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yamaguchi-kp · 5 years
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◉山口のキーパーソン 第1回
ゲスト:福田 百合子 (ふくだ ゆりこ)
昭和3年 山口市に生まれる。
山口県立女子専門学校国語科 卒業
関西学院大学大学院日本文学研究科修士課程修了 山口女子短期大学助手、講師、助教授、山口女子大学教授、山口女子大学付属図書館長、山口県立大学名誉教授を経て、中原中也記念館 館長に就任
現在は同館名誉館長
主な著書
小説『外郎の家』『椹野川』『鵜を抱く女』
『中原中也詩私解』『中原中也の短歌』
随筆『心のふるさと散歩』上下 赤間書房など
聞き手:チェン・スウリー(陳 樹立)
山口市出身の詩人、劇団主宰、台湾華僑3世。
NHK「詩のボクシング 第1回 トーナメント」で準優勝。
3月30(土)、31(日)に県庁敷地内 旧議事堂にて中原中也の舞台公演。
現在「県庁所在地の山口市に映画館・芝居小屋を!」計画遂行中。
中原中也の魅力/山口の風土/山口の文化政策/外郎の家/香月泰男との思い出/古川薫との思い出/藤原義江、二村定一 山口の芸能について/詩人、文士の故郷、山口/
などのお話を語っていただいております。
尚、ジャンク派では、3月末に以下の概要で中原中也を描いた舞台公演を行います。
春公演
劇団ジャンク派幻燈ファンタジー
「夜、うつくしい魂は涕いて」
ー中原中也ラプソディー
/2部 ロマーンティック・ショー
やさしかった中也さん。ワタシは自分の人生を生きたわ。後悔はしてないの……
作演出 チェン・スウリー
ふるさとの詩人 中原中也の生涯を叙情味豊かに描く感動の舞台!
生演奏の音楽で、2部には楽しく華やかなショータイムを展開!
【出演】
チェン・スウリー × 時乘陽南
田村佳乃子(音楽監督 EL.)
田中希実(Vl.)
【ダンス指導】安田ありさ(こいね会舞踊学院)
【写真】松原千尋
【宣伝美術】鈴木仁美
【制作】雪野うさぎ
【協賛】山口高校同窓有志(山口尚敬 岡藤直嗣 吉田純一)
【特別協賛】湯田温泉旅館協同組合
【後援】山口県 山口市 中原中也記念館 山頭火ふるさと館 金子みすゞ記念館 山口新聞社 朝日新聞社
とき: 2019年3月30(土) 17:00〜
31(日)13:00〜/17:00〜
ところ: 山口県政資料館 旧議事堂
※開場の前にプロローグ(前芝居)が定刻にスタートします。到着時間にお気をつけください。
※プロローグ開始時間30分前より入場整理券を配布します。整理券の番号順に入場となります。
※満員・立ち見になる場合もございます。良いお席の確保の為、余裕をもってお越しください。
チケット 学割500円/一般1,000円 ※ともに前売料金。当日は300円増
前売券販売所 YCAM/山口市民会館/アスピラート/文榮堂 本店/幸せますアンテナショップ ゆめざ/マツノ書店/
もしくはメールにて [email protected](振込先をご案内します)
詳しくは公式SNSでも配信中[ジャンク派]←検索
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★見どころ
来たる3月30日(土)・31日(日) 山口県政資料館 旧議事堂にて、ふるさとの詩人 中原中也を描いた芝居とコンサート(ショー)の舞台公演を行います。
当劇団は、芝居で山口を盛り上げて元気付けようと県下の大学生などの若者を中心に昨年結成したばかりの新しい劇団です。
昨年、9月の旗揚げ公演では、防府・徳山・下関・山口と、県内各所を巡演し、いずれの地でもたいへん多くの温かい観客の皆さんに足を運んでいただき大盛況のうちに幕を下ろすことができました。
今回、春公演として、山口が生んだ詩人中原中也の生涯を描いた芝居公演を下記の通りに行います。
また、当劇団の特徴として、2部には歌とダンスいっぱいの華やかなショータイムを行います。
芝居とショーの全編を通し、音楽はすべて生演奏なのも見どころです。
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yamaguchi-kp · 5 years
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「文化の薫る山口に…」 中原中也記念館名誉館長 福田 百合子さん [後編]
         ◯外郎の家
チェン「福田先生は山口の外郎(ういろう)の商家のたいへんな大家族のお生れなわけですが、どういったことから文学の道に進まれることになったのでしょうか?」
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福田「やっぱり戦争の影響っていうのが大きいですね。太平洋戦争があったものですから、外郎と云ってもお砂糖も配給制度になりますし、兄が4人もいたんですけど、みんな戦争に行ってしまって。だから家は祖母や母や叔父、叔母、わりあい年寄りのなかにおりましたので、いろんな話を聞くことが出来ました。山口の歴史や言葉について、生活習慣について。そういうことでずいぶん刺激を受けて、言葉には興味を持ったんですけど、文学をとは思わなかった。兄がシベリアに行って戦病死して、父も相当衝撃を受けたのですが、父もそれからすぐに亡くなったんです。外郎屋を継ぐ人がいなくなって続けていけなくなった。どうしようかという時に、ちょうど宮野の女専ができまして、そこに入るなら国語方面、文学方面しか行けないなって思って受験しました。そこで、太田静一という中也の研究家、嘉村礒多の研究家にお会いしました。それから、古典の世界を。両方教えてもらったので、そこからだと思います」
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チェン「福田先生の書かれた小説〝外郎の家〟のなかでも細やかにその辺の事情は綴られていましたね。山口を代表する大きな商家が途絶えてしまう、そのさみしさ、僕自身は華僑の生まれですが祖父母の苦労して築いた家業を継がなかった訳ですが、自分の境遇と重ねながら読ませていただきました」
