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#法外なエンターテイメント
kennak · 28 days
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オンライン著作権侵害に対する CODA の戦いは、ハリウッドのスタジオと Netflix から新たな支援を受けています。 2005 年に提携が始まって以来、日本を拠点とする CODA と MPA は数千件の事件で協力してきました。 両者の協力を規定する協定はちょうど10周年を迎え、先週の式典で2年間の延長が正式に認められた。 著作権侵害が急増する中、今回のリニューアルはちょうどいいタイミングで行われた。 キューロゴ-2024海賊版対策団体 CODA (コンテンツ海外流通協会) は、日本のオンライン海賊版との戦いの最前線に常駐しています。 CODA は、出版、メディア、映画、音楽、およびより広範なエンターテイメント業界でビジネスを行う約 30 社の企業体の利益を代表しています。 メンバーには、出版社の角川、集英社、講談社、小学館から、ビデオゲーム/出版大手のスクウェア・エニックスやバンダイナムコまでが含まれます。 放送部門では、ほんの数例を挙げると、NHK、日本テレビ、日活などが挙げられます。 これらの名前は CODA に代表される個々の企業のほんの一例にすぎませんが、海賊版対策グループには約 10 の「組織」メンバーもいます。 これらはそれ自体が業界団体であり、独自のメンバーがいます。 これらには、日本衛星放送協会、日本映画製作者協会、日本ビデオソフトウェア協会、日本雑誌協会、日本動画協会に加え、ビデオゲーム、ソフトウェア、コンテンツ保護法務分野に関わるその他の団体が含まれます。 日本のコンテンツの人気が大規模な著作権侵害を促進 CODA が直面するコンテンツ保護の課題の規模は、どれだけ誇張してもしすぎることはありません。 反著作権侵害団体は、その研究とデータをさわやかにオープンにしています。そのため、観察者としては、関連する文脈なしに単に大きな数字を暗唱するのではなく、大きな数字と結びついて理解することが容易になります。 他の国と同様に、日本のオンライン著作権侵害の問題は絶え間なく続いていますが、より最近の推計では、違法消費の驚くべき増加が明らかになりました。 2019年に5,000億円(33億米ドル)未満の価値があると推定された大規模な問題は、わずか3年で最大2兆円(132億米ドル)の著作権侵害の悪夢に変わりました。 ビデオゲームの著作権侵害は 2022 年に向けて急増しましたが、すべての著作権侵害の大部分を占めているのは出版業界と映画業界の製品であり、その多くは海外から発生し、指示されています。
日本の2兆円規模のマンガ・アニメ海賊版戦争がハリウッドの新たな支援を受ける * TorrentFreak
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ashi-yuri · 3 months
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Kentucky Route Zero テキストを巡る冒険(前編)
Kentucky Route Zeroの日曜研究として、KRZにおけるプレイヤー論を考えつつ、ゲームであり文芸・美術作品でありメディアアートである本作の側面を断片的に語る試み。あるいは、訳者解説と鑑賞案内のはざま。
まだいろいろ暫定の途中段階だけれど、自分で見返す用のとりあえずのまとめ。
曖昧で捉え難いと言われる本作がなにを為そうとしたのか、アドベンチャーゲームというジャンルにとってどうして特別な作品であるのか、その実験を少しでも言語化できたらいいですね。
1.Player(役者)
プレイヤーはコンウェイ・シャノン等の主要登場人物を、通りすがりの脇役を、骸骨を、犬を、猫を、様々な人物・生き物を演じていく。
Act.2の幕間劇「エンターテイメント」では、直接ゲームに「飲んだくれ」という役名でプレイヤーは役者として参加できる。
なお、エンターテイメントはもともとVRとして独立したゲームとして作成され、実際に役者として参加できるようになっている。脚本も作成され、別途演劇として上演されてもいる。
開発者ニュース
VR版・脚本は公式ホームページからDL可能
図1:Act.1 (マルケス農家) プレイヤーはコンウェイを演じる。
図2:Act.3 (ハードタイムズ蒸留所) プレイヤーは骸骨を演じる
図3:Act.5(町) プレイヤーは猫を演じる
図4:Act.2幕間劇(エンターテイメント)プレイヤーは役者「飲んだくれ」となって劇に参加する
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2.Player(脚本家)
プレイヤーは登場人物の台詞を、時に出番を選択し、こまかく彼らの性格付けと劇の方向性を決定する。
彼はアルコールに溺れていたのか、それとも風景に耽溺していたのか。彼女は皮肉屋か、真面目なワーカホリックだったのか。彼らがなぜこの旅を続けるのか、その目的も。
図5:Act.1(EQUUS石油)プレイヤーはコンウェイの台詞を選択し、彼が何を考える人物か選択する。
図6:Act.5(町)プレイヤーはどの登場人物が、いつ、なにを話すか選択する
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(参照)
「Rock, Paper, Shotgun」 『なにがKentucky Route Zeroのダイアログを魅力的にしているのか?』
KRZを開発当初から追っている英ゲームメディアの記事。脚本のジェイク・エリオット氏のインタビューを挟みながら、選択肢・テキストの提示方法含めその魅力について記載している。
3.Player(監督)
プレイヤーは監督(Director)として、この劇でどの場面を見せるのか、どの順番で幕を演じるか・演じないかを決定することができる。
この劇をいつ演じる(Play)のか、いつやめるのか決めるのは監督の仕事である。
図7:Act.1(事故車)進行に必須ではないこの場面を見るか、見ないかはプレイヤーが決める
図8:メニュー画面(劇・幕間劇の円環)どの順番で何を演じるかはプレイヤーが決める
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(参照)
【ケンタッキー0号線を行く】Kentucky Route Zero: PC Edition(からあげうどん氏による配信)
こちらの配信では第1幕から飛んで第4幕をプレイし、その後第2幕・第3幕をプレイすることで、円環をときに逆流しながら最後まで劇が進む。変則的な進み方でありつつ、この劇は同様に楽しむことが可能となっている。(プレイ・配信ありがとうございました!)
4.Player(観客)
プレイヤーはコントローラーで操作しながら、Kentucky Route Zeroという悲劇をずっと劇の外側から観賞している。
劇の「外側」のキャラクターとして登場するエミリー・ボブ・ベンの3人のキャラクターは、プレイヤーの立ち位置を代弁するキャラクターでもある。彼らは幕間劇Limit & Demonstrationでは鑑賞者として美術館を訪問し、Entertainmentでは観客としてエンターテイメントという演劇をを眺めている。同時に彼らは「外側」の存在として、Act.1-4で劇を盛り上げる歌唱隊を担っている。
コンウェイら登場人物と彼ら3人はも、劇の「内側」の登場人物と劇の「外側」の観客となり表現の位相が異なる。そのため、同じ空間に存在していてもお互いにコミュニケーションを取ることは当初できない。
図9:Act.1幕間劇(Limit& Demonstration)3人は作中登場人物ルーラ・チェンバレンの回顧展「極限と展示」にて美術作品を鑑賞する
図10:Act.2幕間劇(Entertainment)3人は舞台後方観客席から劇中劇「エンターテイメント」を鑑賞する
図11:Act.1(マルケス農場)画面手前で歌唱隊として"You've Got To Walk"を歌う3人
図12:Act.1(EQUUS石油)3人は登場人物コンウェイの存在を認識できない (コンウェイは足を踏み鳴らすが、テーブルの人々は反応しない)
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5.Player(批評家)
プレイヤーを代弁する劇の「外側」のキャラクターでもあるエミリー・ボブ・ベンは、Act.1幕間劇Limit & Demonstrationで美術館に展示された芸術作品について感想を述べ、批評する。Act.2幕間劇Entertainmentでは、観客席からこの幕間劇についての評論が提示される。
本作はプレイヤーが本作を批評することを意識し、その視点を内在化している。プレイヤーはこの劇について当然自由に感想を述べることができ、つまらなければいつでも席を立って構わない。低評価レビューを書くことも。
Act.2幕間劇のメモより
観客の多くが席を立つことを検討する。もし立ち去りたいのなら、そうさせればいい。劇場は刑務所ではない。われわれは観客の痛みを敬う。 脚本家レム・ドゥリトル
図13:Act.1幕間劇(Limit& Demonstration) エミリー・ベン・ボブは劇中登場人物ルーラ・チェンバレンの回顧展に訪れ、作品の感想・批評を述べている。
図14:Act.2 幕間劇(Entertainment)「Entertainment」を評するコメントが表示される。 『時に退屈な「エンターテイメント」』
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(参照)
海外ゲームメディアVideogamer・Josh Wise氏によるKentucky Route Zeroレビュー(英語)
作品評価は高くないものの、マグリットやフロストやルシェ等文学・芸術系の引用を踏まえて読み込んでいるレビュー。末尾に本作の自己批評的側面について言及あり。
私の批評のどれもが、10年間作品に取り組んできた開発者たちにとっては目新しいものではないだろうし、それは自意識過剰なわけでもない。とあるシーン(訳者注:Act.2 幕間劇)で、地元新聞の演劇レビューとして作品について「借金と不誠実さの悪を描いた、焦点が定まっていないとはいえ、引き込まれるところのあるドラマだった」と書いてある文章を読むことがあった。ほんとその通りだよ。
6.Player(ゲームプレイヤー)
そしてもちろんあなたはゲームプレイヤーである。
小説や演劇を志向しながら、同時に本作はゲームであることに強く自覚的である。プログラムで構成されたテキストと音と画像の隙間をマウスでクリックするだけの体験は、選択と冒険というアドベンチャーゲームの原始的な愉しみを再現しながら、同時にその可能性を強く広げるものとなっている。
図15:Act.3 (Equus石油)コンピューターゲームを遊ぶ
図16:Act.3(XANADU)アドベンチャーゲームの���祖”Adventure”を再構成したゲーム「XANADU」を遊ぶ。
1976年に洞窟探検家でもあるクラウザー氏により開発され“Adventure”は別名’Colossal Cave Adventure’と呼ばれる、ケンタッキー州のマンモス洞窟を舞台とするテキストアドベンチャーゲーム。Adventureでは、不思議で抽象的なテキストが示される中、コンピューターにテキストでコマンド入力を行っていくことで洞窟を探検していく。
図17:Act.1(EQUUS石油)ガソリンスタンドの地下でエミリー・ベン・ボブがボードゲームで遊ぶ。
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あなたはコンピューターゲームを遊ぶ。
あなたはアドベンチャーゲームの始祖“Adventure”を古ぼけた記憶で再構成した“Xanadu”をプレイする。
何度目かのダイスを振ってキャラクターを進める。
いにしえから伝わる運命のゲームをプレイする。
プログラムで描写されたKentucky Route Zeroというゲームをプレイする。
何度も。
7.Player(とは)
時に内側から監督として劇を采配し、脚本を書き、役者を演じて劇に主体的に参加する。時に外側から観客として受動的に劇を見つめ、作品を評することで作品に関わる。
プレイヤーが多層的な役割を担うことは他作品でも同様であるが、本作が特異なのは、それを明示的かつ流動的に劇中に取り込んでいることだ。
プレイヤーの役割を代弁し、劇の「外側」のキャラクターであったはずのエミリー・ベン・ボブの3人は、Act.3幕間劇で作中人物ウィルと電話を通じて交信を行ってから、どんどんと劇の内側へと潜っていく。
Act.4幕間劇で彼らは役者を務め、Act.5ではついにフィナーレを飾る。そして、Act.5幕間劇にてエミリーと作中登場人物の会話による短い楽屋オチと本作の寸評を挟み、円環の劇は幕を閉じる。
図18:Act.3幕間劇(エコー川沿いのあちこち)観光客のエミリー・ベン・ボブは、観光案内として電話を介して作中人物ウィルの声を聞く
図19:Act.5幕間劇(雇人の死)他の登場人物とともに、エミリーがこの劇を振り返り、寸評する
図20:Act.4幕間劇(ウン・プエブロ・デ・ナダ)とある日のWEVP-TVを描く劇。エミリー・ベン・ボブは登場人物として出演する
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(補足1)厳密には、美術品の鑑賞や劇の鑑賞、ゲームのプレイも外側とは言わず、その行為自体が作者・作中人物たちとの間接的コミュニケーションといえる。
(補足2)ウィルは作中登場人物でありつつ、劇の外側の観客(プレイヤー)に目を向けるキャラクターとして描かれている。
Act.3幕間劇での観光案内、Act.4エコー川の語り部としてプレイヤーに語り掛ける語り、Act.3幕間劇の内線を通じて現実の電話と人間を使って録音された留守電を聞くシーン、そして、複数回挟まれる観客側をまっすぐ見つめるカットは、劇の外側とのコミュニケーションを象徴しているといえるだろう。
図21:Act.4(マッキーマンモス号)登場人物のなかでウィル(中央の男性)だけがこちらをまっすぐ見つめる
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8.Player(流動的)
KRZにおいて、これらプレイヤーの多層的役割は何のためにあるのだろうか。ただ単にゲームを複雑にし、「アート」らしく思わせぶりにするためだろうか。
少なくとも手間をかけられたこれらの演出には意図があり、KRZにはプレイヤーが多層の役割を担うことで見えてくるものがあると考える。
それがなにかを考えるために、もう少しKRZを作りあげているメディアとテキストを見ていく寄り道をしたいと思う。
図22:Act.1幕間劇(リミット&デモンストレーション)ベンとエミリーが美術館の展示について語る
ベン:きっとなにかの象徴だよ。アーティスト、夕日、馬か。アナグラムか?それとも何かのコード...なのか?
