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#極道の妻たち 危険な賭け
liliyaolenyeva666 · 2 years
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🎼 1578 「All Grown Up」。
えっと、2021年の終わり頃に観た映画を書き留めた それをテキトーに載せます。
"この作品は 家田荘子の原作をもとにフィクショナルに作られたものであり、登場する人物及び団体等の名称は架空で、実在するものとは何等関係ありません" という前書きと、エキスポランドと書かれた大観覧車の下で 岩下志麻さん似の女性が "凶" のおみくじを引いたところから始まります、シリーズ8作目な東映映画 「極道の妻たち 赫い絆」 を観ています。関本郁夫監督作品。突然に 古田新太さん似の男に襲われた 岩下志麻さん似の女性クムラ・キワは、割れた鏡の破片を握り 返り討ちを喰らわせたことで 5年の懲役刑を受けます。5年後、亭主とも別れ、総武線を降りた新宿近くのあたりで一人暮らしを始めたキワは スーパーで働きはじめるのですけれど、次から次へとお客さんが現れたりして なかなかしずかに働くことが出来ません。ある日の仕事中には命を狙われたりして これではいけないと 東京を離れます。そんなところに父が何者かによって暗殺され、葬儀に駆けつけるのですけれど、そんな中で 元亭主の夢の事業 (ドリームランド建設) が頓挫して 煙草を吹かす余裕も無くなってしまいますこの映画、エキスポランドも大観覧車も現在は無いみたいで さういう意味では貴重な映画です。
つづいて
木造の家の扉が開き、小さな和服姿の女の子の元に 岸田今日子さん似の女性がバナナを手渡すところから始まります、幼少時 母親に 復讐を吹き込まれた娘の 残酷な日々を描いた 松竹角川映画 「この子の七つのお祝いに」 を観ています。増村保造監督作品。とある女性が惨殺され、その事件を追っていた警察と新聞記者は 犯人探しに躍起になるのですけれど、そんな最中、新聞記者が自宅で変わり果てた姿で発見されます。そんなこんなで 会津若松に飛んでまもなく亡くなった新聞記者の後輩が事件を追うことと相成ります この映画、新幹線ひかりが 劇中ビューンっと駆け回ります。
つづけて
"この物語は、家田荘子の原作をもとに、フィクションとして創作したものであり 登場する人物、団体等の名称は架空で、実在のものと何ら関係ありません" といった前書きと 手術中と点灯された手術室の前に 岩下志麻さん似の女性が駆け込んだところから始まります、シリーズ10作目 「極道の妻たち 決着 けじめ」 を観ています。中島貞夫監督作品。物語は 三ヶ月前に遡り、組織同士のお金の揉み合いの中で強風が吹き荒れる中、キンキンが巻き込まれてしまう この映画、さくらやがあったころの新宿の街並みがチラッと映ります。
つづけて
しっとりと雨が降る中で おいちゃんの夢を見て涙した 寅さんが目覚めたところから始まります、シリーズ第5作目 「男はつらいよ 望郷篇」 を観ています。山田洋次監督作品。おいちゃんが長くはないという (うそ) 知らせに 上野からタクシーに乗って飛んで帰って来た 寅さんは "かつがれた!" と おいちゃんに食ってかかって喧嘩になってしまいます。そんなところへ 札幌のマサキチ親分が危篤との知らせが届いた寅さんは なけなしのお金を持って 北海道に飛びます。ということで、小樽に飛んで (蒸気機関車の車両基地がどでんと映ります) タクシーで小沢駅まで D5127を追い掛けてどうのかうのする この映画、柴又駅前の売店に置かれた雑誌が時代を物語っていました (下手上段から 少年キング、少年サンデー、少年マガジン、明星、平凡、週刊TVガイド、週刊実話、別冊少年サンデー、旅行読売、情報トップ、漫画ストーリー、漫画ボイン、平凡パンチほか)。
つづけて
"この物語は、家田荘子の原作をもとに、フィクションとして創作したものであり 登場する人物、団体等の名称は架空で、実在のものと何ら関係ありません" なんて前書きのあと、なっかなか 岩下志麻さんの姿が見えなくてドキドキさせられます、シリーズ9作目な東映映画 「極道の妻たち 危険な賭け」 を観ています。中島貞夫監督作品。いつの世の中も 跡取りというものは 平和的には解決されないやうで、とある組織の四代目の跡目争いは 肉を斬り、血を噴き出させても なかなかビシッと決まらなかったりして それらに属する男どもは イライラします。そんなこんなで 跡取りをどうしやうかで悩みまくりなこの映画、返り血を浴びまくりな 岩下志麻さん似の女性が美しすぎて 何の映画を観ているのか分からなくなります。
つづけて
土手で、4人の小学生が揉めていた のちの世界、とある眼鏡男子が 見てはいけなさうなものを見てしまったところから始まります、とんでもない世界に足を踏み込んでしまった とある書店員の日々を描いた、ホラーな松竹映画 「さんかく窓の外側は夜」 を観ています。森ガキ侑大監督作品。物語はさておき、今の横浜ってこんな感じなんですねって思いました。
つづけて
"グリニッヂ標準時 3時0分、ニューヨーク時間 22時0分、パリ時間 4時0分、モスクワ時間 6時0分、ブラザビル時間 4時0分、ペキン時間 11時0分、サイゴン時間 11時0分、日本標準時" という文字のあと 一昔前の新宿駅前で 男が褌一丁になるところから始まります、シュールさが眩しい 表現社映画 「新宿泥棒日記」 を久しぶりに観ています。大島渚監督作品。未だ 新宿駅東口前に カメラのさくらやや銀座ワシントン靴店がどがでんとお店を構えていた頃の 新宿、1968年夏、土曜、午后五時半。懐かしさが心に沁みる 紀伊國屋書店新宿本店で ひとりの青年がお金を払わずに本を持って2階の階段を潜り抜けお店を出て行かうとします。捕まります。盗んだ本は "泥棒日記 (ジャン・ジュネ)" ほか。翌日も懲りずに 青年はお金を払わずに 本を持って行くかどうかのところで捕まります。途端に物語は 男女の性がどうのかうのといった話になって 映画に置いて行かれていかれさうな気持ちに (何度観ても) なってしまいますこの映画、突然に カラー映像に切り替わってドキッとさせられますし、一昔前の紀伊國屋書店の店内に下がった "お勘定場" って案内にキュンとさせられますし、佐藤慶さんの声がステキ過ぎて痺れますし (映画のラスト、1968年6月30日 淀橋署東口派出所を破壊する輩の映像も含めて) もう大変です。
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88bnbn88 · 4 years
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悪い夢と共寝の話
☆とうじょうじんぶつ☆ これさえ知ってりゃ読める
・スノウビーズ・モリスくん 戸口所属の魔法使い。眠ると事故の予知夢を見るので極力寝たくない。 死の感覚を生々しく覚えて起きるのでエブリディ寝覚め最悪。 かつ、その事故に巻き込まれる誰かひとりの記憶や思い出を植えつけられ、その人物として死ぬまでを追体験するという形なのでよく伴侶や子供や兄弟や親が目の前で死んで情緒がぐちゃぐちゃになる。ひとり分の生命に無数の人生はちょっと入れない。 原則には阻止が難しい死にまつわる予知夢らしいので事故以外もたまに見る。
・エニシダくん 戸口所属の魔法使い。賭博が好き。 軽薄です!快楽で生きてます!みたいな外面と自己理解をしておいて実態がそうでもないっぽい。
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 スノウビーズ・モリス■■徹目。  これは彼の頭が朦朧としたまま何故かいつの間にか迷い込んでいた異境で何故か迷子になっていた日の夜の話だ。
「ちったァ寝とけって。魔法が使えようが睡眠時間無くったってだーいじょぶってワケでもねェだろ」
 エニシダは自身の肩へと遠慮なく重さをかけてきている同僚へ、責めるように声をかける。
「ぅ…、面目ない……迷惑をかけてしまった。その、引き際を…見誤って……」
 呂律もいささか夢に浮かされたようになっており、足取りもおかしくなっている荷物に対してエニシダは大きくため息をつく。あくまで、パフォーマンスとして。幾ら『迷惑した』と訴え掛けるそぶりをしたところで、彼は変わらずにこれからも睡眠を極力避けるのだろうから無意味には違いない。
 スノウビーズとは機関の同僚であり、個人的にも多少付き合いはある身だからと回収も、こうして部屋まで運ぶ任務も担ってはみた。気まぐれではあるが、実際彼が再起できなくなってしまってはエニシダとしても困るのだ。……機関から自身に当てられた細かで地味な雑事をスノウビーズに流していたから。
(ど~うも、実利的だな)
 もっと、こう、仲間への心配や良心で動いたことにしてみたいのだが。違ったものは仕方がないと思考を打ち切った。
 魔法界でスノウビーズが一応の私室としている部屋まで送り、折角の睡眠を床でとられては困るのでベッドまで運ぶ。  当の荷物本人はといえば大人しく運ばれはしたものの、体を横たえてやると何故か機械人形のようにぎしぎしとした動きで体を起こし、ベッドの縁に腰掛けた。外套を脱ぐのかと思えば、特にそれ以上行動もせず微動だにしない。
「なァにやってんの。寝ろって」 「眠る……寝はするが。もう少し……多少は、問題ない、から」 「今更悪あがきしてんじゃねェよ。魔法使い様も所詮は人間崩れだ、休息がねえまんまじゃァ記憶の情報処理が追っつかなくなっちまうんだろうぜ。 ま、オレの感覚的意見だが」
 片手をひらりと動かし他人事で無責任な笑いを漏らす。しかし、一向に眠ろうとしないスノウビーズの様子を見るとふと「ああ、そーだ」と、名案でも思い立ったように人差し指を立て、彼へと笑顔を向ける。
「添い寝でもしてやろっか?人の体温ってのは安心できんだと」 「……安心」
 拾った単語に対し、スノウビーズは多少焦点が合ったかのように声を漏らし顔を上げる。
「おうとも、死ぬ夢見んのがヤなんだろ?夢見、良くしてやるよ。賭けてもいいぜ。ま、オレは悪夢を見るに賭けるんだが」
 にっこり、と、営業スマイルとでも言うべき笑顔の型として単純に秀逸な笑みを浮かべる。しかしそんな好印象間違いなしの表情にも、向けられた当人であるスノウビーズは一瞥もくれずに短く「あぁ」とだけ、納得したように零した。
「なるほど……試したことはなかった、な」
 悪くない……どころか、いささか肯定的な声音に、どちらかといえば否定に傾いた反応を予想していたエニシダは内心面食らってしまった。必要のない行動だと一蹴し、呆れて寝てしまいでもしてくれればと希望的観測を持って口に出しただけに、想定外な流れに首を捻る。
「ん?」 「試してくれないか」 「へ?」 「添い寝」 「おォ」
 結果、素っ頓狂な声を連続で挙げた。それほどに予想をしていなかったのだ。  自分で言っておいてなんだが、こんなに易々と軽口に頷かれるとは思っていなかった。エニシダはスノウビーズという男に対し、死を必要以上に警戒している点から警戒心が強そうな印象を抱いていた。だが睡眠時なんて無防備な状態を他人に晒せるとなると判断が見誤っている可能性が出てくる。そもそも、寝不足とは言え異境に迷い込んでいた時点で認識を改めるべきかもしれないが。
「あなたなら……あなたは、俺が寝ている間に、危害を加えたりする可能性もないし……。試すとしても、相手として丁度がいい……と思う」
 エニシダはまた面食らった。鳩だったならば先刻からの豆鉄砲の多さに尻尾をまいて逃げている。  なんだか、想定以上に信頼を得ている。危険である可能性がない、と断言までされてしまったのは意外だ。エニシダは、聞けば聞くほどスノウビーズの中での自身への信用度をいまいち測りかねていた。自分で言うのもなんだが、賭博に明け暮れる人物を信用に足ると判断はしにくいものではないだろうか?少々狐につままれた心地になる。  顔に出ていたのだろうか、いつの間にかエニシダをじぃと見ていたスノウビーズは続ける。
「あなたは、実利主義だろう。俺は、あなたに任された仕事を……任務を、内々に処理もしている。あなたは、面白半分で……自身に利益が出る存在を、失う真似はしない……と、認識している」 「そりゃオマエ危害も加えなきゃ不貞も働かねェがよ。ソイツァ買いかぶりだ。第一実利を重んじるなら賭博やんねェって」 「少なくとも……対人関係に対しては、享楽だけには見えない」
 エニシダは片眉を上げ、スノウビーズをまじまじと見る。そういった、小賢しい存在のように認識される経験はあまりなかった。不本意でもある。しかし馬鹿馬鹿しいと一蹴出来る程心当たりがないわけでもなかった。内心決まりの悪い不愉快さを催したが表面には出さず、ただおどけて肩を竦め、「心外だ」と零す。
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「そんじゃま、言った手前は覆さねェし。方針は決まったんだ、サクッと寝ましょーね」
 ぼんやりとしているスノウビーズの外套を取ってやり、自分でも寝転ぶには邪魔になるような装飾品や上着を脱ぎ軽い寝支度を済ませてベッドに腰掛けた。
「ホラ、入った入った」 「わかった、わかっている……」
 早く行けとシーツを叩いたり体を押しやっての努力をして不承不承といった様子のスノウビーズを追いやり、毛布とシーツの間に挟む。エニシダも身を滑り込ませた。だが、予想されていた事態に対して口の端だけ上げた笑みと共に困ったように眉をハの字にして不平を零す。
「予想はしてたけどさァ。狭ェな!」 「男性が二人並ぶようには作られていない……なら、妥当だとは」
 見た限り一応はセミダブル程の広さのあるベッドだった。シングルでなくて助かりはしたがどの道図体がでかい人間を二人も収納するには心許なく、目くそ鼻くそだろう。  だが寝具の広さでは夢の内容を変えられなかったのであれば、今回に限ってはさしたる問題ではない。しかし凝り固まった体勢での睡眠で熟睡を促せなかったための夢見の悪さを招いてしまっても困る。片方が少しはみ出せば片方にゆとりが出るだろうと、エニシダは多少身を外気に晒した。
「仰向けは……仰向けだと、横に場所を取る。接地面積の広さによって、狭くなる……から。であれば、横向き……ああ、けれど、互いに背を向けると……安心感の面で、不安が残る」
 天井を遠い目で見ながらぶつぶつと呟く横顔を、エニシダはぼんやりと眺める。倒れるほど疲労していようがいざ寝具に包まれたら眠れる、というものでもないのか。何となく茶々を入れたい気分になり、無遠慮に口を挟む。
「対面をご所望?」
 彼は投げかけられた言葉について考えているのだろうか、しばし押し黙ると納得したように顔をエニシダに向けた。
「そうなる」
 そうだろうか?と、投げかけた本人は疑問を持った。片方が背を向け片方が内側を向くのはどうなのか?いい年した男同士が向かい合って寝るなんぞ人が人なら環境として劣悪だと思うのだが、こいつそれでいいのだろうか?などなど、特別聞く気はないが。
「マジ?何が悲しくて顔突き合わせて寝にゃいけねェんだろうな。構わねェが」
 対処を望む側が望むのであれば、エニシダとしては構わない。しかしそうは言ったが、それでいいのか?とも思考には同時に残っていた。なんというか、全体的に警戒心が薄い。警戒心は強いのだろうと判断していた自身が馬鹿みたいになるぐらい薄い。背を向ければ有事に対応できるのかというと、それもまた否だが。他者との壁が薄いのだろうか?または懐に入ったとされる判定が緩いのか。いずれにせよ、少々危うさを感じて生温い笑みをスノウビーズへ向けた。
「……まァ、なんだ。付き合う輩は選べよ?」
 スノウビーズは発言の意図を測りかねてしばし押し黙ったが、怪訝げに頷いた。その間、エニシダは子供を心配する親戚の叔父の気持ちを僅かに味わった。
 狭いベッドで向き合って寝るといっても、エニシダが配慮し幾らかスノウビーズ側にゆとりを持たせるようにしているためか、人の温もりを求めて行われているわりには触れ合うような面積は少ない。  スノウビーズはやけに体を縮こませる体勢をとって寝に入るようで、エニシダから見て視線を下げた位置に頭があった。純粋な身長ではスノウビーズの方が高いため、いささか新鮮な気持ちになる。
「エニシダ」
 手持ち無沙汰な気分でスノウビーズの頭頂辺りを眺めていると、スノウビーズが寝言のようなぼんやりとしたトーンで呟いた。
「んだよ。子守唄?」 「ぇ、必要性を感じない……。ではなくて……いや、あの。あなたが申し出た事ではあるが、……その、付き合ってもらって、すまない」
 顔をこちらに向けるでもなく、恐らくは意識を泥に溶かすために目を閉じているだろう彼は申し訳なさを滲ませてぽつぽつと零す。その様子を見て、気にせずに寝ればいいのに、と少しの苦笑を浮かべる。
「バーカ。今更殊勝になるぐらいなら最後までふてぶてしくしてろよ。お休み」
 大丈夫だと告げるかのように、柔らかに眠りの挨拶を告げた。出来うる限り『安心』をさせてやるように、背を撫でてやる。子としてあやされた記憶もなければ、子をあやした経験もないために少しぎこちなくはなったが、これでいいのだろうと勝手に納得する。文句が飛んでこないのだ、ならば問題はないはず。  「ん」とだけ、微かに零したのを最後にスノウビーズは話を振ってくることはなくなった。
 寝ただろうか。暫く様子を窺っていると、静かな空間に響く時を刻む音とともに、規則正しい寝息が聞こえてきた。夢を見ている間に呼吸が乱れたりするのかは知らないが、今はたから見た限りは穏やかな眠りだ。単に身体が限界だったのか、寝かしつける行為が功を奏したのかは判断できないが、ひとまずは休息に辿りついたらしい。
 さて。意識が失われている以上、その間にエニシダが共にいたのかいなかったのかの判断はスノウビーズにはつかない。起きた際に姿がなくとも、「朝まではいたが呼び出されたので抜けた」などと理由を提示すれば悪魔の証明だ。だからここでおさらばしてしまってもいい。いいのだが。
 ――どうしようかな。
 エニシダにとっても経験のない夜だ。類似した状況自体はあっても、成熟した男女が裸で横になっているような場面であって、他人を寝かしつけるためになんて考えたこともなかった。
(誰かとマジで一緒に寝るだけって共寝、初めてかも)
 くつくつと喉で笑う。幼少の頃親と共に寝た記憶すら持ち得ない禄でもない人生だ、という自嘲であり、いい大人が身を寄せ合って何の児戯だ、という滑稽さへの呆れでもある笑い。とはいえ、居心地は悪くない。生命の塊が程近くにいて、けれど用心もいらず落ち着いたままでいられるのは気楽だ。
 では、改めてどうしようか。まあいいかと自身も寝てしまおうか?やっぱり手のひら返してこの場を去ってもいいな。などと朝が来るまでどうするかを思考しながらスノウビーズに毛布をかけ直す。  すっかりと眠りについたスノウビーズの前髪を軽く手で梳いた。
「――願わくば、良い夢を」
=====
 夢を見た。  カーテンが開けられた窓からは木漏れ日が差し込み、柔らかな花と淹れたての紅茶の匂いが優しく漂っている家。
 老婦人が“私”の手を握っている。  彼女は――長年連れ添ってくれた、“私”の妻だ。
「大丈夫。私はここにいますからね」
「いろんなことがありましたね。あの子たちも、健やかに……元気に育ってくれた」
 妻は懐かしむように言葉を紡いでいく。春には雪が溶けた街路を歩き、夏には浜辺を並んで歩き貝を拾い、秋には窓から見える紅葉をキャンバスに写し取るように描き、冬には暖炉にくべた薪が爆ぜるのを身を寄せ合って眺めた。  “私”は時折咳き込みながらも思い出たちに頷く。何気ない日常も輝いていて、大切な日々だったと。まだ話を聞いていたい。いつまでも、この大切な家で思い出を増やしていきたい。けれど、もう瞼が重くなってきてしまった。
「……あなた。…お休みになるんですね」
 妻は目を伏せる。拍子にぱたり、と、瞳から雫が落ちる。拭うことすら、今の“私”にはできない。  ほう、と息をつくと、また“私”へと視線を合わせる。そして漂う花の香りのように優しく、穏やかに笑んだ。
「今までも、そしてこれからも。愛していますよ、■■」
 “私”が愛した笑顔だった。目の前が水気で霞み、暗闇に閉ざされて、彼女の笑顔も掻き消えた。  けれど瞼の裏にはいつまでも彼女の姿があった。  ああ、ありがとう。  最期まで、共に居てくれて、ありがとう。
=====
 目を開ける。カーテンは開けられており、窓からは柔らかな日が差し込んで部屋の中を照らしている。スノウビーズにとっては、まるで先程の夢を思い出すような暖かな光。
 呆然とした心地で体をのろのろと起こして部屋を見る。さほど視線を動かさずとも、近くのテーブルにマグカップを置いたエニシダの姿を見つける。
「あァ……はよ、朝だぜ。どうどう?ご気分は」
 スノウビーズが起きたのを確認するやいなや、どっかりとベッドへと腰掛け様子を窺うようにスノウビーズの顔を覗き込む。面白がっているかのようなにやけ面だ。  スノウビーズの中で発生した、先に起きていたのか?寧ろ寝られたのか?というかずっとちゃんとここにいてくれたのか?といった疑問はさておき、夢見について返事をしようと口を開く。開いたのだが。どうにも、喉が張り付いたように声が出ない。息が詰まる。
「…、 っ、ぅあ」
 嗚咽が漏れる。ぼろぼろと涙が溢れた。けれど、不思議と胸は満たされている。目から流れ落ちる雫は悲嘆や恐怖から生まれたものではなかった。ならば、なんなのだろう。スノウビーズは困惑を滲ませて、涙をそのままにしながら視線をさまよわせた。  泣き出したスノウビーズを見てエニシダは、慰めるでもなくただ失敗を見て困り果てたように頭を掻く。
「あー……失敗っつうことか?」
 独り言程度に漏らした言葉を否定するようにスノウビーズはゆるゆると頭を振る。
「んーじゃ死んでない?」 「死んだ……」 「死んでんじゃん」 「違う……」
 埒が明かないとエニシダが頬杖をつく。責めず、慰めず、ただ落ち着くのを待ちじっと眺めていた。話し出すのを待つがてらにスノウビーズが垂れ流しにしている涙を指で掬ってみる。何のリアクションもされない辺り、やっぱりこの男の判断を見誤っているのだろうかなどと思考して時を過ごす。
「……老衰だった。と、思う」 「何?死因?」
