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#イングマール・ベルイマン
team-ginga · 11 months
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映画『鏡の中の女』
 U-Nextでイングマール・ベルイマン監督の映画『鏡の中の女』(1976)を見ました。
 出演はリヴ・ウルマンとエルランド・ヨセフソン。『ある結婚の風景』(1973)のコンビですね。
 といっても映画はほぼリヴ・ウルマンの独壇場ーー彼女が演じる精神科医エニーの夢と現実が交錯する映画です。
 夏の初め、エニーは新居をたてるためにアパートを引き払い、祖父母の家に身を寄せます。夫のエリックは3ヶ月の予定でアメリカに出張、娘のアンナは夏季キャンプに行っています。エニーが祖父母の家で眠っていると、夢の中に不思議な老女が姿を現します。
 エニーは病院の上司の妻のパーティーに行き、トーマスという男と知り合います。レストランで夕食を共にした後、エニーはトーマスの家へ行きます。二人はベッドインしそうな雰囲気(スウェーデンではこういうのが普通なんですかね。随分お手軽な話に思えてしまいます)もありますが、エニーはタクシーを呼んで帰ります。
 翌日(なのかな)、エニーが前に住んでいたアパートに行くと、エニーが治療にあたっているマリアという精神病患者が床に倒れています。思わず駆け寄ろうとすると二人の男が現れ、マリアを病院から連れ出しここに連れてきたと言います。
 えーっと、これ、どういうことなんですか。男たちは何がしたいんですか。どうもよくわかりませんが、若い方の男はエニーを床に押し倒し犯そうとします。
 男たちはそのままアパートを去り、エニーは救急車を呼んでマリアを病院に戻します。
 翌日(なのかな)、エニーはトーマスと一緒にコンサートに行きます。帰りにトーマスの家に行き、またベッドインしそうな雰囲気になりますが、エニーは見知らぬ男に犯されそうになったことをトーマスに打ち明け、男にのしかかられたとき犯されたいと思った(!?)と言い、「何もしないで手を繋いで眠りたい」と言い、トーマスはその通りにします。
 深夜目を覚ましたエニーは錯乱し、タクシーを呼んで帰ります。
 えーっと、それからどうなるんだっけ。エニーはデートの約束をするためにトーマスに電話をかけますが、ふと鏡を見ると前に夢の中に出てきた老女が映っています。エニーは部屋に鍵をかけ、睡眠薬を取り出し次から次へと飲み込みます。
 そこからは夢と現実が交錯する形で物語が進みます。
 夢の中でエニーの両親はエニーが9歳の時に事故で死んだこと、エニーは母親に、さらには祖母に殴られたりクローゼットに閉じ込められたり虐待を受けていたことが明らかになります。
 現実の世界では異変を察したトーマスがエニーを助け、エニーは病院にいます。夫が会いにきますが、夫はすぐに出張先のアメリカに帰らねばならないと言って早々に立ち去ります。トーマスが甲斐甲斐しく彼女の世話をしています。二人の会話の中でトーマスは同性愛者で、1年前に恋人の男性に捨てられたことがわかります(うーん、それならなぜエニーを口説いたんでしょう。バイセクシュアルだということなんですかね)。
 エニーはトーマスに「また会える?」と尋ねますが、トーマスはこれからジャマイカに発つ、いつ帰るかわからないと答えます。
 退院する日の朝、娘のアンナが見舞いに来ます。アンナは母親が急病で入院したとしか聞かされていませんが、エニーは自殺を試みたことを正直に打ち明けます。
 エニーはもう二度と自殺しようとは思わないと言いますが、アンナは「お母さんは本当は私のことを愛してないんでしょ」と言って帰っていきます。
 エニーは退院し祖父母の家に帰ります。祖母は夫の容態が良くないこと、このままもうよくなることはないということをエニーに打ち明けます。
 エニーは夫とも娘ともトーマスとも人間的な絆を持てない人間ですが、甲斐甲斐しく祖父の世話をして優しく語りかける祖母を見て何か感じたのでしょうか、勤務先の病院に電話して明日から出勤すると言います(エニーは祖父母の夫婦の絆に希望を見出したと言うことなのかもしれませんが、祖母は子どもの頃のエニーを虐待していたことを思うと、ちょっととってつけたような結末に思えなくもありません)。
 わかったようなわからないような映画ですね。夢に出てくる老女が何者かもさっぱりわかりません。エニーの母親だというならわかるのですが、母親は母親で別に夢に出てきますから違うのだろうと思います。
 夢と現実が交錯するというのは、私の好きなタイプです。でも、先日見たベルイマン作の一人芝居『ヴィクトリア』と同じ不満を感じてしまいました。
 大竹しのぶ演じるヴィクトリアも、リヴ・ウルマン演じるエニーも、精神的危機にあり自らの狂気と戦っています。でも、その原因がさっぱりわからないのが、私は不満でした(親に虐待されていたことがエニーの狂気の原因だというのは、私には説明として不十分に思えます)。
 原因なんかどうでもいい、大事なのはその危機をどう乗り越えるかだと言いたいのかもしれません。でも、精神分析的に言うと、自らの精神的危機の原因となっているものを意識することが治療につながるはずです。それを抜きにして危機を乗り越えることは不可能ではないかという気がします。
 一方、素晴らしいと思ったのはリヴ・ウルマンの演技です。トーマスの前で、ある時は虐待する母親(祖母?)になり、またある時は虐待される子ども時代の自分になり、一人二役で会話をするシーンは実に見事でした。
 また、リブ・ウルマンの極端なクローズアップが多用されていることもこの映画の特徴です。リヴ・ウルマンはもちろん魅力的な女優ですが、それでもあそこまでクローズアップをするとアラも見えてしまいます。ましてや病室のシーンでは鼻に管まで突っ込んでいるのですーー自分のみっともない姿を晒しても構わないという覚悟というか女優魂のようなものを私は感じました。
 『ヴィクトリア』のように超自然的なところに希望を見出すのではなく、祖父母の夫婦の絆に希望を見出す分だけ、『鏡の中の女』の方が私好みではあるし、見応えのある映画であることは間違いないのですが、好き嫌いで言うとやはりジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督、テネシー・ウィリアムズ原作・脚本の『去年の夏突然に』のように主人公の狂気の原因が明確に示される作品の方が私は好きです。
追記:  ネットで見て知りましたが、エルランド・ヨセフソンはアンドレイ・タフコフスキー監督の『サクリファイス』(1986)の主演をしているのですね。  私は大昔、留学中にパリで『サクリファイス』を見ましたが、気がついていませんでした。  タルコフスキーの映画は難解でテンポが非常に遅く、にわかには「好き」と言えませんが、『サクリファイス』は名作でした。もう一度見てみようかな。
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anamon-book · 5 years
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現代詩手帖 1982年10月号 思潮社 表紙写真=築地仁、表紙構成=菊地信義 特集「イングマル・ベルイマン」
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t12t12t12t12t12 · 4 years
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「仮面/ペルソナ」(1967)
「仮面/ペルソナ」(1967) 監督:イングマール・ベルイマン
モノクロ/白と黒、二階調の間にあるグレースケール。
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社会的に要請される(またはその要請に自己同一化しようとする)姿が陽のあたる光の部分であるとすると、、、その陽の当たらない影の部分は「本当の自分」という、ともすれば陳腐になりかねない言葉によって表現されるのだろうか。
しかし、「本当の自分」などというものはどこにも無く、あるものはグレースケールのように曖昧模糊とした虚無でしかないのでは?
一方には、妻や母親はこうあるべきだという社会的な強要とイメージがあり、
もう一方には、行きずりの少年とのセックスや堕胎といった性に自由な(もちろん望まぬ妊娠にまつわる諸問題が女性側に一方的に強いられている状況は問題視しなければならない)主体的な自分の姿がある。
しかしそのどちらも仮面に過ぎず、虚構に過ぎないのでは?
