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#ボツボツ?
moja-co · 8 months
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「御即位式」  大正天皇の御即位式が行われたのは、青島陥落の翌年、大正四年十一月十日だった。御即位式のことを、一般に御大典といったが、明治天皇の御大葬が、日本が文明開化の代になってから初めての出来事であったと同じように、御即位式もここ数十年の間かつてなかったことではあるし、欧州戦線のあおりを受けて、丁度日本が好景気のさなかだったので、全国民挙げてお祝い申し上げたのであった。その時僕は、五年生になってゐた。  その日は、学校で祝賀式があって、新しい天皇陛下の御真影を拝み、「君が代」を斉唱し、教育勅語の拝読のあと、校長先生から色々のお話があって、天皇陛下万歳を三唱して、その日の授業はお休みになった。  明治天皇の御真影はどうなったか知らないが、新しい天皇陛下の御真影を頂く行事があったことを覚えている。尤も、それが何年の何月だったか忘れたが、御即位式よりも前だったことは確かである。  多分、神戸の県庁で、校長先生が頂いて帰られたのだらうと思う。何時何分に御真影が姫路駅にお着きになり、何時何分に学校にお着きになる、と時刻予定がきまって、全校生徒は、校門の前にズラっと両側に整列して、お迎えした。その時刻の少し前から、学校前の道路は一般の通行禁止になって、警官が警戒に立ってゐた。  待つほどに、京口橋の方から、人力車がボツボツ来るのが見えて、「気をつけ!!」の号令がかかった。見てゐると、警官が一人、車の前をテクテク歩いて、人力車の上には、校長先生が白手袋の両手で、大きな紫色の風呂敷包みを、おもそうに捧げて居られる。それがやっと見えた頃に「最敬礼!!」の号令がかかった。しばらくすると、警官の足と、車夫の足と人力車の車輪、その後にもう一人の足が、目の前を通って行った。  その日しばらくしてから、講堂で、御真影奉戴式があった。明治天皇が崩御になってから、三大節にも、講堂の御真影の棚は開かなかったが、新しい天皇陛下の御真影を頂いてから、前通に、御真影奉拝の最敬礼が、よみがえったのであった。  御即位祝賀式のときには、校長先生から、御即位式について色々お話があった。万世一系の日本では、一日一刻も天皇陛下のない時があってはならぬので、明治天皇がなくなった時、すぐに、当時の皇太子殿下が三種の神器をお受けになって、天皇の位につかれた。それを践祚(せんそ)といったが、天皇陛下がその位におつきになったことを、天照大神その他の御先祖に報告されなければならぬし、国民一般に又外国にも、そのことをハッキリ知らせなければならないので、先帝陛下の喪が明けてから、その儀式を行われるのである。この御即位式は、大昔から続いてゐる儀式だから、昔からの仕来り通りに、元の皇居である京都御所の、紫宸殿という第一の御殿で、古式通り厳かに行われるのである、というようなお話であった。  御即位式の日取りがきまると、その儀式のことや日程が、次々に新聞で細かく解説予告されてゐたが、いよいよ式が始まると、天皇陛下が東京を出て、京都に向かわれる鹵簿((注)ろぼ=天子の行列のこと)や、関連の色々な写真が、その記事と共に、次々に掲載された。新聞もここ数年の間に非常に発達して、写真版などもきれいになってゐた。  又、前年の青島陥落のときと同じように、全市を挙げての祝賀行事が催され、我々小学生は、日の本の小旗をかざして、町々を旗行列をし、夜は夜で、色んな団体の提灯行列が、いくつもいくつも、「祝えや祝え!!」と歌いながら、又、それぞれで万歳万歳!!と、市内を行進して、大変な賑やかさだった。  御即位式のときに、国家社会に功労があって勲章を頂いてゐる人に、天皇陛下からごちそうを下される、ということがあった。特別立派な勲章を貰ってゐる人は、東京に召されるのだが、勲五等だった父には、神戸の県庁でごちそうを賜るというので、菊の御紋章のついた御召状が届けられた。  父は以前に、広島や大阪に勤めて、軍需品の納入その他のことで、功績があったのだそうで、勲大等の旭日勲章を頂いたが、僕がごく幼い頃、専売局に勤めてゐた時に、一段進んで、勲五等になり、瑞宝章を頂いてゐた。だから、今では民間の塩田業者であったが、御即位式の御馳走に召されたので、大変の喜び方で、あちらやこちらで、大自慢にしてゐたが、いよいよその日には、朝早くからフロックコートを着て、これが勲五等の瑞宝章だ、これが勲大等の旭日章である。旭日章は本当に手柄がなければ頂けないので、一段下ではあるがこの方が立派なのだ。これが日清戦争の従軍章、これは北清事変(明治三十三年)の従軍章、これが日露戦役の従軍章だと、一つ一つ、僕に説明しながら、それを胸にズラッと吊り並べて、シルクハットをかぶって、意気揚々と停車場に向かった。  その日、もう日が暮れてから、父は、胸いっぱいに勲章を飾ったまま、人力車から自分独りで降りるのが危ないほど酒に酔って、それでも白い風呂敷包みだけは、大切に持って、帰ってきた。その風呂敷包みには、その日の御馳走が入ってゐたのである。素木の足のないお膳と、素焼きのお皿や瓶子(へいし)のようなものと、銀色のボンボニールとかいうものを取り出して、これには何が入ってゐた、これに何がと、一つ一つ説明してくれたが、どれも空だったことを記憶してゐる。
大正天皇の即位式の日のことが、大伯父(祖母の兄)の遺した回顧録に記されてました。 従兄弟が見つけて、文字起こしまでしてくれた! けっこう貴重な資料だと思う。
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mocomocon · 3 months
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これだからアレ
長年の不勉強が積もりに積もってうぼぁ~~ってここ1ヶ月なってて、ついでにまだまだ問題が発掘されておぼぼぼってなってるんですけども、やっぱこういうのはしっかり勉強した方がええんやなって
気晴らしでAB (カプかコンビかも定まらない)書いてたら、突如ACよくない?????ってなって脱線しまくるも、やっぱこれ書いたらABまとまらないよな、とボツボツしてる
C、好きなんですけど、この存在をぶっ込むともうストーリーがはちゃめちゃんこでダメになるからABに修正しませんと
そもそもCなんていないんだけどな(まれによくある史実からの妄想からの暴走Yeah
なんかこう……絶対Cは来ないと思うから……でもAにCは必要じゃない……?ラブとかじゃなくて、ライバル的な存在として、Cいないとあれやん……ってなっている。どうも、常日頃からのマイナー民です。
これはまとまりませんわ笑
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kugizoe-diary · 10 months
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今日の夢
ぼくは、フランスにきていた
ぼくは、建物同士がつながって入り組んでいて
公民館や、精神病院のような質感の室内にいた
(ぼくの友達や知人のような何人かの人たちと)
ここはフランスの、はずなのに
なんだか、よく分からない
この国を案内している施設を探す
それらしい施設かと思った部屋につく
壁一面に売り物であろうか
日本のアニメのパチモンの
(直感的にパチモンと思った、出来は良い)
キャラグッズが並んでいる
クリアファイルやポスター、下敷き
なぜこんなものが売られているんだろう
奥のカウンターには、
褐色の肌をした居眠りをしているひとがいるだけ
暖かい地域の露天売りのような風貌
この国を案内してくれるひとは、いなさそうだ
すぐ右にあった通路に行ってみる
ついたのは個人宅のようで、
装飾は豪華なんだけど
床なんかは、やはり病院ぽさがある
誰も寝ていない豪華なベッドがある
ベッドの前には文字の書いてあるプレートがある
「19〇〇年〇月〇日、〇〇〇〇、永眠」
ここは何かの施設なのだろうか?
