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#食べマス
bizenwakakusa · 1 year
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食べマス ドラえもん
銅鑼小鉢 Masahiko Kondo ー食べマス ドラえもんー
  すっかり暖かくなりましたね。
木々も一気に芽吹いてきた感じです。
  さて、今日のおやつはコンビニスイーツ、
出勤の時にローソンで買ってきました。
  ドラえもんの和菓子。
  近藤さんの銅鑼小鉢へ。
  火襷と胡麻の明るい景色、シンプルな造形のうつわです。
  盛り付ける素材を魅力的に引き立ててくれますね。
  大小の2個セットで販売しており、
この銅鑼小鉢は小さいほうの小鉢になります。
  現在はサイト未掲載のアイテムとなります。
気になる方はお気軽にお問い合わせくださいませ。
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yasudai · 2 years
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#red #食べマス #和菓子 https://www.instagram.com/p/CiJKp5IPq-0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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moblogue · 2 years
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#ファミリーマート で #たべっ子どうぶつ の #食べマス をゲット。子供の頃から見慣れたイラストが立体で目の前にあるのは不思議な感じ。 #練りきり だけど #あんバター 味 と #バタースカッチ 味ならお茶より #コーヒー が合うかも…と思ってあわせてみたら大正解!/ #ファミマ #familymart #和菓子 #コンビニスイーツ #dailybeverage #coffeetime #coffeebreak #instacoffee #instafood #rhonnadesigns #instasweets #コーヒーのある暮らし #villeroybochnewwave #villeroyboch #ビレロイボッホ #ビレロイボッホニューウェーブ #cesabeams https://www.instagram.com/p/CeIp6Mgp0Q4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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jaguarmen99 · 19 days
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675 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2019/03/21(木) 11:31:05.90 ID:xVxeYGXn0 128 あんた何歳か知らないけど、俺の周りにいた大酒飲みはみ~んな死んだか 半身不随だぞ。脅かしじゃないぞ、本当だぞ。
■Aの場合・・・720・ワインを一度に3本あけてるのを見た。40代後半で死亡。 ■Bの場合・・・とにかくつまみを食わない。マス酒の隅に塩をのせて飲んでた 飲み始めたら底なし。50代前半で死亡。 ■Cの場合・・・ウイスキー1本あけるほどの酒豪、50代半ばで死亡。 ■Dの場合・・・弱いのにやたら酒好き。毎晩べろんべろんに酔っぱらってた。 60代前半で死亡。 ■Eの場合・・・町に出かけて飲み歩くのが好きで毎晩ヨタヨタしながらアパート まで帰って来てた。50代前半で死亡。 ■Fの場合・・・何でもござれの酒豪、ビールなら6本、酒なら8合くらい 飲んでるのを見た。50代後半で脳梗塞、手足が不自由。 ■Gの場合・・・60代前半に仕事で12時頃帰宅、その後、2時頃まで飲んでて 脳梗塞を起こし、手足が不自由。
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01-08-m-n · 1 year
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キスをしすぎると、キスの特別な価値みたいなものがなくなるんじゃないかと思った。「好きだった人に言われたずっと忘れてない言葉」みたいな、そういうキラキラした衝撃的な瞬間をこれからも君につくってあげられるのだろうかと思った。いつまでも、君の最高の女の子でいたいと思った。
彼氏が充電してくれたモバイルバッテリーが、それだけで宝物みたいに見えた。彼が入れてくれた電気が尊いものに思えて、一生使わないでおこうと誓いみたいに思った。旅行3日目に日が変わった深夜1時半頃、彼が買わせてくれた大きなぬいぐるみを抱きながら君を見ていた。ふかふかのベッドに横たわりながら、ぬいぐるみと君のパーカーを抱えていた。わたしのスマートフォンの充電がなくならないように、わたしのモバイルバッテリーを君が充電してくれた。君がやさしく充電機を差す姿がスタンドライトの逆光で影になって、描くことのはじまりって、愛する人の影をなぞったことなんだよって言いたくなった。君をなぞってずっと忘れないようにしたいって思った。何回も何回も君を反復して、擦り切れるくらいに思い出したら、生まれ変わっても覚えていられるだろうかって思った。
はじめて日焼け止めを塗り始めた5月1日がもう1か月前になろうとしています。お久しぶりです。青い月はいつだって燦然と眠って光っています。先日、恋人と2泊3日の旅行をしてきました。会えるのは2ヶ月ぶりでした。やっぱり、この人と一緒にいたいと思いました。付き合った日に彼が送ってくれた、俺の余生あげるから君の余生を幸せにさせてよって言葉が永遠に忘れられないでいます。
デートする度にここに書くのは、忘れたくないからです。一瞬一瞬を思い出せたら、永遠に忘れないかもしれないって思えるからです。
通勤で混んでいる新幹線で運良く2人席が空いていて、彼が乗る駅まで隣に誰も座らないように小さな抵抗をしてみた。彼が乗る駅に停りそうになって、ゆっくり流れる景色から君を探してみたけど見つからなくて気持ちいい不安があった。着いて5秒後くらいで会えて、いつもの恋人だと思った。大好きで嬉しくて、よくわからないくらい安心する。新幹線だから手は握らなかったけど、ずっと触れてる肩が嬉しかった。
ホテルに近い改札口をふたりで探した。ホテルまでは少し遠かったけど、冒険しているみたいだった。真っ直ぐな通りの先にはスカイツリーが見えた。その日はたくさん歩いてたくさん見てたくさん考えたけど、彼が一度も疲れたとか嫌だとか言わなかったことがすごくうれしかった。この人となら大変なことでも一緒に歩いていけるんじゃないかって、些細なことだけど。ホテルまでの帰り道からはライトアップされた紫色のスカイツリーが見えた。ライトアップの意味を調べて読み上げたけど、彼氏が眠そうでかわいかった。確か「雅」っていうライトアップだった。ふたりとも22時くらいにはきっと眠っていた。たまに目を覚ますとふとんに埋もれている彼がいて愛おしかった。ふとんをひっぱると、んーと唸りながら私に3分の1くらい渡してくれるのがかわいくて。目が覚めると朝の5時30分で、部屋に射す朝日が綺麗だった。君がくれたステンドグラスみたいな栞がキラキラ輝いて綺麗だった。うとうとしながら横になっている彼を見ながらお湯を沸かしてコー���ーを飲んだ。幸せだって思った。そういえば、フルーツティーを飲んだ後にキスしたら甘いって言ってたね。微睡んだ君の隙間から2つの水滴が垂れているのを見て、指でなぞった。わたしだけの秘密って思って、それを口にいれた。君はここにいるって思った。
ホテルを出てほとんど夏みたいな爽やかな空の下をキャリーケースを引きながら歩いた。街の看板や建物を見ながら君となんでもないことを話すのが楽しかった。駅のロッカーを探し回って、エレベーターを待っている時に君に日焼け止めを塗ってあげる。外でも首や顔に触れて家族みたいだなーって思った。自分がしてもらってたように自分もこうして人にしていくんだなって思った。少しだけ顔が白くなった君がかわいかったな。ケチな私がロッカーにキャリーケースを2台とも無理矢理入れたら取り出せなくなって君の手を煩わせてしょんぼりした。自分っていやな人間だなーと思ったけど君が仕方ないねって笑ってくれて大丈夫になった、やさしくてあったかくてずっと一緒にいたいって思った。メンチカツとかアイスとかふたりでおいしいねって分け合えるのがうれしい。おみくじを引いて当たっててうわーってなったり浅草寺の煙が目に直撃して泣いたりお参りしたりした。彼がちゃんと祈ってる後ろでそれを叶えてくださいってちゃっかり手を合わせた。