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白黒はっきりとついた衣装(特にサングラスには仮面というタイトルも相まって何か特別な意味が含意されているような、、)に対して、物悲しいグレーのトーンで抑えられた無数の岩や石のカット。
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どこかにあるかもしれない(しかしどこにもない)。
本当の私という神話。
何も”無”い。
あるのは私を構成する無数の要素が砂浜の石のようにただ横たわっているだけなのだ。
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liliyaolenyeva666 · 4 years
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🎼 0062 「スカート」。
台風が関東に近づいているさうで、時折 ビューっと強い風が吹いて、油断をしていると オズの国まで (頼んでもいないのに) ひとっ飛びしさうな勢いでしたけれど、なんとか無事に帰宅しました。今日は 何かと忙しい一日でしたから、お昼ご飯なんて食べる暇もありませんでした。お腹と背中がくっつきさうですけれど、冷蔵庫の中も何もかもが空っぽで 切なさが滲み出るくらいにヒモジ過ぎる.. こんなときこそ観たくなる日活青春映画があります。べっぴんな 和泉雅子さんが 飛んだり拗ねたり蹴られたりしながら成長していく姿を描いた 「非行少女」 という映画です。舞台は うちの国のどこか(たぶん金沢)。共演は この映画では あまりスレてない浜田光夫さん。物語は とある青年と少女のそれぞれの日々を 鳥を丸焼きにしたりしながら描いていますけれど、イングマール・ベルイマンの 「不良少女モニカ」 のような "救いの無さ" がないところが観ていて心地良いです。わたしが好きな "映画の中の映画な風景" があるのも好いです。学校も行かずにブラブラしていたワカエちゃんが サブローと出会った場所は とある映画館の前。ジョン・フォードの 「黄色いリボン」 が上映されていました(何故か外に音がめっちゃ漏れている)。兼六園の場面のあと、一両編成の電車で 「かほくがた(河北潟)」 という駅で下車したふたりが向かったのは 弾薬庫のある浜辺。海に向かって 「魚がおらんやうになった」 というサブローのセリフがとても気になります。二度目の浜辺の場面は ワカエちゃんが ワンピースの水着姿で 砂浜を駆けたり 海に飛び込んだりします。とってもキュートですけれど、その後の場面で 思い詰めた表情で 足踏みミシン(Clover製)をカタカタさせる ワカエちゃんに愛おしさを感じます。おしまいに映る駅(サブローが下車した) は 「かがかさま(加賀笠間)」 という駅で、金沢の次の駅のやうなことを サブローが言っていました。いつか行ってみたいです。
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isheeeeee · 4 years
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Franc Ocean’s favorite movies
スタンリー・キューブリック監督
突撃 (1957年)
スパルタカス (1960年)
博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか (1964年)
2001年宇宙の旅(1968年)
時計じかけのオレンジ (1971年)
バリー・リンドン (1975年)
シャイニング(1980年)
フルメタル・ジャケット(1987年)
デヴィッド・リンチ監督
イレイザーヘッド (1976年)
エレファント・マン (1980年)
ブルーベルベット (1986年)
ワイルド・アット・ハート (1990年)
マルホランド・ドライブ (2001年)
クエンティン・タランティーノ監督
レザボア・ドッグス(1991年)
パルプ・フィクション(1994年)
ジャッキー・ブラウン(1997年)
イングロリアス・バスターズ(2009年)
ジャンゴ 繋がれざる者(2012年)
トニー・スコット監督
トゥルー・ロマンス(1993年)
イングマール・ベルイマン監督
第七の封印(1956年)
野いちご(1957年)
仮面/ペルソナ (1967年)
沈黙の島(1969年)
マーティン・スコセッシ監督
ミーン・ストリート (1973年)
タクシードライバー (1976年)
レイジング・ブル (1980年)
キング・オブ・コメディ (1983年)
イーサン・コーエン/ジョエル・コーエン監督
ブラッド・シンプル(1984年)
ミラーズ・クロッシング (1990年)
ファーゴ (1996年)
ノーカントリー (2007年)
ケネス・アンガー監督
Puce Moment (1949年) ※UPLINK Cloudで配信中
快楽殿の創造 (1954年) ※UPLINK Cloudで配信中
Scorpio Rising(1964年) ※UPLINK Cloudで配信中
黒澤明監督
羅生門 (1950年)
七人の侍(1954年)
蜘蛛巣城 (1957年)
ヴェルナー・ヘルツォーク監督
アギーレ/神の怒り (1972年)
ヴォイツェック(1979年)
フィツカラルド (1982年)
ウォン・カーウァイ監督
恋する惑星 (1994年)
天使の涙 (1995年)
ブエノスアイレス (1997年)
ポール・トーマス・アンダーソン監督
ハードエイト (1996年)
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(2007年)
ザ・マスター (2012年)
F・W・ムルナウ監督
吸血鬼ノスフェラトゥ (1922年)
最後の人 (1924年)
フリッツ・ラング監督
メトロポリス (1926年)
M(1931年)
ルイス・ブニュエル監督
アンダルシアの犬 (1928年)
ブル���ョワジーの秘かな愉しみ(1972年)
アレハンドロ・ホドロフスキー監督
エル・トポ (1969年)
ホーリー・マウンテン (1973年)
アンドレイ・タルコフスキー監督
惑星ソラリス (1972年)
サクリファイス(1986年)
フランシス・フォード・コッポラ監督
ゴッドファーザー(1972年)
地獄の黙示録 (1979年)
ブライアン・デ・パルマ監督
ファントム・オブ・パラダイス(1974年)
スカーフェイス (1983年)
リドリー・スコット監督
エイリアン(1979年)
ブレードランナー(1982年)
ウェス・アンダーソン監督
天才マックスの世界(1998年)
ザ・ロイヤル・テネンバウムズ (2001年)
上記以外の監督の作品
戦艦ポチョムキン (1925年)
暗黒街の顔役(1932年)
市民ケーン(1941年)
自転車泥棒 (1948年)
オルフェ(1949年)
波止場 (1954年)
サイコ(1960年)
続・夕陽のガンマン/地獄の決斗(1966年)
ローズマリーの赤ちゃん (1968年)
悪の神々 (1970年)
暗殺の森 (1970年)
フレンチ・コネクション(1971年)
エディ・コイルの友人たち (1973年)
セルピコ (1973年)
ガルシアの首(1974年)
狼たちの午後 (1975年)
カッコーの巣の上で(1975年)
アニー・ホール(1977年)
ディア・ハンター(1978年)
パリ、テキサス(1984年)
未来世紀ブラジル (1985年)
マルコムX (1992年)
ソナチネ (1993年)
エド・ウッド (1994年)
青いドレスの女(1995年)
バスキア (1996年)
L.A.コンフィデンシャル(1997年)
π(1997年)
アメリカン・ビューティー(1999年)
ファイト・クラブ (1999年)
バトル・ロワイアル(2000年)
メメント (2000年)
オールド・ボーイ(2003年)
ATL (2006年) ※日本未公開
イースタン・プロミス(2007年)
ジェシー・ジェームズの暗殺 (2007年)
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3rdkztum · 2 years
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ブラックメタル的サブカルチャー⑤ 第七の封印
    1957年公開のイングマール・ベルイマン監督作品。スウェーデン映画。神の不在をテーマにした物語だ。正にブラックメタル的といえるだろう。 (more…)
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wasite · 3 years