テーマパーク?
ほかに行くべき場所が分からず
近くの部屋へ続く右側のドアを開ける
完全に病室のような部屋
真っ白なベッドに知らないおじいさんが寝ている
よく見ると、どこかで会ったような顔の気もする
真っ白な布団から出ている、おじいさんの顔は
デキモノが、できていてボツボツしている
おじいさんは、何かを言っているが
ボソボソと言うので
少ししか言葉を聞き取れない
さっきの豪華なベッドのプレートに書いていた名前の、永眠した人と
このおじいさんは親族なんだと思った
部屋中に病のにおいが立ちこめている気がした
豪華なベッドの部屋に戻り
まだ行ってない左側のドアから通路に出て
うろうろする
また個人宅につく
分からないことがありすぎるので
不安感から現地の人の話をききたかった
真っ白な壁に、床に、家具の部屋
真ん中にテーブルがある
箱庭療法室のような雰囲気だ
病のにおいは、なくならない
何人か(5、6人?)の家族のいる部屋だったが
住人はみな、白い髪、白い肌で赤い目をしていた
単なるアルビノというだけではなく
家族みな女性、極端に面長で、とても痩せていた
遺伝子疾患なのかなと思う
さっきのベッドのおじいさんも
遺伝子疾患なのかもと思った
嫌な予感を感じているが
家族のなかで、一番年齢が高そうな
アルビノのような人に話しかける
「ルーブル美術館はどこですか?」
そうだフランスならルーブル美術館に行かないと
ぼくが怪しんでいたわりに
親切にそのひとは答えた
「地図を書きますよ、紙と筆記用具をください」
紙は、いつのまにか、ぼくの手に持っていた
筆記用具は、あらかじめテーブルに乗っていた
パステルのようなものたちの中から
水色のものを選んだ
彼女にそれらを渡すと、地図をかきはじめた
彼女の指を見ると、色とりどりに粉っぽく汚れている
年季の入った汚れかたであった
ずっとこの部屋で絵を描いていたのかもしれない何年も何年も
水色の筆記用具では、白い紙に、書くと見えにくい
いつのまにか彼女は黒ペンでかいていた
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(曖昧ながら、夢の記憶を頼りにかいた、上のがルーブル美術館、右の四角が現在地の部屋)
「このドアから出てください」
そう彼女は言って、あるドアの方を向いた
ぼくは、地図がよく分からずにウロウロした
そういえば、彼女に出てくださいと言われたドアからは出ていない
引き返して、彼女がいた部屋にもどる
言われたとおりのドアからは出ていないので、また顔を合わせるのはバツが悪かった
心なしか彼女は不機嫌そうな顔をしている
言われた通りのドアから出て、なんとなく地図のとおりに行くと
なにかのゲートが、入ると急にガクッと段差
ぼくは、よく分からない乗り物に乗り込んでしまった
電車のような飛行機のようなジェットコースターのような、、
ガタガタとエンジンの震えが機体中に響いてる
「行き先、チェコスロバキア」
なんだこりゃ?パニックになる
謎の乗り物は、動きだし、スピードを早めようとしている
ぼくと一緒にいた、何人かの人たちも困ってる
このまま、ここに乗っていたらヤバい!
入ったときの乗り物のゲートが開いていたので、ぼくは怪我をかえりみずに、そこから飛び下りようとする
すでに景色が乗り物のスピードで、線になりはじめていた、躊躇したが、飛び下りる!
