【アフタヌーンティーでーと】part-3 5月の思い出 食べきれない菓子類は すべてパッケージして お持ち帰りできます ごちそうさまでした 安曇野市の 山麓線と呼ばれる R25沿いにある 素敵なお店 アフタヌーンティー以外も 特徴ある お花とりんごをコラボさせた 各種ケーキや菓子類が 紅茶と一緒に いただけます 🍎🍎🍎🍏🌹🌹🌹🍀 #長野県安曇野市 #山麓線 #アフタヌーンティー #りんごと花のコラボ #ケーキ #焼き菓子 #紅茶 #バラ #りんご #ごちそうさまでした🙏 #食べて癒す #お持ち帰り (apple&roses) https://www.instagram.com/p/Ce6fGPavIWc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
1 note
·
View note
天空の古刹 立石寺
山寺とも呼ばれる天空の古刹 宝珠山 立石寺を参拝。
山形と仙台を結ぶ仙山線 山寺駅で途中下車。 麓の根本中堂を参拝後、登山道へ。松尾芭蕉が句の着想を得たといわれるせみ塚等を経て、石段を進むこと1時間弱。
まだ暑さの残る時期の訪問で、大粒の汗が取り留めなくながれ。。。悪縁切りのご利益があるとされる奥之院・大仏堂へお参りし、ちょっと一息。さらに先の開山堂へ。
岩の上に立つ開山堂と朱色の納経堂は、天空の古刹と呼ばれるだけあって圧巻の光景。青空の下で輝く姿は映えないわけがない。 開山堂の脇を進んだ先、舞台造りの五大堂から見下ろす自然豊かな集落もまた素敵でした。
ありがたい修行の石段いわれる道中ですが、豊かな自然と句碑等の史跡が楽しめ、運動不足・体力の乏しい私でもあまり苦なく足を進められました。
さて、下山後は近くのお店に入り、かき氷でクールダウン。次の電車を待つこといたしましょう。
立石寺と平泉の中尊寺・毛越寺、松島の瑞巌寺は、9世紀に慈覚大師 円仁が開山し、松尾芭蕉が訪れたみちのく 4つの古刹であり、これらを巡る旅は四寺廻廊と呼ばれていると��。偶発が重なり(?)この度、1年で四か所を巡ることができてしまいました。
146 notes
·
View notes
六麓荘町(ろくろくそうちょう)は、兵庫県芦屋市の町名及び同地の高級邸宅街。「丁目」のない単独行政地名。
神戸市、大阪市および阪神間の市街地と瀬戸内海を俯瞰する六甲山地の南東麓斜面の海抜200 - 250メートル地点に位置する。1928年に払い下げられるまでは国有林で[5]、現在も芦屋市の自然環境の一部分を形成している。
芦屋の一部は元々、大阪財界人の別荘地として開拓されていた。六麓荘町の開発は、明治後半から大正時代にかけ、日本一の富豪村[6]と呼ばれた住吉村(現・神戸市東灘区)や夙川、香櫨園など近隣地域の影響を受けた延長上のものであった。1928年(昭和3年)から富商・内藤為三郎ら大阪財界人の手によって、国有林の払い下げを受けて当初197区画、数万坪にのぼる宅地造成を行ったことから始まった。六麓荘という地名は「風光明媚な六甲山の麓にある別荘地」に因み名付けられた。電線類地中化など先進的な街づくりが取り組まれた[5]。
六麓荘の開発は、1928年(昭和3年)に大阪財界人のひとり森本喜太郎が発起人になって、土地開発・住宅造成の会社である「株式会社六麓荘」を設立したことが始まりである。社長には上記の内藤為三郎、専務に森本喜太郎が就任した。この当時は、資金があまり準備できず、2人は協賛金や株の手付けなどの資金調達に専念した。
この地帯も国有林であったので、国有林の払い下げなどの運動については、法律に長けた取締役の瀬尾喜二郎が国との交渉にあたったとされる。
六麓荘開発のコンセプトは、この地を「東洋一の住宅地」とすべく香港の九龍半島やその対岸の香港島の白人専用街区をモデルに開発が行われた[5]。南斜面の起伏のある恵まれた地形を有効に利用し、スケールの大きな住宅地が形成された。例えば、細い山道にすぎなかった道を幅6メートル以上に拡幅して、1区画につき少なくとも300坪から400坪以上を標準とした。また、自然の地形を尊重した曲線道路により、住宅地全体が構成され、造成時に切り出された石材は石垣や石橋、庭石に利用。山林の赤松もできるだけ残されて庭木などに活用された。
敷地内に流れる山からの湧水を小川として取り込むほか、溜池や道路を流れる川には橋をかけた。さらに、特色として上水道は経営地の最高部に貯水池を設け、下水道はヒューム管を埋設。都市ガスも導入している。また、電気については、電柱が著しく風致を損なうとして、多額の費用をかけて日本で初めてとなる電線類の地中化が行われた。道路の保全と美観上の問題を含めて全面的な道路舗装を行い、安全面にも留意している。開発当初の1区画の敷地規模は、平均300 - 1000坪以上である。
六麓荘最大の特色として「六麓荘町内会」が開発直後から組織されていることが挙げられる。なお、「町内会」を別に「自治会」と称する事もある。町内会は環境保護・景観保護の為に、ある意味においては、治外法権的な役割を果たしており、町の住民は、開発当初から町内会独自の協定を設けて高級住宅街の維持に努めてきた。協定では、建物は一戸建ての個人宅に限り、新築と増改築には町内会の承認が必要である。
町内での営業行為は一切禁止しているため、マンションや商店、自動販売機は全くない[5]。町内会員により構成される六麓荘町内会(六麓荘土地有限会社)は、道路部分の土地所有権を有している。開発当初は道路を区分所有していたが、管理に限界があり、有限会社を設立することで共有財産とした。しかし、有限会社での自主管理にも限界があったために、芦屋市に無償貸与して市による管理が行われることになった。
新規居住者は、入居時に、町内会の入会金を支払いとともにこれとは別に月々の管理費を支払っている。これらの資金は、共有施設がある駐在所兼公会堂施設の維持・管理と町内会の活動経費に充てられている。新規入居者は、計画時に芦屋市から申請の内容が町内会に伝えられ、町内会でこれを承認するという手続きをとっている。セキュリティー面では、1930年(昭和5年)に町内会が無償で建物を提供して、芦屋警察署の六麓荘駐在所が開設された。
現在の建築条例(旧建築協定)は敷地面積を400平方メートル(121坪)以上とし、400平方メートル未満の面積への分筆も禁止され、用途は2階建以下の一戸建個人専用住宅に限られる。建物の高さは最高10メートルで、軒の高さは7メートル以下とし、営業行為も一切禁止で他にも色々な制限がある。
