Tumgik
drawers-wall · 2 years
Text
Tumblr media
332 notes · View notes
drawers-wall · 2 years
Text
死が怖いのは無になるからである。何も考えられなくなるとは、どういう状態なのか? 我々は毎日眠るが、それは死の予行演習なのか? どうして眠ることに恐怖を覚えない人間がいるのか? 私は眠ることが怖い。死=睡眠を結びつけた瞬間、私は自分の真ん中に落ちていくような感覚に襲われる。重力。死だけが言葉にされていない。中心を欠いた言葉の非連続の連続。その周囲はすべて言葉によって分節化=非連続にされ、それが連なる=連続している。巨大な穴としての死。巨大な質量がその生を終えるときのブラックホールのまんなかのような。重力。死は重力なのか? 海に存在する巨大な穴、ブルーホールが怖いのは、落ちていく=死を想起させるからか? 僕が高所恐怖症なのは死を想起させるからか?
ルソー「なぜなら動物は死とは何かをまったく知らないだろうから。死とその恐怖についての知識は、人間が動物的状態から離れるとき最初に得たものの一つなのである」
バタイユ「人間だけが自らの性的活動をエロティックな活動たらしめ、死に至るまでの生の称揚たらしめた」
丸山圭三郎「死もまた言葉である」 「死という実態を作り出すのは、ホモ・ロクエンスの言語=意識であり、「〈物〉を生み出す関係」だからである」
レヴィナス「何のために生きるのか。何ものかのために生きる。しかし、何ものかのために生きることを通して、自分のために生きる。しかし、自分のために生きることを通して他者のために生きる。しかし、他者のために生きることを通して人類のために生きる。ところで、人間は肉体の愛を通して子どもを生むことがある。そのことを通して、再び、他者のために生きる。そして、再び、人類のために生きる。ところで、人間は死ぬ。さらに再び、死ぬことを通して、他者のためと人類のために生きて死ぬ。総じて、奇矯な言い方に聞こえるだろうが、何のために生きるのかといえば、死ぬために生きるのである」
動物が死を理解していないというのは、多くの動物を観測していてなんとなくわかることである。もちろん彼らは言葉を持たないため、死を理解していないのかどうかはわからないが……。 言葉を持つことは、世界を分節化させる。言葉を持つことで、「今ここ」でない「過去・未来」を理解できるようになる。そして「未来」の当然の帰結として、自らの「死」を見る。
死は人間の特権である。死が人間の根本的な課題だ。 死はすべての人にとっての恐怖である。 死に対抗するため、宗教や芸術や社会が生まれたのだ。
死は誰も実体験として観測することができない。 死ほど未知なものはない。死は神秘である。
0 notes
drawers-wall · 2 years
Text
表現の自由
表現の自由の擁護をあまりにもすべての表現に対して適用しようとしている人にはやはり違和感がある。やはり世の中には醜悪な表現や、人を傷つけることだけを目的としたような表現もあって、それらが商業的に流通してもいいような理論が立てられてはいけない。だからアングラとメインストリームがある。アングラならば多少倫理観の欠如した作品でも受け入れられる。それで飯を食っていくこともできるだろう。しかし、メインストリームでは、メインストリームの規範を遵守した作品と、メインストリームの規範を遵守しつつ啓蒙する作品(つまりはディズニー作品や米国ドラマなど)といった作り手の高度な作品の支配が必要となる。もちろんそれでは無知蒙昧どもばかりが生まれてしまう、なんらかの影響力を持った人間の偏った思想に誘導されてしまう、といった危険性がある。だからこそ文学がある。文学にはメインストリームがあるが、しかしアングラのメインストリームでしかない。文学はすべてアングラであり、しかし図書館などで保護されている。文明が保証しているアングラなのである。だから文学を表現の自由関連で持ち出すのはすこし議論が混乱してしまうことになる。人の目に否応なくさらされてしまう、広告、テレビ、映画、漫画などを考えなくてはならない。特に広告だ。大体の民衆の怒りは広告から生まれる。広告は喜びを生まず、怒りや悲しみのみを生む。小説は文字ばかりなので、Twitterとかで拡散されにくい。それがいい。小説は炎上しない。
アングラがメインストリームに出てくるときに炎上が生まれる。アングラの倫理のまま作品をやろうとするからだ。テレビでは深夜番組でやれることが、ゴールデンではできないということをよく聞く。テレビはメインストリームを長くやっているからそこの倫理がしっかりしている。
0 notes
drawers-wall · 2 years
Text
倫理
レヴィナスは倫理こそ第一哲学であると語ったが、それが意味するところは、倫理にはそれ以上の根拠や基礎付けが不要・不可能であるということである。人間の精神の最小単位は倫理である。
0 notes
drawers-wall · 2 years
Photo
Tumblr media
2K notes · View notes
drawers-wall · 2 years
Text
情報の飢餓
YouTubeやSNSに浸っているとどんどんと次の新しいコンテンツが欲しくなってくる。その究極系がShort動画かもしれない。でもYouTubeのトップページを開くとなんだかどんどんとイライラしてくる。見たい動画が見つからない。新しい動画がない、見たことのある切り抜きが出てくる。焦燥。そしてちらっと動画を見てすぐに閉じてまた違う動画を探しに行ってしまう。飢餓。続かない集中力。そしてたまにプライムビデオで映画をみるとすごく満足する。満たされる。小説を一冊���み通す。やりきった気持ちになる。ちゃんとしたコンテンツを味わうこと。ゆっくりと文章を読むこと。それは精神を安寧に導く。心を豊かにしてくれるとは実際こういう意味かもしれない。飢餓。焦燥。集中力の低下。SNS漬け。スナックコンテンツ。ちゃんと作られた満足感のある作品をゆっくり味わうこと。ゆっくりと文章を読め。人生を変えたいなら情報に溺れるな。きみはそれを作る方になれ。プラットフォームに創作意欲や時間を搾取されるな。
0 notes