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#映画感想
toyezu · 2 years
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shredderwastesnow · 3 months
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長々と「ゴーストワールド」考
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私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけ��は決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立��なかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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tobiphoto · 3 months
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映画感想『SUPER MARIO BROS. THE MOVIE』
 実はやっと見ました。映画館に行く勇気もなく、レンタル開始されてもレンタルする気概もなく、Youtubeで広告が頻繁に入るようになり、めっちゃ評判がいいのも知っていた。「そろそろ避けられない!」と思ったので視聴しました。「良かった」って感じです。  ただ、ゲーマー且つフェミニストであるという自覚のある私は「ゲームのマリオシリーズ」と「映画のマリオ」と<設定は同じでリスペクトある別物>という意識での感想です。「映画のマリオもゲームと地続き」と言われてしまったら「映画版ピーチでも遊ばせろ!!!」と文句言うと思います。
 超カッコよかったじゃんピーチ。  マリオ無双ならぬ、ピーチ無双出してほしい。
■映画のピーチ  映画版のピーチは原作となった『スーパーマリオブラザーズ』シリーズでさらわれる「お姫様」としてのピーチとはまた違い、キノコ王国という国というからには存在している国境を守るため政治、社会情勢、軍事にも明るいまさに君主としてふさわしいキャラクターとして異世界からやって来たマリオを導きます。二人は恋愛というよりも、同じ目標に向かって戦う仲間という感じでしたが、キノコ王国に人間が一人しかいない理由なども含め、ゲームの「なぜ?」を映画なりに理由づけて映画としてまとめ、とても早いスピードで展開する様は視聴側を飽きさせない作り。悪く言えば、全体的にハイテンションなまま、緩急少なく物語が進み、とてつもなく印象に残ったシーンが少ないとも言い換えられはする。
 でも、全体的に「これでいいのだ」(by赤塚不二夫)でまとめてあって、文句もなく。
■ゲームのピーチ  一方、ゲーム版のピーチは「さらわれるヒロイン」というジェンダー役割を抱え、「女らしさ」に縛られているステレオタイプなお姫様から脱却できずに今もいます。今年、ピーチが主役となる『プリンセスピーチ』作が新たに登場します(DSでピーチを主役にした作品が登場しては居るので、ピーチ主役のアクションゲーム初作品ではありません)が、映画版ピーチのアクティブ且つスタイリッシュさよりも、フェミニンなお姫様というステレオタイプから逸脱できていません。  でも、私はフェミニンでたまにマリオを誘って旅行に行ったりしているお姫様のピーチもキライではありません。ゲームの世界のピーチはピーチで、一応固まった個性があります。これは長い年数培われてきたゲームの『マリオシリーズ』が「ピーチという女性はどういう女性なのか」考えてきた結果だと思います。保守的な女性像だとは思いますが。  ピーチはピーチでお姫様としてのステレオタイプを抱え、マリオの後ろに控えつつ、楽しそうなことには積極的に挑戦していく女性なのだとは思います。それはそれでピーチの個性だと思います。
■映画版を見て思った、もしかしてクッパ周りの「王族」の女性不足?  ところで…、クッパがあれだけ執拗にピーチを狙う理由というのは今までハッキリしていませんでした。ただ、ピーチがさらわれる理由として、クッパがピーチに恋心を抱いているという設定のようなものが付属されているのですが、正直「何で?」って思います。クッパとピーチ、種族も違うし。  そこが映画版を見て「もしかして、マリオの世界では“王族の女性”が不足しており、王族としての血を求めるクッパは嫁不足に悩んでいるのか?」という一つの可能性がこう、ふっと降りてきました。ヨーロッパの王侯貴族同士の結婚のような。(クッパが)一流の女性と結婚しなければならないと思っていて、キノコ王国の姫であるピーチ以外の王族がもしかしたら存在しないのかもしれません。もしくは、存在していたとしても文化が大きく違って、クッパの文化と近いところで高貴な女性というのがピーチしかいないのかもしれない。とか、そんなことを考えたりもしました。
 なんだかんだいって面白かったよね。
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lifebaseandspice · 6 months
