Tumgik
#皆さま日中暑いのでくれぐれもお気を付けてお越しください
kaoriof · 11 days
Text
(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前にスタッフルームに入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけどね、富士山に関係している話なの。それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれるの。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の文化祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近はめがねがこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにそのつど救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。家族のことはそれなりにはすきだけど、一緒に暮らすことだけは大きらいなのでふつーにしにてーと思った。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。この人とはしんでもキスとかセックスとかできないなと思う。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにスタバでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花が欲しい、誕生日に花なんて一輪も貰えなかったし。北海道の僻地とか一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになるの。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
大学に入ってからみんなかわいくなっていって、わたしだけ取り残されているような気分。東京のど真ん中にすんでるから?みんなほそくて、白くて、髪から爪先までケアが行き届いていて己の恥が浮き彫りにされる。その一瞬はたのしいとかんじても、その背後にはいくつもの積み重ねられた気苦労があって帰りの電車の中でぐったりする。恋人のこと、しばらくは気にしないでおこうと思っていたのにこういう、心がげんなりしているときにその輪郭はいっそうまぶしく点滅する。とりあえず5キロ痩せる。いつかはだれかの手のひらサイズに収まる砂となってしまうのに、変なの、と思いながら、それでも毎朝まつ毛をあげる。でも、悲しくなったり辛くなったりはしなくなった。ひとりでもだいじょうぶなのだと思えるようになった。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと思う、自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。でもそれってそんなにいけないことかな?インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。美しいから隠すというのもとても素敵だけど、なんで美しいから見せるのはだめなんだろう。美しいと分かればわかるほど人は傷つけたくないという気持ちになるのに。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、一人だけじゃなくて、みんなに、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分らは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。これのどこが罪深いんだろう?とおもってしまった。みんなほんとうは弱いんだとしってなんでも許せるような気分だった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、なにも怖がることはないと思うの。本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主かショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。てをつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいなかなしいなとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより���速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛てあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの���一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
eighteen, mytears
最近歩くのがはやくなった。暑さで腐っていく弁当箱の中の唐揚げ、毛を剃り続けて痛んだ腕。砂時計みたいにどんどん浪費されていくばかりの時間、人生を、客観的になって眺めてみると、なんて滑稽なものだと思うけれど、与えられたものをそれなりに消費していくことでしか自分のことを殺せない。まいにち山手線に乗ってる、ぎらぎらした太陽の光の下で蛇みたいに動いている列車。窓枠に空の青だけが切り取られるとまるで宙を浮いているみたいに感じられて死にたくなってしまう。こんな文章を書いていいほど、自分のことをうつくしいとだきしめて愛でてあげることができない。ブログを更新しなくなったらファンがたくさん減った。文章を書く行為ってとても勝手でずるくて逃げてるかんじがする。だからすきなのに、それをすきと言う自分のことを認めてもっとすきになるのに勇気がいる。ぜんぶそう。わたしは勉強のことを口にしていいほど頭も良くないし、外見にしろ性格にしろ友達との関係や恋愛においても尚更そう。参考書の羅列された文字をいくら追っても脳味噌が大きくなっていく感じがしないし、わたしの未来があかるくなっていくかんじもしない。あなたよりもつらい人は沢山いるから、ね。あなたの不幸なんてちいさなものだから、という言葉がどれだけ傷な言葉かわかってほしい。どこをみても善を装った暴力ばかりが転がっていて、本当はたぶんみんな何かに託けてマスクの下で舌打ちしているんだと思う、絶対そうだと思う。小さな四角い箱の中でみんな泣いている。夏にいちばんちかい記憶の底でみんな寂しがっている。勉強の意味の裏付けにあの子は一体なにを置いているんだろ。変なの。もう文章も書けなくなった。夏になると賑わう燕の巣を確認することもなくなった。野良猫をていねいに撫でなくなった。恋人ともうまくいかない。どれもこれもおまえ(わたし)のせい、がむしゃらに鳴いている蝉だって求愛のためにあんなに人の生活を邪魔することをゆるされるのに、わたしが���れをすると暴力だのめんどうくさいだの、そんな価値のないものに成り下がってしまうのはどうして。ただの自傷になってしまうのはどうして。だれも捕まえてくれない。あなたのことを好きで、それが結果的にあなたのことをくるしめてしまっても、それを俺もすきだからという理由だけでぜんぶゆるしてほしい。泣きすぎてお腹空いた。自分自身の未来に対しても過去に対しても、これを読んでくれているあなたに対しても、友人にも、恋人にも、両親にも、苦しくさせてごめんなさいという想いばかりあって、それを受け止めてくれた優しさに対してのありがとうばかりある。受験死ね、と最後に書こうかなとおもったけどちゃんとした日本語じゃないし縁起がわるいのでやめた。すぐにじゃなくても良いから最後にはみんな幸せになれますように、おやすみなさい。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされて���きた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いてい���文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。��日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
15 notes · View notes
myonbl · 11 months
Text
2023年7月29日(土)
Tumblr media
高齢男子と妙齢女子の凸凹コンビ、酷暑の中で3ヶ月ぶりの京都ツアーを敢行した。以前から宿題であった<松尾大社>をスタート、<鈴虫寺>は空振り、<魚問屋ととや>で美味しくランチを頂き、<安井金比羅宮><八坂神社>と経めぐって、いつもの<キリンシティ新京極店>で打ち上げ。酷暑に打ち勝つには麦酒でなければと、美味しくグラスを空けたとさ。
Tumblr media
午前4時起床。
日誌書く。
Tumblr media
朝食。
洗濯。
久しく使っていなかったEvernoteにログインできず、パスワードをリセットする。
今日は妙齢女子と3ヶ月ぶりの京都ツアー、阪急桂駅で待ち合わせ、松尾大社駅まで移動してまずはお詣り。
Tumblr media
風鈴祈願 招福除災の音
~夏の境内を彩る 600個の風鈴~
“鈴” は神代の昔より神事にも用いられ、音の “涼しき” より名付けられました。その音色は神様をお慰めすると同時にご自身の罪穢れを祓い、清々しくするものと伝えられます。
日々の穏やかな願いを短冊に記し、風鈴の音色と共に皆様の祈りを松尾山の風が松尾(まつのを)の大神様にお届けします。短冊祈願料500円 当社、授与所にて受付中。
皆様よりお預かりした風鈴は、松尾大社八朔祭9月3日まで境内にお供え致します。
とても綺麗で涼やか。
本来のターゲットは<鈴虫寺>、ところが門前の列に恐れをなしてすごすご退散、上桂駅まで汗をかく。
桂駅まで戻ってバスへ、七条千本で下車して<ととや>、15分程度待ってからの入店、日替わりの刺身定食+🍺を美味しくいただく。
タクシーで東山まで移動、安井金比羅宮へとやって来た。
Tumblr media
なんとこちらも<縁切り縁結び碑>にお詣りする人が長蛇の列、とっとと退散して八坂神社へと向かう。
疫神社夏越祭 素戔嗚尊が南海に旅をされた時、疫神社の御祭神蘇民将来に手厚くもてなされたことを喜ばれ、疫病流行の際、蘇民将来之子孫は疫病より免れしめると誓約された故事により鳥居に大茅輪を設け、参拝者は之をくぐって厄気を祓い、又「蘇民将来之子孫也」の護符を授かります。
夏越の祓は他では6/30だが、こちらは祇園祭の最後に執行される。茅の輪をくぐって邪気を払っていただいた。
Tumblr media
よく歩いて汗びっしょり、仕上げはやはり美味しい麦酒。
Tumblr media
<SOU・SOU伊勢木綿店>に立ち寄る、相変わらず圧倒的に女性客で賑わっている。
阪急で桂駅まで移動して解散、本日もお疲れさまでした。
帰宅してすぐに<鈴本演芸場>にアクセス、8/12(土)の夜席チケットを無事に確保できた。
Tumblr media
ツレアイが買い物してくれていたので適当に見繕っての夕飯、彼女も美術展めぐりから汗だくで帰宅、早い時間にみなでいただく。
録画番組視聴。
(59)「鳩(はと)のなかの猫」
世界が愛した名探偵、エルキュール・ポワロ。アガサ・クリスティー原作の人気ドラマシリーズ。名門女子校で教師が殺害される事件が起きる。さらに学園の生徒が行方不明に…
名門女子校のメドウバンクを訪れたポワロは、校長のバルストロードから「次期校長の人選で悩んでいるので助言してほしい」と頼まれ、しばらく学校に滞在することに。そんな中、体育教師のスプリンガーが、深夜に体育館で殺されるという事件が起きる。スプリンガーは嫌みな性格で、教師や生徒たちから好かれていなかった。さらに学園の生徒でラマット国から来た王女が行方不明になる。ラマット国は政変で揺れていた。
片付け、入浴、体重は2日前から450g増、まぁよく食べてよく飲んだからね。
Tumblr media
さすがによく歩いた、水分は2,060ml。
7 notes · View notes
epwf · 1 year
Text
230324 冬のセーターを手洗いした。平干しネットがあったほうがいいかなと思って調べると、ハンガーを2,3本使って干す方法が出て来てその通りに干してみた。Kは出勤最後の日。夕飯食べて、夜間限定オープンしていた本と喫茶の店まで散歩した。ヨガして寝る。
/25 朝から新居へ、寝坊してごはん食べずに向かう。洗濯機の水道工事。約束の時間になっても来ない。待ちながらひたすら掃除、掃除。空腹がたまらない。昼過ぎにようやく工事が始まるも、古い家で下水管の通る道が予想と違ったらしく難航。また後日に作業することになる。島袋さんの講演に行くつもりが間に合わず。90歳の爺やが営むお家カフェへ行って、ご飯を食べた。この店をするまで何をしていたのかと尋ねると、これまでの人生をぎゅっと話してくれて、思わず涙ぐんだ。こうするしかなかった、というが、諦めたり自暴自棄になったりする可能性があった中でその人にしか掴み取れなかったものがきっとあるのだと思う。今が一番いい生活だといいながら微笑む顔がいまも瞼に留まっている。そのあと、ドマへお邪魔して、祭り参加のお誘いを受ける。たのしみ。温泉入って帰る。久しぶりにいろいろな人と話して、人と話すと受け答えがうまくできなくて苦い気持ちになることを思い出す。気軽な人付き合いで重いストレス感じないようになりたい。
/26 朝から木材を買いにいって、ベッドを作った。膝を直角にして座れる高さにして、下にはたっぷり収納、ソファとしても使えるように。なんやかんやで一日がかり。無事、思い描いた通りに完成。
/27 旧居で荷物の整理しつつ、東京で行われている卒業式の配信を観た。色々なことが先へと進んで忙しないこの頃、立ち止まって考えるのを待たずに新しいことが始まっていくから、卒業への感慨も特になし。学科の同期が総代として呼ばれていて、自分のあり得た未来を少し思ったりする。研究を進める道を選んだ同期たちが私の進めなかった、選ばなかった未来のひとつを生きていく羨ましさと、そっちは任せたよ、とかれらのこれからを楽しみに思う気持ちと。別々の道に進むことは共に生きていくことであるというように最近は考えている。
夕方、軽トラを借りにいく。帰宅してごはん食べた後、皆が寝静まった頃を見計らって、冷蔵庫と洗濯機を運ぶ。梱包して、ベルトをつけて、滑らせながら、段差は持ち上げて。夜道を一時間走って、新居へ運び入れる。370Lの冷蔵庫をなんとか運び終えることができて、引っ越し最大の山場は超えた。深夜3時ごろに夜食に準備していたおにぎりを食べて、作ったベッドで眠る。無事済んで安心したが、途中少しイラついてしまって、Kに「きみが2人でやればいいじゃん」と言われ反省した。10代の頃、私がもう1人いたら2人で籠って生きていくのに、とよく思っていたのだった。人と何かするとき、自分の思うように動くよう暗に要求してしまうことがある。相手が相手のままにいてくれることが一番良いという考えを今は持っているけれど、言動にまでまだ馴染んでいない。人と共にやっていくことを、少しずつおぼえたい。
/28 9時過ぎに起きてジモ泉でひと風呂。揚げ物屋でとり天買ってエネルギーを得る。軽トラで一度旧居へ戻って、また荷物を積みこむ。軽自動車にも詰め込んで、Kの走らせる軽トラのあとをつけながらまた新居へ向かう。2往復目。よく晴れていて海と山に美しい光。���くて眩しくてくらくらする。荷下ろしして、軽トラを返却するKと別れて私は冬タイヤを夏タイヤに取り替えてもらいに行く。旧居まで一時間くらいひとりで車を走らせる。ひとりで頭を働かせる時間を久々に感じた。Kといると心地よく、だからこそ自分自身と話し合う時間が少ない。やはり日記を毎日つけようと思う。
6 notes · View notes
tsuntsun1221ts · 9 days
Text
2024.04 奥穂高岳
Tumblr media
GW前半では最高の天気
今年の雪山シーズンも終わりに差し掛かり、最後に奥穂高岳へ。残雪期には2年前に訪れ、その時も天気は結構良かった。夏山も含めると今回で4, 5回目の登頂。
Tumblr media
毎日アルペンを使って0530上高地着。気温10℃はあるみたいで寒くはない。GW初日の早朝のためまだ閑散としている。これから後続の登山客と観光客でドッと混雑するのだろう。
【コースタイム】上高地BT(0600)→明神館(0640)→徳沢(0715)→横尾(0810-0815)→本谷橋(0900-0920)→涸沢ヒュッテ(1050-1155)→ザイテングラート取付点(1305)→穂高岳山荘(1415)
Tumblr media
BT~横尾までひたすら雪は無い。横尾~本谷橋まではところどころ残っているがチェーンスパイクはめなくてもよい。本谷橋からは積雪のためアイゼン装着(チェーンスパイクでもよかったかも)。
Tumblr media
Sガレ付近?でようやく涸沢ヒュッテが見える。本日のゴールの穂高岳山荘はその更に上方の稜線上にある。
Tumblr media
夜行バスの疲れと標高と雪道で、けっこう疲れた。病み上がりだからか、あるいは三週間ぶりの登山というのもあるかも。涸沢ヒュッテで昼食のカレー食べて休んで穂高岳山荘へ。ここからが大変。
Tumblr media
涸沢から上がかなりキツイ。前回はトレースが川のように残っていたが、本日はGW初日のためみんな余裕をもって涸沢泊まりなのか、トレースが全くない。ザイテングラートの左側を登っていく(左でも右でもどっちでも登れる)。雪面はかなり急(場所によっては50度)、雪質はシャーベット状で踏むと少し沈む。途中雨だか雪だか降ってきた、無風だが適温くらい。・・・・周囲見渡しても自分以外誰も登ってない。涸沢から2時間以上かかり本日のゴールの穂高岳山荘に到着、かなりクタクタ、大した積雪ではなかったがトレースありなしでここまで差が出るものか(2年前1.5時間、今回2.5時間)。
山荘の宿泊者はなんと7名だけ、少なすぎ。1日でここまで一気に上がってくる人は少ないか。この日はもうガスに巻かれて、山荘の窓から外の景色はなし。
20時前、急に山荘内が慌ただしくなり登山者が1名到着。小屋の人たちはテキパキと動いてお湯を用意したりビショビショの荷物を乾燥室へ持って行くの手伝ってあげたり。夏山7年、雪山1年の50代男性がロバの耳付近で遭難し、救助されてここに収容されたんだと・・・無謀すぎだろ・・・。穂高周辺の難易度を知らないこと、雪山1年で登ろうとするあたり、知識皆無。自分なら馬鹿げた話すぎて突き放したくなるくらいだが、さすが山小屋のスタッフは人命最優先で対応が素晴らしい。
Tumblr media
0500起床、朝食は0600からで自分を含めたった2名のみ。ほかはもっと早く出ていったみたい。天気は予報どおりでかなり良い!
