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#寄棟造り
hangorin · 10 months
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東京五輪から2年 湾岸はいま
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悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
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立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
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石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
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そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
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③晴海選手村
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カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
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選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
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街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
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右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
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その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
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選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
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ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
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東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
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わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
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次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
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しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
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有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
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有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
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そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
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有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
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真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
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アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
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正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
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「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
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競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
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生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
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炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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gupaooooon · 1 year
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ジェイクのステレオタイプ描写などについて
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・ジェイクのステレオタイプ描写についてを主に。ジェイクというキャラクターについて、自分なりに考えていることを。以下、だらだらと。かなりとっ散らかった書き方になってしまいましたが、残します。
・MCUムーンナイト。ジェイクが現状は……DIDのステレオタイプ描写に収まっている部分があること、その批判と懸念について。製作陣から、批判についての言及、問題意識の共有などがインタビューで為されていることが。大事なことだし、安心する。
ということを前提に、現状はステレオタイプに寄ってる/収まってしまっていることへの批判点注意点というか。自分なりの不安や考えなどを書きたい。
・↑このインタビュー記事の最後に、記事を書いたライター側によるジェイクの感想/予想があるのだけど。
ジェイクがもし、仮に「兄のような役割」なキャラクターだとしても……それはステレオタイプ描写の解消や帳消しにはならないよな、と思っている。
繰り返し出てくる「マーク達が困惑し恐れるほどの苛烈な殺人描写」、「病棟でハロウを捕まえるために罪人ではなさそうなスタッフが殺害されてる描写」……などが「暴力的/他害を厭わない」「ことフィクションで“サイコパス”(この用語の使われ方自体に問題あり)と名指されがちなキャラ造形」という偏見、ステレオタイプ描写に掛かっているのが問題の肝であって、
そこに「交代者を守るため」という理由が付け加えられたとしても、↑の解消にはならないというか。
あの問題点が非常に多い「スプリット 」だって、“守ること”が動機のひとつだったし……からの「Mr.ガラス」だった訳で。
ジェイクの描写の肝は「彼が何故その苛烈な役割を引き受けているのか」と同時に、「制裁の拳という役割、そこにある抑圧や支配」の構造……のようなものが描かれないと……ステレオタイプの脱却には遠いんじゃないかな……と。
・病棟で殺されていたスタッフは、実は酷い罪人だったという事実などが後から明かされる可能性もあるけれど、
例え相手が“罪人”だろうが、人を殺し続けることは、その役割は、辛いことであり。自分が殺した人間を「忘れられない」マーク・スペクターの姿が描かれたことが重要だし、MCUムーンナイトの好きなところなので。
コンスによる、“罪人の裁定”と“死で贖う”という手段について。そもそもの、その定まりについて。
アメミットの“剪定”の暴力性の次は……コンスの定める“制裁の拳”という在り方についてを問う,コンスという“父/支配者”の姿を問う話を……見たいんですよねほんと……続編………
・ジェイク、作中で散りばめられた要素が複雑で。
シーズン1では明かされなかった物語の多くの空白部分や時系列に。アーサー・ハロウの生死についても製作陣によって捉え方が異なっていたり。
ジェイクはほんと、まだまだ謎だらけで、それ故にステレオタイプ描写が印象深くなりがちだけれど。
以前↓の関連記事にも書いた、ジェイクと「子供の死の描写(子供を死に追いやるような描写は、ハロウやコンスとは異なり、ジェイクにはない)」 や「マークの自傷描写との繋がり」は、大事なんじゃないかなと。考えている。
・マークの自傷(を思わせる)描写とジェイクとの繋がりについては特に。「迫害者人格」を意識した、丁寧なキャラ造形が考えられていたりしないかな、とも思っている。
虐待者/加害者から身を守るための、予測と学習、模倣から。虐待者との同一化が起きること。身を守るための学習が、自らへの攻撃/自虐/自傷に転じていくことがあること。
保護者であり攻撃者でもある、そういった複雑な側面を持つ交代者がいたりすること。“迫害者人格”と呼ばれたりすること。
ジェイクにとって、マーク達は保護すべき存在であると同時に。彼にとっての、憤りや苛立ちや悲しみの対象/要因にもなりえたりしないか……と、いろいろ考えてしまう。
・コンスが封印されてからは……ほとんどジェイクが現れずにいたことも、いつか何かしら明かされるのか否か、気になる
(コンスが封印されていた状況では出てこない?ただ間が悪かった?コンスとの依存や信頼?それとも、ハロウが言うような解放の静寂/自由なるものを真に実感していたのはもしかしてジェイク?)
(Twitterに2022年7月に書いた感想の一部。抜粋/少し書き足したり整えたりしてまとめたもの。後から更に書き足したり他記事と繋げたりするかもです
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yamada50 · 1 year