大した衝撃はなかった。
立ちあがり周りを見渡すと、
ぼくのまわりは近未来の空港に様変わりしていた。
宇宙ステーションのようでもあるが、少し汚くて繁華街のようでもある。
もうルーブル美術館はあきらめた、日本に帰ろう。
ぼく以外の一緒にいた人たちは、どうなったんだろう。
しかし、もうどうしようもないので自分のことだけを考える。
そこら中で人が乗った乗り物が移動していて、巻き込まれて連れていかれそうになる。
気がついたのは乗り物は全て、同じ方向にしか運行されてない、不思議だった。
日本行きをみつけて乗りこむ
(場面が切り替わる)
アルビノのような彼女が慌てて話している
「7人いましたよ!?」
なにかの調査員が答える
「1人たりなかったですよ」
彼女は、なにか報酬を受けとるような雰囲気で
(場面が切り替わる)
日本行きの乗り物に乗ったはずなのに
なぜか行き先が日本以外の乗り物と全く同じ方向にぼくは進んでいる
ぼくは不安になる
しばらくすると、先に、チェコスロバキア行きに乗ったはぐれた人たちのいる、乗り物をみつけた。
はぐれた人は言う
「道が悪くて10日も乗り物が動かずに、いたことがあったんだよ」
10日?ぼくと時間の感覚がおかしい
「もう支給された食べ物も飲み物もなくなってしまった」
チェコスロバキア行きに乗った人たちは、みなグッタリとしていた、ぼくは少しだけ彼らに、自分の食べ物や飲み物をあげた。
僕たちは、どこかへと労働力として売り飛ばされたんだ、
この乗り物は売られた先へと向かう、
きっと奴隷船なんだ。
ぼくは絶望した。
あの遺伝子疾患のようなフランス?の住人達は、
没落貴族のようなもので、人を売って暮らしていたんだろう。
いや、あいつらは、もしかしたら宇宙人かもしれない。
ぼくの乗るこの乗り物も、宇宙行きかもしれない、、時間の感覚がおかしい。
真っ暗な、トンネルのような航路の途中で
ぼくはどうすることもできない、
暗闇に飲みこまれていくような感覚がした。
という夢。
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kachofuraku · 1 year
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長寿湯呑み
2023・5・10
戸棚の奥から見た事もない湯呑み茶碗が出てきた
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「人生は六十から」に始まって「七十歳でお迎えの来た時は只今留守と云え」「八十歳でお迎えの来た時はまだまだ早いと云え」「九十歳でお迎えの来た時はそう急がずともいいと云え」「百歳でお迎えの来た時は頃を見てこちらからボツボツ行くと云え」と書いてある。そこに温かいお茶を注ぐとあら不思議、
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字が消えてお爺さんとお婆さんが現れる。ネットを見ると感温染料を含む塗料で茶碗の表面に字を書いてあるので熱を加えると字が消えると言う仕組みで、マジック湯呑みとも言う事が解った
我が家では「お茶=コーヒー」で、日本茶を飲む習慣が無かったのでこのマジック湯呑み茶碗は戸棚の奥に仕舞ったまま。多分還暦のお祝いか何かに誰かから貰ったのかもしれない。折角だし、長寿だし、これからは一日一回は夫に日本茶を飲ませよう
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kawawso2 · 1 year
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DHC オリーブバージンオイル
季節の変わり目に肌がかゆくなってボツボツと吹き出物が出たりしてた私の肌が、
これを使うようになって本当に強くなりました。
やさしくバリアしてくれます。
浴室とリビングに1本ずつ置いています。
半身浴の前にワンプッシュつけると、毛穴も開きより成分が肌に吸いこまれピカピカ、ツヤツヤです。
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2023年第一弾皿、良い!
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粘土の粒子が荒いものらしくて、ボツボツ出ている。ちょんまげ可愛いな、まきの実もいいな。アーチからこちら見るピーテル、いい感じだな。
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wxyz1004 · 1 year
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2022/11/29 火 17:20
書きたいこと2つ!
まずケミカルピーリングの話!
10月から始めて、約2ヶ月。
顔に3つあった脾粒腫が小さい順に全部とれたっ!
ピーリングしてから洗顔のとき爪に引っかかるようになって、カリカリしてたら取れた〜😆
まだ跡があるからシミにならなきゃいいな。。
稗粒腫3つしかないと思ってたけど、すんごーいちんまいのがポツポツあることに気づいた。
これが整形したら他のところもお直ししたくなる現象ってやつか……と思いました。
あとは毛穴の詰まりが劇的によくなった!
長男が一歳になったあたりから眉間、鼻、小鼻、唇の下がやんばかったんですよ。
特に唇の下はピンセットで引っこ抜けるレベルで角栓が。。
眉間も凹凸しかなくて押し出したらいくらでも出てくる状態。
太り過ぎとホルモンバランスの関係だからどうしようもないのかと落ち込んでたの〜😭
それが平地に🥹めっちゃ嬉しい🥹
ビニール肌に気をつけながらも、続けたいな🥺
ニキビの皮膚科通いもめんどさがりながらも続けてます。
だーいぶ良くはなったけど、めっちゃ強い薬毎日塗りたくっててもボツボツできるのはなんで??😠
アスファルトに咲く花じゃん😠😠
はい。2つ目。
もちのろんの減らない体重について〜〜〜🤤
ねえねえなんで?
なんでこんなに太ってるのぉ?🤤
昨日57kgだったんだけどぉ〜〜😘
冬服ってそんなに重いのぉ??🥰
どんな状態で測っても52kg以下になりたい。せめて。
5kgも痩せなきゃならないの?😠
どうやって?😠😠
運動とか努力とかほんとにほんとにほんとに嫌いなんです。
食事制限絶対したくないです。
やだよぉやだよぉ。
痩せたいって言うたび500g落ちればいいのに😠
ふん😠
家事してくる😠
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news-man · 2 years
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「サル痘」潜伏期間は7~14日、発熱し発疹が顔から体中に…WHOが緊急事態宣言
   欧米を中心に拡大する天然痘に似た感染症の「サル痘」について、世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム事務局長は23日、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。宣言はWHOによる最高レベルの警戒呼びかけで、2020年1月の新型コロナウイルス以来となる。           1 これ、、コロナより厄介ですよ。 高熱が出てから三日ほどで顔を含め、体中に水疱瘡のようなボツボツができて、しかも跡が残ってしまう恐れがあると専門家が仰っていました。 夏休み直前ですが、海外どころか、日本も海外からの入国をどんどん緩和しているので、国内旅行も怖くなってしまいました。 顔に跡が残ってしまうようじゃ、、その先大変なことになってしまう。。 コロナも全然終わらないけど、サル痘は本当に気を付けたいですね。…
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onaka-ita · 2 years
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抜歯当日と2日目は入院
3日目~6日目は化膿で息する度に激痛
6日目夜 受診
7日目 処方された薬が合わなくておでこ~つま先まで全身湿疹
8日目 抜糸とブラケット装置
怒濤の1週間なのに仕事休まなくてまじえらかった、、、
ボツボツ早く引っ込んでほしい、、、
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R3.5.10 タケノコを採る会
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通所リハビリルームに書類を届けにいくと
「今日はタケノコ採りでーす!」とスタッフDSの声
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諸事情あり さかさまなタケノコ
根っこの方にあるイボイボまで再現されている…
イボイボ? ボツボツ?
