#立ち食いそば #狭山そば ラッシュで混んでるホームの脇 肉そばにかき揚げ乗せてやった(笑) 急行で寝落ちしたとは言わない… #西武鉄道 #西武池袋線 #所沢駅 #所沢グルメ #蕎麦 #Apple #iPhone #iPhone13Pro (所沢駅) https://www.instagram.com/p/Ch3NlDzvNTp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。
まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。
ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。
オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。
しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。
なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。
この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。
ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。
『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。
なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。
『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。
(直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。
この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。
なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた)
雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。
元所属タレントの告発も相次いだ。
元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、
元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、
元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、
元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、
豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、
山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。
タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。
中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。
同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。
ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。
元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何��回もやられた。
ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。
時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。
その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。
メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。
必ずです! 全員やられてる!
そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。
ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。
ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。
しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え��ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。
当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。
剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。
自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。
その歌詞の一部には、
「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。
[1]
元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、
千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」
諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」
千原 「先見の明がすごいんでしょ?」
諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」
と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。
ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。
確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。
そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。
ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。
ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。
ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。
こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。
なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。
1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。
しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。
週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。
1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。
ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。
出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。
【キャンペーン開始の引き金的な記事】
江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号)
【14回のキャンペーン】
青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255)
ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193)
ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1]
テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191)
ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1]
ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197)
小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1]
ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187)
ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181)
外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40)
ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181)
ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167)
NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173)
ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35)
【追加報道】
スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号)
ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186)
新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179)
ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181)
大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。
1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。
2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。
証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。
文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。
2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、
「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」
と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。
このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。
ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2]
しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。
この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。
「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。
報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。
芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。
真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。
また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。
以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。
そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。
2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。
2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。
2019年7月9日にジャニーが逝去。
その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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カウンター、その145 ^ ^
The counter is a place to exchange smiles😊
立呑屋 三角
https://tabelog.com/kochi/A3901/A390101/39007120/
四十五圓
https://tabelog.com/kochi/A3901/A390101/39005523/
新宿ピカデリー コンセッション
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13093600/
西鉄イン 高知はりまや橋
https://tabelog.com/kochi/A3901/A390101/39004446/
洒落亭
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131812/13084030/
いろり庵 きらく 池袋店
https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130501/13252171/
かめ幸
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002319/
そば処 三津屋 エスパル山形店
https://tabelog.com/yamagata/A0601/A060101/6005290/
居酒屋 伝七
https://tabelog.com/yamagata/A0601/A060101/6002200/
鉄板ホルモン焼きオールドルーキー
https://retty.me/area/PRE06/ARE162/SUB16201/100001657279/
リッチモンドホテル 山形駅前
https://tabelog.com/yamagata/A0601/A060101/6000742/
ル・パン・コティディアン 芝公園店
https://tabelog.com/tokyo/A1314/A131401/13120999/
&BEEF shinjuku
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13274434/
I MUSIC BAR
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13280371/
ヒューマントラストシネマ有楽町
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130102/13261559/
菩提樹
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武ちゃん
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13007710/
ファボリ
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13015842/
アーンドラ・ダイニング 銀座
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てんぷら 近藤
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Ron Herman Cafe 二子玉川店
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Friday,Apr26
昨夜意地だけで風呂に入る。やっぱり夜のうちに終わらせるべきことは確実に存在する。寝るの遅かったけどちゃんと起きれた、仕込んだフレンチトーストを焼く。天気が良かったから急にFrankie Cosmosが聴きたくなる。Frankie Cosmosは新代田の寮の朝の光を思い出す。一年生の時、誰にも教えずよく聴いていた。朝になったら施錠が解除される高架の上にそびえ立つ寮、歩けばすぐに新代田FEVER、今はエトセトラブックスもある。世田谷区の朝も好きだった。わたしだけまだいつも2019年にいる。11時から高田馬場で病院。心理士の人に宿題を渡して、文章書くのお好きなんですか、と聞かれる。その後ロールシャッハテストを受ける。早く結果が知りたい。職場には何日か前から病院で遅れるかもしれないと伝えていたのにかなり早く終わってしまった。冷たい飲み物が飲みたくて、西武新宿線〜山手線乗り換えの間にあるスタバに入る��何も分からずキャラメルの冷たいやつ頼む。店員のお兄さんにキャラメル多めにしときますか、と聞かれてスタバコミュニケーションだ、と思う。スタバは一生分を中学の時に行き尽くして(太宰府天満宮のスタバがわたしたちの中のスタバだった)、それ以来全然行ってない。美味しいのかどうかはわからなかった。歳の離れた姉が小学生のわたしに自慢げに教えてくれたあのスタバのキャラメルの飲み物は何だったっけ。いつもそれが飲みたくて、でも名前が分からない。その思い出は少し苦しい。電車まで30分くらい借りた本を読み、読み終わった。歳の離れた友だちがほしい、人間は大人になってもずっと幼そうだ。結局いつも通りの時間の電車で出勤する。tofubeatsのAI音声で作られた新譜が出ていた。彼の信念を感じて感激する、ずっとわたしの先輩だ。急な連絡が来てまたかき乱される。必死なわたしは見ていられない、辞めたいのに拒めない。これ以上バカをやっていると友だちに嫌われる(というかもう嫌われている)。お昼に食べたファミマのキンパが美味しかった。新大久保に行きたい。今日は夜の時間帯に同じ電話番号から変な電話が多分6回くらいかかってきてて、市川が喜びそうだと思った。ボタンの操作音、「新潟」、「ウェルシア」、この3パターンを繰り返す電話口の不審人物。最後は上司の無言電話対応で、その後からぱたりと電話は消えた。退勤時間の数時間前から、何故かパニック発作の時みたいな浮遊感と気分の悪さに見舞われる。あれは何だったのか。とりあえず急いで仕事を終わらせて早く帰りたかった。電車が大幅な遅延。赤羽で、池袋で立ち往生する。ハイになって乗り換えを走る大人たち、ホームから溢れる人を見て本当に気分が悪くなった。こういう極度のどうしようもなさに見舞われると、わたしは笑うしかなくなる。逆ギレの号泣だ。わたしが何をしたって言うのだ(何もしていない)。山手線でSofie Royer聴いて頭を抱え、泣きそうだった。なんだかかなり疲れた。銭湯の前で煙草を吸って、意地だけで皿を洗いゴミを出し化粧を落とし、紅茶を淹れた。GWに山を登ることが決まった。
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Besuto essei. 202
New item:
日々の雑感、考察、失敗談から、亡くなられたあの方への追悼文まで… さまざまな書き手たちが、「エッセイ」という枠組みのなかで書き記した2021年の記録。 この年に新聞・雑誌等の媒体に発表された中から選りすぐった、珠玉のアンソロジーです。
Shelf: 914.68 BES 2022
Besuto essei. 2022 = The best essay.
edited by Nihon Bungeika Kyōkai.
Tōkyō : Mitsumura Tosho Shuppan, 2022.
ISBN: 9784813804147
337 pages ; 20cm.
Editorial board members: Kakuta Mitsuyo, Hayashi Mariko, Fujisawa Shū, Horie Toshiyuki, Machida Kō, Miura Shion.
Text in Japanese.
