マメちゃん
今回のシッティング始めましては猫のマメちゃん8歳の女の子です😸
打ち合わせの初めましてでは、飼主さんからお母さん以外はあまり懐かないと聞き、少し近寄ったら少し離れていくという感じでした😅
比較的男性よりは女性の方が慣れやすいかもということでこのくらいなら大丈夫だと思いますと飼主さんには言って頂いてました!
今回のシッティングは3日間!!
初日、訪問すると私の姿を確認した途端、スーッとマメちゃん部屋へ避難されました😅ただ、ごはんを準備したらちゃんと食べてくれたので一安心しました😌
その後もトイレチェックをしたり、よく朝に吐き戻しをしていることがあるということでその確認をしていました。
その際にちょっと近づいてみますがやはり近くを通って違うところへ🤦♀️(笑)
まぁ時間はあるのでゆっくりと仲良くなれればいいなと思いながら日誌を書いたりしていました。
そうしたら何の変化があったのか帰る5分くらい前に急にゴロンと甘えてくれたマメちゃん😲(誰も甘える対象がいないと悟ったのかコイツでしょうがねーなーと思ってくれたのか。。。🙄)
すっかりその甘えようにメロメロになる私(私って単純🤣)
その日は後ろ髪を引かれる思いでマメちゃん宅を後にしました。
翌日、玄関をすると甘えて来てくれるかなと思いきや反応は昨日の最初と同じ(笑)リセットされたようです😨
しかしまたごはんを食べ終わったくらいにはまた甘々モードに変わってくれて前日よりも早い切り替わりが嬉しかったです🎶
最終日までそんなやり取りを繰り返しでしたがマメちゃんは呼んだら絶対にお返事をしてくれますし、いっぱいおしゃべりをしてくれました!!3日間ずっとマメちゃんと会話をしながら甘えて来てくれるのがとっても可愛いかったです💕
またご依頼があったら嬉しいなと思います✨✨✨
↓↓動画はママさん以外で初お膝に乗った記念🙌🙌🙌感動でした😭
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父親、70代半ば。定年してから家ですることないし何もしないし酒飲んでばっかり。人との関わりもできないし社会と関わり持つようなこともなくて時々2階の自室から降りてきて、家族にあることないこと文句言う。で、本人もコミュ障なのかアスペなのかわかんないけど、酒飲んでなくても認識がおかしいところもあるし、何よりも怒る事くらいしかエンタメがないのか、過去の嫌だった事を1人で煮詰めて、それがグツグツしてペースト状のドロドロになった頃に人にぶつけたりする。友達とかはいない。一緒に遊びに行く友達の存在とかもほぼ居なかったと思う、聞いたことない。すぐに人をこき下ろしたがるのでだれも仲良くしないと思う。極端に、周りを見下すことでしか自分の優位性を保てないんだと思う。テレビ見ても雑誌みても、フン、て偉そうに多分何も知らないのに間違っとるとか批評家気取りのズレたご高説を垂れるばかり。聞いてる側も気分悪いのでいつからか家族もまともに返事しなくなった。気を使って話しかけても、自分すごいorお前は大したことない、の話しかできないから。目的があって外出するのは月に1回の通院と、タバコと酒買いにコンビニ行くくらい。地方都市なのでヨボヨボだが車を運転していく。食事も、家族が作ったものは選り好みするし決まった時間に食べる習慣もないし、置いてあるカップラーメンやチルドうどんとかを食べてたりする。スーパーの弁当なんかも置いておくと食べてたりする。で、最近特にひどくなってきて身体も思ったように動かなかったりとかの不安もあるんだろうけど家族への暴言や暴力が頻度が高くなってきて、限界も近くなってきた。夜中に家族の寝ている部屋で訳のわからない気分悪い話やどうしようも無い人のルーツを馬鹿にする発言をしたり、扉をデカい音で閉会したり、テーブルにコップをゴンゴンあてたり、階段をわざと大きな音で歩いたりとか、もう明らかな異常性がでてる。父親本人は構ってほしくて構ってほしくて仕方ないんだろうけど、本当に話すネタも自分かわいそう、か誰かしらが悪い、くらいでつまらないし、無視してると嫌がってるのに顔を無理やり覗き込んできたりとか、反応貰えるのがそんな事しか思いつかないのかロクな事をしない。第三者にSOSを出すとしたらどこなんだろう?暴れる(大声の暴言含む)時に7119とかは迷惑?それとも警察?保健所に相談したらどこかと繋げてくれるんだろうか。アル中単体とかなのか、性格だったり心の障害なのかも判断できないし、かと言って本人が自ら精神系やカウンセリングみたいなところに行けと言っても絶対行かないだろうし、何をどうしたらいいのかわからない。病院では暴れてる事なんで自己申告してないだろうし、下手すると本人も覚えてないから、酒の飲み方も週に2回飲まない日作ればいいとか言われてるらしいけど怯える日が増えるので家族としては正直余計な事を、と思わずにいられない。今月になってから、目立つ飲酒時の奇行とかはスマホのメモ帳に付け始めた。他に準備できることあるんだろうか。【追記】散歩くらいしたらって言ってるんだけど、行かないね家の周辺歩くのに人の目が気になるなら山とかの駐車場に車止めてその辺15分くらいでも過ごすと違うと思うんだけどね習い事も、きっと周りを馬鹿にして自分スゴイをやるし、そもそもそのお金を払うのが馬鹿だと思いそうきっと行った店の店員さんにも変なキレ散らかし方してご迷惑かけてそう【追記】たくさんコメントあって驚いたのと、有難いのとこの手の高齢男性って多分たくさんいるんだろな自分も含めてこれから歳をとる世代のみんなは、苦手な人こそどうか感謝と謝罪を口にできる訓練をしておいてほしいそういう意固地って自分の行動範囲を自分でジリジリと削り続けてなんでだよって逆ギレかますみたいなもんで、周りはドン引きしかしないし手を差し出す事もできればしたくなくなっちゃうから社会と関わりがなくなるとこうなるんだと思うけど本人ももう働いたりする気はないみたい犬は飼ってるけど、ペットの管理で過去にやらかして信用もないし、犬自体もやっぱりおかしいのがわかってるから懐かない、懐かなくて犬も文句をいう材料にする、の負のループ昔から犬の散歩もしないし犬の粗相も家族にオイ、って知らせて犬の世話をしてる気になるタイプだったとりあえず保健所や福祉系のところに相談実績を作るから始めようと思う高齢者でも性欲ってあるんだね、母親の体をなんとかして触ろうとしているときがある、それがまた自分本位なので本当に醜悪で…コミュニケーション能力や相手をちゃんと人として扱うって大事すぎるなって父親の尊厳を傷つけるのはと思っていたけど、向こうはこちらの尊厳をゴリゴリに削ってくるんだからストレスすごい、それでもここで吐き出せてよかったです実は2年前に父親は食事もまともに取らず酒飲んで寝てたので意識がなくなって?救急搬送から月単位での入院のコンボをかましている部屋は見事な酒の紙パックだらけだった、腰の高さで埋もれるくらい昔見かけた競売物件で「まる」だらけの部屋があったけど、あれプラス謎の溜め込んだ金属ゴミ系(空き缶を切ったりした物は破片が危なく片付けに苦労した)趣味がなかったり、人を馬鹿にしないと生きていけなかったり、せっかく死に���けたところから戻ったのに何も見つけられないのはどうしたらいいんだろう、1人でできて金もかからない、前向きな気持ちになれる気軽な趣味を見つけてほしい【追記】初めて匿名ダイアリーを使うので、返信のお作法がわからないのですがいただいたコメントは基本目を通しています。共感いただく方が複数いるという事は少なからずあるパターンなんですね。増田本人の心配をしてくださる方のお声もありがたいです。コメントの通り、どうやって本人を福祉なりに繋げられるように連れていかせるかが焦点になるでしょうか通院先は総合病院で(入院したところなのでその辺の事情のデータも残っているかもしれない)ソーシャルワーカーもいるのでそちらあての相談もできないか調べようかなそういえば思い出した、以前に地域包括支援センターの方が本人に会いにきたのだけれども怒鳴ったり暴言吐いて追い返したらしい、自分はその場にいなかったから後から聞いた。訪問されたスタッフなんて正社員でも何でもないモンが、偉そうに指図しやがって、的な事を言っていたらしいのだが正社員なら言うこと聞くわけでもなかろうに誰の言うことなら聞くんだろう【追記】ネットを検索してもなかなか見つけられなかったヒントが、吐き捨て目的の匿名ダイアリーのブコメでこんなに集まると思わなかった、集合知に感謝です。既に終わった人も大変だったろうしなかなか人には言いづらい事を教えてくれて助かります、これからに備える人も何かしらの参考になるなら書き殴りの文だけど、できそうな対策を1度考えてみてもいいのかなとたくさんいただいてる意見の中の認知症疑い、これは多少ある気もしますが、それで急におかしくなったわけではなくて元々の本人の性格におかしなところはありました。働いてる時でもいきなり癇癪起こして自室から数ヶ月出てこないとか定期イベント。一緒に住むなら心をフラットにできる薬を服用してほしい。あとは睡眠薬等で夜中に寝て朝に起きる癖をつけて欲しい。夜中や早朝に異常行動起こすのは思えばここ数年…?そう思うとだいぶおかしいのか。増田が同居してるのが悪いって意見、考えたことも無かったですがそれもあるかも知れません、しかし離れた県外で結婚して家庭をもっている兄弟(息子)への暴言や難癖もひどく、結婚相手の実家に対する根拠もない差別発言を聞いて、同じように自分が家を出たところで文句を言う材料にするんだろうなと。で、あいつも悪いから何も相続させん!とか叫んでそう。他者が悪い、すなわち自分は正しいという思い込みしか拠り所がないんですかね。あと、自分が同じ部屋にいる時は比較的おとなしい。自分の部屋に怒鳴り込みにはこない。ターゲットは基本母親。娘の前では少し理性が働くのかフルスロットルにはならない、少し前に母親殴りそうな時に平手打ちしてメガネぶっ飛ばした。その時に力でも勝てないのも理解したんじゃないかな。反撃しようとして半世紀前に習ったか何かの空手かなんかの型みたいなので威嚇してきたけどびっくりするほど痛くもない肩パン。色々書きながら思い返すとやっぱりダメですね。物理的距離を取る、を第一目的に動こうと思う。前に支援センターの人が来たのは何だったかな、近所に呼ばれたとかではなかった。入院してて退院前後は介護認定3がもらえた(という表現もおかしいが)ので話早いといいな酒で入院した時はウェルニッケの疑いの話されたけど、なんか案外元に戻ってしまった。酒飲むの止められない人、極力減らすのが1番だけど各種ビタミン忘れず取ってね。酒のカロリーで生きてもロクな事ないですよ。結婚したら一生セルフケアしてもらえると思ってた世代ってあるのかな。成功しないのに察して察してを続けて、何かこちらが提示しても後出しのイヤイヤ。70代のイヤイヤ期なんて情けなさしかないからそういう思想なくなればいい。教育テレビで尊大な自尊心を穏やかに丸くさせるような番組とかしてくれたら助かるんじゃないか【追記】思いのほか拡がってしまい戸惑ったけど、たくさんのためになる情報をありがとう「自己愛性パーソナリティ障害なんじゃないか」の声を複数見かけて、調べてみたら全てが当てはまって今までの奇行にも納得がいくし、本人幼少期にロクな扱いされてなかった話は聞いた事もある(田舎の次男)、診断こそおりてないけど多分そう。少なくとも対処法が近いのでこちらも考えやすいしお互いのつらさは少し減らせるかもしれない。今の父親本人は暴れたあとの落ち込みタイムとでも言うのか、これも定期イベントだけどしばらく大人しくなる期間ぽい。このやらかす→大人しくなる、の繰り返すスパン短くならないといいなソーシャルワーカーさんにも相談したし、あとは地域包括支援センターにも話を通したりしながらどうにか改善できるように手探りしていこうと思う。将来が不安だったり、不安定な身内がいる人たち、自分も含めて穏やかに過ごしていけるといいね。日光浴して、肉食って、歩いて、無理せず笑える日常がそこにありますよう。
父親狂い始めてどうしていいかわからない
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フォーチュン剪定班、除草作業に行ってきました😊
龍隠寺様よりご依頼をいただきまして
みんなで除草作業をしました👍
#フォーチュン村#イベント#フォーチュン#愛媛県松山市#A型事業所#キッチンカー#松山ランチ#松山テイクアウト#身体によいもの#身体から元気に#農業#農家#剪定#除草#伐採#農福連携#ハンドメイド#子供食堂#米ぬか#手作り#特許製品#無農薬栽培野菜#無農薬栽培柑橘類#原木しいたけ#微粒子パウダー#子供食堂
松山近郊を中心に、愛媛県下の個人宅、企業・店舗・施設などの庭木の剪定、伐採、消毒、除草、畑つくりなどを行っています。
高齢化などの理由でこれまで頼んでいた造園業者が来られなくなった方や企業様、庭木のお手入れを考えているご家庭や企業様、樹木が大きくなりすぎて伐採を依頼したい方。
一度お気軽にお問い合わせください。折り返しご連絡させていただきます。
フォーチュン剪定班では、剪定作業の技術を持った数多くの利用者さん達と共に剪定・除草・伐採・生垣の刈り込み・消毒・畑つくり・植木の剪定作業全般等を行って4年が経過しました。剪定技術も上がり、今では年間50件~100件のご依頼をいただき数多くのお客様に喜んでいただいております。
担当責任者・管理施工責任者の生島一範を中心とした確かな技術と信頼でお仕事を引き受けさせていただきます。価格(3000円~)につきましては作業内容等により変動致しますのでお問い合わせくださいませ。
フォーチュンⅠ・フォーチュン剪定班➡松山市桑原4丁目2-35
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国産ドラゴンの物語
国産ドラゴンの物語
森の奥深くには、ミリーという人型のドラゴンが住んでいる小屋がある。 ミリーは長年にわたって多くの興味深いゲストに出会いました。 これはその中の一つです···
セラという名の若い女性が地元の郵便配達人として新しい仕事を始めた。 彼女が森にいるのはこれが初めてです。 子供の頃、彼女はそこに住む恐ろしいドラゴンの話を聞いた。 彼女の母親は、森に入っても二度と出てこないと彼女に警告した。 セラさんは、この悲惨な仕事を辞めて、一度は楽に暮らせるという大きなヒントを期待し��います。 彼女はコテージに着くと玄関のドアをノックする。 結局のところ、顧客に自己紹介するのは一般的な礼儀です。
数分待った後、彼女は窓からのぞき込んだ。 誰もいません。 「彼らは外にいるかもしれない?" とセラは思った。
彼女は家の後ろを歩くと、長い白い髪に青い目、そして尻尾を持った変わった女性が見えました! 間違いありません。 これは、誰もが彼女に警告していたドラゴンに違いない。 それでも、その女性は鶏に餌をあげているのです! 他の人がそうするように。
セラはドラゴンガールに気がつくと身をすくめた。 彼女は、ミリーがあなたに気付く優しい笑顔をセラに見せた。 「あら、お客さん! 「お入りください、ちょうど鶏の餌やりが終わりました」。
セラは緊張して笑う。「ああ。 面倒な人にはなりたくない」とミリーは言う。 「僕が全部食べる間に、 お茶を飲んで来てください」 彼女は鶏に餌を与え続けている。 竜と人間は、互いに語り合っていた。 ミリーはセラに何が彼女をここに連れてきたのかを尋ねた。
セラは「あ!実は仕事で来たんだ!」と答える セラはミリーに手紙を渡す。 「あのね? 地元の人たちがこの森にドラゴンが住んでいると言ったとき、私は怖かった!」と彼女は緊張して笑う。 「シフトを始める前に訪問した方がいいかもしれないと思いました」と、ミリーさんは笑顔で、この女の子の無邪気さを楽しんでいます。 「あまり怖がらなかったらいいのに。 お客さんがいるのはいつもいいことだよ」。
「ハハ、それはいいですね。 いくつかのクセがあるのは私だけではないことを示している」とセラは語った。 「変な質問をしてもいいですか?」とセラは尋ねる。「もちろん!」とミリーは言う。 「いつもこういう質問をされると思うけど、どうやって…」 「あなたはどうやって人間に変身しますか?」 セラはミリーに尋ねた。
ミリーは笑顔で「私は自分が飲む特別な薬を作ります。 味はひどいですが、3日で薬が効かなくなります」 彼女は説明する。
「ああ、それは理にかなっている」とセラは頷く。 「さて、そろそろ失礼します」 彼女はドアの方へ歩いて行く。 ミリーはセラを止める。「ああ!忘れる前に、ここ!」ミリーはセラに手作りクッキーをいっぱい入れた袋を渡した。 「ありがとう!」とセラは言う。 「いつか遊びに来てもいい?」とセラは尋ねた。 ミリーは「いつでも!」と笑う それから彼女はあなたを抱きしめます、「今すぐバイバイ!」
セラはやっとすてきな人に出会えたことに安心して隣の家へ急いで行く。
国産ドラゴンの物語2
森の奥深くには、ミリーという人型のドラゴンが住んでいる小屋がある。 ミリーはここ数年、多くの興味深いゲストに出会いました···
ある朝、ミリーがクッキーを焼いている間に、ドアをノックする音が聞こえた。 「誰ですか?」 ミリーは甘美な口調で尋ねる。 「ただの王子の失敗だ」と訪問者は答える。 「王子様の失敗···」?" ミリーは、少し混乱しているように言った。 「長い話だが、若者はため息をつく。 ミリーは悲しい王子を自宅に招き、彼の話を聞いた。 男の子の名前はフィリップ王子で、王の一人息子で王位継承者ですが、彼は父親にとって失望でしかありません。
「なるほど……···だからあなたはとても惨めで、時間をつぶす他の方法を探しているのです」とミリーさんは言う。 フィリップはその言葉にひるんだが, 黙り込んでいる。 ミリーは話し続けた。 「お茶はいかがですか?」と彼女は言う。 「はい、お茶がいいですね」 フィリップは礼儀正しく微笑む。 フィリップとミリーが話しているとき、彼はティーポットと2つのカップとクッキーの皿がついている銀のトレーに気づいた。 「これはすごい! これ全部お前が作ったんだよ!?" フィリップはミリーに尋ねた。 「やった!」ミリーは自分の仕事を誇りに思って答える。
フィリップ王子とミリーは話を続ける。 ミリーはフィリップが実際に彼女の家に来たさまざまな時間を知るが、恥ずかしすぎてノックできなかった。 「なんてことだ!君が僕に会いに来たのは、何度も何度もあることなんだって ミリーの言葉。 「うん」とフィリップは首をかしげながら同意した。 「あなたはここにどれくらい住んでいますか?」 フィリップは尋ねた。
ミリーは自分がこの小さな家で生まれ育ったと彼に言ったが、それはその若者を驚かせた。 「ここで生まれたんですか?」「ええ、ここで私はドラゴンはみんな洞窟に住んでいると思いました」「家庭教師は何を言っているのか分からないのでしょうね」 フィリップは笑いながら言った。
ミリーはユーモアに無頓着だ。 「ほら、この赤いナゲットを聞いてくれ」とミリーは言ったが、ドアをノックして中断された。 それは王子の家来である。 失礼します、市民の皆さん! 近くで王子を見たことがありますか? 彼は尋ねる。 フィリップは哀願するような目でミリーを見る。 「私がここにいることを彼に言わないで」と彼は懇願する。 「彼は私を家に連れて行ってくれるだろうし、それからまた父に怒鳴られるだろう。" と彼は哀願する。
ミリーはうんざりして首を横に振った。 「自分の不従順を父に告げないようにと龍に懇願するのは、本当に最低の者だ!」 ミリーは叱る。 フィリップは恥ずかしそうに頭を下げた。 「聞いてくれよ、この赤いナゲット..." ミリーは言い続けるが、もう一度ドアをノックして邪魔される。 「誰か家にいるかい!?" フィリップの部下はもう一度尋ねた。
ミリーはため息をつくが、それからフィリップにコートのクローゼットに隠れるように言った。 彼女はドアに「はい?」と答える。「すみません、奥さん。 「王子様を探しているんだけど、見たことある?」 王子の家来が尋ねた。 「いいえ、私にはありません」とミリーは嘘をつく。 王子の家来は少しがっかりしているようです。 「もし彼を見たら、すぐにガウダーに言ってくれ!」 彼は去る前に言う。
ミリーがドアを閉めた直後、フィリップ王子は両手を握りしめた! 私はあなたが優しいドラゴンだと知っていました!」と彼は言う。 ミリーは目を丸くする。 「ええ、もちろん」 フィリップは言い続けるが、ミリーは彼にイライラして寝室のドアを閉めた。 彼は今や罪悪感を感じた。 「ミリィ? 今は帰れないと言った時、本当に本気だった」と彼はドアの向こう側から語った。 「お父さんが今日、私に何をしてほしいと言っていたか知っていますか?」" と彼は彼女に尋ねた。 「父は私が人間であることを証明し、竜を殺しに行くようにと言いました。 彼は私にあなたの家への道を教えてくれました。 めちゃくちゃじゃないですか?」と彼は言った。 「しかし、私はそれに従えませんでした。 自分のことしか考えていない無邪気なドラゴンを、どうやって傷つけることができるだろうか?」
あなたがそう言ったように、ドアはゆっくりと開きます。 ミリーは頭を横に傾けてあなたを見る。 彼女はフィリップ王子に尋ねる。「私がよく聞いた、独立心の強い赤いナゲットはどうなったの?」「独立?」 私ですか?」とフィリップは尋ねた。 「ははっ、やっぱり! 「あなたは今までで最悪の嘘つきです!」と彼女は笑う。 「嘘じゃない!」 フィリップは抗議する。 二人とも笑う。 それからミリーは彼の顔に手を置き、彼を近づけた。 フィリップは顔を赤らめた そしてミリーは身をかがめて、彼の口に押し付ける。 それはフィリップの体に衝撃が走ったようなもので、彼は一瞬凍りつきましたが、その後好意を返しました。
彼らが別れた後、フィリポは彼女に言った。「明日、まず父に告げる。私は父からの命令を聞き終えたということを。 私は彼を怖がるのはもうおしまいだ。 その後、私はあなたをきちんと裁きます。 「これ以上の驚きはない!」と彼は約束した。 「それは私の息子です」とミリーは言う。
その日の夜、フィリップ王子はミルリーの家を出て帰国しました。 彼は新たに見つけた勇気に父親がどう反応するか分からないが、自分の決断を後悔していないことは分かっていた。 特に遠くからミリーの家を見たとき。
終わり。
国産ドラゴンの物語3
森の奥深くには、ミリーという人型のドラゴンが住んでいる小屋がある。 ミリーは長年にわたって多くの興味深いゲストに出会いました
年に一度、春の初日の前夜、ミリーは次の冬に備えて薪を集めに家を出る。 ミリーは一日中留守にしていた。 ミリーは友人の「ヘブライ」に、彼女がいない間は家にいて留守番をするよう頼んだ。
ミリーが旅に出ると、ヘブライは朝食の準備を始めた。 ミリーの台所はかなりよく仕込まれていると彼は観察した。 一般的な調理器具の他に、各種果物やクラッカー、温かい飲み物、手作りドーナツ大箱など多様なスナック食品もある。 ヘンリーはドーナツの皿を取り,コーヒーカップを注ぎ,窓際に座った。
彼が食事をしているとき、道路から騒音が聞こえてきた。 彼は慎重に窓の外を見ると、赤いマントを着ている人々のグループが見えました! 彼はすばやくすべてのドアと窓を閉め,窓のそばに隠れた。
魔法使いが前に進み、不機嫌な声で話す。
「ミリー! 「あそこにいるのはわかってるよ!」
ヘブライは返事を返す。 「ミリーは今家にいない。 道に迷え!」
魔法使いは小さな拳銃に似た金属製の物体を取り出す。 「私は冗談を言う気分ではない。 これは非常に深刻な状況です! 開けろ!」
彼は窓を少し開けて,ショットガンを取り出した。「私もそうです。 最後の警告は失せろ!」とヘブライは警告する。「うーん、あなたがそこに持っているとても小さな銃を持った友達です」魔法使いはコメントする。
魔法使いはマジックマーカーを取り出し、ガラスに何かを書き始める。 彼はそれが何かの呪文のようなものだと疑っているが、専門家ではない。
彼がショットガンを発射すると、魔法使いは地面に倒れる前に痛みの悲鳴を上げた。 残りの赤いマントは報復として呪文を唱え始めます。 彼は彼らに向かって発砲した。 早速、魔法使いを一人ずつ引き離します。
姿を隠した人たちは森の中に逃げ込む。 彼らが全員いなくなると、似たような外見の第2グループが隠れ家から出てくる。 これはヘブライを混乱させます 「この連中は誰だ?" と彼は静かに考えた。
やがて一人の魔法使いが静かに家に向かって歩いてくる。 彼女はドアをノックする。 「あなたじゃないの?」と彼女は尋ねる。 「ペギーが中に入れてくれたんだ」と彼女は言う。
彼は最初は疑わしかったが、とにかく彼女を入れることにした。 ペギーは家に入り、マントを脱ぐ。 「ここで何してるの?」 ヘブライはペギーに尋ねる。
「私のグループは、王の病気を治す薬を作るようミリーにお願いしたかったんです。 ミリーが家にいないと、詐欺師たちは彼女をどこかに閉じ込めていただろうし、もっと悪いことにしていただろうと、私は半分喜んでいる」とペギーは説明した。
「あなたとあなたのグループは、私と同じように詐欺師たちと戦う長い1日を過ごしたようですね。 中に入るように言って、みんなのために朝食を作ってみます。 前もってお詫びします 私はミリーほど料理が上手ではありません」とヘブライに言いました。
ペギーは丁寧に彼女の手を振る。「それは全く大丈夫です。 実は少し前に食べました。 でも、あなたはまだ私たちを助けることができます。 ありがたい」と彼女は言う。 「どうしたらいいですか?」とヘブライは尋ねた。
「あなたはミリーのために座っているのですか? それなら、ミリーがポーションに関する本をどこに保管しているか知っておくべきだ。 王を治すための何かが必要だ」とペギーは説明した。
「ああ、あな���が何を狙っているかわかります。 ご覧のように、彼女は金庫に違法な本をたくさん持っています。 しかし、なぜ癒しの薬が入った本が非合法でなければならないのか、私にはわかりません」とヘブライは言います。
「はい、王はミリーのためにそれを持っているようです」とペギーは同意した。 ヘブライは何も言わず、彼女に本を手渡した。 「ありがとう」とペギーは言う。 「私は必ず内部の情報を検討する」。 「何か材料を探すのを手伝う必要がありますか?」 ヘブライはペギーに尋ねる。
「それは助かります。 ありがとう」 ペギーは優しく受け入れます。 ペギーはミリーの本を開き、数ページをめくり、「ミルク、砂糖、バターが必要になります」という本から読みました。「あなたは料理の本を読んでいますか?」とヘブライは尋ねました。「そして蛇のヴェモンはすべて緑のハーブ混合物です」ペギーは終わります。 「料理の本じゃない」と彼は恥ずかしそうに言う。
ヘブライはペギーにミリーの台所から要求されたミルク、砂糖、バターを与えた。 それから外に出て、残りの魔法使いたちに残りの材料を探すのを手伝ってくれと頼んだ。 彼は彼らの注目を集め、「Hey Everyone 魔法使いたちは彼を信じられないような目で見ている。 「ヘビ毒と緑のハーブが必要です」とヘブライは言う。 「なぜ?」とある魔法使いが尋ねた。 怒ったヘブライは「上司がそう言っているから」と答える。 それが彼らを動かした。
しばらくすると、魔法使いたちは残りの材料を持って戻ってくる。 彼らはすぐに薬の開発に取りかかる。 魔法使いたちはさまざまな薬を混ぜ合わせながら、素早く効率的に働きます。 ペギーは疲れ果てて台所を出る。 彼女の手には、1ダースの癒しの薬が入ったバスケットがある。 " これで十分だと思う」とペギーはあくびをする寸前だった。 「ちょっと休んだ方がいいよ」と彼は言う。 ペギーはうなずいて「あなたも」と言う。
「さあ、また私たちに会いに来てくれるといいですね。 私を信じて、私は通常これよりもずっと楽しいし、ミリーもあなたに会えたら嬉しいと思う。
「うん、そうすると思うよ。 それはそうです
我々が最後に話してから長い時間が経った」とペギーは同意する。 私たちは寝る前にあと数時間おしゃべりをします。 彼はペギーと彼女の魔法使いたちに別れを告げた。 それは概して彼のいつもの生活からの素晴らしい休憩だった。
ヘブライはミリーが戻ってきたときに対処すべき混乱がないようにするためにミリーの家を掃除した。 その夜、ミリーが家に帰ってくる。 彼女はその家の清潔さに感心している。「わあ、これはとてもすてきだね」と彼女は言う。 「あなたは私がミリーを持っていた日を信じないだろう。 ミリーは理解を示す。 「それで、私がいない間に何があったの?」
