「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)3月15日(金曜日)弐
通巻第8176号
明日(3月16日)、北陸新幹線が金沢から敦賀へ延長
福井県は観光と経済活性化の期待に湧いている
*************************
北陸新幹線は日本海沿岸の糸魚川(新潟)から富山、金沢を通り、若狭と越前の境にある港町・敦賀まで延長される。『古志の国』の再現だ。
敦賀駅は新幹線駅で最高位の三階建て、駅前は商店街が整備され、あちこちに歴史的な遺物やら銅像、記念館がならんで観光客を待ち受けている。気比神宮から金ケ崎城跡は後醍醐天皇の御代の激戦地、信長潰走のおりは明智光秀が鉄砲隊を組織してみごと殿軍を務めた。
松原海岸から南へ歩くと、水戸藩の武田耕雲斎以下の天狗党を祀る松原神社、このあたりに渤海使をむかえた迎賓館があった。敦賀は観光資源に恵まれているのである。
筆者、古代史最大のミステリーのひとつである応神天皇、そして継体天皇の取材を数年つづけているため何回も訪れてはいるが、訪れるたびごとに新しい発見がある。
記紀では応神天皇が武内宿弥に連れられて禊ぎに気比神社へ赴き、地元の神と名前を取り替えた。なぜ?
気比神社は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀るが、猿田彦と竹内宿彌もちゃんと祀られている。敦賀の応神を祀る神社のほぼすべてで、武内宿彌を祀っている。その謎を解明するために現地の稗史を調べているのです。
継体天皇は三国に育ち、坂井市にある『天皇宮』に大和朝廷からの使者、大伴金村と物部荒鹿火を迎えた。その近くには執務した高向宮跡がある。また謡曲「花かたみ」の舞台と想定されるのが越前市の「花かたみ公園」と味真野神社。そこから奥へぐんと這入り込むと五星(ごおう)神社がある。応神から継体までの五代をまつる神社だ。このあたりが「文室」(ふむろ)とよばれるのは継体天皇の学問所があったとされるからだ。
脱線すると能の『花かたみ』は各地の能舞台で演じられるが、ことしは3月17日に長野で催される。残念ながら筆者、先約とかさなって鑑賞に行けない。越前郊外の味真野神社境内には、この能を再現する継体天皇と越前妻とが並ぶふたりの銅像が建立されており、王冠は金で輝いていた(それにしても駅から遠いです)。
脱線すると雇ったタクシーは日産EV。『タクシーの電気自動車は初めて』というと運転手は「寒いから暖房を入れると電池の消耗がものすごい」と愚痴をこぼした。
新幹線のはなしに戻すと福井駅前には「ふくみち」として商店街が整備され、武生駅は従来線駅よりかなり遠い田圃の真ん中に「越前たけふ」駅が新装されていた。
沿線にはカメラマンがズラーリ、最後の従来線の車両と新幹線の一番列車を撮影しようと全国から鉄道ファンがあつまって壮観だった。彼らには応神、継体天皇に興味はない。
さて糸魚川、富山(射水)、伏木、倶利伽羅峠、加賀の小松、そして坂井市の称念寺、敦賀気比神宮と、それぞれに芭蕉の句碑が建立されている。『奥のほそみち』は『古志のほそ道』であったというのが筆者の持論である。(拙著『葬られた古代王朝・高志国と継体天皇』、宝島社新書を参照。古志は「高志」、または「越」とも書きます)。
▼
((( 演目事典より )))
越前国味真野(現在の福井県越前市味真野町周辺)に、応神天皇の子孫である大迹部(おおあとべ)皇子(男大迹皇子、男大迹邉皇子とも表記)が住んでいました。皇子は武烈天皇より皇位を譲られ、継体天皇(450~531)となり都へ旅立ちました。帝は味真野にて寵愛していた照日の前に使者を送り、手紙と愛用した花筐(はながたみ:花籠のこと)を届けます。出先で使者を迎えた照日の前は、天皇の即位を喜びながらも、突然の別れに、寂しく悲しい気持ちを抑えられず、手紙と花籠を抱いて、自分の里に帰りました。
大和国玉穂の都(現在の奈良県桜井市池之内周辺)に遷都した継体天皇は、ある秋の日、警護に当たる官人らを引き連れて、紅葉見物にお出かけになりました。そこに照日の前と花籠を持った侍女が現れます。彼女は天皇への恋情が募るあまり、狂女となって故郷を飛び出し、都を目指して旅をしてきたのでした。狂女・照日の前が、帝の行列の前の方に飛びだすと、官人が狂女を押し止め、侍女の持つ花籠をはたき落します。照日の前はこれをとがめ、帝の愛用された花籠を打ち落とす者こそ狂っていると言い、帝に逢えない我が身の辛さに泣き伏してしまいます。
官人は帝の命令を受けて、照日の前に対し、帝の行列の前で狂い舞うように促します。照日の前は喜びの舞を舞った後、漢の武帝と李夫人との悲しい恋の顛末を物語りつつ、それとなく我が身に引き寄せて、帝への恋心を訴えます。
帝は、照日の前から花籠を受け取ってご覧になり、確かに自分が愛用した品だと確認し、狂気を離れれば、再び以前のように一緒になろうと伝えます。照日の前は、帝の深い情愛に感激し、正気に戻ります。この花筐以降、「かたみ」という言葉は、愛しい人の愛用の品という意味を持つようになったと伝えられています。かくして二人は、玉穂の都へ一緒に帰っていくのでした。
(( 以上ご参考までに )))
5 notes
·
View notes
昨年、長期休暇を経て台湾に戻ってきました。 大量高速交通機関 (MRT) システムと高速鉄道 (HSR) を組み合わせることで、移動がいかに簡単になるかは非常に驚くべきことです。 私が最後にそこにいたときは、TPE から市内中心部まではまだバスかタクシーを利用する必要がありました。 TPE 空港からすぐに、台北市内中心部 (MRT) に 30 分、または島の反対側 (HSR) にすぐにアクセスできます。 島の南端は全く違う雰囲気があるので、ちょっと楽しいです。 台北市内では、MRT を利用して必要な場所に行くか、歩いたり (とにかく興味深い隅や裏路地がたくさんあるので楽しい)、レンタサイクルを利用することもできます。 MRTの駅から接続するバスも豊富にあります。 台中には、高鐵鉄道のすぐそばで東西を結ぶ MRT 路線が 1 本あります。 高雄には、主要な観光スポットを結ぶ数本の MRT 路線と地上ライトレールがあります。 どこも安く移動でき、信じられないほど清潔でよく整備されており、街を散策するのがずっと楽しくなりました。 私たちが車の必要性を感じたのは、北海岸や東海岸の遠隔地を訪れたときだけで、そのルートを走る遅い電車を待つよりも時間を節約したかったからです。 SFO に到着するたびに、ミルブレイに CalTrain への簡単な接続がないというのは誰の名案だったのだろうかと思います (あるいは、私が何か間違ったことをしているのです。ミルブレイからミルブレイに行く正しい方法を完全に理解していないような気がします)サンフランシスコ)。 週末はほとんど運行していないため、出張で日曜日に到着すると、電車を待つのに多くの時間を無駄にすることになります。 確かに、米国に戻ったときは不快です。
人々は、実際に住むまでは自動車のない都市という考えを嫌います。 ハッカーニュース
2 notes
·
View notes
ビールを嬉しそうに喉を鳴らしながら飲む人。
ハイボールのレモンをくるくる回す人。
冷酒の表面張力に口をつけて笑う人。
ワイングラスの口紅を恥ずかしそうに親指で拭う人。
この歳になるとそんな思い出がどのお酒を飲んでもフワッと浮かんで消えていきます。
特定のお酒で思い出す人はいますか??
また、どんなお酒やその仕草で思い出してほしいですか??
