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#高揚する自分を抑えきれない
lisaris42 · 2 years
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私ホントに性格悪い♩ #あぁ今日超絶楽しい #趣味悪いのはわかってるけど #高揚する自分を抑えきれない #超絶愉快 !!!!!! #んふふふふふふふ #えへへへへへへへ 🤪🤪🤪🤪 https://www.instagram.com/p/Cd-dxfVgzJL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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knjsstuff · 2 months
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先週から2週間のアジア出張中。この週末はバンコク泊だったが、珍しく2日間フリーだったので、金曜日深夜にいつものサイトを物色し、ほどなく現地人在住のヨーロッパ人のdaddy二人と会うことに。
訪れた立派なアパートの最上階には、俺より10才ほど年上と思われるdaddyが住んでいて、既にそのdaddyのセフレと言う俺より少し若めのdaddyが待っていた。年上daddyはスリムなイケオジで、若めdaddyはがっしりした筋肉質で口の周りのヒゲが似合う男らしい爽やかでハンサムなイケメン。二人に会うと、笑顔で迎え入れてくれて、すぐやろうと。
ベッドルームに案内され、皆で服を脱いで用意されたハーネスやケツ割れ、コックリングを装着する際、二人の共通点に気付く。二人共、白人らしい形のいい20cm以上はあろうかと言う太い立派なデカマラと、コックリングでパンパンになったデカい金玉袋をぶら下げている!!💉は既に年上daddyが3本用意してくれてあり、それぞれで打つことに。
二人のイケメンのデカマラdaddyと、着替えたエロい姿と、どれだけ入っているか分からない💉を目の前に俺の胸は高鳴り、既にフル勃起のチンコからは我慢汁垂れまくり。
3人で同時に打ち終わるや否や、俺は咳き込み、いつもと違う鼓動の高鳴りにハアハアいいながらベッドに倒れこんだ。初めて咳き込みを経験し、これまでにないほどハイになっているのが分かるが体がすぐに動かないのは初めての経験。二人も打ち終え同じく一気にハイになったかと思うと、いきなり若めdaddyは仰向けになっている俺の勃起したチンコをケツ割れから引っ張り出してしゃぶりまくり。年上daddyは俺にエロいベロチューをしたかと思うと、俺の顔を抑えてガマン汁が垂れている勃起したデカマラを俺の口に突っ込んで来た。のぶといデカマラにむせながらも、よだれ垂らしてしゃぶりまくった。続いて若めdaddyが俺のケツの穴を舐め、年上daddyは俺の顔にまたがってデカいマラと金玉とエロいケツの穴を押し付けながら俺のチンコをしゃぶるというこの上ない至福の展開に。
気付くと若めdaddyは俺の上に乗ってビンビンになったデカマラを揺らしながら俺のチンコを筋肉質ながっしりしたケツに突っ込んで腰を振っている。男らしいイケメンdaddyが高揚した顔で俺のチンコを自分の穴に突っ込みながら柔らかい生暖かいケツの穴を時々キュッと締めるのを繰り返す度に俺は感じまくり我慢汁放出しまくってた。
あまりの気持ち良さにもうろうとしていると、次は年上daddyが代わって騎乗位になった。使い込まれたケツの穴はローション付けずにチンコを飲み込み、グチュグチュといやらしい音を立てて、俺の興奮は収まらず腰を何度も突き上げてやった。その間は若めdaddyのデカマラときれいなケツの穴は俺の顔の上に押し付けられていたことは言う間でもない(幸)
それから正常位に体制を変え年上daddyの足を抑えてベロチューしながら掘っていると、若めdaddyが後ろにまわり、掘っている俺のケツの穴を舐め始めた。あまりの気持ち良さにしばらくその姿勢で掘っていたが、突然柔らかい舌から熱い固いデカマラがぐいっと俺のケツの穴に押し込まれ、思わず悶絶。
これぞ究極の3some、念願のイケメン野郎の真ん中に入ってサカリ合いが実現し、エロさと嬉しさで頭の中が真っ白になって腰振っていたら、我慢出来ずに年上daddyのケツの穴に発射。年上daddyは嬉しさのあまり俺に激しくベロチュー。
すると若めdaddyもいきなりピストンが早くなり、Fuck!の声と同時に俺のケツの中にデカマラをギュッと奥まで突っ込みピクピクと脈打たせながら大量のザーメンを放出。俺達3人はチンコをケツに突っ込んだままのサンドイッチ体制でしばらく抱き合って放心状態。
そこから動いたのは年上daddy。俺のザーメンが入った自分のケツの穴を俺と俺に重なっている若めdaddyに見えるように四つんばいになり、ケツの穴を緩めてザーメンを流れ出して見せた。むちゃくちゃハイになってた俺達はケツの穴と流れ落ちるザーメンに食いつき、ザーキス。次に年上daddyは俺の腰をぐいっと引き上げケツの穴を両手で拡張。すると俺のケツの穴から若めdaddyの大量のザーメンが流れ出るのを二人が競うようにむさぼっていた。3人はお互いのチンコとケツの穴を舐めまくりザーメンをきれいに舐め取りしばらく3人でザーキスしながら抱き合った。
ここまでの話は💉を打ってからたったの2時間弱。あまりの興奮に3人共一気にハイになって無我夢中だった。
一旦3人でシャワーを浴びて休憩した後は、イケメンyoung daddyの甘えた声での度重なる追加要請により、翌日のお昼頃までいろいろな変態プレイを4回戦最高に楽しみまくった。
今度は仕事じゃなく休み取って来ると約束。今年の夏休みの予定は決まり!昨日終わったばかりなのにもう待ち切れない。
#daddy
#キメセク
#3some
#ザーキス
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eco115 · 1 year
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剃刀負けした肌がレースの下着に擦れてヒリヒリと痛い。「どうするの?」 じゃなくて「どうする?」 だろとお腹の底あたりで舌打ちをしながら、当たり障りのない、相手が求めているようなアンサーをこれまた当たり障りのない抑揚のそこまでない少し高めの声で返す。自分の人生や自分の対応が正しいのか誰にも確かめる必要も許可なんてものもいらないのに、インターネットでそれらしい正解を見つけて、認められた気になったり、なんで上手にできないんだろうなんて悲観的になってしまったり。その全てが馬鹿らしくなって、全部辞めたくなって、みんないらなくなって、とりあえずブラウザを上に押し上げた。結局のところ大事な場面で正しい選択をすることが正しいんじゃなく、その選択を正解にしていくことが正しいんじゃないか、と人並みに生きてきたわずかばかりの経験値で自分にフォローをいれた。あの時“も“楽しかったなと振り返りたい思い出が、今じゃ相手を許すように自分に言い聞かせる口実にしかなっていない、そんななりたくないタイプの大人になってしまっている僕は、悲しいけど楽しい、と楽しいけど悲しい、を繰り返して、またなりたくないタイプの大人へと着実に帆を進める。僕が今その事実に気づいたところで僕にできることなんてものはないんですけどね、とまたお腹の底で舌打ちをしながら思う。まあ、そんなことはどうでもいいよ、僕たちの話をしよう、ふたりの話を。今日の夜ご飯は何食べたい?寝る前はどの映画観る?明日はどこに行こうか?そんなことをこれから何十年繰り返していけるのかな?ねえ僕たちこれから「どうする?」
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hitujijp · 3 months
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スタイル1化、完了
今、背泳ぎで気を付けているのは概ね3点程だろうか。 まず正中線をなるべくブラさない事。単純だがローリングと両立させようとした時に以外と難しい。ローリングは抑えめにし正中線が殆ど左右にブレない様に泳ぐと、余り力を使わなくても進むのでしばらくはこの方針でやってみようと思っている。速さへの貢献は不明だが、姿勢も心なしか美しくなるのは嬉しい。
2つめはプルの軌道をなるべく体の近くを通る様にして抵抗を減らし、かつ角運動量を利用し回転も上げている。
3つめは浮き上がり、いわゆる古賀ブレイクは普通にやるのと正直そこまで違いが分からない練度だが、遊び感覚で時々やっている。癖なのかも知れないが水中での1ストロークから始まって、なぜか3ストローク目の入水する手に若干体重を預け流れる感じにすると浮き上がりからロス無く最速で繋がる感触が有る。浮き上がりが決まらないと、その後も大抵グダグダになるので浮き上がりには特に気を付けている。 背泳ぎにおける当面の目標は、自分のクロールより速く泳ぐこと。元々スタイル1だった平泳ぎではそれを達成出来ないまま、膝を痛めて断念した。しかし背泳ぎにはそれを達成するスペックと伸び代が存在する。 あと、先週は熱で寝込んだので久しぶりに泳いだら気持ちが良かった。水に触れているだけでとても安心する。オレにとってパワースポットみたいなものだよ。だから泳いでいてイケイケに高揚したりはしない。むしろ落ち着いてリラックスしているから、泳ぎ以外ではオレの存在感は消えているのだと思う。
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keredomo · 6 months
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写真
 先日、ひょんなことから、写真家の友人に私がずっと愛している男を会わせる機会があった。  友人との待ち合わせ場所に男を同伴して赴いたのは、きっとその写真家がわたしたちふたりの姿を撮ってくれるだろうという淡い期待があったためだ。  世界に二人きりであることをひたすら求めて関係してきたわたしたちにはついぞ「公」をやる機会がなく、数年来、頑なに「二人きり」を行使してきた。しかしここにきてどうしてか、このところわれわれは公に現れたくて仕方ない。その衝動の一環として、他者に二人を撮ってもらう客観的な一枚を渇望していた。何かしら、愛の証拠を残しておきたかったのだろう。二人の成し遂げた、類稀な愛の、その証拠を。  「二人の写真」。われわれを捉えるそれは傑作であるべきだった。美しいものであるべきだった。われわれが、心底から納得できるものであるべきだった。それがゆえに、軽々しくは撮らせられないのだった。この愛を、何も知らない者に撮らせるわけにはいかない。少なくとも私の文章を解する者でなくては。私は偶発性への賭けに出たのだった。  写真家の友人は私がことわりなく人を引き連れてきたことの異常性を察知し、瞬時におのれのなすべきことを把握した。待ち合わせた交差点で軽やかに、何の準備も指示もなく、彼は私が愛する男と私のツーショットを撮った。愛する男は私を愛しているし、写真家の友人も私に対して友愛をもっている。彼がシャッターを押し、彼がレンズに映る、その一瞬は私のために捧げられた一瞬だった。
 後日届いた二人の写真を見ると、互いがまるで別の世界を生きているような、まったく異なる筆致をしていた。  つるりとした顔の私、複雑に入り組んだ顔の彼。モノクロームに加工された二人の姿の、あなたの顔はおそろしく暗い。私の顔は、反して、白く輝いている。腕を抱えて寄り添いながらも、わたしたちはまったく違う地獄を生きている。写真とは残酷なものだ。ありありと、二人の形而下での隔たりを示してしまうのだから。それでも、わたしたちが別の地獄を生きていることもまた、わたしたちの関係を深める糧となっていることを双方ともに理解している。生を共にするとは、本質的にそういうことだった。おためごかしでもなりゆきでもない、そんな真に迫るかたちで共にあれる人が現れてくれることを私はずっと切望していた。現れ、意志でもって関わり、道行きを共に歩む。この実現は生の奇跡であった。
 *
 「もしかすると気を悪くしてしまうかもしれないんだけど」  交差点での出来事のひと月後、写真家と飲みに行ったところ、例の写真の話題になった。撮ってくれてありがとう、嬉しかった、と伝えたら、何やら神妙な顔をするので少し驚いた。私はその友人の品性を信用していて、むやみなことは言わないとよく知っているので、気を悪くするわけはないよと続きを促す。  「写真を整えていて、思ったんだ。その、彼の目が、狂気を孕んでいてさ……」  だん、と音がするほどに荒々しくジョッキを机に置いて、「そう」と叫んだ。  そうなのだ。叫びながら、私は悶えた。どうしてか、誰もあの目の孕む狂気に気づかない。あの異常性に。世界で私だけが気づいている、恐ろしい輝き。ようやく気づいてくれる人が現れて高揚する。カメラマンというのはずばぬけた観察眼を持っているのだなと思う。あの一瞬で、よくも。  そんなふうに話すと、写真家は少し謙遜して、付け加えた。  「会って話していてもわからなかったことも、撮るとわかるんだよ。写真の明度を調整している時に、ああこの目は、と思った。あなたが彼をミューズとしたのはよくわかる。あの男は異常だよ」  写真家が彼を評するその言葉のすべてに頷く。よくぞ見抜いてくれた。私は彼のその異常性に恋しているのだから。  「そうでしょう、そうなの。にこやかに社交をこなしている彼の目がまったく笑っていないことに気づいた時、本当にぞっとした。そして恐ろしく惹かれた。その狂気を徹底して表に出してこない、人間離れした抑制。あれを飼い慣らす知性の強度。本人ですら、自分が何を制御しているのか気づいて��ないのではないかと思った。そして、私はそれをどうしても暴きたくなってしまった」  写真家は苦笑して、「あんなのに会ってしまったらもう、仕方ない。苦しむからやめとけだなんて、おいそれと言えないよ」と言う。  「写真を撮るとき、人にカメラを向けると誰しもかならず身構えるんだよ。撮られたい顔を模索したり、少なからず萎縮したり、恥じ入ったりする。でも、彼にはそれが一切なかった。怖じるということが。撮られ慣れているとかそういうことじゃない、世界におのれの身を投げ出してしまっている人の無頓着と言うべきか、あるいは……。正直、こちらが一瞬怯んでしまったよ。悔しいなあ」
 *
 話しながら、男の目を思い出す。  写真家はその眼光の鋭さを指摘していたが、私が見ていたのは、彼の目に何の感情も宿っていないことの異常さだった。表情は微笑みを絶やさないのに、目だけはたえず無を湛えていた。生まれて初めて、これほどまでに世界から乖離している人を見た。あの目が光る瞬間を見てみたくなった。彼の目が光る時、その光が私に向けられているべきだと思った。  撮ってもらった写真のなかの男の目は、改めて見ると、少なからず威嚇の表情を帯びている。おそらく思い上がりではないだろう、「この人はわたしのものだから、くれぐれも丁重に」ということを言っている。私が友人として親しんでいる写真家の存在を尊重しつつ、自分の所有物である私を傷つけたら殺す、と言っている。  他者に暴力を向けることを徹底して避けてきた男が、殺す、という目をする。わたしの大事なものを傷つけたら殺す、と。私があの目を光らせたのだ。欲望によって。本質的には何事にも無関心であった男の目を私だけが光らせた。私がその狂気を剥き出しにした。そうして今ようやく、あの目の異常な輝きが第三者の手によって写し取られ、顕現したのだった。私を見つめるあの目の獰猛な輝きが、私の視界にのみ映っていたあの輝きが、ついに表象された。
