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#モノとコト
ogawa-xd · 5 months
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モノとコト
モノとコトという対比構文が語られはじめたのは20年くらいまえだろうか。もっと前からだったかな。
大まかには、モノからコトへ、モノではなくコトが大切という流れの話しだった。おそらくモノを偏重する姿勢を批判する文脈で語られたのだと思うが、自分もその頃そう感じてそう主張していた。プロダクトデザインからITC関連のデザインへ進展したこととも関係があるかな(ということは、30年はゆうにたっている)。
しかし最近は「モノとコト」という形ではあまり語られなくなった気がする。といっても、べつにコトが大切ということが、再否定されたわけではない。おそらくコトが大切という考え方が飽和して、語る必要がなくなったということなんだろう。つまり話題として鮮度を失った、ともいえるかもしれない。 でも、本当にそうか?
ちがう視点から少しだけこれを蒸し返したい。 あらためて、こういうことではないかと考えた。
やはり大切なのはコトの方ではある。
それは、コトが意味内容であるから、ではないか。シニフィエといってもいい。それに対してモノは、それを指し示すシニフィアンとしてはたらいている。
人の行為や事象、あるいは言葉にならない思いなど、それらが価値や意味と結びついている。少なくともそれらが価値の対象である。価値や意味とは物理的な実体ではなく、心の世界の中にだけ存在するものある。だからそういった価値や意味は、「記憶」がなくなればそのままでは消えていってしまう。
しかし消えないように繋ぎ止めるはたらきをモノがもっている。これはまさに、言葉と意味の関係、指すモノと指されるコトの関係である。
たとえば、何かを「為す」こと自体に意味がある。「生きること」とか。しかし「為したコト」は、正確には記憶の中にしか残らない。しかし、為されたことの証しとして、物理的な破壊、転移、生成が起きる(こともある)。そういった物理的な事象の後には物理的なモノが残る。あるいは、モニュメント、景色、山や川や海、桜や富士山など。「景色」というモノは、旅という行為の結果、文字通りたどり着いた物理的な一つの実体である。
しかし景色であれ工業製品などの人工物であれ、さらに芸術作品であれ、本来それ自体に意味や価値はない。それはただの石ころや岩、布のキャンバスの上の絵の具という物質でしかない。しかし一方それは「行為の結果」残された遺物あるいは形見である。それが科学、技術、豊かな生活の、あるいは偉業を指し示している。
亡くした母の写真や形見など、それ自体に意味や価値があるのではなく、それらが母を思い出させてくれるトリガーとして働く、そのことには価値がある。それは母をシニフィアンしている。
モノとコト、どちらが大切かと突き詰めてもしかたないのだろう。
モノとコトの言語学的な転回を試みたわけだが、この直感はあるいはただの妄想のような気がしないでもない。
これは前に呼んだ松尾芭蕉が「古池や」で達観して完成させた俳句という芸術(長谷川櫂)に通じている。このこともいずれ書きたい。
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dropoutsurf · 2 months
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電通、人間の消費行動に強く影響する「11の欲望」最新版を発表 | AdverTimes.(アドタイ) by 宣伝会議
■変化のあった欲望に関する考察
④「さみしい人とは思われたくない欲望」→「わたしの役割でつながる欲望」 「孤独だと周りから思われるのは嫌」という欲望が存在していたが、新型コロナウイルスの流行により強制的に他者とのつながりを断たれる中で、「一人でいても別に恥ずかしくない」と考える価値観が広がり、より集団の中での自分の意味を考える欲望に変化。
⑤「マイワールドを追求したい欲望」→「腕を磨いたから、腕試し欲望」 探求したい、成長したい、といった自己実現に没頭することを望む欲望から、「没頭したい」という欲求が他因子に移行。「感動したい」という欲求が加わることにより、新型コロナウイルス感染症の影響が限定的になる中で、自分が煮詰めていたことを誰かと共有して手応えを感じたいという欲望に変化。
⑥「資本集中型浪費欲望」→「資本集中型消費欲望」 これと決めた世界で気のおけない仲間と盛り上がり、時間もお金も一気に放出して自己実現したいという欲望から、「後先を考えずに楽しみたい」という欲求が他因子に移行。「本当は派手にいきたいけれど、そうもいかない」現実もあり、「浪費しても構わない」ではなく「現実的に行動したい、お金を使いたい」という欲望に変化。
⑧「炎上しないための欲望」→「肝心な時こそ気配を消したい欲望」 リアルでもバーチャルでも些細なことで揉めがちな世の中で、「とにかく炎上したくない」という保守的な欲望から、すぐ炎上する時代だからこそ常に「みんな」の方に所属することで、「安心と安全を確保したい」と考える欲望に変化。「得するより損をしたくない」と考えるように。
⑩「あえて愛を確認したい欲望」→「愛がなくちゃね欲望」 愛があることはわかっていても、あえてそれを確認することで、「誰かとのつながりを確かめたい、ちょっと感動したい」という欲望から、「感動したい」という欲求が他因子に移行。「愛したい、愛されたい」という考えは変わらないながらも、それを消費行動などで形にすることが人生を豊かにすると考える欲望に変化。
⑪「集め方を集めていく欲望」→「あっ、コレわたしっぽい欲望」 「モノだけでなくコトも含めた思い出や物語を自分自身の記録としてためたい」という欲望に、以前は他の欲望に含有されていた「没頭したい」「後先を考えずに楽しみたい」という欲求が追加。少し変わった個性も含めた自己演出により、「周りから注目されたい、またそれも見越した衝動買いも楽しみたい」という欲望に変化。
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欲求,欲望,現代人,Z世代,若者,若い子,居場所,確認,承認欲求,匿名,ステルス,使い分け,アイデンティティ,共感,コレクション,
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dai-mori · 5 months
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Sendagaya, Shibuya, Tokyo / Mar. 2017
現像が追いつかないので昔の写真。
生成AIが作成してくれるSEO対策用のメタ要素構成文の不自然な単語や文法を校正してると、AI作家の担当編集かのように感じてきて、でも数が多いので手打ちで全てをゼロから書き起こすより仕事としての効率は上がる、けどなんだろうね・・・、多分利便性と引き換えに対価として���っていくモノもあるのだと思う。手間を惜しまず時間をかけなければならないコトと効率優先で済ませていくコトの分別を確り保たないとね。舐めたボルトのネジ山をさらいながらふと思う。
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kobediet · 4 months
