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#紅葉鬼
mono-umbran9no1 · 1 year
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Twitterに投稿していた鬼女紅葉のイラストです。
鬼女紅葉 (Kijyo Koyo) - Fate/Grand Order
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roundtripjp · 1 year
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能享受片刻安寧,在寧靜的街道漫步,感受著無比絕美的鬼怒川街道與有著季節限定的美麗紅葉公園的「滝見公園」!
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sayakalaine · 1 year
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昨日は、 #沼津 お友達からご縁を頂けまして #長興寺 さんの #お茶室 #お庭 を拝見し���した。 #お抹茶 とお菓子を一服いただいてから (撮り忘れた) ご住職とお話しさせていただき とても良い時間でございました♪ Wあきこさん 松下ご住職ありがとうございました😊 先日、京都まで行って #茶の湯 展を拝見した成果が早速😍気づけただけでなくoutput出来て、めちゃくちゃ嬉しかった🤩良かった〜✨✨✨ #沼津市 #静岡県 #お寺 #寺 #寺社仏閣 #茶室 #庭園 #日本庭園 #庭 #紅葉 #石 #瓦 #鬼瓦 #数奇屋建築 #japanesearchitecture #日本建築 #和文化 #侘び寂び #japanesegarden #japaneseteahouse #temple #japanesetemple #japaneseculture #teahouse (at 長興寺) https://www.instagram.com/p/CmFaz2cyGWc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sadaki-ino · 2 years
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日乾に帰依した二代目吉野太夫が寄進した朱塗りの赤門「吉野門」でも有名な鷹峯の常照寺さんを参拝。 常照寺【京都の紅葉と神社仏閣】 2022年11月25日(金) 満車でしたが、ちょうど運良く空いて常照寺さんの駐車場に駐められました。 紅葉は見ごろでしたが、そこまで混んでは無くゆっくり参拝させていただきました。 寂光山常照寺ホームページより 『寺格ー日蓮宗総本山���延山久遠寺直末。永代紫衣。 元和元年(1615)本阿弥光悦は、徳川家康より東西200間、南北7町の鷹峰の地を拝領し、 本阿弥一門とその家職につながる集団を引連れ移住しました。 元和2年、本阿弥光悦、光瑳親子は、同所に「法華の鎮所」を建立、 鷹峰に弘通していた寂照院日乾上人を招じてこれを捧げ、日乾上人はその鎮所を寂光山常照寺と号しました。 さらに日乾上人は常照寺に僧侶の学問所・鷹峰檀林を創設しました。 故に往時は常照講寺と呼ばれ、境内数万坪の中に、講堂、衆妙堂、玄義寮、妙見堂など三〇余棟の堂宇が甍を並、 数百人の学僧が集う鷹峰一帯の中心的アカデミーでした。 明治5年(1872)の学生発布により檀林制度は廃止されましたが、開山日乾上人の教えを精神的支柱として、 一器の水を一器に移すが如く法燈連綿として現住職瑞雲院日輝上人まで歴世485世を数えています。 光悦筆の「学室」、六牙日潮上人筆の「旃檀林」の扁額、光悦画の「日輪蓮乗」、 祖書研究の資料『録内啓蒙』等の板木、檀林関係の蔵書などの宝物が格護されています。』 常照寺しおりより 鬼子母尊神 『当山境内の北西(いぬい)の方には、三体の鬼子母尊神像と、十羅刹女をまつる鬼子母尊神堂がある。 鬼子母尊神は、もともと子供を殺して食べる悪鬼だったが、仏の教えを聞いて懺悔し、改 心してのち、子育て、子授けの神様、信仰する者を守護する神様となった。十羅刹女はそ の眷属である。堂内右側の厨子には、行者守護を表わす鬼面の鬼形鬼子母尊神、左側には 子安の母形鬼子母尊神がまつられ、正面には、鬼面をして、お腹に子供を宿し、足もとに 男女の子供を連れた姿の、行者守護と子安の両面を示す、双身鬼子母尊神がまつられ、子 供め成長や、さまざまな願いを持った人々が祈願に訪れる。』 #常照寺 #寂光山常照寺 #吉野太夫 #赤門 #吉野門 #鬼子母尊神堂 #京都 #紅葉 (常照寺) https://www.instagram.com/p/ClcgYLqP6AZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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brackheracles · 2 years
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鬼ケ岳にて🍁 通り掛かりに見つけた紅葉 #brackheracles #myphoto #鬼ケ岳 #紅葉 (Japan) https://www.instagram.com/p/ClTOPxtLHi-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tabi-niwa · 2 years
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後楽園。 岡山城のお隣の後楽園。 紅葉も所々いい感じ。 ここから見る岡山城もいい感じ。 #日本 #岡山 #岡山城 #後楽園 #日本3名園 #日本庭園 #紅葉 #鬼瓦 #秋 #japan #okayama #japanesegarden #japanesecastle #autumn #autumnvibes (後楽園&岡山城) https://www.instagram.com/p/Ck4TtjMyeSV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yajolene · 1 year
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古風的阿羅拉地區御三家來了。
「葉羽鬼梟守樹梢」、
「熾焰高漲紅虎派」、
「神氣海獅展才藝」。
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uc-yuk · 5 months
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本日1月25日発売、TCG『Z/X Zilions of enemy X』ブースターパック 螺旋輪転編 轟轟<イグナイトリンク>にて「≪舞鬼≫チェア a.k.a 紅葉」のイラストを担当しました。どうぞよろしくお願いします!
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noink131 · 9 months
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中秋大團圓
#柳沈 #渣反 #SVSSS
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中秋是個團圓的好日子,今日蒼穹峰特別熱鬧,12峰主齊聚一堂,掌門大開宴席,連一些回不了家的弟子們也都可以參加。
直到尚清華拿出月餅後大家就陷入了一片死寂⋯⋯
原來岳清源交代,讓尚清華採購月餅,殊不知這個人用月餅悄悄的計畫了一盤復仇大棋,(其實就是俄羅斯輪盤月餅)數量及種類多到連他自己都記不清那種。
秉持著獨樂樂不如眾樂樂的心態,尚清華笑嘻嘻的把月餅堆在院子中心的大桌上,熱情講解遊戲規則!