ヘブライはダイニングルームに座り、暗殺者たちのことや、どうやって彼らを自分で防がなければならないのかをミリーに話した。 ミリーはため息をつく。「ああ、それはいつも自分の命を危険にさらして国に奉仕するときのリスクだ」 「実は、今回は友達を守るために命を危険にさらしました」と彼は笑う。 ミリーは驚いているようだ。 「それはとても聞きよいことですね。 今まで誰も私のためにそうしたことはありません」。 「多くの人があなたのことを気にかけてくれています。 ご存知だと思います」。 ヘブライは真剣に言います。 「知らなかった」 ミリーは恥ずかしそうに言う。
彼は椅子から身を引く。「ああ、言いたくないけど、もう家に帰らないと。 また明日ね?」
ミリーは少しがっかりしているが、時間が遅くなっていることを理解していた。 「わかりました。 明日会いましょう」とミリーは言う。 ヘンリーはミリーの家を出て家に帰る。
終わり。
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ある画家の手記if.75 名廊絢人視点 告白
香澄が助けに来てくれて、俺には何の考えもなかったのに、
香澄はガソリンを落としたら迷わずあの人を呼んだ。
それで俺は、ここにいる。…生きてる。
ついた途端香澄に服脱がされたり抱きかかえられたり体洗ってもらったり、何もかもされてしまって、でもろくに自分では動けなかった。確かに体は痙攣するみたいにまだ小さく震え続けてたけど、どこかひどく痛むからとかじゃない。
あの人と香澄が二人で俺を助けてくれる…二人の迷いのない挙動からして本当に確実に助かる道があって、二人はそれを目指して行動してる…みたいだけど、どういう方法とか可能性があるのか俺にはさっぱり分からなかった。
だから、香澄が俺にすることもあの人の行動も今は一切遮れない。俺が生き延びるために何がどう必要なのか一番知ってるのは今のところ俺じゃない。いずれ俺も少しは知ったほうが事を運ぶのに多少尽力できるかもしれないけど、まだそのタイミングじゃない。
ならどれだけの疑問が浮かんでも不安要素があっても俺は極力黙ってるべきだ。今は質問することも何かの妨げになる可能性がある。もしくは俺が知らないほうが都合のいいことも。…多分だけど、あの人は俺が知ってたほうが進めやすいことが出てくれば必要に応じて俺に教えるんじゃないか。
…勘、だな。どれも大した根拠なんてない。
香澄は「兄ちゃん」てあの人を呼んでた、それで「赤の他人」、でも二人はここでそれなりの期間一緒に暮らしてたみたいだ。二人ともこの家の中によく慣れてるし。
だからってあの人を手放しで信用できることにはならない。
ラブホで香澄の体を見たときのことを忘れてない。
いくらショックを受けてたとしてもあそこまで無抵抗な状態に陥る…もしくはそれが香澄の常態だとして、香澄の判断能力には難がある。
香澄そのものの人間性や人格を疑うってことじゃない、本人に自覚のない問題があるなら、自覚を促せるまでは代わりに周りが憂慮すべきだ、俺でも、…あの人でもいいのかもしれない。最後の点だけどうにかして確認したい。
………今はどれもまだ早いか。
香澄の判断能力に関係なく、あの人を信用するために必要なものは揃ってる。信用…したい俺の願望から来るこじつけた理屈だけど、それでも、あの人は俺を助けた。当面はその事実だけで十分だ。
何もかもやってくれる香澄の行動に何も言えないまま、夜になって朝になって、夜の間に俺は部屋に訪ねてきたあの人と何か話した気がするんだけど、渡されたものを飲んでるうちに眠っちゃったみたいだった。多分香澄のこと話そうとしたんだろうけど。
飲み物にシンナーとか毒物っぽいものとか最悪誰かの精液とか落とされてたことあって、飲む前にちょっと警戒したけど、失礼だと思って敢えてすぐにあの人の見てる前できれいに飲み干した。
助けてくれた人への礼節よりも先にまだ名廊本家の中での習慣が体にも頭にも残って、優先的に浮かんで、こびりついて離れない。
朝、起きたとき隣にいた香澄に「これは多分大丈夫だから」ってカップを渡されたときは何かバレてたかと思ったけど、そういうことでもないみたいだった。
肩に凭れて、寄り添ってくれる、香澄。
校庭でも俺を守るみたいに大事そうに抱えててくれた。
俺はそんな人間じゃない
汚れるよ
ほとんど無意識にそう思ったのを、一瞬後に目が覚めてはっきりした意識でめった刺しにして殺しといた。
助けられた人間が思っていいことじゃない。
考えるだけなら自由なんて言うけど、この思考は毒だ。助けてもらった行動に対して今の俺ができる唯一のことは、俺自身が生きるほうへ迷わず積極的に身を進めることだ。この思考の癖を持ち続けてちゃそれも難しい。他にもあるだろうな、身に染みついた自分を殺すための毒が、俺の全身にまだ残ってるはずだ。
なら、ここで捨てよう。
俺に捨てられるものがまだ残ってるのなら、全部。
朝の光が眩しい中で、これまで家から俺を守ってきたあらゆるものと、お別れした。
頬を伝う涙がどういう感情からくるのか俺にもよく分からなかったけど、香澄の指先がそれを優しく拭っていった。
「香澄」
「…なに?」
「ありがとう」
そのあと香澄は仕事に行って、そのまましばらく会えなくなるみたいだった。
三人で朝食を食べる間、香澄の自傷の傷が昨日風呂で見たときに明らかに悪化してたことについて何度も切り出そうとしてみたけどなんとなくわざと話すタイミング潰された気がする。話せないままになった。
でも香澄についてなら…本人がいないときのほうが好都合か。
正直俺のことより香澄のことを優先してほしい、俺はここにいて安全だけど、香澄は無自覚な上にそれで仕事なんか行ったり普通に外をウロウロするんだから…先が思いやられる。
それからほとんど俺に与えられたみたいになった一つの寝室で過ごした。大人しくしてるように言われたから素直に従った。
ボケてた頭は時間が経つごとに少しずつはっきりしてきてるもののそれもゆっくりで、まだどっか思考力が鈍くて回転も遅い。ぼんやり世界が烟って見える。ずっと少し眠たいみたいな感じがする。
それとは逆に体から妙に力が抜けていくような感覚もあった。まことくんちで楽な服着てた時と少し似てる。でも同じじゃない。
何か寒気のするような底知れない感覚。
警戒するもののない、守られた部屋。
優しい人たち。
必ず助けてくれる未来があって
俺はここで どう 過ごせば どうこの身を 保っていれば いい
「ーーーーーーーッ…!」
不意にこれまでにない耐えきれないほどの痛みが脚にきた。訂正、一度だけあった。脚を燃やされたときの、あの痛みそのものだ
ベッドの上で倒れて息をとめて声を抑える。理人さんに火をつけられたとき、俺はあのひとの睡眠薬を飲まされて眠ってた。痛みで目を覚ましてひどく耳に醜い大きな悲鳴をあげ続けたのを覚えてる。それで誰か助けに来てくれると思ったわけじゃない。ただ絶叫してないと耐えられない痛みに発狂するよ��な気がしただけだ。
今はあんな声を上げるわけにはいかない。きっと現実の痛みだけじゃない、フラッシュバックも混じってるんだ、落ち着けばましになるか、でも実際に痛んでない過去の痛みの記憶の再燃だとして、頭の感覚する痛みからどう逃げるっての…。
…あの家の中で、桜子さんの家に移ってからも、ずっと無意識に緊張状態だったのが、
…昨日飲まされた何かで珍しく長く深い眠りに落ちて そのあと俺の心情的にも家と離別したことで これまで雨が降れば感覚が鈍って動かせなくなる程度で済んでた痛みが 洒落にならなくなった ってことでもあるのか
本家にいたときにもこれだけ痛んでいれば俺も自覚できて最低限のちゃんとした手術くらいは受けさせてもらえてたのかもしれない
…ほんと、生き延びるために自前で用意した何もかもが俺の首を締めてたのか
「ーーーーーーー」
少しでも呻いたり声を上げないように枕に顔を押しあてて、窒息しそうな息苦しさの中で痛みが去るのをひたすら待った
やっと痛みが去った頃には外が暗くなってた
勝手に部屋に入ってこられたらと思ってたけどその心配はいらなかったみたいだ
脚に本来の痛覚が戻ってきた分、痛みがおさまったら割とすぐに普通に歩けるようになった
せめて家事とかを負担しようかと思って、あの人に控えめに提案してみたらあっさり通った
「………。」
あの人の、長い前髪。視線の方向を隠したいと��、逆に自分の顔が怖くてうっかり見ないようにとか、理由はいくらでも可能性としてあるけど、ただ髪型の好みでああするってこともあるんだろうし。これこそ余計な詮索ってやつかな。
名廊の家では、男が髪をズルズル伸ばしてるなんて言語道断、ありえないことだった。前髪だけにしたって、あんなに伸ばせばどれだけ本人に似合ってスタイリッシュに決まってたとしても非難の的だ。「一切逃げ隠れすることは許さない、顔をよく見えるようしっかり晒せ、堂々としてろ、後ろ暗いことでも抱えてるような外見はみっともない」…ってこと。
だから俺も、普通の短めの髪型にしかしたことない…けど、あの人の髪型、もしかして俺に最適なんじゃ…?
名廊の人間、面立ちに特徴が出やすいけど、少し傾斜の下がった眉と、細くて高い鼻、それに長身、この三つが特に目立つ。平均的な日本人の特徴としても少し珍しい方かもしれない。俺は背は伸びなかったしかなり童顔の部類で名廊の人間っぽさは薄いほうだけど、鼻と眉には特徴が出てる。せめて眉だけでも隠せたら… あの人に聞いてみよう、真似してみて嫌な気がしないかどうか。
ぼんやりそんなこと考えながら作ってたら自分ペースの量の食事作っちゃった。…ひとの家でこれはないだろ… 一応俺は食べる量がおかしいことについて自覚あるし…それをどうにかしようとかは思わないけど。
全部一人で食べるのは流石にだめだと思って容器に一人分の量くらいを取り分けてあの人が食べれるように残しておいたけど……自分の食べる量が異常なのはわかるとして、通常量がわからない…こんなちょこっとでいいんだっけ…? よくわからないまま、ちょこっとだけ容器に残して冷蔵庫にしまっておいた。食費はいずれ稼いで返そう。光熱費とか水道代も。
脚は今は痛まない。
これまでと体の勝手が変わってて、慣れるまでは部屋になるべく引きこもってた方が良さそうだ。いつ何が起きるかわからない。
今日はもう動かないで部屋でじっとしてようか。
でも時間はあるわけだし、俺にできること…あの人の今やってることの力にはなれなくても、俺一人でやれることもあるはずだ、家事手伝いとかはもちろんだけど、どれだけあの人が生き延びるための道を整えてくれても、進むために最終的にそこを歩くのは俺に他ならない。
ここから出ていってからもなんとか自分で暮らすために、この体でもできる仕事に今から備えとくべきだ。
手っ取り早く今俺がすでに持ってる能力で、俺にできるのは…家庭教師とか…通訳…同時通訳の方が稼げるな、…脚さえしっかり動けばな…。
でも不特定多数の他人と直接会って関わるような仕事は避けるべきか。一応世をしのんで生きる形には、なるんだろうし、多分。とすると、書籍とかの翻訳業か。意訳が好きだからついやりたくなる癖があるけど、それをおさえてなるべくオーソドックスで的確でわかりいい訳がすらすらできるように訓練しとくかな… そっちの方が匿名性も高いし。そのためには何か本が欲しいけど…
とか考えてたら扉にノックがあった。
桜子さんの家でノックの習慣とかにもだいぶ慣れたけど、本家では理人さんの部屋は和室だったし洋間のノックするのもドアを開けるのも女中さんだしで、結局やっぱ慣れてないといえば慣れてない。ノックってされたら出てくんだっけ…返事だけなんだっけ… でも返事だけしてもなんか横柄な感じするな…ってこれ誠人さんがいつもそうだからか。あの人だとなんか違和感ないけど、俺がベッドの上から返事だけして相手に「入れ」って生意気すぎじゃない…? とか思ってドアを開けた。
そこにいたその人の前髪が雑にかき上げられて顔がほとんどしっかり見えてる。初めて見た。なんだ…俺の脚みたいにひどい怪我の跡があるとかでもない、人相が悪いとかでもない、優しい顔だ。…細く眇められた長い睫毛に縁取られた目元は相手を心から慈しむような印象で、少し…理人さんと似てた。
「ノックの返事があるまでは開けたりしねえからわざわざ出てこなくっていいよ。…風呂あいたから入りなさい。脚が痛むなら手伝うよ」
? 手伝う…?って、…香澄がやってたみたいなこと…? 香澄はもしかしたら前に俺が風呂場で手当てしたお返しに、って感じもあったのかもしれないけど…なんでこの人がそんなこと…?
目があったから自然と違う方向に顔を向けて、そのあとで少し後悔した。本家で誰かと目があったらさんざん「じろじろ見るな」って鬱陶しがられたから、つい見すぎたと思ってその癖が出た。なんて答えようか迷ってたらさらに悩むこと言われた。
「断ったっていいんだぜ。まぁちゃんと頼れよ」
ーーー頼る?
……って、なに…。
…自信なくなってきたかも
積極的に俺から頼ったほうがかえってこの人が気を回さなくて楽だって意味かも。でも何を頼ればいいのかわからない。ここにきてからまだ不自由な思いとかは一度もしたことないし、なんの危機も迫る気配がなくてむしろ落ち着かないレベル、これに文句のつけようないよ。
ぼんやりしたままその人の部屋の手前まで行ってみた。ドアが開け放されてる。俺の存在を忘れてる…わけじゃないな、この人の場合。包み隠さないことで俺を安心させようとしてくれてる、ほう、かな…?
邪魔しないように静かに歩いたのに近寄っただけですぐ振り返られた。…気配に聡い。ますます気をつけないと。気取られる。
特に用もなく近づいたのに気づかれて振り向かれたから、仕方なくちゃんとドアのところまで歩み寄って、何か言うことがないか探す。
………ていうかまずなんて呼びかけたらいいんだろ? 名前も聞いてないっけ。そんなとこからまだ何もしてないっけ俺? ボケすぎじゃん…
人に聞く前に名乗んないとな。この人が本名名乗ってくれるかわかんないけど、とりあえず今は通じる呼称が要る。でも俺がいま名廊ってつけて名乗るのは…どうなんだろ
「絢……………」
…人、ってどうしても続けて出てこなかった。
ーーーー絢は俺の味方だよね………
「…絢、って…呼んでください」
香澄にも同じこと言った、初対面のときに。「みんなそう呼ぶよ」って言ったけどあれは嘘だった。俺はゼミの友達とか誰からも「絢」って呼ばれたことはない。生良くらいかな。俺をそう呼んだのは、二人だけ。理人さんと、…直にぃだ。なんで直にぃが俺を自然にああ呼んでたのかはわからない。
それに「人」がつくのが名廊のしきたりっていうかだから……
その人は、自分も名乗って、すぐに俺のこと言った通りに呼んでくれた。順応性高いな。
俺の方を見て笑いかけてくれた目元や眉が少し引きつったように歪む。冷笑に近いような表情だけど、声色からしてそういうニュアンスはないから、目元で大きく笑うの慣れてないか、表情筋が弱いか、笑うの苦手なのかな。
それでも笑ってくれたってことは相当気遣われてる…。ちょっと静かに過ごしすぎたのかな。元気ないように見えて励ましてくれてるのかも、…これからはもう少し口数増やしていいのかな…?
ーーー雪村真澄、さん…。
結局何も言わずに一人で風呂に入って湯船に浸かってたら途中から水面が揺れだした。ポタポタ、俺の目から涙が落ちてる。なんの涙だよ。だんだんひどくなって発作みたいに嗚咽まじりになってきたから乱れた呼吸の音を打ち消すためにシャワーを強い水圧で湯船の中に向けて出して頭からかぶり続けた。…頭の傷に沁みる、ってか水圧強いから傷開きそうでやばい。
さっさと風呂から上がってみたら涙はなかったことになったみたいにピタッと止まった。…だからどういうことだよ…体全体よくわかんないことになってるな。コントロールも抑制も効かない。情緒不安定ってやつかな。やっぱ引きこもってるのがベストだ。余計な心配かける。
部屋に戻って与えられた服に着替えて、体を確認する。ただ静かにじっとして、自分の熱を測る、37.4度。脈をとる、泣いたので少し早めだけど正常値。心臓の鼓動も正常、ただし頭の怪我がだんだん痛み始めてきてるな。脚との時間差がこれまた謎。ベッドに横になる。
……守られた、安全な空間。それでも慣れない場所に違いはないからろくに眠れるとは思えない。こういう時は本読むんだけど自分の荷物なんて一つも持ってない、もちろん時間が空いたときように持ち歩いてた本とかも
どうしようか考えてたらドアからノックがした。さっき出てこなくていいって言われたっけ。返事だけしてみる。「はい」
ドア越しに声が返ってきた。
「香澄から絢に電話が掛かってきたよ。繋がってる、出られるかい?」
思わず眉間に皺が寄った。直にぃは何してんだよ…。
若干キレ気味の勢いでドアを開けてケータイを受け取るとすぐ耳に当てた。
話し終えたら切らずに返しなさい、一晩中話してもいい、僕は眠らないから。って言う真澄さんに背を向けて香澄の声が聞こえるより前に話しだした。
「俺に電話してる場合じゃないだろ。何も困ったりしてないから、香澄の怪我が治るまで電話禁止。それか話してもいいけど一日に三十秒だけね。俺も話したくなっちゃうから。いい?」
『……はい…。』落ち込んでるまでいかないけど、香澄の声がちょっとしょぼんとしてるから声色を優しく変えて言った。
「ん。じゃあ今日はここまでね。かけてこなくても気にかけてくれてるのちゃんと分かってるから、安心してしばらく俺のことは忘れてなよ。じゃあおやすみ。寝るときはちゃんと直にぃに一緒に寝てもらうんだよ。次会った時に怪我が増えてたら俺キレるからね」
そのまま長引かないようにケータイを耳から離して通話を切りそうになった、このまま返すんだったと思って慌ててボタンから手を離して、いつの間にかドアを閉めて出ていってた真澄さんを探す。
探さなくてもリビングに出たら視界に入った。この人も背が高いな…ていうか俺があの家で極端にチビだっただけで名廊の人間だいたいこれくらいだから、妙な既視感というか、サイズ感にしっくりくるものがあるな…
話しかける前に読んでいた本を閉じて俺の方に振り返った真澄さんに「終わりました」ってケータイ返した。
真澄さんはケータイを耳に当てて香澄に「早かったな?」って聞いた。
マズったかな。これじゃ香澄が薄情なやつみたいに取られてもおかしくないのかも。
「すみません、俺が香澄に説教しました」
真澄さんは聞こえなかったのかそのまま香澄と話を続けた。けどそれも一言二言で終わった。
今更だけど人の会話勝手に横で聞くのもなぁと思って部屋に戻ろうとしたら横顔に声かけられた。
「それで?今少し愉快なこと言ってたか?」
「……。」
今ちょうど前髪落ちてきてて表情が読めない。まぁそりゃ助けられた身で偉そうに説教なんてする方がおかしいか。怒られるかな…。
でも、香澄の怪我はひどくなってた。それは俺を助けたからだ。なのにそのことについて一言も誰も何も言わない。真澄さんは当然香澄の全身の傷跡を知ってる。俺とここで風呂入った時に香澄も全裸で遠慮なく歩き回ってたし。古傷だらけ、なだけならもうとっくに話し合われて終わったことなのかもしれないけど、香澄の自傷の傷は目に見えて新しい。今夜だって直にぃがしっかりしてなきゃまたひどくなる可能性が高い。でも直にぃがどこまで当てになるんだか… だんだん頭痛がひどくなってきた。
「…ほっとくと際限がない。あれじゃ香澄の気の持ちようはともかく実態は自殺志願者だから、本人に自覚がないなら自覚させられるまで周りが憂慮してないと。…香澄は俺より長く生きないかもしれない。多分本人にこういうこと話しても通じないでしょう、今はまだ。」
頭痛と若干キレぎみなせいで少し口調がつっけんどんになった、でもまだ顔とか態度には出てないから大丈夫だ。この��ま部屋に戻れば気取られない。
と思ったら、「ちょっとおいで」って真澄さんに体を引き戻されてリビングのソファに座らされた。
「絢があの子に何を言ったか聞かせてみな」
…口元だけも、笑ってない。今なら俺のほぼほぼただの勘と憶測の話を、もしかして真剣に聞いてくれたりするかな…
…でも、その前に、
「あ…の…話す前にしてほしいことが…あって…」
「なんだ」
眩しい。光が強すぎる。理人さんのいた部屋はいつも真っ暗だった。あそこまで暗くなくてもいいけど、人工の光は今もどうしても苦手だ。普段なら我慢するけど、今は頭が痛い、このままだと光で頭痛が悪化する。薬が必要になる前に手を打たないと。
「……自然光以外の光が、少し苦手で…。この部屋の照明…弱くしてもらえますか…?」
雪村真澄視点 続き
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《調査と見守りシステムはどちらも教科書会社大手・東京書籍との提携事業です。~貧困対策のコントロールタワーとされる子ども成長見守り室の職員は2人。虐待事件に対応する児童相談支援センターも非正規職員が多く、継続支援に困難を抱えているといいます。》……😡😡😡😡😡😡
溶ける公教育 デジタル化の行方(2���
データは集中するけれど…
2022年5月6日【政治総合】
大阪府箕面(みのお)市は、政府が目指す「こども家庭庁」や「こどもデータベース」の先進事例としても注目されています。貧困の連鎖を断ち切るとして、同市在住の0~18歳の家庭状況や学力情報などを教育委員会の担当部局に集中し、コンピューターで判定する「子ども成長見守りシステム」です。2017年に始まりました。
養育情報
対象年齢の子どもは約2万7千人。そこから、まず「生活困窮世帯」の子ども約4700人をリストアップし、コンピューターで支援の必要度を判定します。生活困窮世帯の抽出には生活保護、児童扶養手当(ひとり親)、就学援助システム、非課税階層という経済情報と、虐待相談システムなどに基づく養育情報が使われます。
さらに12年から実施している「ステップアップ調査」の結果も加わります。調査は公立小中学校のすべての子どもを対象に、毎年、学力、体力、生活状況の経年変化を調べるもの。将来、学力低下で貧困状態に陥る可能性の高い子どもを見守り対象に加えるためだといいます。
一方、同市の教師からは調査への恨み節が聞こえてきます。「毎年4月は体力調査で体育の授業がつぶされ、学力調査の成績を上げるため授業で過去問をする学校もある。その割に調査結果は役に立たず、活用もされていない」(ベテラン教員)
調査と見守りシステムはどちらも教科書会社大手・東京書籍との提携事業です。見守りシステムは、同社が開発したプログラムに子どもの経済状況や学力などの情報を入力すると、自動的に支援の必要度が出てくる仕組み。判定作業は市役所に置かれたパソコン内で完結します。
支援が必要とされた子どもの判定結果は、市役所の関係部局のほか、子どもが在籍する学校にも共有されます。市の担当者は「経年変化で子どもを見ることで、急に状態が悪化した子どもを拾うことができる。見逃しがないことが大事だ」と強調します。
貧困対策の先進自治体をうたう同市。しかし日本共産党の村川まみ市議は疑問を呈します。貧困対策のコントロールタワーとされる子ども成長見守り室の職員は2人。虐待事件に対応する児童相談支援センターも非正規職員が多く、継続支援に困難を抱えているといいます。党市議団が3月議会で提案した学校給食費の就学援助の所得基準引き上げも、自民、公明、維新などに否決されました。
村川市議は、同市の就学援助の所得基準が他自治体と比べ際立って低いことを示し、「引き上げに必要な予算は年500万円。物価上昇を受け緊急支援策として提案したのに」と悔しがります。
同意不要
生活保護情報などの目的外利用を懸念する声もあります。個人情報保護法は行政が持つ個人情報の目的外利用を原則禁じています。同市は15年に条例を変え、市の個人情報保護制度審議会が認めた情報は本人同意なしで目的外利用できるようにしました。見守りシステムもこの条例改定を根拠にしています。
自治体の情報政策に詳しい自治体情報政策研究所の黒田充氏は「生活保護や虐待相談など利用に特別な配慮が必要な個人情報も判定に使われており、条例を変えれば本人同意が不要というのは乱暴。目的外利用について子どもの保護者に丁寧に説明し、同意を得ることが不可欠」と言います。(つづく)
子ども成長見守りシステム 収集情報一覧
生活保護、児童扶養手当、就学援助、虐待相談、保健指導相談、住民記録システム、学齢簿システム、ステップアップ調査、幼稚園保育所システム、学童保育、学力保障・学習支援、教育相談、養育支援訪問、訪問型家庭教育支援、青少年指導センター相談、フレンズ(適応指導教室)、日本語指導、医療費助成(子ども)、医療費助成(ひとり親)、医療費助成(障害者)、要連携生活相談システム情報、市の奨学金
(しんぶん赤旗)
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中国語で得られる情報量の違い
新型コロナウイルス 感染の抑え込みで、台湾の強さが世界的に注目されている。台湾はなぜコロナに強いのか。日本との比較を中心に考察してみたい。
まず第一に、中国語による情報獲得の強さが挙げられる。中国政府は当初、新型ウイルスの発生に関する情報を出し渋ったが、武漢市、湖北省から、SNSなどを通じて個人による外部への情報発信は行われていた。そうした中国語による情報をリアルタイムで受け取っていたのが、台湾、香港などの中国語圏だ。結果的に、台湾、マカオ、シンガポールといった中国語圏で、ウイルスに対する封じ込めが最も早く起動した。
対する日本では政府、マスメディアとも、中国語による情報を日常的に受信し、分析する人材が圧倒的に不足している。公衆衛生を含めた安全保障の観点からしても、せめてCNNやBBCを日々チェックするのと同じレベルで、中国語メディアに触れられる人材を増やす必要が大いにある。
次に台湾は2003年のSARS禍を経験し、新型ウイルスの怖さを、政府も市民も身に染みて理解していた。香港の場合、特別行政区政府は圧倒的に中国寄りで、ウイルスから市民を守る政策を即時にとることができなかったが、それでも感染拡大が相当程度抑えられたのは、SARSの怖さを人々が記憶していて、自発的に予防的行動をとれたからである。
これに対し、当初、日本のメディアでは、「インフルエンザ程度」「正しく恐れることが大事」といった言説が多く流れ、結果的に国民に警戒感を持たせることができなかったことは、衆目の一致するところだろう。
第三に、日々中国からの統一圧力を受けている台湾では、官民とも「中国に気を許してはいけない」という意識が明確にある。特に蔡英文総統率いる民進党政権になって以降、中国からの観光客制限、友好国の切り崩し、国際機関への参加妨害などに加え、メディアの買収、フェイクニュースの流布など、あの手この手の攻撃を受けている。そのため、新型ウイルスの「生物兵器説」も、台湾では噂話のレベルにとどまらず、事実かもしれないという感覚で受け止められた。
同時に、台湾では、中国に故郷を持つ人、仕事で行き来している人も多く、心情的親中派も少なくない。このように中国の存在が生々しく感じられる中、蔡英文政権は、最初期に中国からの入境禁止、マスク輸出の禁止といった厳しい政策をとり、「台湾ファースト」の姿勢を明確に打ち出した。
同じ頃、日本では、武漢など中国各地に向けて大量のマスクや医療物資を贈る動きが見られた。漢詩で近隣友好の気持ちを表現したことで、中国社会から高く評価されもした。しかし、ウイルス感染がすぐに日本にまで広がってくることは明らかだったのだ。中国語圏の人たちから見れば、日本人のふるまいは、残念ながら、大変ナイーブに映ったと言わざるを得ない。
マスクの重要性を知っていた
第四に、マスク問題をめぐっても台湾と日本の間には大きな差があった。SARS禍を経験している台湾や香港では、官民ともにマスク着用が感染予防に役立つという確信を持っている。これは例えばSARS禍の際、ベトナムの医療団が「ウイルスを密閉して外に出すな」という国際常識とは反対に「病室の窓を開けて換気をよくする」ことで感染を抑え込んだ経験につながる。
つまり、欧米とアジアの間には、風土の差、文化の違いが事実として存在する。よって、欧米の常識をそのままアジアに持ってきたところで、必ずしも通用しない。しかし日本社会はむしろWHOの意見や欧米人の振る舞いを信じて、マスクの重要性をなかなか理解できなかった。
現在のWHOが、事務局長以下、中国寄りのスタンスをとり、結果的に新型ウイルスの封じ込めに失敗したことは明らかだ。しかし、国連機関であるWHOに対して、日本政府を初め多くの日本人は幻想に近い信頼感を持ち続け、アジアの隣人たちの機敏な動きを参考にできていない。
台湾は1970年代に国連代表権を中国に奪われてこのかた、WHOへの正式な参加を認められてこなかった。主に中国の反対によるものだが、WHOに対する不信感、裏切られたとの思いも台湾にはある。それがWHOに対する日本の幻想とは正反対に、現実的な判断を可能にしたとすれば皮肉だ。
