Tumgik
thedevilsteardrop · 4 months
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二次創作
真宵街 @rust1cana
兄を元気づけてやりたいすよ、と 依頼人が言った。
いわく、
兄には一人娘がいたが、最近亡くなってしまった。
娘の声で兄を元気づけてやりたい。
要点としてはこの二つだけの依頼である。
問題は…、と、声色遣いは依頼人の様子を正面からじとり、見つめた。
オドオドと掘り深い目で声色遣いを見据える男は、布の少ない安価な洋服を着ている。痩せて隈の目立つ面立ちをしていた。そして今、妓女もつけずに遊郭の一室を借りている。
「……ただそれだけの依頼にしちゃあ、随分と金をかけてくださるんですね」
声色遣いはこの依頼を受ける気でいたが、なぜかといえば金が弾むからだった。多少のリスクがあろうとも金額の大きな仕事は受ける。しかし、聞く限り今回の依頼に「多少」もリスクもなかった。
不釣り合いに金額ばかり大きい。
「何か保険をかけておくべき事情でも?」
「そりゃあ、うちは大きな家だ、親族は…よそ様に顔向けできないことなどするなと…兄を騙したと知られたらまずい、誰にもだ。こう見えて、うちは結構金がある。兄を騙すことを思えば、安いもんだ」
「ははあ。そいつは失礼。こんな生業をしてるんで、騙しに慣れ過ぎてそれ自体が危ない橋なのを忘れていたようです」
にっこりとそう返した声色遣いに、依頼人は苦笑いを返してきた。
ーーー馬鹿正直に裏事情を話されたら、断ろうと思っていたが。
どうやらちゃんと小狡い依頼人らしい、と理解して、声色遣いは「承りましょう、手付金を先払いで四割」と手を差し出した。
さて依頼自体はいともあっさりと遂行された。
自働電話から依頼人が電話をかけ、何事かボソボソと話したのち、外で待たされていた声色遣いを招き入れ。声色遣いは電話口を代わったあと、あらかじめ仕上げていた声色で、決められた通りのセリフを言い、言い終わるや依頼人が受話器を取り上げた。それで仕舞いだったのである。
「これでご満足いただけたんで?」
「ああ。兄も喜んでた…生きてると思い込んで、はぐらかすのがちと大変だったが、まぁそういう落とし所にしとかねえと…。世話んなったな。残りの金は近日中に、使いのものが持って行く」
「左様ですか。よろしいですよ、お身内も伺っておりますしね」
依頼人の兄、その一族は、実際大層な富豪だった。身元ははっきりしている。
「では、ご依頼ありがとうございました」
「…この件は、よくよく内密にな」
「…ご心配なく。ご依頼人に関することは、すべて他言無用ですから」
最後に振り返りざま、念を押してきた男に、声色遣いは笑顔で答えた。
すっと笑みを引っ込め、軽く振っていた手を下ろす。
「そんなうまい話がありますか」
先程まで纏っていた軽薄な雰囲気は消え、だるそうにため息を吐くと、声色遣いはきびすをかえした。スタスタと。向かう先に迷いはなく足をはこぶ。
「近日中に口封じされちゃたまりません…先約になっておきましょう」
さっさと目当ての店に辿り着くと、ドンドンと普段ならしないような粗野な音を立てて戸を鳴らした。
「…はぃ…て、あんたかよ。何の用?」
カラリとすぐに戸が開いて、顔を出したのは、縫術師。
在宅だったことに内心ほっと安堵しつつ、声色遣いはまた軽薄な笑みを浮かべる。
「今日もお美しいですね、紡姉さん」
「いつになく雑な軟派文句だな。さようなら」
「紡姉さんにお尋ねしたいことがありまして」
閉められかけた戸をガッ!と片手で掴んで止める声色遣いに、縫術師は露骨に舌打ちした。
「なんなのよ…」
「賛辞がそぞろになってしまったのはご容赦を、今日は暇つぶしではない用件があるんですよ」
「早くそれを言ったら?」
「…中に入れてくださらないんで?」
「ここで済まないほどの面倒ゴトなら持ち込むんじゃないわよ」
すげない返答にため息をつき、気持ちばかり小声に落として、声色遣いは言った。
ーーー依頼人に関することは、他言無用。
ーーーただしそれは「職人同士」を除いての話だ。
「伏見、というお家から私との縁切りの依頼が入ったら、お断りしてくださいな」
「…伏見?」
「本日仕事で支払いに不安のある客が来たんですよ。踏み倒そうと思ったら私との縁を切りに姉さんに縋る可能性も…」
「そいつなら、先日既に依頼を受けたわ。伏見初子という女から」
「…なんですって?」
予想外の返答に、声色遣いは目を瞬かせた。この街に出入りする者で、身分なども加味して同姓の別人という可能性は、まず無い。
「伏見初子…当主の奥方ですね」
当主は依頼人の男の兄、という話だった人物だ。
「奥方ご本人がこちらへ?」
「ええ。しかも護衛一人だけを連れて、こっそりとね。けど、あんたとの縁切りじゃないわよ」
「そりゃあ先日切れてたら今日まで続いてるのはおかしいですものね。…誰と誰を切ったんで?」
「主人と娘の縁を」
「主人と…娘」
声色遣いが指先を口元にあてて思案顔になると、縫術師も今にも閉めようと構えていた戸から手を離して向かい合った。
「勿論、忠告はした。縁切りはどのように縁が切れるかわからない、とね。…まぁ奥方はご自身の縁を操作したわけでは無いから、他人事かもしれないわ」
「…その、主人と娘がどうなったか、姉さんはご存知で?」
「知らないわ。興味ないし」
この人はそういう人だったな。と思い、声色遣いは一度頷いた。
「ありがとうございました。まぁ、私の縁をいじろうとする輩がいたらあしらっていただけるようお願いしますよ」
「それがあんたの依頼なら、依頼料を持参することね」
言って、今度こそ声色遣いの鼻先でピシャンと戸が閉められた。
はたして、金はいつまでも支払われる様子が無いものの、声色遣いが自分の身に異変を感じることもなかった。
数日、数週待って、やれやれと重い腰を上げる。久方ぶりに街の外へと出かける支度をし、行き先は一方的に時間屋に押しかけて端書きを置いた。
いざ料金の徴収である。
伏見といえば名家であるので、人力でも頼めば住所を知っている。前払い分の四割を惜しみなく使い、屋敷の前まで運ばせると、立派な開き門の前へ立った。
一歩踏み入ればすぐ、使用人らしき者を見かけた。
「ごめんください」
声を掛けるとその人物は振り返り、何か用かという旨を丁寧な言葉で台本のように述べた。声色遣いもそれに倣い、丁寧に
「このお屋敷のご主人から頼まれた仕事の、見返りをまだ半分ほど受け取れずにおります。お取次をお願いしても?」
と述べる。
すると、使用人は顔色を変えて、目を伏せた。
続けて口にされた言葉にはこうだった。
「ご主人様は、先日身罷られました」
「…なんですって?」
「ちょっと、そこの者」
と、そこでまた別の人物の声が割り込んでくる。
妙齢の女声、そちらを見れば着物姿に結い髪の奥方が佇んでいた。手に手を繋いで、幼い少女も共にいる。
「何者です、この多用な折に」
「…。お初にお目にかかります、ご当主様の弟様よりご用命を受け、先日共に勤めさせていただいた者です」
「弟…旦那様のご兄弟は随分昔に出奔し、それきりでございます。その者といかなることを為そうと、私共には由縁のないことでございますわ。お引き取りください」
「…左様でございますか。では、失礼を」
食い下がっても心象を悪くするだけであろうと察し、声色遣いは一礼を残してその場を後にした。金が入らないのは少々不服ではあるが、実のところ、予想のついていたことであった。
街に戻って早々、縫術師の元へ訪れると、彼女は店の方に出ていた。
「姉さん」
「…いらっしゃい。今日は客として来たの?」
「いいえ、少々お伺いしたいことが」
声色遣いの言葉にチッ、とあからさまに舌打ちをしたものの、期待はしていなかったようで「で、何?」と縫術師はすぐに切り返した。
「また縁切りの話?」
「ええ。あれから、伏見の家の者は依頼をしてきませんでしたか?」
「…してきたよ」
「ほう」
驚いていなさそうな声色遣いの反応に、縫術師はうんざりしたように顔を背けながら言った。
「全く、あれから後になって伏見の奥方が文句をつけてきたのよ。夫と娘の縁が切れていないって…聞けば、電話越しに二人が会話したとか。…嘘つき屋、あんたのせいね?」
