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#鹿落堂のお蕎麦
175photograph · 8 months
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仙台、鹿落堂さんのお蕎麦。 居心地もよくてすべて美味しくて そしてなによりとろけるようなわらび餅に 心を奪われてしまった・・・♡
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figmilkfm · 1 year
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0103 あさ新幹線で東京帰る。ずっと欲しかったコーヒーサーバーとコーヒー豆手に持って遅れ馳せながらうちにもサンタ?きた。夕方から萩の湯に行き、帰ってふたりで飲酒など。
0102 三木さんと昼に高柳神社に初詣。のんびりしてから京都。キキとたつカフェへ。夜は三木家に帰宅し、録画してもらってたさんまのまんまを観るなどし年始気分に浸る。
1231 コノミヤでビールとかアイスとか買い込むのがやけに年末。年越しは三木家で紅白。事実��実家が消滅した昨年も、引き払って以降本格的に消滅を遂げた今年も、三木家で食卓を囲みながら0時にみんなで年越しを蕎麦食べた。年が明けた瞬間おめでとうございますと言い合う。私の今年の抱負は特になくて、三木家のみんなに今年の抱負は?と三木家に聞いたら誰もなくてそれもよかった。家族みたいな安心感があるこの家があってくれて今年もなんとか。愛する人たちよ、どうか健康でいてねと思う。それだけ。
1230 中田寝すぎね?早朝から『最愛』一気観した。夜は三木家に帰って蟹鍋に参加させてもらう。
1229 納骨。退職の手続きで精一杯になってて納骨式の準備を全然できてないまま行き道のバスで納骨式について調べたら足りないものばかりで最悪でした、悪い夢か。行き先も違ってて、途中骨壷持って走る。祖母の納骨を済ませておかなかったために私がやることになった怒りを母へぶつけながら、ひたすら川沿いを走る。寒い。骨壷が重い。骨がカラカラと音を立てるのを聞きながらマジでばあちゃんごめんという気持ち。着いたら骨壷、ちょっと割れてたし。この年齢で家の膨大な用事を済ませないといけない生活が心底嫌になる。なんとか無事納骨式を済ませ、セイゴが大正まで迎えに来てくれるらしいのでとりあえず梅田。大正で拾ってもらってみおつくし会へ。まーくんとの飲酒が捗る。夜中は、中田の家でオールザッツ観ながら寝落ち。
1228 寝てたっていうかストレスで3時間歯を食いしばってただけ、みたいな睡眠。疲れが全く取れず。朝起きて奥歯が取れそうなくらい痛む。原さんとランチして、夜三木家に帰る。夜、お父さんと飲むジンを買って帰ったら、お父さんが私と飲むジンを用意してくれてたのでジン祭りを開催。
1227 今日が最後の出勤になるわけですが不思議とそこまで不安がない。何が起きてもたぶんここにいるよりはマシじゃないかな。現状維持を選び続ける自分よりよっぽど。23時なかもず着で、はらさん家着。原家の弟が買ったブルーノマーズのラム酒が美味しすぎて水のように飲む。夜中まで話して、朝は早く起きる。歯食いしばってただけであんま寝てねえ
1216 AM休みたいな日々。編集部に上がるのがキツくて一階に荷物置いて作業。大掃除と見本誌の整理しながら、こういう仕事で一日が終わることに鬱々とする反面、これさえしてれば一日が終わるのだと安堵もする。あと少し。今は耐えるしかない。夜、なみとどん底行く。メンタルがどん底。七千円も使ったのに全く酔えなくて最悪!店員のお兄さんがやってるバンドの話とかその曲とか聞きながら、ほんとはなみともっとゆっくり話したいことがあったから会ったのにねと後悔の念を滲ませる帰り道。
1215 派遣さんに引き継ぎ。することがなさすぎてデスクの断捨離。自分が最初に出した本のラフとかが出てきて懐かしむ。実務してたのが遠い過去のように思える。実務がしたくて気が狂う。ラフ描きたい誌面が作りたい企画進行したい、馬鹿みたいだなー
1214 適当に会社へ行き適当に帰宅。焦りを生む心さえ消失しそうな実りのない日々。夜、あいちゃんと電話して飲酒後寝落ちる。
1211 永田珈琲店で朝。帰りに青いカバBOOKSに寄って往来堂へ行く。帰って少しゆっくりしてたらROUTEでカレー出店してるのを知り、チャリで馳せ参ず。買った夏葉社の新刊をルートで読む。夜、ゆうちゃんと飲んでから月吠えで飲む。久々1時半とかまで飲んでて眠い。
1210 4時に起きて気になってたレギュレーションの復習をする。この頃誌面の表記を指摘されまくり、会社勤めの4年間が怖くなる。自分の文章、これでいいのかわからんすぎたけどなんとか形になった原稿見て安心。周りの同世代が仕事に打ち込むのを見て焦りもするが、今回の仕事は自信になった。積み上がって行けたらと思う。仕事がないと日々楽しくない。確実に、私も下積みとして毎日やることを進めていきたい。茨木のり子読んで、ギリまで飲酒後、寝る。
1209 元気なさすぎてねぎしで蘇生を試みるも、欲求って満たすと罪悪感に苛まれる。御茶ノ水のスターバックスで真空ジェシカのイベントレポート仕上げる。やっぱりめっちゃ楽しいな。この仕事がなかったら、私にはいま何もないや。
1108 大阪疲れ?で体調が悪い。早々に多忙宣言を受けた12月の生活が心配。大きな仕事は幸い抱えてないし、体調崩すとしたら今でよかったのかもしれん。
1105 夜、千駄木駅で待ち合わせてふくの湯へ。お腹空いたけどなかなかどこも開いてなくて、根津まで戻って谷中バール。近場だとお互い終電を気にする必要がなくてそれもいい。
1104 親の手続きで台東区役所。書類が多すぎてかなり時間がかかる。結局課税証明書を大阪で取らないといけなかったみたいで、夕方までかかったのに全部終わらなかった。まーでも八割方終わったと思えば気が楽だし、実家がなくなったから、手続きはもう大阪でする必要がないと思うと気はさらに楽。これは感謝な話なのですがみゆきが私の代わりに課税証明書取りに行ってくれるらしー
1031 初動が緩やかであればあるほど保たれるものがある?激しさを伴わない静かな熱よ
1029-30 車屋で飲んだ。すきな人同士を会わせてわたしは終始ニコニコ。そういやノーズショップで見つけたBdk Parfumsの香水、パスソワール「また今度ね(今夜じゃないわ)」の香りが(名前含め)とても良かったので書き留める。アンバーウッドとジャスミン、ブラックペッパーとマンダリンにパチュリ。サボンのボディクリームにも、いつもつけてるバイレードの香水Accord Oudにもパチュリが入ってるし、感覚でいいと思うものにもこうして一貫性が垣間見えるときがある。
1028 夜、飲みに行く。珍しく4軒くらいハシゴして、ことごとく変な人に絡まれる、地獄。「お前らみたいに顔がかわいいからって全部許されて調子に乗ってるような女が一番嫌いなんだよ!」って、横にいる人に叫ばれて最悪じゃない?朝方、また月吠えで変な人に絡まれてるところを山下さんに助けてもらった。何よりボトル奢っただけでいけると思われたことが超腹立つ。朝まで飲んで、皆川くんと始発で帰る。記憶が断片的ですけど酒鬱入ってないだけで偉くて良。
1027 朝、新幹線で東京へ。かぎりなく落ち着く街上野よ。帰ってくるたびこのままここに骨を埋めたいと思うね。昼は出社して、夜、萩の湯にはじめて行く。緊張の糸が切れたのか、わたしは鶯谷の、毛糸編んでるテレビ番組が流れる激渋中華料理屋を出たらまっすぐ歩けないくらいに酔ってしまい、西日暮里まで歩いてタクシーで帰される。けど全部覚えてる、多分。
1026 せっかく大阪いるし美舟で焼きそばを、と思い東通りへ。太麺のソース焼きそばを、すき焼きみたいに生卵をつけて食べるのです嗚呼!ことごとく潰れた思い出の地を上書きしてくれるかのような場所たち。あした東京へ戻る。恒例、三木家の父との晩酌もラストナイトで、また日本酒をようけ飲む。実家、なくなってしまった。
1025 無事引き払えるかと思ったのに若干の不備がありまた実家に赴く、最悪。夜、なかたと福島の花くじらでおでん。親の日記の話から結婚論、子育て論までだらだらと話は流れ、わたしは日本酒飲んで怒る。聞く中田、つられて怒る中田。家の下のローソンで携帯落としてめちゃくちゃ割れたが昨日実家引き払うのに35万払ったばっかなのにもう画面変える金がなくて終わった。
1023-4 きてくれたみんなが帰って、夜通しアルバムと手紙の整理。親がつけてた日記を読んだり、幼少期に描いてた絵本とかzineみたいなものを見つけてしまってさすがにそれは持って帰る。中田がリタイア、夜中3時。布団もないし、二日連続で風呂も入れないというのに。中田よ、ここまでの仕事してくれる友人はお前しかいないね。
アルバム整理してるうちに朝になったから『ボクらの時代』観ようと思うもチャンネルがない。ないないと言いながら探してたらまさか、テレビもなかった。昨日、売ってた。ご飯温めようと思ったら電子レンジもなかった。昨日、売ってた。さすがの二徹、記憶がないわ。業者が朝8時すぎには来て、三木さんも昼前に来てくれる。もう限界くらいに疲れてたから業者の人に借りた段ボールを部屋の隅に敷いてその上で少し寝る。完全に何にもなくなるまで8〜9時間くらい。中田はそのままユニバへ行った。すげえ体力やなとか言ってたら夜、熱出たらしい。三日間埃を被り続けたほぼ埃みたいな人間は実家を消失し、三木家に帰る。隣の人が「夜通しお疲れさま。もう会うこともないんやね」と言って食事券をくれたので、帰りに三木さんと京橋でビール飲んでお好み焼きを食べた。三木家に帰って、実家はもうガス止めてたので三日ぶり?に風呂に入った。腰がいてー。携帯開いたら、連日お疲れさま、原稿は明日でいいよみたいな連絡が来てて、明日でいいって言われても明日って明日かー明日ってもう明日じゃんって思いながら気付いたら寝てた。
1022 作業してたら朝7時くらいになって、中田と中学の頃よく行ったパン屋に朝食を買いに行く。中学の通学路通りながら色々と二人で懐かしむなどまだ情緒のある時間を過ごす。昼から友人が5人来てくれることになったので、来てくれる特に面識ない人々を雑に入れた「シフト」とかいうグループラインをつくる。みんなが気を利かせて買ってきてくれたお茶やらパンとか551の豚まんなんかをテーブルに並べてったら、撮影みたいになる。現場、仕切らせていただく。中田がまーくんの車で電子レンジとかテレビとか、売りに行ってくれた。大量に売った服の買取価格がまさかの30円だったから、「今日のギャラです」と言って中田とまーくんと10円ずつ分けた。私ももらってるし。こんなに物があってもほとんどお金にならないし、持って帰れる場所はない。アルバムも腐るほどあるけど簡単に見返せる量ではないし。二日目、物への思い入れが皆無になって怒りが湧いたり、幼稚園の時の手形?とかを「こんなの捨てにくいわ!!!」とか怒鳴りながら泣き出したりして私のメンタルもいよいよ。夜には引き上げて三木家に帰る予定だったのに、作業が思いのほか何にも終わってなければ逆に散らかしただけみたいな結果になり、今日も泊まり込みでやるかと言ったら、中田は明日のバイトを休んで今日もうちに残って付き合ってくれた。親…友……
1020-21 荷造りする気力がなさすぎてみきに来てもらう。仕事しながら『Silent』観て、朝は上野までタクシーで東京駅へ向かう。引っ越して二年くらい経ってから気付いたけど、家から新幹線に乗るルートの解はこれだわ。帰阪して早々に面会、病院、区役所こなしたけど思いの外元気だしで西大橋の、親が常連だった居酒屋に飲み行く。みゆきといわしちゃんを会わせる。結構飲んだら普通に今から片付け作業取り掛かるとか考えられん眠さになったが仕方なしに僻地の実家まで帰る。久々の実家は人が住んでたまんまだし、真っ暗で寒い。手始めに、懐かしみながら生徒手帳とか読んでたら寝落ちてて、1時半くらいに中田訪問チャイムで起こされる。一緒に夜通し作業するけど、思ってたより膨大でぞっとする。学生時代のいるもの/いらないものは途中からほぼ中田の判断に任せることに。何より物量がありすぎて全部自分で見てる時間がない。一回うちに来たことのある初音が、「物量は相当だろうよ」と言ってたのを思い出す。「美術としては相当リッチだけど」とも。
1019 御徒町の珈琲館で作業。山家でとんかつ食べる。上野から千駄木まで歩いて朝日湯へ。風呂上がりに珈琲牛乳を飲んでる私の隣で美味しそうにビールを飲む人よ。帰り、夜風がめちゃくちゃ秋だったな。
1016 休み。あてもなく吉祥寺に行ったのでとりあえずチャイブレイクで本とか読む。栗と迷って金木犀のチャイ。こういう飲み物で季節を感じないともうね。そういえば親の夢を見た。身体が動くようになった母親の車椅子を、亡くなった祖母が押していて、3人で実家にいた。起きてから、本当に実家がなくなんのかーとかぼんやり考える。けど、もう誰もおらんし、元からないようなもん。夕方、家に帰ろうと思うも充電がなさすぎて、充電しに月吠えへ。武蔵野館で『よだかの片想い』観ようと月吠えを出て、映画が終わってから携帯開いたら、不在着信の後に「今飲んでないの」とあやなから連絡。「映画観ててこれから月吠え戻るよ」と返事してすぐ戻ったらあやながいた。さっき私に電話したけど出ないって月吠えで話したら「あの子今映画観てるよ」ってユースケが言ってくれたらしくて、なんか月吠えは放課後感あってよかった。
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myonbl · 2 years
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2022年5月22日(日)
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この時期ならではの仕事、梅と山椒である。昨日契約農家から届いた梅はツレアイが処理、私はスーパーで購入した実山椒の軸を取って水に漬けるアク抜き作業だ。明日はこれを塩煮して、<ちりめん山椒>を作る。ご飯がすすむこと間違いなし、おっと、食べ過ぎには十分注意しますよ、はい。
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5時起床。
日誌書く。
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朝食は、冷凍の蕎麦が切れたのでトーストを頂く。
ツレアイは午前8時に電話切り替え、終日緊急電話当番である。
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回覧板を回す、今回から画像に残すことにする。
西大路七条・ライフで買い物、和歌山産の実山椒を購入する。
テレビでカーリング中継見ながら、山椒の軸を外す作業、結局昼近くまでかかってしまった。
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ランチ、息子たちは残りご飯で炒飯、私は出石蕎麦、残っていた司牡丹をいただく。
軽く午睡。
ツレアイはあちこち買い物に走り、戻ってくると、昨日届いた梅と本日購入したラッキョウを漬ける。
昨日の残りの鹿肉の処理、結局シチューにすることにしてまずは野菜の無水煮込み、タマネギ・セロリ・ニンジン・トマト・シメジ、スト��ブでコトコト。
軽く塩胡椒して小麦粉をはたいた鹿肉を投入、しばらくして火を止めて余熱調理。
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息子たちにはサラダを添えてスパークリングワイン、私は赤のグラスワインをⅠ杯。
録画番組視聴。
サラメシ シーズン12(5)「新幹線パーサーのランチ▽ユニークな社員食堂」
初回放送日: 2022年5月22日
旅やビジネスなど、東海道新幹線を利用する目的はさまざま。新幹線パーサーは、ワゴン販売、車内巡回など、乗客に近い場所でのサービスなどが仕事。去年4月に入社した、新人パーサーを通じて、新幹線パーサーのきめこまやかな仕事ぶりと手作り弁当のランチタイムを紹介!▽大阪市のオフィス街にあるアパレル資材を扱う専門商社のユニークな社員食堂のサラメシを拝見!
