに戻り、ラヨンをピアノ教室から拾って、ヨンヨンの車でソウル、法大エリアに出発した。ソウルだけ雨が降っているみたいなおかしな天気。ヨンヨンもかつて法大エリアに住んでいたんだそう、この日からお世話になるソルジとジェヨンのアパートに到着した。ハイソな雰囲気の家賃が高そうなアパート群にちょっとひく。地下駐車場で、すでに親戚のような気分になったヨンヨンと別れ、私は彼らの部屋にエレベータで向かった。暗証番号は教えてもらっていた。 しかし、ドアが開かない。困っているとお向かいのドアから小学生くらいの女の子とお母さんがでてきた。女の子は英語が達者で、どうしたんですか?と聞いてくれたから、すぐに助けを求めた。彼女、ほんとに心強かった。ヒーローです、ドアもあけてくれた。
部屋のドアには、helloというシールを貼ってくれていた。私が使わせてもらう部屋もしっかり準備がしてあって、しんそこくつろいだ。 10分ほど、休憩をしてすでにアパートの下でまっていてくれたKim, Soyoungと会う。ソヨンの車を探して敷地内を歩いたんだけど、ともかく新しくハイソなアパートの雰囲気にたじたじする、どんな人たちが暮らしているのか、若いキュレーターカップルのソルジとジェヨンがなぜここに住んでいるのかとかいくつも質問がわきあがってくる。
アパートの敷地を歩き回ってやっと出口があらわれた、そこにソヨンがいた!
横っ面にぶつけたあとのあるソヨンの車に乗り込んだ。
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助手席に座って、彼女の案内にただ従っていく。最初は比較的新しくてソヨンが気に入っているギャラリーに。一軒の家が改装されて複層的なスペースになっていて面白い。そこから歩き始める。このエリアには、ギャラリーもスタジオも多くあったという、でも地下が高騰して減ってきていると。途中、スマホの充電用の韓国使用の電源ソケットを購入。そのままそのほかに二つギャラリーを巡る。ふたつめは、プリント工房が運営する版画がメイン(らしい)新しいギャラリー。二つ目は、アーティスト・ランのギャラリーでこのエリアでは老舗という。
ギャラリーを3軒回って、レンガ構造の建物が残っている古い街区の中のカフェに入った。このあたりはゲストハウス も多いんだとソヨンが教えてくれる、コナーもソウルではここに滞在してたんです、と。旅の前にどこにいきたいのかと聞いてきてくれたので、ソヨンのお気に入りの場所に連れて行って欲しいと頼んでいた、だから、このカフェも彼女が好きでとても落ち着く場所だといっていて、その通りだった。いまどきのおしゃれ優先じゃない、でも粋なカフェで私も気に入った。
キムソヨンはソウルを拠点にしているペインター。天神山アートスタジオには去年の春に2ヶ月滞在していた。ほんとうにコツコツと作品に向き合っていて、ちょうど桜の季節に、毎朝二階から公園の桜を眺めて過ごしている姿がいまでも記憶に残っている。昨日のヨンヨンと似ていて社交的で日本語も勉強を続けてかなり使う。滞在中には、道立美術館の学芸員や同時期に滞在していた札幌や日本のアーティストやWSで知り合ったインテリアデザイナー、同時期滞在の海外のアーティストとしっかりと友好的な関係を構築していた。彼女に再会して聞いたところによると、札幌で知り合った人のうち、何人かはすでにソウルに来て再会を果たしているし、天神山以降、彼女もまた2度日本にきている。特に、奈良を拠点にしているアーティストは彼女と同時期に滞在していたのだが、その人との交流によって、彼女は、彼女自身の次のステップを計画するようになったようだ。それは、ソウルという大都市を離れて、故郷の町で新たに活動をしようとする計画。 また、同じく、彼女と同時期に天神山にいたアメリカの文学の作家コナーとは、ソウルの友達よりしょっちゅうあっているといって笑っていた。たった2ヶ月の札幌での滞在制作、このきっかけをものにすることのできるレジデンスアーティストは実際それほど多くない。ソヨンの天神山のあと、は私の想像を超えていた。
すでにペインターとして長いキャリアをソウルで築いているが、作品を制作するだけでは生計が立たない、自身の制作に並行して美大受験生のためのチューターも務めてきている。そのためか、客観的に思考する性質も持ち合わせていて、だから今後のキャリアをどのように組み立てていくのか、自分の経験や体験をどのように活かしていけるかと冷静に点検することができているように受け止めた。もちろん、葛藤やどうしようもない切なさなんかはあるはずだけど。
アーティスト・イン・レジデンスは、一時的な滞在が前提だから、���たちが知るのは、ひとりのアーティストのほんの一面だし、ほんの一瞬にすぎない。それが面白さであり次へと向かう燃料にもなっているが、天神山アートスタジオのように一度にたくさんのアーティストと同時に対応するような環境では、なかなか深くつきあうことができない。それは、天神山以前は年に3-4人のアーティストを招聘していたレジデンスにいた経験からすると私には物足りない。  作品というより、アーティストという人に興味があるので、よくもわるくももういいです、というくらいまでひとりのひとを知りたいという欲求がある。ただの好奇心なので、あまり警戒してほしくはないんだけど。(むしろそれが無礼なのか?)
トッポキを食べる店を探して、また歩く。
途中で、韓ドラの「コーヒープリンス一号店」のロケ地に使われたカフェの道を通り過ぎる。コンユが好きな私はもちろん静かに興奮しました。そして、このカフェがドラマのロケ地になる前に、常連だったソヨンからちょっとしたホラーストーリーを聴くことになるのだけど、それは怖いから書き残さないでおく。
ソヨンに送ってもらって10時すぎにアパートにたどり着くと、ソルジたちも帰宅していた。パフォーマンスの初日を迎えていた二人だったので、あれこれと喋りたい気持ちがお互いにあったのだけど、ふとおもいだした2000年ごろのflying cityのことをきいてみた。都市の再開発に伴ってとりこわされてしまうエリアとコミュニティのプロジェウトをやっていた反骨系のアートグループがいたと記憶していたのだけど、ひょっとして彼らの暮らしている(私が滞在する)このアパートのエリアは、flying cityがフォーカスしてた場所?と質問したら、ジェヨンが、ここではないと教えてくれた。その流れで、なぜ自分たちがこのアパートに住んでいるのかを説明してくれた。 新しいアパート群の再開発にあたって、元の住民に新しいアパートに住む優先権が与えられたのだとか。ジェヨンの家族は元の住民でもあるし、新しいアパートの入居優先条件に、「新婚」「子供のいる若い世代」もあったから、ソルジとジェヨンは結婚することにしてこのアパートへの入居申請をしたんだという。面白い話だ。リビングには、結婚式の記念写真も飾られている、ドラマでよく見る風景。 まだ喋り足りなかったけどさっさと自室にひっこんだ。普段の生活よりも倍以上歩いていて私も相当疲れている、きっと彼らはもっとくたくただろうと思う、おやすみなさい、翌日のパフォーマンスの成功を祈った。
私が使わせてもらった部屋は、普段、ソルジが仕事部屋として使っているのだそう。四畳半ほどの大きさの部屋に机と本棚と資料が山積みで、その間にシングルベッドがおいてある。子ども部屋のようで、私はなんだか実家の自分の部屋にいるような気分になった。電気の式パットがおいてある、スイッチの入れ方がわからないけど疲れていてそのまま眠った。
3月8日(金)16年ぶりのアー��ン・シム
思い出そうとするけど、この日、アービンと回った地名・駅名がまったく思い出せない。10:50の待ち合わせも、どうやら地下鉄の乗り方を間違ったみたいで遅刻した。朝、起きれなかったのだ、慌ててアパートを出て、ろくに調べないで待ち合わせ場所に向かった。 なにしろ初めての地下鉄移動だったから、間違っていてもそこそこ楽しんでいる、完全に覚醒しているわけでもないから気分はのんびりしていた。のんびりしていたと思ったら、待ち合わせ場所でアービンを見た途端に、涙腺崩壊してしまった。なぜ?なぜそんなにエモーショナルになったのか自分でもわからないけど、話し始めたら私たちは16年ぶりにあったのだとアービンがいう。ああ、その時間が私をなんだか盛り上げてしまったようだ、気がつかなかったけど!アービンは16年たってもちっとも変わっていなかった。スピリッツがブレてない気がする。私は肥大したけれど。
アービンの好きなカフェにまずはいく。細い路地と階段を登ったところにある。小さなカフェ。ひとしきり、あの人はどうしている、とかそういう懐かしい話をする、フィナンシェとカプチーノ。
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なんとなくミッションなきがして、札幌でアービンとあったS-AIRのふたりと漆くんにアービンの写真を送った。 カフェの向かい側のひだまりで猫がまるくなっていた。
寝坊して待ち合わせ場所に向かったから、お腹がすいていたし昨日の疲れも癒えてなくて体調はあまりよくなかった正直。だけど、アービンとの16年ぶり!に興奮していたのか、しゃきしゃきと歩く早足のアービンになんとかついて行って、去年まで彼女が働いていたギャラリーにいく。 デジタル系の会社の中にそのギャラリーはあって、そこではここ近年で大注目の女性アーティストの個展をしていた。最初の空間は照明の効果で赤く染まって、その中に数点のビデオが上映されている。受付にアーティスト本人がいて、少し話ができた。 メインのスペースに他二つの空間が隣接していて、それは普段展示空間に使っていない場所だという。ひとつは会議室、もうひとつはアイランドカウンターキッチンがあるラウンジ。 その2箇所には、主にセラミックの作品が展示されていて、アーティストのビデオ(アニメーション)作品が3Dになってリアルな空間に存在しているという感じ、ビデオの中にオーディエンスが取り込まれたような感覚もあり面白い体験だった。 作品をみて、ああ、売れそう、というのが最初に思ったことだった。買いたくなる欲しくなるモノを目の当たりにすると、なんかドギマギする欲望が刺激されると妙な背徳感が迫ってくるからかな。慣れてない&気が小さいのかもね。アービンが、最近の韓国の若手アーティストは2D作品の作家たちが次々セラミックで3D作品を発表していると説明を加えてくれた。アーティストにその話をふると、彼女は絵の制作とそこからの立体への展開は自然ななりゆきで、延長上にあるということを話してくれた。
日本でもアートフェアやギャラリーにしょっちゅう行っていればこう言った傾向に出会っていたのかもしれないな。あまりに日頃ご無沙汰である。
アービンは、最後に彼女にあった16年前にもソウルで一番くらいにいけてるリッチなギャラリーで働きながら制作活動をしていた。その時、創作活動に集中したいから近々仕事をやめると話していた。その後、何年かしてまた仕事に戻ったそうだ。そして、またいまは制作以外の仕事も、制作も一年休んでいるんだそう。彼女は私とおおよそ一回り年下だから、40台後半になっている。年齢を重ねても、どんなふうに活動を続けていくか、これで大丈夫かと自問自答しながらキャリアを築いていくのはきっとほとんどのアーティストが同じなんじゃないかなと考えた。そういう自分のめんどくささを引き受けてそれでも制作を続けるってこと、そんな姿はいじましいい誠実だなあと思わされる。こういう姿が20台とか30台の若いアーティストたちに励ましとして、いい意味であきらめとして伝わるといいのになあとも。
お腹がすいた。
地下鉄で移動するよとアービンが交通カードを貸してくれる。ソウルの地下鉄は安い、この乗りやすさはありがたいな。たぶん、一回くらい乗り換えて、アービンのお母さんに会うために彼女の家のある駅の一つ前で降りて、ファーストフードのようなキムパ屋さんに連れて行ってくれた。すでに2時過ぎだったので店内では、スタッフ二人が食事をしている。食券を買って、キムパ、トッポキ、おでんが運ばれてきた。フライドポテト入りキムパが一番人気ということで、それとツナのやつ。ああ、美味しい。コロナの間、最近習い始めたことなんかを話した。
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食べ終わって、お母さんが待っているからと彼女の家に歩き始めた。アービンのお母さんは、私のことをいつも気にかけてくれていたようで、今回もぜひ訪ねてくるようにとアービンに言ったようだ。