「あら、それは申し訳ない。私も予定の半額もいただけなかったんで、それで痛み分けということでお願いしますよ」
「痛み分けじゃないわそんなの。あんたが自業自得で私はとばっちりじゃない」
恨み言もなんのその、ニコニコと目を細めるばかりの声色遣いを一睨みした後、縫術師は
「今度は当主がやってきたわよ」と、
「娘と拐帯犯との縁を切って欲しい と言ってきた」
娘が拐かされて大層な額の身代金を要求されたそうよ、と。
答えた。
「…それで、切ったんで?」
「できなかったんでお引き取りいただいたわ」
「え?」
今度はしっかりと、驚いた様子で声色遣いの目が見開かれた。
「そうなんですか?できないとかあるんです?姉さんに」
「だってその当主様、犯人のことを一切知らなかったもの。私は依頼人が切ってくれと差し出した縁(いと)を切るだけよ。誰ともわからない相手との縁が切れるもんですか」
「それじゃあ、ご当主はなぜ亡くなったんでしょう」
「は、死んだの?あの人」
「そのようです。先程…」
と、声色遣いは伏見の宅へ訪れた出来事のあらましを語った。
「…ふぅん。ま、縁切りして一月経たないうちはどうだかわからないしね。良家のことだから、そのうち噂が耳に入るでしょ」
と一度背を向けた後で、そういえば、と縫術師はこう付け加えた。
「伏見の家の人間からじゃないけど、当主との縁を切りたいって依頼ならもう一件あったから、そっちのせいで死んだのかもしれないわ」
「かくかくしかじか、金が半分以上入らなかったわけなんですけれど、まぁ四割でも結構な大金を頂戴しましたし、落とし所ですかねえ」
「四割っていくらだったんだ」
ちゃぶ台に肘をついて行儀悪く茶菓子を摘む声色遣いに、時間屋が訊く。円台の縁をズイと乗り出して、声色遣いが耳打ちすると、時間屋の目が見開かれた。次に眉間に皺がよる。
「きな臭いにも程がある」
「でしょう。愉快です」
「こんな書き置きをしていきやがって」
ひらひらと、時間屋が指先で小さな端切れを揺らした。今朝出かける前に声色遣いが置いていったものである。
「内容の不明瞭な書き置きをするな」
「おや、気にかけてくだすったんです?お人がよろしいこと」
「茶化してないで、とっとと茶飲んで帰れ」
…追い出しもしないあたり、本当に人がいい、と思いつつ、声色遣いは湯呑みに口をつけた。
『出かけてきます、昼過ぎまで』ーーーと、書き置いたからには戻っている旨を知らせようと、時間屋の店に寄ったのだった。
「それで?表向きの話はもういい。どんな仕事だったんだ。茶の共にでも話せ」
悪ガキを咎めるような視線を送られ、声色遣いはわざとらしく台から身をそらして両手を上げた。
依頼に関することは他言無用。
ただしそれは「職人同士」を除いてだ、…この街で、能力者たちは皆が皆、共犯者であり共同体なのである。
「私は何も聞いちゃいませんよ。事情を知ってちゃ、幇助になっちまうでしょう」
「…幇助だのと言ってる時点で察してるだろうが。もったいぶらずに話せ」
「…拐かしですよ」
「…拐かし?」
「おや、拐かしをご存知でない。随分と平和ボケした…」
「茶化すなと言っている」
睨まれ、一度肩をすくめて声色遣いはまず
「姉さんが言ってました、ご当主からのご依頼で『娘と拐帯犯との縁を切って欲しい』とね」
と言った。
「でもできなかったそうです。相手が誰なのか差し出せるものが無さすぎたと。…しかしこれで娘の所在がわかりますでしょう」
「お前の依頼人は、その拐帯犯か」
「そうです。犯人は、拐かした娘を死なせてしまったから、生きているよう偽装したかった。でないと、身代金を要求できませんからね。それで私のところへ来たんです」
「なるほどな。大金を支払う積りがあったのは事実慮のある故と…身代金が入れば余裕な額だったということか」
「ええ」
「それが支払われなかったということは、身代金は受け渡されなかったのか?」
声色遣いは首を振った。
「いいえ。まず、そもそもね。誘拐犯の計画は初のうちに破綻してたんです。伏見の家は娘を見捨てていましたから」
「見捨てて…?」
時間屋は首を傾げる。
「金を払う気がなかったことを言ってるのか。娘と犯人との縁切りを頼んだとかいう」
「まぁそれもありますが…娘を真に切り捨てたのはご当主ではありません」
ご当主は、身代金より縁切りの方が安いと考えた���のの、娘を取り戻す気はあったのだろう。縁切りは要求されたであろう身代金の額よりは、まだしも安価だ、と 声色遣いは考える。
金しか勘定ができないとは、命運のついていなさそうなご当主だ。ああ死んだんだったな。
「娘を見捨てたのは母親です。母親である奥方は、あわよくば人質がそのまま帰ってこなければいいと考えた」
「根拠は」
「奥方は娘と当主との縁切りを姉さんに依頼したそうですよ」
聞いて、「縁を安く勘定するとは…」と、声色遣いと似たようなことを考えたようで、時間屋の眉間の皺が濃くなった。
「伏見の現奥方は後妻だ。…継娘を切り捨てようと目論んでも、不自然ではないな。しかし縁は切れたものの、当主が死んだと…」
「え?いいえ、そこは順序が違います」
「順序?」
今度は声色遣いは、頷いた。ここが今回の要、というようにすっと人差し指を伸ばし、空を遊ばせてから己の唇へ触れる。
「そもそも、娘が死んだのが縁切りのせいなんですよ」
拐かされた娘、要求された多額の身代金
到底用意できない金額に頭を抱える当主、それをみて気を揉む奥方
後妻である奥方には実娘がおり、誘拐された継娘をこの機に切り捨てようと考えた、…
「拐かされた娘は縁切りをされて死んだ。全部ここからが始まりです。身代金を要求していた誘拐犯は、娘が切り捨てられたとは知らず、死んでは金が入らぬと思い私に依頼してきた。娘の声を電話口で聞かせるように…」
そしてご当主も、娘が死んでいるとは知らない。「拐帯犯との縁切り」を依頼していたのがその証左だ。奥方は奥方で縁を切ったはずの娘が電話口につながって驚き、縫術師に苦情を入れた。
結局、多額の身代金は支払われることになったのだろう。誘拐犯は、それを持って逃げた。
「全く、私への支払いも踏み倒すとは。けしからん輩です」
口先ではそう言いつつ、声色遣いの表情は軽薄に笑みを浮かべている。その表情に、時間屋は「まだ何かあるな…」と思いつつ疑問を口にした。
「…本当に、逃げ仰せたのか?金を払ったのに娘が帰ってこないとなれば、そこは大きな家なのだから、近隣に触れ込んで…あ」
言っている途中で気付く。声色遣いも何の気なしに外の景色を見るふりをして、視線で応えた。
平穏な夕焼けの街。
「なんの騒ぎにもなっていませんよね。娘が帰ってこないのに」
「…そいつも、縁切りをしたのか」
「ええ。仕上げです。先程、姉さんが教えてくれました」
ーーー当主との縁を切りたいって依頼ならもう一件あったから、そっちのせいで死んだのかもしれないわ…
「詳しく訊いてみたところ、姉さんにご当主との縁切りを依頼した人物は、私が記憶している『当主の弟』を自称した依頼人と同一人物です」
逃げおおせるために、誘拐犯がご当主との縁を切った。
「そっちはできるのか。当主が依頼した際は、拐帯犯との縁は切れなかったと」
「ご当主は誘拐犯のことを知らず、娘との縁切りができなかった。しかし誘拐犯はご当主のことを知っている」
そうしてご当主の死という結果に結びつき、現状の出来上がり。
「はい、これが私の出かけてきた未払い金の案件ですよ」
「胸糞悪い案件だな。人の縁を弄ぶにも程がある」
「案外、一番人を想うことを勘定に入れてたのは誘拐犯だったかもしれませんね」
それをカタに換金せしめんとしたわけだから。
「…だとしても、せっかく結ばれた縁を切るんじゃ 泡銭だろう」
時間屋が言って、声色遣いが湯呑みを空け、その場はお開きとなった。
後日。さして高くもない小さな崖の下で、男の死体が見つかったらしい。
大金をあたりにばら撒き倒れ伏した男は、足取りを遡るとどうやら伏見の娘を拐かして殺した極悪人だと判明した。
恐ろしいことよと噂する人々の声を、通りすがりに聞き取りながら、声色遣いは関心なさげに今日も遊郭へ入り浸り、縫術師は我関せずと着物の綻びを繕い、時間屋は機会がつつがなく時を刻むよう、調整に勤しんでいる。