Table of contets:
部屋にいる感じ / 武田砂鉄
ロクな恋 / 李琴峰
特に秘密、ありません / 二宮敦人
親父の枕元 / 原田宗典
犬の建前 / 宇佐見りん
いつか「コロナ福」だったと言える日 / 鷲田清一
紙 / 内田洋子
学び始める春、失敗を楽しむ / 山本貴光
瀬尾夏美 / おじいさんの空き地
落合博満への緊張感 / 鈴木忠平
月の砂漠 / 小池水音
冷水を浴びせる : 坂上弘の文体 / 三浦雅士
陰のある光 / 小泉凡
脳内・ドイツ / マライ・メントライン
父と兄の書棚が招いた変な読書 / 志茂田景樹
心の扉を開く音楽 / 寮美千子
立花隆さんを悼む / 柳田邦男
失われゆく昭和探して / 川本三郎
大人への扉を開けたのは / 加納愛子
関係性の結晶 / 齋藤陽道
ガラスのこころ / 岸田奈美
"諦められない"心でアイヌ語研究に夢中 / 金田一秀穂
アイヌとして生きる / 川上容子
佃煮に想う / 小泉武夫
最高の食事 / 田中卓志
珠玉の世界 / ブレイディみかこ
神様、世間様 / 尾崎世界観
さいとう・たかをさんの思い出 / 辻真先
コロナ禍社会と密になった / 本谷有希子
最後の飛翔 / 椹木野依 -- 我が町の「宝」 / 井上理津子
ネガティブな皆さんへ / 尾上松緑
「あいつなりに筋は通ってるんだ」 / 岩松了
翻訳とは / 村井理子
「覚えられない」 / 茂山千之丞
白土三平さんを悼む / 田中優子
そんな時代 / 海猫沢めろん
ともに歩けば / 小川さやか
(笑)わない作家 / 万城目学
雪原 / 岸本佐知子
河合雅雄さんを悼む / 佐倉統
学園の平和、取り戻せ! / みうらじゅん
料理 / 小山田浩子
田中邦衛さんを悼む / 倉本聰
「声」分かち合う喜び / 温又柔
エリック・カールさんを悼む / 松本猛
月みる月は / 彬子女王
トーストと産業革命 / 青山文平
祖父母のすずらん守る / 星野博美
考えることに失敗する / 神林長平
悪態俳句のススメ / 夏井いつき
死も遊びだと思いましょ / 横尾忠則
UFO / 柴田一成
「やめた」後の達成感 / ほしよりこ
息子よ安心しなさい、あなたの親指は天国で花となり咲いている / 青木耕平
那須正幹さんを悼む / 高樹のぶ子
愚かさが導いてくれた道 / 沢木耕太郎
クールでお茶目なかっこよさ / 谷慶子
機械はしない終業挨拶 / 黒井千次
閉、じ、こ、も、り / 村田喜代子
ナマケモノ / 奥本大三郎
夢を彷徨う / 髙村薫
愛しの小松政夫さん / 鈴木聡
胃袋の飛地 / 湯澤規子
『老人と海』をめぐる恋 / 高見浩
「すごい」と「やばい」 / 酒井順子
写真を撮られるということ / 松浦寿輝
安野光雅さんを悼む / 大矢鞆音
この世の通路 / 佐々涼子
◆編纂委員作品◆
瀬戸内寂聴さんを悼む / 林真理子
多分、両方だと思いますよ / 町田康
忘れがたきご亭主 / 三浦しをん
あそこの棚に置いてある。 / 堀江敏幸
それは私の夢だった / 角田光代
遠き花 / 藤沢周.
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2023/4/3〜
4月3日
年度を始めて不安が爆発中。
長い1日があっという間だった。
坂本龍一の訃報にそこまで落ち込まずにいられたことくらいが、年度初めのドタバタの救い。それ以外は(それも含めて)ずっとずっと不安で、お昼休みは長島先生のB&Bのトークを聴いて、ぎこちない会話への対応策の文章を読んでいた。
年度更新のバスの乗車証の更新を忘れていることに気が付き、行きは初乗り170円のバス停で降りて歩いてみて、桜がほぼ終わり、でも菜の花が強く黄色いのを確認した。
帰りは更新したバスの乗車証でバスに乗ったけれど、新年度のばかまじめに通勤する混雑に巻き込まれて、へっとりしてしまった。
青柳さんの詩も、文月さんのパラレルワールドも、水野しずの新刊も、そこそこにも読めず、このまま新年度を過ごしておざなりになりそう。
4月4日
今日から通常運転のような、まだ新年度のバタバタを抱えているような、とびきりの忙しなさの勢がなくてむしろとてもとてもぐったり疲れてしまった。
春の忙しなさとか落ち着かなさに、去年の日焼け止めを塗って少し粉っぽくなる肌が拍車をかけている。
このそわそわを埋め合わせるのに、資格試験の一問一答の参考書やTOEICの単語帳ってちょうどいいかも。だからこの時期ってみんな新しい参考書を持ち始めるのかな。
もうすぐ誕生日の友人へ、グミチョコのプレゼントを探している。
彼女は、本人もわたしも、ちょっと上質なチョコレートが好きだと思っていたのだけど、最近、同じく好きなグミも合わさったグミチョコが好きなのかもしれない、と気がついてその自分の嗜好のチープさにがっかりしたそう。
4月5日
新年度早々の東京出張。
今日あたりから入学式のひと多いのかな、とそんな感じの親子を探してしまう電車内。
昨日、一期下の方とまた一緒に帰ってきて、私が女子大出身であることを知って、とても女子校育ちのイメージにぴったりだと思ったそう。高校まで共学の公立の学校に通っていたので履歴書上はそこまで完成された女子校お嬢様ではないけれど、社会の出た今となってはポジティブにそうゆうことにしていきたいと思っている。
女子高育ちのレッテルを自ら貼るし、その色眼鏡で見て欲しいし、(割と自分の感覚が世間のいわゆる“女子校育ち”のイメージの一部に近いと思ったりしたからです)それでいて心地よく無理なく生きていけるようにしていくんだから!と、エビアンを沸かして飲んでます。
だから今日の出張先で、打ち合わせ室のドアを開ける時はあまり虚勢張らずに、おはよっ!ってしたくない挨拶はしないで始めたいです。
昨晩からの頭痛のために飲んでいたロキソニンのおかげか、今日は身体も心も少しだけすっきりしている感覚。
出張中、用務先の移動間で立ち寄った池袋でデパ地下のいつも休日は売り切れている苺のお菓子を拝められたりして、その程度の特別感でいいよね平日休暇。
早めに用務を終えたので、パパブブレでプレゼントのグミチョコを買って、途中立ち寄ったミッフィースタイルでガチャガチャ的なランダムセレクトマスコットを買って、スパイラルでポストカードを買って、千疋屋カフェでパフェを食べる人たちを眺めながらベンチでお手紙を書いた。
そのままレターパックで送る準備もして、窓口へ持っていくと、送る品物欄の“おもちゃ”を指して「おもちゃってなんですか?」と局員さんに訊かれる。「フィギュア…?かな、これなんですけど」と自分用に買ったミッフィーマスコットをみせると「可愛いですね〜」と言ってくれた。
1日を半日で過ごすと大丈夫になるはず、と言い聞かせて、自分を大人しく帰宅させています。
4月6日
強い風とぬるい空気の日。
少し早めの腕時計の時刻が5分遅れになっていてた。
昨日の出張のときに違う鞄を使ったため、定期券をそのまま入れっぱなしで、駅で忘れたことに気がつき取りに戻った。
いつもより遅い電車に乗って、いつもと違うルートのバスで、いつもと違うバス停で下車して歩いて出勤した。
靴下を裏返しで履いていたことに職場に着いてから気がついた。
久しぶりにしっかり居残りをしてへとへとになった。
朝、定期をとりに戻った時に持って出た傘を職場に忘れてきた。
新年度のそわそわと、昨日の出張と、明日の通院が重なって、ぼろぼろになってきていて、写真のことや文章のことや色々考えたいけれど、今は何もしたくない!
