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#虚無僧寺
shakuhachi-kataha · 2 months
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三浦半島の虚無僧寺☆竜山寺『探墓行』👣
ご本尊、不動明王さまに会いに行く☆
三浦半島てくてく散歩☆初声町の寺社巡り🐟
海に山に歴史に埋もれた、たくさんの供養塔や石仏に出会えます🙏
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kachoushi · 1 hour
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各地句会報
花鳥誌 令和6年5月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
立春を待たずに友は旅立ちし 喜代子 習はしの鰈供へる初天神 由季子 在さらば百寿の母と春を待つ 同 春遅々と言へども今日の日差しかな 都 橋桁に渦を巻きつつ雪解水 同 盆梅の一輪ごとにときめきぬ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
飴切りの音高らかに春を待つ 和子 風船消ゆ宝珠の上の青空へ 慶月 天を突く手が手が福豆を欲す 光子 葬頭河の婆万年を寒く座す 光子 飴切りのビートを刻み追儺の日 いづみ 虚無なるは節分の達磨の眼 緋路 老いてなほ鬼をやらふといふことを 千種 恵方向く沓の爪先光らせて 光子 とんがらし売る正面に福豆も 和子 錫杖をつき仏性は春を待つ 小鳥
岡田順子選 特選句
厄落し葬頭河婆をねんごろに はるか 柊挿す住吉屋にも勝手口 眞理子 豆を打つ墨染のぞく腕つぷし 千種 奪衣婆の春とて闇の中笑ふ 俊樹 亀鳴けば八角五重の塔軋む 俊樹 節分や赤い屋台に赤い香具師 緋路 錫􄼺の音待春の鼓膜にも 緋路 飴切りのトントコトンに地虫出づ 風頭
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ものゝふの声は怒涛に実朝忌 かおり 実朝忌由比のとどろきのみ残る 睦子 久女忌の空は火色にゆふぐれて かおり やはらかな風をスケッチ春を待つ 成子 実朝の忌あり五山の揺るぎなし 美穂 歌詠みは嘘がお上手実朝忌 たかし 死せし魚白くかたどり寒月光 かおり 実朝忌早き目覚めの谷戸十戸 久美子 寒月や薄墨となるパールピアス かおり 寒月に壁の落書のそゝり立つ 同 ふはとキスこの梅が香をわたくしす 美穂 昃れば古色をつくす蓮の骨 睦子 寒禽の過り裸婦像歪みたる かおり 人呑みし海ごつごつと寒の雨 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
両の手をあふるるあくび山笑ふ 美智子 春浅し絵馬結ふ紐のからくれなゐ 都 鰐口に心願ありて涅槃西風 宇太郎 柊挿す一人暮しに負けまじと 悦子 寒晴や日頃の憂さをみな空へ 佐代子 師の苦言心にとめて初硯 すみ子 この町を砕かんばかり月冴ゆる 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 枡形句会
春菊をどさつと鍋に入れ仕上ぐ 白陶 落ちる時知りたるやうに紅椿 三無 装ひは少し明るめ寒明ける 和代 一品は底の春菊夕餉とす 多美女 中子師の縁の作詞冬の能登 百合子
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令和5年2月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
料峭の石橋渡る音響く 三無 苔厚き老杉の根に残る雪 あき子 羽広げ鴨の背にぶく薄光り のりこ 春まだき耀へる日の風を連れ 三無 吟行や二月の空は青淡き 和魚 春めきて日向の土の柔らかく 三無 春の陽を川面に溜めてゆく流れ 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
古暦焚くパリの下町も焚く 昭子 豆撒や内なる鬼を宥めつつ みす枝 落日にして寒菊の色深し 世詩明 被災地の家もひれ伏し虎落笛 ただし 裸婦像の息づく如く雪の果 世詩明 雪吊の縄にも疲れ見えにけり 英美子 ありし日の娘を偲び雛飾る みす枝 それぞれの何か秘めたる卒業子 世詩明 今生の山河に満つる初明り 時江 九頭竜の河口に余寒残しをり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
春立つや電車もステップ踏み走る 紀子 薄氷を横目に見つつ急く朝 裕子 商店街バレンタインの日の匂ひ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 萩花鳥会
白梅と紅梅狭庭にうらうらと 祐子 熱燗で泣けたあの唄亜紀絶唱 健雄 如月の青空のこころ乗り移る 俊文 春の霜とぎ汁そつと庭に撒き ゆかり うすらひを踏むが如くの孫受験 恒雄 透きとほる窓辺の瓶や冬の朝 吉之 身に纏う衣減らざり春浅し 明子 躙り口扇子置く手に零れ梅 美恵子
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令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
越前の雪の生みたる雪女 雪 又次の嚔こらへてをりし顔 同 一としきり一羽の鴉寒復習 同 横顔の考へてゐる寒鴉 同 老いて尚たぎる血のあり恵方道 真喜栄 節分会華を添へたる芸者衆 同 白山の空より寒の明け来たり かづを 紅梅や盗まれさうな嬰児抱く みす枝 老犬の鼾すこやか春を待つ 清女 佐保姫やまづ能登の地に舞ひ来たれ 嘉和 収骨の如月の手は震へつつ 玲子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 さきたま花鳥句会
煮凝を箸で揺らしつ酒を酌む 月惑 春一番ドミノ倒しの駐輪場 八草 雪残る路肩を選りて歩く子ら 裕章 春立つや蠢く気配絵馬の文字 紀花 朽木根に残してあがる春の雪 孝江 見舞ふ友見送る窓の老の春 ふゆ子 鼓一打合図に開始鬼やらひ ふじ穂 スクワット立春の影のびちぢみ 康子 匂ひ来し空に溶けたる梅真白 彩香 生みたてと書きて商ふ寒卵 みのり 寿司桶の箍光りたる弥生かな 良江 春泥や卒寿の叔母の赤き靴 珪子
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令和5年2月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
総門を白く散らして梅の寺 斉 俯ける金縷梅の香や山門に 芙佐子 恋の猫山内忍び振り返る 斉 日溜りに小さき影なし猫の恋 白陶 腰かけて白きオブジェの暖かし 久子 鳥もまた盛んなるかな猫の恋 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
撫で牛に梅の香纏ふ天満宮 笑子〃 白梅の五感震はす香の微か 千加江 真夜の雪寝る間の怖さ知るまいの 令子 銀色の光ほころび猫柳 啓子 復興や春一丁目一番地 数幸 紅梅の謂を僧の懇ろに 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
一羽には一羽の矜持寒鴉 雪 憶却の先立つてゐるちやんちやんこ 同 煮凝りや良き酒飲めて子煩悩 同 来し方を語り語らず大冬木 同 此の人の思ひも寄りぬ大嚏 同 初春の遥か見据ゑ左内像 一涓 熱燗や聞きしに勝る泣き上戸 同 己がじし火と糧守りて雪に棲む 同 灯もせば懐古の御ん目古雛 同 もう少し聞きたいことも女正月 昭子 冬日向ふと一病を忘れけり 同 瀬の音にむつくりむくり蕗の薹 みす枝 夜中まで騒めき続く春一番 やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
寒紅や良きも��しきも父に似し 雪 退屈をひつかけてゐるちやんちやんこ 同 春立つや千手千眼観世音 同 路地路地に国府の名残り春の雪 同 節分会葵の御紋許されて 同 越前の夜こそ哀し雪女 同 瓔珞に鐘の一打にある余寒 清女 能登地震声を大にし鬼は外 数幸 春塵や古刹の裏の道具小屋 泰俊 蕗の薹顔出し山を動かしぬ 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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ochoislas · 1 month
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ESTUDIANDO EN UN TEMPLO DE LA SIERRA ENVÍO RECADO A MIS AMIGOS DE LA CIUDAD
Una cesta de libros traje sólo, y en el bosque leyendo paso el día. Cuando veo los monjes trajinando, siento embargarme un ánimo sereno. En la desierta lonja abordan nubes; estorban cepas las torcidas cuestas. Tampoco está tan lejos de los muros, si estás ocioso, ven a cantar versos.
Weng Juan
di-versión©ochoislas
*
讀書山寺寄問城間諸友
止攜書一篋 長日坐空林 每見僧家事 便生静者心 虚亭雲片泊 仄徑樹根侵 去郭無多地 閒來相對吟
翁卷
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team-ginga · 7 months
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映画『哥(うた)』
 U-Nextで実相寺昭雄監督の映画『哥』(1972)を見ました。
 「哥」は「うた」と読み、「1. うた、うたう声、2. 目上や親しい人を呼ぶときに使う呼称。近世以来の俗語では「兄さん」というほどの意味」だそうです。
 「歌」とは関係のない物語なので、ここでは「兄さん」の意味なのでしょうか。
 実相寺監督というと「ウルトラマン」シリーズで有名ですが、ATG系というか芸術系の映画を撮る監督でもあり、私は『無常』(1970)、『曼荼羅』(1971)、『悪徳の栄え』(1988)を見ています(『屋根裏の散歩者』、『D坂の殺人事件』、『ユメ十夜』も見ていますが、ちょっと傾向が違うのでノーカウントにします)。
 『哥』は『無常』、『曼荼羅』に続いて実相寺監督が「日本」を問う三部作の完結編とのことで、前々から見たいと思いながら見つからなかった映画です。そんな「珍品」があるU-Nextはすごいと言わざるを得ません。
 主人公の青年(篠田三郎)は滋賀県(なのだろうと思います)の田舎に住む弁護士夫婦(岸田森、八並映子)の家で住み込みの書生をしています。家には弁護士志望の助手(田村亮)とやたら色っぽい女中(桜井浩子)も住んでいます。
 篠田三郎はどうやら岸田森の父で大地主の嵐寛寿郎が女中に生ませた子どものようですが、やたら生真面目で融通が効かず、食事も白飯とおしんことはったいこしか食べず、毎日きちんと9時から5時まで働き、夜中の12時には屋敷を見回ります。彼はなぜか森山家の存続に使命感を持っています。
 はっきりとは出てきませんが、岸田森はどうやら性的不能のようで、妻に満足を与えることができません。田村亮と桜井浩子がセックスをしているのを見てしまった妻の八並映子は、官能の疼き(?)が抑えられないのか、篠田三郎の布団に入り込みます。もしよその男と関係を持つようなことになれば森山家の名誉にかかわると考えた篠田三郎は主人の妻と関係を持つようになります。
 あるとき岸田森の弟(東野英心)が帰ってきます。それを機に岸田森は家を弟に任せ、自分たち夫婦は京都に出ることにします。
 桜井浩子は岸田森を脅し200万円を手にいれ、田村亮と二人で代書屋を開きます(この時代にまだ代書屋ってあったんですかね。司法書士になって久しいと思うのですが……私の父は司法書士だっただけに気になりました)。
 遊び人の東野英心は家に女を連れ込んだり、おでんの屋台を引いている若い夫婦を呼びセックスをさせてその姿を写真に撮ったりしています。彼はさらに家を抵当に入れて借金を重ねます(家の名義は誰になっているのですかね。自分の名義でない家を抵当に入れることはできないはずですが……私の父は司法書士だっただけに気になりました)。
 東野英心からすれば生真面目に働く篠田三郎が煙たくて仕方ありません。怒りに任せて東野は篠田に「この家にいたければ飯を食うのをやめろ」と言います。生真面目で「ばか」がつくくらい正直な篠田は食事をとるのをやめて衰弱していきます。
 このままでは餓死してしまう……困った東野英心は兄夫婦を呼びます。しかし、篠田三郎は頑なに食を拒みます。
 東野英心と岸田森は家屋敷も山林も全て売り払い、その金を使い果たしてしまおうと相談します。それを聞いた篠田三郎は「やめてください。森山家は最後の砦なのです」と懇願します。
 そこでのやりとりーー「砦って何を守るんだ? 今の日本に守るべきものなどないだろう」、「だからこそ形を残しておく必要があるのです。形さえ残しておけば、魂はいつか蘇ります」ーーが「日本」を考えると��うことなんでしょうか。言っちゃあなんですが、私には意味ありげなだけで意味のない会話に思えてしまったのですが……