 男がひた隠しにしていた狂気をあますことなく引き出し、そのすべてを自分に浴びせる。その愉楽に酔いしれて日々を過ごすことの、なんという甘さ。なんという痛々しさ。痺れるような快感に耽って、私も男も、かつては備えていた厳格な統制機能を放棄してしまった。生きることに淫している。共に生きることに。道行きを行くことに。
 *
 かつて、「ファム・ファタール」というタイトルで、男について書いた。ファム・ファタールとはフランス語で「運命の女」を指す。女が男たちの文学の題材として易々と死なされてきたことを批難し、そのような文学作品たちへの復讐のためには男たちこそが私の文学のために死ぬべきであると語った記事だった。  実際に、これまで私はほとんど書くためだけに男たちの性を搾取し、愛することもせずに暴虐の限りを尽くしてきたつもりだったが、その運動は奏功しなかったのかもしれない。それが、ついには一人の男に忠誠を誓ってしまったことで露呈した。計画を頓挫させ、忠誠を誓った相手が、この眼光の男だ。ファム・ファタールを題材として筆を走らせてきたような男どもはけっして一人の女に忠誠を誓わなかった。私の計画は、一人の男に忠誠を誓うことで瓦解した。  その瓦解を引き起こした当人である私の男はこれを読んで、「ファム・ファタールはあなただろう」と笑っていた。いつまでも笑っていた。理知的な人なので、けっして男性強権的な価値観のもとにそう言っているわけではない。ただ、現実的な状況に鑑みて、自分がファム・ファタールと呼ばれることにどうしても納得がいかないらしい。  出会い、惹かれあい、関わり、生殺与奪の権まで預けた女。何十年にもわたって敷いてきたおのれの統御を巧みにほどき、押し込めて潜めていた狂気をあられもなく暴いた、たった一人の女。いわゆる伝統的なファム・ファタールを演じている当の本人が、自身のやったことを差し置いて男の側をファム・ファタールと呼んで嗤おうとする。男は、その手のひら返しをある種の裏切りだと感じたのかもしれない。
 指摘されるとおりなのだ。私は確かにあなたのファム・ファタールで、本当は、あなたは私の「ミューズ」。私にものを書かせる女神。ミューズという概念もまた、搾取の文脈を逃れ得ないものかもしれないが、「あなたを描かせてくれ」と一方的に恋い縋っているだけまだよいだろう。そもそもの位相が違う。あなたはファム・ファタールである私によって快楽とともに人生を狂わされる。私はミューズであるあなたを描いて人生を至上の美しさに仕立て上げる。  写真がとらえたわたしたちの顔が白と黒のソラリゼーションをなしていたことが、この位相の相違をよく示していた。そここそに私はあなたと私の対等を見出す。  あなたは私のミューズで、あなたが私に向ける狂気を糧に、私はものを書き続ける。ファム・ファタールを抱えてしまったあなたは、あなたをミューズとして追い縋っている私に、一方的に運命を翻弄され続ける。私はあなたのために書く。あなたは私のために死ぬ。これがわたしたちの対等で、わたしたちにとっての「共に生きる」ことなのだ。共に歩み、共に死ぬことなのだ。
 *
 写真家は言う。「いつかもう一度、彼を撮ってみたい」と。  ミューズを持つ生がどれほど美しかろうと、彼を書くことによって明らかに命を削られている私は思う。あなたもあの狂気に魅入られないといいけれど、と。
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akutagawafanclub · 5 months
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AKUTAGAWA FANCLUB、新EP『DISTORTED RAINBOW』をリリース!
"Brutal Solid Noise Rockin' From TOKYO, Japan"を標榜して活動するロックバンド、AKUTAGAWA FANCLUBが新EP 『DISTORTED RAINBOW』を2023年11月24日に配信でリリースした。
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2022年9月21日にリリースしたフルアルバム『UNKNOWN DEVIL'S CALLING』から1年弱でのリリースとなる。
前作では「ポストハードコア/ノイズロック化したTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT」、「チバユウスケが結成したMETZみたいなノイズロックバンド」などの評を得ており、今作でもその路線を更に研ぎ澄まし、ソリッドかつノイジーでローリンな6曲が収録されている。
先行でリリースされた「guillotine junky's ecstasy」ではドラムンベース的なアプローチのビートを採用した独特なサウンドを披露しており、時代を読みながらもどのジャンルにも属さない、より強いオリジナリティを確立している。
同時に、収録曲「distorted rainbow」のMVも公開された。
警報のように鳴らされる歪んだベースリフで幕を開け、こちらもドラムンベース風のビートに乗りヒリつきながら疾走し、ラストは爆音で駆け抜ける、冒頭を飾る痛快なナンバーである。
▼distorted rainbow / MUSIC VIDEO :
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MVを手がけたのはAKUTAGAWA FANCLUBのアーティスト写真も撮影しているHaruka Koiso。
また、ボーカルの伊藤とともにGATTACAとしても活動しており、日本語ガレージエモーショナルパンクバンドPROMのフロントマンで親交の深いKiichiro Tangeが出演している。
Haruka Koisoによる構図・カット割とKiichiro Tangeによるスケートシーンによって抑制と高揚のコントラストが生まれ、絶妙なスピード感のある映像に仕上がっている。
前作に引き続きレコーディング〜マスタリングまでをThe Keeleyのbatakoが担当しており、数回のレコーディングを経てより強烈なサウンドに更新されている。
前作から短スパンのリリースで現行のロックミュージックを更新し続けるAKUTAGAWA FANCLUBの新EP「DISTORTED RAINBOW」、是非チェックしてほしい。
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「DISTORTED RAINBOW」
1. distorted rainbow
2. roll over asshole
3. here comes tylants
4. witchhunting
5. kill you baudelaire
6. guillotine junky's ecstasy
OUT NOW
という、セルフライナーノーツならぬセルフプレスリリースである、忙しさにかまけて媒体に依頼する作業を怠ったが、依頼したとしても結局ほぼ自分で書くことになるんじゃないかと勝手に思ったので(そうじゃなかったらすいません)自分で書いた
ただ、結局自分たちの伝えたい部分をうまく伝えられるのは自分たちなんじゃないだろうか、という気もする
ともあれ聴いてほしい
歪んだ虹、まだ見えてるか?
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genkidesuka2022 · 1 year
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健康に良い食材や栄養素の知識
健康的な食生活を実践するためには、どのような食材を摂取し、そしてどのような栄養素が必要かを知ることが大切だと思います。
今回は、健康に良い食材や栄養素について簡単にまとめてみました。目次
健康に良い食材や栄養素の知識
健康に良い食材や栄養素1・グリーンリーフ野菜
健康に良い食材や栄養素2・魚介類
健康に良い食材や栄養素3・オートミール
健康に良い食材や栄養素4・ナッツ類
健康に良い食材や栄養素6・乳製品
健康に良い食材や栄養素6・キノコ類
健康に良い食材や栄養素7・フルーツ
健康に良い食材や栄養素8・乾燥フルーツ
健康に良い食材や栄養素9・豆類
健康に良い食材や栄養素10・低脂肪乳製品
健康的な食生活を送るためのポイント
最後に
関連
健康に良い食材や栄養素の知識
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健康に良い食材や栄養素1・グリーンリーフ野菜
グリーンリーフ野菜は、ビタミンやミネラルを豊富に含む栄養価の高い野菜です。
特にビタミンKが多く含まれており、骨粗しょう症や心臓病の予防に効果的です。
また、グリーンリーフ野菜には、抗酸化作用のあるポリフェノールも含まれており、がん予防にも役立ちます。
健康に良い食材や栄養素2・魚介類
魚介類は、DHAやEPAなどのオメガ3脂肪酸を豊富に含んでいます。
これらの脂肪酸には、脳機能の向上や心臓病の予防などの効果があります。
また、魚介類には、良質なタンパク質やビタミンB12も含まれており、身体の健康維持にも役立ちます。
健康に良い食材や栄養素3・オートミール
オートミールは、低GI食品として知られており、血糖値を安定させる効果があります。
また、食物繊維も豊富に含まれており、便秘の改善やコレステロール値の低下にも役立ちます。
さらに、オートミールには、ビタミンB1や鉄分も含まれており、疲労回復にも効果的です。
健康に良い食材や栄養素4・ナッツ類
ナッツ類には、良質な脂肪酸や食物繊維、ビタミンEなどが含まれており、心臓病やがんなどの疾患の予防に役立ちます。
また、ナッツ類には、ミネラルのマグネシウムも豊富に含まれており、筋肉の疲れやストレスの緩和にも効果的です。
健康に良い食材や栄養素6・乳製品
乳製品には、カルシウムやビタミンDなどの栄養素が含まれており、骨や歯の健康維持に役立ちます。
また、乳製品には良質なタンパク質も含まれており、筋肉の修復や再生にも役立ちます。
ただし、乳製品は脂肪分が高いため、適量を守って摂取することが大切です。
健康に良い食材や栄養素6・キノコ類
キノコ類には、ビタミンDやビタミンB群、食物繊維、抗酸化作用のある成分などが含まれています。
特に、ビタミンDは、骨や免疫系の健康維持に不可欠な栄養素であり、キノコ類から摂取することができます。
健康に良い食材や栄養素7・フルーツ
フルーツには、ビタミンCやカロテノイド、食物繊維などが含まれており、身体の健康維持に役立ちます。
特に、ビタミンCは、免疫力を高める効果があり、風邪やインフルエンザなどの感染症から身を守るために重要な栄養素です。
健康に良い食材や栄養素8・乾燥フルーツ
乾燥フルーツは、果物の水分を抜いたものであり、ビタミンやミネラル、食物繊維などが濃縮されています。
また、乾燥フルーツには、ポリフェノールやアントシアニンなどの抗酸化成分も含まれており、がん予防や老化防止にも役立ちます。
健康に良い食材や栄養素9・豆類
豆類には、良質なタンパク質や食物繊維、ビタミンB群、ミネラルなどが含まれており、身体の健康維持に役立ちます。
また、豆類には、イソフラボンなどの成分が含まれており、更年期障害や骨粗しょう症などの女性特有の疾患の予防に役立ちます。
健康に良い食材や栄養素10・低脂肪乳製品
低脂肪乳製品には、カルシウムやビタミンDなどの栄養素が含まれており、骨や歯の健康維持に役立ちます。
また、低脂肪乳製品は、脂肪分が少ないため、カロリーも低く、ダイエットにも効果的です。
ただし、低脂肪乳製品は、糖分を多く含むことがあるため、摂取量には注意が必要です。
以上が、健康に良い食材や栄養素の例です。
これらの食材をバランスよく摂取することで、身体の健康維持に役立ちます。
ただし、食材の種類や量は、個人の体質や生活習慣によって異なるため、適切なアドバイスを得るためには、医師や栄養士と相談することも大切です。
健康的な食生活を送るためのポイント
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また、健康的な食生活を送るためには、以下のようなポイントにも注意する必要があります。
・バランスの良い食事を心がける:三大栄養素(炭水化物、脂質、タンパク質)をバランスよく摂取することが大切です。また、野菜や果物、豆類など、多様な食材を摂取することが大切です。
・適量を守る:食べ過ぎや飲み過ぎは、肥満や生活習慣病の原因になります。食事や飲み物の量は、適切な量を守るようにしましょう。
・調理方法に注意する:揚げ物や焼き肉などの高カロリーな料理は、控えるようにしましょう。また、煮物や蒸し物、焼き魚など、ヘルシーな調理法を選ぶようにしましょう。
・水分を摂取する:水分は、体内の老廃物を排出し、代謝を促進する重要な役割を持っています。適切な量の水分を摂取するようにしましょう。
・運動する:運動は、肥満や生活習慣病の予防に役立ちます。運動習慣を身につけることで、健康的な体を維持することができます。
以上が、健康的な食生活を送るためのポイントです。
食材選びや調理方法に注意することで、健康的な体を維持することができます。
また、栄養素の摂取に加え、ストレスや睡眠不足の解消、タバコやアルコールの過剰摂取の抑制なども、健康維持に重要な要素です。
生活習慣を見直し、バランスの取れた食生活を送ることで、健康的な体を手にいてませんか。
最後に
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健康的な食生活を送るためには、食材や栄養素の知識があった方が効果的です。
常に最新の情報を収集し、適切な食生活を心がけることが大切で、また健康的な食生活を継続するためには、家族や友人とのコミュニケーションも重要です。
一緒に料理を作り、食事を楽しむことで、健康的なライフスタイルを身につけることができます。
健康的な食生活は、健康維持だけでなく、心身ともに豊かな生活を送るための大切な要素です。
適切な栄養素を摂取し、バランスの取れた食生活を送ることで、健康的な体へ近づきます。
今後も新しい研究や情報が次々と出てくるでしょう。最新の情報を収集することで、健康的な食生活を維持し、病気や不調を防ぐことができます。
健康的な食生活を実践するためには、自分に合った食生活を見つけることも大切です。
一般的には、日本人の場合、和食が健康的な食生活の代表格とされています。和食は、旬の食材を使い、栄養バランスの良い料理が多く、食物繊維やビタミン・ミネラルが豊富です。
また、最近では、ベジタリアンやヴィーガンといった食生活も注目されています。
これらの食生活は、肉や魚を控え、野菜や果物、豆類などを中心に食べることで、動物性の食品がもたらす健康リスクを抑えることができます。
ただし、栄養面でのバランスが難しいこともありますので、専門家のアドバイスを受けることが重要です。
そして健康的な食生活を送るためには、無理なダイエットや極端な食事制限は避けるべきです。
体型や健康を意識することは大切ですが、無理なダイエットは健康を損なう原因となります。
適度な運動や、バランスの取れた食生活を続けることで、健康的な体を手に入れましょう。
健康的な食生活は、病気や不調を予防するための最も基本的な方法の1つです。
自分に合った食生活を見つけ、バランスの取れた食事を心がけることで、健康的な体を手に入れましょう。
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yoghurt-freak · 10 months
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明治ブルガリアヨーグルト LB81 プレーン シェフクリエ
明治ブルガリアヨーグルトの業務用バージョン!