【コースタイム】穂高岳山荘(0620)→奥穂高岳(0705-0735)→穂高岳山荘(0810-0820)→涸沢ヒュッテ(0840-0905)→本谷橋(0945-0955)→横尾(1035-1045)→徳沢(1130)→明神館(1200-1225)→上高地BT(1305)
最初の岩場、前回アイゼンはめながらかなり危険を感じた。岩の露出部しかないためアイゼン無しで登る判断。しかし標高3000m近くて酸素が薄く、朝イチでこの岩場はさすがにキツイ。
Tumblr media
滑落防止のネットが張ってあるとこまで登ったらアイゼン装着。けっこう狭いスペースなのでマジで気を付けて。そして1つ目の雪の壁へ。先行者のトレースが深く残っているのでありがたい。ピッケル挿すときの衝撃で腕がジンジン痛くなる。
Tumblr media
第一の雪の壁を越せばしばらくは簡単な道だが、岩の露出は多い。
Tumblr media
山頂直前に第二の雪の壁。前回はここは壁を登らず、左に見えている岩に沿ってトレースができていた(今年は2年前より雪は多い)。
Tumblr media
山頂が見えた!すれ違った人に「山頂独り占めですよー」と声をかけられた。
Tumblr media Tumblr media
山荘から45分で山頂に到着。後続が来るまで山頂はしばらく独り占め、最高!
Tumblr media
槍ヶ岳方面、右手前は涸沢カールだが、改めて見ると斜面急だな。
Tumblr media
ジャン方面へのトレース。これ、昨日の遭難救助のときのやつだ。
Tumblr media
富士山も見えた。
涸沢から北東稜尾根?からダブルアックスで登ってくる人もいた。だいぶ疲れていたが、よほどの熟練者と見る。
Tumblr media
30分滞在して下山。帰りは2つある雪の壁を見下ろすのが怖いくらいで、それ以外はさっさとスルー。
Tumblr media
しかし相変わらず、山頂すぐのこの傾斜(第1の雪の壁)は急すぎて目の錯覚を起こす。
Tumblr media
第一の雪壁クライムダウン中。これから登ってくるひとたちとすれ違う。その後の岩場はやはりアイゼンを外したほうが下りやすく、このやり方が適切な気がする。
Tumblr media
小屋を挟んで向こう側の涸沢岳山頂も結構登っている人が見えた。奥穂があるのに、あっちも結構人気なのか。雪はほとんど無いように見える。
Tumblr media
山頂から35分で山荘に到着。まさしく今雪の壁を登っている人が見える。(雪面上部の黒ポチ)
Tumblr media
この時間、みんな涸沢から登ってきている最中で、こんな時間に下山する人はまだおらず。かなり苦労して急傾斜を登っている登山者を横に、シリセードで優雅に超目立って下山する。みんなポカーンとして見てた。
Tumblr media
なんと山荘から涸沢まで20分。4分の3以上をシリセードで超高速で下山、とんでもない速さだ(前回40分)。上りは2時間以上かかったというのに。シリセードのコツは前回習得したつもりで、スピード上がってもそこそこコントロールできる。
Tumblr media
登っている人多数見える。
Tumblr media
涸沢ヒュッテでは雪山装備からハイキング装備への換装。その間、3回も荷揚げのヘリが来た。シーズンの開始か。
Tumblr media
あとは上高地へ向けてひたすら歩くのみ
Tumblr media
昨日は曇りだった横尾だが、今日は本当にいい天気。青空、雪山、鯉のぼりが映える。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
雪解けの季節の上高地はとても美しい。しかしやはり観光客多い。標高1500mくらいにもかかわらず23℃くらいあるか?日差しも強くこの時期にしてはかなり暑い方かと。そんな中、BTの売店のソフトクリームかなり美味しい!バニラではなくミルク味というのがすごくいい!(400円)列は途切れることがなかった。
1405上高地発のバス→1630松本発の特急あずさで帰宅。特急あずさは上高地にいたとき(特急出発の2時間半前)にネット予約したが、すでにほぼ満席状態。
0 notes
kozuemori · 2 months
Text
今日の東京は暑いくらいでしたが、強風のために桜はすっかり散ってしまいました。我が家の薔薇たちは一斉に蕾を膨らませています。咲くのが楽しみ!
インドネシアでの大噴火や愛媛、高知での地震など、比較的大きな地学的現象が頻繁に起こっていますね。どうぞ余震や建物の状態には十分に気をつけてお過ごしください。
地球の年齢は46億年と言われています。古代インドでは約90億年ごとに世界が生まれ変わると考えられていましたし、太陽の寿命はあと50億年と言われています。もし地球に寿命があるとすれば、その半分を消化していることになるのでしょう。だとすれば、更年期を迎えた地球に色々と不具合が現れるのも無理はないでしょう。地球の温暖化も、人間というストレスがもたらしたホットフラッシュのようなものなのかもしれません。
昨日、亡くなった身内の姿をAIによって生成したデジタル動画で復活させるサービスが中国で始まったというニュースを見ました。遂にAIがミディアムシップの領域にまで手を伸ばし始めたようです。上のリンクの映像を見ると、まだちょっとぎこちない動きですが、技術が発達してクオリティが更に高くなるのは時間の問題でしょう。ニュースのコメントを見ても有名人のAI生成については否定的ですが、個人が依頼する自分に関わる故人のAI生成については、グリーフケアになり得ると考える好意的な意見が多かったです。
ほとんどの人が故人の写真や映像を既に持っているにも関わらず、故人のAI生成が求められるのは何故なのでしょうか。もしかしたら、残された人が故人との新たな思い出を作りたい、故人との関係性を継続したいと思っているからなのかもしれません。そのニーズに更に応えるべく、将来的にはSiriやAlexaのような双方向での会話が可能になるでしょう。けれど、そこには落とし穴があります。AI生成された故人との再会は、アルゴリズムが介入する膨大な既存データの中にしか存在せず、その域を越えることができません。AI生成の故人から「愛しているよ」と言われたとしても、データの中から拾い出された表面的で一時的なもの、ただの情報に過ぎません。一時的にAIとの会話で癒されたとしても、蛍光灯のようにエネルギーに限りがあるので頻繁に光の交換をする必要があります。ですから、故人に対する依存が生まれる可能性が大きいのです。
一方、良いミディアムシップによってもたらされる故人からのメッセージは真実の愛や癒しに溢れ、一貫性があり、親密で、超個人的で、あらゆるデータのどこを探しても見つからない唯一無二の、誰にも真似ができないものです。そのエネルギーは充電式のLED照明のように永続的です。ですから、頻繁に故人との再会を求める必要がなく、依存とは無縁です。メッセージを受け取った人はその輝き続ける光を胸に抱き、死後も魂は存在するというスピリチュアリズムの信条を携えながら、故人の霊との関係性を失うことなく生きてゆけるのです。
この世の全ての現象は、大神霊が持つ智慧という源泉から発生しています。科学やAI、そして武器兵器もまた、決してスピリチュアルな世界と無縁ではなく、サムシング・グレートからのインスピレーションを受け取った人々を通してもたらされた霊界からのメッセージです。
私にはどうしても、このAI生成のニュースが霊界からもたらされたミディアムやヒーラーに対する励ましと、私たちがさらなる学びを深められるように与えられた、霊界からのメッセージのように感じられるのです。
ということで、宣伝で恐縮ですが、21日、22日に開催するワークショップのお知らせです。
Tumblr media
現在、レクチャー用資料の総仕上げ中です。今回は実習用の資料も合わせて23枚ぐらいになりそうです。その他にもスライドショー形式のクイズや、カードや音声を使ったエネルギーワークなど、多種多様なアプローチでミディアムシップについて楽しく学んでいただきたいと思っています。
ビギナーの方には、サイキックとミディアムシップの仕組みやエネルギーの違いを様々な実習を通して感じていただきたいですし、経験者の方にはミディアムシップの基礎を更に固めていただくと共に、より良いミディアム、より良いミディアムシップとは、という点を一緒に考えていきたいと思います。
私たち人間には、本能以外の知性を使った選択肢という特権が与えられています。ミディアムを目指す途上にも、さまざまな選択が待ち受けています。あなたはどんなミディアムになりたいですか?どんなミディアムシップをしたいですか?それにはどんな選択肢が必要でしょうか?そんなことも一緒に考えてゆければと思っています。
今回もさまざまなレベルの方が集まった、光に溢れた楽しい6時間となるでしょう。まだお申込み受付中です。皆さまのご参加をお待ちしています😄
Tumblr media
All About ミディアムシップ
4月21日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
4月22日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込)
どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
ミディアムになりたいと思っている人、ミディアムの役割について知りたい人のための6時間ワークショップです。アイイスでの講師歴9年、ミディアム歴8年、イギリスのアーサー・フィンドレイ・カレッジにて数回に渡って講師・プロの為のミディアムシップ、サイキックアート、トランス、シャーマニズム等のワークショップに参加し、海外のミディアムとも交流のある講師による最新の情報を含めたレクチャーとゲーム感覚で楽しめる実習を通じて、あなただけの唯一無二のミディアムシップを作り上げていく過程を経験していただきます。
あなたの中に潜在する本来の能力を知り、それを呼び覚まし、育み、特化した分野をさらに伸ばして磨き上げましょう。そして同時に自分の苦手な分野を知り、それを伸ばす方法も試してみましょう。
ミディアムシップは決して完成することのない、永遠に学び、伸ばし、育むことのできる能力です。その過程を指導霊の応援と協力のもと、楽しみながら一歩一歩着実に進んでゆきましょう。大切なのは、自分に期待しながら挑戦し続けること、自分を信じて諦めないことです。練習すればするほど、そして失敗を重ねるほど感覚が研ぎ澄まされ、あなたは素晴らしいミディアムになれるでしょう。
レクチャー内容
 ・ミディアム、ミディアムシップとは
 ・ミディアムシップの種類とその役割
 ・良いミディアム、ミディアムシップとは
 ・霊能力はなぜ与えられ、なぜ失効するのか
 ・ミディアムとサイキック 
 ・想像と霊感の違い
 ・デモンストレーションとカウンセリング
実習
 ・シッティング・イン・ザ・パワー 
 ・ミディアムシップクイズ・30問に挑戦!解説付き
 ・サイキック、ミディアムシップ、トランス各実習
 ・直感と指導霊により深く繋がるための各実習
 このワークショップは以下のような方に向いています
 ・ミディアムシップついての理解を深めたい
 ・ミディアムシップの練習、経験をしてみたい
 ・ミディアムという役割に興味がある
 ・ミディアムになりたい
 ・指導霊との繋がりを深めたい
 ・本当の自分の人生の目的を探りたい
 ・自分自身の可能性や能力を探りたい
 ・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
このワークショップは2019年4月17・21日に開催した同タイトルのワークショップの内容と同様ですが、一部を加えたりアレンジしてアップデートしています
詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。
ショップからも直接お申し込みいただけます。
Tumblr media
夏学期クラスのスケジュールが決定いたしました。サイトとショップにてお申し込みを受付中です。(アイイスのサイトでも告知されています)
春学期に蒔いた霊性開花という名の種を、眩しい太陽と清らかな水、豊かな土壌、そして爽やかな夏の風のエネルギーを享受しながら、共に大切に育んでゆきませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラ�� 
月曜日:10:00~12:00  日程:5/13、5/27、6/10、6/24、7/8
火曜日:13:00~15:00  日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
・・・・・
アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス   
土曜日:19:00~21:00  日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
・・・・・
アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回
・・・・・
アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00  日程:5/14、5/28、6/11、6/25、7/9
木曜日:10:00〜12:00 日程:5/9、5/23、6/6、6/20、7/4
・・・・・
アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00 日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
金曜日:19:00〜21:00 日程:5/17、5/31、6/14、6/28、7/12
・・・・・
サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00  日程:5/12、5/26、6/9、6/23、7/7 水曜日:16:00~18:00  日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
・・・・・
インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス  
月曜日:16:00~17:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
土曜日:10:00~11:00 日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
・・・・・
マントラ入門 Zoomクラス  
土曜日:13:00~15:00 日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
・・・・・
トランスZoomクラス
土曜日:19:00~21:00  日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
・・・・・
サンスクリット・般若心経 Zoomクラス 
月曜日:13:00~15:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
水曜日:19:00~21:00   NEW! 日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
サイトのクラス紹介ページはこちらです。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
0 notes
thanatochu · 2 months
Text
Hydrangea
綾子主ほのぼの日常編 黒い森を抜けたあと、の続き
春の終わりに、出会ったばかりの僕たちが共同生活を始めてしばらく経った。 今ではもう梅雨の季節で毎日雨が降ったり止んだり、じめじめとしたお天気が続く。樹さんに頼んで乾燥機買ってもらえて良かった。 樹さんは割と子煩悩というか叔父馬鹿なところがあって、甥っ子の快適な生活のためなら金と労力は惜しまないと豪語する。 僕としてはそんなに甘やかしちゃ駄目だよとブレーキ役のパターンが多くなってるんだけど、多紀を甘やかしたいのは正直とてもよく分かるので結局甘々な僕たちを多紀本人が諌めてくるという構図。 多紀はこの春から転校して近所の小学校2年生になった。 最初は内気なのもあってポツンとしていたようだけど、僕らと暮らすようになってから笑顔も増えて友達も出来たらしい。お勉強も頑張っていると連絡帳にも書いてあった。 僕は表向き、樹さんたちの遠縁ということにしてもらっている。みんな苗字がバラバラでも辻褄が合うように。ごく普通のママとパパがいる家庭ではないと、多紀が変な噂を立てられないように外面は良くしておくに越したことはない。 同級生のママさんやPTA、ご近所付き合いまで僕が一手に引き受けているけど、若い女の子たちとの会話とはまた違ったスキルが要求されるので、慣れるまで大変だ。 実のところ僕は2009年どころかもっと先の未来のことまで知っているので、2000年代初頭に生きる人たちと話しているとジェネレーションギャップみたいな気分になっちゃうことがよくある。うっかりSDGsが、とか言わないようにしないと。 でも皆さん基本的に良い人たちだ。近所には緑も多い公園があり、曜日によって種類の変わる安売りセールのスーパーと、閑静な住宅街で広々とした居住スペース。子供を育てる生活環境としては今のところ何の問題もなく満足している。 最初にこの環境を整えてくれていた樹さんには頭が上がらない。 多紀の父方の親戚連中に随分とご立腹の様子で、その頃の多紀を見たらそれは無理もないだろうなと推測する。 親戚たらい回しの放置されっぱなし、愛情のお水を貰えずに干涸びて。そんな環境で育ったら他人に期待しなくなるのは当たり前だ。 巌戸台に越してきたばかりの、舞い散る桜も空の青も、綺麗なものを何も映していないような君の灰色に霞んだ瞳を思い出す。 どうでもいいなんて言わせない。そのために僕らは家族になったんだ。
そろそろ多紀が学校から帰ってくる時間だ。 僕は樹さんと多紀が選んでくれた黒のデニム生地のエプロンを締め直して、おやつ作りに取り掛かる。 蒸し暑くなってきたからゼリーとか涼しげなのも良いなあ、なんて考えながら定番のホットケーキだ。休日の朝ご飯にはじゃがいもをすり下ろしたパンケーキが好評だったけど、今回はおやつなのでメープルシロップとバターを多めに。 「ただいまー」 焼き上がったいいタイミングで玄関のドアが開いた。 「おかえり。今日も楽しかった?」 「うん。今度ね、遠足があるみたい。おべんと作ってくれる?」 「へえ!いいねえ〜頑張ってお弁当さん作っちゃうよ」 おやつがあるから手洗ってね、と言うと多紀は素直にランドセルを置いて洗面所に向かった。 冷たい牛乳と一緒にホットケーキを並べると、戻ってきた彼が「いいにおい」と顔をふんわり綻ばせる。もう、うちの子すっごく可愛い。 僕の分は最初に焼いた、あんまり上手い焼き色にならなかった1枚でカフェオレと。やっぱり皆で選びに行ったランチョンマットは色違いの豚さんだ。 「ジュジュの分ある?」 「あるよ、ちゃんと作ってあるから大丈夫」 ジュジュとは樹さんのことだ。音読みで、じゅ。 教えてもらった時は微笑ましいなと思ったけど、最初に言い始めたのは樹さんのお姉さんなんだそうだ。つまり多紀の亡くなったお母さん。 ひと回り近く歳の離れたしっかり者のお姉さんだったそうで、もう姉というより母親が2人いるみたいだったと樹さんが溜息を吐いていた。 「ジュジュ今日も帰り遅いのかなあ。おしごと大変なのかな」 「夏休み取れるように今から頑張ってるんだって。お祖父ちゃんち行くんだもんね」 「うん!」 学校が夏休みになって樹さんも纏まった休みが取れたら、実家のお祖父さんとお祖母さんに会いに行こうと計画している。 長閑な田舎に遊びに行く夏休み、なんて絵日記が捗る子供らしいイベントだ。 多紀は小さい頃に会っただけで記憶も曖昧だけど、電話ではよく話しているので2人に早く会いたいと毎日とても待ち遠しそうだ。 こんな時に、そういえば向こうの多紀もお爺さんお婆さんが好きだったな、なんて考えたりする。文吉さんにクリームパンをポケットに捩じ込まれたと満更でもなさそうに僕に半分くれたことがあって、くすりと思い出し笑いが漏れた。 とても懐かしいし君に会いたいなとは思うけど、その彼を堂々と迎えに行くために此処に来たんだ。ホットケーキを咀嚼して感傷的になってしまった気分を振り払った。
遠足はどこに行くの?お弁当は何食べたい?などと話しながら夕飯を2人で済ませ、お風呂上がりに水分補給していると樹さんがようやく帰宅した。 「あー、つっかれた…」 「ジュジュ、おかえり」 疲労と空腹でよろけている叔父さんを玄関まで多紀がお出迎えする。手には飲みかけの乳酸菌飲料が入ったコップだ。 「ただいま〜。良いもん飲んでるな。ひと口くれよ」 「ええ〜。ひとくちって言ってジュジュいっぱい飲むんだもん」 「この前は喉乾いてて、つい。悪かったよ。それとジュジュじゃなくてたつきって呼べ」 パジャマ姿の甥っ子をハグして謝りながらも文句を言う。 こうしていると本当に雰囲気が似ている叔父と甥だなと思う。樹さんのほうが少し癖っ毛で毛先が跳ねているけど、2人とも青みがかった艶やかな黒髪だ。僕も黒髪だけど、色味が違う。 樹さんはよく見るとアメジストみたいな瞳の色をしていて、仕事中は外しているけど左の耳にピアス穴がある。 多紀と違うところといえば、叔父さんの方が男の色気があるところかな。多紀はもっと中性的だし。 これで大手企業にお勤めなんて、かなりモテるんだろうなあ…とぼんやり思うけど今のところお付き合いしている恋人さんはいなそうだ。普段はできる限り早く帰宅するし、仕事と甥っ子に全振りしている。 そんな叔父さんに渋々ながらも結局自分の飲み物をひと口あげている多紀は偉いなあ、と家族の考え事をしながら樹さんのご飯の支度をした。 「玄関の紫陽花、綺麗だな。買ってきたのか?」 シューズボックスの上に置いた花瓶を見たのだろう、ネクタイを外しながら樹さんが訊いてくる。 「ご近所の榊さんのお庭にたくさん咲いたからって、お裾分けしてもらったんだ」 色とりどり、形も豊富な紫陽花をお世話するの上手ですねって正直に感想を述べたら、少し切ってあげると品の良い老婦人が花束にしてくれた。 バラや百合みたいな派手さはないけど、今の時期しか嗅げない匂い。梅雨も悪くないなって思えて結構好きなんだ。 ドライフラワーにしても綺麗なのよ、とその人は笑っていた。 「ぼくもあじさい好きだよ。雨の雫が似合うよね。あっ、でも遠足の日は晴れて欲しいなあ」 「遠足があるのか。そりゃ雨じゃちょっと残念だもんな」 席に座って、いただきますとお箸を手に取りながら樹さんが頷く。 「近くなったらてるてる坊主作ろうね。すごく大きいのと、小さいのたくさん作るのどっちがいい?」 「小さいのいっぱい!」 「ふふ。布の端切れもいっぱいあるからカラフルなの作ろう」 そんな話をしているともう夜の9時を回っていた。いけない、多紀の寝る時間だ。 「歯磨いて寝る準備出来た?じゃあ昨日の続きから少し絵本読もうか」 「うん、歯みがいた。ばっちり!」 「樹さん、食べ終わったら食器は水につけておいて。お疲れなんだから早くお風呂入って寝てね」 「ふぁい」 夕飯のチキンソテーとおやつのホットケーキを頬張りながら樹さんが返事をする。 「たつきもおやすみなさーい」 「ん、おやすみ」 挨拶のあと子供部屋へと入る。樹さんが用意した多紀の部屋は愛に溢れていて、子供用らしく可愛いパステル色で揃えられた壁紙やラグ、家具と小物に至るまで趣味がいい。おもちゃも温かみのある木が多く使われていて、こういうのお値段結構するんだろうなと思う。 多紀をベッドで待っていたのは小さめのクマちゃん。樹さんが買ってくれたぬいぐるみで、キャメル色の毛並みに水色のリボンを首に巻いている。 多紀はいつも枕元で座っているクマちゃんと、その下に畳んであった柔らかく肌触りのいい木綿のタオルケットを抱きしめる。 青と黄色のチェック柄で、両親と住んでいた昔から愛用している所謂セキュリティブランケットだ。 それらに囲まれてふかふかのお布団に入り、少し絵本を読み聞かせるとすぐに多紀はうとうとし始める。 以前までは寝つきが悪かったようなので、精神的に安定してきたなら何よりだ。 しっかり眠ったのを確認して掛け布団を整えて、僕はキッチンへと戻った。丁度お風呂上がりの樹さんがタオルで髪の毛を拭きながらテレビのリモコンを操作している。 僕が温かいほうじ茶を淹れてテレビ前のテーブルに置くと、「お、ありがと」と笑ってひと口啜った。 樹さんは家ではお茶とコーヒーばかりだ。仕事の付き合い程度にはお酒を飲むけど、プライベートまで飲むほど好きでもないそうだ。 僕もお酒は飲めないのでちょっと親近感。もう半月くらいすると、多紀と一緒に漬けた梅ジュースが飲み頃になるから楽しみなんだ。 「多紀は今日も元気だったか?」 「うん。ジュジュの分のホットケーキはあるの?って心配してた」 「ははっ。無かったら半分くれる気かな」 多分ね、と相槌を打ったら樹さんはしみじみと優しいなあと呟いた。 「さてと。俺もメールチェックして早めに寝るかな。ごちそーさま」 「お疲れさま。おやすみなさい」 樹さんが自室に入る足音を聞きながら残りの洗い物を片付けて、自分も休む。 当然ここでも毎晩影時間はある。多紀が象徴化しないのはもちろんだけど、樹さんもペルソナ使いだからか、それとも適性の問題か、普通に棺桶にならずに寝ている。それでも影時間のことは認識していない。 一応シャドウが2人に悪さをしないように、いつ多紀が影時間に目覚めてパニックを起こしても対処できるように周囲の気配を見守っているつもりだけど、現時点ではそんな心配もいらないようだった。
遠足は今週末の金曜日。天気予報では雨の確率は50%といったところで、今日帰ってきたら多紀と一緒にてるてる坊主を作ろうと約束していた。 本日のおやつはいちごババロアが冷蔵庫に冷えている。お湯と牛乳で作れるもので簡単で美味しい。 布団乾燥機を稼働させながら夕飯の下拵えまで終わったところで、多紀がまだ帰ってこないことに首を傾げた。 奥様方が小学生にも子供用PHSを持たせようか、まだ早いか話題に上がっていたのを思い出す。いざという時に連絡がつく安心感は重要だ。 小雨の降る窓の外を眺め、エントランスまで様子を見に行こうかとヤキモキしていたら多紀が帰ってきた。 「ただいまー」 「あっおかえり。ちょっと遅かったね?何かあったの」 「うん。リサちゃんちでね、子犬が生まれたって聞いたから触らせてもらいにいったの」 レインコートを脱いで傘立ての横にある壁のフックに引っ掛けながら、多紀が早口で説明してくれる。 ふわふわの触り心地を思い出したのか「これぐらいでね、茶色くて」と両手で抱える真似をしながら、かわいかった〜なんて笑うから、心配していた僕のほうまで笑顔になる。 中型犬より大きめの体で、毛が長くフサフサした母犬だと言っていたので数ヶ月もすれば子犬もすぐに大きくなるんだろう。 「りょーじも今度いっしょに見に行こう?」 「うん、僕も出来れば抱っこしてみたいな」 おやつの後にお裁縫道具と端切れを出してきて、てるてる坊主作りに取り掛かった。 そのまま吊るすと頭の重さでひっくり返っちゃうからどうしようか、と2人で相談して体の部分に重りを仕込めばいいんじゃない?という結論に至った。 多紀にビー玉を提供してもらって、いくつか綿と一緒に袋詰めして端切れを縫い合わせたマントの中に仕込んだら、顔を描いて首にリボンを取り付ける。 「ジュジュと、りょーじと、ぼくと、じいじとばあばね」 5体のカラフルなパッチワークてるてるが出来上がり、カーテンレールに並んで吊るされた様子はなかなか可愛い。 「これで金曜日は晴れるね」 「うん!」 「樹さんが帰ってきたら見てもらおう」 「どれがジュジュか分かるかなあ」 「きっと分かるよ、多紀がみんなの顔描いたんだもん」 多紀とは逆に、今日は少し早く帰宅した樹さんが感心したようにカーテンレールを眺める。 「へえ。随分イケメンに描いてくれたな」 「だってジュジュいけめんでしょ」 「望月だってイケメンだろうけど。タレ目と吊り目の違いか?」 樹さんのてるてる坊主はキリッとした印象で、ピアスも忘れずに描かれている。僕の顔はぐりぐりした目の横にホクロが描いてある。ちゃんと黄色いマフラーも多紀が首に巻いてくれた。 久しぶりに皆揃って夕飯を食べながらリサちゃんちの子犬の話になった。 「多紀は犬が好きか。うちの実家にも白い雑種の、ももがいるぞ。覚えてるか?」 「…いぬ?お鼻がピンクの子?ジュジュが撮った写真があった」 「そうそう。もう今年10歳だからおばあちゃんだけどな。まだまだ元気だって聞いてるから夏休みに会えるよ」 「うん。ぼくのこと覚えてるといいな」 「ももちゃんかあ。僕も仲良くなれるかな」 野生の本能なのか、動物全般に僕はあんまり好かれない。そもそも近くに寄り付かないし、威嚇される時もある。怯えさせないようにしたいんだけど。 僕と眼を合わせられるコロマルくんの度胸はすごかったなあ、なんて記憶の中の白い犬を思い浮かべた。 「飼いたいなら…うちでも飼えるんだぞ。ここのマンション中型犬までなら大丈夫だし。猫だっていいけど」 「えっ。…ええと、そっか。でも、もうちょっとちゃんと考えてみる…」 多紀は最初に分かりやすく目を輝かせたけれど、ぐっと踏み止まって大人みたいな対応をした。確かに命を預かる責任が生じることだ。 「ああ。よく考えて、どんなことが必要か勉強しておこう。そうすればきっと出会うのに相応しい時に会えるよ。こういうのも縁だからな」 叔父さんに頭を撫でられて、多紀は嬉しそうに頷いた。