最果タヒのグッズを買いに紀伊國屋書店本店に行ったりサンシャイン水族館で毒を持った生き物を見たりして、外に出たらもう空が真っ黒だった。風が強く吹くサンシャインシティの広場で彼と手を繋いでひとりじめしてるみたいに歩いた。ベンチでキスをしてるカップルの近くのベンチに座って、そこから見える光る塔が何なのかふたりで必死に調べた、今思うとなんでそんなこと?と思うけど楽しかったなあ、結局専門学校の偽物スカイツリーだったね。ふたり手を繋いで風に吹かれながら暗い空を見上げてた。星なんて見えなかったけど、灰色と藍色を混ぜたみたいな空に電飾が反射してもやがかかったみたいに見えていた。人混みの中を急いで歩いたけど乗ろうとしていた電車に間に合わなくて2マスもどる。
2時間くらいかかる電車に乗って次の場所へ。ぬいぐるみを掴みながら、イヤホンを片方ずつつけながらお笑いのショーレースを見た。吐いてる人がいたり電車を降りてお水を買ってきてくれる人がいたりなんとなく忙しい時間だった。 ホテルについて夜中までやっているアイス屋さんへ行くと長蛇の列。若者が多くてびっくりした。彼の好きなラーメン屋へ行って深夜1時に中盛りという名の大盛りのまぜそばを食べた。おいしかったね、わたしは眠すぎて食べながら眠りそうでしたけど。お酒を買ってもらったのにホテルに帰るとすぐ就寝。ほんとうにありがたい恋人。翌朝シャワーを浴びて彼にバトンタッチすると時間が足りないことに気付く。ゆっくりしたかったからフロントに電話して1時間延長、支度が大体終わったあとまだ終わらないでしょみたいな感じになってもう1時間延長。この1時間がなかったら帰るのが惜しいくらいだったと思う、会えているときくらい君に触れていたいよ
この日は急遽彼の友人とバーベキュー。正直めちゃくちゃドキドキした。めちゃくちゃかわいい彼女って思われたいじゃん。それが彼を立てることにつながる?みたいな私の筋の通らない理論。駅まで彼の友人が迎えに来てくれてわーってなった(表せない感情)。車がお兄ちゃんがこの前買った車でこの年代の人ってみんなこれ乗るのかな?とか思った。そういえばお母さんがこの車見ると毎回遊んでそうな若い男の人が乗ってて助手席に女がいるって言ってた。うちのお母さん調べ。友達と話してる彼氏を見るのが変な感じだった。嬉しすぎてtwitterにも書いたけど、彼氏の音楽の趣味が良いのは勿論で、彼氏の友達も音楽の趣味が良いのたまらんすぎた。3人で乗ってた車でボーイズ・オン・ザ・ラン流れてたの一生忘れないと思う、ほんとに。酔った彼氏が友達とアジカン歌ってたのも音だけ覚えてる、私も酔ってたから音だけ。それからふたりとも記憶がないままなんか電車に乗っててなんか駅にいてなんかトイレに行ってなんかベンチで介抱してなんか母親を怖がって急いで電車で戻って結局新幹線遅らせて酔いが覚めた彼に飲み物買ってもらってマックで爆泣きした。「君が笑っていられるように頑張らなきゃな」 みたいなことを言われてこの人が救ってくれるんじゃないかって思った。 前ここにも書いたかな?女子高生のわたしのインスタの裏垢に書いたの。 「君の生きる場所はここじゃないと 君が手を引いてくれ」 ずっと忘れてないわたしが書いた言葉。久しぶりに開いたけど綺麗で儚くてさいこうだった。なきそう。非公開から解放したのであなたもあの日のわたしのこと忘れないでいて。
違うことで着地しちゃったけどパラシュートじゃなくて君から借りたパーカーが風でふくらんで運ばれたっていいよね。この人がいいってもっと強く深く思う数日間でした。いつまでも幸せでいて。ここまで読んでくれてありがとう。もう君も目撃者だよ。
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crispy-moratta · 5 months
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タイピング紅白 最高の副音声
年越し蕎麦を食べながら紅白をつけると、歌詞がUD新ゴになっていた。ロゴや見出しのレイアウトもかなりテレビのセーフティゾーンギリギリに配置されており、かなりビジュアル的、情報的な配慮の見えるデザインであった。やまつきくんと有本くんのいるグループラインでのつぶやきをきっかけに、三人でのオンライン鑑賞がはじまる。あのさんのZAZY的衣装や、紅白名物のアーティスト同士のちぐはぐなコラボ、ディズニーのミュージカルメドレーという箸休め企画とやまつきくんのだし巻きお料理タイム。有吉の「おじさんだけど何故か知ってるNewJeans 」いう逆ケアコメントや、椎名林檎のマス的なセーフティネット演出(非常にかっこよくはあった) (ヒートテックみたいな服着てた)。同者尿酸みたいなイヤリング。三山たかしの美しいガッツポーズの所作と、最高な星野源。友達のお姉ちゃんにほしいSuperfly。3人であることないことをタイピングし合う紅白は非常に厚みがあり、最高であった。
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kennak · 3 months
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多くの人たちと同じように、ずっと、悲しんでうろたえて、ときどき泣きながら、日々を過ごしていますたくさんの漫画家さんや関係者や漫画を好きな人が、悲しんだり怒ったりしている慎重に誠実に言葉を選んで自分の考えを綴っている人もたくさんいるでも当たり前なんだけど、どんな人の言葉にも過不足がある 今回はなおさらその過不足が大きい自分の場合もひどかった、こんな目に遭った私は別にイヤな目には遭わなかった、みんないい人だったみたいな好悪りょうほうの事例が乱立していっても、この出来事への何かの足しになるのかどうかもわからない芦原さんに家族近親者がいるとして、今後、この業界全体の改善が進まなければ遺された人は傷付き続けるだろうけど、救いがないのは、今後改善が進んだとしても遺された人はきっとまた同じように傷付くだろうことです改善されていけば、「ならば、どうして、彼女が命を絶つ前にそういう改善がなされなかったのか」という思いがつのるばかりだと思うのでなので、 自分なぞがここに何か言い足したりしても、さらに同様の過不足というか、なんなら「お前は黙ってろ」くらいに思われるかもしれないでもこれは自分自身のために書くだから不愉快を感じた人は何も言わず静かに黙���て外して済ませてください、今回はとくにここから、長いです多くの作家さんがどうにか言葉を発しようとしているのは、誰もが「自分にも同じ問題が起きた、起きたかもしれない」「自分のことのようによくわかる」からで、多分にもれず、自分にも覚えのある種類の問題ですそして自分が現役の時に(リアルタイムでの漫画連載時に)今回みたいに、同業の作家さんがこんなことで命を絶つなんて出来事があったら、とても平常心を保てないことが想像できるだから、今、現役で連載の執筆をしている作家さんは、自分なんかとはケタが違う動揺に見舞われ続けていると思いますでも言及したくないな、という思いも強いです言及すると、このことは自分の手の中からうしろに放って、もう言及したので済んだこと、にしてしまう心が伴うんですよねそれがイヤで、言及したくない、言及できない語るのもつらい、でも語らないのもつらい、という心もちは、多くの人の言葉や沈黙からも察することができて、「どうしたってこの出来事も遅かれ早かれ“後景”になっていってしまう」ということがわかっていて、そのことも含めて、皆が、うろたえて悲しんでいるのではないかと思いますでも1週間以上経って、当事者である大きな企業2社の現在の態度もあわせ考えて、このままだと、事態がどんどん良くない方向にしか動かない、というか何も変わらない、のではないかというおそれも、今、ものすごく大きいです何から書き綴る?また名前を持ち出して申し訳ないのだけど、庵野さんがそれまでに見たことないほど激怒したのを見たことがあります怒られた相手は、“美大生”だったか“クリエイター志望”みたいな子だったのかなあ… シチュがめんどくさいんだけど、『沈没』連載の頃に、大西信之さんの個展に僕と僕のスタッフさんが噛んだことがあって、その時に庵野さんと樋口さんが一緒に遊びに来てくれたのね その流れで、大西さんが引っ張ってきた会場のギャラリー含めて飲み会みたいな流れになって、メインの大西さんが早々に酔い潰れて離脱、なんか知らんけど2次会にまで庵野さんは流れてくれて、僕と僕のスタッフ、庵野さん、あとギャラリーに居た知らん人が何人か、みたいなわけのわからんメンツで飲んでいたときに、多分、庵野さんの前に座ることになった「“美大生”だったか“クリエイター志望”みたいな子」が、「何か創りたいと思うんですけど、創って世に出したらそれで評価が定まっちゃうし、自分の可能性を限定するみたいになっちゃうんで、なかなか作れないんすよね」みたいなことを、庵野さんに“相談”したんだと思うんですよね いくら酒の席でも、相手と話題を選びなさいよ、と思うんですけどね庵野さん、みるみるうちに、会って以来見たこともないようなおっかない口調になって来て、「そんなの、創って、恥をかいて、地獄を一度見ればわかります! 