一部業務スーパーでも買えるらしいねんけど、見つけられてなかったところ、特別にお裾分けしてもらえました🤗
ありがとうございます💕
スペック
無脂乳固形分 12.0%、乳脂肪分 6.0%!!!!
原料は乳素材のみの特濃プレーン。
水切りしてるんじゃなくて、原料に生クリームか何かを加えて濃くされてるっぽい。
離水が少なく保形性が高いから、パックから出してカットしたり、ディッシャーですくって使えるとのこと。
原料中の酸素を減らして低温で発酵させることでまろやかな風味を生み出す明治さんの独自製法「まろやか丹念発酵」で発酵。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
宅急便で揺られてきたからモチャッと崩れて蓋裏にも付着💦
保形性が高いと紹介しておきながら、固形の状態をお見せできず申し訳ない🙇🏻‍♀️
すくってみると、すごいもっちり🤍
水切りヨーグルトともまた違う、ふんわりしてるのに粘度がすごくて重い感じ。
香りはあんまり出てない。
コクがあって甘い感じのお乳の香りがほんのり、あるかないか、ぐらい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
濃っ!!!!!
チーズかなってぐらいに濃ゆい🤍
見た目通りふんわりもっちりで、口に含んですぐはお乳の甘みや旨み。
で、溶けるタイミングで急激に発酵のいい香りと酸味が出てくる✨
このタイミングたまらん!!!!
おいしすぎ♡♡♡
脂質がしっかりあるからか、結構甘味があるんやけど、それを波が上書きするかのように発酵感が出てくる🌊🏄‍♀️
抑揚って味の要素としてすごく大切やなぁ。
これ使ったお料理、色々食べてみたい。
============================ 無脂乳固形分 12.0% 乳脂肪分 6.0% ————————————————— 栄養成分(100gあたり) エネルギー 100kcal たんぱく質 4.4g 脂質 6.1g 炭水化物 6.8g 食塩相当量 0.14g カルシウム 158mg ※全量は400g ————————————————— 原材料名 乳製品(国内製造) ————————————————— 製造者 株式会社 明治 ============================
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tanakadntt · 1 year
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旧東隊の小説(二次創作)
ホッケえいひれ揚げ出し豆腐
一月か二月の頃だった。
トリオン測定ですごい数値を叩き出した新人が二人も入るそうだというのが、その夜の話題だった。出水公平と天羽月彦のことだ。
新生ボーダーが動き出して一年半になる。『旧』ボーダーという言葉が定着するほどに、時は勢いを増して流れていく。その間に、一番仕事をしたのは開発室室長の鬼怒田本吉だった。
まず、彼は異世界に通じる門の発生ポイントを特定できるようにした。次に門の発生を抑えるトリオン障壁を一時的ではあるが生成に成功、最後に門発生ポイントを誘導する装置が開発され、三門市の安心を約束する三点セットがわずか一年で出来上がる。元々の研究分野の応用とはいえ驚嘆に値する開発速度だった。
こうして、急務だった門発生のコントロールに成功した後は研究途中で放置されていた擬似トリオン訓練室の完成、隊員増加を見越してランク戦で使う対戦ブースと八面六臂の活躍である。
短期間でこれだけのことをやってのけた彼及び彼のチームは、城戸政宗司令がどこからか連れてきた逸材だった。三門市にやってきた時には一緒だった家族とは離婚している。仕事に打ち込みすぎたせいだと専らの噂だった。
開発室以外も働いた。門がコントロールできるまではいつどこで出現するかわからない。国の機関に代わって街を守るボーダー隊員たちは昼夜を問わずパトロールを行い、近界民と戦った。
三門市民は最初、胡乱な目で彼らを見ていたが、公的機関と連携した規律ある行動に徐々にボーダーの存在は受け入れられていく。根付メディア対策室室長による世論操作も功を奏していた。
出ていく人間は出ていき、かわりに大量の物資と人材が流れ込んでくる。
ボーダーにもまた人材が集まった。
まず、市民志願者第一号として柿崎国治と嵐山准が入隊する。華々しい記者会見の後、志願者はぐっと増えた。
東春秋が部隊を結成したのもその頃だ。
この時期の部隊は自由結成と言うよりは忍田や根付の意向が強く反映していた。東隊も忍田の指示によるものだった。
忍田自身も部隊を持っていたが、本部で戦闘員を統括する役職につくために解散することが決まっている。
ガラリと引き戸をあけて顔を出したのは東春秋だった。いらっしゃいませと店員が声をかけると案内はいらないと手を振って、店内を見渡す。じきに見知った顔の並ぶテーブルを見つけて近づいた。
二十二歳だと言うが、ずっと老けて見える。外見だけではない。彼に接する人間はつい彼が二十代前半の若造だということを忘れてしまう。
後ろには背が高い男女二人がやはり背の高い東を挟んで並び立つようにいた。どちらも目を引く美男美女だ。彼らは近隣の六穎館高等学校の制服を身につけていた。
さらに後ろに中学校の制服を着た少年がひっそりと控えている。前のふたりと違って背は低い。寒いのか、マフラーをぐるぐると首に巻いていた。
三人は物珍しげに店内を見回している。
「なんだ、三人とも居酒��は初めてか」
テーブルにいた眼鏡の男が声をかけた。既に頬は赤い。手には盃を持っている。日本酒派だ。林藤匠という。ボーダーでは古参の一人だ。歳は三十一になる。そろそろ現役を引退したいとボヤいているが、いかんせん昨今の人手不足だ。
ボーダー本部建物ができたにも関わらず、旧本部ビルから動こうとしない、なかなかの頑固者だった。
「学生ですから」
と、生意気そうに答えるのは、背の高いほうの一人である二宮匡貴だった。
「あれ、根付さんから聞いてないか? ボーダーマークの貼ってある店はボーダーなら学生でも入れるようになったんだぜ」
トリオン器官の性質上、十代の隊員は増えていく。本部でも食堂は設置しているが、彼らは三門市の飲食店にも協力を求めていた。パスポート制で十代への酒類の提供はないなどの配慮がされている。
「知ってますが…」
さらになにか言おうとする二宮を東は遮った。
「今夜は明日の確認だけしに来たんです。本部で聞いたら、ここにいるっていうから」
「明日? ああ、国の視察ね。用事は、唐沢さん?」
「俺?」
テーブルの奥から唐沢克己外務営業部長が顔を出す。彼はビール派だ。既にジョッキをほとんど空けている。まだ三十そこそこだが、やり手の男だ。鬼怒田同様、城戸司令がスカウトしてきた。元ラガーマンだという以外素性を明かさない男だったが、人当たりがよい。
今夜の飲みメンバーは林藤、唐沢に加え、エンジニア冬島慎次、戦闘員の風間蒼也、木崎レイジの三人だった。風間と木崎は二十歳前なので、烏龍茶が並んでいる。
「まあ、たってないでこっちに座れよ、東くん」
「あー、ウチはウチでご飯を食べる予定なんです」
東はお供のように控える背後の三人を見やった。東隊のメンバーだ。
「ここで食べていけばいいよ」
「はあ」
少しだけ、東の心が揺れた。老成しているとはいえ二十二の青年だ。気楽な酒の席は魅力的だ。
「大丈夫です。俺たちは帰ります」
東の心を見透かしたように、二宮が後ろの中学生の背を押して店の入口に向かおうとする。
「東」
林藤は声をかけた。
「みんなで食べてけよ。唐沢さんの奢りだ」
「あなたじゃなくて、俺ですか?」
急に振られた唐沢が満更でもなさそうに笑った。確かにこの男前は今日の面子の中で一番地位が高く、懐も暖かい。
「あら、素敵。せっかくだから、ご馳走にならない? 二宮くん」
そこで初めて、女学生が口を開いた。こちらも生意気な口調だが、軽やかでトゲトゲしいものを感じさせない。
「加古」
「ねえ、三輪くん?」
「……」
急に話を振られた中学生は無表情のまま首を傾けた。
「わかりません」
「東さんがここでお酒を飲んでるとこを見てみたくない? 面白そう」
三輪は悩みながらうなずいた。
「ほら、三輪くんもそう言ってるし」
「言ってないだろう」
「言ってないです」
「わかった、わかった」
いつもの掛け合いが始まりそうになって、東は決断する。一応、上役たちの前だ。
「ごちそうになろう。唐沢さん、ありがとうございます」
東が頭を下げると、揉めていた三人がピタッと止まって、同時に頭を下げた。よく訓練されている。東を猟師になぞらえて獰猛な猟犬を三匹飼っていると言っていたのは誰だったか。
「遠慮せずたくさん食べなよ」
唐沢はいつもの人当たりのよい笑みを浮かべた。
「追い出された」
案内されると同時に、風間と木崎が東隊の猟犬三匹のテーブルにやってきた。テーブルが窮屈になったらしい。
今夜はボーダー戦闘員と唐沢の交流会であるらしかった。
風間の兄は林藤の弟子だった男だ。故人である。木崎は東から狙撃手としてのスキルを学んでいるので、東隊の面々とは面識がある。今は林藤に従い旧本部ビルに寝泊まりしている。狙撃以外の分野では林藤に師事していた。
一方は小柄で華奢、もう一方は筋肉隆々の巨漢だ。正反対の見かけだが、どちらも恐ろしく強かった。さらに木崎はトリオン量は二宮と同程度を持っていて近界のトリガーを使いこなす。
加古の隣に木崎が座り、二宮と三輪の隣に風間が座った。スペースの有効活用の結果である。三輪は隣が風間なので緊張する。風間蒼也は様々な思惑の絡む本部で誰からも重用され、確実に任務をこなすエリートだった。
「もう、頼んだか」
「まだです」
彼らはまだ食べるつもりらしい。
「居酒屋は初めてか」
木崎が気を使って、品書きをテーブルの真ん中におく。
店員がまとめて置いていった突き出し(お通し)を配る。
「飲み物から決めよう」
と、店員を呼んでさっさと飲み物を決めてしまう。さくさくと仕切る姿が頼もしい。三人はジュースにしたが、風間と木崎はまた烏龍茶だった。
「おすすめは、揚げ出し豆腐だな。家で作るの面倒だし」
「そういう基準か」
「寺島たちに頼まれて作ったが、たくさん食べるものじゃないし、持て余した」
寺島たちと寺島雷蔵と諏訪洸太郎のことだろう。四人は同い年で気が合うようだった。諏訪は二宮と加古の同期でもある。
「おごりなら諏訪と雷蔵でも呼ぶか」
「来ないだろ」
確かにもう遅い。
「今日の当番は?」
お酒をあおる大人席では、林藤が煙草の煙を吐き出しながら聞いた。
「忍田さんとこと迅です」
迅悠一は木崎隊であったが、先日、晴れて『風刃』所持者となり、隊を離れS級隊員となっている。
「あとは嵐山隊ですね」
なんとなく大人たちは子どもたちのいるテーブルに視線を向けた。三輪がジュースを飲んでいる。迅、太刀川、嵐山と三輪の苦手な三人だ。
「明日は俺らの勤務か」
正直、オーバーワークだ。ここにいるメンバーは皆、ワーカホリック気味ではあるが、大規模侵攻からずっと働き続けている。
「入隊志願者が増えてますからもうちょっと頑張ってもらって…。部隊が増えてくれば、部隊の輪番制に移行するって城戸さんが言ってます」
「もうすぐですよ」
冬島がエイヒレに手を伸ばしながら言う。
「そう願いたい」
品書きと書かれたメニューには写真がない。並ぶ単語は知らないものが多い。
三輪が大人たちのテーブルをチラリと見れば東は刺身の盛られた皿をビール片手につついていた。嬉しそうだ。確かに、隊長ではない東は不思議な感じがした。
「秀次は刺身か」
二宮がつらつらと品書きを見ながら勧める。二宮も初めてだからよくわかっていない。
「盛り合わせがあるぞ」
「ちょっとずつ色んなのが食べたいわ」
加古がウキウキしている。
「レイジさんおすすめの揚げ出し豆腐は頼むでしょ。風間さんのおすすめは?」
「コロッケと卵焼きだな」
間髪入れずに答える。迷いがない。
「じゃあ、それー」
「また家で作れるようなものを…」
木崎がぶつくさ言うが、三輪は蕎麦を茹でるくらいしかできない。
「二宮は?」
風間が水を向けるが、彼は熟考に入っている。
「先に頼んじゃいましょ。店員さぁん」
「加古、お前なあ」
「大丈夫だ、二宮。何度でも頼めるから」
「風間さんがそう言うなら」
注文を手早く木崎がまとめる。
「三輪は決めたのか」
「じゃあ、刺身盛り合わせ(小)で」
「あと、ホッケ」
「加古、語感で決めただろう」
「干物だな。北の魚だ」
明日、視察団が来るというのに、大人組はまだまだ飲んでいる。タバコの匂いがする。
焼肉屋ともファミリーレストランともバーガー屋とも違う雰囲気にふわふわする。