現場只有沈清秋知道這遊戲的可怕程度!臉色發白的拿著扇子捂遮著嘴。
掌門師兄還不解的道:「只是個小遊戲,熱鬧氣氛也好。」就笑咪咪的批准了。
此時的月光照亮蒼穹峰每個角落,奇石、巨岩、老松、翠竹、小溪、池塘、好一副絕美山水,但只有後院,用慘不人堵都不足以形容慘況⋯⋯
===== ===== ===== =====
桌上一盤盤各色月餅,有的是金黃外衣撒著芝麻的傳統月餅,也有方正油潤的鹹月餅,粉白圓滑的豆沙月餅,上面紅色小兔子印紋特別可愛,最吸眼球的就屬水晶月餅,外表晶瑩剔透,裏面五顏六色豆沙餡、底下鋪著翠綠的竹葉,在點綴上金箔,要說多好看就有多好看。
正當眾人一陣猛誇讚尚清華用心時,只有沈清秋將木清芳拉到一旁,小聲問:「你們煉丹爐還有多少解毒藥?現在、立刻、馬上、全部拿出來!」
木清芳一臉疑惑的問:「師兄怎麼了嗎?」
沈清秋嚴肅的道:「你別管!有多少都拿出來!等一下一定會用到!」
在一旁的柳清歌看他這麼緊張也湊過來問:「怎麼了?」
沈清秋一把啾著柳清歌的衣領,一臉慎重的說:「千萬別吃!否則後果不堪設想。」
「喔!」:柳清歌只顧盯著師兄的眼睛,一時之間什麼話也沒聽進去,就胡亂的應了一聲。
只有沈清秋保持高度戒備,因為他知道尚清華的尿性,這個人就是喜歡搞事情。
果然不出所料沒過一陣子,院子裡就已經有不少弟子橫七豎八的倒在一邊陣亡了。
有的吃到辣椒因此把頭埋進水缸裡狂灌水,有的雙眼無神呆坐一旁,有變成動物四處奔逃、還有不斷發出豬叫的、更有位女弟子雙峰從A罩杯直接升級成D罩杯,惹得其她女弟子紛紛搶食後產生各種中毒症狀!大家才知道這俄羅斯輪盤的可怕之處紛紛後退。
尚清華見大家停下來不吃了,連忙喊:「你們怎麼不吃了?裏面還有包元寶、靈石的。」
眾弟子一聽,還有靈石?元寶,心一橫,反正也不至死,紛紛又圍了上來搶食,導致更多弟子中毒,還有咬太用力咬到元寶把牙給咬崩的。
本以為只有弟子倒霉的沈清秋發現案桌上也有幾顆月餅?
頓時陷入恐慌….這…..是掌門發的?還是尚清華做的??
這時岳清源拿起月餅淺嚐一口,笑咪咪的說:「是花豆餡的啊,餅皮酥脆薄而不膩,好吃!」
沈清秋忍不住盯著掌門師兄看、手中雅緻的竹扇快被他搧成蒲扇。
沈清秋想:師兄似乎沒事,這表示這個餅不是尚清華他們做的,是安全的可以食用?
正當他還在這樣想的時候,木清芳已經變成了一隻鴨子,在一旁嘎嘎嘎的亂叫。
而師妹齊清淒已經一腳踩在案桌上撩起裙擺準備暴打始作俑者!
一旁的柳冥煙驚訝的問:「師父!?….胸…胸部⋯胸部不見了?」
齊清淒已經快氣死,原本的柳葉眉變成有菱有角的劍眉,儼然一副俊美少年模樣。
她已經無法冷靜,指著尚清華大罵:「快交出解藥!不然老娘跟你沒完!!」
其他峰的峰主見狀紛紛放下手中的月餅,直直的盯著尚清華看!
尚清華溜的快,躲在柳師弟身後,一副小人得志的樣子,對著大家辦了鬼臉說道:「哼!誰叫你們老是欺負我們安定峰!我們是後勤單位,不是什麼擦屁股單位欸!這就是我給妳們的一點小小的教訓。」說得那是一個理直氣壯。
話音剛落,整個人被柳清歌一把提起,像抓小雞一樣,見無法掙脫,尚清華奸詐的一笑對著柳師弟說:「師弟~難道你就不想看見沈清秋春心蕩漾的模樣嗎?」
柳清歌頓時愣了一下,陷入沈思。
尚清華拿著手中的月餅遞到柳師兄面前,那如同惡魔的聲音又說:「想想沈師兄在床上嫵媚嬌柔的樣子,你一定會後悔錯過的!」
見柳師弟耳根一陣躁紅,他又繼續說:「吃上一口可以展現雄風,而沈師兄的可以化骨纏綿,而且此毒只有你能解,錯過就太可惜嘍~不是我老王賣瓜自賣自誇,呲~呲~呲~要弄到那西域的催情花可真費勁了~」
「你想如何?」柳清歌咬著後槽牙低低的問。
「幫我!今天的復仇絕不能失敗!」尚清華說完就把月餅往他嘴邊塞,還露出調皮的笑容。
看著眼前月餅如同白雪公主的毒蘋果一樣的有吸引力,柳清歌忍不住的咬了一口。
此時飛劍霹來,柳巨巨本能反應是召出乘鸞、一個清脆響亮的聲音,擋下齊師姐的劍。
齊清淒驚呼不已:「柳師弟!?」
「手誤….」柳清歌一臉艱難的道,順便把餅給嚥了下去。
齊師姐快氣瘋了!舉著長劍指著柳清歌道:「師弟你這也是要下犯上了?!」(大怒)
「我….沒有…..」柳清歌面色難看⋯⋯
就這樣來回打了十幾招、但無論師姐如何出招,都無法傷到尚清華分毫。
只有尚清華如同反派一樣在旁邊,快樂的說著風涼話:「師姐!你們今天誰也動不了我,有了柳清歌在手,我的計畫天下無敵!哈哈哈!」
「哇!師尊好帥!」:女弟子A
「師尊太俊了!」:女弟子B
「師尊我能為了您生猴子」:女弟子C
齊清淒越聽越生氣!「一群花痴…..」
又看到一旁看戲的尚清華,真的是忍一時越想越氣,退一步越想越虧,出手越發兇狠。
柳清歌抵擋一陣,覺得再這樣下去,等一下還要怎麼帶師兄賞花燈和煙火?只能一咬牙,直接把尚清華這個大麻煩,往山腳下扔了出去,彷彿一道璀璨的流星畫過天際,氣的齊師姐臉色烏青。
空氣中只留下尚清華的豪言壯語:「祝大家中秋節快樂!」
「哼!柳師弟以為這樣就能讓他逃過一劫嗎?」說完齊清淒帶著剩下的女弟子,下山報仇去了。
正當柳清歌嘆了一口氣以為麻煩結束了的時候。
沈清秋顫顫巍巍的道:「你…..長出老虎的耳朵你知道嗎?….」
柳清歌:!!$#+=$)%^*+
眾人紛紛搖頭嘆氣😮‍💨
掌門岳清源抱著變成鴨子的木師弟,笑呵呵的看著大家。
(完)
去年寫的梗今年才拿出來用🤣我真是寫太慢了。
錯字一定有,還請大家多包涵🙏
祝大家中秋節快樂💕
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mvrider6 · 6 months
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奥比叡ドライブウェイ
眼下に琵琶湖を見下ろす絶景ロード。琵琶湖展望台から琵琶湖大橋が見える。
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京都市内の街並み
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平安京の鬼門を守る比叡山は高野山と並ぶ山岳信仰の歴史があり、山全体が歴史が刻まれたパワースポット
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山頂
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山頂からの絶景。紅葉と琵琶湖の共演
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奥比叡に延暦寺横川地区の横川中堂。残念ながら紅葉は落葉
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元三大師堂
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こちらは紅葉🍁