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福田「そうですね。お父様のね…… 身につまされたでしょう」
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◯香月泰男との思い出
チェン「先ほど、お兄様のシベリアのお話に触れさせていただきましたが、山口でシベリアと云うと画家の香月泰男さんがいますね。僕は香月泰男美術館がとっても大好きな場所で山口に帰省すれば必ず足を運んでいたんですが、僕が東京の美大にいた頃にはよく周りから香月泰男美術館があるなんてうらやましい、中原中也記念館があっていいねえって云われてたんですが、もっと山口のなかでその魅力が広まってもいいのにって思いがすごくあるんです」
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福田「私は生前とてもよくしてもらいましたし……」
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チェン「福田先生の最初の出版の装丁を香月泰男さんがなさったんですよね」
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福田「そうです。〝心のふるさと散歩〟というKRYで随筆の放送をしたんですが、それを集めて文芸山口叢書の第1巻として出すことになった時に香月先生が装丁と挿絵を描いてくださって。だから原画も持っております。シベリアからお帰りになったということで、私は兄が亡くなった訳ですから、そのことを先生に話したら、ある種の後ろめたさをきっと持たれたと思うんですが、とってもよくしていただいて、アトリエにも上げていただいて、2階に抑留時代の飯盒があって、飯盒の焦げたススを墨にすり込んでシベリアシリーズの黒の原色として使ったのを、秘密なんだけどって云って教えてくださったり、平和の象徴の鳩もよくモティーフにされてましたが、それは河原で拾ってきた石にちょっと目をつけて鳩だよねーっておっしゃってたり。おもちゃシリーズがありますよね。あれなんかも、とても器用でいらしたから、ちょっとこうやって触ったり引っかけたりで作っておられましたね。最期のとき、新聞社からいち早く電話をもらって駆けつけたんです。ご遺体の手がまだ温かかった。ほんとうに身につまされました…… 古川薫さんもよく通われていて、著者に書いておられました。シベリアへの共通した恨みや思い入れを語られる時に、なんかこう心が通じ合えた気がいたしました」
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チェン「ほんとうに過酷な状況下で生きて帰られた。あの辛さを、シベリアシリーズとして描かれたのはみなさんよくご存知な訳ですが、一方で、福田先生も触れられたように、子どもが見て笑顔になるような、心がほっこりするようなおもちゃをたくさん作られてますね」
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福田「そうですね。最晩年には、ヨーロッパや南方を旅行されて、どんどん明るくなって色彩も豊富になって温かい華やかな作風も現れて楽しかったのですが、その最中に…… まあワインがお好きでたくさん召し上がってたのもあって、その��いもあるかも知れませんが。そしてやっぱりシベリアの寒さや厳しさがお身体に響いていたんだと思いますね」
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◯古川薫との思い出
チェン「また、近年お亡くなりになられた古川薫さんとも交流がおありだったそうですね」
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福田「そうなんですよ。方言を集めた書物の企画も、古川さんが山口新聞時代に声をかけてくださったものだったんです。それよりももっと前、山口大学の頃、サッカーをされておられた頃から関わりがありました。それから文芸山口の会合の時には一緒にたいへんな大雪の中を山口駅まで歩いて行った思い出もあります」
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◯藤原義江、二村定一、山口の芸能
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チェン「僕は、古川薫さんの〝漂泊者のアリア〟の藤原義江さんの記念館につい先日、下関に行った際に訪ねてみたんです」
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福田「そうでしたか。ありますね」
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チェン「はい。ところが、藤原義江記念館を見て、ちょっと胸が痛んだというか…… 個人の方が一生懸命に苦しいなか運営なさっておられるという風情で。下関には、藤原義江さんだけでなく、例えば、二村定一さん、あるいは田中絹代さんという、云ってみれば芸能界の先駆者のようなとってもモダンな方がいっぱいおられる。山口はどうしても明治維新のこと中心にPRしますが、こういった昔の文化・芸能のことにももっとスポットを当てていただきたい。古川薫さんが、著書で光を当ててくださったように」
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福田「沢田研二がNHKホールで演じてた時にも、古川夫妻がみえてて、あれはなかなか熱演で」
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チェン「そうですね。沢田研二さんがああやって舞台にされて、藤原義江さんのことが広く知られるようになりましたね」