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2024年のEコマースの景況感は「厳しい」の一言に尽きる。ネガティブな予測になった理由は「巣ごもり消費の反動」が大きく影響しているからである。 2023年はコロナが収束し、旅行や外出などの「コト消費」が活況となった。 一方、その反動で商品を買う「モノ消費」は反動で鈍化し、この流れが2024年も続く
【2024年のEC業界予測】景況感は「厳しい」。押さえておきたい“警戒ポイント”と対策まとめ | 竹内謙礼の一筆啓上 | ネットショップ担当者フォーラム
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tarafuku-taruto · 7 months
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ファンアートです🦾
軽率過ぎるパロ失礼します。
最近描き終わる頃には「もう寝るか〜」ってなるので何か文章書きたいと思いつつマトモな文章を書けずに日々を過ごしています。おやすみ世界…
おはよう世界。
memeアニメーション、ふんわり調べただけですが創作の視野が広がりまし���。
見てるだけでKawaii〜☺️✨!happy〜😊🌸!ってなりますね。色々なモノ作りたいなぁ…
いつも様々なコトを教えて頂き感謝です…!(*・ω・)*_ _)ペコリ
(白スーツむつみみ氏記事のオマケにある一枚に、皆さんと一緒に自分が初めて作ったアバターちゃんが居て嬉しくなりました…重ね重ね感謝です……!(´˘`*)🌼*・)
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leomacgivena · 11 months
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日本って、"設計費"を取らずに設備価格に上乗せする傾向がある。一方で、海外はキッチリと"設計費"を請求する。だから、プロジェクトが頓挫してもお金を取り損ねない。これって「形の無いモノ」の価値を認めるか否かの文化の差だと思う。日本がコトづくり苦手なのも、根底には"コレ"があるかもね。
しぶちょーさんはTwitterを使っています
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naotodays · 6 months
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2023年11月18日(土)『田舎革命』
×のんびり生きよう
○焦らなくていいが、生き急げ。
× 二兎追うものは一兎をも得ず。
○二兎追うものは一兎も得られないが、二兎渇望するものはニ兎得る。
何かを変えるには、圧倒的なエネルギー、即ち『欲求』が必要だ。
僕の街では、『町おこし』というコトが行われている。
新聞でもしばしば、地域活性、地域創生、と言い換えられそれらが行われている。
その内容としては、こんなところにこんな店ができた。
古民家を再利用してこんな施設ができた。
地域の伝統技術でこんなモノが作られた。
と言ったところだ。
でも、これに気づいてやっているのだろうか。それとも気づいていないのだろうか。
既存のシステムで革命は生まれない。
『町おこし』と言えば聞こえが良いが、それはただ衰退する地方をオブラートに包んでフェードアウトに色付けをしているだけでしかない。
本来の意図である若者の増加は勿論データから見ることができない。
諸行無常。
変わらないモノはもちろんない。
だから、変えられるモノを変えるための勇気と変えられないモノを受け入れる忍耐力を。
革命。
それをすなわち革命という。
その1人の中で生まれるセンセーショナルな声は、隣人に。
それからその声はまた隣人へと伝わり、その声は大きく強く育っていく。
それもすなわち革命という。
その革命を産むのは圧倒的な個。
あっっっっっっとう的な。
人。
だから、それが必要。
この人に変わりはいない。
大変で当たり前。
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4komasusume · 6 months
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4つのコマで大喜利だ!? 「現代4コマ」作品を分類しつつ紹介する試み
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「#現代4コマ」は Twitter (現「X」) 上のハッシュタグ・ムーブメントです。最初の使用者は「いととと」さん (@itototo1010) のようであり、現在はいとととさんや Twitter アカウント「現代4コマ」 (@gendai4koma) を中心に投稿が行われています。
 現代4コマとは、いとととさんによれば「マンガに捉われない新たな4コマの概念」であり、また「現代4コマ」アカウント管理者のひとりである人生さんによれば「芸術運動でありながらも大喜利性を秘めたユーモア深きコンテンツ」とのこと。筆者の理解では、二重カッコ付きの「いわゆる『現代アート』」を参照しつつ、抽象表現や現実の事物を4コマだと理屈付ける試み、といったところでしょうか。挑戦的で挑発的だが表層的にも思えるこの営みは、しかし投稿されている作品を見れば、してやられた、と感じるものがいくつもあります。
 冒頭に挙げた、いとととさんの代表作4つを紹介しましょう。まずは『運命を思い付いた瞬間』。ベートーベンの顔を一部だけ映した1・2・3コマ目とタテ長のバストアップを映した4コマ目は、タイトルによる誘導とあいまって『交響曲第5番 運命』の冒頭のジャ・ジャ・ジャ・ジャーンを想起させます。ベートーベンと同時にコマもタテ方向に伸縮させることによって時間流の長短を表現しているわけです。また、言わば4つあると認識できるものを、具体的な4つのコマに収めていく、あるいは4つのコマに見立てていくのも、現代4コマの主流な手法であるように見えます。
 次の『卒業式』は合唱曲『旅立ちの日に』を題材にした作品。混声合唱のパートごとに時間的にズレたり合わさったりする歌唱を、各コマを二重にしてヨコ方向に空間的にズラすことによって表現しています。歌唱のズレがネタになることは珍しくありませんが、この作品で特筆すべきはそれを4コマ的な手法で表現している点です。これはタテ方向の大局的な時間流を前提にして、ヨコ方向で局所的な時間流を表現する試みと理解できます。その製作意図はヨコ書きの文字が読者の視線をまずヨコ方向へと誘導するものになっていたり、最後に伸ばして歌う「て」がヨコ長になっていたりする点からも伺えます。
 続いての『カニカマ食べてる時/カニ食べてる時』は二本一対の作品です。前者では家族団欒のセリフが描かれているのに対して、後者ではセリフどころか何も描かれていません。俗に言う、人はカニを食べるとき無口になってしまう、というやつです。一対の4コマを用いて対比を描く手法は昔から存在するところ、この作品では片方の4コマを全くの空白にしている過激さがポイント。一本目に有を対置させることによって二本目で言わば「無を描く」ことを実現した、技巧的で哲学的な4コマと言えます。
 代表作4つの最後は『非行少年の4コマ』。円を切るように引かれた手書きのように真っ直ぐでない線は、タイトルからも推察されるように『ケーキの切れない非行少年たち』を題材にしています。元々はホールケーキを三等分するという課題に対して等分ではない3つに分けている→等分の概念が分からない少年がいる、という衝撃による問題提起だったところ、この作品は3つを4つにしただけ。元ネタの表層しかなぞってないじゃんとか、そもそも分割後の各領域が四角形になってないじゃんとか、様々なツッコミが容易に想像できる問題作です。その一方で、言わば「4つじゃないなら4つにしてしまえ」「四角形でなくてもコマと言ってしまえ」イズムも確かに感じる、ある意味でラディカルな作品のようにも思うのです。
