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#長崎で飲み会しましょう
takeshi-noguchi · 1 year
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長崎駅の海鮮炙り屋いぶき地へ!@ta0416 #長崎駅前 #いぶき地 #長崎グルメ野口剛 #長崎駅前グルメ #長崎駅グルメ #長崎駅居酒屋 #長崎グルメ野口剛 #長崎で飲み会しましょう #長崎で会いましょう #長崎で楽しもう #長崎グルメ #長崎市グルメ #長崎居酒屋 #長崎市居酒屋 #長崎駅前居酒屋 #長崎旅行 #長崎観光 #長崎市観光 #長崎市旅行 #長崎ってなんかいい #nagasaki #nagasakilovers #nagasakiizakaya #nagasakigourmet #izakaya #nagasakigood #長崎 #長崎市 #長崎県 #長崎駅周辺 (長崎駅前) https://www.instagram.com/p/CpxI1TAylu2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tokyomariegold · 2 days
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2023/12/25
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12:30新大阪     御堂筋線なかもず行 12:45心斎橋    長崎堂    ホテル
13:30ホテル 13:35堺筋本町     堺筋線高槻市行 14:09南茨木     大阪モノレール門真市行 14:24万博記念公園     徒歩 14:40国立民族学博物館
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16:25国立民族学博物館 16:42万博記念公園     大阪モノレール 16:44山田駅     阪急千里線天下茶屋行 17:26堺筋本町駅 17:29ホテル
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10:30ホテル 10:41堺筋本町駅     中央線コスモスクエア行 10:53大阪港駅 10:58大阪税関
11:27大阪税関 11:33大阪港駅 11:44本町駅    四つ橋線西梅田行 11:58西梅田 12:01梅田
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大阪に来ています。 体調とか心配事とかが多くて今回は帰るのが楽しみな大阪旅行になってしまった(よくない!)。 行きの新幹線で今日と明日のタイムスケジュールを立てて、そのまま名古屋から新大阪までずーっとうとうとしっぱなしだった(よくない!)。 せっかくの窓側の席を取ったのに。 そして年末のまずまず混雑する車内で、私の隣2席はずっと空席だった。
うとうとしながらあのちゃんのアルバムを聴いて、曲名はわからないけれどとてもポップで良い曲があった。
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新大阪駅から御堂筋線で心斎橋で下車。 地下鉄から大丸とPARCOに直結している!と訳もなく寄り道したくなってしまう。 大丸の前の道は歩道の工事をしていた。 東京もだけれど、大阪も至る所で工事をしていて、思った以上に万博ムードを高めるキャンペーンがされているようだった。
今回のお土産はここで買いたい!あわよくばクリスタルボンボンも…と調べていた長崎堂へ。名前の通りカステラが名物らしく、大阪なのに長崎…と、違う焼き菓子とクリスタルボンボンを購入。 クリスタルボンボン用の紙袋も入れてくれた。
一旦ホテルに荷物を置いて、万博記念公園へ向かう。大阪から1時間もかかるし、めっちゃ広いと聞いていたので予定を立てて疲れてしまいあまり気乗りせずだったけれど行って良かった。 地下鉄から阪急電車に乗り入れている路線で、京都まで行ける。京都・大阪・奈良・神戸などアクセスしやすい関西圏の感じがとても好き。それぞれに文化があって、ちょっと遊びに行ける近さが共存している。
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万博記念公園は若い子がたくさん下りるな〜、意外、と思っていたら、みんなららぽーとに吸い込まれていって今住んでいるアド街ック地獄を思い出した。でも観覧車のある超巨大!ららぽーとの様でバイキングもあった。 そして舞浜駅からディズニーランドの入り口までのペデストリアンデッキみたいな道から太陽の塔がずっといる。 モノレールの駅から高速道路を挟んだ向こう側が公園で太陽の塔がいる。「万博のために交通網が発達したのよ」と関西出身の職員さんが教えてくれた風景だった。
公園の中は人がとても少なくて、ところどころにあるスタンド型の飲食園の感じ(ちょっとおしゃれ風にしたクレープ屋、ベビーカステラ、タンドリーチキンなど)とか、ゴミ箱が大きい感じとか、なんか全然可愛くもおしゃれでも経年したレトロ感でもない、表面的な明るさと侘しさが西武遊園地と似ていた。
(もしかしたらあの時代のテーマパークは、大阪万博をお手本にしているのかも。) イベントスペースのラーメン博は、今日はお休みでただの白いテントの屋根だけが並んでいた。
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そしてお目当ての民俗学博物館はとても良かったです! 建物もメタボリズム的ユーモアと巨大なスケール感。大阪の友人が教えてくれた様に、とっても展示がたくさんあったので駆け足で鑑賞。いろんな民族の衣食住、ハレとケ、音楽、教育をみることができる。アーカイブの対象や展示方法が楽しい。 スイカの種とかカレンダーとかあらゆるパンとかさまざまな用途のカゴやパンの焼印など。 友人にポストカードを送ろうと物販コーナーへ。 オリジナルグッズに後ろ髪引かれつつタイ族のポストカードを購入。
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そのままサクサクと太陽の塔と月とお祭り広場を眺めつつホテルへ戻った。博物館はまた行こう。
“名建築で昼食を”と“わたしの一番最悪な友達”のロケ地の建物が近くにあり、お散歩がてら行ってみる。生駒ビルディングと青山ビル(市川実日子のクリーニング屋さん)と綿業会館。途中、川のほとりでイルミネーションが開催されていて、BGMにももクロのサンタさんが流れて楽しくなって写真を撮った。知らない街だから夜もフラフラ歩けてしまう。(だからやっぱり住んだりしない方が良いのかな。)
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コンビニを梯子して食事を用意してホテルでこれを買いています。明日無事帰れて、なるべく健康でいられます様に。 12階のホテルの窓が開けられず息苦しい。 大阪でも月ばかり撮ってしまった。
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ichinichi-okure · 4 months
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2024.1.6sat_tokyo
鳥の声で目が覚めた。ちゅんちゅんちゅん。こんな朝の起き方理想的すぎないかと思うのだが、朝、雀がめっちゃ庭に来る。ちゅんちゅんちゅん。
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と言っても今は10時、正月の名残ということで昨日はわざと目覚ましをかけずに寝た。わざとじゃなく1月3日は目覚ましをかけ忘れて、新年最初のイベントには遅刻した。
昨日も朝から稼働した担当イベントの後に23時までコワーキングのラウンジでご飯も食べずに仕事した。えらい。帰ってから夜中に能登のニュースをずっと見てしまったので眠い。昨日は好きな人たちとたくさん話したし、地味に疲れて本当に体が動かないので、2度寝する。 11時にむくっと起きる。昨日水につけておいた小豆を炊く。大きい小豆のお汁粉大好き。いつも一応ちゃんと飾るお飾りも鏡餅も、なんだか気持ちが乗らなくてできなかったので、鏡餅用に買った餅を飾らないまま焼く。切り込みも入れたのに、ちくびみたいなお餅が焼けてしまった。おもろいな〜。
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来週は甲府にも行くし(楽しみにしてた天然ラジウム増富温泉・不楼閣にいく!)、夜もずっと予定があるので、今日明日はいろんな仕事を終わらせておきたいので頑張る。
15時、また動けなくなって地面に横になる。布団は危険だからだめ。こんな日は結構珍しいのだが、頭が考えることでパンクしてるのも影響してる気がする。無理すぎる。目を瞑る。考えることがたくさんある。GAZAのこと、戦争のこと、能登半島のこと、自分のこと、家族のこと、仕事のこと、近い未来のこと。
こういう時は音楽も、映画も、色々を見るのがキャパオーバーで難しくなる。なので家で作業する時はずっと無音。だけど、写真だけはみたい気がしていて、写美で始まったホンマタカシさんと、 松蔭美術館の牛腸茂雄さんや瀧口修造さんの展示は見逃さずに行きたいとぼんやり思う。
身体は地面に垂直のまま、石川県輪島市の知人である漆工の桐本滉平くんのインスタのストーリーをチェックする。今回の地震で、代々守られてきた、明治時代に工房として建てられた自宅が全壊全焼したと投稿していた。リアルな景色に目を覆いたくなるけれど、ニュースでは得られない、桐本くんのまさに今を切り取っている投稿を見ながら、今できることを考える。といっても寄付くらいしかできないのかもしれない。でも、こうやって遠くでも想うことができること、情報が共有できる時代というのは、本当に希望も多くある。 桐本くんは元旦から今もずっと、輪島の未来や、会ったことのない誰かを救うために、全力で動いていて、避難所のこと、道のこと、今この瞬間のみんなが必要な情報をSNSで発信し続けている。きっと本当に多くの人がこの投稿に助けられている。
私の1/1の16時6分は、埼玉のおばあちゃんちで10数人の親戚一同で集まっている時だった。お寿司を食べて、ビンゴ大会の手前でこの地震が起きた。まずはじめに私の携帯が聞きたくない大きな音で鳴った。その30秒後くらいにみんなの携帯が鳴って、すぐ地震が起きた。自分の携帯にはYahooの災害アプリが入っていて、画面には36秒後に地震が起きますと書いてあった。たった30秒だけれど、みんなの携帯とは30秒の差があったのだった。親の携帯にもアプリを入れなければ。そのままテレビをつけて、地震の情報を流しながらみんなで過ごした。私はXを見ながら地震や津波の情報を集めまくる。石川県には大事な友達たちもいる。途中お母さんが、血圧が高めで眩暈がすると横になりに寝室に行ったが、私は変わらず画面に張り付けになっていて、横にいたいとこの旦那のわたるくんが「ニュースも気になるけど僕は寝室の方が心配だよ」と言ってくれて、まさに…と思って、寝室に様子を見に行った。気持ちを落ち着かせながらその場にはいたけれど、帰る前に寝てた身体を起こして、お母さんから渡された”幸せが訪れますように”と書かれた封筒には3万円とビール券が入っていて、北の国からの泥だらけの1万円札くらい使えねえよ…………………………。とか考えながら、帰宅する電車の中でいろんな気持ちになり小さくバレないように泣いてしまった。
