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#家族の瞬間
thingsdavidlikes · 2 months
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R0004640 by කේදාර KhE
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yukisamemorivive · 1 year
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[じーーーっ] これは1年半前くらいの1枚 土下座してるんじゃありませんよ グレーチングの隙間から溝を覗き込んでる姿です 何があるのかって? いえいえ、特に何かあるわけじゃないんです 覗き込めそうなところがあったら一目散に駆け出して、ただただ覗く 2歳過ぎたあたりの数ヶ月間だけハマってやっていた期間限定の行動です そういえばあの時だけこんなことしてたよなぁ といったつい忘れてしまいそうなことも忘れずにいたい そういった思いがあって、この写真も大切にしている1枚です ちなみにここ、天王寺動物園なんですよ 動物よりも溝の先が気になる2歳児(笑) #家族写真撮影 #出張カメラマン #出張撮影 #出張フォトグラファー大阪 #松原市 #羽曳野市 #藤井寺市 #子どもの写真 #育児 #育休 #yukisa #YUKISA_Memorivive #なにげない日常 #かけがえのない瞬間 #2歳 #女子 #グレーチング #覗き込み #天王寺動物園 https://www.instagram.com/p/Ck0zZ26P5aX/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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u543z · 2 years
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2022年✨夏山スケジュール✍とりいそぎ💦日程&行先のみアップしました😅詳細は後日更新していきたい思います🔜みなさま今シーズンもよろしくお願いいたします🗻🙇 #アイスランド国花🇮🇸 #チョウノスケソウ #家庭の徳 #花言葉 #2022SummerSchedule #夏山スケジュール #札幌発 #登山ガイド #ガイドオフィスユーゴ #GuideOfficeU5 #今回パンフ印刷は見合わせます💦 #目まぐるしい世の中ですが #あばれはっちゃく挫けそうになりますが #ワイルドチビっ子ギャング👶👶 #家族ともどもよろしくお願いいたします #大雪山国立公園 #小泉岳 #気品あふれる🌼✨ #今年も会いに行きます😊 #安らぎの瞬間 #心のオアシス #オンオフ切り替え (Sapporo) https://www.instagram.com/p/CdayQ9zvFyK/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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orange-pekoe · 8 months
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パンといえばメロンパン 家族がパン屋さんに行くよといえば お願いするのはメロンパンだった メロンパン歴 うん十年の私であるが ある日 しかもつい最近 めちゃくちゃ高カロリーと知って 時が止まった瞬間を覚えてる
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shelter-maki0 · 4 months
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折角なので「律動する悪夢」https://www.tumblr.com/shelter-maki0/737410451936296960/i-drew-a-comics-of-tomarrymort-it-is-posted-on-an?source=shareの後書きのようなものを少し書いてみようと思います。私用の覚書のようなものなので、日本語で残します。
その過程で私がcursed childについて思っている事にも少し触れようと思います。真面目に書くつもりはありませんが前半に後書き、後半に呪いの子について書いていきます:P