新しい上司は女性の方で、だから緊張している気がする。
今が1番、社会に出て、わたしはわたしだ、と言い聞かせている気がする。
移動中の車内で、男性が多い今の業界で、女性であることで舐められることが多くてそこに若さが更に拍車をかけるため、早く歳をとりたい!とずっと思っていた、とお話ししてくれた。
わたしは今まだ多少若くて女性だから、社会で不当位に傷つかされることが多いとかなり気づき始めている。それでも、このままの自分でしかいたくないし歳もとりたくない。
ぎこちない会話への対応策、の図録の長島先生のテキストを読みながら帰宅。
今日は満月だよ。
4月7日
次に体重が落ちていたら入院って言われた!
今日は風がとっても強かった!
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大勝軒「ラーメンの神様」が打ち明けた「つけ麺の秘密」…足を向けて寝られないチェーン店があった
ある時、関西で大勝軒がオープンしていたので、入ってみた。つけ麺を頼んだが、マスターの東池袋大勝軒とは大きく味が異なっており、3分の1も食べられず、残してしまった。
「つけ麺って、慣れてないんでしょ。これが東京では流行っているんですよ」
会計の際に女将がそう言う。いやいや、何から何まで違いますから…腹の中でそう言っていた。
「マスター、とんでもない店に行きましたよ。あんな店が大勝軒って、マイナスイメージになるんじゃないですか」
後日、マスターに関西のお店のことをこぼした。
「いろいろなのがいてねぇ。2日しか修行しないで、その後に『大勝軒で修行した』としている店もあるし、『1週間で店を出せるように教えて下さい』なんて言う者もいるんだよ。でもさ、それぞれにいろんな事情があるから断れないんです。そんなにヒドい味だったの? 困ったな…」
マスターは教えを請う者に対し、一円も要求しない。他の有名なラーメン店では、独立する弟子から「のれん代」として数百万円を要求するのに、彼は開店祝いとして祝儀を送るほど。これも神様と呼ばれる所以なのだ。
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情報の取り扱いと私 ・ 「情熱大陸」と言う番組を見ていたらお笑いコンビのジャルジャルが取り上げられていて、ネタ作りの場面を撮影しようとすると「子作りと一緒なんで」と断っていました。 ・ 芸人という人から見られるような職業の人でも全てを見せているわけではなくて、見せない一線があるんだなと感心したものです。 ・ サラリーマン的には取引先の新製品情報とかに触れることも多かったりするのですが、そういった会話が出来る様に秘密保持契約というのを結ぶのが前提ですね。 ・ 一般的な情報と他に漏らしていけない情報の線引きは、情報自体が既に多くの人に知られているのか秘匿性の高い機密情報かを予め教えてもらうことですかね。 ・ ただこの店の存在や店名は広く知られていそうですが名前の音を聞くと混乱しますね。と言うわけで本日のランチは #君塚 です。 ・ 以前はここで蕎麦を頂いたことがあったので、今回は #うどん で #つゆ を #関西なにわ味 で頂くことにしました。頼んだのは #春菊天うどん です。 ・ #うどん 自体は昔から東京で頂くことの多い少しやわめのやつです。ただ #出汁 の味わいがある #ツユ なので、これが #なにわ なんですね。 ・ #春菊天 は結構な大きさで、ほろ苦い感じと食べ応えのバランスが良いですね。一緒についた #わかめ のピロピロも美味しいですね。 ・ #鰹節 も入って香りがよく仕上がっています。 #ウドン は最近では関西風なものを出す店が増えた中で昔からの味わいで少し懐かしい感じになりました。 ・ そう言えば、ラーメンもメニューとしてあるので、次回はそれにトッピングを追加して頂きたいなと思います。 ・ #池袋ランチ #池袋朝食 #池袋モーニング #池袋そば #池袋蕎麦 #池袋ウドン #池袋うどん #池袋饂飩 #池袋立ち食い蕎麦 #池袋立ち食いそば #とa2cg (池袋 君塚) https://www.instagram.com/p/ClesEZGylw3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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週報2022-07-04
・高山さんに行ってきました!!!!
みんな〜〜〜〜!!!!
津田沼の✨高山写真館さん✨に
ぎんしおのフライヤーだけでなく
ポストカードを置かせていただきました!
描き下ろしアイテムです、見てネ❗
ポストカードの方は
「現像して下さった方に差し上げてください…」とお願いしてあります(思想が強い)!
よろしくね〜〜〜〜! pic.twitter.com/peE4vniSWA
— 若鶏にこみ📸6/27ぎんしお②巻でるよ〜 (@tori_nico2) July 25, 2022
お週報読者さんにはおなじみかもしれない津田沼の高山写真館さん!!
http://www.takayama-photo.com/
営業時間
平日・土 朝10:00~夜7:00
日・祝日 朝10:00~夜6:00
定休日 毎週火曜日・第1第3水曜
…に、またお世話になってきました。
先日、「#ぎんしお少々コピーライト選手権」まで開催し、
ぎんしお少々ってこんな漫画だよフライヤーを作って置かせて頂いたのですが、
ソレ用に描き起こした絵が結構良かったので、そのままポストカードにし、また置いて頂く事にしました。
うれしッ!うれしい…!こういうのやりたかったんですよ!!うれしい!!
高山写真館の前をもゆると銀が歩いている絵です。
ポストカードを手に入れたらその場で聖地巡礼が完了するすごい仕様です。
お近くの方や、機会がありそうな方はぜひ、高山さんで現像して、ゲットしてみてください。
結構強気で刷った気持ちでいるので、残部は大丈夫だと思います。
…もし速攻で無くなっていたらまた考えます…なぜなら原稿は私が持っているので…。
フライヤーの方は現像した方〜とかいう縛りもなくポンとお店に置いてあります。
こちらも、たそがれさんことたそちゃんにデザイン手伝って頂いたり、
超地味〜〜にデフォルメが書き下ろしだったりとカワイイので、ぜひよろしくお願い致します…!
・祭壇
上記高山さんもそうですが、先月辺りから色々と外に出る事が多いです。
無職だから!?そうです、無職は案外外に出る事が多い。逆に。
そういった都合と、たまたま外出の日にたそがれさんが「暇?」と言ってきたので、遊んできました。
最近隔週くらいで遊んでいる気がする…うれしい…
私自身は引きこもりの精神なので、人に会う時いつもある程度の「気合」が必要なのですが、
たそちゃんには「気」を全く割かなくても対峙出来るので、ほんとうにうれしい……
いつもありがとね……
そんなたそちゃんは私を何のために呼び出したのか。
「推しが誕生日で、祭壇作るから協力して」
祭壇。
祭壇?
