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#信仰宗教の勧誘じゃないよ
ari0921 · 2 years
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桜林美佐の「美佐日記」(186)
日本人も宗教についてちゃんと学ぶ必要がある
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、令和4年9月の今回
は186回目となります。
最近のテレビでは「統一教会」ばかりなのだそうで、
皆さん観たくないといいます。犯人の取り調べの
経過も知らない中で、世間の関心は完全にこちらに
向けられてしまいました。
なぜ、テレビは統一教会ばかりなのかと言う方がい
ますが、放送局は視聴率が取れる内容しか企画しま
せんので、これはいわば「数字が取れる」というこ
となのでしょう。
読者がお金を払って買う新聞と違い、テレビは番組
やコーナーをスポンサーに買ってもらいますので、
視聴率が低くなることは許されません。
そのため、繰り返し流されるということは、視聴率
が高い(か、他の内容よりマシ)だということです
ので、視聴率が下がるようになれば放送されなくな
ります。
また、政治家との関係が問題になっていますが、彼
らは「統一教会です」と言って来るわけではなく、
知らないまま手伝ってもらっていたという場合も多
いようで、難しい問題です。
身元を調べないなんてガードが甘いと言われるかも
しれませんが、信仰を尋ねたり、まして調べるなん
てことができるはずはありません。
そして、政治家が応援してくれる人を選ぶことがで
きないように「応援してくれる人を選べない」と言
えば、そう、自衛隊も全く同じでしょう。
本来であれば、相手はどんな人なのか知る必要があ
りますが、そうはいきません。私は昔から「私は自
衛隊の応援団やってます」の人たちのほうが「自衛
隊反対!」の人より、本心なのかウソなのか見極め
ができず、付き合い方が難しいだろうなあと眺めて
いました。
ところで、8月31日は概算要求のニュースがメイ
ンになっていましたが、実は防衛省では別の出来事
も起きました。
所属部隊でセクハラの被害を受けて辞めた元自衛官
の女性が、第三者委員会による公正な調査を求める
という署名10万5000人以上分を防衛省に提出
したのです。
自衛隊で同じような被害を受けた人をネット上で募
ると100人以上から自衛隊でハラスメントを受け
たという回答があったといいます。
当然、沈黙している人もいるでしょうから、もっと
多くの自衛官が悩んでいるのだと思われます。
民間の世界では、もはやセクハラどころか容姿をほ
める「美人は得だね」なども「セクハラ的発言」と
して「アウト!」ですので、自衛隊で起きているこ
とは酷く、対応はるかに甘いと言わざるを得ないで
しょう。
女性を増やし、共存していくつもりなら、問題が発
生した時の解決機能を早急に整備することが絶対的
に必要だと思います。
パワハラも含め軍隊ではハラスメントはつきもので
すが、悲しいのは、辞めていくのはいつも被害者の
ほうで、問題を起こした人は大手を振って残ってい
ること。これはハラスメントを受けた人が口を揃え
ます。
確かに「被害者にも落ち度はある」ケースもあるで
しょう、しかし、この人材難の時代に、隊員を辞め
させてしまう、それだけで罪だと私は思います。
そんな中、自衛隊を取り上げる雑誌のタイトルを見
たら「実は働きやすい!? 「自衛隊」は女性がチ
ャレンジしやすい職場環境」とあったので、このタ
イミングに、なんだか気の毒でした。
とにかく「募集が大変だ」と言う前に、悪質なハラ
スメントに対する意識をもっと高めて、対処の体制
を強くしようよ、と思います。そうでないと、どん
なに募集を頑張っても、全て台無しになってしまい
ます。
もう一つの問題は、こうした組織に守ってもらえず
追い詰められた人に手を差し伸べるのが左翼系のグ
ループが多いということです。カルトが絡む余地を
作る可能性もあります。
現在、世間を騒がせているカルトの問題もそうです
が、人は心の拠り所が必要なのに、日本では宗教や
信仰ということにどこか抵抗を持つ人が多く「無宗
教です」ということが良いという感覚があります。
統一教会の報道でなおさら、怖くなった人も多いか
もしれません。しかし、こうした信仰そのものをも
否定してしまう考え方が、どうしても心の拠り所が
必要になった時にカルトに走ってしまう原因にもな
っているような気がしてなりません。日本人もそろ
そろ宗教について学ぶ必要があるのではないでしょ
うか。
ドイツ出身のコラムニスト、サンドラ・ヘフェリン
さんの記事によりますと、ドイツでは公立学校に宗
教の授業があり、なんと「カルトの危険性」につい
ても学ぶのだそうです。
ドイツで「宗教」と認められるのはキリスト教、ユ
ダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教の5つ。
これらの派生型は「カルト」と整理されるのです。
ここまで絞らなくても、少なくとも「出入り自由」
かどうが、カルトかどうかの一つの見極めになるの
ではないでしょうか。ただし「縛られたい」「所属
している感が欲しい」という人には、むしろカルト
のほうが魅力的に見えるのかもしれませんが・・。
各地の大学でもカルトの勧誘は激しいようです。青
山学院大学は統一教会はじめいくつかの団体を名指
ししHPで「サークルのふりをした危険な宗教団体
に注意しよう!!」と注意を呼びかけています。
知らず知らずにのめり込み、かつてはキャラバン隊
に組み込まれた学生が学業もそっちのけで全国で花
を売り歩いたりしていたのだそうです。
いわゆるモルモン教やエホバの証人もキリスト教と
認められていません。そのあたり、誰も教えてくれ
ないので知らない日本人は多いのではないかと思わ
れます。
日本では「政教分離」の言葉を誤解していて、例え
ば自衛官が制服で神社や教会に行ったらいけないか
のように捉えているようですが、本来の意味は宗教
が政治に大きな影響力を与えてはならないというこ
とです。
宗教についてちゃんと学ばない国民が国際社会でど
のように生きていくのか、宗教について、曖昧ではな
く、しっかり名指しした上での学びを学校などで始
めることが必要ではないでしょうか。
 今日も最後まで読んで下さりありがとうございま
す!どうぞ良い1週間をお過ごし下さい!
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kennak · 2 years
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最後に、私には幼稚園時代からの親友Aがいた。彼と私は家が近かったので、幼稚園・小学校と奇遇なことに同じ学校の同じクラスだった。ただし中学に進学すると、学区の境界に居た私はAとは違う中学に進学することになる。しかし高校でまたAと同じ学校に進学し、高校1年で同じクラスになるという、異様なほど出来過ぎている偶然に恵まれた。 Aが母親の影響で旧統一教会の信仰に傾斜したのは、中学1年の時であった。西暦でいえば1995年である。中学は違えど、頻繁にAの家に遊びに行っていた私は、やがて猛烈にAとその母親から旧統一教会の勧誘を受けた。私は根が猜疑心の塊にできているし、この時代からレオ・ヒューバーマンの『社会主義入門』(岩波新書)を読み、唯物史観の影響を受け始めていたので、「Aとその母親のいうことは信用できない」と思いつつ、一方で怖いもの見たさで勧誘に乗じるフリをして、Aから勧められて半ば強引に貸し与えられた旧統一教会の本を読むことになった。 基督教~と謳っている割に、その教義はキリスト教と韓国伝統の儒教、それからシャーマニズムの混交のように思えた。日本については、文鮮明氏により「植民地支配の辛い経験はありますが、日本の人たちを恨んでいるわけではありません。これからは韓日友好の時代が~」みたいな旨、日本語に訳して書いてあった。 Aは高校に入るとますます旧統一教会に傾斜するようになり、「韓国は聖地」と連呼するようになった。自宅のリビングには文鮮明夫妻のカラー写真が何枚もパネルにして堂々と飾ってあった。Aの自宅を私とともに訪問したBが、「これA君のおじいちゃんとおばあちゃん?」と聞くと、Aは俯いて「あーん…」と不明瞭に発声して、明確には答えなかった。 Aは中堅進学校であった私の高校レベルで考えるとだが、秀才の部類だった。高校1年生の段階でAは北海道大学理系学部の模試合否判定で「A判定」を取っていたからである。この間、Aは学級会で「宇宙の真理」等について独自のプレゼンテーションを行おうとするなど奇妙な行動が目立ち始めた。私はこのプレゼンテーションを、「背後に旧統一教会の教義が存在する」として阻止しようとしたが、クラス担任だったC教諭が宗教に免疫のない人で私の抗議にもかかわらず、すんなり許可された。結局Aは教壇に立って「宇宙の真理」を熱弁した。直後、私は「これは特定宗教のプロパガンダである」とクラス中に吹聴して回り、Aの面子を潰してしまった。Aとの友人関係はすでに破綻していた。
旧統一教会・戦後保守・岸信介…安倍元総理銃撃事件犯人の世界観とは?(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュース
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kozuemori · 11 months
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今日から7月、今年も折り返し地点となりました。今週のオールレベルクラスでは夏の星座をテーマにした誘導瞑想の中で自然が教えてくれる神秘的な折り返し現象に触れ、今年前半の学びと経験を後半に活かすヒントを与えてくれる指導霊と出会っていただきました。また、今日のマントラ入門でも熱心な方々と楽しい時間を過ごすことができました。光の時間を共有していただき、どうもありがとうございます。夏学期も残りわずかとなりましたが、最後までどうぞよろしくお願いします。
6月25日には久しぶりにサンデーサービスを担当いたしました。ご一緒した惠子ミディアム、マスタークラスの生徒さんも、素晴らしい司会、デモやサーモンを披露してくださいました。お忙しい中、光の交歓会に参加してくださった方々に心より感謝いたします。今回のサンデーサービスの中で行ったデモンストレーションの中から、お二人分をダイジェストで紹介いたします。読みやすいように編集を加えています。
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森:そんなにお年を召した方ではなくて、男性で、ご親戚だと思うんですけれど、高校生かな…大学生かな。割と若い感じで車の運転ができる年代ですね。事故なのかな…急に亡くなっている感じがします。ここに来ている方よりも年下で、血が繋がっている方です。ここまでで思い当たる方、いらっしゃいます?(男性と女性の二人が手を挙げる)あ、そうですか。で、なんていうか、車というよりもバイク、なのかな。
男性:自転車に乗ってて。
森:その方は、車の運転とかできる年頃ですか?