   ◇
 現代4コマを端的に述べるならば、4コマ表現の限界と本質を追究するムーブメントと言えるでしょう。それならば、その表現を成立させている原則を理解、分類することによって、ボーダーラインはより明瞭となり、技法は再利用が可能になり、そしてまだ見ぬ先へと歩みを進められるようになるはずです。
 そこで、以下では筆者が見た数多くの現代4コマ作品を名前付けて分類しつつ、代表的と思われる作品を埋め込み画像やリンクで紹介します。なお、あらゆる作品を網羅的にカバーできてはいないこと、また名前付けと分類は完全に筆者の独断によるものあることをご容赦いただきたく思います。これもまた大喜利の一部。
(注意:技術的な問題により、作品全体を表示的できていない画像が多々あります。また、画像中の「Read more on X」は機能しません。画像に対応した作品タイトルを本文中で太字リンクにしておりますので、クリックいただき、Twitter にて観賞いただくことをオススメします。)
空白主義
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「空白主義」は何も描かれていない4コマを用いて何かを表現しようとする思想であり、究極の(屁)理屈主義とも言えるでしょう。現代4コマにおけるメインストリームのひとつであり、作品例は枚挙にいとまがありません。前述の『カニカマ食べてる時/カニ食べてる時』もここに位置付けられる作品です。
 空白主義で特筆すべき作品は、いとととさんの『骨格標本』。理科室のガイコツと対照させることによって空白の4コマを「4コママンガの骨格標本」と意味付けた画期的な(あるいは、うまいこと言った)作品です。骨格という表現からは、4コマの本質を起承転結に求める「起承転結根本主義」に対して、そのような意味付けに先立つ4つのコマ枠にこそ本質を求める「4コマ枠根本主義」の作品であることが伺えます。
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 また、空白主義をさらに推し進めた「補完主義」は4つのコマを描くことなく4コマを想起させようとする思想です。いとととさんの『はーい4人組つくって~ (班決め)』は学校の授業でありがちなフレーズを題材にした作品。そのタイトルと1つだけ残されたコマからは、作品の外部に4つ1組になったコマ=4コマが存在することが想像できるでしょう。
事物主義
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「事物主義」は現実のコトやモノに4コマを見出す、あるいはそれらを4コマに見立てる原則です。写真による表現が主ですが、前述した『非行少年の4コマ』のようにイラスト的に表現されることもあります。これも現代4コマの大きな流れのひとつであり、『starbucks』『ジェンガ』『無題 (駐車スペース図)』『無題 (ポケモンのワザ欄)』『キャベツの4コマ (作画崩壊の4コマ)』『無限1upできそう』など多くの作品が発表されています。
 その中でも、いとととさんの『サークルカットの4コマ』は同人誌即売会のサークルカットを4コマに見立てた作品です。左上隅のスペース番号欄と上部のサークル名欄を前提かつコマと見なし、カット本体を二分割することによって、全体で4コマとしているのです。この即売会はスペース番号とサークル名から推測するに COMITIA145。この回のカタログではいとととさんの同人誌『自分を4コマ漫画だと思い込んでる4コマ』が紹介されており、いとととさんはその紹介ぶりにも4コマを見出しています。
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 また、事物主義の支流のひとつである「掲示物主義」は街中のポスターや看板などを主な対象としており、『こんなビル助かるな~の4コマ』『不景気』『←』『石川のカニを食べよう』といった作品が発表されています。その中でも、いとととさんの写真作品『無題 (流石に4コマすぎる なんだこれ)』は、日鮪さんが指摘するように、現代4コマと「剥がしアート」という二つの大喜利ムーブメントの邂逅と言えるでしょう。
カラーチャート主義
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「カラーチャート主義」は4コマを着色して何かを表現する思想です。やはり現代4コマの主流のひとつであり、『オレオにケチャップ混入』『プーさん』『肉抜きバーガー』『ねぎま』など数多くの作品が発表されています。相当数の作品が事物主義の流れも汲みつつ各コマを単色で塗りつぶしており、言い換えればスーパーワギャンランドのモザイク当てを突き詰めたものになっています。
 その中でもアラヤマさんの『暗槓』は麻雀牌の白の暗カンをタテ方向に表現しており、2・3コマ目に空白主義の流れも感じられる特筆すべき作品です。また、いとととさんの『バナナ、食べ頃の推移』はむしろ時間主義(後述)の流れを汲み、また塗りつぶしだけでなく黒い斑点も描いているところが注目に値します。
時間主義
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「時間主義」は4コマを上から下へと読む順に時間が流れているものと捉える原則であり、前述した『運命を思い付いた瞬間』もこの流れを汲む作品です。また、やがみさんの『将来』は1・2コマ目の白、3コマ目からの不穏な文字、そして4コマ目から下の黒塗りが、白いキャンバスのような無限の未来、将来への不安、そしてお先真っ暗、という思春期から青年期にかけた現代社会の生きづらさを表現しています。
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 時間主義の支流のひとつである「歌唱主義」は歌唱の時間流を4コマによって表現する思想であり、先ほどの『旅立ちの日に』もここに位置付けられます。また、こーやんさんの『無題 (LMNOP)』は『ABCの歌』の冒頭を題材にした作品であり、4拍を1コマとして4コマ目で LMNOP の文字を重ねることによって、いわゆるエレメノピーのリズムを巧みに表現しています。歌唱主義の作品には他にも『モーニング娘。の4コマ』『学園天国』『天城越えの4コマ』などがあります。
空間主義
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「空間主義」は4コマを物理的あるいは概念的な空間として捉える原則です。qpdb さんの『自分』はタイトルのように見える「自分」からコマが進む=距離が離れるにつれて友人、知人、他人と疎遠な関係になっていきます。4コマ目では色を併用することによって赤の他人を表現している点も巧みです。また「んぷとら」さんの『脱走』は非常口マークがコマ枠からはみ出ていくのを牢屋からの脱走に見立てた作品と解釈できます。人の部分だけでなくマーク全体が出ていく点にシュールさを感じます。
時空間主義
