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#久礼八幡宮
wochenendfoto · 5 months
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祈りの風景がある街。 #久礼八幡宮 #中土佐町 #中土佐町久礼 #高知ここ好き @naturallykochi (久礼八幡宮) https://www.instagram.com/p/Cn9CA_hpEqw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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amiens2014 · 2 years
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中土佐町立美術館〜久礼八幡宮〜純平タワー〜海岸〜魚貴【ランチ】
中土佐町立美術館 2022年6月4日、この日はホテル松葉川温泉に宿泊していた。 https://niyodogawa.org/blog/niyodogawa/spot/47621/ チェックアウトし、四万十町中央ICから高知自動車道に乗る。 中土佐ICで下りる。 中土佐町立美術館にやってきた。 https://niyodogawa.org/blog/outdoor/walking/kochi-walking/13320/ 中土佐町立美術館 高知県高岡郡中土佐町久礼6584−1 0889-52-4444 (more…)
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orion3sta · 1 year
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2023/01/09 水戸八幡宮にはねつき神事参拝⛩ 女性宮司と巫女がはねつきをして、今年の稲の作柄良好とのこと‥‥‥ 神事の後、新成人同士のはねつきをしましたが、こちらも参拝者の人気行事で、カメラマンやスマホの陣取り合戦 ランチはレストランカシェットでアンガス牛特選赤身ローストと常陸牛といも豚の粗挽きハンバーグ Googleマップで評価点4.5だけあって、落ち着いた店内の雰囲気とメニューは少ないけど吟味された素材の料理が美味しくて大満足 バッテリーを新品に入れ替えた原付バイクを引き取りに、後輩の運転するトヨタMR2に乗せて送ってもらいました。 何と5台目の車で、オープンカーが欲しいと購入したばかりなので、慣らし運転に袋田の滝まで出かけた帰りとのこと‥‥‥ 新年明けなのに、葬儀が続けて三件💦 JAやさと会館にお通夜に出かけて、帰ってからお清め酒 昨年の新盆参りや葬儀で、醤油、サラダ油、お茶類が大量に貯まってるけど、嫁さん曰く、値上がりしてるので購入しなくて助かるとのこと‥‥‥ #iPhone日記 #水戸八幡宮 #はねつき神事 #古式礼射 #レストランカシェット #アンガス牛ロースト #常陸牛といも豚のハンバーグ #自家製とろとろバスチー&ティラミス #MR2 #JAやさと会館 #お通夜 #紅壽久保田 #プレミアムモルツ香るエール (水戸八幡宮) https://www.instagram.com/p/CnMs2Eov6Us/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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774 · 9 months
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1807年(文化4年)に日本史上最大といわれる落橋事故が発生する。江戸三大祭のひとつ、深川富岡八幡宮の祭礼が30年ぶりに開催された8月19日、永代橋が崩れ落ちたのである。久しぶりの祭礼に将軍家が船で繰り出したため、橋を通行止めにしていたが、解除されるや大群衆が一斉に渡り崩壊してしまったのである。通信手段のない時代だけに、後続の群衆が崩落に気づかず押し寄せたために、人々は押し出されるように転落してしまった。危機を察したある武士が欄干につかまりつつ刀を振り回し、人々が後ずさりしたため落下は止まったが、これによる死者・行方不明者は1000人を超えたといわれている。深川から目黒に移転した海福寺には、犠牲者を悼んだ供養塔が建てられている。また、歌舞伎「八幡祭小望月賑」、落語「永代橋」など、この事故を舞台とした数々の作品も残されている。
CHANTO -ちゃんと-
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i1964m1965 · 2 years
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久礼八幡宮 高知県高岡郡中土佐町久礼 #久礼八幡宮 #神社 #高知県 #高岡郡中土佐町 #高岡郡中土佐町久礼 (久礼八幡宮) https://www.instagram.com/p/CZs-YpdvGml/?utm_medium=tumblr
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【福井県謡曲古跡めぐり若狭/嶺南編】11箇所目 番外編その4 2021/3/18
八幡神社の能舞台
《福井県小浜市小浜男山》
