Tumgik
acchali · 5 years
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Rapha Super Cross NOBEYAMA 2019
歓声がひときわ大きくなり、カウベルが振り鳴らされると、 標高1,375メートルのいつもより薄い空気が振動する。 あんなことがしたい、こんなことがしたいって、考えない日はなかったはずなのに、 ここにいると、僕はすぐにどうでもよくなって、つないだ手も離れてしまうけど、 いつまでこうしていられるのかな、と喘息ぎみの喉はセンチメントをおさえようとはしない。
1年で1日だけ立ち入りを許される泥でできたお祭り広場に向かって、 8人が横に並んでいっぱいのアスファルトの道路に詰め込まれると、 詩人たちはリハーサルもせずにリリカルなステージへの出番を告げられる。 そこでは幾千もの筆跡が、いつもの景色を隠したから、 僕も同じように筆を走らせては、汚れた僕を隠そうとした。 誰かが選んだそれが見えて、同じだけ誰かが選ばなかったそれが見える。 自信があったり、なかったり、ためらったり、馬鹿のふりをしていて、 まるで無限に分岐しづつける未来を選び取って生きていく僕たちのようで、 僕が汚れてしまったから、その手を強く握ることはもうできなかったけど、 ひとりになってもきっと大丈夫だから、と言った君をやっと思い出せたような気がする。 これはもうむり、とりかえしなんてつかないと道は細く細くなり、 それならもうやめてしまえとあっさり途切れていたりもするけれど、 幾千ものことばが、あなたのステージはあなたものですよ、と異口同音に語るから、 この道は通り抜けられる細さで、飛び越えたら続いていることを僕は知っていて、 同時に誰かが求めていることが何か知っていたのに、それには気づかないふりをした。 いつだって24時に魔法が解けてしまうように、ステージは平等に消えてしまう。 僕の筆跡をふくめた幾千のそれはまだ残って見えるけれど、もう何も隠してはくれない。 だから僕は、やっとまた君と手をつなぐことができて、目を閉じると、 こりずにまた、ああでもない、こうでもないって、考えはじめては、 もうずっと、僕たちはこのマジカルな場所に囚われているんだねと笑ったんだった。 Rapha Super Cross NOBEYAMA 2019 C2 48位(85%)
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acchali · 5 years
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2018-19CXresults
ある日は季節はずれに輝く太陽の下で、 ある日は鈍色の空で、ある日は降りしきる雨の中で。 いつも手をつないで笑って、またねと言って別れた。 そこはいつだってまるく閉じていて、太陽も雨も風も僕らを包んだ。 コース幅や杭がどうとか、テクニックだとかパワーだとか、 ドライだとかウェットだとか、いろんな話をして、はしゃぎまわってね。 じゃあその外側で、僕はずっと何をしていただろう。 良いことなんてなんにもなかった? 苦しいことがたくさんあった? 眠れない夜が、涙で迎えた朝があった?だけど。 がっかりさせないで。僕と手をつないだきみはそう言った気がする。 僕はうなずくと、スタートラインに立って、バカみたいにペダルを回すんだ。 心と身体がバラバラになったとしても、途中で降りることなんてない。 そうして、数センチのラインのちがいを、数秒のラップタイムのちがいを、 コンマ数バールの空気圧のちがいを、クソマジメに話をして笑うんだ。 それはまるで、チューニングがくるったギターを抱えて、 走ったリズムのてんでバラバラな演奏をやるような行為だったけど、 その調子はずれの歌声は、いつだって真実を照らしている。 ぼんやりとそんなことを考��ているけど、 そんな日々はもう終わってしまって、僕にはもう確かめることはできない。 もう少し一緒にいれたらっていつも言うけどね、今は心の底からそう思っているよ。 でも、またねと言って笑って、離したきみの手の感触を僕はもう覚えていない。 2018-19 CX Results #01.2018/11/4 関西シクロクロス 第2戦 紀の川河川敷 C2 - 27位 / 89% #02.2018/11/10 弱虫ペダル STARLIGHT CROSS Day1 C2 - 29位 / 74% #03.2018/11/11 弱虫ペダル STARLIGHT CROSS Day2 C2 - 30位 / 85% #04.2018/11/17 Raphaスーパークロス野辺山 Day1 C2 - 41位 / 82% #05.2018/11/18 Raphaスーパークロス野辺山 Day2 C2 - 41位 / 83% #06.2018/11/25 JCX 第8戦 マキノラウンド C2 - 33位 / 86% #07.2018/12/2 シクロクロス富山 第2戦 ひすい海岸 C2 - 4位 / 80% #08.2019/1/6 関西シクロクロス第5戦 希望が丘 C2 - 26位 / 56% #09.2019/1/14 関西シクロクロス第6戦 美山町向山 C2 - 22位 / 64% #10.2019/2/3 関西シクロクロス第8戦 桂川緑地公園 C2 - 29位 / 52%
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acchali · 5 years
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Rapha Prestige Onomichi #10
Rapha Prestige Onomichi #10 12月15日午前5時。僕はダサいジャージを着て森本、辻、日比谷、福間との5人でOnomichi U2にいた。そこは海沿いの大型倉庫をリノベーションした自転車ごと宿泊可能なサイクリスト向け宿泊施設で、レストランやセレクトショップ、台湾の大手自転車メーカーの直営店などが軒を連ねる尾道の主要な観光スポットだ。しまなみ海道を走るサイクリストの拠点として有名で、Raphaも毎年この場所で1ヶ月ほどの期間でポップアップストアを開いている。前日はチームメンバー初めての集合となった。昼はラーメン夜は海産物と尾道の美酒佳肴に舌鼓をうち、酒が進み皆で良く笑ったのを覚えている。もうすでにいくつかのチームがRapha Prestige Onomichiのスタートを切っている。寒空に上弦の月はとっくに沈み、未だ明けぬ宵闇の下でライダーたちは様々な感情を胸のうちに秘めスタートを待っているように見えた。僕たちは最後のスタートとなっていて、全員が集まって行うブリーフィングからスタートまでの時間を持て余していた。森本と日比谷は隅のほうで参加者にサーブされるコーヒーばかり飲んでいたし、辻と福間は台湾の自転車メーカーのレンタルバイクを見て何か話していた。すべての選手がここには居なくなってからスタートということになるが、寒空でジレやジャケットを着ているのが自然な空間で、誰も僕たちのダサいジャージを目にすることは無かった。僕は手持ちぶさたから自転車のパワーメーターのキャリブレーションをしようと思った。それはライドのスタート時に行う計測機器の校正であり儀式だ。Onomichi U2から出るとすぐ前にスタートラインを囲む人だかりが見えて、Rapha Japanのスタッフや地元尾道の協力者たちがチームを鼓舞し、特別な日の幕開けを祝っているようだった。僕は海側のテラスに停めていた自転車に向かうと、南の空に一閃の流星を見た。流星は長く尾を引いて瀬戸内に浮かぶ島のシルエットの後ろに消えた。そのまましばらく真っ暗な空と海と島の境界線を眺めていると、次にスタートするチームがコールアップされる声が聞こえた。振り返るとスタートラインのむこうに今まさに走り出した5つ並んだ赤いテールライトが見え、誘われたようにスタートラインの方に歩きだした時、ふと、いつもの立ち飲み屋でビールを煽る栗林が脳裏にうかぶ。どうしようもなく笑いがこみ上げてきて、ついに吹き出し笑い声を上げるが、スタートラインに着こうとしている選手たちが居たので、彼らに気づかれないように笑いを飲み込んでそそくさとOnomichi U2に戻った。ドアのすぐそばに仲間たちが見えて、いよいよスタートの順番が近づいているということだった。ついに僕たちのチームはコールされ、自転車に跨がりスタートラインに並ぶ。皆でアウターのジレを脱ぎ、ダサいジャージは投光機に照らされ白く輝いた。僕はパワーメーターのキャリブレーションをしていないことに気づいたが、そんなことはもうどうだってよかった。 「Rapha Prestigeにね、出たいと思ってるんですよ」 栗林は確かにそう言った。そして僕はいまここにいる。スタートの合図を受けて走り出す。空には星が瞬いていて、僕たちがペダルを回す音は眠る街に染み込んで消えた。先頭を走る辻が指をさす。その方向に何があるのかは誰も知らなかった。 了
