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#暦果つ
yoga-onion · 11 months
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Legends and myths about trees
Celtic beliefs in trees (16)
D for Duir (Royal Oak) - June 10th - July 17th
“June Tree - 7th month of the Celtic Tree Calendar (Ref)”
metal: gold; Gemstone: diamond; Gender: male; Patrons: Dagda, Esus, Taranis, Artemis, Zeus, Jupiter, Thor; Symbols: strength + patience, generosity + protection, justice + nobility, honesty + courage
The oak was the most revered tree of the Celts, with a tall, round, stout trunk that is thick and round, spreading out like a crown. They grew into huge, imposing trees and lived long lives, so they became objects of worship for the Celts, who wished to live forever. 
Another reason for their worship was their high level of usefulness. It was used for housing and furniture. The round table around which the knights of King Arthur's Round Table were surrounded was made of one solid piece of oak wood. Merlin the Wizard used magic in the oak forests and his magic wand was made from the finest oak branch. The ancients also believed that with the help of acorns, they could come into contact with the gods who ruled the natural world.
The bark was used for tanning, dyes and medicinal purposes and had a wide range of uses. Oak wood was also used for coffins to hold the remains of the dead and was associated with the afterlife. Oak acorns were a favourite food of pigs in ancient times and helped in the mass rearing of pigs. Oak trees, as well as the mistletoe that inhabits them, were a factor in oak worship. Because it was believed to have fertility and reproductive benefits, a ceremony was held on the sixth day of every month in the lunar calendar to reap the mistletoe by the druids (Ref2).
The oak woodland was revered as a sanctuary by the Celts and was called Nemeton. Druidic rituals were held under the oak trees of this Nemeton. There is evidence of the presence of many Nemetons in continental Gallia (the ancient name for the ancient Celtic settlements).
The oak tree, imbued with energy, power and vitality, represents divinity in nature as a gateway to the inner world, a passage to the Kingdom of God, and communicates its divine will to us in the company of the gods.
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木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (16)
D for Duir (Royal Oak) - 6月10日~7月17日
『6月の木〜 ケルトの木の暦(参照)の第7月』
金属: 金; 宝石: ダイヤモンド; 性: 男性; 守護神: ダクダ、エスス、タラニス、アルテミス、ゼウス、ユピテル、トール; シンボル: 力+忍耐、寛容+保護、正義+高貴さ、正直+勇気
オークはケルト人が最も崇拝した樹木で、背が高く,丸々としてどっしりとした幹は太くて丸く、冠のようにこんもり広がっている。堂々とした巨木に成長し、長生きすることから、永遠に生きたいと願うケルト人の信仰の対象となった。
崇拝されたもう一つの理由は、その有用性が高かったことである。住居や家具などに使われた。アーサー王の円卓の騎士たちが囲んだ丸テーブルは、1枚のがっしりとしたオークの木でできていた。英国では、アーサー王とともに、オークは魔法の守護者とされていた。魔法使いのマーリンはオークの森で魔法を使い、魔法の杖はオークの最上の枝でつくられていた。また、昔の人々はどんぐりの力を借りれば、自然界を支配する神々と接触できると信じていた。
樹皮は皮なめし、染料、薬用などに用いられ、用途は広かった。オーク材は死者の遺骸を入れる棺桶にも使用され、死後の世界とも関わりがあった。オークの実、どんぐりは古代には豚の好物で、豚の大量飼育にも役立った。オークの木だけでなく、オークの木に宿るヤドリギも、オーク崇拝の一因であった。多産と繁殖をもたらす効果があると信じられたことから、ドルイド(参照2)の手でヤドリギを刈り取る儀式が陰暦で毎月6日に行われた。
オークの森林はケルト人にとって聖域として崇められ、ネメートンと呼ばれた。ドルイドの祭式はこのネメートンのオークの木の下で行われた。大陸のガリア(古代ケルト人の居住地の古称)にはネメートンが多く存在した証拠が残っている。
エネルギーと、力と、活力をそなえるオークの木は、内なる世界への入り口、神の国への通り道として、自然界における神性を表し、神々との間にあって私たちに神意を伝えている。
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kyoto4 · 6 months
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20231103 文化の日、快晴
 このところずっと天気がよい。あまりにも雨が降らないおかげであちこちカラカラである。今年の秋は台風がきていない。発生しても日本列島にまであがってこない。気温も連日25℃をこえている。  文化の日という祝日は、日本国憲法が公布された日である。古来は天長節、明治天皇の誕生日にあわせ、新暦のこの日と明治節と定めた。そして戦後においてわざわざこの日を日本国憲法の公布日としたのは、明治節を祝日として残したいという政府の思惑と、日本という国が戦争を放棄した平和国家に生まれかわる、というつよい願いの入り混じった結果である。  でもそういうことはあまり現代では知られておらず、何か文化的なことをして過ごす日、と漠然と認識されている。文化的な行いを為すには、世の平和によって担保される必要がある。現実において、殺し合い、破壊の応酬をおこなっているような地域では、そんな余裕は生まれない。理想と社会的な現実は大きくちがうのかもしれないが、それでも「理想」を思いうかべることのできる能力を人間は持っているのだから、それを追い求めることは可能である。  夫鳥俛而啄、仰而四顧。夫獣深居而簡出、懼物之為己害也。猶且不脱焉、弱之肉強之食。(韓愈・『送浮屠文暢師序』より)  いわゆる「弱肉強食」の出典とされる鳥や獣が捕食活動をするさまを描写したところだが、食物連鎖の一部をとりあげたもので、それは肯定も否定もされるようなことがらではない。生存競争という字句には勝者や敗者という価値判断を含まない。ルールを整備し、誰もが気持ちよく生きてゆけるようにつかえるだけの知能をもちながら、それをあえて見ないふりをしてゆくというのは、なんとももったいないことだと思う。  紅葉がいくらかすすみはじめた。京都の風景が、いちばん美しく映えるのは、この時期、これからという人は多い。春は霞み、夏は暑すぎる。冬は彩の多くを失う。秋がよい。  当然のことながら、観光客がふえてきた。海外からもたくさん来ているし、道路を走っているクルマも他府県ナンバーが目立つ。新聞には毎度のことながら観光公害を危惧する記事が週に一度は掲載される。市バスは観光スポットのみに停車する急行バス導入をきめ、巨大な手荷物持ち込み対策もすすめようとしている。京都駅からの乗合タクシー運用も試験的にはじまった。それでもあちこちで、いろいろと問題はでてくる。問題の根幹は、観光客がふえることで利益を得られる人と、迷惑をこうむる人が別々であるという点にある。地元以外の業者の進出も、コロナ禍をうけてさらにすすんだ。  実際のところ、海外から観光に訪れる大半の人たちのマナーはそんなに悪いものではない。たまに、文化的なちがいの何かが目だつだけである。(あとはサイズの問題)。ちゃんと説明して呼びかければ、ほとんどの場合は通じる。  そうやって文化的な交流がすすめば、先々の思わぬいさかいは減らせることができる。知らないから畏れる。敵対するよりも仲間となるほうが、はるかに生存にかけるコストは小さくすむ。場合によって統治者は、共通の敵を設定することによって生まれる集団の結束を利用し、統治コストを落としたいと願うことがあるが、それは統治者のエゴである。文化とは非権威主義的なものである。人が人を支配することに、根本的に抗議するものである。  文化の日に思う。
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furoshikiblog · 3 months
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【 春節 】
いよいよ2月、暦の上では春を迎えるこの時期話題になるのが春節。
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春節という呼び名は中華圏でのものですが、 近年はこの大型連休の来日によるインバウンド効果への期待で、日本でも大きく取り上げられますね。
春節は旧正月とも言われ、日本では明治5年に太陽暦を採用してからほとんど行われなくなりましたが、 中国やアジアの一部では現在も盛大に行われます。
旧暦と言われる太陰暦では日付が大きく変わることがあるため、 昨年の春節は1/22、今年は2/10と2週間以上違ったりするのも話題の一つ。 前後の1週間ほどがお休みとなって、ネットでもセールが行われたりしますので要チェック。
日本国内でも中華街などで盛大なイベントが行われますので、 機会があったらのぞいてみてはいかがでしょうか。
   春節の 竜を遠くに 見て帰る  谷川季誌子
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kennak · 3 months