台湾政府は当初からマスクの重要性を認識し、各家庭に行き渡らせるため、具対的な施策をおこなった。昨年まで、台湾でもマスクの多くを中国からの輸入に頼っていたが、今年に入って中台間の往来を制限すると、即座に国内の在庫や生産分を政府の管理下に置いた。そして、国内の製造業者に対し、他分野からの参入によって、マスク生産ラインを増やすよう協力を求めたのである。
同時に、限られた数のマスクを公平に配分し、高値での転売などを防ぐため、マスクは政府指定の薬局でのみ販売するものとし、さらに購入に際しては、保険証を提示するという「実名購買制度」が導入された。
この制度が機能したのは、台湾で国民皆保険制度が確立し、保険証がICカード化されたためだ。そして、台湾全島の指定薬局にそれぞれ何枚のマスクが在庫としてあるかを瞬時にスマホで見ることができるシステムを急遽導入できたのは、天才プログラマーとして名高いIT担当の唐鳳(オードリー・タン)大臣が自ら提案し、実行に移したからだ。
蔡英文総統の胆力
タン大臣のような天才は世界でも稀ではあろうが、日本にだって恐らくは存在していることだろう。しかし、中学中退の元有名ハッカーで30代、しかもトランスジェンダーであることを公言している人物をIT担当大臣に任命する、そうした政治的決断を行えるトップは、残念ながら日本には存在しない。
その意味では蔡英文総統のリーダーシップと胆力は際立ったものがあり、ウイルス対策がうまくいった大きな要因だと言える。
蔡英文総統〔PHOTO〕Gettyimages
新型ウイルスの前に、台湾が国際的に注目を浴びたのは、2019年にアジアで初めて同性婚を合法化した際だった。これでリベラルな台湾というイメージが一気に広がったが、必ずしも台湾社会全体が日本などと比べて格段にリベラルだというわけではない。儒教に基づく保守的な考え方、キリスト教に基づく厳格な態度等もあり、投票結果を見ても、同性婚に対する賛成と反対はほぼ拮抗していた。
しかし蔡英文総統は、自身の価値観というよりも、同性婚を合法化することが台湾の国際的イメージの向上に役立つという政治的判断で動いた。その結果、世界中の新聞やネットニュースに台湾という名前がポジティブなイメージとともに登場し、それによって、台湾の人々の自尊感情と政権への支持率をともに高めたのである。
2000年に台湾史上初の政権交代で、国民党から政権を奪った民進党は、2008年の総統選では国民党に敗北して下野。2016年に再度勝利したものの、2018年の統一地方選では大敗するなど、決して平坦な道を歩んできたわけではなかった。2018年秋に高雄市の市長に選ばれた国民党所属の韓国瑜氏は、中国寄りの政治的スタンスと庶民的なキャラクターで驚くほどの人気を集め、今年1月の総統選挙では、高雄市長のまま、国民党代表候補として出馬した。
再選を期して出馬した蔡英文氏は、当初、民進党の候補者資格を得るのさえ難儀したほどの劣勢に立たされていたが、2019年初頭、中国の習近平国家主席が台湾に対して「一国二制度」を提案した際、即座に明確な反対を表明したことで、風向きが大きく変わった。しかもその数か月後、すでに「一国二制度」下にある香港で、大規模なデモや反政府運動が展開されるに至り、さらなる追い風となった。
専門家を閣僚に迎えている
一見地味なキャラクターの蔡英文総統だが、中国の習近平国家主席を向こうに回して物怖じしないだけの胆力を持つ政治家は、WHOはおろか、世界中を見渡したところでいくらもいない。日本のコロナウイルス対策が、オリンピック開催と習近平氏の訪日予定のために出遅れたことを考えると、ここでも彼我の差が際立ったといえるだろう。
1956年生��れの蔡英文氏は学者出身で、国民党政権時代に李登輝元総統のもとで対中国政策に携わったことから政治に関わりをもった。民進党陳水扁政権下で国会議員にあたる立法院委員となり、続く野党時代の2008年に民進党主席当選。台湾本省人(閩南客家系)家庭の出身で、外祖母は台湾原住民族の一つパイワン族の出身。
実業家の父親には四人の妻がいたが、英文は合わせて11人の子どものうち末っ子として育った。旧帝大の一つだった台湾大学(旧台北帝大)法学部卒業後、アメリカに留学しコーネル大学で法律学修士、さらにイギリスに渡ってロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法律学博士号を取得している。
超高学歴で女性、独身で愛猫と暮らす。戒厳令時代の反政府運動の中から生まれた民進党の中では新世代といえる存在で、前述のタン大臣以外にも、閣僚や主要ポストに民間出身の専門家を多く招いている。主に国会議員の中から、自民党派閥間の均衡を取るように閣僚を選出する日本とは、制度的にも政治文化的にも大きく異なるのだ。
例えば、陳建仁副総統は台湾大学医学部出身の公衆衛生専門家で、台湾の最高学術機関である中央研究院の副院長まで務めた。2003年のSARS禍の際に衛生署(日本の厚生労働省にあたる)のトップに招かれて感染対策に当たったことから政治との関係を深め、2016年に蔡英文が総統選挙に出た際、無党籍のまま副総統候補となって現在に至る。新型ウイルス対策の遂行で、大きな力を発揮していることは疑いない。
また日本の内閣にあたる行政院の副院長を務めている陳其邁氏も医師で、台湾大学医学部大学院時代には、陳建仁現副総統の指導を受けて公共衛生学修士号を取得している。他に、毎日生中継される記者会見で、政府を代表し、ウイルス禍の実情を丁寧に説明している陳時中衛生署長は歯科医で、医師会の理事として健康保険制度の確立に深く関わった経歴を持つ。
「後藤新平先生が健在だったら…」
このように高度な専門家を行政機関のトップに据えて、実務と政治的判断の両方を委ねる形は、総統制度を根拠とする一方で、蔡英文自身が超高学歴であることも要因の一つだろう。
特にIT化の推進に前向きで、IC化された保険証の活用だけでなく、海外帰国者の自主隔離状態をスマホの位置確認で行うなど、感染封じ込めのためには、日本でなら個人情報保護などの観点から問題視されかねない措置もためらわない。
また草の根の民主化運動出身ではなく、学術界から抜擢された女性政治家という意味では、日本で1980年代に「おたかさんブーム」を巻き起こした土井たか子元社会党委員長に通じる部分も持つ。
いずれにせよ、新型ウイルス禍で台湾が世界を刮目させる成績をあげているのは、国際社会における孤立の中で、難民政権でありながら長く独裁制を敷いた国民党統治を民主化で覆し、現在はまた強大化した中国の圧力を日々感じながらも、着実に国民国家建設を進めている台湾の政治、社会、文化的背景があることは間違いない。
今回、ダイヤモンド・プリンセス号に始まった日本政府及び社会の対応について、台湾の人々は豊富なニュースチャンネルを通じ、場合によっては日本人以上に深い関心を持って見つめている。それは19世紀末に遡る日本の台湾統治という歴史があってのことだ。
特に医師であり政治家でもあった後藤新平が割譲直後の台湾に民政局長として赴き、公衆衛生の改善に功績をあげたことは広く知られている。よって、今般のコロナウイルス に対する日本政府の対応を見た台湾の人から、SNS上で「後藤新平先生がご健在だったら、何とおっしゃることか」というコメントが上がるわけである。
ウイルスとの戦いは今後もしばらくは続くことだろう。アジアの隣���である台湾から日本が学べることは決して少なくないはずだ。
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かつてなく老いた涙目の短歌のために
「目は口ほどに物を言うからな」の一言で自分の言葉を信じてもらえなかったら憤慨するだろうけれど、同時に、「じゃあしかたない」とも思ってしまうかもしれない。ことわざを本気で使ってくる人を相手取るとき、そのことわざの力強さに対して自分の正直な心の力は、頑張っても引き分けか根比べ競争に持ち込めるかくらいのものかもしれない。そんなことでいいのか。「口」を信用することなく、「目」に権威を求めてしまうのはなぜだろうか。
わたしの視野になにかが欠けていると思いそれは眼球めだまと金魚を買った
/斉藤斎藤『渡辺のわたし』
「わたし」=「それ」=「作中主体」が「視野になにかが欠けていると思い」、「眼球と金魚を買った」。眼球の有無は「わたしの視野」の信頼にかかわるだろうか。
「わたしの視野」の信用問題。それは「わたしの視覚」の問題には回収されないだろう。「わたしの視野」を再現すること、報告すること。それは、語りの問題でもある。「わたしの語り」あるいは「わたしについての語り」。
「わたしの視野になにかが欠けていると思い」
「それは眼球めだまと金魚を買った」
と語る者がいる。一人称の「わたし」と三人称の「それ」を使い分けながら〈わたし=それ〉について語る者。あたかも三人称の「それ」に言及するように一人称の「わたし」について語ることのできる、「わたし」でも「それ」でもない語り手。
その語り手は眼球を使って〈わたし=それ〉を見たのだろうか。うーん。語り手として、わたしたちは見たことも聞いたこともないことを語ることができるけど。
それはメタ視点の〈わたし〉だろうか。メタ視点の〈わたし〉と思いたがる態度は、なんとしてでも〈わたしの視点〉を死守しようとする心に由来しないだろうか。もしも、〈わたしの視点〉が〈わたし〉の意識の圏内になかったら、どうするのか。〈わたしの盲点〉が無意識の視点として〈わたしの視点〉になりかわるとき、目が口ほどに物を言い始めるチャンスだ。目だけではない。様々な物たちが物を言い始める。指、髪、鼻、表情、性器、身長、体重、性別、世代、口癖、言い間違い、ファッション、スマホの機種、アクセサリー、食生活、インテリア、嗜好品、社会階層、家庭環境、トラウマ。〈わたしの視点〉を死守する心が〈わたしの盲点〉を前にして挫折するどころか〈無意識のわたしの視点〉をそこに見出すとき、〈わたし〉は言っていないことを言っていて、思っていないことを思っている。ヤバすぎる。無意識の解釈は信頼できる人や権威ある人にやってもらいたい。と、わたしは思うだろう。「と、わたしは思うだろう」と回収する〈わたしたち〉の法。
こんなにインクを使ってわたしに空いている穴がわたしの代わりに泣くの
深ければ深いほどいい雀卓がひそかに掘りさげていく穴は
/平岡直子「鏡の国の梅子」(同人誌『外出』2号)
〈わたし〉の個別性は〈わたしたち〉の法に抵抗できるはずだ。という主張は、きっと何度も繰り返されてきた。〈私性〉はしょせん共同体の一員としての制限された〈わたし〉のことだ、と言ってみたところで、かつての「共同体の一員」たちのなかにも、そのような意味での〈私性〉に回収されない〈この・わたし〉たちが次々と発見されるはずだ。それが本来の意味での〈私性〉だ。話は決まっている。その都度、うまく解釈を施せば、法文を変える必要はない。解釈できないものについては、例外事項として扱えばいい。例外的な〈わたし〉たち。動物、魔法使い、「ミューズ」、など。「穴」はどうしようか。
さいころにおじさんが住み着いている 転がすたびに大声がする
はるまきがみんなほどけてゆく夜にわたしは法律を守ります
/笹井宏之『てんとろり』
あるいは、〈わたし〉など言葉の遊戯の一効果にすぎない、と言ってみたとして。それが〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉ではない、と言い切れるだろうか。ヴァーチャル歌人・星野しずるの作者・佐々木あららは次のように語る。
Q.これ、そもそもなんのためにつくったんですか?
僕はもともと、二物衝撃の技法に頼り、雰囲気や気分だけでつくられているかのような短歌に対して批判的です。そういう短歌を読むことは嫌いではないですが、詩的飛躍だけをいたずらに重視するのはおかしいと思っています。かつてなかった比喩が読みたければ、サイコロでも振って言葉を二つ決めてしまえばいい。意外性のある言葉の組み合わせが読みたければ、辞書をぱらぱらめくって、単語を適当に組み合わせてしまえばいい。読み手の解釈力が高ければ、わりとどんな詩的飛躍でも「あるかも」と受けとめられるはずだ……。そう考えていました。その考えが正しいのかどうか、検証したかったのが一番の動機です。
/佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」
読み手の解釈はそんなに万能ではないだろう。「わりとどんな詩的飛躍でも」、〈わたしたち〉に都合よく「あるかも」と解釈できるだろうか。現在、そのようなことは起きているだろうか。「わからない」「好みではない」「つまらない」「興味がない」「時間がない」といったことはないだろうか。それが駄目だという話ではない。〈理想の鑑賞者〉という仮想的な存在を想定した読者論はありうるが、短歌はそれを必要としているだろうか。AI純粋読者。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに泣くの」
「わたし」は泣いていないのだとして。「穴」があるかも。泣いているかも。
誰の声?
「なんでそんなことするんだよ」で笑いたいし、なんでそんなことするんだよ、を言いたい。〈なんでそんなことをするのかが分かる〉に安心するのは、それがもう「自分」だからだ。「自分」のように親しい安心感なんて、いくつあったっていい。
でも〈なんでそんなことをするのかが分かる〉でばかり生を満たしているとどうだろう、人はそのうち、AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか。
/伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』」
やさしくて、人を勇気づけてくれる言葉だ。そう思う。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに」「AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか」
「わたし」の代わりに泣いているのは何だろう。〈わたしたち〉の法はその涙を取り締まれるだろうか。「泣くことになるんじゃないか」は「泣くな」ではない。「じゃないか」の声の震えは何だろう。もしかして、泣いてるんじゃないのか?
ころんだという事実だけ広まって誰にも助けられないだるま
もう顔と名前が一致しないとかではなく僕が一致してない
あたらしいかおがほしいとトーマスが泣き叫びつつ通過しました
/木下龍也『つむじ風、ここにあります』
機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体
/東直子『青卵』
ナレーションのような声によって、かわいそうなものがユーモラスに立ち上がる。ナレーターの「僕」もなんだかかわいそう。「だるまさんが転んだ」という遊びはだるまを助ける遊びではない。そもそも、鬼に自分から近づいていくような酔狂な者たちは、自身がだるまである自覚があるのか。いや、このゲームにだるまは存在するのか? 助けるに値しないだろ。「顔と名前が一致しない」は、通常、自分以外の誰かに向けられる言葉だが、歌を読み進めていくとそれが「僕」に向けられた言葉であることが判明する。読者はそれに驚くだけではない。「顔と名前が一致しない」という言葉に含まれる攻撃性が「僕」自身に向けられることで、途端に空気がやわらぐのを感じて、ホッとする。笑う。あ、よかった、大丈夫だった。「僕が一致していない」と言う「僕」のユーモラスなかわいそうさは、このような言葉のドラマによって作られている。お前、かわいそうだな、でも大丈夫そうだ。〈立てるかい 君が背負っているものを君ごと背負うこともできるよ/木下龍也〉。アンパンマンとトーマスのキメラが泣き叫んでいるらしい。「ためいき」の向こう側で。「ためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」。こちらだって、くるおしい。
「ためいき」の向こう側に、言葉が無数の涙を作れてしまうとして。〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉を超えたところに涙を作れてしまうとして。〈わたし〉の涙は計算不可能な可能性の中で生じた一効果なのだとして。涙に理由はないのだとして。やっぱり、本当に泣いている〈わたし〉もいるでしょう? 泣いている〈わたし〉を助けてあげたい? 「なんで泣いているんだよ」。
止まらない君の嗚咽を受けとめるため玄関に靴は溢れた
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
アガンベンの直感はこうである。すなわち、法にとって「思考不可能」なはずの生〔=既存の法では取り扱えない種類の「生」〕、この「生」は法にとって法の空白をなしてしまうものであるが、しかも仮にそこで留まれば、「生」は単なる法外・無法として放置されるはずであるが、しかしそういうことは決して起こることはなく、法は、「生」が顕現するその状態を例外状態や緊急事態として法的に処理しようとする。ここまでは、よい。その通りである。しかし、アガンベンは続けて、そのように「生」が法に結びつけられると「同時」に、「生」は法によって見捨てられることになると批判したがっている。今度は、「生」は、法的に法外へと見捨てられ、あまつさえ無法な処置を施されると言いたがっている。しかし、その見方は一面的なのだ。主権論的・法学的に過ぎると言ってもよい。というのも、「生」の側から言うなら、今度は、「生」が法外な暴力を発揮して、「生」を結びつけたり見捨てたりする法そのものを無きものとし、ひいては統治者も統治権力も無力化するかもしれないからである。そして、疫病の生とは、そのような自然状態の暴力にあたるのではないのか。
/小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、161-162頁、〔〕内注記は平
実状に合わせて、法文書の中に例外事項をひたすら増やし、複雑にすること。その複雑な法文書を読み解ける専門家機関を作ること。それを適切に運用すること。そういった法の運用では〈わたしたち〉の生を守ることができないような事態に直面したとき、法よりも共通善が優先され、法が一時的に停止される。「例外状態」。法の制約から解放された権力が動き出すだろう。法が停止した世界において、それでも法外の犯罪(という語義矛盾)を統制するため。法の制約から解放されたのは権力だけではない。〈わたし〉たちだって法外に放り出されたのだ。「ホモ・サケル」。そこには、〈わたし〉ならざる者たちが、〈わたしたち〉の法を無力化しながら、跋扈することのできる世界があるだろうか。(穂村弘が「女性」という形象の彼方に夢見た世界はそういうものだったかもしれない。*注1)
法外に流されている暴力的な涙はあるだろうか。理由のない涙の理由のなさをテクストの効果に還元して安心しようとするテクスト法学者を、その涙が無力化するだろうか。涙する眼は、見ることと知ることを放棄する。両眼視差と焦点を失いながら、けれどもたんに盲目なのではない涙目の視点。
それは哀願する。まず第一に、この涙はどこから降りてきたのか、誰から目へと到来したのかを知るために。〔…〕。ひとは片目でも見ることができる。目を一つ持っていようと二つ持っていようと、目の一撃によって、一瞥で見ることができる。目を一つ喪失したり刳り抜いたりしても、見ることを止めるわけではない。瞬きにしても片目でできる。〔…〕。だが、泣くときは、「目のすべて」が、目の全体が泣く。二つの目を持つ場合、片目だけで泣くことはできない。あるいは、想像するに、アルゴスのように千の目を持つ場合でも、事情は同じだろう。〔…〕。失明は涙を禁止しない。失明は涙を奪わない。
/ジャック・デリダ『盲者の記憶』、155-156頁
涙目の視点。
振り下ろすべき暴力を曇天の折れ曲がる水の速さに習う
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
色彩と涙の国で人は死ぬ 僕は震えるほどに間違う
価値観がひとつに固まりゆくときの揺らいだ猫を僕は見ている
ゆっくりと鳥籠に戻されていく鳥の魂ほどのためらい
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
「振り下ろすべき暴力」などないと話は決まっている。合法の力と非合法の暴力とグレーゾーンがあるだけだ。倫理的な響きをもつ「べき」をたずさえた「振り下ろすべき暴力」などない。語義矛盾、アポリア。けれども、「法外の犯罪」などという語義矛盾した罪の名を法的に与えられるその手前、あるいはその彼方での〈わたし〉たちの跋扈を、「振り下ろすべき暴力」という名の向こうに想像してみてもいい。
語義矛盾のような〈わたし〉は語義矛盾のような言葉を聞くことができる。「世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間」(塚本邦雄)。
短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。文語定型詩は、二十一世紀の現実に極微の効用すらもちあわせていない。一首の作品は今日の現実を変える力をもたぬのと同様に、明日の社会を革める力ももたない。
私は今、その無力さを、逆手にもった武器として立上がろうなどと、ドン・キホーテまがいの勇気を鼓舞しようとは思わない。社会と没交渉に、言葉のユートピアを設営する夢想に耽ろうとももとより考えていない。
短歌は、現実に有効である文明のすべてのメカニズムの、その有効性の終わるところから生れる。おそらくは声すらもたぬ歌であり、それゆえに消すことも、それからのがれることもできぬ、人間の煉獄の歌なのだ。世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間に、影も音もなく密着し、彼を慰謝するもの、それ以上の機能、それ以上の有効性を考え得られようか。
マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
/塚本邦雄「反・反歌」『塚本邦雄全集』第八巻、28頁
「現実を変える力」を持たぬ「世界の変革者」は、通常の意味では変革者ではない。有罪と裁かれる日も無罪放免となる日も迎えることはない。ということは、その「変革者」は囚獄の中にも現実の中にも生きる場所を持たない。そんな人間いるのか。もしも批評家がその変革の失敗を裁くことでその人間に生きる場所を与え、歴史に刻むならば、その失敗がそもそも不可能な失敗であったことを見落としてしまうだろう。なんて無意味なこと。けれども、目指されていた変革も失敗の裁きもなしに、まったく別の道が開かれることがある。そういう想像力は必要だ。
短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。
マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
これらのメッセージを、塚本邦雄がそう言っているのだから、と素朴に真に受けてはならないだろう。マス・メディアに随順するのか、塚本邦雄に随順するのか、そういった態度。
筋肉をつくるわたしが食べたもの わたしが受けなかった教育
/平岡直子「水に寝癖」
洗脳はされるのよどの洗脳をされたかなのよ砂利を踏む音
/平岡直子「紙吹雪」
「そうなのよ」「そうじゃないのよ」と口��を真似て遊んでいると「砂利を踏む音」にたどり着けない。どんな人にも「わたしが受けなかった教育」があるし、なにかしら「洗脳はされる」。だからなんだよ。今、口ほどに物を言っているのは何。「砂利を踏む音」。くやしい。
リリックと離陸の音で遊ぶとき着陸はない 着陸はない
/山中千瀬「蔦と蜂蜜」
気付きから断定、発見から事実確認、心内語的つぶやきから客観的判断へと、フレーズの相が転移するリフレイン。「リリックと離陸の音で遊ぶとき」、その「とき」に拘束されて、ある一人の人が「着陸はない」と気づいた。気づいてそう言った。けれども、二度目の「着陸はない」からは、「とき」や〈気付きの主体〉の制約を受けないような、世界全体を視野におさめているかのような主体による断定の声が聴こえてくる。聴こえてきた。
「着陸はない」世界に気づいた主体が、一瞬にしてその世界を生ききった上で、振り返り、それが真実であったと確かめてしまった。一瞬で老いて、遺言のような言葉を繰り出す。事実と命題の一致としての真理は、その事実を確認できる主体にだけ確かめることができるのだ。〈わたしたち〉にとって肯定も否定もできない遺言。「だってそうだったから」で提示される身も蓋もない真理は「なんで」を受け付けない。
世界の真理がリフレインの効果によって、身も蓋もない仕方で知らされること。説明抜きに、真理を一撃で提示するという暴力からの被害。それは、爆笑する身体をもたらすことがある。自身の爆笑する身体に「なんで爆笑してるんだよ」とツッコミをしようと喉に力を込めながら、その声を捻り出すことはできずに、ひたすら身体を震わせて笑う。「アッ」「ハッ」「ハッ」「ハッ」と声を出しながら息を吸う。呼吸だけは手放してならないのは、息絶えるから。「着陸はない」と二度繰り返して息絶えてしまうのは、歌の主体だけなのだ。
もちろん、「着陸はない⤵︎ 着陸はない⤵︎」のような沈鬱な声、「着陸はない⤴︎ 着陸はない⤴︎」のような無邪気な声を聞き取ってもいい。「着陸はないヨ」「着陸はないネ」「着陸はないサ」のように終助詞を補って聞くこと。リフレインの滞空時間が終わるやいなや一瞬にして息絶えてしまうような声が〈わたしたち〉に求められていないのだとしたら。
「終」助詞というのは、近代以後の命名だが、話し言葉の日本語の著しい特徴であって、話し相手に向かって呼びかけ、自分の文を投げかける働きの言葉である。だから見方によれば、文の終わりではないので、自分の発言に相手を引き込もうとしている。さらに省略形の切り方では、話し相手にその続きを求めている、と言えよう。このように受け答えされる文は、西洋語文が、主語で始まって、ピリオドで終わって文を完結し、一つ一つの文が独立した意味を担っているのとは大きな違いである。
/柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』、91頁
近代に、西洋の文章を模倣するように、「〜は」(主語)で始まって「た。」(文末)で終わる〈口語文〉が作られた。それ以前には、日本語文には西洋語文に対応するような明確な〈文〉の単位は存在しなかった。句読点にしても、活字の文章を読みやすくするための工夫(石川九楊、小松英雄の指摘を参照)と、ピリオド・カンマの模倣から、近代に作られた。
言文一致体=口語体が生み出されてから100年が経つ。けれども、句読点をそなえた〈口語文〉を離れるやいなや、「着陸はない」が「。」のつく文末なのか終助詞「ヨ・ネ・サ」を隠した言いさしの形なのか、いまだに判然としないのが日本語なのだ。
ところで、近代の句読点や〈文〉以前に、明確な切れ目を持つ日本語表現として定型詩があったと捉えられないだろうか。散文のなかに和歌が混じる効果。散文の切れ目としての歌、歌の切れ目としての散文。
句読点も主語述語も構文も口調や終助詞も関係なく、なんであれ31音で強制的に終わること。終助詞を伴いながらも、一首の終わりに隔てられて、返される言葉を待つことのない平岡直子の歌の声。「着陸はない 着陸はない」のリフレインの間に一気に生ききって、どこかに居なくなってしまう声。
老いについての第一の考え方は、世論においても科学者の世界においても広く共有されている目的論的な考え方で、それによれば、老いとは生命の自然な到達点で、成長のあとに必然的に訪れる衰えである。老いは「老いてゆく」という漸進的な動きから離れて考えることはできないように思える。〔…〕。飛行のメタファー〔上昇と下降〕はまさに、老いをゆっくりと少しずつ進んでゆく過程として性格づけることを可能にする。それは、人生の半ばに始まり、必ずや直線的に混乱なく進むとは限らないとしても、段階を順番に踏んでいくのである。〔…〕。第二の考え方は老いを、漸進的な過程としてだけでなく、同時に、また反対に、ひとつの出来事として定義する。突然の切断、こう言ってよければ、飛行中の事故アクシデント。どれほど穏やかなものであったとしても、すべての老化現象の内には常に、思いもよらなかった一面、破局的な次元が存在するだろう。この、思いもよらなかった出来事としての老化という考え方は、第一の図式を複雑なものにする。老化について、老いてゆくというだけではどこか不十分なのだと教えてくれる。それ以上の何か、老化という出来事が必要なのである。突然、予測のつかなかった出来事が、一挙にすべてを動揺させる。老いについてのこの考え方は、徐々に老いてゆくことではなく、物語のなかでしばしば出会う「一夜にして白髪となる」という表現のように、その言葉によって、思いがけぬ、突然の変貌を意味することができるとすれば、瞬時の老化と呼びうるだろう。〔…〕。かくして、その瞬時性において、自然なプロセスと思いもよらぬ出来事の境界が決定不能になるという点で、老いは死と同様の性格をもつだろう。人が老いて、死んでゆくのは、自然になのか、それとも暴力的になのか。死とは、そのどちらかにはっきりと振り分けることができるものだろうか。
/カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論』、76-80頁、〔〕内注記は平
徐々に老いてゆくことと瞬時に老いること。それはたんに速度の問題なのではない。同一性を保ちながら徐々に老化することと、他なる者になるかのように突如として老化すること。衰えること、老成すること、年齢に見合うこと、若々しいこと、老けていること、大人びていること、子供っぽいこと。幼年期からの経験や思考の蓄積からスパッと切れて無関心になってしまうこと、来歴のわからない別の性格や習慣を持つこと。長期にわたって抑え込まれていたものの発現や変異、後から付け加えられたものの混入や乗っ取り。
自分の周りで生きている人々が老いてゆく過程に、私たちは本当に気づいているだろうか。私たちはたしかに、ちょっと皺が増えたなとか、少し弱ったなとか、体が不自由になったなと思う。しかし、そうだとしても、私たちは「あの人は今老いつつある」と言うのではなく、ある日、「あの人も老いたな」と気づくのである。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、80-81頁
内山昌太の連作「大観覧車」では、肺癌を診断された「父」の、余命一年未満の宣告をされてから死後までが描かれる。
父のからだのなかの上空あきらかに伸び縮みして余命がわたる
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
父も死に際は老いたる人となり寝室によき果物を置く
壊れたる喉をかろうじて流れゆくぶどうのひとつぶの水分が
/内山昌太「大観覧車」(同人誌『外出』三号)
「父も死に際は老いたる人となり」。あっという間の出来事だったのではないか。おそらく、「父」はもともと老人と言ってもいい年齢だった。けれど、「死に際」に「老いたる人」となったのだ。
定型と技巧を惜しみなく使って肉親の死を描くこと。「死」は定型と技巧かもしれない。「かもしれない」の軽薄さを許してほしい。定型の両義性。自然であり非−自然であるもの。なんであれ31音で強制的に終わることは人間が作り出した約束事に思われるかもしれないが、それは〈わたしたち〉が自由に交わせる約束よりは宿命に近いだろう。約束は破ることが可能でなければ約束ではない。あるいは、破られる可能性。偶然と出来事。宿命に対する技巧とは約束を作ることだろう。そこに他者がいる。あるいは〈わたし〉が他者になる。
〈作品化することは現実を歪めることである〉という考え方がある。事実と表象との対応に着目する立場。もしも〈父のふくらはぎが「一日花のごとくにしぼむ」かのように主体には見えた〉〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉とパラフレーズするならば、作品は現実を歪めていないと言える。「見えた」「書いた」のは本当だからだ。けれど、そんな説明でいいのだろうか。また口よりも目を信用している。「一日花のごとくにしぼむ」を現実として受け入れられないだろうか。作品をそれ自体一つの出来事として。
「しぼむ」という動詞の形。活用形としては終止形だが、テンス(時制)やアスペクト(相:継続、瞬時、反復、完了、未完了など)の観点から、「タ形」(過去・完了)や「テイル」(未完了進行状態・完了結果状態などさまざま)と区別して「ル形」と分類される形である。西洋文法に照らし合わせるなら、「不定形」あるいは「現在形」だ。(日本語では〈明日雨が降る〉のように「ル形」で未来を表現することもある)。
「しぼんだ」(過去・完了)や「しぼんでいる」(現在・進行)と書かれていれば、〈主体の知覚の報告〉として読めるかもしれない。時制についても、相についても、語り手の位置に定位した記述として読める。けれども「しぼむ」はどうだろう。西洋文法において「不定形」とは、時制・法(直接法、仮定法、条件法など)・主語の単複と人称といった条件によって決められた形(=定形)ではない、動詞の基本的な形のことである。
この不定形的な「ル形」を、助動詞や補助動詞を付けずに、剥き出しにして「文末」にすること。そのような「ル形」の文末は、語り手の位置に定位した時制や確認判断を抜きにした、一般的命題、あるいは出来事そのものの直接的なイメージを差し出すことがある。
柳父章によれば、近代以前にも「ル形」の使用はわりあい多いという。けれども、それは標準的な日本語の用法ではなかった。古くは和文脈の日記文でよく使われていた。漢文体や『平家物語』でも一部使われている。そして、「おそらく意識的な定型として使われたのは、戯曲におけるト書きの文体」(97頁)である(*注2)。日記文やト書きは、原則として読者への語りを想定しない書き物であるため、語法が標準的である必要がないのだ。
文末が「ル形」で終わる文体は、脚本とともに生まれたのだろうと思う。脚本では、会話の部分と、ト書きの部分とは、語りかけている相手が違う。会話の部分は、演技者の発言を通じて、結局一般観客に宛てられている。しかし、ト書きの部分は、一般観客は眼中にない。これは演技者だけに宛てられた文である。〔…〕。
文法的に見ると、ト書きの文には、文末に助動詞がついてない。〔…〕。
すなわち、ト書きの文末には、近代以前の当時の通常の日本文に当然ついていたはずの、助動詞や終助詞が欠けている。「ル形」で終わっているということは、こういう意味だった。
逆に考えると、まともな伝統的な日本文は、ただ言いたいことだけを言って終わるのではない。読者や聞き手を想定して、文の終わりには、話し手、書き手の主体的な表現を付け加える。国文法で言う「陳述」が加わるのである。「ル形」には、それが欠けているので、まともな日本文としては扱われていなかった、ということである。
/柳父章、前掲書、99−100頁
このような来歴の「ル形」は、その後、西洋語文の「現在形」や「不定形」の翻訳で使われるようになり、より一般化した。それをふまえた上で、読者を想定した日本文の中で「ル形」を積極的に使ったのは夏目漱石だった。歌に戻ろう。
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
「しぼむ」のタイムスパンをどう捉えるか。ある時、ある場所で、「一日」で「しぼむ」のを〈見た〉のだろうか。おそらくそう見えたのだろう。けれども、他方で、この歌は「その時、その場」の拘束から逃れてもいる。「しぼむ」には「文の終わり」の「話し手、書き手の主体的な表現」が欠けているのだ。ト書きを読めば、ある時ある場所に拘束されずに、何度でもそれを上演し体験できる。それに似て、この「しぼむ」は読者に読まれるたびにそこで出来事を起こすだろう。
「しぼむ」について、今度は「話し手、書き手」の位置ではなく、「言葉のドラマ」を参照しよう。
「巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくに」
「ふくらはぎ」と「花」は決して似ていない。「花」と言われると、人は通常〈咲いている花〉を思い浮かべるだろう。「一日花」は一日の間に咲いてしぼむ花のことだが、だからこそ、咲いているタイミングが貴重に切り取られるのではないか。「ふくらはぎ」と〈咲いている花〉は形状がまったくちがう。にもかかわらず、〈ふくらはぎ・一日・花の〉のように、「が」や「は」といった助詞を抜きに、似ていないイメージ・語彙が直接に連鎖させられている。意味的にもイメージ的にも、この段階では心許ない。結句にいたっても、「ごとくに」に四音が割かれており、一首全体が無事に着陸する望みは薄いだろう。〈ふくらはぎ・一日花の・ごとくに〉と言われても、「ふくらはぎ」はまったく「花のごとく」ではないのだから。
最後の最後で、「しぼむ」の突如の出現が一首に着陸をもたらす。「突如」として「着陸」が訪れる。「花のごとく」なのは「ふくらはぎ」ではなくて、それが「しぼむ」ありさまであったことが、最後に分かる。
うまく着陸したからといって、〈ふくらはぎ・一日花の〉における語と語の衝突の記憶がすぐに消えてなくなることはない。でなければ、「しぼむ」がこのように訪れてくれることはない。衝突事故をしても着陸すること。「ふくらはぎ」にまったく似たところのない、異質なものとしての「花」が、助詞抜きで直接的に連鎖させられることによって生じる読者の戸惑い。その戸惑いが、結句未満の最後の三音で解消されるという出来事。
「話し手、書き手」から遊離した「言葉のドラマ」の中の「しぼむ」は、もちろん書き手の感性の前に現れた「しぼむ」でもあっただろう。〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉は間違いではない。「父」と〈わたし〉のドラマを「言葉のドラマ」へと還元して、蒸発させてしまってはいけない。それは単純化だ。「社会と没交渉」になってたったの二歩で「言葉のユートピアを設営」してしまうような、一般論として振りかざされる「作者の死」は心が狭い。
靴を脱ぎたったの二歩で北限にいたる心の狭さときたら
/平岡直子「視聴率」(同人誌『率』9号)
内山の作品には、「老い」について「ル形」を使いながら〈語り手=書き手の声〉を聞かせる作品が他にもある。
読点の打ちかたがよくわからないまま四十代、中盤に入る
/内山晶太「蝿がつく」(同人誌『外出』二号)
「ル形」の効果だろうか。歌の語り手はあきらかに書き手だが、仮に書き手である内山昌太が嘘をついていたとしてもこの歌は成り立つだろう。歌のなかでの語り手=書き手=〈わたし〉は「内山昌太」から遊離している。だからといって架空のキャラクターを立てる必要もない。〈書き手の声〉が〈書くこと〉について語っているという出来事が確認されれば、ひとまずはいい。
結局のところ、「読点」は適切に打たれたのかわからない。「三十代」「四十代」という十年のサイクルは規則的に進むが、内山はそこに不規則性、あるいは規則の曖昧さを差し込もうとしている。不規則はどこから生まれるのか。規則が明文化されているかどうか、規則がカッチリしているかどうか、ではない。規則を使うとき、従うときに、不規則が生まれる。「使う」「従う」といった行為。そこには、うっかりミスや取り違え、愚かさや適当さがある。
内山自身による先行歌がある。
ペイズリー柄のネクタイひとつもなく三十代は中盤に入る
/内山晶太『窓、その他』
「四十代、中盤」や「三十代は中盤」というふうに、「◯十代」と「中盤」の間に何かを差し込もうとする手がある。
十年のサイクルについて、あらかじめ目標を立てるのであれ、後から反省するのであれ、「◯十代」という表記はその十年の全体を一挙に指示する。自動的で、明快で、有無を言わせない〈十年の単位〉に対して、「中盤」という曖昧な幅を当ててみること。
「三十代中盤」や「四十代中盤」という表記であったなら、「中盤」は〈十年〉の中の一部として回収されてしまうかもしれない。けれど、「三十代は中盤に入る」、「四十代、中盤に入る」という表記によって、徐々に進行しながら曖昧にその意味や価値を変質させていく、一様ならざる時間の幅へと〈十年〉が取り込まれていくかのようだ。「中盤」っていつからいつまでなんだ。きっと、サイクルごとに「中盤」の幅は伸び縮みするだろう。3年、5年? 8年くらい中盤で生きる人もいるのかな。
眠ること、忘れることを知らないで、昼的な覚醒を模範とする精神には、決して捕捉されることのない曖昧な時間。その時間のうちに〈十年の単位〉を巻き込んで、一身上の都合から伸び縮みするリズムの個人的な生を主張する視点。〈君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている/大森静佳〉と好対照だ。というのは、「リズムの個人的な生」の主張は、それを意識すればその都度タイムリミットのように減っている〈十年〉への不安とペアなのだから。
「中盤に入る」は淡々とした地の文の語りのようでもありながら、規則的に進行する〈十年〉のテンポに従うことのない「中盤」の速度を確保しようとする〈わたし〉の主体的な決意の言葉のようでもある。歌から聞こえてくる声が、三人称視点的な叙述なのか一人称的な心内語やセリフなのかの微妙な決定不可能性は、〈十年の単位〉について社会に語らされている主体と「中盤」を能動的に語っている主体のせめぎ合いに似る。
十年のサイクルは自然的な所与なのか、社会的な構築物なのか。絶対に無くなる時間の宿命を約束と取り違えること。それから、その約束を破ってしまうこと。二重のうっかりだ。だから、うっかりと変な歳のとり方をする。年齢相応じゃない。うっかりはポエジーだろう。
二つのタイプの老化、漸進的な老化と瞬時の老化は、常に強く絡み合っており、互いに錯綜し、巻き込み合っている。だから、常になにがしかの同一性が、毀損した形であっても存続し、人格構造の一部分が変化を超えて持続するのだと言う人もいるだろう。そうだとしても、どれだけ多くの人が、死んでいなくなってしまう以前に、私たちの前からいなくなり、自らを置き去りにしていくことだろう。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、93−94頁
〈わたし〉という語り手はうっかりと〈わたし〉から離脱してしまうことがある。深い意味もなく。身も蓋もないものの神秘を生み出しながら。その神秘を新たに〈わたし〉の神秘へと統合できるのか、そうではないのか。
君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている
/大森静佳『てのひらを燃やす』
「ねこじゃらし見ゆ」を受ける視点。それは「君」でも「われ」でもなく、「君の死後、われの死後」に、「まだ揺れている」と言うことのできる語り手の視点だ。語り手の案内を受けて導かれた読者の視点だ。読者の〈わたし〉はいったいどこに案内されたのだろうか。「まだ揺れている」と語る「われ」ならざる〈わたし〉はどの〈わたし〉で、「それ」はどこにいるのか。
この歌の視点について、ひとつ現実的に想像してみよう。
現実に、ある時ある場所で、「君」と「われ」が青々としたねこじゃらしを見ている。会話はなく、ねこじゃらしが揺れるのをぼうっと見ている。注意して観察しているのではなく、なんとなく、その青々とした緑色の揺れるのが目に入るがままだ。受動的で反復的な視覚体験によって、体験の主体は動くモノの側に移っていく。ねこじゃらしが揺れれば〈揺れ〉を感じ、こすれれば〈こすれ〉を感じるような体験のあり方。その時、ねこじゃらしの「青々」や「揺れ」は、「君」や「われ」が見ていようが見ていなかろうが、それとは独立に持続する運動のように現象するだろう。
持続するそれは「われ」の主観から独立してイデアルに永続するナニカというよりは、「われ」が〈意識的に見る主体=見ていることを意識する主体〉ではない限りにおいて成立するかりそめの現象だ。その現象に身を任せている間、「われ」は変性意識的な状態かもしれない。意識の持続は、見ていることの自覚ではなく、「ねこじゃらし」の「揺れ」の運動と一致する。「われ」の肉体も〈君とわれ〉の関係もそっちのけで、ねこじゃらしが揺れる。
魂がそのように「われ」から遊離していきながら、やっぱり振り返る。「われ」から遊離した、ほとんど死後的な魂の視点は振り返る。きっと、そうでなくちゃ困るのだ。振り返る視線によって、「君」と「われ」が「視野」に入る。「視野」に入れるという肯定の仕方だ。というのは、ねこじゃらしを見ている限り、「君」と「われ」は互いに「視野」に入らないはずなのだ。
〈君とわれ〉というペアの存在が、「君」も「われ」もいつか死ぬという身も蓋もない事実を絆帯として、常軌を逸した肯定をされてしまった。
「君とわれの死後にも」ではなく「君の死後、われの死後にも」と書き分けられている。「君」と「われ」のどちらが早く死ぬか、死ぬまでにどのような関係性の変化があるか、どのような経験の共有があるのか。そういったことに関心を持つ生者の視点はない。その視点があるならば、たとえば次の歌のように二者の断絶が描かれてもいい。
その海を死後見に行くと言いしひとわたしはずっとそこにいるのに
/大森静佳『カミーユ』
断絶の構図を作らずに、〈、〉で並列させられる形で肯定される関係は何だろう。生前から死後までを貫くような、〈君、われ〉の関係の直観。〈君とわれ〉の「君の死後、われの死後」への変形。その変形による肯定は、〈君とわれ〉の圏内においてはナンセンスだ。〈「君」が死んでも、「われ」が死んでも、ねこじゃらしは変わらず揺れているだろうね〉ならば、それは〈君とわれ〉の相対化だ。それで心身は軽くなるかもしれない。その軽さに促されるように〈生〉のドラマは展開するかもしれない。けれども、生前から死後までを貫く二者の並列関係の肯定にはなりえない。
〈生前から死後までを貫く二者の並列関係〉はナンセンスなフレーズだ。だからこそ、その肯定は常軌を逸している。ナンセンスな肯定が、常軌を逸した視点から、すなわち、「われ」の魂が遊離して別の生の形をとっている間にだけ持続するかりそめの語り手の視点からなされた。
語り手の視点を「死後の視点」と一息に言ってはならない。そう言ってしまうなら、語り手の位置の融通無碍な変化を見落とすことになる。「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」から「まだ揺れている」の間には、語り手の視点にジャンプがある。山中千瀬の「着陸はない 着陸はない」のリフレインと似た効果がこの歌の一字あけにおいても生じているのだ。
「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」という言い切りの裏には、〈見えるだろう〉という直観が働いている。〈直観の時〉があり、〈時〉に拘束された「言い切り」がある。
直観された真実がそのままで場を持つことは、しばしば難しい。けれどもこの歌において、その直観は、一字あけのジャンプを経て、「まだ揺れている」を言うことのできる死後的な主体によって確認されることで場を持つことになる。「まだ〜ている」においては、「ル形」とは異なり、明らかに主体による確認判断が働いているだろう。直観を事実として確かめることのできるような不可能な主体へのジャンプ。
歌が立ち上げる〈不可能な声〉がある。
直観した時点から、それを確認する時点へのジャンプ。そこには、他なる主体の声になるかのような突如の変化と、同じ一つの〈歌の声〉の持続の、二つの運動の絡み合いがあるだろう。一首は一つの声を聞かせる。言葉を強引に一つの声へと押し込めることによって、通常では不可能なことを言うことができる。通常では、ナンセンス、支離滅裂、分裂した声、破綻した言葉のように聞かれてしまうかもしれないものたちが、一つの歌となるときに、〈不可能な声〉を聞かせてくれる。どうして〈不可能な声〉を使ってまで〈君とわれ〉を視野に収めたのだろうか、という問いから先は読者に任せた。
わたしたちに不可能な声が聞こえてくるとき。
「それは眼球めだまと金魚を買った」
「穴がわたしの代わりに泣くの」
「はるまきがみんなほどけてゆく夜」
「僕が一致してない」
「機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」
「振り下ろすべき暴力」
「着陸はない 着陸はない」
「ふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ」
「まだ揺れている」
どんな声でも「あるかも」と思えるように解釈することができるのだとして、わたしたちはどんな声でも、なんであれ聞いてきたのではない。いくつかの不可能な声を聞いてきた。
「不可能な短歌の運命」を予告しつつ、あらかじめそれを過去のものにするために。不可能なものの失敗がそれを過去へと葬ったあとで、そのナンセンスな想起が不可能なものを橋やベランダとして利用できるようにするために。
/平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
2年前に僕はこんなことを書いていた。短歌を書くことも、文章を書くことも、僕にはほとんど不可能なことだった。なにが不可能だったのか。
分母にいれるわたしたちの発達、
くまがどれだけ昼寝しても許されるようなわたしたちの発達、
しかも寄道していてシャンデリア。
青空はわけあたえられたばかりの真新しくてあたたかな船。
卵にゆでたまご以外の運命が許されなくなって以来わたしたちは発達。
教科書ばかり読んでいたのでちっとも気のきいたことを言えなくてごめんなさい。
まったく世界中でわたしたちを愛してくれるのはあなただけね。
ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのにさ。
〔…〕
/瀬戸夏子「すべてが可能なわたしの家で」(連作5首目より、一部抜粋)
ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのに、ベランダから生きてもどろうとしていた。それが僕の抱えていた不可能なことだった。
*注1
穂村弘「〔…〕。それでたとえばフィギュアスケートだったら、スケート観よりも実際に五回転できるってことがすごいわけだけど、短歌においては東直子とかが五回転できて、斉藤斎藤が「いや、俺は跳びませんから」みたいな(笑)、「俺のスケートは跳ばないスケートですから」みたいなさ。僕は体質的には、本当は自分が八回転くらいできることを夢見る、跳べるってことに憧れが強いタイプでね、だから東直子を絶賛するし、大滝和子もそうだし、つばさを持った人たちへの憧れがとくに強い。だからある時期まで女性のその、現に跳べる、そしてなぜ跳べたのか本人はわからない、いまわたし何回跳びました? みたいな(笑)、「数えろよ、なんで僕が数えてそのすごさを説明しなきゃいけないんだよ」みたいな、そういうのがあった。」
座談会「境界線上の現代短歌──次世代からの反撃」(荻原裕幸、穂村弘、ひぐらしひなつ、佐藤りえ)、『短歌ヴァーサス』第11号、112頁
*注2
柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』では、ト書きの比較的初期の用例として1753年に上演された並木正三『幼稚子敵討』の脚本から引用している。参考までに、以下に孫引きしておく。
大橋「そんなら皆様みなさん、行ゆくぞへ。」
伝兵「サア、おじゃいのふ。」
ト大橋、伝兵衛、廓の者皆々這入る。
…… ……
宮蔵「お身は傾城けいせいを、ヱヽ、詮議せんぎさっしゃれ。」
新左「ヱヽ、詮議せんぎ致して見せう。」
宮蔵「せいよ。」
新左「して見せう。」
ト詰合つめあふ。向ふ。ぱたぱた と太刀音たちおとして、お初抜刀ぬきがたなにて出る。
『日本古典文学体系53』岩波書店、1960年、112頁
本文で言及できなかったが、ト書き文体と口語短歌について考えるなら、吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座、2019年)を参照されたい。
【主要参考文献】
・短歌
内山昌太『窓、その他』(六花書林、2012年)
大森静佳『てのひらを燃やす』(角川書店、2013年)
大森静佳『カミーユ』(書肆侃侃房、2018年)
木下龍也『つむじ風、ここにあります』(書肆侃侃房、2013年)
木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』(書肆侃侃房、2016年)
斉藤斎藤『渡辺のわたし 新装版』(港の人、2016年/booknets、2004年)
笹井宏之『てんとろり』(書肆侃侃房、2011年)
瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』(私家版歌集、2012年)
塚本邦雄「反・反歌」(『塚本邦雄全集』第八巻、ゆまに書房、1999年)(初出は『短歌』昭和42年9月号、『定型幻視論』に所収)
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』(港の人、2013年)
東直子『青卵』(ちくま文庫、2019年/本阿弥書店、2001年)
平岡直子 連作「水に寝癖」(『歌壇』2018年11月号)
平岡直子 連作「紙吹雪」(『短歌研究』2020年1月号)
山中千瀬『蔦と蜂蜜』(2019年)
同人誌『率』9号(2015年11月23日)
同人誌『外出』二号(2019年11月23日)
同人誌『外出』三号(2020年5月5日)
『短歌ヴァーサス』第11号(風媒社、2007年)
・その他書籍
石川九楊『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫、2015年)
沖森卓也『日本語全史』(ちくま新書、2017年)
カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論 破壊的可塑性についての試論』(鈴木智之訳、法政大学出版局、2020年)
小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」(『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、河出書房新社、2020年)
小松英雄『古典再入門 『土佐日記』を入りぐちにして』(笠間書院、2006年)
ジャック・デリダ『盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟』(鵜飼哲訳、みすず書房、1998年)
柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』(法政大学出版局、2004年)
・ネット記事
伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』 」
佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」
平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
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梅子ちゃんと優くん
シッティング初めましては梅子ちゃん(キジトラ)と優くん(ハチワレ)の2匹の猫ちゃん😸
どちらも保護猫さんです!!
打ち合わせの時点では梅ちゃんは私に興味を持ってくれて近づいてきてくれましたがちょっと距離はありました。
優くんは警戒バリバリでキャットタワーからずっと私を眺めていました😅
シッティング当日は飼主さんがもちろんご不在なのでどんな反応になるかなと思いながら訪問しました。
そっと玄関を開けるとやはり警戒されて部屋の奥へ💦💦優くんにはキャットタワーから「シャー」と言われてしまい、梅ちゃんはテーブルの下へ。。。😨
ただ、その間にごはんの準備やトイレのチェックをしていると徐々に警戒が薄れてきたのかまずは私のカバンチェックをしに来る2匹😸
私のカバン、何故かみんなチェックをしていきます😄今回は背面がすごく気に入ったようで梅ちゃんも優くんも体をスリスリ、黒いカバンは一気に真っ白です🤣
そこからはごはんもあってから徐々に距離が縮まって撫でさせてくれるようになりました🙌
優くんはマタタビボールで遊んだら一気に甘々モードへ💗梅ちゃんはちゅーる欲しさに寄って来てくれました😊
※ちなみに優くんはちゅーるの味のこだわりがあり海鮮ミックスが一番のお気に入りそれ以外はあまり反応なしでした😲優くんが食べなかった分は梅ちゃんがしっかりと完食😋
優くんのシャーからの甘々はたまりません💕梅ちゃんも徐々に撫でさせてくれたりして慣れてくれました!!
オモチャでも遊んでくれるようになりいつまでも居たいと思いながらシッティングを終了しました😊
飼主さんからは他の人でこんなに甘々モードは初めてです!と言って頂けてすごく嬉しかったです🎶
今後も出張なども多くなるのでまたご依頼したいですと言ってもらえたのでまた梅ちゃんと優くんに会えるのを楽しみにしたいと思います!!
