Tumgik
#ナインストーリーズ
ishibashisumi · 2 years
Photo
Tumblr media
装画の練習「ナイン・ストーリーズ」(サリンジャー / 野崎孝訳) Study of illustration for bookcover “Nine Stories“
1 note · View note
bigyokushoten · 5 months
Text
イーユン・リー『理由のない場所』から広がっていく(美玉ラジオ#32)
今回起点にしたいイーユン・リー『理由のない場所』翻訳は篠森ゆりこさん、河出書房新社から刊行されています。
篠森ゆりこさんが英語の翻訳者だということからもわかるように、リーは北京出身の作家ですが、英語で執筆しています。
母語ではない別の言語で執筆する作家は結構いて、その動機は人それぞれですが、リーに関しては母語を捨てたという認識で、それはある種の自殺とも言っています。
リーは1972年生まれで、大学進学時にアメリカに留学して生物学を学びます。博士課程に進み免疫学を学びますが、このままでは一生後悔すると感じ同大学の創作科に転科します。博士号まであと1年というときでした。
それからリーはたくさんの文学賞を受賞する作家になります。イギリスのブッカー賞という世界的に権威ある賞の選考委員を務めたりもしました。
しかし彼女は2017年の秋に息子を自殺で失ってしまいます。
この作品は息子が亡くなってから数週間後に執筆を始めており、内容も自殺した16歳の息子とその母親の会話です。
自殺した息子との会話ですから、なんか霊的なものとか母親の理想で埋め尽くされているとか、もしくは絶望に心を砕かれそうな悲しい内容を想起してしまうますが、これはそのどれとも違います。
本文中でも
”時間と縁を切ることで息子と対峙する。
神や霊の世界ではない、私が考え出した世界でもない。
それは言葉だけでできた世界。映像も音もない。
これは物語を書くことだ”と言っている。
息子も母親もとても言葉に注意というか敬意を払っていて、それゆえに読み応えがあって抜群に面白い会話になっているんです。
息子はとてもクールなんですよね。16歳の男の子はこうでなくちゃという感じもするけど、
本文で
”こういうことが起こるかもしれないとわかっていたのに、なんで子どもを作ったんだ”という問いかけがある。これは息子が自殺する可能性だってあるとわかってたのになぜ子どもを作ったんだということなんですけど。
それに対して母親は
”どれだけ感傷的な人でも多少の希望は持ちたがるものなのよ”
”都合の良い考えって言うんじゃないの。ママが言ってるその希望はさ”
とにかく辛辣。読んでみるとわかりますが、これは母親を嫌っているのではなくて、母親を対等なものと感じていて信頼しての発言。
この本の帯には”息子を亡くした実体験に基づく衝撃作”という文言が載ってたりして、これに惹かれる人はそのままどうぞお読みくださいって感じなんだけど、この帯文にちょっと「うっ……」ってなってしまう人も「ちょっと待って!それで読まないのは余りに勿体ない」と思うわけです。
私なんかは実感の伴わないものを理解する力があまりないので、どうしても自分の興味のある方へ作品を引き寄せちゃうタイプなんですけど、そういう変な読み方を今回もしました。
私は本作に登場する16歳で自殺した息子ニコライをサリンジャー的な人物だと感じていて、サリンジャー的人物というのは「やけに自己が出来上がっているマセた子供」と捉えています。
さっきニコライの母親は時間と縁を切ることで息子と対峙するって言いましたけど、16歳で自死した息子は時間を失っているんですね。
小説の中には時間を失った個性的な子どもが沢山いて、ラノベとかメフィスト系の作品にやっぱり顕著かなと。サリンジャー作品にもそれを感じるから、私にとってサリンジャーはお気に入りのラノベみたいなところがあります。
『ナインストーリーズ』や『フラニーとズーイー』でお馴染みのグラース家、その中でも長男シーモアは時間を失っている。(彼は大人といえる年齢ではありますが)長男のシーモアは「バナナフィッシュにうってつけの日」の主人公で有名です。この短編の最後にシーモアは唐突に拳銃自殺を図るわけです。
小説家の佐藤友哉がサリンジャーのパロディとして発表したのが同名の『ナインストーリーズ』という作品で、こちらに登場するのもグラース家を文字った鏡家の子供たち。こちらでシーモアにあたるのが長女の癒奈姉さんで、彼女もやはり自殺してしまう。
