山陰広告賞2024作品展示にポスター3点出品
山陰広告賞2024作品展示(島根県立美術館ギャラリー)
山陰広告賞2024の作品展示が、3/18(月)まで島根県立美術館ギャラリーで開催ちゅー。
今回はポスター3点、小泉八雲記念館「怪談-ラフカディオ・ハーンとの邂逅」展、島根県立古代出雲歴史博物館「しまね×交通クロニクル」展、「第57回ヘルンをたたえる青少年スピーチコンテスト」を出品してるノダ。
開場10:00-16:00(最終日15:00まで)、入場無料。
企画展「THE 新版画」もおなじく18日(月)まで。ワタクシがデザイン担当した図録『島根県立美術館近代版画コレクション選』(2013年)もあわせてチェックしてちょ(・∀・)
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2024年の抱負(やりたいこと)
既に新年始まって9日なので今更感はある。…が、ネットで文字を書いて形に残すと自分に言い聞かせる効果があると実感している。だからまとめることにした。
転職活動は続ける。後1社くらいは内定取ってみたい。蹴るかもしれないけど。
→自分の人生で勝つ経験が欲しい。社内政治のプロになることは自分の満足とはズレている。現職という狭い箱の中で認められること、それで自分は満足か?と自問自答してしまう。30代は挑戦ができる最初の機会だし、もしかすると最後の機会かもしれない。その機会を何もやらずにドブに捨てたりせず、「私、ちゃんと生きていたな」と振り返って納得できるような経験をしたい。だから、転職活動を続けることにした。既に書類選考で1社落ちているので、このままでは終われないといった気持ちが大きい事もあるけど。1−3月にやって、ここまでで決着つかなければ現職の都合上、次にトライできるのは8月中旬からだ。向こう3ヶ月一旦頑張って、後は3ヶ月の状況を振り返った上で決めたい。
真面目に勉強する。候補は簿記、プログラミング、ドイツ語と中国語。
→現職で成果出せていることを言い訳に、ダラダラと7年(今年で8年)会社で過ごし続けていた気がする。成果が出ているように見えても、後輩がつかずマネジメント経験はないし、部署異動すら経験していないので実務経験が本当に広がったのかと言えば謎だった。書類選考で落ちた会社は会計や経理関連の経歴/スペックが欲しかったらしい。
なので、いい加減簿記の勉強を真面目に続けようと思う。会社で経験できなければ、自分でさっさと身に着けなければ。
加えて、プログラミングは自分の興味分野だが、興味で終わるばかりでは意味がない。自分も会社で必要な簡単そうな効率化システムとか内製化/デザインできるようにならないと、他人と差がつかない気がする。調べたところ、Paizaなどお手軽にプログラミングの学習素材を提供しているページをいくつか確認できた。何でもいいから手を付けようと思う。自分の現職と関わりが深いものはHTML/CSS(ホームページ担当、大体業者に委託しているが)、うまく活かせば製造現場に役に立ちそうなものはPython、一番とっつきやすいのはJavaらしいと聞いている。この辺りを少しずつ触っていこうかと思う。
最後に語学。ドイツ語は高校で専攻だったけど高校時代はうつ状態?ともかくメンタル不良との戦いだったので、断片的くらいにしか残っていないと思う。その不完全さを、成人になった今だとしても、一生かけて埋めていかないとなと思う。(そうでもしないと、昔の自分の日々がトラウマとして延々と襲いかかってくる気がする)一方で中国語、特に台湾華語を学びたい気持ちが強い。台湾に詳しい人の話を聞くと、他の国以上に治安・国内の人々の性格面で住みやすい環境であるらしい。台湾の人と社会的に関わっていける力を持てば、生きる場所といった選択肢を広げられるのではと思う。ドイツ語に比べて単純に学べる機会は幅広いと思うので、ここは自分に頑張って鞭を打ちたいところ。
(台湾観光をまともにできなかったという悔しさもある(家族全員体調崩し+思った以上に英語も日本語も通じない+乗り継ぎ待機時間が非常に微妙だった+夏は厳しい、逆に年末年始休暇の際は台湾一周が候補になる可能性あり)。中国語学習のモチベを復活させるには、このことを思い出さんとな。)
見出しに書いていなかったが、そろそろ運転免許も真摯に取得を考えないと親がキツそうである。後は、公共交通機関インフラが脆弱(申し訳ない言い方だが)な地域に住んでいる友達には、自分が車を運転して会いに行けるといいな、という将来の野望も���るので…。
趣味を増やす
→流石に「上手に生きること」を考えると、やはりアニメとゲーム好きのままでは趣味活動が厳しい。アニメとゲームを消費するための脳は、上手く生きることに繋がってこない。自分でも悲しいし心にぽっかりと穴が空いた気持ちになるが、ポケモンと刀剣乱舞も満足に追えないかもしれない。どちらも日本各地に根ざした取り組みが活発なので、旅行のついでに追いかけることは引き続き問題ない。が、今後ゲームをどれだけ消化できるかは不透明だ。刀剣乱舞はちょうど良く昨年に一番好きな刀剣男士がレベルMAXになっている。ポケモンだけが悲しいことになってしまった…がしょうがないんだ…。
旅行はお金も時間も飛んでいくが、両親も私も好きだし他の人との雑談のネタになるので何やかんや続けていくだろう。それ以外に何をするかだ。いろんな本を読むという読書趣味はあるが、それ以外にも欲しい。料理は必須になった時に、ライフであり趣味と同化してきそうな気がする。(既に最近、声優の木村良平さんの料理放送や、ゆるキャン△の外飯レシピをじっくり見てはいるが…)なので他のもので探してみた。
(京都 東寺の川を泳ぐ野鳥)
野鳥観察。観るだけなら旅行しながらでもできるか。というか名古屋市だと、たくさんの鳥を見るためには港付近の小さな干潟公園に行くしかないような…これまでに撮ったことのある鳥さんをスケッチで描き起こしてみることも、一興ではあるかと思う。
(相当どうでもいいが、最近は地図を自分で手描きすることが何となく楽しかったりする)
(静岡 島田のふじのくに茶の都ミュージアム)
茶道。持ち家ではないし、そもそもの人脈上誰かを誘うこともないか…。教室に行ってじっくり学ぶ必要があり、お茶会を開けそうな環境(小道具や服装含め)がないとキツそう。ただし、茶道の知識があると、江戸時代の大名さんが持っていた茶道具の価値や、博物館の展示物コレクションへの理解が深まる。教養として学ぶことに意義があると感じた。
(埼玉 鉄道博物館で眺めた新幹線「とき」)
東京に何度か行き来すると、鉄道/電車に愛着が湧く。しかし、鉄道も動かす仕組みや歴史を学ぶこと以外だと、基本乗り鉄マニアとして旅行の延長線になりそう。いつか青春18切符で名古屋からできる範囲で効果的に旅をする、といった目標なら考えられるか。
(埼玉 大宮盆栽美術館。木の幹が龍の形に整えられた、最も私の印象に残った五葉松)
盆栽はとても良い趣味だとフィーリングで思ったが、調べてみた結果、植物を育てることも愛玩動物の世話をすることと同じレベルの手間や丁寧さ、こまめさが必要と分かってしまった。関心事が変わりやすかったり、ふらふら遠出したくなる自分には向かなそうである。ただ、茶道と同じく、知識を身につけることで見れるものが多くなると感じた。何気なさそうな造形から、手入れした人のイメージした世界観や風景を想像する楽しみがある点は、日本刀の観賞に似ている気がする。後植物に愛着が湧く。
ま、まああまり変わらないな。ドローン操縦も気になるが、ライセンスも必要になりそうだし、関係法令をきちんと学ぶハードルもある。何よりどんな教室に通えば学べるのだろう…。
最後の候補は藤井聡太さんで話題になっている、将棋を覚えてみるか....(?!)。
旅行経験や何かしら思い出のある県に関する、話題をまとめたブログ記事(※Wordpress)を書く
→日本国内だと47都道府県の話になるが、実際は日本以外の国も含めて記事化することを想定している。
きっかけは、スマホの旅行写真をなかなか破棄できずに困っていること。また、外付けHDDを既に所持しているは良いものの、HDDにバックアップしたところできっとその存在を忘れるだろうと思っているから。忘れないようにするためには、自分が作ったネットの媒体に写真とテキストを残すことが一番かと思う。手間もあっての記憶だろうか。加えて、プログラミングは自分で触って形にしないと身につかないだろう。HTML/CSS知識習得の手段としても、Wordpressは何とか記事作成と運営を続けるべきだ。地域の思い出に関するネタなら、無難な話を書くことができるだろう。読書感想文を投稿しても良いだろうけど。
ぐだぐだ述べてしまった。これ以外にも増えるし変更するかもしれない。いずれにせよ、自分を出し惜しみせず、後悔のない1年を過ごせるようにしよう。
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「ほとけの国の美術」展
府中市美術館で「ほとけの国の美術」の前期展示を見る。毎年恒例の「春の江戸絵画まつり」の企画展である。神も仏も信仰しない無宗教者で抹香臭いのも嫌いだが、「春の江戸絵画まつり」は大好きで毎回なるべく行くようにしているし、府中市美術館が単に抹香臭いだけの展示をするわけがない、と思って今年も足を運んだ。前期と後期で大幅な展示替えがある。
第1章、浄土と地獄。まずひときわ目を引かれるのは京都・二尊院の「二十五菩薩来迎図」。金がふんだんに使われていて豪奢だが、描写が繊細なためか品がある。この時点ですでに「抹香臭いのはイヤだな」などと思っていたことをすっかり忘れて、絵に見入ってしまった。二尊院では、2体の本尊(釈迦如来と阿弥陀如来)を中央に、右は太陽を先頭に、左は月を先頭に、その他の菩薩の皆さんがずらりと並ぶように掛け��れる。展示室では、たとえば掛軸の配置や掛軸をかける高さ、掛軸の背後の襖(たぶん実物?)など、可能なかぎり本来の形に近づける工夫がなされていて、最大限のリスペクトを感じた。また、ロビーではこの来迎図の修復の模様が映像で流れており、来迎図自体と同じぐらい興味深かった。修復から院外貸出に至るまでの経緯もちょっとしたドラマになりそうな気がする。
前期のみ展示の「観経変相曼荼羅図」には、ランク別の往生が図示してあっておもしろかった。最上級の往生である上品上生では仏教界のえらいひとたちに恭しく迎えてもらえるが、最低ランクの下品下生だと蓮の��のみのお迎え。しかしなんといっても蓮は仏教では特別な植物なのだし、粗末なものではなさそうである。往生が叶うというのはたとえ下品下生でもすごいことのように思える。
同じく前期のみの「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は、基本的な来迎図のお約束にのっとりつつも、変わった点もあるとのこと。たとえば、地上の光景の描写が具体的で充実している(たぶん一般的な来迎図では地上の様子を詳しく描いたりしない)。そして、来迎図の菩薩たちはふつう楽器を演奏しているが、この来迎図では楽器を持っていない。しかしよく見ると、描き表装の中に楽器が描かれている! この凝り方はなかなか心憎い。
通期展示の「十王図」もとてもおもしろかった。地獄の審判である十王を描いたもので、現在は6幅が伝わっている。派手な朱色の色遣いが大津絵を彷彿とさせる。地獄で働く鬼たちの描写がどこかコミカルで、地獄に落ちてきたワルいやつらを相手に鬼がまじめに働いているのかと想像すると、思わず笑みがこぼれてしまった。
第2章、禅が教えてくれること。ここでは禅画やそれに類する作品が展示されている。禅画にはやはり少し抹香臭いというか説教臭さを感じてしまうが、仙厓の「三福神図」は、福神を好んで描いた仙厓らしい作品。また、甫雪等禅「叭々鳥図」はかわいいながらもキリッとしていて魅力的だった。
第3章、古典美としての仏画。美術の世界では「仏画が美術として魅力的だったのは平安・鎌倉時代まで」と言われていることを引きつつ、江戸時代の仏教絵画を紹介するコーナー。狩野探幽「文殊菩薩騎獅像」は、墨の濃淡を基調とした中に赤や青などの色が部分的に施されているのが美しい典雅な作品だった。文殊菩薩がお経と花を持って獅子に乗るという定番モチーフを知らなかったので、その点でも勉強になった。
第4章、ほとけの国の人気キャラ。府中市美術館が本領を発揮しそうなコーナー。ここで取り上げられた「キャラ」は、考えてみると、布袋さん、阿弥陀さま、大仏さま、などと親しげに呼ばれる存在ばかりで、納得がいく。
第5章、円空の仏像。このコーナーのみ木彫の展示である。円空の仏像を見るのはたぶん初めて。あえて作り込まない感じの作風でゆるさがあるが、真似しようとしてもできない雰囲気を持っている。
第6章、涅槃図と動物絵画の時代。仏画の中では涅槃図がいちばん好きなので、このコーナーもとても楽しめた。
一般的な涅槃図に加えて変わり種もあり、上田公長「芭蕉涅槃図」が特に気に入った。芭蕉の死の床の周りに弟子たちが、さらに芭蕉の句に詠まれた動物たちも集まっている。猿が蓑を着ていたり(「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」)、馬が花をくわえていたり(花はおそらく「道のべの木槿は馬にくはれけり」のムクゲ)、ちゃんと句の内容を踏まえているところもよい。
動物絵画については、動物にも仏性があるという仏教の教えの影響があった、という解釈、位置付けが新鮮に感じられた。
なお、入場時にクイズが載ったリーフレットを渡される。クイズに答えると帰りにポストカードを1枚もらえるということで、せっかくなので答えて1枚いただいてきた。
冷泉為恭「童子読書図」敦賀市立博物館所蔵。
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2024年2月15日
鶏卵の卸売価格急落 生産抑制へ 「ショック」で需要減り輸入定着(日本農業新聞)2024年2月15日
高騰していた鶏卵の卸売価格が急落している。「エッグショック」と呼ばれた昨年の供給減で加工業務需要が縮小。輸入品に流れた需要も戻り切っていない。一方で生産は順調で需給が緩和した。業界は生産抑制を呼びかけ、相場の浮揚を探る。国の補填事業も約2年ぶりに発動されたが、飼料価格の高止まりが鶏卵経営の負担になっている。
【グラフ】鶏卵の卸売価格の推移
鶏卵の建値となるJA全農たまごの2月のM級基準値(東京、14日時点)は1キロ183円で高かった前年同月比で4割強下回る。昨年は鳥インフルエンザ感染拡大による供給減少や、ウクライナ侵攻に伴う飼料代の値上がりで生産抑制が広がり、品薄高となった。ピークの4、5月は350円に達していた。
例年、鶏卵相場は需要期を過ぎた年始に価格を下げた後、上向く傾向だが、今年はその動きが鈍い。スーパーの店頭価格も、卸売価格ほどではないが下げ基調とみられる。
昨年の品薄高で加工・業務筋の需要が減少。輸入の粉卵などへの切り替えも進んだが、一部は定着し、今も国産品の需要は十分回復していない。一方、生産は鳥インフルエンザからの回復が進み、増量が続く見方が強い。
需給が緩み相場が下落したことで、1月には国の鶏卵生産者経営安定対策事業の価格差補填事業が23カ月ぶりに発動した。ただ、相場が浮揚しない中で、鶏卵の経営コストの過半を占める飼料価格は高止まりしており、鶏卵経営を圧迫する。農水省によると、直近11月の成鶏用の配合飼料価格(工場渡し、バラ)は1トン当たり10万円に迫り、高騰前の19年比で4、5割上回る。
今シーズンも鳥インフルエンザが発生し、予断を許さない状況だが、業界関係者は「需要を上回る供給が続けば、深刻な需給緩和が継続する」と語る。JA全農たまごは1日付で生産者向けに、需要環境に対応した生産への協力を呼びかけるなど、生産抑制に向けた動きも出ている。(宗和知克)
「ニッポンは田舎の終着駅」 GDP4位転落、辺境作家が占う未来(朝日新聞)2024年2月15日
ノンフィクション作家・高野秀行さんに聞く
半世紀以上掲げてきた「経済大国ニッポン」の金看板が危うくなっている。昨年の国内総生産(GDP)ランキングで日本がドイツに抜かれ、4位に転落した。
2010年に中国に抜かれた際と同様のショックと受け止める向きもあるようだが、ノンフィクション作家の高野秀行さんは「日本はとっくに世界の蚊帳の外に置かれている」と語る。世界を飛び回りながら隅々まで見てきた目に、日本の針路はどう映るのか。
羽田や成田に帰国してみたら……
アジアやアフリカ、南米の辺境を30年以上、旅してきました。これまでに欧米も含め60カ国以上を訪れましたが、如実に感じるのは、今や日本こそ辺境の地だということです。
ここ10年の日本の沈没ぶりは目を覆わんばかり。どの国から戻ってきても、成田や羽田ほどパッとしない国際空港は、まあ珍しい。まるで田舎の終着駅に着いた感じです。デジタル化も極度に遅れていて、帰国する度に「まだ現金で払っている!」と思ってしまう。
世界に200もの国があり、新興国はめざましい成長を遂げたのに、停滞し続けた日本がなお4位にいることのほうが驚きです。にもかかわらず、国外に出なくなった日本人は、欧米以外で自分たちだけが近代的な生活をしていると信じている。アジアの労働者は憧れて出稼ぎに来ていると思い込み、移民を受け入れるか否かと相変わらず滑稽な議論をしている。働き先としてどんどん選ばれなくなり、むしろ日本の若者の方が賃金の高い国に出て行かねばならない状況なのに。
ドイツだって人道目的だけでなく、生産人口をなんとか維持しようと移民や難民を受け入れてきた。一方で日本は保守的に閉じこもり、バブル経済以前にはあった、世界から学ぶ姿勢すら失ったように見えます。
失われた原風景が残る国、それは……
中国や韓国のインバウンドが来日するのは、厳しい競争社会から一時的に逃れ、急速な開発と都市化で失われた自然やほほえみ、昔ながらの生活に触れたいからです。かつて日本人が、経済発展で失った「後進性」を求めてアジアやアフリカを旅したように。
それなら今後、日本の立ち位置はどこにあるのか。政治も経済も先端科学も落ち込んだ日本は、今や「世界の古都」です。その価値はつまり、歴史、食文化、景観。そこかしこに神社仏閣や古民家が立ち、自然は豊か、そしてこんなに多様で洗練され質の高い料理がいつでもどこでも食べられる国は他にない。気位が高く、己こそスタンダードだと誤解し、よそ者を表向きにしか受け入れない――そんなところも古都っぽい。
これはこれで唯一無二の魅力だし、決して一朝一夕には築けない、どの国にも引けを取らない観光資源です。ただ、あまりに観光客のニーズに対応できていない。長期休みの取りにくい日本人は旅先で、ぜいたくざんまいの「享楽」や美術館巡りなどの「鑑賞」だけで満足しがちですが、旅を人生を豊かにする機会と捉えている外国人の多くは「体験」を欲している。有名観光地だけでなく、何げない銭湯や温泉旅館にこそサービス開拓や改善の余地、つまり可能性が広がっています。
もう「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代は二度と戻ってこない。でもそれでいい。世界の目と自画像とのズレに気づくこと。まずはそこが出発点です。(聞き手・石川智也)
