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#株式会社角川書店
ashitakaxsan · 9 months
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laboitediabolique · 1 year
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Cover of movie program for Sailor Suit and Machine Gun, 1981. Scanned from my personal collection.
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sarachiyomi · 7 days
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■キャラクターデザイン
スクウェア・エニックス「ヘブンズコード・ブレイカーズ」 MAGES.「WAVE!!」 エイベックス・ピクチャーズ 映画&TVアニメ「WAVE!!〜サーフィンやっぺ!〜」 GMOライブゲームス 「REALIVE!〜帝都神楽舞隊〜」 TAITO ソーシャルゲーム「クリムゾン クラン」時東千明、英穂澄 セブンイレブン 「安室奈美恵公認キャラクターemina」 アニプレックス ソーシャルゲーム「バンドやろうぜ!」OSIRIS、ダンテ DMMゲームス 「一血卍傑」キイチホウゲン サイバード ソーシャルゲーム「マジカルデイズ」 ムービック「キラボシチューン」 東北新社 ファミリー劇場「声優男子ですが…?」七人の妖 J.C.STAFF TVアニメーション「Lostrage incited WIXOSS」 COMFORT PSVita専用ソフト「POSSESSION MAGENTA」 COMFORT PSP専用ソフト「アルカナ・ファミリア2」 COMFORT PSP専用ソフト「アルカナ・ファミリ��〜幽霊船の魔術師〜」 COMFORT PSP専用ソフト「アルカナ・ファミリア〜フェスタ・レガーロ!〜」 COMFORT PSP専用ソフト「アルカナ・ファミリア」 フリュー PSP専用ソフト「文明開花 葵座異聞録」 サンライズ「OGA 鬼ごっこロワイアル」 D3PUBLISHER INC. PS2専用ソフト「DEAR My SUN!! 〜ムスコ育成狂奏曲〜」
■イラスト ワーナーブラザース 「Harry Potter 公式グッズイラスト」 ワーナーブラザース 「Fantastic Beasts 公式グッズイラスト」 Yoster 「アークナイツEN 2周年記念イラスト」 Yoster 「アークナイツEN フォロワー25万人突破記念」 Yoster 「アークナイツEN フォロワー30万人突破記念」 Tencent Games 「白夜極光 PRイラスト」 Tencent Games 「白夜極光 ホワイトデーイラスト」 セブンイレブン 「WE ♡ NAMIE HANABI SHOW 2023」eminaイラスト セブンイレブン 「WE ♡ NAMIE HANABI SHOW 2021」eminaイラスト セブンイレブン 2018年オリジナルクリスマスケーキ、CM eminaイラスト セブンイレブン 2019年沖縄フェア eminaイラスト セブンイレブン 2020年 eminaイラスト ディライトワークス Fate/Grand Order 2016年ホワイトデー概念礼装「センセイとボク」 ディライトワークス Fate/Grand Order 2017年ホワイトデー概念礼装「アウトレイジ」 ディライトワークス Fate/Grand Order 2018年概念礼装「サンセット・ジャム」 ディライトワークス Fate/Grand Order AnimeJapan 2019 グッズイラスト 東北新社 ファミリー劇場「声優男子ですが…?」上村祐翔、梅原祐一郎、河本啓佑、小林裕介、白井悠介、本城雄太郎、山本和臣SDイラスト スクウェア・エニックス 「LORD of VERMILION」イド、天草四朗貞時 スクウェア・エニックス 「ミリオンアーサー」モードレッド、エクストラアーサー、エクストラ妖精 MAGES. 「禁断生ラジオ」江口拓也、西山宏太朗イラスト KADOKAWA 「カナメとハルキー」MVイラスト コーエーテクモ 「金色のコルダ スターライトオーケストラ PRイラスト」 サイドランチ 「コミックイラスト素材集 キャラクターのためのブラシ&テクスチャ」カバーイラスト サイゲームス 「ドラガリアロスト」イラスト2枚 KONAMI 「戦国コレクション」 「フーパーズ」ジャケットイラスト 「山崎郁三郎」バースデーイラスト その他
■小説イラスト SBクリエイティブ GAノベル「悪役令嬢と悪役令息が出会って恋に落ちたなら」1〜4巻 スターツ出版株式会社 ベリーズ文庫「捨てられ無能皇女なのに冷酷皇帝が別れてくれません!」 小学館 ガガガ文庫「双血の墓碑銘」全3巻 集英社 ダッシュエックス文庫「ブラッディ・ウェポンズ」全2巻 講談社 「スターダストパレード」 角川書店 ビーンズ文庫「藤陵学院の花嫁」全3巻 エンターブレイン B’s-LOG文庫「イノセント・スター」全2巻 中央公論新社 c★novels 「ダブルバインド」 フロンティアワークス フィリア文庫「アルカナ・ファミリア」全3巻 アスキーメディアワークス 電撃文庫「カミオロシ」全2巻 アスキーメディアワークス 電撃文庫「平安鬼姫草子〜神ながら神さびせすと〜」 富士見書房 富士見ファンタジア文庫「カナクのキセキ」全5巻 プランタン出版 プラチナ・アリス文庫「魔女っ子サラリーマン」 一迅社 一迅社文庫アイリス「革命皇女 doll★llod」 一迅社 一迅社文庫アイリス「時計塔の怪盗〜黒き救いの御手〜」全2巻
■漫画 KADOKAWA 「ヒのカグツチ」全3巻 メディアファクトリー 「シュタインズ・ゲート」全3巻 講談社 「マーメイドボーイズ」全3巻 朝日新聞出版 週刊マンガ日本史 「安倍晴明」
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fcgrblog · 9 months
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夏の終わりのご提案!!
気が付けばあっという間に9月、Freedom Universe "夏" も終わり、
次の Freedom Universe は…
現在頑張って製作中なのでまだ内緒です!
Freedom Universe "夏"(前回記事)👈クリック
Freedom Universeの話し合いをしている時に、それだけだと間隔も空きすぎるし25周年がちょっと寂しいので、間に Custom Style や Order Style のご提案モデルを何本か作ろうっ!て事になりました。
今回は自分達がご提案する " Order Style " のベースとギターを1本づつご紹介します!
Freedom Universe第一弾の記事の時にも書きましたが、F.C.G.R.ではギター、ベースのオーダーを下記の 「 3つのスタイル 」 に分類しています。
・ Standard Style:各モデルの基本仕様となるスタイルです
・ Custom Style:多彩な選択肢の中からチョイスした仕様で構築された製品です
・ Order Style: Standard StyleにもCustom Styleにも該当しない特殊な仕様を盛り込んだ場合に適用される呼称です
前置きが長くなりましたが、そろそろ今回のご提案モデルのご紹介をします!!
まずはギターから…
● Order Style RRS-Bravery LS-FT Proto
● Color:淡麗 《響》 セセラギ
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さて何を作ろうか~?
と考えていた際に、ちょうど 島村楽器 Coaska Bayside Stores横須賀店様 から、「 RRS Braveryのトレモロ付き! 」 というオファーをいただいていたこともあり、折角ご提案するならこれまでと同じような仕様の物を作るのはつまらないので、色々と仕様を変えてご提案をさせていただきました。(RRS Bravery にトレモロを付けたものは今迄何本か作ったことがあったので)
大きく変えたところは以下の通りです!
《 ネック 》
● スケール:25インチ(通常) ➡ 25.5インチ(ロングスケール)に変更
RRS Bravery にトレモロを付けると、デザイン的にどうしてもブリッジの位置がネック寄りに見えるのが気になっていたので、スケールを伸ばしてなるべくボディエンド側に下げる様にしてみました。
● ヘッド角度:11度(通常) ➡ 7度に変更
通常、RRシリーズの6連ヘッドの角度は11度ですが、今回は25.5インチ(ロングスケール)ということもあり、テンション感も考慮して7度に変更してみました。
● ヘッド部のトラスロッド調整用ナットを Hydra同様の「埋め込み」タイプに変更
通常、RRシリーズのトラスロッド調整ナットはパイプレンチで調整するタイプのG社風ナットを採用してトラスロッドカバーを装着していますが、今回はHydraに採用している6角レンチで調整するタイプの「埋め込み式」に変更しました
● ナットを:ヘッド角付きのG社風 ➡ ヘッド角無しのF社風ナットに変更
通常、RRシリーズのナットはヘッド角度付きのG社風ですが、ヘッド角度無しのF社風に変更しました。
ナットの前に木を残してあるので、ヘッド角度の無いギターと同様の見た目になっています。
・ 通常と今回のヘッド比較
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・ヘッド裏面にもご注目!
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(ネックその他)
・ ヘッドトップ:ボディと同じフレイムメイプル貼りのマッチングヘッド仕様にしました。
・ ポジションマーク:「ブルーマーブル・楕円・白蝶貝枠付き」を採用しています。
・ ネック材:メイプル
・ 指板材:ローズウッド
《 ボディ 》
● Hydra同様の アッセンブリ(HSH)&トレモロブリッジ(VG-300)を採用
RRS Bravery と Hydra を合体させた感じにしてみたくなったので…
・ P.U.レイアウト:HSH
・ ブリッジ:T.O.M.& ストップテールピース ➡ VG-300
・ コントロール:Hydra同様の内容&位置に変更(1Vol. / 1Tone / 1Tap Ctr.(Push/Pull) / 1Mini SW / 5way Lever SW)
にしました!
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・ Hydra 24F
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・ RRS Bravery LS-FT(今回)
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● よりハイポジションまで弾きやすいヒールカット加工
ハイポジションのアクセスをより良くする為に、通常のRRブレイバリーより大きく削ってあります。
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(ボディその他)
・ ボディトップ材:RRS Braveryは通常、トップ材無しのソリッドボディですが今回はフレイムメイプル2pcを貼っています。(ボディバックはL.W.アッシュ2pc)
カラーは夏に出来上がる予定だったので、オリジナルカラー 『 淡麗 《響》 セセラギ 』 に塗ってもらいました。
想像以上にかっこよく仕上がったのでちょっとビックリです!