シーモアも癒奈も長子らしい大らかさはあるものの、理解し難い行動や発言を繰り返す人たちで、あれほど圧倒的な存在感を持つ人たちが誰も理解できないままこの世を去ってしまうと本当に頭が?で埋め尽くされてしまって、それ以上考えることができないんですね。考えてもわかんねーやってことで、私は二人のことが大好きなのに、何故か理解しようと思ったことがなかったのです。
だけど理由のない場所のニコライの言葉が私の意識を変えます。
”変えようがない長所や短所があったらそれを貫き通すべきじゃないかな”
なんかはっとしました。ニコライとシーモアと癒奈はそれぞれ全然似ていない(そもそも年齢全然違うし)、でも彼らの自死は何かを貫いた結果なのだろうと急に思ったんですよね。
とにかくシーモアや癒奈姉さんの人となりにもっと近づいてみたいなと思っています。癒奈の兄弟たちの会話にも、次女の稜子が弟の創士に「理解できない人間はいないのよ」って言っていて、再読したら妙にそこで胸が熱くなりましたね。
ところで『理由のない場所』は母親の視点で語られる作品です。
冒頭で
私はルールを作る白の女王ではないし、ルールに従って生きるのを拒むアリスでもなかった。私は説明のつかない悲劇に普通の子供が消えたことを悲しむ普通の母親だった
と言う文章がある。
ちょっと脱線しますが、夏に野田秀樹の舞台『兎波を走る』を観に行ったんで���けど、これも不思議の国のアリスが下敷きになっていて。
あらすじは元女優が自分の所有する寂れた遊園地で、幼い頃に母親に読んでもらった不思議のアリスを上演したい!と熱望して劇作家を雇って上演するというもの。劇作家はどれも頓珍漢で劇もデタラメなんですが、現実パートと劇中劇のパートがどんどん混同してい来ます。
現実パートの遊園地の迷子センターに一人の母親が子どもを探しにくる。でも母親は子供の特徴をうまく伝えられないから相手にされない。それでも母親は劇中劇の中を割って入って娘のアリスを奪還しようとする。愛しい娘と何かを伝えたそうな兎を追いかけ続ける母親。
段々と劇は不穏な場面が増えてきて、足を高く上げて歩く軍人や女王のための悪夢のような式典のシーンが続く。
やがて観客は、この作品は拉致被害者とその母親、そして彼らへの償いを果たそうとする亡命した元工作員が繰り広げる、暴力的な理不尽と深い喪失の物語だと気づくんですね。これもまた時間を失った子供と刻一刻と過ぎる時間の中を生きるしかない母親の物語でした。
これは新潮という雑誌で戯曲が読めるので是非。戯曲だけでも破壊力抜群で素晴らしいのでバックナンバーを取り寄せるなり図書館行くなりして読んでください。
話を元に戻しますが、グラース家でも鏡家でも両親の存在は結構薄くて、まぁ鏡家の方には意外に出てくるんですけど、とにかく普通の親という印象しかなかったんですよ。これまでは。
だけど私も歳を取ったので、さっきの舞台もそうですけど、完全に母親側の視点で物語に入り込んじゃうんですね。そうすると、若い頃の私が下した普通の親だろっていう決めつけは随分雑だなって感じてきました。
しかも私が佐藤版ナインストーリーズで最も好き、かつ全小説史の中でもトップレベルに美しいと感じたシーンが、母親が娘の頭上にドーナツをかざして天使の輪を作るシーンなんですよ。あのシーンが本当にめちゃくちゃ好きなのに、どうして当の母親に対してあんな雑な解釈ができたんだと自分が怖くなりますね。こんなにも手に負えない子供たちを母親はどう思っていたんだろうって、そういうのを思ってリーの文章を読むと心がぶんぶん���さぶられます。
これは別にナインストーリーズの登場人物の人となりを理由のない場所から補完しようって話ではないです。だって全然違う人たちだし。
でも、こうして全然関係ない作品から大好きな作品を楽しむためのヒントをもらえるって言うのは結構感動的でした。
私はイーユン・リーという人が生み出すフィクションの力に、それはそれは大きな信頼を寄せています。どんな読み方をしても良いし、どんな読み方をしても、必ず読んだ者の中に強く残る物語を生み出す人なのです。
1 note · View note
petrock42 · 9 months
Text
悩みの搾取について
対他人よりも自己発信でいられるSNSが好きです。 私は議論や口頭による批評などで何かを断言する人が苦手で、自分で語る時はいつも余白を残しておきたいです。 というのも飲み込まれてしまうから、という自分の軸の弱さもありますが、それよりもいつでもその続きから考え続ける余地を残しておきたい。それが私にとって考え続けることだし、それはコミュニケーションする上でもそうです。 答えは押し付けるものでなく自分で出すものだし、自分の作品でもあまり正解を押し付けたくないです。私の正解はあるんですが、それは私の正解であって読者のものではありません。 だから自分の気に入ってる作品とかはふわふわしたものが多いんですが、漫画媒体だとそのようなものは実感的にはあまり求められてないように思えます。 今の漫画はジャンル性の高さが求められるし、比較的自由の利く青年漫画であってもとにかく大げさなエンタメ性が必要です。