 緩慢な首肯。エニシダはさらに続く話があるだろうかとしばし待ち、言葉が続かないのを確認すると話を聞くポーズを崩して話終わったら表す予定だったリアクションを一足先に取る。
「ハハ!すげェな。事故んなかったワケだ!……でも、んな様子じゃァ、ヤな夢だったのは変わんない?」
 違う、と。一言だけ告げようと口を開いたスノウビーズが止まる。ふと、紅茶の匂いがしたからだ。匂いの元を辿れば、先程エニシダがテーブルへ置いていたマグカップが目に入る。なんだか眩しく感じ、目を細める。
「……暖かな家で。最期まで……寄り添い、手を離さないでいてくれた……妻がいて。穏やかだった」
 夢で漂っていた紅茶の匂いとは、違ったけれど。優しい花の香りも足りないけれど。穏やかな夢の面影だけで、胸が暖かく満たされた気がした。
「――優しい、夢だった」
 あの夢で訪れた死の記憶は、魔法使いとなったスノウビーズには絶対に訪れない死だ。  魔法使いに訪れるのは消失であり、穏やかな眠りが魂を天に案内することなく、厳しい戦いの中で潰えるのだろう。  だからだろうか。忘れていたのだ。死が訪れる条件は、何も事故や災害に巻き込まれてでしか起きるというものではない。苦しみが伴わなければいけないわけではない。当たり前のことだが、いつの間にか失念していた。  穏やかな死もあるのだと、思い出せた。
 少し、馬鹿ではなくなったから。今日は、悪くない日だ。
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sattworld · 4 years
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検察が告発受理しない闇。そしてギャンブル依存症を地で行ってる。
有料記事とのことなので以下転載。
遡ること約12年前――。
 官公庁街に程近い、港区虎ノ門。雑居ビルの一室に、満員の客で賑わう全6卓の小さな雀荘があった。
 その常連客はいつも午後6時ごろにやって来て、奥の席に陣取った。おにぎりを頬張りながら、飲むのはもっぱらブラックコーヒー。アルコールには一切手を出さない。紫煙をくゆらせながら、勝負は深夜2時まで続くこともあった。
 常連客の名は、黒川弘務氏。当時、法務省大臣官房審議官として、司法制度改革など重要政策のとりまとめを担っていた。その後、順調にステップアップを重ね、東京高検検事長にまで上り詰めた黒川氏。だが、最後に待ち受けていたのは、“賭けマージャン”による辞職という、まさかの転落だった――。
 先週号(5月21日発売)では、黒川氏が緊急事態宣言下の5月1日、マンションの一室で賭けマージャンに興じていたことを、出入りの写真とともに詳報した。現場は、産経新聞の元検察担当・A記者の自宅。集まったのは、産経の前司法クラブキャップ・B記者、朝日新聞の元検察担当記者・C氏。4人は、5月13日にも同様に卓を囲んだ。
「黒川氏は法務省に対して事実関係を概ね認め、21日に辞表を提出。同日、同省が調査結果を公表し、黒川氏がA、B、C氏と約3年前から月1、2回の頻度で賭けマージャンを行っていたと明かしました。一方で、22日の衆院法務委員会では、黒川氏の賭けマージャンの“常習性”を追及された森雅子法相が『常習とは一般に賭博を反復累行する習癖が存在すること。そのような事実は認定できなかった』と答弁する場面もありました」(司法担当記者)
 森法相の「常習性なし」答弁。だが小誌は先週号で、7~8年前に黒川氏と記者らを雀荘から自宅に送り届けていた元ハイヤー運転手の証言を紹介。車内では、賭け金が分かる会話も交わされ、記者が「今日は10万円もやられちゃいました」とこぼすこともあった。
 さらに取材を進めると、黒川氏は10年以上前から、虎ノ門や新橋、時には渋谷にまで足を延ばして、雀荘に足しげく通っていたことが新たに分かった。
 黒川氏がよく訪れていた雀荘の元店員に聞くと、一切報じられていないA、B両記者の実名も知っていた。
「黒川さんは、週に1~2回、多い時には週3回もいらっしゃいました。いつもBさんが予約を入れるのですが、Bさんが急な取材でドタキャンになることもあった。Aさんが一緒のことも多かった。休日に、ゴルフ帰りの黒川さんたちがマージャンをやりたがって、特別にお店を開けたことも何度もありました。風営法上、午前0時を過ぎての営業は��来ないのが建前ですが、照明をおとし、2時頃まで続けることもありました。点数を取りまとめていたのはBさんでした」
 冒頭の虎ノ門の雀荘に10年以上前から出入りしていたという客も、よく黒川氏を見かけたと明かす。
「黒川さんは『こないだカジノに行ってきたんだ』『韓国は安く行けるからいい』などと話していて、よほどのギャンブル好きだなと思った記憶があります。従業員にも気さくに話しかけ、まったく偉ぶるところがなかった」
 A、B両記者らと「約3年前」どころか「10年以上前から時に週3回」にわたってマージャン漬けの日々を送っていた黒川氏だが、
「調査報告には、5月1日や13日以外の賭けマージャンについて『具体的な日付を特定しての事実の認定には至らなかった』と記されていますが、朝日は4月13日や20日も公表しており、調査の拙速さが垣間見えます。厳正な処分を下すなら詳細な調査が必要ですが、早期幕引きを図りたかったのでしょう。結果的に『多大な貢献をしてきた』、『懲戒処分に付すべきとは認められない』として、訓告処分が相当と結論付けられた」(社会部デスク)
 人事院が示す国家公務員の懲戒処分の指針には、賭博をした職員は「減給または戒告」、常習的に賭博をした職員はさらに重い「停職」など、いずれも懲戒処分とすることが定められている。にもかかわらず、黒川氏には法務省内規に基づく処分にすぎない「訓告」という“激甘処分”が下されたのだ。元最高検検事の清水勇男氏が首を傾げる。
「訓告処分は軽いと感じます。金銭の多寡にかかわらず、賭博は刑事事件として裁かれる。もちろん判決が下っているわけではありませんが、黒川さん本人も“犯行”を認めており、罪を問う立場にある検察官としてあるまじき行為です。それなのに懲戒処分にならないというのは、世間から不信感を持たれかねません」
 だが、黒川氏はさっと辞表を出し、後任には名古屋高検検事長だった林真琴氏が就いた。黒川氏は懲戒処分ではないため、自己都合退職により約800万円減額とはいえ、6000万円近い退職金が支給される。
 この黒川氏の甘すぎる処分、実は官邸主導によるものだったという。
森法相はずっと蚊帳の外
「法務省では当初、懲戒処分を視野に調査が行われていました。懲戒処分の中でも免職に次いで重い『停職』とする選択肢も浮上したが、結局、懲戒の中では一番軽い『戒告』が相当だと判断。しかし、処分内容について水面下で官邸と協議した結果、懲戒処分ではなくなり、軽い訓告で決着したのです」(前出・司法担当記者)
 実際、官邸からは、懲戒処分について否定的な意見が聞こえてくる。
「自身も昔はよくマージャンを打っていたという杉田和博官房副長官は『懲戒処分なんてできるはずがない。業務外に個人の時間でやっていたんだから』と黒川氏をかばっていました。黒川氏は点ピン(1000点100円)で賭けていたとされていますが、杉田氏は『点ピンなら賭けにはならない』と豪語していた」(官邸担当記者)
 しかし、それで収まらなかったのが森法相だ。森氏は5月21日、法務省の調査結果や処分案とともに、自身の進退伺を巻紙に毛筆でしたため、安倍首相のもとへ持参した。
「実は森氏は、黒川氏への対処についてずっと蚊帳の外に置かれていた。黒川氏は17日に文春の取材を受けた後、その日のうちに辻裕教法務事務次官に報告していますが、それを辻氏は即座に稲田伸夫検事総長に伝える一方で、森氏には連絡していなかったのです。森氏が事態を把握したのは、辻氏が黒川氏への聞き取り調査を始めた19日のこと。報告が遅れた理由を問い詰める森氏に、辻氏は『具体的な内容が分からなかったので』と言い訳したそうです」(法務省関係者)
 そんな森氏は、安倍首相との面会で「訓告処分は軽すぎる。もっと重い処分にすべきだ」と主張したが、首相はそれを退けた。
「森氏も、辞表ではなく進退伺を持って行ったあたり、どこまでの覚悟を持って進言したのかは疑問です。実際、その後の囲みで、森氏は安倍首相から慰留されたことをわざわざ明かし、周囲から『パフォーマンスだ』と冷笑された。杉田氏は『昔はみんな賭けマージャンをやっていた。森さんはそんな男の世界を知らないんだろう』と突き放していました」(前出・官邸担当記者)
 この甘すぎる処分に世論は猛反発した。すると、安倍首相は5月22日の国会答弁で「検事総長が適切に行った」と強調。まるで、処分決定に官邸はタッチしていない――と言わんばかりの口ぶりなのだ。
 だが振り返れば、“官邸の守護神”として気脈を通じてきた黒川氏を出世させるため、官邸はたびたび検察人事に介入してきた。その挙句、違法な定年延長を繰り出し、それを後付けで正当化する特例規定を急遽くっつけた検察庁法改正案を国会で通そうとした。
「官邸が、本気で黒川氏を懲戒処分にしようと思えば、苦もなく実現した。敢えて軽い訓告処分にしたのは、功労者・黒川氏への温情に加えて『余人をもって代えがたい』として1月末に定年延長を閣議決定した黒川氏を懲戒処分にすれば、内閣自らの見識が問われかねないという理由もあったのでしょう」(政治部デスク)
 順風の時は「官邸主導」を振りかざし、逆風になると責任を官僚に押し付ける。こうした安倍政権の悪癖は、今に始まったことではない。
「新型コロナの対応をめぐっては、官邸は『PCR検査や薬の承認が進まないのは厚労省のせい』とことさらに発信。定年延長についても、安倍首相は『あれは法務省がもってきた人事』と、法務省のせいにしています。今回のマージャン問題も同様に、法務・検察側に責任を押しつけようとしているのです。官邸内では、稲田検事総長に責任を取らせるべきだという意見もあったほどです」(同前)
 そんな官邸の思惑を敏感に察知した検察内部からは、怒りの声があがっている。
「あいつら、本当にクソだ!」
 5月21日朝、複数の地元記者のオフレコ取材にこうぶちまけたのは、広島地検の幹部だ。広島地検は、河井案里参院議員の昨年の参院選挙をめぐって、夫の克行前法相に対する公選法違反の捜査のまっただ中だ。6月17日の国会閉会後の逮捕か、在宅起訴かが目下最大の焦点となっている。
「河井夫妻に対する捜査を後押ししているのは稲田氏。そのため、官邸が黒川問題で稲田氏の監督責任をチラつかせ、河井捜査にプレッシャーをかけているとして、警戒感が強まっているのです」(地元記者)
 この幹部のオフレコメモはこう続く。
「官邸は、検事総長まで、監督責任があるとか言って辞めさせたいみたいだな。だったら法務大臣も辞めるべきだし、そもそも検事長も検事総長も任命責任は内閣なんだから、安倍も菅も辞めるべきなんだよ!」
「どこまでも(捜査を)邪魔したいんだ。意地でも強制捜査はさせたくない、在宅起訴でやれってことなんだろうな。ふざけてる!」
 ますます浮き彫りになる、官邸と検察の溝。なぜ、ここまで事態は悪化してしまったのか。
「これまで安倍政権は盤石の体制で霞が関をグリップしてきました。しかし、ここへ来て、政権の屋台骨である今井尚哉首相秘書官と菅義偉官房長官との対立が先鋭化しており、ガバナンスが効かなくなっているのです」(官邸関係者)
菅氏周辺は「定年延長は総理室」
 検察庁法改正案をめぐっても、両者は水面下で激しくバトルを繰り広げた。
「改正案については、菅氏が森山裕国対委員長や林幹雄幹事長代理らと連携し、見送りまでの根回しやプロセスについても綿密にスケジュールを組み立てていた。5月17日には安倍首相から直接『全部、菅ちゃんに任せるよ』と一任を取り付けています。菅氏は週明けの18日に二階俊博幹事長と首相が面会し、党からの進言を受ける形で見送り方針を発表する絵を描いていた」(同前)
 しかし今井氏は、“党の意見を聞き入れる前に安倍首相がリーダーシップを発揮した”とアピールすべく、独自に動いていた。
「18日朝刊で、読売新聞が成立見送り方針を一面でスクープ、テレビ朝日も即座に後を追いますが、2社には今井氏に極めて近い記者がおり、いずれも今井リークとされています。菅氏は今井氏の動きを知らされておらず、読売報道で自分のシナリオが崩されたため、憮然としていた。政府方針を報道で知ることになった自民党国対の面々も、怒り心頭でした」(同前)
 その後さらに苛烈な、“リーク合戦”が始まった。
「今井氏が『安倍首相は黒川氏とは親しくない。黒川氏の定年延長にもまったく関心がなかった』と盛んに発信するようになったのです。黒川氏の違法な定年延長や悪評高まった検察庁法改正案を主導したのは、安倍首相ではなく、黒川氏を買っていた菅氏だと印象付けるためです。一方の菅氏サイドは、周辺議員が『定年延長は総理室がやったんだ』と、今井氏主導だと仄めかしています」(前出・官邸担当記者)
 今井氏と菅氏の、責任のなすり合い。両者の対立は、安倍首相と菅氏の関係にも深刻な影を落としている。
「これまでも、菅氏が今井氏を批判することはありましたが、安倍首相に対してはなかった。しかし、コロナ禍をきっかけに、今井氏ら官邸官僚に乗せられて失策を繰り返す安倍首相本人に対しても、菅氏が冷ややかな目を向けるようになっています」(菅氏周辺)
 女房役にも愛想を尽かされた安倍首相。検察庁法改正案を巡るゴタゴタについて、周囲にこう漏らした。
「もう嫌になった」
 投げやり発言の引き金となったのは、5月15日、検察OBが法務省に提出した、改正案に反対する意見書だったという。
「安倍首相は『(改正案は)やる必要はない。(次期検事総長が)黒川でも林でもどっちでもいいよ』と言い出した。法案について、当初は秋の臨時国会で成立を目指すと見られていましたが、安倍首相は『もうやめればいいじゃん。困るのは自治労と立憲だろ!』と吐き捨てていた。検察庁法改正案は、公務員の定年を引き上げる国家公務員法改正案と束ねて審議されており、自治労の支援を受ける立憲民主党としては、国家公務員法改正案は成立させたいのが本音。安倍首相は、こうなったら継続審議ではなく、法案まるごと廃案にして野党を困らせようと言うのです」(首相周辺)
 そんな崩壊寸前の安倍官邸を直撃したのが、黒川問題だったのだ。
 ここで、先週号では報じなかった新事実を明かしておきたい。
 時計の針を、5月1日まで巻き戻そう。黒川氏は午後7時半頃、隅田川のほとりにある産経A記者の自宅マンション前に姿を見せた。だが、実はこの直前まで、黒川氏は別のメディア関係者と会っていたという。
「その相手とは、新潮社の男性編集者X氏。40代前半で、検察情報にめっぽう強いとされる人物です。黒川氏とはしょっちゅう会っています」(新潮社関係者)
 じつはこのX氏、小誌が昨年5月2・9日号で〈木嶋佳苗 獄中結婚のお相手は「週刊新潮」デスクだった〉と報じた人物なのだ。
 X氏は当時、小誌の取材に「結婚したのは18年1月。彼女の記事を手掛けた後、死刑が確定するという流れがあって、取材者と被取材者の関係を超えて思いが募った」と答えていた。
「X氏は文春のこの記事が出た後、週刊新潮デスクから、オンラインメディア『デイリー新潮』担当に配置換えになりました」(前出・新潮社関係者)
 デイリー新潮といえば、黒川氏の賭けマージャン報道をめぐり、一本の記事を配信していた。小誌が17日に黒川氏への直撃取材を終え、記事をまさに準備していた5月19日の夕方にアップされた〈「検察庁法改正案」を安倍首相が諦めたホントの理由〉という記事だ。ここに永田町関係者談として、こんな証言が掲載されている。
〈“黒川さんは仲良しの記者と懇談をしていて、麻雀卓を囲んでいる”というような話が流れていました。普段なら、情報交換とか法務検察をどうしていくかという知見を得る手段として、むしろ評価されるとは思います。ただ、コロナ禍と法案でタイヘンなタイミングで間が悪いと言われても仕方ないかもしれません〉
 このような記述に続け、別の関係者談として、
〈緊急事態宣言下の5月1日にも、新聞記者ら3人と卓を囲んでいたようです。これを嗅ぎつけたメディアが黒川氏に、“記者とカケ麻雀をしていた?”と取材をかけたということです〉
 これがアップされたのは小誌が文春オンライン上で雑誌発売前日に速報を打ち、騒ぎになる前日だ。永田町や官邸周辺で徐々に噂が回り始めてはいたが、賭けマージャンの具体的日付や相手まで正確に知りうる人物は、数少なかった。
「じつはこの記事、X氏が手掛けたものなんです。X氏は『黒川さんのダメージを少しでも軽減させたい』と息巻いていた」(同前)
 だが、黒川氏はX氏にとってただの取材対象者ではない。というのも、X氏は確定死刑囚の配偶者であり、妻は東京拘置所に収容されている。所管するのは法務省であり、昨年まで黒川氏はそのトップ、法務事務次官に就いていた。さらにその後、黒川氏は東京高検検事長となっているが、法務大臣に「死刑執行上申書」を提出するのは当該の検事長または検事正と定められている。つまり、X氏にとって黒川氏は、妻の死刑執行に直に携わる、“利害関係者”なのだ。ゆえに、2人の関係性は重大な問題を孕む。元検事の落合洋司弁護士が指摘する。
「そもそも検察官が確定死刑囚の親族と、便宜供与を疑われかねないような深い関係性を築いていることが事実なら、公正性・中立性に疑念を持たれかねません。ましてや高検検事長は、通常では得がたい拘置所内部の情報を得られる立場です。それを考えれば、社会通念上、また国民感情や被害者遺族の心情に照らし合わせても、好ましい関係とは到底言えません」
 X氏に事実関係を聞くべく携帯を鳴らしたが、応答はなし。新潮社に書面で尋ねると、こう回答があった。
「記事内容や取材過程、部員のプライバシーについてはお答えしておりません」
 さて、先週号については、その情報源などを巡っても様々な説が飛び交っている。今一度、可能な範囲で経緯を明かしておこう。
 すべてが始まったのは異例の定年延長がなされた後の今年2月、小誌の情報提供サイト「文春リークス」に寄せられた一つの情報だった。
〈今、話題の黒川高検検事長は賭けマージャンをして遊んでます。相手は産経新聞の記者です〉
 即座に連絡を取り、対面したところ、情報提供者は自らの身分を明かした上で、こう証言した。
「産経関係者の間では、黒川氏が賭けマージャンをやっていることは知られていました。そのため、『もし自分が悪いことをしても、黒川氏のような人物にだけは調べられたくない』と思ったんです」
 ただ、この時点では、情報は断片的なものに過ぎなかった。産経の2人の記者と黒川氏が頻繁にマージャンをしているというものの、正確な日時、場所、4人目の面子が誰かも分かってはいなかった。小誌は、それから2カ月余、取材を続けた。その結果、場所はA記者のマンションであるとの情報を得て、その住所を割り出し、張り込みや取材を続けていたところ、5月1日夜の決定的瞬間に至ったのだ。もちろん、さらなる裏取りのための聞き込みや張り込みを続けたのは言うまでもない。
 記事を書くにあたって情報提供者を「産経新聞関係者」と書くことの了解も得ている。東京高検検事長が刑法に触れる罪を犯していることを報じるにあたっては、取材源秘匿の原則を守りつつ、読者に対して「情報がどういった筋からもたらされたのか」を可能な限り伝えることが必要だと判断した。
 今回の報道を受けて、監視すべき対象と馴れ合いの関係を築いていたとして、マスメディアへの不信感も高まっている。とくに、検察庁法改正案に反対の論陣を張ってきた朝日新聞には、読者からの抗議や解約電話が相次いでいる。都内販売店の店主が嘆息する。
「ウチの店には、黒川問題が報じられてから、解約が一挙に10件もありました。『黒川氏とズブズブな関係であることを伏せて、黒川氏の定年延長を批判していたのか』というお叱りの電話もある。ただでさえコロナで折り込みチラシが入らず、利益が出ない中で、相次ぐ解約は非常につらい。にもかかわらず、朝日販売局が販売店に送ってきたお詫びの文書には、当該の朝日社員がすでに編集部門を離れ、取材活動をしていないということばかりが強調されていた。まったく反省の色が見られません」
黒川氏が辞めて一件落着ではない
 実はこの元記者・C氏は、経営企画室というまさに社の中枢にいる人物である。朝日新聞に見解を求めると、書面でこう回答した。
「厳しいご意見をいただき、真摯に受け止めております。今後、社内調査の結果などを踏まえ、処分を含めて適切に対応いたします。なお、当該社員については管理職からも解いたうえ、人事部付としています」
 また前述の通り、黒川氏が通っていた雀荘の元店員らの証言から、A、B両記者は10年以上前から黒川氏と賭けマージャンを、かなりの頻度で共にしていた可能性が高いことも分かった。この点を産経新聞に尋ねると、書面でこう回答があった。
「2人の記者については、編集局付に異動させ記者活動を停止させています。調査結果が固まり次第、社内規定にのっとり厳正に対処してまいります」
 黒川問題を受け、毎日や朝日の世論調査では内閣支持率が20%台の“危険水域”に突入した。
「首相周辺は『一時的なもの。すぐに持ち直せる』『毎日の調査はブレやすい』などと強気ですが、官邸内では、緊急事態宣言が解除できた達成感はかき消され、動揺が広がっています」(前出・官邸関係者)
 支持率低下の直接的な引き金は黒川問題だったかもしれない。だが、真の原因は、国民の声を軽視し無理無法を通したあげく、失敗すると責任を官僚になすりつける安倍政権の本質が、見破られつつあることではないか。
 元検事総長の松尾邦弘氏が警鐘を鳴らす。
「黒川さんが辞職した今、最大の懸念は、問題の本質がウヤムヤにされてしまうことです。問題なのは、違法性が疑われる形で定年延長を強行し、時の政権による検察権への介入が起こったこと。これを決して繰り返してはなりません。黒川さんが辞めたから一件落着ではなく、今後政府がどのような方向でものを考えるのか、しっかり見守らなければならないと思います」
 任期満了まで1年余り。安倍首相は歴史法廷の被告としてどう評価されるのか、正念場を迎えている。
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 【質問】  敗戦直後,第三国人の悪逆非道があったというのは本当?