16年前には、彼女たちのアパートに一泊か2泊、お世話になった。駅の周りの景色もかなり記憶していた、懐かしい。あの頃から、ここが変わった、うちも道路向かいの別のエリアに引っ越したとアービンが説明してくれる。 お世話になった時、普段アービンが使っている部屋を私に使わせてくれた。明るい室内とピンク色のサテンのきれいな布団を鮮明に覚えている。ベッドを私に譲ったアービンは、その日お母さんといっしょに寝てた。その状況が当時の私には不思議だった、いい大人が!いい大人に親といっしょに寝させて申し訳ないという気持ち。だけど韓ドラでドラマをみまくったいまなら、彼らがそうしてくれるのはおもてなしの気持ちの表現で、当たり前のことだとわかる。娘と母親の距離感、家の中の雰囲気、お客さんがきた時の対応とか、その当時はま��たくの異文化としか思えなかったあれこれのパズルがパチパチとハマっていくような感じで、今目の前の状況もすごくわかる。ああ、見倒しておいてよかった、笑
もう、わかったつもりの私がまた完全に崩壊する瞬間が来るとは予想してなかった。
アービンのお母さん
私を歓迎するために少しおしゃれしているだろうとか、足を悪くされて車椅子や補助器具で行動しているお母さんの雰囲気は、予想がついた。でも、全く覚えていなかったのだけど、すごく無邪気でエモーショナルな人だったということ。再会のとたんの温かい、いや、かなり激しめのハグを交わしながらその様に思わず泣いてしまったし、お母さんも泣いていたし、アービンも泣いちゃってた。日本語も勉強しているの、といって日本語で話しかけてくれる。短い時間の中でもたくさんおもてなしをしてくれようとあれこれ考えてあれこれ準備をしてくれたみたいで、なんというか感動したというか圧倒されて言葉が出ない。日中、お母さんを家でサポートしてくれるヘルパーのおばさんも唖然としながら温かくみててくれている。アービンがお母さんに促されてリンゴを剥いてくれた、韓国のサゴォアはとても美味しいのよ、食べなさいとお母さん。 大谷翔平が好きだというので、帰国したら特集号の雑誌か写真集を送ると約束した。私が大谷翔平とつきあうことになる初夢を今年みたとはさすがにいえなかったが、ちょっと前に大ニュースになった大谷の電撃婚の話題で盛り上がった。楽しいなあ、しかしこの溢れる感情を私は取り扱いできないままでいる。
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帰り際、プレゼントがあるとお金をくれた。トン?トン?トンっ!?!?とほんと驚いた。この習慣もドラマで学習済みだったけど、まさか57歳にもなって贈り物としてお金をもらうなんて、ああ、現実が受け入れられない・・綺麗なパッケージは、ヘルパーのおばさんが手伝ってつくってくれたそう。 今回の韓国旅では、会う人たちからなんだかの贈り物を受け取っていて、ほんとに心苦しいほどだった。私がお世話になっているのに、みな心尽くしの贈り物をくれる、自分が気が利かない人のようにも思えるけど、こういう気持ちの表し方なんだとありがたく言い聞かせる。
ほんとにありがとうございます。
このあと、アービンが10年近く使っているスタジオへと移動した。地下鉄に乗って、確か乗り替えはなかったような気がする。ターミナルの町で、ソウルの人がボルダリングとかをする険しい山の登山口があると言ってた、ソウルの南の方とも・・いま地名が思い出せないけど、最後にまとめて調べよう。元ベルギー大使館の建物を再利用した美術館の分館がある町だったから、検索すればわかるだろう。
この日もハイライトだらけで、長くなりすぎるので別の投稿につづく。
アービンのオンマの愛と引き換えに?なのか、この旅に持参したストールを失くしてしまった。母が(実の)私の二十歳の着物に合わせて買ってくれたもので、30年以上使っていた赤いストール。この冬に、このストールの暖かさを再発見してヘビロテしていたからそのまま韓国に持ってきていた。失くしたことに気がついて、ヨンヨンやソルジたちにも探してもらったけどでてこない。
お母さん、失くしてしまってごめんなさい。でもあのふんわりした温かい感じ、まだ覚えてます。
忘れないようにする。
忘れたくない。
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hint-lab · 4 years
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New Ways of Worldmaking
あたらしい世界制作の方法へ
いよいよ、「Creativity=創造性」の時代が、幕を開けます。 この新しい時代は「3つの潮流」のインターセクションとして、特徴づけられます。
1. 今の時代だからこそ、人間が得意なことがある
1つ目は、テクノロジーの加速度的進化、すなわち人工知能やビッグデータ、IoTへの潮流です。すでにわたしたちの生活は、スマホとパソコンとサーバーによって、あらゆるシーンで統合的に演算されています。コンピューターの得意領域は、わたしたちの生活と仕事を「最適化し、効率化し、合理化する」こと。
そんな中で、人間に残される得意領域は、「Creativity=創造性」しかありません。
人間のもつ感情のみずみずしさ、おもしろがること、ワクワクすること、イメージングの力、言葉にならない美意識、そして愛。
コンピューテーショナルな世界において人間らしい特性を持って世界をグランドデザインするために、わたしたちは創造性をもっと突出させなければなりません。特にこれからの子供の教育には、創造性が基幹になってくるでしょう。
2. 企業は、生産管理から価値創造へ
2つ目は、企業が「非連続成長」を求め始めたことです。インターネットやスマホが国を超えて人間の行動をかたどるように、世界経済は「均質化」の方向に向かっています。均質化は、一見それぞれの業界の安定成長を保証するように見えますが、実は少数の「プラットフォーマー」以外の利益率を低減させる傾向にあります。そんな中、洞察深い経営者や投資家は、次のプラットフォーマーになるべく、世界を一変させるようなイノベーションやアイディアを全力で探し始めています。企業の生産性だけでなく、従業員の働き方も含めて、これからの経営の争点は「生産管理」から「価値創造」へと急速にシフトしていきます。その源はやはり、創造性です。
3. 日本という文明プラットフォームの真髄
最後に、日本という文明システムへの新しい期待感が挙げられます。令和が明けました。太古から現代までつむがれた日本独特の美意識、禅や道に宿る心技体、縄文から受け継がれるアニミスティックな世界観、鎌倉時代に隆盛した仏教美術、室町・安土桃山に花開いたジャパン・バロック、江戸時代に結晶化された庶民的ユーモア、日本食における風土とイノベーション、世界を席巻するファッション、漫画やオタクに象徴されるフェティシズム・・・と、日本の創造的な因子は、枚挙にいとまがありません。これらすべてが今、アートとサイエンスの融合によってさらなる成長への起爆力を秘めています。国土にも資源にも限りがある日本の競争力の源泉も、やはり創造性なのです。
創造性の研究機関をつくろう
ところが、世界を見回しても、ここまで重要なはずの「Creativity=創造性」という領域に特化した研究機関は、これまでにありませんでした。なぜなら創造性とは、アートや音楽や文学はもちろん、建築、エンターテインメント、プロダクトデザイン、エンジニアリング、ブランディングから、創発教育や科学発明にいたるまできわめて広範囲なジャンルに及びながら、同時に概念構築→アイディア→技術への昇華、あるいは発想において演繹と帰納を入れ子構造で繰り返すという、きわめて散逸的で非言語的な特性を内包しているために、体系立てられた学問化が不可能だったからです。領域を絞れば全体性を失い、全体を目指せば専門的な深度を失う。世界制作の根源なのに掘り当てづらい、というまさに「文明の奥義」のような特徴を持っているのです。
部分最適を超えて、大きな文明観を
しかし、そもそも、わたしたちが生きるこの世界は、本当に体系立てられた世界なのでしょうか。はたして専門性を足し上げた全体が、計画的にこの世界を作っているのでしょうか。人類の学問は、2600年ほど前にギリシア哲学に端を発し、万物の根源にもとづく「全体知への探求」から始まりました。その後、中世のデカルト登場以降、学問は急速に分化し、近代以降は自然科学、社会科学、人文科学へと分岐し、そこからさらに専門領域に掘り下げて研究することで、その足し上げによって世界を把握しようとしてきました。その結果、文系、理系、芸術系という大きな壁ができました。細分化は「部分の解析」には成功しましたが、一方で結合的な美意識や大胆さをもつ「全体への躍動感」は失われました。一言で言えば、今、部分最適が進みすぎて、文明観と人間観が脆弱になっているように感じるのです。どれだけ科学やテクノロジーが発展しようと、人間を機械やコンピューターの一��のようにあつかう未来が面白いわけがないのです。
すべての人類は、 生まれながらに創造的である
だとすれば、あらためて「この世界」を、職種や業界の壁を超えて多様な美意識や発想力が、生命的なニューラルネットワークのように出会い、衝突し、化学反応を起こし、更新しつづける「動的アーキテクチャ」と捉えなおすことができないだろうか。創造性は、たしかに学問的にはつかみづらい。しかしそれを乗り越えて、「すべての人類は、生まれながらに創造的である」という信念をもって、越領域的に研究、編纂することで、未来への応援歌にできないだろうか。
『新しい世界制作の方法』へ
第4次産業革命、2020という未来への節目、令和新元号の今こそ、人類の最大の資本であるCreativityを「新しい世界制作の方法」として見つめ直し、再構築したい。このような衝動から、わたしたちは、この春、創造性を包括的に研究実験する機関『UNIVERSITY of CREATIVITY(ユニバーシティ・オブ・クリエイティビティ)』を設立します。
文明の全体的進化へ。 人間の原点進化へ。 ハダシの先端思想へ。 さあ、怪物を起こしに行こう。
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enrichmyheart · 10 months
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・真理の言語化⇒無我夢中
・日本が破綻しない合理的理由=根拠ある企業組織=コツコツ組織
+世界に先駆けて、弱者マウントから卒業しネオ地球人として、経済活動をメインに行うから。
・日本流、目利き商人の増加
・“めんどくさい”の丸投げ+疑わない=搾取の対象
・あなたは馬や鹿ではりません。あなたは人間です。人間は自分の特性を見つけることができる能力を持っています。そういう意味では、自分探しの心の旅は有効です。良い旅になるようお祈りします。
①虐待を趣味にする人の心を破壊するためのメッセージが湧いてきましたが、それをネット上にまき散らすと健全な心の人々をも巻き込んでしまうので躊躇っています。倍返ししたいです。
②心が悲鳴をあげている人が素直に「助けて」を言える社会になって欲しいです。
“ネットの中の人”の立場では、助けを求める人の隣に駆け付けることができません。
≒心が悲鳴をあげるまで何も言えない世の中です。心が悲鳴をあげても何も言えない世の中です。
①点と②点は“線”で繋がっています。
③ドロップアウト
「普通は」「常識では」そういう言葉が彼らを苦しめてきました。
④心の逃げ道の一切を塞がれたひとが、社会に及ぼす影響
⑤優越意識の再生産教育
⑥支配欲を満たすための弱者へのマウント行為
⑦心が救われるための手段
人の足を引っ張る or 努力する
⑧欲望依存症
負のスパイラル=生き方の癖
⑨オスの支配欲による社会構造=マウント(デフォルト?)
⑩オス=種を残すために他を狩る
メス=種を残すために協調しようとする(ひとりでは育てられない)
⑪オスの部分、メスの部分は両極ではない=脳内分布比率は人それぞれ
⑫歴史をほじくり返して政治利用して国民を煽る作戦⇒三流政治
⑬死ななくて良い命はたくさんあった。誰のせい? 加害者のせい? 加害者の裏に潜む背景は?