ともかく、それを他人に押し付けるのは、侵しちゃいけない領域に踏み込んでると思います。悩みの搾取なんだと思います。本来会話の本質はおうむ返しや言葉の言い換えにあって、それ以上はそこから意味を見出そうとしすぎな気もします(それはそれで楽しいものですが)。断言がすぎると大体は多弁で、それは情報量のパワハラな場合も多々あります。 断言しないことは私なりの自他境界の引き方でもあります。この世の神話は裁きを下す神ばかりなので、それへの対抗心でもあります。表現する上でもそうでありたいし、描きたいのは人間の割り切れなさとその人にとって最悪な瞬間に見せる人間性のギャップです。「人それぞれ」で簡単に話を終わらせるのは簡単で思考停止かもしれませんが、多義的にそれを捉えようとすることは生きる上で有用な技術です。
長い目で見ればなんもかんも怪しくて曖昧で捉え方次第でグレーだからこそ、本来グレーなものをグレーなままにしておくために言語化は大事だと思います。考える余地をくれた先人たちのおかげで考え続けたり葛藤したりして生きてるので、白黒と物事をジャッジしがちな世からそれ自体をありのままの状態に取り戻したいです。もし断言するなら、それは限りなく不可能だからこそやらなきゃいけないことだと思います。そしてこれは口頭のコミュニケーションによるものより、何らかの表現の方が向いています。 劇作家の平田オリザさんが、文化の地域格差についておっしゃっていたことがあるのですが、「自然は感性を育むが、社会から求められるのはそれを伝える能力だ」(要約です)。他者に求められる限り、それを伝えるための言語化を諦めてはいけない理由であり、不特定多数を想定した文章媒体を世に出すことの意義なんだと思います。
この文章を一通り書いたあとで、村上春樹さんのスピーチをふと思い出してまた読みました。エルサレム賞を受賞した時のスピーチです。「壁と卵」。
"小説家はうまい嘘をつくことによって、本当のように見える虚構を創り出すことによって、真実を別の場所に引っ張り出し、その姿に別の光をあてることができるからです。真実をそのままのかたちで捉え、正確に描写することは多くの場合ほとんど不可能です。だからこそ我々は、真実をおびき出して虚構の場所に移動させ、虚構のかたちに置き換えることによって、真実の尻尾をつかまえようとするのです。しかしそのためにはまず真実のありかを、自らの中に明確にしておかなくてはなりません。それがうまい嘘をつくための大事な資格になります。"
この話に似たようなことなんだと思います。ありのままの状態に取り戻すということは結局のところ私というフィルターを通した別の虚構です。でもできるだけならその光がスポットライトではなく背後から輪郭を浮かび上がらせるようなものであればいいなと思います。
なんというか、私は特に論破を目的にした議論そのものがマッチョに感じられて、アカデミックな場でない限りは(そういう場も過剰に男性的だなと思いますが)できれば控えたいものだと感じてしまいます。 自分が論理的だと自負してる方の中にはこれは道徳的に、イデオロギー的に、倫理的にこう、よりも前に自分の都合や逆張り的態度が含まれていて、その道の王道以外を行くならそれはとても感情的なものが多分に含まれていないかな、と思います。多かれ少なかれみんな逆張りはするもんですが、それでも世の中にはエゴを隠すために理屈や原理などで建前を固めないと居られない人もいて、そんな見栄っ張りな人もいるもんだなーと思います。
それにしてもJ.D.サリンジャーが『ナインストーリーズ』だっけな?そういうのの中で「(作品は)悩みに対する答えが欲しい」という創作論をキャラクターに語らせていて、私もそれを信条にしていましたが、今ではそれをまるっと鵜呑みにしてはいけなかったなぁと思います。何事も自分なりの本当の答えが出る時は「何かからの受売りや引用の、その一歩だけ先」だなと感じます。そしてそれが本来の洗練された自分らしさなのだと思います。
0 notes
itoikkk · 1 year
Text
Tumblr media
「イトイ圭作品集 ナインストーリーズ」(白泉社) 書店特典イラスト
1 note · View note
ochasushi · 1 year
Link
0 notes
markingrecords · 2 years
Photo
Tumblr media