メキシコ料理屋で瓶ビール、メキシコーク、ピニャコラーダを飲んで、その後のバーで瓶ビール、テキーラショット、ウイスキーの水割りを飲んで地下鉄で帰ってきたところです。いまだ大粒の綿雪が降る札幌は、店から出た30秒間だけ、酒で火照った身体が氷点下に冷やされて気持ちが良い。30秒後には寒い寒いと次の店に足早に向かいます。そんな北国からこんばんは。
質問を読んですぐ、背が低いグラスに入った氷をくるくると指でかき回していた人を思い出しました。もう数年会っていないし、金輪際会うことはないのでしょう。セブンイレブンの前で涙を拭われたほど好きだったのに、今や思い出は氷が溶けた酒のように薄められてしまいました。もう酔わされることはないです。それでも1番に思い出してしまうってことは、永遠に真水になることはないのでしょうね。ここから北に120キロ、札幌の次に人口の多い旭川という街に進学した人でした。わたしは彼に女の子のひとりではなくて、ひとりの女の子だと思って欲しかった。2月の睫毛さえ凍る-25℃の旭川で朝帰り、ダイヤモンドダストを見ました。その前の晩も旭川のある居酒屋でくるくると氷を回していて、彼の無意識の癖だと気づいたように記憶しています。
次に旭川へ行ったのは、数年後でした。上記した彼とは違う男の子に会いに行った。彼は反対に、進学のために札幌に来ていた人で、旭川が地元でした。そしてこの彼も、同じ癖のある人でした。旭川という地やその所作で前の彼を彷彿し、勝手に悲しくなりました。今思えば、とんだ巻き添えだと思います。わたしは、彼のひとりの女の子になることを選べなかった。今でも、30℃にもなる盆地の旭川の熱帯夜でタクシーにも乗らず、手を繋いで空の星を指差し繋ぐわたしたちの影を思い出します。
わたしはゲラですが、比較的なんでも飲めてしまう体質なので、特定の酒で思い出してくれる人はいなさそうです。けれどもわたしが酒の場で泡の跡が残るようにビールジョッキを煽るのも、日本酒の後に必ず一口真水を含むのも、ロックの氷を指で遊んでしまうのも、レモンサワーやハイボールは箸でステアしがちなのも、乾杯した誰かの癖が自分に移ってしまったのだと思います。自分に宿る誰かの面影に気づくと、彼らと過ごした日々が存在していたことを示せている気がして嬉しくなります。
18 notes
·
View notes
2023/03/04
夜になり風が強くなった。
学生からの友人と3人で会った帰りだ。コートの襟をてて、マスクで顔を覆う。結婚式のフィッティングのために無理やり痩せたあとなので少し大きく感じる。もう明日だなと思う。
それでも飲みに出たのは、
ひとりの友人がテーラード部門も抱えるアパレルに勤めていて、社割りでスーツを購入させてくれるというのでお願いしたついでだ。どちらがついでかは誰もわからない。
採寸をして最近のトレンドや生地についてアドバイスを貰う。インポートは円安で高いからこっちの張りがある国内生地がいいよと値段を見せてくれた。11万円のものが5万程度で買えるの嬉しい、助言も頼りになる。
焼き鳥屋で飲み、さらに串かつを食べて帰る。
妻との約束通り締めは食べずビールは一杯だけ。
別れしな、友人に結婚式の受付を頼み快く了承を貰う。多摩センターも風が強い。八王子の山から吹き下ろしてくるからだよ。と昔父が言っていたのを思い出す。父が頭によぎるのは珍しい。友人の子供に会ったせいだろうか。
上手く助け合いながら生きていければ。と友人や家族について思う。ゴツゴツした考え方もそのままで良い。これがこの人なんだなと思う。相手をどうのこうのしたい願望はない。自分の道を歩く力はそれぞれついてる。
若い頃はすべて同じが良くてそれが気持ちよくて、心な繋がったという瞬間を求めていた。なんて無鉄砲で怖いもの知らずで、愚かで、尊かったのだろう。もう、できない。誰とも。幻想だと知ってしまった。それだけ多くのものが失われていった。ひとりで逝かない人はいない。個人的なのに、その人に起らないのだ。同時に消える。死という概念がナマナマしくあって、心を変容させる。関わる人々を。
夜の街、遠くの山の暗闇、灯る光、電車の通る音、駅に依る人、終わりかけの今日。なんだか切なくてノスタルジックな宵の口。
ひとりの友人は家庭から抜け出してきたせいか、まだ帰りたくないとキャバクラに行くと言っていた。誘われたがもちろん断った。趣味じゃない。タクシーで帰るのも馬鹿らしい。
どこか息抜きが人には必要なのだ、孤独を少し和らげるための。その口実になっていたとしても構わないし、笑って受容できる。
さて帰ろう。生活へ。
8 notes
·
View notes
遠鉄タクシー
18 notes
·
View notes
2024/4/2 12:59:37現在のニュース
��藤鉄夫国土交通相「静岡県とJR対話促す」 リニア令和9年断念 一日も早い開業を([B!]産経新聞, 2024/4/2 12:57:21)
すし屋からラーメン店、トルコ料理の総菜屋‥近鉄・阪神「大阪難波駅」の構内は食の宝庫([B!]産経新聞, 2024/4/2 12:57:21)
そごう・西武、本社部署半減 執行役員も減らしスリム化 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:57:17)
国内借入金利、15年ぶり上昇 ゼロゼロ融資の反動で - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:57:17)
カーディガンとジーンズ姿の「警察官」、手帳の提示求められ逃げ出す…窃盗未遂容疑で高校生逮捕([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:54:12)
18歳未満にわいせつ行為の教員、一律免職処分へ 神奈川県教委(毎日新聞, 2024/4/2 12:53:53)
営業利益率は4割 「再生ウエハー」首位のRSテクノ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:51:39)
廃線跡を自転車道に再生 国も転換後押し りんりんロード、旧駅舎の休憩所が好評 /茨城 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:51:34)
「幸せを呼ぶ黄色い電車」前で相鉄新入社員は記念撮影 神奈川県内で入社式や入庁式([B!]産経新聞, 2024/4/2 12:51:27)
三陸鉄道40周年、記念列車に地元住民から温かいエール 163キロを約4時間半かけて運行([B!]産経新聞, 2024/4/2 12:51:27)
40年で70億円、まいた種が大きく育った エジプト考古学者・吉村作治さん(4完) アーカイブ「わたしの失敗」([B!]産経新聞, 2024/4/2 12:51:27)
南海高野線、夜桜の歓迎 7日までライトアップ 九度山 /和歌山 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:45:38)
福岡市地下鉄、延伸1年 七隈線、増便で皮算用 混雑緩和&脱赤字 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:45:38)
東北新幹線、東京-福島間で運転再開 福島-仙台間は見合わせ続く | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:45:38)
震災乗り越え40年、三陸鉄道が記念列車 「あまちゃん」にも登場 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:45:38)
科技立国 反転の糸口(1) 研究力向上へ最後の好機 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:45:18)
上川外相、UNRWAへの拠出再開表明 テロ関与疑惑で一時停止(毎日新聞, 2024/4/2 12:39:39)
JR北海道が運賃8%上げ検討 新観光列車開発も 中期計画発表 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:39:34)
道内初、積み替え施設 函館貨物駅 「24年問題」見据え /北海道 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:39:34)
三陸鉄道 震災乗り越え40周年 記念列車運行 住民らお祝い /岩手 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:39:34)
加西列車転覆事故 戦争ない地球を願い 慰霊祭に20人 /兵庫 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:39:34)
https://mainichi.jp/articles/20240401/k00/00m/040/281000([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:39:34)
福岡空港、複合商業施設の新設や国際線路線数6割増で収益力アップ…設備投資5年で1070億円([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:37:18)
北海道に豪華観光列車を投入へ…「ななつ星」デザイナーが手がける「赤い星」と「青い星」([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:37:18)
勤務中の警察官、サングラスもコンビニ買い物もOK 期待する効果は(朝日新聞, 2024/4/2 12:35:10)
歌舞伎町の質屋に強盗容疑、3人逮捕 「即日お金」闇バイトに応募か(朝日新聞, 2024/4/2 12:35:10)
13歳だった同級生、あの日も隣のコートに 「今でも帰国を夢見て」(朝日新聞, 2024/4/2 12:35:10)
DENZAI、浮体式洋上風力工事に参入 200億円投資 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:33:22)
長周期地震動とは 震源遠くても注意、階級4区分など分かりやすく解説 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:33:22)
鉄鋼業界「脱炭素」で鉄スクラップ不足に 相場高の足音 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:33:22)
夢の核融合発電 調達100億円超スタートアップは14社 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:33:22)
路線バス減便で高校生にタクシー券 山口・光市が実証実験(毎日新聞, 2024/4/2 12:32:26)
捏造? 護衛艦「いずも」のドローン動画が物議 防衛相「分析中」(毎日新聞, 2024/4/2 12:32:26)
松山駅高架下 14店公表([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:30:29)
コロナで経営悪化、公営地下鉄やバス支援へ…住民の交通インフラ維持([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:30:29)
三陸鉄道が開業40周年、オリジナル記念鉄印を発売…宮古駅で記帳受け付け([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:30:29)
JR北海道が来年4月に運賃8%値上げ…年37億円増収見込み、国の支援から自立目指す([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:30:29)
0 notes
ある画家の手記if.117 行屋虚彦/名廊直人視点 告白
一度実家に帰って制服とってきた。
俺は今高校生だったらしい。入学式にも出てねーからなんの実感もなかった。一昨日、担任からケータイに電話きて、夏休み前に宿題とかいろいろ渡すもんがあるからって言われて、学校に呼び出された。
学校に行かないのはそこまで気が回らねえっつーか…普通に暮らしてて学校に行く時間とか体力の余地がどこに出てくんだよ…とかもそんなに思ったことないな、学校とか通学とかの概念からねえし完全に忘れきってて。
でも周りの大人は初対面だとけっこうな高確率で訊いてくる。「学校に行きながら絵も描いてるのか?」そう訊かれるたびに、学校ってのは人間が生きてくためにそんな重要なもんなのかなとか、こうやってテキトーに抜かしてっとなんかまずいことになんのかなとか。わかんねえけど。
それでたまーに小・中の頃も顔出す程度には行ったりしてた。それでも俺に友達とかができないのは、俺がコミュ障だからなのか、滅多にいないやつだからなのか、イライラしてることが多いせいか、目つきが悪いせいか、友達欲しいわけでもないからか、全部かもしれねえし…とか思ってた。視界の暗さの正体と、あからさまな嫌がらせみたいなのされるまでは。
高校がどこかわかんねーからタクシー使って学校の名前言ったら門のとこにつけてくれた。
俺の今日の行動はどうもこっからマズかったらしい。
教師には徒歩で通学して心身を鍛える目的がどーのこーの、クラスのやつにはあいつタクシーで来てた、って言われて、教師のはなんか言い分があんだなと思ったけどクラスのやつのは完全に謎だった。タクシーで来た、その通りだけど、それがなんなんだよ…タクシー代はちゃんと自分で稼いだ金で払ってるっての…
教師のは黒じゃなかったな…クラスのやつのはかなり黒に近くて、黒板が見えにくいレベルだったから授業中に一人で教室を出た。なんか言われた気がするけど誰の声かも分からなかった、他の教室からも声がしてて、なんでこれを… いや… 普通は取捨選択して不必要な情報は意識から落ちる…んだっけ、あの人が言ってたっけ、知るか、俺はそうなんないんだから普通が俺を
どう助けてくれるんだよ
教室から出て校庭の鉄棒の横の花壇のレンガに座って、ぼんやりしてた。春に飽和して人体との境界線を曖昧にしてた白い空気が夏に向かって少しだけ引き締まってる。心地いい温度に融ける人間。耐えられないやつは死ぬ。これを五月病とかいうんだっけ。違うっけ。
今日はもう七月でだいぶ暑い。でも外にいたら問答無用で熱中症になるってほどでもない。風が鉄紺色、少し冷たい心地いい風。
ポケットに入れてた小さなルーペを出して、地面に当てて見る。このルーペはずっと昔に直人さんがくれたもの。俺がイライラしてた時、視野のスケールを極端に変えたらどうかなって、言われて。広く見るのは難しいから極小の世界を、こうしてたまに見る。…ルーペの向こうには普通にしてて俺に見えないものが、たくさん見える。
花壇に咲いてる花はたぶんどれも綺麗ってやつなんだろうな、じゃなきゃわざわざ植えねえのか。花をよく見ようとそばに手をついて少しかがんだ、手元に、ぼたっと落ちてくるみたいに黒が
咄嗟に立ち上がって何歩か退いたけど 遅かった
頭にバシャっと水かけられた …いってーな…3階以上の高さからやったろ今の…
でも不潔な水とかじゃないな、水道水か?それだけでもまだマシか…今のは回避できなかった俺のミスだ、見えてんのに反応遅かった。最近ガチで学校きてなくてこういう危機意識鈍ってたかな。
と、思いながら頭上を咄嗟に庇おうと掲げた片手に、ぶっすり尖った鉛筆が一本、貫通して突き刺さってた。水は綺麗でも異物混じってたか。…ギリギリ貫通はしてなかった。手のひらから抜いてその辺に鉛筆を放る。
はー…制服は濡れるし、散々かよ。
一度鞄とりに教室に帰ったらいろいろ言われてた。黒の濃さからして水落としてきたのは隣の教室っぽいけど。
あえて意識して声を言葉として拾ってみるよう意識を集中する。
ーーー画家って普段なにしてんの?