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ウェス・アンダーソン作品3作目。登場人物たちがチャーミングで、脱獄したり、スキーで追いかけたり、ホテルで銃撃戦をしたり、ハラハラする活劇もあり楽しく観られた。ポップな色使いやシンメトリー構図も観ていて楽しい映画。
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373minami · 4 months
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2023年映画私的ベスト絵描いた。
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順不同 マルセル 靴をはいた小さな貝(Marcel the Shell with Shoes On) マイ・エレメント(Elemental) National Theatre Live: Othello キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン (Killers of the Flower Moon) イニシェリン島の精霊(The Banshees of Inisherin) ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り(Dungeons & Dragons:Honor Amang Thieves) アラヴィンダとヴィーラ(Aravindha Sametha Veera Raghava ) オマージュ(Hommage) スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース(Spider-Man: Across the Spider-Verse) ハント(Hunt)
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xxxcuriosity09 · 5 months
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【映画】鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎
鬼太郎のことほぼ知らなかったので、𝕏で見かけた「アニメ『墓場鬼太郎』の第一話とアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第6期第一話を見ろ!」と「漫画『墓場鬼太郎』を読め!」のアドバイス通り、そこらへんの予習だけして行きました。特に『墓場鬼太郎』を読んでいてよかった。
……… 『犬神家の一族』やんけ!! まさか横溝正史の予習も必要だったとは。ありがとう角川シネマコレクション。『八つ墓村』でもあるらしいので今度見ます。
親父と水木を見に行くか〜って映画館に行ったのに乙米と長田と庚子の関係におれは…。 乙米と長田、要所要所でいちゃつくなとか、放っておけば水木は死ぬのにわざわざ沙代にとどめを刺すのが意外と執念深いなとかは思ってたんですが。よりによってここが純愛してたなんて。そんな。 庚子、妊娠してから体裁のために嫁に出されたのかな。体裁とか考える家か? でも入婿もいるしな。ちょっとは長田に期待をしたけどまったく関心を持ってもらえず、結局表向きの夫婦をするだけの関係。そんな地獄の中で唯一の跡継ぎになりえる男の子を産んだんだろうな。とかさあ。 これは私は確認できなかったんですが、なんか地下での乙米の暴露話のところで長田が肩を落としてるらしい。もう一度見るか…? あと庚子は結婚指輪してるけど長田はしてないらしい。お前らさあ〜〜〜〜〜! 乙米と長田と庚子のあれやそれやが見たいです。ください。
地下に並んでるベッドと医療行為をする村人を見てK2が脳裏をよぎっちゃった。因習村は因習村だけど良い因習村だから…K2は…。良い因習村とは?
沙代ちゃん、母親や鬼道衆は雑に殺すのに水木のことは手ずから殺そうとするところにぐっときた。村から出るためとはいえ愛そうとした男なんだから、落とし前はつけないとね…。
気絶したり具合が悪かったりする人間が好きなので、結界の中や地下で基本具合が悪い水木がよかった。ふらふらしながらなんとか親父についていこうとするところとか頭抑えてるところとかすぐ鼻血出すところとか。ふらふらしながら時貞にとどめを刺しに来たのもよかった。泥臭い男は健康に良い。
エンディングが『墓場鬼太郎』第一話だ!! 予習しててよかった。ありがとう𝕏の有識者。エンディング後に鬼太郎拾うシーンを入れてくれるのがこれまたね。拒絶するでもなく、墓石にぶつけるわけでもなく、映画の水木は抱きしめてくれてくれるのね…。 アニメや漫画を読んだときに、目玉の親父はなんで見ず知らずの人間に大事な赤ん坊を託すんだと思ったが、しっかり補完になってましたね。
でもこんだけ友情があってもアニメの水木は地獄に落ちるし漫画の水木はあっさり鬼太郎を手放すんだよな…と思っていたら、どうも第6期の水木はちょっと立場が違うそうですね。この映画の水木の未来は鬼太郎と良好な関係を築けるのかな。そうだといいが。第6期を見るか!