地震のSNSのこと。尊敬する、信頼する人たちからの情報はなるべく信じたい。そうなのだけど、発信をすることについて、映画監督の枝さんが信憑性の話をしていて、シェアができない、というようなことをSNSに綴っていた。良心を騙すような、いろんな詐欺も起きていて、ちゃんと調べてから行動したいと思いつつ、今は瞬発力なのではと思ったり、寒い季節がやってくるよなあと、頭がごちゃごちゃする。寄付について考えているとき、わざわざの平田はる香さんが「被災地に感情移入しすぎて普段の生活を失わないように。寄付はできる範囲で継続的に。1万円を一回より千円を10回百円10回でも。長期間にわたって支援しよう」と書いていて、まさにそう、1回で満足しないで、何度でも、と頷いたり。でも、自分の暮らしもちゃんとしなくちゃとか、ぐるぐるする。
ガバッと起きて、下北沢ボーナストラックに向かう。自転車で10分ちょっと。ギャラリースペースではカレンダーマーケットが開催中で、友達や自分がお誘いした出店者さんがいるので、挨拶をしに。到着してすぐにミヤジが良いカレンダーを案内してくれておもろい。ビール飲んで、ゲラゲラしながら、出店中のヤマグチナナコちゃんと、SAITOEさんに阿部龍一ブースの良さを発表して満足する。阿部の作品や思考は本当に素晴らしい。
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同施設内にあるキッチンスペースでは、今日は養生家の鈴ことさなえさんと、mizudoriのまみさんが出店していて、場所を管理しているりさPが、紹介したいと言って連れて行ってくれた。以前山梨の0-siteで開催されたイベントで、ちまきとホットワインを購入したことがあって、さらに昨年末にeatrip soilで開催のイベントでも見かけて気づいてくれていたらしく、その話もしつつ嬉しい再開。美味しい白味噌の雑煮と、出汁割り、おこぼれで微発泡の日本酒、出汁もご馳走になる。残り福。身体にあったお出汁や日本酒のことをお話しして、一息つく。ほっとする。今年一緒に何かやりたいな〜とお話する。嬉しい。
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続けてラウンジで残って仕事をしようと思ったけど、真っ直ぐ帰宅する。帰り道、怒鳴りながら自転車を漕いでる人がいて、「こわ〜」と思いながら、私が動線を塞いだようになった瞬間に(絶対に悪くない)罵倒されてしまったが、心を無にして道を変えたら、矛先がなくなったからか、さらに大きな声で背中越しにまた罵倒された。さらに無になって大きく深呼吸して、「あの人にもあの人なりの理由があるのだ」とほんの少しだけ思考して、記憶装置から抹消した。毎日いろんな人がいろんなことを抱えて生きてる。
さっきお雑煮食べたので、夕飯は野菜だけのサラダにする。菜の花が美味しいよ〜。そのまま残った仕事をしながら、明日も担当のイベントがあるので早く寝なくちゃとお風呂に入ろうと思ったところ、建築集団 々の野崎将太さんが、インスタライブをしていたので開く。実際に野崎さんは地震が起きてすぐに被災地に向かっていて、現地で簡易トイレを作ったり、生のその日の様子をレポートしつつ、今何をするべきなのかを投稿に残していた。野崎さんとは1回しか会ったことがないけど、仲の良い友人たちが信頼している人で、場作りも含めて作る建築は本当にかっこいいなあと思う。人としても。今回はあやおさんという実際に被災をした方と話す機会を設けていて、報道やSNSで流れていることと、実際に体感したことの違いや、これから起こりえること、今実際に起きていることなどを話していた。現状、今は被災した家に侵入する盗難が多発しているらしく、家を守るために車中泊して見張っている人も多くいるという。被災地が渋滞になるから、ボランティアに来ないでくださいという投稿もよく見るけれど、実際緊急物資などは、一般の人が通れない大きな道を使っているので、現状実際には関係ないこと、スカスカの道もあること、言ってるようにすごく渋滞している道もあること、だけどそれは明日にはわからないこと、被災地には本当に若者がいないことなどを丁寧に話してくれた。これから雪深くなり、外に出れていた人が避難所の中だけで過ごすようになることでのストレスのことなど、本当に今起きていることを話してくれていた。
あと、桐本くんが、地震直後、楽天モバイルだけが使えたことや楽天のキャリアが一番先に避難所に到着して救われたことを書いていて、忘れないようにしようとか。災害メモ作らなきゃとか。色々また巡ってしまい整理する。野崎さんは、阪神淡路大震災の時の経験が、今回の行動にもつながっているというようなことを話していた。身近な友達のアグネスも阪神淡路を経験していて、出かけるときはコンセントを全て抜くと話していた。私は3.11の時も京都に住んでいたので、大きな地震は経験したことがない。
お風呂に入った後に、GAZAのことを発信してくれている波田野州平くんのストーリーもチェックする。自分じゃ拾えない情報を集めてくれて、ずっと発信してくれている。戦争も本当にやだよ。自分にできることも考えるけど、もうちょっと勉強をすることもしなくては。自分は無知すぎる。 (そういえば1/13-19まで下高井戸シネマで2019年作の「ガザ 素顔の日常」という映画が上映される!見なければ)
お正月に起きたいろんなこと、秋から続く悲しい出来事、全部ぜんぶ終わりますように。願うし、動きたいし、できること考えたい。でも、まずは自分が悲しくなって倒れないように、心のケアもしつつ。メディアからも距離をとることをちゃんとして、一人で考えないで、隣の誰かと話すこと。会話して安心すること、みんなが考えてることを知ること。何もできなくてもちゃんと想ってるだけでもいいと思う。あとテンション上がりすぎないように、ちょっと落ち着くこと。余裕が無くならないように、自分のことも考えること。深刻になりすぎないように日常を過ごすこと。この日記も、そういう安心の場になるといいなといつも思う。日常をみんなに綴ってもらえるというかけがえのないこと、を、続けたいです。
元旦から文章にしたくて、自分の番じゃないけど日記を書いてしまいました。こんなことを考えながら、1m以上ある立派な泥ごぼうを夜中に炊き、ホクホクのごぼうができたよ。うまいです。幸せ。明日は楽しみにしてる新年会もあるのです。みんなに会えるの嬉しい。おやすみなさい。
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-プロフィール- 鷹取愛 東京 山ト波
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efnui · 4 months
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20231231
2023年、あまり記憶がない。記録や写真を見たらああそうやったなとは思うけど、自力で思い出そうとすると何してたっけな……と。できる限り自力で月毎に振り返ってみる。
●1月:年末年始は岩手。追いかけていた大阪の案件がやっと契約。成長。
●2月:神戸の案件を引き続きやってた。失注したけど。やっと少しだけ暇になって資格勉強をしてた。
●3月:資格試験受けた。沼津に小旅行。下旬からまた仕事が忙しい。
●4月:引き続き仕事が忙しい。役所の書類仕事に追われる。GWに帰阪。
●5月:この1ヶ月は本当に仕事を辞めたくなるくらい忙しかったし報われなさを感じてた。頑張って何の意味があるんと思いながら頑張ってた。
●6月:5月に頑張ってた福岡の案件が実った。この時点で今年度の目標達成。自信が更についたと共に周囲に怒りを覚えていた。少し傲慢にもなった。
●7月:忙しさを振り切って台北旅行。暑かったけど楽しかった。年一回は海外行きたいな。刺激を受ける。
●8月:何してたっけ……。夏休みは大阪に帰った。サマソニにも行った。あと誕生日。おいしいイタリアンをご馳走になった。
●9月:初めて自分が契約した案件が完工。一人前になれた気がした。出張が多かった。客ともバトった。疲労。
●10月:前半忙しかった。ちょっとずつ暇になったような気がする。
●11月:ややゆとりが出てきた。ペルシア語を読んだり、展示を見に行ったりができた。初めて外語祭にも行けて満足。
●12月:年末挨拶で出張も飲み会も多かった。謎の体調不良。異動が確定する。
え、なんかやっぱり忙しかったな。私より大変な人が居るのはわか���てるが上を見てもキリない。私のキャパシティから考えて忙しかった。人間のことが何回も嫌いになった。笑
一応2023年の目標を立てていたので振り返りたいと思う。下記が1月頃にしていた私のツイート。
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仕事量は減る方向に持っていけてると思う。後進のために業務マニュアルも作り始めた。本の感想は一部だけになるけど、ある程度の長文で記録することができた。継続したいな。資格はひとつだけ、受験資格期限がギリギリのやつがあって勉強して合格した。ペルシア語もいちいちカウントはしてなかったけど読めてた方かな。適度に無関心でいられたかは微妙。ホットヨガ最近行けてない……行きます。
2023年の読んでよかった本も挙げておきたい。語学系の2冊は本当にモチベーションが上がったし読み物としても非常に面白かった。
種田輝豊『20ヵ国語ペラペラ』
山崎ナオコーラ『ベランダ園芸で考えたこと』
長澤信子『台所から北京が見える』
村田沙耶香『殺人出産』
市川沙央『ハンチバック』
実はTumblrの更新をもう辞めようと思ってる。使いづらくなってきてしまった。自分でアーカイブは残して良いタイミングになったら記事も消すつもり。2024年からはnoteで更新する。もし読んでくれている人がまだ居たらこちら(https://note.com/iunfe)を覗いてみてください。読んでる人おるかな? たまに「読んでるよ」と言われることがあるので、一応……。Tumblrには浪人生を終える頃からお世話になったので約10年使ってたんかな。Tumblr、本当にありがとう! また戻ってくることがあればそのときはよろしくね。
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ryotarox · 1 year
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山下達郎 2万字インタビュー #1
(2ページ目)「ものすごくアバンギャルドなジャズ、下敷きをガリガリやってるような演奏が…」山下達郎が現在でも愛聴する名盤とは? | 文春オンライン
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——達郎さんの世代は、いまだ“現役”の音楽家が多いですよね。日本のポピュラーミュージックを牽引してきた“戦友”は数多いと思いますが、同世代で「友人」と呼べる存在を挙げるとすると。