男性:そうです。
森:そちらの方は、いかがですか?
女性:私も、自転車でした。
森:絵を描いている姿を見せてくださっているんですが…。
(どちらも絵を描いていると答える)
森:そうなんですね、どっちかなぁ…あと、桃を見せてくださっているんですが、最近、桃は食べました?
男性:はい。
女性:私は食べていません。
森:じゃあ、男性の方かな?このご親戚は、お若くして亡くなっているので、命の大切さをもっと伝えたいみたいなんですね。ご自身は何かライフワークとして、命の大切さを後進に伝えたいとか、そういったことを考えていらっしゃいます?
男性:はい。
森:実際にやっていらっしゃいます?講話、談話みたいな感じで、ご自身がお話しされているのを見せてくださっているんです。
男性:あの、子どもに教えるのが仕事ですから。
森:それは、勉強とか、なのかしら?
男性:はい。
森:もうちょっと、人生観とか、直接勉強科目に関係ないようなことを教えるのを考えていらっしゃいます?道徳心とか…ちょっとお坊さんみたいなことですよね。
男性:僕は、授業中にそういうことを言うのが多い教師です。(笑)
森:そうなんですね。(笑)だから、人気があるのかもしれないですね。もうちょっとそれを、実際に教えていらっしゃるお子さん以外にも広げていいかもしれないです。お坊さんみたいに…在家でもいいんで。(笑)ちなみに、仏教関係とかはお好きですか?
男性:はい。
森:ちょっと仏教寄りな感じがするので…日常に溢れている仏教用語とか、あるじゃないですか、日常にもそういった信仰、神様が宿っているということを言葉を通じて広げていただきたいと、この方はおっしゃっています。
男性:はい、ありがとうございます。
森:次は、指導霊のサイキックアートをしたいと思います。まだ今日当たっていない方、私のサイキックアートを受けていない方は、手を挙げていただけますか。(一人の女性を選ぶ)ご自身の指導霊で、修道女の姿をした方が見えます。キリスト教に興味はあります?
女性:小学校の時に信仰はしていなかったんですけど、お菓子をもらうためだけに教会に行っていました。(笑)
森:日曜学校ですかね。
女性:そうです。
森:その時から、神様はいるのかなぁ、とか…。
女性:それは思っていました。
森:割とクリスマスとか、好きです?(笑)
女性:あ、めっちゃ大好きです。(笑)
森:で、十字架とかは持っていないですよね?
女性:あ、ロザリオを小学生の時にもらったんですけど、引っ越し先で失くしてしまいました。
森:この方がおっしゃっているのは、お祈りをすること。気持ちも整うし、体も浄化するし、あなた自身のリセットになるんですって。ちゃんとした言葉をお祈りに使わなくちゃいけないとかじゃなくって…ご自身は絵を描くのは好きです?
女性:あ、めっちゃ大好きです。仕事にしてます。
森;絵を描くことで繋がる、と指導霊が言っています。それを感じていらっしゃいます?絵を描くことが祈り、って(指導霊)がおっしゃっています。
女性:あ、ホントですか。
森:ご自身が描くものって、宗教性が高いですか?
女性:いえ、グラフィックデザインなので、ポスターとかです。
森:(指導霊が勧めているのは)仕事以外の、ライフワークとしての宗教的な主題の作品です。どど〜んとマリア様を描くとか教会を描くとかじゃなくって、あなたの世界観で宗教観を表していいんですって。従来の宗教画だけではなく、その絵を見た人が心を救われるような、癒されるような、導きを感じるような、そういう作品は全て宗教画だって言っています。
女性:おお〜。
森:ぜひ、描いていただくといいと思いますよ。
女性:自分のデザインで描いていいってことですか?
森:そうです。で、デザインというよりも、もうちょっと有機的な感じがします。グラフィックデザインというよりは、絵画に近い。具象画に近い感じです。(出来上がった写真上のサイキックアートを見せながら)こんな感じの指導霊です。あっ、ちょっとご自身に似てるかもしれない。(笑)
女性:似てる!(笑)ありがとうございました。
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秋学期クラスへのお申し込みは、7月15日より私のサイトにて受付を開始いたしますので、今しばらくお待ちください。
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hummingintherain · 2 years
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7月24日(日)|流されやすさ
 以前読み進めようとして挫折した植本一子『台風一過』をもう一度読んでいる。石田さんがいなくなった日々が描かれていくことに少しくらいは耐性がついたと思っていたけれども、『台風一過』は事の直後ともあって当然ながら石田さんの存在がかなり色濃く、何度も手を止めてしまう。
 2月27日の生命保険のくだりが印象的だった。
 保険の話までするのはあまりにも個人的すぎるかと思ったが、一応伝えると、急に焦った様子で、それは誰かに相談したんですか?と聞かれる。そういえば誰にも相談していない。お金の話だし、とどこかで思っていたのかもしれない。すると、普通は高額を掛ける時は、リスク回避のためにいくつか分散させるものなのだと先生が言う。私は為替の保険に入ろうとしていたが、円の保険ももちろんあるし、一箇所に掛けるものではないらしい。保険会社の人からしたら余計なことを言っているかもしれませんが、植本さんはお金を大切にしていらっしゃるし、もうちょっとよく調べてみたらどうですか?と、「ほけんの窓口」を教えてくれた。保険とはいえ、確かに為替はギャンブル感があると思っていた。先生は、これまでにもいろんな人を診て来たので、つい言いたくなってしまいました、と心配してくれている。どうして保険に入ろうかと思ったのかと聞かれ、たまたま路上で勧誘されたからと言ったら驚いていた。 「大きな出来事があった時は、どうしてもスーッと流されやすいですからね」  そう言われてハッとした。今回のこともそうだし、人が死んだ家に宗教が入り込むのも同じようなことだろう。(『台風一過』植本一子 河出書房新社 P.87-88)
 安倍元首相銃撃事件で話題になっている旧統一教会も脳を掠めるけれど、もっと間近に自分ごととすれば、今接骨院に通い詰めて鍼灸治療まで始めようとしていることが重なった。最初の予約こそ誰かに勧められたではなく自分で決めたことで、たまたま前を通りがかった際に身体のだるさや肩こり腰痛頭痛等々でお困りの方もしかしたらそれは背骨の歪みかもしれませんよといったようなポスターがあって、それも一理あるかもしれないなと相談をしてカウンセリングを受けて、過去誰からも、固すぎ、と苦笑されてきた私の肩やら背中やらを預けて、しっかりと治療をしたいのであればこまめの受診をおすすめしますと言われ、やがて奥の筋肉までほぐすために鍼を勧められ、大体のことに対して、じゃあそれで、とほとんど受け身の姿勢でいる。しいていえば三ヶ月の定期券と一ヶ月の定期券で三ヶ月はみた方がいいと思いますと言われながら値段に尻込みして、実際に三ヶ月通うことになればまとめて払った方がかなり安くはなるのだけれどつい最近そうしたまとめ払いに後悔したことを思い出して、一ヶ月分にしたくらいがささやかな自分の意志だった。接骨院の人たちは親身になってくれていて、一ヶ月にした時もそれ以上言及するどころか「そうした方がいいと思います。なんだか不安そうなので」と言い、そこで少し信頼が増した。施術自体は気持ちがいいし、普段の姿勢にも多少は気を遣うようになった。でもあれよあれよと付加されていくごとにお金がかかっていくこともまた事実で、直近で強く困っているわけではないのだけれど、セラミック歯もいれたし映画にも行っているし、生きていればもちろん固定費食費かかっていくし、決して自分のスケールにとって小さくはない出費が重なっていることにもっと危機感を抱けと危惧する内側の声もある。でもお金で買える幸せなのであれば買ってしまっていいんじゃないかと思ったりもする。
 誰にも相談せずに接骨院通院を始めたけれども、おととい、それを試しに家族のLINEで言ってみたら、「信仰に陥らぬよう祈る」と母に言われる。セラミックにするか銀歯にするか迷った時にも相談したとき、すぐにセラミックを勧められた。家族、特に母は、身体に関することには多少お金をかけてでも最善を尽くすべきだという考え方をしている。とはいえ、セラミックを選ぶことと、整体を施し身体をケアすることは、違うといえば違うんだけれども、どちらも身体に関する大きな枠組みでいえばとても似ていると思われた。いや、深い意味はなく、心配されているだけなんだろう。でも信仰と出されるのも、なんだか腑に落ちない。この信仰への注意には、傾倒して盲目的になり気付かぬうちに不都合を被っている、なんてことにならないようにね、といったニュアンスが含まれていると感じたのだけれど、失礼な気もするのだった。私にも、真面目に働いている整体師や鍼灸師の方々に対しても。私はこの倦怠感を、身体の痛みをどうにかしたい。かなり、切実に。少しだけでも元気になりたい。可能なのであれば、鎮痛薬を常に財布に忍ばせていなくても平気なくらいになりたい。
「楽になれば嬉しいね」とその後言われる。そう。楽になったらいい。でも楽になるための手段がこれで良いかはわからない。この迷う曖昧さ、身体をケアしている時の楽な感覚をそのまま受容して大丈夫なのかといった不安は、他人に自分の身体を預ける心細さだとか稼ぎ柱にはなるよなあといった疑いと諸々まとめてつきまとう。そう考える自分も失礼かもしれない。
 大きな出来事があった時は、流されやすい。他人事でなくて言い聞かせても、どこかにある、いや言うて大丈夫でしょとへらへらした油断で足下をすくわれるのかもと危惧する怯え。失敗したときは失敗したときですよ、と言い聞かせる大雑把さが結局根にある。
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hoshikawachinatsu · 2 years
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宗教2世
YouTube で、“家に来た宗教勧誘のおばさん怒らせてみた”などという動画を観たことがある人はいますか?