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WASITE.store 2021.09.01 now OPEN  今日の海 9月! セプテンバー!(September) ラテン語「septem」が語源だけど、 その意味は 「第七の」 ? 9月なのに第七・・・? ズレてる! これは紀元前153年に、 新年のスタートを3月にしていた慣例から 今のように1月に変更したのに名前を変えなかったから 2ヶ月のズレが残った! というセプテンバー! で、いろんな物事のズレが起きないように 打ち込まれるのが、 「杭」 く 9 い 1 ということで今日9/1は 「くい(杭)の日」 杭にはいろんな目的があります。 土地などの境界を定める。 道の歩行者を守る。 船を係留する。 柔らかい地盤に打ち込んで建物の基礎に。 一定距離に打ち込んで距離を記録。 元寇の蒙古襲来に備えて杭を乱れ打ち。 そして、 吸血鬼の心臓に打ち込んで倒す。 クリティカルヒット!(Everybody(エビバディ)) ってやつですよw。 この「クリティカル」ってのは ゲームから浸透してきた言葉だと思いますが、 クリティカルの意味は、結構やばい。 極めて危ない状況、危機に瀕している、危機的。 致命的な、批判的な、重大な。 という意味。 人生に、 そんなクリティカルなシチュエーションは いくつあるでしょうか? 私は、 アメリカで麻薬か売春のバイヤーが、 商談しているバス停のトイレで、 お腹壊して個室の方に籠ってたことが クリティカルヒット(お腹に)! もうね、さながら死神とチェスをしている気分ですよ。 「勝負がつくまで 生かしてくれ   私が勝てば 自由にする」 このセリフはスウェーデンの巨匠、 イングマール・ベルイマンの名作映画 「第七の封印」(1957年公開) 9月だけど第七のという月が始まりました。 クリティカルな状況はできる限り封印していきたい。 皆様もコロナについて、 最新の情報を集め、最大限のご注意を。 「第七の封印」で最後に生き残る旅芸人ってのは、 とかく、 純粋に生きていく。 (是非映画をご鑑賞ください) 今日も良い1日を。 #WASITE #ワシテ (WASITE) https://www.instagram.com/p/CTQ7ScuFN74/?utm_medium=tumblr
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notenoughtoplay · 3 years
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a letter of sorts vol. 17 あらゆる面で吠えつづける星たち(未完の散文)
(2021年3月24日、以下の文に記したバンドの最初のドラマーが亡くなったことを日本時間同月25日の朝SNSで知りました。心よりご冥福をお祈り申し上げます)
 サチュロスのダンス!      すべての奇形が舞い上がる          ケンタウロスに  リードされ      乱舞する音だけのコトバ  ガートルード      スタインの作品--しかし          ただのおふざけで  芸術家に      なれるわけはない  夢は      追い求める! (「画家たちに捧げる」ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、原成吉訳)
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 回想からはじまる話だ。回想は第164回芥川賞を受賞した宇佐見りん『推し、燃ゆ』を読み終えたことでひき起こされた。面白かった。よくいわれている表現の巧みさ見事さもさることながら、構成が非常によくできていた。とりわけ「書かない」部分の選択に舌を巻く。書く部分を緻密に描いて、書かない部分、読者に想像力を使ってもらう箇所の選び方も緻密で、周到だった。その筆頭にあげられるのは「推し」である彼の苗字に(この字からいってきわめて自然な読み方である)ルビがふられているのに名前の読み方はわからない点だが、他にも姉との関係性、たとえば小さい頃のテレビなどの「推し」につながる思考の部分や、どんなテレビ番組を一緒に見てきたかも全く描かれないので想像するしかない。あと、主人公の背丈。これを書かない���とで似たような体験を��つ女の子たちはみな感情移入しやすくなる。これが少しでもヒントになることが書かれていればぐっと感情移入の母数は限定されてしまう。とても緻密な構成に唸らされた次第である。そういえばちょっとSNSでは「推し」をどう訳すかが話題となったが、たとえば「推し」の彼の下の名前の読みは、当然のことながら表意文字であらわされる言語では翻訳家が音を「定義」しなければならない。これはなかなか難儀な作業に思える。  主人公の進路がどんどん苦境に陥ってきて姉と妹の口論の描写が増えていくところで、ふとイングマール・ベルイマンの『仮面/ペルソナ』を思い出した。ベルイマンで姉妹の出てくる映画といえば『沈黙』だけど、ぞっとするような静けさではなく激しさが伴ってるから、『ペルソナ』のビビ・アンデションとリブ・ウルマンの論争にならない口論。きつい陽射しに映される口論。『推し、燃ゆ』読み終えてこれも『ペルソナ』と同じだ、炎上ではじまり日に照らされて終わる点では同じだ、と思った。死ぬほど虚しい陽光に照らされて。  物語を書かれた宇佐見りんさんとはまるで世代が異なるのだから当然だが当方には「推し」が何を以て「推し」とするかなんて考えたことなかったし思ったこともなかった。それがふと考えざるを得なくなったのは『推し、燃ゆ』を読み終えて数日後にあなた真空管を見ていた時だ。    あなた真空管。いまこの文をお読みになっている方で真空管を見たことある人はどのくらいいるのだろうか。自分がものごころついたとき、さすがにラジオやステレオには入っていなかったがテレビは1台真空管を使ったものが現役だった。19型の家具調カラーテレビだった。「家具調」テレビというのものに対しても説明が要るけれどももう説明もしんどいし検索すればわかるだろうから省く、ともかく真空管を使っていた。真空管は寿命が短くてすぐ切れた。切れるたびにテレビを動かし裏側を表に出してくっついてるボール紙をネジ廻しで外して新しいのと替えていた。50年かそこら前までテレビの裏側というのは必要上簡単に開くようにできていたのだ。いま自分のすぐ手元にある、洋書屋で立ち読みを何度もされて表紙から数ページがパカパカになってバーゲン品として売られていたものを愛用してる英語辞典「長男」でtubeと引いてももはや真空管のことは載ってない。かわりに(?)8番目の意味として載ってるのは  technical: the part of a television that produces the picture on the screen  とあって、これはどう考えてもブラウン管のことであるが今の十代いや二十代でも若い方はブラウン管もわからないかもしれないだろうがやはりここで説明は面倒なので話を先に進める。そのときPCをひらいてあなた真空管で音楽の動画を検索しそして見ていたのだ。洋楽のライヴ映像だったが1980年代の洋楽ではなくもう少しあとの頃のだった。横の、いわゆる「この動画をご覧になる方次はこちらはいかがでしょうか」の候補の一覧にそのバンドは挙がってきたのだった。曲目はそのバンドの曲ではない。そのバンドの活動時期からほぼ15年前のクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバル(CCR)の曲をカヴァーしているものであり、このカヴァーは聴いたことなかった。この曲はアメリカがベトナム戦争参戦時に書かれた、作者であるCCRのジョン・フォガティにとって切っても切れない曲でもある。その、サムネイルといわれてるが足の親指というより幕の内弁当のスミッコにある栗きんとん1個分の大きさくらいのリンクにカーソルをもっていってどんっとタップした。  このバンドはアルバム2枚出して解散した。幸か不幸か、1枚めのあとに「推し」だった人以外全員当時その人のプロデューサー兼マネージャーだった男がメンバーを入れ替え、というかクビにして2枚めが作られたのですぐこの映像は1stアルバムの頃だとわかる。いまから36年前、1985年のライヴ。このバンドの映像は以前も検索したことがあるが、見始めると明らかに以前にみたときとは違う思いがあった。率直に言うと何かが弾け飛んだような感じがした。何故かはわからない。『推し、燃ゆ』の終盤のライヴのシーンを思い出したからかもしれない。「推し」だった人のバンドの来日公演はなかったので観ることはかなわなかったし、恥ずかしながらこの人が来日した直近の、8年前の公演にも行けなかった。ソロになってから来日したとき、たしか27年前の2月末に一度行ったきりだ。    ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★  2021年2月13日夜の地震、専門家のあいだでは東日本大震災の余震という見解の多い大きな横揺れが自分の部屋にも来た。