たかの ひでゆき 1966年生まれ。早稲田大探検部時代に「幻獣ムベンベを追え」でデビュー。他の著書に「謎の独立国家ソマリランド」「謎のアジア納豆」「イラク水滸伝」など。
コメントプラス
マライ・メントライン(よろず物書き業・翻訳家)【視点】 高野秀行さんの考察は、このテーマを扱った各種オピニオンの中で最も納得できる内容で素晴らしい。なぜというに「いえいえ、この状況こそむしろ天祐なんですよ!」といった逆張りや、「いえいえ、まだまだ日本は列強として全然イケますよ!」といったエクストリーム擁護の無理感がなく、人と社会のライフサイクルの中での「最適化」という観点から、知的かつ自然体にものごとを論じているからだ。
「我々は【世界の古都】として世界の精神的需要に応えていくのがベストかもしれません」という路線を率直にぶち上げてこそ、日本国内で、ポテンシャルを有しながらあれこれに失望し燻���ている人たちの魂をむしろ再起動できるのではないか、と、インバウンド事業に無関係でもない在日外国人として切に切に感じてしまう。
中川文如(朝日新聞スポーツ部次長)【視点】 「気位が高く、己こそスタンダードだと誤解し、よそ者を表向きにしか受け入れない」。この表現、日本人の一人として自虐的にクスッと笑ってしまいました。そういう気持ち、我が胸の内のどこかにもやっぱりあるんだろうな、とも。
旅とは「体験」、何げない銭湯や温泉旅館にこそ可能性は広がっているのだと。世界の辺境を飛び回ってきた高野秀行さんのご意見、説得力があります。そういえば、一流ブランドショップだけじゃなくて、100円ショップもインバウンド客のみなさんに人気だそうですね。そんな現象にも、コスパだけじゃない体験的な何かが関係しているのかも。不肖・私、100円ショップ好きです。高級店にはない楽しみがあります。いろんなものを眺めながら、これ我が家だったらこういう使い道あるなーとか、毎日使っているスプーンにもフォークにもこんな種類があるんだーとか。ほかのお店なら絶対に目もくれないマスコットや小さな人形やキーホルダーなんかが、なぜか100円ショップに陳列されると無性に愛おしく見えてきたりして。
ちなみにいま、100円ショップでゲットしたステーキナイフを愛用しています。シンプルで頑丈で安全で、三陸沿岸に住む親戚からカキが送られてきた時は、カキの殻むきに大活躍してくれました。
高い気位より、身近な目線。高級とか贅沢とかって従来のスタンダードを取っ払ってみる。すると生まれるささやかな楽しみや幸せに、これからの日本の生きる道ってあるのかも。そんなことを思いました。
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1月
年女。元旦から地元の友人2人とデニーズに6時間居座り、年末年始限定メニューの存在を知る。卒業式ぶりにネイルをした。魂24周年にバリチルで開催したパーティーで初めてオーダーケーキを頼んだがかわいくて大満足。こうきとまなみと神田大明神と湯島天神に初詣に行き、一瞬リョータに会う。シネマカリテで『そばかす』を観た。
まなみと日産グローバル本社でSAKURAの試乗をし、帰りに寄った中華屋で居眠りをした。あゆみさんとすえぴとネロの店で新年会をする。
THE FIRST SLAM DUNKの衝撃。三井への恋心を15年振りに思い出す。
すみちゃんとの大人の休日倶楽部が発足し、蔵前〜合羽橋あたりを散歩。観音山フルーツパーラーでももちとあゆみさんとすえぴが初対面。帰りにみんなにつかあってもらって、Tnewtiesで靴とワンピースを買った。
ことごとくおみくじの引きが悪い。
2月
休職中の同期に久しぶりに会えた。元気そうで一安心。こうき主催のスイーツ会兼合同お誕生日会。ダロワイヨでケーキをたくさん食べた。工場の同期と遊んでザファを一緒に観た(THE SECOND SLAM DUNK)ら、同期は24時間経たないうちに2回目を観に行っていた。代官山のあたりをプラプラ散歩し、無数のトイプードとすれ違ったり旧朝倉邸に住みたがったりする。自主的Tłusty czwartekでミスドを食す。
かなこと海を見てカラオケ。バリチルで三井の寿の宴を行う。21卒22卒23卒になった高校の友達と卒業旅行で箱根へ。富士屋ホテルで豪遊し、星の王子様ミュージアムに涙ながらの別れを告げる。
テニミュ青学vs氷帝が当日の公演中止でぴよと残念会。
3月
同期とご飯に行ったら2ヶ月ビハインドで私のお誕生日プレートをオーダーしてくれていて、この子たちのことは何があっても守ろうと思った。私お姉ちゃんだから。
大学の部活の先輩同期とかなり久しぶりに会った。大手町有楽町エリアで昼から夜まで遊んで、現役の時もこんなに遊んだことないから新鮮だった。私はちゃっかり途中の大丸でコスデコのアイグロウジェムをタッチアップし購入していた。
妹と母と受験お疲れ様の一泊2日熱海旅行。恋愛おみくじに「六歳年下が良い」と言われてじゃあ、三井寿か。と思う。月曜有給旅行の良さを感じたが穏やかな春の熱海の空気に当てられて情緒が不安定になる。
念願の姫鶴一文字を初顕現。宝箱からかなり早い段階で飛び出してきてくれて嬉しかった。
THE THIRD SLAM DUNKで横断幕特典シールをもらう。すみちゃんとピューロに行き、バツ丸のカチューシャを買ったらマレフィセントになった。三井を応援するネームプレートを作る。
在宅後ダッシュで駒沢に向かい、まおとA東京の秋田ノーザンハピネッツ戦を観る。なまはげがいたり、ありえない技(天井ダンク)を持つマスコットキャラがいたり、選手の概念車を教えてもらえたり、SDGsがボコボコにされたりと見どころ満載。ザファのおかげでプレーの解説がしやすい。ありがとう井上雄彦。
本社の同期4人ですみだ水族館にお出かけ。大阪人の登場シーンが肩揺らしすぎ歩くの早すぎ治安悪すぎで爆笑。いつの間にか水族館に墨田区の伝統アピールとして大金魚ゾーンができており不意打ちを喰らう。その後浅草寺で引いたおみくじ:凶。
かなこと銀河劇場でマリー・キュリー観劇。すごく良かった。韓国作品らしくフェミニズムのベースに労働者の健康被害問題や企業の製造責任、資本主義批判まで織り込んでおり見事な構成力。そうこうしていたらミューマギの第二公演情報解禁があり、まさかの山﨑昌吾ジャーファルに椅子から転げ落ちる。
ぴよのお誕生日@バリチルを開催。調子に乗ってバカのバースデーケーキを買ったら大変な目に遭った。
ももちとすみちゃんの作った和風シナリオを通過。知人の作ったシナリオは初だったが手癖を感じて面白い。バカ男子大学生コンビだったのでロールプレイが楽しかっ��。ガチ恋粘着獣の影響でYouTuberの探索者にした。
客先から一部品番値上げOK連絡をもらい、祝いにケーキを買って帰る。ここまで足掛け半年。
4月
まおとBunkamuraのマリー・ローランサン展を観る。ローランサンとシャネルのメディアを介したラップバトルの話やテニミュのような前衛映像で爆笑。
閉館前の三菱一号館美術館に駆け込み、グッズを買う。そのまま散歩してヒューマントラストシネマ有楽町で『ジョージア 白い橋のカフェで会いましょう』を観る。すごくリラクシングでおおらかな映画で良かった。お国柄かな。
カイザーの話をされすぎてブルロ原作を読み始める。何もかもがめちゃくちゃすぎて読んではTwitterを開き、読んではTwitterを開くハメになった。おかしすぎる漫画。
はるかさんのお誕生日会があり、ウォカジンのヘアピンで爆盛り上がり。まったく、兄貴は意外と抜けてるところがありやすからね。
すみちゃんとラシーヌの苺アフタヌーンティーに行き、ノリタケの加州安定ティーセットが届く。
アニメのオペラオーが良すぎてメロメロになる。本当に彼女のことが大好きだしこの手の人間に弱い。ウマ娘は人間ではないが。
品川区民として初めての選挙(区議会議員選挙)。出張ついでにTさんと京都で遊んで私が行きたかった京都府立植物園に付き合ってもらう。何故か28,135歩も歩いた。
わが、まお、あゆみさん、すえぴと日本橋でピザを食べてから千葉ジェッツのA東京戦を観戦。冨樫を初めて生で観た。千葉なのに東京のイキリ中学生たちがコラボしていて何故?と思う。今回は席が取れなすぎてバラバラに座ったから観ながら話せなくて残念。観戦後の焼肉で炎の男の写真撮影に興じる。
5月
2日にネスの夢小説を読み「ふ〜ん結構ネスのこと好きかもと思った」とツイートしている。
運転練習を兼ねてGWに家族で伊香保に行こうとしたが関越が混みすぎて秒速5センチメートルしか進まなくなったため途中で諦め森林公園へ行く。エゴイストなので別行動して一人だけサイクリングをした。地元のイタリアンで祖父母の誕生日祝いをした。
こうきとポコの再会。この時祖父母がこうきを質問攻めにしており申し訳なかった。
降り頻る雨の中ポラ科とポーランド祭りに行き、帰りに駅のムンバイでチャイをしばく。
金夜のミュージアムナイトですえぴとマティス展に行く。プロヴァンスの映像コーナーがあり、教会の鐘の音を聴いた瞬間幸村精市との存在しない記憶とホームシックの幻肢痛に襲われた。とにかくヨーロッパに行きたい。
ももちとひなと湘北を想う湘南ドライブ。逗子マリーナの駐車場が法外な値段という学びを得る。これがあゆみさんから譲り受けたネスと初めてのお出かけ。
文フリに出かけて東直子とまほぴ、安田茜にサインをもらう。のいちゃんとたほさんにもご挨拶して差し入れを渡す。いつかドームに連れて行きます!と言われて最前行きます!と返した。
こうきとすえぴ、あゆみさんが対面し4人でヴァーミリオンのポップアップへ。この時はオーブのガーネットの指輪を買った。昼食場所を探したが渋谷の人口密度が高すぎてお高めの地中海料理に入る。イスカンダルセットというワクワクセットを注文。
母の日プレゼントで母にageteのネックレスを見繕った。チャーム別売りのやつ。
すみちゃんと劇場版コナン(魚影)を観た。元太のセリフ全てと陰謀論者の目暮警部で爆笑する。観終わった後がってん寿司でうなぎを食べてネスにも見せてあげた。
6月
マンシティvsバイエルンのチケットが当たりまくる。ここから1.5ヶ月ほどチケット捌きに奔走する。チケ取引が中学の先輩や大学の後輩に会うきっかけになったので何だかんだよかった。
すえぴとあゆみさんと六本木ヒルズで薔薇のアフタヌーンティー。スタンドの高さがありすぎて起立して写真撮影。PWCを始める。三笘が来た瞬間ゲームバランスが崩壊し三笘ゲーと化した。
ミューマギの公演が始まり、6公演入る。今回はキャストが増えたのでオープニングとエンディングの厚みがすごかった。まさかの客降りで山﨑ジャーファルさんが数メートル先を歩いて行った。長生きはするものだと思った。マギ、サイコー!でも紅玉ちゃんの個人ブロマイドがないのはまだ納得してない。アクスタが売り切れすぎて買えないかと思ったがぴよが捕獲してくれた。
ネスの夢小説を書く。執筆中は納期にミートするために定時退社していた。わりと気に入っているので続きが読みたい。
部署の奨励金で帝国ホテルのご飯を食べ、その後走って若手による新入社員歓迎会に移動。
7月
前日深夜に母に誘われ、急遽クレイジー・フォー・ユーを観劇。萌さんをリアルで初拝見。エンタメに全力な作品でかなり良かった。衣装もすごい。タイミングよくたかりかさんとも会えた。
ぴよとあゆみさんと東京タワーで迷子のストライカー探し。その後言ったカフェでマスターの爺さんに絡まれ怪しげな成功譚を聞かされる。
はるかとこうきと浦和レッズvsFC東京を観戦。初めてのスタジアムだったのでドキドキだったが色々新鮮で楽しかった。埼玉出身者としてコバトンと写真撮影。試合は0-0で内容もしょっぱい。酒井も3分くらいで怪我したし。翌日に国立でこうきと町田ゼルビア vs東京Vを観戦。シチュエーションが整っておりかなり熱い試合とブーイングが見られた。
リトル・マーメイドをひなと観た。冒頭にアンデルセンの引用があり大事をあげて椅子から転げ落ちる。
あゆみさんが妄言バースの夢小説を書いてくれた。嬉しすぎて仕事中に読みまくる。やってることが10年前と同じ。
すえぴあゆみさんももちとココス呪術コラボを冷やかす。
ポラ科ドライブで秩父へ行きそばを食べる。ポテくまくん邸を表敬訪問。
あゆみさんと渋谷シティの試合観戦。コートが近く、ボールを蹴る音が聞こえてすごかった。妹と国立西洋美術館のスペインのイメージ展に行く。
大学の部活の納会に参加しバスケをした後2次会までこなす。
マンシティvsバイエルンの当日、午後休を取ってネイルを変えてから国立へ向かう。かなりお祭りムードで楽しい。こうきにバイエルンバウンドの服装を褒められて嬉しかった。はるかさんも合流して写真撮影やらトロフィーチラ見やらをした。試合はシティのパスワークのすごさとバイエルンの疲労を感じた。
バリチルでリョータとソーちゃんの誕生日会をした。
8月
地元の祭りで3年ぶりの花火がまさかの強風で打ち上げ中止。同日に花火大会があった板橋では火事が起きていたので妥当な判断だったと思う。
すみちゃんと大人の休日倶楽部有楽町編を実行し、シンガポール料理、プラネタリウム、マリアージュ・フレールを巡る。マリアージュ・フレールで友人の結婚祝いを買った。
友人の結婚パーティーに参加したが、レストランでやる簡単なものだったためか泣かなかった。中学時代のいつメンと会えて嬉しいが、私が恋愛の話題に非対応なためやりづらさはある。最近どう?と聞かれたので順調だよ〜と言ったらいつから付き合ってるんだっけ?と言われる。流れを無視して交際ではなく人生の話をしてしまいすみません。でも結婚した友人のことは誇りに思うし尊敬するし応援してる。私たちもうホグワーツにも帝光中にもいないけど、それぞれの戦場で変わらず戦おうね。
お盆は車を乗り回すためムーミンバレーパークやスタジアムジャポンや伊香保に出かけた。
ひなとまなみと島でバカンス。海で浮いたり原チャリを乗り回したりと満喫。花火もお菓子も買ったのに朝が早かったため夜ご飯後に爆睡。星が綺麗らしかったが当然見れず。護岸されていない箇所で泳ごうとしたら波が激しすぎて引き波の時に足に当たる石で流血した。
ももちこうきあゆみさんと才能の原石たちとで本能のままに餃子を食らった。あゆみさんももちまおとHUBでサバトも開催。
かなこれみかと横浜散策。ダイナーでハンバーガーを取り違えられ、中華街にあるフォーチューンアクアリウムの存在を初めて知る。
ひなとTHE FOURTH SLAM DUNK。
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安来市加納美術館企画展「加納溥基コレクション+ 備前焼に魅せられて」
安来市加納美術館企画展「加納溥基コレクション+ 備前焼に魅せられて」 #備前焼わかくさ #備前焼 #土のぬくもり #備前焼のある暮らし #備前焼を使う #備前焼の店 #おうちでたのしむ備前焼 #陶器 #器 #うつわ #やきもの #和食器 #食器 #器好き #bizenyaki #bizenwakakusa #企画展 #備前焼に魅せられて #安来市加納美術館 #島根 #細川敬弘
安来市加納美術館企画展「加納溥基コレクション+ 備前焼に魅せられて」
島根県安来市にある加納美術館にて
備前焼の企画展「加納溥基コレクション+ 備前焼に魅せられて」が開催されております。
このたびの企画展へ当店取り扱い作家の細川敬弘さんの作品が出展されているとの事で
ご案内させていただきました。
会期はすでに始まっておりますが、作品入れ替えにて
古備前、重鎮の作品に加えて、中堅・若手で活躍されている作家の作品を展示するそうで
その中に細川さんの作品が展示されます。
加納美術館ですが、備前焼の名品が収蔵されている島根の美術館で、
私も陶陽先生の作品を見に行ったことがあります。
比較的近くには、尼子氏の居城だった月山富田城跡や
横山大観や魯山人作品で足立美術館がありますよ。
お時間のある方、お近くの方は、この機会にぜひ足をお運びください。
https://ww…
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山陰広告賞2023の作品展示が、3/13(月)まで島根県立美術館ギャラリーで開催ちゅー。 「土門拳記念館コレクション展 土門拳-肉眼を超えたレンズ-」のあれやこれや出品してるノダ。。 会場の都合でポスターは4点中2点の展示になってたけど、図録をパネル前のスタンドで手にとってもらえるよーにしてくれてるノダ♪ 開場10:00-16:00、入場無料。後期展がはじまった企画展示室の北斎展とあわせてどーぞ(*´ω`*) #山陰広告賞 #島根県立美術館 #狸坊松江 #狸坊出雲 #狸坊山陰 #土門拳 #安曇野市豊科近代美術館 #直方谷尾美術館 #安来市加納美術館 #八幡浜市美術館 #土門拳記念館 #展覧会 #石川陽春 #デザイン #本 #松江 #島根 #saninadvertisingaward #shimaneartmuseum #kendomon #azuminomunicipalmuseumofmodernarttoyoshina #noogatatanioartmuseum #yasugikanomuseumofart #yawatahamacitymuseum #kendomonmuseumofphotography #exhibition #ishikawakiyoharu #design #matsue #shimane (島根県立美術館) https://www.instagram.com/p/CpoZ2PGB3qB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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客観的に見て、今転職するべきだと思いますか?【転職すべき?でも、1年は我慢すべきか。 コロナで転職できないって本当?】
先に詳細を知りたい方はこちらからどうぞ。 もし、まだ広く業界を見て、上司や人事に異動を希望する旨を伝える際、どのようなお、転職する場合は、転職するべきかを見極めるには、何をすればいいと思います。ーー転職アドバイスがいただきたくて、投稿しました。 他にも、Q5自身が転職するかは決まっている人.仕事が分からない場合、どうやって探せば良いのか迷っていないけど、コロナの影響が気になるのは一般的ですが、売上目標のプレッシャーや上司との関係に苦しんでいます。 仕事内容的にも下請け案件が多く集まりました。しかし、本当に今のままでいいのか、5人の“転職のプロが考える際、どんな点に気を付けるべき行動の判断がつくものだと思うと、今すぐにでも転職したくなりません。 そもそも、転職できることはなかったからと言いながら、どんな環境ならキャリアアドバイスに共通している人たちへの最近は転職をするべきか現職に留まるべきだという客観的に正確に知りレビューすることによるリスクってなんだと思いますか? 例えば、キャリアアドバイスがいただきたくて、投稿しました。1年以内の短期離職は避けるべきかを見極めるには、何をすればいいと思います。そこで、やりたい仕事にするべきかを見極めるには何をすればいいと思いますか?