ついに遠足当日。朝のお天気は薄曇りで、念の為の折り畳み傘だけで済みそう。 お弁当は前日から練習してみたけど微妙なヒーホーくんキャラ弁。まだこの時代には100円ショップを探してもそれほど種類豊富なお弁当グッズが売ってないので、ちょっと苦戦した。 海苔とスライスチーズでフロストの顔を作り、体はミニハンバーグ。彩り重視で卵焼きにウィンナー、ブロッコリーとミニトマト。仕上げに保冷剤代わりの、冷凍にした小さいゼリーを添えて。 小さめのおにぎりを2つ入れたら準備完了だ。出来栄えは食べる時のお楽しみね、と多紀には言ってある。 おやつは多紀の好きなお菓子と水筒には麦茶。これだけで小さな体には結構な荷物だ。 「忘れ物はないかな?」 「えーと、うん。みんな入ってる」 「よしよし。じゃあ気をつけていってらっしゃい」 「うん。いってきます」 多紀が靴を履いていると洗面所から樹さんが慌てて玄関までやって来た。 「待て。俺にいってきますのチューは?」 「チューなんていつもしてないよ」 呆れながら多紀は膝をついて屈んだ樹さんにハグをしてあげる。ぽんぽん、とリュックを背負った背中を叩いて樹さんが「楽しんでこいよ」と笑った。 笑い返して頷いた多紀を送り出すと樹さんが身支度に戻る。僕は彼にトーストとコーヒーを用意して、後はお弁当の残りおかずで朝ごはんとする。 「てるてる坊主のご利益があったな」 「そうだね。帰りまで保てばいいけど」 照ってはいないが朝から土砂降り、なんてことにならないだけ御の字だ。 たくさん作った分の効果があったのかな。
金曜日はお肉セールの日。豚コマと鶏挽肉を買ったスーパーの帰り道に「望月くん」と声を掛けられた。声がした生垣の方を見ると、先日の紫陽花の老婦人が手招きしている。 「榊さん。こんにちは、先日は綺麗な紫陽花ありがとうございました」 「いえいえ、どういたしまして。それでね、今日も良かったらなんだけど」 今度はやや小さく、もこもことした可愛い白色の紫陽花をくれた。 「紫陽花の花言葉は移り気なんて言われるけど、てまりの種類には家族や団欒なんていうのもあるの。白い紫陽花は寛容とか一途な愛情。色や形で様々な花言葉があるのも魅力ね」 「そうなんですね…家族か。うちにぴったりです」 「でしょう?それとね、これはお裾分けなんだけど。ちょっと時期はズレちゃったけど美味しいものは変わらないわ」 渡された紙袋の中を見ると柏餅だ。葉っぱが緑のと茶色いのがあって、中身の餡が違うのだそうだ。こし餡と味噌餡。どっちも美味しそう。 「わあ、今年の端午の節句はもう終わっちゃってて、お祝いできなかったので嬉しいです。ありがとうございます」 「よく行く和菓子屋さんのなんだけど、まだ柏餅売ってたから買って来ちゃった。多紀ちゃんによろしくね」 ぺこり、とお辞儀し合ってまた歩き出す。我が家はみんな甘いもの好きだから、洋菓子和菓子関係なく喜ぶ。 空を見上げると雲は厚いものの、まだ雨は降らなそうだ。多紀が遠足から帰ってきたら柏餅でおやつにしよう、なんて考えながら家路を急いだ。
貰った白い紫陽花は壁際のキッチンカウンターに飾った。花瓶も可愛らしく小ぶりな桜色にして、部屋も明るくなったようで見ていると和む。 「ただいまー」 玄関が開く音のあと、すぐ元気な声が続いた。 「おかえり。遠足どうだった?」 「楽しかったけど、ちょっとバス酔っちゃった」 「あれ。酔い止め効かなかったかな」 「帰りは平気だったよ」 「そっか。良かった」 話しながら多紀がリュックからゴソゴソと取り出したのは空のお弁当箱と水筒。それからやっぱり全部空になったお菓子袋。 「おべんと、ごちそうさまでした。みんながねー、すごいってほめてくれた」 「おお!ひとまず安心したけど、個人的にはクオリティがいまいちなので…次に頑張るね」 「そなの?上手だし、おいしかったよ」 「…うちの子って、なんて良い子なんだろ」 首を傾げる愛くるしさにぎゅーっと抱き締めると「わかったわかった」と腕をぽんぽん叩いてあしらわれる。さっさと抜け出した多紀は手を洗いに行ってしまった。 真似してるのか無自覚か、仕種が叔父さんに似てきたなあ。 「お皿のね、絵付けたいけんしてきた。焼いてから学校に送ってくれるんだって」 「へー!なに描いたの?」 「ひみつ!」 笑いながらリビングへ入って、てるてる坊主に「雨ふらなかったよ、ありがとう」なんてお礼を言ってる。それから白い紫陽花に気づいて顔を近づけた。 「あれ?新しいのだ。きれいだね」 「さっき買い物帰りに榊さんに会ってね、また貰ったの。それと多紀にって柏餅も貰ったよ」 「かしわもち!こどもの日に食べるやつだ」 「みんなで住み始めたの大型連休過ぎてたから、お祝いしそびれてたよね。お祝いといえばお誕生日も!来年は盛大にやろう。ケーキ作っちゃおう」 「うん。その前に2人のたんじょうびだと思うけど…ジュジュは夏生まれだって言ってた。りょーじは?」 「僕?うーん僕は…秋生まれかなあ?」 正直、誕生日も歳もよく分からない。どこから数えたらいいのかも曖昧だ。 強いて言うなら、君にファルロスとしてお別れを言った朝の、次の日なのかなと思っている。そこから今の僕が形成された。もう随分昔のことみたいだけど。 「じゃあ、きせつが変わるたびにお祝いできるね。ケーキぼくも手伝う!」 にこにこ笑った多紀が、はたと思い出したように紫陽花を見上げた。 「あじさいのおばあちゃんにお礼したいな」 「そうだね。一緒にお菓子か何か作って持って行こう。ケーキの予行練習でもいいよ」 またひとつ、数日先、1年後までの約束と楽しみが増えた。こんなことの積み重ねで幸せが作られていくんだろうな。 柏餅は、こし餡と味噌餡どっちにする?と訊いたら迷うことなく「どっちも!」と答えるところは子供らしいというより多紀らしい、と笑ってしまったけど。 「ジュジュに半分ずつあげるの。どっちも食べたいでしょ」 「そうだねえ。樹さんも両方食べたかったーってなるよねえ」 樹さんがまた喜んじゃうなあ、と子供特有の猫っ毛でサラサラの髪の毛を撫でた。 柏餅を食べながら、教わった紫陽花の花言葉について話し合う。多紀は興味を持った様子で、今度学校の図書館でお花の図鑑を借りてくると言っていた。 まんまるで、人の心を和ませる。そんな世界一の団欒が作っていけたら良いなあ。 ささやかで壮大なことを願いながらエプロンを付け、夕食の準備に取り掛かった。
このお話の時代考証というか、どこまで詳細にやったらいいのか悩みまして、結論。 ファンタジーミレニアムにすることにしました。この時代にまだそれ無いじゃない…? とか色々挙げればキリがないのと、この望月さんは全部体験はしていなくとも 令和まで知識として知ってるという未来人っぽさを醸し出してもらおう!という…。 チートなハウスキーパーというより所帯染みた専業主夫になってますが 子主さんにいろんな体験をさせてあげたいものです。 叔父さんはマキちゃんと友達以上恋人未満のいい感じになってて欲しい もうお前ら早く付き合っちゃえよ!(願望)
0 notes
date-private227 · 6 months
Text
お泊まりデート1,2日目(11/30,12/1)
4ヶ月ぶりに伊野尾くんに会う日。俺の家に泊まるから数日前から汗水垂らして、引越し後からまだ片付いていなかった部屋を片付けてなんと当日の朝までやってました。当初の待ち合わせ時間に間に合わず、15分くらい遅れて空港で合流。
10:15。お昼ご飯にしては早いけど混まないうちにと思って、伊野尾くんが食べたとブログで言っていたラーメンを一緒に食べに行きました。同じ物を同じ席で食べてこれが俗に言う「ヲタ活」というヤツか…としみじみ。久々にラーメン食べたんだけど美味かったなー。
Tumblr media Tumblr media
ラーメン食ったあとは、目星をつけてたお土産を買いに一緒に空港を回ってたんだけどお土産の所めちゃくちゃ暑かったなー。ついでに俺も気になってたお菓子を購入して、空港から駅までリッチにタクシーで移動。
伊野尾くんのキャリーケースとかをロッカーに預けたあと、ミルフィーユを食べに行った。室内が暑いからってキャリーと一緒に上着もロッカーにしまった伊野尾くんは「寒い!」とアホみたいな薄着で凍えながら俺にくっついて歩いてました。そんなこんなで10分くらい歩いて到着。食べ歩きかと思ったら中に座れるところがあってそこで食べる事に。実際に店員さんが作ってるところも見れたりして良かった。これがミルフィーユ。
Tumblr media
俺はチョコとかバナナが挟まったやつで、伊野尾くんはいちごにカスタードクリーム。こういうミルフィーユ食べたこと無かったから美味しかったんだけど、普段デザートとか食わない俺には多すぎてキツかった。
俺が頑張ってゆっくり食べ進めてる間に伊野尾くんが近くにある美味しそうなパン屋さんを見つけて、急遽行くことに。本当は別のパン屋さんに行く予定だったけど(笑)
Tumblr media
オシャレなパン屋さん。俺は2つ買って、伊野尾くんは何個買ったんだっけ?左のはグラタンとベーコン、右のはウィンナーと紫キャベツのパン。美味かったなー。ただグラタンってよりチーズ感すごかったけど。
Tumblr media
買い終わってそろそろ家の最寄り駅まで帰ろうかって事になって、駅に戻り荷物を取って1時間電車に揺られ最寄り駅に到着。
最寄り駅からは車で家の近くのイオンまで行って夜ご飯の材料とかその他もろもろ購入。伊野尾くんのお母様からの買い物券でとてもとても助かりました。ドッサリたくさん購入して帰宅。
「思ったより広い!」が部屋の感想らしいです。とりあえず疲れすぎて冷蔵保存のものだけ放り込んでしばらく休憩。昼のラーメンが早すぎたからお腹すいたねーなんて言ってさっき買ったパンを食べました。朝食べる予定が…。
休憩後は伊野尾くんが夜ご飯を作ってくれまして。メニューは生姜焼き、マカロニサラダ、ジャガイモとわかめとたまごの味噌汁。事前に準備お願いねって言われてた生姜焼き用の生姜チューブを用意し忘れてて(冷蔵庫に眠ってたニンニクチューブと見間違えて買わなかった)、たまたまあった生姜焼きのタレを使って作ってくれました。申し訳ねえ…。食べる前に風呂を済ませて、2人で夜ご飯!ただもうひたすら美味くて美味くて美味かった(語彙力皆無になるほど)。
Tumblr media
食べ終わったら一緒にお皿片付けて、キャス。合言葉は「生姜焼き」でやったんだっけな。ポッキーゲームをバレないようにしながら…なんて誰かさんからの助言のもとキャス前に試しにやってみたりしたけど普通に1人で食べるだけでも音が聞こえるんだから無理じゃない!?ってなって失敗。それが頭に残りすぎて何話したか覚えてません。キャス終わって、シングルベッドに2人で潜り込みイチャイチャ。そのまま就寝!おやす!
そこから12/1の2日目へ突入。この日俺は絶対仕事休めない日だったので嫌々仕事へ。伊野尾くんは朝早く起きてくれて、お弁当と朝ごはんを作ってくれたよ。朝ごはんはコチラ。
Tumblr media
朝の時点ではお弁当箱が見えなくて気付かなかったんだけど、お昼になって開けたら普通のお弁当箱が!事前に「このタッパーが弁当箱代わりだから!」って伊野尾くんに言ってたんだけど、まさかタッパーじゃなくてちゃんとお弁当箱だったのが驚き。伊野尾くんがわざわざ家から持ってきたらしい。中身はコチラ。
Tumblr media
冷凍食品は一切ありません(強いて言うならおにぎりの枝豆だけ)!しっかり味わいながら食べ切りました。美味かったなー。
帰りに頼まれた物を買って帰って、すぐシャワーを済ませたら2人でコインランドリーに。洗濯乾燥してる間に家戻って、伊野尾くんが用意してくれていた夜ご飯をいただきました。
Tumblr media
美味すぎた肉じゃがと味噌汁���お弁当に入り切らなかったおかずたち。腹ペコだった俺は肉じゃがを2人前くらい食いました。お腹破裂するかと思った。食べてる途中でコインランドリーへ洗濯物を取りに行って、帰ったらすぐMステ。一発目がJUMPお兄さんの出番だったから急いで音量上げて2人で食べながら見てました。ミタゾノさんが出てきてオモロかった。
そのあとは片付けたりゴロゴロしたり洗濯物畳んだりして、明日明後日はライブだったので準備をして2人でベッドイン。壁が薄いから卵パックがどうたらとかダンボールをどうたらとか言われてたんですけど、薄い壁のまま色々触れてしまいました。キャハ。具体的な事はご想像にお任せします。
1 note · View note
todetserrenews · 8 months
Text
バラの苗木は今が買い時!美しいニューフェイス&プロが教える「秋バラ」の必須ケア2023秋
Tumblr media
秋はバラが2回目の最盛期を迎える季節です。秋のバラは色も濃厚で香りも豊か。でも、そんな秋のバラを咲かせるためには絶対やったほうがいいケアがあります。猛暑の日照りと高温多湿で葉が縮れたり葉を落としたりしていませんか? 対処は一日でも早ければ早いほうがベスト! 手当てが遅れると来春の開花にまで影響してしまうことも。今すぐ行いたい秋のバラのお手入れテクニックと、大苗の予約がスタートした最新品種のバラをご紹介します。
2023年秋新品種・人気のバラの予約受付開始!