日本の話芸 桂春若 落語「三十石」
初回放送日: 2022年5月22日
桂春若さんの落語「三十石」をお送りします(令和4年4月7日(木)NHK大阪ホールで収録)【あらすじ】上方落語ではおなじみの喜六と清八の物語。伊勢詣りの帰路、京都見物も終えた喜六と清八。大阪の八軒家までは、三十石の夜船で帰ろうと、京都伏見の寺田屋の浜までやって来た。船宿では、いろいろな客が舟が出るのを待っている。宿の主人が宿帳を取りにくるが、みんないい加減な事を言って、主人を困らせるが…。
風呂上がりに体重測定、昨日まで順調に減っていたのだが今日は逆戻り、昼間の🍶のせいだろう。
気持ち切り替えて、明日から減量作戦継続するぞ。
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日曜日なのでこれで良し、水分は1,800ml。
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higashiazuma · 13 days
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じゃれ本 2卓目の作品
「じゃれ本 オンライン試用版」を使ったセッションで紡がれた物語たちです。前の文の前後関係がわからずに何かを書こうとするとこうなります。参加した本人たちはめちゃくちゃ楽しかったです。
お題:特になし ページ数:8P
『数奇なチョコレート』
どうしてこうなってしまったんだ? 私が早朝にこっそり彼の机の中に仕込んだはずのチョコレートが、どうしてあんな場所から出てきたんだ。 朝チョコレートを入れてからずっと監視してたんだぞ。おかしいだろ。
朝からずっと監視していたが、彼は机の中のそれに気付く気配すらなかった。疑問に思いながら注視していると、教室移動の時間になった。今日はアルコールランプを使った実験の日だ。
もしかしたらあれは元々彼の持ち物だったのかもしれない。アルコールランプのオレンジ色の光を見ながら考えを整理する。監視したところで……それに注意を促すような筋合いもこちらにはないのだ。
揺らめく灯を眺めていると、それに炙られる何か、まで想像してしまうのは悪い癖だろうか、職業病か。黒褐色に燻された「それ」は――まるでカカオ豆、とは悪趣味かと頭を振ったとき、ランプが消えた。煙が、甘い。
香りが部屋に充満していく。煙がゆらゆらと揺らめき次第に形を成し始める。何が起こったのか分からず呆然と見つめていると、それは小さな人の形になった。つやつやとした濃い茶色の、まるでチョコレートのような
教室がざわつく。もしかして、と冷たい汗が背筋をつたったのを感じる。 私が今朝入れたチョコレートに、何か関係のあるものなんじゃないか。すると、その小さな人型のチョコレートは、驚くべきことに言葉を発した。
「つくえ」「こども」「かばん」と目に止まったものの名前が読み上げられる中、「とみこ」という知らない名前が挟まる。人型チョコレートから発された言葉に、びくりと大きな反応を示したのは私ではなかった。
「何故、その名前を…?」 隣、というほどでもない距離で小刻みに震える声。振りほどいたはずの赤い糸が、いつの間にか小指を��め上げていた、というような。人型チョコレートの��部分に、ぱきんと割れ目ができる。
『コンビニで買ったねこ』
今日びのコンビニには何でもあるから、猫をバーコード決済でお買い上げすることぐらいお手の物だ。だけど道義的躊躇を捨てきれなくて、私はいつもパッケージの前を素通りする。嫌味かのようにスナック売り場の隣だ。
お菓子を選ぼうとするとどうしてもチラチラと目に入ってしまう。かわいい猫たちのパッケージ…三毛、サビ、ハチワレにトラ。無視しようとしても暴力的なかわいさが私を誘惑する。棚前で吟味していた客が黒猫を手に
レジへ向かっていった。その客を注意深く見守っていると、レジの店員はまるで何事も無いかのようにパッケージのバーコードを読み取り、こう言った。 「この場で開封して行かれますか?」 「いや、家で開けます。」
「ノワァ」変な声で鳴くなあれ。電子決済されていった「ねこ(?)」を見送り、棚を見ればまだいくつかの在庫があった。真四角のパッケージの中で思い思いに伸びたり縮んだり捻れたりしている。呑気なもんだ。
彼らの何割が、自分が実は玉ねぎが食べられなかったりd払いのキャンペーン対象だったりすると理解しているのだろう。来月の請求書では「国民健康保険料」と同列に並んだりするのだ。……ちょっと見たいかも、いや、
猫だって同じ命なんだからこんなふうに扱うのはやっぱり良くない。しかし猫が国民の健康に寄与しているというのは厳然たる事実だ。間違いない。私が若干不健康な日々を過ごしているのはもしやねこが居ないからでは?
そう思った私は、吸い寄せられるようにひとつのパッケージに手を伸ばした。 レジに持っていくと、店員はやはりこう聞いてきた。 「この場で開けて行きますか?」 私もやはりこう答える。 「家で開けます。」
家に帰りそっとパッケージの蓋を開けると「ノワァ」という鳴き声とともに、ねこは消えた。空になったパッケージからはゴロゴロと小さな音が響く。どちらでも良いのだ。本当にねこでも、本当はねこでなくても。
『どこにでも現れるメガネ』
異変に気付いたのは、弐萬圓堂で眼鏡を新調してから三日目のことだった。週一の楽しみ、サウナ通い。オレンジ色の明かりと蒸しに蒸された空間で、俺は目元に違和感を感じた。 熱い! なんとそこには、
…ない。何もない。熱いのは蒸気を直に受けたからで、俺の虚弱な目を守るべく新調した眼鏡がどこにもない。嘘だろ、もう無くした? あの店主、「こいつは絶対に無くなりませんよ」なんて吹きやがって! そもそも、
眼鏡の紛失防止に眼鏡チェーン以上のものがあると思った俺が馬鹿だったんだ。何が「合図一つでどこでもお供! あなたのお眼鏡に叶います!」だ。俺は蒸気で濡れた顔を拭い、0.2の裸眼でレンズの光を探す。
うすらぼやけた視界で必死に探せど一向に見つかる気配はなかった。もう諦めて新しいメガネを買いに眼鏡屋へ行った方がいいのではないか…そんな考えが脳裏を過ったときだった。
ふいに、胸ポケットに違和感を覚えた。恐る恐るまさぐると、『あった』。無くしたはずの眼鏡が、そこにあったのだ。なんて便利な眼鏡なんだ、と思うかもしれない。でも俺は、うっすらと気味の悪さを覚えていた。
無くして見付かる。眼鏡はその繰り返しだ。眼鏡が見付かるのは決まって、ニュースでとある地名を見かける時だった。幼い頃だけ住んでいた田舎。何故今更ニュースで名前が上がるのか不明なほど辺鄙な場所だ。
便宜上故郷であるその地は、ちと難解な名がついている。何も見ずに書けと言われたら俺でも無理だ。 …もしかすると眼鏡のやつ、テロップに映るその込み入った字画を解らせたいために、毎度戻ってくるのだろうか?
つまり、この字を覚えれば晴れてこの眼鏡は役目を終えるというわけだ。なるほどね。俺はこれからもこの地名を覚えることはないだろう。いや、いつか死ぬ前くらいには覚えてやってもいいかな。
『おまかせ木綿豆腐』
絹のやつとは作りが違うんでね。多少の荒事ならこっちに任せるのが正解ってもんだ。名前? 『モメン』じゃない、『ユウ』だ。大体あいつがキヌなんて名乗るからセットで豆腐なんて言われることになってんだ。
キヌのやつは今日も得意のスムーストークであんたを誑かしたんだろう。依頼料は高くつくぜ、財布の紐をどれだけ締めても、あいつには湯葉も同然だ。 まあ、任せておきな――それで、あの「高野」と何で揉めたって?
…なるほど。あの土鍋は上物だからな。どちらの取り分かで揉めたってわけだ。で、その土鍋を自分のものにしたいと、そういう話だな?なあに、俺にとっては湯豆腐みたいなもんさ。安心して吉報を待っておけ。
そう言って男はすっくと立ちあがると、土鍋を求めて夜闇に消えて行った。 なぜならそう、この男こそもめ事の仲裁のプロ。ネゴシエーターなんてお洒落な肩書はいらない。『おまかせ木綿豆腐』その人だったのだ。
─というのが、前回君たちに講義した内容だ。きちんと覚えているかね。『おまかせ木綿豆腐』に関連する記述には実はいくつかの相似点が見られてね。同一人物とする説も複数人とする説もあるが共通しているのは、
その「変幻自在性」。まさに豆腐、ないし大豆だ。柔らかく相手を受け止め、誰かの色に染まるかと思えば、ときに肉食獣のごとき強靭さも見せる。変異性の遺伝子が組み込まれている、と言われても疑うまいよ。
豆乳の満たされたプールで悠々と寛ぐ高野とその取り巻きたちを尻目に、私は屋敷へと忍び込んだ。
そこにあったのは黄金の土鍋。黄金でできているが、確かに土鍋である。私は難なくそれを手にすると、豆腐を味噌汁に滑り入れる速さで屋敷を後にした。 こうして事件は解決した。おまかせ木綿豆腐におまかせさぁ!