↑魔法🧙のカバンは大活躍🤣
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see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
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動きはじめる身体のために
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かつて、世界は今よりずっと、見通せるものだった。だだっ広く広がる土地には、はるか遠くに、水や地面の終着する線だけが見える。教科書で習った知識に基づけば、その線の向こうは、きっと地球が球体であるから見えないのだろうし、はるか遠くの地面の小さな凹凸がまるで気にならないのは、われわれの視力が、そこまで鋭敏ではないからだろう。それから長いときが経って、世界の多くは、細かく細かく分割され、整備された。そこで暮らす人間の分だけ家ができ、彼らが快く暮らせるように、数多くの機能を持つ構築物が生まれた。川の向こうに難なく渡れるようにもなり、地面から離れた場所に上っていく経験を簡単に得られるようにもなった。辿り着ける場所が広がるにつれ、街は見通せなくなっていった。身体の自由はおそらく増えた。人は、かつての人が、一生のうちに移動していた距離をずっと超えて、想像できたよりもずっと突飛な場所に、行けるようになっただろう。そうして、目は、随分と近くを見るようになった。構築物が周囲全方位から眺められるということは、ほとんどなくなったし、見えないくらい遠いものに出会うことも少なくなっていった。目は、多くの制限を受けるようになったとも言えるし、目のための足掛かりが、この世にたくさん作られたとも言えるだろう。
意識を持ち、自分の身体が自分のものだと気づき、概ね自由に動かせることも把握したとき、人は、世界が自分の身体とは関係なくただ周りにあるのだ、ということをすでにわかりはじめている。さて、どこまで関係なく、しれっと存在しているものなのだろうか、なにせ私たちは、この地面に支えられているのだ、この壁のせいで向こうが見えないのだ、この窓のお陰で陽を浴びるのだ。身体と世界の関係、と言ってしまうと随分と大げさな響きだけれど、身体と身の周りのもの、自分の扱う範囲で言えば、身体と建築の間にある緊密な関係、そこに興味のすべてがあった。身体が動けば、見えているものは変わる��乗り物の動きに合わせて、車窓から見える風景が後方に滑っていくのと同じように、世界は、建築空間は、私の身体の動きと逆方向にぬるりと動いていく。そしてその身体の可動範囲は、建築によって定められている。床がなければ進めやしない。建築は、人の身体の位置を規定しながら、人の視覚の中に動きとして立ち現れるのだ。そして、足掛かりのたくさんあるこの世の中で、視覚は身体よりも、遠くまで届く。建築空間は、動きはじめる身体のためにあった。そして、動かずに建築を訪れる、ということはできない。
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leaf throughという言葉を、タイトルに掲げてみることとした。自分の思う建築体験を、的確に表していると考えたからだ。〈(本の)ページをめくる、ぱらぱらと繰る〉というこの言葉には、フリップブック、いわゆるパラパラ漫画についての記述を読んでいたときに、ふいに出くわした。『観察者の行方−ポスター、絵本、ストーリー・マンガ』(鈴木雅雄) の中に出てくるその記述は、映画と同時代、19世紀末以降に流行・定着したこの装置を取り上げて、” 単純と言えばこの上なく単純なこの遊具が、映画の時代にそれと並行して存続し、今にいたるまで命脈を保ってきたという事実には、何か感動的なものがある。それは映画の代理ではなく、自らが出来事を作り出しているとともに、その出来事が自らとは切り離されたものとして現象してしまうというあの矛盾した体験−動いてしまうイメージという体験−を、何度でも生成させるためにこそ要請された装置ではなかっただろうか。” と、装置のもつ〈運動を自ら操作する〉という側面に重心を置いたものである。ここに続く記述は、女性が衣服を脱いでいくようなポルノグラフィックなフリップブックが多数存在することを取り上げ、単に〈彼女〉が服を脱ぐだけでなく、〈私〉がその出来事を作り出すということに対する、危うい欲望に触れている。“ 私は出来事を作り出し、そのスピードを操作することさえできる。思いのままに出来事を止めて、気に入ったポーズに見入ることすら自由なのだ。それは単に運動への欲望ではなく、動かすことができ、また止めることもできるという驚異への欲望である。”
この危うい欲望は、建築空間を体験するわれわれの快楽そのものだ。ある空間は私たちを、機能や好奇心などの要請により、その先へと歩かせる。そのとき私たちは、身体の動きと逆方向にぬるりと動きながら、徐々に展開していく建築空間に直面するわけだが、足を早めればそのスピードは上がり、のろのろと歩けば緩やかになる。また、ぴたりとその動きを止め、もと来た道を引き返し、それ以上知らずに帰ることもできる。さすがに、ばっとページを開くように、ランダムなあるシーンだけを不意に知るということは、実空間には難しいが−ただ、建築写真などで、不意に知ってしまうこともある断片的なシーン同士の繋がりを、実際に流れで見てみないと全貌は知り得ない、という点は、また似ている。知ってしまっても、何度でも、もう一度見ることができる。先ほどとはまた違う速度で。少し違う角度で。建築空間は、視点の埋め込まれていないフリップブックだ。対象を観る目の角度は、鑑賞者が選ぶことができる。場合によっては別の順番で観ることもできるし、〈私〉と同時に、横に並んで入った〈あなた〉の目に展開する建築空間は、また少しだけ角度の違うものになるはずであるし。
建築は時間芸術ではないというのは自明すぎる命題だが、映画や音楽と比較するとそうなのだ、と言えるだけであり、実際には、流れていく時間と切り離して語ることはできない。鑑賞する目、もちろん目に限らず、空間を知覚する身体は、その身体能力によって制限を受けている。フリップブックをめくる速度がどんなに自由だと言えども、実在する紙である以上そこには限界があるように、空間を体験するわれわれの身体には、歩く速度、走る速度、見える角度や視野などの限界がずっとつきまとっている。動いていく身体とともに、ある程度規定された見えが移り変わっていく、という当然の事実を、あらゆる建築物に当てはめてみるところから、リサーチを始めた。
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〈第一の部材としての身体〉と名付けた1つめのリサーチは、物質として立ち現れ、この世に確固とした存在感を放っている建築物と、それをふらりと訪れる〈私〉の身体の位置関係を記述したものである。空間は、〈私〉以外のものとして体験することはできないために、このリサーチはかなり主観的な性格を帯びるはずだが、〈私〉がごくごく一般的な〈人間〉の形をしている以上、記述されている図は一般化できるものになる。図はすべて〈鑑賞者の身体の位置を含んだ空間構成のコンポジション〉だと言い換えられる。そして、コンポジションの問題として扱うと、広大な地平線から展示室に置かれた椅子までを、身体との位置関係で見え隠れするものとして並列に考えることができる。こうして、furniture・architecture・landscape・earthという4つの区分で、今までに訪れた建築における空間体験を記述していった。
リサーチは、ひどく単純なところから始まる。初期のいくつかの図版が示すものは、ドイツ・ケルンにある教会Bruder-Klaus-Feldkapelle、スリランカの名作ホテルLunuganga、ドイツ・ミュンスターの中心街にあるLWL-Museum für Kunst und Kulturなどに通じる、身体の動きと共に移り変わるシークエンスである。ここでは、自由に歩く鑑賞者に委ねられていると言えるはずの建築空間の体験が、外部からの要請によって生まれる〈人間〉一般の常識的な動きによって、思いのほか画一化されていることが見いだせる。例えば、広大な広場の上に道が1本あれば人はその上を歩くし、ホテルに到着し荷物を置いて腰掛けるとき、身体の向きはベンチに影響される。階段を後ろ向きで上ることもないし、空間の幅によって見通せるものは定まる。図面には身体に対して持っている強制力があること、やさしい言葉を使えばエスコートの意図が張り巡らされていることを再確認することができる。
この動きと連動した視界の変化は、アサヒビール大山崎山荘美術館の下り階段や、Boa Nova tea-houseのエントランスのように〈徐々に視界が閉じていく/開けていく〉など、人間を包み込む空間全体に影響する使われ方をすることもあれば、Tomba Brionの、手前の飾りと奥のスリットのように〈観る位置によって揃って/ずれて見えてくる〉ことで、身体の位置により細かな影響を及ぼすこともある。また、Church in Marco de Canavezesの祭壇の向こう側の〈観る位置にかかわらず見えない〉空間を構成する角や目地などのように、視線の届く範囲を制御することによって、建築物側を知り尽くせないものとして保つ、ということもあり得る。
身体の位置をさりげなく/強制的に定める建築物によって作られるのは、建築空間の立体的な造形に対する〈観察者の位置〉である。動きを伴う場合、移動していく〈観察者の位置〉は、空間を動くカメラワークの動線のようなものであった。続いては、この動線の中で、人がふと足を止めるような場面を想定するときについて考えてみる。もっともわかりやすく極端な例は、Villa Malaparteだ。この作者不詳のヴィラは、Jean-Luc Godardの映画に登場したこともあり名が知れており、容易に場所を知ることもできるが、敷地に向かう道は途中で、扉と有刺鉄線により閉ざされている。恐らく数多の人間がここまで来たのだろうという証拠に、インターネット上にはその扉の前から撮影された、一定の角度のVilla Malaparteの写真が並ぶ。ここでは、立ち入り禁止という強制力によって外観を見るための〈観察者の位置〉が限定され、逆説的にその建築を代表する外観のショットが決定されている。
多くの建築物においては、Villa Malaparteの例のような動線の行き詰まりとは無関係に、立体的な造形に対する気持ちのいい見えというものが存在する。これは、建築のファーストイメージが描かれたドローイングのように、設計者によって意図される場合もあるだろうし、偶然生まれる場合もあるだろう。また、外側から建築本体に向かう視線ではなく、景色を観る外側への視点場として設定される場合もある。いずれにせよ、つい足を止めて眺めてしまったり、カメラを取り出したくなるような場面についての話である。リサーチの図版を見ていくと、建築物のもつ象徴的な見えというものが、その建築のもつ平面・立面・断面形状という独立した形の問題である以上に、どこから眺め得ることができるか、というその土地の制限に関わる〈観察者の位置〉の問題であることが浮かび上がってくる。
例えば、スイスの山奥に建つCappella Santa Maria degli Angeliでは、山を登り入り口までまわり込んでいく道の途中で、山頂に突き刺さるような教会全貌の造形を真横から眺めやることができる。建築家、Mario Bottaがどんなにこの見えに拘り完璧な立面造形を作り上げたとしても、この道がなければこの見えに到達するものはいなくなるのだ。もう少し偶然に近いもので言えば、FirminyにあるUnitéd’Habitationの台形形状の列柱が挙げられる。この柱と柱が重なる見えは、三角形の空隙を作り出す。この空隙に丘の上で遊ぶ子供がボールを追って入り込んでくると、この三角形は、ユーモラスな光景を再生し出す窓として機能し始める。また、見通せたり覗き見たりできることばかりではない。パリの都市部に建つTafanel Logistics Hub and Officesは、長く長く続く三角形の連続屋根が特徴であるが、あまりの長さと都市部の道の狭さにより、どんなに身体を目一杯引いたとしても全貌を視界に収めることはできない。
このような事例から、建築において重要な問題は〈どのような形が存在するか〉ではなく、〈どのような形に対し、どの位置に立つことができるか〉であることが実感される。そしてこの先、空間を移動するカメラワークのような動いていく身体、また不意に足を止めシャッターを切るような静止する身体が、純粋なビデオ・カメラではなく、われわれの身体、曖昧な知覚を持つ〈人体〉であることが問題になっていく。
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形と身体の位置の書き出しは、観る位置と角度の問題にとどまらない。このリサーチが単純なコンポジション以上の問題を含み得ることに一番初めに気がついたのは、ブリュッセルの町外れにあるKersten Geers David Van SeverenのDrying Hallに、車で近づいたときの体感である。この建築物は出荷前の植物を24時間乾燥させるための風通しのいい倉庫であり、白く閉ざされたような外観をしている。この倉庫の周囲をぐるりと周って内部に車のまま入り込み、内側の壁全面から外の景色を透かし見ることができた瞬間、一体どうして、と息を飲んだことを覚えている。知ってしまった今では単純な話であるが、風通しのために倉庫の壁は小さな穴が無数に空いた素材でできていて、走る車の中からは確認できなかったが、車を降りて近づけば、光が差し込む方に透けている理由も端的に理解できるというわけだ。
ここで、建築物からの身体の拘束方法に〈乗り物〉という可能性が足されると共に、〈視力〉という〈観察者の位置〉よりも、一歩人体側に踏み込んだ要因が取り上げられた。Azkuna Zentroaの多様なデザインの柱にひとつずつ近づいてみたくなってしまうことや、Insel Hombroich Museumの異様に遠く美術館本体がなかなか見えてこないアプローチも、視力と造形の問題になるのだろう。そして、視力の問題が細かいデザインに用いられているのが、集合住宅OFFICE 131の屋上にある柵である。この柵は、細い縦部材と少し太い横の部材で構成されており、その端部はすぱっと断ち落とされたような状態になっている。地上階から眺めるしかない住人以外の人々にとって、断ち落とされた柵は、密接する隣家の壁に接続しているように見えるのである。
また、Grundtvigs Kirkeの美しい全体造形が、近づいていくほどに異様なレンガのディテールとして現前することも、無関係ではないだろう。このとき〈観察者の位置〉が変わることによって起こるのは、単に見えていなかった細かい部分が見える/見えなくなる、ということ以上の、見え方の変化である。漠然とした空間の形、が、積み方のわかる煉瓦の集積へと瓦解していくこと。見る距離と視力によって変化するのは、空間から捉えられる意味の総量でもあるのである。〈見る距離と視力によって、空間から捉えられる意味の総量が変化する〉ここから派生していくのは、人間は見たものの意味を読み取る、という、目が紐づいている身体を含めた側面と、人間の視覚と距離の関係、視覚自体の性能という側面である。
前者は、建築のボキャブラリーとしてしばしば登場する。人は何かを見た瞬間にその対象を自動的に理解しようとする。自分の周囲で起きていることや、視界に入り始めたことを、秩序立て理解できるものに変換する。その精度は必ずしも正確なわけではないために、一瞬で受けた印象が実空間とは異なるものとなり、続けて体験する空間から意外な印象を受ける、というようなことも起きる。ここでの好例は、富山にあるミュゼふくおかカメラ館と、イタリアの海岸沿いに建つOscar Niemeyer Auditoriumである。円筒形がパッと目につくミュゼふくおかカメラ館は、その内部形状も同時に想像されてしまうような、明快な佇まいをしている。しかし、エントランスから内部に入ったときに見えるものは、想像していた円筒の内部ではなく、あるはずのない奥行き方向に伸びていく空間と中庭である。Oscar Niemeyer Auditoriumにおいても似たようなことが起きている。外観で特徴的なアーチ型の形状は、奥に見えるホールの空間の硝子に近づき沿っているように見える。しかし、裏手に周りそのアーチのなかに入り込ん��とき、思いのほか広いその隙間から不意に海を見渡し、私たちは立ちすくむ。
一瞬で受けてしまう初期の印象、は、部材や素材の話と接続することもある。スイス、Plantahof Auditoriumの建築全体を支えているような部分。大阪に建つ住宅Tritonの、一見すると分厚い石に見えるファサード。空間体験ではっと立ちすくむこととはまた別の、意味により絡め取られるような足止めも、建築には起こり得る。
そして後者、人間の視覚と距離の関係は、意図的に設計へと活かされるというよりも、自然の摂理として起きていることだと考えられるが、顕著に現れているものとしては、パリに建つCinémathèque française、また、ローマ近郊の都市EURにあるPalazzo della CiviltàItalianaのことが思い出される。
Cinémathèque françaiseでは、大小さまざまな造形を施された搭状の空間が上に伸びており、それらを地上階から眺めやる天窓が作られている。この天窓から見える上の部分は、ほとんど垂直に建っているはずのものでありながら、中心部に向かって、ぎゅうと密集しているように見えてくる。遠くのものは小さく、近くのものは大きく見える。また、これは聞いた話だが、Hagia Sophiaの大空間の内部では、同時に視界に入る、人間の近くまで吊り下がる照明と遠い天井の動きの差異を観ることで、遠すぎる天井への妙な実感が湧くという。距離と大きさの問題は、距離と移動速度の問題でもある。
Palazzo della CiviltàItalianaで扱えるのは、距離と立体感の問題である。近づいてもかなり抽象的な造形を持つ建築物だが、不気味なまでの存在感を発揮するのは、都市を横断する道路沿いに遠く遠く離れたときである。道路の中心に見えるこの建築は、決してよれない紙をぺらりと置いたような、平面的で硬質な様相を帯びている。マッシブな造形が紙に姿を変えてしまうというのは一体どういうことなのか、を考えていくと『観察者の系譜−視覚空間の変容とモダニティ』(Jonathan Crary)、及び『造形芸術における形の問題』(Adolf von Hildebrand)のなかで度々触れられている、目と視覚対象の距離の問題まで遡ることができるだろう。
以上、建築と建築を観る身体の位置、というシンプルな記述方法から、観る位置、順番、角度、距離に留まらない、視力、見立て、判断、遠近法、移動速度、触知的な視覚と遠隔像、などという、さまざまな視覚の問題が立ち上がった。これは建築の、身体と世界の間に建つ触媒のような側面に着目して設計を行うための試論に向かう、足掛かりである。
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リサーチ〈第一の部材としての身体〉で触れてきたのは、既に存在する建築物を注意深く観るための技法であった。つまりここでは、物質の実際の建て方を扱う設計者という立場以前に、観察者としての立場に立って調査をしていると言える。また、建築物は原則として実際の世界に建つものであるし、調査方法も〈実在のものを/実体験をもとに〉と限定していることから、ここまでで提示されているのは、自然の摂理に即した、ありのままの世界で起きている現象である。
観察から立ち現れる建築とはなんであるか。設計、という行為は、まだそこにないものの組み立てを定めることだと言える。そして、まだそこにないものを作り出すとき建築家は、その敷地と、そこに作られるであろうものに対する0人目の観察者であると捉えられる。いかになにもない敷地だとしても、現実の世界である以上は、完全になにもないということはない。建築を建てるということは、敷地と敷地の周囲に既にあるものを観察し、その中心にある空白に、身体と目を制限するような場を増やしていくことに他ならない。
ここで着目し始めたものが、映画、小説、漫画、アニメーションなどの〈なにもないところから世界を立ち上げる〉視覚文化の表現技法である。
なにもないところから始まる表現芸術において、描かれないものは存在しない。このとき古くから人は、現実に存在するものをいかに正確に書き写しとるか、ということに拘ってきた。表現芸術の発展の歴史をすべて追っていくにはあまりに力不足なのだが、例えば、カメラ・オブスキュラに関するJonathan Craryの記述、 ”視覚的=光学的基盤を理解していた者にとっては、この器具は、完全に透明に働いて、再現=表象(リプレゼンテーション)の光景を提供してくれるものだったし、原理に無知な者にとっては、それは幻覚=幻像(イリュージョン)の快楽を与えてくれるものであった。” これだけを見ても、現実世界の表象を取り出し切り離して観てみること、に価値が与えられていたことは明らかである。また、有名すぎる話だが、Eadweard Muybridgeの撮影した写真から、人々が走る馬の正確な形を初めて知ることができたことなども、身の周りの物事は技術の発展とともに徐々に把握されはじめ、真実に近づいていった、という流れが感じられる代表例だろう。
しかし、物語世界−必ずしも、物語(ストーリー)を伴うわけではない、作品世界−を作り上げようという欲望は、そのように現実の写しとしての精度を上げていくことだけに執着した訳ではなかった。ここから、現実を再現=表象するだけにとどまらない幻覚=幻像への欲望、正確さを欠いていたとしても魅力的な架空の世界を描き出すこと、への舵取りが始まる。この方向性の先には、3DCGなどを駆使したあたかも実在するような虚構を描き出す道も想像されるが、ここで注目していきたいのはそういった〈過保護〉な表現ではなく、観察者である受け手本人の身体に補われることによって完成する、物語世界の表現手法である。
例えば、建築に近しいものでいうと、現代アニメーションには、遠近法やイラストレーションに馴染んでいる私たちであれば容易に空間を認識することができる、簡潔な表現が多数見受けられる。なにもない場所、奥行きも動きもない場所に空間性を描き出すようなアニメーションの試みに関しては、( http://okuizumi-risako.tumblr.com/post/175221555384/奥行きなき世界の奥行き) にまとめている。また、フレームを固定し、その内部に描かれるキャラクターの大きさが変わることによって、キャラクターが接近していると思わせる漫画表現や、登場人物の顔が画面に近づくにつれ、睫毛など顔を構成する部分が仔細に描かれるゲームやアニメによく見られる手法などからも、現実の世界の見えを紙面や画面の中で再現=表象し、より効果的に感情を喚起させるような工夫を感じられる。また、より普遍的な、ふきだしやテロップ、ワイプなども、見慣れているから疑問を感じないというだけで、かなり独創的な、声や別空間の表象方法の確立であると見ることもできるだろう。これらに共通するのは、鑑賞する身体が、その表現物が前提とする規則をきちんと理解し、必要に応じて現実から関連項目を引き出し重ね合わせてくれるだろう、という、観察者の身体への素朴な信頼である。
忘れてはならない前提は、多くの視覚芸術が前提としている観察者の目の動きは、さほど自由で多岐に渡るものではないということである。観る距離によって像を正確に結ぶ絵画や、観る位置の差異により像を切り替えるレンチキュラーなど、わずかな身体の微動をその想定に含むものはあるが、基本的に視覚芸術は、動かずに対象を見つめる身体のことを、鑑賞者と呼んでいる。これは〈動かずにはいられない〉建築の鑑賞者とは大きく異なる。そのため、視覚芸術の中から見つかった技法は〈物語世界で自由に動くことのできない〉鑑賞者が〈実在しない〉虚構を見出していくこと、つまり、こう描かれたものはこう見えるはずだ、という視覚の仕組みの側からの逆引きにより、虚構の世界が構築されていくというわけだ。このとき、人間の身体こそが、見知った現実世界の情報を適度に虚構世界に照射して、描かれた世界を立ち上げていくための装置となっている。
よって、視覚芸術を観る身体と、表現されている虚構のバリエーションを見ていくことは、人間の知能の中で行われる処理の構造を知ることに繋がる。しかし、ここで建築との大きな差異として立ち現れるのは、観ている身体が動かない、ということだけではなく、観ている身体が、その身体が誰であれその鑑賞がいつであれ、ある一つの点/シーンごとに切り替わる一つの視点に固定されているということである。映画館の座席は、その位置によって異なる鑑賞体験を期待させるものではない。受け手の性格・感情・その日の気分など不確定な要素が鑑賞体験に影響を及ぼすことや、ある一つの作品が人によって異なる受け取られ方をすることはあれど、視点の位置は固定されているのだ。それにより起こるのは安全圏にいる鑑賞者の特権化であり、それ以前に立ちはだかる作者の特権化でもある。鑑賞者は与えられるままに、安全な場所から目の前で起こることを享受し、飽きたら消してしまうということができるし、作品に目を留めている以上は、その目の位置を定めているのは作者である。
さて、建築の場合も、ある程度の身体の位置は設計者により定められており、その範囲の中で鑑賞者は自由に動き回ることができた。このことだけを考えると、あらゆる視覚芸術と比べて、建築はもっとも自由で能動的なものであると言えるような気がしてくる。けれども実際には〈鑑賞物〉と対象を括った時点で、私の身体とは無関係な鑑賞対象、見る−見られるという二項の向こう側に対象を当てはめてしまうものであり、身に迫る鑑賞、自分の身体にまで影響を与えてくる鑑賞というものは難しい。
もっと言えば、建築は〈鑑賞物〉として享受されているのだろうか、という疑問すら湧く。建築を観る、という意識は、本来建築を観に行くのが好きな人だけが使う言葉だ。一般的に建築というのは、生活のために必要で、機能に合わせてその場の雰囲気に寄与することもある〈道具〉であると捉えるのが妥当だろう。あるいは、広義の建築…屋外広場や、東屋の屋根、そのような漠然とした建物未満のものも含めて考えると、建築というのは床があり、そこに立つことができ、ときに屋根や壁があって風や雨から身が守られる、というような、生まれたときから親しんでいる世界そのものと同じ見えをしている、というべきかもしれない。いずれにせよ、建築を観はじめた、建築を観終わった、などという判断を下すことは、実生活においてほとんどないものだと考えた方がいいのだろう。建築は〈世界〉と〈生活〉のあいだで透明化している。
以上のことから、鑑賞している身体とその鑑賞物(あるいは、身体とその視界に入っている物)は、それが実空間にせよ物語世界にせよ、その関わりが意識されにくいものだと言える。鑑賞物は、人間の知覚能力に半分乗り上げるようにして立ち現れているというのに。
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ここから、視覚文化に対するリサーチは、漠然とした鑑賞者に対する工夫を集めるものから、無自覚のうちに、観る側、という立場に安堵しきった鑑賞者を揺さぶる可能性のある表現を探る試みへと変わった。その取っかかりとなった、安全圏を脅かされることに関するテキストは( http://okuizumi-risako.tumblr.com/post/175562702374/観客の安全圏) であり、ここでは、パフォーマンスアートのように見られる身体が現前する例からはじめ、どちらかというと映像の中のものごとを自分ごととして受け取れるような、感情移入に近い問題を扱っている。ただ、感情移入の問題は〈現前する事象が自分のいる世界線とは切り離されている〉という前提のもとに、それでも入り込んでしまうものとして有効なのである。目の前の現象も、全て現実の出来事であるのが当たり前である建築の場合、この話はあまり有効だとは言えない。
ここで思い出しておきたいのは、”〈私〉と同時に、横に並んで入った〈あなた〉の目に展開する建築空間は、また少しだけ角度の違うものになるはずである” という、この文章の序盤で確認をした事実である。建築において特筆すべきことは、その空間を体験しているのはあなたひとりではなく、同時に体験しているいくつもの身体があるこ��。そして、その身体たちにはそれぞれ、空間を立ち現せる知覚の能力があり、その身体は別々の角度から空間に対面しているということである。
視覚文化のうち、鑑賞者に影響を及ぼすような表現を探っていくと、このような、異なる水準に属する人・物たちがその階層を明らかにするような表現に出会うことがある。例えば、クロアチアの現代アニメーション作家による『Technement』では、SFのようなテイストで描かれた登場人物たちが物語を進めていくのだが、最後のシーンで不意に、鳥のような女性のようなかたちをしたキャラクターが、画面に向けて手を広げ、画面(あるいは、光景を記録していたカメラ)を覆い隠す、という出来事が起こる。そのとき私たちが直面するのは、油断しきって画面を見つめていた自分の存在が、登場人物たちにずっと前から勘付かれていたかのような気まずさであるが、これは、画面のなかの登場人物たちに、私たちと同等の知覚の能力を認める瞬間、ということでもある。私たちの娯楽のために、台詞や振る舞いを徹底し、物語を遂行しているかのように見えた身体が、〈知覚する身体〉であったことを知る、という話である。
このような、作品世界の側が、その作品を成り立たせる仕組み自体に自覚的になるような表現は、小説の1ジャンルとして始まったメタフィクションや、自己言及型芸術などと呼ばれるジャンルに属している。
鑑賞している自分以外の身体に知覚能力を認めること、作品世界を閉じたものとして捉えずに、鑑賞者の世界と地続きのものとして扱うこと。それを意識したときから、こうした工夫のある作品を収集し、建築の問題と関係して考える可能性を検討し始めた。今までに述べたような、鑑賞者の目への映り方に自覚的な表現であり、複数の階層の知覚する身体を扱っている、ということに加えて、多くの自己言及型芸術が、普段は見えていない仕組みを可視化してしまう工夫である、という点も可能性を見出した理由である。
例えば、先ほど取り上げたアニメーション『Technement』においては、独立しているように見えた作品世界を覗き込んでいたカメラが、最後に姿を現した、と考えることもできる。アニメーション『カモにされたカモ〈Duck Amuck〉』、Lucio Fontanaによる『空間概念 〈Concetto spaziale〉』、手塚治虫の『ビッグX』などの例を通すと、このイメージをより明確に伝えることができるだろう。これらの作品の当該の場面において作品は、キャラクターの動きや、色彩や、表情や意味内容から、鑑賞者の気を逸らせるような要素を持っている。『カモにされたカモ〈Duck Amuck〉』におけるその場面は、画面の中でユーモラスに動きながら台詞を言っていたダフィーダックが、その身体が描かれたフィルムごと上にずれ込んでいってしまうというものであり、『ビッグX』においては、漫画のキャラクターが作者・手塚治虫に、気を失ったキャラクターの目を開かせるよう懇願し、作者のペンが登場してそれを描き直す、という表現である。また、『空間概念 〈Concetto spaziale〉』は、絵画であるため性格は異なるが、絵画において前提となっているキャンバスそれ自体を切り裂く、という革新的なシリーズを指す。ここで一般的に鑑賞対象とされている〈内容〉と呼ばれるような要素から、私たちの意識が移る先は、動きを生み出しているフィルム・漫画を描いている作者・前提となっているキャンバスであり、これらは普段、アニメーションや漫画、絵画などを鑑賞するときには、ジャンルを成り立たせる〈形式〉として、透明化されているものだと言える。
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建築は〈世界〉と〈生活〉のあいだで透明化している、と先ほど記述した。ここで、他の芸術における〈形式〉/〈内容〉と、建築におけるそれを比べてみると、建築において〈形式〉は生まれたときから親しんでいる世界そのものであり、〈内容〉は生活のために必要で、機能に合わせてその場の雰囲気に寄与することもある道具的な側面である、と当てはめて考えることができる。
あらゆる形式をもつ芸術において、メタフィクションは、前提を盲目的に信頼する我々を軽やかに欺く態度、あるいは、形式すらも物ともしない果敢な表現である。ただ、その形式が世界そのものと一致する存在であった場合− その形式にまとわりつく制約が、紙の大きさでも、ビデオテープの録画可能時間でも、美術館の搬入口の大きさでもなく、この世界の重力や光や影、風が吹くことや、雨が空から降ること、それから使い慣れたこの身体のことであった場合− メタフィクションは、生活に塗れ透明化している都市を、空間を、もう一度見つめるための表現となる、と、言い切ってみることもできるだろう。
建築における透明さ、〈形式〉としての透明さは、他の芸術と同じく、そこにあることが前提となりあえて気にする必要がない物事のことだ。その代表格として、1つめのリサーチで述べていたような、次々と露わになる視覚の問題、身体にかかっている制約、また、知識や経験があるからこそ自動的にできてしまう判断などの、鑑賞する〈私〉自身の身体の性能があるのである。そして、もう一つ意識から消えているものは、慣れ親しんだ自然の摂理そのものだと言えるだろう。透明化しているそれら二つの要素は、冒頭で掲げたフリップブックと建築の、数少ない相違点でもあると言えよう。