シドニー出身、現在はLAを拠点とするSSW・Hazel Englishの5曲入りEP。再びDay Waveとタッグを組んで制作された本作は、2人の音楽的な相性の良さが存分に発揮された夢心地なサーフ・ポップに。パンデミックの最中、家で過ごしている時間でティーンの頃の気持ちに立ち戻りながら、新たなストーリーを組み立てたという5曲。「あの子が(J.D.サリンジャーの)『ナインストーリーズ』を貸してくれた」という一瞬で甘酸っぱい気分をつれてくる歌詞で始まる"Nine Stories"をはじめ、胸のときめきと空回りのほろ苦さを、幻想的なリヴァーブでシュガーコーティング。今を見つめたり、未来に向かって走るのがしんどいときもある。そんな夜は、いつかのあの夏を回想しながらこのレコードに針を落としてみてください。 (Marking Records) https://www.instagram.com/p/CkSdCMqBL3v/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
yuki-matsushima · 2 years
Photo
Tumblr media
『ナインストーリーズ 』
J.D.サリンジャー
オリジナルです。
1 note · View note
yiwanmian2 · 2 years
Text
2022.6.2
空気公団のあとに流れるくるりのlovelessに軽率に救われている
誰かと一緒にいる時に体調悪くなるのほんとうに嫌だ、今日は消費期限ぎりぎりのクリームパンをたべておなかこわした
せっかく人といるなら、好きな人たちと一緒にいる時くらいは健康でいたい
安くなってるからって消費期限間近の品物ばかり買ってしまう 体は野菜がほしいと訴えているのにバイトの後はとにかく甘いものがほしくて何も考えられなくなってクリームが入ったパンとかお菓子とかそういうものばかり買ってしまう 
一人暮らしをはじめてバイトするようになったとき、仕事から帰って来たお母さんがパンばっかり(まだ家にたくさんあるのに)買ってくる理由がわかるようになった、父は母のそういう行動を批判していたけど誰も責められないと思う
ナインストーリーズをやっと読み終わった
むずかしかった この本の全てを理解できる日は来るのだろうか、でも理解できたと言えてしまう自分もそれもそれでなんか嫌だ。わかった気になりたくない
サリンジャーの小説は(今まで読んだものは)全部難しくて、それでもその中から何か今の自分にとってひつようなもの、ほとんど理解できない文章のなかに唐突にあらわれる一行(そこだけ光ってみえる)とかを求めてよんでいる気がする
ぜんぶの話がたいせつすぎて(重たくて?)一つの話を読んだらそのあとすぐに次の話に進めない、読み終わってしまうのが惜しいと思える本だった なんかこういうふわっとした感想じゃなくてもっとゴリゴリの考察とかできたらいいのにな(naokoさんのnoteほんとうにすごい、凄すぎる)、あと日本人(日本語話者で日本生まれ日本育ち)である自分は一生サリンジャーの文章を真に理解することはできないことが悔しい、英語ができないのもコンプレックス 
(「サリンジャーの文学の魅力をうんぬんするということは、彼が操るアメリカ口語をその抑揚までも知悉した上に、彼が展開する特殊な世界に自由に入ってゆけるという自惚れを自認するものだという意見があるが、この見解は全く正しいと私も一応は考える。しかし、私にはもちろんそうした自惚れは遺憾ながら持てないし、自分の理解が十全などともさらさら思わないけれど、それでもなお私なりに彼や文学作品を(全部ではないにせよ)ほれぼれするほど見事だと感じるこの実感は消すべくもない。」)
お腹が落ち着いてから野菜あんかけのもとみたいなやつにたまねぎと厚揚げを混ぜたやつを作ってたべた、ご飯にかけて上から生卵を落としたらおいしかった 空の境界の下巻を読み始めた。序盤から(6章)おもしろすぎる、好きなキャラクターたちが(本の中だけど)うごいて喋って生きていることにうれしくなる 今度実家帰った時にゲオでレンタルして映画ももっかい見たい、本当にだいすき
卒論の経過発表のレジュメとベースの練習をやらないとやばい、やらなきゃ
0 notes
findareading · 2 years
Quote
仕事で思わず唸るような佳い小説に巡り会えなくなった彼は、少し古い日本文学や海外文学の中に私的な読書の愉しみを見つけているが、そういうものを贈ればすむことのようであった。
乙川優三郎著「六杯目のワイン」(『ナインストーリーズ』2021年6月kindle版、文春e-book)
2 notes · View notes
hyakuhon · 4 years
Text
Tumblr media
九本
「テディ/Teddy」 
著 サリンジャー
訳 野崎 孝