まず私が書いた小話の後書きですが、「律動する悪夢」はロマンス作品を想定して描いたわけではありません。私はハリーとヴォルデモートの間にある、”互いにとって不都合な絆”に魅力を感じています。とても暴力的な絆で、その絆は二人を傷つけ互いに破滅へと向かわせました。ヴォルデモートは文字通り破滅し、ハリーは人生を丸ごと台無しにされました。 ハリーが闇の帝王を倒した後でもヴォルデモートがハリーに与えた影響は彼の人生を蝕み続け、ポッター家を機能不全家族にしました。私はハリーが決して彼の呪縛から逃れられないこの状況に、ホラー映画のエンディングのエッセンスを感じました。それはまるで、主人公が脅威を退けた後、エンドクレジットの前に倒した筈の敵の気配を感じて暗転するあの瞬間のような後味の悪さです。
避けられない脅威に追われ続け、その脅威は怪物を倒したあとも主人公を決して休ませない。私はホラー作品のその様式美が好きです。なのでこの作品はそういった逃れられない脅威と決して断ち切ることのできない繋がりについて考えながら描きました。 特に深いメッセージ性は無く、少し気持ち悪さを感じるような作品を残したかっただけですが、もし楽しんで貰えたなら幸いですD
次に呪いの子についてですが、呪いの子が不人気な事は把握しています。(余談ですが、私の国では呪いの子に対してそこまで否定的な意見は多くありません。私の国のオタクは公式が出した作品を無かった事にする傾向が殆どなく、公式から出たものが気に入らなければジャンルを去るか、受け入れるかのどちらかを選ぶ人が多いです。なので二次創作の傾向も逆行や転生、Canonの隙間時間を埋めるような作品が多く、AUはあまり流行らない傾向があります。私は呪いの子の設定の全てを受け入れているわけではありませんが、美味しいところは食べています。)
呪いの子の世界観は、ハリーが魔法界の戦争を通して経験した事を白紙に戻したような世界をしています。
デスイーターは裁かれましたが、彼らの抱える根本的な問題は解決しておらず、彼らの親族に降りかかる偏見すらも魔法省は野放しにしています。里親に育てられた孤児のデルフィーニはホグワーツに通うことすらできませんでした。アモルテンシアなど危険な魔法薬は一切規制されておらず、ロンが親友の息子の誕生日プレゼントに贈るほど倫理観も法律も成長していません。
呪いの子の魔法界は、”臭いものに蓋をする”が続いた世界です。ヴォルデモートとの戦いの経験を持つハリー達が、その世界の中枢で要職につきながらも多くの問題を無視し続けているというのは現実的ではありません。ヴォルデモートが後継者を得る為に子供を作っていた事も彼の性格からを考えると不自然です。
舞台の脚本を書くために彼女はそうしたのだろう、とメタ的な意見も出せますが、呪いの子の世界がHPシリーズの正式な後日談として出されている以上咀嚼しないわけにはいきません。私はそういうオタクです。
正直、私はそんな魔法界に再び混乱が訪れるのが見たいです。それらのツケを払わされる瞬間を見たいです。彼らの怠慢と無関心が再び闇の帝王を呼び戻す瞬間が見たいです。
大切な書類をデスクに山積みにし、ゴシップを放置し、息子に対して失言し、母親のように振る舞うジニーに慰められるハリー。空元気のように振る舞い問題を無視するハリーの様子は私を不安にさせます。しかし私はそんな彼が再び引き裂かれるのが見たいです。そしてその相手は絶対的にヴォルデモートなのです。
呪いの子の終盤で、ハリーは闇の帝王の影響から未だに逃れられていないという自覚を息子に語っています。結局のところハリーとヴォルデモートの絆は永遠です。それはあたゆる形になってハリーを蝕み続け、彼の人生からは絶対に切り離す事ができません。呪いの子ではその事が証明されています。死すら二人を分てないのです。
私が呪いの子の時間軸のハリーについてよく考える理由はそこにあります。呪いのような永遠の絆がそこにあるなら、続きを想像したくなってしまいます。あらゆる魔術を探求した闇の帝王の魂はまだリンボにあり、彼を連れ戻したくて仕方がないような勢力は殆どそのまま魔法界に残っています。私は中年のハリーの目の前にある日突然ヴォルデモートが現れても驚かないでしょう。素材は十分です。
そしてヴォルデモートに再びハリーの人生をめちゃくちゃにして欲しいです。彼のキャリアを崩壊させ、家庭を脅かし、彼をもう一度台無しにして全てを奪い去って欲しい。そしてハリーには、崩れた人生の瓦礫の中で最後に彼に触れ、かつて同じであった鼓動を感じて欲しい。結局のところ彼はハリーの運命の相手でハリーの人生を司っているのだと。
「彼を壊したい」と「彼を幸せにしたい」が両立する不思議なダイナミックがtomarrymortの醍醐味の一つであると思いますが、怒りと苦痛の先にある小さな慰めのカタルシスの心地よさが私を追い立てているのかもしれません。
とまあ、話は多少ズレましたし呪いの子の不満点や考えについてまだ話せる事は沢山ありますが、今回はこの辺にしておこうかと思います。また気分が向いたら何か書くかもしれません。
とにかく私個人としては呪いの子の時間軸のハリーの作品がもっと増えたらいいなと感じています。ハリーが台無しになる作品が好きなので、掛け金の高いCCの時間軸は私にとって魅力的です。
もしこの投稿を読んだ人がいたのなら、この中身のない文章を最後まで読んでくれてありがとう!