山下 「坂本(龍一)くんかな。彼がYMOのメンバーになる前、70年代半ばから2年半ほど、それこそ毎日のように会っていた時期がありました。数年前、久しぶりにゆっくり話す機会があったんですが、距離感はまったく同じだった」
初対面からウマが合った
——『戦場のメリークリスマス』に出演。音楽も担当して以来、“世界のサカモト”と呼ばれて久しい存在ですよね。今となっては、ちょっと意外な人脈とも思えますが。
山下 「初めて会ったのは1974年頃。福生にあった大瀧詠一さんのスタジオでのリハーサルでした。それまで面識はなかったんですが、坂本君は新宿高校、僕は竹早高校で、同時期に高校紛争を経験しているんです。年齢的には坂本君が1級上。僕が高校をサボって、茗荷谷の喫茶店のテレビで三島(由紀夫)自決の臨時ニュースを観ていた1年前、坂本君は学校で3人だけだった某マイナー新左翼のメンバーとして、長髪・下駄ばきで校内を闊歩してたそうです。ちなみにあとの2人は、後年衆議院議員になった塩崎恭久さんと、『アクション・カメラ術』で有名になった馬場憲治さん。
 そういう背景もあって、坂本君とは初対面からウマが合った。新宿のゴールデン街の飲み屋で、彼が東京藝大で専攻していた現代音楽について、クセナキスがどうしたメシアンがどうしたと、酔っぱらいながら客と論議を戦わせているのを眺めたり、行きつけのライブハウスの酒を一緒になって飲み尽くしたり(笑)。
 彼が学んだフランス近代音楽についても、いろいろ教えてもらいました。僕の7歳上の従姉が藝大のピアノ科出身でね。仙台在住で、高校時代に泊りに行った時、(ヴァルター・)ギーゼキングが弾くドビュッシーのレコードを聞かせてもらってた。坂本くんと出会ったのはそれから5年後くらいだけど、“だったらこれもいいよ”と薦めてくれたのが、ラヴェルの『序奏とアレグロ』。同じラヴェルの『ダフニスとクロエ』ならブーレーズの指揮が一番いいとか。年齢は坂本くんが1歳上で、学年もひとつ上。ちょっと変わったやつだけど、高校で隣の席に座っててもおかしくないような、共通するメンタリティがあった」
言葉のキャッチボールは人間関係における“生命”
——やはりどこかに都立高校の匂いが。
山下 「そうですね。でも、坂本くんはちょっと特別だね。あの人とは特別相性がよかった」
——その特別な感じについてもう少し。
山下 「すごく生意気な言い方をさせてもらうと、知的なレベル。知性のコール・アンド・レスポンスがスムーズだった。こちらが提示したものに対する反応。逆もまた真ですけど、言葉のキャッチボールというのが人間関係における“生命”だと思うので。大瀧さんもそうだった。それがないと、長いつきあいってできないんです。こないだ食ったメシの話とか、どこそこの店がうまいとか、そういうことじゃない。
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petapeta · 10 months
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 さあ、今度は「オランダ人による洋食伝来」が始まると思いきや、出島に引っ越して来たオランダ人もポルトガル人同様に「隔離」されてしまいました。「布教しない」と約束したにもかかわらず、幕府は出島からの外出を許さなかったのです。町中で一緒に生活することで「一般の人たち」に広く伝わった洋食は、今度は出島に入る事ができた「少数の関係者」だけに伝わる限定的なものになりました。  オランダ人たちの食事を垣間見ることができる「少数の関係者」とは、どういう人たちでしょうか。まずは長崎奉行所の「役人」、通訳係の「通詞」、人の出入りを監理していた「乙名(おとな)」、丸山の「遊女」、見学に来た「大名」や「知識人」も出入りしました。こうして見聞されたオランダ人の「洋食」は、見聞録などの「書籍」になって出版、世に知らされます。平賀源内の門人で蘭学者の森島中(ちゅう)良(りょう)は、著書『紅毛雑話』の中で、大槻(おおつき)玄沢(げんたく)が天明5年の「オランダ正月」に参加した時の献立について記録しています。オランダ正月とは、オランダ人が太陽暦の1月1日(旧暦ではだいだい12月上旬)を祝う行事で、日頃世話になっている日本人関係者を招待した「ニューイヤー・パーティー」です。スープからデザート菓子まで19種類もの豪華メニューで、それぞれの料理の材料まで明記されていました。中でも肉料理は多く、「牛」「鹿」「猪」「鶏」を煮たり焼いたり8種類もありました。玄沢は、江戸に戻って蘭学研究者の集い「新元会」を発足、元旦に召集し「オランダ��月」を再現しています。これが江戸における洋食の先駆けになりました。 "薬"だったらOK!  ところで、オランダ正月には、面白い習わしがありました。食事がはじまって、まず一同がスープを飲み始めます。ここまでは普通です。問題はその後。以降のメニューには一口、二口「味見をする程度」で丸々食べ残します。するとタイミングよく「一枚の皿」が用意され、各料理が詰め込まれます。西洋料理でいっぱいになった皿には「宛先」が記された紙が貼られて、家族や知人に届けられるのです。届いた料理はどうなったのでしょう。もちろん食されるのですが、「食事」としてではなく「薬」としてでした。出島の商館医だったツンベリーは『日本旅行記』に次のように書いています。 「日本人は肉、バター或は塩で加工された食品は普通食べないのであるが、このような品は或る病の治療薬として貯えておくのだそうである。例えば塩バターの団子をつくって、これを肺病の薬として毎日飲むのである」  キリスト教的だということで、牛肉を食する事が禁止されたことは先述しました。にもかかわらず、出島ではオランダ人も日本人も躊躇なく牛肉を食していたのはなぜでしょう。まずオランダ人に関しては、古くからの習慣ということで、牛肉を食べる事は許されました。日本人に関しては、まだ禁止中だったのですが「抜け道」があったのです。それが「薬喰(ぐ)い」という方法。病人の「体力回復」「養生」のために「薬」として肉を食べるのです。すでに飛鳥・奈良時代から「薬猟(くすりがり)」は行われており、特に江戸期には薬喰いが盛んでした。仏教に帰依した「貴族」「大名」も、���かと理由をつけて肉食を楽しんでいたのです。動物の種類としては主に「猪」と「鹿」でした。確かに猪を表す「牡丹」は、俳句の冬の季語にもなっています。牡丹鍋といえば「味噌」と「醤油」での味付けが一般的。この調理方法が、後の「牛鍋」のルーツになるのです。
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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kennak · 7 months
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18日、近畿大学の会見で、剣道部の21歳の男子大学生が、今月5日に同じ剣道部の仲間に暴行を加えけがをさせたとして、逮捕されたことが分かりました。 暴行を受けた男子部員は、くも膜下出血で病院に運ばれましたが、16日に死亡しました。 名門「近大剣道部」で、一体何があったのか。 傷害の疑いで逮捕された21歳大学生の祖父が、「めざまし8」に思いを語りました。 酔った末のふざけあいが“けんか”に発展 事件のあった近畿大学剣道部は、70年の歴史を誇る関西の強豪。 今年4月の学生剣道の関西大会では、男女ともに近畿大学の部員が優勝。今年9月の大会でも、男子が団体優勝を果たすなど、輝かしい実績を残しています。 事件以降、剣道部は活動を自粛しており、11月に行われる全日本大会への出場を辞退しました。 発端は、今月5日。剣道部の3年生3人と2年生3人の6人が開いた飲み会です。 そこには、19歳2人も含まれていたといいます。 近畿大学スポーツ振興センター 石崎重之 事務長: 1時15分ごろ、A(被害者)と他の部員が嘔吐したため6名全員で退店。 1時30分ごろ、6名で帰宅中、A(被害者)とB(容疑者)のふざけあいがエスカレートし、けんかのような状態になる。 近畿大学スポーツ振興センター 石崎重之 事務長: A(被害者)がB(容疑者)を平手打ちした。するとB(容疑者)が怒った様子でA(被害者)を追いかけ、A(被害者)をはたいたか、押したかして、A(被害者)が自転車の方に倒れた。 被害者の部員は、近くに置いてあった自転車に倒れ込んだまま動かなくなり、救急車で搬送されたといいます。 その後、救急車で運ばれた被害者は、意識不明のまま16日に亡くなりました。暴行と死亡の因果関係はわかっていません。 傷害の疑いで逮捕された部員は、少なくとも生ビ��ル2杯、グラスワインを3~4杯、さらに日本酒をおちょこで4~5杯飲んでおり、事件当時は酔った状態だったとみられています。 「一番仲の良い」逮捕された部員の祖父語る2人の関係 部員同士の飲み会の後、なぜ、事件が起きてしまったのか。「めざまし8」は、逮捕された部員の祖父を独自取材しました。 逮捕された剣道部員の祖父: 急なことでびっくりしたんだけども、おとといですか、亡くなられた言うてね。本当に一番仲が良かったらしいんですよ。 しょっちゅう部屋にご飯食べに来て、食べたり、飲んだりしとったらしいんですけど、一番仲いいのにそんなことになって。 被害者と、加害者の2人は「一番仲の良い友人」だったと話す祖父。 ――本人の様子は聞いていますか? 逮捕された剣道部員の祖父: おととい亡くなられたということを聞いて、それからずっと泣いている。一番、大学入ってから仲良くしていた子だったので…。 ――どんなお孫さんでしたか? 3歳か4歳くらいから剣道ずっとやっとったんでね。剣道しか知らんような子でね。 人に結構慕われてというか、好かれるような人間なんですけども。まさかそんなことあるとは私も思わなかったです。そんなする子でないと思う…やっぱり酒ですね。 突然の孫の逮捕に戸惑いながらも、祖父は最後にこう語りました。 逮捕された剣道部員の祖父: こんなことになったんだからね。罪を償う、それしかないですよね。人生を棒に振るようなあれになるかもしれないけど。それしかないでしょ。 ほんまにね、こんなことなって、相手の方には本当に申し訳ない。 (めざまし8 10月19日放送)
【独自】近大剣道部員が死亡 傷害で逮捕された部員の祖父語る2人の関係性「ずっと泣いている…一番仲のいい友人」
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spring-is-yours · 7 months
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Tooooold?
ちょっと前まで8月終わる!!!やばいーー!!!!終わるぞー!ってやってたのにもう9月も終わりらしい、そんなことも気づかないくらい、夏の終わりの疾風の如きスピードで日々を疾走していたらスピードの上がりすぎて風邪をひいた。疲れすぎて先輩とやじまとの飲みを早退し、15時間くらい寝て、この街にはすぐに頼れる人は少ないので深夜にポカリを買いに行った、もうすっかり夜は秋で長袖を着てきてよかった、高崎を住んで2年になっても、まだ部屋を出るたびに毎回違う景色みたいに感じる。最近はこんな極貧生活するなら高崎に住んでる意味がねーんじゃねーかと悩んでる。もう一緒にいる理由がないけど別れる理由もないからズルズル一緒にいる彼女的な。ふーむ。ポカリ、水色のやつはちょっと甘くないんすね。日々へいこら勉強中!