 東野英心と岸田森と八並映子は篠田三郎を連れて森山家の持つ山林に行きます。車から降りた篠田三郎は衰弱しきってもう歩けません。他の3人は彼を置いてさっさと行ってしまいます。
 フラフラになった篠田三郎はかつて山林で出会った旅の僧侶のことを思い出し、その姿を求めて這っていきます(僧侶は「墓なんか虚しいものだ。魂なんていつまでもあるものじゃない。百年かそこらでなくなってしまう。一番長く続いた魂さえ千四百年くらいのものだ」と篠田に言っていました。どういう意味なんでしょう。「千四百年続いた魂」というのは「日本の魂」ということなんでしょうか)。
 篠田が階段を這い上り一番上に着いたところで暗転ーー映画は終わります。
 うーん、なんなんだ、これ。
 これが1950年代の映画ならまだわからないではありません。でも、1972年の映画ですよね。
 私は当時中学生(映画の中で田村亮が「がんばらなくちゃあ、がんばらなくちゃ」と「ピンポンパン体操」の歌を歌うことにちょっとショックを受けました)ーーもちろんこの映画をリアルタイムで見る機会はありませんでしたが、時代の空気のようなものは知っています。そういう私からすれば、もうそういう時代ではなかったような気がします。
 まあ時代は関係ないのかもしれません(私は特定の時代の中に置かないと意味をなさない物語というのは嫌いです)。「ウルトラQ」でカメラウーマン江戸川由里子を演じていた桜井浩子がやたら色っぽい悪女を演じるのを見ることができただけでヨシとしましょう。
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moko1590m · 8 months
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江戸時代初期には、いわゆる隠れキリシタンや日蓮宗不受不施派の取り締まりのために、「寺請制度」がしかれた。これは、全ての人をどこかの寺院に所属する「檀家」とする制度である。この制度によって、一般庶民の間にも仏式葬儀を行うことが急速に普及していった。 ところで、仏式葬儀の様式そのものは、中世の曹洞宗にルーツがある。修行僧が亡くなった際、彼らの志を果たしてやるため��故人を正規の僧侶としての扱いで弔うしきたりがあった。これを後の時代に一般の人々の葬儀に応用したのが、始まりであった。 ここで、本来は「僧侶としての名」である戒名を、故人に付けることが始まる。しかし初めのうちは、仏式葬儀を行う場合でも、戒名を授けられるのは基本的に上流階級の人々に限定されていたようである。 一般庶民にまでは定着していなかった戒名の授与 そもそも上流階級の人々の間では、中世の頃から、当主の座を後継者に譲った前当主や、夫と死別した要人夫人などが、出家して男女僧侶になるケースが多かった。そしてその際には、無論僧侶としての名に改名するわけである。そのため、江戸時代に入り貴人が後半生僧侶となるケースが減ってきてからも、葬儀で戒名を授けられることの意味を、彼らはきちんと理解していた。 しかし一般庶民の間では、「現役引退後」に僧侶になることは、基本的に縁遠いことであった。従って、庶民たちは戒名を授けられることの意味を、余りきちんとは理解していなかったと考えられる。また、彼らの菩提寺の僧侶も、死者に戒名を授ける意味を、当時の庶民層の人々にも分かりやすく説明することができたかどうかは、はなはだ怪しい。そのため、江戸時代の前期には、庶民層の人々が戒名を授けられることは、一部の富裕な識字層の庶民を除いては、非一般的だった可能性が高いともいわれている。 「戒名は授かるもの」と書かれた偽文書の影響 そんな中、元禄時代頃の仏教界で、とある「秘密兵器」が作られた。江戸幕府の祖徳川家康の名を借りた偽文書で、名を『神君様御掟目十六箇条宗門檀那請合掟』という。この文書は書写され、津々浦々の寺に普及して庶民への説法に使われた。更には、寺子屋で児童の手習いの教科書にもされたほどである。 この偽文書の内容は、自分の菩提寺との関係を密にすることが必要だと説くものであり、その中に「葬儀では、戒名を授けられる決まりがある」というくだりがある。 つまり庶民の戒名は、「徳川様がそう決めたのだから、有り難く授かりなさい」という虚構の歴史を権威として傘に着ることで、江戸中期以降に普及していったもののようである。
戒名授与が定着したのはいつから?定着に一役買ったある偽文書とは?|格安の葬儀なら「心に残る家族葬」
(「神君様御掟目宗門檀那請合諚」が所収されている文献を探している。中国新聞2014年4月2日の緑地帯と... | レファレンス協同データベースから)
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deisticpaper · 1 year
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蜃気楼の境界 編(五六七)
蜃気楼の境界 編(一二三四)から
「渦とチェリー新聞」寄稿小説
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蜃気楼の境界 編(五)
界縫
 正嘉元年紅葉舞い、青い炎地割れから立ち昇る。音大きく山崩れ水湧き出し、神社仏閣ことごとく倒壊す。鎌倉は中下馬橋の燃える家屋と黒い煙かき分けて家族の手を引きなんとか生き延びた六角義綱という男、後日殺生も構わぬ暮露と成り果て武士を襲えば刀を得、民を襲えば銭を得て、やがて辿り着いた河川で暮露同士語らうわけでもなく集まり暮らす。或る夜、幾度目のことか絶食にふらつき目を血走らせ六角義綱、血に汚れた刀片手に道行く一人の者を殺めようとするが、嗚咽を漏らし立ち竦みそのまま胸からあの日の紅葉のごとき血を流し膝から崩れ落ちる。道行くその者、男に扮した歩き巫女だが手には妖しげな小刀、その去る様を地べたから見届けんとした六角義綱のすぐ背後、甚目寺南大門に後ろを向けて立つ闇霙(あんえい)と名乗る男あり。みぞれ降りだして、人とも呼び難いなりの六角義綱を一瞥し、闇霙、口開かず問いかける、そなたの闇は斯様な俗識さえ飼えぬのか。六角義綱、正嘉地震から甚目寺までの道中で妻を殺され、涙つたい、儂には女は切れん、と息絶える。その一通りを見ていた青年、六角源内、父を殺した女を浅井千代能と突き止めて敵討ちを企てるが、知られていたか検非違使に捕らえられ夷島に流され、以後誰とも交流を持たずに僻地の小屋で巻物を記したという。それから七五九年の時が経ち、二〇一六年、仟燕色馨を内に潜める二重人格の高校生市川忍とその同級生渡邉咲が、慧探偵事務所を相手に朔密教門前また内部にて些細な一悶着あった、その同日晩、奇妙な殺人事件が起こる。場所は百人町四丁目の平素な住宅区域、被害者女性、五藤珊瑚(三〇)の遺言は、残酷な苦を前に千年二千年なんて。戸塚警察署に直ちに捜査本部が設置され、その捜査とは別に警部補の高橋定蔵、市川忍の前に立つ。何故おれなんかに事情徴収を、と忍。事件当日、校門の監視カメラに映っていたきみが何か普段と違うものを見てなかったかと思ってね、若き警部補が爽やかに答え、それで市川忍、脳裏の人格に声を送る、一顛末あった日だ厄介だね。対し仟燕色馨、おそらくこの警部補、謎多き朔密教を疑っている、ならばこの事件あの探偵にも捜査の手が伸びる、ところで気づいているか探偵事務所の探偵に見張られている。
 小料理屋点々とある裏通りの角に螺旋階段へ繋がるアーチ状の古い門を持つ築古スナックビルの入り口で刈り上げマッシュショートにゆるめパーマの少年のような青年がただ立っていると突然背後から強面の男がどこに突っ立っとんじゃと怒鳴ってきたので青年は冴え冴えとした眼差しで振り返り、幻を見てたんじゃないですか、俺はずっとこの位置でスマホを見てました、俺の輪郭と色、背後の風景と俺のいる光景をもっと目に焼きつけてください。男は動転し不愉快な目の前にいる青年を忘れないようじっと食い入って見る。だが、その光景はすでに幻で、スマホを見ていた青年はもういない。走り去っていたのだ。朝のホームルーム直前にその青年、六角凍夏(むすみとうか)が現れ席につく。振り返り、後ろの席の渡邉咲に聞く、きみ、部活入ってるの。隣席美術部員中河原津久見が聞き耳を立てている。渡邉咲は初めて話しかけてきた六角凍夏が先々で勧誘しているのを知っていて、文芸部でしょ、と冷えた目を送ると、文化琳三部だよ、と。咲が琳三って何という顔で惑うと、清山琳三ね、俺らの界隈で知らぬ者はいないよ、とくるが、咲はどこの界隈の話なのと内心いよいよ戸惑う。だが、聞き耳を立てていた中河原津久見はピクシブなどで目にする虚無僧キャラねと気づくが話に加わらない。きみ、机の上の本、和楽器好きでしょ、清山琳三は気鋭の尺八奏者。私、渡邉咲、と口にしながら、尺八ね。放課後、六角凍夏は一人、文芸部部室の小さな教室に入って電気をつけるとドアを閉め、密室と成る。中央辺りの机に、鞄から取り出した古びた筒を置く。目を閉じる。刹那、周囲にぼろぼろの布団が幾枚とどさっと落ちてき動きだす。それは天明四年鳥山石燕刊行妖怪画集「百器徒然袋」に見られる暮露暮露団(ぼろぼろとん)だが現実に現れたわけではなく、六角凍夏の想像力は小さな空間で全能となり百器徒然袋の界隈と接続し、今回ならばそこに記された妖怪があたかも姿を見せたかのような気分になったのだ。密室に、江戸の布団の香りが充満する。ときに、異界からの香りが漂ってくることもある。翌、静かな夜、百人町四丁目にて更なる殺人事件が起こる。被害者は志那成斗美(四〇)遺言は、潔く煮ろうか。魔の香りも、又、此処に。
蜃気楼の境界 編(六)
五鬼
 出入りする者らの残り香も錯綜の果てに幻影さえ浮かべる夜の街。串揚げ並ぶコの字カウンター中程で束感ショートの若い警部補が驚きのあと声を潜め通話を切ると手話で勘定を頼み、さっぱりとした面立ちの探偵仲本慧に目をやり、五鬼事件だがまだ続いていたと輝きの瞳隠せないながらも声を落とし去っていく。百人町四丁目連続殺人事件の犯人佐々木幻弐が第二被害者志那成斗美の最期の正当防衛で刺され意識不明のまま病院で死亡したという話、監視カメラから犯行も明確、第一被害者五藤珊瑚への犯行とも繋がり既に報道もされた直後の第三事件発覚。カウンターに残された探偵仲本慧、ビールを追加し面白い事件だが依頼がきてないから何もできないね、と奥に座る長髪黒はオールバックの男に突然話しかける。その男、串揚げを齧りながらチラと目線を合わせる。慧、ビールを飲み干し、隣に座っていいかなと距離を詰め、そっと名刺を置き、歓楽街案内人の市川敬済だね仕事柄我々は抜け目ない、聞き耳を立ててたね、という。黙す市川敬済に、優秀な探偵の知り合いは二人と必要ないかなと強い声で独り言のように笑みを送る。店内、音楽なく、静かに食す客、座敷からの賑わい。この辺りで、青島ビールが飲める良いバーを探してる客がいたなそういえば、と市川敬済、懐から名刺を取りだし横に並べる。直後、和柄のマフラーをしたギャル僡逢里が現れた為、仲本慧、名刺を拾い、勘定を済まし去っていく。お知り合いさんなの、と尋ねつつ座る僡逢里に、池袋の二青龍で今は探偵の男だ知ってるか、と尋ね返す。誰よ、テリトリー渋谷だったし、今日はいないの。暗に警部補のことを口にする。僡逢里の耳元で、まだ続いてるらしい千代女のママ心配だな。食事の注文をしながら僡逢里、出勤前に縛られたい、と呟く。夜十一時、一人になった市川敬済の前を男女が横切る。片方の男が枯淡の趣ある着物姿でありながら凍風をただ浴びるがごとく静かであったため変に気にかかるが、気にするのをやめて電話をかける。あら敬済さん、と通話先、青藍に杉の木が描かれた着物の女、さっきまで警部補さんがいらしてたのよ、お店は営業してません、今朝三人目の不幸がありまして五鬼も残すところ二人なの。語るは浅井千代女である。
 遥か彼方より朗々と木曽節が諏訪太鼓と絡まり聞こえる、それは五年前の、冬の宵、一人の女、吉祥寺の麻雀ラウンジ千代女の開店準備中、六人の女達を前に、肩に雪積もり震えている。浅井千代女が側に近づき、貴女の血に刻まれし鬼の禍、憎しと思うなら、受け継がれし技術でお金に変えて楽園を造るのよ、弐宮苺(にきゅういちご)の源氏名を授けるわ、そちらの西クロシヤ(五〇)引退で貴女の席があるの。語りかけてきた浅井千代女を取り囲む五人の女達、五鬼を見る。はい、と涙流し、生まれて初めての愉しい月日流れ、今、浅井千代女の周りに残る五鬼はその弐宮苺(三〇)と柵虹那奈(さくにじなな、四〇)だけだ。今朝殺害された紫矢弥衣潞(しややいろ、五〇)の遺言は、一路ゆくは三人迄。殺害現場で弐宮苺は両拳固く握りしめて言う。千代女さまを死なせはいたしません、次はこの私が千代女さまの匂いを身につけ犯人を誘いだし返り討ちにしてやります、これまで通り千代女さまは、五鬼にはできない私達鬼の禍の力を強める祈祷にどうか専念してください。浅井千代女の頬に涙が伝う。紫矢弥衣潞の形見の側に六歳の娘が一人。この災い突如訪れ、犯人の心当たりなく、志那成斗美が相打ちにし病院で死亡したという佐々木幻弐が何者なのかも分からない。不気味であったが浅井千代女は思う、そもそも私達がこの現世において得体知られていない存在なの、それに。相手は私達より強い、と震える。市川敬済に連絡を入れる。丑三つ時に市川敬済が女と帰宅、玄関騒がしく、津軽塗の黒地に白い桜が控えめに描かれた高さ一尺程のテーブルに女が横たわる音がする。自室でスマホを触っていた高校一年生の市川忍、悠里と帰ってきたのかあの女嫌いだな、と不機嫌になる。脳裏から仟燕色馨の声、きみの父だが今着信があり通話している。女といるのに別の女と喋ってるのそりゃあ母も出ていくよ。連続殺人の件だ探偵仲本慧の名前も出ている。いつも大人達は都合で何か企んでいて不快だよ。翌日、暑し。ホームルームの前に近寄ってきた同級生渡邉咲が、低血圧以外の何物でもないローテンションでいつもより元気な声で市川忍に話しかける。事件は解決してなかったのよ、貴方のお知り合いの探偵、仟燕色馨の出番じゃない?