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特殊な “タケノコ取り機”を用いて
より多くのタケノコを収穫していくようです
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収穫をしたタケノコの中をみますと
点数が書いてありまして 多い点数の方の勝利!
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「中には 埋蔵金もありますよ~」と
高得点な タケノコも忍ばせてあるとか
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順番を交代するときには 消毒!消毒!
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座る位置を確認している途中ですが
早速収穫をはじめる利用者さま(;^_^A
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静かな熱戦が 日々繰り広げられております
大きな声を出して 皆さんで盛り上げる日が
1日も早く戻ってきて欲しいと思う今日この頃です
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kankansyu · 4 years
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d.汗管腫(汗かんしゅ)
⚫︎切除されて、治らなかった、30代、女性。
まぶたのボツボツが連なっていても大丈夫です。
◎公式サイト・汗管腫(エクリン汗嚢腫.稗粒腫)ページ
https://minimal-clinic.com/kankansyu.php
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yumiaus · 5 years
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隠れ人気アイテム💕 マイクロダーマブレーションペースト✨ オイルフリーなのに使用後はしっとり♡ ビタミンCとビタミンE配合。 肌表面の角質をやさしく取り除くことで皮膚細胞やコラーゲンの増加を促しシルキー肌へと導きます • • 🧐こんなお悩みの方におすすめ●ニキビ跡、凹凸肌 ●シミ、くすみ ●妊娠線 ●毛穴の改善 ●鼻の黒ずみ ●角質がたまり鮮やかさを失ったタトゥー ●しみ、くすみ • 角質ケアをすることで、ご使用のスキンケアがなじみやすくなります^_^ • セルフタンニング前のボディの角質取りにも最高のアイテムですよ♡ 特に、加齢に伴う肌のゴワゴワ感に悩む方におすすめしたいです! • ✨マイクロダーマブレーションサンプルプレゼント✨ 10名の方に、一回分量を郵送いたします😊 ① @yumi_raf_aus をフォローしてください ②コメント欄にお友達のアカウント1人ご紹介ください ※締め切り六月末 • #プレゼント企画 #妊娠線 #鼻の黒ずみ #毛穴の悩み #マイクロダーマブレーション #エステの効果 #ニキビ跡 #角質ケア #ツルツル肌 #加齢肌 #アンチエイジングケア #美肌ケア #かかとの角質 #背中のボツボツ #セルフタンニング #オーストラリア生活 #オーストラリアワーホリ #アメリカ生活 #カナダ生活 (Surfers Paradise, Queensland) https://www.instagram.com/p/Bywz-YIgC0w/?igshid=oplzamv5ve7u
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seshika10 · 2 years
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漫画は金曜日に終わらせれたから土日でカラー絵作ってネップリ用意したかったのに全然思い通りにならんくてもうボツボツの没~~~っ 自分の絵のだめだめにもう悲しくなるね…なんでこんなに描けないの… カラー本当に苦手だ、、、やはり新しいことしようとしたのもだめだったのかなぁ~~もっかいいつもの適当な塗りで逃げてみるか、線画もっかい描くか、、、線画も別の描きなおしたけど顔面ガタガタでもうだめだったし もう絵がね!!!だめね!! カラーなんでこんな苦手になってたの…昔はカラーもっと好きだった気がする、、オオオン なのでもうアバターに逃げましたわよ スペースはサクカ絵べた置きするからそっちも描きなおしたい… サクカ描きなおしてそれをネプリにするかなぁ、、、ラクしすぎてるかもしれんけど、時間あるかぎりできること用意したいんだよなぁ それなのに自分の力不足で新しい絵を描いても描いても気に入らんていう、、、
今週も平日命削るしかねぇ、、、、ってコト!?
お品書きも用意しないとじゃんね!
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guragura000 · 4 years
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自殺未遂
何度も死のうとしている。
これからその話をする。
自殺未遂は私の人生の一部である。一本の線の上にボツボツと真っ黒な丸を描くように、その記憶は存在している。
だけど誰にも話せない。タブーだからだ。重たくて悲しくて忌み嫌われる話題だからだ。皆それぞれ苦労しているから、人の悲しみを背負う余裕なんてないのだ。
だから私は嘘をつく。その時代を語る時、何もなかったふりをする。引かれたり、陰口を言われたり、そういう人だとレッテルを貼られたりするのが怖いから。誰かの重荷になるのが怖いから。
一人で抱える秘密は、重たい。自分のしたことが、当時の感情が、ずっしりと肩にのしかかる。
私は楽になるために、自白しようと思う。黙って平気な顔をしているのに、もう疲れてしまった。これからは場を選んで、私は私の人生を正直に語ってゆきたい。
