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#しないということは不安や無気力や決断力のなさから生じる行動の欠如ではない押すことでもなければ引くことでもない逆らわず委ねてともに歩いてみるそうすることで力みがとれ自分
tecchaso1988 · 3 years
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#読書 #無為の技法  一年前に読んだ本のメモが途中だったので再読。  去年読んだときの印象は全く残っていなかったけど 今読むと内容の深みがとても腑に落ちてくる。  この数ヶ月、緊急事態宣言のおかげで 心穏やかに、執着を手放して、ゆとりある時間を過ごせてるおかげだと思います🙏✨   #読書メモ #大切なのは水ではなく流れだよ風が動物たちが鳥たちが虫たちがそして人季節天気石や大地やたくさんの色が川になって流れている #しないということは不安や無気力や決断力のなさから生じる行動の欠如ではない押すことでもなければ引くことでもない逆らわず委ねてともに歩いてみるそうすることで力みがとれ自分がかかわっている状況に対して意識が開く #やらないよりやる方がいいに決まっているという発想は私たちを翻弄し疲弊させる #無為でいるためには自分は他者の力が作用する世界にいるということを理解する必要がある私たちに必要なのは岸にしがみつこうとする手を放し取り巻く世界の自然なエネルギーに乗ってみることだ #私たちに必要なのは身構えず無理に押し通そうとせずエフォートレスに受け入れていくことではないだろうか #必死になればなるほど心身の視野が狭くなり柔軟ではなくなるサイドブレーキを入れたまま運転しているようなものであのタスクこのタスクと頻繁に切り替えながら進めていくと何かを完遂した満足感が薄れていく機能障害に陥りがち #しなければならないの同義語は執着 #人と時間との関係は誰がその時間を所有しているのかという基準で左右される #仕事の複雑さに対してスピード勝負で解決することについてその最大の悲劇は自分と同じ時速で動いていないものを認識できなくなることだ #機械的だけれどボヤけた時間感覚で生きているうちに大切な人との距離が開いてしまうのだ #未来を考えるから不安になるのではない未来をコントロールしたいと思うから不安になるのだ #自分の役割に執着しているとそれをアイデンティティと同一視してしまうことがあり役割と自分自身を区別できなくなると人は役割以外の自分を犠牲にして仕事に過剰にのめり込みやすい #目的もビジョンもなくただ忙しくしている機能不全な状態を多忙馬鹿シンドロームと呼ぶ #著書ティール組織は今もビジネス用語に製造の比喩が色濃く残る印象を指摘している機械の比喩表現を用いることは組織とそこで働く人々を非人間的にし入換や交換可能な部品として扱う要らなくなったら捨てるモノと化す #複雑で不確実な現代社会に求められるリーダーシップとはリーダーとしての我を出さずクリエイティブキャパシティのための余地を差し出すことではないだろうか #行動しないコントロールしない介入しないリーダーがしない無為を選んだ結果としてそれ以外のメンバーの創造的な活動が開く #あがこうとせず単なる許容でもなく逃げたい直したい突き進みたいという欲望も超えてただ完結した瞬間として純粋に在ること #私たちは行動することに執着している少しでも自分の存在を主張し少しでも忙しくしていようと駆け回ることで自分の内側で聞こえる声を締め出している #自分自身の声が聞こえていれば他人の人生に対する意識も芽生える #待っているときに自然と生じる感情はふだん私たちが何を気にしているかということの表れだ無視せず認識し向き合ってみると発見がある #しっかり握りしめることで人は強くいられると思う人もいるが手を放すことが人を強くすることもある #抵抗をやめすべてを掌握したい欲求を手放せば新しい可能性を信じてオープンに向き合うことができる自分の力ではどうにもならないと受け入れるとそこに自由の感覚が生じる #手放さなければならないことを知っているかどうかいつ手放すか知っているかどうかそれが創造的ブレイクスルーの鍵だ #私がしていることを私は知らない私が向かっている方向を私は知らないけれどこの道を行かねばならないことはわかっている行き着く先がどこであるとしても #あなたがすべきことはあなたの仕事をすることであり結果を出すことではない結果のために働いてはいけないただ漫然としていてもいけない自分としっかり向き合い自分をなすべきことをする他の何かに執着はしない成功にも失敗にも心を乱さない平穏な心こそ真のヨガである #この世で最も柔らかいものがこの世で最も堅きものを押し流し超えていく #レガシー思考とは決断や行動の際には必ず未来の世代と環境と持続可能性を考慮に入れるよき祖先となることと過去に行われたことから学びそれを踏まえて失敗の繰り返しを防ぎこれまで語られたストーリーを守りながら新しいページを加えていくよき子孫の両者の視点を併せ持つこと https://www.instagram.com/p/CPaU_nQLq5a/?utm_medium=tumblr
#読書#無為の技法#読書メモ#大切なのは水ではなく流れだよ風が動物たちが鳥たちが虫たちがそして人季節天気石や大地やたくさんの色が川になって流れている#しないということは不安や無気力や決断力のなさから生じる行動の欠如ではない押すことでもなければ引くことでもない逆らわず委ねてともに歩いてみるそうすることで力みがとれ自分#やらないよりやる方がいいに決まっているという発想は私たちを翻弄し疲弊させる#無為でいるためには自分は他者の力が作用する世界にいるということを理解する必要がある私たちに必要なのは岸にしがみつこうとする手を放し取り巻く世界の自然なエネルギーに乗っ#私たちに必要なのは身構えず無理に押し通そうとせずエフォートレスに受け入れていくことではないだろうか#必死になればなるほど心身の視野が狭くなり柔軟ではなくなるサイドブレーキを入れたまま運転しているようなものであのタスクこのタスクと頻繁に切り替えながら進めていくと何かを#しなければならないの同義語は執着#人と時間との関係は誰がその時間を所有しているのかという基準で左右される#仕事の複雑さに対してスピード勝負で解決することについてその最大の悲劇は自分と同じ時速で動いていないものを認識できなくなることだ#機械的だけれどボヤけた時間感覚で生きているうちに大切な人との距離が開いてしまうのだ#未来を考えるから不安になるのではない未来をコントロールしたいと思うから不安になるのだ#自分の役割に執着しているとそれをアイデンティティと同一視してしまうことがあり役割と自分自身を区別できなくなると人は役割以外の自分を犠牲にして仕事に過剰にのめり込みやす#目的もビジョンもなくただ忙しくしている機能不全な状態を多忙馬鹿シンドロームと呼ぶ#著書ティール組織は今もビジネス用語に製造の比喩が色濃く残る印象を指摘している機械の比喩表現を用いることは組織とそこで働く人々を非人間的にし入換や交換可能な部品として扱#複雑で不確実な現代社会に求められるリーダーシップとはリーダーとしての我を出さずクリエイティブキャパシティのための余地を差し出すことではないだろうか#行動しないコントロールしない介入しないリーダーがしない無為を選んだ結果としてそれ以外のメンバーの創造的な活動が開く#あがこうとせず単なる許容でもなく逃げたい直したい突き進みたいという欲望も超えてただ完結した瞬間として純粋に在ること#私たちは行動することに執着している少しでも自分の存在を主張し少しでも忙しくしていようと駆け回ることで自分の内側で聞こえる声を締め出している#自分自身の声が聞こえていれば他人の人生に対する意識も芽生える#待っているときに自然と生じる感情はふだん私たちが何を気にしているかということの表れだ無視せず認識し向き合ってみると発見がある#しっかり握りしめることで人は強くいられると思う人もいるが手を放すことが人を強くすることもある#抵抗をやめすべてを掌握したい欲求を手放せば新しい可能性を信じてオープンに向き合うことができる自分の力ではどうにもならないと受け入れるとそこに自由の感覚が生じる#手放さなければならないことを知っているかどうかいつ手放すか知っているかどうかそれが創造的ブレイクスルーの鍵だ#私がしていることを私は知らない私が向かっている方向を私は知らないけれどこの道を行かねばならないことはわかっている行き着く先がどこであるとしても#あなたがすべきことはあなたの仕事をすることであり結果を出すことではない結果のために働いてはいけないただ漫然としていてもいけない自分としっかり向き合い自分をなすべきこと#この世で最も柔らかいものがこの世で最も堅きものを押し流し超えていく#レガシー思考とは決断や行動の際には必ず未来の世代と環境と持続可能性を考慮に入れるよき祖先となることと過去に行われたことから学びそれを踏まえて失敗の繰り返しを防ぎこれま
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monqu1y · 3 years
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目次
表現不自由勢力 = 異論封殺派  2019年8月3日午前11時、私は名古屋市東区の愛知芸術文化センタービル10階の愛知県美術館チケット売り場に並んでいた。  この日の名古屋は最高気温34・8度が示すように朝からぐんぐんと温度計の目盛りが上昇。汗がねっとりと首にまとわりつく典型的な熱暑の一日だった。 広い吹き抜けの空間は冷房があまり効いておらず、汗が滲む中、チケット売り場には、2百人近くが並んでいた。  だが、窓口には職員が2人しかいない。緩慢な切符の売り方に、列は時間が経つごとに長くなっていった。窓口の2人も、やがて片方が消え、1人だけの販売になる。あまりのサービス精神の欠如に、私は近くの職員に「この長蛇の列が目に入りませんか? なぜ売り場が一人だけなんですか。おかしいと思いませんか」と言った。  しかし、職員は「申し訳ありません」というだけで何もしない。私は同じフレーズをこの入口だけで別々の職員に3回も言う羽目になる。  しかも、チケットをやっと買って中に入っても「順路」の案内がない。仕方がないので左側に歩を進めたら「順路はあっちです」と職員に注意されてしまった。順路を示す印も出さないまま「順路はあっちです」と平然と言う職員。これほど観覧者をバカにした芸術祭も珍しい。  芸術祭のテーマは「情の時代」である。パンフレットには 〈「情の時代」とは、いかなるものでしょうか。そこではきっと、私たちの習慣的な知覚を揺さぶる視点、例えば、動物の視点、子供の視点、いま・ここから遠く離れた「誰か」の視点などが盛り込まれることでしょう〉 とある。何が言いたいのかよくわからない文章だが、芸術祭にはままあることだ。  私は、まず10階の展示をひとまわりした。この手の作品は、作家の意図が伝わるものと、そうでないものとが明確に分かれる。いったい何を表わしたいのだろう、という作品もあれば、ストレートに心に飛び込んでくるものもあった。ひと通り10階の観覧を終えた私は、いよいよ「表現の不自由展・その後」の会場がある8階に向かった。  同展示は、日本国内の美術館やイベント等で撤去や公開中止になった作品ばかり20点以上を集めた企画である。すでに公開中止になったものを集めて展示するのだから、「あいちトリエンナーレ」にとって当然、覚悟の催しということになる。私も、「いったいどんなものなのか」と興味が湧いた。  8階には長い列ができている場所があり、すぐに「あそこか」とわかった。近づくと職員が「待ち時間は1時間ほどです」と叫んでいる。  すでに百人以上が並んでおり、人々の関心の高さが窺えた。やがて30分ほどで会場の入口が来た。 「展示品の写真撮影は結構です。ただし、SNS(ソーシャルネットワーク)への使用はお断りしています」  観覧にあたっての注意事項をスタッフが一人一人に伝えている。また、そのことを書いた「撮影写真・動画のSNS投稿禁止」という注意書きが入口手前に掲示されていた。どうやら「表現の不自由展」には、観る側も「不自由」が強制されるものらしい。そういう不自由さについて訴えるはずの展示なのに、「自己矛盾」に気づかないところが主催者のレベルを物語っている気がした。
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 入口には、白いカーテンがかかっている。めくって中へ入ると、幅2メートルもない狭い通路に、ぎっしり人がいた。左右の壁に作品が展示されており、それを人々が食い入るように見つめている。  手前の右側には、いきなり、昭和天皇を髑髏(どくろ)が見つめている版画があった。最初から“メッセージ性”全開だ。  反対の左側に目を向けると、こっちは昭和天皇の顏がくり抜かれた作品が壁に掛けられている。背景には大きく✕が描かれ、正装した昭和天皇の顏を損壊した銅版画だ。タイトルは「焼かれるべき絵」。作者による天皇への剥き出しの憎悪がひしひしと伝わってくる。  皆、無言で観ている。声を上げる者は1人もいない。  その先には、モニターがあり、前にはこれまた「無言の人だかり」ができている。  やはり昭和天皇がモチーフだ。昭和天皇の肖像がバーナーで焼かれ、燃え上がっていくシーンが映し出される。奇妙な音楽が流れ、なんとも嫌な思いが湧き上がる。次第に焼かれていく昭和天皇の肖像。すべてが焼かれ、やがて燃え残りが足で踏みつけられる。強烈な映像だ。作者の昭和天皇へのヘイト(憎悪)がストレートに伝わる。よほど昭和天皇に恨みがあるのだろう。これをつくって、作者はエクスタシーでも感じているのだろうか。そん��思いで私は映像を見つめた。思い浮かんだのは「グロテスク」という言葉だった。  画面は切り替わり、若い日本の女性が、母親への手紙を読み上げるシーンとなる。「明日、インパールに従軍看護婦として出立します」「私の身に何が起こっても、お国のために頑張ったと誉めてくださいね」  そんな台詞を彼女は口にする。インパール作戦は、昭和19年3月から始まった補給もないまま2千メートル級のアラカン山脈を踏破する過酷な作戦だ。とても看護婦が同行できるようなものではない。  私自身が拙著『太平洋戦争 最後の証言』シリーズ第二部の「陸軍玉砕編」でこの作戦の生き残りに直接取材し、飢餓に陥って数万の戦死・餓死者を出し、退却の道なき道が“白骨街道”と化した凄まじいありさまをノンフィクションで描いている。おそらくこの映像作品は真実の歴史など“二の次”なのだろう。  やがて、海岸の砂浜にドラム缶が置かれた場面となり、そのドラム缶が爆発し、宙に舞う。まったく意味不明だ。私の頭には、「自己満足」という言葉も浮かんできた。これをつくり、展示してもらうことで作者は溜飲を下げ、きっと自らの「創造性(?)」を満足させたのだろう。  私が取材させてもらった老兵たち、つまり多くの戦友を失った元兵士たちがどんな思いでこれを観るだろうか、ということが頭に浮かんだ。そして一般の日本人は、これを観て何を感じるだろうか、と。当時の若者は未来の日本を信じ、そのために尊い命を捧げた。私たち後世の人間が、二度とあの惨禍をくり返さない意味でも先人の無念を語り継ぐことは大切だ。少なくとも私はそういう思いで10冊を超える戦争ノンフィクションを書いてきた。  しかし、この作者は違う。そのことを肌で感じる作品だった。  少女像が展示されているのは、この作品群の先である。通路を出て広い空間に出たら、そこにはテントのような作品がまん中に置かれ、左奥に少女像があった。  少女像を人が取り囲んでいる。いきなり、「やめてください」「なぜですか!」そんな怒号が響いてきた。観覧者の一人が少女像の隣の椅子に座り、紙袋をかぶっている。どうやら、その紙袋を少女像にもかぶせようとしたらしい。それを阻止されたようだ。少女像のある床には、〈あなたも作品に参加できます。隣に座ってみてください。手で触れてみてください。一緒に写真も撮ってみてください。平和への意思を広めることを願います〉という作者の呼びかけがあり、それを受けて隣の席に座ろうとする人間もそれなりにいるようだ。  「やめてください」と叫んだ人は、どうやら展示の案内人らしい。観覧している人から質問をされたら答え、抗議されたら、それに応えるためにここにいるようだ。ご苦労なことだ。なかには過激な抗議をする人もいるだろう。いちいちこれに対応するのは大変だ。  少女像と一緒に写真を撮りたい人がいれば、この人はシャッターも押してあげていた。この日、美術館で最も大変な“業務”に就いていた人は間違いなくこの人物である。  怒号はすぐに収まり、何事もなかったかのような空間に戻った。日本人はおとなしい。ひどい作品だと思っても、ほとんどが抗議をするでもなく、無言で観ていた。その代わり、ひっきりなしにカメラやスマホのシャッター音が響いている。  少女像自体は、どうということはない。あのソウルの日本大使館前や、世界中のさまざまな場所に建てられている像だ。その横にはミニチュアサイズの少女像も展示されていた。さらにその左側の壁には、元慰安婦の女性たちの写真も掲げられている。説明書きには〈1992年1月8日、日本軍「慰安婦」問題解決のための水曜デモが、日本大使館で始まった。2011年12月14日、1000回を迎えるにあたり、その崇高な精神と歴史を引き継ぐため、ここに平和の碑を建立する〉と書かれている。  英語の解説文には、「Japanese Military Sexual Slavery」(日本軍の性奴隷制)という言葉が書かれていた。「日本軍」の「性奴隷制」の象徴としてこの少女像が存在していることがしっかり記されている。日本の公式見解とは明らかに異なるものであり、これらの説明には二つの点で「虚偽」があった。  まず、慰安婦は「性奴隷」ではない。あの貧困の時代に春を鬻(ひさ)ぐ商売についた女性たちだ。当時の朝鮮の新聞には 〈慰安婦募集 月収三百圓以上 勤務先 後方〇〇部隊慰安所 委細面談〉 などの新聞広告が出ていたように、上等兵の給料およそ十圓の時代にその「30倍以上」の収入を保証されて集まった女性たちである。彼女たちの収入は、当時の軍司令官の給与をはるかに凌駕していた。  恵まれた収入面については、さまざまなエピソードがあるが、ここでは触れない。ともかく慰安所(「P屋」と呼ばれた)には、日本人女性が約4割、朝鮮人女性が約2割、残りは……という具合に、あくまで日本女性たちが中心だった。ちなみに日本女性で慰安婦として名乗り出たり、補償を求めた者は一人もいない。  もちろん喜んで慰安婦になった女性は少ないと思う。貧困の中、さまざまな事情を抱えて、お金のために慰安婦の募集に応じざるを得なかったのだろう。私たち日本人は大いに彼女たちの身の上に同情するし、その幸せ薄かった人生に思いを致し、実際に日本は代々の首相が謝罪し、財団もつくり、その気持ちを談話として伝え、現金支給も行っている。
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 しかし、朝日新聞や韓国は、これを日本軍や日本の官憲が無理やり「強制連行した女性たち」であるという“虚偽の歴史”を創り上げた。韓国は世界中に慰安婦像なるものを建て、性奴隷を弄んだ国民として日本人の名誉を汚し続けている。私たちは、この虚偽を認めるわけにはいかない。  まして「少女が性奴隷になった」などという、さらなる虚構を韓国が主張するなら、それはもう論外だ。そして、目の前の少女像は、その「虚偽」を世界中に流布させることを目的とするものである。日本人は少女像が虚偽の歴史を広めるものであることを知っており、少女像の存在は間違いなく「両国の分断」をより深くするものと言える。  しかし、韓国がどこまでもこの虚構にこだわるなら、もはや両国に「友好」などという概念など、未来永劫生まれるはずはない。  軍需工場などに勤労動員された「女子挺身隊」を慰安婦と混同した朝日新聞の信じられない大誤報から始まった虚構がここまで韓国の人々を誤らせたことに、私は両国の不幸を感じる。それと共に同じ日本のジャーナリズムの人間として朝日新聞のことを本当に腹立たしく、また悔しく思う。  私は、少女像の前に展示されていた作品にも首を傾げた。「時代の肖像―絶滅危惧種 Idiot JAPONICA 円墳―」と題されたその作品はテントのような「かまくら形」の外壁の天頂部に出征兵士に寄せ書きした日の丸を貼りつけ、まわりには憲法9条を守れという新聞記事や靖国神社参拝の批判記事、あるいは安倍政権非難の言葉などをベタベタと貼りつけ、底部には米国の星条旗を敷いた作品だった。  Idiot とは「愚かな」という意味であり、JAPONICAは「日本趣味」とでも訳すべきなのか。いずれにしても「絶滅危惧種」「円墳」という言葉からも、絶滅危惧種たる「愚かな」日本人、あるいは日本趣味の「お墓」を表わすものなのだろう。日の丸の寄せ書きを頂点に貼った上にこのタイトルなので、少なくとも戦死した先人たちを侮蔑する作品と私には感じられた。  どの作品も「反日」という統一テーマで括られた展示だった。会場の壁には「表現の不自由をめぐる年表」も掲げられていたが、「表現の自由」といえば、チャタレー事件に始まり、四畳半襖の下張事件、日活ロマンポルノ事件をはじめ、ポルノやヘアをめぐって当局との激しい闘いの歴史が日本には存在する。  私は、これらが「なぜ無視されているのか」を考えた。つまり、展示はあくまで政治的な主張が目的なのであって、純粋な「表現の自由」をめぐる訴えなどは考慮にないのではないか、と感じたのである。  あいちトリエンナーレは、日本人の税金が10億円も投入され、公の施設で開かれる「公共のイベント」だ。そんな場所で、わざわざ他国が主張する「虚偽の歴史」のアピールをする意味は何だろうか。  それを許す責任者、つまり大村秀章・愛知県知事は余程の「愚か者」か、あるいはその韓国の主張に確固として「同調する人物」のどちらかなのだろう。  私は、こんな人物が愛知県知事という重責を担っていることに疑問を持つ一人だが、首長を選ぶのは、その地域の人たちの役割なので、私などがとやかく言う話ではない。  私は、試しに韓国や中国へ行って同じことをやってみたらどうだろうか、と想像した。たとえば韓国人の税金が投入された芸術祭で、何代か前の大統領の肖像をバーナーで焼き、その燃え残りを思いっきり踏みつけてみる。そして、その大統領の顔を損壊し、剥落させた銅版画や戦争で死んだ先人を侮蔑する作品を展示してみる。韓国人は果たしてどんな反応を示すだろうか。  また中国へ行って、中国共産党の公金が支出された芸術祭で、同じように毛沢東の肖像をバーナーで燃やしてみる……。どんな事態になるかは容易に想像がつく。作者は、おそらく表現の自由というものは、決して「無制限」なものではなく、一定の「節度」と「常識」というものが必要であることに気づかされるのではないか。イスラム社会で仮にこれをやったら、おそらく命が断たれるだろう。逆に私は「日本はいかに幸せか」をこの展示で感じることができた。  しかし、日本人にとって国民統合の象徴である昭和天皇がここまで貶められるのはどうだろうかと思わざるを得ない。昭和天皇、そして昭和天皇のご家族にとどまらず、自分たち日本人そのものの「心」と「尊厳」が踏みにじられる思いがするのではないだろうか。つまり、これらは、間違いなく日本人全体への憎悪を表現した作品なのである。  もし、これを「芸術だ」と言い張る人には、本物のアーティストたちが怒るのではないか、と私は思った。「あなたは芸術家ではない。偏った思想を持った、ただの活動家だよ」と。  それは昭和天皇を憎悪しない普通の観覧者にとっては、ただ「不快」というほかない作品群だった。少なくとも、多くの日本人の心を踏みにじるこんなものが「アート」であるはずはない。作者が日本人に対するヘイトをぶつけただけの醜悪な展示物だったと私には思えた。  私が会場を去って間もなくの午後5時。同センターで緊急記者会見した大村秀章・愛知県知事は、「テロや脅迫ともとれる抗議があり、安全な運営が危ぶまれる状況だ」と語り、突如、展示中止を発表した。芸術祭事務局に「美術館にガソリン携行缶を持って行く」との脅迫のファクスがあり、安全が保てないことを理由に「中止を決めた」という。開幕からわずか3日。信じがたい展開だった。  それは「あってはならないこと」である。「表現の自由」を標榜して展示をおこなっているなら、どんなことがあっても脅迫や暴力に「負けてはならない」からだ。まして大村氏は愛知県知事だ。愛知県警を大動員してでも、「暴力には決して屈しない」姿勢を毅然と示さなければならない立場である。  一方で私には「ああ、逃げたな」という思いがこみ上げた。あの展示物を見れば、常識のある大人ならこれに税金を投じることの理不尽さを感じ、非難がますます大きくなることはわか��。それを察知した大村知事は、テロの危険性をことさら強調し、自分たちを「被害者の立場」に置いた上で“遁走”したのだろう。  その証拠に4日後、実際にファックスを送った当の脅迫犯が逮捕されても大村知事は展示再開を拒否した。  芸術祭の実行副委員長である名古屋市の河村たかし市長はこの展示を知らず、慌てて観覧した後、「少女像の設置は韓国側の主張を認めたことを意味する。日本の主張とは明らかに違う。やめればすむという問題ではない」と大村知事と激しく対立した。  これに対して大村知事はこう反撃した。「(河村氏の)発言は憲法違反の疑いが極めて濃厚。憲法21条には、”集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する”  “検閲は、これをしてはならない”と書いてある。公権力を持っているからこそ、表現の自由は保障しなければならない。公権力を行使される方が“この内容はいい、悪い”と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られても仕方がない。そのことは自覚されたほうがいい」  だが、憲法12条には、「表現の自由」などの憲法上の権利は濫用されてはならないとして、〈常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ〉と記されている。表現の自由をあたかも「無制限」であるかのように思い込んでいる大村知事の認識の甘さは明白だった。  もうひとつの問題点は、報道のあり方だ。産経新聞やフジテレビを除くマスコミは、少女像のことばかりに終始し、昭和天皇の肖像焼却や顔の損壊などのヘイト作品について一切、報じなかった。ただ「表現の自由が圧殺される日本」という報道に終始したのである。  もし、展示中止が妥当なほど作品がひどいものだったら、そもそも自分たちの論理は成り立たなくなる。そのため少女像だけの問題に矮小化し、いかに日本では「表現の自由」が風前の灯であるかという報じ方に徹したのだ。  真実を報じず、自分の論理展開に都合のいいものだけを記事化するのは、日本のマスコミの特徴だ。  8月4日の朝日新聞の天声人語では、 〈75日間公開されるはずだったのに、わずか3日で閉じられたのは残念でならない▽ある時は官憲による検閲や批判、ある時は抗議や脅し。表現の自由はあっけなく後退してしまう。価値観の違いを実感させ、議論を生みだす芸術作品は、私たちがいま何より大切にすべきものではないか〉 と主張し、8月6日付の記事では、 〈表現の不自由展 政治家中止要請 憲法21条違反か 応酬〉〈永田町からも危惧する声「政府万歳しか出せなくなる」〉 と、展示物の詳細は伝えないまま大村知事を全面支援した。 だが、ネットではいち早く作品群の詳細が伝えられ、芸術監督を務めた津田大介氏と企画アドバザーの東浩紀氏が昭和天皇の肖像を焼却する作品が展示されることを笑いながら話す動画など、さまざまな情報が炙り出されていった。  今回も新聞とテレビだけを観る層とネットを観る層との著しい情報量の乖離が明らかになった。いま日本は情報面において完全に「二分」されているのである。  ネットを駆使する人たちはマスコミが隠す情報さえ容易に手に入れることができ、一方では、偏った主義主張を持つメディアにいいように誘導される人たちがいる。そこには、大きな、そして根本的なギャップが存在している。  今回の出来事は、「芸術である」と主張さえすれば何でも通ってしまうのか、極めて偏った政治主張によるヘイト行為もすべて認められるものなのか、という実にシンプルな問題と言える。同時に、韓国への批判は「ヘイト」、日本を貶めるものは「表現の自由」という実に倒錯したマスコミの論理に国民が「ノー」を突きつけたものでもあった。  一部の反日、反皇室、親韓勢力による公的芸術祭の乗っ取りとも言える行為は、こうして途中で頓挫した。そして、日本のマスコミの「あり得ない姿」も露わになった。 今回の出来事を通じて、私たち日本人は日本の“内なる敵”マスコミと、特異な主張を展開する一部政治勢力への「警戒」と「監視」を疎かにしてはならないことを、あらためて学ばせてもらったのである。
