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#読書メモ
kuribayashisachi · 11 months
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3 細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3 
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
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■中江兆民とルソー
 中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
 ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの思想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度の鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
 この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれに答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいをしている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。 (私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、 結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらためさせようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。 明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、 迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、 日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。 かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。 《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179 (中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じだったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、 「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」 (西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
その克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。 ……このシーン、小説のよう。 川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼ら���行動を 著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求めていた。 殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。 これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。 最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。 探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。 西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに。これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、 眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、 眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。 利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。 凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。 なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめたのだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
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今夜の寝落ち本は…
『海がきこえる』(氷室冴子著/解説:酒井若菜/カバーイラスト:近藤勝也/カバーデザイン:川谷康久/トクマの特選!/徳間文庫)
『海がきこえる』は、私が今よりも少しばかり夢見がちだった頃の思い出を形作っている物事の中一つで……と言っても、今がどの程度どんな夢見がちなのかがわからないとアレだけれども。初めて『海がきこえる』を手にしたのは28年前で、五十路すぎた今の私から見れば十分若い頃のことだけれど、普通に考えれば若いとはいえ何度かの重要な決断や重い責任やアレやコレやを経験しているはずの結構な年齢で、夢見がちというかボンヤリしているだけだとしたらちょっと問題もありそうな年齢の頃のことだ。夢見がちがよいわるいという話ではなくて、もうちょっとしっかりしててもいい年齢なはずで、その点、私はだいぶ足元がグラグラしていた。当時はまだ、希望もあったかもしれない。今の私がすがりつきたいと思っている希望とは違った、なんというかこう……一般受けしやすいわかりやすい希望が。そんな、夢や希望やほのかなはじらいやらが思い出されて、心臓をじかに掴まれて「キュッ」とされるような感覚を覚える。今の私にとっての『海がきこえる』はそんな物事の中の一つになっているわけだ……わけです。寝ぼけながら思いつくままにタイプしたのでちょっとアレな……というか「アレアレ?」な文章になってますね、多分。
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tecchaso1988 · 1 year
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#読書 #シュンペーター #資本主義の先を予言した史上最高の経済学者 #名和高司 ⁡ 今、目指すは誕生日鑑定を、共同事業体/生態系事業にすること。 ⁡ まだうまくまとまった言葉でにできないけれど 会社起業だったり、協会ビジネス/サロン的なもの、DAO的なものを目指すのとは違う。 ⁡ この本からはたくさんヒントを頂けました🙏 ⁡ ⁡ #読書メモ ⁡ ゼロから何かを思いつく創造/アイデアは重要ではない。それを世界中に「スケール」し、届けること。それこそがイノベーションの本質である。 ⁡ アイデアなんてただのゴミ。それより、「すでにあるものを組み合わせること」こそが大切。その方が、ケタ違いに大きなものを生み出せる。 ⁡ 新しい商品を発明するよりも、新しい利用シーンを開拓した方が大きな流れを生む。単にモノを作るだけでは意味がない。 ⁡ SDGsの問題点は儲からないこと。持続可能性を追求するためには、その事業が利潤を生み、その利潤を再投資するというダイナミズムを生み出さなければならない。 ⁡ 従来の常識にとらわれない異次元の知恵と勇気がイノベーションの力となる。 ⁡ 社会課題からイノベーションへ向けて出発すると間違える。 ⁡ 進化は環境では決まらない、ヒトのイノベーションが原動力。外部環境ではなく、内発的なイノベーションが経済と社会の進化をもたらし続ける。 ⁡ 供給側、すなわち民間企業の創意工夫によってイノベーションが生まれ、それが需要を喚起するということこそが経済の本質。政府が積極的に経済に介入して公共支出で需要を人工的に作り上げても、短期的には景気を押し上げる効果が期待できるが、財政悪化やインフレをもたらす強烈な副作用もある。 ⁡ 経済は永遠に成長変化するものであり、その本質は機械的ではなく生物的である。正常な経済の状態は「安定状態」ではなく、常に動的な「不均衡状態」にある。 ⁡ 才気は日々を手にする。しかし、叡智は不朽である。 情報や知識は、使えば使うほど価値が高まる。 ⁡ 時間軸を10~50年スパンでとることで、経済を波動として捉える。ミクロがマクロの動きをもたらし、それが集積してメガ・トレンドになる。                          ⁡ イノベーションとは「自らの手で未来を創ること」。外部の変化を受け身で待つのではなく、何も起こらないときでも自らを変え、外部に働きかけることができれば、新しい変化を作り出すことができる。これが真のイノベーターの役割。 ⁡ 創造的な力によって均衡が破られることにこそ、経済発展の本質がある。 ⁡ 経済の中には、自らを変革するエネルギーの源泉がある。「発展」とは、経済が自分自身のなかから生み出す経済生活の循環の変化のことであり、外部からの衝撃によって動かされた経済の変化ではなく、「自分自身に委ねられた」経済に起こる変化とのみ理解すべきである。外部の環境をどうしようもないものとして受け入れるものではなく、内部から環境そのものを変革する姿勢はパラダイムシフトへと向かう。 ⁡ ひとりひとりが主体的に生きていくことが経済の大前提。 自分自身を未来に投げかけていく(投企)こそが生きることの意義。 ⁡ ゼロにする「革命」ではなく、すでにあるものを使う「発展」こそが本質。 イノベーションのカギとなるのは、「ゼロからの創造」ではなく、あくまでも「対象や自分自身の中にあるものを展開する」という点。 新しいものを発明することではなく、今あるものを新しく組み合わせる「新統合」。 ⁡ アントレプレナーと発明家の役割はまったく違う。発明は無数の可能性の数をただ増やすだけでしかない。アントレプレナーの役割は、それらの無数の可能性の中から、「筋の良いもの」を組み合わせて、実際の社会経済活動に実装していくことにある。                          ⁡ イノベーションで最も大切なのは「社会実装(1→10)し、さらにスケール(10→100)させること」にある。 ⁡ 顧客が新しい価値を高く評価することが大切。そして、価値を提供し続けるためのしくみも整備し、しっかりマネタイズすることで利潤を生み、それを再投資していくことが求められる。これらをひっくるめて「マネジメント」と呼ぶ。 ⁡ 既存事業を強化(深化)する一方で、新しいアイデアで新規事業を開拓(探索)する「両利きの経営」はもっともらしく聞こえるが、意味がない。日本ではこの外来病が猛威を振るっている。 ⁡ 投資家が成熟企業に期待しているのは、自らの強みを基軸に事業を成長させること。左手と右手が勝手に動いてしまっては、強みが分散されるだけでなく、不協和音を奏でてしまう。まずは自分の強みを基軸にして、深掘りすることが何よりも成長に大切。 ⁡ 既存企業にとって成功の確率が高いのは「深化(深掘り)」と「伸化(ずらし)」。「新化」という名の突然変異は成功の確率がゼロに近い。ゼロからスタートするベンチャーでない限り、とる戦略ではない。 ⁡ 均衡、安定や先が見えること自体が幻想。リスクを避けて現状を維持することが最大のリスク。 ⁡ 制約そのものがイノベーションの最大の機会となる。 コメントに続く https://www.instagram.com/p/CoUmeJfPWId/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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azariy · 9 months
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【 黒澤明 「生きる」 言葉 】 より
【ブンカコッカブンカコッカって、 下手な楽隊じゃあるまいし】
「日本の文化に誇りを持って欲しい、古きを温ねて新しきを知る。日本の歴史の中にある様々な美点、日本人は優れた美意識を持っているのだから、守るべき文化ぐらい分かるだろう。文化国家なんて提唱しても、軍備やつまらない建物にお金使うなら、きちんと守って欲しいよ。ブンカコッカ、ブンカコッカ、下手な楽隊じゃあるまいし、唱えてるだけじゃ駄目だ。ああ、腹が立ってきた」
御身大事にくだらない議論に終始して、揚げ足の取り合いしている間に、育んできた文化が散逸していってしまう、もったいないと怒り心頭に発する父である。
映画の準備の中では、色々なものを具体的に調べることが日常だから、様々な地方の文化に具体的に触れる機会は多い。
映画『夢』の時探し当てた、農作業用の被り物の端折も、もう跡継ぎがいないということだったし、菱刺しや、裂き織り、こぎん刺し等の野良着の保存にも国の援助は微々たるもので、コレクターも泣く泣く手放さなければならなくなり、雲散霧消である。
そのような具体的な事例にたびたび出っくわすので、父は悲しい思いを積み重ねて、時たま怒りが爆発する。
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nillnote · 1 year
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最近の #読了本 ⁡ #かわいそ笑 インターネット上に伝わる多くの怪談の中にその中に特定の「あの子」が被害にあう怪談集。何故あの子だけが?と読み解く読者参加型のホラー。序盤から中盤は情報散漫なものの終盤にそういうことか〜と納得の「ゾッ!」でした。 ⁡ #怪を語れば怪来たる #怪談師夜見の怪談蒐集録 人より少し見えるだけで霊能者ではない怪談師の夜見。ライトな展開ではあるもののミステリー要素もあり、よくまとまってて読みやすかった。最近これ系は好みがあわなかったけど、こちらは楽しくサクサク読めた。 ⁡ #パライソのどん底 転校生・高遠瑠樺との邂逅が相馬律の人生を一変させるー。𝙱𝙻は𝟷作品ぐらいしか読んだことないので、これがそうなのか自信はないけど、まごうことなき𝙱𝙻ホラー! ⁡ #聖者の落角 難病の子どもたちを完治させる黒服の青年。しかし完治した子どもがたちが全員、不思議な力を宿し「おさらさま」と口にし始めるー。私的には前作よりも気持ち悪かった。物語のキーとなる観音信仰..西洋に多い宗教よりも仏教ベース系が私はどうにも苦手らしい。 ⁡ #鬼の話を聞かせてください 𝚂𝙽𝚂上の企画に寄せられた三つの事件。投稿者の前に現れた桧山は「推理ゲーム」と称して隠された真相を暴いていくー。 桧山の目的は“真相を知ったときの顔が見たい”ただそれだけ。すがっていたものが壊れた時の素顔をみたい。そこにあるのは「人」なのか「鬼」なのか。桧山の欲望でしかない推理ゲーム...というか、めちゃくちゃ歪んでんだろ...。ラストがもうね..。 ⁡ #好きになってしまいました。 コロナ禍前に行かれた旅行(取材)、日々お世話に勤しむ観葉植物のお話が多めな印象。𝟹年半ぶりのエッセイから日々を楽しくも虫たちたと戦いつつかわらぬ様子が感じらた。変化のない退屈な日々ってことではなくて、こうした日常を安定させるという事は案外大変なことなのよね..と、しみじみしてしまった。 ⁡ #本 #小説 #ミステリー小説 #積読 #積読本 #積読消化 #読書 #読書記録 #読書メモ #読書感想 #購入本 #電子書籍 #𝚋𝚘𝚘𝚔 #𝚋𝚘𝚘𝚔𝚜𝚝𝚊𝚐𝚛𝚊𝚖 #𝚒𝚗𝚜𝚝𝚊𝚋𝚘𝚘𝚔 #𝚒𝚗𝚜𝚝𝚊𝚐𝚛𝚊𝚖 #𝚖𝚢𝚜𝚝𝚎𝚛𝚢 #単行本 #文庫本 #エッセイ #三浦しをん #芦花公園 𓃟 https://www.instagram.com/p/CqDLNcfvybo/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kyouyounoaruhito · 20 hours
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ヤング向けの本もあなどれない!