ーーーさあ好きな絵描いてるだけじゃね
ーーーそれで学校休んでいいことになるんだ
ーーーそういうんじゃなくてただの不登校だろ
ーーーあいつべつに画家じゃないだろまだ学生だし
ーーー稼いだ金どうしてんの
ーーー画家って儲かるの~
ーーー才能とかあれば高く売れるんじゃない
ーーーあいつのはあれだろ、ガキの頃から描いてるってのが売りポイントっつーかそこがまず高ステータスになるみたいな
ーーー才能関係なくね?子タレと同じ
ーーー小さい頃から好き勝手してもなんも言われなかったんだね
ーーー父親のほうが名前売れてるからそういう家にいたら流れで子どもも描いたりすんじゃね
ーーーお家柄ってやつ
ーーー売れる絵の書き方とか小さい頃から教えてもらえそうだもんね、そりゃ上手いに決まってるわ
ーーーさっき水かけたやつってあれだろ、隣のクラスの美術部の、中学ん時あいつと比べられて学祭のポスターこき下ろされたとかいう
ここまで
ここまで!
これ以上は聴かねえ 走って教室を出る 俺はただ描いてるだけなのに 誰を蹴落としたこともねえよ ただ描くだけがどうしてもそうなるから昔から嫌なんだこんな場所 画家同士なら ただ描くことが誰も誰かを傷つけないのに
知るか どいつもこいつも勝手に潰れろ
そのあと職員室いって、受けとるもん受けとって帰った。帰り際に担任にあれこれ言われた。曰く、
母親が亡くなって生活は大変かも知れないが自分で稼げるからってなんでも金で解決しようとするな、タクシーも使うな、もっと運動しろ、もっとよく食べろ、健康的な生活しろ、なるべく学校にきて同世代の友達と交流を持て、勉強もしろ、今が楽しいからって絵ばっかり描いてるといつか後悔するぞ、高校は義務教育じゃないのに通えるありがたみを知れ、親御さんに感謝しろ、画家なんて仕事は卒業してから始めたって遅くない、でも同世代との学校生活というものは今しかないんだぞ
…赤と青が声と扇風機の風に乗ってひらひら天井に向けて舞い上がってるのを見てたら、ちゃんと顔見て話を聞けって言われた。なんで濡れてるのか訊かれたから、暑かったんでペットボトルで水かぶりましたつっといた。
帰り道は学校から見えない距離まで歩いて、そっからタクシー使った。
行きは場所がわかんなかったからだけど、今は濡れてるから電車とか乗るとちょっとこのままじゃ風邪ひきそう。
帰ってから制服をハンガーにかけて壁にかけて、ドライヤーをあててたらインターホンが鳴った。
出てみたら香澄さんだった。
「すみません、俺も今帰ったばっかで」お茶菓子とかなんも用意できてないしちょっと散らかってます、って続けようとして黙る。
「……」
香澄さんの いつもと色が違う。表情も違うせいか?…なんかあったのか
「香澄さん? ここ来るまでに、なんか…ありました?」
「…え?」
やべ…やらかした。相手が自覚ないときはそういうの言わなくていいんだっての…
とか思ってたら香澄さんが少し首下げて俺の髪の毛に顔近づけてきた。そういや濡れたままだった。
「水…? 手も怪我してる」
言われていろいろ思い出す、手も今の今まで忘れてた…。ドライヤー片手にどう返そうかと思ってたら風呂に直行することになった。俺が。…なんでだ。
「怪我してるし、風呂入��の手伝うよ」
「… え、 …手伝… え」
「髪洗ったりタオルしぼったり…」
「え…いやそれは、…え…っと、」
「…ごめん 他人に頭とか触られんの嫌かな」
「そういうこと…じゃなくてですね、」
香澄さんが風呂に入るの手伝うっていうのをめちゃめちゃ遠慮してなんとか一人で風呂に入る。
手伝うってあれか、前に俺が母さんにやってたようなことか。俺はそんなに抵抗なくやってたけど、…あれって結構ハードル高い人には高いらしいからな…。そうじゃないから申し出てくれたのかもだけど。…わかんねー…
風呂入る前に香澄さんに穴あいてるほうの手を清潔なビニール袋で包まれて、手首にゴムみたいなのでしっかり固定された。防水?
「困ったことあったら呼んでね」って言われて、ようやく香澄さんはちょっと普段の表情に戻った、けど、色は来たときと何も変わってなかった。
湯船に2分くらい浸かってただけでもう逆上せてきた。くらくらしながら風呂から上がる。
髪をタオルで拭きながらリビングに行ったら嵌めたままのビニール袋とられて治療?がはじまった。…そんなたいした怪我じゃねえんだけど…
手当てされながら「何があったの?」って訊かれた。
「学校行って宿題受けとってきました」深いとこに折れて埋まった鉛筆の芯はどうもならなさそうだな。なんかちょっと大袈裟なくらいに包帯が巻かれていく。
「学校…」
手元狂わせずにどんどん処置を進めながら香澄さんが呟いた。そういや俺、今日まで学校行ってる素振りとか全然なかっただろうし実際行ってないからただの無所属ニートと思われてたかもな。画家ってそんなもんではあるけど。
「もらっても宿題やんないですけどね」ちゃんとやったことは一度もない。それで殺されるわけでなし、毎年違うスケジュールとかぶるんだよな。公募とかもこの時期多いし。
「うつひこくんはいま…高校生?どうして学校いくの?」
「普段は行ってない不登校児ってやつですよ。でももうすぐ夏休みだから、たまには顔見せないとっていう程度の」
…ん?今のって、今日なんで学校行ったかじゃなくて、俺が学校行ってる理由全体を聞かれたのか?俺…日本語が不自由か…
「そうなんだ …俺高校って行かなかったから、どんなかわからなくて…ごめんね」
謝られた。やっぱなんか俺が間違ってた気がする。こういうとこに学校行く意味とか意義とかがあんじゃねーの…とか思う。日本語での円滑な意思疎通みたいな…。
「この怪我はどうしたの?」
包帯を巻き終わった俺の手をじっと見て香澄さんが言う。…利き手じゃねーし、まあ利き手でもか、そんな痛くはないし平気だし、…こんなじめっとした話聞かされても困るんじゃねえの。
でもこういうこと訊かれんのも久しぶりだ。香澄さんがそういう界隈の人じゃないからか。
「そういう風に訊いてもらえるだけでだいぶ救われます」
包帯が巻かれたほうの手を俺も見ながら、ちょっと俯き加減になる。
「自傷で片目がこうなったの、俺の周囲はだいたい知ってるんで、そっからはなんか怪我しても自分でやらかしてんだろってスルーか嗤うかくらいしか誰からも反応ないから」
どういう経緯で片目潰したか知ってる少数の人間は別だけど、その人らも忙しいからなかなか会わなかったりで、結局一番接してる人間は名前も覚えてないような個人的な付き合いのない人たちばっかだ。だからこそ言えるし嗤えるってとこはあんだろうけど。
ーーーーでも、そういう人たちも…
「…。」
なんか裸足の足裏…足元が湿ると思ったら、香澄さんが目の前で悲しそうな顔してた。…来たときの色が、落ちてる。
「自分でやったの…」
…どっちだこれ…迂闊に目のこととか話題にしないべきだったか…せっかく …いや、事実は事実でどうにもなんねえしな。
「…手ですか、目ですか」
香澄さんは一度顔上げて俺のほう見たけど、喋るごとに俯いてく。
「え、あ、どっちも…?どっちっていうか、ごめん…えっと…」
…俺が完全に取りちがえて主旨ずらしたっぽいよな、たぶん。
楽しくもない、じめっとしてて、いい気分にはならない、そういう話を、聞いてくれようとしてた…のか
「夏休み前だから夏休みの宿題取りに来いって担任から呼び出しの電話きたんで久しぶりに行ったんです。教室の中は俺の噂か陰口か微妙なので溢れてて、校庭に逃げてって。そしたら上階の窓から水かけられて、水はただの水だったけど中に鉛筆とか釘とか混ぜてあって、俺が咄嗟に頭庇おうとして手をかざしちゃったから、手のひらに降ってきた鉛筆が刺さったんです。 …それだけです。」
「……そう」
香澄さんがまたちょっと表情強ばらせてる。…こんな詳細まで言わなくてもはしょればよかったかと思ってたら頭にそっと手が乗った
「………」
「お疲れさま、…今日はもうのんびりしよ」
優しい感じの撫でかたで頭を撫でられる …。
「頭庇ったのは偉いよ、すごいねえ俺たぶん咄嗟に動けないや」
俺的には失敗…いや…大差ねえか…でも顔とか頭とかより手を庇うべきだった気もしないでもない…
立ててた片脚に体を乗せてぐたっと項垂れる
香澄さんの撫でかた、ちょっと母さんと似てるな
…黒
「やったのが誰かは分かってるから、怒るとか、教師に言うとか、…そいつが悪いって言えれば… … 」
言うべきなのかもしれない。それとか他のなんか、行動起こすとか。俺にそういうことやるんなら他の人間にも平気でやってんのかもだし、とか、俺一人で片付けていい問題じゃない、みたいな。よく知らねえけど、いろんな意味で。…でも、
「でもみんな… 何かあるじゃないすか ゲームの敵キャラみたいに俺を痛めつけるだけに生きてるわけじゃない 今日の俺にとってはそうでも …
…みんなにそれぞれのここまできた時間と色があって
…俺は誰かを指差せないです、おまえが悪いとかっては そうしたほうが …みんなのためによくても… …」
今日の俺に…とっても、か…。
「…… 誰のどんな事情もうつひこくんに怪我させていい理由にはならないよ」