「表現の不自由展」の真実を再び 2019年10月08日 門田隆将
 紆余曲折の末、いよいよ「言論の不自由展・その後」が再開された。しかし1日2回に制限し、抽選で1回あたり30人に絞り、しかも鑑賞者は事前にエデュケーション(教育)プログラムなるものを受けなければならず、ガイド付きでの鑑賞になるそうだ。  まるで「鑑賞の不自由展」である。SNSでの拡散も禁止するという。
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 愛知県内で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、企画展の一つ「表現の不自由展・その後」の中止が決まった8月3日夜、芸術監督を務めるジャーナリスト、津田大介氏が会見を開いた。
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 「想定を超える事態が起こったことを謝罪する。僕の責任であります」と全面的に非を認めた津田氏の会見は当初の30分間の予定を大幅に超過し、1時間以上に及んだ。会見場には、地元名古屋市を拠点とする中日新聞や全国紙、通信社の駐在、テレビ各局、雑誌、フリーランスの記者など、ざっと50人はいただろうか。  津田氏の釈明もさることながら、質問を繰り返す一部の記者の発言内容には違和感を抱かざるを得なかった。
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「(不自由展の中止を求めていた)河村たかし名古屋市長や(文化庁の芸術祭への助成に慎重姿勢を示した)菅義偉官房長官の発言は検閲だと思うか」「電凸(企業や団体などに電話をかけて見解を問いただす行為)をやれば、自分たちの気に入らない展示会などの催しを潰せるという成功体験を与えてしまったのではないか」  当然だが、たとえ気に入らない表現や作品でも、暴力による圧力や脅迫行為が許されることはない。とはいえ、彼らの質問は憲法21条が保障する表現の自由への介入を憂うものばかりで、昭和天皇の肖像を燃やす映像や慰安婦をモチーフにした「少女像」(以下、慰安婦像)のいったい何が「芸術」なのか、それを追及しようとする記者はほぼ皆無だった。  要するに、集まった記者の多くが、「表現の不自由展」を中止に追い込んだ抗議電話の殺到、脅迫行為、河村たかし市長をはじめとする政治家の主張だけをことさら問題視したのである。各社が後日報じ、論じた内容が、そういったトーンになったのは、ある意味必然だったのかもしれない。  放火予告のようなファクスを送り付けた脅迫行為は論外だが、一千件以上も寄せられた抗議電話もそれと同列の「テロ行為」であるかのように論じるのは明らかにおかしい。
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 一般論として、展示会の主催者が外部からの指摘で自主的に催しを中止することはあり得る。むろん、個人が展示内容を自由に論評・批判する権利もある筈だが、  8月6日付 朝日新聞社説《あいち企画展 中止招いた社会の病理》は 「人々が意見をぶつけ合い、社会をより良いものにしていく。その営みを根底で支える『表現の自由』が大きく傷つけられた。…中略…。一連の事態は、社会がまさに『不自由』で息苦しい状態になってきていることを、目に見える形で突きつけた。病理に向き合い、表現の自由を抑圧するような動きには異を唱え続ける。そうすることで同様の事態を繰り返させない力としたい」 旨、主張した。「昭和天皇の肖像を燃やし踏みつける映像や慰安婦像の展示」を批判する意見・抗議の自由を、朝日新聞社は認めない。  言論に対して反論するのでなく法廷闘争で批判封殺をはかる朝日新聞社 らしい主張である。  そもそも、同展で展示された昭和天皇の肖像を燃やす映像やエッチング作品の何が芸術なのか。特定の政治的主張、あるいはプロパガンダに過ぎないのではないか。公金を使って展示することは、公権力がその主張なりプロパガンダに同調することにならないか。  「表現の不自由展」の中止問題を扱ったメディアの多くは、この問いについて論じようとしなかった。特にテレビの多くは昭和天皇の肖像を燃やす映像に触れることすらなかった。国民の多くに強い不快感や屈辱感を抱かせる刺激の強い映像を紹介することが憚られたのか、天皇をめぐる問題としてタブー視したのか。あるいは不自由展を応援したい番組側が、批判が集中するだろう映像を意図的に隠したのか。  活字メディアで中止問題を最も熱心に扱った朝日新聞は、「焦点となっている作品は、慰安婦を表現した少女像や、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品」(8月6日付第3社会面の特集)などと、たびたび映像について触れてはいる。しかし、芸術作品としての妥当性には踏み込まず、表現の自由の議論に持ち込むだけだ。  こうした議論の建て方は、同芸術祭実行委員会会長の大村秀章愛知県知事や津田氏とも共通する。
10日後、芸術祭アドバイザーの東浩紀氏が辞意を表明した。
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〔東氏のツイート〕  7月末からの休暇が終わり、帰国しました。休暇中に、ぼくが「企画アドバイザー」を務めるあいちトリエンナーレ(以下あいトリ)で、大きな問題が起きました。  このアカウントは、7月の参院選直後に、あいトリの問題とはべつの理由で鍵をかけていたものであり、これからもしばらくは鍵は外しません。しかし、このスレッドについては、転記し紹介していただいて結構です。そのときは、一部を切り取らず全体をご紹介ください。  まずは今回のできごとについて、スタッフのひとりとして、愛知県民の皆さま、出展者の皆さま、関係者の皆さまにご迷惑をかけたことを、心よりお詫びいたします。  ぼくの肩書きは「企画アドバイザー」となっていますが、実行委員会から委嘱された業務は、芸術監督のいわば相談役です。業務は監督個人との面談やメールのやりとりがおもで、キュレイター会議には数回しか出席しておらず、作家の選定にも関わっていません。  けれども、問題となった「表現の不自由展・その後」については、慰安婦像のモデルとなった作品が展示されること、天皇制を主題とした作品が展示されることについて、ともに事前に知らされており、問題の発生を予想できる立場にいました。相談役として役割を果たすことができず、責任を痛感しています。  僕は7月末より国外に出ており、騒動の起点になった展示を見ていません。今後も見る機会はなくなってしまいましたが、そのうえで、展示について所感を述べておきます。以下はあくまでも僕個人の、報道や間接情報に基づく意見であり、事務局や監督の考えを代弁するものではないことにご留意ください。  まずは慰安婦像について。いま日韓はたいへんな外交的困難を抱えています。けれども、そのようないまだからこそ、焦点のひとつである慰安婦像に、政治的意味とはべつに芸術的価値もあると提示することには、成功すれば、国際美術展として大きな意義があったと思います。
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 政治はひとを友と敵に分けるものだといわれます。たしかにそのような側面があります。けれども、人間は政治だけで生きているわけではありません。それを気付かせるのも芸術の役割のひとつです。あいトリがそのような���になる可能性はありました。  ��だ、その役割が機能するためには、展示が政治的な扇動にたやすく利用されないように、情報公開や会場設計を含め、もっとていねいな準備と説明が必要だったように思います。その点について、十分な予測ができなかったことを、深く反省しています。  つぎに天皇の肖像を用いた作品について。ぼくは天皇制に反対する立場ではありません。皇室に敬愛の念を抱く多くの人々の感情は、尊重されるべきだと考えます。天皇制と日本文化の分かち難い関係を思えば、ぼく自身がその文化を継承し仕事をしている以上、それを軽々に否定することはできません。  けれども、同時に、「天皇制を批判し否定する人々」の存在を否定し、彼らから表現の場を奪うことも、してはならないと考えます。人々の考えは多様です。できるだけ幅広い多様性を許容できることが、国家の成熟の証です。市民に多様な声の存在に気づいてもらうことは、公共事業の重要な役割です。  しかし、これについても、報道を見るかぎり、その役割を果たすためには、今回の設営はあまりに説明不足であり、皇室を敬愛する多くの人々の感情に対して配慮を欠いていたと感じています。この点についても、役割を果たせなかったことを悔いています。  政治が友と敵を分けるものだとすれば、芸術は友と敵を繋ぐものです。すぐれた作品は、友と敵の対立などどうでもよいものに変えてしまいます。これはどちらがすぐれているということではなく、それが政治と芸術のそれぞれの役割だと考えます。  にもかかわらず、今回の事件においては、芸術こそが友と敵を作り出してしまいました。そしてその対立は、いま、どんどん細かく、深くなっています。それはたいへん心痛む光景であり、また、私たちの社会をますます弱く貧しくするものです。それは、あいトリがもっともしてはならなかったことです。  僕は今回、アドバイザーとして十分な仕事ができませんでした。辞任を検討しましたが、いまは混乱を深めるだけだと考えなおしました。かわりに個人的なけじめとして、今年度の委嘱料辞退の申し出をさせていただきました。今後も微力ながらあいトリの成功に向けて協力させていただければと考えています。  あらためて、このたびは申し訳ありませんでした。力不足を反省しています。そして最後になりましたが、現在拡散されている4月の芸術監督との対談動画において、多くの方々の感情を害する発言を行ってしまったことを、深くお詫びいたします。
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緊急シンポ「表現の不自由展・その後」中止事件を考える  8月22日(木)18時15分開場 18時30分開会(予定) 21時終了  定員:470名 参加費:1000円  会場:文京区民センター3階A会議室
第1部:18:30~19:50 出品していた美術家などが語る「何が展示され何が起きたのか」  安世鴻(写真家)/朝倉優子(マネキンフラッシュモブ)/中垣克久(美術家)/岡村幸宣(丸木美術館学芸員)/武内暁(「九条俳句」市民応援団)/他 第2部:20:00~21:00 会場討論「中止事件をどう考えるのか」  金平茂紀(TVジャーナリスト)/鈴木邦男(元一水会)/森達也(作家・監督)香山リカ(精神科医)/滝田誠一郎(日本ペンクラブ)/他  進行:篠田博之(『創』編集長)/綿井健陽(映像ジャーナリスト)  主催:8・22実行委員会〔『創』編集部/日本ビジュアル・ジャーナリスト協会/OurPlanet-TV/アジアプレス・インターナショナル/メディアフォーラム/表現の自由を市民の手に全国ネットワーク/アジア記者クラブ/他〕
「天皇陛下の味方」を標榜しながら「天皇陛下を冒涜する自由」を啓発するパネリスト
 2019年9月5日夜10時、NHK「クローズアップ現代+」で「『表現の不自由展・その後』中止の波紋」が放映された。  筆者(門田隆将)は、展示中止から1か月以上経ってからの番組なので、ある1点に注目していた。それは、展示作品を番組が「正確に取り上げるかどうか」だった。  というのも、この問題では、展示作品を正確に伝えた「インターネット」と、都合の悪いものは報じず、一部だけを報じた「新聞とテレビ」とに明確に分かれていたからだ。  インターネットだけがこの1か月、展示された作品群の中身をきちんと伝えたが、筆者自身、展示中止になる当日の8月3日、ぎりぎりで観にいくことができた。そしてその作品群の明確なメッセージ性には驚かされたものである。  それは、ひと言でいうなら「反日ヘイト」と「皇室憎悪」だ。国民の税金を使ってこのような展示を愛知県が行うことについて、正直、筆者は首を傾げざるを得なかった。その作品をNHKは1か月を経てどう報じるのか。そのことに注目したのである。  作品がきちんと報じられなければ、いうまでもなく視聴者は正しい判断ができない。「正確に伝えない」ことは報道機関として許されることではない。  だが、結果は、筆者が危惧したとおりの番組になっていた。番組の主張に都合の悪い作品は、一切、報じられなかったのだ。つまり番組は、本来、問題のない「表現の不自由展」が、理不尽な反対や脅迫によって「中止に追い込まれた」ということを懸命に訴える番組構成となっていた。
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 番組で紹介されたのは、ごく一部の作品で、あの展示の性格を表わす肝心の作品群のことは伏せられた。なぜ伏せられたのか。理由は簡単だ。それを報じれば、自分たちの主張の方が「間違いである」ことが白日の下に晒されるからだ。  「ああ、この表現の不自由展の実行委員会には、もともと2001年に大問題となった『問われる戦時性暴力』をつくった曰くつきの元NHKプロデューサーが入っている。番組は最初からそっちの線で描くことに決まっていたんだ」  筆者はそう思った。公平な番組ができるかどうかを期待していた自分が逆に恥ずかしくなった。では、まず実際の展示にはどんな作品があったのか、それを先に説明しておこう。  8月3日昼、白いカーテンをくぐって当該の展示コーナーに足を踏み入れた筆者の目に真っ先に飛び込んできたのは、2メートルほどの狭い通路の両側に展示された昭和天皇に関する作品群だった。  右側には、正装した昭和天皇の肖像を髑髏(どくろ)が睨んでいるもの、左側には昭和天皇の顏の部分を剥落(はくらく)させ、背景には大きく赤で✕が描かれた銅版画が掲げられていた。タイトルは「焼かれるべき絵」。作者による天皇への激しい憎悪が剥き出しにされた作品だった。  その先の右側にあったのが、昭和天皇の肖像がバーナーで焼かれていく映像作品だ。奇妙な音楽が流れ、なんとも嫌な思いが湧き上がるような演出の中、次第に焼かれていく昭和天皇の顏。すべてが焼かれ、やがて燃えかすになると、今度はこれが足で踏みつけられる。人間の尊厳というものをズタズタにする強烈な映像作品である。  よほど作者には昭和天皇への恨みがあるのだろう。これをつくって、作者はエクスタシーでも感じているのだろうか。そんな思いで筆者は映像を見つめた。思い浮かんだのは「グロテスク」という言葉である。  少女像が展示されているのは、昭和天皇へのヘイトを全開にしたこの作品群を通り抜け、右側に広がった空間の一角だった。少女像の手前の広い空間の真ん中には、テントのような作品が置かれていた。  題して「時代の肖像―絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳―」。かまくら形の外壁の天頂部に出征兵士に寄せ書きをした日の丸を貼りつけ、まわりには憲法九条を守れという新聞記事や靖国神社参拝の批判記事、あるいは安倍政権非難の言葉などがベタベタと貼りつけられ、底部にはアメリカの星条旗を敷いた作品だ。  idiot とは「愚かな」という意味であり、JAPONICAは「日本趣味」とでも訳すべきなのか。いずれにしても「絶滅危惧種」「円墳」という言葉からも、絶滅危惧種たる「愚かな」日本人、あるいは日本趣味の「お墓」を表わすものなのだろう。  日の丸の寄せ書きを頂点に貼った上に、このタイトルがつけられているので、少なくとも戦死した先人たちへの侮辱の作品であることはわかった。筆者は戦争ノンフィクションを10冊以上刊行しており、これまで最前線で戦った多くの元兵士を取材している。今ではほとんどが鬼籍に入られたが、その先人たちを貶める目的の作品であると感じた。  そして少女像。これはどうということはない。あのソウルの日本大使館前や、世界中のさまざまな場所に建てられている像だ。英語の解説文には、「Sexual Slavery」(性奴隷制)という言葉があり、「性奴隷」の象徴としてこの少女像が存在していることがしっかり記されていた。  説明書きを読んでみると〈1992年1月8日、日本軍「慰安婦」問題解決のための水曜デモが、日本大使館で始まった。2011年12月14日、1000回を迎えるにあたり、その崇高な精神と歴史を引き継ぐため、ここに平和の碑を建立する〉と書かれている。  慰安婦のありもしない強制連行を否定する日本側の見解とは明らかに異なる主張を持つものだ。少女像の左側の壁には、元慰安婦の女性たちの写真も掲げられている。筆者には、これらが「反日」という政治的メッセージを訴えるための作品群であることがわかった。  しかし、クローズアップ現代には少女像の作者が登場し、「(これは)反日の象徴として語られていますが、筆者たちは平和の象徴と考えています。(戦争の)悲しみと暗い歴史を語る象徴なのです」というインタビューが放映された。慰安婦であることの明確な説明書きと矛盾しているのに、番組では、それを指摘もしない。  つまり良心的な作家が「平和を祈ってつくった作品が脅迫で圧殺された」という番組にしたかったのだろう。そのためには、昭和天皇や戦争で死んでいった若者たちを損壊、侮蔑する作品群だったことは「報じられない」のである。  この番組の悪質性は、自らの主張に「都合のいい作品だけを取り上げた」という点にあり、この展示の中止を求めた河村たかし名古屋市長には、当然“悪者”というイメージが植えつけられた。  日本では、公の電波を使ってこのような一方的な番組が放映されることを防ぐために放送法4条に以下の条文が定められている。 (1)公安及び善良な風俗を害しないこと (2)政治的に公平であること (3)報道は事実をまげないですること (4)意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること  クローズアップ現代は明確に(2)(3)(4)に違反している。放送中から筆者のもとには「こんな番組が許されるのか」「作品の中身がこれだけネットで明らかにされているのにNHKはまだこんな番組をやっている」という訴えが相次いだ。  実は、日本の新聞やテレビがよくやるこのやり方は「ストローマン手法」と呼ばれる。対象となる出来事、あるいは対象者の発言の一部を切り取ったり、主旨をねじ曲げて報じて自己の主張に添うように記事や番組をつくるものだ。ストローマン(straw man)とは、もともとは藁(わら)で作られた人形(藁人形)を指す英語である。つまり案山子(かかし)だ。都合のいいように事実をねじ曲げて報じるのだから、「倒す」のは簡単なことからついたとされる。  ちなみに、これは欧米の言論界で最も軽蔑されるやり方として忌み嫌われている。
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 実は、産経新聞とフジテレビを除いて、この1か月間、これらの作品群の真実を報じたメディアはほとんど見られなかった。報じたら忽ち「そんな酷い展示だったのか!」と非難が高まり、「表現の自由が圧殺された」という趣旨の記事や番組ができなくなってしまうからである。  クローズアップ現代には日本文学研究者のロバート・キャンベル氏が登場し、こんなコメントをした。「筆者は“エビデンスのない共感”と呼んでいるんですが、自分にとって心地よい考えに出会った時や物の見方をみた時に、それに連動して、リツイートをしたり、コメントしたり、拡散していくということはあるわけですね。その傾向が今、世界中で広がっている中で、今回のケースは、日本の中で極めて特徴的なものとして現われたのかなと思います」  筆者は耳を疑った。このクローズアップ現代こそが、目の前の作品群の真実を封じて少女像だけの問題に矮小化し、“エビデンスのない共感”を大衆に求めたのではなかったのか、と。  筆者は、こういう公平性を欠いたマスコミ報道、特に新聞を取り上げて5月末に『新聞という病』(産経新聞出版)を出版した。3か月余りを経た現在、これが10万部を超すベストセラーになっている。  国民がいかに「事実をねじ曲げる」新聞に怒っているかを痛感した。だが、NHKも同じだ。筆者は「NHKという病」を追及する必要性を痛感している。なぜこんな放送局に税金が投じられ、国民が受信料を払わなければならないのか。国会での徹底追及をお願いしたい。
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リベラル勢力の二重基準  愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった。憲法違反だとか、さまざまな物議を醸したが、そもそも公費を使ってやるようなイベントなのか。その上、昭和天皇の御真影を燃やす映像などはもはや芸術とは呼べない。  作家の竹田恒泰氏は、展示の中止を「憲法違反」や「検閲」と指摘する声に対し、一つ一つ論理的に反論。反日の偏った思想に基づいた作品しか展示されておらず、公平性もないため、実体は「反日展」にすぎないと断じた。  著書が「表現の自由」を逸脱するとして朝日新聞に訴訟を起こされた文藝評論家の小川榮太郎氏は「私の表現の自由は無いのか」と、自身の言論を封殺した勢力の一方的でゆがんだ構図を糾弾する。  産経新聞大阪正論室は実際に展示会場をルポし記者会見も取材。大阪と神戸を舞台にした「御代替わり朝礼」非難報道や幼児図鑑「絶版」騒動とあわせて、平気でダブルスタンダード(二重基準)をふりかざすマスコミの病理をあぶり出す。  「表現の自由」を盾に、昭和天皇の御真影を燃やすなどという非芸術的行為を擁護する勢力は横暴だ。
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 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で中止となった企画展「表現の不自由展・その後」について、1週間後の展示再開で、芸術祭実行委と不自由展実行委が合意し、展示中止のポーズを解除した。さらに、開会時の内容を維持し、必要に応じて教育プログラムを実施することや県が来場者に対し、中止になった経緯などを検証した中間報告の内容をあらかじめ伝えることも告げた。  これに伴う批判の殺到を怖れた知事は、ツイッター上で、自身を誹謗中傷するアカウントをブロックする旨、宣言した。
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 ブロックされれば強制的にフォローが解除され、ツイートを読んだりリツイートしたりできなくなる。早速、「見事にブロックされちゃった」と大村知事のブロックを示す画像が次々と投稿された。「誹謗中傷」の基準を質問するだけでブロックされたと主張するユーザーや、愛知県民であるにも関わらずブロックされたという声もあった。  大村知事は、批判的意見・質問をブロックするにとどまらず、韓国軍の蛮行について論ずる自由は無い旨、言い放った。  企画展「表現の不自由展・その後」は、昭和天皇の写真を焼いたような映像や「慰安婦像」として知られる少女像の展示などが批判を浴び、脅迫ファクスが届いたことを口実に企画展を中止していた。大村知事が津田氏と並んでピースする画像をツイッターに投稿し、その後削除したことも話題になった。  不自由展が提起した問題の一つは、文化庁などの助成基準との整合性だ。  「表現の不自由展・その後」では、政治的論争のある慰安婦像や昭和天皇の写真をバナーで燃やした灰を踏みつける動画など、日本国民の感情を害し心理的な傷を与える展示があった。
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 2019年10月8日、「表現の不自由展」再開に抗議する為、名古屋市の河村たかし市長は、同展会場前広場で座り込みを行った。河村氏は芸術祭の実行委員会の会長代行だが、再開についての協議はなかったといい、「(再開決定は)無効だ」と批判している。  河村氏はこの日、約30人の支持者らと抗議活動を実施。座り込みで約10分間、「県は公金の不正使用を認めるな」「知事は名古屋市民の声を聞け」などとシュプレヒコールを上げた。
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 マイクを握った河村氏は、とくに昭和天皇の肖像を燃やすような動画について問題視し、「愛知県や名古屋市が主催しているところで展示すれば、県や市が認めたことになる」と指摘。「表現の自由の名を借り、世論をハイジャックする暴力だ」などと再開に強く抗議した。  会場前の広場には、同展に反対するプラカードを掲げた人たちの姿も見られた。その場に居合わせた名古屋市民は「天皇を公然と侮辱するようなものを芸術と呼べるのか、不自由展ではなく不愉快展、市民として黙っていられない」と憤る。  同日の 大村秀章氏ツイート は、画像の通り
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 検証委は、中間報告で「誤解を招く展示が混乱と被害をもたらした最大の原因は、無理があり、混乱が生じることを予見しながら展示を強行した芸術監督の行為」と津田氏の責任を指摘した。しかし、津田氏は、責任を感じるどころか、文化庁の補助金交付を求める署名活動を支持し、政治的な対立を煽り続けている。  検証委は、大村氏については、「検閲」を禁じた憲法の制約、リスクを軽減するガバナンスの仕組み欠如等を理由に、責任を不問にしているが、陳腐な言い訳で説得力はない。
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 朝日新聞社は、公権力が表現活動を抑圧した旨報道し、さらに「ヘイト行為の一般的なとらえ方に照らしても、少女像はそれに当たらない」という検証委の指摘に賛同している。特定法規が定義する「ヘイト」の概念に該当しないことを論拠にしているが、これは、日本人を食い物にする発想方法である。  2015年に、朝日新聞社は、①故吉田清治氏の慰安婦に関する証言の誤報取り消しが遅きに失したこと、②吉田調書報道の取り消し、③池上彰氏の連載掲載見合わせ をおわびする旨、自ら 発表した が、そのことを忘れてしまったのだろうか?  この展示がもたらしたハラスメントは、多くの人に国民としての自尊心を過度に傷つけられただけでない。自分たちが納めた税金を利用して行われたことによって、さらに傷ついている。  しかもこの展示は、芸術監督の自発的な意図として成立した、むしろ積極的で公的なハラスメントともいえるものだ。日本国民の被害感情を軽視する人々が、メディアや文化人界隈に少なからずいることに驚かざるを得ない。  因みに、「展示スペースの大きさや実際の展示費用などを計算しカットした補助金を交付すべき」旨、補助金ルール無理解な三浦瑠麗氏が述べている。