エミリー:それか、単なる思わせぶりとかね。
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9.メディアアート
KRZはゲームであるとともに、様々なメディアを組み合わせて表現活動を行おうとするメディアアートでもある。
本作がメディアアートであることは、Act.1幕間劇「リミット&デモンストレーション」で展示されている最も注力されたインスタレーション『オーバーダブ・ナム・ジュン・パイク・インスタレーション エドワード・パッカードのスタイルで』で端的に意思表示されている。
ナム・ジュン・パイクは、テレビ・ビデオ等のメディアを用いてメディアアートを始めた先駆者であり、本インスタレーションは彼の作品『Random Access』をそのまま引用している。
図23:Act.1幕間劇(リミット&デモンストレーション)展示作品『オーバーダブ・ナム・ジュン・パイク・インスタレーション エドワード・パッカードのスタイルで』
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観客はテープレコーダーから取り外されたサウンドヘッドを使って、壁に貼られたテープを走行させ、場所や速度によって音の並びを常に変化させることができます。このように、音楽の素材にランダムにアクセスすることで、来場者は自分自身の作曲を行うことができるのです。 『Random Access』作品解説より
そして、もうひとりの引用元、エドワード・パッカードが生み出した読者選択型で冒険を進めていく小説形式のテキストアドベンチャーシリーズ「Choose Your Own Adventure」は1979年に刊行が開始された。この作品により彼はインタラクティブ・フィクションの親ともいわれる。
そのシリーズ1巻目の名前は“Cave of Times(時の洞窟)”という。
エドワード・パッカード:ブックリスト(WebArchive)
テキストゲーム研究家のアーロン・A・リード氏による「Cave of Times」解説
これらふたつの引用元を冠する『オーバーダブ・ナム・ジュン・パイク エドワード・パッカードのスタイルで』、この作品名の意味するところを嚙み砕いて言うと「テキストアドベンチャースタイルでメディアアートを始めるよ!」ということだ。
この宣言のとおり、ゲーム・テレビ・電話・コンピュータ・ラジオなど様々なメディアを組み合わせながら、演劇・散文・詩・歌・テキストアドベンチャーなど様々な形式にテキストを自在に変化させるゲームは幕を開ける。
(補足予定)
開発者たちの出身校であるシカゴ美術館付属大学でのメディアアート運動及び活動の引用(Act.4幕間劇等)について。
フィルモートン教授とサンディン画像プロセッサ
Copy It Right
10.テキスト(演劇)
本作を特徴づけるキャラクター名とセリフにより構成された脚本のようなテキストは、話す台詞を選択することで、展開や登場人物の性格付けを微妙に変化させることができる。
同時に、具体の要素をそぎ落として抽象的に表現されるキャラクター造形は、プレイヤーに演技の演出をある程度委ねさせる。
図24:Act.3(冒頭)プレイヤーは主人公コンウェイの台詞を二つのうちからひとつ選択する。キャラクターや背景はポリゴンで描写され、個性や特徴を持ちながらもどこか抽象的に見える
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さらに、KRZに特徴的な静的な画面背景は、いくつかを演劇から借りている。
Act.1マルケス農家における抽象化された家は、近代社会における家族の崩壊を映す米作家アーサー・ミラーによる演劇「セールスマンの死」から借景したもの。これはもちろんここに住むマルケス家の崩壊と重なっている。
Act.3「木」において、呼んでも来ないレッカーを待ちながら意味のほぼない会話を交わす場面は、セリフ回しも含め、20世紀を代表するサミュエル・ベケットによる��条理演劇「ゴドーを待ちながら」を引用している。
図25:Act.1(マルケス農家)
図26:Act.3(木)
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Act.2幕間劇「エンターテイメント」では、直接的に演劇そのものを鑑賞し、同時に出演することになる。この劇は、経済的苦境と近代人の苦悩を描く20世紀中盤のユージーン・オニールの演劇「氷人来たる」を現代風に翻案した学生演劇であり、プレイヤーは観客・役者として劇に参加する。なお、この幕間劇はもともとVRで参加できる仕掛けとなっている。
このようにKRZは、演劇という形式にテキストにおいても演出面においても大きく負っている作品であるが、なにより本作そのものがアメリカを代表する詩人のひとりであるロバート・フロストの詩「雇人の死」を翻案した演劇を目標とすることが、作中登場人物であり舞台監督であるキャリントンにより示唆されている。
演劇に多用される極度に抽象化された象徴的な舞台・台詞まわしは、本作のテキストや美術に大きく影響を与えていると言えるだろう。
図27:Act.2幕間劇(エンターテイメント)酒場で会話するハリーとイヴリン。両名とも、ユージーン・オニール「氷人来たる」に登場するキャラクターを現代風に再解釈したものである。
図28:Act.1(EQUUS石油)キャリントンの台詞「私はこの12年間を人生における最高傑作を作り出すため捧げてきた。ロバート・フロストの詩『雇い人の死』を、壮大かつ実験的な演劇へと翻案することに」
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(参照)
エンターテイメント
VR・脚本
http://kentuckyroutezero.com/the-entertainment/
VR参加の様子 https://www.handeyesociety.com/event/wordplay-fest-pics-and-showcase-links/
続き(途中まで)
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benibame · 5 months
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2023年お気に入り映像作品5選(MAD編)
例年ブログで紹介している「お気に入り映像作品5選」から派生して、去年からMAD編として音MADをメインとした紹介も始めています。自分が普段見るのはカオス渦巻くニコニコの有象無象が多いため、そっちも紹介しないと嘘だろうということで始めた企画。2回目も厳選された5作品を紹介します。
過去の紹介作品は以下の通りです。
【2022年お気に入り映像作品5選(MAD編)】
①語彙
もはや人力で歌うのが当然とでも言わんばかりに歌いだす3バカの調��も見事ですが、替え歌や(だいたい)アイマス素材を駆使して一曲を構成する技術力と根性には感服します。これだけの大量の素材を使用しておきながら、使用MVは恋のみというこだわりも凄まじい。魅力の多い本作のなかでも歌詞の語彙力のなさを徹底的に貫き、その力強さでキャラクター愛をド直球で伝えてくる手法に思わず感動すら覚えます。見終わった後の満足感と爽やかな気分にしてくれる、短編映画を観たかのような大団円を感じさせてくれる傑作です。
②深セン東
シンプルなタイトルとサムネイル。この控えめな外見からは想像もつかないシックで鋭く、そして前衛的な本作は、その展開と演出に初見では開いた口がふさがらないほどに驚かされました。とても一朝一夕には作れなさそうな作風にプロではないかと思ってしまうほどです。駅という人々が交差する場所を、タエ・ヨコ・オクの視覚に訴える手法で表現した構成には美しさすら感じます。現実の風景から気づかないうちに異次元の世界に迷い込んでしまったかのような不安感を与えつつ、堅固で重厚な音作りによる安心感を同時に味わえてトリップしてしまいそうな、一言では魅力を言い表せない作品です。
③与謝ロック
レターパックで現金送れは全て詐欺です、でおなじみ与謝野晶子の音MAD。局所的なブームとは言え積極的に便乗してクオリティの高い映像を制作し続ける人たちには頭が上がりません。とにかくネット中からかき集めたであろう素材を巧みに使い、本人の肉声すら使って一曲仕上げるその胆力が素晴らしい一作。映像も徹底的にふざけており、やるんだったらこれくらいやんないとなぁ!という心意気を感じます。最近は本人のデータを使用してAIが好き勝手喋らせることが問題にもなりましたが、音MADの人力を見ているとAIはまだまだ遠いところにいるなぁとなんだかホッとします。
④狂風オールバック [ヤンデレCD]
ヤンデレCD!?生きてたのか!?
味のある手書きと隠せない狂暴性。愛というには重すぎる情報量���どこから説明していいか手の付け所に困る名作です。狂気を狂気で重ねる展開の中にもユーモアとネタが仕込まれており、何度も見てしまいます。また部分的に使われる狂気的トランジション(?)も画期的で、おどろおどろしくもスムーズに次画面へ展開する非常にユニークなトランジションを生み出していて、作者のヤンデレCDに対する熱い情熱が伝わってきます。肝心のお兄ちゃん自身は割と楽しそうに生きてるのが作風のバランスをとっていて最高です。
⑤【音MDM天】今日もふたりは
この曲にしてこの動画あり。そう言っても過言ではないほどにマッチした雰囲気に思わず息をのみます。静止画が中心の作品は、映像を作る人にとっては非常に難しい題材ではありますが、さすがの技術力で難なくこなされています。2Dの動画と思いや奥行きを感じさせる3Dへのスムーズな移行や、それをさりげなく表現する小物の使い方など細部にもとてもこだわった作りが伺えます。ラストシーン(3:26~)の高速で画面を切り替えつつ、動きが少ない部分に視線を誘導する表現は上記の「深セン東」でも使用されていましたが、地道な作業が必要ですが迫力のある演出が可能になり、アクセントとしてラストに使ったことでこの動画の印象が強烈に残ります。そういった構成自体も上手な作品であり、参考にすべき部分が見れば見るほど増える傑作です。
この他にも選外としましたがおススメとして
BATTLE X PRESS
厚岸イ
ハトが強すぎる強風オールバック
三冠王 村上 1点
にじかはやばいクレーマーではありませんが、大谷翔平さんとみんなで可愛くてごめんをちくちく歌いたいです
どれも最高に面白いです。やっぱりMAD最高ですね。今年も最高の動画が見つかることが楽しみです。
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doublegroovesite · 6 months
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新生DOUBLEのアルバムは“ストレート"なR&B
TAKAKOのソロとして再始動したDOUBLEが、早くもアルバムを完成させた。「Double」と題された本作のレコーディングはすべてアメリカはNYで行われ、制作陣には、ブライアン・アレキサンダー・モーガン、エディー・F&ダレン・ライティー、ローランド・クラークといった大御所から、 DJスピナ周辺人脈のシンガーとして最近注目を集めているアンジェラ・ジョンソンや新人プロデューサー・ユニットであるブラック・オパール・エンターテインメントなどが名を連ねている本作は、間違いなく“R&B" と呼べるアルバムに仕上がっている。
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歌がもたらす特有の黒いグルーヴ感、その暖かなグル ーヴに身をまかせた時の心地よさ。男女問わず“恋愛力”を高めてくれる詞の世界など、R&Bの持つ魅力はいろいろあると思う。しかし、そういった魅力が我が国の音楽シーン、またはリスナーにどれだけ伝わっているのか?さらには日本でストレートなR&Bを表現方法として可能なのか?現時点でまだまだ発展状態にある日本のR&Bシーン (期待を込めてこう呼びます)において、その答えはまだ見えてはいないと思うが、このDOUBLEのアルバム「Double」、そして彼女の存在がそこに一筋の光明をもたらしたのは、間違いないだろう。
Interview ①
▷まずは、アルバムのレコーディングを終えた感想から聞かせてください。
「今は終わった~っていう感じですね(笑)。とにかく時間がなくて、約2ヶ月で6曲ぐらい仕上げたんですよ。特に昨日終わった "Untouchable"は歌詞に苦戦してたんで、「絶対間に合わない」って思ってたんですが、なんとか終わりましたね。今でも信じられないです。自分でも良くやったなと思いますね」
▷NYでレコーディングしてみて、どうでしたか?
「最近は、普段の生活でも勝手に英語が出てきちゃうことがありますね」
▷では、各収録曲について聞かせてください。まず先行シングルの“Angel” は、アンジェラ・ジョンソンによるプロデュースですね。
「実はこれは、最初DJスピナのデモとして聞かせてもらったものなんですよ。それで気に入ったんでやりたいってことを言ったら、実はアンジェラ・ジョンソンの曲で。 彼女と実際会ってみたら、最初からシンパシーを感じましたね。彼女はトラックを作って歌も歌ってるんで、「女性もプロデュースとかもやらないと」っていう話をして、 お互いに意気投合しましたね。でも、レコーディングは特に厳しかったですね(笑)。常に「フラット、フラット、 シャープ、シャープ」って指摘が飛んでくるんですよ(笑)。 だから「どこが悪いの?」って思いつつ歌ってたんですけど(笑)、ラフ・ミックスが上がった時点で聴いてみたら、音がはずれてないのがすごく気持ちいいって感じで、耳触りが違うんですよ。彼女の音楽的なスタイル は、ローリンとかメアリー・Jよりももうちょっと古い感じの、かなりアコースティックな感じなんですよね。だからヴォーカルにあんまりエフェクトとかをかけないんですよ。そうすると細かい音程の狂いなどのアラが見えてきちゃうという場合もあるんで、すごく厳くやってくれたんだなと思って。それと、仕事に対する姿勢も違いま したね。必ず時間通りに来るし、仕事も手を抜かない。 ステファニー・クックなんかは妊婦さんで、常に食べてて、常に眠くて、常にトイレに行ってみたいな感じでしたけど(笑)。"Angel" と "Untouchable"、あとブライアン(・アレキサンダー・モーガン)のプロデュースの "I'm In Love" と "Uh Huh" もアンジェラにヴォーカル・ディレクションしてもらいました。彼女、来年の2月くらいにデビューするみたいですよ」
▷これまでにもDJ KAORIによるリミックスなどもありましたが、オリジナル・ヴァージョンで海外の女性プロデューサーを起用するのは始めてですよね。どうでした?
「他にも "Love Of Mine" でトロイ・パターソンともやっ たんですけど、特に女性だから起用するという意識は ないんでね。でも、同じ女性が作ってるってことで共感する部分、感覚として似てる部分っていうのはけっこうあるんじゃないかと思いますね。それはカオリさんにしてもそうで、最初に彼女のDJを聴いた時に「このDJ 誰なんだろう?いい曲ばかりかけるな」と思ってたら、それがカオリさんだったんですよ」
Interview ②
▷海外では音楽制作に関わる女性は多いんですかね?
「むしろ女性が関わっている割合は日本の方が高いんじゃないかと思いますよ。歌謡曲でも詞を書いてるのが女性ってことが多いですよね」
▷さきほどのアンジェラ・ジョンソンのレコーディングとは逆に、ラフさがいい結果に出ている曲はありますか?