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acchali · 5 years
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Rapha Prestige Onomichi #9
Rapha Prestige Onomichi #9 チーム名に関しても存在感を示したのはやはり森本だった。栗林がインスブルックで辻とライドをした時の逸話のうちのひとつで、栗林が激しく息切れしていた時に辻は平然としており、その際サイクルコンピューターが示していた出力が体重の2倍程度だったというものがあった。僕たちはパワーメーターという計測機器を自転車に装着して、リアルタイムで自分がどれほどの出力(W)でペダルを回しているかを測定している。その値は様々な判断への裏付けとなりトレーニング内容を設定したりするのだが自分の体重の2倍という重量出力比(W/kg)はLSDと呼ばれるゾーンで、人と談笑をしながら走れる運動強度を指している。いわば僕と辻が飛騨で心地よく話をしながら走っていた状況も栗林には苦しかったということになる。栗林が典型的な口は回るが脚は回らないタイプのサイクリストだということは周知の事実だが、あらためて値として示されるとその事実に驚愕する。そこから森本が提示したチーム名は2W/kg CyclingClubだった。これは彼なりの栗林へのリスペクトということだろう。そしてチームには行動の指針となるステートメントが必要である。僕は栗林にせめてこれぐらいは決めてほしいと話を振ったが、彼が提示したのは名言を拝借したカッコいいともダサいともつかない最も避けるべきゾーンに入りがちな言葉で、誰もコメントをすることはなかった。ここでも森本がひとこと、Glory Through  2W/kgと提案した。RaphaのモットーであるGlory Through Suffering(苦痛の先の栄光)をサンプリングしたもので、ここにも持ち前のアイロニーが色濃く反映されていた。そのステートメントを背中に配置してジャージのデザインはフィックスし、それを軸にチームキットはすぐに決定した。ジャージのデザインにしてもチーム名もステートメントも、くだらなくて、なんら意味もなくて、それは僕たちのチームをパーフェクトに表現していると思った。栗林はRapha Prestigeに参加しないにも関わらず、チームキットの議論において俺は、俺は、と繰り返した。しかし結果オーダーされたジャージは5着であり、栗林のジャージは最初からこの世界に存在しなかったし、栗林にチャットルームに入れられた福間はついに沈黙をやぶって12月14日の午後あたりに尾道にいればいいのね、とメッセージを送信した。そうして僕たちが尾道を走るすべてが揃った。 >> Rapha Prestige Onomichi #10
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acchali · 5 years
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Rapha Prestige Onomichi #8
Rapha Prestige Onomichi #8 会議は踊る、されど進まず。あいかわらず何も決めない栗林の立ち回りで未だチームキットすら決められないチャットルームで、にわかに森本は動き出した。 「中国でジャージつくろうと思うんやけどな、栗林、自分の猫の絵描いてや」 既に1ヶ月を切っているタイミングでまさかオリジナルジャージをつくるという選択肢が出てくるとは誰も思っていなかったが、森本は既に裏を取っていてRapha Prestige Onomichiに参加する5人のジャージをオーダできるラインを確保していた。5着のオーダーが可能で、デザインを入稿してから2週間で手元に届くという。しかも信じられない安価だ。やはり森本の夏のあの横顔は腹に一物を持っていたということだ。Raphaのイベントでも重要な位置にあるRapha PrestigeにAliExpressで作ったジャージで参加する。これはローンチが1年近く遅れているRaphaのオリジナルジャージ作成システムであるRapha Customへの彼なりのコミュニケだった。栗林が描いた猫はまるで幼稚園児のそれで、とにかく酷かったのだが、それすら森本の表現において重要な要素となった。その猫の絵を胸の真ん中に大きく配置するデザインはジャージの制作を担当する中国人ビジネスマンの理解を遥かに超えており、 「Do you need this animal ?」 という担当者の率直な問いに対し森本は、 「Yes,That’s the piont. I know he looks so bad.」 と返信した。そうなのだ。彼はアイロニーが存分に含まれていて、しっかりとダサいジャージを作ろうとしていた。それをチームキットとして選択して僕たちがSNSに発信したときにどんな反応があるかを計測しようとしていた。それはかつてフランスの美術家がその手法により世に美術を問うたように、サイクリングジャージにおいてクールであるということはどういうことか、またはその価値基準への無関心の観念に迫る行為だった。この一手で満場一致で議案は採決される。ふとその時、気づいてしまった。僕たちにはチーム名がなったということに。ともすれば良くある光景かもしれない。学生の時にバンドを組もうとしてメンバーを集めたが名前がなかなか決まらなかったこと。引き取った猫に名前をなかなか付けれなかったこと。それはフットサルのチームだったかもしれないし、SNSのグループ名称だったかもしれない。いつだってその行為が重要で名前なんていつも後回しだった。チーム名も、ハッシュタグも、誰かが僕を呼ぶ名前だって、ぜんぶ。 >> Rapha Prestige Onomichi #9
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acchali · 5 years
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Rapha Prestige Onomichi #7
Rapha Prestige Onomichi #7 尾道参加の方向で、俺の代わりに彼が走ります。 そのメッセージを境にチャットルームは6人になり、そこには福間の名前があった。栗林が走らないという話になってからのひと月、つまり僕がシクロクロスに没頭し立ち呑み屋に顔を出してない間に東京で何かが起こったようだ。森本と辻とは関西シクロクロスのレース会場でも話をして、栗林が走らないなら参加する意味はないということで同意していたが、彼らもこのチャットルームで起きている状況を把握しきれず様子をみているようで既読はついているがレスポンスはない。福間が所属するチームは彼ら以前と以後でサイクリングチームの概念が変わってしまったほどのインパクトを持つ東京の巨人だ。役割分担が明確に見えるそこで彼は持ち前のインテリジェンスで司令塔を努めている。福間はその昔とある研究所で社会と分断され廃人のように研究に没頭しており、そのチームの人物に出会い拾われ、ロードサイクリングと共に再び社会と連絡し人として再度生まれたという逸話が残っている。カルチャー寄りでは東は彼ら、西は僕らと言われた時代もあったが、それは一昔前の話でありカルチャー寄りというのも死語で、もはや何の意味もなさない昔話だ。かくして、Rapha Prestigeのチャットルームは息を吹き返した。Rapha Prestige Onomichiまではもう1ヶ月ほどしかない。チームキットも宿も何も決めていなかった僕たちは空白の時間を埋めるように議論を重ねるが、その中で栗林は口は回るのだが何ひとつ決定しなかった。この立ち回りによる皆の苛立ちに比例するようにチャットルームの言葉は棘をはらんでいく。僕もそれなりに栗林に苛立っていたが、それでもこのチームを立ち上げたのは彼だし、いつのまにかRapha Prestigeを完走するのに全く不安のないメンバーになっている。そうなればただ楽しむべきだと、栗林にそれなりの敬意を感じていたその時、不意に僕は目眩を覚える。まさか栗林は最初からこれをやろうとしていたのか?昔話はいつだって現代においてなんら意味をなさないが、その文脈にしか存在しない概念はしばしば本質のすぐそばを掠めていく。そういう類のものが揃ってしまった気がした。全国を見渡せば重要なチームは沢山あるのだが、この5人の所属チームを並べると、それはやはりひとつの時代を駆け抜けた象徴と思わせるには十分だった。2018年にはもう重なることのない歴史の接点を自らがトリックスターとして振る舞い、持ち前のキャラクターで誰にも気づかれることなく物語を完成させようとしているのだろうか。しかし栗林がこの5人の所属チームに言及したことはただ一度もなく、真意は誰に明かされる訳でもない。僕がただこうして想像をしているだけに過ぎない。 >> Rapha Prestige Onomichi #8