 【回答】  どうやら本当である模様.  以下は体験談.
 親父のガキの頃,男の大人が戦地から帰ってきてない敗戦当時、 第三国人の悪逆非道で地元民がかなり泣かされたそうな.  だが数年して大人達が戦地から帰ってくると状況は一変,  デカイ顔してた朝鮮人やシナ人は,血の気の多い元兵士達によって片っ端からぼこられて,勿論連中も人数集めて抵抗したけど,そいつらも目立つ奴からゲリラ戦っぽくやられて(実際死人が出たそうな),ついには,駅前に無断に立てられてた連中の建物に火をつけられ全焼.  犯人探しをするヤツは確実に闇討ちされて,とうとう地元から駆逐できたそうな.  だから,現在もうちの地元に朝鮮人の噂すらない.
生活板
 以下の証言は,もっと生々しい.
酸鼻をきわめる地獄絵図  その日〔1945/8/15���のうちに神戸は修羅場と変貌した.  敗戦の報に呆然自失する市民とは対照的に,これまで苛酷な労働で軍部から抑圧されてきた朝鮮人,中国人たちの一部は欣喜雀躍し,掠奪,報復の火蓋を切ったのである.  その日の午後7時.  徒党を組んだ一団は国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪.  これを皮切りに市内随所で襲撃略奪事件が起こり,一般市民の不安もたかまった.  終戦当時,国内には強制連行された〔原文ママ〕人を含めて朝鮮人,中国人は2百万人以上いたが,とくに兵庫に多く,昭和18年の時点でも13万5千人,全体の7%強を占め,大阪,東京に次ぐ3位という数であった.  終戦直後の神戸の闇市は,国鉄三宮駅高架下で1個5円の饅頭が中国人の手で売り出されたのが始まりといわれている.  1個5円といえば,当時の米1升の公定価格と同じ値段である.  だが,飢えた市民はこれを争って買った.  これをきっかけに彼らを主とする闇市が三宮,新開地,湊川,大正筋,長田など神戸市内に17ヵ所もひらかれ,20年10月には国鉄三宮駅の高架から神戸駅北東に至るまで,えんえん2kmにおよぶ日本一の長い闇市が生まれていた(神戸市『神戸市史』第3集).  闇市に出回った物資の大半は軍の隠匿物資といわれた.  そこにはなんでもあった.  1日わずか2合1勺(330g)の配給米さえ欠配するという深刻な食糧難で餓死者は続出し,市民はあらゆる物を金に替え,争って闇市で高い食糧を求めた.  当時,サラリーマンの月収は5,6百円.  これに対して闇値は公定価格の3,40倍で,翌年夏には150倍を超えるものもザラ(読売新聞社刊『神戸開港百年』)であり,『朝日年鑑』の昭和22年 版によれば,大阪の闇値は中程度でさえも白米一升(1.4kg)80円,麦40円,メリケン粉1貫目(3.75kg)240円,砂糖1斤 (600g)150円と記録されている.  彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ,徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩していた.  通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難癖をつけ,無線飲食をし,白昼の路上で見境なく集団で婦女子にいたずらする.  善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた.  こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた.  袖に腕章をつけ,半長靴をはき,純白の絹のマフラーを首に巻きつけ,肩で風を切って街をのし歩いた.  腰には拳銃をさげ,白い包帯を巻きつけた鉄パイプを引っさげた彼らの略奪,暴行には目にあまるものがあった.  〔略〕  さらにこれにくわえて一部の悪質な米兵の暴行も目にあまった.  戦時中,神戸市内には脇浜小学校はじめ6ヵ所の捕虜収容所があったが,解放されたその捕虜の一部は民家に侵入して拳銃をつきつけ,泣き叫ぶ婦女子を襲った.  白昼強盗も横行した.  9月25日,米軍第6軍33師団,1万7千人が神戸へ進駐してくると治安はさらに悪化し,制止にはいる警官は袋叩きにあう.  終戦直後の神戸は,まさに酸鼻をきわめる地獄絵図だった. 白昼横行する婦女暴行  彼らの暴虐を見聞きするごとに,わたしは怒りにふるえていた.  彼らを制止し,阻止する者は一人としていないのだ.  昭和20年8月末,わたしは所用の帰途,女の悲鳴を聞いた.  人通りも少ない東山病院の裏手である.  白熱の太陽がきなくさい焼け跡に照り付けていた.  一瞬,ぎくりと立ち止まり,悲鳴の上がる方角に走った.  途中で,4,5歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた. 「どないしたんや」 「おかあちゃんが,おかあちゃんが」  少女はわたしに泣きじゃくりながらしがみつく.  この世のものとは思えぬ女の悲鳴が聞こえ続けていた. 「ここにいるんやで,ええな」  わたしは少女をその場において一目散に走った.  少女の母親は木立のなかで数人の男に犯されていた.飛行服姿の男たちだった.  彼らは不適な薄ら笑いで女の手足を押さえつけ,一人がその上に乗っている.  女はひたすら絶叫していた. <――汚ねえ……>  うめくと,わたしは遮二無二彼らに突進していった.  得物を探す余裕はない.あるのは彼らへの憎悪だけだ.  彼らがはっと身構えたときわたしは一人の男を蹴り上げ,女の上に乗っていた男の襟がみをつかんで引き摺り下ろし,男の目の中に5本の指を突き刺していた.  17のときにおぼえたあの必殺技が,無意識に出ていたのだ.  バラケツどもを震撼させたこの必殺技は,あまりにも危険すぎてめったにはつかわなかったのだが,わたしは無我夢中でこの技をふるっていた.  男の両眼からポタポタと鮮血がしたたり,男は視力を失ってのたうちまわる.  つぎの一人も首を小脇にはさんで締め付けておいて,容赦なく指を突き立て,眼球を抉り出す. 「ぎゃーっ」  動物的な悲鳴をあげて,男の顔面はみるみる血だるまとなっていった.  残る男は恐怖に顔面を醜く歪ませ,拳銃も鉄パイプもその場に置き去りにしたまま夢中で逃げだしていた.  女はぼろきれのように仰向けになったまま放心していた. 「しっかりするんや,おい,わかるか」  抱き起こして揺り動かしても,うつろに瞳孔をひらいたまま,突然,けたたましい笑いをあげる.  山の手の,良家の人妻であろう,美貌であった.  引きちぎられたモンペと,哄笑が無惨であった. <――許せん.これはぜったいに許せんのや>  彼女の哄笑と,遠くからじっとこちらを凝視して立ちすくんでいる少女の姿を見たとき,わたしの血ははげしく燃えたぎっていた.  このままでいいのか.  いいはずはない.  彼らの報復をおそれてだれもやらんというならば,わたし一人でも連中のまえに立ちふさがってみせよう.  わたしには許せないのだ.やつらの悪虐非道〔原文ママ〕さが.  置き去りにしていった拳銃をわたしは懐にねじこんだ.  ずっしりと重い,その拳銃の感触が,闘志を奮い立たせた. 単身乗り込む  わたしは拳銃を懐に単身,神戸の闇市へと乗り出していった.  闇市は彼らの本拠である.  争うならば堂々と,土俵の真ん中で雌雄を決する.  それがわたしの主義だ.  彼らは常に集団を組んで行動する.  同士的結合が強く,仲間の一人がいさかいを起こすとどこからともなく,いっせいにとびだしてくる.  その本拠へ,あえていさかいを求めてわたしは乗り込んだ.  むろん命の保証はない.わたしは初めから命を投げ出しているのだ.  彼らを相手に,わたしは毎日,いさかいを起こして歩いた.  肩が触れた,と難癖をつけられても一歩も退かぬ. 〈わいが,わいが〉 という気持ちがある.  存分に蹴散らして,行く手をはばむ者は容赦しない.  日本人が彼らに痛めつけられていると,気持ちより先に体がぱっと飛び出していく.  1週間もたたぬうちに,わたしは当然,命をつけ狙われるようになっていた.  同時にわたしにも,かねて彼らの横暴に憤激していた連中が,一人,二人,三人と味方になって集まり,わたしを中心に結束しだしていた.  〔略〕
田岡一雄著『山口組三代目 田岡一雄自伝』(徳間書店,2006.10),p.147-152
 〔略〕  すでに警察は無力化し,神戸は死の街であった.  腕章をつけ,拳銃や鉄パイプで武装した男たちが我が物顔で横行し,略奪物資による闇市の拡張,あいつぐ一般市民への暴行事件に警察は弱弱しく目をそらす.  もはや神戸は,われわれの手で街を自衛しなければ,生命,財産さえ危ない極限状態に陥っていった.  わたしは吉川〔勇次〕をつれて,暴行脅迫されている同胞を彼らの手から救出して歩いてみたものの,それは焼け石に水だ.イタチごっこである.  そんな姑息な手段では,彼らを自省させることはできないことを,わたしは思い知った.  ゲリラ作戦では埒があかぬ.  まず拠点をつくって,ブルドーザーで一挙に駆逐することを考えたのだ.  少々荒療治だが,これも万やむをえない手段だ.  わたしがやらなければ,いったいだれがやるというのだ.  わたしの目は迷うことなく新開地に向いていた.  新開地は先代以来の縄張りである.  その新開地も彼らの土足に蹂躙され,白昼から堂々とデン助賭博がひらかれ,その数は百軒から百五十軒にも及んでいた.  彼らは通行人を強引に誘い込んで,イカサマと脅迫とで容赦なく金品をむしりとる.  さからえば丸裸にされて袋叩きにあう.  〔略〕  わたしはまず,新開地から彼らを締め出すことを決意した.  新開地を皮切りに,彼らの最大の拠点である三宮でまっこうから対決しようとしたのである.  一人,二人,三人……と,わたしの周囲に集まってくる気鋭の同士がわたしを奮い立たせ,わたしの背後にある市民たちの大きな声援が,わたしを決断させた.  警察も行為的に私たちを迎えてくれるようになっていた.  新開地へ乗り込んだわたしは彼らを蹴散らし,デン助賭博台をかたっぱしからぶちこわして歩いた.  すでにわたしの顔は,彼らの間に知れ渡っていた.  潮の引くようにわたしの行く手で人波がまっぷたつに割れる.  が,すぐに怒号と罵声をあげて,わっと彼らがなだれこもうとする.  それを睨(ね)めつけておいて,委細構わず賭博台をつぎつぎに蹴飛ばし,ぶちこわす.  彼らは足をすくませた.  わたしに寄り添って,吉川が手榴弾の安全弁を口にくわえたまま,油断なく彼らを牽制していた.  彼らがなだれこんでくれば,吉川はいつでも手榴弾を発火させ,投げつける構えだ.  わたしが賭博台をぶち壊しながら進むと,吉川も怠りなく彼らを睨みつけながら進み,不敵にわたしに無駄口を叩いていた. 「親分,死なばもろともや.親分と二人で地獄へ行くよりも,一人でも多くやつらを道連れにしてやれば,そのほうが冥途の旅もにぎやかでええわ.なァ,親分」 「ほんまや.それだけ神戸も住みよくなるというもんや.  ――ええか,きょうから新開地でのデン助賭博はこの田岡が許さん.わかったら失せろ!」  わたしの一喝に,彼らは復讐心に燃えた目を向けながらあとずさっていった.  〔略〕
同,p.160-162
 著者をして命を棄てるという覚悟をさせるほど,彼らの横暴が酷かった,ということを論証するため, また,その抗争の激しさを論証するため, あえて長めに引用した.  上記引用文章は,泣ける.
▼ ちなみに上記引用と同様の記述は,『興行界の顔役』(猪野健治著,ちくま文庫,2004.9.10),p.26-29にも見られる.  以下にその一部を引用する.
――――――  神戸市街は,昭和20年3月と6月の2度にわたるB-29の無差別爆撃で,主要劇場のことごとくが焼失したが,復興のテンポは,予想以上に早かった.  20年末には早くも三宮映画劇場,三宮映画館が再開され,21年に入ると相生座,元町映画館,阪急会館,日活キネマ,キネマクラブなどが相次いで営業を始めた.  当時,神戸市内には,山口組のほか中山組,大嶋組,本多会,五島組が戦前からの勢力として根を張り,尼崎に笠谷組,西宮に松本組,中村組があったが,それらを合計しても8団体,5百人に過ぎなかった.  それにひきかえ,在日外国人アウトローと新興グレン隊の跳梁は凄まじかった.  3日に一つグレン隊が生まれる――と言われたほどで,6,7人の小グループから,50人,60人単位の集団が,三宮・新開地をハイエナのように餌食を求めて徘徊していた.  たがいの眼と眼がからみあえば, 「おどりゃ,ガンつけやがったな」  たちまち喧嘩が始まり,血しぶきが飛んだ.  三宮のヤミ市には,ピストルの〝貸し屋〟まで出現した.  戦前からの伝統的な博徒,テキヤ組織は後方に押しやられ,系統のはっきりしないグレン隊が暴れまわっていた.  新開地はとくにひどく,グレン隊見本市の観さえあった.  劇場や映画館は,ひどいときは,3分の1近い座席を彼らが占拠した.  高級酒場やダンスホールの客は,ヤミ成金かグレン隊だった.  戦争中,日本の警察は中国人や台湾人,朝鮮人にひどい弾圧を加えた.  敗戦後,その報復に警察官が彼らから狙われた.  昭和21年2月には,生田署の岡政雄巡査部長が彼らの事務所に拉致され,殴る蹴るの暴行を加えられて死亡.  4月にも須磨署の佐藤進巡査が3人組の強盗にピストルで撃たれて死んだ.  米兵による暴力事件も頻発した.  神戸に進駐したのは米第6軍33師団,1万7千人だったが,酒に酔った若いGIがよくトラブルを起こしたのである.  そういうときも日本の警察は,手出しできなかった.  敗戦国の悲しさであった. ――――――
 同書はあとがきにもあるように,田岡一雄のほか,永田貞雄,林正之助など複数の人物のインタビューから書かれており,客観性の点でも比較的問題は少ないものと愚考する.▲
▼ 羽振りも良かったらしい.  以下は先代・林家正蔵の証言より.
――――――  あの,戦後にね,三国人がバカな儲け方をしたんで,みんな舶来の隆としたセビロを着ていたもんですよ. (終戦が8月だから,ちょうど儲かった暮れから春にかけて……)三つ揃いでね.  ちっとも似合わない!  普通の日本のインテリのひとがね,カァキ色の服を着たりね.  徳川夢声なんぞ,軍隊のドタ靴を履いていましたよ.……鋲だらけの. 「この靴が日本から消える自分には,生活は豊富になる!」 って,冗談をいっていたが,ほんとうにそうなったものね! ――――――『林家正蔵随談』(麻生芳伸編,青蛙房,1967.6.20),p.127
” - Surrender of Japan FAQ|軍事板常見問題&良レス回収機構 (via petapeta)
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jahlwl · 4 years
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この世界はオワオワリ Ⅸ
なんか昔から地球を喰いものにする愚かな人類を滅ぼす系の漫画とかあるよね、実際そうなってみるとやっぱぜーんぜん危機感が足りないんだよな、みんな平生の生活続けちゃってさ。違う星から来襲した宇宙人に征服を宣言されてるけど、地球人の大半は自分ごととして捉えられてなくゲームかなんかとしか思ってへんのやない? 
地球人は目覚めよ式の勇ましいこと言ったり逆に宇宙人への信奉を表明したりする輩はおるけどどうだってよくないかそんなこと、完全にどうだっていいわけじゃないけど優先順位は下だ、まずは現実的な危機を乗り越えることが先だろ、思想やポリシーだけじゃどうにもならねんだよなあ。
私はまあまあ危機感ある方だと思う、だって先祖は日本に植民されとるわけやしな。
宇宙人はまず数人の地球人を指定して1on1を通達した。なんらかの技術で、超能力のある人間だけを選別できるらしい。
地球側は軍事的に勝つことあたわず戦力に差があると見込んでいるから征服しにきたんだろうにわざわざトイメンで超能力使った殺し合いやるのは快楽主義者なんかね、その点だけ共感するよ。快楽主義は片手間にやるもんよ、マジメくさって快楽追求する、のは美学に反する。依存症とかで必死こいて快楽を求めるのはダメ。美しくない。
最初の2人くらいは死んだ。地球の方でもセレクトされた者どもの戦力を分析しているらしー、らしーというのは選ばれた超能力者全員を交えて会議したわけでなく、そういう方針になりましたと後から知らされたからだ。
超能力者でないやつらが超能力者を上手く「使える」枠組み、つくれんのかね? 
サイキックに属する人間が初戦2戦目に投じられたが宇宙人の超能力者(この言い方が適当かは微妙。だって常識を超えたスキルが超能力であって、それは地球基準の考えであり、宇宙人は誰でも使えるのだろうから、超をつける意義はないと思われる)に敗れた。
危惧したとおり。サイキックとESPの違いも知っていない連中に音頭を取らせるべきではなかったのだ、宇宙人側の力量を正確に測るノウハウが地球にない以上、序盤から最大戦力を投入して闇討ち不意打ちだまし討ちなんでもして僅かな勝つ見込みに賭ける方がよかったのだ。サイキックとESPの能力をかけあわせて戦略を練ったらまだ生存確率は上がっただろう。
相手の土俵で、きわめて官僚的な手続きでバカみたいにちょろちょろ1人ずつ戦わせるべきではなかった。
どうせ死ぬのは超能力者で99%の地球人は死なないので他人事なのかもしれない。っていうかそうだろう、1on1に出る順番はお上によって決められ、それぞれの日にちが近づくと連日新聞紙やテレビやネットでひとびとは盛り上がった。新聞が比較的マシな書き方はしているものの、超能力者は明らかに消費されていた。
攻撃面で優れているサイキックの野郎2人が死んだので、私は3人目の対戦者となったらしい。選別のなかに入っていたのは通知されて知っていたし能力に関するヒアリングもあれやこれやされたがその後特になーんもなかったから対戦で使えないと判断されたんだと思ってた。
RPGやマンガでは攻撃とサポート的な能力どちらも使えるような描写が多いが現実はそうでもないんだよな、自分は攻撃に直接使えるスキルが全くないただのESPだ。血統に関わる能力として霊媒があり、あと危険察知とか相手の分析をかなりショートカットして出来るとかあるけどどれもこれも補助向きで戦闘員適正なし。テレパシーですら受信感度は良いが送信はしんどい。
自発的に現実に介入する力が欠けているという性格がきれいに反映されてんじゃねーかという気すらする(カウンセラーはあなたが言うほど介入する力がないということはないよと言うものの)、実際はどうなのかしらんが。
私は烏丸三条をいっぽん下ったところから御幸町に入るまでのあたりを歩いていた、街は茶色っぽくなりイチョウは黄色になりひとびとの服装もえんじ色やマスタード色になっていた。季節は秋なのだろう。
後ろからくる人に気がついて振り返った、仲の良い友人グループの1人だった。今日は全員で集まってあそぶため河原町に向かっていて、たまたま乗っていたバスの時間が近かったので彼はちょっと先をいっていた私を見かけて近づいたのだろう。
一緒に歩いて待合せ場所のカフェまで行く。我々4人グループは京都市北区/京都市右京区/奈良/奈良という組合せなので自宅近辺よりは河原町周辺で集まることが多い。…ということは私はまだ大学生なのだ。
ものがなしい気分が襲ってきた。バスに乗る前、突如ビジョンが降りてきたから。1通の封筒を受け取って、あけるまえに全てを悟った。
「わたしついに死ぬみたいよ」
努めて明るく言ったつもり。カフェへの道中、何度も彼らと来た道、寺町や新京極の、古着屋や雑貨屋やごはん屋があふれている商店街方面に向かうときに。
親切な人にこれを伝えるのは非常に勇気が要った、他の誰に言うよりきついだろう、例えば親や姉に言うよりもこの瞬間よりつらいと感じることはないだろう。
「知っとるやろわたしがどーしょもないモン持ってるってこと、政府から封筒来ててさ、最近作られた施設に連れて行かれるらしい」
最初のサイキック2人が死んだから、対戦の駒となる超能力者を確保・監視するためにお上は施設を作ったのだ。字面では超能力研究をし地球の存続のためだのなんだの書かれていたが、危険察知のスキル持ちにどーして通用すると思ってんのかね?
