ある時、道行く旅人が大河に出会った。
こちらの岸は危険であり、向こうの岸は安全である。しかし、船も橋もない。
そこで、旅人は考えた。
「大きな河だ。でも、船も橋もない。
葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡るしかない。」
そこで、旅人は、葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡った。
次に、旅人は考えた。
「この筏は大変役に立った。この筏のお陰で大河を渡ることが出来た。
この筏は捨てるには惜しい。担いで道を歩いて行こう。」
さあ、この人は、適切な行動を取ったと言えるであろうか?
弟子たちは「いいえ」と言った。
仏陀は続けた。
では、どうするのが適切か考えてみよう。
「この筏は大変役に立った。この筏のお陰で大河を渡ることが出来た。
だが、この先は不要である。この筏を岸辺に置いて道を歩いていこう。」
このような判断こそ、適切な判断である。
修行者たちよ、絶対的な安楽を得るために、
こだわりの心から解放されるために、私は”筏のたとえ”を説いた。
どうか修行者たちよ、このたとえの意味をよく理解せよ。
正しい教えですら捨て去るべき時がある。
誤った教えであれば、なおさら捨て去らねばならない。
(パーリ語「中部経典」寛照意訳)
筏のたとえ | 医王山安養寺
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汝ら比丘よ。わが説法を筏の喩えの如しと知る者は、法すらなおまさに捨つべし
仏教は原理主義になりえない - 高世仁のジャーナルな日々
いわんや非法をや
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子供がたまに言ったセリフ(ペットの振る舞い)で、新しいことに気付けた。で、子供(ペット)を崇拝し始めた。
女を見たら綺麗かわいいエロい。で、その女を崇拝し始めた。
景色に触れて感動した。で、そこへ移住した。
レバー食ったらうまかった。で、毎日レバー食い続けた。
薬が効いた。で、大量に飲んだ。
筏で川を渡れた。で、筏を担いで旅をつづけた。
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中部経典の第22は、『蛇喩経』です。
この経典には、有名な『筏の喩え』も出てきます。
本当は『筏喩経』のほうがいいのですが、蛇の喩えのほうを題名としたようです。
中部経典『蛇喩経』 - 仏教についてのひとりごと
中部(ちゅうぶ、巴: Majjhima Nikāya, MN, マッジマ・ニカーヤ)22
筏喩経(ばつゆきょう)は、小乗経の中の中阿含経第五十四巻に第二百経として、阿梨咤経(ありたきょう)の名で収録されています。
じゃゆきょう
ばつゆきょう
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勝ったことで、その変なものにからめとられて一生しばりつけられたりする
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このように、
私は筏に喩えられる
法
を説きます。しかしそれは、渡るためであって、捕らえるわけではありません。
このような法を理解したならば、あなたたちは、たとえ私の説いた法であろうとも、捨てるべき時には、捨て去るべきです。
ましてや、非法ならば尚更の事
【仏教エピソード】筏の如く – 禅 曹洞宗荒村寺
中部経典マッジマニカーヤ22
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