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屋根の落ち葉が良い感じ
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鐘撞堂はまだ青葉
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雰囲気ある参道
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こちらもまだ青葉の恵心館
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日蓮上人所縁の定光院跡
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ちょっと移動して西塔エリアの伝教大師の御廟のある浄土院へ。静寂な参道を歩く。
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白砂の庭が美しい浄土院
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釈迦堂
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長く急峻な階段😅
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恵亮堂
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ichinichi-okure · 8 months
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2023.9.29fri_yamanashi
こんにちは。マリンバ&ビブラフォン(木琴と鉄琴)奏者でシンガーソングライターとしても活動している 影山朋子といいます。
今回このような日記を書く機会を頂けてとっても嬉しい。最近文章を書いていきたいなと思っていたのでした! さて、初めに鷹取さんから日記のことでお声かけてもらったのは7月末のこと。2年前から突如ご縁ができて毎年通わせてもらっている大好きな能登半島のイベントに出演する日が候補日だったので、これは!と思い是非書かせてくださいとお返事し意気込んでいたところ、出発当日になって発熱しはじめ、抗原検査は陽性。泣く泣くイベントを欠席する事になりました。 それでも、日記は書きます!と申したものの、どんどん熱が上がり動けなくなり、コロナ舐めてましたごめんなさい!! ということでまた後日にとお願いしたのでした。
-コロナ罹患の思い出- 初めてのコロナ、3、4日寝続けるなんて何年ぶりだろう。熱が上がってだんだんと苦しくなってくるにつれて、 多分これまで何十年と溜め続けてきた、”ああ、私なんて・・” みたいな笑っちゃうほど自虐的な惨めな気持ちや不安が奥から奥からぐろぐろ出てきて( 笑 すみませ ん、、) 自分ネガティブキャンペーンがピークに達した頃、突如「あ、そういえば鬼滅の刃の新しいのまだ見てなかったな、何もできない今こそ見るのにぴったりやん」と思い立ち、 ネットフリックスで鬼滅の刃の刀鍛冶の里編を一気観したのでした。 そうしたらば、どうでしょう、最後に出てくる上弦の鬼が、それはそれはみみっちい人(鬼)格で、自分は悪くないのに何故咎められるんだろう、自分はなんて可哀想なんだろうと、ずっと泣いているのでした。人を殺めるようなことをしても「私が悪いのではないです、この手が勝手にやったのです」と泣いているそのどうしようもなさ・・。
あああ~、私にも、こういうところがあるので、鬼を見ていて自分の悪いところそ っくりだなと思っていたら、炭治郎が鬼の首を切ったところで、自分の中の鬼も成敗されて付き物が取れたかのような爽快さとともに、コロナから回復して行ったのでした。 なんだかそれが面白かった初めてのコロナ体験でした。 うちは夫と猫二匹と暮らしているのですが、夫も同時にかかったので、かかる前と後で二人ともなんか取れた(浄化された)みたいで家庭の空気もすっかり良くなった のでした。 大変な思いをされた方が沢山いらっしゃる中で、ちょっとふざけた文章でごめんなさい。今も患っていらっしゃる方、後遺症などで苦しんでおられる方のご回復をお祈りいたします。
-河口湖猫LIFE- さて、前置きが長くなりましたが、今日、9月29日の日記を書いていきたいと思います。 昨年、八王子から山梨の河口湖に引っ越しをしました。週に2、3日、夫と一緒に東京方面に行き八王子に住んでいた時にしていたお仕事 (音楽療育やマリンバのレッスンをしています)を続けながら、それ以外の日はライブなどが無ければ山梨の家 で自分の仕事(音楽の作業)などをしています。
今住んでいるお家は山の入り口辺りにあり、目を覚ますと 一日の始まりに緑が揺れる素敵な光景を見ることができます。
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今日は曇りで見えませんが、ありがたいことに富士山がよく見える場所です。 最近少し涼しくなってきて嬉しいのは、起きた時、大概猫ちゃんが体の上に乗って いることです。
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今日は休みの日にしては早起きして、朝近所のカフェに用事に行き、帰りに河口湖浅間神社にお参りに行きました。
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こちらは杉の木が、ほんとにすごいんです、大き~な杉の木がたくさんそびえたっておられます。 神社の奥にまた立派な杉の木が並んでいます。
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鎮爆の文字。この地域ならではですね。
本当はこの神社から少し登ったところに 母の白滝、父の白滝という素敵な滝があってそこまで行けばとっても気持ち良いのですが 今日は作業があるのであきらめました。
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いつも行くわけではありませんが、今日はせっかくの日記の日なので、河口湖��人気のパン屋さん レイクベイクに寄ってパンを買って帰りました。なんだか優雅な気持ち。 天気が良ければパン屋の小窓から富士山が見えるみたい。
。 家に帰って、最近新しくできたルーティーン “もみ散歩” 飼い猫の紅葉(もみじ)の散歩に付き添います。
これはなんだかとっても、いい すごく癒される時間です。