お題:おまかせ縛り ページ数:8P
『お父さんが作るヒンズー教』
「そうだ、ヒンズー教を作ろう」 ある日、父の口から出た言葉だ。 定年退職を迎えた父親が始めるものといえば蕎麦打ちと相場が決まっているが、なぜか父は宗教に目覚めてしまったようだ。
「ヒンズー教はもうあるじゃん。作る前にもうこの世に存在してるから諦めなよ」至極冷静なツッコミも父は意に介さないようだった。「まずは合言葉を考えるか」「よくわかんないけどもっと先にやることあると思う」
「じゃあまずお父さんがヒンズーとして」「お父さんヒンズー教知らないよね?」 まったく分からないまま父の熱意だけが空回りをしている。理由を尋ねるのも嫌だが、掘り下げてくれと父の顔が言っていた。
「…うん、じゃあお母さんは?」 そういう自分だって女神転生シリーズの知識しかないけれど、お父さんに至ってはこうだ。 「母さんには、ラーマをやってもらおうと思う」 マーガリンで覚えたなさては。
「母さんにカーリーをやってもらうわけにはいかないからな」 「そこはヴィシュヌとラクシュミじゃなくて良いんだ」 最早女神転生オタクの会話である。お父さんは黙ってメガテン5をセールで買った方が良い。
「タマにも我がヒンズー教の一柱として重要な役割を与えよう」「タマ…巻き込まれてかわいそうに」何も知らないタマは父に撫でられて満足げにゴロゴロと喉を鳴らしている。「名はタママーンに改名す」「やめて」
タマを膝に抱いてああだこうだと話す父は、それはそれとしてまあ楽しそうではある。もともとこの手の与太話を作るのが好きなヒトなのだ。
この一連の流れだって、先週配信サイトで「RRR」か「バーフバリ」を観たせいに決まっている。些細な愉快をくれたのならまあ良いじゃないか。女神転生シリーズでの知識しかない僕が、文句を言っても仕方ないのだ。
『健全な肉体に宿るユンケル』
健全な精神は健全な肉体に宿る、なんてのは全きウソであり、少なくとも俺の健全な肉体には恐らくユンケルとかが宿っている。しじみの味噌汁とプロテインバーも。筋肉は全てを解決するなんてウソだ。解決してみろ、
なかやまきんに君。筋トレは正義かもしれないが、そもそも現代社会人に残される可処分時間なんてたかが知れている。その貴重な時間をどうやって筋トレに費やすことができようか。かといって、
このままでは肉体は不健全になるばかりだ。もやしまっしぐらだ。いや、それだけならいいが代謝が落ちた体はいずれ摂取した栄養を消費しきれず蓄え始めてしまう。そうなったらもうおしまいだ。
ともあれ対策は早急に行うべきだろう。何故なら健全な肉体でなければ意味がないからだ。精神はこの際置いておく。ユンケル的にはそっちはあんまり役に立てない。自分で頑張ってほしい。そうと決まれば早速、
行きつけの薬局へ―向かうつもりだったが、深夜営業のはずのそこは閉まっていた。シャッターに「本日棚卸」の文字。期限切れになるだろうアプリクーポンを惜しみ、否、惜しむより先に鉄剤だ。イオンなら、いけるか。
その一縷の望みは、すぐさま砕かれることになった。 しまった!深夜営業の薬局が閉まっている時間帯に、イオンが開いてるはずないじゃないか!! 赤と白の看板の下、俺は絶望する。鉄剤。なんとしても鉄剤を。
「ヤーッ!」それは突然のことだった。窮地に陥った俺の耳にあの聞き慣れた声が飛び込んできた。「き、きんに君!!」そう、紛れもなくなかやまきんに君だった。自信に満ちた仁王立ちでそこにいた。「ハッ(笑顔)」
なんて眩い笑顔なんだ。失われていた力が蘇るのが分かる。何が敵かも分からんがとりあえず殴っとけば良いか。やはり筋肉。健全な肉体、頑強な筋肉、それこそがすべてを解決する。
『我が家UFO』
ホログラムで出来た夕暮れの町並み、伸びていく影。少し湿った柔らかい土の上を走りながら、僕らは家に向かっている。僕らの家は、頭上にある色とりどりのUFOだ。
姉ちゃんとその彼氏(現:元カレ)の些細なLINEスタンプ会話が、うっかり「母星」との通信に混線してしまったせいで、呑気な地方都市は太陽系いち愉快な避暑地に変わった。葉巻型の家も金星人からの贈り物だ。
アダムスキー型のホテルは木星人が建てたもので、海王星人にたいへんウケが良く、県外からの観光客にも人気になっている。おまけに日清グループの焼きそば工場まで進出してきたものだから、町はとても賑やかになった
しかし後に大きな問題が発生した。建てられた数々のUFO建築物が人々をアブダクションし始めたのだ。幸いなことに内臓を抜かれキャトられるところまではいかなかったが
普通に改造はされたし記憶も改ざんされた。お父さんが二人いるご家庭も出来れば、長女が増えたご家庭もある。UFOは「家族は複数人」ということしか理解していない。その関係性や成り立ちは二の次だ。
「どうする、姉ちゃん」と僕は言う。「このままいくと元カレが僕らの新しい兄ちゃんだ」 「無理絶対無理、あんな伸びたカップ焼きそばみたいな男。お湯と一緒に流しに捨て――」 瞬間、僕らは同時にはっとした。
僕らの葉巻型ハウスの前に、新たな葉巻型UFOがフォンフォンと音を立てて降りて来たのだ。硬直している僕らの前に、光が射す。この家をプレゼントしてくれた金星人だ! 金星人は優しく微笑んだ。
「このたびはUFO型ハウスのモニターになっていただきありがとうございます」僕たちモニターだったんだ。しらなかった…「住心地はどうでしたか?」アンケート用紙を渡された。とてもよかったに◯をつけた。
『キャンプファイヤーをするスリ』
目の前にはごうごうと燃え盛る火柱がある。いわゆるキャンプファイヤーというやつだ。ぱちぱちと爆ぜる音と顔を焼く熱を浴びながら今までのことを思い返していた。いつものようにスリの獲物を物色していた俺は、
おあつらえ向きな男を見つけていた。取ってくださいと言わんばかりにチラ見えする財布。しかも厚い。おどおどとした雰囲気も丁度いい。財布はあっさり俺の手中におさまり、今日の仕事は完遂だ。そう思っていた。
なのに今、俺は何故こうして積まれた薪の前に立ち尽くしているんだ? 五分じゃ審査が下りないだろうカードや角の折れてない札が詰まった革財布を、まるで炎に投じたがっているかのように。否、焼かれるのは財布か?
そうだ。財布ではなく俺自身を焼けば財布は無事だ。俺が罪に問われることもない。――いや、何を考えているんだ、俺は!困惑する俺の意思を無視するように、俺の手が勝手にチャッカマンを薪の隙間に差し込んだ。
一気に薪が燃え上がる…かと思ったが、一向に炎は上がらない。チャッカマンの小さな火は薪の表面を焦がすだけでなかなか燃え移らない。薪を燃やすにはもっと燃えやすいものを先に入れるんだったか。何か手頃なものは
とポケットをまさぐり、結局スッた財布にいきつく。レシートくらいなら燃やしても良いだろう。財布の中には幾重にも折りたたまれた…異様といえるような長さのレシートが入れられていた。何だこれはと手に取り、
中程の印字に目を剥いた。「割引 50%」と付記された項目。みな人名だ。中には、俺の名も。 何が引かれてるんだ? 人間的価値? 確かに俺はスリだが半額になるほどか? それとも、…命、寿命。その領収書。
気付くと俺は、木組みの中にいた。燃える炎が、全身に纏わりついて行く。たすけてくれ、と声をあげそうになるが、呼吸すらできない。 目の前に男が立っている。 「ええ、その通りですよ」 男の目に、炎の橙が輝く
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bearbench-tokaido · 2 months
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四篇 下 その三
亭主は、 「それなら、これになさいませ。」 と、馬の足に巻く布切れを指し示す。 「これなら、一足七文で、お売りいたしましょう。」 「ええ、馬の靴が履かれるものか。人をからかうな。」 と、弥次郎兵衛は、だだをこねる。 北八も、いらいらしてきて、 「一足買ったらどうだ。弥次さん。だいいち、かたっぽだけ買って、どうするつもりだ。」 弥次郎兵衛は、すました顔で、 「決まっているだろう。また先へ行って、もうかたっぽ買うのさ。」 と、すました顔で答える。 なるほどと、亭主は、ひざを叩き。 「ハハハ。しかたがない。十四文にいたしましょう。一足でお買い下さい。」 「最初から、そう言やいいものを。」 と、やっとのことで、草履を手に入れ、草鞋を脱ぎ捨てると、早速履き替えて行く。
さて、この宿場を通り過ぎると早くも、八町なわてからさなげ明神を拝みながら今岡村の宿場に着いた。 ここは、いもかわと言う平らなうどんが名物で、これがまた風味がよいので、弥次郎兵衛が一首詠む。
名物の しるしなりけり 往来の 客をもつなぐ いも川の蕎麦
それより、あなう村、落合村と通り過ぎて有松に着いた。 ここは、名に聞こえた有松絞が名物で、いろいろな染物を家ごとにつるしてかざりたて商っている。
弥次郎兵衛と北八の二人が、この宿場に入ると両側の店より声がかかる。 「おはいり、おはいり。あなた、おはいり。 名物、有松しぼり、お買いなされ。さあさあ、これへこれへ、おはいり。」 「ええ、やかましいやつらだ。」 と、弥次郎兵衛は、横目にその様子をながめると、一首詠む。
ほしいもの 有まつ染よ 人の身の あぶらしぼりし 金にかえても  (人の身の汗と油を絞って稼いだ金に替えても、欲しいものは有松の絞り染だ。)
北八もやかましいと思いながらも、有松しぼりがなかなかいいので、 「おい、弥次さん。浴衣でも買わねえか。」 と、声をかける。 「そうだな。思いっきり値切り倒してやろうじゃねえか。」 「よかろう。いっぱい買うようなふりをして、からかってやろう。」 と、あちこち見回しだした。
そうして、二人が歩き回っているとこの町の外れに小さな店だが、染め生地を表通りにいろいろ吊してあるのを見つけたので、店の中に入り弥次郎兵衛が、 「コレ、この絞りはいくらします。」 と問うてみた。 この家の亭主らしい男は、誰かと将棋をさしていたが、夢中になって弥次郎兵衛らに気がつかない。 「おっと、これはまずい。ええと、お前さんの持ち駒はなだったかな。」 と、亭主は、将棋の相手に聞いている。 弥次郎兵衛は、 「おい、これは、いくらだときいてるんだ。」 と、すこし声高にいうと、やっと気がついた亭主は胆をつぶして、 「はいはい。それかいな。」 と、弥次郎兵衛の方をチラッと見て、すぐに将棋の方に戻ると黙っている。 「そうだ、いくらだ。」 亭主は、相変わらず、将棋盤を見ながら、 「これが、こうなるから、こうなってと。で、あなたはいくらだとおっしゃってる。 それがそうだと、この将棋の次の手はこうしよう。」 弥次郎兵衛は、 「ええい、じれったい。これは、売らねえのか。値段はいくらだと聞いてるのに。」 と、いらいらしながら聞く。 亭主は、将棋の相手が打ったてをみながら、 「はてさて、やかましい人じゃ。 布をひっくり返すと、符丁がついている。それを読んでみなされ。」 弥次郎兵衛は、 「こいつはとんだ商人だ。符丁にウの字とエの字が書いてあるが。」 「おおそうか。そうじゃろう。でも、素人には何のことかわからんだろうから。 ほれ、こちらに見せなせえ。」 と、将棋盤を見たまま手で、弥次郎兵衛から、布切れをうけとると、 「それは、一尺が三分五厘の値段の布じゃ。」 と、言う。 それを聞いて、北八が、小さな声で、 「十尺で、団子と同じか。」 と、言う。 弥次郎兵衛は、大げさに、 「高い高い。負けなせえ。」 と、いうと、 「なに、負けろだと。いやだね。いくらへボ将棋でも、負けてたまるか。」 亭主は、将棋に夢中であるが相手の方が気になりだした。 「次兵さん、商いをしましょうか。あの人たちが待っておられる。」 亭主はそれでも、 「よいわいの。とても、あの連中は買いそうもない。 それに、金銀を持っていそうな面をしていない。 なにしろ、金銀は私がもっているんだから。」 と、将棋の駒の金銀が、自分の手の中にあるとばかりにじゃらつかせる。 それを聞いていた弥次郎兵衛が、 「なんだ、金銀がないだ。人をみくびったことをいいやがる。 持っているぞ。これは、ふんどしにするとしたらいくらになる。」 亭主は、 「ふんどしにするだと。ちょこざいない。」 と、将棋の戦法の一つとかけている。 弥次郎兵衛は、 「こいつは、俺らを馬鹿にしてやがる。 商売に、ちょこざいながあるものか。素人め。」 と、大きな声でいう。 将棋に夢中だった亭主は、ここでハッと気づいて、早々に将棋をやめて、 「へいへい、これは粗相をいたしました。 どれでも、負けてあげましょうから、お買いあげ下されませ。」 北八は、 「最初からそういえばいいものを。たくさん買って上げましょう。 で、弥次さん、お前、お袋さんやおかみさんへの土産には、あれがよかろう。 いくらになる。」 亭主は、 「へい、銀十四匁八分になります。」 弥次郎兵衛は、 「それ、そっちのは。」 「はいはい、これは、十五匁。」 弥次郎兵衛は、 「もっといいのはねえのか。」 亭主は、 「ありますとも。へい。これが二十一匁づつ、こちらが二十匁、下のが十九匁でおざります。」 弥次郎兵衛は、 「いやいや、もっといいのがほしい。」 「いや、そういわれましても、このようなものでおざります。」 と、亭主は困っている。
弥次郎兵衛は、 「ふん、そんなら大事にしまっておきな。誰かが、買ってくれるだろう。 俺は、一番最初に見た、この三分ぎれを、手ぬぐい分だけ切っておくんなせえ。」 と、一尺の値段が銀三分の布を、手ぬぐいの長さの二尺五寸だけ買うという意地の悪い注文をする。 「ヘイさようかな。」 と、亭主は、やっぱりとがっかりしながら布地を二尺五寸に切ってよこす。 弥次郎兵衛は、この代金を払って店を出た。 「とんだ奴らだ。人を薄馬鹿の三太郎にしようとしやがって。 あやうく、買わなくていいものを買いそうになった。 ハハハ。しかし、だいぶ道草をした。ちっと急いで行くとしよう。」 と、これよりすこし道を急いで、早くも鳴海の宿場に着いた。
旅人の いそげば汗に 鳴海がた ここもしぼりの 名物なれば
などと、一首読みながら田ばた橋(でんばた)を渡ると笠寺観音堂に着いた。 笠を被った木像の観音様が見える。それで、この名前がついているのかと、
執着の なみだの雨に 濡れじとや かさをめしたる 観音の像
と、一首詠む。
それより戸部村、山崎橋、仙人塚と通り過ぎ、ようやく宮の宿(名古屋市熱田区)についた頃には日も傾き出していた。 旅館の前には、客を泊めようとして女中連中が声を張り上げている。 「あなたがた、お泊まりじゃおませんか。お湯も沸いております。 相部屋ではございません。お泊まりなされませ。」
弥次郎兵衛は、 「さて、泊まりはどこにしようか。銭屋かひょうたん屋か。 北八が、町並みをすかしてみていたが、 「向こうの家ちはなんだ。鍵屋か。」 女中は、 「もし、お泊まりかな。」 北八は、 「おお。泊まりにしよう。で、ここは、いくらで泊める。」 女中は、なれたもので、 「オホホホ。結構です。お泊まりなさんせ。」 と、いうと、北八が 「結構ですとは、ただで泊めるということか。」 弥次郎兵衛は、 「ずうずうしい事を言うもんだ。ただより高いものはない。」 と、かさをとって入る。
旅館の亭主が出てきて、 「さあ、お湯を上げましょう。 お足が汚れてないなら、すぐに、お風呂にはいられたらどうです?」 と、荷物を座敷に運ぶ。この間に、弥次郎兵衛と北八は草鞋を解いて奥へ通る。 部屋に落ち着くと、女中が茶を持ってきた。 「さあ、お茶をお召し上がり下さいませ。」 部屋の外から、目の悪い按摩が話しかけてくる。 「一つ、いかがですかな。」 北八は、按摩の方を見て、 「もんでもらいたいところだが、とりあえず腹が減った。」 弥次郎兵衛も、 「うん、まず腹ごしらえだ。その後にしよう。」 按摩は、 「それなら、後でまた覗いて見ましょう。」 と、出て行く。
つづく。
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kachoushi · 11 months