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acchali · 5 years
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Rapha Prestige Onomichi #6
Rapha Prestige Onomichi #6 ほどなくして5人のチャットルームが立ち上がった。しかし本番はまだ先ということで話の腰は入らず、しばらくは何も起きなかった。暑すぎた夏とその余韻は僕を自転車から遠ざけ休日はもっぱら旅行や音楽のライブを楽しんだ。森本は毎週のようにマウンテンバイクライドに山へ出かけ、それは北摂や北米だったが森本にとってはどちらも同じようなものだったし、ライド映像はYoutubeの再生回数を順調に稼いでいた。栗林はソケイヘルニアも落ち着いて、ロードレース世界選手権の観戦にインスブルックに飛んだ。驚くことに自転車を持っていき、仕事で現地に居た辻とレースコースの一部でライドをしていたようだ。立ち飲み屋でゴシップばかり話す栗林からは想像もできない行動だが、それもあってか辻は参加を快諾し正式に5人のメンバーが揃ったのだった。帰国した辻にその時の話を聞くと、サイクリストフレンドリーな欧州では車が自転車を抜く時に十分に車間を取ってくれることが多いそうだが、道幅の狭い峠道で下りが遅すぎる栗林を先頭に車の大渋滞が発生していたそうだ。そうして各々の日常は穏やかに進み、Rapha Prestigeに関しては何も話さずに去年より長い夏が終わった。秋の空を見上げ自転車に乗り出そうとしたとき、不意にスマートフォンが栗林からのメッセージを知らせた。画面を見てすぐに違和感があった。普段の雑談は数人のグループに送ってくることが多いし、Rapha Prestigeの件は5人でのチャットルームに送ってくる。彼が僕に直接メッセージを送ってくることなんて今まで無かったのだ。嫌な予感がした。 「相談があります」 「ちょっとまだ確定じゃないんですけど、尾道当日、思いっきり仕事丸かぶりで」 「クライアントから指名されてて逃げてるんですけど、どうしようかなって感じなんです」 まず僕だけに連絡してきているということだが、それは僕の出方によって振る舞いを考えようというところだろう。面白いメンバーが集まったと思った。しかし僕は栗林をPrestigeに出すために動いていたような気がする。Rapha Prestigeは4人または5人のチームで出場するルールになっている。栗林を抜いた4人でも走ることはできるのだが、僕はそれに意味を見出せないと彼に伝えた。すると栗林は僕に共有する意味のない仕事の近況をメッセージで送ってきた。それは饒舌だったし安堵したんだと思った。残念だが自然な決断だった。また翌年もRapha Prestigeは開催されるだろう。その時にまたこの5人で走ればいいだけのことだ。森本と辻に連絡した。もうすぐシクロクロスが始まる。真夏の夜の夢は真冬の朝に覚めるだろう。僕は夏にサボったツケを取り戻すべくトレーニングを重ねていくうちにシクロクロスのことばかり考え、出場しないことになったRapha Prestigeのことなど忘れていった。そしてよく晴れた日曜日、僕はシクロクロスのレース会場にいて、冴えないレースを終え苛立ちながら車に戻ると乱暴にヘルメットを脱ぎ捨てた。その勢いのままスマートフォンを手に取ると栗林からメッセージがあった。それはRapha Prestigeのチャットルームに宛られていた。レース会場は季節外れの暑さで、まるであの夏の夜に時計の針が戻ったようだった。 >> Rapha Prestige Onomichi #7
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acchali · 5 years
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Rapha Prestige Onomichi #5
Rapha Prestige Onomichi #5 ソケイヘルニアになっちゃったんですよ。いつもの立ち飲み屋で栗林は照れを隠すように言った。まるで好きだった女性と付き合うことになりました、というような口ぶりだった。ヘルニアという言葉には馴染みがあるし、ソケイという部位もなんとなくは理解しているが、その2つが組み合わさるとどうにもピンと来ない。なんにせよ眼の前でヘラヘラしている栗林は病気を患い自転車に乗れないとのことで、これで冬のRapha Prestigeは流れる可能性が出てきた訳だ。ソケイヘルニアには同情するが、酒を飲みいつものテンションの栗林を見ていると、どうも納得がいかない気分になる。僕はその苛立ちのようなものを栗林に気付かれないようにショートヘアの小柄な女性店員にビールを注文しようとしたが、そのタイミングで僕の背後の入り口がガラリと開き新たな客が来たようだったので、ネガティブな感情はビールの注文とともに飲み込んだ。すぐに後ろから肩を叩かれ、振り返るとそこには日比谷が居た。栗林は笑顔で迎えると、待ってましたとばかりに彼に向かって最新ゴシップの裏取りのような話を始めたので、僕は改めて日比谷の分も合わせてビールを注文することにした。日比谷はこの立ち飲み屋の近くで自転車屋を営んでいる。それは彼自身がメカニックを担当するプロショップと呼ばれるような業態だが店構えや内容はあくまで文化的で、そのスタイルに多くのファンが存在している。そのバックグラウンドは東京バイシクルメッセンジャーだ。日比谷はその黄金時代を駆け抜けた当事者で、彼らが提唱するバイシクルメッセンジャー最速説のもと、様々なロードレースに出場し存在感を示した語り草あるチームの立ち上げメンバーでもある。伝説のように語られるRapha Prestigeの前身、2012年に野辺山で開催された日本で初めてのRapha Gentlemen's Raceを日比谷はそのチームで参加、完走している。ふと栗林のハッシュタグが設定された練習風景を思い出す。毎週日曜日の早朝の練習というのは彼らチームが主催するものだ。そこにわざわざ独自のハッシュタグを設定した栗林の意図は解らないが点と点はつながった。その時、栗林は酒臭い顔を寄せると耳障りなほどに大きな声で言った。彼が我々のチーム最後のライダーです。これで5人が揃いましたね、と。日比谷はいつからか表舞台から姿を消し東京に点在するひとつの自転車店として様々なライダーを支える裏方として野に下った人間だ。まさか彼がライダーとして戻ってくるとは。目を丸くする僕の横で、栗林は満足そうにビールを煽る。辻の返事はまだもらっていなかったし、栗林のソケイはどうなっているか解らなかった。それは蒸し暑い真夏の夜でRapha Prestige Onomichiまで4ヶ月ほど時間があった。 >> Rapha Prestige Onomichi #6
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acchali · 5 years
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Rapha Prestige Onomichi #4