読書が好きな方は積んだ本が、音楽が好きな方は積んだコンパクトディスクが倒れて落ちてきた、という方々も多いのではないか。それはある年代以上の人だろうか。10年前の震災のときはラックからたくさんCDが落ちてケースが割れたりした。今回の大きな揺れでは積んだCDは落ちなかった。CDを最近聴いてなくて、周囲に要塞のように買った本が積まれてしまっているからだ。要塞というより、事故のあとの建屋のほうがイメージは近いかもしれない。つまりコンクリートで固めているように外から本で中のCDを囲んでいる。流れでそうなってしまったのだ。  揺れが続いて文庫本が落石のはじまりのような音で2冊落ち、3冊8冊14冊って落ちてきた。おさまったかな、余震くるんじゃないかなと思ってそのままにしていて、多分1時間後くらいだ、落ちてきた文庫本の中でいちばん上にあった一冊を拾いあげた。そのときはもう、前の段落にしるした一件があってから一週間は経っていて、「何をみてもその人を思い出す」、のべつかつて「推し」だった人のことを考えている状態になっていた。  その一冊の、以前自分が、いわゆる独立系zineのひとつから文章の依頼を受けたとき、このエッセー集の中から引用させていただいた、その文を開いた。引用したのは「B子ちゃん」が出てくる箇所だった。そして、その前の「A子ちゃん」の箇所に目が入った。くりかえしになるが、何をみても「推し」だった人を思い出す状態になっていたときだ。       A子ちゃんはふとって、髪がたくさんあって、いい顔立で、しかし眉根がちょっと悲しげに寄っていて、おとなしい子だった。     (幸田文「こども」)    あらまぁ。そっくりじゃないか。「おとなしい子」以外おしなべてそっくり、自分が高校の頃「推し」だった人、その人がハイティーンを過ぎた頃にそっくりじゃないか。    ここに気づいてから、気づいた自分を省みた。そしてちょっと恥ずかしくなった。海外にも日本にも、何年もゴシップにあがりつづける人から今なにしてるのかわかんない人まで好きなミュージシャンはたくさんいる。が、どういうわけか、まったく客観視できない人はひとりだけだ。そもそも『推し、燃ゆ』を読み終え、誰が自分の「推し」といえる人だったのか中学高校の頃を思い返し考えたとき。なんでこの人しか思い出さなかったのだろう。  ソロになってからのこの人のアルバムははいつも発売日に買ってた記憶がある。でもバンドの頃はレンタルで借りて、あとから輸入盤を買ってた。だからその当時、少なくともアティテュード、こちらの態度面ではいちばん好きなバンドだったとはいえない。  いちばん歌をうたうのがうまい人だと今でも思ってるからだろうか。高校に入って洋楽を聴きはじめたときにできた雑誌の創刊号の新人特集に載ってて、バンドのデビューからずっと知ってるからだろうか。バンドが売れなかったからだろうか。ソロになってから大ヒット曲があるがその前から知ってるぞという所謂オタク心からだろうか。  どれもそうである気もする。しかし決定打ともなりえない。  『推し、燃ゆ』の主人公が推しの情報をルーズリーフに書き込む、あの一文に反応した気がする。  この人のバンドだけ他と違うのは、ノートを持っていたことだ。  それには理由があった。  僕の姉もノートを持ってつけているバンドがあった。ビートルズだった。姉がノートを書いていたとき、ビートルズはすでに解散してた。  姉のつけてたノートもさすがにそうだろうけど、自分のも引っ越しのときに捨ててしまったはずだ。いまは記憶を頼るしかない。  僕のノートは姉のと違って、バンドは現役の若手バンドだった。  ノートにつけていたのは日本語の歌詞だった。    「何をみてもその人を思い出す」話にもどる。たとえば、自分の「推し」だった人は、21歳か22歳の頃、こんな歌詞を書いてる。歌の中の人が、要するに「何をみてもその人を思い出す」心になっているときの曲のなかの一節。        Every trace, every vision      Brings my emotions to collision  この曲をはじめて聴いたのは17歳のときだ、だらしない高校生だった。そりゃそのときはこれがどれだけ詩的に優れた表現かなんてわからない。申し訳ないけどそこから34年たって、やっとわかることである。  この人はライヴの人だ。それはこのバンドやこの人のファンには誰でもわかっていることだ。ライヴの映像だけでなくテレビ出演の映像でもすべて生で唄っている。当時の洋楽ミュージシャンとして、これは珍しいことである。そして34~35年前はお金払ってでも観たかったライヴの映像が簡単にみられる。この人のファンには根強くて熱心な人が(やっぱり)いてたくさん投稿されてる。好きな曲を検索すると関連を察してくれて他のライヴもひっぱりだしてきてくれる。歩いていくと果物畑はどんどん広がっていって、バンドのものもソロになってからのものも38年前の実も31年前の果物も27年前のも12年前のも6年前のもバスケットに投げ入れていってそして味わう。  ソロになってからは正直いってそんなに聴いていない。でもバンドの曲はどれも唄える。いっしょに唄える。なんというか、こういういいかたも恥ずかしいが余裕をもって唄える。唄いながら、ノートに書いた歌詞を思い出してる。日本語のほうの歌詞。    34年前。1987年の���月か3月だった記憶がある。たしかTV雑誌のスミッコにあった新譜紹介欄で、このバンドのライヴのVHSソフトが発売されるのを知った。発売日に買った。それは輸入盤の表に日本語のシールをつけていただけのものだった(当時のことを知っている方はわかると思いますが、特に音楽関連のビデオソフトは日本盤はテープを包むようなプラスチックケースに入っていて、輸入物は簡易版というか、テープを差し込む紙ケースに入って売ってるものがほとんどだった)。解説も入っていなかった。これを夜家族がみんな寝てから、お湯を沸かして紅茶を淹れたり冷蔵庫からジュース持ってきたりして、誰もいない応接間のテレビでくりかえし観ていた。テレビにソニーのヘッドホンを挿して。まだ密閉型のヘッドホンなんて家庭用にはなかった(まだ費用をかけずに軽くする技術がなかったから。密閉型は重かったのだ)。たしかいちばん軽いヘッドホンのひとつだったはずだ。それをかけて60分近いヴィデオを通しで観ていた。7曲あるうち、2曲目に入っていたバンドのデビュー曲でブリッジ(サビ)のあと、3番からやたら客席が盛り上がるのが大好きだった。画面の中からはなんでそこまで盛り上がるのか全くわからない。でもそこが好きだった。なにしろあれだけ湧くんだからそんなフンイキ自体があったんだろう。そしてこっちも盛り上がってコードがひっぱられてヘッドホンがカサブタが取れるみたいに頭から抜けたりなんてことがよくあった。それを季節がかわっても何度も観ていた。  34年経って、その7曲は1曲ずつ分かれて、先述の「あなた真空管」にアップされている。自分の狭い部屋で、机にウィスキーのお湯割りをもってきて、PCに100円均一の店で買ったイヤホンを挿して、あなた真空管にアクセスした。どれか聴いてみようかと思って、最初に2曲目を聴いた。そしてブリッジのあと、歓声が盛り上がるところでお湯割りを吹いた。  盛りすぎだ。  浮いてる。途中の歓声だけ浮いてる。あとから付けたのがまるわかりである。歓声というよりもうこれは陥穽に近い。なんで昔はわからなかったのかわからない。これでこの7曲は振り返りづらくなった、ということだけは記しておく。どうしても盛ってるところで笑ってしまうのだ。ライヴ自体は変わらず昔を思い起こさせるのだが。いくら盛り上げたところでバンドは売れなかったね、という点も含め悲しささえおぼえる。  そして、もちろん34年経って歓声を盛ってるのがわかった理由は、自分の耳が良くなったからではない。あまたのデバイスの、種々の面における精度があがっただけのことである。  「あなた真空管」にあがっているその人のいくつかの(いくつもの)ライヴ映像や音声、そこにつけられたコメントを読んで感じるのは、とりわけバンド時代の記録へのコメントに対して、その人を単独の「ソロミュージシャン」としてより「バンドのフロントウーマン」としてもっと長いこと観ていたかったという気持ちが強く表れていることだ。  実際、いま当時のバンドのときのライヴを観るとこの人の当時のある種の「引き受け方」には、あの年ごろですごいなと素直に感心してしまう。その人は昨年、新譜を出したときに受けたインタビューで曲を書くときに若い頃の自分のヴィデオを何度も観たと言っている。自分のその時の気持ち、その時どうなりたかったかを思い出そうと。それをふりかえり「野生のエナジー」だったと言っている。これを読んだときは今もその人の、自分の大好きな部分は変わってないんだなと思ってうれしかった。そして、結果的にバンド時代の最後のシングル曲となってしまった歌の詞の一節を思い出す。  