十六歳の時、初めての自殺未遂をした。
五年間の不登校生活を脱し高校に進学したものの、面白いくらい馴染めなかった。天真爛漫に女子高生を満喫する宇宙人のようなクラスメイトと、同じ空気を吸い続けることは不可能だと悟ったのだ。その結果、私は三ヶ月で中退した。
自信を失い家に引きこもる。どんよりと暗い台所でパソコンをいじり続ける。将来が怖くて、自分が情けなくて、見えない何かにぺしゃんこに潰されてしまいそうだった。家庭は荒れ、母は一日中家にいる私に「普通の暮らしがしたい」と呟いた。自分が親を苦しめている。かといって、この先どこに行っても上手くやっていける気がしない。悶々としているうちに十キロ痩せ、生理が止まった。肋が浮いた胸で死のうと決めた。冬だった。
夜。親が寝静まるのを待ちそっと家を出る。雨が降っているのにも関わらず月が照っている。青い光が濁った視界を切り裂き、この世の終わりみたいに美しい。近所の河原まで歩き、濡れた土手を下り、キンキンに冷えた真冬の水に全身を浸す。凍傷になれば数分で死に至ることができると聞いた。このままもう少しだけ耐えればいい。
寒い!私の体は震える。寒い!あっという間に歯の根が合わなくなる。頭のてっぺんから爪先までギリギリと痛みが駆け抜け、三秒と持たずに陸へ這い上がった。寒い、寒いと呟きながら、体を擦り擦り帰路を辿る。ずっしりと水を含んだジャージが未来のように重たい。
風呂場で音を立てぬよう泥を洗い流す。白いタイルが砂利に汚されてゆく。私は死ぬことすらできない。妙な落胆が頭を埋めつくした。入水自殺は無事、失敗。
二度目の自殺未遂は十七歳の時だ。
その頃私は再入学した高校での人間関係と、精神不安定な母との軋轢に悩まされていた。学校に行けば複雑な家庭で育った友人達の、無視合戦や泥沼恋愛に巻き込まれる。あの子が嫌いだから無視をするだのしないだの、彼氏を奪っただの浮気をしているだの、親が殴ってくるだの実はスカトロ好きのゲイだだの、裏のコンビニで喫煙しているだの先生への舌打ちだの⋯⋯。距離感に不器用な子達が多く、いつもどこかしらで誰かが傷つけ合っていた。教室には無気力と混乱が煙幕のように立ち込め、普通に勉強し真面目でいることが難しく感じられた。
家に帰れば母が宗教のマインドコントロールを引きずり「地獄に落ちるかもしれない」などと泣きついてくる。以前意地悪な信者の婆さんに、子どもが不登校になったのは前世の因縁が影響していて、きちんと祈らないと地獄に落ちる、と吹き込まれたのをまだ信じているのだ。そうでない時は「きちんと家事をしなくちゃ」と呪いさながらに繰り返し、髪を振り乱して床を磨いている。毎日手の込んだフランス料理が出てくるし、近所の人が買い物先までつけてくるとうわ言を言っている。どう考えても母は頭がおかしい。なのに父は「お母さんは大丈夫だ」の一点張りで、そのくせ彼女の相手を私に丸投げするのだ。
胸糞の悪い映画さながらの日々であった。現実の歯車がミシミシと音を立てて狂ってゆく。いつの間にやら天井のシミが人の顔をして私を見つめてくる。暗がりにうずくまる家具が腐り果てた死体に見えてくる。階段を昇っていると後ろから得体の知れない化け物が追いかけてくるような気がする。親が私の部屋にカメラを仕掛け、居間で監視しているのではないかと心配になる。ホラー映画を見ている最中のような不気味な感覚が付きまとい、それから逃れたくて酒を買い吐くまで酔い潰れ手首を切り刻む。ついには幻聴が聞こえ始め、もう一人の自分から「お前なんか死んだ方がいい」と四六時中罵られるようになった。
登下校のために電車を待つ。自分が電車に飛び込む幻が見える。車体にすり潰されズタズタになる自分の四肢。飛び込む。粉々になる。飛び込む。足元が真っ赤に染まる。そんな映像が何度も何度も巻き戻される。駅のホームは、どこまでも続く線路は、私にとって黄泉への入口であった。ここから線路に倒れ込むだけで天国に行ける。気の狂った現実から楽になれる。しかし実行しようとすると私の足は震え、手には冷や汗が滲んだ。私は高校を卒業するまでの四年間、映像に重なれぬまま一人電車を待ち続けた。飛び込み自殺も無事、失敗。
三度目の自殺未遂は二十四歳、私は大学四年生だった。
大学に入学してすぐ、執拗な幻聴に耐えかね精神科を受診した。セロクエルを服用し始めた瞬間、意地悪な声は掻き消えた。久しぶりの静寂に手足がふにゃふにゃと溶け出しそうになるくらい、ほっとする。しかし。副作用で猛烈に眠い。人が傍にいると一睡もできないたちの私が、満員の講義室でよだれを垂らして眠りこけてしまう。合う薬を模索する中サインバルタで躁転し、一ヶ月ほど過活動に勤しんだりしつつも、どうにか普通の顔を装いキャンパスにへばりついていた。
三年経っても服薬や通院への嫌悪感は拭えなかった。生き生きと大人に近づいていく友人と、薬なしでは生活できない自分とを見比べ、常に劣等感を感じていた。特に冬に体調が悪くなり、課題が重なると疲れ果てて寝込んでしまう。人混みに出ると頭がザワザワとして不安になるため、酒盛りもアルバイトもサークル活動もできない。鬱屈とした毎日が続き闘病に嫌気がさした私は、四年の秋に通院を中断してしまう。精神薬が抜けた影響で揺り返しが起こったこと、卒業制作に追われていたこと、就職活動に行き詰まっていたこと、それらを誰にも相談できなかったことが積み重なり、私は鬱へと転がり落ちてゆく。
卒業制作の絵本を拵える一方で遺品を整理した。洋服を売り、物を捨て、遺書を書き、ネット通販でヘリウムガスを手に入れた。どうして卒制に遅れそうな友達の面倒を見ながら遺品整理をしているのか分からない。自分が真っ二つに割れてしまっている。混乱しながらもよたよたと気力で突き進む。なけなしの努力も虚しく、卒業制作の提出を逃してしまった。両親に高額な学費を負担させていた負い目もあり、留年するぐらいなら死のうとこりずに決意した。
クローゼットに眠っていたヘリウムガス缶が起爆した。私は人の頭ほどの大きさのそれを担いで、ありったけの精神薬と一緒に車に積み込んだ。それから山へ向かった。死ぬのなら山がいい。夜なら誰であれ深くまで足を踏み入れないし、展望台であれば車が一台停まっていたところで不審に思われない。車内で死ねば腐っていたとしても車ごと処分できる。