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各地句会報
花鳥誌 令和5年7月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年4月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
一葉の家へ霞の階を きみよ 春昼や質屋の硝子なないろに 小鳥 伊勢屋質店今生の花とほく 光子 菊坂に豆煎る音や花の昼 和子 一葉の質屋は鎖して春の闇 はるか 本郷の亀を鳴かせて露地住ひ 順子 おかめ蕎麦小声で頼み万愚節 いづみ 文士らの騒めきとすれ違ふ春 三郎 一葉を待つ一滴の春の水 光子 物干に如雨露干したり路地の春 和子
岡田順子選 特選句
一葉の家へ霞の階を きみよ 金魚坂狭め遅日の笊洗ふ 千種 菊坂の底ひの春の空小さし 光子 坂の名のみな懐かしき日永かな 要 赤貧の欠片も少し春の土 いづみ 本郷の間借りの部屋の猫の妻 同 質店の中より子規の春の咳 俊樹 止宿者の碑のみ残すや蝶の舞 眞理子 本郷の北窓開く古本屋 きみよ かぎろひの街をはみ出す観覧車 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
花冷の背後より声掛けらるる 美穂 幾年も陽炎追ひて遊びけり 散太郎 濃きほどに影のやうなる菫かな 睦子 化粧水ほどの湿りや春の土 成子 画布を抱き春の時雨を戻りけり かおり 昼月は遠く遠くへ花満開 愛 シャボン玉の吹雪や少女手妻めく 勝利 麗かや砂金三つ四つ指の先 睦子 成り行きの人生かとも半仙戯 朝子 鞦韆の羽ばたかずまた留まらず 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
花吹雪卍色と云ふが今 雪 花冷に後姿の観世音 同 そぼ降りてひと夜の契り花の雨 笑 観世音御手にこぼるる花の寺 同 お精舎やこの世忘れて糸桜 啓子 逝きし友逢へないままに朦月 同 裏木戸を開ければそこに花吹雪 泰俊 御仏と咲き満つ花の句座に入る 希 愛子忌や墓にたむけの落椿 匠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月5日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
縋りつく女心や桃の花 世詩明 肌寒く母の手紙はひらがなぞ 同 啓蟄や鍬突き立てし小百姓 同 日野河原菜花の香る祭りかな ただし 菜の花や石田渡しの蘇る 同 雛祭ちらしずしそへ甘納豆 輝一 ぽつたりと落ちて音なき大椿 清女 花吹雪路面電車の停車駅 同 大拙館椿一輪のみの床 洋子 花の山遠く越前富士を抱く 同 吉野山日は傾きて夕桜 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月6日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
花の下天をを仰げば独り占め さとみ 春陰やおのが心のうつろひも 都 春耕や眠りたる物掘り起す 同 左手の指輪のくびれ花の冷え 同 園児等のお唄そろはず山笑ふ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
膝をまだ崩せずにをり桜餅 秋尚 登り来て本丸跡や花は葉に 百合子 葉脈のかをり弾けて桜餅 同 桜餅祖母の遺せし会津塗り ゆう子 売り声も色つややかに桜餅 幸子 木洩日の濡れてゐるやう柿若葉 三無 春愁や集ふふる里母忌日 多美女 伍しゐても古草の彩くすみをり 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
心経をとなへ毛虫に火をはなつ 昭子 マンホール蓋の窪みに花の屑 昭子 栄螺売潮の香りを置いてゆく 三四郎 金の蕊光る夕月てふ椿 時江 禅寺の読経流るる花筏 ただし 若者の髭に勢や麦青む みす枝 龍が吐く長命水の春を汲む 三四郎 花吹雪受けんと子等の手足舞ふ みす枝 土器の瓢の町や陽炎へり ただし 海遠く茜空背に鳥帰る 三四郎 紅梅のことほぐやうに枝広げ 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
片棒を担いでをりぬ四月馬鹿 三無 薬草園とふ門古りて松の花 和魚 だんだんと声ふくらみて四月馬鹿 美貴 四月馬鹿言つて言はれて生きてをり 和魚 松の花表札今も夫の居て 三無 白状は昼過ぎからや四月馬鹿 のりこ 一の鳥居までの大路や松の花 秋尚 松の花昏き玄関応へなく 美貴
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月11日 萩花鳥会
京よりの生麸草餅薄茶席 祐 不帰のヘリ御霊をおくる花筏 健雄 ただ一本ミドリヨシノの世界あり 恒雄 堂々と桜見下ろす二層門 俊文 猫に愚痴聞かせて淋し春の宵 ゆかり 杵つきの草餅が好きばあちやん子 美惠子
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令和5年4月13日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
便り待つポストをリラの房覆ふ 栄子 畑打つや鍬を担ひし西明り 宇太郎 軒下の汚れし朝や燕来る 都 桜蕊降る藩廟の染まるまで 美智子 桜蕊降るももいろの雨が降る 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
何氣なく来て何気なく咲く花に 雪 神御座す杜の新樹に聞く鳥語 かづを 老の踏むひとりの音や落椿 ただし 野辺送り喪服の背に花の蕊 嘉和 夜ざくらのぼんぼり明り水あかり 賢一 喝采の微風を受けて花は葉に 真喜栄 生きる恋はぜる恋ととや猫の妻 世詩明 葉ざくらに隠されてゐる忠魂碑 同 眩しさを残して花は葉となれり かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
極大と極小としやぼん玉宙へ 要 穴出でし蟻の列追ふ園児どち 経彦 頰􄼺をつく石仏の春愁 貴薫 酸模を噛む少年の今は無く 要 稲毛山廣福密寺百千鳥 同 瑠璃色を散らし胡蝶の羽ばたきぬ 久 春陰の如意輪仏へ女坂 慶月 棕櫚の花年尾の句碑に問ひかくる 幸風 朴の花仏顔して天にあり 三無
栗林圭魚選 特選句
蝌蚪の群突くひとさし指の影 千種 峠道囀り交はす声響き ます江 美術館三角屋根に藤懸かる 久子 こんもりと句碑へ映るも若葉かな 慶月 微かなる香りや雨後の八重桜 貴薫 朝の日に濃淡重ね若楓 秋尚 落ちてなほ紅色失せぬ藪椿 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月19日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
通勤のバスから見ゆる日々の花 あけみ 花馬酔木白き房揺れ兄の家 令子 亡き鳥をチューリップ添へ送りけり 光子 偲ぶ日の重く出たるや春の月 令子 あの頃の記憶辿って桜散る 美加
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
矢車の音きしみ合ふ幟竿 世詩明 風よりも大きく揺れて糸柳 啓子 花万朶この世忘れて花の下 同 あたたかやお守りはねるランドセル 同 甘き香の女ごころや桜餅 千加江 春場所や贔屓の力士背に砂 令子 落椿掃きゐてふつと愛子忌と 清女 春の虹待ちて河口に愛子の忌 笑子 散りそめし花の余韻も愛子の忌 同 城の濠指呼の先には花の渦 和子 花筏哲学の道清めたる 隆司 故郷の深き眠りや花の雨 泰俊 山道の明るさを増す百千鳥 同 ほころびて色つぽくなり紫木蓮 数幸 花桃に出迎へられて左内像 同 瞬きは空の青さよ犬ふぐり 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
忠直郷ゆかりの鬱金桜とぞ 雪 椿てふ呪縛の解けて落つ椿 同 春愁や言葉一つを呑み込んで 同 御襁褓取り駈け出す嬰や麦は穂に みす枝 鶯の機嫌良き日や鍬高く 同 ただならぬ人の世よそに蝌蚪の国 一涓 あの角を曲つてみたき春の宵 日登美 春の果次も女に生れたし 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月21日 さきたま花鳥句会(四月二十一日)
清冽な水は山葵を磨き上げ 月惑 連写して柳絮の舞ふを収めけり 八草 天守閉ぢ黙す鯱鉾朧月 裕章 行き先は行きつく所柳絮飛ぶ 紀花 南無大師遍照金剛春の風 孝江 揚浜に春の虹立つ製塩所 とし江 柳絮飛ぶ二匹の亀の不動なり ふじ穂 筍堀り父編むいじこ背負ひ来て 康子 花吹雪ひと固まりの風の道 恵美子 満天星の花揺らしつつ風過ぎる 彩香 夢叶へ入学の地へ夜行バス 静子 啓蟄やピンポンパンの歌聞こゆ 良江
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令和5年4月23日 月例会 坊城俊樹選 特選句
真榊はあをばの中に立つてをり いづみ 水の上の空のその上鳥の恋 順子 掌の中の春の蚊深き息を吐き 炳子 耳朶を掠めて蝶のうすみどり 緋路 仕上りの緻密なる蒲公英の絮 秋尚 手放して風船空へ落ちてゆく 緋路 春の闇より声掛けて写真館 順子 零戦機日永の昼の星狙ふ ゆう子
岡田順子選 特選句
玉砂利の音来て黒揚羽乱舞 和子 耳朶を掠めて蝶のうすみどり 緋路 仕上りの緻密なる蒲公英の絮 秋尚 風光る誰にも座られぬベンチ 緋路 緋鯉とて水陽炎の中に棲み 俊樹 手放して風船空へ落ちてゆく 緋路 蜂唸る神の園生に丸き井戸 炳子 佐保姫は夜に舞ひしか能舞台 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
つかまへし子亀に問へり亀鳴くか 美穂 亀鳴くや拷問石にある哀史 ちぐさ 亀鳴ける賓頭盧尊者撫でをれば 美穂 板の戸に志功の天女花朧 喜和 連子窓に卯の花腐し閉ぢ込めて かおり 大人へのふらここ一つ山の上 光子 ふらここや無心はたまた思ひつめ 同 ふらここや関門海峡見下ろして 同 さくら貝ひとつ拾ひて漕ぎ出しぬ かおり 午後一時直射にぬめる蜥蜴の背 勝利 花冷の全身かたき乳鋲かな 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年3月4日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
落城の如く散りたる落椿 世詩明 三人の卒業生以て閉校す 同 双葉より学びし学舎卒業す 同 氏神の木椅子はぬくし梅の花 ただし 鳥帰る戦士の墓は北向きに 同 草引く手こんなですよと節くれて 清女 雛あられ生きとし生くる色やとも 洋子 官女雛一人は薄く口開けて やす香 露天湯肩へ風花ちらちらと 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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美味しい旅~その3
長女が帰省していたタイミングで、行ってみたかったお蕎麦屋さんに行ってきました。向山にある「鹿落堂(シシオチドウ)」というお店。次女は友達と何回か行ったことがあって「美味しいしお店も素敵」と聞いていました。
頼んだメニューはこちら。
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お蕎麦が美味しいのはもちろんですが(私はたれの味も最高に好みでした)他のお料理も良いお味。天ぷらもさくさく・・・
そしてお店の雰囲気はというと
見上げた灯り
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店内の雰囲気はこんな感じです。
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一面の窓の向こうに広がる景色も素敵でした。店員さんも感じよくて・・・
店内では雑貨やお菓子屋お茶なども販売されていて、「ほうじ茶」を買ってみました。家に帰って飲んでみたら、これもまた美味しかったです。
車で行ったのですが、助手席でスマホ片手にナビをしてくれていた次女は忙しい日々が続いていたので途中寝てしまい、慌てて後部座席の長女にナビを交代。そんな珍道中もまた楽し・・・
「美味しい旅」って、そういうこともすべて含めて、ですよね。
開店前にすでに5台ほどある駐車場はいっぱいでしたので、行ってみたい方は時間に余裕をもってお出かけくださいね。
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xxvansxx · 5 years
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母の日だしオカンと俺しか居ないから、鹿落堂へ。相変わらず二八蕎麦も十割蕎麦もどっちも美味かった。わらび餅も好きすぐる。#母の日#mothersday #ランチ#お昼#昼飯#蕎麦#そば#向山#鹿落堂#ししおちどう #cafe#甘味#日用品#感謝 (鹿落堂 シシオチドウ) https://www.instagram.com/p/BxWunOLB3y5/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1lxs51b0mfx3d
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geniusbeach · 4 years
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絶望のパレード
 魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
 昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
 詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
 秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
 かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
 自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
 労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
 どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りた��と思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
 さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
 休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
 旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
 中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
 大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
 3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