ギターなので音に関しては弊社営業担当の小野に登場してもらいます。
~ インプレッション ~
・ しなやかさとワイルドとエレガントさを融合させたようなサウンド
・ サウンド的には、まさにBraveryよりなHydraとの中間といった感じで、双方の良いとこどりな感じだと思いました!
・ どちらかと言えば、やはりRRS Bvだけあってロック・サウンド寄りではあり。マーシャルで気持ちいい!
>これはHybrid TypeⅡがついているから、という理由でもありますが…
・ アタックは適度に出やすく、ロー(低音)の部分もしっかりと感じられる(ボディシェイプとスケールの影響でしょうか)
・ テンション感は、きつすぎず、緩すぎずでちょうどいい感じ!
>EZa 25inとも比較してみましたが、持ち替えても違和感はありません。
確かにRRS Bvの方がテンション感はありますが、持ち替え時にどちらかが緩い・きついに偏った感じ・印���は受けず、
どちらにしても弾きやすいと感じられました。
>個人的ですが、自分はロングスケールに慣れているので、どちらかと言えばスケール感・テンション感の面では
今回のRRS Braveryの方が扱いやすいと感じました。
・ RRのシングルカットのボディに、スーパーストラトのアプローチでのアッセンブリ&トレモロブリッジは、抱えた時の安定感や操作性的に、もう一つのオールラウンダーとして扱いやすいですね。
ロック系サウンドメイクに寄せた感じだと、音的にはこっちの方が使いやすいと感じました。
以上の様な感じだそうです!
* こちらのモデルは、9/9(土) に 「 島村楽器 Coaska Bayside Stores 横須賀店様 」 で開催されるイベントに出品予定ですので、ぜひお気軽にご参加の上、現物を見て弾いてみてください!
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・ イベント特設ページはコチラ👈クリック
そして次はベースいきます!!
● Order Style Anthra-5st.
● Color:0:00
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ベースの方は 「 Anthra-5st. 」 にしよう!ということになったので、まずは全体のイメージ決めから。
イメージ:『 夏の真夜中の湾岸線 』
(なんとなく、弊社スタッフの年齢層がうかがえるかもしれませんw)
ということで、色は弊社オリジナルカラー 「 The Hours / 0:00 」に即決!
アッシュ材の木目が全体の雰囲気をグッと引き立てています。
そして真夜中の湾岸線と、そこを走る車をイメージしつつ、各種仕様を決めていきました。
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● ポジションマーク:新色 「 レッドマーブル ・ 楕円 ・ 枠付き 」 を採用
車のテールランプをイメージした感じです。
*マーブルシリーズのポジションマークはあと何色かある予定なので新色が出来たらSNSの方でご紹介していきます!
● ピックガード:特殊カラーのアクリル素材を使用
白と青が入り混じったマーブル模様で、ボディカラーの 「 0:00 」 と相まって、真夜中の空や雲(もしくは海)みたいな感じに仕上がりました!
*今回使用したピックガード素材は、「株式会社アヴァンセ」さんというところで作って頂きました。
他にもたくさんの特殊なカラーの材料をお持ちなので、気になった方は是非「株式会社アヴァンセ」さんに直接問い合わせてみてください。
・株式会社アヴァンセさん 👈クリック
● ブラック&シルバー(さりげなくレッド)のコンビネーションパーツを採用
パーツは基本ブラックパーツでペグのブッシュとブリッジのサドルをシルバーにしてみました。
なんとなく 「 タイヤとホイール 」 的なイメージ!?な感じです。
そしてさりげなくコントロールノブのポインターをレッドにしてあります。
捉え方は様々かと思いますが、赤いポジションランプっぽくも見えますね!
こちらのAnthra-5は新Shop & Show Room 『 Universal Space 』 で試奏&ご購入可能ですので、是非弾いてみてください!
(ご来店にはご予約が必要です)
25周年はあと数カ月になってきましたが、まだまだご紹介できる物はたくさんあるので
がんばってご紹介していきます!!
木工長:郷右近
新Shop & Show Room
『 Universal Space 』がオープンしました!!
詳細はコチラ 👈クリック
〒116-0002 東京都 荒川区 荒川 7-14-11 1F 営業時間:11:00 – 13:00 / 14:00 – 18:00 定休日:毎週水・木曜日、祝祭日、お盆、年末年始(土・日曜日は営業しています)
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honyakusho · 7 months
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2023年10月27日に発売予定の翻訳書
10月27日(金)には33冊の翻訳書が発売予定です。うちハーパーコリンズ・ジャパンが14冊です。
叫びの穴
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アーサー・J・リース/著 稲見佳代子/翻訳
論創社
自立的で相互依存的な学習者を育てる コレクティブ・エフィカシー
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ジョン・ハッティ/著 ダグラス・フィッシャー/著 ナンシー・フレイ/著 シャーリー・クラーク/著 ほか
北大路書房
ビートルズ ��66
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スティーヴ・ターナー/著 奥田祐士/翻訳
DU BOOKS
[ザ・シーダーズ]神々の帰還(下) : 秘められし宇宙テクノロジーの大開示
エレナ・ダナーン/著 佐野美代子/翻訳 アレックス・コリエー/著
ヒカルランド
パディントンのクリスマスの手紙 : Paddington's Christmas Post
マイケル・ボンド/イラスト R・W・アリー/イラスト 関根麻里/翻訳
文化学園 文化出版局
ギャリー・カーツ マジック・コレクション
リチャード・カウフマン/著 角矢幸繁/翻訳
東京堂出版
飼育下パンダの野生復帰
張和民ほか/著 岩谷季久子/翻訳
科学出版社東京
1930年代の只中で : 名も無きフランス人たちの言葉
アラン・コルバン/著 寺田寅彦/翻訳 實谷総一郎/翻訳
藤原書店
中国手漉竹紙製造技術
陳剛/著 稲葉政満/監修 白戸満喜子/翻訳
科学出版社東京
なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか
ジョナサン・マレシック/著 吉嶺英美/翻訳
青土社
Pythonによる時系列予測
Marco Peixeiro/著 株式会社クイープ/翻訳
マイナビ出版
富豪に仕える : 華やかな消費世界を支える陰の労働者たち
アリゼ・デルピエール/著 ダコスタ吉村花子/翻訳
新評論
中国仏性論
頼永海/著 何燕生/翻訳
法藏館
新版 地図とデータで見る水の世界ハンドブック
ダヴィド・ブランション/著 吉田春美/翻訳
原書房
第二次世界大戦 運命の決断 : あなたの選択で歴史はどう変わるのか
ジョン・バックレー/著 辻元よしふみ/翻訳
河出書房新社
「自信がない」という価値
トマス・チャモロ=プリミュージク/著 桜田直美/翻訳
河出書房新社
生物学大図鑑 : 世界を知る新しい教科書
メアリ・アージェント=カトワラ/著 左巻健男/監修 黒輪篤嗣/翻訳
河出書房新社
ジンジャーとピクルスのおはなし
ビアトリクス・ポター/著 川上未映子/翻訳
早川書房
パイがふたつあったおはなし
ビアトリクス・ポター/著 川上未映子/翻訳
早川書房
路地裏で拾われたプリンセス
ロレイン・ホール/著 中野恵/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
一夜の夢が覚めたとき
マヤ・バンクス/著 庭植奈穂子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
愛は一夜だけ
キム・ローレンス/著 山本翔子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
伯爵夫人の出自
ニコラ・コーニック/著 田中淑子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
シンデレラの十六年の秘密
ソフィー・ペンブローク/著 川合りりこ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
天使の誘惑
ジャクリーン・バード/著 柊羊子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
目覚めたら恋人同士
ペニー・ジョーダン/著 雨宮朱里/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
禁じられた言葉
キム・ローレンス/著 柿原日出子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
捨てられた花嫁の究極の献身
ダニー・コリンズ/著 久保奈緒実/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
街角のシンデレラ
リン・グレアム/著 萩原ちさと/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
侯爵と雨の淑女と秘密の子
ダイアン・ガストン/著 藤倉詩音/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
身代わりのシンデレラ
エマ・ダーシー/著 柿沼摩耶/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
悲しみの館
ヘレン・ブルックス/著 駒月雅子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
薔薇色の明日
レベッカ・ウインターズ/著 有森ジュン/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
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yotchan-blog · 1 month
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2024/5/1 7:59:28現在のニュース
台湾封鎖リスク、友好国と対処 対中戦略、台湾外相に聞く 各国に制裁議論を期待 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/1 7:58:16) 先進国と中国・インド、脱炭素で主導権争い - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/1 7:58:16) 日本、脱石炭火力の風圧 3割依存 G7エネ相会合「30年代前半廃止」、「時期明示せず」も併記 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/1 7:58:16) 能登半島地震から4カ月、空から見た復興の歩み 発生時と比較(朝日新聞, 2024/5/1 7:56:05) 河口湖に「道」出現、六角堂の島まで地続きに 昨秋以降の少雨原因か(朝日新聞, 2024/5/1 7:56:05) 香港の水の値段に「衝撃」 米国の若者は高級ホテルに 超円安の明暗(朝日新聞, 2024/5/1 7:56:05) 既婚者の8割が感じる「2人目の壁」、もうひとり産みたかった母親がいま願うことは([B!]読売新聞, 2024/5/1 7:54:28) 里見氏と千葉氏がせめぎ合った地 匝瑳・八日市場地区の城郭遺構 ツアーに40人参加(東京新聞)|��メニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/1 7:51:53) ダイヤグラムあしらう 新京成が記念乗車券を発売(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/1 7:51:53) 100万本のネモフィラ咲き誇る マザー牧場(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/1 7:51:53) 「起立性調節障害の子どもたちの会」 横浜の中学生立ち上げ 居場所作り 支え合い1年(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/1 7:51:53) 人材確保へ横浜市交通局「大作戦」 給与底上げや採用法変更(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/1 7:51:53) 時代別3種の鍵盤楽器が共演 昭和音大生企画、3日に公演(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/1 7:51:53) 全国のファン集まる「レトロゲーム」店が焼失 CFに成功、再建へ | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/1 7:45:28) 新鮮アジ「あえてフライ」で観光目玉 松浦市に90万人 LBSローカルビジネスサテライト - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/1 7:45:03) アドバンテストの株価急落 会社計画に失望売り膨らむ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/1 7:45:03) 「マハーバーラタ」 増えすぎた人類減らす神のはからい 災禍と神話(1) 和光大学教授 沖田瑞穂 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/1 7:45:03) 御徒町【台東区】活気あふれる下町でランチ&居酒屋感覚で行きたい飲食店めぐり:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/5/1 7:43:48) こども園バス置き去り死、遺族が廃園求め9520人分の署名提出「安心して通える園を作って」([B!]読売新聞, 2024/5/1 7:43:17) NY市場で再び円安進む 157円台後半 米国の利下げ期待が後退(朝日新聞, 2024/5/1 7:41:11) 無党派層の支持で明暗 当選の酒井氏に2割強 衆院東京15区補選 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/1 7:37:42) 求人倍率上昇1.28倍 3月 失業率は2.6% 横ばい - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/1 7:37:15) 鉱工業生産3カ月ぶり上昇、3月3.8% 自動車けん引 生産用機械も好調 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/1 7:37:15) 自走式ロープウエー 花博で初運行目指す 神奈川県とベンチャーが連携協定(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/1 7:35:18) ピンホールで見る風景 墨田区で3日から写真展 武蔵野の写真家・神村さん「不思議な世界味わって」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/1 7:35:18) 太宰と跨線橋の関わり考察 三鷹市が調査報告書 発行販売 さまざまな角度から光「総集編」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/1 7:35:18) 港区、全区立幼稚園に英語教師 都内初 今月から本格化(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/1 7:35:18) 都ファ候補の落選 小池百合子知事「本当に残念」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/1 7:35:18) 「コンパクトシティー」推進10年、見えぬ効果…郊外住民「中心部に住むメリット感じない」([B!]読売新聞, 2024/5/1 7:32:37)
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mobsprooftheweb · 10 months
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『仮面ライダーBLACK SUN “THE BLACK BOOK”』発売決定
『仮面ライダーBLACK SUN』集大成とも言える大型の“漆黒の書”解禁!