Rapha Prestige Onomichi #4 路傍の花を横目にペダルを回す。その鮮やかな黄色は夏の緑にまぶしいが外来種で忌み嫌われる存在らしい。僕はバカンスで飛騨に訪れ辻と自転車に乗っていた。爽涼な山間は避暑地としてうってつけで、静謐な緑深い林道は地元の山々とは表情が違っていてお気に入りだ。ふたりで他愛もない会話を交わしながらベース周辺のショートループを走っているが、どちらかといえば会話がメインで、それもまた心地良い。面と向かって話すでもなく酒を飲み語らうでもなく、並走する自転車の距離感だから進む話もある。辻はロードレースを追いかけるフォトグラファーだ。名実ともに日本を代表する彼は、ロードレースのシーズンはイタリアやフランスから帰ってくることはなく、その間オフはほぼ無しだ。分刻みのスケジュールに長時間にわたる移動など連日の疲労に加え、自転車に乗れない生活での鈍りきった身体を彼は毎年この飛騨で癒やしている。愛するロードレースの核心に迫る行為が彼をロードライディングから遠ざけるとはすこし皮肉な構造である。しかし冬場にオーストラリアや中東で開催されるステージレースもあるが、彼がメインで追いかけるグランツールは夏のお祭りだ。それなら季節労働者的な就労スタイルになるだろうし、年収の大半を夏の数ヶ月で稼ぐ格好であればシーズン中の激務も多少はやむを得ないというところだろう。午前中の飛騨は、日差しこそ真夏のそれであるが気温は心地よく、僕は栗林の話を切り出すタイミングを見計らっていた。森本の次に辻を誘うことは決めていたが、そこに躊躇もあった。この春に期間限定でオープンしたRapha福岡で僕は辻に栗林を紹介した。そこから栗林は持ち前の距離の詰め方で、すっかり古い友人のように見せるのだが出会って数ヶ月のその関係を僕はまだ掴みきれていない。辻は栗林と福岡のグループライドで一緒に走っているので、栗林がどういうタイプのサイクリストか理解しているはずだ。どう考えても完走不可能な栗林とRapha Prestigeに参加する行為を辻はどう感じるだろう。上りに入りペースが落ちたところで、僕は話を切り出した。努めて自然に話をしたつもりだが心の底にある躊躇は僕に言葉を選ばせ、まるで何かの言い訳をするかのようで、辻はただ相槌を打つだけだった。ひとしきり話し終え、しばらく無言の時間が続くともうピークは目の前で、辻はゆっくりと僕の方を向き、考えさせてほしい、と言うとスプリントをして、そのまま下り坂に消えていった。カルフォルニアに本拠地を構える人気ブランドのサングラスの奥で、辻��どんな目をしていたかはミラーコートのレンズで見えなかったし、翌日、僕が帰宅するまでお互いが栗林の名前を口にすることはなかった。しかしはっきりしているのは、僕と辻は肩を並べてRapha Prestige Onomichiのスタートラインに立っていたということだ。 >> Rapha Prestige Onomichi #5
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acchali · 5 years
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Rapha Prestige Onomichi #3
Rapha Prestige Onomichi #3 桜川駅の埃っぽい階段を登ると小雨が振っていた。僕は小さく舌打ちをするとバックパックから折りたたみ傘を出し歩き出す。すぐに森本の事務所に到着しガラス���を引くと、大音量の音楽が僕の鼓膜を震わせた。正面に座るポートランドから戻ったばかりの森本は僕を見ると、おう、と口を動かすが、美声で知られる白人アーティストの曲に遮られて声は聞こえない。森本は乱暴にバックパックを引き寄せ立ち上がりMacBookProを閉じる。同時に音楽の再生が停止されると、森本はビールでいいやろ?と目を細めて言った。少し歩いたところにあるブリューパブに着いて座るやいなや、森本は栗林の話をはじめた。先日、栗林から来たメッセージには森本が参加すると書かれていた。彼にはまず声をかけるべきだと思っていたので、栗林の采配も悪くはない。そういえば僕と栗林が出会うきっかけも森本である。 「Prestigeやろ、栗林から話は聞いたで」 ���栗林、完走できますかね」 「絶対無理やろ」 「なんだか真面目に練習してるみたいですけど」 「ナントカドリルやろ、かわいいところもあるやん」 「一緒に乗ると、いつも秒で千切れてましたからね、どうだか」 「まぁおもろそうやしな、一緒に走ってもいいかと思ってるで」 森本にそう言わせるところが例の栗林のやり方だ。森本はその知識の深さに裏付けされた鋭い切り口の指摘がSNSで高い人気を博すインテリゲンチヤだ。中年サイクリストの偶像であり、紛うことなきカリスマである彼が頷いたのは面白い。僕はまた、いいねと思ってすらりと伸びた手足が魅力な女性店員にセッションIPAを注文した。華やかに香るそれはこれからの僕たちの道筋を示しているようにも感じたが、酔に任せてに森本とお互いに最近読んだ小説の情報交換などしていると、栗林のことなどすっかり忘れ、その場で数冊の本をAmazonで注文し翌日に届いた荷物に、おぼろげな記憶のなかでそのタイトルを見つけるのだろう。だが、それでいいと思った。いつだって記憶は歪み、捏造される。忘れてしまうぐらいがちょうどいいのだ。ビールのペースも落ち着いてきた頃、僕はふと、次は辻に声をかけるつもりだと話した。森本はコーヒーの香りがするアンバーエールに目を落とし、面白くなりそうやな、と独りごちた。僕は森本の横顔を見て、彼はすでになにかを企んでいると直感した。もう運命の輪は動き出していて、物語は紡がれていた。その時、忘れられた栗林はひとり自宅で原因不明の下腹部の痛みに苦しんでいた。栗林の拠り所は彼の愛猫しかいない。ベッドで苦痛に耐えながらその名を何度も呼ぶのだが、その夜、猫がクローゼットから出てくることはなかった。 >> Rapha Prestige Onomichi #4
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acchali · 5 years
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Rapha Prestige Onomichi #2
Rapha Prestige Onomichi #2 明確な返事をしていないにも関わらず、立ち飲み屋で話をしてからというもの雑談をやりとりしていたSNSのメッセージに栗林はRapha Prestigeの存在を匂わすようになった。はっきりと言わないところも栗林らしいが、その話は妙にチームビルディングをどうするかというところにフォーカスが当たっていた。僕には地元京都で所属するチームがあり、Rapha Prestigeには2013年から様々にメンバーを入れ替え2015年あたりまで毎回出場していた。そこまで帰属意識が強い方では無いが、自分のチームにはそれなりに誇りを持っているので、別のチームや急造のチーム的なものでそれに参加する意味をあまり感じず、何度かあった誘いはすべてやんわりと断っていた。そういう経緯もあり、栗林の話は正直面倒に感じたが、冬のPrestigeという初めての試みへの期待や、冬季に開催されるシクロクロスレースに毎週のように参加することで単調になる生活をどうにかしたいと思っていたところもあって、面倒とは思いつつも前向きだった気がする。思えばそれが栗林のやり方であり、結果チームが完成してスタートラインに立つことになった要因のひとつだろう。栗林の話は面倒な手触りを持ちつつも、気づけば聞いてしまう浸透力のようなものを有しているのだ。毎週日曜日の早朝に練習をしているような話も聞こえていた。それにはよくわからないハッシュタグが設定されていて、普段から気が向けば自転車に乗っている僕からすれば、わざわざそんなハッシュタグを設定してシリーズのように見せるのも理解できないが、ここはひとつ実現に向けて漕ぎ出してみようか、と思った瞬間があったのは覚えている。そうなると、まずは5人のメンバーというところだが、例のチームビルディング的な考えはすぐに忘れることにした。僕のサイクリストとしての方向性を決定づけた要因のひとつであるRapha Prestigeであるが、それは既に僕の一部であり、つまりは日常である。ただ普段のライドのように、その時に一緒に走りたいと思える友人に声をかけて、気心の知れた連中を集めればいい。であれば、まず声をかけるべきは森本だ。その時、スマートフォンが栗林からのメッセージを知らせたが僕は無視をした。心なしか通知を知らせるバイブレーションが浮ついていた気がしたからだ。 >> Rapha Prestige Onomichi #3