収容され、自分の意思では出してもらえず、無能な指示系統に巻き込まれて死ぬであろう仕事に放りだされることが判っていた。友人は深く考えるときの顔して黙っていた。彼にこんな表情をさせたくはなかったのだ。
そしてカフェにいつメンが集まってまた私は同じ話をした、これまでと同じ、生存戦略のまるでない、丸投げされた状態で3人目の対戦者として駆り出され、戦闘向けの力をまるで持たない自分がおそらく死ぬということ。
友人たちは猟奇殺人の話を聞いたような、あるいはこの世のものとは思えぬSFを聞いたようなポカンとした表情をしたあと、首を少しかたむけて、やや私の顔をのぞきこむようなかたちになった。
ああ、私はこれらの顔を見たことがある、何度も…バイトでヘイトスピーチ(伊勢丹に入っているパン屋で、バイトを募集しているが中国人と韓国人は取るなと言われた、同僚上司は私が韓国人だと知らなかった。会社ぐるみでそうしろと決められているとのことだ)を目撃し闘ったとき、彼氏からモラルハラスメントを受けて反論を決意したとき、轢き逃げされやる気のない警察をよそに単独で犯人を特定したとき、結婚生活で死ぬほどつらいめにあって関西を出ると決めたとき、それから、それから…いくつもの個人的な闘争とそれらに伴う彼らの記憶がよみがえった。
彼らはいつも私の近くにいて心配してくれていた、またこの顔をさせてしまったと思った、しかし言わないで彼らのもとを去るという選択肢もなかった。希薄な家族関係で「兄」を欠落していた私にとって、彼らが飢えを満たしてくれていたので、彼らに言うのが一等つらくて彼らにだけは忘れてほしくなかったのだ。
さすがに今回は逆らわず収容されるつもりだ、私は地球規模のでかい組織に対抗するほどパワーのないただの大学生だから、ただ友人たちが私の人生をこれまでどおり見守ってくれているという事実に満足した。
どーでもいーのだ、地球の存亡なんて。超能力者の生死をハンター×ハンター考察するレベルでしか捉えずにネタにしてる連中のために本気になれるわけないだろ。
死ぬかもしれないのにいまいち燃えない理由がわかった。私は私のポリシーを守るための闘争と友人たちに対する執着のためだけに生きている。
この後私は開き直り、宇宙人をガソリンのみずたまりに突き落としてジッポで着火し大笑いしたことでpsychoな「女」の超能力者として人々に消費されつつ立ち回るのだが、それはまた別のおはなし。
元同居人が関西に帰るというので四ッ谷のマンションに戻った。現実的には彼は現在蒲田の方に移ったらしくこの部屋はがらんどうか別の人間が住んでいる。
私はこの部屋が好きだった。他人の思想のもとに暮らしていたからかもしれない。結婚生活だと自分と相手の要望をすりあわせる必要がこまごまと生じるが、居候の身で相手に合わせしかもその人が干渉しない人間だと案外身を投げ出してみた方が楽なのだ。調度品とか服とかのセンスも好きだった。ルームランプが可憐なのでこの人は意外と上品趣味なのだなと思っていたら後日「割とええとこの育ちをしているから野卑な音楽は好きではない」と言っていて何か合点がいった。
形式的に自分の忘れ物がないかどうか調査したが何もないに決まっている。段ボール3箱だけで来て出ていく当日新居にそれらを送った。置いていったものは、寄贈したものだけだ。
少しばかり話をして「どうして帰ることにしたの」と聞く手前でやめた、帰りたくなったから以外の理由はないだろう。素直に「いいなあ~~~~うらやましいわたしも帰りたいヨオ、でも3年は仕事がんばる決意しとんねン」と言った。元同居人はなんともいえない顔をしていて、のらりくらりとした回答のようなものをした。
私は、近いうちに自分が東京-京都の新幹線チケット(往復)を購入し乗車するであろうビジョンを得た。
道玄坂近くのマンションから外に出る。80年代に建てられたであろうそこは四ッ谷のマンションとも通ずる外観をしていて(元同居人曰く”ダダってる”)、ヨーロッパ風のエッセンスが入っているがファミリー向けという違いがある。
父方のいとこにあたる女性が結婚して東京の精神科医とここに住み、私はなぜだか彼女らを訪ねた。本当は20年以上目にしていない。彼女の親が私の母親をひどくいたぶったから家同士で金のトラブルが起こったときに関係は切れた。夢の中だからして幼少期の「東京でしか再放送していないウルトラマンタロウのビデオを送ってくれるおねえちゃん」のパートのみが強調されており、特段疑問に思わずいとこ夫妻に会った。
玄関ロビーに出ると知人男性が待っていた。あっついなか、夏向きの素材と色とはいえちゃんとジャケットを含めてスーツを着ている。
「あら…わざわざ迎えに来て待っていていただいたようですね、ありがとうございます」
時間を少し巻き戻そう、この人は仕事に関係ある人で、東京来てからフリーの編集者として精神科によく置いてある雑誌の制作に関わっている私が割とよく会って仕事するうちの一人だった。
仕事で会ううち飲みの席に連れていってもらえるようになり、さらに少人数の、彼と仲の良いひとびとのグループにもちょいちょいまぜてもらえるようになっていた。そのうちひとりの女の子が彼は不倫している、という話を聞かせてくれた。
また、仕事関係でいうなら〇〇さんと××さんが好みなのでうっかり好きにならないようにしているみたいな話も本人から聞いていたため自分は完全に安全圏だろうと流していたらある日突然不倫を打診された。
はぁ? 当然の疑問として、だいたいあなたが好きなのは〇〇さんとかではとたずねると突然そうしたくなったのだから、しょうがないと回答され呆れかえると同時にまあそうとしか答えようがないわなとも思う。  仕事を考慮し一旦流されとくことにした。 ナントカ博物館に行くという。
「ここから歩いてすぐだよ」
「? 道玄坂に博物館なんてありましたっけ」
「小規模なのがあるよ。千葉県の海の生き物を展示しているのがあってね」
千葉県の海には思い出がある。房総半島の東側を旅したから、あらためて勝浦周辺の海の生物の歴史生態をみてみたい。博物館行ってそのあと天ぷら食う、くらいならいいだろう。寝たくはないが。あとがめんどそうで。あるいは寝たくなるのかもしれないが、寝たけりゃ寝ればいいのだ。たいていの恋愛沙汰はやむにやまれぬ回転がなんとなしに始まって、無慈悲に速度が速まるだけ。決意して好きになる、なんてことあるのだろうか。
千葉県の海に思いを馳せつつ後の「処理」を考えていた。ふと、精神科の仕事をするのと東京へ移ったのとが、いとこ夫婦の人生をなぞってコピーしているようで寒気がした。自分の意思で決めたことなんてなにひとつなくて、得体のしれない大きなものに駒として動かされているような気分になったからだ。
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tak4hir0 · 5 years
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前回のエントリが『ユリ熊嵐』、前々回のエントリが『輪るピングドラム』ということで、このblogもすっかり幾原作品を語る場になった。このblogを始めたときには、そのような縛りをかけるつもりもなかったので、思いもよらなかったことだ。それはさておき、さあ、『さらざんまい』について語ろう。 『さらざんまい』の魅力は、記号的な表現や奇想な世界観、視聴者を惹きつける周到なプロットに、Twitterとアニメ放送の内容を連携させた試みと、枚挙に暇がない。だが、ここでは、これまでのエントリと同様、『さらざんまい』という作品のテーマに絞って、私なりの理解を整理しておきたい。本エントリは、ネタバレを多分に含むので、主に、『さらざんまい』の視聴を終えた人に向けたものである。 つながりと、欲望。 「未来は、欲望をつなぐものだけが手にできる。」 阿久津真武(第1話) 幾原監督が公言しているように、この作品のメインテーマは「つながり」であり、サブテーマは「欲望」である。それを踏まえつつ、作品の解釈に入る前に「現在がどのような時代であるか」という点に触れておきたい。これは、私が社会反映論を展開したいからという訳ではない。幾原監督が、作品づくりにおいて、とりわけ「時代性」を重視する作家であるためだ。 「この世界はいま再び試されようとしています。  つながっているのか。つながっていないのか。」 吾妻サラ(第10話) 現代は、つながりやすい時代と言われる。私達は、世界中に張り巡らされた巨大なネットワークを介して、誰とでもつながることができる。ゆえに、私達は、自身の周囲に広がる社会圏を飛躍的に拡大させることができる。一方で、コミュニケートする相手の数が増大することは、一人ひとりとのつながりが細く、脆くなる��とを意味する。ひとりの人間が��限の時間のなかで処理できる情報には限界があり、コミュニケートする相手の数が増えれば、一人あたりに割けるリソースは減るからだ。そのような状況においては、相手を理解するための情報や自分を理解してもらうための情報は断片化せざるを得ず、それゆえ、「相互に分かり合うこと」からは遠ざかっていく。その意味で、現代は、社会圏がまだ小さかった時代と較べると、つながりにくくなった時代とも言える。つまり、他者とつながれる機会を容易に得られるようになったが、他者とつながれる結果が容易には得られなくなった、ということだ。 つながりが極度に希薄化することは、自らの帰属や居場所が失われる危険性を孕んでいる。「私はいまここにいる」という実存への確信、すなわち自己承認は、他者を介した再帰的・反射的な承認として得られるからだ。つまり、私が「私はいまここにいる」ということを認めるためには、「あなたはいまここにいる」ということを認めてくれる相手を必要とする。そして、その相手に対して「あなたはいまここにいる」と私が認めることによって、私は「私はいまここにいる」ということを認められる。そのようにして、私達は、自分の存在を認めるために、相互に認めあえる他者を必要とする。すなわち、人間は、自らの存在証明のために、他者を欲望する。他者と「つながりたい」という欲望は、「私がいまここにいる」ことを確信するために必要なものであり、それを手放すことは、「いないのと同じ」に堕ちることを意味する。 「手放すな。欲望は君の命だ。」 『さらざんまい』キャッチフレーズ しかし、つながりが多様化することは、私達が自由な選択によって自らの帰属や居場所を変化させていけることを意味している。とりわけ、子供が大人に成長していくにあたっては、つながる相手を家族からその外側へと拡げること、あるいは新たな関係性へとつなぎ替えることは、たとえそれが個々のつながりを細くするとしても、自立のための第一歩として必要なこととも言える。 この物語は、14歳の少年達が、家族のつながりに起因する受難を乗り越えて、友情のつながりを手に入れる物語である。 希望と、絶望。 この物語は、カッパとカワウソの争闘に人間の少年達が巻き込まれる形で展開されている。カワウソは、人間から搾取した「欲望」を純化させ倍化させることによって、カパゾンビという獣を作り出し、人間界を滅ぼさんとする。これに対して、カッパは、そうした人間の「欲望」を人間界から弾き出すことによって、人間界を守らんとする。カワウソは、欲望の負の側面、すなわち絶望の化身であり、カッパは、欲望の正の側面、すなわち希望の化身である。カワウソが「概念」の具象に過ぎないことを踏まえれば、カッパとカワウソの闘争は、カッパ王国第1王子の半身たる、白ケッピと黒ケッピの葛藤と言い換えてもよいだろう。 この物語の前半部分では、カワウソ陣営の新星玲央と阿久津真武の2人の大人達が「カワウソイヤァ」の歌ともにカパゾンビを生み出し、カッパ陣営の矢逆一稀、陣内燕太、久慈悠の3人の少年達が「さらざんまい」の歌とともにそれを倒すパターンが繰り返される。「つながれなかった絶望」を大人達が体現し、「つながろうとする希望」を少年達が体現するこの構図は、なんとも象徴的だ。 欲望か、愛か。 ~真武と春河の対比~ 玲央と真武は、カパゾンビを生み出すバンクシーンで、「欲望か、愛か。」と問いかける。彼らにとって、あるいは、カワウソにとって、「欲望」に対置されるのは「愛」である。それでは、「欲望」と「愛」を分かつものは何であろうか。ヒントは、KURO KEPPI SYSTEMにある。第10話で真武を「欲望」と判定し、第6話で矢逆春河を「愛」と判定した、あの判定システムである。ここでは、真武と春河を対比しながら、本作における「欲望」と「愛」の差異に目を凝らしていきたい。 「傍にいられれば、それでいいと思っていた。  お前の心を取り戻せないなら。せめて。身勝手なこの欲望を満たしたい。」 「私の唯一無二の相棒、玲央、今までもこの先もずっとお前を愛している。」 阿久津真武(第10話) 「あれからカズちゃんは笑わなくなってミサンガも捨てちゃった。  全部僕のせいだって知ってたけど、  カズちゃんと一緒にいたくて、笑ってほしくて。  カズちゃんが僕のためにしてくれたこと。すっごく嬉しかった。  だからね。僕は諦めないよ。  カズちゃんは戻ってくる。また笑ってくれるって信じてるんだ。  ちょっと頑固なところがあるけど、  ゴールに向かって真っ直ぐ走っていけるカズちゃん。  ちょっと分かりづらいけど、  ホントはすごく優しくて、温かいこと、僕は知ってる。  カズちゃんの笑顔が見たいって、そう願ってるのは僕だけじゃない。  カズちゃんはまあるい"えん"の真ん中にいるんだよ。」 矢逆春河(第6話) 真武は、「玲央に愛の言葉を告げると、自らの心臓が爆発して死に至る」という秘密を抱えながらも、いつか玲央がまた以前のように笑いかけてくれることを願って、玲央と行動を共にしていた。しかし、真武が感情を殺して玲央に接するほど、玲央は「お前が偽物の真武だから、お前は俺を愛してくれないんだ」と傷ついていく。その状況についに耐えられなくなった玲央の姿を見て、真武は、自身の秘密を打ち明けることを決める。たとえ秘密を打ち明けることでこの命尽きたとしても、その刹那に自分が本物でいられることに賭けたのである。 春河は、「自分の脚の障害が、(血の繋がらない兄である)一稀の産みの母親を拒絶したことに端を発している」という秘密を抱えながらも、いつか一稀がまた以前のように笑ってくれることを願って、一稀と一緒に暮らしていた。しかし、春河がそのことを隠して一稀に接するほど、一稀は「僕が偽物の家族だから、皆は俺を責めてはくれないんだ」と傷ついてく。ある日、春河は、大好きな吾妻サラの握手会の場で、一稀が自分のために吾妻サラを演じてくれていたことを知る。そして、一稀に自身の秘密を打ち明けることを決める。たとえ秘密を打ち明けることで一稀を傷つけてしまうことがあったとしても、それによって一稀が本物の家族として戻ってくることに賭けたのである。 ここで両者に共通するのは、自ら望んで相手と一緒にいたこと、相手が以前のように笑ってくれることを願っていたこと、である。しかし、一緒に居続けるだけでは状況は変わらないし、願っているだけでは相手に伝わらない。この物語において、事態が動き出すのは、いつだって秘密が漏洩したときである。しかし、その秘密の漏洩によって、真武と春河、2人の運命は真逆の方向へと向かうこととなる。 両者の運命を分けることになった差異とは何か。それは、相手のまなざしが再び自分あるいは自分達の方へ向いてくれることを、そして、自らの語りかけに対して相手が再び呼応してくれることを、諦めていたか、諦めていなかったかである。すなわち、「欲望か、愛か。」という問いは、自分が相手に愛を伝えたその先に、相手が自分を愛してくれることを、「諦めたか、諦めていないか」という問いに還元される。 余談にはなるが、ここで、「真武の愛は偽物で、春河の愛は本物だった」とまで言い切ってしまうのは、心情的に気が引ける。もとをただせば、真武が諦めざるを得なかったのは、「玲央に愛の言葉を告げることが自らの死に直結している」というカワウソの呪いが不幸であったということに尽きるからだ。もうひとつ付け加えるならば、玲央と真武の関係が二人の間だけで閉じていたということもあるかもしれない。春河の願いを応援し、一稀の背中を押した燕太のような存在がいれば、そうした媒介者を通じて想いを伝えることが、あるいはできたかもしれないのだから。 現実においても、大人の方が、愛の言葉をスムーズに伝えることがなかなかできなかったり、人間関係がこじれたときに間を取り持ってくれるような理解者を得ることが難しかったり、といったことは多いだろう。真武を縛っていた過酷な状況は、そういった大人に嵌められた枷を暗示しているのかもしれない。 話を戻そう。この作品では、愛を伝えることそれ自体を、愛とは認めない。しかし、相互に愛し合う結果が得られたことのみを、愛と認める訳でもない。ここでは、むしろ、そうした結果を掴み取ろうとする意志の中に愛を見出し、これを積極的に評価している。すなわち、この作品では、多種多様な欲望のうち、相互に想いが通じ合った関係性に向かう欲望を、特別な1つとして「愛」と名付ける。 私には、この作品が「愛」をそのように定義したことに、優しさが込められているように感じられる。誰しも愛が成就する訳ではなく、むしろ愛に挫折することの方が多いこの残酷な世界において、それでも絶望に負けずに一縷の希望を信じるその心意気をこそ尊いと後押ししてくれる、そういった激励のこもった優しさを感じずにはいられない。 はじまりのつながり ~一稀と悠の対比~ 先述の通り、この物語は、14歳の少年達が、「家族」のつながりと向き合い���それがもたらす受難を克服する物語でもある。人が生まれ落ちたときに偶然かつ不可避的につながる"原始的な"つながり、それが「家族」である。かつて、『輪るピングドラム』で、幾原監督は、「家族」について「愛も罰も分け合う関係である」というメッセージを込めた。家族という関係を語るのは存外に難しい。家族は、「かけがえのない」存在である私に愛を与えてくれる最初の他者であるが、その一方で、私に「逃れられない」境遇として罰を与える他者にもなりうる。人は家族を選んで生まれることができないため、生まれながらにして謂れのない罰を受けることもあろう。 一稀と悠は、親に起因する不遇を背負いながら、兄弟のつながりを取り戻そうとする者達である。兄弟という関係は、家族関係の中でも特に難しく、疎ましさと好ましさが絡み合った複雑な関係のように思われる。ここでは、一稀と久慈悠を対比させながら、「家族」あるいは「兄弟」というつながりの、かけがえのなさ、逃れられなさを考える。 「これは僕だけの、僕と春カッパだけのつながりなんだ。  そのためなら僕は、いくらでも自分を偽ってやる。」 「僕は春河が嫌いだ。」 矢逆一稀(第1話, 第4話) 「俺は残されたつながりを守らなきゃいけない。だからサッカーを捨てる。」 「あんたが心底悪い奴でもどうでもいい。俺にとって兄さんは兄さんだから。」 久慈悠(第8話, 第9話) 一稀は、10歳の頃、祖父が死別したことをきっかけに、家族の中で自分だけが血の繋がりがないことを知ってしまう。そして、14歳になったある日、春河を交通事故に巻き込んでしまう。一稀は、そのことを責めてこない家族に対して、「僕が本当の家族じゃないからだ」との思いを強めていく。事故以来、一稀は、春河の脚に障害を負わせてしまったという罪の意識もあって、春河から距離を取るようになる。大好きだったサッカーを辞めて、自ら望んで孤立していくようになる。しかし、その一方で、春河とのつながりを諦めきれず、春河の好きな吾妻サラになりすますようになる。そうして春河を喜ばせることで、春河への罪を償おうとしたのだ。 悠は、10歳の頃、借金苦で両親が自殺したことにより、誓と2人で生きていくことを余儀なくされる。ある日、悠は、誓の命を狙う由利に運悪く遭遇してしまい、誓から盗んだ銃で由利を銃殺してしまう。その罪を被ってくれたのは、誓であった。この事件を機に、悠は「俺には兄さんしかいない」との思いを強めるようになる。そこには、自分のせいで道を踏み外させてしまったという罪の意識もあったのかもしれない。大好きだったサッカーを辞め、兄弟揃って孤立無援の道を歩み始める。14歳になったある日、裏稼業でヘマしたことをきっかけに、誓のもとを離れ、一稀達の学校に転校してくる。しかし、悠は誰ともつながらない。ただひたすらに、誓と再び一緒に暮らせる日を夢見て、乾燥大麻を売りさばいて金を稼ぐ。そうして誓に報いることで、誓とともに罪を背負おうとしたのだ。 「俺もお前も大して変わらない。  欲しいものを手に入れるためには何だってやる人間だ。」 久慈悠(第2話) ここで両者に共通するのは、彼らがそれぞれの秘密を抱えていること、法に背くことすら厭わないこと、兄弟とのつながりに執着していることである。だが、これらの、秘密、倫理観、つながりへの姿勢の3点について詳しく見ていくと、両者の間には差異が見られる。 まず、彼らが抱える秘密について。 一稀が抱える秘密は、春河に対して秘されるべき秘密である。この秘密は、一稀の春河に対するつながりを歪ませる。一方、悠が抱える秘密は、誓"以外"に対して秘されるべき秘密である。この秘密は、悠の誓に対するつながりを偏執させる。両者の差異は、つながりに対して「秘密」がもたらす功罪を指し示している。秘密は、共有する者達との間のつながりを強化するが、それと同時に、そこから外れた者達との間のつながりを弱化する。秘密が本質的に、それを共有する者達とそこから外れる者達との間に線を引くものである以上、この作用は避けられない。そして、秘された内容が重ければ重いほど、それは深刻になる。悠と誓の兄弟が、一稀に較べて、孤立無援をより深めていたのは、そういった違いに拠るところが大きい。この手の秘密は、呪縛として機能して、外部からの救済を妨げる。この呪縛が、後に2つの兄弟の運命を分けていくことになる。 次に、彼らの倫理観について。 一稀は、燕太や悠に対してそうであったように、周囲の気持ちや事情を察するようなところまで視野が行き届いておらず、どこか無神経なところがあった。それゆえ、ときに独善的な動機で、道義に反する行動に出てしまうこともあった。