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福田「私は、実物を知ってて、山口師範の講堂で見たこともあったんです。その時にはバイオリンの諏訪根自子なども一緒でした」
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チェン「そうなんですか! 藤原義江ご本人をご覧になったことがあったんですね!」
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福田「当時〝世紀の恋〟と謳われた藤原あき夫人も綺麗でした。たいへんな名家の方ですからこう髪を膨らませて」
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チェン「そうでしたか。今で云うハーフで、堂々たる風格で、美しい横顔のお写真が残っていますが」
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福田「そうですね。ちょっと、私どもでは考えられないような生涯、それを観たくて、当時アリアがどんなものかも知らずに、音楽的にはなにもわからないまま、多くの人が高商の講堂に足を運んだものです」
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チェン「藤原義江さんはオペラで日本の第一人者ですし、また、二村定一さんは日本における初のジャズシンガーと云える方ですよね」
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福田「そして防府には、大村能章もいますしね。掘り起こせばほんとに豊かな人材がいます」
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チェン「はい。松島詩子さんもいますね!」
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福田「そうそう! 松島詩子も実際に会ってます」
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チェン「そうなんですか! あのすごいドレスの」
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福田「金龍館に淡谷のり子も来て、戦後すぐでしたから停電になってたいへんでしたが(笑)」
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チェン「商店街にあった映画館の金龍館ですね。僕は戦前の音楽に憧れがあるので、僕の立ち上げた劇団でも扱って、もちろん二村定一さんのアラビアの歌なんかもやったんですが、観に来て下さった多くの方が知らなかった初めて聴いたって云われる方がほとんどで。一緒にやった若い人も、もちろん知らない訳なんですが、昔にこんなモダンな人がいて美しいメロディーあったんだったって事に若い感性に響くものがいっぱいあったようなんです。だから、決して昔のものでもう終わったということではなく、また光を当てたり、良さを伝えていくってことをほんとうに大切にしていきたいと思ってるんです」
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福田「そうですね。そういうものを耳にするとまた自分で新しい作曲をしようというものが出てくるかもしれませんしね」
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チェン「そうですね。やっぱり何かかから、影響を受けて、感化やインスピレーションを受けて創作というもの生まれるものですしね」
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福田「そうですね」
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◯詩人の故郷、山口
チェン「話が多岐に及んで、山口の芸能についても触れていただきましたが、福田先生のご専門の中也を始め、山口にはまた、金子みすゞ、種田山頭火、まど・みちおさんなど詩人の方々もたくさん輩出しているわけです。また、宇野千代や下関出身の林芙美子もいますね。こういった、素晴らしい文学の方々がいっぱいおられるわけですが、僕は、これこそが山口の宝なんではないかって思いがとてもあるんです。愛媛県松山市は正岡子規の故郷で、その弟子筋の高浜虚子がいたり、中村草田男がいたりということで、俳句甲子園をやっていますね。去年は、東京の名門の開成高校を下して山口県の徳山高校が優勝して盛り上がったわけですが。この俳句甲子園は全国的にも注目を集めていて、これが映画化されたり、サントリーの地域文化賞を受賞したり、俳句を中心とした町興しが非常に成功したケースと云われています。山口はこれだけ錚々たる詩人の方がいっぱい居ますので、詩のメッカ、詩の故郷であるという事をもっと浸透させてうまくPRできるんではないかと考えているんです」
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福田「一応、中原中也賞というのがありまして、福島のご出身の詩人の和合亮一さんなどが受賞されて、ワークショップで小学校に詩を教えに来てくださったり、福島との交流もあって。また、いまは〝ぼうしの詩人賞〟と云って、小中学生を対象にした賞も設立したんです。けど、これもいかにして宣伝をしてみんなに行き渡るようにしないといけないわけで、その意味では、山口はそういう発信力が、ちょっと遠慮深いかもしれませんね…… もうちょっと堂々とたくさんしていってもいい気がします。でも、徐々に浸透していってくれればとも思います」
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チェン「そうですね。それにはまず、やっぱり地元の故郷の方が、中也や山頭火などの理解を深めて大切にしてほしいなって思います」