地獄見てください!」「地獄を味わったこともないくせに、何も作らないままグダグタ言ってても何も始まりませんよ!」というようなことを話していましたあのとき怒られていたあの彼は、どうしているだろう?かつて居た場所贔屓、かつてしていた仕事贔屓になってしまうけど、多くのクリエイションの中でも、やっぱりとりわけ漫画は、特別…という言葉を選ばないでおくなら、特殊な表現手段なんだと思います「作家個人ひとりに負うところ」が異常に多すぎる表現媒体なんじゃないかと思います漫画家を含めて、作家としての個人の名前が前面に出る仕事(そこには、だから、庵野さんみたいな人の仕事と名前も入るのはわかるでしょう)、そういう仕事は、やっぱりちょっと、特別、もとい、特殊なんです日本語でそれを括るなら、それが、“原作”“原作者”ということになるのかもしれませんその中でも日本の漫画はちょっと特殊すぎます作家個人が、ひとりだけで、ストーリーを考え、絵を描き、俳優を演じ、効果音を当て、お金の管理もして、ひとりで物語を構築する もちろんアシスタントスタッフは存在しますが、決定権というか決定の責任は漫画家個人にものすごく集中しています映画に例えるなら、監督、脚本、カメラ、美術、俳優全員、衣装、音響、編集、予算配分とスケジュール管理と会計処理と税務、すべてをひとりでこなして毎週映画を作り上げて納品するようなものです 狂気の沙汰ですよ映画の作業で残っているのは、そのフィルムに、オープニングタイトルとエンドクレジットを付け、宣伝し、配給し、チケットをもぎり、上映し、パンフとコーラとポップコーンを売ること それらは“プロデューサー”“配給会社”が担うことなのだと思うし、漫画に例えるならそれは主に出版社と編集者が担ってくれていますでも本当は、漫画の編集者は、多くの場合、作家が物語を創る作業に、もっと深いレベルで関わってくれているんですけどね そこがまた複雑でわかってもらい難い出版社と編集者の話はまたあとで“原作者”は、物語を構築するときに、それぞれの、自分だけが潜れる地下に潜って、自分だけがすすれる泥水をすすりながら、そこで手にした意味不明なんだけど意味あるものを地上に持ち帰って、地上の人にわかる言葉に翻訳して綴って、披露目る、そういう作業を繰り返していますそういう作業の最前線に自分もいた感触は、今でも残っています作家それぞれにもちろん技量や実績の差はあって、日本人なら多くの人が作品名や名前を知っているレベルの一騎当千の猛者もいれば、自分みたいに「はい、あの、なんとか銃は撃つくらいはできます…」みたいなヘッポコまでいるわけだけど、それでも、「商業漫画の連載」ってやっぱり別格の世界で、個別に、エゴのレベルで、あの人やあの人の創るモノとは気が合う合わない好き嫌いみたいなことはあるにしても、みんなが互いに、“最前線で戦っている同士”だっていう共感は持っているように、僕は、思います今もそうだよね?だから、みんなが今、人ごとと思えなくて、悲しんで、うろたえて、怒っているんだと思います“原作者”が自分の体と心を使って何をしているかというと、自分と外界の境界線を最大限にぼやかして自我をゼロに限りなく近付けて、なおかつ、「自分」が信じるものを出していかないとならないので、それは細胞の集合体である生き物の生存の定義に反する作業、「死」に触れる作業なんですよね自他境界を緩めると自我が世界に溶けちゃうんですよこのおそろしさは、もしかしたら、作家のもっとも親しい人にも理解してもらえないことなのではないかと思いますだからものすごい孤独を伴う何度も引き合いに出してすみませんが、庵野さんが死ななかったのは本当にたまたまだった…という話は、本人も何度もしていますみんな、そうなんですよ自分とて「あれはたまたま死ななかっただけなんだな」と思い返す出来事はひとつきりじゃあない生きている人は、「たまたま死ななかっただけ」なんですそういうエッジの上を進み続けることになるんですそして、作家が、地下に、海に、深く潜る際には命綱が絶対に必要で、多くの場合はそれは“編集者”“プロデューサー”が担っているのね船の上、陸の上で、命綱を握っているその安心感があるから、作家は“潜って”いけるんです漫画家にとっても、編集者の存在ってものすごく重要ですでも編集者は漫画家にはなれない 逆も同じです 多くの場合それは互いにじゅうぶんわかっていて、その中で信頼関係と仕事のしかたが構築されながら、作品は創られる編集者って必要なんですよ、ほとんどの場合佐藤さんはたしか「自分は編集者は要らない」と言い切っていたと思うんだけど、そんな強者はひと握りで、多くの場合は漫画家は編集者と二人三脚ですそれでも、ときに、しばしば、行き違いやコンフリクトは生じてしまう作家が、出版社への異議を唱えたり意見を述べると、それを出版社に属する人が「自分への攻撃だ」と認識することが多いのかもしれませんそうではなくて、個人である作家は、「あなたが属しているシステムの構造に異議を唱えているのだ」と言い続けているのだけど、その平行線がずっと続くことが多いですもう10年以上も前に、佐藤さんや雷句さんが、それぞれの考えとやりかたで、出版社や漫画業界のあり方に疑問を投じて、それは大きな波紋を起こしましたワタクシごとなんだけど、雷句さんのアクションの際に僕も僕の考えを書き述べたら、少年サンデーの編集者から「部外者が好き勝手にものを言わないでもらいたい」というメッセージをもらいました 当時の自分の文章を読み返すと、下手な文章だなと思うので「文章が下手だ!」と言われるならわかるんですが、的外れなことも誹謗中傷も書いておらず、何がそんなに相手を不愉快がらせたのかは今もよくわかりませんあれからもう15年以上も経っていて驚きます当時から知っている何人もの有能な編集者が、そのあいだ、作家や作品をないがしろにして仕事をしていたわけがないことはじゅうぶんに知っていますでも漫画家も多忙だけど編集者だって忙しい余計なことに煩わされる余裕なんて無いんですよ編集者はかなり強く担当作家と二人三脚を組んでくれるし、愛する作家を愛するけれど、いっぽうで、関わりのない作家に冷たい面がある(会社の人間として振る舞う傾向がある)それは当たり前なんですけどねでも、編集者がおおぜいになった時に、作家もそこにいるというのに、作家の前で他の作家の悪口や噂話をするのはやめてほしかったああこの人たちは、自分の居ない場所では自分の悪口を言って笑っているんだろうな、という想像ができてしまう何かのおりに、いったん、作家と編集者(出版社)の対立が外部にあらわになると、漫画家は多くの場合に、「組織/おおぜい/システムvs個」の、“個”の側にたったひとりで立たされることになる二人三脚していた相手、個人だったはずの編集者が引っ込んでしまって、代わりに、組織である出版社が出てきてしまう芦原さんが言い残した「攻撃したかったわけではない」という言葉は、誰か個人を攻撃したかったのではなく、「組織vs個人」になってしまい、個人として困っている、ということを述べたかったはずです「パーソナルとマスの問題」なんだけど、マスの中で(組織の中で)個人(パーソナル)として、その理解で組織と個人の問題を捉えて、そして言語化できている人は多くない大きく括れば、これはハラスメントの問題に属しますパワハラは、立ち位置の不均衡を素地にして起こるこちらは個人、向こうは組織その不均衡を、多くの場合、組織(強者)に属する人は理解しきることができないヒトが2人以上存在する限り、どちらかが強い、あるいはどちらかが組織に属している度合いが強いので、パワハラが存在する可能性があって、同時にその不均衡の構造は、なかなかすべては語られ得ないのだと思います日本には、作家にエージェントが存在しない作家と編集者(出版社)の間にエージェントが居れば、また話は違うのかもしれないんですが、多くの場合はエージェントの役割を編集者が兼ねているんですよね何かあると二人三脚していた相手だと思っていた編集者が組織の中に引っ込んでしまうので、作家はひとりぼっちになってしまう取り残されてしまうんです今回の問題の実際のディテイルは、原作の改変ですけど、でも重要なのは改変の良し悪しじゃない改変の度合いに関与できないことが問題なのであって、改変がいけないわけじゃない「良い改変」とか「悪い改変」とかがたくさん例示されても意味がない良い改変だとしても原作者が納得しているか、もしかしたら逆に不本意な気持ちになるか、それはまったく別の問題だから「改変する」「改変しない」じゃなくて、原作者個人が取り残さないようにすること、追い詰められて孤立しないでいられることです取り残され追い詰められるのは個人なので組織を背負っている、全体に繋がっている、ほうの人は個人よりは孤立しない仕組みになっているのだから組織のエラーと、個人のエラーをごっちゃにして峻別出来なくなってしまっている今回生じているのは組織のエラーです 