「3曲目の "Stay With Me" なんかそうだと思います。その(レコーディングの)日は体調も良くなかったんですね。だから荒っぽいんだけど、声が出ないことに対しての一生懸命さも出てて、勢いがあっていいって感じですね。しかも中断しないで一気に録ったんで、それもいい方向に出てる。この曲はかなり好きですね」
▷その "Stay With Me" のヴォーカル・プロデュースを手がけているのはヴィニー・ミランダですが、彼が所属するブラック・オバール・エンターテイメントについて教えてください。
「ウォーレン・J・マクレー、オードリー・マーテルズ、そしてヴィニー・ミランダで組んでいるユニットですね。 "Stay With Me"と"Home"はブラック・オパールのプロデュースですね。オードリーとヴィニーは仮歌を歌ったり、ヴォーカルのディレクションをしたりするんですよ」
▷プロデュース・チームなんですね。それと、"U"と "Untouchable"のリリックはアルバム中でも毛色が違うと感じましたが。
「いいところに気がつきましたね(笑)。両方ともエディ ー・Fのプロデュースなんですけど、彼はヒップホップ寄りの人じゃないですか。私は基本的に、トラックやメロディーからインスパイアされ���歌詞を書くことが多いんです。彼の曲からはすごく攻撃的なイメージを受けたんですね。ヒップホップ的なアグレッシヴさがあるというか、非常に男性的というか。だから歌詞も攻擊的なものが浮かんできたんですよね」
▷クレジットの頭に、ALL CREATIVE DIRECTION:DOUBLEとありますが、やはりその部分が前作の「Crystal」と最も違う点なのでしょうか。
「そうですね。そこは完全に徹底できたんで、文句なしですね。ただ今回、時間的な問題で日本人のクリエイターとやれなかったのは悔やまれますね。でも、自分でもこのアルバムには満足しています」
▷また、シングルの "Angel" には "U" のKREVAによるリミックスが収録されていますね。彼は今年のB・ BOY バークのMCバトルで2年連続チャンピオンになりましたが、プロデューサー/リミキサーとしての KREVAをどう評価しています?
「すばらしいと思います。このリミックスもポップな要素 もあってすごい好きですね。「I Like lt」という感じです (笑)。流れとしては "Bed" のリミックスとかにも通じる部分もあると思います」
▷シングル・カット済みの "Handle" ではF.O.Hと、そして最近平井堅の "Love Or Lust" にも参加してましたが、男性ヴォーカルとのからみの方が自分のヴォーカルも引き立つと思います?
「どうなんでしょう? それはあまり意識してないんですが、平井堅さんは男性にしては声が高いじゃないですか。で、彼がコーラスをやってる部分を聴いて、時々自分の声と聴き間違えるんですよ。すごい自分の声と似てるよなと思ったりはしましたが。あと、"Love Of Mine" は海外の男性の方に歌ってもらいたいなと思ってて、 アメリカ人の男性に歌ってもらったんですよ。この人は、 歌い方がすごいセクシーで中性的でした。あと、例えば「朝の金の日がWakes me up」っていうところを訛った日本語で歌ってもらってるんですけど、彼はスペイン語も話す人で、スペイン語には日本語に似た発音が多くあるらしいんで、レコーディングはスムーズにいきましたね。その他、"Home" と "Love Of Mine"はステファニーに、"Angel" と "Untouchable"はアンジェラ・ジョンソンにやってもらったりと、今回のアルバムはバック・コーラスを海外の方にやってもらってます。それは、私の場合一人でコーラスをやると厚みが足りないかなと思う場合もあったんで。特にステファニーは声が深くて、SACHIKOの声にそっくりだなと思ったりしました」
▷最後に、アルバム・リリース後に単独でライヴをやる予定はあるんでしょうか?
「今のところないです。でも、仕事でキッチリやるってよりも、軽くクラブに行ってちょこっと歌うくらいから始めたいですね」
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manganjiiji · 8 months
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桜くつ器
「くつ」というのは今自分で考えた動詞で、その場に固定するみたいな意味です。くくりつけるとか、打つとか、木槌で叩いてぴんと固定させる感じ。なにかいい漢字がないかなと思ったけど、思いつかなかった(と思ったが、「繰つ」というのがいいかもしれない、口が3つもあって硬そうなところがいい)。桜くつ器というのは、桜が固定されて飾られている器の意。
カウンセリングに行ってカウンセラーの先生に3ヶ月ぶりに話をしてもらい(ずっと予約の電話をかけることができず、3ヶ月ぶりとなってしまった)、さまざまなことが整理され、やっと、ここ数週間のうつ状態からすこし回復したように思われる。とくに一秒ごとに噴出していた希死念慮は無くなった。帰りに蔦屋書店に寄ってしまい、まさかここで本を買うとは思わなかったのだが、文庫本4冊をレジに持っていっていた。まだ前に買った本を読み終わっていないのになぜかこのようなことをしてしまう。これは23歳くらいからずっとそう。恐ろしい書籍購買依存症だ。「本を買う」という行為にのみ意味があり、読むことは全然しない。たまには読むが、1冊を頭から終わりまで読み切るということは殆どない。最近はその事に罪悪感も苦悩も呆れも何も覚えなくなってきた。この数ヶ月本を買うことをやめられていたのに、いきなりこのように浪費してしまい、衝撃もあるが、まあいつもの自分だなと思った。『京都SFアンソロジー』『貝に続く場所にて』『クララとお日さま』『実力も運のうち』の4冊。京都SFは暴力と破滅の運び手さんの「ピアニスト」が読みたくて買った(まだエチ小賞アンソロも読み終わっていないし、ブラームスの乳首も読み終わっていないのだが)。貝に〜は、書店で見て、芥川賞と群像新人賞の受賞作で、言語に関する物語とあったので、かなり気になって買ってしまった。講談社文庫はビニールが最初からかかっていて中が見えないのだが、帰宅してビニールを破って(この作業、省略したい。講談社は早く正気に戻って文庫本にまでビニールを掛けるのはやめてほしい)中を見たら、かなり余白の多い組版で、行間もひろく、見た目のうつくしさに拘りを感じた。いかにも芥川賞受賞作という感じで良い(組版への拘りというと黒田夏子の『abさんご』を思い出す。あれもかなり好きだった)。クララとお日さまは、ことこさんに内容を教えてもらった時に読みたいと思い、文庫化もしたことだし、と買っておいた。ひじょうによい子のAIの一人称で、カズオ・イシグロのいつものあれですよ、と言われたので(語り手の認識と世界との齟齬というかズレが特徴的なことが多い)、そして立ち読みしたところクララ(AI)にかなり好感を持ったので、読もうと思った。マイケル・サンデル(実力〜)は、かなり西洋哲学やキリスト教的価値観を引いて解説している(おそらくアメリカ人の状況を)と感じたので買った。『資本主義の〈その先〉へ』(大澤真幸)を読んでいるところなので、かなり内容に惹かれた。昔からだが、やはり「アメリカ」というものの面白さが私の冒険心を掻き立てる。同じくらい「日本」というものも面白いのだが、日本には一見してわかるような一貫性がない。だからこそ歴史の追いがいもあるのだが、やはりプロテスタントの「理想国家」として作られた人工物のアメリカのほうが理解しやすく、直截的なエキサイティングが得られる。昨日観劇したミュージカル「ラグタイム」では、二十世紀初頭のアメリカのフランス系アングロサクソン、ラトビア系ユダヤ、アフリカ系黒人の三つの民族の交わりがえがかれており、面白かった。私はスウィング・ジャズが好きなので、音楽としてのラグタイムにもっと言及があるのかしらんと思ったが、そこは特になかった。ミュージカルとしては、クラシック、ラグタイム、スウィング、ポップスと、割とオーソドックスなラインナップだったので、音楽的にはそこまでラグタイムに特化していたわけではなかった。そもそもこのラグタイムという語の、本来次の音が来るであろう箇所(次の拍)ではまだ音が来ず、ラグがあって少し拍より遅いところで次の音が来るシンコペーションのことを表している本来の意味とともに、さまざまな人種や民族がアメリカに絶えず流入し、立場がさまざまに変わりながら、「アメリカ人」になっていくまでのラグタイム(過渡期、猶予期間のようなイメージ)を描いているということなのかもしれない。私は音楽的なラグタイムは、クラシックとジャズを繋ぐ時期のもの(リズム、シンコペーション)という認識なので、まさにラトビア(欧州、クラシック)から移民としてアメリカ(新大陸、ジャズ)へ渡って、映画監督として「アメリカ人」として認められるまでのターテ(俳優は石丸幹二さん)の不遇の期間のことと考えると自然��。音楽を、ジャズを主体としたミュージカルというのが見てみたいと思う(映画でも)。そういう作品はたくさんあるので、そのうち出会えるといいなと思う。そういえば前回日生劇場で見た「ジャージーボーイズ」はジャズを通り越してポップス…というかブルー・アイド・ソウル(白人がアレンジしたR&B)またはロックの話だったが、アメリカの商業音楽の世界を存分に楽しめた。ジャズのミュージカルとしては誰に焦点を当てるかだが、誰に当てても大物だらけの舞台(要素がもりだくさん)になってしまい、かつミュージカル・ナンバーもジャズにしないと成り立たなさそうだが、日本のミュージカル俳優はジャズ・シンガー(の歌い方)ではないので、なかなか難しいのではないかと感じる。「ラグタイム」ではサラ(黒人女性)役の遥海さんの歌唱が圧倒的で(彼女だけミュージカルの発声ではなく、全編通してソウルの歌い方だった)、歌だけでいえば主役の3人を凌駕していたのではないかと思う。完全に自分の声を縦横無尽に舞台全体で走り回らせ、かつコントロールも完璧だった。ミュージカルの歌い方では、ああいう芸当はできないというか、そもそも方向性が違うのでなんとも言うべきではないが、ソウルやジャズの歌い方もできるミュージカル俳優というのがもしいたら最強だろうな、ということを夢想した。クラシックの基礎の上にジャズの歌い方もマスターしているとなると、日本では平原綾香やKOKIAが私などは浮かぶが(上の世代だと美空ひばりや森山良子だろうか)、芝居も歌も極める上に、歌は2種類も、というのはやはり難しいのだろうか。我らが東啓介氏(私が舞台刀剣乱舞のバックステージ映像で好きになり一時期ガチで応援していた俳優)に関しては、私は今回もあまり納得が行かなかった。同行した友人は「28歳だし、そんなにすぐに変わる(成長する)ものではなく、熟達を求めるのは10年後とかかなあ」というようなことを言っていて(記憶違いがあったら申し訳ない)、私は東啓介にあまりにも多くを求めすぎているのだろうか、と思う。応援していることは応援しているのだが、追っていた頃の急成長と比べて、本格的なミュージカル俳優となってから、舞台上で分かりやすい「成長」というのが感じられないため、刺激に飢えているのかもしれない。演技もいつも同じに見えるし、発声の仕方も特に試行錯誤するでもなくいつも変わらず、なんかこう、変化…バリエーションが無い。それがつまらなく感じる。育ちが良く上品な所作、という当て書きのような役柄を続けて見てしまっているせいもあると思う。5DAYSの時みたいな、もっとしょうもない若者とか、マタ・ハリの時の恋に狂った青年とかの、本人の育ちの良さを封印するような役の方が見てみたいなあと思う。もっとヘドロの中を生きてきたような役を与えられた時に、果たしてどこまで生来の「品の良さ」を封印できるのか。というのは、彼を起用する演出家やプロデューサーが、どこまで東啓介の演技に期待してくれるのか、という問題も関わってくると思う。舞台上の発声はもっと先輩俳優の声の響きを聞いて試行錯誤してみてほしい。声が小さくても響かせるための発声。歌い方も最初の子音の破裂音というか呼気が入りすぎているが、これも前回から変化なしで、歯がゆい気持ちになった。歌はロングトーン以外でも「聴かせ」なければならないが、今のところロングトーンがないと東啓介の歌声はあまり目立てないというか、ほかの歌声との差別化が為されない。これに関してはどうすればいいのか素人にはわからないが、とにかく今までの練習や方向性を踏襲するのではなく、さまざまなやり方、歌い方、技法、発声方法を試して、もっと声に色をつけてほしい。ファンレターに書けばいいことを長々と書いてしまった。ファンレターに書きます。
夜、じゅんえん先生と話していたら赤森さんが来訪し、最終的に2時過ぎまでウエルベックの小説や文化や価値観の違いについて話してしまった。私は『ある島の可能性』を見つけて買って持っているだけでまだ最初の3ページしか読んでいないのだが、今日あらすじを聞いて、中身を結構拾い読みして、どんどん読んでいきたいと思った。ウエルベックを紹介する時の赤森さんは「とにかく中年男性主人公がキツい(見ていてキツい、キショい)」ということを語るのに非常に活き活きとしていて面白い。赤森さんはもともと面白い方なのだが、ウエルベックを語る時の赤森さんは「主人公のここ��無理」ということを鮮烈に話してくれるし、ストーリーの面白さもきちんと伝えてくれるので、凄いなあと思う。ちなみにファフナーをTwitter上で語っている時の赤森さんもかなりのエンターテイメント性がある。
じゅんえん先生は酒が飲めない、かつ所得の低い私のことを気遣って、飲みに誘わないでいてくれたのだが(とても優しくて感動した)、今後は数回に一回は混ぜてくれるらしい。私があまりにも拗ねすぎたなと思ったのでやや反省した。
2023.9.19
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machromatic · 1 year
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大阪中之島美術館への鑑賞の自由(表現の自由)に対する制限への抗議文
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2022年11月25日に大阪中之島美術館と国立国際美術館の共同企画
「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」
上記の展覧会へ行ってきました。
具体、特に僕は嶋本昭三さんのアート活動や書籍に、
自分自身を救われたので、
今日、展覧会へ行ってきたのですが、
完全に私自身は現在の「美術館」というものに、
「絶望」と「諦め」を確定しました。
嶋本さんの存在やその考え方に出会ったのは、
私がアート活動を始めてすぐの、
もう20年以上前のことです。
私の中では非常に重要な存在です。
だからこそ、
「具体」が本当の意味で大切にしていたものを、
私自身も大切にして現在に至っています。
さらに国立国際美術館は、
私にとって様々な高次元の展覧会を観せてくれていました。
しかし、国立国際美術館の館長が変わってからの展覧会の、
劣化が著しく非常に残念な気持ちがあります。
今回は、
国立国際美術館の劣化の確定という意味も込めて、
また嶋本さんへの思いもあって観に行くことにしました。
国立国際美術館と、中之島美術館の共催ということで、
最初は、
国立国際美術館へ行ったのですが、
現在の状況は国立国際美術館でも異例の状態のように感じます。
まず、普段は企画展と常設展が並列して行われていますが、
僕が行った国立国際美術館の展覧会では初めて、
企画展のみであり、
またその企画展は中之島美術館との共催、
さらに言えば、
そこに展示されている具体の作家の作品は、
芦屋市立美術博物館と兵庫県立美術館の所蔵作品がほとんど、
国立国際美術館で開催する意味あるの?