 “WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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kaeru-do · 5 years
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蛋白石 三話
少年探偵の変化にみな瞠目すること
 おぼろげな黒い影が康子に呼びかけていた。 「誰? 誰なの?」  影は次第に収束し、青年の姿に納まる。 「ああ、正。やはり死んではいなかったのね。私は信じなかった」  健やかさの権化のように青年は、白い歯列を覗かせて微笑んだ。 「だって、遺体は見つからなかったんだもの。正、正」  病いで骨ばった指、割れた爪を空に伸ばす。しかし、稲光とともに青年の姿は二つに裂け、散り散りに飛び去った。悲痛の叫びが康子の口から洩れる。 「お母さま」  開いた目に飛びこんできたのは、亡き子息の姿ではなかった。三津枝が寝台の傍の椅子に座し、横たわる母、康子をうかがっている。康子は落胆のため息を吐いた。 「三津枝。私は決めました。予定通りお父さまの血縁から養子を迎えます」 「……それは」  思わず言葉を漏らした三津枝を康子は目顔で制する。 「弁えなさい。おまえは、女。家督を継ぐことは許されません」 「でも、お母さま。それでは、私はどうなりますの?」 「安心なさい。おまえには、嫁ぎ先を見つけてあげます。だいぶ格式は落ちるでしょうけれど、再婚ですからね。しかたありません」  三津枝は、膝の上で重ねた指を強ばらせいた。しかし、顔は笑んでいる。 「ありがとうございます。心から安堵いたしましたわ」  隅に控える看護婦に目配せし、三津枝は部屋を後にした。
 雪江は、ベッドに座している少女の前で袱紗を開く。中には、少女の懐から零れた宝石が輝いていた。 「あなたが持ってらしたものですわ。どうぞ納めてください」  促されても少女は手を伸ばそうとしない。美しい宝石を目にしながら顔色は優れなかった。 「私、いらない。助けてくれた御礼にあげます」  驚いて雪江と平太は顔を見合わせる。 「簡単に決めちゃ駄目だよ。これって、すごく高価なものだと思う。ねえ、雪江さん」 「ええ。宝石ですもの」  困惑している二人に少女は口を開いた。 「いらないなら捨てて」  取り付く島もない。 「��…そう。では、しばらくお預かりします。入り用になったら、いつでもおっしゃってくださいね」  少女は答えなかった。 「そうだ。記憶が戻るまで名前がないと不便でしょう? それで考えたんだけど『珠子』さん��て呼ぶことにしたら、どうかな?」 「珠子?」  訝しそうに少女は平太を眺める。 「うん。だって綺麗な珠を持っていたから」 「まあ素敵! どうかしら? もちろん記憶が戻られるまでの仮の名前ですけれど」  少女は頷いた。 「……別にいいけど」 「気に入ってくれて良かった!」  小さなテーブルに白湯と急須、干菓子を並べ、雪江は席を立つ。 「まだお体が本当でないのですもの。そろそろお暇しましょう? 疲れさせてしまってはいけませんわ」 「うん。珠子さん、早く良くなってね」  雪江と平太は廊下へ下がり、扉を閉じた。 「……珠子だって。馬鹿みたい」  白湯には、塩漬けの桜の花が浮かんでいる。珠子は華やかな香りとともに湯を啜った。
「おかえりなさい!」  星見家の離れへ戻った虎之介は、元気のいい挨拶に迎えられた。真田平太である。彼はある事件を切欠に虎之介と関わり、今ではすっかり探偵助手気どりだ。室内の清掃、整理整頓、喫茶の用意まで引き受け、非常にかいがいしい。 「やけに冷えるな」  自室へ入った途端、虎之介は文句を並べはじめた。 「窓は閉めておけって言っただろ? 寒くてかなわないぜ」 「空気を入れ替えなけりゃいけないもの。虎之介さんだって煙たいでしょ?」  負けずに平太は抗議する。 「余計なことをするな。いいから閉めろ、閉めろ!」  自分は早々に椅子へ腰かけ、虎之介は平太が忙しなく働くに任せていた。懐から煙草を取り出し、ライターを探る。ふと机の上に置かれた紙片が目に入った。 「これは?」 「喜代さんに頼まれたんです。さっき電話があったからって」  ふりむいた平太は顔をしかめる。平太の心遣いは無造作に吐き出される煙草の煙でだいなしだ。 「……俺は出かける。もう帰れ」  虎之介は平太のふくれ面にかまわず、紙片を眺めている。送り手は三津枝だった。安田邸において今夜、元宵節の祝賀を行う。ついては、昼間の詫びがてら足を運んでもらえないだろうかとある。 「嫌だよ! 事件の依頼でしょう? ぼくも一緒に行く!」 「どうしておまえを連れて行くんだよ?」 「だって、ぼくは虎之介さんの助手だもの。お手伝いしてもいいって言ったでしょ? だから、掃除に来てるんじゃない」  虎之介は洋箪笥を探り、かまわず支度をはじめた。一張羅の燕尾服を抜き、引き出しからカフスとボウタイを取りだす。平太は目を丸くした。依頼人はかなり裕福な人物に違いない。 「良かった! これで借金を返せるね」 「うるせえな。まだいたのか? 帰れって言ってるだろ」  邪険にされても平太は慣れたものだ。 「靴はこれでいい? 磨きをかけようか? 車はどうするの? 歩いて行ったら足元を見られるよ」  子供のくせにわかったような口ぶりである。 「……女房をもらった覚えはないぞ」  虎之介は思わず、ごちた。
「虎さん。これは、なかなか難しいよ」  どうにも追い払えないと悟った虎之介は、平太を貸衣裳屋の戸口へ押し込んだ。これから銀行家の晩餐会へ出かけようというのである。ところが平太を眺めてみれば、洗いざらしの綿の袷一枚だ。 「この子は細っこいし、そうかと思えば手足が長いんだ。身幅と裄が合いやしない」  虎之介は帳場の新聞を広げ、店主に生返事している。 「女の子だったら五分袖、七分袖に直すんだが、腕を上げる下ろすで袖の位置が決まってる男の服じゃなあ。いっそ紋付きのほうがいいかもしれない」  幽霊騒ぎの記事に色鉛筆で赤丸がつけられていた。夜半、品川沖の砲台へ通りかかった酔漢が女の泣き声と灯火のない船影を目撃したというのである。記者は、この噂を眉唾としながらも砲台付近が怪異の絶えない場所であるとも仄めかしていた。『松前信太郎』と堂々署名された記名記事である。真偽は怪しいが、醜聞、怪事を書かせれば、彼の右に出る者はいなかった。 「この話。ちょっと面白いよね?」  店主が虎之介の手元を覗きこむ。  「商店会の酒席に使えないかと思ってさ。印をつけておいたんだ。みんな怪談が好きだから、幽霊船と聞いただけでも大喜びする。さながらフライング・ダッチマン号だ」  客寄せの扇情的な記事だが、虎之介の頭に蕎麦屋で邂逅した女衒の姿が浮かんだ。幽霊船と合わせて楽しい符号ではない。 「……黒いマストに真紅の帆か」  虎之介はつぶやいた。 「親爺。女の服でいい」  店主と平太へ言い放つ。 「ええ! 嫌だよ!」 「それなら帰れ。時間がない」  平太は、虎之介を睨んで唸っていた。 「虎さん。そいつは、あんまり酷だよ」  仲裁に入り、店主は平太を心配そうに見やる。虎之介は新聞を畳み、土間に杖をついた。 「待って! わかったよ。おじさん、服を持ってきて」 「坊ちゃん、いいのかい?」  頷く平太を見て店主は奥へ引っ込む。虎之介は店先の板張りから腰を上げた。
 燕尾服姿の虎之介と非常に愛らしい少女が人波を泳いでいる。少女は、レースやリボンをあしらった水色のワンピースに短い上着を羽織っていた。 「平太。顔を上げてろ。みっともない。俺が女衒みたいじゃねえか」  うつむき、虎之介の背中へに隠れるように歩いている少女は、扮装した真田平太である。きらびやかな衣装に身を包み、よんどころない顔であった。 「いいか。通りの女を、よく見ろ。おまえみたいにドタ足で歩いてる女がいるか?」  平太は顔を上げ、通りへ目を向ける。老若、大勢の女が道を急いでいた。みな裾が乱れないよう気を配っている。時折、服を掌で払っては押さえ、髪を撫でつけていた。 「おまえは探偵、探偵と言うが、探偵の第一は観察だぞ」 「……こうかな?」  スカートを蹴飛ばさないように歩幅を狭めながら、平太は女たちの所作に目を凝らす。 「どうだ? 女ってのは、おまえの倍も気遣いしてるだろ?」 「うん。だから、女の人は、みんな身綺麗なんだね」  虎之介は手を掲げ、タクシーを停めた。 「平太。向こうへ着いたら俺はやることがある。おまえは観察の練習だ。わかったな?」 「はい! うんと気をつけるね!」   息巻いている平太が先に乗りこむ。虎之介は心中で舌を出していた。
「元宵節? 大陸の祭事ですね」  高志の言葉に雪江は頷いた。 「はい。康子夫人は、新婚の頃、旦那さまと世界中を旅行なさったんですって。その思い出に毎年、元宵節を祝ってらっしゃるの」  雪江はうっとり宙を見つめている。 「亡くなった旦那さまに今も思いを寄せていらっしゃるのね」  安田邸で開かれる祝賀に招かれたのは星見雪江の父親、星見辰一郎だった。しかし、彼は今夜も星の虜囚、天文学の研鑽に余念がない。そこで父親の代理に娘の雪江と婚約者の戸山高志が参上する次第となった。  この催しには、仮装を楽しむ様相もある。そのため二人は中華風の唐装に身を包んでいた。まるで竜宮から現れた姫と古代の王が連れ立って歩いているようである。  赤い提灯の明かりが石畳を照らす中、頭を垂れる運転手を後に雪江と高志は安田邸の門を抜けた。
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8tak4 · 2 years
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新旧軽井沢散歩と万座温泉に浸かる旅
休日も心身が休まらない日が続き、進捗の低下をひしひしと感じ始めた。週末にしたい・しなければならないことが多いことも一因かと考え、たまにはいつもの土地や行動から離れて無為に過ごす日もつくってみようと思い立った。
Swarmのチェックイン履歴をだらだら眺めていて、学生の頃に万座温泉の日進舘に行っていたのを振り返った。観光地というほど賑やかでなく、アクセスも車で数時間とそこそこ大変だが落ち着ける場所だった。以前行ったときは立ち寄り湯のみだったが、風呂に入る・食事を摂る以外に「なにもしない」のにいい意味で最適だった。早速日進舘の予約を済ませた。
日進舘では軽井沢駅や万座・鹿沢口駅から送迎バスが出ている(事前予約制)。スタッドレスタイヤを履いたレンタカーを借りたり路線バスを探すのもお金がかかって面倒なので、送迎バスの予約も済ませておいた。早めに駅に着いたとして、万座・鹿沢口の駅前で暇を持て余すのも退屈なので、軽井沢駅から乗ることにした。
宿泊当日の週末朝7時、立川駅から軽井沢行きの高速バスに乗る。このご時世だからか、またはウインタースポーツをする方は新幹線や車で早々に向かっているのか、乗客は私を含めて2人だけだった。バス会社にとって赤字だろうなぁと考えるが、私にとっては人が少ない方がリラックスできて都合がよかったりする。
途中休憩を挟み、3時間ほどかけて軽井沢駅に到着。現地に着いてから知ったが、駅前の通りは冬季休業のお店が多く、人もまばらだった。
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ちょうどお腹が空いたので軽く食事を済ませる。駅から北側へ2, 30分ほど歩き、11時ちょうどに旧軽井沢のベーカリー&レストラン沢村に到着。先客は数人待ちだったが、レストランは11時オープンなので、すんなり案内された。
カルツォーネは旧軽井沢のランチ限定とのこと。カルツォーネはピザを半分折りにしたものに相当するが、通常の円いピザもメニューにある。カルツォーネは具材が異なるものが数種類あるが、ねぎ味噌とチキンのカルツォーネを注文。自家製ねぎ味噌のことだが、このあたりだと信州味噌か下仁田ねぎが関連するのか無関係なのか、調べてるうちに前菜のサラダとメインディッシュができあがる。
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とろけるチーズが入っており、ねぎ味噌との甘塩っぱさのバランスがよい。わずかな七味のからさが食欲を増幅させる。ジューシーなので、こぼれないよう慎重に口に運ぶ。ビールも合わせて飲みたくなったが、ここはいったん我慢。腹7分目まで満たして散歩に繰り出す。
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もう少しお腹を満たすために喫茶を探す。軽井沢といえば丸山珈琲!と言いたいところだが、巡回セールスマン問題的に考えると駅北側から本店へは非効率なルートで時間もあまり余裕がない。丸山珈琲に寄るのは翌日に回して、1日目は旧軽井沢銀座のミカド珈琲で喫茶をたしなむことにした。
ここの定番はモカソフトなのだが、甘味が欲しい気分ではなかったのでハウスブレンドを注文。レモンのようなほのかな酸味があるが、酸味が苦手な方でも飲めると思う。あわせてマイルドな苦みもあり、バランスがとれている。フードなしでもコーヒー一杯で満足できる味。イートインの席数が非常に限られているが、ここもやはり閑散としていて、帰る頃には客が私一人となっていた。
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宿のバスの迎えまで残り1時間強というところで、駅の方面へ戻る。道中Quartet Brewingというブルワリー兼タップルームを見かけて、クラフトビール好きとしては立ち寄らない理由がないので寄り道をすることにした。タイミング悪くタップルームはテイクアウトのみの営業となっていたが、タップを直接缶に詰めてもらえる方式となっていた。
お店オリジナルのレゾナンスウィートを持ち帰り、近くの公園で飲む。麦の味とわずかな苦味、やさしく透き通る喉ごし。
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軽く酔いが回りつつ駅に到着。若干時間の余裕があるので、待合室で軽井沢駅について調べていた。どうや��駅そば発祥の地とのことで、発祥当時のそば屋はないものの、釜めしのおぎのやが駅そばを提供しているとのこと。釜めし以外にもメニューがあったことが驚きだが、せっかくなのでお腹のわずかな空きを満たすことに。
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380円のシンプルなかけそば。駅そばを食べること自体が、学生の頃に食べた弥生軒以来だった。それゆえ駅そばにあまり大きい期待はしていなかったが、つゆのうまみと出汁の香りが予想以上に効いている。麺も柔らかすぎない、蕎麦といえるものだった。駅そばなのだが期待を上回る出来で、じっくり食べたい一杯だった。
ほぼ定刻どおりに宿のバスに乗る。これもまた乗客が私一人で、わざわざ迎えに来てもらったのが申し訳ないくらいだった。途中うたた寝したり鬼押ハイウェー・万座ハイウェーの景色をぼーっと眺め、16時前に宿に到着。道路は雪が積もっており、わずかに滑る。こういうことを予想して足が濡れないよう3シーズン用の登山靴を履いてきたのだが、辺りは坂も多く、チェーンスパイクも持ってきたほうがよかっただろうかと思い始めた(結果的にさほど出歩かなかったので不要だった)。
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チェックインを済ませ、荷物を部屋に置き、数年ぶりに白濁したお湯に浸かる。立ち寄り湯は14時までだったので、予想よりも空いていた。一方でスキー客の家族連れが多く、露天風呂は比較的混んでいた。それでも天気のよい日だったので、リラックスして最高の雪景色を堪能した。
内湯は比較的熱めで、数分入っていると上せそうな気がしたので、長湯はせず複数の風呂をこまめにはしごする形式をとった。露天風呂は外気温とのバランスがよく、さらに脚を伸ばして全身浸かることができるので、ついつい長居してしまう。夕食後もまた宿泊者用の湯船に浸かり、合計3回風呂に出入りした。
......