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「時空間主義」は時間主義と空間主義の合流です。視力さんの『セグウェイ』は騙し絵の要素も含んだ特筆すべき作品。残像のような図像は、一見するとセグウェイに乗った人間が時間とともに左から右へと移動しているように見えます。しかしこの図像を道路に見立てた1コマと残像1つのペアが4ペア分ズラされてコピペされたものと解釈すれば、各ペアのコマ内の人間に相対的な動きはなく、それを残像のようにコピペしたところで動きが生まれるはずがないのです。にもかかわらずパッと見では時空間的な動きを感じられるところに面白さがあります。また、桜桃さんの『執行』はギロチン処刑を表現した作品であり、時間が経つととともに重力によって上から下へと刃が落ちていく様子を描いた各コマは時空間の両義性を帯びたものとなっています。
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 時空間主義の支流のひとつ「カメラワーク主義」は4コマをカメラのフレームの連続と見なす原則です。ぷらりねさんの『拡大または縮小』はズームアップとズームバックを2通りの方法で対比的に表現した、示唆に富む作品と言えます。また、いとととさんの『プッチンプリン側の視点』は逆さになったプリン容器の内部からプッチン棒の方向に上天を見た光景を表現したものであり、絶妙なドラマ性さえ感じられる作品です。
コマ間主義
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「コマ間主義」はコマとコマの間を細工して意味付けをする思想です。「なむさん」さんの『幸せな人生だった (心電図)』はコマ間を用いて心電図の波形を表現した作品。タイトルから想像するに臨終の時を表現しており、上から下へとコマを読み進めるにつれて波形が小さくなっていくことから、時間主義の流れも汲んでいることが伺えます。同様に、うりよしきばさんによる時間主義的な『YouTubeの4コマ』では、プレミアムの方はタイトル枠から4コマ目=最後まで隙間なく詰まっているのに対して、無料会員はそれぞれの間に空きがあることから、コマ枠で本編を、コマ間で広告を表現しているものと解釈できます。タイトル枠と1コマ目の間=動画の再生開始時にも空白=広告の有無にちゃんと差異があるところが細かい。
 また、コマ間を排除してコマ同士を隣接させ、コマとコマの仕切り線に意味付けをする思想も、コマ間主義に含まれると言えるでしょう。城ブドウさんによる、モールス信号のSOSを用いた『タ・ス・ケ・テ』や、折り紙の山折り線や谷折り線を用いた『山あり谷あり、山あり』がここに位置付けられます。
オブジェクト主義
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 前述した空間主義がコマを物理的または抽象的な広がりを持つ空間と見なすのに対して、「オブジェクト主義」は各コマや4コマ全体を抽象的なモノに見立てる原則です。いとととさんの『通販番組の4コマ』は各コマを通販商品と見なし、ありがちなフレーズとともに5コマ目を提示しています。空白主義的でもあり、またトータルではコマが5つ存在するにもかかわらず4コマとして成立させている、前衛的な作品と言えます。オブジェクト主義の作品には他にも『4コマの千切り』『水圧』『肩身が狭い』などがあります。
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 オブジェクト主義の支流のひとつである「擬人化主義」は各コマや4コマ全体を人間的な体躯または人格ある主体と見なす原則です。いとととさんの『ジェットコースターに乗れない4コマ』は4コマ全体を児童の体躯と見なした作品。なんじゃそりゃ、と思われるかもしれませんが、1コマ目を頭部と見なしつつ、こどもは4~5頭身と言われていることを鑑みれば、実はかなり的を得た描写と言えます。擬人化主義には他にも『デス4コマ』『回避』などの作品があります。
記号主義
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「記号主義」は4コマを図像として捉えて記号を解釈する、あるいはその逆に記号を図像として捉えて4コマを解釈する原則です。qpdb さんの『1分前の4コマ』はデジタル時計の「2359」=23時59分を表現した作品。あと1分で00時00分=「0000」になって4つのコマが出現することを示唆しており、コマ枠を用いずに4コマを表現した画期的な作品です。また、にこはぴさんの『万』はタイトル付きの空白の4コマを反時計方向に90度回転させており、タテ長のタイトル枠と4つのコマ枠をデジタルカウンターの「10000」に見立てた、空白主義の流れも汲む作品です。
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 また、記号主義の支流のひとつである「漢字主義」は漢字の中にある四角形の部分をコマとして解釈する、またはその逆に4コマを漢字の一部として解釈する原則です。つぶ謎さんの『憂鬱』は時間主義の流れも汲む作品であり、2コマと2コマの分割、赤黒の着色、そして4コマ目の下に伸びる脚によって、日曜日が終わって月曜日が始まる憂鬱を表現しています。また、城ぶどうさんの『喋りすぎなことわざ』は上3コマを目、下1コマを口に見立てることによって、目は口の3倍しゃべる→「目は口ほどに物を言う」を表現しています。漢字主義の作品としては他にも『無題 (ヌメヌメ)』『小学生「1+1は~?」』などが挙げられます。
4コマ詩派
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 漢字主義の中でも、トウソクジンさん (@co_v_h2) は「4コマ詩派」として極めて特筆されるべきでしょう。漢字を用いた詩の文字列を柔軟にフローさせることによって、4つの四角形部分の連続=4コマを図像的にも表現するのです。それぞれの詩は単独でも情感豊かに成立しており、視覚的かつ聴覚的に味わえる作品の数々は技巧的でいて趣深いものがあります。
 代表作『空蝉が喚き囁き啼き叫ぶ』は4つの漢字の口偏を並べて見せた作品です。七五調が三・四・二・三に細分化されてリズミカルに進む詩とともに4コマが提示される様には、えも言われぬ情趣を感じます。「叫」の右側を数字の4に見立てるのも上手い。トウソクジンさんはこの他にも『「骨を埋める」~』『未だ青き~』『箪笥の中から~』『ローファー履いて~』といった4コマ詩を発表しています。
本質主義
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 この記事における最後の分類である「本質主義」は、4コマの本質とは何かを見出そうとする思想です。まっちゃさんの『結』は入れ子になった4コマを描いた作品。一番大きく見える4コマでさえも右側にタテ線があることから、さらに大きな4コマの一部であることが伺え、ここから「(起承転結の)結が永遠にやってこない」ことを表現しているように解釈できそうです。しかし見方を変えれば、これはいわゆるストーリー4コマにおける4コマ内の局所的な起承転結と4コマ間の大局的な起承転結、そしてさらなる上部構造(雑誌連載や単行本など)を部分的ながら表現しているようにも見えます。
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 また、城ぶどうさんの『視線誘導』はタテ書きの4コママンガにおける基本的な視線誘導をコマ枠なしに表現した作品であり、きらら勢には『グレーゾーン』でお馴染みのアレとも言えます。注目ポイントは4コマ目の終わりから次の1コマ目へ向かう線形を「4」に見立てているところ。あんさん、それがやりたかっただけとちゃう?
