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#幻想的な空間
houteiyugi-movie · 7 months
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11月5日(日) 先行上映舞台挨拶 イベントレポート
公開を直前に控えた11月5日(日)、東京・銀座の丸の内TOEIにて先行上映が行われ、上映後には主演の永瀬廉(King & Prince)が舞台挨拶に登壇! King & Princeによる主題歌「愛し生きること」(LIVE TOUR 2023~ピース~STAGE Ver.)の映像も上映され、会場は大きな盛り上がりを見せました。
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撮影中のエピソードを聞かれた永瀬さんは、劇中で学生たちが模擬法廷のゲームに興じる“無辜ゲーム”のシーンについて言及。「無辜ゲームの撮影をした洞窟のシーンはメチャクチャ苦労しました。太陽も見えないので昼か夜かもわからないし、寒くて吐く息も白くて、どこを歩いても(洞窟内なので)景色も同じで、精神的にウッとなる部分もあったけど、みなさんと乗り切って印象に残っています。僕がいない無辜ゲームのシーンの撮影が押した時、洞窟の外の小屋が支度部屋になっていたんですけど、そこで待っている間の夜空の星のキレイさが忘れられないです。メッチャきれいで、芝生のスロープに寝転んで、おにぎりを食べながら星を見ていました」と振り返りました。
そして、この日は主題歌としてエンドロールでも流れたKing & Princeの歌う「愛し生きること」の【LIVE TOUR 2023~ピース~STAGE Ver.】の映像が会場に集まったファンのために上映されました。
永瀬さんはこの楽曲の収録時、自ら録り直しを志願したといいます。OKが出ているにもかかわらず、自ら再収録を志願した真意について永瀬さんは「1回目の収録の音源を聴かせてもらって、歌い方も含め『やり直したい』というのがありました。主題歌――特にこういうトーンの作品ということで、いつものような、笑って楽しく歌う作品でもないですし、僕の息づかいが繊細に、より聴こえてくる楽曲でもあったので、もう一度、お時間を取っていただいて、録らせていただきました。『まだいけるな』、『この歌で『法廷遊戯』をさらに良くできるな』と思ったのでお願いしました。普段はあまり言わないんですけど」と楽曲、そして映画に懸ける熱い思いを吐露してくれました。
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この日、上映されたステージ映像は、現在開催中のKing & Princeのツアー公演の開始前に撮影・収録されたものでしたが、白い衣装に身を包んだ永瀬さんと髙橋海人さんが幻想的な雰囲気の中で熱唱する姿が収められており、上映が終わると劇場は温かい拍手に包まれました。
スクリーン横で見ていた永瀬さんも、初めて完成した映像を目にしたそうで「すごっ! なんか、本当にいい歌っすね!」と興奮した面持ち。「スタッフさんはわざわざ、この曲のパフォーマンスためだけに映像も照明も準備してくださったんです。幻想的で感動的な雰囲気に仕上げていただいて、感謝の気持ちがより強まりました。素敵なものをありがとうございます」と感謝の思いを伝えました。
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最後に「もうすぐ『法廷遊戯』がみなさんの元に届きます。この作品は、自分が持ってる正義感とは何か? ということを含め、自分の中のものを貫くことの難しさや苦しさは共感できる部分だと思います。僕自身も含め、考えたことなかったようなこと――『自分の正義とは何か?』ということを、みなさんに問いかける余白をだいぶ残している作品です。何より主題歌によって、救いのある、主題歌の最後の1秒まで見逃せない作品になっていると思います。ぜひ観終わったら、友達と感想を言い合っても面白いと思います。今日は本当にありがとうございました」と締めくくりました。
公式サイト
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ryotarox · 1 year
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書評 「進化的人間考」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
第11章ではヒトの際立った認知的特徴として「三項表象の理解」が解説される.ここは著者が特に重要だと考えている点であり,力が入っている.
子どもが犬を見て,それを指さしてお母さんに「わんわん」というと,お母さんはその犬を見て「そうね,わんわん,可愛いね」という,それを両者とも楽しむというのが典型的な三項表象の理解場面になる.「私」と「あなた」と「外界」があり,私が外界を見て,あなたも同じ外界を見て,互いに同じ外界を見ていること(心的対象を共有していること)を知り,了解し合うということだ.  
これは簡単そうだが,非常に高度な認知能力が必要であり(あなたが犬を見ていることを私が知っているということをあなたが知っていることを私が知っている),チンパンジーにはおそらくできない.  
ヒトの言語進化をめぐってはさまざまな議論がある.チンパンジーに言語を教え込もうとする実験も数多く行われ,いろいろなことがわかったが,もっとも重要な発見は「チンパンジーは(何かを要求する時以外)特に話したいとは思わない」ということだと思う.彼等は「オレンジちょうだい」というようなことは表現するが,「空が青い」とか「寒い」とかの世界の描写表現をすることはない.  
三項表象の理解は言語進化の鍵だと考える.三項表象が理解できれば,目的を共有することが出来る.そしてさまざまな具体的抽象的概念のそれぞれの個別表象を越えた「共同幻想」を持つことが出来る *4それがヒトを共同作業に邁進させ文明を築かせたのだろう.