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棟中央にも千木を置くスタイルの波多神社 奈良時代第37代斉明天皇の御代に創建した美作国南部の山奥に鎮座する古社です 江戸時代初代津山藩主となった森氏の崇敬が厚く社領を寄進され江戸中期宝永年間に現在の社殿が造営されました 元々畑三社権現と称していましたが幕末に畑三座神社と改称し明治6年に現社名となりました 現在の御祭神は速玉之男命ですが、かつて三社権現と呼ばれていたのはおそらく熊野権現を祀っていたのではないでしょうか 資料が乏しく推測ですけども #波多神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 波多神社(はたじんじゃ) 鎮座地:岡山県久米郡久米南町羽出木896 主祭神:速玉之男命 社格:郷社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#神社建築#神社仏閣#パワースポット#岡山県#久米南町 #美作国 https://www.instagram.com/p/Cm6-pe8vSHu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ichinichi-okure · 4 months
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2024.2.19mon_tokyo
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▲蔵造り風の扉の先には、無限の可能性が拡がっている
ひとり仕事終わりに「くら寿司」へ寄る
曜日や時間帯も関係なく速やかにカウンター席へ案内してもらえるのが有難い
一方向へ流れるものをぼうっと眺めていると心がスーッとする。河川を眺めている時のような気持ちになれるから「回転寿司」が好きなのだと思う
頭の中にある日々の悶々とした悩み事にも。少しだけ流れのようなものを感じて、幾らか心に晴れ間が差すような気がするのだ
カウンター席は間隔が狭い。両隣に気をつけながら慎重に上着を脱ぐ。後ろにハンガーの用意もあるのかもしれないがよく分からないので背もたれへ掛ける
椅子の下に荷物を置くための天板がある。フックでもカゴでもなく直置きをする仕様で通勤用のシャカシャカした素材のバッグとの相性が悪く動作のたびにズリ落ちそうになる
過去に何回か床へ墜落させているので自分には「くら寿司専用バッグ」のほうが必要なのかもしれない
着席すると、今度はあがり用の湯呑みが頭上に設置された「ビッくらポン!」の脇にあることを思い出す。たとえ誰も見ていなくても、立ち座りを繰り返していることが恥ずかしい
後から席へ通された男性がさっそく右隣で「ビッくらポン!」への参加をアリと選択し、レーンから勢いよく取った2枚のフリー寿司に手をつける。いまだに特殊な皿の取り方に危惧するので羨ましい
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わたしの記憶が正しければ…
少し前まで「ビッくらポン!」は全員強制参加だったはずだ。いつも心配していた。ひとりで食事をする方の中には5枚に一度必ず訪れるガチャガチャの結果発表の時間に耐えかねて、つらい思いをしてる人も少なくないのではないかと
「あたり!が出ても声に出して喜べない人間の気持ちがわかりますか!?!」悲痛な叫びがカスタマーサポート にこだまして成仏を願っている。それが現在の選択肢が生まれた由縁ではないかと想像する
基本一名客が通されるカウンター席には、食事中の楽しい談笑は無いのである。レーンと寿司、そして自分。たまに虚しく響き渡る「ビッくらポン!」だけの世界
その禅にも似た寿司時間を破り去る、圧倒的存在感を放つ人物がカウンター席には一定数存在する   自分の頭の中には注文ページをインストール済みなんです。そう言わんばかりの猛スピードでモニターをタップし、注文レーンに続々と寿司を供給する。運び込まれた寿司をすばやく机に降ろしたかと思えば、今度は業務用バキュームのように寿司を吸い込んでゆく
ここは緊急病棟か。はたまた掃除機のCMなのか。とにかく規格違いの一分一秒を争うようなプロの食べ吸いはアスリート同然の代物である
手に汗握る感動…その歴史的快挙を真横に感じながら。何も気にしていない体裁を取る
自分はあくまでもゆっくりと。吟味しながら寿司を食べ進めていく。これこそが「回転寿司」のいちばんの楽しみなのかもしれない
プロの方々については、親しみを込めて「くラー」そう呼ばせてもらう事にしている
そんなことを考えていたら。湯呑みに注いだお湯のレバーが押し込まれたまま。自分の机の上だけが、どんどん水浸しになっていた
-プロフィール- ざんまもえ 32 東京 販売員
東京都在住。元・揚げもの屋「FRYDAY NIGHT」代表。現在は販売の仕事をしています。相変わらず料理が好きなので自炊のレシピをまとめたZINEを作る予定があります。 @frydaynight_tokyo https://seikatsunonaka.jimdofree.com
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oniwastagram · 1 year
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📸竹田嘉兵衛商店(竹田家住宅)庭園(愛知県名古屋市)② Takeda Resicence Garden, Nagoya, Aichi ——国の重要伝統的建造物群保存地区・有松の町並み。“有松絞”の祖・竹田庄九郎の流れを汲む商家の近代和風建築、設計は名古屋の茶人・吉田紹清。江戸幕府将軍・徳川家茂も訪れた茶室“栽松軒”や素敵な庭園も。名古屋市指定文化財。(通常非公開) ———————— 茶室『栽松軒』とその露地庭園についても。 冒頭の通り14代将軍 #徳川家茂 も訪れたと伝わる茶室で、京都の数寄屋建築の巨匠 #中村昌生 さんの茶室の本の中でも紹介され、《バランスのとり方が完璧》と評されています。 東京都現代美術館で個展が開かれるなど日本でも人気の現代アーティスト:ガブリエル・オロスコは今回、茶室にも欠かせない大工が用いる単位「尺」をモチーフとした作品を制作展示。 外観のたたずまいも建築の内部も庭園も茶室も全部素晴らしかった…。洋間には棟方志功・河井寛次郎がこの竹田家を訪れた際の写真も展示されていました。 時代を超えてワールドワイドなアーティストゆかりの場にもなった竹田家。イベントが開催される際にぜひ足を運んでみて。 名古屋・竹田嘉兵衛商店(竹田家住宅)の紹介は☟ https://oniwa.garden/takeda-house-arimatsu-nagoya/ ———————— #japanesegarden #japanesegardens #japanesearchitecture #japanarchitecture #kyotogarden #zengarden #landscapedesign #beautifuljapan #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #japanischergarten #庭院 #庭园 #数寄屋 #数寄屋建築 #庭園 #日本庭園 #茶室 #teaceremonyroom #露地 #露地庭 #茶庭 #有松 #arimatsu #ガブリエルオロスコ #あいち2022 #おにわさん (竹田家住宅) https://www.instagram.com/p/Cp_Vo09PnYx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tomoshiha · 11 months
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日記(2023/07/20)
 描けん描けんとベソかいてるうちに朝になっていたというようなことが続き、いつ寝ていつ起きとんのか自分でもようわからん日々を過ごしていたのだけれども、昨日めでたく出すもの出して、即、寝、日付が変わって間もない頃起きた。もう今日はしたいことだけしようと思った。
 夜が明けるまで、読みかけだった平山夢明『俺が公園でペリカンにした話』を開いていた。「警察」に「マッポ」というルビが振ってあるような小説を読むのは久しぶりで、おもしろかった。
 燃えるゴミの日だったのでこちらも出すもの出してしまいたく、日が出てからは人参の皮を剥くなど捨てるものの出る作業を片付けた。餃子を25個包んで、人参と一緒に蒸籠で蒸した。
 食べながら、ふといただきものの東博「古代メキシコ展」の招待券の有効期限が明日までだということを思い出したのだけど、明日は夜まで予定があるし、行くなら今日しかないということになって、シャワーを浴びて上野まで出た。今日はさして暑くなく(それでも30℃あるが)、外を歩くのも苦ではなかった。
 最初の展示室でもう頭蓋骨が出てきて参ってしまった。人骨ほど直接的なものでなくても、中南米の古代文明の造形は見ていると体内の臓器と臓器の間を何かがもにょもにょ這うようなかんじがして不安になる。目玉のひとつだった「赤の女王のマスク」にしても、本当に怖いものを見ているという感触があった。
 ついでに国際子ども図書館に初めて行った。新館(アーチ棟)に入った瞬間兵庫県美の匂いがして、さては安藤忠雄やな、と思ったら本当に安藤忠雄の設計だった。馬場のぼるとデイヴィッド・ウィーズナーの絵本など読んだ。16時くらいで切り上げて、電車が込む前に帰った。帰りの電車は爆睡だった。
 そういえば行きしなの電車でこんなことがあった。おっさんがいきなり「もっと詰めて座れよ!」と男子高校生二人組(全然広がってはない)に説教垂れたかと思うと、近くにいた、とは言い難い距離感のところにいた女性二人組(全然座りたそうではない)をにこやかに呼び寄せて、どうぞどうぞと座らせ、立ち去った、と言うには近い距離感のところに移動して、むくれたまま立っていた。なんか、平山夢明が描いてそうな善意やな、と思った。
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【新潟県謡曲古跡めぐり上越編】1日目9箇所目  2021/6/27ー28
能「壇風」「田村」
水俣観音堂 《 糸魚川市水俣 》 水保観音堂の創建は不詳ですが泰澄大師が養老年間(717~724年)に開いたとも弘法大師空海が大同元年(806)に開いたとも云われています。
その後、坂上田村麻呂が当地を訪れた際、境内が整えられ寺院として草創したそうです。当時は吉祥院に属し、信仰を広げ最盛期には七堂伽藍を備た大寺院として周囲にも大きな影響力を持ちました。古くから神仏習合し隣接する日吉神社の祭祀を担っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により吉祥院が廃寺となり日吉神社と観音堂だけが残され現在は宝伝寺の境外仏堂となり周囲の信者によって管理されています。
水保観音堂には棟札が残されていて明和5年(1768)に建てられ、棟梁が倉若七右衛門、脇棟梁が宮原与右衛門、下役が小杉久右衛門だったことがわかっています。水俣観音堂は木造平屋建て、寄棟、鉄板葺(旧茅葺)、桁行5間、梁間5間、平入、外壁は真壁造り板張り、四方浜縁、高欄付き、中世の密教寺院建築の特徴を残し地域に残る修験道場の遺構としても貴重な存在です。