◉中原中也の舞台公演のお知らせ
  日時:2019年3月30(土)、31(日)
  会場:国指定重要文化財 山口県政資料館 旧議事堂
  主催:劇団ジャンク派
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福田「そうですね。私はまた、近代文学館として、中也、みすゞ、まど・みちおと繋ぎ、面で捉えるような、文学廻廊にするという将来構想をずっと前から持っているんです。山頭火と中也も繋がるし、みすゞとも繋がるし、婦人画報でまど・みちおとも繋がっている」
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チェン「なるほど! それはたいへん素敵な構想ですね! しかし、福田先生がこうやって山口のこれからについていっぱい思い描いているおられる事があって語ってくださってるわけなんですが、みなさん、びっくりされると思いますが、女性の先生ですからお年のこと触れさせてもらってたいへん恐縮なんですが…… 福田先生は、今年で90歳になられたんですよね…?」
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福田「はい満90です。もう卒寿というわけですから、人生卒業なんですけど…… まだ、もう少し、みなさんとご一緒させていただきたいと思っています」
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チェン「昭和3年のお生まれでしたよね」
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福田「はい、9月ですから、もう半分は過ぎましたけど…(笑)」
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チェン「いやー! 素晴らしいです…… いつもたいへんよく歩いていらっしゃいますよね」
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福田「今日も、ここまで歩いて参りました」
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チェン「寒い最中をほんとうにありがとうございます。そして、僕はびっくりしたのは、東京でお会いした時、羽田空港から、六本木のホテル、そして、銀座とご一緒させていただきましたが、とっても歩く速度も速くって、浜松町で山手線に乗り換えてとか、この道からゆけば早く着くとか、全部先生が教えてくださって、とても90歳の先生とは思えませんでした。びっくりして、驚異的だとすら感じています。しかも、いつまでもお美しい。こんな90歳の方っていうのは、日本中探してもなかなかいないんじゃないかと思っています」
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福田「いえいえ、それはちょっとオーバーですよ(笑)」
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チェン「ここで、ちょっと総括的にお伺いしたいと思っています。これまでも、折に触れお話いただいていましたが、福田先生の思われる〝山口のいいところ〟山口県の魅力についてお話いただけないでしょうか」
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福田「はい。山口は地理的に本州の端に位置している事から、よく吹き溜まりだという人がいますが…(笑)私は、ここから発信していく、海を控えていて、遥かに展開が出来る位置的なメリットがあると思っています。そして、非常に総合的に物事を考えられる。それは、瀬戸内側と日本海側と中山間部がありますし」
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チェン「玄界灘にも繋がってその向こうには大陸がある」
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福田「はい、九州や四国とも近い、文化的には京文化とも近い、そうゆうことを考えますとやはり総合的な1つの良さを持っていると思います」
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チェン「なるほど。この山口、長州の地から、新しい日本を創ろうと志した多くの志士たちも生まれ育ち飛び立っていきました。これもお国柄なんですかね」
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福田「歴史的なそういう面もあると思いますけど。近代的な意味でも、これから、方々へ飛び立っていくインターナショナルな人々の集約力もあるけど、発展力もあるというふうに思います」
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チェン「なるほど。すごく明るいお話をいただきました。逆に、山口のこれからを考える為にも、〝山口の残念なところ〟課題、これからよくしてゆかなくてはならない取り組みなど、そういったものがあればお聞かせいただけないでしょうか」
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福田「昔は、田んぼが広がり、それが水を受ける機能を果たし、結果、洪水も少なくしたと云ういいところもあったのでしょうけど、都市化してその機能も充分に発揮できなくなっているような、中途半端な地域性に終わっているんじゃないかと思います。先ほど云った文教的な意味合い、あるいは、個々の都市がそれぞれの特色を持ちながらそれを総合的に高めていく、そう云う発想が少し足りないんじゃないかと思います」
