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#新舞子カウンセリング
tanakaeri · 1 year
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愛知県知多市新舞子ルーム
くれたけ心理相談室 知多支部新舞子ルーム 公認心理師 田中絵里カウンセラー ルームに曜日常駐していることがあります くれたけ心理相談室 知多支部 半田支部      田中絵里カウンセラー新舞子ルーム くれたけ心理相談室は知多半島全域で ご相談を承っております。 多くは、知多市新舞子ルームでのご対応を いただいております。   初めてご利用される方より ルームの雰囲気を見たや カウンセラーの動画を見た など 声をいただいております   緊張しながら 勇気を出し お問い合わせいただいている方へ   まだどうしようか 考えていらっしゃる方   必要な方へ 届きます様 ご案内差し上げております 田中絵里は くれたけ心理相談室 名古屋ルームでのご対応 自身でのルームを2か所所持しております 知多新舞子ルームと長久手ルームにご用意してございます 新舞子(知多市)メインルームへのアクセス |…
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takeuchiyoshihiro · 2 years
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#くれたけ心理相談室 ( #田中絵里 )は、#知多市新舞子ルーム ・ #名古屋ルーム ・ #長久手作田ルーム の3ルームでのカウンセリングを承っております。 #訪問カウンセリング や #オンラインカウンセリング 等、ご要望をお申し付け下さいませ。 「ご自身を大切にしてほしい」と願いを込めて いつもかわらず在るこの場所より、皆様の幸せを願っております。 くれたけ心理相談室 田中絵里 (愛知【くれたけ心理相談室】) https://www.instagram.com/p/CgoMCkSuPT6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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manganjiiji · 5 months
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よゆうよけいよわい
何もしない日々が続いている。何もしないで���なくて、眠っている。眠って体を回復させようとしているのだと思う。昨日も今日も、朝から夜まで寝ていた。今日は午前中風呂に入って頭も体も洗った。ジムの予定を入れていたが、この疲れ具合では行けないなと判断しキャンセル。応募した契約社員の書店求人からは連絡がない。ぐーすか。夜はまたロッテリアをウーバーイーツした。2日連続。コンビニまで歩いていくことさえできない。ただの疲労だが2日間も動けなくなるなんてまったく面白くない。明日は病院2件。脳神経外科とカウンセリングを梯子。藤井風の新曲が出ているのでは、ということにしゃぶしゃぶ屋でかかっていた有線で気づき、iTunesに「花」を入れる。歌で思い出したが、あんスタのマヨイさんの曲で「要らないなら捨てればいい、必要なら得るしかないさ」みたいな歌詞があり、これは聞くたびにその通りだな、と思い感動してしまう。オタクにはイメソンという文化があるのだが、私は歌詞(言語)がなんらかのキャラクターやカップリングのイメージに繋がることはない。音楽、つまり音の総体と時間の推移から得られるひとかたまり(メロディやフレーズと言いたいのだが、それよりももっと音全体、全て)で言語の意味を排したものしか、イメソンとして捉えられない。言語はわたしが考えるので、誰かの言語をもう一度自分の物語には使えない。ということで、歌の歌詞はキャラクターやカップリングに当てることなく、純粋に自分の人生に照射させる。さまざまな歌にいままで自分の生きるこの瞬間を応援されてきた。この瞬間もだし、未来もそうかも。まあ、未来を思うこの瞬間の自分ということだけど。そういう時の歌詞は結構シンプルなものが多い。だから結局はこれも、言語というより音楽自体に励まされているのだろうと思う。なにか歌詞ばかり重視される「イメソン文化」みたいなものが、私と音楽との相対の姿勢とそもそも馴染まないなあとよく思っている。ミュージカル刀剣乱舞のadditional timesみたいなタイトルの曲にも昔一時期すごく励まされた。今聴き返してみた、今でも好きだ、かなり…。死ぬほどうつで毎日どうすればいいかわからなくて無職で一人暮らしをしていて、という時期にこの歌を聴きながらとにかく歩いていた。あの頃どうやって生きていたのか、全く思い出せない。今立ち上がれば未来は逃げない。今立ち上がれば心は負けない、まだ全てが終わったわけじゃない。BL編集部に正社員で採用されたものの、やばい会社すぎて1週間で辞めた。働く気力も引っ越す気力もなく、そのまま会社の近くのアパートで貯金を使って生きていた。もう何歳の時の事だったのかもよくわからない。その時も結局実家に帰り、数年の療養ののち、やっと地元でアルバイトできるようになってから、最終的にまた上京した。記憶力が悪いというか、そもそも記憶する能力がやる気を全然出さないため、過去はいつも私と切り離されている。断片的には思い出せるが、自分の記憶というよりは、その時代の私という人間(他人)に付随した映像や声という感じだ。毎日すごい勢いで自分という人間が変わっていくので、1週間もすると、もう別人になってしまう。でも私の周りの人々は私を継時的に外側から見ているからか、私にも一貫性(というか、私の人格がもつ特徴)というものがあると思えるらしい。私も私の性質を一応わかっているつもりだが、おそらく他人の方がよくわかっていると思う。私は私の体が見えなくてついつい意識だけの存在と思いがちになるので、その意識が「これだけ変わってしまったんだから、もう別人だ」とよくジャッジする。しかし実際には私は私の体というものを通してしか他人に認識されない。その体は特に変化せず存在しているので、私の中身が物凄い速さで流転していることは私にしか分からない。私にしか感じられない。私は十分に日毎に違う人間になっているような気がするのだが、他人からはそれは見えないので、人間としてひとつながりに見える。私にはそうは見えない。不思議な段差だ。
大学の編入学の試験が終わり、面接でのアドバイス通り、福祉社会学のある国公立大学に行き、4年間勉強しようと思う。そうするとまだまだ貯金が必要なので、一旦また数年働く必要性がある。そういう結論が出てまあまあ楽な気持ちになった。友人のジェルネイル検定のハンドモデルに関しても(恙無くはなかったが)終わり、やっと動くのをやめていい、となったのが昨日で、一日休みにしておいたのだが、今日になっても全然回復しなかった。自炊できるほどの気力が戻るまでにあと何日かかるだろうか。たくさんの夢を見て、絶対に父母や兄が出てきて、寝ているだけでも精神的にかなり疲れる。「お雑煮」という話題があるが、つまり実家や生まれた場所ではどんな味でどんな具のお雑煮だったのか地域差があっておもしろい、という話題で、その際に母が正月に作ってくれるすまし汁から湯気が上がっている食卓の光景や、それに餅をいくつ入れるとか話してもちを焼いたりしている父や兄や母の朝のことを思い出すだけで、ああ、これは人に話せる範囲の家族の話だけれども、とても人に話す気にはなれない、ということを思い、どっと疲れる。食卓というのはおおよそ全ての事件が起こった場所で、そこは最悪だったが、たしかに幸せを感じたこともあった。さまざまな光景が何重にも被さって映される、そして幸福の象徴としての正月元旦の朝。家族のことはもうできるだけ思い出したくない。幸せもたくさんあって、というより幸せばかりの記憶が残っている。私の心が潰れたことに関しては、もはや私の中にしか残っていないし、どんどん忘れていく。私が生物としてどんどん弱っていき薬なしで生きられなくなったことは、私しかその理由を知らない。それで全く問題ない。復讐心というものも、もうすっかり消えた。どうでもよくなった。そんなことよりこれからの自分の人生をどうするかということに比重がかかっており、良い事だと思う。時間が何もかもを解決する。とくに私は記憶力が弱いため、悪いことも良いことも、どんどん忘れてしまう。だから常に新しい「いいこと」を求めて動き回っている。自分には感知できないところだが、過去の「悪いこと」を早く帳消しにしたいがために、必死なのだろうなと思う。自分が未来に対してあまりに楽天的だなと思う時もあるが、基本的には楽天的な人間ではないと思う。でも楽天的な人間だと喧伝して回っているうちに、たぶんそうなれるので、楽天的と言うことにしている。とくに社交的な性格とは真反対だった人間だが、最近では社交的で人見知りしないことが事実と思われるような時もあるので、言い聞かせたり他人にそのように自己紹介することは自分を変える上でだいぶ有効である。被り続けたペルソナは自分の顔になる。このことは身をもって事実だと感じているが、やはりペルソナの下の部分も消えるわけではないので、そのことに自覚的であるほうが、難を切り抜けやすいと思う。
2023.12.4
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kozuemori · 18 days
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今週末は初夏を思わせる陽気となりそうです。桜の花びらが散るなかを散歩したり、カップ状に開いたチューリップの間を蝶々が舞っている姿を見かけたり、ツツジの花の鮮やかな姿を楽しんだりしながら、太陽のエネルギーを享受しています。ベランダのバラたちもぐんぐん成長していますし、メダカたちの食欲も旺盛です。
私たちの周りで繰り返されるこうした自然の営みはごく当たり前の姿のように見えますが、それは私たちが『原因』と『結果』というカルマの法則を魂のどこかで理解しているからだと思います。文字通り、種を蒔けば花が咲く、という『タネ』や『仕掛け』があることも経験上、知っているからなのでしょう。
最近の私の寝る前のお楽しみは、NETFLIXの『人生はマジック』というシリーズを観ること。今時のユーチューバーのような風貌のマジシャン、ジャスティン・ウィルマンが予想を超えたエンターテイメントを見せてくれます。今まで何度も目にしてきたマジックおなじみの『タネ』や『仕掛け』も、オリジナリティ溢れる斬新な演出と彼の巧みな話術でアップデートされていますし、なんと言っても彼の使うトリックには愛とユーモアと優しさと癒しがたっぷり込められていて、思わず涙…となってしまうのです。このショーの素敵なところは、マジックというものが『タネ』や『仕掛け』を介在とした心の中に起こる不思議な現象のことだと気付かされることです。そして、その現象は時として素晴らしいメッセージへと変化するのです。
その点では、ミディアムシップもある種のマジックだと言えるかもしれません。その昔、近代スピリチュアリズムの黎明期にミディアムたちが空中浮遊をしたり、エクトプラズムなどの物質化現象や霊言を伝えていた頃、ハリー・フーディーニをはじめとする一流の奇術師たちがミディアムたちのトリックを暴き出そうとしました。中にはトリックを使ったイカサマもあったでしょうが、本物の霊現象にも、実は『タネ』や『仕掛け』があります。
何故ならば、霊界通信は霊界、スピリットたちがもたらすエネルギー、メッセージという『タネ』と、ミディアムシップのメカニズム、『仕掛け』によってもたらされるからです。奇術と異なる点は、ミディアム自身は『仕掛け』自体は理解していても、『タネ』がどこから来るのか、どのようにそのミディアムシップというマジックが成立するのかを予め知らされていない、即興だというところです。
この『人生はマジック』の中のエピソードの中で、ミディアムシップの仕組みに似たマジックがありました。初デートの場面で、あるカップルがレストランのテーブルを挟んで座っています。男性の後ろにはジャスティン(マジシャン)が隠れて座り、両手だけを使って二人羽織の要領で目の前に座っている女性にマジックを見せるのです。もちろん女性にはマジシャンの姿は隠れていて見えませんので、目の前の男性がマジックを披露しているように映ります。また、男性には予めどんなマジックをするのか知らされません。そして、言うべきセリフもその都度ジャスティンから小声で指示されますから、男性は全くの即興で振る舞わなければなりません。
春学期のクラスで、生徒さんから私のブログからリンクしていたアイイスのYouTube動画やサーモン、霊界通信のデモンストレーション原稿などが見られなくなっていると教えていただきました。どうやら、アイイス事務室がなくなったのと同時にアイイスのYouTubeアカウントと事務室ブログが閉鎖されたようです。その代わりといってはなんですが、デモの動画が一つだけ私のファイルに残っていたので先日YouTubeにアップいたしました。2017年の夏、私がアイイス認定ミディアムになって、一年未満の頃のデモです。途中、他の方の顔が映っている場面はカットしています。今とは違って初々しい〜(自分で言う?)。私の周りで二人羽織のようになって一緒に働いてくれているスピリットの存在、感じられますか?