アニメキャラやアイドルなどのグッズや写真を一か所に集積し、ディスプレイした状態の場所や飾りつけのことです。
多くは自分の部屋に設置しますが、推しの誕生日を祝う「本人不在の生誕祭」などでは、大掛かりな祭壇が作られることもあります。 https://eeo.today/media/2021/09/03/5849/
祭壇(さいだん, ラテン語: altare, 英語: altar)は、神や精霊、死者などに犠牲や供物を捧げるための壇。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%AD%E5%A3%87
勉強になるなあ。
そして今回は上記の説明に則ると「本人不在の誕生祭」であり、「大掛かりな祭壇」のケースでした。
「池袋パセラに集合な」と言われ、
「眼下にパセラ二つあるやんウケるな」と思いながら待っていたら、
たそちゃんは、かわいらしいケーキ屋さんの袋と、
逆の手には2〜3泊くらいは問題無くこなせそうなサイズのキャリーケースをカラカラと引き、現れたのでした。
このコロコロの中に、無数の「供物」が。
ミチミチのかわいい供物たちを、一匹一匹丁寧に救い出し、ケーキの前に並べて、
ああ…これが…祭壇……
確かに何かの儀式味はありました。
キンブレの光のせいでしょうか。
綺麗に並べられ、一面「イメージカラー」になった空間のせいでしょうか。
パンと葡萄酒ではなく、ケーキとオレンジフロートでしたが、そこはもう立派なミサ会場でした。
「オタク 祭壇」でGoogle検索に打ち込むと、類似検索ワードとして「オタク 祭壇 なぜ」と出てくるのですが、
なぜも何もない。
私もわからん。
なぜこんな儀式を?
でも正直とても楽しかったです。
そりゃそうなんだよな。そもそもぬい撮りってメチャクチャ楽しい。
どうしたらかわいく映るのか検討し、位置を工夫し、明かりも使えないかと工夫し…
祭壇の方も、どうやったら色どり豊かに見えるのか、画面が輝くのか。
ていうか…そう…私はヒトのフィギュア撮りとかも大好き…………
ヒトの推しちゃんかわいく撮るの、めちゃくちゃたのしいーー!!!
推しちゃんかわいい写真を撮りたい友人はぜひ呼んでください。わたしを。
しかし私はまだ「なんで呼ばれたのか」の本当の意味を、まだ理解していませんでした。
そうやってひとしきりカワイイ写真を撮り終え、よかったねえ、めでたいねえ…とした後、
「じゃ、食べよっか」と。
「食べる」。
そう、食べる。
このアホかわいいケーキと、なんかカラオケ屋さんのプランサービスで全自動で付属してしまった、クソデカハニトーと、 長い撮影でアイスデロデロになったフロートを。
……一応言わせてください、もし伝わらなかったら嫌だから。
ケーキ、おいしい!!!!!
かわいい袋だった時点で期待感が凄かった。
たそちゃんは私のことアホ程分かってるから「ショートケーキじゃなくてチョコにした〜」と言ってくれてて、
ヒェ〜!うれしっと思ったし、とても美味しかった。
バターっぽいクリームと、こっくりしたそこまで甘くないチョコスポンジがベストマッチ!
ハニトーも良かったです。
ケーキのクリームとは別の若干軽いタッチの食べたら消えるタイプの真っ白い生クリームに、
オレンジのソースの酸味が爽やかで舌がうれしい。
クリームがケーキとまったく方向性が違ったのが良かったです。ベストコンボ。
そしてフロートは今まで飲んだことがない味がした。
でもね……
先週も同じ言葉を記した気がしますが、「幸」って有限なんですよね。
なぜなら私はそんなに甘いモノを食べる事が得意ではない、胃が小さくそして弱い。
そんな私が半ホールのケーキと、
ハニトーとかいうたった三文字のくせして、その実一斤食パンとパフェという2In1を。
最初にハニトー考えたやつ、どういう胃袋してるんだ?
ハニトー、上にプチシューが乗っていたのですが、
私はずっと、「これがじゃがバターだったら」という妄想ばかりしていました。
もうずっと「じゃがバタ食べたいbot」になり果てた私に引っ張られ、
気が付いたらたそちゃんも「ポテト頼もう」とか言い出して…
麦茶とポテトのうめーこと、うめーこと。
「二人で『あすけん(食事記録アプリ)』に罵倒の限りを頂戴しような!」と言い合った。
その日の私はたそちゃんに会う前にも用事があったため、
朝ごはんは駅のコンビニで何も見ずにひっつかんだ
「キッコーマン豆乳バナナ味」と「ザバスプロテインバナナ味」という終わり方(単発2連ガチャ?)をしていたのに関わらず、
接種目標カロリーを600程オーバーすることに成功しました。
でもどういうわけか体重には響きませんでした。ただ体に悪かっただけ!?
ともかく、楽しい一日を過ごしました。
胃以外は楽しかったと言っています。
そして重たい胃を抱え、命からがら家に帰宅したら母がドーナツ焼いてて泣きそうになりました。
(若い頃ドーナツを勝手にくすねて胃をおかしくした愛しい愛犬の一回忌だったので)
こちらも美味しかったです!!!!!!!!!
胃の中スイーツパラダイスやめて!!!!!!!!!!