上述の厳しい制約から、賃貸契約や会社名義(社宅)としての利用が不可であると勘違いされる事も多いが、建築条例を充たした建物であれば居住形態の制限等は無い。賃貸(借家)住まいや社宅住まいの住人も数多く存在している。
バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災以後の近年では世代の交代や高額の相続税の支払いが原因で、土地を手放すケースが増加した。そのうえ前述している紳士協定に過ぎない「建築協定」では風致を維持することができなくなることが懸念されるようになる。そのため住民は強制力のある条例による景観保護を市に求めることとなった。
住民の要望を受けて芦屋市は「建築協定」をそのまま「条例」に格上げした「景観保護条例」を市議会に提出した。「景観保護条例」は、2006年(平成18年)12月22日の芦屋市議会で全会一致で可決されて、2007年(平成19年)2月1日から施行となった。通称「豪邸条例」として話題になった[5][7]。
六麓荘町 - Wikipedia
21 notes
·
View notes
私の週末は雨ばかり
休日になると雨という日が多く、鳥写にほとんど行けなくてこまっている。8月5日も、澁澤龍彦の命日なので絶対に労働しないと決めており、休みを取っていたのだが、探鳥会があるというので出かけたら、会場の山頂が雷雨のため中止になってしまった。
麓はまぶしいくらいの晴れなのに……とロープウェイに乗ると、山頂は霧で真っ白だった。
昨日も雨だった。数分ごとに土砂降りと晴天を繰りかえし、とてもではないがカメラをかまえているわけにはいかない。
それでもすこしだけ砂浜で遊ぶメダイチドリを撮影した。Instagramに載せたら、野鳥の会の人に「これはオオメダイチドリです」と教えてもらった。鳥の同定も少しずつできるようになってきた気がするが、まだまだ難しい。
最近、ササゴイを見つけた。サギの仲間では県内で最も発見数が少ないらしく、会に発見の記録として報告することになった。「見つけた」という報告をしてから、わたしは(荒天続きで!)観察にほぼ行けなかったのだが、ほかの会員のひとたちが足繁く通って様子を見てくれて、いろいろなことがわかったようだ。
今まで漠然と、探鳥会に参加して鳥の探し方を教えてもらったり、鳥の種類を教えてもらったりしていたが、こんな風に生態や生息地の調査をしているんだ! と知った。
ちなみにササゴイを見つけた場所には、天候運最悪ながら見計らって何度か行っていたのだが見つけることができなかった。今日ようやく、見つけることができた。警戒心の強い鳥で、すぐに飛んでしまうし、潮が引いていると遠くにいて、見つけづらい。
そして何より、思ったより「小さい」のだ。
「サギ」という名を聞いてまず思い浮かべるのが、多くの人はアオサギやシラサギと呼ばれるダイサギ・コサギだろうと思う。まあコサギは小さいのだが、「サギ」のイメージとしては「なんかでかいけどそんなに逃げない鳥」というイメージがあるんじゃないだろうか。
だけど、ササゴイは小さい。どれくらい小さいかというと、わたしが最初に見つけたとき、「大きめのシギチ(シギ・チドリ)がいる」と思ったくらいの大きさだ。つまりかなり小さいのである。
写真を撮ってみて、拡大したら、「えっ、これササゴイじゃん」と気づいた。とてもとても小さい……。
もっと大きいと思っていたのに、小さすぎて、まず「サギ」だとすら思わないという……。しかも、派手と言えば派手な色合いだが、これが干潟でたたずんでいると見事な保護色で、見つけづらい。自然というのはうまいことできているなと思う。あんな目立ちそうな主張の強い模様をしているシマウマも、サバンナで見たら「見つからない」のかも知れない。
想像や、書物だけの知識では、わからないことがたくさんある。自然はよくできているし、人間の想像は自分の都合のいいように鳥の大きさや生態を解釈する。
そんなことを考えながらササゴイを観察し、帰る途中、友達が昨日素敵なササゴイの写真を撮っていた場所に立ち寄ろうと思ったら、大きなカメラをかまえている車がたくさん並んでいて、わたしが入る隙間はなかった。
そこで待っていれば、鳥が来てくれるかどうかは未知数だが、人間は、カメラの性能と、撮りたい写真、鳥の動線や習性を考えて鳥を「待つ」。
あの車を並べていた人たちも、ササゴイがそこに来てくれるかどうかをわからないまま待っている。あそこにササゴイが来てくれたら、きっといい写真になるだろう。
どんな撮影でもそうかもしれないが、野鳥の撮影というのは、「ここにいてくれたらいいのに」と思う場所に鳥は絶対に現れてくれない。人間の都合のいい枝に、サンコウチョウは決して止まらないし、人間が都合のいい切り株で、コマドリは囀ってくれない。
野鳥の撮影をはじめて、わたしは「ままならない創作」というものを発見したような気がする。
小説というのは、まあプロットというものがそこにあって、それに従って書いていくものだ。わたしが止まってほしいと思ったところに鳥を止めることができるし、それはどんな珍鳥でも「止められる」。なんならこの世に存在しない迦陵頻伽を「私の目の前に」現すことができる。
そして迦陵頻伽と「どんなふうに」接触したかまで決めることができるのだ。
だけど、カメラを持ってフィールドに入れば、すべてがままならない。「素敵な写真を撮りたい」と思っても、その「素敵な写真」は、どれだけ足繁くフィールドに通っても、撮ることができないかもしれないし、もっというと、「撮ったものを解釈される、その方向性」をコントロールすることができない。
「わたしはこのような「考え/創作の方向性」を持って鳥を撮りました」というものを、一枚の鳥の写真では表現ができないことがある。解釈の自由度が高い故に、「ままならない」のだ。
それは私自身の「考え」の漏出から私が隠れられる、という消極的なメリットもあるような気がするが、だが最終的に、「この写真をどう撮ったか」が写真一枚では、語られないし、読み取られないという大きなデメリットがある。
例えば、極端な例だが、絶滅が心配される鳥のひな鳥を撮影したとして「ここでこんな営みがされている」と写真のみで語るとき、ひとはその注意喚起であったり、環境をまなざす視線というものをまたぎこしてしまう。
そういう「ままならなさ」を発見し、表現すると言うこと/表現を手渡すことについて日々考えるはめになってしまった。
そして、それはきっと、自分が文章表現という場に「だけ」身を置きつづけていたら、自省することのなかったままならなさだ。
すべての表現物は、ほんとうはみんなままならない。小説だって、写真だって、言葉と絵の両方で訴えかける漫画だって、このコントロール不可能な領域で表現をしている。