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※縁切りの能力は必ずしも縁を切った者同士が死ぬ能力ではありません
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thedevilsteardrop · 5 months
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thedevilsteardrop · 5 months
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誰かと話してみたい
 ずっと引きこもっていた部屋から一歩踏み出す。  今日の目標は誰かと会話すること。
 書物を沢山読んで勉強したけど やっぱり誰かに教えてもらわないと限界はある。それに、面白そうだなって思ったことは実践してみたい。せっかくここに住み始めたんだから、今までできなかったこともしてみたい。  この辺では、教えてもらうのに不便だから、少し遠出して親切な人を探そうか。  路線図、を見上げる。うわあーここ、すごいな、線がいっぱいだ。混乱しそうで、解読は諦めてとりあえず来た電車に乗ってみることにする。  部屋から持ってきた財布をかざしてみた。音が鳴って、改札、が開く。  しばらく移動し、電車内が空いてきて、あまり人が降りない駅で降りた。  全く知らない土地  全く知らない人  本物を目の当たりにするのは初めての物、が、  たくさん。  部屋から持ってきたスマートフォンで地図アプリを見てみようとしたけど、起動できない。うーん。このボタンに指を押しておけばいいんだと思ったけどな。 「あ、すみません」  スマートフォンに苦戦して立ち止まっていたら、後ろから声がした。  改札の前で立ち止まっていたせいで、後ろに人が来ていたみたいだ。  少し目線を下げたところにその人の顔がある。  笑顔、をしている。すみませんと言われたら、すみませんと返した方がいいんだろうけど…  困ってしまって、スマートフォンの画面をその人にかざして見せた。 「声が出せないのかな」  と、その人は優しく話し掛けてくれる。「何か困っていることがあるの?」  いい音、声、だ。細い咽。繊細な首筋。鎖骨に繋がる流線  親切なその人、の  頭部を捥いだ。  血が吹き上がってから流れ落ちて広がる。飛沫を被らないようにその頭を抱っこ、した。どしゃりと残りの体が地面に落ちる。  改札から戻ってベンチに座り、もらった頭を落とさないようにしながら、頭部につながっている骨と、筒のつくりをじっと見つめる。顎を持って手で開くと、口腔の中に指を入れて触り、どこがどうつながっているか観察した。  肉の弾力や温かさ 弁の仕組み  なんて高機能な笛  自分の首あたりに、集中、する。 「    あ、 あ …」  音が出せた。 「ぁ ぃが お」うっすら微笑んでいる顔と目を合わせ、言ってみる。綺麗なありがとうの発音にはならなかったけど、機能はこれでいいはずだ。これから頑張って練習しよう。  見た目は写真や観察で学習できたけど、声を出すには構造を解剖してみないとさすがに難しくて。本当に、助かった。人魚姫みたいに、魔法使いが助けてくれるわけでもないし。  今日の夜までに上手に話せるようになって、誰かとおしゃべりするぞ!  せっかくだから他の部分も持って帰って、便利そうだった機能、学習させてもらおうかな。
『人間の世界に憧れたナニカの話』
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thedevilsteardrop · 5 months
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恋人が食生活を心配してごはんを作りに来てくれる話
大好きだった彼女が死んだ。以来、私の口はまたしても味を感じることをやめてしまっている。
 私の実家は共働きだったが、母だけが料理をしていた。母は非常にこだわりが強く、家族の誰も自分の管理するキッチンへ入れたがらなかった。そして週に一度だけ、大きな鍋に野菜も肉もぶつ切りに切って入れ、魚で出汁をとった熱湯で煮込んだ。それをタッパーに小分けして冷蔵庫へ入れており、家族はそれを随時加熱して食していた。いついかなる時であろうと、残すことも吐き戻すことも許されなかった。それが幼少の私にとっての料理だったし、食事だった。
 食が苦でしかなかった私の感じ方を変えてくれたのが彼女、ナコだった。薬剤とウィダーに頼った私の食生活を心配して、難の多い私でも食せる料理を工夫して作ってくれて。ナコの料理は、呼吸しやすい香りに、飲み込みやすい食感 目にも楽しい彩り。私が食べれるように工夫して、気遣ってくれる。
 だんだんと抵抗感が薄れ、物心ついてほとんど初めて、おいしい、と味を感じた時の衝撃は、忘れられない。
 私が「おいしい」という度に「ありがとう」って、目を細めて潤ませる、ナコの笑顔が大好きだった。
 そんな彼女が死んで以来、私の口はまたしても味を感じることをやめてしまっている。
 …テーブルに食べかけの粥を置く。
 食が苦痛だ。
 ナコは私が一人暮らしの自宅でも自力で食事ができるよう、料理を教えてくれていた。だから、今の私は料理ができる。彼女が教えてくれた、彼女の料理。でも、それでも、食事は苦痛になった。ナコの料理なのに、味が感じられないと そのことも、悲しみに拍車をかけた。
 ナコに会いたい。
 会社からの帰り道、私は空腹を抱えて でも何も食べる気になれず、気づくとナコの住んでいたマンションに向かっていた。
 まだあと一月ほど、彼女の部屋は引き払われてないはずだった。葬式でナコのご家族が話していた。それが事実なら、合鍵を持っている私は、彼女の部屋に入れる。
 そんなことをしたら 余計に苦しくなる予感もした。ナコの名残があるだろう、ナコの部屋。何度も泊めてもらったこともある部屋だ。愛し合ったこともある。二人で過ごして 一緒に食事をした部屋だ。
 一度居てしまえば いつまでも帰りを待ってしまうかも。
 ドアを開けた。
「おかえり」と 彼女がいつものように、笑顔で振り返った。
「…」  え。
 …ナコは 手に菜箸を持っていて、髪は後ろで束ねていた。  綺麗な黒髪  腕まくりした袖から 細い腕が伸びて 鍋の蓋を取る。
「もうすぐできるよ」
 夢じゃない。  明るい室内、水滴の散ったシンク 火のついたコンロ 換気扇の唸る音と、焦げる時のジューという音 ほのかに熱を含んだ空気 …彼女の笑顔。
「… いい におい」
 私が呟くと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。「君のお口に合うといいな」
 テーブルに料理が並べられた。このところずっとサボっていた私の胃にも優しそうな 白だしのお粥と、卵焼き。
「いただきます」
 お粥には柔らかく煮られた鶏肉と、細かい水菜と大根が入ってた。  おいしくて、いつかの時のように私は泣いた。
 翌日、彼女は居なくて 食器も整然と片付いており  やはり夢だったのかと気落ちして会社へ出たものの、  その日 もう一度部屋に帰ってみると また笑顔の彼女に会うことができた。
 それから毎日彼女の家から会社に行って 会社から彼女の家に帰った。
 日を追うごとに少しずつ料理は凝ったものになっていき、量も増え、私は以前彼女と過ごした時のようにしっかりと食事が摂れるようになった。  この生活はまるで、私と生前の彼女とが望んでいたことが叶ったようでもあった。「いつか一緒に暮らしたいね」って  毎日一緒に、ご飯を食べようね、って…
 でも きっと、彼女とこうして過ごせるのは、あの部屋が取り上げられてしまうまでのひと月程度しかない…。
 そう気付いた私は、その日から1ヶ月間、まとめて有給を申請した。通らなくても、欠勤してしまおうと思っていた。たとえクビになったとしても、この瞬間は今しかないんだ、あの部屋で過ごせる限られた時間を、どうしても彼女と居たかった。  さいわい有給の申請は、通った。
 約一月後のこと。  木本凪湖の部屋で遺体が発見された。