   ◇
 以上、私の理解による分類でした。このユーモラスなムーブメントに興味を持たれた方は、公式 (?) アカウント「@gendai4koma」やハッシュタグ「#現代4コマ」、またはいとととさんなど個別の作家をフォローしてみてください。
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pyoyie · 7 months
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☆ピョイスのムヒムヒ☆データモッシュ講座☆
――――――
例へば、 .mp4 は I フレームと P フレームと云ふフレームで
大體が構成されてゐる。
(B フレームもあるが殆ど使わないので省略。)
―――
I フレームはシーンが大きく替はる時やエンコーダーに依り、
等間隔に���たれている、情󠄁報が詰まったフレーム。
(キーフレームとも云ふ。)
―――
P フレームは I フレームを元に、
一定の動きなどの動作の予測をメディヤプレイヤー等に再現させるフレーム。
(削除シた所で余り動畫は破壞されない。)
―――
まず、シーンが替はる瞬間に大體が打たれてゐる
I フレーム (キーフレーム・情報フレーム) を强制的に削除すると、
当該シーンを破壞しながら次のフレームが表れる。
―――
そして、動作中の P フレーム (動作予測フレーム) を
コピーして何回もペーをすると、
プレイヤー上で動作予測が繰り返され、
グニャ~と伸びる樣に動畫が破壞される。
(メディヤプレイヤーで再生しないと、破壞されて表示されないので注意。)
―――
元々、昨今のエンコーダーは高畫貭で、
データーの破損が少なくなるように設計されてゐるので、
"QTConverter 1.3.0" 等の Y2K 系アプリにて、
强制的に低畫貭かつキーフレームを打ちまくる樣にシた。
―――
そして、 I フレームと P フレームの確認ができるソフト。
ピョイスが使ってゐるモノは
"Avidemux" (オープン・ソースのフリーソフトだゼ)
このソフトは動作も𦘠き出しも輕快でおれのお氣に入り。
( P フレーム等をコピペ連打したりすると流石にクラッシュするが。)
――――――
大体の動画ファイルの大まかな構成; [I-PPP-I-PPP-I-PPP…]
youtube
I フレームを削除した場合; (I-PPP-PPP-PPP-I…)
youtube
P フレームをコピペしまくった場合; (I-PPPPPPPPP…)
youtube
――――――
20231101 - Additional Note; ―――
また、バイナリエディターを遣つた無造作な破壞法も在り、
Google 等で検索シて出てきたエディターを遣ひ、
映像のキーフレーム等の周辺を担ってる數値の
"01 B0" の數値を別の ("02 B2" 等 ) の文字列に置き換へるコトでも
再生可能な狀態で破壞出來るので、
人の手による故意がない全體的な損傷を動畫に與へるコトが出來る。
―――
バイナリエディタで "01 B0" を "02 B2" に總て書き換へた場合;
youtube
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hatanowataru · 1 year
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昨年末に施工した空間がもうすぐお披露目。 @casa.sakanoue @yuko.casa 床、壁、天井、家具全て和紙で包んでいます。 そして、そこに清水善行さん(他)が展覧会。 @sleepy_yoshiyuki 是非チェックして行ってみてください。 横浜です。 #Repost @casa.sakanoue with @use.repost ・・・ 2023.1 はじめまして。 Casaさかのうえです。 このたび新しい場を開くこととなりました。     Casaさかのうえでは お茶の会や珈琲の会 暮らしにまつわるお話し会などのイベント
器をはじめとした作家さんたちの作品を中心とした 展示会などを開催予定です。 わたしたちは日常をよくよく見てみると
ちいさな幸せや美しさを改めて感じることがあります。    しかし、現代は忙しい人が多く
何かと比べてはキリがなく
日常に紛れてしまっている小さな幸せを
見落としやすくなってしまっている
と、感じることはないでしょうか。

そんな中でも
自分自身の心が、光を見つられる方に向いていたい
 そう思って、
暮らしの中に宿る美しさを ひとつひとつ丁寧に探求しはじめて長い月日が経ちました。    

『変化や課題を感じる時代の中でも
 私たちが暮らしの中で大切にしていることを  枠にとらわれない形でお伝えしていきたい』

この想いがCasaさかのうえという“場”のはじまりです。


モノやコトから感じる一瞬一瞬の積み重ねが 大きな幸せに繋がっていくと信じています。

 お茶の会や珈琲の会では
その場に居る人との出会いや新たな学びを感じたり
 作り手の想いがこもった展示会では
その作品と一緒に暮らしたいと思うような お気に入りを見つけたり

...関わる人それぞれの楽しみ方があると願っています。
  この小さな空間を訪れてくださった方に 心が整うような時間を提供できたら幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。   Casaさかのうえ店主  砂子 優子 / 貴紀(Sandy) https://www.instagram.com/p/Cn9TlFyvpsS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ogawa-xd · 1 year
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■第三言語革命
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自分が聞いたことがないだけかもしれないが、まだ誰もこういうことをいっていないようなので、一つの大きな話しをしてみたい。もちろん自分は専門家ではないが、ぎゃくに誰なら専門家を名乗れるというのだろう? これは自分なりのコンシリエンス/帰納統合の結果である。骨子は5年くらい前に考えた内容だが、ここへ来て「いよいよ感」が高まっている。 このAIで起きている「変化」は、人類の第三の言語革命の一つの章なのではないか、ということ。しかももっともコアな一章だ。「言語」と人の関係が深いことは言うまでもないが、こんなふうに考えている。
言語という技術
はじめに、「言語」というのは、人の手にしたとても大きな「技術」と考えられる。人にとって最大級の発明品といってもいい。それは偶然に手に入れたものだが、それを習得していると爆発的に「いいこと」があった。
言語という技術は、人の全歴史(20万年)の約半分ほどの時間(10万年)、人と随行している。もちろん出来事的には人が言語を作った(創発した?)のだが、時間軸全体のなかでみると、言語が人を作ったといった方がいいのではとも思う。20万年前に生まれたばかりの人と現代の我々は、ハードウェアとしては互換性があるかもしれないが、生きている内容や状況は大きくちがう。その大きな「差」を作ったのは言語である。言語は動物と人を隔てる高い高い壁だ。いっそ、人は言語である、といってしまってもいいくらい。
言語革命
言語という技術そのものが革命だった(言語革命、認知革命:ハラリら)わけだが、そのなかには「話し言葉」と「書き言葉(文字)」という、やはり革命と呼べるような二つの段階があった。それらの変節点の前後で人自体が大きく変わった(オング)。
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20万年前に人=ホモ・サピエンスが興ったときは、言語を持たない時代で、サピエンスはとても賢かったけれど、まだ「賢い動物」というレベルにすぎなかった。