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kijitora3 · 2 months
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バカ女を使って有名選手を脅迫するやくざと、売れればそれでいい週刊誌がタッグを組んで、今まで幾多のスポーツ選手を追い込み、スポーツ人生を破壊してきたんだろう
選手側にはメディア対応も法律の専門家もいなかったのが普通だったから、みんななされるがまま
しかし、時代は変わった 伊東選手がバカ女と恐喝やくざを徹底的に詰めて破壊すれば、それが後のスポーツ界の自衛手段になる 徹底してやってくれ
週刊誌? 昔からマスゴミはそういう社会のゴミとつるんで、あるいは自ら事実無根の記事をでっち上げ、それで脅迫することを繰り返してきた 戦後すぐまで新聞屋というのは、人を陥れて金をゆするヤクザと同類視されていたのだ 私の良く知る存命の人が、あのサヨクがやりたい放題だった戦後まもなくの頃、〇日新聞に内定したことを故郷の親族に報告したら、「大学出してやったのに、よりによって新聞に行くとは・・」と泣かれたそうだ 戦後しばらく今までなんだかマスゴミ錯覚があるようだが、日本における記者というのは、ヤクザと同じだ 欧米の歴史にあるような、権力と戦いながら自由を手にしてきた言論とは異なる 戦争のたびに戦果を書き立て戦争を煽り立てて部数を伸ばしてきたのが日本の新聞であり、もともと権力と戦ってなどいない ただの権力側についたヤクザに過ぎない
 それを、お得意の歴史書き換えでさも自由と民主主義を守る戦いをしてきたかのように嘘をつくのは、サヨクと新聞の得意技なわけだ
 で、今回の伊東氏に関わるでっち上げ事件は、日本のマスゴミの原形を明確に世に示した事件だというわけだ アサヒだろうが、waiwaiマイニチだろうが、中国の手先で経済知らずの日経だろうが、文春だろうが、新潮だろうが、中身は大同小異 本質は昔から変わっていない ただ、ちょっとお利口ぶったポーズをしているだけ
 今回も週刊誌だけが部数を伸ばしてはした金を得る利益を得ただろう 伊東氏のかけがえのないサッカー現役時代全盛期の数年間を無駄にして だが、マスゴミは変わらずのさばり続けるだろうが、それを終わらせる最初の一歩として、バカ女とそれを利用したヤクザを訴え、週刊誌を無視した今回の伊東氏側弁護士の選択は、完全に正しい。
 これについていい加減なコメントを投げてた映画監督もどきとか、いろんな評論家も、所詮はさげすまれた恐喝やくざマスゴミと同じ穴の貉だ
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chikuri · 5 months
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性��移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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diarytheroomoffuji · 3 months
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素朴な疑問
疑ってはいけないのか
JAXAの月面探査機が月に着陸成功。しかし太陽電池は作動せず・・・
これは凄いニュースだと思いますが私が幼少の頃に、小さなTV画面を家族で囲み見守ったような、アポロ計画ほど世間は騒いでいないように感じてます。(現代の人々には刺激が足りないのでしょう)
55年前の事です。あれから半世紀以上たった世の中は、随分と変わりました。あの頃の夢だった ” TV電話 ” なども今は個人で、当たり前に何処でも楽しめる時代です。異国の言葉が分からなくても賢いソフトウェアが瞬時に助けてくれますし、クルマも自動運転が云々。
テクノロジーの進化は、55年前のあの時とは全く違い私達の生活は一変しました。
今回は、無人探査機と言うのもあり、地球から遠隔操作であり難しいとは思いますが、” 例え有人探査機 ” と言えども55年前のテクノロジーで、あの月面着陸って本当だったの??と、パンドラのなんとかのように気になります。(ニコンのカメラやフィルムも気になる(笑)
現在のテクノロジーを駆使しても、失敗があります・・・
半世紀以上経ってテクノロジーはもの凄い進化しているのに、未だ愚かな戦争をしている所もありますし、世の中??だらけですが、月面着陸って本当に難しいんだな~、アポロって・・と、昭和オヤジは感じてます。
事実を知りたい
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ogawa-xd · 11 months
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■サピエンス全史
もうかなり熟読しているが、少し時間ができたのでもう一度、ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」読み返す。至福だなぁ。
第一部 認知革命
第1章 唯一生き延びた人類種
135億年前「物理学」という物語りが始まり、38億年前「生物学」という物語りがはじまった。
7万年前、〈認知革命〉とともに歴史学がはじまった。そして1万2千年前に〈農業革命〉があり、500年前〈科学革命〉が起きた。
サピエンスは、人類のなかで唯一生き延びた種。ネコ科ヒョウ属にはヒョウもライオンもトラもいるが、人類種にはサピエンスしかいない。なぜか?