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以上のことを踏まえて、リサーチ〈第一の部材としての身体〉と視覚文化についてのリサーチをベースに、実空間の中で、各人物が固有に持っている知覚が、不意に隣接したり遠く離れたりするようなことを起こし得る設計の技法を探っていく。つまり、視覚文化のリサーチを建築にそのまま転用するのではなく、透明さを可視化する表現として参考にした上で、あくまでも現実世界での現象を基準に考え、複数の階層の接し方・離れ方の図式としての転用可能性を検討する、ということである。
設計には2つのフェーズがあり、2つめのフェーズは、現在ようやく手法が定まったという状態である。まずは、1つめのフェーズ、都市の中で透明化しているものを見出すことや、複数の〈知覚する身体〉の関係を描き出すことに着目し、具体的な敷地を設定して行った4つの設計の実験について記していく。
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敷地は具体的な場所である必要があった。なぜならこの制作は、現実世界に建つ〈建築〉の問題を扱うものであるからだ。メタフィクションは、鑑賞者と作者の間にフィクションをまず描きだし、それを共有してから始まるものである。この制作において、作者の頭の中で作られた敷地や抽象的な敷地から考え始めてしまっては、他の作品世界のメタフィクションのコピーとなってしまい〈建築〉を考えることにはならない。
よって、フェーズ1の設計はすべて、都市の中に既に存在する公共空間や空き地を足がかりに行なわれるものとなった。
敷地は、目黒川沿い、及び山手線目黒恵比寿間の線路沿いから選び出した。それぞれ、既存部分の形状や環境など、よく見ているとどこか引っかかりのある場所、を理由として選んでいるが、ここで川や線路など視界の抜けが目立つ敷地ばかりが揃ったことには、身体の位置によって視界の到達範囲が大きく変わるような場所を選ぼうという意思が働いていたのだろうと考えられる。また、小さな実験の場として公共空間に取り付くような形式をとることに関しては、1から10まで自分で作り出し完全なフィクションになってしまうことを避けようという意図でもある。
1つめの敷地は、目黒区目黒1丁目付近の交差点、橋上道路の上から見える、向かい合うビルに挟まれた川とその周辺道路である。この土地には、東から西陽が射している。そういうと嘘か出鱈目のように聞こえるのだが、実際には、西に向いた大きなガラス窓が連なるファサードに光が反射し、反対側のアパートの東側立面を照らし出している、というわけである。この、ふたつの太陽がある状態だとも言える場所に、橋をかけ、その橋の上にベンチを並べる計画を立てる。橋は、橋上道路へと向かう川沿いの坂道の下部分の構造体、アーチ状になっている空間への出入りを可能にする。この空間は、反射した光が当たるため草が生い茂り、整備すれば都市から不意に離れた休憩所になりそうだが、現在はアクセスする方法がないために放置されているのだ。ここで注目すべきところは、川の流れる方向と西陽の射す方角が、���直に交わってはいないという点である。そのため、反射を起こすビルと光を受けるビルの間には、a.西陽だけが射す空間/ b.西陽と反射光、ふたつの光が当たる空間/ c.西陽はビルによって阻まれ、反射光だけが当たる空間 の3つのゾーンが存在することになる。これにより、均等に並んだベンチは、東側・両側・西側へと、リズミカルな影を落とす。この場所に人が増えていくと、その人々もそれぞれ、立つ場所によってさまざまな方向へ影を落としていくことになる。橋の上から眺める人々の中には、自然光しかないはずの屋外空間に複数の影が落ちていることに、ふと足を止める人もいるかもしれない。
2つめの敷地はこの橋上道路の反対側、道路へと上がる階段と坂道、及び橋上道路の欄干である。川沿いの道路は標高5m、橋上道路は10mであり、道路の上に出るには西側の上り坂か、東側の階段を上がることになる。ここで考えていたのは、人は、自分の身体が直面している以外の知覚を想像できるのかということ、近くて遠い別の場所と、関係を持つことはできるのだろうか、ということである。ここでは、東側の川沿いの道と階段横の手すり、そして橋上道路の欄干の形状を変え、その一部を広場とする計画をした。東側の川沿いの道の傾斜は非常にゆるく、ここを歩く人は、対岸の上り坂を上がっていく人の身体の上昇をずっと横目に見ながら、最後の最後に階段を駆け上がり追いつく、という形式を持つ。しかし、15mを越える川幅を隔ててそれを意識することは少ない。そこで、傾斜の少ない地面の手摺を外し、対岸の斜面と同じ角度を持つ斜めの壁を建てる。この斜めの壁にはスリット状の窓をいれ、道を歩く身体が、向こう岸で上がっていく斜面を意識に留めながら見え隠れするように設計する。西側から眺めるとこの水平窓は、東側の道を歩く人が徐々に見えてきて、その身体が川を難なく覗き込めるようになった次の瞬間、急に駆け上り、足だけが見える、という状態を映し出すのだ。また、橋上道路の欄干は、道路へと向かう斜面を歩く身体の角度と同様に傾ける。この細かい操作によって、斜面を平行に見下ろす道路の上の身体と、斜面を登っていく人から見て、奥行きの見え方がずっと変わらない開口部分ができるのである。手摺、欄干の形が変わることにより、両岸とそれを繋ぐ橋上道路の上の身体たちは、別の場所を眺め、意識することになる。
3つめの敷地は、目黒川を北へと遡り、目黒区民センターの2階部分と対岸を繋げる大規模なタイル貼りの橋である。橋の上のタイルは9cm角で、1cmの目地によって繋げられ、橋の床一面を埋めている。この橋の階下には、川沿いの道がある。現状では、対岸に渡るには一度川沿いの道から上がり、2階のレベルまで上がってから再び降りるという動線になっている。ここでは川沿いの道同士を繋ぐ地面を、この橋の下に計画する。着目するのは、人の視点から見た足元のタイルの大きさである。通常、成人の目は、地面からおよそ140-170cmのところについており、距離を隔てるほどに視界に映るものは小さく見えていく。そのため、タイルの大きさが9cmであると頭で理解していても、その大きさがありのまま9cmに見えているわけではない。ここで、既存の橋の欄干をやや外側に付け替えるとともに、広い橋の床面に吹き抜けを空けて、計画する階下の橋の床面を見通せるようにする。そして、階下の橋の床面には、既存の橋から見通したときに9cmのタイルと同じ大きさに見えるように、サイズの大きなタイルを敷いていく。既存の橋から階下の橋の床面までの距離は4.7m、この距離を隔てて9cmに見える正方形は、一辺が40cmのものとなる。また、1cmだった目地は、5cmにまで広がる。スケールの問題を扱うことにより、5cmの目地をもつタイル貼りの床、という不自然なディテールが生まれていく。上から見下ろす人々は同じ大きさに見える床にすぐさま疑問を抱かないかもしれないが、階下で人が滞在しているのを見るとき、その人と、人が立つ地面のグリッドの大きさのバランスに、疑問を抱くかもしれない。
また、このとき、追加で行う操作として、人間の目に近い手すり子の上面の正方形を、それぞれの床面のタイルと同じ大きさに見えるように設計していく。そうすることで、同じ高さに手摺を設定しているのにも関わらず、既存の橋では20mm角、階下の計画部分では75mm角と、手摺の有り様が変化し、掴んだ時の印象にも差異ができるのである。
余談ではあるが、既存の橋に空ける吹き抜けの位置は、橋の上にもともとある二股に分かれた街灯の、低い方の光の下を基準にしている。都市の中の街灯の形状は逐一着目するものではないが、高さの違う光源の片方が階下のための照明に見えたとき、街灯の存在感は少しだけ後押しされることだろう。
最後に、4つめの敷地は、目黒川沿いからは離れ、山手線の線路沿いにある一つの空き地である。ここは、線路を越える橋上道路から覗き込める位置にあり、線路からおよそ3m上/橋上道路からおよそ3m下、というレベル差を持つ土地で、山手線が平均3分に1度は通過するために、3分に一度は振動している土地であるとも言える。敷地の手前にはバス停があり、現状では、バス停のすぐ後ろにある簡易フェンスとロープにより仕切られた穴、という様相をしていて、土地を見学するための簡易階段が階下まで取り付けられている。この土地を線路から区切るコンクリートの擁壁は、分厚く安定したものだと言える。この擁壁の内部を掘り込んで地下空間を作り、100角の鉄骨で組んだ華奢な構造体で屋根をかけることによって、電車による振動を可視化するような建築物を計画できないかと考えた。建築物は2階建てとし、1階部分は、擁壁によって堅く守られた地下空間、そして二階部分は、バス停を待つ人が休憩に気楽に降りていけるような、橋上道路から階段4段分ほど下がった半屋外空間とする。そして、2階部分の床にはグリッド状に6cmの孔を空け、天井梁から階下へと続くランプを吊るしていく。最大で8mほどに及ぶ紐で吊られたランプは、電車の振動を屋根が拾う時、暗い地下空間を緩やかに動きながら照らすことになる。通常、人は、地面が不意に揺れたとしても、その揺れ自体を見ずにすぐその原因に思いを馳せてしまう。都市の振動は直裁的に、車や電車の存在、あるいは災害を意味するものであった。ここでは、観る対象となっていない揺れそのものを、ただ観測する、という経験を作り出している。
また、副産物とも言える地上階の部分は、わずかな柱を除き、天井から吊られる華奢な紐と椅子のみで構成された空間となる。人の身体がこの紐に不意に触れるとき、その衝突は、また階下の暗がりに影響を与えることになる。
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これらの設計はそれぞれ、知覚する身体が都市のなかでなにを観るか、なにに気がつくのか、ということを意図しているが、その実験的な性格ゆえに、具体的な建築の計画として提示するにはあまりに局所的であり、テーマがひとつに絞り込まれすぎているような感覚を覚える。これらの設計で起きたこと、具体的な実感を持って示せそうなこと、というのを基に、空間構成の問題として、より複雑な内部空間の作り方を実践してみたいと考える。ここからが、フェーズ2に向かう試論である。
また、ここで自覚すべきことは、各設計物が、自ら人の知覚に訴えかけるような要素を持つために “作者が気づき、鑑賞者が未だ気づいていないことに気づかせる” という、押し付けがましい性格を帯びてしまうことへの危険性である。この特権的な、全てを把握している作者の立場、とでも言えるようなものは、多くのメタフィクション作品が陥っている “結局のところ作者の手のうちであるのだ” という興ざめにも繋がるものであるし、建築が訪れる身体によって再生され立ち現れる、という、理想とする体験の快楽から離れてしまうものである。このメタフィクションのマンネリ化と、ではそこで、鑑賞者が能動的であるためにはどのようなあり方があるか、という問いの投げかけは『あなたは今、この文章を読んでいる』(佐々木敦)の中心を担うテーマでもある。
この本の序章で佐々木敦は〈メタフィクションの問題〉という見出しのついた章の中で、どんなに複雑に仕掛けられたメタフィクション作品にも、その外延には常に現実の作者がいるという事実と、その〈作者の実在〉という事実こそが担保になって、読者が様々な仕掛けを安心して享受することができる、という実状に触れている。そして、この提起に続く一説は、建築のメタフィクションを考える上での大きな問題を提示してくれているとも言える。
”「メタフィクション」の「仕掛け」とは、じつは「作者」と「読者」が暗黙に協力し合いながら行う演戯のようなものである。そして、この「演戯」は、それがどれほどリアルに感じられたとしても、やはり本物の「現実」とは断絶した、つまりは誰かが造った絵空事なのであり、そうでしかないという事実性をあらかじめ/どこまでも保証されている。つまり、「メタフィクション」こそは「フィクション」が本来的に有する安全無害さを強調するものなのだ。”
設計において、鑑賞者よりも先に設計者がその内実を知る、という順番は、逆転し得ないものだ。ただ、ひとつの設計物において、 “作者が気づき、鑑賞者が未だ気づいていないことに気づかせる”という性格が出てしまうと、いかにその設計物が見えていないものを見せる効能や興味深い要素を持っていたとしても、ある単一の目的のための〈装置〉になってしまう。そのとき建築は、世界の複雑さのほんの1要素だけを提示する、作者から与えられた安全無害なフィクションに成り下がるのだ。
『あなたは今、この文章を読んでいる』の副題は、『パラフィクションの誕生』である。この〈パラフィクション〉という考え方は、本文章のはじめの方で触れたフリップブック、鑑賞者がいることによって生まれ出でる動きの創出、という話と通じるものがある。”ある小説は作者以外の誰かに読まれた時にはじめて実在する。そうでない場合、それはいわば存在はしていても実在はしていないのだ。” という言い切りは、まさに鑑賞者と鑑賞物が接したところから体験が立ち上がる、物は物だけで実在するのではなく〈知覚する身体〉に受け取られてはじめて動き出す、という態度である。そして、この問題に最も差し迫るのが、作家・円城塔の技法に触れながら展開する〈README〉の章である。
”「README」は際立って特殊であると言える。「README」というアルファベット六文字それ自体にかんして見るならば、それは常に既に読まれているからだ。「私を読みなさい」と読んだ時、私はもうそれを読み終わっている。まさしく自己回帰的な行為遂行文。このような意味で「README」と完全に同じ次元にある同様の指令文は他には存在していない。ある文章を読んでいる時、私たちがしているのはそれを読んでいることである/でしかないのだから。”
この、「README」という一つの理想形、これは、行為と指令の不可分で同時間的な一致である。この六文字は確かに人間に対する乱暴なまでの強制力を持つのだが、ここで起こっているのは、作者の押し付けがましい意図ではなく、もっと大きな〈そうなってしまう他はない〉システムの動きによって、鑑賞者の身体が動かされている現象だ。
文字を見るときほど素早く確実なわけではないが、現実を生きる〈知覚する身体〉は視界に入ったものを、自動的に確実に処理していくという事実を、私たちは信用すべきである。これもまた、作者だとか鑑賞者だとかという区分を越えた、大きな自然の摂理である。見なさい、と誰かに命じられているわけではなくても、目は周りを見て、自動的に理解していく。設計はやはり、ただ何もない場所を分割していくことであるし、そうしてできる空間には、更の敷地よりも多くのピントの受け皿があり、見える/見えない、という問題が大量に発生する。そして小説と異なり、実空間においては、鑑賞者は同時に複数のところに存在し、それぞれの〈知覚する身体〉に対して、身体の可動範囲/目の可動範囲を持つ。この、身体と目それぞれの可動範囲を持つ複数の〈知覚する身体〉を考えていくということに、この知覚を扱う試論を、空間構成の問題へと接続する鍵があると考える。
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“ 二十七階分の距離を隔てた場所で、信号待ちをしている人たちがいて、いちばん先頭にいる女の人が、こっちを見上げているように見えた。一時間くらい前、同じ場所にわたしが立っていて、同じようにこのビルを見上げていた。(…)一時間前、そこには、交差点を見上げているわたしを見下ろしている人がいたかもしれない ”
−柴崎友香『寝ても覚めても』
この小説のさりげない一節が感じさせるのは、人物の移動とそれに伴う時間であり、空間が身体に与える制限の範囲で、〈私〉の位置は、別の身体の位置と交換可能であることの証明である。また、建築を一望し、全てをひとたびに把握することは原理上不可能であるため、少し過去である〈私〉と少し未来にいるところの〈私〉という、時間を隔てた同一人物同士の関係も見出せる。ある1本の柱をぐるりと周って把握するだけのことだとしても、その柱の裏側については、1秒前にそこを見ていた〈私〉の知覚と協力し合うしかないからである。
さらにここでは、二十七階分、という、身体が自力で移動するにはあまりにも遠い距離が、視覚によって容易に飛び越えられていることも示されている。小説の文章の中では軽やかな時間を感じさせるこの記述だが、現実の世界で想像してみると、信号待ちをしている人たちのいちばん先頭にいる女の人にとっては、この窓枠は、ぺたりとひらべったい遠隔像であるし、二十七階から見下ろす〈私〉にとっては、窓枠は質感も厚みも確かにそこにある窓枠そのものなのである。遠隔像と触知的な知覚の転倒、過去と未来の自分の身体も含む、他者との視覚範囲の交わり。複数の〈知覚する身体〉が、効果的に空間を立ち上げていくこととは、交換可能な身体と視覚の可動範囲が、重なったり離れたり、線引きされたりすることだろう。このとき、身体も目も、作者の意図によってある一点に誘導されるのではなく、切り替わり交換されていく前提として扱われ始める。
この前提を付加した上で、1つめのフェーズで行なったような透明化している人体と自然の仕組みを探る空間の構成を、立体的に展開していく。このとき、勿論、空間の各場所にいる身体から、そのとき見えるものを扱っていくのだが、2つめのフェーズでは、見せるべき限定したものを示すのではなく、敷地の各場所から認識できる身体の可動範囲〈身体のための敷地〉と、視線の可動範囲〈視覚のための敷地〉両方を別のものとして分け、すべてプロットし、取りこぼすことなく扱っていく。〈視覚のための敷地〉は、敷地境界線の範囲内に収まっているとは限らない。開口部などを通して視線が建築物を通り抜けるとき、隣家の壁までを、川の向こうの岸壁までを、無限遠とも言える空までを、〈視覚のための敷地〉の内部として扱うことができるからである。また〈視覚のための敷地〉は身体を越えて自由に拡張されるように見えて、簡単に阻まれ失われてしまうものでもある。なぜなら、ある更地の中央に柱がたった一本建てられただけで〈視覚のための敷地〉には把握できない空隙が生まれてしまい、その土地をぐるぐる歩こうにも、その空隙は方角を変えて残り続けるからだ。
ある敷地を設定したとき、あらかじめその周囲を囲んでいる隣家や周辺の構築物が〈視覚のための敷地〉の臨界線となるわけだが、どの構築物が臨界線としての役目を担うのかは、観察する身体の位置との関係による。同一平面上での〈視覚のための敷地〉の範囲は、計画される壁と開口部によって定められていくが、ここで最も広範囲の〈視覚のための敷地〉に影響するものは、観察する身体が立っている地面のレベルである。例えば地面から高さ2200を越えると、一般的なコンクリートブロック塀は視線を阻まなくなる。一軒家の高さを越えると視線の広がる範囲はさらに増え、遠くの団地が臨界線として登場する。さらに団地の高さも越えると、ほとんどの屋根は飛び越えるが、遠くのゴミ処理場の塔にはぶつかるかもしれないし、遠近法により縮んだ塔は、視線の衝突を免れるかもしれない。鑑賞者の視覚は〈身体のための敷地〉に制御された上で、任意の〈視覚のための敷地〉を体感するというわけである。
以上を踏まえて2つめの設計実験では、壁や柱を1枚建てるごとにこの2種類の敷地をプロットし、各箇所にいる〈知覚する身体〉のもつ〈視覚のための敷地〉の重なり合いや、見える範囲と距離の変化による認識の変化を取り扱っていく。こうしていくことで初めて、建築空間のもつ、人の身体の位置を規定しながら、人の視覚の中に動きとして立ち現れてくる側面や、知ってしまっても何度でももう一度見ることができるという性格を、設計手法のプロセスの中で取り扱うことに近づけるのではないか。
〈どのような形に対し、どの位置に立つことができ、どこまでのものが、どう見えるのか〉 これは余りに当たり前のことにも感じられるが、誠実に扱い切れる問題だとは到底思えないのである。よって、引き続き試してみたいと思う。
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NEWSLETTER vol.48
ニュースレターの第48号をお届けします。
今回は2018年6月8日に Art Jewelry Forum に掲載された、リン・チャン氏へのインタビューをお届けします。
翻訳をはじめたのはもう何か月も前ですが、思いのほか時間がかかって前回配信から10か月も経ってしまいました…今後も不定期の配信となりそうですが気長にお付き合いいただけますと嬉しいです。あいかわらず、メールに埋め込むと画像が小さくなってしまうので、ぜひ元の記事もご覧になってくださいね。
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https://artjewelryforum.org/lin-cheung-0
2018年6月8日
リン・チャン
日常性と非日常性 その共存を実現させるもの
アドリアーナ・G・ラドレスク
リン・チャン《遅ればせながらの応答:混乱、言葉もない、意気消沈》、2017年、ブローチ、ラピスラズリ、金、各51 x 9 mm、撮影:リン・チャン
リン・チャンの作品は絶えず議論を呼ぶ。《敵か味方か》のネックレスや《室温》のオブジェ、書籍にインスタレーションから、最近作の《遅ればせながらの応答》のブローチや《保管》シリーズに至るまで、彼女の作品は、人のありように対する一解釈であり、作り手の思想や感情の運び手であり、ジュエリーの意味を模索する飽くなき探求である。
リン・チャンはこれまで、数多の賞を受賞してきた。最近では、2018年にフランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞とヘルベルト・ホフマン賞を受賞。2017年には英国のBBC Radio 4が主催するウーマンズ・アワー・クラフト・プライズにおいて、1500名の応募者から最終選考12名のうち1名に選出された。
アドリアーナ G. ラドレスク:あなたは今年、その作品と、コンテンポラリージュエリーの振興における国内外での示唆に富む役割が認められ、栄誉あるフランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞を受賞されましたね。そのすべてがどのように始まったのか、お聞かせいただけますか? いつごろからジュエリーを作りたいと思うようになりましたか? また、どこで勉強されましたか?
リン・チャン:ありがとうございます! 今年はこれまでのところとてもいい年で、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ財団には心から感謝しています。彼らは独立機関として、熱意をもって主体的に、人々の想像を超える優れた仕事をしています。これは今の時代にあって珍しいことで、それだけに特に光栄に感じています。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:動揺》、2017年、ブローチ、ベルジャンブラックマーブル、ハウライト、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
私は、なんでも手作りしたり修理して使うことを良しとするごく堅実な家庭で育ちました。裁縫や編み物、刺繍にくわえ、ものが動く仕組みや素材に興味が湧いて、何かを分解したりもしました。でも、ジュエリーを作った記憶はありません。私は子ども時代とティーンエイジャーを経て成人してからも、もらったものも自分で買ったものも含め、たくさんのジュエリーを身に着けてきましたが、自分で作るようになったのはずいぶん後のことです。
私は、ブライトン大学の学士課程(通称WMCP、(訳注:木工、金工、陶芸、樹脂の英単語の頭文字をつなげたもの))で陶芸と金工を専攻しました。そこで偶然ラルフ・ターナーの著作である「ニュー・ジュエリー」を手に取りました。それからというもの、この道一筋です。それ以降、私が置かれたすべての環境や訪れた場所、出会った人々は何かしらこの本と結びついているので、遠い親戚のような縁を感じますし、それだけにこの本は私の考え方に深い影響を与えた存在です。作品の素材や技法は何なのか、思いを巡らせながら夢中になってページをめくっては「これはおもしろい!」と思っていました。
あなたは今年、石を彫ったブローチのシリーズ、《遅ればせながらの応答》でヘルベルト・ホフマン賞を受賞され、忘れがたい1年のスタートを切られました。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:バラ色》、2017年、ブローチ、ローズクォーツ、金、43 x 8 mm、撮影:リン・チャン
審査員から「時事問題とその意味との関係性を表現した、政治的見解の表明」と評されたこの作品は、英国のEU離脱を決する国民投票と世界の政治情勢への個人的な応答として作られたとのことですね。この作品は缶バッジの形をしており、表面に絵文字やシンボルを思わせる顔が描かれていますが、一般の缶バッジのようにプレスした金属やプラスチックでできてはおらず、半貴石を研磨し、表面に金を点在させて作られています。政治キャンペーンで多用される、安価で息の長い定番アイテムであり、質素ともいえる装着型の伝達装置である缶バッジと、高価な素材とを結びつけようと思ったのはなぜですか? また、タイトルの「遅ればせながら」にはどのような意味が込められていますか?
リン・チャン:私が石という、硬くて容赦なく、永続する素材でこのブローチを作ることにしたのは、使い捨てで瞬時に作れるお手軽な金属製のバッジとの対比を表現しようと思ったからです。皮肉なことに、私は、メッセージの内容が浅いか深いかにかかわらず、一度使えば用済みとなるはずの缶バッジをいつも大事に取っておきます。手元に残しておくと、その時の気持ちや信条、出来事、気分を鮮明に覚えていられるので。これが、私が半貴石を使った理由のひとつです。つまり、一部の発言や行為はやり直しがきかないから、ほんの一瞬の出来事でも人の心に長く残りうるということを言いたかったのです。
タイトルの「遅ればせながら」は、すぐさま反応するのとは逆のリアクションの仕方を表しています。私は、国民投票の���後の情勢を目にして悲しくなったのをはっきりと覚えていますが、それをどう表現すればよいのかわかりませんでした。ただ、いつかこの思いを作品にすることだけはわかりました。後から行動に出るということは、蓄積された何かが、時間を経てから展開していくということです。私は、実際の出来事からかなり時間がたってからようやく、抑圧された思いやぐるぐると混乱した感情を、石の研磨を通じて解放できるようになりました。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:しかめ顔》、2018年、ブローチ、ラピスラズリ、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
また、「遅ればせながら」は、石の加工にともなう労力と、石や石の研磨から連想される隠喩的な意味も表しています。さらに、研磨や切削は、熟考や仕上げ、そぎ落としていく過程も意味します。つまり、考えを整理し、遅まきながら納得し決心が固まるまで時間を稼ぎ、じっと待つという、時間のかかる肉体的行為を表します。石の研磨はほぼ独学で習得しました(最初だけ、シャルロッテ・デ・シラスによる5日間の特別クラスで専門的な講義を受けました)。そのため、新しい素材に初挑戦する時の常として、時間こそ余計にかかりましたが、素人であったことがむしろ好都合に働きました。知識のなさに妨げられず、失うものがないまっさらな気持ちで制作に打ち込むことができました。
コンセプチャルなジュエリーは、政治的な意識の向上という点で、大衆を説得する力を持ちうると思いますか?
リン・チャン:ええ、その力があると信じています。また、すでに知られていたり、こうだと信じ込まれている方法以外のやり方で、そういった力を量る方法にも興味があります。ただ、《遅ればせながらの応答》シリーズが必ずしも「大衆の政治的な意識を向上させる」とは思いません。このシリーズはそれ自体が議論の一部をなす当事者性の強い作品で、すでに広く認識されている問題を扱っているため、意識の向上というよりはタイムリーなコメントとしての趣が強いでしょう。私は今も、この決定がもたらした損害を忘れてはならないと思いますし、今後は今以上に不確かな時代になるでしょう。だからこそ、ジュエリーには、自分たちの周囲で起きている出来事について考えさせる存在であり続けてほしいのです。大衆の政治に対する意識の向上という点では、エスナ・スーこそシリアの難民危機を表現した作品でそれを実行しているといえます。彼女は私たちに、時間とエネルギーを費やして作品について考えることで、難民危機の問題を忘れないよう促しています。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:逃げ腰》、2018年、両面装着式のブローチ、ハウライト、ベルジャンブラックマーブル、金、49 x 12 mm、撮影:リン・チャン
作品の持ち主がご自身の考えに共感してくれるかどうかは重視していますか?
リン・チャン:自分の考えや見解に共感してもらえるといつでもうれしいです。私の場合、それを知るのは直接人と会った時なので、会話ができたり、同じ考えを持っていることに気づいたりできるのは、私にとってはありがたいおまけです。私は時間の許す限り、工房にこもるようにしているので。外に出て別の視点から作品を見られるのはいいリフレッシュになりますが、共感してもらえなくても構いません。私は自分の考えが伝わるよう素材や大きさ、造形を制御しはしますが、作品は独立した存在です。私の手元を離れたら、自由の身です。勝手に別の意味や価値観を帯びたり、身につけてもらえたりもらえなかったり、好かれたり嫌われたりすればいいのです。それは自力では制御できない領域ですし、制御したいとも思いません。私は、最善の方法で考えや意見を表現することにやりがいや興奮を感じますし、そこが重要なポイントなのであって、自分が答えを知っていると思えるかどうかという点は重視していません。
リン・チャン、《真珠のネックレス:グラデーション》、2017年、ネックレス、淡水パール、金、ビンテージのケース(修繕済み)、ネックレスの長さ:406.5mm
あなたのウェブサイトには、「《真珠のネックレス》シリーズは、母親から譲り受けたものの使わずにいた真珠のネックレスをインスピレーションの源とした。このネックレスは自分に似合わないと思ったし、たった一種類の女性性を信じているわけでもない」と書かれています。男性モデルに着用させたこの作品は、淡水真珠を1粒1粒削り出し、ホイットビージェットのチェーンと同じ構造でつなげてネックレスにしたものです。このシリーズは、装飾品としてのジュエリーや、個性の形成におけるジュエリーの役割の探求の一環として作られたものですか? また、ジュエリーは新たな形のジェンダー表現を推し進める上で効果的な手立てだと思いますか? この作品には、どのようなメッセージや意図が込められていますか?
リン・チャン:後から思えば、この作品はずいぶん複雑な意味を帯びていますね。一方では、ごくシンプルな作品で、元のネックレスを手に取って加工するに至ったのも、チェーンにできるかどうか試したかったという単純明快な動機からです。実験が済んでチェーン全体が完成してはじめて、どんな意味を持ちうるか、なぜこんなことをしたのか、それがどうなったのかを考える時間を持てました。このネックレスは、身に着けるとお高く留まって見えるような気がして、長い間しまったまま使うことはありませんでした。
真珠にはさまざまな意味合いが込められています。そして、形状や機能の面で可能性の幅が広いダイヤモンドや金などと違って、ジュエリー素材としての革命がもっとも起こりづらい素材ではないでしょうか。その意味では、この真珠作品では、おそらくその形が一番の理由で、少しだけその遅れを取り戻せた気がします。真珠の「ジュエリーらしさ」は丸い形に生まれついた時点で既定路線であり、人はなぜかそこに女性らしさだと受け止めるのです。私が真珠を研磨してチェーンを作って、最初に、そして一番強く感じたのは、これはもはや真珠のネックレスではない、ということです。そのことで、真珠にまつわる意味合いを薄められましたし、おめかしや着飾ることを目的にジュエリーを着けていたのは過ぎ去った昔の話であって、ジュエリーとは単に着けたいから着けるものだという私自身のジュエリー観に沿った作品になったと思います。
私は女性性とは何であるかに興味を引かれます。それは必ずしもジェンダーと関連づいているわけではありません。私は女性性をもっと広義にとらえていて、体力とは別の、知的な精神力や思考、思いやりと関わるものだと考えています。作品を男性モデルに着用させて撮影したのは、実験的な見せ方をしたかったからです。そして、それが真珠のネックレスは女性的なものだという狭量な考えを打ち破ったと伝える上で有効な手段であるかどうか、そして、それでも依然として残る繊細な強さと多義的かつ対照的な複数の側面が、また別の女性性を表現しうるのかどうかを確認したかったのです。つまり、自分が身近に感じられ、さらに女性という自分のジェンダーも手放さずにいられるという形の女性性です。そうですね……この作品については、完成してからもそのインパクトについて考えていますが、今もまだ、的確に言い表すのが難しいです。が、そうやって考えるのも、とても面白いことですね。
リン・チャン、《真珠のネックレス:マチネー》、2016年、ネックレス、淡水パール、金、長さ:560 mm、撮影:リン・チャン
《真珠のネックレス》シリーズの一部の作品は、修理を施したビンテージの真珠のネックレスの専用ケースがついていますね。このようにケースに手直しをして再利用するという行為には、どのような意味があるのでしょうか?
リン・チャン:アンティークのケースを再利用することで、過去の所有など、物語に歴史という側面が若干加味されます。最初に作ったネックレスと箱は母の所有物で、それ以降のネックレスと箱は、最初につくったものの形式を借用したものです。
作品が装着されることについては、どれくらい重要視していますか?