youtube
明日はアイイスのスプリングフェスティバルが開催されます。残念ながら私は都合があって参加できませんが、アイイス認定ミディアムの皆さまの素晴らしいデモンストレーションのメドレーをぜひ楽しんでください!ご参加はこちらからどうぞ。
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4月21日・22日に開催するワークショップ『ALL ABOUT ミディアムシップ』ではミディアムシップがもたらす素敵なマジックに触れ、霊界の『タネ』や『仕掛け』について学びながら、さらにスピリットたちの光に近づいていただきたいと思っています。多分、今回もあっという間に時間が過ぎてゆくでしょう。皆さまのご参加をお待ちしています💕
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All About ミディアムシップ
4月21日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
4月22日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込)
両日共に同じ内容です
どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
ミディアムになりたいと思っている人、ミディアムの役割について知りたい人のための6時間ワークショップです。アイイスでの講師歴9年、ミディアム歴8年、イギリスのアーサー・フィンドレイ・カレッジにて数回に渡って講師・プロの為のミディアムシップ、サイキックアート、トランス、シャーマニズム等のワークショップに参加し、海外のミディアムとも交流のある講師による最新の情報を含めたレクチャーとゲーム感覚で楽しめる実習を通じて、あなただけの唯一無二のミディアムシップを作り上げていく過程を経験していただきます。
あなたの中に潜在する本来の能力を知り、それを呼び覚まし、育み、特化した分野をさらに伸ばして磨き上げましょう。そして同時に自分の苦手な分野を知り、それを伸ばす方法も試してみましょう。
ミディアムシップは決して完成することのない、永遠に学び、伸ばし、育むことのできる能力です。その過程を指導霊の応援と協力のもと、楽しみながら一歩一歩着実に進んでゆきましょう。大切なのは、自分に期待しながら挑戦し続けること、自分を信じて諦めないことです。練習すればするほど、そして失敗を重ねるほど感覚が研ぎ澄まされ、あなたは素晴らしいミディアムになれるでしょう。
レクチャー内容
 ・ミディアム、ミディアムシップとは
 ・ミディアムシップの種類とその役割
 ・良いミディアム、ミディアムシップとは
 ・霊能力はなぜ与えられ、なぜ失効するのか
 ・ミディアムとサイキック 
 ・想像と霊感の違い
 ・デモンストレーションとカウンセリング
実習
 ・シッティング・イン・ザ・パワー 
 ・ミディアムシップクイズ・30問に挑戦!解説付き
 ・サイキック、ミディアムシップ、トランス各実習
 ・直感と指導霊により深く繋がるための各実習
このワークショップは以下のような方に向いています 
 ・ミディアムシップついての理解を深めたい
 ・ミディアムシップの練習、経験をしてみたい
 ・ミディアムという役割に興味がある
 ・ミディアムになりたい
 ・指導霊との繋がりを深めたい
 ・本当の自分の人生の目的を探りたい
 ・自分自身の可能性や能力を探りたい
 ・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
このワークショップは2019年4月17・21日に開催した同タイトルのワークショップの内容と同様ですが、一部を加えたりアレンジしてアップデートしています
詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。
ショップからも直接お申し込みいただけます。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
5月19日   担当ミディアム:澤輪・森
6月30日  担当ミディアム:ゲスト・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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ドロップイン・ナイト 木曜日 19:00〜20:00
5月23日(木)指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
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夏学期クラスのスケジュールが決定いたしました。サイトとショップにてお申し込みを受付中です。(アイイスのサイトでも告知されています)
春学期に蒔いた霊性開花という名の種を、眩しい太陽と清らかな水、豊かな土壌、そして爽やかな夏の風のエネルギーを享受しながら、共に大切に育んでゆきませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラス 
月曜日:10:00~12:00  日程:5/13、5/27、6/10、6/24、7/8
火曜日:13:00~15:00  日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス   
土曜日:19:00~21:00  日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00  日程:5/14、5/28、6/11、6/25、7/9
木曜日:10:00〜12:00 日程:5/9、5/23、6/6、6/20、7/4
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アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00 日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
金曜日:19:00〜21:00 日程:5/17、5/31、6/14、6/28、7/12
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00  日程:5/12、5/26、6/9、6/23、7/7 水曜日:16:00~18:00  日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
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インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス  
月曜日:16:00~17:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
土曜日:10:00~11:00 日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
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マントラ入門 Zoomクラス  
土曜日:13:00~15:00 日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
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トランスZoomクラス
土曜日:19:00~21:00  日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
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サンスクリット・般若心経 Zoomクラス 
月曜日:13:00~15:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
水曜日:19:00~21:00   NEW! 日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
サイトのクラス紹介ページはこちらです。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
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satoshiimamura · 8 months
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第6話「悪(はじまり)夢」
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 アンナ・グドリャナは夢をみる。
 彼女の憎悪の根源、彼女の立ち上がるための燃料であるそれ。多くの人々と出会い、別れ、そしていなくなった人々のために前をむき続け、後ろを振り向かない全ての元凶をみる。
「――ッ」
 アンナは声を出そうとして、出せなかった。上に瓦礫が乗った足が燃えるように熱い。煙が視界を曇らせる。
 炎が周囲を進行していく。瓦礫と化した列車の金属部分は燃えず、けれどぼろぼろになった座席には火が付いている。
 焦げ臭さと同時に鼻へ届く、肉が燃えていく匂い。先程まで助けを求めていた少女の声が聞こえなくなった。身近なところはなくなったが、悲鳴は遠くで響き続ける。
 奇怪な形――獅子の体に羽が生えながらも頭部は人間のそれだったり、あるいは極めて太い足で二足歩行しながらも痩せこけた腕がついた巨人だったり――をしたペティノスたちが、爆発音とともに先程まで列車に乗っていた少年少女を殺していく。
 逃げ惑う彼ら、彼女ら。倒れていく彼ら、彼女ら。悲鳴と懇願と恨言の合唱。それを動けないアンナは見続けていた。
「おい、大丈夫か⁉︎」
 未だ成長途中だと思わせる少年が、金色に輝く猫目をアンナに向ける。頬は煤けていて、爪は割れて血が滲んでいた。アンナと同じような制服に身を包み、同じピンバッジを胸元に留めていた彼は、必死に彼女へ声を掛ける。
「クソッ、足が動かせないのか。……でも、これさえ退ければ動けるよな?」
 必死にアンナの足の上にのし掛かる瓦礫をどかそうとする少年。彼は意識を保て、こっちを見ろ、死ぬんじゃない、と何度も言葉をかけ続ける。
 ただ待つことしかできない彼女は、足元に広がる灼熱が痛みとなり、そのおかげで何とか意識を保てていた。
「もう少しで」
 息切れしつつも、少年が最後の力を込めて瓦礫をどける。アンナの足からは、痛みが続くが重みはなくなった。
「肩を貸す、逃げるぞ」
 彼は震える腕を隠すこともできず、それでもアンナの腕をつかみ抱き起こす。その時、炎で鈍く輝く異形が彼らの前に舞い降りた。
 それは翼を持つものだった。
 それは翼に無数の目があった。
 それは少なくともアンナが知っているどのような動物にも似ても似つかぬ、ただの羽の塊であった。その塊の中央に、なんの感情も浮かべていない美しい人間の顔がある。銀色に輝く顔だけがあった。
 翼にある複数の目がギョロギョロと蠢き、そのうちの幾つかが少年とアンナに固定される。ヒッとアンナは息を飲んだ。ギリッと少年は歯を食い締めた。
 少なくとも少年だけは逃げられる状態であったが、それを彼は選ばずにアンナを強く抱きしめる。そして、彼は「ふざけるな」と小さな声で囁き、ペティノスを睨みつけた。
 彼の怒気にもアンナの恐怖にも何も感じないかのようにペティノスは翼を広げ二人へと近づこうとした。その時、上空を黄昏色に染まる機体が飛んだ。
 ペティノスは二人から視線を外し、機体――後にそれがイカロスと呼ばれるものだったと彼女らは知る――へと飛びかかる。それまで淡々と人々を殺害し続けた奇妙な造形をしたペティノスたちが、親の仇と言わんばかりに殺意を迸らせ、機体を追い続ける。
 十いや百にも達するほどの数のペティノスが、黄昏色のイカロスへ攻撃を仕掛けるが、空を飛ぶ機体はそれらを避けて、避けて、そうして多くの敵を薙ぎ払う。
「助かった……のか?」
 呆然としながら、少年とアンナは空を見上げた。
 黄昏色に染まった機体が、実は地上で燃え盛る炎の色に染まったのだと知ったのは、それよりも少し後の話だ。
 それでもアンナや少年にとって、現見空音とユエン・リエンツォの操縦する銀色のイカロスは、後に幻想の中で出会う最強の存在――大英雄に匹敵するほどの救世主だった��は言うまでもない。
 
「――���
「目が覚めたか」
 瞼を二、三回閉じて、開けてを繰り返すアンナは、ぼやけた天上の中央に少年の面影を残したアレクの姿を認める。
 上半身が裸の彼は心配そうにアンナの頬を撫でて「うなされていた」と言った。その際に彼が覗き込んだことでアンナの視界はアレクだけになる。柔らかいベッドの中で下着だけを身につけたアンナは、パートナーの手を両手で取り、大丈夫と口を動かす。彼女の声は悪夢の日から出ない。
「……あの日の夢か」
 まるでアンナのことなら全てを見通せると言わんばかりに、アレクが彼女を抱きしめながら耳元で囁いた。それに抱き返すことで答えを告げる。
「今回は、久々の犠牲が出そうだったしな。……毎年毎年、律儀に思い出させてくれる」
 アレクの言葉に、アンナは彼を癒したいと願いながらも、優しく頭を撫でて、次に口付けた。あの悪夢から十年以上経っても、消えない傷が常に隣にあることを二人とも痛感している。
 ベッドの中で抱きしめ合いながら、互いの存在を確かめるアレクとアンナ。その中で、彼らのサポートAIであるローゲの声が届けられた。
「お二人とも、そろそろ時間です。準備をお願いします」
 声だけで全てを済ませるAIの気遣いに、仕方がないなとアレクは笑ってベッドから降りた。アンナも微笑みながらベッドから出ていく。
「行くか」
 アレクは手を出し、アンナはその手を取った。
 ファロス機関の待機所はそれなりに広い。広いが、無機質な印象を抱かれる。カラフルなベンチも、煌々と光る自販機や、昼夜問わず何かしらの番組が流れるテレビだってある。それでも、無機質なものだと誰もが口を揃えていた。
 待機所の中ではいくつものグループが何かを喋っている。互いにパイロットとオペレーターの制服を着て、時にジュースを飲んだり、カードゲームに興じていたりしていた。その誰もが顔色が悪いので、より一層待機所が無機質な印象になっていく。
 そこにたどり着いた制服に身を包んだアレクとアンナは、多くの室内にいた人々と挨拶をしながらも中央で待機していたナンバーズ四番のナーフ・レジオとユエン・リエンツォの元へ向かう。
「ご苦労だったな」
 アレクがナーフへ声を掛ける。それに無表情のままナーフが頷き、一枚の電子端末を彼に渡した。
「報告はこちらに。今回発生したペティノスは、これまで観測された形状と一致した。ただ攻撃範囲が広いタイプが増えている」
「損害は」
「一機撃墜されたが、パイロットは無事に保護されている。今は処置も終わり療養施設に運ばれたところだ。完治したところで、今後はカウンセリングを受けるだろう」
「そうか」
 それは何よりだ、と零したアレクの言葉に同調するかのように待機所にいる面々がホッと息を吐いた。その様子を見ていたユエンは呆れたように言う。
「ははぁ、今晩は二番の同期たちばかり……と思ったらそういうことですかぁ。毎年毎年、君ら律儀だねぇ。おいらはそんな気分になったことないよ」
 十年も眠れない夜が続くだなんてかわいそう、とユエン・リエンツォが口にするが、そこには似たような境遇であるはずの彼らへの多大な揶揄が含まれていた。
「そういうあんたも、この時期は多めに任務に入るじゃねぇか」
 言い返すつもりでアレクがユエンの任務の数について告げる。
「小生、そろそろ後進に引き継ぎたいところでありますが、現見が許してくれないんだわ。せっかく新しい二番が生まれたってのに、未だに信用できないんかね」
「ユエン、そんなことは」
 小馬鹿にするかのような言い回しの彼女に、ナーフは顔をしかめて制止する。だが、それを無視してさらにユエンは話を続けた。
「毎年毎年、この時期になると不安定なやつらが増えるからねぇ。早く悪夢世代のなんて無くした方がいいんじゃない? あの問題児たちも虎視眈々と上を狙ってるようだし。君ら夜勤多いから、下の子たち割と快眠タイプ多いじゃないか。噛み付く元気満々なんだから、そろそろ下克上くらいしでかすんじゃない?」
「余計なお世話だ」
 アレクがユエンにきつい口調で告げた。
「少しは羽目を外しなさいよ。同世代のスバル・シクソンの社交性を見習うべきじゃないか」
「あいつは、俺たちの中でも腑抜けたやつだ」
 今度はアレクをナーフが制止しようとしたが、それをユエンは止めた。
「ハッ! 笑わせるねぇ。あのスバル・シクソンの死後も、君らが彼の言葉を無視できてないの、我輩が知らないとでも?」
「……ユエンさんよぉ、今夜はやけに突っかかるな」
「なぁに、気が付いたんですわ。あの五番の坊やが、自力で立ちあがったのを見てね。悪夢世代の多くは救って欲しいわけじゃない。ともに地獄にいて欲しいだけ」
 その言葉にそれまで黙って聴いていたアンナは、ユエンを叩こうとする。が、呆気なく彼女はその手を避ける。そして、けらけらと何がおかしいのか侮辱を込めて「平々凡々、やることなすこと繰り返しで、飽きたよ」と彼女は言う。
「あんたがそれを言うのか。同期の誰一人助からず、現見さんが戻るまで誰も助けられずにいたあんたが、それを言うのか」
 アレクは怒りを滲ませて返す。
「あんたは地獄を見なかったのか。あの怒りも、嫌悪も感じなかったのか。俺たちが救われたいと本気で思わなかったとでも」
「その共感を求める言葉は、呪い以外の何者でもないだろうよ。少なくとも、スバル・シクソンは悪夢世代という共同体から旅立った」
 その結果が五番という地位だろう、と告げたユエン。彼女は、そこで口調を変えた。
「あいつの素晴らしく、そして恐ろしいところは、あの視野の広さだ。オペレーターとしての実力だけでなく、よく人間を見て、観察して、そして洞察力で持って最適解を出せるほどの頭の良さがあった。もしも倒れなかったら、間違いなく私たち四番を超えていっただろうし、二番の君たちも脅威を覚えたはずだ」
 滅多に人を褒めないユエンの賛辞に、隣にいたナーフが呆然とした表情を浮かべた。
「あの双子たちは、パイロットとしては私たちを超えているよ。恐怖でも、憎悪でもなく、君たちのような大義も掲げず、ただ互いへの競争心と闘争心だけでペティノスを撃破し続けている彼らの存在は、新しい時代が来たとファロス機関に知らしめた。スバル��シクソンはそれを敏感に感じ取り、そして彼らを導いている」
 その言葉にアレクは皮肉を込めて「違うだろ、過去形だ」と言い返す。だが、ユエンは首を横に振った。
「いいや、現在進行形だ。現に、あの坊やは次のオペレーターを見つけてきた。あの大英雄のプログラムを損傷できるほどの能力を持った新人を」
「まぐれだ」
「それが成り立たない存在なのは、お前たちだってよく知っているだろう」
 冷徹な指摘にあの勝負を見た誰もが口を紡ぐ。
 先日の裁定勝負のことを知らなかった幾人かが、話を知っている面々から小声で詳細を聞き、その顔を驚愕に染めた。嘘だろう、とこぼれ落ちた本音が全てを物語っていた。
 それらの反応を見たユエンは、最後の言葉を紡ぐ。