個人のエラーはそれに付随して起きたことでしかないそうすると、得をするのは時に応じて組織に溶け込める人間で、損をするのは“個人のまま”の人間、組織と個人を別々のものだと考え続けている、組織に溶けることなど知らない個人、なんです漫画家はそのほとんどすべてが後者です生前の芦原さんの対応には、見聞きできることを見聞きする限り、ひとかけらの瑕疵もない死を選ばずに済んだ道があったはずだそのことが余計に悲しくて悔しい相対することになってしまった脚本の人の心身の安全は守ってあげなきゃならないけど、死なないで良いんで「死ぬしかなかった苦しみ」「作家が味わった地獄」に関しては、芦原さんが味わったのと同様に味わってもらえないものだろうか、「地獄を見たらわかります」、とは思いますもちろんそのとき重要で必要なことは、プロデューサーやテレビ局は、それでも脚本のひと個人の命をちゃんと守りきることなんだよそこを怠ってはならない大きな話として、私たちの社会が、弱者をすくいあげる、ハラスメントに対応する、そういうことがもう出来なくなっているのでは、という視座が要るように見える“個”への、唯一無二への敬意が欠ける場合が多いというか、“原作”を構築するのは個人で、でも現���は“解説動画”とか“読み解き”とかをアピールする環境が大きく整っていて、そういうジャンルに足を踏み込む人はとても多い何かを楽しもう消費しようとする人々にとっては、原作も、読み解き動画も、面白ければ別にどっちでも良いと思って楽しむことも多いんじゃないかと思う“原作“は希少なのだ…という認識を分かち合い続けるのはとても難しい現代の世界は、余計に、“原作”の稀少さがないがしろにされていく素地があるんじゃないだろうか明日から全てが改善される改革なんてあるわけがないし、できるわけがないだろうだから少しずつでも良くならないといけないわけなのだけど、それはかなり強固な意志で重いハネ車を動かし始めなければならないことなので、今、やらないなら、やっぱりやらないのだろうこれ以上の解決や改善を試みないということは、「今のままでヨシとする」という意思表示と合意を意味するわけだからこれ以上は未解決のままでも、漫画の文化はたいして変わりなく続いていくでしょう 今でもまだ豊潤だから今までどおり、声にならないところで、誰かが割りを喰って、不満や悲しみを抱えながら、時々誰かが死んでしまったりしながら、続いていくのだと思いますでもやはり、どうか、少しずつ、少しでも、状況がマシになってくれまいかもし改善がなされないのだったら、物語を創りたい、商業漫画���描きたい、と考えるひとは、「この世界はこういうものなのだ」と心して近付く、あるいは近付かない、それを「自己責任」で判断して生きていってもらうしかないもうひとつもうひとつ、自分が抱えているジレンマは、じゃあ距離を置いた漫画の世界の話には言い及ぶクセに、今お前が属している飲食業の暴力にはダンマリかよ、という自問自答があります卑怯なんですよね、これ今、自分が属している業界に関しても、言葉を綴るべきなんだと思います 今回とても思いましただからこそ、多くの現役の作家さんが、言いたいことすべてを言えるわけはなくて、なのに、多くの人が考えに考えて、自分の言えること、言うべきことを発しようとしていることも含めて、何もかも、痛いくらいにわかりますこのへんで幕引きみたいになって、またここから15年くらい、何も変えられないようになってしまうよりは、もう少し、言葉にして、言葉がまとまって、何かが少しでも変わったほうが良いのにな、と思います
芦原妃名子さん 2024年1月29日 - 一色登希彦/ブログ 
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date-private227 · 9 days
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4/20~4/22 大阪(USJ)旅行記録【3日目】
3日目は昨日よりゆっくりめに起床。ホテルのロビーで待ち合わせしてホテルを後に。電車や地下鉄を乗り継いで目的地…の前に地下街へ。お弁当とかスタバとかお菓子とか色々買い漁って、目的地のレンタルスペースに到着。
スクリーンを前に大きな机とそれを取り囲むローソファー。スクリーンにYouTubeを映してHey! Say! JUMPのMVとかを見なからお弁当を食べました。そのあとはSwitchもあったから4人でSwitch版の人生ゲームを。これが全部終わるのに何時間もかかって大変だったけど面白かった。まず俺らを作るところからだったんだけど、
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ちゃんと一人一人拘って作り上げた顔面。どう?似てる?二宮くんと俺がめちゃくちゃ似てるよね。そのままゲームスタート!ってところでこれ。
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あの顔のままベイビーになりました。全然可愛くねえ!
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かっこつけてるベビキクチ。なあ、永沢君みたいになってんだけど。
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伊野尾くんのターンでなぜかハートマークのマスに止まり合コンをすることになったんだけど、まさかの4:3の男しかいないむさぐるしい合コンで俺らも参加してて笑った。
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有岡くんはキラリちゃんっていう女の子と結婚して子供も産まれて…お祝い金とかをガッポリ俺らから奪い取っていった先駆者。最初の職業は地下アイドルだったけど途中で転職してプロ野球選手になって成功してました。
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二宮くんはなかなかお相手に恵まれず独身ライフ。職業は俳優を選んだらもうハリウッドスターにまで登り詰めたガチの天才俳優。まんま二宮くんじゃねえか。
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伊野尾くんは男性の地下アイドルジュンさんと結婚して、会社員として成功。社長にまでなってしまった大富豪。この人生ゲーム、同性とも結婚できるみたい。
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そして俺は顔も背格好も似すぎな男性の新人俳優ユウさんと結婚して似すぎな子供たちを育て上げました。職業は、最初新人俳優として過ごしていたけど一向にスキルアップしなくて転職で医者になったけど、結局そこでも研修医から上がらなくて一生新人。でも途中でなぜかプロ野球選手の有岡くんの野球人生を左右する大怪我を治した新人研修医の俺。昇進させてくれよ…と思いつつ新人なまま天に召されました。
そのあとは少しだけコレをしました。
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AからHの選択肢があるんだけど、似たような表現なのもあってむずかったし演技力が問われるゲームで面白かった。まぁ俺は演技力が高いで有名なので、俺のターンは全員正解してましたけどね!
って感じで時間も終了。部屋を綺麗にしてレンタルスペースを後に。その場でにのありさんとはお別れして、俺と伊野尾くんはまた地下鉄に乗り込み空港へ。搭乗口が近かったから保安検査場も一緒に通って、お土産を見て回ったあとしばらく2人で最後のひと時。俺の搭乗口の近くまで着いてきてくれてそこでバイバイして飛行機でお互いそれぞれ帰りましたとさ。
また6月末に、にのありさんと伊野尾くんと大橋との5人で遊ぶ予定が出来たから楽しみにしてます。
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palakona · 6 months
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悶絶時合いの死闘!