「どんな台風でも目のなかに入れば、そこには静かな夜がある」  34年前の、先ほど触れた頃より少し前。1987年になったばかりのときに自分がテレビを観てた話。日本のテレビでおそらく唯一、(さっき触れたライヴの一部がヴィデオクリップになっていたものを除けば)このバンドのライヴが、オーディエンスのいたライヴがOAされたとき(注1)。1987年1月1日の未明だった。それはMTVのライヴ特番だった。  先述のとおり高校生だった。いちおう中継先とこっちで時差があることくらいはわかっていた。わかっていたはずだ、自信はないが。でも日本とアメリカのどっちが先に新しい年を迎えるかなんてことは全くわかっていなかった。だから、あれは元日になって午前1時前後だったかもっと遅くだったか、テレビ朝日(当時、MTVの番組を流してた)の画面から「推し」だった人がHappy new yearって言ったときああ向こうも年が明けてるんだなと、今思い出したら恥ずかしさで笑うしかないような記憶も残っている。そして、あの中継、ライヴの中継自体を衛星生中継なんだと思っていた。うちにあるビデオデッキで録画はしていた。けれど3倍モードだった。テープに出費できるほどお金をもってなかったのだ。  最初に画面がステージに切り替わったときにその人が何か言っていたのだ。Happy new yearっていう前に。"Welcome to ...kon"。...の部分が日本のだらしない高校生の耳ではききとれない。会場はスタジオじゃなくてどこかのライヴハウスなんだろうか、そこの名前だろうか。なんて思っていた。先述のとおり、このバンドは2枚出したアルバムのメンバーがまったく違っていて、このときは86年にセカンドアルバムを出したときの5人である。5人が2曲(アルバムからの2つのシングルカット曲)つづけて披露し、中継は終わった。このとき複数のバンドが出演したが自分の好きなバンドはひとつだけだった。だから画面をみていてこのバンドが登場したことに気づいた時にスタンバイ状態から一時停止ボタンをはずして録画したはずだ。あとで録画したテープをかけてみると"Welcome to..."と言いだすところで始まっていた。これまた何度も、3倍モードのテープを観ていたのだ。34年前。  その映像もいま「あなた真空管」でみることができる。実は今回ほぼ35年ぶりに自分が観たライヴ映像はほとんどが10年前後まえに投稿されたものだ。だからほぼ25年ぶりにライヴの映像を見つけ耽溺する機会もあり得た。自分の怠慢なのかもしれない。ただ、笑われてもしょうがないが35年くらい経たないとわからないこともある。  いま見直すと、その人は、ここではっきりと、  「サテリコンへようこそ」と、言っている。  申し訳ないけれど、34年経ってやっとわかった。    satyrikonの訳。(中略)サテュロス劇は、ディオニューソスに従うコロスとして登場するサテュロス(Satylros)たちにちなんで、そのように呼ばれる。サテュロスは山野に住む精霊(ダイモーンdaimon)で、顔と姿は人間であるが、身体は毛におおわれ、馬の耳と尾、ときには馬の足をもつものとしてあらわされる(のちにはさらに山羊の要素をもつようになった)。     (「詩学」アリストテレース、松本仁助・岡道男訳より、「サテュロス劇的なもの」の注釈から)    いまグーグルにsatyrikonと入力し検索すると「もしかして:satyricon」と表示され、フェリーニの映画の原作となった(伝ペトロニウス作の)物語が大きく出てきて、同時に映画のソフトを「おすすめ」される。前段の引用のような語義(?)は上位には出てこない。並記されるのならまだしも、ひとつしか出てこない。それはきっと、これでひとつ映画のソフトウェアが売れるかもしれないという具体的な「要素」、売り上げのための要素と結びついているからだろう。ここでいうsatyrikon (satyricon) は自分が捜している意味と違うと思うので、もうひとつ別の文献から引用する。    ディオニューソスの随伴者として、もっとも通例現われるのは、かの山羊脚をしたサティール(正しくはサテュロス)の群れである。しかし彼らは本来は特別にディオニューソスに縁故の者ではなくて、ただ山野に群れる生類の精にすぎない。ヘーシオドスも、「ロクでなしの、わけのわからない所業をするサテュロスたち」と呼んで、ニンフらや、クーレーテスの兄弟分にしている。(中略)  その姿は通例山羊の角や耳、長い尾に、蹄(ひづめ)のついた脚をもち(アッティケー州では、馬の尾をつけ、馬的であるのが特徴)、毛ぶかく、鼻は低く、くちは大きく、しばしば興奮した男性器をもつ、ふつうは若い青年男性の精霊である。しかしその心性はもっと素朴に野性的で、遊戯をこのみ、色情的でとくにニンフたちをからかったり、ふざけたりして喜ぶ。要するに野育ちの自然児で、深いたくらみや強い力もなく、積極的な悪とは全然かかわりのない、愛すべきいたずら者、というのがギリシアの都会人の空想する、このサテュロスであった。  彼らは群れて、あるいはディオニューソスやその他の山野の神に伴って、跳ねまわり踊り狂う、そして笛や笙(しょう)をこのんで奏でる。このような姿と性徴とをもって、かれらは春ごとに悲劇と併せて上演される、サテュロス劇に舞唱団(コロス)となって現われた。     (『ギリシア神話』呉茂一)    自分が「推し」だと思ったその人はここで自分と自分のバンドをサテュロス、愛すべきいたずら者に譬えていたのだ。いま、とてもはっきりと聞こえた。  Welcome to satyricon.  って。恥ずかしいけどいまから10年前ではわかっていなかったと思う。  その映像では4曲披露されてる。これは"MTV New Year's Eve R&R Bowl 1987"の映像なので、1986年12月31日のステージということになる。で、自分が34年前にテレビで見たのはここでの2曲目と4曲目(!)なので、あのときの映像は「2曲つづけて」ではなかった。何回も自分に笑ってしまうが、あの時点で最初から録画されたものを流していたことに、そのときは気づきもしなかった。この動画を投稿した人は几帳面な人なのか、3曲目の一部は途中でカットされてて(しかもいっしょけんめいつなぎを目立たなくさせている跡があって、それもつらい)、4曲目は途中で終わってる。当時のMTVの中継がこんな形で途中で切れちゃったとは思えないので録画してたテープが終わりになってしまったのか、もうテープがボロボロになっているので出すのを控えたのかどちらかだろう。あのときのテープを持っていればとも思うしあのとき標準モードで録画しておけば……と思ったりもして、なんにしても34年は長いものだと思う。  結果、自分の中で「推し」だった人の、"Welcome to satyricon."を反芻するだけだ。  同じ日の別の動画もみることができた。これはその時のアンコールだったのだろうか、「石鹸とスープと救いの歌」の映像だ。この歌は「推し」だった人の歌のうまさが最も感じられる歌であり自分には思い入れの強い歌だ。自分たちをサテュロスにたとえた人らしいいいライヴであり歌なんだけど、このステージのほぼ10年後にオランダのテレビでオンエアされたらしいドキュメンタリー(これも今回発見した)で彼女は「私のプロデューサー兼マネージャーは私をスプリングスティーンにしようとした」と言っていて、それを踏まえて見るとそれなりに悲痛でもある。(「すべてやってみた、やってみたけど……なんにもうまくいかなかった」。)途中でなにか別の歌を挟んでいる。なんかきいたことあるなと思って、やっとわかった。ヴァン・モリソンが作って自分のバンドで唄い、それをジム・モリソンがドアーズのステージで唄って、その形式に則ってパティ・スミスが唄いつづけているあの曲だ。自分の「推し」だった人は地縁(?)的にはドアーズの系譜を、表象としてはパティ・スミスの系譜を継ぐ人のようにも思える。    誰があの文を書いたのだろう。あの一文、レコードレビューの中の、最後の句点を入れれば25字の文。あれがなかったらその人は自分の唯一の「推し」と思える人にはなっていない。逆にいえばあの25文字のおかげでその人の歌と歌詞を知ることができて、その人が綴って唄う言葉から自分で気づかないうちにいろいろ影響されているんだな、と35年経ったいま思う。  1985年の暮れに「ザテレビジョン」の別冊が出た。そこにテレビの記事はほとんどなくて、洋楽ミュージシャンと音楽の話がほぼすべてを占めている、今ふりかえるとすごく80年代を現している増刊号だった。中ほどに見開きのレコードレビューのページがあった。いま手許にその号がないから思い返すしかないが30枚ほどの1985年にリリースされた洋楽の日本盤が紹介されていた記憶がある。XTCの「スカイラーキング」やトッド・ラングレンの「ア・カペラ」、それからフランク・ザッパの「奴らか?俺たちか?」、あとはなんだっけ。自分がその中に、はじめて日本盤リリースされた2枚目のアルバム、プリファブ・スプラウトというバンドの「スティーブ・マックイーン」が載っているということを知ったのは翌年はじめてそのバンドの曲を聴いてからだ。