 死因は栄養失調からの餓死。まるで食事中のように食器を並べて、ダイニングテーブルについた姿勢で亡くなっていたという。
 故人の同僚は、彼女が恋人を亡くしたストレスで味覚障害を患っており、満足に食事を摂れなかったのではないかと供述した。
『よもつへぐい』
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thedevilsteardrop · 6 months
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TRPG『カタシロ』プレイログ
※シナリオのネタバレを含みます
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thedevilsteardrop · 6 months
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お仕事絵です
夜凪よな 様
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thedevilsteardrop · 7 months
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人魚の肉を食べた
数十年ほど前に人魚の青年が人間に殺された。
人間の使った刃物と共に夥しい数の彼の鱗と髪や表皮が漂って来たらしい。以来人魚たちはその浜に近づかないようにしていた。 しかし書物を持たない人魚たちは口伝えにそれを伝えたので、どの浜なのか正確なところがわからなくなり、全ての浜に上がることを控えるようになっていった。 なので無邪気な少女にすると、「その人間が恐ろしいだけで陸が全て忌むべきものではない」ことになり、あまり人間がうろついていなさそうな岩肌の海辺にこっそりと顔を出した。 「あ」そこでふたりの声が重なった。 彼女が顔を出したすぐそこに人間の青年が居たのだった。彼はすぐに彼女の手を取ると「僕と生きてくれ」と言った。
攫われていく間も人魚は自分が殺されるのかと思ったが、人間はとても彼女を大切にした。 彼はいつも一人だったが様々なことを知っていて 色々なことができた。料理も工作も、彼女に語り聞かせる話も、人間の短い生と欲に振り回される性分の中でよくぞここまで多くを得たと、人魚が感心するほどだった。そして彼は穏やかで、優しく、人魚がそばにいることが嬉しくてたまらないように話かけ、沢山構った。だんだん人魚は彼への警戒を解いた。 彼がお金を貯めて庭にプールのある家を買った時、人魚はこの人と一緒に生きていこうかという気になった。彼は「まだ君を人間にする算段がつかないんだ。もう少しこの狭い庭で我慢してくれ」と言った。
庭からは外の世界は見えない。しかし人魚にとっては、庭にあるものだけでも陸の世界は目に新しく、いつまでも眺めていた。 ある時一人の子供が庭に迷い込んできて、人魚はこの辺りに彼以外にも人間が居たことを知った。子供が深い茶色の目をしていたので珍しく思い、人魚はじっとその目を見つめた。 上半身だけをプールから出していたので、少年は人魚を人魚と気付かず「すみません!」と焦ってどこかへ行こうとした。それを人魚は青年と話して覚えた人間の言葉で呼び止めた。 「君はここの家の彼を知ってる?友達になってあげてよ」 少年は目を丸くして振り返り、一度うなづいた。
彼はたまに人魚をプールから出して、研究室で身体を診た。他にも尾鰭に触れたりキスをした。少年と人魚が出会ってからも彼の様子に変化はなかった。少年と交流を持たなかったのだろうか。 人魚は特に何も訊ねなかったが、ふと研究室の隅にある骨格標本に気づいてそれを訊ねた。「あれはなに」 「あれは骨だよ。君の体にも入っているものだ」 「…あれは 人魚の骨?」 「…」そうだよ と彼はうなづいて微笑んだ。 「本物?」 「そうだよ。…<彼>があれをのこしていってくれてよかった。おかげで君の今の体のことも、よくわかる」
それからしばらくして彼は人魚を人間にする算段が立ったといって、準備をするから待っていて と伝えてきた。 夜だった。人魚は庭で空を見上げていた。星たちの煌めきをうっとり眺めていた時、ふと影が差し込んだ気がして、人魚はそちらを見た。 そこには一人の老人が立っていた。老人は驚いたように目を見開いて人魚を見つめていた。その目は美しい深い茶色で あの日の少年と同じ虹彩をしていた。 老人は人魚の方へ歩み寄ろうとしたが、そこで彼がやってきた。 「ああ、もう来るなと言ったろうに」と彼が言って、老人をどこかへ引っ張っていってしまった。
海辺で出会って10年、家に住み始めて20年、少年と出会って40年。彼の見目は、出会った時から変わらない青年の姿だ。
戻って来た彼は「準備ができたよ」と微笑んだ。抱き上げようと手を伸ばされて、人魚はそれを一度躱した。 「どうして私と生きたいと?」人魚は訊ねてみた。 青年は一度黙ったが、また静かに微笑んで答えた。 「僕は人と違う時間の流れで生きているから いっとき言葉を交わしてもそれっきり。でも君となら、共にいられるだろう」 「もし私が拒絶したらどうするつもりだった」 「…君に逃げることができるか?陸を動けない尾鰭で」 ふ、と彼は言葉を切ってもう一度手を伸ばしてきた。 「君は逃げられない。もし人間になってもその時には君は僕と同じ、誰とも生きられない、僕以外とは。海にだってもう戻れない。…共に在りさえすればいい 意思も情もなくても 悠久の時の中でそんなものはいずれ超越されていくさ」
人魚が彼に抱き上げられていくと、そこには人間の少女がいた。どことなく面差しが人魚と似た、美しい少女だ。目を閉じて横たわっているが、呼吸に合わせて体が動いており、生きているとわかった。 「この子に君を食べさせる」 彼に告げられて、人魚は驚き、暴れ狂った。「共に生きると言ったのに」と、青年を罵り泣き叫んだ。「嘘吐き!」 けれど青年はそれを甘んじて受けながら全く動じずに「嘘じゃない」と答えた。 「嘘じゃない。この人間が君の肉を全て食えば、いずれこの人間の中で君は目覚めて 僕と同じ時を生きることになる」 「……中で、目覚める?」 「そうだよ。僕が<彼>の中で目覚めたのと同じように、目を覚ます。君に似合う健康な人間を一生懸命探したんだ。君がこれの中で目覚めるまで、必ず守るから、ね。長い時が掛かるけれど、大丈夫さ、僕らには悠久ほどの豊かな時間があるのだから」 青年は人魚を見つめ、笑顔を浮かべた表情の眉を下げて、すがるように抱きしめて言った 「お願いだ。僕はもう人魚に戻れない 人間の中にも交われない …僕をひとりにしないでくれ」
それから 
茶色い目をした老人は、いなくなった孫娘を見つけられないまま亡くなった
人魚たちは、少女がまた人間に殺されたのだろうと噂した。
彼と彼女は、今もどこかで 寄り添って暮らしている。
『寄生する人魚のはなし』
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thedevilsteardrop · 8 months
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友よ
草原のただなかにその男は一人立っていた。
細い枯れ木のような矮躯は今にも朽ちて斃れそうに見えたが、傍らに一頭の馬がおり、二人が睦まじく身を寄せるとしっかり一体の大木になったようにも見えた。私たちが一泊する場所を決めると、男はこちらに気付き快活に口を開いて大きく笑った。 「や 流浪の民か。一杯くれよ」 随分と馴れ合った態度だが 我々にとってこうした邂逅をもてなしで迎えることは常だった。当時少年だった私は力仕事を免ぜられ、仲間たちがテントを張る隙間で男を鞍に座らせ茶会をした。 「もう、しばらく前からこの砂漠にいるようだ。毎日ここぁどこだろうなと目が覚める」 男は世界をあちこちと旅して回っていたらしかった。我々のように常に家を持ってゆく一族の者でもなく、見たことのない服装をしていた。上着には膨大なツギハギがある。ビラビラと、切れ端が蛾の大群のようについている。 「メモだ」 と、男がそれを一枚引きちぎって見せてきた。私にその文字は読めない。 「この切れ端の言うことにゃ、俺は半年はここに居るらしい」 驚いた。この広大な草原と砂漠の中で、この場所は長期に留まる条件でもない。どのようにして生き延びたものか。 「さてね。覚えていない、いやはや旅のいつかの頃から、記憶が持たなくなったのさ」 あんたに会うのは初めてかい、と男が訊ねるので肯と答えた。 一期一会、縁を得たな、と男はまた笑った。