理由…
…走ってったとき隣の教室から出てきた一人の黒いやつ、たぶん間違いねえと思うけど、降ってきた黒と同じだった、黒にもいろいろある
廊下でちょっとだけ睨まれた気がする。
黒いけど、他の色もあった、入り混じって、俺への悪意だけでできた存在じゃないのは見ればわかった、あいつにもいろいろあるんだ、何があるのかまでは俺には分からねえけど
みんなにそれがある 俺はあれでいいと思��た 美しいと あれが俺への悪意や複雑な感情の現れたものなら あのままがいいな
美しくはないよ、そんなこと言ったら現実はなにも美しくない
でもそう思う以外にどうすれば 俺は
………………
………
………
包帯巻かれてなければ普通めに動かせるんだけどがっちり巻かれてガードされてて、今日もう何もできなさそーってことで、俺は例の人をダメにするクッションの上に大の字に寝そべって首のけぞらせて香澄さんのしてることを上下逆にぼんやり眺めてた。こいつマジで人をダメにすんな…
香澄さんはキッチンで今日の夕飯作ってくれてた。
さっき手当てしてもらってて服の裾からちょっと覗いた香澄さんの地肌、なんか古傷みたいなのあった。白い光を放ってて、それが白く見えてたんじゃないかと思って一瞬ぞっとした。
朱の中の、白い筋、人体の脂肪分みたいな …どういう事情かなんてそれこそなんも知らないけど、白く見えてるのがなんかの傷か傷跡なら大量の傷が頭から爪先まで全身にある…もしくはあった、のかもしれない。
事情は知らない、でも…学校で地味な嫌がらせされてるとかって話題は香澄さんの前ではテキトーな嘘ついてでも避けたがよかったんじゃねえの…今更だけど…
とかぼんやり考えてたら夕飯ができた。
香澄さんと二人で向かい合って食べる。美味そうだけど見たことないオシャレな感じの料理。赤いな
「うつひこくんは好きな食べ物ある?」
「肉ですね」
「肉。」
「焼いた肉ならなんでも」
「人と食事したりは平気かな」
「全然です。食えないもんもないし。一人でいるとダルさが勝つんで食事抜きがちなだけで」
「そのソファちょっと気に入った?」
「はい。ここ来るまではアトリエで描いてそのままコンクリとか板の床にぶっ倒れて寝て、ってののエンドレスリピートだったんで、このソファやばいすよね。座ってると自分がこれまで石器時代と同じ生活レベルで生きてたの実感します」
二人でなんてことない会話をして夕飯食べて、食べ終わったらまた香澄さんが食器洗ったりとか全部してくれて、
俺は誰かが俺のかわりに家事とか全部やってくれる不思議空間でそれをじーっと見てた。
………………
………
………
俯いたまま床を見つめ続けて、
さっき見た色
黒に
…
………
………
…
無理だ
なんとかしようとしたけど俺一人の手に負えるものじゃない
「香澄さん 直人さんちに連れてってください」
***
急に香澄から連絡がきて、今からイキヤがこの新居に来るらしい。
僕は描いてたのを中断して、屋根裏部屋のアトリエを少し整理して整える。越してきたばかりだけど既に描いた紙が山のようにあちこち積まれてたから雪崩を起こさないように。
イキヤも無意識にうろうろするほうだけど、僕より半径が広かった気がするな。寄せて置いてた木製のラックを端のほうに避けて少し広めに空間を空けておく。
…30… いや、イキヤの身長が170ないくらいだから、腕の長さ的にはP20か…短時間勝負なら15号がいいかもしれない、どれもここにあるから一応15号をイーゼルにセットしておいて本人に聞いてみるかな。
そうこうしてるうちに外と玄関で音がして、玄関からすごい勢いでイキヤが走って入ってきた。「アトリエは3階、階段はそこ。F15?」「15です、ありがとうございます」
その一言だけで素早く階段を上っていった。追加で背中に投げる。「コバルト使うのに変な遠慮するなよ」「しないすよ」
後ろからついてきた香澄がきょとんとしてる。
苦笑い、とまでもいかないけど、腕を組んで笑いかける。
「描かないと処理できなかったかな」
アトリエのほうを見上げて続ける。
「イキヤなら一時間かからないから、そのあたりで様子見に行こうか。たぶんそのまま床で寝てるから、せめて客間に布団敷いて転がしておこう」
きっかり一時間経った頃に様子を見に行こうとしたら僕より先に香澄がアトリエに行って、やっぱり床で寝てたイキヤを抱え上げてた。
僕が客間に布団を敷いて、香澄がそこにイキヤを寝かせる。イキヤは一度眠ったら気絶したみたいに何しても起きない。
起きるまで客間についてようとする香澄を「今日はもう目を覚まさないから」って説得して、自分の部屋に寝かせる。
僕は今夜は睡眠薬を飲まないでコーヒーを啜りながら、イキヤの寝てる客間と隣接した部屋で夜通し仕事の続きをした。
.
0 notes
2023.03 十勝岳
雲海上の山頂、最奥に日高山脈も見渡せる
前回来たときは5月と遅い残雪期だったが天候悪く撤退した。今回は3月ということで厳冬期から残雪期の間というところか。この辺りは真冬は天気が非常に悪く、3~4月になると安定して良くなるので、予報を見計らってリベンジしに来た。ただし季節外れの高温ではあったらしい。
前日に出発を決めたので安価なLCCで新千歳空港、そこから鉄道で上富良野へ。飛行機代で10000円強+鉄道代5000円くらい。上富良野から十勝岳温泉へのバスはありがたいことに3月中のみ無料だった。最終バスで白銀荘は17時すぎ到着となった。
白銀荘周辺は食事を調達する場所が一切ないため、今回は新千歳空港にて調達しておいた。リッチにサーモンにイクラを散らしたのと、牛肉が乗ったお弁当。
山頂の天気はお昼くらいで最も良くなるとのこと、また17時40のバスに乗って帰るためアタックは0800とかなり遅めに設定。0600起床し朝風呂に入ってくる。いろいろ準備して0800出発。駐車場にはスキーヤーの姿が多く、これくらいの時間にマイカーでやってくる人たちがちらほら。白銀荘から十勝岳山頂は見えないが、すでに最高の天気。火口からは大量の噴煙が出ている。
【コースタイム】白銀荘(0805)→渡渉点(0825)→昭和火口(1005)→十勝岳(1115-1215)→昭和火口(1250)→白銀荘(1400)
まずは樹林帯から。トレースがたくさんあってありがたい。前回は全く無かったので進行方向に戸惑った。
15分ほどで樹林帯を抜け森林限界に。振り返ると雲海が広がっていて、ちょうど白銀荘あたりから雲の上だったみたい。見えているのは雲ではなく火口から噴き出す噴煙。
右方向には上富良野岳?の頭が見える。
樹林帯抜けてからすぐに渡渉点。前回5月は川の中に足を突っ込んで進んだけど、この時期はまだ十分雪が残っていて橋のようになっている。
一面銀世界
振り返ると樹林帯の中に白銀荘が見えた。雲海が果てしなく広がり、北海道の広さを実感する。
気がつくと左の方に避難小屋があった。夏道とはだいぶ外れている。この時期は国道が一部閉鎖されているため望岳台は使えないとのこと、どおりでみんな白銀荘から出発する。
ルートは結構好き勝手で、それぞれが登りやすいと思ったように進む。自分もずっと誰かのトレースをなぞるだけはなんか嫌だったので外れてみる。先程まではなだらかな道だったが、昭和火口への登りが本日一番急。
約2時間で昭和火口に到着(なお昭和火口はもっと小さく、この大きな窪みはスリバチ火口の模様)。この火口は活動していないのか、雪の中に埋もれている。火口の中も覗いてみたかったが雪庇を踏み抜く危険があったのでやめていおいた。向かいにみえるのは美瑛岳。
昭和火口まで登り切ると再びなだらかに。ようやく十勝岳山頂が見える。ここからは常に最高の景色の中を進んでいく。
進行方向右側には白銀荘からずっと見えていた噴煙を出している火口と同じくらいの標高に。あっちの方向には大正火口・グラウンド火口・62-II火口と3つの火口が集中しており、どの火口からの噴煙かはわからないが、とにかく活発な火山活動が続いているのがわかる。
山頂直下が再び急となる。この先でトレースが2方向に分かれており、このまま直進しつづら折りのようにジグザグ登って右のコブを通過するか、途中で左に折れ(真ん中あたりの登山者が歩いている)山頂をぐるっと回って裏手から登るか。後者のほうが道が緩やかみたいなのでそっちにした(距離は伸びるが)。
途中までは直進し
左へ折れ、写真の裏手から巻いて山頂へ
白銀荘から約3時間で山頂に到着。
奥から富良野岳・上富良野岳・上ホロカメットク山・十勝岳へと続く馬蹄形縦走路。夏にここを歩くのも計画していた。
さらに奥には日高山脈がずらーっと並び壮観。十勝岳周囲は雲海だが、あっちは麓も晴れているみたい。
反対方向は美瑛岳・オプタテシケ山が手前に連なるが、奥は大雪山系旭岳が並ぶ。翌日はあっちにも登りたかったのだが、翌日の帰りの飛行機が空いておらず今回の旅は十勝岳のみということに。なおこの十勝連峰から大雪山系までは一応ひとつの山脈としてつながっており、日本海側からの雲(写真左)を遮っている。
そのため太平洋側は雲ひとつない晴れ。奥に見えているのはニペソツ山・ウペペサンケ山かな?