⑭宗教を利用して国民を欺き、戦闘気概を植え付ける作戦⇒四流政治
・『実感』している方もいらっしゃるかもしれません。
頭の中に『憂い』が残っていると、思考の働きが鈍くなります。頭=心をクリアにするには『憂い』を取り除かなければなりません。『憂い』は人それぞれ違います。
『憂い』は人それぞれ違います。
⑮恨みの量の測り方
恨みの深さ × (個体数 + 一族郎党) + 寿命
 + “正義感”の数
⑯巣の中で口を開けて餌を待っていたひな鳥は、待てど暮らせど来なくて泣いた。なぜなら親鳥は、餌をすべて自分で平らげてしまっていたのだから。
⑰国民の栄養を吸い取って自ら肥え太る作戦⇒五流政治
⑱世界中の“正義感”を敵に回す作戦⇒政治に非ず
⑲可視化社会∴裸の王様=注目の“的”
⑳「王様は、自分で自分の逃げ道を塞いだ。」
㉑可視化社会の恩恵⇒\も女も人種も超えて素直に『助けて』が言える世界
㉒あなたの「助けて!」が誰かの“正義感”の琴線に触れるものならば、それはどこかの誰かに届く。 可視化社会の恩恵によって。
㉓北風と太陽の、北風の大敗⇒自然の摂理
㉔『べき論』
政治はどこまでもロジカルである『べき』だ。こと政治に関しては、我々はどこまでも感情の煽りに流されずにロジカルである『べき』だ。政治に感情を便乗させてはならない。政治は国民の幸福の最大化にのみ、貢献すべき“ただのシステム”に過ぎない。感情の煽りに負けてはならない。したがって、全世界の国民の皆様の幸福度の最大化を祈る。
感情への煽りに負けてはならない。
そして政治には『個人的な面子』も不要だ。
㉖権力ごっこ、終わった?
㉗絞首台までのカウントダウン。かなりの人をやったからな。
㉘自分の手を汚さずにやっていると、だんだんマヒしてくる。気づいたときには遅い。汚れ仕事させられた皆様に、深く哀悼の意を手向けます。
㉙気づいたときに、並みの精神では正気を保てない。あの人は平気か。
㉚国民の皆さん、それぞれの自国の権力ごっこの行く末を、冷静にしっかりと観察し目に焼き付けてください。そこには盛衰の学びがあります。
㉛【再掲】恨みの量の測り方
恨みの深さ × (個体数 + 一族郎党) + 寿命 + “正義感”の数
㉜【ヒント】
・ハンバーグのツナギはパン粉。権力のツナギは?
・逃げるが勝ち
㉝【賢人の生き方を模倣する】
感情を発露させている人の炎上商法に乗ってはいけない。彼らはしっかりと冷静に観察する必要がある。なぜそういう言動や行動をとるのか? 時間をかけてじっくりと観察する。
彼らの目的は? 炎上商法により期待している効果=メリットとは?
見る目を養おう。
㉞【現代の国境】は誰にメリットを与えているか? 
誰にとってデメリットになっているか?
“わたし”は原始人として生きるか? 現代人として生きるか?
㉟国民が賢くなれば結実しない空虚な舌戦などは何の意味も持たなくなる。あなたは弁舌家になりたくて政治家になったのか。今やほとんどの国民は、そんなあなたの言動を白け顔で見ているだろう。裸の王様という恥辱行為に早めに気づいた方が、傷は浅く済む。
〇現在の経済状態
・不当な商品価格設定=消費者の低価格要求圧力に対応した不当な価格設定=高品質低価格=低価格競争
・消費者の低価格要求圧力+重課税による消費意欲の減衰
⇒重課税のカネの流れ=市場からの投網漁による吸い上げ⇒薄く広く、玉石混交へ分散(垂れ流し)
・長期間による補助金ぶら下がり気質の醸成=イノベーション能力の減衰
・出る杭は打つ思考性=足を引っ張る+努力はしない=イノベーション能力の減衰
・大陸との分離による戦闘能力の低下=平和ボケ(経済的にも)
∴高付加価値のものを労せず安価に手に入れたがる消費者の醸成
・バナナの叩き売り理論⇒薄利多売(売り手)+依存症者(買い手)の醸成
〇ピンチをチャンスに
・人的資本(潜在能力)を経済活力へ振り向ける⇒弱者マウントの時間を自己投資時間へ振り向ける
・投資資金=嘱望、期待
・為替=現在価値、投機
・投資と為替の乖離の穴埋め=コツコツの増産、揺らがない自信の醸成=個人の幸福と組織の隆盛、投資家とのWin‐Winの関係
∴ネズミ算式人口増殖思考=敗者(家畜)の増産思考⇒誰得か(冷静思考へ)
・『空腹時間』という大切な機会の損失
「あれ食えこれ食え」の詰め込み外圧(食事に限ったことではない)から心身を守る方法⇒
“無”の時間をしっかりと作る
・正確なモノの流れを“理解”することで取捨選択能力は上がる
・正確なモノの流れ⇒自分が可視化できる範囲まで分解し補足すること=“納得”という自己認識のエビデンス
・自己認識のエビデンス⇒自分に対して有効なのであって他人を説得するための材料とは別問題=他者理解を得たい事柄かどうかとは別問題
・実業と精神業(精神業がまがい物になりがちな理由)
実業=物的証拠による共通認識
精神業=買い手が信じれば何でもあり⇒厳格な制限による精神業の法整備化(対価設定の制限。弱者救済目的ならば異論は出ないだろう、ナントカ法人さん)
・「真理」に照らせば、すべては芋づる式で出てくる
∴日本の土壌=実業に強いとい��こと。目くらましの精神業に騙されない武器=知恵を持とう。カギは細分化によるバタフライ効果の補足=可視化する、だ。
・市場への政治介入による弊害例
雇用の上限年齢設定⇒気力・体力は人それぞれ。
・対話を通した議論を不可能にする具体例
少子高齢化対策に精神論「子どもは尊い」を持ち出したとき。「子どもが尊い」のは正論だが、人口増殖思想による地球汚染の弊害などは無視している(なかったことにする)と、議論は成立しない。子供が尊いことと、地球規模で考える社会問題はまったく別の事柄であることをまずは理解しないといけない。論理派に精神論が忌避される理由は恐らく、この辺にある。
㊱“私生活の暴露”という概念が存在しなくなる世界線 
※これはやや暴力的です
例えば誰かが勇気を出して「私は性依存症です」と声を上げたとする⇒Me too運動が起こり新たな社会問題として共通認識される⇒議論が成熟してきて「では倫理とは?」という議論が起こる⇒普遍的な人間の欲求として「寛容」が生まれる⇒趣味嗜好のひとつとして片づけられる=人類の多様性のひとつ
色々な考えの人がいる中で、このことに具合の悪くなる人もいるかもしれないが、だからといってその人が人に言えない趣味嗜好があるのかないのかは、分からない。
それぞれの趣味嗜好が治療すべきものなのか、容認すべきものなのかもわからない。今認知されていることと言えば、社会的に成功した趣味嗜好は「是」とされて依存症治療の名目になってしまうものが「非」と判定されていることくらいだ。
相互監視社会を据えた際に見える未来だけれど、何が正解かはわからない。ただしこの『世界線』は相互にメリットがある——それぞれが生きやすくなるだろう。当然、そういう下世話な仕事は淘汰される。転職先を探した方がいいかもしれない、と下世話な皮肉をひとつ。
なお、この「皆おんなじ人間だもの」が平準化してしまうと、一部の神格化されている人物やそれを崇拝する人々は猛反発するかもしれないし、一部はゲシュタルト崩壊レベルでしばらく動けなくなるかもしれない。真理は時に残酷だけれど、仕方がない部分もある。社会のデジタル化とワールドワイドな通信化を人間が望んでしまったのだから、パンドラの箱の開封は、自己責任でもある。いくら政策によって鎖国化したり強制封鎖しようとしたところで、人間ごときの権力の及ばぬところまでデジタルは侵食してしまっている。つまり「諦めろ」ということだ。
㊲放蕩息子の放漫経営によって生まれた負の資産がゴロゴロと。もはや資産ではなく負債だ。で、その負債=不良債権処理は誰が行うのか? 経営責任は誰がとるのか? お聞かせ願いたい。
『Q』には『A』をぶれなく答えるのが筋だ。
㊳デモとタイパ、その効果について紐解く
デモの時間対効果はいかがなものか? という疑問がひとつ。
デモによるインパクトはそれなりにあるが、難点をあげるとすれば、冷静に観察するサイレントマジョリティには届きづらいのではないか? というのが一点。
日本を例にあげると、たとえば悪法が数の力によって強制採決されてしまう場合、真っ先にデモという手段が浮かぶかもしれない。しかし日本は(私がこのような自由を与えられているように)ある程度は民主化が肯定されており、ディベートの自由がある。それであれば、ディベートに磨きをかける方が案外、遠回り(面倒くさい)ようでいて、確実なのではないか。というのが一点。
私は今、国民の皆様の神経を度々逆なでしながらも、非力ながらも、与党の数の力に対抗すべく国民の皆様の数の力に頼ろうとしているが(これが愚策かどうかは置いておいて)、色々な観点からデモを起こす勇気はない。コスパとタイパの観点から言えば、可視化社会のこの現代、国民への訴求は服を着せたり下駄を履かせたりしていない「生の声」によって説得するような気概を政治家には求めたいところではある。装飾しても、大概は見抜かれてしまう世の中だ。
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krkwngm · 1 year
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手帳の話
 自分が自分のために何かしたのはいつのことだったかをすぐ忘れる。映画を観て印象的な台詞や演出を噛みしめたこと。好きな漫画や小説を読みふけったこと。その行間をたぐって文章を綴ったこと。響きの良い句歌や詩の一節を好きな色のインクで書き留めたこと。初めて見る古いもの、伝わったものを作り出した時代や人間の営みに思いを馳せたこと。美味しいものを食べたこと。誰かと会ったこと。知らない場所へ出かけたこと。いつもの場所で過ごしたこと。自分が書きたいためだけにちまちま小説を書いていること。  それらすべてが、半日もすれば幾月も幾年も昔のことに思えてしまう。美しいものはいつも遠くにあると錯覚する。写真を見てもそれがつい先週の出来事という実感がない。昨日書き上げて公開したばかりの小説が古びて見える。そしてどうにもならない虚無に呑まれる。生きてるのになんにもできてない。なにもしてない。なにもない。  なんにもしてないしなんにもないわ、と昨年末Twitterにつぶやいたら急に数十件の通知が来て、何事かと思ったらすべてたったひとりのフォロワーさんによるRTだった。この一年で自分がツイートした映画や小説や展覧会の感想、綴った文字、創った作品、見た風景、美味しかった思い出、棚に迎えたお気に入り、それらが突然自分の目の前に流れてきた。どれも自分にとっては良い出会いだったから忘れないように撮ったり書いたりしたはずなのに、いま見てもこれは良いものだったと確信が持てるのに、今年のものだと覚えていたものは半分にも満たなかった。半年前に観た現代詩のインスタレーションの展覧会をもう3年は前のものだと思っていたのはショックだった。なんにもしてないなんにもないという虚無感はただの幻覚だった。  ではこの焼かれるような空虚はなんだ。渇きはなんだ。虚無の分際で今日を終えるのは悪だ罪だと毎夜毎夜の底に溢れる焦燥が嘘で、不眠と不安に病んで労働もできずにいる現状ばかりが嘘ではないとはどういう。
 どういう。