翌朝は6時起床。時刻はいつもどおりだが、胃痛はいつもよりも落ち着いていた。事前に天気予報で降雪を確認していたが、吹雪いているようすはなくパラパラと降っていた。朝風呂、朝食、朝風呂(2回目)のルーチンを決め、身体に温泉のにおいが染み付いたところでチェックアウト。来る前は手指が乾燥気味だったが、帰る頃にはハンドクリームなしでも指先のひび割れがなくなっていたことに気づく。ふたたびバスに乗り、読書や仮眠をしながら軽井沢駅に戻った。
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到着時刻は12時過ぎ、直前に調べて決めていた駅前の洋食屋「フレスガッセ」へ。おしゃれな場所というよりも昔ながらの大衆食堂に近い。観光客向けというよりも地元の方向けという店構えだった。穀米と味噌汁、そして種類の異なるジューシーなソーセージの定食をいただいた。いい感じのレストラン並みの味と、定食という庶民的なバランスが面白かった。
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旅行もそろそろシメに入る頃、一日目にパスしていた丸山珈琲へ向かう。早歩きで20分。外気温は0度で身体は暖かいが手袋がないとやや厳しい。駅からは歩けないこともないが、駐車場は十分にあるので自動車で来た方が無難ではある。
店内は15人までに制限されていたが、そこそこ余裕のある日だった。期間限定ブレンドやシングルオリジンなど種類がとにかく豊富で迷ったが、本店限定の「丸山珈琲ブレンドクラシック1991」を注文。本店は基本的にすべてフレンチプレスで淹れられるため、豆の香りや味・そしてオイ���を堪能することができる。ブレンドクラシック1991はキャラメルのような香ばしく甘味のある香りと、深煎りながらなめらかな舌触り、そしてスパイシーな後味を楽しめた。
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時間が余っているので、軽井沢から高崎までは新幹線で、そこから先は鈍行列車で帰路に着いた。社会人になってからお金よりも時間を大事にする意識が働いたのか、最近は新幹線を使ったりバイクで急ぐことが多くなっていた。今回みたいな徒歩や電車で時間をかけた移動も、その間に考え事をしたり調べものをする余裕があって、案外悪くないなと思った。
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myonbl · 3 years
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2021年10月11日(月)
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月曜日の教室は職場で一番眺めが良い、梅田周辺が一望できることは先週報告した。今日は少し西の眺めを紹介しよう。背の高いビルの下には大阪市営地下鉄御堂筋線/北大阪急行と大阪モノレールが交叉するターミナル、千里中央駅がある。日本最初の大規模開発・千里ニュータウンの中心で、周辺には新しいマンションが林立している。その手前に見える中層建築物は開発当初の集合住宅、老朽化・高齢化への対応が課題となっている。1962年が初入居だから、60年に及ぶ時代/社会変化と向き合っているのか・・・、そんな感慨に浸っていると授業なんかどうでもいいやという気になるね。
5時30分起床。
日誌書く。
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十割蕎麦+ヨーグルト+豆乳。
洗濯1回。
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ツレアイは午後から出勤、自分の弁当だけ用意して出る。
近頃は往路は名神吹田IC利用、茨木ICよりも早くて快適、100円の料金差も惜しくない。
1年次後期必修科目「社会貢献論」の2週間分の出欠状況をチェック、食物栄養学科の学生に連続欠席が目立つ。教養教育センター長にメールで報告する。
水曜日の「情報機器の操作Ⅱ」の課題をチェック、研究���とPC教室のOffice環境が違うので、教科書の操作と同じかどうかの確認が不可欠である。
2限は「社会貢献論(全学科A組)」、今日は3週目だが1週目に出来なかったシラバスの説明を改めて行う。今日のテーマは「社会貢献の概念」、公益を求める直接的社会貢献と私益を求める活動が結果として公益に繋がる間接的社会貢献、この2面性を解説する。<3つのポリシー>を簡単に解説し、最後に<研究倫理eラーニング> を紹介、学生が自分で登録して学び���修了証を提出さ��る。締切は今月末に設定した。
昼に「インターンシップ」受講学生2名来室、これで受講者5名との面談終了、後は事後レポートの提出で評価する。
木曜日の「人権論」「環境論」の資料を作成する。
5限は「社会貢献論(全学科B組)」、2限と同内容。少し早めに終了して自室に戻ると、学生から<eラーニング>についての問い合わせメール、登録できないとのこと。メニュー選択を誤っているのだが、対応を指示するとすぐに登録完了との返信が来て安心。
帰宅は19時前、夕飯は用意しておいた<無水鹿肉カレー>と野菜サラダ。
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ツレアイの帰宅は20時、柳家小三治を偲んで献盃する。久しぶりにCD全集を取り出して傾聴、「青菜」「やかんなめ」の2席。小三治を生で聴いたのはたった一度だけ、その時の最初のネタが「青菜」だった。このネタだけは、上方版がしつこく思えて、小三治の演出の方が好みである。
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月曜日はもっとも職場滞在時間が長くなるが、今日のiPhoneでのデータ消費は0.16GB。この調子で30日使っても5GBで納まることになる。おまけでもらった3GBは別にして、今のプラン(3GB+2GB増量オプション1年間無料)が私にとってはぴったりで、それ以上の大容量プランは不要であることが確認できる。
風呂を待つ間にFFを少し・・・、やはり寝落ちしてしまった。
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辛うじて3つのリング完成、水分は1,400ml。
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acchali · 6 years
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200Miles
群馬県を中心に活動するサイクリングコミュニティCycleClub.jp(ccjp)は、関東圏から多くの参加者を集めるクラブライドを活動の中心に、前橋シクロクロスをはじめとしたイベントを何度も成功させ、自転車のまちを標榜する前橋市との信頼関係を築くなど、地元の自転車仲間という枠組みを超えた存在感を示している。そんな彼らが過去2年で2度クローズドで開催した200miles、320km/4300mUPというビッグライドのことは友人であり同じくRaphaアンバサダーを務めるccjpの中心人物の1人、Tkeyから話は聞いていた。僕は自身の最高距離も平坦基調で260km程度が一度あるぐらいで長距離走にも別段興味はなく、半笑いで彼に「自転車好っきゃな〜」と賛辞を送るに過ぎなかったのだけど。聞くところによると、満を持してということかはわからないが、その200milesをオープンなイベントとして開催するという。4人を1チームとして群馬県は前橋からスタートし、平坦を東へ栃木県小山市まで進んだところで北上、日光いろは坂・中禅寺湖を経て、国道日本3位の標高である金精峠の2024mをピークとし、群馬の沼田へ下り、中之条・東吾妻とアップダウンを繰り返し前橋へと戻ってくる320km、獲得標高4300mの道のり。朝3:30のスタートで、完走が認められるのは夜22:00まで。という話を聞いた頃には、なぜか僕も走る流れになっていた。長距離走が自分の関心外だったこともあり、特に走りたかった訳でも無いけど、なりゆきでそうなったら走らない理由は無い。運命が選んだんだ、と静かに受け入れた。走ることが決まったら、それはそれで楽しみだと感じていた。結局は「自転車好っきゃな〜」ということである。 そうこうして決まったチームは、Rapha Japanのヒロ、Onyourmark MAGAZINEのユフタ(もちろんこのライドも記事にしている)、RaphaCyclingClub(RCC)の東京チャプターを牽引する落合さん、そして僕という4人で、ヒロとユフタはCANYON Japanから新作のグラベルバイクGRAILを借り受けていて、オンロードでのインプレッションするという事になっていた。落合さんもまたCANYONライダーだという。チーム3人がCANYONで参加するのなら僕もということで、CANYON Japanのご厚意でハイエンドのカーボンディスクロードUltimate CF SLXを借り受けた。彼らが持つテストバイクのパーツを利用して市販のアッセンブルより軽く仕上げてもらったこのディスクロードは、油圧ディスクにeTapとまさに最先端の装備。僕のクロモリバイクとは対極の価値観で生まれたスーパースポーツは、ディスクブレーキで驚きの7kgちょうどという軽さで、このビッグライドを少しは楽にしてくれそうだった。結果として、このバイクは僕を強く支えてくれることになる。そうしてチーム全員がCANYONにまたがり、Raphaの新作カーゴビブショーツとテクニカルTシャツをチームキットとして身にまとい、プロモーション臭をそこはかとなく漂わせつつ、我らがCANYON//シャカヶ岳チームは準備万端で5月4日午前3時35分にスタートしたのだった。この時には知る由もないが、この日、北関東圏の一部を襲った異常気象は、ちょうどそこを走っていた僕たちを雨、雷、霰、雹、吹雪、氷点下の気温と、気まぐれ���様々なカード(もちろん晴れも)でもって翻弄した。最初の試練はスタートしてたったの30分後に天気予報で伝えなかった雨として現れる。未だ明けぬ宵闇の中で弱まることのない雨脚は、徐々に僕たちを削っていくが、とにかく前へ前へとペダルを回していく。ジャケットを雨予報ではなかったけど2000mからのダウンヒルの防寒と万が一の雨に備えてお守り的にRaphaのClassic Rain Jacket IIをチョイスしたのは幸いだった。これもこの日、僕を強く支えてくれることになる。 別のチームと出会って抜いたり抜かれたり、トレインを組んだりして走り続けると、やがて空は白み始めるが、雨雲は厚くなり雷を呼び込み、真夏の夕立のように様相を変えた。最初の平坦路で長い休憩を取る予定は無かったが、雨宿りに入ったコンビニで足留めをくらってしまう。既に全身は水浴びをしたようにぐっしょりと濡れていて、靴にも水が溜まっているような状態だが、ジャケットのおかげで胴がドライなのはありがたい。しかしまだ平坦を70km程度しか走っていない。先はまだまだ長く、ダウンヒル向けの装備が既に濡れていて、窓の外はさながらスコール。これからの旅の困難さに眩暈を覚えていた僕の横で、仲間たちはインスタントラーメンを食べながら晴れたらすぐ乾くだろうと笑っていた。 雨脚が弱まってきたところでリスタート。小雨になったとはいえ雨が降っている状態で自転車を漕ぎ出すなんて、税金を支払いに金融機関に行くぐらいに完全なる億劫でしかないが、日光方面に向かうにつれ、雨は止み雲はちぎれ、太陽が控えめに顔を出してきた。しかし先程のスコールは相当な雨量を広範囲にもたらしたようで、どこまでも路面はウェット。水捌けの良くない路肩は浅い川のような状態。前走者や自身の跳ね上げる飛沫で、体感としては雨の中を走っているのと変わらず、タフな状況はまったく変わらない。既に僕の意識と身体は切り離され、ただペダルを回し続ける機械としての自己を認識することで、かろうじてこのストレスフルな状態に耐え、歩みを進めていたのだが、北へと進路をとる頃には徐々に登り勾配を感じることになる。前半の100kmに及ぶ平坦区間が終わろうとしていた。 日光のコンビニで休憩していた他チームの友人と談笑すると疲れも少しは和らぐが、135km地点のここからピークの金精峠まで50kmほど登り続けることになる。いよいよ山岳コースか、と静かに気合を入れて走り出したのだが、見上げると、僕たちの進む道の先には黒々とした雲がかかっている。山頂は全く見えない。誰も何も言わないが、あれはどうみても雨雲、むしろ今日これまで雨を降らせてきた雲よりもどす黒く、嫌な予感しかしないが、雨が降っていないとそこそこ暖かく、このあたりは例のスコールが降っていなかったようで路面も乾いており、久しぶりにストレスを感じずにペダルを回すことができるので、僕は意識的に無意識を操作して前方の暗雲を消し去ることにした。そうして淡々と登り続けると、すぐに日光東照宮を超え、いろは坂へとさしかかる。チームメイトは皆ジャケットを脱ぎTシャツ姿だ。思えば、この日ここだけがチーム4人が揃ってチームキットを見せることができたタイミングだった。とても短い時間だったが、かっこいいと思った。本当はずっとTシャツ姿でいるつもりだったんだけど。 連休中ということもあり、車もとても多いが、いろは坂は2車線の一方通行で交通量が多くても比較的登りやすい。とにかく負荷をかけずに淡々と。それなりにヒルクライム的な気持ちよさを感じていたところ、ふと顔に水滴がかかると、僕が操作した無意識はあるべき場所へと立ち戻り、残された意識はすぐさま状況を判断する。気づけば周りは真っ暗だ。見上げていたあの悪意すら感じる色の雲に飛び込んだ格好だ。すぐに雨脚は強くなる。せっかくなんとなく乾いてきたウェアやシューズがまた濡れるのかとうんざりしていると、早々に本降りになりそうで慌ててレインジャケットを着る。チームキットのTシャツはまたおあずけだ。 15分後、山頂あたりで雨脚は弱まった。他チームも山頂に設けられた駐車場で休憩をしている。