境内社名 大神宮、若宮神社、高良神社、稲荷神社、粟島神社、天満神社、船玉神社、三輪神社、松尾神社、大山祗神社、六月祓神社、彦狭智神社、姫宮神社、秋葉神社
旧社格 県社
主な祭典 放生祭
御祭神
應神天皇
神功皇后
多紀理比賣神
多紀都比賣神
市伎島比賣神
由 緒
 創立年代不詳。『続日本紀』神護景雲4年(770)8月庚寅朔日・若狭国目従七位下伊勢朝臣諸人、内舎人大初位下佐伯宿禰老を勅使として、若狭彦神八幡神宮に鹿毛馬1疋を奉らしむと見える。
『八幡考』(伴信友著)では、この記録は当社のことであると考証し、創建あるいは前年の神護景雲3年とも考えられると述べている。
文永2年(1265)の『太田文』には八幡宮2町2反小浜とある。
応永2年(1395)8月、国主左京大夫一色詮範が大鳥居を再建し、同7年6月に神殿を造営、遷宮の儀に若狭税所代海部衛門五郎理泰勅使となる。
同12年、大鳥居倒壊のため、とくに税所代阿部新三郎忠俊、勅使となって祭礼が行われ、流鏑馬なども奉納された。
大永元年(1521)11月の多宝塔供養の勧進状が現存している。
天文7年(1538)守護武田信豊が太刀(銘吉入道宗長)一振(市文化財指定)を奉納し、同17年に大鳥居を再建するなど、歴代の国主も篤い尊敬を寄せたが、永禄2年(1559)9月朔日松永久秀の乱によって社殿は、炎上し、由緒記等多くの文書が焼失した。
天正3年(1575)丹羽長秀が当国を領有し、禁制を下して代々の国主これに順った。
天正13年(1585)の丹羽長重の禁制状が現存する最古のものである。
天正20年(1592)国主浅野長政の子長継・族臣家次・朝鮮出陣を前に一族の武運を祈り神殿を造営。
この時の神官渡辺氏は浅野家の長の家を賜わり、渡辺左近長良と名乗ったという。
また、社地が城郭に接近していたため、社を後瀬山の北麓に遷したが、慶長年間(1596~1614)に、国主京極高次が旧知に復した。
 寛永11年(1634)酒井氏が若狭を領し、正保元年(1644)酒井忠勝公が拝殿を造営した。
寛文7年(1667)に酒井忠直が漂着した蛮檣の環鉄で太刀(銘近江守久道=市文化財指定)一振を造らせ奉納した。
 同年紫宸殿の御簾を下賜され殿中に懸げた。
元文(1736~)の頃より幕末にかけて、町内の氏子がそれぞれの職業の守護神として、松尾社〔酒屋〕彦狭智社〔桶屋〕などを奉斎した。
明治2年には菊の御紋章を勅許されて、神紋を「菊花に対い鳩」と定めた。
明治9年には郷社、同15年には県社に列格。
氏子崇敬者の信仰益々篤く、20年毎に屋根葺替・社殿修築を伴う式年大祭が厳修され続けている。
例大祭には「八幡神社ほ放生会」(市無形文化財指定)が執行され、大太鼓・神楽・山車・神輿の他に、武州川越から伝えられた獅子舞も奉納される。
これは、若狭地方最大の祭礼である。
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hi-majine · 5 years
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第二期終了。しばらくお休みします。
富 久
「おい、そこへいくのは久さんじゃあないか」 「おや、どうも、ひさしくお目にかかりませんで……」 「どうしたんだい? ぼんやりして……おまえさん、たいこもちじゃあないか。なんというざまだい、その髭面《ひげづら》は……」 「へえ……あなたもご存知のように、あたしは酒がはいるとだらしがありません。それでのこらずお客さまというお客さまはしくじっちまって、近所へは借金だらけ……女房は愛想《あいそ》をつかしてでていっちまうというようなしまつなんで……」 「ふーん、そいつあひどい目にあったな」 「ところで、あなたはあいかわらずご繁昌で」 「まあ、ご繁昌てえことはねえが、ちょいとした商売をしてるんだ」 「ほう、ご商売? どんなご商売を?」 「うん、富の札を売ってるんだよ」 「あなたが? 富の札を? よう、こりゃあいいや。あなたは服装《なり》のこしらえがいきで、第一あなたはねえ、いせいがいいから……」 「おいおい、相かわらず調子がいいな……どうだい、一まいでも二まいでも買わねえか?」 「ええ、いただいてもいいんですがねえ、どういうことになるんで?」 「突きどめがあたりゃあ千両だよ」 「へーえ、千両!? あたるんですかねえ」 「そりゃあ、だれかにあたるさ」 「ああ、なるほど……」 「二番富が五百両、中富《なかとみ》が三百両、二百両、百両といろいろあたるんだが、どうだい、買わねえかい?」 「えへへへ、そんなにあたるんならいただいてもいいんですがね、へへへ、どんな番号があたりましょうか?」 「そりゃあわからないよ」 「……しかし、まあ、あなたのカンで、こんな番号ならば……というようなのがありましょう?」 「うん、そりゃあね……ここにおもしろい番号があるんだが……松の千五百番、こういうすーっとした番号がでるもんだよ」 「へえ、松の千五百番ねえ、それがきっとでますか?」 「きっとでるとわかってりゃあ、おれが買っちまうよ」 「ごもっともで……じゃあ、そいつをいただきましょうか。おいくらで? 一分《いちぶ》ですか……へい、ではこれで……へい、さようなら」  久蔵は、わが家へ帰りますと、大神宮さまのお宮の中へこの富札をいれまして、近所の酒屋さんから五合ばかり酒を買ってくると、これを神棚へあげまして拝んでおりましたが、まずはお下《さが》りと、ひとりでちびりちびりとはじめまして、いつかいい心持ちに酔ってまいりました。 「ふー……ああ、いい心持ちだ……ええ、大神宮さま、どうぞこの富があたりますように、くれぐれもおねがいいたします。大神宮さまの前ですけど、あたくしはねえ、突きどめの千両なんて、そんなずうずうしいことは申しません。