展望台の駐車場に車を突っ込み、無我夢中でガス缶にチューブを繋ぎポリ袋の空気を抜く。本気で死にたいのなら袋の酸素濃度を極限まで減らさなければならない。真空状態に近い状態のポリ袋を被り、そこにガスを流し込めば、酸素不足で苦しまずに死に至ることができるのだ。大量の薬を水なしで飲み下し、袋を被り、うつらうつらしながら缶のコックをひねる。シューッと気体が満ちる音、ツンとした臭い。視界が白く透き通ってゆく。死ぬ時、人の意識は暗転ではなくホワイトアウトするのだ。寒い。手足がキンと冷たい。心臓が耳の奥にある。ハツカネズミと同じ速度でトクトクと脈動している。ふとシャンプーを切らしていたことを思い出し、買わなくちゃと考える。遠のいてゆく意識の中、日用品の心配をしている自分が滑稽で、でも、もういいや。と呟く。肺が詰まる感覚と共に、私は意識を失う。
気がつくと後部座席に転がっている。目覚めてしまった。昏倒した私は暴れ、自分でポリ袋をはぎ取ったらしい。無意識の私は生きたがっている。本当に死ぬつもりなら、こうならぬように手首を後ろできつく縛るべきだったのだ。私は自分が目覚めると、知っていた。嫌な臭いがする。股間が冷たい。どうやら漏らしたようだ。フロントガラスに薄らと雪が積もっている。空っぽの薬のシートがバラバラと散乱している。指先が傷だらけだ。チューブをセットする際、夢中になるあまり切ったことに気がつかなかったようだ。手の感覚がない。鈍く頭痛がする。目の前がぼやけてよく見えない。麻痺が残ったらどうしよう。恐ろしさにぶるぶると震える。さっきまで何もかもどうでも良いと思っていたはずなのに、急に体のことが心配になる。
後始末をする。白い視界で運転をする。缶は大学のゴミ捨て場に捨てる。帰宅し、後部座席を雑巾で拭き、薬のシートをかき集めて処分する。ふらふらのままベッドに倒れ込み、失神する。
その後私は、卒業制作の締切を逃したことで教授と両親から怒られる。翌日、何事もなかったふりをして大学へ行き、卒制の再提出の交渉する。病院に保護してもらえばよかったのだがその発想もなく、ぼろ切れのようなメンタルで卒業制作展の受付に立つ。ガス自殺も無事、失敗。
四度目は二十六歳の時だ。
何とか大学卒業にこぎつけた私は、入社試験がないという安易な理由でホテルに就職し一人暮らしを始めた。手始めに新入社員研修で三日間自衛隊に入隊させられた。それが終わると八時間ほぼぶっ続けで宴会場を走り回る日々が待っていた。典型的な古き良き体育会系の職場であった。
朝十時に出社し夜の十一時に退社する。夜露に湿ったコンクリートの匂いをかぎながら浮腫んだ足をズルズルと引きずり、アパートの玄関にぐしゃりと倒れ込む。ほとんど意識のないままシャワーを浴びレトルト食品を貪り寝床に倒れ泥のように眠る。翌日、朝六時に起床し筋肉痛に膝を軋ませよれよれと出社する。不安定なシフトと不慣れな肉体労働で病状は悪化し、働いて二年目の夏、まずいことに躁転してしまった。私は臨機応変を求められる場面でパニックを起こすようになり、三十分トイレにこもって泣く、エレベーターで支離滅裂な言葉を叫ぶなどの奇行を繰り返す、モンスター社員と化してしまった。人事に持て余され部署をたらい回しにされる。私の世話をしていた先輩が一人、ストレスのあまり退社していった。
躁とは恐ろしいもので人を巻き込む。プライベートもめちゃくちゃになった。男友達が性的逸脱症状の餌食となった。五年続いた彼氏と別れた。よき理解者だった友と言い争うようになり、立ち直れぬほどこっぴどく傷つけ合った。携帯電話をハイヒールで踏みつけバキバキに破壊し、コンビニのゴミ箱に投げ捨てる。出鱈目なエネルギーが毛穴という毛穴からテポドンの如く噴出していた。手足や口がばね仕掛けになり、己の意思を無視して動いているようで気味が悪かった。
寝る前はそれらの所業を思い返し罪悪感で窒息しそうになる。人に迷惑をかけていることは自覚していたが、自分ではどうにもできなかった。どこに頼ればいいのか分からない、生きているだけで迷惑をかけてしまう。思い詰め寝床から出られなくなり、勤務先に泣きながら休養の電話をかけるようになった。
会社を休んだ日は正常な思考が働かなくなる。近所のマンションに侵入し飛び降りようか悩む。落ちたら死ねる高さの建物を、砂漠でオアシスを探すジプシーさながらに彷徨い歩いた。自分がアパートの窓から落下してゆく幻を見るようになった。だが、無理だった。できなかった。あんなに人に迷惑をかけておきながら、私の足は恥ずかしくも地べたに根を張り微動だにしないのだった。
アパートの部屋はムッと蒸し暑い。家賃を払えなければ追い出される、ここにいるだけで税金をむしり取られる、息をするのにも金がかかる。明日の食い扶持を稼ぐことができない、それなのに腹は減るし喉も乾く、こんなに汗が滴り落ちる、憎らしいほど生きている。何も考えたくなくて、感じたくなくて、精神薬をウイスキーで流し込み昏倒した。
翌日の朝六時、朦朧と覚醒する。会社に体調不良で休む旨を伝え、再び精神薬とウイスキーで失神する。目覚めて電話して失神、目覚めて電話して失神。夢と現を行き来しながら、手元に転がっていたカッターで身体中を切り刻み、吐瀉し、意識を失う。そんな生活が七日間続いた。
一週間目の早朝に意識を取り戻した私は、このままでは死ぬと悟った。にわかに生存本能のスイッチがオンになる。軽くなった内臓を引っさげ這うように病院へと駆け込み、看護師に声をかける。
「あのう。一週間ほど薬と酒以外何も食べていません」
「そう。それじゃあ辛いでしょう。ベッドに寝ておいで」
優しく誘導され、白いシーツに倒れ込む。消毒液の香る毛布を抱きしめていると、ぞろぞろと数名の看護師と医師がやってきて取り囲まれた。若い男性医師に質問される。
「切ったの?」
「切りました」
「どこを?」
「身体中⋯⋯」
「ごめんね。少し見させて」
服をめくられる。私の腹を確認した彼は、
「ああ。これは入院だな」
と呟いた。私は妙に冷めた頭で聞く。
「今すぐですか」
「うん、すぐ。準備できるかな」
「はい。日用品を持ってきます」
