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#チャールズ・ブコウスキー
lyrasky · 7 months
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Harry Styles【Daylight】和訳 別れたくて仕方なかったHarryの本音 解説 Harry Styles' True Feelings
Harry Styles【Daylight】和訳 別れたくて仕方なかったHarryの本音 解説 Harry Styles' True Feelings Lyraのブログへ #harrystyles #daylights #ハリースタイル #HarrysHouse #onedirection #bluebird #FineLine #CharlesBukowski #KidHarpoon #TylerJohnson #BLACKSTONECREATIVE #jamescorden
コンサートで、はっちゃけてるHarry Styles。皆さんにお裾分け。可愛いですね〜。 Harry Stylesのシングル・リリースが頻繁に行われている。普通ここまでPop Artistが、短いスパンではリリースしない。 「人気者だからニーズに応えて」と言うのもある。でも彼のよう売れっ子でここまで間隔が狭いのを見ていると、ラッパーやブラック系アーティストの商法をとりいれているでは?敢えてその戦法を選んでるな、とLyraは思ってる。 それにご時世もある。前みたいにアルバムを一つの作品としては評価する人が少なくなり、一曲ずつを小分け売りした方が売れるからバラ売り事情から一気出しして後にシングルわけ、と言う時勢がPop…
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junk-junk-junction · 3 months
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世の中の問題点は、知的な人々は疑念に満ちているが、愚かな人々は自信に満ちていることだ。
チャールズ・ブコウスキー
作家・詩人
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cellophanemaryjane · 7 months
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ブコウスキーの本を読んでると
チャールズ・ブコウスキーの本は好きなのですが、彼の本を読んでなぜか自分もアウトロー気取りの文章を書く気持ち悪い男は嫌いです。
翻訳の青野聰があとがきで「じゃあな、チャールズ。とうぶんあんたの顔は見たくないよ。」とか書いてるの馬鹿じゃないかと思います。お前はブコウスキーじゃないんだぞ。しかしこいつはあとがきはキショいけど翻訳はクセがないしタイトルも直訳なのでそこはいいし、中川五郎はあとがきと本文は感じいいけどタイトルは変なの付けるし痛し痒しといった感じです。
ブコウスキーの本を読んでいつも思うのは、なんかいいかげんおんなじようなことの繰り返しだな…とこっちが思い始めたところでちょっと違ったこと��起きる、ということです。文章や語り口が面白いので読めちゃうけどここまで長々似たようなこと書いてんな、と思ってると、やっと違ったことが起きる。短編集でもそんな感じです。
特に「町でいちばんの美女」を読むとわかりやすいのですが、ブコウスキーが女性や競馬、作家としての生活などについて書いているのをずっと読んでいると、だんだん案外この人はそこまで絡みづらい人ではないのではないか、けっこう素直で良いところもあるのではないかと思えてくるのです。そう思ってると突然ぞっとするような横顔を見せてくる。「町でいちばんの美女」は分厚い本ですが、最後の方にかなり不愉快で残酷な話が収録されています。そこでタイトル作品で最初に入っている「町でいちばんの美女」の作者だったというのが蘇ってくる。ブコウスキーの本を全部読んだわけではないのですが、「町でいちばんの美女」ほどの鋭い短編を残念ながら(?)他には書いていません。他の作品には他の作品の良さが十二分にあるのですが、切れ味があるとは言い難い。むしろ切れ味がないのが面白い作品の方が多いです。
それからいつも思うのは、彼はよく女性に自分はブサイクだと言い、女性から「あら、そんなことないわよ」とか「でもいい顔だわ」とか言われている場面を書くのです。これは本人が自分の顔はハンサムではないけど味があると思っているんだろうなぁというのが伝わってきて、そういうちょっとくだらない見栄のようなものを感じるのが面白い。たしかにブコウスキーの顔は整ってはいないけど、決して不快とか生理的に無理とかいう顔ではないのです。でも自分で言っちゃうんだ〜気にしてるんだな、と思います。そういう器の小さいところが面白い。だってあんな本書いてるくせに今さら顔のことなんてどうでもいいじゃんか、とこっちは思うのですが、本人は顔のことが気になるらしいというのが人間臭くて面白いです。