寺宝には大正12年(1923)に国重要文化財に指定された「木造十一面観音立像」(平安時代中期~後期の作と推定、桜材の一木造、頭部の天冠台には様々な表情をした十一面が墨書、像高1.548m、鉈彫り、33年に一度の開帳、身をもって集落の火災を防いだという伝説が残っていて火伏の観音さまとして信仰の対象となり住民からは「水保の観音さん」と呼ばれています。)や男神像(2躯、室町時代作と推定、像高27㎝、23.5㎝)や鋳銅製鰐口(貞享3年作、鋳師:高田土肥藤右衛門藤原朝臣家次、施主:糸魚川高野清右衛門季林敬白)などがあります。 この仏像は、桜材の一木造りで、高さ1.548メートル。 平安時代中~後期(藤原時代)の作と推定されています。丸のみを横に用いて荒っぽく削る「鉈彫り」の技法で作られたものです。 この技法で彫られた例は新潟県には2例しかなく貴重な仏像です。 一般公開は33年に1回です。(平成16年8月27日~29日に一般公開されました)
又、水俣観音堂には鎌倉時代に後醍後天皇の倒幕に加担し佐渡に流され、本間一族に惨殺された日野資朝の子供阿新丸が十一面観音の霊力を受け父の敵を討ち果たし父の遺骨を境内に埋葬したという伝説があり資朝のもの思われる墓(五輪塔)もあります。毎年5月1日に行われる例大祭では日吉神社の神事の後、観音堂まで神輿渡御が行われ、さらに境内で神楽が奉納される神仏習合の名残が見られます。
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hijirisha · 26 days
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今季の山菜の生長は異常。二週間も早い。例年なら少しづつ移り変わる季節と異なるタイミングで顔を出す植物たちに心踊らせながら採集しているところ、スタートからフルスロットルで突進する改造車のような、第ニ、第三コーナーをすっ飛ばし最終コーナーに突っ込んでいくような、狂気帯びた季節を見てる。昨夏月山山頂が干上がったのは記憶にあたらしい。まず先に影響を被るのは安全圏に囲まれたものたちではなく、縁のような場所に住まうものたち。気候変動、冗談じゃない。炭素経済、続くわけがない。こんな状況を早く終わらせて、温室効果ガスを排出することが当たり前の経済の〈後の〉生き方や暮らしをつくりだそう。 そんな思いで山を駆け回っているタイミングに、鶴岡へ、その実践者であり表現者であるグレイ・フィラスティン(FILASTINE)がやってきます。5月22日に、昨年11月にイベントをしたエビスヤビルで、19:00から催しを開くことになりました。 フィラスティンはバルセロナを拠点に活動していた音楽/映像作家なのですが、現在は相棒でシンガーのノヴァとともに、「アルカ・キナリ」という海に浮かぶカルチュラル・プラットフォームを立ち上げ、70トンの帆船で世界中を航海しながら、各地に寄港し、船上でのワークショップや知恵と技術の共有、パフォーマンスをしています。 そこで奏でられているのは、気候変動への警鐘を鳴らすこと、民族・言語・思想と文化を織りなすネットワークであった海上交通の記憶を呼び起こすこと、炭素経済後の生き方や暮らしを想像すること、海と人との関わりをつくりなおすこと、等々。 今後は船上生活となるため、いつ来日するかもわからないなか、めちゃくちゃ興味深いその活動内容を、写真や映像、音楽を交えて共有する場は非常に貴重な機会となるはずです。声をかけてくださったIRAの成田さんも当日鶴岡にお越しになります。 出会いの喜びに感謝しつつ、みなさんともぜひこの機会を分かち合いたいです。22日は19:00にエビスヤビルへ、どうぞお越しください! #Repost @ira.tokyo with @use.repost ・・・ 「都市の未来を崩壊させるベース・ミュージック」を、インドネシア出身のシンガー、ノヴァ(NOVA)とともに、巨大な音楽フェスから民衆の抵抗の現場に至るまで、世界の様々な場所で鳴り響かせてきたミュージシャン、グレイ・フィラスティン(FILASTINE)が、2018年のMUTEK.JPの出演以来、およそ6年ぶりに来日します。ただし、今回はフィラスティンだけの来日で、ライブの企画もありません。フィラスティンは、この6年の間に音楽活動と生活様式を大胆に改め、惑星最後の偉大なコモンズ=海への「亡命」を決意、2019年に活動家やアーティストの仲間とともに、海に浮かぶカルチュラル・プラットフォーム「アルカ・キナリ」を発足しました。そのアルカ・キナリこそが、現在のフィラスティンの活動であり、生活の拠点です。今回の来日では、山形・鶴岡と東京で、アルカ・キナリの活動内容について、写真や映像、また音楽を交えてじっくり紹介してもらいます。 気候変動や環境破壊、戦争、難民問題、住宅危機… 私たちが現代社会で直面しているこれらの問題を乗り越えるような、新たな生活や文化、抵抗の手段を私たちはどのように創造していけるのか。アルカ・キナリは、誰もが簡単に真似できるプロジェクトではなさそうですが、独特でスケールの大きいかれら活動の中には、人々を果敢な行動へと突き動かすようなアイデアの種が豊富に含まれているはず。貴重な機会です。ぜひ、会場へお越しください。 - 海上のアーティヴィズム──アルカ・キナリの航海 ARTIVISM AT SEA: THE VOYAGE OF ARKA KINARI 山形・鶴岡 日時:5月22日( 水) 19:00〜 会場:エビスヤビル(旧小池薬局恵比寿屋本店|鶴岡市本町一丁目6-88) 入場料:1000円+カンパ 言語:英語(日本語通訳あり/スライドに日本語字幕) お問い合わせ:日知舎|info [at] hijirisha.jp 東京 日時:5月25日(土) 18:00〜 会場:東京藝術大学上野キャンパス・国際交流棟3Fコミュニティサロン 入場料:無料 言語:英語(日本語通訳あり/スライドに日本語字幕) 共催:東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科 毛利研究室、グローバルサポートセンター お問い合わせ IRREGULAR RHYTHM ASYLUM|info [at] ira.tokyo
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shintani24 · 2 months
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2024年4月22日
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“お菓子の王国”滞在型ホテル 広島・呉市に9月にオープンへ シャトレーゼが購入の「グリーンピアせとうち」 (RCCニュース)
広島県呉市にある「グリーンピアせとうち」を購入した菓子製造販売のシャトレーゼは、施設を活用した滞在型ホテルを、9月にオープンさせることを明らかにしました。
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「グリーンピアせとうち」は、1985年にグリーンピア安浦として開業しました。ホテルやプールなどが併設されているリゾート施設で、2005年には呉市が購入しましたが、宿泊者数の減少や施設の老朽化が課題となっていました。
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このため、呉市は、施設を活用するために去年、菓子製造販売のほか全国でリゾート事業も手がけるシャトレーゼホールディングスに売却していました。
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新しいホテル名は「シャトレーゼガトーキングダムせとうち」で、ホテル棟を改修してことし9月にオープンする予定だということです。4月29日には、第一段階としてホテル棟1階で菓子工房と売店の営業をはじめます。
売店では、地元のレモンを使った「レモンケーキ」を、全国のシャトレーゼの店舗に先駆けて販売を始めるということです。
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会見後、記者団に釈明する河村たかし市長=2024年4月22日午後3時0分、名古屋市役所、寺沢知海撮影
河村市長「祖国のため命捨てるのは道徳的行為」 会見で持論、釈明も(朝日新聞)2024年4月22日
名古屋市の河村たかし市長は22日、市が条例で定めた「なごや平和の日」の意義を問われ、「(戦争で)死んでいった人たちに思いを寄せないといけない」と述べたうえで、「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と発言した。
河村氏はこの日の記者会見で、空襲で名古屋城天守が焼失した5月14日を「なごや平和の日」に制定し、平和を祈念する式典を開催すると発表した。その際、戦闘が続くウクライナやパレスチナ自治区ガザに言及。「国に命を捧げるのは、大変勇気のあること。『サンキューベリーマッチ』と言わなきゃ、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないんですか」と持論を展開した。
さらに、学校現場でもこうしたことを「一定は考えないといけない」と主張。「国が守られるのは当たり前であるとの考え方は、日本にものすごい不幸を導く」と強調した。
ただ、河村氏は会見終了直後、記者団に「(命は)捨てない方がよい。誤解してもらってはいけない。『捨てよ』とあおっているわけではないが、残念ながら戦争は起こる」と釈明した。(寺沢知海)
河村たかし名古屋市長と記者団の記者会見での主なやり取りは次の通り。
 ――「なごや平和の日」を名古屋城が炎上した5月14日に制定したことについて。
「うちのお袋も言っていたけど『名古屋のお城が燃えたらしい。これで終わりだ』。どこか1日とするなら5月14日が皆さん受け入れやすいんじゃないかと思います。それから結局、こういう戦争がなぜ始まってしまったのかと。300万人死んでいる。日本全土で。名古屋では3万人。2万人が軍人で1万人が空襲被害者の方々。まあ、勉強しませんわね。なんでしないか。受験に出ないから。最近のウクライナとロシアやハマスとイスラエル。人はなぜ殺し合うのかということは、よう��んなで考えてみると。僕らの時代はベトナム戦争があったもんで、どちらかというと日本はとんでもない侵略戦争をやったと。犯罪国家であるというような言い方が多かったですけど。しばらく経つとおかしいなこれはとなってくるんですよ。やっぱり、死んでいった人たちに思いを寄せないといけない。
トリエンナーレ(2019年の国際芸術祭『あいちトリエンナーレ』の企画展)もそうですけどね。とんでもない判決になりましたけど。しかし、あの中に寄せ書きがあるんですけど。『イディオット・ジャポニカ』。間抜けな日本人。軍人として命を失っていくことは。祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的行為であるということは間違いない。右翼ではないですよ。世界の常識ですよ。満州事変のころからでもよいですよ。なんでアメリカと戦争をやってしまったのか。受験には出ませんけど。考えてみなきゃいけないんじゃないかと」
 ――「祖国のために命を捨てる���は相当高度な道徳的行為」とは具体的にどういう意味なのか?
「世界連邦というのはないんですよ。国際連盟をつくって、第2次世界大戦があってむちゃくちゃになりました。第2次世界大戦後には国際連合をつくりましたけど、現にウクライナの戦争もありますし、イスラエルの戦争もある。そうなるとやっぱり、それぞれの国という存在自体が皆さんの戦争の時に守っていかざるを得ないという状況ではある。だから、国というものに対して、自分の命を捧げるというのは、大変な勇気のあることだし。みんなで『サンキューベリーマッチ』と言わなきゃ。やっぱり、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないんですか。残念ながら」
 ――太平洋戦争で祖国のために命を捨てたことは、高度な道徳的行為であったという意味か?
「太平洋戦争に限らないです」
 ――今の学校でも「祖国のために命を捨てるのは相当高度な道徳的行為だ」ということを考えるべきだと?