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 とにもかくにも、幻覚から与えられる暴力は完全に余計な苦しみである。ないものに人生を割いている場合ではない。  まず自分のために何をして何と出会って何を持ち帰ったのかを、振り返る場所が必要だった。自分で自分のツイートを遡るのは悪手だった。すべて自分のためにやっていることとはいえ、自分が良いと思ったものが多くの他人にスルーされている現実を直視する作業は事故が起こりかねない。なんにもないという幻聴が肥大化する。作業の成果が芳しくなければどうせ心が折れる。たわいもない一年分の他人の戯言からその人間にとって良い出会いだったであろうものをひとつひとつ拾って掌に乗せて見せるような、先のフォロワーさんの行いがたいへんありがたかった理由はそういうところだ。  できれば個人的な記録に留めたい。やたら遡らずとも一瞥で俯瞰できる記録がいい。一目で視界に収まる大きさと、何を書いても許される自由さと、どこに何を書くか迷わない易さと手間がかからない身近さ、短さ。「ちゃんとしてない」感が滲んでメンタルを倦ませることがないように、最低限の記録でもそこそこちゃんとして見える形式のもの。  まあ手帳だろうな、と思い至った。  手帳は毎年買っているがいかんせん使いかたがへたくそだ。年の半分までは仕事の予定や映画の公開予定日などをそこそこ書き込んでいるのだが、年末に近づくにつれ手帳を開くメンタル的余裕が死んでいく。予定やToDoは付箋に書いてデスクに貼り付けておくのが早いし終わったものから剥がして捨てていかないと終わった気がしない。平日休日寝込んで過ごして結局観に行けなかった映画の、公開予定日だけが書き込まれている手帳は視界に入るたびHPを削られる。果たせなかった予定だけ消しゴムで消したいのに同じ日付のマスに書き込んだボールペンの字がこすれて広がる。貼ってはがせるはずのシールが剥がれず醜い爪の痕が紙面に残る、紙ごと剥がれてみっともなく毛ばだつ、ここまでくるともう���になって自宅の床で丸まるしかない。手帳を使う才能がない。  それでいてまだ手帳かと言われるとぐうの音も出ないのだが、要は変動する予定を管理する才能がないのであって(言ってて悲しくなってきた)、確定した結果を書き留める才能はあるかもしれんのである。事実これまでノートのまとめかたが分かりやすいとか、まとめた感想がコンテンツを浴びるきっかけになったとか、プレゼンが上手いとか、ありがたいことにそっちの方面でお褒めいただいた経験は何度かあった人生である。他人から見てそこそこ得意であるらしい能力を他人ではなく自分のためだけに使う、というのはかなり贅沢なことでちょっと気が引けるけれども、人間は自分で自分を幸福にする、ないし幸福にせねばならない生き物なので、「おまえはおまえのためにこうした良いものを与えておまえをちゃんと幸福にしようとしている人間なのですよ」という事実を、ほかでもない自分自身に理解させるためには清貧など謡ってられないのである。清貧すなわち死。餓えて死にたくなくば張り切れおまえ。ここで張り切らんでどうする。
 というわけで、『結果を記録する』ための手帳を探した。B6サイズで月間と週間、どちらの予定も書き込めるタイプのもの。週間の書式はバーチカルが望ましかった。「行動記録」をつけるためだ。  鬱病で休職している職員の復帰に向けたデイケアに通っていたときは、毎日「行動記録」をつけて提出することを求められていた。行動記録とは認知行動療法の一環で、その日の行動によってどんな感情が起こったか、感情によって体調がどうおかしくなったかを客観的に把握するためのものだ(と自分は理解した)。眠れない起き上がれない気持ち悪い外が怖いつらいしんどい吐き気すごい眩暈する寝たくない動けない何も手につかない頭回らないできない意味ない価値ない何、いまのおれは何、という不甲斐なさが全部どす黒いぐちゃっとした粘性の虚無が脂で覆われているだけの無意味な肉塊と化していたのがいちばん酷い鬱だったときの自分の状況なわけだが、このどす黒い虚無のいくらかは実は「気のせい」であると知るために認知行動療法はある(と自分は理解した)し、行動記録は実際やってみるとそういう効果があった。  やり方は認知行動療法の本に載っているのでほんとうに必要な方は調べたうえで用法容量を正しく守って実践してほしい。ここには基本だけ書く。午前・午後・夜の時間帯それぞれに自分が取った行動と、そのときの気分を記録する。「午前:寝ていた(鬱)、午後:掃除をした(集中)、夜:DVDを見た(楽しい→就寝前は不安)」くらいでいい。  こんなのでも二週間も続けていれば見えてくるものがある。いくら自分が「理由もなく寝込む無意味で無駄で無用な最底辺の人間」であることは事実!と思っていても、記録をつけていれば寝込んでいたのは前日のデイケアを頑張りすぎたせいで、家事は予定通りにこなせていて、つまり「理由もなく寝込む」のも「無駄で無用」な自分も「気のせい」だと知ることができる。自罰が習慣付いている人間はこれだけでもちょっとは息ができるようになるものだ。
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 デイケア通所期の行動記録は、ラコニックの「STYLE NOTEBOOK Weekly」というノートに付けていた。日付が入っていないフリー形式の週間ダイアリーで、見開き1ページに一週間分の記入欄が24時間のバーチカル形式で印刷されている。クリーム色の紙に薄いグレーの罫線、読みやすいが主張の強すぎない書体で構成されたノートは目にうるさいと感じることがなかった。  その日の行動と気分を簡潔に記録する。当然生じる数多の空欄は、放っておくと「何もしてない」幻聴が無限に湧いてくるので、好きな色柄のシールを片っ端からぺたぺた貼って塞いだ。病んで働けない虚無から逃れようと創作に走って走り過ぎていよいよ情緒と頭がおかしいことになっていた夏のさなか、創作を諦め、毎日ちまちまと自分の行動を書き取りシールを貼るだけの作業は手間だったが不快ではなかった。
ラコニック STYLE NOTEBOOK Weekly https://laconic-generalstore.jp/?pid=164509740
 このノートを一冊使い切ったので二冊目を買おうかとも思ったのだが、手帳とノート二冊を抱えて出勤する手間を自分は惜しむだろうと予想がついた。文房具は大好きだがいっぱい持ち歩きたい欲はあまりない。手荷物はできるだけ少なく、お気に入りのものだけ携えていきたい。  そんなわけで昨年の末、手帳売り場で「マンスリー」「週間レフト」など書式ごとに分類されたラベルのなかから「バーチカル」をを探してはサンプルを開き、ああでもないこうでもないと呻いた末に辿り着いたのがNOLTYだった。
NOLTY公式サイト https://nolty.jp/
 NOLTY(能率手帳)は1949年に日本で初めて「時間目盛り」入りの手帳を販売したメーカーだ。能率手帳という名称に「ビジネスマンのための手帳」といった印象を個人的に受けるのは、自分の父が掌に乗るほど小さく真っ黒な能率手帳を長年愛用しているせいだろう(朝から晩まで多忙な父があの小柄な紙束にどうやって仕事の予定をまとめているのかいまだに不思議だ)。実際「時間目盛り」は仕事の能率を上げるためのアイデアだったらしい。手帳売場にNOLTY専用のスペースが毎年そこそこの広さで展開されるのを見てはいたが、手帳が上手く使えない人間には過ぎたものに思えて横目に通り過ぎるばかりだった。この数年は働けていない身で働く人間のための売場に近付くのも恐ろしかった。  今回NOLTYを選んだのは、ほかのメーカーから出ている「バーチカル」のデザインが絶妙に自分の需要と合わなかったからだ。書体が読みづらいとか、強めの朱色が苦手だとか、こまかいところは色々あったがいちばん困ったのは「余白」だった。  様々なデザインの手帳をめくってみると、見開き1ページあたりの余白、ないしメモ欄の配置や大きさは手帳の書式に左右されるということがしみじみ分かる。たとえばマンスリー(月間)手帳はブロック形式のカレンダーに似た、1ヶ月分の記入欄を見開きページ全体に大きく配置し、その両端や下段に余白が置かれているものが多い。ウィークリー(週間)手帳、特に週間レフトは、見開きの片面(左面)に一週間分の記入欄がやや余裕を持って納められ、右面に丸々空いた余白は自由度の高いメモ欄として開放されたデザインをよく見かける。  一方で、バーチカルは1日の時間軸を一定の時間ごと、等幅の罫線で区切る書式なので、日ごとの記入欄がどうしても一方方向に長く伸びる。罫線の幅が狭いと書き込みづらく、機能性が落ちるので、最低限の広さを縦横に持たせる必要もあるだろう。これを一週間分ずつ見開き1ページに詰め込んだうえで、時間に縛られない週別の予定やTodoが書けるような「余白」も配置するというのは、どうやらほかの書式に比べて大変であるらしい。実際、売場で見かけたバーチカル手帳は余白が広いほど機能の一部が犠牲になっているデザインが多かった。平日はノートの縦いっぱいに1時間ごと罫線を引いておきながら、土日は「午前」「午後」のざっくり分けで長さを縮小し縦一列にまとめてしまっているもの。朝活重視で5:00から罫線を引きつつ、夜時間は21:00以降を省略し下段をメモ欄に充てているもの。休日も夜間も仕事がある人間は顧客として扱われていない感があるデザインだ。もちろん自分で罫線を引く手もあるが、そういうひと手間が結局は日々の記録をしんどくさせる。
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 NOLTYはその点、さすがだった。伊達に長年能率を謡っていない。見開き1ページに収められた一週間分の記入欄は一日ごとに充分なスペースを��持し、日々の時間軸は平日土日問わず6:00から24:00まで罫線が引かれている。自分が求めていた、行動記録のために最低限必要な導線がそこにはあった。そのうえで各日の上段と下段には日ごとの予定を書き込む余地のある余白があり、見開きの右側には全体の三分の一ほどもある広いメモ欄が確保され、右上には今週が月の第何週目かを一目で把握できる小さいカレンダーまで盛り込まれている。
「一目で視界に収まる大きさと、何を書いても許される自由さと、どこに何を書くか迷わない易さと手間がかからない身近さ、短さ。「ちゃんとしてない」感が滲んでメンタルを倦ませることがないように、最低限の記録でもそこそこちゃんとして見える形式のもの。」
 自分のための記録をつける場所へ最初に求めたものがなんかもう全部ここにあるのだった。  今まで他の売場で見てきたちまちましたバーチカルとはな��だったのだろう。同じB6サイズで同じ書式なのに使い勝手の良さの差をこうも歴然と見せられると愕然としてしまう。しかもNOLTY、同じバーチカル手帳のなかにレイアウトと仕様の違うものがいくつもある! 月間と週間が連続したページ構成の「アクセス」、日ごとの余白が三つある「キャレル」、書体が上品な印象でメモ欄の充実した「ベルノ」など、手帳を使う人間の様々なニーズに対応しうる機能がそれぞれに搭載・拡張されているラインナップを前に正直はしゃいだ。全然分かってなかったけど能率手帳、めっちゃすごいのでは…!?