だいたい10万年くらい前に「話し言葉」という形で言語を獲得した。はじめの会話は「うわさ話」のようなもので、仲間同士の親密度を高める効果があった。これは猿の仲間同士でおこなうグルーミングのような効果を持つものだったという(ダンバー)。
この第一の言語革命以前の、無言語の時代/前言語時代は、だいたいは動物と同じような精神活動をしていたのだろう。それは動物的な〈感覚〉の支配する時代だ。動物なりの合理的な〈思考〉も多少はあったのだろうが、〈感覚〉:右脳の支配する、そんな心を我々も持っていた。
その革命後の時代を、名付け・説明するような学説を自分は知らないのだが、ジュリアン・ジェインズという動物心理学者が〈二分心〉の時代という魅力的な時代仮説を打ち出している。
言葉によって〈思考〉は劇的に飛躍したにちがいない。言葉によって今ここにないモノやコトを指し示すことができるようになった(「言語の志向性」)。〈二分心〉の時代を手短にいえば、役割としての右脳と左脳、あるいは〈感覚〉と(合理的な)〈思考〉があることは現代と変わらないが、その関係は右脳/〈感覚〉が優位を占めていて、左脳/〈思考〉は完全に右脳の忠実な僕だった。〈感覚〉の命ずるところを実現する「ために」〈思考〉は使われた。〈思考〉にはまだ自治権が与えられていなかった。
(「右脳/左脳」については実際の部位というより、機能的比喩と捉えてほしい。)
その後、だいたい6000年前に人は文字という技術を獲得した。これによって右脳左脳の役割のバランスが変わった。それが第二の言語革命である。文字によって合理的な〈思考〉は飛躍的に強化され、その結果として生まれたものこそが、われわれの「この」〈意識〉であるという(ジェインズ)。合理的な〈思考〉がヒトを支配し〈感覚〉はやや後退した。確かに合理的な〈思考〉により、哲学も科学も成立し、そういった土台の上でビルが建ちロケットは月にまで到達する。そしてそういう科学技術の進展の末に、〈思考〉や知識を扱う技術が、20世紀の前半に生まれた。〈意識〉は、哲学や科学のベースにあるものであるが、〈意識〉が実際に「文字」の効果として生まれたのが3000年前であったとジェインズは特定する。
現代のわれわれはこの〈意識〉の時代にいる。そして、いたことになるのかもしれない。
ここからは自分の妄想。
20世紀から21世紀にかけてコンピュータという「技術」が出現した。はじめは計算機としてやがて情報機器として。この情報を扱う技術全体を、第三の言語の革命と自分は捉えたい。言語が扱っているものは、話し言葉にせよ書き言葉にせよ、それは「事実の移し絵」としての「情報」である。情報もまた「言葉」である。
第一言語革命/話し言葉では、とにかくある精度で人に「情報」を伝えることができるようになった。第二の言語革命では、それを記録/蓄積し空間も時間も越えて遠くへ情報を運ぶことができた。でもいったん書かれた言葉は、そのまま固定されている。
第三の言語革命では、情報/言葉を無尽蔵に朽ちることなく蓄え/書き換え、世界中へ瞬時に伝えることができるようになった。また情報を「操作/計算/処理」することができた。これは「情報を操作するための情報(プログラミング)」による効果と考えられる。そして今、情報を操作するための情報を「自律」させようとしている。AIとはそのようなものなのではないか。
声とは、空気の振動
文字とは、紙のしみ/粘土板のへこみ 現代の言葉は、操作変容可能・光速移動可能な電気の印
今起きているこのAIによる変革は、AIやChatGPTというだけで考えるべきではないと思う。もっと大きなコンピュータ技術というか情報にかんする技術(これにはいずれ適切な名前も与えられるだろう)による、第三の言語革命というロケットの、最終段階のロケットエンジンがAIであり、いまそのエンジンに点火されたのだと思う。その大きな推進力の起こす「G」が、今我々が感じている「強い力」である。マイクロチップもインターネットやWebもSNSも、必要な何段目かのロケットエンジンだったのだろう。
一人の人間に���っては約一生分の長い時間かもしれないが、コンピュータという技術が出現してまだ100年も経過していない。それはほんの一瞬のできごとである。
第三言語革命によってどういう世界に突入するのか、今はまだまったくわからない。
動物が人の豊かな「心」を想像できないように、前の時代にいるあいだには、次の時代をリアルに想像することはできないのである。
状態1:無言語の時代、動物の時代/動物的な〈感覚〉の時代  ↓ 技術1:話し言葉(アバウト10万年前)、第一言語革命  ↓ 状態2:〈二分心〉の時代、言葉によって左脳の働きが生まれたが、右脳優位の時代  ↓ 技術2:書き言葉(6000年前)の発明、第二言語革命  ↓ 状態3:〈意識〉の時代、〈意識〉の誕生(3000年前)  ↓ 技術3:コンピュータ・ネットワーク/情報機器(紀元2000年頃)、第三言語革命  ↓ 状態4:???
ハラリ:ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」など ダンバー:ロビン・ダンバー「ことばの起源」 オング:W-J. オング「声の文化と文字の文化」 ジェインズ:ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」
230327
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kennak · 1 year
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東証スタンダード上場で雑貨・書籍販売の「ヴィレッジヴァンガードコーポレーション」は、2023年5月期通期連結業績予想を下方修正し、当期純損益が1億9900万円の赤字に陥る見通しを明らかにしました。 2023年5月期通期連結業績予想:ヴィレッジヴァンガードコーポレーション 売上高営業損益純損益 前回予想 288億2400万円 4億2600万円 1億5600万円 今回予想 251億4800万円 △4900万円 △1億9900万円 前期実績 267億5800万円 3億5100万円 1億1600万円 物価高騰や人流の活発化に伴うモノ消費からコト消費へのシフトなどにより、菓子類や美容雑貨など嗜好品に対する購買意欲の低下が見られることから、営業損益・純損益ともに従来の黒字予想を一転し赤字見通しとなりました。 業績予想の修正に関するお知らせ:ヴィレッジヴァンガードコーポレーション
ヴィレッジヴァンガードの23年5月期は2億円の最終赤字へ 赤字決算 - 不景気.com
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kisanebacci · 1 year
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いよいよ、ついについに、 四月二十一日金曜日午後府立洛南病院との 第三回目の団体交渉が設定できました 素晴らしいです。 第一回第二回の団体交渉のために出した、最初の【府立洛南病院院長殿並びに副院長殿並びに看護部長殿並びに事務長殿公開質問及び要請状】をアップしておこうと想います よーーし、ヤルゾーーーー
府立洛南病院院長殿並びに 副院長殿並びに看護部長殿並びに 事務長殿 公開質問及び要請状