夕方まで馬を走らせて遊び、夜に私は男を家へ招いた。革張りの屋根の内側で食事を共にした後 彼にせがまれて楽器を奏でた。生き物の亡骸を使った弦楽器だ。頭についた骨を見詰めて、彼は「俺もあいつが死んだらこれにしてえな」と呟いた。 そしておもむろに視線を巡らせ「布の切れ端をくれ」と手を出してきた。彼が何をするつもりか それだけで察し、私は黙って布袋の内に詰められた歯切れを一枚引き抜き渡した。 彼は爪の先で指の腹を刺すと、楽器の名称と、自分の相棒のことを書いているようだった。 そうしてふと、私の方を見て「お前の名は」と訊いた。 「ウイ」 私は答え 彼の手が動き、数度指を揉む動作をして、それからおそらく私の名を布に刻んだ。 彼の名はわからず、私は彼を「アーヴィ」と呼んだ。
翌朝私のことは忘れられていた。 彼はまた茶をねだり、私の名を訊ね、自分の馬に飛び乗った。私も共に馬を走らせた。 遠く幻影すらも見えないが、ずうっと向こうへ真っ直ぐにゆけば街に発展した土地がある。 それを指さして伝えれば���男は私のさす方を見たが 布に記すことはなかった。
我々が家を構える間、男も私と共に帰り、水を調達し、家畜を捌き、馬に乗って駆け、夜は楽器を奏で歌をうたった。彼はいい声をしていた。 夜を越しては忘れられたが、朝になればまた笑いかけてくる。 「メモ」は一日に何枚も増える日もあれば、一枚も増えない日もあった。彼はほとんどそれらを読み返さない。しかし私が示唆すれば目を通すこともあった。とくに私の名は何度も訊いては書こうとするために、何度もその布を指し示すことになり その度どこか慈しむように彼はその切れ端を見詰め、隣に記したらしい自分の名前を見つけては読み上げてくる。 「誰だ、アーヴィ?」 お前の名だ、と伝えれば酷く愉快そうに微笑むのだ。満面に屈託なく、へえ、けど、随分新しい記憶になってるようだ、と言って。 「呼んでくれ」 今日まで催促されるまでもなく私が彼を呼んでいたのを、不意に強請られて泣きそうになった。 思わず両腕で抱きしめる。 「なんだよ?」 「……お前が酷く孤独に見えた」 「はっは。そうかい」 笑いながら 私の頭をわしわしとかき混ぜ、彼は抱きしめ返してくれた。
明日にはそろそろ、この場から移動しようとなったとき、私は彼に「共に来るか」と訊いてみた。 夜の明るい屋根の中、灯火に照らし出された両眼は光を反射して輝いていたが、彼はゆっくりその目を瞬きさせ視線を伏せた。静かな予感に口角が下がるのを自覚しながら、私は彼の返事を待った。 「……毎日 ここはどこだと目が覚める」 ゆっくりと 彼は言う。  毎日初めての景色、俺の一番新しい記憶じゃ知らないようなことが起きる この楽器も、らくだも 乗馬も 楽しかった。お前と過ごす時間はこの切れ端じゃ読み切れんほど、歓びに溢れている「……けど 明日になればまた初めての景色���ろうよ」  お前はそれを覚えていて 俺は違う。と彼は言った。 ゆっくりと顔を上げられ、光る双眸と見つめ合う。 「そうしたらきっとまた俺はここを楽しみ尽くそうとするだろう。何もかもわからないことをこんなにも楽しいと思うから、俺は旅をしてきたのかもな」 ゆらゆらと。灯とともに揺らめく瞳の色は、しかし迷いなど一切無い。 私は黙るしかなかった。 「記憶を留めなかろうと、困ったことの一つもなかった その時立ったその場所で、生きて 俺はお前と離れてもきっと楽しくやるだろう。お前とは居る世界の景色が違う。お前達とは行かない」 思った通りに彼は断り、私たちは別れるのが決まった。私が俯くと彼はまた頭をわしわしとかき混ぜたが、この日はそれだけでなく抱擁を与えてくれ、私もしっかりと抱きしめ返して、ろくに眠らず歌いながら夜を明かした。
それから 何年が経ったことだろう 私はもう成人を迎えて久しく、この土地を訪れても初めはその地だとは気付かなかった そこで信じられないものを見た。 「やあ」 男は手を上げて私に笑いかけた。 枯れ枝のような矮躯 ……傍らに馬の姿はない。けれど…… 「あんた、名は?」 「……ウイ」ああ 声も 笑顔も 彼だ。彼はあまりにも不変だった まさかあれからずっと いや まさか ……ここでそんなにも長いこと 亡霊かと思ったが近付けば触れることができ、私は思わず彼の両頬を両手で包んだ。 「……お前の、名は」 「それがわかんねえんだよなぁ」 ふと当時の記録を視線で探したが、上着に纏っていたはずの無数の端切れはすべて文字が褪せて消えていた。私は彼の目を見た。あの日の私が見た景色にあるより、その目に宿る光は弱く 眦は儚げにやわらいでいた。 「教えよう」 私の言葉に彼の目が少し見開かれる。 「何をだ」 「アーヴィ お前の、名前だ。お前は、……10年ほど前から ここにいる お前は旅をして生きてきた」 言うと、彼は見開いていた目を大きく瞬かせ 私の手に手を添えてきた。 「なぜか本当のことみたいに感じる」 「ほんとうのことだ」 以前お前と逢った。 抱きしめる。拒まれることはなく、心音が伝わってくる。あの日手放した人のかたちがある。私が記憶にとらわれるうちは、彼の自由を損うだろうと 手放した。あの男は相棒の馬とどこまでも駆けていきそうに思えた。  それが、どうだろう、今は酷く孤独に見える。たった一人のように。 ゆっくりと抱きしめ返しながら、「なんだよ」といつかのように男がぼやく。 「お前が酷く 孤独だったことを想って」 「……そうか……そう見えたか」 心細げな声が耳元で震えた。 あの日見たこの男はもう、旅が終わってしまっていたのを 気付けなくなっていたのだろうか。この場所にとらわれ、どこにも行けずに 新しい土地も出会いも、ほんとうはもう何度も繰り返し彷徨っていたのか? けれど そのおかげで出逢えたなら 「ああ ……また逢えて嬉しいよ」 私が言ったその時、抱きしめている男の身体が急に腕の中からすり抜けそうになった。慌てて抱え直す。 覗き込むと なんと腕の中で彼の身体は みるみる細く萎縮して老いていった。息を呑み、まばたきも忘れて見詰めるしかない私の視界で、彼は慈しむように私を見、笑っていた。まるであの日を覚えているかのように。 「ああ ウイ、……別れは寂しいことなんだなあ」 最期にひび割れた唇はそう呟いて 眠るように目を閉じた。 私は彼を抱きしめたまま 歌をうたって夜を明かした。
その場も数日経つと移ろうこととなった。 「さあ ウイ、もういくよ」「ああ」 声かける家族に応え 楽器を抱える。 今度こそ、旅路を共にしよう。私は彼を連れて馬に乗り 草原を駆け出した。
#ss
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thedevilsteardrop · 8 months
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描いた絵を画集にしました💙❄♪
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thedevilsteardrop · 9 months
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テルーの唄
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thedevilsteardrop · 10 months
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インサニティめも
<人魚>