「やっぱり一定は考えないといけないでしょう。国が守られるのは当たり前であると、自分たちの国の若者の血は流さないけど、アメリカ人の若者の血は流してもよいと。そういう考え方はものすごい不幸を導くんじゃないですか。日本に」
 ――日本国憲法は戦争放棄を規定しているが、整合性は?
「日本国憲法はアメリカに占領されていたときにできた憲法です。今とでは全然状況が違うと思います」
(会見直後、河村氏が記者団に向かって)「祖国のために命を捨てるというのはなかなかのことではあるんですよ。本当は捨てない方がよいんですよ。誤解してもらってはいけない。捨てよとあおっているわけではない。残念ながら戦争というのは起こるから。どうしたらええかと。せめて経済を良くすることでしょう。(記者団が)深刻な雰囲気ですが」
コメントプラス
本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)【視点】 戦史研究によれば、太平洋戦争において亡くなった230万人の日本軍兵士の多くは、戦地への補給路が整っていなかったことによる餓死や病死、自決などであった。当時、国は国民を戦争に動員し、そして見殺しにしたのである。
見殺しにされた兵士を悼むことと、それを「道徳的行為」として持ち上げることとは全く異なる。二度とそうした無惨なことを起こさないという決意こそが、日本国憲法には込められている。
「残念ながら戦争というのは起こるから」と河村市長は言っているが、戦争は自然災害とは異なり、「起こす」誰か―それは必ず権力者である―が存在している。それを隠蔽し、その犠牲になる一般庶民を美化する言説の欺瞞性にぞっとする。
河村市長は大量のリコール署名の捏造に加担しており、その中心人物であった田中孝博(元「日本維新の会」衆議院愛知5区選挙区支部長)には4月19日に有罪判決が下った。
日本では、国民に「道徳」を強いる側の者がもっとも「不道徳」、さらには「違法」「不法」である場合が多い。戦後に廃止された教育勅語の本質であった、「国(天皇)のために死ね」というメッセージに対して、いまさら「道徳」や「善いこと」という価値づけをしようとする者らの醜さを国民は認識すべきである。
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774 · 3 months
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同潤会青山アパートの敷地面積は6,080平米で、敷地内には鉄筋コンクリート造りで3階建てのアパートが10棟配置されていた。同潤会青山アパートは完成当時、軍人、役人、大学教授などしか入居できない高級アパートであり、表参道の新名所として観光バスも立ち寄るほどだった。一方、表参道は天皇が明治神宮への参拝や代々木練兵場への閲兵のためにしばしば馬車で通過される道筋にあたり、その際にアパートの住民がそれを見下ろすことは許されず、窓にはカーテンがかけられていたという。
青山アパートメント - Wikipedia
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nozawa-seminar · 8 months
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野澤ゼミの夏休みin代官山&自由が丘
~都市空間活用編~
こんにちは!
野澤ゼミ4期のオンアリです🙇‍♀️
ついに4期も野澤ゼミブログにデビューしました!その第一歩として、夏休みのまちあるきを紹介します。
今回のブログは
1.LOG ROAD DAIKANYAMA(ログロード代官山)
2.TRAINCHI JIYUGAOKA(トレインチ自由が丘)
3.さいごに
以上の構成になっております。
ではスタート!
1.LOG ROAD DAIKANYAMA(ログロード代官山)
こちらは東横線の電車が走っていた線路跡地を活用して作られた商業施設です!代官山駅から徒歩5分ぐらいでつける、代官山らしいおしゃれな店舗がそろっています。
LOG ROAD DAIKANYAMAのコンセプトは「公園のような空気感の中で食べる、買う、過ごす」です。都心の中に緑豊かな空間、立ち寄りたくなる個性豊かなショップで、人々に気持ち良い空間を提供するのを目指しています。
詳しくはこちらを参考にしてください。
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入口からとった写真です!
ログロードに入った瞬間、緑の豊かさを満喫することができます。 (この日、最高の天気だったのでいい写真たくさん撮れました✌)
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5棟の建物が配置しており、スタイリッシュなショップがそれぞれ入っています。
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また、レストランやカフェなどにはオープンテラスや散策路のベンチは滞留空間として機能しており、各店舗と歩道空間の一体性を感じることができました。
2.TRAINCHI JIYUGAOKA(トレインチ自由が丘)
この日は雨で少し残念でしたが、、
筆者は初自由が丘出動でわくわくでした!
次に行ってみるところは、、
自由が丘駅から徒歩5分ぐらいにあるTRAINCHI JIYUGAOKAです!施設の老朽化により2022年リニューアルオープンしました。
詳しくは公式サイトから!
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「自然と過ごす、街の“あいま”で」をコンセプトに1階には様々な店舗が立ち並んでおり、2階にはレンタルスタジオやラウンジなどが造成されています。
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施設1階の様子です!
店舗の外にはオープンテラスみたいな席とベンチ等も設けられていたが、雨のせいで使われているのは見れなかったです、、
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印象的だった2階の空間!まちに開かれているラウンジ空間がありました。これも一つの公共貢献かなと、、!
ただ、屋上デッキにも滞留の空間がもっとあったらいいなとも思いました。
3.さいごに
都市空間の中で衰退しやすい線路跡地や線路沿い空間等を活用し、まちの新たなブランドとして活用している点がすごく印象的でした。
特に代官山の場合は、ヒルサイドテラスがある旧山手通り界隈がまちの中心であるイメージがあったので、ログロードの開業と共にその中心を東側にも拡張させる意図もあるそうです。それから空間の利活用だけでなく、駅とまちのつなぎ人とまちを結ぶ役割も果たしていると感じました。
都市空間の利活用によって都市活性化、まちの価値向上ができた成功事例なので、ぜひみなさんにもお勧めしたいです!
また、野澤ゼミはInstagram(@nozawa_seminar)も更新中です。 ぜひチェックしてみてください!!
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hachikenyakaiwai · 8 months
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【かいわいの時】明治二十二年(1889)9月30日:天満紡績争議(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
争議の発端 1889(明治22)年9月30日12時半、午後の就業をつげる汽笛が鳴りひびいても誰一人工場に出てこなかった。かねて職工は賃金引上げについて「寄々相談」を続けていたが、この30日、綛場 (綛部・綛締部)の女工300余名がまず朝9時の休憩時間、そして昼12時の食事時間に食堂で「今日こそは賃金引上げを要求しよう」と相談、ついに午後就業しなかったのである。米価が騰貴を続け、生活に難渋し(この当時女工は、近郊農村あるいはいわゆる細民社会のものがほとんどであった)、それに近くの堂島紡績の賃金の方が高い(綛機一枠、紹締部一玉に付2~3厘)ことからも、賃上げは決して無理な要求ではないというのが女工の主張であった。その他、上半季特別賞与の支払い(予定は9月20日迄に支払い)・待遇の公平も要求していた。その後、女工は、食堂の様子をうかがいにきた職工取締(役員)が後日の返答を約したことで、一応就業したが、午後5時半になると一斉に仕事をやめ(6時までが就業時間)門前にでて夜業職工を待ち受け「人毎に何か示し合わせし模様」だったが、この日はそれ以上の行動に出なかった。