それはさておき、そこにその人のバンドのレコードレビューもあった。いま記憶にあるのは最後の一文だけである。そして、少なくとも日本語で書かれた記事ではその人がソロになる前、バンドのフロントウーマンだった頃にこういった言及はされていなかったはずだ。みんなその人のヴォーカルがいいとかいった話しかしていなかったはずだ。あと(わりと今でもアタマにくるけど)かわいいとか。  そのレビューの最後の一文、  詩作面におけるユニークな才能にも注目したいところ。  このバンドのデビューアルバムは日本盤のライナーノーツにも歌詞の日本語訳はついていなかった。レコード会社が不要と判断したのだろう。時間がなかったわけではないと思う。それはなにかの事情、ここからは自分の話。先ほど引用した25文字を見てから、コピーした歌詞カード(これも日本盤のために、聞きとりにより記述されたもの)をもとに、自分が持ってたマルマンの表紙の厚いノートに、小学館プログレッシブ英和辞典を引きながら歌詞を訳しはじめた。これが自分が思い返す当時の「作業フロー」である。    例えばその人のポスターは探せば売ってたのかもしれないけど部屋に貼ってないし買ってない。その人のCDを発売日に買ったのはソロになってからで、バンドのときはレンタル屋で借りたのが最初だった。でもその人だけが「推し」に該当する人だ。それを辿ると、やはりあのノートしか思い浮かばないのである。その人はソロになって、キャリアを重ねるにつれてシンガーソングライターとして詩人として認められていった。だけどバンドの頃からその人の綴る歌詞は他のソングライターとはちょっと違っていて、そして際だっていた。    歌詞を訳しはじめてどうしても意味のわからない曲があった。石鹸とスープと救い、タイトルだけ訳せばそうなる。意味がつかめないのでちょっと英語の先生になりそこねた人に訊きにいく。    その頃、姉と自分が授業などで英語がわからないときに訊きにいく人がいた。その人は「英語の教師になりそこねた人」だった。
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(注1)実は、36年前デビューまもない頃バンドがプロモーション来日をしたときにTVK=テレビ神奈川の番組でスタジオライヴをやったのを見た記憶がなんとなくあるのだがよく覚えていない。その頃はまだそんなに注目していなかったし、なんか晩ゴハン食べながら不熱心に見ていた記憶しか自分に残っていない。 ※この話はまだまだ続きますが、ひと区切りとして載せておきます。※この話は事実にヒントを得て構成されたフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係がないように読まれれば筆者は困惑します。
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team-ginga · 11 months
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大竹しのぶの一人芝居『ヴィクトリア』
 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター中ホールで大竹しのぶの一人芝居『ヴィクトリア』を見てきました。
 作者はイングマール・ベルイマンーーはい、あのベルイマンです。私は最近、『ある結婚の風景』全6話を見たので「予習」もバッチリです。
 私は長年にわたって大竹しのぶのファンでした。最初に見たのは映画『青春の門』ーー映画館に見に行きました。1975年公開ですから、私はまだ16歳、高校2年ですかね。
 吉永小百合が見たくて行ったのですが、初めて見る女優・大竹しのぶに圧倒されました。大竹しのぶ演じるオリエは幼馴染のシンスケ(田中健)と安宿で初めて体の関係を持つのですが、そのときシンスケが「俺たちは同じだ」と言うのに対して、オリエが「同じやない!」、「あんたはお父さんが偉か!」と言い、シンスケに突き飛ばされて足を広げて後ろ向きに倒れるところなぞ、「すごい」のひとこと。
 惚れましたね。
 そこからファンになり、大竹しのぶの最初のLP(古い!)も持っていますし、ヘアヌード写真集も持っています。
 芝居は何を見たかな。寺山修司の『身毒丸』や清水邦夫の『炎のような姉がいて』やラシーヌの『フェードル』を見たと記憶しています。
 で、この『ヴィクトリア』ですが……
 物語は大竹しのぶ演じるヴィクトリアが朝ベッドで目を覚ますところから始まります。ヴィクトリアは女中と思われるアンナという女性に話しかけ、コーヒーがぬるいとかトーストがどうだとか言っています。
 そこからだんだん状況がわかってきます。
 ヴィクトリアは43歳(大竹しのぶは60代半ばですが、まあその点は気にしても仕方ありませんし、気になりません)の教授夫人ーー夫の大学教授は浮気をしています。
 まあ、大学教授なんて大抵そんなもんです(嘘ですよ! ワタシは浮気なんかしたことありません!)。
 で、ネタバレをしてしまうとーー
 ヴィクトリアは慈善パーティーのスピーチで夫が浮気していることをみんなにバラしてしまい、夫はピストルで自殺しました。夫の葬儀の後、彼女は旅に出ますが、精神を病んでしまい精神病院に入っています。
 つまり、精神病院にいるヴィクトリアは、狂った頭で脈略もなく過去の場面を思い出し、彼女にしか見えない相手と会話をしているわけです。
 あるとき精神病院で食中毒が起こります。ヴィクトリアは食事を食べなかったので、一人だけ無事です。彼女の部屋を消毒するためでしょうか、ヴィクトリアは少し広い別の病室に連れて行かれます。
 誰もいないはずの病室には12歳くらいの少女がいます。ヴィクトリアは名前や年齢を尋ねますが、少女は答えません。ただ、赤い瑪瑙の玉をくれます。
 ヴィクトリアは少女と一緒に眠ります。朝起きると少女はいません。
 ヴィクトリアは元の病室に戻ります。握っていた手をひらくと……もうわかりますね、もちろんそこには赤い瑪瑙の玉があります(舞台上では大竹しのぶの手に上から赤い照明を当てて瑪瑙に見立てています)。
 「何を持ってるの?」、「まあ、綺麗ね」と、どこからともなく声が聞こえます。おそらくヴィクトリアの母親の声ということなのでしょう。「今日は感染症(食中毒のことだと思います)で山へはいけないけれど、またいつか行きましょうね」と言われたヴィクトリアが、瑪瑙の玉を握りしめるところで幕が降ります。
 原題はSpiritual Matter(ベルイマンなのになぜ英語なんでしょう)ーーそういう題名だから仕方ないのかもしれませんが、スピリチュアルな方向に「希望」を見出しているところは、個人的にはちょっとどうかと思ってしまいました(ワタシは超自然的なものは信じていないし、そういうものに「希望」や「救い」を求めるのはまやかしだと信じています)。
 パンフレットには大竹しのぶのインタビューのようなものが載っていて、その中で大竹しのぶはヴィクトリアについて「「なぜそんな風に考えるの? 人生はもっと喜びに溢れてるよ」、「もっと気楽に考えよう」と言ってあげたいくらい、突っ込みどころ満載なんです(笑)」と述べています。
 うーん、でもこれ……役者が言っちゃいけない言葉でしょ。そんなふうに思ってしまうなら演じられないはずです。
 でも、同情できる部分もあります。だって……ヴィクトリアがなぜ狂気に陥るほど苦しんでいるのか、最後まで見てもさっぱりわからないからです。
 ヴィクトリアは苦しんでいます。観客はーー私はーー彼女がなぜ苦しんでいるかを知りたいと思いますし、当然芝居の中でそれが明らかになるだろうと期待します。でも、それに関する説明はありません(夫の浮気や自殺は彼女の狂気のきっかけではあっても原因ではありません。原因の説明としては不十分だと思います)。
 芝居の中心はヴィクトリアが自らの状況や狂気とどう向き合うかでした。「原因」ではなく「結果」、「過去」ではなく「未来」を問題にした芝居ということですね。
 うーん、「思てたんと違う」としか言いようがありません。
 大竹しのぶの演技は確かに見事です。ヴィクトリアが町で行きずりの男を誘惑し、最初は「私は女優なの。労働者階級の男がどんな感じか知るためにあなたに声をかけたの」と言い、次に「私は精神病院から逃げ出してきたの。失礼なことを言ったかもしれないけど、病気が言わせたことだから許して頂戴」と言い、最後に「私は娼婦なの。私がどんなふうに男と寝るか教えてあげる」と言う場面で、瞬時に口調や佇まいが変わるところは圧巻です。
 でも……大竹しのぶが一番魅力的に見えたのは、カーテンコールで「ありがとうございました。役者は私一人で、装置もこんなので、お客さんがどう思うか不安でした」と言ったところでした。
 か、かわいい……60代半ばの女性に「かわいい」と言うのも変ですが、かわいいのだから仕方ありません。
 なぜそれを劇中で出さない、大竹しのぶ!