「このつながりを守らなきゃいけない。そのためなら、何だってする。」というセリフは、その危うい性格が端的に表れている。これは、彼がまだ14歳であることも理由のひとつかもしれないし、あるいは、本来的にそういう危うさをもった人間なのかもしれない。いずれにせよ、一稀は、単純に倫理観が未熟なキャラクターである。 一方、悠は、一稀や燕太に対してそうであったように、周囲の気持ちや事情を察する能力が誰よりも長けており、本来的には、倫理に背くようなタイプではないように思われる。実際、銃殺事件の前の悠は、粗暴な誓をどこか嫌悪していたことが見て取れる。そんな悠が、犯罪に手を染めるようになったのは、事件後、誓に同調するようになってからである。悠は、誓の反道徳的な思想を内面化したことによって、その身内の論理が社会の倫理を超えていく。「あんたが心底悪い奴でもどうでもいい。俺にとって兄さんは兄さんだから。」というセリフは、まさに身内の論理である。悠がそのようなスタンスを採ってしまうのは、彼がまだ14歳であることも理由のひとつかもしれない。しかし、それ以上に、「家族」という原始的なつながりにおいて、身内の論理が根強く、そこから逃れることが難しいといった事実を反映しているようにも感じられる。 最後に、兄弟とのつながりを取り戻そうとする姿勢について。 一稀は、偽物の吾妻サラを演じることで、春河とつながろうとした。しかし、これは、(少なくともこの段階では)相互に想いが通じ合った関係を志向するものではなく、それゆえ、上述した「愛」とは異なった何かである。一稀が求めたつながりは、春河が自分にコミュニケートできる道は閉ざしつつ、自分が春河にコミュニケートするできる道は残しておく、という手前勝手な欲望の産物だ。「僕は、僕を守るために春河を騙したんだ」という彼の叫びは、「春河を喜ばせるため」という独善の裏側に、春河を都合よく利用している自分がいることを自覚していた証左であろう。このような"利用"は、春河に対する一種の甘えであり、春河のことを「家族」だと思っていなければ難しいことのようにも思える。つながりを諦めているようで、つながりを諦めきれていない――そうした自己矛盾が、一稀の歪な姿勢によく表れている。 一方、悠は、誓とつながろうという意志を一貫して見せていた。しかし、誓の影響を受けている悠は、そもそもつながりを信じていないのではなかったか。誓の思想は、「この世界で生き残れないものは消えるしかない」という弱肉強食の思想であり、つながりによる相互承認を目指す生存戦略とは根本的に相容れない。仮に、強者であることこそが生き残る術であると確信するならば、悠のすべきことは、誓に追従することではなく、自らが強者として自立する途を模索することであったはずだ。しかし、悠は、誓を模倣したその生き方を徹底することはできなかった。つながりを信じていないようで、つながりを信じている――そうした自己矛盾が、悠の歪な姿勢によく表れている。 この物語において、彼ら兄弟の運命は同じ結末を迎えなかった。一稀は春河とのつながりを取り戻したが、悠は誓とのつながりを取り戻せなかった。しかし、これまで見てきたように、一稀と悠が試みたつながり方は、いずれもある種の歪みを内包していた。決して一稀のそれが正しかったという訳ではない。それでは、両者の運命を分けたのは何であったのだろうか。 最大の理由は、春河の一稀に対する姿勢と、誓の悠に対する姿勢の違いであろう。春河は無垢な少年であり、その純粋さも手伝って、一稀とのつながりを取り戻そうという姿勢を貫いていた。それがもたらした結末は、先に述べた通りである。一方で、誓はアウトローな青年であり、弱肉強食の世界に塗れていたがゆえに、悠の方を向ききれてはいなかった。誓もまた、悠と同じ自己矛盾を抱えていたからだ。悠に対して、「俺にもお前が必要だ。俺と一緒に来い。」と言ったのと同じ口で、「お前は戻ってもいいんだぞ。降りんなら今だ。」と言ってしまうほどに、彼は迷っていた。代替可能性の象徴とでもいうべき金の世界で外道として生きながらも、代替不可能な弟とのつながりを捨てきれない。これは誓の言わせれば「弱さ」なのだろう。しかし、それを分かっていてもなお、兄弟のつながりは、簡単には捨てられない。ここに「家族」という"原始的な"つながりの、かけがえのなさ、逃れにくさがあるのだろう。誓は、その「弱さ」によってではなく、自身のつながりに向き合えなかったという不器用さによって、命を落としてしまう。 春河がハッピーエンドを迎え、誓がデッドエンドを迎えたのは、「小学生の春河に残酷な結末を与えられない」という配慮に拠るところもあるだろう。しかし、翻って現実を見回してみると、子供よりも大人の方が、代替可能性の高い世界で生きるがゆえに、他者とつながりにくいということは往々にしてある。生きるために金を稼ぐことを強いられるこの世界では、つながりに割けるリソースは減るばかりである。そうした現状の象徴であり犠牲者が、誓として描かれていたのかもしれない。してみると、誓の不幸の発端は、両親が借金苦で自殺したこと、そのような両親のもとに生まれついたことであると言わざるを得ない。「家族」というつながりは、偶然かつ不可避的なしがらみであるため、こうした謂れなき罰に苦しめられることもある、という訳だ。 しかし、そうした観点から捉え直すと、誓が悠の未来に対して果たした役割が、実に大きいことが分かる。誓は、悠を迷いながらも自分から遠ざけたことによって、そして、果ては自らの死によって、家族という逃れがたい軛から、悠を解放した存在であると見ることもできるからだ。最終話において、何もかも失った"まっさら"な悠が「それがどうした!」と叫ぶ姿に、強烈なカタルシスを感じるのは、そういった理由によるところもあるのかもしれない。 この作品では、「家族」のポジティブな側面である「かけがえのなさ」よりも、ネガティブな側面である「逃れられなさ」の方が前面に出ていた印象が強い。それは、「家族」が、思春期を迎えた少年達の克服すべき壁として立ちはだかっていたためとも言える。一方で、春河とのつながりを取り戻した一稀が、その後の振る舞いにおいて、「絶対につながりを諦めない」、「切り離されたって、何度でもつないでやる」とまで言えるようになったのは、家族への信頼を取り戻したからこそとも言える。家族は、原始的なつながりであるがゆえに、少年がつながりの海の中を自らの意志で自由に泳ぎ回る際の拠り所=ホームとして、成長する少年の背中をそっと押す作用も持ち合わせているのだ。 つながりのおわり ~玲央と燕太の対比~ つながりは、永遠に持続するものとは限らない。先に述べたように、つながりは、他者と「あなたはいまここにいる」を交わすことによって成り立っている。それゆえ、その双方向の承認が崩れたとき、つながりは失われることとなる。 かつて、『ユリ熊嵐』において、人とクマが、異質性の壁を超えて、愛を獲得する物語が描かれた。他者が、自分とは異なる存在であり、分かり尽くすことができない存在であることは、自明である。『ユリ熊嵐』は、その自明な前提を踏まえた上で、それをどのように克服して、相互承認を手に入れるか、ということを描いた物語であった。一方、本作が焦点をあてるのは、その後の相互承認の非-永続性についてである。すなわち、一度つながれた相手に対してに、自明であったはずのその前提を見失ってしまうことがある、という問題だ。 ここでは、玲央と燕太を対比させながら、この問題について考えていこう。 「お前は俺の真武じゃない。」 「あんな人形はいらない。俺はこの皿で本物の真武を取り戻す。」 新星玲央(第10話) 「俺はそのままの一稀とつながっていたいんだ。」 陣内燕太(第10話) 玲央は、かつて、カッパ王国の臣下として、真武と共にケッピに仕えていた。しかし、カッパとカワウソの抗争の最中、真武は命を落としてしまう。真武は、カワウソによって二度目の生を得るが、その姿は以前の真武とはまるで別人のようであった。玲央は、真武の命をつなぎとめるべく、真武と共にカワウソ陣営に寝返り、行動を共にするようになる。だが、真武の変わり果てた姿を直視できない玲央は、"本物"の真武を取り戻すべく、どんな願いでも叶えることができる希望の皿を探し始める。 燕太は、かつて、サッカーチームにて、一稀とゴールデンコンビを結成していた。しかし、春河の交通事故をきっかけに、一稀はサッカーを辞めてしまう。一稀とのコンビを諦めきれない燕太は、その後も幾度となく一稀にアプローチを試みるも、なかなか上手くいかない。ときを同じくして、一稀と燕太の学校に、悠が転校してきて、ひょんなことから3人はカッパとして行動を共にするようになる。しかし、燕太は、自分よりも悠を気にかける一稀を目の当たりにして、嫉妬に駆られて、3人で集めた希望の皿を2人に内緒で隠してしまう。 両者の共通点は、言うまでもなく、かつてつながっていた相手とのつながりを取り戻そうとしていること、変わってしまった相手に翻弄されていること、であろう。しかし、変わってしまった相手との対峙の仕方において、両者は全く異なる姿勢を見せていた。 玲央は、変わってしまった真武を受け入れられず、"本物"の真武がここにいないことに苦しんでいた。玲央は、自分の記憶の中にいる、真武の"いつかの残像"に囚われており、目の前にいる真武を認めようとしなかった。目の前の真武に、その残像を重ねては、その当否に一喜一憂していただけだ。それは、いまここにいる真武に向けられたものではなかった。玲央の承認のベクトルは、真武を捉えない。玲央は、春河に対して、「涼しい顔して、今日もあいつは俺を裏切り続けてる。」と漏らす。真武が自分を愛してくれない真武であるなら、自分をそれを愛することはない、と"条件付きの"愛を携えて。 一方、燕太は、変わっていく一稀を懸命に受け入れようとし、それゆえ、一稀が自分の方を向かないことに苦しんでいた。燕太は、目の前にいる一稀がいま何を願っているかを感じ取り、それを自分の願いとして応援することを生き甲斐としてきた。しかし、燕太は、その一稀が、悠の願いを自分の願いとしていることを知り、それを一稀の願いとして受け入れることができないジレンマに陥る。けれども、燕太は、いまここにある現実の一稀から目を逸らすことはしない。妄想の世界で自分を慰めたり、嫉妬のあまり愚行に走ったりはするが、一稀を信じ続ける。他所の学校のサッカー少年たちに「裏切られたのに信じてるとか、惨めじゃね?」と言われても、「うるせえ、黙れ!」と一蹴する。一稀が自分を愛してくれない一稀であったとしても、自分が一稀を愛することは辞めない、と"無条件の"愛を発信し続ける。 この姿勢の違いは、2組のコンビの運命を大きく分かつこととなった。玲央は、真武の真実を見抜けなかった結果として真武を失うこととなった。一方、燕太は、悠を受け入れて、トリオとして一稀との新たなつながりを手に入れた。 玲央も燕太も、相手に見つけてもらうことで自分の生の実感を得たという原体験を有していたはずだ。してみると、つながることで自分が変われたのだから、相手も誰かとつながれば変わりうる存在である――ということは両者にとって当然理解されて然るべき理である。しかし、盲目的に相手を愛してしまうと、この当たり前の事実すら見失ってしまう。そうして、相互の対等な承認であったはずのものが、自分本位のものへと荒廃していき、「愛」であったはずのものが「欲望」に変質していく。玲央は、カワウソの思惑通り、この罠にハマってしまった。変わってしまった真武が玲央を裏切ったのではなく、変わりゆく真武を受け入れられなかった玲央こそが真武を裏切った。そう気づいたときには、もう手遅れだった。 もちろん、玲央は、カワウソによって陥れられた被害者であるので、同情の余地は十二分にある。「私は玲央が嫌いです」とカワウソに宣誓する真武を目の当たりにして、あの罠から逃れられたかというと、なかなか難しいだろう。しかし、真武と玲央のエピソードを、カワウソのせいで適わなかった悲劇としてだけ捉えるのは、拙速かもしれない。本編でも星の王子様が引用されていたように、これは「一番大切なものは 目には見えない」という教訓を意図した寓話でもあるからだ。 私達の社会においても、コミュニケーションにおいて相手の全てを見通すことは、そもそも原理的に不可能である。これは疑いようのない事実だ。私達にせいぜいできるのは、いまここに提示された相手の断片的な情報から、相手の人格の全体性を朧気ながらも見出す、といったことに過ぎない。しかし、私達は、その中で相互承認を結んでいかなくてはならない。そのためには、常に相手の中にある不可知な部分を許容する態度が必須となってくる。こと、相手を理解するための情報の断片化が進む現代においては、この態度の重要性がますます増しているように思える。いちばん大切なものは目には見えないからこそ、何度も相手を捉え直し、愛し直していく。これは、玲央と燕太の対比から得られる教訓の1つである。 つながりたいから さらざんまい これまで、それぞれのキャラクターを対比させながら、そこから見えてくるものを整理してきた。一方で、この物語は、皿三枚=三匹のカッパの物語であるから、当然ながら、二者関係ではなく、三者関係であることに重要な意義がある。 三者関係は、単に、二者関係に1人の主体を追加しただけのものではなく、二者関係には還元し尽くせない「社会」としての関係性を有する。これは、社会学や心理学、コミュニケーション理論やゲーム理論あたりでもよく知られていることである。この手の理論においては、追加された1人は、二者関係の安定的なつながりを乱す者として位置付けられることが多い。というのも、三者関係においては、常に、二者と一者という対立が生じうる緊張感があるためだ。二者関係であれば「私」と「あなた」は互いにかけがえのない相手であったはずのものが、三者関係になった途端、そのかけがえのなさは失われ、誰しもその「一者」の側になりうる可能性が生じる。すなわち、つながれないことへの不安が生じることになる。 しかし、この作品では、三者関係が、極めてポジティブに描かれている。鍵となるのは、その「一者」を担う、燕太であろう。燕太は、ともすれば、一稀や悠に比べてエピソードが薄く、彼らよりも一段落ちる脇役のような印象を抱かれがちである。しかし、そうではない。 少年達の物語は、10歳の頃に悠→一稀→燕太の順でサッカーを介して密かに結ばれていたつながりが、14歳になった彼らを救う物語である。彼らがそのつながりを再び取り戻せたのは、燕太の「つながりを諦めない」という信念が、その欲望が、彼らの切れかけたつながりを介して、燕太→一稀→悠の順で転移されていったからに他ならない。カワウソによって「初めからなかったことにできる」機会を手にした一稀や悠がタナトスに支配されたときに、それを食い止めた力は、燕太のそれである。つながりに対して底抜けにポジティブな意識を持つ燕太こそが、この物語のテーマを象徴するキャラクターであり、物語に大団円をもたらした張本人と言える。おそらく、幾原監督の過去の作品でもなかなか居なかったキャラクターではなかろうか。たとえ「一者」になっても、つながりを諦めない。かけがえのない関係が保証されないこの世界において、そのことにただ悲観的になるのではなく、むしろそれを「だからこそ自分の意志でつながりを掴み取っていけるのだ」と捉え治せる諦めの悪さ。それこそが、燕太の真骨頂である。 「俺は諦めが悪いから、何一つ手放すつもりはない。」 陣内燕太(第11話) 最終話において、つながれた3人の少年は、そこに未来の自分たちの姿を見た。それは真武がいうように、あくまでも可能性の1つなのだろう。この物語は運命論を採らない。未来は不確定であるがゆえに、希望への期待と、絶望への不安が綯い交ぜになるのだ。これからも彼らは、伝わらなかったり、報われなかったり、許されなかったりするだろうし、ときには、偽ったり、裏切ったり、奪ったりもするだろう。そうした行く末の不安を抱えながらも、それでもなお、他者とつながりたいという欲望をエンジンに進むだろう。"まっさら"な未来を、自らの選択によって切り拓きながら。そういう姿をネガティブでなく、ポジティブに描ききったこの作品に、欲望賛歌としての力強さを感じる。これは若者に向けたエールなのだろう。既に大人になった私にとっては、つながりへの挫折を経験した怜央と真武が、少年達を応援することを通して再び希望を手にできたことにも、感慨深いものがあったりする。 欲望を手放すな。このど真ん中ストレートなメッセージを、素直に受け取れるだけの説得力が、この作品には確かにあった。 「忘れないで。  喪失の痛みを抱えてもなお、欲望をつなぐものだけが未来を手にできる。」 吾妻サラ(第11話) このエントリのタイトルのStand by you.は、本作のEDの一節から。 一見すると命令文のようにも見えるこの一文。だが、Stand byの対象がyouであることから、そこにI willが隠れていることに気付かされる。 「あなた」を認めることで、「私」の存在が立ち現れる。(I will) Stand by you. これこそが愛を獲得するための第一歩であろう。総てのつながりは、そこから始まるのだから。
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ストラーラとディオレの対立に緘黙をつらぬいていたバルナバーシュは、心奥においてそのすべてが気に食わないでいた……。決戦の地へいたる苦楽の旅路の裏で、いくばくかでもあの少女と、少女の魂に巣食うありとある人々の無念が糸を引いていたこと。そして、ディオレ――いや、幸星の民が、自分たちとフェリクスらによる侵されたくはない戦いを、ある意味では目的完遂のために利用していたこと……。ルドとともに果たしてきた何もかもが、まるで瑞穂を刈るように、神々の遊戯の収穫としてみるみる奪われていくようだった。いましも展開された道理と正義は、理性が制する頭では分かっている。だが、やるせない心はやがて静かな怒りに変わって沸きたち、銀剣は瞋恚をうつして深い闇色に沈みながら、その刀身に複雑な層をなす魔術回路を青く脈動させた。彼はいま、わずかにうつむきながらも、ぎりと歯噛みし、フェリクスと同じ苛烈な視線をこの状況に向けていた。復讐、もだしがたい復讐心――元来、あまりに自責的であったがゆえに、ナナヤに裏切られても、また故国で無二の友、ウィローを殺され、乱世に翻弄され、愛する女性が絶望におちいってさえも、ついぞ興されはしなかった激情――そしてイクトルフの門で戦ったハインの言葉が、耳もとで囁くかによみがえる。「運命に刃向かうなら、その糸を繰る奴を倒すしかない」と。
幸星の民の約束について、ディオレがいま語っただけではない、さらなる秘匿がまだあるように思えた。だが問いただすいとまはない。破れた空のかなた、完全真空の冷たく暗い世界から流れ込む虚無の力は、さきほどの黄金と赤黒い大気のうねり――夢の化身と魔王が溶岩のごとく相争う、混沌とした力とは対極をなすかに見える。あの引き裂かれた空は、超常の扉〈イムド・エガト〉だという。イススィールのことばで、中間の門……つまりあれは天空と地上の境界、神々とヒトをつなぐ関門なのだ。夢の化身も、魔王も、そしてこの虚無も、はるかなる果てより来たりし意思に違いない。そしていま、分かるのはただひとつ、最後に望まれた闘争とは、超常の意思と我々の可能性をかけた大いなる戦いだということだ。
三人のフェレスの戦士は、それぞれの自我を武器に込めて、中天に浮いて立つストラーラと対峙する。神々しい後光のなかで少女の姿は肥大とともに変容し、綺羅をまとう正気を奪うほどに美しい乙女となり、乳酪色の両翼が生え、いっさいの面影をうしなった巨大な神像――女神の似姿へと進展を遂げた。大いなるものの霊気をほとばしらせながら、右手には神罰をくだす白き剣を、左手には永遠をことほぐ均衡の天秤をかかげ、神にまつろわぬ者らを絶対の帰順に縛するべくひらめかす。イムド・エガトより虚無はさらに広がりつづけ、アストラの天地もまた漆黒の深宇宙と同一化し、ストラーラが取り込みつづけたフェレスの欠片たちが神像の胸元より爆ぜて解き放たれると、那由多の星々となって散り飛び、彼らの頭上と足下に夢幻的な銀河を生み出した。
「バルナバーシュさん、これは……!」 「このビジョンはまぼろしではない。だが臆するな、ルド! 私たちに真の宿命があるとすれば、夢と現実の織りなす強大な混沌の波、さらには宇宙に根ざすこの無辺の虚無にも打ち勝ち――運命と可能性を、今を生きるヒトの手に取りもどすことだ。私たちは天上にまつろう奴隷ではない。虜囚でもない……たとえヒトもまた、虚無より生まれ、混沌の一部として生き、みずからもやがて虚無となって還る存在なのだとしても。夢を支えたミューヴィ・エレクトラ、魔王の使徒グッドマン・レイ、そして女神ユテァリーテ……彼らの伝説は、私たち自身でもあった。そしてストラーラもまた――彼女はいま、ヒトの心を切り捨てている。ゆえに、戦うんだ。私たちこそが彼女から失われた心の化身となって���ともにはるかなる果てへ至るために!」
フェリクスとの決闘で多くを知り抜いたバルナバーシュは思う。もしあの時、フェリクスではなく自分が敗北していたなら、己れの無念に飽和したフェレスは咆哮し、アストラをあの赤黒い空ではなく夢に酔う黄金の色彩で満たして、欲望が爛熟して混じりあった極光が滅びをもたらしていたのだろうと。ルドに命を守られていなければ、心を喪失していたのは自分であったかもしれない。
胸元に熱い昂ぶりを感じて、フェレス――懐中時計を取り出すと、青白い光に激しく脈打っており、何かに導かれるままにバルナバーシュはそれを虚無の宇宙へとかかげた。ディオレもまた、光を放つ世界樹のメダルを突き出し、二すじの光線がフェレスの銀河へ飛翔して隕石のごとくぶつかった。天上のフェレスもまた、ひとりひとりの燃ゆる心であり、星々は七つのパワースポットを巡る彼らの思い出を受けて奮い立つと、永遠無限の光を降りそそぐ流星群と変えて地上へと返した。すべての過去から未来へと連なる尋常ではない力が、バルナバーシュとディオレに――さらにはルドの胸奥にも送り込まれ、イススィールの力に躍動する!