風邪をひくのも無理ないくらいありえないことばっかりだった。音楽を聴くためだけに、群馬とかいう田舎に10000人以上集めた先輩達のライブを見た。Gの茂木さんは父親の居なかったおれにとって、唯一父親感を感じる存在かもしれない、終演後、茂木さんはおれを見つけて楽しかったな〜ソラト!って頭をくしゃっとやった、父親すぎだし、あんだけのステージを終えて後輩に言う一言がそれなの、バンドマンとしてカッコ良すぎる。シンスケさんは遊んでくれるお兄ちゃんって感じなのにロックスターすぎるし、群馬でバンドやれて幸せだと思った。ヘイスミ猪狩さんはどっしりしててカッコよく楽しい人だった、10-FEETタクマさんは優しくゆっくりとでも確かに力強い人だった。この日に貰った言葉達は大事にしたすぎるから教えてあげない!茂木さんもシンスケさんも群馬で大きいことをやってる、彼らはやった、おれは?おれらは?さーどーーやってひっくり返してやるかねーーー首洗っといて❤️
山人音楽祭の期間唯一家で寝た1日目、高崎は多分今年度初めてガッツリ秋で、なんならちょっと半袖だと寒かった。眠れなかったのでいつものさびれすぎた商店街を散歩した、目の前で歩くカップルの彼女が寒いっと言って彼氏にくっついたのを見て、8リットルくらい泣いてしまった、そして、いつか大きなことをするなら、何があってもこの街でやろうと思った。例えすぐ頼れる人なんていなくとも。例えここにいる理由がなくても。そん時はあの野良猫達にも今日見たカップルにもあんな感じだった当時のあの人とおれにも、これを見てるきみも会えたらいいねーーーーー✌️一緒にいる意���がないなら作ればいいなんて簡単なこと、どーしてあの時のおれは気づかなかったんだろーーー?
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kconasu · 1 year
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劇団O.Z.E「72′ライダー」
2023年/日本/カラー/95分
 沖縄の劇団O.Z.Eの「72'ライダー」というお芝居の評判の良さは聞くんだけど、なかなか沖縄まで行くのも大変だし、DVDとかで見られないものかな?と思っていたところ、東京のUPLINK吉祥寺で一回限りの上映会があるというので遠征して見に行ってきました。
 沖縄本土復帰の翌年、1973年5月20日に国会議事堂の鉄柵に激突して無くなった実在の上原安隆さんがもし今も生きていたら?というifに基づいて描かれています。
 復帰50年の式典を迎えようとしている2022年。「復帰っ子」と呼ばれる安隆の同級生達が同窓会を開いていた。しかし寡黙で人付き合いも上手くない安隆は同窓会に参加せず、自ら経営するバイクショップで古いカワサキの大型バイクを黙々と修理している。やがてバイクショップに二次会をパスした男友達がやってくる。県庁勤務の哲也と米軍基地勤務の長一だ。やがて妙子・みえ・明日香も加わり二次会が行われる。しかし皆がビールを飲むなか、安隆は参加するような、しないような感じでノンアルコールビールを飲んでバイクを修理し続けるのであった。
 やがて安隆の過去がインサートされる。米軍基地を残したまま日本に返還されることに不完全な返還だと憤る姿。コザ騒動(暴動)で逮捕される姿。そして神奈川県川崎市でトラック運転手として働くが本土の沖縄に対する無理解に孤立する姿。
 やがてバイクの修理が終わり乗り込む安隆。その向かう先は…というお話でした。
 いやー、面白かったです!95分、エンドロールがあるから実質94分くらいかな?お芝居としては短めなんだけど2時間分あるくらいの物語の重厚感を感じました。といっても重たい話ばかりでもなく、前半の哲也と長一の漫才のようなやりとりはかなり面白く、面白い中でも「復帰っ子」世代の沖縄史の「あるある」を語っていき、無口な安隆の代わりに彼と「復帰っ子」達の背景をさりげなく説明していく構成は流石の作りでした。
 主人公の安隆は無口の上にずっと同じポジションに居続けるため実は物語への盛り上がりには大きくは関与しないんです。哲也と長一、女性陣達のやりとりで場を持たせつつ後半から安隆のキャラや背景がしっかりしてきたところで勝負、という感じかな。こうやって振り返って見ると「RRR(2022年)」の進め方に似ているし、「RRR」が影響を受けたというチェ・ゲバラの青年期を描いた「モーターサイクル・ダイアリーズ(2004年)」にも通じるものがあると思います。まぁ、安隆は「RRR」みたいに踊らないし、肩車ガンアクションもしませんけどね(笑)。でもそれに相当するのが修理が終わったカワサキのバイクのリアルな爆音なのかも。
 このお芝居の事を知ったのは沖縄のRBCiラジオで出演者の誰かがゲストで来ていて、この公演の2022年の時の告知をしていたからだと記憶しているのですが、それだけ評判だったのに東京や大阪公演が出来ないのはなんでだろう?と思っていたんですが、見て納得。実際に動くスクーター一台に、カワサキのバイク一台、そしてバイクショップという設定のため他のバイクがおそらく3台(多分これらは動かない)あったのでバイクを含めたセットを県外に持っていくのにお金がかかるし、さらにエンジンを吹かすために使える劇場(換気・奥行き等々)が限られると思うので県外公演をするのにはかなりハードルは高いと感じました。ただ、作・演出の真栄平仁さんによるこの上映会後のアフタートークによると「何時か県外公演をやりたい。」と言っていたので期待して待ちましょう。
 今作品はうちなーぐち(沖縄方言)で演じられる作品の為、今回の東京上映は標準語の字幕付きでした。おかげでうちなーぐちを解らない僕でもすべての台詞を追いかける事が出来ました。と言っても標準語も混ぜつつなので舞台で見たとしてもストーリー全体はなんとなく追えたと思います。
 余談ですが、作演出の真栄平仁さんはラジオ沖縄で「ティーサージ・パラダイス」という番組を平日昼間にやっており、今回の上映会は東京リスナー達が集まる会という側面もあったようでアフタートークでの熱気は凄いモノがありました。ラジオ聞いていなくて、お芝居の評判だけでふらっと行った僕が一番薄いお客さんだったかも(苦笑)。
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takeshi-noguchi · 1 year
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長崎駅前のディープな居酒屋 焼鳥里芋浩太郎!@ta0416 4人テーブル2席 カウンター8席の街居酒屋😆焼鳥がうまい! #焼鳥里芋浩太郎 #里芋浩太郎 #長崎駅前居酒屋 #長崎居酒屋 #長崎市居酒屋 #長崎で飲み会しましょう #長崎を楽しもう #長崎駅前で飲みましょう #長崎ってなんかいい #長崎グルメ野口剛 #Googleローカルガイドレベル10野口剛 #Googleローカルガイド野口剛 #長崎街居酒屋 #街居酒屋 #長崎焼鳥 #長崎市焼鳥 #nagasakiizakaya #nagasakigourmet #nagasakigram #nagasakigood #長崎呑兵衛 #長崎飲み #長崎観光 #長崎旅行 #長崎で会いましょう #長崎で #長崎駅 #長崎駅前グルメ #長崎駅前 #長崎で楽しもう (焼鳥里芋浩太郎) https://www.instagram.com/p/CpoVr7CSyeL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tanakadntt · 1 year
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旧東隊の小説(二次創作)
ホッケえいひれ揚げ出し豆腐
一月か二月の頃だった。
トリオン測定ですごい数値を叩き出した新人が二人も入るそうだというのが、その夜の話題だった。出水公平と天羽月彦のことだ。
新生ボーダーが動き出して一年半になる。『旧』ボーダーという言葉が定着するほどに、時は勢いを増して流れていく。その間に、一番仕事をしたのは開発室室長の鬼怒田本吉だった。
まず、彼は異世界に通じる門の発生ポイントを特定できるようにした。次に門の発生を抑えるトリオン障壁を一時的ではあるが生成に成功、最後に門発生ポイントを誘導する装置が開発され、三門市の安心を約束する三点セットがわずか一年で出来上がる。元々の研究分野の応用とはいえ驚嘆に値する開発速度だった。
こうして、急務だった門発生のコントロールに成功した後は研究途中で放置されていた擬似トリオン訓練室の完成、隊員増加を見越してランク戦で使う対戦ブースと八面六臂の活躍である。
短期間でこれだけのことをやってのけた彼及び彼のチームは、城戸政宗司令がどこからか連れてきた逸材だった。三門市にやってきた時には一緒だった家族とは離婚している。仕事に打ち込みすぎたせいだと専らの噂だった。
開発室以外も働いた。門がコントロールできるまではいつどこで出現するかわからない。国の機関に代わって街を守るボーダー隊員たちは昼夜を問わずパトロールを行い、近界民と戦った。
三門市民は最初、胡乱な目で彼らを見ていたが、公的機関と連携した規律ある行動に徐々にボーダーの存在は受け入れられていく。根付メディア対策室室長による世論操作も功を奏していた。
出ていく人間は出ていき、かわりに大量の物資と人材が流れ込んでくる。
ボーダーにもまた人材が集まった。
まず、市民志願者第一号として柿崎国治と嵐山准が入隊する。華々しい記者会見の後、志願者はぐっと増えた。
東春秋が部隊を結成したのもその頃だ。
この時期の部隊は自由結成と言うよりは忍田や根付の意向が強く反映していた。東隊も忍田の指示によるもの��った。
忍田自身も部隊を持っていたが、本部で戦闘員を統括する役職につくために解散することが決まっている。
ガラリと引き戸をあけて顔を出したのは東春秋だった。いらっしゃいませと店員が声をかけると案内はいらないと手を振って、店内を見渡す。じきに見知った顔の並ぶテーブルを見つけて近づいた。