そんなことをつらつらと考えて、小説を書くようになってしまったので、「書きたいもの」というのが最近いまいちよくわからない。
「届く/届かない」だけが営為でないのに、それに拘泥していると思っている。
とまあ、こんなことを考えながら、ぼちぼち文章はいくつか作っている。みじかい作品が多いし、習作のようなものばかりで、どこかで出せることがあるのか?と思うような作品ばかりだが。
そろそろ長い、そして起伏のある物語が書きたい。
ここからは少し宣伝。
9月に刊行予定の短編集のKindle版の予約が開始しました。
紙書籍との違いは、『オメガのライカと、わたしたち』『迎え火』の収録がないことです。
『オメガ~』は単著がKindleに、『迎え火』は『山梔の處女』Kindle版に収録されています。
紙書籍の通販は、また追って。
10 notes
·
View notes
Sawanoi: Sake(verse)
I bought sake for the first time in a while today.
When I lived in Tokyo,
Famous sake from Okutama that I often drank: Sawanoi.
Alcohol is associated with memories.
The Ozawa Sake Brewery is located at the foot of Mt. Mitake.
Ohme Line: There is a factory near Sawai station.
Surrounding a poet named Sansei Yamao
When we went hiking on Mt. Mitake
This is the place where I talked about love with a woman.
With that in mind, I also want to share my memories with her.
Drink this clear-tasting sake.
This sake has no unpleasant taste.
(2019.03.17)
澤乃井(さわのい):清酒
今日久しぶりに清酒を買った。
東京に住んでいた頃、
よく呑んだ奥多摩銘酒:澤乃井。
酒には思い出が付きまとう。
醸造元小澤酒造は御岳山の麓、
青梅線:沢井近くに工場がある。
詩人の山尾三省氏を囲み
その御岳山にハイキングに行った時
ある女性と愛を語り合った場所なのだ。
そんなこともあり、思い出も込めて
透明な味のこの酒を呑むのだ。
雑味が一切ないこの酒を。
6 notes
·
View notes
勉強メモ
野口良平『幕末的思考』
第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3
細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房
第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
■中江兆民とルソー
中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの思想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度の鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれに答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
↓
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
↓
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいをしている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。
(私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、
結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらためさせようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。
明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、
迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、
日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。
かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。
《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179
(中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じだったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、
「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」
(西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
その克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。
……このシーン、小説のよう。
川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼らの行動を
著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求めていた。
殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。
これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。
最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。