へえ、二番富の五百両で結構でございます。へえ、この富があたりますと、あたくしは芸人をやめます。ええ、たいこもちをやめまして堅気《かたぎ》になります。この表通りにね、小間物屋の売りものがあるんですが、店の品物までそっくりついて二百三十両、この三十両をあたくし値切ります。その値切った三十両で大神宮さまのお宮をりっぱにいたします。へえ、うそは申しません。ですから、どうぞこの富をあててくださいますようおねがいいたします。ええ、そうなりゃあ、あたしだって小間物屋の主人《あるじ》でございますから、女房を持たないことには信用がつきません……で、女房ということについてはいろいろとかんがえてるんでござんすがねえ、どうも芸者衆てえものは、あたしのもとの商売を知ってますから、どうもばかにしていけません。おいらんはだらしのないのが多いからいけませんし、乳母《おんば》さんと子守っ子は、生意気なことを申しあげるようですが、こちらからごめんこうむります。堅気の娘さんはきてくれっこないし、お妾《めかけ》さんは旦那がいるし、いくら女だって、赤ん坊じゃあ間にあわないし……へーえ、いざとなるとなかなかないもんだねえ……そうそう、あるある。万梅《まんば》のお梅《うめ》さん、あたしゃあ好きだね。人間がりこうで、お客さまを大事にして、主人によくつくして……それに女っぷりだってわるくないし……そうだ、お梅さんにきめよう。もう、あたしゃああの人にきめちまった……きめちまったって、いくらこっちだけできめたって、むこうがなんというかわからないなあ……まあ、いいや、なんといおうと、お梅さんを女房にしよう……こうして店をやってるうちには、なにしろ女の客ばかりなんだから、あたしを見染める女がでてくるね。そうさなあ、そうなると、やっぱりちょいと浮気っぽい芸者ということになるかなあ……この女とだんだん深くなってくると、この妓に金を貸してやって、女の子のふたりもかかえさせて芸者屋をやらせるてえやつだ。こうなると小間物屋と芸者屋と両方でもうかることになるからこたえられねえな……しかし、そううまいことばかりはないよ。かみさんがひどい焼きもちをやくね、『それはあなたのはたらきでなさるのですから、なにをしてもかまいません。ですけど、うちをあけてくだすってはこまります』『なにもおまえに不自由させてるわけじゃあなし、ぐずぐずいわなくてもいいじゃあないか』『ぐずぐずいうのではありませんが、奉公人の手前もありますし……第一あなたはうちをそとにして、子どもがかわいくはありませんか?』『なにをいうんだ。ぐずぐずいうんならでていけ?』」 「ちょいと、久さん、このあいだおかみさんと喧嘩してでていかれたが、またもらったのかい?」 「え? いえ、その……なんでもないんで……いけねえ、となりの海苔《のり》屋のばあさんに聞かれちまった……うふふふ、ああ、あたればいいがなあ……うーい、いい心持ちになった」  すっかり酔っぱらった久蔵は、そのまま横になると、ぐっすり寝こんでしまいました。  すると、しばらくして、ジャンジャンジャンという半鐘の音にふと目をさました久蔵が、眼をこすり、からだをかきながら、 「あーあ、よく寝ちまった……こりゃあ火事だな、ひとつ表へでて聞いてみようかな……おーい、源さん、火事のようだね」 「ああ、久さんかい、いまみてるんだが、そうだねえ、こりゃあ芝|見当《けんとう》だよ」 「芝見当? ああ、そうですか。へえ、どうもありがとうござんす。ふーん、芝見当か。だいぶ遠いな。心配はいらねえ……いや、芝だと近江屋の旦那のお宅があったな。あの旦那を酒のためにすっかりしくじっちまったが……そうだ、こういうときに駈けつければ、『おう、久蔵か、よくきてくれた。いままでのことはわすれてやるぞ。あしたっから出入りをしろよ』てなことになるかも知れねえ。そうなりゃあしめたもんだが、聞いてみようかなあ……あのねえ、芝はどっち見当です?」 「そうさなあ、金杉《かなすぎ》のてまえってとこかなあ」 「えっ、金杉のてまえ? ああ、そうですか。へい、ありがとうござんす。こりゃあこうしちゃあいられねえ。いよいよ近江屋さんの見当ですよ。さあ、こうしちゃあいられねえ」  久蔵はうちへ帰るとすっかりしたくをして、ちょうちんのこげるのも知らないで横っとびにとんでまいりまして、 「へえ、旦那、おそうぞうしいこってござんす」 「だれだ? ……おお久蔵か。よくきてくれたな。うん、よしよし。いままでのことはわすれてやるぞ。あしたっから出入りをしろよ」 「へっ、ありがとう存じます……それがこっちの目的《めあて》だ」 「なんだと?」 「いえ、べつに……旦那、なんかはたらきましょう」 「そうか、じゃあ、この箱をしょってくれ」 「へっ、よろしゅうござんす。この箱でござんすね。へっ、こういうときにはね、芸人をいたしておりましても力のでるもんでござんすから……ああ、そこに火鉢があるでしょう。その火鉢をこの箱の上へのせてください。ものはついでですから……いいえ、大丈夫でござんす。ふだんご厄介になってるんですから、こういうときにご恩がえしを……ああ、それから、そこにいろいろありますね、ひょうたんに掛け軸やなんか、火鉢の横へつんでください」 「そんなに持てるか?」 「なあにそれっぱかりのもの……しっかりいわいてください……へえ、よろしゅうござんすか? ……では、よー、う���ん、よいしょ、うーん……すみませんが���え、そのひょうたんとってくださいませんか?」 「おい、ひょうたんぐらいとったってどうってことねえだろう?」 「いえ、これも気のもんでござんすから……ああ、ひょうたんがとれたなとおもっただけで軽くなるってやつで……へえ、ひょうたんはとれましたか……では、よー、うーん、よいしょっと……すみませんがねえ、その掛け軸をとって……」 「厄介なやつだな。