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miochan-bookmovie · 9 months
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『きさらぎ駅』 感想
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※以下ネタバレあり
そういうオチか~!!!本当に心の綺麗な人は女子高生だけだったっていう…。後味が悪いけど、ゲームのチュートリアル攻略を観ているみたいで面白かった。中盤は他の人たちも助かるのかな?と思っていたけど、結局一人しか助からない仕組みになっているのがつらい。きさらぎ駅に助けたい人がいる限り、永遠にループを繰り返すことになるのも後味悪いなあ。CGのチープさでちょっと白けてしまうところはあったけど、ストーリーは面白く観ることができた。
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endoubun · 11 months
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「NOPE」観ました!面白かった!遠い記憶を思い出すジュープの顔が怖いような儚いような切ないような…。映画の最初にいたご先祖からきて現代の今起きてる出来事の最前線にいるのが主人公兄妹なのカッコいい。
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hebisann · 2 years
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Japanese version of "The Bad Guys" cast!
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I'm so impressed with how close you got to the English version!
🐺&🐍 were cool too.
こっからは日本語で、映画「バッドガイズ」試写会感想です!
物語の「悪者」 にされる動物達。
そんなわかりやすいメッセージ性をかっ飛ばしてく派手なカーチェイスにアクション、二転三転するストーリー。
一瞬のシリアス要素は随所に挟みつつも、派手な展開がガンガン来るエンタメ映画。
女装得意な鮫とかお腹弱いピラニアとか、ギャグで終わりそうなキャラにも見せ場(しかも複数)あるのが好き。
警察署長とウルフのやり取りは、監督が影響受けた作品として上げた「ルパン三世」を彷彿とさせた。
警察署長は銭形警部よりも、ガラも性格も悪すぎて笑ったけど。
何より悪い奴らなりの友情に燃えた!
やりたい放題悪行三昧な過去話とかも見てみたいな。
Blu-rayだと過去の泥棒事件エピソードがあったけど、あれは日本版Blu-rayには収録してくれるんだろうか。
予想される展開裏切ってった綺麗なオチも好き。
吹き替えはすごく良かった!
英語版に声寄せてくれて感動した。
特にシャークとピラニア、 ウェブス3名。
ピラニアの歌は原曲をSpotifyでずっと聴いてた。 吹替だと歌詞が英語から日本語になってるのに、声と演技で原曲雰囲気そのままなのは本気で感動した。
ウルフとスネークは初見で声違うな? と思ったけどすぐ慣れたし格好良かった。というかキャラに あってた。
スネークとか掠れたドラ声寄りだけど それが後半の演技にすごく合うんだ。
あとキャストまだ出てないんだけどマーマレード 教授(山口勝平さん)とダイアン市長(甲斐田裕子さ ん)も良かったと思う。
🐺🐍🦈🐠🕷️
原作好きなんで原作との比較も。
映画: 悪者が善人になる振りをしてさらに悪事を働こうとする話。
原作: ウルフ曰く 「誤解」 を受けてる悪者達が良いことをして受け入れられようとする話。
性格も見た目も設定も全然違う。ただ根本的には同じだと思った。
原作者さんもがっつり製作に関わってるしね。
漫画のエピソードを構図そのまま映画に取り込むとか個々の能力とかわかりやすいとこだけでなく、ピラニアの空気読まなすぎる発言に気弱そう に慌てるシャークとか、ふとした仕草でこいつ原 作の××だ! てなるのが楽しかった。
スネークはなんかイケメンなスネークさんでした (原作だとレベルの高いヤバイ奴とイケメンを行っ たり来たりするキャラクター)。
あと映画は原作1~4巻ベースだけど、5巻からハード燃え展開になるからぜひ5巻まで読んで欲しい。
5巻6巻日本語版は、9月15日刊行予定!