「時代は変わっていくんだ。否応にも、人間という種は未来を求める。その先が地獄でも構わない言わんばかりに、彼らは前へ行く。いつまでもその場に突っ立ってるだけじゃ、何も成せない」
「……説教か」
「吾輩ごときが、らしくないことを言ってるのは百も承知だ。が、毎年の恒例行事に嫌気が差したのも事実だよ。お前たち悪夢世代は、少しは外を見るべきだ」
 そこまで言って、ユエンは部屋から出ていく。ナーフがアレクたちを気にしながらも彼女の後を追って行った。
 沈黙が室内を満たした。誰も彼もが思い当たる節がある。誰だって今のままでいいとは思っていなかった。それでも悪夢世代と呼ばれる彼らは立ち上がり、アレクとアンナの元に集まる。
 彼らは顔色が悪く、常時寝不足のために隈がくっきりとしていることが多い。
 誰かがアレクの名前を呼んだ。
 誰かがアンナの名前を呼んだ。
 それに呼応するかのように、アレクとアンナは手を繋ぎ、同期たちを見る。
「みなさん、そんなに不安に思わないでください」
 唐突に落とされた言葉。ハッとしたアレクが、自分の腕につけていた端末を掲げれば、現れたのは彼ら二番のナビゲートAIであるローゲのホログラム。微笑みを浮かべ、頼りない印象を持たれそうなほど細いというのに、その口調だけは自信に満ちていた。
「あの臆病者の言葉を真に受けないでください。彼女が何を言ったところで、あなたたちが救われないのは事実でしょう」
 ローゲの指摘にアレクは視線を逸らせ、アンナは鋭く睨む。だが、かのAIはそれらを気にせず更に言葉を重ねる。
「悪夢をみない日はどれほどありましたか? 笑うたびに、願うたびに、望むたびに罪悪感に苛まれたのは幾日ありましたか? 空に恐怖を抱き、出撃するたびに死を思い、震える手を押さえつけ、太陽の下にいる違和感を抱えて生きていたあなたたちの心境を、あの人は本当に理解していると思いますか?」
 彼女の言葉は何の意味も持たない戯言ですよ、とローゲは告げる。
 静かに「そうだ」「ああ」「そうだったな」「あいつらは分からない」「そうよ」「あの悪夢をみたことがないから」「そうだわ」と同意する言葉が投げられた。
 アレクがそれらをまとめ上げる。
「そうだな。今夜もペティノスが現れるまで、話そう。どうやってやつらを殲滅するか。なに、夜は長い」
 誰もが救われなかった過去を糧に、怨敵を屠る夢想を口にした。敵を貪りたいという言葉ばかりが先行し、それよりも先の未来を願う言葉が出てこない歪さを誰一人自覚していなかった。
***
 ゆらめく炎を前にして、ゆらぎとイナ、そしてルナの三人は困惑していた。
 ここは都市ファロスの外れにある墓地であり、そして多くの戦争従事者たちの意識が眠る場所。つまり肉体の死を受け入れ、新しい精神の目覚め――擬似人格の起動を行う施設でもあるため、人々が『送り火の塔』と呼ぶ場所であった。
 擬似人格とは常に記録された行動記録から思考をコピーした存在だ。永遠の命の代わりに、永遠の知識と記憶の保管が行われるようになったのは、ペティノス襲来当時からだと言われる。地球全体を統括しているマザーコンピューターはその当時の人々の擬似人格から成り立っているのは、クーニャで教わる内容だ。
 しかし擬似人格は思考のコピーであって、本人そのものではないために、起動直後はたいてい死んだことを受け入れきれずにいる。
 擬似人格が擬似人格として、自分の存在と死を受け入れる期間がしばらく存在するのだが――特に都市ファロスはペティノスとの最前線に位置するため、その死者たちは多大な苦痛を伴って亡くなっている場合が多い――その際のフォローを行うのがこの施設の役割であった。
 また、擬似人格が安定した後に自分が電子の存在であり、データの取扱い方を覚えていった先に生まれるのがAIでもある。これは都市ファロスに来てからゆらぎたちも知ったことなのだが、エイト・エイトを筆頭に人間味のあふれるナビゲートAIたちは、その多くが対ペティノスで亡くなった歴代のイカロス搭乗者たちだった。そして、あれでも戦闘に影響がでないよう、感情にストッパーが課せられているらしい。
 そのAIへの進化や感情への制御機能がつけられるのも、『送り火の塔』があるからであった。
 そして『送り火の塔』の入り口、玄関ホールの中央に聳え立つのは、天井まで届く透明の筒の中に閉じ込められた巨大な青い炎だった。
 地下都市クーニャでは街の安全のために炎がない。火という存在をホログラムでしか知らない彼ら三人は、教科書に載っている触れてはいけない危ないものというだけの情報しか持っておらず、ただただ初めて見るそれに魅了されていた。
「おや、そのご様子ですと、初めて火を見たようですね」
 三人とは違う声が掛けられる。
 ふわふわとした淡い白金の髪を結いだ青年が、建物の奥から歩いてきた。彼の姿は白に統一されており、腰元に飾られた赤い紐飾りだけがアクセントになっている。彼はゆらぎたちの前にやってくると、同じように炎を見つめた。
「この火は、送り火の塔の象徴的存在でもあります。肉体の終焉をもたらすもの、あるいは精神の形の仮初の姿、人間が築いた文明の象徴であり、夜闇を照らす存在として、ここで燃え続けています」
 男の説明にイナが尋ねる。
「しかし、クーニャでは火は存在しなかった。人々を危険に晒すためのものとして……なのに何故ここでは」
「地下世界の安全のためでもあります。火は恐ろしいものですので、できる限り排除されたと聴いています。ですが……ここ都市ファロスでは、火は身近なものです。対ペティノス戦において、火を見ないことはないでしょう。燃やされるものも様々です」
 あなた方も、いずれ見ることになりますよ、と三人を見て男は微笑む。
「初めまして、新しく都市ファロスに来た人たちですね。私は自動人形『杏花』シリーズの一体、福来真宵といいます。ここの送り火の塔の管理人として稼働しておりますが、今日はどのようなご用件でしょうか」
 ゆるりと笑う線の細い青年は、どこをどうみても人間にしかみえないと言うのに、己を自動人形と告げた。
「自動人形? こんなにも人間みたいなのに?」
 その存在に、ゆらぎは戸惑いを覚える。感情的なAI、執念を込めて人間に似せられたプログラム、そして人間そっくりな機械と、ここまで人間以外の存在を立て続けに見てきたからこそ、いよいよこの都市は人間がこんなにも少ないのかと驚いていたのかもしれない。
「もしかして、ゆらっち自動人形見たことないんじゃない?」
 その戸惑いを感じ取ったルナが指摘する。それに対しイナも「そうか」と何かに気づいたようだった。
「獅子夜は始めからナンバーズ用宿舎にいたからな。僕ら学生寮の統括は自動人形だ。ナビゲートAIが与えられるのは正規操縦者になってからだし、それまでの日常生活のサポートは自動人形たちが行っているんだ」
 ここ都市ファロスでは珍しい存在ではない、と続くイナの説明にゆらぎはほっと詰めていた息を吐く。
「……そうなんだ」
「そうなんよ」
 ゆらっちは特殊だもんねぇ、と笑って慰めるルナの言葉に、イナもまた頷く。
「私のことを納得していただけましたか?」
 苦笑混じりに真宵が声を掛けてくる。ゆらぎは小さな声で「すみませんでした」と謝罪した。
「いえ、お話を聞く限り随分と珍しい立場のようです。都市ファロスに来たばかりでありながら、すでにナンバーズとは……まるで」
「まるで?」
 ルナの相槌に真宵はハッとしたように首を横に振る。その動きは滑らかで、やはり機械とは思えないほどに人間味があった。
「……いえ、何でもありません。それで、どのような用件でしょうか」
「あ、そやった。あんな、うちら大英雄について調べに来たんよ」
 ルナが告げた大英雄の言葉に、真宵の顔がこわばったのが、イナとゆらぎにも分かった。
「なぜ、来て間もないあなたたちが大英雄のことを」
 疑問と不審の感情が乗せられた視線を三人は向けられる。やはり、ここが正解なのだと全員が確信した。
 大英雄と呼ばれる存在について、三人が調べた限りわかったのは、あの銀色のイカロスに乗っていたパイロットとオペレーターであること。そして、空中楼閣攻略を人類史上初めて成し遂げ、三十年前の大敗のときに命を落とした存在であること。そこまでは、学園内の資料や右近、左近たちから聞き出せた。
 だが、とここで不可思議なことに気づく。彼ら大英雄の名前も、写真も、どのような人物であったか、どのような交友関係があったのか分からなかったのだ。
 ナンバーズ権限を使っても同様、セキュリティに引っ掛かり情報の開示ができないことが殆ど。他のナンバーズからの話――主にあの双子のパイロットからだが――では、三番のパイロット現見が嫌っているらしい、ユタカ長官が彼らの後輩であった、くらいの情報しかなかった。
 これは故意に情報が隠されていると感じ取った三人は、他に何とか情報を得られないかと手を尽くしたのだ。
 結果、ここ『送り火の塔』という存在を知ることになる。あの謎のAIが告げた、正攻法では情報に辿り着けないの言葉通り、ここの擬似人格に大英雄に関連した人がいるのではないかと三人は考えたのだ。
 丁度、右近と左近、彼の相棒のオペレーター、そして先日裁定勝負を仕掛けてきた兎成姉妹たちは、あの銀のイカロスについての調査があるということでファロス機関本部への呼び出しがあった。その隙を狙ってゆらぎたちは送り火の塔へとやってきたのだ。
「先日、彼――獅子夜ゆらぎが受けた裁定勝負のときに、仮想現実で銀のイカロスが現れました。なぜ現れたのかは謎ですが、それでも」
「大英雄と呼ばれる彼らをおれたちは……知りたいんです。あの電脳のコックピットにいた二人が、一体どんな人たちだったのか。執念染みたあのプログラムが」
 先日の銀のイカロス戦について説明するイナ。それを引き継ぎ、ゆらぎもまた、正直に気持ちを吐露する。その二人の説明に真宵は目を見開いた。
「……そんな、君たちはあれを――彼らを見たのですか? まさか、そんな日が来るなんて」
 驚きと戸惑いを隠しもせずに、視線を左右にゆらす真宵。
「見たのは獅子夜だけです。でも、あの銀のイカロスの中にいる人が正直どんな人だったのか、僕だって気になります」
「とっても優しそうな人やった、てゆらっちは言っとった。擬似人格は残らなかったってことやから、たぶん一から作り上げたんやろ? そんなにも遺したかったお人たちなんやろうな、てうちは感じる」
「お願いします、福来さん。おれたちに、大英雄のことを教えてもらえませんか? もしくは、大英雄を知っている擬似人格を」
「知ってどうするのですか?」
 それまでの揺らぎが嘘のように、真宵の声は冷たかった。いや、意識的に冷たくしているのだろう。
「大英雄を知って��うするのですか。彼らは既に過去の人です。この戦局を変えるような存在ではありませんよ」
 その真宵の言葉に反論したのはイナだ。
「なぜ、そんなにも大英雄と呼ばれる人々が隠されるのですか。名前すら見つからず、功績だけが噂されるだけの存在にされて」
「彼らは罪を犯したのです」
 痛ましい罪です、と真宵は続ける。その言葉に、今度はゆらぎたちが戸惑う。
「大英雄が死んだことで、多くの人々が擬似人格を残さずに自殺しました。戦いへの絶望、未来への絶望、自分が立つべき場所を失った人々は、その命を手放しました。それは罪です。私は……あの光景を記録として知っています。あの地獄の底のような怨嗟を知っているのです」
 ですから、と彼は話を続ける。
「大英雄は隠されたのです。これ以上、彼らがいない現実を受け止められない人々を増やさないように」
 その説明に納得できなかったのはルナだ。
「おかしいやん。確かに人類が負けたことに絶望した人がいたかもしれへん。でも、それが大英雄のせいなん? 違うやろ、全部受け入れられなかった側の問題やねん。そんなんで、その人らが隠される理由にならへんわ」
 それに、と彼女は小さな声で尋ねる。
「名前まで隠して……おらん人のことを思い出すのも、罪なん?」
 ルナの言葉に真宵は複雑な表情を浮かべる。彼もまた必死に何かに耐えるようにして言葉を紡ごうとしていた。
「彼らは……海下涼と高城綾春は」
 大英雄の名前が出された時、第三者が現れた。
「珍しいな、自動人形のお前がそこまで口を滑らすなんて」
 低い大人の男の声だった。その声でハッとしたような表情をうかべる真宵は、何かを断ち切るかのように「なんでもないです」と言ったきり無言となった。
 一体誰が、と思ったゆらぎたちは、振り向いて固まる。そこにいたのは、随分とガタイのいい男と、無表情の美しい女性であったからだ。
「……アレク、それからアンナ。ああ、そんな時期でしたね。二人ともいつものですか?」
 男女の名前を真宵が呼ぶ。そして、簡略化した問い掛けを彼がすれば、やってきたばかりの二人は頷いた。その仕草に真宵は了承の意味で頷き返し「少し準備をしてきます」と告げてその場を離れる。
 置いていかれた三人に向かって、やってきた二人組が近づいた。
 男は筋肉質で、身長は百八十を超えていた。身体つきだけならばエイト・エイトと似たようなタイプだが、刈り上げた黒髪と金色の鋭い猫目が相まって、威圧感がある。
 対し女はゆらぎよりも少し大きい、ややまるみのある身体つきだった。もしかしたら全身を覆う服装なのでそう見えるだけかもしれない。ゆるく結われた白髪が腰を超えており、右目を隠すかのような髪型。出された紫色の目は丸く、無表情でありながらも美人だというのはよく分かった。
「……獅子夜ゆらぎだな」
 男がゆらぎを見て、その名前を当てる。ゆらぎもまた、この男女に見覚えがあった。
「そうです。ええと、あなたたちは」
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はアレク・リーベルト。ナンバーズの二番パイロットだ。こっちが、パートナーのアンナ・グドリャナだ」
 そこでアンナは両手を動かして何かを伝えようとした。
「よろしく、だとさ。……悪いが、アンナはこの都市ファロスに来るときの事故で、声が出せねぇんだ。耳は聞こえるから、挨拶は声で問題ない」
「そうですか。改めまして、五番のオペレーターになりました獅子夜ゆらぎです。こっちの二人はおれの友達の」
「イナ・イタライだ。オペレーター候補で、相棒予定がこちらの」
「早瀬ルナです。イナっちと組む予定のパイロット候補です」
 それぞれが挨拶すれば、アンナがおもしろそうに笑って何か手を動かした。
「あの?」
「ああ、お前たちが随分と礼儀正しいからあの馬鹿どもには苦労させられそうだな、とさ。俺も同意見だ」
 問題児どもに迷惑掛けられたら、さっさと他のナンバーズに言えよ、と続くアレクの言葉に、ゆらぎたちは曖昧な表情を浮かべる。その問題児たち以外に現状出会ってないのだ、彼らは。
 困った現実を知ってか知らぬか、いや興味もないのか、話が元に戻される。
「……真宵に大英雄のことを聞きにきたのか」
 唐突なアレクからの問いかけに、頷く三人。
「あいつがあそこまで大英雄の話をしないのは、仕方がないんだ。大敗の記録はあっても、記憶はない」
「え」
「自動人形は稼働年月に明確に決まっている。それで同一素体――あいつのは場合は杏花シリーズだな――に記録を書き込んで目覚めるんだが、真宵は不完全な起動だった。三十年前の大敗の記録はあるが、先代の感情は一切受け継がれず、目覚めたばかりの身で理不尽な現実と向き合うことになった」
 淡々と告げられる説明に当時を思い出したアンナはそっと目を逸ららす。彼女の肩をアレクが抱き寄せた。
「大英雄を失った地獄で目覚めたんだ。そこからずっと大英雄という存在を恨んでいる。俺たちもこの都市に来る洗礼で取り乱したが、それ以上だったよ、真宵は」
 その優しい目とともに吐き出される残酷な言葉に、ゆらぎはなんて言えばいいのか分からなかった。
「長いお付き合いなんね」
 代わりにルナが返せば、アンナが何か告げようとした。それをアレクが訳す。
「長いさ。あいつの起動と俺たちがファロスに来たのは一緒だった。同じ地獄を見たんだ。俺たちのことなんかさっさと割り切ればいいのに、あいつは律儀だ。だから、未だに大英雄のことを口にするのを躊躇う」
 そこまで説明されてしまえば、ゆらぎたちはこれ以上の追求を諦めるしかない。しかし、大英雄である二人の名前は分かったのだから、少しは収穫があったと言えるだろう。
「そう言えば、先程いつもの時期と」
 イナの疑問にアレクは「墓参りだよ」と返す。それにアンナも頷いた。
「誰のだ?」
「お前たちが尊い犠牲にならないように頑張った連中」
 その瞬間、ゆらぎたち三人は顔を硬らせた。
 自分たちが無事に都市ファロスへ到着していたから忘れかかっていたが、あの時列車の中で見た画像には、ペティノスの猛攻を受けたイカロスたちが確かにいたのだ。
「忘れるなよ……犠牲は常に出る」
 アレクの言葉に続くように、アンナもまた頷く。彼らはそれだけの犠牲を見続けたのか、とゆらぎが思った矢先に「かと言って、悪夢世代の俺たちのようにはなるなよ」と苦笑混じりに告げられる。
 聞き覚えのない単語に、ゆらぎだけでなくイナやルナも首を傾げた。その様子に、アンナが呆れた表情を浮かべ、何か伝えようとしている。
「呆れた、何も言ってないのかあいつらは、だと」
 ほぼそう言う意味だろうな、という予感が三人ともあったが、やはりそうだったらしい。
「あー、悪夢世代ってのは」
「十五年近く前の、ナンバーズ復活から犠牲を出しながらも生き残ったパイロットとオペレーターたちの世代のことですよ」
 唐突にアレクとアンナの前に小さなホログラムが現れた。病的に痩せた男で、顔は整っているが整いすぎている印象を抱く。真っ白な髪と真っ白な肌、そして全身を隠すかのような衣服。垂れ目でありながらも、その緑の目だけが爛々と生命を主張していた。
「ローゲ」
 アレクがホログラムの正体を告げる。
「初めまして、新しくやってきた地下世界の人類さん。俺はローゲ。この二人――二番のナビゲートAIです。以後お見知りおきを」
 にっこりと笑い、丁寧に会釈をしたローゲというAIはそのまま悪夢世代について大仰に説明する。
「まずは簡単な歴史です。三十年前の大敗の後、ファロス機関は一度壊滅しました。ですが、その際生き残った現司令官、ユタカ・マーティンとその仲間たちは大敗で重傷となった現見空音をサイボーグ化してパイロットへ復活させ、ファロス機関を蘇らせました」
 ゆらぎの脳裏に初めて会ったときのユタカの表情が思い出される。絶望的であった光景をあの人は直接見ていたのだ。
「この現見復活が大敗からおおよそ十年ほど経過しているのですが、その時の都市ファロスへやってくる新人の生存率はほぼゼロだったようです。現在四番のオペレーター、ユエン・リエンツォ以外の生存者はいません」
 ヒュッと息を呑んだのはルナだった。イナは表情も変えずに、ローゲの説明を聴き続ける。
「現見復活と何とか生き残れたオペレーターであるユエンの二人が初めて新人を助けられたのが、ここにいるアレクとアンナだったのです。……とはいえ、たった一体のイカロスでどうにかなるほど戦場は甘くないのですから、彼らの同期の半分以上は犠牲になりましたがね」
 苦々しい表情を隠しもせず、アレクがローゲの説明を引き継ぐ。
「……戦力が整い、完全に無傷で新人を輸送できたのは、お前の相棒の神楽右近たちの代からだ。それまでは、必ず犠牲が出ていた。その世代のことを」
「悪夢世代、と呼ぶのですよ」
 さらに被せるようにローゲが結論をつける。にっこりと先ほどと何ら変わらぬ笑みを浮かべて、彼はゆらぎたちを見つめていた。
「神楽右近さん、神楽左近さんの両者ともに、悪夢世代については知っていたはずですよ。なにせ、右近さんの前のオペレーターは悪夢世代の一人でしたから」
 前の人のことくらい教えてもいいでしょうに、と続くローゲの言葉に、ゆらぎは背筋が震える。