3万年前に近隣のネアンデルタール人が滅んだ具体的な理由は断定できない。しかし殺戮にせよ自然的淘汰にせよ、サピエンスの存在が関与していたことはまちがいがない。
その競争にサピエンスが勝ち残ったのは、「言語」によるものだ。
第2章 虚構が協力を可能にした
7万年ほど前に、サピエンスはその「内部構造」を変化させた。見かけこそ変わらないが、それ以降のサピエンスは認知能力(学習、記憶、意思疎通の能力)で格段に優れていた。
それ以前にアフリカを出たサピエンスはどれも成功しなかったが、それ以降の遠征は成功し、南極をのぞく世界中へくまなく進出した。
この「言葉」によるドラスティックな変革を〈認知革命〉と呼ぶ。聖書の創世記「知恵の木の実」を思わせる「言葉の獲得」だが、それ自体はたまたまサピエンスに起きた偶然の結果だった。
この認知革命が、世界の大変革につながるが、それは言葉のどんな効果によるのか。
• 存在しないものについての情報を伝達する能力
• たとえば伝説や神話、神々、宗教
• 総じて虚構、すなわち架空の事物について語る能力
実際には「虚構」は判断を誤らせる危険なものだ。だが、集団で嘘を信じることは、かぎりない力の元となった。鋭い牙や爪を持ったり、走力や筋力で勝ることより、桁違いに強大だ。
われわれはほとんど意識しないが、国もお金も人権も法律も会社も、みな虚構、擬制である。歴史の大半はどうやって膨大な数の人を納得させ、信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。
第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
サピエンス20万年の歴史の19万年分、つまり95パーセントは狩猟採集のという生活形態だった。認知革命は狩猟採集の時代に起きている。
文字ももちろんなく、詳しいことはほとんどわからないが、ある程度たしかなことをあげれば、
• 農耕以前は「石器」の時代というより「木器」の時代
• 彼らは毎月毎週、あるいは毎日すべての持ち物を手で持って移動していたので、運べるのは本当に必要な所持品だけ
• 精神的、宗教的、情緒的生活は、器物や道具といった人工物の助けなしでおこなわれた
• 狩猟採集社会のもっとも大きな特徴は「多様性」
• 「群れ」と成員は一つの例外「犬」をのぞいて、すべて人だった、つまり家畜もない
• 平均的な人は、自集団以外の人を見かけたり声を聞いたりすることなく何ヶ月も過ごした。一生を通じて出会う人はせいぜい数百人程度。
• つまりサピエンスは広大な範囲にまばらに分布していた。
• 「狩猟採集」というが、一般的な「狩りをする人」のイメージよりも「採集」がメインだった
• 狩猟採集には多大な「脳」力と技能が必要で、個人レベルで見れば、その頃のサピエンスが史上もっとも秀でていた
• 一般に背が高く健康的だったが、平均寿命は30〜40歳。それは子供の死亡率が高いせいで、60からときに80歳まで生きる人もいた
• その理由は食物の多様性、感染症の少なさなど
• 感染症は農耕社会以降の家畜は由来のものが多く、そもそも人同士の距離ががまばらで感染・伝播の機会がほとんどない
• とはいえ、きびしく、情け容赦のない、欠乏と苦難の社会ではあった
最後に、狩猟採集時代のサピエンスが、平和主義者だったか好戦的な種族だったのかは興味がつきない。対サピエンス同士、対他の人類間、どちらの相手にも、平和的な好戦的か断定はできない。好戦的な部族もあったかもしれないし平和的な部族もあったのだろう。とにかく多様であった。
第4章 史上最も危険な種
しかし、餌の対象となる他の動物たちにとって、危険極まりない存在であった。
オーストラリアの例
• 4万5千年前のオーストラリアへの進出は、屈指のできごとだった。コロンブスのアメリカ発見、アポロ11号の月面着陸に匹敵する。
• それ以前にオーストラリアへ到達した人類はいなかった。
• それはサピエンスが特定の陸塊で食物連鎖の頂点に立った瞬間だった。
• 大型カンガルー、フクロライオン、大コアラ、大サイズの鳥、ディプロトドン(象サイズのウォンバット)などすべて姿を消した。
南北アメリカの例
• 最後の氷河期は、7万5千年前から1万5千年前にかけて。7万年前と2万年前の二度のピークがあった。
• 1万6千年前、サピエンスはシベリアから凍結したベーリング海を超えてアラスカをとおりはじめてアメリカ大陸へ渡った。
• それ以前にアメリカ大陸へ渡った人類はいなかった。
• アメリカに到達からわずか1000年から2000年の間に大きなげっ歯類、馬、ラクダ、巨大アメリカライオン、サーベルタイガー、象より大きなオオナマケモノなどを駆逐しながら南米南端に達する。
• この騒ぎからただ一つ無傷だったのがガラパゴス諸島。
そして第二部の農業革命に続く。
余談だが、訳者の柴田裕之(しばたやすし)氏は、自分の愛読書の主要なところで顔を出す。
• 「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ
• 「ホモデウス」ユヴァル・ノア・ハラリ
• 「神々の沈黙」ジュリアン・ジェインズ
• 「ユーザーイリュージョン」トール・ノーレットランダージュ