ディオレが七色の石から鏃を研いだかがやく矢をつがえ、虚構の偶像を狙い定めて言った。
「かれらは世界に生まれつくのではない。世界を作り出さねばならないのだ。地上に新たな歴史がはじまるとき、アストラにいたるすべての戦いは序曲としてみな忘れさられるだろう……かつて閉じられて灰と帰した、まことのイススィールのように。しかしかならず、あとに続いてゆくものがある。その希望を守ってみせる――それが私の願いだ!」
矢を放つよりまえに、神像が揺らぐ天秤を持ち上げ、新たなるダーマを告げる荘厳な鐘の音を星々に轟かせた。西へ大きく傾いた天秤より、神の法を犯す者たちへの昏き怒りが邪悪な影の大群をなし、重くせりあがる津波のごとく三人へ押し寄せてくる。ディオレはこの時を待って、限界まで引き絞った弓弦を解き放った。瞬間、すさまじい光を放ちながら矢は飛び、群れの中心に呑み込まれるや、ありとあらゆるまばゆい色を放って影たちを一人残らず消し飛ばした。
だがその衝撃に風が猛り、突如として降りそそいだ雨が咽ぶ。とどめがたい情を映した闇沙漠のそれとは異質の、凶々しくもうつろに暴る豪雨にうたれるなか、見る間に暗雲が宇宙に立ちこめ、フェレスの星々を隠して、足元には荒廃した大地が、遠空には苦悶にのたうつ巨獣となって荒れ狂う紫黒色の嵐が広がった。だがルドは負けじと濡れる顔を上げ、神像の閑かな異相を見据えてさけぶ。
「僕は、ストラーラ、君が願った永遠とそれを願ったわけを、なかったことになんかしたくない……でも、そのためにこそ今は戦わなきゃいけない。思い出してほしいんだ。ずっと拾い集めてきたたくさんのフェレスの欠片に、いつか埋もれて、縛られて、忘れかけてしまった君自身の心、そして終わりの解放を。希望を示すという君がこれまでしてきた救いを、今度は僕たちが君に与えてみせる!」
神の像の右腕がもたげられる。ひとふりのとほうもない、白い炎をまとったネメシスの剣が雲と何万もの次元を切り裂き、力を吸い取りながら打ち下ろされ、生命が死に絶えていく音とともに三人へ刃が落ちかかってくる。その所業への悲憤にかられたルドが、残された左腕に銀空剣を握りしめ、走りつつ、銀のかけらをふりこぼしながら、果敢にも打ち返すべくその刀身を振るった。少年の絶叫とともに割れた胸甲から青白い光が放たれる! 神とヒト――差は歴然と思われたルドの一撃は、限界を超えたポテンシャルをありたけのせて何十倍とある質量の女神の剣を大きく撥ねとばし、さらには宇宙から奪われたエネルギーの多くを刃を通じて取りもどして、銀空剣をふりまわすと、神に切り裂かれて凍てついた次元のあるべきところへまき散らしながら返すことができた。多元世界のよみがえる気配に、銀空剣に宿る精霊と魂たちが歓喜の楽音をひびかせる。
切り裂かれた雲より脈打つ光が神像を照らしながら、その背後で今もってふくれあがる暗雲が、内部より雷電に明滅し、幾千の稲光を奔らせた。女神の号令で無数の次元から呼び集められた雷精ユンデルスのしもべらが、神の意思の伝い手となって遥か上空を駆けめぐっているのだ。そのすべてが女神の頭上で縒りあわさり、一本の長大な雷槍へと変じるのが見え、バルナバーシュは危惧を押し殺しながら銀剣アルドゥールの切っ先を差し上げる。心を内に向け、奥深くに眠る闇――みずからの来歴を越えてヒトの血に連綿と継がれゆく暗部と淀みに、己れの個性をも沈めてひとつと交わりあった。そして喉もとに得体の知れぬ虫のさざめきがこみあげ、かたちをなし、古くいまわしい呪文となってつぶやかれたとき、銀剣から黒い霧が不定形の生物のように身を広げて噴出し、巨大な魔法の楯となってはだかった。だが、多勢からなる稲妻をひとりでは防ぎきれぬとかれは悟った――黄金に爆ぜる槍が飛来する!
「おぉッ……!」
剛槍が眼前に迫ったその時、決死にうなる男の声がした。バルナバーシュではない――見澄ますと、長斧から紫電をほとばしらせながら槍をふせぐフェリクスの姿があった。ルベライトの三つ目を見開き、歯を食いしばり、旅路で幾度となく振るわれた雷の技で黒い霧の楯とともに雷槍の勢いを殺し、ついにこれを槍先からまっぷたつに断ち切った。フェリクスもまた、フェレスから強大な力を受けて駆けつけ、神にあらがう気概に溢れているようだった。
「フェリクス!」 「貴殿は力量をわきまえろ。何度も言わせるな! ……このふざけた偶像こそが我々の運命をいたぶる元凶だというなら、引導を渡さねばならんな。それも、ヒトの手によってだ。だからいまは力を貸してやる。ともに闘おう」 「ついそこで愛した女の前でめそめそと泣いていた男がなにを偉そうに。だが、いいだろう。破壊者たるを目指した者の因子もまた、私たちの世には必要だ」
二人の魔術師は双肩となり、ふたたび女神の頭上に集った雷精たちの剛槍を見やった。槍は一本ではなく八本が並び――ひとしなみにそそいで四人を塵に変えるかに思われた。二人はルドとディオレを守るように立ちはだかり、フェリクスがやにわに振り向いて何かを差し出した。
「ルド、これを君の胸の中へ入れろ!――私たちの力になることが彼女の最後の願いだ」
それはカゲロウを閉じこめた琥珀――イブのフェレスだった。ルドは剣を地に置いて受け取ると、刹那の迷いのあと、意を決して割れた胸甲の奥に押し込んだ。自らの心臓部近くに触れると、鼓動の高まりとともに全身に熱が走り、血たる燃料が沸騰するかのようだった。その時、八条の貫く稲妻が彼らに襲いかかる!
バルナバーシュとフェリクスは、ともに青い魔術回路を波打たせながら銀剣と魔斧をかかげ、持てるすべての魔力を賭して半球状の堅牢な障壁を生みだした。雷槍の八本のうち半数が半透明の青白い切子面の壁に激突し、凄烈な威力と圧倒をもってひびいらせるなか、二人の魔術師は身を焦がし、激痛に顔を歪め、体の節々から血を流しながらも、強靭な意志でもって触媒を突き出しつつ立ち尽くした。稲妻はがむしゃらに地を揺るがし、うねりあがってくつがえる岩々のあいだを浄化の炎が焼き払う。黒煙のなかで、障壁は持ちこたえていた。だが神像から発せられる絶対の波動が、彼らの身魂を刻一刻とむしばみ、魔術師たちはいよいよ瀕死にまで追い詰められつつあった。あえぎながら、バルナバーシュが肩越しに振りかえる。
「ルド、君がやるんだ。君が私たち――ハイン、フェリクス、ナナヤ、ディオレ、イブ、この私――そしてストラーラの願いをも叶えるはずだ。行け! 私たちを超えて……!」
この言葉にルドは戸惑った。七人の願い――その来歴と重み、かけがえのない思い出の全容――が心にのしかかり、左手に握りこんだ銀空剣は目覚めながら静かにうなりをあげる。だがルドは、ついに道を決してうなずき、そのかたわらでディオレが片膝をついて手を組み合わせると、澄みわたる湖水のような声音で祈りの句を織りはじめた。
「闇沙漠に眠れる死者たちを常しえに慰めつづける、天使のはらから、聖なるアクレッツたちよ……今こそ彼らを光へ導く弔いのとき。いざ集え、かの者の背に。飛ぶ鳥の翼となりて運命の使者たらしめたまえ!」
ディオレの世界樹のメダルがひときわ大きくかがやき、白い光の粒子が放たれる。その力はディオレが葬送者たらんと思いを馳せる、闇沙漠に散らばる砂のなみだを源にし、ルドの背に送られると、生物とも機械ともつかぬ――また双方の交わりとも見える未知の銀翼をなした。つかのまの飛行能力、はるかなる果てに属する奇跡だったが、宿命を果たすためにはわずかなれど充分な可能性だった。胸奥にともにあるイブのフェレスが赤熱し、ルドはとぶように地を蹴った。魔術師たちの障壁を踊りこえ、神罰に燃えさかる宇宙を翔け、隻腕に持つ銀空剣クァルルスを、神像の胸へと差し向ける――暴風をまとう刀身がたけび、雷鳴と嵐は晴れ、雲間から目もくらむ薄明の光芒が差し入った。まばゆく照りかえす切っ先が、女神の心臓へ突き入れられる!
(そして、天は許す。神々のうつせみたるあなたたちの戦い、そして愛を)
ルドの眼前で、神像が微笑んだように見えた。だが、それもまぼろしにすぎなかったかもしれない――無音、そして震撼、爆発的膨張が、神像を中心にかれらとイススィール、さらにイススィールをとりまく多元宇宙を跡形もなく吹き飛ばし、遠大な虚無の光のなかへつつみこんだ。ありとある肉体と精神、存在と時空のことごとくは意味や価値をもたない粒子の群れと散り、運命の糸がとぎれた一瞬のでたらめな宇宙の全方位へと飛翔していった。ときにぶつかり、ときに打ち消し合い、またあたらしい惑星を生みながら……それは完全なる死、真実の死、業と宿命のまっとうの果てにひとつのしるべ無き不死にピリオドを打ち、そのくびきの夜が終わる悲しみと、夜明けへのわずかばかりの希望……名もなき力の奔流がめぐり、行き来し、たがいを引き寄せて、偶然たる必然のパワーバランスがしたたかな草木のようにからみあいながらひとりでに成長していく。
諸世界のるつぼのなかで、かすかなルーツが導きのように呼びかけていた。世紀の網を、全存在が泳ぎ抜けていく。突き刺す吹雪が痛みをもたらし、やがて夜とも朝ともつかぬ始原の海に万有が流れつくと、海はあろうとする者たちの鳴動に暗く荒れ、マナの幹と枝葉がまたたく間に生い繁って、海淵に深く根を張り、天空を樹冠で覆いながら、果てしない一本の木を生み出していった。それはあらゆる事象の象徴、超越をもたらすもの、秘め隠されながら、多元宇宙を支える完璧な超自然の御柱だった。海は宇宙のはじまりから涯へと永遠に回帰していた。つねに時空のどこかにこだまをかえし、希望の歌を響かせる約束の場所として。しかし、この新たな宇宙はいまもって灰のなかにあった……鮮烈な終焉の痕に残された、虚無の灰の沈黙のなかに。
ルド、バルナバーシュ、ディオレ、フェリクスの四人の魂もまた、再誕の海を索然とたゆとい、新たな自己存在が、新たなロジックのなかで組成されていくのを感じながら、思いとはなにか、信念とは、感情とはなにかをみずからに問うた。それらはヒトがいだくに値するのか。なにもかも無価値であり、我々はいまこのときも、神々や、さらにその上方にある絶対的な存在のあやつり人形にすぎず、この努力もむなしく、永遠に運命は、ヒトが手にすることのかなわないものではないのか。この戦いは、ヒトの歴史は、世界は……あらゆる闘争は、均衡の天秤の意思のもとで永劫に繰り返されるのではないか。この旅路の先になにかがあると信じて進むことに、いったいなんの意味があるのだろう。いや、意味などないのだ。継承という名を冠する、呪われし道には。
だが、それでも、とバルナバーシュが思ったとき、自身がふいに実体をもって波の打ち寄せる岸辺に立ち、灰色の虚無の世界のむこうに、三つの仄白い人影がおぼろに浮かんでいるのに気付いた。ひとりは神秘的な女性、ひとりは甲冑姿の屈強な戦士の男性、もうひとりは機械とおぼしき未来的な鎧に身をつつむ男性に見える。自分のとなりにはルドが立っていて、彼もまた懊悩と期待がないまざる複雑なまなざしをもって影に見入っているようだった。
女性が進み出ると、影は――ロマルフ城で邂逅した、ミューヴィ・エレクトラの姿をとる。だがストラーラの生みだした過去の幻影とも思われない、確かな実像を持っており、希望を担うかすかな旭光を放ち、彼女は語りかけてきた。
「私たちはもうガイドしない。絶望の時代は終わるでしょう。再び世界が闇に迷うとき、あなた達のフェレスが、新しい『エターナルデザイアー』として人々の希望となるでしょう」
屈強な戦士が続いて歩み出る。廟塔のビジョンで出会ったレイ一族の末裔――グッドマンだった。豪放に笑い、覇気を張らせてにっと歯を見せる。破壊をあらわす赤黒いオーラは、いっぽうでヒトの血そのものでもあり、いまは親しみと郷愁を二人に想起させるものだった。
「夢は誰かにかなえてもらうモンじゃあねぇ。目の前の一つ一つの障害を乗り越えてそこに達することが、そいつにとって本当に目的を果たしたことになるンだ。挫折したってかまわねぇ。目指した過程は残って、未来へ踏み出す糧になっていくだろう。ンで近づいていくンだよ。そいつが本当に求めるモンにな」
そして最後に、未来的な鎧の男があらわとなる。機械人らしき頬当てに隠されながら、左眼に細長い傷が縦に走り、骨ばっていかつい人間の顔をもつ見知らぬ男だった。不動の星の光を胸元に灯し、佇立して威風堂々と男は声を発した。
「お前たちはわずかなれど『はるかなる果て』を見た。神の次元、奇跡ともいえる力を。それは抗いうる、達しえぬものではない……奇跡のパワー、それはあらゆる想像を実現する。想像できることに実現できぬモノなどないのだ」
そうして三人の姿と輪郭は、より遠い次元へ立ち去っていくように全ての色がゆったりと溶け合うなかへ消えていき、代わるように今度は、白き剣を佩いた一人の青年が現れた。魔法使いの旅装に身を包んで悠然とある姿は、イススィールの冒険のすえにエターナルデザイアーを見いだした伝説の人物――先駆者たるクレスオール、その人だった。
「私は、ヒトをこの次元に導くことが、最たる幸福だと信じていた。だがここはあまりにも完全で、ゆらぎない。他人の都合でつれてこられるような場所ではないんだ……ヒトはこれからも争うだろう。新しいものを生み出していくだろう。ヒトはまだ至らないが、しかしいつか"気付く"。それは犠牲かもしれない。栄光かもしれない。かけがえのない過程の果てに、『はるかなる果て』はある。君たちの戦いは伝説となり、後世に語り継がれていくだろう。それはヒトに勇気や希望を与え、彼らを高め導いていく。私たちは待っているよ。人々が"気付き"、『はるかなる果て』にたどりつく日を」
彼のかたわらには光輪をいただく女性がついていた。女性は誰も知らない者――しかし誰もが知る原始的な故郷を匂わせており、隠秘的で、ユテァリーテにもどこか似ていたが……この者は天上の神のひとりではなく、太古より我々にもたらされてそなわる感覚と記憶そのものであり、ヒトの心のより深部にあの大樹さながらに根ざして、遍在する時空をかえがたい絆の架け橋につなぎ、世界を統べているイマージュの化身なのかもしれない。バルナバーシュはそう幽かながらに思った。論理や人知の枠組みをはるかに凌駕した次元への憧憬、あるいは茫洋として、とりとめのない信仰のように。このような理解しがたい想像自体が、みずからのどこから来たのかさえも、なにひとつ確かではなかった。彼女は微笑んで、若い芽吹きを思わせる唇が、「私もまた、あなたたちを待っている」とだけ言葉をかたどった。そうして消えていく。世界をへめぐり、そのディテールと思い出を目の奥に秘めながら生きた、魔法使いクレスオールとともに。
「君たちが胸に抱き、旅の支えとなった偉大な夢は、イススィールを去る時に叶えられるだろう。フェレスに誓って約束する――」
灰だけがただよう虚無の世界にとてつもない重力がはたらいた。勇気、栄光、正義、希望、聡明、博愛���犠牲――そして混沌の芽ばえが星辰を結んで太古のエネルギーを分かち、虹色に波打つ大気を生んで、宇宙の無辺へと広がっていく。時空を駆ける波を追うように、七と一からなるあらゆる色彩はよみがえり、記憶は覚まされ、ながれこむ膨大な知識と五感によって存在の証が打ち立てられた地上が、まだ終わる時ではないのだと、ルドたちをとらえ、すさまじい勢いで引き寄せていく。急激に遠ざかるイムド・エガトに、ルドとバルナバーシュはあらん限りに手を伸ばすも、扉は小さくなり、見る間に閉じられていく――。同時に二人の意識もまた、次元を大きく越境する力とそこに感じとった無窮の安堵に満たされて、眠るように薄く遠のいていった。
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kininaru-text · 7 years
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セックスワークについて
寺子屋ゼミで「セックスワーク」についてゼミ生から質問を受けた。 「話すと長い話になるから」ということでその場はご容赦願ったのであるが、橋下発言をめぐって「セックスワーク」についての原理的な確認をしておきたいと思って、筐底から旧稿を引き出してきた。 2003年に『岩波応用倫理学講義』(金井淑子編、岩波書店)に書いたものである。 そこでは社会学者たちの「売春擁護論」に疑問を呈した。 同じ疑問を私は今回の橋下発言をめぐる賛否のコメントについても感じている。
セックスワーク-「セックスというお仕事」と自己決定権 はじめに 最初に正直に申し上げるが、私自身は、セックスワークについて専門的に考究したこともないし、ぜひとも具申したいような個人的意見があるわけでもない。ときどき、それに関する文章を読むが、数頁(場合によっては数行)読んだだけで気持ちが沈んできて、本を閉じてしまう。 困ったものではあるが、私を蝕むこの疲労感は、必ずしも個人的なものとは思われない。 私の見るところ、この問題については、どなたの言っていることにも「一理」ある。 ただし、「一理しかない」。 異論と折り合い、より広範囲な同意の場を形成できそうな対話的な語法で自説を展開している方にはこの論争の場ではまずお目にかかることができない。 みんなだいたい「喧嘩腰」である。 経験が私に教えるのは、この種の論争では、みなさんそれぞれにもっともな言い分があり、そこに最終的解決や弁証法的止揚などを試みても益するところがないということである。 私は以下でセックスワークについて管見の及んだ限りの理説のいくつかをご紹介し、その条理について比較考量するが、そこから得られる結論は「常識」の域を一歩も出ないものになることをあらかじめお知らせしておきたい。
1・ 「セックスワーク」という言葉は価値中立的な語ではなく、それ自体明確な主張を伴った術語である(と思う。違うかもしれない)。 この言葉が日本のメディアで認知されたのは、おそらくは『セックスワーク』というタイトルの売春従事者たちの証言を集めた本が93年に刊行されて以後のことだろう。 この本には売春婦の権利のための国際委員会(ICPR International Committee for Prostitutes' Rights)憲章と世界娼婦会議(1986年)の声明草案が収録されている。セックスワーク論の基本的な考想を知るため、私たちはまず彼女たちの主張から聞いてゆきたいと思う。「憲章」は次の文言から始まる。
「個人の決断の結果としての成人による売春を全面的に非処罰化せよ。」( F・デラコステ他編、『セックスワーク』、山中登美子他訳、現代書館、1993年、386頁)   以下に続くその基幹的な主張は、 (1)「大部分の女性は経済的な依存状態にあるか、絶望的な状態にある。」 それは女性には教育と雇用の機会が不足しており、下級職以外の職業選択を構造的に閉ざされていることによる。 (2)「女性には十分な教育を受け、雇用の機会を得、売春を含むあらゆる職業で、正当な報酬と敬意が払われる権利がある。」  (3)「性に関する自己決定権には、相手(複数の場合も)や行為、目的(妊娠、快楽、経済的利益など)、自分自身の性に関する条件を決定する女性の権利が含まれる。」 以上の三つにまとめられるだろう。 その他に「強制売春・強姦の禁止」「未成年者の保護」「性的マイノリティへの差別の廃止」などもうたわれているが、それらの主張に異論を申し立てる人はまずいないだろうから、議論がありうるとすれば、この三項にかかわると予想して大過ないはずである。 ここに掲げた三項は(1)が「女性差別」をめぐる一般的状況の記述、(2)が「売春する権利」にかかわる要求、(3)が「性に関する自己決定権」の範囲について規定したものである。それぞれの含む条理について、以下で計量的な吟味を試みてみたいと思う。   2. 世界娼婦会議の主張について、私たちがまず見ておかなければならないことは、それが伝統的なフェミニズムの父権制批判とかなり齟齬するということである。 私たちになじみ深い伝統的な廃娼運動は次のような考え方をする。 女性が性を商品化しなければならないのは、男性がすべての価値を独占し、商品価値のあるもの(権力、財貨、教育、情報など)を所有することを女性に構造的に禁じているからである。女性は父権制社会においては、本質的に「性以外に売るものを持たない」プロレタリアートの地位に貶められている。売春婦はその中にあって、もっとも疎外された「抑圧のシンボル」である。それゆえ、喫緊の政治的課題は、売春婦たちをその奴隷的境涯から救出し、売春制度そのものを廃絶することである。 例えば、サラ・ウィンターはこの立場を代表して、次のように書いている。
「男性は、女性の体を性的利用目的のために売買する必要性と、その権利すらあることを正当化するために周到な試みをしてきた。これは売春を職業と婉曲に表現することで、ある程度は成功した。女性のおかれた不平等な立場や、売春婦にならざるをえないような前提条件などは都合よく無視して、低賃金、未熟練、単純労働に代わる、楽しめて実利的な仕事として、女性は売春をやりたがっているのだ、という神話を男性は喧伝し広めてきたのだ。(・・・)フェミニストとして私たちは、経済的従属状態や、強制された性的服従状態(私たちはこれを強姦と定義してきた)を批判し、廃するだけではなく、性的虐待および不平等な商取引である売春制度を批判し、廃していかなければならないと決意している。」(同書、322-4頁)