第二次大戦の戦渦のヨーロッパを彷徨い、そしてニューヨークへむかう。
七本の「来世」のなかで十二人いた少女のうち、アメリカに渡ることができたのはエスターただひとりだった。エスターがたどった岐路を追いかけるように「テディ」もまたイギリスからニューヨークへむかう船に乗っている。エスターとは違うのは、テディは家族とともにニューヨークへの帰り路となる。

あの時、エスターのようにアメリカへと脱することができたユダヤ人は、どのくらいいたのだろう。イギリスからニューヨークへ逃れた人たち。その反対の路をたどりヨーロッパからシベリア鉄道に乗って極東にむかい、日本へ、そしてアメリカにうかった人たちもいる。その途中で命を落とした人たちもいただろう。戦渦のヨーロッパを脱して、地球を半周し、ようやくたどり着いた地、ニューヨーク。

「テディ」は、サリンジャーの短編集『ナイン・ストーリーズ』の一番最後に収められている九番目の小さな物語だ。「バナナフィッシュにうってつけの日」からはじまり、「テディ」でしめくくられる。

作者のサリンジャーは、1919年1月1日、ポーランド系ユダヤ人の父と、結婚によりユダヤ教に改宗したスコットランド=アイルランド系のカトリック教徒だった母のもと、アメリカ・ニューヨークで生まれる。

あご髭を長くのばしている人たち。
小さな帽子を頭にのせた人たち。
まっ黒いマントのようなものを羽織っている人たち。
それらの人たちはひとつのかたまりのようになって歩いていた。
三回目にいったニューヨークで、その人たちがユダヤ教徒であるということを教えてもらう。

三回といっても一回目はトランジットで数時間滞在しただけで、「バッテリーパークへ行きたい」がなかなか通じなくて、タクシーで恐ろしい目に遇った。自分のなかでニューヨークはすっかり怖い街になっていた。

ユダヤ教徒たちが全身にまとった黒は、深い黒だ。コムデギャルソンやヨウジヤマモトの服の黒とも違う。紀元前からはじまるユダヤの長い歴史が織りこまれている。

ユダヤ教にもいくつかの派があるようだが、食べ物をはじめ、生活習慣のなかに厳しい戒律があるということを聞く。入った店がじつはユダヤ教徒の店だったことが何度かあった。店のなかにいる男の人たちがみな頭に小さな帽子をのせていた。
金曜の夜から土曜の夜までは働かない日「シャバット」と決められている。扉の鉛筆のようなものがかけられているときは、「シャバット」を意味する。その日は電気も使ってはならず、エレベータも、もちろんスマフォも使うことができない。家のなかで家族とともに静かに時が過ぎているのか、そういう生活がもう何万年と続けられている。同じ地球上に棲んでいるのに、どこか別の星の、まったく異なる時間軸のなかで暮らしているようだ。

父親だけがユダヤ人であったサリンジャーは、ユダヤ人のコミュニティに馴じむことができずにいた。そして社会に目をむければ、サリンジャーをとりかこんでいたのは、ユダヤ人に対する人種差別だった。

「子供の十字軍」がドイツ、ポーランドをでて南にむかって行進を続け、ドイツ、ハンブルクの片隅で「来世」の少女たちが鉤十字の刻印のついた手紙を受け取ったころ、サリンジャーは、ニューヨークを脱するように、アメリカ軍の兵士として大戦下のヨーロッパへむかう。

ずいぶん前になるが、ドイツ、イスラエル、エチオピアの三地点を繋ぎ、漂流する移民についてのテレビ番組を観た。

イスラエルでは「約束の地」の建国を進め、様々な国からユダヤ教徒を集めていた。エチオピアの貧しい農村地帯では、人びとは「約束の地」に光があると夢見ていた。厳しい審査を受け、ユダヤ教徒であると認められた大量の農民たちが、全財産をかけてイスラエルにむかうバスに乗りこもうとしていた。

戦後、世界中から集まったユダヤ人によって建国されたイスラエル。エチオピアの人びとがユートピアを夢見るイスラエルでは、パレスチナとの戦闘が繰りかえされていた。
ドイツからイスラエルへ移り住んだ一家に生まれた少年は、戦渦が続くイスラエルを出て、ドイツへの移住を希望している。第二次大戦の経験をしている両親は息子がドイツへいくことを反対していた。

一方、少年が目指す先ドイツでは、増え続ける移民により国内では失業問題が起きていた。

人びとが、ここではないどこかユートピアを目指して、地球の上を彷徨ってる。ぐるぐると地球をめぐりながら、人びとがたどり着いた先にあるものはなんなのだろう。


アメリカ兵としてヨーロッパにむかったサリンジャーが目にしたもの、それはドイツの強制収容所だった。そこには、自分と同じユダヤ人たちの死体が、山のように積み上げられていた。