蜃気楼の境界 編(七)
境迷
 昼か、はた、ゆめの夜半にか、北原白秋「邪宗門」の一節に紛れ込んでいた六角凍夏は国語教師茨城潔に当てられて、地獄変の屏風の由来を申し上げましたから、芥川龍之介「邪宗門」冒頭付近をちらと見、朗読し始めるが、正義なく勝つ者の、勝利を無意味にする方法は、いまはただ一つ、直ちに教師が、むすみその「邪宗門」は高橋和巳だ、遮ってクラス騒然となる。六角、先生、界をまたぐは文学の真髄ですと逸らす。教室の窓から体育館でのバスケの授業を眺めていた市川忍に、脳裏から仟燕色馨の声、百人町四丁目連続殺人事件、慧探偵事務所の手にかかれば一日で解決する探偵はあの少女が呟く数字で結論を読みとるからだ朔密教での一件はそういう話だっただろう。それじゃあカジョウシキカ勝ち目が。否あの少女がいかなる原理で数字を読むか今わかった。その時、教室の背後から長い竹がぐんと伸び先端に括られた裂け目が口のごとき大きな提灯、生徒らの頭上でゆらゆら揺れる。「百器徒然袋」にある不落不落(ぶらぶら)を空想した六角凍夏の机の中に古びた筒。不落不落を唯一感じとった仟燕色馨、市川忍の瞳を借り生徒らを見回す。何者だ。その脳裏の声へ、何故だろう急に寒気がする。界か少女は先の「邪宗門」のごとく数多の界から特定している市川忍クンきみはこの連続殺人事件どう思う。昨夜の父の通話を聞くに麻雀ラウンジ千代女のスタッフが四度狙われるから張り込めばだけど犯人佐々木幻弐死んでも事件は続いたし組織か警察もそう考えるだろうから現場に近づけるかどうか。吊り下がる口のごとく裂けた提灯に教師も生徒も誰も気づかず授業続く。休み時間スマホで調べた麻雀ラウンジに通話。まだ朝だ、出ないよ、休業中だった筈だし。仟燕色馨は通話先を黙し耳に入れ続ける。浅井千代女らは、魔かそれに接す���例えば鬼か、ならば逞しき彼女らが手を焼く犯人も、人ではないと推理できよう恐らく一人の犯行による。驚き市川忍、犯人が死んだというのに犯行は一人だって。きみは我が師仟燕白霞のサロンで幼少時千代女と会っていたことを忘れたか父と古く親しい女性は皆その筋だろう。側に、一人の同級生が近づいていたことに突然気づき、晴れてゆく霞、市川忍は動揺する。渡邉咲が、不思議そうに見ている。
 柵虹那奈、と雀牌散らばりし休業続く麻雀ラウンジで浅井千代女が呼びかける。はい千代女さま。志那成斗美あの人の槍槓はいつだって可憐で美しかったわ、五藤珊瑚あの子の国士ができそうな配牌から清一色に染める気概にはいつも胸を打たれていたわ、紫矢弥衣潞あの方の徹底して振り込まない鬼の打ち筋には幾度も助けられたわ、三人とも亡くしてしまった、弐宮苺は私達を守ると意気込んでいるけどあの子を死なせたくないの。ラウンジを出て一人、浅井千代女は市川敬済から聞いた池袋北口の慧探偵事務所へ出向く。雑居ビル、銀行かと見紛うばかりの清潔な窓口が四つあり小柄の女性職員田中真凪にチェックシート渡され番号札を機械から取り座る。呼ばれると先の職員の姉、同じく小柄な三番窓口女性職員田中凪月が青森訛りで対応するがシート見てすぐ内線で通話し真凪を呼び千代女を奥へ案内させる。無人の応接間は中国人趣味濃厚で六堡茶を口にしながら十分程待つと仲本慧現れ、異様な話は耳にしている我が慧探偵事務所に未解決なしさ安心して、笑顔に厭らしさはない、依頼費は高くつくけどね。千代女は私達に似てるわと思う、職員は皆日本人名だが大陸の血を感じる、理由あってここに集い共同体と成っている、市川敬済とは昔SMサロン燕(えん)で業深き運営者は仟燕白霞に紹介された、世俗の裏側で通信し合うルートで辿り着いた此処は信用できる。受け応えを記録する仲本慧に着信が入り中国語で喋りだす。六堡茶を喉へ。探偵職員二名曰く、監視対象の市川忍が早退し校門前で謎の探偵仟燕色馨と通話していたという。仟燕色馨が仲本慧に仕掛けた誤情報だが、千代女を上海汽車メーカーの黒い車に乗せ吉祥寺の麻雀ラウンジへ。市川敬済はその謎の探偵にも件の連続殺人事件を探らせているのかなぜ子の市川忍が連絡を、空は雲一つない、SMサロン燕は五年前の二〇一一年に閉鎖し今は仟燕家のみその調査は容易ではないが必要かすぐ崔凪邸へ行くべきか。麻雀ラウンジのドア、鍵開き、僅かな灯火の雀卓で盲牌していた柵虹那奈、差し込む外光より、冷気識る。現れるは、病室で死に顔さえも確認した、佐々木幻弐である。上海汽車メーカーの黒い車は崔凪邸に着く。少女崔凪は、使用人二人と土笛づくりをして遊んでいる。
by _underline
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「渦とチェリー」チャンネル
【音版 渦とチェリー新聞】第27号 へ続く
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仟燕色馨シリーズ 全人物名リスト
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chaukachawan · 2 years
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役者をしょーかいするよっ!
こんにちはっ!具沢山もじゃ実です。具沢山だけどタロイモとか情熱サンバとか選挙権をトッピングできます。とり急ぎ役者勢だけでごめん!🥲今度他の人も出したりするねっ!
セドロ
ドロドロロードローラーに轢かれそうになるも、無事生還を果たした漢。アオミドロの妖精からとても慕われているが、アオミドロに気に入られてもどうしようもないなと思ってる。
マホロ
自宅でフランダースの犬を6匹飼っている。ちなみにその内5匹は概念だ。日々高級お紅茶を嗜んでおり、お茶請けにはたこわさとトンテキを好む。
ロキ
最近筋肉と料理を両立させるためにプロテインを自炊し始めた。ツヤとコシのある水々しいプロテイン作りを得意とする。家庭科の授業で作ったドラゴンエプロンを大切に使い続けている。
まっつーさん
松ぼっくりの網目焼きにこだわりがあり、ツヤとコシのある水々しいドングリを日々集めている。ツヤとコシのないドングリを見つけると3回舌打ちをする。自然愛好家であり、宮崎駿と共にゴミ拾いに勤しんでいる。
フォーニャー
劇画チックなゾンビ映画のヒロインで、本名さエカチェリーナ。大人しい女の子として登場したはずなのに緊急事態で急に人間離れした能力を発揮して生き残る。テニサーとバドサーから同時に勧誘を迫られている。
スチル
劇画チックなゾンビ映画で主人公の親友役を務め上げるマイケル。おどけた調子でお化け屋敷に突っ込むものの真っ先に死ぬ。登場時間の割に根強いファンが多いため、ネット上では死なない。好きな食べ物はハンバーガーということにされている。
ピクト
卍リベンジャーズに出演していたので決闘を申し込まれることが多い。しかし、本人は平和主義者なので頭にちくわを3本刺すことによってやんわりと決闘を回避している。はむかってくる人は全然ちくわで殺す。はむだけに。
こたち
僧侶の1人跡取らない息子で、近所から人気の寺小僧。3回に1回盛り塩を盛り片くり粉に代えているがまだ気付かれたことは無い。庭の百合に想いを寄せるけど、花粉が恋路を阻む。そんなとこも好き。
マリオ
Wii partyで前半めっちゃ勝ってて盛り上がるのに最後絶対負けて膝から崩れ落ちる。コミュ力高すぎてアオミドロとも卍な仲になってる。ファミレスではナポリタンを頼みたいし、ナポリタンじゃないものも頼みたい。
ナスカ
世間がたけのこ派ときのこ派に分かれて争ってることを危惧。たけのこの粉ときのこの粉を混ぜる美味しい知育菓子「たけきるねるね」を考案した。しかし、この商品は両者の良さを抹殺した商品だとして過激派から批判を喰らい、ちくわ事件勃発のきっかけになってしまった。
イルル
「いるか〜?いないか〜?ここにー」「イルル〜!」のコールでお馴染みのポップキャンディアイドル。可愛い笑顔とハンサムなエクボと怒涛の英語で観客の心をキュルキュルに磨き上げる。余りにもキュルキュルになるので目頭激突型トリートメントとして名高い。
レプトン
カリフォルニアロールが寿司じゃないなら、和風パスタだってパスタじゃないじゃないか!じゃあパスタ屋においてある和風スパゲッティってなんなんだ、スパゲッティのフリをした何かなのか?おいおい、仮暮らしのエセゲッティとかいうなよー。彼らだって虚構としての真実を必至に生きてるんだってことを!忘れないでね。
ナギ
涼しげな波音に柔らかな木漏れ日を包んだ香水を数滴落とす。広がる波紋、夜道からアーヴァンミュージック、反響して辺りは青い青いネオン。ハイヒールを脈打って、アタシは夜もすがらパリを闊歩してた。すっかり都会に染まったアタシに田舎の面影はない。でも、アタシの足並みはいつだって海へ海へと伸びている。 
33期 
バニラアイス
32期
れんこんチップス
※実在する団体名、人物とはあんまり関係がありません。根も葉も茎も実もありません。でも花だけはある、そんな人生を生きていきたい。
LOVE Forever
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den-ichinomiya · 6 years
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- Komuso Sakuhachi Monk - It’s super cool for me. How’s about you??