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表現の不自由展 きょう午後再開 警備強�� 金属探知機も  2019年10月8日  愛知県で開かれている国際芸術祭で、テロ予告や脅迫ともとれる電話などが相次いだため中止された「表現の不自由」をテーマにしたコーナーについて、愛知県の大村知事は、警備を強化したうえで1回当たり30人を上限としたガイドツアー形式で、8日午後から再開すると発表しました。  8月1日から愛知県で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」では、「表現の不自由」をテーマに、慰安婦問題を象徴する少女像などを展示するコーナーが設けられましたが、テロ予告や脅迫ともとれる電話などが相次ぎ、開幕から3日で中止されました。  愛知県は、中止前の状態と展示の一貫性を保ちつつ、安全対策などを講じて再開することを目指してきましたが、展示の在り方などをめぐって協議が難航してきました。
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 芸術祭の実行委員会の会長を務める愛知県の大村知事は7日夜、記者会見し、コーナーを8日午後から再開すると発表しました。  具体的には、 ▽抗議の電話の専用回線を設け、会場の警備を強化するといった安全対策を講じ、 ▽事前に抽選をして作品の解説を行う教育プログラムを受けてもらったうえで、 ▽1回当たり30人を上限としたガイドツアー形式で再開するということです。  さらに、 ▽鑑賞の前には手荷物を預かり、金属探知機でのチェックを行うほか、 ▽動画の撮影も禁止するということです。  芸術祭では、中止に抗議して作品の展示を辞退するなどしていた国内外の作家たちの作品も8日からすべて展示されるということで、大村知事は「円満な形で日本最大級の国際芸術祭の完成を目指したい」と述べました。  8月1日から愛知県で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」では、「表現の不自由」をテーマに、慰安婦問題を象徴する少女像などを展示するコーナーが設けられましたが、テロ予告や脅迫ともとれる電話などが相次ぎ、開幕から3日で中止されました。
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 愛知県は、中止前の状態と展示の一貫性を保ちつつ、安全対策などを講じて再開することを目指してきましたが、展示の在り方などをめぐって協議が難航してきました。  芸術祭の実行委員会の会長を務める愛知県の大村知事は7日夜、記者会見し、コーナーを8日午後から再開すると発表しました。  具体的には、 ▽抗議の電話の専用回線を設け、会場の警備を強化するといった安全対策を講じ、 ▽事前に抽選をして作品の解説を行う教育プログラムを受けてもらったうえで、 ▽1回当たり30人を上限としたガイドツアー形式で再開するということです。  さらに、 ▽鑑賞の前には手荷物を預かり、金属探知機でのチェックを行うほか、 ▽動画の撮影も禁止するということです。  芸術祭では、中止に抗議して作品の展示を辞退するなどしていた国内外の作家たちの作品も8日からすべて展示されるということで、大村知事は「円満な形で日本最大級の国際芸術祭の完成を目指したい」と述べました。
・「 表現の不自由展 」は安全地帯での覚悟なき玩弄。表現の自由は侵されず。 ・米国でも「表現」で一大騒動。NY市長助成金カットと立ち退き要求。 ・中国、韓国はもちろん、米国でも「表現」によっては日本より遥かに厳しい。
 2019年10月14日、 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」 の 「表現の不自由展・その後」 が、突然の中止、「不自由な」限定再開を経て、会期終了と共に閉幕した。  主流メディアの多くは、最も問題視された、昭和天皇の写真を焼き文字通り踏みにじる映像については触れず、もっぱら慰安婦少女像が不寛容な勢力に攻撃されたかの如き「表現の不自由」を体現したような報道を続けた。
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 主催者である 大村秀章愛知県知事 と 津田大介芸術監督 の責任について、「企画アドバイザー」だった 東浩紀氏 が、当事者として的確に指摘している。   「『表現の自由』vs『検閲とテロ』という構図は、津田さんと大村知事が作り出した偽の問題だと考えています。…今回『表現の不自由展』が展示中止に追い込まれた中心的な理由は、…天皇作品に向けられた一般市民の広範な抗議の声にあります。津田さんはここに真摯に向かい合っていません」
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  今回、表現の自由は、常識的意味において、何ら侵されていない。 せいぜい、税金の補助を受ける対象から排除されただけである。問題となった一連の「作品」群は、破壊も没収もされておらず、民間の場に移せばいくらでも再展示できる。写真や動画のネット拡散により、むしろ当事者の予想以上に多くの人が「表現」の実態に接した。  これが中国で、毛沢東の写真を焼く映像を展示したのだとしたら、関係者は既にすべて獄中、ネット拡散した者も国家安全部に拘束され拷問という展開になっていただろう。  あるいは韓国で、慰安婦の写真を焼いて踏みにじるパフォーマンスをしたなら、やはり関係者は、元慰安婦が共同生活を送る「ナヌムの家」で土下座謝罪の上、何らかの罪状を付けられ服役となったろう。   「テロ脅迫」に責任転嫁を図った大村、津田両氏の行為は、日本という安全地帯における、覚悟を欠いた「表現」の玩弄に過ぎなかった。
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 政治性と宗教性という点で違いはあるが、 アメリカでも1999年、「センセーション」と題したブルックリン美術館の特別展示が一大騒動を巻き起こした。
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 問題の作品はイギリスの黒人画家 クリス・オフィリ(Chris Ofili) の 「聖処女マリア」 で、デフォルメされた黒人女性の乳房のコラージュ(貼付)部分と台座に象の糞が使われていた。また画面に多数飛ぶ蝶のような物体が、近づいて見ると、突き出した女性のヒップの写真であった。  経緯は後述するが、同作品は現在 ニューヨーク近代美術館(MoMA) に収蔵されており、「MoMA, Ofili, Mary」で検索すると同美術館の説明入りで 画像 が見られる。  「センセーション」展を開催したブルックリン美術館は、ニューヨーク市の財政補助を受け、市所有の建物に入居している。 当時のルドルフ・ジュリアーニ市長(現在トランプ大統領の私的法律顧問)は、「嫌悪すべき企画に表現の自由は適用されない」と、作品を撤去しなければ助成金を打ち切り、美術館自体の建物からの立ち退きも求めるとの姿勢を打ち出す。  事態は法廷で争われるに至ったが、特別展示終了で作品が建物外に搬出されたこともあり、結局、市側は美術館に対する立ち退き要求を取り下げた。
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 その後この作品は、460万ドル(約5億円)である富豪が落札し、昨年(2018年)ニューヨーク近代美術館に寄贈された。ところがその際は騒動とならなかった。
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最大の理由は、 同美術館はロックフェラー財団など民間資金で運営されており、税金が入っていないこと にある。  日本でも同様、個人美術館や朝日新聞あたりが「表現の不自由展」を引き取り、自らの費用と責任で展示する覚悟を示せばよいのである。  またオフィリの作品には、題名以外に聖母マリアを思わせる要素は乏しく、構図や色彩にアートとしての面白さを感じる人々が少なくない。象の糞も彼が好んで使う画材で特に冒涜の意図はなかったとされる。  もっともアメリカでも、例えばマーティン・ルーサー・キングの写真を焼いて踏みにじる映像を展示したなら、主催者は囂々たる非難と資金引き上げ、訴訟に見舞われるだろう。その点は、日本より遙かに厳しいはずだ。
島田洋一 (福井県立大学教授)
ご批判、ご指摘を歓迎します。 掲示板 に  新規投稿  してくだされば幸いです。言論封殺勢力に抗する決意新たに!
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socialmoviesblog · 6 years
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■「ピンクと水色の映画」のメモ
▼通常国会が始まった。それに関連してもいるが「若い層ほど安倍政権を支持する説」に興味がある。といっても「安倍ガー」みたいなことを言いたいわけではない。「安倍政権批判」が主眼ではない。
▼おそらく「なぜなの?」」と聞けば「アベノミクスのおかげで就職内定率があがった」とか「平和勢力のいう絶対護憲のようなものにリアリティを感じない」とか、よく言われているような、ある意味ごもっともな意見が出てくるのだろう。
▼ただ、そういう個々の指摘よりも、自分的には、支持の底流を流れているものというか、安倍政権を支える「気分」のようなものに興味がある。 
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▼自分的には現政権の特徴は「できうる限り現状を変えずに”今”という時間を永続させること」、言いかえれば「今とは違う未来を作るために力を尽くす」のではなく「“今”の維持を妨害するノイズを排除し続けることに力を尽くす」ことにある、と思っている。
▼もちろん「今とは違う未来を作る」といってもこれだけ早いスピードでテクノロジーが進化し、それが社会にも大きな影響を与える状況では、未来予測など困難だし、未来社会の構想などもっと困難だろう。野党が「対案」を出せないのも、彼らがふがいないということもあるが、このことが本質だろう。
▼けれど、気になっているのは「今とは違う未来を作る」のが困難なので「消去法的」に現政権を支持している…というよりも「今とは違う未来を作る」という発想や意思そのものまで消滅してしまっているのではないか、ということだ。
 ▼先に、「現政権の特徴はできうる限り現状を変えずに”今”という時間を永続させること」だと書いた。だが、これはどういうことか?
▼たとえば現政権の柱ともいえる「アベノミクス」をみてみる。それは、企業やビジネスマンに特段の現状変更を強いる��となく、日銀がお金を大量に刷って国債や株を買いさえすれば、株高→円安→輸出増→物価上昇→賃金上昇が起きる。その結果、「豊かな日本」を維持することができると言っている。
▼だから政府は異次元に金融緩和をすればよく、そのリスクを指摘する議論にはそれを封殺する「理論」で対処すればよい、となっている。
▼そして実際にも名目GDPは、民主党政権時の2009-2012が4兆円増だったのに対し、2012-2016では44兆円増で大幅UP.
(実質GDPは同期間で民主28兆増 自民22兆増)
▼さらには失業率も改善され、バブル期並みの2.8%にまで下がった。
▼また有効求人倍率も全県で1を超え、就業者数自体も51か月連続で増加した
▼よって「日銀がお金を刷ったので、豊かな日本は維持できた」としている。
 ▼しかし現状はどうか?
▼名目GDPが44兆円増加したというが、2012年以降は震災の復興需要が年平均4.3兆円あった。つまり、アベノミクスでなくても21.5兆円分は自然に生み出せた。逆に言えばアベノミクスで生み出せた名目GDPは約半分の22.5兆円(年平均4兆強)ということになる。
▼さらに、就職内定率上昇、失業率低下、有効求人倍率増、就業者増もアベノミクスの成果というが…正社員セクターでは2012年以降、団塊世代が大量に定年退社している。その分の穴を新卒大学生で埋めているのであって、内定率改善は政府の経済政策でなくてもそうなるのではないか?
▼また「失業率低下は経済政策のおかげ」というが失業率回復は2009年からのトレンドだ。経済政策というか「景気循環」の話ではないのか?(これについては2012年以降の回復率はそれまでより大きいので、やっぱり経済政策のおかげだという議論もある)。
▼加えて有効求人倍率や就業者数自体も増加しているが、これは新たな産業が生まれて、そこに雇用が必要となったため生じているというよりは、人口減により人手不足となった従来分を一度辞めた団塊世代と、主婦層が非正規社員となり埋めている場合が多い。
▼これも経済政策のおかげというよりは人口構造から自然とそうなる流れだったのではないか?
▼ちなみに、彼らはフルタイム雇用ではないので賃金が低くなりがちで、それに引っ張られて正社員セクターでも、賃金が上がりづらくなる。加えて社会保険費の増加により企業は毎年、折版分の負担を増やしている。会社からすれば「毎年、正社員には保険を上乗せしてんだよ。このうえ賃上げなんてできるかよ」という話になる。これが賃金がなかなか上がらない理由とされている。だとすれば、賃金が上がりづらい状況でインフレにしようとすれば、実質賃金は低下することになる。
 ▼とはいえ「結果オーライでも各種数値が伸びてるんだからいいじゃないか。やらなくても伸びた部分に加え、やったことで株高や、円安によるドル円換算での利益増が起き、さらに得をしたのだから。」という言い分もあるだろう。
▼しかし、やったことで負ってしまっているリスクもある。
 ▼たとえば「国債を大量に発行すれば国の財政が危ない」という指摘。だが、これには「いや、政府の借金は誰かの資産。日本では政府への金の貸し手はほとんど日本人。だから、政府は国民の預金から金を借り、その返済を国民にする。とすれば、お金が政府と国民の間をぐるぐると回っているだけで財政破綻などない!未来の世代に借金を残すというが、むしろ国債利払いという資産を残している」という反論が用意されている。
▼しかし「政府が国民の預金から金を借り」といっても現実には、預金者の多数派である年金世代は、年金だけでは足りないので毎年70万円程度の貯金を取り崩しており、その金が企業に回り内部留保となっている。
▼だから国民⇔政府をぐるぐる回るのではなく、企業⇔政府をぐるぐるまわるのだし、その内部留保は、多くは海外進出や海外企業買収に使うために貯められているので社員(国民)にはあまり還元されないか、どちらかといえば海外に出ていく運命にある。これで「国民―政府間をグルグル回り続ける」といえるか?という問題がある。
▼さらに現在では、企業⇔政府どころか、銀行は企業が預けた金で国債を買ったら1日後には、もう日銀に売ってしまっている状態。だから国債約370兆が日銀に貯まり(全国債の40%)、国債をもっているのは同行と、地方等の中小金融機関がメインになった。
▼これでは「国債が政府と国民の間でグルグル論」はあまり意味をなさなくなるし、今度は、「日銀がそんなに国債を抱えていたら危険なのではないか?」という危惧が生まれてくる。
▼すると、ここにも反論(御用理論?)が用意されている。
▼「いや、日銀は政府の子会社のようなもの。だから両者一体のものとしてバランスシートを統合できる。そうすれば政府の負債(政府が発行した国債)と、日銀の資産(政府から買った国債)がプラスマイナスで相殺される。よって日本に”財政問題”など存在しない」のだと。
▼しかしながら、日銀は政府から直接国債を買ったのではない。具体的には政府が普通の銀行に売った国債を、日銀が普通の銀行から買い取ったのだった。とすれば、日銀が普通の銀行から国債を買う時には、日銀から普通の銀行に、その分のお金が支払われていることになる。そのお金はどこにあるか?普通の銀行が持っている日銀当座預金口座にある。
▼ここにあるお金は預金である以上、我々が銀行に預金したら金利がつくのと同じように、金利がつく。今は「マイナス金利」なので払わなくてよくなっているがプラス金利になれば、日銀が普通の銀行に利払いをせねばならなくなる
▼たとえば2%の長期金利が上がれば、6兆円ほど日銀は利払いせねばならないそうだ。それは日銀の自己資金から払うことになるが、8兆円程度しか彼らはもっていない。だからこうした状態が何年も続くと危うくなる。
▼また、金利が上がるということは、国債の価格が下がることでもあるから日銀の資産である国債の価値も目減りする。2%上昇だと約46兆の評価損だそう。となると日銀が破たんに近づく。もちろん政府が救済するだろうが、金は税金から出すことになるだろう。
▼また、金利が上がれば中小の銀行が持っている国債の価格も下がる。すると中小の銀行の資産が目減りするので経営が危うくなり、「あそこの銀行が危ういぞ」という噂が立てば庶民たちの「取り付け騒ぎ」も起きやすくなる。
▼そういうと、「じゃあ2%の金利なんていつ上がるんですか?」という反論が待っている。未来のことなので「いつ」なんて言えるわけもないが、そういうと「言えないんですね!?もう~頭も悪いうえに不確かなこと言わないでくださいよ~。」と切り返されるのが常となっている。
▼しかしながら、インフレになれば金利も連動して上がる。で、2%のインフレにするのが「アベノミクス」じゃなかったのか?むしろ、いつ上がるかはこっちが聞きたい話だ。逆に言えば、「じゃあ2%の金利なんていつ上がるんですか?」という人は、アベノミクスでは2%のインフレ目標の達成は不可能だと思っていることになる。ということは、アベノミクス推進派は「2%のインフレ率上昇なんて本当は不可能」と知っていながら「2%のインフレを目指せ」と言っていたことになる。これは欺瞞ではないか?(注1)
▼言い換えると、日銀は「2%のインフレ目標達成」に「失敗することで」サバイブしている。逆に「2%のインフレ目標達成」に「成功すれば」今度は自身のサバイブに失敗するということになるのだ。
▼つまり、アベノミクスは、単に日銀がお金を刷ってさえいれば、他の人は特段何をしなくても「豊かな日本」となり無問題!というわけではなく「いくばくかの利益」と引き換えにリスクを未来に付け回しながら「できる限り”今”を永続させる」ことを選んでいるのだった。
 ▼また、安全保障政策についても似たことが言える。
▼たとえば今話題になっている「9条改正問題」。政権の言い分では「3項に自衛隊を明記すれば、今まで曖昧な立場だった彼らの地位が保障され、士気も上がって抑止力が高まる。そして今までどおりの安全な日本が維持できる」という。
▼しかし、素朴に考えて3項に自衛隊を明記しただけでは事態は何も変わらないだろう。自衛隊の士気だって、彼らの大半は真面目で実直なのだからもうすでに十分高い。
 ▼加えて、2015年の「安保法制」にも似たところがある。あそこでの趣旨は「これまで抑制されていた集団的自衛権を(部分的に)認める」ということだった。
▼実際には、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある限り(集団的自衛権の行使が可能)」という文言になってしまったことで、行使が想定されている8事例では、ほとんど使えなくなってしまった。
▼たとえば、有名どころでもある「邦人輸送中の米輸送艦の防護」。これは、アメリカの艦船が日本人を救助して乗せてくれている時、そこにミサイルが飛んできたら、自衛隊はこのミサイルや発射主を攻撃できる…という意味。そもそもそんなことが現実にありうるのか?という問題はある。だが、それを差し置くとしても、先の文言がついてしまったことでアメリカの艦船を守れなくなった。なにしろ米艦船が1つ2つ攻撃されたくらいでは「(日本)国の存立が脅かされ」はしないのだから。他の7つは詳述しないが以下同文という感じ。
 ▼また、もし仮に「集団的自衛権を認める」ことを宣言できたとしても、今度は別のリスクが発生する。
▼政権の言い分では「集団的自衛権の行使を容認すれば、アメリカを守ることができるようになる。すると、アメリカ側も、ならば日本を守ろうという気持ちが強くなり、同盟力が強化される。すると、それを知った中国や、北朝鮮は、日本攻撃に躊躇するだろうから抑止力もあがる」という。
▼しかし「行使を容認します」と言っただけでは「空手形」や「口約束」に過ぎない可能性がある。それが本気であることを示すには実際、行使してみせなければならない。でなければアメリカだって「本気」になってはくれないだろう。
▼とはいえ、行使するとどうなるか?たとえば、北朝鮮がグアムに向けて撃ったミサイルを日本が集団的自衛権行使で迎撃してみせたならどうか?当然、北朝鮮は怒るだろう。そして反撃もありうるだろう。
▼けれども逆に迎撃しなければどうか?「なんだ?集団的自衛権のアレは口約束だったのか?」と思われ「だったら俺らも守ってやらないよ」とアメリカに言われてしまうかもしれない。
 ▼つまり、「3項に自衛隊を記します」「集団的自衛権を行使します」と言いさえすれば(書きさえすれば)、特段、誰も何もしなくても「安全な日本」という現状が維持できる…と考えているようだが、実際には、そのことで未来にリスクが付け回されるのだった。
 ▼しかし、興味深いのは、いくらこうやって指摘しようと、おそらく国民の多くが(とりわけ若い層が)「だったらその策を批判しよう」という気にはならないことだ。むしろ「たとえ未来にリスクがあろうとも、できる限り”今”を永続させてくれ!」と思っているのではないか。そこに興味がある。それを支える「気分」についてよく知りたい。
▼そして、その気分を知ることができるのが「ピンクと水色の映画」だと思っている。これは、それらの映画群のタイトルがたいてい「ピンク色」か「水色」で書いてあることから自分が勝手に命名したものだ。「青空をバックに白のロゴ」というパターンもあるが、それも「水色の1バリエーション」ととらえたい。
▼それらはたいてい「イオンシネマ」とか「ワーナーマイカルシネマズ」とか、そんなような所で上映されている。
▼映画の舞台はたいてい学園で、若手イケメン俳優と美少女女優が出てきて、くっついたり離れたりするので、女子中高生が観ていることが多い。
▼若干、書き方に悪意があるように思う人もいるかもしれないがww、そこはおっさんが若い子をひがんでいるのだからしょうがない(笑)。
▼さておき、要するに、若い子向けの「青春映画」なのだが、若い子向けな分、彼ら世代の「気分」が反映されているとも思う。実際に、自分が観てみて興味深かった作品には「共通する傾向」があるように感じられる。
▼その傾向こそが、さっ��からずっと書いて来た「気分」を知る手がかりになるとも思っている。以下、いくつか作品を例示しながら思ったことを書いていきたい。
  ●「君の膵臓を食べたい」
■まずは昨年スマッシュヒットの人気どころから。
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■物語は、とある学園から始まる。主人公はそこで教師をしている志賀春樹(小栗旬/北村匠海)。実は、彼はこの学園の卒業生だった。そんな彼は、管理を任された図書館で、生徒の栗山(森下大地)と話しているうち過去を思い出す。
■彼は高校時代、この学校の図書委員だったが、ある日、同じく委員になっていた山内桜良(浜辺美波)の秘密を知ってしまう。春樹は病院に行った際、桜良が置き忘れたと思しき「共病文庫」と書かれた日記を読んでしまった。そこには、彼女が膵臓の病を患っており余命わずかだということが書かれていた。
■たじろぐ春樹の前に「読んだわね」と桜良が現れる。だが、勝手に読んだことをとがめるかと思いきや、彼女は「死ぬ前にやり残したことを一緒に手伝ってほしい」と春樹に告げる。
■けれど、桜良は突然「君の膵臓を食べたい」なんてことを言い出す予測のつかない女の子。ちなみに「膵臓を食べたい」の真意は「昔は、自分の体に悪い部位があると、他人の体にある同じ臓器を食べれば病気が治るとされていた」ため。
■ともあれ、以降2人は、一緒に福岡に旅行に行ったり、ホテルに泊まったり、負けたら「真実を言うか?挑戦をするか?」ゲームをやってみたり…と、残された月日を過ごしていく。
■すると、これまで「自分の半径1m 見えないバリア張った別世界」だった、閉じこもりがちな春樹の心は、天真爛漫な桜良によって開かれていく。
■だが、桜良の親友でもある恭子(北川景子/大友花恋)とも知り合ったり、彼女の元カレ(桜田通)の襲撃なども乗り越え、2人の絆が結ばれていったある日。入院した病院から退院し、久々にデートすることになっていた桜良は、春樹との待ち合わせ場所に向かう道すがら、突如、通り魔に襲われ命を落としてしまう…
■待ち合わせ場所に来なかった桜良を不思議に思いながらの帰り道、ニュースで事態を知った春樹は愕然…
■しかし、後日、桜良の実家に線香を上げに行った際、春樹は彼女がつけていた日記を桜良の母からみせてもらう。そこには…
◆置き忘れた「共病文庫」の盗み読みから始まって、春樹が今までとってきた行動は、ほぼ桜良の計画どおりだったこと。
◆彼女は周囲の誰とも話さない春樹に「自分を持った強さ」を感じ、友人になりたくて、また周囲にも彼の良さを知ってもらいたくて接近計画を立てたこと。
◆本当は病気で死ぬことが不安でたまらなかったが、春樹の存在が心の支えになったこと
…などが綴られていた。
■日記を読みながら号泣する春樹。そして彼は、日記の最後に書かれていた「残された恭子と友達になってほしい」という桜良の願いを実行するべく走り出す。
■桜良の思いに彼女の死後も寄り添うこと…それは、「君の膵臓を食べたい」=「君の心の中でずっと生きていたい」という桜良の思いに従うことでもあった…。
………
▼この映画が興味深いのは、主人公の春樹が昔も今もずっと同じ学校に居ることだ。
▼同ポジで過去シーン/現在シーンを行き来する演出も、この「ずっと同じ場所に居る感」を補強する。加えて、時を超えて桜良の思いを叶えるため走る姿もそう。登場人物たちは、いくら年をとろうと「永続する今」を生きているように感じられる。
▼また、桜良の日記に書かれていたことも興味深い。それによるなら、映画内の春樹の行動はほとんど「桜良の敷いたレールの上」を歩いていただけということになる。
▼「ずっと続く今」の中で「シナリオどおり送られる生活」…
▼自分で未来を切り開くよりも、未来に行うべき行動にすらレールが敷かれている………つまり「未来」は未知のものではなく「今の延長」となっている。
▼「ノイズなき“今”」…それが永続することに(若い)人々は感動を覚える…
▼実際、桜良がずっと「膵臓の中」に居続けたら、春樹は次(の恋)に進むことなどできないだろう。逆に言えば「桜良と春樹の輝いた日々」を永続させるためにこそ、彼女は唐突に命を落とし、そして「彼の中に生き続け」なくてはならなかった…と言えないか?