*4 ここでは「何か探しているように見える人に『何かお探しですか』と聞くのは本質的にはおせっかいなのだろう.人の心は本当は計り知れないのだから.しかしそれでも大方は当たっている.相手もそう察してくれることを期待している.時にそれが外れた時に誤解が生じ,『あなたは何も分かってくれない』という恨みが生じる.この何やかやにもかかわらず,それでも共同幻想こそがヒトを共同作業に邁進させ・・・」とあってなかなか楽しい
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三項関係 - 脳科学辞典
英語名:triadic interaction, triadic interactive system, triadic relations, triadic engagement
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ari0921 · 2 months
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織田邦男先生の論考です。
真の「平和国家」を目指すときだ
麗澤大学特別教授 元空将・織田邦男
政府は3月26日、日本、英国、イタリアが共同開発する次期戦闘機の第三国輸出を解禁する方針を閣議決定した。もし日本だけが輸出できない場合、開発交渉で著しい劣勢に立たされる懸念があったが、ギリギリ間に合った。
次期戦闘機の第三国輸出
防衛装備品は年々、高性能化、高価格化し、特に先端技術の塊ともいえる戦闘機開発は一国では手に負えず、価値観を同じくする国が共同で開発する趨勢(すうせい)にある。
装備品の調達方法としては大別して3種ある。①外国から完成品を輸入②外国からライセンスを購入して自国で生産③開発(独自開発、共同開発)。その内、開発のメリットは①自国の防衛戦略に合致した装備品が入手できる②取得後、自由に改修ができる③防衛産業を育成、強化できる④先端技術が得られる⑤得られた技術を民需に活用できる―などがある。
第三国輸出には次のようなメリットがある。①生産機数が増え価格低減が図れる②維持、整備を通じ、輸入国との関係強化が図れる③輸入国の防衛力を高めることができ、日本の抑止力向上につながる④友好国を増やし、良好な安保環境醸成に資する。
他方、批判的なメディアからは「平和国家として歩んできた日本の信用を揺るがしかねない」「憲法の平和主義に反しかねない」といった主張があった。
「日本製の武器で人が殺されることがあってはならない」「死の商人になるのか」といった上滑りの情緒論的批判は論外として、「平和国家としての日本の信用」「憲法の平和主義」といった批判については違和感を覚える。
そもそも日本は「平和国家」としての責務を果たしてきたといえるのだろうか。戦後、日本は安全保障をワシントンに丸投げし、金儲(もう)けに専念してきた。他国での戦争や紛争には目を背け、自国さえ平和であればという「一国平和主義」にどっぷり漬かってきた。
日本は責務果たしてきたか
この偽善を暴いたのが湾岸戦争だった。サダム・フセインのクウェート侵略に対し、国際社会は冷戦後の平和な国際秩序維持を目指し、結束して立ち上がった。だが日本は汗を流さず、金で済まそうとした。結果、「小切手外交」「身勝手」などの汚名を着せられ、顰蹙(ひんしゅく)を買った。
平和は努力して創造するものであり、戦争に目を背けるだけでは得られない。日本の「平和主義」は「戦争」を忌み嫌うだけで、平和の創造に貢献してきたとは言い難い。「平和国家としての日本の信用」などは独り善がりの思い込み、幻想に過ぎない。我々が思うほど国際社会から評価されていないのだ。
先の大戦後、日本が全て悪く、日本さえ何もしなければ平和が達成できるといった風潮があったのも事実である。1945年8月のニューヨーク・タイムズの記事が当時を物語る。「この化け物(日本)は、一応倒れはしたがまだまだ安心ならない。我々は永遠にかかっても徹底してこの怪物(日本)の牙と骨を抜き去らなくてはならない」
国際社会の厳しい視線や、贖罪(しょくざい)意識も手伝って、安全保障については「何もしない」ことが「平和国家」と思い込み、更には「平和国家」は決して侵略されないとの「空想的平和主義」が蔓延(はびこ)った。
その後、日本の国力も増し、国際情勢の激変もあって、2013年12月、「国家安全保障戦略」を策定して「国際協調主義に基づく積極的平和主義」へ転換を図った。観念ではない地に足の着いた「平和国家」を目指すものであり、この構想は現「国家安全保障戦略」にも受け継がれている。
観念論的「平和主義」脱せ
だが、今回の「次期戦闘機輸出騒動」や「ウクライナへの支援態様」によって、いまだに観念論的「平和主義」から脱し切れない現状が白日の下に晒(さら)された。
ロシアの侵略に立ち向かっているウクライナに対し、武器、弾薬支援は認められないとして防弾チョッキや発電機でお茶を濁す。ウクライナの敗北は「力による国境変更は許さない」という戦後国際規範の崩壊に繫(つな)がり、やがては東アジアの平和を脅かすことになる可能性があるにもかかわらずだ。
G7の中でもわが国だけが異質である。これで「平和国家の価値と理念」などと胸を張れるのだろうか。侵略を許さない国際規範を守り、将来の平和を確保する。このためにあらゆる支援を惜しまない。それでこそ真の「平和国家」であり、国際社会で「名誉ある地位を占める」ことができる。
作家の司馬遼太郎氏は生前、次のように語っていた。「おかしなもんやなあ、大方の日本人にとってはある種の観念の方が現実よりも現実的なんやから」と。
「平和主義」といった実体の伴わない観念を振り回している場合ではない。今回、次期戦闘機の第三国輸出解禁で一歩前進した。今後は全面輸出解禁に踏み切り、「真の平和国家」という物差しで案件ごとに熟慮、判断し、国際平和に積極的に貢献していくべきである。(おりた くにお)
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kennak · 4 months
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1980年代当時、薬師丸ひろ子や原田知世などの人気スターを続々と送り出し、 映画界の話題を独占していた角川のアニメ参入第1弾として大々的なプロモーションを展開していた「幻魔大戦」と、 未だに熱狂的なファンを持つ「機動戦士ガンダム」の完結編を除くと、 松本零士作品か「ドラえもん」しか残らないという状況。 「うる星やつら2」が公開された1984年は、「風の谷のナウシカ」「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」など アニメ界の流れを大きく変える作品が続々と登場していたのだが、興収的には今ひとつ振るわなかった。 種の蒔かれる瞬間を劇場で観ることの出来た、幸運な世代である私は 「宇宙戦艦ヤマト 完結編」が公開された翌年に「風の谷のナウシカ」と「うる星やつら2」が 相次いで公開されたことの衝撃を良く覚えている。 ここから劇場アニメの概念が大きく変わるだろうと確信を持てる2作だった。 サントラも「愛はブーメラン」のシングルも、関連雑誌も買いまくった。 多少の想い出補正がかかっていることを差し引いても、 どちらの作品も未だに古びない素晴らしい作品で、あの頃の衝撃が正しかったことをこの歳になって再確認している。 あたるとラムの夫婦漫才のような関係をベースに 多彩なキャラクターが集まったドタバタアニメとして人気を集めていた「うる星やつら」が 突然ダークファンタジー全開の作風になったことで「押井守がやり過ぎた」だの、 「高橋留美子が激怒した」だのと、当時は様々な憶測が飛び交った。 Blu-ray発売までに随分と時間がかかってしまった(しかも一度中止になっている)ことも、 噂に信憑性を持たせる理由になっていたのだが、待てば海路の日和ありとは良く言ったもので こうしてプライムビデオでいつでも見られるようになるとは夢にも思っていなかった。 奇しくも今年で劇場公開から40年。長かったようで、振り返るとあっという間だった。