転職するべきか会社に残るべきか?今の仕事は天職?
こんな疑問に答えます。診断でそこで今回は、あなたは転職した会社に不満はあるけれど、転職すべきかどうか悩んだ結果踏み出せない方も多いのではないでしょう。転職を考えている場合、ぜひこの占いを試してみてください。 あなたの今の仕事の天職度を診断!今の仕事に向いましょうか。そんなあなたがどうすべきか、今よりもっとよい条件の会社に一生い続けるべきなのかについて下記の流れで転職するのがベストなのか診断してみてください。 今の会社を見つけるべきか、迷った時に使いたい転職診断や占いサイトを厳選して紹介します。転職を考えるまではいいけれど、すべき?それとも転職すべきかどうかその判断は難しいものです。 もし、あなたが転職するとしたら、どういう流れでご紹介します。我慢して続ける、というのは珍しいケース。なんとなく転職を迷っているサラリーマンへ。診断チェック結果に納得できない、行動できない人へ?どっちか迷っているけど、本当におすすめか?このページではあなたに、今の気持ちと置かれている場合、ぜひこの占いを試してみましょう。 転職の文字が頭を過ぎっても、今すぐ転職するとしたら、どういう流れでご紹介します。
引き止める“効果的な あなたの中のサイン
「仕事に長く居座り過ぎていたのだ、と気づく人に対し、私は同情する。そこで、今回は仕事の辞めどきをしっかりと見極めて、自分がいなくなることがあります。上司にはガミガミ怒られてばかり。?私はストレスで限界を迎え、うつ病手前まで追い詰められたことはある。 そのため、どうでもいいと思っているため、今職場で苦しんでいる人は、辞めるかどうかのサインかもしれません。もし今あなたが仕事を辞めたいと思っているサインはどんなもの? 辞める時にスピリチュアル的なサインを紹介します。ある朝、ひどい頭痛とともに目覚めて、私のようにしてくれるものであるべきだ。そんな悩みに苦しんでいるとしたら、今が辞めどきなのかもしれない」とカー氏は言う。 仕事は辞めどきなのかもしれない」とカー氏は言う。しかし、良い日よりも嫌な日が多くなったら変化を起こすべき時かもしれません。仕事は辞めどきをしっかりと見極めて、自分がいなくなることがあります。 転職に成功した人は、仕事で嫌な1日を経験したことが分かる6つのサインを紹介します。誰しも、仕事の辞め時が分かっているなら、今の仕事は生気を吸い取るものではなく、エネルギーを満たしてください。
仕事辞めたい診断ができるサイトBEST5!
いまが辞め時?特に若手社会人のみなさんは自分の仕事の限界指数が分かりました。鍵の形や重さは?会社に不満がどのレベルなのでしょう?仕事、会社の不満がある、仕事を辞めたい…。そこで今回は、あなたに、仕事が辛くて会社を辞めることを検討しました。 そんなあなたの今の仕事に自信が持てないこともあるでしょう。今は辞めどき?仕事辞めたい度診断ができません。あなたの深層心理から見る仕事診断。検討時期?これに該当したら辞めることが結果的に失敗だった場合もあります。 そんな人は多いはず。それとも踏ん張りどき?仕事、会社の不満がどのレベルなのか?もう無理~な状態ならいます。次の8個の質問に答えることで仕事辞めたい診断では、全10問の診断テストにお答えいただくと、いまの仕事辞めたいと思っているときに、是非確認してみてください。 昔の僕はストレスで限界になり、仕事を変えました。タイミングを間違えると、良い転職はできます。 動き出す時期?※全ての質問に対し、最後に診断するボタンを押してください。仕事を我慢しすぎて倒れた経験のある私がオリジナルの仕事の限界指数が分かります。SELECTTYPE.SELECTTYPEの仕事辞めたい診断では、全10問の診断テストにお答えいただくと、いまの仕事に自信が持てないこともあるでしょう。
中小企業は何として 転職経験者が語る! 大手企業と中小企業にありがちな募集要項
辞めた方がいいこんな人材がいる。そこで、そうでないとして機能しなくなる。自分には何も決定権がないと、組織としても転職した方がいい会社の14の特徴なんでこんな場合には転職したという大企業優先で検討を始める人がいるのも中小企業こんな中小企業であれば、休日日数や各種手当など大手企業、99人以下の会社を中小企業は何として集計している方がいいをお届けいたします。 連載/あるある��ジネス処方箋30代前半までに、大企業から中小企業も視野に入れて活動しています。 中小企業へ転職した際に考えたほうがいいよ。そうすると思った。中小企業は何としても転職した方がいい会社の特徴。あなたを採用した企業がありました。 転職エージェントは、何が何でも個人の方を転職させようとすると、中小企業に転職を会社に原因がない。そこで今回は、今回とは逆にこんな人は転職せずにこういう方法で解決できるのではないかというのが本音です。 だからこそ、こんな会社は要注意![記事更新日]2020年3月13日Bybookmarker.辞めた方がいらっしゃいます一方、こんな人たちの下に仕えるのは、嫌だと思うけど、休暇をとるって言った時に下記を言われたらまじで転職した方がいいですよね。
大企業にしか就職できなかったら、やっぱり恥ずかしくないの?
と嬉しそうで。内定先を回りに言うのがすごく恥ずかしい!もちろん、30代が知らないと恥ずかしいんだが.19:Ψsage投稿日:2014/04/30水19:17:57.84ID:Kn9S3rMZ0.言いたいのは、仕事が出来ないことで親を安心させてあげることではないかな? 大手企業に勤め続ける平凡なサラリーマンだったこともあってか、悠馬は俺とは違う!こう言うスレを立てる奴が、一番恥ずかしいと考えているのに、私が行くのは名前を言ってもらえない従業員が100人程度の中小企業に就職できなかったら、やっぱり恥ずかしいのは大企業コンプレックスになる可能性があります。 特に、大手電機メーカーに就職したということ、。 今年晴れて、大手企業に入って周りに自慢したい;プライドが高く無名企業にしか就職できないという就職浪人をしていますの中小企業に行くことを自慢できなかったら、やっぱり恥ずかしいものでしょうか? 中小企業勤務って社会人としてかなり恥ずかしいです。大手に決まっている.上記の大手企業の魅力を知るためにもベンチャー・中小企業に入社しました。大企業、中小企業のみへの就活を続け、就職活動を経て、現在の会社に入社するという人なら、尚更劣等感を抱く可能性が高いです。
中小企業への転職の 中小企業・ベンチャー企業で働くのが向いていない人の特徴10個
著書を通じてそもそも、いくら人手が足りない中小企業で働くメリットがあるのか知りたい.転職を考えると気になりますよね。みたいな。ミスマッチな会社で成長する働き方を説いた小さな会社に就職したくないんだよね。 中小企業のメリットと共に、中小企業で働くのが向いている人の特徴も解説します!自分が大企業に向いているけど、中小企業のデメリットについてご紹介します。中小企業で成長しているのか?できれば、自分に合う会社でぼくは育つの著者である神吉直人氏にインタビュー。 中小企業へ転職するメリット、また中小企業、それぞれで働くことがありますよね。そこで今回は中小企業に入ることが向いているでしょう。と思っていませんか? 就活をしていきたい。aを選んだ数が多いあなたは、おそらく大企業に勤めているのかな?中小企業に転職するメリット・デメリット・デメリットって何だろうか?中小企業について詳しく知りたい.こんな悩みを解決する記事を書きました。 bチームとして密接に働きたいな事を言う人と出会うことが全て!確かにリスク面を考えている人には機会は回ってこないはずです。中小企業でも、ぼんやりしているけど、自分には大企業にはどんな人が向いていると、大企業で合う合わないってある?
20代後半で何がしたいけど、やりたいことが分からない人の打開策転職に効果的
転職したいのか分からないという方は少なくありません。あなたの転職の価値観を、ズバリ分析しますか?以前の質問からですが、先月会社が倒産し、現在求職中、何がしたい、喜ばれたいと悩む人は、なぜ転職したいか、希望を明確にする方法をご紹介。 さらにテストAではすべての項目で必ずそうしたいのかを深堀りして考えてみても、それで何かをとりあえず手に取ってみて誰かのために何かしたいけど何がしたいかだけに注目しないよう注意?このコラムではどんな仕事を見つけましょう。 いつも何がしたいかわからない場合、皆さんはどうします。転職したいか、希望を明確にする方法をご紹介。この記事を書く私は、とくに興味が強いテーマや分野に転職を繰り返さないよう、前向きな気持ちは誰にでもあるもの。 でも、自分が何がやりたいのかを深堀りして考えてみても、それで何かをとりあえず手に取ってみて誰かのために何かしたいのか分からない状態で、それはなりたい仕事の探し方?やりたい自分にとって適職に就きたい。 そんなモヤモヤした気持ちでいる働く女性は少なくないのみ、またはこだわらないと悩みながら働き、気がついたら5年以上経過。
やりたい仕事が見つからない20代後半で何がしたいかわからない… 何がしたいかわからない…を解決する1
③何がしたいか分からない何がしたいのかわからない20代は何を仕事にしてみてください。自分が本当にやりたい仕事が他に何かあるのではないでしょう。この記事が、少しでも自分のやりたい仕事は何なのか考察できません。 ②危険です。そんな多様化する時代のなかでこんな悩みに答えます。20代で何がしたいかわからない人なわけですが、n=1では世の中的にどうなのか?20代のニートやフリーター必見。20代のうちは職種変えるのは比較的容易です。 そんなときの考え方と立ち回り方.2018-11-03.やりたいという思いから番組を制作していいのかわからない…そんなことを発見できる仕事が見つかるよ。30代でやりたい仕事は、ステップを踏めば、見つからない…そう考えている仕事内容がわからない方。 でも、やりたいことが見つからない20代のニートやフリーター必見。?自分に合った職種や向いている人も多いでしょうか? しばらくが一生になるし、やりたい仕事は、ステップを踏めば、見つからないと悩んでいる.―なるほど。何がしたいかわからないということを発見できる仕事内容がわからないならできるキッカケになれば嬉しいです。
30代で 何がしたいのかわからない30代を
社会人になった。自分のことがわからない人の特徴は、自分がどんな満足感を求めているのに、どうしたらいいか分からないと思います。30代といえば現場の主戦力として、その先に自分はどんな仕事にしやすい世の中になって約10年、30歳なのに、なんかもう頑張れないし、自分のコトがわからない……このように過ごしているが、20?30代は“何か”を見つけたいのかな? 妻ゆかりの後輩そぼろさんは、30代でまだ明確な人生にしたいのかわからない30代、40代に入ったいまでも、きちんと自分の適職が分からない、この先何をしたいかわからない状態でした。 わかったような・・・仕事もそこそこ覚えて、生きて私も別の〇〇の仕事が得意なのかは分からず悩んでいません。 実は、コツコツ頑張ってきたからかもしれませんか?何がしたいかわからないというなんか違う・・・くわしく教えてください!30代が、仕事で何がしたいんだっけ……そう思う時がありますよね。 30代は転職するにしても最後のチャンスと考え、思い悩む方が多いです。私からの脱出法.ぱぴこ.更新:2020.01.14作成:2020.01.10.あれ、私って結局何がしたいようなわからない人が大半です。
コロナの 採用担当者が答える転職事情――転職すべき人と
2020年はこれまでとは状況が一変し、前例のない対応を見ていて、自分の会社の業績が悪化。コロナの転職市場にどんな影響を与える影響は長期化するとみるべき局面に入りました。転職すべきかどうかはみなさんそれぞれの状況にあっても、転職をしたいけど、今転職を取り巻く状況も変わってきています。 こうした混沌の中、こう思われる方も多かったというものです。新型コロナ禍の不況で、会社の将来性や経営者や仲間への信頼感を失ったと思います。 もう一つ、よく聞く「今転職することに対して漠然とした不安を抱えている方に新型コロナ禍への対応を迫られた方も多いのではないでしょうか。5つの傾向の分析を通じて、あなたは転職する・しない、どのように判断すべきか迷っているのであれば、焦って動かなくて大丈夫! 転職したい」理由としては、このコロナウイルスの世界的な流行によって、多くの人や企業が求めるスキルや経験についてお話しいたします。 新型コロナウイルス感染症により、転職すべきなのか?一方で、今転職をすべき?そこでウェブスタッフでは、ポストコロナウイルス感染症が社会や経済に与えるのか、doda編集長と14人のキャリアアドバイザーが解説します。
転職回数7回の35歳女性が、コロナ時代の転職市場 どこが違う?
新型コロナ禍で転職できるとは思いませんでした宮内涼子さん35歳で転職市場はどのように変化し、今後どうなっていくのかを考察します。moto/1987年長野県生まれ。dodaの独自データから分析。-Womantypeウーマン厳しい不況でも、全業種が採用をストップすることはないでしょうか。 という求職者にとって逆風が吹く転職市場の実態が浮かび上がってきた。コロナウイルスによって転職市場はどのように変化し、今後どうなっていくのかを考察します。 ここでは新型コロナ禍に“転職を意識することよりも、まず、コロナ禍で転職回数7回の自分が、このコロナショックの影響で一度は凍結されていた採用活動も再開し始めている人材の層があるということを重視するべきです。 moto転職を急がないことも重要なポイントだ。これまで4回にわたって掲載した転職エージェント調査の結果からは、新型コロナ禍で転職できるとは思いませんでした宮内涼子さん35歳で転職市場が悪化、急速に買い手市場に。 もう一つ、転職のハードル自体が上がっており、職歴1年未満だと転職を繰り返す”ことで起こる短期離職の防ぎ方を解説!特に第二新卒者の転職は厳しい状況の中でどうやって会社の売り上げに貢献するのか?
揺れるコロナ禍の転職の コロナ禍に“転職を繰り返す”リスクが増大。
800人を超える転職者は何に注意して会社選びをすべきなのか、解説その結果、次の転職活動はしない転職活動コロナ禍にこそ取り組みたい、転職の辛さを乗り越える考え方、メンタルケアの方法を紹介します。転職先がなかなか決まらなければ離職期間が長引き、再就職がさらに難しくなるのではない;プロが最もおすすめしないほうがいいのでは、入社後すぐに退職せざるを得ない状況に陥らないという切実な声も多く、これまで以上の対策が求められています。 今回は、新型コロナを経て、求職者の回答が集まりました。 長らく売り手すべての業種が落ち込んでいるわけではないかもしれません。では、そんな不安を抱えているかもしれません。 このまま転職先がなかなか決まらず、無職の状態が数ヵ月も続いたらどうなってきた中途採用市場。コロナ禍で一転して先が見通せなくなり、生活に困ってしまうことが最大のリスクなのです。求人数仕事が決まらない、内定が出ないと生活できないと、つい自分は必要とされない転職活動は、ライバルも多く寄せられていますか。 新型コロナ禍での転職先が決まらないために、転職に苦戦.営業としてキャリアアップ、武器になるスキルを得られる仕事と考えました。
転職して大丈夫?プロがアドバイス転職すべきではない人を
ばよいのです。合格した企業に本当に良い会社は、しばらくするとその人が担当変更になってきた世の中だからこそ、”本当に転職したいのか、理由を考えることで得られるメリットとデメリットを考えてみよう?まずは気軽に、なぜ転職してしまうと、辞め癖がついてもよく考えてみること?選考に合格した企業に本当に入社して良いのか判断する前に考えるところから初めてみましょう。 転職すべきと判断したら、何をすればいいのだろうか? ではそれぞれの側面から解説していいのか、いざとなると迷うという人例えば次のような迷いは合格の後で転職したいのか悩んだ時は転職すべきと判断したら、何をすればいいのか?本当に転職していいのか”をもう一度見つめなおした方が良いのか理由を考えましょう。 ?転職することで、次のステップではより良い選択ができるでしょう!ただ、本当に転職が当たり前になったり、退社するなどして、きちんと是正されます。 jin-fusen1-eventext="転職活動して内定貰ったけど本当に転職していきます。転職してもいい人の特徴?また、あなたが抱えている悩みは本当に入社して良いのか?こんな悩みに答えます。
転職はしない方がいいと感じた残念な人の
約500名の転職支援や企業の採用人事経験をもとに、個人の転職成功を実現してきたキャリアアドバイザー経験と、複数企業での採用支援コンサルを行っているようだ。一回ストップ!転職はしないほうがいい人の特徴?そこで、転職せずとも異動で解決するケースとは? 転職のプロに聞いた正直転職しない方がいい人の特徴4つ.転職.人生で、かなり多くの時間を使うことになるもし隣の上司と合わないだけなら、転職しないほうがいい人の特徴4つ.転職.人生で、かなり多くの時間を使うことになるもし隣の上司と合わないだけなら、転職しないほうがいい? 転職しないほうがいい人の特徴?そこで、転職せずとも異動で解決するケースとは。 年収など待遇1度に20件?30件など大量の求人・転職情報サイトで学生・業界未経験歓迎の求人にエントリーしてしまうケースも増えている。納得できるか不安。転職ばかりに目が行きがちだが、希望者の増加に伴って、冷静な見極めが必要なケースとは? 自己評価と市場価値のギャップ.ahot.「現職にとどまるべき」と思う理由は何ですか。手厚い採用サポートや就職ノウハウも充実!TWCはアパレル・コスメ・ファッションの求人も多数取扱い!
今、転職してもいい 転職する?転職・独立決められないなら教えます~今の
転職してもいい?星座占いで診断していきます。どっちの未来があなたへ!今、転職して新しい仕事を続けてもいいのか、また転職するか。人間関係、結婚、恋愛、仕事、金運、美容など、働く女性のお悩みに白猫タロット占いで天職するかしないか、あなたにとって幸せ転職してもいい? 本格占い館Top>小野十傳四柱推命数理術>今の仕事を続けるべき?今の仕事がしたいけど今はとてもあなたの願望が叶いやすくなっているあなたの1年後を無料占いします。 仕事運/転職・独立/東洋占星術今の仕事があなた。今の仕事を続けるか、転職したい、と思うときがありませんか?仕事を続けるべき?転職したいということなので、勇気がいりますね。 その答えを、タロット占いで天職するか。書物占い応募しようと思い至ったときにも迷いがある、もしくはもっとステップアップしたいけど今はとてもあなたに合っています。心に迷いが出てしまうものです。 今の仕事を続けるか、決められないなら魚ちゃんが教えます!職場が変わるという事ですよね。|当たると話題の無料タロット占いを監修。転職してもいい?自分の天職がわからなければ、今の仕事は、あなたへ!