苦しそうな顔、色んな感情が混ざった無表情、伏し目がちで立つ姿、様々に入り交じっているが、そこに笑顔はない。そりゃそうだ。気まぐれに降った、たった15分程度の強い雨でまた濡れ鼠にされ、残りは150km以上ある。あんな短時間に強く降るならせめて僕たちが居ないタイミングでやってくれという話で、ここでヘラヘラしてるヤツなんてネジが一本飛んだと表現されるような人間だ。幸い、チームメイトもそれなりに渋い表情をしているし、僕もそうだ。思いっきり渋い顔をしてやった。皆無言だが、その表情から様々な感情を吐露している。誰も口を開かない。ここで弱音を吐く意味が無いことは皆理解していたし、何を言おうが今ここにいるのは自分の判断で、天候なんて誰の所為でもない。誰も何も言えないから、一様に無言で、吐息で毒を吐き、表情で文句をたれる。それぐらいは許してくれ。 ここは頂上に見えるのだか、ここから下るわけではなく、標高1,250mあたりの中禅寺湖を横目に少しばかりの平坦を走り、いよいよ本日のピーク金精峠へと向かう。この後はコンビニ的なものはしばらくないと言うので、中禅寺湖のほとりにあった小さな商店で補給をすることにした。気まぐれな天気はここで晴れ間を見せ、雨の中でカップラーメンやおにぎりを食べるなんてバカバカしいことにはならなかったが、身体は冷えている。僕は身体の中から暖めるイメージでカップヌードルのカレーと豚キムチ丼を選択した。少しでも暖かいところへと日が当たるところで皆で座って食事をするが、弱音のようなものは出てこない。僕たちにとって暖かい食事と太陽というのは太古の昔からいつだってそういうものだ。 腹が満たされ、太陽に暖められると、なんとなく走り出そうという気持ちになるのだから不思議なものだ。さっきまで努めて渋い顔をしていたというのに、冗談なんか言って笑い合えるようにもなったりする。ここはちょうど半分ぐらいの地点。思ったよりも身体に疲労はなく、このまま天気が良ければと空を見上げるが、太陽は厚い雲の切れ目から顔を出しているだけであり、山岳というのもあってどうにも楽観的ではいられない。むしろ厚く複雑な形をした雲が浮かぶ空はもう一雨ぐらい持ってきそうに見えてしまう。それはまるで、お気に入りのシャツにいつの間にか付けてしまった染みのように、僕の心には気づいたら不安がこびり付いていて、指でなぞっては、もう取れないことを確認するような作業だ。そんなネガティブな気持ちと休憩明けの重い脚で中禅寺湖のほとりを進むのだが、路面は乾いておりストレスなくペダルを回すことができる。そうそう、これこれ。このまま後半戦を進めていこうよ、と心の染みに向かってつぶやいてみるが返事は聞こえない。高地の気温は低く、乾ききらず湿ったままの靴は足先を冷やす。香辛料をもってしても足先までは温まらないし、むしろ体温もいまいち上がらないが、いよいよ本日の最高点の金精峠へのヒルクライムがスタートする。分かれ道を右へ進路をとると、すぐに勾配が強くなった。ゴールを探し空を仰ぐように見上げるとただ真っ白な雲の中へと道は続いていくのだった。 ところで、さきほどから小さくヘルメットやカーボンフレームを叩く音がしていて、それは金精峠を登るにつれて降ってくる雹とも霰ともつかないものが僕を打ち付ける音だ。マイペースで登ろうと序盤でチームからあえて遅れたが、この天候に心はバキバキに折られている。サイコンが示すパワーの表示は150W程度だ。軽量級の僕とは言え、こんな省エネルギーで登れるわけはなく、その歩みは亀のように遅い。僕はふたたびペダルを回し続ける機械と成り果て、一切の感情を持たずに登り続ける。そうだ、僕がいま、こんな天候でこの峠を超えていることに意味なんてないし、ただWahooのサイクルコンピュータが塗ったルートをトレースしているだけで、むしろ僕はサイクルコンピュータの一部で、パワーメーターが示す値の通りに僕の脚が回っている。それは僕の脚が150Wの出力をしているのではない。パワーメーターが150Wと僕に指定しているのだ。電子機器に支配されたサイクリストはいつのまにかパワーメーターに乗っ取られ主従関係が逆転していることに気づかず、今日もこうしてディスプレイに示された値を視覚から入力し、それを自らの脚で出力しているだけに過ぎない。 という状況に至るまで感情を身体から切り離したところで、ピークの金精トンネルが見えてきた。チームメイトが雹とも霰ともつかないものから逃れるようにトンネルの入り口にいるのが見えると、感情が一気に戻ってくる。待たせてごめん。さっきまでパワーメーターに乗っ取られていたんだ、とは言わなかったが、お互いにこの苦しいヒルクライムをクリアしたことを称え合い顔が綻ぶ。やはり孤独はだめだ。仲間がいればパワーメーターに乗っ取られることなんてなかった。さぁ、このトンネルをくぐればあとは30kmにも及ぶダウンヒルで、ご褒美的に一気に210km地点まで気持ちよくワープできるのだ。この下りこそディスクロードの本領を発揮するところ。いつもより安全に気持ちよくダウンヒルを楽しめるだろう。そう思いリスタートした。前方のトンネルの出口が近づくにつれ、僕たちは違和感を覚えだす。色がおかしい、あまりにも白いのだ。その色に「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」なんて昭和初期の小説の冒頭が思い浮かぶが、彼は列車に乗っていたはずで、僕たちは自転車だ。このトンネルを抜けた先に美しい物語の始まりはなく、地獄のダウンヒルが待ち受けているだけだった。 トンネルの出口からその雪国とやらにつっこむと、完全に吹雪で気温はマイナス2度を指している。ニーウォーマーもなく、ペラペラのグローブはすぐに氷結した。少しでも体温が上がるかとペダルを回すが、膝に電気のような痺れが走ったので止めておいた。ここで選択を誤ると、とんでもない故障をしてしまいそうな気がする。指先も足先も痺れるような痛みがあるが、油圧ブレーキはこの極限状態でも優秀で、安全なスピードをキープすることができる。すぐに山小屋が見えてきたので退避する。もう限界だ、これ以上どうして下ればいいというのか。まだ山頂から3kmしか下っていない。時間にしても5分も経っていないと思う。ずぶ濡れの身体がガタガタと震え、手足の痺れと痛みが取れることがない。チームメイトが暖かいコーヒーを買ってきてくれ、山小屋の方がストーブを付けてくれたので、なんとか震えは収まってくる。 寒さ耐性というのは個人差があり、僕は昔から冬に痩せて夏に太る体質が示すように、寒さが苦手で暑さが得意である。こういう極限状態を経験するまでは寒さも暑さも趣味嗜好かと思っていたが、低体温症になった経験もあり、どうやらそういうことのようだ。以前にシクロクロスのレース会場で低体温症になり救護された時と比べると、レインジャケットを着ていることによって胴が濡れていないことで相当に冷えは軽減できているように思えた。先が見えない状況だが、いつまでもここに居るわけにはいかない。吹雪は収まりそうになく、標高が100m変わるごとに気温は0.6度変わるというので、今が1番辛いんだと言い聞かせ、山小屋のお土産物として売られていた群馬県のゆるキャラ、ぐんまちゃんが描かれた手袋を買い、チームメイトと吹雪の中に飛び出して凍りついた自転車にまたがり重力に任せて下り始めた。サバイバルの鉄則は現地調達だ。新しいグローブをゲットして少しは楽になるだろう。 山小屋で取った暖は一瞬で消え去り、地獄のようなダウンヒルが続く。子どもの頃に読んだ絵本のようなもので、様々な地獄出てくるお話があったのを覚えていて、その中に灼熱地獄はあったが、逆のものはなかった。これからは極寒地獄も追加するべきで、なぜならここは地獄のようだからだ。すでに知覚が鈍っていて痛みのディティールを感じることは出来ないが、身体のあらゆるところが痛い気がする。手足は先程まであった痺れを伴う痛みを感じなくなったが、それは感覚が無くなったということだろう。得意の無意識を発揮して、何も感じずに下るだけの機械になることが出来ればいいのだが、あまりにも僕はそこで人間だった。ここでパンクしたら死ぬだろうなと思った。ましてや落車なんか。5月の装備でマイナス2度の吹雪で走行不能になったら死ぬに決まっている。チームメイトの命だって危険に晒してしまう可能性もある。そんな人間的な考えばかり溢れてくるが、そのぶん意識は冴えてくる。感覚がなくても油圧ブレーキはしっかりと仕事をしてくれるので、危険を感じることはなく、パンクのリスクがありそうなところを避けたラインを取ることができた。自転車を借りて本当によかったと心の底から思った。心の底というのはこの深さにあるのかと自覚したほどに。これまでディスクロードに対して特に必要性を感じていなかったけど、とにかく安全でいるということに関しては圧倒的だった。5月に氷点下で吹雪のダウンヒルなんてあまりに極限状態であることは確かだが、それでも油圧ディスクブレーキがもたらす安全マージンはかなりのものだ。しかし身体は冷え切っている。もう限界だと何度も思ったが休めるところはなければ話にならない。ふと先にリフトが見えた。どうやらスキー場があって休憩できそうだ。ここまで10kmで約15分。永遠のように長かった。 ガタガタと震えて建物に逃げ込む。5月ということもあり暖房はあまり効いておらず、灯油のストーブみたいな暖を取るものもない。激しく震える身体と、おぼつかない手元で凍結したグローブと靴と靴下を脱ぎすてた。全身びしょ濡れだが、スキー場の食堂だけあって気兼ねなく座れる感じの椅子なのは助かった。暖かい飲み物や蕎麦をかきこむ。空腹ではなく、温度に飢えていた。なかなか回復しないが、それでもここにいれば大丈夫だと実感する。実際にここに入ってきた時よりも震えは小刻みになっているし、なんとなく、これから先のことを考えたりもする。今は約190km地点。残りは2,000mほどの獲得標高となるアップダウンを130kmほどとなる。そして、僕はふと「次、雨が降ったらもう帰るから」と口にした。何度も心は折れそうになったし、パワーメーターに意識を乗っ取られるなど実際に折れたこともあったかもしれないが、諦めた訳ではない。だけど固執はしていない。こんな連休の遊びのライド、いつでもリタイアすればいいと思っていたし、退路をつくるのも役割かなと、くらくらする頭で考えたはずだけど、チームメイトはそれでも果てしなくポジティブで、その時、僕たちは完走するんだなと思った。ほうぼうの体で吹雪から逃げ、低体温に震え、手も足も感覚なんて全くなくて、それでも僕はここでそう確信したんだった。この苦痛の先になにがあるかはわからないし、栄光なんて確実にない。だけど、こいつらと、このクソみたいな状況で前しか向かない連中と、やりきってみたくなったんだ。今日やろうとしたことすべて、ひとつのこらずだ。 ようやく回復したと感じる頃には1時間も経っていた。その頃には吹雪も止んでいて、なんて運のない日なんだろうと苦笑いする。なんとなく暖かくなった気がする下りを進むと、ほどなく雲は予めそうであったかと思わせるほどに、一片も残らずに消え去り、このライドではじめて見る晴天となる。さっきまで震えていたのが嘘のようだし、馬鹿みたいだ。いつも、いつだって意味のあるように見えるものは、あっけなく消え去って、結局は何も僕たちにもたらすことはない。でも、だけど僕たちはこんなにも青い空の下で、行き先なんてどうでも良くなるのかもしれないし、なるようにしかならないのかもしれないが、つまり自由だということなんだ。 群馬県の沼田まで降りきって久しぶりのコンビニで補給すると、参加者の連絡用のメッセンジャーにリタイアの連絡が飛び交い始める。そうか、そうだよな。だってあんな地獄で、そこに何を見出せるというのだろうか。いや、無い。そこにあったのは、ただ、この青空のように底抜けに明るいチームメイトのことばだけだった。もし君のチームにそれが無かったなら、残念だがそのリタイアは決まっていたことだったんだ。それは僕たちが生まれた年月日で、運命が予め決められているように語るほどに、なんら意味のあることではないし、そんなものは道化師か占い師に任せるしかないのだから。 コンビニの駐車場で大の字に横たわって感じる。太陽の暖かさを、その恵みを。僕の細胞に葉緑素があったとしたら、きっと光合成はこんな気分だろう。僕の肌を焼く陽光を、こんなに全身で待ち望んだことはなかった。靴下を雑巾のようにしぼり、レインジャケットを脱ぎ、僕は今日ここにまた生まれる。残りは110kmだ。もうなんの迷いもない。あの時に交わしたことばのとおりだ。だから、ここから先の全てを僕が引き受けよう。この先で何が起きても、その事実に誰の心が折れたとしても、僕の真実で、その事実を捻じ曲げよう。もう僕は無意識を操作したりはしない。さぁ共に進み登ろうぜ。リタイアした彼らを指差す腰抜けどもに、勇敢な彼らの証人となる為に、じき訪れる宵闇に向かって走りだそう。登りきった先に何も見えなくたっていい。 そうして僕たちは進みだした。それから、いくつもの苦しい登り坂があり、同じだけ下り坂があった。気づけばもう真っ暗だ。太陽が登る前に走り出し、果たしてその太陽は再び地平線に沈んだ。ひたすらに前を引くヒロの背中に僕たちのライトが光を落とす。彼が着るジレは、まるではためく旗のようで、そこにはあのロゴが見える。あぁ、そうだった。いつだってサドルの上で僕たちに多くのもの、それは、発見であり、学びであるし、多くの気づき、または苛立ち、諦め、哀しみ、喜び、畏れ、感動、妬み、あるいは愛情かもしれないし、おそらくこの世界のあらゆる感情だった。そして、僕にとってそれはいつだってRaphaという文字列の延長線上だった。光を追い抜いて消えてしまいそうなヒロの背中を追い続ける。やがて僕たちは街に降りていく。22時の制限時間に間に合うのかと考えたりもするのだが、僕にとってそんなことはもはや些細な事象に過ぎない。ただ太陽が動き、時間が過ぎただけで、それ以上でも、それ以下でもない。 見覚えのある前橋の街並みを走っていた。やっとここに帰ってきて、それは長い長い旅路の終わりだった。幸福を求めた少年が世界の素晴らしさに気づいたその時にスプーンの油をこぼしてしまったように、果たして僕たちはゴールした時に何かを見出すのだろうか。スタートして最初に曲がった交差点を逆に曲がる。みんなが待っていた。それもそのはずだ、僕たちは21時58分にゴールしたのだから。走行時間は18時間24分。チームメイトと肩を組み、皆で破顔する。ありがとう、ありがとう、こんなにもクソみたいな1日は人生で初めてだ。バカヤロウ、ファック!本当に最高だし、同時に最低でもあって、やはり全ての感情がここにはある。それを言語化なんて到底出来そうにもないし、チャレンジすることも愚かなことかもしれない。でも、こうして書き残そうと思ったんだった。もし君がスタートする時のために。どこか遠くへと乗り出すその日のために。その時、僕たちがどこにいるのかは、まだわからない。 10日ほど経って、未だに痺れが残る指先でこの文章を書いている。あれ以来、自転車には乗っていない。いま振り返ってもやはりこのライドの核心は氷点下の金精峠のダウンヒルだ。あまりにも不安定な天気はおそらく1時間早かったら、または遅かったら表情を変えていただろう。しかしあの日、多くのチームが地獄の時間にそこを下っていた。スキー場で会った他チームの友人もみな憔悴しきっていたのを覚えている。あらためていま、参加者の連絡用のメッセンジャーを見て、リタイアの文字が飛び交う様を見て、涙が出そうになった。わかる。ここでリタイアを決意する気持ちは痛いほどわかる。人の想いは良し悪しを問わずに伝播する。もし僕があの時、次に雨が降ったら、と言わずに、今すぐ帰る、と言っていたら。誰かひとりのその判断は諦めではないし、弱音でもない。あの日、あの時、あの場所であの状況なら至極真っ当なものだ。僕もそう言われると否定せず、もう辞めようか、と思ったかもしれない。だからこそ僕は、底なしにポジティブなチームメイトたちに本当に感謝し、尊敬する。僕はこの過酷な環境で、それでもここに立つことになった運命を信じ、その輪を回し続けるために、次に雨が降ったら、と話したとき、こう返してくれたことを。「じゃあ、もう雨が降らなかったら?」 結局、雨は降らなかったし、その光はいつだって眩しかった。