今のお家に引っ越してから最近まで猫ちゃんは室内飼いにしていてお外には出さないようにしていましたが、 1ヶ月ほど前に外出を解禁したのです。(前の家では自由に外に出してあげていたので二匹ともお外大好き)
二匹のうち三毛の紅葉(もみじ)は、気高くナワバリ意識が強くて、喧���っ早く、 紅葉の娘猫の心(ココロ)は気ままでマイペース、外の猫ちゃんに遭遇しても臆病ですぐ逃げ帰ってきます。
お外に出すようになって二日目のこと、紅葉が外の猫ちゃんと喧嘩しめちゃめちゃにやられてゼーハー言って帰ってきたのでした。 お腹と脇の下が傷だらけになってそれはそれは可哀想な状態でした。 とても心配でしたが、1日静かに寝てから動物病院に行き、抗生物質を飲ませて3日ほどすると回復し始めてもう薬を飲まなくなり、 1週間くらいで大分元気になりました。
もうお外に出すのは無理かなと思っ���いたら、懲りずに、、外に出たくて窓のところでドアを開けようとするのです、 傷がすっかり消えたところで、また外に出してあげる事にしました。 でも外猫ちゃんと遭遇したら、また喧嘩しかねない・・ プライドの高い紅葉はきっと・・危ないなと思い、 紅葉の散歩は毎回付き添う(というか見張るというか様子を見る)事にしました。
まずお外に出てプラプラ、日向ぼっこしてごろごろして、お気に入りの場所と縄張りを一通りパトロールして、 そして、草を食べます。(可愛い・・)
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(手頃な草を探す紅葉)
( 実は、紅葉が草を食べ終わったくらいのところで、「もみちゃんそろそろおうち 戻るよ。私仕事しなくちゃいけないからね」 と言って抱っこして無理やりつれて帰ろうとしたら シャーって怒られて噛みつかれて逃げられました、、 その後に、おトイレをしてから自分で家に戻ったのでした ) ああやっぱり大人の(人間の)都合で動かそうとしたらダメなんだなぁ。 待つことや ちょっと遠目で見守ること 大事なんですね~ (人間の子どもと同じですね~)
おかげで紅葉の散歩ルーティンや行動パターンがわかってそれはよかったです。安心しました。
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(お外やベランダで気ままに過ごす猫ちゃんたち) ああ可愛い。
ギターとシタール演奏のほか映像作家もやっている旦那さん(田井中圭)が、細かい 作業を手伝ってくれてめちゃくちゃ助かりました。 ありがとう!!!
家で仕事をしていると猫ちゃんたちがそばで応援してくれる時もあります。
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時々ベランダに出て休憩していると見たこともない綺麗な虫たちをよく見ます。 この辺りの虫はだいだいキラキラ光っていたり、透明に透き通っていたりして、綺麗です。
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そうして夕方、またお外に行きたい猫たち。
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私も体がガチガチになってきたので、家の周りを一周歩いたり走ったりしにいきます。 すぐ近くに川が流れているのでそこに行くとすごくリフレッシュできます。
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大分日が暮れてきました。 家には、浅間神社のコノハナサクヤヒメのお札(というのでしょうか・・?)と、 夫がインドで買ってきたサラスヴァティーと 能登半島の天日陰比咩神社のハガキを飾って(祀って)います。
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夜、旦那さんが外で草を摘んできて紅葉にあげていました。 可愛い・・
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さて、もうそろそろ寝る時間です。
とても平和な1日でした。 読んでくださりどうもありがとうございました。
本当は、河口湖や富士山周辺のおすすめスポットもご紹介したかったです。 忍野八海や、樹海や、道の駅や、温泉・・ 楽しいところがいっぱいあります。
そのうち、家で自然療法(蒟蒻湿布や石の温灸やよもぎ蒸しなどでの身体のあたため)と楽器の音でのサウンドセラピーのようなことと、 山や川、河口湖周辺の散策などをするリトリート的なことをやっていきたいなと思っています。 ご興味ある方いましたら声かけてください。 まだ準備中ですが、ひっそりと、”森のおとリトリート”というインスタグラムアカウントを作りました。 https://www.instagram.com/morinootoretreat/
こちらに引っ越してから、だんだんとやりたいことが自然とできるようになってき ました。 ありがたい。 カバー動画もやっていきたいし、 音楽以外にも、やりたいことが沢山あり、デザインやグッズ制作、文章も書いてい きたくてnoteも始めようと思っています。 楽しみ。
とりあえずは!! 11/15に、マリンバの弾き語りでのセカンドアルバム(8曲入り)をリリースいたします。 ゲストミュージシャンに夫のシタールの田井中圭と、クラリネット奏者の渡邊一毅 さんを迎え一曲ずつ参加してもらいました。 よかったらこちらSENSAさんに詳しく情報掲載いただいているのでご覧ください。 https://sensa.jp/news/20230927-kageyama.html
リリースパーティは!!ゲストミュージシャンのお二人と、シンガーソングライター のkiss the gamblerちゃんを迎えて 恵比寿リキッドルーム二階のKATAで開催します。 世田谷の美味しい硴とお酒のお店 アリク が 硴めしや、炊き込みご飯などで参加してくれます!! ぜひ遊びにきてください♪ 詳細こちら https://t.livepocket.jp/e/tampopo
ええと、こんなことを書いている今。夜寝る前。 ふと見ると室内にいるはずの紅葉がベランダに・・! 窓の網戸用鍵はかけてあるのになぜ?! と思ったら、なんと網戸を破いて外に出ていました。 恐るべし・・
-プロフィール- 影山朋子 1982年6月 神戸生まれ 11���間の東京生活の後、昨年より山梨県富士河口湖町在住 マリンバ・ビブラフォン奏者、シンガーソングライター、 風と木の音楽教室主宰(八王子と河口湖でマリンバのレッスンをしています) ときどき療育のお仕事にもたずさわっています。 HP https://www.tomokokageyama.com twitter https://twitter.com/momotukituki instagram https://www.instagram.com/tomoko_kageyama632/ 風と木の音楽教室 https://kaze-to-ki-music.webnode.jp