『スマホアプリはなぜ無料?10代からのマーケティング入門』松本健太郎
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私はこれまでに、経済を勉強しようと『大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる』などの大人が手にとるような入門書を読んできました。 YouTubeなどでも、経済の解説をしてくれる動画などが出ていて、わかりやすいと言えばわかりやすいですが、自分に落とし込むのに少し苦戦・・・。 そこで、ヤング向けの本の方がスッと理解することができるかも!と、今回の本を選んでみました。
この本は中学生~高校生向けに書かれた本のようですが、20代の私にとってちょうど良いレベルの解説本だったなと思います。 実際に普段使っているサービスを例に、経済やマーケティングについて学ぶことができます。 タイトルにある通り、TikTokやInstagramなどのSNSスマホアプリがどのように利益を得ているのかや、スターバックスの仕組みなどが例に挙げられています。 今までなんとなくで理解していたお金や社会の流れがしっかり言語化されており、しかも説明が噛み砕かれていてとても身近で分かりやすいので、スッと頭に入ってきました。 読み終えた後、自身が本から得た知識や内容を問われたときに、自分ですぐに説明することもできそうなくらい分かりやすい。 メルカリを使っている人は、この本を読むことで値段設定の仕方など、実践的に知識を活用することができるかもしれません
フワッと経済やマーケティングを理解していたけれど、人に聞かれた時に明確に答えることができなかったという人には、かなりこの本おすすめです。 入門書としてはピッタリだと思います。
ヤング向けの本を読むのにそこまで抵抗はなかったけれど、今まで特に注目していたわけでもなかったので、今回の読書はかなり有意義でした。 理解するのに頭を使わないといけない本を読むより、頑張らなくてもスッと頭に入ってくる本を読んだ方が、私にとってはとても良かった! これを読んだ上で、もう一度『大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる』を読んでみたら、さらに理解が深まるかもしれません。 これからは積極的に、ヤング向けも読んでいこうかな。
ヤング向けの本、あなどれない!!
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renmukouda · 2 days
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読書メモ『元気じゃないけど、悪くない/青山ゆみこ』
今日は手帳(日記)の日付の横にサン・ジョルディの日とあったので読書メモです。
元気じゃないけど、まあなんとか過ごしていることが通常の私にとって、なんともよいタイトル。書籍化される前のメルマガを読んでいて、リライトされた本書も発売早々に購入しました(しかもサイン本)。
身の回りに起きたつらい出来事もあり、心が振り切れて心身の調子を崩してしまった青山さん。不調な日々の中で自分にとって悪くないかもと思えるような小さな行動、選択を積み重ねたことで変化し、回復とは異なるカタチで地続きながらも新たな人生を見出した。その3年間をご自身でルポルタージュしたエッセイで、青山さんが語る内面を読むことによって、私自身の内面にも気付くことができました。
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昔からストレスによる身体症状が出やすい私。何年か前に買った『コーピングのやさしい教科書/伊藤絵美』を読んで以来コーピングもするようになりました。『元気じゃないけど、悪くない』にも同書のことが書いてあって、あら!ってなりました。4/23
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arisasasaa · 29 days
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"あるとき、私は、強制収容所で、以前から知っていた若い女性といっしょになりました。収容所で再会したとき、彼女はみじめな境遇にあり、重い病気で死にかかっていました。そして自分でもそれを知っていました。けれども、死ぬ数日前に、こう明かしてくれました。「私は、ここに来ることになって、運命に感謝しています。以前なに不自由のない生活を送っていたとき、たしかに、文学についていろいろと野心を抱いてはいましたが、どこか真剣になりきれないところがありました。でも、いまはどんなことがあってもしあわせです。いまはすべてが真剣になりました。それに、ほんとうの自分を確かめることができますし、そうしないではいられないのです」。"
"光であることば"(若松英輔 著)
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myobservationdiary · 2 months
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【読書記録】 「自分」から自由になる沈黙入門 / 小池龍之介さん
[1] 沈黙のすすめ
口は災いのもと。お喋りは軽薄。喋らぬが華。
だからこそ…
・何かしら言葉を発する前に「本当に言う必要があることなのか?」と頭の中で点検する。
・話すスピードをゆっくりにすることで、自然と汚い言葉や自分むき出しの言葉は出づらくなる。
この本自体は頭の中の思考や発する言葉に着目しているが、行動にも通じる所があり、“ゆっくり・丁寧・誠実”な言動を意識することでしなやかな気品のある人間に近づけるのではと思えた。
この本の中で度々記述されてた『お嬢さまことば速修講座』が気になったので後日読んでみる!
【2】 欲望ダイエットレシピ
自分を他人事のように眺めてみることで、感情が客観視されて落ち着く。
具体的なアプローチとして…
心の状態を観察しながら、“そこにある”と確認するように繰り返し唱えてみると「ジブン」は消え去る。
カジュアルに言い換えると、好ましからざる感情を言葉の弾丸で打ち落とすシューティングゲーム!
ネガティブな感情を言語化することで心が落ち着くジャーナリングを概念として説明しているような印象を受けた。シューティングゲームと思えば、良い意味でハードルが低い。
頭の中でぐるぐる考えるよりも書いてみた方が楽になる可能性があると分かっていても、向き合い文章にしようとすることで深く考えてしまいより精神状態が悪化かも…と恐れてしまいジャーナリングは気軽にはできなかった。けれど感情・思考がそこに“ある”と言葉にして存在を認める…であれば深掘りしなくていい分気が楽かも?