「秀次」
三輪は、二宮に揺り起こされた。ひと通り食べたあと、いつの間にか眠っていたらしい。
「中学生には遅い時間だな」
木崎が気の毒そうに言う。
「大丈夫です。すみません」
彼らも高校生なのだ。
「ほら」
おにぎりが渡された。大きい。海苔がパリッとしている。
「結局、二宮くんが選んだのがこれよ」
おにぎりを優雅に食べるという器用なことをしながら、加古が教えてくれる。
「悪いか」
「いい選択よ」
「うまいな」
風間はまだ食べている。木崎はカチャカチャと皿を重ねて、テーブルを綺麗にしている。 三輪は散々食べたあとだが、おにぎりを持って、「いただきます」と言った。おにぎりは何も入っていなくて塩がきいている。
「お��しいです」
「そうか」
「東さん、あれ酔っ払ってるわ」
三人が揃って東のほうを向くと、その様子がおかしかったのか、木崎と風間が笑った。
「明日はお前らが頑張れ」
その日はみんなボーダー本部に泊まった。
終わり
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79nihs · 1 year
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日記 / 5.7 / 写真を再び
どうもここ数ヶ月、写真が撮れなかった。半年前から撮っている写真のシリーズについてのことだ。製本ワークショ���プに参加して製本してみて、一度立ち止まって俯瞰的に見てみようと試みたが、これがまさかの急ブレーキとなってしまった。本の形になった高揚感に浸りつつ、「足りない」こと探し、粗探しを繰り返した結果、撮影を始めたときに抱いていた前のめりな感覚を忘れてしまっていたように感じていた。
京都国際写真祭でそれに拍車がかかった。凄みのある作品を三日三晩浴び続けることで、着眼点や撮影の技量、熱量、我が事とする力強さ、数え切れないポイントと比較ばかりして苦しくなってしまっていた。正直、息ができていない状態に陥っていた。1年前は「制作」をしていなかったから、どの作品も憧れのような対象だった。尊敬する写真家の自宅に訪ねて相談させてもらったり、他の写真家の方には、勤務中に彼の働く会社まで足を運んで助言を請うたりした。ようやく、自分なりの視点を持って撮影してこれたのではと、思った今年のはず…と思っていたのだが、違った。「作品をつくるようになった若い人」(と言われるようになった)は、先人たちから厳しいレビューを受け、落ち込んでしまったのだ。この落ち込みを誰かに解消してもらうことなんてできないし、親しい友人に話しても、結局情けをかけてもらいたいという気持ちから始まってしまうわけで、健全ではなかった。
先週には、撮影をお願いしていた方と長い時間お茶をして撮影に望んだが、正直に伝えた。「今は撮れるような状況ではない」と。相手からも、見透かされたような気がして、ブローニーフィルム一本を撮り切ることだけにしか集中できなかった。つまり被写体との対話ができていたとは言い難い。きょう、現像から上がってきた写真たちは、それなりに撮れているのだが、撮ったときの感情をまだ記憶しているので素直に見ることができないことで思い知らされた。現像があがるまでの高揚感、ポジティブな気持ちを抱いていなかったことに気づいた。
ここまでネガティブなことばかり書き連ねているのだが、ようやくトンネルを抜け出せそうな感覚をきょうは覚えた。一日を振り返りながら、いろいろ考えてみようと思ったからきょうは書こうと思う。
まずは、久々に早朝に起床できたことに始まる。朝マックに足を運び、エッグソーセージマフィンのセットを食し、スイッチを入れる。朝ごはんを食べると血糖値が高まり、血の巡りを感じる。ファストフードとはいえ、気持ちが前向きになったようだった。その勢いで、都内の展示へ。本当は丸木美術館に行きたかったが、せっかく晴れている日、2時間も電車に乗るのがもったいないと思い、終了日前日なのに諦めた。
昨日、WHOがコロナ緊急事態宣言の終了を発表。週明けにはコロナが第5類に移行する。パンデミック下に置かれていた日常は、ようやく活気づいてきたことを武蔵小杉から乗り換えた行楽日の総武線快速で感じた。先月行った京都も、外国人観光客が戻ってきて、マスクをしている人がほとんどみなかったので、不思議ではないのだが、東京にもコロナ前の日常が戻りつつあった。そんなことを思いながら、上野に着くとすごい人だった。動物園に並ぶ人々の姿も見えた。美術館前で記念撮影をする人。にぎやかな声が聞こえてくるから、自然と触発される。
向かったのは東京芸術大学陳列館。「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)(※)を見るためだった。初夏の日差しに浴びる青々とした葉をつけた木々が陰をつくる上野公園がこんなに気持ち良いとは思わなかった。陳列館の2階は、天窓から優しい日光が注ぎ込み、版画がすられたキャンバスや布がゆらゆらとしていた。版画は力強かった。日本、韓国、中国、香港、台湾、フィリピン、インドネシアのアーティストの作品をゆっくり何周もしながらみる。印象的だったのは、タイトルの通り、ボーダーを越えていくことの希望だ。
點印社(香港)の「私たちは輪になって食べる、刷る」は横長の大きな版画。テーブルでご飯を食べる様子を描いているのだが、そこに描かれているのは、人間だけでなく、シャチや、犬など動物もいる。コロナ禍によって幾多の国境が閉ざされた世界で、異なる国籍や民族やルーツ、バックグラウンドを持つ人々の間に境界線が引かれるようになったことを忘れてはいけない。そんな時代だからこそ、他者との時間を共有することを肯定し続ける力強さを感じた。登場する人々や、動物の表情は笑顔で豊かで、美しかった。決して丁寧に、きれいにつくられたわけではないけれど、その雑然さを版画で刻む描くことの尊さを感じた。
韓国のキム・オクさんが制作した7枚の版画からは、いつか未来で消える朝鮮半島の南北の境界線を想像させた。30年以上に渡り、朝鮮半島南部をくまなく歩き、フィールドワークしてきたというキムさん。農村地帯など韓国の原風景が描かれた7枚は、南北統一という先に続きがうまれるはずだという期待を抱かせ、そしていまだ解決しない南北問題について、極東の島国にいる自分をハッとさせた。
何よりエンパワーメントされた。この展示の作家の多くが社会運動に参画し、運動を活性化させたり、アジテーションを強化するという目的を持ったりしながら制作しているということを掲示されているテキストで知る。政治的抑圧に抵抗する。それは大きな主語を語りがちのように感じられるが、版画を刷るということによって我が事として捉える身体性が一層増していくように感じた。何より、作家自ら社会に対して、異議申し立てをするまでのプロセスを、自らの生活実践の場において果たそうとする姿勢が感じられた。だからこそ、「私たちは輪になって食べる、刷る」のカラフルな描き方に心が揺さぶられたのだろう。
何より、描いて、版を作り、刷るという繰り返しを諦めない。その先に、社会的に生じている苦しさから解放されるように思えた。新聞記者として多くの時間を、社会的課題について考えようとしながら、当事者性があるかどうかなど悩み、写真撮影においても強度があるかないかなど気にしていた自分にとって、今までの悩みがちっぽけに思えたし、何よりそうだ、自分が言いたいことを言えばいいんだと思えた展示だった。
彫り続ける作家たちの姿勢に刺激をもらい、浅草に移動してから入ったタリーズで本を開いた。坂口恭平の「継続するコツ」だ。数ヶ月前に綴方で購入したまま開いていなかったが、効果てきめんだった。「才能という言葉」の呪いにかけられたように、他者の作品を羨望の眼差しで見ていた。そして、撮影ができない状態に陥っていたけれど、それは「比較が始まり、否定が始まり、手が止まる」という項で正体が書かれていた。ある程度、自分がやりたいことを続けていくと「慣れ」が生じるというのだ。「慣れ」。なるほど。確かに、慣れてきた。こうして撮っていけばいいのだ。こう進めていけばいいのだという実感は、いつしか、「見る人に伝えるには○○が足りない」と完成度ばかり気にすることに変わっていたからだ。
製本して、足りないことが見えて、評価を受ける作家のアーティストブックやダミーブックに圧倒され、到底その領域に達していないのにと自分を卑下して、比較をし続けていたなと気付かされた。なんか自分が馬鹿らしくなった。撮っていく。それだけでまずは十分じゃないか。当初抱いていた撮りたい写真への気持ちは、いろんな人の助言や苦言や励ましで少しずつ変容したりしているけど、自分の撮りたいという気持ちに正直になれるのは自分しかいないわけなんだから。
そうだ。去年の7月、アレック・ソスに「SLEEPING BY MISSISSIPPI」にサインを入れてもらったとき、メッセージをお願いして書いてもらった言葉を思い出した。「Don't ever forget the feeling when you first piched up a camera」。そうだよね。初心忘れずって言うよね。いま撮っているカメラは別に「First」じゃないけれど、このカメラで撮っていくぞって嬉々としていたときのことを思い出した。小さな1Kで、千尋からも「買ってよかったね」なんて言われて、ファインダーを覗いて初めて装填したネガフィルムに彼女を焼き付けたんだっけ。うまく扱えず、フォーカスと露出を決めるのに時間がかかって切ったシャッターによって写し取られた千尋のふと力の抜けた表情が自分は好きだったんだなと。あの感覚があったから、静かに被写体となる他者に正対する感覚を今でも大事にしているのかもしれない。
そんなことを思いながら、ベトナムの写真作家たちのダミーブック展をあとにしたあと、ブローニーを装填した。ゴールデンタイムの日差しが当たる街にカメラを向けてシャッターを数枚着る。隅田川に沿って歩いていくと、ふと人を撮りたいなという気持ちが湧いた。
ふと、目が止まった。若い男女が微動だにせず、静かに抱き合っている姿に見とれてしまった。高校生か、大学生かな、と思い、声をかけさせてもらった。こうやって街にいる人に声をかけて撮りたいって伝えるの久々だな。心のなかで自分に語りかけていた。それに、やっぱり最初は緊張する。「ティックトックですか?」と聞かれたけど、「いえ違いますよ」という。最近、インスタやYou Tubeのショート動画で確かに「ストリートスナップ撮っているんですけど」という動画が流れてくるなと思い出した。それのおかげなのかな。恥ずかしがっていた彼らは、少し悩むそぶりを見せてくれたけれど快諾してくれた。撮らせてもらえる。高揚感が全身に走った。
マキナで露出を決め、フォーカスを固める。透明の四角いファインダーの向こうで、静かに佇む二人に引き込まれる。女性は恥ずかしいからマスクをしたままだったけれど、風になびく黒髪の隙間から見える青いカラーコンタクトをつけた瞳から向けられる視線が、まっすぐ力強く凛としていた。男性の方も、無表情ながら芯の強さを感じさせていた。
撮影後に聞くと、二人は15歳の高校1年生。男性はぼくの父とおなじ江戸川区で生まれ育ったという。在日朝鮮人の母を持ち、インスタグラムには日本と韓国の国旗アイコンを掲げる。聞きづらかったけれど在日コリアンかどうかを聞いてしまったが、「そうですよ」とさらりと答える。僕がこれまで川崎で取材をしてきたことなども伝えると、親しげな感じを見せてくれた。そして、なにより自分のルーツに誇りを持っているようだった。スケートボードが好きで、スケートボードが「バ先」だといって、店長のインスタグラムアカウントを見せてくれた。女の子はシャイだ。ファインダーの奥に見たあの視線の強さとは相反するのか、不思議だった。
街で声をかけ写真を撮る。撮影時間を入れても、賞味10分ほどしかなかったかもしれない。写真はSHOOTだ。池澤夏樹によると、「Shoot」は銃撃か撮影でしか使わない。だから、若い彼らをカメラの前に立たせる行為というのは、主従関係が生じ、抑圧・被抑圧の関係性が生まれることにほかならない。それでも、撮影を許容してもらうために、僕は彼らに誠意を伝えようとする。そして彼らも受け入れるために覚悟をする(覚悟を強いている可能性も忘れてはいけない)。そのわずかな時間でも、僕と彼ら彼女の間に一定の緊張感が生まれ、正対することによって他者を信じ切るしかないのだ。嘘偽りがないとは言い切れない。それでも、1/500秒という膨大な時間軸における一瞬、フィルムに焼き付ける行為そのものが、僕がこの社会に接点を築いていくことに必要なプロセスなのだと言い聞かせるには十分なんだ。そのことを、二人との出会いによって改めて認識させられた。