私はブコウスキーの小説でたまに書かれることのある、ある人が自分のことを少しも好きではなく失礼な態度や冷たい態度を取ってくるのに、なぜか自分はその人のことを好きではないけど別に嫌いでもない、という気持ちにすごく共感してしまいます。近いかなと思うのは、海外に行ってお店に入った時、店員の顔に「わ、なんか平たい顔の奴来た」と書いてあるのがこっちにありありとわかるのに、向こうは気づかれたことに気づいてないんだろうなぁと思う感じ。気づかせようとしてる奴もいそうだけど。ファッキンジャップぐらいわかるよバカヤロウ。こういう時少なくとも私個人としては、「しゃべったこともない外国人にこういう目を向けるようになってしまったその人自身が環境の犠牲者なのだ」と思うことにして、つまり憐れむことにしてスルーします。相手が日本人でも同じことです。「この人は人付き合いに付加価値しか求めてないから人によって態度を変えることができるんだ、で、この人はそれを平然とやってる自分に嫌気がさしたりしないんだ」と思うことにしています。もちろん自分が軽んじられることには猛烈に腹が立ちますが、プライドの置き所をまちがってはいけない。
ブコウスキーの本は受け付けない人には受け付けないものなので私はあんまりおおっぴらに好きと言いません。でもずっと売ってるからけっこうみんな好きなんだと思います。しかしこういった本やパンクといったジャンルを好む人は、なぜか自分に甘くだらしなくSNSで安っぽいアウトローキャラを演じ、見た目も酒でブヨブヨになった汚らしい初老が多く、私のように上品が服を着て歩いてるような人間は肩身が狭いのです。ブコウスキーを読んでるお前はブコウスキーじゃないんだぞともう一回言いたい。
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straycatboogie · 2 years
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2022/08/13
BGM: Mouse On Mars "Saturday Night Worldcup Fieber"
給料が入った。思ったより多く振り込まれていたので、まさか間違えて振り込まれたということはないだろうなと心配になってしまう(そういう事件ありましたね)。それで図書館に行った後、久しぶりに古本屋に行った。欲しかったのは片岡義男がかつて書いた風俗小説だったのだけれど、結果的に買ったのは乙一『小生物語』とジョージ・オーウェル『1984年』、そして小川洋子だった。乙一『小生物語』は前に読んだことがあって、実にチャーミングな日記だと思っていたのでこうした再会は嬉しい。私も乙一のような稚気に富んだ「嘘日記」を書いてみようかとも考えた。帰宅後さっそくグループホームの風呂で飼っているマーメイドのシャーロットのための食事を作った。なんちゃって。
今日は休みだった。昼、サム・シェパード『モーテル・クロニクルズ』を読む。サム・シェパードのことはヴィム・ヴェンダースの映画『パリ、テキサス』くらいでしか知らなかったが、もっと男臭いダンディズムをイメージしていた。だが、訳者はそんなサム・シェパードのモノローグ/エッセイに「ぼく」「俺」という一人称を当てており、そうした工夫がサム・シェパードの語り口に厚みを与えているように感じられる。結果として彼の「声」がくっきり浮かび上がってくる。これは大した工夫だ、と舌を巻いた。考えてみれば『パリ、テキサス』も「声」の映画だったな、と思う(時代はスマホでテキスト主体のやり取りになりつつあるが、私はこうした「声」に愛着を感じる)。
その後、チャールズ・ブコウスキー『町でいちばんの美女』を少し読む。ブコウスキーと言えばいつも酒にすがりついていた「酔いどれ詩人」ぶりで有名だが、かつては私もそんなブコウスキーを気取って「酔いどれ詩人」になりたいと思っていたことを思い出す(私はそんな端的に「イタい」人間なのです)。だが、この短編集では訳者の青野聰は「私」という一人称でブコウスキーの筆致を訳しており、結果としてブコウスキーが冷徹に女性たちを観察し物事を捉えている様子が浮かび上がる仕上がりとなっている。ひと口で言えばブコウスキーの「知性」が見えてくる。これは侮れない。
ソバーキュリアス、という言葉を学ぶ。これはこんな宅飲みが許された時代に敢えてシラフでいることを選択し、禁酒や節酒を始める風潮のことだという。私は酒を呑まないのはそんなソバーキュリアスとは関係なしに、ただ単に依存症なので呑むと地獄を見るのがわかっているからである。ぜんぜんカッコいいものではない。ある意味ではほどほどに呑める人の方が、酒に人生の主導権を握られていないわけだからよっぽどクールなのだとさえ考えられる。ただ、このまま断酒を続けてゆくゆくは日本の文壇に「シラフ文学」というジャンルを設立するのもいいかなと思ってしまった。嘘!!