柴田さんが訳しているのなら、読む価値があるかな、などとも思う。
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nakanotakeko · 3 months
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英語圏のネット上で、日本の都市は左派の理想(優れた公共交通機関、自家用車不要、安価な医療サービス、手頃な住宅の多さ)と右派の理想(犯罪に対する寛容度の低さ、大量移民に対する慎重姿勢、核家族への強いサポート)の多くを満たしていると称賛されているのは興味深い。
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yukisamemorivive · 1 year
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「やっと乗れた!」 これも2年前くらいの1枚 天王寺動物園内にあるライオンのオブジェに乗ってニヤリ顔 それもそのはず 兄が乗って楽しそうにはしゃいでいたので自分も乗ろうと思っていたら…… ちょっと油断して別のところへ興味が移っている間に他の子が乗ってたんですよね 悲しそうな顔をしてライオンが空くのを待つ2歳 そして順番が回ってきて舌を出して喜ぶ2歳 泣かなくてよかったよかった #家族写真撮影 #出張カメラマン #出張撮影 #出張フォトグラファー大阪 #松原市 #羽曳野市 #藤井寺市 #子どもの写真 #育児 #育休 #yukisa #YUKISA_Memorivive #なにげない日常 #かけがえのない瞬間 #2歳 #女子 #ライオン #順番待ち #天王寺動物園 https://www.instagram.com/p/ClRGYOQpHir/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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xx86 · 27 days
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祝福とフィクション
28歳の誕生日、茉弥の結婚式だった。
半年以上前から悩みに悩み、ようやくレンタルまでこぎつけたパーティードレスが可愛くて嬉しい。パーティードレスを沢山着る人生にしたい。
駅で待ち合わせていたあづみが花束を抱えていたのを見て、しまった私も何か茉弥に用意すればよかったな、とちらりと頭が過った瞬間、お誕生日おめでとうとにっこり微笑まれて花束を渡される。思わず私の?と2回程聞いてしまった。
お花屋さんに花の選定からラッピングまで全部口出しという花束はとてもゴージャスでシックで、やっぱり花束って選ぶ人の性格が出るよなあとしみじみ思った。私が嫌いなかすみ草は抜いてもらって、大好きな菜の花は入れられなかったからと色とフォルムが似たお花をいれてくれた。彼女は好きだと言ったもの、嫌いだと言ったものを絶対に忘れないし、飲みの場での約束も忘れず叶えてくれる、律儀な女である。
駅から15分の道を当然のごとく歩く気になれず、平日なのに雨だからかずらりと並んだタクシー乗車列の最後尾に並ぶ。あづみのヘアセットがきれいにまとまっているのだけど初めて見る形の髪型をしていたので、個性的で可愛いねと言うと、前から見たスタイルはタイトで後ろは少し遊んだアップで見たことないけど奇抜では無い髪型にして欲しいと写真も持っていかずサロンでオーダーしたらしい。しかも初めて行くお店で。なんともチャレンジャー。
式場について、ウェルカムボードで初めて旦那さんの顔を見た。想像通りだの違うのだとやんや言っていたら、目の前を同じく式に招待されていた知人の理沙子が数人従えて通っていた。相変わらず嫌な雰囲気を携えて歩く女である。茉弥は理沙子ちゃんもあの時と比べて随分丸くなったからと言っていたけど、毛皮の羽織を着ているのをみて、丸ごと変わらずいけ好かない女のままだろうな、と思った。
カサブランカのにおいで埋め尽くされたチャペルにしずしずと入ってきたウェディングドレス姿の茉弥は、まるでウェディングドレスを着て生まれてきたのではないかと錯覚するほどよく似合っていた。私服だときわれても違和感がない。生まれながらにプリンセスなのだ。あづみは何度もハンカチで目を拭っていたけれど、私は対面に座っていた、新郎側ゲストの理沙子とその一味が誓いのキスで笑いをこらえていたのをみて一気に涙が引いた。おかげさまで親の勢いで泣いていたあづみに反して、私のハンカチは挙式開始から披露宴お開きまでカラカラに乾いていた。私の結婚式でもそれぐらい泣いてよね、とあづみには言っておいた。