おい、掛け軸をとったよ」 「へえ、とれましたか……うーん、よいしょっと……火鉢もおろして……」 「なんだなあ、それじゃあもともとじゃあねえか」 「へえ、こんどは大丈夫で……よいしょ、うーん……だれかおさえてるんじゃあありませんか?」 「だれもおさえてやあしないよ」 「そうですか? では……よー、うーん……すみませんが、ふたをあけて中のものをだしてくださいな」 「ふざけるな。べらぼうな。あきれかえってものがいえねえ……あれっ、箱をしょいだしもしねえでへばっちまったな。しょうがねえやつだ……へっ、ああ、さいですか。鎮火《しめり》ましたか? どうもおたがいさまにおめでとうござんす……おいおい、みんな、荷物をださなくてもいいよ。ださなくてもいいんだ。火事は消えた。火事は消えたよ。おい、久蔵、火事は消えたよ」 「へっ、火事は消えましたか……へー……ああくたびれた」 「なにいってやがる。くたびれるわけがねえじゃあねえか。なんにもはたらきもしねえで……ああ、鳶頭《かしら》、すまないが、この久蔵がおろした箱をそっちへやっておくれ……あっ、どうもわざわざありがとうございます……こりゃあ、どうもありがとうございます……おい、久蔵、お見舞いのかたがおみえになる。おまえはねえ、みなさんのお顔を知ってるんだから、帳面にお名前をよくつけておくれ」 「あ、さいですか。じゃあ、そういうことに……へっ、どうもわざわざありがとうございます。ええと、あれは三河屋さんと……あっ、田丸屋さんの番頭さんで、どうも本日はごくろうさまで……えっ、あたくしですか? いえね、酒のためにご当家をしくじっておりましたが、火事のために駈けつけまして、おわびがかなったというようなしだいで……えへっ、どうも、いずれうかがいます。旦那さまにもどうぞよろしく……おや、伊勢屋さんで……へえへえ、どうもすみませんでござんす。へえ、どうぞおうちへよろしく、いずれまたうかがいます……こりゃあ、まあ万惣《まんそう》さんの坊っちゃんで? まあ、たいそうごりっぱになって……もう坊っちゃんどころじゃあありませんね。りっぱな若旦那だ。へーえ、こりゃあおどろいた。へえ、どうもありがとう存じます……あっ、こりゃどうもありがとうございます。旦那、ご本家からお見舞いものを頂戴いたしました……ええ、旦那、ご本家からお見舞いものをいただいたんでござんす。なにかお重詰《じゆうづ》めのお料理のようでござんす。それからこっちに一升徳利が二本でございまして、一方は冷やのようですが一方はお燗《かん》がしてあるようで……これどうしましょうか?」 「そっちへやっときなよ」 「ああ、さいですか……こりゃあ張りあいがねえや……あっ、どうもありがとうございます。へえ、駿河屋さんで……えーと、駿河屋さんと……ええ、旦那、ご本家からお見舞いものがとどきました。こちらがお重詰めのお料理のようで、こちらに一升徳利が二本、へえ、こっちが冷やで、こっちはお燗がついてるようでござんすが、えへへ、これをどういたしましょうか?」 「だから、そっちへやっときなよ」 「ああ、さいですか……どうも張りあいがねえなあ……おや、こりゃあ丹波屋さんで、どうもごくろうさまでございます……ええ、旦那���ご本家からお見舞いものがとどいておりますが……」 「まだあんなことをいってやがる。久蔵、飲みたいんだろ?」 「へえへえ、図星《ずぼし》で……」 「飲みたけりゃあ飲んでもいいがなあ、おまえはねえ、飲むとだらしがないんだから、沢山《たんと》飲むなよ」 「へえ、あいすいません。ええ、もう、お酒なんぞいただけた義理じゃあござんせんが、みると、つい……酒飲みは意地のきたないもんで……いいえ、沢山《たんと》はいただきません。もう自分でもこりておりますから……へえ、では、この茶わんでいただきます。おっとっとっと……へえ、いただきます……うーむ、こりゃあいい酒だ。旦那はいかがで? ……ああ、あとで召しあがるんで……ええ、では、このお重詰めのほうを……おや、おでんですよ。おでんを総じまいにして串にさしてあるとこなんざあ気がきいてますねえ。たいしたもんだ……では、ひとついただきます……うん、うまい、このがんものお味が結構で……あっ、すいません。どうも……では、もう一ぱいだけ……へえへえ、どうもすいません。あれっ、鳶頭《かしら》、やらないんですか? そうですか、やめてるんですか。どうもあたしひとりでやるってえのもなんだか気がひけて……うーむ、うまい、はらわたにしみ通りますな……あっ、こりゃあ秋田屋さんで、どうもありがとうございます。えーと、秋田屋さんと……酒は飲んでも飲まいでも……帳面だけはちゃんとつけないと……ええ、もう一ぱい頂戴いたします。いえ、もう沢山《たんと》はいただきません。へっ、あいすいません。へえ、どうも……ああ、兼安《かねやす》さんで、どうもごくろうさまで……ええ、兼安さんと……おや、こりゃあ越後屋さんで、どうもありがとうございます。えーと、越後屋さんと……へへ、どうもこれはこれは山田屋さんで……ああ、どうも……ゴホン、ゴホン、ゴホン……ああ、山田屋さん、どうもごくろうさまで、まことにどうも……ゴホン、ゴホン……」 「なんだな、どうも、そんなにせきこむほどあわてて飲むことはあるまい。おいおい、飲むとかしゃべるとか、どっちかにしろ」 「へえ、あいすみません。へっ、尾張屋さんでございますか。どうもありがとう存じます。ええ、尾張屋さんと……えっ、もう一杯くださるんですか? さいですか……じゃあ、これでおつもりということに……おっとっとっと……うーむ、これをきゅーっと一息にいただきまして……うーん、うまかった。