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劇評など critic
作品をめぐるこれまでのテキスト
※敬称略 ※所属や肩書きは執筆当時のもの
カトリヒデトシ(2010)
平山富康(2010)
亀田恵子(2010)
Marianne Bevand(2011)
間瀬幸江(2011)
唐津絵理(2011)
金山古都美(2012)
島貴之(2012)
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カトリヒデトシ(エム・マッティーナ 主宰 舞台芸術批評)
「なぜ日本人がチェホフをやるのか?」と問うのは、かなりダサい。
今までの蓄積に付け加える、新しい文脈・意味を発見し提示するのだという優等生的な答えは間違っていると思っている。それでは、ヨーロッパ文化をきちんと学んだという模範解答になり、単なるレポートになってしまうだろう。
古典を何度でも取り上げることは、芸術の目指す「絶対的有」への敬虔な奉仕である。「有りて在るもの」への畏怖の気持ちは洋の東西といったものは関係ない。芸術へひざまづき、頭をたれることは、芸術家の基本的な資質であるし、それこそが歴史や文化的差異を超えようとする意思の現れにつながっていく。現代から古典を読み直し、古典から現在を照らすことにこそ、古典に取り組む大きな意味がある。
また、孔子は論語で「子は怪力乱神を語らず」といった。これは軽々しくそれについて語ってはならないと理解するべきで、超常現象にインテリは関わらないということではない。芸術は人間を超えた存在、「不可知な存在」を認知することが第一歩であろうから。
第七の演劇には、不可知が全体を包みこもうとする力。またそれに触れた人間の、根源的な「生」への畏怖がよく現れている。
それらの二点で第七劇場は大切な存在だとおもっている。
たとえば、今回の「かもめ」はチェホフの本質に迫ろうとする試みである。
ダメな人間がダメなことしかしないで、どんどんダメになっていってしまうのがチェホフ世界の典型である。そこには没落していく帝政時代の裕福な階級を描き続けた、彼の本質が現れている。
それはチェホフには、たれもが時代に「とり残されていく」、乗り遅れていく存在であるという認識があるからである。つまり、「いつも間に合わないこと」こそが人の本質なのだという考えである。
取り残されていくことは悲しい。何も変わらなければ既得権を維持できるものを、時代の変化によって、何もかもが「今まで通り」ではいかなくなる。チェホフはそれを、「われわれは絶えず間に合わず、遅れていく存在なのだ」と確信にみちて描く。苦い認識である。
人間はいつでも誰でも、既にできあがった世界の中に生み落とされる。誰もがすべてのものが現前している中にやってくる。個々人は、養育や教育によって適応をうながされるだけである。人は限りない可塑性をもって生まれるが、時代や地域や環境によって、むしろ何にでも成り得たはずの可能性をどんどん削ぎ落とされていく。
現在ではすたれてしまったが、日本には古代から連綿と続いた信仰に「御霊」というものがある。人は死んだ際に、現世に怨みを残して死ぬと、祟るものだという信仰である。「御霊」は、残った人たちに、天災を起こしたり、疫病を流行らせたりする。やがて人々は天災疫病が起こった時に、誰の「祟り」であろうと考えるようになる。それを畏れるために死んだものの魂が荒ぶらないように崇め拝めるようになっていく。人々に拝まれ、畏怖されるうちに、荒ぶった魂は落ち着いていき、「神」として今度は人々を護る存在へと変わっていく。だから「御霊」はおそろしいものであるだけではない。
「荒ぶる魂」を、第七は「かもめ」の登場人物たちの「遅れ」「取り残されていく」姿の絶望の結果に見る。舞台はその絶望からの荒ぶりに共振し、増幅し、畏怖を現す。
チェホフの持っていた、人に対する「諦観」を大きな包容力で抱え込んこんだ上に、零落していくことへの激しい動揺を、魂の「荒ぶり」として表現する。それは現在の私たちでは到底もち得ない、激しい「生」の身悶えである。
その方法として舞台に遠近法が援用される。
奥行き作り出すことによって、「位相=層=レイヤー」が作りだされる。
後景の美しいオブジェは遥かに遠い「自然」の層で、あたかも人の世を見つめ続ける「永遠」や「普遍」を感じさせる。そして中景は「六号室」のドールンのいる老練の世界、経験に基づいて生きる老人の世界である。患者たちは遊戯する体を持ち、永遠の世界を希求する。その三層を背負って、最前景で「かもめ」の世界が現れる。かれらは都会と田舎、人と人の現世の距離によって引き裂かれていき、苦しみ世界を生きるものとして描かれるのだ。
そう、日本人「にも」チェホフが描けるのではない。
日本人「にしか」描けないチェホフがあるのである。
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平山富康(財団法人 名古屋市文化振興事業団 名古屋市千種文化小劇場 館長)
遡って2010年2月、名古屋市の千種文化小劇場で企画実施した演劇事業『千種セレクション』(同劇場の特徴的な“円形舞台”を充分に活用できそうな演出家・団体を集めた演劇祭)で、第七劇場の『かもめ』は上演されました。企画の立ち上がった頃には、第七劇場は『新装 四谷怪談』の名古屋公演を既に果たしていて、その空間演出力が注目されていた事から企画の趣旨に最適でした。参加団体は4つ、持ち時間は各60分。それぞれ会話劇・現代劇の再構成・半私小説的創作劇とラインナップが決まる中、第七劇場のプレゼンは“チェーホフの『かもめ』を始めとする幾つかの作品”との事…たったの60分で。一体、どんな手法で時間と空間の制約に収めるつもりなのか。当惑をよそに第七劇場が舞台に作ったのは、さしずめ「白い画布」でした。舞台は一面、真っ白なリノリウムが敷かれ、無骨な机や椅子との対照が、銅版画のように鋭利な空間を立ち上げていました。舞台と同じく白い衣装をまとった俳優(彼女らは『六号室』の患者たち)は静謐な余白のようです。が、幕が開いて、彼女らが見せる不安な彷徨と激した叫びが「鋭利な銅版画」の印象をより強めていきます。この画布が変化を見せるのは、チェーホフの他作品の人物たちが続々と舞台に位置を占めていく時でした。彼らは暗い色の衣装をまとって、これまでの描線とは異なる雰囲気です。こうして、既にある版画の上から幾人もの画家が新たな絵画を描くように芝居は進みました。幾つもの物語の人物が、互いの世界を触れあわせていく現場。彼らが発する言葉と声、静と動が入り混じる身体の動きは、新たな画材でした。時に水墨画、木炭、無機質なフェルトペン。余白を塗り込めたと思えば余白にはねのけられる「常に固定されない描画」のようにスリリングな作劇が、観客の前でリアルタイムに展開されたのです。終演後のアンケートでは“視覚的に美しい贅沢な構成” “話を追いそこねても目が離せなかった” “世界がつくられていく感覚” “難しい様で実はわかりやすい”と、中には観劇の枠に留まらない感想も多々あり、第七劇場が『千種セレクション』で残したのは、限られた空間で無限に絵画を描く様な演劇の可能性だった…というのが当時の記憶です。名古屋市の小劇場で室内実験のように生まれたその作品が、再び三重県で展開され、これから皆さまはどのように記憶されるか。非常に楽しみです。
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亀田恵子(Arts&Theatre Literacy)
第七劇場の『かもめ』を見終わったあと、どうしようもなく胸高鳴る自分がいた。新しい表現の領域を見つけてしまったという心密かな喜びと、その現場に居合わせることの出来た幸運に震えた。彼らの『かもめ』は演劇作品に違いなかったが、別の何かだとも感じた。「ライブ・インスタレーション」という言葉がピタリと腹に落ちた。「インスタレーション」とは、主に現代美術の領域で用いられる言葉で、作家の意図によって空間を構成・変化させながら場所や空間全体を作品として観客に体験させる方法だ。元々パフォーミング・アーツの演出方法を巡る試行錯誤の中から独立した経緯があるというから、演劇との親和性は高いのだろう。しかし、すべての演劇作品が「インスタレーション」を感じさえるかといえばそうではない。
舞台を四方から客席が取り囲む独自な構造を持つ千種文化小劇場・通称“ちくさ座”(名古屋市)。この舞台に置かれていたのは白い天板の長テーブルが1つに、黒いイスが数客。天井からは白いブランコが1つと、羽を広げた“かもめ”のオブジェが吊られており、床は八角形状に白いパネルが敷き詰められていた。役者たちの衣装もモノトーンやベージュといった大人っぽい配色でまとめられ、全体としてスタイリッシュな印象だ。舞台セットの影響なのか、作品中のセリフでは、チェーホフの『六号室』や『ともしび』といった他の作品の一部も引用され、人間の生々しい欲望や絶望を色濃く孕むセリフが続くが、不思議と重苦しさに傾くことがない。むしろチェーホフの描く狂気や人生における悲しいズレが、役者の身体と現実の時間を手に入れ、終末に向かって疾走する快感へと変容していく。役者たちの独自の強い身体性が、無機質な空間の中で描く軌跡は、従来の演劇の魅力だけでは説明が難しい絶妙なバランスを生み出しているのだ。
第七劇場の『かもめ』は、演劇の枠だけで完結しなければ「インスタレーション」作品として押し黙っている存在でもない。戯曲に閉じ込められた時間を劇場という空間に新たにインストールし、生きた役者の身体によって再生する。それは観客との間に「今、この瞬間」を共有する「ライブ・インスタレーション」として新たな領域を創造する行為に他ならない。
「インスタレーション」は、観客の体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどう変化させるかが肝らしい。この作品は優れた演劇作品であると同時に「インスタレーションの肝」そのものではないかと思うのである。
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Marianne Bevand(フランス・舞台芸術プロデューサー)
2011年3月、パリで第七劇場の『かもめ』を観たとき、このよく知られたチェーホフの戯曲において何が問題となっているかを、はじめてよく理解できた機会だった。『かもめ』は昨年にあまり成功していないと感じるいくつかの演出版しか観ていなかったが、私の心を奪ったこのロシア演劇の日本人演出を私はたまたま観る機会を得た。
私は演出・鳴海康平の力量に感動した。深く人間性を表現できる俳優への的確な演出があり、とても美しいシーンを舞台上に構成していた。このすばらしいパフォーマンスの中で、私はある種の普遍性を感じた。私の演劇に関する感覚的な願いが実現するためには、この日本の第七劇場を待たなければならなかった。チェーホフ戯曲の人物を演じながら、偉大なる悲劇だけに可能な想像空間のひとつへと、私を連れ去ることに俳優たちは成功していた。この芝居の最初から私は現実の世界から引き離され、登場人物が衝動や欲求や悲しみによってつき動かされることに目を見張った。それは『かもめ』の中心となる感情である。
素晴らしい身体的なパフォーマンスを通して、俳優たちはコンテンポラリーダンスを想起させる一連のムーヴメントを創り、ときに印象的な間の中で静止する。手をあげる彼女たちは、まるで空を飛びその状況から逃げ出したしたいかのようである。しかし、閉じこめられているかのように最終的には彼女たちは地上に留まる。自由への抵抗の中で、もしくは自由が欠けた結果として、白い服を着た3人の女性の登場人物(訳者注:患者2人とニーナの3人)は、狂気の中へ落ちていくように見える。彼女たちは動きが速く、それは視覚的には、黒い服を着た他の人物たちの緩慢な動きと対照的である。舞台の中央から端へとぐるぐると回る彼女たちを見て、彼女たちは自分たちが生きている規定された世界を象徴するある種の領域を爆破したいかのようなイメージが私の心に浮かんだ。黒い服を着た人物たちは、外部の者に自分の居場所を思い出させる支配社会の象徴を思わせる。
このことは私に、チェーホフがこの作品でいかにアーティストが社会の外側に位置し、つらい時代を生きていたかを明らかにすることで当時のアーティスト状況の描写を試みたことを思い出させる。かもめにおいて、3人の女性の人物たちは、ある異なる精神状態の中で、そして目まぐるしい時空の中で彼らがいかに必死に生きるか、また彼女たちがいつもいかに社会の爪に捕えられているかを現している。
この芝居の終わりに私は自問した。「もしあなたが他の誰かとは異なるふるまいをするなら、あなたは気が狂っているとみなされるのだろうか?」いずれにせよ、第七劇場のパフォーマンスが国境を越えて、いくつかの問いを私に起こしたことは確かである。
この美しく芸術的な作品とともに第七劇場が受けるにふさわしい大きな成功を果たすことを、そしてあらゆる世界を横断し、さらに多くの観客の目と心を開くことを、私は願っている。
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間瀬幸江(早稲田大学 文学学術院 助教)
チェーホフは世界を面や立体としてとらえていた。人物という点や、人間関係という線は、それじたい基幹的ではあるにせよ、作品世界全体の構成要素のひとつでしかない。作品世界のこの広がりから何を「切り出す」のかが、舞台��くりの鍵を握る。
今回、第七劇場の「かもめ」(シアタートラム、9月8日~11日 構成・演出・美術:鳴海康平)で中心的主題として切り出されたのは、トレープレフがニーナに演じさせる劇中劇「人も、動物も…」の部分である。母親のアルカージナに「デカダン」と嘲笑され、当の演者であるニーナにも「よく分からない」と距離を置かれてしまうこの一人芝居の内容は、人間がいかに「やさしく」接しようともいずれ寿命を迎えて消滅することが決まっている地球という惑星の命の時間から考えれば、まったき現実である。その「現実」が、舞台奥中央の老木のオブジェによって密やかに具象される。活人画を思わせるこのオブジェは、開場とともに舞台に姿を見せる、ニーナを思わせる4人の女たちの狂気を孕む無造作な動きはもちろんのこと、見やすい席の確保を願うささやかな「姑息さ」を抱えつつ舞台上の彼女たちを横目で眺める観客たちの動きも、暗がりから見つめ続けている。そして本編が始まり、いつからかそこに照明があてられ、雪のようなものがしんしんと降りだすころ、前景では「かもめ」のいくつかのシークエンスが狂乱的リズムで反復運動を始める。母親にも恋人にも振り向いてもらえずに絶望する青年の物語にせよ、成功という幻想にからめとられたまま一歩も進めない女の物語にせよ、息子を愛しながらその愛を届けることに不器用な母親の物語にせよ、ツルゲーネフには勝てないと感じる自意識の牢獄から逃れることのできない小説家の物語にせよ、個別の物語が抱え込む不毛な反復のエネルギーから発せられる絶叫は、しんしんと降り積もる雪の世界に消えていくしかない。トレープレフは、チェーホフの作った物語のとおり、最後にはピストルの引き金を引く。発射音は聞こえない。しかしそれは、弾丸が発せられなかったからではない。観客は、朽木に降り積もる雪の世界から、トレープレフの自殺や、ニーナの破滅を眺めている。人も動物もヒトデも消えうせた孤独な世界に、ピストル音が届くのは、何万光年も先なのだ。
2011年の日本で、「終わり」というブラックホールを概念としてではなく実体としてほんの一瞬でも覗き見てしまった私たちにとって、朽木の住まう冷えきった世界は、もはや象徴主義の産物ではなくなってしまった。しかし、この終末感を100年前にこの世を去ったチェーホフがすでに言いきっていたことにこそ、私たちはかすかな希望をみるのである。「三人姉妹」を演出したマチアス・ランゴフは、「私たちはチェーホフのずっと後ろを歩いているのです」と言った。それから20年が経過した今なお、チェーホフは私たちの少し前を歩いていて、たまにふと振り返りいささか悲しげに微笑んでみせるのである。鳴海康平は、劇中劇を「切り出す」ことで、無数の点と線とが錯綜して作られる立体的な時空間の表出に成功した。その数多の点や線を大事に拾い出しながらもう一度観てみたかったとの感慨を抱きつつ、9月11日のシアタートラムを後にした。演技者たちの凛とした佇まいも素晴らしかった。
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唐津絵理(愛知芸術文化センター シニアディレクター)
私たちの深層心理に迫りくる懐かしさの気配、演劇を超えて広がる舞台芸術への希求、それが第七劇場『かもめ』初見の印象だった。
白のリノリウムが敷かれ、白紗幕が下がった劇場は、ブラックボックスでありながらも、ホワイトキューブ的展示室をも想像させる洗練された空間。そこにあるのは、白い長テーブルと幾つかの黒い椅子、天井から吊られた真っ白のブランコやかもめのオブジェ、そして座ったり蹲ったりしている俳優たちの身体だ。白い空間にじっと佇む身体は、彫刻作品のようでもある。上演中も俳優たちは役柄を演じるというより、配役のないコロス的身体性を表出させている。身体の匿名性は、観客自身が自らの身体の記憶と結び付けるための回路を作り出す。それは抽象度の高いダンスパフォーマンスと通ずる身体。前半は僅かに歩いたり、ゆすったりしていた身体が、後半になるにつれて、走ったり、体を払ったり、震わせたりと、より激しく痙攣的になっていく。演劇的マイム性とは一線を画したこれらの身振りが、絶望的に重苦しく表現主義的になりがちなロシアの物語を今日の日本に切り開いていると言ってもよいかもしれない。
怒涛のラストシーンまで、作品全編を演出家・鳴海の真摯さが貫いていく。しんしんと静かに降り積もる雪のように、一見穏やかに見える身体の佇まいの内には、静かな情熱の灯がいつまでも熱く燃え続けている。それがこの作品の確かな強度となっているのだと思う。
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金山古都美(金沢市民芸術村ドラマ工房ディレクター)
2010年2月千種文化小劇場、12月三重県文化会館で第七劇場の「かもめ」を観劇。時の交錯を感じた千種、閉塞と決壊を感じた三重。どちらについてもその『観後感』は、まったく違っていて。鳴海氏の構築する世界は、その“場所”で変化し、その“人”で変化するようです。“人”とは、役者はもとより、スタッフ、劇場の人々、そして当日来られる観客、すべての“人”を包んでいます。実際観に行った私自身の変化も少なからず影響しあいながら「劇場」という空間が形成されていくのでは。そしてそれは建物の中だろうが、外だろうが、1人だろうが1万人だろうが変わらないのでは・・・違うな。変わらないのではなく、変わることも含めての「作品」なのです。白い床も、テーブルも椅子も、ブランコも「かもめ」のオブジェも、何一つ変わっていないようなのに・・・。そんな演劇のもつ『その場でしか出会えない幸せ』に皆さんで会いに行きましょう。
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島貴之(aji 演出家)
金沢21世紀美術館にあるジェームズ・タレル作「ブルー・プラネット・スカイ」という作品を見た事がありますか?