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2023年11月、中セ池(八尾市) iPhone11
どうも、こんにちは。11月26日(日)は、中セ池に行ってきました。タイトルは、少し吹いてみました。僕は誰と闘っているのでしょうw。
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2023年11月、中セ池(八尾市) iPhone11
入りたかった東桟橋は、常連さんがズラリと並んでいて一瞬怯みましたが、よく見ると東向き(山側)に入っているので、背中合わせの西向きはガラガラでヘチでも中央でも選び放題。前回10月に来た時に常連さんが爆釣していたマスに入りました。東向きには長竿エリアとの仕切りになる波除けパイプがあって10尺で振り切りだとパイプに当たるのですが、西向きはご覧の通り中央に横向きのパイプが無いので12尺ぐらいまで振れるのではないでしょうか。僕は前回11尺でした。
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2023年11月、中セ池(八尾市) iPhone11
いつも中古ですが、またMNG(My New Gear)しました。若駒の「最上作 極 8.1尺」です。最近は長い竿を使うのが好きで短い竿はとんとご無沙汰でしたが、若駒の入手を機に使ってみました。8尺は心道と師光を持っていて両方硬いんですが、若駒は中調子でパリッとしてますね。軽いし良い買い物でした。
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2023年11月、中セ池(八尾市) iPhone11
浮子は「夢」(伊吹)の「両うどんパイプトップ」です。昨日はタフコンディションの阪奈園へら鮒センターで同じ伊吹のソリッドトップを使ったのですが、今日は思うところがあってパイプトップです。
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2023年11月、中セ池(八尾市) iPhone11
釣り始めたのは8時40分頃。背中合わせの常連さんの会話が聞こえてくるのですが、「浮子が動かん」とか「誰も釣ってない」とか悲惨な会話が聞こえてきますw。それでも数名は釣果を見ていたので集中していたのですが、約40分後、浮子がモゾモゾしたと思ったら目盛の黒帯が「ツン」と沈むぐらいの極小の魚信。アワセたらズシッという手応えで掛かりましたが、あんな小さな魚信によく手が出たもんだ。ご覧の通り凄い体高の完璧なヘラブナなので、買取サイズ(35cm以上)と思って検寸に行きましたが6mmほど足りませんね…
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2023年11月、中セ池(八尾市) iPhone11
さらに1時間後。またもや小さな魚信で釣れました。両目が空いた〜。中セ池は、以前はマブナが多いというか釣れたらマブナのイメージでしたが、前回及び今回と釣れるのは体高のあるヘラブナばかり。僕はこっちが良いな。しかし、マブナはどこに行ったんだろう。春はヒルにやられて傷んでいたが。
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2023年11月、中セ池(八尾市) iPhone11
水藻フィッシングセンターでヘラブナにへし折られた師光8尺が修理成って帰ってきました。修理前は8.2尺でしたが、穂持ちが折れた所に合わせて穂先を再作成したので若干短くなってました。若駒8.1尺と比べるとざっくりで8cmぐらい短いので、8尺に1〜2寸足りない。7.8尺〜7.9尺ぐらいかな。
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2023年11月、中セ池(八尾市) iPhone11
師光に替えてから釣れてなかったんですが、浮子にサワリが出て…「ツン」と綺麗に入ったのでアワセたら高切れ。鉤にヘラブナは掛かったらしく、浮子は水中に引っ張られて5500円の浮子がどっか行った…。中セ池はそんなに広い池じゃ無いし、どこかで浮いて見えるはず。諦めきれず、昼食を挟��で探していると、北詰に入ってる常連さんの浮子の横の波除けパイプの横にもう1本浮子が浮いている。見つけた〜。とりあえず、そのマスで釣ってる常連さんに「僕の浮子なんですが」と話しかけると、「取ってくれ」の催促だと思われたのか、仕掛けを引っ掛けて回収してくれました。めんどくさそうだったけど、アザース。
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2023年11月、中セ池(八尾市) iPhone11
この看板に竿規定は8尺〜19尺と書いてありますが、修復した師光は8尺に若干足りないやん。心持ち短くなっても8尺として使うつもりなんですが、都合よく解釈してルール違反って好きじゃ無いんですよね〜。仕掛けは8尺用を使ってるし〜と数投続行しましたが、やっぱ8尺未満だよな〜と若駒に戻しました。
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2023年11月、中セ池(八尾市) iPhone11
howellsさんが、コシガ池でも阪奈園HCでも「午後は浮子が動かん」と言ってましたが、高切れしてから浮子が動かんし釣れる気配がない。常連さんのまぶし粉に関する会話が聞こえてきて、中セ池のまぶし粉は匂いが強くて良いそうで4袋買ってた方もいたんですが、ふと、「僕、コシガ池のまぶし粉持ってるやん。使ったろ」と投入すると、すぐにサワリがあって1枚釣れました。釣れたのは1枚だけでしたが。
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2023年11月、中セ池(八尾市) iPhone11
午後3時が近づくと常連さんは片付け始めて帰り支度。僕の右隣の常連さんは多分ボウズでお帰りになりました。昨日の阪奈園HCに続いて中セ池も悶絶時合い。午後3時過ぎまで��ウズだった人もいたし、帰りしなの会話が聞こえてたんですが「何枚?俺1枚」と言ってたり、常連さんでも0枚〜1枚が続出でした。
ということで11月26日はヘラブナ3枚でした。2日連続の悶絶時合いでしたが、まあ何とかw
では、また。
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manganjiiji · 7 months
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軸ぐんわり消える
朝8時半前に起床することができ、トーストと卵焼きだけ食べ、風呂、最低限の化粧で願書パック作り。志望動機は昨夜キーボード(ポメラ)で打ち終わっていたので慎重にボールペンで書き写す。しかしよく考えたらこの用紙、鉛筆(シャープペン)で記入でも許されたのではないか?まあいいか。わからない。社会人になると公的書類はすべて油性ボールペンで書くという驚きの一般常識(これは子供にとってみれば寝耳に水の話だ、まさに。)があり、しかし未成年のうちは何でもかんでも鉛筆またはシャープペンシルを使わされる。文字数制限のためにマス目に数字が振ってある原稿用紙というのは、いかにも「論述用のテスト用紙」という感じで、そういう「正解のありそう」なものってなんとなく鉛筆で書くんだったっけ…?という感覚が急遽呼び覚まされた。ボールペンで書いたが(1回だけ「親」を「新」と書きそうになって危険だった)。
封入物すべてOK!と思ったところで、封筒裏面に「内容物のチェックリスト」を貼り付けてチェックを入れるのがマストだと知る。そんなもん紙面で確認しなくてもPDF見ながら最終確認すりゃいいだろ、と思って印刷しなかったチェックリストが、まさか封筒裏面に貼り付け必須だったとは……。めんどくせえなおい。でも人によって内容物が違うので、この封筒にはこの書類が入っていますよというチェックリストが必要なのかもしれない。単なる「忘れ物防止」の策ではなく。
ここまで書いて寝ていた。
私は傷ついても必要以上に笑いながらその傷をそのままに場面を進行していくのは実はやめたほうがいいのかもしれない。
2023.11.7
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bizenwakakusa · 2 years
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おめかしリボンのポムポムプリン
おめかしリボンのポムポムプリン #備前焼わかくさ #備前焼 #土のぬくもり #備前焼のある暮らし #備前焼を使う #備前焼の店 #おうちでたのしむ備前焼 #陶器 #器 #うつわ #やきもの #和食器 #食器 #器好き #bizenyaki #bizenwakakusa #Quiethouse #まる小皿 #クワイエットハウス #サンリオ #ポムポムプリン #ローソン #和菓子 #食べマス