 それを出せば、私はこの芝居の虜になっていたかもしれません。
追記:  私は基本、スピリチュアルなものは信じませんし好きではありませんが、それでも少女の霊や瑪瑙の玉にそれなりの伏線が敷いてあれば納得したと思います。でも、それらしきものはありませんでした。  少女時代のヴィクトリアが謎の少女と出会うシーンもありますが、その少女は8歳、少女の霊は12歳くらいとなっていますから、年齢が違います。  その意味では緑の粋なスーツを着て泣いている美女というのも出てくるのですが、あれは一体何だったんでしょう���わかりません。
追記2:  せっかくだからと思って帰りは武庫川���こえて自宅まで歩きました。結構遠いと思っていましたが、スマホの万歩計を見るとちょうど7千歩。  あれ? 意外に近いんだ。  まあ、芝居を見た上にノルマの7千歩も達成できたのでよしとします。
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bungakusalon · 4 years
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イングマール・ベルイマン (Ernst Ingmar Bergman, 1918年7月14日 - 2007年7月30日) ベルイマンの作品は機会があれば必ず観る。同時代に生きている芸術家の中で、同意できる、自分と似通った世界を持つ人だからだ。(大庭みな子) ─────────────────────── #イングマールベルイマン #IngmarBergman #ベルイマン #Bergman #文学 #Literature #哲学 #philosophy #小説 #novel #小説家 #novelist #詩 #poem #詩人 #poet #読書 #read #reading #write #writing #本 #book #books #bookstagram https://www.instagram.com/p/CDTxJSnpCFd/?igshid=10wuoak6l3vug
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mer-mei-dxxx · 4 years
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自分が衝撃を受ける芸術とは? - 『かたちは思考する』を読んで考えたこと
言語思考と非言語思考
思考には言語的なものと非言語的なものがある。
人と話していると、どうやら人によってそのどちらが支配的か、”利き思考”のようなものがあるみたいだった。わたしの頭の中ではいつも、言語の回線よりも非言語の回線の方が速くて、何かを掴む前に、これから何かを掴むという予感の方が先に来ることが多い。「何か閃いたけど何かは言えない」これじゃ詐欺師みたいだということはわかっている。いちばんもどかしいと思っているのはわたしなんだし。そうやって、わたしの言葉よりも速く頭の中で思考を担っている何かのことを”脳内宇宙”と名付けていた。脳内宇宙の仕事は速いから、早送りしたまま終わりまで行って停止しているビデオみたいに、プロセスをすっ飛ばして最終的な発見だけが見えるということがある。これを閃きというなら、閃きは勘ではない。降ってきたように”見えている”だけでちゃんと過程はある(ただそれが本人にも見えていないことも多々あるので困る)。言語が利き思考の人は、言葉を通さないと理解できないけれど、理解した時にはもう説明できるのと同じことだから、咀嚼の精度はかなり高いと思う。余談だけど、言語利きの友人が非言語利きのわたしに「自分の方が言語化能力は高いけれど、感覚で捉えているもののリーチはあなたの方が遠いのだと思う」と言ったことがあって、見えるもので考えている人が見えないもので考えている人のことを理解(信頼?)できるのはすごいと思った。どっちがいいってことはない。ないのだけど、非言語利きだからできる閃きとは何なのか、自分のことだからもっと知りたい。
非言語思考による閃きとは?(仮)
考えているうちに浮かんできた仮説のようなものがあるのだけど、おそらく閃きに共通する性質というのは(ただの経験則ですが)、異なるレイヤーを串刺しにして思考する/そんな風に串刺しにできる串を見つけてくる能力じゃないかと思う。要は既存の領域・分類に捉われないということなんだけど、これを今まで”脳内の仕切りを外す”と呼んでいた。”DJ脳”みたいだとも思っていて、音楽を聴いている時に”脳内の仕切りを外す”をやると、自分が持っている音楽のストックからコードやリズムが似た曲を検索することができる。一度頭の中でピントをぼかして、ぼんやりとした中で似た色を探して、見つけたらピントを戻すみたいな感覚なのだけど…説明できているかな。だから、聴けばそれぞれの曲のコードがわかって、一致するものを見分ける能力があるのとは違う。
非言語思考による閃きとは?(『かたちは思考する』を読んで)
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そんなことを考えている中で読んだ『かたちは思考する』(平倉圭)に、”非言語思考による閃きはどのようにして起こるのか”という疑問に対して一部応答になるものを見つけた(興奮!)。本の中で、言語思考は”理性[reason]の思考”、前言語的な思考は”韻[rhyme]の思考”と定義される。”かたち”は、心と物の、作者と作品の、作者と鑑賞者の、言語と非言語の結節点として説明される。そしてかたちをつくることは、言語と非言語の両方の思考を伴う行為だが、つまりこのように相反関係にある二つのものの相互作用・共同作業である。かたちについて、知っている言葉や経験に当てはまるところだけを当てはめて言い表してしまったら(ヘタに言語化してしまったら)、もはや言語は思考に使われる��とさえなく終わってしまう。一体”韻の思考”とは何なのか。かたちについてだけ言えば”モワレ”という言葉が説明されているのだけど、これは二つの周期的なパターンが重なって現れる第三のパターンを指している。かたち的なパターンであるモワレから拡張して、もう少し一般的に異なる周期や構造のものが生み出すグルーヴのようなもの全体として韻を捉えることができると思うのだが、つまり韻は、”差異の中にある類似”なのだった。もう一つ、文中で取り上げられているドゥルーズの”たがの外れた回想”についても触れておきたい。”過去の諸相を自由に行き来する交通”を見出すことによって”非時系列的な時間の解放”があり、その自由な交通のことを”たがの外れた回想”と呼ぶ、という話なのだけど…ややこしい。頭の中というのは空間なのか、時間なのか……時空間なのか。しかしこれこそがわたしの考える”脳内の仕切りを外す”行為の説明ではないか?乱暴ではあるけれど平易に言い直せば、差異の中にある類似を見出すことによって、既存のものさしという制約から逃れることができ、同時にその類似を軸とした新たなものさしが創られるのではないだろうか。
自分が衝撃を受ける芸術とは?