2022年10月よりPrime Videoにて配信中の『仮面ライダーBLACK SUN』。 今秋で配信1周年を迎えるにあたり、本作の集大成となる大型のビジュアルブックが2023年11月8日(水)に発売決定!
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未公開多数の撮り下ろしの怪人ビジュアル集をはじめ、じっくりと読み進めたい解説・考察ページやスタッフ座談会まで大ボリュームで収録。仮面ライダーBLACK SUNのネーミングにならいオールブラックに仕上げた表紙も、まさに“漆黒の書”と呼べる佇まいだ。
さながらアートブックのような見栄えと、その濃密な内容で、周年タイミングを記念する保存版として所有したくなる1冊が誕生。
撮り下ろしの怪人ビジュアル集、キャラクター解説、ストーリー解説を大掲載。また、物語&怪人の謎を考察! 白石和彌監督をはじめとする制作スタッフ4人の豪華座談会も収録している。
仮面ライダーBLACK SUN、仮面ライダーSHADOWMOONを始め、ブラックサン、シャドームーン、カマキリ怪人、ビルゲニア、三神官、アネモネ怪人、コオロギ怪人など、グラフィカルな特写を100ページ以上に渡り掲載。不気味かつ艶やかな怪人たちの饗宴を見逃すことはできない。 また、南光太郎(西島秀俊)と秋月信彦(中村倫也)の未公開特写の他、30人以上のキャラクター解説、全10話のストーリープレイバックも掲載。詳細な解説により、世界観を補完できる。 さらに、物語が残した数々の謎や、怪人の誕生から彼らが人間社会に溶け込むまでの経緯に迫る考察も掲載。読後は、再び最初から作品を観たくなることだろう。 巻末には、白石和彌氏(監督)、高橋泉氏(脚本)、白倉伸一郎氏(エグゼクティブ・プロデューサー)、古谷大輔氏(企画プロデュース)による座談会を収録。初めて明かされる制作秘話が満載! 迫力のB4変形サイズの紙面と、180度フルフラットに開くことができるコデックス装仕上げでじっくりと没入できる1冊! ※コデックス装とは、本文を糸でかがり背を糊で固めて仕上げる背表紙のない製本方法です。そのため、固めた糊が本文紙面に浸透する場合がございます。製本上の特性として、予めご了承ください。
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【商品概要】 品名:仮面ライダーBLACK SUN “THE BLACK BOOK” 価格:8,800円(税込) 発売日:2023年11月8日 仕様:B4変形判(縦330mm×横250mm)/156Pオールカラー 発売元:株式会社ADKエモーションズ(株式会社ADKホールディングス グループ会社) 予約取扱い店舗等の詳細は作品公式サイトをご覧ください。 『仮面ライダーBLACK SUN』 作品概要 【ストーリー】 時は2022年。国が人間と怪人の共存を掲げてから半世紀を経た、混沌の時代。差別の撤廃を訴える若き人権活動家・和泉 葵(平澤宏々路)は一人の男と出会う。南光太郎(西島秀俊)── 彼こそは次期創世王の候補、「ブラックサン」と呼ばれる存在であった。50年の歴史に隠された創世王と怪人の真実。そして、幽閉されしもう一人の創世王候補──シャドームーン=秋月信彦(中村倫也)。 彼らの出会いと再会は、やがて大きなうねりとなって人々を飲み込んでいく。 【キャスト】 西島秀俊 中村倫也 三浦貴大 平澤宏々路 黒田大輔 芋生 悠 プリティ太田 今野浩喜 /尾美としのり ルー大柴/中村 蒼 濱田 岳 音尾琢真 吉田 羊 中村梅雀 【スタッフ】 原作:石ノ森章太郎 監督:白石和彌 脚本:高橋 泉 音楽:松隈ケンタ 美術監督:今村 力 コンセプトビジュアル:樋口真嗣 特撮監督:田口清隆 造型:藤原カクセイ キャラクターデザイン:小林大祐 制作プロダクション:角川大映スタジオ 製作:東映株式会社「仮面ライダーBLACK SUN」PROJECT 【配信期間】2022年10月28日よりPrime Videoにて全10話を世界独占配信中 【公式サイト】https://www.kamen-rider-official.com/blacksun/ 【公式Twitter】「仮面ライダーBLACK SUN」official ©︎ 石森プロ・東映 ©︎ 「仮面ライダーBLACK SUN」PROJECT
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sdeet · 1 year
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最近読んだ本と買った本
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はじめての中国茶とおやつ
はじめての中国茶とおやつ | 株式会社誠文堂新光社 (seibundo-shinkosha.net)
好きな中国茶のお店が出した本なので買った。お茶色々飲んでるけど中国茶の諸々あんまりよくわかってないので読めて嬉しい。
台形日誌
台形日誌 | 晶文社 (shobunsha.co.jp)
行ったことはないが写真が印象的で好きな飲食のお店「台形」のエッセイとレシピの本。語りの飄々とした感じが好き。あと写真が良い。
先月ゴーゴリの『検察官』(査察官)を読むためにkindle unlimitedに入った。
の、ついでに色々読んでみている。
エンデのモモも実は未読なので読んだりしている。
岩波書店の本も結構kindle unlimitedに入っててびっくりするね。
地獄くらやみ花もなき
小説の方を読んだ。妖怪ものファンタジー的ガワを持った(現代ものだけど)昭和風推理サスペンスという感じで面白かった。日本は文化的にあまりにも他罰メンタリティが根付きすぎてるなとも思った。自分は何もしなくても力のある何か大きな存在が自分に代わって「よくない」とみなした他者を罰してくれる、それを期待するのが普通だし面白みとして機能するというような。信仰だし文化なんだろうなと思う。逆に言えば、理不尽さを受け入れすぎでは? と感じる。諦念が先にある。いやもうこの語から宗教語彙だな。(批判しているわけではない)
キャラクターが皆個性あって久しぶりにキャラクター小説読んでるな〜という気持ちになった。
山怪
山怪 山人が語る不思議な話 | 山と溪谷社 (yamakei.co.jp)
山で起こる不思議な出来事を収集している本。もう何年も前から話題になってたものの読んでなかったので読んだ。シリーズで色々出てる。
山と渓谷社から出てるのがいいよね。
中島敦『文字禍』
そういえば読んでなかったなと思って読んだ。文字の霊(たぶん幽霊とかいうよりスピリッツ的なニュアンスなんだろうな)があり人間に影響を及ぼしているという話、ということは漠然と知っていたけどかなり短くてさくっと読めたので「は~こういう話だったんか~」となった。古代風の雰囲気のあいまいさがよいよな。
最近インプットが全然足りてないんだよな~~という気持ちばかりがあるが、読まなきゃならない本を置いておいてこう、趣味の本とか「ああーそういえば読んでなかったな」とか「なんか面白そうだな」みたいな感じではちょいちょい読んでてインプットの充足感なんて存在しないのではという気持ちになっている。
ここからしばらくは読まなきゃいけない本を読もう……面白くないわけではないので……
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shu-sumie · 2 years
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『命ノ章』 ハンドドローイング墨絵抽象作品 これ... 墨絵です 新しい方法にて何層も何層も重ね... 墨、金箔、アルコールインク、グリッター... 幾重にも幾重にも重ね... 作り方を忘れるくらい重ねて完成。2週間ほどかかりました。 この作品... 12/7〜12/11の個展 『零之楼(ぜろのやぐら)にて展示します‼️‼️ 実物は、とにかく派手で光や角度で色が変わり綺麗です。 作品名は『命ノ章』✨ この作品から生きる希望を持ってほしい意味からこのタイトルにした。 命とは、重ねるものだ。そして、もらって生きるものだ。 言葉の一つ一つも命であり、作品だ。 傷つく言葉は、不愉快な作品を展示するのと同じなのだ。 言葉は魂だし、作品も魂... 人生とは重ねる度に深みをましていく。どう生きるかによるけど... でも、命とは非常に脆い。 一瞬で消えてしまうこともある。 自殺がそうだ... そこで死んでしまえば、今まで生きてきた何十年という経験・人生が一瞬にしてパーになる。 命とは脆い... 非常に脆い... けど、生きてほしい❗️ 一度しかない このアートも最初はただのまっさらな何も無い紙だった。 そこへ墨を重ね、色を重ね、また重ね... 重ねていくことで深みを増していった。 途中どうなるかはわからない... 色々なことがあった... けど、こうして深みのある作品に仕上がった... いや、正確に言うと、まだ未完成... だってそれが人生だから。 人生なんて完成されたらダメだから... みんな未完成のまま生きているし、未完成に人生が終わる。 決して完成されることなんてない。『命ノ章』は一つ一つが、チャプターだ❗️ 誰にでも、命のチャプターがある。 完璧に生きようとするから 命が脆くなってしまう 不完全なんだから みんな未完成なんだから 未完成のままでいいじゃないか!未完成だからこそ美しい生き方なんだよ。 『生きる意味』というのを 是非個展の作品から感じてください ↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ✨個展『零之楼』開催✨ 【場所】 栃木県栃木市河合町4-16 tel: 050-5359-7563 Eat Me Sandwich 2F ギャラリー結 【サポート企業様】 @cha_marukyou 株式会社岩崎恭三商店 様 @watayaningyo 有限会社ワタ��商店 様 @tochico.biyori 両毛印刷株式会社 様 @sotokotomag 株式会社スイッチスマイル 様 @akira_trygroup ジャパンホールディングス株式会社 様 @kenmoku_kougyo 株式会社兼目工業 様 NPO法人栃木親子劇場 様 @noahjpn ノア・グローバルコーポレーション株式会社 様 @muzen.fukusuke 肉割烹無膳福助 様 @kanouunkindou 京表具加納雲面堂 様 沢山の企業様から温かいサポート頂いております。