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moment-japan · 3 years
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京都・ 願徳寺 菩薩半跏像 ( 国宝)
持統天皇の勅願で創建された願徳寺。拝観できる京都のお寺の中で最も小さな寺院として知られています。
そのガイドブックにも載らない小さなお寺に完美な姿で佇む、国宝・ 菩薩半跏像(伝如意輪観音菩薩)。
均整のとれたプロポーション。見た目は月光菩薩や水月観音菩薩、虚空蔵菩薩にも見えます。平安時代の作で、榧(かや)の一木造り。唐風な雰囲気を持ち、可愛らしく結い上げられた宝髻と背中でクロスし、腕から大きく複雑に蛇行しながら垂下する天衣、そして背面には石帯と木瓜紋。シュッと切れ上がった目には黒石がはめ込まれています。 伝来については造立当初の史料が残されていないため、その全容がまだ解明されてはいません。
かつての願徳寺は、東寺の真言密教と並んで天台密教の秘法を執り行う京都屈指の大伽藍でしたが、応仁の乱の戦火で衰退。平家の武将で後に僧になった小川法印忠快が再興しましたが、織田信長の兵火で寺院のほぼ全てが消失。後に徳川家康がこの寺の復活に尽力し、かつての面影を戻しつつあったところに明治時代の廃仏毀釈で再び荒廃。他寺に預けていた本尊などが戻され再興が完了したのは1996年。
どちらかといえば無名ともいえる存在だったこの国宝・菩薩半跏像は2006年、東京国立博物館で開かれた大規模な仏像展で、最高美十一面観音として知られていた向源寺の国宝・十一面観音菩薩立像とともに出品され、以降、その存在と美しさが多くの人々に周知されることとなりました。
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shakuhachi-kataha · 3 months
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第三回虚無僧供養尺八献奏会☆無事おわりましたのご報告🙏
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kachoushi · 2 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年3月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年12月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
氷川丸の円窓いくつ北塞ぐ 昌文 十字架のかたちに燃る蔦紅葉 美紀 倫敦を遠く大使の冬薔薇 佑天 望郷の眠りの中に木の実降る きみよ 女学院に尖塔のかげ冬紅葉 久 冬木立の向かうをつくりものの海 緋路 昏き灯のランプシェードとポインセチア 和子 十字架を解かざる蔦の冬紅葉 光子 凍空や十字架赤き鉄であり 和子 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天
岡田順子選 特選句
みなと町古物を売りに行く師走 荘吉 窓は冷たく望郷のピアノの音 俊樹 氷川丸の円窓いつく北塞ぐ 昌文 冬館キラキラ星のもれ聞こゆ 美紀 冬日和トーストに染むバタと蜜 季凜 ガンダムを磔にする師走かな 緋路 革命は起こすものかも冬薔薇 緋路 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天 胼の手の婆キューピーを路地に売る 俊樹 古硝子歪めし冬の空はあを 久
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
神鏡の底まで蒼く冬の月 かおり 右手上げ思索のポーズ漱石忌 修二 綿虫のうすき影負ふ百度石 かおり 戯れにペアのセーターそれは無理 美穂 冬帝の裾に鉄橋灯されて かおり 赴任地は裏鬼門なり漱石忌 美穂 後戻りできぬ吊橋冬枯るる 愛 大枯野則天去私のここに居る 美穂 綿虫のことづてありと君に来る 愛 牝狐の頭に木の葉町娘 成子 憑き物を落とす霰に打たれをり 愛 落葉踏む音を楽しむ童かな 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
亡き父よもう雪囲ひ始めしか 喜代子 百二才冬空へ帰られし 同 眠る山内で動めく獣達 都 年忘れ新入り下戸でじよう舌なり 同 門松の早や立ち初め禅の寺 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
冬菊を挿して祈りの夙夜かな 宇太郎 布教師の顎鬚白し報恩講 すみ子 投薬のまた一つ増え落葉蹴る 悦子 入隅に猫の目青し冬館 宇太郎 三途から戻りし者の年忘 同 闇一枚まとひてよりの浮寝鳥 都 露座仏の思惟の指さす空は冬 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
冬の朝遠くに今日の始む音 恭子 空青く舞ふ白鳥の透きとほり 幸子 塀の猫すとんと消えて師走かな 三無 冬の雲切れて見下ろす日本海 白陶 枯菊のかをり残して括られる 多美女 路地裏に声の弾みし焼芋屋 美枝子 カリオンの音の明るさや十二月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
寄せ鍋を囲みし人のまた逝きて 秋尚 まろまろと伊豆の山やま冬景色 怜 乾きたる足音空へ冬山路 三無 子離れの小さき寄鍋溢れをり のりこ 床の間に父の碁盤や白障子 三無 ご奉仕の障子新し寺の庭 和魚 信楽のたぬきと見合ふ障子越し 貴薫 煌めきをところどころに冬の山 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
茶の花やエプロンで無く割烹着 昭子 風花にして降るとも降らぬとも 世詩明 ポインセチア抱けば幸せさうに見ゆ 昭子 武生花鳥必死に守る年の暮 みす枝 彩りも音も無く山眠りけり 英美子 雪まろげ仕上げは母の手の加へ 時江 糶終へて皮ジャンパーの急ぎ足 昭子 着膨れて女は手より立ち上がる 世詩明 古暦パリの街角にて終はる 昭子 街師走吹かるる如く人行き来 みす枝
令和5年12月12日 萩花鳥会
冬の月句友ともども偲ばれて 祐子 五羽が風邪萬羽が処分魔の鶏舎 健雄 冬の空めげず生きると決心す ゆかり 一年の抱負も薄れ年の暮 吉之 首かけし手袋母の匂して 美惠子
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令和5年12月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
この先は冬雲傾れ込む山路 あけみ 白菜を抱きかかへつつ持つ女 令子 こんなにも長年参じ近松忌 同 オリオンの名残惜しみて冬の朝 あけみ 晩秋や娘の云ふを聞き入れる 令子 さきたま花鳥句会(十二月十五日) 初霜や狭山の畑を曳く煙 月惑 頑なに一花残して冬薔薇 八草 終焉の一ト日のたぎり冬紅葉 紀花 枝折り戸の軋む庵や枇杷の花 孝江 今年酒老舗の店や菰飾 ふゆ子 くちやくちやの枯葉纏ひて大欅 ふじ穂 廃校を渋柿たわわ守りをり 康子 三年間無事に埋めよと日記買ふ 恵美子 何をするわけでも無しに師走かな みのり 落葉積む赤き帽子の六地蔵 彩香 嫁ぎ来て冬至南瓜を五十年 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
口重き男に隣り近松忌 雪 九頭竜の黙が寒さを増すばかり かづを 散る紅葉散りゆく黄葉なる古刹 同 枯菊や香りと共に燃え上がる 英美子 手焙に触れれば遠き父の事 同 賀状かく龍天空へ飛躍せり 玲子 父母の眠る故郷恵方道 やす香 山眠るひもじき獣抱き抱へ みす枝 鼻水をすすれば妻もすすりけり 世詩明 熟し柿つつく鴉は夫婦らし 同 人にやや離れて生きて帰り花 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
黒門の枡形山に裘 幸風 冬蝶を労はるやうに母の塔 同 眠る山起こさぬやうに歩き出す 白陶 隠れんぼ使ひ切れざる紅葉山 経彦 冬帝と対峙の富士や猛々し 三無 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 山門へ黄落の磴細く掃く 斉 黄落の野仏は皆西へ向き 炳子
栗林圭魚選 特選句
蒼天に山脈低く雪の富士 芙佐子 空を抱くメタセコイアの冬支度 三無 SLに群がる揃ひの冬帽子 経彦 かなしことうすれゆきたり冬霞 幸子 笹鳴の過ぐ内室の小さき墓 慶月 法鼓聴く銀杏落葉の女坂 亜栄子 古寺の法鼓の渡る師走かな 久子 冬帝や明るき供花を陽子墓碑 文英 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 枯芝の広場の狭鬼ごつこ 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月19日 福井花鳥会
赤き玉転がしながら毛糸編む 啓子 住み古りて遺木の数多なる落葉 清女 着膨れてストレス無しと云ふは嘘 同 雲たれて空塞ぎをり十二月 笑子 ささやきを交はす綿虫寄り来たり 同 神殿に大絵馬掲げ年用意 同 毒舌も競り合ふ友や年忘 泰俊 それぞれの色を尽して末枯るる 雪 小説を地で生く男近松忌 同 墨をもて仏描きし古扇 同
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令和5年12月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
母と娘の悲喜こもごもや古暦 雪 大いなる一つの鳥居や神の留守 同 近松忌日有り気の一文箱 同 筆に生れ筆に死す恋近松忌 同 初雪や瓦は白く波打てり みす枝 初雪や誰彼となく首縮め 同 さんざめく市井を抜けて見る聖樹 一涓 神々の眠れる山や風の音 ただし 捨て猫のすがる眼や雪催 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月24日 月例会 全選句を掲載いたします。◎が特選句です。 当日の席題は「青」でした。
坊城俊樹選 特選句
 二百万余の英霊よ竜の玉 昌文  暦売る神となりし日遠くして 慶月  極月や足踏みかすか男衛士 音呼 ◎聖マリア棘やはらかき冬薔薇 和子  楽団の喧騒を待つポインセチア 順子  幔幕のうちは見せざり年用意 千種  聖夜待つランプの中の空青し 和子  悴んで十字架を小学生仰ぐ 順子 ◎十字架に鳩の休息クリスマス 要  朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象  一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子  著ぶくれのままカフェオレを飲むつもり 光子  著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天  冬帝のふくらませゆく日章旗 和子 ◎冬深む宿痾なる瘤持つ鯉へ 光子 ◎身じろがぬ寒鯉威してはならぬ 慶月  寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 ◎擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子  旧華族らしき猫背を外套に 順子  二の鳥居辺り冬帝在し険し 慶月  寒鯉の鐚一文も動かざる 千種  凍雲に閂かけよ大鳥居 月惑 ◎大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか ◎きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子  オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ��くちびるの端で笑つて懐手 和子  数へ日の水あをいろに神の池 要  外套のポケットに怒りを握る 和子  冬ざれの鯉の影なき池の底 炳子  上野は勝つてゐるか像の極月 慶月  歳晩や動きさうなるさざれ石 眞理子  聖樹の灯巻き込んでゆくボロネーゼ はるか  冬眠の蛇を諾ふ斎庭なる 光子
岡田順子選 特選句
◎神の鳥冷たき影を像に置く はるか ◎極月や足踏みかすか男衛士 音呼  初対面黄色のマフラーして彼女 政江  花柊零るる坂の神父館 要  未知の先あるかのごとく日記買ふ 妙子  聖マリアと棘やはらかき冬薔薇 和子 ◎枯蓮のいのちの水に眠る朝 佑天  裳裾冷たき暁星のマリア像 俊樹  なかなかに僧には会へぬ師走かな 眞理子  十字架に鳩の休息クリスマス 要  鷗外の全集売れぬ隙間風 俊樹  窓越しに著ぶくれの手が師を招く はるか  朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象  一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子  著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天  霜晴や空ラのリヤカー巡回す 千種 ◎英霊の言の葉の外年詰まる 軽象  寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江  年逝くや素木の鳥居乾くまま 要  擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子  数へ日の嵌つてしまふ小津映画 炳子  大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか  きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子  オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 ◎手つかずの落葉を散らす神の鳥 はるか  数へ日の水あをいろに神の池 要 ◎外套のポケットに怒りを握る 和子  サグラダファミリアみたいな銀杏枯れ 俊樹  風冷た悲しくなけれども涙 政江  二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 ◎微動だにせぬ零戦と年忘れ 俊樹