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ophelia333k · 1 year
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2023.03.09 現状報告、ばかりが眩しく
 日記。というよりも現状報告。
 そもそも、前回ここで日記を書いたのは2月5日だった。ちょうど、一か月くらい前。
 この一か月間は鬱っぽくて、あまり精神がよくなかったので、まとまった文章もあまり書いていない。昨日から、少し精神がよくなり、こうして文章を書いている。一週間くらい前、最悪な感情の日があって、「これから自分はもう何をすることもできず、何も書かず何も生み出さず、ただ摩耗して終わる」という思いに囚われたり、何も分からなくなって睡眠薬で意識レベルを下げ続けたりしていたけれど、何とかなった。もしかしたら、春になって気温が上がったことも関連しているのかもしれない。
 無理やり気力を出すために、刃頭の「野良犬」、漢a.k.a.GAMIの「紫煙」、大森靖子の「SHINPIN」を聴いている。最近のだとZORNも聴いている。ヒップホップは生き伸ばすための音楽という感じがする。大森靖子は、聴いていてときどき泣いてしまうけど、どうしてなのか分からない。
 あと、久しぶりに小説を書いている。まだ4000字程度の。いずれ賞に応募するとかそういうことを考えたこともあるけれど、たぶん数か月以内に出る同人誌に寄稿することになると思う。
 読書について言えば、ここ最近読み終わった本はブコウスキーの『パルプ』と、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』。遠野遥の『破局』と『改良』も読んだ。意外によかったのが、高橋源一郎と柴田元幸の『小説の読み方、書き方、訳し方』という対談本で、高橋源一郎と柴田元幸のそれぞれの、海外小説30冊と日本の小説30冊がリスト化されて載っているので、(特に現代文学~ポストモダン文学)の小説を読むマップとしてはかなり参考になる。
 日比野コレコの『ビューティフルからビューティフルへ』も、���想を書いたりしたのだけど、インターネット上に公開するタイミングを逃してしまい、メモ帳の海に沈んでいる。文藝賞受賞作で言えば、安堂ホセの『ジャクソンひとり』についても書きたいことがいくらかある。
 その他、読んでいる本は以下の通り。
 
 綿矢りさ『ひらいて』
 若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』
 高橋源一郎『君が代は千代に八千代に』
 鈴木涼美『グレイスレス』
 ブコウスキー『町でいちばんの美女』
 バーセルミ『雪白姫』
 安部公房『内なる辺境/都市への回帰』
 安部公房『カンガルー・ノート』
 バクシーシ山下『セックス障害者たち』
 木村敏『分裂症と他者』
 竹井俊哉『統合失調症』
 ハンナ・アーレント『人間の条件』
 ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』
 郡司ペギオ幸夫『いきものとなまものの哲学』
 郡司ペギオ幸夫『天然知能』
 近藤和敬『ドゥルーズのガタリの『哲学とは何か』を精読する』
 松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』
 竹村和子『フェミニズム』
 チャールズ・テイラー"Politics of Recognition"
 Gille Geleuze"Présentation de Sacher-Masoch : le froid et le cruel"
 Gille deleuze"Différence et répétition"
 
 他にもあるような気はするけれど、何も分からない。どう考えても、3、4冊に絞って読んだ方がいいのに、気がついたらこういうことになっている。人生自体もいつもそんな感じかもしれない。何もかもをやろうとして、何一つとして手につかない。
 今、一時的に居住させてもらっているシェアハウスの住人が、自分が飲んでいる抗うつ薬のことを「ガイジ薬」と呼んでいて笑ってしまった。あと、ドイツ軍がフランスを攻めた際に覚醒剤を使用していたから眠ることなく進軍することができた、という話をされたときに、日本のヒロポン(メタンフェタミン)のことを紹介していたら、「ヒロポン」という名前が「ヒロヒト」から取られたと考えたらしくて、「ヒロヒトか?」と言っていた。
 