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kuribayashisachi · 1 year
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第1部「外圧」第3章‐5
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朝勉強で少しずつ読んでいる、 野口良平『幕末的思考』みすず書房
第1部「外圧」の第3章「変成する世界像」‐5 まで来ました。 学習メモと、感想、連想、脱線……を書きます。
***
時代と格闘する幕末の真摯な群像に出会い、どきどきが止まらないこの本。 とくに、第3章‐3(ポーハタン号・咸臨丸による幕府使節の渡米)には、胸がときめくようでした。
なのに、ここへ来て、だんだんついていけなくなる。
それはひとえに、私が「戦やだ~~」から離れられないから。
しかし、彼らは武士なので戦争が家業だし、この時代に「戦争自体が悪」という思想はなかったのだろうし、今は、真摯な幕末人たちの事蹟を負うのだから、私の感想は置いておこう。
幕府が必死にどのように開国するか、列強に対応している間、 長州と薩摩は、外国と戦争をはじめてしまう。
長州藩は、関門海峡を通る外国商船を砲撃。 薩摩藩は、生麦事件(大名行列を横切った英国人を斬り殺してしまう)の賠償交渉で英国と決裂して開戦。
彼らは「戦争」を選び、しかしそこから列強との新たな交渉の窓口をつかんでいった……。という。
***
本の内容をメモ。 (間違ってたら、だれかおせーて!)
緑色の字は「個人の感想です」^^
米英蘭仏と条約を交わし、開国を決めた幕府。 ここへ来て、考え行動する幕末人たちは、それぞれに新しい���歩を考え出してゆく。
◎横井小楠の説
熊本出身の学者・政治家横井小楠は、スカウトしてくれた松平春嶽を通して幕府に献策。それが「破約必戦論」。
“今は攘夷か開国かではなく、興国のとき。現行の不平等条約は、不正なやり方で締結されたので破棄。→もちろん列強は怒るだろう。なので「必戦」は覚悟した上で、国内の諸勢力が同じテーブルについて天下の公議を重ね、国是を決め、それを諸国に示して国際会議の場で普遍的な道理に照らして是非をはかる。"
という考え。
(うん、「必戦」以外はよい!)
だが、横井小楠の「破約必戦論」は、幕府(特に徳川慶喜)に拒絶される。
→徳川慶喜の言い分 ①必戦というが、戦をして負けたらどうなる?(負けるよ-)
②諸侯会議を開いて、時局のことをまったく判ってない奴が来て変なことを言えば混乱するだけ。 (わかる)
③条約を結んでおきながら、批判が高まればおたおたするのは天下に対して無責任すぎる。
→横井小楠「慶喜さま、卓見だわ~」と、策を引っ込める。
→けれども、長州の周布政之助、桂小五郎は横井小楠の策に賛成! 「破約必戦論」を聞いた周布、桂は、これまで「条約追認論者」と決めつけていた横井小楠を信頼する。
→「もう幕府はダメかも、諸国のみんなで連携してやろうか、政治を」という気運になってくる。
◎長州藩の動き
吉田松陰の弟子である久坂玄瑞が、京で攘夷派の公家を動かし、朝廷を攘夷派でまとめ、孝明天皇から(京に捕らわれている)家茂に「条約破棄交渉をせよ」と命令書を出してもらう。
さらに、生麦事件の賠償問題で困っている幕府をさらに追いつめるため、関門海峡を通る米・仏・蘭の商船を砲撃する。
→ひえ~、やめて~~!!
→4国連合艦隊が報復。惨憺たる敗北
→「今までの軍ではダメ。身分を問わず、みんなで防衛しよう」と、 高杉晋作が、武士だけでなく、身分を問わぬ「寄兵隊」をつくる。
攘夷戦争と同じ頃、横浜から長州人5人が密航留学してる。
◎薩摩藩の動き
生麦事件の賠償交渉を、英国と藩独自でもつ。→決裂→薩英戦争。「善戦」するが敗北
終戦交渉の場を利用して、イギリス相手に幕府を批判。対日本交渉の窓口は、幕府より薩摩だ!とアピール。
湾に入ってきた英艦に乗り込んで薩英関係の改善に努力した人も。 五代才助(友厚)、松木安弘(寺島宗則)。
◎勝海舟と横井小楠
幕府から献策を却下されたとき、 横井小楠が、幕臣の勝海舟にぼやいた言葉。 “「攘夷は興国の基」だが、異人をやたら斬ったり「でていけ~」というのが攘夷だと思っている輩が多すぎるので、なかなかそこまで行けない。ふう~"
勝海舟の海軍構想 と 横井小楠の「公共の政」構想は、通じるものがある、とのこと。p62
◎理屈ではわかるが、なんだかこわい
勝海舟の海軍構想 と 横井小楠の「公共の政」構想は、民主主義国家と国民皆兵制度のことだと思うけど、
すばらしいもの……なのかなあ。
なんか、江戸時代の方が庶民にとってはいいように思う。
江戸時代、農民・町人は唯一の納税者。武士はその「あがり」で食べ、身分制度の頂点にいた。そのかわり、いざとなったら戦に出て農民たちを守る。
ところが近代、明治以降~ 農民たちは税も取られる上に、兵にも取られて死ななくて���ならない。いやだよね~。とられすぎ。。。
それにこのとき、「とにもかくにも(ぶっちゃけ、たとえ植民地になっても戦をしない」という考えはどこからも出てこなかったのだろうか。知りたい。
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彼岸
コロコロコロコロリリリリリ、窓外より早朝の秋の虫たちの声を聞きつつ、『泣菫随筆』(薄田泣菫著/谷沢永一、山野博史編/山野博史解題装画:瀬川康男/装丁:辻村益朗/冨山房百科文庫)の中の一編「茶立虫」を読みため息をつく。今朝は特に唇はかさつき薄手の寝巻きでは肌寒さも感じたりしてひどく侘しい。茶立虫も季節や侘しさを感じることがあるんだろうか。またため息をつく。馬鹿げた動画の一つでも視聴して、気分が高揚するかそれとも打ちひしがれて気落ちするか。見るのはやめておく。
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tecchaso1988 · 1 year