大変感謝申し上げます🙇‍♂️ ✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨ 筆を使わない墨絵アーティスト 荒川颼/SHU Arakawa www.shusumie.com Googleで『墨絵』または『ハンド墨絵』でトップ表示 #筆を使わない墨絵師 #墨絵師 #墨絵 #sumie #ハンドドローイング #handdrawing #日本を代表する墨絵師 #墨絵アーティスト #書道好きな人と繋がりたい #画家さんと繋がりたい #飛墨 #hisumi #唯一無二の墨絵師 #唯一無二の墨絵アーティスト #しゅう墨絵 #shusumie #生きる墨絵 #UNESCO #世界遺産 #ライブパフォーマンス #墨ノ祭 #ギャラリー結個展開催 #龍墨絵 #龍神 #龍のキセキ #ギャラリー結 #栃木市 #tochigi #墨絵抽象画 #アルコールインク (eat me sandwich) https://www.instagram.com/p/ClhcTsHS3Sv/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 3 years
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SDGsの不都合な真実…投資目的の「脱炭素政策」は人類を幸せにするか
少なくとも日本は確実に落ちぶれていく
川口 マーン 惠美作家
地球危機説の暴走
「欧米は、ESG(環境・社会・統治)もSDGs(持続可能な開発目標)も常に投資目的だ。環境問題を項目に並べると投資家が評価してくれ株が上がる。だからすごく積極的にやるし、PRもうまい」
「だから僕は、SDGs(持続可能な開発目標)のバッジを着けるのが恥ずかしい。金融資本主義のマネーゲームに環境問題を組み入れ、ワイワイ騒ぐのはけしからんと思う」
2020年10月、日経ビジネス「賢人の警鐘」に載っていた東レの日覺昭廣社長の言葉だ。これがひどく心に残った。
ESGとは「Environment=環境」、「Social=社会」、「Governance=企業統治」の略で、いわば良い企業が満たすべき条件とされる。一方、SDGsというのは、持続可能なより良い世界を目指すための目標で、2015年に国連の音頭で始まった。
「貧困を無くそう」から始まって、「すべての人々に健康と福祉を」、「平和と公正をすべての人に」、「パートナーシップで目的を達成しよう」など合計17項あり、国連加盟国がそれらを2030年までに達成することが目標とされる。
要するに、ESGを重視する良い企業が増えればSDGsを達成することができるはずという「正論」が、現在、産業界を支配している。
今年の夏、行きすぎたSDGs思想や、地球危機説の暴走などに迫るオムニバス形式の本を作るので、何かドイツのことを書かないかという話をいただいた。完成したのが、12人の共著の『SDGsの不都合な真実 「脱炭素」が世界を救うの大嘘』(宝島社)。9月より書店に出ている。
私自身も著者の一人なので言いにくいが、読者としての率直な感想を述べるなら、これは素晴らしい本だった。テーマを平たくすれば、「脱炭素に向かう世界の政策がはたして人類を幸せにするのか」といったところか。
現在、世界で猛威を奮っている「脱炭素政策」。その構造を、各著者がそれぞれの専門知識を駆使しつつ、科学のみならず、国家主権、民主主義、犯罪、そしてイデオロギーの視点にまでくい込んで多角的に分析しているのだが、特に、SDGsと地球温暖化が切っても切れないものとして扱われていることに注目していただきたい。
同書を読み進むと、脱炭素政策は実は非論理的で、温暖化防止には役立っていないばかりか、産業の自然なイノベーションを阻害し、私たちから富を奪い、さらには途上国の発展の足を引っ張っているとわかってくる。
しかし、その一方で、ある一定の人たちには莫大な利益をもたらしているらしい。同書のサブタイトルにあるように、誰が儲けているのかを考えると、その背後にどのような意図が潜み、何が動いているのかが透けて見えてくる。
さらに衝撃的なのは、ESGやSDGsの大きな波の中で、日本が間違いなく落ちぶれていく運命であること。日本にとっての「脱炭素政策」は、かつて中国共産党が行った大躍進を彷彿とさせるほど自滅的だ。なのに私たちはよりによって、この不吉な目標に向かって突進し始めている。そして、メディアが無責任にも喝采。
おそらくそのせいだろう、同書ではどの稿からも、「このままではダメだ」、「日本をどうにかして救わねば」という著者たちの必死の気持ちが伝わってくる。そこで、是非とも多くの人に私たちの陥っている状況を知ってもらうために、本コラムでその内容を2回に分けて紹介させていただきたいと思う。
EUでは「神聖なる目標」だが…
2019年12月、EUの欧州委員会の新委員長に就任したフォン・デア・ライエン氏(ドイツ人)が、欧州グリーンディール計画を発表。今や脱炭素政策は、少なくともEUでは神聖なる目標だ。EUは21年から10年間で、官民合わせて最低1兆ユーロのESG投資を導くと謳っている。
一方、日本でも、菅前首相がすでに就任当初、50年までに脱炭素の実現を目指すと宣言しており、この施策がこれからの日本経済に与える負担は計り知れない。
もちろんそれが本当にCO2を減らし、地球の温度を下げ、滅亡するはずだった人類が助かるのなら文句はない。しかし同書の編著者である物理学者、杉山大志氏(キャノングローバル戦略研究所研究主幹)によれば、気候危機説は「御用学者」が唱えるもので、「台風やハリケーンなどの統計を見ると、災害の激甚化などは全く起きておらず、気候危機説はフェイクに過ぎない。にもかかわらず、CNNなどの御用メディアが不都合な事実を無視し、『科学は決着した』として反論を封殺してきた」という。
ちなみに、先月末、杉山氏がこの説を唱えたビデオ2本はYouTubeから削除されてしまった。言論の自由や学問の自由が、民間企業によって侵害される恐ろしい世の中になっていることを、ここで強調しておきたい。
また、たとえ温暖化が起こっているとしても、その原因が、人間がここ100年の経済活動で排出したCO2のせいでないとすれば、膨大なお金をかけてやっていることの前提が崩れ、辻褄が合わなくなるわけだ。なのに日本の場合、その不確かな政策を、経済だけでなく、安全保障まで危険に晒してやろうとしている。
杉山氏によれば、現在の世界的な「脱炭素」の流れは、自らを途上国のリーダーと規定する中国が、「先進国が過去のCO2排出の責任を負って途上国を経済援助すべき」という理屈を駆使して、自分たちはCO2削減に身を切ることなしに膨大な利益を得ることに大いに役立っているという。
たとえば現在の中国は、日本のすべての火力発電所と同じ容量の火力発電所を、毎年増設しており、また、原子力発電所も向こう15年で150機増やす予定だという。また、太陽光パネルや風力タービンでは、国内だけでなく、世界市場を制圧しつつあり、さらにEVのバッテリーを握っているのも彼らだ。
一方、太陽光発電用の結晶シリコンの大生産地であるウイグル新疆でウイグル人などの強制労働が問題になっても、サプライチェーンで依存してしまっている先進国の対応は遅々として進まない。このままでは中国だけが躍進し、いずれ世界の太陽光パネルは、「屋根の上のジェノサイド」になってしまうと杉山氏。
外資が絡んだ「仁義なき戦い」の果てに
その太陽光発電の被害について書いているのが三枝玄太郎氏(元産經新聞記者、フリーライター)だ。「法律がない」などという理由で、日本各地でいかに危ない太陽光発電事業が進んでいるかが淡々と描かれる。
氏曰く、「(今年8月に熱海で起こった)土石流は人災どころか“殺人”と言われても仕方がないような実態」。しかも、「太陽光発電所は近所の家を押し流そうが、道路を寸断させようが、補償をしないケースが多発している」のだそうだ。
太陽光発電の乱立には物理的な危険だけでなく、さまざまな不法行為、それも、外資が絡んだ「仁義なき戦い」によって日本の土地や資源が失われていく危険もある。
現在、「日本最大級のソーラーシェアリング」を運営しているのは、中国の国営大企業である「上海電力」だという話を聞いて、背筋が寒くならない日本人はいるだろうか。
しかし、小泉純一郎元首相、菅直人元首相などは、『原発は危険だ』として今でも太陽��発電を推奨して回っており、小泉進次郎前環境相は、国立公園内にまでパネルを並べようとしていた。言うまでもないが、河野太郎氏や小泉進次郎氏もまた然り。
日本がここまで貧しくなった理由
山本隆三氏(国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授)の稿は、「日本人は貧しくなっている。一人当たりの所得では韓国にも抜かれた」という言葉で始まり、なぜ、日本はデフレから抜け出せなかったのかの考察から論を進める。
氏によれば、デフレの一番の原因は少子化でも需要低迷でもなく、賃金が高い製造業、建設業などにおける雇用の減少。そして、それに代わって、医療、福祉、介護など、賃金が相対的に低い産業で働く人が増えたことだという。
では、なぜ製造業や建設業が衰退したか。
「東日本大震災後は原子力発電所の停止が相次ぎ、電気料金が上昇した」
「産業用電気料金は最も上昇した時には震災前の約4割高となった」
これが徐々に企業を海外に追いやったことは疑うまでもない。
さらに、菅直人元首相の置き土産であった再エネの固定価格買取制度が、自由経済を歪ませた。買取価格の設定が高かった太陽光電気が爆発的に増え、現在の設備導入量は「中国、米国に次ぐ世界第3位だ」そうだ。
中国や米国には、使っていない平地がいくらでもあるが、日本は森林を切り崩してパネルを並べている。しかも、どんどん増えるその買取り費用を電気代として負担しているのが産業界と家庭。この構造はすでに計画経済に等しい。