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現在のボーイング社従業員です – NTSB の報告書が発表されるまで 2 年間待たずに済み、無料で差し上げます。ドアが吹き飛ばされた理由は、ボーイング社自身の記録に白黒はっきり記載されています。 それはまた、非常に非常に愚かであり、ビジネスの特定の部分における品質文化について雄弁に語っています。 …話はそれとして…N704AL として登録されている 737-9 の左側 (LH) 中間出口ドア プラグが吹き飛ばされたのはなぜですか? シンプル - 航空チャンネル全体の多くの記事やビデオで取り上げられているように、飛行中に実際の加圧荷重を受けるドア ストップ金具から中間出口ドア プラグが滑り落ちるのを防ぐ 4 本のボルトがあります。ボーイング社が航空機を納入した際にはボルトが取り付けられていなかったため、当社自身の記録がこれを反映しています。 …その結果、最小限の欠陥を見つけるはずのこのチェック作業では、過去 365 暦日で 737 個の胴体中央ドアの取り付けに関して 392 件の不適合所見が記録されました (つまり、高密度構成の実際のドアと、吹き飛ばされたもののようなプラグの両方) 。 これは恐ろしく高く、非常に憂慮すべき数字であり、737 の品質システムが健全であれば、最初の数件でラインが停止し、問題がサプライヤーに引き戻されていたでしょう。 …さて、事件が起きた航空機では、このチェック作業は 2023 年 8 月 31 日に完了し、不一致が判明しましたが、実際に故障したのは LH ではなく、RH サイドドアでした。 特定の詳細を見逃したことでチームを責めることもできますが、チームがすでに発見して修正していた膨大な量の欠陥を考慮すると、何かがすり抜けてしまうのは避けられませんでした。そして、事件が発生した航空機で何かがすり抜けました。 この時点で何を考えているかはわかりますが、どんでん返しが待っているので、ポップコーンを食べてください。 翌日の2023年9月1日、別のチーム(737は工場内を非常に素早く通過することを思い出してください。24時間で誰が飛行機で作業するかが完全に変わります)は、飛行機の左側の中間出口ドアに損傷し、不適切に取り付けられたリベットに関する調査結果をまとめました。事件が起きた航空機。 …737 型機のスピリットには非常に多くの問題があるため、スピリットはレントンの現場にチームを置き、粗悪な品質に対する保証作業を行っており、この SAT はすぐに保証対象品として彼らの待ち行列に入れられました。 SAT メッセージでは多くの口論が続き、Spirit が作業パッケージに到達するまでに少し時間がかかります。 完了したら、最終的な承認を得るためにボーイングの QA に送り返しますが、その後、悪意のある愚かな行為が発生します。 ボーイングのQAはCMES(これも正しい会場)に別の記録を書き、スピリット社は矛盾したリベットを実際には再加工しておらず、*欠陥を塗りつぶしただけである*と(写真付きで)述べている。 ボーイング社の生産用語で言えば、これは「プロセスの失敗」です。 航空会社の A&P 整備士にとって、これは「連邦犯罪」と呼ばれるでしょう。 …最後に、「ドアを完全に取り外す必要があるか、それとも単に開ける必要があるかを決定するためにドアチームと調整中」というような内容の忌まわしいエントリにたどり着きます。 削除された場合は、削除の文書を作成する必要があります。」 注: 除去は CMES の記録の一種で、航空機が図面要件に復元されたことを QA から正式に承認する必要があります。 この状況を注意深く観察している場合は、重大なエラーに気づくことができるかもしれません。ドアが単に開いているのか、完全に取り外されているのかに関係なく、ドアがドア ストップから滑り落ちないようにしている 4 本の固定ボルトをしっかりと閉める必要があります。抜かれた。 どちらの場合でも、QA がインストールを検証するために削除を書き込む必要がありますが、結局のところ、誰か (まさに調査者にとって興味深い質問になるでしょう) が、ドアを開けるだけで済み、CMES では正式な削除は生成されないと判断しました。 (理由は不明ですが、重大なプロセスの失敗です)。 したがって、航空機の公式製造記録には、ドアを開けなければアクセスできない圧力シール (したがって保持ボルトを取り外すこと) が交換されていることが文書化されていますが、ドアは正式には開かれていないため、QA 検査は必要ありません。
ボーイングの内部告発者:生産ラインには「膨大な量の欠陥」がある MAX 9 のボルトは取り付けられていなかった - 翼からの眺め
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toxgo · 1 year
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Meet Brad Pitt
「ブラッド・ピットはお好きですか?」
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晴子さんよろしくな質問。僕は山王戦を迎える花道よりも早く、「大好きです」と即答できる自信がありますし、もちろん嘘じゃないっす。もしも海外のムービースターに1人だけ会えるよと言われたら、僕はブラピに会いたい。
いや、、やっぱりちょっと悩ませて下さい笑 ぱっと思い付くだけでも、ゴズ兄やキアヌやイーサン・ホークにも会ってみたい。でも、そんな願いが万が一叶うのであればブラピは間違いなくベスト3。
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僕の友人の中で、物理的に誰よりもブラピに近づいた男こと徳利さん。羨ましい。羨ましすぎる。さらにこの写真の好きなポイントは、徳利さんのキティちゃんTee。そして、ブラピがサングラスをOFFしてる位置です。
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ブラピの顔と名前が僕の中で一致し始めたのは、97年頃に流れていたEDWINのCM。一度聴くと忘れないブラピの声とあの♫503〜の歌。それから時は流れ、初めてスクリーンで彼を見たのは2001年に公開された「OCEAN’S ELEVEN」でした。
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坊主でも長髪でも、髭があろうがなかろうが、ヤングな時も、中年時代も、今年で還暦を迎えようが、どの時代でも僕らを魅了し続ける存在のブラピ。
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皆さんはブラピが出演した映画だと何が好きですか?この質問には一つだけ縛りを付けますね。「FIGHT CLUB」と「SE7EN」は殿堂入りすぎるので、この2作品は除外です。
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僕は「BABEL」や「ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD」かな。あとは、ほぼ出演していないと言っても過言ではないけども、ジャンキーな役をブラピが演じたところに価値があり、脚本と監督が最強タッグの「TRUE ROMANCE」や、この作品がブラピの出世作だと思う方も多い、ロバート・レッドフォード監督の「A RIVER RUNS THROUGH IT」も好きだな。
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でも、今回はもう1つのお気に入りである「MEET JOE BLACK : ジョー・ブラックをよろしく」について。
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物語は死神と社長令嬢のラブストーリー。最初の衝撃はいきなり訪れます。冒頭でブラピは交通事故に遭い、死んでしまいます。
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ヒロインのスーザンと初めてコーヒーショップで出会ったその冒頭シーンは今なお語り継がれる名シーン。当時のブラピのイケメンさは言うまでもなく抜群。それに加えて、女性に対する絶妙な距離の詰め方やウィットに富んだ会話術なんかは、現在進行形でシングル男子が身に付けたいナチュラルさ。
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その後、人間の生活を体験したい死神がブラピの体を乗っ取ります。ここでのポイントは肉体だけであり、記憶や性格などの内面は死神には引き継がれてないということ。
この死神ことジョー・ブラック(以下:ジョー)は一代にして財を成した実業家であるウィリアム・ビル・パリッシュ(以下:ビル)の知性やカリスマ性に興味を持ち、近くで観察してみたいとビルの家にやってきます。
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ビルには2人の娘がおり、その1人があのコーヒーショップで登場したスーザン。あの名シーンの時に、名前や連絡先を聞いておけばよかったと、心残りがあるスーザンにとっては衝撃的な再会。
でも、ジョーにはその記憶がないので初めましてな状態。そもそも、ジョーがビルの前に実体として現れたのは、観察も1つの理由ですが、ビルの余命が残り僅かだったから。寿命を操れる死神らしいチートな能力を振り翳し、ビルの余生を少し伸ばしてあげます。その代わりに、ビルの側で人間の生活を送らせてもらうのが交換条件でした。
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でも、ジョーに1つ誤算が生じます。それは、スーザンに恋をしてしまったこと。初めはなかなか噛み合わなかった2人。しかし、ジョーは人間の生活に少しずつ慣れ始めるのに比例して、完全にスーザンラブ。そしてスーザンも確実にジョーに惹かれ始めるのです。
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お互いに距離がグッと近づいてきたある日。ビルの人生最後の日は、彼の誕生日に決まります。誕生日パーティーの最中に、ジョーはビルにスーザンとこれからも一緒に居たいと告げます。しかし、ビルはそれを心良く思わず首を縦に振りません。そりゃそうです。死神と愛娘が付き合うなんて。でも、ここでビルは、ジョーに出会った時に言われた言葉を上手く引用して、愛するとは?何かと力説します。
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ビルの力説が全く響かないジョーはスーザンの気持ちを確かめるべく、パーティー会場で彼女を探します。これが結果的にスーザンとジョーの最後の会話。
女性の勘といいますか、何となく会話の流れから別れを予感してしまうスーザン。その予感と合わせてスーザンが1番に語り出した思い出は、死神のジョーがずっと知らないままの記憶だったあのコーヒーショップでの出会い。その時にジョーは気付かせれます。コピーはオリジナルに勝てないと。
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ジョーがキタサンブラックばりな漢の引き際を見せて迎えるクライマックス。ここからのラストシーンは好き嫌いがはっきりと分かれるはず。なのでラストについてはあれこれ書きません。
1つだけ言うのであれば、この映画はファンタジーです。要はクライマックスのその後をあれこれ考えてはダメ。それは御伽話と同じです。このラストは現実的にありえねーって思う人はもちろん多いはず。でも、ありえなくていいんです。
僕は映画って、その作品の世界観にどれだけ自身の経験や願望を重ね合わせることが出来たかが好きの大きさに繋がると思ってますが、アクションやサスペンスの類の作品にはその物差しを使う事はあまりありません。では、ファンタジーはどうでしょうか? そこを踏まえてもう一度お伝えします。「MEET JOE BLACK」は限りなく現実世界に近いファンタジーなのです。
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約3時間の大作映画ですが、全く退屈を感じさせない脚本と俳優陣。要所要所のサブストーリーや、名優アンソニー・ホプキンスの紹介がごっそりと抜けてしまいましたが、それは余白としてまだ見たことないよって方は、是非そこもお楽しみ下さい。
今から25年前の98年公開の「MEET JOE BLACK」。21世紀の足音がすぐそこまで聞こえはじめ、僕にとってのインターネットや携帯電話が日常になるちょっと前の時代。それは劇中の時間軸も同じくらい。
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誰かに会うには直で行かなきゃだし、待ち合わせの連絡なんかは今よりも絶対にリスペクトが必須。昔と比べすぎるのもあれですが、何事も簡単につながることができる今よりも確実にめんどくささが勝る。でも、それらの事柄が絶対に暖かい時代だった。
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ジョーとほんのり重なる経験談として小話を1つ。僕の人生で、初めて彼女が出来たのは中2の時。お相手は1つ年上で少しやんちゃな竹原先輩。付き合いはじめにもらったのはノートの切れ端。もちろんデスノートではなく、そこには先輩ん家の電話番号。嬉しくてたまらなかったのも束の間、先輩にお兄さんがいることを知ります。そのお兄さんは、フッド界隈ではなかなかのワル。もし、電話をかけて、それを兄ちゃんが取ってしまったら。そんな思春期よろしくな悩みが邪魔をしてしまい、14歳の僕は先輩ん家に家電するのを完全にチキってました。
でも、いよいよ決心がついたある日。ヤンキーってそもそも家にあんまり居なくない?や、仮に居たとして、家の電話が鳴っても自ら受話器を取らないでしょ!と、勝手過ぎかつ失礼な妄想を頭いっぱいに広げて準備万端。テレフォンカードを握りしめいざ向かう先は、実家から秒のセブンにあった公衆電話。そこからダイヤルしたあのドキドキとアナログ感。思春期+恐怖+恋心が入り混じり、替えがきかないこの経験を僕は生涯忘れることはないでしょう。
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簡単に連絡がとれてすぐに会える現代。会う前には、その人の何やかんやが調べればすぐに分かってしまう。先入観とは時に恐ろしく、相手に対して作ったイメージを、なかなか崩してくれない。他者との距離が近くなり、何事も便利にな��すぎてしまった反面で、人付き合いが窮屈に感じたり、生きにくくなったなと考える場面は多くないですか?そして、人や洋服やその他色んな物事をひっくるめての"好き"が離れてしまうスピードは増すばかりだと思う。
これからが今よりもそうなってはヤダしつまらない。無理に周りに合わせなくていい。だって、自分の好きがブレなければ、この先はそれにもっと夢中になるしかない時を費やせるはずだから。「MEET JOE BLACK」は恋愛ストーリーがメイン。でも、年始に改めて鑑賞し見終わった後には、懐かしさを踏まえつつそれをちょっと思い返したり、"好き"であり続ける大切さをふと考えちゃいました。
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と、最後はブラピから脱線しましたが、大好きな「MEET JOE BLACK」から着想を得たTOXGOオリジナルアイテムを作りました。
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「ジョー・ブラックをよろしく」 の劇中で1番印象的なアイテムとは? それは間違いなく満場一致でピーナッツバターです。そして、ただのピーナッツバターでダメです。アメリカの老舗メーカー"Laura Scudder's"メイドじゃないといけません。
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ジョーが人間界で初めて口にした食べ物がこの"Laura Scudder's"のピーナッツバター。それ以来この味の虜になり、人間界を離れる最後の最後まで口にしたい(正確には舐めたい)と願ったフェイバリットアイテム。