2023年1月始まり ウィークリー手帳 NOLTY エクリB6-7 https://jmam.shop/shopdetail/000000004818/
 サンプルを見比べて吟味した結果、自分が選んだのは「エクリ」だった。これは月間と週間が交互に並ぶ「アクセス」とは異なり、手帳の前半に月間、後半に週間のページがまとめられた構成になっている。書き込む内容を月間と週間で分けようと考えていたので、前後に分かれた構成のほうが使いやすそうだったのだ。色違いのスピン(栞)が2本付いており、当月当週のページを手繰るのに不自由しなさそうなのも良かった。「ベルノ」の書体の優雅さとメモページの豊富さは自分では持て余す気がした。各日の下段に余白があるのは「キャレル」も同様だったが、「キャレル」の余白は無地なのに対し「エクリ」の余白は時間軸と同じ幅の罫線が引かれていて、書くときに迷うことがなさそうなのは後者だった。万が一のとき24:00以降の目盛り代わりに使えそうなのも良い。  ちなみに「エクリ」とはフランス語で「書く(書かれたもの)」を意味するらしい。公式の説明にも「「書く」ことを第一に考えた記入スペース充実のシンプル手帳」とある。名詮自性を果たすかは使い手次第としても、潔い名前だ。穏やかに光るホワイト紙にグレーの数字、罫線、休日欄の淡い赤、明朗だが趣のある書体で構成された「エクリ」は、たしかにどんな筆跡もさまになりそうな佇まいをしている。
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 そんなこんなでうちにやってきたエクリは色々あってこういうすがたになった。  臙脂色の手帳用バンドはミドリの製品だ。過日の使いこなせかった手帳に合わせて買ったものだが、エクリの表紙が暖色系のグレーなのでわりと似合っている気がする。ちなみに取り扱いサイズはA5とB6用、色はほかに黒と紺がある。
ミドリ クリップバンド https://www.midori-store.net/smp/item/62311006.html
 表紙裏のペンホルダーに挿してあるのはKaweco製万年筆で、太さはEF(めっちゃ細い)。FやMのほうがぬらぬら書けて楽しいのでふだんまず買わないのだが、このIridescent Pearlという色は当時とても人気で、ダメ元でペンとインクと文房具の店を訪ねたところこの一本だけが残っていたのだ。かなり迷ったが、細かい字が書けるから手帳なんかにいいですよ、と店主にも勧められたので買った。手帳に装着するには別売のクリップが必要で、これはほかの文具店で問い合わせたところ在庫がひとつしかなく、そのたったひとつがカラバリのなかでもこの本体の色に似合いそうだと思っていたシルバーだったのでほっとした。インクはKawecoのロイヤルブルーを入れている。片岡義男が『万年筆インク紙』で述べている、ブルーのインクはクリーム色の紙に書くのがいちばん美しい、との意見には全面的に同意するけれども(書籍用紙「ソリスト」を使用したBIBLIOPHILICのBIBLIO NOTEなんかはほんとにそうである)、このホワイト紙とロイヤルブルーの組み合わせも悪くないというか、書いてて気分が上がるくらいの良さはある。
Tumblr media
 週間バーチカルには予定どおり「行動記録」をつけている。何時に寝て起きてどこ行って何を観て買って、などをざっくり書く。そのときの気分も書くのが本来は正しいのだが、デイケア通所期にもあった、頭の調子が悪いと気分と幻聴の区別がつかなくなってあることないこととめどなく書き連ねる現象が起きそうだったので今年は止めた。自分のためにしたことを振り返って「無駄だった」と思うようであれば当時の多幸感や前向きな気持ちも書いておくとよいのだけど、最近はそういう不調も少なくなった。「楽しかったな」「やってよかった」と思えるほどには回復できて本当にほっとしている。  各月のインデックスにはTRAVELER’S notebookのカスタマイズシールを貼った。毎年違うテーマに基づいた限定柄のグッズが展開されていて、趣味に近いテーマが取り上げられるとつい買ってしまう。2021年の「本」と2023年の「カフェ」がまさにそれで、今年の手帳は月間ページに21年のアブサンじみたグリーン、週間ページに23年のワインレッドを合わせた。
 仕事の予定も週間バーチカルに書き込んでいるので、予定を把握しやすいように職場の月間予定表を縮小コピーし、SUNNYの手帳用下敷きにマステで貼って当週のページに挟んでいる。下敷はB6サイズ用だが手帳からはみ出さないよう少し小さめに作られていて、そこが気に入っている。
 月間は、自分のためにした行動を月ごとに振り返るページにした。バーチカルの記録から、観た映画、読んだ本、出かけた場所、食べたもの、創作した日を拾って書き込む。最初は書き写すのが面倒になりそうで、自分のために何かした日にシールを貼るだけにしたのだが、この日なにかしたっけかと何度もバーチカルをめくり直すほうがよほど面倒だった。良い記憶を遠くへ追いやってしまう悪癖の根深さを忘れていた。時間を割いてでも振り返りをするべきなのだ、自分のような、自ずから虚無を幻視するような人間は特に。  書き写すときはなるべく太い字かつ鮮やかな色で書く。太い線だと字数のわりに紙面がそこそこ埋められるし、文字が潰れないよう大きめに書くから目に留まる字が書ける。よく使うのは数年前にゼブラから発売された水性マーカー「クリッカート」。蓋がないのにペン先が乾かない独自のインクを使用しているノック式マーカーで、48色のカラーは紙に滲まず可読性に優れている。ノックしたときに白い本体の窓からのぞく赤色もかわいい。
ゼブラ クリッカート https://www.zebra.co.jp/pro/detail/clickart/
 むろん万年筆で書くこともある。最近は紙の色や筆の細さによっては読みづらくなってしまう淡い色のインクをサファリのLAMY万年筆M(中字)に入れて使うのが楽しい。LAMYのMは(筆圧や机の高さにもよるだろうが)2mmくらいの太さで文字が書けるので、黄色系やピンク系のインクで書いた文字でもわりあいすんなり読める。ただし自分のようにせっかちな人間はよく書いたあとを擦る。それも色が淡いので許容範囲だ。どうしても気になる場合はもうシールで隠す。必要な記録を終えたらあとはとにかく好きなシールを貼って貼って貼る。自分にとっての良いもので不在の虚無を充たしていく。  それと各月の余白に「しいたけ占い」の月毎の運勢をプリントして貼っている。占い全般、熱心に信じる気概はない。自分が思いもつかないベクトルから助言があるところは面白いが、直接の助けになることはまずないからだ。自分にしばしば助言や応援をくれる周りの人たちは、こちらの現状や経歴をふまえてこちらができそうな範囲の提案をしてくれるし、受け入れられそうな言葉を選んで話してくれる。そういう優しさに救われている。占いはこちらの背景を一切知らない立場から一方的に予測を投げてくるばかりなので、こちらが状況に応じて都合の良い言葉を拾うしかない。ただ、そうすると自分を知っている人間ならまず向けない視点や言いそうにない提案が当然混じってくる。なるほどそういう考え方もあるか、と自分の現状を面白がるのに占いは使える。
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 ここまで整えておいてちゃんと年末まで使われているのか、どれほど役に立つかはまだなんとも分からないけれども、少なくともこうして振り返る場所を整えることはちゃんと自分のためだったのだし、今後あんまり使われなかろうと「自分のため」に一念発起した事実はかたちとしてもうここにある。自分が何を考えて一連の準備をしたかも書き出せたからには、ひとまずは良しとしたい。読んでくれてありがとうございました。
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cruelice · 1 year
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2022-12-31-SeaAir【雑記】
 妻実家の浜松からこんばんは。年の瀬の恒例として勝手にやっております一年の振り返りをしようと思います。振り返るとTumblrでやってたりTwitterでやってたりしますが今年はTumblrというかSeaAirでの投稿数を増やそう!という思いがあるのでこちらで。
■仕事
 AR担当からSX担当になりました。それに伴い例のパワハラ気質上司のレポートラインも外れ、ついでにいうとその上司はアメリカに数年出ていくことになりました。2021年12月時点ではそういう話は出ていなかったと思しき動きを察知していたため、私と後輩を準パワハラで追い詰めたことが影響しているのだと個人的には考えています。
 まあそういうわけで苦手な上司が去って、新たな上司が割り当たったわけですが、「こいつ扱いを間違えるとコンプラに垂れ込むやつ」と知れていることもあってか穏当な仕事生活に。分野が全然技術っぽくない分野であり、今後の先行きが見通せないことこの上ないですが、まぁいままでも見通せたことなかったしな、と開き直りつつ会社に役に立つ人材ではあるのである、ということを会社に評価してもらえるように立ち回ろうと思うのでした。
 嫌だけど英語プレゼントかやったのはそのためですね。あれは頑張った。
■子育て
 息子がついに小学生に。それなりにトラブルなく順調という認識ですが、「創立記念日なので平日だけど休みです」とか「参観日や面談が平日昼間にあります」みたいなことがあったりして共働き設計とは相性が悪いことこの上ないですが、一方で在宅勤務とはだいぶ相性がよく、ちょっと仕事を抜けたりして対応できるので大変助かりますね。SX担当になって業務の裁量がだいぶ増えて、気軽に抜けたり休んだりしやすくなったのも良い傾向でした。
 一方で、息子が「参観日のあとにお母さんとそのまま帰ってるおうちがある」ということについに感づいてしまい、保育園時代にはなかった「専業主婦家庭がある」との気づきと邂逅を果たすのでした。でもまぁ前述のとおりSX担当になって以下略なので、上司に家庭の事情と伝えて午後半休とかにすることが増えて私のQoLも上がりましたね。
 娘はよりいっそうお調子者/かまってちゃん/おしゃべり/いたずらっ子に拍車がかかり、家庭ではスパムみたいな扱いを受けたりしていますがムードメーカーとして笑顔いっぱいで立ち回っています。そのままのあなたでいられる限りはそのままのあなたでいたらいいんじゃないでしょうか、というスタンスで過ごしています。
■旅行
 漫画ゴールデンカムイの影響で北海道行きまくってますね。2021年秋にも行ったのに2022年1月に函館に行ったし2022年8月にも夕張→小樽→札幌→富良野→旭川→網走→釧路という一日平均数百キロ移動するゴールデンカムイゆかりの地を巡ったりしました。函館旅行中には本誌で函館駅の話題が出るなどして行ってよかったね~と思ってます。ゴールデンカムイはもう終わったけど今年ももっかいくらい行こうかなと夫婦で話しています。
 そのほか、大阪でUSJ、京都で鉄道博物館に行ったり、千葉の最東端銚子に行ったりしましたね。特に後者は私と子供の三人旅だったのでたくさん歩いたり低予算宿だったりで面白かったですね。
 しかしまぁ息子が小学生に上がってしまったので、旅行のために学校を休むのはちょっと。。。ということもあり夏休みとか冬休みとかGWに合わせた繁忙期に旅行ということになったので頻度自体は減りましたね。
■ボードゲーム
 オフラインでもひっさしぶりに開催したり、月1でオンラインボードゲームできてるのは非常に良いですね。PlayingCards.ioというサイトで、ボードゲームをオンライン上に再現したりしているのもなかなか良いと思います。どこでもパーティーゲームというアプリも最近使い始めたけどなかなか良いよ。Unityで自分で開発するのは下火になったのはよくなかったですね。できればクリエイティブな方向にもっと動ければよいと思うんですがコンシューマー側として過ごした一年でしたね。
■ゲーム
 引き続き今年もいっぱいゲームしたなぁと思います。なんといってもNoita。Noitaめっちゃよかったからみんなやるといいと思いますがすごく人を選ぶとも思います。あと時間泥棒ですべてのリソースを持っていかれるので封印しました。
 そしてDokiDokiLiteratureClub!これも全人類やってほしいけどNoita以上に人を選ぶとも思います。そんなゲームばっかりやってんな。Hadesも面白いのでぜひ以下略。VampireSurevirorとかふしぎの城のヘレン+だとかAstlibra、Peglin、Dorfromantikなんかを遊んでいますが全然みんなわからないだろうなと思いますね。
 というマイナーゲームばかりを遊ぶことが多いですが、今年はあれですね、会社の先輩とか息子とかが「ぜひ買って!」というので買ってプレイしてみたスプラトゥーン3はなかなかによかったですね。Nintendoのビッグタイトルがどう面白いのか、プレイヤーの成長曲線に合わせた導入になっているのだなとか、バンカラマッチはかくも厳しく、サーモンランの厳しいバイトを野良の方と協力してクリアするのはかくも嬉しいものであるのだな、とFPS(TPS)の面白さが分かったように思いました。が、やはりゲームに費やせる時間やもともとの素養を考えると、スプラトゥーンガチ勢になるのは私には向いてないなーと思いましたのでS帯にもでんせつ帯にも一応登れたのであとはカジュアルにエンジョイ勢として楽しもうと思うのでした。
■総括
 あとは無難に料理を中心に家事をこなし、肝臓を中心に健康面に配慮しつつ、細く長く英語のお勉強を継続しております。妻が転職したり、件のメンタル休職した後輩が結局と微妙に変化はありますが、仕事が無難に進めば2023年も無難な年になるのではないかなと思います。
 ということで、2022年もお世話になりました。2023年もよろしくお願いいたします。
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to39 · 2 years
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#5
3 :名無しさん@15周年:2021/05/13(木) 14:09:44.73 ID:O7rmuUokz
ニシキヘビってね クルクルクルーっと巻き付いたら とくに全力で締め付けるわけじゃないんだよね どこからどこまでが胴体かしれないけど 胴体でゆるめに巻いておいて 獲物が逃げようともがいたら そこんとこだけキュッと締める そんで 鎌首もたげて獲物の顔を覗き込んで 表情をじいっと観察する そんで 息を吐いた瞬間にちょっとだけ増し締めする 獲物は次に息が吸えなくなる これを繰り返して獲物が窒息死したら ゆっくり呑み込む
135 notes • Posted 2021-05-19 08:02:43 GMT
#4
777: ↓名無しさん@おーぷん↓ 17/03/31(金)21:58:27 ID:bfg
もし嫌味に感じたらごめん。自慢とかそういう意図はない。
私は普通の小学校から、「国立〇〇大付属中学校」の一種に進学したが、
何もかものレベルが高すぎて衝撃だった。
・もちろん勉強ができる(小学校まで毎回ほぼ満点で学年トップクラスだった私は平均以下に)
・スポーツも意外にできる。単純な体力測定系は全体的にレベルが高い。(ただ、部活は弱かった)
・行事に熱心。運動会でさえ朝練をし、当日は大盛り上がり。
 音楽会は、クラス合唱・合奏のレベルが他の学校の合唱部や器楽部より高い。
・生徒一人一人の主体性が高い。調べ学習や理科実験で、一人一人さっと動くので
 時間通りにきちんとやるべきことが終わる。
 全校集会への移動なども、先生がうるさく言わなくてもみんなきちんと行く。
 「静かにしなさい」などの説教なし。
・作文やスピーチ、絵画などのコンクールの受賞者が多く、賞を総なめするレベル。