その動画を観て、“ああこういう人本当に迷惑だからいい気味だ”とニヤニヤした事は?
今までに“宗教上の理由”で何かをする事ができないという人に遭遇した事はありますか?“なんだよその理由www”と内心小馬鹿にしたり、その人と関わるのをさけた事は?
その一方で、“この動画で笑い者にされているおばさんは自分の親かもしれない。自分も毎日毎日こうやってインターホンを押していたんだ”と、唇を噛み締める人たちの存在を考えたことはありますか?
幼いころから、“宗教上の理由”であらゆる事を禁止され、いつもびくびく怯えながら、友達や目上の人に幾度も幾度もそれを伝えて来なければならない人たちの存在を考えたことはありますか?
その人たちは宗教2世です。
親が宗教に傾倒したせいで、金と時間全て奪われ家庭をバラバラにされ、元総理を殺したいと思う人がいました。
心が張り裂けるほどその人に共感でき、「一歩間違えばあの人は自分だったのかもしれない」と、思わなければならない人たちがいます。
それが宗教2世です。
私はエホバの証人2世です。
禁止事項: 誕生日、クリスマス、イースター、ハロウィン、七夕、端午の節句、ひな祭り、盆踊り、正月、年賀状/新年の挨拶、校歌・国家斉唱、合掌、万歳、参拝、他宗教絡みの冠婚葬祭、偶像崇拝、輸血(子供が輸血しなければ助からない場合でも親は輸血をしないことを選択)、婚前性交渉、喫煙、選挙投票、柔道剣道、エホバの証人以外との結婚、不倫以外での離婚、自殺など
注意事項:エホバの証人以外の子供と学校以外で会うなど仲良くなりすぎる、テレビ漫画雑誌映画などのあらゆる娯楽(そんな時間があるなら聖書読め)、部活(そんな時間あるなら伝道活動しろ)、流行り/高価な服や露出の多い服を着たり厚化粧をしたりする(個人的には水色のマニキュアをしていて注意されたことあり)、高校/大学進学、自慰行為
必須事項:集会出席x週3回、大会x年3、4回(毎年夏休み中は3、4日連続) 、伝道活動x多ければ多いほど良し(私の母は“正規開拓者”という名の元に、月90時間以上の伝道活動をノルマとされた生活を、私が小学1年生から中学3年生ぐらいまで続けていました)、神への祈り、その他諸々の活動、聖書研究、集会予習復習 
推奨事項:神権宣教学校(ほぼ小学生の時に入学)→伝道者(ほぼ中学生でスタート)→バプテスマ(ほぼ中学生・高校生で入水)、子供への鞭(私が幼少期だった時は子供への教育の一環として体罰を推奨。今では聖句の解釈が変わり、推奨されてはいないとのこと。は?)、義務教育修了後は宗教活動に全時間捧げる、寄付、清貧な生活。
こんなとち狂った環境に物心ついた頃からいた私たちがまともに社会で生きられると思いますか?
確かに、エホバの証人は統一教会の様に多額献金を強制はしません。その代わりに、私たちは高等教育や社会的地位、高収入の職業などを選択することは悪だと教育され、何にも変え難い私達の時間と、一生に一度しかない青春を奪われ、若い頃から諦めの人生を生きるようマインドコントロールされます。
“そんなのさっさとやめればいいじゃないか。信仰するのも自由。信仰しないのも自由。“とあなたは思われますか?
だったら聞きます。
だったらあなたは何故コロナワクチンを接種したのですか?何故マスクを着用するのですか?
大の大人ですらおかれている環境や人の目によって自分の意思が左右されるものです。
親から与えられる新興宗教の世界が私達の全てでした。
私達はただ親に喜んでもらいたかったのです。親に褒めてもらいたかったのです。
普通の子供達のように普通に親を尊敬し愛したかったのです。
そのために私たちは自分を犠牲にするしかなかったのです。
他人や元総理を殺すのではなく、自分を殺すことで親を幸せにしようとしたのです。
そしてある日気付くのです。そこまでして愛した親はただ新興宗教の虚偽に振り回せれているだけだ、と。
私たちは、マイナスからのスタートを0に戻すためだけに、文字通り必死にそこから抜け出さなくてはなりませんでした。
抜け出してもそこには地獄しかありませんでした。それでも自殺もせず犯罪も犯さず真面目に底辺這いつくばって生きているのです。
それどころか親として自分の子供には同じ思いをさせまいと人一倍努力して親をやっているのです。
それがどれだけの賞賛に値するかを誰にも理解されることなく、自分を恥じ、ひっそりと生きているのです。
宗教2世は“被害者”だと社会的に認められ、堂々と助けを求められるようになりますように。
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takamisuzuki · 3 years
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煩悩にふりまわされない。仕事の前に、一呼吸、集中。 Seamos zen, estemos fuera de los malos deseos autodestructivos! Concentración !!! #そういえば仏教も昔好きだった #信仰宗教の勧誘じゃないよ #あ、でもタンゴって結構そうかも #踊る前のリラックス #アルゼンチンタンゴ #日本人がタンゴを踊る https://www.instagram.com/p/CKP8l4yh01s/?igshid=n3vcl8mkos9
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2ttf · 12 years
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osadashin · 5 years
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宗教は何が悪い?
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先日、奈良県の東大寺を訪れた。
奈良の仏像って言ったら鹿と同じく有名だ。
その大きさを当時作ったことにも驚きだけど、それ以上にその経緯と思いに胸を打たれた。
聖武天皇、マジイイヤツじゃん。って思ったわけです。でも、一般的に日本ではこうした宗教は悪いものだ。って思われている。
そっちの方が頭わいてるじゃん。って思ったわけです。
だって、その心象が強いものは、思考の機会を奪ってしまうし、時に良心さえも破壊してしまう。
信仰心とは良心のひとつのことだと思う。先人の教えで良いものだ、そう思えるものを大切にして生きていくこと。それは強要ではないし、必須ではないし、絶対でもない。
ただ人生の先輩の生きる知恵や教えだ。
だから、宗教が思考を奪うというよりも、思考をやめた人や辞めたい人が宗教に入るんだ。オカルト的な宗教はいらないけど、信仰する心を持つのは人それぞれ大切なことだ。
みんな何かしらは信じて生きていると思うしね。ここまで書くと、ああ、あいつもきっと宗教にハマってその内勧誘の電話をかけてくるのかもしれない。そう思うかもしれない。
でも、むしろ、その考え抜き、自分自身の中の真理を見つけた先、もしくは何か信じてもいいと思えるものに出会った時に本来の人としての能力を発揮できると思う。
目標や夢に夢中になって取り組んでる間は本当にまっすぐ取り組むことができるように。
だから、宗教の思想家が考え抜いた哲学を知り、先輩の教えいいですね!っと自分にとって良い考え方だ、世の中にとって素晴らしい考え方だ、そういうものを生活に取り入れたら良いのだと思う。
たぶん、それって温故知新って言うんだろうなあ。頭悪いから最近まで気がつかなかった。
お金についても同じことが言えると思う。
お金を稼いでる人をみんな羨むのに、抱え込んでる人がいると悪いやつみたいに指差す。
お金はとても便利な道具だ。持っていると自由に使うことができる。
使い方を間違えると確かに悪いやつになる。
そして、大半のお金持ちが私利私欲のために生きてるような人に見えて、人格者とは真逆の悪いイメージがどうしても先行してしまう。
でも、使い道によってはこの道具は沢山の人を助けることができる。
昔は生きてるだけでお金がかかるなんて意味がわからなかったし、なんで頑張って働いたのに、年貢を納めないといけなのか!なんて自分勝手なことを思うことも多々ありましたね。
でも、実際には資本主義の中で生きてる。
そして、形は変わってもずっとお金という信頼と評価の中身は変わらない。
ならば、良いお金の稼ぎ方と良いお金の使い方で良い循環の方法を社会が見つけていくべきだ。
「効果的な利他主義」ってとても難しいけど、
何よりも、思うよりも行動。
学びより実践!