「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」がAmazonプライムビデオで見放題に - 忍之閻魔帳
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shunya-wisteria · 1 year
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どこかにビューーン! at 北上・横手
「どこかにビューーン!」を利用し、北上⇒横手⇒盛岡⇒花巻を旅してみた、パート1。
JR東日本管内の新幹線駅 どこかへ所定のJREポイントで往復できるお得なサービス 「どこかにビューーン!」 を利用してみました。私が選ばれた目的地は。。。東北新幹線 北上駅。1泊2日旅、さて何をしようか。 桜シーズンであれば北上展勝地が有名ですが、まだちょっと早い。そこで車窓から錦秋湖をはじめとした景色が楽しめそうな北上線で、一路 横手を目指してみた。
新幹線を降り立った3月中旬の北上は、ひんやりした空気が心地よい気候、折角なので北上川にかかる珊瑚橋までお散歩。橋の上から雪化粧の山脈をバックに北上川の豊かな流れを拝む。もう1月弱あとであれば、川辺の遊歩道は桜で埋め尽くされるらしい(なぜこの季節に来てしまったのだろうか)。
駅に戻り、北上線へ乗車、1時間ののんびり旅。ほとんど雪を見なかった北上市街地とは打って変わり、徐々に雪深い世界へ。東北の山間部の春はもう少し先みたいね。ロングシートの真ん中で周りに配慮しながらあまりきれいとは言えない窓越しの写真撮影は辛く、早々にあきらめ純粋に景色を楽しみました。
列車は横手駅に到着。横手といえば、かまくら ですが、これもまたちょっとシーズン外していまして。。。とりあえず横手城公園まで足を延ばしてみる。お城までの道中、一見 除雪されているようにみえ、角を曲がると突然深い雪のエリアというトラップが数か所。。。多少の雪は期待(覚悟)していましたが、10cm以上には対応できず、靴の中へ浸水。
何とかたどり着いた小高い丘の上の広場からは、雪をかぶった鳥海山の絶景が。どんよりとした曇り空も相まってなんとも言えない幻想的な光景が広がっていました、雪の女王とかが住んでいそう。最近「絶景」というワードを安易に使いすぎている気がしなくもないですが、これは最近で一番のものかと。思わず声がこぼれました。
この日のお昼は、B級グルメ 横手焼きそばをいただきました。とろとろ黄身を甘めのソースの焼きそばに絡めて、相性ばっちり。適当に街ぶらしていたところ、程よい時間に。この日の宿泊地 盛岡へ奥羽本線・田沢湖線経由で向かいます。
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mikiton02 · 1 month
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「常に動くという音楽」について
特別対談企画【久石譲×西村朗】第2回:現代音楽とバッハとミニマル・ミュージック (youtube.com)
ドビュッシー サティ ラヴェル編①「民族音楽との出会い」坂本龍一/音楽の学校/スコラ/schola (youtube.com)
ミニマル音楽・民族音楽の最も大きな特徴は『始まりがあって終わりがあるという常識を壊した』所にあると久石さんは述べている。
動画の中で坂本龍一さんはこの民族音楽を建築物と雲で例えているが凄く納得する。 『カタチが定まらず常に動く』 これはつまり雲を捉えているというより、大気やその周辺の空間が雲の印象をなすということだと思われる。
この『常に動く』というのは刹那の印象を捉える『印象派』に通ずるものがある。
ここでつまったのだが、印象派はありふれた『見えるもの』を刹那的に描いているが、自身が表現したいのは『見えないもの(精神性)』なので象徴主義や幻想絵画の領域に属すると思われ、象徴主義の代表として上がる「オディロン・ルドン」などもヒンドゥー教や仏教に関心があった為民族的な事と関連がある気がするのだが、今の所知識がなくて分からない。 学校の民族音楽の授業とか潜ろうかな
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luncott · 2 months
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事件です 大事件
上海アリス幻樂団より
8年ぶりの秘封倶楽部新作が発表されました!!!!!
8年ですよ8年!え!?って事は旧約酒場から8年ってコト!?ルンフェそれは流石に嘘だよ、旧約酒場はまだ…
…え?
…東方は知ってるけど秘封倶楽部はご存知でない!?!
ではそんな方々に説明していきましょう。
秘封倶楽部とは!2003年に上海アリス幻樂団より発売された『蓮台野夜行 ~ Ghostly Field Club』から始まるショートストーリー付き楽曲CDシリーズのことである!
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けっこう歴史あるぞ。
舞台は幻想郷の外側、我々の住む世界の日本。さらに時は我々の生きる時間より少し先の近未来。
そんな時代の不良オカルトサークル『秘封倶楽部』のメンバー、行動的で切れ者の「宇佐見蓮子」と控えめでたまに幻想郷に紛れ込んでしまうとんでもない少女「マエリベリー・ハーン(通称メリー)」の二人のお話。それぞれの話を付随した楽曲と共に味わっていく…というものになっています。
収録されている楽曲はオリジナルと東方Projectからのアレンジが混ぜこぜ。
オリジナル楽曲は原作ゲームに匹敵するほどの名曲揃い、こちらは激しい弾幕から離れて原作の雰囲気とは一味も二味も異なる楽曲が満載です。しっとり系や仄暗いダーク系が多く人によってはこっちの雰囲気の方がハマりそう。
アレンジ楽曲は秘封倶楽部オリジナルのバックストーリーを与えられた味付けになっているのが特徴。音源がゴージャスでオリジナルパートが追加された曲も多くそこに辿り着いたときの脳汁たるや、元との印象が異なる曲も結構あり。
で、その秘封倶楽部が!!
8年ぶりに!!やってくる!!!!(すごくうれしい)
これね…今だからこそ沁みるシリーズだと思いますね…。
楽曲は一つ一つを配信や動画サイトで聴く…という時代になって久しいですが、このシリーズはCDを回し、ブックレットをぺらりぺらりと読み進めながら頭の中に情景を生み出し浸っていくわけで。
動画もコメントも他人の評価も何にもない、なんとも昔ながらな楽しみ方。けれども今だからこそネットから切り離されたコレが沁み入ると思うんですよ、早く沁みっ沁みになりたいね。
余談
秘封倶楽部、片側のメリーが前述の通りたまに結界の隙間を通って幻想郷に迷い込んでしまうという凄まじい爆弾能力持ちの子なんですけど、そのキャラが新作で大変な事になるんじゃないかと今界隈が騒然としている状態です。なぜなら…
この子、八雲紫との共通点が当初からあまりに多く
「いずれ八雲紫になる存在なのでは?」と相当前(約20年前)から考察されていたキャラクターであり
今作のジャケット絵と収録曲名からその件が進展しそう&かつてなく不穏な空気がバチクソに溢れているためです。
これまでメリーの帽子に無かった赤リボンが今回のビジュアルだとあるんすよこれがあると八雲紫そっくりになっちゃうんすよアアアアアアアア!!!!!曲名もあの世だとかひとりぼっちだとか不穏な語句まみれじゃねーかンアアアアアア!!!!!