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kachoushi · 5 years
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11月の各地句会報
平成30年11月の特選句
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坊城俊樹選
栗林圭魚選岡田順子選
平成30年11月1日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
時雨るるも岸に白波三国港 英子 鉄塔の影長くして小春凪 都 秋灯下ワイングラスの脚細く 都 末枯や雲の流れもその一つ 都
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月10日 枡方句会 栗林圭魚選 特選句
頰杖の野仏の笑み七五三 美枝子 夕暮の小さき社の三の酉 亜栄子 酉の市手締の音頭少女なる 三無 石蕗の黄を辿り登るや教会堂 恭子 石蕗の花十字の墓標照らしをり 恭子 小枝とて柊の花芳しき 清子 花石蕗の径黄帽子の動かざる 文英 新海苔の深緑なる艶炙る 三無 柊の花咲き初めし夜の庭 多美女 郁子熟るる閂太き寺の門 三無
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
芳しきヒマラヤ杉の落ち葉籠 貴薫 初時雨術後の肩に重かりき エイ子 小夜時雨ナースセンター灯りをり 和魚 鈍色の空に紅引く七五三 有有 錆深む廃校の門積む落葉 美貴 陶めきて淀みに沈む柿落葉 怜 終バスの窓の落書き小夜時雨 美貴 落葉して遠く初島見ゆる窓 怜
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
少年の赤き木の実の枝提げて 俊子 椋鳥のうねりの下や人も群れ 都 文化祭村の新米よく売れて 幸子 片時雨天へ溶けゆく虹架けて 佐代子 新蕎麦を伸ばす麺棒三尺余 幹也 鎌上ぐる力も失せて枯蟷螂 和子 子坊主の箒の中へ降る落葉 栄子 紅葉山点描の濃き紅もあり 悦子 身に入むや放棄の棚田増えてきし 史子 茅刈るや国定屋根を守る村 益恵 田を渡る風に背伸し稲を刈る 立子 長電話煮こぼれてゐる柚煮かな すみ子 黄泉へ飛ぶや蓮の実かそけき音 美智子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月12日 芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
蒲の穂に風の行方を見る朝 よみ子 爼はトントン短日雨となり 由紀子 鉄塔も山もかくして秋の霧 久美子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月13日 萩花鳥句会
小春日や楊枝の先に源氏巻 牛子 掃くほどの金鈴子踏み藩祖廟 小勇 鯨墓静かにぬらし時雨けり 孝士 孫も来て土いぢりする小春かな 美恵子 胃カメラの冷んやりわが腑モニターに 健雄 両岸の桜紅葉遊覧船 圭三 蒼空に星屑のごと金鈴子 克弘
(順不同) ………………………………………………………………
平成30年11月15日 花鳥さざれ会
誰が吹ける篠笛なるや十三夜 越堂 観音の花入れにある落葉かな 雪子 沖荒れて摂社末社の神の旅 千代子 雪吊や青竹を剪り縄を切り 陽子 婚殿と漢字談議や夜長の灯 清女 神渡り給ふ大海波静か 松陰 白山をはなれし雲や神渡 匠 一木一草に及びし神渡し 雪 落葉掃く箒の音に古時計 天空
(順不同) ………………………………………………………………
平成30年11月16日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
白川郷庫裡も厠も冬構 令子 冬の窓ソーラー人形の孤独 登美子 長良川網打つ影や冬に入り みえこ 新蕎麦や大きくすする吾子の口 実加 落葉掃き労ひの声くれし人 みえこ 母老いて気にも留めない冬の蠅 登美子 古セーター青春の頁を手繰る 実加 民家の灯遠くにありし刈田道 紀子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月16日 芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
お茶会の賑つてゐる神の留守 よみ子 三毛猫の樹下に紛れて冬夕焼 よみ子 小春日や溝に工夫のヘルメット よみ子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月17日 柏翠俳句記念会句会 坊城俊樹選 特選句
九頭竜は風音ばかり冬ざるる かづを 子等遊ぶ声に小春のありにけり かづを 右往左往して散りゆける紅葉かな かづを 無住寺の仏が守る神の留守 文子 十夜寺善男善女木魚打つ 文子 鵙の贄きざみ鳴きして姿見ず 冨美 丈高き物を残して大花野 冨美 切口の青竹匂ふ雪囲ひ たゞし 小春日や頰を伝ひし目の薬 富子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
晩秋を仰ぐ太郎の母の塔 亜栄子 鉄路なき機関車ひとつ黄落す 千種 綿虫の山の日に青濃かりけり 政江 母の像両手を天へ冬日和 政江 年尾句碑なぞれば冬日やはらかし 政江
栗林圭魚選 特選句
坂道に枇杷の花満ち年尾句碑 眞理子 冬烏遠くに鳴きて母の塔 ラズリ 青白き粗朶の切口落葉降る 久子 綿虫の山の日に青濃かりけり 政江 山茶花や微笑を秘めし野の仏 ゆう子 年尾句碑なぞれば冬日やはらかし 政江 一輪の冬薔薇句碑に添ふやうに 淸流 狭む瀬にのりし枯葉の軽さかな 斉 野仏は欠け冬紅葉色擦れ ゆう子 柊の香の犇めきて水の音 文英
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月21日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
時雨るるや枯れゆくものに散るものに 越堂 風神の衝立たてて神の留守 嘉子 どの船も烏賊を干したる小春凪 嘉子 鷹匠の鷹に恭しく在りぬ 昭子 拍手のうつろにひびく神の留守 よしのり 鳶の輪を鷹つき抜けり日本海 松陰 垂直に垂れし鈴の緖神の留守 雪
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月21日 鯖江花鳥会句会
大杉を神と祀りし里の秋 雪 耳遠き人集まりて炉辺話 たゞし ときに火を走らせ落葉焚きにけり 信子
(順不同) ………………………………………………………………
平成30年11月25日 花鳥月例会 坊城俊樹選 特選句
綿虫の飛ぶや麗人見失ふ 千種 この杜の高きに果つる黄落期 順子 玄冬や石英ひかる石の橋 光子 大鳥居足場に消えて冬帝へ 野衣 冬の蠅玉砂利ひとつ舐めつくす 千種 短日の影神木の形して 千種 菊紋のひとひらづつの冬日燦 野衣 神池の鯉消え冬の水動く 小鳥 衛士そつと上を向きたる黄落期 小鳥 靖国の空青くして神還る 小鳥 冬麗や軍馬像の眼瞬かず ゆう子 枯れ蓮の枯れ尽さむとするところ 公世
栗林圭魚選 特選句
差し出さる菓子へ冷たき指の我 野衣 教会の鋭角美しく冬日和 野衣 濠端の朝日を浴びて木守柿 梓淵 神迎靖国の空晴れ渡る て津子 枯蓮の黙へ漣光り寄せ 政江 うら寂し桜紅葉の残りもの 淸流 石蕗の花安寧の日の日章旗 政江 大綿の消えて英国大使館 梓淵
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月28日〜29日 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
神鹿の何を見てゐる神の旅 寿美香 縁結ぶ神と主宰と冬ぬくし かおり 露けしやむすびの神にむすぶ絵馬 由紀子 神池の底にも浮世散紅葉 志津子 もみぢ濃きおかまどさんへ詣でけり 洋子 枯れきつて再会の木を忘れゐる 美穂
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月28日 太宰府天満宮吟行 坊城俊樹選 特選句
海原も苔も紅葉の散る下に 光子 大楠を揺らして神を送りけり 寿美香 神々のおほらかな恋竜の玉 美穂 散紅葉大海原の渦となり 光子 寺庭にお浄土紅葉散るは散るは 乱水 夕紅葉静寂に聞ゆ童うた 喜和 菅公の表参道クリスマス かおり 石庭の大海原を行く紅葉 光子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月29日 水城太宰府政庁周辺吟行 坊城俊樹選 特選句
飛梅の冬芽ひしめき寿 豊子 都府楼の深空は無言鷹渡る かおり 都府楼の杜に寒禽ほしいまま ちぐさ 差しかけし傘には入らず片時雨 由紀子 小春日や年尾の句碑と仏たち 和子 神無月のつぺらぼうの都府楼址 洋子 都府楼の空の天辺大小春 和子 天平の梵鐘遠く黄落す 愛
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年10月8日 札幌花鳥会報 坊城俊樹選 特選句
蝦夷富士の流るる雲や天高し 独舟 人文字を変へる一笛天高し 独舟 満を持し落つる木の実の音色かな 和加 じつと見る爺のナイフや林檎むく 和加 葉鶏頭闘志あるかに風の中 登美 地震に揺れ風になびきて秋さうび 慧子 秋の蚊に魔王の如く囁かれ 修子 天涯の花野の径を一人行く 秀夫 月光に案山子の役目終る畑 親子 土手に咲く母病むころの曼殊沙華 みよ子 行く秋や深夜便よりディクミネ 清
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ateliersubaco · 7 years
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昨日は友達とお蕎麦をいただいてきました🌿 お蕎麦や天婦羅だけでなく、デザートまで大変美味しくいただきました😌🌿 . . 景色を見ながらの、とっても素敵な空間に癒されました‥‥🌿 . . 水出し珈琲まで、大変ごちそうさまでした☕🙇 . . いよいよ今日から子供たちが夏休み突入です💨💨 . . #鹿落堂 #仙台 (鹿落堂 シシオチドウ)
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chiakifuruya · 7 years
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先月オープンした『鹿落堂(ししおちどう)』でお昼ご飯。 場所は向山の『Kuromori』の斜め前。道路と崖の間の何もなかったスペースに突如、洒落た建物ができて気になっていた。 4月17日プレオープン、4月26日通常営業開始。11〜15時までが蕎麦時間、15〜18時までが甘味時間。 定休日の月曜日だったり、14時頃に来たら既に蕎麦が売り切れていたりして、3度目のチャレンジ。 開店時刻の10分前に到着。5台の駐車スペースも最後の1台。入口の扉を開いて名前を書き、外で開店を待った。 2階のカウンター席に通されると、あらかじめ決めていた「自家製粉手打ち十割挽きぐるみ」の「蕎麦御膳」を注文した。 広瀬川を眺めつつ塩豆をつまみながら待っていると、蕎麦が出てきた。 “宮城県の山間部の休耕地を利用した玄そばを地元の安山岩で挽きぐるみした十割そば”(鹿落堂Webサイトより)は、細いながらコシが強く歯ごたえもしっかりとある。 蕎麦湯は蕎麦粉を溶き入れているとのことで、若干とろみがある。 天ぷら、小鉢、茶碗蒸し、甘味付き。 甘味は、わらび餅。持ち帰り用の販売もある。 1階の入口左に並んでいる日用品は、素敵なものばかり。つい買いたくなってしまうが、職人さん達の手による手工芸品なので、それなりの値段がし、我に返る。 (鹿落堂 シシオチドウ)
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