もうこのくらいにいたしておきます、ええ、またしくじるといけませんから……ええ、もうお見舞いのかたもあらかたおすみのようでござんすから、あたくしもなんかはたらきましょう。こうはちまきをいたしまして……おっ、お菊さん、それなんです? その箱は? え? 中身はお皿? へーえ、お菊さんがお皿をはこぶなんざあ、とんだ番町皿屋敷でござんすね。いえ、あなたがお皿をおとしてお手討ちてなことになってはいけませんから、あたくしがひとつそのお役目を……蔵へはこぶんでござんしょ? わかってますよ。さあさあ、こちらへいただきましょう。いいえ、大丈夫、あたくしがこれをはこぶということについては、ひとつ鳴りもの入りということにして……チャチャチャラ、チャラチャラ、チャチャラ、チャラチャラ……」 「久蔵さん、あぶないっ、あぶないっ、ふらふらして……」 「おい、いいかい、あいつはまたあんなことをして……」 「チャチャラ、チャラチャラチャラ、チャチャラ、チャラチャラ……あっ!」 「そーら、ひっくりかえった。いわないこっちゃあない。どうした?」 「へえ、こりゃあ旦那で……大丈夫で……」 「大丈夫って、おまえ、皿をわったろ?」 「ええ、おめでとうございます」 「なにがめでたいんだ?」 「だって、旦那、おめでたいじゃあありませんか。二十人前のお皿がまっ二つになれば四十人前にふえたんで……」 「おい、なにをいってるんだ。しょうがないな。おまえはねえ、酔ってるんだから、すこし寝な」 「へえ、まことにあいすみません。じゃあ、おさきにごめんこうむりまして……」  ひどいやつがあるもんで、火事見舞いにきたのか、なにしにきたのかわかりません。帳場格子《ちようばごうし》の中へはいると、肘《ひじ》を枕にぐうぐうと高いびきで寝てしまいました。 「ああ、こんな世話のやけるやつはないねえ……しかしまあ無事にすんでよかった。なにしろ火の粉をかぶったからねえ。一時はどうなることかとおもった……みんなよくはたらいてくれて、まことにごくろうだったねえ……ああ、番頭さん、本家からとどいたものがあるだろう? あれをちょいとあっためてみんなに食べてもらっておくれ……あれっ、またぶっつけてるよ。いえさ、半鐘の音がするじゃあないか。また火事かい? おいおい、だれだ? 屋根へあがってるのは? なに? 定吉か? おい、火事はどの見当だ? なに? 浅草見当? ……おい、番頭さん、浅草見当だとよ。なんか取引きはなかったかい? 浅草には? そうかい……あっ、久蔵のうちが浅草だったな……おい、定吉、浅草はどのへんだい? えっ? 鳥越いまわり? こりゃあたいへんだ。おい、久蔵を起こしてやれ」 「はい、かしこまりました……おい、久さん、久さん……」 「えっへっへっ、もういただけません」 「あれっ、まだ飲む気でいやがる。おい、久蔵、火事だよ」 「火事? ええ、火事でござんす。本日の火事は芝で……」 「なにいってんだ。しっかり目をさましなよ。こんどの火事は、浅草の鳥越いまわり、おまえのうちの近所だよ」 「えっ、あたくしの近所が火事!? ああ、さいですか。こりゃあたいへんだ。それではあたくし、失礼いたします」 「おいおい、久蔵、ちょいと待ちな。もしもだよ……いえ、そんなことはないよ、そんなことはないが、もしものことがあったらね、よそへいくんじゃあないよ。うちへ帰っておいで、おまえのめんどうはみるからな」 「へえ、ありがとう存じます。じゃあ、あたくしいってまいりますから……」 「ああ、気をつけていっておいで……」 「へっ、ありがとう存じます……ああ、おどろいた。ひと晩のうちに火事のかけもちをしようとはおもわなかったなあ。それにしてもよく火事のある晩だねえ……さあ、急いでいかなくっちゃあ……あらよっ、よいこらしょ、よいこらしょ、よいこらしょっ……まあ、たいへんに弥次馬が駈けてくなあ、じゃまなやつらじゃあねえか……よいこらしょ、よいこらしょ、よいこらしょっ……あらよっ、よいこらしょ、よいこらしょっ……あっ、むこうから帰ってくる人がいるな、聞いてみよう……ええ、もし、あなた、火事はどこです? え? なに? いってみればわかる? ……あたりめえじゃあねえか。なにいってやがるんだ……あらよう、あらあらあらあら……しょい、しょい、えいこら、しょ、えいこらしょ……ああ、こんばんは、火事はどこです?」 「ああ、久蔵さんか、火事はおめえんとこのとなりだ」 「えっ、となり? となりてえと、海苔屋のばばあだ。あんちくしょうめ、爪のさきへ火をとぼすようにけちけちしてやがったから、その火からぽーっと燃えだしたんだな」
「へえ、旦那、いってまいりました」 「ああ、久蔵か、どうした? え? ああ、そうか、まる燃けか? そりゃあどうも気の毒なことをしたな。まあいい。心配するな。うちへ手つだいにきたあとで焼けてみれば、まさかうっちゃっておくわけにもいかない。当分うちにいな」 「へえ、ありがとう存じます。どうぞよろしくおねがいいたします」  これから久蔵は、なに不自由なく厄介になっておりました。 「ええ、旦那さま」 「なんだ?」 「ええ、今日《こんち》は深川のお客さまのところへちょいと顔出しにいってまいろうと存じまして……」 「ああそうかい。あんまりおそくならないようにお帰りよ」 「へえ、じゃあ、いってまいります……あーあ、ありがてえな。なんていい旦那なんだろう。それにうちの人もみんなよくしてくれるし、こんないいことずくめじゃあ罰があたるよ。しかしねえ、いくらよくされても、やっぱり居候《いそうろう》は居候だからなあ。よそのうちってえのはなんとなく気がやすまらねえなあ。どんなうちでもいいから一軒持ちてえなあ……おや、ずいぶん人がぞろぞろいくな。なんだろう? ええ、ちょっとうかがいますが、なにかございますんで?」 