これが、明るい兆しだ。写真を諦めなくてよかったと思えた撮影だった。写真を撮ることでしか、僕は社会を知るすべがないことも知っている。それが、なにか明確なメッセージや、スローガンがなくても、そこに写し込まれた人々の姿によって、この社会の輪郭が際立ち、描かれていくことを信じたいから撮っている。僕にとって人を撮ること、正対してポートレートを撮ることとは、その決意表明みたいなものなのだ。沈みかけていた気持ちが、ようやく前を向き始めた。
※参考)近年、アジア各地で木版画による芸術・文化実践が再び注目を集めています。20世紀初頭の中国で魯迅によって始まった近代木版画運動は、民衆自身が社会や現実を表現する運動/方法としてアジア各地に伝播しましたが、20世紀後半になると社会構造やメディア環境の変化により下火となっていきました。しかし、2000年代から2010年代にかけてアジアの芸術家や社会活動家たちの一部は木版画を通じて社会や政治の問題を表現し、文化的直接行動や集団的創造の実験、さらには国境を越えた交流・ネットワークを生み出してきました。 本展は《「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)》と題し、アジア各地から12の作家・活動団体による木版画を紹介します。とりわけ2020年に始まったパンデミックでは、人やモノの移動を一元的に管理する国境の問題や、差別や排外主義などの社会的、心理的な排除や断絶���問題を現前化させました。本展はわたしたちの生きる世界や社会に張り巡らされた「境界」を改めて主題化し、これらの境界からの離脱・解体を志向するトランスナショナルなアジアの木版画実践とそのネットワークについて紹介します。同時に、コロナ期に各地で制作された木版画を比較することで「アジア」という地理的/政治的概念への批判的認識と、さらなる理解・議論の可能性を開くことを目指しています。
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real-sail · 10 months
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日曜日午後2時、電波越しの達郎
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山下達郎がずっと嫌いで、好きだった。山下達郎(以下、達郎)は両親が好きな歌手で、わたしの理解では、あまり好みがオーバーラップしない両親ふたりにとっては珍しく共通の趣味のひとつとして楽しめるのが達郎の歌だった。それでも片方が好きで片方が嫌いな歌も存在するので、家族でのドライブのときにかけられるナンバーはかなり限られる。ゆえにわたしは「達郎のいろいろな曲を知っている」というよりは、「いくつかの限られた曲を聴き込んでいる」という嗜み方だ。でもそうしたわけで、幼い頃から達郎の歌声には親しんでいた、もうそれは否応なく。
嫌いだった理由はふたつある。ひとつに、その継ぎ目のないシームレスな声が、幼いわたしにはサイレンを彷彿とさせて怖かったのだ。そもそも町の防災サイレンが苦手な子どもで、火災予防週間になると余分に多く鳴るサイレンに耳を塞いで布団に潜り込んでいたくらい、わたしは「ぬるっと迫り来る音」が怖かった。すなわち達郎の歌声の繋ぎ目のなさは、わたしにとって人間離れしているもののように感じられた。それはすごい声を持っているからだということはのちに理解した。
もうひとつの理由は、両親が好きなものだから、同じものを好きになるまいとするある種の生存本能だと思う。エビデンスなしに書くけれど、ほら、自分と遠いDNAの人を人間は嗅ぎ分けられる、なんて言うじゃない。あれみたいなことだと思うのだが、子供の頃のわたしには両親が好きなものをたまにあえて避けたくなる機能が働くことがあった。
でも大人になってみると、達郎の歌はあまりにもわたしの耳にこびりついていることに気づく。何より、達郎の音楽をかけたり、達郎の日曜のラジオを聞きながら家族でドライブに行く図は、のちのち楽しい思い出として脳裏で再生された。一方で、自分の周りでは達郎を同じ濃度で聞いている友人がいなかった。高校、大学、または大学院での友人の中には自分たちの親世代に人気の歌手を好んで聞く人が何人かいて、それぞれの人が別の歌手のコアなファンだった。それにやや憧れて、わたしは達郎の曲が好きで聞くよ、なんてアイデンティティのように言うこともあった。
実際アイデンティティのひとつではある。両親はわたしの名前のインスピレーションを達郎の曲から得たらしい。国際ヨットレースのために書かれた曲を聞いて、帆を張ってさわやかな風を受けて海を進むヨットの図を思い浮かべたところから真帆という単語(何を隠そうこれは名前以前に船のとある状態を示す名詞なのである)に行き着いたと聞いている。
そう知って実際の曲『Blow』をCDプレイヤーでかけてひとりで視聴したときに、わたしは曲の渋さにびっくりしてしまった。それまでも耳にしていたがタイトルと中身が一致していなかった。この曲のことだったのか。『ドーナツ・ソング』のようなポップなほうをイメージしていたら、どちらかというと湿度が高いほうの曲。メジャーではなくマイナー。クラシックで言うところのレチタティーヴォのような感じ、というのは、まるで言葉を話すように歌われる曲で、文章にちょっと抑揚を強めに付けたら結果的に音程がついた旋律に聞こえる、そういう作りの曲だ。達郎の声のシームレスっぷりが遺憾無く発揮される。
そのときすでにヴァイオリンを弾いていたわたし、すなわち器楽奏者のわたしにとっては、レチは掴みづらくて苦手だった。もっとリズムがはっきりしていてほしかった。聴音能力もまだ未熟で、あまりに言葉然としている旋律は、絶対音感がありながら音高がわからなくなるくらいだった。器楽の人間ゆえに、今もそうだが、歌詞を聞き取る能力が弱い。言葉を単語としてではなく音として捉えてしまうので、言葉の存在感が強いと、わたしの耳はバグを起こしてしまうのだ。その曲はそれ以前から何度も聞いていたにも関わらず、わたしは達郎が何を言っているのかひとつもわからないでいた。
実際には普通に4拍子だし音高も楽譜にきっちり起こせるほうの曲だが、当時のわたしは、自分の知っている拍子と音高に明瞭に当てはまらない旋律にいらいらした。でも、両親はこの曲に良い印象を抱いたからこそ、大切な曲として聞き続けているのだと思うと、その愛を受け止めたかった。そしてわたしはヴァイオリンのお稽古の中で経験していた ― 第一印象で好きになれない曲も、根気強く付き合うと好きになれることがある、という現象を。きっとこの曲の良さがわからないのはわたしがまだ幼いからだろう、この良さがわかるまで何度も咀嚼していこう、とわたしは思ったのだった。
しかし達郎の歌の歌詞が聞き取りにくいというのは、一種の共通認識らしい。達郎のラジオ『サンデーソングブック』の中で忘れ難いエピソードがある。ある日のリスナーからのお便りで、「『LOVE GOES ON(その瞳は女神)』の歌詞の一部が空耳でどうしても『あけみ』に聞こえるけれど、それだと脈絡がないので絶対に違うはず、なんと言っているのですか」というものがあった。結局本来の歌詞は「アルケミー」のはずなのに「あけみ」という名前のように聞こえて仕方ないというオチだったはずだ。ちょうど、ひとりの女性への想いを歌い上げる曲なので、その女性が「あけみ」だという想像まで伴うところに可笑しさがあった。
このお便りを読み上げた達郎は、おもしろがっている様子だったが、答えを絶対に言わなかった。しつこくらい何度も「正解は歌詞カードを見てください」を繰り返して、答えを言わない達郎を、小学生のわたしは「意地悪な人だなあ」と思った。確かに、当時は音楽を聴くと言ったら必ずCDを買っていたはずだから、歌詞カードはそこにある。よほどお便りを出すより簡単に歌詞はわかっただろう。リスナーの人はそれでもお便りを出す手間をかけたのは、達郎との交流がほしかったわけで。ただ達郎のラジオを聞いてお便りするような人なら、そうした「意地悪さ」も嬉しがったかもしれない。そもそも、お便りが取り上げられただけでクジを当てたようなものだもんな。
でもわたしは、答えをその場で発表したほうがみんな楽しめるのに、と思った。わたしはそのあと曲がかかるまで該当箇所が思い浮かばなかったので、お便りへのコメントを聞いている間、すごくフラストレーションが溜まった。でも達郎流に言うなら、それで思い浮かばない人にまで親切にする義理はないのだろう。そういう人に“僕の音楽は必要ない”のかもしれない。
ちなみにその後しばらく空耳に関するお便りがいくつか続いた記憶がある。リスナーたちは「実は聞き取れない歌詞あるよね」と共感したのだろう。達郎はやっぱり、歌詞カードを見ろとしか言わなかった。ちなみにわたしは「高気圧ガール」をいつも「高気圧ケロロン」と空耳する。
嫌いだったはずなのに、すでにここまでで2500字以上も達郎の思い出を語っている。掘ればまだ出てくる。『新・東京ラプソディー』に準えて、母からはわたしに対して、自転車は国道246号線でしか乗らないでほしい、しかもおしゃれな緑色の自転車で、というかなり限定的なリクエストがあった話とか、中学時代の担任の先生が『クリスマス・イブ』を授業中に歌い出した時に、わたしはその曲の先の展開を知っているがゆえに「oh~yeah」という素人が真似をすると事故になりそうな部分で先生がどうするのか先回りして心配になってしまう話とか(先生は達郎風をやりきって教室は静まり返った)。それだけ達郎の歌はわたしに染み付いている。
そうして音楽が染み付いていることで、音楽を作った人の思想も無意識のうちにインストールしているのではないかという気がしてきて、恐ろしくなってしまったのが、先日のあの『サンデーソングブック』の発言だった。名前にもまとった達郎の影に、わたしは恐れ慄いた。もし両親が達郎のことを擁護したら、わたしは両親に絶望してしまうとも思ったし、もし両親が達郎の発言を知らないとしたら、知らないままでいるほうが家族の幸せかもしれないとも考えた。でも ― その数日後に両親と顔を合わせたときに、両親のほうから言及があった。達郎の件の発言にものすごくがっかりして、冷めてしまったこと。これまで何十年も楽しんできた時間を、台無しにされた気分になったこと。実際のラジオを聞いて、その語り口にもがっかりさせられたこと。
わたしは考えた。確かに真帆という名前のインスピレーションは達郎の歌から得たものだった。でもその歌の歌詞には全く出てこない言葉で、それは両親が見つけてあつらえてくれたものだ。こうして一緒に達郎にがっかりしたと��える両親が選んでくれたものであり、何より、ここまでおおよそ30年は、わたし自身がこの名前に自分の生き様を刻みつけてきた。この名前が司る人格は、誰のものでもない、わたしが形作ったものだ。むしろ達郎なんかに影響されて、この大好きな名前に残念なイメージを持たせられて堪るか、とも思った。
思い出は色褪せた。そこに流れる達郎の曲を、わたしたちは今は楽しめない。でもそこにあった家族の団らんまで色褪せさせて堪るもんか。わたしはこれからも思い出を大事に抱えていく。でも、そこにあった音楽を愛せなくなる出来事があったことも、忘れない。
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kennak · 1 year