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Alt. Title: 秋の精神:紅葉 Hello Everyone welcome to another addition to the Yokai Bijinga Series! Today we a got a Yokai for you Autumn fans, Momiji Momiji, literally translated as "Maple Leaves" is a Kijo (鬼女)(Demon Woman) Who is disguise as a beautiful princess name "Sarashima Hime." Sarashim Hime or Momiji lived in the mountain prefectures of Nagano. It's quite known that Momiji usually appears at the Falling of the Leaves viewing that take place in the Autumn at the mountain. There is a story of a samurai who came to visit one of these viewing where he met Sarashime Hime. The samurai was mesmerized by Sarashime Hime's Beauty  and spend some time with her dancing and drinking under the maple tree. But just as the samurai was enjoy the day with the beautiful princess, his holy sword warned the samurai about the princess true identity and he must slay the the witch. The samurai chased that the princess when that beautiful maple trees turn into fire and Sarashima Hime revealed her true form as ten foot tall kijo. Thanks to the samurai's holy sword, he had slain Momiji. That's about the summary of Momiji, well part of the story. There are many version and retelling of the character as that are with many of these Yokai but if you want to learn more about Momiji I will post a link to her story. Now here my rendition of Momiji, I hope you like it and stay tune for the next Yokai Bijinga. Momiji Backstory Axel Doi's Website
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memory-of-hiroshima · 2 years
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77回目の8月6日が来ました。 あの日、そしてその後の“ヒロシマ”を知ってもらうことが、核兵器廃絶への道につながることを信じたいのです。 2年前に書いた文章ですが、読んでいただければ嬉しいです。
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胎内被爆者の綴り方
<はじめに>  長い間、私は不特定多数の人に被爆体験を語ることにとまどいを覚えておりました。胎内被曝のため、実際に被爆の被害��惨状を見たわけでもなく、肉親を失ったわけでもなく、私自身もこの年齢まで生きてこれた幸運もあり、大きな嘆きの人々に比べれば語る資格がないと思っていました。  しかし、ここ数年、特に日本政府は広島・長崎の被害の事実をなかったものかのように動き始め、核兵器禁止条約に対しても、日本の代表とは思えぬ動きで、私は不安でたまりません。  今まで、生協の平和行進や集会、そして募金に参加したことがあるくらいで、平和や反核に対する運動をほとんどしていません。平和公園での座り込み運動にも、心をよせてはいても、ただの傍観者でした。私が育った戦後、ついこの間までは多くの活動をする人がいて、私も黙っていてもよかったのです。ただ被爆者の会も高齢化で消滅解散する中で、何かしなければならないのではと思い始めていました。  そんな時、オーラルヒストリーを研究しておられる元TBSアナウンサーの久保田智子さんの講演を聞く機会がありました。私が記憶を語るとしたら客観的事実ではないかもという懸念をもっていたのですが、久保田さんは「その人が感じ考え思ったことをいっしょに述べること、主観的事実でいい」と言われました。「複雑でいい、矛盾していい、個人的なものを社会的なものに関連づけて解釈するのだ」と。これは私を勇気づけました。  また、ピラミッドの一番上に直接被爆者がいて、その下にいろいろな人が階層的に存在し、それぞれに思うこと感じ考えることがある、それも大切だと。「ああ私の位置はヒエラルキーの二番目だ、それでも語っていいのだ」と強く励まされました。  それから1ヵ月後、ニューヨークの2020年NPT(核兵器不拡散条約)会議に広島生協の代表として行くことになった友人が、胎内被爆者の会が証言集を出す予定であることを教えてくれました。思い迷った末に、証言集に応募するしないにかかわらず、記憶がうすれる前に一度整理してみようかなとの思いに至りました。