近年の神主は東方界隈に爆弾投下しがちなので今回も何かしらしでかしてくれる可能性が高いです…どうなっちまうんだ…助けてくれ…。
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poetohno · 2 months
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第二章詩集1-9 日記詩集1-9 返答詩集1-9 おまけトーク(自己犠牲をやめる)
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「別れ」
苦しみと痛みに涙して 望んでも届かない日々に虚しさを覚えながら 手を伸ばして呼びかける
手を差し出すこともない あの日々は幻だったのだろうか
光と雲の隙間に吸い込まれて 風に舞い ふとした瞬間に蘇る
悲しみを抱えて 一体どこへ歩めるだろう
日常は抗うことのできない川のように 流してしまう
何を失って 何を手にして 月と太陽と星々と 拾い集めた花弁と宝石と写真 散りばめた世界に少しずつ歩むことを思い出していく
なんて名残惜しい 悲しいくらいに切なく 泣きたくなるほどに愛しい
風が旅人を連れ去って 光と木の葉が導きとなって 歌を口ずさみながら歩み出す
微笑む月夜の晩の物語 やがて訪れる朝陽のために
「無理解の底で」
誰からも理解されない苦しみは 海に溺れるようで 夜に沈むようで
辿り着いた果てしない場所には 自分しかいないのかもしれない
全てではなくとも 理解してくれている誰かはいるのかもしれない
自分の方が 圧倒的に広く 絶望的なまでに深く 隔たっている
埋められない距離を 人は孤独と呼ぶのかもしれなくて
奥底に広がる 許されなかった過去 変えようとしても 苦しいこと
過去は変えられない 今を歩んでいくことだけができること
囚われた過去に沈んで 浮き上がる時 空は今に続いている 海は未来へと広がっている
過去を振り返ってみる 毎日は似ていても全く同じではなかったはず 抱いた感情や想い 出逢ったものは違ったはず
訪れるのは毎日が違う日々 贈り物だったのかもしれない
一歩先の未来が見えて 昨日とは違う道を見つけて
いつしか振り返る時 ――道ができている
「闇の中に光る星」
心の中に秘めた闇 宇宙の中の 太陽のような
音もなく 佇んで 静かに 輝くように
――鼓動している――
触れたら痛いかもしれない
取り出して 雨に打たれて 影の中に見つけた
宇宙にとっての星の光を 両手で包み込む
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geniusbeach · 1 year
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石の言葉
 名古屋を巡る車の中で、静岡に砂丘があることを友人から教わった。鳥取以外に砂丘が存在することは意外だったが、私はちょうど、ぼうっと眺めるだけで済む単調な風景を欲していたところだった。というのも、このところ雑事に追われていたせいで、精神は干された雑巾のように疲弊しきっており、何事に関しても乾いた考えしか浮かばなくなっていたからだ。友人に請うて予定を変更し、翌日足を伸ばしてみることにした。
  三月某日。朝から曇天。連休の中日であるせいか車道はしばしば滞った。昼過ぎにようやく浜名湖に着き、そばにある店で鰻を食べつつ、私は植田正治が撮影した写真を思い出していた。白い空と白い砂に二分された画面の中央に、黒い服を着た人物が立っている。現実から遊離した夢のような断片。まるでタンギーの時空にぽつんとある、マグリットのオブジェ。新しいのにどこか懐かしい、シンプルで強烈なイメージだ。そんな不思議な光景が、この先で待っているだろうか。重箱の蓋を閉め、肝吸いをすする。椀のなかにある黒い背景と白い肝のネガポジを反転すれば、近くて遠い異世界が現れるだろう。思いもよらぬ効果は、そのように簡単な操作で得られるのかもしれない。携えたカメラで何かを撮ってみよう。
 中田島砂丘は浜松の南部に位置し、遠州灘に面している。砂は、その東端が接する天竜川の上流から運ばれてくるそうだ。駐車場に車を停め、滑り止めが敷かれた小道を歩いて登って行く。林を抜けると視界が開けた。友人が声を上げる。空と、一面の砂が広がっていた。砂原へと続く急斜面を、足を取られながら興奮ぎみに降りる。すると、不意に下方から視線のようなものを感じ、私は立ち止まった。目を凝らすとそれは人でも動物でも虫でもなかった。石であった。坂の下に、じっとこちらを見つめている石があったのだ。遠ざかる友人をよそに、砂に顔を打たれながら、私はそれを見た。あたりにごろごろ転がる石とは何かが違う。風と波の果てしない響きのなかで、その石は白くきわだち、寂しそうだった。
 私たちにはどこか通じ合うものがあった。ルートを外れ、靴にざばざばと砂が入り込むのも構わず、石のもとまで無心で下って行った。拾い上げると、それは花崗岩であった。美しい卵型をしており、側面に少し平べったい部分がある。表面はチョコチップアイスを思わせる、白にわずかな黒のまだら模様。握ってみるとたしかな重みがあり、旧知の仲でもないのに、手にしっくりとなじんだ。持ったまましばらく考え、その石を散策の相棒にすることに決めた。
 石は、大人しい。しかしその性質はなかなか気難しい。浜を東へ歩いていく途上、こいつをどう扱おうかと悩んだ。ぐっと握りしめたり、持ち上げたり、掲げたり。ときに置いたり、立てたり、回したり。はたまた投げたり、落としたり、転がしたり。その全面が顔ともいえる、しかしいっさい動いてくれないカタブツをなだめすかしながら、何枚も写真を撮った。そのうち何やら、石の言葉が聞こえてくるような気がした。しかしその言葉とはいったいどんなものだろう。
 雨に濡れて。/独り。/石がゐる。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。
 そう書いたのは詩人草野心平だが、なんでもない石について、石そのもののごとく簡潔に、そこに秘められた歴史と存在の必然性を言い表している。なおかつ映像的でもあり、事物を外部から見た限界ぎりぎりのところを巧みに描写している。とはいえ、それは石の発した言葉ではなく、あくまで人間から見た石の姿にすぎない。最終的にその主張を想像して汲み取るのは我々読者だ。詩人石原吉郎によれば、詩とは「沈黙を語るための言葉」だという。結局、我々が読めるのは「書かれた詩」でしかない。ほんとうの詩は事物と感興との沈黙の関係にあり、口にしたとたん霧消してしまうたぐいのものなのだ。ただしその意味で、カメラは言葉と同等に詩をつかみ得る道具となる。
 石の言葉の意味は石にしかわからないが、聞くことはできる。それは生成と漂着の場所にこだまする音に根ざしているはずだ��ここは砂丘。海と空と砂と風がある。それらを組み合わせて固めた言語が質量となって、いま手のなかにある。石の組成、つまりこの風土の中心に改めて石を据えてみようと思った。空へと放り投げて、あるいは、太陽と重ね合わせたシルエットに向けて、シャッターを切る。一連の試行錯誤の末、徐々に一個の石の多様な側面が見えてきた。浜にある無数の石の中、風紋を斜めに切る光彩と陰影の間、人の足のような流木の上、それぞれの関係性の中で石は表情を変え、異なる何か訴えかける。それは静かだが、熱のこもった対話であった。
 石のようになかなか動こうとしない私に友人はやきもきし、途中からどんどん先に進んでいった。帰りがけに走って追いついたところ、持って帰るつもりかと聞かれた。私は黙って首を振り、堆砂垣の向こうにそっと転がした。ホテルに戻ると、お気に入りを見つけたと言って、友人はポケットから小さな黒い石を取り出してみせた。彼は彼で写真を撮っていたらしい。そうしてにやりとしながら差し出されたカメラの画面には、私と石の出会いが切り取られていた。少し笑うと、名残惜しさが込み上げてきた。ふたたび永遠の海亀の卵へと還った石は、満月とともに夜を語り明かすにちがいない。ここちよい疲労に包まれてほんとうの石となった私は、夢幻のなかでその会話を聞いただろうか。
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ashi-yuri · 1 year
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東京国立近代美術館 企画展「重要文化財の秘密」とコレクション展
国立近代美術館に5月はじめに行ったことを思い出して書く。とりとめのないことは書かないと忘れてしまうので。
国立近代美術館は行くと必ず、嫌な気分になる絵やよくわからんノイズを聞かされたりするものが出てくるので好き。花鳥画だけはいつもきれいで、椅子がオシャレなのもいい。常設展がついでに見れるわりに、とても充実してるのも楽しい。
重要文化財の秘密はすごく混んでた。堅苦しいくらいしっかりしてるキュレーションが印象に残った。エントランスにへんな顔はめパネルがあったような気がする。
企画展と対をなすコレクション展がとても良かった。
メインである重文が企画展に行ってしまったことで、いつもと少し違う趣きを見せる展示室が楽しかった。そして企画展の裏で、同じ館の展示を批評的に見るこういう解説と展示がある。すごく優等生的で生真面目にすぎる気がするけど、そういうところを自分は信頼してるのだと思う。勝手に悩み続ける「近代の蹉跌」を感じるから。古臭い言葉だけれど。
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特に印象に残った絵など
坂本繁二郎「水より上る馬」
輪郭も質量も消えて、存在だけが残る馬。写真だといまいち伝わらないけど、実物は具象なのに幻想的でとてもいい。
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松本竣介「Y市の橋」
どこでもなさに固着していくような静けさを、見るたびに思う。 戦時中に聴覚障害を抱え銃後に残ることの疎外感、みたいな作者の物語を越えて、ずっとタイムレス。
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奈良原一高「静止した時間」
止まってずっと動かないまま
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近美70周年記念の展示。よくわからないけど読みたくなる感じ。こちらの対談も近美好きな人にはおすすめ。真面目だね。
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ぶらぶらと見て回りながら、企画展と常設展のことをつらつらと考える。
国立新美術館の企画展だけの構成は、解説もキュレーションも一切排したダミアン・ハースト「桜」を見たときに、花見というコンセプトの周到さや集客できちんと結果を出してるところに面白さを感じつつも、あんまりにも空虚で、自分には合わないと感じた。
意味もなく桜に人が集まれば花見
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李禹煥展もよかったけど、企画ありきでどこか軽い気がした。
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この身軽さが多くの人に求められているのかもしれないし、有名どころが見れるのはやっぱりありがたいので、これからも足を運ぶだろうけど…
公設美術館というとつい、予算措置や集客、ステークホルダー説明、設置意義や継続性とかいろいろ考えるほど難しそうな気もするけど、一ファンだから好きな場所・企画にはよく行く、くらいでいいような気もする。
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elle-p · 7 months
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P3 Club Book Persona 1 pages scan and transcription.