 ここ一か月くらいの記憶がほとんどないけれど、雪が降って積もっていたあの日ばかりが眩しい。
 自分自身の躁と鬱ということに関して言うと、鬱っぽいときは「すべてが終了した地点」みたいなところから、すべてをどうにもならない過去として眺めているような身体感覚があって、躁っぽいときには、「いまこの現在」だけがそこに存在しているというような時間の感覚があるような気がする。
 飲むヨーグルトが腐らないように、冷蔵庫の中の飲むヨーグルトを飲む。
 ヨーグルトが腐っているところを想像したくはないから。
 
 最近は、不可思議wonderboysおよび相対性理論「バーモント・キス」で歌われる意味での「世界征服」をやめないことと、穂村弘の言う「非在のものへの憧れ」としての愛の希求と、アンドレ・ブルトンの「痙攣的なもの」としての美について、のその自分の中でのゆるやかな接続について考えながらずっと清掃のバイトをしている。浴槽を拭く、浴槽を拭く、ベッドについた誰かの経血は観念よりも具体的なものとして。夏の果てについて想像する。そして、バイトが終わった時にはすべて忘れている。忘れていることも忘れていく。
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singosblog · 4 months
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ano、兄ちゃんが、こういう気持ちを、文章にできるってことは、つまり、経験してきてる、から、書けるんやからな👀佳子、良い文筆家に、なりたかったら、とにかく、生きて、経験せな、良い文章は生まれないのよ👀💬👌そして、常に、いついかなるときも、何故、この人は ? こういうことを、言ったのか ? 何故 ? この人は ? たった今、こういう表情を、したのか ? そう、つまり、こういうことを、常日頃、コツコツコツコツしてきた、人間だけが、良い文章、そう、本📚の、ページの中から、文章が、躍り【おどり】でてくるような、文章が生まれるんやからな👀👌
つまり、これは、誰のことを、言うてるかと、言うと、村上春樹先生や、チャールズ・ブコウスキーのことを、言うてるんやからな👀👌
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pascalkirchmair · 4 months
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"Charles Bukowski", black and blue ink on paper, 21 x 29,7 cm
チャールズ・ブコウスキー
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gugasekai · 5 months
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◆ジュテーム・アミ:愚美人画家(ぐび��んがか)。心にいつも薔薇とピストルを。昭和的アングラ臭とポップアートの邂逅。画材:ボールペン、コピック、フォトショップ、アクリル絵の具。嫌いなモノ:肉、現代アート(除ポップアート)、シティポップ。好きなモノ:ニューウエィヴな音楽、ブラックコーヒー、熟女。敬愛する人物:チャールズ・ブコウスキー、セルジュ・ゲンズブール、勝新太郎。結成34周年を誇る無国籍ロックバンド「ダンボール・バット」では歌と作詞作曲担当。在:東京・高円寺。
2022年10月:高円寺テラピンステーションにて「人生初」の個展【エーゲ海に捧げたい】を開催
2023年5月:高円寺テラピンステーションにて、元漫画家のおかだしげひろと【もうアングラなんて呼ばないで!ジュテーム・アミ×おかだしげひろ 噂の二人展】を開催
2024年5月:阿佐ヶ谷レッド・キューブ・ギャラリーにて個展【8390(やさぐれ)て、女たち(仮)】予定
ジュテーム・アミのオリジナル画Tシャツ、ステッカーが高円寺テラピンステーション(03-3313-6655)にて発売中。
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今週の入手本(20221218-1224)
『風立ちぬ』(堀辰雄著/青空文庫/Kindle版)
『テーゲベックのきれいな香り』(山﨑修平著/装画:浅野忠信/ブックデザイン:鈴木成一デザイン室/河出書房新社)