まる小皿 QuietHouse -おめかしリボンのポムポムプリン-     今日は朝からネット個展の先行公開でバタバタしておりましたが、 やっと落ち着きました。   今朝出勤時に立ち寄ったローソンでまたまたかわいい和菓子を発見。   サンリオキャラクターのポムポムプリン、 名前の通りプリン味の和菓子です。   ミニオンも可愛かったですが、 これもさすがに食べるのを躊躇する可愛らしさ。   しかし、午前中でHPを使い果たしていたので 糖分補給で頭からガブリと行っちゃいました。     クワイエットハウスさんのまる小皿へ。   桟切の素朴なあがりのうつわです。   クワイエットハウスさんのシンプルなうつわは 扱いやすくておすすめ。   使うほどにしっとりと育ってくるのも嬉しいですね。   サイトでは2枚セットで販売しております。   気になる方はこの機会にぜひ。        
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ninja-abtmkn · 7 months
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シナモン使ったお菓子が大好きなので朝「キャラメル香るシナモンフィナンシェ」をおやつに買ってウキウキでお昼迎えて食べようとしたら「キャラメル香るシフォンフィナンシェ」の見間違いだったことを知る
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autumnstew · 1 year
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マグロの中落ち100円! はいいんだけど、昔と比べてマスの中が大根千切りになってた。 これは店舗によるの?物価高のせい? 神田店に行くべきか。 #居酒屋 #食べスタグラム #foodstagram #foodiegram #foodie (まぐろんち神楽坂店) https://www.instagram.com/p/CouhSj1vAnZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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aya-ebina · 9 months
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2023/09/03
昨日は通院日だった。前主治医による代診で、わたしの状態は変化ないので、あまり大したことは話さなかった。詩集が出来上がったのかとか、タイトルは何かとか聞かれたので、webに上がっている書影を見せたり、タイトルを答えたりした。前主治医に診てもらっていた5年前に朝日新聞の「あるきだす言葉たち」に載った時、切り抜きを見せたらカルテに貼られたこともある。実物を持って行ったらよかったと思った。
細々した買い物をする。来年は手帳を自宅のカレンダー代わりに使おうと思って、マンスリーでメモページが少ないものを探したら、ロフトではメモページが多かったりマンスリーの1マスの大きさや柄が気に食わなかったりして、ふと入った100円ショップで目的に適うものを見つけた。B6サイズでメモページはほぼなく、1マスが色分けされていて4つ予定が書けて、端にはTO DOリストもある。来年はTO DOリストに依頼原稿の締め切りを書いてみたい。詩集を出したので何か起こるといい。何らかの媒体に詩を書くための営業ってどうやってするのだろう。
それから、長谷川書店水無瀬駅前店まで足を伸ばす。長谷川さんに9/23(土)のイベントのチラシを見せる。MacのPagesで作ってPDFにしたものを、コンビニのプリントサービスでカラー印刷した。そうしたら、カラーのものが何枚かあるといいし、渡せるように白黒で縮小したものがあるといい、となって近くのコンビニへ一緒に行ってプリントサービスとコピーを駆使して作成した。そのあと意外と長い時間おしゃべりをした。イベント前週にまた顔を出すつもり。
昨晩は倒れ込むように21時半頃に眠って、今日は9時近くに起きた。11時頃にタリーズへ行き、ティム・インゴルドの『ラインズ』を読み終えた。インゴルドの言う最終目的地がない「徒歩旅行」を中心にわたしは生きていたいのだけれど、会社員をしているとどうしても目的地の間を効率よく移動する「輸送」中心の生活になってしまうので、今はそのバランスが悪くて少し疲れているのだろうと思った。結びの「面白いことはすべて、道の途中で起こる。あなたがどこにいようと、そこからどこかもっと先に行けるのだから。」はすごくいい言葉だ。面白いことを起こしたいし、面白いことに出会いたい。会社員をしばらく続けるつもりなのだから、「輸送」中心の生活の中に「徒歩旅行」を見出すところから始めよう。
9月とは思えない凄まじい暑さの中、食料品を買って帰宅。スニーカーの靴底から熱が伝わってきて足が辛かった。来週は文学フリマで大荷物を持って移動するから、少しマシになっていてほしい。
ふと思い立って、詩集に関するwebで見つけた感想などのスクリーンショットを印刷してノートに貼った。Twitterのブックマークに入れているものも一度スクリーンショットにして印刷。ノートに貼っておくとパラパラとめくって読める。A5サイズのノートなので、B5用紙で2面割り付けにするとちょうどよい。
まだ15時なので何をしようか考えている。晩ごはんは長ネギ入り麻婆茄子、長芋のお焼き、かぼちゃの煮物の予定。
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shimoda-text · 1 year
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電気羊と野生の身体
われわれの平和と私たちの戦争
 コロナ禍。まるで戦中のように大騒ぎの日本において、私たちは社会のどこかに対して居心地の悪さを感じていたと思う。「平和な日本で、これほどの非常事態が起きようとは予想もしなかった」という人もいただろう。けれども、私たちが感じていた居心地の悪さは〈非常事態〉という出来事のみに起因するものではないという直感も同時にあった。そしてよくよく考えてみると、どうやら私たちの居心地の悪さはその〈平和〉という言葉で表されるようなものにあるのではないだろうか、という発想に至った。  たとえば〈戦争〉という熟語の対義語は〈平和〉ではなく〈講和〉であるという考え方があるそうだ。講和ということを思えば、コロナ禍の前から、東日本大震災の前から、アメリカ同時多発テロ事件の前から、いや、オウム真理教事件や阪神淡路大震災の前から、私たちにとって日本は常に戦争状態であった。ベトナム戦争、湾岸戦争、あるいは今も継続する経済戦争、情報戦争にしても、その最前線への意識が欠如しているというだけで、私たちは常に戦争をしていたのではないだろうか。そのように考えた時、講和のできないウイルスとの戦争やそれに対する社会の混乱を目の当たりにする中で私たちが感じていた居心地の悪さ、つまり〈平和〉という言葉で表されるような何かを、今ようやく別の言葉にすることができそうだ。  直近では東日本大震災での原発事故で、われわれは〈想定外〉の事態が起こるということを痛いほど実感し、それを教訓にしたと思っていた。けれども実態はそうではなかったのかもしれない。われわれは〈想定外〉の事態が起こることを知った、あるいは思い出すことができたけれども、それに対する覚悟はできていなかったのではないだろうか。  たとえば、想定外の事態が起こるということを教訓にしようと思って、想定外の事態について事前に何か対策を講じたとする。しかし対策ができるという時点で、その事態は想定内の事態ということになってしまう。想定外の事態を教訓にして対策をするということは論理的に矛盾を抱えてしまうのである。もし、想定外の事態について何か教訓を得たのだとしたら、それは想定外の事態に対して、何かしらの覚悟を持つということなのではないだろうか。もちろんコロナは恐ろしいウイルスで、またその影響は計り知れないし、最前線で戦う人びとの功績と労苦は察するに余りあるというということに変わりはない。けれども覚悟を持って「なるほど、こういうことになってしまったか」という姿勢で冷静に事態に臨めることは、「想定外の事態が起きてしまった!」とパニックになるよりはるかに健康的だろうと思う。
幸福な機械と快楽的な身体