神頼みしてる暇あったら行動しましょう。
南〜無
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djsouchou · 5 years
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(ゲーム団塊198Xさんのツイート: "妻が新興宗教の勧誘挨拶に来た女性に「入信するつもりは毛頭もないですけど、玄関話なら何時でも来てね」と丁重に帰ってもらい続けて二年。ついに女性から「信仰をやめたい……」と相談されるようになって、この人の方が教祖の素質あるんじゃね?と聞きたいけど、しかめっ面でナンプレに夢中の様子。… https://t.co/Nx7A5x7VLz"から)
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selgey · 2 years
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 別筋で、twitter掘ってて、青木俊氏のツィートに何か感じるものがあったのか、「陸自一佐 逮捕」という検索をかけてみたのだ。
昔、一時、陸自の二佐と交友したことがある。防衛大出、米国留学経験ももつ。自信家の俗物だった。世間的な常識は狭い。その二佐、一佐になった直後、収賄で逮捕された。そんなものなのだ。 https://t.co/V4tfIq05cS
と、秀島裕展という名前に行き当たる。何しやがった、この秀島某という男? と思って調べると直接の容疑は銃刀法違反なのだが、ここで顕正会の名前が出てくる。秀島某は会員だったそうで。
 続けて掘ってみると、出てくるわ出てくるわ、顕正会の問題行為。しかしだ、それを扱うどのサイトも、日蓮正宗や���価学会会員によるサイトらしく、事実なんだろうが、それを問題にしているのは、法華宗系の内輪もめ、内ゲバっぽいのである。おそらく、逆に正宗や創価学会の問題行為を題材にしたサイトでは顕正会会員が運営したものも出てくることだろう。 多分事実でないことはないにしろ、どちらのあちらに対する批判的記事も殊更大げさに書いてあるに違いない。
 顕正会会員が起こした���件としては、平成21年の1月新潟でのものが調べた中では最新のものとなっている。FBIからは、オウム系は当然としても、法華宗系の中で創価学会と並んで危険カルト認定であるとかないとか。
 勧誘の手口というのも目にした。思い当たることも多く、姫はなぜにオレに声をかけたのか? いろいろ可能性は考えたが、まぁ、甘っちょろいおっさんと思われたから、という可能性が高まった。寂しいが。
 主張としては、国立戒壇の建立というのもあるのだが、まぁ、この点だけ創価学会がマシと思える点だが、創価学会が主権在民を主張するのに対し、顕正会は戦前の天皇主権を主張するらしい。まぁ、その部分、当事者たちの主張を直接読んだわけではない。
 繰り返すが、何を信じ、法律に触れない限りは何を言っても結構なんだが、オレは与することはできない。心苦しいが 姫への退会の申し入れ、早くせねばなるまい。
 しかし、となると、結局顕正会、正宗、創価学会と主張の多少の違いをお互いディスっているが、その実やってることは大同小異で、これは法華宗の根源的教義あたりに問題があるような気がしてしまう。実際、まだ読んでいる最中だし、この前買ってきた本以外にもいろいろ目を通しながら、という作業をボチボチとやっているが、御聖人様、どうも、宗教人としてそれはどうよ? というのを多々お見掛けしてしまう。
 文字だけの曼荼羅。法華宗系はご本尊が仏”像”ではないらしく。「龍口の法難」という神秘イベントのあと、流罪となった佐渡で日蓮が作ったものなんだそうだが、文字だけ。「南無妙法蓮華経」という文字列の直下に自身の名前、左右に関係する神仏などの名前を廃したものなんだそうで。・・・絵心、残念ながらなかったんかな? 御聖人様のお気持ちはわからないが、これが後世、法華宗→日蓮宗を、なんかガサツなものにしてしまったことはないか? 絵なんて、仏絵なんて余計なものはいらん! とかなって、延いては人の細やかな日常の機微みたいなものに無頓着な宗教になってしまったことはないか? たかが絵ではあるが、それをめでるちょっとした心って大事だよ。でも、それはここでは大したことじゃない。
 神秘イベントの取り扱い。うまくいけば、私が正しいから起きた奇跡、という。世の中がうまくいかないのは、私の言葉を受け入れないから、というスタンス。これについて思うことは大体書いたが、勘違いか、特に顕正会には、御聖人様、自身を釈尊の生まれ変わりと自称したとか言ってなかったかな? 或いは妙法蓮華経そのものであるとか。大川隆法と同じこと言うとるやん。釈尊とかキリストとかの生まれ変わりと僭称する奴って多いのだが、他とは違う、これは真実であるという根拠が大体こういった神秘イベントなんだが、真実であるかどうか検証するすべもなく、一方で社会の不具合は、不信心という要素がなくても説明可能なものがほぼ100%であり、その不信心自体、それぞれが自分たちの教義以外をすべて不信心と括ってしまっているのだから、どれか一つを取って妥当、正当とする根拠はまるでない。
 いや神秘イベントが真正のものであるならば、素直に処刑されるべきだっただろう。菅公のようにこの世に祟るか、キリストのように復活してもいい。「龍口の法難」のような、一方からは奇跡と言われるが、客観的には何が起きたかあいまいで検証不能な、如何にも中途半端な神秘イベントというのは、日蓮の大きな根拠となりはしても、法華宗→日蓮宗の広がりを”その程度”のものにしてしまっている。凡夫のオレはそんなものはあるわけがないと思っているが、本当にあることなのらば、もっとはっきりわかり後世信者ないものにも語り草になるものにするべきだったな。
 また、現在のラノベよろしく、釈尊や経文の生まれ変わりであるというなら、上記の如くよほど強力で明らかな法力をいつでも示すことができるのではないのであれば、寧ろ自称はしないだろう、伝えられる通り叡智の集積であるというなら。別の、史実になかったより効果的なやり方で教義の拡大浸透、弘通を行ったはずだ。なんか御聖人様、オレ様がぁ!が強すぎたのか、そこら中にかみつきすぎだ。それこそ人の心の機微に疎かったのか、それではk教義は広まらない。
 社会全体なんて大風呂敷広げすぎだが、個々の信心、信心が足りていないから不幸が起こるとか信心しなかったから地獄に堕ちるのだという脅迫めいたものというのは、どの宗教でもありがちだが、例えばニーチェの「神は死んだ」というのは、彼が無神論者だったことを示すものではなく、寧ろ熱心なキリスト者だったところに、何を指してそう判断するか、信仰の強弱で救われたり救われなかったり、というのが、ルサンチマンの増幅につながっていることへの批判をこめたものだったわけだが、画一的な何かを求めてくる宗教を自称するものを宗教と呼んでいいものかどうか?