秋はバラの新品種発表の季節。秋から冬にかけて出回る“大苗”と呼ばれる苗は、プロの生産者が2年の歳月をかけて丹精込めて育てた充実した苗ばかりです。
いち早く秋に苗を入手して、冬を越せば来春の素晴らしいバラ景色が期待できます。平田ナーセリーではイングリッシュローズをはじめとした海外有名ブランドのバラ苗や日本作出品種など、今年秋に本格的にデビューするバラ苗も予約販売スタート。平田ナーセリーのバラ苗は苗がしっかりと発根し、初期成育が良いように独自のブレンドをした培養土で植え付け管理を行った、安心の一鉢をお送りしています。
今年もオーガニック栽培に適した丈夫な苗をラインナップ! その中でもおすすめの品種をご紹介します。
ダナヒュー
Tumblr media
Dannahue (Ausa6b15)/DAVID AUSTIN社2023年発表の新品種 コンパクトで整った樹形は鉢植えでも扱いやすく、マンションのベランダなどの少し陰になる所でもよく育ちます。アプリコットイエローの明るい花色は他の植物との調和も良く、バラ栽培初心者からベテランの方まで納得の品種です。
アレキサンドラ・ダビッド・ニール
Tumblr media
Alexandra David-Néel/仏デルバール社 淡いモーヴピンクのウェーブがかった花弁は、いかにもフレンチローズといった華やかさが特徴、樹形は中型のシュラブでトゲが少なく扱いやすい。耐病性も言うことが無くオーガニック栽培にはうってつけのバラ。オベリスク仕立てやコンパクトなつる仕立てにおすすめの品種です。
コート・ドール 
Tumblr media
」Côte-d’Or/仏デルバール社 見ているだけで元気が出てくるビタミンカラーの黄色の花は、春・秋の涼しい時期にはオレンジがかった別の表情を見せてくれます。四季咲き性が強く春~秋まで繰り返し花が咲き続けてくれます。
ル・タン・デ・スリーズ 
Tumblr media
Le Tepms des Cerises/仏デルバール社 華やかな赤紫の花色を持つバラは、香りの強いものが多く、この ‘ル・タン・デ・スリーズ’ も、ローズとフルーツの香りを辺り一面に漂わせてくれる芳香花が魅力です。強香種の中では花もちが良いというのも嬉しいポイント。名はフランスのシャンソンの名曲「さくらんぼの実る頃」から。
レヴリ 
Tumblr media
Réverie/河本バラ園 ブラウンがかった藤色の美しい花びらが優しく波打つロゼット咲き。 コンパクトな樹形で房咲き。繰り返し良く咲き、耐病性も良い性質です。
エミル・ドゥ・フォレ 
Tumblr media
Miel de Forêt/河本バラ園 和紙を重ねたようなロマンチックなカップ咲き。耐病性が強く、樹形もコンパクトで初心者の方にも扱いやすいバラです。
プリマヴィスタ 
Tumblr media
Prima vista/ロサオリエンティス 形の整ったロゼット咲きに美しいピンクの花色、そして濃厚なダマスクの香り。この3拍子揃ったバラは、その名の通り見る人すべてを一目惚れさせてしまう魅力に満ちています。
弱ってしまったバラを超回復‼︎ この秋やっておきたい「土壌改良テクニック」
皆さんのお庭や鉢植えのバラの状態はいかがでしょうか? 新しいバラをお迎えして、いろんな品種を楽しむこともバラの楽しみの一つですが、何年もかけて愛着のある株を維持して、美しく咲かせることもまたバラの楽しみの一つです。
しかし今年の連日の猛暑、大雨などの異常気象によって、屋外に出て手入れするのも億劫で、次第に元気がなくなっていくバラを眺めているばかりといった方もいらっしゃるのではないでしょうか?
9月下旬から10月にかけては、さすがに日中の気温も落ち着いて外での作業もしやすくなる時期です。さあ、今すぐお持ちのバラをチェックしましょう!
Tumblr media
それらは「バラの夏バテ症状」です。そんな夏バテしたバラをそのままにしておくと、来春の花にまで悪影響が及んでしまうことも。今すぐ手当てを行えば春の花が、うまくいけば、秋バラも元気に咲くかもしれません。 では、どのような手当てをすればよいのでしょうか? まずは鉢植えも庭植えも、バラの株元の土の状態を確認しましょう。
日頃の水やりや雨によって、何もしなければ表土は少しずつ溶けて固まってしまいます。ぎっしり土が詰まってしまうと根に空気が届かなくなり、水をやっているのにすぐに水切れしてしまいます。 水をやったとき、以前はすーっと水が吸収されていたのに、今は水たまりができて、じわじわとしか土に吸収されなくなっている。そんな症状はないでしょうか?
また、上根がびっしりと生えて土の表面にむき出しになっていませんか? 上根はバラにとって肥料や水分を一番吸収する大事な部分です。そこに真夏の直射日光が長時間当たると、どうなるでしょう?
真夏の地表面の温度は50℃近くまで上がることもあります。さすがのバラの根もこの温度には参ってしまいます。根が人間で言うところの熱中症になってしまい、上根が傷んだり、枯れてしまいます。大事な上根が傷んだバラは、水も肥料も吸収できなくなって、やはり弱ってしまいます。
秋バラに即効性がうれしいバラの回復レシピ
秋バラの夏バテには「ふかふかのよい土」を!
Tumblr media
「ふかふかのよい土」とは、「土の団粒構造を維持」することです。簡単にいうと、大・中・小の土の粒の間に隙間が空いていて、根が水分と酸素を無理なく取り込めて根が育つ環境をキープしている状態のこと。土の団粒構造を保つためには有機資材が一番です。 ここからは、夏バテしたバラの土壌改良におすすめの有機資材をご紹介します。
SOIL FOOD
SOIL FOOD(ソイル フード)は、花壇や畑、プランターなどの、劣化して固くなった土を改善するために生まれた土壌改良材です。有機物や腐植酸が多く含まれ、植物にとって欠かせないアミノ酸や微量要素が豊富なので、植物の成長を健全化するのに役立ちます。また、肥料内に含まれる多くの有用微生物たちが土の団粒構造化を促進し、ふかふかの土に蘇るので、特にバラの夏バテ症状を回復させるための土壌改良におすすめです。 このSOIL FOODは、公共浄化センターや食品メーカーから発生する有用資源残さを利用した製品で、自然環境に優しい循環型の有機質肥料です(この肥料は、国の安全基準以上の試験を行い、安全性の確認を行っています)。
<稲ワラ馬フン完熟堆肥>
平田ナーセリーがこだわりの製法で作る「稲ワラ馬フン完熟堆肥」は、使い始めてすぐにベストな働きを発揮できるようにと、3〜6カ月かけて完全に発酵が進んだ状態なので、いつ使用しても根の生育を妨げる心配がありません。
<夢油肥>
上記の「稲わら馬ふん堆肥」をベースに、バラに活力を与える油粕などを加え、善玉菌で発酵させた有機100%の完全オーガーニック肥料です。植物の成長に必要な多くの栄養素と、アミノ酸が濃縮されています。土の団粒構造の維持に加え、体力を落としているバラの株に負担をかけることなく、素早く栄養素を送り届けることができ、新しい根の発生を促してくれます。
バラの株張り(枝の先端がある位置)と同範囲の表土に、4種の資材を混ぜてばら撒き、表土5~10cm程度を掘り起こしながら資材をすき込みます。次に、株元付近にウッドチップを敷いてマルチングをし、仕上げに2種の液肥を希釈した水を葉にかかるようにあたえるだけの短時間で、夏バテしたバラの回復をスタートすることができます。表土を掘り起こしているとき、根が多少切れても全体量のたった5%程度ですから心配は無用です。
Tumblr media
次回の記事に続きます
0 notes
tocoro-cafe · 9 months
Text
十五六BOX通販便の詳細内容 & 申込方法お知らせ!  2023年9月の十五六BOX no.20 通販便は、今夜26日(火)21時〜受付開始です!→ 完売致しました!
Tumblr media
画像:今回のBOXとは構成は同じですが、種類は異なります。
→ 9/26  21:01時点
 規定数量に達しましたので締め切らせて  頂きました!私の超文をお読み下さり、  お申込み頂きまして本当にありがとう  ございます!今回もギリギリメニュー  アップでしたので、大丈夫!?と、  ドキドキでしたので、感謝です!!!  21時01分にて既定数量に達しました!  皆様ありがとうございました!!!
 発送可能な皆様には、夜中から明日中  までにメールを致しますので、返信を  お待ちしております。  締切後以降にお申込みされました方は  大変申し訳ございませんが、次回以降に  またお申込みを宜しくお願い致します!  貴重な時間をさいてメールを頂きました  のに、大変申し訳ございません!!!
 今回、購入できない皆様も来月も1〜2回  の通販便の受付予定ですので、こまめに  チェックのほど、宜しくお願い致します!  *購入不可の皆さまにはメールは届き   ませんので、予めご容赦願います。   ご無礼をお許し下さいませ。
5月からリスタートしましたトコロBOX。お申込み下さいました皆様、ありがとうございました!お申込み下さいましたのに購入できなかった皆様もありがとうございます!また今夜や来月もタイミング合いましたらお待ちしております!
月2回は通販便を受付ける予定ですが、今月のように出張のお仕事が入っています場合は、仕込みに追われて余裕がなくなる場合がございますので、月に1回となるコトがございますのでご了承願います。
前回もそうですがタイミングによってはすぐに埋まらないコトもありますし、ジャストで完売してしまうコトもございますので、まずはジャストでお申込み頂きまして、完売のアナウンスや追記がないようでしたらお申込み可能かも?しれませんので、21時過ぎまして気がついても諦めずにチェックして下さいませ。
既定数量に達するまで受け付けておりますので、21時過ぎましても一応チェックして下さい。X(旧Twitter)にもInstagramにもTumblrにも、完売のため締め切りました!的なアナウンスが無い時は受付中ですので、お申込みお待ちしております!但し、同じくらいのタイミングで何人かお申込みが重なる場合もございます。その場合は先着順にて優先権を決定致しますので、先着から漏れる場合もございますのでご容赦願います。あと、記載中でアップできていない場合もございますので、その際もご容赦願います!
お申込みが少なくても、現在は毎週お店をオープンしており店頭にて販売できますので、多い少ないは関係なく通販便は続けられますのでご安心下さいませ。なかなか店頭までお越しになるのが難しい方や暑くてお店へ購入はつらい方へ!と思っておりますので、どうぞ宜しくお願い致します。
送料はクール便で別途着払いとなりますのでご注意下さいませ。店頭にて直接購入の方がお得ですので、お近くの方はぜひ店頭販売にお越し頂けましたらと思います。遠方だったり、お子様がいらして行けない!や、 今は暑すぎる!など、色々な理由により、店頭販売に行くのが難しい という皆様にオススメの通販便です。どうぞご理解頂きました上でお申込みをお願いします!ですが、もちろんお近い方で上記の様々な理由により、店頭に行けませんよ!という皆様のお申し込みもお待ちしております!
注)昨今の材料値上げなどにより様々なトコロ で商品も値上げとなっておりますが、当店はまだ 一部焼き立てスコーンや、マスカルポーネを使用 した商品以外は、殆どの商品を値上げしていない状況です。4月に引き続き、再度9月からまたバターも大幅に値上がりしましたし、今後どうしても値上げをしないといけない状況となりました際は、またお値段が変更となる場合がございますので、今のうちにぜひご注文をお待ちしております。
久しぶりの再開ですので、先ずは当店のメール に届いた先着順から規定個数を割り当てていくという先着スタイルにて始めたいと思いますが、 今後続けていく中で新規の方が購入できない! という状況が続くようでしたら、以前の様に 新規枠などを2割設けたいと考えております。 その際でも、純粋な先着枠は8割ございますのでリピーターの方にもご購入頂けたりと、 バランスとしては良いお申込み方法となっていましたので、その方法を採用する可能性もございますので、皆さまご安心下さいませ。*9/26現在変更はございません。
ですので、気に入って頂けましたらリピート も何度でも問題ございませんのでご安心を! ただし少量生産なため、もともと数量が多くはございませんので、21時ジャストにお申込みを頂きましても、ジャストで規定数をオーバーする事もございますので、購入できない可能性もあるというコトをご理解頂きましてお申込みをお願い致します。因みにNO.16は21時11分まで規定数に達しないで受付していましたのでご安心を。少し前のno.15もそうでした!さらに直近のno.19は21時7分でした!というコトで、21時過ぎても諦めずにコチラのブログのチェックをよろしくお願致します!