その後の経過 30日以後女工たちは、返答を待ち仕事も手につかない有様だったという。返答がないのに業を煮やした女工約300名は、 10月2日午前7時頃、出勤途上の一職工取締にじか談判に及んだ。だが女工らが、その取締の説得に応じ会社内での話合いに入ろうとした途端、取締は��度を変え、即座に主唱者を解雇してしまった。憤激した女工たちは、午後三時頃には4~50名が先の要求に加えて、5年間契約書・積立金(双方とも職工の足留策)の返付をせまった。さらに翌3日には、 汽缶部の男工も、女工に同調する動きをみせた。このため、会社は3日まで操業を中止せざるをえなかった。 この3日には、会社は、女工300名募集の掲示を門前に出すとともに、社員が職工宅を歴訪し出社を説得するなど、争議の切崩しにかかった。対抗して、職工約400名は同日午後から、堀川監獄・島田硝子製造会社等の天満周辺に「集合して頻りに相談をなし」、「ややもすれば会社に押しかけんとする」勢いをみせた。この動きを察知した憲兵第六管区長柄駐屯所は、4名の憲兵を現場に派遣、職工を説諭、解散させた。ちなみに憲兵が争議に介入するのはこれが初めてである。警察・憲兵は、争議中の集会等にも干渉し、解散を命じていた。会社側はこれを背景に、「もし説諭に服さざれば解雇せん」と一層強硬な態度に出てきた。翌4日、会社は、争議の主唱者とみられる 男工60余名・女工20余名を厳重に取り調べた。5日までに、その職工らを解雇するかあるいは要求を受け入れるか、いずれかに決定する予定だったという。
警察・憲兵・会社の強硬な姿勢を前にして、5日には昼業職工400名はすべて就業してしまった。だが夜業職工のうち数百名はなおも説諭に服さず、「賃金の引上げを聞き入れぬとならば、我々に相当の前借を許された」と要求していた(結果不明)。
妥結 警察憲兵・会社の強硬な姿勢の前に、職工側の態勢が崩れ、争議を継続している職工も止むなく会社と妥協することとなった。その結果、会社側は、職工が「穏当」に出ればという条件つきで、「物価騰貴につき実際生活上困難なるべければ、就業の上勉強の者には賃金の値上げをなし、また本年上半季における特別賞与金は6月迄に入社せし者に限り来たる20日迄にそれぞれ配当する」ことを認めた。 また職工主任(職工配置、日給・請負額等の労働条件を決定し、また日常的に職工を監督する)から謝罪書をとることも認めている。この妥協案により、職工は7日から元の通り就業し争議は一応落着した。 当初の職工の要求のうち、賃上げ・特別賞与そして待遇の改善(主任の謝罪書)を曲がりなりにも獲得していることから、この争議は、解雇者が出たとはいえ、一応成功したものといってよいだろう(『大阪 朝日』明2・10・4、10・5、10・6、10・8)。
なお1889(明治22)年12月の天満紡の火災の際、この争議との関連を警察が調べていることからみて(無関係と判明)、その後も争議の余波は残っていたものと思われる(『大阪朝日』明22・12・ 4)。周知のように、この天満紡の争議を契機として、紡績連合会・各紡績会社の職工対策は整備されていく(立川健治)。『大阪労働運動史(第1巻)戦前編・上』1986より。※原文数字はすべて漢数字。
(写真)「赤レンガ館」1886築(中西金属工業) 赤レンガ館はもともと天満紡績の工場として完成、合併により1900(明治33)年に大阪合同紡績天満工場となった。1931(昭和6)年、大阪合同紡績が吸収された東洋紡績の工場となり、1938(昭和13)年に中西金属工業に移った。赤レンガ館と並んで本社棟も明治期の建物。1階が石造風、2階はタイル張り、屋根が寄棟造桟瓦葺という和風づくり。天井が高く、階段は急勾配、手すりまわりの古風な意匠などに、明治の香りが漂う(中西金属工業)。写真は、《西日本 近代建築万華鏡》より。
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oniwastagram · 1 year
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📸竹田嘉兵衛商店(竹田家住宅)庭園(愛知県名古屋市)② Takeda Resicence Garden, Nagoya, Aichi ——国の重要伝統的建造物群保存地区・有松の町並み。“有松絞”の祖・竹田庄九郎の流れを汲む商家の近代和風建築、設計は名古屋の茶人・吉田紹清。江戸幕府将軍・徳川家茂も訪れた茶室“栽松軒”や素敵な庭園も。名古屋市指定文化財。(通常非公開) ———————— 茶室『栽松軒』とその露地庭園についても。 冒頭の通り14代将軍 #徳川家茂 も訪れたと伝わる茶室で、京都の数寄屋建築の巨匠 #中村昌生 さんの茶室の本の中でも紹介され、《バラ���スのとり方が完璧》と評されています。 東京都現代美術館で個展が開かれるなど日本でも人気の現代アーティスト:ガブリエル・オロスコは今回、茶室にも欠かせない大工が用いる単位「尺」をモチーフとした作品を制作展示。 外観のたたずまいも建築の内部も庭園も茶室も全部素晴らしかった…。洋間には棟方志功・河井寛次郎がこの竹田家を訪れた際の写真も展示されていました。 時代を超えてワールドワイドなアーティストゆかりの場にもなった竹田家。イベントが開催される際にぜひ足を運んでみて。 名古屋・竹田嘉兵衛商店(竹田家住宅)の紹介は☟ https://oniwa.garden/takeda-house-arimatsu-nagoya/ ———————— #japanesegarden #japanesegardens #japanesearchitecture #japanarchitecture #kyotogarden #zengarden #landscapedesign #beautifuljapan #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #japanischergarten #庭院 #庭园 #数寄屋 #数寄屋建築 #庭園 #日本庭園 #茶室 #teaceremonyroom #露地 #露地庭 #茶庭 #有松 #arimatsu #ガブリエルオロスコ #あいち2022 #おにわさん https://www.instagram.com/p/Cp_VQLWPEV2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yu-kidesign · 1 year
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【北海道ボールパーク】開業告知広告 スポーツを起点に地域の未来をつくりながら、 共同創造型の新しいまちづくりを行うプロジェクトに携わらせてもらいました。 北海道だけに留まらずに、色々なところで話題になった、 北海道ボールパークの開業告知広告を制作しました。 ・日本初の開閉式屋根の天然芝球場 
・世界初の球場内温泉&サウナ 
・世界初の球場内クラフトビール醸造ブリュワリー&レストラン 
・10年間入場無料ボールパーク内マンション(全室完売!)
 ・ボールパークの真ん中でBBQが楽しめる焚き火テラス
 ・チームラボ建築の認定こども園
 ・ボーネルンド監修の日本最大級キッズパーク
 ・多世代交流の場シニアレジデンス
 ・自然の中の体験型アクティビティ「空中アスレチック」 
・全国の有名店が集結したコンコース横丁
 ・ボールパークに泊まれる全室一棟貸しヴィラ
 ・道内初出店する広尾の行列ができる人気ベーカリー
 ・アジア初上陸の世界的自転車ブランドの新業態ストア
 ・楽しくおいしく学べる農業学習施設 
・「生きる」を考える全く新しいミュージアム 等々、様々な施設が集まった、世��に誇れる全く新しいボールパーク。 野球を愛するファンは勿論、 今まで野球に興味のなかった人々にも興味を持ってもらい、振り向いてもらうために、 開業告知広告では、ファイターズ色や野球色を強く出すのではなくて、 もっと生理的に良く感じられるような、ボールパークでの楽しみを表現したイラストで制作。
 イラストレーターは北海道在住のアーティストに描いてもらっています。 カラフルで楽しげに作った広告を、 札幌駅周辺や、最寄り駅の「北広島駅」では駅全面をジャックしたり、 地域のお店に貼れるポスターから、施設紹介も兼ねた冊子配布と。 それから渋谷の交差点でのダルビッシュ選手のジャック広告から始まり、 話題化を狙った広告の出し方で、オープンを彩りました。 実際、とても楽しめるボールパークとなっています! みなさんも北海道に行った際には、ぜひ立ち寄ってみてくださいませ! 一日では回りきれないほどの楽しい空間です〜! . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . - CREDIT Client:株式会社ファイターズスポーツ&エンターテイメント Executive Creative Director:小布施 典孝 Creative Director:榊 良祐 Art director:三宅 優輝 Copy Writer:小川 祐人、林 苑芳 Business Producer:早川 香、倉田 亮 Creative Producer: 岩佐 遼太郎 、 吉井 俊太郎 (電通クリエーティブフォース) Designer:増田 啓人、佐藤 祐太郎 (JCスパーク) Designer’s producer:今若 琴音(JCスパーク) Illustrator:前田 麦 CG:内藤 順一(オムニバス・ジャパン) Producer:大出 雅夫(東北新社) Director:(CM):HORSTON Music(CM):冨永 恵介、稲葉 真由(PIANO) Mixer(CM):坂門 剛 Narrator(CM):小池 広季 Cameraman:内堀 貴嗣、片岡 義章(shot)、髙木 幸子(OND°) 
制作サポート:古田 雅彦、関口 拓真、篠原 涼、永井 うらら(amana)