 三派はじめ、その辺法華宗系の人たちに訊いてみたいものだが、ダイバシティ、宗教や民族、人種などの多様性を受け入れるという、今日の流れについていかが思うか、というところ。それはそれ、というのであれば、どうか、オレを会員にするのは諦めて欲しいのだが、さて、御聖人が鎌倉期、それを言わなければいけない必然はあったのだろうが、それは今日的に妥当なんだろうか? 教義のアップデイトを簡単にできないのは、その時代、正に今現代、それぞれの教団、団体の上層部の地位保全とルサンチマンと他人に対してマウントとりたいという意志の拗れた形での充足以外に、意義が思いつかないが、まぁ、オレはあくまで門外漢で通すつもりなので、正確なことは知らない。
 あ、あと、身延って、「ゆるキャン△」で名前知ったけど、日蓮宗の聖地なんだな。
 FBIからカルト認定されようが、他の2派から批判されようが、実際のところ、そうそう問題活動が頻発しているわけではなく、会の体質として潜在的にそういうものがあることは否定できなくとも、個別の事象は会員の突出によるもののようであるし、表面上今現在、穏やかな団体と言ってもいいような気はする。オレはとても会員として活動することはできないが、信じることができる人はどうぞ。オウムのような差し迫った危険さがあるわけではなく、従って姫を力づくで連れ戻す、なんていうこともするつもりもない。これも繰り返す。姫は顕正会に救われた。そういうポジティブな部分もちゃんとある。信じるというのであればそれまで阻む理由も全くない。
 ただ、会社で、姫に以降、やはり嫌われるような形になるんだろうなぁ。非常に残念。つか、少し悲しいかも。まぁ、すべてうまくいくことというのも、この世にはあまりない。会社の業務に支障が出るようではお互いに損するのだから、派手なことは仕掛けられないだろう。
 会とは、「大人のケンカ」の準備はしておこうと思う。消費者センターには早い時期に相談しているし、知り合いの弁護士にも、宗教、消費者問題が得意な同業者(弁護士)はいないかと、今回の事は何となくほのめかしてはいる。
 今回の折伏は残念でした。しかし、オレはこのように面倒くさい奴なんです。どうか、すんなりリリースしてくださいますよう。
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wasite · 2 years
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WASITE.store 2022.03.05 now OPEN  今日の海 「日本人はハワイ大好き」 その関係性はひょっとしてこんなことから始まった? 1881年の今日 ハワイ国王 カラカウア 来日!!! こ。こ、これは!? 史上初の日本以外の国家元首が 日本に来てくれた!ってことですよ!? それまでどんだけ近くても、 琉球国王本人は来ない。 朝鮮半島の王朝の王様も来ない。 中国の皇帝も来ない。 王様 本人 が キターーーーーー! この王様・カラカウア王。 「陽気な君主」という意味のあだ名 「メリー・モナーク」 と呼ばれ、ハワイファン、ハワイフリークなら ハッと、ピンと来るはず。 イエス! フラの大祭「メリー・モナークフェスティバル」! は キリスト教宣教師によって禁止されていた「フラ」を 復活!させた大功労者、カラカウア王のあだ名から命名! しかし ほんとキリスト教宣教師ってのはしょーもないことする。 「フラを禁止」 何様? 大昔の宣教師は信者を増やしたくてヘコヘコして、 よその地域の風習とこじつけて 「キリスト教も同じことを言ってるんですよ!」 すごいでしょ?だから一緒にウチ(キリスト教)に入りませんか? みたいな勧誘してた��� それが「クリスマスツリー」です。 あれは「木」が大好きで愛しすぎてる民族のところで行われる 神聖な木を祀るお祭りの時に 木の3角形のフォルム(モミの木とかね)は、 キリスト教の三位一体を表してるんです、すごいでしょ! ね、一緒に祈りませんか? 祭りで酒が入ってる住民「そ〜なん〜へ〜ま〜い〜いんじゃね〜」 ということで信者ゲット(強引) だから、この時のハワイの宣教師も、 「フラ」をキリスト教の教義の何かとこじつけて 信者勧誘してたら クリスマス、ハロウィン(これも土着信仰から)につづく、 新たな宗教儀式イベントになってたかもしれない。 「郷に入らば郷に従え」 かつて多くの日本人がハワイの郷に入り、 ハードな労働環境のなか郷に従ってきた。 日本人だけが移民したわけじゃない。 他の国の人々も多くハワイにやってきた。 が、ハワイのそのハードな労働環境に、 逃げ出す者が絶えなかったとか。 (最初期の日本人も『聞いてないよー』って状況に帰ってきた人もいた) でも昔の移民日本人が「くっそ努力」したおかげで、 ハワイの中でも多くの文化を融和させていくことに。 結果! ハワイの中で日本人の割合は増加し、 ハワイ最大の民族集団となる! で、第二次世界大戦起きたじゃん? アメリカ本土じゃ日系人は収容所に入れられてしまいましたが、 ハワイじゃ日系人を全員収容所に入れるのは 「不可能!」 であり、 「全員入れたらハワイ経済が立ち行かなくなる!」 ってんで、 一部の日系人だけが収容されただけ。 影響力でかすぎw 影響力、といえばハワイにフラがあれば、 日本は「盆踊り」です。 ハワイでは「ボン・ダンス」というイベントが定着! アロハシャツの原型は日本の着物をリサイクルした ハンドメイドシャツ。 弁当はベントー 餅はモチ おかずはオカズ 日本語はハワイのローカル言語に溶け込んだ。 今も多くの日本人がハワイ好きなのは、 そんな身近さ、親近感を感じるところからもあると思うけど、 その文化を培ったのは 気合いと根性でハワイに根ざした 日本の先人たちのおかげ。 で、 そんな先人を「移民しませんか?」と誘致しにきてたのが、 メリー・モナーク aka カラカウア王。 (ハワイの日本人移民開始は  1868年でカラカウア王の前からね) 日本にやってきた、初めての外国の王様、 の話でした。 やっぱ仲良くなるには本人(国家元首)が来て会わないとね。 ってことで、 カモン、プーチン!(電話会談じゃなくてさ) ストーーーーーーップ!!!ロシア!!! では、今日も良い1日を #WASITE #ワシテ (WASITE) https://www.instagram.com/p/CatSyFdv4fB/?utm_medium=tumblr
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arara1212 · 3 years
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須坂市「とら食堂」いつも通りにこにこ腹がへったからとら食堂 店名 とら食堂 場所 長野県須坂市大字相之島539 電話 026-245-8100 ジャンル 食堂 バリアフリー ◯ 駐車場 あり 食べたもの 「焼肉定食 超大盛」1350円  ご存知の方もたくさんいらっしゃるだろうが、私は自◯党およびそこに所属している政治屋どもが大嫌いだ。もちろん、かつて立花隆が名づけた「巨悪」が跳梁跋扈していた時代に比べれば大人しいもの、というか小物ばかりなので大した事はないが、昔の「巨悪」どもと違って、矮小というか陰険というか、根源的な爽やかさに欠けるというか。どうにも気分が悪くて仕方がない。あれをみよ、これをみよ。細かくは言わないが、世の中が良い方向に進んでいるとはとても思えない。長く続けさせるという事がいかに悪い事なのか。ここはみながみな真面目に考える時であろう。  とかなんとか言いながら 私はかつて◯民党の一員であった事があるはずだ。「はずだ」というのは若いころ、幾人ものかの政党所属の政治家どもの後援会に入り、選挙事務所に入り浸り、メシを喰らい当選したといってはニコニコ万歳三唱となえという、はなはだ調子のよい時代を経た経験があるからだ。おそらく当時は絶対に党員にさせられていたと思う。東京有数の保守地盤に住み、そこの建設会社にいたとなればある程度以上のおつきあいは仕方がない。私の節操のなさはこの時に醸成されたものであろう。  ある信仰宗教にも入会しているはずだ。はずだ、というのはかの団体で熱心に活動していた親友の、あまりにもうるさい勧誘に根を上げて、 「もう誘わんでくれ、その代わりオレの名前は好きに使ってくれていいから」 と、言い渡しているからだ。あいつは絶対に約束は守る男だからお誘いも絶えたが、名簿のどこかに私の名があるはずだ。  やはりしっくりくるのは天理教だ。 単にわが家が信仰していただけ、親戚もいる。出向けばみな知っている(大半は死んじゃったけど)、子供のころからつきあいが深かっただけで、何十年も教会にいっていないし、現在ではお手振りも忘れ果ててしまった罰当たりものではあるが、見知っているだけあって親しみ深いものだ。  天理教といえば「陽気暮らし」。にこにこ歌って踊るのだ。先に「お手振り」といったが、歌いながら手だけの踊りを神様に幾種類か朝昼晩ご奉納。あとは月に一度、決まった日にメイン14ステージをご奉納するという段取りだ。後年になってクリスチャンの集会に何度か出席する機会があったのだが、踊りはしないが、歌と言葉で神を寿ぐという共通点があったので、あまり違和感がなかった。   「とら食堂」 腹がへったらとら食堂に腹がへったから向かうのだ。昨年5月以来にお邪魔する。こちらは美味いしおかわり自由だし店のひとはみなにこにこしているし。よい事づくめだから余計と距離を置きたくなる。だって毎日通いたくなるではないか。さぁにこにこしながら美味い焼肉を喰らうぜ。   「焼肉定食 超大盛」1350円 “季節のフルーツや、野菜をふんだんに使いマスターが1日がかりで作っているのでマスターの愛情もだっぷり(笑)一番気になる、あの濃厚な味は一定期間ねかせて熟成し、焼肉を炒める時に、お酒やマヨネーズなどが入りいつもの味になるのです。”  とメニューに記載されていた。こちらに通い出して10年以上経過したが、初めてメニュー表を仔細に眺めたという情けない事態。それほど焼肉定食一択が続いている証拠だ。  ぷりっぷりの豚肉にたっぷたぷのタレ。このコンビネーションが素晴らしい。キャベツをダイブさせて食べるのは当然だが、今回は初の試み、ご飯に染み込ませて頂こう。あああああああ美味い。強烈なにんにくが快感だ。まったりとした味わいはマヨネーズであろう。そして肉が柔らかい、メシが止まらない。おかわり自由で最高記録が13杯と更新されたようだが私には無理だ。あああ美味い快感だ。   だからというわけではないが、腹の中ではいろいろあってもやはり人前ではにこにこしていなければならない。それでこそ人の生活というものだ。    #長野  #須坂  #とら食堂  #腹がへったらとら食堂  #焼肉定食  #大盛り  #超大盛り  #豚肉  #千切り  #キャベツ  #千切りキャベツ  #キュウリ  #りんご  #タレ  #定食  #定食屋  #定食屋さん  #定食ランチ  #和定食  #おかわり  #おかわり自由  #グルメな人と繋がりたい  #グルメ好きな人と繋がりたい  #食べる��好きな人と繋がりたい  #飯 #飯スタグラム  #飯テロ #コロナに負けるな #좋아요_한국 #좋아요_일본 (とら食堂) https://www.instagram.com/p/CL7gFgNAQe2/?igshid=tr3y3hd4giby