探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。
西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに���これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、
眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、
眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。
利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。
凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。
なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめたのだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
6 notes
·
View notes
2023年8月26日(土)
親しくしていた友人夫婦、コロナで会えない間に待望の子どもを授かり家も新築、やっと訪問することができた。場所は比叡山の麓の坂本、何度か来ているところだがJR湖西線を利用したのは初めてのこと。手料理いただきながらの昼酒、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
5時45分起床。
日誌書く。
朝食。
洗濯。
第4土曜日は<使用済み天ぷら油回収>の日、7時30分に幟を立ててタンクを設置する。
午前10時に業者が回収、今回は4Lだった。
JR京都駅から湖西線で<比叡山坂本駅>、バスで<日吉台団地>へ、T夫婦宅へ招きを受けたのだ。2歳になったMちゃんは言葉もはっきり、食事もたっぷり。ビール・ワイン・酒と進み、炊き込みご飯や天ぷらを土産にいただき、再会を約して引き上げる。
駅のホームから湖東方面の眺め。
ありあわせで夕飯準備、土産にいただいた炊き込みご飯が美味しい。
片付け・入浴・・・のはずが、昼酒のせいですぐにダウン。
さすがに3つのリング完成はならず、水分は1,380ml。
3 notes
·
View notes
三輪隊の小説(二次創作)
四畳半にいらっしゃい
狭い。
狭いですよね、四畳半。
すみません。
ここにお客様を通したおれ、間違ってたと古寺章平は思う。特に、背の高い彼の場合は。
「奥寺を頼むな」
B級部隊隊長、東春秋はにこりと微笑んだ。
ここは、三輪隊作戦室の奥にある四畳半ほどのスペースである。部隊に与えられた部屋は自由にやりくりしてよいのだが、三輪隊の場合、その狭いスペースに畳を敷いて使っている。用途は主にお茶をすること、靴を脱いでリラックスすることである。
おそらく間取りの帳尻を合わせるように作った狭小空間は本来使いづらく、いわば『浮いた』スペースな��だが、三輪隊においては、これが意外と役に立っていた。睡眠時間の不規則な三輪秀次がタオルケットをかぶって寝ている時もあれば、米屋陽介がタブレットを片手にゴロゴロしている時もある。奈良坂透がぼんやりと考え事をしている時もあるし、月見蓮が楽しそうに部屋に飾る絵画や花瓶を見立てている時もあった。古寺は古寺で、ふとした瞬間に彼らのそんな姿を垣間見るのが好きだった。
この空間になぜ東隊長を通したのか。
月見蓮がメインになって整えた部屋は小綺麗で品があり、賓客をもてなすのにふさわしいと思えたからだが、古寺にとって心地のよい空間であることも大きな理由である。
今日は、三月十四日で、先日、長期遠征選抜試験の内容が発表されたばかりだ。古寺は試験のために臨時に編成された部隊の隊長を務める。その際、部隊メンバーのひとりに東隊所属の奥寺常幸を選んだのだ。
東の来訪はアポイントのみで、用件には触れられていなかったが、内容は間違いなく奥寺のことであろう。立ち入った話になるかもしれないと大部屋を遠慮したのも理由のひとつだ。
作戦室には三輪と奈良坂が在室していた。米屋は個人ランク戦に出かけている。
「みんな、元気そうだな」
ところが、当然のように三輪、奈良坂も古寺と共に小さな座卓を囲んでいる。正面には東がいる。結果、部屋が狭い。
(先輩方、東さんのこと、好きすぎでしょ)
キリッとしているが、嬉しさの滲み出ている三輪を横目に見ながら思う。奈良坂も妙にウキウキしている。
二人にとって、東は、かたや元隊長、かたや師匠にあたる。
微妙に張り合っている気がしないでもない。もちろん、自分を心配してもくれてるとは思う。思いたい。
「古寺のことは心配していません」
(えー?!)
奈良坂はきっぱりと言う。
「俺もです」
三輪も負けずに宣言する。
(えーえー)
意図はわかる。いや、意図はわかるんですが。もうちょっと。
「そうだな」
東もうなずく。
「俺も奥寺のことは心配していないが、挨拶だけはと思ってな」
「こちらこそよろしくお願いします」
古寺は頭を下げた。用件は本当にそれだけだったらしい。
「しかし、この部屋はのんびりしていいな」
東は窮屈そうなのに、三人を順に見渡してそう言った。
「木虎が世話になるが、よろしく頼むな」
A級部隊隊長、嵐山准が爽やかに微笑んだ。三輪が台所で淹れてきたお茶を座卓に並べている。彼の表情筋が全く動いていない。怖い。スンが過ぎると古寺はハラハラしている。そのまま、一礼して席を外そうとした三輪を奈良坂が目で座れと言っている。
「せっかくだから、三輪も座ってくれ」
気をきかせたのか、嵐山はそう言った。メンタル強者です、嵐山さん。三輪は黙りこくったまま、座った。
今更ながらに、四畳半に通したのはまずかったかと古寺は後悔する。しかし、東さんを通した流れでそうなっちゃったんです、三輪先輩。
三輪が嵐山のことが苦手、苦手と言うより相性が良くない、相性が良くないと言うよりは三輪が一方的に避けているのは知っている。なぜかは知らない。
「こちらこそよろしくお願いします。嵐山隊からは木虎だけが遠征に参加希望なんですね」
遠征に際してのアンケートの内容を思い出しながら聞く。
「ああ、広報部隊の仕事があるにはあるんだが、本人の希望もあるし、経験を積ませてやりたいと思ってな」
ざっくばらんに嵐山が答える。
「そうなんですね···」
そこで話は途切れる。先輩二人の沈黙が重い。しかし、嵐山は平気そうだ。気まずいの、おれだけ?