左が富良野岳、中央やや右に火口、右端に登山道のトレース
今登っている人は山頂直下を直進するややキツイ道。
自分が歩いてきた道(左端は除く)。遠くまでトレースが続いている。写真中央やや上の窪みが通過してきたスリバチ火口(昭和火口)か?
全景(登山道方面)
全景(登山道と反対側方面)
微風で日差し強く適温で快適、雪山なのに山頂になんと1時間も滞在していた、とにかく景色がすごすぎ。早く下山しても帰りのバスは夕方だし。とはいえみんな下山してしまったのでそろそろ降りる。雲海の位置が朝からずっと変わらないので、かなり安定した層がこの周辺を覆っているらしい。
となりの尾根にも下山者いた(写真中央の点)。
かっこいい山頂
ちなみに今回は最初から最後までワカンを装着していた。ご覧の通りこの時期でも積雪で新雪が積もっており、アイゼンだとかなり歩きにくい。なんならスノーシューでも良かった。山頂付近もそんなにカリカリしておらず、普通に積雪。
昭和火口(スリバチ火口?)。下山のほうが火口の形がよく分かる。
山頂見納め。ここから先へ下ると見えなくなる。さっきから見てきたが、ものすごい光景だ。
樹林帯の中に白銀荘が見える。ギリギリ雲海に巻かれていないが、
高度を下げるにつれてどんどん雲に近くなり、とうとう突入。かなり濃く10m先も見えないんだけど。これトレースなかったら泣いてた。
樹林帯の中に入ると少し見通し良くなる。
山頂から約2時間で白銀荘に到着。霧が濃すぎて目の前にあるはずの本館が見当たらない。帰りのバスが3時間後なので、あとは温泉でかなりゆっくりくつろぐ。通常700円のところ再入館のため350円。土曜の午後で人が多かった 。
3月ということでほぼ残雪期だが、それでも北海道なので雪は降るためワカンかスノーシューは必須と思ったほうが良い。現にアイゼンは一切使用しなかった。次回来るときは夏~秋か、果たして今回以上の景色が次来たときに見られるだろうか?
千代ケ岡駅からタクシーで旭川空港向かう予定が、タクシーおらず配車もかなり時間がかかるとのことでかなりヤバかった。上富良野駅は駅前にタクシー何台もとまっていたので慢心していたが、千代ケ岡駅利用する場合は前日などに予約必要。
0 notes
島林大祐写真展 ごまおのアレ 本日最終日14時まで あっというまの18日でした。心から感謝。ありがとうございました。 意地になってまだ見に来てない人!!本当は見に行きたいという心のお子ちゃま反応です(笑) 大人になって、素直な気持ちでさぁ、日野へ行こう!(自爆) 日野町立図書館は、車だと京都東インターから蒲生スマートインター経由で役45分です。 大津インターからは40分 栗東インターからは30分 竜王インターから25分で着きます。 高速使わない場合は。大津市から約90分 野洲市から60分です。 電車の場合、 京都から62分(近江鉄道の乗り継ぎが良ければ) 乗り継ぎが悪いと170分 基本的に近江鉄道は本数が少ない。ので、 近江八幡駅から。近江鉄道に乗るか。バスに乗るかでふ。 日野駅から図書館までは、徒歩40分 バスもありますが、図書館の近くには泊まらないです(笑) タクシーか、ヒッチハイクになると思われます。 一昨日、伏見の長尾天満宮の宮司さんが来てくれた時は、日野駅からは、バスで、 バス亭を降りたところで、図書館までの道順を聞いたら、遠いから送ってあげると、ヒッチハイクできたそうです(笑) 地元のシャトルさん曰く、日野の人の中には、不便なことを知っているので、 よそから来た人に優しいのだ。とのこと。 一か八か、やってみては?(笑) #日野図書館 #島林大祐写真展 #島林大祐写真展ごまおのアレ #しがトコ #個展 #写真展 #日野町 #滋賀県 #ギャラリー巡り #写真家さんと繋がりたい #フォトグラファーと繋がりたい #フォトグラファー (日野町立図書館) https://www.instagram.com/p/Cp8v2Gjvx7o/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
呉服町次郎吉にて。福大時代の同級生、鉄骨検査で大阪から福井に。駅前で飲んでいたけど大学近くの次郎吉へ。朋有り遠方より来る、昔話。福井駅へ向かうタクシー見送ったらちょい泣けてきた(笑) #福井 https://www.instagram.com/p/CoFEsYQSPZS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
パンデミック前に体験したほんのり(と当時は思っていた)怖い話を残しておきたいと思います。当方外資系の商社の営業部で働いている身なのですが、時折他国の支社に出張する機会があり、初めて上司を伴わずに一人で出張となったのが2018の事でした。行先はタイのバンコク。数日間の忙しい仕事や打ち合わせを終え少し気も楽になった私は、一人であったこともあって独身男性の好奇心のままに夜の街に繰り出すことにしました。ここでなぜか日本人特有のシャイさを発揮した私は、日本人の溢れる某エリアを避け、バンコク中心部から北東に離れた歓楽街に向かいました(念のためエリアの具体名は避けたいと思います)。有名歓楽街では女性を品定めして「買う」スタイルが主流であるのですが、当時彼女がいた私は海外とはいえそれも気が引け、そのバンコク北東エリアではセクシーな女性と一緒に飲んで楽しむというスタイルがメインとネットで見かけたのも私を後押ししました。22時頃現地に到着すると、そこら中ネオンやサインで目がくらむというような感じでもなく、一目見て外国人と見受けられる男性陣もまばらです。予想以上のローカル感に少々面喰らいましたが、それらしきバーにとりあえず飛び込んでみました。店内は50名程度はくつろげるであろうスペースのバーで、奥のステージでは5,6人のお姉さんがやる気のない感じで体を音楽に合わせて揺らせています。稼ぎ時であろうと思われるのですが、店内には数名の地元客と思われる人たちしかおらず、外国人は私一人でした。今考えると繁盛店でなく、外国人もいない時点で危ない香りがするのですが、興奮と好奇心がMAXに達していた私にはそのことは全く気になりませんでした。空いている席に着くと、小さめのドドリアのような小太りのおばさんがドリンクとフードのメニューを運んできます。地元密着型であるためか価格はとてもリーズナブルで、万が一の事を考えてかなりの額を両替してきた私の心配は杞憂に終わりました。一通り注文を終えると、ミニドドリアは「ガール?」と言います。どうやら席に女の子を付けたいか、という事のようです。満面の爽やかな(つもりでとても気持ちの悪い)笑みで「プリーズ!」と言うと、ミニドドリアが去って行った後に小柄の可愛い女の子が私のもとにやって来ました。女の子はとても可愛い!某ダレ〇ガレさんを小柄にしたような彼女は、私のもとに来るなり隣の席ではなく私の太ももの上に座りました。片言の英語でコミュニケーションを取りつつ、私の手を彼女の体のあちらこちらに導く彼女に、この時点で私の興奮はマックスです。気持ちが大きくなるうえに彼女におねだりもされ、オーダーも進みます。ドリンクや追加注文をするたびに席で現金で払うシステムなのですが、現地の通貨になれていない私は正しい紙幣を探すのに苦心し、彼女に助けてもらう始末でした。今考えるとこれがいかに無警戒だったか…さて、そんな形で楽しく30分ほど飲んでいた所なのですが、まだビールにカクテルを2杯ほど飲んだだけなのに、急に頭が朦朧としてきました。右手でダレノ〇レさんのお尻を撫でながら、楽しさでIQ2になった頭で必死に考えます。「これはもしや…何か盛られた!?」そうこうして���る間にも、ますます頭が働かなくなってきます。横にいる女の子に私を心配する素振りが一切ないのも、ますます私の不安を煽りました。(寝込みに財布の金を根こそぎ取られる…?痴態を撮影されて脅される…?まさか体を切り裂かれて臓器が…)と最悪のシナリオが頭によぎった私は、「今日は帰る」と女の子に告げ、もつれる足で何とか店の出口に向かいました。そばにいる店員は口々に「レスト!レスト!」と言ってきます。いよいよ危ない感じがしてきました。ひどい千鳥足で出口までの道のりは永遠にも思えましたが、店のドアを開け、外で目に付いた最初のタクシーに飛び乗りました。その後の一時間ほどの事は全く覚えていません。幸運だったのはタクシー運転手が超が付くほどの聖人だったことです。行先も告げずに気を失った私をとりあえず安全なバンコク中心部まで送り届け、そこで車を停めて起こしてくれました。彼の言うところによると、私の後を追って店員がタクシーのもとへやって来て、「この外国人は気分が悪いみたいだからうちで介抱する」と車から降ろすようにしきりに促していたようです。そこで車���ら降ろされ店に帰されていたら、果たして無事に帰国できたか分かりません。ちなみにその後、混ぜ込まれた薬物の質が悪かったせいか、宿舎のベッドからほぼ動けない状態で上下の口からのマーライオンに2日間悩まされたのですが、理由が理由だけに同僚にも何も話せず、ただの体調不良を決め込んだのでした…日本でもニュースなどで、女性をターゲットにした「デートレイプドラッグ」が報道されることがあります。しかし男性でも私のような形でターゲットになることがあるとは想像だにしておりませんでした。ハルシオンやデパスのような即効性のある薬を、しかも店までグルになって仕込まれると、ほぼ対抗策がありません。私のような無鉄砲なエロ河童は少ないと思いますが、海外にお出かけの際にはくれぐれもお気を付けください。※5chにも同様の話を書き込んでいますが、流用ではなく書き込み者と本増田は同一人物です。