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kentarouchikoshi · 3 years
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  僕はキリスト教徒ではありませんが,偶然にも水野宏師という正教会の神父様とお近づきになる機会を持つことが出来ました。それ以来,僕は水野神父を宗教家としても人間としても非常に尊敬しております。今回,その水野神父の文章を拝読させて頂き,まさに僕が宗教に対して常々思っていたことを明確な形で的確に言い表した文章に出会えたと非常に驚き,また強く共感を覚えているところです。  今回,僕の意見を申し上げる前に,まず僕がどのような信仰を持っているかを明確にしておく必要があるでしょう。  先に申し上げたとおり,僕はキリスト教徒ではありません。天台宗の寺院の檀家で神社の氏子ですから「神道を併せ信じる仏教徒」という,日本では一番多い形の信心をしていることになります。そして日本人の多数に漏れず,僕はあまり熱心な信仰の持ち主ではありません。仏教徒である以上は三宝に帰依し五戒を遵守すべき立場の筈ですが,日常においては全く気にしておらず,他の方たちから見れば「無宗教・無信仰」に見える存在だと思います。お正月には神社に参拝し,お彼岸やお盆には祖先のお墓に参るために仏寺に詣でますが,日常生活で宗教に接するのはその程度でしょう。むしろ信仰していない筈のキリスト教のクリスマスなどを盛大にお祝いしたりしています。  とはいえ「君の宗教は?」と問われれば僕は「仏教徒。神道を併せ信心している」と答えますし,自分はそのような宗教の信者であるという認識は揺らぎません。  さて,仏教徒で神道も信じている以上,やはり何かの機会にはそれらの教えを学び知りたいと願うのは当然のことです。神社では見掛けませんが,お寺の山門の前には掲示板が置かれていることが多いですね。そこには仏教の教えを端的に伝える短い言葉などが掲げられていることが多いので,僕は出来る限り読むようにしています。また仏僧や仏教研究者の著書などにも触れ,色々な知識を身に着けようとも思っています。その過程で多くの良い言葉,良い文章に触れることが出来ました。それらの多くは「人生をいかに生きるか」「他者に対してどのような態度,どのような思いを抱くべきであるか」といった優れた人生訓であり,謙虚にそれらの教えに学ぶことをすれば僕は今よりもはるかに優れた人間になることが出来るでしょうし,そのように努めたいとも思っております。  しかしその反面,それらの文章を読んでも僕は満たされない思いを感じることが多々ありました。「人生訓は有益なものであり,偉大な先人を見習うのも勿論良いことである。しかし,自分が宗教に求めるものはそれではないのだ」と。僕としては「自分は死んだらどうなるのか」「既に世を去った人々は,今どこで何をしているのか」という疑問への答えや,或いは「もし死後の世界があるのであれば,自分がそこで安らかに満たされて過ごすにはどうすれば良いのか。また故人に安らかに満たされた思いで過ごしてもらうにはどうすれば良いのか」といった事柄について教えて頂きたいと願ってしまいます。無論,宗教者が「自らが良き来世を得るために,今生で正しい人生を送りなさい」「故人に来世で心安らかに過ごしてもらうために,正しく思いやりのある人になりなさい」と説くのであれば,それは判ります。或いはそういう宗教的問題とは関係無くても,およそ宗教者は人に道を説いて教え導く立場である以上は必然的に教育者でもあり,師として生徒たる信者たちを善導するのも正しいことだと思います。勉強を教える学校の先生が,ときに生徒たちに勉強とは関係無い人の道を説くことが期待されているように。しかし宗教者が宗教を全く語らず現世の問題のみを語られても,僕には「一番聴きたいことについて教えてもらえない」というモヤモヤした憾みが残ってしまいます。  水野宏神父は仰います。イエスを模範的な人物像として捉える見方が行き過ぎると「キリスト教がキリスト教でなくなり、教会がただの『現代人生講座』になりかねません」と。神父のご指摘を拝読し「ああ,これが僕の感じていたモヤモヤだ」と雲が晴れるような思いを感じました。キリスト教と仏教の違いこそあれ,僕が感じていたのはこの「宗教の人生講座化」であり,僕のモヤモヤはその状況への不満だったのです。いかに良く生きるかを説くのは良いことであっても,それに終始するばかりでは人間性の向上を説いているに過ぎません。宗教者が宗教的教導に併せて,或いは人を教え導くという立場に伴って人間性の向上を説くのは好ましいことですが「仏教の教えによれば,人は死んだらどうなるのか」「現世で良く生きることは,死後とどのように関連するのか」ということを説いてくれないのでは,一体何のための宗教かという不満を感じてしまいます。この点について「仏陀は死後を説かなかった」と消極的になる仏僧が存在することを僕は知っています。しかし複数の仏典に死後の話が多数登場する以上,それは到底信じられません。また仮にそうだとしても現在の仏教は釈迦の教説そのままではなく,釈迦の教えを踏まえつつそれを発展させて成立したものです。その中には人が死んだらどうなるかを説く教えも数多く存在し,現在日本に存在する仏教各宗派もそれらの教えを踏まえて成り立っています。宗派に属し宗祖の教えを重視する筈の現代日本の仏僧たちが,死後の問題に関してだけ釈迦直説に突然拘り出すのは理解出来ません。また「そんなことを言われても,仏教においては死後のことは本当に何も判らないのだ」というのであれば(仮に本気でそんなことを言うのなら,葬儀や法事で貴方たちは何をしているのか,寺院に墓地があるのはどういう理由かと問い糺したくもなりますが),日本の仏僧である以上は神道を援用して死後の世界を説くことも可能な筈です。現代日本の仏教に「神道は嘘である」と決めて掛かっている宗派は存在せず,全ての宗派が神道の神々を護法善神として認めているのですから(「神祇不拝」を説く浄土真宗,或いは神社参拝を禁止する日蓮正宗といった宗派は存在しますが,そうした宗派においても神道の神々の存在や日本神話そのものについては全く否定していません)。「仏教が駄目なら神道で」というのはあまりに極端で仏教に対し礼を失した物言いですが,釈尊の教説や宗祖の教えの中から「死後,人はどうなるのか」「御仏は死者をどのように救済するのか」という疑問に対する答を徹底的に探し出し,それを我々に説いて頂きたいと僕は思います。それを怠っていては仏教は宗教ではなく単なる現代人生講座になってしまうでしょう。まさに水野神父のご指摘のとおりです。  仏教にも神道にもキリスト教にも素養の無い僕の考えや願いがどこまで���当なものか全く自信はありません。しかし迷える衆生として,僕はそのような思いを抱いています。 折しも間も無く新年です。僕には宗教のことは全く判りませんが,年に1度のお正月には敬虔な思いで神仏を礼拝したいと思っています。そしてその際には僕自身や存命の縁者たち,更には現在ご存命の方々全ての現世での幸福を祈るつもりです。そしてそれと同時に,現世の人々も既に世を去った人々も,双方が共に安らかに満たされた一年になることをも併せて祈りたいと思っているところです。
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xf-2 · 5 years
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳���査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門���が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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三十石  1/2
 京都見物にまいりましたふたりの男が、円山二軒茶屋、八坂の塔、高台寺、清水坂、大谷鳥辺山、大仏さん、耳塚三十三間堂と見物いたしまして、でてまいりましたのが、伏見街道でございます。 「さあ、早よう歩き、なにをぼーっとしてるねん?」 「べつにぼーっとしてるわけやないけど、なんぞ子どものみやげを買《こ》うて帰ろうおもうて、なにを買おうと、思案《しあん》してるねん」 「ほな、伏見人形でも買うて帰りいな」 「伏見人形てなんや?」 「この稲荷山の土で焼いた人形や。ここの人形はな、持って帰って破れても、その土が、もとの稲荷山へかえるというねん」 「ほう、えらいもんやな……そんな人形を売ってるか?」 「このへんは、人形屋ばっかりや……みてみ。だんだん職人がじょうずになるのか、器用になったんか、人形も焼き物とみえぬ羽二重細工《はぶたえざいく》のようやろ? ……どうや? 所帯道具かて、なにひとつないものはないわ。みな焼き物でできてるやろ?」 「そうかいな? ……けども、みわたしたところ、横槌《よこづち》がないな」 「これっ、焼き物の横槌がつかえるか?」 「おまえ、焼き物でなんでもあるというたがな」 「そら、いうたけど、焼き物の横槌があるかいな……そのほかのもんなら、あるというねん」 「ほうきがない、ほこりたたきがない。十能《じゆうのう》がない」 「おい、おまえ、ないものばっかり選《よ》ってるがな。あの棚にある大黒さんが、えびすさんの耳をほじくっている。あの肉づきといい、にたっと笑うてるとこは、ものでもいいそうやな」 「やあ、こっちののれんのあいだから首をつきだして、鼻たらしてる丁稚《でつち》もようできてるわ」 「どれいな?」 「あののれんのあいだから顔をだしてるやないか」 「あほ! あれは人間やがな」 「ああそうか……人形屋はん、ごめんなはれや」 「おいでやす。どうぞおかけ」 「おまえ、どれでも売るかえ?」 「へえ、どれでも商《あきな》います」 「ほな、あののれんのあいだから首だしてる人形、あれ、きれいに鼻ふいてなんぼや?」 「のれんのあいだから首だしてる人形? ……これ、あたまひっこめてい……あれは、わたしのせがれで……」 「なんや、おまえはんのむすこか……けったいなむすこをこしらえたんやな。あんなせがれ、大きなってもろくな者になれへんで、いまのうちに売ってしまい」 「ひとりしかないせがれを売ってしもうたら、跡とりがなくなります」 「なかったら、またこしらえたらええがな」 「こしらえたらええがなというて、じきにできるものやおまへん」 「そこをうんときばって……」 「なにほどきばったかて、わたしのような年になったらだめどす」 「ほな、わいが手つどうてこしらえよか?」 「いや、それにはおよびまへん」 「そうか。わいならすぐこしらえるんやがな。おしいな……棚にあるあたまの長い人形、あれはなんや?」 「へえ、福禄寿《ふくろくじゆ》どす」 「なんぼや?」 「あの福禄寿、百七十文どすが、百六十にまけておきます」 「なんや? 百六十が百七十やが、百六十にまけるのか?」 「いいえ、福禄寿、百七十を百六十にまけますので……」 「ややこしいねだんやな。値を聞いて肩がこってしもた……この小さい人形は?」 「へえ、この人形は、肌身につけていただきますと、船などに酔わぬまじないで……」 「これはなんや?」 「へえ、寝丑《ねうし》と申しまして、子どもに瘡《かさ》ができましたら、この丑《うし》に、坊《ぼん》の瘡を食べてくれ、嬢《いと》の瘡を食べてくれとたのむと、ふしぎとその瘡がなおりますねん」 「ふーん、お医者はんみたいな丑やな」 「値はなんぼや?」 「三百だす」 「この小さい、きたない寝丑が三百とは、ねうしがないな……やあ、いろいろな丑があるなあ」 「へえ、これが黒丑で、これが赤丑、こっちが斑丑《まんだらうし》だす」 「ああ、さよか……ほな、背なかにすき鍋を背負うて、なかに葱《ねぶか》と焼き豆腐いれると、ジューと鳴く丑はないか?」 「そんなすき焼きみたいな丑はおまへん」 「とにかく、寝丑と、この小さい文づかいと虚無僧《こむそう》の人形をもらうわ。みんなでなんぼや?」 「へえ、五百だす」 「だれがぼやくねん?」 「いえ、ぼやくやおまへん。五百だす」 「ああそうか……ほな、銭はここへおくで」 「ありがとうさんで……」 「えらいじゃまをしたな。それ、みやげができた」