 彼が暮らす部屋は、かつての主の日用品が残されていた。いや、正確には適当な箱に詰め込まれて部屋の片隅に置かれていたのだが、それが誰だったのかを教えてもらったことはない。右近に尋ねてもはぐらかされるし、左近に尋ねたところで邪魔なら引き取るとだけ返された。それだけで彼らの持ち物ではないのは明白だ。だが、処分するには躊躇う何かがあったようだ。
「あの」
 ローゲに向かってゆらぎが質問しようとしたとき、真宵が「お待たせしました」と彼らの間に割って入る。
「準備ができましたよ」
「ああ、そうか。ローゲ、端末に戻れ」
 アレクの呼びかけに、すんなりとローゲはその場から消える。そして彼らは真宵がやってきた方向に歩き出そうとした。が、そこで何か思い出したのか、アレクがゆらぎに声を掛ける。
「そうだ、獅子夜。神楽右近に伝えておいてくれ。前を向いたんなら、いい加減に元相棒の墓参りくらいしろってな」
 それだけを告げて、アレクもアンナもあっさりと去っていった。
 呆然としたまま、ゆらぎはその場に立ち尽くす。
「少し話が途切れてしまいましたが、私は大英雄については」
 戻ってきた真宵は先程の話の続きをしようとしたが、それはイナもルナも首を横に振って止めた。いない間にアレクたちが何か言ったのを察したのか、真宵は「そうですか」と安堵の表情を浮かべる。
 話はそれで終わりになるはずだった。だが、
「あの……ナンバーズで五番のオペレーターだった方をご存知ですか?」
 ゆらぎが真宵に全く違う話を振った。
「亡くなった五番のオペレーター、ですか」
「おれの前に、神楽右近と組んでいた人です」
 その言葉で、ゆらぎのポジションが分かったのだろう。真宵は「ああ、あなたが新しい五番のオペレーターだったのですね」と納得の表情を浮かべる。
「確かに、五番の前オペレーターであるスバル・シクソンとは交流がありました。それに彼は自分の死後の擬似人格の起動に関して、遺言がありましたから」
 自殺や死ぬ直前に擬似人格を残さない意思表示がされた場合は、このデータが残らないのもゆらぎたちは知っていた。が、まさか起動にまで条件をつけられるとは思っていなかった。
 だが、それよりも先に彼が気になったのは。
「名前……スバル・シクソンと言うんですね」
「そこから、ですか」
「何度か聴いたかもしれませんが、直接教えられたことはおれにはありません」
「……スバル・シクソンはとても優れた人でした。それ以上は私からは告げられませんが、彼の擬似人格の起動には特別な条件が付けられています。未だこの条件は達成できていないため、私からあなたにスバル・シクソンの擬似人格へ対面させることはできません。申し訳ないのですが、故人の権利としてこれを破ることは、ここの管理を任されている自動人形の私には不可能です」
 もしも、擬似人格が起動したら是非お話してください、と真宵はゆらぎを慰める。
「新しいオペレーターのあなたと話せば、彼もより早くナビゲートAIになれると思いますが、まずは……神楽右近に来ていただかないと話が進まないですね」
 そう残念そうに告げる真宵に対し、ゆらぎは弱々しい声で「伝えておきます」と返した。
 そして彼は真宵から離れ、送り火の塔から出ていく。通り過ぎる際の弱々しさと、浮かべる複雑そうな表情に、イナとルナは不安を抱いた。
「獅子夜」
「ゆらっち」
 後を追った二人がゆらぎの名前を呼ぶ。そして、両者ともにとっさに手を伸ばした。友人たちの様子に気づいたゆらぎは伸ばされた手を握り、微笑む。
「大丈夫」
 優しい友人たちを安心させるように、ゆらぎはしかたがないんだと口にする。
「たぶん右近さんたちは、まだ前を向いただけなんだ。歩けるほど割り切ってはないし、未練がましく後ろが気になってしょうがないんだよ。きっと、それくらいに、スバル・シクソンという人が大きな存在だったんだ」
 そこまで言って、ゆらぎは深呼吸した。そして、今度は力強く宣言する。
「そんな人におれも会いたいよ。会って、話して、ついでに右近さんと左近さんの弱みを握れたら握りたい。できれば恥ずかしい話で」
 その真っ直ぐなゆらぎの思いに嘘偽りはなかった。
 途端にイナは吹き出し、ルナは声をあげて笑う。
「ええな、それ。ゆらっち、散々振り回されてるわけやし、うちもあのお二人の話気になるわぁ」
「それだったら僕も協力しよう」
 三人が三人ともあはははと笑い、握っていた手を話したと思えば肩を組んだ。
「獅子夜、無理はするな。お前は何も悪くない」
「そうそう、ゆらっちは正真正銘ナンバーズのオペレーターなんよ。どんだけ前のオペレーターがすごいお人でも、ゆらっちだってすごいんだからね」
 その優しい思いやりに、ゆらぎは二人を力強く抱きしめる。
「……うん、ありがとう……二人がいてくれて、本当によかったよ。おれは未熟だけど、確かにナンバーズの五番のオペレーターで、神楽右近の相棒なんだ。慢心もしないし、怯みもしない」
――おれは、イカロスであの人と一緒に飛ぶんだ
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harinezutaka · 3 years
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一年前日記25(2020年6月17日~6月23日)
6月17日 だらだらしがちだったので、午前中に買い物に行こうと思い、ついでにモーニングにも行った。平日の喫茶店のモーニングに行くと、自分の感覚が15年ぐらいギュイーンと戻される感じがする。世の中は自分が思うほどそんなに進んでいないんだな。このギュイーンは、時々意識的に経験しにしかないといけないなと思う。お昼はサーモントロ丼の温玉のっけ。朝のコーヒーは違うかったみたい。胃がイヤイヤと言っている。俳句の選句。食べたものや飲んだものの句ばかりで楽しい。夜ご飯は、蒸し鶏、中華風コーンスープ。お風呂に入ってから、アマヤドリさんの動画を見ながらゆっくりストレッチをした。
6月18日 午前中、掃除。自分で作っていたコロナの感染者数の表を久しぶりに更新した。近くではほとんど増えていないみたいだけど、時々チェックするようにしよう。4月ごろに作ったこれから起こり得るだろうことの一覧には3つぐらいのチェックが入って止まっている。次あるとすれば、「死者が1000人を超える」だろう。夜は友達とご飯。4月ぶりかな。美味しいとうわさの貝のラーメン屋さんへ。美味しかった。近くに遊びにきた友達はここに連れていけばいいんじゃないだろうか。車じゃないとなかなか行きにくいところだし。
6月19日 いつもの2人組の1人、最近はアイスコーヒーになっている。って16日にも書いてるじゃん。すっかり忘れていた。大丈夫か私。今日の仕事は自分のペースでできた。帰り、実家に寄る。��は米を買いにスーパーへ。父に父の日のプレゼントを渡す。Tシャツ。喜んでくれた。お菓子を食べながら雑談。家族っぽい。やっぱり父がすごく変わったと思う。母も穏やかになった。「これ持って帰り」とイカをくれた。夜ご飯は、とんかつ、キャベツと油揚げの味噌汁。健康診断の結果が返ってきていた。心電図とコレステロールがB判定だった。心電図はいつもひっかかる。コレステロールは善玉が高いので、あまり気にしてなかったんだけど、今回は総コレステロールも高めだからちょっと良くないのかも。前の日にクレープとか食べてたしな。反省。ちょっとひっかかっただけで、めちゃくちゃビビってしまって気をつけようと思うのに、親とか見てるといっぱいひっかかって薬飲みながらも、わりと好き勝手に生きてるのってすごいよなと思う。喉元過ぎればってやつなのかしら。そして人間って結構しぶといのなって思う。
6月20日 カウンセリングに行く。来院で予約を取ったつもりだったが、基本的に今はオンラインらしい。先生は病院にいたので、急遽対応してくださる。ボード越しに前回からの気づきなどをひと通り話した。自分の傷つきに鈍感だったことで誰かを傷つけていたんじゃないかと思うと話すと、「別に傷ついてないんじゃないですかね。その人」と言われた。そうなのかな。もっとシンプルに「自分が傷ついた」と言いたいのかもしれないな。何かそれを邪魔しているものがあるんだろうな。確認すると今回で7回目らしい。もう話したいことは特になくなった感じ。それでも来てもいいのかと聞くと、全然オッケーらしい。何でもない雑談のなかに気づきがあることも多いとか。少し間隔を空けながら続けてみようかな。お昼はティムマッマの新店舗へ。ひとり火鍋が食べられるお店。ティムマッマは学生時代に岡本の市場にあった時代から大好きなお店。あそこから手広くやられていてすごいなあ。今回は商業施設の中でお酒も飲める。しっかり落ち着ける雰囲気もあり、さすがだなあと思う。一人鍋というコンセプトも今にバッチリハマっているし。いろんな時間帯に行ってみよう。その後KIITOの『イスイズサイズ』展を見に行く。いろんな人に合わせた椅子がたくさん。家具をデザインするって楽しそう。これだけ世の中の変化が激しいと家を建てるのもなかなか難しいが、椅子ぐらいならこだわってお願いしてみてもいいかもなあ。健康のためにも座り心地は大切だし。図書館で予約していた本を受け取って帰宅。本はめちゃくちゃ重かった。夜ごはんは、イカとズッキーニを、サッと茹でてごま油とレモン塩で味付けしたやつ、ハムと玉ねぎ入りのリゾット。どちらも美味しくできた。今日の太田さんは佐賀へ。太田さんもイカを食べていた。来週からは野球なので中止のとき以外はお休みになる。今日も暑いは暑いが爽やかな日だった。コロナで時間の感覚もおかしいうえにこんなに爽やかだとまだ5月みたいな気がする。ネットで「ひょうたん」の閉店を知る。神戸の街の景色みたいなお店がなくなってしまうのは悲しいな。
6月21日  日曜日  読書とちょこっと掃除。お昼ごはんを食べながら、『野ブタをプロデュース』を見る。最終回の前の回。ぐぐぐっと引き込まれる。夕方、父から連絡。晩ご飯を食べに来ないかと。急だなあとか、何でかなとかいろいろ思い少し葛藤。父がそんなこと言うのも珍しいし、結局行くと返事をした。夫も義実家に父の日を渡しに行くことになった。5時ごろ向かう。特に何があったわけでもなく、父の日のごちそうだった。姉が送ってくれたローストビーフを温めて切る。他にもうなぎやお寿司、サラダなど。今日はお酒も解禁していた。昔の話をたくさん。母にとっての昔の話は母の小さい頃の話。大変だったけど楽しかったんだろうな。そういえば、自分が小さい頃の話とかはあまりしてもらったことがないな。だからずっと記憶がぼんやりしたままなのかも。今思えば、両親ともに、ACだったんだろうな。そういう時代の人なんだろう。明るく振る舞いながらも、ずっと我慢してきたしんどさの歪みが今出てきてるんだと思う。8時ごろに帰る。自分の気持ちを優先すれば「行けないと断わる」だったのかもしれないとそうできなかったことに悶々としていたが、行ってよかったなと帰り道には思った。純粋に会話が楽しかったし、自分が子どもの役割を演じている感じがしなかった。すぐに巻き込まれずに、一度考えて、その上で行こうと決めたんだからそれで良かったんだろう。「断わるほうが正解」で正しいほうを選ばなくちゃというのは、自分の考え方の癖だと思う。ややこしいけれど、本当は行きたかったから行っただけなのかもな。って、これも自分の納得するストーリーを作り上げてしまってるのだろうか。むむむ。湿気もなくて涼しい爽やかな週末だった。
6月22日 まあまあ天気も良かったので布団を干した。気になっていた網戸の掃除もする。あとはクレジットカードの変更手続きとかメルカリの出品とかもろもろ。お昼からは音楽をかけながらの野菜仕事。玉ねぎをひもで吊すのを初めて自分でやってみた。YouTubeを見ながら。夕方、ドラッグストアとコンビニへ行く。夜はカレー。最近カレーの作り方が固まってきた。香味野菜と肉を炒めたところにスパイスいろいろ投入、炒めた玉ねぎとフレークのルーを入れてペースト状にする、なんらかの水分と甘いものと酸っぱいものを入れて少し煮て火を止めて放置。各ステップでお鍋についた焦げかけのところを綺麗にするのも大切。夫は会社の面接で評価が良かったらしく、嬉しそうだったというかびっくりしていた。このご時世にありがたいことだな。あまりこれまで報われることがなくて何度も転職してきているが、今回の職場は今までで最長記録を更新し続けている。それでも私から見るとなかなかブラックだけど、今まで苦労してきただけのことはあって根性あるなと思う。いつもどんよりしていたので、こんな日が来るとはという感じだ。この間ジブリのプロフェッショナルを見て見たくなったと『風立ちぬ』のDVDを買っていた。私もとても好きで二回映画館に観に行った。そのうちの一回は夫と観に行った。その帰りに結婚することにしたのだった。二人で半分ぐらいまで見る。何度も観れるの嬉しいな。
6月23日 仕事の日。お昼ご飯は、スープジャーのお粥。具材は緑豆と切り干し大根。味付けは鶏がらスープ。優しい味でばっちり美味しかった。胃腸の元気は、気持ちに繋がる。だんだん元気になってきた。本屋で雑誌を買って、カフェに寄り道。今の雑誌、リモートで作られているからかあまり洗練されてないところがとても面白いと思う。すごくわくわくする。GINZAを買いました。クローゼット特集。夜ご飯は、塩麹につけていた豚肉と玉ねぎを焼いたの。塩もみしたきゅうりをばさっとのっけた。ズッキーニと油揚げの味噌汁、煮豆、ぬか漬け。夫は仕事帰りに鍼に寄っていたので、ご飯まで少し時間があるなと思い、私は6時からアマヤドリさんのストレッチをして、頭を洗った。頭を洗うハードルが高いので、先に洗っておくと気持ちが楽。眠る前に湯船にじゃぽんと浸かり漫画を読んだ。夫も鍼の先生に「マスクが裏です」と言われたらしい。マスクの裏表に無頓着な夫婦だな。10時前には就寝する。
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tanuyamafia · 3 years
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 五十代後半を迎えた僕の父は、稀代の酒狂いだ。誉高き現代の医学的見地からは、アルコール依存症患者との称号と診断書、反知性主義にも傾きかねないカウンセリングを授かっている。それなりに歴も長く、僕が中学生二年生の頃から──かれこれ十年目を迎えようとしているのだから、まあ大したものだろう。ベテランと言っていいくらいかもしれない。僕としては、何とか上手いこと距離を取って彼と付き合っているつもりだ。もちろん、背中に手が回るようなエピソードはひとつやふたつじゃ済まない。ティーンネイジャー当時には特有の父親との衝突や、流血沙汰もあった。でもまあ、家族ってそういうもんだろう。
 ブルース・スプリングスティーンというシンガー・ソングライターがいる。" The Boss"の愛称で慕われる彼は1973年のデビュー以来、現在に至るまで精力的に活動を続けていて、71歳を迎える今年2020年には通算20枚目となるアルバム『letter to you』を発表した。代表曲である"Born in the U.S.A"、またはUSA for Africaのメンバーとして参加した"We Are The World"などで彼の声を耳にした人も多いかもしれない。日本国内で例えるならば、矢沢永吉や佐野元春の立ち位置に近いのだろうか?よくありがちな一言で彼を定義するならば、「大御所ロックミュージシャン」だといって間違いないはずだ。どう頑張っても僕個人の趣向や音楽遍歴とは繋がりようもないものだから正直何とも言えないけれど、彼のシャウトやハスキーなその歌声から、何か心動か��れるようなものはなくもない。少なくとも、彼が熱烈な支持を受け続けている所以の片鱗のようなものは伝わる。
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話を父に戻そう。
父は稀代の酒狂いという側面を抜きにしても、エピソードに事欠かない人物だ。2007年頃、父親が一週間ほど姿を消したことがあった。平然としている母親に事情を聞くと、「イギリスに行った」と一言だけ吐き捨てた。どうも怒り心頭なようで(子供の頃の僕は親の機嫌を察知することに長けていた)、それ以上のことは聞けなかった。後日、帰国した父親に話を聞くと、「ブルース・スプリングスティーンのライブを観に行っていた」と得意気に教えてくれた。御土産とし���ユニオンジャックの上に"The Boss"の顔が模されたキーホルダーを貰ったことを覚えている。
 また、父は日本のブルース・スプリングスティーンのファンの間ではよく知られた存在だったそうだ。現在は削除されているようだが、その界隈のプラットフォームとなるホームページを運営していた。熱心にブートレグを集めてはキーボードの前に座り、サイトの更新に勤しんでいた姿をよく覚えている。僕にとって、「父親の背中」とはそんな光景だった。家族でドライブに出掛けるときにも、車内のBGMは決まってブルース・スプリングスティーンだった。助手席の母は毎度のことながら、演技らしい溜息を吐いていた。
 ブルース・スプリングスティーンは、アメリカでの認知度に比べると日本での人気はかなり低いらしい。当然、来日公演はほとんどなく、最後に日本でコンサートを行ったのは1997年(奇遇にも僕の生まれ年だ)。父にとって、その目と耳でブルース・スプリングスティーンを観たイギリスのライブとは感慨深いものだっただろう。馬鹿にならない旅費を根拠に猛反対したであろう母を振り切り、子供に告げることも忘れて飛行機に乗り込んだ父の心境に、十年以上経った今になってなんとなく思いを馳せている。
 父がアルコール依存症と診断されて以降、母と弟は父の元を去った。家族でのドライブや、父の流すブルース・スプリングスティーンとそれに頭を抱える母の姿も、もう見ることはないだろう。母と弟は現在、父の住まいと同じ市内にある祖母の家で暮らしている。僕はというと大学進学を機に上京していて、父と顔を合わせるのも年に数回程度だ。父は現在、一人暮らしをしているということになる。大部分においては父の自業自得であり、病気ということを加味しても同情の余地は特にない。母と弟が疲れ果てていたことはよく知っているし、僕も父との苦い思い出は数え切れない。今となってはドライに俯瞰できる僕を、ティーンネイジャーの頃の僕が見たら気絶するかもしれない。
 一方で、父に対して何の感情も芽生えないという訳でもない。言語化が難しいけれど、過去の出来事と現在の距離、その狭間で起きた出来事が、三角錐のような構造を持って僕の心のいちばん柔らかい部分にそっと居座っている。アンニュイで脆く、掴み所のない関係性と感情に解答を見出せていないのだ──あるいはブルースなら、何か歌ってくれるかもしれない。「でもまあ、家族ってそういうもんだろう」とか嘯いて、" The Boss"一流の振る舞いで僕の肩を叩いてくれるのかもしれない。
ここまで書き殴って、子供の頃に散々聞かされたブルース・スプリングスティーンの諸作の中で、唯一好きだった曲を思い出したので、出来の悪いオチに添えて引用しておく。いい歌詞書くじゃん、ボス。
I want a thousand guitars.
俺が欲しいのは、数千のギター
I want pounding drums.
俺が欲しいのは、轟くドラム
I want a million different voices speaking in tongues.
百万の声で語ってくれ
This is radio nowhere.
どこにもないラジオからどうぞ
Is there anybody alive out there?
この音は聴こえているか?