私はびっくりするほどまともに帰宅し、もろもろを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りした。閉鎖病棟に入る。病室のベッドの周りに荷物を並べながら、私よりももっと辛い人間がいるはずなのにこれくらいで入院だなんておかしな話だ、とくるくる考えた。一度狂うと現実を測る尺度までもが狂うようだ。
二週間入院する。名も知らぬ睡眠薬と精神安定剤を処方され、飲む。夜、病室の窓から街を眺め、この先どうなるのかと不安になる。私の主治医は「君はいつかこうなると思ってたよ」と笑った。以前から通院をサポートする人間がいないのを心配していたのだろう。
退院後、人事からパート降格を言い渡され会社を辞めた。後に勤めた職場でも上手くいかず、一人暮らしを断念し実家に戻った。飛び降り自殺、餓死自殺、無事、失敗。
五度目は二十九歳の時だ。
四つめの転職先が幸いにも人と関わらぬ仕事であったため、二年ほど通い続けることができた。落ち込むことはあるものの病状も安定していた。しかしそのタイミングで主治医が代わった。新たな主治医は物腰柔らかな男性だったが、私は病状を相談することができなかった。前の医師は言葉を引き出すのが上手く、その環境に甘えきっていたのだ。
時給千円で四時間働き、月収は六万から八万。いい歳をして脛をかじっているのが忍びなく、実家に家賃を一、二万入れていたので、自由になる金は五万から七万。地元に友人がいないため交際費はかからない、年金は全額免除の申請をした、それでもカツカツだ。大きな買い物は当然できない。小さくとも出費があると貯金残高がチラつき、小一時間は今月のやりくりで頭がいっぱいになる。こんな額しか稼げずに、この先どうなってしまうのだろう。親が死んだらどうすればいいのだろう。同じ年代の人達は順調にキャリアを積んでいるだろう。資格も学歴もないのにズルズルとパート勤務を続けて、まともな企業に転職できるのだろうか。先行きが見えず、暇な時間は一人で悶々と考え込んでしまう。
何度目かの落ち込みがやってきた時、私は愚かにも再び通院を自己中断してしまう。病気を隠し続けること、精神疾患をオープンにすれば低所得をやむなくされることがプレッシャーだった。私も「普通の生活」を手に入れてみたかったのだ。案の定病状は悪化し、練炭を購入するも思い留まり返品。ふらりと立ち寄ったホームセンターで首吊りの紐を買い、クローゼットにしまう。私は鬱になると時限爆弾を買い込む習性があるらしい。覚えておかなければならない。
その職場を退職した後、さらに三度の転職をする。ある職場は椅子に座っているだけで涙が出るようになり退社した。別の職場は人手不足の影響で仕事内容が変わり、人事と揉めた挙句退社した。最後の転職先にも馴染めず八方塞がりになった私は、家族と会社に何も告げずに家を飛び出し、三日間帰らなかった。雪の降る中、車中泊をして、寒すぎると眠れないことを知った。家族は私を探し回り、ラインの通知は「帰っておいで」のメッセージで埋め尽くされた。漫画喫茶のジャンクな食事で口が荒れ、睡眠不足で小間切れにうたた寝をするようになった頃、音を上げてふらふらと帰宅した。勤務先に電話をかけると人事に静かな声で叱られた。情けなかった。私は退社を申し出た。気がつけば一年で四度も職を代わっていた。
無職になった。気分の浮き沈みが激しくコントロールできない。父の「この先どうするんだ」の言葉に「私にも分からないよ!」と怒鳴り返し、部屋のものをめちゃくちゃに壊して暴れた。仕事を辞める度に無力感に襲われ、ハローワークに行くことが恐ろしくてたまらなくなる。履歴書を書けばぐちゃぐちゃの職歴欄に現実を突きつけられる。自分はどこにも適応できないのではないか、この先まともに生きてゆくことはできないのではないか、誰かに迷惑をかけ続けるのではないか。思い詰め、寝室の柱に時限爆弾をぶら下げた。クローゼットの紐で首を吊ったのだ。
紐がめり込み喉仏がゴキゴキと軋む。舌が押しつぶされグエッと声が出る。三秒ぶら下がっただけなのに目の前に火花が散り、苦しくてたまらなくなる。何度か試したが思い切れず、紐を握り締め泣きじゃくる。学校に行く、仕事をする、たったそれだけのことができない、人間としての義務を果たせない、税金も払えない、親の負担になっている、役立たずなのにここまで生き延びている。生きられない。死ねない。どこにも行けない。私はどうすればいいのだろう。釘がくい込んだ柱が私の重みでひび割れている。
泣きながら襖を開けると、ペットの兎が小さな足を踏ん張り私を見上げていた。黒くて可愛らしい目だった。私は自分勝手な絶望でこの子を捨てようとした。撫でようとすると、彼はきゅっと身を縮めた。可愛い、愛する子。どんな私でいても拒否せず撫でさせてくれる、大切な子。私の身勝手さで彼が粗末にされること��けはあってはならない、絶対に。ごめんね、ごめんね。柔らかな毛並みを撫でながら、何度も謝った。
この出来事をきっかけに通院を再開し、障害者手帳を取得する。医療費控除も障害者年金も申請した。精神疾患を持つ人々が社会復帰を目指すための施設、デイケアにも通い始めた。どん底まで落ちて、自分一人ではどうにもならないと悟ったのだ。今まさに社会復帰支援を通し、誰かに頼り、悩みを相談する方法を勉強している最中だ。
病院通いが本格化してからというもの、私は「まとも」を諦めた。私の指す「まとも」とは、周りが満足する状態まで自分を持ってゆくことであった。人生のイベントが喜びと結びつくものだと実感できぬまま、漠然としたゴールを目指して走り続けた。ただそれをこなすことが人間の義務なのだと思い込んでいた。
自殺未遂を繰り返しながら、それを誰にも打ち明けず、悟らせず、発見されずに生きてきた。約二十年もの間、母の精神不安定、学校生活や社会生活の不自由さ、病気との付き合いに苦しみ、それら全てから解放されたいと願っていた。
今、なぜ私が生きているか。苦痛���克服したからではない。死ねなかったから生きている。死ぬほど苦しく、何度もこの世からいなくなろうとしたが、失敗し続けた。だから私は生きている。何をやっても死ねないのなら、どうにか生き延びる方法を探らなければならない。だから薬を飲み、障害者となり、誰かの世話になり、こうしてしぶとくも息をしている。