そう思った時、
「お、嵐山さん、来てたんだ?」
陽介の名に恥じない明るい声が響いた。
「米屋先輩」
「米屋か」
彼は三輪と嵐山の間にどかっと座る。四畳半に十代後半男子が五人。月見が今日は席を外すわねと言った理由がわかった気がした。ぎゅうぎゅうと言っていい。
急に嵐山がクスリと笑った。は?何か文句があるのか?と言った表情で三輪が鋭く目線をあげる。やはり、嵐山はこたえなかった。
「この部屋、忍者屋敷の隠し部屋みたいでいいな」
「三浦のこと、よろしくな」
本日は三月十六日、隊長面接が終わった直後である。
若村麓郎はB級香取隊の攻撃手だ。同じく香取隊の三浦雄太が古寺のチームの一員となる。彼の機動力を買っての選出だった。
香取隊は戦闘員が十七歳と十六歳で構成されている点で三輪隊と似ているチームだ。違うのは、年長者がいないという点とエースである香取葉子がいるという点だ。三輪隊は連携を重視するチーム構成なので、エースはいない。
香取隊の隊長は香取であるはずだが、年上だからか若村麓郎は香取に替わるように古寺に頭を下げた。
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
若村も今回の試験で臨時隊長を務める。突然の抜擢に戸惑っているようだったが、上層部の見解として香取隊のようなエースが隊長を兼任している隊は、その役割を分けた方が望ましいとされる。嵐山隊が良い例だ。そのため若村に隊長職を担ってもらいたいのであろうと古寺は推察している。
それじゃあと別れようとした、そのときである。
ピコンと若村のタブレットに通知が入り、画面を見つめた若村の表情がみるみる険しくなった。
「···あいつ」
「どうしました?」
「あ、う、いや」
話を聞けば、香取隊の作戦室に内側からロックがかかったらしい。かけたのは、香取だと言う。若村は入れない。なるほどと古寺は思う。女子が多いチームはこういう苦労があるのか。
「あ、じゃあウチに来ます?」
東さんも嵐山さんも来てくれたことだし、若村先輩もいいだろう。
「あれ? 若村? 章平、休みじゃねえの?」
米屋が的確にツッコミを入れた。三輪隊作戦室である。
「隊長面接の帰りです。若村先輩は挨拶ですかね?」
締め出されたというのは言わなくてもいい気がする。
若村は、米屋、三輪と同じ学年で同じ高校だ。
「三浦のことは俺がわかる範囲で教えたから、大丈夫だろう」
三輪が珍しく気安い。三浦雄太は三輪と同じクラスだった。
「まあ、そうなんだけど」
若村も気安い。
「お茶はペットボトルでいいよな?」
「あ? ああ」
若村はなんでもないように返事をするが、古寺はそれはどうかと慌てた。お客様なのだ。
「いや、おれが淹れますよ」
若村は初めて入る三輪隊作戦室に興味津々だった。台所にもついてくる。
「悪いな」
「せっかくですから」
台所の横には四畳半の部屋がある。
「こんなとこに畳の部屋があるんだ。お、奈良坂いた」
くつろいでいた奈良坂が黙ってうなずく。
「女の子のいないチームっていいな」
「月見さんいるけど」
「あ、そうか。いや、違うよ。こういうとき、挨拶とかしなくていいし」
「しろよ。挨拶しにきたんだろ?」
奈良坂が呆れたような声を出した。
月見ももうすぐ出勤してくる。三輪隊の防衛任務はこれからなのだ。古寺がお茶を出してきたので、畳の部屋に上がり込む。男子三人が入って、もう狭かった。
「三輪先輩、米屋先輩、お茶が入りました」
男子二人がさらに詰め込まれる。
若村はため息をついた。
「のびのびできていいな」
「いや、狭いだろ」
奈良坂の発言に、古寺はそういう意味ではないのでは?と心のなかでツッコミをいれた。
終わり
3 notes
·
View notes
立山シャッフォー。
ちょめっす!えんでかしでやんす!!
20,21でヤングガンズと、立ヤーマンしてきたってハナシ!!
今回のメンバー。シャッフルという大学生のスノーボードサークルの創始者241マガジンでもお馴染みの241君率いるメンバー達。(ほぼOB)
ほとんどのメンバーが初立山ということで連れていき甲斐があります。
果たしてこんなキャピキャピした若手の中でおいさんはやっていけるのだろうか!?
えんでかしのアイドルも久々に登場。無数のポージングを使い分けポートレイト撮影してました。
室堂で五竜のラーメン屋、高橋家のキョーヘイに遭遇。彼も初立山なんだって。へ〜意外。
ところで皆さん、立山の霊獣、『くたべ』をご存知でしょうか?
姿を見れば疫病の難を逃れるとな。
その姿がこちら。
疫病の前にショックでどうにかなりそうです。
天気は快晴!!前回は二日間ともガスガスだったのでこの時点で、もうとってもハッピー!!
こんないい天気だとなかなか雷鳥さんには会えないかもね〜。
なんて話してたけど普通にいるし。
今日も人だかりあるとこに雷鳥あり。グワァ〜〜〜。
雷鳥荘に荷物を預け、早速行ってみよー!!
朝は程よく緩んだ走る雪で快適です!
さーて、登るゼー!!
えっさほいさ。
麓は30度に迫る夏日。そんな日の必需品、山中厄除手拭いの新色、早速売れました。
毎度あり〜。
ハイクはきちーけど素晴らしい景色が忘れさせてくれます。え?そうでもない?きついもんはきつい?
…ガンバで〜す。
ようやく小屋に到着。稜線付近は結構風があり涼しいっつーか寒いくらいでした。
もうちょい奥まで行きましょう。
なかなかスリリングな道のりです。
剱さんにワッサップ。この奥の斜面が大きく雪崩てるっていう前情報は入っていましたが、それでもどっかいいとこねえかな〜と突っ込んでみることにしました。
出だしは気持ちよくパーティーラン。
おお。確かしにこりゃでかい。つーか広い。
でも途中の緩いところでデブリは止まっていて、その下は綺麗そうだったんで特攻することにしました。
イェ〜〜〜〜イ!!