所謂レイプドラッグは男性にとっても怖いという話
4 notes
·
View notes
ODによる自殺未遂の体験談
はじめに
私は昨日、出勤途中の大きな駅のトイレで市販薬の過剰服用による自殺を図りました。経験から言えることは、「とにかく死ぬことは辛く苦しいことである」ということで、薬が効いている最中は本気で生きたいと思いました。
しかし当然、この経験をしたからといって、自殺に至った原因が解消されたわけではありませんし、私自身「死ぬことはとても辛いが、生きることも辛い」と未だに考えていることは事実です。
私がこの文章を書こうと思った理由は上記のことに関連しており、もう2度と同じ過ちを繰り返さないようにするために、そして、あの時の苦しみを思い出して自殺という選択を自らが選択しないようにするためにこの体験談を書きます。
ODをするまで
当日は久しぶりの出勤予定で、家を出てからも会社へ向かう心算でした。しかし、電車に乗った直後からこれまでと同じように身体の震えや汗、眩暈が止まらず、駅に着いた時には抜け出すように車両を飛び出ました。
会社へ向かうための乗り換えをしないといけないのにどうしても身体が動かせず、そうしている間に出勤の時間に間に合わなくなり、その時点で「死にたくはないが、今大きな事故にたまたま巻き込まれれば会社に行かなくて済むのに」と考えていました。そして、「ODなら楽に入院くらい出来るかもしれない」と考え、すぐにネットで市販薬のODについて調べました。
大きな駅だったので薬局も多く、ネットで調べた市販の風邪薬を分割して買うために4件ほどはしごをしました。(リュックの中身が風邪薬入りの紙袋でいっぱいになり、それだけで1万円ほど払った際に勿体無いなあとも考えていました。) 風邪薬の購入後は、大量の薬を飲むために2リットルの水をコンビニで購入しました。
その後、どうせ1日中過ごすなら綺麗なトイレが良いと思い、百貨店を探しましたが、朝なのでどこも開いておらず、また、そうこうしている間に会社から連絡が来ることが恐かったので、結局駅のトイレを選びました。
OD体験記(前編〜トリップ中〜)
結局ODをしようと決心してから準備を済ませ、トイレに篭るまでに約1時間かかりましたが、トイレに篭りました。そしてリュックを置き、コートをかけ、錠剤を50錠パキパキせっせと飲みました。
飲んですぐは効果が出ず、もう少し飲むべきかなとも思っていましたが、10分くらい待つかと思ったことを覚えています。その後すぐ、頭と首が痒くなり、薬が効いてるのかなと冷静に思った直後から記憶がぷっつりと途切れました。
次に目を覚まし、冷静に時計を見ようと思えたのは3時間ほど経った12:44でした(腕時計を見て、思ったより時間が経っていないな。ということと、会社は昼休憩中だから今は連絡がこないな。と安心したことを覚えています。)
この直後は、記憶が曖昧ですが、天井のタイル張りが目の前にあるように見えたり、視界が金色や真っ白に見えるようになり、「vampire survivorsみたいだな…」と思っていました。また、イヤホンで音楽を流していたのですが、その音楽が凄く遠くで、しかし爆音で音が割れているような感じで聴こえており、「間違って覚醒剤を飲んだのか!?」と思っていました。記憶が途絶える前は便器に座っていたのですが、目が覚めた時点でからはトイレの床に直接座っており、何度か吐き気を催しては平気で床に吐いたり、口から固い泡を吹いていたことも覚えています。(平気で床に吐けばいいと思っていたあたり、気が大きくなっていたのかもしれません)
この症状は3〜4時間くらい続いており、実際の体感としても以降の症状に比べて1番長く感じていました。この間は苦しみよりも、ただただトリップしているなあという実感だけがありました。
OD体験記(中編〜不快感と身体の異常の実感〜)
最後に時計を見ることが出来たのは15:44だったと記憶しています。その後も苦しみは感じず、冷静に今日が心療内科の通院日であることを思い出し、そこが開く時間もスマホで調べ、その時間ちょうどに着くには17:30くらいにトイレを出ればいいか。と考えていました。また、日本語はめちゃくちゃで短文ですが、ツイートをする余裕すらもありました。
しかし、ふと立ち上がろうと思った際に身体が凍ったように動かず、立ち上がれないことに気付きました。その直後から手足の痺れを実感しました。
床に座ったまま、音楽が途切れていたので再生するために、スマホをポケットから取り出そうと、開いたままの手で本能的にポケットを漁り、スマホを手に乗せて取り出しましたが、自分の手の皮が何重にも膨れ上がったような感覚でした。それでも現代っ子のスマホ依存は恐ろしく、電源ボタンをこれまた本能的に触っていましたが、画面は暗いままでした。スマホはバッテリーが切れただけでしたが、自分は「なぜこの機械は暗いままなんだろう?そもそもなぜこの機械を触りたいのだろう?この機械はなんなんだろう?」と思ったことを覚えています。
この頃に、急に笑い出したり何か独り言を大きな声で話したり、「会社なんか辞められるわ!」という解放感というか無敵感のようものを感じたりするようになっていました。しかし、一度ドアをノックされた際には、笑いを止め、冷静にドアノックを返したことを覚えています。
その後、ようやく立ち上がってから、初めてODの辛さを実感します。
まず、視界がぐるぐる回転していることに気付きました。直後は「回転に合わせて首を回せば楽だな」と思ったり、目を閉じたりしていましたが、数分後には猛烈な吐き気に襲われました。また、猛烈な寒さを感じたり、口が震えて歯をガチガチ鳴らしたり、両手足も痙攣していました。
その後も、視界が波打っているように見えたり、駅構内のアナウンスが爆音で聞こえたりもしており、その全てに不快感を感じていました。しかし、早くトイレを出ないといけないと感じ、何度も床に倒れては立ち上がりということを繰り返していました。
この間もとても辛かったですが、震えが足だけになり、意識が朦朧になりながらもリュックからモバイルバッテリーを取り出してスマホの充電をしたりもしました。そして、自分でも症状が軽くなったと体感し、スーツの上着とコートを羽織って初めてトイレを出たのは17:30頃だったと思います。
OD体験記(後編〜トイレからの脱出〜)
トイレを出て歩き出してすぐ、目の前の立ち小便器にも男の人がいましたが、肘や膝といった関節が曲がらず上手く歩けませんでした。右手個室トイレの扉に手をつきながら手洗い場へ歩き鏡を見ると、自分の頭はボサボサで、なによりも目がおかしい。異常なほど開いており、1秒に1〜2回白目を剥いている。こんな状態で病院に行けるわけがないと思い、すぐ個室へ引き返しました。
トイレに戻ってから改めて「自分は恐ろしい状況にある。心療内科に寄らず帰るべきか?救急車を呼ぼうか?」と考えながら、2リットルの水を何度か飲みました。しかし、猛烈な吐き気は続いており、飲むたびにすぐに嘔吐してしまいます。
その頃は不快感を感じながらも、トリップ中の頃と違い意識はハッキリとしているような状態でした。ふと、スーツに吐瀉物がかかっていることに気付き、「濡れティッシュで拭いてから出ないといけないな」と思い、リュックを漁りました。途中ハンドクリームを便器の中に落としましたが、独り言で「あー大丈夫です!ハンドクリームでよかったです!」と、なぜか会話口調で、独り言をかなり大きな声で話していました。(話した内容を覚えているのはこれだけですが、なんどか同じように話し口調で独り言を話していました)
結局リュックに濡れティッシュがないことを確認し、ふとトイレ備え付けの便座クリーナーが目に止まりました。読んでみると、トイレットペーパーに吹き付けて使用するもので、これでスーツを拭いても汚くはないしその場凌ぎにはなるか。と思い結局これで拭きました。
幸い吐瀉物はあまりかかっていなかったため、スーツを綺麗にするのに時間はかかりませんでした。その後、水を飲んでも吐き出さなくなり、時計を見ると18時でした。「そろそろ心療内科に行かないと家に帰るのが遅くなるな」と考え、2度目のトイレ脱出を図ります。やはり目は異常に開いており、関節も曲がらず、手をつきながら歩いている状況でしたが、ここで初めてトイレから出て改札を目指します。
地下鉄を使うかタクシーを使うかを考えながら歩きましたが、トイレを出て改札へ向かう経路の半分を過ぎたあたりで、視界がぐるぐる回り出します。その回転の仕方が今日1番といえるくらいで、慌ててトイレへ引き返しますが、当時の自分からするとトイレから相当歩いていたため、引き返して2〜3歩ですぐ、その場で嘔吐しました。
マスクをしていましたが、マスクはびしょびしょになり、今度はコートやズボンにも派手にかかってびしょびしょになりました。当然駅の床にも漏れてしまいましたが、一度吐いてからは吐き気がなくなり、そのまま動かない身体でトイレの個室に引き返しました。(当時の周囲の方や駅員さんごめんなさい)
本日2度目のトイレ脱出に失敗し、泣きながらマスクを便器に落としました。今度の吐瀉物は朝から何も食べず、また、それまで何度も吐いていたからか、ほとんどが水のようなものでした。しかし、コートやズボンがびしょびしょでそのままで出ると確実におかしい(歩き方や目の時点で既におかしかったけど)。泣きながらコートやズボンをトイレットペーパーで拭きますが、濡れた後は落ちません。また吐瀉物が右手のシャツの中に入っており、濡れている不快感を感じますが、そこはもう周りから見えないのでどうでもいいと感じていました。