▼この徹底して未来を欠いたストーリーテリングがとても興味深い。
  ●「RE:LIFE」
■次は、時空SFチックな青春モノ。
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■主人公の海崎新太(中川大志)は、27歳で失業中のニート。大学時代の同級生と久しぶりに飲みに行く時も、嘘をついてスーツを着込み、自分の境遇をごまかす「人生オワタ」な日々…
■そんなある夜、酔いつぶれて歩く彼の前に1人のうさんくさそうな男子・夜明了(千葉雄大)が現れる。話を聞けば、彼は、ある研究所の職員で、そこで行われる実験の被験者を探しているという。
■その実験とは、被験者を若返らせる薬を飲ませ、1年間の高校生活をやり直してもらうこと。「人生もう終わりだ」「もう一度やり直したい」…そんなふうに思っている人は、本当にやり直せた時、変わることができるのか?を調べたい、ということなのだろう。
■こうして高校生の見た目になった新太は、転校生という設定のもと2度目の学生生活を「リライフ」することに。
■最初はうかつにもタバコを吸ってしまい問題視されたり、学生時代の知識など忘却の彼方のためテストが赤点だったり、「同世代」とはまるでノリが違ったりと散々…。「エラい選択をしてしまった。もう、誰の記憶にも残らず1年間をつつがなく乗り切りたい」とヘコむ新太。
■だが、学生生活を送るうち、成績は抜群だが人との付き合い方が壊滅的に下手な日代千鶴(平佑奈)。なんでもできるキレるやつだが、女子の気持ちだけは読めない大神和臣(高杉真宙)そんな彼をもどかしく思う狩生玲奈(池田イライザ)…など、個性的な「同世代」と知り会っていく。
■そして、不器用さゆえに1歩前に踏み出せずにいる彼らをみて、1年後の実験終了時には彼の記憶が仲間から全て消えてしまう運命にあった新太は、全身全霊で訴える。
■「今という時はもう戻ってこない!今を大切に生きろ!」
■「何おっさんみたいなこと言ってんだ!?」とバカにされながらも、その言葉に背中を押され、人生を一歩前に進めることができた仲間達。
■そんな彼らを見届け満足すると共に、1年が終わり、彼らの記憶から消えていく新太。
■そして実験終了後…新太は、就職前に志していた教員を目指し試験に合格。教師として高校に再び舞い戻ってくる。するとそこには同じく新任女教師として赴任してきた千鶴の姿が!実は彼女も「リライフ」被験者だったのだ!記憶は消えているため互いのことを知らない2人。だが、彼らは教師としてもう一度学園生活を送ることとなった。
………
▼2度目の高校生活を送る新太は、それが終わっても高校生活。しかも「同級生」まで一緒…ここでもまた「永続する学園生活」のモチーフが描かれる。
▼そして、全てが終わった視点から振り返り、語られる「一瞬一瞬を真剣に生きろ!」という“今”への執着。
▼フィクションの力で未来を描く「SF設定」をとりながらも、そこに「未来」の姿はない。ひたすらな“今”への執着と、その永続を願う思いだけがある。そして、その“今”への執着に人は感動し、映画館を出た後も“今”だけを見て生きていく…
▼いや、そこには「この大切な“今”はいずれ無くなってしまうんだ。だからこそ貴重なんだ。」という悲壮感すら読み取れるかもしれない(「けものフレンズ」における背景の廃墟のような…)。
▼いずれにせよ、ここでも未来は決定的にその姿を欠いている…。
●「僕は昨日の君とデートする」
■こちらは、より複雑な青春時空SFストーリー。
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■主人公の冴えない20歳の美学生・南山高寿(福士蒼汰)は、ある日、電車の中で人生初のひとめボレをする。相手は福寿愛美(小松菜奈)。これまで女子とまともにつきあったこともなかったが、この期を逃せば彼女に会えなくなると電車を降りた彼女を追いかけて思いを告白。
■名前を名乗り「連絡先を教えて欲しい」と意を決して告げるが愛美は「携帯持ってないの」との答え…。「体よく断られたか…」と悲しむ高寿だったが、「きっとまた会えるよ」とは彼女は言う。
■そして後日、高寿が公園で絵を描いていると後ろから女子が。愛美だった。
■「偶然の再会」だと思いうれしがる高寿。それがきっかけて2人はデートすることに。
■だが、つき合ううち、昨日あったことも忘れていたり、突然、涙したり…と彼女の不思議な一面に気付いていく高寿。
■やがて、その真実が明かされる。実は彼女は、高寿(我々)とは別の時空間を生きていたのだ。愛美は、高寿(我々)とは時間が逆方向に流れる世界の住人だった。
■つまり、人生が80年だとすると、我々の場合は、0歳、1歳、2歳…というふうに時間が過ぎていく。だが、彼女が生きる時空は、80歳、79歳、78歳…というふうに時間が流れるのだった。
■そして5年1度、30日間だけ、2つの時空は1つの地点で交わり、2人は出会うことができるという。愛美が昨日あったことも忘れてしまうのはそのためだった。
 ■なぜなら…
 高寿:1日 2日 3日 4日 5日…
   …5日  4日  3日  2日 1日 :愛美
 …といった感じに時が過ぎているので、高寿にとっては4日目でも、愛美にとっては2日目となってしまう。だから高寿が「3日目は×だったよね?」と聞いても、愛美はまだ3日目を経験していないため「??」となってしまうのだった。
■この仕組みを知った時、彼はあることに気付く。それは少年時代の記憶。当時、高寿は公園の池でおぼれてしまうが、その際、1人の女性に助けてもらう。その女性こそ、逆方向に時空を辿ってきた30歳の愛美であったと。
■だが、真実を知ると高寿は絶望してしまう。なぜなら、自分がいくら彼女と大切な思い出を積み重ねようと、まるで共有できないのだから。
■それでも彼女のことを心から愛していた高寿は、30日が過ぎるころ、5年後の再会を約束し、最初に出会った駅で「つかの間��別れ」をする。
■その後、5年おきに若くなった彼女と出会い、思いの継続を確認する高寿。そんな彼は30歳の夏祭りの日、迷子になった5歳の愛美を捕獲。かつて自分が少年時代に池でしてもらったように「大丈夫だよ」と告げ、その場を去って行くのだった…。
………
▼これも主人公の高寿目線でみれば「キミスイ」と同じく、進むべき人生のレールがあらかじめ敷かれている状態。未来は「未知」ではなく「現在の延長」だ。
▼20歳の時に体験した「大切な“今”」を守るために、彼は、その後の人生でも「祭りの日」のように、絶えず若き愛美を守り続けなくてはならない。途中で彼女に「何か(ノイズ)」あっては、20歳の「大切な“今”」を体験できなくなってしまうのだから。
▼だから彼にとっては、25歳の時にすべきこと、30歳の時にすべきことが決まっている。
▼「大切な“今”」を守るために、それを妨害するノイズを絶えず排除し続けながら、未来に敷かれたレールの上を歩いていく…。
▼とはいえ、その「レール歩き」の成否は、5歳の時、愛美に助けてもらったという「運命の出会い」によって半ば担保されているといっていい。
▼そして、そんな「レール歩き」がうまく行ったと思えた時、人は「大切な20歳の1か月」が守られたと安堵し感動する。
▼ここにおいても「大切な今」への執着と、それを妨害するノイズの排除による「現在の永続化」が主題化されている。
   ●「1週間フレンズ」
■今度は、純粋なSFではないものの、実質的に「時空SF」となっている作品。「川口春奈はかわいいなあ」と素直に思ってしまった。また、山崎賢人君の雰囲気がよくて人気がある理由が分かった気がした。また、賢人君の幼なじみ役の高橋春織ちゃんが、にゃんこスターの子にしかみえない(笑)。さておき、おおまかなストーリーはこうだ。
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■主人公は高校生で漫画部所属の長谷祐樹(山崎賢人)。彼は1年の3学期の終わりごろ、図書館で1人の女子と出会う。藤宮香織(川口春奈)だった。
■その出会いは「最悪」なものだったが、彼は後日、帰りの電車内でウトウトし急いで駅を降りた際、図書館で借りた分厚い本を車両内に置き忘れてしまう。
■「しまった…」と、焦る長谷。だが、その時、閉まるドアの隙間から本を投げてパスしてくれた女の子が。香織だった。
■これに運命を感じた長谷は、学年が上がり幸い香織と同じクラスになると「彼女と友達になりたい」と思うようになる。そして、持ち前の陽気さを活かし、何度も彼女に「友達申請」をしていく、のだが…
■香織はなぜか毎回つれない態度。電車内では本をパスしてくれたのに…
■また、1週間が過ぎて登校時に会った時も…「友達になって下さい?あなた誰?」という態度…これには愕然とする長谷。
■だが、数学教師の井上(戸次重幸)から長谷は、驚きの事実を知らされる。
■実は、香織は中学時代にある事故に遭い、記憶が1週間しか持たない体になっていた。
■長谷が何度「友達申請」しても「ごめん」と、つれない態度だったのは、どうせ友達になっても1週間で忘れてしまい、彼を傷つけてしまうから…と憂慮してのことだった。
■それを知り苦悩する長谷。だが、彼はあることを思いつく。それは「交換日記」。
■1週間交代で交換日記をし、そのノートを彼女が随時見返せば、自分たちが何をしてきたかをずっと覚えていられるのでは…と考えたのだ。
■この提案を受け、最初は渋ったもののOKする香織。以後、2人は交換日記を通じ「1週間フレンズ」としての関係を築いていく。
■だが…2人のクラスに転校生が。九条一(上杉柊平)だった。実は彼は中学時代の香織の同級生。
■九条はイケメンのため同学年の女子たちの憧れの的だったが、意中の人は香織だった。
■そして一旦、家の仕事の都合で北海道に転校になる日、「告白の答え」を香織に求めてきた。彼女は「OK」を言おうと九条の待っている場所に向かったのだが…
■その道すがらを同級生の女子たちに見られてしまい「九条君をぬけがけしないでよね!」と問い詰められ、その場を逃げたところを車にはねられる…という展開に。記憶が1週間しか持たなくなったのはそのせいだった。
■最初は、中学生時代の記憶を思い出せない香織だったが、九条と触れ合ううち、当時の記憶が甦る。すると、都合の悪いことに(よいことに?)、代わりに長谷との思い出を喪失してしまう。そして香織は、「アタシ、中学時代に彼が好きだった」と、九条とよりを戻していく
■一方、「1週間フレンズ」となった長谷は、彼女に恋心を抱き、告白をしようと考えていたのだが、香織の記憶が復活したため、思いを告げられずじまい…
■失意の彼は、これまで書いた日記を火にくべ燃やしてしまう…
■だが…その後、偶然が重なって、香織は図書館である分厚い本を手にとることに。あの日、電車でパスした本だった。
■開いてみると、そこには「長谷と香織のこれまで」が漫画研究会の絵心を活かした「パラパラ漫画」で描かれていた。
■それを読んだ香織は、自分がこれまで長谷と過ごしてきた大切な日々を思い出す。
■そして、イケメンを振り切り、長谷の元へダッシュ。「私と友達になって下さい!」そう言って彼に手を差し出すのだった…。
………
▼これもイジワルな見方かもしれないが、運命の出会いがもたらした「1週間フレンズ」という「大切な時間(今)」を永続させるため、主人公が記憶を失ったJKのメモリーを交換日記を通じてひたすら「歴史修正」する物語にみえる。
▼もちろん「歴史修正」といっても意図的に何かを書き換えたわけではない。それでも、たいてい自分に都合の悪いことは書かないだろうし、よいこと中心に書くだろう。だから、日記以外に情報がない香織からしたら「長谷くんはいい人」と思うのも当然だろう。
▼意中の女子高生が「敷かれたレール」を着実に辿って「大切な時間」に至るよう記憶を「誘導」していく。
▼「敷かれたレール」を外れそうなノイズ(中学時代のイケメン同級生)が登場し、日記で作った記憶が「上書き」されれば、さらに「パラパラ漫画」で上書きし返す…
▼そうやって一瞬一瞬が輝かしい「大切な今」の永遠化を目指す。そして、その永続化が達成される光景をみて、人々は感動し涙を流す…
▼ここにも「大切な今」の永続化と、それを妨害するノイズの排除というモチーフが描かれている。
  ●「サクラダリセット」
■実はこの記事を書こうと思ったのは本作を観て、かなり奇異な感じを覚えたからだ。大まかな流れはこう。
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■舞台は太平洋側に位置する、とある地方都市・咲良田市。
■そこに住む人たちのおよそ半数は、特殊な能力を持つ能力者。その能力は千差万別だが皆、「咲良田を出ると能力を忘れてしまう」という共通点がある。
■さらに咲良田の能力者は「管理局」という都市の公的な機関によって管理されており、管理局から依頼されて能力を発動する者もいる…。
■そんなこの街で暮らしているのが主人公の高校生・浅井ケイ(野村周平)。いつも冷静沈着で頭の回転の速い彼は、「記憶保持」という能力の持ち主。それは見聞きしたことを完全に覚えて忘れないというもの。
■そんな彼には相方的存在がいた。同級生の女子生徒・春埼美空( 黒島結菜 )だ。彼女は「リセット」という能力を持っている。この「リセット」は、世界を最大3日分まで巻き戻す能力。厳密には「前回セーブしたところまで」となり、セーブを行なわないでいると3日巻き戻るという。
■だが、その能力を発動すると、周囲はもとより彼女自身もリセット前の記憶をなくしてしまう。ただ、1人だけ忘れない存在が。それがケイだった。だから2人はいつも基本ペアで行動している。
■加えて美空には、一度不用意に「リセット」を発動したせいで人を死なせてしまった(救えなかった)過去がある。だから、頭の切れるケイと一緒にいなくては、自分はまた過ちを犯してしまうと考えていた。
■そんな彼らはある日、学校の部活動の1つであり、管理局の下部組織でもあった「奉仕クラブ」から呼び出され依頼を受ける。
■依頼内容は「佐々野宏幸という76歳の男性の、失われた能力を取り戻せ」というものだった。そこで佐々野に会いに行くケイたち。
■ここから事態は複雑な展開をたどり、紆余曲折があるのだが、おおよそこうなる。
■佐々野にはかつて恋人がいた。その女性は「魔女」(加賀まりこ)とも呼ばれており、未来を予知する能力を持っていた。そこで「管理局」は彼女を活用。咲良田の街の未来について絶えず「予知」させ、よからぬことがあればそれを事前に取り締まるという体制を築いた。
■その後、「魔女」は何十年もこの街の未来を予知し、今では老女に。そして「名前のないシステム」とも呼ばれるようになった。ちなみに、彼女はかつて街の未来のために市の外から当時10歳のケイを呼び寄せていたことも後々判明する。
■だが、老女となった彼女は寿命がきたのか「あと10日で死んでしまう」運命に。佐々野老人がケイたちを呼び寄せたのは、かつての彼女が死んでしまう前に、一目会うのを手伝ってほしいと考えたからだった。
■そのことを知ったケイは、美空や特殊能力を持った仲間たちの力を借りて、2人を再会させることに成功。そして、2人は咲良田を出て、能力を忘れて余生を送ることを決めたのだった。
■一方、去り際に魔女は「自分の後継者がいる」こと、それはケイの知っている人物であることを告げていた。
■彼女の名は相麻菫(平佑奈)。かつてのケイの同級生(仲がよかった)であり2年前に不慮の事故で死んでしまった女の子だった。なお、美空が自分1人で能力を使わなくなったのは、彼女の死を救えなかったせいでもあった。
■だが、特種な能力を使う仲間達と知り会ったケイは、その能力をたくみに組み合わせ、相麻菫(のコピー)を復活させることに成功。
■そして、復活した彼女は魔女の予言どおり「2代目の名前のないシステム」にならんとしていた。
■しかし、それを阻む者が。管理局の室長・浦地正宗(及川光博)だった。彼はあることが理由で能力者がいる咲良田市を、深く憎んでいた。そのため自身が持つ「対象の時間を巻き戻す」能力を使って、能力保持者たちの記憶を「能力を持たなかった時代」まで巻き戻し、彼らの能力を奪っていたのだった。
■「咲良田からすべての能力をなくしたい」…それが彼の密かな野望だった。
■そんな彼は初代魔女が消えたことを期に、その野望=「サクラダリセット(聖なる再生)」を実現に移そうとしていたが、2代目魔女・菫���現れたことを知り、彼女を消しにかかる。
■だが、それを阻止しようとしたのがケイたち。
■そして阻止する過程で、ケイたちは浦地がこの街を憎んでいた理由を知る。
■それは彼の両親の過去に関わっていた。かつて浦地の父は「特定の記憶を消す能力」を持っており、母は「指定したものを失わない」という能力を持っていた。
■管理局は、それを知ると、幼い浦地のスキをついて2人を拉致。互いの能力を発動させたまま、長い眠りにつかせてしまった。咲良田市が今のようになったのは、それ以降のことだった。
■つまり、咲良田を出ると人々が「能力を忘れる」のは、父が咲良田の外に向けて能力を発動しているからで、逆に、街の中にいると能力保持の記憶を忘れないのは、母が咲良田の内側に向けて能力を発動しているためだったのだ。
■浦地は自分の両親を奪ったことと引き換えに今の平穏を保っている咲良田が許せなかった。だから、「咲良田からすべての能力をなくしたい」と願っていたのだった。
■そのことを知ったケイは、学校の屋上に浦地を呼び出すと「カルネアデスの板」という議論を引きながら、彼に咲良田の消滅を踏みとどまらせる。
■「カルネアデスの板」とはこんな議論だった。
一隻の船が難破し、一人の男が板切れにすがりついたのだが、もう一人すがりつこうとする者がいた。しかし、二人とも掴まると板が沈むため、最初の男は、後からきた者を水死させた。これは許されることか否か?