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チェン「云ってみればグランドヴィジョンが描けなくなっている。僕はすごく思うのは、昔の方、政治家なども風土をよく理解してグランドヴィジョンを持っている。例えば、東京大学を作れば、一方で大阪ではなく京都大学があり、国立美術館も、東京と京都。山口には、山口大学がありますが、前身となる高商は、やはり戦前は下関が非常に重要な港であった事から、日本に4大高商を作るにあたって、東京に一橋大学、神戸に神戸大学、そして山口と長崎に作った。このように地域の特性をうまく活かす、よく地理を理解している。山口も、やはり山口ならではの地域の特性・風土をよく理解して、ここにはこういうものが必要だと云うようなグランドヴィジョン、展望を描ける人材がほんとうに必要だと感じています」
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福田「それがいると思いますね。やはり住んでる者が声を上げていかなくてはいけませんね」
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チェン「はい、ですから、地域のポテンシャルや良さをまだ理解しきれていない、活かしきれてない、それが残念なことだなぁと思っています」
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福田「そうですね」
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チェン「福田先生の年齢をお聞きしてびっくりいたしましたが、若い人も負けていれませんね。90歳の福田先生がこれからの山口のことを思って精力的に様々な取り組みをなさっておられるわけですから。その多くがボランティアの活動で、ご尽力なさっておらえますね。地方の時代とも云われますが、一方で地方消滅なんて言葉も話題になりました。ほんとうに真剣に考えていかなくてはと思います」
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福田「そうですね。みんなで一緒に考えなきゃいけませんね」
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チェン「最後に、福田先生から、このメディアをご覧になってるみなさんに向けて、メッセージを一言いただけない��しょうか?」
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福田「はい。とても空気が美味しくって、風がとても気持ちよく、そして光も充分な、山口へぜひどうぞ」
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チェン「福田先生、長い時間に渡り、僕の至らない点が多くあったにも関わらず、今日は、様々な話に及びたいへん貴重なお話をお伺いすることができました。ほんとうにありがとうございました」
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福田「いいえ。どうも失礼しました」
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取材場所:一の坂川   喫茶ラ・セーヌ
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yamaguchi-kp · 5 years
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「文化の薫る山口に…」 中原中也記念館名誉館長 福田 百合子さん [前編]
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福田 百合子 (ふくだ ゆりこ)
昭和3年 山口市に生まれる。
山口県立女子専門学校国語科 卒業
関西学院大学大学院日本文学研究科修士課程修了 山口女子短期大学助手、講師、助教授、山口女子大学教授、山口女子大学付属図書館長、山口県立大学名誉教授を経て、中原中也記念館 館長に就任
現在は同館名誉館長
主な著書
小説『外郎の家』『椹野川』『鵜を抱く女』
『中原中也詩私解』『中原中也の短歌』
随筆『心のふるさと散歩』上下 赤間書房など
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チェン「みなさんこんにちは。この山口のキーパーソンという番組は、山口でご活躍の著名な方から未来を切り拓く若者まで、いろいろな方との対談を通してこれからの山口への提言をいただこうというものです。今日はその第1回。特別ゲストとしてお迎えしました。中原中也記念館 名誉館長の福田百合子 先生です。福田先生、今日はどうぞよろしくお願いします」
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福田「こんにちは」
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◯中原中也の魅力
チェン「福田先生と云えば、山口のみなさんはよくご存知ですが、山口女子大、現在の山口県立大学の教員、名誉教授を経て、山口市の中原中也記念館の初代の館長として就任なされました。現在は、同館の名誉館長をなさっておられます。また、NHKの経営委員会を2期お務めになり、マスコミ・報道にも携わっておられ、テレビ出演も多くされておられるので、テレビで福田先生のことを見て知っているという方も多いと思います。また様々な著書や講演活動を通してご存知の方もおられると思います。福田先生にはやはり中原中也のことを中心に、また昔の山口のことなどのお話もお伺いして参りたいと思っています。中也は、全国にも多くのファンがおり今もなお広く愛され続けている訳ですが、福田先生はこの中原中也の魅力はどんなところにあるとお考えでしょうか?」
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福田「はい、やはり永遠の青春みたいなところがありますよね。私は、中也の生涯の倍以上も生きておりますが、永遠の若者であり、自分に代わって歌ってもらってるような気がして。例えば、これが私の故里だという云い方をされると、ああ、一緒だなぁという感じにですね」