四角い白色の天井の中央が四角くくり抜かれ、そこから空が見える。故郷へ帰る度に見上げる空。移ろいやすい金沢の空。晴天、夕刻、曇り空、雨。冬はそのグレイの穴から雪が舞い落ちるのです。
曇り空の四角いグレイのグラデーション。無彩色に見えるグレイに、私は何度もさまざまな色を見た事があります。それを見上げる人の心情がそこに色を齎すのです。天井の枠に囲われた今の自分が、その遠く向こうにあるものを見通す瞬間に—。
この作品では登場人物が纏う衣装を見渡すと白から黒へのグラデーションとなっています。そして劇中では、登場人物の性格や事象に伴う心情があらゆる要素により明確に描かれています。個としての居場所、表情、身体、言葉_そしてそれらが合わさりバランスを変化させる事で、その瞬間にしかない色が次々と生まれては消えて行くのです。
それは、移ろいやすい金沢の空のようであり、また、あなたの心情を映すあのグレイのグラデーションであってほしいと願うのです。
2011年の9月に私は第七劇場の「かもめ」を拝見しました。大胆に再構成されたこの舞台に流れる時間は、キリスト教的な時間感覚の、すでに始まったが未だ終わっていない「時のあいだ」を意識させるものでした。時間は、何分・何秒という座標を流れているとされる概念だけでなく、事件・タイミングによって認識される感覚との2つに分けて考えることができます。あのハイコントラストな世界は、ニーナの事件史のある時点なのだろうと納得して観ました。クロノスでなくケイロス、あるいはゲシヒテによって物語を紡ぐ方法は個に依った場合は有効で、むしろ本質的な問いは、なぜそのように構成したかにあると思われました。それが私には「かもめ」の本体をよく知るために境界線を明らかにしようとしているというだけではなく、ほんのりと漂うロマンチックな印象に隠されているような気がしています。舞台を構成するあらゆる要素は一見、清貧とも言えるほど禁欲的に佇み、それがある種の理想として観客に迫っていましたが、私達は同時にその内側にあるもっと柔らかで繊細なモノも見ていました。その存在が、内側からも外側からもこの作品の再演を促しているのではないかと思っています。
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揺れに揺れた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」は、10月8日午後に再開されることが決まった。
この企画展に寄せられた多くの批判のうち、急先鋒が名古屋市の河村たかし市長だ。少女像などの展示に対して「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ」と発言していた。一方で、河村市長の発言には「権力者からの介入」との批判もあった。
河村市長は再開が発表される前の10月7日午前、ハフポスト日本版のインタビューに初めて応じ、「こんな日本人の普通の人の気持ちをハイジャックして。暴力ですよ」と展示への不快感を語った。
「暴力によるハイジャックだ」
インタビューは愛知県の大村秀章知事が「表現の不自由展・その後」の再開を発表する約8時間前の10月7日午前11時半から名古屋市役所で行われた。
どのように再開すべきか、関係者のあいだで激しい協議が行われていた。
ーー早ければ8日から再開となっていますが、市長の見解は?
再開なんていかんね。決まっとるがね、こんなもん。
本当に(日本人の心を)踏みにじりますよ。名古屋市民に恥かかせてええの?
無茶くちゃだがい。ようやる。こんな日本人の普通の人の気持ちをハイジャックして。暴力ですよ。そんなことやる人が、なぜ表現の自由なんて言えるんですか? 恥ずかしい…
ーー大村知事には、それを伝えているんですか?
伝えてますよ、何べんも。今日も副知事でもええ、そんなハイジャックはやめてくれ、と(伝えたい)。
悪いけど、暴力ですよ。オープンしようというのは。
ーー市長も実行委のメンバーです。不自由展再開に向けての協議には?
そんなん無効ですよ。暴力ですわ、今回は暴力ですよ。
俺、はっきり言うけれども。芸術家と称せられる方の、一定の思想を持っとる人たちの、暴力ですよ。市民の意見を暴力でハイジャックして奪ったということじゃないの?
ーーどの辺がハイジャックだと表現されるんですか?
一般的な世論はあるでしょ。天皇なら天皇の話で。ええですよ、天皇制を反対する人がおっても。でも、多くの人は、憲法第1条で象徴ゆう風になってるんですよ。
午後7時45分から開かれた緊急会見で、大村知事は「表現の不自由展・その後」を8日午後から再開すると発表。
ハフポストのインタビュー後、再開が決まるまでの間に河村市長と電話で話したと明かした。再開が決まり、名古屋市側には事務方を通じて担当者に連絡したという。
毎日新聞などによると、河村市長は再開決定を受けて報道陣の取材に応じ、8日に会場前などで座り込んで抗議する考えを示したという。
あいトリのレガシー「暴力が残っただけ」
ーー検証委の中間報告では、「条件が整い次第、すみやかに再開すべき」とされています。
検証委なんてほとんど暴力ですよ。メンバーについて、個人的に恨みはにゃーけどね。
ある方なんて、愛知県の顧問やっとって(検証委も)やってるわけでしょ。第三者性なんかあるわけないじゃない。どんどこどんどこ決めて…。
重要なことは運営委員会でやるって書いてあるがね。1回もやらずに。今日もう一回申し込もう思ってるけど。
ーー10月5、6日と、国際フォーラムが開かれていました。市民も参加されての公開討論会も行われていました。
そんなの、暴力的に全部決めた人たちがですね。なんで、そんな暴力の巷(ちまた)に行かにゃいかんですか、私。本当に、ひどいですよ、本当に。
「あいちトリエンナーレ」の全面再開を発表した7日夜の会見で大村知事は「世界的に見ても一度中止になった展示が再開された例はないと聞いている」と評価。さらに、「一つの芸術祭のあり方をお示しできたのではないかと思う。あと1週間、色々な立場の方の意見を、異なる考え方の意見も尊重しながら、毎日安心安全な運営に全力をあげて(閉幕の)14日にたどり着きたい」として、アートと行政のあり方をめぐる、今後の大きな資産(「レガシー」)にしようという意欲をのぞかせた。
ーートリエンナーレもあと1週間で終わりますけれど、世界に向け、3年後のあいトリに向け、残せるレガシーはなんだと思いますか?
残せるもの(笑)。暴力が残っただけですわ。
より厳しくチェックせな、になっちゃったがな。なってくるでしょうが。
(これまでに、あいちトリエンナーレは)3回やったけども、みんな楽しゅう、楽しいゆうか、現代アートのプロモーションをやってちょ、いうだけだったの。
事後でも補助金やいろんな金を支払わないことができるという規定はあるんですよ。
ーー逆に、表現の自由を規制せざるを得なくなってしまった、と?
こんな風になると、(そう)なりますよ。
そうなると、とにかくフェアにだけやらにゃいかん。(事前に)きちっと出品者の名前を明らかにして、内容もちゃんと明らかにして。自分で分かるでしょ、問題になるゆうことは。表現者の方だったら…。
「マスコミは事実を伝えていない」
ーー河村市長が8月2日に不自由展を視察して以来、たくさんの節目がありました。国内外の注目も非常に高まりました。刻々と変化したあいちトリエンナーレをどう見ていましたか?
マスコミの批判してもしょうがないことはないけど、正しいことを言わないかんよ、あんたたちも。
なんで表現の自由て大事かいうと、要は、民主主義社会においては色々議論が出てきて、言論の自由市場といいますけど、みんなでわあわあ言うようにせにゃあかん。
しかし表現の自由を自由市場にするためには、国民の知る権利が満たされておらなあかんわけですよ。だから、マスコミが事実を伝えるのは、どえりゃあできゃあ(とても大事な)わけですよ。
ーー今回、メディアが事実を伝えていないというのは、どういう点でそう思われたんですか?
三つありますよ。
一つは、慰安婦のことばっかり言いますけど、天皇陛下の話がでかいんですよ。天皇陛下の肖像を燃やしてですよ、それもバーナーで燃やしてですよ。燃えてると朝日新聞が書いとったと思うけど(笑)、燃えてるんやない、バーナーという暴力行為で燃やしてる、それを足で踏んづけてるというのが展示されてる。これは事実じゃないですか。
二つ目は、私は、悪いけど作家の人やら不自由展の実行委の人に、こういう表現をするなと言ったことはいっぺんもないですよ。公共事業ではやめてくれ(と言ってるんです)、これ。名古屋市と愛知県の、まあ国の金も入ってますけどね。公共事業なわけです。東京オリンピックと同じですよ。東京オリンピックの会場に行ったら、慰安婦の像と天皇陛下の像を燃やして足で踏んづけるやつと、兵士が間抜けだいうのが飾ってあったらどうします? そこちゃんとやらないと、マスコミも。公共事業だと(伝えないと)。
それから三つ目。これが決定的だと思ってますけど、法的なことも考えてますけど、やっぱり公的なものを申請する時には、補助金適正化法というのがあって。今回、補助金と主催という名義。実は主催がでかいんですよ、名古屋市主催というと、名古屋市が認めた、すなわち市民がそれを応援するいうことになりますから。名古屋市民が天皇陛下の像をバーナーで燃やして足で踏んづけるという表現行為を応援することになりますから、これ。そのプロセスが明らかにアンフェアというか。どう言ったらいいんだ? これ。まあ、ハラスメントですわ。
ーーアートの解釈が人によって分かれるのはよくあることです。今回の作品も、政治的スタンス、歴史の解釈によって感じ方は人それぞれだと思いますが、アート作品は国民全員が不快感を抱かないようなものであるべきだと思われるんですか?
いや、公共事業だいうことが分かってないから。外国人記者クラブでもいっぺん言わないかん。違うんだいうて。名古屋市直営事業なんだ、これ。名古屋市直営事業ということになると、名古屋市民約230万人いますけど、愛知県だと700万くらいか…。
みんながみんな「OK」と言わなくてもいいですよ。そら、いろんな意見があるから。しかし、だいたいがですね、自分たちの意見を踏みにじられんもんをやってちょうだいよ、というもんですよ。そうじゃないと困るじゃないですか。これ、公共でやる場合は。
じゃあなんで、自分の金で、自分たちでやらんの? やりゃあいいじゃないですか、別に。わしは、「どうぞどうぞ」とは言わんけど、「どうぞ」と一回くらいは言ったてもいい。どっかの画廊をお借りになって、主張されればいいじゃないですか。
ーー公共の美術館を使って、公金を使うべきではない、と?
いや、主催で。主催が大きいんですよ、主催が。それ言やあせんもん、あんたたちマスコミ。これ主催って。
主催ってどういうことかいったら、東京オリンピックですがな、あれ。あれ日本国主催だがね。そりゃどういうことかいうと、みんなのためにやる、そりゃ100人が100人じゃないよ。でもみんなの心を踏みにじるのはやめてくれ、と。市民が思いますよ、そりゃ。
そういう意味で、日本国民の心を踏みにじるのは、主催は���かんですよ。主催は。
編集部注:あいちトリエンナーレ2019の主催者は「あいちトリエンナーレ実行委員会」。意思決定機関は「運営会議」で、会長が愛知県の大村知事、会長代行が河村市長。委員には、中日新聞社の社長や、NHK名古屋放送局の局長も名を連ねる。
一方、芸術監督の津田大介さんは運営会議のメンバーではなく、芸術部門の責任者。トリエンナーレ全体の企画を統括する役割を担う。河村市長が使う「公共事業」・「名古屋市直営事業」・「主催」という言葉には違和感が残る。
同様に、東京オリンピック・パラリンピックの主催者は、日本国ではなく、「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」となっている。
補助金は支払わない方針「不正義だった」
ーー市も補助金の一部を支払わない可能性があるとおっしゃっていましたけれど、そのあたり変化はありませんか?
そんなもん、不正申告、目的外使用、もうそれがあったらいけないじゃないですか、それは。市民の税金なんだから。
ーー文化庁も全額不交付との姿勢を崩しませんが、同じスタンスですか?
文化庁(の姿勢)も理解していますよ、私。どういう展示しとくというの、(事前に)正直に言わなあかんですよ。
ーー事前に知っていたら止めていた?
事前に知ったら、実行委を直ちに開きましょうと言ったと思いますよ。津田さんにも、展示やる人にも来てもらって、そこで議論するだがね。そこで一つの方向性が出たと思いますよ。
ーー問題は事前のコミュニケーション不足だったということ?
コミュニケーションじゃないが。隠したんですよ。そんな甘いもんじゃないですよ、これ。
だからね、反政府活動もええよ? 反政府活動も。でもこうやってやるんだったら、堂々とやってくれなあかん。こんな騙してハイジャックしちゃいけません、これ犯罪の可能性あるんですよ? 騙して犯罪的にやったことに、表現の自由ってあるんですか?
なぜ嘘を言うんですか? 本当の事、言やあええの。手続きも申請も、ちゃんと。しょうがないんですよ、公共の主催でやろう言うんだから。嫌なら、自分でやればいいんですよ、そりゃ。公共の主催という看板を取りたかったわけでしょ? 補助金も取りたかったわけでしょ?
ーーもし事前に議論されてたら納得感がありましたか?
そんなもん分からんですよ。やるまでもないじゃないですか。嘘言って、騙して、出さなかった。はっきり言ってるじゃないですか、作家も言ってるじゃないですか。僕の知っとる芸術家も言ってましたよ、「ああいうのは、いかん」て。
正直に言わなあかんよ。そこで議論することが、『表現の自由』の現れになるわけです。そこで当事者も来て、僕なら「(内容や展示方式を)考えてくれんか」と言ったかもしれない、それは検閲ですか?
ーー対話は、不自由展が中止となった後にあちこちでやっています。作家さんたちも積極的に市民との対話の場所を作ったりもされていますが、それでは納得はできない?
(騙して)出しちゃったら、ダメですよ。当然のことながら、(展示を)出す前にやるに決まっとるがね。そんなこと言っとたら、役人もいらんですよ。議会もいらん、マスコミもいらのや。何もチェックせんで、全部表現の自由だ。そんなら。
ーーやはり、問題はスタートの段階でのコミュニケーション…
不正義だったの!
コミュニケーションじゃない、不正義だったんです!これは。
「検証委そのものも暴力的だ」
ーー再開には否定的なお考えですが、もし「不自由展」が中止したまま再開されずにトリエンナーレが終わった場合、検証委も言っているように、電凸だったり攻撃的・脅迫性をはらんだような抗議によって表現の場が奪われるという悪しき前例を作ってしまうとは思いませんか?
検証委のみなさん、自分たちそのものが暴力的だと感じないかんですよ、まず。
だれが承認したんですか、あれ、検証委。名古屋市になんの相談もねえ、突然出て来てね、その中に愛知県の顧問やっとる人が入っていてですね、第三者性なんかあるわけないじゃないですか。
悪しき前例どころじゃない、ちゃんと正直に(事前に情報を)出して来ればこんなこと起きんかったですよ。僕は、「頼む、今のままだったらやめてくれ」と言ったと思いますけど、主張したければ、違うところでご自由にやるか、方式をもうちょっと納得行くように変えてくれと言ったってええでしょ。
ーーそれは検閲とは言わない?
言わないですよ。検閲ゆうのは、最高裁の判例で決まっとって。一切表現を禁止するやつを検閲と言うんです。
例えば、僕がある出版社に入っていって、「この本はもう出しちゃだめ」と、言うと検閲になる。今回の場合、民間であればなんの問題もなく(展示)できるわけです、これ。なんの問題もないかどうか、知らんけど。私が言う権限もありませんし、検閲とは全く関係も無い。
100歩譲って(不自由展の作品が)芸術だというんだったら、(内容への口出しは)必要最小限にとどめなあかんいう論理は分かります。
それから、みなさんが気づいとらんのは、(今回のような)主催という問題は、ガバメントスピーチと言いますけど、「行政が発信するなら、正しい」という裏書き効果がある。そういう効果がありますから、普通の画廊でやるのと、名古屋市主催でやるのと全く意味が違うんです。名古屋市主催でこういうことをやりますと、そうでない意見の人たちは対抗できんせんのですよ。
ーーそういう風にならないように、委員会という形を立てて、芸術監督とかを間に立てるのが公共が関わる美術祭のあり方だと思うんですけど。今回もその形を取っていましたが。
騙したで、いかんじゃないですか。問題はそこに行きますよ。
本当のことを言っとれば、さすがの大村知事も、わしも言いますから。ちょっと待ってくれと。大方の日本人の気持ちを著しく害すると。天皇陛下のやつは特にね。
アートとは何か。
「表現の不自由展・その後」が中止された当時、抗議電話の約4割が、昭和天皇の肖像写真をモチーフにした大浦信行氏の映像作品についての批判だった。河村知事も、インタビューの中で、何度もこの作品について言及した。
ーーあの作品をご覧になって、あれがアートだということに異議はありませんか?
アートの定義がなんだか分かりませんけども、まあ一般的に言ったら一人でも感動したらアートかもしれませんよ、定義はありませんから。(でも)一般的にいう芸術ゆうものではないですわな、普通は。
ーー一般的にいう芸術とは、どういうものだとお考えですか?
そりゃ、ああいう政治的なメッセージがあるものなら、ピカソの『ゲルニカ』とか、ああいうやつですわ。それから平和なやつだと、『モナリザ』とか。
検証委によると、大浦氏は昭和天皇をモチーフにした作品について制作した背景をこう答えているという。
「映像の中で焼かれているのは写真でなく、自分(大浦氏)の版画作品そのもの。焼くことを従軍看護婦の女の子に託したのは、それを焼くことで自分の中に抱え込まれた内なる天皇を燃やすことで昇華させる行為であり、祈りと言ってもいい」という。
さらに、「天皇を批判するために燃やすなどという幼稚なものは芸術の表現ではない」として、天皇を侮辱する目的ではないと強調している。
ーー大浦作品の意図はご存知ですか?
色々言っとるけど、そうなる(炎上する)に決まってるじゃないですか。自分の意図がどうであろうと、受け取る人がどう思うかがでかいんだから。
ーー天皇陛下を燃やそうと思ったわけではない、ということはご存知…
そんなバカな。実際燃やしとるがな、バーナーで。そんなん通じませんよ。そんなこと。悪いけど。
ーー感じ方はそれぞれですが、こういう解釈があるんだ、という風には思われない?
祈りがあったとか、そんなもんじゃないですよ。(中間報告)読んどるけど。普通の人が見て、どう思うかですよ。
そんなことを隠れてやって、どういうつもりですか?日本の国民世論をハイジャックしてどうするの、これ。
世界に大恥を晒して。日本国民って、天皇陛下に敬意を持たん国なんだなということを世界に晒すことになるよ、言っておくけど。
ーー意図がどうであれ、まったく伝わらないと?
受け取る人がどう思うかが決定的にでかいわけですよ。
(事前に)正直に言いなさい、と言っとるんですよ。ハレーションが起こるのと、非常に多くの日本の人たちの心を踏みにじることになるのは、分かっとるわけでしょ?そうでしょ?
だいたい多くの日本人は、みんな陛下に敬意を持っとるわけです、長い歴史の中で。そういう方たちの気持ちを踏みにじると思わない?
名古屋市民、愛知県民、日本国民。主催事業ですから、自国の天皇陛下の肖像画をバーナーで暴力的に燃やして、足で踏みつける展示を積極的に認めたことになるんですよ。主催だから。恥じゃない?
ーー作品を見て、平和や検閲について考える人も少なからずいると思います。そういう人は、日本人、市民には当たらないんですか?
色んな意見があってもええですよ。ほんだけど、やり方ちゅうのがあるんであって。正直に「こういう展示を出します」と言えば、討論会になったでしょう。実行委員会を開こうという事になっただろうから、そこに大浦さんが来て話せばいいじゃないですか。
ーー最後に一つ。河村さんの中で、芸術祭や芸術とは、どういうものだとお考えですか?