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タイトルのJoe Brackを「Brad Pitt」に置き換えました。これは映画に対するリスペクトと、冒頭に述べた、ブラピに会いたいという想いのダブルミーニング。そして、Laura Scudder'sの昔のパッケージに採用されていたピースフルなブルーバードを隣にあしらいました。
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使用したボディは90sデッドストックのF.O.L。ほぼコットン100素材でいい塩梅のヘビーウェイト。ボクシーなシルエットとリブのテンションも抜群です。そして、発見時は真っ白だったこちらのボディを今回のテーマに合わせてピーナッツバター色に染めました。デッドストックの良さをあえて無くした贅沢なボディです。
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僕の思い付いたアイデアをGOROさんがグラフィックにしてくれて、TATSUOさんが発見してきたヴィンテージボディにそれを刺繍でONしたTOXGOオリジナルです。
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MBP CREWNECK
Size : L / XL / XXL
¥14300 (tax-in)
※染める工程で全体的に縮んでいます。ノーウォッシュ時よりも着丈すっきりシルエット。Lサイズは女の子にもオススメです。XXLサイズは生粋のユーザーの方には、ちょっぴり物足りないかもしれません。
※3.3の12:00から店頭先行で販売します。
※オンラインは3.4の20:00にアップします。
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届け。ブラピ好きに。
NARI
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myonbl · 8 months
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2023年9月2日(土)
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毎年、<暦生活>が発行する日めくりを愛用している。何しろ種類が多く、にっぽんのいろ/誕生花/宙/俳句・・・と楽しんできた。さて来年は・・・、ここは初心に返り(?)先祖たちが大事にしてきた旧暦文化を改めて導入することにした。9月に入ったばかりだというのになんと気の早いと思われる向きもあるだろう、はい、私はこういう奴なのですよ。あ、和菓子フォークは暦とはなんの関係もないが、安売りしていたのでついポチってしまったのだ。はい、私はこういう奴なのですよ・・・。
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5時30分起床。
日誌書く。
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ツレアイは健診のために私1人の朝食、納豆ご飯+かき玉汁+ヨーグルト。
洗濯1回。
ツレアイは先日の健診結果で再検査項目があったとかで、<京都南病院第二南診療所>へ向かう。
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Facebookに紹介されていた黒川みどりさんの文章、いい内容だったので露の新治さんにメールで紹介する。ついでに、『図書』の年間購読を申し込む。
露の新治さんの、10月の出演情報をチェックする。
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10/3(火)6(金)7(土)の喜楽館、10/10(火)の繁昌亭に行くことを決定。繁昌亭は新治さんに予約依頼、喜楽館はタニマチ割引が多いので直接電話する。
ツレアイ帰宅、月曜日に心臓の何とかいう検査をするとのこと。パンとヨーグルトで軽く腹拵え、すぐに買物に走る。
ランチ、息子たちは素麺、私たちは麻婆丼+🍺+🍷。
軽く午睡。
iPad Air + Kindle で読書、とても読みやすい。
ツレアイは16時からWeb研修。
私は17時から夕飯準備、久しぶりに天ぷらにする。
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カボチャ・サツマイモ・ニンジン・レンコン・ナス・エリンギ、鶏の唐揚げは少し色が濃すぎたがこれもご愛敬。
録画番組視聴。
(32)「這(は)う人」
ジェレミー・ブレットが演じた<世界一有名な探偵>シャーロック・ホームズのドラマシリーズ。ある自然科学者にまつわる怪事件。捜査が進むと事件は意外な展開に… プレスベリ教授の秘書ベネットは、教授の娘イーディスと婚約している。ある日の深夜、何者かが3階にあるイーディスの寝室を外からのぞいたという。翌日、ホームズたちは現場を調べに訪れるが、そこに帰宅した教授はなぜか尊大な態度だった。ホームズは教授が若い女性と婚約したことや、最近3度も愛犬に襲われたこと、さらに教授あてに秘密の郵便や小包が送られてくるようになった点に着目する。イギリス1991年制作。
片付け、入浴のはずが🍷効果ですぐに爆睡。
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今日は家から一歩も出なかった、水分は1,380ml。
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ari0921 · 3 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月12日(月曜日)
    通巻第8128号
「AIと遺伝学の研究を止めることは不可能、「超人」誕生への道が開かれる可能性。
  人類は最終的脅威に気づき、規制に関する国際合意に達するだろう」(プーチン)
*************************
 プーチン大統領がタッカー・カールソンとのインタビューのなかで、脳に埋め込んだAIと医療分野でもAI革命とも言える最近の動きについて語っている箇所がある。
これはイーロン・マスクのニューラリンクが行った医療の技術進歩をロシアの指導者がいかに評価したかという世界観の認識に繋がる問いである。
「AIの進歩は続くだろうが、規則が必要である」として、プーチン大統領はカールソンに発言を続けた。
「AI帝国が間もなく現実になると思う。イーロン・マスク氏を止めることはできない。AIと遺伝学の開発は形式化され、一定の基準に従う必要があるため、何らかの共通点を見つけることが重要だ」
さらにプーチンは次を指摘した。
「AIと遺伝学の研究を止めることは不可能であり、これにより「超人」誕生への道が開かれる可能性がある。けれども人類は最終的に技術の野放しな開発がもたらす脅威に気づき、規制に関する国際合意に達するだろう」。
 AIと遺伝学の発展を核兵器の出現に例え、「ひとたび人類が核兵器による生存の脅威を感じると、すべての核保有国は核兵器の過失による使用が危険な可能性があることに気づいて以来、互いに歩み寄り始めたように、AIを人間存在の「新たな章」と認識すべきだろう。認知機能をもつAI誕生を阻止することはもはや不可能である」。
 このような大議論が展開されたのだが、西側の反応はやぶにらみ、最初から否定的な態度だった。
 ジョンソン英元首相は「プーチンの言い分を聞くなど裏切りだ」 
スナク現英首相は「西側が戦争を始めたというプーチン大統領の主張はばかばかしい」
 ジョルツ独首相は「不条理だ」
 ヒラリー・クリントン元国務長官は「米国政府よりロシアの指導者を信頼するとは!」
 ロシアでリベラルな立場に立脚し、プーチンに批判的なのが『モスクワタイムズ』である。同紙はプーチン政権から「外国の代理人」と批判されている。しかし、中国がリンゴ日報を潰し、創刊者のジミーライを逮捕し、起訴したが、ロシアではまだ言論の自由が担保されている。
 同紙はこう皮肉った。「プーチン大統領は、約2年前の戦争開始以来定期的に持ち出してきた、疲れ果てた不満に満ちた歴史物語を語った。彼は西暦862年のリューリク王朝の創設と西暦988年のルーシの洗礼か、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンが「人為的に」ウクライナ国家を創設したとされる時代、その後のソ連の崩壊に至るまで、あらゆることを語った」
『キエフポスト』に、次のコラムがでた。
「タッカー・カールソンのモスクワへの旅行は、内なる欲求不満を和らげ、誇大妄想を満たすために、自分を認めてくれる簡単な機会を掴む人々の長い伝統に従っている」。つまり敵のプロパガンダを宣伝し、売名に使ったのだと批判である。
 プーチン礼賛の英語版プラウダは、書いた。
「プーチン大統領は、一冊のメモも持たずに東ヨーロッパの1000年の歴史を28分以上費やしたが、バイデン氏は昼食に何を食べたか全く分かっていない。恐ろしいことだ。」
こっぴどく非難するかと思われたニューヨーク・タイムズは意外と冷静に「ロシア大統領が米国にウクライナ問題で交渉するよう求めた。プーチン大統領は2時間のインタビューで、ウクライナ侵略が軍事的勝利で終わるのではなく、西側諸国との合意で終わるとの見方について、いつもより率直に語った」と伝えた。
 
 まったく奇妙なのが保守系メディアのFOXニュースだろう。カールソンの古巣である。同局はものの見事に一行もカールソンvsプーチンの記事を報じていない。黙殺である。
 その一方で、米国メディアはバイデン大統領の記憶力を問題としている。
トランプが言った。「バイデンは自分が生きているのかさえ認識できないのではないか」。
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yamada50 · 1 year
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恒例の令和4年ベスト9です 今年もたくさんのフォローといいねありがとうございました 今年はお仕事忙しくぬくぬくサラリーマンをしているにも関わらず休日は二桁でしたので神社巡りはあまりできませんでした 一方仕事も神社関連も色々新しいことにチャレンジしてきた一年でもありました 個人的には仕事でも成果も出せたし、神社関連もいろんな種まきもできて、来年は更なる飛躍を目指すべくがんばろうと思うとともに、フォロワーの皆さんの支えに感謝と令和4年に感謝と来たる歳旦に胸を踊らせている次第です とはいえ僕は暦を特に意識するライフスタイルではないのでいつもと同じ1日の大晦日でございました 佳いお年をお迎えください #八百富神社 愛知県蒲郡市 #大峯本宮天河大辨財天社 奈良県天川村 #貴船神社 京都市左京区 #吉田神社 京都市左京区 #伏見稲荷神社 京都市伏見区 #木嶋坐天照御魂神社 京都市右京区 #今宮神社 東京都文京区 #平安神宮 京都市左京区 #厳島神社 広島県廿日市市 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい https://www.instagram.com/p/Cm1VWbzvW9A/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tanakadntt · 1 year
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三輪秀次の小説(二次創作)
【3】
三 六月 奈良坂透
「結局、エントリーしなかったじゃん、ランク戦」
「スナイパーが見つからなかったからな」
「遠距離かあ」
 出水は箸を動かす手をとめて、うーんと首をひねった。三輪隊はいまだ結成されていない。
 昼休みの学校である。��屋、出水と共に机を囲んでいる。米屋はもちろんのこと、出水とも弁当を食べる機会も出来て、三輪はうれしい。射手の天才も話してみれば普通の高校生だ。人間とは奥深い。
「スナイパーがブームだから探せば見つかるんじゃねえの?」
 隊を解散した直後から、東はスナイパーの育成に力を入れている。『最初の狙撃手』である彼の指導が直接受けられるとあって、狙撃手訓練室は希望者が殺到している。
 確かにそうなのだが。
「と、思うじゃん?」
 米屋がパックの野菜ジュースを指揮棒のように振ってみせた。
「何か問題があるのかよ」
 どや顔で、あるんだなと返す。
「もったいぶるなって」
「ウケるんだって。前の隊で一緒だった狙撃手の腕がすごすぎて秀次の狙撃手に求めるレベルがおかしい件。」
「は?」
 出水はしばし沈黙した。
「あーあーあー、それ?」
「それ」
「それかあ。ないわ、それはないわぁ」
 三輪は黙って、あんパンを食べるしかない。
 既に暦も来週には七月である。
 先だって、二宮隊、加古隊両隊とも晴れてランク戦デビューを果たした。両隊とも現在、いい成績も残している。
 今回、三輪は参加を見送った。ふたりでやろうぜと言う米屋に悪かったが、三輪は諾としなかった。二人で戦って勝つ道筋はやはり難しいと判断したからだ。部隊結成の申請もまだである。
 狙撃手に求めるレベルがおかしい件。であるが、それほどおかしいレベルを求めているとは三輪自身は思っていない。実戦で使えるレベルと考えると、最近入隊したばかりの新人では難しい。育てていく余裕は今の三輪にはない。実力をそろえておきたい。同じく狙撃手をチームに入れた二宮にも相談したら同意見だったが、二人とも感覚がおかしくなってるのだと言うのが、米屋の主張である。
 そんな話をした午後、三輪は米屋と本部にいた。五月からこちら、なるべく米屋と一緒に防衛任務にあたるようにしているが、近くで戦うほどに米屋の底知れなさを感じている。強いだけではない。彼は優れた戦術家だった。判断が早く的確で、しかも独断専行しない、必ず周りの状況に気を配る。連携がしやすいのだ。チーム戦にとって、この連携が重要だと三輪は考えている。エースはいらないというのが、三輪の結論だった。
 任務を終えてさらに、米屋はブースに行くという。個人戦の約束があるらしい。 三輪は米屋の個人戦を見学するか、ロビーで月見を待つかを迷っていたときであった。
 彼独特の軽い口調が三輪の名を呼んだ。
「よお、秀次」
「……」
 三輪はただ、沈黙で答えた。
 食う?と差し出された菓子袋は無視した。油菓子は嫌いである。遠慮なくと言いながら、米屋が手を突っ込んでいる。コミュ強者め。挨拶のように、対戦を申し込んでいるが残念ながらS級は個人戦はできないはずだ。ごめんなあというヌルい返事を聞く。早くこの場を立ち去りたい。