流石、若者。豪快にデカいターンをかましてくれます。
photo by 241
見ていて気持ちいいね〜。
続いての彼は、
photo by 241
飛んだー!!イキがいいね〜!!
photo by 241
基本、みんなうめえっす。
アイドルも大きい斜面を楽しんでいる模様。
みんな!薄々感づいていたかな?降りた分登らなきゃなんねーってこと!
登っていく途中から雲がどんどん押し寄せてきてあっつー間に白い闇の中。え〜またかよ〜!!
一歩先の地形がわからなかった前回に比べればまだましですが。
はぐれるとやばいんで、みんなまとまってなんとか登り切りました。
早速奴さんの登場です。グワァ〜〜〜!!
なかなか抜けなそうなんで仕方なくワラワラ、ゆっくりみんなで降りることに。ちょっと下がれば視界も回復するでしょう〜。
なんて思ってたけど全然良くならない、更に雪は悶絶ストップスノーに。
ボトム手前でやっと抜けてきました。しかしペタジーニ!!
ボトムに着くとサンセットの定番斜面だけは晴れている。
このまま終わるのもね〜。夕焼けするかわかんないけどワンチャン狙ってみる?
みんな結構疲れてた雰囲気だったけど、それでも夕陽ライドはしてみたいって事で野郎どもだけで狙う事に。そうこなくっちゃ。
ガンバでーす。後から聞いたハナシ、どんどん遠くなる雷鳥荘を見て、辛すぎていつ引き返そうか考えていたメンバーもいたそうで。
それでもなんとか全員登り切りました!
あとは抜けるのを祈るのみ!!
どうなんだ〜!?
しかし我々の祈りは届かず、これ以上待つと暗くなるという事で、断腸の思いでドロップイン。
くー!!
切ね〜〜〜!!
宿に着いた時はご覧の通り。
消化不良に終わってしまいましたが、美味い飯と温泉で復活!!
明日に期待して屁こいて寝ましょう!
二日目!!今日も快晴!!温泉でHPも全回復!!張り切って行ってみよー!!
朝一から東面はすでに結構緩んでいて、いい滑り心地。
朝のうちはまだそんなに暑くはなく快適ハイク。
峠でローカルボンドのボス、ハルさんら、横ノリおじさまグループに遭遇!!三日間天気も当たり相当楽しんでるご様子。
「ゆうちゃ〜ん。」強面とは裏腹に優しく声をかけてきたのは、元カラーで同僚だったコトリウムの中林さん。癒し系ヤクザ面コラボしますか。
天気良くてサイコー!!
(この写真は先日のものです。)
休憩しながらこれから滑る斜面を眺める。あのピークの右の肩んとこから滑りますよ〜。
あーびっくりした〜。あのピークからのラインはジェレミージョーンズの世界ですよね〜なんて話てました。
雪の無いところもある尾根道を登り、
登りきったとこで絶景を楽しみます。
綺麗ですね〜。
壮大ですね〜。
さて、そろそろ滑りましょうか。え?近くに来たら案外滑れそうだから例のピークからのラインに行きたい?241君ともう一人の若手が言ってきました。え〜。絶対硬いし普通に降りた方が気持ちいいと思うよ〜?でも彼ら引きません。ったく〜ワガママなゲストだぜ。でも嫌いじゃねえぜ。
ピークまでちょっと岩登り。
見た目は綺麗だけど硬かったらやだな〜、つーか多分硬いだろうな〜。
恐る恐るまず俺がドロップ。出だしはそれ程でも無いけど風が当たってる場所は案の定硬い。上の二人は恐らく音でわかってくれたでしょう。
続いて若手がドロップ!どうみても硬そうなとこを、いいスピードで突っ込んでガリガリガリガリー!とすげえ音出して滑り降りてきました!!
ねえ俺のさっきの滑り見てた?
転けずに降りてきたけど、ガイドとしてはヒヤヒヤしまくりです。
実は彼、今回リモート会議があっただかでバックパックの中には20万オーバーのノートパソコンが入ってるんです。おいおいおい、若いって色々すげえな。
続いて241君がドロップ。実は彼は今年のFWQアライのチャンピオン。
さっきの若手よりは安心して見ていられました。
(ここからデジカメ持って転んでレンズに汚れがついてる事をお詫び申し上げます。ごめんくさい。)
他のメンバーとも合流。普通に滑れば雪も走るし快適なラインです。
みんな無事で何より!!
さーて続きはパーティーだ!!
ヒュ〜!!!
そのまま緊張感のあるトラバース。
峠で一休み。
雷鳥荘の弁当、美味そうですねえ〜。
今の時代、どこでも仕事できますからね。
っていう捏造写真を一生懸命撮ってました。この子達、学はあるのにアホやわ〜。
嫌いじゃ無いけど。
実際Wi-Fiがないと、ただのでかいモバイルバッテリーです。
メインの斜面はペタージーニ&縦溝で、ろくなもんじゃございませんでした。
最後の斜面は楽しみたいのでマジックワックス塗りたくってドロップ!!
ヒュ〜〜〜。
下に着いた頃にモクモクとガスが。あぶね〜。ギリギリセーフ!!
てなわけで、第一回シャッフル立山ツアー。山あり、谷ありで楽しいツアーになりました!!まだまだ違うルートもあるんでまた行きましょ〜!!
若手の彼は、次回はでかい綿のパーカーはやめようぜ😉!
ほんじゃあお疲れ山でした!!&おしょっ様でしたー!!