と疑問を抱かざるおえず、
さらに、新たな評価軸を作るようなステートメントに対して、
新たに設定された視点や評価軸も無く、
ただ単に借りてきた作品を並べているだけの、
陳腐な展覧会です。
この人たちは逆に「具体」の評価を下げたいのか、
そのようなことさえ感じてしまいます。
次に最悪だったのは中之島美術館、
展示を見ながらパートナーと対話しながら鑑賞する。
それが私の鑑賞を最大化する方法で、
お互いの作品に対する認識の差異や、
認知するものの違いを確認し、
コミュニケーションをしながら、
作品の多面的存在や多様な在り方に気づく、
これは芸術鑑賞としては、
とても効果を大きくし、
さらに理解を深める方法です。
しかし、私は20年以上にわたり、
全国の様々な美術館や博物館に行き、
人並み以上に様々な展覧会を観てきた人間であり、
二人などで行くときは必ず対話型の鑑賞をします。
「中之島美術館で起こった事件」
監視員から会話を辞めてくれという指示。
その上で、
私は作品について会話しているのだから、
これは鑑賞行為の妨害であり、
もし会話に関してのルールがあるのなら、
教えて欲しいと申したのです。
小さな声で会話しろと命令するなら、
何デシベル以下としてルールがあるのか、
その指示はあなたの感じ方に依存しているのではないか。
さらに言えば鑑賞行為に対してルール無き強制があるのなら、
それは「表現の自由」の制限と考えることができる。
その場で監視員と監視員の責任者と口論になったが、
結果ルールもなしに要求してくることに、
私は我慢ができず。
私自身が会場から出て中之島美術館に電話して、
上席の男性と話をすることにした。
結果的に、
会話に対する明示できるルールは無い。
私の言っている事や鑑賞方法は理解できる。
マジョリティは黙って鑑賞する。
マジョリティからクレームが多い。
美術館はマジョリティに合わせる。
しかし改善は必要である。
以上のような回答を得ることができた。
美術館や博物館では黙って鑑賞するとか、
会話はしてはいけないとか、
まったく合理的でない思考である。
美術やアートとは、
エンターテイメントでは無く、
美術やアートは、
時にその多様さや価値観の違いによって、
他者を傷つけ、時に他者を殺す。
それは肉体的ではなく、
人間そのものの存在をである。
つまり、
美術館や博物館という場は、
「能動的自由」が担保されるという場であり、
それが、
構成主義教育をベースに発展してきた、
「美術館」という「自由」な「場」である。
私はその「美術館」に救われたからこそ、
誰よりも「美術館」を愛してきた。
しかし、
私が救われた「具体美術」と「嶋本昭三」の展覧会、
ま��その展覧会が開かれる「中之島美術館」という美術館。
そこで学んできた、
アートや美術、美術館や博物館での「自由」や「能動性」、
構成主義教育は「完全に否定」され「排除」されたのである。
もう日本は終わったのかもしれない。
あらゆるものが「劣化」している。
また「数の原理」に美術館も侵されている。
マジョリティに全体主義。
全体意思を優先し、一般意志を持つものが排除される。
そろそろ海外へ逃亡しなければならない。
以上、
これをもって中之島美術館への抗議文とする。
愛する「美術館」よサヨウナラ。
最後に実際にあった話として中之島美術館の、
男性の方が言われていたのですが、
泣いている赤ちゃんがうるさいと言って、
展覧会から排除されたのを聞いて、
最終的にこれはもうダメだと確信しました。
美学者母
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日本のカジノの新たな時代:斬新な施設と魅力的な体験
日本では、カジノの業界が大きな注目を集めています。長年にわたり、カジノは日本の法律によって規制されてきましたが、最近の法改正により、カジノリゾートの開発が許可される可能性が高まりました。これにより、日本国内でのカジノ体験が現実のものとなる可能性が広がっています。
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日本のカジノレビュー を行うにあたり、まず考慮すべき点は、それが単なるギャンブル施設ではなく、統合型リゾートとしての役割を果たすことです。これらの施設は、カジノだけでなく、ホテル、レストラン、ショッピング施設、エンターテイメント施設など、多岐にわたるアトラクションを提供しています。そのため、カジノ以外の施設も含めた総合的な体験が評価されるべきです。
また、日本のカジノは日本独自の文化や美意識に配慮したデザインやサービスが求められます。日本の伝統的な美意識やおもてなしの精神を取り入れた施設が、国内外からの観光客を惹きつけることができるでしょう。そのため、日本のカジノがどれだけ日本文化に根ざしたものか、という観点も重要です。
さて、日本のカジノの具体的な施設や体験を見てみましょう。まず、東京や大阪などの主要都市に位置する施設は、交通アクセスの便が良く、観光客や地元の人々にとって利便性が高いと言えます。これに加えて、ホテルやレストラン、ショッピングモールなどの施設が充実していることが期待されます。
カジノフロア自体も、多様なゲームやスロットマシンを提供し、初心者からハイローラーまで幅広いプレイヤーに対応する必要があります。さらに、VIPルームやプライベートゲームスイートなどの特別なエリアも、プレミアムな体験を求めるゲストにとって重要です。
一方で、カジノ以外の施設も重要な要素です。日本の食文化を堪能できるレストランや、伝統的な日本のお風呂を楽しめる温泉施設などがあれば、観光客にとって魅力的な選択肢となるでしょう。また、日本の伝統文化を体験できるイベントやワークショップなども、施設の魅力を高める一環となります。
さらに、日本のカジノはサステナビリティにも配慮する必要があります。環境への配慮や地域社会への貢献が、施設の持続可能性と信頼性を高めます。例えば、再生可能エネルギーの利用や地元の雇用促進などが挙げられます。
最後に、日本のカジノの成功には、規制や安全性も欠かせません。厳格な規制やセキュリティ対策が施されることで、プレイヤーが安心して楽しめる環境が整えられます。また、ギャンブル依存症への配慮や予防措置も重要です。
日本のカジノは、単なるギャンブル施設を超えた、多彩なアトラクションや体験を提供することが期待されます。伝統と革新が融合した施設が、日本の観光業に新たな活性化をもたらすことでしょう。それに伴い、日本のカジノのレビューは、施設の総合的な魅力や価値を客観的に評価する重要な役割を果たします。
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kozuemori · 1 month
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今週末は初夏を思わせる陽気となりそうです。桜の花びらが散るなかを散歩したり、カップ状に開いたチューリップの間を蝶々が舞っている姿を見かけたり、ツツジの花の鮮やかな姿を楽しんだりしながら、太陽のエネルギーを享受しています。ベランダのバラたちもぐんぐん成長していますし、メダカたちの食欲も旺盛です。
私たちの周りで繰り返されるこうした自然の営みはごく当たり前の姿のように見えますが、それは私たちが『原因』と『結果』というカルマの法則を魂のどこかで理解しているからだと思います。文字通り、種を蒔けば花が咲く、という『タネ』や『仕掛け』があることも経験上、知っているからなのでしょう。
最近の私の寝る前のお楽しみは、NETFLIXの『人生はマジック』というシリーズを観ること。今時のユーチューバーのような風貌のマジシャン、ジャスティン・ウィルマンが予想を超えたエンターテイメントを見せてくれます。今まで何度も目にしてきたマジックおなじみの『タネ』や『仕掛け』も、オリジナリティ溢れる斬新な演出と彼の巧みな話術でアップデートされていますし、なんと言っても彼の使うトリックには愛とユーモアと優しさと癒しがたっぷり込められていて、思わず涙…となってしまうのです。このショーの素敵なところは、マジックというものが『タネ』や『仕掛け』を介在とした心の中に起こる不思議な現象のことだと気付かされることです。そして、その現象は時として素晴らしいメッセージへと変化するのです。
その点では、ミディアムシップもある種のマジックだと言えるかもしれません。その昔、近代スピリチュアリズムの黎明期にミディアムたちが空中浮遊をしたり、エクトプラズムなどの物質化現象や霊言を伝えていた頃、ハリー・フーディーニをはじめとする一流の奇術師たちがミディアムたちのトリックを暴き出そうとしました。中にはトリックを使ったイカサマもあったでしょうが、本物の霊現象にも、実は『タネ』や『仕掛け』があります。
何故ならば、霊界通信は霊界、スピリットたちがもたらすエネルギー、メッセージという『タネ』と、ミディアムシップのメカニズム、『仕掛け』によってもたらされるからです。奇術と異なる点は、ミディアム自身は『仕掛け』自体は理解していても、『タネ』がどこから来るのか、どのようにそのミディアムシップというマジックが成立するのかを予め知らされていない、即興だというところです。
この『人生はマジック』の中のエピソードの中で、ミディアムシップの仕組みに似たマジックがありました。初デートの場面で、あるカップルがレストランのテーブルを挟んで座っています。男性の後ろにはジャスティン(マジシャン)が隠れて座り、両手だけを使って二人羽織の要領で目の前に座っている女性にマジックを見せるのです。もちろん女性にはマジシャンの姿は隠れていて見えませんので、目の前の男性がマジックを披露しているように映ります。また、男性には予めどんなマジックをするのか知らされません。そして、言うべきセリフもその都度ジャスティンから小声で指示されますから、男性は全くの即興で振る舞わなければなりません。
春学期のクラスで、生徒さんから私のブログからリンクしていたアイイスのYouTube動画やサーモン、霊界通信のデモンストレーション原稿などが見られなくなっていると教えていただきました。どうやら、アイイス事務室がなくなったのと同時にアイイスのYouTubeアカウントと事務室ブログが閉鎖されたようです。その代わりといってはなんですが、デモの動画が一つだけ私のファイルに残っていたので先日YouTubeにアップいたしました。2017年の夏、私がアイイス認定ミディアムになって、一年未満の頃のデモです。途中、他の方の顔が映っている場面はカットしています。今とは違って初々しい〜(自分で言う?)。私の周りで二人羽織のようになって一緒に働いてくれているスピリットの存在、感じられますか?