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yamanaka-lab · 1 year
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2022建築レビュー#6
-建築レビュー#6(設計者:Haworth Tompkins)発表者:後藤(M1)講評者:池部-
建築レビュー第6回はHaworth Tompkinsを取り上げた。
1991年に建築家グラハムハワースによって設立され、ロンドンで活動する建築家集団である。
再生可能な実践、生態系境界線を壊すことなく建築物に対する社会のニーズを満たすという枠組みによって、従来のサステナビリティの概念を再考している。主に既存の建物の改修・保存を行っている。保全と遺産 、歴史的文脈指定を制約としてではなく、豊かさと可能性の付加的な層として捉え設計している。
事例1『Bristol Old Vic』
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このプロジェクトは2018年の前面道路側の計画であり、グルジア劇場の新しいファサード改修とパブリックスペースの提案である。
2012年にオーディとリアムの改修を行った。ロンドンで最も古い歴史を持つブリストル・オールドヴィック劇場の、第一級建造物である劇場正面スペースとスタジオシアターブリストルの市民生活と公共空間の中心に劇場を繋げることを目的としている。
既存と提案
左部分オーディとリアム側の床を減築し、スタジオ部分に床を積層させることで、壁がむき出しになりそこに新しくエレメントを挿入している。また、右部分のロビーを減築しホールを作る。既存のスタジオがあった場所にパブリック機能を付加している。
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空間の中心は、ジョージアン様式の講堂の大きく変化したファサードで、通りから初めて見ることができ、新しい開口部によって歴史的な改造の痕跡が上書きされるようになっている。
ホワイエは、街路の延長線上にあり、屋根のある広場であると同時に、独立した建物であることを意識。この空間は、構造材とガラスによってフレーム化され、覆われており、部屋の奥まで日光を取り込むことができる。
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内側からの視点
オーディとリアムを閉じ切らない操作
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中二階のギャラリー、曲がりくねった木製の階段、展望台は、ショーの前後に観客全体が上下左右に移動できるようにし、ホワイエはカフェ、バー、集会所として地域の人々に一日中楽しんでもらえるように設計されている。
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南側に面した通りのファサードは、パブリックアート作品として構想され、手で操作できる可動式の日除けシャッターに、1766年にギャリックが行った就任演説と、ブリストル市の元詩人マイルズ・チェンバースの詩のテキストを組み込んでいる。劇場の長い歴史の重要性を強調すると同時に、現在および将来の地域社会全体の生活における劇場の役割に期待している。
メインホワイエに加え、新しいスタジオシアターは、1階と地下の旧クーパーズホールの樽貯蔵所を利用し、歴史的な壁面を生かし、通りの窓から日光が入るようになっている。1階にあるオリジナルのCoopers' Hallは、通りを見下ろす大きなパブリックルームに改築され、ホワイエの延長として、多目的ルームとして機能する。
事例2『Punch drunk』
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ロンドン南東部にある劇団の新拠点、仮設エントランスパビリオンでオフィスとしての機能する。
仮設パビリオンは「One Cartridge Place」と呼ばれ、ショーを開催する3つの指定建造物の間の車道を横断し、エントランスホワイエ、ボックスオフィス、公演中に建物をつなぐ内部通路が含まれている。
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グレードIIに指定されているキヤノン製造倉庫の「寄り棟」部分にクロークとトイレを設計し、仮設パビリオンに接続している。
Punchdrunkの最初のオフィススペース計画や、倉庫内の中核となるショーのインフラをサポートし、ショーのデザイナーであるLivi Vaughanと共同で防火区画、中二階、空調、エレベーターなどの技術計画を作成した。内部レイアウトは、このビルが初めて完全にアクセス可能になるように開発された。また、この工事は非侵襲的かつ可逆的であることを意図している。
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一時的な寿命と、歴史的建造物や凹凸のある路面との接続ディティール
軽量な木造フレーム構造は、砂袋の基礎システムによって支えられた内部の床レベルを複雑に交渉している。ポリカーボネートと鎖帷子の装飾が施されたリンクビルの素材パレットは、隣接する第二級産業建築の重要性を認識させ、同時に陽気で快適な目的地であることを告げている。
事例3『Battersea Arts Centre』
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コミュニティや劇場で使用するための市庁舎の文化施設への再生を行っている。
バタシー・タウンホールは、1893年にE・W・マウントフォードが設計したロンドン南西部の美しい作りの市民会館で20世紀初頭の参政権運動や労働運動の誕生に重要な政治的役割を果たしたことからグレードII*に指定されている。1974年以来、このアートセンターは、英国で最も重要な新しいパフォーマンス作品のインキュベーターのひとつとみなされている。
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2015年に建物の一部を焼失した、火災後の大ホールの再建
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赤煉瓦部分が既存で、白いレンガ部分が補強された部分である。
光井戸を選択的に剥がし、補修することで新しい公共の屋外中庭パフォーマンス空間を作り出したり、使われていない屋根裏や屋上を組織のオフィスや庭に転用したりすることが含まれている。
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建物の既存の豊かさとアーティストによる使用パターンを活用している。
即興的で侵襲性のない改造が数多く行われ、変化のための戦略を試し、遊び心がありながらも厳格な建築言語を発展させてきた。
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以前の装���的なしっくいの丸天井であったが、新しい木製のグリッド天井を作り、演劇の可能性とはるかにクリアな音響を可能とした。
ホールとその周囲の廊下の壁の表面は、ポンペイの火災後の豊かさと複雑さで保存されている。
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劇場用の建物を、既存の劇場観客の市場占有率を競うような個々の存在としてではなく、コミュニティ全体が利用でき、かつ有意義な、多様で複合的な市民空間として捉えることができる「文化的コモンズ」の確立に向けて利用させることを望んでいる。
私は、〈Bristol Old Vic〉に関し、空間の中心のヴォイドにおいて、講堂のファサードが内側に覗かせていると感じる。この構図が内側に都市が拡張されているような感覚を彷彿とさせていると感じさせた。さらにそれら“旧”の要素に対して、 “新”のマテリアルを組み込んで空間を構成していることで、歴史の痕跡が浮き彫りになって鮮明に見えるように感じた。総じてあらゆるマテリアルを組み合わせていることで空間に新しい秩序を付与していると考えた。
また、〈Battersea Arts Centre〉では、火災で残った市民会館の赤煉瓦の壁面を補強する形で、対比となるような白いレンガを用いて一つの壁面を再構築している点が何か、保存(歴史の保存/構造の保存)を目立たせて 行っていると感じた。さらにもともと劇場用であった空間の丸天井に対して、音響効果の増加が期待できる木製のグリッドを用いて天井に新たなスキンを付与している点も、環境設備という面からの旧マテリアルへの新しいアプローチであると感じた。
山中は、Bristol Old Vicが魅力的だと述べ、背面の壁はストリートに面していないから雑に作った可能性があると捉えた。
今回は素材的な意味で旧の部分が荒々しく感じる、と述べた。
引用
Archdaily https://www.archdaily.com/910720/bristol-old-vic-haworth-tompkins
https://www.archdaily.com/983679/punchdrunk-entrance-pavilion-haworth-tompkins?ad_medium=office_landing&ad_name=article