・楽器をたしなんでいる人が多く、特にピアノを習っている人口がやたら多い。
 県のコンクール常連がクラスに何人もいる。もはや「ピアノが弾ける」は自慢でも何でもない。
・多様性に寛容でいじめや陰口がほぼない。
 女子同士の派閥やマウンティングもない。自慢、見栄、ねたみの感情が存在しない。
・会話のレベルも高い。授業の内容、進路、ニュースなどの話題が自然と出てくる。
 趣味・自分の世界を持って打ち込んでいる人も多い。
・親の職業も立派。医師、国家公務員、銀行員、会計士、税理士など。たぶん入試のときに親の職業見てる。
778: ↓名無しさん@おーぷん↓ 17/03/31(金)21:58:32 ID:bfg
もちろん全員が全員そうだったわけじゃないけど、とにかくナチュラルに意識が高かった。
漫画などである「勉強できる・金持ち・エリートの奴=ヒョロガリのプライドが高くて嫌な奴」幻想は嘘。
正確に言うと、いてもそいつは一流じゃない。三流くらい。
一流の人間は、誇りを胸の中に持ち、静かにやるべきことをこなしている。
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141 notes • Posted 2021-05-27 00:37:43 GMT
#3
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184 notes • Posted 2021-10-13 01:35:05 GMT
#2
昔、アルバイトで家事収納アドバイザーのアシスタントをしてた
ある時「奥さんが育児ノイローゼ気味で物を片付けられず、ゴミ屋敷になりつつある家」の仕事依頼が入り、先生と一緒に家に伺った
30代の夫婦と、まだ幼い子供さんの一家で、当日は手伝いのため奥さんのご両親も来ていた
行ってみたらゴミ屋敷というほどでもない。
ただ確かに物が積まれていて、服なんかは全部出しっぱなし。
家は新築で、とてもおしゃれな感じ。
聞けば、引っ越ししたら環境の変化のせいで体調を崩し、体が動かなくなった
今は子育てをするのがせいっぱいで、片付けに手が回らないと。
旦那さんは、家が建ったばかりの時の広々と明るい部屋の写真を出してきて
「こういう空間を取り戻したい。不要なものを捨てて、きちんと収納してもらいたい。
そして片付けの方法を妻に教えて、維持できるようにしてもらいたい」
と言ってきて
隣で奥さんとご両親は申し訳なさそうにしていた。
で、先生は家の中をぐるっと見渡して確認した後、戻ってきて一言
「無理だわw」
は?!と固まる一家に向かって、さらに一言
「だってここ収納スペースがほとんどないじゃん。そもそも収納できないじゃん」
確かによく見ると、その家には
階段下と浴室横にちょっとした物入のスペースがあるだけで
押し入れやクローゼットのような収納スペースがない。
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185 notes • Posted 2021-12-13 08:22:07 GMT
#1
467 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:21/07/30(金)22:10:55 ID:o5.qp.L1 職場に入ってきた中途の女性。 自称発達障害で、確かに働き始めるとこだわりが強くて扱いにくいなと思うところがあった。 注)自称ってのは俺は診断書とかを見たわけじゃないので、医学的にどうとかはわならないからこう記載してます。 ただ自分の中でなにかルールがあるらしく、そこに仕事を落とし込んで型に嵌めたら能力発揮しますと言ってたんだけど、 一年くらいでそれが完成したのか、急にメキメキと仕事ができるようになった。 あと、仕事をやるうえで「ここまではセーフ、ここからはアウト」みたいな明確な基準を示すと、アウトギリギリのセーフ範囲内で 最大限の利益を発揮することにたけてた。 例えば予算上限と営業範囲、行き帰りの電車の時間を示したら、その予算上限ギリギリで業務時間内に 最適な営業コースを選び出す。 それも道中の移動を分単位で管理する綿密さ。 しかも脳内にありとあらゆるイレギュラーを想定して、営業中にトラブルがあると即座に新たな最適解を選び出す。 発達障害故か、曖昧なことを判断するのがとても苦手な彼女のことを、誰かが融通の効かないコンピュータみたいだと 言っていたけど、トラブルに対してそこに巻き込まれた人の心労を加味した上で実現可能な最適解を常に選び続けて 実行するって並大抵のことじゃないと思う。 分単位の予定も実際動いてみたらそんなうまく行かないだろうと思ってても、実際常に細かい微調整を入れて 結果的に目的を完遂する。 彼女は「バカと発達障害は使いようです!」と言ってたけど、本当に能力発揮するところでは恐ろしいくらいの能力だった。 ただ一つ、彼女は仕事を型に嵌めるまでは本当に仕事ができない人だった。 一年目は「なんであんな子採用したのか」と本人に聞こえるように言われるくらい。 ただそれでも彼女に周りが根気強く仕事を教えられたのは、ひとえに彼女の性格がよかったから。 あまりの無能っぷりに教育担当の女性がブチギレても教育担当に対し口答え一つせず教えられたことを 何度も何度も繰り返し型に嵌めていたし、周りがそれとなくフォローを入れても教育担当者への愚痴一つ言わなかった。 最初の怒鳴り散らした教育担当者は3ヶ月で匙を投げたんだけど、それから別の人が担当についたら その人とは相性が良かったようで、 「すごくわかりやすいです!」と言って新しいことを教えても吸収スピードが全然違う。 確かに教育担当との相性は仕事の覚えに影響するものだとは思うけど、発達障害だとそれがかなり顕著なんじゃと思った。 二人目の担当者は厳しいことで有名だし短気でも有名だったんだけど、 ひたむきに仕事覚えようとする姿と「自分(二人目の担当者)ならキレ散らかしてる」ような事があっても 彼女がそれを一切表面に出さないところに影響されたらしくて教育担当になってから明らかに性格が柔らかくなったんだよね。 「相手のことをもっと大切にしようと思わせられた」そうで。 そして彼女が出来て今度結婚するという・・・。 発達障害の人は既に結婚しているんだけど、家庭での話を聞いてると本当に大切にされてるんだなと思う。 相手を大切に思って尊重できる人は他人からも大切にされるんだなって思ったよ。 俺は最初他人を大切にできる子は他人から大切に育てられたんだろうなと思ってたけど、 発達障害故に壮絶なイジメ経験や両親の不仲やDVもあったらしくて、聞けば聞くほど人生が壮絶だった。 俺は幸せそうな人を見ると生まれたときから恵まれてると思い込んで僻んでるところがあったけど、 幸せそうな人は幸せになるだけの努力を積み重ねてるし、 不幸を知ってるからこそ何が幸せかを知っていて幸せな環境を大切にできるんだろうと思い直すきっかけになったよ。
http://mousouteki.blog53.fc2.com/blog-entry-38586.html
277 notes • Posted 2021-08-05 03:18:02 GMT
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tecchaso1988 · 3 years
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#読書 #無為の技法  一年前に読んだ本のメモが途中だったので再読。  去年読んだときの印象は全く残っていなかったけど 今読むと内容の深みがとても腑に落ちてくる。  この数ヶ月、緊急事態宣言のおかげで 心穏やかに、執着を手放して、ゆとりある時間を過ごせてるおかげだと思います🙏✨   #読書メモ #大切なのは水ではなく流れだよ風が動物たちが鳥たちが虫たちがそして人季節天気石や大地やたくさんの色が川になって流れている #しないということは不安や無気力や決断力のなさから生じる行動の欠如ではない押すことでもなければ引くことでもない逆らわず委ねてともに歩いてみるそうすることで力みがとれ自分がかかわっている状況に対して意識が開く #やらないよりやる方がいいに決まっているという発想は私たちを翻弄し疲弊させる #無為でいるためには自分は他者の力が作用する世界にいるということを理解する必要がある私たちに必要なのは岸にしがみつこうとする手を放し取り巻く世界の自然なエネルギーに乗ってみることだ #私たちに必要なのは身構えず無理に押し通そうとせずエフォートレスに受け入れていくことではないだろうか #必死になればなるほど心身の視野が狭くなり柔軟ではなくなるサイドブレーキを入れたまま運転しているようなものであのタスクこのタスクと頻繁に切り替えながら進めていくと何かを完遂した満足感が薄れていく機能障害に陥りがち #しなければならないの同義語は執着 #人と時間との関係は誰がその時間を所有しているのかという基準で左右される #仕事の複雑さに対してスピード勝負で解決することについてその最大の悲劇は自分と同じ時速で動いていないものを認識できなくなることだ #機械的だけれどボヤけた時間感覚で生きているうちに大切な人との距離が開いてしまうのだ #未来を考えるから不安になるのではない未来をコントロールしたいと思うから不安になるのだ #自分の役割に執着しているとそれをアイデンティティと同一視してしまうことがあり役割と自分自身を区別できなくなると人は役割以外の自分を犠牲にして仕事に過剰にのめり込みやすい #目的もビジョンもなくただ忙しくしている機能不全な状態を多忙馬鹿シンドロームと呼ぶ #著書ティール組織は今もビジネス用語に製造の比喩が色濃く残る印象を指摘している機械の比喩表現を用いることは組織とそこで働く人々を非人間的にし入換や交換可能な部品として扱う要らなくなったら捨てるモノと化す #複雑で不確実な現代社会に求められるリーダーシップとはリーダーとしての我を出さずクリエイティブキャパシティのための余地を差し出すことではないだろうか #行動しないコントロールしない介入しないリーダーがしない無為を選んだ結果としてそれ以外のメンバーの創造的な活動が開く #あがこうとせず単なる許容でもなく逃げたい直したい突き進みたいという欲望も超えてただ完結した瞬間として純粋に在ること #私たちは行動することに執着している少しでも自分の存在を主張し少しでも忙しくしていようと駆け回ることで自分の内側で聞こえる声を締め出している #自分自身の声が聞こえていれば他人の人生に対する意識も芽生える #待っているときに自然と生じる感情はふだん私たちが何を気にしているかということの表れだ無視せず認識し向き合ってみると発見がある #しっかり握りしめることで人は強くいられると思う人もいるが手を放すことが人を強くすることもある #抵抗をやめすべてを掌握したい欲求を手放せば新しい可能性を信じてオープンに向き合うことができる自分の力ではどうにもならないと受け入れるとそこに自由の感覚が生じる #手放さなければならないことを知っているかどうかいつ手放すか知っているかどうかそれが創造的ブレイクスルーの鍵だ #私がしていることを私は知らない私が向かっている方向を私は知らないけれどこの道を行かねばならないことはわかっている行き着く先がどこであるとしても #あなたがすべきことはあなたの仕事をすることであり結果を出すことではない結果のために働いてはいけないただ漫然としていてもいけない自分としっかり向き合い自分をなすべきことをする他の何かに執着はしない成功にも失敗にも心を乱さない平穏な心こそ真のヨガである #この世で最も柔らかいものがこの世で最も堅きものを押し流し超えていく #レガシー思考とは決断や行動の際には必ず未来の世代と環境と持続可能性を考慮に入れるよき祖先となることと過去に行われたことから学びそれを踏まえて失敗の繰り返しを防ぎこれまで語られたストーリーを守りながら新しいページを加えていくよき子孫の両者の視点を併せ持つこと https://www.instagram.com/p/CPaU_nQLq5a/?utm_medium=tumblr
#読書#無為の技法#読書メモ#大切なのは水ではなく流れだよ風が動物たちが鳥たちが虫たちがそして人季節天気石や大地やたくさんの色が川になって流れている#しないということは不安や無気力や決断力のなさから生じる行動の欠如ではない押すことでもなければ引くことでもない逆らわず委ねてともに歩いてみるそうすることで力みがとれ自分#やらないよりやる方がいいに決まっているという発想は私たちを翻弄し疲弊させる#無為でいるためには自分は他者の力が作用する世界にいるということを理解する必要がある私たちに必要なのは岸にしがみつこうとする手を放し取り巻く世界の自然なエネルギーに乗っ#私たちに必要なのは身構えず無理に押し通そうとせずエフォートレスに受け入れていくことではないだろうか#必死になればなるほど心身の視野が狭くなり柔軟ではなくなるサイドブレーキを入れたまま運転しているようなものであのタスクこのタスクと頻繁に切り替えながら進めていくと何かを#しなければならないの同義語は執着#人と時間との関係は誰がその時間を所有しているのかという基準で左右される#仕事の複雑さに対してスピード勝負で解決することについてその最大の悲劇は自分と同じ時速で動いていないものを認識できなくなることだ#機械的だけれどボヤけた時間感覚で生きているうちに大切な人との距離が開いてしまうのだ#未来を考えるから不安になるのではない未来をコントロールしたいと思うから不安になるのだ#自分の役割に執着しているとそれをアイデンティティと同一視してしまうことがあり役割と自分自身を区別できなくなると人は役割以外の自分を犠牲にして仕事に過剰にのめり込みやす#目的もビジョンもなくただ忙しくしている機能不全な状態を多忙馬鹿シンドロームと呼ぶ#著書ティール組織は今もビジネス用語に製造の比喩が色濃く残る印象を指摘している機械の比喩表現を用いることは組織とそこで働く人々を非人間的にし入換や交換可能な部品として扱#複雑で不確実な現代社会に求められるリーダーシップとはリーダーとしての我を出さずクリエイティブキャパシティのための余地を差し出すことではないだろうか#行動しないコントロールしない介入しないリーダーがしない無為を選んだ結果としてそれ以外のメンバーの創造的な活動が開く#あがこうとせず単なる許容でもなく逃げたい直したい突き進みたいという欲望も超えてただ完結した瞬間として純粋に在ること#私たちは行動することに執着している少しでも自分の存在を主張し少しでも忙しくしていようと駆け回ることで自分の内側で聞こえる声を締め出している#自分自身の声が聞こえていれば他人の人生に対する意識も芽生える#待っているときに自然と生じる感情はふだん私たちが何を気にしているかということの表れだ無視せず認識し向き合ってみると発見がある#しっかり握りしめることで人は強くいられると思う人もいるが手を放すことが人を強くすることもある#抵抗をやめすべてを掌握したい欲求を手放せば新しい可能性を信じてオープンに向き合うことができる自分の力ではどうにもならないと受け入れるとそこに自由の感覚が生じる#手放さなければならないことを知っているかどうかいつ手放すか知っているかどうかそれが創造的ブレイクスルーの鍵だ#私がしていることを私は知らない私が向かっている方向を私は知らないけれどこの道を行かねばならないことはわかっている行き着く先がどこであるとしても#あなたがすべきことはあなたの仕事をすることであり結果を出すことではない結果のために働いてはいけないただ漫然としていてもいけない自分としっかり向き合い自分をなすべきこと#この世で最も柔らかいものがこの世で最も堅きものを押し流し超えていく#レガシー思考とは決断や行動の際には必ず未来の世代と環境と持続可能性を考慮に入れるよき祖先となることと過去に行われたことから学びそれを踏まえて失敗の繰り返しを防ぎこれま
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trinityt2j · 3 years