youtube
明日はアイイスのスプリングフェスティバルが開催されます。残念ながら私は都合があって参加できませんが、アイイス認定ミディアムの皆さまの素晴らしいデモンストレーションのメドレーをぜひ楽しんでください!ご参加はこちらからどうぞ。
・・・・・・・・・・
4月21日・22日に開催するワークショップ『ALL ABOUT ミディアムシップ』ではミディアムシップがもたらす素敵なマジックに触れ、霊界の『タネ』や『仕掛け』について学びながら、さらにスピリットたちの光に近づいていただきたいと思っています。多分、今回もあっという間に時間が過ぎてゆくでしょう。皆さまのご参加をお待ちしています💕
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All About ミディアムシップ
4月21日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
4月22日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込)
両日共に同じ内容です
どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
ミディアムになりたいと思っている人、ミディアムの役割について知りたい人のための6時間ワークショップです。アイイスでの講師歴9年、ミディアム歴8年、イギリスのアーサー・フィンドレイ・カレッジにて数回に渡って講師・プロの為のミディアムシップ、サイキックアート、トランス、シャーマニズム等のワークショップに参加し、海外のミディアムとも交流のある講師による最新の情報を含めたレクチャーとゲーム感覚で楽しめる実習を通じて、あなただけの唯一無二のミディアムシップを作り上げていく過程を経験していただきます。
あなたの中に潜在する本来の能力を知り、それを呼び覚まし、育み、特化した分野をさらに伸ばして磨き上げましょう。そして同時に自分の苦手な分野を知り、それを伸ばす方法も試してみましょう。
ミディアムシップは決して完成することのない、永遠に学び、伸ばし、育むことのできる能力です。その過程を指導霊の応援と協力のもと、楽しみながら一歩一歩着実に進んでゆきましょう。大切なのは、自分に期待しながら挑戦し続けること、自分を信じて諦めないことです。練習すればするほど、そして失敗を重ねるほど感覚が研ぎ澄まされ、あなたは素晴らしいミディアムになれるでしょう。
レクチャー内容
 ・ミディアム、ミディアムシップとは
 ・ミディアムシップの種類とその役割
 ・良いミディアム、ミディアムシップとは
 ・霊能力はなぜ与えられ、なぜ失効するのか
 ・ミディアムとサイキック 
 ・想像と霊感の違い
 ・デモンストレーションとカウンセリング
実習
 ・シッティング・イン・ザ・パワー 
 ・ミディアムシップクイズ・30問に挑戦!解説付き
 ・サイキック、ミディアムシップ、トランス各実習
 ・直感と指導霊により深く繋がるための各実習
このワークショップは以下のような方に向いています 
 ・ミディアムシップついての理解を深めたい
 ・ミディアムシップの練習、経験をしてみたい
 ・ミディアムという役割に興味がある
 ・ミディアムになりたい
 ・指導霊との繋がりを深めたい
 ・本当の自分の人生の目的を探りたい
 ・自分自身の可能性や能力を探りたい
 ・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
このワークショップは2019年4月17・21日に開催した同タイトルのワークショップの内容と同様ですが、一部を加えたりアレンジしてアップデートしています
詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。
ショップからも直接お申し込みいただけます。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
5月19日   担当ミディアム:澤輪・森
6月30日  担当ミディアム:ゲスト・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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ドロップイン・ナイト 木曜日 19:00〜20:00
5月23日(木)指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
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夏学期クラスのスケジュールが決定いたしました。サイトとショップにてお申し込みを受付中です。(アイイスのサイトでも告知されています)
春学期に蒔いた霊性開花という名の種を、眩しい太陽と清らかな水、豊かな土壌、そして爽やかな夏の風のエネルギーを享受しながら、共に大切に育んでゆきませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラス 
月曜日:10:00~12:00  日程:5/13、5/27、6/10、6/24、7/8
火曜日:13:00~15:00  日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス   
土曜日:19:00~21:00  日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00  日程:5/14、5/28、6/11、6/25、7/9
木曜日:10:00〜12:00 日程:5/9、5/23、6/6、6/20、7/4
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アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00 日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
金曜日:19:00〜21:00 日程:5/17、5/31、6/14、6/28、7/12
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00  日程:5/12、5/26、6/9、6/23、7/7 水曜日:16:00~18:00  日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
・・・・・
インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス  
月曜日:16:00~17:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
土曜日:10:00~11:00 日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
・・・・・
マントラ入門 Zoomクラス  
土曜日:13:00~15:00 日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
・・・・・
トランスZoomクラス
土曜日:19:00~21:00  日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
・・・・・
サンスクリット・般若心経 Zoomクラス 
月曜日:13:00~15:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
水曜日:19:00~21:00   NEW! 日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
サイトのクラス紹介ページはこちらです。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
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cybasters · 1 month
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【7つの英語を学ぶメリット】について
1.1-1.英語の学習がもたらすキャリアアップの可能性 1-2.異文化コミュニケーション能力の向上とビジネスチャンス1-3.海外留学やワーキングホリデーの魅力とメリット2.2-1.世界中の情報へのアクセスと学習の幅の広がり2-2.マルチリンガルな人材としての魅力と価値2-3.語学力がもたらす認知機能や脳の健康への効果3.3-1.メディアやエンターテイメントの世界へのアプローチ3-2.クリエイティビティやアイデアの発想力向上の可能性3-3.英語圏での国際会議・イベント参加のパフォーマンス向上4.4-1.英語オンラインコースやスクールの選び方と効果的な学習法4-2.英語の勉強を続けるモチベーション維持のコツと効果的な学習計画4-3.英会話のスキルアップに役立つ実践的なトレーニング方法5.よくある質問と回答5-1.日常的な英会話力を向上させる秘訣は?5-2.ビジネス英語のスキルアップに効果的…
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takahashicleaning · 3 months
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TEDにて
ナタリー・パネク: 地球を周回している宇宙ゴミを片付けましょう
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
私達の生活は、地球上にはないものに支えられています。それは、情報、娯楽、通信など多くのことに常に使われている人工衛星インフラです。
しかし、地球軌道は無限にある訳ではありません。
私達の行動を大きく変えなければ、宇宙デブリの問題は悪化して行くだけでしょう。ナタリー・パネクは、私達が頼りとしている人工衛星の宇宙環境への影響を考えて欲しいと訴えます。
地球の軌道環境はとても美しく、人類の探索の出入り口でもあります。それをどう保つかは、私達次第なのです。
私たちの日常生活は、地上にはない世界に支えられています。この数日を振り返ってみて下さい。テレビを観ましたか?GPSは使いましたか?天気予報のチェックや食事はしましたか?
日常生活で私たちが、これら多くのことができるのは、直接的にも間接的にも人工衛星のお陰なのです。
私たちは、そんな衛星の恩恵を受けながら、それを当然の如く暮らしていますが、衛星に関心を持つことは重要なことです。なぜなら、衛星は、宇宙に長くその痕跡を残すからです。
世界中の人々は毎日人工衛星インフラに頼っています。
それには、インフォメーション。エンターテイメント、通信、農業や環境のモニタリング、インターネットの接続やナビゲーションなどが含まれます。
人工衛星は、経済やエネルギー市場のオペレーションにも一役買っています。
毎日、私たちが頼みとしているこれらの衛星にも寿命があります。推進剤がなくなったり、故障し機能しなくなったものや寿命が来て自然と機能停止したものもあるかも知れません。
それぞれの時点で衛星は、事実上、宇宙のゴミとなって、音速の何十倍の速さで地球周回軌道上に集積してしまいます。
小さな破片が、この速度になると物理法則により衝撃力がミサイル並の危険な破壊力になります。
これを想像してみて下さい。ある晴れた日。あなたは所用で高速道路を運転しています。お気に入りの曲を流し、開いた窓からは涼しい風が入って来て髪をなびかせています。
いい気持ちですね。何もかもスムーズにいっています。その時、突然車の動きがギクシャクし止まります。それも高速道路の真ん中で、さあ高速道路に車を置いて行く他ありません。
幸運にも、車を路肩に寄せることができ、交通の邪魔にならないで済んだかもしれませんが、数時間前は、日常、欠かせない有用な機械だった車は、今や無用のただの鉄の塊と化し、重要な交通網には不要物となるだけです。
また、国際的な道路網に交通の邪魔でしかない故障した車が散在している状況を想像してみて下さい。
または、車の衝突事故が起きて、至る所に散らばる残骸の無数の小さな破片が、新たな障害物となっているのを想像してみて下さい。
これが衛星業界の実情です。
機能が停止した衛星は長期間に渡り、軌道から外れたままにしておくか一時凌ぎの手段として障害とならないよう移動させます。
宇宙では、国際法などないので、通常、警察が後処理を行うような後片付けは義務づけられていません。
しかも、小さな破片が、音速の何十倍の速さになると・・・
物理法則により衝撃力がミサイル並の危険な破壊力になります。
世界初の人工衛星スプートニク1号は、1957年に打ち上げられました。その年、衛星打ち上げが試みられたのは、合計3回だけでしたが、その後、数十年間で数十ヶ国が何千基もの衛星を軌道に乗せてきました。
その数はこれからも増えていくだけでしょう。900基以上からなる衛星群が打ち上げられる可能性があることを考えるとそう思わざるを得ません。
今では、衛星を様々な高度の軌道に使用目的に応じて乗せています。
その最も一般的な場所の1つは、地球表面の様子を撮るための地球低軌道です。
これは、高度約2千キロ上にあり、この軌道の衛星は、地球の大気に晒されているので軌道上で自然に劣化していき、最後には、恐らく数十年内に燃え尽きてしまいます。
衛星が送られるもう1つの場所は高度約3万5千キロの静止軌道です。
この高度の静止衛星は、移動せず地球と共に自転して通信やテレビ放送などに使われています。このような高軌道の衛星は何世紀も残ります。
また「墓場軌道」と名付けられた不気味なゴミ捨て場となった軌道があり、そこには寿命の尽きた衛星が他の衛星の邪魔にならないよう、一般の衛星軌道から移動されてきています。
1950年代から7千基程の衛星が打ち上げられて来ましたが、その内の千基ほどしか現在機能していません。機能していない人工衛星に加えて何十万ものビー玉サイズのデブリや何百万の剥げた塗料片が地球を周回しています。これらは宇宙ミッションだけでなく、私たちの生活に欠かすことの出来ない衛星にとっても重大な脅威です。
しかも、小さな破片が、音速の何十倍の速さになると・・・
物理法則により衝撃力がミサイル並の危険な破壊力になります。
真空なのでサビませんが、収益化できれば、宝の山が回っていることになります。この分野も新産業です。
宇宙デブリやゴミは、増々心配の種となっています。各国のそして国際的な努力で、新産業の技術水準を高め、これ以上デブリを増やさないよう制限しています。
例えば、地球低軌道を回る衛星は、25年以内に軌道から外れるように製造されることが奨められています。それでも随分後の話です。
特に何年も機能していない衛星にとってはそうです。また機能しなくなった静止衛星を少しずつ移動して墓場軌道に持って行く必要があります。
しかし、ガイドラインはどれも国際法で義務づけられたものではないので各国の機構を通して、試行されることになるでしょう。
また、これらは未来に目を据えた積極的なものではないし、既に、宇宙空間にあるデブリへの対応策でもありません。今後のデブリの産出を制限するために実施されているだけなのです。宇宙ゴミは誰の責任でもないというのが現状です。
これをエベレスト山の状況と比較すると面白いのは、人と環境との関わり方への新しいアプローチです。この山には有り難くもない名誉「標高が世界一高いゴミ捨て場」の名前が与えられてしまいました。
人類初の世界最高峰の山頂到達が成功して数十年、登山者が残してきた何トンものゴミが問題視され始めました。
ニュースでもお聞きでしょうが、ネパール国は登山者を厳重に取り締り、罰則や法的義務���より厳密に適用しようとしています。その目的は、もちろん登山者が自分たちのゴミを片付けるよう促すためです。
地元の非営利団体が持ち帰ったゴミを買い取るか、遠征隊が自主的に片付け隊を組織することになるかもしれません。
それでも多くの登山家たちは、自分たちで取り締まるべきだと感じています。これに簡単な答えはありません。自然を保護しようとする善意の努力でさえ、しばしば、問題にぶつかりますが、仕方がないというのではなく、私たちの生活の基盤である環境を守るためにはできることは何でもすべきです。
遠隔地エベレスト山のようにインフラが不十分な軌道環境では、廃棄物処理は難しい問題です。しかし、廃棄をエスカレートさせ、これ以上のゴミの山を作る訳には行きません。
宇宙で人工衛星の部品が壊れると修繕の可能性は限られており、それも費用もかかるというのが現実です。
では、衛星の設計や製作方法を改良すればどうでしょう?衛星全て、どの国の衛星であろうと自ら軌道から外れる機能があることと再利用可能であることを標準として義務づけたらどうでしょう。
その場凌ぎとして邪魔にならないように動かす代わりに、耐性年数を過ぎた衛星の廃棄を義務づける国際法が実際にあったならどうでしょう。
または、企業に人工衛星を軌道に乗せるのに預り金を課すべきかも知れません。その金額が戻って来るのは、適切な衛星廃棄が終了した時か。充てがわれた量のデブリを片付けた時だというものです。
または、衛星は軌道からの逸脱を加速するテクノロジーを搭載すべきかも知れません。後から、ランデブーさせて自動でドッキングするようなテクノロジーの開発も必要です。
明るい兆候はあります。例えば、2014年に打ち上げられた英国のTechDemoSat-1には、小さな「錨」で衛星を軌道から外すテクノロジーが搭載してあります。
これは小さいのでこの衛星にはうまくいきますが、より高度が高く、大きな軌道にある衛星やスクールバス程度の大きな衛星には、他の廃棄方法を選択する必要がありそうです。
高強度レーザーのようなものが使えるかもしれませんし、ちょっと考えると突飛なようですが、網や綱を使って引っ張ることもあり得るかもしれません(映画のスターウォーズみたいに宇宙船で押すことも含めて)
実に素晴らしいある可能性は、周回するレッカー車。または、宇宙整備士案です。この分野も新産業です。
想像してみて下さい。宇宙レッカー車みたいなものの人工知能ロボットアームが、衛星の故障した部分を修繕して使えるようにできたら どんなに素晴らしいでしょう。
または、その同じ人工知能ロボットアームが、人工衛星の推進剤を補充できるとしたらどうでしょう?ちょうど私たちが自分の車にガソリンを入れるようにです。
人工知能ロボットが、整備や修理をすれば、地球を周回する人工衛星は何百年も機能し続けるかもしれません。
この分野も新産業です。
どのような廃棄選択案が出てこようと技術の問題だけではなく、複雑な宇宙法や政治の面でも体制を整えるべきなのは明らかです。
要するに、持続可能な宇宙の使用法がまだ見つかっていないのです。
この分野も新産業です。
私たちは、生活を快適に仕事を効率よくしようと探索し革新を起こしながら、宇宙探索において私たちは、文字通り地球の境界を越えて行っています。しかし、学びと革新の名目で限界を押し広げながらも環境に対する私たちの責任は、決して消え去ることはありません。
これもSDGsの一環です。
これもSDGsの一環です。
これもSDGsの一環です。
静止軌道や地球低軌道は疑いもなく混雑状態です。高速道路の真ん中で誰も故障した車を置き去りにはしないように、何も手を尽すことなく、故障したからといって新しい人工衛星を打��上げ続けるわけにはいきません。
次に、携帯電話で天気予報を見たり、GPSを使ったりする時、それらを可能にしてくれる人工衛星技術のことやまた、衛星が地球を取り巻く環境にどんなにか大きな障害となっているかを考えて、それを軽減しなければならないというメッセージを広めて下さい。
地球の軌道は、素晴らしく美しい探索への出入り口です。それをどうクリーンに保つかは、私たち次第なのです。
ありがとうございました。
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
そして
人工知能ロボットが、整備や修理をすれば、地球を周回する人工衛星は何百年も機能し続けるかもしれません。
この分野も新産業です。
ここから予想できることは、バリーシュワルツが言うように、労働の概念が変わり、地球に居ながら映画アバターのように!
または、ゲームのように、自宅にいながら共同作業しつつ仕事をすることで高額な賃金が手に入る可能性も高い。
まだ誰も開拓していないので応用範囲は無限!
他の条約アイデアとして
もし、仮定として、各国が、地球や月の周回軌道で軍事衝突を起こすなら、核兵器並みの危機が、人類に降り注ぎ滅亡する危険性があるため
太陽などの恒星近くでのみ戦いを可能にする各国合意の許可性と言う条約アイデアがひらめいた!
もし、戦いの後に残骸がでても太陽に吸収され思う存分戦えるし、太陽に吸収されて地球に被害はないかもしれない。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。
それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
直前に!