Bruce Springsteen"radio nowhere"(2007)
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tanakaeri · 1 year
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計画を立てながら望む
何事も計画を立て イメージを描きながら 進んでいきたいですね   いつもどうしようかと その場その場で考えていると   自分の感情や 他者の感情に とらわれすぎてしまう事があります   一時的な感情に惑わされず   今できる最善の選択ができますよう 願っております   まだ夜は冷えますね   あたたかくして お休みくださいませ   名古屋ルーム・新舞子ルーム 田中絵里  
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takeuchiyoshihiro · 2 years
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#愛知県知多市 #新舞子 にある #カウンセリングルーム です。 #心理カウンセリング #くれたけ心理相談室新舞子ルーム #田中絵里カウンセラー (愛知【くれたけ心理相談室】) https://www.instagram.com/p/CfOUAomLqGH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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manganjiiji · 7 months
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桜くつ器
「くつ」というのは今自分で考えた動詞で、その場に固定するみたいな意味です。くくりつけるとか、打つとか、木槌で叩いてぴんと固定させる感じ。なにかいい漢字がないかなと思ったけど、思いつかなかった(と思ったが、「繰つ」というのがいいかもしれない、口が3つもあって硬そうなところがいい)。桜くつ器というのは、桜が固定されて飾られている器の意。
カウンセリングに行ってカウンセラーの先生に3ヶ月ぶりに話をしてもらい(ずっと予約の電話をかけることができず、3ヶ月ぶりとなってしまった)、さまざまなことが整理され、やっと、ここ数週間のうつ状態からすこし回復したように思われる。とくに一秒ごとに噴出していた希死念慮は無くなった。帰りに蔦屋書店に寄ってしまい、まさかここで本を買うとは思わなかったのだが、文庫本4冊をレジに持っていっていた。まだ前に買った本を読み終わっていないのになぜかこのようなことをしてしまう。これは23歳くらいからずっとそう。恐ろしい書籍購買依存症だ。「本を買う」という行為にのみ意味があり、読むことは全然しない。たまには読むが、1冊を頭から終わりまで読み切るということは殆どない。最近はその事に罪悪感も苦悩も呆れも何も覚えなくなってきた。この数ヶ月本を買うことをやめられていたのに、いきなりこのように浪費してしまい、衝撃もあるが、まあいつもの自分だなと思った。『京都SFアンソロジー』『貝に続く場所にて』『クララとお日さま』『実力も運のうち』の4冊。京都SFは暴力と破滅の運び手さんの「ピアニスト」が読みたくて買った(まだエチ小賞アンソロも読み終わっていないし、ブラームスの乳首も読み終わっていないのだが)。貝に〜は、書店で見て、芥川賞と群像新人賞の受賞作で、言語に関する物語とあったので、かなり気になって買ってしまった。講談社文庫はビニールが最初からかかっていて中が見えないのだが、帰宅してビニールを破って(この作業、省略したい。講談社は早く正気に戻って文庫本にまでビニールを掛けるのはやめてほしい)中を見たら、かなり余白の多い組版で、行間もひろく、見た目のうつくしさに拘りを感じた。いかにも芥川賞受賞作という感じで良い(組版への拘りというと黒田夏子の『abさんご』を思い出す。あれもかなり好きだった)。クララとお日さまは、ことこさんに内容を教えてもらった時に読みたいと思い、文庫化もしたことだし、と買っておいた。ひじょうによい子のAIの一人称で、カズオ・イシグロのいつものあれですよ、と言われたので(語り手の認識と世界との齟齬というかズレが特徴的なことが多い)、そして立ち読みしたところクララ(AI)にかなり好感を持ったので、読もうと思った。マイケル・サンデル(実力〜)は、かなり西洋哲学やキリスト教的価値観を引いて解説している(おそらくアメリカ人の状況を)と感じたので買った。『資本主義の〈その先〉へ』(大澤真幸)を読んでいるところなので、かなり内容に惹かれた。昔からだが、やはり「アメリカ」というものの面白さが私の冒険心を掻き立てる。同じくらい「日本」というものも面白いのだが、日本には一見してわかるような一貫性がない。だからこそ歴史の追いがいもあるのだが、やはりプロテスタントの「理想国家」として作られた人工物のアメリカのほうが理解しやすく、直截的なエキサイティングが得られる。昨日観劇したミュージカル「ラグタイム」では、二十世紀初頭のアメリカのフランス系アングロサクソン、ラトビア系ユダヤ、アフリカ系黒人の三つの民族の交わりがえがかれており、面白かった。私はスウィング・ジャズが好きなので、音楽としてのラグタイムにもっと言及があるのかしらんと思ったが、そこは特になかった。ミュージカルとしては、クラシック、ラグタイム、スウィング、ポップスと、割とオーソドックスなラインナップだったので、音楽的にはそこまでラグタイムに特化していたわけではなかった。そもそもこのラグタイムという語の、本来次の音が来るであろう箇所(次の拍)ではまだ音が来ず、ラグがあって少し拍より遅いところで次の音が来るシンコペーションのことを表している本来の意味とともに、さまざまな人種や民族がアメリカに絶えず流入し、立場がさまざまに変わりながら、「アメリカ人」になっていくまでのラグタイム(過渡期、猶予期間のようなイメージ)を描いているということなのかもしれない。私は音楽的なラグタイムは、クラシックとジャズを繋ぐ時期のもの(リズム、シンコペーション)という認識なので、まさにラトビア(欧州、クラシック)から移民としてアメリカ(新大陸、ジャズ)へ渡って、映画監督として「アメリカ人」として認められるまでのターテ(俳優は石丸幹二さん)の不遇の期間のことと考えると自然だ。音楽を、ジャズを主体としたミュージカルというのが見てみたいと思う(映画でも)。そういう作品はたくさんあるので、そのうち出会えるといいなと思う。そういえば前回日生劇場で見た「ジャージーボーイズ」はジャズを通り越してポップス…というかブルー・アイド・ソウル(白人がアレンジしたR&B)またはロックの話だったが、アメリカの商業音楽の世界を存分に楽しめた。ジャズのミュージカルとしては誰に焦点を当てるかだが、誰に当てても大物だらけの舞台(要素がもりだくさん)になってしまい、かつミュージカル・ナンバーもジャズにしないと成り立たなさそうだが、日本のミュージカル俳優はジャズ・シンガー(の歌い方)ではないので、なかなか難しいのではないかと感じる。「ラグタイム」ではサラ(黒人女性)役の遥海さんの歌唱が圧倒的で(彼女だけミュージカルの発声ではなく、全編通してソウルの歌い方だった)、歌だけでいえば主役の3人を凌駕していたのではないかと思う。完全に自分の声を縦横無尽に舞台全体で走り回らせ、かつコントロールも完璧だった。ミュージカルの歌い方では、ああいう芸当はできないというか、そもそも方向性が違うのでなんとも言うべきではないが、ソウルやジャズの歌い方もできるミュージカル俳優というのがもしいたら最強だろうな、ということを夢想した。クラシックの基礎の上にジャズの歌い方もマスターしているとなると、日本では平原綾香やKOKIAが私などは浮かぶが(上の世代だと美空ひばりや森山良子だろうか)、芝居も歌も極める上に、歌は2種類も、というのはやはり難しいのだろうか。我らが東啓介氏(私が舞台刀剣乱舞のバックステージ映像で好きになり一時期ガチで応援していた俳優)に関しては、私は今回もあまり納得が行かなかった。同行した友人は「28歳だし、そんなにすぐに変わる(成長する)ものではなく、熟達を求めるのは10年後とかかなあ」というようなことを言っていて(記憶違いがあったら申し訳ない)、私は東啓介にあまりにも多くを求めすぎているのだろうか、と思う。応援していることは応援しているのだが、追っていた頃の急成長と比べて、本格的なミュージカル俳優となってから、舞台上で分かりやすい「成長」というのが感じられないため、刺激に飢えているのかもしれない。演技もいつも同じに見えるし、発声の仕方も特に試行錯誤するでもなくいつも変わらず、なんかこう、変化…バリエーションが無い。それがつまらなく感じる。育ちが良く上品な所作、という当て書きのような役柄を続けて見てしまっているせいもあると思う。5DAYSの時みたいな、もっとしょうもない若者とか、マタ・ハリの時の恋に狂った青年とかの、本人の育ちの良さを封印するような役の方が見てみたいなあと思う。もっとヘドロの中を生きてきたような役を与えられた時に、果たしてどこまで生来の「品の良さ」を封印できるのか。というのは、彼を起用する演出家やプロデューサーが、どこまで東啓介の演技に期待してくれるのか、という問題も関わってくると思う。舞台上の発声はもっと先輩俳優の声の響きを聞いて試行錯誤してみてほしい。声が小さくても響かせるための発声。歌い方も最初の子音の破裂音というか呼気が入りすぎているが、これも前回から変化なしで、歯がゆい気持ちになった。歌はロングトーン以外でも「聴かせ」なければならないが、今のところロングトーンがないと東啓介の��声はあまり目立てないというか、ほかの歌声との差別化が為されない。これに関してはどうすればいいのか素人にはわからないが、とにかく今までの練習や方向性を踏襲するのではなく、さまざまなやり方、歌い方、技法、発声方法を試して、もっと声に色をつけてほしい。ファンレターに書けばいいことを長々と書いてしまった。ファンレターに書きます。
夜、じゅんえん先生と話していたら赤森さんが来訪し、最終的に2時過ぎまでウエルベックの小説や文化や価値観の違いについて話してしまった。私は『ある島の可能性』を見つけて買って持っているだけでまだ最初の3ページしか読んでいないのだが、今日あらすじを聞いて、中身を結構拾い読みして、どんどん読んでいきたいと思った。ウエルベックを紹介する時の赤森さんは「とにかく中年男性主人公がキツい(見ていてキツい、キショい)」ということを語るのに非常に活き活きとしていて面白い。赤森さんはもともと面白い方なのだが、ウエルベックを語る時の赤森さんは「主人公のここが無理」ということを鮮烈に話してくれるし、ストーリーの面白さもきちんと伝えてくれるので、凄いなあと思う。ちなみにファフナーをTwitter上で語っている時の赤森さんもかなりのエンターテイメント性がある。
じゅんえん先生は酒が飲めない、かつ所得の低い私のことを気遣って、飲みに誘わないでいてくれたのだが(とても優しくて感動した)、今後は数回に一回は混ぜてくれるらしい。私があまりにも拗ねすぎたなと思ったのでやや反省した。
2023.9.19
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kozuemori · 25 days
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桜が満開を迎え、今週末は花見をする人も多いのでは。ちょっと曇り空ですが、それもまた趣深いものがありますね。春学期のクラスでは『もののあはれ』というタイトルの平安時代の美意識をヒントにした誘導瞑想を作りました。桜はちょっとタイミングを逃すとすぐに散ってしまうので、しみじみとした情趣や無常感的な哀愁である『もののあはれ』を体現しているかのような花です。
この『もののあはれ』の『もの』とは、形のある物体や存在が感知できる対象である『物品』とは別に、仏・神・魂などの霊的な作用をもたらす存在を表す言葉でもあります。(広辞苑)また『ものがたり』の『もの』も、さまざまな霊力を持った登場人物を指す言葉で、元は超現実:シュルレアリスムの世界を語るという意味でした。(日本国語大辞典)ですから、世界各地で古くから伝承されている『ものがたり』には、神々や鬼、妖精や天使などの霊的なシンボルである登場人物が多く存在します。また、能の世界でも舟・鐘楼・井戸などをあらわす『つくりもの』などの『もの』がつく舞台装置は、すべて霊界との媒介とされています。
昔から大好きなのは、そういったさまざまな『ものがたり』と出会うこと。春休みに入ってちょっと時間ができ、積読していた本を消化していますので、最近読んだ本を何冊か紹介いたします。(写真上:副題は省略しています)
・死後も生きる〈意識〉:ピーター・フェンウィック・エリザベス・フェンウィック
イギリスにおける臨死体験に関する研究の第一人者とその配偶者であり医師の共著。臨死体験談がメインで読みやすいです。英語のタイトル『The Art of Dying』は中世のペスト・パンデミックにより生まれた書物のラテン語タイトルの直訳で『往生術』という意味です。
・- 想念形体 - 思い��生きている:アニー・べサント・チャールズ・ウェブスター・レッドビーター
著者はどちらも透視能力を持つ神智学の学者で、人のオーラ、さまざまな想念形体をビジュアル化したものがカラーで解説と共に掲載されていて興味深いです。バーバラ・アン・ブレナンの著作『光の手』に掲載されているオーラのヴィジュアルと比較してもいいですね。
・霊魂だけが知っている:メアリー・ローチ
科学ジャーナリストによるスピリチュアル・エビデンス探しの旅。有名なミディアム、アリソン・デュボアとのリーディング体験やアーサー・フィンドレイ・カレッジ体験記、臨死体験者へのインタビューなどを経た結果やいかに?懐疑的な意見にも耳を傾けたい人に。
・トランスジェンダーになりたい少女たち:アビゲイル・シュライヤー
別の会社からやっと出版されましたが、一部書店では出版の中止を求める脅迫のため販売を見合わせているとか。この時代に焚書などあってはなりません。反対意見を述べるなら本を全部読んでから。若気の至りって誰にでもあるけど、特にティーンの娘を持つ親は必読です。
・人生をいじくりまわしてはいけない:水木しげる
漫画家で『ゲゲゲの鬼太郎』の作者でもある著者の人生についてのエッセイ集。不思議な世界、死後の世界、霊界についても語っています。でも、人生の大先輩から「いじくりまわしてはいけないよ」って諭されても、もがいてしまうんですよね…だいぶ減りましたが。
・真似のできない女たち:山崎まどか
日本ではあまり名前が知られていない、本国でもようやく見出されたばかりの近代の女性たちの素晴らしい人生を垣間見ることができます。現在も、世界のどこかで同時進行形で活躍しているはずの、たくさんの無名の女性たちの存在に思いを馳せながら読みました。
・死者の力:高橋原・堀江宗正
東日本大震災後に語られる霊的体験に関する本は他にも何冊か読みましたが、この本はさまざまな『力』を主題とした被災地と被災者の再生を描いています。ミディアムや神職者の関わりも興味深いです。また、参考文献でアイイス会長の開堂先生の著書『自分でできる霊性開花』も挙げられています。
夏学期までの後1ヶ月、アイイスの推薦図書を読んだり、テキストを読み返したり、100日行に挑戦したり、誘導瞑想やクリエイティブな活動を楽しむのもいいですね。春の気候を満喫しながら、夏学期に備えましょう💕 ご都合が合えば、ぜひ私のワークショップにもご参加ください!お申し込みをお待ちしています。
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All About ミディアムシップ
4月21日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
4月22日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込)
両日共に同じ内容です
どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
ミディアムになりたいと思っている人、ミディアムの役割について知りたい人のための6時間ワークショップです。アイイスでの講師歴9年、ミディアム歴8年、イギリスのアーサー・フィンドレイ・カレッジにて数回に渡って講師・プロの為のミディアムシップ、サイキックアート、トランス、シャーマニズム等のワークショップに参加し、海外のミディアムとも交流のある講師による最新の情報を含めたレクチャーとゲーム感覚で楽しめる実習を通じて、あなただけの唯一無二のミディアムシップを作り上げていく過程を経験していただきます。
あなたの中に潜在する本来の能力を知り、それを呼び覚まし、育み、特化した分野をさらに伸ばして磨き上げましょう。そして同時に自分の苦手な分野を知り、それを伸ばす方法も試してみましょう。
ミディアムシップは決して完成することのない、永遠に学び、伸ばし、育むことのできる能力です。その過程を指導霊の応援と協力のもと、楽しみながら一歩一歩着実に進んでゆきましょう。大切なのは、自分に期待しながら挑戦し続けること、自分を信じて諦めないことです。練習すればするほど、そして失敗を重ねるほど感覚が研ぎ澄まされ、あなたは素晴らしいミディアムになれるでしょう。
レクチャー内容
 ・ミディアム、ミディアムシップとは
 ・ミディアムシップの種類とその役割
 ・良いミディアム、ミディアムシップとは
 ・霊能力はなぜ与えられ、なぜ失効するのか
 ・ミディアムとサイキック 
 ・想像と霊感の違い
 ・デモンストレーションとカウンセリング
実習
 ・シッティング・イン・ザ・パワー 
 ・ミディアムシップクイズ・30問に挑戦!解説付き
 ・サイキック、ミディアムシップ、トランス各実習
 ・直感と指導霊により深く繋がるための各実習
このワークショップは以下のような方に向いています 
 ・ミディアムシップついての理解を深めたい
 ・ミディアムシップの練習、経験をしてみたい
 ・ミディアムという役割に興味がある
 ・ミディアムになりたい
 ・指導霊との繋がりを深めたい
 ・本当の自分の人生の目的を探りたい
 ・自分自身の可能性や能力を探りたい
 ・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
このワークショップは2019年4月17・21日に開催した同タイトルのワークショップの内容と同様ですが、一部を加えたりアレンジしてアップデートしています
詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。
ショップからも直接お申し込みいただけます。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
5月19日   担当ミディアム:澤輪・森
6月30日  担当ミディアム:ゲスト・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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ドロップイン・ナイト 木曜日 19:00〜20:00