11巻から始まる2章は多元宇宙の危機とか裏切りとか鬱要素ありのSFで度肝を抜かれました。
でも友情は燃えるのでやっぱりおすすめ(現在15巻まで、20巻で完結予定)。
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rairaisannnonikki · 10 months
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「君たちはどう生きるか」
ジブリの新作映画 宮崎駿監督作
これ、予告もないしなにを言ってもネタバレな気がする。情報を入れたくない人は読むな。
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 キービジュの鳥のインパクト。まさか鳥一本で話題をつなげる気か…!?とびっくりしてたけど、見終わった後だと「あの鳥で!?!?」と更に新鮮に驚ける。
 これは広報スタッフに正気がない。
 宮崎駿の原液を飲まされてる。ものすごく原液。いままで手加減されてたのか……。味だとハウルとポニョと風立ちぬが近いのかな。いや割と全部の味がするんですけどね。
〜〜ここから完全ネタバレ〜〜
解釈!!!!
 眞人が宮崎駿、または宮崎駿の後継者、観客。アオサギが鈴木プロデューサー。大叔父が高畑先生または宮崎駿監督だったのかなと思う。そして積み木は作品。おばちゃんたちはスタッフかな。
 アオサギが鈴木プロデューサーなのは分かりやすいよね、嘘の使い手。アオサギは友達って作中で言われてるの、あ〜良かったね…と二人の関係に感動しちゃったよ。あーだこーだ言いながら人生を付き添ったんだもんなぁ。
 映像作品としてどのカットも動きが繊細に組まれていてアニメーションへの執念を感じる。アニメ文化を築いてきた偉大な監督が出す作品がここまでのものを積んでくるの怖すぎる。マジで後輩に負ける気ねぇじゃん……。
 永遠に絵がうま過ぎる。なんというか、絵が綺麗じゃなくて絵がうまいなんだよね。見た目じゃなくて本質がヤバいというか。ぬかるみの土とか戸を開ける動作、物に触る仕草とか。現実を観察して研究して描いてるじゃん。細かい所も見逃さずに生活してるんだろうな。その上でちゃんとディフォルメもしてファンタジーであるのがほんと、宮崎駿監督のバランス感覚がえげつないわ。
 ストーリーも結構好みでした。ジブリ作品、結構上手く飲み込めない時があるんですが今回のはスッと自分の中を通った。後妻の夏子にもエゴがあるし、実母もそう。やりたいことを通す力のある母親像を見せてもらえてうれしい。元々、コクリコ坂でも母親が勉強してたり宮崎駿監督はそういう部分を気にしてる作家だと思う。というか病弱な母親で共にいられなかったから、作品の中では強い母親像を出してくるよね。癖なんだろうな……。
 この映画、とにかく説明しない。いろんな場面で説明が入りそうなところでも、絵の力で押し通す。ジブリほど絵が巧みだとこんなことできるのかよ……。
 作者は観客を信じた、という所もあるでしょうね。最初の場面、あれ空襲でしょ。爆撃機もなにも映ってはいないけど、警報が鳴っていて家事で病院が燃えて主人公が東京を離れるってそういうことでしょう? 君たちはどう生きるかというタイトル通り、作り手が観客に投げかける映画であって教えてやる映画ではないなと感じた。両者は対等じゃない。
 今回、情報を出さなかったのもこういう作りの映画だったからなんだろうな。見てる最中、ずっとどういうことなんだろう?と考えながらみるじゃないですか。絵が綺麗な新海誠系の映画が流行っている中で、““絵で伝える””映画を送り出す宮崎駿のメッセージ性は強い。
 もっとストーリーの話とか主人公の眞人くんの話もしたいんだけど、複雑で整理がつかないから2回目観た後になんかまた文章にするわ。たぶん。
 ラスト、東京に戻る場面で鞄の中に本と手紙を詰めていたように思う。勉強してるんだな。友達、出来たんだね。良かった。ここのシーンちゃんと確認したい。あれ手紙で合ってるのかな。
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googoominami · 1 year
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Vikram Vedha 面白いよね。
屍鬼二十五話を下敷きにしたお話で、屍鬼がヴェーダでトリヴィクラマセーナ王がヴィクラムの立場。 マフィアのヴェーダとそれを手段を問わないやり方で追う刑事のヴィクラム、悪いのはどっちだ?と問いかけるような作りが好きなんですよね。
ヴェーダはもっと悲壮感があっても良いような役なんだけど、演じるVセードゥパティは飄々としていて、軽ささえもある。だけどその軽さが余計に人生の悲惨さを強調してる。生まれや育った環境など、人一人ではどうしようもできない状況をどうせ足掻いても変わらない、と突きつけてるようにも思えた。
王様のヴィクラムはさて、どうするのかね?という感じ。 しかし重すぎず謎解き的なエンタメ感もあるところが絶妙。終わり方も好き。
ヒンディリメイクは12月公開よね?!聖なるゲームのサイフアリカーンもなかなか好きだったしリティクのヴェーダも見たいよね…
まぁ…日本で公開するって決まってないけどさ
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toyezu · 2 years
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I drew again.