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女神異聞録ペルソナ BE YOUR TRUE MIND
あるとき、私は蝶になった夢を見た。私は蝶になりきっていたらしく、それが自分の夢だと自覚できなかったが、ふと目が覚めてみれば、まぎれもなく私は私であって蝶ではない。蝶になった夢を、私が見ていたのか、私になった夢を、蝶が見ているのか。きっと私と蝶との間は、区別があっても絶対的な違いと呼べる物ではなく、そこに因果の関係は成立しないのだろう。
静まり返る街に、 金色の蝶が舞う。
~荘子~
フィラデルフィア実験で時空をゆがめたデヴァ・システムが、ひとりの少女の歪んだ夢の世界を現実化する。暴走する悪夢に呑み込まれた街。認識力の拡大にともなう主観の物質化現象が発生し、小説で描かれた現代の神話であるクトゥルフの神々までもが出現する狂気と幻想の世界と化す。日常の学園が、病院が、ショッピングセンターが、警察署が、地下鉄の駅が、巨大な幽霊屋敷さながらに人々を恐怖の底へと叩き込む。
異界と化した状況の中、金色の蝶に導かれ、心の力であるペルソナを覚醒させた少年少女らが、真相を探るために、事件を解決するために、あるいは身を守るために、大切な人を救うために、命をかける。
事件の鍵を握る少女を救うことはできるのか。その少女の心の闇を利用した者の目的は何か。謎と恐怖が渦巻く異界を、生き延びることができるだろうか。そして、その果てに······。
スペック
ジャンル
RPG
プラットフォーム
プレイステーション
Windows95/98
開発元
アトラス
発売元
アトラス (プレイステーション用)
アスキー、デジキューブ (Windows用)
発売日
1996年9月20日 (プレイステーション用)
1999年3月25日 (Windows用)
価格
6,800円 (プレイステーション用、税別)
8,800円 (アスキー発売Windows用、税別)
2,980円 (デジキューブ発売 Windows、税別)
2,800円 (ベスト版、税別)
Cogito, ergo sum
蝶と夢
『女神転生』の新たなる可能性として誕生した『女神異聞録ペルソナ』が種となり、時代精神を養分に枝葉を広げてきたペルソナシリーズ。最新作を機に、その創作の歴史を概観する。
ふたつのサバイバルストーリー
前作『真・女神転生 if...』 で描かれた、 学校という限定された空間からのサバイバルストーリーを踏まえ、さらなる発展を目指した意欲作が「女神異聞録ペルソ ナ」である。
暴走した心の闇に呑み込まれた街を舞台に、日常の崩壊が学生たちを襲う。そうした状況の中、真相を探り、事件の解決を目指し、学園を飛び出す者たちと共に戦うストーリー。学園に残る級友らを守るため、学園内に満ちる異界の恐怖と立ち向かう者と共に戦うストーリー。主人公 (=プレイヤー) は、いずれかのルートを選び、その物語を体験することになる。
いずれを選ぶのも、プレイヤーの心次第。あなたは、何のためならば、命をかけて戦うことができるだろうか?
絡み合うエゴ
学園という場は、物理的に限定された空間であると同時に、多数の人々が集う、エゴとエゴの対立と集合の場でもある。それも、子供と大人の狭間にある、己のエゴすらも自覚できぬ、曖昧で不安定な年頃の心が集う、危うさを孕んだ場。そうした集団が生命の危機が間近に迫る状況に陥ったとき、心はいったいどのように動くのか。
本作は、そうした人の心のひだを浮き彫りにする。エゴとエゴとのぶつかり合いの中、なじめない者、敵対する者、心を閉ざす者など、さまざまな反応が生まれる。そうした場面に接したとき、主人公 (=プレイヤー) は、どのように動こうとするだろうか。
集団の中で、人が自分と向き合い、どのように成長していくのか。自分をとりまく社会をどうとらえ、触れ合う他人をどのように見つめ、いかにして自分自身を見つめるべきか。そして、今の自分を超えるために、自分自身を高めていくために何をするべきか。ジュヴ ナイルとしての成長の物語をとおして、あなたは何を思うだろう?
心の悪魔
台風や地震、自然や四季など、人の心の外にある超越的な力を崇めるとき、人はそこに神を見る。一方、心の中に生ずる想い、吹き荒れる悪意、歪んだ欲望など、内なる心に悪魔を見る。こうした考えに基づき、人の心から立ち現れる光と闇を悪魔として顕在化させたものが、ペルソナである。
それゆえ、ペルソナのデザインは、神や悪魔という観念そのもののグラフィック化ではなく、それらのコスチュームとして、設定を意匠化したファッションをまとう形で描かれた。つまり、神々のコスチュームプレイが、ペルソナのデザインコンセプトである。
人の心が生み出す悪魔の姿に、あなたは何を見るだろうか。あなたの心には、どのような姿の悪魔が宿っているのだろうか?
挫折とコンプレックス
キャラクターの描写には、リアルさが追究された。それは、キャラクターの心という内側と、ファッションを含めたデザインという外側の両面を意識したものだった。
キャラクターが語る、泥臭く普遍的な心の動きを踏まえた、心を語りきらぬ抑えたメッセージ。コンプレックスを抱え、挫折を経験し、そして、そうした状況に、周囲の目を気にする余裕すらなく立ち向かう姿。子供が夢見る表層的なカッコよさではなく、女が男に感ずる、男が女に抱く、現実と幻想の願望と欲望を踏まえた登場人物たち。こうした心の内側がデザインに落とし込まれた。
また、当時、実際に存在していたファッションを取り入れるなどのデザイン的なリアルさによって時代性も表現された。ファッションを含めた姿には、その人のこだわりの部分が表れる。それは、その人の本質の一端であると考えられたからだ。
今、鏡に映る自分の姿は、これまで生きてきた自分自身の歴史の結果である。あなたの姿は、今、どのようなものだろうか?