メニューをみただけでも豪勢だとわかる料理は本当に美味しく、お金かかってんなーと身も蓋もないことを思った。久しぶりにお酒を飲んだらすぐ酔いが回り、酔い醒ましに違うお酒を飲む。式は終始和やかで、茉弥もとびきり可愛かった。歓談も多くてたくさん話したり写真を撮ったりできたし、正解の結婚式という感じがした。結婚式に正解も不正解もないだろうけど、正解の結婚式と聞いたら誰もが頭によぎるような結婚式。楽しかった。楽しかったのだ、確かに。親友と呼べる友人の結婚も嬉しいし、その結婚式に呼んでもらえたことも嬉しい。なのにずっと天井から俯瞰して見ているような気持ちだった。旦那さんベールダウン上手いなとか、メインテーブルガッツリあるタイプ久しぶりに見たなとか、そんなことばかり考えていた。
行きのタクシーで結婚欲のないあづみと、茉弥ちゃんの結婚式みたら結婚したくなるかななど話していて、結婚式はやっぱり素敵だなと実感したけど、自分がしたいかは別物だなと思う。
ちょうど1年前、元同期の間宮の式に参列した時は嗚咽が漏れるほど泣いた。それはあまりにも幸せな家庭で彼女が育ったということがありありと見えたから。眩しかった。自分の生まれ育った環境とのギャップに劣等感が煽られた。私は家族と仲が良くないからこんな結婚式はできない。家族に祝福してもらえない。だからこそ、嬉しそうに写真を撮るお父さんや、目頭をハンカチでしきりに抑えるお母さんを見て、胸の奥底が痛み、泣いた。今、たぶんあの時程私は家族というものに執着していない。茉弥はスーパーあったかい家庭でたいせつに育てられた子だと知っていて、実際にご両親��温かかったけれど、傷は痛まなかった。私はこの1年で随分癒えたのだと思う。色々と。
この先、誰の結婚式でも泣かないような気がしてきた。私は感受性が豊かで涙脆いと言われるのにだ。結婚式はなんというか私にとって身近じゃなくなりすぎた。友人の結婚式よりも、フィクションの小説や映画の方がずっとリアルで心が揺さぶられ涙が出る。
お見送りで茉弥からメイン装花の一部をもらった。花束を入れられるようなフラワーベースは生憎家には1つしかないので、帰り道、手頃なサイズのフラワーベースをFrancfrancで買って帰る。2つの花束を置くと部屋は一気に明るくなり、生花の瑞々しい香りで満ちている。これだけがリアル。この部屋が私の現実。
ところであづみが茉弥の式の様子をインスタに挙げたら、何人かの元クラスメイトから礼は私の事なんか言ってた?とか、礼とまだ連絡取れるかな、とあづみに連絡が来たらしい。礼に何かしてしまったなら謝りたいとまで。私はリアルなアカウントでSNSをしてないし、LINEもすぐブロックすると公言しているのでこういうことになるし、あづみには仲介役をやらせて申し訳ない。
でも。あれから5年も経ったのに、未だに自分が何をしたか分からないのなら、私に謝る権利などないということでしょう。好きな人にだけ数年ぶりにLINEを送って寝る。どうせ会うこともないだろうけど。
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ca-8-thy · 1 month
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20240319
エビスカメラに用事の折に、前から気になっていたサンドリアンでランチ。久しぶりにゆったりとした1人の時間を過ごしている気がする。式が終わって数日経つが、まだぽやぽやしているのは、今年から閾値を超えてしまった花粉の所為なのか、余りにも良い式だったからなのか。
結婚式に際して『4日目の余韻』というテーマを貼り出して、丁重に準備を重ねてきた。人の余韻は3日しか続かないらしいから、その期限を超えて浸って欲しいという願いを込めて。植本さんに撮ってもらった前撮りをZINEや写真展という形で御披露目したが、写真展の方は当日まで設営が間に合うのかわからなかった。東京大神宮から義父の車で飛んできて完成した会場を見た時に、2人してボロボロと泣いてしまった。昔から泣き虫なのは変えようがないし、変えるつもりもない。最中は耐えていたが、エンドロールムービーを担当してくれた小田さんの映像にかける熱量が凄まじく、見事にまた泣かされる。私のインスタのハッシュタグを分析し 日々 の文字を最後に挿したのだという。IWAIのスタッフの方々の仕事との向き合い方には尊敬の念を禁じ得ないし、わたしたちの我儘を叶えてくれたプロデューサーの遥さんには感謝してもし切れない。
あれだけ間に合わないかもなんて宣っていた私の家族は、時間通りに親族控室に到着した。が、始まる数分前に介添人の制止を振り切ってヤニ吸いに行った弟を見て、何も変わってねえななんて思う。1日を通して、1,2往復くらいの会話しかしなかったけれども、10数年は口を聞いていなかったことを鑑みると大きな一歩だと思う。友人達は「歴史的瞬間」等と弥次を飛ばしていた。披露宴の最後に、新郎新婦宛に手紙を書く催事があったのだが、後日開けてみると「P.S. 兄へ 母から適当にLINEとか聞いてください」と書いてあり、ひっくり返る。既読はまだ付かないが、今日は風が穏やかだ。テトラから「縁を切った家族を結婚式に招待した話。というタイトルで、note書いたらコンテンツになりそう」と言われニヤける。
余韻の数え方は人によって違う様で、当日を1日目にするならば、今日は4日目。晴れ姿の恋人をずっと覚えていたい。
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what-iam-today · 2 months