・あっ…ついでにコレ言うか…
imPulse(2com)の通販・購入はフロマージュブックス https://www.melonbooks.co.jp/fromagee/detail/detail.php?product_id=1569869
コミケ新刊、二次創作写真論bookの予約がはじまりました。
ドキドキビジュアル4コマガジンでは絶対やれない写真の話をやりました。
ポラロイドカメラと男男と死の話です。いうほど男男はしてない。
ドキビジュは男男も「生い死(ナマい死)」もNGなのでダブルNGですね。
4コマガジンではフィルムトイ、それもブローニーフィルムという修羅カメラの話をやっていましたが、
今回はポラロイドカメラというのも差があります。
ドキビジュフィルムトイ漫画は「現像」の過程とラグに重きを置いており、
速攻で現像されるインスタントなカメラを扱うことは不可能だったので、私本人はドキドキビジュアルを感じていました。
サンプルまだなので…またコミケ直前にご案内することにはなると思いますがよろしくお願い致します。
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ブランコのある家に上がり込んで重たいコート脱がないで自分の爪を見てる。人差し指中指小指がひらたい。最近になって調べたらタンパク質を摂らないと平たくなりやすいみたいで、卵かけご飯が食べれないからとか、一人暮らしに卵1パックはなかなかハードとかぐるぐる考えてとりあえず爪磨きをしよう、出来ることをとりあえず構えずなんとくこなす感じでフラフラと海のクラゲみたいに生きてる。クラゲって可愛いのに昔ニュースで大量発生を取り上げられててテレビでは海がクラゲだらけになって海水浴ができませんってかったるい騒ぎが起きていてら私はすごいどうでも良くて「くらげって中華風サラダみたいなのあるし、食べればいいのに、そんなに騒がなくてもいいんじゃないの……」と下を向きながらぼやいて息がしづらくなった。なんで息が苦しいんだろって悲しくて無性にイライラした。ニュースは騒がしくて疲れるとよく思っていた。ニュースを観てる人を見たりするのも疲れてしまう。楽しいニュースばかりじゃないけど、受け付けないニュースが立て続けでかかるともうテレビが怖いと思って、一人暮らしをしてからは電池式の小型ラジオを使ってる。ラジオは音楽がかかるし、電波のジリジリした音が心地いいし、ツマミで他の局に変えるときにいろんな音が聞こえてそれが好き。とか懐かしいことを思い出して二十歳になった従姉妹に電話をかけている。かけたらもう二十一だよと言われて「似たようなもんだよ」と返そうとしたが、すごい黙って「二十歳と二十一、全然違うね」って人差し指の爪の三日月眺めながら言った。大学で友達が全然出来なくて、だんだんめんどくさくなってずっとSwitchでポケモンをずっとやってるとなんとなく嬉しそうに話していてこっちはだんだん眠くなってきて「お姉ちゃんはその歳の頃はPSPでエヴァのシミュレーションゲームやってドキドキを育んでたよ」と言い、頬で通話を切るなどした。コートを脱ぐ気力がなくて、もういっそ寝袋にしてしまってここに泊まろうと思っている。
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2024.3.29fri_tokyo
「えー、毎度ばかばかしいお噺をひとつ…」
3月29日の日記を書くことになり、落語のマクラのようなオモシロ書き出しで
この日記をはじめられたら、なんてオシャレなの!と思いましたが、全く思いつきませんでした…。
なぜなら、今日はBONUS TRACK「落語研究会」の発表会の日なのです。
わたくしは下北沢BONUS TRACKのコワーキングスペースの会員なのですが、
BONUS TRACKの部活動「落語研究会」にも参加しております。
「落語研究会」は、イラストレーター、ライター、編集者のヤマグチナナコさんと
コワーキングスペースのマネジャーの塚崎りさ子さんが幹事のサークル活動。
メンバーで、都内にある寄席小屋(新宿末廣亭、池袋演芸場、鈴本演芸場、浅草演芸ホール)の高座を観に行っては、
その後みんなで一杯お酒でも飲んで帰ろうじゃないの、
落語の世界の江戸情緒に思いをはせつつ、お酒を飲んでは家路につく、
なんとも楽しいサークル活動なのです。
毎回、ナナコさんの寄席の番組のセレクトがよくて、
観終わったあとの飲み会での振り返りも本当に面白くて、至福の時間。
その落語研究会のメンバーが自ら出演、制作する発表会を
2022年6月以来、またやろうということになり、3月29日の開催と相成ったわけです。
今回の出演者はこの方々!
<出演者>
南蛮亭唐辛子 @hmj_ann
エアロ亭スミス @daisuke_murakami
朝食亭晩ごはん @nnk0107
漂泊亭俳太 @hyouhakutei_haita
席亭 焼麺りさ子 @____ri
張江浩司 @hariental
<お囃子 (会場BGM)>
JORDAN @dj0rdan
<FOOD>
・内藤学 @semegiai2
・ヤマザキYショップ サンカツ店
なんかちょっとしたフェス感も醸し出してきて、
さすが2回目、ちょっとグレードアップしております。
僕の役割は、舞台設営おやじ。
舞台設営と言っても、ご近所の世田谷代田のフランチャイズ・コンビニの概念をはるかに超越した
ヤマザキYショップ・ビヨンド「サンカツ」さんにビールケースを借りて、積み重ねて、
養生テープでしっかりバインドして、板を乗っけて、白い布をかぶせて、座布団を置くと、
あら不思議、立派な?高座の完成。
手作り感満載ながらも、この発表会を前に出演者の緊張感は最高潮。
1月3日の新宿末廣亭での落語研究会あとの飲み会で、発表会の開催を決定してから、
出演者は演目の選定、自主稽古の日々で、本当にストイック。
演目のかぶりが無いように、きちんとすり合わせを行う打ち合わせも行いました。
ちなみに「サンカツ」さんの店の奥が、この発表会の楽屋。
19時に高座がスタートし、会場は満席で大盛況。
今回、落語研究会メンバーの濱ちゃんこと南蛮亭唐辛子さんの大学卒業記念の会でもあったのですが、
「牛ほめ」をコントにするというアクロバティックな試みに拍手。
今回もなんとか無事終わりまして、多幸感にあふれております。
そして、落語研究会の通常運転の活動に戻ります。
ちょうど時間となりました~(浪曲風に)
またみなさまにお会いできますように。
-プロフィール-
吉田和睦
東京
株式会社ナナガツ
Instagram @kazuchika0324
X @kazuchika0324
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おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから。自然もなければ都会でもない。住むためだけのベッドタウン。立川も八王子も駅前は多少栄えてるけど、ちょっと歩けばウチの近くと似たような景色になる。ハリボテみたい。海もなければ多摩川も遠いし、デカい公園もない。昭和記念公園は金を取られる。いくらかマシな駅前でも、遊ぶには金がかる場所ばっかりだ。高校生の頃、雑費込み5000円の小遣いじゃ大した事はできない。電車に乗って遠くに行く機会も中々ない。昔一回嫌気が差して新宿まで出ようと決めた。大学入るまで電車通学したこと無かったから、知ってる「都会」が新宿くらいしかなかった。金がもったいないから行きは歩き。国立から線路沿いに歩いて、三鷹辺りまでは似たようなつまんねー町並みが続いた。無機質なコンクリの高架と、その足元の人が入ってんだか入ってねーんだか分からんピカピカの商業施設。それを囲む家。時々森林。つまらん。でもそこらを通り過ぎると個性が見えてくるようになる。まず駅前の雰囲気が画一的でない。でけえ掘っ立て小屋みたいな駅舎とツルツルのアスファルトの閑散としたロータリーみたいなワンパターンじゃない。駅の形がおもしれえ。乱立する店も金はねえから利用はできないが、それでもプラプラ歩き回りながら眺めてるだけで楽しい。マックや松屋、ビッカメやルミネを眺めていても何も楽しくねえけど、ここは違う。見慣れない街への新鮮もあるだろうけど、それ以上の何かがある気がした。街に色があった。中野で断念しちゃったけど、今でもアテもなくフラフラ歩き回るのがすきなおれの原体験だ。大学も多摩だった。おれはもう一生をここで過ごすのかもしれないと思った。このままでは魂が多摩色に濁ってしまう気がして、わざわざ都心のバイト先を選んだ。初めて目白という地名を知った。往復1000円弱がタダになるのはデカい。無駄に一人暮らしして、最寄りが中央線から京王になってなんか新鮮だった。多摩内を南西に移る虚無の引っ越しだった。中1までは本気で日本の電車とは中央線が北海道から九州まで繋がってるもんだと思ってた。乗り換えという行為の意味が謎だった。新宿での乗り換えで一旦駅を出て、覚えたてのタバコで一服するのが恒例だった。西口の喫煙所でモード学園のビルを眺めながら一息ついてると主人公にでもなった気がした。目白ではバイトの休憩中に学習院へ侵入して一服するのが好きだった。キャンパスがおれのとこと違ってザ・大学って感じがした。附属の生徒が構内を歩き回っていた。おれの母校も小中高一貫校で、小学生が学食でチョロチョロしてるのが嫌だったのを思い出した。マックスキャロットに行こう行こうと思っていて終ぞ行かずじまいになってしまった。今度行かないとな。一回金なさすぎて目白から帰れなくなった。みどりの窓口がある池袋まで歩いて、Suicaを払い戻して現金を手にし事なきを得たのも思い出深い。この頃から都心の雰囲気に少し慣れ始めた。同時期から服装に気を遣い始めたのもこれと無関係じゃなかったかもしれない。元々フラフラ歩き回るのが好きだし、そのステージが多摩から遥かに豪華になったのが嬉しくてたまらなかった。都心はすげえ。立川より立派な街並みが隣の駅まで歩いてもずっと続いてる。バイト代もあるからかっこ良くて履き心地の良い靴も買えるようになった。バイト帰りに、当時流行りだしたサウナへ寄って一泊するのも好きだった。親の同意書も要らず外で泊まれるようになったのが嬉しかった。まあ以前も自分の字で書いて出してたけど。朝から一風呂浴びて、さっぱりした身体で上野や錦糸町をふらつくのも新鮮な体験だった。バルト9では深夜も映画が観られる事を知った。ゲーセンもファミレスも夜は閉まってしまう時代で、こんな場所があるのかと思った。夜を映画館で過ごすなんて、マンガや映画に出てくる不良少年みたいな体験で興奮した。終電で適当な駅に降りて、夜通し歩き回るのも好きだった。夜中の鵠沼海岸でボーッと波の音を聞いたり、誰もいない江ノ島を歩き回った事もあった。おれは生まれも育ちも一応東京だけど、あの頃になって本当の意味で上京を果たしたのかもしれない。人はこうして人生を旅して、最後に多摩に落ち着くのかもしれない。本人はそれで良くても、ガキはたまったもんじゃないけどね。
おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから。 自然もなければ都会でもな..