5月23日(木)指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
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夏学期クラスのスケジュールが決定いたしました。サイトとショップにてお申し込みを受付中です。(アイイスのサイトでも告知されています)
春学期に蒔いた霊性開花という名の種を、眩しい太陽と清らかな水、豊かな土壌、そして爽やかな夏の風のエネルギーを享受しながら、共に大切に育んでゆきませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラス 
月曜日:10:00~12:00  日程:5/13、5/27、6/10、6/24、7/8
火曜日:13:00~15:00  日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス   
土曜日:19:00~21:00  日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00  日程:5/14、5/28、6/11、6/25、7/9
木曜日:10:00〜12:00 日程:5/9、5/23、6/6、6/20、7/4
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アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00 日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
金曜日:19:00〜21:00 日程:5/17、5/31、6/14、6/28、7/12
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00  日程:5/12、5/26、6/9、6/23、7/7 水曜日:16:00~18:00  日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
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インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス  
月曜日:16:00~17:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
土曜日:10:00~11:00 日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
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マントラ入門 Zoomクラス  
土曜日:13:00~15:00 日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
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トランスZoomクラス
土曜日:19:00~21:00  日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
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サンスクリット・般若心経 Zoomクラス 
月曜日:13:00~15:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
水曜日:19:00~21:00   NEW! 日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
サイトのクラス紹介ページはこちらです。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
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wearethekuuchann · 4 years
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『おいしい話には気を付けろ!!!!!!!!』・・・体験からのメッセージ
 このタイトルの言葉は、私が経験した事、習った事、本当の意味で次の世代に伝えるべき事、世の中の事について皆様の心に訴えていきたいと思います。
 これは、私が『ガチョーン!!!!!!!!!』と、騙され、一瞬にして血の気が引いて、『絶望感』に浸った時の教訓ですので、今回は申し訳ございませんが精神障害者向けの文章ではございません。一般市民用に向けた文章にしたいと思われます。何故かと申しますと、私がまだ精神科にかかる前の話であり、(勿論ですが『ブチ』と3回切れた経験の後ですが)当時学生相談室(カウンセリング)に通室時代で、大学院を目指してた1987~1988年の自粛ムードで最低ブームの事ですので、精神障害者の方々にとってこの文章を書く事をお許しください。
 私が大学3年生の時1987年12月に行われた英語劇祭(大会)で、特別(大道具ーー私の担当ーー)賞が取れて、次の日学校内で各部署課に、受賞報告に行きその年度最後のミーティングを開き、部長兼主幹の座を後輩に譲り引き継いだ後の事です。やっと上役の肩の荷が降りて気分が少し楽になり、学校の単位とアルバイトと大学院受験勉強のみだ、と思ってました。今までその年の後期、授業に出席出来たのは、演習(研究指導・ゼミナール)と英語5の出席必修だけでした。標準として1年に6回(70%)(前期3回・後期3回)だけでしか休めませんでした。又公欠も認められませんでした。私が履修した英語5の先生は、悲惨な先生で1年間いじ���られて鍛えられました。この先生は、前期1回、後期1回しか欠席できませんでした。教室では、学生が国会か都道府県か市区町村かわからないが、議員みたいに立て看板毎回毎回必須の先生でした。部活が忙しい時の確か9月ぐらいに先生ともう一人の先生が、食堂の隣の喫茶コーナーにおられたので、直接先生に「先生、部活が忙しいので授業にあまり出られないのですが。⁉」と言いに行くと、先生は『部長を呼んで来い。!!!!!!!」と言われ、私がそのまま立っていると、『お前が部長か???❕」と言われ、「単位(今年のこの科目)は諦めろ!!!」と言われ、粘って立っていると、もう一人の先生が「この部活動って去年優勝したそうですよ!!!!!!!」助言が入り、先生は「何、お前達が優勝した?????」そして「よし1回だけ休ませてやる!!!!!!!それ以外はダメ❕」という事で、その場を去った。私も大道具作りに忙しく授業に出たのは、火曜日の3時限目は仕方なく出席、木曜日の4時限目は時々欠席(1年間に6回まで)、学生相談室(カウンセリング)は、大体覚えている時、ぐらいでアルバイトしてる暇もなかった。私の一日の時間割は、夕方5時から朝の5時まで大道具作り、5時から11時ぐらいまで毛布1枚持参して部室で就寝、11時に目が覚めたら学食で朝昼兼用の食事、12時半から授業等以外は、あるホームセンターまで買い出しに公共交通機関で一人で行く。バスも乗り換えないとホームセンターに着けないし、途中で降車しないと金が下せない。時には紙屋や布屋までに行くのに都心部まで買い出しに行った。お風呂だの歯みがきだの更衣だのしている暇は無い。ひたすら大道具作りに必死だった。フェスティバル(大会)まで間に合わせる事で必死だった。一通り出来上がったのは、約1週間前だった。それまでは、一人の先輩だけ時々手伝って下さったが、出来上がってから、色々な先輩方が修正を手伝って下さった。完全に出来上がったのは、公演前の前日であった。その日は一睡もする余裕がなかった。それでも他人は、私を健常者扱いされた。唯一幸運な事だったのは、天気が殆ど晴れていて尚且つ、1987年は秋から冬にかけて暖冬だった事だけだ。運搬費は全て私持ちで先輩方が運転してくれた。全然段取りもさっぱり解らず、行動が静止したり頭も働かなかったので、事実上先輩達に、おんぶにだっこになってしまった。ある県の僻地の山の上から、都心部の会場まで運ぶ事については、全く想像できなかった。先輩に「ここの扉の鍵締めといてな~。」と言われ、そこだけ施錠し、会場に向かった。3往復するはずのトラックが、2往復目で中々着かなかった。土曜日の夜に劇場搬入の予定だったが、一部しか搬入出来ず、公演出来るかどうか崖っぷちの窮地に追い詰められた。主催者の大道具担当の方が、「やっぱり心配してた通りになった。どうなるのかなあ。」定刻になったので、私達のメンバーは外に追い出された。ひたすらトラックを待っていた。それまでに全員分のほか弁買い出しに行き、30分ぐらい待って、自腹切って買って(去年のフェスティバルの時は先輩方が自腹を切ったので)トラックを待っていた。やっと着いたと思ったら、『ガチョーン!!!!!!!』「バカヤロー」と、大声と名指しで度が過ぎる程怒られた。何故怒られたかというと、『ガチョーン!!!!!!!』大道具作りした場所の、電気の消灯も場所の鍵も施錠も忘れていたのだ。私が悪いとしか言いようがないのだ。『ガチョーン!!!!!!!』としか言いようがないのであった。寺の合宿所に行き、度が過ぎる程コテンパに夜中まで怒られた。次の日、6時頃目が覚めて、後片付けして、寺に宿泊代金を納めて会場に急いだ。会場に着いて、委員会はもう扉を開けてくれないかなと思ったら、9時5分ぐらいに裏の扉を開けてくれたので、大道具を何とか搬入出来た。本番公演までギリギリ設置出来たので、公演そのものは、成立したのだが、出演者とっては、『ガチョーン!!!!!!!!』大変申し訳ない事をしてしまった。大道具入りは、彼らにとってぶっつけ本番をさせてしまった。当部長としては『ガチョーン!!!!!!!!』ごめんなさい。!!!!!!!!公演終わり、搬出し、ロビーに行くと、休部してた部員が来てくれた。合同夏合宿のメンバーの女子から花束をくれた。ただ私は、「有難う。❕だけど今、滅茶苦茶忙しいので、後で頂くよ。今ちょっとごめんね。」と言って、ロビーを後にして、慌ててトラックに乗り込み、大道具を積んで僻地の山の上学校まで戻った。そして出来る限り解体作業をした。解体出来ない壁は、部室近くの廊下に置かさせてもらい、後日、管財課に頼んで、倉庫に保管させてもらうように考えた。そして1日飲まず食わずで、トラックに乗り込み、閉会式の会場に向かった。『ガチョーン!!!!!!!!』トラックの中で思い出した。会計担当から預かったお金入り財布(何万円何千円単位)の入った手提げバッグを舞台の下手に置き忘れたままだ、と気付き先輩に言わずに会場に着いた。着いたら着いたで、また別の事で『ガチョーン!!!!!!!!』先程述べた合同夏合宿のメンバーの部長から「あの子泣いてるよ!!!!!!!!貴方が逃げて別の女の人から花束をもらい会場から逃げたのではないか???」と、言われ私は、「後で行ってちゃんと話す」と、部長同士約束した。これは、『ダブルガチョーン!!!!!!!!』を私は、食らった。でもまず自分の手提げバッグを探しに、舞台の下手に公演の邪魔にならない様にして公演と公演の間を狙って、下手に行った。私の手提げバッグは、下手の床に放ってあった。私は、それを拾い上手に行き、そして財布があるかどうか確かめた。序に中身も確かめた。結果1円も盗られていなかった。先ずは『ホッ!!!!!!!』。確認出来たらあの子のところまで探して行った。そしてあの子に「今朝はごめんね。!!!!!!!貴女の部長様から聞いたよ。あれから学校に帰って大道具を潰して片付けていたの!!!!!!!別に貴女の気持ちを踏み躙った訳ではないよ。ごめんね。誤解しないで欲しい。」と、言うと「こちらこそごめんね。」と言われたので、「では私は、自分の学校の仲間の戻るよ。本当にごめんね。」と言って、学校の仲間の席に行き着席した。密かに『ホッ!!!!!!!」と、してたらある先輩が、「今年は寂しいな~賞も何も来ないのか~」「おい❕お前の時代だけだぞ~賞も何もないのは~」と、別の先輩は言った。閉会式が、始まる。その前に客席で、連盟長に堂々と睨まれた。無視して客席に行き着席してた。入賞(優勝、準優勝、3位、特別賞、大衆賞、最優秀男優(女優)賞)の受賞の対象で、去年からノミネート制だったが、今年は、特別賞と大衆賞は、ノミネートせずに発表された。その特別賞のうち、審査員の一人の方が、「この賞の理由は壁が良かった学校にこれらの特別賞の一つを与えます。」と英語で言われ、私達の作品名と学校名が英語で告げられた。受賞つまり入賞したのであった。どの学校も入賞したら大きく喜んでいたのだが、私の学校はタイミング的には、絶句状態であった。私も『マジか???疲れた❕』と思い、審査員もびっくりしたが、すぐ演出担当が「やったー!』と叫び、やっと自分も「やった!やった!やったー!」と言えて、「行こ!行こ!行こう!!!!!!!」誘い叫んで、舞台の上で5人ぐらいいて、私が「やった!やった!やったー!」と舞台の上で叫んでいると、舞台下手の委員長と副委員長3人の4人に睨み付けられ、この委員長が「持って行けー!!!!!!!!」と怒鳴っていたのだ。こんな委員長はいらない、と、無視して上手の審査員は、拍手してた。私は、特別賞の小さなトロフィーを受け取り、他のメンバーは、賞状や、副賞を受け取った。嬉しかったけど、疲れの方が大きかった。先輩から「おめでとう❕。お前の賞や~」たり、他校の部長様や部員様からも「おめでとう❕」「おめでとうございます。❕」と言われたりしたけれど、私は、あまりにも疲れてたので、頭は何とか下げたが、「有難う。」の声が出なかった。外に出て打ち上げコンパの企画を、前部長がしてくれたので、彼が「おい、お前明日の夜の定時にどこそこな。報告会しておけよ。」と言われ、私は、「明日の昼の定時に部室集合!!!!!!!!」と言った。次の日昼の定時に部室集合して、大道具作りしたホールを皆で掃除したり、預り金から1年生優先で領収書と現金を引き換えたりしてました。前部長もおられたと思います。「報告会は、お前らでやってこい。夜の定時にどこそこな。」と言って去られ、̰私達のグループは、学長室から学部長室から学生課、教務課、入試課、管財課、図書館、等ありとあらゆる学内組織に報告の挨拶に行き周りました。最後は、部室の中で本年度の終了の言葉を述べて、新部長の指名任命をして、私の部長兼(学内)主幹の任務を終えました。正直『ホッ!!!!!!!!』としていたら、夜の打ち上げコンパに行き帰る時に、『ガチョーン!!!!!!!!』先輩からまたお叱りを、受けました。せっかく終わったと思ったら、説教された。理由は、『席の配置が悪い』と怒���れました。この先輩は、一生付きまとうだろう。と思えました。私がこの学校を卒業が1989年3月ですが、30年経った2019年でもK市Y区M駅の3番出口の車の中から、見張ってました。コンビニ横から府道(旧国道1号線)に曲がるとすぐM駅なので、そこに車が止まっていて、運転手と私の目が合ってしまってお互い「あっ❕」とあの先輩に私だ、っと完全に分かってしまいました。「ガチョーン!!!!!!!!」こんな人はほっといて、1987年12月下旬やっと、部長兼主幹職を終え、後期試験やレポート提出に取り組んでいて、又アルバイトも探していく予定ですし、色々忙しい年末でした。K市の実家に帰ったのが、年末30日でした。アルバイトも学校の掲示板を見て、ある会社が時給1000円交通費1日500円までと書いてあったので、試験やレポートが終われば応募しました。それと並行に大学院受験勉強も開始しました。研究指導(ゼミナール)の先生が、何十冊も本を借りて頂き、最低限この本とこの英語本は、読みなさいよ。と、指導を受け、勉学の世界にのめり込みました。又アルバイトの面接も入って来ましたので、行きました。応募理由を聞かれ、はっきりと時給1000円という事が書いてあった、と告げると、はっきり告げられました。うちの仕事は、最初研修から始まって研修中の時給300円です。と、『ガチョーン!!!!!!!!』の気分でした。最後まで話を聞いてました。能力給制で、仕事内容は、主に結婚式のビデオ撮影でした。式と披露宴に分かれて報酬が違い、式は1本20分ぐらいで600円ぐらい、披露宴はランク制で、A、B、C、と基本分かれていて、Cランクから始まるけれど、基本二つのカメラを操作するのが、補助付きだとか不十分判定だとCランク、十分出来て一人で操作出来たらBランク、三つのカメラを一人で出来たらAランク、とのことです。披露宴は、標準2時間20分であり、Aが1本3000円、Bが1本2500円、Cが1本2000円です。結婚式に行った事があるか?と質問されると、無い。と、ゲーム機の経験は?と聞かれると、無い。と、アルバイトニュースは買っているか?と聞かれると、無い。と答えると、「3拍子揃っているね。」と言われ、お互いに『ガチョーン!!!!!!!!』の気分なのに、1か月後アルバイト採用をしてもらえました。私のスケジュールが土、日、祝日が 開いていたからです。その時の面接上司に、言われましたよ。『❕おいしい話には、気を付けろ❕』と、『❕これは、社会の常識だぞ❕』『❕これは、君が生きていくために忠告しとくよ❕』「嫌だったらもういいよ!!!!!!!!」と言われたけれど、私が「よろしくお願いします。」と言いました。1988年2月に仕事を始めて9ヵ月、11月には中断してしまいました。もうカウンセリングの世界を超えてしまっているとカウンセラーが判断し、学生課を通じて親を呼び出し、強制的に実家に返されました。
 ここからは精神障害者には面白くない話です。私が言うのも変だけど、O都構想に幻想を持ってませんか???❕おいしい話には気を付けろ❕と、忠告します。経済とは、ご存知の通り経世済民の事です。働ける人が税金を納めなくしてどうやって社会サービス(社会保障)を受け取るつもりでしょうか???O市という政令指定都市を潰して、二重行政解消してO府(法律上)にしてOが良くなるとでも思われるのでしょうか。???余計に低税低福祉になるだけで、社会サービスは悪くなる一方です。社会保障として皆さんに返ってきません。やり手策では良くなるどころか悪くなる一方です。何故なら失業者も増えます。路上生活者が増えるだけではありませんか。格差は拡大され、貧民窟が増える一方だけです。本当にOを良くしたいのなら、地道に生活するしかありません。O府一本化したら、払った税金は府民全体にいきわたらないといけないので、社会保障や社会サービスは悪くなるだけで、府民に返って来ません。❕おいしい話には気を付けろ❕❕社会の常識です。❕❕O市民のために忠告しておきます❕当然多くの公務員が失業します。路上生活者が増えます。元々から、元O市長が公務員が嫌いだったではないですか!!!!!!!!。弁護士と政治家は噓つきでないとやっていけない職業です。彼らは、最初から独裁政権を狙っています。税金だけ取って後返さないのが、彼らの狙いです。O市民の事はO市民で守っていかなければならないのです。彼らに取られては、ならないのです。❕❕おいしい話には気を付けろ❕❕これが私からのメッセージなのです。