だが、ウィンターの威勢の良いフェミニスト的廃娼論と世界娼婦会議の主張の間には、乗り越えがたい懸隔が存在する。 ご覧の通り、世界娼婦会議に結集した売春婦たちは、彼女たちの「生業」であり「正業」である売春制度の廃絶ではなく、存続を要求しているからである。 彼女たちが求めているのは、「女性抑圧のシンボル」として扱われることではなく、労働者として認知されることである。この点で売春婦たちはフェミニストと正面から対立してしまう。 「フェミニストが売春を正当な労働と認め、かつ売春婦を働く女性として認めるのをためらい、あるいは拒絶しているために、大多数の売春婦は自分をフェミニストとは考えていない」と「憲章」は記している。  (同書、390頁) この対立について、フェミニストの主張と売春婦たちの主張を読み比べると、私は売春婦たちの訴えの方に説得力と切実さを感じてしまう。以下にその理由を述べる。
ウィンターはこの短い引用の中で二つのことを述べている。 一つは、父権制社会においてはすべての女性が男性への経済的な従属を強いられ、性を商品化することを強制されている、という父権制批判。 いま一つは、売春制度は男性の女性支配の最悪の形態である、とする売春制度批判である。 それぞれを一つずつ読めば、どこにも矛盾はないように思われる。 だが、二つを読み合わせると不整合があることに私たちは気づく。 というのは、売春婦を「より多く抑圧されている女」として「犠牲者化」することは、売春婦と一般女性のあいだにとりあえず「抑圧の程度差による序列化」を導入することに合意することだからあるが、この序列化には理論的な根拠がないのである。 売春婦を「穢れた女」、一般女性を「清らかな女」に区分する差別化はもちろんフェミニストの採るところではない。となると、売春婦が「より多く」抑圧されており、一般女性たちが「より少なく抑圧されている」という「差別」を可能にする理由は一つしかない。 それは、非売春婦たちの方が、売春婦たちよりも、「ロマンティック・ラブ」や「偕老同穴」や「貞操観念」などの近代家族幻想の延命に貢献しているという事実である。 例えば、主婦たちは、男性に性的に奉仕し、その自己複製欲望に応えて子を産み、家事労働によってその権力独占活動を支援し、父権制の延命に深くコミットしているがゆえに、この社会においては売春婦よりは「より少なく抑圧されている」ことになる。 だが、フェミニストの立場からするならば、「娼婦と比べて『高待遇』の終身雇用制となっていると思われる」  妻たちは、父権制の無自覚な共犯者に他ならない。この妻たちを、をその「経済的従属状態」と「強制された性的服従状態」(ウィンターによれば、これは「強姦」である)から「解放」する戦いもまた喫緊の政治的課題だということにはならないのだろうか。 父権制批判の立場からするならば、「主婦の解放」を「売春婦の解放」より「先送り」にする理由はない。 現に、「主婦こそは恥ずべき性的奴隷である」という指摘はすでに大正の与謝野晶子の時代からなさされてきた。菅野聡美は与謝野の立場をこう祖述している。
「与謝野晶子は『良妻賢母の実質』は『結婚の基礎であるべき恋愛を全く排斥して顧みない物質的結婚に由つて妻と呼ばれ、唯だ良人たる男子に隷属してその性欲に奉仕する妾婦となり、併せてその衣食住の日用を弁ずる台所婦人を兼ねることが謂はゆる我が国の良妻』だと言う。そして『男子に依頼して専ら家庭に徒食する婦人を奴隷の一種とし、たとへ育児と台所の雑用とに勤勉な婦人であつても、猶なにがしかの職業的能力の欠けた婦人は時代遅れの婦人として愧ぢる習慣を作りたい』と述べている。」 (菅野聡美、「快楽と生殖のはざまで揺れるセックスワーク-大正期日本を手がかりに」、田崎英明編著、『売る身体/買う身体-セックスワーク論の射程』、青弓社、1997年、120頁)
まことに明快な理路である。そして、この論を是とし、「男子の財力をあてに」する生き方をする女性はすべて「男子の奴隷」であり、そのような生き方は否定されるべきものであるとするならば、そこから導出される結論は、父権制社会のすべての性制度の同時的廃絶であって、売春制度の選択的廃絶ではない。 ウィンターと与謝野晶子に共通する「女性=性的奴隷」論は「総論」としては文句なく正しい。 しかし、その理論に基づいて、「各論」的課題として、廃娼運動を進めようとすると、なぜ売春婦が主婦に先んじて「解放」されなければならないのかを言わねばならない。そして、そのときにもし、売春婦が主婦よりも「貧しく」「教養に欠け」「穢れた仕事に従事している」という事実をその優先性の根拠とするならば、それは「金」と「教養」と「処女性」に高い値札をつける父権制の価値観の少なくとも一部には同意したということを意味している。 父権制批判から廃娼運動を導出しうることは、常識的にはほとんど自明のことであるけれど、なお論理的架橋が困難である理由はそこにある。 私たちは父権制批判を徹底させようと思えば、廃娼運動を唱導することは断念しなければならないし、廃娼運動を優先しようと望むなら父権制批判をトーンダウンさせなければならない。 このゼロサム構造ゆえに、ラディカルな父権制批判の立場を採る論者は、ほとんど構造的に売春容認の立場を選ばざるを得ないし、売春婦を「苦界」から救出しようとするものはドミナントな性イデオロギーにある程度まで譲歩せざるを得ない。 個人的好悪とかかわりなく、論理の経済がそれを要求するのである。
3・ 論理の経済に繋縛されている「不自由な知識人たち」に比べると、「現場」の諸君はもう少しでたらめであり、自由であるように私には見える。 売春婦たちにとってみれば、極端な話、理論的整合性なんかどうでもよいからである。彼女たちは別に知的威信を賭けて語っているわけではないし、論理的に破綻があろうとなかろうと、言いたいことは一つしかない。 それは「人権を守れ」ということに尽くされる。 彼女たちは、売春婦が「すべての女性と同じように」父権制社会において不公平な扱いを受けていることについては同意するが、「他の女性より多く」差別されているという考え方には同意しない。だから、売春制度の即時廃絶にも同意しない。 彼女たちが求めているのは、「看護婦やタイピストやライターや医者などと同じように」(あるいは「妻たち」と同じように)、性的技能者として、安全と自由を保証された社会的環境の中で売春を業とする「労働する権利」である。 話の筋目を通すことより、もっと緊急なことがある。それは現実に行われている人権侵害を止めることだ。このセックスワーク論の基幹的主張には十分な説得力があると私も思う。 現に売春婦の過半は貧困な家庭や劣悪な社会環境に育ち、十分な社会的訓練や教育を受けておらず、現在も客による暴力、管理者による収奪、警官による暴行の被害にさらされている。 例えば、売春婦は裁判に訴えても、客に不払い代金を払わせることはできない。 「彼女は犯罪行為は行っていないが、売春は法が禁じているのだから、代金請求の根拠となる売春契約は違法で、公序良俗に反する契約として無効と判断される」からである。(角田由紀子、「解説」、デラコステ、前掲書、421頁) 売春婦が相手の男性のサディスティックな行為に恐怖を抱き、相手のナイフを取り上げて刺殺した87年の池袋買春男性殺人事件でも、司法は売春婦に正当防衛を認めなかった。
「地裁判決は、『見知らぬ男性の待つホテルの一室に単身赴く以上、・・・相当な危険が伴うことは十分予測し得るところである・・・いわば自ら招いた危難と言えなくもない』とし、高裁判決は『売春婦と一般婦女子との間では性的自由の度合いが異なる』と断定する。ホテトル嬢のような仕事であれば、どんな客がいるか分からない。それを仕事としている以上、性的自由の侵害への抵抗は正当防衛として認められにくいというのである。」(若尾典子、『闇の中の女の身体』、学陽書房、1997年、213頁)
しかし、例えばタクシードライバーは、「見知らぬ人間」と「個室」に閉じこもり、人気のない場所へでも「単身赴く」以上、「相当な危険が伴うことは十分予測し得る」職業であるが、運転手が強盗に遭った場合に「自ら招いた危難と言えなくもない」というようなことを口にする裁判官は存在しないであろう。 これらの事例には、売春婦に他の職業人と同じ人権を認めたくない、とするイデオロギー的なバイアスが透けて見える。一般市民においては確保されている諸権利が売春婦には認められない。この無権利状態、無保護状態においてなお売春を生業とせざるを得ない女性たちに向かって、それに代わる生業の可能性を提示することなく、「犯罪だから止めろ」「抑圧されている仕事だから止めろ」「穢れた仕事だから止めろ」と言うことはむずかしいだろう。 しかし、ここで知識人たちの多くは、「売春婦たちの人権を尊重すべきで」あるという主張にうなずくだけでは済まされず、売春を正規の労働として認知し、「売春は正しい」と主張するところにまで踏み込もうとする。私はここに「無理」があると思う。 知識人のピットフォールは「自分が同意することは『正しいこと』でなければならない」という思い込みにある。「理論的に正しくないことでも、実践的には容認する」という市井の人の生活感覚との乖離はここに生じる。 例えば、岩波書店の「女性学事典」の「セックスワーカー」の次のような説明は、知識人の困惑をよく表している。
「一般的にセックスワーカーという概念は自己決定に基づく売春の擁護に用いられることが多い。すなわち、売春を自由意志に基づくもの(自由売春)とそうではないもの(強制売春)とに分けて、前者の売春を行っている人たちをセックスワーカーと呼び、これらの人びとの売春する権利を認めるべきだとするような議論である。しかし、売春者の権利主張の力点は、このような自己決定や自由意志に基づく売春の肯定という点にではなく、売春者の自己決定権の尊重という点にあると考えられる。 買春は男の本能である、性犯罪を防止するためにはセックス産業は必要であるなどと見なされ、社会自体が売春する女性たちを必要としている。すなわち、売春は社会的に必要とされ、源に労働として行われているのである。にもかかわらず、道徳的にも法的にも許されない行為と見なされ続け、売春を行う女性たちは差別され、さまざまな権利を奪われている。そのような差別に対する抵抗が、このことばには込められている。」 (浅野千恵、「セックスワーカー」、井上輝子他編、『岩波女性学事典』、岩波書店、2003年、304頁)   意味の分かりやすい文章とはとても言えない。 それは「売春者の権利主張の力点は、このような自己決定や自由意志に基づく売春の肯定という点にではなく、売春者の自己決定権の尊重という点にあると考えられる」というセンテンスの意味が取りにくいからである。 この文が言おうとしているのは、「売春を原理的に肯定すること」ということと「現に売春をしている人間の人権を擁護すること」は水準の違う問題だから別々に扱えばよいということである(そう書けばいいのに)。 「原理の問題」と「現実の問題」は別々に扱う方がいい。 たしかに仕事はそれだけふえて面倒になるが、それは「現実と折り合うためのコスト」として引き受けるほかない。 例えば、「囚人の人権を守る」ということは「犯罪を肯定する」こととは水準の違う問題である。囚人が快適な衣食住の生活環境を保証されることを要求する人は、別にその犯罪行為が免罪されるべきだと主張しているわけではない。人権は人権、犯罪は犯罪である。 それと同じように、「売春は犯罪だが、売春婦の人権は適切に擁護されねばならない」という立論はありうると私は思っている。 しかし、多くの知識人はこういうねじれた話を好まない。まことに不思議なことだが、政治家や学者のような、社会的影響力を持つ人ほど「話を簡単にしたがる」のである。彼らは「売春は犯罪だから、売春婦に一般市民と同等の人権は認められない」という硬直した法治主義の立場に立つか、「売春婦の人権は擁護されねばならない。だから、売春は合法化されるべきである」という硬直した人権主義の立場に立つか、どちらかを選びたがる。 しかし、現実が複雑なときに、むりにこれを単純化してみせることに、いったい何の意味があるだろう。
4・ 上野千鶴子は小倉千加子との対談で、売春は女性にとって貴重な自己決定機会であるという議論を展開している。
「小倉:そしたら上野さんは、援助交際する女の子の気持ちも分かりませんか? 上野:わからないことはない。ただではやらせないという点で立派な自己決定だと思います。しかも個人的に交渉能力を持っていて、第三者の管理がないわけだから。(・・・) 援交を実際にやっていた女の子の話を聞いたことがあるんですが、みごとな発言をしていました。男から金をとるのはなぜか。『金を払ってない間は、私はあなたのものではないよ』ということをはっきりさせるためだ、と。(・・・)『私はあなたの所有物でない』ことを思い知らせるために金を取るんだ、と彼女は言うんです。」 (上野千鶴子、小倉千加子、『ザ・フェミニズム』、筑摩書房、2002年、231頁)
上野は知識人であるから「政治的に正しいこと」を言うことを義務だと感じている。だから、ここで上野は売春を単に「容認する」にとどまらず、それが端的な「父権制批判」の「みごとな」実践であることをほめ称えることになる。 自分が容認するものである以上、それは「政治的に正しい」ものでなければならない。それは上野の意思というより、上野が採用した「論理の経済」の要請するところである。 たしかに売春こそ父権制批判の冒険的実践の一部であるとみなすならば、フェミニスト廃娼論をとらえたピットフォールは回避できる。しかし、「政治的な正しさ」を求めるあまり上野は売春をあまりに「単純な」フレームの中に閉じ込めてしまってはいないか。 ここのわずか数行で上野が売春について用いているキーワードをそのまま書き出すとその「単純さ」の理由が分かる。 「自己決定」「交渉能力」「第三者」「管理」「金」「金」「所有物」「金」。 これが上野の用いたキーワードである。 ご覧の通り、ここで上野はビジネスターム「だけ」を使って売春を論じている。 上野にとって、売春はとりあえず「金」の問題なのである。「金」と「商品」の交換に際して、「売り手」が「買い手」や「問屋」に収奪されなければ、それは父権制的収奪構造への「みごとな」批判的実践となるだろう。 たしかに話はすっきりしてはいる。だが、すっきり「しすぎて」はいないだろうか。 ここでは売春について私たちが考慮しなければならない面倒な問題が看過されている。 それは「身体」の問題である。 売春する人間の「身体」はここでは単なる「商品」とみなされている。だが、身体を換金商品とみなし、そこから最大のベネフィットを引き出すのが賢明な生き方であるとするのは、私たちの時代における「ドミナントなイデオロギー」であり、上野が批判している当の父権制を基礎づけているものであることを忘れてもらっては困る。 私たちの時代においてさしあたり支配的な身体観は「身体は脳の欲望を実現するための道具である」というものである。 耳たぶや唇や舌にピアス穴を開けるのも、肌に針でタトゥーを入れるのも、見ず知らずの人間の性器を体内に迎え入れるのも、身体的には不快な経験のはずである。そのような行為が「快感」としてあるいは「政治的に正しい」実践として感知されるのは、脳がそう感じるように命じているからである。身体が先鋭な美意識やラディカルな政治的立場の表象として、あるいは「金」と交換できる商品として利用できると脳が思っているからである。 「金」をほしがるのは脳である。当たり前のことだが、身体は「金」を求めない。 身体が求めるのはもっとフィジカルなものである。やさしい手で触れられること、響きのよい言葉で語りかけられること、静かに休息すること、美味しいものを食べること、肌触りのよい服を着ること・・・身体は「金」とも「政治的正しさ」とも関係のない水準でそういう望みをひかえめに告げる。だが、脳はたいていの場合それを無視して、「金」や「政治」や「権力」や「情報」や「威信」を優先的に配慮する。 私は脳による身体のこのような中枢的な支配を「身体の政治的使用」と呼んでいる。 上野が援交少女において「自己決定」と名づけて賞賛しているのは、この少女の脳がその身体を、彼女の政治的意見を記号的に表象し、経済的欲望を実現する手段として、独占的排他的に使用している事況である。 少女はたしかにおのれの性的身体の独占使用権を「男たち」から奪還しただろう。しかし、それは身体に配慮し、そこから発信される微弱な身体信号に耳を傾け、自分の身体がほんとうに欲していることは何かを聴き取るためではなく、身体を「中間搾取ぬきで」100%利己的に搾取するためである。収奪者が代わっただけで、身体が脳に道具的に利用されているというあり方には何の変化も起こっていない。 セックスワーク論は売春の現場においては、売春婦の生身の身体を具体的でフィジカルな暴力からどうやって保護するかという緊急の課題に応えるべく語りだされたもののはずなのだが、それを「売春は正しい」という理説に接合しようとすると、とたんに「生身の身体」は「道具」の水準に貶められる。 「金を払っていないあいだはあなたのものではないよ」と宣言することは、「金をはらっているあいだはあなたのものだ」ということに他ならない。だが、それは世界娼婦会議の売春婦たちが望んでいる、「金をはらっているあいだも、はらっていないあいだも」、売春が違法であろうと合法であろうと、人間の身体に対しては無条件にそれに固有の尊厳を認められるべきだという考え方とはずいぶん狙っているところが違うような気がする。
5・ 身体を道具視した視座からのセックスワーク論は、上野に限らず、身体を政治的な権力の相克の場とみなすフーコー・クローンの知識人に共通のものだ。 次の事例はその適例である。売春容認の立場を鮮明にしている宮台真司のインタビューに対して、東大生にして売春婦でもある女性は売春の「効用」を次のように熱く語っている。
「いろいろ経験したけど、自分の選択が正しかったと今でも思います。ボロボロになっちゃったから始めたことだったけれど、いろんな男の人が見れたし、今まで信じてきたタテマエの世界とは違う、本音の現実も分かったし。あと、半年も医者とかカウンセラーとかに通って直らなかったのに、売春で直ったんですよ。(・・・)少なくとも私にとって、精神科は魂に悪かったけれど、売春は魂に良かった。(・・・)私は絶対後悔しない。誇りを売っているわけでもないし、自分を貶めているのでもない。むしろ私は誇りを回復したし、ときには優越感さえ持てるようになったんですから。」(宮台真司編『〈性の自己決定〉原論』、紀伊国屋書店、1998年、279頁 )
彼女の言う「誇り」や「優越感」はやや特殊な含意を持っている。というのは、この大学生売春婦が「優越感を感じた」のは次のようなプロセスを経てのことだからだ。
「オヤジがすごくほめてくれて。体のパーツとかですけど。それでなんか、いい感じになって。今までずっと『自分はダメじゃん』とか思っていたのが、いろいろほめられて。(・・・) 最近になればなるほど優越感を味わえるようになって、それが得たくて。オヤジが『キミのこと好きになっちゃったんだよ』とか、『キミは会ったことのない素晴らしい女性だ』とか・・・。まあ・・・いい気分になっちゃいました。(・・・) オヤジは内面とか関係なく、私の体しか見てないわけじゃないですか。『気持ち悪いんだよ、このハゲ』とか思っているのも知らずに、『キミは最高だよ』とか言ってる(笑)。」( 同書、276-7頁)