『スピン/spin 2』(『文藝』2022年冬季号増刊/表紙の「ことば」=斉藤壮馬/装画:ポール・コックス/本文画:塩川いづみ/デザイン:佐々木暁/表紙の紙:羊皮紙 水、目次の紙:羊皮紙 しろ桜/河出書房新社)
『詩歌探偵フラヌール』(高原英里著/装幀:名久井直子/装画:カワグチタクヤ/帯文:梅﨑実奈/河出書房新社)
『装幀百花 菊地信義のデザイン』(水戸部功編/解説・年譜:水戸部功/カバーデザイン:菊地信義+水戸部功/講談社文芸文庫)
『人間の手がまだ触れない』(ロバート・シェクリイ著/稲葉明雄、宇野輝雄、小尾芙佐、風見潤、福島正実、峯岸久、小笠原豊樹訳/高橋良平解説/ハヤカワ文庫)
『新装版 ムーミンパパの思い出』(ヤンソン著/小野寺百合子訳/さし絵:ヤンソン/講談社文庫/Kindle版)
『ネオ・ダダの逆説 反芸術と芸術』(菅章著/カバー写真:東松照明《パフォーマンス(ネオ・ダダ)吉村と荒川》一九六〇年/組版・装丁:アルファデザイン/みすず書房)
『新種発見! 見つけて、調べて、名付ける方法』(馬場友希、福田宏編著/イラスト:竹田嘉文/アートディレクション&デザイン:朝倉久美子/山と渓谷社)
『遺伝学者、レイシストに反論する 差別と偏見を止めるために知っておきたい人種のこと』(アダム・ラザフォード著/小林由香利訳/装丁:折田烈(餅屋デザイン)/フィルムアート社)
『郵便局』(チャールズ・ブコウスキー著/都甲幸治訳/都甲幸治解説/装画:望月通陽/装幀:木佐塔一郎/光文社古典新訳文庫)
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syonenfunk · 2 years
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Vol.130 死をヘッドマウントディスプレイに映して
「死をポケットに入れて(邦題)」 チャールズ・ブコウスキー
という本がある。10年前くらい前に読んだので 内容はさっぱり覚えていないが、タイトルが好きで ずっと記憶に残っている。
しかし、この死というものが遠い感じというか、 バーチャル感というか、 リアリティーの欠如というか… それが最近強化されてきている気がする。 この感覚は何なのだろうか?
昨今(2022年8月)でも、多くの著名人や、ウイルスや戦争で、 多くの死が情報としては共有されているというのに。
死というものが、猫やお役立ち動画や政治のニュースや経済の不安や生活の大変さや無修正ポルノと一緒に流れて咀嚼する間もなく消化不良になっているような、この手触り感の無さは何なのだろうか。僕だけなのか?
最近は、
虐殺器官の主人公みたいに、 プライベート・ライアンの冒頭30分、 オマハビーチの上陸シーンだけを定期的に観たりしてしまう。
古代生物図鑑を観ながら、 ダンクレオステウスの泳ぐデボン紀の海に放り出されてしまう妄想をしながら、命の危機に直面するという感覚を確かめたりしている。
死をポケットに入れるくらいじゃ、 この情報爆発の時代の忘却力には対抗できない。
ああーみんな死ねばいいのにー! よう、まだくたばってないのか? 万死に値する まじか〜ほんと死ねばいいと思う♡ 惜しい人を亡くした。ご冥福をお祈りいたします。 合掌
なんて死を感じさせるセリフや言い回しは日々溢れているが、 言語化は思考の体現と考えれれば、 現代の日本において「死」という存在は なんてカジュアルで軽くてリアリティが無いのだろう。 地震も原発事故もあって、戦争の気配までし始めているというのに。
戦争をしたがるのは、死の実感を得られない想像力の欠如した権力者の病だ!
なんて人間至上主義的な物語で考えたくもなるが… 単純にセレンゲティー・ルールと同じような増えすぎた個体数調整のためのトリガーにすぎないのかもしれない。
そうだとするなら、この死に対する現実感の希薄化は、 悪の組織や強欲な権力者による陰謀とか、SNSなどテクノロジーの進歩による精神病とかいろいろな視点で色々な解釈ができるかもしれないが、結局は、マクロ規模の生物的反応ということかもしれない。
そう考えると、結局この事態を生み出したのは、 知恵のりんごを食べたイブじゃないか…! ということになってくる。
こういう仕組みを理解してしまうことも、その仕組みに気づかずそれに付随する個別の物語に囚われパラノイアに陥ることも、全部中途半端な知恵があるからだ。
個体数調整の仕組みを埋め込まれた生を、 理性を抱えて生きるのは辛すぎる。
やはり今ボクに必要なのは、 三つ目がとおるで、写楽がつくった「脳みそをところてんにする機械」なのか?