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acchali · 5 years
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Rapha Prestige Onomichi #1
Rapha Prestige Onomichi #1 Rapha Prestigeにね、出たいと思ってるんですよ。 いつもの立ち飲み屋で栗林は突然そう言った。それまでは誰と誰がデキてるというようなゴシップを酒で洗い流すような中身のない会話をしていたので、聞き間違いをしたかと思ったが、彼の目は嘘みたいにピュアだった。Rapha Prestigeは、かつてGentlemen's Raceと呼ばれたイギリスのサイクリングアパレルブランドRaphaが世界中で主催するロードレース黎明期へのリスペクトをコンセプトにしたライドイベントである。日本でも2012年に第1回がRapha Japanお膝元の野辺山で開催され、以降、少なくとも年に1度は開催されている。当初は招待制のエクスクルーシブなイベントであったことからそのブランドは凄まじく、エモーショナルな映像や写真、文章によるアウトプットで多くのサイクリストにロードライティングの新たな価値観を提示した。かくいう僕もそれにやられた1人である。RaphaのモットーであるGlory Through Suffering(苦痛の先の栄光)を投影したコースは未舗装路を含むハードなもので、栗林がそれを完走できるとは到底思えない。彼とは何度か一緒に自転車に乗っているが、典型的な口は回るが脚は回らないタイプの自転車乗りだ。いや、数年前に北海道のニセコで開催された同イベントで東京のチームで出場し、這々の体で涙ながらに最下位でゴールしていたような記憶があるので一度は完走しているということだが、彼の外見を見るにその頃よりも体重は増加していそうだし、自転車からも遠ざかっている印象である。話を聞くと、どうやら12月開催のそれをターゲットとしているようで、それなら半年ほど先であるし、目標を立てて数ヶ月のトレーニングを行うイメージなのだろう。そういう前向きな話は悪くない。既にメンバー集めをしていて僕を勧誘したのかと思ったが、最初に声をかけたという。なるほど今思いついた話かと僕は見切りをつけ、いいねと適当に相槌を打ちつつ、ショートヘアの小柄な女性店員にビールの中瓶を追加注文した。しかし運命の輪というのはいつもほんの小さなきっかけで動き出すもので、半年後の12月15日午前5時28分、僕は5人のチームの一員として、よくわからないダサいジャージを着てRapha Prestige Onomichiのスタートラインに立っていた。しかし、そこに栗林の姿はなかった。 >> Rapha Prestige Onomichi #2
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acchali · 6 years
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UCI3連戦
あいもかわらずにシクロクロ���を楽しんでいる。 ここ毎週末、幕張、野辺山、マキノとUCIな3連戦を走ったのだけど、 どうにもこうにも噛み合わなくて、気持ちの高揚もないが、 なぜこうなっているかは明確で、気持ちが平坦なのも悪くはない。 自転車ってのは、ほんとうに正直で。 積み重ねた者にはそれ相応の景色を、 サボった者にはそれ相応の景色を見せてくれる。 だけど僕たちは、その景色の中でいつも何かを見出すことができる。 幕張の壁に立ち向かう勇気を。 野辺山の登りを踏み抜く強さを。 マキノのフライオーバーを駆け上がる軽さを。 同じレースを走るライバルを愛おしく思う素直さを。 酔っ払って笑って、すべてを忘れてしまう賢さを。 破れたチームキットにもう一度袖を通す誇りを。 こんなに深くシクロクロスを愛したことを笑える、らしさを。 にわかに、僕の目の前を、次のコーナーを、走る何かが見える。 コーステープの内側は、いつだって息もたえだえで、 そこで僕はバカのふりをして、見過ごすことできればよかったのに。 いつだったか、ハンドルを握る指が疲れて広がるくせを笑ったし、 壊れたカーボンリムをみて、折れたシートステーをみて、笑った。 笑い声は高らかに響いては、いつも冬の風がどこかへ運んでいった。 もし、そこらに落ちているのを見つけたら、 ポケットに入れて、しまっておいてくれればいい。 Photo by Kei Tsuji Thanks!!
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acchali · 6 years
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2018-19 関西シクロクロス 第2戦 紀ノ川打田
シクロクロスがはじまった。 今年はあんまり待ち遠しいって感じじゃなかったけど、 夜明け前に出発して、 会場で友人のクルマをみつけて、 わかったフリしてコースを歩いて、 試走で人間観察をして、 ロバート・マイルズのチルドレンを聞いて、 友人のレースを応援して、 人との違いを感じて、 思ったよりやわらかい他人のタイヤをぎゅっとして、 180°のコーナーですれ違って、 応援をもらって、それに応えて、 レースが終わったあとのあの感じがあって、 そういうことぜんぶ、わかちあえる仲間がいるシクロクロスがはじまった。 * コーステープの外のこと、40分だけ、ぜんぶ忘れさせて。 そしてバカみたいにペダルを回してね、きみのことを追いかけるんだ。 あぁそうだ。好きになるって、いつも、いつだってこういうことだったね。 ハロー。ひさしぶり。おまたせ。サンキュー。 シクロクロスがすきだ。アゲイン! Photo by Toru Tanabe Thanks!!
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acchali · 6 years
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シクロクロスの足音
気づけばもう9月も下旬になっている。 聞こえてはいるよ、もちろん、だけど、もうちょっとゆっくりさせてくれ。 そんな僕のぐうたらな気持ちに、いつだって彼女はこたえてくれない。 そうだね、実はもう(不十分な)準備をしているよ。 むしろ以前の栄光を思い出したりしてみて。 じゃあ昨シーズンに僕が書いたポエムたちのお気に入りの一節で、 もはや無視できないほどに響いているあなたの足音を、 面倒で苦しくて、普段感じないようなルサンチマンで殴られるような感覚を、 でも、だけど、やっぱり愛おしいから、迎える準備はできているんだと思っているんだ。 * 冬の夕暮れは思ったよりも、ずっとはやく街を夜につつんでしまう。 ほんとうはね、もう少し、一緒にいたかったんだけど。 ねぇ、人間の細胞って7年かそこらで全部いれかわるんだって。 すっかり暗くなった街で、立ち止まり、振り返った僕に誰かがそう言った気がする。 わたしと出会って、3年ちょっと経ったね。 じゃあ、あなたのからだは、半分がわたしを知っていて、 もう半分は、わたしを知らないあなたで出来ているの ──。
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acchali · 6 years
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200Miles