OD体験のその後
2度目の脱出に失敗したものの、外で盛大に吐いてからは一気に不快感が消え去りました。そして、自分の身体を誰かに診てもらいたいと思い、改めて心療内科へ行くことを決心します。(ここで家に帰ったり救急車を呼ぶ選択を取らないあたり、相当思考がおかしくなっていたと思います。)
3度目の脱出を図ったのは18時半頃でした。替えのマスクがなかったためノーマスクで、しかしハンカチを持っていたので顔を洗い口を濯いでトイレを出ました。スーツは吐瀉物でびしょびしょですが、モノ自体は「ほぼ」見えていなかったと思います。結果から言うと、この3度目の脱出は成功し、ようやく半日を過ごしたトイレを後にします。
しかし、改札を出ようとカードを通すとエラーが出ます(駅構内で何時間も過ごしたからかもしれません)。窓口へ向かい駅員にカードを差し出しますが、そこで初めて呂律が回らないことに気付きます。それでも必死に平静を装い、駅員に明らかに変な目で見られながらも改札は通してもらえました。そして初めて駅を出て、タクシー乗り場へ向かいます。
呂律も回らず、歩こうにも関節が曲がらず、服装は吐瀉物でびしょびしょですが、横断歩道も渡り、見事タクシーに乗り込みます。また呂律が回らないながらも行き先を伝え、走行中は地図アプリでドライバーに場所を詳細に伝えたりもしました(運転中車内で吐かないか不安でしたが、今日はそれ以降吐くことはありませんでした。)
タクシーは10分かからない程度で心療内科に着き、クレカで支払いを済ませて心療内科へ入りました。受付にて、予約日が1週間ずれていたことも発覚しましたが、呂律が回らず、また「どうしても今日見てほしい」という訴えもあってか、何時になるか分からないが待ってほしいという条件のもと、今日中に先生に診てもらえることになりました。
結局30分ほど待っただけで呼ばれ、その頃には歩き方もややましになり、部屋へ入ると、先生に今日あったことを全て話しました(先生のことは信頼しています)先生は、「そんな中よく来てくれました。今日来てくれてよかったです。」と言い、仕事の今後についての相談や診断書の発行等を行ってくれました。ODのことも話しましたが、市販薬ならそこまで〜と思ったより薄い反応だったため、何錠飲んだかは話せず自分も「まあいけるか…」と思い、救急車を呼ぶべきか等の深い相談はしませんでした。
診察後は更に体調も回復し、近くの薬局でマスクを買って電車で自宅に帰りました。帰りの電車内では座れず、また、ODの最後の症状としてしゃっくりが止まらなくなり、その服装も相まってか周囲にジロジロ見られましたが、自分は、とにかく吐き気がなく、また、無事に家に帰れるという安心感でいっぱいでした。事前に親に「車で送ってほしい」とだけLINEを送り、最寄駅からは、親の車で家まで送ってもらいました。
さいごに
家に帰ってから親に吐いてしまったことを伝え、スーツ等を全て預けて服を着替え、顔と口を洗うとすぐに部屋のベッドに飛び込みました。
しばらくしてから親が部屋に入ってきて、そこで初めて、今日は仕事に行けなかったこと、そして、死にたくはなかったがどうにかなりたくなり、駅のトイレでODをしたことを伝えました。「馬鹿なことをするな」と言われ優しく叩かれましたが、なによりもそれを伝えた直後から罪悪感と安心感が溢れ出し、成人男性とは思えないほど泣きじゃくりました。その後は、部屋を出てほしいと伝えたのだったか、すぐに親は部屋からいなくなり、自分は泣き疲れて眠り、夜中の3時頃に目を覚ましました。(余談ですが、この時、好きなゲームであるOMORIのBGM 「Clean Slate」が脳内再生されました。)
アナウンスや人の出入りがうるさい駅のトイレで半日を過ごし、ゲロや泡を吐き、呂律が回らず身体が動かせずトイレの床で転げ回った後に、自宅の布団で寝ていると、静かで綺麗な自分の部屋で眠ることと、自分を思ってくれる人がいることの素晴らしさを改めて実感することが出来ました。
はじめに書いたように、私はこの経験があった翌日からも仕事や将来を考えると生きるのが辛いと感じています。しかし、生きることと同じように死ぬことも辛いと肌身に感じました。将来の自分も含めた今生きるのが辛いと感じている人が、この文章を読むことで「死ぬことも相当辛いことである」と感じ、同じ経験をする人が1人でも減ればと思い恥ずかしながらこの文章を公開しました。最後にこの最悪の日のことを忘れないため、その記録として、なぜか撮影していた当時の2枚の画像を添付します。
0 notes
1年チャレンジ ・ 224/365記録 腕立て:100回 腹筋:100回 スクワット:100回 RUN:10km 柔軟体操 ・ ・ 今日もなんとかリアルワンパンマン生活、達成!(*´艸`) ・ ・ 夜更けにお仕事から帰宅した時は台風の影響で大雨…_| ̄|○ ・ ・ それが少しして23時過ぎに雨脚が弱まって(°∀°) 「良し!今がチャーンス!」と走り出したのですが。。 ・ 10分もしないうちにまたもや土砂降りに見舞われずぶ濡れに。。(´;ω;`) ・ ・ そんな中、道路の反対側を同じくずぶ濡れになって走るランナーさんを発見!(´ω`;) ・ 「きっと彼も今がチャーンス!と走り出したんだろうな、プププw」と勝手にお仲間認定していたら。。 ・ 信号待ちで追い付いたら「あれ?○○さん?」とΣ(゚Д゚;≡;゚д゚) ・ なんと! ROUND5erのK津パイセンでした(*-∀-)ゞ 本当にお仲間でしたwww ・ ・ 「何やってんの?馬鹿なの?(笑)」とお互いずぶ濡れで大爆笑しながら、数分走っていたら、今度は女性ROUND5erのtaeさんとディスティニー☆(*ノ∀ノ) ・ そしたら「今から○yukaさん宅へ行くから一緒に行こうよ!」とΣ(゚Д゚;≡;゚д゚) ・ へ?? もうすぐ午前0時ですよ? ずぶ濡れだしΣ(´Д`) そもそも僕はその方と面識ないし…ヾ(゚Д`;≡;´Д゚)ノ゙ ・ とアワアワしていたら半ば拉致気味(笑)にずぶ濡れのままタクシーに乗せられwww ・ ・ 何?この状況(笑) 初対面の女性のお宅にヘッデン付けたずぶ濡れのおっさんがお邪魔して良いの?? ・ そしてお宅に到着してみたら… なんとそこにはROUND5erのパイセン方がわんさと居るじゃんすか!!Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) ・ 合流した我々3人の他に顔馴染みの面々が7名ほど(笑) ・ 皆さん既にだいぶお酒を飲まれている模様w ・ そして、やっぱりTJARの土井選手のゴールシーンや先日の富士登山駅伝で大活躍したROUND5erの皆さんの話題で盛り上がりましたよ(°∀°) ・ ・ ・ そして、午前2時を過ぎてK津パイセンと共にお暇して、再び大雨の中お喋りしながら帰宅RUN(笑) ・ リアルワンパンマン生活の為に10km走らねばならなかったので、ちょっと遠回りしてなんとか合わせ技10km達成www ・ ・ いやー、楽しかったなぁ(*´∀`*) あんなノリで初対面の方のお宅でワイワイ盛り上がったの大学生振りかも(笑) ・ こりゃROUND5に復帰させて頂がないとね!! サボり続けてもうすぐ2年経っちゃうからね(;-ω-)ゞ ・ ・ 頑張りまーす!!(`ω´)キリッ ・ ・ ・ ・ ・ ・ #筋トレ #ダンベル #鉄アレイ #腹筋ローラー #アブローラー #エキスパンダー #bullworker #1年チャレンジ #polarbear #しろくま #シロクマ #白くま #白クマ #モンスイユ #monseuil #ぬい撮り #ワンパンマン #リアルワンパンマン生活 #ディスティニー #round5 #garmin #garminfēnix3j #run #jogging #jog #ジョギング #ラン #ランニング #running https://www.instagram.com/p/ChLJxEIBTwb/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
薩摩旅 鹿児島編
先月の、久しぶりの旅の備忘録。2019年以来、飛行機乗りました。
行く先は鹿児島。ライブ遠征、西郷どん&篤姫巡り、建築巡り、登山の4本立て3日間。
初めての鹿児島。路面電車の走る鹿児島中央駅、南国の風情。
街の中にステーションが点在するレンタサイクルの『かごりん』を借りて出発。
まずは、西郷屋敷跡へ。ここは、明治6年の政変で西郷さんが征韓論で敗れて下野してから、西南戦争が始まるまでの4年間暮らしたお屋敷のあった場所、鹿児島市武。
『徳の交わり』庄内藩の家老 菅実秀との対話の像。戊辰戦争で薩摩率いる新政府軍に対抗していた庄内藩、これに対する処分が寛大だった西郷隆盛の人柄に感動し、教えをこうためにこの屋敷に訪ねたそう。遠路はるばる。。。
次なるは西郷生誕地へ。途中、軽やかに上着の裾を翻す大久保利道卿。
『下加治屋町の西郷吉之助』と、せごどんで何度もでてきた現在の加治屋町。
後ろに、弟の西郷従道の生誕地碑も。
そしてお隣にある『維新ふるさと館』へ。
ここで、ロボットドラマを鑑賞。ロボットを作る会社で働く妹が担当していたというので来てみました。
維新の立役者と、薩摩出身の偉人たちが現れます(鹿児島県観光サイトより拝借)
西郷さんといえば相撲。ということで相撲がとれます。
その後、天文館通りに向かい、お昼ごはんは鹿児島ラーメン小金太。
意外とあっさりめ、肉厚チャーシュー、美味しかった!