https://www.archdaily.com/910491/battersea-arts-centre-haworth-tompkins?ad_medium=office_landing&ad_name=article
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usickyou · 1 year
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セカンダリ・ラバーズ
「アイドルやめてきた」  と加蓮が言う。  私はミルをまわすのを中断し、手をあげる。てのひらを指のまたの間までうんと広げ、返事を待つ。加蓮はいかにもアイドルらしくしゃなり歩き、そして思いきり振りあげた手を、「やったぜ!」とぶつける。音は心地いい。爆発して、私たちの好きだったもの嫌いだったもの大切すぎたものそれらなにもかもを吹き飛ばしていく。 「お疲れさま」と私はふたたび手を動かす。遠くない港から届いた汽笛の音が時間を知らせる。シロクマじるしの遊覧船は四十分に一本、港を出て新陽新島群をまわると五十分で帰ってくる。だから汽笛は、島々の浜や青い浅瀬を思わせる。 「疲れたぁーっ!」  加蓮はバッグとか贈答品らしい手提げとか、いろいろなものをひたすら放り投げ、ソファに寝ころぶ。背もたれのむこう伸ばした両手足が見え、ひらいた手のひらがひらひら羽ばたく。疲れることなんてあったの、私はたずねる。ちょうど若い子たちがいてさあ、加蓮はこたえる。さしがねだったんじゃない。そうかも、握手会やってきたよ。すてきね、私も並べばよかった。おとなは遠慮してーっ……。  やめてきた、というのを正確に言い直すなら、プロダクションとの契約終了が今日だった。アイドルをやめることについては加蓮は三ヶ月前、私やあとなん人かと揃ってのラストライブをもってすべての活動を終えていた。私の退所のほうが二ヶ月早かったのは契約期間の都合でしかない。 「あれほんとに助かったよ。贈り物の手配」  私の退所日には雨が降っていたのを思い出す。そういう時節だったのだ。思えば最初の契約書にサインをした日にも雨が降っていたような気がするけれど、景色は遠くぼやけている。温かい雨だったように思う。どちらも音だけが、はっきり感じられる。 「もーひゃっぺん頭さげた……ってかそうだ、守衛の畑沢さん。知ってる? あのひとも今日でやめるんだって」 「畑沢さんって、よくロビーにいたあの?」 「ロビーってかA棟」 「よね。私もお会いしたかったな……」 「奏のぶんも挨拶してきたよ。なんかいっしょに住んでるの知ってたし、仲良しだったもんねえって」 「あら嬉しい。理由は聞いた? まだお年ではなさそうだけど」 「長野できょうだいと住むんだって」 「そう、幸せでいてくれたらいいけど……」 「あのひとなら大丈夫でしょ、コーヒーありがと」 「ええ。ケーキも食べるでしょ?」 「お願いしまーす」  私は冷蔵庫のケーキボックスを取り出し、テーブルに並べる。加蓮のうるさくかがやく目は、過ぎ去ってもう久しい少女が気まぐれに戻ったみたいに見える。お皿や、フォークを持ってソファへ戻ると、起きて場所をあけてくれる。私は隣へ腰かけると、かたちを崩さないようケーキをお皿に移す。  私たちお気に入りのふたつ離れた駅の洋菓子店の、いちばん好きだったももとあんずのミルクレープはこの日を待たず店頭から消えていた。少し残念に思っていたけれど、次に愛したタルトタタンをテーブルへ広げてみると、これが最善だったよう感じられる。私は加蓮を見る。加蓮もそう思っているのがわかる。ありがと、加蓮は言う。十一年お疲れさま、私はあらためて言うと、タルトタタンを先に食べるよううながす。 「その前に」と加蓮は言い、私を見る。ああ。私は心の準備をする。加蓮のてのひらが頬に添えられ、ゆっくりと、引き寄せられるのに私は応じる。そうして加蓮がくちづける。私は目を閉じてこたえる。それは清潔にもちょっと続く。けれどもせっかく冷えたケーキやコーヒーの香りを台無しにしてしまうほどではない。それくらいの私たちは、どちらともなくくちびるを離す。すると加蓮が身を寄せてくる。ほとんど倒れこむみたいで、予想しなかったので少し驚く。「おっぱいすき」「バカ」加蓮はけらけら笑って言う。「ちょっと、疲れたかも」  私は、「うん」とこたえて加蓮の髪をなでる。今日はもう出かけないのだから、セットをくずしてもいいと思う。「いいよ」と私は続ける。加蓮は服をぎゅっと掴む。それは切実に重い。 「握手会、若い子ばっかでさ、なんかこんなだったっけとか、思っちゃった」  思い出す。十年前、私も”こんな”だったはずだ。初めてプロダクションに足を運んだ日、エレベーターで川島さんと乗り合わせた。川島瑞樹さん。社員らしい男性が降りていって数階ぶんだけふたりきりになり、私は声をかけたかった。何を話すのかなんてわからなかったけれど、結局彼女は先に降りた。こんなことなら制服を着ていったほうがましだった。アイドルの説明を受けるあいだ、ずっと肌寒かったのを覚えている。  十年前。  新陽はまだこの世にないし私はサーフィンにもダイビングにも興味がなくアイドルを始めたならいつかはやめる日がくるなんて考えたこともなかったけれど、それでも今日へ向かっている。 「ちゃんとアイドルをしたのね」  私は言う。  がんばったんだ、と加蓮はささやく。  そうして、私たちはケーキを食べる。いちカットで満足できず、もうひとつ。コーヒーを飲みながら今後の予定について確認をしていると、また汽笛が鳴る。そびえたつ陽泉山系を反響し、汽笛は天頂の日と折り重なって降ってくる。加蓮の視線に気づく。私は見返しもそうそう、ジェスチャーで返事をする。加蓮はてきぱき後片付けを始め、私は予定しなかった外出の準備をする。新陽の午後にいい波が立つのは珍しい。でも今日がその日かもしれない。
 カットバック・アンド・リッピング。  しぶきは火炎のようにひらめく。  加蓮は華麗に波濤に消える。  いつか、加蓮が溺れたときのはなしを聞いた。小学生だった。加蓮は夏休みに合わせた再入院が決まっていたので、最後のプール授業になんとしても出たかったのだけど、医師が許してくれなかった。だから放課後、忍び込んだ。鍵のかかった柵を乗り越えると、準備体操もそこそこにプールへ飛び込んで溺れた。死ぬってふたつあって、加蓮は教えてくれた。炎か影。結局、駆けつけた教師に引き上げられたということだった。 「もー!」加蓮は波を飛び出すと、髪をかきあげサーフボードにのそっと乗る。「最悪! 絶対いけた!」  ことばと裏腹に大口をあけて笑っている。この波で今日は終わり。私たちは浅瀬から浜へ戻る。波は背中を押したり後ろ髪を引いたりする。日はおよそ暮れかけ、新陽新市街の[[rb:白黒 > モノクローム]]LEDが銀の銀河の星のくずのように光っている。  新陽は六年前、××半島の突端に三の大島、三十三の小島をあわせて建造された。なんらルーツのない新陽にはさまざまな出自の人間――あるいは非人間――が集まり、多様で多層で多重かつ多面的な多人種、多秩序都市が形成された。つまり雑多な街だった。一方で、陽泉海岸周囲がもともと有していた豊かな自然は厳格に保全されており、新島群をつづら折って形成される波はサーファーの人気が高く、また本州有数のダイビングスポットとしても知られている。  そして新陽には、さらにいかした性質がある。  私たちが今晩の食事について話しながら歩いていると、三人連れの男たちが声をかけてくる。彼らには色がない。  新陽には色がない。  都市設計時に忘れられていたため、新陽では現在も白と黒以外の色が存在していない。  新陽あるいは新陽に属するあらゆるものにおいて、色は白と黒の濃淡になんらかのモチーフを加えて視覚される。  私たちには彼らの肌の色がわからない。着ている服もそう。もっとも、左端の男が黒髪であることはそのべたっと濃厚な黒色で知覚される。しかしあとのふたりの、微妙な濃淡の違いは私たちに色を伝えない。顔立ちから日本人であることは予想されるのだけれど、新陽に限ってはそれですらあてにならない。  初めて来たんだけどいい店を教えてほしい、と彼らは言う。  おそらく外から来ているのだろう。  マック、と加蓮はこたえる。  彼らは返事を聞く気もないのか行き方をたずねるところから案内してほしいというところまで流れるように続ける。きっと、練習を重ねたのだと思う。脚に感じる視線もさほどひどくない。どちらかと言えば、ウェットスーツのジッパーを落としたいのかもしれない。できれば新陽でない場所で。  どこかで会ってないか、と彼らがたずねる。  そうかもね、と私はこたえる。  無駄な会話だと思う。おかげで夕食を決められない。私たちはもういい歳をしたおとななので、おなかが空いているとあまり人にやさしくできない。うんざりして無視をきめこみ更衣室までくると彼らは捨て台詞を言う。なにか軽薄で汚いことばに、よせばいいのに加蓮が反応する。なんつったお前、とすごんできびすを返す。加蓮のそういうケンカっぱやいところを私は好きじゃない。男たちは喜んで応じる。加蓮の構えるのを見て残酷に笑う。加蓮は彼らをぶちのめすだろうか。たぶん無理だろう。ヤヤンに習ったシラットは最強の武術だけれど無敵の魔法ではない。でも、一人くらいはいけるかもしれない。私もやればもう一人。 「どーうしったのっ!」  そのとき奇妙な節とともに、フアンがあらわれる。よかった。私は息をつくし、加蓮も構えを解く。男たちは肩に乗せられた巨大な腕を、それからフアンを見て驚く。