<8月6日>  1946年1月24日生まれの私は、1945年8月6日原爆の炸裂したあの日、母の胎内にいました。予定より早く生まれたと聞いていますから、妊娠4ヵ月位ではなかったでしょうか。悪阻が激しく空襲警報がなっても「このまま死んでもいいから」と逃げるのが億劫だと言っていた母は、朝の洗たくものを干すため両手をあげた時、原爆の光を浴びたといいます。あっと思った時は、胸と腕に火傷をしたようですが、幸いにも「天ぷら油をぬったらいい」と教えてもらい、ケロイドにならずにすみました。借家だった家の前はごぼう畑が広がり、己斐駅がすぐ目の前に見渡せました。光線をさえぎるものは何もありません。爆心地から2.5kmとS42年(1967年)2月18日取得の被爆者手帳にはしるされています。  その時父は観音町の三菱重工の工場、爆心地から4kmの所で被爆。父がどのルートでどのように己斐まで帰ってきたのか全く知りません。9月に4才になる姉は、家の中の布団で寝ており、布団ごと部屋の端から端まで飛ばされていました。壁が少し崩れたくらいで、家は倒れずにすみ、姉も無事でした。  これらの話を父や母から直接聞いたという記憶はなく、どこでどのように知ったのでしょう。母が黒い雨にうたれ、髪の毛が抜け寝こんだこともどうして知ったのでしょう。それには一つの類推があります。
<近所の人々との思い出>  私が小学校低学年の頃住んでいた家はやはり己斐ですが、被爆した時とは違う近くの家です。家の前にも横にも40cm位の側溝に水が流れ、夏には青い露草の花が咲き蛍もとんでいました。暑い暑い8月6日の前後には、近所の人々が涼を求めて集まり、石垣に座って思い思いに語ります。クーラーも無い時代、手にはうちわがあります。冷蔵庫も氷で冷やす木の冷蔵庫です。家には西瓜が待っており、私たち子供は浴衣を着て、大人のまわりをうろちょろしています。そんな時大人の話が聞こえるともなく聞こえるのです。 「ようけえ逃げてきたのお」「おう、水あげりゃあえかったのう、どうせ死ぬんじゃったらのお」「Tさんの家は壊れたらしいのぉ」「下敷きになって男ん子が死んだんよ」「Nさんの奥さんは今年も日傘さして行きよっちゃったよ」「式典なんじゃろう。姉妹や親はえっとこ亡くなったって」  話が聞こえてくるうちにだんだん恐くなります。帰ってトイレに行くのも、夜寝るのも恐くなります。こんな会話の中で私の母の話も語られ、私が覚えたのだという気がします。  Nさんとは、私を実の娘と同じようにかわいがって、お風呂に入れて身体をごしごし洗ってくれたり、��きリンゴを作ってごちそうしてくれたおばちゃんです。あの優しいおばちゃんが大きな悲しみを抱えておられたのに深く気づくのはずっと後です。このおばちゃんは小学生の女の子2人を残して腎臓病で、身体をパンパンにむくませて亡くなられました。きっと被爆の影響だったと今なら思いますが、当時小学生だった私は、おばちゃんの変わり様に恐ろしかっただけです。  あの夏の日々は、あらためて語り部と言わなくても、みんな思い思いに自然に語って、私たちに伝承されていたのだなあと改めて思います。
<己斐小学校でのこと>  伝承というと小学校の担任を1年から6年まで受け持ってもらったY先生のことが思われます。8月6日宝町の自宅から己斐小学校へ通勤した日のできごと。爆心地近くから相生橋、本川を通ってひたすら己斐へ歩く途中に見た被災の光景。川の中に浮かぶたくさんの人々、横たわる死者たち。その話を聞いた記憶がしっかり残っています。教壇に立って語る先生の息づかい。並ぶ生徒たちの机。写真のようにまぶたに残っています。先生はその日どのように自宅へ帰られたのでしょうか。全く知りません。Y先生はその後私たちが4年か5年生の頃、だから戦後10年くらいでしょうか、肝臓を悪くされ長く入院されたことがありました。きっとこれも原爆と関係があるに違いないと今は思います。  私の小学校は己斐小学校ですが、己斐はたくさんの被災者が流れ込んできて、小学校の校庭ではたくさん人を焼いたと言います。春秋に運動会があったのですが、グランド整理で土をならすと骨が出るというのをよく聞きました。私は直接拾ったことはないのですが恐くてたまりませんでした。それに春は校庭の桜が葉桜になる頃の運動会でしたから、毛虫がぞろぞろはい回ります。私は大の虫嫌い。二重に恐くて――。今と違って素足でかけっこですものね。
<ABCCの記憶>  私が唯一当事者として語れるのはABCC(現・放射線影響研究所)のことかもしれません。小学校低学年の時だったと思います。母と、あるいは近所の友と、そして級友と何回かABCCが近所まで迎えに来て出かけました。学校まで迎えに来たこともあります。黒塗りの大きなハイヤーが来るのですが、私はすぐ酔うので苦手です。行くと、全てがすんだあとクッキーやサンドイッチ、紅茶などをご馳走してくれるのです。異文化への興味や憧れのようなものがありました。けれども何しろアンパンやジャムパン育ちで偏食も多かった私は、なれないものを何とか口にし、帰りの車でまた気分が悪くなるのでした。  さて、ABCCの記憶で長く私が語れなかったことが一つ。検査に行くとズロース(パンツ)の上に白いスモックのようなものを1枚かぶるのですが、それを着てある部屋に一人連れて行かれます。大きな机、私には3m×4mぐらいにも思われましたが、その端に足をぶらんと下ろして、入口のドアに向かって不安そうに座っている自画像が脳裏に残って消えません。そして、立つように促されたのでしょうか。服を脱いでズロース1枚でテーブルに立ったと思うまもなく、大きな180cm位の白人男性がこれまた大きなカメラを抱えて10人近くどたどたと入って、テーブルの回りから、四方八方カメラのフラッシュをたきました。驚きと恥ずかしさと何があったかわからないのとで呆然としていたのでした。一番大きかったのはたぶん恥。何かいけないことのように思ったのでしょう。この話は帰りの母にも友にも誰にも話しませんでした。話せば自分一人の体験ではなかったことがわかったかもしれません。後に語れるようになり、友人夫妻にこの体験を話した時「つらい話をさせてしまった」と言われ、ああそうだったのかと納得したものです。映画のワンシーンのようなこの記憶は今後も決して消えることはないと思います。