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昨日沖縄で開かれた「『台湾有事』を起こさせない・沖縄対話プロジェクト」のシンポジウムは現状維持と平和を目指す台湾社会への無理解と侮蔑的な姿勢が重なった。特に沖縄タイムスの宮城栄作編集局長による台湾に対する筋違いの図々しい「要求」は台湾側の神経を逆撫でする対話とは正反対で今後の議論を困難にしかねない衝撃はあった。 シンポジウムは昨年10月に行われた「沖縄対話プロジェクト」の発足イベントに続いて行われたもの。台湾側から2名の識者を招き、沖縄の「識者」と議論する形だった。台湾側の2名は一般的にそれぞれ民進党と国民党の立場に近いとされているものの、見識を深く備えた学者である。シンポジウムはまず10月に行われた発足イベントの議論内容の紹介から始まった。10月の内容自体が台湾海峡の現状と構造を全く正しく認識できていないものだったが、今回のシンポはそれを踏まえる形式をとって始めてしまった(10月イベントの詳細は下記ツイートをご参照ください)。 すでに嫌な展開となったがその後の稲嶺恵一元知事の基調講演や招かれた台湾側識者2名のプレゼンは時間やまとめ方などテクニカルな問題を除けば大変有意義だった。これはシンポの流れも改善されるかと失望状態から少しだけ希望を持ちはじめてすらいた。しかし、次に行われた沖縄側の一部識者のコメントや対話「台湾有事を起こさせない」沖縄対話プロジェクトの趣旨は賛同だが、発足イベントの報道みて失望した。沖縄タイムスによれば「台湾側には現実的な危機感は薄く、『日米政府が危機をあおり続けている』といった指摘に来場者は熱心に耳を傾けた」とのこと。台湾の一般的な認識を見事に歪曲してくれた。 セッションでのやりとりで再び失望した。コーディネーター(司会)である前泊博盛氏による台湾への理解が全くないからなのか要領を得ない質問の振り方は失望の象徴である。台湾側の識者は彼らにとって外国語である日本語で台湾有事の引き金を引くのは中国であって、ボールは台湾側になく、有事を招かないよう台湾は抑制的に振る舞っていることを懸命に説明し、有事の可能性についても台湾海峡の情勢を踏まえて冷静に論じた。だが、前泊氏は「どう台湾有事の可能性はないと2人に言わせて帰すか」「戦争はない、有事はないと2人にどう伝えるか」などあたかも両名が好戦的であるかの前提で議論を振り続けた。途中で「台湾が武力衝突を回避してきた知恵は何か」との質問を振っていたが、それこそ「台湾独立」など有事を招きかねない動きを台湾社会全体はバランス感覚を持って抑制してきたとともに、中国を台米日などで淡々と抑止して中国による台湾侵攻を先送りさせてきたからにほかならない。 その認識も共有せずにコーディネーターをやっていたのならあまりにも準備不足だったと言わざるをえない。そして沖縄側の識者として出た高嶺朝一氏(元琉球新報社長)は「(有事は)ないでしょう笑」と一笑に付した上で、「あってほしくはありません」と言った。台湾側もあってほしくないと平和を求めているにもかかわらず、嘲笑的態度だったのが前泊氏の振り方も相まって実に失礼に思えた。続けて高嶺氏は台湾側論者が例示した米国高官による2027年までに台湾危機が顕在化するとの警告について「(高官は)次の仕事を探すためにそういう発言をする、煽られないように気をつけないといけない」と反論した。これはシンポで議論する上であまりに雑な扱いだ。求職活動のためという目的が含まれていたとしても政府・軍高官がなぜ公聴会やインタビューなどの公式や公の場でそのような発言をするかといえばシグナルの役割があるわけで、それは何の意味をもつかを着目して分析する必要がある。 2027年までに台湾侵攻を中国が整える可能性が言及されているのは、中国の経済力と軍事力の強化に伴い、台米日等による対中抑止力とのギャップが埋まりつつあり、野心的な指導者(習近平氏)の登場で台湾の武力統一の可能性が過去と比較して高まりつつあるからでそれをこれまで通り有事を先送りさせるために防衛強化が必要なことを訴えるためだ。本当に侵攻が起こる可能性はまだ低いものの、有事の目を摘むための防衛強化議論が各国として必要となっているがゆえの発言だ。煽っているのは確かだが、それによってようやく必要な防衛強化議論ができるわけで、その背景を踏まえて台湾側の識者は例示をしている。前提のおかれた専門的な見方を揚げ足をとるように一蹴して議論の発展を期さないのは全く対話の姿勢が感じられない。そしてとどめを刺したのは対話セッション終了後にコメンテーターとして登壇した沖縄タイムスの宮城栄作編集局長の次の発言だ。 「台湾の人たちも有事にならないように、あるいは日本や沖縄に迷惑をかけることのないようなしっかりした世論を築いていっていただきたい」。一体何様のつもりであるのか。この発言は台湾で昨年行われた世論調査で台湾有事に自衛隊が参戦するかとの問いに参戦を信じると答えた割合が4割を超えていたことを受けてのものだ。確かに憲法9条をはじめとした制約を理解している人からすれば台湾社会の日本に対する理解不足は目につくが、これは台湾政府や台湾の専門家も危機感を覚えている。 日本が有事に際して直接台湾に自衛隊を派遣することはないと台湾の政策担当者は誰もがわかっているし、誤った認識の自国社会に現実を理解してもらい、台湾は台湾自身で守るのが前提で、対中抑止強化をまず自国で高めようと注力している。そもそも自衛隊の参戦期待は一昨年の調査では5割を超えており、日本への過度な期待は落ち着いてる傾向だ。せめて「台湾にも日本の政策や理念への理解を深めてもらいたい」など相互理解を前提にした指摘をすればよかった。 台湾社会は70年以上戦争の脅威に直面し続け、大国間に揉まれながらも有事を回避して平和を保とうとバランス感覚を身につけ、それこそ迷惑にならないよう成熟してきた。そんな台湾社会に「迷惑をかけるな!ちゃんとした世論を作れ!」と要求するのは台湾をどこまで愚弄すれば気が済むのかと本当に怒りを覚えた。シンポのアーカイブを見た台湾政府にいる友人はこの発言を受けて「そんなに迷惑な存在だと思われてるということは沖縄の主流民意は台湾が中国に統一されることを望んでいるのか」と私に聞いてきたが、「わからない」と答えることが精一杯だった。ここまでで名前をあげた方々には強い言葉で申し訳ないが次の言葉を贈りたい。恥を知れ、と。 それほど今回のシンポには失望を通り越して絶望した。救われたのは山本章子先生(琉球大)が最後に発言されたウィットに富んだ次のコメントである。「議論のスタート地点を明らかにした意味で有意義だった。願望や政治的主張でなく現実として我々が今のどこに立っているのか台湾と沖縄のそれぞれの立場から確認できた。今後も事実として我々が今どこに立っているのか、立たされているのか絶え間なく確認したい」。このコメントに私は全面的に同意するとともに沖縄の識者にこの言葉が通じることを私は期待している。 また同じく沖縄側で出席した神谷美由希氏の姿勢もありがたかった。台湾や中台関係についてわからないから知りたいとの姿勢は対話において重要に思えたし、台湾側もそれにうまく応える環境が整っていればよかったのにと悔やまれる。そして、台湾側も同じように沖縄が何を考えているのか自分たちの考えを理解してもらいたいのと同じように知る上で、神谷氏の姿勢は学ぶところがあったと思う。 ここまで感情的な点も含めて今回のシンポジウムについて長々と書いてきたが、改めて最大の問題は基本的な知識と理解が欠如して相手に対して敬意ある姿勢を示すことができずに対話にならない点と指摘する。プロジェクト主催者には中国や台湾の専門家を名乗る人物も含まれているが、彼らは明らかに台湾や中台関係に対する認識とそのフレームが20年以上前の状態から更新されず、見方が政治的にも偏ってしまい、現在の台湾の主流民意を理解できていないことが窺える。あと2回のシンポをどのように展開するのかわからないが意義ある対話が今後できるとはとても思えない。 プロジェクトを継続して健全に発展させたいなら早急に最も簡単なものでいいから台湾に関する基本書籍を読むか然るべき人からレクチャーを受けてほしい。最後には台湾政府にもプロジェクトのまとめとして意見書を提出するようだが、今回のシンポの内容を見る限りとてもじゃないがまともに内容を相手にしてくれないだろう(出すことが目的化しているなら気にしないだろうが)。今回のプロジェクトがせっかくの機会だったのは間違いない。台湾と沖縄はともに「帝国」の狭間で翻弄された歴史をもち、自分たちの権利や主権が蔑ろにされてきた過酷な運命を背負ってきた。 相互理解とともに平和を求める共通の利益も本来あるはずだ。歴史的経験と共同体の記憶の違いから埋めがたい差があるものの、それを乗り越えて大袈裟に言えば東アジアの平和のパートナーの一例になる契機にもなり得た。だから他の人が私に「出席者みたら無意味だとわかる」「沖縄左翼の自己満足」と批判してきても趣旨に賛同して期待もし続けた。 対話は相手を尊重し、まずは受け入れることが重要だ。今回、対話を仕掛けた側は本当にその姿勢をもっていたのか。結果を見る限り、それは全く感じられない。何度でも言うが、台湾は有事を起こそうとはしていないし、日本や沖縄を巻き込もうとも思ってない。私を含めて多数の台湾人は日本に参戦しろとも求めていない。過去70年以上、中国による台湾全面侵攻を回避し続けた事実とその経験をもとにこれまで通り一緒に平和を求めていこう、そのために協力することがお互いの利益にもなるはずだとの考えである。 それは端的に言えば中国の現状変化にあわせて台米日も対中抑止の度合いを変えるという長年の構造を継続しようというものだ。よく中国は経済関係上重要な相手で対中抑止を行うことはむしろ国益に反するとの主張を聞くし、今回のシンポで前泊氏などが中国との経済関係を例に挙げたが、これまでも対中抑止を続けながら経済関係を発展させてきたわけで尖閣諸島での対立激化時のレアアース禁輸や米中のハイテク覇権争いなど個々の特異な事象を含めて全体として対中抑止と経済活動の両立という構造が大きく変わっているわけではない。 中国が軍事拡張を続けているのにそれに対応しない方がこれまでの東アジアの平和と安定の構造を変えようとする新しい動きだ。その結果として中国の台湾侵攻など台湾有事を招けばサプライチェーンは破綻し、抑止強化反対の理由に使われる経済的利益すら守れずに失われる。だからこそ対中抑止は日本の利益でもあるはずだ。現在日米で進む抑止強化の方法に問題や議論の余地があるのは確かで、かつ経済面の抑止力が過小評価されていることも確かだ。 それを議論することは重要だし、これまでの平和の方法論に異論があれば、歴史と事実を踏まえた上で新しい平和の形を議論していくこともできる。対話を名乗り、仕掛ける以上は議論に必要なものは何かを理解して臨んでほしい。沖縄対話プロジェクトにもう期待はないが、残りが少しでも実りあるものになればと祈る。
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gyohkou · 1 year
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11/12/22
フラットにもだいぶ慣れてきた。家に備わっているもの、キッチン、お風呂、トイレ、ソファとテレビ、洗濯機、掃除用具などを一通り使い終えると、使い方と責任範囲がわからない不安感は払拭された。もう、わたしのものでもあるんだ。キッチンダイニングとは別に、ソファと壁掛けテレビがあるリビングルームがあって、そこへ夕飯を持ち込み、Netflixでフレンズを観たりしている。(よくわからないんだけど、以前の住人の契約がそのままになっているだかで、Netflix見放題なのだ。)リビングルームとフラットメイト1の部屋は隣接しており、その部屋の裏側の壁にテレビがかかっている形なので、「うるさくても眠れるタイプだから、いつでも観ていいよ」と言われてはいるものの、音量はちっちゃくしている。ソファで伸び切ったりできるほど慣れてはいないので、30分で終わる1話分だけ観終えると、そそくさと立ち上がって、洗い物をして自室へ引き上げる。イギリス式のキッチンは広くて気に入っている。コンロは4口、トントンスペース(三軒茶屋の不動産屋の受け売りワード)はまな板10枚分くらいあるし、レンジ、2段のオーブン、ポップアップトースターもある。ケトルはライムスケール(硬水の石灰成分が固まった白い汚れ)がひどくて、クリーナーを使ってみたけど、注ぎ口だけ綺麗にできなかったので使うのは控えている。自室も、狭いけど気に入っている。多分4畳くらいだけど、ちょうどよい大きさの机と、バルコニーへ通づる大きい窓、から差し込む光が特に良い。以前勤めていた会社の同期が3畳+キッチンの賃貸に住んでいると知って、むっちゃ馬鹿にして大笑いしたことがあったけど、狭いのもけっこういいね。
学校へ向かう朝、アパートの外階段が濡れていて滑ったので用心しながら降り、バス停へ向かった。バスに乗ったらバスの床も濡れていて、走り出した時に歩いていたので、滑って思い切り転んでしまった。わたしは笑っていたけど、落とした財布とオイスターカードを広い、手を差し伸べてくれた女性は真剣に心配してくれ、運転手に向かって、なぜバスの床が濡れているのかと怒鳴りつけていた。運転手は怒ったような口調で何かを返し、わたしは I'm fine. と言いながらへらへらしていた。わたしだけが笑っていた。別におもしろくはなくて、痛くて恥ずかしくて、こういう時に怒るんだと思った。転んだことは恥ずかしかったけど、怒ることはもっと恥ずかしいことだと思った。濡れた床のバスで転んだくらいでは怒らなくてもいいけど、なんというか、怒ることも、自分に正直でいるためには大事なんじゃないかと思った。