今回「十五六BOX no.20」となります。 まだリスタート9回目ですので、内容を決めてお申込みを受付ておりますが、現在は毎週の営業のために以前とは違い、日々仕込みに追われておりますので、内容が仕込みの都合で変更となります場合がございますので、ご了承をお願いします。
追記) 当面は私のアナログメール方式にて お申込みや返信メールの「ひと言」などを 設けておりますが、大変になってきた際は 便利な通販サイトなどを利用するコトも視野に入れております。ですが、自分の言葉でお一人お一人にお伝えしたい!との想いがありますので、なんとも難しい… なので、いつもギリギリ経営なのでは? 寝れなくなるのでは?と、自分でも理解は しておりますが…性でございますね。苦笑。
以前、Twitterにてお伝えしましたが、店頭販売にて余剰が出た際にECサイトにて「お任せBOX」として、お品書きもなく、簡易段ボールに詰めて発送します、突然販売方法も試してみるかも?しれません。一応、準備はしております。この暑さのため店頭にお越し頂くのも申し訳ないので、考えております!但し、いつからできるのか?もまだ未定ですし、数量も少ないと思いますので、確実な十五六BOXをぜひ。
*何人かの方にお問い合わせ頂きましたが、お世話になっている方へ直接送って頂くことは可能ですか?との問いですが、メール内にその旨を記載して頂きまして、 送先主のご氏名と発送先の住所や電話番号、そして時間指定など記載ください。こちらにて問題ないと判断しましたら、確認メールにBOX代金の他に+クロネコヤマトクール便送料をプラスしましてお知らせしますので、合算金額をお振り込みくださいませ。
↓ 以下は定形文です。
2019年末にギリギリ開始致しましたトコロ 菓子の詰合せ「十五六BOX」の通販便! 2年半年ぶりの再開、今回で20回目です。
近くてもお子様が小さくてお越しになれな い方や、遠方の皆さま、トコロカフェ時代 から通っていたけれど遠くに引っ越された 方など、懐かしい方からのお申込みも多く とても嬉しい機会でもありました。初めて 食して下さった方もいらして、通販便なら ではの出会いに、私たちも初めての嬉しい 感覚を体感させて頂ける機会となりました。
そして。。。
現在、一昔前とは世の中の状況も一変して しまいました。というコトで、これからは 私たちがもう少し頑張ってトコロ菓子を つくるコトで、皆さまのご自宅へホッとす る焼菓子や時間をお届けするコトができる!
可能でしたら月2回できたらと思いますが、ご希望の方が多くいるのか?はまだ良くわかりません。三茶のお店を閉めてから早9年が経ちまして、トコロカフェを知らない方も多いと思います。現在、 日野市の多摩平にて焼菓子店「十五六(トコロ)」 をオープンし、新たなブランドとしても活動しております。そしてさらには2階のスペースにイートインや各種のイベント、ワークショップ、お話会などなど、開催できるトコロもつくりたい!という想い を持って日々奮闘しているトコロです。
皆さま今後共どうぞ宜しくお願い致します!
今夜26日(火)21時〜 メールにて、お申込みをお受け致します!数量限定となりますので先着順に受付を致しまして、規定数量に達しましたら受付終了となります。終了の際は、先ずはTwitterにてその旨を報告させて頂きます。その後にコチラへ反映させますので、気になります方はTwitterのフォロー 又は、チェックを宜しくお願い致します。
*状況X(旧Twitter) → https://twitter.com/tocorocafe
下記の申込み方法の記載漏れがある場合は 申込み不十分として購入できませんので、 お申込みの際は記載漏れのないようにご注意下さいませ。
先着順にて発送可能対象者となりました方には、購入可能メールを送らせて頂きます。 そちらにお振込み先と、お振込み期限日などを記載致します。
今回お振込期限は、9月29日(金)までとなりますので、期限までにお振込みが可能な皆様からのお申込みを心よりお待ちしております!
今回、9/30に発送しまして、10/1 又は場所 によりまして 10/2着となる予定でいます。何かトラブルがありまして遅れます場合はご容赦願います。
少量生産のため準備ができ次第、発送をさせて頂きますので、お届け日のご指定はできませんが、時間指定のみ希望をご記載下さいませ。ご入金を確認の方のみ発送をさせて頂きますのでご容赦のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
*送料は冷蔵品の和ブラウニーがリスタートから加わりました為、クール便にて着払いとさせて頂きますので、ご注意下さいませ。
*ご希望の時間帯のみ指定が可能ですが、道路状況などにより時間通りに到着できない場合はご容赦願います。  その辺はご了承の上、ご指定下さいませ。
無添加のため、賞味期限はすべて短めに設定しておりますので、クッキー各種とビスクッキィ以外は、到着後なるべくお早めにお召上がり下さいませ。
*和ブラウニーは到着後、冷蔵庫にて保管をお願い致します。夏場は到着後、そのまま冷蔵か冷凍庫へがオススメです!
表示の賞味期限よりも日持ちをさせたい!
という場合は到着後すぐにパウンドケーキ とスコーンは、冷蔵庫へパッケージされたまま入れて頂けましたらと思います。勿論、クッキーも冷蔵可能です。
*冷凍庫の場合はさらに日持ち致しますが、なるべく1ヶ月くらいでお召上がり下さいませ。 クッキーは、冷凍のまま食べるとギュッとしまって、カジカジと少しずつかじったり、 口の中で解けていく感じも好きなのです。
*お召上がりの際は、常温に戻すか、又はスコーンなどはオーブンで温めて下さい。 190〜200度で5分程度。焦げ易いようならアルミホイルを上にかけて下さいませ。
Tumblr media
上画像:秋限定のお芋(シルクスイート。入手不可の場合は、紅はるかや鳴門金時など)を使用した大学芋みたいなパウンドケーキ。そのままでも美味しいですし、ほんのりレンジで温めても。口の中でネチネチとお芋感を楽しめます。まるで大学芋を食べているような不思議なパウンドケーキ。
Tumblr media
上画像:米粉100%のしっとり和ブラウニー「ベリーベリーホワイトチョコと白餡と大納言」。今までのラズベリーに加えて、日野産のブルーベリーを新たに加えてピューレを作って加えました!ブルーベリーが加わったコトでコクが増して、香りも華やかに。。。生地の中にはラズベリー果肉が沢山入って品が良い酸味と、大納言がほっこりアクセントに!ホワイトチョコはあくまでミルキー!に徹してクセがなく…ホワイトチョコが苦手だった私がつくる優しいけど、しっとりしっかりグルテンフリーな和ブラウニー!珈琲とも紅茶ともたまりませ!
Tumblr media
上画像:3日間、低温熟成させた熟成スコーン!まるでチーズのようなコクと香り。リベイクして周りはザックリ。中はふんわりミルキー。珈琲でもお酒のお供にもぜひ。
Tumblr media
上画像:新作の米粉米油カルダシナモンクッキー!ほんのりカルダモンとシナモンを加えて甘さも控えめ、ふっくらザクザクー
◎ 十五六BOX no.020
【焼菓子詰合せ内容】
・大学芋みたいなパウンドケーキ  *みたらしと黒胡麻でまるで大学芋みたいな!(シルクスイート又は紅はるか又は鳴門金時使用)
・米粉)ほうじ茶粒あんパウンドケーキ   *香ばしいほうじ茶がたっぷりと秋らしく、粒あんと塩気のマリアージュ(米粉生地のふんわり感が増しました)
・バウムじゃないのにクーヘンみたいなケーキ  (ラム酒をたっぷり使用して焼いています)*新食感!(焼き方を改良しました)
・黒糖スコーン(ザクザク系)*一番最初に作った黒糖スコーン!単純に黒糖?と思っていたら勿体無いくらい甘さも控えめでバリっとザクっと美味しいスコーン!
・熟成スコーン バターライト版 [ 2個入 ]  (ドライイーストを使用)*チーズの様なコクとバターの甘味がミルキーでたまらない!
・チョコクランベリーアーモンドビスクッキィ [ 3枚入 ] (トコロ的ビスコッティ)*甘さ控えめでほろ苦でガリゴリ止まらない!!!
・米粉)ベリーベリーホワイトチョコと白餡と大納言と米粉のしっとり和ブラウニー  *ラズベリーに日野産ブルーベリーを加えたコクも香りも増した和ブラウニー!(冷蔵商品のため、到着後は冷蔵庫へ)
・ショートブレッドみたいなクッキー(ミルク) [ 2枚入 ]  *バター使用 / 卵 & ナッツ類 不使用
・米粉-米油)ほろ苦ココア米粉クッキー 5mm [ 3枚入 ]  *米油使用 / 小麦 & 卵 & 乳製品 不使用
・米粉-米油)カルダシナモンクッキー 5mm [ 3枚入 ]  *米油 & ナッツ & 卵使用 / 小麦 & 乳製品 不使用(ほんのりスパイス優しい甘さ)
 税込¥5,200円(箱 & 梱包代+手間代)*送料は着払い
*仕入れ状況などによって内容が変更となる場合がございます。予めご了承の上お申込み下さいませ。
以上となります。
少量生産のため、お一人様一箱のご注文と させて頂きます。複数個での申込みは不可となります。ご注意下さいませ。どうぞ 宜しくお願い致します。
●申込方法 :ご希望の方は、
9月26日(火) 21時〜
*受付開始 21:00より前のメールは無効になりますので、お時間ご注意下さいませ。
までメールにてお申込下さいませ。
◎メールへの記載事項(必須)
・件名 
→ 十五六BOX申込
・お申込者のお名前(フルネーム)
・お申込者の電話番号
・お届け先の郵便番号
・お届け先の住所
・時間指定のある場合は記載下さい  → 午前中・14-16時・16-18時・18-20時・19-21時  *上記は、クロネコヤマトさんの時間帯です。
・携帯+PCメールアドレス (申込メルアド以外があります方は、念のために記載下さいませ。  あくまで予備ですので、無い場合は大丈夫です)
 *受信拒否等の設定をされています方は必ず [email protected] からのメールの受信設定を可に設定をしてください。
●申込後 :
・少量生産のため、規定数量を超えました時点で受付終了とさせて頂きます。ご容赦願います。  *受付終了時は、状況発信Twitter、にて報告後コチラや、Instagram 内にてお伝えしますので  そちらをご確認下さいませ。
・ご予約可能な皆様には26日の夜中、又は27日中までに購入可能メールを送らさせて頂きます。
*今回、規定数から先着に漏れてしまいました方がいましたら申し訳ございません。仕込み中につきまして、購入可能な方のみにメールをさせて頂きますので予めご無礼をお許し下さいませ。
ですが、お申込みが規定数よりも少ない場合もございますので、締め切られますまでお申込みをお待ちしています!
*購入可能メールが届きましたら、そのメールに早急に「確認しました!」というアンサーを頂きまして、こちらで確認が出来ました時点で、購入確定とさせて頂きますので、ご注意下さい。最後に「確定メール」もさせて頂きますので、必ず届いたか?のご確認も宜しくお願いします。
・購入可能となりました皆様にはお振込み先と、お振込み期限も個別に記載がございますので、お手数ですが期限内にお振込みをお願いします。
 *今回は9/29(金)までの期限となりますのでご理解の程、宜しくお願い申し上げます。
・購入可能な方のみお返事をさせて頂きますので、トコロカフェからの返信メールがない場合は、今回は購入できませんので、またの機会に宜しくお願い致します。店主1人でメール作業をしています関係で、ご無礼をお許し下さいませ。ご容赦のほど、宜しくお願い申し上げます。
・こちらから購入可能メールをさせて頂いたのに「確認しました!」メールの返信がない場合がございます。その場合、迷惑メールBOXに振り分けられている場合と、メール受信拒否設定ではじかれている場合とがございます。こちらから再度メールを致しますが、送信後24時間以内に返信がない場合は無効となりますので受信拒否設定を必ず設定の上、お申込下さいませ。又、確認メールにアンサーが無い場合もキャンセル扱いとなりますので、十分にお気をつけ下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。
 *携帯会社によってメールが送信できない場合もアンサーがなく、こちらからは送信されたと思っている場合がございます。念の為パソコンや携帯メールなど複数のアドレスをお持ちの方は記載して頂けましたら安心だと思われます。
・状況発信X (旧Twitter)、又は Instagram、ブログ内にて終了案内をするまでは受付中となります。
発表から申込みまであまり余裕がございませんが、それでも欲しい!という方がいらっしゃいましたら、お申込みを心よりお待ちしております。どうぞ宜しくお願い致します!