テディは、著名な教授と談合を重ねるために訪れたヨーロッパをあとにして、ニューヨークに帰る船に乗っていた。同行した父親と母親と妹ともに。船にはプールもある豪華客船だ。
テディは、日々瞑想を繰りかえし、日記をつける。テディの前世はインドの「霊的にかなり進んだ人間だった」という。しかし「宇宙原理の梵ブラフマに達し、二度とこの世に戻らなくてもすむというところまでは進んでなかったんだ」だからこの世界にまた戻ってきたんだ、と。

テディは、船室に開け放たれた舷窓から外を覗こうと、旅行鞄を横に倒してその上に乗り父親に怒られる。テディはまだそのくらいの小さな子供。テディが記した日記によると年齢は十歳。

「すべてが神だと知って、髪の毛が逆立ったりなんかしたのは六つのとき。今でも覚えてるけど、あれは日曜日だった。そのころ妹はまだ赤ん坊で、ミルクを飲んでたんだけど、全く突然に、妹は神だ、ミルクも神だってことが分かったんだな。つまり、妹は神に神を注いでたにすぎないんだ。分かるかしら?ぼくの言う意味?」

テディは子供の被りものをした老人のようだ。テディの姿は、サリンジャーそのものに見えてくる。

「あなた、エデンの園でアダムが食べたあのりんごのこと、知ってますよね?
あのりんごに何が入ってたか分る?論理ですよ。そういった知的なもの。ーあなたがもし物をありのままに見たいと思ったら、そいつを吐き出してしまわないといけない。そいつを吐き出しちまえばもう、つまらないことに煩わされなくなるってわけ。いつ何を見ても、終わりがあるようには見えなくなる、」

客船の階下にあるプールでは、十時半からテディの水泳の稽古がはじまろうとしていた。
「もう行かなくちゃ。遅刻はいやだから」テディはかけだしていく。

「早足で、一気に主甲板メインデッキへ下り、続いてAデッキ、Bデッキ、Cデッキ、Dデッキと」

有限界でのテディは、衝撃的な結末を迎える。

「その階段を中ほどまで下りるか下りないうちである、つんざくような悲鳴が長く尾を曳いて聞えたー幼い女の子の声に違いない。それは四方をタイルで張った壁に反響するような、遠くまで響き渡る悲鳴であった」


ヨーロッパからニューヨークへと続く長い旅が終わろうとしていた。

テディのいうように、かじってしまったリンゴをすべて吐きだしたら、世界はもっと違った形で見えるのかもしれない、と思いはじめる。すべての境界はなく、無限で。そしたらテディも、今もまだどこかに存在しているのかもしれない。
まわり続ける輪廻のなかで、別の被り物をしてこの世に舞い戻ってきたテディとどこかで出会い、わたしたちは、また話をはじめる。

テディだけでなく、だれもが、そうしてぐるぐるまわりながら輪廻を繰りかえし、出会い、別れ、この星を漂流している。どこかにあるというユートピアを探して。

銃をむけあった人が、あるときは、同胞となり肩を組みあうこともあるかもしれない。生き、死に、そしてまた生まれ変わり、すべての人が、舞台の上に散らばった配役のように、この世界で起こる出来事を永遠に織りなしていく。