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NHKスペシャルの『患者が”命を終えたい”と言ったとき』を観た。「鎮静」処置をやるやらないで登場した医者の振る舞いについては、特に違和感は感じなかったが、ALS患者に呼吸器をつけるつけないで登場した医者の振る舞いには違和感しか感じなかった。違和感というか、まあ、恐怖だよね。アレを見て、医者がどうやって、人工呼吸器を望んでないALS患者に人工呼吸器をつけさせるのか、その「手口・やり口」がよく分かった。
放送されたものを見る限り、件の医者は、担当しているそのALS患者に人工呼吸器をつけたくてしかたがない。医者は自分からは、人工呼吸器をつけるべきだとは絶対言わないし言えないが、その振る舞いから、どうにかして患者の気を変えて、人工呼吸器をつけさせたいと思っている本心は丸わかり。何度も何度も意思確認をしたり、実際に呼吸器をつけたALS患者と話をさせようとしたり。
これは、「生命教」の狂信者の典型的な振る舞い(@一応言っておくと、「生命教」とは生命を存在宇宙の最上位に置く信仰で、所謂「無神論者」でも「生命教」信者であることから免れている者は少ない。なぜならこれは、人間という生命現象依存型知性現象の「持病」あるいは「呪い」のようなものだから)。
件の医者が、治療法もないALS患者に人工呼吸器を「つけたがる」のは、「医の倫理」や所属している医療機関の「方針」といった「上っ面の理由」以前に、その医者が「生命教」を「狂信」しているからだ。生命教狂信者にとっての生命は、一神教にとっての神と同じなので、「生きること」が「絶対の善」。だから、生きられる手段・選択がまだ存在するのに、それを放棄してむざむざ死ぬのは「異教徒の無知ゆえの愚かな振る舞い」でしかない。ちょうど、キリストを信じれば天国に行けると信じているキリスト教徒が、異教徒や無神論者の「キリストを信じない」という選択を、「無知ゆえの愚かな振る舞い」と見なすのと全く同じ感覚。
だから、件の医者は、入会を勧めて熱心に喋り続ける新興宗教の信者よろしく、「全くの善意」で、患者には人工呼吸器をつけてもらいたいと思っている。垂れ流しで、まぶた一つ動かせなくなっても、そうした全ての苦痛を帳消しにするだけの価値や意味が、「生命=生きている状態」にはある、と信じて疑わないからだ。
しかしそれは幻想である。知性としての人間にとって、生きている自分自身の身体は、地球や太陽と変わらないからだ。それらはすべて「媒体= medium」に過ぎない(と、この話は前にも書いたのでこれ以上は深入りしない)。
人工呼吸器をつけて「生き続け」させてたくて仕方がない件の医者は、あの手この手を使って、患者自身から、人工呼吸器装着希望の言質を取ろうとするわけだが、最後に、緊急入院(だっけ?)した患者と二人きりになった「チャンス」を「利用」して、患者の妻の「夫が人工呼吸器の装着を望むなら、私は夫の意思に従います」的な発言を持ち出し、ついに、患者自身から、人工呼吸器装着の承諾を取る。これなんか、テレビやネットや週刊誌が、芸能人や政治家の発言の一部を全体の文脈から抜き出して、その発言に別の印象や意味を与えるというやり口そのまま。
まあ、おそらく、生命教信者である件の医者には、患者の妻の発言は、「本当は妻も夫(患者)に人工呼吸器をつけてもらいたいと思っているのだ」というふうに聞こえたのだろうが、生命教に毒されていなければ、妻は単に、人工呼吸器に対する夫の判断はどんなものであろうと受け入れる、と言ってるだけ。
しかし、あの切羽詰まった入院のタイミングで、しかも周りに家族がいない(だから妻に真意を確かめられない)状態で、いかにも「本当はあなたの奥さんも、あなたに人工呼吸器をつけてもらいたいと思ってる」というニュアンスを込めて「誘導」されれば、患者も「諦める」しかない。
そう、患者は諦めたのだ。なにを? 患者は、この医者が本心では人工呼吸器をつけたくてしょうがないのは、随分前からはっきりと分かっていただろうが、自分の妻までがそれを望んでいたのなら、もうしょうがない、と「諦めた」のだ。つまり、安らかに死ぬことを諦め、猿ぐつわをされた上から、頭からすっぽりストッキングを被せられ、体は拘束衣に縛られた状態で床に転がされて生きるような数年間を受け入れることにしたのだ。
自分を担当した医者が生命教の狂信者の場合(しかもそれは高い確率で起こる。なにしろ生命教は人間の「持病」である)、こんな悲惨な・不本意な・医者のおもちゃにされる「晩年」を送る羽目になってしまう。
ついでに言うなら、終末医療の医者の葛藤のほとんど全ては、生命教の「教義」あるいは生命教に対する「信仰」と、知性現象としての人間の本質との対立。
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usinonikki · 4 years
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刀剣の漫画セリフうち(23話の2)
(※書き直したのはお寺の歴史の部分ですが、正直能とか狂言もまだまだ勉強中の分野なので、間違いに気づいたり、新たに学んだりした時は、順次直していきます…)
※境内に入った
この寺、とんでもなく広かったはずだぞ。どこにいるんだ
お待ちください、通信をして確認します
こ、この狐様は…
こんのすけくんだよ。よく本丸に来てイベント情報教えてくれる子
出陣先にも来てくれるんだね
はい、過去でのサポートもやっています。ではこちらへ…
「この相国寺というお寺は、もともと三代目の足利将軍、足利義満が一〇年かけて建立したものでした。彼は師と仰いでいた禅僧と協力し、自らも参禅弁道に励めるような寺をと、熱を込めて作り上げていきました。
創建した当時、境内は面積にしておよそ四百七十五万平方メートルはあったそうです。
しかし、義満が在命のうちから火災が起きて、この寺は焼け落ちました。義満は、また十年ほどかけて、この寺を再建しました。
それからまた時がたち、応永三十二年(1425)年八月、この寺はまた火炎に包まれました。
六代目の将軍足利義教もまた、懸命に仏殿などを再建してきました。
さらにまた時が立ち、この時代の将軍、八代目の義政の時に法界門を再建。禅寺としての姿が戻ってきました。
歴代将軍の執念というか……情熱によって、何度でも再建されたのがこのお寺でした。そして今は文生元(1466)年…」
※移動しまして
……あれは…
※時間遡行軍の太刀が綺麗な服を着た1.2歳の子を抱えている
※周りには時間遡行軍の槍や脇差も見える
ま、まさかあの子を殺す気では…!?
ひょっとして山姥切くんの予想が当たった?
ああ、だがどうやって連れてきたんだ…!?「春王君」の傅役は、そんな無能な人物ではなかったと思ったんだが…
一ヶ月後に事件が起きるっていうお屋敷にいたんだよね?今もうすでに、内部ではゴタゴタがあったのかも…
もしくは、時間遡行軍もなにか人知を超えた力が…
それよりまずはあの子どもを助けようぞ
では、先ほどお返しした扇で…
(※説明された後、別の扇も持ってたので��それをかまえてヒョイっと投げた。結構飛んだ)
(※敵の視界にスーと通ったので、ビクッとしたところを…)
(※物吉がかけて来て、子どもを持つ腕に斬りかかり、それで子どもを落としそうになる前にとって行った)
もう、大丈夫です!助けに来ました!
(※子どもは突然すぎて泣いていた)
わわわ!よしよし!
かかるぞ者共!(全員一気に出て来た)
一期さんは初陣です。戦われるより、このお方をお屋敷に返す役目をお願いします!
(※赤ちゃんを受け取って)しかし…どうやって…
(※こんのすけ)私が案内します!
…………
※一期一振が見ると、化け物と、それを顔色を変えずに切り捨てようとする仲間の姿があった。赤ちゃんをしっかり抱きしめて、風景を自分の背で隠すようにして
(※穏やかに)参りましょう
(一期一振達がいなくなるのを視界の端で捉えたところで)…さあ!狩られたいのは、どいつからかなあ!
※それぞれ敵と戦ってる
※燭台切の脳裏に…
「きゃー」「弁慶さん!」
「伊達政宗ー⁉︎」
(今日の子ども達といい、初対面の時の主くんといい…僕達って結構前の主に似てるのかな?)
(格好は似てても、顔も性格もそこまでではないと思うんだけどな…)
(…それとも、前の主のフリをしようと思えばできるくらい…オーラでもある…?)
(…もし、時間遡行軍もそうだったら…?)
(ダメダメ、僕達のことすら根拠もないのに、飛躍しちゃあいけない)
※しかし、敵の方にニヤッと笑ってみせ
…ねえ、君の前の主って誰だい?
今の主が歴史修正主義者なのはわかってる。前の主は…
………!
※敵の太刀がうろたえた
※むしろさっきよりも殺気だって向かってきた
(…僕がこうやって問いかけても、やっぱり答えない)
※しばらく切りあった末に燭台切が勝った
※時間遡行軍を全て倒した後、一期一振が戻ってくるのを待っていた
…お待たせしました(※こんのすけを抱えている)
思ったより早かったな
みなさんこそ
敵は少なかったしね
※岩融が、扇が落ちていることに気づいて拾った。誰かが踏んだらしく、ぐちゃぐちゃになっているが、ひとまず泥をはらった
はは、これならば帰る前に先ほどの猿楽を見物する時間もありそうだ!
そういえば、今は何を演じているでしょうか?
ふむ。この時代にはまだまだ出来ておらん演目も多いだろうが…「安宅」はもうあったと思うから…
(※なんでも「親元日記寛正六年三月九日の條に觀世太夫演能のこと」と安宅の能が上演された記録が残ってるそう。寛正六年って1465年なので、このお話のちょうど1年前で…ちょっと嬉しい)
やってくれんものかな?主を守りたい一心の弁慶や、正体を悟りながら最後には逃してくれる富樫や…
義経一行の正体を知ってるのに逃してくれるのは、能の「安宅」を元にした歌舞伎の「勧進帳」のお話では?
……む…
あっそれとも、岩融さんが実際に弁慶さんと通った安宅の関はそんな感じだったんですかー?