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kconasu · 1 year
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劇団O.Z.E「72′ライダー」
2023年/日本/カラー/95分
 沖縄の劇団O.Z.Eの「72'ライダー」というお芝居の評判の良さは聞くんだけど、なかなか沖縄まで行くのも大変だし、DVDとかで見られないものかな?と思っていたところ、東京のUPLINK吉祥寺で一回限りの上映会があるというので遠征して見に行ってきました。
 沖縄本土復帰の翌年、1973年5月20日に国会議事堂の鉄柵に激突して無くなった実在の上原安隆さんがもし今も生きていたら?というifに基づいて描かれています。
 復帰50年の式典を迎えようとしている2022年。「復帰っ子」と呼ばれる安隆の同級生達が同窓会を開いていた。しかし寡黙で人付き合いも上手くない安隆は同窓会に参加せず、自ら経営するバイクショップで古いカワサキの大型バイクを黙々と修理している。やがてバイクショップに二次会をパスした男友達がやってくる。県庁勤務の哲也と米軍基地勤務の長一だ。やがて妙子・みえ・明日香も加わり二次会が行われる。しかし皆がビールを飲むなか、安隆は参加するような、しないような感じでノンアルコールビールを飲んでバイクを修理し続けるのであった。
 やがて安隆の過去がインサートされる。米軍基地を残したまま日本に返還されることに不完全な返還だと憤る姿。コザ騒動(暴動)で逮捕される姿。そして神奈川県川崎市でトラック運転手として働くが本土の沖縄に対する無理解に孤立する姿。
 やがてバイクの修理が終わり乗り込む安隆。その向かう先は…というお話でした。
 いやー、面白かったです!95分、エンドロールがあるから実質94分くらいかな?お芝居としては短めなんだけど2時間分あるくらいの物語の重厚感を感じました。といっても重たい話ばかりでもなく、前半の哲也と長一の漫才のようなやりとりはかなり面白く、面白い中でも「復帰っ子」世代の沖縄史の「あるある」を語っていき、無口な安隆の代わりに彼と「復帰っ子」達の背景をさりげなく説明していく構成は流石の作りでした。
 主人公の安隆は無口の上にずっと同じポジションに居続けるため実は物語への盛り上がりには大きくは関与しないんです。哲也と長一、女性陣達のやりとりで場を持たせつつ後半から��隆のキャラや背景がしっかりしてきたところで勝負、という感じかな。こうやって振り返って見ると「RRR(2022年)」の進め方に似ているし、「RRR」が影響を受けたというチェ・ゲバラの青年期を描いた「モーターサイクル・ダイアリーズ(2004年)」にも通じるものがあると思います。まぁ、安隆は「RRR」みたいに踊らないし、肩車ガンアクションもしませんけどね(笑)。でもそれに相当するのが修理が終わったカワサキのバイクのリアルな爆音なのかも。
 このお芝居の事を知ったのは沖縄のRBCiラジオで出演者の誰かがゲストで来ていて、この公演の2022年の時の告知をしていたからだと記憶しているのですが、それだけ評判だったのに東京や大阪公演が出来ないのはなんでだろう?と思っていたんですが、見て納得。実際に動くスクーター一台に、カワサキのバイク一台、そしてバイクショップという設定のため他のバイクがおそらく3台(多分これらは動かない)あったのでバイクを含めたセットを県外に持っていくのにお金がかかるし、さらにエンジンを吹かすために使える劇場(換気・奥行き等々)が限られると思うので県外公演をするのにはかなりハードルは高いと感じました。ただ、作・演出の真栄平仁さんによるこの上映会後のアフタートークによると「何時か県外公演をやりたい。」と言っていたので期待して待ちましょう。
 今作品はうちなーぐち(沖縄方言)で演じられる作品の為、今回の東京上映は標準語の字幕付きでした。おかげでうちなーぐちを解らない僕でもすべての台詞を追いかける事が出来ました。と言っても標準語も混ぜつつなので舞台で見たとしてもストーリー全体はなんとなく追えたと思います。