P.S. 「黒部の太陽」で有名な破砕帯のおいしい「湧水」です。
おいしいが消されてのには何か意味があるのでしょうか。
2 notes
·
View notes
三方五湖レインボーライン
若狭湾国定公園内のリアス式海岸、三方五湖を走る観光道路。福井県道273号線。かっては有料道路(二輪車740円)だったが2022年から全線無料に🥰
最初に出てくる三方湖岸にある船小屋。レトロ
三方湖と水月湖の境
リアス式海岸と湖岸沿いを走る絶景ワインディング
山頂公園。麓の有料駐車場からリフトで上がる。
絶景のカフェテラス。生憎の天気だけど😅
足湯もあります。今日みたいな日はありがたい😭
久々子湖(くぐしこと読みます)
山頂からの絶景をもう少し
昼食は日本海さかな街で
3 notes
·
View notes
長く続いた厳しい冬が折り返し地点を過ぎる。曇天に日が射し込み、海沿いの地域で寒さが緩みだす二月上旬。アスファルトの雪が溶けだす。半ばともなればばんけ(フキノトウ)が顔を出し始める。イタヤカエデの甘い樹液が幹の切り口から滴る。冷たい風が吹きつけるなかで雪解け水がコロコロと音を立てて海に注ぐ。群青色に黄色の射した海がきらめく。晴れの日が増えていく。
クァㇰ、クァㇰ、クァㇰ。三月になると夕暮れの空にコハクチョウの声を聞く。長い冬が終わりを告げる。足下に流れる水の音。土があらわになる。泥の匂いが滲む。一面の銀世界だった庄内平野にいくつもの黒い筋があらわれ、線は面となり、海から里へ、里から山へ次第に伸びてゆく。白鳥たちが続々と北帰行に旅立つ。南風に運ばれてツバメたちがやってくる。平野部の軒先に巣がつくられはじめる。白鳥のように佇んでいた月山が麓から黒く染まり、ツバメのようになっていく。最上川が土色に濁る。遡上する数十kmのあいだにいくつもの春がある。海沿いでは土筆やノカンゾウが顔を出し、サクラマス漁がはじまり、ワカメが採れはじめる。人がそわそわしはじめる。
梅がほころび、ソメイヨシノが蕾を膨らませる。四月に入ると渓流釣りがはじまる。熊撃ちがはじまる。大きな茶碗状の渓谷は尾根沿いに雪を残し、底に近づくにつれ山肌を露わにする。稜線から沢までのあいだにブナが林立する。鮮やかな緑の芽を冬眠明けの熊たちが食す。日が昇り、木登りして、思い悩むことなんて何もないといった風情で食事をする熊。そこに垂直に投げかけられる視線がある。息を殺して合図を送り、一団は山の斜面を降りたり登ったりしながら、狩りが行なわれる。
そのころ市街地ではソメイヨシノが満開を迎える。街から月山と鳥海山がくっきりと浮かび上がる。この時期の澄んだ空気がわかる。海沿いの集落では、半ば過ぎに早くも散り始める��田を耕すトラクターの姿が散見される。そこから高度をあげた山間部で、山菜が採れはじめる。青空と白い雲。新緑とヤマザクラ。ピンクグレーの稜線。山笑うといった風情。鶯が上手に鳴き始める。
成瀬正憲「自然について考えていったら山伏や採集者になってしまった話」『私たちのなかの自然』(左右社, 2022.)
2 notes
·
View notes
【天橋立ビューランド】
10月末~11月初め、 三回忌法要お疲れさまのタイミングで 、実家の母と天橋立へ行った。
父が行きたがっていた場所だそうで、それを亡くなってから知らされたのは残念だった。
京都駅からは2時間、安価に高速バスで、と計画したが丁度良い便が無い。
値段は高いがラグジュアリーな特急はしだて号で2時間、天橋立駅に着いた。
駅前のホテルに荷物を預けてすぐにビューランドへ。
この旅唯一「全国旅行支援」の対象ホテルで、山側を予約していたにもかかわらず空いてた海側の部屋を案内してくれた。(海側は高くて普通は選ばないよ)
ビューランドまでは徒歩7分、だがこの日すでに長旅の母はもうヨロヨロ。
(自宅から在来線で1時間半→東海道新幹線2時間 → はしだて号2時間)
休み休みビューランドの麓駅へたどり着いた。
山頂へ行くにはリフトとモノレールが選べる。
どっちも魅力的だ。
しかしここは安全確保のためにモノレールを選択した。
さすが日本三景の眺め。
股のぞきは、まあどっちでもと言ったところ。
今回は叶わなかったことが沢山あってまた行きたいと思った。
天橋立を徒歩で渡って海水浴場に寄りたいし、自転車で走って天橋立神社へも行きたい。
次回は京都から高速バスで行きたいし、ビューランドではリフトを選択したい。
3 notes
·
View notes
篠栗・二瀬川のバス停
八木山峠の麓です。福岡市内からの路線バスはここまで、と言ったら誤りになります。朝方に天神行きが1便あるのみで、ここまでの便はありません。
↓ 左カーブの先にバスの折り返し場があります。そこから峠のカーブに入ります。
↑ 八木山峠 ↓ 二瀬川バス停方向
関連投稿 > JR城戸南蔵院前駅・城戸バス停 八木山のバス停
2023.4.4 / .4.7
1 note
·
View note