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諸行無常 読書レポート
Wednesday 19 March 2014
真観は、久しぶりに歩いて禅寺に行った。これが基本の行だと改めて思った。帰り道、真観は「ただそうだった、ただそうだった。すべては、過去形」と言いながらいつもとは違うコースを歩いた。コンビニに寄り菓子パンを買う。レジで会計してくれたギャル系の女の子にほんのりときめく真観。女の魅力はなんとも不思議だ。今日も頑張るぞー!なんて思ってしまう。不動の滝にも寄る。
茶畑庵に戻りFacebookを見ると友人のTさんが読書レポートを紹介していた。Tさんは、真観の唯一の坐禅仲間でもあり、かなりの読書家で自身のブログ諸行無常とFacebookに読書レポートを紹介している。今朝は、白濱龍太郎著『病気を治したければ「睡眠」を変えなさい』だった。
トシさんは、読書レポートにこう書いていた。
「可能な限り、午後10時から午前2時までの時間帯に寝ていることを目指し、11時前には寝ることを意識し、10時以降は、PCとスマートフォンの電源を落とし、土曜は1~2時間寝だめしたとしても、日曜は、いつもと同じ時間に目覚ましを設定する、といった意識面での地道な工夫を促す内容である。
まずは、意識を変えなければ、何も変わらない、ということを実感させる一冊。」
このトシさんの提案する意識をなぞることが真観にとっても重要課題だ。ここ数日の睡眠不足に依る睡魔をどう解消するか考えていたところだったのでタイムリーな読書レポートだった。
ランチを食べた後母に電話をした。今日は、「母の日」だった。母は元気だった。生き方についてお互いの生活や対人関係におけるエピソードを話した。真観は、『その性格が悪いあの人がもしも死んでから遺言の中に悪かったと自戒を残したとしても生きている内にした方がいいね』と言った。すると母は思い出した様に同じ様なケースがあったことを話した。そのケースを母は知った時、残された相手の方に短歌を作ったそうだ。
生前に 言い難き言葉 ノートにて 妻への感謝 綴られてあり
なるほど、情景が浮かんで来る短歌だった。何も残さなければ相手には伝わらない。残しただけ救いがあるが出来れば生前に相手に口で言葉で行動で伝えた方がいい。
母はもう一つ短歌を紹介してくれた。
手を握り 我死後 後頼むと 言い残し 二十日過ぎし日 天に召されたり
これはその亡くなった方が亡くなる二十日前に母に残した言葉を短歌にしたものだ。自分の作った短歌だから覚えているのは当たり前だがすらすらと短歌を詠む母の記憶力には毎度毎度頭が下がる。
母との電話は、約一時間話して真観は、東京に向かった。東名御殿場からバスに乗ったのは3時40分。今日は、池尻大橋のバス停で降りて渋谷まで電車で移動した���今月の始め友人の写真家Oちゃんから連絡がありグループ展を開催すると知りその写真展に行けるタイミングは今日しかなかった。その写真展の会場は、渋谷駅から歩いて原宿へ向かう方角にあった。地下に降りて会場に入るとしょっぱなからハードなモノクロポートレイトが展示してあった。この写真展は、計5人の男性作家で構成されていたグループ展でがっつり人と向き合っている写真が大半だったがOちゃんの写真は、人を撮ってはいるがアプローチは唯一違っていたのが印象的だった。今朝真観は、Oちゃんにメッセージを送って今日写真展に行く旨を伝えていたが返信はなかった。Oちゃんは、仕事をしているのだと思う。Oちゃんに会いたかったが仕方なかった。しかしOちゃんが写真活動をしていることは真観嬉しかった。Oちゃんと最後に会ったのは一昨年のこと。
写真展を後にして真観はまた渋谷駅まで歩いて戻った。明日撮影が早朝からあるので東京に来たのだが撮影は、公的な場なのでスーツを来た方が良いと判断してスーツを入れた手提げバッグにカメラ機材は、ジェラルミンケースに詰め、やはり手で提げていたので両手が塞ぎ、しかもジェラルミンケースはヘヴィだった。もう一つ三脚も一緒に。歩いては休み歩いては休み。ジェラルミンケースは明日の撮影に踏み台と役立つはずだ。
渋谷駅から代々木駅へ。そして乗り換え水道橋のオフィスに移動する真観。オフィスに着いたのは7時だった。Uさんは真観を待っていた。真観は、Uさんとおしゃべりするのを楽しみにしていた。前回の続きで石牟礼道子さんの話や戦争孤児の話、お互いの近況を話した。
夕食に時々訪れるとんかつ屋に行く。熱燗で乾杯し二三のつまみを食べキスフライと串カツを二人で分けて食べた。その後いつもの様にベローチェでプリモカフェを頼む。Uさんとの話は多岐に渡り尽きない。何を話しても合点があり言い争ったり不満を抱えることは20年来一度もない。
真観は、Uさんと11時に水道橋駅で別れ一人オフィスに戻った。今夜はオフィスに泊まる。最近春めいて気温が暖かくなったので薄着で東京に来てしまったが今夜は少し冷え込んでいた。オフィスのフロアーにマットを敷きその上に敷布団、寝袋に包まって早々に寝る。都会の夜の独り寝だ。
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https://music.apple.com/jp/album/%E6%B5%B7%E3%81%A8%E7%8A%AF%E4%BA%BA/1502964318?i=1502964333
Tuesday,Apr30
早めに目が覚めた。昨日の夜にベッドの上で食べたティラミスで気分が悪い。最近は本当にお酒を飲んでないから、お酒を飲んだ次の日の頭に靄がかかったような気分で起きられない。10分ごとにアラームをかけ続け、それを10回くらい繰り返してからやっと起きた。お腹が空いていない。外の天気も悪い。電車の中で埋火とTenniscoatsを聴く。今日見つけたyukifurukawaが良かった。気持ちが苦しい、死んでしまいそうで、仕事を休むか本当に迷った。呆然としたまま職場に着き、呆然としたまま仕事をする。変な電話を取るたびに、小さく泣く。別に泣くことじゃないのに勝手に声が震える。恐怖を感じたり、腹を立てたりしたくない。死にたくて仕方がない。とにかく何かから逃げたい気持ちだけが身体を置いて迫り上がってくる。浴槽で死ぬ所を何度も想像する、きっとおかしい。だけどおかしいという事実は別にわたしを救わない。ただただその事実が続いていくことに諦める。自傷をしてる生徒に何も言えないくらい、わたしだってだめだ。わたしが何を望んでいるのか、わたしが一番分からない。何だっていいし、何だっていいわけがない。その証拠に毎日が苦しい。答えが知りたい、そうしたらそこがどこだって、一目散に走っていくのに。今月は本当に苦しい一ヶ月だったと、最後の日によく思った。Tenniscoatsを聴きながら今月の動画をPCに落とした。辛ラーメンを食べてゴミを出す。帰宅した時からアパートの前で喋り続けている若い男女が邪魔だった。
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https://music.apple.com/jp/album/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC/1455064986?i=1455064997
Wednesday,May1