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじ���に  この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々……  1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。  いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。  ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。  ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。  当時の制作部は、��いとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。  ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。  夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。  その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。  辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。  そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。  さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。  ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4  持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代    当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。  ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。  さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン  ガ 誌 時 代 に 突 入   実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、��に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。  初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~   後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。  この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~   上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。  「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~   久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録]  エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。  この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~   この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々]  この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ]  この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~   なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。  この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。  この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~   美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。  掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中]  この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3   ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。  この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話���は谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド!  本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~   「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。  またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~   くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結  前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。  10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~   この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。  「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。  「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~   さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~   「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。  TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。  この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったの��身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~   ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。  短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ!  「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~   この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。  「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3   「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。  この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。  いくつかやったレディコミ���編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。  この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない?  この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5   ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。  ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。  この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~   美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。  「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。  「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」]  「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7   同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。  今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。  さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。  今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語]  こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・      燃 え よ ペ ン !  なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
http://www.rx.sakura.ne.jp/~dirty/gurafty.html
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tausendglueck · 3 years
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名前を与える / 20210802
ちょっと久しぶりにタンブラーに来たら先日書いた漫画『ルックバック』の感想文がちらほらリブログされていてびっくりした。過去のブログ文化で言うところのトラックバックだろうか。タンブラーを使っていて自分の投稿をリブログされるなんて初めてのことだったので、なんだかちょっと大変なことをしてしまったのではとおののいてしまう。
知らぬ間に8月になってしまった。毎月1日は安くなるからと昔は喜び勇んで映画館に向かって2、3本はしごしていたりしたものだけど、最近はそんな元気がどこにもない。ほんの数年前まではできていたことが、もうとてもできなくなっていることを実感する。昨日は寝ぼけた頭でスマホをぼんやり眺めていたらゆきほさんからランチの誘いが入ったので、ぎりぎりまで寝転んだりだらだらしてから中之島駅近くのイタリアンでパスタを食べた。ゆきほさんは前述のファーストデイで『返校』を観に行ってきた帰りで、いいなあ私も観たいなあと思っている。パスタはトウモロコシとチーズ、貝とトマトの2種類のパスタを食べた。貝とトマトのパスタはイカ墨が練りこまれた真っ黒なパスタで、初めて食べた。これはトウモロコシとチーズの方。
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生理痛でだらだらと寝そべったり昼寝したりその合間に本を読んで、文章を書いたりしていた。ゆきほさんとのランチ以外の日中をほとんど寝ていたので夜になっても元気で、twitterでスペースをやりながら書くことの内容がわからないとだらだら喋ったりしていた。一旦シャワーを浴びて仕切り直して真夜中近くに一つ文章を書き上げたら写真家のマスダさんからすぐに連絡がきて、「とてもよかった」とのこと。そんなことを伝えるためにわざわざ連絡をしてくれるなんてつくづく良い人だなあと思う。
ゆきほさんのお友達が私に会いたいと言っているそうで、それがなぜかと言うと私がどうもカルチャーに詳しい人という認識をされているからだそうで、果たして本当にそうだろうかと首を傾げてしまう。私は映画も文学も音楽も好きだが私以上に映画も文学も音楽も好きな人を知っているから私程度でカルチャーに造詣が深いと言われると、こそばい。
あまり、というかほとんど無理をしなくなったように思う。昔は無理をしているという認識もなく無理をしていたことが多かった。誰が見てもヤバい風邪をひいているのに平気で出社してきてヤバい咳をして熱を出しながら働いたりとか、これくらいの生理痛ならと出社して、終業の頃には全身が痛くて椅子から立てなくなっていたりとか、そういうことはしなくなった。体調が悪ければ平気でtel休するし、生理休暇もバンバン使う。それに引け目を感じなくなるまでに7年かかったけれど、生理休暇はたとえ会社が用意していても遠慮なく申請できる人というのはまだ少ないだろうなと思う。言いづらいよなとも思う。
私は6月にかなりハードに精神をいわせてしまったので会社もどうしたら私を休職に追い込むことなく働かせることができるかに色々配慮を回してくれて、毎日うんざりするほどの薬を飲んではいるがどうにか働くことができている。こんな面倒な社員、コロナ禍の中小企業だったらすぐに切って捨てられるだろうなというところだけど、こればかりは私の環境に感謝するしかない。けれど同時に、ここまで大量の薬を飲みながら働かなくてはならないこの現状とは何なんだとも思っている。難しい。
躁鬱気質の人は自分のことについて考え始めると鬱になるというのが坂口恭平さんの論だが、最近自分のジェンダーについて考え込んでしまい、これがなかなかに孤独で辛くて本当にまた鬱になってしまいそうだったので『13歳から知っておきたいLGBT+』という本を買って読んだ。実際、とても良かった。私はずっと昔から自分は100%女ではない、男でもないけれど女というには女の要素が足りなさすぎるとずっと思っていて、だけどノンバイナリーという言葉を自分に当てはめるのはなんだかおこがましいような、私程度の自意識でそんなラベルを使ってもいいものかとここ最近ずっと考えていたのだけど、この本を読んでそういう胸のつかえがちょっと楽になったような気がする。
私にとってノンバイナリーは、自分から発見しなければいけないもの。お皿に置かれて差し出されたものでもなければ、問い詰められて無理に出した答えでもなかった。ノンバイナリーとは、自分はどんな人間かを理解する延長線上にあるものです。それが私の人付き合いやものの感じ方なんかを決めることはありません。ただの1つの感覚ってだけ。
ノンバイナリーはジェンダーを表現するというより、説明するものだと思っています。私は自分自身について納得できる何かをずっと探していました。何か1つの存在だったことはなく、今では複数の状態を認めるアイデンティティやバイジェンダー、アジェンダーなどに自分を重ね合わせることができます。そしてやっと、周囲に理解してもらうのに役立つ言葉を手に入れました。
私にとって、ノンバイナリーという言葉は自分が自分をあとほんの少し理解するのに役立つ言葉にほかなりません。