■これを聞き、「自分が助かるために他者を犠牲した人間は当然のことをした」と答える浦地に対し、ケイはこう言う。「僕なら、ふたりとも生き残れる道を探します」。
■そして、またも仲間たちの能力を巧みに組み合わせて行動を起こし、浦地の両親から、能力を取り出したうえで、時間を決めて、その能力を保持する人間を交代する策を実現させる。つまり、浦地の両親を救うことと、咲良田市を維持することを両立させたのだった。
■こうしてケイや美空たちは再び咲良田の街で、元の高校生活を送ることとなった。
………
▼実際にはストーリーはもっと複雑なので興味のある人は作品をみてほしい。
 ▼ともあれ先にも書いたがこの作品を観た時、ちょっと奇異に感じた。「普通と逆だな」という印象を持ったのだ。
 ▼何が「普通と逆」なのか?
 ▼この手の話だと普通は、浦地の世代の方が、咲良田を元のまま維持しようとし、それに若い世代であるケイたちが反発するのでは…と思ったのだ。
 ▼たとえば、古い世代である浦地は「能力を失った人たちがこの街を出て暮らすなんて、どんな苦労があるか分かっているのか!?」なんて言い出し、現状維持を図る。
 ▼それに対し、ケイたちの世代が「こんな異常な状態を維持しているのはおかしい!たとえ苦労があろうとも人々に新しい未来をもたらすんだ!」とか言って反逆する。
もしくは、能力を維持したまま街の外に出る策を編み出し、その力を使って世界中の人々の苦しみを救う…とか。
 ▼しかし、この映画は、まるで逆だ。古い世代が街を壊そうとし、若い世代が現状を維持しようとする。「カルネアデスの板」といった難しい例題を引き、深淵な議論を展開しはするが、やっていることは「今の永続化」なのだ。
▼「泣いている人たちの苦しみを取り除くために、自らの能力を使いたい」と言ったようなことを映画内で美空たちも言っているが、彼らはそれを街の外へ拡張しようとは、みじんも考えていない。
▼「街の外」や「現状を変える未来を作り出そう」という志向が、主人公たちからはキレイに消去されている。能力も高く、頭もいいはずなのに…
▼そこがとても奇異に感じられたのだ。
 ▼「できうる限り現状を変えずに”今”という時間を永続させること」、言いかえれば「今とは違う未来を作るために力を尽くす」のではなく「“今”の維持を妨害するノイズを排除し続けることに力を尽くす」こと。
 ▼「ピンクと水色の映画」の多くに通底するこうしたモチーフについて何を思うべきか?「それではいけない」と思うべきか、それとも「やむをえない」と思うべきか、それとも「これこそが新たな時代のモードなのだ」と思うべきか…?今後も映画を観続けながら考えてみたいと思う。
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thetaizuru · 7 years
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アイデンティティ政治はホロコーストを引き起こすのか? 2017年9月20日 ここは皆様のウェブサイトだ。ご支持願いたい。 Paul Craig Roberts アメリカ崩壊の兆しは至る所にある。どうやら誰も気がつかないようだ。国連で、世界はアメリカに賛成投票を続けている。ロシアと中国ですら、対北朝鮮で、ワシントンに賛成投票をしてアメリカ外交政策の侍女をつとめるのでは、例外的な、必要欠くべからざる国アメリカというイメージ作戦は、ワシントンから最も脅威にさらされている敵国にさえ成功プロパガンダとなったようだ。ロシアと中国がワシントンの主導に従えば、ワシントンの指導力の代案が存在しないのを世界に示すことになる。 20兆ドルの公的債務と、それより大きな民間債務を抱え、労働人口は借金で首が回らず、第三世界並みの低賃金国内サービス業で働き、株式市場は連邦準備金制度理事会の流動性で不合理に押し上げられ、大企業は利益を自社株買い戻しに使い、軍は、16年間、少数の軽武装イスラム教徒に縛りつけられたままで、マス��ミならぬプロパガンダ省が、結果として無知な大衆をもたらし、公的・私的組織では道徳規範が崩壊し、勇気も消滅している国が、それでもなお、世界中を言いなりにさせることができている。ワシントンはオズの魔法使いだ。 ワシントンは過去16年間、7カ国丸ごとあるいは一部を破壊し、何百万人も、殺害し、四肢を奪い、孤児を生み、未亡人を生み、立ち退かせて来た。ところがワシントンは、自らを人権、民主主義と、あらゆる良きものの偉大な擁護者だと言う。“自分たちの”政府がおかした人類に対する膨大な犯罪に抗議して、アメリカ人が声をあげることはほとんどない。 国連は、他の国々に対する終わりのない侵略、恐るべき戦争犯罪や違法な介入のかどで、アメリカ合州国政府を非難する決議を行わない。 ワシントンは、外交ではなく、威嚇に頼っているが、世界はそれを容認している。国連はアメリカから資金を得ているので、アメリカ承認協会として機能している。 治安機関は警察国家機関と化し、連中は、戦争犯罪を報告すべしというアメリカ軍法の義務を、実刑判決という結果を招く反逆罪に変えてしまった。アメリカ軍法は、アメリカ憲法や法律と同様、空文化し、無視され、施行されないのだ。 ブラドリー/チェルシー・マニング事件を検討しよう。ブラッドリー・マニングは、アメリカ軍兵士たちが、ジャーナリスト、通行人、良きサマリア人とその子たちを、まるでビデオ・ゲームであるかのように殺害している様子を示す映像を公表した。こうした殺人は戦争犯罪だ。ところが罰せられたのは、犯罪をおこなった連中ではなく、犯罪を明らかにしたマニングだった。 監獄から釈放された後、チェルシー・マニングは、最近、ハーバード大学ケネディ行政大学院に客員研究員として招かれた。ハーバードは、不法に有罪とされ、重罪にされた真実を語る人への支持ではなく、性転換者への支持を示すために招請した可能性が高い。その結果、大騒動になった。真実を語る人を招請するハーバードは、なんと大胆なのかと私は本気で思う。マニングは『マトリックス』を丸ごと崩壊させかねなかったのだ。 それを防ぐべく、CIA元副長官、元長官代行のマイク・モレルが、“有罪判決を受けた重罪犯で、機密情報漏洩者を称賛する組織の一員ではいられない”という理由でハーバード上席研究員を辞任した。モレルは、真実を語る人たるマニングに反対するのは平気なのだ。モレルは、性転換者に対して偏見を持っていると見られかねないことだけ心配していた。モレルは辞任状にこう書き加えた。“私は、わが国で、アメリカ軍務に服する権利を含め、性転換アメリカ人としてのマニング女史の権利は全面的に支持することを明記することは重要だ” http://ijr.com/the-declaration/2017/09/974664-ex-cia-chief-delivers-blistering-quit-harvard-latest-hire-convicted-leaker-manning/?utm_campaign=Conservative%20Daily&utm_source=hs_email&utm_medium=email&utm_content=56364361&_hsenc=p2ANqtz-90FWYOJKtzTJE_i-iTjvCJMl3zW9G7Hkuo1svylTWfC2zw4FHp1ccdUmUO6HY0J1VlaYW9VPzQDIczEfhw7578dcDDew&_hsmi=56364361 モレルは、チャーリー・ローズTVショーで、「メッセージを送るため、アメリカは、ロシア人殺害を始めるべきだ」と発言した、狂った不道徳な人物であるのを想起されたい。モレルほど狂った人物がCIAのトップになれることをアメリカ人は死ぬほど恐れるべきなのだ。 もちろんハーバードは、CIAの圧力に屈伏して、マニング採用を取り消した。 モレルの採用に関して、ハーバードに苦情を言った人はいるのだろうか? モレルは、マニングとは違って、有罪判決こそ受けてはいないが正真正銘の重罪人だ。CIA幹部として、モレルは、アメリカ法でも国際法でも重罪にあたるCIA拷問プログラムに関与している。ハーバードとモレルは、拷問はかまわないが、それについて真実を語るのは禁物なのだ。モレルが考えている通り、マニングが、それに関して誰にも言わない限り、戦争犯罪を行ってもアメリカにとっては不利にはならないのだ。 情報を機密にする唯一の理由は、政府の果てしない犯罪が暴露されないよう守ることだ。ところが法律を支えるはずのアメリカ政府、法科大学院、裁判所丸ごとが、政府犯罪を発見できなくして、そうしなければ発見され得ない犯罪を暴露する内部告発者を非難する政策に関して沈黙している。 すると、我々はハーバードの勇気をどう評価すべきだろう? Fマイナス評価が十分に酷い点数だろうか? 私が通っていた頃は、大学は政府犯罪の表向きの看板役を演じる見下���果てた臆病者ではなかった。 これはアメリカにとって、実になさけないことなので、一体何が最も興味深い要素なのか考えよう。モレルは、アメリカ戦争犯罪を暴露して真実を語る人を弾圧するのは悪いことだとは思っていないが、アイデンティティ政治と反目するのはまずいと思っているのだ。性転換者に反対していると見なされることを彼は恐れている。 言い換えれば、アイデンティティ政治が真実を打ち負かしてしまうということで、この点はいくら強調してもしすぎることはない。像撤去から、ヒラリー・クリントンと民主党全国委員会によって、人種差別主義者、性差別論者、同性愛嫌い、白人男性銃マニアと定義された労働者階級に対する民主党による攻撃に至るまで、我々は至る所でそれを目にしている。現在、アメリカ二大政党の両党は、兵器産業や雇用を海外移転する大企業や巨大銀行やウオール街を代表している。アメリカ国民を代表する政党は存在していない。 実際、人々は様々な集団に分断され、お互いに戦わされている。それがアイデンティティ政治の狙いだ。白人異性愛男性を除く、あらゆる集団が犠牲者集団で、女性、黒人、ヒスパニック、同性愛者や性転換者は、兵器産業や雇用を海外移転する大企業や金融部門やワシントンが彼らの敵なのではなく、アイデンティティ政治で労働者階級とひとまとめにされている集団の白人異性愛男性が敵だと教えられる。もちろん女性も黒人もヒスパニックも同性愛者も労働者階級のメンバーなのだが、彼らはもはやそういう風な見方をしない。女性、黒人、ヒスパニック、同性愛者として、彼らは自分は、政府や、政府がそれに仕えている強力な既得権益団体の犠牲者ではなく、白人男性の犠牲者だと考えている。そして“南北戦争”像の。 南部連合国の首都、バージニア州リッチモンドのロバート・E・リーの像を巡る論議が、またもやニュースになっている。像攻撃は、リベラル/進歩派/左翼が憎悪を教え込む方法の一つだ。まず憎悪は、生命のない物体、像に向かった。南部連合国兵士像が引き倒されるビデオを見ると、公的建造物を冒涜する連中は、まるで人であるかのように、像に唾を吐きかけ、蹴っていた。 生命のない物体は、無知な烏合の衆にとって、“奴隷制維持のために戦った”と思いこんでいる人種差別主義者の白人南部男性の代役なのだ。憎悪はそこでは止まらない。憲法を書いた建国の始祖たちにまで広がっている。無知な烏合の衆、大学生や一体誰の金なのか分からないバスで送り込まれた連中が、逃亡財産(奴隷)を元の所有者に返すことを憲法が要求しているので、憲法を人種差別主義者が書いた人種差別主義文書と見なしているのは確実だ。烏合の衆は、18世紀には、奴隷制は合法で、多くの社会の一部だったことが理解できない。無知な烏合の衆奴隷制は労働力の欠如の産物ではなく、白人による肌の色の濃い人々に対する憎悪の産物だと思いこんでいる。リベラル/進歩派/左翼は、白人は人種差別主義者なので、黒人を奴隷にしたと教えるのだ。 ロジャー・D・マグラスが、Chroniclesの2017年6月号で、社会主義者のカール・ポランニーなどの無数の歴史学者も、あらゆる人種が奴隷にされていたことを明らかにしている。北アメリカでは、アイルランド人が売買されていた。だが憎悪を売り歩くイデオローグ連中は、事実などおかまいなしだ。憎悪を広めることが連中の狙いであり、真実などとんでもないのだ。リベラル/進歩派/左翼は主に白人なので、彼らが説く憎悪は自分たちに巡り巡って、熱いお灸をすえることになる。それもひどく。 アメリカ、イギリス、ヨーロッパやカナダの白人人口が非白人の大量移民と出生率の大きな差異のおかげで少数派になることを考えると、憎悪される迫害者として描かれる白人の将来は一体どうなるのだろう? 憎悪を教え込んでおいて、それが政治行動で表現されないよう期待するのは不可能だ。白人は、自国内で、ナチス・ドイツのユダヤ人のようになるのだろうか? フランス人作家のジャン・ラスパイユは、この問題を、1973年に「The Camp of the Saints」で検討した。44年前、本はベストセラーになった。今なら、この本を読んだり、書名をあげたりするだけでも人種差別主義者の証明と見なされてしまうのではあるまいか。現在は議論して良いものについて多くの制限があり、そこで暮らす人々にとっては、現代を認識することが許されないのだ。 9月12日、大きなアカガシの木を拙宅に吹き寄せたハリケーン・イルマに悩まされ、道路が封鎖され、三日間電話もなしに、山間の地域に閉じ込められていた間に、クリス、ロバーツ(姻戚関係はない)が、オンラインUnz Reviewに書いた記事で、非白人移民の前にフランス国家が崩壊するこの予言的な物語を思い出させてくれた。http://www.unz.com/article/the-camp-of-the-saints-this-centurys-1984/ これはまさに、フランスのみならず欧米世界全体でおきていることだ。おそらく白人の自業自得なのだ。たぶん進歩なのだ。だが、それに関しては、誰も何も言うことを許されていないのが現実だ。マリーヌ・ルペンは、フランスは、アフリカや中東のためではなく、フランス人のためにあると言い、彼女も彼女の政党もフランスはフランス人のためにあると言ったがゆえに、人種差別主義者、ファシスト、ナチスだと言われている。 これはほぼ半世紀前に、ジャン・ラスパイユが起きると言っていたことだ。白人は、心理的に圧倒的な軍事力と経済力を持っているにもかかわらず自らを守ることは出来まい。 欧米への膨大な非白人移民を考えて見よう。ドイツ企業はトルコ人を労働力として欲しがっている。アメリカのアグリビジネスや屠殺場や建設業はメキシコ人を労働力として欲しがっている。カナダは人を欲しがっている。イギリスとヨーロッパの植民地大国は、植民地の人々に国籍を与えて、植民地主義を正当化した。言い換えれば、帝国が侵略の逆流をもたらしているのだ。21世紀、欧米は、ワシントンの終わりのない戦争と欧米による経済略奪によって家を追われた人々の膨大な移民を味わっている。我々は彼らを現地で殺害し、こちらにやってくるようにしているのだ。 多数の非白人移民と、ユダヤ文化のマルクス主義者による産物で、欧米リベラル/進歩派/左翼の公式イデオロギーとなったアイデンティティ政治が合体すると、結果は、白人がホロコーストに会う可能性ということになる。自らを白人異教徒とは違うと考えているユダヤ人は、世界から、白人、しかもその最悪連中と見なされている。アイデンティティ政治を作り出した連中自身が自分たち自身の主義の犠牲者となるだろう。 実際、アイデンティティ政治、ごくわずかな人々だけは悟るするにせよ、ホロコーストを招きうる政治原則の犠牲者になりかねないという自分たちの運命に抗議するよう白人が悟るのを妨げている。 欧米は統合失調になっている。一方で、ワシントンは、カナダ、ヨーロッパ、オーストラリアやイギリスの支援を得て、肌の色の濃い人々を虐殺し続け、欧米世界が、非白人の人々を殺害し、略奪して罪をおかしていることを証明している。一方で、欧米各国政府は、欧米による戦争と経済的迫害から逃れる難民を温かく迎え入れている。アイデンティティ政治が、欧米政府が非白人に対する更なる罪をおこない、移民人口の増大を確実にする中、欧米の諸国民が、罪にひれ伏すのを確実にする。 非白人は復讐するだろう。愚かな白人の身から出た錆でないと誰が言えるだろう? 活動中のアイデンティティ政治: http://www.nationalreview.com/node/451391/print Paul Craig  Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリプス・ハワード・ニュー ズ・サービスと、クリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼 の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Order.が購入可能。 ---------- 会社の品格を信じていない、あるいはその政治傾向に反対なので、PayPalを使いたくないという方々は、Stripeを使われるか、私ではなく、Institute for Political Economyを受取人とする小切手を下記にお送り頂ける。Wells Fargo, 23046 Panama City Beach Parkway, Panama City Beach, FL 32413.外国の方々で、国際的にStripeがお使いになれない場合には、受取人とする国際郵便為替を、上記銀行宛てにお送り頂ける。PayPalを信じないということが、このウェブサイトをご支援されない口実にはなるまい。 記事原文のurl:http://www.paulcraigroberts.org/2017/09/20/identity-politics-brewing-holocaust/---------
ポール・クレイグ・ロバーツ: マスコミに載らない海外記事
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先天性虚言者ヒラリー・クリントンについて、四篇
先天性虚言者ヒラリー・クリントンについて、四篇
ルー・ロックウェル・コム(LewRockwell.com)論集
  ヒラリーの本当の問題について、ディロレンツォ
ヒラリー・クリントンの大統領候補としての問題は彼女の批評家が非難するとおりに彼女が腐敗した不誠実な政治家であることではない。違う。ヒラリーの問題は彼女がバーニー・サンダーズと同じだけ酷い社会主義者であることにある。彼女は二〇〇四年、サンフランシスコの聴衆に次のとおり告知した。『共産党宣言』を踏襲していわく、「わたしたちは、各人の能力に応じて働き、各人の必要に応じて受け取る共通善のため、あなたから物を取り上げます」。かつてファーストレディーとして「わたしたちは個人のことを考えるのを止めて、社会にとって最善であることを考え始めなければなりません」と宣言した。そのような生命は社会主義哲学の定義的特徴である。すなわち――「社会」の「共通善」の名において個人主義を攻撃する――「社会」の「共通善」はつねに社会全体ではなく政治家により定義され執行される。そしてサンダーズと同じように「金持ち」を脅迫するのだが、彼女は��働階級(彼女のテレビ広告でのネオ・マルクス主義語でいう「労働家庭」(“working families”))に助成金を出すためにもっと酷い税金をかける
ヒラリー・クリントンは民主党時代に誇り高い社会主義自認者バーニー・サンダーズとの討論でその社会主義者の資格を実証してみせた。いつであれ、サンダーズがサンタクロースじみた「フリー」なヘルスケアと教育、住宅、福祉支給などの約束で民主党員の聴衆者を沸かせるとき、ヒラリーの反応は次の十年で連邦歳出を1兆ドル以上増加させることを約束しながら彼に同意することであった。社会主義の原理をめぐる不同意はなく、詳細が違うだけだ。
ヨーロッパ社会主義者間の現行のプチブームは或る種の「ベーシック」政府定義インカムを全住民に約束することである。ちょうどスイスはこの最新のマネー・フォー・ナッシング(見返りなしの金)スキームを票決した。自ずと、ヒラリーはこれに全力で乗っかった。アメリカで生まれたすべてのベビーに対し、十八歳の選挙権年齢に達するまで投資され与えられるであろう5000ドルを約束しながらである。ジョージ・マクゴヴァーンも同様に、一九七二年に1000ドルの「デモグラント」(「保証所得」)を提案したが、これは社会主義的であると片付けられ嘲笑されて、選挙でリチャード・ニクソンに負ける原因となった。
言い換えれば、ヒラリーはバーニー・サンダーズと同じだけ酷い社会主義者であり、ただマーケティングが理由で「社」語を使わないだけなのである。彼女は代わりに「進歩的民主党員」(“progressive Democrat”)を好むが、これは彼女に支持者の多くにとってさえ大変説得力をもつわけではない。クリス・マシューズとのテレヴィ・インタビュー[1]で、彼女は民主党員と社会主義者の違いは何かと繰り返し質問された。おそらく有意な違いはないと彼女自身も信じていることを多くの人々に仄めかしながら、彼女はこの疑問に答えることを拒絶した
一九九〇年前半において、ヒラリー・クリントンは「ヒラリーケア」として知られるようになったものの主な創設者だった――ソビエト式の中央計画をアメリカ健康管理部門に押し付けるクリントン政権の計画である。ここからは経済での政府の役割に関する彼女のビジョンと彼女がこれからアメリカ諸産業をどうしていくかについての大いなる洞察が得られる――史上最大の増税で支払われ、国家の重ったるい手で執行される、匿名官僚数千人に発せられる命令だ。
社会主義中央計画はつねに、そのようなものとして、小さな政治的支配階級エリートに金を集めて権力を与えながら同時に社会全体を貧窮させるために完全レシピであった。他のどんな手段を使えば、ウゴ・チャベスの三十五歳若い娘、ベネズエラのかつての社会主義指導者が、純資産40億ドルと報告される、国で最も豊かな人物になれたのやら。
ヒラリーケアはほぼすべてのアメリカ人に健康保険の中止を強要させ、保険のために政府官僚に諂わせる官僚制の悪夢であった。それは万人を強いて一揃いの政府定義利益を購入させた。それは七人の大統領指名者と数千人の官僚の委員会によりワシントンから管理されてしまい、医師へのアクセスは患者ではなく官僚に制約され支配されてしまい、外部保険計画はすべて非合法とされてしまった。
医者の給料からMRI装置まですべてを曲げる価格統制が浸透性の不足を引き起こした。その計画は概して低・中流階級にかかる大規模増税を要し、大規模失職を引き起こした(当時のクリントン政権自体の報告でも初年だけで六十万件に及ぶ)。五十九の新連邦官僚制が創設され、他の二十は拡大した。健康管理提供者に対して数百件の新規制命令が押し付けられた。保険業者は年齢や健康状態にかかわらず万人に同率の価格を請求するよう要求された――「保険」という概念それ自体が嘲笑われたのである。費用がかかる事業者委託については賃金を下げるか労働者を解雇するよう雇用者に強制した。州政府は連邦官僚制中央計画スキームの「購入同盟」になるよう強制されてしまった。
しかしながら、議会と全連邦雇用者メンバーがヒラリーケアから免除された。ほんのわずかな人々(すなわち、他の全員)だけが社会主義医療へと生け捕りにされなければならなかった。
「ヒラリーケア」の奇っ怪なところはソビエト帝国で社会主義が最終崩壊してからたった三年後にクリントンたちに推進された不条理な官僚制ソビエト式中央計画だったことである。その崩壊の原因は市場ではなく政府の「計画」により経済を集権的に計画する試みの不毛さであった――まさに「ヒラリーケア」である。
おそらく、「ヒラリーケア」の一部を墓から掘り出した「オバマケア」がアメリカ公衆に押し付けられたのはその大部分――概して若い世代――が二十世紀社会主義のグロテスクな大失敗に気づいていないからである。彼らは重要な教訓を学ぶため、現ベネズエラ――最新の左翼「社会主義楽園」――の経済的内破に目を向けるべきである。
ヒラリーの「政権パートナー」について、ディロレンツォ
ヒラリー・クリントンは合衆国上院議員として、ロウアー・マンハッタに建てるゴールドマン・サックスの輝く新本社の建設に助成金を出すための低利子連邦保証「リバティー・ボンド」での16億5000万ドル(想定の上では9/11後のニューヨーク市再建に使われているらしい)の手配に協力した。二〇〇五年の起工式で、彼女はこの会社を愛情たっぷりに自分の「政権パートナー」(“partner in government”)と呼んだ。彼女は三年後、投獄するには大きすぎの「パートナー」に対する100億ドル連邦準備ベイルアウトを支持した。見返りに、ゴールドマンは少なくとも、彼女の演説に67万5000ドルを支払い、彼女の選挙演説に巨費を寄付し、近年では自分のところの従業員に対してトランプ・キャンペーンにびた一文寄付してはならないとお触れを出した。彼女の婿はゴールドマン・サックスのCEOが経営するヘッジファンドを譲られた(報告ではその資産価値は90%が失われた)。
なので連邦準備委員会のほぼゼロ金利「金融緩和」〔あぶく銭〕政策に対するドナルド・トランプの近年の批判がヒラリーの感情を害したのも不思議ではない。彼女の憤然たる宣言いわく、「大統領に立候補したり大統領を務めたりしているときに連銀の活動にコメントすべきではない」。
ヒラリー・クリントンはどうやら政府には四つの府があると信じている。三つではなく四つ――決して他の三つから批判されてはまかりならない、聖なる連銀だ。オバマ大統領が一般教書演説で最高裁判所を批判するのはオッケー、議会と行政府が常習的に口先で言い争ってもオッケー。だが大統領(ましてや卑しい平議員)が聖なる連銀に否定的なコメントを付すなど、ヒラリー・ドクトリンによれば、決してすべきではない。