 迅悠一は、三輪が一方的に距離を置いている人物である。身も蓋もない言い方をすれば、敵であると言っていい。少なくとも三輪はそう思っている。
 彼の能力は未来を見晴るかす。神のサイコロを持つ男である。同時に、神を欺くいかさま師でもあった。なぜなら、覗き見た未来を自分の望む方角に寄せることができるのだから。
このチーターが一体どういう経緯で、ボーダーという民間組織に身を置いているのか、三輪は知らない。
 この男の何がいやなのか。まだ十五才の三輪には明確な理由をあげるのは難しい。立っている場所が違う。見ている方向が違う。同じ方向をみるつもりはない。三年前から、三輪は未来などいらないのだ。それをつゆほども気にせず、話しかけてくるのが腹立たしい。何者なのだ。何者のつもりなのだ。お前が正しいのか。この分け隔てなさも不気味なのだ。もう放っておいてくれと思う。一度は彼の選択した未来から外れた身の上なのだ。
「ああ、秀次」
 いつものふわふわとした口調で彼はついでのように付け加えた。
「いま、ブースに行かないほうがいいと思うよ」
「行く」
「秀次、待てってば」
 本部ブースである。行くしかないだろう。前を行く三輪に、米屋がいささか呆れ気味でついてくる。元々の目的地でもある。そこには果たして米屋を待つ人物がいた。
「米屋ぁ、遅い」
「当真さん、ごめんよ」
 リーゼント頭の彼は当真勇という。入隊時期は米屋と一緒である。一つ年上の背の高い男だ。約束していたのは、この男らしい。
 三輪は黙って頭を下げた。
「ああ、東さんとこの坊主」
 一コしか違わないだろうと言いたいところをぐっと我慢する。彼はスナイパーである。彼を指導する東は冗談で『デューク』になれる逸材だと賞賛していたが、三輪にはその比喩はちょっとわからなかった。が、彼はスナイパー向きではないと密かに思っている。突出した才能とそれゆえにある自負が邪魔をして後方支援には向かない。
「早速、対戦しようぜ」
 ところが、当真は眉を下げた。
「それがなあ、米屋。ちょっと、予定が入ってな」
 えー、と米屋がぶうたれる。
「わりいな」
 真木ちゃんがさあと続ける。この男は最近結成された隊に入ったばかりだ。ボーダー上層部の思惑どおり、B級隊の結成ブームである。
「あのきつい感じのコねえ、当真さん、いっつも怒られてそう」
 米屋の軽口にそうなんだよと応えながら、こちらを見下ろした。
「お前ら、組んだのか」
「はい」
「登録まだだろ。部隊結成の届け出も出していないのかよ。二人だけでも出せるだろう?」「遠距離手が決まっていないので」
「ぼやぼやしてんな。俺んとこなんざ、俺とマキリサの二人だぜ」
 そうは言われても、スナイパーとオペレーターだけの構成で申請するのがおかしいのだが、三輪は何も言わなかった。自分も少し前までは同じような立場だったし、どのみち、彼は狙撃手でありながら、いわゆるエース向きという変わり者なのだ。
 当真は顎をかいた。
「んじゃ、ドタキャンのお詫びに俺の次にうまい狙撃手を紹介してやるよ」
 俺としても好都合だし、とつぶやく。米屋がちらりと三輪を見た。先程の迅との一方的な会話が嫌でも思い返された。
『ああ、秀次。いま、ブースに行かないほうがいいと思うよ』
 未来視か。
 なんのつもりだ。いや、なんのつもりもないのだろう。ただの気まぐれだ。
 そういうわけで三輪は不機嫌である。
 出来ることなら断りたかったが、当真が純粋な好意から申し出ているのもわかっている。もしかしたら、迅が関与していない可能性もなきにもあらずだ。
 当真とともに訪れた狙撃手訓練室にはイケメンがいた。
「おおい、奈良坂ぁ」
 合同訓練、個別訓練ともすでに終わったらしく、閑散としている。見学席でノートに何かを書きとめていたイケメンは、ちらりとこちらを見たあと、ふいっと顔を背けた。無視か。
「おうおう、無視すんなよ」
 慣れているらしい。当真は気にせず、彼の横に腰を下ろす。ノートをちらりと見て、真面目だねえと言えば、イケメンはさっと鞄にしまった。
「どお、こいつ、お買い得だぜ」
「は? お買い得ってなんですか? 当真さん」
 随分とんがったイケメンである。
「こいつら、スナイパーを探している米屋と三輪。一コ下だからお前とタメだろう? 一緒に隊を組んでやったらどうだ?」
 簡潔かつド直球な物言いに、こんな時であったが、三輪は当真をかなり見直した。三輪にはできない。出来なくともやれ、そして隊員を見つけてきなさいと月見に言われている。イケメンはじろりとこちらを見た。塩対応をものともせずに、当真はニヤリと笑って、長い脚を組んだ。強者の貫禄だ。
「奈良坂、お前、俺と戦いたいんだろう? 隊に入れよ。俺、すぐにA級にのぼっちまうぜ」
「当真さんの紹介なんてごめんだ」
 俺は真木ちゃんと約束があるから、あとはお若い三人でと当真が消えたあと、イケメンはそう言い放った。とりつくしまもない。
「そう言われても、俺は何も悪くないんだが」
 しかし、三輪はひるまなかった。元々、迅のせいで機嫌が悪いのだ。
「まあまあ、秀次」
 米屋はさすがのニュートラル平常運転だ。
「俺、知っているぜ。今シーズンの新人王」
「まあ、一応」
 ぼそりとイケメンは答えた。
 新人王とは新入隊員でそのシーズンに一番ソロポイントを上げた隊員のことである。
三輪は目を見開いた。フリーでポイントをそこまであげるのはから相当なことだ。
「なんだよ」
 イケメンも機嫌が悪い。
「さっき、当真さんの言った通りだ。フリーと聞いたが、隊を組む気はあるのか?」
「お前らが強ければね���
 三輪はそうかと頷く。
 そうでした。ああ、そうでした。スナイパー、超めんどくさかった。前隊にいた頃、訓練で東に二宮、加古と三人で仕掛けたときを思い出す。
 対戦ブースでのイケメンとの模擬戦の最中である。ここのところ、米屋と手合わせすることが多く、スナイパーとの対戦は久しぶりだった。
「わりぃ、秀次」
 そういいながら消えていく相方を見送る途中で、三輪もヘッドショットを受けた。  結果、2ー8である。三輪にしてみれば惨敗だ。イケメンは強いイケメンだった。
 三輪をおとりにして、米屋が突っ込んだのが成功したが、一回のみ。
 斜線を切りまくって、近づいて倒したのが一回。
 とにかくイケメンの場所がわからない。気がついたときは撃たれている。しかも、予想した場所よりかなり遠くから。
「弱いね」
 フロアに出てきた彼は涼しい顔である。三輪はソファにめり込んでいた。悔しいのだ。米屋との連携もほぼ完成したつもりだったが、まだ甘さがあった。
「これで諦めてくれる?」
「いやだ」
「は? 弱いだろ」
「いや、もう一回十本やったら勝つ」
「どこからそういう自信…」
「事実に基づいた推測だ。やってみればわかる」
「やらない」
「大体、俺が弱いは関係ないだろう。俺はチームの強さの話をしている。弱いなら、お前が入ればいいだけの話だ」
「いつからそんな話になった」
「筋は通ってる。元々、俺は近距離だけでは勝てないから遠距離を探している」
「だったら、探せよ」
「当真さんからお前を紹介された」
「俺は頼んだ覚えはない」
「どっかのチームに入るんだろ? そんだけの腕を持ってたらどこでもいいだろ」
「へりくつだ」
「選ぶな」
「俺の勝手だろう」
「とにかく、もう一回対戦するぞ、お前、ええと」
 イケメンと呼ぶのは、流石にはばかられた。
「覚えてないのによく誘うな」
「俺の名前だって覚えてないだろう?」
「三輪だろ。東隊の。大体、普通、対戦ボードみるだろ?」
 果てしなく続くと思われた争いに終止符を打ったのは米屋ではなかった。米屋はずっとニヤニヤ眺めていたのだ。
「こらこら、こんな場所で喧嘩するんじゃない」
「してません」
「してない」
 二人が振り向いた先にいた人物を認識して、二人は固まる。そこにいたのは、東春秋であった。
 二人を前に、東はニコニコしている。
 なぜここに。いや、それよりも笑顔が三割増しである。おそらく、おそらくだが、自分に喧嘩できる相手がいてよかったと思っている。それがわかって、三輪は赤面して下を向いた。
「失礼しました」
 ぼそりとそれだけつぶやくと、奈良坂はぷいっと顔を背けた。彼も東に師事しているはずだ。
「…東さんがまた新しく隊を作ると聞いたんですが」
「ああ」
 イケメンをちらりと見る。
「その、新しい部隊に俺を入れてもらえませんか」
 三輪は感心する。胆力がある。言い出すタイミングもいい。間違えていない。スナイパー向きだ。
 一方、奈良坂はダメで元々の大勝負だった。東のもとでもっと技術を磨きたい。隊を結成すれば、それにかかりきりになる。彼は当真とは真逆の勤勉な狙撃手だった。
「すまんが、無理だな」
 いきなりの申し出だったが、東はよどみなく応えた。
「俺がスナイパーをするからな」
 奈良坂は諦めなかった。
「二人スナイパー構成はどうでしょうか?」
 三輪が顔をあげた。
「それ、面白いな」
「お前に聞いてないよ」
 カチンときて、ギロリとにらんだが、あまり気にしていないようだ。
 にっこり笑った東は二人の頭をなでた。俺もう高校生ですが、と言いたかったが、口に出せない。
「今度、三人で遊びにおいで」
 そのまま、ふらりと行ってしまう。三人は東の背中を見送った。
「遊びにこいって、どこに?」
 米屋の問いに三輪が答えた。
「作戦室かな? 多分、新しく作戦室を申請するんだと思う」
「いいな、作戦室あこがれねえ?」
 米屋が奈良坂に屈託なく話しかけた。
「なあ、奈良坂。一緒にやろうぜ、とりあえずでいいからさ。作戦室いいじゃん」
 秀次が狙撃手を入れないと隊の申請しないって聞かないんだぜと続ける。 そのためか。奈良坂は唐突にバカバカしくなった。
「お前らとは合わないよ」
「俺はあまり相性とか気にしないぜ」
 戦えれば、と米屋。三輪も腕を組んだまま、頷く。
「問題ない。安心しろ。俺もそういうのは考えたことはない」
 奈良坂はため息をついた。
「…他に行きたいとこができたらやめるけど」
「かまわない」
「…ほんと、それまでだからな」
「とりま、作戦室ゲットしようぜ」
【4】に続く
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otarulove · 5 months
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〈お元気ですか?今日は、何の日?〉
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ドライりんご・プルーン 発売中です。
おはようございます。
「地球が太陽の周りを一周するのは
365.3422日です。」
雪のち曇り 最高気温3℃の予報です。
今日は カレンダーの日です。1987年に
制定されます。明治5年の今日が
太陽暦の採用によって 明治6年1月1日と
なりました。日めくりカレンダーもあと少し。
If were the last day of my life,
I want to do what I am about
to do today?
今日もいろいろ頑張ります。
よろしくお願い申し上げます。
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lingua-latina · 6 months
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イスラエル・パレスチナ問題 文字数6500文字以上、400字詰め原稿用紙17枚に相当
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【イスラエル・パレスチナ問題の超簡単な要約】
むかしむかし、紀元前11世紀ごろ、つまり今から3000年前、パレスチナという土地にイスラエル王国という国があった。 ユダヤ教の国や。 日本はまだどんぐりを拾って生活をしていた縄文時代の頃やな。
一代目の王様が国を作ったあと、二代目の王様ダビデ王って人が国を大きくしたんやけど、今でもDAVIDっていう名前の西洋人いっぱいおるよな。 ダビデの名残や影響力を感じるよな。 三代目の王様ソロモン王は、エルサレムにユダヤ神殿という立派な神殿を作った。
ソロモン王の死後、イスラエル王国は分裂し弱体化していったんや。三代目で駄目になるって日本の同族会社と変わらんな。ビッグモーターは二代目であかんことなったけど。
弱体化したイスラエルはお隣の国々に攻め込まれ、ソロモン王が作った神殿は破壊され、ユダヤ人はバビロニアの支配下に入って、バビロン、今のバグダットの近くに連れて行かれたんや。
紀元前5世紀頃、ペルシャ王のキュロス二世が「ユダヤ人はイスラエルに帰ってええで」と発表して、エルサレムにまたユダヤ神殿を建設したんや。 2回目の建設なので第二神殿と呼ぶ。 立派な神殿が出来てユダヤ人は喜んだわけやな。
紀元0年頃、イエス・キリストが生まれる。 この人は実はイスラエルのあたりの人なんよ。 弟子を12人作ったり、あれこれ活動したあと、最後はエルサレムのゴルゴダの丘っていうところで死ぬんやけど、死んだのはさっきのエルサレムのユダヤ神殿のすぐ近くや。
紀元前が終わり西暦70年、イタリアのローマ帝国がはるばる中東まで攻め込んできて、ユダヤ人と激しい戦争となったんや。 エルサレムはまたも陥落し、せっかく作ったユダヤ神殿はまた破壊されてしまった。
この時あまりにも激しく国が破壊されたので、ユダヤ人たちは国自体がなくなり、世界中に散り散りばらばらになってしまったんや。 国がないからどこへ行っても外様扱いで、常に迫害されてきたわけやな。ひどい話や。 明日突然日本国が滅んで、どっかの国に住めと言われたら、苦労するよな。差別もされるよな。
で、ユダヤ人らが追い出されたエルサレムは荒廃したわけやが、それから250年後の4世紀頃、ときのローマ帝国の皇帝が大のキリスト教ファンで、「エルサレムのキリストが死んだ場所(ゴルゴダの丘)に教会を作れ」って命令したんや。
キリストが死んでから長く経ってたし、ユダヤ人が追い出されてから250年くらい経ってたから、「まあこのへんやろ」ってことで大体の位置で作ったのが「聖墳墓教会」や。 ゆな先生もいったことあるで。 昔ユダヤ神殿があった場所の、かなり近くにあって、要はキリストの墓の教会やな。 よって、この4世紀の時点でエルサレムはユダヤ教の聖地だったのに加えて、キリスト教の聖地にもなったわけや。
それからまた300年後の7世紀、アラブ軍(イスラム教)がエルサレムに攻め込み、支配下においた。 ユダヤ神殿がかつてあった土地の真上に、かの有名な「岩のドーム」を作ってしまったんや。金ピカの屋根のやつやね。