<病気に思うこと>  私が生まれたのは、母の母・未亡人だった祖母のいた広島県北部の旧・山縣郡千代田町壬生です。大雪で2階の窓から出入りするような日だったということです。戦後の広島を避けてお産をしたのでしょう。私は乳を飲んでもすぐ吐き、胃の入口の調子が悪くて薬を飲んで治したといいますが、詳しいことはわかりません。その後10カ月位の時には百日咳の激しいのにかかり骨と皮になりました。母は父の実家の香川県高松市鬼無町にひきあげました。そこで祖父から「こんな子を連れて帰って」と非難されたことを相当うらめしく思ったようで、時々同じ話をしてくれました。父の家の事情もあり、結局両親と私たちはまた己斐に戻りました。  そこで成長して22才の大学卒業まで暮らすのですが、父も母も被爆者でしたが、特に母の身体が弱かった気がします。家事だけの人でしたが、一日中かかって掃除・洗たく・食事の支度をし、少し動くと休みながらという具合です。おまけに度の過ぎた清潔好きで、洗たくもハンカチを洗って次は上のもの、下着はその次、そのあとパンツ…といったくらいに丁寧でした。今思えば、それもこれも細菌におびえていた事情もあったかもしれません。私は母の身体の弱いのは偏食のせいと思っていましたが、ひょっとすると被爆の影響があったかもしれません。父は61才、母は57才で亡くなりました。二人とも脳内出血ですが、母は一度肺ガンということで、広島市のM病院で放射線治療を受けたこともあります。  私はよく熱を出し、決して強いとは言えず、身体も細く背も前から一・二・三を争うくらいのチビでした。それでも高校時代は皆勤賞をもらいました(授業中寝てばかりの子でしたが)。  それが結婚して1ヵ月ちょっとだったでしょうか。盲腸になり、夫も手術をしたこともあり夫の家族の中では名医と呼ばれていたN外科で手術をしました。なぜか2、3日眼が覚めず熱も出て、私が被爆者手帳で受診したからでしょうか、先生は慎重になられ結局1ヵ月入院しました。  また、二人目の子のお産の時、妊娠5ヵ月くらいから妊娠中毒症になりとうとう7ヵ月ころ入院。そして子供が9ヵ月に入った時母体がもたないということで早く生みました。お産がすめば蛋白尿がよくなるということでしたが、数値は4本プラスが2本プラスになっただけで入院がその後も続きました。家族を心配して泣き、食事もとれなくなり、そんな私を心配した先生が退院させてくれました。1年位かけて漢方薬をせんじて飲みながら治ることができました。この2回のトラブルで、人がスムーズにできることが上手にできないのは被爆と関係があるのかなあと思ったりしました。これが被爆者共通の心理かもしれません。
<家族の中で>  私が被爆者であるということを夫に初めて言ったのがいつかは覚えていません。当時は手帳取得が結婚にさわるという風評もあり、姉などは「いらない」とすぐにはとらなかったような気がします。私はそんな思いもなく所持していたのですが、夫が戦争の責任とか社会のものの見方などで、私よりはるかに反戦の意識が強かったので何も心配ありませんでした。広島・長崎の式典中継でも私より深く正座してみるような人で、これは幸いでした。  家庭の中で被爆体験を話せたこと。それを淡々と聞いてくれる家族がいたことはうれしいことです。  初孫が5才のころでしょうか。我が家には「原爆の図」「ひろしまのピカ」「ピカドン」(いずれも丸木位里・俊作)や原爆ドームの本など夫が集めた本がたくさんあります。それらを持って帰るほど興味をもち、「原爆ドームに行きたい」と親にねだるほどの孫娘。ホロコースト記念館にも何回か行き、私たち夫婦にもアンネの部屋を丁寧に教えてくれ、「ああこの子は平和の担い手に」と期待をこめて見守っていました。なにしろ8月15日生まれですから。そしてその孫に、佐々木禎子さんについてまとめたダイジェスト版の本を夫は作りました。それを読んだ孫は「禎子さんちは散髪屋さんだったんだね」と。夫はその一言に苦笑していました。2、3年もすると興味を失った孫娘が、いつの日かまた興味と関心を持ってくれれば幸いです。  孫娘が小学校1年生くらいの夏に遊びに来て、寝物語に被爆体験の話をしたところ「おばあちゃん(生きてて)よかったね」と言われ、私ははっとしたのを覚えています。「生きてて申しわけない」という被爆者のことばがよく言われます。私に明確にあるのではありませんが、いくらか私にも長生きへの申しわけなさみたいなものがあります��でも「よかったね」というのはありがたくかみしめたいと今では思っています。
<最後に>  たまたま2020年3月15日付の中国新聞に、「被爆オリンピアン肉声現存・広島市出身36年出場故高田静雄氏」という見出しを見ました。その人は小学校時代の級友の父親です。また、米兵たちの被爆をほりおこし追悼してオバマ大統領にハグされた森重昭さんも級友のお兄さんです。佐々木禎子さんが白血病で亡くなられたころ入院した級友もいます。でも、私たちは戦後60年、還暦を迎えた同窓会でほんの少し被爆のことを話したことがあるくらいで、級友でも詳しいことはほとんど知りません。日々衰えていく記憶と、語りあう機会も減っていく中で、今回書き残してみたのはよかったように思います。記憶とは不思議なもので、自分流にゆがめているかもしれません。この主観的な記録がどのように伝えられていくのか少し楽しみです。長生きすれば「最後の被爆者」となる可能性もある人間の記録ですから。そのためにも両親からもっともっと話を聞いておきたかったです。
<さらに>  この原稿のパソコン入力を娘がひきうけてくれました。彼女は幼い頃、原爆資料館のろう人形母子を見ておびえましたが、私と平和行進に参加したことや、大会で「青い空は青いままで子どもらに伝えたい。燃える八月の朝…」と歌ったことは覚えています。8月6日の式典で峠三吉の詩を子供代表が語ったのに感動して、東京から電話をかけてきたこともあります。彼女には彼女のヒロシマとの歴史が作られているのですね。いろいろな形でヒロシマが伝承され続け、子や孫・その先まで、この愚かなことがくり返されぬように祈ります。私の胸を今でもゆさぶる歌「原爆許すまじ」を心に銘じて。
(2020年4月記/上村洋子)
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poddyshobbies · 1 year
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コンプできるか?深すぎる篠栗霊場(9-1)34番・参道
34番札所「宝山寺」
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八木山峠の七曲りの途中、桜の名所の辺りです。本堂裏手の国道201号線沿いに駐車スペースがあります。こちらからだと階段はありません。
↓ 写真はお寺の下側に位置する大仏様・75番札所「紅葉ケ滝薬師堂」から階段を上がる表側の参道です。
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駐車スペースから階段が続いてます。
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階段を登ると、
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賽の河原があって鬼が睨みをきかしてる。(正面からの写真がなかったのは撮らなかったから?)