 想定外の事態が起こることを知っていたにも関わらず、さも「そんなこと知らされていなかった!」というようにパニック然と振る舞ういまのわれわれの社会には、どうしようもなく倒錯があるように思えてしかたがない。  想定外の事態が起こることを知っていたにも関わらず覚悟のできていなかったわれわれは、今に至るまでの現代日本がつくり上げてきた幸福な〈機械〉である。ひたすら想定を繰り返すことで想定外の事態というものを排除し、思考や想像力を閉じることで簡便で安定した幸福を生産してきた。澁澤龍彦(1928〜87年)によって『快楽主義の哲学』(a)が書かれたのは1965年のことだが、この時にはすでに(当時は「レジャー」という言葉でもって)われわれの幸福は規格化され生産/供給されて��た。以来、幸福なわれわれは個々人の身体的快楽を顧みずとも、なんの思考もなしに手に入る幸福を享受してきたのである。  一方、想定外の事態が起こることを知っていて覚悟していた人は、その〈身体〉を捨てずに生活していた人である。規格化された幸福とは距離を置いて、自身個別の快楽と真摯に向き合うその身体は、マス消費社会では規格化できない非効率な異物かもしれない。けれどもそれは原始の肉体と接続する生々しい〈生〉のかたちである。今ここで、「時代」や「私たち」を俯瞰しようというのであれば、まずはこの〈身体〉を取り戻さなければならない。さもなければ、なにか想定外のものを見過ごしてしまうだろう。
電気羊と野生の身体
 ここで、規格化された幸福を効率よく摂取する典型的なわれわれに〈電気羊〉という贈り名を与えてみてはどうだろうか。  「電気羊」とは、フィリップ・K・ディック(Phillip Kindred Dick、1928〜82年)によるSF小説、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(b)に登場する奇妙な造語である。その物語の内容も現代への示唆に富んでいてとても面白いのだけれど、今はその妙に蠱惑的な「電気羊」という造語に着目して想像してみたい。現代のわれわれに〈電気羊〉という贈り名をした時、その〈電気羊〉とは何を意味するだろうか。また〈アンドロイドが見る電気羊の夢〉とはいったいどういうものになるだろうか。  古来、〈羊〉は人に家畜として飼いならされてきた動物である。家畜化の過程でその生存におけるさまざまな可能性を閉じる代わりに、簡便で安定した幸福を享受してきた存在である。野生のヤギのように自由に牧場の外を駆け回ったり、自身の本能に従って生息域を探したりすることはできないが、牧場主にとって利用価値のある限りその生命と食住の保証がなされている。そして〈電気〉は、高度に情報化の進む現代においては、電気信号=コード化された情報を直喩する。この〈羊〉という単語に、この〈電気〉という単語が接続された時、〈電気羊〉という造語は羊がコード化された状態を表す。つまり、〈アンドロイドが見る電気羊の夢〉とは、目を閉じ可能性を閉じることによってもたらされるコード化された効率的な幸福であり、〈電気羊〉は、その目を閉じ可能性を閉じた幸福な機械としてのわれわれを象徴する名となるのである。  またここで〈電気羊〉に対して、野生のヤギのように原始の肉体と接続する身体を〈野生の身体〉と呼ぶことにしよう。われわれは自身を電気羊化することによって、つまり幸福をコード化し、思考や想像力を限定することによって効率的な経済成長を可能にしてきた。電気羊化とは、限定した状況の想定とそれによって安定供給される幸福を生産するシステムであり、経済成長の最盛期に生まれた「一億総中流社会」という言葉に象徴されるように、社会に広く深く浸透したシステムである。しかしヤギのように生きる野生の身体は、それら電気羊化のシステムに参画しようとはしないだろう。野生はその生命を保証されていないゆえに、それらの想定や安定というものを相手にしていても意味がないのである。また、電気羊はその幸福が資本によってコード化されているので資本が不可欠であるが、野生の身体にとって資本と快楽は無関係である。野生の身体は、自身が資本の上で寝たいわけでも資本を食べたいわけでもないことを知っている。コードによらず、目的と手段を生々しく峻別してしまうのが野生の身体である。  野生の身体を持った生き物、たとえば言語を持たない生き物は、目の前の水平面についてそれがテーブルなのかイスなのかというコードを区別することはできないが、そこにある現実や事象を感受して主体的に利用することができる。同じように野生の身体を持った人間は、自身が感受する世界において遠く離れた国の戦争を自身とは無関係と思い込むことはできないし、類似した特徴をもって何かを盲進的に断罪することもできないが、自身と地続きの世界としてその戦争を見ることができるし、個別のものとしてそれぞれの事物を認識することができる。そう、何かコード化されたものによらずにその身体で、あるがままの世界を見てしまうのが野生の身体である。
不可逆な身体
 さて、建築などの文化と感染症を考える上でペストを避けることはできないだろう。ヨーロッパ人口の1/3が命を落としたとも言われる中世ヨーロッパにおけるペストの流行は、当時の経済・社会制度のみならず、文化や思想にも大きな影響を与えたといわれている。後にルネサンスが花開き、思想・哲学方面でもルネ・デカルト(René Descartes、1596〜1650年)に代表される大陸合理論などの近代哲学が芽生えるきっかけとしてペストがあったのは間違いないだろう。  その中世ペストの時代では「メメント・モリ〔memento mori〕」という言葉が流行したそうだ。「死を想え」あるいは「死を忘れるなかれ」という意味のこのラテン語は、もともと古代ローマ軍人が戦勝にあたって、「明日は自分が死ぬ側かもしれない。だからこそ今を楽しもう」という意味で使われていた言葉だという。この「死を想え」という言葉に、まだ野生の身体を持っていた当時の私たちの感覚を感じずにはいられない。古代ローマ軍人が戦争という差し迫った状況で自戒を込めて使ったこの言葉・精神からわれわれは、実質的には常に戦時であるにも関わらず〈平和〉という言葉とともに目を逸らしつづけてきたのではないだろうか。平和であろうとなかろうと、将来の想定も約束もされ得ない世界・時代というのは現代日本でも古代ローマでも同じであるはずなのに。  万物流転・諸行無常のあるがままの現実世界について、かつては深い造詣を持って文化を建て築いていたはずの私たち日本人が、電気羊化を経て、いまや〈不変の社会〉という夢に目を奪われているように思えてならない。「コロナ禍からいつ元の生活に戻れるのだろうか」という時の「戻る」という表現に、この夢の特徴を見ることができる。  身体は常に変化している。一時として同一な身体などというものは存在しない。身体は常に酸化し、老いていく。昨日風邪をひいた身体が今日回復していたとしても、それは以前の身体ではなく昨日風邪を経験した身体であるし、鬱病から脱した精神は元の精神に戻ったのではなく、鬱病とのうまい付き合い方を覚えた新しい精神である。そう、身体は歴史や時代と同様に不可逆なのである。そして、そこに「戻る」という表現を用いることの無意味さを、野生の身体は当然知っているだろう。自身では想定できない世界、前提の変更も不可能な世界、そのようなあるがままで、どうしてもそこにあってしまう現実世界に向き合った時に、野生の身体は「死を想え」と呟いたのではないだろうか。  野生の身体を捨てて、電気羊化することで思考・想像力を限定してきたわれわれ、その報酬に幸福を安定供給されてきたわれわれが、コロナのような想定外の事態に恐慌をきたすのは至極当然だったのかもしれない。電源を落とされて夢を見られなくなった電気羊が、あるいは柵が壊れ幸福の安定供給に支障をきたした牧場主が、自身が生きる延びるために野生の身体を取り戻し、改めてその地勢や風土を見ることができるだろうか。
自己批判しないではいられない
 電気羊化、つまり簡便で安定した幸福の生産システムは、あらゆる文化に適用されてきた。もちろんわれわれの建築文化も例外ではない。卵が先か鶏が先か、経済成長期にはいわゆる持ち家政策によって持ち家が増加するとともに住宅のコード化が進んだ。具体的には、「nLDK」などの間取りシステムや「南面至上主義」に象徴されるように、住環境を削足適履にコード化することで、効率的な住宅の資本化と消費を後押しした。また同時に私たちの生き方の面でも、家族という概念や会社・学校などへの帰属意識の更新とコード化を進めた結果、手頃な安心つまりは幸福を生産することに成功した。そしてそれは「庭付き一戸建て」という言葉の浸透に象徴されるように、建物のあり方にも反映されることになった。このように、住環境や生き方のコード化が行われることで、建築の多くが〈電気羊の夢〉へと変貌していったように思われる。建築の電気羊化は、想定され得る〈不変の社会〉の中で幸福を安定供給することを可能にしたけれども、同時にある問題をはらんでしまったのではないだろうか。それは、嘘も方便とばかりに建築を換骨奪胎し、コード化したことによってどうしようもなく生まれる倒錯である。  たとえば、建築雑誌において「繋がる」「開く」という言葉が流行しだしたのはいつ頃からだろうか。もともと内─外などのない世界に、内─外などの概念を築き建てるのが建築の大意だとすれば、設計者が「繋がる」「開く」という言葉に頼り出した時に、電気羊化した現代建築の倒錯があらわになったように思われてしかたない。そもそも建築という行為は、第一義に〈分断〉を図るものではなかっただろうか。日差しが強く多雨なアジア圏において屋根は天と地を隔てるものであるし、寒さの厳しい北国において壁は人間の生存可能な領域を切り取る所作である。柱についても、延々と広がる地球表面に、ある領域を限定する所作であることは、アジア各地に残る鳥居の類型がよく表している。  さて、野生の身体をもって見る時、建築の第一義を無視して建築を語ったりつくったりすることの自己欺瞞に、どうして気づかないふりをしていられるだろうか。いつの時代も未熟で浅慮なわれわれには、いつも自己批判の機会が与えられている。そして野生の身体は自己批判を無意識にも避けることはできない。自己批判しないではいられないのである。