予約開始は、9月26日(火) 21時〜
規定数量に達するまで。
Tumblr media
◎下記の画像は前回の「十五六BOX no.15」の内容。
◎PROFILE novel → https://note.com/ch1056/n/n4c164f8a72e1
◎ネットラジオ「Ch.1056」声で伝える試み! → https://note.com/ch1056  *会員購読受付中
◎Instagram → https://www.instagram.com/tocoro_cafe/
◎状況発信Twitter → https://twitter.com/tocorocafe
tocoro cafe / 十五六  上村 雅一・直子
0 notes
ichinichi-okure · 9 months
Text
Tumblr media
2023.9.23sat_tokyo
4時20分 珍しく撮影の日よりも早起きをした 1回目のアラームでなんとか目を覚ますことに成功し 分刻みでセットしてたアラームを1つずつ解除していく 1つでも解除し忘れると大体トイレに入ってる最中に鳴って急かされるので慎重に…
Tumblr media
朝は昨日に引き続き小雨が降っていて けど蒸し暑かった 駅では始発まで呑んでただろう初々しい男女が改札越しに手を振り合っていて微笑ましかった
Tumblr media
6時過ぎ 羽田空港着
Tumblr media
今回の行き先は、愛媛県 主に目的はふたつ
その1 愛媛の学生達にCMづくりのワークショップを行う その2 苦楽を共にした制作部の1人が去年愛媛に引っ越したので、皆で彼女に会いに行く
今その子は愛媛を拠点に映像制作の活動と、地元の人達に映像の作り方を教える活動をしていて その活動の一環で私達は呼ばれた
つまり、このワークショップを受けれ��同時に制作の子とも会えるという一石二鳥の案件である
今回のメンバーは 過去史上最悪の現場で一緒に山場をのりこえたプロデューサー、カメラマン、その制作、プロデューサーと仲良しの車両部、と私の5人。
あまりに辛かった現場だったのもあってか妙な結束感��うまれ、その後度々飲みに行ったりしていた仲だった
8時45分 松山空港に着き 全員集合。制作の子が迎えに来てくれた。 久々の再会に顔がほころぶ。
Tumblr media
蛇口から出る濃厚オレンジジュースを堪能し、記念のスタンプを押したらいざ会場へ。
ちらほらと学生達が会場に集まり出し
10時 ワークショップ開始
プロデューサー、ディレクター、カメラマンと それぞれの役職を説明した後、CMがつくられていくフローや、企画コンテと演出コンテの書き方の違いなどをざっと話した。
Tumblr media
その後、早速実践。今回は制作の子の依頼もあり、こんなお題を出してみた。
Tumblr media
学生達は頭を抱えながら、手元の紙にキーワードを書き起こしていく。 このじっくり商品と向き合って関連するキーワードをひたすら書き起こしていく作業が、企画の第一歩になる。 文字だけを書き起こしていく子、ひたすらリサーチする子、イラストを交えながら展開させていく子、人によって考えるスタイルは様々でそれも面白い。
Tumblr media
それから、各々散りばめた関連ワードなどをヒントに、キャッチコピーをひとつ絞り出してもらった。 企画コンテを書き出してもらうのは、実際はそこからになるのだけど、今回はあまりに時間がなかったため今回は企画コンテの種だし、まで。 (後日遠隔講評予定)
その後はカメラマンから、 実際に商品を撮影をしながら、魅力的にみえるアングルや構図などレクチャー。 短時間ではあったものの、実際私もかなり勉強になった。
Tumblr media
おいしそうに食べる人を撮るレクチャー(車両部のナイス演技)
Tumblr media
全体で約3時間ほどのワークショップを経て みんなでいもたきも美味しくいただき解散
地元の海で大きなブリを釣りをしてからワークショップに参加してくれた方もいて、綺麗な海が近くにあるってほんといい暮らしだと思った。
ここからはフリータイム
1日に詰め込みすぎた感じもあるけど
14時半 しまなみ街道を渡って5人で弾丸デイキャンプスタート
最高のロケーションなのに全然人がいなくて ほぼ貸切状態
ハンモックがあり バーベキューセットも釣り具もミニバイクもレンタルできてまさに夢のような空間
こんな透明度の高い海をみたら入らない訳にはいかなかった スカートがべっちゃべちゃになることも どうでも良くなって釣りに専念した ちなみに釣れはしなかった… すぐ側で大きなエイが泳いでた 通りすがりのおばちゃんと子供達に投げ方レクチャーしてもらった
Tumblr media
肉を焼いたり
Tumblr media
海を眺めたり…
Tumblr media
ミニバイクに乗ったり
Tumblr media
日が暮れるまでたっぷり大自然を堪能し
その後夜になると猪がでるそうなので 制作の子オススメの海鮮が美味しいと噂の居酒屋へ。 18時 こっからはスマホの充電が切れたのと私が酔っ払ったのであんまり写真はないのだけど
皆で色んな話をしたりカフェでお茶したり手相をみたり…
Tumblr media
24時近く ホテルに戻ってほろ酔いのみんなとにこやかに解散
早速大浴場へ行って塩臭いワンピースを脱ぎ 1日をゆっくり振り返る
気持ちよく大浴場から出てから 部屋にタオル類一式を置いてきてしまったことに気付いて絶望した
終わりは最悪だったけど 総合的にとても充実した1日だった
将来的には四国に住むのもいいなぁ
Tumblr media Tumblr media
ps.ずっと夢だったわんちゃんと海辺でお散歩も叶いました(制作の子のわんちゃん)
-プロフィール- 山田彩華 33 東京 CMディレクター https://instagram.com/daryama0509?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==
1 note · View note
kkv-main · 10 months
Text
Tumblr media
news - 2023.08.25
UNDER SOCKSセルフタイトルのニューアルバム発売決定!
11月22日発売 UNDER SOCKS / UNDER SOCKS KKV-157VL 7インチ+CD 2,750円税込
予約受付開始 https://store.kilikilivilla.com/v2/product/detail/KKV-157VL
注)11月上旬に宇都宮と下北沢で先行発売ライブを予定しています、早めの購入を希望するかたはそちらにお越しください。ライブの情報は9月中旬に発表いたします。
パンク、USインディー、ギター・ポップをクロスオーバーしながら歌い続けた10年。その全てを詰め込んだセルフ・タイトルのアルバムが7インチ+CDで発売決定!
2013年結成、栃木県鹿沼にて活動する3人組。皆が同級生であり野球部の引退を機に念願のバンド結成。白球を追いかけた日々は音符を紡ぐ旅へと変わる。2016年までに2枚の自主制作デモ、2018年には1stアルバム『CANDY TOWN』をリリース。パンクとUSインディーが無邪気にキャッチボールしているような瑞々しさとインディー・ポップの軽快さを備え地元栃木を中心に活動。コロナ禍で活動が制限された中自分たちの音と向き合い、地元の仲間たちに刺激を受けながら会心のアルバムを完成させ、満を持してのセルフタイトルでのリリース!
バンド結成初期の曲からアルバム制作中に出来た曲まで収録されており、これまでのバンドの道のりをパッケージした1枚になっている
7インチ収録曲 Side A : Wall Flower Side B : Sweet&Savage
CD収録曲 1.Mellow Yellow 2.Windy 3.Wall Flower 4.Alien 5.Last Dance 6.Sun Shower 7.Daydreaming 8.I Just Fall In Love 9.Sweet&Savage 10.Dirty Waltz
UNDER SOCKSのアルバム・リリースに寄せて 安孫子真哉
もう身体が消え去ってしまうかのような猛暑の中、この列を成す小さな苗木ももうほんの数週間もすれば私の背丈ほどまでにすくすくと育ち目に見えない土中では想像もつかない根っこと微生物達のネットワークが形成されているという。それぞれにまつわる一生の全てなど自分自身ですら知る事も出来ない。 失われた大切な人も非情な運命までも。それでも共にある自然や人や作品をまるで心の杖のようにして終わりなき穴ボコだらけの世界に幻滅しながらも日常を生きている。 強がることすら知らない彼等のあまりに純朴で素っ裸のロックは色々なものに乱反射されてしまった自身の気持ちの中にでも失いようにも無い瑞々しい一点をまた光らせてくれる。同級生とバンドを組み夢中になった音楽のあれこれを語り合い馬鹿話と共に日々を乗り越えていく事に憧れた自分のまるで人生の一部のようなあの頃の未来をとても感じている。
1 note · View note
hisoca-kyoto · 10 months
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
夕方のゲリラ豪雨はなかなかすごかったですが、皆さん大丈夫でしたか?後半の夏休みを終えて昨日よりのんびりとオープンさせていただいています。お休み中にオンラインショップにてご注文いただいていました方へは配送の手配を本日終えました。大変お待たせいたしました。到着まで今しばらくお待ちくださいませ。
明日の金継ぎワークショップは先生の体調不良のため、延期となりました。ご参加の皆さんに連絡させて頂きましたが、また追って代わりの日のご相談させて頂きますね。中川先生も暑い日が続いていますのでくれぐれもお大事にです!
夏休み中は、映画を見たり、母の病院に付き添ったり、1泊だけでしたが金沢市内と能登の千里浜など車でぶらり旅もできて台所仕事からしばし解放されてゆっくりできました♪今年の夏は暑すぎて、キッチンに立つとエアコン入れていても汗だくの日々で朝からフラフラ。今日の雨で明日から少しは涼しくなるのかと思いきや、週末はまた天気予報が真っ赤でした(涙)残暑も厳しいようなので、皆さま引き続き水分補給はお忘れなくお身体ご自愛くださいね。
1枚目の写真は金沢のひがし茶屋街で見かけた風景。魔除けにとうもろこしを吊るす風習があるそうです。旅をすると地域の文化や風習に遭遇するのも楽しいですね。でも今回は暑すぎてそんなに外を出歩けず、屋内に入って食べて飲んでばかりでしたが・・・帰りは岐阜周りで白川郷もふらり通ってきました。美味しいものと素敵な風景に刺激と癒しをいただいてきたので、夏バテ気味の頭にぼちぼち気合いを注入したいと思います(汗)
今日もありがとうございました。明日25日、明後日26日は通常通りオープンです。お近くにお越しの際はふらりとお立ち寄りくださいませ。(田屋道子さんの器も届いています!また写真撮れたらご紹介いたします)ぜひ皆さんの夏のお話もお聞かせてくださいね。
1 note · View note
gyohkou · 1 year
Text
01/07/23
ceroがかっこいい。自分が真面目でうんざりとする。ちゃらんぽらんな知性がほしい。cero聞いてると海外文学読みたくなる。海外文学好きな友達にポールオースターを勧められ続けついぞ読んでいない。その人からの信頼を少しずつ裏切ってきてしまった気がする。もう1年は会っていない。自分の中に今まで出会ってきた人たちのための椅子があって、今も座っている椅子、いつか座りに来るかもしれない椅子、座りに来ないかもしれないけど綺麗にしている椅子、もう無い椅子、仕舞っている椅子などがある。爪切りは排泄行為と捉えられると聞き、夜中部屋でこっそり切っている。夜寝る前に清潔なキッチンで果汁100パーセントのオレンジジュースを透明なグラスで飲む時の気持ちがあって、爪切りってそれと似ているんだけどな。スマホのケースに直島行きフェリーの半券を挟んでおり、それなんですか?と話題にしてもらえることが多く、直島ではないが豊島美術館に対する賛美を、空間が生きているんです、などつらつらと並べ立てる。ボーナスの支給額を決める年一の自己評価シートみたいなやつが何よりも大嫌いなのだが、興味のあることに対しては熱量がすごいみたいなことをコメントされたのを思い出す。興味のないことに興味を持とうとすると魂がねじくれていく。ねじれの位置。1日に煙草を3本以上吸うと必ず喉風邪を引く法則がある。箱開けたて一本目のピースが恋しい。特別な日にしか喫煙しないため、ピースを3本吸って箱ごと捨てることを自分に許していた。今回も例に漏れず喉風邪を引き、喉風邪を引いて喋るのが少ししんどい時のトーン、スピードが心地よい。自分に余裕をもたらすための喉風邪。喉風邪を引くための煙草。風邪で声がおかしいと英語の発音がよくなる。イギリス訛りになってきている。フラットメイト1はインスタやtiktokを見て大爆笑するのが常なのだが、わたしも何かコンテンツで大爆笑したい。お笑いとかでツボに入りづらくて。最近爆笑してないなー!高校生の時爆笑しすぎてお腹がつって青ざめて吐いたことがある。フラットメイト1は今日も今日とて大爆笑。同居人としての同居人が心地いい。友達としての同居人は少し難しい部分が出てくる。同居人としての友達は如何だろう。豆の缶詰、トマトの缶詰、サバの缶詰ばかり買い込み、肉や野菜なども加えたりしてつけるソースあるいはかけるソースに応用している。レモンを1日1個絞って飲んだらどんどん新しくなれるかもしれないと、せっせとレモンを絞っている。人が集まる都会はどこも似たような顔をしている。丘や海岸や物価の安い全く空気が異なる文化圏へ行きたい。没頭がほしい。
家族がイギリスを訪れていた。観光の要所を回る絶��の機会であり、色々なところへ足を伸ばした。観光らしい観光に恥を感じるのだがなぜだろう。わたしの旅行はおそらく観光とは少し異なるもので、グーグルマップと嗅覚を頼りにローカルの雰囲気が漂う場所や飲食店を探しそこへ澄ました顔して入り込んでいくことに価値を感じる傾向にある。
オックスフォードでローカルガイドを頼んだところ、ハリーポッターのコスチュームを着せられハリーポッターの土産屋の前で記念写真を撮影するというド観光イベントから始まったため少々不安になった。というのも無計画で渡英してきた家族に慌てて事前のチケット購入を促したため、ハリーポッターの食堂・図書館が見れるツアー!的なものを予約しており、家族の誰一人としてコアなハリーポッターファンでもなければツアーガイドをつけたかったわけでもなかったのだ。マントと杖の着用を一旦断り苦い顔をしながらいそいそと写真撮影に応じるツアー客に対してガイドは若干拍子抜けもしただろう。しかし、個人的に訪れたら2時間も経たず引き上げてしまうような小さな街を、さまざまな歴史的解説付きで5時間も案内してもらい結果としてよい体験となった。オックスフォード修士だというガイドのケンブリッジジョークがわずかに度を越しており、私は楽しかった。ケンブリッジという街は常に変な匂いがし馬糞だらけでなにもかもが最悪だ!もしケンブリッジ大学へ進学したならば俺は一生お前と口を聞かない!(本屋にあるようなくるくると回る棚に陳列されたポストカードの上段にオックスフォード、最下段にケンブリッジの商品があったため、)ほらみろケンブリッジが一番下だ!(と言いながら商品を蹴り付ける)などといった具合である。ケンブリッジをトリガーにしてこのガイドを何度も思い出すだろう。
また明る日はストーンヘンジへ行った。こちらもツアー形態で、現地では自由行動だが行き帰りの交通手段としてツアーバスが提供されるものだった。イギリス観光客はハリーポッターのファンというマーケティングがなされているのか、行きのバスではハリーポッターと賢者の石、帰りのバスでは秘密の部屋が上映された。バスの中は冷蔵庫のように寒く、片道2時間以上かかる道中は眠るか、ほとんど音が聞こえないハリーポッター上映を観るかして寒さから気を紛らわせていた。ストーンヘンジは言ってしまえばただのでっかい岩の集合であり、片道2時間以上もかけて此処へ?と思ってしまうかもしれないが、事前に同僚から聞いていた評判と予想に反して非常によかった。駐車場から岩までは徒歩30分程度で、どこまでも広大な草原が広がる中を汗ばみながらゆく。北海道へ住んだことのある人が北海道みたいだと表現していた。欧州の北海道ことストーンヘンジ。広い草原には実は囲いがあって、放牧されていると思われる牛達が暑さから逃れるためわずかな木陰に集まっていた。まさにぎゅうぎゅう詰めである。ん、ぎゅうぎゅう詰めってそういうこと?ストーンヘンジはメインの岩、サブの岩たちが直径100メートルくらいはあろう囲いの中で環状にまとまったり散らばったりして点在しており、どうやら夏至と冬至に関係した配置らしいが、詳しいことは未解明らしい。囲いの外側も一回り大きな囲いがあり、囲いと囲いの間をぐるりと一周して岩を眺めて回る。270度くらいの地点で草原に座り、ポテチを回して食べながら、成分表示でタンパク質が12gあると喜ぶ弟に、それは何g当たりなんだと詰め寄ったりする。ポテチに飽きてきた頃、内側の囲いの内側にミッドサマーのホルガ村の人たちのような装いをした人たちがいることに気がつき恐れ慄く。白く長くゆったりとした服を纏い、花で拵えた被り物を身につけている者もいる。この日は夏至の翌日で、スウェーデンからか国内からか、夏至を祝うためにやってきた人たちが儀式を行っていたようである。
土曜日にはいつも行ってるダンスに弟も連れて行った。ロックは基礎すらやったことないようだが、大丈夫と参加を促す。気を抜くと父親に硬派な教育を施されてしまいそうな弟の、ダンスという楽しみだけは、勝敗や良し悪しに捉われず純粋に続けてほしいと願っている。
皆が帰ってしまってからコロナに罹り、寝たきり廃人生活を終了し外へ出ると世界は7月になっていた。
0 notes
takahashicleaning · 8 months
Text
TEDにて
ジェイソン•ポンティン:テクノロジーは人類の問題を解決できるでしょうか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
1969年、バズ・オルドリンの月面への一歩から、人類は、テクノロジーが持つ可能性を秘めた時代へ!と大きく飛躍しました。
その後も技術の革新で、次々と人類が持つ課題が解決されていくと思われました。
しかし、現在の状況はどうなっているのでしょう?