この岩のドーム���預言者ムハンマドが昇天したという伝説の場所として信じられてて、イスラム教におけるメッカほどではないにせよ、超重要聖地になってしまった。 超重要な聖地なわけで、イスラム教の信者らも多くエルサレムに住み着いたわけやで。 この時点で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、3つの聖地がエルサレムのほぼ同じ場所にある状態になった。いまから1700年も前の話やね。 ちなみに、ユダヤ神殿が破壊されて、上に岩のドームが作られてしまったわけでユダヤ人の聖地はなくなったわけやが、ユダヤ神殿の壁が残ってる広場があって、ユダヤ教の人はそこを聖地にしてる。これが嘆きの壁や。ユダヤ教の最高の聖地扱いやね。
それから400年たった11世紀頃頃、ローマ帝国(イタリア)はキリスト教国家になってたんやけども、この頃に結構国粋主義みたいなのが盛んになるんや。 ローマ帝国の中にいるユダヤ人を迫害して虐殺してみたり、聖地エルサレムを奪還しようって動きが高まる。 しまいには「十字軍」ってやつを組織してエルサレムへ侵攻したんや。 7世紀頃からパレスチナを治めてたアラブ人ら(イスラム教)は抵抗するんやが、ローマ帝国の軍団が強かったから負けてしまって、エルサレムはキリスト教の支配下に置かれるようになったんや。 イスラム教の人たちがキリスト教を嫌う理由に、この十字軍があるね。 キリスト教国家が中東でイスラム教国家と戦争をするたびに、「現代の十字軍め」と恨み節を言うのは結構よくある話や。
その後も何度も何度も支配権が変わって、キリスト教が追い出されたり、ユダヤ人が追い出されたりを何度も繰り返しながらまた数百年たったんや。 その後マムルーク朝とかオスマン帝国(いまのトルコ)に支配されて20世紀まで来る。 20世紀初頭の時点で、エルサレムにはユダヤ人、イスラム、キリスト教が1/3ずつくらい住んでたんや。聖地が重なりながらも、まあなんとか回ってたんや。
でも西暦70年に国が滅ぼされて世界に散り散りバラバラになったユダヤ人がどうしてたんか?って話気になるよな。 日本人が海外に分散していったら、段々とその国に慣れていって、何世代かしたら日本語も忘れて、仏教も神道も忘れてその地に同化していくよな。
でもユダヤ人はそうはならんかったんや。ユダヤ教のおかげやね。 ユダヤ教は小さい頃から教義を叩き込んで、子供に伝えていくのが本当に生活に染み込んでる。 その結果、西暦70年から1900年間も世界に分散した割に、ちゃんとユダヤ教は残ってたんや。
19−20世紀頃になると、世界に分散してるユダヤ人たちは「シオニズム運動」って言って「シオンの丘に帰ろう」という活動が盛んになる。シオンの丘=聖地エルサレムのことや。 自分たちの国を作ろうっていう動きが出てきたわけやね。
20世紀初頭、オスマン帝国(トルコ)がエルサレムを支配していた頃、シオニズム運動は盛り上がってたんやけど、オスマン帝国はちょっと弱体化してきてたんや。 「おっ、弱っとるやん!」ってことで当時世界最強の国だった鬼畜イギリス軍が、エルサレムに攻め入ってきて、エルサレムを奪ってしまうんよ。 この頃のイギリスは七つの海を制したと言われるほど力があったからね。
オスマン帝国を倒したことで、イギリスはパレスチナ、ヨルダン、イラクを委任統治領にしたんや。要は植民地みたいなもんやね。 イギリスの統治下にある間に、シオニズム運動が盛んだったのもありユダヤ人人口が増え、3つの宗教では争いが頻発するようになっていった。
1948年、委任統治の期間が終わるにあたり、めんどくさくなったイギリスは「じゃあユダヤ人の国とアラブ人の国に2つに分ければいいじゃん!」って謎提案をして、国連もそれを承諾してしまうんや。 3つの宗教が混ざってなんとかこれまで来た場所を、2つの国に分ければいいじゃんって無理な話よな。土地への愛着とかもあるしさ。
ユダヤ人がエルサレムのエリア(今のパレスチナ+イスラエル)を支配したのは西暦70年が最後で、そこから先はユダヤ人が支配はしてなかったんよ。ローマ帝国はキリスト教やし、岩のドームを作ったのはイスラム教で、そこからずっとイスラム教が支配してて、最後に支配してたオスマン・トルコもイスラム教国家や。
イスラム教の人らからすると、「確かにユダヤ教の人らもエルサレムにおったけど、なんでお前らが突然このパレスチナに国作って我々の土地を奪うんや!」ってブチ切れるわけや。 逆に自分の国がほしかった全世界のユダヤ教徒は喜んでたわけやな。 しかもユダヤ人のほうが遥かに少ないのに支配する面積も大きかったんや。
結果として発生したのが第一次中東戦争や。 そりゃ1500年間住んでた土地に、いきなりユダヤ人の国を勝手に作られて追い出されたらたまったもんじゃないよな。 我々日本人が、「2000年前は実は僕たちの先祖が住んでたんで」とか言って本州を謎の外国人に取られて四国とか北海道におしのけられるようなもんやからね。 どんぐり拾ってたような時代に住んでましたなんて言われても納得できんわな。
当時統治してたはずのイギリス軍はさっさと逃げ出したわけやが、そもそもこの問題はイギリスの影響が大きい。 イギリスは三枚舌外交と言って、
・オスマン帝国(トルコ)を倒したいので、オスマン帝国の支配下にいるアラブ人たちに「武装蜂起してくれたらオスマン帝国の土地を割譲して独立国を作ってあげるよ」とそそのかして反乱を起こさせる ・フランス・ロシアとの間では、アラブ人たちに約束したのとは全く違い「オスマン帝国の領土はフランス支配、イギリス支配の2つに分割にし、パレスチナ��国際管理下にしよう」と提案する ・ユダヤ人資産家のロスチャイルドには「パレスチナにユダヤ人国家を作ってあげるから、その代わり戦費をくれ」と提案
要は3つの関係者に矛盾することを言いまくって争いを起こして最終的にオスマン帝国を倒してパレスチナ(+エルサレム)を手に入れたわけやな。 そのままオスマン帝国が支配してたら今のような争いだらけのエリアにならず、幸せだったんやないかという話やね。 ブリカスと言われる所以やね。
第一次中東戦争(1948)ではイスラエルが勝利し、イスラエルはまず独立国としての地位を得る。まず国を作ったわけやね。これが一回目の戦争や。
第二次中東戦争(1956)では、スエズ運河を国有化しようとしたエジプトを邪魔しようと企んだイギリスとフランスがイスラエルと一緒にエジプトに攻め込んだことで勃発する。 エジプトが負けるかと思いきや意外と耐えたしスエズ運河も守りきったことで「エジプト結構すごくね?」的な雰囲気で国連の介入で終戦したんや。 エジプト=アラブの勝利やね。
第三次中東戦争(1967)は、わずか6日で終わったから6日間戦争とも言われるけども、イスラエル軍がアラブの国々(エジプトやシリア、ヨルダンなど)に攻め込んで、圧倒的勝利を治めて、今のイスラエルの国土は大半はここで奪い取った土地と合わせたもので大体一緒やね。 左隣のエジプトからガザ地区を奪って、右隣のヨルダンからヨルダン川西岸地区を、シリアからゴラン高原を奪ってる。 ゴラン高原は、のちに自衛隊が海外平和維持活動として派兵してた場所やね。争いが起きてカオスだったってことやね。
この第三次中東戦争は、テレビドラマにもなった山崎豊子の小説「不毛地帯」でも扱われていて、この戦争がすぐ終わるのか長期化するのかを分析して投資をする、近畿商事vs東京商事の戦いでも描かれてるで。 小説もテレビドラマも面白いからぜひ鑑賞してほしい。 ドラマは唐沢寿明主演で、めちゃ面白いで。このドラマで商社マン志望の学生が増えたとすら言われてる。
第四次中東戦争(1973)は、第三次中東戦争で奪われた土地を取り返そうとエジプトとシリアがイスラエルに攻め込んだんやが、これは今から50年前の10月6日の、ヨム・キプル、つまりユダヤ教の贖罪の日という祝日に行われて、お休みの日やった。 ちょうど今週ハマスがイスラエルを奇襲したが、これもまた同じ祝日の日やった。 油断した日を狙うのは変わってないな。
イスラエルvsアラブ系の国々という構図になったけども、冷戦下でもあったから、裏側ではイスラエルを米国が、アラブをソ連が応援してた。 この戦争は3週間で終わるんやが、アラブ系の国々がイスラエルの味方をする国々に対して石油を禁輸したり、OPECが石油の価格引き上げをしまくったことでいわゆる「オイルショック」を起こして日本も影響を受けたで。 このオイルショックのときに日本人はトイレの紙を買いまくってたけど、50年経ってコロナが起きてもトイレの紙を買いまくってたから、なんの進歩もしてないよな。 ちなみに、前に「オイルショックのときに買いまくったトイレの紙がまだ家に積み上がってる」っていう人に会ったことあるで。ほんとかいな。
大規模な戦争は4回のみで、その後は小さな紛争が何度も何度も起きてる。 1988年にはパレスチナ自治政府が独立宣言を行って、1993年にはパレスチナ自治政府のアラファト議長と、イスラエルのラビン首相が「仲良くしようね」とアメリカ大統領仲介の元パレスチナの自治を認めたんや。これでだいぶ進歩したなあってことで、アラファト議長とラビン首相はノーベル平和賞を受賞してるで。 でもその後イスラエルのラビン首相は、国内の極右学生に暗殺されてる。宗教色が強いエリアだと、国内を説得するのも大変やな。
パレスチナ側はアラファト議長が死んだあと、内紛が起きる。 2006年に議会選挙でハマスっていう反イスラエル・反米の党が第一党になった。 一応選挙で選ばれた人らやけど、イスラエルのことめっちゃ嫌いやねん。 パレスチナではハマスに加えて、親米・イスラエル融和派の党ファタハという2つの派閥があったけどハマスがガザ地区を武装支配してしまう。 ファタハはヨルダン川西岸地区っていう方を支配してるで。穏健派やな。
今回イスラエルにロケット砲打ちまくってライブ会場から人を拉致しまくったのは、このハマスの武装組織やね。 だからパレスチナがイスラエルに攻撃したというよりは、パレスチナの中にいるハマスの人たちがやった行為って考えたほうがええと思う。 ゆな先生が前に訪問したのはハマスが支配するガザ地区ではなく、ファタハが強いヨルダン川西岸地区ってとこやけど、そこはそこまで激しく反米って感じでもなかったな。
一方でイスラエルもイスラエルでじわりじわりとパレスチナに入植地、つまりユダヤ人が住むエリアを拡大し、実質的にそのエリアを支配してしまうのをやめずにいるし、ガザからロケット砲が飛んでくるたびに民間人も含めてお構いなしに報復攻撃をするから、結局永久に終わらない紛争になってしまってるわけやな。 ハマスが10人イスラエル人を殺すと、だいたいイスラエルはパレスチナ人を1000人とか殺すからね。
2022年11月にイスラエルで右派のネタニヤフ政権が生まれたけど、政権誕生から今回のハマスによるロケット砲攻撃やライブ会場での虐殺や拉致の事件の間にも実は、ちょくちょくイスラエル軍がハマス支配エリアを攻撃してたりする。 あんまり報じられることはないけどテロリストを逮捕するとかいう名目でちょくちょく空爆したり、武装襲撃したりしてるわけで、いろんなものがたまり溜まった状態だったことは間違いないな。
とはいえ、この2000年3000年規模の歴史的な背景もあるから、今回はハマスが悪いとかイスラエルが悪いとか、断言することはできないというのがワイの立場やね。 むしろ日本はこの長い長い宗教戦争とは無縁の離れた場所で、無縁の仏教神道の国であるから、どっちの肩を持つというのはしないほうがいいんじゃないかなと思う。
日露戦争ではユダヤ人経由で戦費を調達して戦争になんとか勝ち、戦後は中東のアラブの国々から石油を輸入してなんとかライフラインを維持している島国で、わざわざ敵を作らなくてもいいし、3つの宗教、そして欧米諸国の争いであって、簡単に解決できる問題ではないことは理解してもらえたと思う。
ちなみに私はイスラエルとパレスチナ両方を訪問したことがあるから、どちらの立場もなんとなくわかるし、実際に訪問してみて非常に学びが多かった。イスラエル・パレスチナにもう少し平穏が訪れたら、ぜひみんなにも行ってみてほしい。
歴史を学び、地政学を学び、宗教を学ぶことは、人生で起きる出来事やニュースなどから想像できることを増やし、旅行を楽しくし、投資にも役立ち、将来の予測にも役立つ。 ついつい毎日だらけて過ごしてしまうこともあるけど、たまには本を読んだりして遠い異国で起きていることに関心を持ってみるのも面白いと思う。
もし記事が面白かったらぜひフォローしてな。 月に2回ふるさと納税を紹介してる。おすすめの本とかお得情報もたまに紹介するで。
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yoga-onion · 5 months
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Legends and myths about trees
Celtic beliefs in trees (25)
R for Ruis (Elder) - November 25th - December 21st
“Season of fog and darkness – The Celtic Tree Calendar (Ref), Thirteenth Month”
colour: black, dark green; Star: Venus; Gem: olivine; Gender: female; Element: water; Patron: Hel, Hera, Huldra(Red2), Valkyrie; Symbols: judgement + transformation, death + rebirth, fate + inevitable event
Elder trees can grow almost anywhere and are a visible reminder of the changing seasons. The young leaves herald the return of spring, the white, bubbly, sweet-smelling flowers usher in the start of summer, the ripe berries mark the end of summer, the leaves turn red and eventually fall off, and the cold winter brings a rush of illness and discomfort, the time when the medicinal properties of the elder tree come into their own.