ぐるぐるまわる。ぐるぐるまわる。小さなころに読んだ、一本の木のまわりをまわり続けたトラが、最後にはバターになったお話を思い出していた。
0 notes
Photo
Tumblr media
Nine Storiesさんからのお誘いで、作品に出てくるセレブリティたちのイラストカードを作られせていただきました✒️ 映画館でぜひお楽しみください🎥 #Repost @carlyle_movie ・・・ Goods. ナインストーリーズとのタイアップグッズがBunkamuraル・シネマ、テアトル梅田ほか一部劇場にて¥2,300(税込)で数量限定販売。 ホテルのアメニティをイメージした3つのアイテムセット。 🎗hotel amenity kit🎗 ・ランドリーバッグ ・hotel key キーホルダー ・ミニカード ①ランドリーバッグ👜 ランドリーバッグをイメージした巾着は、紐を絞って肩掛けポシェットとしてもお使い頂けます。ブラック、レッド、ブラウンとカラーは3色展開。 ②ホテルキー🔑 ホテルキーをイメージしたキーホルダーは、それぞれ一点ものになり、ランダムでどれかがセットされています。 ③ミニカード 劇中にも登場する、カーライルを愛する常連セレブリティたちがチャーミングに描かれたミニカード。イラストは多屋澄礼さんによる描き下ろしです。 #カーライルニューヨークが恋したホテル #ナインストーリーズ https://www.instagram.com/p/B0sHA43h3Wg/?igshid=1qxwltndnxzbv
0 notes
recochannel · 7 years
Photo
Tumblr media
. ナインストーリーズを柴田さんの新訳で。 . 結構忘れてて新鮮な気持ちで読みました。 . #読了 #本#読書#サリンジャー #ナインストーリーズ#柴田元幸#booksandcoffee #book #ninestories#jdsalinger #recobooks #2017読書記録reco
0 notes
1003books · 5 years
Text
5/18「ムービーマヨネーズ2」刊行記念トークショー
直前になりましたが、グッチーズ・フリースクールさん発行のリトルプレス「ムービーマヨネーズ2」の刊行を記念した、京阪神3都市をめぐるトークツアーのお知らせです。
当店の開催日5/18はご予約埋まってきておりますが、あと少しお席があります。迷われている方はぜひお早めに!
Tumblr media
以下、今回のトークショーをグッチーズさんと共同企画されたナインストーリーズ @saori_ninestories さんInstagramからご案内を拝借しました。 . 日本未公開映画を紹介・上映する団体、グッチ―ズ・フリ―スク―ル発行の リトルプレス「ムー��ーマヨネーズ2」の刊行を記念した関西初のトークイベントです。京都・大阪・神戸、3都市の書店を巡回し、売り切れ店も出るなど 話題の本のつくり方やコンセプト・インディペンデントな活動の全てを、グッチーズフリースクール主宰の降矢聡さんにお伺いします。
ムービーマヨネーズのファンの皆様はもちろん、映画好きの方、映画以外でも何かしたいけれどその一歩の踏みだし方に迷いがある方。 そんな皆様に楽しんでいただけるイベントになればと願っております。 ご予約は、各会場のメール・電話・店頭にて承ります。定員になり次第、締めきらせて頂きます。
入場特典 ムービーマヨネーズ番外編ミニ冊子「みにまよ」 神戸と大阪会場ではムービーマヨネーズに執筆している、308によるお菓子販売があります。こちらもお楽しみに。 Kyoto 5.17 (金)  恵文社一乗寺店 COTTAGE tel  075-711-5919 mail  [email protected] hp  https://www.keibunsha-store.com Open 18:30  start 19:00 (90分) ¥1500 (特典付き)  定員40名 Guest  吉田由利香(京都みなみ会館館長)  尾関成貴(京都みなみ会館スタッフ) kobe 5.18 (土)  1003  兵庫県神戸市中央区元町通3-3-2  IMAGAWA BLDG. 2F  tel  050-3692-1329 mail  [email protected] hp  https://1003books.tumblr.com Open 18:00  start 18:30 (90分) ¥2000 (ドリンク・特典付き)  定員 20名 
Guest 林未来(元町映画館支配人)
Osaka 5.18 (日)  blackbirdbooks tel 06-7173-9286 mail [email protected] hp  https://blackbirdbooks.jp/  Open 18:00  start 18:30 (90分) ¥1500 (特典付き)  定員25名 Guest 福富優樹 (Homecomings)
1 note · View note
junhonda · 5 years
Photo
Tumblr media