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#読書 #自分の意見で生きていこう #ちきりん ⁡ ちきりんシリーズ第4弾 この内容を踏まえて自他分析をすると楽しいです笑 ⁡ ⁡ #読書メモ ⁡ 世の中にも人生にも正解のない問題がたくさんある。そして、正解のない問題に自分なりの答え、すなわち意見がもてなければ、人生も生活もぐちゃぐちゃにされてしまう。 ⁡ 人生における大切な問題には、学校で習った算数の問題とは異なり、どれも唯一の正しい答えなどない。だから、正解のない問題について自分の意見が明確にできなければ、自分のオリジナルな人生を作っていくことができない。 ⁡ 学校的価値観=あらゆる問題には正解があると思い込んでしまう価値観 ⁡ 世の中には専門家でも正しい答えなど提示できない問題が存在する。 ⁡ 正解のない問題に対して、間違った意見も正しい意見も存在しない。さまざまな人のさまざまな意見が存在する。 ⁡ すべての問いには正解があるはずと誤解していると、考えることに時間をかけず、ひたすら調べることに没頭してしまう。でも、それではいつまでたっても問題は解決できない。 ⁡ 自分とは異なる意見を目にしても、それは間違っているのではなく、あなたの意見と異なるだけ。 ⁡ SNSが普及したことで、自分とは異なる他人の意見をよく目にするようになった。意見が違うのは当たり前、意見には正しいも間違いもないと理解できない人は、すぐクソリプ(くだらない無価値な返答)をしてしまう。 ⁡ あなたの意見は間違っている、私の意見は違います、といった典型的なクソリプを言っている人の多くが、自分の言葉が無意味なものだとは気付いてない。 ⁡ カリスマとは正解を知っている人ではなく、正解のように見える他人の意見にとらわれず、自由に発想・思考し、自分独自の意見をしっかり確立できる人。 ⁡ 自分の意見を言う、とは自分のポジションをとること。発言によってその人がどこに立って発言しているかが明確になれば、それは意見と言える。それらしく聞こえても、その人のポジション/立ち位置がどこなのかわからない言葉は、意見ではなく、ただの反応。 ⁡ 他者の意見に否定するなら、まず自分の意見を明確にするのが礼儀。意見を表明した人に質問したいなら、まずは自分の意見を明確にするのがマナーじゃないか。 ⁡ 1億総反応時代。 最近は反応するのが極めて簡単。いいねを押すだけ、スタンプや絵文字を送るだけ。誰でも発信できる時代であっても、ネット上では大半の人は意見など発信しておらず、単に誰かの意見に反応しているだけ。 ⁡ インターネット普及前までは、意見を発信するには自分で考え、言語化しなければならなかった。SNSは考えないと発信できなかった時代を、考えなくても発信できる時代に変えた。SNSが人気なのは、意見がない人でも、あたかも意見のように見える反応を発信できるようになったから。 ⁡ ネット上のコミュニケーションは、ごく少数の意見と、数多くの反応で成り立っている。意見と反応を区別できる人が少ないため、ネット上では、意見と意見をぶつけ合って議論しているように見える。実際には、意見を表明した人に、多くの反応がぶつけられているだけ。 ⁡ 一番やっかいなのは、反応しかしていないのに、意見を言っているつもりの人。 ⁡ 一定量以上の意見を表明すると、ある時点からその意見の集合体がその人の自我や人格を形成し始める。一方、反応はいくら集まっても人格を形成したりしない。思考を経ずに出てきた反応をいくら見ても、その人の思考回路も思考プロセスも見えない。 ⁡ 反応をいくら重ねても、ファンがついたりフォロワーが増えることはない。 ⁡ 人生の分岐となるような重要な問題に関して自分の意見を明確にしないのは、意思決定を先送りし、なにも決めず、一歩も前に進まないまま年齢を重ねていくという選択肢に過ぎない。 ⁡ SNS時代はごく身近に、突然ものすごく広い範囲から承認される人が登場してしまう時代であり、それにより広く承認されない自分に焦ったり悩んだりして落ち込んでしまう人も増えてしまっている。 ⁡ ネット上の人格がリアル社会における人格と同じくらい重要になりつつある。一部の業界では既に、履歴書よりネット上での発信のほうが重要という時代が到来している。 ⁡ 承認を得るために必要な情報とは、その人がどんな人なのかよくわかる情報(その人の意見)。発信数はとても多いのに、フォロワーが少ない人が存在するのは、その発信をいくら読んでもこの人はどんな人?というイメージが伝わってこない、そんな情報(反応)が多いから。 ⁡ 他人のSNSコメント欄にコメントを書くのはとてももったいない行為。なぜならそこは、コンテンツを発信している人の庭であって、あなたの場所ではないから。 ⁡ リアル社会でやらないことは、ネット上でもやらないこと。今まではリアルとテレビの中の世界は分断されていたから何を呟いても誰にも届かなかった。今はスマホに向かって呟く行為は、画面の中へ直接届くものとなる。 コメント欄に続メモ https://www.instagram.com/p/Cp0AXvwvspY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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azariy · 7 months
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本田宗一郎・ざっくばらん
【真理に徹す】
今度うちは三重県の鈴鹿に新工場をつくることになった。
僕は、この工場も浜松や和光の工場と同じように、エア・コンディション付の無窓工場にするつもりだ。
これなら外気の温度や湿度に影響されずにすむからだ。
日本にはずい分のん気な人がいる。
無窓工場なんてトランジスター・ラジオやカメラみたいな精密工業には必要だが、自動車なんてものにはゼイ沢だと思っている。
自動車はそんなにヤワなものではないということらしいが、精度を問題にしないその神経の図太さには恐れ入るほかはない。 それだけではない。