 やってまいりましたのは、伏���寺田屋の浜で、夕方になりますと、三十石の夜船に乗るお客さんを呼んでおります。 「へえ、あんさんがた、お下《くだ》りさんやおまへんか? もし、そちらの顔の色のわるいかた、あんた下《くだ》らんか?」 「いや、結《けつ》して(便秘して)こまってんねん」 「おい、なにいうてるねん」 「え?」 「結してこまってるとは、なんのこっちゃ?」 「あの人が、わての顔をみて、下らんかというてたずねてはるさかい、結してこまるというたんや……わてな、一昨日《おとつい》から便所《ちようず》へいかずや」 「ちがうがな。船に乗って大阪へ帰ることを下らんかというてるのや」 「ああ、そうか。ほな、大阪へ帰って下ります」 「そないていねいにいわんでもええ……おい、船はすぐにでるか?」 「へい、すぐにでます。どうぞご一服を……」 「そんなら待たしてもらおう」  二階へあがりますと、お客さんがたくさん待っておりますが、そこへまいりましたのが、船宿の番頭さんで、 「へえ、どちらさんも、えらく長らくお待たせいたしました。もうほどなく船がでます。今日《こんにち》は、えらいおつかれのことでござります。宿の番頭でござります。みなさんのおところとお名前を帳面に書かしていただきます。役場へとどけますのんどすが、どうぞてんご(じょうだん)をいわんように、ひとつていねいにいうていただきとうおす……ええ、あんさん、どちらさんでござりましょうか?」 「わいはな、大阪船場っ」 「わあ、きたないな、つばがはねまっせ……ええ、大阪船場どすな」 「今橋二丁目」 「へ……ええ、お名前は?」 「鴻池善《こうのいけぜん》右衛門《えもん》」 「ええ? ……鴻池はんのお手代《てだい》で?」 「いやいや、手代やない。わいが鴻池善右衛門」 「そんな、あんた、無茶いうたかてあきまへんで……鴻池はんにはごひいきになっておりますので、よう存じております。鴻池の旦那《だん》さんは、もっとよう肥えてはったようにおもいますが……」 「米高がこたえて、どかっとやせたんや」 「米高でやせた? てんごばっかりおっしゃって……もうすこうし背が高かったようにおもうてますが……」 「道中をして歩いてるうちに、ちびって背が低うなったんや」 「ちびった!? なにいうてなはる……そっちの旦那《だん》さんは?」 「おいどんは、鹿児島は本町通り二丁目、西郷……」 「え? 西郷!?」 「西郷ひくもり」 「どうぞなぶらんように……そっちのおばあさんは?」 「みずからは、小野《おのの》小町」 「いやあ、きたない小野小町やな。みずからちゅう顔やないわ。塩辛《しおから》みたいな顔をしてなはる。そっちの坊《ぼん》は?」 「ムチャチボウベンケイ」 「なんや、お子たちまでなぶりなはる……そっちのご出家は?」 「愚僧は、高野山弘法大師、これなるは、円光大師……おんなぼきゃ、べろしゃな、まかぼたら、まにはんどまじんばら、ばらはりたやむ……真言経を二十一ぺん書け」 「どうぞなぶらんように、ていねいにいうておくれやす……あんさんは?」 「ほなら、わたし、ていねいにいうよって、ていねいに書いてや」 「へい、ていねいに書きます」 「仮名で書いてや」 「へいへい、仮名で書きます」 「おうさかより、さんりみなみにあたる、せんしゅうさかい……」 「それなら、最初《はな》から泉州堺でええのどす」 「ていねいにと、いうたやないか」 「ていねいすぎますがな……泉州堺……へえへえ」 「だいどうくけんのちょう、ほうちょうかじきくいちもんじかねたか、ほんけこんぽんかじもときゅうざえもん、なごやししんまちどおりにちょうめ、おなじくしてん、にょうぼ、さよ、せがれ、まんきち」 「もし、それはなんどす?」 「こんどな、堺から名古屋へ庖丁《ほうちよう》の店をだそうとおもうねんが、ちらし(広告)のところ書きは、それでわかるかしらん?」 「知らんがな、そんなこと……そちらさんは?」 「わいは、大阪|西渡海里町《にしとかいりちよう》じゃ」 「へえへ、こりゃほんまや。大阪西渡海里町、へえへ、お名前は?」 「八文字屋徳兵衛、近江屋|卯兵衛《うへえ》、福徳屋万兵衛、大黒屋六兵衛、大和屋徳七、河内屋太郎兵衛、紀州屋源助、泉屋与兵衛、浪花屋清七、山城屋喜三郎、堺屋治助、赤穂屋太三郎、備前屋佐兵衛、讃岐《さぬき》屋喜平、肥前屋角兵衛、伊勢屋三郎兵衛」 「えーえ、おっしゃったのは、どなたはんとどなたはんどす?」 「おっしゃったのは、こなたはんおひとりや」 「え? おひとりで? ……あの……名前をぎょうさん書きましたが……これなんどす?」 「去年、うちのおとっつあんが死んでな、香奠《こうでん》をもろうたんやが、香奠がえしをせんならん、何軒あるやろ?」 「もし、うだうだいいなはんな。帳面がまっ黒になりましたがな」  番頭はん、ぶつぶついいながら下へおりてしまいました。  しばらくいたしますと、川から船頭の声が聞こえてまいります。 「さあ、だしまっすぞー」  この声に、みながどやどやと下へおりてきますと、下では、女中さんがべんちゃら(お世辞)を申しております。 「へえ、どなたさんもおしずかにどうぞ、おはようお上がりを……もし、あんたはん、わらじをお召しにならんでもよろしゅうござります。すぐに船に乗るのんどすので、そこにてまえかたの下駄がおす。それをはいてお越しあそばせ。川端へぬいでおいていただきましたら、わたしのほうの焼き印が押しておすので、あとでひらいにまいります……あの、あんさんのお弁当、これにこしらえてござります。なかに高野豆腐《こうやどうふ》がはいってござります。お汁《つい》は、しぼってござりますが、せっかくのお召し物にしみがつくといきまへんので、わらび縄でさげるようにしておす。どうぞ、さげてお越しあそばせ。ありがとさんで。どうぞおはようお上がりを、ありがとさんで、おしずかにお越しあそばせ……まあ、これは、船場の旦那《だん》さんどすかいな。おみそれ申しておりまして、まことに失礼をいたしました。まあまあ、これはこれは、坊《ぼん》さん、大きゅうおなりあそばしたことわいな。先年お越しのときは、乳母《おんば》さんに抱かれてござったのに、こんなに大きいおなりあそばして、かわいおすわいな。お帰りになりましたら、ご寮《りよう》人さん(奥さん)によろしゅういうていただきますように……さきほどは、ご祝儀《しゆうぎ》をいただきまして、ありがとうさんどす。あの、おもよどんという女中《おなごつ》さん、まだ奉公しておられますか? まあ、さようでござりますか。ご忠義なおかたわいな。どうぞお帰りになりましたら、寺田屋の竹が、『よろしゅういうてくれと申しました』と、いうていただきますように……さよーならー、どなたもおしずかにお下りやーす」 「わあ、あいつ、なんや? 大きな口あきよったな」 「みんなのあたまへおしずかにをふりかけよったんや」 「ああ、そうか。ほな、さよーならー」 「これ、おまえ、なにしてるねん?」 「うん、あいつがおしずかにをふりかけよったんやさかい、わいは、さよならをゆすりこんだったんや」 「そんなしょうむないことをしないな」 「おーい、早よこい、早よこい」 「どなたもおしずかに……」 「早よこい、早よこい」 「おしずかに……」 「おい、おまえ、女中《おなごし》と船頭とみくらべて、なにうろうろしてるねん?」 「船頭は、早よこいというし、女中《おなごし》はおしずかにというし、どないしたらええねん?」 「なに、あほなこというてんねん、早ようこんかいな」 「おーい、お客さんがた、早よこい、早よこい」 「船頭はん、このお客さん、ひとりで五人前とっとくれ。こちらのお客さん、ひとりで二人前、三人で五人前、二人で三人前とっとくれ」 「あれは、なにをいうてよるねん?」 「あれはな、ひとり前の場所やと、混《こ》みおうてくると、坐ってられへんさかい、ひとりで二人前とってゆっくり坐るとか、三人で五人前の銭を払うて足をのばすとか、ひとりで五人前の場所買うて寝るとかするねん」 「ああそうか……おい、船頭はん、ふたりで、ひとり前とってんか?」 「なんやて? ひとりでもせまいのに、ふたりで、ひとり前どうして坐りなさる?」 「ひとり坐って、ひとり肩車するねん」 「そんなあほな……肩が痛《いと》うて、大阪までいかれへんがな」 「肩が痛うなったら、枚方《ひらかた》で、上と下と交替するわ」 「なにいいなさる。早よう乗りなされ」  お客さんが船に乗りこみますと、それへ物売りがまいります。 「どなたも、おみや(おみやげ)はどうどす? おみやはどうどす? おちりにあんぽんたんはどうどす? 西《にし》の洞院紙《といんがみ》はよろしおすか? おちりにあんぽんたん……もし、あんた、あんぽんたん」 「こらっ、なにぬかしやがるねん。あっちへいけ」 「おい、おまえ、なにをおこってるねん?」 「この物売り、わいの顔みて、あんた、あんぽんたんやいいよるねん」 「そりゃ、おまえのことやない。あんぽんたんという菓子の名やがな」 「ほんまか?」 「かきもちのふくれたんに、砂糖の衣《ころも》がかかったあるのや」 「ふーん、おかしな名やな」 「東山というのやが、俗にあんぽんたん」 「そうか……おちりてなんや?」 「ちりがみのことを、京ことばで、やさしくおちりというねん」 「ほな、便所へいたら、おちりでおちり(お尻のしゃれ)をふくか?」 「きたないしゃれをいいな」 「西の洞院紙てなんや?」 「大阪ですきなおし、京で西の洞院紙、江戸で浅草紙いうねん」 「えらい名がかわるねんなあ」 「まあ、ところによって名がちがうのやな……大阪でなんきんを、京でかぼちゃ、江戸で唐《とう》なすというそうな。ところによって唱《とな》えがかわる。浪花《なにわ》の芦《あし》も伊勢の浜荻《はまおぎ》というでな」 「妙なことをいうねんな。こらっ、物売り、買えへんわい。あっちへいけ!」 「まあ、あんたはん、いっかいお声どすなあ」 「こらっ、いっかいといわずに、大きいといえ」 「そんなことをおいいかて、京のことばや、しかたがおへんえ」 「なにいうてんのや。京がどれだけえらいのや?」 「京は、王城の地どすえ」 「なんや? 王城の地? ……青物ばっかり食《くろ》うて往生の地やろ?」 「まあ、あんなことおいいる。京は、一条から九条まで法華経普門品《ほけきようふもんぼん》が埋めておすえ」 「そんなもん埋めんと、ちょっと石でも埋めえ。歩きにくうてかなわんわい」 「あんなことをおいいる……京の御所のお砂をおつかみてみ」 「なんぞになるのか?」 「どんなおこり(熱病)でもおちるえ」 「おこりがおちる? ……ほな、大阪の造幣局の金をおつかみてみ」 「おこりがおちるんどすか?」 「首がおちるわい」 「おい、そんな無茶いいないな……物売り、怒って行《い》てしもうたわ」 「京のやつがものいうと、生《なま》ったれてるんので腹が立つ」 「そんなこというたかてしょうがない。郷《ごう》に入《い》っては、郷にしたがい、ところに入っては、ところにしたがうということがある。そう、おまえのようにいうもんやない」 「けったくそがわるい。寝てこまそ」 「これ、お客さんよ、こんなとこへ寝なはったら、じゃまになるがな。のきなはれ」 「こらっ、なにをしやがんねん、人のあたまをなぐりやがって……」 「お客さんよ、船頭はしておりますが、お客さんのどたまをどついたりはしません」 「いいや、いまなぐりやがったわい」 「どつきやしまへん。じゃまになるで、どきなはれと突いたで、おまえのどたまが鳴ったんじゃろう」 「こらっ、人のあたまをなぐっといて、鳴ったんじゃろとはどうや?」 「どつきやしまへん。どきなはれと突きや、おまえのどたまが鳴ったんじゃろ……よう鳴るどたまじゃ」 「こらっ、よう鳴るどたまとはなんじゃい? 太鼓みたいにぬかしおって……なぐったわい」 「おまえさんは、なぐったといいなさる。おれは、なぐらんという。こりゃ、おさまりがつかんがな……おまえさん、なぐったといいなさるなら、なぐられたという書き証文持っとるかい?」 「こらっ、なにいうてんのや。なぐられるのに、いちいち証文を書いてなぐられるやつがあるかい」 「これ、角《かく》よ」 「おーう」 「いつまでお客人をとらまえて、からこうとるかえ? ……お客さんよう、そいつは、国からでてきて、まだ間がない者じゃで堪忍《こらえ》まいよ」 「おまえのようにやさしくいうてくれたらええのに、人のあたまなぐっといて、よう鳴るどたまやというによってに、腹が立つねん」 「それじゃから、こらえまいよというのじゃ」 「そういてくれたらええのや。銭をだして乗ったら客や、その客のあたまをなぐるというやつがあるか?」 「それじゃから、こらえまいよというのじゃ。銭をだしたといいなさるが、この船は、船行船《せぎようぶね》(水死人を供養するための川施餓鬼をおこなう船)じゃござんせんで、銭ゃあいただきます……こらえまいよというに、こらえられんか? こらえられんなら、こらえられんとぬかしてみくされ。どたまからかちまく(なぐる)ぞ」 「うわあ、こわやの。あいさつ人の船頭のほうがこわいわ。どたまかちまくいいよる」 「そやかて、おまえがわるいがな。船頭の通り道に寝��るよってに……」 「船頭になぐられるわ、おまえにしかられるわしたら、わいの立つ瀬がないがな」 「そないに怒りいな。あないにいうてるが、馬方、船頭、お乳《ち》の人というて、ことばは荒いが、気立てはええもんや。あないごつごついわんと、この大きな船がうごかされへん。馬方かてそうや。馬の手綱持ったら、年中怒ってよる。『どう、長いつらさらして、張りたおすで! どちくしょうめ! 脛節《すねぶし》いがんでるがな』……まあ、ようあんな無茶いいよる。むかしから、馬の丸顔みたことないで。みんな長いもんや。馬かて張りたおされたら痛いよってに、顔をみじこうしたいやろが、でけんさかい、気のええもんで、鼻で笑うてる、『ヒヒン』とな……『どちくしょう』て、馬はちくしょうにきまってる。脛節いがんでるて、いがんでるので歩けるのや。まっすぐやったら歩かれへんがな。けどな、ああいうよってに、馬がうごくねん。やさしいのがええというて、京ことばで馬を追うてみい。馬はうごけへんで……『ちゃいちゃい、お歩きんかいな? なにしとるねん、あんたはん、長《いか》いお顔どすな。お足《みや》ゆがんどすえ』というてたら、馬が、『そうどすか』いうて、寝てしまうわ。船かていっしょや。『どきなはれっ』てな調子でやるさかい、船がうごくねん。なあ、船頭はん」 「やかましいわい」 「それみい。おまえのために、わいまで怒られるがな」 「おい、船頭はん、早ようだしいな」 「おい、だしますぞう!」
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大愛長情劇展:佛孫寫給兒子女兒的信 題目:讀彰泰國中的兒子問著:媽媽為什麼是中國人?!(陪佛看天星)第一集   [佛菩薩總統韓國瑜陪佛看天星]- 第01集 / Giver of Light
大愛長情劇展:佛孫寫給兒子女兒的信 題目:讀彰泰國中的兒子問著:媽媽為什麼是中國人?!(陪佛看天星)第一集    [佛菩薩總統韓國瑜陪佛看天星]- 第01集 / Giver of Light    https://www.popo.tw/books/688752 早上 一樓電話響了 奶奶接電話 邊哭邊說:只剩我一個人。
太陽出來了 小姑姑看了女兒的同學一眼 (我不要邪淫同性戀的緣的眼神) 就聽到女兒擋門很大聲 對小姑姑說話很大聲的聲音 小姑姑對女兒說話很大聲 佛孫媽媽在二樓在佛像前 合掌快板念著:南無阿彌陀佛請馬上接引黃鈺雯、黃偉傑往生西方極樂世界!南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛...。 佛祖婆婆說:美華!不要這樣! 聽到佛祖女兒笑了! 佛孫媽媽終於放心了。
佛祖小姑姑來二樓說:您沒有在管女兒! 佛孫媽媽聽著佛號聲合掌念佛 沐浴在佛光普照中 心中說著:寫信給兒子女兒。只寫佛號佛經念佛感應記。 佛祖小姑姑在三樓講電話:我和媽很辛苦在照顧家。我要照顧父母到成佛。誰家的小孩擋門口!我搬出去!...。
佛孫媽媽拿粉紅色的信紙正面寫 般若波羅蜜多心經 中國中華民國108年8月3日簡攢孋書 背面寫回向文 請拜 南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王憶佛念佛成佛六字大明咒唵嘛呢叭彌吽Om Mani Padme Hum慈航普渡一帆風順萬事如意素食救地球平安健康善有善報讚佛偈回家歸瑜返鄉中國一定強回向文 聲聲佛號拜佛憶佛念佛成佛 回向祝福南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王蓮花化生願簡蘇梅佛祖永遠平安健康快樂!蓮花盛開。佛力加持國花梅花盛開。中國一定強!中國中華民國中國國民黨青天白日滿地紅。佛德永遠必勝!