こうして電力使用量の多い産業界の負担額は膨大になり、当然、それが給与や景気にマイナスに働く。
日本政府は2050年に実質排出ゼロにするという過激な気候政策のメリットとして、エネルギー自給率向上、産業振興など、様々なプラス面を謳っている。しかし、山本氏は問う。「過去の再エネ導入は産業振興に結びついていないが、これからの再エネ設備導入は日本の産業と経済に寄与するのだろうか」と。
環境投資を呼び込むための口プロレス
また、興味深いのはEVの話。先のCOP26では、ガソリン車など内燃機関を用いる自動車の新車販売を主要市場で2035年、世界全体では40年までに停止するという宣言に24ヵ国が参加したという。停止すべき車種には、日本が強いハイブリッド車も含まれる。
岡崎五朗氏(モータージャーナリスト)は、この動きを見越していたかのように、「急進的『脱エンジン』宣言は投資家のため? 欧州メーカーの『EV戦略』にトヨタが怒る理由」というタイトルで、その矛盾と欺瞞を暴いている。
そもそも現状は、「すべてのクルマをEV化するだけのバッテリー生産量を確保できる見込みは薄く、仮に確保できたとしてもエンジン車はもちろんハイブリッド車と比べてかなり高価格になってしまう可能性が高い」。
氏はEVを全否定しているわけではないが、「エンジン車やハイブリッド車を完全に排斥し、全てをEVにするという極端な案となると話は別だ」。それどころか、これは、国家、あるいは地域ぐるみのゲームチェンジによって覇権を握ろうとしている「ドイツを中心とする欧州自動車メーカーの戦略だ」と言い切る。
つまり、「日本が得意なエンジン車やハイブリッド車を締め出す」ためである。
とはいえ、これはあまりにも「急進的」すぎて、このままでは日本を潰す前に自滅する可能性が高いと、ドイツの自動車工業会がブレーキを引き始めたという。ドイツのメーカーにとっても、完全なEVシフトなどどう考えても無理な話なのだ。
ドイツはそもそも、CO2削減はディーゼルでやるつもりだった。それが2015年のフォルクスワーゲンの不正プログラムの露見で瓦解したが、スムーズにEVにシフトする技術は今も不足している。
岡崎氏によれば、そこでフォルクスワーゲンのCEOは驚くべき行動に出た。つまり、ことあるごとにEVの輝かしい未来を語り、「エンジン車はもはや終わったとツイートしながら、涼しい顔でエンジン車を売っている」のだそうだ。
岡崎氏はそれを、「環境投資を呼び込むためのあからさまな口プロレス」と見る。ESG投資はいつの間にかEVバブルにすり替わってしまった。
日本経済の屋台骨を脅かす愚策
もう一人、「日本経済の屋台骨『自動車産業』を脅かす“自壊的”脱炭素政策の愚」というタイトルで、脱炭素を「今までのどの政策よりも日本の経済と産業構造に決定的な打撃を与える政策」と厳しく批判するのが加藤康子氏だ(元内閣官房参与、評論家)。
これまでも氏は、明治以来の産業遺産の研究に尽力、あるいは軍艦島に対する韓国の不当な言いがかりに断固として反論してきた。そして現在、総合産業としての自動車産業が日本経済に占める重要性を啓蒙し、それを守ることに全身全霊で取り組んでいる。これは日本を守ることでもある。
それだけに、氏の稿からは、小泉前環境相の国連気候サミットでの「気候変動のような大きな問題は楽しく、クールで、セクシーに取り組むべきだ」といった発言に対する憤りがひしひしと感じられ、深い共感を覚える。
「自動車工場の現場で額に汗して働く人たちにとっては、これはもちろんクールでセクシーな話ではなく、『脱炭素』という経済戦争のなかで雇用と未来の生活がかかった死活問題である」と加藤氏。
「世界で一番厳しい環境規制のなかで自動車を製造してきた日本の工場が、彼らの努力を適正に評価されず、行き場を失い、国を出て行ったら、日本の地方経済は成り立たない」
無責任な政治家に対する慟哭のような批判は鋭く、読みながら、爽快な気分と、絶望しそうになる気分が入り混じったーー。
(次回に続く)
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viandnyl · 3 years
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グローバルな新ミュージック&カルチャーメディア『VI/NYL(バイ&ナル)』#002 / #003 / #004 / #005 のカバーアーティストを発表!
この度、音楽とカルチャーに特化したグローバルな新メディア『VI/NYL(バイ&ナル)』#002 / #003 / #004 / #005 を、2021年12月30日(木)に発売いたします。
『VI/NYL』のフィロソフィーとして“MOOD”と“TIMELESS”を掲げており、新しいものへの感度だけではない、常に物事の“本質”を追い求めます。日本でのローンチ後、ライセンスアウトによる、アジア、欧米への進出や、国内でも地方都市への進出を予定しております。
雑誌は年間50冊ほどの不定期刊行、そして、SNS、ウェブサイト、イベント、商品開発、書店、ギャラリーなど、『VI/NYL』ブランドを利用した、多岐に渡るグローバルなビジネス展開を予定。ユーザーとのエンゲージメントを大切に、既存の雑誌やウェブサイトといったメディアの概念では括れない“心地いいムードのコミュニティー”を提供していきます。多様性や協調性といった言葉がもはやデフォルト化した今、ごく個人的でニッチな感覚・感情こそ、改めて大切にしていきたいと思っております。
『VI/NYL』は、“音楽”という世界共通言語をベースにした、“雑誌のプラットフォーム化”を目指します。
*カバーアーティスト*
<#002 / CL>
世界的なK-POPムーブメントの中で、そのパイオニアとして“女性の権利拡大”を掲げひときわ存在感を発揮した、元ガールズグループ2NE1のリーダー《CL》が登場。グループ解散後はアメリカに渡りソロアーティストとして着実に力を蓄え、その時に備えていた彼女が満を持して1stフルアルバム『ALPHA』を本年10月20日に完成させた。世界13の国と地域のiTunesチャート1位を記録し、アジアのみならず欧米やイギリスのチャートを席巻。あらゆる文化的・業界的バリアを乗り越え、アジア女性のエンパワーメント・アイコンとして道を切り拓く存在です。
<#003 / ZOC>
孤高のカリスマ、大森靖子が“共犯者”を務めるアイドルグループ《ZOC》が登場。Zone Out of Control=孤独を孤立させないをコンセプトに、自らをすり減らしながらも光の当たらない人たちへ祈りを捧げる。2021年6月にメジャーデビュー1stフルアルバム『PvP』をリリース。VI/NYLカバーストーリーでは、さまざまな想いを巡らせるさなかの束の間のナイトトリップを敢行。
<#004 / Dios>
前職・ぼくのりりっくのぼうよみ=たなか、YouTube 登録者数170万人越えの今最も注目すべき世界的ギタリスト・Ichika Nito とボカロやオンライン・ゲーム界隈ともリンクし、ぼくりり過去作も手掛けたトラックメイカー / シンガーソングライター・ササノマリイの3人で新たに結成した注目のバンド《Dios》が登場します。
<#005 / DEAN FUJIOKA>
アーティストとしてのみならず、役者業や映画プロデュース業、声優業まで多角的に領域を拡げていく《DEAN FUJIOKA》が登場。前作から3年振り、通算3枚目のアルバム『Transmute』は“変異”をテーマに、その音楽性までも、移り変わり流れる水のような変異性、多様性を表現。ポップスから進化系WAVEまで、縦横無尽にジャンルの境界線を横断します。
その他本誌では、毎号世界で注目される新鋭アーティストたちが登場します。
【メディア概要】
雑誌タイトル:VI/NYL(バイ&ナル)
雑誌サイズ:B4変形/260 × 260(mm)
ページ数・体裁:88ページ/平綴じ
発売日:不定期刊行(年間約50冊発行)
発行部数:10,000部
定価:1,980円(本体価格1,800円<税別>)
SNS:[Instagram / Twitter / TikTok / Weibo / Red / Tumblr / Facebook / YouTube] @viandnyl
PLAYLIST:[Spotify] @viandnyl
*LINKTREE:https://linktr.ee/viandnyl
【発行・発売】
カエルム株式会社/東京都渋谷区宇田川町14-13 宇田川町ビルディング8F
<#002 / CL>
Amazon予約ページ https://www.amazon.co.jp/dp/B09MBX8BXT
タワーレコードオンライン予約ページ https://tower.jp/item/5290426
HMV&BOOKS online予約ページ https://www.hmv.co.jp/product/detail/12463117
<#003 / ZOC>
Amazon予約ページ https://www.amazon.co.jp/dp/B09MC83YBT
タワーレコードオンライン予約ページ https://tower.jp/item/5290429
HMV&BOOKS online予約ページ https://www.hmv.co.jp/product/detail/12463143
<#004 / Dios>
Amazon予約ページ https://www.amazon.co.jp/dp/B09MC1Y4QH
タワーレコードオンライン予約ページ https://tower.jp/item/5290430
HMV&BOOKS online予約ページ https://www.hmv.co.jp/product/detail/12463176
<#005 / DEAN FUJIOKA>
Amazon予約ページ https://www.amazon.co.jp/dp/B09MC4TDBC
タワーレコードオンライン予約ページ https://tower.jp/item/5290433
HMV&BOOKS online予約ページ https://www.hmv.co.jp/product/detail/12463237