それより、本当は、電車で見かけたカワイイあの子に同化して、カワイイあの服をきて、かわいい仕草で、可愛く生きたい。
メタバースやVtuberの盛り上がりで、バ美肉など男性は美少女になりたいというのが可視化されたのは人類の思想的な明るい兆しかもしれない。
浮世を変えられないなら、自分が変わるのが一番だしね。 江口寿史も女性になりたいって言ってるし。
そういえば昔、政治への興味をあげるために政治家は美少女アバターを纏うことを義務化すべし、という記事を書いたけど、ギャグではなく意外とありえそうになってきたな。
エリカ・チェノウェスのいう「3.5%ルール」で考えれば、3.5%の人々が非暴力的な方法で本気で立ち上がれば社会がかわるらしい。 ポスト資本主義や、気候変動への対応や、民主主義の正常化は残念ながらめちゃくちゃ時間がかかりそうだが、人類の美少女化は加速的に進むかもしれない。
そうすれば、美少女(アバター)を分断した思想の代弁者として、相互に語り合うツールとできたら… 分断した人たちが相互に建設的に考えをすり合わせて、大きな問題をいい感じに解決する世界になるかもしれない。もしかしたら、美少女アバターこそ、J・D・バナールの「宇宙・肉体・悪魔」で書かれていた、複数の脳みそをダイレクトにつなげるという��イデアの具体化なのでは…
とか、よくわからなくなってきたが、まとめると、 美少女アバターが世界を救う!
…かもしれない
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※イデア 会田誠
by タロ吉 美少女になれる!と思ったらなんとなく生きる気力が湧いてきた
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caikot · 2 years
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@plants_letter さんの撮影にcaikotの店内をご利用いただきました。築50年のこの建物の、光が差し込む様子を気に入ってもらえて嬉しいです(よく見るとお馴染みのガラス戸や什器も出演しています) 今週末7月16.17日にノルディスク世田谷でポップアップイベントがあるそうですよ🌱 plants letterさんの経験と愛情が注ぎ込まれたアガベ。力強くてかっこいいです。 #Repost @plants_letter with @use.repost ・・・ . 今回の撮影では、フランスヴィンテージ古着屋の @caikot さんに場所をご提供いただきました。 ひとつひとつきれいに並んでいる古着と、古民家の板の色合いがとても好きな場所。 そしてなにより、遠くフランスのマダムから仕入れる真っ白いブラウスといっしょに、段ボールの中からやってきたようなカイコさんご本人、人形よりも人形のような雰囲気をまとった姿に出会うと、わたしたちもみな人形のように笑って楽しんで過ごしていいんだと気づかせてくださる。 今日のドゥマゴパリでイベントでも繊細な洋服のディティールをお話ししていることでしょうか。 そして写真家の @masaakisasaki_ さん。現ノルディスク世田谷店の店長さんと出会ってポップアップをしていたときから、ずっとお越しくださっていた。静かで柔らかな方だった。 撮影後は、 @sudatoru でランチにした。後になって店員さんが、あの写真家さん、目を見ただけで優しい人だとわかる、そんな人でしたね、とおっしゃっていた。 まさに!と思いながらも、的確な表現を言い当てた店員さんの人を見る目にも打たれた。そんなことはもちろん知らず、 佐々木さんはランチの大盛りを、わたしよりずっと速く召し上がっていた。 わたしが棒立ちして撮影の様子を見ているあいだに、床に這いつくばって何百枚ものショットを打っていた。 平和で優しい音がするシャーター音が古着屋に響いていた。佐々木さんは、朝の光と、古民家の木の匂いと、猫のクウの鳴き声を撮った🐈 高校生の時に好きになったというアメリカの写真家の名前を聞いて驚いた。とても過激な写真家だったから。内面と好きになる作品が一定なわけはない。その逆もまたあるというだけで、人は静かにも自由に生きていけることを示してくださった。 チャールズ・ブコウスキー、フェルディナン・セリーヌ、大江健三郎。写真家と植物の撮影をしながら小説の話をするという奇妙な状況で、このところ、家で大江健三郎のある小説のことや、三島由紀夫について話していたことを思い出した。こんなときは、ひとつずつ、ゆっくり、日常を進めようと、ラジオの向こうから語りかける高橋源一郎の声に耳を傾けていた。 お読みくださり、ありがとうございます。 50点以上のカタチ製作所さんの鉢に植え付けた砧の光景をご覧ください。応募は本日17時に終了いたします😸 https://www.instagram.com/p/Cf47M8Ihfiq/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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anamon-book · 4 years