海辺に工場を建てようと考えている人がいる。潮風は、製品に悪影響があるだけでなく、機械そのものを傷める。
日本は島国だから、どこへ行ったって潮風はくるさとタカをくくるのはよくない。
あるピアノ会社が、社長の出身地だからという理由で、海岸のそばにピアノ工場を建てて失敗したことがあるが、これこそ音痴的なものの考え方である。
製鉄所みたいに、精密度はあまり要求されず、運送費の多寡がそのまま利潤の大きな部分を占めるというのなら話も分かるが、自動車みたいに高度な加工をやる工場を、単に運賃が安いとか、土地が安いということだけで海辺に建てるのはどうかと思う。
話を戻すが、エア・コンディションは、機械や製品にいいだけでなく、なによりも工場で働く人たちが気持ちよく働けるという利点がある。
最近は、冷暖房をする会社が多くなったが、それは本社だけ、あるいは重役室だけの話であって、工場の方は旧態依然たる有様である。夏は汗をかき、冬は吹きっさらしの中で仕事をしているところが多い。
これでは自由にして平等だとはいえない。第一、工場で働く人間を大事にしないような企業は長持ちしない。僕は自分が大事にされたいから、みんなを大事にする。
愉快に働いてもらって能率をよくしてもらった方が、どれほどいいか分からない。
設備は一度やれば一生なんだから、充分にしてもたいしたことではないと思う。
日本のように温帯にある国では、夏と冬の温度差が激しいから、余計働く人たちに気をつかう義務がある。
ドイツみたいなところなら、冬はべらぼうに寒くても、夏は窓を開けなくても仕事ができる程度だから、暖房だけあれば事足りる。
外国の工場も暖房しかないとそのままウのみにしては困る。
それから従業員に休息を与えるということを、何かマイナスになるというか、罪悪視する人がいる。
仕事というものは、何か目をつり上げて息もつかせずにやらなければいけないという固定観念にとらわれている人がいる。
TTレースに行ったうちの河島監督が帰って来ていうことには、うちのチームは、日曜も夜遅くまで仕事をやるし、風呂に入るにも順番を決めて、廊下にプラン表をぶら下げていた。
それをみたイギリス人が、日本人は何て能率の悪い国民だろうといったそうだ。
二宮尊徳流に薪を背負って本を読まなければならない国民にとって、団体生活をするときに、入浴の順番を決めることなんて普通のことだが、個人主義が徹底しているイギリス人からみればミリタリズムの変形にみえるのは当然かも知れない。
TTレースの期日は何年も前から分かっているのに、夜明かししなければならないというのでは、非能率にみえるのは無理もない。外国人の考える能率とは、働くべき時間にいかにたくさん働くかということで、休み時間に働くのは能率ではないわけだ。
この間、楠トシ江と対談したときにも話したが、僕が床屋に行って十五分でやってくれと頼んだら、やっと四十分でできた。いつもなら一時間もかかる。
そこで床屋のおやじ曰く
「あんたは遊ぶひまがあるんだから、その時間に床屋に来てくれれば、こうせかせないでゆっくりキレイになる」
そこで僕は 「冗談いうな、遊ぶために働いているんだから、床屋にきて一時間もかかってたまるかい。こんな能率の悪い床屋なら一生来ない」 と言ってやった。
本当のことをいって、人間は八〇%ぐらいは遊びたいという欲望があって、それがあるために一生懸命働いているのでないだろうか。それを働け働けといってヤミクモに尻を叩いても能率が上るわけはない。
よくイミテーション・パーツが問題になるが、イミテーション・パーツが出るのはメーカーの純正部品が高いか、高い割に性能がよくないか、潤沢に出回っていないかの三つの条件が満たされていない場合である。
この点は、うちも大いに反省しなければならない。しかしそのためにかくしナンバーを打つようなことはやらない。
そんなことをすれば、手間が多くなって能率が悪くなる。ならばその分だけ安くする方が先決である。
人間は疑り始めたらキリがない。
コップ一杯の水を飲むのにいちいち毒が入っていないかどうか疑い出したら、自分で井戸を掘って、毎朝水質を調べなければならない。
これはいささか極端な例だが、人は信用した方が得である。
うちは、クレーム部品の判定権をディーラーに任してしまった。
代理店といっても数が多いから、いい人ばかりではないかも知れない。
中には悪い人もいるかも知れない。
しかしそれはあくまでもごく少数である。そのごく少数の人のレベルに合わせて、何かいかめしく、人を頭から疑ってかかるような検査制度をつくっては、大多数のいい代理店は気分を害してしまう。
検査制度なんてものは、警察や検察局がそこら中やたらにあるのと同じことで、気持ちよく仕事はできない。
こういうものは非生産的なものだから、生産の中にたくさんあればあるだけ、モノが高くなるのは当然である。
また人間というものは信用してまかせられれば、悪い人も悪いことができなくなるものである。
逆に四六時中疑われれば、反感からいい人も悪いことをしたくなるものである。
そういう意味から、うちはディーラーに判定権をまかせてしまったわけである。
もちろん統計は一応とってあるから、ある一店だけ特定のクレーム部品がべらぼうに多く出るということになれば、チェックできるようにはしてある。
近ごろ、わが社は厳重な検査をやっています、といった広告が新聞によく出る。
しかし厳重に検査をやっているから、品物がいいというのはおかしい。
初めからつくる目的はわかっているのだから、つくってしまってから検査するのを、オニの首でもとったように宣伝するのはうなずけない。
つくってしまったものはあとに戻らないのだから、つくる前に、検査しなくてもいいようにすることがいちばんいいわけだ。
本当は検査なんかやらなくてもミスがないというのが理想である。その理想に近づくために検査員がいるというのならいいが、検査しなければいけないような品物をつくっていて、それを検査しているからといって自慢しているのではスジが通らない。
うちでも検査設備は、もちろん完璧なものにするよう努力しているが、それに頼ってはいない。検査員だってよそよりは相当少ないはずだ。
それに僕は、ミスを出すたびに検査員を一名ずつ減らすといっている。