The ancient Britons and other Celts used to boil the elder berries in wine to make a black dye for grey hair. It is still used in the Hebrides as a dye to dye sheep black. The bark also makes a black dye. When alum is added, the leaves produce a green dye, while the berries produce blue, purple and violet dyes.
Almost all parts of the plant have medicinal properties, but today it is mainly the fruit and flowers that are used, such as elderflower wine and cordials (Ref3) flavoured with elderflower flowers, as well as jam and wine made from elderflower berries. Because, elderberry root from North America is toxic and the leaves and bark of elderberry are very dangerous to use in lay therapy.
The Elder Mother (Ref4) was believed to reside within the Elder Tree. She was said to inflict vengeance magic on anyone who harmed the tree and punished anyone who used any part of the tree for selfish purposes.
Across northern Europe, Elderberry is associated with death, rebirth and witchcraft, and is the tree most often used to break evil curses. The ancient Celts believed that how people saw and remembered them for the way they lived in this world would determine their reputation after death in the underworld. That is why the most important thing for them was to die with pride and dignity, and to respect others after death.
On a dark winter's day, the Elder tree holds up a mirror to us that reflects our true selves. Can you die with dignity and without regrets, it asks.
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木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (25)
RはRuis (ニワトコ) - 11月25日~12月21日
『霧と暗黒の季節 〜 ケルトの木の暦(参照)、13番目の月』
色: 黒、深緑; 星: 金星;  宝石: カンラン石(オリビン); 性: 女性; 要素; 水; 守護神: ヘル、ヘラ、ホルダ(参照2)、ヒルデ; シンボル: 審判+変身、死+再生、運命+不可避なできごと
ニワトコの木はほとんどどこにでも生え、季節の移り変わりを目に見える形で知らせてくれる。若葉は春の訪れを告げ、白い泡のような甘い香りの花は夏の始まりを告げ、熟した実は夏の終わりを告げ、葉は赤く色づいてやがて落葉し、寒い冬とともに病気や不快感がどっと押し寄せると、いよいよニワトコの薬の成分が本領を発揮する季節になる。
古代ブリトン人はじめケルト人はニワトコの実をワインで煮出して白髪染めの黒い染料を作っていた。今でもへブリディーズ諸島で羊を黒く染める染料として使われている。樹皮もまた黒の染料となる。明礬を加えると、葉からは緑の染料が、実からは青、紫、スミレ色の染料ができる。
ニワトコは殆ど全ての部位に薬効を持っているが、今日では、ニワトコの花で香りづけをした、エルダーフラワーワインやコーディアル(参照3)、またニワトコの実のジャムやワインなど、主に果実と花がよく使われている。北米産のニワトコの根には毒性があったり、ニワトコの葉や樹皮は素人療法に用いるのはとても危険だからである。
「ニワトコの母(参照4)」はニワトコの木の中に住んでいると信じられていた。彼女は、この木を傷つけた者には必ず復讐の魔法を下すといわれ、この木のどんな部分であれ利己的な目的に使ったものには罰を与えた。
北ヨーロッパの全域でニワトコは、死、再生、魔術と関連づけられ、邪悪な呪いを解くのに最もよく用いられる木だ。古代ケルト人は、この世での生き方が人々にどう見られ、どう記憶されるかが、死後冥界に行ってからの自分の評価を左右するのだと考えていた。だからこそ彼らにとって最も重要なのは、誇り高く威厳をもって死ぬことであり、死んでからも人を尊重することだった。
冬の暗い日に、ニワトコは私たちに本当の自分の姿が映る鏡を突きつける。あなたは、威厳を持って悔いのない死を迎えることができるのか、と。
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alaephoenicis · 1 year
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時間の操作、時間のカウント、時間の旅
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/DNKxIIMKHrg 公開日:2023年3月19日
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
親愛なる皆さん、
私たちが今現在つかっているカレンダーの日付(暦日)は、どうやって使うようになったのでしょうか?この「時刻と暦日」とは、どこからやってきたのか。そしてこの日付はもしかして、ある特定の「意識プロブラム」にリンクしてはいませんか?
この時空で何かを経験したり、この日付に紐づいているこの時空の一部だと思っているときは常に、私たちは非常に特殊な意識プログラムに統制されています。
この動画では、そのことを皆さんにお話します。
いつものごとく、これは展望・既知の現象についての新しい捉え方であり、それが自分の心にどのように響くのか、自分で決めて良いのです。
そして、冒頭に掲げる大きなテーゼは、「私たちが生きているのは2023年なんかでは全くありません」ということです。最初はとりあえずちょっと異様な感じに聞こえるでしょうが、以下で詳しく説明したいと思います。
人類の歴史において、ある種の天変地異が訪れたことは幾度もあったし、社会のリセットも幾度も行われてきました。そして、そのようなリセット後には、時間の数え方が改められることがよくありました。
私たちが2000年以上前から生きているタイムラインを、私は「キリスト教のタイムライン」と呼んでいます。
私たちが過去2000年間過ごしてきたこのキリスト教のタイムラインは、ユリウス暦に端を発してグレゴリオ暦へと続く「太陽暦」によって裏付けられています。それは、私たちが現在生きている日付であり、時間というものは常に特定の振動と結びついていて、その振動によって私たちがどの意識空間を移動しているのかが決まります。
ですから、もし自分たちが2023年にいると思っているなら、私たちは文字通り、私たちのために書かれた非常に特殊な振動プログラムに従っていることになります。そして、この振動プログラムはキリスト教のタイムラインである2000年以上前から存在し、それ以降、人類の意識はそれ以上発展することなく、傾向としては退化してきています。
さて、いったい私たちはどの「時間」の中で暮らしているのでしょうか?それは結局のところ、視点の問題でもあり、私たち自身の意識の振動の問題でもあります。
私たちはカレンダーと時間に自分を合わせ、それによって意識の振動をこのキリスト暦のタイムラインに合わせているのです。
まず第一に、私たちの前に置かれたこの日付と、私たちが人生を方向づけるためのこの時刻は、私たちの意識の振動に非常に特別な影響を及ぼすということを認識しなければなりません。
そして、もし私たちが意識を広げたいと思うのであれば、この時空の枠から飛び出す以外に方法はありません。
ユリウス暦とグレゴリオ暦が誕生する以前の地球には、主に月暦が存在しました。これは、1カ月が28日、1年が13カ月、それで合計364日になります。
そして、この月暦は、現在の太陽暦よりもずっと自然の地球のサイクルやリズムに強く結びついているのです。
ちょっと想像してみるだけでも、ジュリアス・シーザー、つまりユリウス暦が現在の日付の基礎を築いたのだと感じるでしょう。この歴史上の人物が本当に善意からこれを成したのか、私は確信を持つことが出来ません。
そして、現代のすべての計算、つまり古典物理学から宇宙物理学、あるいはその他、占星術における星座の計算に至るまで、この暦がベースになっています。しかし、それ自体に偏りがあるカレンダーをもとに計算をするとなると、そこから算出される結果には、私は常に慎重になります。
では、例えば占星術の計算結果はどうなるのでしょうか? もし、まったく違うカレンダーを基準にするとしたら?
私たちが知っているようなの時刻を測るだけのカレンダーではなく、時間の質、そして時間の中で起こることに焦点を当てたカレンダーです。
純粋なカレンダーは、お知らせのために日時を示してくれるという限定された機能に留まり、これはひとつの時間層のみを指し示しますが、私たちがこの地球上で使っていた昔の暦では、時間を計るだけでなく、複数のタイムラインで、何時、何が起こるかを明確に予測することができました。つまり、暦とは、時間の中で起こる出来事の測定手段でした。
決して時間そのものが重要なのではなく、その時間に何が起こるのかが重要だったのです。
今日、占星術の世界でもそのようなことが行われています。しかし、先ほども言ったように、私個人としてはそのベースにされている暦の波動には、非常に疑問を感じます。
一歩下がって、もう一度時間をより身近に見てみたいと思います。
時間とは、私たちが計り、そしてそれに自分を合わせるものだと考えています。刻まれる時間が、そのように私たちを指揮するからです。
しかし、実は時間はもともと創造のための手段であるとしたらどうでしょう。意識の進化を発展させるための創作ツール。だって、それが真に時間の背後にあるものなのですから。
他の意識レベルとコンタクトがある私には、時間について別の理解を与えられているのです。彼らは私に、時間と、暦の枠内での日付というものをどうやって使うのか教えてくれました。
そう、地球人には覗き込めば何時なのかを示してくれる時計があり、それによって非常に特定の意識プログラムに組み込まれるのです、と彼らは言いました。
私たちには時計があり、それを調整し、どの日付に時計を合わせるかによって、私たちは時計を合わせた通りの時空間座標にいることになります。
つまり、正反対なのです。
それは、まったく逆の意味です。私たちはカレンダーと時刻に自分を合わせ、それによって意識の振動をこのキリスト教のタイムライン、そしてこの時刻がリセットするところに合わせているのです。
一方、別次元に在る創造者たちは、時間を純粋な創作ツールと見なしており、何時であろうと自分たちが暦の中の日付に設定したところに、その意識のまま自らを見出すことが出来ます。
さて、いま起きていることを見ていると、すべてが新たなリセットに向かっていることを示しています。
そして、すでに時々仄めかしては来ましたが、私がこれほどはっきりと口にしたことがなかったことが、このリセットによってもたらされることになります。
それは、リセットの後、私たちは新しい時間をカウントし始めるということ。
私たちは今後数年、数十年の間にいくつかのイベントを経験し、特に大きなイベントがひとつあります。
このイベントの後、地球には新しい時代がやってきます。
なぜ、そんなことを?なぜ、システムは新しいカレンダーを考案しようとするのでしょうか?
そう、人々の意識を特定の時空間プログラムにこの先も留めておくためです。
私たちはキリスト教のタイムラインの中で生活しています。つまり、過去2000年の間、それは私たちの意識を閉じ込めているのです。
そして、私たちは2023年という日付、今ここにいるものと思っていますが、実際にはもっとずっと先の時間にいます。
もし、いま2万4,327年にいる、と言われたら私たちはどう感じるのでしょうか?これは単なる例えです。そして、過去2,000年の意識プログラムである時間カウントを巻き上げるだけでなく、私たちがもっと古い日付まで歴史を遡れるのだとしたら?