……確か…
ふうん、歌舞伎の方が後にできた物語なのに、そっちの方が正しいなんてことあるんだな
……………(※ぐちゃぐちゃになった扇を持ったまま立ち尽くした)
※一方でみっちゃんが「みんな、ちょっと」と呼びかけていた
(……前も、こんなことがあった)
(主が俺に、五条の橋に建つという弁慶と牛若丸の像を見せてくれた時…)
(俺は、この二人が出会ったのは、ここだっただろうかと思ったのだ)
(…義経記では…)
(…待て、きちんと俺の記憶を辿ればいい。それこそが正しい。俺は…)
(…弁慶とともに、九百九十九の刀を狩った薙刀…。見ているはずだ、実際の光景を…)
……それで僕とか岩融くんって、前の主に似てるのかなって?見た目じゃなくオーラというか…
今度は「オーラ」とか使いだした…
わ、私は豊臣秀吉に似ていますか?
ボ、ボクはどうでしょう?
※岩融の脳裏では、また「今剣」が浮かんだ。場所は五条大橋。岩融が持っているはずの扇をなぜか手に持っていた。それを投げて欄干に飛び乗った
…聞いてる?ちょっといいかな?…岩融くん!
……あ…
大丈夫かい?急に元気がなくなったね
今、僕達刀剣男士って持ち主になりきることはできる��かなって話をしていたんだけど
なりきる?
いや。燭台切の話によると、あくまで演技ということだが、それで周りの人間を完璧に騙せるものかどうか、ということらしい。どう思う?
…さあ。やってみようと思ったことがないしな。それが出来たらどうだと言うのだ?
時間遡行軍もまた、出来るのかなって?
……なるほど、先程の子どもをどうやって誘拐したのか推測しておるのだな
うん。そもそも時間遡行軍って…
たぶん正体は僕達と同じようなものだよね。雰囲気が…
それはボクも思ってましたが…でも確証はありませんし…
それにどうして、刀剣男士にならないんですか?
歴史修正主義者が体を与えると、あんな感じになるのかもしれない…
あと刀剣男士は基本的に、名前や逸話が残ってる名刀が人の体を得たものだからな。俺みたいな写しもいたりするが…
…己を例外みたいに言うのは止めろ
あ、ああ…
では時間遡行軍って…
……まず、俺達の方が持ち主のフリが出来るものかどうかなど考えてから、その論は進めたらどうだ…?
うーん、確かに。でもどうやって確かめようね
燭台切殿でしたら、伊達政宗公のご友人がいる時代に行って、そのご友人に話しかけてみる、くらいしか思いつきませんが…
だ、伊達政宗公の友人…ね……(※少し怖いのか、苦笑いしていた)
(3に続く)
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michiru64 · 4 years
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宗教の話はタブーなのに、趣味の話はタブーじゃない。
友人と趣味とは一体なんぞや、という話をしていた。また、趣味によってその人の人となりを勝手に推し量られるのが不快だという話もした。例えば、料理が好きと言えば、女子力が高いアピールだと思われるのがその典型例だろう。つまり、趣味というのはSNSの自己紹介欄と同じようなものになってしまっているのだ。
最近、感心したツイートに、日本人は無宗教だからこそ、のめり込める趣味を持つことで精神を安定させることが宗教の替わりをしているのかもしれないという内容がある。私はこのツイートに、すごく感心した。だからこそ、日本では、アイドルとか、原宿カワイイ文化とか、アニメのコスプレとか、漫画とか、そういうオタク文化が花開いたのかもしれないと思った。
ここまで考えて、趣味が宗教ならば、宗教の話がタブーなのに、なぜ人は趣味の話を通じて仲良くなろうとするのだろうと思った。それを否定されると相手を嫌いになる、そんな内容を相手と共有するのって難しい。しかも、同じ趣味じゃない人に趣味の話をするのって違う宗教の話をするぐらい、他人にとって基本的にはつまらない話なのにだ。人はあまりにも安易に趣味を話題に出しがちなのではないか、そんな気がしてきた。
また、趣味が宗教に似ているとすると、趣味がない人をバカにする風潮もおかしさが際立つ。まるで無宗教の人を弾圧するみたいだ。さらに、勧められた趣味を断ると怒る人や、好きなアイドルを一緒に褒めて欲しがる人もかなりやばい。こちらは、宗教に勧誘してきたり、断ると態度を変える人と似ている。つまり普通だったら結構関わるのしんどいタイプだ。また、親が趣味を規制したりするのも、おかしいことだ。もちろん倫理観に問題がある場合は別として、信仰の自由を奪うのは基本的によろしくないことだ。
友人の好きなパスカルさんによれば、趣味とは、人生の暇つぶしだそう。"暇な時間にどうしても考えてしまうこと"が原罪だとするならば、暇つぶしはまさに生まれながらの罪を贖ってくれる宗教であると言える。
趣味に対する捉え方が人によって違ったり、宗教ぐらいその人にとって大事かもしれないし、信仰の自由のようにどの趣味を選ぶかは個人の自由だし、人によっては互いに受け入れがたいこともあるしライフスタイルにそぐわないこともある。このことをみんながもっと理解して、過度に自分の趣味を理解してほしいと要求したり人の趣味を否定したりしなければ、コミュニケーションのすれ違いも起こりにくいのにな、と思う。
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benediktine · 4 years
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【ロヒンギャを迫害する仏教徒側の論理 The Oppressor's Logic】 - ニューズウィーク日本版 : https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/11/post-11318.php 2018年11月20日(火)14時45分 今泉千尋(ジャーナリスト)
 {{ 図版 1 : ウィラトゥは「ミャンマーのビンラディン」と呼ばれている JONAS GRATZER- LIGHTROCKET/GETTY IMAGES }}
<ミャンマーの少数民族迫害はなぜ止まらないのか――憎しみが連鎖する本当の理由と強硬派仏教僧の素顔>
ミャンマーの治安部隊はロヒンギャを虐殺してなんかいない。昨年の8月25日に起きたことは、奴らの自作自演だ。この紛争のマスタープランを描いているのは、ロヒンギャのほうだ」
ミャンマー西部ラカイン州の州都シットウェ。地元のジャーナリストでラカイン州ミャンマー記者協会の議長を務めるウーコンサンリーは今年6月、筆者の取材に語気を荒らげ、さらに耳を疑うような話を続けた。
「事件が起きる少し前から一部のロヒンギャは家や家財道具を売り払い、農作物を育てるのをやめた。同胞の武装勢力が襲撃するのを知っていて、隣国バングラデシュに逃げる準備をしていたんだろう。あの事件はロヒンギャが国際社会の関心を引き、自分たちに有利なロビー活動をするために起こしたんだ」
情報源について尋ねると、ウーコンサンリーは、フェイスブックの写真付きの投稿を見せてきた。イスラム教徒が罪のない仏教徒を攻撃し、ミャンマーを乗っ取ろうとしていることを伝えるもので、反イスラムを扇動するグループが投稿したものだった。「奴らはラカインを乗っ取ろうとしているんだ」と彼は怒気を含んだ声で言った。
国連がミャンマー政府の人道的な責任を追及するなか、にわかには信じ難い話だが、筆者が取材した多くのラカイン人が情報源もはっきりしないこうした「陰謀論」を妄信していた。
11年に軍事政権から民政移管し、急速な発展を遂げるミャンマー。敬虔な仏教徒が多いことでも知られるこの国が、17年8月25日に起きたイスラム系少数民族ロヒンギャに対する大規模な迫害で揺れている。その背景には深刻な民族対立と宗教紛争、そして「ミャンマーのウサマ・ビンラディン」と呼ばれる強硬派の仏教僧の存在がある。
ラカイン州はミャンマー南西部を南北に走るアラカン山脈によって、最大都市ヤンゴンから地理的に分断されている。1785年にビルマ人に侵略されるまでアラカン王国という独立国家が栄えていたこともあり、ラカインの文化はミャンマーの多数派であるビルマ人のものとは大きく異なる。
ラカイン州はロヒンギャのホームランドだが、6割以上は仏教徒のラカイン人だ。ラカイン人もまたミャンマーの少数民族で、中央政府からの差別や搾取に長年苦しんできた。それ故、ラカイン州の貧困率��78%と全国平均37.5%(世界銀行2014)を大きく上回っており、国内で最も高い。シットウェは州都とは名ばかりの寂れた田舎町で、ヤンゴンの華やかな急成長ぶりからは完全に取り残されている印象を受ける。
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 {{ 図版 2 : 112002myanma.jpg : 「ロヒンギャの蛮行」を告発するパネル(マンダレー) LAUREN DECICCA/GETTY IMAGES }}
■《イスラム教徒への嫌悪感》
そんなラカイン人が不満のはけ口にしているのが、イスラム系少数民族ロヒンギャに対する差別だ。ロヒンギャの祖先は英国植民地時代にベンガル地方からミャンマーにやって来たと言われているが、70年代後半から不法移民として扱われるようになった。現在は無国籍の状態にあるため、教育や医療、福祉といった基本的な公共サービスにアクセスできず、多くの人が貧困と差別、そして断続的な武力弾圧に苦しんでいる。