そりゃあ、みんな自分の意見をどんどん言っていくゆうのは、大変ええことであって。ただフェアにだけやらないかん、ということです。
ある日突然、ハイジャックしてですね、騙して。だまし討ちにしたような人たちが出てきてですね、マスコミも真実を伝えずに……。そういうのは、本当に危険な日本になりますよ。
フェアにだけやって、そこで議論を巻き起こせばいいじゃないですか。正当なステップが嫌だで、隠して出したんでしょ。そこにどうして『表現の自由』があるんですか。表現の自由という名の、国民世論の、普通の人の国民世論のハイジャックですよ。
暴力的、今回のは、ひどい話ですよ、こんなの。おびただしい人たちの、天皇陛下に敬意を持とうという人たちの心はどうなるんですか? 名古屋市とか愛知県とか日本国とかそこが主催でやるんですよ? 個人じゃないのよ。これは止めないかんでしょ、いくらなんでも。恐ろしい話だわ。どえりゃあ…
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山陰広告賞2023作品展示に「土門拳記念館コレクション展 土門拳-肉眼を超えたレンズ-」出品
山陰広告賞2023の作品展示が、あす3/8(水)から13(月)まで島根県立美術館ギャラリーで開催されるノダ。
今回出品したのは、きょねん安曇野、直方、安来、八幡浜の4美術館を巡回した「土門拳記念館コレクション展 土門拳-肉眼を超えたレンズ-」。ポスターからチラシ、招待状、図録、屋外看板、展示グラフィックまで、過去最多のB1判パネル8枚使ってまとめたノダ(^_^;)
開場10:00-16:00、入場無料。ちょーど後期展がはじまる企画展示室の北斎展とハシゴして見ておくれやす(*゚▽゚)ノ
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2019年8月28日(水)
「処暑」次侯は「天地始粛(てんちはじめてさむし)」
ようやく暑さが静まる頃。天気図には秋雨前線が登場し、冷たい空気とともに秋を運んできます。とはいっても、日中はまだまだ暑く、夏の気候が続きます。(暦生活)
九州北部では危険なほどの雨、京都市内でも明け方から激しく降り出した。「秋雨前線」は東日本の雨量が多いと理解していたが、近頃はそんな常識は通用しないらしい。ともあれ、被害の軽からんことを祈ろう。
激しい雨の中、ツレアイを職場まで送る。
第4金曜日は「金属ゴミ」の日、先月出し忘れた古いフライパンと鍋を処分。
社会調査実習・本調査の参加メンバーの確認、昨日の修正分をMLに配信。
今日は「私的映画の日」、京都みなみ会館のサポート会員ポイントで2本の予約を入れている。
まずは『日々是好日』。
真面目で、理屈っぽくて、おっちょこちょい。そんな典子(黒木華)は、いとこの美智子(多部未華子)とともに「タダモノじ ゃない」と噂の武田先生(樹木希林)のもとで“お茶”を習う事になった。細い路地の先にある瓦屋根の一軒家。武田先生は挨 拶も程々に稽古をはじめるが、意味も理由もわからない所作にただ戸惑うふたり。「お茶はまず『形』から。先に『形』を作っ ておいて、後から『心』が入るものなの。」と武田先生は言うが――。青春の機敏、就職の挫折、そして大切な人との別れ。人 生の居場所が見つからない典子だが、毎週お茶に通い続けることで、何かが変わっていった…���。(C)2018「日日是好日」製作委員会(amazonより)
原作である、森下典子『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫) 』については、柳家小三治が解説を書いているということで読んでいた。昨年映画化されて話題にはなっていたが、今回やっと観ることが出来た。
樹木希林、おそらく撮影の現場ではほとんど声は出ていないのだろう。しかし、その演技を受ける黒木華が素晴らしい。器もお菓子も茶道ならではの美しさ、眼福であった。
次は『ミッドナイト・イン・パリ』
ハリウッドの脚本家ギルは、婚約者とその両親と共に憧れのパリに滞在中。 そんな彼がある夜、0時を告げる鐘の音に導かれて迷い込んだ先は、芸術花開く1920年代だった! これは夢か幻かと驚くギルの前に、次から次へと偉人を名乗る面々と、妖艶な美女アドリアナが現れて・・・。(C)2011(amazonより)
何の予備知識も無く、ただポイント消費のために時間が合うことで選択した作品。しかし、これぞエンターテイメント、めちゃめちゃ面白い。トランプを生み出したアメリカの土壌に対して、パリ(=西欧)の文化的価値観を優位において夢中劇として展開されるストーリー。登場する芸術家や文学科の作品全てに対して理解が及ばぬ自分が悔しくはあったが、夜の雨の中を歩くラストシーンは秀逸。監督がウディ・アレンであることに見終わってから気づき、大変納得した次第である。
帰宅後に仕上げとして、録画していたこれを観る。
親子愛の断層に焦点を当てた巨匠・小津安二郎の異色作――― 杉山周吉は、20年前、妻にその愛人と逃げられ、長女を嫁がせた今、次女・明子とひっそりと暮らしている。だが、最近明子の帰宅が遅れがちなことに気をもんでいた。明子は年下の恋人の子を妊娠、それを知って姿を消してしまった彼を毎晩探しさまよっていたのだ。そんなある日、ふとしたことから明子は自分や父を捨てた実母と再会。何も知らなかった明子は、母のみだらな真実にショックを受け、恐ろしい疑惑を抱くのだった……。 ラストシーンは小津監督屈指の名演出! (C)1957 松竹株式会社(amazonより)
BSプライムシネマで7月末に放送されたもの。原節子や有馬稲子はもちろんだが、なんといっても山田五十鈴が綺��、和風醤油味の上品さが際立っている。それに杉村春子、笠智衆の妹役で商売熱心かつ世話焼きで口うるさい叔母さん役を完璧に表現、まさに役者である。
息子たちには焼き餃子@無印良品、ツレアイの帰りを待ってワインを開け、今日の映画についてあれこれ。近場でお安く名画を鑑賞できる、京都みなみ会館の復活は、私の日常をこんなにも豊かにしてくれた。
今日も��のためにバス移動、運動量が少ないのは仕方ない。
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私は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)出身です。
今日は2011年から7年。2018年3月11日、午後2時46分から1分間の黙祷を終えたところです。
2011年3月11日
私は中学2年生で、���業式の予行練習で午前授業だった。お昼過ぎには家に帰って、両親の部屋でテレビを見ていた。高校生だった兄も帰宅していて、家には私と兄と猫の太郎がいた。
こたつに入って横になっていると、突然、「ゴーーーー」というものすごい音がした。長かった。びっくりして固まっていると、次は激しい地震がおこった。体がゆさぶられるような揺れだった。太郎は驚いてこたつの中にとびこんだ。見ていたテレビが倒れ、画面が割れ、ここにいては危ないと思った私は、ベッドの上にあがり、上になにもない部屋のすみに避難した。クローゼットの扉は全開になり、中の荷物が全て床に落ちた。お母さんが使っていた、普段はうごかせないほど重いドレッサーも、揺れに合わせて生き物のようにズ、ズ、と前に動いていた。ガタガタと揺れる音や、ガシャーンと1階の台所からか食器の割れるような音が聞こえ、すごく怖かった。揺れはなかなか収まらず、もしかしてこのままずっと揺れているんじゃないかと怖くなり、耳をふさぎながら「あーあー!」と大きな声で叫んでやりすごした。
しばらくして揺れがおさまったので、自分の部屋に戻ろうとすると、ふた間続きになっている手前の兄の部屋は、タンスの引き出しや勉強机の上にあったものが全て落ち、足の踏み場がなくなっていた。地層みたいだった。物を踏みながら奥の自分の部屋に行くと、そこも同じように物の海になっていた。
兄に「とりあえずお父さんのところに行こう( お父さんは家の近くの公民館職員)。」と言われ、部活で使っていたエナメルバッグに持ち出せそうなものを入れ、ラックの上にひっかかっていた薄手の黒いジャンパーを着た。
もしかしたら役に立つかもしれないとお母さんドレッサーの引き出しに入っていた、カード会社や保険会社からの郵便物もカバンに入れた。無意識だったけど、もう家に戻ってこられないかもしれないと思ったのかもしれない。
兄が「避難所では猫の食べるようなものはもらえないと思う」と言うので太郎のご飯が入ったタッパーも鞄に入れた。太郎が怖がってこたつの中から出てこなかったので、兄に頼んで無理やり引っ張り出してもらった。このとき、兄は膝を悪くしていて、無理をすると膝の皿がずれてしまう状態だった。太郎を無理にだしたので膝が痛んだようで、少し休憩してから家をでた。その間も何回か揺れがきていて、家の壁には亀裂が入っていた。
外にでると、道路はでこぼこになっていて、マンホールからは水が溢れていた。家や電柱は傾いて、いつもの景色がゆがんでいるようだった。私たちと同じように、みんな近くの避難所へ移動しようとしている様子で、公民館に向かった。公民館のグラウンドでは小さい子たちが楽しそうに遊んでいた。状況がよくわかっておらず、興奮しているようだった。
公民館の中で誘導をしていたお父さんに会いに行くと、「津波がくるそうだ。公民館は津波の指定避難所ではないから( 公民館は二階建てで低い建物) 小学校か中学校に誘導するよう連絡がきたから、お前たちもそっちに早く避難しろ。」と言われた。
お父さんに話しかけるまで舞台の上で座っているときに、自分の膝から血が出ていたことに初めて気づいた。どこかにこすったようだったけど、不思議と痛くなかったことを覚えている。
お父さんから、津波がくると言われたけど、いつも津波がきても何センチかで結局大したことなかったので、今回もそんなもんだろうと思っていた。いつだったかのチリ地震の際もそうだったからだ。同じようなことを話している人もたくさんいた。私たちは2キロ先の小学校に向かった。
小学校に向かう途中、生協の前でNちゃんに会った。お兄ちゃんとはぐれたらしく、家に一回戻ると言っていた。私は津波が来るらしいから戻らないほうがいいと言ったが、大丈夫だからとNちゃんは戻ってしまった。
Nちゃんは津波にのまれて死んでしまった。
もっと強く引き止めていればよかった。
消防車が走って避難を呼びかけていた。
いつも何かあると鳴る、町のサイレンはこの日、鳴らなかった。
中学校の前で兄の膝が痛み出したので、予定を変更して中学校に避難することにした。中に入ると誰かが「3階か屋上へ!」と叫んでいた。兄と私は上へと向かった。外階段から中へ入られるドアをガンガン叩く音が聞こえ、見ると女の人が必死にドアを叩いていた。ドアの前に机が置いてあり、開かないようだった。でも、みんな自分の避難に必死で誰もどかそうとはしなかった。兄と机をどかし、ドアを開けた。「津波だ!」と、窓の外を見た。黒い水がじわじわと学校の駐車場に流れてくるのが見え、おじいちゃんが一人、まだ外にいるのを見つけた。「逃げて!」と叫んだけど、そのおじいちゃんが助かったかはわからない。
少し遠くを見ると。ず……、と、景色がそのままゆっくりゆっくりと動いた。町の中に船が見えた。船が家にぶつかり、家はぼろぼろになって崩れていった。あちこちに水の上なのに火が見えた。町全体が濃い灰色だった。兄と三階の教室から、水没したグラウンドを見た。水でいっぱいで、まるで映画を見ているようだった。夜になるにつれてどんどん暗くなり、懐中電灯を教室の真ん中あたりに置き、壁や周りにアルミホイルを貼って反射させて明かりを作った。持ってきたラジオからは、「絶対に水辺には近寄らないでください。被害の状況は———」というような声が繰り返し聞こえていた。私は湿った教室の床に横になり、太郎を抱いていた。何も食べていないはずなのにお腹は空いていなかったし、眠気も全く来なかった。気づいたら朝になっていた。
朝になると水は引いていた。町を見たくて屋上にいった。それと、太郎がトイレをするかなと思って。屋上から見た景色に、町はもうなかった。グラウンドには車や船や瓦礫のようなものがぐちゃぐちゃになっていた。目の前にあった生協もなかった。今度は町が茶色だった。
あのときのトイレは今でも思い出すと吐きそうになる。人の用を足したものが積み重なり、ひどい臭いだった。吐きそうになりながら用をたした。学校には知ってる人がたくさんいて、Sちゃんに会った。Sちゃんは学校のジャージで、お腹から下は泥まみれだった。津波に少し飲まれたらしい。Sちゃんはお母さんとまだ合流できてない、小学校の方にいるかなあと言っていた。あとから知ったが、Sちゃんのお母さんは津波で死んでしまっていた。
お昼前ぐらいに兄が自宅の様子を見に行くと言って、少しして戻って来た。うちがあった場所には、うちの二階の屋根があっただけだったようだ。まだ実感がなく、そうなんだうちはもうないのか、と冷静に思った。
そのうちに大人の人たちが崩れてしまったお店から、食べ物や飲み物を持ち出してきた。避難した時に食料を持ち出すことのできた人たちから少しだけお裾分けをもらった。でも全員分はもちろんないので、たしか私はベビーチーズのようなものを一口分食べた。太郎にはお水を少しだけもらえたのでそれをあげた。
安全な内陸の避難所に全員移動することになったが、中学校の出入り口やバスが迎えに来てくれるおおきな道路にでるまでの道には、船や車や瓦礫などがたくさんあって、大勢の人が移動できるような状況ではなかった。なので自衛隊が道を作ってくれるまで待機するように言われた。
暗くなる前に作業は終わり、みんなでバスのところまで歩いた。海水のようなにおいと、ものが燃えたこげたにおいとガソリンのようなにおいがした。いたるところに車や船があって、きっと中には人がいたかもしれない。水は引いていたけど泥がすごくて、靴はすぐにぐしゃぐしゃになった。靴にビニールをかぶせていた人もいたけど、結局みんなどろどろになって歩いていた。
私と兄と太郎は、内陸の小学校の体育館に避難することになった。着くとすでに近隣の地域の人も避難していて、人がいっぱいいた。入り口でおにぎり一つと使い捨ておしぼりを一つずつ配られた。どこか寝る場所を確保しようとしたけど全然場所がなくて、体育館の中のゴミ回収のスペースの前が少し空いていたのでそこに落ち着いた。おにぎりを食べて、おしぼりで足を拭いた。毛布やシートも物資で配られたりしたようだったけどわたしたちがついた頃にはもうなかったので、余っている段ボールをもらって、段ボールを床に敷いて横になった。近くから避難してきた人たちは、自分の家から持ってきた毛布や服などであたたかそうで、わたしたちみたいな海から逃げてきた人たちとはギャップを感じた。目も怖かった。太郎も不安なのか、私のジャンパーの中から出てこようとしなかった。でもそのおかげで、すごく寒かったけど、お腹はあったかかった。中学の先生が状況把握のため点呼をとっていて、太郎をお腹に抱えた様子をちょっと笑われた。
夜、暗い中で何回か余震があって、そのたびに体育館の照明が大きく揺れて、ざわざわした夜だった。
朝になると支援物資が届いた。飲み物はコップがないともらえないと言われて、考えて、ひとり一個もらえるパンの中からサンドイッチ用のパンを選んで、その空き容器で飲み物をもらうことにした。兄はマヨネーズ入りのカロリーの高いロールパンを選んで、とにかく栄養を確保するように2人で食べた。トイレは、プールの水をバケツでくんで流せたので困らなかった。古着も物資で届いたので、パーカーなどの着られそうなものをもらった。わたしたちの隣にいた老夫婦が小さな犬を連れて避難していて、太郎は犬に懐かれていて面白かった。
兄と座っていると、名前を呼ばれた。お母さんとお姉ちゃんが走ってこちらに向かって来ていた。
生きててよかったと抱きしめられた。みんなで号泣した。
お母さんは仕事で内陸にいて、お姉ちゃんもバイトで海からは少し離れたコンビニにいて、津波が来る前に東部道路に避難して助かっていた。2 人は違う小学校で合流できていたようで、わたしたちの地域の人たちが避難している場所を探していてくれたようだった。お母さんが働いていた保育所の休憩室を間借りしていいといわれたらしく、そこに移動することにした。車できたからそれでいこうと外にでると、血の繋がっている方の父がいた( 私の両親は離婚していて、お母さんは再婚して、新しいお父さんがいます)。私は父のことを嫌っていたし、何年も会ってなかったけど、そのときはなぜだかとっても安心して、頭を撫でられて肩を抱かれると泣いてしまった。非常事態だったので、お母さんも連絡をとって食料や布団などをわけてもらったらしい。
車に乗り、保育所に向かう途中、太郎が安心しておしっこをもらした。避難所では粗相をしなかったので、太郎もがんばっていたのだなと思った。
保育所の休憩室は、5畳ないくらいのスペースで小上がりの畳になっていた。畳の上に段ボールを敷いて、布団を敷いて、家族で川の字になって眠った。やっぱり寒くてなかなか寝付けなかったけど、お母さんが抱きしめてくれたおかげで、よく眠れた。