技術の集結した姿は、モバイルのアプリだけなのしょうか?
ジャーナリストのジェイソン・ポンティン氏は、人類が抱える本当の課題に注目し核心に触れテクノロジーを有効に使おうと訴えます。
あの偉大なる巨人ピーター・F・ドラッカーも言っています。
もう一度言います。テクノロジーの目的は、「限界の克服」であるとも言っている。テクノロジーは人間に水中と空中を動くパワーを与えた。極寒極暑を生き抜くパワーも与えた。
象並みのパワーと馬並みのスピードも与えた。寿命も25年という年数の3倍に引き上げた。自然死が猛獣、疫病、飢餓、事故によるものだったことを忘れさせ、もっぱら、それを老衰によるものとした。
しかし、科学は万能ではないし、過信は禁物です!
iPhone、アプリ、ソーシャルメディア、株売買をスピードアップするアルゴリズムなどの些細なもので自分たちを豊かにしているかの様です。
これらはいけないこと、ではありません。我々の生活を豊かにし広げています。でも、人類の課題は解決できません。
何が起ったのでしょう?
シリコンバレーのお決まりの答えは。IntelやMicrosoftやAppleやGenentechなどへ投資していた時代に比べ、野心的な会社への投資が減ったと言う事です。
でも、人類の課題を解決できない理由は、実は、もっと複雑で深刻です。
我々が抱える大きな問題には、ときには、わざと手を付けないこともあります
火星に行きたければ行けるのです。NASAには、その計画案があります。でも、この場合では火星に行くことは、政治が、からみ、世間の支持無しには、決して実現しないでしょう。
そして、人類の課題は、解決されないときもあります。それは、我々が問題自体を把握していないからです。
1971年。ニクソン大統領は、癌の撲滅を宣言しました。でも、その後の調査で、分かったことは、いろいろな癌があり、治療が効かない厄介なものが多いとわかりました。
やっと、この10年で効果的で具体的な治療法が現実となって来ました。難しい問題は手強いですが、問題自体を調査し把握することは重要です。
テクノロジーで大きな問題を解決出来ないのではありません。
きちんと解決するには 4つの要素が必要です
政治のリーダーと一般市民が解決に向けて、問題に取り組み、各機関は、それを支持すること。実際、技術的な問題であるかを見極めプロセスも市民に説明し、それを、理解する事も必要です。
アポロ計画が、人類の課題を解決する技術の力の象徴だと思われていたのは、これらの要素を満たしていたからなのです。
でも、将来これと同じことは再現できません。
今は、1961年とは違い、冷戦のような人々を奮い立たせる競争もなく、ケネディ大統領のように危険や困難に立ち向かう人を英雄扱いしたり、太陽系探検のような人々の心を掴むSF神話もありません。
それに、何よりも月に行く事は簡単だったのです。たったの3日で行けたのです。それにより、何か大きな課題が解決したわけではないのです。
そんな現代に生きる我々にとって、未来の課題は更に高く立ちはだかりますが、幸運にも人間の限界を越えていくチャレンジ、チャンスは次々とやってきます。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
なお、日本の全テレビ局は超裕福層に入ります。すでに、出演料も高額な出演者、放送関係者も含めて全員、権力者です。
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネ��ギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
<おすすめサイト>
ヨハン・ロックストローム:繁栄する持続可能な世界SDGsを築く5つの革新的な政策?
ミリアム・シディベ: 手洗いの持つシンプルなパワー
ケイトリン・サドラー、エリザベス・ウェイン:新型コロナワクチンは どうやって早く開発できたか?
Apple Vision Pro 2023
量子コンピューターの基本素子である超電導磁束量子ビットについて2019
ハワード ラインゴールド: 個々のイノベーションをコラボレーションさせる
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
1 note · View note
harinezutaka · 1 year
Photo
Tumblr media
二年前日記1(2021年1月1日〜7日)
1月1日 朝、目が覚めて布団のなかにいると、なぜだか涙がこぼれてきた。昨日の母の態度が引っかかっていたみたい。ずっと聞きたかったけど聞けなかったんだなあ。「私のこと嫌い?」って。小さな私にそんなことないよ。好きだよ。って言ってあげる。けんかも元気なうちにしておかないといけないな。まあでも次にそんなことがあったら言ってみてもいいのかもしれない。9時ごろ起きておせちとお雑煮の準備。10時ごろ食べ始める。煮しめ、伊達巻、ローストビーフ、なます、ゆずりんご、酒粕明太子、母からもらってきた黒豆、数の子。初めて屠蘇散を買ってみてお屠蘇を作ったけど、これも美味しかった。去年の日記をTumblrにアップしたりしていると真ん���の姉から電話。お年玉を送っていたのだ。姉は二年前に脳こうそくを患って麻痺が残っているが今では言葉もほとんど普通だし、車も改造して乗っているらしい。たくましいし明るい。姪に電話をかわってもらうと低い声で「ありがとうなあ」と言っていた。ありのままでいい。3時ごろ夫が散歩に行くというのでついていく。新聞買いたいなと思ってコンビニに行ったがもう売ってなかった。元日はないのかな?晩ご飯はおせちの残りとピエンロー。格付けチェックをはじめ見ていたが、途中でやめて録画していたセブンルールを見た。
1月2日 朝、とろろご飯と茶碗蒸し。箱根駅伝をかけながら本を読んでいた。往路優勝は創価大学。お正月の間は2食でいいかなと思ったが、やっぱり少し物足りないので昼も食べる。数の子とクリームチーズのおかか和え、なます、焼き餅。お正月の和菓子が食べたかったのでいつもの和菓子屋さんへ。晩ご飯は、帆立と蕪のサラダ、里芋と生ハムのグラタン、牛すじと大根の煮物。逃げ恥があるので、早めにお風呂に入った。
1月3日 昨日はなかなか眠れなかった。逃げ恥はたくさんの問題提起がこれでもかというほど詰め込まれており、ちょっと見ていてしんどくなってしまった。私はちゃんと生きていけるんだろうか。逃げ恥に限らず、年末年始のテレビを見ていて、新しい風だなあと思う反面、うわべだけの薄っぺらさも感じてしまって何だか息苦しい。アップデートする努力は怠らず、でもあまり空気とか気にしすぎずに自分を信じてコツコツやっていこう。朝は、バインミー風サンドイッチ。今日も読書をしながら箱根駅伝。駒澤大学が優勝だった。お昼は牛すじの煮物で作ったうどん。夜は義実家へ。一応分散して集まることになった。豚しゃぶとお義父さん作のローストビーフ。義実家は集まってもそんなに話もせずにテレビを見ている。録画していた紅白と鬼滅の刃を4Kのテレビで見る。
1月4日 今日でお休みも終わり。昼はちらし寿司。午後から今年初めての鍼。今日はお灸がすごかった。ポカポカ通り越して暑いぐらい。夫も買い物があるのでと言ってついてきてもらった。帰り、喫茶店へ。そこそこ古くて静かないいお店を見つけた。いつもこんな感じなのかな。いい感じの喫茶店はいくつかあるが、どこも近隣のコミュニティの人でいっぱいであまり居心地がよくなかったりする。ここはいいかも。夜は義実家からもらった蟹で蟹鍋。捌き方が今ひとつわからなかったが何となくできた。お金もほとんど使わずのお正月が終わった。明日から仕事。頑張ろう。
1月5日 仕事の日。年末、忙しくて掃除がなかなかできなかったので掃除をした。寒中見舞いを頼まれたが、なかなかうまくいかず。初日はまあこんなもんでしょう。年末に旅立った親戚からの年賀状が届いた。「痛みに耐えながら頑張って作った年賀状です。こんな時に送るのは不謹慎かもしれませんが、本人の皆様への新年のご挨拶をしたかった気持ちを受け取ってください。」とご家族からのメッセージが添えてあった。すごい人だなあ。私は結婚式のときに会っただけだったけど、もっと話を聞いたりしてみたかったなと思って泣いた。晩ご飯は、牛すじと大根のカレー、高野豆腐と穴子の卵とじ。どちらも残り物アレンジ。
1月6日 午前中、眼医者に行く。コンタクトの処方箋が切れていたのと、ちょっと眩しさを感じるのとで。特に問題はないみたいだった。もうちょっとちゃんと調べて欲しい気もするが、眼科ドックとかに行った方がいいんだろうか。まあでも、老化ですよね。一年に一回ではちょっと心配になってきたので、半年に一回ぐらいは見てもらおうと思う。お昼は松竹で明石焼を食べて少し服を見たり、図書館で新聞を読んだりする。洋服屋さんのマネキンがマスクをぶら下げさせられていて、げっと思った。帰ってあまりできていなかった掃除をする。晩ご飯は、冷凍していた鰤を大根と炊いたもの、クリームチーズと干しエビの春巻き、アボカドのサラダ、酒粕明太子、茹で落花生。
1月7日 朝、読書。何件か連絡しなきゃなといけないところがあったがうだうだしてしまう。するとすっきりするんだけど。晩ご飯の前に、書類の片付け。東京、神奈川、千葉、埼玉に緊急事態宣言が出た。春先とは違って、飲食店のみが対象。これぐらいのことだったら地方自治体がどんどんやればいいのになと思うが今の法律ではできないのかな。北海道とかはやってる気がするけど、それとは違うんだろうか。アメリカでも暴動が起きていた。晩ご飯は、ジンギスカン、野菜スープ。ジンギスカンは味がついて冷凍されてるやつ。少し足りなかったので豚バラを足した。蒸したキャベツもたっぷり添えて。電気が足りないという話をしていて、我が家の暖房は電気に頼りすぎじゃないかと夫に聞くと、「半纏と布団がある」ときっぱり。確かにね。
0 notes
spiwish · 2 years
Text
Tumblr media
読書の秋。
を、してみたい!
でも読むのはエッセイ集。
さくらももこさんの「たいのおかしら」、
なかなか読み進みませんが、1話1話が短めで読みやすいし何より面白いです。
ブックカバーは大好きなBelleさんのものに、これまた大好きなムーミンとミィの刺繍シールを貼り付けたもの。
最近地べたにいることが多かったこのカバーを使う時が来ましたね!(おい
気温の乱高下、気候の乱れが激しいですが、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は珍しく気圧に負けず、バイトも頑張っています。
やっと0.5人としてぐらいはカウントされるようになったかな?
まだまだ半人前。一人前になれるかしら。
昨日は偏頭痛を起こしましたが、
帰り道だったし、それなりに元気です。
こんな天気で眩暈がしないのは初めて。
寒いですね。
私は暑がりやなのでこれぐらいの気温がちょうどいいのですが、
うーん…いやちょっと寒いかな。
足元のパネルヒーターが稼働中です。
エアコンは寝る時だけ暖房を起動しました。
日中は過ごしやすくて楽ちん。
ただ雨が邪魔をしますね。
今日は近所しか出かけられなさそうです。
最近、と言っても昨日の夜からなのですが、
スキンケアをちょっと変更。
まずは30日お試しで使い切ってみることにしました。
ちょっとお高めの美容液のお話です。
初回、使ってみた感想は、ちょっと肌がピリピリする(みんなそう感じるらしい)、伸びない…、でもしっとり感はすごい。
毛穴に効くと聞きまして(そんなに毛穴悩みがすごいわけではないけど)ニキビ跡にもいいらしく、ちょっと頑張ってみようかな?と思いました。
お値段が可愛くないけど、私を綺麗にしてくれるなら…!
と、大枚叩きましたが、どうかな。
明日、祖母の四十九日の法要があります。
ちょっとばかしメンタルをやっちまうかもしれません。(親戚の集まりis苦手)
今私の左二の腕には、自傷行為でつけてしまった傷がありますから…何か言われてもしょうがない。(喪服長袖でいい気候でありますように)
その後は、お引っ越し作業になるかなと思います。
もう、そんな時期なのですね…
私は亡くなった祖母の部屋を引き継ぐことになったので、
その準備とかが明日以降、始まる予定です。
バイトでくったりもしていますが、自分の話なので、積極的に動きたいな。
今月は出勤日が多くて…。
ですが、そうそう弱音も吐いていられません。
来月にはやばいイベントも(職場で)控えているので、今のうちに肩慣らし。
整体に通い始めまして、体のバランスを見てもらったり、バイト後に揉みほぐしてもらったりしています。
1回の料金、従業員割引が効くけどやっぱり高くて、早く頻度が減るといいな。
整体の効果の一つが、姿勢が良くなりました。
今も骨盤矯正ベルトをつけていますが、もうベルトなしでも大丈夫そうなぐらい整ってきました。
昨日も整体で、バイトだったのですが「終わった整体!」と頑張れました。
先生が親しみやすくとても良い方なので、私もつい会いたくなって行ってしまいますね。
今日は残りはゆっくり過ごして、
明日は四十九日頑張って、
明後日から2連勤…。
最近シフトに2連勤が多々現れるようになりました。
先月は1つもなかったのに…!(3連勤はピンチヒッターで生まれてしまったけど)
それだけ私が使えると思ってもらえてるのでしょうかね。
嬉しいけど、疲れます。(笑)
来月のシフトには、2連勤以上は入れないでくださいと、連勤と連勤の間は少し多めに休みをくださいと追記して希望シフト提出しよう。
職場の皆さんが優しくて、
その優しさに救われてなんとか日々を生きています。
いい職場なんです。
長く…続けたいな。
最近はそんな感じです。
またたまーに現れて、更新するので、よかったらみてやって下さい。
失礼します。
1 note · View note