リン・チャン:どちらでも構いません。着用性の高いデザインであっても、実際につけるかどうかは別問題で各自が判断することです。私はどちらの考えも理解できます。私自身、身に着けないジュエリーをたくさん持っていますが、そのことが物への愛着に影響するわけではありません。手に取って眺めて、またしまうということも好んでやります。時に実用的でないジュエリーをじゃらじゃらつけることもあります。このようなアイテムは注意が必要ですし、つけている間ずっと気になってしまうものです。おまけに針先がとがっておらず、ブラウスやTシャツに大穴が開いてしまうこともあります。それでも、ジュエリーとしての出来がよければ、その価値はあるのです。同じものを数週間つけっぱなしにすることもあります。装着するしないにかかわらず、ジュエリーが喜びをもたらしてくれることに変わりありません。
リン・チャン、《保管:紙と輪ゴム》、2016年、ブローチ、合成石、金、輪ゴム、70 x 22 x 15 mm、撮影:リン・チャン
《保管》シリーズは、あなた自身のジュエリーの保管方法を扱った作品です。このシリーズは、こう言っては何ですがとても生活感があって、《紙》や《輪ゴム》と題されたブローチでありふれた物体を描写しています。この作品では、合成石や金という耐久性のある素材と、輪ゴムという長持ちしない素材が混在しています。この袋に何が入っていたのか、また、この作品のコンセプトは何なのか、興味を惹かれます。この素材の組み合わせには、どのような意味が込められていますか?
リン・チャン:私はよく、ティッシュやキッチンペーパーやトイレットペーパー、チャック式のビニール袋やただの紙など、その時手元にあるものにジュエリーをしまうことがよくあります。私はよく旅行をするので、ジュエリーに箱やケースがある場合はそこから出して、もっと実用に即した方法で収納するようにしています。《紙》と《輪ゴム》のブローチは、私が紙と輪ゴムで包装してきたすべてのブローチを表現していると言えるかもしれません。自分がつけるジュエリーはいつもこの方法で収納します(そのほとんどは自分で作ったものではありません。自分の作品はめったにつけません)。なので、この保管方法自体はごく普通で生活感がありますが、興味深いことに、それによってそのアイテムが私にとって特別な存在になるのです。この作品を白い合成石で彫り出して作ったのは、紙の質感を表現するためで、本物の輪ゴムを用いたのは日常性を加味するためです。ここにおいて私は、ジュエリーの秘密の生活を覗いてみませんか、作品を通じて価値や意味が表明されているさまを見てみませんか、と誘いかけているのだと思います。高価な素材や予期せぬ素材やプロセスを用いて日常のディテールを描写することで、単なる人工物を超えたジュエリーのおもしろみについて考えることを促しているのかもしれません。
この《保管》シリーズでは、特に私自身の持ち物であるジュエリーの私的な生活と公的な生活、そして、同じ作品でも配慮の度合いが変わりうるのかという点を考えました。紙やプチプチ、ビニール袋による収納方法は、退屈に見えるかもしれませんが、私にとってはとても便利で安全ですし、それによって自分だけのものになるのです。私は、ジュエリーを買った時ではなく、生活をともにしてはじめて、そのアイテムが自分にとってどんな意味を持つのかについて気にかけ、注意を払えるようになります。作り手やブランドによる包装は、提示方法や、その魅力、モノのコンセプトの延長、作り手の創造性や配慮を通じて、ジュエリーを商品とみなしています。購入後の私だけの管理方法は、所有、つまり自分の持ち物であり日々の生活の一部であることを表します。
リン・チャン、《保管:古い真珠のネックレス》、2018年、ペンダント、ロッククリスタル、62 x 42 x 20 mm、撮影:リン・チャン
同じシリーズの《古い真珠のネックレス》や《ベニータのブローチ》では、ジュエリーの形は見えません。そのかわり、それをしまうための(ロッククリスタルを研磨した)透明な袋が主役になっています。これは、姿は見えずとも存在する、あるいは過去に存在したジュエリーを示唆し、その記憶を保持する手立てということでしょうか? この作品の背景とはどのようなものでしょうか?
リン・チャン:おっしゃる通り、どちらも実在するジュエリーです。古い真珠のネックレスも、ベニータが作ったブローチも私の持ち物です。それらが小さなビニール袋の中で占める空間を観察し、石を研磨して造形しました。どちらも、空っぽであるようにも中身が入っているようにも見えます。また、モノが持つ日常的な側面と非日常的な側面との対比を考察した作品でもあります。ジュエリーはその両方の性質を兼ね備えられるところが、すごく好きです。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:困難な時代》、2018年、ブローチ、ロッククリスタル、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
あなたの作品の中には、パブリックな仕事も見られます。2012年ロンドンパラリンピック大会のメダルをデザインされましたし、2014年には唐奨のメダルデザインのコンペでファイナリスト10名の1人に選ばれました。2年前には、唐奨教育基金会から、2016年の賞状のデザインと制作を依頼されたそうですね。このようなパブリックな仕事と、個人の作品とでは、工程の面でどのような違いがありますか? また、どのようなことが課題になりましたか?
リン・チャン:特にパブリックな依頼は、往々にして極度のプレッシャーにさらされます。莫大な予算と、短い納期での納期厳守に対する大きな責任が常にのしかかります。株主や資金提供者、プロジェクトマネージャーやマーケティング部門、CEOやインターンなど、あらゆる立場の人たちとチームを組んで仕事をするのは一見怖そうですが、実際のところは共同作業について学ぶにはすばらしい方法です。アーティストという立場で一大プロジェクトに携わるということは、全体を見渡し、常時すべての場に存在するかのような独自の立場に置かれるということです。私はあらゆる視点からプロジェクトを眺め、はじまりから実現に至る過程を見るのを楽しめるタイプなのでしょうね。また、プロジェクトの一員になれることは、大きな見返りがあります。
こうした学びは有益ですが、多くの依頼は問題解決からプロトタイプの制作、完成品の仕上げが息をつく暇もなく、同時に進行する感じです。先を読んであらゆる結果を予想し、プロジェクト管理をやりこなし、チームのメンバーに仕事を任せて、仲間からも自分からも最高の力を引き出せるよう、短期間で学ぶわけです。こんなことまでできてしまうんだ! と自分でもよく驚きます。スタジオでの作業はそこまで込み入っていません。当然ですが、それは私ひとりだからです。プレッシャーもさほど強くかかりませんが、多くの場合プロセスは酷似しています。同じような悩みを抱え、大勢でやる時と同じような会話を自分とします。葛藤もありますが、最初から確固たる決まり事もないですし、委員会からの承認がないと次に進めないというわけでもありませんから、後戻りをしたり、手抜きをしたり、自分の意志で課題を設定したり、リスクのある道を選んだりできます。これは周囲からの許可が必要な場合はそう簡単にはできないことです。
どのような流れでデザインを進めますか? スケッチやモデル、モックアップの制作から始めるのでしょうか? コンセプトを伝える上で素材の選択はどの程度重要なものですか?
リン・チャン:つい最近までは、最初にコンセプトやイメージを考えたら、そのまま制作に突入していました。私はすごく大雑把なスケッチ以外は紙にイメージを描きません。線画や、ひとつかふたつの単語、文章で十分な時もあります。その意味では、私は多くの作り手と違うのかもしれませんね。明快なプロセスでデザインを進めるわけではないですから。
素材の選択はとても重要です。アイデアを思いついたら��自分の考えや感覚と合致する素材を探します。可能性のある選択肢を考え抜いて「こうすれば思い通りの雰囲気になるかしら」とか「やっぱりこっちかもしれない」と迷いながら自分の仮説を検証します。石の加工をした時は、コンセプトよりも素材が先でした。それまで、具体的な素材や技術からアイデアを発展させていくことはあまりなかったので、新たな感覚で制作に燃え、手の中の素材の変化や自分が目にしているものを基にアイデアやコンセプトを練る間じゅう、強迫的なまでに熱心に打ち込みました。
外部からの特にパブリックな仕事の依頼の場合は、コンセプトや工程、プロトタイプの制作、実制作、情報の記録、納品に至るプロセスを厳守せねばならず、その順番が狂うことはめったにありません。
リン・チャン、《保管:ベッティーナのブローチ》、2018年、ペンダント、ロッククリスタル、52 x 34 x 23 mm、撮影:リン・チャン
あなたはアーティストとしてご活躍されているだけでなく、2009年以降、ロンドン芸術大学のセントラル・セント・マーチンズのジュエリーデザイン科の学士課程の上級講師として教鞭を執っていらっしゃいます。その傍ら、レクチャーやワークショップの講師や、書籍や記事の執筆活動もされていますが、限られた時間のなかでそれをどう両立されていらっしゃるのでしょうか? またそれらすべてをやりこなす強い意志はどこからきているのでしょうか?
リン・チャン:確かに、全部並べて見るとずいぶん抱え込んでいるように見えますね! あまりの多忙さに、混乱に陥ってしまう時があることは否めませんが、ジュエリーへの好奇心が、さまざまな魅力的な形をとって、私を突き動かすのです。
忘れないでいただきたいのは、プロジェクトによっては構想に何年もかかるという点です。ずっと前にまいた種を折に触れては世話してやり、立派に育て上げるのです。コラボレーションもありますし、自分がやりたくてやるものもあります。人に教える仕事は、どれもとても楽しいです。セントラル・セント・マーチンズで、いきがよくて一生懸命な学生たちを大勢相手にしていると、ジュエリー界の今後の行方が見えるような気がする時があります。これは役得ですね。また、コンテンポラリージュエリーをまるで知らない別分野の作り手の人たちと一緒に何かをするのも楽しいです。ザルツブルクで行われた国際芸術サマーアカデミーの際に行ったワークショップがその例です。ほかにも、近々コロンビアで開催されるEn Construcción IIIでワークショップを行う予定があり、とても楽しみにしています。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:無能(※)》、2018年、ブローチ、コーリアン、金、55 x 9 mm、撮影:リン・チャン(※訳注:英語タイトルはTwitで、Twitterとかけていると思われる)
私は、プレッシャーや日々の雑用に邪魔されることなく、スタジオや作業場でひとりになってジュエリーについて自分だけの考えに没頭したり、表面の具合を観察したり、何に注意を払ってやればよいのか、自分が何をしたいのかを考える、ユニークで貴重で特別な時間を確保するためならなんだってします。常にそれを達成できるとは限りませんが、いつも虎視眈々とそのタイミングを狙っています。
最近感銘を受けたり、作品に影響を与えたり、興味を引かれた映画や音楽、本、展覧会、ニュース、旅行などはありますか?
リン・チャン:《遅ればせながらの応答》シリーズの《しかめ顔》というブローチが今年度のロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの夏期展覧会に出品されたので何度か足を運びましたが、その時の作品の多様性には驚かされました。この展覧会は、優れた偉大なアーティストと一緒に、アーティストの卵や無名の作り手、「凡人」(グレイソン・ペリーが私たちのような人を親しみを込めて呼ぶ時の愛称です)の作品が一堂に並ぶことで有名です。目玉となる作品ばかりを見ないよう努めるうちに、若手作家のリー・カッターの作品に目が留まったのですが、この作品には心から感動しました。
リー・カッター、《監獄文化》、彫刻、刑務所で支給されるバターミルク石鹸、画像はロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの厚意により掲載
それは《監獄文化》と題された、彫刻を施した大量の石鹸を何段もきれいに並べて額に収めた作品でした。私は、日常の素材を再評価させ、当たり前だと思われているものや状況を見直させてくれる作品や、想像する以外に知りようのない世界を見せてくれる作品が好きなのです。器用かつ無心に彫られているだけでなく、骨や象牙の細工や、木彫品、彫像、ストリートファニチャーを見た時と同じような感情を抱かせ、人生のおかしみと哀愁とが一体となって表れていました。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:無能》、2018年、ブローチ、コーリアン、金、55 x 9 mm、撮影:リン・チャン
現在はどのようなプロジェクトに取り組んでいらっしゃいますか?
コロンビアで行われるコンテンポラリージュエリーのシンポジウム、En Construcción IIIの一環として、マーク・モンゾとセス・パパック、テレーザ・エスタぺと一緒に1週間のワークショップを行う予定です。また、2019年のミュンヘン・ジュエリー・ウィークでMicheko Galerieで行う個展の準備も進めています。ほかには、通常の依頼品やリサーチ、構想に加え、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞の賞金で、2019年の年末か2020年の初頭からオランダで開催される個展に向けて作品を制作するという、刺激的なひとときを過ごしています。近いうちにまた皆さんに詳細をお知らせできるのを楽しみにしています。
ありがとうございました。
アドリアーナ・G・ラドゥレスク:建築家、ジュエリー作家。ワシントンD.C.在住。ルーマニア、ブカレストのイオン・ミンク建築都市大学にて建築と都市計画の修士号を取得。ワシントンD.C.のコーコラン・スクール・オブ・ジ・アート・アンド・デザインにて金工を学ぶ。2013年よりAJFに参加。
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本ニューズレターの本文・画像のすべてまたは一部を無断で転載することはかたくお断りいたします。今回の記事は、スーザン・カミンス氏(Art Jewelry Forum)の寛大なる許可をいただいて翻訳しています。配信停止をご希望の方は、このメールに返信する形でお知らせください。また個人名の表記につきましては一般的な発音を参考にカタカナ表記をしておりますが、もし本来の発音とは異なる表記にお気づきの場合は、お手数ですがお知らせください。
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迷ったら中米に行こう!~戦々恐々とコスタリカを旅する~
20代最後の夏に思い切って中米コスタリカへ行きました。
幼稚園からの友人が海外協力隊として現地で活動しており、彼を頼りに8月10日から16日の1週間、初一人海外へ出て行きました。
コスタリカで見たものや経験はどれもみずみずしく新鮮なものばかりで、この気持ちが少しでもフレッシュなうちにメモを残しておきたいと考え、帰国の途につくコスタリカサンホセ空港にてキーボードを叩き始めました。(が結局書ききれたのがだいぶ後になってしまいました汗)散文的な内容になることを恐れずゴリゴリ書いていこうと思います。
【コスタリカの概況】
言語はスペイン語。国教はカトリック。そのため街の要所には教会が立ち並んでいる。
コスタリカの歴史は基本的にはスペイン人統治時代から始まり、それ以前の先住民の歴史的、文化的な遺産などの観光資源に乏しいのが現状。
しかし、先住民たちが森を切り開き巨大な文明を築かなかったことと恵まれた気候から自然が非常に豊かで九州と四国を合わせた程度の国土面積に、地球全体の5%もの動植物が存在すると言われている。
国はこの点を自国の観光資源として捉え、国土の多くを国立公園として保護し、その自然の中を探索する『エコツーリズム』を世界に先駆けて始めた。これが世界に受け入れられ、それまで農業依存だった国の経済構造を好転させた。
そのほかにも軍隊を持たない平和国家として、軍事費に充てていた費用を教育や医療、再生可能エネルギーなどに投資し、前述のエコツーリズムに加え、中南米で屈指の教育、福祉、自然エネルギーの国として強い国家アイデンティティを保有している。(日本も見習いたい)
街の観光地はどこもごみが少なく、水道水も飲めるのは中米に限らず世界的にも希少な国のひとつではないだろうか。
【コスタリカの人々】
・観光地のガイドからUberのドライバー、クラブに来ていた若者に小学生まで様々な人と触れ合ったが総じて気さくで穏やかな人が多かった印象。車の運転もアジアなどに比べても丁寧な感じだった。
・観光地やホテルでは英語を話せる人が非常に多いため、スペイン語が苦手でもガイドを受けたり簡単なコミュニケーションは十分可能(ただし自分は英語もできなかったため状況は変わらなかった)
・中米の中で治安が良く経済が安定していることもあり、多くの移民が存在し、とくに貧しいニカラグア人が市街地でホームレス化している現状が社会問題となっている。そのほかにも社会情勢が不安定なベネズエラ人なども目立った。
私のコスタリカ旅行
友人が1週間のバカンス休暇を取りほぼ土地勘もコミュニケーションもできない私にほぼ24時間付き添ってくれて様々な場所に行かせてくれました。
現地で撮った写真を見ながら適当な順番と粒度でコスタリカについて語りたいと思います。
1.市街地の風景
成田からヒューストンを経由し、サンホセ空港に到着。
駅からバスでサンホセ市街地へ出て街を散策。初めての中米だが、町の雰囲気は東南アジアとも近い印象。首都ということもあり、おそらく単純に国の経済力、発展度によって似た雰囲気の街が出来上がってしまうのかもしれない。(日本も昔はこうだったのかも)
市街地には人通りが多い。また、路上に座り大声で物売りをする人も多く見かけたが、友人曰く彼らはニカラグア移民だとのこと。あまり近づかないようにした。
2.食事
「コスタリカの食事はマズイ」と友人から聞かされていたため戦々恐々として乗り込んだものの、総じておいしかった。ただし、値段の割に(というか高い店に限って)全くおいしくない店もあり、その辺はどんな店でも一定のクオリティは保っている日本の外食店文化のありがたさを感じた。
<上流国民編>
初日夜は友人の現地の友達で日本に留学経験もあるというコスタリカの方とコスタリカの中ではちょっとハイソな街で夕食。とてもいい方たちだった。
写真は2件目に行ったビールバー。クラフトビールの飲み比べができた。
※ここに関わらず外食費は総じて日本よりやや安いものの大きな差はなく、中米の中では非常に高いとのこと。家族を大事にし、家での食事を重んじる国民性があるとはいうものの、平均月収が日本の数分の一ということを考えると外食はなかなか大変な出費になるのだと思う。
山でのレジャーや森の散策を楽しめるモンテベルデ自然保護区で止まったホテ��の隣にあったレストラン。モンテベルデという土地柄もあり周りは外国の観光客だらけ。
キャンドルがあったりと店の雰囲気は日本の都会のおしゃれレストランさながらな雰囲気だったが、料理は10ドル弱、ワインもボトル15ドル程度となかなかのコスパ。そして味が抜群にうまかった。この旅の中でもトップクラスに満足した食事だった。
同じくモンテベルデでの食事。わかりづらいが、本物の大木をそのまま残し、その周りに3階建ての建物を巻きつける(?)ような特徴的な構造を持ったモンテベルデの有名レストラン。パスタは15ドル程度と結構お高め。
ただ申し訳ないが味がマズかった。4分の1程度しか食べれなかった。友人が「コスタリカの料理は味が薄い」と言っていたのはこれか!と納得。
その後パスタは宿へ持ち帰るも、部屋に置いておいたら蟻の餌食となり無事死亡。
<庶民編>
友人行きつけという現地の食堂にて。コスタリカでは米(左)、レモンとパクチーの効いたサラダ(中央)、ポテト(右)、豆(奥)を基本セットに、そこに豚肉やチキンなどのメインが乗るワンプレート料理がスタンダード。
米はタイ米などに近く、日本のよりも細長くて水分が少ない。また、黒い豆と米を合わせて炊くとコスタリカの伝統料理「ガチョピント」となる。
だが、米と豆を別々に食べても味は大差ない。
これは別の店だが、基本は一緒。そこに焼きバナナなどがついていた。
モンテベルデの屋台にて。鶏むね肉とポテトというシンプルで豪快なファストフード。非常にボリューミーだが500円程度。美味しかった。
<家庭料理編>
チフリーゴ。友人がお世話になっているホストファミリーのお家に自分もお邪魔してごちそうになった伝統料理。
ご飯に鶏肉と豆が乗っており、そこに刻んだトマトとパクチー(←これもよくコスタリカで出てくる)をお好みで載せて食べるどんぶり。鶏肉にトマトの酸味やパクチーの刺激が合わさりとても美味しかった。
米を食べる文化があるため、各家庭に炊飯器もある模様。(米があるのはありがたかった・・・)
朝は旦那さんのほうが準備してくれた。ガーリックトーストにソーセージに卵、そしてパパイヤとかなりボリューム満点でおいしかった。
3.文化編
<原住民編>
原住民が木の実などをすりつぶす際に使用していたとされる石の机。独特な形状が面白い。石工技術の高さがうかがえる。
よく日本のテレビなどでもコスタリカを紹介する際に一緒に出てくる謎の石球。その製造年代や製造方法、作られた目的などが不透明で一部ではオーパーツの一つともいわれていたが、現在では研究も進みその謎が徐々に明らかになっているとかいないとか。
ちなみに写真は国立博物館にあったレプリカ。本物はコスタリカの郊外にあるため、観光地にはしばしばこのようなレプリカが置かれていた。
<建造物>
国立劇場
コスタリカを象徴する建造物の一つ。この建物を壊したくないがために内紛が起こらない、と言われるほど現地人からも愛されているという建物。劇場内部も見学ができる。
息を飲むほどの迫力。今なお現役の劇場として使用されており、しばしば日本の能や和太鼓の演奏なども上演されるとか。
受付兼待合室。豪華すぎて落ち着いて待てなさそう。
ロスアンヘレス大聖堂
首都サンホセの隣の県カルタゴにある大聖堂。国内各地から人々が巡礼に訪れる聖地で建物も非常にでかい。
中の造りも荘厳で素晴らしい。礼拝に訪れた人は中央の通路を膝立ちで移動して祭壇へ向かう慣習があるようだった。我々は邪魔にならぬよう脇の通路を回って見学した。
<若者文化>
現地人が多く集まる深夜のクラブへ友人と2日連続で繰り出した。入場前にID(自分の場合パスポート)と場所によってボディチェックが行われ、さらに場所によっては入場料も支払う。
クラブで飲むのは大体ビール。他の酒より値段が安いため、お金のない現地の人もビールばっか飲んでいるとのこと。
ちなみにコスタリカのメジャーなビールはimperialとPilsenの2種類。そしてちょっと高くてマイナーなBAVARIA(写真)がある。味はimperialが薄くて軽く、Pilsenは少し香りとえぐ味が強い印象。BAVARIAはその中間といった感じ。
美味しかったのは写真に乗せたBAVARIAのゴールド。一番日本のビールに近い。時点でimperialのsilverという種類のもの。
BAVARIAはあまり扱っているところが少ないため、一通り飲んだ後はimperialを選んで飲むことが多かった。
左の黒人Jango。入場の手続きで手間取っていると後ろから声をかけてきた。身長めっちゃ高いし超怖い。
でも本当は荷物を預ける場所を教えてくれようとしていたこのクラブ界隈の従業員?オーナー?的な人だったらしい。その後テキーラを2杯もご馳走してくれた。めっちゃ気さくでいい人。
ぶれぶれ。お酒飲みながら爆音の音楽を聴いてるとある若者グループの輪に招かれて一緒に踊ってた。なんとなくアジア人で(自分は楽しんでたけど)周りになじめてないオーラが出ていたのか誘ってくれたのだと思う。
言葉は通じないけどお酒もあいまって身振りや表情でコミュニケーションを取る感じがなんとも楽しかった。
友人が話したところそこのグループにいたほとんどの人がベネズエラ人だったとのこと。ベネズエラといえば近年の超インフレで経済が破綻寸前、首都の治安は世界最悪と言われている国。あんなに気のよさそうな彼らの背景にそんな深刻な事情があるのか、と色々と考えさせられた。
4.自然編
上でも触れたモンテベルデ自然保護区にて、昼と夜の森林散策ツアーやキャノピーなどのレジャーを体験した。
昼はオランダ人の家族と一緒にガイドの話を聞きながら野山を散策。
トゥカーン(の子供)
なんか笑顔の木
景色が一望できる!と思ったもののあいにくの雨。朝は晴れていたのに、、
羽が透明な蛾?