ジェンダーは十人十色で全てを厳密にカテゴライズできるわけでもないし「私は私であなたはあなた」で十分通りうる話であることもわかるけれど、「私は私であなたはあなた」という結論はとてもクローズドで排他的なもので、その先の思考を促すことはない。そんなとき、名前やラベルがとっても役に立つことがある。ぼんやりとした孤独から救ってくれることもあるし、「あなたはあなた」で終わらせていた他者理解をもう一歩先へ進めることができる。名前を手に入れることにどれほどの意味があるのかという話もあるけれど、何にしたって「知ろう」とする気持ちは尊重されるべきだ。この本を読み終えた今、私は自分のことをノンバイナリーだと少し自信を持って表明できるようになった気がする。
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そういえば今日からまた大阪も緊急事態宣言だ。もう形骸化も甚だしく、何か意味があるんだろうかと思わずにはいられないが、大阪でも感染者数が1000人をまた超えてきているので笑い事でもない。というかずっと前からどれもこれもが笑い事ではない。私が友達と配信をしたりランチを食べたり映画館に行ったり帰省したり、結構どれも気軽にやっているけれど気軽にやっていいことかどうかは全然微妙なところである。さしあたり帰省禁止令みたいなものが出たっぽいので、お盆の帰省をどうしようかちょっと考えている。先日の4連休を帰省したから今月は別にいいかでも実家は納得してくれると思うけれど。その時はお墓まいりができない代わりにまた花を送ることになるのだろう。
先日『バイオハザードⅡアポカリプス』を実況鑑賞配信したときにゆきほさんからポムの樹オムライスの冷食をもらって帰ってきたのでさっき食べてみた。ポムの樹のオムライスなんて何年振りだろう。と考え始めると、ずっと昔、私が中学生だったとき、友達同士で電車に乗ってショッピングモールに行って映画を観て、ポムの樹でオムライスを食べるのが何かのステータスみたいになっていたなとちょっと懐かしくなった。ポムの樹には中学生にとってなぜかそういうステータスの力があった。大人になってから食べに行くことはほとんどなくなってしまったけれど、久しぶりの味は昔と変わることなく美味しかった。
6月、ハードに精神をブチ壊していたせいでホルモンバランスも引きずられておかしくなったのか月のほとんどの日を出血していて(ピル飲んでるのに!)これは婦人科か?と思っていたけれど7月に入ってからは落ち着き出したのでそういえば行かなかった。今、まあ正常に生理がやってきて痛すぎない程度にお腹と頭と腰が痛くてこれでいいものの不快だ。3ヶ月間生理を止めるタイプのピルが気になってはいるけれど3ヶ月生理がこないというのもなんだか怖いし3ヶ月分の生理が一気にくるということでは?と考えるとやっぱり怖い。女が難しくてやってられない。きちんと肌荒れもするし、やってられない。
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sekitoh · 3 years
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無題
2/12 19:07
先日のゲンロンカフェにて、菊地成孔が「軽やかに生きる為の処世術は?」という質問に対し、
「SNSをしないこととカラダを動かすこと」
と答えたらしい。
直近の某騒動以前より氏のSNS嫌いは有名で、さもありなんといったところだ。
さて、この話を書こうと思ったのは、彼と町山氏の一連の騒動に関してここで深く言及したい訳ではなくて、SNSの使用について、広く自分自身の思うところを一度文章化しておきたいと思ったからである(あとはここ最近寝てばかりの休日に少しでも生産性を見出したいというある種の切迫も絡んでいる)。
というのも、昨今のSNSで日夜巻き起こる炎上案件や、バズ、その他SNS上で発生する凡ゆるヴァーチャルなコミュニケーションにかなり疲弊していることから、自分自身がある種のオーヴァードーズ状態に陥っていると感じるため、まず���自分自身のSNSに関しての所感をまとめ、然るべき対応を考え出したいのだ。限界が来る前に予防線を張っておきたい。そして何よりこうして文章を紡いでいる間は精神が安定する。
まず、SNSをすべきか否か?という点に関してだが、これは「用法容量」を守れば問題ないと思っている。ただ、この「用法容量」というのが非常に厄介で、というか、SNSにまつわる問題のほとんど全てがこの「用法容量」というワードに集約されてしまうような気がしている。
まず分かりやすい「容量」の問題だが、気づけば何十分も、下手をすると何時間も、ただただTwitterのタイムラインを眺めてしまっていた、instagramの検索タブをただただ下へスクロールしてしまっていた、ということがざらにある。今日も同じことをやらかして嫌悪感に苛まれていた。
SNSの連続性ー止めどなく誰かが何かを発信しており、それを無制限に享受できてしまうというシステムーは俺からSNSの「やめ時」を奪い去る。
身体や精神の疲労が「やめ時」というよりも「限界」を感じ始めて、ようやくSNSから離脱するというのが常だが、そんな時には既に、眼精疲労、肩こり、そして「時間を浪費してしまった」という自己嫌悪に陥っており、心身ともに不健全な状態となってしまっている。
だが、「そんなに心身をやつすのであれば、SNSなどキッパリやめてしまえばいいではないか」という意見は極論すぎる。「用法」の問題が絡んでくるからだ。既に現代においてSNS上でのコミュニケーションは社会関係の構築の上で重要なファクターとなっているし、SNSに接続することで得られる恩恵というものも決して少なくない。
多感な時期にSNSが身近にあった世代ならよく分かると思うのだが、SNSに接続する術を持ち合わせていない時の交友関係の構築のことを考えてみてほしい。
学生時代の交友関係の構築が分かりやすいかもしれない。友人たちが盛んにメールアドレスやLINEを交換しあい、学校内外でのコミュニケーション機会を獲得する中、何もできないというもどかしさを想像してほしい。
学校というクローズドな世界においてコミュニケーションの機会の喪失がどれだけ焦燥感を煽るかは、想像に難くないだろう。
バーチャルなコミュニケーションとフィジカルなコミュニケーションというのは択一のものではなくなっている。どちらも必要不可欠なものだ。
また、SNSの即時性と拡散性は、世の中で起こっている情報を素早く、かつ広範囲から引き寄せることができるし、それによって社会の動きを曲がりなりにも知覚することができる(接続先によってこの社会の動きの知覚の仕方はいくらでも歪んでしまうので、かなりの注意が必要ではある)。
ここからは少し視点を変えて、SNSにおける承認欲求の話にも触れておきたい。承認欲求の充足に関しても「用法」を間違えると悲惨な目に遭う。
手軽に世界に向けて自分自身の表現を発信できるSNSは、承認欲求を満たすのにあまりにもお誂え向けなサービスである(Twitterで一時期流行った「質問箱」というサービスはその最たるものだと思う。あの存在を知った時は、ここまでSNS使用者の快楽中枢にダイレクトに働きかけるものをよく作ったものだと感心した)。
手軽に多くの人に向けて表現を発信できる分、適切な人たちに適切な量の表現を渡していく、ということが非常に難しくなるのが問題で、自分自身の趣味嗜好と近しい人たちに自分の表現を発信することは何ら問題ないが、全く趣味嗜好が合わない人にとっては、その表現は不快なノイズでしかなかったりする。
そうしてその表現を不快だと感じた人達から攻撃を受けたりしてしまう。拡散性が仇となり、結果満たそうとした承認欲求が不能に陥ってしまうのだ。
そのようなことはフィジカルな表現においても発生することではあるが、ヴァーチャルな世界での攻撃性は現実とは比べ物にならないほど高い。匿名性が人を凶暴にすることは言うまでもない。
SNS上で承認欲求を満たそうとすることは非常に危険な行為である。この「用法」に取り憑かれるとロクなことにならない。
最後に、これは俺の観測範囲内で全て当てはまる恐ろしい観測結果なのだが、SNSから距離を取り過ぎてしまった人々は、大方何かしらのズレを抱えた状態で、結局SNSに舞い戻ってくる(このズレというのは、世の中との思想的なズレであったり、単純な情勢に関する知識量のズレであったりさまざまである)。
恐らくヴァーチャルな社会関係から逸脱することで、思想や慣習的な面において世の中とずれが生じるようになるのではないかと思っている。宇宙に飛び立った飛行士が戻ってきた際に地球との時差を抱えて帰ってくるような、そんな状態になってSNSから離れた人々はSNSに戻ってくる。
容量をゼロにするとそういった事象が起きてしまう。俺はそれが怖くてなかなかSNSを完全に遮断することができずにいる。
ではどうすればいいのか?過去に友人の一人がSNSを使う時間を自分自身で制限していると言っていた。それも一つ面白い解答だと思った。
俺は、自分自身が何のためにSNSを使用しているのかを、もっと明確に意識することで適正な用法容量が分かるのでは?と思っている。
まずTwitterに焦点を絞って考えてみる。
まずは何よりも、音楽に関する情報収集が最たるものだ。新譜のリリース情報、音楽批評、そのほか音楽にまつわるあらゆる情報の収集は職業柄マストだし、何より自分自身のライフワークでもある。「よい音楽をできるだけ沢山聴いて死にたい」というのが俺の人生の命題の一つである以上、その達成に於いてTwitterほどうってつけのツールはない。
次いで、友人知人との交流が大きな理由として挙がってくる。俺はただでさえ筆無精であるにも関わらず、さらに「便りがないのは良い便り」を都合の良いように解釈して生きているので、油断していると交友関係がどんどん希薄になっていってしまう。SNS上にいるだけでも途切れない関係というものはある。恐らくSNSから身を引けば今の交友関係はざっくり7割近く縮小してしまう気がしている。それは流石に困る。
最後に、猫だ。世界でネコチャンと暮らしている人たちがその生活の様子をSNSに上げてくれている。SNS上に日夜アップされているネコチャンの様子は間違いなく世界を平和にしている。これは見過ごすことができない要素だ。
Instagramについても考えてみる。
これに関しては、友人の近況報告の受け取りと、洋服に関する情報のキャッチでほぼ終わりだ。わざわざ検索窓を開いて、素人に毛すら生えていないようなダンスや、扇情的な身なりをした承認欲求で形成された男女の肖像や、なんの足しにもならないクソみたいな「あるある◯選」や、内容が0.0001μmもないような搾りカス漫画にぶつかりにいっては都度ヘイトを蓄積する必要など微塵もない。今後検索窓を開きそうになった時はすぐにアプリを上へスワイプしよう。
そしてこのTumblrは使用当初から最も首尾一貫した目的のもとで運用している。Twitterよりも長い文章を書きたい時に使う。以上だ。Tumblrでのリブログやスキの収集はほとんど行っていない。
ここまで使用目的を書き上げてみたものの、適正な用法容量、分からないな……。どれもどこまででも服用することができる気がする……。
ただ、少なくとも、上記に書いたような事柄以外でSNSを使おうとした時には一度立ち止まってみることで、無用な使用を避けることが出来るかもしれない。
最後に、Twitterの持つドラッグ性に関して、他でもないTwitter上で菊地氏が発言した内容をまとめておきたい。氏のSNS、とりわけTwitterに対する視点には訓戒がある。以下のサマリーは菊地成孔氏が2021年2月いっぱいで閉鎖することを前提とした上で開設したアカウントでの発言に基づく。このサマリーは町山氏の炎上に関する案件と、ドナルド・トランプへの発言からTwitterに関する氏の発言を抽出し、俺が編み直したものであるため、いささか歪になってしまっていることに注意した上で読んでいただきたい。また、Twitterに関する発言の中で、炎上に関する町山氏の行動の分析に関しては俺の手に余るため、深く言及しない。
加えて、氏の発言に問題があるとする意見も多く、実際俺自身も氏の発言の全てを受容はできていない。支持も不支持もしかねた宙ぶらりんの困り顔でこの文章を打っていることも付け足しておく。申し訳ないが、今の俺には氏を糾弾できるほどのバイタリティはない。
Twitterにはドラッグとしての属性があるというのが以下の主旨である(斜体はツイートより引用部)。
彼は「ドラッグも、あまつさえ、それに対する依存も、人間が正気を保つのには必要不可欠である」と前置きした上で、「合法、非合法を問わず、ドラッグにはユーザーレベル、ハードユーザーレベル、アディクション・ペイシェントレベル、ジャンキーレベルと、階層がある」と述べる。Twitterの利用に関しても、用法容量によって階層が発生してくるのだ。
Twitterにある情報というのは無制限であるかの様に見えて、実際のところ、自分自身が得たい情報を恣意的に摂取しているに過ぎない(古くはどのアカウントをフォローし、どのようなタイムラインを構築するのか、といったところから情報の取捨選択は始まっている。最近だと導入されたトピックのフォロー、検索窓のジャンル検索なども取捨選択をよりスムーズに行えるようにする「改良」のひとつだ)。
菊地氏はTwitterの<今を知ろう>というスローガンには悪弊があり、膨大な情報の塊である<今>の瀑布に飲み込まれると、視野は不可避的に狭窄になる、と警鐘を鳴らしている。つまり、自分の得たい情報だけを浴びることにより、自分の見ている世界が全てだと錯覚してしまうのだ(もしくは氏は、過去ー未来という視点を失ってしまうことも危惧しているのかもしれない)。この点に関しては昨今の陰謀論などの動きを見るとよく分かる点だろう。
そしてジャンキーレベルに至ると、Twitterにおける晒し上げによる炎上を企図したり(これには上記に述べた町山氏の行動の分析が関わってくるため、深追いしない)、ドナルド・トランプのような過激なツイートといった症状が発生してくる。自らの見ている世界の正義に支配され、それ以外の正義を駆逐しようというわけだ。
また、氏は飲酒、ギャンブルなどと同様、Twitterも「嗜む程度であれば大いに結構ですが、中毒を経てジャンキーに至ると、取り返しがつきません」と言う。上記の症状が発症した状態のことだ。この補足として、下記の発言が分かりやすい。
「ツイッターは利用者に勝利の快感を与えません。「見たものに関して、何かを言いたい」という排泄(排泄を汚物として悪し様に言っているのではありません。排泄は重要な生理的欲求です)にも似た快感を与える代わりに、敗北感と不全感を常時与え続ける麻薬で、ギャンブルの構造に似ています」
実質、炎上という現象は一過性で、言いたいことを言って焚き火に薪をくべた者たちは一定期間ののちに全く何事もなかったかのように日常の呟きの中に戻っていく。その様は一見一過性のものではある。しかしそれは内に中毒性を宿している。自分の巣に戻っている鳥は再び何かが燃える火花がないか、目をぎらつかせている。
そして、「Twitterには、Twitter外部に存在する、ルール、筋、倫理といったものを瓦解させる力がある」と述べる。
Twitter上で巻き上がった火の粉はTwitter内では完結せず、実際の社会にも飛び火するということだ。
氏がTwitterに乗り込んだのも、町山氏による炎上の一件が看過できないほどに現実の菊地氏にも影響があったというほどではないにしろ、少なくとも「何でこんなことが起こったのだろうか?」という疑念を発生させ、町山氏との公開討論を要求する程度には影響を与えている(氏はアカウントでTwitterのユーザーを鳥に見立て、ヒッチコックの『鳥』におけるティッピ・ヒドレンのような目に遭った(これはティッピ・ヒドレン演じるメラニー・ダニエルズが、兎にも角にも鳥から襲撃を受け続ける様に擬えている)と発言している)ということである。
自らのSNSへの依存度に関して自覚的でなければ、いずれ敗北感と不全感に端を発する、快楽に飲まれた鳥の一羽となってしまうことは避けられない。戒めとしたい。
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