起きてバナナとレモンパックをコーヒーで流し込む。適当に弁当を詰めて部屋を出る。レモンパックがたくさんほしい。どこに売ってるかな。雨だ、しかも寒い。何も楽しいことがないことが朝の天気から約束されている日は気楽だ。うだうだ落ち込んでいても大丈夫な気がする。池袋からの各駅停車でハン・ガンの『すべての、白いものたちの(흰)』を読み進める。めちゃくちゃ好きだ、買って良かった。仕事場でおばさんに毎日大丈夫、と聞かれる。そんなに大丈夫じゃなさそうな顔をしているのか心配になる。今日の大丈夫、は、あなた湿度と低気圧に弱いって言ってたけど今日の天気大丈夫、という意味だったらしい。デスクで二錠、鎮痛剤を飲んだから大丈夫だ。薬局で売っているこの安い鎮痛剤は恐ろしいほど効き目がいい。効き目が良すぎて少し怖い、何なら軽く寒気までする。面倒な問い合わせから逃げるように休憩に外に出る。デスクに帰ってきた時に新たな誰かからのメモも置かれていないと心底安心する。今日は夜も寒い。電車の中で本は読み終わった。ハードカバーもあるらしく、欲しい。夜は大島弓子の『綿の国星』途中まで読んだ。日記を書くことの意味、ソーシャルメディアで記録を残していく意味、小さな嘘をつくことでの自分との信頼関係、布一枚隔てた感情、全部ゆっくり忘れていく。話したこともあったことも、生活のリズムに身を委ねると無慈悲に忘れていく。覚えているのが今日だけでも、今日だけでなくても、わたしだけでも大丈夫。今月はどんな月になるのだろう。
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おいおい、また青春しちまったってのか?
俺は。そんなこんなでピアス穴が定着していないのにも関わらず2回もピアスをつけてしまった。ので、友人に「3ヶ月つけたままとらないで!抗生物質の入った塗り薬は塗らないで!」と指示されながら、セカンドピアスをつけ直した。なお耳たぶはどちらもじんじんしているし、どちらも出血している。なんてしっかりしていない大人なんだ?これこそが私。という感じがする。
春コミ!お疲れ様でした。一般参加で、ずっと息子のタケシ(新たな登場人物)とくっついてまわっていて、レイヤーさんたちにはしゃぎながら、大量の同人誌を買い、ご挨拶などして、スタバに行き、池袋に行き、プリクラを撮り(!??)、ガストでステーキを食べ、楽しかったです。タケシが、婚約者のあまおういちご大先生と私と3人の写真を一瞬でアイビスペイントで合成して作り出していて、神業だ…。と思いました。正直タケシもあまおういちご大先生も絵がうますぎる。私は彼女らを産んでいてもおかしくない年齢なのだが、仲良くしてくれていい子すぎる。私はパパと呼ばれているのだが(妥当だ)、正直自分の精神年齢はまじで20代前半だと思う。しっかりしろよ…と思うが、失われた10年間+α(療養)の空白があるのでどうしようもない。同年代に比べると恐ろしく幼稚であろうなあと思うが、同年代と会っても、とくにそこまで自分が会話についていけない、ということもないので(周囲が気遣ってくれている可能性は大いにある)、なんだか不思議だなと思う。私は人���関係において年齢と性別に意味を見出さないので、相手が何歳でなんの性別だろうと、心がよければどうでもいいのだが、そうすると必然的に自分の年齢や性別もあやふやになってくる。それらをあやふやにしたままで、それでもしかと立っていられる自分存在を確立しないと頭がおかしくなってしまうなと思った。まあ、思うだけで、頭はもうおかしいのでどうでもいいか、と思っている、実際のところは。
今日は友人とホルモン焼きを食べ(ているのを見て、レモンサワーをごくごく飲んでいるのを見て)、ドンキを冷やかしカラオケに行き、終電を逃し、3駅分歩いて帰った。私っていつまで青春しているつもりなんだろう!?と自分でも思うが、帰りながらもくりを立てたら友人たちが来てくれて、結局帰宅して2時半頃まで話し、結局、そう、楽しい毎日となっている。今日会った友人とは、かつてこの日記で「御子」と呼んでいた、彼女である。お子さんの「お子」であって、ミコではない。つまりたびたび一人暮らしの家や、同居人との家に避難させ、匿いつつ飯を食わせりしていたあの御子である。出会った時には17だった彼女も、もう22になった。5年間というのは、われわれにとって、かなり、大きい。この5年間を死なずに生き延びてくれたこと、本当に有難いと思う。死にそうになったことは何度もあったと思うが(思うし、実際にあったと記憶している)、きちんと今日も笑顔で食べたり飲んだり歌ったり踊ったりしてくれ、まだまだ困難が多い道の途上で、八方塞がりになることも多々あるとはいえ、本当に立派だなと思う。そうね、私達はたしかに運が悪かった。そして未だに苦しんでいるし、物理的に困っている。でも私は少なくとも生活能力が安定してきているし、友人もできる限りの1歩を毎日踏み出している。その積み重ねで、どうにかこれからも生きて、必ず幸せになって欲しいと思う。私の中にもあなたの中にもミラクル生まれのキラキラ育ちが隠れてる、パワフルかわいいハンサムガールズ、負けない、絶対、めげない。(プリキュアモードにSwitch On!より)
春が来て、本当にありがたい。私は今年はかなり冬季うつっぽくなってしまったので、やっとそれを抜けた気がする。ふだんのうつ状態(月1〜2)よりも、無気力状態や過眠が多く、生活のほとんどが滞ってしまった。ただ、仕事は出勤していたので、自分としては白星を上げたい。今日ようやっとシンクをきれいにし、資源ごみを出し、自炊を再び始める状態を作り出せた。やはり健康も節制も自炊から始まる。今日は食料品の買い出しに行けなかったが、明日から自炊生活が始まる。切れかけの調味料も多い。次の5月でこの家での生活も1年経つ。12〜2月がほぼ撃沈していたとはいえ、なんとかどうにかなりそうだ、と今日は明るい気持ちになった。4月からジャズの教室通いと、ジムを再開する。仕事も週4になるので、そこでまた体力限界のズタボロにならないように気をつけていく。暫くはおとなしく働きつつ、好きな勉強をしつつ、小説を書きつつ、少しのんびりするか?と思っている。会社員を目指すのはやはり違う気がして、福祉の大学の通信で資格を取ることをまた考えている。4月入学は間に合わないので、9月入学。6月に燐一の同人誌を出したいので、それが丁度いいかもしれないと思っている。
2024.3.19
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2022/10/1〜
10月1日
大学の時にお世話になった職員さんに会ってきた。3年ほどお会いしていなくて、でもその間、暑中見舞いや年賀状のやり取りで、引っ越しをしたり結婚をしたことなどは報告してもらっていて、そろそろ会おっか!となった。
同級生の友人よりも、職員さん達との関係の方が長く続いている。(私がこの関係に甘えているだけかも。)
東北生まれっぽい白い肌と真っ黒の髪とまつ毛が、今日も素敵だった。
水野しずのnoteの、大人の友達のやり方、みたいな記事を読んでいる。
娯楽コンテンツがこんなにもあふれていて、社会人って自由に使える時間に限りがあるのに、その中でなんの利益もないかもしれないのに、お茶しましょう、と会って一緒にいるのってやばくない?大人がそんなこと成立させちゃうのってすごい。と書いてあり、今日はそれを実感する時間だった。
見せてもらった加茂水族館の写真で、山形に行ってみたくなった!