次はお父さんと合流しようと、情報を求めて市役所に向かった。市役所の中に入ると、壁いっぱいに「◯◯に避難しています◯◯みたらここに連絡をください」といったような内容の紙がびっしりと貼られていた。その中には知っている名前も幾つかあって、ああ無事だったのだなと安心したこともあった。お父さんの名前を見つけたけど、けがをしている、というようなことが書いてあったので焦った。とりあえずお父さんがいるという避難所へ向かうと、お父さんは元気そうに出入り口近くの椅子に座っていた。安心したお母さんはへなへなになって笑った。あのときは情報が錯綜していたので、間違ってそう書かれてしまったらしい。すぐに同じ場所にお父さんも移動したかったけど、お父さんは公務員なので被災者の誘導等の仕事があったのですぐには保育所に一緒に戻れなかった。
保育所での生活は体育館にいるときよりずっと過ごしやすかった。狭かったけど、家族がみんないて、人の目を気にしなくていいのはすごく救われた。電気はまだ復旧していなかったけど、水道が使えて嬉しかった。ごはんも、お母さんの仕事仲間の人が炊き出してくれたりして、あたたかいものを食べられた。ずっとお風呂に入れてなかったので気持ち悪くなって一度、水で頭だけ洗ったけど、寒すぎて凍えた。被災してから一週間たたないくらいに、電気が復旧し始めて、近くの家に住んでいたお母さんの職場の人の好意でお風呂に入らせてもらった。久しぶりのお湯はあったかくてきもちよかった。
お店もすこしずつものを売られるようになって、学校もない私と兄と姉はそれぞれ生活に必要なものを行ける範囲で探し回った。持ち出せたお小遣いをもって、とにかくいろんなお店でなにか買えないか歩き回った。個数制限で、ひとり3個までしかものが買えなかったり、なにも残ってなかったり、3時間以上並んだりした。
あるとき、ひとりでお店の列に並んでいると、知らないおじいちゃんに話しかけられた。どこからきたのかなんでひとりなのか聞かれ、答えると「大変だったね」と自分が買ったバナナを分けてくれた。少し泣いてしまった。いろいろなところで食べ物���どを買えてうれしかったけど、そのころは物資不足で窃盗や空き巣が多発していたので、ビクビクしながら保育所に帰る道を早歩きでいつも帰っていた。
銀行でお金をおろせるようになり、保育所も再開するので長くはいられないと、アパートを借りることになった。お父さんががんばって見つけてくれた。引越して、いろんな人の好意で家電や家具をもらって、なんとか避難所生活はひとまず終わった。
アパートで炊飯器をつかって炊いた、炊きたてごはんをたべたときはすごくすごくおいしくて、おかずは缶詰の鯖だったけど、何杯もおかわりをした。あのとき食べたごはん以上に美味しいと感じたものは今もない。
アパートで暮らし始めて少しして、携帯の電話番号を覚えていた友達に電話をかけてみた。その子は飼っていたペットたちは犠牲になってしまったけど無事だった。ただ、その子との電話で「Aちゃん残念だったね。」と言われた。Aちゃんは私のすごく仲良しの女の子で、どういうことなのか理解できなかった。
Aちゃんの妹の名前と避難先の書かれたメモを市役所でみていたので、Aちゃんもきっと無事だろうと思っていた。「新聞の犠牲者の欄に名前が載っていた」そう言われて、後の会話は覚えていない。電話の後に新聞を読み返して犠牲者の欄を探したら、Aちゃんの名前を見つけてしまった。新聞に名前が載っている,という証拠のようなものをつきつけられて、一気に怖くなり、悔しくて信じられなくてまた泣いてしまった。
兄もその欄に仲の良かった友達の名前を見つけてしまったようで、リビングのテーブルに突っ伏して、「なんでだよ」とつぶやきながらテーブルを叩いていた。
4月のある日の夜、また大きな地震が起こった。また津波が来るのではないかと家族全員で車に乗り、指定避難所に急いだ。幸い、なにもなかったが、その日の夜は怖くて車から降りられず、朝まで起きていた。
通っていた中学校から一度学生も職員も集まるよう連絡が来た。当日は市の文化会館に集合し、そこからバスで市内の小学校に移動した。久しぶりに同級生と再会して、今どこに住んでいるのか家族は無事だったのかたくさん喋った。そしてみんなが集まった前で先生が、犠牲になった同級生の名前を読み上げた。Aちゃんの名前も呼ばれた。先生の声は震えていて、最後は泣きながら私たちに向かって話していた。7人の友達が死んでしまった。学校全体では、14人の生徒が犠牲になった。
私はすごく後悔していることがある。遺体安置所に行かなかったことだ。市内のボーリング場が安置所になっていて、そこにAちゃんがいることもわかっていたが、怖気づいていけなかった。私とAちゃんともう一人とで三人で仲良くしていて、そのもうひとりの子は会いに行っていた。顔中があざだらけでむくんでいた、と言っていた。お化粧をしてあげたよと聞いた。私も会いに行けば良かった。
学校は市内の小学校の旧校舎を間借りして再開した。歩いて行ける距離ではなく、駅から毎日臨時のスクールバスが出ていたので、私はそこから毎日学校に通った。文房具や教材は支援物資が届いて、しばらくは制服もなかったので私服登校だった。何週間も字を書いてなかったので、文字が下手くそになっていた。遠くに避難して、転校してしまった子もいたけど毎日家族以外の人とも会えるのは嬉しかった。でも、間借りしていることは肩身が狭かった。間借り先の小学校の子とは話した記憶がない。支援物資や有名人がきた時は「ずるい」、「 そっちばっかり」と言われるようなこともあった。自分は生徒会役員だったため、お礼状や物資管理を手伝っていたけど、千羽鶴や「頑張って!」、「絆」などのメッセージを見るたびに複雑な気持ちになった。無理やり前向きになれと言われているようだった。
学校も落ち着いた頃、同級生の一人のお葬式に参加した。小学校の頃から係活動で仲良くなった子だった。その子はお母さんも亡くなって、その子のお父さんから良かったらきてほしいと連絡があった。とても天気のいい暑い日で、田舎の方の緑がたくさんあるところでお葬式が行われた。久しぶりに会ったKちゃんは小さな箱になっていた。焼かれて骨になって骨壷に入ったKちゃんは、軽くて白かった。お墓にお箸で骨を一つ入れさせてもらった。「ああ、Kちゃんはもういないんだ」と、「こんなに小さくなってるなんて」と、脱力した。
私は夢を見るようになっていた。夢の中で津波から逃げたり、友達と会ったりしていた。その中でも強烈だったのが二つ
ある。一つは、どこかのホテルに友達と泊まりに来ていて、ホテルのベッドで飛び跳ねて遊んでいた。途中までは私も遊んでいたけど、何か変だと感じて、だんだん飛び跳ねている音がうるさくなってきて、「ねえもうやめようよ」と声をかけた。するとその音は「ゴーーーー」という地鳴りの音に変わって、私は耳を塞いでしゃがみこみ、叫んだところで目が覚めた。自分の叫び声で起きた。
もう一つは、なぜか私は小学生で、小学校の帰り道をAちゃんと何人かの友達と歩いていた。夢の中では納得していたけど、不思議なことにみんなでAちゃんのお葬式に行こうとしていた。道の途中で、2本に分かれているけど少し行くとまた繋がる道があり、そこで私はAちゃんをびっくりさせようと「また後でね!」と違う方の道を走って待ち伏せしていた。でも、だんだん不安になって、泣きながらAちゃんを探した。立ち止まっているAちゃんを見つけて、「 行かないで!」と抱きついた、Aちゃんは静かに「なんで私のお葬式があるの?」と、聞いてきた。
そこで目が覚めた。しばらく体は動かず、寝ながら泣いていたようで、頬が涙でカピカピになっていた。
冬になって、12月11日の早朝、お母さんとお姉ちゃんの声で起きた。どうしたのかとリビングに行くと、2人が「お父さん!」と声をかけて、体を揺すっていた。後から聞いた話によると、朝、お姉ちゃんがバイトの支度をしているときに、お父さんから寝息が聞こえず、お母さんに「変じゃない?」と言って、2 人で起こそうとしたようだった。私も声をかけたが起きず、お母さんは「かなこ!( お姉ちゃんの名前) 救急車!」と叫んで、心臓マッサージを始めた。バキバキと骨の折れる音が聞こえた。お父さんの胸はベコベコにされていたが、起きない。私も交代でマッサージをして、救急車を待った。救急車が到着して運ばれる直前、そっとお父さんの足を触った、氷のように冷たくて硬かった。救急車を後ろからお母さんの車で追いかけ、病院についた。ドラマで見たような部屋に運ばれ、看護師に心臓マッサージをされていた。心電図はまっすぐで、「ピー」という音がなっていた。何分間かどれくらい経ったか、マッサージが止まり、瞳孔を見られていた。「すいません」と看護師の方が言い、「ご臨終です」と、初めて聞く言葉を耳にした。病室には「ピー」という音とが響いていた。
みんな無言で家に戻り、お母さんがリビングに座ったところで、「どうして!」と泣き叫んだ。お母さんがそんなに泣いているところを初めて見た。お父さんのことはまだショックでよくわかっていなかったけど、その姿がどうしようもなく悲しくて、お姉ちゃんと抱き合って泣いた。
中学校には、お母さんが色々な手続きで忙しそうだったので、自分で電話をした。担任の先生に繋がり、ほぼ文章になっていなかったけど泣きながら事情を説明した。先生はゆっくり聞いてくれて、学校のことは心配しなくていいよと言ってくれた。
お葬式までの間、斎場でお父さんと過ごした、ドライアイスで冷やされて、冷たかったけど、箱の中にはずっといて、怖くもなかったし、もしかしたら起きるんじゃないかなんて思ったりもした。まあ、当たり前にそんなことはなく、火葬の日がきた。
お父さんが焼かれる場所へ、親族一同で向かった。炉の中へ入れられるとき、もう体さえもなくなってしまうんだと、お父さんに会えなくなるんだと理解した私は一気に悲しくなり、「お父さん」とつぶやいた。涙が止まらなくなり、「行かないでよ」とつぶやいた。お母さんが私の背中をさすった。兄が私の頭に手を添えた。
お父さんは焼かれた。ちゃんとお骨を拾い、壺の中にお父さんは収まった。
お父さんは公民館職員で、そして糖尿病を患っていた。震災の日、公民館は建物が低いので、違う避難場所に誘導している途中で津波が来た。目の前で他の職員が流されるのを見たそうだ。公民館にいた人はギリギリ二階に登り助かったものの、船が建物にぶつかって半壊し、もう少しでみんな死んでしまうところだった。でも、避難途中で犠牲になった人の遺族からすれば、いたら助かったじゃないか! とひどく責められていたらしい。
避難場所でも、公務員はずるい優遇されていると同じ被災者なのに責められ、ストレスで体がおかしくなっていた。持病の糖尿病が悪化し、20キロ体重が増えていた。お母さんから後から聞いた話によると、毎晩のように公民館のグラウンドいっぱいに遺体が並び、こっちに来いと呼ばれる夢を見ていたそうだ。死因は無呼吸からの心肺停止だった。
お父さんは震災に殺された。
お父さんの死と、自分の受験のシーズンが重なり、私は少しおかしくなっていた。受験している場合なのかと悩んで、身が入らなくなっていた。トイレで隠れて手首を切るようなこともあった。今思えば、なにも考えたくなかったからそういうことをしてしまったのかもしれない。様子がおかしいと思われたのか、スクールカウンセラーの先生に、週1回、カウンセリングを受けることになった。行きたくなくてサボった日もあるけど、先生は怒らなかった。優しくいろんな話をしてくれた。友達にも支えられて、なんとかいつも通りに過ごせるようになった。
高校受験もおわり、合格発表の日、私は1人で受験した高校に結果を見に来ていた。無事番号を見つけてお母さんに連絡すると、すぐにメールで返事が帰ってきた。メールが2通届いて、確認してみると、もう1通はお父さんの携帯からだった。「合格おめでとう!」と、本当にお父さんからきたかと思って嬉しかった。すぐにお母さんがお父さんの携帯で送ってくれたのだろうと気づいたけどとっても嬉しかった。
高校では美術科に在籍していたため、常にコンペに向けて制作をしていた。一度だけ、Aちゃんを描いたことがあったけど、周りには誰ということはなにも言わずにただ描いた。それっきり震災関連で制作をすることはなかった。
高校生活の中で辛かった授業がある。保健体育の授業だ。心肺蘇生の心臓マッサージを学ぶ授業の時は、お父さんの感触を思い出して辛かった。避難について学ぶ授業では、ふざけた男子生徒が、避難のシミュレーションを発表するときに「津波だー!」とヘラヘラしながら津波のモノマネをしていて腹がたった。そういう授業があった日は、その日1日は震災のことなどで頭がいっぱいになり、帰ってからいつもお母さんやお姉ちゃんに慰めてもらった。
そして何度か震災復興のためのアートプロジェクトに参加した。被災者として何かしなければと義務感に駆られて、割と積極的に参加した。でも、いつも心の隅には、こんなことをしてなにになるのだと皮肉な自分もいた。震災の時のことを公演してくれ、文章にしてくれ、という依頼は全て断った。語ったりはしたくなかった。
高校の卒業制作展で、ゲストを迎えたパネルディスカッションを行った。ゲストは有名な大学の先生で、私は卒展の実行委員長としてトークをした。その中で、「地域復興」の話題を担当し、いろいろなことを話したけど、「私もゆくゆくは自分の地域をなにかしら盛り上げたい」と口にした後は「本当にそう思っているのか?」と、苦しい気持ちになった。立派なことを言わなければ、というプレッシャーがあった。
いつも3月11日は家で家族と過ごすようにしていたけど、2015年のその日は、震災以来初めて閖上にいた。
京都に引っ越す前にみんなに挨拶がしたいと思ったからだ。お花を持って友達と待ち合わせをして、久しぶりに来た日和山は、前はみんなで鬼ごっこをして遊んだ場所だったけど、今は慰霊の場所になっていて、上から街を見渡すと、何にもなかった。まっさらでたまに草が伸びている、そんな景色だった。
中学校に移動して、2時46分を待った。鳩の形の風船が配られて、メッセージを書いた。「行って来ます。」と。そして2時46分、みんなで風船を飛ばした。
でもその瞬間はひどいものだった。多くの人がスマホを構えて、風船を飛ばす瞬間を撮っていた。カメラの音がたくさん聞こえて悲しくなった。なんのためにやっていることなのか、気持ち悪かった。一緒に来ていた友達も怒っていた。イベントじゃないんだ、と叫びたかった。
京造に進学してからは、震災の話題に触れることは少なくなった。し、自分でも避けるようになった。
宮城出身です、というと大体「震災大変だったでしょ?」と言われた。「そうですね」と正直に言うと、気まずそうな申し訳なさそうな対応をされた。それが嫌で、出身は言いづらくなって、「震災大変だったでしょ?」と言われても、「大丈夫でしたよ」と言うようにした。一回生の授業である先生が、どんな内容で言ったのかは忘れてしまったけど、「津波はあっけなく人を殺すからね〜。」と、さらっと言ったことがあった。私はショックで涙がとまらなくなった。俯いて、寝てるふりをした。周りの子にはバレていたかもしれない。その日はずっと気分が上がらず、帰ってからお母さんに電話をした。当時一緒に住んでいたルームメイトに抱きしめてもらった。
二回生の時は、授業中に阪神淡路大震災の映像が流されて、震災の時の記憶がフラッシュバックしたこともあった。イヤホンをつけて目をつぶってやり過ごして、大階段を登ってすぐ横の芝生のベンチで家族に片っ端から電話をかけた。午前中でなかなか繋がらず、体育すわりをしながらずっと待っていた。お姉ちゃんとつながって、落ち着かせてもらって、その日は授業があったけど、一度家に帰った。夜は眠れなかった。
7年経った今でも、津波の映像や写真は見ることができない。彷彿とさせるようなものも苦手だ。3月はいつものように睡眠を取ることもできなくなる。11 日は家族と実家で過ごすようにしている。閖上の方向を向いて必ず黙祷をして、黙祷している時は、悲しい、悔しい、いろんな感情が混ざったように涙が出る。
私はずっと震災に潰されている。それが、とても嫌だ。
——
でも、このままでいるのはもっと嫌だ!
だから私は向き合うことにした。
制作をはじめると同時にひまわりの種を植えた。ひまわりは、お父さんの1番好きな花だったから。
だけど、ひまわりは咲かずに途中で枯れてしまった。
私にはもう少し、時間が必要なようだ。
もうすぐ、8年目の3月11日がくる。
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【発表】公演詳細!!ツアー型スイッチ「あなたの知らない夜のYCAM」
山口情報芸術センター。Yamaguchi Center for Arts and Media。その名も通称YCAM[ワイカム]。先鋭的なアートとテクノロジーへの取り組みが盛んなアートセンター/研究施設と、敷居の低さには定評のある総合研究所、スイッチ総研のコラボが実現!
両研究所の総力を結集してお届けする、夏の夜のスペシャルなツアー型スイッチ!!
広大なYCAMの館内各所を「スイッチ」を押しながら巡る、約40分のツアー型作品です。通常は立入禁止の秘密エリアにも潜入、ハードコアなアート好きから演劇初体験の方までお楽しみいただけるスリルと失笑に満ちた愉快な夜の40分。
この少し変わった形の演劇に出演してくださる非常勤研究員も募集いたします。
楽しむか、楽しませるか?納涼の仕方はあなた次第!スイッチを押したり押されたりして、夏の夜の物語を始めるのはあなたです!
ある時は図書館。またある時は劇場、展示空間、映画館、そしていくつもの怪しげな研究室…。その実態を知るものはいないと言われる謎の巨大施設YCAM。
二晩限りの特別なツアーでその全貌と正体が明らかに…!?「立入禁止」扉のその先に現れるのは、オバケか、VRか、マッドサイエンティストか俳優か!?