 私たちは、1976年設立の精神病患者会前進友の会と申します。また、患者会が設立母体運営主体となって1988年に認可を受けたやすらぎの里作業所とも為っております。40年以上拠点としていました山科区の日ノ岡から、昨年の10月伏見区の石田大山に引っ越して参ったトコロです。貴院とは、距離にして、4キロ弱、車なら10分ほどの距離に居ります。コレもナニかの御縁でしょうか。地元であり身近であると、言えましょう。ジックリとおつきあいくださいませ。身近な患者会作業所として、貴院の医療内容の充実に微力ながら協力を惜しまない決意と覚悟でございます。     さて、身近であると云うコトは、貴院において此のたび観察法病棟を拵えて運用を始めるということに、不安に想っているなかまが多いと云うコトであります。町内会の皆様方が『迷惑施設』ができるので不安だと云うとても差別的な不安とは、全く意を異にする精神病者の精神病患者のセーカツから来る不安と云うものです。 ただでさえ我々精神病患者は『セーシン病』の『キチガイ病』の『キタナイ』は『キケン』やは『キツいキチガイ』やは『異常者』やは、『生活保護』やは、だのと、世間様から、散々に言われ続けワルう見られ続けてるのです。しかも、なんとかかんとかフツーにセーカツしていても、この町内から、アパートから、学校から、会社から、出て行けと、表裏なく言われ続けているのです。そこにさらに、上乗せで、『観察病棟帰り』の『触法精神障害者』となったら、『ハクが付き過ぎて』、『スティグマに為りすぎて』、外で暮らせなくなるのではないか、出歩けんようになるんじゃなかろうか、と、ますます、ワシ等キチガイは、暮らしにくくなる、のでは、と不安でいっぱいです。  なぜここまで不安に駆られるのか、以下理由を述べます。
 まずは15年間、この法を運用してみた結果、余りにも『自殺者』が多いと云うコトがハッキリしております。つまるところ、『内省療法』の名のもと、『認知行動療法』的手法を駆使した【心理拷問】でもって自殺を煽る医療を、『法を犯したとする精神病患者』に対し、『治療』としてやり続けてきたわけです。怒りを禁じ得ません。あり得ない、と想います。『認知行動療法』と『内省療法』でもって、自殺させるため【心理拷問】を、組織的に制度的に医療として治療として、多くの人出とたくさんの予算をつこうてやってきたのです。  クロルプロマジン換算何千ミリなどと云うクスリも使ったのでしょう。『m-ECT』とキレイ事を言って電気ショック電パチも使ったのでしょう。看護士の暴力も、鉄格子も保護室も四肢拘束五点張りも使ったのでしょう。観察法病棟の医療従事者ども、キレイ事を言うんじゃない。許さん。専門職と称する奴等が意識的に患者を自殺させるコトを目指す、ことが、果たして医療と言えるのでしょうか。怒りを禁じ得ません。「鉄格子じゃないプラスチック強化ガラスなんじゃ。看護士の暴力やない、包括的暴力防止プログラムCVPPPを実践しとるだけじゃ」などとキレイ事言いさらすなよ、ホンマに。
 我々はなかまの一人が2010年冬、観察法審判に付されると云うゲンジツを味わったのでした。まさか、本当に、一緒にセーカツしていたなかまが、コンナにカンタンに観察法審判に付されてしまうのかと、とてもとても、ビックリ致しました。その時に味わったことは、忘れられるものではありません。その時のことは、現代書館刊、浅野詠子著『ルポ刑期なき収容 医療観察法体制という社会防衛体制』アットワークス社刊、江端一起編著『キーサン革命宣言 精神病者のセーカツとカクメイ』にて、著述されております。ご一読下されれば、この観察法病棟の問題点と、如何にしてなかまを観察法の魔の手から救い出してきたかが、赤裸々に描かれております。  この時の苦い苦い想いから、2点目の理由として、本人にとって一番医療が必要な時に鑑定などで、時間を取られて、法的手続きのために、本人のための医療が途切れると云うコトがあります。つまるところ、本人とって必要な医療は、どのみち必要であり続けるワケで、『触法』であろうがなかろうが、ジブンの信頼している医者にかかれない、作業所に行けないと云うコトであります。この時は奇跡的にも、なかまに対して「この法による医療は必要ない」と云う審判が下されましたが、もし、入院命令、通院命令になっていたら、本人が信頼しているクリニックからも作業所からも、訪看からも、つまるところ、地域から途切れさせらてしまうわけです。本人がづうっと居続けていたクリニックや作業所やトモダチ関係と途切れてしまう、中断してしまうと云うことは、精神医療として、在ってはならない事ではないでしょうか。    3点目としてこの15年の運用実績を見てみると、ゲンジツには短期で出すと云うことが反故になってしまい、【物凄いスティグマの監察札を貼り付けた上で、社会的入院をシビアーに再生産している】だけと為っているのではないでしょうか。入院が長引いているではないですか。『社会復帰』しにくくなってませんか。平たくイャア、制度設計した時の予想より、とんでもない長期入院が増えているんじゃないですか。ソリゃあコンなゲキレツな『鑑札』貼り付けるんやもん、外で生きづらいワナ。  しかも、ゲキレツな人的資源、溢れるほどの銭を使って、他の精神医療や福祉に比べたら、余りにも、不公平じゃないですか。チカラコブの入れるトコ、入れ方、入れようが、間違っているんじゃないですかね。しかもそれをもって、「素晴らしい精神医療の実践」だとか持ち上げて、濃厚で人手とゼニをつこうたスッバラしい精神医療をやってみたかったんだとばかりに、『反対派医師改革派医療従事者』が『賛成派推進派』に回っている、と云うのがアサマシいほどの真実じゃないですか。  そちらの院長副院長の名前を聞いて腰をぬかしましたからね。一応は『改革派』ダッタんですよね。副院長様ナンカ、前進友の会の二泊三日の海水浴の夏レクに一緒に行った仲じゃないですか。此の頃は貴院からもたくさんの入院患者さんが参加されていました。みなさん、ドウ過ごされているのでしょうか。あの頃丘の上の方の二階建ての病棟が上も下も全開放で、愉しかったデスがね。  当会の江端君なんか、ソチらの副院長様吉岡隆一はんとは一緒に夏レク行くは、京都滋賀精神医療人権センターで一緒に結構長く活動してるはで、一体全体、ドウなっているんだと、ドウしたんだと、アタマ抱えていますよ。府立洛南病院と言えば、元々『プシ共闘』の拠点病院で、『改革派医師』の中でイカツく闊歩していたのは、モハヤ過去の歴史の一ページにも為らんと云うトコでしょうか。時代があまりにも早く移り変わって、とかく精神医たちの『変わり身』の速さには、コチとらついていけませんよ、それで、当会の江端一起君、確か90年代後半から02年ころまで、松本院長を主治医として外来に罹ってた、観察法病棟が在るトコに自分の記録やカルテが残ってるのはオソロシクてしようがない。グアイワル為る、カルテを廃棄してくれと、言っていますよ。ひょっとすると、貴院に罹ったことのある患者さん、みんなコウ云うフウに想って恐怖しているかもしれませんね。酷いコトだ。
 4点目として、そもそも、『再犯予測』なんて、出来るハズもないのに、ソンなことは出来ないのに、イロイロリクツをこねくり回して、『学会ごっこ』しているうちに、『池田小事件』利用して、ナンダカ勢いでやっちゃったから、コンなザマナンじゃないですかね。事件の利用の仕方がズル賢いですよ。ナンかの事件が大々的にマスコミにのっかる時、次はナニが出て来るのかと、ホンとシンパイですよ。
 5点目、医療観察法を適用する前から、アンタ等が使えるモノはイロイロアッタではないですか。措置入院も医療保護入院もあったではないですか。任意入院ですら退院制限できる制度設計になっているじゃないですか。警察官通報も検察官通報もナンでもアリだ。ホンのチョットしたことで、ケーサツが来てパトカーで精神病院連れていかれて、家族に連絡されて医療保護入院じゃないですか。刑事裁判で執行猶予が確定するまでの二週間の間、司法では身柄を拘束できないって云うんで、検察官通報と措置入院をまっことベンリに使うているじゃないですか。『司法と精神医療の相乗り』デスな。
 6点目、『司法制度と精神医療の相乗り』と云えば『保安処分』と云うコトバをつかわなくても、そもそも、心神喪失者医療観察法って、憲法の禁ずるところの特別法廷に為っているンじゃないですかね。しかも、一回の審判で決まってしまう。傍聴も出来ない、まるで密室の暗黒裁判やがな。それで、控訴も上告も出来ないんやから、全くの再審の機会がないわけヤカラ。だから、そもそも、その犯罪行為にかかわったかのどうかチャント判断できなくで、冤罪かどうか判断できないもんで、ジッサイのトコロ『真犯人』名乗り出ちゃって、無関係と判明と云う事件この15年で何件もなかっですかいの。コレぞホンマの暗黒裁判ではないですか。無罪か有罪か、証明できない上に、だからこそ、冤罪の場合国家賠償スラできないときた、しかも、ヤリ方によっちゃ、『司法制度と精神医療の相乗り』のくせに『精神医療の麗しき治療』であると言い募って、実質、『遡及適用』出来る上に、『時効』も『一時不再理』も無いときた、うまく出来た制度ですよ、ホンと、コレぞ【ヂゴクの暗黒裁判】だ、コレチャントした刑法学者はんや憲法学者はんや弁護士はんたちは、問題にし続けないとならないのではと、想います。