また別日、バスを待つ間、Airpodsを耳にはめるとなぜか米津玄師のYANKEEが流れたので、そのまま聴いたら高揚して楽しかった。体が動いてしまうようなJ-popが好きだったことを思い出した。身体が楽しいことが楽しい。英語を喋る楽しさって、MAD HEAD LOVEみたいなリズムが詰め込まれた音楽でノってしまうような感じに似ているような気が(その時は)した。
精神的な苦痛を身体的なアプローチから癒すことについて。フラットへ越してきてからしばらく抑うつな気分が続いていた。落ち込みやすいのは昔からだけど、単純に身体的な刺激が足りていないだけなんじゃないかと思った。抑うつ状態であらゆる物事をネガティブに捉えてしまうのは脳のバグだとわたしは思っているのだけど、脳、というか感じ方、というか気分は、自分でも驚くほど突然、反対方向に切り替わる。死にそうになっていた5分後にはものすごい安寧に包まれていたりする。騙されやすい(?)脳にスイッチングが起こる時はいつも、身体的な刺激が伴っている気がしている。(寝転んで悩み続けている最中に晴れやかになったりはしない。)身体へはたらきかければすぐ元気になるみたいな話では全くないのだが、身体が楽しいことをなるべくたくさん散りばめることであまり悩みすぎないようにし、落ち込みの大波には飲まれないようにすることができるんじゃないかと思った。
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仕事何する?で悩み続けており、これは歌ったり踊ったり走ったりして解決されるタイプの悩みではないので、悩まないといけない。人の生活やキャリアを見て流されまくっている。いろんなものが、それぞれ良く見��る。何をしている時が幸せを感じるのか、自分でちゃんとわかっておくことがこんなに大事なことだとは知らなかった。わたしは儲けるためのビジネスに全く興味が持てないのに、フラットメイト2が毎日忙しそうに働きながらビジネスの勉強のために大学へ通ってもいて、有望そうだなと妬んだりするのがめっちゃいやだ。人を羨むことは無意味だと知ってはいるけど、やめることはまだできない。でも羨望の感情って何かを始めるきっかけであることが多いから、素直に羨んで、自分もやってみて確かめるのが大切なのかもな。何をしている時に幸せかは、実際に確かめたり、時には何度も繰り返し確かめたりしないと、わからない。わかる、というより、わかりつづける、みたいな感じなのかもしれない。自分の幸せを絶対的に感じ続けることの何と難しいことよ。
なんとなく、場所を選ばず、複数種を掛け持つのが理想的な感じがしている。3つくらいをジャグリングしたり、時にはしなかったり、したい。2年間で掲げるにはあまりに大きく曖昧な理想像だから、2年後に何か一つでも手に入ったらいいよね。
いくつか求人にも応募している。時給£30(!)のマッサージ屋の求人を見つけて、未経験でもトレーニングあるよ、英語ちゃんと喋れなくてもいいよ、みたいな感じだったからapplyしてみた。二日後にメールが返ってきて、電話でヒアリングしたいというので応えたら、完全未経験者へのトレーニングはない、マッサージはそんなに難しくないし、誰かに教わってからまた連絡ちょうだい、とのことだった。どうやら英語力よりも経験のほうがよっぽど重要視されるらしい。あと、電話は意外といけるから怖がらなくていいこともわかった。
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突然、村上春樹を読みたい時の感情になって、学校帰りにFoylesという丸善みたいなでか本屋へ行って、ノルウェイの森の英訳版を買った。おもしろく読めている。ただ、日本語特有の言い回しや表現で構成された元の文章が、愚直に平坦に説明されているような感覚を覚え、少し味気ない。何度も読んでいるノルウェイの森を選んだからこそ、細かい言い回しや話の展開と照らし合わせて読むことができ、村上春樹感を味わえているが、未読のスプートニクの恋人を選んでいたらどうだったろう。海外文学を日本語で読む時のつっかかりや違和感は、異なる言語へ翻訳する過程で何かがこぼれ落ちるために生じているのだとわかった。
人と集まって食事を共にするやつをやりたい。食の傾向っていうのは、どんな料理が好きかの他に、どんな風にお酒を飲むのが好きか、そして忘れられがちなのが、どれくらいの量を食べるか、の3点に依存すると思う。わたしは結構食べる方っぽくて、アラカルトスタイルで人と食事をすると、もうおしまいなの?てなることが度々ある。定食屋とかで、女性のお客さんご飯の量減らしますか?とか聞かれるのもちょっとかなしい。たくさん品数作ったお料理を並べて、きりっと冷えた白ワインもたっぷり用意して、いい音楽かけたり話聞いたりしながら食べたり飲んだりしたいよう。来週末からスペインへ旅行するから、おいしいものいっぱい食べる。
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おぎのやの釜めしの空き釜を使って、Tescoの激安long grain rice(細くてパラっとしたお米)を炊いてみた。釜で炊くのは意外と簡単。洗い物をしていると、器の裏側に彫られた「益子焼」の文字、おぎのやの釜めしの釜は益子焼の土釜だった。急に愛着が沸いた。次は日本米を炊いてみたい。
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genkidesuka2022 · 11 months
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脳のコンディションを整えパフォーマンスを上げる運動
最近では運動と脳に関する研究が進んでいます。
最新の研究では、運動を取り入れることによって脳細胞が増えたり、脳内物質の分泌が活発になるなどして、記憶力・認知力・実行力が向上することがわかってきています。
運動はダイエットや筋力を保つだけではなく、脳のコンディションを整えるためにも効果があるようです。
では一体、どんな運動をすれば良いのでしょうか?目次
有酸素運動で記憶力を高める
運動で「幸せホルモン」を増やしてポジティブ思考に
やったもん勝ち!脳のパフォーマンスを上げる運動
1.ジョギング・ウォーキング・サイクリング
2.よく噛んで食べる
3.呼吸(深呼吸を繰り返す)
最後に
関連
有酸素運動で記憶力を高める
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「脳に良い運動」って、ウォーキング?
それとも、スクワットがいいのでしょうか?
エネルギー代謝の種類で運動を区別する時に、酸素を使って糖質や脂質をエネルギーに変える「有酸素運動」と、短時間で強い負荷がかかり、エネルギーを作るのに酸素がいらない「無酸素運動」があります。
脳にもたらす影響としては、有酸素運動は脳の神経伝達物質を増やしたり、脳の血管や新しい細胞を生み出す効果があると言われています。
日本で行われた研究では、ウォーキングやヨガなどの軽い運動をわずか10分程度行うだけで、脳の学習・記憶をつかさどる海馬が刺激され、記憶力を高められるそうですよ。
忙しい方、体力に自信のない人でもすぐにできる運動です。
記憶力や実行力など脳の機能別にどんな運動が効果的かという研究も進められており、今後明らかになってくる結果にも注目ですね。
運動で「幸せホルモン」を増やしてポジティブ思考に
たくさんある脳内の神経伝達物質の中で、記憶力や感情に関係する「セロトニン」や「エンドルフィン」は、運動で分泌量が増えたり、活性化されます。
「セロトニン」の活性化には、ウォーキングやジョギングなど「一定のリズムを刻む運動」が効果的と言われています。
セロトニンは脳内の情報伝達のバランスを整える神経物質で、脳内のセロトニン量が増えると心が落ち着いてさわやかな気分になり、集中力も高まります。
不安や抑うつ感なども改善され、元気が出てポジティブな気分になると言われています。
「エンドルフィン」も脳内の神経伝達物質の一つで、鎮痛効果や気分の高揚・幸福感などが得られます。
やったもん勝ち!脳のパフォーマンスを上げる運動
1.ジョギング・ウォーキング・サイクリング
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ゆっくりで良いので、10~30分間行いましょう。
おすすめの時間帯は朝。
交感神経が活性化され、心拍数が上がり血行が良くなり、脳への血流もアップ。
交感神経が優位な時間が増えると意欲的になり、ポジティブな思考になりやすいで、仕事などで座りっぱなしの方は、こまめに立ち上がって歩くことで運動効果が上がります。
西オーストラリア大学などが中高年を対象に行った研究では、一定時間の間にウォーキングをしたグループの方が座ったままのグループよりも記憶力や実行力が高いということがわかったそうです。
1時間に1度は立ち上がったりトイレに行くなどを心がけると仕事効率がアップの期待が高まりますよ。
2.よく噛んで食べる
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よく噛むことも脳の活性化につながるとの研究が進められています。
食事の際は30回以上噛む、ガムを噛むなどすると、脳の前頭前野や海馬にも刺激が与えられ、記憶力や認知力が高まると言われています。
朝は朝食をしっかり噛んで食べて、午後に仕事中に眠くなったり頭が働かないなと感じたら、出来るならガムを噛んでみてください。
食事をする際は噛む回数を数ると、噛むことに意識をむけられるのでより効果的です。
3.呼吸(深呼吸を繰り返す)
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忙しく動き回っていたり、仕事や作業に集中していると、リラックスしているときと比べて呼吸の回数が少なくなったり、呼吸が浅くなります。
「息をつく暇がない」「息抜き」などの慣用句の表す通り、呼吸は私たちの心理状態とも深いつながりがあるんです。
深呼吸を繰り返すことで副交感神経が活性化し、心身がリラックスし、ストレス解消に役立てて仕事の効率アップにつながりますよ。
また腹式呼吸を意識すると、「ドローイン」というエクササイズもあるように、横隔膜を意識してを動かして深呼吸を繰り返すことによりインナーマッスルを鍛えることもできます。
最後に
運動をすると脳の働きを良くするだけでなく、心身の健康にも役立ちます。
頭の働きや体調を常に良い状態に保つ努力をし、自分で自分のコンディションをコントロールして、様々なことに前向きに取り組みに役立立てみて下さい。
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miraimonogatarilabo · 1 month
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1+1=2以上となるような変化をしたい方へおすすめの本のご紹介~7つの習慣08
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1+1=2以上となるような変化をしたい方へおすすめの本のご紹介~7つの習慣08
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皆さま、こんにちは。未来に繋がる情報を研究し発信するブログを運営する「みらいものがたりラボ」代表のせにょです。
本ブログでは、皆様の中で現在生じている問題を解決し、明るい未来へつなげる本をご紹介します。具体的には、週1回程度の頻度で、皆様の問題を解決するうえでお役にたつ本を1冊ピックアップし、簡単に解説します。 今回は、「7つの習慣 人格主義の回復」のご紹介の第八回目です。前回は第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」を解説し、信頼関係を深める対話方法をご紹介しました。今回は第6の習慣「シナジーを創り出す」を解説します。 解説は以下3点を中心に私の意見としてご紹介します。
どんな問題が解決できるか?つまりどんな人におすすめか?
どうしてこの本でその問題を解決できるのか?