彼らはサノスを知っているだろうか。インフィニティ・サーガを見ただろうか。フアンはサノスの思想に強い感銘を受け、もともと外見に近しいところもあったのを運命と感じ、敬虔な信仰と壮絶な修行の結果ほとんどサノスそのものになったという、狂気の聖人だった。色を伝えるモチーフには当然インフィニティ・ガントレットを選んでおり、フアンの巨体は私にはサノス・パープルに見える。  新陽のいかした性質。  ここではひとは――ひとでなくても――望めばなんにだってなれる。  私たちはフアンにハンドクラップをおくると、更衣室へ入った。 「ヤヤンに怒られるわよ」  ロキシーのジッパーを下ろし、私は言う。 「ごめんって……黙っててください」  私のは、加蓮が下ろしてくれる。  シャワーのあいだにお店と加蓮の奢りは決まって、更衣室を出るとビーチハウスに寄る。フアンはなんだかものうげに焼飯を作っていたけれど、私たちを認めると柔和にほほえんでくれる。男たちの姿はない。私たちは感謝を告げる。フアンにハグをすると、かれの家族の営むお店、プラチャーナ宮へ行くことを伝える。フアンは喜びながら、やはり憂いをたたえて見える。もしかして彼らになにか、私はたずねる。フアンは静かにこたえる。 「スナップを、したくなったんです」 「……ああ、指パッチン?」 「はい。わたしはまだまだサノス師に遠い……あまりに……」 「えっと、元気出してよ。サノスさんもさ、畑が虫に荒らされてパッチンしたくなることもあったと思うよ……」  私たちはかれに優しくしたいけれど、おなかが空いている上に焼飯がいい香りをあげすぎるのでうまくできない。それでもフアンはふたたびほほえみ、私たちを送り出してくれる。入れ違いに、焼飯の香りにつられたのかサメ人間がやってくる。頭はメジロザメ、体は人間。こんなところで出会えるなんて。サメ人間はそのサメのくちでフアンと話し、焼飯を受け取ると牛串のできあがるのを待った。その、太古の頃より研がれ続けた鋭い牙。数千万年研磨されたオブシディアンのように美しい眼……。サメ人間は、恐ろしくもたくましい顎を繊細にはたらかせストローでメロンソーダを飲んでいる。その姿に、私は惹かれかけている。ひとめ惚れだったのだ。加蓮が私を引きずっていく。  陽泉海岸を離れること十数分。新陽駅に着く。駅南は景観保護のため規定された厳格なルールがあり、線路を渡るとそのすべてが消滅する。線路沿いには住宅を兼ねた十席ほどの小料理屋が並び、それらは〈大父母〉によって経営されている。大父母は、新陽の建築に資産を投じた不動産、都市計画事業体のお偉方の集まりであるらしい。北口を出てすぐ広がる新陽新市街――これらも大父母がもっている――はオフィスやモールではなばなしく、そびえ立つ六つの巨大ビル群、〈新陽・サンシャイン・ビルディングス〉通称〈SSB〉はその名の示す通り新陽じゅうの光を略奪している。北部の最高峰、陽泉山脈よりもよほど高いのだから、かれらの罪はどれほだけのものだろう。  SSBの麓を横切り、大父母経営のお店をすべて通り過ぎると、屋根のないアーケードに入る。旧市街。屋台町。汗や香草、フルーツ、そして二十四時間なにかの焼け続けるにおいが心地いい。さまざまな人/非人が集まり、思いおもい食事を楽しんでいる。プラチャーナ宮は十坪ほどの店舗と同じくらいのテラス席でできている。私たちはムーガタやパッタイ、カオマンガイを頼む。それに私はウーロン茶、加蓮はアユタヤ・ビール。ミーチャ、フアンの奥さんは紫色ではない。私たちの知る誰よりも二重のぱっちりした恰幅のいい女性で、頼んだものをすべてを一度に運んでくる。前腕に刻まれた刺青のため、彼女の肌はかわいいイチゴ色に見える。 「はい、お疲れさま」 「次の波に」  グラスをぶつけると、真後ろのテーブルから乾杯の合唱がとんでくる。かんぱーい、私たちも輪唱する。それはそう。フルーツレディ、アロサウルス、ビーグル犬のピーターやスヴェトラーナがテーブルを囲んでいるのだ。  フルーツレディ。フルーツが好きすぎるあまりフルーツになりたがっている。フルーツショップを営んでおり、イチゴカラーのワンピースからブドウモチーフの髪、バナナのピアス、マンゴーやキウイやドラゴンフルーツの指輪……あらゆるフルーツで全身すべて彩っている。声が大きく、やることなすことせわしない。ほんとうの名前は捨てたらしい。  アロサウルス。身長百七十センチ。かれの名前も私たちは知らない。父より母より朝のコーヒーよりアロサウルスを愛しているのだけれど、アロサウルスが臆病な恐竜であったと明らかになって悲しんでいた。私も、アロサウルスは繊細な恐竜だったのだろうとかれを見て思う。だぼっとした着ぐるみの見た目で、スペアリブを食べている。  ビーグル犬のピーター。アロサウルスが飼っている。もともとは人間だったのかもしれないけれど、それはわからない。乾杯の合唱のとき、ワンワン、かれは言った。  スヴェトラーナ。ふるいロシアの伝承の魔女”ヴィイ”に憧れているらしい。無色の肌に落ち窪んだ頬、鼻は鉤のようにいかつく、たるんだ瞼の目の奥があやしく光っている……外見は悪くないのだけれど、性格がどうにも明るい。張りのなくしゃがれた声でテーブルの会話をリードしていて、スヴェトラーナがいてくれるとみんなが楽しい。  私たちはかれらと近況を報告し、最近はやりのSSBの陰謀論とかを聞くとテーブルに戻る。とうとうアイドル卒業となったので、私たちには話したいことしたいことが山ほどあった。稼いだお金はまあまあ残っているし、私は大学の夏期休講があと一ヶ月あるし、前期の簿記二級を六十八パーセントで落ちてけっこうやる気をなくしている。加蓮のダイビングスクールも日程はけっこう自由がきく。時間がある。車も買った。私たちはいま、けっこうどんなことでもできる。
 加蓮がソファで眠っている。  シャワーを浴びたばかりでまだ、私は髪が濡れている。指の先のしずくをぬぐい、つけっぱなしたテレビの音量をしぼる。それから、加蓮にふれる。お酒が肌の濃淡を塗り変え、頬はほんのり温かい。驚くべきは、加蓮が歯みがきの最中に眠ってしまったことだ。くちびるから歯ブラシが飛び出し、ソファによだれがこぼれている。加蓮はお酒に強くない。悪いことに、酔い潰れるのが好きだ。潰れて介抱されるのが好きだという困った、面倒な、厄介な嗜癖を持っている。たまにちょっといらつく。いらつくのと愛おしいのと、心はまだらに明暗変わる。  加蓮には色がない。  ミントモチーフのヘアピンさえなく、ゆるっとしたロングスリーブシャツ一枚の加蓮には、白と黒の濃淡のほかどんな色もない。  加蓮、と私は呼ぶ。  加蓮はこたえない。 「加蓮、起きて」 「起きへふ」 「いいから。途中でしょう」 「起きへあふ」 「ばかみたいに飲むから」 「……」 「寝ないで」 「ふぇー……」  加蓮はどうにか体を起こし、おざなりに手を動かす。テレビのニュース〈新陽・ナイト・プラネット〉をぼんやり眺めている。ウサギとリスのキャスターが、まじめにニュースを読み上げる。立てこもりが……溺死者が……動物園のヒヒが子どもを救って……。人面ウェルシュ=コーギーの学者が含蓄豊かなコメントを添える。機械人間の気象予報士が吉報を、明日もよく晴れ真夏日になるという知らせを届けてくれる。  加蓮は歯みがきを済ませると、私にまとわりついてくる。さみしいよ、とうそぶく。フロスもしなさい、と私は指示する。加蓮は素直にしたがう。 『……第十六島で起こった立てこもり事件の続報です。人質救出は失敗に終わり、三人の人質は全員死亡、犯人はその場で射殺されたもようです。現場から……』  私が歯みがきをするあいだ加蓮はももで眠っている。ソファを立とうとするとしがみついて離れない。ジェスチャーで説明をして、すると加蓮は腰にひっついてくる。結局、寝支度を済ませるまでそばにいる。頭をなでると嬉しそうにして、加蓮はもしかして犬になれるかもしれない。私はアロサウルスみたいに、いつか加蓮を飼うかもしれない。サーファー犬。それは悪くない。あごをなでると加蓮は拒否する。  私は加蓮の寝室へ行く。加蓮のベッドに横になり、加蓮の隣で眠る。寝室は別々にあるけれど、時間があまりにもずれるときやどちらかの調子が悪いとき、もしくはひどめの喧嘩をしたときとか以外だいたいいつもいっしょに眠る。セックスをすることもある。最初の頃にし過ぎたから最近はそれほど盛り上がらないけれど、たまに爛れる。  奏ちゃん、と加蓮が呼ぶ。  明日も早いのよ、と私はこたえる。  いいじゃん、ねえ、髪染めたいとか思ったことある?  あまりないわね、似合わなそうだから。  あはは、そうかも。でも考えてはみたんだ?  それくらいね。加蓮は? 他の色って考える?  あんまりないかなあ……なんでだと思う?  知らないわよ。  ひど、つめた……ねえ、ごめんね。  ……。  やば、謝っちゃった。ちがうの、じゃなくて……ね、おやすみ。  おやすみ、加蓮。ちゃんと起きてね。  ふふ、大丈夫だよ。奏、またあした。  そうして加蓮はすぐに眠ってしまう。首すじに息を感じる。寝息はぬるく、くすぐったい。肩越しにまわされた加蓮のてのひらにさわってみる。なでたりもんだり、指先でひっかいたりする。加蓮は眠っている。そんなふうに、てのひらで遊んでいるうち私も眠る。夢を見る。夢だけがまだ、絢爛色彩りに満ちている。朝にはもう忘れてまた次の一日の始まりに、私たちはサーフボードをかかえて陽泉海岸を駆け出すと白黒銀の波へ飛びこんでいる。
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