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並んだ地蔵様に切ない気になりながら、
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右手の階段へ。
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「厄落坂」
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男は右で女は左。
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2023.4.4 ~ つづく
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7010333 · 1 year
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2022年振り返り
カメラロールを見ながら今年も雑に振り返る。
■1月 ・横浜エアキャビンに乗った まあまあ高くて怖かった
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・雪積もる 今の家に住み始めてから初めての積雪と思う 車が出せないくらいの積もり具合だった
・tofubeatsが人力車に乗っておじいちゃんみたいな笑みを浮かべてる写真が面白すぎてずっと見てた
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・眉���サロンに初めて行った ブラジリアンワックスみたいなやつで形を整えた後切り揃えるやつ めちゃ痛くて涙出た
■2月 ・特に何かをしていた記録がない
・友達の家に行って子どもを構ったりしていた様子
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▲2月に何かしらの焼き肉を食べていました
■3月 ・NYCで働いている友達が一時帰国していたので遊んだ フォー食ってビール飲んだ
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・初めてデイキャンプをした 薪割るの楽しい 焚き火の匂いたまらない
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・サンダルを直した 修理に出したのは去年だったかも? ピカピカになって帰ってきた
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・旅行バッグを買った elvis & kresseというところのもの 今年買ってよかったものその1
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・パオパオチャンネルの展示を見に行った 渋谷 動画で出てきたアイテムが色々展示されててテンションあがる
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・ちゃみん会
羊のキンタマ食いました
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■4月 ・石川・福井に旅行に行った 東尋坊、越前松島水族館に行き、界 加賀へ宿泊 初めての石川福井よかった 翌日は金沢21世紀美術館に行った
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▲東尋坊
・潮干狩りに行こうと思ったが、台風で天気が荒れるとのことで中止 普通に売ってる貝を食べるpartyした
・パオパオチャンネルのイベント(パオ博)を見に行った 目の前で動くパオパオチャンネルと東海オンエア見られてよかった
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■5月 ・東京ダバインディアにてどん底会開催
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・弁理士をやっている先輩とご飯を食べた 知財実務のあーだこーだ話を仕事以外でできる人貴重だなと思った
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▲ご馳走になってしまった
■6月 ・謎会ホテルニューオータニ
・新しいレンズを購入
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・オープンキャンパスで卒業生として座談会に参加した その後先生と研究室の同窓生で東京駅飲み@丸の内ハウス あそこよかったのでまた誰かと行きたい
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■7月 ・食洗機を導入 キッチンの引き出しをぶち抜いて洗剤自動投入モデルを投入した あんま洗剤入れてくれてる雰囲気なくて手動で投入してる
・北海道に旅行 倶知安にある坐忘林という宿に泊まった 最高すぎて1ヶ月くらい住みたくなった
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・札幌に暮らす大学時代の同期と久しぶりに会ってご飯食べた 穀物祭というところ 雰囲気の良い店だった
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・大学時代の後輩の結婚式に参加 お幸せに〜〜
・家の人が感染完了してた お大事に〜〜 (自分は無事だった)
■8月 ・車から異音がして修理 ショックアブソーバー交換 出費です
・新しいレンズを購入
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・炊飯器が壊れた 出費です
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▲同じの買いました
■9月 ・祖父に会いに行く もう90超えてる 流石に元気なさそうだった 家も荒れてる雰囲気
・久しぶりに海釣り アジ爆釣
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・ふと思い立って秋田に行った お気に入りのご飯屋さん、宇宙一のレバニラを食わしてくれる店、など
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■10月 ・車検 出費です
・デイキャンプ2回目 流石にハマったと言って良いでしょう
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・どん底会@新宿らへん
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・山下達郎@横浜 相変わらず最高のパフォーマンスだった 長生きしてほしい
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・写真おじさんたちと浅草界隈散歩 久しぶりにカメラぶら下げて街歩きした
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▲結構人出戻ってる
■11月 ・鬼怒川旅行 界鬼怒川、花の宿松やに宿泊 2泊くらい旅行するのいい 東照宮の紅葉が見頃で大変よかった
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・キャンプ道具を揃え出す 流石に(ry
・ヴェイランスのジャケットを購入 めちゃ着やすくて気に入っている 今年買ってよかったものその2
■12月 ・前職の同期と忘年会 みんな元気そうでよかった 恵比寿の米福にて
・わかさぎ釣り わかさぎじゃない魚ばっかり釣れた わかさぎはうまい
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▲釣れたやつ
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▲流石に釣れなすぎて追加購入したやつ
・名古屋旅行 名古屋港水族館、愛知住みの後輩とひつまぶし 水族館寒かった!
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・かに道楽 カニだけで腹パンパンになるほど食べた
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・大学の先輩が開いたビール屋に行く 1杯だけといいつつ何杯飲んだか・・・ 勝どきに行かれた際はぜひ
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何かと大型出費の多い一年でした。(そういえば冷蔵庫も買い替えたのだった)
旅行にも結構行けたのでなかなか満足。年明けは伊豆の方に行く予定を立てています。
仕事面のことはわからん。何もわからんということだけがわかっているので来年は少しはわかるようになりたい。
みなさんの一年はいかがでしたか?
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zoreyan · 2 years
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