群馬県を中心に活動するサイクリングコミュニティCycleClub.jp(ccjp)は、関東圏から多くの参加者を集めるクラブライドを活動の中心に、前橋シクロクロスをはじめとしたイベントを何度も成功させ、自転車のまちを標榜する前橋市との信頼関係を築くなど、地元の自転車仲間という枠組みを超えた存在感を示している。そんな彼らが過去2年で2度クローズドで開催した200miles、320km/4300mUPというビッグライドのことは友人であり同じくRaphaアンバサダーを務めるccjpの中心人物の1人、Tkeyから話は聞いていた。僕は自身の最高距離も平坦基調で260km程度が一度あるぐらいで長距離走にも別段興味はなく、半笑いで彼に「自転車好っきゃな〜」と賛辞を送るに過ぎなかったのだけど。聞くところによると、満を持してということかはわからないが、その200milesをオープンなイベントとして開催するという。4人を1チームとして群馬県は前橋からスタートし、平坦を東へ栃木県小山市まで進んだところで北上、日光いろは坂・中禅寺湖を経て、国道日本3位の標高である金精峠の2024mをピークとし、群馬の沼田へ下り、中之条・東吾妻とアップダウンを繰り返し前橋へと戻ってくる320km、獲得標高4300mの道のり。朝3:30のスタートで、完走が認められるのは夜22:00まで。という話を聞いた頃には、なぜか僕も走る流れになっていた。長距離走が自分の関心外だったこともあり、特に走りたかった訳でも無いけど、なりゆきでそうなったら走らない理由は無い。運命が選んだんだ、と静かに受け入れた。走ることが決まったら、それはそれで楽しみだと感じていた。結局は「自転車好っきゃな〜」ということである。 そうこうして決まったチームは、Rapha Japanのヒロ、Onyourmark MAGAZINEのユフタ(もちろんこのライドも記事にしている)、RaphaCyclingClub(RCC)の東京チャプターを牽引する落合さん、そして僕という4人で、ヒロとユフタはCANYON Japanから新作のグラベルバイクGRAILを借り受けていて、オンロードでのインプレッションするという事になっていた。落合さんもまたCANYONライダーだという。チーム3人がCANYONで参加するのなら僕もということで、CANYON Japanのご厚意でハイエンドのカーボンディスクロードUltimate CF SLXを借り受けた。彼らが持つテストバイクのパーツを利用して市販のアッセンブルより軽く仕上げてもらったこのディスクロードは、油圧ディスクにeTapとまさに最先端の装備。僕のクロモリバイクとは対極の価値観で生まれたスーパースポーツは、ディスクブレーキで驚きの7kgちょうどという軽さで、このビッグライドを少しは楽にしてくれそうだった。結果として、このバイクは僕を強く支えてくれることになる。そうしてチーム全員がCANYONにまたがり、Raphaの新作カーゴビブショーツとテクニカルTシャツをチームキットとして身にまとい、プロモーション臭をそこはかとなく漂わせつつ、我らがCANYON//シャカヶ岳チームは準備万端で5月4日午前3時35分にスタートしたのだった。この時には知る由もないが、この日、北関東圏の一部を襲った異常気象は、ちょうどそこを走っていた僕たちを雨、雷、霰、雹、吹雪、氷点下の気温と、気まぐれに様々なカード(もちろん晴れも)でもっ���翻弄した。最初の試練はスタートしてたったの30分後に天気予報で伝えなかった雨として現れる。未だ明けぬ宵闇の中で弱まることのない雨脚は、徐々に僕たちを削っていくが、とにかく前へ前へとペダルを回していく。ジャケットを雨予報ではなかったけど2000mからのダウンヒルの防寒と万が一の雨に備えてお守り的にRaphaのClassic Rain Jacket IIをチョイスしたのは幸いだった。これもこの日、僕を強く支えてくれることになる。 別のチームと出会って抜いたり抜かれたり、トレインを組んだりして走り続けると、やがて空は白み始めるが、雨雲は厚くなり雷を呼び込み、真夏の夕立のように様相を変えた。最初の平坦路で長い休憩を取る予定は無かったが、雨宿りに入ったコンビニで足留めをくらってしまう。既に全身は水浴びをしたようにぐっしょりと濡れていて、靴にも水が溜まっているような状態だが、ジャケットのおかげで胴がドライなのはありがたい。しかしまだ平坦を70km程度しか走っていない。先はまだまだ長く、ダウンヒル向けの装備が既に濡れていて、窓の外はさながらスコール。これからの旅の困難さに眩暈を覚えていた僕の横で、仲間たちはインスタントラーメンを���べながら晴れたらすぐ乾くだろうと笑っていた。 雨脚が弱まってきたところでリスタート。小雨になったとはいえ雨が降っている状態で自転車を漕ぎ出すなんて、税金を支払いに金融機関に行くぐらいに完全なる億劫でしかないが、日光方面に向かうにつれ、雨は止み雲はちぎれ、太陽が控えめに顔を出してきた。しかし先程のスコールは相当な雨量を広範囲にもたらしたようで、どこまでも路面はウェット。水捌けの良くない路肩は浅い川のような状態。前走者や自身の跳ね上げる飛沫で、体感としては雨の中を走っているのと変わらず、タフな状況はまったく変わらない。既に僕の意識と身体は切り離され、ただペダルを回し続ける機械としての自己を認識することで、かろうじてこのストレスフルな状態に耐え、歩みを進めていたのだが、北へと進路をとる頃には徐々に登り勾配を感じることになる。前半の100kmに及ぶ平坦区間が終わろうとしていた。 日光のコンビニで休憩していた他チームの友人と談笑すると疲れも少しは和らぐが、135km地点のここからピークの金精峠まで50kmほど登り続けることになる。いよいよ山岳コースか、と静かに気合を入れて走り出したのだが、見上げると、僕たちの進む道の先には黒々とした雲がかかっている。山頂は全く見えない。誰も何も言わないが、あれはどうみても雨雲、むしろ今日これまで雨を降らせてきた雲よりもどす黒く、嫌な予感しかしないが、雨が降っていないとそこそこ暖かく、このあたりは例のスコールが降っていなかったようで路面も乾いており、久しぶりにストレスを感じずにペダルを回すことができるので、僕は意識的に無意識を操作して前方の暗雲を消し去ることにした。そうして淡々と登り続けると、すぐに日光東照宮を超え、いろは坂へとさしかかる。チームメイトは皆ジャケットを脱ぎTシャツ姿だ。思えば、この日ここだけがチーム4人が揃ってチームキットを見せることができたタイミングだった。とても短い時間だったが、かっこいいと思った。本当はずっとTシャツ姿でいるつもりだったんだけど。 連休中ということもあり、車もとても多いが、いろは坂は2車線の一方通行で交通量が多くても比較的登りやすい。とにかく負荷をかけずに淡々と。それなりにヒルクライム的な気持ちよさを感じていたところ、ふと顔に水滴がかかると、僕が操作した無意識はあるべき場所へと立ち戻り、残された意識はすぐさま状況を判断する。気づけば周りは真っ暗だ。見上げていたあの悪意すら感じる色の雲に飛び込んだ格好だ。すぐに雨脚は強くなる。せっかくなんとなく乾いてきたウェアやシューズがまた濡れるのかとうんざりしていると、早々に本降りになりそうで慌ててレインジャケットを着る。チームキットのTシャツはまたおあずけだ。 15分後、山頂あたりで雨脚は弱まった。他チームも山頂に設けられた駐車場で休憩をしている。苦しそうな顔、色んな感情が混ざった無表情、伏し目がちで立つ姿、様々に入り交じっているが、そこに笑顔はない。そりゃそうだ。気まぐれに降った、たった15分程度の強い雨でまた濡れ鼠にされ、残りは150km以上ある。あんな短時間に強く降るならせめて僕たちが居ないタイミングでやってくれという話で、ここでヘラヘラしてるヤツなんてネジが一本飛んだと表現されるような人間だ。幸い、チームメイトもそれなりに渋い表情をしているし、僕もそうだ。思いっきり渋い顔をしてやった。皆無言だが、その表情から様々な感情を吐露している。誰も口を開かない。ここで弱音を吐く意味が無いことは皆理解していたし、何を言おうが今ここにいるのは自分の判断で、天候なんて誰の所為でもない。誰も何も言えないから、一様に無言で、吐息で毒を吐き、表情で文句をたれる。それぐらいは許してくれ。 ここは頂上に見えるのだか、ここから下るわけではなく、標高1,250mあたりの中禅寺湖を横目に少しばかりの平坦を走り、いよいよ本日のピーク金精峠へと向かう。この後はコンビニ的なものはしばらくないと言うので、中禅寺湖のほとりにあった小さな商店で補給をすることにした。気まぐれな天気はここで晴れ間を見せ、雨の中でカップラーメンやおにぎりを食べるなんてバカバカしいことにはならなかったが、身体は冷えている。僕は身体の中から暖めるイメージでカップヌードルのカレーと豚キムチ丼を選択した。少しでも暖かいところへと日が当たるところで皆で座って食事をするが、弱音のようなものは出てこない。僕たちにとって暖かい食事と太陽というのは太古の昔からいつだってそういうものだ。 腹が満たされ、太陽に暖められると、なんとなく走り出そうという気持ちになるのだから不思議なものだ。さっきまで努めて渋い顔をしていたというのに、冗談なんか言って笑い合えるようにもなったりする。ここはちょうど半分ぐらいの地点。思ったよりも身体に疲労はなく、このまま天気が良ければと空を見上げるが、太陽は厚い雲の切れ目から顔を出しているだけであり、山岳というのもあってどうにも楽観的ではいられない。