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3回目のおでかけ。
すっごくすっごく楽しかった。
そして気づいたら終電逃して、
三件目にバー行って解散した。
人生で初だった終電をふつーに逃したの。
話の流れと表情から脈あると感じた。
でもそれっぽいこと言えなかったなー、
まーいっかまたお出かけした時で。
待ち合わせから帰り際まで
見た目クールなのにすっごく可愛い人。
色々話したなー。
高校、大学、恋愛事情、仕事、映画、音楽、洋
服、憧れの俳優、お酒、ペット、友人、家族。
話の幅、ジャンルがあう。
楽しい時間は一瞬だなー。
またすぐ会いたい、明日も会いたい。
私、また沼ったな、、、。
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nanaintheblue · 5 months
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そうだ、いつかは死ぬ、友達も家族も、命あるものはみんな――、と言い聞かせ、夏空に向かって目を閉じてみる。子どもと遊ぶビニールプール。水しぶき、夕立、とけかけのアイスキャンディ、蝉の声――。あと何回、こんな時間が人生に訪れるのだろう、そう思うと、すべてが美しい――。 いやいやいや、無理無理無理。 一瞬一瞬を目に焼き付けるとか無理。だったらスマホを見ていたい。時間泥棒? ああ、泥棒されている方が時間が無限だと感じられるから、むしろそっちがありがたい(本当にダメ)。残り時間に敏感になって���いちいちエモくなってたら、心身がもたない。私はそういう最弱人間。
柚木麻子「七年ぶりの海外旅行へ」
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01-08-m-n · 11 months
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キスをしすぎると、キスの特別な価値みたいなものがなくなるんじゃないかと思った。「好きだった人に言われたずっと忘れてない言葉」みたいな、そういうキラキラした衝撃的な瞬間をこれからも君につくってあげられるのだろうかと思った。いつまでも、君の最高の女の子でいたいと思った。
彼氏が充電してくれたモバイルバッテリーが、それだけで宝物みたいに見えた。彼が入れてくれた電気が尊いものに思えて、一生使わないでおこうと誓いみたいに思った。旅行3日目に日が変わった深夜1時半頃、彼が買わせてくれた大きなぬいぐるみを抱きながら君を見ていた。ふかふかのベッドに横たわりながら、ぬいぐるみと君のパーカーを抱えていた。わたしのスマートフォンの充電がなくならないように、わたしのモバイルバッテリーを君が充電してくれた。君がやさしく充電機を差す姿がスタンドライトの逆光で影になって、描くことのはじまりって、愛する人の影をなぞったことなんだよって言いたくなった。君をなぞってずっと忘れないようにしたいって思った。何回も何回も君を反復して、擦り切れるくらいに思い出したら、生まれ変わっても覚えていられるだろうかって思った。
はじめて日焼け止めを塗り始めた5月1日がもう1か月前になろうとしています。お久しぶりです。青い月はいつだって燦然と眠って光っています。先日、恋人と2泊3日の旅行をしてきました。会えるのは2ヶ月ぶりでした。やっぱり、この人と一緒にいたいと思いました。付き合った日に彼が送ってくれた、俺の余生あげるから君の余生を幸せにさせてよって言葉が永遠に忘れられないでいます。
デートする度にここに書くのは、忘れたくないからです。一瞬一瞬を思い出せたら、永遠に忘れないかもしれないって思えるからです。
通勤で混んでいる新幹線で運良く2人席が空いていて、彼が乗る駅まで隣に誰も座らないように小さな抵抗をしてみた。彼が乗る駅に停りそうになって、ゆっくり流れる景色から君を探してみたけど見つからなくて気持ちいい不安があった。着いて5秒後くらいで会えて、いつもの恋人だと思った。大好きで嬉しくて、よくわからないくらい安心する。新幹線だから手は握らなかったけど、ずっと触れてる肩が嬉しかった。
ホテルに近い改札口をふたりで探した。ホテルまでは少し遠かったけど、冒険しているみたいだった。真っ直ぐな通りの先にはスカイツリーが見えた。その日はたくさん歩いてたくさん見てたくさん考えたけど、彼が一度も疲れたとか嫌だとか言わなかったことがすごくうれしかった。この人となら大変なことでも一緒に歩いていけるんじゃないかって、些細なことだけど。ホテルまでの帰り道からはライトアップされた紫色のスカイツリーが見えた。ライトアップの意味を調べて読み上げたけど、彼氏が眠そうでかわいかった。確か「雅」っていうライトアップだった。ふたりとも22時���らいにはきっと眠っていた。たまに目を覚ますとふとんに埋もれている彼がいて愛おしかった。ふとんをひっぱると、んーと唸りながら私に3分の1くらい渡してくれるのがかわいくて。目が覚めると朝の5時30分で、部屋に射す朝日が綺麗だった。君がくれたステンドグラスみたいな栞がキラキラ輝いて綺麗だった。うとうとしながら横になっている彼を見ながらお湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。幸せだって思った。そういえば、フルーツティーを飲んだ後にキスしたら甘いって言ってたね。微睡んだ君の隙間から2つの水滴が垂れているのを見て、指でなぞった。わたしだけの秘密って思って、それを口にいれた。君はここにいるって思った。