Appleも何かを感じてたのか?Appleシリコン搭載Macの方は、「Mシリーズ」チップに移行してるし、符号してる。
Googleは、量子超越性を達成してきてるし、Facebookも脳波を読み取る機械の開発を発表してますし、符号してる。
イーロンマスクもブレイン・マシン・インターフェース(Brain-machine Interface : BMI)を具体的に発表。これも、符号してる。
ここから予想できることは、バリーシュワルツが言うように、労働の概念が変わり、地球に居ながら映画アバターのように!その惑星にある資源を使い。
月や火星、土星や衛星などに無人ロボット部品を送り、ゲームのように自宅にいながら共同作業しつつ仕事をすることで高額な賃金が手に入る可能性も高い。
火星や土星や衛星に関しては、有人宇宙船内を無重力工場にして惑星移動期間に3Dプリンター製造、組立を効率的に行うことが実現すれば良いが無人ならベスト。
光速で惑星間通信できるようになったとしても、火星や土星や衛星への通信は、地球からでもリアルタイムで遅延が起きるため、月面のみ、この可能性が開けます!
無重力でもあるため、洞窟に工場を建築して人間の暮らせる環境を作り出すこともできそうです。可能性は無限!この領域に限界はありません!国家や行政府の範囲外なので極端な自由もあります。命の保障はないけど!
このアイデアは、今後数十年、人間の限界を遥かに超える新産業なのでプラスサムになり、地球環境は汚染されず資源エネルギー問題も起こりません。
さらに
経済学者で、ケンブリッジ大学名誉教授のパーサ•ダスグプタが、イギリス政府に提出した報告書の中に登場。
経済学を学ぶと、登場する資本や労働などの生産要素の投入量と算出量の関係を示す生産関数があります。
こうした関数は、様々な前提条件に基づきますが、経済学者は、収穫逓減の法則と言うものをよく知っています。
このような人工的な生産関数とは、他に天然由来の生産関数。
つまり、自然から収穫できる生産関数を導き出し、地球全体の生産関数というエコシステムを数値化することでバランスをコントロールできるかもしれないというアイデア。
ここでは、自然資本と呼びます。
自然資本を加味すれば現在の経済成長ペースがどこまで持続可能かを分析することもできます。
人間は、国内総生産GDPを生み出すため、自然から資源を取り出して使い、不要になったものを廃棄物として自然に戻す。
もし、自然が自律回復できなくなるほど、資源が使われて、廃棄されれば、自然資本の蓄積は減少し、それに伴い貴重な生態系サービスの流れも減っていくことになります。
さらに、教授は、経済学者も経済成長には限界があることを認識すべきだと説いています。地球の限りある恵みを効率的に活用しても、それには上限があります。
したがって、持続可能な最高レベルの国内総生産GDPと言う臨界点の水準も存在するということが視野に入るようにもなります。これは、まだ現時点では誰にもわかりませんので解明が必要です。
なお、地球1個分は、ずいぶん昔に超えています。
<おすすめサイト>
スカイラー・ティビッツ: 世界を変える4Dプリンティング
キャスリン・コールマン:国際宇宙ステーションでの暮らし
ロボットの宇宙空間での活用2019
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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kennak · 1 year
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トイレ問題は「見た目」に起因する問題である、という認識を避けてはいけない・トイレでは、他人の性器を見る機会なんて無いので、見た目でしか心理的恐怖は発生しない。・トラブル(通報)が発生するかどうかは、現実としてその性別の典型的容姿に見えるかどうか。・恐怖やトラブルは、性器有無ではなく容姿に起因するものだが、法律では容姿を規定することは難しい。・仮に「戸籍性で利用可能トイレを制限する」や「性器の外観で利用可能トイレを制限する」という法律が出来たとしても、容姿が規定されない以上、シス女性の恐怖は払拭されない。 →そういう法律が出来たとして、「髭モジャで喉仏が出ている、どう見ても男性にしか見えない人」が女子トイレに入ってきた時、その人は実際にはFtMの人かも知れないけど、「きっとFtMなんだね」って思って恐怖心を抱かずに通報されない世界になるかというと、そうはならない。「違法に入ってきた男がいる」という通報トラブルが発生する。その後、誤解は解けるかもしれないが、その後もそのFtMは何度もそのような通報トラブルに遭う。・現実としてパス度が高いMtFは性別適合手術前や戸籍変更前であっても日常的に女子トイレを使用している。この現実を認識していないで「LGBT法というのを認めることで、MtFが初めて女子トイレに入ってくる」かのような考えをしている人がいる。既に普通に「そこにいる」ということに気付いていないだけなのに。・パス度の高いMtFは女子トイレを利用してもトラブルは起こらない一方、男子トイレを利用することで暴言を受けたり性的な被害を受けたりもすることがある。 →男子トイレを使っていた時代には、実際に「ここ男子トイレだよ」と言われて「あ、男です」と言ったら「なんだよオカマかよキメェな」みたいな暴言を言われたりもした。・戸籍/性器の性でトランス女性を一律排除する言説をする人は、「パス度高いトランス女性は女子トイレを利用しており、そういう人のトラブルは起きていない」という"現実"を踏まえた上で、その人達にも「今後は女性トイレから出ていけ、男子トイレでは毎回トラブルが起きるだろうが受け入れろ」と言うんだろうか。髭モジャで筋骨隆々のFtMが女子トイレに来ても恐怖心感じずに受け入れるんだろうか。・法律で容姿を規定できない以上、この問題を立法で「一気に解決」なんてできない。・法律がどうなろうと、パス度に自信がある人はトランス先の性別のトイレを使う。・ルッキズムに問題があることは事実だけど、現実として、今はそうなっている。・使用制限方向の法律でも、権利認定方向の法律でも、どっちにしろ実際には現実はほとんど変わらない。パス度が低いトランス女性の話・現実を踏まえた上で何かしら議論するなら、例えば「パス度が低い性別適合手術前のトランス女性のトイレ利用はどうあるべきか」というような、もう少し対象を絞って議論をするべき。今行われているような(バズっているような)、トランス女性をひとまとめにした議論はあまりにも雑。・「パス度が低いトランス女性」は性別適合手術前だろうと後だろうとめっちゃ苦しむ。「相手に恐怖心を抱かせてしまうのではないかという恐怖」に常に怯えながら生きている。・「性自認さえ女性であればどんな容姿でも女性トイレを使ってOK」って法律が出来たとしても、「やったー!これで堂々とトイレ入れる!」なんて単純に喜べないよ。女子トイレを使う度に「恐怖心を与えてしまっていること」に対する申し訳無さと苦しさは、法律がどうなろうとずっと感じ続ける。・パス度が低いトランス女性は、立法ではなく、「世の中の感覚がどう変わるか」でしか救われない。ルッキズムの世界から脱却することは立法では難しい。・「女性みんなが他人の容姿を気にしなくなった世界」なら安心してトイレに行くことは出来るようになるだろうけど、他人が感じる恐怖心の発生をいますぐ無くすことは、現実的にはできない。ゆっくりゆっくり、何十年も掛けて世の中の感覚が変わっていくのを待つことになるんだろうと思う。(20年前と今を比較すると、トランス女性というものを受け入れてくれている人も増えていることは実感している。)・そういう意味では、トランス女性がもっと身近にいるということが可視化されれば良いのだけれども、トランス女性は埋没嗜好の人が多く、カミングアウトもしたがらない人が多い。なかなか難しい。銭湯に入りたいなんて思わねーよ・性別適合手術をしていないトランス女性は、性器部分にコンプレックスがある状態なのにそれを見せつけて女湯に入りたいなんてことはまず思わない。・銭湯については、権利問題の象徴として議論されているに過ぎない。立法がどうなろうが現実の性別適合手術をしていないトランス女性のほとんどは女湯に入らない。・銭湯については、当事者としてはどうでもいい議論やってんなーって感じ。性別適合手術前で銭湯に入れろなんて求めてないし、その議論でトランス女性に対するイメージが悪くなるなら、むしろ権利主張側の言及すらやめてくれって思う。・少なくとも、トイレと銭湯は現実的な問題のレベルがぜんっぜん違うから分けて議論してくれ以下愚痴とか・雑に「体の性に従って~」という表現をしている人を見かけるけど、「体の性」と言う場合に「生殖器の外観」「生殖機能の有無」「染色体」等の軸があり、トランスの過程で変化するものもあれば、変化しないものもある。(性別適合手術を行い、戸籍上女性になってすら、染色体の性別は変えられない)・「体の性」という表現をしている時点で、「分かっていない人」なんだなと絶望を感じてしまう。・トランス女性の特定の人を指して「LGBTの人」と言ったり、「私LGBTかも知れない」みたいな表現が増えたことについて、昔に較べて表現の粒度が粗くなったように感じる。昔は「性同一性障害の人」とか言ってたのに、特定の人に対してLやGやBやTではなく、LGBTという総称が使われるのは違和感。特定の秋田県民の人に対して東北六県民というような気持ち悪さを感じる。・リモートMTGが多い時代になって、これまでパスが容易だった人がパスしづらくなった。(オフラインでは、容姿のパス度が高ければ多少声のレベルが低くてもパスしやすかったけど、映像なしのリモート通話だとパス度を上げるのは別方向の難しさがある)・トランス女性という概念について、「見た目おっさんのバレバレ女装で性器を見せつけながら女湯に入れろと無神経に騒いでいるモンスター」みたいなイメージで議論されているのは、本当に、本当にとても悲しい。(TERFが出す事件例や、エンターテイメントにおける古典的な「オカマ」表現の影響はかなりありそうに思う)・女子トイレにいる時に「目の前にいる特定の人から恐怖を感じるか」はパス度で決まる話だ、というのは最初の方で書いたけど、「トランス女性が実は既に女子トイレを使っているなんて、怖い」「自分がその場に鉢合わせるかもしれない、怖い」という漠然とした恐怖心を、この記事を読んだことで(事実を知ったことで)感じた人はいるかもしれない。そういう人に対しては申し訳ないと思います。ごめんなさい。現行のトイレ使用に関する法律の話・異性のトイレに通常のトイレ使用目的で入ることを罪とする場合、その根拠は現在では基本的に建造物侵入罪になるんだけど、これは「管理者の意志に反しているか」が基準であって、「性器形状」や「戸籍」が基準であるとは書かれていない。「性同一性障害の診断が下されている人であっても戸籍あるいは性器形状基準で制限すると管理者は考えている」とは一概に言えない。・経産省の職員の事例では「性同一性障害の診断がされていても性別適合手術を受けていなければ女子トイレの使用を明示的に制限したのが違法かどうか」という点で争われて、地裁では制限が違法、高裁では制限が合法となったが、そのような明示的な制限が無い場合にどのように扱われるのかはケースバイケースの判断になりそう。・トランス女性では、通報トラブルがあった時の「万一のための御守り」として、性同一性障害の診断書のスキャンデータを携帯電話に入れているという人は多い。ブコメ等の反応に対して・この文章で「私と、私が知るトランス女性の当事者の振る舞いや考え方」を書いているが、「トランス女性がトランス先の性別のトイレに入る権利が法律で認められるべきだ」とかそういう話はしていない。むしろ「現実はこうなっていて、法律がどうなろうとトランス女性の現実はほとんど変わらない」ということが論旨。「体の性」という表現をしている時点で、「分かっていない人」なんだなと絶望"これはちょっと厳しすぎるんじゃないかなぁ。単純に、外観から判断される性別≒生殖器の有無って意味なのは自明では? はい、「おおよそそういう意図なんだろうな」というのはもちろん読み取れます。ただ、ちゃんと議論をしようとする場合「体の性」という雑な表現にならないので、「問題の複雑さを認識・意識していないんだな」と無力感を覚えるというただの愚痴です。n=1でしかなくない?悪意の有無を別として、正直フェミが女性代表面するのと印象が大きく変わらない。だって、こういうのは「そうじゃない人」が一人でもいれば覆る。そう思ってる人は「でも…」と聞かないでしょ。トランスの人は一応100人ぐらいは話したりしています。そこから主流だと感じたトランス女性の振る舞いや考え方と、私個人の実体験に基づくものを書いた。そうではない人も一部いるだろうとは思います。「n=1でしかなくない?」と言っても、1を知らない状態よりは参考になると思います。「女性みんなが他人の容姿を気にしなくなった世界」とあるけど見た目を1番気にしてるのトランスじゃん。パス度とか言ってさ。そうですね。トランス女性がパス度を気にする要因は複数あって、その主な一つは「一般の人に恐怖を与える存在でいたくないから」ですが、いつかみんながトランス女性に恐怖を感じないんだなという認識になって、当事者もそういう認識になったらパス度を気にしなくなる人も出てくるかもですね。米のアスリートの話とかどう思っているのだろう・私はアスリートじゃないので当事者性を持って語ることは出来ない。「自分はアスリートじゃないから関係無いけど、そのことが話題になってトランス女性に対する恐怖が増幅されるなら嫌だなあ」ぐらいの感覚の人が多いんじゃないかな。・男性ホルモン量でトランス女性の出場可否を規定するスポーツもあるみたいだけど、第二次性徴期に作られた「骨格」はその後にホルモン療法や性別適合手術をしても変わらないので、骨格の有利不利があるスポーツでは万事解決とはならないだろうなと思う。リモートMTGについてはメタバー���()が救いになると思うんだけどどうも界隈がな…。・幾つか試したりしたけど、世の中のボイチェンの品質があまり足りてないように思うので、今のところ救いにはあんまりならないですね、、、、T向けのお手洗い新設しろっていうのはそれはそれで困難な話で、多目的トイレの利用といい、アウティング的な感じになってしまうので埋没したい人間には避けたい選択肢になる・「(相手に心理的負荷を与えたくないから)多目的トイレでいい」という人もいれば、「出来れば多目的トイレじゃなくて女性トイレの方を使いたい」という人もいます。・「男性トイレ」「女性トイレ」「多目的トイレ」という形の設置として、トランス女性は多目的トイレを使うようにというルールとすると、埋没したいトランス女性にとっては「なんであの人毎回多目的トイレに言ってるんだろ」と思われることになり、「一般の女性の振る舞い」が出来なくなるので、それを苦痛に感じる人はいます。