 ココまで書いて、長すぎちゃって、質問の趣旨や、要請の趣旨が分からないナンて言われちゃうと、うまくナインで、質問趣旨、要請趣旨を箇条書きにしておきますので、まずは、文書でもって九月二十日までに返事を下さいね。宜しくお願いしますよ。
①一度、前進友の会と、会って話しが出来ませんか ②観察法病棟を運用するツモリですか ③ソレは何故ですか ④予定されている年間予算はお幾らですか ⑤『観察法病棟帰り』と云うスティグマを生みませんか ⑥この法15年の実績の中で『自殺者』は何人に為っているのでしょうか ⑦『自殺者』が多い原因は何だと考えていますか ⑧『多剤大量投薬』を実施しますか ⑨『内省療法』を実施しますか ⑩『認知行動療法』を実施しますか ⑪『鉄格子』『保護室』『四肢拘束』『看護士の暴力』を実施しますか ⑫『m-ECT電気ショック電パチ』を実施しますか ⑬この法15年の実績の中で最長入院年数はどのくらいですか ⑭長くなる原因は何だと考えていますか ⑮本人の希望する或いは信頼する医療福祉環境から断絶することをドウ考えていますか ⑯現代書館刊、浅野詠子著『ルポ刑期なき収容 医療観察法体制という社会防衛体制』を読みましたか ⑰アットワークス社刊、江端一起編著『キーサン革命宣言 精神病者のセーカツとカクメイ』を読みましたか ⑱『再犯予測』は出来得るとのお考えですか ⑲司法制度ですか精神医療制度ですか ⑳そのように考えるのは何故ですか ㉑副院長が当会の夏レクに参加していた事実はありますか ㉒副院長が京都滋賀精神医療人権センターの活動に参加していた事実はありますか ㉓何年間活動していましたか ㉔その間『処遇困難者専門病棟』構想に反対していた事実はありますか ㉕当会会員江端一起の記録やカルテは残っていますか ㉖本人の希望により廃棄処分とすることは可能ですか ㉗観察法病棟を運用前に見学することは出来ますか ㉘観察法病棟を運用中に見学することは出来ますか ㉙『保安処分』をドウ考えますか ㉚この法による患者の『自殺』は『治療』の『成果』と考えているのではありませんか、ドウなんダ ㉛府立洛南病院が果たしてきた役割と歴史を、現在の幹部諸君はドウ考えているのか 2020年8月13日   精神病患者会前進友の会  押印      やすらぎの里共同作業所  押印 
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sugabucks · 1 year
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【きときと亭】 富山県にある「氷見きときと寿司」の姉妹店 -2022.04.22 訪問- 📍三重県桑名市長島 この日の注文 ・三色丼 フードコートってすばらしい。 ラーメンも食べたい、寿司も食べたい、同時に食べてしまおうってコトで弟子屈ラーメンと一緒に食べたのがコレ。 もっと高級な北陸丼とか、寿司盛り合わせとかもあったんですが…比較的お値打ちな丼モノで。まぐろ・サーモン・かにの3色丼。 お寿司の定番な具材なので北陸らしさには欠けるところではありますが、ウマいと評判のきときと寿司に触れるコトができてうれしいです。 #きときと亭 #きときと亭ジャズドリーム長島店 #きときと寿司 #ジャズドリーム長島 #ナガシマスパーランド #寿司 #海鮮丼 (三井アウトレットパーク ジャズドリーム長島) https://www.instagram.com/p/Cn8ah2FvfhG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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r819h · 1 year
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最近の写真見てつくづく思う、、、 『 好きなコトを好きなモノと好きなだけ楽しむ日々。 』 今のあたしのカラダは、ハイキューとスプラ(バイト)で成り立ってます。 * * #ハイキュー #ハイキュー‼︎ #haikyuu #排球少年 #オビツろいど #ねんどろいどどーる #nendoroidphotography #obitsuroid #goodsmilecompany #ハイキュー好きな人と繋がりたい #オビツ11 #ob11 #photo_jpn #キャンプ #camp #キャンプ好きな人と繋がりたい #バハリ4 #カメラのある生活 #ファインダー越しの私の世界 #ポートレート #portrait #portrait_shots #ig_portrait #スプラトゥーン #スプラトゥーン3 #splatoon #スプラトゥーン3してる人と繋がりたい #サーモンラン一緒にしてくれる人募集中 https://www.instagram.com/p/CpCUd62SfXO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ご報告
2022年をもってフエルコとのアンバサダー契約が満了したことをここでご報告したいと思います。ブランドの立ち上げから関わらせてもらい、ここ2年程はテスターやプロスタッフとは違ったアンバサダーという立場からブランドの製品や魅力を発信することに重きをおいた活動で、これもまた自分にとって良い経験と勉強になったと思います。ブランドがスタートしたのが2017年なのであっという間の6年間でしたが、小学校に通ったのも6年間だと思うととても長い時間を一緒に旅させてもらったんだなぁと。
と言っても契約が満了したからといってフエルコのロッドを全く使わないこともないし、これまで通りペスと釣りに行くだろうし、他のアンバサダーたちとも交流は続くわけなんですが、一つの区切りとして久しぶりにブログを更新したいと思いました。
昔初めて釣りのブログを始める時に、自分の足跡がブレないように実名、顔出しにこだわったのは当時どこかに小川健太郎が書いていた記事がきっかけでした。それ以来自分にとって何かを書くことは、迷った自分が自分を探せるようにと、そして言葉が自分を見つけてくれるように続けてきた気がしてます。そして誰かが自分を見つける。SNSがメインとなった今でも、その感覚は変わることなく。
(じゃあもっと語れよ、もっと書けよとも思うけど、、、)
2022年は連載のあったアングリングバスが休刊になったり、山で転んで初めて肩を脱臼して物理的な原因で四十肩(?)的なものになって凹んだり、寂しいことも多かったように思いますが、それ以上に今年もまたきっと新しい楽しいモノ・コトが待っているんだろうから、まだなくなることはない自分の衝動に正直に、ありのままに生きていきたいと思います。
僕はガサツで声と態度が大きくて、自信があって過去になんかとらわれず常に明るい一面があることは自分でも認識していますが、その反面昔もらった手紙や好きな服のタグも捨てられず物が増えたりするぐらい、これまで出会ったものを簡単に忘れたりとか、なかったことにはできない性格でもあります。それはもちろんフエルコも同じで、消えることのない歴史の1部。これからもいちユーザーとして、ワクワクするようなプロダクトを生み出すGOOD FISHING COMPANYを応援していきたいと思いますので、この記事を読んでくださった皆様はそれ以上にこれからの僕のことも応援してくださいね(笑)
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Experience is Everything.
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