「ええ、八幡さまで富があります」 「ああそうですか。そういやあ、おれも富札を一まい買ったんだが、火事にあうようじゃあ、とてもあたっちゃあいめえ。まあ、ようすだけでもみようか」  久蔵がなかへはいってみますと、ただいま寺社奉行が出頭《しゆつとう》になり、大般若経の読経《どきよう》がすんでのち、大きな箱をガラーリ、ガラーリとふり、なかへ錐《きり》をつっこんですーっとひきあげますと、多勢の見物にみせながら声高らかに…… 「松の千五百番、松の千五百番」 「あー、あた、あた、あた」 「あれっ、この人がひっくりけえっちゃった。おい、しっかりおしよ。どうしたんだ?」 「あた、あた、あた、あた……」 「なんだかわからねえ……え? あたった? へーえ、おまえさんが千両にかい? ふーん、運のいい人だ。早く帳場へおいでよ」 「へえ、ありがとう存じます……ああ、なるほど、帳場があった……あれっ、あたしに札を売った善兵衛さんがいた」 「おい、久さん、あたったねえ。よかった、よかった。しかし、まあ、おどろいたよ」 「火事で焼けてねえ、もうどうにもしょうがねえんで……すいませんが、すぐに金をもらいてえんで……」 「ああ、金はすぐにとれるけどねえ、きょう金を持っていくのはよしたほうがいいよ。お立てかえ料一割、ご奉納金一割と二割ひかれちまうから……」 「なあにいいよ。二割ひかれようが、五割ひかれようが、十割ひかれようが……」 「なにいってるんだ。十割ひかれたら一文にもならねえじゃあねえか……しかし、まあ、おまえさんが承知ならとってきてやろう。札をおだしよ」 「え?」 「いえ、富札をおだしよ」 「……札は……ぽー……」 「どうしたんだ? そのぽーってえのは?」 「火事で焼いちまった」 「焼いちまった? ああ、そりゃあだめだ」 「どうして?」 「どうしてって、札がなけりゃあ証拠になりゃあしねえもの」 「だって、善兵衛さん、あなたが売って、あたしが買ったんだ。こんなたしかな証拠はないじゃあありませんか」 「まあ、りくつはそうだけれども、かんじんの札がなくっちゃあだめなんだ。まあ、しかたがないからあきらめちまいなよ」 「そんな……あきらめちまいなったって……あたしゃあたしかにあたったんじゃあありませんか。あなたが売って、あたしが買ったんだ。ねえ、おんなじ札が二まいあるわけじゃあなし、だめだなんて、そんなばかなはなしはないじゃあありませんか」 「なにしろ、かんじんの札がなくっちゃあだめなんだよ」 「じゃあ、こうしましょう。半分の五百両だけください。五百両にまけときますから……」 「いえ、札がなくっちゃあ、五百両だろうと、二百両だろうとだめなんだよ」 「そんなばかな……ねえ、売ったもんと買ったもんが、ここにちゃーんと生き証人がいて、おんなじ札が二まいはないってえのに……それがだめだなんて……そんな、そんな……」 「いえ、だけどねえ、いくらいったって、証拠の札がなくっちゃあ……」 「どうしてもだめですか?」 「ああ、なんといってもだめだよ」 「へーえ、そうですか。ようございます。じゃあ、いりません、いりません。あたしも、火事ではまる焼けになり、あたった金もとれないようなことではもうどうにもなりませんから、よござんす。死んじまいます。死ぬからには、三日たたねえうちにおまえさんをとり殺すから……」 「ばかいっちゃあいけねえ」 「なあにようございます。あたしゃ死にます」  と、泣きながらすごすご帰るうしろから、 「おい久さん、どこへいくんだ?」 「いえ、あたしはとてもたすかりません。へえ、死にます」 「なにをいってるんだ。じょうだんじゃあねえぜ」 「あっ、鳶頭《かしら》ですか」 「おい、しっかりしろよ。ぼんやりして、おれのうちの前を通りすぎちまうところだったじゃあねえか。おめえみてえにのんきな男はねえな。おい、てめえのうちが火事だってえのに、おめえ、どこへいってたんだ? 火事だてえから、すぐにおれがとんでいってやると、戸があかねえから、手鍵《てかぎ》で戸をたたっこわして、なにか大事なものがあるならとおもってみまわしたが、おめえのとこにはなんにもねえな。まあ、とにかく、釜とふとんはだしてうちにあるから持っておいでよ」 「へえ、ありがとうござんす」 「しかし、おい、さすがは芸人だな、大神宮さまのお宮、あれだけはりっぱだなあ。あんまりりっぱなんでおどろいたぜ。うちにあるからねえ、いっしょに持っておいで」 「ど、どろぼう!」 「おい、なにをするんだ。おい、いきなりひとの胸ぐらなんぞつかんで……おい、はなせ、はなせよ。いつ、おれがどろぼうした? おい、はなせってえのに……気ちげえだな、まるで……さあ、釜もふとんもだしてあらあ。それ持ってけ」 「そんなものはいらねえ……大神宮さまをだせ!」 「ああやるとも……それ、これがおめえの大神宮さまだ。持ってけ」 「持って���かなくってよ。おれのものをおれが持ってくのに、なにもふしぎがあるもんか。もしもこのなかにあればよし、なければてめえののど笛へ食《くら》いつくぞ」 「おい、気味のわりいことをいうなよ。おらあ、中へ手なんかつけるもんか」 「よし、いま、おれがこのお宮をあけて……あっ、あった、あった、あたたたた……」 「おい、どうしたんだ? いきなり泣きだしたりして……」 「へえ、どうもまことにあいすみませんでござんす。へえ、どろぼうだなんて、かんべんしてやってください。じつは、この富札が千両富にあたったんで……」 「えっ、その札が千両富に!? へーえ、なるほどこりゃあ気ちげえのようになったのも無理はねえや。ふーん、運のいい男だなあ。この年の暮れに千両ねえ……これもおめえが正直もんだから、正直の頭《こうべ》に神宿るってのはこのこったよ……よかったなあ」 「へえ、これもみんな大神宮さまのおかげでございます。これでご近所のお払いができます」