肯定すべきそこにあってしまうもの
 では、「コロナ時代の私たちと建築」を考えた時にあり得べき建築とはどのようなものだろうか。私たちは今〈想定内〉という牧場の中で生きているにしても、その柵が綻んだ部分から〈想定外〉で自由に振る舞う野生の身体を垣間見ている。電気羊の夢の心地よさを知りつつ、野生の身体の快楽を思い出そうとしている。いまやコード化された幸福を否定する必要もない。野生の身体を取り戻した時、電気羊としてのわれわれと野生の身体としての私たち、それぞれの世界があるがまま見えてくるだろう。たとえばある建物を見たり語ったりつくったりする時に、それがコード化された幸福に基づくものなのか、野生の身体の快楽に基づくものなのかが峻別できるだろうし、私たちが何を幸福として消費するのか、何を快楽として楽しむのかを自覚することができるだろう。前者は電気羊としてコードに則った消費者としての視点であり、後者は野生の身体によって世界を感受する生産者としての視点である。そして、生産者として野生の身体をもって建築する時、その建築は〈広さ〉や〈明るさ〉や〈繋がり〉ではなく、〈狭さ〉や〈暗さ〉や〈分断〉というかたちで現れるのではないだろうか。  また野生の身体を取り戻した時、建築における〈オリジナリティ〉の現れ方も異なってくるだろう。電気羊化した社会におけるオリジナリティとは、おおよそコード内における差別化の手法を指し示す傾向があるように思う。電気羊化した社会では、他のものとは違うという差異そのものが価値となり生産すべき幸福となり得るからだ。けれどもここでふと立ち止まって、そもそもオリジナルとはどういうことだろうと考えはじめると、言語も歴史もそれに基づく文化もすべてが先人からの連歌である私たちにとって完全にオリジナルな創作というのは可能なのだろうか、と途方に暮れたりはしないだろうか。そしてその時〈身体〉のみがオリジナルであることに気づきはしないだろうか。たとえばある人が見て感じるリンゴの赤さと、ある人が見て感じるリンゴの赤さはきっと異なるだろう。またある人が経験してきた世界と、ある人が経験してきた世界はきっと異なるだろう。身体とそれに基づく感受性はとても多様なオリジナリティに溢れているのである。そして同時に、身体とはどうしようもなくそこにあってしまう現実であることにも気づくだろう。先に挙げたデカルトが、未だペスト流行の中にあった17世紀のヨーロッパで唱えた命題、「我思う故に我あり〔Cogito ergo sum〕」を短絡するなら、その身体を肯定することはその世界を肯定することである。どうしようもなくそこにあってしまう世界を肯定し、すでにそこにあってしまう世界をどうやって面白く住みこなすか。世界のありようを肯定する野生の身体で建築がなされる時、そのオリジナリティは生産すべき差異としてではなく、どうしてもそこにあってしまうものとして現れるのではないだろうか。
〈建築家〉はもういない
 最後に建築という行為について、あるコード化された概念の集積を〈電気的建築〉、身体によって要請される概念の創出を〈野生の建築〉と呼び分けてみよう。  電気羊向けの安心で快適な〈電気的建築〉は資本社会が最適化して提供してくれるだろう。いかに太陽光を取り入れるか、いかに限られた面積に効率よく部屋を配置するか、最短の動線はどのようなかたちになるのか、といった最適化のプログラムは資本の蓄積と物量によって高度になりつつある。特に、BIMやパラメトリックデザインなどの技術発展が典型的である。電気羊としてのわれわれを満足させる建築行為は、エンジニアリングとして旧来の建築家以外の技術者が、その物量・情報量・技術的蓄積・最適化のプログラムによって旧来の建築家以上にうまくやってのけることになるだろう。つまり〈電気的建築〉を設計する者の正体は、電気羊の夢を供給する〈技術者〉である。  しかし、電気羊の夢の中にいる限りそのプログラムの前提にある各々の定義や評価軸、用いる変数や定数の設定、それら自体を疑うという作業は難しい。なぜならそれらの作業は野生の身体を持ってなされるものだからである。先に述べたように、効率的に幸福を供給する牧場主としての設計者が建築家である必然性は現代にはないが、もし建築家がオリジナリティをもって〈野生の建築〉を行おうとするのであれば、野生の身体を取り戻すよりない。しかし電気羊化した社会のコードやあるいは定義や公理のようなものを、野生の身体をもって疑い、また世界のあり様を考察する行為は芸術行為そのものではないだろうか。この時〈建築家〉という言葉は自己批判・自己限定されて〈芸術家〉と同義となる。つまり、現代で〈野生の建築〉をする者はもはや〈芸術家〉でしかあり得ないのである。そう、〈建築家〉はもういない。  野生の身体を思い出しつつある〈芸術家〉としての私たちにとって、「コロナ時代の私たちと建築」という関係のみを切迫した問題として見ることはできない。事態はいつの時代も常に切迫しているし、私たちをとりまく世界はいつも、想定外で、不可逆で、どうしようもなくそこにあってしまう現実である。私たちがいつの時代も常に自覚しなければならないのは、われわれが自身に向ける電気羊化の手癖であり、私たちがいつの時代も常に探求しなければならないのは、私たちの野生の身体である。 参考文献 a. 澁澤龍彦『快楽主義の哲学』(光文社、1965年) b. フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(早川書房、1969年)
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orhpee-annex · 1 year
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20230206〜20230210
◆今月末にS君と一年半ぶりに会う予定があるので、西新井のお店を調べたらnibuが閉業していた。
◆喫茶シルビア→nibu→bar高橋はなかなか良いプランだとおもったのに……ふりだしに戻る。
◆存在しない記憶が甦る。学園祭で、クラスでも有名な喜多郁代の隣で飄々とベースを弾くお嬢様然と澄ました名前も知らないあの娘にときめいた記憶……。
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◆……あの娘って誰。そう、それが例えば透明少女。
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◆K君に会った折、耳に揺れるピアスがいいなと思った。穴を開けずに済むピアスがあればいいけどと物色してみても、何だか玩具みたいでつまらない。��れに簡単に遺失しそうだ。
◆二度ほど平日飲酒の機会があり、二度とも飲み過ぎで気分が悪くなった。起き抜けには後悔とかなしい気持ち。
◆それでも、こたにサワーは福祉。
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◆東京は雪。
◆マストドンでディディーコングレーシングの話をした。実は所持ゲームの中でいちばんやり込んだかも知れない。わたしの箱庭ゲーム好きの原体験の一。
◆アドベンチャー2のシルバーコインまで制覇した。流石にシルバーコインの在処に困って攻略本を買った思い出がある。
◆電子レンジが届いた。
◆A・トフラー『第三の波』を読了。1980年代当時の兆候を読み解きつつ、非マス化の時代を先見した書。リモートワーク、個人動画の台頭、新興宗教の隆盛、少数者尊重の多様性の時代についても此処で予見されている。
◆音声指示や動画の常用により、読み書きの能力がかつてほど重視されなくなる予想は成程と思った。例えば文書とは無縁だが機械音声の指示を的確に聞いて実行に移す人々。
◆榎本武揚『シベリア日記』を繙く。樺太千島交換条約締結後だけあって賓客としてもてなされつつの旅路。
◆榎本武揚といえば戊辰戦争時に新政府軍を斥け、北海道に徳川慶喜を迎えて独立政府を樹立しようとした話が好���。その後、敗戦と死を覚悟するものの敵方の大将、黒田清隆が榎本の知性と人柄に惚れ込み、投獄後も死罪のところ助命嘆願に奔走する話も良い。
◆五稜郭の戦いの直前には黒田清隆から榎本武揚へ手紙や食糧や酒が送られている。手紙には「武器と弾薬は足りているか」との心遣い。
◆余談。榎本武揚の息子と黒田清隆の娘は結婚して二人は姻戚関係を結んでいる。
◆今後は日記をTwitterには放流しないかもしれないけれど、適当に更新すると思います。皆さままた会う機会までお元気で。
◆これから散歩に出ます。
以上。ではまた。
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