問題解決のため我々は具体的にどう行動すべきか
それでは、本題に入りましょう。
【1+1=2以上となるような変化をしたい】でお困りの方へおすすめの本【7つの習慣 人格主義の回復】
【1+1=2以上となるような変化をしたい】でお困りの方へおすすめの本は、【7つの習慣 人格主義の回復】です。 完訳 7つの習慣 人格主義の回復 以下でおすすめの理由を解説します。
本書で【1+1=2以上となるような変化をしたい】を解決できる理由は【互いの違いを認め、第3の案を探すことを提案する】から
【7つの習慣 人格主義の回復】で、【1+1=2以上となるような変化をしたい】を解決できる理由は【互いの違いを認め、第3の案を探すことを提案する】からです。 著者であるフランクリンコビー氏は、本章の冒頭で、シナジー体験をしたことがない人について説明します。シナジー体験をしたことがない人の特徴は以下です。
自分の周りに殻を作り、防衛的なコミュニケーションをとる
人生も他人も信用できない
枠組み、確実性、予測を過度に求める
その結果、シナジー体験をしたことがない人は、持って生まれた潜在能力を発揮することなく人生が過ぎ去ってしまいます。シナジーの素晴らしさを知るコビー氏は、これを人生における大きな悲劇であるとします。
シナジーの定義と効果
では、コビー氏が素晴らしいと語るシナジーの定義はなんなのでしょうか?本書では、シナジーを「全体の総和が部分の合計よりも大きくなること」と定義します。いわば1+1=2以上とな��ような効果のことです。理由は、各部分の関係自体が触媒の役割を果たすからです。具体的には、関係性の中で、各人に力を与え、人々の力をまとめるうえで総和を増やす重要な働きをします。  では、次にシナジーが持つ素晴らしい効果とは何なのでしょうか?本書ではシナジーのもつ効果として以下を説明します。
お互いの自尊心を育み、価値を生かせる
一人一人が成熟し自立し、相互依存の関係を築く機会を提供する
他者と社会に奉仕し、貢献するような次の世代のための脚本を創り出す
心を開いて人を信じ、分かち合う生き方になる
人を愛し、人のためを思って生きるようになる
自分の中にシナジーを創り出す
以上のような素晴らしい効果を持つシナジーを創り出す前提として、我々はまずどうすればいいのでしょうか?本書では、すぐできることとして、自分の中にシナジーを創り出すことを提案します。 第1~第3の習慣を身に着け実践できるなら、心を開き、自分の脆い部分をさらけ出しても内面がぐらつくことはありません。さらに、Win-Winを考える豊かさマインドを育て、第5の習慣を体現できます。原則中心の生き方をすれば、過不足なく統合された個人になることができます。つまり、直感的、創造的、視覚的な「右脳」、論理的、言語的な「左脳」の両方を使いこなし、自分の頭のなかでシナジーを創り出します。 人生は、半分は論理、半分は感情でできていますので、脳をフル活用することで効果的な人生を送ることができます。
互いの違いを尊重する
自分の中でシナジーを創り出したあと、他人とシナジーを創り出すうえで私たちは、どのような考えをもてばよいのでしょうか?本書では、それを「互いの違いを尊重すること」とします。互いの違いを尊重できるようになるには、世の中を「あるがまま」にみているのではなく「自分の考えるがまま」に見ているに過ぎないことに気づく必要があります。つまり。「自分のものの見方には限界がある」ことを認める謙虚さを持ち、他者と接することで、自分の知識が深まり、現実をもっと正確に理解できるようになると信じることです。
シナジーとコミュニケーション
他人とシナジー効果を創り出す上で、互いの違いを尊重するという考え方が大切だとして、では他人とシナジーを発揮するようにコミュニケーションをするにはどうしたらいいのでしょうか?本書ではそれを説明するため、「信頼関係がコミュニケーションの質に与える影響」をとりあげます。 具体的には、横軸に「協力関係」、縦軸に「信頼関係」となるグラフにおいて、原点から右上がりの一次直線を描きます。そのグラフにおいて、原点に近い方から順にコミュニケーションのレベルを3段階で説明します。
防衛的コミュニケーション(Win-Lose or Lose-Win):「協力関係」が低く、「信頼関係」も低い。自分の立場を守ることしか考えず、揚げ足をとられないよう用心深く言葉を選ぶ。問題が起きたときに備えて予防線を張り逃げ道を作る。
尊重的コミュニケーション(低いレベルのWin-win):「協力関係」が中程度、「信頼関係」も中程度。お互いを尊重するコミュニケーション。相手に敬意を払い対立を避けるが共感には至らない。妥協した結果1+1=1.5程度にしかならない。
シナジー的コミュニケーション(Win-Win):「協力関係」が高く、「信頼関係」も高い。強い信頼関係から生まれるシナジーで最初に示された案を超える結果になる。1+1=8や16になり、その創造的プロセスを全員が楽しめる。
第3の案を探す
他人としっかり信頼関係を築き、お互いに深く協力することがシナジー的コミュニケーションだとして、お互いWin-winとなるようにするにはどうしたらいいのでしょうか? それは「第3の案を探す」ことです。例えば、ある二人の人間がある状況について異なる見方をしているとします。お互いに信頼口座の残高が十分あれば、心を開いてコミュニケーションをとれます。次にWin-winを考えてお互いのためになり、最初の案よりもよい第3の案があるはずだと信じることができます。相手の身になり共感して話を聞き相手の価値観や関心事の全体像をとらえ、お互いにためになる決断を下すことができます。つまり、高い信頼口座の残高、Win-winを考える姿勢、相手を理解しようとする努力、これらがシナジーを作りだす環境となります。これは、妥協ではなく、より高い次元の選択を意味します。結果、二人はお互いの望みを一つに合わせることを意味します。対立ではなく、お互いに同じ側に立って問題を眺めて、両方の希望を叶えるような第3の案を見出す努力をします。このようなシナジーのプロセスは、二人の望むものをかなえ、二人の絆を強める効果があります。
力と場の分析
ここまでで一対一の関係においてシナジーを創り出すことについて紹介しました。では、組織など複数人が集まる場においてシナジーを創り出すにはどうしたらいいのでしょうか?その説明として、本書では「力の場の分析」というモデルを紹介します。組織が成長や変化を求められる状況において、現在における組織の能力や状態は、上向きの「推進力」を行使するグループと、それを妨げようとする下向きの「抑止力」を行使するグループが釣り合ったレベルをあらわしています。  推進力は、ポジティブな力で、合理的、論理的、意識的、経済的な力が働きます。一方、抑止力はネガティブな力で、感情的、非論理的、無意識、社会的・心理的な力が働きます。つまり組織が変化に対応するときは、推進力と抑止力の両方を考慮する必要があります。  仮に今、組織における力関係を変えたいとします。例えば、推進力を高めて、互いをもっと尊重し、オープンに話をして信頼感に満ちた雰囲気を作りあげたいとします。しかし、一時的に上向きの力である推進力を高めたとしても、ばねの反作用のように下向きの抑止力が働き、元のレベルに戻ってしまいます。
力関係を変える=シナジーを創り出す
では、このような力関係を変えるにはどうしたらいいのでしょうか?本書では、そのためにシナジーを創り出すことを提案します。以下順番に説明します。
抑止力になっている問題について全員で心を開いて話し合います。
抑止力が弱くなると、推進力が大きくなり新たな視野が開けます。
全員が共有できる新しい目標ができ、誰も予想していなかった方向へ話が進みます。
上向きの力が働きはじめ、その力が興奮の渦をもたらし、新しい文化が生まれます。
興奮の渦の中にいた全員が互いの人間性を知り、新しい考え方、創造的で斬新な選択肢や機会を発見して大きな力を得ます。
その結果、組織にシナジー効果が発生し、更なる成長に繋がる変化を起こすことができます。
【1+1=2以上となるような変化をしたい】の解決のための具体的な行動は【意見が異なる人の前で、勇気を出して、自分の考え、気持ち、体験を話してみる】である
では、本章を読んだあと、我々は具体的にどう行動すればよいでしょうか?それは、【意見が異なる人の前で、自分の考え、気持ち、体験を話してみる】です。敵対心を向けられるような状況にあっても、自身の内面にしっかりシナジーを創り出せば、他者が発するネガティブなエネルギーに晒されても身をかわして避けることができます。その代わり、相手の良い面を探し出し、そこから学んで視野を広げることができます。そして、勇気を出して、自分の考え、気持ち、体験を話してみてください。その結果、相手もあなたに触発されて心を開くでしょう。そのとき、留意すべきは、相手があなたの意見に反対しても、迎合するのではなく相手の意見を認め理解しようとすることが大切です。
最後に本書のリンクを再掲載しますので、購入して実践してみてください。
完訳 7つの習慣 人格主義の回復
以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。 次回は、第7の習慣「刃を研ぐ」を解説します。 本ブログでは今後も、皆様の中で現在生じている問題を解決し、明るい未来へつなげる本をご紹介します。
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gagago-001 · 1 month
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3/25〜3/27
Pokémon Sleepをすると日記が書けるようになる なんと……
寝る前にちまちまこたつで書いてた3日間のなんか
3/27
昼、大学に行く
家の中からは陽の暖かさが見えたが、外は案外冷たく新学期を感じる 肌に時折触れるシャツがつめたい
1年前期に書いた文章の汚さにゾワゾワした ありえん……
どうせならと着いてしまうのは悪 いいか 巡るし なぜ……
校内、特に室内だとどこに居てもそれなりの大きさをもった人の声が耳に入る 音を遮断する力がないので、気を抜くと頭で文字に起こして、それを追ってしまう 気分が悪くなる 聞いてはいないので数秒で中身が抜け、目のほうに意識を向けてみる 他人の会話を知ることを止めてくれ 憶えているいないに関わらず、まず止めてください もし万が一聞いていても、誰にも打ち明けなかったらいいのではと少し思ってる自分もいて最悪
カップ麺を買って帰る 食パンより強いから 本当に家の食料がなくならないと食べないが
満腹なのに食欲が止まらず、張り続ける 横になれば余分な食欲を抑えられることを知る
私が言葉を使うことに気味悪さを感じる 今という型にぴったり丁寧に切り抜く能力が乏しい ざっくり組み立ててみて、あべこべでわけのわからん文字列に噤む 全部嘘で全部本当なので気味悪い 騙されていると感じても、見透かされていると感じても、これらが思いついてどう見ても見なくてもい��かと流す 慣れや��用以前に、物を考えるときの道をまともに引くことが全くできていない 灯台に涙する前に引き戸を残せないのですか 何も知らなすぎる……
明日起きたら、この文も全く頭にはいってこないと思う 軸はないのか
3/26
今日はほんとうにだめだ もっとはやく頭痛薬をのんでいればよかった 飲んでも飲まなくても変わらなかったかもしれないが、処置すれば治まるような痛みを我慢する癖を治さなくてはならない 私が困るので 今もいたい てか重い
今日はほんとうによかった はやくに寝て(疲れたから)はやくに目覚めた カビゴンたちと共に 3日連続スリープできている イイ このまま続けてください
ポチポチスマホを触ってから起き、朝ごはんを食べながら、録画番組を見た 日曜日の朝と夜 ありえない質量で突かれたので、scrapboxにそれを殴り書く その後、洗濯機を回しながら、紙のノートに1ヶ月分の日記をつらつらつらつら書いた 途中でペンを置いてしまえば長い期間放置してしまうかもと思い、手を止めず書いた 外からの明かりがだいぶ少なくなっている めちゃめちゃ時間がかかったし、めちゃめちゃお腹すいた 鍋をあっためて、(冷凍ごはんを切らしているが炊く余裕がないので)食パンと食べた 順調におなかが満たされると気分がいいが、家にあるごはんが減るのは最悪だ どうしろと……
昨日は半日ほど、あれこれ用足しして疲れたので今日はゆっくりすると決めていたが、想像以上にゆっくり且つじっくり過ごせたと思う よかったですね 全く動いてないし全く何の糧にもならないのに! 謎の焦りを噛まずに飲み込む じゃあそんな大したことないわ
春休み、19日からのこの1週間しかまともに過ごせていない もったいな やりたいこととやるべきことでパンパンに膨らませて、結局のところ殆どを必要ないことに費やし終わる(はい)
朝:小フランスパン、コーヒー
夕:ロールキャベツ、モッツァレラチーズ1/2、食パン
3/25
バスを乗りまちがえた とうとう
これで二度と間違えないのでまあいいか そこまで遠く離れた所に行かなかったし、料金も倍近くまでで済んだし
それによく行く美味しいごはん屋の近くに降りれたし 最高かも(……)
カツカレーを食べた いっとう気になる定食はある程度手をつけ、麺類も一度食べたので、次に頼むのはカレー 美味しいごはん屋さんのカレーはだいたい美味しいから 美味しかった! 日が経ち具がくたくたしたカレーと、さくさく衣に肉香るカツと、こんもり奥に盛られるさっぱりした赤い福神漬 揚げ物が上手すぎるごはん屋さんなのでカツが最高なのはそりゃそうだ……と思い出す
ごはんはもちろん、雰囲気が大好き 安らぎ 「居間」を強く感じる 匂いや音に強くそれをみている
帰り、茂みの中からマツムシのような虫の鳴き声が聴こえて最高になった 虫のビジュアル以外全てが大好き 朧月を見ながら、空気を吸い当てながら、坂道を下って帰った 暖かい 無意識にいれる力も服の重さも必要ない うれしい 同時に、布団が軽くなるのを思い、かなしくなった
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