アメリカ政治に対するこの新クリントン主義理論は安い信用と政府ベイルアウトでゴールドマン・サックスのような会社に致富する腐敗した連銀出資縁故資本主義体制に対するまたもう一つの擁護でしかない。見返りに、縁故資本家はクリントンのような途方もなく大金持ちな政治家のキャリアとライフスタイルへ融資する。連銀はこのラケットの主な財政装置であり、こういうわけでヒラリーはそれを批判から絶縁したがる。言い換えれば、聖なる連銀への批判はいずれも、ああ、ディプロラブル(deplorable)なのである。
デイヴィッド・ストックマンがThe Great Deformation(『大奇形』)に著したとおり、「国家の中央銀行部門は、かんしゃくでの投売りを脅迫するウォールストリート投機家たちにとって、自分たちが繰り返し絞り上げられるのでないかぎりは、抵当のままである。かくて、金融政策は逆ロビンフッド再分配のエンジンになる。それはウォールストリート・カジノでの投機的利得のために……終わりなき機会を創造しながら大通り(実体経済)の貯蓄家と労働者、事業主を〔ほぼゼロ金利で〕処罰する学説」を信奉する。
ストックマンが二〇〇八年早期に指摘するには、崩壊したのは「経済」というほどのものではなく、ゴールドマン・サックスのような会社の株価であった。この会社は「申し立て上の消滅から救われるために〔連銀から〕1000億ドルを渡された。けれどもそれは急旋回して」、その一年でゴールドマン・サックスの経営者に「給料と賞与の160億ドル」を出す「290億ドルの黒字を生み出した」。また、連銀は1000億ドル以上の基本的に無価値な毒性の非流動資産をゴールドマン・サックスから購入した。
ストックマンが記すには、この会社の資産の90%が支払い能力をもっていたから、保険企業AIGの1800億ドル・ベイルアウトは「短期収益と当年度経営者・貿易業者ボーナスを保護することがすべて」だった。(また、ゴールドマン・サックスはAIGに対する請求で180億ドルも使ったが、それはこのベイルアウトのおかげで集められた)。
ヒラリー・クリントンの「絶対に連邦を批判するな」理論とは対照的にも、大統領たちと議員たちはつねに当然のこととして連銀政策にコメントしてきた。経済学者ロバート・ワイントローブは一九七八年に学会誌Journal of Monetary Economics『金融経済学誌』で、公的声明で連銀に影響してきた大統領のいかに多いことかを説明した。アイゼンハワー大統領がインフレーションを恐れて通貨膨張を控える願いを表明したとき、連銀は十年間ほど最も干満な通貨膨張で応じた。それからケネディー大統領はもっと速い通貨膨張を提唱し、連銀は彼にも応じた。
ジョンソン大統領は福祉国家拡張とベトナム戦争を融資するためさらに急速な通貨膨張を求め、連銀は通貨供給増加率を二倍以上にすることで応じた。ニクソン大統領再選は連銀の活動で確保されたも同然であり、一九七二年は第二次世界大戦終結以来最速で通貨供給を膨張した。ニクソンの継承者フォード大統領はインフレーション反対キャンペーンを行い、連銀はその仄めかしに気づいて通貨膨張を抑えた。再び速めたのはカーター大統領がもっと早い膨張の願いを表明してからである。
このすべてが意味するのは、連銀が政治的腐敗と経済的不安定のエンジンであることだ。それはインフレを制御するよりむしろそれを創造してきた(ドルの価値は連銀が設立された一九一三年の5%にも満たない)。二〇〇八年の不動産市場崩壊のような終わりのない景気循環を引き起こしてきた。政府の真の費用、わけても通貨戦争をごまかす。ロバート・ワイントローブの研究で記述されたとおり、経済学者が「政治的景気循環」(“political business cycle”)と呼ぶものを生成する。
ドナルド・トランプは――元議員ロン・ポールと同じように――、連銀を批判するにあたって彼自身の関心においてもアメリカ史との一致においても正しいだけではなく、まさにそう批判するという死に物狂いなほど必要とされる公務を遂行してもいる。彼は事業家であり経済学者ではないが、連銀に対する彼の経済的本能はドンピシャである。彼はそれを「バブル経済」、わけても株式市場バブル創造のかどで批判してきた。彼の最新の批判は本質的には、価格統制はいつでもどこでも悪く破壊的なアイディアであり、連銀「金利ターゲット」政策は自惚れた経済的述語でおめかしした価格統制でしかない、という経済的に健全な観念である。彼はフェッドのエンドを求めていないが、それはおそらくヒラリーにもう一手取られるのを恐れてであろう。
ヒラリー・クリントンと個人的誠意について、ナポリターノ
先週、FBI長官ジェームズ・コミーが、前国務長官ヒラリー・クリントンをスパイ容疑で起訴するべきではないという勧告を司法庁に公然と示したとき、事件を大陪審に委ねるべきか否か決定する際の基準がクリントンと他の人々で違っていると信じる人々からの批判の嵐が起きた。
FBI調査は奇怪な終わり方をした。この事例と同じように、FBI勧告は決して公開されない。コミーの公表に先立つちょうど一週間前、司法長官ロレッタ・リンチは政治的には不吉だが法的には重大な会合で、ビル・クリントンと妥協させられていた。彼らが討論したことが何であれ、圧倒的な公的印象では、リンチは事実上FBIに最終決定権を委ねて彼女自身と先輩をこの事件から除外したというものであった。これはフーバー以降のFBIでは前代未聞である。
けれども、コミーはその公表それ自体で不起訴を勧告する理由を二つ示した。一つは裁判沙汰にするための「合理的な起訴者がいない」ことである。これはFBIが給料を貰って下す判断ではない。FBIの仕事は事実と証拠を集め、提出して評価することであり、起訴者がどうのこうのと予言することではない。不起訴を勧告するもう一つの理由は、クリントンは国家機密を取り扱う際「きわめて不注意」であったかもしれないが、スパイ法が要求する標準である「まったくの怠慢」というわけではなかったことである。
けれどもコミーは、クリントンが国家機密情報取り扱い許可を欠いた非政府同僚に国家機密を送ったこと、これらの人々が敵性諜報機関にハックされたこと、それら適性政府の領土内で彼女が多数のノンセキュアな移動端末を考えなしに使用したことは認める。このすべてがきわめて不注意だがまったくの怠慢ではないならば、クリントンよりははるかにマシだった――起訴されて有罪判決を受けた――多くの人々が起訴されたのは誤りだった。
コミーの先週の公表以降、幾つもの新要素が脚光を浴びた。一つは、司法省は大陪審に対していかなる証拠も提出しなかったことである。決して大陪審に召喚状を求めなかった。召喚状を発行するには大陪審を必要とするから、これは大犯罪の調査としては前代未聞である。
また、大陪審の欠如のせいで、司法省がクリントンのインターネット・テクノロジー・アドバイザー、ブライアン・パリアーノのための免責を取得した状況と目的は訝しくなる。彼女は彼に対し、政府のセキュア・サーバーから自分のノンセキュア・サーバーに国務長官の公私電子メールを移す仕事で5000ドル支払った。刑事免責は本質的には起訴前の永久的な犯罪行為恩赦であるが、軽々しく与えてはならず、証言と引き換えでしか与えてはならない――普通は大陪審か小陪審への証言である。奇妙なことに、それはここでは実情ではなかった。
にもかかわらず、クリントンの繰り返し起こる個人的誠意の問題は三件のもっと犯罪的な調査に突き当たった。一つ目は公的汚職について。二つ目は偽証について。三つ目は議会での不当ミスリーディングについて。
公的汚職調査は数ヶ月の間進行してきた。その申し立ては、彼女が自分自身の自分の夫に金を回すために国務長官としての公職の権力を行使したというものである、その証拠はここにはたっぷりある。外国の諸政府と諸個人が国務省から有利な取り扱い――普通の場合、アメリカの法律や規制へのコンプライアンスの免除――を受け、ついで、クリントン財団が登録済みの法的慈善団体ではなかったとき同基金に宛てて集団的に何億ドルも与えたと文書で記録される事例が数ダースある。
クリントンが直面する第二の調査は偽証である。これは彼女が「偽証の罰の下」という成句を引用しながら仕事関連の電子メールをすべて国務省に提出すると宣誓したころ、情報公開法の民事訴訟で生じた。彼女が国務省を去ったとき、その電子メールすべてを事実上持ち出した。それから情報公開法訴訟が始まったとき、持ち出したうちの半分を返して、他の半分は私用であると主張した。
FBIの発見によれば、彼女は仕事関連の電子メール数千件の返却を懈怠しており、その幾つかは彼女とその法律家が破壊を試みたもので、幾つかは彼らが破壊に成功したものであった。誰が破壊を命令した?
最後に、クリントンは十中八九、議会ミスリーディングの非難に直面するだろう。議会ミスリーディング(misleading Congress)は議会の実質的質問に対して偽りの印象���意図的に創造することから構成される。彼女がこれを行ったのは国家機密を含む自宅サーバーを介して電子メールを送受信したことを院ベンガジ特別委員会(House Select Committee on Benghazi)に対して否定したときである。
FBIは110件の電子メールがこのカテゴリーに入ること、その少なくとも2ダースは政府が最高保護水準の機密とするものであることを発見した。また、彼女は同委員会に対し、仕事関連の電子メールをすべて国務省に提出したと述べた。
元ヤンキースの偉大なピッチャー、ロジャー・クレメンスは、野球プレイヤーとして血と尿の内容物につき院委員会に語るよう強いられたとき、(陪審が不一致で終わった後、彼は最終的には黙認したが)二回ほど議会ミスリーディングを試みた。クリントンは国務長官としてその法的義務につき議会をミスリードしたが、自由にスケートを楽しんでいる。
ビルとヒラリー・クリントン両者の常習的かつ生得的な嘘吐きの性癖が初めてメディアと公衆に対して露わとなったホワイトウォーター〔事件〕の日々において、後の偉大なニューヨーク・タイムズ・コラムニスト、ウィリアム・サフィアは夫が激怒するようなクリントン夫人をあだ名で呼んだ。彼は真理を恐れ、サフィアの鼻を殴ると公然と脅迫するほどサフィアに怒り狂った。
サフィアはヒラリー・クリントンを先天性虚言者であると述べた。彼は正しかった。二十年前のことだった。一部の人々は決して変わらない。
ウィキリークスからヒラリー・クリントンについての二十一件……主流派メディアは言わないが、あなたは言える!
ウィキリークスの話をしよう。
まず初めに、この組織は二〇〇六年にジュリアン・アサンジに設立された。彼らのウェブサイトは彼らが何者であるかを説明する。[2]
ウィキリークスは戦争とスパイ、腐敗に関する、検閲されたか制限された公式資料の大データセットの分析と公表に特化する。それはまた、公表された一千万件以上の文書と関連分析をも有する。
彼らは文書を公表してきた十一年において、たったの一度も反証されていない。彼らの信憑性は完全である。(We Steal Secrets: The Story of WikiLeaksとJulian Assange - A Modern Day Hero? Inside The World Of WikiLeaksを見よ。)
なので、ヒラリー・クリントンと民主党、クリントン財団、そのマキャベリたちの顔に泥を塗る政治的な悪ふざけについての情報の領域で何かを無視することは実に馬鹿げているだろう。
ここにあるのはヒダリー・クリントンについて明らかになった二十一件の最も重要な事柄であり、残念ながら主流派ではその一つも報道されていない。簡潔さのため、それぞれのトピックはリークのもっと深いところに進む記事へのリンクを含んでいる。(順不同。)
1       クリントン選挙キャンペーンの議長ジョン・ポデスタは司法庁高官ピーター・カドサイク(Peter Kadzik)と快適な食事を取った……ベンガジ・ヒアリングの翌日にだ。また、カドサイクの息子もクリントン選挙キャンペーンでの仕事を求めた。それと、汚職のカップケーキのアイシングもだろうか? カドサイクが指導したのはロレッタ・リンチを指名するための努力であり、彼女がヒラリーの電子メールゲート〔ウォーターゲート事件との類比〕尋問の直前にビジネスジェットでビル・クリントンと出会っていたのは有名である。(source)
2       我々はみなクリントン財団が単なるクリントン朝の資金洗浄の道であることを知っているが、今や証拠もある。Zero Hedgeが記すには、「今日のウィキリークスのごみためには、クリントン財団とバンド氏の会社Teneo Consulting、クリントン家の私的事業の間の正確な財政フローを暴露するメモが含まれている」[3]。或る識者はこのリークを「クリントン基金のロゼッタ・ストーン」と呼び、それはこの文書を使えば彼らの如何わしい財政取引すべてが解明され理解されうることを意味している。(source)
3       クリントンは寄りかかる演説台がなければ長く話すことができない。リークされた膨大な電子メールはどうして演説台がないとインタビューが短くなることのいかに確実かに言及している。この記事はなぜそうなのかについて非常に興味深い理由を参照する――驚くことに、その理由は彼女の健康ではない。(source)
4       また、リークスはクリントンが第二修正条項の制限に最善を尽くすつもりでいることを示す。クリントン選挙キャンペーンの国民報道官 ブライアン・ファロンが記したところでは、「フライデーの朝の討論からしばらくおいて、今日のショーでは、彼らが銃についてのきっと質問するつもりであることが分かりました。以前の銃討論より一層報道価値のある討論を行うつもりでしょう。我々は今夜、彼女が大統領として支持するであろう特定の提案について、リポーターに予備知識を与えます――普通身元調査はもちろん、大統領令でのガン・ショー〔銃器展覧会〕の抜け穴の閉鎖、そして製造者責任の押し付けについてです。」。The Daily Sheepleの分析によれば、「製造者責任の押し付けが意味するのは、サンディーフック〔小学校銃乱射事件〕の後、合法的に販売された銃火器が子供たちや学校スタッフの殺人犯の手にあったという口実でブッシュマスター社とレミントン・アームズ社が迫害されてきたということである」。(source)
5       キャンペーンはビル・クリントンの性的逸脱行為がもう一人の不面目なセレブリティー、ビル・コズビーのそれと結びつくことに懸念を示している。政治の手練ロン・クレインはヒラリーが次のような疑問を予想しておくべきだという緊急の電子メールを送った。「ビル・クリントンはビル・コズビーと何か違うのですか? 彼の品行はあなたのキャンペーンに関わりがあるんですか? あなたはすべての女性を信じなければならないと言いました。なぜ彼を非難する女性のことは信じないのですか? あなたの夫と彼の仲間によって誤って中傷された女性たちに対して謝罪するつもりはありますか?」(source)
6       クリントンの選挙キャンペーンはこれこそバーニー・サンダーズがウォールストリートに買収されていたという証拠であると皮肉気に仄めかしながら彼の恥ずかしい水着姿の写真を故意にリークした。ペレス・ヒルトンが記すには、「バーニー・サンダーズはウォールストリート・ロビイストから金を工面するのを助けた後の二〇一五年夏、マーサズ・ヴィニヤードのプールでぶらぶらしている」。(source)
7       二〇一四年ゴールドマン・ブラック・ロックのスピーチで、クリントンは中流階級の実態を把握していないと認めた。「そして、わたしは政治についてはどんな立場も取りませんが、このゲームは仕組まれているという思いをめぐって、この国には増大中の不安はおろか、怒りの感覚さえあると考えています。わたしは成人したときそのような思いを決して抱きませんでした。決してです。つまり、本当に豊かな人々はいました。もちろんいました。わたしの父は大企業と大政府に不満を言うのが好きでしたが、わたしたちは根っからの中流階級の育ちでした。わたしたちは良い公立学校に通いました。わたしたちには利用しやすいヘルスケアがありました。わたしたちは小さな、そう、一軒家を持っていました。彼はお金を貯めましたし、抵当を信じませんでした。そうしてわたしは生きています。そして今、わたしが生きてきた人生とわたしの夫とわたしが享受する経済的な資産のせいでちょっと排除されていますが、わたしはそのことを忘れません」。(source)
8       彼女は二〇一三年にブラジルのイタウ銀行の有償演説で、このかなりNOW〔新世界秩序〕じみた所見を述べた――「わたしの夢は、半球共通市場、オープン・トレードとオープン・ボーダー付き、将来のいつの日か、わたしたちにできるかぎりグリーンで持続可能なエネルギー、半球のすべての人々に成長と機会に力を与えるそれです」。(source)
9       またもう一つ、今度は二〇一三年Jewish United Fund of Metropolitan Chicago(ユダヤ連合基金)の有償演説のリークでは、クリントンはヨルダンとトルコが「難民全員を審査することはできないので、彼らはジハーディストが合法的難民の列に紛れているか知らない」と言った。その一方で、クリントンが我を張るならば、我々は一年で六万五千人の難民を暖かく歓迎することになり、オバマの一年あたり一万人もちっぽけに見える。(source)
10    北朝鮮の攻撃に対して支配力を及ぼさないならばアメリカがその地域にミサイルの基地を置くと言って、クリントンは中国人を恐喝した。噂では、彼女は二〇一三年六月のゴールドマン・サックス・カンファレンスで「ほら、中国。あなたがたが彼らを支配するか、我々が彼らに対して防衛しなければならないかです」と述べた。(source)
11    二〇一五年五月、クリントンはもはや国務長官ではなく、モロッコのサミットへの出席を招待されていたとき、大統領選出馬を公表する用意ができていた。リークされた電子メールの含意では、モロッコ王からの1200万ドルの「寄付」が依存したのはクリントンのサミット出席であった。いつもな彼女の上司に忠実だったフーマ・アベディンが懸念を呈していた。アベディンはロビー・ムック宛の二〇一四年十一月の電子メールで「HRCがその一部ではないなら、ミーティングは成功の見込みがありませんでした。彼女はこの困った状態を作り出した上でそれを知っています。彼女のプレゼンスはモロッコ人にとってはことを続けるための条件だったのでそれを破りようがなかったんです」と記した。ついでながら、クリントンは出席しなかった。その代わりにビルとチェルシーが行って、1200万ドルの寄付は起こらなかった。(source)
12    ポデスタはクリントンの主な政敵バーニー・サンダーズをパリ気候変動協定の批判者のかどで攻撃した。「能無しバーニー(doofus Bernie)はこれを攻撃したんです。信じられますか?」とポデスタは言う。(source)
13    クリントンはゴールドマン・サックス・カンファレンスでシリアにこっそり干渉したいと語った。「アメリカ人が干渉する際にできるだけこっそりするように、あなたがたはこっそりと干渉する、というのがわたしの見解でした。これについて、わたしたちは今よりかなり得意だったものです。今は誰も我慢ができませんね。彼らはでしゃばって仲の良いレポーターと他の誰かに話してしまいます。〔ひるがえって、〕わたしたちがしていることを見てください、それを褒めてほしいものです。」彼女が語った相手はサウス・カロライナの銀行の従業員であり、その人は彼女に22万5000ドルの講演料を支払っていた。(source)
14    実際、かたやクリントンのキャンペーン、かたやMSMが言ってもいいことの間には明確な繋がりがある。キャンペーンはWho’s Who in American Media〔アメリカ・メディア紳士録〕のようなものを読むメディア・スポークスパーソンたちと直接共謀していた。CNNからはダン・メリカ(Dan Merica)、ユニヴィジョンのハイム・サバン(Haim Saban)、CNBCとNYタイムズのジョン・ハーウッド(John Harwood)、NYタイムズとポリティコのマギー・ハーバーマン(Maggie Haberman)、元CNNのドンナ・ブレイジル(Donna Brazile)、TV-Oneのローランド・マーティン(Roland Martin)、ボストン・グローブのマージョリー・プリッチャード(Marjorie Pritchard)、ヒート・ストリートのルイーズ・メンシュ(Louise Mensch)。(source)
15    みなご存知とおり、民主党全国委員会はバーニー・サンダーズを騙して指名を奪い取った。[4](おまけ:ウィキリースはこのトピックでDNCのボイスメールの幾つか[5]をもリリースした。)
16    HRCの繰り糸を手繰り人形遣いがジョージ・ソロス[6]であると証明する電子メールがある。影の政府は単なる陰謀論ではない――それは実際には存在し、ヒラリーの仕事はジョージ・ソロスをハッピーに保つことである。(source)
17    彼女のウォールストリートでの諸演説の抜粋は二面性の裏切りのように読める。それらにおいて、彼女はときに嘘を吐く「必要」を明白に指摘している。「もしもみなが監視しているなら、ええ、バックルームの討論と取引をすべてですよ、ええ、そしたら人々は控えめに言ってもちょっとナーバスになるでしょう。なので、あなたは公的な立場と私的な立場をどちらも必要としています」。(source)
18    ウィキリークス電子メールは、かつてドンナ・ブレイジルがCNNのために働いており、クリントン選挙キャンペーンの被用者になる前、「即興」CNNタウンホール・クエスチョンに先んじて予めヒラリーに疑問を伝えていたことを示す。(source)
19    HRCの底知れぬ酷さの立候補から気を散らすためにしつこく無慈悲にトランプを追い立ててきた主流派メディアの大規模な共謀を示しながら、NYタイムズとハフポスト、CNN、NBC、CBS、NYT、MSNBC、ポリティコのような有力出版物の記事を、キャンペーンは「承認」することができた。(source)
20    ウィキリークスの電子メールのあちこちで、ヒラリーが我々を本当はどう感じていたかの正確な描写を得ることができる。(ネタばれ:かご一杯の浅ましい方々(basket of deplorables)、最底辺の住民たち(basement dwellers)、右翼陰謀論者(right wing conspirators))(source)
21    オバマ大統領は彼女の電子メールが安全な国務省のサーバーからは送られてこないことを終始承知していた。シェリル・ミルズがジョン・ポデスタに宛てて記すには、「わたしたちはこれを片付ける必要があります――彼は彼女からのメールを持っています――それらはstate.govと言っていないんです」。ご存知のとおり、オバマの電子メールはすべて「ホワイトリスト」アドレスから送られなければならない。なので、誰かがどこかで彼のホワイトリストに彼女の無保護の電子メールを加えたのである。(source)
そして最後になるが、ほら、これこそあの陰険なガミガミババアが政治に関わる真の理由である。言わせてもらおう。彼女は他の誰でもなく彼女自身の暮らしを良くすることを渇望しているのだ。(強調は私)
ゴールドマン・サックス・ビルダーズ・アンド・イノベイターズ・サミットで、クリントンは、君は「一財産築く」ために「ワシントンに行く」と軽口を叩く最高経営者ロイド・ブランクファ���ンからの質問に応じた。クリントンはそのコメントに同意しつつ、政府に入る前に一定資産を除くよう役員に要求する倫理規定に不満を述べた。クリントンいわく、「成功者や複雑な生き方してきた人々に対してそんなバイアスがかかっています」。(source)
集まれ、我々は無視されてはならない。
わたしは現在と十一月八日の大統領選の間に任務を負っている。あなたにわたしの仲間へ加わってほしい。
わたしは主流派メディアがカバーしないところを提供するために日夜働いている。この選挙だけではなく、この体制一般におけるスキャンダル、八百長、腐敗は、わたしたちの声すべてを組み合わせることで初めて人々が聞けるようにすることができる。どうか、この言葉を好み、分かち合い、広めることで、あたなの声をわたしたちに加えてほしい。
集まれ、我々は無視されてはならない。集まれ、我々は軍である。
原典
Thomas DiLorenzo, “The Problem With Hillary,” (July 8, 2016) LewRockwell.com, [https://www.lewrockwell.com/2016/07/thomas-dilorenzo/real-problem-hillary/]
Thomas DiLorenzo, “Hillary’s “Partner in Government,” (September 17, 2016) LewRockwell.com, [https://www.lewrockwell.com/2016/09/thomas-dilorenzo/hillarys-sicko-relationship/]
Andrew P. Napolitano, “Hillary Clinton and Personal Honesty,” (July 14, 2016) LewRockwell.com, [https://www.lewrockwell.com/2016/07/andrew-p-napolitano/hillary-congenital-liar/]
Daisy Luther, “21 Things We’ve Learned About Hillary Clinton from Wikileaks That the MSM Won’t Share…But YOU Can!” (October 28, 2016) LewRockwell.com, [https://www.lewrockwell.com/2016/10/daisy-luther/21-things-weve-learned-hillary/] reprinted from Diasy Luther.com.