#viandnyl #CL #ZOC #Dios #DEANFUJIOKA #caelumjp
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honyakusho · 5 months
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2023年12月25日に発売予定の翻訳書
12月25日(月)には20冊の翻訳書が発売予定です。 カーティス・メイフィールドが表紙の『シカゴ・ソウルはどう世界を変えたのか』は気になります。
豊かな音楽表現のためのリズムと拍子の基本原理
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ミネ・ドアンタン=ダック/著 杉江光平/訳
アルテスパブリッシング
ヴィンランド
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ジョージ・マッカイ・ブラウン/著 山田修/翻訳
鳥影社
シカゴ・ソウルはどう世界を変えたのか
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アーロン・コーエン/著 夏目大/翻訳
亜紀書房
私の「結婚」について勝手に語らないでください。
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クァク・ミンジ/著 清水知佐子/翻訳
亜紀書房
米國學校法 上
田中不二麻呂/序 文部省/編訳
信山社出版
米國學校法 下
田中不二麻呂/序 文部省/編訳
信山社出版
プロメテウス解剖学エッセンシャルテキスト 第2版
Anne M. Gilroy/原著 中野隆/監修
医学書院
Classic Rods and Reels クラシックロッド&リール
吉田哲人/編集
ワイズ
冬の日誌/内面からの報告書
ポール・オースター/著 柴田元幸/翻訳
新潮社
ナッシング・マン
キャサリン・R・ハワード/著 髙山祥子/翻訳
新潮社
わたしのすみか
イザベル・シムレール/著 石津ちひろ/翻訳
岩波書店
現代ポーランド音楽の100年
ダヌータ・グヴィズダランカ/著 白木太一/翻訳 重川真紀/翻訳
株式会社音楽之友社
王の逃亡 : フランス革命を変えた夏
ティモシー・タケット/著 松浦義弘/翻訳 正岡和恵/翻訳
白水社
Sketchbook ハンス・P・バッハーの「構図」と「ショット」のアイデア
ヤナガワ智予/翻訳 ハンス・P・バッハー/原著
翔泳社
ミステリウム
エリック・マコーマック/著 増田まもる/翻訳
東京創元社
規則より思いやりが大事な場所で : 物理学者はいかに世界を見ているか
カルロ・ロヴェッリ/著 冨永星/翻訳
NHK出版
Human-in-the-Loop機械学習 : 人間参加型AIのための能動学習とアノテーション
Robert (Munro) Monarch/著 上田隼也/翻訳 角野為耶/翻訳 伊藤寛祥/翻訳
共立出版
「科学のキホン」シリーズ 全4巻セット
カート・ベイカー/著 ヘレン・ピルチャー/著 アリ・O・セゼル/著 ケン・アシュウェル/著 ほか
創元社
ドイツ国民への講話
フィヒテ/著 山脇直司/監修 栩木憲一郎/翻訳
京都大学学術出版会
楕円曲線の数論 : 基礎概念からアルゴリズムまで〔原著第2版〕
Joseph H. Silverman/著 鈴木治郎/翻訳
共立出版
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sina1986 · 4 years
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よるのしじま しじまは、燃えるような夕焼けに駆り立てられるように、森へと急いだ。 森は光を吸収し、真っ黒だった。 〈闇にしばしうちのめされる〉 すると、木々の奥から、鋭い目をした虎が表れた。 しじまは、食べられて死ぬ自分を想像した。 〈不安、恐怖、後悔、あの世〉 虎は口を開き “全部つながっているんだ” と言った。 鋭い目とは裏腹の、やさしい声だった。 虎がきびすを返して歩き去ったあと、あたりは夜の静寂に包み込まれた。 熱を帯びたある日の出来事である。
Lamp harajuku 「よるのしじま」 7/2(木)~7/31(金)Lamp harajuku2階と1階ウィンドーにて新作の刺繍作品を展示します。 今回新しく作ったのは大きな虎と勇敢な9羽の鳥たち。
そのうちの1羽はテーラードスーツの背中に羽ばたいています。
靴職人“La Rificolona”(ラ リフィコローナ)さんと共作したローファー、COPACKさんのマネキンを使わせていただいたマネキンの作品、そして1月に発表した漫画とネームを合わせた本「よるのしじま」、その電子書籍版として「しじまと光太郎」のリリース。
7/1には今回メインビジュアルのモデルをしてくださった川本真琴さんとトークライブ配信をします。その他、刺繍ライブ配信も予定。
SINA SUIENというブランドのデザイナーとして、数年間一点物と量産についての課題と向き合ってきました。 オーダーメイド、一点物の創り手として新しく、そして強くなりたいという一心で三年間、テーラーメイドの技術を学びました。 銀座にある老舗オーダースーツ工房でしつけのぬいかた、指ぬきの使い方など文字通り1から勉強しました。 ポケットの袋地の角度、ぬいしろの分量、ハ指し、ボタンホールの縫い方、ミシンの縫う方向、アイロンの使い方。 テーラーの長い長い歴史の中で先人たちが獲得してきた技術は、力学、物理学と密接に絡み合った魔法でした。 工房にはたくさんのスーツが掲げられていて、10年前のスーツも型くずれする事なく着ている方の体系の変化に合わせて、または着ている方の息子さんへと引き継がれる際の生まれ変わりを待っていました。 そんなスーツのたたずまいはまぎれもなくアート作品。職人さんたちの繊細な指使い、豪快なアイロン使いに感動しっぱなしでした。 今回、そのようにして学んだばかりのテーラーメイドの技術を駆使して一着のオーダースーツを作り、展示販売します。 歌手の川本真琴さんと、漫画に登場する人物夜野しじまを重ね合わせてイメージを膨らませデザインした勇敢な鳥のスーツです。
スイス製の千鳥柄サマーコットンとシルクの鮮やかなピンク、ペルシャの古いペイズリーの織物を組み合わせて作った贅沢な一着です。 裏地、飾りボタンの一つ一つの柄の方向や手刺繍など隅々までこだわり抜いて作りました。
一方で“漫画本”という形をした、SINA SUIENのプレタポルテコレクションとして「よるのしじま」をグラフィックデザイナーの山下ともこさんと一緒に模索しました。普通に消費される漫画ではなく、未来に残って行くような“作品としての形”。
300ページの本には、ネーム、設定資料、ドローイングが納められています。ネームを描いているときの、未発達な感情と連動した筆圧や“予感”みたいなブレた鉛筆のタッチを綺麗に再現するためにスキャンからデータの濃淡に1ページ1ページこだわりました。 制作中、レイアウトいただいた自分の絵を見返していて、あれ、?!わたしこんなかっこいい絵かいてたんだ!とびっくりしたページはなんと山下さんのデザインマジックのおかげで変身したページでした。 表紙は青×赤バージョンと黒×赤バージョン。 青×赤バージョンはプルトニウムの青い光のような揺らぎを感じます。青井光太郎バージョン。 黒×赤バージョンは夜野しじまの強い女の子感が表現されたと思います。 しおりの赤い紐、手描きシリアルナンバー入りです。 喫茶店や、お休みの日にゴロゴロしながら読んでもらいたいです。
電子書籍版は株式会社コルクの編集者の方と、楽しく気軽に読んでもらえるようわかりやすく構成し直しました。
出版本「よるのしじま」にはその他、山下ともこさんによるページのデザインやノンブルなど隅々に行き届いたリアル本ならではのこだわりと、しじまと光太郎放課後譚がおまけでついてきます。お値段2000円+税。 電子書籍版「しじまと光太郎」は、しじまと光太郎前日譚がおまけページでついてきます。300円+税。
漫画や本って、“種”だな、と思いました。何気なく読み飛ばしていても空気や見たものは頭や身体に何かしら植え付けられている。それが何かの拍子に芽を出したりするのかもしれない。
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イメージ写真の撮影についても自分の中のイメージをどのように実現するのか、理想と現実や自分と相手とのギャップをどう埋めてゆくのか。 モデルをしてくださった川本真琴さんや写真家の佐内正史さんに伝える上で大切な事は対話とコミュニケーションだと痛感しました。 とても初歩的な事ですが、手を抜く事と力を入れる事で大きな差が生まれるものです。
ヘアメイクはヘアメイクアップアーティストの奥平正芳さん。
対話で思っても見なかった方向へと発展する面白さ、感動。 作品制作を通して、たくさんの魔法使いと関わる事で自分が一番勇気と元気をもらいました。 SINA SUIENの心はお洋服のブランドとかアートとかみたいに特定の性格付けも機能も持ちません。 明確なカテゴリーに属さず変幻自在で、一時何かの形で表れたかと思うとすぐに別の形をしたものに変身してしまう。 しかし、日本人は古代から自分たちの心に浮かんだ考えを、無意識のままに石や木や風景や踊りや詩、歌の形を通して行間や余白から素直に感覚を伝えてきました。 そんな昔の人に習って、昏迷した世の中で自分の原初に立ち返りひたすら刺繍に情熱を注ぐことが、今私にできるただ一つの手段でした。
だから、ただひたすら虎を刺繍しました。鋭い目をした優しい声の虎と、よるのしじま。 是非この機会に、有本ゆみこの展示に触れていてだけましたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。 ●自費出版本「よるのしじま」
A5サイズ300ページ 2000円+税
展示会場にて先行発売