ラカイン人は普段は礼儀正しく親切だが、ロヒンギャの話題になると急に嫌悪感をむき出しにする。談笑していたある男性にこの問題についての見解を尋ねると、「不法移民であるベンガル人の話はしたくない」と会話を中断された。英語教師だという女性は「イスラム教徒に暴行されるのが怖くて、娘も私も夜は外出できない」と憤った。
ミャンマー市民にロヒンギャに対する憎悪を植え付けるのに一役買っているのが、13年に発足した強硬派の仏教徒集団「国家と宗教保護のための委員会(通称マバタ)」だ。マバタの前身は「969運動」と呼ばれた反イスラム団体で、それを扇動してきたのが「ミャンマーのウサマ・ビンラディン」の異名を持つ怪僧アシン・ウィラトゥ(50)である。
11年にミャンマーで民政移管が起きると、ウィラトゥは民主化で解禁されたばかりのSNSを駆使して、イスラム教徒に対するヘイトスピーチをまき散らした。その多くは、国内外で起きたイスラム教徒による(とされる)テロや殺人、性暴力の事件を伝えるもので、過剰に誇張されたものやフェイクニュースも少なくなかった。内容は残酷の一言につき、目を覆いたくなるような血まみれの被害者の写真に、次のような過激なコメントが寄せられていた。
「ベンガル人(ロヒンギャのこと)は不法移民のくせに、他人の土地で狼藉を働いている!」「奴らは狂犬だ! 仏教徒の女性を犯して野放図に子供を産ませ、われわれの国を乗っ取ろうとしている」「ミャンマーをイスラム化から守れ!」
ウィラトゥはこうした過激な言動で、貧困層を中心に熱狂的な支持を集めるようになった。地元紙のイラワジによれば、ウィラトゥのフェイスブックは17年6月の時点で40万人ものフォロワーがいた(現在は削除)。
16年にアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が総選挙で圧勝すると、宗教対立の先鋭化を懸念した新政府はマバタの活動を規制しようとする。仏教僧の最高管理組織「サンガ・マハ・ナヤカ委員会(通称マハナ)」もこれに同調し、17年3月にはウィラトゥに1年間の説法中止を、5月にはマバタの名称を使った活動を禁ずる勧告を発令した。
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 {{ 図版 3 : 112003myanma.jpg : ラカイン州はミャンマー国内で最も貧しい地域だ(州都シットウェ) Chihiro Imaizumi }}
だが、実際にラカイン州を訪れてみると、仏教徒とイスラム教徒の緊張は緩和しているどころかますます高まっているように感じられる。マバタを信奉する人は依然として多い。18年10月14日にヤンゴンで開かれた集会では、ウィラトゥがロヒンギャを擁護する国際社会を勢いよく批判した。
ミャンマー中部の都市マンダレーにウィラトゥが講師を務める大教学僧院「新マソーイェイン」がある。ウィラトゥの秘書によれば、最近はメディアの露出を控えており遊説で海外を回るか、この僧院にいることが多いという。取材のためにマンダレーを訪れると、これからウィラトゥは成績優秀な修行僧の表彰式に出席するとのことで、筆者もその式典会場に向かった。
■《「ビンラディン」のスマホ》
会場に到着すると、既に大勢の参加者が集まっていた。ミャンマーの仏教を取材するために日本から来たと話すと、在家信者の一グループが「わざわざそんな遠いところから来てくれたなんて、感激だ!」と昼食に誘ってくれた。会場に隣接する大広間の食卓に着くと、白米、野菜炒め、濃厚な牛肉の煮込みなどが次々と運ばれてくる。
昼食に招いてくれた在家信者の面々は、皆とても礼儀正しく陽気だ。「どんどん食べてくださいね、お代わりはいかがですか?」と筆者の箸の進み具合を気にしながら、日本に住んでいる友人の笑い話を披露して場を盛り上げてくれる。
だが、隣の席の初老の男性に「ベンガル系イスラム教徒」についてどう思うかと尋ねると、害虫の話でもするかのように彼はこう吐き捨てた。
「ベンガル人はミャンマー人じゃない。それどころか、彼らはわれわれに危害を加える。この国で悪事ばかりを働く奴らを野放しにしてはおけない」
式典には約200人が出席しており、マバタのほかの僧に交じってウィラトゥの姿も見えた。幹部の中では比較的若く、役職も講師レベルのウィラトゥは右はじのほうに座り、式典中も長老たちの説教をおとなしく聞いている。だが1時間を過ぎた頃から、隣の席の僧とヒソヒソ話をしたり、スマホをいじりだしたりして(ケースの色はピンク)、揚げ句の果てに居眠りを始めた。
式典も終わりに近づき、成績優秀者たちに賞状を手渡す段でやっと出番が来たウィラトゥは型どおりの短い説法を始めた。中背だが、僧衣からのぞく腕は筋骨隆々でたくましく、二の腕の内側に小さな魚のタトゥーが見えた。まなざしは鋭く、声には他者を威圧する攻撃性があり、僧侶らしい雰囲気は皆無だ。
式典が終了すると、多くの在家信者や修行僧たちが一斉にウィラトゥの下に殺到した。筆者もその輪に近づき、日本から来た記者で、ロヒンギャ問題についてどう思うか聞きたいと声を掛けた。すると突然、目つきが険しくなりウィラトゥは静かにこう言った。
「気を付けたほうがいい。日本もイスラム化が進んでいる。どこかの小都市に既にベンガル人のコミュニティーがあるはずだ」。そして、彼は窓がスモークになっている黒いバンに素早く乗り込み、会場を後にした。
■《利権に群がる軍と中国》
式典に出席していたマバタの幹部僧ウピニャタマミ(57)に、ウィラトゥをどう思うかと尋ねると誇らしげにこう答えた。「彼は仏教の守護者で、ミャンマー仏教界の真のリーダーだ」
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 {{ 図版 4 : 112004myanma.jpg : 式典終了後、多くの信者がウィラトゥ(中央)の下に集まった(マンダレー) Chihiro Imaizumi }}
なぜ、ウィラトゥやマバタはこれほどまでにミャンマーの人々を魅了するのだろうか。シットウェにマバタの僧院を構える仏教僧ウーナンダバータ(51)は、「マバタが地域のセーフティーネットの役目を負っているからだ」と話す。彼は969運動に初期から携わり、マバタ発足時には幹部を務めた。
マバタは貧困者、少数民族、被災者、女性に対する支援を積極的に行っている。食糧を施すだけでなく、学校建設に無償教育の提供、女性の積極的な雇用など、その内容は多岐にわたる。
ミャンマーで広く信仰されている上座部仏教は、修行の妨げになるという理由から、世俗的な活動を禁止している。ある仏教研究者によれば、戒律の厳守を重んじるミャンマーの仏教界において、僧侶たちが「俗世間の人々」のために奉仕活動をするのは珍しいという。
ウーナンダバータも「マハナのような団体は高尚なことにしか興味がなく、貧しい人々にブッダの教えを伝える気がない。だがわれわれは違う。だから多くの信者が集まる」と主張する。
ラカイン人には、ビルマ人に対する根強い不信感もある。ラカイン州は、天然ガスや石油などの天然資源が豊富な地域だ。ところが、地理的な遠さやロヒンギャ問題のせいで、民主化前から軍部と深く結び付く中国以外に外資の進出は進んでいない。
ラカイン州の与党であるアラカン国民党(ANP)の書記長フタンアウンチョーによれば、天然資源から生じる利益は中国と中央政府が独占しており、地元ラカイン人にはほとんど還元されていない。ミャンマー政府とスーチーに対するラカイン人の評価は辛辣だ。フタンアウンチョーもこう不満を吐露した。「われわれは独立以来、ずっと差別に苦しんできた。アウンサンスーチーが返り咲いたときにやっと状況がよくなると思ったが、全く期待外れだった。政府はラカインの開発から得た利益を地元住民に還元すべきだ」
その一方で、マバタは信者に貧困の原因と解決方法を明示してくれる。原因とはイスラム教徒であり、彼らを排斥することが貧困から抜け出す道なのだと。
そして、こうした���バタの活動を支える潤沢な資金の源は、大勢の在家者によるお布施以外に軍部にもある。
ロイター通信によれば、ウィラトゥは軍部出身の元宗教相サンシンに重用されてマバタの勢力を拡大した。また、ミャンマー紙イラワジは、ウィラトゥと国軍司令官ミンアウンフラインとの間に太いパイプがあると報じている。ミンアウンフラインは、17年8月25日にラカイン州で起きたロヒンギャ掃討作戦の首謀者として、国連に告発されている人物だ。
さらに、掃討作戦が起きたロヒンギャの居住地の近くには、中国の投資金融グループ「中国中信集団(CITIC)」が港や経済特区を建設しようとしている。ミャンマー政府は17年9月、掃討作戦で空いたロヒンギャたちの居住地を「再開発」する目的で管理すると発表した。
ミャンマーの宗教対立の原因を「民衆を扇動する過激な仏教僧」と「少数民族を弾圧する無慈悲な多数派」のせいにすることは簡単だ。だが、マバタやウィラトゥもこの搾取構造の駒の1つにすぎないのではないか。
無垢な市民の妄信によって反イスラム運動は拡大し、ロヒンギャ危機は臨界点に達した。解決には、マバタやラカイン人といった表舞台の人間だけでなく、水面下で暗躍する「悪」を追及する必要がある。そしてマバタの僧侶や市民もまた、自らに問いただすべきではないだろうか。自分の頭で考えることを放棄し、悪の甘言を信じ続けた罪はどれほどの重さなのかと。
<本誌2018年11月20日号掲載>
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