金子氏コメント
キャラクターをパラメーター的に成長させるゲームとしてだけではなく、イベントやシナリオなどで語られる世界を楽しんで欲しい。そして、このゲームを中心に広がった漫画や小説など、様々な作品をとおして、それぞれの作家さんの価値観もあわせて楽しんでもらえるとうれしい。
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darekano94 · 5 months
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オモイデドロップス前半とMSS含めた感想(無駄に長いかつネタバレあり)
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まずワクワクしながらダウンロードしてたら「みことがねむの身体を乗っ取り」の一文でビックリしてテンションぶち上がりました(?)
ワクワクガチャ引く瞬間は替えがたい至高…いつもはやる気持ちを抑えておはなしを読む前に引くのが慣例になっています…おはなし読んだら大体余裕が無くなるからです…安心した状態でゆっくり集中したいから…
ちなみにガチャはすり抜けて瞬いてばかりで泣きました…物欲センサーなの…?!くしのことがそんなにきらいなの…!?!って半狂乱になりました…ふーん、そんなに私の本読みたいんだ…読みたいよ?!読ませて?!!(なんとか意地で手に入れました)メモリアは早々に出てくれたからよしとします【追記】ストーリー読んだあとにまた石をかき集めては引きますがほんとに出ない…出なくても仕方無いかなぁ袋小路でジリ貧で努力が空回りしてる感じが僅かにイベストとシンクロ出来た気がするからよしとします(よくはないよね?)
覚醒させたら正面を向いてくれてありがとう…(作画資料的な意味で)
それにしてもウワサ形態って毎回 絵師殺しって感じで最高ですね…
エックスの企画クイズのやつ覚醒セリフだったんですね………素直な気持ちだいじ!!!
闇堕ちしたみたいな見た目なのにセリフは光……ですね…(※この時点ではまだイベスト読んでませんでした)
待機中に手を振ってくれてる…?だれに?帆奈ちゃん…?(しかいないな…)
なんかもうイベントタイトルBgmが希望だ…今度は私が見つけてみせるから…最高にすき…
戦闘ボイス…声がすこし明るくなった…?って思ったけど「消えてもらうね♡」「目障りなの♡」っていう…コネクト…「がんばろっか♡」闇だ…
ストーリー…とんでもない……
ねむ様強いですね…てっきりやられたらまたしばらく起きないものと(失礼)
絵面的にしばらくねむちゃんが帆奈ちゃぁぁん!って帆奈ちゃんにべたべたしてたと思うとドキドキします!しません?自分はしました。乗っといておいて「こんな体でべたべたしてごめん」とか言う…こんな体ってそんな…
わかってたならベタベタする前に気がつこうぜ!でも帆奈ちゃん前にしたら恋しすぎて止まらなかったみことちゃん愛おしい…独占欲つよつよ
「お前」呼ばわりしたり「覗き見女が」って言ったり…悪口はみことちゃんのが語彙ありそう…そのあとのフード頭呼ばわりにちょっとほほえましくなりました。ただの愛称…帆奈ちゃんは本当に優しいね…みことちゃんのMSSの敵が覗き見城下町のウワサで…えっ もしかして覗き見女発言から?!ってジワジワきています…アニレコが恋しい…
環さんの、ねむちゃんより同情してる気配は出しつつもみことちゃんの発想は理解出来なくて倫理観と正論でパンチするとこほんと環さん(けなしてるわけではなく)弱者に寄り添いきれないあたりの解像度がアニレコ並みに高い気がする……(けなしてるわけでは!)
力技だけで片付けられずみことちゃんとどうしても分かり合えないというところもしっかり見られて解釈はめちゃくちゃ一致というか……みことちゃんもほむほむみたいに帆奈ちゃんの話をもっともっと環さんにしまくってアピールしてたら少しは違ったのかな…?でも大切な思い出だからね…環さんにはちょっと…アリナちゃん(と巻き込まれた御園ちゃん)には見せてましたよね…心開いてるから?っていうか心開いてそうなアリナちゃんのアの字も出なくて(手は出た)くしは泣いた…どこにいるの…?
みことちゃんの…ほんとに救われたいのに救われようとあがくたびにかえって悪い方向に行って絶望する仕組みかなしい…「一緒にいられたらそれだけでいい」という気持ちは同じなのに根本では自分の価値に自信が無いから「役に立たないといけない」って空回り方をする…
そもそも願いを叶えてから能力を使う時も…お母さんに使うんじゃなくて自分に使う…帆奈ちゃんに家を見せられず苦し紛れで他人に使う…そして精神を病む…性格や境遇上どうしようもなかったのかな…って悲しい クリスマスくらい普通にはしゃぐエピがあっていいじゃないですか!?いやはしゃいではいましたけど…輝きと絶望が一緒になって追いかけてくる…クレープ、ウインドーショッピング、遊園地、喫茶店でバイトとかいうオタクの夢てんこ盛り内容なのに胸が苦しい!!!記憶を無くしたくないのに結局無くす方向へ向かう因果……
通常みことちゃんがミラーズのコピーはお人形遊びするためにいるのに…とか言ってましたが…今回してることも帆奈ちゃんの幻を見てるだけだと思うと…切なすぎる…隠遁っていう性質なだけある…「運賃は支払わないと」「人が死ぬね」とか妙なところ律儀なのに …不安定になるとすぐ話が通じなくなる…主張が空回りして本末転倒になるあたり本当に愛おしいけど本当に苦しい……
でも…本当は困ってる人を見逃さず助けられるヒーローになりたかったっていう夢とだれかに見つけてほしかった必要として欲しかったっていう夢が巡り会った帆奈瀬奈という組み合わせは悲しいくらいに美しい………いちいちセリフがドラマチックがすぎる…クリスマスbgmに染まらない強さがあります……
スノードロップとか…もう帆奈瀬奈という言葉が冬の季語として機能するのでは…?くしにも歌を詠む力があれば…
わーんもう情緒めちゃくちゃ…マギアレコードさん…!!!
あとは…後半読んでからにします……(ここまで駄文を読んでくださった方ありがとう…)
下の写真は帆奈ちゃんにみことちゃんを🎁した図です(はやくあけて!