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チェン「そうですね。中也はまた、作品そのものもですが、そのいかにも詩人らしい生き様に惹かれているという人も多いのではないでしょうか?」
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福田「そうですね。自分の信じている道、自分の表現の道を一筋に貫く訳ですよね。なかなかそれはできませんよね。自分の生涯を振り返ってみても教師としてあるいは中也記念館でも館長として、はたしてどうだったんだろうと思ってしまいます」
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チェン「いえいえ、ご謙遜でしょうが…… それぞれの皆さんが、はやり中也と自分とを重ね合わせて詩の世界を味わっているということなのでしょうね」
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福田「そうですね。ただ郷里を同じくしているということだけではなくって、若者としての共感とか、そしてある種の普遍性ですね。空中ブランコが揺れているサーカスの世界。揺れ動くのは、都会と地方都市との揺れ動きだったり、西洋と東洋であったり、それから散文とポエムとの間の揺れ動きだったり」
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チェン「また、戦争に突入する時代との境界みたいなものもありますね」
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福田「そうですね。そのような時代的な背景の不安みたいなものも、きっと多くの人の共感を呼ぶんだと思いますね」
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チェン「私ごとではあるのですが、やはり僕も高校時代に中原中也に随分と入れ込んで、彼の通った山口高校(旧制の山口中学)に進学しました。当時、吹奏楽部にいたのですが、部活動が終わってから夕方、毎晩のように中也のお墓に通うのを日課にしていました。僕の自宅は山口市の商店街の中でしたので、吉敷にある墓地は全く逆方向で、自転車で40分くらいかかってたんですが…… 今では、決して出来ませんが10代の当時の有り余るエネルギーがそんなマネをさせていました」
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福田「ええ…(笑)吉敷まで、それはちょっと遠い」
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チェン「けど、日本各地で中也を熱烈に愛する皆さんがおられますね。10代の頃の僕もそうだったのですが、それは〝落ちこぼれた〟ことも1つの要因ではないでしょうか?」
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福田「はい。中也は山中を落第して、京都に転校したわけですよね。これも1つ転機だと思いますね」
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チェン「長谷川泰子に出逢ったり……」
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福田「そうですね。そして、東京で小林秀雄やいろんな友人関係っていうのがやはり大事ですね。そこから影響を受けていくという中也の生涯なんですけど、私はこれは山口の特色というか一種の地方都市の現実だと思いますね。若者は一度は大勢の人が集まる都会に出ていく。けれども、中也も第2詩集の刊行の前に、さらば東京、おゝ我が青春と云って山口に帰ろうとする訳です。私はそこに山口と云う土地柄の特色があると思いますよ。一度は出て行っても、また戻りたいという、そういう場所であってほしい、これは山口県全体への提言でもあるんですけど。瀬戸内側や宇部市なんかは煙突やコンビナートなどが建つ工業地域の機能を持っていますね。一方、山口市というのは成長期まではここで暮らして、都会に憧れて多くの人脈を求める時期があって、そしてまた戻ってくる文化都市、文京地域としての特色を持ってほしいと願っていますね」
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◯山口の風土
チェン「いま、お話をお伺いしている場所は一の坂川の喫茶店 ラ・セーヌさんなんですが、この一の坂川っていうのはそういった山口の文化、歴史の育んだ佇まいを残す代表的な美しい場所ですよね」
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福田「そうですよね。大内氏の残した檜皮葺の五重塔も見えますし、大神宮のある鴻ノ峰が見えますし、サビエルの塔が近いし、そして柳桜をこきまぜてという歌があるように、桜並木が連なって、蛍が出て、カジカが鳴いてという」
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チェン「商店街がすぐ近くで、このように蛍の見れる川が流れているっていうのは、ほんとうに山口の魅力ですね」
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福田「そうですね。そのような風景、風土と住んでる人間が非常に密着している。そこに私は文化、文明と云ってもいいくらいの土壌があると思うんですね。それを是非、これからも目指してほしいですし、昔からの伝統的な土壌や要素があると思うんです」
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チェン「そうですね。この一の坂川の美しさと云うのは、一朝一夕に作れるものでは決してなく、歴史の重みが醸し出すものですからね」