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ユリイカ 詩と批評 1995年5月号 青土社 表紙=飯野和好 増頁特集=ブコウスキー
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「勝手に生きろ!」
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kaeru-books · 5 years
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『ブコウスキーの酔いどれ紀行』 チャールズ・ブコウスキー 著 中川五郎 訳 河出書房新社 coldmountainstudyにて、プラスone #チャールズ・ブコウスキー #河出書房新社 #ブックデザイン #装丁 #bookcover https://www.instagram.com/p/B3RGeFzhb7R/?igshid=1xc58f84tzls0
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straycatboogie · 2 years
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2022/06/30
幸せとは何だろう、ということを考える。いつも私はこの問いについて考え始めると、小津安二郎の映画の登場人物の台詞が思い浮かぶ。「欲を言えばきりがないよ」と。私はもしかすると、一流企業に入るかベンチャー企業を立ち上げて成功したかもしれない……そんなことを考えることもある。だが、そうなっていた場合私は今のような私とはまるっきり異なる私、つまり挫折の味を知らないが故に(手前味噌になるが)人間的に深みを帯びなかった自分であったはずなので、そのような私がこの私のような幸せな私でありえたか、まったく想像がつかない。
ああ、かつては私は自分のことをずっと時代や政治の被害者だと思い込んで生きていた。いつも書いていることだが、私はロスジェネであり失政や愚策の影響でこのような人生を歩むことになってしまったのだと、そう信じていたのだった。そしてそう主張することさえした。バカなことをしたものだ。いや、いい生活を求めて外側に要求していくことは大事なことだ。だが、どんな人生を歩むことになっても自分の人生の舵を自分で切る姿勢がなければ、ずっと私は外側に翻弄されて虚しく生きることになるのではないかと思う。内側に確かな格律を築いていないといけない。
確かな格律……私がこれまでの人生で一番聞き返した音楽である、フィッシュマンズのことを思い出す。大学生の頃に出会った『空中キャンプ』に衝撃を受け、そこで歌われる境地に影響を受けた。静かにだが確かに、闇雲に働いたり稼いだりせず、上昇志向からも距離を置き、「今・ここ」を肯定する。外側の基準からどんなに惨めな境遇であろうと、内側の私の格律が幸せだと思うならそれに従う。いや、この境地は危険ではある。この境地を推し進めると「自分の快楽のために人を殺してもいいのか」というような極論に落ち着きかねない。ならば自分の信じる幸せがどうして外とバッティングしないのか考えないといけない。
自分の信じる幸せが、外とバッティングしない。それはなぜなのか。それは、私の信じる幸せは私だけで築き上げられるものではなく、外との関係において作り出されるからかもしれない。それは理屈では片付かない。私は人から嫌われたり蔑まれたりした人生を歩んできたので、かつてはずっと人間不信に囚われていた。早稲田に入っても周囲の学生を敵だと思ってしまい、友達も作れなかったっけ。だが、今の私は外側の世界を愛する。出会う人々に対してオープンマインドで接したいと思う。でも、どうしてなのだろう。わからない。「人生はあんたが優しくするだけ優しくしてくれる」と言ったのはチャールズ・ブコウスキーだそうだが……。
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“雑誌を読んでいたら、チャールズ・ブコウスキー(アル中鬱病猫好きおじさん)の評価に「彼の小説にはほとんどスラングが出ないのです」って書いてあって、へぇそうなんだって思ってたら「なぜなら友だちがいないから。仲間内で通じる言葉を知らないのです」って続いて、やめてあげろよって思った” - オーミさんのツイート (via hutaba)
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