最後に、非言語思考による閃きの仕組みを前より少し理解したところで”自分が衝撃を受ける芸術とはどのようなものなのか”ということについても考えてみた。『かたちは思考する』は、芸術として括られるより広い範囲の”かたち”について扱っているが、ここではいわゆる”芸術作品”について考えるために参照している。具体例として映画を挙げたいのだが、ジャン=リュック・ゴダールの『女は女である』とイングマール・ベルイマンの『仮面/ペルソナ』は衝撃だった。すごく泣けるとか話がすごく面白いとか、とにかく映画の中にちゃんと入り込んでその”中身”に感動する体験とは全然違くて、このような映画が作られたことがすごい、このような映画を作ったことがすごい、映画という”容れ物”、メディア自体に感動する体験だった。それらの映画について少し説明すると、ゴダールは音も映像と一緒に撮っているのだけど、例えばジャンピングカットと言ってフィルムを切り貼りして大胆に時間の操作をしているらしい。これによって、女がキッチンで目玉焼きをひっくり返すためにフライパンを揺すってたまごを天井に放り投げるカットの後に、他の部屋にカメラが移動、その部屋でのカットが終わってキッチンに戻ってきたところでようやくたまごがフライパンに戻ってくるというシーンがある。普通ならあり得ない長時間、たまごは空中に浮かんでいたように見えるけれど、カメラ=観客がキッチンを観ていた時間だけを考えれば、たまごが空中に浮かんでいるカットは無かったわけで。カメラの外、見えないものは無かったことにできるという映画の隙を逆手に取っている。観客が出来事を追うという観点から考えれば、こちらの方が素直にさえ思えてくる。時間軸の揺さぶりだけでなく、女優がカメラに向かって目線を送り話しかけるシーンがあるが、映画の中の空間から観客のいる空間にはみ出し、空間軸の捉え方にも問いかけをしているように思う。一方ベルイマン『ペルソナ』では、舞台女優がある日、演劇のメッセージを届ける相手は観客なのに、実際に舞台上で言葉を交わす相手は俳優だけだという、言葉の宛先の乖離に疑問を覚えて失語症になる。その女性がいかにして失語症を乗り越えるかという模索は、そのままベルイマンが映画を作る上での挑戦を表すのだろう。タイトル『ペルソナ』には仮面[顔]/人格の二つの意味があるが、一見表裏の関係に思われがちな顔と人格は実はイコールであって、顔=人格にはさまざまな経験や感情が映し出されるだけだという映画の”中身”としてのメッセージと、それを表現する手法である”容れ物”としての映画自体も、空間にある存在は単なる白いスクリーンに過ぎず、そこに種々の作品が映し出されるだけだという命題と重ね合わせている。ここでようやく”自分が衝撃を受ける芸術とはどのようなものなのか”に戻りたいのだけど、それはつまり、(通常は隔たりがちな)表現したい目的と手段が、韻によって絡み合い、(鑑賞者であるわたしも巻き込んで)うねるような作品ではないだろうか。
という発見にたどり着けました!!!超絶ハッピー!!!
p.s. 直接は引用していませんが、以下の本も思考過程で参考にしました。
『眼がスクリーンになるとき』(福尾匠)
『なぜ脳はアートがわかるのか』(エリック・R・カンデル/訳・高橋洋)
それからいくつかの村上春樹の小説がわたしの脳内宇宙を刺激するような感じがあるのも、きっと韻のせいなのだと思う。
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kusuriyubi21-blog · 4 years
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叫びとささやき(1973)|イングマール・ベルイマン
★★★.9
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nekotoblue · 4 years
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“きみのおせっかいに嫌気が差した。忠告も。ローソクやテ-ブルクロスやその近眼も。不器用な手つきもおどおどした態度も。あけすけな愛情も。” 冬の光 - イングマール・ベルイマン
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sunshinenocturnal · 5 years
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映画『ボヘミアン・ラプソディ』では完全スルーされていましたが、クイーンはアメコミ原作のSF映画『フラッシュ・ゴードン』(1980) サントラを担当しています。悲喜こもごもの出来事が山盛りのクイーン史においては、このサントラ制作そこまで重要イベントではないと思われ、『ボヘミアン・ラプソディ』で扱われないのも頷ける。観る前から、フラッシュゴードン絶対出てこないだろという自信がありました。
このPV、ラッシュを見ながらメンバーたちがスタジオで演奏をアテるという演出になっており、クイーンPVと映画予告編を兼ねた内容。彼等がシンセサイザーを使うようになったのはこの時期からだそうで、音楽的な部分ではエポックメイキングな瞬間ではあるわけです。オーバーハイムのロゴが映えるシンセが眩しい。 三人でマイク囲んでシャウトする姿に電気が走る。そんな華やかさの陰で黙々と低音を刻むジョン・ディーコン渋い。
「フラッシュ・ゴードン』の映画本体は相当の大予算で作られていたかと思いますが、その割に漂いまくる極度のB級感には泣く子も更に大泣き。B級も度を過ぎるとカルトの域に達することは歴史が証明しています。1950年代レトロフューチャーSFをイメージしているのかな?というのはなんとなく感じる。途中で聞こえる「ハッハッハ」は皇帝ミンの笑い声、演じるはイングマール・ベルイマン作品の常連にしてスウェーデンが誇る名優マックス・フォン・シドー。黒澤映画におけるミフネと思ってください。後の007俳優であるティモシー・ダルトンも出ているし、脇キャストはなにげに重厚です。
Flash! Ahhhhh!  Savior of the universe!  この曲が与えてくれるのは、世界より先に自分が救われてしまうかのようなカタルシス。そのときこそ世界も救われるというパラドックス。
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ryokuchan · 5 years
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◯◯
「文章」といえば、なんだか堅苦しくも聞こえる。
「言葉」といえば、なんだか曖昧に聞こえる。
昨日ジャン・コクトー監督の「オルフェ」という映画を見たら、
「詩人とはなんだ?」という質問に
「書くともなく書く人」と主人公が答えていて、ああ、確かにと思った。
監督は詩人で、とてもポエティックな作品で割と好きだった。(ツッコミどころ満載やったけど)
自分が好きな映画監督って、詩人な人が多くて、詩と映画の結びつきをすごく感じている。
アレハンドロ・ホドロフスキーとか、ジム・ジャームッシュとかイングマール・ベルイマンとか、アンドレイ・タルコフスキーとか、、あげればたくっさん出てくる。でもどれも外国映画で、翻訳との関係上、その国の言葉の響き方(心への)はそこまでわからない。
そのためのスクリーンでもあるし、言葉として分離してない分、捉え方が多様にあるのが映画とも感じる。ただ、言葉だけよりも制限があるけど。文字情報だけだと、広がり続けていく一方で、自分自身を常に試されている感じ。頭に画を浮かべて言った時、知らず知らずのうちに画を作っていってる。自分が経験したことから。想像も、経験から積み重ねられている気がして、経験していないことを想像するのですら、想像の経験が積み重ねられていって。と、なんだかパズルのよう。
頭の中がパズルになった時、マップを作るのが大好きだ。
そのマップは暗号のようだけど、とにかく自分に影響を与えた芸術を組み立てていく。
近いところからの記憶からレゴみたいに自分だけのお城を作っていく。誰にも邪���されずに。
それは心に素直に従う。直感を大事にして、一回熟考した上で直感が間違っていないことも確認して組み立てていく。
それは時々ばらばらになったり色を組み替えたり、いつの間にか腐敗してたりもするんだけど、それがまるでネットサーフィンのように、広がってもいく。敢えて言葉にしたり、ひとつにまとめたりもしないからずーっと浮遊してるような状態なんだけど、その浮遊の状態があまりにも長すぎると、こうやってたまに波に乗るサーファーのように、キーボードを打つ手を止めないことをやる。すると簡単に自分勝手になれるし、「浮遊から日光浴」になっていく感じ。「地に足がつく」という表現とは違っていて足はつかないけど、その場に留まれる。
でもまた今から浮遊に戻ります。
りょくまゆ
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sktign · 5 years
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音質悪くてすみません。イングマール・ベルイマン入門です。 https://t.co/EJTY4VPUOQ
— 町山智浩 (@TomoMachi) December 30, 2018
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