晚上佛孫媽媽洗完澡。 走進一樓客廳 看到大姑姑坐著 面對著全家人。 佛孫媽媽走到二樓聽到大姑姑說著:爸爸得癌症。因為醫生說:醫治一年了。可以平安到今天。是已經穩定了。所以今天說出來。 兒子女兒晚上不要去打工了。早回家陪爸爸說說話。好好念書上學。願南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王憶佛念佛成佛十念必生願保佑爸爸過年陪我們過春節吃團圓飯! 天天念十聲南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王憶佛念佛成佛十念必生願。祝福爸爸永遠平安健康快樂! 爸爸去年八月得癌症。今年四月我逼問爸爸,才說得癌症。(爸爸變瘦了。)
佛孫媽媽寫著 2019.08.03大政治大爆卦完整版(上)8/3韓流撼桃園!韓獲提名下鄉接地氣 翻轉綠桃園?4:31佛菩薩吳志揚幫佛菩薩總統韓國瑜舀湯圓 佛菩薩韓國瑜送湯圓給佛菩薩桃園議長邱奕勝 佛菩薩韓國瑜送湯圓給佛菩薩吳志揚 佛菩薩韓國瑜念念利益眾生 最後才舀湯圓給自己 大乘南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王慈父大願船 勝於日月之明無量百千萬億倍 團圓湯圓桃園聲援 客家三寶 西方三聖三寶佛祖! 請拜 南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王憶佛念佛成佛 一切眾生本來成佛 佛佛道同 如母憶子 心心相印 一佛出世 千佛擁護 功德無量! 大愛長情劇展 [陪您看天星] [陪佛看天星][佛菩薩總統韓國瑜陪佛看天星]- 第01集 / Giver of Light 片尾曲:愛您,像您疼我。 https://www.youtube.com/watch?v=HC3K5JsYoxA&list=PLc8M1wVJOpHxK8_mEN1PhlKtxRYQ2k_IB 佛孫媽媽去年11月知道爸爸得癌症。就默默行善。寫南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王憶佛念佛成佛回向文貼在 海濤大悲學會(全球祈福助念專區)海濤師父全球念佛祈福會 https://www.facebook.com/groups/214999375209212/ 一心奉請 南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王 光中化佛無數億 全球佛祖蓮池海會 助念佛號佛經 知道南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王會保祐爸爸平安成佛回家回西方極樂世界。永遠平安健康快樂! 佛孫媽媽想著懷兒子女兒時 佛號佛經佛水救母子平安十個月 回向文寫幾月幾日產檢生產 一心奉請 南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王萬德洪名 萬善同歸是最好的中國佛藥。佛力加持平安。 再念佛抄寫佛經修八關齋戒喝佛水 肚子灑大悲咒水 全滿善願。 以前爸爸肝病時 佛孫媽媽寫好念佛回向文抄寫南無大慈大悲普賢菩薩佛號佛經時 爸爸已經恢復健康了 有醫院醫療車到彰化農會驗血 體檢圓滿 醫生說:爸爸恢復健康了!肝病消失了! 小姑姑說:醫生醫不好的肝病。怎麼會完全好了呢! 佛孫媽媽知道是「南無大慈大悲阿彌陀佛」醫好的。佛號佛經佛水八關齋戒是成佛出家常住西方極樂世界常寂光淨土。聲聲佛號接引無量眾生往生佛國成佛!聲聲佛號乘願再來慈航普渡無量眾生永遠成佛! 永遠平安健康快樂! 成佛像太陽西去 乘願再來像太陽日出東方 聲聲佛號佛光普照功德無量!
一樣天天念佛行善回向 回向祝福南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王蓮花化生願簡蘇梅佛祖永遠平安健康快樂!蓮花盛開。佛力加持國花梅花盛開。中國一定強!中國中華民國中國國民黨青天白日滿地紅。佛德永遠必勝! 天天佛誕節殊勝吉祥日。國慶日。春節過年團圓。春天的溫暖佛德永遠必勝!
佛孫媽媽去年知道1450要戰爭。不忍心無量眾生可能有一根汗毛疼痛死亡。所以,寫南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王憶佛念佛成佛回向文貼在海濤師父全球念佛祈福會 還有其他助念祈福館...等。 回向祝福南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王蓮花化生願簡蘇梅佛祖永遠平安健康快樂!蓮花盛開。佛力加持國花梅花盛開。中國一定強!中國中華民國中國國民黨青天白日滿地紅。佛德永遠必勝! 和南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王圓滿昔所願。一切皆成佛。感應道交。善有善報。2018年九合一選舉。藍軍15都勝利!
晚上 兒子來二樓關念佛機。關宣揚佛德隨聲聽。 佛孫媽媽走去佛廳。 請抄寫好的佛號佛經。 供養南無阿彌陀佛兒子的佛心。 兒子看著抄寫好的佛號佛經。 回向文說著:您是中國人?! 您過去對爸爸有多好?他現在不能吃不能說話。 您在這樣就送您回高雄。舅公今天死了。明天奶奶他們要去看舅公。拜佛念佛。 小姑姑叫兒子下樓。
佛孫媽媽等兒子到一樓。 再打開念佛機。宣揚佛德隨聲聽。24小時直到永遠! 佛孫媽媽想著:我家在西方極樂世界仙境之甲。上淨下空老和尚說:一生可以見到南無阿彌陀佛三次!我見過二次,等念佛三昧預知時至,我就默默念佛行善積功累德先成佛回家。 大愛長情劇展:佛孫寫給兒子女兒的信 題目:讀彰泰國中的兒子問著:媽媽為什麼是中國人?!(陪佛看天星)第二集    [佛菩薩總統韓國瑜陪佛看天星]- 第02集 / Giver of Light 請頂禮 南無大慈大悲阿彌陀佛憶佛念佛成佛 佛孫媽媽想抄寫 大佛頂首楞嚴神咒 寫在彰化縣議會的月曆 空白那一面 中國中華民國佛年佛月佛日簡攢孋書 祖籍:中國中華民國福建 出生地:中國中華民國臺灣高雄仙境之甲甲仙 回向文想寫 南無大慈大悲阿彌陀佛憶佛念佛成佛慈航普渡一帆風順萬事如意素食救地球平安健康善有善報回向文 願以此功德 莊嚴佛淨土 上報四重恩 下濟三途苦 若有見聞者 悉發菩提心 盡此一報身 同生極樂國 請各自回向 盡虛空遍法界 國內:佛菩薩中華民族萬姓先祖紀念堂。國外:佛菩薩九界眾生先祖紀念堂 佛菩薩中國萬姓祖先 佛菩薩中國國民黨全部福人。高票當選。高票獲勝。福地佛菩薩2020年中國中華民國總統、副總統與立法委員選舉當選人。 回向憶佛念佛成佛往生西方極樂世界蓮位佛菩薩:簡蘇梅、簡文國、劉丁復、劉吳箱、黃竹旺、舅公妙音居士、嬰靈寂僧、嬰靈智陀羅尼。 佛菩薩簡黃劉林曾李汪詹歷代祖先、陳月英、黃美慧、汪兆榮、Sharon Wang 汪宜萱、黃美華、黃耀文、簡攢孋、黃鈺雯、黃偉傑、黃裕昌、詹亞男 Jany Chan、黃柏翰、黃郁婷、Lucky小白狗狗、大鼻貓喵、Cheer招財貓、阿鳥會念佛的小鳥。 簡安正、簡劉雲雀、簡巧宜、曾黌元、曾守梓、曾守弘、簡暉錫、林姿秀、簡暟均、簡竤宇、簡汝瑩、李勇勳、蓁姐琳妹、簡聖輯、劉鳳仙。 功德有剩 代代出好子孫(台語)
佛孫媽媽想著小時候 佛祖奶奶說:鄰居死了 沒有人敢幫死人洗澡 奶奶免費幫她洗澡 穿乾淨的衣服。
等我長大 在南無阿彌陀佛雪心念佛會當志工 也看到了佛祖奶奶無盡慈悲的身影 南無阿彌陀佛志工 助念佛號圓滿12小時 感恩戶已經平安回西方極樂世界佛光普照 全身柔軟 就免費洗感恩戶大體 再入殮
感恩 南無阿彌陀佛慈悲作主 保佑佛孫媽媽助念佛號圓滿80尊感恩戶 第81尊佛祖是我的佛祖奶奶 雪心念佛會有幫忙念佛回向 大悲咒法會圓滿的時候 念回向文 請各自回向 我心中念 全部念佛功德回向給簡蘇梅 在佛寺的天空 有 南無阿彌陀佛師父報平安說:您不要傷心 您的奶奶已經往生西方極樂世界 第82尊佛祖是我的佛祖公公 我先念佛回向 請南無阿彌陀佛慈悲作主 請 南無阿彌陀佛雪心念佛會幫公公念佛全包。 大乘禮儀社佛光普照! 如果,佛祖公公有往生西方極樂世界 請讓親人聞到南無阿彌陀佛寶香普勳願 撿到舍利子 大姑姑說:聞到香香的南無阿彌陀佛寶香普勳願。感恩佛。 有撿到十顆舍利子 佛祖師兄志工說:十全十美! 第無量無邊尊在網路南無阿彌陀佛念佛會。恆河沙佛剎。 佛孫媽媽願意永遠頂禮南無阿彌陀佛四十八大願憶佛念佛成佛八關齋戒常住西方極樂世界常寂光淨土無盡慈悲大愛無國界真心永恆! 念一聲南無阿彌陀佛八功德水蓮花池就生出一朵成佛蓮花 聲聲佛號就是在幫成佛蓮花澆佛水 一聲南無阿彌陀佛像是全球的金銀財寶 能生無量金銀財寶 是南無阿彌陀佛衣食自至願的保祐 思衣得衣 思食得食 思什麼得什麼 如果這本書有在書局的話 佛孫媽媽願意 以南無阿彌陀佛人生還願的佛德 捐功德款給佛祖爸爸 幫忙照顧全家人 還有捐功德款給南無阿彌陀佛念佛會 幫忙照顧全世界的無量眾生 照顧善道惡道無量眾生全成佛 如果佛賜佛孫媽媽三輪車的話 我想繼續參加南無阿彌陀佛念佛會助念佛號 眾善奉行 功德無量! 南無阿彌陀佛佛祖奶奶簡蘇梅是世上唯一永遠深愛佛孫的好佛祖 盡虛空遍法界無量眾生是南無阿彌陀佛佛祖奶奶簡蘇梅慈悲的化身 拜佛 感恩南無阿彌陀佛大醫王 光中化佛無數億 永遠深愛佛孫 是佛孫心中最溫暖的佛號功德! 拜佛 感恩永恆!