                          久郷克己、拝、
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geniusbeach · 4 years
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絶望のパレード
 魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
 昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
 詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
 秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
 かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
 自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
 労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
 どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
 さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
 休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
 旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
 中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
 大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
 3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
 “WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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mark311text · 5 years
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mark=311
私は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)出身です。
今日は2011年から7年。2018年3月11日、午後2時46分から1分間の黙祷を終えたところです。
2011年3月11日
私は中学2年生で、卒業式の予行練習で午前授業だった。お昼過ぎには家に帰って、両親の部屋でテレビを見ていた。高校生だった兄も帰宅していて、家には私と兄と猫の太郎がいた。
こたつに入って横になっていると、突然、「ゴーーーー」というものすごい音がした。長かった。びっくりして固まっていると、次は激しい地震がおこった。体がゆさぶられるような揺れだった。太郎は驚いてこたつの中にとびこんだ。見ていたテレビが倒れ、画面が割れ、ここにいては危ないと思った私は、ベッドの上にあがり、上になにもない部屋のすみに避難した。クローゼットの扉は全開になり、中の荷物が全て床に落ちた。お母さんが使っていた、普段はうごかせないほど重いドレッサーも、揺れに合わせて生き物のようにズ、ズ、と前に動いていた。ガタガタと揺れる音や、ガシャーンと1階の台所からか食器の割れるような音が聞こえ、すごく怖かった。揺れはなかなか収まらず、もしかしてこのままずっと揺れているんじゃないかと怖くなり、耳をふさぎながら「あーあー!」と大きな声で叫んでやりすごした。
しばらくして揺れがおさまったので、自分の部屋に戻ろうとすると、ふた間続きになっている手前の兄の部屋は、タンスの引き出しや勉強机の上にあったものが全て落ち、足の踏み場がなくなっていた。地層みたいだった。物を踏みながら奥の自分の部屋に行くと、そこも同じように物の海になっていた。
兄に「とりあえずお父さんのところに行こう( お父さんは家の近くの公民館職員)。」と言われ、部活で使っていたエナメルバッグに持ち出せそうなものを入れ、ラックの上にひっかかっていた薄手の黒いジャンパーを着た。
もしかしたら役に立つかもしれないとお母さんドレッサーの引き出しに入っていた、カード会社や保険会社からの郵便物もカバンに入れた。無意識だったけど、もう家に戻ってこられないかもしれないと思ったのかもしれない。
兄が「避難所では猫の食べるようなものはもらえないと思う」と言うので太郎のご飯が入ったタッパーも鞄に入れた。太郎が怖がってこたつの中から出てこなかったので、兄に頼んで無理やり引っ張り出してもらった。このとき、兄は膝を悪くしていて、無理をすると膝の皿がずれてしまう状態だった。太郎を無理にだしたので膝が痛んだようで、少し休憩してから家をでた。その間も何回か揺れがきていて、家の壁には亀裂が入っていた。
外にでると、道路はでこぼこになっていて、マンホールからは水が溢れていた。家や電柱は傾いて、いつもの景色がゆがんでいるようだった。私たちと同じように、みんな近くの避難所へ移動しようとしている様子で、公民館に向かった。公民館のグラウンドでは小さい子たちが楽しそうに遊んでいた。状況がよくわかっておらず、興奮しているようだった。
公民館の中で誘導をしていたお父さんに会いに行くと、「津波がくるそうだ。公民館は津波の指定避難所ではないから( 公民館は二階建てで低い建物) 小学校か中学校に誘導するよう連絡がきたから、お前たちもそっちに早く避難しろ。」と言われた。
お父さんに話しかけるまで舞台の上で座っているときに、自分の膝から血が出ていたことに初めて気づいた。どこかにこすったようだったけど、不思議と痛くなかったことを覚えている。
お父さんから、津波がくると言われたけど、いつも津波がきても何センチかで結局大したことなかったので、今回もそんなもんだろうと思っていた。いつだったかのチリ地震の際もそうだったからだ。同じようなことを話している人もたくさんいた。私たちは2キロ先の小学校に向かった。
小学校に向かう途中、生協の前でNちゃんに会った。お兄ちゃんとはぐれたらしく、家に一回戻ると言っていた。私は津波が来るらしいから戻らないほうがいいと言ったが、大丈夫だからとNちゃんは戻ってしまった。
Nちゃんは津波にのまれて死んでしまった。
もっと強く引き止めていればよかった。
消防車が走って避難を呼びかけていた。
いつも何かあると鳴る、町のサイレンはこの日、鳴らなかった。
中学校の前で兄の膝が痛み出したので、予定を変更して中学校に避難することにした。中に入ると誰かが「3階か屋上へ!」と叫んでいた。兄と私は上へと向かった。外階段から中へ入られるドアをガンガン叩く音が聞こえ、見ると女の人が必死にドアを叩いていた。ドアの前に机が置いてあり、開かないようだった。でも、みんな自分の避難に必死で誰もどかそうとはしなかった。兄と机をどかし、ドアを開けた。「津波だ!」と、窓の外を見た。黒い水がじわじわと学校の駐車場に流れてくるのが見え、おじいちゃんが一人、まだ外にいるのを見つけた。「逃げて!」と叫んだけど、そのおじいちゃんが助かったかはわからない。
少し遠くを見ると。ず……、と、景色がそのままゆっくりゆっくりと動いた。町の中に船が見えた。船が家にぶつかり、家はぼろぼろになって崩れていった。あちこちに水の上なのに火が見えた。町全体が濃い灰色だった。兄と三階の教室から、水没したグラウンドを見た。水でいっぱいで、まるで映画を見ているようだった。夜になるにつれてどんどん暗くなり、懐中電灯を教室の真ん中あたりに置き、壁や周りにアルミホイルを貼って反射させて明かりを作った。持ってきたラジオからは、「絶対に水辺には近寄らないでください。被害の状況は­———」というような声が繰り返し聞こえていた。私は湿った教室の床に横になり、太郎を抱いていた。何も食べていないはずなのにお腹は空いていなかったし、眠気も全く来なかった。気づいたら朝になっていた。
朝になると水は引いていた。町を見たくて屋上にいった。それと、太郎がトイレをするかなと思って。屋上から見た景色に、町はもうなかった。グラウンドには車や船や瓦礫のようなものがぐちゃぐちゃになっていた。目の前にあった生協もなかった。今度は町が茶色だった。
あのときのトイレは今でも思い出すと吐きそうになる。人の用を足したものが積み重なり、ひどい臭いだった。吐きそうになりながら用をたした。学校には知ってる人がたくさんいて、Sちゃんに会った。Sちゃんは学校のジャージで、お腹から下は泥まみれだった。津波に少し飲まれたらしい。Sちゃんはお母さんとまだ合流できてない、小学校の方にいるかなあと言っていた。あとから知ったが、Sちゃんのお母さんは津波で死んでしまっていた。
お昼前ぐらいに兄が自宅の様子を見に行くと言って、少しして戻って来た。うちがあった場所には、うちの二階の屋根があっただけだったようだ。まだ実感がなく、そうなんだうちはもうないのか、と冷静に思った。
そのうちに大人の人たちが崩れてしまったお店から、食べ物や飲み物を持ち出してきた。避難した時に食料を持ち出すことのできた人たちから少しだけお裾分けをもらった。でも全員分はもちろんないので、たしか私はベビーチーズのようなものを一口分食べた。太郎にはお水を少しだけもらえたのでそれをあげた。
安全な内陸の避難所に全員移動することになったが、中学校の出入り口やバスが迎えに来てくれるおおきな道路にでるまでの道には、船や車や瓦礫などがたくさんあって、大勢の人が移動できるような状況ではなかった。なので自衛隊が道を作ってくれるまで待機するように言われた。
暗くなる前に作業は終わり、みんなでバスのところまで歩いた。海水のようなにおいと、ものが燃えたこげたにおいとガソリンのようなにおいがした。いたるところに車や船があって、きっと中には人がいたかもしれない。水は引いていたけど泥がすごくて、靴はすぐにぐしゃぐしゃになった。靴にビニールをかぶせていた人もいたけど、結局みんなどろどろになって歩いていた。
私と兄と太郎は、内陸の小学校の体育館に避難することになった。着くとすでに近隣の地域の人も避難していて、人がいっぱいいた。入り口でおにぎり一つと使い捨ておしぼりを一つずつ配られた。どこか寝る場所を確保しようとしたけど全然場所がなくて、体育館の中のゴミ回収のスペースの前が少し空いていたのでそこに落ち着いた。おにぎりを食べて、おしぼりで足を拭いた。毛布やシートも物資で配られたりしたようだったけどわたしたちがついた頃にはもうなかったので、余っている段ボールをもらって、段ボールを床に敷いて横になった。近くから避難してきた人たちは、自分の家から持ってきた毛布や服などであたたかそうで、わたしたちみたいな海から逃げてきた人たちとはギャップを感じた。目も怖かった。太郎も不安なのか、私のジャンパーの中から出てこようとしなかった。でもそのおかげで、すごく寒かったけど、お腹はあったかかった。中学の先生が状況把握のため点呼をとっていて、太郎をお腹に抱えた様子をちょっと笑われた。
夜、暗い中で何回か余震があって、そのたびに体育館の照明が大きく揺れて、ざわざわした夜だった。
朝になると支援物資が届いた。飲み物はコップがないともらえないと言われて、考えて、ひとり一個もらえるパンの中からサンドイッチ用のパンを選んで、その空き容器で飲み物をもらうことにした。兄はマヨネーズ入りのカロリーの高いロールパンを選んで、とにかく栄養を確保するように2人で食べた。トイレは、プールの水をバケツでくんで流せたので困らなかった。古着も物資で届いたので、パーカーなどの着られそうなものをもらった。わたしたちの隣にいた老夫婦が小さな犬を連れて避難していて、太郎は犬に懐かれていて面白かった。
兄と座っていると、名前を呼ばれた。お母さんとお姉ちゃんが走ってこちらに向かって来ていた。
生きててよかったと抱きしめられた。みんなで号泣した。
お母さんは仕事で内陸にいて、お姉ちゃんもバイトで海からは少し離れたコンビニにいて、津波が来る前に東部道路に避難して助かっていた。2 人は違う小学校で合流できていたようで、わたしたちの地域の人たちが避難している場所を探していてくれたようだった。お母さんが働いていた保育所の休憩室を間借りしていいといわれたらしく、そこに移動することにした。車できたからそれでいこうと外にでると、血の繋がっている方の父がいた( 私の両親は離婚していて、お母さんは再婚して、新しいお父さんがいます)。私は父のことを嫌っていたし、何年も会ってなかったけど、そのときはなぜだかとっても安心して、頭を撫でられて肩を抱かれると泣いてしまった。非常事態だったので、お母さんも連絡をとって食料や布団などをわけてもらったらしい。
車に乗り、保育所に向かう途中、太郎が安心しておしっこをもらした。避難所では粗相をしなかったので、太郎もがんばっていたのだなと思った。
保育所の休憩室は、5畳ないくらいのスペースで小上がりの畳になっていた。畳の上に段ボールを敷いて、布団を敷いて、家族で川の字になって眠った。やっぱり寒くてなかなか寝付けなかったけど、お母さんが抱きしめてくれたおかげで、よく眠れた。
次はお父さんと合流しようと、情報を求めて市役所に向かった。市役所の中に入ると、壁いっぱいに「◯◯に避難しています◯◯みたらここに連絡をください」といったような内容の紙がびっしりと貼られていた。その中には知っている名前も幾つかあって、ああ無事だったのだなと安心したこともあった。お父さんの名前を見つけたけど、けがをしている、というようなことが書いてあったので焦った。とりあえずお父さんがいるという避難所へ向かうと、お父さんは元気そうに出入り口近くの椅子に座っていた。安心したお母さんはへなへなになって笑った。あのときは情報が錯綜していたので、間違ってそう書かれてしまったらしい。すぐに同じ場所にお父さんも移動したかったけど、お父さんは公務員なので被災者の誘導等の仕事があったのですぐには保育所に一緒に戻れなかった。
保育所での生活は体育館にいるときよりずっと過ごしやすかった。狭かったけど、家族がみんないて、人の目を気にしなくていいのはすごく救われた。電気はまだ復旧していなかったけど、水道が使えて嬉しかった。ごはんも、お母さんの仕事仲間の人が炊き出してくれたりして、あたたかいものを食べられた。ずっとお風呂に入れてなかったので気持ち悪くなって一度、水で頭だけ洗ったけど、寒すぎて凍えた。被災してから一週間たたないくらいに、電気が復旧し始めて、近くの家に住んでいたお母さんの職場の人の好意でお風呂に入らせてもらった。久しぶりのお湯はあったかくてきもちよかった。
お店もすこしずつものを売られるようになって、学校もない私と兄と姉はそれぞれ生活に必要なものを行ける範囲で探し回った。持ち出せたお小遣いをもって、とにかくいろんなお店でなにか買えないか歩き回った。個数制限で、ひとり3個までしかものが買えなかったり、なにも残ってなかったり、3時間以上並んだりした。
ある���き、ひとりでお店の列に並んでいると、知らないおじいちゃんに話しかけられた。どこからきたのかなんでひとりなのか聞かれ、答えると「大変だったね」と自分が買ったバナナを分けてくれた。少し泣いてしまった。いろいろなところで食べ物などを買えてうれしかったけど、そのころは物資不足で窃盗や空き巣が多発していたので、ビクビクしながら保育所に帰る道を早歩きでいつも帰っていた。
銀行でお金をおろせるようになり、保育所も再開するので長くはいられないと、アパートを借りることになった。お父さんががんばって見つけてくれた。引越して、いろんな人の好意で家電や家具をもらって、なんとか避難所生活はひとまず終わった。
アパートで炊飯器をつかって炊いた、炊きたてごはんをたべたときはすごくすごくおいしくて、おかずは缶詰の鯖だったけど、何杯もおかわりをした。あのとき食べたごはん以上に美味しいと感じたものは今もない。
アパートで暮らし始めて少しして、携帯の電話番号を覚えていた友達に電話をかけてみた。その子は飼っていたペットたちは犠牲になってしまったけど無事だった。ただ、その子との電話で「Aちゃん残念だったね。」と言われた。Aちゃんは私のすごく仲良しの女の子で、どういうことなのか理解できなかった。
Aちゃんの妹の名前と避難先の書かれたメモを市役所でみていたので、Aちゃんもきっと無事だろうと思っていた。「新聞の犠牲者の欄に名前が載っていた」そう言われて、後の会話は覚えていない。電話の後に新聞を読み返して犠牲者の欄を探したら、Aちゃんの名前を見つけてしまった。新聞に名前が載っている,という証拠のようなものをつきつけられて、一気に怖くなり、悔しくて信じられなくてまた泣いてしまった。
兄もその欄に仲の良かった友達の名前を見つけてしまったようで、リビングのテーブルに突っ伏して、「なんでだよ」とつぶやきながらテーブルを叩いていた。
4月のある日の夜、また大きな地震が起こった。また津波が来るのではないかと家族全員で車に乗り、指定避難所に急いだ。幸い、なにもなかったが、その日の夜は怖くて車から降りられず、朝まで起きていた。
通っていた中学校から一度学生も職員も集まるよう連絡が来た。当日は市の文化会館に集合し、そこからバスで市内の小学校に移動した。久しぶりに同���生と再会して、今どこに住んでいるのか家族は無事だったのかたくさん喋った。そしてみんなが集まった前で先生が、犠牲になった同級生の名前を読み上げた。Aちゃんの名前も呼ばれた。先生の声は震えていて、最後は泣きながら私たちに向かって話していた。7人の友達が死んでしまった。学校全体では、14人の生徒が犠牲になった。
私はすごく後悔していることがある。遺体安置所に行かなかったことだ。市内のボーリング場が安置所になっていて、そこにAちゃんがいることもわかっていたが、怖気づいていけなかった。私とAちゃんともう一人とで三人で仲良くしていて、そのもうひとりの子は会いに行っていた。顔中があざだらけでむくんでいた、と言っていた。お化粧をしてあげたよと聞いた。私も会いに行けば良かった。
学校は市内の小学校の旧校舎を間借りして再開した。歩いて行ける距離ではなく、駅から毎日臨時のスクールバスが出ていたので、私はそこから毎日学校に通った。文房具や教材は支援物資が届いて、しばらくは制服もなかったので私服登校だった。何週間も字を書いてなかったので、文字が下手くそになっていた。遠くに避難して、転校してしまった子もいたけど毎日家族以外の人とも会えるのは嬉しかった。でも、間借りしていることは肩身が狭かった。間借り先の小学校の子とは話した記憶がない。支援物資や有名人がきた時は「ずるい」、「 そっちばっかり」と言われるようなこともあった。自分は生徒会役員だったため、お礼状や物資管理を手伝っていたけど、千羽鶴や「頑張って!」、「絆」などのメッセージを見るたびに複雑な気持ちになった。無理やり前向きになれと言われているようだった。