そうすると、私たちはキリスト教のタイムラインによる意識プログラムを超えてしまうでしょう。
そして、このリセット、そしてグレゴリオ暦のこの日付というのは、私たち人類が集団でその出来事を忘れてしまったことと関係があるのです。
そして今、まったく同じことが計画されています。社会的なリセットが訪れ、新しい時間カウントが行われ、新しい日付を与えられ、歴史記述にゼロ・アワーが設けられ、それまでのすべてが人類種族の集合意識から抹消されることになります。
これが計画なのです。
こうやって歴史の中では何度も同じことが繰り返され、社会は非常に特殊な時空間プログラムに基づいて自らを構築してきました。
ある時点から、その中で起こるすべてのことが、どういうわけか少し制御不能になり、人間は自らを破壊し始めます。
リセットが起こり、すべての時間カウンターにゼロアワーが書き込まれ、新しい日付が始まる。そして、この新しい日付は、私たちがこれまで蓄積してきたすべての意識、すべての過去、すべての遺伝的遺産、すべての経験的知識を、タイムラインから、そして意識から切り離すことにあります。
つまり、私たちはいずれ、イベントの1年後、2年後……といった時代を生きることになるのです。そして、リセット前の集合意識にあった情報をまとめることは、一般的な歴史学では禁止されるでしょう。
既にそのようなことは起こっているのです。
もちろん、歴史家は2000年前に遡ることを禁じられているわけではありません。
しかし、そこでは時空間エネルギー的に、新しい時間カウントの導入を通じて、人類の集合意識に断絶が起こったのであり、その結果、多くの時空間のイベントや アトランティスやレムリアのような以前の時代の記憶全体が集合記憶から消去されました。
そして、私たちはちょうど今、新しいリセット、新しい時間カウントに向かっている最中で、キリスト教のタイムラインの時空の枠組みで経験したことはすべて、いずれは私たちの意識から消えていくか、あるいは消えているはず、となります。
今、私たちがいるこの場所では、とても消化しにくい、あるいは理解しにくいと思われるかもしれませんが、こうしてプログラム、つまり人類を抑圧するための意識プログラムは、何度も何度も同じシナリオを構築するのです。リセットと集団的忘却によって。人類の意識全体に波及する記憶喪失、集団的な記憶喪失、を通すことで…
そして、私たちを忘却の彼方へと率いるための最も中心的手段となっているのは、この私たちの生活基盤となっている時間の数え方と日付なのです。
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自分なりの感覚をつかんでみてください。私たちは2023年にいると言われています。とても若々しく、とても新鮮で、まだあまり経験を積んでいないかのように聞こえ、それ以前のものはすべて切り捨てられいます。
他の意識レベル、他の存在は、時間の数え方が全く違っています。彼らは時間をまったく違った形で使っています。
私たちは自分の意識を使って共創しているものは何なのでしょうか。それはなによりも、我々という存在の意識を制限する枠組みとなるよう、非人間的なある特定の存在がプログラミングしたものです。
私たちは、時空間のシミュレーションのようなものの中で生きています。
そして現在、このプログラムによって、私たちは2023年に生きていると思い込んでいるのです。
(少し笑いながら)あなた方がこれを信じるのか、信じないのか。
しかし、実はこのビデオに至るまで、私はまずカレンダーを見て、今が何年なのかを確認する必要がありました。なぜなら、私の意識は、ほとんどの場合、時空間プログラムの外側で活動しているからです。
私は、その日付を単純に意識から消し去りました。私にとっては、全く別の時間カウントが適用されるため、私自身の歴史記述の中にあるもっと過去に遡ったイベントを参照したり します。
今から約9,800年前に大きなイベントがありました。それがアトランティスの滅亡で、非常に大きな激震が起こりました。その時から新しい社会秩序が生まれ、その影響は部分的に今も続いています。
私たちはいわば、ポスト・アトランティスの時代にいるのです。
そう、最近になって人類の昔の文明に関する情報が出てきたため、私たちが意識の中であっちやこっちへ転がして確かめてみてもいいことがいくつかあります。何が自分たちにとって正解なのか、どの時間軸が自分たちにとって適切なのか、人類は実際に時間の流れの中でどこに向かっているのか、そして、どうやって意識を拡大し、リセット地点の前にたどり着けるのか、などです。
昔の文明に関する情報は消えておらず、人為的に断ち切られただけでした。しかし現在、振動が高まるにつれて、以前の時代、過去の時間の数え方などが再び浮上してきました。
もし、2023年の時空間プログラムがあなたの意識を制限しているということを、あなたの体のすべての細胞が知っていたとして、あなたはこの時間の代わりに、別の宇宙的時間計算を自分に贈れるとしたら、あなたは自分自身をどのように経験するのでしょうか?
もし私たちが、時間を教えてくれない時計を持っていて、そこに自分で日付を入力し、その日付の場所に自分の意識があるとしたらどうでしょうか。
すべての時間、すべての時間記号は場所と結びついており、本当はすべての場所、すべての波動の存在がそれぞれの時間の中で生きているということを認識することが重要です。
現在、全人類には一つの時間が与えられています。単一の日付が、すべての人に降り注がれている。これには、人類の振動を普遍化する作用があるのです。私たちは、いわばこの時間の意識プログラムを受け取り、全人類がこの時間を遵守すれば、いわば人類の集合意識はそれによってグローバル化され、極めて限定的な振動枠に入ることになります。
この時空間プログラムが存在しない他の次元では、それぞれの意識は独自の時間で振動しています。なぜなら、意識の振動は常に、どの時空枠の中を移動しているかと関係しているからです。そして、もし私が自分の意識の振動の拍子を変えたら、時間軸上のにある全く別の時代に滑り込むことになります。すべては、私たちの意識の振動に関係しているのです。
私たちは、この日付があること以外に何も知らず、そ��日付に自分を合わせていますが、その日付が私たちの内面にどのような影響を与えるのか、どれほど私たちに制約を与えているのか、どれほど私たちすべてを一つの時間、つまり一つの周波数、一つの振動に集めようと目論むグローバリズム計画の一部であることに気づいてもいないのです。
しかし、自然界ではそれぞれの人が持っている独自の周波数によって、異なる時間を生きている…これらは、現在の意識からは想像しにくいことかもしれませんが、意識が多次元に広がると、並行する現実が存在するだけでなく、それぞれの生命体がそれぞれの意識振動にしたがって、それぞれの時間サイクルで生きていることに気づかされるのです。自分のリズムで生きている、とも言えます。
そして、私が皆さんに結論として提言しておきたいのは、自分の内なるリズムを見つけることです。あなたの内なるリズムがあなたの時間となります。そしてこのリズムは、あなたの魂の波動のサインと結びついています。これが、あなたの存在のリズム、あなたの自然な生体のリズムを、あなたに与えてくれます。
そして、与えられた時間のリズムではなく、自分自身のリズムで生きていると、その中で自分は次第に自分らしくなっていきます。いつ寝ても、いつ食べても、1日のサイクルの中で、いつ、どのように、何をやってもいいのです。
「この時間に眠らなければならない」 「この時間に起きなければならない」 「この時間に食事をしなければならない」 「この時間に・・・しなければならない」等等…
私たちは、そう考えるよう仕向けられている、条件付けにより学習させられています。
これらはすべて、元から自然に備わっている意識のリズムを、条件づけによる路線へと誘導するために設けられ、そうするように吹き込まれているのです。
そして、私たちはいずれ、歴史の記述にゼロ・アワーが訪れる時を迎えることになるのでしょうが、単に我々人間の意識を制限しようとする存在によって書かれた新しい時空プログラムなどに乗せられたりせず…その時には、その新しい時空プログラムに入る代わりに、私たちは自分たちが実は何者であるのかを思い出すのです。そうして、時空のあらゆる地点に自分の意識で自己を顕在化させるためには、時間を創作ツールとして駆使するのだ、ということを再認識するでしょう。
時空間のプログラムをすべて捨てたとき、私たちの旅が向かう先はそことなります。
時間を線状のに捉えている思考では理解できない部分もあると思いますが、大切なのはいつも、振動に��意を払うことです。それは、私たちが知覚するすべてのものの背後にあります。
このことを念頭に置いて、もう一度「日付(!)」をよく確認してみましょう。
もしかすると、その背景には、人類を操るための最大級の意識プログラムが潜んでいるかもしれません…
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asuka-iwamizawa · 8 months
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8月の行事食🎋
暑中お見舞い申し上げます。
今年の夏はなかなかに暑いですね。
札幌の記録だと、昨年よりも 3°C弱ほど高い気温が続いているそうです。
しかし気温の高さよりもきついのが湿度の高さ。
北海道の爽やかな夏はいったいどこへ行ったんでしょうね。
さて、8月の行事食は恒例の七タメニューです。
七夕と言えば7月7日というのが一般的ですが、北海道では8月7日。
これはもともと旧暦の7月7日に行われていたものを明治時代の新暦導入に合わせた結果だそうです。
お盆ももとは旧暦の7月15日だったものが、新暦導入時に8月に変更されたのですが、
七タは置いてけぼりになっちゃったんですね。
でも、7月7日と言えば北海道以外は梅雨の真っさなか。
これでは織姫と彦星の逢瀬も雨雲に邪魔されてしまいますから
8月7日というのは二人にとっては良い日かもです。
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常食(通常の病院食です)
上段左より、
牛乳
七夕ゼリー(既製品)
小松菜と揚げの煮浸し
下段左より、
助六寿司
さつま芋とがんもの煮物
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きざみ食
(固い物を噛むのが苦手な方のためのお食事です。
通常のお食事をあらかじめ5mm~1cm程に刻み、
噛む回数が少なくても済むようにお作りしております。)
上段左より、
さつま芋とがんもの煮物
アジの西京焼き
小松菜と揚げの煮浸し
下段左より、
ヨーグルト
彩り全粥
七夕ゼリー(既製品)
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嚥下食
(固形物が飲み込みにくい方のためのお食事です。
通常のお食事を一旦ペースト状にし、再度お料理の形に形成し提供しております。)
メニューはきざ食と同じです。
次回の行事食は、
9月20日(水)敬老の日メニューです。
スタッフ一同頑張ります!
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kennak · 1 year
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肌感覚ではあるが、最近どうも子を持たないような風潮がある気がする。調べたところ、子を作らずに夫婦共働きをする生き方を、最近は「DINKs」と呼ぶらしい。どのくらい一般的な言葉なのかは馴染みがないため解らないが。私は40年近く、そのDINKsと呼ばれる生活を続けてきて、つい先日還暦を迎えてしまった。しかしながら、正直DINKsという道を選んだことを後悔している。子を持たない選択をした20代の自分の価値観や知見と、実際にそのまま突き進んだ先にいる60代の自分の価値観や知見との間に大きな乖離があった為だ。平易に言えば、若く経験もない20代の頃に考えていた「合理的な選択肢」は、そこから40年近くの人生経験を積んだ60代になってから見えてきた「真に合理的な選択肢」ではなかったということになる。DINKsのメリットと当時考えていたこと1.子育てに時間を取られないため、余暇を確保できる2.フルで共働きが可能なので、経済的にも余裕のある生活ができる・上記の結果として、金銭的・時間的に余裕を持つことができるので、例えば趣味に時間を割くことができるとか、いい家に住めるとか、車を持てるといった形でその恩恵を受け、実生活における充実度は上がるものだと考えていた。DINKsを実際に40年続けて気がついたデメリット1.趣味としていたものは40代くらいで飽きてしまう・趣味に打ち込む時間が多い分飽きも早い。たまに打ち込むからこそ長く続く趣味になるのだと、飽きてから気が付いてしまった。→そしてその結果として余暇を持て余しているのが現状である。・そもそも60代にもなって増田をしている時点で、どれだけ余暇を持て余しているかは察することができるだろう。2.子供がいないことで人生における起伏が減る・子供の成長や受験・結婚など、子の人生における成長過程はその1つ1つが親の人生においても大きなイベントになる。→子を持たなかった結果、そのようなイベントが少なく、起伏の少ない人生を送ることになり、総合的な満足度は低くなると気が付いた。・最近よく耳にする「コスパ」という概念に当て嵌めるならば、低コストではある一方で低パフォーマンスな人生になり、総合的にはむしろ子を持った方が充実した良い人生を送ることができたと思う。3.結局夫婦共働きでも生活水準はそこまで上がらない・2人で働き、子に使う分が浮いた結果手にしたお金の使い道など、精々いい家に住む、家具や車を買う、趣味の道具を揃える程度であった。→正直お金は余る一方なので、共働きと子なしで収入を増やし支出を減らしたところで仕方なかったと、今になって思う。4.精神がかなり摩耗する・この生活をしていて、周りの人々から「お子さんは?」と訊かれることが非常に多かった。その度に社会通念に反した自らの選択の合理性の説明を強いられる上、結局は価値観の相違に帰着する為、腑に落ちない顔をされるか、「成程」と適当な相槌を打たれて終わるのみである。特に、親の死に際に「孫が見たかった」と言われたのはかなり精神に応えた。親には子を持たない選択について話していた上、それなりに理解してもらえていたのだと思っていた分、最期に親との隔絶を突き付けられたのは相当に苦しいものがあった。