📸彦根城博物館(表御殿)庭園 / Hikone Castle Museum Garden, Hikone, Shiga ② 滋賀県彦根市の『彦根城博物館』の庭園が素敵…! 世界遺産の登録を目指す国宝・彦根城…🏯その天守の麓にかつて存在し、彦根藩主・井伊氏の政務や生活の場だった“彦根城表御殿”を昭和年代に復元した彦根城博物館。刀剣/甲冑/美術品/古文書の各種展示のほか、江戸時代の庭園や茶室の再現も! ...... 続き。あと「御亭」からも部屋越しにまた異なるタイプの庭園がある。部屋の中に入れないので実際の目線は体験できないけど、より奥行きある空間の先には山々の眺望も楽しめるんじゃないかな…。 . 『玄宮園』、『楽々園』とは異なるコンパクトな庭園だけれど、かつての御殿の雰囲気をより体感できます。合わせてチェックしてみて! . 滋賀・彦根城博物館(表御殿)庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/hikone-castle-museum/ // 【存続のためのお願い】 庭園情報メディア「おにわさん」存続のため、新オーナー(組織)を募集しています。詳しくは「おにわさん」で検索し、ウェブサイトよりご覧ください。 \\ ーーーーーーーー #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #beautifuljapan #japanart #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #bonsai #japanmuseum #landscapedesign #建築デザイン #日本建築 #ランドスケープ #庭園 #日本庭園 #庭院 #庭园 #滋賀庭園 #彦根 #hikone #博物館 #おにわさん (彦根城博物館) https://www.instagram.com/p/CiFguFCPHAQ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
5 notes
·
View notes
2024.03 旭岳
山頂は雲を突き抜け
前回は去年6月に訪れたが今回はまだまだ雪が残る3月に。宿泊していた旭川からバスで2時間揺られRW駅に到着(1800円)。麓からは雲ひとつ無い空に旭岳の勇姿がそびえていた。ロープウェイ往復2400円。
【コースタイム】姿見駅(0935)→金庫岩(1110)→大雪山(1120-1150)→姿見駅(1240)
山頂駅の標高1600mのため気温はだいぶ低いが、風は静穏でそこまで寒さを感じない。登山者の姿は少なく、斜面のあちこちに山スキーヤーの姿が見える。とにかく良い天気!
・・・と思いきや、動き始めて30分しないうちにどんより雲が突然空を覆い・・・
あっという間にガスに巻かれて周囲見えなくなる。なんて変わりやすい。予報では晴れときどきガスとのことだったが、こりゃハズレだ。
雪もちらついてくるが、非常にキレイな形の結晶が服に付く。こんなのが空から無数に降ってくるのか、すごいよね。関東ではまず見れない。
けっこう急な斜度あり。去年は6月に訪れたが道が露出しており、アイゼンすら不要だった。同じ道でも雪面の方が時間はかかる。凸凹なくてラクなんだけども、アイゼンつけているだけ足が重いし、歩き方も違う。(前方に人影)
ただ、ガスはそんなに厚くないような、太陽が顔を出しそうな感じはずっとしていた。
金庫岩(9合目)直前で雲を突き抜け青空に。ガスは山頂の周囲だけ避けてる模様。
山頂が見えた。ここも結構急だが。もう一息
雲と同じ目線、天空の道
2時間弱で山頂到着。昨日の十勝岳に続き、また山頂独り占め(本日第一登ではない)
雲が多いが、なかなかいい景色じゃん。去年は何も見えなかったので、それは比べるまでもなく。天気予報は晴れときどきガスだったので、確かに合っていた。マイナス15℃くらいだがほぼ無風で日差しあり、じっとしてても涼しいくらい・・・素肌は出せないが。
熊ヶ岳方面。テント場があるはず。あっちもいつか黒岳まで縦走し歩いてみたい。北海道は携帯トイレがほぼ必須というところがネック・・・みんなテントの中でしているのか?それはちょっとイヤだ・・
雲の量が多くなりはじめてきたので下山。登山者ひとり到着しててきた。
途中、吹雪ではなくガスによるホワイトアウトを経験。適度な濃度のガスに強い太陽光あたると周囲の水粒子に乱反射して視界真っ白、おまけに降雪があったみたいでトレースが消えかけ、ちょっとヤバいかもと思った。
さらにガス濃度濃くなると太陽光届かなくなり、周囲の濃淡がわかってきてホワイトアウト解除。しかし下界は天気悪い、ガスで景色ゼロ。
噴気孔を覗こうとするスキーヤー。だいぶ近くないか??雪庇崩れ落ちたら滞留している有毒ガスに巻かれて死ぬけど・・・。夏はもちろん柵があってあそこまで近づけない。
遠くに雪中行軍しているスキーヤーの集団。この天気じゃ下る方向にかなり注意をしなければいけないから、気持ちよく滑るというのは難しそう。
往復3時間でRW到着。登ってる最中はガス→山頂だけ晴れというのは何度か経験したことあるし、登ってみないとわからないのよね。
帰りにK's House Hokkaidoという外国人向けの宿の日帰り温泉が良かった(900円)。内湯は温度が3つに調整、露天は風情無いが、日本人あまり寄り付かない感じで静か。素泊まりの価格を調べてみたが、この近辺ではかなり安い方では?素泊まりが基本らしく(?)白銀荘みたく調理台が勝手に使えて、さらに売店でも食料豊富に売られている。
旭岳→旭川空港へは高速バスが出ており便利。空港で3時間ほど待機(1940発のソラシド)。空港内のフードコートではいつも北海道ならではのラーメンや海鮮丼を注文するが、旭川空港3回目の訪問にして初めて、気になっていたカレーとフォー(のハーフサイズ)を注文。すごく美味しかったから次回来たときもこのお店でいいかも。不足しがちな野菜も豊富。
前回はひどかった分、今回は山頂なんとか景色見れてそこそこ満足。
0 notes