人間が多すぎると検査はミスが多くなる。シビアな感覚がうすれてくる。
自動車というものは、人命を預かる機械だから、つくる側に徹底した慎重さが欲しい。
科学技術というものは、権力にも経済的な圧力にも屈してはいけないものである。
ガリレオが「それでも地球は回っている」とつぶやいたように、権力をもった者が、どんなに真理を否定しても、真理は真理として残る。
真理は一見冷たい。しかしその真理を押し通すところに、熱い人間の面目がある。
工場には、その冷たい真理だけがある。
真理だけが充満していなければならぬ。 こういう体制を押し通していけば、少なくとも機構上の欠陥からくる事故はほとんどなくなるはずだ。
悪いところに気がついても、いま変更したら金がかかるとか、混乱するとか、発表したばかりのものを改造するのはみっともないとか、変な面子がからんで、ズルズルと見て見ぬ振りをするところがある。
うちは面子がないから、悪いところを見つけ次第改造してゆく。ラインに乗せてからも一日に数回変更することもある。
そのために、工作機械の位置を大幅に移動させるようなことも少なくない。工場の連中も、初めは面喰らったようだが、いまでは、いつでも変更に対処できるような準備ができている。
とにかくお客さんには、うちで考える最良の品を提供しなければならないのだから、無理はあくまでも通すつもりだ。
いささか古い話だが、昭和二十八年に、うちの新車につけたキャブレターの性能が思わしくなかった。そこで売ってしまった一万台の車のキャブレターをすぐ取り替えた。
そのときの僕の考え方は頭をペコペコ下げたって、悪い���のは悪いのだから取り替えるより仕方がない。
たとえそのお客さんと親戚になったって、夫婦になっても、キャブレターの悪いのが直るわけではない。
このとき、うちが取った処置が実に早かったし立派だったといってくれる人がいるが、僕はまだ遅かったと思っている。
よそとの比較でいえば早いかも知れないが、お客さんにとってはまだ早くない。
比較対照でいえば、カラスが白いのと同じである。いまだに僕はクレームの処理が遅いとどなることがある。
お客さんにとっては、取り替えるのに一分しかかからなくても、壊れれば遅いわけである。待っている時間は永久に帰ってはこない。壊れることは、壊れないことよりも絶対に悪い。
それからもう一つ考えなければいけないことがある。
それは、この工場の製品は九九%の合格率だからすばらしいと賞める人がいるし、賞められて鼻を高くする人がいるということである。
ところがお客さんは、自動車にしてもオートバイにしても、百台も買いはしない。
買ってもせいぜい一台か二台である。
もしその一台の車に、残りの一%の悪い車が当ったとしたら、そのお客さんにとってその車は一〇〇%悪いことになる。
だから工場というのは最低一〇〇%、理想的にいえば一二〇%くらい合格しないと話にならない。
お客さんというのは、金を払って自分が目的地に行くために走っている。
もしエンコすれば、ほかに直す人がいないから自分でいじらなければならない。
それが人里離れた山の中ででもあれば、分らないなりに全知全能を費やしてひねくるわけである。それだけにエンコしたという意識は痛切である。
うちがいちばん最初の五〇ccのバイクエンジンを売っていたころ、お客さんから電話がかかってきてエンコして動かない、こんなものを売りやがってとガンガンどなられた。
慌てて飛んで行ったら、ガソリンがなくなっていた。しかしそのお客さんは、二度とガソリンがないのをエンコと間違う失敗はやらなくなる。そこでそのお客さんは一段進歩したわけだ。したがって、売ったりつくったりする僕らが、お客を馬鹿にしていると反対に遅れてしまう。
ところが工場の連中は、案外こういった感覚が抜けている。
どうしてかといえば、その道の専門家が、その辺にいっぱい控えているからだ。
この故障は電気部品だと思えば、電気屋を引っ張ってきて、自分は知らん顔をしている。みんな技術屋でありながら、依頼心が強い。
そして実際のレベルは低くても、俺たちがつくっているのだということで、いかにも自分たちが専門家であると錯覚を起こしやすい。
お客さんから苦情が出ても、やれ使い方を知らないからだとか、それは一部であって全部ではないとか、勝手な屈理屈をつけて、真剣にその苦情の内容に取り組もうという気を起こさない。
このうぬぼれが技術屋をいちばん危うくする。
会社そのものを危うくする。
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nillnote · 1 year
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ここ最近の #読了本 漫画編です。 ⁡ #女の園の星 女子校を舞台とした生徒と先生の日常。 これはじわっとくる笑いでめちゃくちゃ面白い。 中村先生はついにアレと同居し出したとこなんか、明日は我が身だよ。 ⁡ #東島丹三郎は仮面ライダーになりたい 本気で仮面ライダーになりたくて40歳になってもなれず、諦めていたところ本物のショッカーが現れた、仮面ライダーになりたかった大人達の群像劇。相変わらずのヨサクルアクションでバカバカしくて(いい意味で)好き ⁡ #ちひろさん 元風俗嬢のちひろさんが弁当屋で働き、そこを訪れる客との日常。一番ブッ刺さったかも。というか、刺さる人にしか分からない作品かな。醜くも美しくも虚しさも愛おしさも、世の中を酸いも甘いも噛み分けたところにわかるものがある。 ⁡ #DYSCASCADE 警察署に置かれたバケツには12Lの血液と1本の腕が入っていた猟奇殺人を捜査する、中年と女性上司のバディもの。キャラはちょっと「んー😑」ってなる部分があるけど、話がもう気になる!これは何が起こっているのかどういう展開になるのか続きが早く読みたい。 ⁡ #ブスなんて言わないで 容姿が原因で高校を不登校になった知子が、首謀者の梨花に復讐しようと...思いきや意外な展開にー。見えてるものが同じなのに、立場の違いから全く違って見える。女にありがちな呪いの話でもある。反ルッキズムがテーマでめちゃくちゃ刺さる。 ⁡ #鬼ゴロシ 新条市で起きた一家殺人事件の冤罪で投獄された坂田周平が15年の時を経て復讐する話。たった2日ぐらいなのに800人ぐらい死んでるのに、主要キャラはなかなか死ない。でも、話の展開早いから好き。 ⁡ #悪役令嬢転生おじさん 屯田林憲三郎52歳。交通事故から目覚めるとうっかり悪役令嬢に転生しちゃった話。 誰も傷つけない優しい世界でめちゃくちゃ笑う。 転スラ系は得意じゃないけど、この作品は面白い。 ⁡ #ダーウィン事変 人とチンパンジーの間に生まれた「ヒューマンジー」の少年チャーリーを描いた話。 これ、テーマがものすごく考えさせられるので、まだ2巻まで触手がのびず。1巻で受けた衝撃が..まだ残ってて。 ⁡ ⁡ #離縁は致しかねます! 広告でねー気になってねー買ったのでさー。 ありがちな展開は言わずもがな。 とはいえ、似て非なる凹凸同士で面白かった。 ⁡ #しょせん他人事ですから ネット炎上トラブルをテーマにしてるが、弁護士の仕事も丁寧ね説明されててわかりやすい。学びにもなるしですごく良かった。 ⁡ #十字架のろくにん こちらもねー広告にやられまして〜復讐ものなんですが胸糞展開満載!コミックスは1部が終わり新章に入りましたね。。なんか途中で超人対決みたいになった時は離脱しかけたけど、爺ちゃんのお陰で1部読み切ったよ。爺ちゃん..。 ⁡ #往生際の意味を知れ! 5巻まで頑張って読んだ。 いや、面白い。面白いよ?....が、さすがにこれどうすんの!?になり..読むのが疲れたのでここで離脱。機会があればってことで。。 ⁡ わーいめちゃく沢山読んだー。 ⁡ 「ピーチクアワビ」テーマは好きだけど主人公がどうにも無理で1巻で離脱。 ⁡ あと、ここに載せきれなかったけど「もろびとこぞりて」と「僕が死ぬだけの百物語」も面白い。 ⁡ 「チェーンソーマン」も読んでるよ。そして、「チ。―地球の運動について―」もそろそろ着手したいの。つい、Kindle Unlimitedで「惨劇館」が懐かしくて読んでしもうてな。。 ⁡ #本 #積読本 #積読消化 #読書 #読書記録 #読書メモ #読書感想 #購入本 #電子書籍 #book #bookstagram #instabook #instagram #漫画 #コミック #manga #comic https://www.instagram.com/p/CnMoiYgPpVk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kyouyounoaruhito · 2 days
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医学部生ってすごい
『悩め医学生』中山裕次郎
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泣くな研修医シリーズの第5作目。
私は1作目の『泣くな研修医』から読んでいます。
このシリーズは、お医者さんの葛藤や成長が描かれている物語で、今作の『悩め医学生』では、主人公の医学部時代の様子が描かれていました。 読みながら、医学部ってこんな感じなのかなぁと想像を膨らませることができて、なかなか面白かったです。
��般の大学生に比べると、学ぶことの精神的・肉体的負担が桁違いで、世の中のお医者さんはみんなこれを経験しているのかと思うと、畏敬の念に堪えません。 ただ、一口に医者と言っても、人間性は十人十色。 私がこれまで接してきたお医者さんは、優しくて細かいところまで気にかけてくれる人ばかりでしたが、高圧的だったりきちんと話を聞いてくれなかったりする先生も多いと聞きます。 医学部で同じ経験をして、どれだけ辛いことをこなしていても、人間性は偏らないのがなんだか不思議だと思いながら読み進めていました。
主人公の通っていた学校は、鹿児島にある大学の医学部。 私は生まれも育ちも東京なので、作中の地方の雰囲気に関する描写が興味深かったです。 鹿児島の日差しは「暑い」ではなく「痛い」なのか・・・など。
医学部には年齢や出身がさまざまな同級生が出てきますが、東京から来た同級生がすごくおしゃれな人のように描かれていました。 確かにその登場人物はオシャレな人間なんだろうなと思いますが、実際東京にいるからと言って垢抜けるわけでもなく、芋っぽい東京人も沢山います。 東京は人口が多い分、垢抜けている人の数も芋っぽい人の数も多いのだ!笑
第5作のエピローグが、第1作に繋がっていて、『悩め医学生』を読んだ後に『泣くな研修医』が読み返したくなる作りは、なかなか好みでした。
シリーズの第6作目の『外科医、島へ』もすでに発売されていますが、まだそちらは読んでいないのです・・・。 続編も気になるので、今度本屋で探してみようかなと思っています。
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renmukouda · 5 months
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読書メモ『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち/藤井一至』
電車での移動の際にコツコツ読んでいました。
5億年前、地球上に土が生まれて植物や微生物、生き物などによって土壌が変化していったことも興味深かったのですが、私がガツンときたのが人類と土との関係。
文明の繁栄により生じた人口増加やその後の経済成長がこんなにも土と密接していたなんて。そして土壌の劣化や汚染がこれほどひどい状況になっているとは。以前読んだ『人新世の「資本論」/斎藤幸平』と繋がる話だなあと思いました。
環境によいものだけを買うことはできないけれど、手にする商品がどれだけのエネルギーを消費し生産されているのかを意識して、できることからやっていきたいと思います。
土からさまざまなことが見えてくることを知ることができて面白かったです。11/14
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