学校も落ち着いた頃、同級生の一人のお葬式に参加した。小学校の頃から係活動で仲良くなった子だった。その子はお母さんも亡くなって、その子のお父さんから良かったらきてほしいと連絡があった。とても天気のいい暑い日で、田舎の方の緑がたくさんあるところでお葬式が行われた。久しぶりに会ったKちゃんは小さな箱になっていた。焼かれて骨になって骨壷に入ったKちゃんは、軽くて白かった。お墓にお箸で骨を一つ入れさせてもらった。「ああ、Kちゃんはもういないんだ」と、「こんなに小さくなってるなんて」と、脱力した。
私は夢を見るようになっていた。夢の中で津波から逃げたり、友達と会ったりしていた。その中でも強烈だったのが二つ
ある。一つは、どこかのホテルに友達と泊まりに来ていて、ホテルのベッドで飛び跳ねて遊んでいた。途中までは私も遊んでいたけど、何か変だと感じて、だんだん飛び跳ねている音がうるさくなってきて、「ねえもうやめようよ」と声をかけた。するとその音は「ゴーーーー」という地鳴りの音に変わって、私は耳を塞いでしゃがみこみ、叫んだところで目が覚めた。自分の叫び声で起きた。
もう一つは、なぜか私は小学生で、小学校の帰り道をAちゃんと何人かの友達と歩いていた。夢の中では納得していたけど、不思議なことにみんなでAちゃんのお葬式に行こうとしていた。道の途中で、2本に分かれているけど少し行くとまた繋がる道があり、そこで私はAちゃんをびっくりさせようと「また後でね!」と違う方の道を走って待ち伏せしていた。でも、だんだん不安になって、泣きながらAちゃんを探した。立ち止まっているAちゃんを見つけて、「 行かないで!」と抱きついた、Aちゃんは静かに「なんで私のお葬式があるの?」と、聞いてきた。
そこで目が覚めた。しばらく体は動かず、寝ながら泣いていたようで、頬が涙でカピカピになっていた。
冬になって、12月11日の早朝、お母さんとお姉ちゃんの声で起きた。どうしたのかとリビングに行くと、2人が「お父さん!」と声をかけて、体を揺すっていた。後から聞いた話によると、朝、お姉ちゃんがバイトの支度をしているときに、お父さんから寝息が聞こえず、お母さんに「変じゃない?」と言って、2 人で起こそうとしたようだった。私も声をかけたが起きず、お母さんは「かなこ!( お姉ちゃんの名前) 救急車!」と叫んで、心臓マッサージを始めた。バキバキと骨の折れる音が聞こえた。お父さんの胸はベコベコにされていたが、起きない。私も交代でマッサージをして、救急車を待った。救急車が到着して運ばれる直前、そっとお父さんの足を触った、氷のように冷たくて硬かった。救急車を後ろからお母さんの車で追いかけ、病院についた。ドラマで見たような部屋に運ばれ、看護師に心臓マッサージをされていた。心電図はまっすぐで、「ピー」という音がなっていた。何分間かどれくらい経ったか、マッサージが止まり、瞳孔を見られていた。「すいません」と看護師の方が言い、「ご臨終です」と、初めて聞く言葉を耳にした。病室には「ピー」という音とが響いていた。
みんな無言で家に戻り、お母さんがリビングに座ったところで、「どうして!」と泣き叫んだ。お母さんがそんなに泣いているところを初めて見た。お父さんのことはまだショックでよくわかっていなかったけど、その姿がどうしようもなく悲しくて、お姉ちゃんと抱き合って泣いた。
中学校には、お母さんが色々な手続きで忙しそうだったので、自分で電話をした。担任の先生に繋がり、ほぼ文章になっていなかったけど泣きながら事情を説明した。先生はゆっくり聞いてくれて、学校のことは心配しなくていいよと言ってくれた。
お葬式までの間、斎場でお父さんと過ごした、ドライアイスで冷やされて、冷たかったけど、箱の中にはずっといて、怖くもなかったし、もしかしたら起きるんじゃないかなんて思ったりもした。まあ、当たり前にそんなことはなく、火葬の日がきた。
お父さんが焼かれる場所へ、親族一同で向かった。炉の中へ入れられるとき、もう体さえもなくなってしまうんだと、お父さんに会えなくなるんだと理解した私は一気に悲しくなり、「お父さん」とつぶやいた。涙が止まらなくなり、「行かないでよ」とつぶやいた。お母さんが私の背中をさすった。兄が私の頭に手を添えた。
お父さんは焼かれた。ちゃんとお骨を拾い、壺の中にお父さんは収まった。
お父さんは公民館職員で、そして糖尿病を患っていた。震災の日、公民館は建物が低いので、違う避難場所に誘導している途中で津波が来た。目の前で他の職員が流されるのを見たそうだ。公民館にいた人はギリギリ二階に登り助かったものの、船が建物にぶつかって半壊し、もう少しでみんな死んでしまうところだった。でも、避難途中で犠牲になった人の遺族からすれば、いたら助かったじゃないか! とひどく責められていたらしい。
避難場所でも、公務員はずるい優遇されていると同じ被災者なのに責められ、ストレスで体がおかしくなっていた。持病の糖尿病が悪化し、20キロ体重が増えていた。お母さんから後から聞いた話によると、毎晩のように公民館のグラウンドいっぱいに遺体が並び、こっちに来いと呼ばれる夢を見ていたそうだ。死因は無呼吸からの心肺停止だった。
お父さんは震災に殺された。
お父さんの死と、自分の受験のシーズンが重なり、私は少しおかしくなっていた。受験している場合なのかと悩んで、身が入らなくなっていた。トイレで隠れて手首を切るようなこともあった。今思えば、なにも考えたくなかったからそういうことをしてしまったのかもしれない。様子がおかしいと思われたのか、スクールカウンセラーの先生に、週1回、カウンセリングを受けることになった。行きたくなくてサボった日もあるけど、先生は怒らなかった。優しくいろんな話をしてくれた。友達にも支えられて、なんとかいつも通りに過ごせるようになった。
高校受験もおわり、合格発表の日、私は1人で受験した高校に結果を見に来ていた。無事番号を見つけてお母さんに連絡すると、すぐにメールで返事が帰ってきた。メールが2通届いて、確認してみると、もう1通はお父さんの携帯からだった。「合格おめでとう!」と、本当にお父さんからきたかと思って嬉しかった。すぐにお母さんがお父さんの携帯で送ってくれたのだろうと気づいたけどとっても嬉しかった。
高校では美術科に在籍していたため、常にコンペに向けて制作をしていた。一度だけ、Aちゃんを描いたことがあったけど、周りには誰ということはなにも言わずにただ描いた。それっきり震災関連で制作をすることはなかった。
高校生活の中で辛かった授業がある。保健体育の授業だ。心肺蘇生の心臓マッサージを学ぶ授業の時は、お父さんの感触を思い出して辛かった。避難について学ぶ授業では、ふざけた男子生徒が、避難のシミュレーションを発表するときに「津波だー!」とヘラヘラしながら津波のモノマネをしていて腹がたった。そういう授業があった日は、その日1日は震災のことなどで頭がいっぱいになり、帰ってからいつもお母さんやお姉ちゃんに慰めてもらった。
そして何度か震災復興のためのアートプロジェクトに参加した。被災者として何かしなければと義務感に駆られて、割と積極的に参加した。でも、いつも心の隅には、こんなことをしてなにになるのだと皮肉な自分もいた。震災の時のことを公演してくれ、文章にしてくれ、という依頼は全て断った。語ったりはしたくなかった。
高校の卒業制作展で、ゲストを迎えたパネルディスカッションを行った。ゲストは有名な大学の先生で、私は卒展の実行委員長としてトークをした。その中で、「地域復興」の話題を担当し、いろいろなことを話したけど、「私もゆくゆくは自分の地域をなにかしら盛り上げたい」と口にした後は「本当にそう思っているのか?」と、苦しい気持ちになった。立派なことを言わなければ、というプレッシャーがあった。
いつも3月11日は家で家族と過ごすようにしていたけど、2015年のその日は、震災以来初めて閖上にいた。
京都に引っ越す前にみんなに挨拶がしたいと思ったからだ。お花を持って友達と待ち合わせをして、久しぶりに来た日和山は、前はみんなで鬼ごっこをして遊んだ場所だったけど、今は慰霊の場所になっていて、上から街を見渡すと、何にもなかった。まっさらでたまに草が伸びている、そんな景色だった。
中学校に移動して、2時46分を待った。鳩の形の風船が配られて、メッセージを書いた。「行って来ます。」と。そして2時46分、みんなで風船を飛ばした。
でもその瞬間はひどいものだった。多くの人がスマホを構えて、風船を飛ばす瞬間を撮っていた。カメラの音がたくさん聞こえて悲しくなった。なんのためにやっていることなのか、気持ち悪かった。一緒に来ていた友達も怒っていた。イベントじゃないんだ、と叫びたかった。
京造に進学してからは、震災の話題に触れることは少なくなった。し、自分でも避けるようになった。
宮城出身です、というと大体「震災大変だったでしょ?」と言われた。「そうですね」と正直に言うと、気まずそうな申し訳なさそうな対応をされた。それが嫌で、出身は言いづらくなって、「震災大変だったでしょ?」と言われても、「大丈夫でしたよ」と言うようにした。一回生の授業である先生が、どんな内容で言ったのかは忘れてしまったけど、「津波はあっけなく人を殺すからね〜。」と、さらっと言ったことがあった。私はショックで涙がとまらなくなった。俯いて、寝てるふりをした。周りの子にはバレていたかもしれない。その日はずっと気分が上がらず、帰ってからお母さんに電話をした。当時一緒に住んでいたルームメイトに抱きしめてもらった。
二回生の時は、授業中に阪神淡路大震災の映像が流されて、震災の時の記憶がフラッシュバックしたこともあった。イヤホンをつけて目をつぶってやり過ごして、大階段を登ってすぐ横の芝生のベンチで家族に片っ端から電話をかけた。午前中でなかなか繋がらず、体育すわりをしながらずっと待っていた。お姉ちゃんとつながって、落ち着かせてもらって、その日は授業があったけど、一度家に帰った。夜は眠れなかった。
7年経った今でも、津波の映像や写真は見ることができない。彷彿とさせるようなものも苦手だ。3月はいつものように睡眠を取ることもできなくなる。11 日は家族と実家で過ごすようにしている。閖上の方向を向いて必ず黙祷をして、黙祷している時は、悲しい、悔しい、いろんな感情が混ざったように涙が出る。
私はずっと震災に潰されている。それが、とても嫌だ。
——
でも、このままでいるのはもっと嫌だ!
だから私は向き合うことにした。
制作をはじめると同時にひまわりの種を植えた。ひまわりは、お父さんの1番好きな花だったから。
だけど、ひまわりは咲かずに途中で枯れてしまった。
私にはもう少し、時間が必要なようだ。
もうすぐ、8年目の3月11日がくる。
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myonbl · 5 years
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2019年7月26日(金)
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研究室のカレンダー、今日で前期15週が終わる。来週は「���備期間」として、一部の科目の試験や補講が実施される。わたしはと言えば、今年は幸いにして休講がなかったので、実質的に夏休み突入。もちろん、成績評価や細々とした用事はあるけれど、この解放感は筆舌に尽くしがたい。よし、今夜は(も)呑むぞ!
Tumblr のシステムトラブルで、早朝の日誌のポストが出来ない。出勤後、午前9時半頃にようやく回復、昨日の記事を投稿する。
箕面市教育委員会からメール、生涯学習審議会の日程問い合わせ。可能日をいくつか提示して返信。
金曜日2限・3限は食物栄養学科「スタディスキルズ」、最終週は「ポスター発表」。火曜日同様に、O姉のクラスと交互に発表するが、グループが少ないので余裕を持って実施できた。発表を聴いた班の評価シート、自分たちの班の自己評価シートを記入し、最後に授業アンケートで終了。みなさん、お疲れさまでした。
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職場ランチの弁当も前期は今日が最後、ありがたく頂く。
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Dropbox からメール、値上げの通知、ま、いいけど。
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地球洗い隊からメール、新しく「とれるNo.1」の「石けん」を販売するとのこと。ただし、かなりの費用がかかるのでクラウドファンディングを利用するとか。長年の愛用者としては捨て置けず、早速「パトロン」に応募、私は5人目だった。
3限の授業前に教養教育センターをのぞくと、O姉が学生と何やら話をしている。その Iさんは看護学科の学生で、私が担当する前期唯一の講義科目「現代社会論」の受講生、大変前向き・熱心な学生さん。聞けば、O姉の医療社会学的見地に興味を持って本を紹介してもらい、レポート指導もお願いしているとか。試験も全て終わり、来週からは「早期体験実習」が始まるとのこと。いい夏休みを過ごして欲しい。
3限を終えて、学生が提出した評価シートの整理。自分のクラスと O姉のクラスの分をスキャン、pdfファイルにして Google Drive で共有設定、これを元に評価作業をすることになる。
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図書館に出勤、人権コーナーに配架するリーフレットを渡してすぐに退散。
研究室に戻ると、O姉はまた別の学生と立ち話。Mさんは静岡から来ている看護学科の学生、「文学」のレポートに相談に乗ったことからよく話をするらしい。今日は進路についての不安があるそうだが、O姉のカウンセリングで元気になってくれれば良いね。
ドタバタした一日も早仕舞い、O姉と車に同乗し、九条近鉄前まで送る。
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息子たちの夕飯、40%引きの豚肉を焼き、さんだかんのガーリック・ソーセージと一緒に。味噌汁は豆腐。
ツレアイも比較的早い帰宅、冷蔵庫・冷凍庫の掃除メニュー。キャベツとトマトを炒め、大阪王将の餃子を焼く。写真を撮ることなどわすれ、乾杯・激食。
録画番組視聴。
100分de名著 小松左京スペシャル最終回 第4回「宇宙にとって知性とは何か」
地球から5.8光年の距離に突如出現した長さ2光年、直径1.2光年という驚異的なスケールの筒状物体「SS」。その謎を解明すべく、科学者・遠藤はAIを超えた「人工実存(AE)」を開発。遠藤の分身たるAEが探査に向かう。そこで、同じくSSの謎にひかれた数多くの異星生命体と遭遇しともに謎に挑んでいく。第4回は「虚無回廊」を読み解き、「宇宙にとって人間存在にどんな意味があるのか」という根源的な問題を考える。 出演者ほか【講師】評論家…宮崎哲弥,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】田中哲司,中村優子,【語り】小口貴子
呑みながら見ていたので、正直あまり分からなかった。
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今日は無理かと思っていたが、気がつけば何とかクリアしていた。
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shisui2021 · 2 years
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2022.03.23
2022.03.23 卒業した。 正直,院進するから別に大きく生活が変わるわけでもないし,みんなのようには実感が湧かないが,着付けをしてもらって式に参列する。気もそぞろで学長の話や謝辞を聞き、流されるままに写真を撮ったり久しぶりに会った人たちと言葉を交わしたりする。忙しなく,慌ただしく時間は過ぎ去っていって,誰もが忙しそうで���何となく所在ない感じがする。
カウンセリングでの色紙をもらう。あまり面識がない後輩も丁寧に言葉を紡いでくれていて,気恥ずかしくなる。そんなことないんだよ,と声に出して言いたい。だけど,私の立ち居振舞いをよく見ていてくれている人たちがいるのは嬉しかった。ちゃんと私はそこにいたんだな,と思えた。 授与式では教授たちから,本と手紙と漢字一字をもらう。本はこれからぶち当たる予定の研究分野に関するもので,表紙を見た瞬間にやっぱりここと向き合わなくてはいけないんだな,と思った。その本に挟まっていた手紙には,「20年前だが 今も 解けていないことが ここに いっぱい」と記されていた。漢字は「憤」という字で,「しすいさんは,穏やかそうに見えますが,激しいエネルギーのオーラを持っています。2年後に大爆発するのを楽しみにしています」と言われる。まだやれる。もっとやれる。あたたかく,力強く,背中を押された気がした。この先なんてなんにも見えなくて,分からないことだらけで不安だけど,やってやろうと思えた。分からないことがたくさんだ。楽しみだ。 高校生の頃会ったきりのドクターの先輩が今日のために日帰りで東京からやってきていたので,ようやく挨拶ができた。あの時の子だと分かると途端に表情を崩し,「なるほどね。しすいさんか。それなら納得だ」と言い「じっくり研究するといいよ」と言ってくれた。
授与式が終わるとみんな慌ただしく帰っていって,修了する院生の先輩に軽く挨拶をして,静かに雨が降る中,一人で何も変わらない家に帰る。ずっと素敵な文章を書いていた留学生の先輩に「他の人とは違う素敵な着物」と言ってもらえたのが嬉しかった。 家に帰ると寂しさが少しずつ溢れ出してくる。悲しさのような気もするし,喪失感のような気もするし,よく分からない。分からないけど,みんなが距離も,立場も,どんどん遠くへ行ってしまうような気がした。置いてけぼりのような気がしてしまう。ずっとこのままで良かった。もう少し,みんなと一緒に「大学生」をやっていたかった。特別な何かはいらないから,みんなともう少しだけ,一緒に何でもない毎日を送りたかったのだと思う。高校の卒業式だってこんなにすぐ寂しくはならなかったのに。 あの人は夜の飛行機で新しい場所へと旅立っていった。見送りには行けなくて,最後は大学の売店でたまたま出会った時だった。大事なことは何一つ言えなくて,まるでまたすぐに会うかのようないつも通りの別れ方しかできなかった。一緒に歩いていた友人に「これで最後なのにいいの?」と聞かれてとっさに「きりがないから」と答えたのは気付かぬ本音��ったかも知れない。きっときりがないから,いつも通りで良かったんだと思う。 これで全部終わりな訳じゃないのは分かっているけれども,今まで確かにあったものが急に見えなくなるような気がして怖い。形のないものを信じ続けることはとても難しくて根気のいることで,自分が傷つくのも怖いけど,相手を裏切らないかも不安だ。見えないものと向き合わなくてはならない。
こうして私がみんなに「おめでとう」と言われている間にも,海の向こうでは戦争で何千人もの人が死んでいて,フォロワーは自殺しようとしている。よく分からない。よく分からないことだらけだけど,立ち向かわなくてはならない。だけど,今日くらいは思い出の中で生きさせてほしい。
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