[1] https://www.youtube.com/watch?v=aqq5q11uK0M
[2] https://wikileaks.org/What-is-Wikileaks.html
[3] https://wikileaks.org/podesta-emails/emailid/32240
[4] http://www.zerohedge.com/news/2016-07-23/leaked-dnc-emails-confirm-democrats-rigged-primary-reveal-extensive-media-collusion
[5] http://fortune.com/2016/07/28/wikileaks-dnc-clinton/
[6] http://daisyluther.com/quick-shoot-messenger-not-evil-mastermind/
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odasakudazai · 7 years
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こうして
十月は目まぐるしかった。 じりじり居残っていた暑さが漸く抜けて、突然体に纏わりつく温度が消える。秋は、一瞬にして秋だなと思わせるところが巧い。太宰は内ポケットに銃をしまいながらぶるりと身震いして思った。 鉄臭くて火薬の煙がスモッグみたいに視界を悪くしていても、きんと澄んだ秋の空気ならまだましだ。これが茹だるような夏の暑い日は最悪で、意識が朦朧としてくる。太宰は他の構成員より手足のリーチが短い分、一生懸命体を動かして死体掃除に励んだものだった。それが、少し身が軽くなったかな、と思った数日のうちに、空気はがらりと質を変えてみせて、今では外套を羽織っても薄ら寒い。
中規模の武力衝突があったのは横浜近郊の製造業関連の工場や事務所が多い地区で、太宰を含めた下っ端が十数人、現場検分と清掃に寄越されていた。 エリートへの道がある本部配属の太宰に、無遠慮な視線がちらちらと投げかけられる。今は一緒に溝攫いをしていても、あの聳え立つ黒々とした摩天楼を闊歩することが出来るやもしれぬ存在というのは、十代後半から二十代の、血気盛んな構成員の神経を幾分刺激したらしい。太宰はどう見ても中学生くらいの背恰好だし、実際の年齢も丁度それくらいだし、おまけに全身を包帯で被われているからよく目立つ。そもそも、清掃任務とはいえ人材には事欠かないポートマフィアで、中規模以上の初期現場に背丈も足りぬ子供が出入りしていることが珍しいのだ。 (面倒だなあ…) 太宰はうんざりした目で黒服たちを睨んだ。羨望も好奇も、嫉妬も面倒臭い。そんなに手柄や地位を気にするのであれば、こちらへ視線を投げている間眼を皿にして地面とにらめっこしていればいいのに。そうしたら、上司が喜ぶような遺留品の一つや二つ、見つけられるかもしれない。 太宰は草むらに落ちていた、化学繊維の端切れから衝撃で変形したボタンまで、目につくものは全部拾った。それから、血を吸った土を掘り返してゴミ袋にせっせと放り込んだ。新しい土を削り取って、そこに被せる。欠けた歯とか、焼けた雑草なんかもしっかり集めて、ふと自分の持っていた袋がいっぱいになっているのに気づいた。くるりと辺りを見回して、背の高い青年を見つける。黒いシャツに、少し跳ねた赤髪をしているが、それ以外にはさしたる特徴もなかった。 「ねえ君、新しいのちょうだい。」 太宰が寄って行って手を差し出すと、青年はその日初めて太宰を目にしたような顔をしてじいっと見つめた。変なの、みんなちらちら私のこと見ていた癖に、今更怪我の数に驚くだなんて。演技にしても設定が雑すぎやしないかい―連日の任務に疲れた太宰は愛想の欠片も持たずに突っ立っていた。 青年がしげしげと見つめていたのは実のところほんの数秒のことで、すぐに屈んで新しい袋を取り出した。特別目立つわけではないが、所作に無駄がない。僅かな動きの癖から、砂色のコートの下に拳銃を背負っているのがわった。殺し屋か傭兵でもあるまい、なんでそんな面倒な装備をするのだろうと太宰は首を傾げた。 「随分細かい物まで拾うんだな」 太宰の持つ満杯の袋とバケツに目をくれて青年が言った。 「落ちている物を全部拾うっていうのが仕事でしょう、」 当然じゃない?と言外に滲ませる。 「目が良いんだな。」 ほら、と渡されたポリ袋を掴む一瞬、大きな手に目を走らせる。武骨さや荒々しさといった、態とらしい男らしさは感じないが、頑丈そうな手だった。 太宰は数十秒で得た情報を元に青年を判断する―やり手だ。 袋を受け取って、既に人骨と肉片で満杯になった方のビニールを持ち上げなおす動作にかこつけて、自然と間合いを取る。太宰の手足のリーチは成人男性のそれには僅かに及ばず、腕力も劣った。常に瞬発力で応戦できる位の安全な距離を保つ癖が付いていて、彼の中で名前も知らない青年は警戒対象に振り分けられたらしい―動いた体の後を追うように理解が追い付く。 じいっと見上げていた視線をそらして、こちらを見つめる青年の目も視界から追い払う。どうでも良いが、この男の真っすぐな視線はどうにかならないものか。太宰は僅かに居心地の悪さを感じて首の後ろを掻いた。こちらを見据えるその瞳に、価値判断が含まれていないというのは珍しいことだった。 例えば、「なんだ、まだ子供じゃないか」、という観察がなされたとして、大抵の人間はそこに価値を絡める。子供じゃないか―偉そうに歩きやがって、とか、可哀そうに、とか。向けられる視線の温度と色から、その手の評価や感想を読み取ることに太宰は驚くほど長けていた。得た情報は大抵正確で、暴力と欲が剥き出しのこの世界で十四歳の少年が持ち得る最も大きな武器であった。 それが、読み取れない。 青年のはねた髪の毛の先に視線をやってみて、それから手先、首元と珍しく泳がせてしまう。太宰は勝手に分が悪くなったような感覚に陥って、そそくさと立ち去ろうとした。 「有難う。」 青年が何か言いたそうに口をもぞりと動かしたのを、見逃す彼ではなかったが、付き合う義理もない。真黒な外套を翻して、太宰はその構成員から離れた。
次に青年に会ったのは、関東での麻薬取引で利益を上げようと入り込んできた西のやくざ組織を潰した支部の玄関だった。  たまたま視察に当たった一支部が敵の主要戦力を九割削いだらしい、というのは本部内でもちょっとした噂になっていて、太宰は聞き取りに派遣された本部情報部の主任の側近代りをしていた。 責任者が負傷して本部に赴けないらしく代わりの者を遣そうとしたが、主任の男が自ら出向いたというわけだ。お陰でいやに緊張した面持ちの下級構成員たちが、畏まって挨拶するのを特等席で眺めていられる―退屈な仕事。太宰は上機嫌の上司の半歩後ろで欠伸をかみ殺していた。しばらくして、一通りの報告が終わって負傷者の確認に向かった彼が待機を命じる。奇麗に掃き清められた玄関にぽつりと建っていた太宰は、薄暗いロビーに掛けられた時計がこちこちというのをぼんやり聞いていた。先程までばたばたと人の出入りが絶えなかった一階は、階上で行われている視察に人を取られえらく静かだ。 気持ちが良い。取って付けたような不格好な窓、その無骨な黒いサッシの隙間から、秋の澄んだ空が見える。ぽっかりぽっかりと雲が流れて行くのを、黙って見ていた。溜まっていた睡眠債務が一気に睡魔を引き連れてきて、太宰は欠伸を飲み込んだ。そうだ、最近よく眠れていなかったっけ。最後に三時間以上寝られたのはいつだろうか…とろりと睫毛が下を向く。差し込んだ日の光が作る束の間の日向が暖かい。太宰の首がこくりと傾いて、疲れを追いやるように目が閉じられた。眠らずとも、瞼を落とすだけで休息がとれるらしい。旋毛に日光が当たって心地よい。さらりと髪が揺れた。時計の音と、建物の外、遠くを走る車の音。微かに聞こえる笑い声に、自分の鼓動。 死んでしまいたいとまでは思わなかった。ただ、このまま空っぽなまま時間が止まってしまえばよい―冷たくて大きなベッドに潜り込んでも、ちっとも得られなかった安らぎが、突如太宰の身に降りかかっていた、その時だった。 足音もなく移動する、気配。ゆっくりこちらに近づいてくる。 目を瞑っていようと、太宰がこの手の押し殺した気配を察知し損ねるはずがない。 気づいていないふりをして動かない太宰に、気配はそろりそろりと歩み寄る。 恐ろしいほどの殺気の無さ。これが寝首を掻こうとしている連中のものだとしたら、称賛に値する―太宰は眼を閉じたまま分析した。 がたんっ 突然、階上で物音がして、神経を張っていた太宰はびくりと肩を揺らした。歩み寄る気配もぴたりと止まる。観念した太宰がゆっくり目を開けると、 「あ、」 斜め右の方向に、こちらを窺う長身の青年。鋭い目つきの割に、気の抜けた髪型。黒いシャツと太宰を当惑させるあの目を持った、例の青年だった。 赤髪の男は手にブランケットを持っていて、野良猫に餌をやろうとタイミングを見計らうような面持ちでこちらを見ている。太宰が顔を上げたせいで、今しがた作戦は失敗したらしい。 「君は、えーっと、」 「済まない、起こしてしまったか。」 男が言う。おかしなことを言うものだと太宰は笑った。 「起こすも何も、最初から眠ってなどいないよ。」 「気持ち良さそうにしていたが、」 「マフィアは人前で寝ないのだよ。」 太宰が呆れたように言うと、青年は少し微笑んだ。反対に太宰は顔を顰める。 「それで、」 太宰は頭三つ分見上げる格好で青年の目を覗いた。 「寝首をかきに来たようには見えないけれど。」 青年は嗚呼と頷いて、 「冷えるだろうと思って、これを持て来ただけだ。」 手に持ったブランケットを見せる。 太宰は目を見張って、頭の中でこれが嘘である場合のシナリオを十本は作った。作ってみたものの、どれも目の前にいる青年の目を見ると萎んでしまう。別に、真摯だとか熱を感じるとか、そういう眼付ではなかった。鋭くて、ただ対象を真っすぐ見ているだけ。しかし、敵意や、試すような色は感じられなかった。太宰は少し肩の力を抜いて、 「それは有難う、君、名前は?」 珍しく自分から名前を聞いてみた。青年は何が嬉しいのか少し口元を綻ばせて、 「織田だ。織物の方の織に、田んぼの田。」 「織田君。」 「親しい連中からは織田作と呼ばれている。」 「サクはどこから来た訳?」 太宰が首を捻る。織田は空中に「作」と字を書いて、 「下の名前が、作之助というんだ。」 「へえ、変わった名前だね。」 オダサクかあ、と太宰は呟いた。 「お前は?」 織田が尋ねる。 「私の名前は太宰治。渾名なんて無いから、好きに呼んでくれ給え。」 「そうか、じゃあ、」 織田が穏やかに微笑んだ。 「よろしくな、太宰。」
私がその少年を見つけたのは、実は、随分前のことであった。 脳裏に焼き付くものがいつも重要なものとは限らない。後になってかけがえのないものに変わることもあれば、失ってからその重要性に気づくこともある。大事なのは、焼きついたという事実だけであると、私は少し前に学んでいた。だから、その直感を大切にした。 「太宰、」 私が声を掛けずとも気付いていただろうに、少年は名前を呼ばれて漸く振り返った。 ふわふわと内側に跳ねる黒髪が揺れて、絆創膏とガーゼを当てた顔がこちらを向く。何者にも乱されない凛とした意志と、飽き飽きしたような諦観の影が一緒に揺らめく、大きな瞳が私を見上げて、 「やァ、君か。」 幾分胡乱な声で挨拶を返された。 太宰治。弱冠十四歳にして本部配属のエリート集団に肩を並べるようになった、期待の新星。 その異能を見込んだ組織の有力者たる森が直々に推薦したとか、現首領の愛人の子供だとか、それらしいものからいかにも��散臭いものまで、尾ひれのように噂を引きずって歩く少年だ。 太宰は腕にぐるりと巻かれた包帯の端っこを引っ張った。あまり長いこと目を合せていてはくれない。私はその視線に従って新品の包帯を見つめた。呼び止めたが、特別用事があるわけではなかった。太宰は私が事務を切り出すのを待っているようだった。 「そこ、怪我をしたのか。」 「私が怪我をしていないことのほうが珍しいことくらい気付いているんじゃあないのかい。」 太宰が私の疑問に回りくどい肯定を与える。確かにそうだ、と私は認めた。その上でお節介を言った。 「利き腕は大事にした方が良いぞ。」 私の方に大した用はないと悟ったのだろう、太宰は、 「君は幹部か何かの命で私を狙ってでもいるのかい?」 胡散臭そうに尋ねる。薄暗いマフィア本部の廊下の、淡い光源に照らされて鳶色に透けてみる鋭利な瞳が私を射抜いた。その光が、見極めるように私の額を見つめている。冷たくて、合理的で、全てを見切るような黎明さ―しかしその中に、揺れるような疑心と、瞬きをした次の瞬間には気のせいかと忘れてしまいそうな程微かな、不安を読み取った。太宰の視線は静かだった。決してその圧力だけで人を委縮させようとか、マフィアにありがちの浅はかな考えの類はちらとも見えなかった。 私はその静謐な知性に真っ直ぐ向き合った。 私は幹部から極秘の任務を与えられるほど信頼と地位をもった人間ではなかった。どこの派閥にも属さない者が、どこの派閥からも重用されないことは当然の摂理である。私がそう答えると、太宰は納得行かないという顔をしてこちらを見上げてきた。 「君の評判は聞いて回ったけど、」 太宰の視線がするりと下がる。丁度、レザー・ハーネスと拳銃嚢がある辺りだった。 「わざわざ二挺も拳銃を下げておきながら、人を殺せないというのは本当かい?」 使い古されたハーネスは体に良く合っていたし、古い拳銃を下げるだけだから愛用の外套の上からも膨らみは目立たない筈だった。しかし、太宰の視線には一寸の狂いもなく、その上、拳銃の挺数まで当ててきた。今時、二挺拳銃の使い手など珍しいというのに。 私は少々驚いて、 「ポートマフィアに入ってから二挺目を取り出した覚えはないが、良く分かったな。」 と素直な感想を漏らした。太宰はその讃辞には取り合わず、視線は答えだけを寄越せと告げていた。 隠す必要はなかった。 「その情報は合っている。」 俺は素直に答えた。 「どうして、」 太宰が整った眉を僅かに顰める。その後に続く疑問は容易に予想がついた。私が組織に入ってから、何度もされてきたものだったからだ。 ―どうして、人を殺さないのか。 それは、マフィアにあって至極当然の問いであった。 私は返事をしようと口を開いた。 その時、邪魔が入った。 「太宰、」 私達が立っていた廊下の奥から、スーツ姿の男が歩み寄ってくる。私は彼の視界から一歩脇へずれて、軽く会釈をした。本部にいる連中の殆どは私より階級の上の者であったからだ。  男は頭を下げた私など視界に入らぬ様子で通り過ぎる。事実、ほとんど認識されていないのだろう―人は、各自に必要なものしか見ていない。 「防弾チョッキを着て、すぐに弾の確認をしろ。」 「真逆、部隊を動員するのですか。」 太宰の声には驚きというより呆れが滲んでいた。硬く冷たい声色だが、浴槽に張った真水にインクを一滴落としたように、気付かぬ者には全く気付かれないまま―しかしそこには確かに、呆れとか、諦観といった色が浮かんでいた。 「そうだ。隠密偵察は昨日までの報告内容で十分だとの判断が降りた。お前は現場に配属されている。」 太宰が承知して、男がやってき方向に早足で去って行った。私はその間、頭を下げたままだった。男の顔が、権力争いに興味のない私にも分かるものだったからだ。準幹部―戦闘指揮や立案に関わる組織の重役で、五人いる幹部それぞれに忠誠を誓う形でポートマフィアの実務を行う人間。日頃溝攫いか痴話喧嘩の仲裁くらいしか任されない私からすれば、芸能人よりも遠い存在だ。 すれ違う瞬間、下がった視線の先に太宰の腕が見えた。包帯にぐるぐると巻かれた細い手首の先、華奢な指は握りこまれていた。 準幹部の男はそれを見届けると、私の存在に意識を向けることもないまま立ち去って行った。太宰が去る時にはしなかった重厚な革靴の音がかつりかつり響いた。 私は、漸く顔を上げて、太宰が居なくなった方向に目を向けた。 入り口とは反対の、陽の差し込まないマフィアの内部だ。塵一つない廊下の先に、酷く頼りない背中がどんどん小さくなっていく。 私は、握りしめた太宰の拳の事を考えていた。すらりとした白い指にはうっすらと血管が浮いていた。 何かに耐えているようだった。
それから私は、神か仏に何か仕組まれたかのように太宰治のことが気になっていた。 太宰が例の作戦で大活躍をして、マフィア側の損失を想定の半分に抑え、的組織の収益を丸ごと奪ってきたという話は末端の私にも伝わってきていて、大まかな顛末を聞いた私はほっと胸を撫で下ろしていた。どうやら、無意識のうちに案じていたらしい。その間私はと言えば、フロント企業の取締役の失態が週刊誌にすっぱ抜かれそうになるのをギリギリのところで止める、という全く愉快でない仕事に徹していた。三流ライターの背中に齧り付いてどうにか掲載を取り下げさせ、漸く一息つく。私はここ二日程来られなかった馴染みの洋食屋を訪ねることにした。 「やァ織田作ちゃん、いつものでいいかい?」 尋ねながら店主は既に器に白米を盛っていた。頼む、と告げて、カウンターの端に腰を下す。静かな午後だった。私の他に客はおらず、店の前を通り過ぎる車の往来だけが聞こえていた。 一度意識すると、些細な情報まで集めてしまうのが人間の五感らしい。互いに自己紹介して以来、太宰の噂を耳にすることが増えたような気がしたが、屹度それは最初から変わらぬ頻度で、唯私の耳が捉え損ねていただけなのだろうと思った。 「難しい顔しているね。」 私の前に湯気の立つ器を置いた店主が言う。 「そうなのか。」 「いや、よく考えてみたら織田作ちゃんはいつもそんな顔だったかもしれない。」 「…そうなのか。」 自分の顔が人にどう見られているかなんて考えたこともなかったが、表情に乏しいだろうということは想像がつく。若しかしたら、それが太宰治に警戒心を抱かせる所以ではないかと思い到った私は、道端で見かける幸せそうな人々の笑みを真似てみた。 「これで難しくない顔になっただろうか。」 店主は呆れたような面白そうな顔をして、 「織田作ちゃんは咖喱を食べている時が一番いい顔だよ、」 私の即席の笑顔については茶を濁して厨房に引っ込んだ。矢張り、上辺だけの表情というのは人に露見するらしい。  私は表情筋を元に戻して、いつも通りに咖喱を食べた。真の絶品料理というのは、高い値段や常と違う豪華な環境など無しに提供されてなおそう思えるものを指すのであろう。この店は、その条件に完璧に当て嵌まっていた。  美味なものを食べた後というのは、思考も晴れ渡り気力も湧くものだ。私はグラスの水を口に含んで、矢張りまた太宰のことを考えた。今なら、彼のことが少しわかりそうな気がしたからだ。 否、わからないのは自分のことだ。何故、ここまで彼のことが気になるのか、自分に説明することができなかった。 精緻かつ大胆な計画で組織の抱える案件を迅速な解決に導く頭脳、体中に巻かれた包帯とガーゼ。 時折見せる無防備で、新鮮な表情と、対照的に暗い瞳。見かけると声を掛けてしまうだけでは飽き足らず、最近は中心部への使いのついでにその背中を探してしまう。  私はゆっくり水を飲んだ。まるで酒盃を揺らすように、唯の水のグラスを手で温めた。 若しかしたら、私は彼に何か糸口を見つけたのかもしれない。 私が密かに心に抱えた夢の、入口に彼が立っている気がした。自殺未遂を繰り返すらしい少年の瞳には、マフィアの誰よりも濃く生の苦しみと死への恐怖が灯っているように見えたのだ。  無論、出会ったばかりの人物に抱く勝手な幻想、という可能性も十分にあり得た。しかし、それでも或る直感があった。そして、同時に放っておけないと思った。節介だとは分かっていたが、太宰の姿を見ると案じずにはいられなかったのだ。それは、初めての感覚だった。あまりに曖昧で形容し難いものだから、私はこの感覚に名前を付けることが出来なかった。  ただ、何故だろうか、昔読んだ小説のことを思い出していた。 友人を思い思案する主人公の心理描写が、鮮明に心に蘇ってきたのだ。