二十二歳だと言うが、ずっと老けて見える。外見だけではない。彼に接する人間はつい彼が二十代前半の若造だということを忘れてしまう。
後ろには背が高い男女二人がやはり背の高い東を挟んで並び立つようにいた。どちらも目を引く美男美女だ。彼らは近隣の六穎館高等学校の制服を身につけていた。
さらに後ろに中学校の制服を着た少年がひっそりと控えている。前のふたりと違って背は低い。寒いのか、マフラーをぐるぐると首に巻いていた。
三人は物珍しげに店内を見回している。
「なんだ、三人とも居酒屋は初めてか」
テーブルにいた眼鏡の男が声をかけた。既に頬は赤い。手には盃を持っている。日本酒派だ。林藤匠という。ボーダーでは古参の一人だ。歳は三十一になる。そろそろ現役を引退したいとボヤいているが、いかんせん昨今の人手不足だ。
ボーダー本部建物ができたにも関わらず、旧本部ビルから動こうとしない、なかなかの頑固者だった。
「学生ですから」
と、生意気そうに答えるのは、背の高いほうの一人である二宮匡貴だった。
「あれ、根付さんから聞いてないか? ボーダーマークの貼ってある店はボーダーなら学生でも入れるようになったんだぜ」
トリオン器官の性質上、十代の隊員は増えていく。本部でも食堂は設置しているが、彼らは三門市の飲食店にも協力を求めていた。パスポート制で十代への酒類の提供はないなどの配慮がされている。
「知ってますが…」
さらになにか言おうとする二宮を東は遮った。
「今夜は明日の確認だけしに来たんです。本部で聞いたら、ここにいるっていうから」
「明日? ああ、国の視察ね。用事は、唐沢さん?」
「俺?」
テーブルの奥から唐沢克己外務営業部長が顔を出す。彼はビール派だ。既にジョッキをほとんど空けている。まだ三十そこそこだが、やり手の男だ。鬼怒田同様、城戸司令がスカウトしてきた。元ラガーマンだという以外素性を明かさない男だったが、人当たりがよい。
今夜の飲みメンバーは林藤、唐沢に加え、エンジニア冬島慎次、戦闘員の風間蒼也、木崎レイジの三人だった。風間と木崎は二十歳前なので、烏龍茶が並んでいる。
「まあ、たってないでこっちに座れよ、東くん」
「あー、ウチはウチでご飯を食べる予定なんです」
東はお供のように控える背後の三人を見やった。東隊のメンバーだ。
「ここで食べていけばいいよ」
「はあ」
少しだけ、東の心が揺れた。老成しているとはいえ二十二の青年だ。気楽な酒の席は魅力的だ。
「大丈夫です。俺たちは帰ります」
東の心を見透かしたように、二宮が後ろの中学生の背を押して店の入口に向かおうとする。
「東」
林藤は声をかけた。
「みんなで食べてけよ。唐沢さんの奢りだ」
「あなたじゃなくて、俺ですか?」
急に振られた唐沢が満更でもなさそうに笑った。確かにこの男前は今日の面子の中で一番地位が高く、懐も暖かい。
「あら、素敵。せっかくだから、ご馳走にならない? 二宮くん」
そこで初めて、女学生が口を開いた。こちらも生意気な口調だが、軽やかでトゲトゲしいものを感じさせない。
「加古」
「ねえ、三輪くん?」
「……」
急に話を振られた中学生は無表情のまま首を傾けた。
「わかりません」
「東さんがここでお酒を飲んでるとこを見てみたくない? 面白そう」
三輪は悩みながらうなずいた。
「ほら、三輪くんもそう言ってるし」
「言ってないだろう」
「言ってないです」
「わかった、わかった」
いつもの掛け合いが始まりそうになって、東は決断する。一応、上役たちの前だ。
「ごちそうになろう。唐沢さん、ありがとうございます」
東が頭を下げると、揉めていた三人がピタッと止まって、同時に頭を下げた。よく訓練されている。東を猟師になぞらえて獰猛な猟犬を三匹飼っていると言っていたのは誰だったか。
「遠慮せずたくさん食べなよ」
唐沢はいつもの人当たりのよい笑みを浮かべた。
「追い出された」
案内されると同時に、風間と木崎が東隊の猟犬三匹のテーブルにやってきた。テーブルが窮屈になったらしい。
今夜はボーダー戦闘員と唐沢の交流会であるらしかった。
風間の兄は林藤の弟子だった男だ。故人である。木崎は東から狙撃手としてのスキルを学んでいるので、東隊の面々とは面識がある。今は林藤に従い旧本部ビルに寝泊まりしている。狙撃以外の分野では林藤に師事していた。
一方は小柄で華奢、もう一方は筋肉隆々の巨漢だ。正反対の見かけだが、どちらも恐ろしく強かった。さらに木崎はトリオン量は二宮と同程度を持っていて近界のトリガーを使いこなす。
加古の隣に木崎が座り、二宮と三輪の隣に風間が座った。スペースの有効活用の結果である。三輪は隣が風間なので緊張する。風間蒼也は様々な思惑の絡む本部で誰からも重用され、確実に任務をこなすエリートだった。
「もう、頼んだか」
「まだです」
彼らはまだ食べるつもりらしい。
「居酒屋は初めてか」
木崎が気を使って、品書きをテーブルの真ん中におく。
店員がまとめて置いていった突き出し(お通し)を配る。
「飲み物から決めよう」
と、店員を呼んでさっさと飲み物を決めてしまう。さくさくと仕切る姿が頼もしい。三人はジュースにしたが、風間と木崎はまた烏龍茶だった。
「おすすめは、揚げ出し豆腐だな。家で作るの面倒だし」
「そういう基準か」
「寺島たちに頼まれて作ったが、たくさん食べるものじゃないし、持て余した」
寺島たちと寺島雷蔵と諏訪洸太郎のことだろう。四人は同い年で気が合うようだった。諏訪は二宮と加古の同期でもある。
「おごりなら諏訪と雷蔵でも呼ぶか」
「来ないだろ」
確かにもう遅い。
「今日の当番は?」
お酒をあおる大人席では、林藤が煙草の煙を吐き出しながら聞いた。
「忍田さんとこと迅です」
迅悠一は木崎隊であったが、先日、晴れて『風刃』所持者となり、隊を離れS級隊員となっている。
「あとは嵐山隊ですね」
なんとなく大人たちは子どもたちのいるテーブルに視線を向けた。三輪がジュースを飲んでいる。迅、太刀川、嵐山と三輪の苦手な三人だ。
「明日は俺らの勤務か」
正直、オーバーワークだ。ここにいるメンバーは皆、ワーカホリック気味ではあるが、大規模侵攻からずっと働き続けている。
「入隊志願者が増えてますからもうちょっと頑張ってもらって…。部隊が増えてくれば、部隊の輪番制に移行するって城戸さんが言ってます」
「もうすぐですよ」
冬島がエイヒレに手を伸ばしながら言う。
「そう願いたい」
品書きと書かれたメニューには写真がない。並ぶ単語は知らないものが多い。
三輪が大人たちのテーブルをチラリと見れば東は刺身の盛られた皿をビール片手につついていた。嬉しそうだ。確かに、隊長ではない東は不思議な感じがした。
「秀次は刺身か」
二宮がつらつらと品書きを見ながら勧める。二宮も初めてだからよくわかっていない。
「盛り合わせがあるぞ」
「ちょっとずつ色んなのが食べたいわ」
加古がウキウキしている。
「レイジさんおすすめの揚げ出し豆腐は頼むでしょ。風間さんのおすすめは?」
「コロッケと卵焼きだな」
間髪入れずに答える。迷いがない。
「じゃあ、それー」
「また家で作れるようなものを…」
木崎がぶつくさ言うが、三輪は蕎麦を茹でるくらいしかできない。
「二宮は?」
風間が水を向けるが、彼は熟考に入っている。
「先に頼んじゃいましょ。店員さぁん」
「加古、お前なあ」
「大丈夫だ、二宮。何度でも頼めるから」
「風間さんがそう言うなら」
注文を手早く木崎がまとめる。
「三輪は決めたのか」
「じゃあ、刺身盛り合わせ(小)で」
「あと、ホッケ」
「加古、語感で決めただろう」
「干物だな。北の魚だ」
明日、視察団が来るというのに、大人組はまだまだ飲んでいる。タバコの匂いがする。
焼肉屋ともファミリーレストランともバーガー屋とも違う雰囲気にふわふわする。
「秀次」
三輪は、二宮に揺り起こされた。ひと通り食べたあと、いつの間にか眠っていたらしい。
「中学生には遅い時間だな」
木崎が気の毒そうに言う。
「大丈夫です。すみません」
彼らも高校生なのだ。
「ほら」
おにぎりが渡された。大きい。海苔がパリッとしている。
「結局、二宮くんが選んだのがこれよ」
おにぎりを優雅に食べるという器用なことをしながら、加古が教えてくれる。
「悪いか」
「いい選択よ」
「うまいな」
風間はまだ食べている。木崎はカチャカチャと皿を重ねて、テーブルを綺麗にしている。 三輪は散々食べたあとだが、おにぎりを持って、「いただきます」と言った。おにぎりは何も入っていなくて塩がきいている。
「おいしいです」
「そうか」
「東さん、あれ酔っ払ってるわ」
三人が揃って東のほうを向くと、その様子がおかしかったのか、木崎と風間が笑った。
「明日はお前らが頑張れ」
その日はみんなボーダー本部に泊まった。
終わり
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memory-of-hiroshima · 2 years
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77回目の8月6日が来ました。 あの日、そしてその後の“ヒロシマ”を知ってもらうことが、核兵器廃絶への道につながることを信じたいのです。 2年前に書いた文章ですが、読んでいただければ嬉しいです。
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胎内被爆者の綴り方