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福田「そうですね。それを継承しながら今に活かして未来へ繋げてゆく、そういうカタチにしたい。できると思うんです」
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チェン「残念なのは、山口大学の学生さんなんかに聞くと、一の坂川やそのすぐ裏手の堅小路、大殿大路などの歴史の名残がある美しい通りに来たことすらないし知らなかったという方が大半だというのはほんとうにもったいないと思っています」
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福田「そうですね。昔は山口市内に全部集積して今の美術館あたりは高商の生徒さんがいて、前の池をダボって云ってましたが、今の山高のあたりまで蓮田がずっと広がっていたり食用ガエルが鳴いていたりと云った風情がありました。コンパクトに集約してあったんですね。でも、学校も規模が大きくなった。県立大のある宮野も少し離れてますけど、あちらは桜畠というくらい昔の天領だった場所で、重源の里とか仁保や徳地に通じてるわけですが、そういう山口市として1つのグローバルがあると思うんですね。前ほどコンパクトにはいかないがちょっと広げたというカタチがあります」
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チェン「政策として、そういう道を選んだわけですが、僕なんかはやはり商店街で生まれ育ったので、年々さみしくなる商店街のことに非常に胸を痛めていて、せめて山大がこの地に留まってくれていればまたずいぶんと違っただろうになぁとよく思わされてしまいます」
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福田「赤レンガは昔の文理学部の書庫だったわけです。直木賞作家の古川薫さんが学生さんでサッカーをされていた時に市役所が火事になってみんなが書類を運んだっていうエピソードもあって、私どもも共通して体験してるものなんです。大学自体が膨らんで立地条件やキャンパスの広さの問題などもあったんでしょうね」
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◯文化政策について
チェン「山口市は、大内時代から京都を見習って町づくりを進めてきた歴史がありますが、京都なんて京都大学にしても立命館にしても一番いいところから大学が動いていない。文化のほんとうに感じられる中に大学もあるなぁと……」
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福田「中也も立命館に転校する訳ですが、衣笠分校って云ってやっぱり移っていくんですよね。ですから、これはもうやむを得ないところもあるのかなぁと。ですから、私はそれらを統合したような総合的な研究所とか、ずっと生涯をかけて研究に取り組めるような、人文的あるいは芸術的センターみたいなものを山口市が機能してつくるべきだと思うんです。そうしますと、新山口あたりにそうとう大規模なイベントホールが出来るにしましても、そこには大きなもの、そしてこちらにはもうちょっと小規模なもの、お芝居やいろんな芸能が出来るようにいろんな手配をすべきセンター、研究所みたいなものがあって交流を司ってマネジメントする。そのようなものがあれば、多くの人が研究のためにあるいは表現のために集まってくる、そのような場所にしたいと思いますね」
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チェン「それは素晴らしい構想ですね。山口の文教地区の雰囲気が、また、地元のみなさんが愛するサビエルの鐘の音の鳴り響くちょっとコスモポリタンな雰囲気が、そのような文化や学術的なこととよく似合いますね」
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福田「地元の人はもちろんですが、また多くの人が表現や研究のために集って、家族ごと周辺に住んでいただけたらと思っています」
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チェン「その構想には今、なにか動きがあるのでしょうか?」
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福田「市長がおっしゃってる新山口駅の新幹線を利用した交流があるようにとの北口の開発が進んでいますね。市役所はいまの場所に留まる構想みたいですが、行政・お役所と研究や表現の場とが近い場にあって相互に機能し合って、多くの方が移り住んで生涯かけての仕事になってくれればと思います」
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チェン「なるほど。福田先生は、一貫して山口の文化支援・文化振興に携わってこられた訳ですけど、ここで福田先生ご自身についてお尋ねして参りたいと思います。……」
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つづく
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yamaguchi-kp · 5 years
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オープニング動画作りました
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yamaguchi-kp · 5 years
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創刊準備中!
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