痛い。 痛みを感じるということは神経が正常である証で、太宰はその点に関しては安堵した。銃弾の掠った左腕は焼けつくように痛く、血液がじわじわとスーツを濡らした。 寒くて、痛い。 太宰は無事な右腕で器用に止血して、身を隠していた壁に靠れて目を閉じた。 味方は当初の半分にまで減っていて、もっと効率良く敵の頭数を減らさなければ洒落にならない損害になる。  兵の数は戦の最大の落とし穴、とは言うものの、実際の銃火器戦において人数差というのは矢張り大きい。指揮官の巧さというのも勿論要求されるが、一度こうして全面衝突が始まってしまえば単純に弾数がものを言うのだ。 早まる呼吸を落ち着かせ、適切な酸素を脳に送り込む。焦りは思考を鈍くし、判断のミスを誘発する。太宰は廃工場の淀んだ空気を胸っぱいに吸い込んで、意識を情報収集に専念させた。  先ほどの襲撃の位置と一分当たりの弾丸数からして、敵は入り口付近に3人、窓付近に4人ほどばらばらに構えている。そして、場所は特定できないが恐らくあと2人。 根こそぎ人命を奪うやり方はいかにも無法者臭くて好きではなかったのだが、背に腹は代えられない。太宰は無理な動きの代償に軋む関節を叱ってゆっくりと立ち上がり、目を開けた。 そのまま、入口にいた三人を近づきざま順番に撃ち殺し、倒れこんできた敵兵の一人を抱えて開けた踊り場を突っ切って窓際へ向かう。一撃で絶命した味方の遺体を盾にされた敵の構成員は自慢の射撃の正確さを失い、元来小柄で的の小さい太宰を仕留めることができない。  それから、態々真ん中を突っ切ってまで見つけた特定し損ねていた狙撃者の位置をしっかり頭に書き込んで、出来るだけ接近しながら確実に仕留めていく。自らの体を囮に、敵の判断力に揺すりをかける作戦だ。 太宰の銃の扱いは中の上と言ったところで、多勢相手に上手く急所を外しつつ昏倒させることなど不可能だった。正確に心臓を、米神を、首を射抜かれた敵兵の手から、重い音をたてて拳銃が落ちる。撃ち漏らさぬよう近付いたおかげで、太宰は自分の出血と返り血で真っ赤に染まっていた。 一分にも満たない銃撃戦の幕引きに、生き残ったポートマフィアの構成員の誰もが息をのんだ。 突然の作戦に、応援の銃弾の一つもなかった。 最後に背後から迫った敵兵に三発撃ち込み、その倒れる音を聞き届けて戦闘は終結した。突然訪れた静寂に、転がる薬莢の余韻と太宰の荒い呼吸だけが滲む。 避け切れない弾丸が掠った所が痛い。引き攣りがちの呼吸は下手くそで、喉が焼けんばかりに痛んでいた。今度こそ、頭に酸素が回らない。絞り出したアドレナリンが切れていく。 はあはあと吐き出すばかりの呼吸に視界が歪んだ。 そのまま、硬い地面にがっくり膝を着いて、まだ熱い拳銃を投げ出した。
それからの現場の動きを、太宰はどこか遠くの出来事のように見つめていた。 指揮官の男が飛び出してきて、すぐに敵兵の身柄の始末を指示する。遅れてきた応援部隊が怪我人の簡易処置を進める。太宰は指示に従って立ち上がって、もたもたと出口に歩いて行った。薄暗い灰色の工場に、幾重にも重なって歪んだ自分の影が伸びる。それを踏みつぶさんと歩を進めても、影が一緒に歩くせいで一向にそれが叶わない。離れたところで、仲間の遺体が回収されていた。 死は、あまりにも近くに転がっていた。太宰は気分が悪くなってきた。 歩む先の出口は、光にあふれて真っ白に刳り抜かれたよう。 それを、背の高い影が遮った。 「太宰、」 それが近付いてくる。太宰は棒きれのようにただ動かしていた足をぴたりと揃えて止めた。 織田作之助だった。 織田は応急手当て用の医療用品が入った袋を持たされて、ちょうど現場に派遣されたばかりだった。 黒いストライプのシャツに、砂色のジャケット。いかにもチンピラ然とした鋭い眼元に驚きの色が灯る。その瞳に映りこむのは、両の掌を真っ赤に染めて、敵を虫けらの様に撃ち殺して仲間の遺体に目もくれない、自分の姿。立っているのもやっとで、体中がずきずきと痛み、失血のせいで吐きそうになる。 「すぐ手当てをする。」 織田が駆け寄ってきて、肩から提げていた大きな袋を下す。 太宰の横に跪いて、素早く眼を走らせて出血源となっている傷口を探した。織田が、消毒液を持った手を伸ばした。大きな手が自分を捕まえようとする。それが、酷く恐ろしいことのように思えた。 「…いい。」 掠れた声が出た。 「どうした、何かまずいのか、」 「いいよ、君。」 織田は顔を顰めた。馬鹿な事を言うなと言いたげな表情だった。 「私のような人間は侮蔑の対象なのではな��かい。」 太宰は、どうやら判断力が落ちているらしいということに気付いた。言うつもりのない言葉を紡いで、それを耳が聞き取ってからようやく意味を理解している。おかしい、こんなことは初めてだ。初めてだから、止め方がわからない。 「君は、人を殺さない、」 「太宰、今そんなことは、」 織田の声が焦りに染まる。太宰はそれを振り払った。 「関係あるさ。ねえ君、どうして私に構うんだい?」 太宰の視界の中で、織田が僅かに目を見開いていた。 自分が、何を言っているのかわからなかった。ひどく、ひがみっぽいことを言っている気がした。当てつけだった。 「どうしてって、俺は、」 織田が言い淀んで生まれた中途半端な間に太宰は息をついた。 調子が狂う。真っ赤に染まった指で、死体の山の一部を指して見せた 「ほら、あれ。君にも伝わっているだろう?」 「何の話だ。」 「あれは君の上司だよね。だから態々君達が清掃に寄越されたんだ。」 織田の顔が陰った。近頃本部に昇進した前任の上司の顔は記憶に古くない。 寝返った構成員の部下を凄惨な現場に寄越して後始末をさせるというのは、マフィア流の見せしめと防止策だった。 「あの人は、敵方に寝返ったと聞いた。仕方が、ないだろう。」 「私が、殺したんだ。」 太宰が、囁くように言った。織田は何も言わない。 「君なら彼を傷つけなかった筈だ。殺しや暴力なんて��君からすれば野蛮で忌むべきものなんだろう。」 織田は否定の言葉を探したが、何も出てこなかった。正しく誤解を解こうとすれば、言葉に慎重になって、時間ばかり過ぎてしまう。 沈黙を閉口と受け取った太宰は黙って立ち上がった。手当ての為に伸ばした織田の腕を払い退けて歩き出す。 織田が、自分を追い越す太宰の腕を掴もうとした。 「だざい―」 太宰はそれを無視して歩いた。織田が、何故自分に構うのか、この際どうでもよかった。何の利益もないだろうに、優しくされるのは気持ちが悪くて仕方がなかった。 日光に溢れて真っ白に染まった出口までの道は、夥しい量の血液が汚していた。太宰はそれを踏みつけながら歩く。  織田は、言葉の無力さを奥歯で苦々しく噛みしめた。冷たい秋の風が心の隙間まで冷やしてしまいそうだった。
観覧車に桟橋、行き交う人の群れは蟻の様。ポートマフィア本部ビルの最上階は雲の如く、神を睨みつけるように空高くに位置していた。 「森君、」 涸れた声が響いたのは、単純に部屋が静かすぎるからだった。呟きの如く小さな呼び出しに、ぬらりと長身の影が現れる。 「首領、如何されましたか。」 執務室の更に奥、側近すら入れない首領の休憩室の、真紅の布団掛けに寄り添うように、森は立っていた。曇らせた顔には、上司を気遣う心配げな表情が貼り付けられている。 「今、どんな様子だね。」 咳交じりの声に森は顔を顰めた。 「首領、お体に障りませぬか?御身を起こさずとも、この森が小競り合い程度平定いたします。」 首領と呼ばれた男はごほんと一つ咳をして、介助に延ばされた手を制した。 「まだ老体というには若すぎるというに、全く、罰が当たったかな。」 かつての頑丈な体躯のお陰でみすぼらしくはないが、その全盛期を知る者が見れば一目で蝕まれているとわかる皺の多い顔を歪めて言った。森は、恭しくその傍に膝をつく。 「小競り合い、というには少々損失が出すぎだと思うのだがね。」 「御心配には及びません、現場には私の期待する明晰な頭脳を送り込んでおりますので。」 幾百もの戦を経験した鋭い眼が細められ、森の顔を見極めるように嘗めまわした。 「あの少年か。」 「ええ。最近随分と心乱していたようですので、態と城嶋君につけたのですが。」 「城嶋は帰ってこんだろうなあ、これだけのミスを犯して。知っていて態々気に入りの部下をつけた心を、聞いてもいいかね?」 森の薄い唇が弧を描いた。眉を下げて笑う。 「いやあ、太宰君が帰ってこられるかどうか、試してみようと思いましてね。」 首領はふんと鼻を鳴らした。 「お前も冷酷な男よ。報告を聞く限りでは、戦闘経験もない、ましてや生への執着の薄い子ども一人、生き延びられる場所じゃなかろう。」 森は困ったように頬を掻いた。 「そうでしょうか、それなら、」 手袋を嵌めた森の手が、薬箱をまさぐって正しい薬剤を持ち出す。グラスに水を注いで、老人に手渡した。 「まァ、その時は仕方のないことですねえ。」 ―それまでの子と言うことで。
その日、私は土砂降りの雨が地面を叩く音を聞いていた。 安い割に長持ちしているマグカップを持って、ダイニングと呼ぶには小さすぎる食卓に掛けていた。雨が窓を叩く音というのは心地が良い。守られていると感じる。二十歳を目前にしたマフィアが考える内容としては少々幼稚だとわかっていたが、これは前職にあった幼少の頃から変わらない。世界から遮断された感覚は、時間の流れさえ異なるように感じさせた。そして、そのゆっくりとした時間の中でなら、滑りがちな思考も少しはマシに動いてくれるだろうと確信があった。 何か拙い事をしたということは分かっていた。問題は、その内容が見当もつかないことだった。横浜の外れに並ぶ工場群の、その中でも端に位置する廃屋でのことを思い出して私は小さく溜息をついた。薄暗いコンクリートの箱の中は、血と火薬の匂いが蔓延していた。熾烈な銃撃戦の後で、硝煙が空気を濁らせていた。 私は太宰の、今にも泣き出しそうで、疲れ切った瞳を思い出した。冷え切って、固まってしまった溶岩のようだった。何も届かないような色をしていた。  熱い珈琲を啜る。私の主義が太宰を傷つけたようだった。纏まらない思考の中で、それだけははっきり分かっていた。 ―私のような人間は侮蔑の対象なのでしょう、 冷たくて、それでいて震える声音が耳に残っていた。 私は深く後悔していた。暴力や殺しを讃えるつもりはないが、かといって太宰を軽蔑しているわけではなかった。私にはごく個人的な夢があって、そのために我儘を通しているだけだった。人命を犠牲に巨利を貪る組織のお零れに預かる身分だった。直接手を血に染めないというだけで、善人を気取るほど浅はかではない。  そう、伝えられれば良かった。咄嗟のことに、言葉を見失ったのだ。 私は額に手を当てて自分の口下手を呪った。次に会う時、弁明の機会はあるだろうか。いや、そもそも会ってくれるのだろうか。どうして、最初にきちんと言っておかなかったのだろう。 そんなことを考えていた。私の世界は、猫探しに遺体回収、痴話喧嘩の仲裁と、友になりたかった少年のことで一杯だった。だから、テーブルの上で端末が震えて新しい上司の焦った声を聞いて漸く、ポートマフィアが立たされた窮地を知ることになったのだ。 「織田君、今日君は非番だったね、」 通話マイクに唾を飛ばさん勢いで話しかけられる。私は思わず端末を五糎ほど耳から離した。 「はい。」 「それなら今すぐ装備を整えて交戦地点へ向かいなさい、」 背景音が爆発に変わる。更に五糎、端末を遠ざけた。何やら、大規模の抗争が起こっているようだった。 「何が起きているのですか。」 聞きながら、私はマグカップをシンクに突っ込んでいた。端末を持ちかえて、自由になった利き手で拳銃嚢を準備した。 「本部が片づけた案件が再燃した。潰した筈の組織の残党が、西から勢力を伸ばしていた火力自慢の奴らに吸収されたらしい。奴ら、足がかりを得て一気にマフィアの戦力を削ぐつもりだ。城嶋幹部補佐の指揮下に、結集できる人員は皆港湾部に回されているが生憎今日は遠征組の穴が大きい、」 大きな爆発音が一つ。背後に怒号が聞こえ、上司の声が途切れた。切らずに待っていると、 「とにかく、今すぐこっちに来るんだ、わかったな、」 通話は一方的に切られた。私は体温が下がるのを感じた。城嶋という男を、知っていた。暫く前、本部ビルで太宰と話した時にすれ違った上役だ。嫌な予感がする。脊髄を針でつつくような、嫌な緊張が這い上がって、不安が墨汁のように胸を塗りつぶす。この手の感覚を私は信じていた。  二挺拳銃を手早く確認する。敵の規模は随分大きいらしいから、替えの弾倉を大量に用意した。太宰は私を、暴力を厭う男として扱ったようだが、本質はむしろ逆であった。指が黒光りする撃鉄を撫でると酷く頭が冴える。まじないばかりの強化素材でできた外套を羽織って、部屋を後にした。
近々の目的を与えられた脳は先程までの出口の見えない思案を脇に追いやれてほっとしているようだった。バケツをひっくり返した、とはよく言ったものだ。車を出すと後々撤収に手間が掛かりそうだから市電に飛び乗ったが、傘を持ってこなかったせいで目的の工場街に着いた時には外套の色が一段濃くなっていた。 現場は騒然としていた。塗装の剥げた赤いコンテナが、怪獣映画のセットのように簡単に燃え上がる。その様子を予見していた私は、吹き飛ばされた硝子片を咄嗟に屈んで避けた。 マフィアの倉庫にバナナが詰まっているはずもなく、よく燃えるのは火薬のせいらしい。目視で確認できるだけでも、三つのコンテナから火が上がっていて、私は予想を上回る惨状に顔を固くした。乾いた銃声の音、連射される中距離散弾銃の雨のような音。何か体に良くない匂いのする煙を吸い込んで、反射的に手巾を口元に充てた。太宰の上司の傍で見たことのある男を見つけて、そちらへ走って行った。地面は雨に濡れて光っていて、私の行く手には薬莢が鳩の餌のように落ちていた。男は最も銃声の激しいコンテナの傍で、血の池にしゃがみ込んでいた。片足に抉られたような傷を負っていて、どうにか止血しようとするその腕もまた神経を傷つけられて震えていた。 私はしゃがんで布きれを奪い取った。 「お前、誰だ、」 男が尋ねる。 「織田作之助だ、太宰治を探している。」 「このコンテナにいる。奴の援護に来たのか、」 男が、食い縛った歯の隙間から息を吐き出しながら言った。 私に下された任務は現場援護であって太宰個人の救援では無い。しかし、混沌を極めるこの状況を見て、俺個人の戦闘配置先など誰も検討していないだろうと判断したから、何となく彼の名を出しただけであった。しかし、その説明は弾丸の音を聞きながらするには少々長すぎる。私はそうだ、と言った。 「ハッ、森医師か、幹部殿の差し金か何かか?この状況で無傷の人材を一人だけの為にさくだなんんて…っつ痛っ!!」 私は態と乱暴に手巾を縛った。血の海に浸してしまった外套の裾を払って、拳銃嚢から愛用の旧式拳銃を取り出した。私の目に浮かぶ静かな闘志を見て、男は少し息を詰めた。 「太宰個人への救援の指示など出ていない。」 私の言葉に、男は気まずそうな顔をして見せた。それから、荒い息の中言った。 「それなら、行かないほうが良い。あそこはもう無理だ。俺たちはあのコンテナを諦めて、残党狩りに全勢力を傾ける。」 私は手入れされた拳銃の安全装置を外した。 「あいつには謝らなければならないことがある。そうしたら、、」 手首の内側に巻いた装備を指で確かめる。コンテナの中からは、連射銃と砕け散るガラスの音がした。火が噴きあがっている。私は拳銃に一発目がきちんと装填されていることを確認した。 「友人になりたいんだ。」
 太宰は今にも崩れそうな積み荷の陰に身を隠して、ぼたぼたと落ちる血液がシャツを染めるのを見ていた。休憩しているのではない。自らを餌に残りの敵戦力を削ぐための罠だ。怪我の為に機動力に欠ける己の体では、先制攻撃は難しい。こちらが所持する戦力が実質太宰一人の拳銃に限られた今、効率的に相手を釣って迎え撃つしか道はない。きつく眼を閉じた。こちらに近づく気配がある。怒号、窓ガラスの割れる音、積み荷の爆発する音、散弾銃。それらすべての音を一つ一つ聞き分けて、重要でないものと分類していく。遠くの往来の音、ブレーキの軋む音、火薬に引火して爆発した隣のコンテナの音。必要のない情報を削いで行けば、こちらに向かう猫のような足音が鼓膜にしっかり届いた。いくら足音をしのぼうと、革靴を履いている時点で完全に音を消すことは不可能だ。敵も消耗している。太宰は張り詰めた神経の限界点でその微かな音を拾い集め、ギリギリのところでバリケードから躍り出た。そのまま、相手の懐に飛び込む姿勢で三発、右斜め前からの援護射撃者に二発。ここまでは予定通りだった。しかし。 パンパン 乾いた銃声がして、耳のすぐ脇を弾丸が掠めていった。咄嗟に姿勢を低くするが、身を隠すものも何もない部屋の真ん中で、身を隠した狙撃手から逃れることなどできない。太宰は、次の銃声が自分の命をこの世から摘み取るものだと覚悟した。目を閉じる。こちらを狙う殺気を数えた。血と硝煙に淀んだ空気を震わす、銀の弾丸を待つ。どこを撃たれるのだろう。出来ることなら、すぐに苦しみから解放されるような、快心の一撃で息の根を止めてほしい―伏せた睫毛が震える。 銃声がした。何発もした。迷いのない音だった。 いつまで経っても来ない衝撃に、太宰は眼を開けた。ある筈のない光景に目を見張る。 赤髪の構成員が、一分の隙もない完璧な動きで次々と敵兵を沈めていく。正確に、利き腕を狙い撃ちしているらしく、銃を取り落とす重い音が相次いだ。 「きみ、なんで、」 太宰はそれを、呆けたように見ていた。掠れた呟きが聞こえたのかは定かではないが、突然の援軍―織田作之助がこちらを振り返って言う。 「拳銃は傷つけることしかできない、唯の武器だ。それでも、」 あっという間に6人の敵兵を冷たいコンクリートに叩きつける。 「それでも、それで救いたい命が散るのを防げるのなら、俺は抜くさ。」 太宰は、零れそうに大きな瞳を見開いた。 塵が舞う濁った空気越しに、織田の双眸は凛と輝いていた。太宰が座り込んだすぐ隣に屈んで、汚れた手を取り抱き上げた。瞬間、顔を強張らせる。 「オダ、サク?」 険しくなった表情に、たどたどしく愛称で呼びながら問いかける。 織田はさっと身を低くして、太宰を抱いたまま二階へと続く階段を駆け上がる。次の瞬間、鼓膜を震わす爆音とともに出口付近一帯が爆破した。 「なっ…」 織田の肩にしがみついた太宰が目を見開く。 「まずいな…」 先程まで太宰が身を隠していた積み荷のバリケードが見る見るうちに炎の燃料と化していく。肥大化したそれは火の粉を吐きながら竜巻状に成長していく。  太宰は織田の外套をぎゅっと握りしめた。それに応えるようにしっかり抱き直して、織田は砕けた硝子を踏みつけて搬入用の大きな窓に向かう。 まだ残っている弾丸をそこに撃ち込んで、砕け散った所を蹴り飛ばして風穴を開けた。 「掴まっていろ!!」 織田が叫ぶ。太宰が外套を握る手を一層強める。 硝子を踏む。パリパリと音がした。織田は大体の高さの目途をつけ、体勢を決める。抱えた太宰が怪我をしないように庇いながら、窓に向って駆け出す。 「くっ…!」 空中に身を投げ出した一瞬に、体を捻る。長年荒事の場に身を置いてきたおかげで、受け身のとり方は体に染みついていた。幸い、コンテナの二階から飛び降りるだけだ。太宰一人抱えていようと何とかなる―織田は左の体側から衝撃を殺せるような角度を取る。 今飛び出してきたばかりのコンテナから、熱風が上がる。 地面に叩きつけられる。そのまま、太宰を抱き込んだままごろごろと転がって、勢いを殺したところで織田は腕を緩めた。二人は揃って、冷たいアスファルトに預けて空を見上げた。周囲には、忙しなく行きかう足音と弾丸の炸裂する音が溢れていた。 「あはは、君って」 太宰が観念したように小さく笑った。何故か、途轍もなく愉快な気持ちだった。瞼を閉じる。叩きつけるような雨が頬を濡らした。全身が雨と血でぐちゃぐちゃだった。 「織田作だ。」 「織田作、」 太宰が初めて聞かせるような、柔らかい、歳相応の楽しげな声で愛称を確認する。 「本当に面白くて優しい人なのだね。」 織田は一瞬、キョトンとした顔をして、それから、 「漸く気付いてくれたか。」 難しくない顔をして、同じように曇天を見上げて雨粒に目を閉じた。
終章
台風一過。  その日は一日爽やかな秋晴れだった。横浜の一角を灰炭と化した大規模抗争が幕を閉じると私は通常業務に戻された。数日猫探しにいそしんで、漸くゆっくり時間のとれる日を作ることができた頃には、日常がすっかり我が物顔で帰還を遂げている。ただ季節だけがこの三日に少しばかり歩を進めたらしく、冷えが一段と進んでいた。外套の下に潜り込んでくる冷たい秋風をしめださんと、私は砂色のコートの前を手繰り寄せて足早に目的地へ向かった。  私は件の洋食屋の他に、行きつけと呼べる店がもう一軒あった。ネオンもまばらな繁華街の外れの更に奥にある、小さな酒場だ。やや背の低い扉をくぐると、煙草と酒の香りがふわりと私を包む。明るすぎない店内は狭く、カウンターには所狭しと酒瓶が並んでいた。  いつも腰かけるカウンターにつくと、注文の一つもしない内に店主がグラスを差し出してきた。 「これは、」 「ご友人からです。」 壮年のマスターが言伝をする。私がはて、と首を捻ると、 「やァ、織田作。」 快活な若い声が聞こえた。 私はにやりと笑って、有り難く酒盃を手に取った。そうだった、私に友人と言えば、一人しかいない。 太宰治が、琥珀色の液体を掲げて私の隣の空席に身を移す。相変わらずの包帯だらけだが、にっこり笑った瞳は、いつになく楽しそうに見えた。 実のところ、私は友達と呼べる関係性を持てた例がなく、あの銃撃戦の日に一世一代の告白をして以来距離感を測り損ねていた。太宰も諸々の後始末に追われていたらしく、当然約束も何もしていない私たちが顔を合わせることもなかったのだ。 太宰が、大仰な仕草で酒盃を傾ける。酒盃の合わさる軽やかな音が、静かな酒場に響いた。オレンジ色の光が揺れて、太宰の明るい声が、風変わりな音頭を取った。
―「ストレイドッグに!」
Fin
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