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wochenendfoto · 5 months
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朝日に照らされた久礼八幡宮様。 神社⛩の前から柏手が響く。 威厳のある風景が街の発展を物語る。 #中土佐町 #久礼八幡宮 #高知の夜明け (久礼八幡宮) https://www.instagram.com/p/CkGREllJD7f/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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amiens2014 · 4 years
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双名島(高知県中土佐町) ⇒ 鬼の島曳き伝説が残る景勝地
双名島とは
双名島(ふたなじま)は、高知県高岡郡中土佐町久礼(こうちけんたかおかぐんなかとさちょうくれ)にある島だ。
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久礼湾の北寄りに浮かぶ小島で、弁天・観音の2島からなり、その間に小さな烏帽子岩がある。大正時代の美文家大町桂月は「人ならばうれしからまし双名島 二つならびて萬代までも」と歌にした。
双名島 | 高知県の観光情報ガイド「よさこいネット」 から引用
観音島(かんのんじま)と弁天島(べんてんじま)の2つからなり、鬼の伝説が残されている。
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昔むかし・・・大波に悩んでいた久礼の人々を助けようと、鬼ヶ島の鬼が2つの大きな岩を運んできたと伝わっています。
双名島(ふたなじま)/中土佐町久礼の土佐十景に数えられる一対の島 から引用
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oldkwaidan · 4 years
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渡橋を遮る泣き声
 深川八幡宮の祭礼が久しぶりにおこなわれるということで、おおぜいの人が集まっていた。  その見物客の中に、二、三歳の子を抱いた女がいた。  彼女が永代橋を渡ろうとすると、今まで静かにしていた子が突然、火がついたように泣き出した。  いくらあやしてもまったく泣き止む気配がない。  困った彼女が橋に背を向けると、途端に子どもが泣き止んだ。  そこで再び橋を渡ろうとすると、また子どもが泣き出した。やはり、あやしても泣き止まない。  彼女は橋に背を向けた。すると子どもが泣き止んだ。  橋に向かうと泣き出す。橋に背を向けると泣き止む。それが何度も繰り返された。  しかたないわ。ひとまず、ここいらで休みましょう。  彼女は橋の傍らに移動して佇んでいると、橋の上の方が騒がしくなった。  振り仰いで見ると、橋の上で人々が声を限りに泣き叫び、慌てふためき逃げ惑っている。  そのうち彼女の周囲も騒がしくなり、何が起きたのか情報が入ってきた。  永代橋が真ん中辺りから崩れ、千人以上もの人々が川に落ちたという。  それを聞いた彼女は腕の中の我が子を見た。  どうしてこの子は橋が落ちることを知ったのかしら。そうだわ。きっと神様仏様がお助けくださったのよ。  彼女は嬉し涙を流しながら神仏を伏し拝み、それから急いで帰宅した。
 (松平定信『花月草紙』 「八幡祭」)
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774 · 1 year
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文化4年8月19日、深川富岡八幡宮で12年ぶりの祭礼日(深川祭)が行われた。久しぶりの祭礼に江戸市中から多くの群衆が橋を渡って深川に押し寄せた。また、一橋家の船が永代橋を通過する間、橋を通行止めにしたのも混乱に拍車をかけたと伝わる。ところが、詰め掛けた群衆の重みに橋が耐え切れず、橋の中央部よりやや東側の部分で数間ほどが崩れ落ちた。だが後ろからの群衆は崩落に気が付かず続々と押し寄せ、崩落部分から雪崩をうつように転落した。 御船手組や佃島の漁師までが救援に駆けつけて必死に救出作業を行ったが、数日前の雨の影響で水質が良くなかった事もあって救助は難航、溺れた者の中にはそのまま行方知れずになった者もいた。事故の翌日の記録として、救助された者780名でうち440名が亡くなっていたとされている。また、遺体の確認も混乱を極め、家族が誤った遺体を引き取ってしまう例も発生した。更に永代橋が渡れなくなったことで上流の両国橋や新大橋にも人が殺到し、急遽通行規制を行った。 死傷者・行方不明者を合わせると実に1400人を超える大惨事となった。
永代橋崩落事故 - Wikipedia
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honyade · 5 years
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【満員御礼】愉快と永遠とロマンティック 永井宏散文集『サンライト』(夏葉社)出版記念トーク 丹治史彦・村椿菜文・島田潤一郎
【満員御礼】となりました。