むしろ厚く複雑な形をした雲が浮かぶ空はもう一雨ぐらい持ってきそうに見えてしまう。それはまるで、お気に入りのシャツにいつの間にか付けてしまった染みのように、僕の心には気づいたら不安がこびり付いていて、指でなぞっては、もう取れないことを確認するような作業だ。そんなネガティブな気持ちと休憩明けの重い脚で中禅寺湖のほとりを進むのだが、路面は乾いておりストレスなくペダルを回すことができる。そうそう、これこれ。このまま後半戦を進めていこうよ、と心の染みに向かってつぶやいてみるが返事は聞こえない。高地の気温は低く、乾ききらず湿ったままの靴は足先を冷やす。香辛料をもってしても足先までは温まらないし、むしろ体温もいまいち上がらないが、いよいよ本日の最高点の金精峠へのヒルクライムがスタートする。分かれ道を右へ進路をとると、すぐに勾配が強くなった。ゴールを探し空を仰ぐように見上げるとただ真っ白な雲の中へと道は続いていくのだった。 ところで、さきほどから小さくヘルメットやカーボンフレームを叩く音がしていて、それは金精峠を登るにつれて降ってくる雹とも霰ともつかないものが僕を打ち付ける音だ。マイペースで登ろうと序盤でチームからあえて遅れたが、この天候に心はバキバキに折られている。サイコンが示すパワーの表示は150W程度だ。軽量級の僕とは言え、こんな省エネルギーで登れるわけはなく、その歩みは亀のように遅い。僕はふたたびペダルを回し続ける機械と成り果て、一切の感情を持たずに登り続ける。そうだ、僕がいま、こんな天候でこの峠を超えていることに意味なんてないし、ただWahooのサイクルコンピュータが塗ったルートをトレースしているだけで、むしろ僕はサイクルコンピュータの一部で、パワーメーターが示す値の通りに僕の脚が回っている。それは僕の脚が150Wの出力をしているのではない。パワーメーターが150Wと僕に指定しているのだ。電子機器に支配されたサイクリストはいつのまにかパワーメーターに乗っ取られ主従関係が逆転していることに気づかず、今日もこうしてディスプレイに示された値を視覚から入力し、それを自らの脚で出力しているだけに過ぎない。 という状況に至るまで感情を身体から切り離したところで、ピークの金精トンネルが見えてきた。チームメイトが雹とも霰ともつかないものから逃れるようにトンネルの入り口にいるのが見えると、感情が一気に戻ってくる。待たせてごめん。さっきまでパワーメーターに乗っ取られていたんだ、とは言わなかったが、お互いにこの苦しいヒルクライムをクリアしたことを称え合い顔が綻ぶ。やはり孤独はだめだ。仲間がいればパワーメーターに乗っ取られることなんてなかった。さぁ、このトンネルをくぐればあとは30kmにも及ぶダウンヒルで、ご褒美的に一気に210km地点まで気持ちよくワープできるのだ。この下りこそディスクロードの本領を発揮するところ。いつもより安全に気持ちよくダウンヒルを楽しめるだろう。そう思いリスタートした。前方のトンネルの出口が近づくにつれ、僕たちは違和感を覚えだす。色がおかしい、あまりにも白いのだ。その色に「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」なんて昭和初期の小説の冒頭が思い浮かぶが、彼は列車に乗っていたはずで、僕たちは自転車だ。このトンネルを抜けた先に美しい物語の始まりはなく、地獄のダウンヒルが待ち受けているだけだった。 トンネルの出口からその雪国とやらにつっこむと、完全に吹雪で気温はマイナス2度を指している。ニーウォーマーもなく、ペラペラのグローブはすぐに氷結した。少しでも体温が上がるかとペダルを回すが、膝に電気のような痺れが走ったので止めておいた。ここで選択を誤ると、とんでもない故障をしてしまいそうな気がする。指先も足先も痺れるような痛みがあるが、油圧ブレーキはこの極限状態でも優秀で、安全なスピードをキープすることができる。すぐに山小屋が見えてきたので退避する。もう限界だ、これ以上どうして下ればいいというのか。まだ山頂から3kmしか下っていない。時間にしても5分も経っていないと思う。ずぶ濡れの身体がガタガタと震え、手足の痺れと痛みが取れることがない。チームメイトが暖かいコーヒーを買ってきてくれ、山小屋の方がストーブを付けてくれたので、なんとか震えは収まってくる。 寒さ耐性というのは個人差があり、僕は昔から冬に痩せて夏に太る体質が示すように、寒さが苦手で暑さが得意である。こういう極限状態を経験するまでは寒さも暑さも趣味嗜好かと思っていたが、低体温症になった経験もあり、どうやらそういうことのようだ。以前にシクロクロスのレース会場で低体温症になり救護された時と比べると、レインジャケットを着ていることによって胴が濡れていないことで相当に冷えは軽減できているように思えた。先が見えない状況だが、いつまでもここに居るわけにはいかない。吹雪は収まりそうになく、標高が100m変わるごとに気温は0.6度変わるというので、今が1番辛いんだと言い聞かせ、山小屋のお土産物として売られていた群馬県のゆるキャラ、ぐんまちゃんが描かれた手袋を買い、チームメイトと吹雪の中に飛び出して凍りついた自転車にまたがり重力に任せて下り始めた。サバイバルの鉄則は現地調達だ。新しいグローブをゲットして少しは楽になるだろう。 山小屋で取った暖は一瞬で消え去り、地獄のようなダウンヒルが続く。子どもの頃に読んだ絵本のようなもので、様々な地獄出てくるお話があったのを覚えていて、その中に灼熱地獄はあったが、逆のものはなかった。これからは極寒地獄も追加するべきで、なぜならここは地獄のようだからだ。すでに知覚が鈍っていて痛みのディティールを感じることは出来ないが、身体のあらゆるところが痛い気がする。手足は先程まであった痺れを伴う痛みを感じなくなったが、それは感覚が無くなったということだろう。得意の無意識を発揮して、何も感じずに下るだけの機械になることが出来ればいいのだが、あまりにも僕はそこで人間だった。ここでパンクしたら死ぬだろうなと思った。ましてや落車なんか。5月の装備でマイナス2度の吹雪で走行不能になったら死ぬに決まっている。チームメイトの命だって危険に晒してしまう可能性もある。そんな人間的な考えばかり溢れてくるが、そのぶん意識は冴えてくる。感覚がなくても油圧ブレーキはしっかりと仕事をしてくれるので、危険を感じることはなく、パンクのリスクがありそうなところを避けたラインを取ることができた。自転車を借りて本当によかったと心の底から思った。心の底というのはこの深さにあるのかと自覚したほどに。これまでディスクロードに対して特に必要性を感じていなかったけど、とにかく安全でいるということに関しては圧倒的だった。5月に氷点下で吹雪のダウンヒルなんてあまりに極限状態であることは確かだが、それでも油圧ディスクブレーキがもたらす安全マージンはかなりのものだ。しかし身体は冷え切っている。もう限界だと何度も思ったが休めるところはなければ話にならない。ふと先にリフトが見えた。どうやらスキー場があって休憩できそうだ。ここまで10kmで約15分。永遠のように長かった。 ガタガタと震えて建物に逃げ込む。5月ということもあり暖房はあまり効いておらず、灯油のストーブみたいな暖を取るものもない。激しく震える身体と、おぼつかない手元で凍結したグローブと靴と靴下を脱ぎすてた。全身びしょ濡れだが、スキー場の食堂だけあって気兼ねなく座れる感じの椅子なのは助かった。暖かい飲み物や蕎麦をかきこむ。空腹ではなく、温度に飢えていた。なかなか回復しないが、それでもここにいれば大丈夫だと実感する。実際にここに入ってきた時よりも震えは小刻みになっているし、なんとなく、これから先のことを考えたりもする。今は約190km地点。残りは2,000mほどの獲得標高となるアップダウンを130kmほどとなる。そして、僕はふと「次、雨が降ったらもう帰るから」と口にした。何度も心は折れそうになったし、パワーメーターに意識を乗っ取られるなど実際に折れたこともあったかもしれないが、諦めた訳ではない。だけど固執はしていない。こんな連休の遊びのライド、いつでもリタイアすればいいと思っていたし、退路をつくるのも役割かなと、くらくらする頭で考えたはずだけど、チームメイトはそれでも果てしなくポジティブで、その時、僕たちは完走するんだなと思った。ほうぼうの体で吹雪から逃げ、低体温に震え、手も足も感覚なんて全くなくて、それでも僕はここでそう確信したんだった。この苦痛の先になにがあるかはわからないし、栄光なんて確実にない。