108.8.4早上 佛孫媽媽到一樓 看到佛祖兒子就合掌說:頂禮南無阿彌陀佛憶佛念佛成佛平安! 佛祖兒子像大佛頂首楞嚴神咒大悲咒的護法警察表情說:媽。喝豆漿。和吐司。 佛孫媽媽力氣小 但是知道念佛回向 串連愛心 會聚力量 串連佛心 會聚佛力 方向(證嚴上人的悲願) https://www.youtube.com/watch?v=bfanbzSE9IA 佛孫媽媽抄寫佛號佛經回向文 般若波羅蜜多心經 般若波羅蜜多心經講記 淨空法師主講 https://book.bfnn.org/books/0253.htm 般若波羅蜜多心經               唐三藏法師玄奘譯         觀自在菩薩,行深般若波羅蜜多時,   照見五��皆空,度一切苦厄。   舍利子!色不異空,空不異色;色即是空,空即是色;   受、想、行、識,亦復如是。   舍利子!是諸法空相,不生不滅,不垢不淨,不增不減。   是故空中無色,無受、想、行、識;   無眼、耳、鼻、舌、身、意;   無色、聲、香、味、觸、法;   無眼界,乃至無意識界;   無無明,亦無無明盡,乃至無老死,亦無老死盡;   無苦、集、滅、道;無智亦無得。   以無所得故,菩提薩埵,依般若波羅蜜多故,心無罣礙;   無罣礙故,無有恐怖,遠離顛倒夢想,究竟涅槃。   三世諸佛,依般若波羅蜜多故,   得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多,   是大神咒,是大明咒,是無上咒,是無等等咒,   能除一切苦,真實不虛。故說般若波羅蜜多咒。   即說咒曰:   揭諦揭諦 波羅揭諦 波羅僧揭諦 菩提薩婆訶   般若波羅蜜多心經 http://ccubk14.brinkster.net/greatbook/T00/T08N0251_P0848A03a.htm 般若法門歸結到一句萬德洪名上,更顯示名號功德不可思議。能持名號之人,不僅修念佛三昧,念佛三昧,諸經稱之三昧之王,實在這一句名號乃究竟圓滿的大般若。 在無量壽經中可找到證據,世尊對彌陀之稱讚,稱之為「光中極尊,佛中之王」,也是十方三世諸佛如來之讚歎。如此乃能肯定彌陀名號是「無上咒、無等等咒,能除一切苦,真實不虛。」 故說般若波羅蜜多咒,即說咒曰:揭諦揭諦,波羅揭諦,波羅僧揭諦,菩提薩婆訶。 http://ccubk14.brinkster.net/greatbook/D00/05940.htm 颱風「利奇馬」變數大 https://www.youtube.com/watch?v=j8JLIZWBfcI TVBS NEWS 發佈日期:2019年8月5日 20190806中天新聞 最快週二深夜變中颱!利奇馬週四最接近 北、東防大雨 https://www.youtube.com/watch?v=eHVlXt8Axtc 20190806中天新聞 【氣象】三颱共舞!輕颱「柯羅莎」生成 利奇馬海陸警估明發布 https://www.youtube.com/watch?v=bbxnNRGg8oc 中天電視 發佈日期:2019年8月7日【利奇馬颱風動態】利奇馬持續增強 氣象局預估恐變強颱 https://www.youtube.com/watch?v=G1PGu_VkVTE 大愛新聞 2019-08-07 0630 三颱共伴 利奇馬颱風逼近台灣 利奇馬如虎進逼 石門水庫調節性放水 https://www.youtube.com/watch?v=dbm_XAOWySU 20190807中天新聞 【氣象】中颱利奇馬進逼!海警發布 估明晨05點發陸警 https://www.youtube.com/watch?v=CXOmV6Yn-mQ 氣象時間 1080807 早安氣象 東森新聞 輕颱海溫高風切小 今利奇馬有機會增強中颱 https://www.youtube.com/watch?v=NlkPvIs-3j4 佛說輪轉五道罪福報應經 (歡迎分享,功德無量) 劉宋中天竺沙門求那跋陀羅譯。本片講述佛陀途經迦維羅國與舍衛國之間的尼拘類大樹時,為諸大比丘宣說人們的宿世因緣、罪福報應。 https://www.facebook.com/amituofobuddha/videos/1688181711212136/ 《佛說輪轉五道罪福報應經》CBETA 電子版 buddhism.lib.ntu.edu.tw/BDLM/sutra/chi_pdf/sutra9/T17n0747b.pdf· 興寧慈光安養院 往生紀實 人间净土《慈光安养院》吃住全免费.通往西方极乐世界的接引站! 大爱赐予人世间的一道慈光! 都是预知时日,全身柔软瑞相频频,印证了阿弥陀佛48慈悲大愿真实不虚! 一個月兩三個往生西方極樂世界! https://www.youtube.com/playlist?list=PLAeF261RAYdzSFctL3o7EQ1RSlFEiCMEF https://www.meipian.cn/edir58y 四川省綿陽市-佛城寺-魏國興居士預知時至往生紀實 https://youtu.be/kFwlX4mCyhY https://www.youtube.com/watch?v=kFwlX4mCyhY 纯3D动画《佛说阿弥陀经》 高清版 https://www.youtube.com/watch?v=W0c7M0_mu80 西方極樂世界 (高清4) 2015 https://www.youtube.com/watch?v=RZt-QuuA05Q 南無大慈大悲阿彌陀佛四十八大願 https://www.youtube.com/watch?v=YZx45Z73kwo 廣東興寧念佛堂慈光安養院長 曾映標唱念「阿彌陀佛」安養曲(1) https://www.youtube.com/watch?v=VAAVmOUQoV8 請頂禮 南無大慈大悲阿彌陀佛 Namo Amitabha Buddha三拜感恩 請念 南無大慈大悲阿彌陀佛 http://www.amtb.tw/baen/jiangtang.asp?web_choice=2&web_rel_index=2815&sub_amtb_index=3736&Page=35 報恩講堂> 無量壽經 > 淨土大經科註 《媽 請妳再忍耐一下 有個人 想幫助我回家》 https://www.youtube.com/watch?v=AfGLaF980kg&feature=share&fbclid=IwAR1J8YqKpnhUOaR3bF2k40ZOdDrJZ8S87OeafY0f1yM6phDlK7EqOg6J-m8 韓國瑜 認真用心 為中華民國家園付出 ! 他有如家中的爸媽保護家庭的每一分子,真誠如一、無私無我、讓我們惟一支持韓國瑜 ! 韓國瑜大桃園後援會 1 / 3段影片 https://www.facebook.com/groups/345718676059957/wp/434445803823253/ http://www.amtb.tw/zongci/zc002.htm國內:中華民族萬姓先祖紀念堂。國外:九界眾生先祖紀念堂 www.amtb.tw/zongci/zc002.htm中華民族萬姓先祖紀念堂。 - 淨空法師專集 是心是佛,是心作佛 https://www.youtube.com/watch?v=XUAG5CoZmRY 請拜 南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王憶佛念佛成佛六字大明咒唵嘛呢叭彌吽Om Mani Padme Hum慈航普渡一帆風順萬事如意素食救地球平安健康善有善報讚佛偈回家歸瑜返鄉中國一定強回向偈 願以此功德 莊嚴佛淨土 上報四重恩 下濟三途苦 若有見聞者 悉發菩提心 盡此一報身 同生極樂國 功德無量! 請各自回向 拜佛 一心奉請 南無大慈大悲阿彌陀佛大醫王佛光普照慈悲作主 中國中華民國 佛菩薩總統韓國瑜的 佛菩薩副總統人選 2019/8/2拜佛念佛回向 佛菩薩黃耀文永遠平安健康快樂。 請拜佛念佛回向颱風「利奇馬」消失 盡虛空遍法界 國內:佛菩薩中華民族萬姓先祖紀念堂。國外:佛菩薩九界眾生先祖紀念堂 佛菩薩中國萬姓祖先 佛菩薩中國國民黨全部福人。高票當選。高票獲勝。福地佛菩薩2020年中國中華民國總統、副總統與立法委員選舉當選人。 回向南無大慈大悲阿彌陀佛憶佛念佛成佛往生西方極樂世界蓮位佛菩薩:簡蘇梅、簡文國、劉丁復、劉吳箱、黃竹旺、舅公妙音居士、嬰靈寂僧、嬰靈智陀羅尼。 佛菩薩簡黃劉林曾李汪詹歷代祖先、陳月英、黃美慧、汪兆榮、Sharon Wang 汪宜萱、黃美華、黃耀文、簡攢孋、黃鈺雯、黃偉傑、黃裕昌、詹亞男 Jany Chan、黃柏翰、黃郁婷、Lucky小白狗狗、大鼻貓喵、Cheer招財貓、阿鳥會念佛的小鳥。 簡安正、簡劉雲雀、簡巧宜、曾黌元、曾守梓、曾守弘、簡暉錫、林姿秀、簡暟均、簡竤宇、簡汝瑩、李勇勳、蓁姐琳妹、簡聖輯、劉鳳仙。 功德有剩 代代出好子孫(台語)
南無大慈大悲阿彌陀佛憶佛念佛成佛Namo Amitabha Buddha濟公活佛全球祈福助念念佛會蓮池海會 https://www.youtube.com/playlist?list=PLmROz2twjMKotCJcjsNv9YBTsf6unPEx2 https://www.facebook.com/amitabha.amitabha.9404 https://www.facebook.com/groups/649965955513223/ https://www.popo.tw/books/688752 我的PO網址 http://AmitabhaAmitabha01.mypo.popo.tw ( https://www.popo.tw/users/AmitabhaAmitabha01 ) https://www.pixnet.net/pcard/805415d6b70976e4a5/publish/articles https://www.pixnet.net/pcard/805415d6b70976e4a5/article/b9f66050-cc9c-11e9-83bb-f7ecc359ef20?utm_source=PIXNET&utm_medium=pcard_article&utm_content=805415d6b70976e4a5 [email protected] https://www.reddit.com/user/AmitabhaAmitabha/comments/d2g6cx/%E8%AB%8B%E9%A0%82%E7%A6%AE_%E5%8D%97%E7%84%A1%E5%A4%A7%E6%85%88%E5%A4%A7%E6%82%B2%E9%98%BF%E5%BD%8C%E9%99%80%E4%BD%9B%E6%86%B6%E4%BD%9B%E5%BF%B5%E4%BD%9B%E6%88%90%E4%BD%9Bnamo_amitabha/ 請頂禮 南無大慈大悲阿彌陀佛憶佛念佛成佛Namo Amitabha Buddha濟公活佛全球祈福助念念佛會蓮池海會 捐款帳號 合作金庫銀行 TAIWAN COOPERATIVE BANK 1140872020781 戶名:簡攢孋 免費流通 功德無量
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