お茶の前に、大学の図書館へ行く。
好きな服で目一杯おめかしして出かける図書館、最高。表徴の帝国と、エッセイ調のストリートビューの本を借りる。
そのあと1wallのグラフィックのグランプリ展へ。作者の方が作品の布団で寝ている展示で、それもあってかギャラリーの方がずっと監視しているようで、空間に私含め3人で、なんだか鑑賞しづらい気持ち。
丸の内のenfoldへ初めて入店してみる。
ウィンドウのマネキンが着ていたコートが素敵で「このコートしか欲しくない!」と思った。コート欲しいな。
10月2日
ギンレイホールが閉館する前に一度は行きたい、と、上映スケジュールを確認すると、見たかった作品(“マイ・スモール・ランド”という在日クルド人のお話)が予定されていたので、どこかでお休みを取って行こうかな。
人形供養祭には行けず、ショッピングモールの書店で菊池さんのNHK講座のテキスト“人形と人間の間”を買ったりして過ごした。
供養したったイルカのぬいぐるみが、思った通り大きくて規格外。これを明治神宮まで運ぶ袋もないよね〜、と先送りにしてしまった。輸送対応してくれる神社もあるみたい。
金曜日に詰め替えたマルチクリーナーで水回りのお掃除。スプレーの出方がおかしい。泡になって出てこない…。
たくさんスプレーした後で詰め替え液の袋を見ると、同じシリーズの洗濯洗剤を詰め替えていたことが判明!
今日のところはこれでお風呂掃除をした…
意を決してショッピングモールのドラッグストアに立ち入り、マルチクリーナーの詰め替えを買い直した(100円ショップとドラッグストアと不動産屋の空間がとても苦手!)。
帰宅して、詰め替え直そうと思ったら、さっき洗濯洗剤を詰め替えたスプレーボトル毎捨てていたことを思い出したので、amazonでスプレーボトルをさらに買い直し。
行ったことがなかったショッピングモールのスーパーには、フリーズドライがたくさんバラ売りされていて、楽しくなってガチャガチャ感覚で3つほど買ってしまった!
人付き合いどうのこうの、と考えている日だったけれど、大切にしたかった人との予定が抜け落ちていたりで、もう自信がなくなってしまう。
10月3日
今日はなにもなかった。
今日付で採用の人が何人か配属されて、少しみんな楽しそうだった。
今日から新学期で大学生がたくさんいた。
夏休み中に共通のお友達とお付き合いすることになったことを報告している女子がいた。
聞いたことのないアフリカの家庭料理のキッチンワゴンが出ていた。
明日は面談なので、嘘をつかないようにしたい。
10月4日
人事面談をして、やっぱりお金を稼ぐ以外に何かしないと!と、焦る気持ちがまた芽生えてしまった。もう一回TOEICを受けてスコアを上げよう。進学を考えているって、こうゆう面談で話すべきだったのでは?
30で消えるのに、展望を絞り出してもふわふわして掴みどころない調書しか書けず、言及することもなく帰ってきた。
母の誕生日の手紙でも書こうと、ちょうど人生の半分の時を一緒に過ごしましたね…と、頭で書いて、でも私が自我を持って彼女と過ごせた時間は、この8年かしら、と考える。
IMAのコンペの作品のことも同時に考えたりして、今日も頭が落ち着かない。
明日から寒くなることを、一期下の方が自転車に乗りながら帰り際に教えてくれた。
10月5日
昨日は厚みのある花びらだった金木犀の小花たちは、今日はふりかけみたいになって地面に落ちていた。クモの巣に金木犀の花がたくさん引っかかってかわいい住まいになっている。
大学院の募集要項を調べると社会人枠は年明けの試験のようなのでまだ時間がある。今は自由に本を読んだり、それだけで十分楽しい。でも、それでも今楽しい積み重ねが何かなればな〜と思ってしまう。それと、自分がやりたいと思うこと以外で、漠然と学びたい時ってどうすれば良いのかな。
NHKラジオ講座や放送大学?
昨晩、大学院生時代に好きだったアイドルグループの配信をみて、フリーライブへ行ってみようかな、と思っている。当時のメンバーはもういないけれど、やっぱり気になる。
10月6日
読みたいものが増えてきたので、pdfの論文ををkindleに仕込んだり、電子書籍を買ってお昼休みを充実させようとした矢先、あまりお昼休みを取れなくなったりする。
バルトの本すこし面白い!
日本は“存在している”ことな線引きをする。登場人物に対して、生きている/いない、の前提を決めた上でその物語が進む。あと、お味噌汁(“お味噌汁”という単語は出てこない)の描写が面白い。研究をしたいというより、研究という環境に身を置きたいだけなのかも。
自分しか目をつけていないと思っていた在庫処分の値引きツナ缶が今日はちゃんと売り切れていた。
人に会って承認されたい気持ちと、勘違いされたくない気持ちで、なんだかダメです。誰の言葉もうまく受け取れない時は、インターネットや本や音楽や写真を、見たり聞いたりしておこう。
10月7日
バルトの本のスキヤキの章を読んで、ゆるめるモ!のスキヤキを聴きたくなった。あと天ぷらの食品サンプル作りもしてみたくなった。
パチンコってブームとかじゃなくてずっとあるんだね。
皇居のドーナツのこと、水野しずが言っていた気がする。
バルトは、くら寿司や無印良品に行ったことはあったかな。
明後日はちゃんとリアルタイムで、NHKラジオの人形学の講座を聞きたい。“人形の夢と目覚め”が、お風呂が沸いた知らせになったのはいつからなんだろう。(昔ピアノの発表会で弾いたことがあって、全曲知っている。)
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