ただ、これは増田が若かった時の価値観に依る部分があると思うので、今の若い人であればそこまで周りに精神を削られることはないのかもしれない。5.必然的に介護が厳しくなる・まだ60代で比較的身体は動くと思っているが、これが70代や80代になってもお互いで支え合うのは正直苦しいと思う。なお、子供を介護要員として捉えるのは利己的に映るかもしれないが、増田自身も親の介護に奔走していた時期がある。則ち、「親を介護し、子に介護される」というところまでが1つのサイクルなのではないかと最近になって思う。6.友人が減ってしまう・子を持つようになると、皆家庭内のことで忙しくなり、暇な私と休日を過ごしてくれることはなくなる。また、子育てという共通の話題を持たないことによる疎外感は存外大きかった。・20代、30代の頃は学生時代や職場の友人とこの先も仲良くやっていくことができると考えていたが、実際は友人がどんどんと家庭の時間を重視し、私からは離れていった。7.上記の後悔はもう取り返しがつかなくなってから襲ってくる・一番苦しいと感じているのがこの点である。子供を持った方が良かったと、気づいた時にはもう遅いのだ。・40代も近くなり、身体的に出産が難しくなってから急に結婚や子作りに取り組むようになる人を見たことがあると思う。これも歳を重ねるうちに上記のデメリットの大きさに気付いた人の末路だと考えている。かくいう私も、40代に差し掛かる頃に妻と最後の話し合いに臨んだことがある。その時点ですでに子を持たない選択をしてから10年以上が経過しており、既に周囲にも十分に喧伝していた手前、自らの選択を撤回できずに進んでしまった。あの時に柔軟な選択肢を取ることができれば、或いは違った状況だったのだろうか。時すでに遅しと理解しつつも、やはり考えてしまう。結論・DINKsに魅力を感じている人はもう一度よく考えて欲しい→DINKsによる経済的・時間的なメリットは、結局そこまで享受できない。→一方で、DINKsに踏み切る際に意識していなかったデメリットは40代以降に顕在化し、気が付いてからはもう取り戻すことができない。・20代での想像と60代になっての実感は相当にギャップがあるということを20代のうちに知っておきたかった→今これを読んでいる人の中に子を持たない選択をしようとしている人がいれば、考え直して欲しいと強く思う。
子供は作っておいた方がいい
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ogawa-xd · 2 years
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「声の文化と文字の文化」
オング「声の文化と文字の文化」を読む。多くの文献がひかれていて難儀もしたが、ここ数年でも最高度におもしろかった。ページをめくるごとに刺激があり、すべての内容を読み切れてもいないが、熱いうちにまとめておく。この刺激が揮発してしまうのは、あまりに残念すぎる。
「声の文化と文字の文化」W-J・オング
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大筋:
文字の文化の前に声の文化があった。 現在われわれは、文字文化の中にいる。文字文化は手書きからはじまったが、途中では印刷という大きな波を経験し、今はエレクトロニクスという第二の波の最中である。
(ただし執筆は1982年であり、テレビやラジオが主で、コンピュータといってもインターネット普及以前でWebもSNSもない時代だ。BBSがかろうじてあったくらい。2003年に亡くなられているようだが、この時代に関する感想を聞きたかったものだ。)
われわれもはや、声の文化における思考の仕方やものごとの捉え方を忘れてしまっているが、両方をしっかりと考えて位置づけることが、未来をとく鍵にもなる。
文字の文化の前にあった声の文化の重要性。 声文化が文字のベースになっていることはそのとおりとしても、少なくとも、それは文字文化の改良以前の「劣った」前バージョンではない。別のものだ。
第1章 声としてのことば (一次的)声の文化 文字を書くことをまったく知らない人びとの文化、その人たちの世界認識のしかたは、現代のわれわれの想像をはるかに超えたものである。 ことば(声)の獲得以後/ことば(文字)の獲得以前
P.24 現存する言語:3000、そのうち文字を持っているのは78言語 自然言語 → 無意識から生じる コンピュータ言語 → 意識から直接生じる(ので扱わない)
ogawa: 彼の述べている「コンピュータ(言語)」は、インターネット/Web/SNS/ビッグデータ/クラウド/AI以前であり、コンピュータにまつわる彼の理解は今となってはあまり現実的ではない。プログラムによって自然言語を解析したり処理することも、含まれていない。 「プログラム言語」自体の言語性については、彼のスタンスで問題はないと思われるが、コンピュータが「自然言語」に影響する在り様は、印刷術(という技術)が言語に与えたインパクトに匹敵する、というかそれ以上の影響力を持っていると自分は考えている。今はまだその途上であって、途上にして大きな影響が顕在しているので、最終的にはどこまでのことが進展していくのか予想がつかないが、これは自分の最終課題である。
p.26 声 → 一次的なモデリング・システム(表現方法) → 研究が起きない → 集団的な過去に参加することによって学ぶ、見習う 文字 → 二次的なモデリング・システム(表現方法) → 研究は文字あって起きる → 「研究」によって学ぶことができる
p.33 「(ことばで表された)概念は、絶えずその語源を引きずっていく傾向がある」
p.34 ことば → 口頭での話し(声)に基礎を持つ 書くことば → ことばを ”視覚的な場に、むりやり永久に固定してしまう
p.39 声文化の人びと → 今日では文字を学びたいと強く思っているが、同時に、声の文化の心を沸き立たせる多くの愛するものを手放さなければならないことに哀惜の念もいだいている(「ピダハン」は、どうなのか?) → 「生き続けるためには、死ななければならない」
p.40 文字文化 → 先行する声文化を食べ尽くす/声文化が存在したという記憶すら破壊する しかし → 文字文化かぎりない順応性があり/完全でないにしろ声文化の記憶も再建されうる 文字文化による声文化の再建によって、人そのものの意識を高める
ogawa: [声→文字]の変遷の形式を、[文字→コンピュータ化] にシフトさせて見ることに意義がある。
第2章 近代における一次的な声の文化の発見
p.57 ホメロスの時代のギリシア人は陳腐な常套句を評価 → 声文化の認識世界/思考世界全体が、きまり文句的な思考の組立に頼っていたから → 声文化では、獲得した知識を忘れないように絶えず反復しなくてはならなかった   → 知恵をはたらかせ、効果的にものごとを処理するために、型にはめて固定した思考パターンが欠かせない
ogawa: 好きなジュリアン・ジェインズについてまるまる1ページ割かれていてにうれしくなる。細部には難を示しつつも、大筋において好意的や賞賛が感じられる。
第3章 声の文化の心理的力学
p.73 すべての感覚は時間の中でおきる。 なにかをよく調べるためには、それを静止させる必要がある/視覚は固定するのが得意で、それによって視覚は動きを記録する。 しかし、音には静止画にあたるものがない。
p.74 声文化の人にとってことばには魔術的な力がある。 かれらにとって、ことばは話され、音として響くもの、ゆえに力によって発せられる 文字文化の人はそれを忘れがち。 かれらにとって、ことばは投げだされた「モノ」で、非活動的で「死んでいる」 → 魔術とは結びつかない
p.76 「知っているというのは、思い出せること」
複雑な問題を考えて解にたどり着いたとする。その問題も解もある程度は複雑である → それらを文字や記録無しで、記憶しておくことは困難である なんの助けも借りず、もう一度思考の流れをたどり、吟味することは不可能である。
声文化の人の長く続く思考は、つねに人とのコミュニケーションと結びついている
どうするか → 記憶できる範囲内で思考する すぐ口に出せるくらいの記憶(量)に基づいた思考に留める
口に出せることが、記憶を助ける → 強いリズムを持つ、均衡の取れた記憶しやすい「型」にはめる、反復や対句、韻を踏む、あだ名のような形容句、きまり文句、紋切り型のテーマ、などなど。
p.92 声文化の中での知識の獲得 → 何年もかけて何度も口に出して根気よく習得し憶えていなければならない → 知識は得がたく貴重で、これを保存している古老が高く評価される  (文字として知識が外化されるようになると古老の価値はさがる   /新しいことの発見者としての若者の価値があがる) → 精神は伝統主義的で保守的な構えとなり、知的な実験を禁止する
p.102 声文化は定義に無関心 辞書にあたるものがない/語の意味はつねに現実の状況に固着している(その変遷や経緯は問わない/問えない)
p.119 声文化の人に関するさまざまな実験から見いだしたこと: 声文化の人の不得手なこと → 幾何学的な図形、抽象的なカテゴリーによる分類、形式論理的な推論手続き、定義、包括的な記述、ことばによる自己分析 → だから劣っているという意味ではない → そういった能力は、テキスト(文字)によって獲得したものであるという事実
p.153 視覚は分離し、音は合体させる 聞くことの中にひたることはできるが、視覚の中にはひたれない 視覚は切り離す感覚、音は統合する感覚。 視覚の理想は明晰判明性/分けて見る、聴覚の理想はハーモニー/一つにすること 知識は究極的には、分断ではなく統合であり、ハーモニーを求めること
p.161 ことばを記号と考えること → 人間的な経験を視覚に類似したものと考えがち カレンダーや時計で時間を理解することは、時間を空間扱い(視覚物扱い)して、わかった気になっているにすぎない → 空間還元主義
空間還元主義 → 計り知れぬほど有用で、技術的な必要性が高い → 否定できない but: 空間還元主義には知的な限界もあるし、ときに人を欺く
第4章 書くことは意識の構造を変える
p.166 書くことは、どんな発明にも増して、人間の意識を作りかえた
p.174 技術は、たんに外的なたすけになるだけのものではなく、意識を内的に変化させる
p.176 道具をみずからの一部とし、技術的なわざを学習することによって、人間が非人間的になることはまずない。むしろ、技術の使用によって、人の心は豊かになり、人間の精神は広がり、内的な生は密度を濃くする。
p.201 印刷物によって、書くことが人々の心に深く内面化されるまでは、人びとは、自分たちの生活の一瞬一瞬が、抽象的に計算される時間のようなもののなかに位置づけられているとは思ってもいなかった。中世、さらにルネサンス期になってもまだ、西欧の人びとの大部分は、いまが暦のうえで何円にあたるかといったことを日常生活のなかで意識していたっとはとても思えない。
p.223 文字言語の語彙が豊かになりはじめたのは、書くことにともなってだが、その豊かさの開花は印刷のおかげである。 文字言語があるところには、その文法と慣用がならずある 秩序(文法や慣用)という概念そのものの感覚的な基盤は、かなりの部分、視覚(文字言語が書かれ印刷されること)にある。
第5章 印刷、空間、閉じられたテクスト
p.242 印刷が → ルネサンス、宗教改革、近代資本主義、大航海時代を引き起こし → 生活と政治、知識を広め、万人識字、近代科学の興隆、社会的、知的生活を変えた そして印刷が人の意識を変えた
p.249 印刷によって、聴覚優位から視覚優位が確固たるものになった。 読みやすさ、速読、黙読を可能に。 語を空間の中に位置づける〜空間の中に釘づけにする → 索引、リスト(一覧表)、内容とレッテル(タイトルページ)、図像的なレッテル
p.260 版面が意味を運ぶ 正確に反復できる視覚情報(※ページの統合的なデザイン/デザインルール) → 近代科学はその一つ:正確な観察を正確な表現に結びつけたこと
p.263 タイポグラフィックな空間/空白 活字の作りだす空間 → 科学的想像力、哲学的創造料、文学的想像力に、はたらきかける
p.266 印刷が → 西洋人の認識のエコノミー「心性」に直接的影響を与えた → レトリック(声の文化にもとづく)技術を学問的教養の中心から追い出した → 数学的分析、ダイヤグラム、チャートによって、知識の数量化をおしすすめた → 辞書(あらゆることばを網羅)、正しい言語規則を打ち立てる欲求を喚起 → 小さく持ち運び���きる本 → 一人で静かに黙読 → 内容の私有感覚
p.270 印刷は → テクストが閉じられている感覚をうながす → テクストの「内容」が、ある終わりによって区切られ、「完成」しているという感覚
認識の場が閉じられている感覚 → 書くことにより、思考は、対話相手から切りはなされ、紙面に隔離される
印刷物は → どんな反論にも無関心 → 内容(発話と思考)は、独立し、自足し、完全なものとして提示される (印刷は、同じ作品についての、まったくおなじ視覚的、物理的堅牢さをもった何千部もの版本のなかに、その作品の思考を閉じ込めてしまう。)
第6章 声の文化に特有な記憶、話しのすじ、登場人物の性格
p.285 物語は、いつどこでも、言語芸術の主要なジャンル もっとも抽象的な言語芸術形態の根底にさえ、物語は存在する。 人間の知識は、時間(と、それにしたがう物語)から生まれる。 → 抽象的な科学的知識の背後にさえ、観察の物語があり、抽象的な知識は、そうした物語にもとづいて定式化される。 → 実験室の学生たちは、実験結果を「書きあげ」なければならない。つまりおこなったことと、それをしたときに何が起こったのかを物語らなければならない。ある種の一般化や抽象的結論が引き出されるのは、物語からである。
第7章 いくつかの定理〔応用〕
p.363 声の文化と文字の文化の相互作用 → 人間の究極の関心と願望(としての宗教)にもかかわる   → 宗教的伝統は、声の文化に根ざした起源をもち、話されることばを重んじている   → また聖なるテクスト(ヴェーダ、聖書、コーラン)の発展によって内面化された
p.364 声の文化と文字の文化に関する問題は、いまや無数にある。 声の文化と文字の文化の力学は、現代の意識の進化の流れである、いっそうの内面化と開放にむけて合流していく。
(220929読了)
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