上野が挙げた援交少女とこの学生売春婦に共通するのは、いずれも自分を「買う男」を見下すことによって、「相対的な」誇りや優越感を得ているということである。彼女たちは彼女たちの身体を買うために金を払う男たちが、彼女たち自身よりも卑しく低劣な人間であるという事実から人格的な「浮力」を得ている。 しかし、これは人格の基礎づけとしてはあまりに脆弱だし退廃的なものだ。 私たちが知っている古典的な例はニーチェの「超人」である。 ご存知のとおり、ニーチェの「超人」は実定的な概念ではない。それは自分のそばにいる人間が「猿にしか見えない」精神状態のことを指している。だから「超人」は「笑うべき猿」、「奴隷」であるところの「賤民」を手もとに置いて、絶えずそれを嘲罵することを日課としたのである。何かを激しく嫌うあまり、そこから離れたいと切望する情動をニーチェは「距離のパトス」と呼んだ。その嫌悪感だけが人間「自己超克の熱情」を供与する。だから、「超人」へ向かう志向を賦活するためには、醜悪な「サル」がつねに傍らに居合わせて、嫌悪感をかき立ててくれることが不可欠となる。 上野の紹介する「みごとな」援交少女と宮台の紹介する「誇り高い」売春婦に共通するのは、買春する男たちが女性の身体を換金可能な「所有物」や観賞用「パーツ」としてのみ眺める「サル」であることから彼女たちが利益を得ているということである。 ニーチェの「超人」と同じく、彼女たちもまた男たちが永遠に愚劣な存在のままであり続けることを切望している。それは言い換えれば、父権制社会とその支配的な性イデオロギーの永続を切望するということである。 この学生売春婦は性を「権力関係」のタームで語り、上野の「援交少女」は「商取引」のタームで性を語る。「権力関係」も「商取引」も短期的には「ゼロサムゲーム」であり、ゲームの相手が自分より弱く愚かな人間であることはゲームの主体にとって好ましいことである。だから、彼女たちが相対的「弱者」をゲームのパートナーとして選び続けるのは合理的なことである。しかし、彼女たちは、長期的に帳面をつけると、「自分とかかわる人間がつねに自分より愚鈍で低劣であること」によって失われるものは、得られるものより多いということに気づいていない。 宮台によれば、「昨今の日本では、買う男の世代が若くなればなるほど、金を出さない限りセックスの相手を見つけられない性的弱者の割合が増える傾向にある。」 (同書、265頁) 女性が「ただではやらせない」ようになり、そのせいで男性が「金を出さない限りセックスの相手をみつけられない」という状況になれば、たしかに性的身体という「闘技場」における男の権力は相対的に「弱く」なり、性交場面において女性におのれのわびしい性幻想を投射する「オヤジ」の姿はいっそう醜悪なものとなるだろう。当然それによって「今まで信じてきたタテマエの世界」の欺瞞性が暴露される機会が増大することにもなるだろう。 だから、性的身体を「権力」の相克の場とみなす知識人たちが、売春機会(に限らず、あらゆる形態での性交機会)の増大に対して好意的であることは論理のしからしむるところなのである。 しかし、私は依然として、この戦略的見通しにあまり共感することができない。 「自分より卑しい人間」を軽蔑し憎むことで得られる相対的な「浮力」は期待されるほどには当てにできないものだからだ。 仮にもし今週一回の売春によってこの学生売春婦の優越感が担保されているとしても、加齢とともに「体のパーツ」の審美的価値が減価し、「オヤジ」の賛辞を得る機会が少なくなると、遠からず彼女は「餌場」を移動しなければならなくなる。他人を軽蔑することで優越感を得ようと望むものは、つねに「自分より卑しい人間が安定的かつ大量に供給されるような場所」への移動を繰り返す他ない。 「東電OL殺人事件」の被害者女性がなぜ最後は円山町の路上で一回2000円に値段を切り下げてまで一日四人の売春ノルマに精勤したのか、その理由はおそらく本人にもうまく説明できなかっただろう。私たちが知っているのはこの女性が「学歴」と「金」に深い固着を有していたということ、つまりその性的身体のすみずみまでがドミナントなイデオロギーで満たされた「身体を持たない」人間だったらしいということだけである。 これらの事例から私たちが言えることは、売春を自己決定の、あるいは自己実現の、あるいは自己救済のための機会であるとみなす人々は、そこで売り買いされている当の身体には発言権を認めていないということである。 身体には(その身体の「所有者」でさえ侵すことの許されない)固有の尊厳が備わっており、それは換金されたり、記号化されたり、道具化されたりすることによって繰り返し侵され、汚されるという考え方は、売る彼女たちにも買う男たちにも、そして彼女たちの功利的身体観を支持する知識人たちにもひとしく欠落している。 性的身体はこの人々にとってほとんど無感覚的な、神経の通わない「パーツ」として観念されており、すべすべしたプラスチックのような性的身体という「テーブル」の上で、「権力闘争」のカードだけが忙しく飛び交っている。 だが、この絵柄は私たちの社会の権力関係と商取引のつつましいミニチュア以外の何ものでもないように私には思われる。 権力闘争の場で「権力とは何か?」が問われないように、経済活動の場で「貨幣とは何か?」が問われないように、性的身体が売り買いされる場では「身体とは何か?」という問いだけが誰によっても口にされないのである。
6・
セックスワーカーたちが「安全に労働する権利」を求めることに私は同意する。
ただし、それは左翼的セックスワーク論者が言うように、売春者が社会矛盾の集約点であり、売春婦の解放こそが全社会の解放の決定的条件であると考えるからではない。またフェミニストの売春容認論者が言うように、それが「みごとな自己決定」であると思うからでもない。社会学者が言うように、性的身体を闘技場とした「権力のゼロサムゲーム」での勝利が売春婦たちに魂の救済をもたらすと信じるからでもない。そうではなくて、現実に暴力と収奪に脅かされている身体は何をおいても保護されなければならないと思うからである。
それと同時に、売春は「嫌なものだ」という考えを私は抱いている。
ただし、それは保守派の売春規制派の人々が考えているように売春が「反社会的・反秩序的」であるからではない。そうではなくて、それが徹底的に「社会的・秩序的」なもの、現実の社会関係の「矮小な陰画」に他ならないと思うからである。
身体は「脳の道具」として徹底的に政治的に利用されるべきであるとするのは、私たちの社会に伏流するイデオロギーであり、私はそのイデオロギーが「嫌い」である。
身体には固有の尊厳があると私は考えている。そして、身体の発信する微弱なメッセージを聴き取ることは私たちの生存戦略上死活的に重要であるとも信じている。
売春は身体が発する信号の受信を停止し、おのれ自身の身体との対話の回路を遮断し、「脳」の分泌する幻想を全身に瀰漫させることで成り立っている仕事である。
そのような仕事を長く続けることは「生き延びる」ために有利な選択ではない。
「売春婦は保護すべきだ」という主張と、「売春はよくない」という考えをどうやって整合させるのかといきり立つ人がいるかも知れない。だが、繰り返し言うように、現実が整合的でない以上、それについて語る理説が整合的である必要はない。「すでに」売春を業としている人々に対してはその人権の保護を、「これから」売春を業としようとしている人に対しては「やめときなさい」と忠告すること、それがこれまで市井の賢者たちがこの問題に対して取ってきた「どっちつかず」の態度であり、私は改めてこの「常識」に与するのである。
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foolish20 · 6 years
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「ちょっと長話、僕と彼とのハナシ」
 れーじくん(@reyji_1096)のスパイパロ設定をお借りして第2話。前回はこちら。  お借りしたよその子:東堂紫音さん(@hixirari)、ヴァルツァくん(@reyji_1096)
ヒュウ、と高らかに口笛を吹き彼は車のキーを取り出す。家の鍵なども束ねてある大ぶりのキーリングを人差し指で一回転させ、目当てのそれを掴み取るとドアの取っ手に軽くあてがう。触れさせるだけで解錠可能なチップ内蔵の最新機種。片手でそのまま取っ手を引くと、もう片方の手に提げていたブリーフケースを助手席へ放る。長身を折り曲げるように運転席へと滑り込み(その車は十二分に大きな造りをしている。要するに、彼があまりにも規格外なのだ)、電源へ再びキーを当てようと腕を伸ばしたところで彼は異変に気づいた。背後、誰かが笑う。 「暑いな、外は。冷やしておいたぞ」  ルームミラーにて後部座席を確認。一瞬警戒を宿した瞳はすぐに和らぎ——あるいは、和らいだ“かのように”繕い——すぐに表情を戻す。ハンドルに手を置きながら、鏡越しに彼は尋ねた。 「気が利くねカート、久しぶり。ところで君って連絡とって待ち合わせするって芸当はできない?」 「サプライズってヤツだ、嬉しいだろ? 少しは驚けよ、隠れた甲斐がない」 「やだなあこれでも度肝抜かれて膝ガクガクになったんですけど! 見えない? ほら。怯えた子鹿のよう」 「微動だにせずによくもまあ。……相変わらずだな、エドワード」  普段用いる愛称を敢えて避けた様子の青年は、黒に近いネイビーのスラックスに包まれた、長い脚をそっと組み替えた。運転席に座る彼、——先程【エドワード】と呼ばれた金髪の男——は見慣れている筈のその青い瞳の青さに改めて息をつく。《ホントいつ見ても嘘くせェ。食紅かなんかで染めてんじゃねえの?》 「それで、今回はどんな用? もしかして我が社の新製品を導入したくなったとか! ちょうど近ごろ麻酔薬の開発中でね試作品を是非とも君らに、」 「営業は結構。その辺りの用事なら俺ではなくて弟が来るよ、わざわざ俺が訪ねてきたのはもう少し“込み入った”話だからだ。察しはつくな?」 「僕そういう言外のコミュニケーションって苦手なんだよねえ。ハッキリ言ってくれないかな、『善良な一般市民の僕をクソ厄介な国家機密に巻き込みに来た』って」 「ほら、分かってるじゃないか。話が早くて助かるね」 「全く良心の呵責とかないの? 製薬会社の一営業マンを銃撃戦に晒すだなんて、プロとしてどうなんですかねえ。畜生にも悖る!」 「呵責? どうして。俺がお前に」  カーティスは身を乗り出すと唇をやんわりと撓め、背凭れ越しに【彼】の身体を抱きしめる如く手を這わせる。【彼】の耳元に口を寄せ、鼻にかかった声で、ささやく。 「嬉しいくせに。“僕”と一緒に、命懸けのお遊びするの、好きでしょう?」  依然としてミラー越しに視線を投げつつ《彼》もまた、僅かにその表情を変えた。両の碧眼に光が射して緑が一層強くなる。微かに上がった眉と唇は、同じだけ微かに歪んでもいる。返す言葉の底が笑っている。 「いったい全体お前は《俺》に何させたいんだ、ゴシュジンサマ」 「詳細はあとで。まずは車を走らせて、何処でもいいから、誰もいないとこまで」 「そんなとこ行ってどうすんだよ」 「“言わせないでよ恥ずかしい”。僕は息抜きも兼ねて来たんだ、旧友に会いにね、後は分かるね?」 「……息抜き、ねえ……」  呆れた風に溜め息を吐くがまんざらでもない様子である。レバーをDに入れアクセルを踏むと、既にエンジンのかかっていた車両はスムーズに動き出した。青年は後部座席へ戻り、しっかりとシートベルトを締める。 「慎重に運んでくれよ。お前の運転は荒すぎる」 「ハイハイ。名家の御子息を乗せて暴走運転はしませんよ、これでも仕事中は制限速度守る主義なので!」 「何を偉そうに。基本的にはいつでも守れ」  窘める口調に反し実に楽しげに青年は応えた。窓外を見遣る。燃えるような緑。何とも快い夏の午後——  彼の唇から調子よく奏でられる旋律に、上司は些か驚いたらしい。カーティス・シザーフィールドは上機嫌にしろ不機嫌にしろ他人とそれと分かるような態度を滅多に取らぬ男で、ゆえに紫音も浮かんだ疑問をついつい口に出してしまった。 「どうしたの? 随分機嫌がいいね」 「これはこれは、我らが頭領。失敬、少し息抜きをしてきたもので、気分が良くて」 「別に謝ることじゃないけどさ。息抜き? いったい何してきたの」 「旧友と遊んできたんです。ちょっと、公園でね」 「公園でェ?」 「ええ公園で」 「公園で何して?」 「十代の子どもでもやるようなことですよ。まあ、褒められたものじゃないでしょうけど」 「……よく分かんないや、……構わないけどさ。たまにはもう少し分かりやすい話し方をしてくれよ、エージェント・シザーフィールド」 「承りました。善処いたします」  普段は使わぬ丁寧語で以って終始機嫌よく答える彼に紫音は若干の不気味さを覚える。カーティスが此処で働き始めてかれこれ三年近くが経つがこんな様子は初めて見た、体温の存在が危ぶまれる程の無表情で涼しく仕事をこなすのが彼で、腹を開いたら電子基板が覗くんじゃないかと疑っていたのに、——まあ、その表現は単なる比喩とも言い切れないところがあって——というのも彼の脳には実際、電子基板が組み込まれている。  カーティス・シザーフィールドの実家は代々伯爵の称号を戴く、れっきとした貴族である。現当主は彼の父親で英国空軍中将、スティーブ・シザーフィールド。かつて騎士の位に就きながら武器商人として財を成した一家は、現在、主に株式の売買やファンドの運営、不動産業などで莫大な資産を維持している、……ことに、なっている。「表舞台」に置くにはどうもきな臭い“家業”を「舞台裏」へ移し、兵器開発による軍事協力を今も密かに行うシザーフィールド家は、長女と母を除いて家族全員が国家の防衛あるいは諜報の職に就いている奇妙な一家だ。自然、物騒な人脈も多く、稀に蔵未が彼のツテを頼りに来ることもある。  そんな一家の第二子、もとい跡取り息子として生まれたカーティスは、幼少期に誘拐に遭いその際使われた薬品によって脳の一部を損傷した。一命は取り留めたものの意識の戻らない愛息子を前に、父はどうにかして彼を取り戻そうと頭をひねった、そうして藁をも掴む思いで縋ったのが“家業”で当時開発中だった生体融合基板——有り体に言えば、脳の一部をコンピュータへと置き換える技術である。  ある種の賭けだったその選択は、結果的には正解だった。何なら『大正解』だったと言ってよいほどに正解だった。移植手術から三日後、突然目を覚ましたカーティスは喜びに湧く父親の腕をゆさゆさ揺すってこう訴えた、「すごいよ、パパ! “ぜんぶみえる”! “ぜんぶみえちゃう”よ! ねえ、どうして?」……その時、彼の脳裏には病院中の監視カメラの映像が同時に流れ込み、またそれら全てが彼の裡で、違和感なく把握されていた。  父はその後、実用化を目指した人体実験の幾つかの失敗を経て、息子の手術の成功が奇跡であったことを知る。大抵の人間はそもそも基板に適合できず、運良くそれが叶ったとしても基板が脳へ流し込むデータの制御も感知も理解もできなかった。だが彼の愛息子は、殆ど完璧にデータを解析し管理し必要に応じて消去し、通信技術の扱い方を誰に学ぶでもなく習得してあらゆる電子機器を“ハッキング”するようになった。よほど複雑なシステムでない限り呼吸と同じレベルで、とはいかずとも指を鳴らすくらいの感覚で、およそ回路と呼ばれるものを内蔵するすべての機器を掌握することができたのだ。文句無しの成功例。この世界にまだ、彼しかいない。  彼しかいないので、そして本人もまんざら嫌ではないらしいので、仕方なく父は基板の改良を彼に頼って行うことにし、現在彼の大脳は無線の類いも搭載している(軍仕様に高度な暗号化を済ませてあるため、こちらの通信が傍受される恐れはほぼないが、逆はままあるようで、他人のおしゃべりやら音楽鑑賞やらを時たま拾ってしまっては重い息を吐くのが常だ���「憂鬱な事務仕事をさあ片付けようという時に『ご陽気な若年層向けポップソング(アニソン)』なんぞ流されると、つい、殺意が湧くね」)。こうした彼の特殊な事情と彼の適性とが合わさった結果、彼の将来が諜報員へと行き着いたことは、さして意外でもあるまい。息子想いの“親御さん”は、危険を伴う職務に彼を放り投げたくはなかったらしいが、上昇志向の強かった彼はむしろ望んでこの職に就き、就いたからには、最善を尽くすという性分ゆえ日々激務に追われている次第。  何にせよ、常とは違う事柄というのはそれがどのような類いのものでも管理者にとって不安の種だ。未だに人と為りの掴めぬ、優秀だが極めて厄介なエージェントを分析するために紫音は彼の“親類”を訪ねてみることにした。無線で一つ、連絡を入れ、地下へと至るエレベーターに乗る。 「あ、そうだ。お菓子」  献上品を忘れたと、ドアが閉まってから気が付いた。まあ、あの“女王様”はボクに甘いから、見逃してくれることだろう、……多分。 「いやあ、それはどうかなあ。危険な賭けだと思うけど、僕は!」 『そうかい? だけどオッズ1位の賭けなんてスリルが無いよ、トベない。だろう?』  まだ日も高い真っ昼間、ユニフォームに身を包む客にあふれたスポーツバーの隅。エドワードは片手に携帯を持ち、片手でジョッキを掴みながらカウンターの上方へ目を遣る。掲げられた小型テレビにはサッカーの地元リーグの試合が映し出されていて、通話相手との話題もどうやらこの試合に関するものらしい。 「さあねェ、僕には分からないな。ハラハラとかドキドキとか、僕は人生に求めてないからね」 『嘘つけよ!』通話相手はエドワードより、幾らか年若い少年のようだ。『だったらどうして、金に不自由する身分でもなしにこんな危うい仕事を受ける? スリルのスの字もない日々じゃどうにも渇いてしょうがないから、こうして“道を踏み外す”んだろ。違うか?』  エドワードは彼の言葉遣いを気にするでもなく、しかしまた、別の理由で表情を消す。誰一人として自身の存在に注目していないと判断した時、彼はしばしば自らの表情の保持を中断する。裏を返せば彼の薄ら笑いは意図的に保持されたもので、つまり性質としてはかの政治家、——蔵未孝一が用いる微笑と、非常に近しいものだと言える。暫時、仮面を外した彼は、また元どおりに口元に笑みを浮かべて返答した。 「僕はね、保険の“効く”人生をこの上なく愛してるのさ。安定、安寧、平穏無事。これが僕の欲するもの全て。生存が恙無く終わりまで続く以上のことを欲する気なんか毛頭無い」 『へえ? なかなか、説得力に欠けるね』 「ではなぜカートに手を貸すか?……単純に、合わないのさ」 『合わない?』 「そう。平穏無事で安定した生活は、欲してるけど、肌に合わない」  ジョッキを置き、ナッツを頬張る。あらかた砕き終えてから、続ける。 「ゲームみたいにさ、人生には日々選択肢があって、それを選びながら僕ら生きてるでしょう? たたかう、にげる、アイテムを使う、……あるいは『おはよう』と言う、『前髪切った?』と言う、『素敵なお洋服だね』と言う……エトセトラ」 『ふむ、まあ』 「そんな中で僕が真っ先に選んでしまう項目っていうのは、どうやら毎度毎度、物騒なんだ。時には他の人の眼前には表示されてない選択肢が僕の目にだけ見えていて、また至極当然にそれを選ぼうとしちゃう、なんてこともある。平穏無事な生活を営むためには、僕は僕の初期設定(デフォルト)に幾らか手を加えなきゃいけない。“常に”」 『……』 「ハハ。ヴァルツァ、君にも分かるだろう?」 『さあね。僕は元より手を加える気なぞさらさらないから』 「うむ、そりゃそうだ。けど僕みたいに無理に平穏を掴もうとするとね、こういう目に遭う」 『……それで?』 「そう。まあだから、疲れてくるわけだ。平和を愛する僕だけど、平和のほうは僕を好んでいないからね、四六時中僕があっちに合わせていかなきゃいけないワケ、だいぶ息苦しい。……すると、初期設定のまんまでいられる“昔の男”と寝たくなる。いい加減手を切りたいんだがやっぱりホッとするトコもあってね、しばらく一緒にいるうちにどうせすぐイヤになるんだけど。銃声とか火薬とか大怪我とか、もうこりごり! ってさ」 『……成る程』 「ハラハラもドキドキも、真っ平御免だ。僕は安全圏で生きてたい。ただ安全圏で生きる“滞在(ビザ)申請”をし続けることに、そうだなあ、……嫌気がさす日も、あるのさ。時には」 『分かるような、分からないような』ヴァルツァと呼ばれた少年は、首をひねるような間のあとに、『まあ要するに。君は妻のゴキゲン伺いに疲れて昔の男と寝たりする、道徳に欠けた不倫野郎ってコトかい?』 「あはは! いやいや、言い得て妙だね。ところで、」 『ん、なに』 「点が入ったねえ。君が賭けた通りの結果になりそうじゃないか、よかったね?」 『えっ、——って何だよ、真逆じゃん! 君ってホントそーいうとこだぜ』 「失敬失敬! そろそろ切るよ、“カミさん”がお家に帰ってきてってねだるもんだから」 『ハイハイ。じゃ、夜に』 「夜にね。バイバーイ」  さて通話を切り、そのまま彼はしばし画面を見つめていた。先程と違い口元に湛えた笑みは変わらなかったが、夏の色をした碧眼がゆっくりと夜へ冷えていく。青みを増した瞳を、やがて、少し細めて彼は画面を消した。ポケットへ仕舞い、ジョッキを掴み直す。半分以上残っていた中身をグイと一気に干して、机を鳴らせば酔客がこちらを向いて囃し立てた。 「よう、兄ちゃん。イイ飲みっぷりだな」 「お褒めに与りまして」彼は、勘定を整え鞄を手に取る。「試合、勝てるといいですね」  店を出る。ドアの向こうから、まだ喧騒が聞こえてくる。空いた手でジャケットを肩に掛けつつ石段を降りると、エドワードはふと空を仰いだ。日に雲が被る。陰が差し、裏側で輝く光が雲の縁を眩しく照らす。不意に、涼やかな風。微かな夜の気配。  頭の裡に閃いた幼馴染(かれ)の黒髪を捕えるように、エディは一瞬、瞳を閉じた。
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