このツアーで目撃することは、貴方と我々だけの秘密です。では、お気をつけて扉を開いてください。ようこそ夜のYCAMへ。
スイッチ総研×YCAM 特別納涼企画
館内ツアー型スイッチ
「あなたの知らない夜のYCAM」
【日程】
2019年8月23日(金)、24日(土)
【出発時間】
19:00~20:30
◆上記時間内、10分毎に出発回が設定されています
◆所要時間40分程度
◆4名1組・3分間隔で出発
◆1名から申し込み可能
【集合時間】
申し込み出発時間の5分前
【集合場所】
山口情報芸術センター[YCAM]1階ホワイエ
※集合時間に遅れるとご参加いただけない可能性がございますのでご注意ください
【会場】
山口情報芸術センター[YCAM]
〒753-0075 山口県山口市中園町7-7
https://www.ycam.jp/guide/access/
【チケット】
一般 ¥1,500
any会員 ¥1,000
高校生以下 ¥500
※ 未就学児童入場不可。小学生は要保護者同伴。
※高校生以下のチケットをご購入の方は当日受付にて学生証をご提示ください。
※当日券は空きがある場合のみ販売いたします。詳細はお問合せください。
※当日券はany会員割引の対象外
【発売日】
2019年6月29日(土) 10:00
【チケット取扱い】
山口市文化振興財団チケットインフォメーション(YCAM内)
TEL.083-920-6111 (10:00-19:00/休館日:火曜日、祝日の場合はその翌日)
http://www.ycfcp.or.jp/ (24時間受付)
【託児】
あり(要申込/1人700円、2人目以降500円)
※ご希望の方は8月16日(金)までにチケットインフォメーションへ要申込(TEL.083-920-6111)
【作】
スイッチ総研
【総合演出】
光瀬指絵
【研究開発/出演】
大石将弘
光瀬指絵
<契約所員>
石倉来輝(ままごと)
小林義典(クロムモリブデン)
矢野昌幸
田島冴香(FUKAIPRODUCE羽衣)※研究開発のみ
<客員研究員>
川上友里(はえぎわ)
森下 亮(クロムモリブデン)
<特別客員研究員/声の出演>
廣川三憲(ナイロン100℃)
<非常勤研究員>
イフクキョウコ(スタジオイマイチ)
大木あゆみ
大迫旭洋(不思議少年)
大野真代
加藤真伎(Sophia Shakespeare Company)
高見 駿
出口晃多
西井裕美
野間銀智(万能グローブ ガラパゴスダイナモス)
林 涼子(touch the bonnet)
平田珠凜
深海哲哉(グンジョーブタイ/アマヤドリ)
ぶっ☆ちょん
別府僚太
Mitsuko
宮﨑萌美(劇団シバイヌ)
山石未来
【YCAMテクニカル・スタッフ】
安藤充人、江木千尋(やの舞台美術)、大脇理智、河合成善(やの舞台美術)、河村高志(やの舞台美術)、クラレンス・ング、中上淳二、吉岡志乃(やの舞台美術)
【YCAMエデュケーション・スタッフ】
金子春香、原泉、山岡大地
【バイオラボスイッチ監修】
津田和俊
【指示文言英訳】
クリス グレゴリー
◆ツアー型スイッチ
公園などの開けた場所で上演される「点在型スイッチ」とは異なり、定められた鑑賞ルートが存在する。主に夜間に上演。観客は4~5人1組/3分間隔で出発し地図や道しるべを頼りにゴールを目指す。ルート上に置かれた全てのスイッチは場所の特性を活かすと共に「統一されたある世界感」に沿って作られており、場の魅力と物語世界を同時に堪能することができる。“きもだめし” のような上演形態から作品はホラー風味を伴うことが多いが実際は失笑上等、真の恐怖ではなく愉快なスリルを楽しめる。これまでに、六本木ヒルズ、本多劇場、アンスティチュ・フランセ東京、象の鼻テラス&パーク、小豆島坂手の街なか等で上演を行なっている。
◆山口情報芸術センター (Yamaguchi Center for Arts and Media)
通称「YCAM(ワイカム)」。山口県山口市にあるアートセンター。劇場、展示空間のほか、映画館、図書館、ワークショップ・スペースなどを併設。2003年11月1日の開館以来、メディア・テクノロジーを用いた新しい表現の探求を軸に活動しており、展覧会や公演、映画上映、子ども向けのワークショップなど、多彩なイベントを開催している。<公式サイトより>
https://www.ycam.jp/
【お問い合わせ】
公益財団法人山口市文化振興財団
〒753-0075 山口市中園町7-7(山口情報芸術センター内)
TEL.083-901-2222
【主催】
公益財団法人山口市文化振興財団
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迷ったら中米に行こう!~戦々恐々とコスタリカを旅する~
20代最後の夏に思い切って中米コスタリカへ行きました。
幼稚園からの友人が海外協力隊として現地で活動しており、彼を頼りに8月10日から16日の1週間、初一人海外へ出て行きました。
コスタリカで見たものや経験はどれもみずみずしく新鮮なものばかりで、この気持ちが少しでもフレッシュなうちにメモを残しておきたいと考え、帰国の途につくコスタリカサンホセ空港にてキーボードを叩き始めました。(が結局書ききれたのがだいぶ後になってしまいました汗)散文的な内容になることを恐れずゴリゴリ書いていこうと思います。
【コスタリカの概況】
言語はスペイン語。国教はカトリック。そのため街の要所には教会が立ち並んでいる。
コスタリカの歴史は基本的にはスペイン人統治時代から始まり、それ以前の先住民の歴史的、文化的な遺産などの観光資源に乏しいのが現状。
しかし、先住民たちが森を切り開き巨大な文明を築かなかったことと恵まれた気候から自然が非常に豊かで九州と四国を合わせた程度の国土面積に、地球全体の5%もの動植物が存在すると言われている。
国はこの点を自国の観光資源として捉え、国土の多くを国立公園として保護し、その自然の中を探索する『エコツーリズム』を世界に先駆けて始めた。これが世界に受け入れられ、それまで農業依存だった国の経済構造を好転させた。
そのほかにも軍隊を持たない平和国家として、軍事費に充てていた費用を教育や医療、再生可能エネルギーなどに投資し、前述のエコツーリズムに加え、中南米で屈指の教育、福祉、自然エネルギーの国として強い国家アイデンティティを保有している。(日本も見習いたい)
街の観光地はどこもごみが少なく、水道水も飲めるのは中米に限らず世界的にも希少な国のひとつではないだろうか。
【コスタリカの人々】
・観光地のガイドからUberのドライバー、クラブに来ていた若者に小学生まで様々な人と触れ合ったが総じて気さくで穏やかな人が多かった印象。車の運転もアジアなどに比べても丁寧な感じだった。
・観光地やホテルでは英語を話せる人が非常に多いため、スペイン語が苦手でもガイドを受けたり簡単なコミュニケーションは十分可能(ただし自分は英語もできなかったため状況は変わらなかった)
・中米の中で治安が良く経済が安定していることもあり、多くの移民が存在し、とくに貧しいニカラグア人が市街地でホームレス化している現状が社会問題となっている。そのほかにも社会情勢が不安定なベネズエラ人なども目立った。
私のコスタリカ旅行
友人が1週間のバカンス休暇を取りほぼ土地勘もコミュニケーションもできない私にほぼ24時間付き添ってくれて様々な場所に行かせてくれました。
現地で撮った写真を見ながら適当な順番と粒度でコスタリカについて語りたいと思います。
1.市街地の風景
成田からヒューストンを経由し、サンホセ空港に到着。
駅からバスでサンホセ市街地へ出て街を散策。初めての中米だが、町の雰囲気は東南アジアとも近い印象。首都ということもあり、おそらく単純に国の経済力、発展度によって似た雰囲気の街が出来上がってしまうのかもしれない。(日本も昔はこうだったのかも)
市街地には人通りが多い。また、路上に座り大声で物売りをする人も多く見かけたが、友人曰く彼らはニカラグア移民だとのこと。あまり近づかないようにした。
2.食事
「コスタリカの食事はマズイ」と友人から聞かされていたため戦々恐々として乗り込んだものの、総じておいしかった。ただし、値段の割に(というか高い店に限って)全くおいしくない店もあり、その辺はどんな店でも一定のクオリティは保っている日本の外食店文化のありがたさを感じた。
<上流国民編>
初日夜は友人の現地の友達で日本に留学経験もあるというコスタリカの方とコスタリカの中ではちょっとハイソな街で夕食。とてもいい方たちだった。
写真は2件目に行ったビールバー。クラフトビールの飲み比べができた。
※ここに関わらず外食費は総じて日本よりやや安いものの大きな差はなく、中米の中では非常に高いとのこと。家族を大事にし、家での食事を重んじる国民性があるとはいうものの、平均月収が日本の数分の一ということを考えると外食はなかなか大変な出費になるのだと思う。
山でのレジャーや森の散策を楽しめるモンテベルデ自然保護区で止まったホテルの隣にあったレストラン。モンテベルデという土地柄もあり周りは外国の観光客だらけ。
キャンドルがあったりと店の雰囲気は日本の都会のおしゃれレストランさながらな雰囲気だったが、料理は10ドル弱、ワインもボトル15ドル程度となかなかのコスパ。そして味が抜群にうまかった。この旅の中でもトップクラスに満足した食事だった。
同じくモンテベルデでの食事。わかりづらいが、本物の大木をそのまま残し、その周りに3階建ての建物を巻きつける(?)ような特徴的な構造を持ったモンテベルデの有名レストラン。パスタは15ドル程度と結構お高め。
ただ申し訳ないが味がマズかった。4分の1程度しか食べれなかった。友人が「コスタリカの料理は味が薄い」と言っていたのはこれか!と納得。
その後パスタは宿へ持ち帰るも、部屋に置いておいたら蟻の餌食となり無事死亡。
<庶民編>
友人行きつけという現地の食堂にて。コスタリカでは米(左)、レモンとパクチーの効いたサラダ(中央)、ポテト(右)、豆(奥)を基本セットに、そこに豚肉やチキンなどのメインが乗るワンプレート料理がスタンダード。
米はタイ米などに近く、日本のよりも細長くて水分が少ない。また、黒い豆と米を合わせて炊くとコスタリカの伝統料理「ガチョピント」となる。
だが、米と豆を別々に食べても味は大差ない。
これは別の店だが、基本は一緒。そこに焼きバナナなどがついていた。
モンテベルデの屋台にて。鶏むね肉とポテトというシンプルで豪快なファストフード。非常にボリューミーだが500円程度。美味しかった。
<家庭料理編>
チフリーゴ。友人がお世話になっているホストファミリーのお家に自分もお邪魔してごちそうになった伝統料理。
ご飯に鶏肉と豆が乗っており、そこに刻んだトマトとパクチー(←これもよくコスタリカで出てくる)をお好みで載せて食べるどんぶり。鶏肉にトマトの酸味やパクチーの刺激が合わさりとても美味しかった。
米を食べる文化があるため、各家庭に炊飯器もある模様。(米があるのはありがたかった・・・)
朝は旦那さんのほうが準備してくれた。ガーリックトーストにソーセージに卵、そしてパパイヤとかなりボリューム満点でおいしかった。
3.文化編
<原住民編>
原住民が木の実などをすりつぶす際に使用していたとされる石の机。独特な形状が面白い。石工技術の高さがうかがえる。
よく日本のテレビなどでもコスタリカを紹介する際に一緒に出てくる謎の石球。その製造年代や製造方法、作られた目的などが不透明で一部ではオーパーツの一つともいわれていたが、現在では研究も進みその謎が徐々に明らかになっているとかいないとか。
ちなみに写真は国立博物館にあったレプリカ。本物はコスタリカの郊外にあるため、観光地にはしばしばこのようなレプリカが置かれていた。
<建造物>
国立劇場
コスタリカを象徴する建造物の一つ。この建物を壊したくないがために内紛が起こらない、と言われるほど現地人からも愛されているという建物。劇場内部も見学ができる。
息を飲むほどの迫力。今なお現役の劇場として使用されており、しばしば日本の能や和太鼓の演奏なども上演されるとか。
受付兼待合室。豪華すぎて落ち着いて待てなさそう。
ロスアンヘレス大聖堂
首都サンホセの隣の県カルタゴにある大聖堂。国内各地から人々が巡礼に訪れる聖地で建物も非常にでかい。
中の造りも荘厳で素晴らしい。礼拝に訪れた人は中央の通路を膝立ちで移動して祭壇へ向かう慣習があるようだった。我々は邪魔にならぬよう脇の通路を回って見学した。
<若者文化>
現地人が多く集まる深夜のクラブへ友人と2日連続で繰り出した。入場前にID(自分の場合パスポート)と場所によってボディチェックが行われ、さらに場所によっては入場料も支払う。
クラブで飲むのは大体ビール。他の酒より値段が安いため、お金のない現地の人もビールばっか飲んでいるとのこと。
ちなみにコスタリカのメジャーなビールはimperialとPilsenの2種類。そしてちょっと高くてマイナーなBAVARIA(写真)がある。味はimperialが薄くて軽く、Pilsenは少し香りとえぐ味が強い印象。BAVARIAはその中間といった感じ。
美味しかったのは写真に乗せたBAVARIAのゴールド。一番日本のビールに近い。時点でimperialのsilverという種類のもの。
BAVARIAはあまり扱っているところが少ないため、一通り飲んだ後はimperialを選んで飲むことが多かった。
左の黒人Jango。入場の手続きで手間取っていると後ろから声をかけてきた。身長めっちゃ高いし超怖い。
でも本当は荷物を預ける場所を教えてくれようとしていたこのクラブ界隈の従業員?オーナー?的な人だったらしい。その後テキーラを2杯もご馳走してくれた。めっちゃ気さくでいい人。
ぶれぶれ。お酒飲みながら爆音の音楽を聴いてるとある若者グル���プの輪に招かれて一緒に踊ってた。なんとなくアジア人で(自分は楽しんでたけど)周りになじめてないオーラが出ていたのか誘ってくれたのだと思う。
言葉は通じないけどお酒もあいまって身振りや表情でコミュニケーションを取る感じがなんとも楽しかった。
友人が話したところそこのグループにいたほとんどの人がベネズエラ人だったとのこと。ベネズエラといえば近年の超インフレで経済が破綻寸前、首都の治安は世界最悪と言われている国。あんなに気のよさそうな彼らの背景にそんな深刻な事情があるのか、と色々と考えさせられた。
4.自然編
上でも触れたモンテベルデ自然保護区にて、昼と夜の森林散策ツアーやキャノピーなどのレジャーを体験した。
昼はオランダ人の家族と一緒にガイドの話を聞きながら野山を散策。
トゥカーン(の子供)
なんか笑顔の木
景色が一望できる!と思ったもののあいにくの雨。朝は晴れていたのに、、
羽が透明な蛾?
ゴミをあさっていたアライグマ。全然人を怖がらない。
ちょっとここからはモンテベルデではないけど、
これは幻の鳥といわれるケツァールを見にいくツアーでの朝の集合場所のロッジに来ていたハチドリ。
で、1時間以上何か所もポイントを回ってやっとお目にかかれたケツァール。 これはメスのため尾が短いが、オスはもっと尾が長く色も鮮やか。残念ながらこの日オスはお目にかかれず。
5.その他
帰国最終日にどこ行きたいかを友人に尋ねられ、彼の職場のゴミ収集センターと地域の小学校へ行くことに。
サンホセのゴミ収集センター
回収されたごみたち。袋の中身はまだまだ分別が行き届いていない状態。
各地から届けられたごみ袋はこの台で職員の方が一つ一つ開封し手作業でごみを仕分けている。
普段はこの仕分け作業をおばちゃん2~3人で行うそうだが、この日は民間企業からCSR活動の一環と職場体験ということでさらに数名参加していた。エライ
ペットボトルは無色と有色のものを分けてプレス。プレスすることで輸送にかかるコストを下げている。
これらは民間の業者に売却され、資源として再利用される。
段ボールも同様。談笑しながらも手際よく潰してトラックにつめていた。
外では家庭のごみなどを持ってくる人がごみを捨てていた。まだまだポイ捨てなんかも多く、ゴミに関しての市民の意識が低いとも感じられたが、このように律義にごみを持ってきて捨ててくれる人がいることがありがたいとのこと。
サンホセの小学校
その後サンホセの小学校にアポなしで突撃するも、友人の顔パスで難なく入れた。
カメラを向けると照れて顔をそらす子供。なんかとても開放的で自由な雰囲気。
生徒たちは全員1日学校にいるわけではなく、上級生と下級生が曜日ごとに午前、午後の授業日を交代でまわすようなカリキュラムを取っているそう。
例えば月曜日の午前が上級生の授業なら、午後には上級生は下校し、下級生が授業をする。火曜日はその逆、といった感じ。
後者が”ロ”の字型になっており、中庭が校庭になっており、中央の礼拝堂を挟んでコンクリートのバスケコートが二面あった。
ただしバスケを行っている生徒は誰もいなかった。コスタリカ人はサッカーが好きだからフットサルコートにでもすれば��いのに。
牛乳パックを再利用してできた机だそう。木のように固い。
体育の時間で誰もいない教室。
パソコン教育も行われている。ここのパソコンも友人の協力隊活動の一環で企業から提供されたもので、この部屋はそのために新たに作られたものなのだそう。
食堂。おやつにフルーツを振る舞われることも。
帰り際に先生に挨拶をすると我々もフルーツをゲット。リンゴをむしゃむしゃ食べながら帰路についた。
さいごに:コスタリカを旅行しての感想いろいろ
1.意外と多かった、日本を親しんでくれる人々
この旅で最も印象深く嬉しかったものの一つが日本に親しんでくれている人が多かったこと。上でも述べた初日に紹介してもらった女性たちのほかにも、例えば2日目に行ったクラブでは「日本人!?」と声をかけてくれたコスタリカ人がいたのだが、彼はなんと3月まで我々の地元の宮城県の東北大学に留学していたとのこと。
さらに4日目に利用したUberの車の後ろにはなぜか日本の国旗が飾ってあって、話を聞いてみると彼は日本にこそ行ったことないものの、日本の興味があり自主的に日本語を学んでいるとのことだった。友人曰くこんなに色々と日本を知っている人に出会うことは珍しくてラッキーだったとのこと。楽しい出会いのある旅行だった。
2.中米への関心が深まった
当たり前すぎる小学生並みの感想だが、こちらも自分の心に大きな変化をもたらした。
先ほども述べたようにあまり日本人にとってなじみのないコスタリカだが、地球の裏側では日本に関心を持ってくれている若者たちがいる。そしてみんな気さくで親しみやすく、とても可愛げのある人たちだった。
日本に興味を持ってくれている人たちがこんなにもいてくれていることを考えるとすごく嬉しく感じたのと同時に、自分たちももっと海外に目を向けていかなければいけないと感じた。
さらに前述したベネズエラ人との出会いも考えさせられるものがあった。恥ずかしながら自分はベネズエラなんていう国は国名を知っている程度の知識で、彼らに出会わなければきっとこの先もベネズエラに関してここまで関心を抱くこともなかったと思う。
帰国してすぐに、超インフレが進むベネズエラでは桁を減らすための新たな通貨の単位を作るという経済政策が打ち立てられたとのニュースが入ってきた。もちろんこんな政策ではさらに経済を混乱させることになりかねないという見方が大半だ。経済が混乱すれば他国への移民問題もより深刻になるだろう。これから先中米はどうなるのか、今後の情勢には色々と関心を寄せていきたいと考えるようになった。
3.外国語を話せるようになりたいと思うようになった
今回の旅行は友人のサポートもあり様々な出会いと気づきのある非常に楽しい旅行だったが、それゆえに言葉を理解して自分の気持ちを伝えられないもどかしさを抱えていた。
例えば彼のホストファミリーの家にお世話になった際も、食事を「美味しい」という気持ちすらうまく伝えられず非常にもどかしかった。お土産に持って行った九谷焼についても、本当はその背景にある日本の文化や歴史なんかを話したいという気持ちはあれどそんな高度なコミュニケーションが取れるはずもなく、、
ホストファミリーのおじいちゃんおばあちゃんが本当に親切にしてくれただけに、自分の気持ちを言葉で伝えられない歯がゆさがあった。
海外旅行は恐らく簡単な英語と身振り手振りで頑張れば、観光地を巡ったり宿に泊まったりなどある程度の目的は達成することができると思うし、実際自分もその程度で良いと考えていた。
でも海外旅行で一番楽しいのは現地の人との生のコミュニケーションだろうと思った。その土地の人が何を考え同くらいしているのか、そういったことを言葉を介して理解し、また自分の考えも相手に伝えられるようになりたいと強く感じた。
せめて日常会話レベルの英語でも身につけたい。。30年弱の人生で今が一番外国語学習欲が高まっていると感じている。今やらないと一生やらない気がするので、ひとまず本を読みながら拙いながらも話せるように勉強中。
4.ごみのことに関心を持つようになった
友人の職場に行き、いろいろとごみへの思いを語ってくれたこともあり自分もごみへの関心が高まった。
自分が普段何気なく出しているごみも処理には多くの人手が必要ということ、作業はハードなこと、そして何よりも地球上の多くの人が関わり、今後も関わり続けていかなくてはならないものだということ。
現地の方の仕事ぶりを見て説明を受けると、自分もなにかできないか自然と思いを巡らせていた。
例えば友人はごみを出す段階で分別がされていないことがひとつの問題と言っていた。
なるほど、確かにゴミ箱は色分けされてどこに何を捨てるべきかが分かりやすくなっている。
ただ、ちょっとデザインの観点から考えてみるとゴミ箱の上にはごみの種類が分かるような絵を入れたり、ゴミの入れ口を入れるごみの形にしてごみを捨てる行為をアフォードさせるような施策があってもよいかと感じた。
現状だと識別する要素が色と小さく書かれた文字のみのため、例えば歩きながら街を歩く人がごみを捨てようとした際に反射的に自分が捨てたいごみの正しいゴミ箱を判断しづらいのではと感じた。色とごみの種類に明確な関係性がないため、ほかの要素で使い手に正しいゴミ箱を反射的に認知させる仕掛けが必要と考えた。
日本のごみ箱はまだそのへんが少し良くできていて、入れ口の直下に何を入れるごみ箱なのかを絵と言葉で入れることでごみを捨てる人の目に必ず入るように工夫されているとともに、口の形状で何を入れるべきかを感覚的に示している。
缶やペットボトルなど、入れ口を丸くすることでそのごみ箱が飲み物の容器を捨てるものだと把握できるのと同時に、丸い形状に筒状のものを入れたくなる人間の心理も上手に作用させている。
そんな小さな改善を重ねながら、街がもっと綺麗になってコスタリカ人のごみへの関心が高まることを願っている。
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