本日から、写真展はじまりました。 . 『フォトグラファーの視点:光と瞬 vol.45』 RECTO VERSO GALLERYがキュレートする、気鋭の写真家四人展。 . 4/16(火)〜20(土) 13:00〜19:00(最終日16:30まで) レクトヴァーソギャラリー 東京都中央区日本橋茅場町2-17-13第2イノウエビル401 入場無料 . 自分史上最高に優しい写真が撮れました。 . 常時在廊予定はないのですが、ご連絡いただけましたらその時間帯に居るように調整しますので、ぜひご連絡ください。 そうでなくてもぜひぜひ見てってくださいね。 . . 菓子: 9stories . . #finesweetsart #instagramjapan #tokyocameraclub #foodart #beautifulcuisines #my_eos_photo #gloobyfood #lovefood #heresmyfood #f52grams #vsco #foodvsco #sweet #dessert #cake #millefeuille #strawberry #スイーツフォトグラファー #デザート #スイーツ #お菓子 #ケーキ #ミルフィーユ #イチゴ (9stories(ナインストーリーズ)) https://www.instagram.com/p/BwUivycA660/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=7u62sxapuafl
1 note · View note
itoikkk · 1 year
Text
Tumblr media
「イトイ圭作品集 ナインストーリーズ」(白泉社) カバーイラスト
1 note · View note
neko-de-gato-blog · 5 years
Text
(映画)『殺人者の記憶法』韓国語で殺人者って「サリンジャー」って聞こえるのな。
【ここで書いている映画感想は……】
① 『映画評論』でなく『ゆるい感想文』です。 ② 映画館やDVDに限らず「自分が今見た順番」に書いてます。 ③ ネタバレは極力しませんが、少しする時も(その時は前おき入れます)。 ④ 感じたまま書きたいから他の評判や評価は調べません。なので理解が間違ってたりしても知らないよ。 ⑤ 推敲しないでパッと書くので誤字脱字も多いけどご愛嬌で。
この映画をみてたら、やたらと「殺人者」ってセリフがでてくるんだけど、韓国語では「サリンジャー」って聞こえるから、ずっとサリンジャーが気になってしょーがないっていうさ。
「ライ麦畑でつかまえて」かよ!みたいな。いや、ライ麦畑で、は読んだことないけどね。サリンジャーはナインストーリーズは好きです。いや、今回の映画とはぜんぜん関係ないんだけどね。
Tumblr media
2017年製作の韓国映画
監督はウォン・シニョン(初耳の監督さん)
主演がソル・ギョング(こちらは知ってますよー)
韓国ではカメレオン俳優として有名なソル・ギョングさん。この人の主演している映画『シルミド』は昔にみてしびれた~。俳優さんとして、味のあるよい人だなって思う。けど、今回の映画では……。
犯罪もの、殺人もの、実録もの、を描いた韓国映画にはある程度の信頼感があります。名作とか良作が本当に多い印象。
全体からすれば日本映画は比べ物にならないくらい水準が高い……と個人的には感じる(日本映画も好きだけど、残念ながら)。
なので韓国映画を見たことないほとにはオススメがたーくさんあるよ。面白いの多いから。
そのぶん、この手の韓国映画は普段よりも平均点が厳しくなりがちなところもあるんだよね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
《ネタバレなしの雑な映画のあらすじ説明》
年齢とある事件?がキッカケでアルツハイマーを患っている初老の主人公は実は殺人鬼だった。病気もあり、殺人も封印して一人娘と静かに暮らしているその町に、彼とは関係のない若い女性ばかりを狙った連続殺人事件がおきる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もう、これだけ聞くと、なんとなく予想もつくというか「はいはい、古い殺人のプロと新しい殺人のプロの対決ね。しかも古いほうはハンデあるわけね」と、べつにこんなのネタバレでもなんでもないけどさ。
ただ、注意するべきは、つか、ここがこの映画の面白いところなんだけど、映画自体が主人公の視点で進行するわけだ。つまりこれは一人称(実際は三人称のところも多いけど)で描かれる映画なのだけどね。
その視点がアルツハイマー(扱いはちょっと間違っているが)のせいで、記憶が飛んだり、曖昧になったりする。よくある『信頼できない語り手』の手法なわけですよ。つまりどこまで事実で、どこまでが間違いなのか、見ているこちら側もわからなくなってくる。
このアイデアは、新しくはないけど面白いなって感じて、うまくすればけっこうな良作になったんじゃないかと思うわけですよ。
と、こう前置きがあるってことはですね。
「うーーーーん、びみょう」な映画でした。
ある程度の雑だったり、大味だったりするのは気にならないほどいい作品と、それが気になってしまう作品の違いってなんなんだろうね。この映画はちょっといろいろと気になっちゃって、もっと丁寧に作ってればよかったのになぁーって印象。
前述した名優ソル・ギョングさんの役への没頭ぶりも、むしろなんか役に呑まれているっていうか、ちょっとそれはイビツな役への関わり方だなぁと、熱量がむしろ残念は方向に働いてみえるのですよ。やりすぎ感?
映画でそれが浮いて見えたら、それは残念だよね。前に書いた『EAST MEETS WEST』の竹中直人……ほどはひどくはないけどね。
一人称で進むからか、圧倒的にモノローグが多くてね。主人公の独り言ね。それはそれでもっとうまくできなかったかなぁ。これじゃただのうるさい説明だよと。日本のダサいドラマじゃないんだから、説明しなくても見てりゃわかるから、と前半は若干うんざり見てました。
後半からはテンポもよくなって、けっこう楽しめたんだけどね。
前半がちょっと不味すぎたかなと。
もしかしたら、これが韓国映画じゃなかったら、もっと自分の評価が高かったのかも。それくらい、韓国映画には良作多いからついハードルがね。
この映画『新しい記憶』?みたいなタイトルで、別編集で結末もまた違うのがあるらしいのだけど……もうそっちは見ないかな~。
1 note · View note