<はじめに>  長い間、私は不特定多数の人に被爆体験を語ることにとまどいを覚えておりました。胎内被曝のため、実際に被爆の被害・惨状を見たわけでもなく、肉親を失ったわけでもなく、私自身もこの年齢まで生きてこれた幸運もあり、大きな嘆きの人々に比べれば語る資格がないと思っていました。  しかし、ここ数年、特に日本政府は広島・長崎の被害の事実をなかったものかのように動き始め、核兵器禁止条約に対しても、日本の代表とは思えぬ動きで、私は不安でたまりません。  今まで、生協の平和行進や集会、そして募金に参加したことがあるくらいで、平和や反核に対する運動をほとんどしていません。平和公園での座り込み運動にも、心をよせてはいても、ただの傍観者でした。私が育った戦後、ついこの間までは多くの活動をする人がいて、私も黙っていてもよかったのです。ただ被爆者の会も高齢化で消滅解散する中で、何かしなければならないのではと思い始めていました。  そんな時、オーラルヒストリーを研究しておられる元TBSアナウンサーの久保田智子さんの講演を聞く機会がありました。私が記憶を語るとしたら客観的事実ではないかもという懸念をもっていたのですが、久保田さんは「その人が感じ考え思ったことをいっしょに述べること、主観的事実でいい」と言われました。「複雑でいい、矛盾していい、個人的なものを社会的なものに関連づけて解釈するのだ」と。これは私を勇気づけました。  また、ピラミッドの一番上に直接被爆者がいて、その下にいろいろな人が階層的に存在し、それぞれに思うこと感じ考えることがある、それも大切だと。「ああ私の位置はヒエラルキーの二番目だ、それでも語っていいのだ」と強く励まされました。  それから1ヵ月後、ニューヨークの2020年NPT(核兵器不拡散条約)会議に広島生協の代表として行くことになった友人が、胎内被爆者の会が証言集を出す予定であることを教えてくれました。思い迷った末に、証言集に応募するしないにかかわらず、記憶がうすれる前に一度整理してみようかなとの思いに至りました。
<8月6日>  1946年1月24日生まれの私は、1945年8月6日原爆の炸裂したあの日、母の胎内にいました。予定より早く生まれたと聞いていますから、妊娠4ヵ月位ではなかったでしょうか。悪阻が激しく空襲警��がなっても「このまま死んでもいいから」と逃げるのが億劫だと言っていた母は、朝の洗たくものを干すため両手をあげた時、原爆の光を浴びたといいます。あっと思った時は、胸と腕に火傷をしたようですが、幸いにも「天ぷら油をぬったらいい」と教えてもらい、ケロイドにならずにすみました。借家だった家の前はごぼう畑が広がり、己斐駅がすぐ目の前に見渡せました。光線をさえぎるものは何もありません。爆心地から2.5kmとS42年(1967年)2月18日取得の被爆者手帳にはしるされています。  その時父は観音町の三菱重工の工場、爆心地から4kmの所で被爆。父がどのルートでどのように己斐まで帰ってきたのか全く知りません。9月に4才になる姉は、家の中の布団で寝ており、布団ごと部屋の端から端まで飛ばされていました。壁が少し崩れたくらいで、家は倒れずにすみ、姉も無事でした。  これらの話を父や母から直接聞いたという記憶はなく、どこでどのように知ったのでしょう。母が黒い雨にうたれ、髪の毛が抜け寝こんだこともどうして知ったのでしょう。それには一つの類推があります。
<近所の人々との思い出>  私が小学校低学年の頃住んでいた家はやはり己斐ですが、被爆した時とは違う近くの家です。家の前にも横にも40cm位の側溝に水が流れ、夏には青い露草の花が咲き蛍もとんでいました。暑い暑い8月6日の前後には、近所の人々が涼を求めて集まり、石垣に座って思い思いに語ります。クーラーも無い時代、手にはうちわがあります。冷蔵庫も氷で冷やす木の冷蔵庫です。家には西瓜が待っており、私たち子供は浴衣を着て、大人のまわりをうろちょろしています。そんな時大人の話が聞こえるともなく聞こえるのです。 「ようけえ逃げてきたのお」「おう、水あげりゃあえかったのう、どうせ死ぬんじゃったらのお」「Tさんの家は壊れたらしいのぉ」「下敷きになって男ん子が死んだんよ」「Nさんの奥さんは今年も日傘さして行きよっちゃったよ」「式典なんじゃろう。姉妹や親はえっとこ亡くなったって」  話が聞こえてくるうちにだんだん恐くなります。帰ってトイレに行くのも、夜寝るのも恐くなります。こんな会話の中で私の母の話も語られ、私が覚えたのだという気がします。  Nさんとは、私を実の娘と同じようにかわいがって、お風呂に入れて身体をごしごし洗ってくれたり、焼きリンゴを作ってごちそうしてくれたおばちゃんです。あの優しいおばちゃんが大きな悲しみを抱えておられたのに深く気づくのはずっと後です。このおばちゃんは小学生の女の子2人を残して腎臓病で、身体をパンパンにむくませて亡くなられました。きっと被爆の影響だったと今なら思いますが、当時小学生だった私は、おばちゃんの変わり様に恐ろしかっただけです。  あの夏の日々は、あらためて語り部と言わなくても、みんな思い思いに自然に語って、私たちに伝承されていたのだなあと改めて思います。
<己斐小学校でのこと>  伝承というと小学校の担任を1年から6年まで受け持ってもらったY先生のことが思われます。8月6日宝町の自宅から己斐小学校へ通勤した日のできごと。爆心地近くから相生橋、本川を通ってひたすら己斐へ歩く途中に見た被災の光景。川の中に浮かぶたくさんの人々、横たわる死者たち。その話を聞いた記憶がしっかり残っています。教壇に立って語る先生の息づかい。並ぶ生徒たちの机。写真のようにまぶたに残っています。先生はその日どのように自宅へ帰られたのでしょうか。全く知りません。Y先生はその後私たちが4年か5年生の頃、だから戦後10年くらいでしょうか、肝臓を悪くされ長く入院されたことがありました。きっとこれも原爆と関係があるに違いないと今は思います。  私の小学校は己斐小学校ですが、己斐はたくさんの被災者が流れ込んできて、小学校の校庭ではたくさん人を焼いたと言います。春秋に運動会があったのですが、グランド整理で土をならすと骨が出るというのをよく聞きました。私は直接拾ったことはないのですが恐くてたまりませんでした。それに春は校庭の桜が葉桜になる頃の運動会でしたから、毛虫がぞろぞろはい回ります。私は大の虫嫌い。二重に恐くて――。今と違って素足でかけっこですものね。
<ABCCの記憶>  私が唯一当事者として語れるのはABCC(現・放射線影響研究所)のことかもしれません。小学校低学年の時だったと思います。母と、あるいは近所の友と、そして級友と何回かABCCが近所まで迎えに来て出かけました。学校まで迎えに来たこともあります。黒塗りの大きなハイヤーが来るのですが、私はすぐ酔うので苦手です。行くと、全てがすんだあとクッキーやサンドイッチ、紅茶などをご馳走してくれるのです。異文化への興味や憧れのようなものがありました。けれども何しろアンパンやジャムパン育ちで偏食も多かった私は、なれないものを何とか口にし、帰りの車でまた気分が悪くなるのでした。  さて、ABCCの記憶で長く私が語れなかったことが一つ。検査に行くとズロース(パンツ)の上に白いスモックのようなものを1枚かぶるのですが、それを着てある部屋に一人連れて行かれます。大きな机、私には3m×4mぐらいにも思われましたが、その端に足をぶらんと下ろして、入口のドアに向かって不安そうに座っている自画像が脳裏に残って消えません。そして、立つように促されたのでしょうか。服を脱いでズロース1枚でテーブルに立ったと思うまもなく、大きな180cm位の白人男性がこれまた大きなカメラを抱えて10人近くどたどたと入って、テーブルの回りから、四方八方カメラのフラッシュをたきました。驚きと恥ずかしさと何があったかわからないのとで呆然としていたのでした。一番大きかったのはたぶん恥。何かいけないことのように思ったのでしょう。この話は帰りの母にも友にも誰にも話しませんでした。話せば自分一人の体験ではなかったことがわかったかもしれません。後に語れるようになり、友人夫妻にこの体験を話した時「つらい話をさせてしまった」と言われ、ああそうだったのかと納得したものです。映画のワンシーンのようなこの記憶は今後も決して消えることはないと思います。
<病気に思うこと>  私が生まれたのは、母の母・未亡人だった祖母のいた広島県北部の旧・山縣郡千代田町壬生です。大雪で2階の窓から出入りするような日だったということです。戦後の広島を避けてお産をしたのでしょう。私は乳を飲んでもすぐ吐き、胃の入口の調子が悪くて薬を飲んで治したといいますが、詳しいことはわかりません。その後10カ月位の時には百日咳の激しいのにかかり骨と皮になりました。母は父の実家の香川県高松市鬼無町にひきあげました。そこで祖父から「こんな子を連れて帰って」と非難されたことを相当うらめしく思ったようで、時々同じ話をしてくれました。父の家の事情もあり、結局両親と私たちはまた己斐に戻りました。  そこで成長して22才の大学卒業まで暮らすのですが、父も母も被爆者でしたが、特に母の身体が弱かった気がします。家事だけの人でしたが、一日中かかって掃除・洗たく・食事の支度をし、少し動くと休みながらという具合です。おまけに度の過ぎた清潔好きで、洗たくもハンカチを洗って次は上のもの、下着はその次、そのあとパンツ…といったくらいに丁寧でした。今思えば、それもこれも細菌におびえていた事情もあったかもしれません。私は母の身体の弱いのは偏食のせいと思っていましたが、ひょっとすると被爆の影響があったかもしれません。父は61才、母は57才で亡くなりました。二人とも脳内出血ですが、母は一度肺ガンということで、広島市のM病院で放射線治療を受けたこともあります。  私はよく熱を出し、決して強いとは言えず、身体も細く背も前から一・二・三を争うくらいのチビでした。それでも高校時代は皆勤賞をもらいました(授業中寝てばかりの子でしたが)。  それが結婚して1ヵ月ちょっとだったでしょうか。盲腸になり、夫も手術をしたこともあり夫の家族の中では名医と呼ばれていたN外科で手術をしました。なぜか2、3日眼が覚めず熱も出て、私が被爆者手帳で受診したからでしょうか、先生は慎重になられ結局1ヵ月入院しました。  また、二人目の子のお産の時、妊娠5ヵ月くらいから妊娠中毒症になりとうとう7ヵ月ころ入院。そして子供が9ヵ月に入った時母体がもたないということで早く生みました。お産がすめば蛋白尿がよくなるということでしたが、数値は4本プラスが2本プラスになっただけで入院がその後も続きました。家族を心配して泣き、食事もとれなくなり、そんな私を心配した先生が退院させてくれました。1年位かけて漢方薬をせんじて飲みながら治ることができました。この2回のトラブルで、人がスムーズにできることが上手にできないのは被爆と関係があるのかなあと思ったりしました。これが被爆者共通の心理かもしれません。