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●しじまと光太郎電子書籍版URL https://www.amazon.co.jp/dp/B08BFMPXSK   ●SINA SUIEN公式チャンネルからライブ配信 https://www.youtube.com/user/634063401 ●有本ゆみこと川本真琴のしじまナイト
昨年発売された川本真琴さんの9年ぶりの新作「新しい友達」収録曲の「トムソンガゼルになりたかった」を”作詞”したことが、私にとっての新たな世界の幕開けでした。その楽曲の世界観を拡張して今回の展示の柱ができました。川本さんと会話したり相談し合ってできたマンガや刺繍作品、メインビジュアル。撮影の裏話や衣装・プライベートファッションにまつわるトーク、そして二人による音楽のセッション、などの盛りだくさんの内容になる予定です。 7/1(水) 18:00-19:30 https://youtu.be/aewD52VVHRE
●ライブ刺繍 月を刺す 7/4 13:00- https://youtu.be/ijFAQ6Y0sR0 7/5 13:00- https://youtu.be/cgSs-tuvC0Y 7/11 13:00- https://youtu.be/3iiplD7D4Xw 7/12 13:00- https://youtu.be/uEb4aH748uI 協賛・協力 日本コパック株式会社
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、���れらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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zaregoto1914 · 5 years
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土呂久鉱害事件に関する覚書
(2002年1月22日成稿)
土呂久鉱害事件に関する覚書
 宮崎県高千穂町の土呂久鉱山における亜砒酸製造に伴う慢性砒素中毒症は、大正期から戦後に至る長期にわたって継続した鉱害であったにもかかわらず、被害地域が僻遠の山村であったため長らくその存在が知られず、鉱山の閉山から10年近くたってから地元の教師の告発によって実態が初めて認知された特異な公害である。慢性砒素中毒症が4大公害病に続く指定公害病でありながら、現在あまり顧みられることが少ないことも考慮し、本稿では土呂久鉱害の経過を追うことで、近代日本社会の「闇」の一端に切り込みたい。
(1)土呂久鉱山の成立(1920-1933)  宮崎県岩戸村(現・高千穂町)の土呂久鉱山は、貞享年間(1684-1687)に銀山としてスタートしたものの、近代に入ってからは事実上休山状態であった。しかし、1920年、当時佐伯近郊の木浦鉱山で亜砒酸製造を行っていた鉱山師の宮城正一が土呂久鉱山から亜砒鉄鉱を採掘し、土呂久で亜砒酸の精錬を開始したことで一変した。日本の亜砒酸生産は第1次世界大戦期にドイツに代わる形で急成長し、主にアメリカに輸出されて綿花栽培の害虫駆除剤の原料などに使われていた。ところで、宮城が港町で交通の利便な佐伯から山間の土呂久へ移ったのには理由があった。地方紙『佐伯新聞』1917年4月29日付に次のような記事がある。
「懸案となり居りし当町字灘鳥越にある亜砒酸製造所の煙毒問題は今回所主宮城正一が農民に対して損害賠償をなし且つ製造所を移転する事となり、兎も角も一段落を告げるに至った」
 宮城は煙害により地元住民から補償と立ち退きを要求されていたのである。つまり宮城は佐伯を追われ、亜砒酸製造が甚大な鉱害をもたらすことを知りながら土呂久へ移転したのであった。
 亜砒酸は昇華点の193℃を境にして固体から気体へ、気体から固体へ変化する。この性質を利用し、亜砒鉄鋼を焙焼して砒素分を亜砒酸ガスとして流出させ、ガスを昇華点以下の空間に導き固体に戻して亜砒酸の結晶を採取する。当時、亜砒酸生産量全国一の足尾銅山では、銅の精錬の際に煙に含まれる亜砒酸をコットレル集塵器で回収する方法が採られていたが、土呂久にはそのような設備はなく、煙突に藁の覆いを被せるだけで、砒素を空気中に撒き散らし放題であった。そのため早くも1923年には亜砒酸による農業被害が地元で問題にあった。5月に行われた土呂久の部落自治組織「和合会」総会は鉱山側に「完全ナル設備ヲナシ事業ヲナサレン事」を要求することを決した。これに対し、宮城に代わって経営者となっていた川田平三郎は、1ヵ月50円の「交付金」を和合会に支払うことに応じたが、その見返りとして鉱山へ操業に必要な材料を提供することを求めた。鉱山側は要求を逆手にとったのである。
 その後鉱害は甚だしくなり、特に牛馬の奇病が相次いだ。1925年、和合会は岩戸村長の甲斐徳次郎に対策を要求し、甲斐は西臼杵���畜産組合の獣医である池田実と鈴木日恵に奇病で死んだ牛の解剖と鉱害の調査を依頼した。4月7日、鈴木は警察官立ち会いのもと解剖を行い、「連続セル有害物ノ中毒ニアラサルヤノ疑ヲ深カラシムルモノナリ」との所見を示した。甲斐はこの牛の内臓を宮崎県警察部衛生課に持参し、鑑定を依頼したが、県側は解剖後に内蔵へ亜砒酸が混入した可能性を理由に鉱害を否定し、現地調査を行ったものの調査結果を隠蔽した。一方、池田は「岩戸村土呂久放牧場及土呂久亜砒酸鉱山ヲ見テ」と題する報告をまとめた。池田報告は当時の土呂久の実状を生々しく伝えている。
「二、三十年モ経過シタ植林ノ杉ガ萎縮シテ成長ガ止リ、或ハ枯死シテ赤葉味又竹林ハ殆ンド枯死シ」 「妙齢ノ婦女ノ声ハ塩枯声デ顔色如何ニモ蒼白デアル、久敷出稼デ居ル人ノ顔面ハ恰モ天刑病患者ノ様ニ浮腫」 「山川ノ水ハ清ク澄ミ渡ッテ居ルガ、川中ノ石ハ赤色ニ汚レテ、三年前迄居タ魚類ハ今ハ一尾モ見ヘヌ」 「今ハ椎茸ノ発生デ忙シカラネバナラヌノニ、何ノ果報カ、此地ノ重要物産デアル椎茸ノ原木ヲミレバ、椎茸一ツ見ヘヌ。土呂久名物ノ蜂蜜モ、今ハ穴巣ヲ止ムルノミ」 「小鳥類ガ畑ノ中ニ死ンデ落チテ居ル事ハ年中ノ事で、何時デモ死ンダ小鳥ヲ畑ノ中ヨリ拾ッテ見セル事ガ出来ル」
 この池田報告は1972年に高千穂町史編纂室で発見されるまで封殺された。
 鉱害が拡大・悪化するに従い、農業では生計を立てられなくなった人々は鉱山で働くようになった。しかし、亜砒酸による健康被害は鉱山労働者に最も顕著であり、皮膚の亜砒負け、色素沈着、黒皮症、角膜炎、結膜炎、喘息、気管支炎、肝硬変などの症状に見舞われた。健康悪化に耐えられずに鉱山を辞め帰農する人も少なくなかったが、農業被害は増大するばかりで生活できず、結局収入を得るために再び鉱山に戻らざるをえなかった。あるいは椎茸の生えなくなった木を木材として鉱山に売却したり、完全に農業ができなくなった土地を鉱山に売却するという例もあった。鉱害はむしろ鉱山の事業を拡大する動因になったのである。
 また被害と加害の重層性も深刻であった。鉱山の地主であった佐藤喜右衛門は鉱山から地代を得るのみならず、自ら採掘を請け負い、地元住民を労働者として勧誘し、鉱害に苦しむ農民からは加害者として忌避された。しかし、一方で彼は鉱山のすぐ近くに住んでいたために砒素中毒症に罹り、1930年から32年の2年間に彼の一家7人のうち自身を含む5人が病死した。部落で鉱山から収益を受ける者が増えるに従い、鉱害反対の足並みは崩れていった。
(2)土呂久鉱山の展開と終焉(1933-1962)  大戦景気によって始動した亜砒酸製造は、戦後不況によって急速に不振になった。1926年にはアメリカの綿花不況のあおりで生産量が激減し、土呂久鉱山も生産中止・事業縮小に追い込まれた。一方、1930年代になると、航空機の材料の国産化をねらう中島飛行機が錫を求めて土呂久に目をつけた。1931年、中島門吉(中島知久平の弟)が一部の鉱業権を獲得し、33年には中島商事鉱山部が土呂久鉱山のすべての経営権を取得した(後に岩戸鉱山株式会社設立)。
 中島は当初亜砒酸よりも錫を重視し、1936年に錫精錬の反射炉を建設したが、この反射炉は錫から分離された砒素分が煙とともに空気中に飛散するという杜撰な代物であった。翌年、和合会は反射炉の煙害防止を鉱山側に要求し、その結果遊煙タンクが作られたが、煙害対策とは名ばかりで、実際はこれを利用して亜砒酸の採取が行われたため、鉱害はむしろ悪化した。また、経営者が変わったことにより1923年の交付金契約は無効となり、中島が和合会に亜砒酸1箱精製につき12銭の補償金を支払う新契約が結ばれたが、旧契約に比べて被害者が受け取る金額は事実上半減し、しかも補償金の分配を巡り和合会内部で対立が発生した。さらに1937年の岩戸村会議員選挙で、中島側は鉱山の���計係長を出馬させ、鉱山労働者を買収した結果、中島系候補が当選し、和合会系の現職は落選した。明治以来、土呂久出身者が議席を失ったのは初めてであった。鉱山は地方自治をも破壊したのである。
 中島傘下となって土呂久鉱山は拡大し、最盛期には約400人の労働者が働いた。特に1930年代末頃から亜砒酸は毒ガスの原料として需要が急増した。「黄二号」ことルイサイト、「赤一号」ことジフェニール・シアン・アルシンが亜砒酸を元に作られ中国戦線に送られた。深まる亜砒酸鉱害に対し、ついに1941年和合会は鉱山との契約破棄を決定した。福岡鉱山監督局は和合会に説明を求め、代表6名が福岡へ行き亜砒酸製造の中止を申請したが、監督局の担当者は「非常時には、部落のひとつやふたつつぶれても鉱山が残ればよい」と言い放ったという。結局1941年11月選鉱場の火災により土呂久鉱山は休山し、所有権も中島から国策会社へ移行した。
 土呂久鉱山は戦後1948年、銅や鉛などの採掘を再開した。再び鉱業権を獲得した中島鉱山(旧岩戸鉱山)は亜砒酸製造の再開を計画した。和合会は再開反対を決議したが、宮崎県と岩戸村の斡旋により、1954年、鉱山から和合会への協力金支払を条件に改良焙焼炉建設に同意した。土呂久婦人会は岩戸村に抗議したが、村長伊木竹喜は「鉱山のおかげで、岩戸村には鉱産税がはいりよる」と取り合わなかったという。
 鉱山がその後、1958年7月の坑内出水事故により一時休山を余儀なくされ、翌年には住友金属鉱山が中島を事実上買収したが、往時の活性を取り戻すことができず、1962年経営不振により閉山した。その間も鉱害は続き、1959年には和合会が高千穂町(岩戸村吸収)に亜砒酸製造施設の廃止を陳情した。しかし、ついに閉山まで鉱害はやむことがなかった。