ヒトにわからない声で意思疎通する湖のほとりの一族 感覚が過敏で、能力も優れた個体が多いが、自分たちの能力に食い殺されるように短命で発狂して死ぬ 彼らは「個」の認識がうすく存在はグラデーション上にあるように知覚していて、人も物も互いに影響し合っていて、昨日の自分と今日の自分は少しずつ違って、 なので「生と死」にも明確な境界を見出すことができずにいた 発狂して苦しみ悶���死ぬことは、肉体を失ってもその状態が永遠に続く地獄の苦しみだと考えられた 彼らはだからこそ迫害されても自死を選ぶことはなく、繁殖し続け、何世代もかけて安楽死に至るための薬を作り上げた
人魚の「境界線を見出すことが不得手」なのは、認知特性で、文化的側面によるものではない 遺伝する脳の特徴によるもの ゆえに彼らは生と死、物体と生物、自己と他者などの輪郭があやふやだし、意識ふわふわだし、「言語」と相性が悪い
境界線の曖昧な人魚にとって安楽な死は救い そこで終わりじゃないからこその救い 絶望の死は絶望なのでだめ ただころせばいいってものじゃなくて、目的が結果より手段に滲み出てるかんじというか なので①とくせいの薬を使う か、②口を塞ぐ か、③首を絞める て方法をとりがち その時も抱きしめたり 交わったり(えろいことするってことです) 寝かしつけたり 歌を聞かせたり しながら、殺る
でも人魚の歌はヒトに聴こえない声も含まれているので 全部の音がそっちの歌声だったら、無言でころしにかかってるようにしかみえない
鳴瀬も本編中そんなだったかも
この辺り、エピソードでもう少し描けないもんか…
鳴瀬はこれまで愛したものは全部だいじにだいじにころして壊して埋葬してきてる 月夜さんの形見の着物(鳴瀬にとってはこっちが本体)もチルハさんのナイフも羽衣ちゃんの絵筆も冬夜の水槽も、紅一さんも 成田のことも、彼ががもし人間じゃなくてぬいぐるみとかガラス細工とか楽器とか鉢植えとか絵筆とかナイフとかでも、おなじようにだいじにしただろうけど、 成田と出会う前に「意思があるかどうか耳を澄ますこと」を姫歌に教わっていたから、一方的に自分の愛を押し付ける(ころす)ことはしなかった
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thedevilsteardrop · 10 months
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恩返しのはなし
魚心あれば水心、しかして人の心にあらず、魚の恩返しにはご用心を。
真に思い遣ってのことが、思いもよらないのでございます。
むかしむかし。
在所のお堀近くの街にゴモチって男がいた。そいつは随分と不信心でやんちゃな輩で、人混みに紛れちゃスリをして、失敗して見つかりゃ喧嘩沙汰を起こした。警察のご厄介になったのも一度や二度じゃない。特に悪かったのは、大きな水害に見舞われた年のこと、街中水浸しの瓦礫まみれで大勢死人が出て、みんなして助け合わないことにゃどうもならん。それでもゴモチはその隙に不用心になった民家に忍び込み食い物やら金品やら、まぁ盗みをはたらいたりなどした。こういうしんどい時に人のつらみを踏みつける真似をするってえのは尾を引くもんで、いよいよ恨みを買って殺された。 さてそれでもこのゴモチ、生きてるうちにいっぺんだけ善行を働いたことがあった。 ちょうど先のはなしにあった水害の時期、水たまりに取り残された一匹の魚を助けたのである。 魚は増水に連れられてどこぞの水辺から飛ばされてきたようだった。今にも干上がりそうに背びれは空気へ出てしまい、小さな水たまりで藻掻いていた。ゴモチはそいつをみて、食うにはちいせえしと手ですくい上げ、逃げ足で鍛えられた疾さで急ぐと、近くの川にそいつを放してやったのだった。 そんなこんなで、大勢から恨まれて殴り倒されたゴモチだったが、今は川辺をずうっと歩いていた。死んだ後のことなんざ頭に無えもんだから自分が死の淵に来てるのにも気付かない。雲の中を歩くような山奥にも似た景色をながめ、はあ不思議なとこに来ちまったなとため息をつく。向こう岸は美しい花をつけた並木が川沿いにどこまでも続いている。 大きな川だ。澄み切っているのに水は底がわからず、空は白い霞に何層にも覆われ見通せず、向こう岸は遙か遠い。足元しかわからんようなこの岸から美しい向こうの岸へ渡ろうにも、橋でも船でも、手立てがなくては到底渡れそうになかった。 随分と歩いて足もぼろぼろ、息も切れ切れ、へとへとに疲れた折 「お、橋がある」 白い景色の向こうにぼんやり、橋が架かってるのが見えた。明るい木肌の色をした広々と立派な橋である。 こいつはいいと近付いて渡ろうとするが、一向にその橋へは辿り着けない。目測の距離を歩いても歩いても、遠ざかっていくのだった。「なんだなんだ、おいおい ちっとも距離が縮まらねえじゃねえか」 これはおかしいと大抵の者ならば悟るところである。 橋を渡ってゆけるのは生前とくに善い人間だった者だけだが、ゴモチは不信心もの、自分が橋を渡れねえこともどうやら知らないので、あれ霧の向こうにたどり着けない橋に向かって、追いかけるのをしばらく続けた。 畜生、なんだってんだクソッタレ、と悪態ついてかかとを蹴ったところで、ようやく見切りをつけ、のどが乾いて河原に降りた。川原は妙にごつごつといびつな形を保ったままの石が積み重なりながら散らばっており、平らかに広々とした川の流れに不似合いに見えた。上流の岩を無理に砕いたらこんな破片になるだろうか。慌てれば足に怪我をしそうだ。 ゴモチは慎重に川の縁まで寄り、そこで船があるのに気付いた。 こいつはいい、今度こそアレで向こうへ行けるぞと手を打ったが、船着き場が見当たらない。漕いでいる船頭は濃い霧の奥でこちらに気付いているかもわからず、仕方なしに川の底があるあたりをざぶざぶと船まで歩み寄った。ほとんど胸元まで水に浸かりながら「おうい、乗せてくれ」と声を掛ける。 と、ゆるり振り向いた船頭は被り物の影で表情を隠したまま、「六文」と呟いた。 「あ、なんだって?」 「六文」そういってゴモチをじっと待っている。 「おいまさか金を取るのかよ」 さほど信心深くなくとも六文銭で川を渡ることはよく知られているはずなのだが、ここはゴモチのことで、案の定知らない。船頭も呆れたのかふいと向きを変えて、船ごとつつぅーと離れて行ってしまった。 「あっおうい、待てや、このやろう薄情者め」 追いすがろうとして川底の石のとがりに足を置いてしまい、飛び上がりながらゴモチは悪態をついたが、痛みに跳ねた拍子にずるりと深みへ足を踏み外した。 「あっ!」 踏ん張ろうにも足は底につかず、みるみる身体が水に沈む。慌てて水面に顔を出そうと藻掻けば、突然足をぐいと引っ張られた。 「な、なんだなんだ」思わず足元の水底を覗き込む。すると、目が、合った。 なんとどこまでも澄んでいたはずの川の底にはいつの間にか陰った死者がうようよといて、幾本も膨れ爛れた腕が伸びゴモチの足首を掴もうと手を伸ばしてきていた。悲鳴を上げてもう片方の足で蹴り離そうとするものの、逆にそちらの足も掴まれてしまい、とうとう頭の先まで水に引きずり込まれる。 うわあああたすけてくれえ、と叫ぶにも叫べずブクブクとゴモチが沈んでいこうとしたその時、 ざぷんと大きな波が立って、ゴモチを川岸へ一気に引き上げた。 「へ、へ?」 「ああ、会えてよかった。お久しぶりでございます」 ペッペッと川の水を吐き出しながら濡れた視界を拭ってみると、なんとそこには美しい人魚がいた。 「…こいつぁ…どうしたこった、さっきの腕のお仲間かよ」 「おやまだ動じてらっしゃるようだ。彼等に尾びれはございませんよ。水に溺れ続けておるのです。私は自らの意思で、この川に留まって��ります。この鱗、このヒレの色に見覚えはありませんか?」 言われて、持ち上げられた魚の部分をじっと眺めるが、人間の覚えもあやふやというのに魚の鱗まで覚えているわけがない。首を傾げていると「私は雨に流された折に、土の囲いに閉じ込められて、そこで死ぬかと思われたとき、あなたに助けられたのです」と、人魚の方から語り始めた。 「あの日は暑く、干上がるばかりの浅い水のなか死を待つのは酷く恐ろしいことでした。貴方が施してくださったことは、まさに天のたすけ。川へ返していただいたのち、私は天寿を全うすることができました。貴方様とは生き物の命の長さが違いますから、ご恩を返す間もなく、先にこちらへ来ましたので、ここでお待ち申し上げておったのです。ここを渡れずお困りならば、私が向こう岸までお連れいたします。今こそ、あの時のご恩を返させてくださいませ」 ゴモチは水害の日のことなどさっぱり忘れていたので、人魚の言うことはほとんど何のことかもわからずろくに聞いちゃなかったが、「向こう岸までお連れする」と都合のいいとこだけ耳が拾った。仮に他人の善行とて、人魚がここで自分を恩人と思い込んでいるなら構やしない。内心ほくそ笑み、神妙にうなづいて「そうかそうか」と調子を合わせた。 「そいつぁなによりだ、恩返しとは義理堅いねえ、だがそのおかげで俺は助からあ。ほんとに渡してくれるのかい?あとで金払えってったって、俺は一銭も持ってないぜ」 「滅相もございません。さあ、どうぞ私の背につかまっておくんなさい」 人魚が岸に手を差し伸べて、ゴモチはそれに捕まりながらつるりとした背にまたがった。背びれや鱗が引っ掛かりめくれたが、人魚は微笑んで「では参ります」と泳ぎだした。 こうしてゴモチは霧深い岸から並木道の岸へ渡ることができた。