<家族の中で>  私が被爆者であるということを夫に初めて言ったのがいつかは覚えていません。当時は手帳取得が結婚にさわるという風評もあり、姉などは「いらない」とすぐにはとらなかったような気がします。私はそんな思いもなく所持していたのですが、夫が戦争の責任とか社会のものの見方などで、私よりはるかに反戦の意識が強かったので何も心配ありませんでした。広島・長崎の式典中継でも私より深く正座してみるような人で、これは幸いでした。  家庭の中で被爆体験を話せたこと。それを淡々と聞いてくれる家族がいたことはうれしいことです。  初孫が5才のころでしょうか。我が家には「原爆の図」「ひろしまのピカ」「ピカドン」(いずれも丸木位里・俊作)や原爆ドームの本など夫が集めた本がたくさんあります。それらを持って帰るほど興味をもち、「原爆ドームに行きたい」と親にねだるほどの孫娘。ホロコースト記念館にも何回か行き、私たち夫婦にもアンネの部屋を丁寧に教えてくれ、「ああこの子は平和の担い手に」と期待をこめて見守っていました。なにしろ8月15日生まれですから。そしてその孫に、佐々木禎子さんについてまとめたダイジェスト版の本を夫は作りました。それを読んだ孫は「禎子さんちは散髪屋さんだったんだね」と。夫はその一言に苦笑していました。2、3年もすると興味を失った孫娘が、いつの日かまた興味と関心を持ってくれれば幸いです。  孫娘が小学校1年生くらいの夏に遊びに来て、寝物語に被爆体験の話をしたところ「おばあちゃん(生きてて)よかったね」と言われ、私ははっとしたのを覚えています。「生きてて申しわけない」という被爆者のことばがよく言われます。私に明確にあるのではありませんが、いくらか私にも長生きへの申しわけなさみたいなものがあります。でも「よかったね」というのはありがたくかみしめたいと今では思っています。
<最後に>  たまたま2020年3月15日付の中国新聞に、「被爆オリンピアン肉声現存・広島市出身36年出場故高田静雄氏」という見出しを見ました。その人は小学校時代の級友の父親です。また、米兵たちの被爆をほりおこし追悼してオバマ大統領にハグされた森重昭さんも級友のお兄さんです。佐々木禎子さんが白血病で亡くなられたころ入院した級友もいます。でも、私たちは戦後60年、還暦を迎えた同窓会でほんの少し被爆のことを話したことがあるくらいで、級友でも詳しいことはほとんど知りません。日々衰えていく記憶と、語りあう機会も減っていく中で、今回書き残してみたのはよかったように思います。記憶とは不思議なもので、自分流にゆがめているかもしれません。この主観的な記録がどのように伝えられていくのか少し楽しみです。長生きすれば「最後の被爆者」となる可能性もある人間の記録ですから。そのためにも両親からもっともっと話を聞いておきたかったです。
<さらに>  この原稿のパソコン入力を娘がひきうけてくれました。彼女は幼い頃、原爆資料館のろう人形母子を見ておびえましたが、私と平和行進に参加したことや、大会で「青い空は青いままで子どもらに伝えたい。燃える八月の朝…」と歌ったことは覚えています。8月6日の式典で峠三吉の詩を子供代表が語ったのに感動して、東京から電話をかけてきたこともあります。彼女には彼女のヒロシマとの歴史が作られているのですね。いろいろな形でヒロシマが伝承され続け、子や孫・その先まで、この愚かなことがくり返されぬように祈ります。私の胸を今でもゆさぶる歌「原爆許すまじ」を心に銘じて。
(2020年4月記/上村洋子)
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ichinichi-okure · 5 months
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2023.12.7thu_kanagawa
散歩から帰ったらしいお父さんが家の外から「猫に餌をあげたいから窓を開けて」と呼びかけてくる声で目がさめる。「あげといて〜」と聞こえてないだろうなってくらいの声を返しながら二度寝。結局自分で窓を開けて、猫にごはんをあげているお父さんの音を聞きながらよいしょと起きる。元気な猫の姿を窓から確認して安心する。というのも猫を家の中に入れてはいけないと言われているのだが、寒くなってから凍える猫を想像すると我慢できず、夜にこっそり猫を部屋に入れていたのだけど、2日前から顎から下が蕁麻疹だらけのかいかいになってしまい、ステロイドを塗ってみたが治らず、酷くなっている。もしノミのせいだとしたら、家中ノミだらけになるのはかなりやばいぞ、猫アレルギーかもしれないけど、、それもやばいけど、、ということで夜、猫を招き入れてあげられなかった。窓の外で長時間、部屋にあげてもらえるのを待ってたであろう猫を心配していた。朝ごはんを食べながら、父母と朝ドラのブギウギを見る。主人公の弟が戦争で死んでしまう。涙をこらえながら見る。食べ終わると近所の川べりを散歩し、帰ってすぐ仕事のデータを修正してドロップボックスに入れる。修正していいかメールで聞いたら触らないでほしいとのこと。やる必要のある内容だと思ってたが、いらないことをしてしまった。元のデータをまたドロップボックスに入れてメールする。とにかくノミが心配なので布団や部屋中コロコロをして布団を干す。午後に近所のスーパーでバイトの面接があるので履歴書をプリントアウトする。B4サイズの紙が手持ちのもので一番大きいけど、なんか小さい仕上がりになったなと思いながらも完成させてしまう。ずっと先延ばしにしていた、参加しているAIUEOの4コマまんがカレンダー予約受付してます、というお知らせを自分のインスタにアップするために、今までのカレンダーを集めたものをスマホで撮影する。カラフルでかわいい。投稿する。お父さんがお弁当を買ってきてくれて3人で食べる。今日は中華丼。朝ドラの再放送を見ながら食べる。もう泣かずに見れる。お昼を食べ終わると粉にお湯を注ぐタイプの緑茶を飲む。風が強いので干した布団を取り込むように母が言ってくれて取り込む。庭にいる猫を見に行く。最近はご飯を置いている目の前にある茂みがお気に入りの場所で、そこで丸くなって寝ている。寒くないか心配で、家の畑に落ちている藁を土の上にしき、猫を囲うように少しづつ増やしていたら鳥の巣のようになった。猫がそこから出てくると数日前に猫と遊ぶためにアルミホイルを丸めて作ったボールが落ちている。きっと身体に当たって邪魔だろうから拾おうかと思ったけど、卵みたいで面白いからしばらくそのままにしようと思いながら写真を撮り、インスタにアップする。
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バイトの面接に出発。5分前に着いて、店内をうろうろ回る。店の大きさに対してレトルトカレーの商品数が多すぎることを発見。1分前に面接の部屋に入る。挨拶して履歴書が小さくてすみませんと言うと、全然大丈夫と言ってくれる。ほっ。勤務の希望や心配なことなどを話す。手応えはわからない。終わって郵便局に向かう。面接で話したことを思い出して、余計なこと言っちゃったな、でもこれからに活かせそう。と思う。郵便局で減額してもらった国民年金の支払い。クリエイトに行きアレグラを買い一粒飲む。蕁麻疹に効きますように。家に向かう帰り道、畑の土が飛んで視界が悪いくらい風が強い。サザンの歌が頭に浮かぶ。砂混じりの〜茅ヶ崎〜って畑の土じゃないよね。帰ってすぐ猫を見に行くとライバルのでっかいトラ猫が来ていて、猫は威嚇して唸ったり逃げたりしている。トラ猫には申し訳ないけどちょっと追いかけて、いじめちゃダメだよと言う。どっちが卵で鳥かわからないけど。ごめんよ。いつも複雑な気持ち。トラ猫はちょっと追いかけたくらいでは遠くへは逃げず、どどーんと近くに座っていたりする。シルエットがリサラーソンの猫みたいで可愛くてその様子を写真に撮りたくてスマホを向けるも逃げられてしまう。あ���よちゃんから展覧会来てくれてありがとうの連絡。以前、姪っ子が描いた猫の絵を自分の机に持って来て、眺める。目の色とかそのままじゃん、よく見てるな〜かわいい額をつくりたいな〜と妄想。
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愛さんから日記を書きませんか?と連絡をもらう。たまに読んでいたので嬉しい。やりまーすのお返事をする。出かけていた父母が帰って来た。2人はそこへ出かけると帰りに山盛りお惣菜を買ってくるので今日は当番の夕飯を作る必要がないはず、、と期待していたが、お父さんが蛸を切ってほしいとリクエスト、お母さんからは鱈と白子を昆布と酒で煮るリクエスト。ちぇと思いながら、結局色々入れて鍋を作りみんなで食べる。もちろんお惣菜も一緒に。家で気軽に白子を食べられるとは知らなかった。家で取れたゆずを半分に切って、それぞれ豪快に絞って酸っぱいくらいにして食べる。うまい。食べ終わってから日記を書こうかな?とか今日はインターネットの日だったなとか思いつつダラダラと過ごす。今日は12/9もう、夜の記憶が薄れてしまって何をしていたか思い出せないぞ。しかし最後は覚えている。お風呂に入らず電気ストーブで体をホカホカにして寝た。
-プロフィール- 斉藤 知子 37 神奈川県茅ヶ崎市 ほぼ無職 instagram @tomatomokoo @aiueo_tomoko
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tokyomariegold · 1 year
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2023/1/27〜
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1月27日 これで一通り誕生日を終えた。 帰ってきてお部屋をたくさん掃除して、とても寒いのに窓を開けっぱなしにして換気をして、ちゃんといろんなところが痛くてイヴを飲んでしまった。
もうSNSも日記もやらなくていい、という風にしたかった。写真ともうちょっと正面で向き合いたいと思っていた。でも?今はSNSにそんなに必死で生きようとしていた私は何だったのか、を考えたいかもしれない。これが1番したいことかもしれない。 自撮りも、周りの女の子たちも撮れなくなった私は、これから何を撮るのかな?滝とか?