そして、鹿児島といえばこちらもお忘れなく。ここがしろくま誕生の地。
ふわっふわのかき氷に練乳、不朽です。
ここで突然のにわか雨、しかし、鹿児島市内、アーケードが続くので、雨に濡れずに、次の目的地であるマルヤガーデンズに到着。
かつての三越鹿児島店。地元の丸屋デパートの建物に、30年間、三越が入っていたところ、三越と伊勢丹が合併し店舗を整理していくなかで、三越撤退。オーナーが建て替えずにリノベーションという選択をし、耐震+改修設計をみかんぐみが行う。テナント探しに苦戦するなかで、D&D DEPARTMENNT、コミュニティデザイナーの山崎亮さんらが参画し『地域のコミュニティの場をデパートの中に作る』というコンセプトで各階に『ガーデン』と呼ばれるフリースペースくを設けたというもの。
今でこそ、コミュニティデザインやエリアリノベーションなど各所で様々な取り組みが行われていますが、改修工事が完了した2010年頃は新しく、先駆者的な場所だった印象があります。
最上階は緑豊かなガーデンがあり、あいにくの雨模様でしたが、多くの人がお弁当を食べたり、おしゃべりしたり。
フリースペースでは個展が。
いろいろな地域の取り組みがなされているようでした。中心部のデパートの中でこのようなことができるというのが画期的、東京だと、家賃と見合わなかったりでできないのかもしれない。と思う。
続いても建築めぐり。鹿児島カテドラルサビエル記念聖堂へ。ちょうど雨も小降りに。坂倉準三/坂倉建築研究所設計。空に向かってすっと伸びる鐘楼が印象的。
フランシスコザビエルが初めて日本に上陸したのは鹿児島県、それを記念して建てられた聖堂で、この建物は3代目。
外の様子とはうってかわって、色彩あふれる主聖堂の内部。
パンチングの後ろから赤と青のステンドグラスの光が降り注ぎます。
スリットの窓から自然光が入り込む床と天井が美しく。
こちらは小聖堂。コンクリートと木の空間。
ここから薩摩藩せごどん巡り。まずは照国神社。島津斉彬公を祀る神社。
鹿児島で一番大きな神社、鳥居も大きい。交通看板張ってあるが。
続いて西郷隆盛銅像。陸軍大将の軍服姿で地上14mの高さに立つ西郷さん。
お隣、鶴丸城御楼門。日本最大の城門だそう。
NHKオンデマンドの『せごどん』一気見をきっかけに30年前の『飛ぶが如く』まで見てしまい、明治維新ブームがやってきた私とっては喜びひとしおの薩摩の地。
次に、西南戦争銃弾跡。
かつて石垣の中には、征韓論で敗れて下野した西郷隆盛を慕い、新政府を辞職してついてきた600人の士族のために、西郷さんが作った『私学校』がありました。150年前に現実にあったこと、と、銃弾のあとを見ながら思う。
そして、いよいよ西南戦争最後の決戦地である城山へ自転車でのぼる。暑い。
熊本城をおとせず、九州各地を転戦したのち軍を解散した西郷隆盛が、最後に城山に戻って来て、最後の5日間を過ごしたという洞窟を経て
城山へ至る。美しい桜島。これを見たかった。鶴丸城の天守閣からはこんな風に見えたのか。
ここから、一気に自転車で港へ向かう。
めざすは
桜島!
15分ほどで到着。
桜島は1周36キロ、自転車では3〜4時間、このあとライブの予定のある私たちはあまり時間もないため、タクシーに乗り、有村溶岩展望所まで向かう。
絶好の撮影スポットのはずなのですが、、、桜島見えず。
タクシーの運転手さんが、いろいろとガイドをしてくれました。桜島は、1000年の間に4度の大噴火があり、流れ出た溶岩で都度形を変えていて、大正の噴火で、大隅半島とくっついてしまった。向こうに見えるが大隅半島。
小さなクロマツが生えているのが新しい噴火でできた地層で、古い噴火の地層のマツは成長しているそう。
鉄分を含んで赤い溶岩、
溶岩タイルの微妙な色合いが美しかった。
運転手さんが連れて行ってくれたのは長渕剛のライブを記念した叫びの像。当時6000人の島民に対して75000人の観客がやってきたそう。(今は島民3000人とのこと)
ふと振り返ると、桜島のてっぺんが姿をあらわしていました!
運転手さんいわく、道路がこんなに綺麗なのは珍しい、噴火が絶えないので、火山灰がつもるのが常なので、今は洗濯物が外に干せて嬉しい反面、いつ大きいのが来るのか不穏だ、とのこと。
道路には、避難用のシェルターがところどこにあり、有村溶岩展望所のあずまやも、木造ではなく堅牢な造り、ベンチの下にはヘルメットが備えつけられていました。
桜島の名前の由来は?とたずねると、『桜島の大明神にまつられているコノハナサクヤ姫のサクヤから』と『噴火口が桜の形だった』とのこと。日本全国、まだまだ知らないことがたくさんあります。
そして、再びフェリーにのって桜島をあとにし、この日の最後のタスク、レキシのライブ会場へ。なんとか、すべての予定をこなし、最終地点に到着。
3時間のライブのあと、ごはん!郷土料理屋や駆け込みました。
キビナゴのお刺身、
天ぷら
さつまあげなど。
7時40分の飛行機に乗って、まるっと1日、綿密に組み立てていたタイムスケジュールを無事終えて乾杯。長い1日でございもすた。
指宿、霧島編に続く。
0 notes
火曜日続き、マヨルカ3日目
ボートツアーが終わり、ジェラートを食べて帰りの飛行機まで海水浴!ジェラートの写真は撮り忘れ。。
遠浅で水も綺麗で楽しい!!!中心地から割と近い南のビーチだけど、1番よかったかも!泳いだり浮いたりしっかり遊んだ。
遠浅だから老若男女いたのもよかった😊
フライトは21時の予定。バスの本数が少なかったのでまたタクシー。オンラインチェックインをしようとしたら、2時間前までしかオンラインでできす。カウンターに行ったら1人追加料金30ユーロと言われ混乱!!!
格安航空のライアンエアー は、オンラインチェックインが必須で、24時間前から2時間前までにしないと追加料金がかかるそう。そんなの知らなかった!と思ったら、届いていたメールの最後に書いてあった。私のミス、、とものすごく落ち込む。皆は自分達も知らなかったし、30ユーロなら勉強代だよ!と慰めてくれるもショックが大きい。
その上、フライトが遅延。空腹だったので皆でマックに並ぶも、たまたまキッチンでトラブルがあったみたいでしばらく店内に入れず長蛇の列。なんとか買えて受け取るも、テイクアウト用紙袋の底が抜けるハプニング、、。
さらに掲示板で見ていた出発ゲートが変更されていて、ばたばた走る、、。
結局、出発ゲートに着いても前の便の搭乗中で、そこから1時間半くらい待たされた。
ゲートでマックをむしゃむしゃ。何故か私が頼んだセットはバーガーとサイドメニューが一つずつなのに、Lサイズの飲み物が2つ。アメリカンメニューなのか?誰に需要があるのか??
と友達と突っ込みつつ、しばらくゆっくりできた。
という訳で、色々と不運が重なりすぎて友達に"1級バタバタ建築士"といじられながらも無事フライト。さらばマヨルカ!こう見ると中心のパルマはかなり大きな都市。
ここで、載せそびれの写真たち。
カテドラルの正面
旧市街
木製鉄道の車窓
外に出られる鉄道連結部
バルセロナに帰ったら、珍しく雨。フライトがかなり遅延してメトロもなく、バスで帰宅したのでした。
そんなに日焼けしなかったけど、海を満喫できてすごく楽しい3日間だった!
バルセロナに来てから知り合った友達なのに、こんなに仲良くなれて嬉しいし、その反面急に帰国がすぐそこに感じられて無性に寂しい。。。
1 note
·
View note
SIDE CORE 「路・線・図・Ⅱ」
2022年6月4日(土)〜6月26日(日)
BIEN / DIEGO / KOM-I / jango / soremomatayoshi / 松下徹 / 森山泰地 / 濱田晋 / 菊地良太
今回Gallery TraxではSIDE COREのグループショー「路・線・図・Ⅱ」を開催します。本展覧会は2017年に開催された、「移動とドローイング」をテーマとした展覧会「路・線・図」の第2回目となります。グラフィティの定義において「地域を移動して表現を展開すること」があります。それは電車や地下鉄に描くこと、街から街を移動しながら描くことが文化様式に組み込まれているからです。またインスタグラム以降においては「描く場所を見つけ出すこと」自体が目的とした表現が広がるなど「移動と表現」に関する考えは常に更新され続けています。今回の展覧会では、それぞれのアーティスト達が普段暮らしている都市から移動し、Gallery Traxに訪れるという経験を様々に解釈した作品を発表します。アーティストによっては北杜市に滞在制作したり、ギャラリーの外の風景の中に置いたり、または遠くの外国から作品を会場に届けたりとその表現は様々です。
Gallery Traxは多くのアーティストにとってギャラリー以上の意味を持つ場所で、北杜市の自然豊かな環境で制作や発表できるコミューン/コミュニティとして90年代から世代を跨いで大勢の人々が通い続けています。近隣の諏訪市は日本におけるヒッピームーブメントの始まりの場所とされており、北杜市は1983年に清春芸術村の前身となる清春白樺美術館が設立され、1985年に舞踏家・田中泯が主催する身体気象農場が設立されるなど歴史豊かな場所です。北杜市がこのようなムーブメントの舞台になったのは、環境に対して都心との距離の近さが重要であり、近年コロナ禍でアーティストなどの移住者が増加しているのも同じ背景があります。今回の展示のテーマは都市で暮らすアーティストが北杜市の環境をいかに表現に反映させ、作品の中に都市と北杜市を繋ぐ線(路線図)を描くことができるのか?という内容です。
___________________________________
Gallery Trax
住所: 山梨県北杜市高根町五町田1245
Open: 11:00-17:00 Fri. Sat. Sun. Mon.
Tel: 080-5028-4915
アクセス:
電車 / 中央線特急: 新宿~甲府駅 → 普通電車: 長坂駅下車-タクシー10分
高速バス岡谷行き / 新宿~長坂・高根インター下車-徒歩10分
website: http://www.gallery-trax.com
blog: http://gallery-trax.com/news/
instagram: https://www.instagram.com/gallery_trax/
tumblr: http://gallerytrax.tumblr.com
___________________________________
0 notes