ところでこいつもよく知れたことだが、死にかけてるときにみる川ってのは渡っちゃならない。それは三途の川っていって、手前で引きかえせば現で目を覚まそうってもんだが、此岸から彼岸へ渡っちまったら、そいつはもう戻ってこれなくなる。 しかしゴモチは不信心もの、川を渡る意味もどうやら知らない。自分が助けた魚のおかげで、まんまと死んじまったってわけだ。
#ss
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thedevilsteardrop · 10 months
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即興
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thedevilsteardrop · 10 months
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夜明け
願いを叶えてあげましょう。代わりにあなたはひと月のうちに、私の名前をあててごらん。
寝室から一歩出る。空気が流れたのを肌に感じて玄関に向かった。そうでなければあと三日は自堕落にゴロゴロと寝そべったまま過ごしたところだ。 特にマットも敷いていない木目を晒した玄関先の床。 「よう」 振り向いた表情は上機嫌をわかりやすく描いたような笑み。ドアが閉まるより大きな風圧を立てて上着を脱ぎ捨てる。そっけなかった冷たい床に随分上等な玄関マットが敷かれた。 この部屋に勝手に鍵を開けて入ってくるなんざこの人しかいない。 「何か食べます?」 「くれ。お前が食おうとしてたやつでいい」 「そう?」 まぁ何を食す予定だったわけでもないが。自堕落の気が変わったことにして一度買い物に出掛けることにした。 先に風呂桶を洗って湯を張っておく。玄関マットを踏まないよう床の端を歩いてリビングへ戻るとさっさと服を脱ぎ始めていたその人を抱きかかえて風呂場に放り込んだ。 「いってらっしゃい」 「…。いってくるね」 硝煙のような匂いがする。 それでもこの人はなかなか死なない。
黎。夜。世界の外側へすり抜けてくる。 渡り鳥か蝶に例えやすかろうと思う、やたらと大きな羽織の上着、あれは翅だ。けれど実際どういう人なのか全く知らない。今回初めてというわけでもなく、どういう法則性かもわからん連絡無しの突撃を僕のかましてきてはまた知らん間に去っている。知らん間じゃない時もある。僕の居ない部屋にも実は入り込んでいるのか、そこまでは調べていない。 仮の宿のようなもの、道路の凹凸のようなもの あの人はそこに不意にさし込む夜の闇みたいなもんで けど僕にとってはむしろあちらが、…。 買い物を済ませて帰ると玄関マット上着は玄関先から無くなっていた。出て行ったのかと思ったがリビングにそいつが移動していて、裸に僕の服を羽織っただけの黎さんもそこに居た。 「おかえり」 頷いて抱き上げて膝にのせる 風呂上がりのまま歩き回られちゃ水滴で跡がつく。 手を伸ばしてドライヤーを取ると温風を髪にあてた。 「ひっひ」「大人しくして」 笑って跳ねる身体を片足で囲って支えると余計に笑われた。胸元に頭が当たって服に髪が刺さってくる 乾いても濡れたように光る、くせのつきようも無さそうなほど真っ直ぐな黒髪。 ずっと艶艶していてやめ時がわからん。 ある程度あててから手でわしゃわしゃとかき混ぜたら全体温かかった。まぁいいだろう。 食事を作り始めようと廊下に置いたままにした食材を取りに立ち上がろうとした。 「なぁ」 それを止められた。 「先に」 膝の間に座った黎さんが振り向いて目を合わせてくる すぐさま唇も合わさった。 「……、」僕の前髪を両手で避けられる じっと目を合わせてくる、キスの間も目を閉じたりはしないらしい 艶艶と 煌煌と 髪よりも一層輝く両の目 眩しいな。 誘いに応えるようにして舌を絡めて 身体を隙間無く沿わせるように 両腕と手の平を使って撫でる 胸と胸が重なる、呼吸するたびにほどよく息苦しくて息が上がる 細い脚が僕の腰にがっちり纏わり付いてきた 「……    」 体温も匂いも どちらのものかわからなくなる。
一通り終わって黎さんに彼の吐いたゲロを片付けてもらいつつ、傍らで食事の準備を始めた。 「お前もなかなか据わってる」だの言いながら上機嫌を崩さない彼は案外きちんと清掃作業を済ませてくれる。 僕ののんびりしたヤり方でどういう理屈でああなるのかわからないが、あの人は絶頂するとなると酷く痙攣に任せたような激しい呼吸と哄笑で狂ったように暴れてはその衝撃で胃液を吐き散らかす。珍しいことではなかった。都度ぶん殴られるか引っかかれるか、すわ食いちぎられそうになるのをどうにかやり過ごしてことを終えている。別パターンもある。そんなバリエーションいらねえんだがな。 「服の替え、選んで着てください」 「はいよ」 これも毎度ながら、片付ける間は全裸だ。まぁ汚れたら面倒って合理的な話。 あの反応でも悦いのは事実らしい。ちょっと楽しくなってくるほどに派手な反応で、やることなすこと。あんなけ見事に返してくれたら、嬉しみもあろうってものだ。 「できましたよ」 簡単に作ったサラダやソテーをテーブルに置いた。寝室から出てこない黎さんを呼びに行く。 こっからまた抱き合うことになるかどうかはその時の気分次第だろう。今回は、どうだかな。
黎さんと知り合ったのは 某所のオープニングセレモニーだったか。 知り合ったと言うほど正攻法でも無かった。 会場から抜け出すあの人の誘いに乗った。口実は随分と堂に入った彼の仮病、もしかしたら本当のことだったのかもしれない。車に乗せてそのままその日使っていた部屋の一つに連れ帰った。 まるきり穏やかな日常を数日間かそこら、共にした気がする 今でこそ会う度にやることヤってはゲロったりグロったりしてくあの人だけどそん時はまだそうでもなかった。至って真っ当に初対面で、それなりに円満だった。一般的には初対面で自宅まで車に同乗しすぐさま口付けて抱きしめあって寝るなんざ実現を疑われる行為らしい、と 僕の方は一応知っている、けれど数えるほどの例外も知っていた。初対面で刺されて拘束されて恋人になってくださいと言われても僕は了承しただろう。色んなことに対して、断るほどの理由を思いつかないから。 黎さんと過ごしたその期間は 随分久しぶりの感じだった、アホみてえに体調がよくなるほど、休息と補給を繰り返したのが その間 自分の呼吸を教えるみたいな巧みなキスを何度もされた いい匂いに、抱きすくめるには丁度いい体格 一人で住んでたら得られない快適な空間があの人のせいで出来上がって心底うんざりした それが嫌なのか、自分でもよくわからないけど 穏やかさってのは不穏を感じる 大抵の他人も物も安定したらぐらつき出すんだから。
最初の夜 ソファで寝そべって背に腕を回してやわくくっついたまま寝物語を聞かせた、Tom Tit Tot 悪魔の名当て
おやおや美しいお妃様。どうして泣いているのでしょう?