ホテルを出てほとんど夏みたいな爽やかな空の下をキャリーケースを引きながら歩いた。街の看板や建物を見ながら君となんでもないことを話すのが楽しかった。駅のロッカーを探し回って、エレベーターを待っている時に君に日焼け止めを塗ってあげる。外でも首や顔に触れて家族みたいだなーって思った。自分がしてもらってたように自分もこうして人にしていくんだなって思った。少しだけ顔が白くなった君がかわいかったな。ケチな私がロッカーにキャリーケースを2台とも無理矢理入れたら取り出せなくなって君の手を煩わせてしょんぼりした。自分っていやな人間だなーと思ったけど君が仕方ないねって笑ってくれて大丈夫になった、やさしくてあったかくてずっと一緒にいたいって思った。メンチカツとかアイスとかふたりでおいしいねって分け合えるのがうれしい。おみくじを引いて当たっててうわーってなったり浅草寺の煙が目に直撃して泣いたりお参りしたりした。彼がちゃんと祈ってる後ろでそれを叶えてくださいってちゃっかり手を合わせた。
最果タヒのグッズを買いに紀伊國屋書店本店に行ったりサンシャイン水族館で毒を持った生き物を見たりして、外に出たらもう空が真っ黒だった。風が強く吹くサンシャインシティの広場で彼と手を繋いでひとりじめしてるみたいに歩いた。ベンチでキスをしてるカップルの近くのベンチに座って、そこから見える光る塔が何なのかふたりで必死に調べた、今思うとなんでそんなこと?と思うけど楽しかったなあ、結局専門学校の偽物スカイツリーだったね。ふたり手を繋いで風に吹かれながら暗い空を見上げてた。星なんて見えなかったけど、灰色と藍色を混ぜたみたいな空に電飾が反射してもやがかかったみたいに見えていた。人混みの中を急いで歩いたけど乗ろうとしていた電車に間に合わなくて2マスもどる。
2時間くらいかかる電車に乗って次の場所へ。ぬいぐるみを掴みながら、イヤホンを片方ずつつけながらお笑いのショーレースを見た。吐いてる人がいたり電車を降りてお水を買ってきてくれる人がいたりなんとなく忙しい時間だった。 ホテルについて夜中までやっているアイス屋さんへ行くと長蛇の列。若者が多くてびっくりした。彼の好きなラーメン屋へ行って深夜1時に中盛りという名の大盛りのまぜそばを食べた。おいしかったね、わたしは眠すぎて食べながら眠りそうでしたけど。お酒を買ってもらったのにホテルに帰るとすぐ就寝。ほんとうにありがたい恋人。翌朝シャワーを浴びて彼にバトンタッチすると時間が足りないことに気付く。ゆっくりしたかったからフロントに電話して1時間延長、支度が大体終わったあとまだ終わらないでしょみたいな感じになってもう1時間延長。この1時間がなかったら帰るのが惜しいくらいだったと思う、会えているときくらい君に触れていたいよ
この日は急遽彼の友人とバーベキュー。正直めちゃくちゃドキドキした。めちゃくちゃかわいい彼女って思われたいじゃん。それが彼を立てることにつながる?みたいな私の筋の通らない理論。駅まで彼の友人が迎えに来てくれてわーってなった(表せない感情)。車がお兄ちゃんがこの前買った車でこの年代の人ってみんなこれ乗るのかな?とか思った。そういえばお母さんがこの車見ると毎回遊んでそうな若い男の人が乗ってて助手席に女がいるって言ってた。うちのお母さん調べ。友達と話してる彼氏を見るのが変な感じだった。嬉しすぎてtwitterにも書いたけど、彼氏の音楽の趣味が良いのは勿論で、彼氏の友達も音楽の趣味が良いのたまらんすぎた。3人で乗ってた車でボーイズ・オン・ザ・ラン流れてたの一生忘れないと思う、ほんとに。酔った彼氏が友達とアジカン歌ってたのも音だけ覚えてる、私も酔ってたから音だけ。それからふたりとも記憶がないままなんか電車に乗っててなんか駅にいてなんかトイレに行ってなんかベンチで介抱してなんか母親を怖がって急いで電車で戻って結局新幹線遅らせて酔いが覚めた彼に飲み物買ってもらってマックで爆泣きした。「君が笑っていられるように頑張らなきゃな」 みたいなことを言われてこの人が救ってくれるんじゃないかって思った。 前ここにも書いたかな?女子高生のわたしのインスタの裏垢に書いたの。 「君の生きる場所はここじゃないと 君が手を引いてくれ」 ずっと忘れてないわたしが書いた言葉。久しぶりに開いたけど綺麗で儚くてさいこうだった。なきそう。非公開から解放したのであなたもあの日のわたしのこと忘れないでいて。
違うことで着地しちゃったけどパラシュートじゃなくて君から借りたパーカーが風でふくらんで運ばれたっていいよね。この人がいいってもっと強く深く思う数日間でした。いつまでも幸せでいて。ここまで読んでくれてありがとう。もう君も目撃者だよ。
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