2011年に亡くなった美術作家永井宏さんが残した散文を編んだ『サンライト』が発売されます。 美術作家であり、詩や小説、散文も数多く発表していた永井宏さんは、ギャラリーや出版社も運営し、各地で精力的に詩の朗読やワークショップも開催してきました。
彼の残した言葉や考え方をきっかけに、永井さんの仕事、永井さんが伝えようとしたことを話し合います。
また、ゲストにワークショップ出身で、永井さんと詩の朗読ユニット「象の音楽」として活動していた村椿菜文さんを迎え、永井さんの文章を数篇朗読していただきます。聞き手はTitle店主の辻山が行います。 展示:「サンライト 永井宏さんが残したもの」9/21~10/7 https://ift.tt/2lDnGPs
丹治史彦(たんじ・ふみひこ) 編集者、信陽堂代表。1967年宮城県塩竃市出身。リブロポート、メディアファクトリーを経て2003年アノニマ・スタジオ設立。「ごはんとくらし」の本やイベントを手がけ、永井宏さん、高山なおみさん、細川亜衣さん、内田真美さん、早川ユミさん、中川ちえさんらの本を出版。2009年、屋久島に住む。2010年、信陽堂編集室として活動を開始。2011年より滋賀県近江八幡市の菓子舗「たねやグループ」の広報誌『ラ コリーナ』のディレクションを担当している。
村椿菜文(むらつばき・なあや) 1973年生まれ。詩人。神奈川県在住.。永井さんと「象の音楽」として詩の朗読をおこない、現在もその活動を続けている。著書に『神様は7日目に休んだ』(WINDCHIME BOOKS)、『内藤三重子さんのこと』(アノニマスタジオ)、『まいごのビーチサンダル』(あかね書房)。大工の夫、20歳の娘、17歳の息子、9歳の娘と暮らす主婦。
島田潤一郎(しまだ・じゅんいちろう) 夏葉社代表取締役 1976年高知県生まれ。アルバイトや派遣社員をしながら海外を放浪した後、編集者としての経験を持たないまま2009年9月、ひとり出版社の夏葉社を吉祥寺で創業。スローガンは「何度も、読み返される本を」。 『昔日の客』(関口良雄著)、『星を撒いた街』(上林暁著)など絶版となっていた名著の新装復刊からオリジナル作品まで、数多くの美しい本をひとりで手がける。また、ひとり出版社の雄として、ちいさな出版社の設立を目指す人々に勇気と力を与えている。著書に『あしたから出版社』(晶文社)、『90年代の若者たち』(岬書店)がある。
開催日 2019年9月26日(木)
時間 19時30分スタート/21時頃終了予定  *イベント当日、お店は18時にてクローズ致します
会場 Title 1階特設スペース
参加費 1000円+1ドリンク500円
定員 25名
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イベント情報の詳細はこちら
from honyade.com https://ift.tt/2n9oV9P
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otarulove · 5 years
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〈お元気ですか?今日は、何の日・〉 おはようございます! 「永代とかけたる橋は 落ちにけり きょうは祭札 あすは葬札」 すっかり涼しくなりました。終日たるバレ 最高気温27℃の予報です。 1807年(文化4年)の今日は、 深川富岡八幡宮で 12年ぶりの祭札日・深川祭 が行われ 隅田川にかかる永代橋が崩落し、 死者1400人以上の 事故が発生した日です。 久しぶりの祭礼に、江戸市中から 多くの群衆が 橋を渡って深川に 押し寄せました。ところが、詰め掛けた群衆 の重みに橋が耐え切れず、 橋の中央部より やや東側の部分で 数間ほどが崩れ落ちました。 後ろからの群衆は 崩落に気が付かず 続々と押し寄せ、崩落部分から 雪崩をうつように転落、死傷者・行方不明者 を合わせると実に 1400人を超える大惨事と なりました。 これは 史上最悪の落橋事故と 言われています。 現代では、橋やトンネルなどの インフラの老朽化が問題になっています。 お金の問題もありますが、 安全に関わること、しっかりと 点検維持管理をお願いしたいですね・・・ 新しい週の始まりです。 今日もいろいろ頑張ります。 よろしくお願い申し上げます。 http://www.sunny-deli-secco.com/ #小樽市 https://www.instagram.com/p/B1UkuUWBf_C/?igshid=1etkrz264j2m4
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sonoealoha · 5 years
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久礼八幡宮に奉献されてた鰹のたたきの絵。 黒潮本陣で海を見ながらお風呂に入って、道の駅で鰹づくし定食や美味しすぎる風工房のイチゴソフトクリームを食べて、海岸に寄って海に足つけたり、八幡様おまいりしたり、おじさん手作りの美味しい干物"ほたれ"を買ったり、して帰る。 流れが全部気持ち良かったー (久礼八幡宮) https://www.instagram.com/p/BxFOA_MnrOg/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1qilbxo6deje
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