……話し始めたのは 名前を聞かれた時だった、「別に本名を言えってわけじゃない、呼ぶ言葉がほしかっただけだ」と彼に言われて 被せて僕が訊いて 彼も聞き返したので、寓話と違いそこには悪魔ばかり二人居た
悪魔は言う なんだそんなことですか、アサで金を紡ぐくらい 私が力になりましょう。 毎朝アサを渡してくれれば、夜には金の糸にして きっかり五かせ、さしあげましょう
「その代わり ひと月のうちに、私の名前をあててごらん」
お妃は、それを聞いてこう思いました 「ひと月もあれば、当てられるだろう」と
妃が頷いて応えると、 悪魔はアサを受け取って うれしそうに微笑みました
「もしも名前がわからなかったら、私がお前の命をもらうぞ」
……
さてひと月後、いやそんなにも経って居なかったあたりでまた現れたその人はあっさり僕の名前を呼んだ。 あろうことか連れて行ったのとは別の家にだ、どうやってだか押しかけて、鍵を勝手に開けて窓から入ってきた。面白すぎて笑いながら抱き上げて汚ったねえ服を剥いで風呂場に放り込んだのを覚えている。 以来名前で呼ばれるかと思いきや、他の呼び方をされることも多い。その中で悪意を感じたことはない。 悪意、か どうだろう、呪いかもしれない 名で縛るというのは。 悪魔も名前を当てられれば人に良いように使われて仕舞い、名当ての寓話は古今東西いくつも散らばっている どれも名付けの持つ一側面を如実に描き出している ならそうして 僕を捉える彼が、ひょっとして拠り所にでもなるだろうか 他にどんなでも縛られること、捕らえて置いて固められるあてが、あったためしもないのに、 いつまた来るかわからない 二度と来ないかもわからない 彼に、縛られるだって? それをしないために いくつも別の名を呼びかけてくれる? よほど拠り所の無さそうなのは彼の方だと、思う、のだろう。きっと誰もが。知り得もしないが
それからも黎さんは僕に会いに来た。
「普段と違った香りを纏わせておられる」 指摘された方を視線を上げて見る ここに居ない人のことで考え込みすぎた ボックス型に置かれたソファの隣席に座る相手へ笑顔で応える 「お嫌ですか?」 「いや。香水かな」 「何の香りだと思います」 相手が何事か答えるのを聞くとも無しに聞いて曖昧に濁す 吹き抜けの天井に螺旋した大階段 透明なエレベータ 大窓から降り注ぐ外光 ホテルの設計を頼まれた時にはよくよく使い倒すモチーフだ。そこかしこに植物を配置する隙を作って彩りを足す、実際にはほとんど色など無い空間なのに陽の光が全ての色を射し込んでくる 香りと称される体臭は黎さんが来た時の残り香かなにかだろ�� もう一週間ほどは風呂に入っていない、けどここらじゃそのくらいよくある話だ。毎日のようにふんだんな水を使って身を清めるなぞよほど条件を満たした河川のある地域に限られる 流れが速く、澱みを留めおかない 澄んだ河川。水辺に清めの機屋などたてる無臭の国 日本はそこまで水が豊富でもないのに、土建で工夫をしている。建築技術は生命活動から苦痛を遠ざける 次はどの家で住むのだったか、鍵を無くしてしまった スリに盗られたわけでもなく予定の飛行機から変更になって行き先が変わったからだ すぐに使えない物を持ち歩くのが苦手だった。鍵を捨てたくらいでどうなるわけでもない。 「今夜はどちらへ?」 「夜には日本へ。ここからすぐ飛行場に移動します」 「おや、残念 早いお帰りだ」 なにやら親交を深める目的の誘いを夜から昼に変更してあつらえようと提案されている、それを受けて場所を変える 断るほどのものでもない 「では車を手配しましたので、行きましょう」 はいはい。
荷物の中に紛れ込んだ知らない物も 空港まで付いてきた知らない者も マスターキーの管理がなってないホテルも 土地の境目が 全て取り払う口実をくれる、境界というのはありがたい そうでなきゃ余計なものがどこまでもくっついて いつしかこの身から抉らねば切り離せなくなったりして 癒着 痛えのも重てえのも抱えきらんよ あがいてはしんと静まった何も無い空間に逃げ出す、それが牢獄であろうと
だから偶然だった、そこに居たのは。 疲れて帰国して適当に決めた部屋。さすがに誰にも予測され得ない偶然のはずが、あの人は当然のようにふらりと入ってきた シャワーの水音も湿った浴室も カーテンのさざめきも床の軋む音も全て 一段落付いて過ぎ去った後の室内で、また一通りそれが騒いで シャツ一枚羽織った黎さんは寝室まで来ると髪が少し乾ききらずにいる僕の頭を両手で撫でた 「出迎えは無しか。寂しいね」 ちゃんと構って良い子だ、と 全く違う音を拾う 僕が居ない部屋にもあたら闖入しているのかと、けど。起き上がってこちらからも触れようと手を伸ばしたら黎さんはその手を取って身体に巻き付かせた。誘導されるがまま腰を抱く 膝に座り込んだ彼が振り返って性急に深く口付けられる、別個の存在が居るという安堵が刺激に上塗りされて 「……――、」唾液の音が響く 腹の底で灯がともるように芯が熱くなる、ここまで急に急き立てられたのは初めてのことかもしれない 荒くなった呼吸で鼻腔に吸い込んだ息 くらりと酩酊するような錯覚がする 彼の匂いが、洗い流しても確かに残っていた。それにまた安らいで また刺激がくる 股ぐらに居座った彼の腰を抱く手が、上から押さえられたまま動かせずに、服を捲り上げてむき出しになった下半身が卑猥にくねって僕の下肢を撫でてくる 僕が手を離さずに居たら彼は上から押さえるのをやめて、後ろ手に僕のズボンをくつろげてきた 「そのまましてみろ」 「……、そのまま?」 口付けを離してそれだけ言うと黎さんはベッドに両手をついた すり、と尻でそれを撫でられて抱えた腰を見下ろす 先端がもう当たって今にも入りそうな、このまま、後ろから? 慎重に手で抱えて腰を進めてみる 伏せたままの彼の背が一瞬跳ねた。両手がシーツを握り込んで皺を作る 指先で皮膚がうっすら汗ばんだ気がした 「…――は、」息を どうにか吐いて、肉を割入っていく ならしもせずに入れることなんざ無い、この時ばかりしか きついな どれだけしつこく焦らして解かしてきたかを少し思い出した これじゃ口付けることもままならないし 表情も うかがいづらい 「――――、」 このまま、というのが 体勢も全部なら、一方的に揺さぶって出して終われってことだろうか、全部お前の好きにされたいだとか擬似的な支配を好むやり方も要求されたことはある、誰しも知り得ない、愉しいのは大事なことだけど 喘ぐ声も身を捩る動作も、吐き散らかすことも無い 「……黎さん」 名前 を 思わず、呼んだ。 僕はまだ���びかけたことが無かったかもしれない 無かったかも しれない、 全部入れてから腕を腰に回して背中から抱きしめる じっと まだ、中で馴染むまではさすがに、きつい 顔を伏せた顔に近づけて息を訊いた、 固く丸められた背と両手 食い込みそうな指を解すように片手ずつ、温めて握って
「………… やめろ」
僕が何か言う前に、黎さんがそう言った。すぐに手を離して上体を起こす 「……」 蹴り飛ばされることも考えたけど引き抜いて距離を取るまで黎さんは大人しかった。傷めるような何も覚えはないけれど一通り見て聞いて確かめておく。触れることはしなかった。特にこの後すべき処置も無さそうで、それならまぁ、ここはこの人に預けて外にでも出ようか。さっさと自分で扱いて出して ティッシュで手を拭う 咽のつかえが取れたようにほっとしてしまった 用が済んだような 「真澄」 もう離れていた意識を引き戻される 立ち上がりかけていた脚が折れてもう一度ベッドに沈む 頬を両手で包んで、口付けられた 甘やかすように 「……悪かった」 暗い寝室にその影も捉えられないまま布団を被せられて、止まる ふと片手でそれをずらした時には黎さんは居なかった 布団だと思ったそれはあの人がいつも羽織っている上着だった。
まだあの人は僕を捨ててはくれないらしい。
#ss
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thedevilsteardrop · 11 months
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紫陽花の悪夢
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thedevilsteardrop · 11 months
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thedevilsteardrop · 11 months
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#リプきたキャラ×自分の好きな曲の絵
鳴瀬でRed dahlia
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