・とはいえ、私個人としては「多目的トイレでいい」派なので多目的トイレが増えると嬉しい。“見た目おっさんのバレバレ女装で性器を見せつけながら女湯に入れろと無神経に騒いでいるモンスター”これがトランス女性だと思ってるのではなく、こういう「自称」トランス女性にたいしてなす術がないのが怖いのよ一番悪用された場合のケースを避けたいから仕方なくやってる制度に対して一番都合のいい場合だと大丈夫だよ!って主張しても何の意味もないっていい加減に気付かんのかねぇ・この記事では「トランス女性」にフォーカスして当事者性を持った話を書いたつもりなので、そうではなく、「女装シス男性がトランスを言い訳にしてトイレの通常の使用目的外の目的で入ってくるケース」については、そういう人の気持ちは当事者性を持って話すことはできないので言及しなかった。・そういう恐怖が生まれることは分かる。論点①「女装シス男性が、通常のトイレの使用以外ではない目的(盗撮等)で使用した場合に何が問題となるか」 この場合、刑法や迷惑防止条例違反で、実際の盗撮行為等で罰せられる。これは法律がどうなろうと変わらない。論点②「女装シス男性が、通常のトイレの使用目的で使用した場合に何が問題となるか」 通常のトイレ目的での使用なら、危惧している「盗撮」や「性的被害」は発生しないので、恐怖心を感じるかどうかの問題。論点③「女装シス男性を見抜くことが出来るのであれば、①②の女装シス男性をまとめて女子トイレから排除するのは合理的か」 女装シス男性については、男子トイレを使えば良い、という話ではあるので合理的と判断される可能性が高そう。論点④「女装シス男性と、トランス女性を正確に見分けることはできるのか」 本質的には、人の内面がどうなのかはわからない。「性同一性障害の診断書があるか」を社会的な区別の基準にすれば社会はある程度納得するかもしれない。一部のトランス女性からは反発がありそうだけども、「性同一性障害の診断書」は、一部の緩い医者はとても簡単にすぐに発行するという現実はある。個人的には、女装シス男性とトランス女性を正確に分離できるとは思わない。(そういう行動を行っているうちにアイデンティティが変わるということは、ごく自然にあると考えている)論点⑤「区別が付かないなら、トランス女性もまとめて女性トイレから排除することに合理性はあるのか」 これは「ごく一部の例外により女性被害を受ける可能性が増えるかもしれないことをもって、多数のトランス女性が不利益を被ることが正しいことか」という、権利衝突の話なので、とても政治的な問題。個人的な考えとしては、「実際の危険からのケア」と「危険性が上がるかもしれないという恐怖感のケア」は厳密に別の話として考えたほうが良いと思う。論点⑥「法律で明文化して性自認による女子トイレ使用を認めたら、実際に被害が増えるか」 犯罪者の中でそれを理由に挙げる人は増えると思うけど、認めると実際の被害の総数が増えるはよくわからない。求根拠。・私の考えとしては、トイレに関しては特に現状(基準規定なし)のまま、世の中の認識がゆっくり変わっていくことを期待しているので、「理解増進法案」でトイレの権利について規定することを希望しない。・「理解増進法案」が仮に通ったとしても、トイレの権利について個別に明記されない限りは、実際にトイレで何か問題が発生したり通報がされた際には「それが実際に差別と言えるような行為なのか」がケースバイケースで判断され、「何らかの犯罪被害を受ける蓋然性がある」と判断されるなら、通報してもちゃんと犯罪として裁かれるはずだと思う。
2023年トランス女性のトイレ議論について、当事者から。[追記あり]
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dakimakuraseisaku · 4 months
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kiripon123 · 5 months
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パラサイト 半地下の家族を観た感想-桐山進也
映画『パラサイト 半地下の家族』は、2019年に公開された韓国映画で、ポン・ジュノ監督によって作られました。この映画は、格差社会の問題を巧妙に描いた社会派スリラーであり、多くの国際的な賞を受賞し、高い評価を受けました。 映画は、貧しいキム家が裕福なパク家の家に次々と「寄生」する様子を描いています。キム家の家族は一つひとつの方法でパク家に入り込み、家庭教師、運転手、家政婦などの仕事を得ます。しかし、このプロセスは予想外の展開を見せ、徐々に緊張が高まっていきます。 この映画の最大の特徴は、社会階層の不平等という深刻なテーマを、ブラックコメディの要素を交えながら描いている点です。キム家の家族が抱える経済的な困難や、それに伴う道徳的な葛藤がリアルに描かれており、観る者に強い印象を与えます。 また、映画のビジュアル面も見事で、半地下の家や豪華なパク家の邸宅など、対照的な環境が巧みに描かれています。これらのビジュアルは、物語の中での階層差を視覚的に強調しており、物語のメッセージを強化しています。 演技面でも、キム家とパク家の家族を演じる俳優たちは、それぞれのキャラクターを深く掘り下げ、印象的な演技を見せています。特にキム家の家族の絆や、それぞれのキャラクターが直面する内面的な葛藤は、観る者の心に深く響きます。 『パラサイト 半地下の家族』は、エンターテイメントとしての面白さと、社会的なメッセージを巧みに融合させた作品です。その斬新な物語と映像美、優れた演技が組み合わさり、多くの観客を魅了しました。この映画は、単なる娯楽作品を超え、現代社会における重要な問題について考えるきっかけを提供しています。
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ashi-yuri · 5 months
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E.オニール「氷人来たる」
希望、世界から社会から自分自身から見棄てられた者たちのためのささやかなエンターテイメント
Kentucky Route ZeroのAct.2幕間劇「エンターテイメント」の引用元ということで読みました。絶版ですが、縁あって読めて非常に良かったです。よかった。
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オニール作品の解説本であらすじは知っていたけれど、予想していたものよりずっとよかった。
ハリー・ホープを主人とする明日の叶わない夢ばかりを話す者達が集う、どん底のような酒場に常連の気のいい営業セールスマン「ヒッキー」がやってきて、みんなに酒をおごり、ハリーの誕生日を祝い、『みんなが幸せになる方法』を教えてくれるという話。
ほんとに望みや救いがなくて、特に悪人や悪意も存在しないのにかかわらず、最初から最後までみんな終わってていい。解説読んだだけだと、ヒッキーが酒場の哀れな人々をだます詐欺師で扇動者みたいな役割だと思ってたけれど、彼自身もどん底にはまって抜け出せないままの人間で、つまり酒場の全員(捜査官以外)が偽りの希望にすがって酔いつぶれて自分ではどうしようもないまま終わりを待ってるだけ。変わりたくても変われないし、ほんとうは変わりたくもない。
翻訳の地面を這うような泥臭さも良くて、テキストの強度がすごく高い。時代で風化しないのすごいな。同じ主題を強度の弱い文章やセンチメンタルで自己憐憫的に描かれたらほんとに鼻持ちならないだけだけれど、この圧で語り掛けてくるのはさすがだなあ。
ラリー:(ここは)云つてみりや、「絶望酒場」、「どん底バー」、「終点カフェ」、「海底食堂」つてとこさ。この雰囲気の美しい静けさに気がつかないのかい?それは、ここが最後の港だからだよ。ここに居る者あ誰だつて、次には何処へ行こうか、などと思い悩む必要はないんだ、なにしろこれから先は無いんだからな。連中にとつちや、大きな慰安さ。もつとも、ここでさえ、君が長く居りや自然と分かるように、みんな過去や未来についての無害な夢を少しばかり抱いて、生きてる振りを続けてはいるけどね。
なんとか俯瞰しようとしながら不信感と失望に怯え続けて、自分が死ねない代わりに、自分と同じ裏切りという罪を犯した若者が自ら死にゆくのを見ているだけの最悪な行為で締めくくる元革命運動家のラリーがいちばん台詞と描写に力が入っていてよかったです。
各幕の終わりに、「真実に目覚めた」ヒッキーが、みんなの幸せと心の平安を得る方法について語り始める場面も怖いくらい凄味があって、作品単体としては「エンターテイメント」より好みだと思う。
出てくることのない「氷屋」って真実みたいだなと思った。みんなとっくに終わってる人たちだから、氷屋が来ると自分をもう騙せなくなって終わるんだろう。真実はいつだって冷たいので。
このどん底で今日を生きるためには、真実から目を背け大いなる眠りを待ちながら酔い続けるしかないのだから。
ヒッキー:(目を閉じる)とうとう自分というものを手放すことができるんだ。海の底に自分を沈めるんだ。静かに休むんだ。もうこれ以上行かなくてもいい。お前らの心を苦しめる下らない希望や夢は、もう一つだつて残つちやいないんだ。諸君に俺のいう意味が分るようになるのは、皆が―済まないが―すつかり疲れちやつた―ひと眠りしなけりや―うんと飲んでくれ―俺が奢る―
KRZの理解を深めるうえでも読んでよかったな。
KRZは暖かい親密さと同時に冷たい諦観と悲しみを持つ作品だけれど、後者について「氷屋来たる」はKRZの底流に流れてるものと共通する部分が多いのではないかな。にしてもエンターテイメント、これに比べたらまだぜんぜん優しさと救いがある…
なんでコンウェイやエンターテイメントの登場人物たちが自分にとって毒であり死に近づくだけの酒を必死に飲み続けるのか、自分はいまいち理解しきれてなかった���れど、「氷屋」読んでようやくすこし理解できるようになった気がする。ここまで絶望してるかはわからないけれど。
「氷屋」では登場しないままヒッキーに殺されるイヴリン、愛と寛容の象徴であり頑強なキリスト教道徳を体現する女性、エンターテイメントは彼女を一人の人間として描きイブリンの側から物語を語り直す試みでもあったんだろう。コーラとかパールもひとりの人間として現代人に共感できる形に書き直されているし。(それをフェミニズム的反転と評する人もいるのかもしれない)
ヒッキー:な、エヴリンは俺を愛してたんだ。そして俺も彼女(あいつ)を愛してたんだ。そこが難儀なところさ。彼女(あいつ)があんなに愛してなかつたら、逃げ道を見つけだすのは容易いことだつたろう。それともまた、俺が彼女(あいつ)を愛してなかつたら、だ。だが、実際の状態がああだつたから、道は唯一つしかなかつたんだ。(言葉を切る―それからあつさりと附け加える) 俺は彼奴(あいつ)を殺さなきやならなかつたんだ。
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ふつうに描写が具体的なので、エンターテイメントの背景の補足できてよかったし、「外はバビロン」とかの引用も意味がわかったし、ハリーが奥さんを愛して忘れられないまま酒場を離れられないこと(ほんとに愛してるのかもしれないし、辛い真実を見ないために縋ってるだけなのかもしれない)とか、いろいろ背景が想像しやすくなったかな。
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ヒューゴー:「おお、バビロンよ、日は暑く、汝が柳の蔭涼し!」 (注釈)旧約聖書詩編第137篇第一節及び第二節のもじり。「バビロン」は「資本主義社会」を、「日は暑し」は「生活の不安と苦難」を、それぞれ象徴しているらしく思われる。
幕間劇「雇い人の死」の終わりもようやくすこしわかるような気がしてきた。
氷屋の登場人物はみんな「大いなる眠り」を待っている。これを反復するようにKRZの幕間劇の最後もブランドンが急に眠って終わる。(もちろん「雇い人の死」のサイラスの死が重なってる)
KRZはブランドンの眠りが「大いなる眠り」なのか「しばしの小休止」なのかあいまいなまま、ハリーの「眠らせてやろう」という台詞で締めくくるけれど、KRZらしい悲観的なのか希望があるのかどちらでもあるような終わり方で、両義的なところがしみじみよかったと思う。
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KRZのこういうところ、マニアックで原典あたる人のみが楽しめるというあまりにわかりにくい楽しみ方ではあるけれど、まあ自分は満足できたのでいいです。
本書籍は絶版で発行年代も古く入手困難でしたが、ご厚意により貸していただきました。感謝。
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sugitapro · 7 months
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杉田プロジェクト
第9回打ち合わせ 議事録:氏名 田口奈旺
1.日 時:2023年6月14日(水)10:45〜12:15
2.場 所:10号館ゼミ101B
3.出席者:池田、志田、中村、藤江、田口、飯田、石井、管原(オンライン)
  欠席者:渡辺
4. 議題
【1.スケジュール】
6月23日(金)
・プロジェクトの題目と概要(300〜400字程度)
・プロジェクトの活動に関するキーワード3〜5つ→担当教員に確認
・webサイトのトップページを完成させる
6月30日(金)
・中間発表に向けて、プロジェクターの使用または他のプロジェクトへの配慮が必要な場合は報告
7月1日(土)
・2023プロジェクト中間発表会のクラスルームに参加
7月7日(金)
・中間発表で掲示するポスターをクラスルームに提出(印刷期間 7/3~7/7)
 <ポスター内容>
 1.題目
 2.メンバー
 3.テーマの背景と目的
 4.企画の具体案
 5.予想される成果物
 6.現状と今後の見通し
 7.年間スケジュール
7月15日(土)(中間発表当日)
 10時〜13時05分 準備
 13時05分〜16時 発表
 16時〜17時30分 片付け
 <中間発表課題>
 4つ以上のプロジェクトを評価してGoogleフォームに入力
【2.前回の授業外ミーティングの共有】
過疎は解決した方がいいの?
→過疎地域はメリットよりデメリットが多い
→過疎は解決した方がいい!