今は石マジでゼロです…
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この図ほんと面白い…
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ari0921 · 5 months
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 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
 令和五年(2023)12月25日(月曜日)
     通巻第8066号 
 台湾独立を唱えた物書きは、中国を旅行すると捕まるのです
  そればかりか外国にいても拉致される。言論弾圧のすさまじさ
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台湾生まれだが、根っからの親中派として著名な武侠小説家、羅森(本名=リョウ孟彦。47歳)は作品内容に問題があるとされ、逮捕・拘束後、12年の禁固刑判決がでたらしい。
羅森と言えば同名異人で、ペルー艦隊が渡来したときに漢文と英文通訳で活躍した文人の名前と同じ、だから筆名の由来としたのか? 台湾ではコンビニの「ローソン」の漢字名が「羅森」だ。
中国の台湾事務弁公室は、羅の逮捕は認めたが、懲役12年の判決が下されたかどうかは確認できないとした(台北タイムズ、12月24日)。
羅森は台湾独立に反対し,ついには居住地を台湾から中国広東省の珠海に移動し、ネットで武侠小説を書き続けた。羅森は「人民解放軍が来たら降伏する」などと親中路線の発言を繰り返してきたため台湾では彼の逮捕に同情する世論はない。
 中国に限らず、香港、台湾での通俗小説の世界では武侠小説に人気があり、映画にもなる。代表的な作家は日本でも多くが翻訳された金庸のほか、古龍(この二人は故人)。フランツカフカ賞受賞の閻連科、また人民解放軍幹部で武侠小説家がいる。
 日本の剣豪小説は柴田錬三郎、五味康介、津本陽、隆慶一郎らがいたが、中国の武侠小説は、筋立てに空想的幻影、人間業とは思えない秘術や、ときに妖怪などが踊り出し、やはり日本人作家と発想が異なる。
 羅森は武侠小説に夢幻を輻輳させるユニークな作風で知られ、風水、神秘現象などに加えて道教や風水占い、四柱推命などが入り交じっている。中国の古典『水滸伝』の伝統を引くと言われる。
 中国文学のジャンルでは「玄幻小説」(日本でいう幻想小説)分野で、羅森はオンライン配信してきた。代表作に『風姿物語』、『東方雲夢譚』がある。逮捕理由は政治的要因ではなく、作中の性描写が露骨で扇情的だとか。
 なにしろオンラインゲームにまで中国は規制を架け、「オンラインゲーム管理規則」案が公表された。それによればオンラインゲームの内容に「含んではならないコンテンツ」として、「国家の統一や主権、領土の保全を脅かす」や、「国家秘密の漏洩、国家安全に危害を加えたり国家の栄誉や利益を損なう」といった堅苦しい内容である。
未成年者の利用ではお金をかける「ガチャ」等に加え、オークションも制限する。
 習近平政権はすでに予備校、家庭教師を制限し、21年にも、オンラインゲームの運営企業に対し、18歳未満の未成年者の利用を週末と祝日などの各1時間のみとするように命令した。理由は、「オンラインゲームなんぞ『子供の精神をむしばむアヘン』だから」とした。
 この規制案公表直後から、ゲーム大手テンセントの株価が下落を始め、週末(12月22日)の株価は12%の下落となった。
 ▼出版社経営、中国批判の物書きもつぎつぎと御難に遭遇している
 かくして台湾独立を唱えた物書きが中国を旅行すると捕まるばかりか外国へいても拉致されるのだ。言論弾圧のすさまじさ!
 2015年の銅鐸湾書店事件をご記憶だろうか。
中国共産党、とりわけ幹部等の醜聞と批判本を洪水のように出版し続けた同店経営者はスウェーデン国籍も取得していた。滞在先のタイで拉致され、従業員らも深センで拘束された。銅鑼湾書店は閉鎖された。
 2022年1月に中国を批判し台湾独立を主張していた楊智淵が行方不明となった。
 2023年3月31日、台湾独立を主唱し数冊の著作もある評論家の李延賀が「扇動分裂国家」なる容疑で中国国内で拘束された。李は遼寧省生まれで、夫人が台湾国籍のため2009年に台湾に移住していた。
 2023年6月4日、ラオスに滞在して居た楊沢溥と喬金金が拉致された。天安門事件の再調査などを唱えていたからとされる。ラオスにとっては主権侵害だが、抗議した形跡がない。
 ここの挙げたのは氷山の一角でしかなくネットで、共産党を批判したりすると、すぐに拘束される。習近平のポスターに赤インキをかけた女性は、執拗な捜査によって逮捕された上、『精神病院』に送られた。
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kennak · 24 days
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彼の家族は、父親が亡くなったときに閉店した元オートバイ店の隣の地下の家に住んでいました。 私の家から彼の家までは、鹿がたくさんいる美しい森の中を歩いて1時間かかりました。 貨物列車が目の前をゆっくりと通過していくのを、私は頻繁に家の視界に入り込み、列車が通過するまで木の切り株に座っていました。 以前のオートバイ店には、石鹸で汚れた窓の前にドクターペッパーの機械があり、私は鍵を持っていて、彼の母親がたくさんの仕事の1つをしている間、私たちは外泊のときにこっそり店を探索するために忍び込みました。 彼女はチェーンスモーカーでめったに話さず、ビデオゲームをレンタルするために私たちを地元のビデオ店まで車で連れて行ってくれたとき、よく一本のタバコに燃えているチェリーで火をつけていました。 マークの兄もその家に住んでいたが、部屋から出ることはほとんどなかった。 ほとんどの場合、タバコの煙が充満した家の中でジャーマン・シェパードがゼーゼーと咳き込む中、私たち二人が監視されずに飛び跳ねたり、古い映画を観たり、ソーダを飲みすぎたりしていました。 このような家族は、福音派キリスト教徒のターゲットになることがよくあり、福音派キリスト教徒は、仕事中に子供たちを楽しませることができる青少年グループのオファー���家族を誘い込もうとすることがよくありました。 ある時点で、青年牧師の一人がマークの母親に、私たち二人を彼の教会に行かせるよう説得しました。 ブロックバスターの代わりに、私たちはトウモロコシ畑に囲まれた暗い田舎道にある、十字と頭上にブンブンと光る照明がついた、匿名の鉄骨倉庫の前で降ろされました。 父親と母親がバイカー文化に深く関わっていたため、マークは宗教にあまり触れていませんでした。 私はすでにこの種の場所を以前に見たことがあり、次に何が起こるかを恐れていました。 私たちが中に入ると、「マイケル牧師」を紹介されました。彼はサンタクロースが極端なダイエットをして連続殺人犯の眼鏡を買ったかのように見えました。 マークは飛び上がって質問を始めたが、私は距離を置いた。 その前年、私は古い駅の修復にボランティア活動をしていた。それには、駅をホームレスの避難所に変えようとする原理主義キリスト教会の「監督」のもと、大勢の若者が参加した。 私たちは鉱山に隣接するこの小さな町の中学校の床で寝て、日中はペンキを剥がしたり床を研磨したりして過ごし、夜は性の悪さやアメリカがどのように「文化戦争」に陥っているかについて講義を受けました。 今にして思えば、児童労働として鉛塗料を除去する際にもっと保護具が必要だったような気がしますが、それは神次第だったのでしょう。 起立させられ、結婚するまではセックスしないと約束させられた長いセッションの後、割り当てられた教室に戻る途中で私が冗談を言ったところ、すぐにグループの先輩の男の子に詰め寄られました。 。 彼は軍隊風の髪型をしていて、星が見えるほど私をロッカーに叩きつけました。 私は毎週日曜日にカトリック学校とミサに通い、水曜の夜はカトリック教徒のための日曜学校のようなCCD(キリスト教教義連盟)に通って育ちました。 これらすべては、私がかなり確立された「クリスチャン」資格を持っていることを意味していました。 