ゴミをあさっていたアライグマ。全然人を怖がらない。
ちょっとここからはモンテベルデではないけど、
これは幻の鳥といわれるケツァールを見にいくツアーでの朝の集合場所のロッジに来ていたハチドリ。
で、1時間以上何か所もポイントを回ってやっとお目にかかれたケツァール。 これはメスのため尾が短いが、オスはもっと尾が長く色も鮮やか。残念ながらこの日オスはお目にかかれず。
5.その他
帰国最終日にどこ行きたいかを友人に尋ねられ、彼の職場のゴミ収集センターと地域の小学校へ行くことに。
サンホセのゴミ収集センター
回収されたごみたち。袋の中身はまだまだ分別が行き届いていない状態。
各地から届けられたごみ袋はこの台で職員の方が一つ一つ開封し手作業でごみを仕分けている。
普段はこの仕分け作業をおばちゃん2~3人で行うそうだが、この日は民間企業からCSR活動の一環と職場体験ということでさらに数名参加していた。エライ
ペットボトルは無色と有色のものを分けてプレス。プレスすることで輸送にかかるコストを下げている。
これらは民間の業者に売却され、資源として再利用される。
段ボールも同様。談笑しながらも手際よく潰してトラックにつめていた。
外では家庭のごみなどを持ってくる人がごみを捨てていた。まだまだポイ捨てなんかも多く、ゴミに関しての市民の意識が低いとも感じられたが、このように律義にごみを持ってきて捨ててくれる人がいることがありがたいとのこと。
サンホセの小学校
その後サンホセの小学校にアポなしで突撃するも、友人の顔パスで難なく入れた。
カメラを向けると照れて顔をそらす子供。なんかとても開放的で自由な雰囲気。
生徒たちは全員1日学校にいるわけではなく、上級生と下級生が曜日ごとに午前、午後の授業日を交代でまわすようなカリキュラムを取っているそう。
例えば月曜日の午前が上級生の授業なら、午後には上級生は下校し、下級生が授業をする。火曜日はその逆、といった感じ。
後者が”ロ”の字型になっており、中庭が校庭になっており、中央の礼拝堂を挟んでコンクリートのバスケコートが二面あった。
ただしバスケを行っている生徒は誰もいなかった。コスタリカ人はサッカーが好きだからフットサルコートにでもすればいいのに。
牛乳パックを再利用してできた机だそう。木のように固い。
体育の時間で誰もいない教室。
パソコン教育も行われている。ここのパソコンも友人の協力隊活動の一環で企業から提供されたもので、この部屋はそのために新たに作られたものなのだそう。
食堂。おやつにフルーツを振る舞われることも。
帰り際に先生に挨拶をすると我々もフルーツをゲット。リンゴをむしゃむしゃ食べながら帰路についた。
さいごに:コスタリカを旅行しての感想いろいろ
1.意外と多かった、日本を親しんでくれる人々
この旅で最も印象深く嬉しかったものの一つが日本に親しんでくれている人が多かったこと。上でも述べた初日に紹介してもらった女性たちのほかにも、例えば2日目に行ったクラブでは「日本人!?」と声をかけてくれたコスタリカ人がいたのだが、彼はなんと3月まで我々の地元の宮城県の東北大学に留学していたとのこと。
さらに4日目に利用したUberの車の後ろにはなぜか日本の国旗が飾ってあって、話を聞いてみると彼は日本にこそ行ったことないものの、日本の興味があり自主的に日本語を学んでいるとのことだった。友人曰くこんなに色々と日本を知っている人に出会うことは珍しくてラッキーだったとのこと。楽しい出会いのある旅行だった。
2.中米への関心が深まった
当たり前すぎる小学生並みの感想だが、こちらも自分の心に大きな変化をもたらした。
先ほども述べたようにあまり日本人にとってなじみのないコスタリカだが、地球の裏側では日本に関心を持ってくれている若者たちがいる。そしてみんな気さくで親しみやすく、とても可愛げのある人たちだった。
日本に興味を持ってくれている人たちがこんなにもいてくれていることを考えるとすごく嬉しく感じたのと同時に、自分たちももっと海外に目を向けていかなければいけないと感じた。
さらに前述したベネズエラ人との出会いも考えさせられるものがあった。恥ずかしながら自分はベネズエラなんていう国は国名を知っている程度の知識で、彼らに出会わなければきっとこの先もベネズエラに関してここまで関心を抱くこともなかったと思う。
帰国してすぐに、超インフレが進むベネズエラでは桁を減らすための新たな通貨の単位を作るという経済政策が打ち立てられたとのニュースが入ってきた。もちろんこんな政策ではさらに経済を混乱させることになりかねないという見方が大半だ。経済が混乱すれば他国への移民問題もより深刻になるだろう。これから先中米はどうなるのか、今後の情勢には色々と関心を寄せていきたいと考えるようになった。
3.外国語を話せるようになりたいと思うようになった
今回の旅行は友人のサポートもあり様々な出会いと気づきのある非常に楽しい旅行だったが、それゆえに言葉を理解して自分の気持ちを伝えられないもどかしさを抱えていた。
例えば彼のホストファミリーの家にお世話になった際も、食事を「美味しい」という気持ちすらうまく伝えられず非常にもどかしかった。お土産に持って行った九谷焼についても、本当はその背景にある日本の文化や歴史なんかを話したいという気持ちはあれどそんな高度なコミュニケーションが取れるはずもなく、、
ホストファミリーのおじいちゃんおばあちゃんが本当に親切にしてくれただけに、自分の気持ちを言葉で伝えられない歯がゆさがあった。
海外旅行は恐らく簡単な英語と身振り手振りで頑張れば、観光地を巡ったり宿に泊まったりなどある程度の目的は達成することができると思うし、実際自分もその程度で良いと考えていた。
でも海外旅行で一番楽しいのは現地の人との生のコミュニケーションだろうと思った。その土地の人が何を考え同くらいしているのか、そういったことを言葉を介して理解し、また自分の考えも相手に伝えられるようになりたいと強く感じた。
せめて日常会話レベルの英語でも身につけたい。。30年弱の人生で今が一番外国語学習欲が高まっていると感じている。今やらないと一生やらない気がするので、ひとまず本を読みながら拙いながらも話せるように勉強中。
4.ごみのことに関心を持つようになった
友人の職場に行き、いろいろとごみへの思いを語ってくれたこともあり自分もごみへの関心が高まった。
自分が普段何気なく出しているごみも処理には多くの人手が必要ということ、作業はハードなこと、そして何よりも地球上の多くの人が関わり、今後も関わり続けていかなくてはならないものだということ。
現地の方の仕事ぶりを見て説明を受けると、自分もなにかできないか自然と思いを巡らせていた。
例えば友人はごみを出す段階で分別がされていないことがひとつの問題と言っていた。
なるほど、確かにゴミ箱は色分けされてどこに何を捨てるべきかが分かりやすくなっている。
ただ、ちょっとデザインの観点から考えてみるとゴミ箱の上にはごみの種類が分かるような絵を入れたり、ゴミの入れ口を入れるごみの形にしてごみを捨てる行為をアフォードさせるような施策があってもよいかと感じた。
現状だと識別する要素が色と小さく書かれた文字のみのため、例えば歩きながら街を歩く人がごみを捨てようとした際に反射的に自分が捨てたいごみの正しいゴミ箱を判断しづらいのではと感じた。色とごみの種類に明確な関係性がないため、ほかの要素で使い手に正しいゴミ箱を反射的に認知させる仕掛けが必要と考えた。
日本のごみ箱はまだそのへんが少し良くできていて、入れ口の直下に何を入れるごみ箱なのかを絵と言葉で入れることでごみを捨てる人の目に必ず入るように工夫されているとともに、口の形状で何を入れるべきかを感覚的に示している。
缶やペットボトルなど、入れ口を丸くすることでそのごみ箱が飲み物の容器を捨てるものだと把握できるのと同時に、丸い形状に筒状のものを入れたくなる人間の心理も上手に作用させている。
そんな小さな改善を重ねながら、街がもっと綺麗になってコスタリカ人のごみへの関心が高まることを願っている。
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はじめに
コロナウィルスの危機は中国から2019年末に始まり、あっという間に日本、そして世界の生活と経済に影響を与える世界的な危機へと発展し、2020年4月になった現在も先行き不透明となっています。
そのような状況下、コロナ危機が始まってからの、米国市場でのデジタルマーケティング、特に躍進するネット広告市場ではどのような変化が起きているのでしょうか? 米国では2019年ネット広告市場約130billion(約14兆円:e-marketer)と確実に成長し、全メディアの50%以上を占めるまでに成長しています。今回はWordstream社という米国でも著名なネット広告代理店が何万もの広告主を対象に調査を行った結果発表した、コロナ危機が始まってからのポジティブ、ネガティブ両面でインパクトを受けた21の業種、に関するレポートのサマリーをお伝えします。
オリジナルはこちら:The SmallBusiness Guide to COVID-19
コロナウィルス危機後、コンバージョン率は21%ダウン
米国では過去でいうと9.11、リーマンショック、そして今回のようなコロナウィルス危機など大きな危機は、Google広告のようなクリック型広告のパフォーマンスに影響を与えます。企業がテレワークを推奨し、人々が外出を自粛し、世界中の人がコロナウィルスの先行き、見通しを心配する中、その答えや新しいニーズに対する解決策をオンライン検索やニュースに求めるようになります。そのことはオンライン広告に出稿する広告主にも影響を与えます。
実際にデータを見ていきます。米国では、危機が始まったとされる2020年2月最終週以降Google検索広告のインプレッションが平均よりも7%ほど減ったそうです。ホリデーウィーク中に減ることは珍しいことではありませんが、今回はそのような時期ではないため、コロナウィルスの影響と言えるでしょう。また検索数の減少に比べ、広告のクリック数、コンバージョン率という意味では平均値は大きく下落しています。
「引用:Wordstream The Small Business Guide to COVID-19」
*Google広告のClick数は2020年年明け平均から比べ3月2日週以降大きくダウン。
また検索結果後の行動ですが、閲覧者は広告をクリックして購買する、という行動を控えていることがデータからわかりました。コロナウィルスが3週間前に米国で流行して以来、コンバージョン率は通常の平均より21%低下しています。
「引用:Wordstream The Small Business Guide to COVID-19」
*コンバージョンレートは平均で21%ダウン
平均の検索数・クリック数・コンバージョン率が下がったとはいえ、Google広告のパフォーマンスは業界によって異なります。まずはここでは、ボリュームが増加した7つの業界、これから変化を受けるであろう7つの業界、そして最も大きな打撃を受けた7つの業界をご紹介します。
検索ボリューム/広告パフォーマンスが改善した7つの業界
1. 非営利団体と慈善団体
危機的な時には、私たちはしばしば人々の善意を受けたいと思い、それはGoogle の検索上でも当てはまります。非営利団体、慈善団体とは例えば失業者の支援、貧困の支援、学生の支援、社会的弱者を支援する団体などです。寄付をする人、それを頼る人の関心が高まったと思われます。
検索広告のインプレッションが10%増加。
検索広告コンバージョン数が23%増加。
検索広告のコンバージョン率が20%上昇。
Google Adsは、非営利団体が無料で広告を掲載できるようにするために、Googleの助成金プログラムの数をサポートしているので、その広告も相まり、これまで以上にサイトが見られるようになったようです。
2. 健康・ヘルス業界、および医療業界
今回のウィルス、疫病などの危機下では当然我々は自分自身の感染しないなど、自分自身が健康でいることに細心の注意を払います。その考えは、ユーザーが店舗やネット検索で予防品、医薬品を購入するようになります。この業界で多くの広告主は、広告クリック数とコンバージョン率の両方が通常よりも大幅に高くなり、オンラインでの製品販売が伸びていることが伺えます。
「引用:Wordstream The Small Business Guide to COVID-19」
*コロナ危機以降の上昇率。健康業種、医療業種ともにクリック数、コンバージョン率がアップ。特に医療品の上昇率が高い。
3. リモート、Eコマース関連B2Bサービス
自宅待機令が出る状況下、従業員のリモートワークをサポートするサービス、買いだめするためのオフィス関連用品、小売が店舗からオンライン販売へシフトする中での物流などのB2B関連の検索が危機以降、23%増加しています。
人々がリモートワークの準備をする中で、事務用品が突如として伸びたした業界となりました。事務用品の検索数は90%増、有料検索広告のクリック数は35%増、コンバージョン率は41%増。
伝統的な小売業がオンラインでの販売に移したことで、商品の物流(梱包・配送)などのサービスに対する検索数は、検索広告のコンバージョン率(123%増)と検索広告のコンバージョン率(107%増)が2倍以上になった。
「引用:Wordstream The Small Business Guide to COVID-19」
4. ファイナンス
ここでは、資金の調達、保険、経理が含まれています。企業の業績の見通しが厳しくなる中、資金調達、銀行経由での補助金・助成金などの検索や、資金繰りに関するアドバイスなど専門家の意見を聞きたいニーズが増えているのかもしれません。一方で通常、最も高額なキーワードやクリック単価の高い業界ですが、CPCは低下しているようですが、CVRは上昇しているようです。
5. 美容とパーソナルケア
ここ数週間、人々は石鹸や手の消毒剤のような製品を探しているだけでなく、この厳しい時代にセルフケアを求めています。美容とパーソナルケアの検索数が41%増加しています。これらのカテゴリーの多くは、CPCが低く、CVRが大幅に高くなっており、検索結果ページでブームが起きています。
6. ネット配信動画サービス
私たちの多くが自宅待機をする中、自宅での楽しみ方、エンターテイメントの消費量があがっています。ほとんどのエンターテイメント広告主は、需要の増加を拾い上げ、ネット配信動画サービスは、過去数週間で急上昇し、そのコンバージョンを倍増させています。
「引用:Wordstream The Small Business Guide to COVID-19」
7. プレゼント(花・雑貨)
自宅にこもり、社会的な距離を置くことは孤独な経験であり、先行き不透明で今後、何ヶ月も離れているかもしれない、と思うと心が病んできます。そのような状況下でのプレゼントやお互いつながっているという小さなジェスチャーは、コロナウィルス危機で意味あるものとなっています。そのような関連サービスの広告主は素晴らしい結果を出しています。コロナウイルス危機以降過去3週間にわたって下記改善が見られました。
「カードやグリーティング」を検索すると、コンバージョン率が15%上昇しました。
「ギフトバスケット」を検索すると、コンバージョン率が30%増加しました。
「フラワーアレンジメント」を検索すると、コンバージョン率が43%増加しました。
これから変化を受けるであろう7つの業界
1. 不動産 関連
借入金利は低水準を維持しており、住宅市場は現在のところ持ちこたえているようです。検索トラフィックは比較的安定しており、検索ボリューム、CPC、コンバージョン率はほとんど変化していません。しかしながら高額な不動産を買え控える影響はすでに兆しが見えており、まもなくその悪い影響が実態数値となって現れる可能性があります。
不動産ディベロッパー業界と建設業界では、コンバージョン率の低下(それぞれ-53%、-7%)と検索ボリュームの減少が見られます。これらの分野での減速は、将来的に不動産供給の減少を引き起こす可能性があります。
不動産物件と不動産業者の検索の両方で、クリック単価が若干上昇しています(過去1ヶ月で+15%)。コンバージョン率において、不動産業者や仲介業者が30%の増加が見られ中、不動産物件を直接個人で検索するパターンのコンバージョン率はー25%の減少となっています。物件を検討する消費者が自宅待機でオープンハウスなど見れない中、よりプロのエージェントに頼ることになっているようです。
引越しや引越しサービスは、健全なCTR、CPC、CVRを維持しながら、検索ボリュームの11%増加となっています。
2. リフォーム業界
アメリカでは3月は季節要因としてリフォーム案件が少なくなることが多いので、ここ数週間は検索数が緩やかに減少していています。一方で不動産同様、今後の中長期での影響が気になるところです。
しかしながら自宅待機により自宅で過ごす時間が増えることは、家のメンテナンスをしたり、家具を買い足したりする可能性もあります。
3. 家具業界
家具などの高額商品については、検索ボリューム、CPC、コンバージョン率はすべて過去数週間で予想外にもプラスマイナス2%の範囲内にとどまっています。
家庭用品の中でも少額の家電製品や寝具などは検索数が増加し、コンバージョン率も上昇(それぞれ+7%、+12%)しており、消費者の購買意欲が高まっていることを示しているのかもしれません。
自宅でのネット環境から生活・睡眠の質を少しでもよくしようという行動の現れかもしれません。
4. 自動車関連
自動車業界は、ここ数週間で業界平均のコンバージョン率が30%低下とかなり大きめのインパクトを受けています。また販売店は41%のCVダウンとなっています。一方で、すべてコロナウィルス危機のせいではなく3月中旬はそもそも車の購入シーズンではないことも影響しています。一方で検索者がこの期間中に車のケア・修理・窓のスモークなど普段できていないメンテナンスをしていることがコンバージョン率アップによりわかります。
「引用:Wordstream The Small Business Guide to COVID-19」
5. 小売業
現在、既存の店舗を持つ小売業は、営業停止、もしくは営業制限を受けていることで甚大なビジネス上の影響を受けています。一方でEコマースが伸びているかというと必ずしもそうではなく、一部の家庭は、将来の雇用や収入がわからない不安定さの中でものを買わない状況にもなってきています。この不安定さは、検索広告からユーザーのコンバージョン率に影響を与えています。Eコマースサイトのコンバージョン率は14%下落しています。
Amazonを含む大規模なEコマース企業は、Google広告で予算を削減しており、その結果、Google上のCPCは9%ほど減少、結果として他の小売業者のROASが見合うようになってきたようです。
逆に卸売業者などは、CPCが14%高騰したが、コンバージョン率が9%改善しているようです。
6. 仕事と教育
全国の学校や大学が数週間から始まり、数ヶ月単位での休校となり、eラーニングや研修・トレーニング関連キーワードの強い上昇が見られます。教室がオンラインへと変わったとはいえ、教育の広告主の業績に短期的な変化はまだないようです。なお大学の出願ラッシュが終わり、6月のSATがまだキャンセルされていない中、入学希望者の検索上での行動は変わっていません。
過去数週間で、新しいキャリアと職業訓練のための広告のトラフィックに多少の増加(+10%と+8%、それぞれ)も見られます。ただコンバージョン数が大きく変更していないので、まだ検索段階で実際の申込みまではいっていない慎重な行動を表している可能性があります。一方で、コロナ危機で大幅に増えたレストラン・小売店員などの失業者が新しいIT企業の仕事を掴むべく、サイト制作、プログラミングなどの職業訓練をする流れは考えられる。
7. 法律関連サービス
法律業界は、検索ボリュームとコンバージョン率にわずかながらの上昇(5%未満)しか見られない。しかし、これらのコンバージョンの多くは、ウェブサイトでの問い合わせではなく、電話という形で発生しているようです。ただ残念なことに、これらの電話の30%以上は応答対応できていないようです。
最も大きな打撃を受けた7つの業界
コロナウィルス危機の間の最大の関心事は、間違いなく衛生面である。残念なことに、これはいくつかの産業を危険にさらしており、これらの産業で働く人々は特に検索という部分で影響を受けている。
1. 旅行と観光
企業、政府、消費者は、不必要な旅行を避けるために、飛行機・ホテルなどの旅行・出張関係の予約を減らしています。その結果、当然ですが多くの旅行関係の広告主は、自社サイトでの訪問者数減少、そしてコンバージョン率の減少に苦労しています。
2. バーやレストラン
多くの都市でレストランやバーでの営業制限・停止などの制限がある中、集客にGoogle広告などを使っていた飲食業界の中小企業は大きな打撃を受けています。広告のインプレッション数はレストラン、バーはそれぞれ-18%, -26%となっており、またコンバージョン率に至っては60%近くの減となっています。多くはデリバリーやテイクアウトサービスにシフトしていますが、検索数も減り、打開策を見つけるのに苦労しています。
3. ライブ・エンターテイメント
公共の安全や人が集まることへの厳格な制限により、ライブ、コンサート、演劇などは世界中でキャンセルとなっています。その結果、ライブエンターテイメントの検索ボリュームは24%減少し、コンバージョン率は30%低下しました。
4. コンファレンス(大規模会議、展示会など)
多くの大規模な会議がキャンセルされたり、秋までイベントを延期が続いています。B2B企業を中心にこれらの展示会などはまだまだマーケティングファネルの中に組み入れ依存しているため、これらのイベントキャンセルは主催者側のみならず、出展企業にも波及効果をもたらすことになります。2月末にコロナウィルス危機が発生して以来、コンバージョンが33%減少しています。
5. スポーツとフィットネス
主要なスポーツ(野球・アメフト・バスケ・サッカーなど)は当分の間はキャンセルされています。また多くの地域で人との密集を避けるため多くのジムが閉鎖され既存会員からの会費売上ダウンの影響も大きく、また新規会員の数が減少することになります。この結果、スポーツやフィットネスに関連する多くの業種では、コンバージョン率が大きく低下しています。
6. 建築・建設関連
急激な景気後退や現場の閉鎖は、建築・建設業界に思わぬ影響を与えます。今後のプロジェクトが停滞し始めたり、遅れたりすると、見込み客も同様に、コンバージョンする可能性が低くなってきています。通常、これから広告費用を増やして集客を増やそうとしているタイミングなので最悪のタイミングともいえます。
7. メーカー・製造業
広範囲にわたるメーカーの稼働が鈍化しているため、広告にも当然影響が出ています。1クリックあたりのコストは5%上昇し、業界のコンバージョン率は緩やかに低下していますが、検索トラフィックが13%減少したことで打撃を受けています。
「引用:Wordstream The Small Business Guide to COVID-19」
アメリカのサンフランシスコ・ロサンゼルス・ニューヨークに拠点を持つプリンシプルでは、引続き中長期化するコロナ危機の中で、どの業界が影響を受けるか?そしてこのような状況下をチャンスと捉えている業界、サービスなどを引続き調査し公開していきます。
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Temple Session - Theatre for Easing Mind and Soul
全4回
7月1日(日)「Inner Voice」
7月8日(日)「Mindfulness」
7月22日(日)「Expression & Communication」
7月29日(日)「A piece of Theatre」
開催場所:光明寺本堂 港区虎ノ門3-25-1
開催時間:毎回 17:00~20:00
受講料:全4回 17,000円
お申し込み:参加者のお名前を明記の上、
[email protected] までメール送信をお願いします。事務局より、当日の詳細や手続きにつきまして、ご連絡を差し上げます。
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Theatre for Peace and Conflict Resolution とは
「Theatre for Peace and Conflict Resolution」は、さまざまな人種・国籍・文化・思想・信条・ジェンダー・セクシャリティー・生まれながらの特性・境遇など、多様性に溢れた社会のなかで、私たち一人一人が、 自分自身の存在を認め、心の声に素直に、自らの潜在能力を存分に発揮して伸び伸びと美しく生きていく手がかりを掴むための、異なる他者の存在を認めて共生していく手がかりを掴むための、演劇的手法を用いた授業やワークショップを施しています。
芸術(Art)表現(Expression)とは、本来、私たち皆に等しくあるものであり、特定の人のためにあるものではありません。たとえば、人は、古くから、生きていて自ずと起ってくる祈りや願いを詩や歌や音楽や踊りにし、折々には暮らしの安全や豊作を祈願して祭り事を執り行ってきました。私たちの生命は、時に人生の歓喜を、時に生きる苦しみや悲しみを、何かしらで表現し解き放ちながら、世界との調和をはかるかのごとく営まれてきました。表現とは、私たちがまさに呼吸をするように、水を求めるように、自ずと生まれてくるものであるとも言えるでしょう。劇場(Theatre)とは、その芸術(Art)や表現(Expression)を昇華し、お互いに、受け取る場です。その場は、劇場だけに限らず、コミュニティーの話し合いの場、家庭のなか、教室のなか、職場のなかなどもそれに当てはまり、人と人との会話や会議もコミュニケーションという一つの表現と言えるでしょう。今、私たちは、各々の場で、個々の個性を尊重し、個々本来の能力が生かされていく環境を創ることができているでしょうか。
「Theatre for Peace and Conflict Resolution」では、ファシリテーターは、レシピエントとセッションや対話を行う場 = Theatre と捉えて、演劇的なワークショップを施していきます。レシピエントのなかには、たとえば、普段はなかなか言葉で表せなかった気持ちや思いが、詩や演劇という手法を通じてみると、驚くほど自然に出てきて表現できたという人があらわれます。芸術表現には、日常の会話レベルでは起こりにくい感性や心の扉を開いていく作用があるからです。レシピエントは、セッションを通じて、自らの心の動きを見つめていくことで、自己への理解が深まります。また、その経験から、自分自身に適した心のセルフケアの術を見つける人もいます。集団のなかで孤立しがちだった人が、本来の感性や能力を発揮し始めて生き生きとし、その結果、他のメンバーはその人の個性や特性を認識します。十分に理解していると思っていた同僚が、新たな一面を垣間見せて、お互いの理解や関係性がさらに深まるということもあるでしょう。同セッションは、自己への理解力、他者への理解力、共感力、コミュニケーション力、物事の多層的な観察力、他者を慮る心を養ってゆくことを目的としており、それゆえに、平和構築や紛争解決といった平和学の分野で有効活用されています。
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講師プロフィール
小木戸 利光(こきど としみつ)
1981年生まれ。Theatre for Peace and Conflict Resolution (TPCR) 代表。イギリス ノーザ��ブリア大学にて、演劇・パフォーマンスを専攻。アーティ���トとして、音楽、文芸、パフォーマンス作品を発表。俳優として、ドラマ、映画、舞台、ドキュメンタリー番組に出演。2017年、長崎の被曝2世の葛藤を描いたNHK「あんとき、」で主演。エッセイ集「表現と息をしている」(而立書房)を上梓する。平和教育の普及を目的としたTPCRの事業として、平和学、紛争解決学、コミュニケーション研究分野の大学教授らと協同し「Theatre for Peace and Conflict Resolution」というボディーワークや演劇的手法を用いたワークショップ型の授業を行う。国連SDGs(持続可能な開発目標)の「誰一人取り残さない − No one will be left behind」という理念への賛同を表明し、戦争体験者、被爆者、中国・サハリン残留日本人等の戦争の記憶の伝承を目的とした「戦後世代の語り部育成事業」に取り組んでおり、今春、ロシア連邦サハリン州へ渡航し、約20名の残留日本人関係者等への30時間に及ぶ聞き取りを実施。この模様は、今夏、ドキュメンタリー番組や平和関連のシンポジウムで報告される。CV:http://novemberagency.com/member/toshimitsu-kokido/
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第1回 一般向け講座につきまして
Temple Session - Theatre for Easing Mind and Soul
大学などの教育機関で授業として行っているボディーワークや演劇的手法を用いたワークショップ形式のセッションを、初めて一般向けの講座として開催します。全4回のプログラムで、最終日には、参加者それぞれが個人あるいはグループワークで表現作品を創りあげて、実演の成果発表を行います。心身とゆっくりと向き合う時間をとってみたい方、ボディーワークや演劇的なワークショップを通じて、自身自身や他者とのより良い対話・コミュニケーションの道筋を見つけていきたい方、学校や社会やコミュニティーのなかで何かしらの葛藤を持っていらっしゃる方、普段とは違った脳の使い方をしたい方、心に重たい気持ちを抱えていらっしゃる方、何か真新しいことに取り組んでみたい方など、子ども、生徒、学生、大人、どなたでも参加していただくことができます。同セッションや各回のテーマとなっているキーワードに触れて、何かピンとくるものがある方は、ぜひ。一般向け講座を開く一番の理由は、大学ではお会いすることのできない皆さまとのセッションの機会を創るため、それから、人種・国籍・文化・思想信条・民族性・使用言語・セクシャリティー・職業・年齢・生まれながらの特性など、あらゆる背景や個性を持つ人たちが、境界線を越えて、一堂に会し、交流する場を創りたいと思ったからです。
大学では、平和学・紛争解決学・コミュニケーション研究の分野で、その道の大先輩である教授らと協同して、「Theatre for Peace and Conflict Resolution (TPCR)」という演劇的な手法を用いた授業を行っています。これは、座学ではなく、実際にさまざまなエクササイズとともに身体を動かしながら、対話のなかで、それぞれが自分の意見や不安や葛藤や希望を表明・表現しながら、実感として自分自身という存在について、そして、自分とは異なる他者の存在やその視点や立場について学んでいくというものです。参加メンバーの出会いと組み合わせは、本当に一期一会で、その場にどのような皆さまが集まるのかによって、全体がチームとして学べること、生み出せるものが変わってきます。
今回のセッションは、一般向けとして、新たなアレンジを加えて、「Theatre for Easing Mind and Soul」として開催します。日々の心の緊張や葛藤が、すこしずつほぐれていくような、心と体の調和に焦点を当てたセッションを行います。参加者お一人お一人と丁寧に対話しながら進めていけますように、少人数制といたします。開催場所は、東京タワーのすぐそば、オープンテラスとしてもよく知られ、都会のオアシスと呼ばれている神谷町の光明寺の本堂です。第1回目の一般向けセッションを、とても楽しみにしています。どうぞ よろしくお願いいたします。
小木戸 利光
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実績紹介
◇CAMPUS Asia Program(早稲田大学、北京大学、高麗大学 グローバルリーダー共同育成プログラム)
概要:紛争解決と社会変革に情熱とスキルをもつ次世代のアジアのリーダーを、日中韓の早稲田大学と北京大学と高麗大学校が協力して育成することを目的としたキャンパスアジアプログラムにて、講師として招かれ、6つの国籍からなる計30名の各国の学生たちとともに、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波により甚大な被害を受けた岩手県上閉伊郡大槌町と釜石市を訪れて、数日間滞在しフィールドワークを行い、その経験・体験をもとに、演劇づくりに取り組みました。「Theatre for Peace and Conflict Resolution」という演劇的な手法を用いながら、演劇や演技や表現をするということを通して、理屈ではなく実感として他者の異なる視点や気持ちに近づいてゆき、自他を知り、理解していくための共感力と人間性を養うためのワークショップを施しました。授業は英語で実施。
◇早稲田大学 留学センター「Conflict Resolution and Social Innovation」
協同者:早稲田大学 留学センター講師 小山淑子(前国連職員)
概要:長崎の原爆をテーマにしたNHK「あんとき、」を鑑賞。ドキュメンタリー方式で撮影された同番組を参考に、自分自身の存在を、芸術や表現を通して表現するということについて学習。学生それぞれの、日本に留学してきた動機、政治経済や国際教養を専攻し平和学を学ぶことに決めた動機を、ワークショップを通して丁寧に見つめていくことで、自らの幼少期の体験や家族のルーツにまで遡りながら、自分自身の心の声やアイデンティティについて考察していきました。授業は英語で実施。
◇ 早稲田大学 国際教養学部「Building foundations for peace builders」
◇ 早稲田大学 国際教養学部「Conflict Resolution」
協同者:早稲田大学 国際学術院 国際教養学部 国際コミュニケーション研究科 上杉勇司教授
概要:平和構築、紛争解決を考えるうえで、国際情勢に目を向ける前に、まずは目の前の教室のなかにいる私たち一人一人が、さまざまな考え方、感性、価値観、セクシャリティー、生まれながらの特性や境遇などを持っている、実に多様な存在であるのだということを実感するためのワークショップを実施。自分自身の存在を表現し、またその表現をツールとして他者とのコミュニケーションを深めていくシアターワークを行いました。授業は、前者を日本人学生たちと日本語で、後者は現在進行中のクラスで、日本、韓国、中国、フィリピン、香港、ロシア、英国、ポーランド出身の学生たちとともに英語で実施しています。
◇埼玉大学 教養学部「海外における人文学の展開」
協同者:埼玉大学 教養学部 野村奈央准教授
概要:ベトナム、ドイツ、日本の学生たちが共同してドキュメンタリーを制作するという授業に講師として参加。学生自身がディレクターとなり、自らでテーマを設定し、ドキュメンタリーをつくっていくにあたって、番組づくりという表現を通して、自分の関心事や問題意識等をどのような手法で形象化していけるのか、その方法を見つけていくための授業を行いました。一人一人のなかにある個人的かつユニークな視点や見解や意見、感情、倫理観等を、インタビューやワークショップによって引き出していきました。授業は英語で実施。
◇大分県佐伯市立鶴見中学校
講師として依頼を受けて、被差別部落問題をテーマに人権啓発を目的とした寸劇を行いました。結婚差別の複数の事例をもとに、被差別部落出身の青年役、交際相手の父と母役と兄弟役を設定。現代社会における結婚差別の一例を、ロールプレイ形式で描きました。このロールプレイ形式の即興劇もTheatre for Conflict Resolutionの手法の一つであり、例えば、生徒たちに順々にそれぞれの役をやってもらうことによって、演じるという事を通して、頭ではなく、感情や実感とともに他者の気持ちを理解していく手がかりを掴んでゆきます。
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皆さまのご参加を心よりお待ちしております !
Theatre for Peace and Conflict Resolution
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ボルゾイ:ゾーイちゃん
今回はお散歩代行に行ってきました!!
お相手はボルゾイのゾーイちゃん🐕普段はゾっちゃんと呼んでまして、初めましてではありません😁
ゾっちゃんはウチのゆめさんと女子会をしてくれる心優しき素敵女子✨✨✨
何度も会ってはいますがお仕事として連続で会うのは初めてですし何よりもいつも飼主さんが一緒なので二人きりなんてちょっとドキドキ😳💓
お散歩に出かけると私に気を使ってくれているのが分かるゾっちゃん!気遣いが出来るやはり素敵女子ですね~👏
お伺いしたのが5月末~6月の最初の方でした。もうすでに暑くなってきていたので暑さに弱いボルゾイさんは涼しい時間帯を選んでお散歩!
大型犬のお散歩イイですね!!そしてゾっちゃんの美しさにセレブになった感じーと大喜びでお散歩にお出かけしました。
坂が多いのですがちょっと走ったりするときには気を付けながら(特に下り坂は⚠⚠⚠)基本、気を遣って走る時もセーブしてくれるんですがお友達のラブちゃんを見つけるや否やもう喜びが爆発💣ダッシュで駆け寄ります😅
サイトハウンドの猛ダッシュにはさすがに私も無理なのでちょっとリードコントロールしながら近寄って、しばし、じゃれ合いタイムです⏰
お友達は丁寧に私にも甘えてくれて大型犬に埋もれる私はウホウホ😍
お友達とバイバイした後はまたゆったりと歩いてくれるゾっちゃん!
優雅な時間を過ごさせてもらい大満足な私でした🙌🙌🙌
またゆめさんと一緒に女子会しようね🍪
もちろんご依頼も大歓迎です♬
アイコンばっちり👀
散歩後のゾっちゃん(笑)
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