(3)土呂久鉱害の告発(1970-  )  1970年、宮崎県高城町の四家鉱山で集中豪雨により鉱滓堆積場のダムが決壊し、砒素を含む鉱毒が河川へ流出するという事故が起き、宮崎県は急遽県内の休廃止鉱山の調査を行った。調査の結果、土呂久川から飲料水基準の2倍の砒素が検出された。同年12月、土呂久在住の佐藤鶴江は、岐阜のカドミウム汚染の報道を聞いて不安を抱き、宮崎地方法務局高千穂支局の人権相談に鉱毒被害を訴えた。支局は土呂久鉱山跡を調査し、彼女に鉱毒被害の事実申立書を発行したが、法務局は専門医による因果関係の証明がないことを理由に申立書を留置した。またしても行政によって鉱害は隠蔽されたのである。
 一方、高千穂町立岩戸小学校教諭の斎藤正健は、妻が土呂久出身であったことから鉱害の事実を知り、同僚とともに土呂久全世帯を対象に鉱害調査を行った。斎藤らの調査は1971年11月、宮崎県教職員組合の教研集会で報告され、新聞報道により全国的に注目された。斎藤報告は、①1913-1971年に死亡した92名の平均寿命は39歳である、②土呂久全住民の34%が呼吸器をはじめ疾患に罹っている、③土呂久の児童の体位は劣っている上に眼病が目立つ、④スギの年輪は鉱山創業期に生長が阻害されている、という驚くべき内容であった。大正期以来の鉱害がこの時はじめて公表されたのである。
 土呂久住民に不安が高まる中、宮崎県は県医師会に委託して住民の一斉健康診断を実施したが、慢性砒素中毒症に認定されたのは7名だけで、県の土呂久地区社会医学的専門委員会も健康被害と亜砒酸製造との関係性を「現在の知見では十分に説明ができない」と肯定しなかった。宮崎県知事黒木博は住友金属鉱山と認定患者に補償斡旋を提案し、1972年12月、両者間に補償協定が結ばれたが、住友の法的責任には一切触れず、補償金額は平均240万円にとどまり、しかも将来の請求権放棄を定めていた。県側は患者との交渉を外部との接触を絶った密室で行い、十分な説明をしないまま患者に調印を強要した。その後、黒木は新たな認定患者に対しても同じ内容の補償斡旋を5次にわたって続けた。しかも県は斡旋受諾者に対して公害健康被害補償法による給付を含む公的給付を中止するという「いやがらせ」まで行った。知事斡旋は補償額を抑制し、被害者の口を封じることがねらいであった。
 1973年、環境庁は慢性砒素中毒症を第4の公害病に指定したが、認定要件を皮膚障害に限定し、内臓疾患を認めなかったため、多くの被害者が認定されなかった。一方でこの頃から県外の医師による自主検診が相次いだ。同年2月には名古屋大学医学部講師大橋邦和が、74年には太田武夫ら岡山大学医学部衛生学教室が、75年5月には熊本大学体質医学研究所の堀田宣之が住民への自主検診を行った。堀田は10月にも同僚の原田正純らとともに1週間にわたる大規模な自主検診を行った。これらの検診結果は環境庁の認定要件とは裏腹に、砒素中毒による障害が皮膚に限らず、呼吸器や循環器などの内臓にまで広がっていることを示していた。
 1975年12月、5人の患者と1遺族が住友金属に損害賠償を求め宮崎地裁延岡支部に提訴した(第1次訴訟)。続く76年11月には第2次、77年12月には第3次、78年3月には第4次の訴訟が起こった。土呂久訴訟最大の問題は、1次的に賠償責任を有する鉱山師も中島鉱山もすでに存在せず、被告の住友が正式に鉱業権を得たのが閉山後の1967年で、住友自体は亜砒酸製造を行っていないことにあった。住友側は全面的に争い、訴訟は長期化し、高齢の原告が相次いで死亡していった。1984年3月に下された第1次訴訟の1審判決は「土呂久地区という山間の狭隘な一地域社会が、そのただ中ともいえる場所での本件鉱山操業により、大気、水、土壌のすべてにわたって砒素汚染され、本件被害者らはその中で居住、生活することにより、長期間にわたって四六時中間断なく、且つ経気道、経口、経皮、複合的に砒素曝露を受けたもので」あると土呂久鉱害を正確に認め、鉱業不実施を以って鉱業権者の賠償責任は免責されず、鉱業法115条の時効規定も適用されないことを理由に住友へ損害賠償を命じる画期的な内容であった。
 しかし、この1審判決をピークに土呂久鉱害は急速に風化していった。既に1980年頃には被害者の支援組織「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」が財政難による活動停滞に陥っていた。また、支援運動の中心であった総評系労組が「反公害」から「反原発」へシフトしつつあり土呂久鉱害への関心は相対的に低下した。1979年、補償斡旋を続けた黒木が受託収賄容疑で逮捕され知事を辞職し、翌年、後継知事松形祐尭は公害認定を巡る行政不服審査で県が敗訴したのを機に被害者へ公式に謝罪したが、依然として知事斡旋受諾者への公健法給付を認めなかった。一方、訴訟は住友の控訴により続き、1988年の控訴審判決は住友の賠償責任を認めたものの、補償額から公健法給付を差し引くよう命じる後退したものだった。住友はさらに上告したため、原告弁護団はついに水面下の和解交渉を行った。原告の高齢化と最高裁の状況を踏まえた苦渋の判断であった。1990年10月最高裁で原告と被告の一括和解が成立したが、住友の法的責任には触れず、賠償義務を否定し、公健法給付とは別に「見舞金」総額4億6475万円(1審判決の仮執行金と同額)を支払うという内容だった。1審判決も控訴審判決も被告の法的責任を認定したにもかかわらず、原告は訴訟の長期化に耐えることができずに訴訟自体には敗北したといえよう。
(4)総括  土呂久鉱山は、日本経済の工業化が急速に進展した第1次世界大戦期に始まり、戦間期の停滞を挟んで、15年戦争期には新興財閥の手で重化学工業の一端を担わされ、そして高度経済成長の開始により終焉した。その歴史は終始日本資本主義の発展過程に強く制約されたと言えよう。故に土呂久鉱害事件は局地的な鉱害ではあるものの、鉱山の杜撰な鉱害対策、鉱山への抵抗と依存の間で揺れる地域社会、一貫して公害の存在を隠蔽し民衆の声を潰した行政、公害反対運動の党派的分裂等々、近代日本の鉱害の一般的特筆を余すところなく有している。そしてついに根本的解決には至らず、現在も土呂久の自然が回復していないことは、鉱害が過去の問題ではなく、依然として現在的問題であることを示していよう。
《引用・参照文献》 斎藤正健「土呂久公害の告発とその後」Ⅰ-Ⅲ 『歴史地理教育』211、212、214号 1973年 川原一之『口伝 亜砒焼き谷』岩波書店 1980年 川原一之「土呂久鉱毒史」『田中正造と足尾鉱毒事件研究』5号 1982年 土呂久を記録する会編『記録・土呂久』本多企画 1993年
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nogaru · 5 years
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経歴アップしときます! 12月 季刊エス vol64 starS 優秀賞 9月 季刊エス vol63 starS 銀賞 2018年 ⬆︎ 10年間休止 ⬇︎ 11/ 「仏像イラストガイド」(カンゼン社)にてイラスト3点描かせて頂きました。 04/20 西條奈加先生著 「金春屋ゴメス 異人村阿片奇譚」 (新潮文庫)の表紙を描かせて頂きました。 04/20 もえ☆スタ13号「恐怖~呪いのホラーサスペンス萌え~」にてイラスト一点描かせて頂きました。 04/14 ジェマ・マリー著 「2140 ~ピーター・ピンセントの闘い~」 (ソフトバンククリエイティブ)の表紙を描かせて頂きました。 02/20 大崎梢先生著 「スノーフレーク」 (角川書店)の表紙を描かせて頂きました。 2008年  10/01 西條奈加先生著 「金春屋ゴメス」 (新潮文庫)の表紙を描かせて頂きました。  09/15 季刊エス24号付録ポストカード  07/22 ジェマ・マリー著 「2140 ~サープラス・アンナの日記~」 (ソフトバンククリエイティブ)の表紙を描かせて頂きました。  02/22 株式会社ガイナックス様の公式ホームページトップイラストを作成させて頂きました。  02/20 ニール・シャスターマン著 「エヴァーロスト」 (ソフトバンククリエイティブ)の表紙を描かせて頂きました。  01/ Panasonic様のメーカーサイト「P-スクウェア」様で壁紙5点 2007年  11/22 第十九回日本ファンタジーノベル大賞受賞作 弘也英明先生著 「厭犬伝」 (新潮社)の表紙など数点描かせて頂きました。  10/15 sammy様にデコメールテンプレート提供  09/26 カエルエックス社様、ドコモ公式デコメールサイトの「ガールズデコメ」にて、テンプレートを数点配布して頂いています。  09/01 志方あきこさんCD通販サイト[歌鳴屋]情報コラム誌、カナリヤツウシンvol.4の表紙を描かせて頂きました。  08/07 西尾維新先生著 「トリプルプレイ助悪郎」 (講談社ノベルス)の表紙を描かせて頂きました。  03/ 季刊S18号花魁ピンナップ一枚  01/ 季刊S年賀状イラストを描かせて頂きました。 2006年  12月 季刊S17号男子校企画キャラ絵、衣装絵八枚、衣装のデザイン  06月 季刊S15号スパークル扉絵を描かせて頂きました。 #イラスト #絵 #illustration #illustrator #painting#draw #drawing #mydrawing #cute #love #instadraw #instaart #artwork #artist #character #sketch #manga#digitalart #digitalpainting #のがるわこ #nogaruwako #イラスト好きな人と繋がりたい #絵が好きな人と繋がりたい https://www.instagram.com/p/BuWAf87H2P-/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=171pxnfo1m2af
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