だけど、こいつらと、このクソみたいな状況で前しか向かない連中と、やりきってみたくなったんだ。今日やろうとしたことすべて、ひとつのこらずだ。 ようやく回復したと感じる頃には1時間も経っていた。その頃には吹雪も止んでいて、なんて運のない日なんだろうと苦笑いする。なんとなく暖かくなった気がする下りを進むと、ほどなく雲は予めそうであったかと思わせるほどに、一片も残らずに消え去り、このライドではじめて見る晴天となる。さっきまで震えていたのが嘘のようだし、馬鹿みたいだ。いつも、いつだって意味のあるように見えるものは、あっけなく消え去って、結局は何も僕たちにもたらすことはない。でも、だけど僕たちはこんなにも青い空の下で、行き先なんてどうでも良くなるのかもしれないし、なるようにしかならないのかもしれないが、つまり自由だということなんだ。 群馬県の沼田まで降りきって久しぶりのコンビニで補給すると、参加者の連絡用のメッセンジャーにリタイアの連絡が飛び交い始める。そうか、そうだよな。だってあんな地獄で、そこに何を見出せるというのだろうか。いや、無い。そこにあったのは、ただ、この青空のように底抜けに明るいチームメイトのことばだけだった。もし君のチームにそれが無かったなら、残念だがそのリタイアは決まっていたことだったんだ。それは僕たちが生まれた年月日で、運命が予め決められているように語るほどに、なんら意味のあることではないし、そんなものは道化師か占い師に任せるしかないのだから。 コンビニの駐車場で大の字に横たわって感じる。太陽の暖かさを、その恵みを。僕の細胞に葉緑素があったとしたら、きっと光合成はこんな気分だろう。僕の肌を焼く陽光を、こんなに全身で待ち望んだことはなかった。靴下を雑巾のようにしぼり、レインジャケットを脱ぎ、僕は今日ここにまた生まれる。残りは110kmだ。もうなんの迷いもない。あの時に交わしたことばのとおりだ。だから、ここから先の全てを僕が引き受けよう。この先で何が起きても、その事実に誰の心が折れたとしても、僕の真実で、その事実を捻じ曲げよう。もう僕は無意識を操作したりはしない。さぁ共に進み登ろうぜ。リタイアした彼らを指差す腰抜けどもに、勇敢な彼らの証人となる為に、じき訪れる宵闇に向かって走りだそう。登りきった先に何も見えなくたっていい。 そうして僕たちは進みだした。それから、いくつもの苦しい登り坂があり、同じだけ下り坂があった。気づけばもう真っ暗だ。太陽が登る前に走り出し、果たしてその太陽は再び地平線に沈んだ。ひたすらに前を引くヒロの背中に僕たちのライトが光を落とす。彼が着るジレは、まるではためく旗のようで、そこにはあのロゴが見える。あぁ、そうだった。いつだってサドルの上で僕たちに多くのもの、それは、発見であり、学びであるし、多くの気づき、または苛立ち、諦め、哀しみ、喜び、畏れ、感動、妬み、あるいは愛情かもしれないし、おそらくこの世界のあらゆる感情だった。そして、僕にとってそれはいつだってRaphaという文字列の延長線上だった。光を追い抜いて消えてしまいそうなヒロの背中を追い続ける。やがて僕たちは街に降りていく。22時の制限時間に間に合うのかと考えたりもするのだが、僕にとってそんなことはもはや些細な事象に過ぎない。ただ太陽が動き、時間が過ぎただけで、それ以上でも、それ以下でもない。 見覚えのある前橋の街並みを走っていた。やっとここに帰ってきて、それは長い長い旅路の終わりだった。幸福を求めた少年が世界の素晴らしさに気づいたその時にスプーンの油をこぼしてしまったように、果たして僕たちはゴールした時に何かを見出すのだろうか。スタートして最初に曲がった交差点を逆に曲がる。みんなが待っていた。それもそのはずだ、僕たちは21時58分にゴールしたのだから。走行時間は18時間24分。チームメイトと肩を組み、皆で破顔する。ありがとう、ありがとう、こんなにもクソみたいな1日は人生で初めてだ。バカヤロウ、ファック!本当に最高だし、同時に最低でもあって、やはり全ての感情がここにはある。それを言語化なんて到底出来そうにもないし、チャレンジすることも愚かなことかもしれない。でも、こうして書き残そうと思ったんだった。もし君がスタートする時のために。どこか遠くへと乗り出すその日のために。その時、僕たちがどこにいるのかは、まだわからない。 10日ほど経って、未だに痺れが残る指先でこの文章を書いている。あれ以来、自転車には乗っていない。いま振り返っ��もやはりこのライドの核心は氷点下の金精峠のダウンヒルだ。あまりにも不安定な天気はおそらく1時間早かったら、または遅かったら表情を変えていただろう。しかしあの日、多くのチームが地獄の時間にそこを下っていた。スキー場で会った他チームの友人もみな憔悴しきっていたのを覚えている。あらためていま、参加者の連絡用のメッセンジャーを見て、リタイアの文字が飛び交う様を見て、涙が出そうになった。わかる。ここでリタイアを決意する気持ちは痛いほどわかる。人の想いは良し悪しを問わずに伝播する。もし僕があの時、次に雨が降ったら、と言わずに、今すぐ帰る、と言っていたら。誰かひとりのその判断は諦めではないし、弱音でもない。あの日、あの時、あの場所であの状況なら至極真っ当なものだ。僕もそう言われると否定せず、もう辞めようか、と思ったかもしれない。だからこそ僕は、底なしにポジティブなチームメイトたちに本当に感謝し、尊敬する。僕はこの過酷な環境で、それでもここに立つことになった運命を信じ、その輪を回し続けるために、次に雨が降ったら、と話したとき、こう返してくれたことを。「じゃあ、もう雨が降らなかったら?」 結局、雨は降らなかったし、その光はいつだって眩しかった。
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acchali · 6 years
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OMM BIKE TOKUSHUMA-KAIYO
OMM(Original Mountain Marathon)を知っていますか? 僕のような登山をしない人でもバックパックやアウターに見かけたことのあるロゴが示すのは、 1968年から毎年連続してイギリスで開催されている、 世界でもっとも古い2日間の山岳マラソンレース。 レース中は補給も一切出来ず、キャンプ地での野営もレースの一部で、 すべての荷物を背負って、渡された地図だけを頼りにロゲイニングし、ポイントを競う。 問われるのは山の総合力っていう、なんだかハードコアな感じ。 それをポップにしたのがOMM LITEで、 制限時間のある2日間のレースで、渡された地図をもとにポイントを重ねていく、 基本的なところは同じだけど、厳しい本戦のルールはなくて、 日中にレースを楽しんで、夜のキャンプも楽しもう(宿泊施設でもいい)って感じ。 LITEには同時開催のOMM BIKEってのがあって、同じフィールドを自転車で走るレース。 あの頃、ピストカルチャーから自転車に入った僕は、 山のアーレーキャットとか言われると、それだけでピンとくる感じ。 前置きが長くなりましたが、去年の八ヶ岳BIKEtoHIKEの首謀者もんじゃの誘いで、 OMM BIKE TOKUSHIMA-KAIYOに参加してきました。 広い視野をもち、横断的な思考をする彼が面白いと言うものは、まぁ面白い訳で。 僕は友達の誘いでビビっとくるものには出来るだけ乗るようにしてる。 出不精で面倒くさがりな僕は地元ではずっとひとりで自転車に乗っていたりするので、 こういうお誘いがないとなかなか日常から飛び出すってことはなくて。 だからいつも友達が新しい世界や価値観をぶっこんでくれる。 出不精の面倒くさがりでも、そこのフットワークだけは軽くしておかないと。 そんな友人がたくさんいるってのは、本当にありがたいこと。恵まれてます。 そんな訳で、徳島県の南部に位置する海と山に抱かれた風光明媚な港町を舞台に、 僕たちの2日にわたる熱い戦いがはじまった訳です。 ロゲイニングのレースってはじめてで、その印象なんかはレース篇で追って書くとして、 リザルトは、あと一歩で表彰台を逃す総合4位。なんだかなぁ。 これ、シクロクロッサーをはじめグラベルライドが好きな人とか、 キャンプが好きだったり、オリエンテーリング的なのが好きな人、 または、宝探しにワクワクする人は一回参加すべきって言いたい。 しかも!今の参加者の数ならまだ表彰台を狙える気がするぞ!!
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