 余談ですが、作演出の真栄平仁さんはラジオ��縄で「ティーサージ・パラダイス」という番組を平日昼間にやっており、今回の上映会は東京リスナー達が集まる会という側面もあったようでアフタートークでの熱気は凄いモノがありました。ラジオ聞いていなくて、お芝居の評判だけでふらっと行った僕が一番薄いお客さんだったかも(苦笑)。
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naokiroku · 1 year
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映画『ドリーム・ホース』
ドリーム・ホース( 公式サイト)
ウェールズ好きの皆さん、サラブレッド好きの皆さん、競馬好きの皆さん、動物好きの皆さんにおすすめの映画!ジャンルとしては人間ドラマなのかな?コメディでもあり、全編通して家族愛も描かれているところがとっても気に入りました。わたしのお気に入り作品10本に選びたい作品です。イギリスの競馬には明るくないので日本の競馬にあてはめて観ましたが、それほど詳しくなくても楽しい時間を過ごせると思います。
映画の予告にある「つまらない日々」の描かれている序盤が退屈なのかなと思っていたけれど、すっごく楽しかった!とにかく仔馬の仕草が可愛いです。山羊や犬、鳥(鳩?)にもちろん馬も至る所に居ます。
正直に書くと、序盤の盛り上がる場面で号泣しました。無事に生まれて、競走馬になれるくらい丈夫に育って、人間の指示に従うようにトレーニングをして、デビューできることが本当にすごいことです。勝つことも大変だし、大きなレースに出ること自体が奇跡的なことです。小さな町がお祭り騒ぎになるクライマックス、ぜひ劇場でご覧ください!大勢で観る作品としても良さそうなので、配信にも向きそうだと思いました。地上波放送もできそうだなーと思うので、劇場公開が終わったらリクエストしてみようかと企んでいます☺️
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lifebaseandspice · 6 months
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今さらながら犬ヶ島を観た。分かりやすいストーリーライン、不思議な日本と、ところどころツッコミたくなる日本語(毒ワサビとか)が面白かった。
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zgm1125-blog · 1 year
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ノア・バームバック『ホワイト・ノイズ』を映画館で観た。
ノア・バームバックのユーモアのテンポは苦手だけど、冒頭で映画のクラッシュシーンをひたすら流して説明するドン・チードルが面白くてワクワク���アダム・ドライバー&グレタ・ガーウィグ夫婦の家族よりキャラクター作りが上手いのかドンチー出てくるとなんか安心して観れる。
映画の引用がたくさんあるし、章ごとにジャンルが変わるような演出なのですごく「映画についての映画」ぽい。スーパーマーケットが重要な場所で80年代ぽいポップさと商品名が常に画面のどこかしこにみられるので、カリカチュアな資本主義とハリウッド映画についての映画みたいな印象。
様々な映画ジャンルをモチーフにしていても『NOPE/ノープ』みたいなジャンル再構築の上手さはなく表面的なカリカチュアで、終わってみればわりとふつうの家族と死についての映画だったような…それがハリウッド映画への皮肉なのかもしれないけどあまり面白くはない。
ラース・アイディンガー目的で観たけど後ろ姿だけですぐ分かる笑。ドイツ系のクセ強な役とか白羽の矢が立つの分かりみすぎた。
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