高校の同級生は精神障害の果てに自ら命を絶った。彼は先に行ってしまった。自殺を推奨するわけではないが、彼は死ぬことができたから、今ここにいない。一歩タイミングが違えば私もそうなっていたかもしれない。彼は今、天国で穏やかに暮らしていることだろう。望むものを全て手に入れて。そうであってほしい。彼はたくさん苦しんだのだから。
私は強くなんてない。辛くなる度、たくさんの自分を殺した。命を絶つことのできる場所全てに、私の死体が引っかかっていた。ガードレールに。家の軒に。柱に。駅のホームの崖っぷちに。近所の河原に。陸橋に。あのアパートに。一人暮らしの二階の部屋から見下ろした地面に。電線に。道路を走る車の前に⋯⋯。怖かった。震えるほど寂しかった。誰かに苦しんでいる私を見つけてもらいたかった。心配され、慰められ、抱きしめられてみたかった。一度目の自殺未遂の時、誰かに生きていてほしいと声をかけてもらえたら、もしくは誰かに死にたくないと泣きつくことができたら、私はこんなにも自分を痛めつけなくて済んだのかもしれない。けれど時間は戻ってこない。この先はこれらの記憶を受け止め、癒す作業が待っているのだろう。
きっとまた何かの拍子に、生き延びたことを後悔するだろう。あの暗闇がやってきて、私を容赦なく覆い隠すだろう。あの時死んでいればよかったと、脳裏でうずくまり呟くだろう。それが私の病で、これからももう一人の自分と戦い続けるだろう。
思い出話にしてはあまりに重い。医療機関に寄りかかりながら、この世に適応する人間達には打ち明けられぬ人生を、ともすれば誰とも心を分かち合えぬ孤独を、蛇の尾のように引きずる。刹那の光と闇に揉まれ、暗い水底をゆったりと泳ぐ。静かに、誰にも知られず、時には仲間と共に、穏やかに。
海は広く、私は小さい。けれど生きている。まだ生きている。
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unihalo · 4 years
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* Rainy morning. Uni is like Halo’s mom lately. . . 朝からボツボツが出てあたふた。 なぁにこれ( ˙꒳​˙ )??? よい午後を🍜 #shiba#shibainu#glaucomadog#dogislove#uni#unihalo#柴犬うに#柴犬#緑内障#緑内障わんこ#うに#うにはろ#いぬとの暮らし#柴#トイプードル#トリミングしたよ#暴れ馬 https://www.instagram.com/p/B9A4JhfH7dZ/?igshid=1x027e5khfmmg
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”ナカジロ”デニム色落ち経過報告
北堀江店、土屋です。
明日 (1月9日) は木曜日なので北堀江店の定休日になります、お間違えの無いようにご注意ください。
本日は色落ちの経過報告を・・・
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WAREHOUSE & CO. Lot DD-1003XX NEW DENIM(1946 MODEL) 
今年も初売りもたくさんのお客様にご来店いただきまして誠にありがとうございました。 本年も宜しくお願い致します。
さて本日は2019年5月19日から週6日くらいのペースで穿いている中白(ナカジロ)デニムの色落ち経過を見ていただこうとブログを書きました。 まだまだ満足するほど色落ちしていませんがご参考になればと思います。
電車通勤の私が屈伸したり手で擦ったりすることなく、普段の生活の中で普通に穿いてもう少しで7カ月になります。 ワンウォッシュから着用をはじめて洗濯はまだ一度もしていません。
ナカジロデニムは縦糸の表面がインディゴでとても濃く染まっていますが、中心はハッキリと白くなっているのが特徴です。これがムラのある紡績と相まってメリハリのある色落ちになります。 
洗濯していないこともありますが、濃い部分はより濃く残りバナーデニムよりもメリハリがハッキリしている印象です。 14.5ozのメンフィス単一綿の生地の様なボツボツとした粗い縦落ちというよりはバナーデニムの様な綺麗な縦落ちに感じます。
去年の12月に入荷して、大人気でほとんど残っていないDD-S2001XXも同じ生地ですのでどんな色落ちか気になる方は参考にご覧くださいね。
私が穿いている物と同じDD-1003XX(1946MODEL)もほとんど残っていないと思いますが、同じ生地を使ったDD-1003SXX(1945MODEL)は再生産するようなので気になる方はぜひご検討下さい。
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( 172cm 60kg でサイズ31インチを着用 )
☛FAIR・INFORMATION☚
・ウエアハウス各直営店では1月19日(日)まで『10% OFF & ポイント2倍フェア』を開催中です。
期間中、お会計の際に公式LINEアカウントの画面を提示いただくと、税込価格から10%OFFで販売させていただきます。  更に税込5000円お買い上げごとに1ポイント押印しているウエアハウスのポイントカードを2倍押印致します。 
この機会に是非、直営店へご来店下さい。 
・2019年1月29日より、弊社直営店で行っておりますジーンズ等のリペアの受付を休止させて頂いております。※ご郵送に関しても同様に休止させて頂いております。
再開の日程は未定です。
ご迷惑お掛け致しますが、ご理解下さいます様お願い致します。 それでは本日も北堀江店でお待ちしております。
WAREHOUSE 北堀江店
大阪府大阪市西区北堀江 1-14-14
電話番号 06-6534-7889
定休日 : 木曜日
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