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今日は5時くらいから目覚めていて、その頃にはもう博品館のライトアップは消えて、工事部隊も撤退していた。 そのままテレビは消音でNHKを流して7時。 東京ってやっぱり情報が多い。 街の中の文字やビジュアル的な記号以外にも、夜も朝も同じ街でも様子が違いすぎて、読むべきものがありすぎる。
8時から外を歩いてみる。 資生堂本店は閉店時間でも店内のお花や椿缶クッキーがライトアップされいた。 汐留のデッキで写真を撮って少し元気が戻る。 新橋のゆりかもめの駅で、エレベーターの通勤する皆さんと完全に逆行して下って、乗り換え通路を歌いながら歩いてもっと元気が復活。
チェックアウトをして東京駅まで歩くと、修学旅行生がたくさんいた。受験生以外の学年ってこの時期暇だったのかも。
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そのあと会った人が、昨日入籍をしたらしく、12時から15時まで、苗字が変わったことですべき変更手続きのためお役所にいたと話してくれた。そんな面倒な手続きも幸せそうに話してくれた。
今日1番の難題、おかえり?東京クーポン2,000円分の使い方。 マンスーンさんの言葉を借りれば、クーポンのために生まれてきたのではない! でも、今日中に使うクーポンを無駄にしたくはない。けれど変に荷物を増やしたくはない。(昨日の夕食とスキンケアセットを買ったナチュラルローソンで使えば良かった!) フィルム現像に充てたかったけれど、現像屋さんは加盟店ではなかったので、駅ビルのロフトやshiroをうろうろ。 結局、成城石井と紀伊國屋でちょっと良いレトルトスープなどを買った(いつもレトルト食品さえも賞味期限を切らしてしまうのにね。)
2日前がはるか昔のことのよう。 2時間で長崎に行った時は、すぐだな〜と思ったのに、いつも行っている東京、まだまだつかみきれていないことが判明して、また少し遠い存在になって、そして好きになった。
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1月28日 3ヶ月に1度の歯医者へ。 3ヶ月前に今日の日を予約したと、もう1/28なんてないようなもの…と思った。 ちゃんと受診して、歯の白さを保てていると褒めてもらって、今回は黒ごまラテいじりも、紅茶禁止令もなく、本当に、私の歯のことでしか関係していない人と場所だ、と思った。
移動中に読んだ本で、中流階級はライフスタイルをする、と書かれていた。下流階級は生活、上流階級はスタイルしかない。中流の皆様は、選ぶ商品や記号で自分の生活をスタイリングする(選ぶくらいの余裕はある)とのこと。 早くお金持ちになって、生活でなく、スタイルだけを楽しみたいです。ボードリヤール先生。
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1月29日 ギャラリー巡りの日。 久しぶりに人といる時間だった。展示を計画している友人と、目星をつけている都内のギャラリーへ行った。 その内1つは高田馬場にあって、とっても久しぶりに下車。あんなに毎日使っていた駅だったけれど、本当に用事のないまち。
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ギャラリーは良かったけれど、駅までの道のりの安い居酒屋が並ぶ汚い商店街に、友人が「(展示を観た後の)余韻を楽しめない道だ」といっていて、良い着眼点。 3つ目のギャリーにはカフェが併設されていて、そこで展示の話をした。
家族の写真を撮っている友人と、自分の写真を撮っている私。 他人の話って全然分からなくっておもしろい!と思えた時間だった。共感ってわからない。 でも、もっと聞きたいことがあるはずなのに、どのポイントでどう質問すれば聞き出せるのかが分からず難しかった。 でも、その中で“満たされないと写真を撮る”という共通点があった。
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私は満たされて写真を撮れなくなるのが嫌なので、満たされない生活も大切にしたいと思っている。友人曰く「満たされて何もなくなる人と、満たされても何かしら続けられる人がいる」とのこと。 私は今(特に満たされていないけれど)、やめようと思った自撮りやSNSを続けること、を、満たされて何もできなくなったと言うことにしたくなくて、とりあえず、本当にとりあえず何かしら何でも!と言うレベルで更新してみている。
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そして高田馬場の汚い商店街を歩きながら、青木さんの話をして、死んでしまうと、死んでしまった人としてしか話せないし、更新される作品もエピソードもなくなって、とても悲しく勿体無い。
更新していこうと思った。
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no1-shochu · 1 year
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【 若潮酒造イベント情報♪ 3/4(土) 】 『鹿児島マラソン2023歓迎 ふるまい酒』 2023年3/4(土)に鹿児島マラソン2023歓迎 ふるまい酒が開催されます♪ 若潮酒造も鹿児島を盛り上げるためにイベントに参加いたします♪ 私(服部)が参加いたします。 皆さん是非若潮酒造ブースに遊びに来て下さいね~♪ 私と一緒にイベントを楽しみましょうね(σ≧▽≦)σ 皆様のお越しを心よりお待ちしております♪ 鹿児島マラソン2023歓迎 ふるまい酒情報 日時 = 2023年3月4日(土) 18時~21時 会場 = 天文館文化通り・天文館二本松馬場通り・天文館銀座通り・天文館山之口本通り・天文館タカプラ横丁 住所 = 鹿児島県鹿児島市山之口町近辺 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ ザ・ファブルを読みながら黒若潮(くろわかしお)で乾杯♪ ※ザ・ファブルは、週刊ヤングマガジン(講談社) に連載され累計発行部数750万部越えの超人気漫画です♪ その超人気漫画 ザ・ファブル に若潮酒造の焼酎が登場致しました\(^^)/ 登場した単行本は、第一部11巻、13巻、19巻、20巻、第二部第2巻、3巻です♪ ※週刊ヤングマガジン(講談社)にて、ザ・ファブル第二部連載開始中♪ ※単行本 第二部 第1巻、第2巻、第3巻、第4巻、第5巻絶賛発売中♪ ※映画にもなって、今一番注目されている漫画です‼️ 凄く面白い漫画です‼️ 南勝久 先生様有難うございます♪ 心より御礼申し上げます♪ これからも若潮酒造を宜しくお願い致します。 皆さん是非本屋さんにて超人気漫画ザ・ファブルを買って究極の日常酒 白若潮 (シロワカシオ)を探して下さいね~♪ ( ザ・ファブルを読みながら白若潮で乾杯♪ ) 映画 ザ・ファブル 殺さない殺し屋 情報🎬‼️ 💿『ザ・ファブル殺さない殺し屋』DVD&BD 発売中‼️ 江口カン映画監督様作品。 主演も超豪華、 岡田准一 様、 木村文乃 様、 平手友梨奈 様、 安藤政信 様、 黒瀬純 様、 好井まさお 様、 橋本マナミ 様、 宮川大輔 様、 山本美月 様、 佐藤二朗 様、 井之脇海 様、 安田顕 様、 佐藤浩市 様、 堤真一 様 監督 = 江口カン 様 ( KOO-KI - 空気株式会社 様 ) 脚本 = 渡辺雄介 様 漫画 = 南勝久 先生様 V6岡田准一 様の超凄いアクションシーンにも注目‼️ ____________________________ ✨若潮酒造受賞歴✨ 鹿児島県本格焼酎鑑評会 ✨25連続受賞‼✨ ____________________________ ※若潮酒造の焼酎は、プリン体0・糖質0・甘味料0 、体に優しい芋焼酎です(^^♪ ※焼酎は、色々な飲み方が出来て楽しいです♪ 冷やしてストレート、グラスにいっぱいに氷を入れてロック、氷と炭酸水を入れてソーダ割り(焼酎ハイボール)、グラスにお湯を入れてお湯割り、柑橘系&炭酸水を入れて、カクテル、酎ハイ、色々な飲み方が出来ます♪ 皆さん是非、自分好みにアレンジして楽しんでくださいね~♪ ※若潮酒造の焼酎が日本全土 、 全都道府県 に広がるように頑張ります。 ( 北海道 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 新潟県 茨城県 群馬県 栃木県 埼玉県 東京��� 千葉県 神奈川県 山梨県 長野県 富山県 石川県 福井県 静岡県 愛知県 岐阜県 三重県 大阪府 京都府 滋賀県 兵庫県 奈良県 和歌山県 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県 沖縄県 ) ★若潮酒造は見学、ツアーも出来ますので皆さん是非若潮酒造に遊びに来て下さいね♪ ( 会社が休みの場合も有りますので、見学に来られる際は事前に御連絡して下さいね。) 若潮酒造株式会社への 商品、見学、ツアー お問い合わせ 若潮酒造電話番号 = 099-472-1185 若潮酒造住所 = 鹿児島県志布志市志布志町安楽215 お気軽にお電話下さい (^^♪ ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ #鹿児島マラソン2023歓迎ふるまい酒 #天文館 #ふるまい酒 #天文館文化通り #鹿児島 #鹿児島中央 #居酒屋 #鹿児島マラソン #焼酎 #若潮酒造     #鹿児島観光 #天文館タカプラ横丁 #天文館山之口本通り #若潮 #鹿児島 #志布志 #ライカ #鹿児島中央駅 #天文館銀座通り #屋台村     #若潮酒造服部 #焼酎好きな人と繋がりたい #飲酒タグラム #sake #酒好きな人と繋がりたい #Shochu #若潮酒造服部明 #焼酎好き #Japanesesake #ほんわかくん (天文館) https://www.instagram.com/p/CpUn-gYPyo9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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aimaimocco · 1 year
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暮らしのアップデート
エスカレーターの速さにも足がもつれるような
ずっともっとずっとの繰り返し振り返り
1,水を1日1L以上飲む…◎意識した
2,なるべく階段を使う…◎意識した
3,気が向いたらすぐ柔軟ストレッチ…◎ちょっと意識した
4,ヨガの強度を3から4以上にする…◎挑戦した
5,体重を3キロ増やす…✕全然増えない
6,焼酎デビュー…△一口デビューも私にはまだ早かった
7,旅行(しまなみ、長崎)…△しまなみだけ行けた
8,瀬戸芸…◎秋会期だけだけど満喫
9,ウォーホルと大竹伸朗展…△大竹伸朗展だけ行けたしびれた~
10,ちょっといいスニーカーを履く…◎愛用中
11,浴衣と着物を着る…春キモノまんぷく
12,室町10周年をお祝いしたい…◎最高の夜だった~
13,運転がちょっと上手くなる…✕1回だけ運転できたけどまだムズい、のに更新時期
14,生活のアップデートについて思案…◎超思案
15,断捨離…◎努めた
16,仕事は頑張りすぎず余裕で定時に帰る…◎努めた
17,呼吸器と循環器の勉強もする…✕
18,よこの家でタコパ…✕
19,釣りしたい…✕
20,一日三食食べられるように朝起きる…△
21,今年も家族旅行にいく…◎さいこう
22,美味しいお肉を食べる…◎毎月ニクの日ができた
ツイッタにも書いたけど、昔は良さがわからなかったのにいまはそれがわかっていて、わかってしまうとどうしてあのとき気づけなかったんだろうと悔やむ伏線的できごとすら愛おしくて深みもあるの、まだまだどんどんいろんなことに興味を持って経験していきたいなと本当におもうなあ
生活様式が変わって愛について触れたり考えたりすることが多くなった
まだまだ、もっとずっともっとの繰り返しで
私の歩幅であるいていこう
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