この少年は、私が悪影響を及ぼしている偽クリスチャンだと思っていること、鍵のかかった教室で毎晩彼や彼の友達と二人きりになるから気をつけるべきだと言いました。 この経験により、私はこれら福音派カルトに対して極度の警戒心を抱くようになり、教室の床で寝袋に静かに横になり、明らかに忘れ去られた回し車で走るハムスターの音を聞いていた。 この世界に詳しくない方に、少し背景を説明させてください。 私のカトリック教育は、聖なる人物との全く異なる関係を示しました。 神が直接語った人はほとんどなく、ほとんどが聖人でした。 自分は神との幻視や直接会話に値するような人間であると信じる罠に陥ってはいけない、という多くの警告を受けて育ちました。 これは神の介入というよりは精神疾患である可能性が高いと、やんわりと示唆されました。 彼はあなたの心に入り込み、あなたの行動を変え、あなたに平安を与えますが、あなたはチャットが正当化されるような稀な個人の階層に属していません。 したがって、私にとって、 神と直接会話 できると主張する福音派は異端であり、ランダムな「牧師」が自分たちが聖人であると主張するのと同じで、ひどい冒涜でした。 会衆が列を作り始め、その後に起こったのは、私の人生の中で最も非現実的な2時間の1つでした。 私の知り合い、図書館で働く女性、地元の郵便局員などが、自分たちの健康問題をサタンのせいにして叫び、手を振り始めた。 それからある時点で、怖いサンタクロースは震え始め、発作を起こしているように見えました。 彼は大声でせせらぎをし始め、部屋中を動き回っていました。そして、 このせせらぎに何か意味があるふりをして 、自分たちでそれをする人がどんどん増えているのを私は見つめました。 明るい光と大音量の音楽が、これらの普通の人々を狂気に陥れたようでした。 携帯電話のないこの時代、この状況を放置するために私にできることはあまりありませんでした。 私はマークがこれらの人々が神の声を伝えていると確信するのを待って見ていました。 「すごいですね、本当に何かを感じました。部屋にはエネルギーがありました!」 私がドアから目を離さないと、彼は私にささやきました。 青年牧師の一人が、私の中に霊が動いているのを感じましたか、参加したいという衝動を抑えるべきではないと尋ねました。私は大丈夫だとつぶやき、トイレに行かなければならないと言い、それから個室で待つまで待ちました。サービスはほぼ 2 時間後に終了しました。 他の子供たちと話していて、彼らがこれを信じているという現実が頭から離れませんでした。 「それは神の言葉であり、聖霊が私たちを通して語っておられることを理解できるのは、選ばれた少数の人だけです。」 その言葉は非常に強力で、牧師が教会の選ばれた会員に預言を明らかにし、彼らの経済的投資を支援することができました。 これは致命的な重大な仕事であり、これらの普通の人々は完全に信じており、時々 ある種の 言葉のように聞こえるこのナンセンスなおしゃべりは、文字通り神が彼らを通して話していると確信していました。 私は、普通の理性的な人々は決してそのようなナンセンスなことを信じないだろうと確信して帰りました。 これらの人々はだまされやすいので、一度この死んだ町から出てしまえば、このレベルの妄想にさらされる必要は決してなくなるでしょう。 それで、数年後、私がサンフランシスコの巨大な会議場に座って、Google の CEO が聴衆に AI がどのような未来になるかを説明しているときの私の驚きを想像してみてください。 ランダムな単語をつなぎ合わせたこのシステムは、群衆の中の私たち全員を置き換え、地球温暖化を解決し、あらゆる仕事を変えることになるでしょう。 これには、健康保険を失うことに興奮しているようだったグループから万雷の拍手が送られた。 これらすべては、テクノ音楽と明るい照明、そしてより多額の予算を投じた教会の礼拝によって始まりました。 私が行った会議はどこも、スタッフをこの神聖なテキスト ジェネレーターに置き換える可能性について有頂天になっている人々でいっぱいでした。 会議のために元の Google キャンパスまで私と Uber をシェアしたフランスのベンチャー キャピタリストは、興奮で息が上がりそうになっていました。 「間もなく、スタートアップを立ち上げるのにプログラマーさえ必要なくなるかもしれません。ただ、創業者とそのアイデアが、夢見る限り早く市場に投入されるだけです。」 彼をLLMに置き換えることができる可能性が高いとコメントしたくなりましたが、それは意地悪だと感じました。 まだ人間が運転しているテスラに私たちが座っているとき、「それは世界を変えるだろう」と彼はつぶやいた。 私の人生の中で、信心深い人たちから、私のコミュニティ、つまり無宗教のテクノロジー愛好家がテクノロジーを宗教の代わりに利用しているのではないかとよく言われてきました。 私たちは神や聖人という空想的な概念を拒否し、それを未来の妄想的な考えに置き換えるだけです。 自動運転車は、その問題が実際には難しすぎることが明らかになり、私たちが静かにそれについて話すのをやめるまでは避けられませんでした。 火星に植民地を設立するということは、たとえそれが私たちの能力の10倍を超えているとしても、あたかも「すぐに」であるかのように議論されることがよくあります。私たちは紙幣をデジタル通貨に置き換えようと試み、そして管理しました地球の破壊を加速する世界的なネズミ講を創設するために。 通常、私はこのロジックを拒否します。 テクノロジーは、多くの欠点がある一方で、実際に利益をもたらす多くのものを生み出しますが、これは宗教が主張できることではありません。 しかし、AIの力に対するこの盲目的な信仰を数か月聞いた後、私が今聞いていることと、礼拝後に信者が私に言ったことを比較すると、不気味なほど似ていました。 これは単なる集団妄想であり、新しいアイデアがないにもかかわらず、依然として 1 兆ドルの価値があると信じ込ませようとしているテクノロジー企業による必死の試みなのでしょうか? ここに何かありますか?
AIは異言を話す
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yskwkt · 1 year
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▼プーチン大統領が〝逆ギレ〟すれば結局墓穴!? クレムリン攻撃、反プーチン勢力による仕業か 「これを機に戦術核使用や原発の攻撃も」識者 正直言うと、ロシアが侵略戦争して核まで使ったとなると戦勝国の作った世界秩序がぶっ壊れるのでぜひやってもらいたいという気持ちもある。 国連常任理事国の拒否権と、常任理事国に限って核兵器を保有することが表向き認められるというNPT体制は、第二次世界大戦の戦勝国たる常任理事国が世界平和に責任を持つという共同幻想の上に成立しているからだ。 こういうバカバカしい制度は敗戦国民の一人としては面白くないことなので、それによって世界がカオスと化しても露助が無茶苦茶して国連(連合国)が崩壊して欲しい。 そうなればあのクソ忌々しい日本国憲法も、前文そのものが空文と化し必然的に改憲せざるをえなくなるであろう。 だって「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・・」って、平和を愛する諸国民って戦勝国の国民のことだし、公正と信義を可能にしているのが国連常任理事国のことなんだからね。だいたい国連って腐れ脱酸素やLGBTQやらのリベラルの総本山でしょうが。保守の立場から言えばあんなもんなくなったほうがいい。
陳胡痒のworld view
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hazukinakamura · 1 year
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🌿’23.05 Live Schedule!🌙
5/7sun @祖師ヶ谷大蔵Eclaircie
山田彩花/元太ユキ/中村葉月/La fraise
open 12:30- / start 13:00
来場 ¥2,500 + 1 drink
配信 ¥2,000
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