【3.課題の共有】
<過疎地域によって起こる問題>
●地域内の問題
・インフラが少ない
・文化が受け継がれなくて過疎地域になってしまう
・地域の産業が衰退
●地域外の人も関係する問題
・関係人口が少ないことが問題
・旅行ができなくなる
・観光地がないと関係人口が減少
<取り組んでいきたいこと>
●関係人口
・地域の伝統や文化・観光の魅力を発信して関係人口を増やす
・地域の特産品をブランド化してPR(若者向け)
・文化やエンターテイメントに注目(若者向け)
●その他
・過疎のイメージを覆す
・過疎が進み始めた地域の過疎を悪化させないようにする
・過疎のレベルを見定めてどのようにアプローチするかを考える
<調査>
●調べ学習
・過疎地域にいきたくなる要因を調べる
・地域の伝統や文化・観光の魅力を調べる
・関係人口が多い過疎地域と少ない過疎地域を調べる
・関係人口が多い過疎地域のPR方法を調べる
●現地調査
・ネットだけだとわからない土地に実際に訪れる
・過疎地域に訪れる人は何を目的に訪れているのかを調査
・過疎地域に住んでいる人が実際に過疎を改善したいと思っているかを調査
●都市部の人に調査
・あたり調査として友達に話を聞く
・過疎レベル(住めるか・インフラなど)を調査(少ない人数に細かい内容をインタビュー)
【4.目的を明確にする】
<提案>
・若者をターゲットにする(若者の過疎に対するイメージを払拭する)
●特定の地域派
・実際に過疎地域の食べ物を食べて、グルメを発信する
・以前訪れた檜原村に焦点を当てて調査
・一つの地域に焦点を当てた方がやった感が出る
・過疎を解決して欲しいと思っている地域の手助けをする
●複数の地域派
・架空の過疎地域を考えるなら、色々な過疎地域に訪れて過疎地域について知るのがいい
・過疎についてのプロジェクトだから、一つの地域に絞らずに複数の過疎地域から見えることを深堀する
・実際に複数の過疎地域に訪れていいところを見出す
★地域を絞っても絞らなくてもまずはしっかりした目的が必要
<先生からの意見>
・はっきりした目標を決定する
・地域の伝統や文化がどのようにできたかをPR
・中間発表を調査をする場にするのはOK(簡単な内容)
・どこまで自分が住むことができるかという問いは曖昧だから、状況を設定してアンケートをとる
・学生に過疎がどのようなものかを発信する
・過疎についての調査が足りない→過疎の段階について他者に説明できるようにする
・架空の過疎地域や都市部を作るのもあり
・地域を一つに絞ると地域のPRになってしまうから、もっと広がりをもった学習になるようにする
・若者が過疎地域に住みたくない本当の理由を調査するのも面白い
・複数の過疎地域に行くなら過疎レベルが高い過疎地域に行く必要がある
・流山市(過疎ではない子育てに力を入れている地域)を見に行くのもあり
・特定の地域に絞るor複数の地域に分かれて教員相談に行くのもあり
・若者が住みたいと思うまちを提示(最低限住める場所)
若者が過疎地域に触れる機会を増やすことで、過疎地域に対するイメージが変わり、実際に住む人が増えるかもしれない。
→継続的なPRを考えるべき
5.決定事項
・中間発表に来てくださった方に過疎レベル(住めるか・インフラなど)のアンケートをとる
・現地の人に調査をする
・生産人口・関係人口を増やす
・若者をターゲットにする
ゴール(仮)
若者が過疎地域に触れる機会を増やすことで、過疎地域に対する良いイメージを持ってもらう
<提出物分担>
・webサイトのトップページ(CD)
・プロジェクトの題目と概要(300〜400字程度)(DS)
・プロジェクトの活動に関するキーワード3〜5つ→担当教員に確認(MC)
6.次回予定
・プロジェクトのゴールを考えてくる(次の時間外ミーティングまで)
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shukiiflog · 7 months
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ある画家の手記if.119  雪村絢視点 告白
俺はまだ日本から出たことは一度もなかった。 通ってた小学校も中学校も高校も修学旅行先は海外のどっかだった気がするけど、家から離れるのが怖くて結局どれも欠席して行かなかった。
空港には真澄さんと光さんが車で送ってくれたけど、香澄と直にぃも来てくれた。 香澄とおでこ合わせていっぱいお別れしながら、これで最後になるかもしれなくても後悔ないように毎日大事に過ごしてきたことと、それでもやっぱりどういうふうに毎日を積み重ねても最後には何か後悔するんだろうなってことも思ったりする。 直にぃは俺の頭撫でて「お守り」って小さな木彫りのキーホルダーくれた。例のかいじゅうのちっちゃいやつ。 「楽しんできてね」って穏やかに笑う直にぃは、俺が初めて会った頃と髪の長さとかは今ちょうど同じくらいだけど、全然受ける印象が違う。俺は…直にぃのこと…香澄に思うみたいに大事とかとはちょっと違う気がするけど…この人のことも、誰かに迂闊に傷つけられたら俺はもう、許せないんだろう。 直にぃは俺を俺として見る。直にぃにとっても理人さんは今も重たい存在感を持つはずなのに、それでも。俺も、香澄の大事な人だからとかその家族だからとかそんな中継点を介さずに、直にぃ個人への素直な気持ちを軸に直にぃには接せられたらいい。…出立前になぜかそんなことを考えた。
留学期間、オーストラリアの学校では俺はまこに本物の通訳みたいにぴったりついてることはしなかった。 そうするかどうか悩んだけど、留学ってことは観光だけの旅とは違うわけだし、なら俺たちが学びを得ていくだけじゃなくてこっちから提供できるものも携えていくべきだ。俺が相手にとって有益な話をできるから向こうも真剣に俺にとって利のある話をしてくれる。生活空間や日常の雑談ではまた事情は変わってくるけど、とりあえず今回は学業の場に行くんだし。 俺に現段階でまあまあできる話っていえば限られてくる、フランス文学とか古典文学、翻訳、語学、そのへん。それで俺は自分の強みを発揮しつつ楽しく話せて今後の翻訳の仕事にも活きそうな文学方面の学部を選んだ。 まことは別行動が多い日々。一日のあとに膨大な得た情報から俺がまこに雑談で話す範囲を見極めるのに、まこの専門分野を把握しといたのが役に立った。関連づけて考えると面白いかどうかはただの俺の勘と裁量だけど。 光さん曰く、物事に対峙したとき感覚は「違う」と言って知性は「同じ」と言う、その発語は人によってそれぞれ強さもタイミングも異なる。「同じ」とは人類史上最強の発明で、より原始的に感覚的になるにつれて「違う」ことばかりになるのが人間の世界。まこの専門分野は「同じ」の最先端の活用と細分化みたいな感じ。なら俺はそのグラデーションや「違う」を探してみようかな。 そうやって、留学生とか現地の学生と話してたら、ちょうど俺が最近ハマってた日本の漫画が海外の学生の間でも流行ってたりして、そんなエンターテイメントのトークからも色んな国の色んな人と話せた。話すときに余計な忖度みたいなのを挟むとかえってイマイチな反応がくるのが楽しい、日本とは違う。結構幅広く、ただの外面だけじゃなくて仲良くなれたんじゃないかな。 俺の英語がわりと通用してたのもちょっと嬉しかった。文法とか発音とかには自信あったけど、ネイティブの現場でどこまで通用するのかは実際にその場で喋って生活しないと分かんないところが多い。 留学する理由も、行った先での行動も、俺はすべてを「まこのために」なんて形にしてしまうのは絶対に嫌だった。 俺のまこへの感情とそれはまったく別の話だし、俺が自分の個人的な恋愛感情に基づいてまこの学業や研究を支援したいなんて姿勢は、留学に誘ってくれたまこに対して失礼な気がする。人によってはそういう動機もあり得るのかもしれないけど、俺はなんとなく、そこは分けたい。
…………。 …その矢先にシャワー室でなんか…やばい反応した… どう考えても恋愛絡みの…そういう反応…。 …俺とまこはここで共同生活してて、お互いにそれなりに過ごしやすくて居心地のいい関係を築けてると思う。俺がわりと誰とでも共同生活とか���まいことこなすせいかもしれないけど…。 でもまこも、一緒にいるうちにだんだんと俺の考えとか言動を意識的に尊重してくれてる…。俺とまこは感覚がかなり違うし、その場合近い感覚のもの同士より尊重し合うにはエネルギー消費する、のかも。 それがまこが香澄を大事にしてて、香澄が俺を大事にしてるからってことに由来するのかは、分かんないけど。俺は香澄が愛してる直にぃに対していつも容赦ないしな…香澄がいくら大事にしてたって俺は個人的に気に入らないものも当然あるし、俺は香澄を守りたくても香澄の大事に思うものまでは、それだけを理由には守らない。そこまで醜く肥大したエゴと慢心は持ちたくない。 まこは香澄にも告白するつもりなかったんだった。関係の変化も望んでない。それはまこなりの人との距離感の保ち方とか関係の続け方なんだろうし、俺はそこにまでは口出せないけど。…。 まこにはまこの、俺には俺の、人との関わり方がある。押し付けるかどうかはともかく俺はどこでも妥協するつもりはない。そんなお上品にのんびり構えてられる時間もない。 ……同時に、留学期間中はそういうのは脇においといたほうがいいのかなっても、思ってた。まこが留学に誘ってくれたののほうがタイミング的には俺の告白より先なんだしとか。勉学に来てんだしとか。俺だってまこのことばっか意識してるんじゃなくて色んなこと楽しみたいし、実際そうしてるつもりだし。体のことにいちいちかこつけて時間がないのどうのって言い分を引き合いに出すのも…なんか卑怯な気がして嫌だし… シャワー浴びてベッドの上でシーツ被って丸くなってたらいつのまにか眠ってて、髪の毛乾かすの忘れてたせいで次の日はちょっと熱出した。
俺が熱で寝込んじゃったから俺もまこもその日は学校休んで寮の部屋でおとなしくしてた。 微熱程度だし、まこは休まなくてもいいんだけど、ご飯買いに行ったり細々したことをかわりにやってくれた。 熱が少し引いてきたから俺がベッドでかいじゅうのキーホルダーいじってもぞもぞしてたら、机の前でパソコンに向かってるまこが急に喋り始めた。 と思ったらスカイプで通話してた。向こうの音も聞こえてくる。声…  香澄と通話してるのか… 俺はまだベッドから起き上がれなくて遠めに二人の会話をぼんやり聞く。聞かれたくない話ならこんなにオープンな形で話さないだろうし… 「あー  サトとは別れた」 「……」 ?! なんかそこだけしっかり聞こえてきた…  サト…ってまこの彼女の名前じゃなかったっけ…ていうか文脈からしてもそうじゃん… …別れた? いつ?  …って、俺は会話に加わってないから聞けない…し、俺がこんなお手軽に知っていい情報なのそれ… まこが通話を終えて買い物に出てったから、俺は枕元のスマホでベッドの上からスカイプの画面を開く。 こっちに来てからまだ真澄さんにも光さんにもちゃんとした連絡はしてなかった。いつもみたいに面白いもの発見したら写メ撮って、帰ったら二人に見せようと思って。香澄と違って二人は連絡してねとかは一言も言わなかったから、対照的だなーとか思いつつ。 二人に聞いてみたい…状況整理もしたい…まこの中で俺の今のポジションどうなってんの… 通話が繋がったと思ったら画面のむこうで光さんが絢ちゃん抱いててその光さんを真澄さんが抱いてて、画面華やかだな…もともと絵面が華やかな人らではあるんだけど… …いや…そうじゃなくてさ… 『絢おはよー』 「光さん…おはよう…  ………………………ちょっと待って、何話そうとしたか忘れたからもっかいかけ直す」 一度通話を切ってぽかんとする。…画面の向こう…白い鳥いた…てかまたここの窓の外にも同じのいる…  …オーストラリア…? …。いや、この程度ならビビるほどではない。うん。俺がオーストラリアの話とか前々から家でしてたから、つられて来たくなったのかもだし。今の季節日本よりこっちのほうが涼しいしな、避暑か、そういうことにしとこ。 もう一度通話をかけ直して、二人にここまでのまことの経緯を話してみた。前に告ったときにも一度少し話してるから話が早かった。 真澄さんの腕の中で光さんが絢ちゃんの頭に顎を乗っけてにっこり笑った。…いつもの穏やかなにこにこじゃない……? 『絢。わたしはね、ちょっぴりきぶんを害しています』 「…光さんが…?」 『親としてってこと。あいての人生観や価値観などはここではいっさい加味されないものとする。 絢はいまでもまだじぶんでなにかを選びとることや、自由なじぶんの感情をだいじにすることや、だれかにえいきょうをあたえるような行動をとるのがこわい。それはあいてにもすこしだけつたえてある。そんな絢が、あいての事情とうまくかみあうわけでもなくあいてにとって迷惑になるかもしれないようなじぶんの感情を、だいじにしてこくはくした。それらの事情を知るあいてなのに、その事実全般を、ずいぶんとかるくみられたものだなぁと。』 「…軽く…みられてるのかな…」 『あいての価値観は加味しないものとするっていったでしょ、この場ではアノニムってことにして。絢は素直なじぶんのきもちが無視され踏みにじられないがしろにされつづける時間と関係に耐えることに慣れすぎている。そんな絢の人格形成にむいしきにつけこんで平然ときもちをないがしろにしながらそばにいつづける厚顔な人間・アノニムにわたしは絢を愛する親として不快感をかくせない』 「…光さんも、4年間真澄さんに振られ続けたって…」 『その4年間、わたしは愛する相手から愛されたいと望む感覚をもたない人間だった。いまの絢はそうじゃないでしょ。アノニムもそれをしってる』 それで通話は切れた。 …光さんだから、それで俺にどうしろって指図したいわけじゃない… でもめっちゃにっこりしてた…わりとマジでキレてたような…気もする。 …。光さん、まこの名前知っててアノニムって仮定したってことは…もしかしなくても、理人さんのことも含んで言ったのか。 俺とまこの関係が今よりどうにもならないのは、まこがそれを望んでて、俺はそれに乗ってるしかなくて、まこには彼女がいるから…。では、なくなった、彼女の件については。それに、… 俺はただまこの負担にならないようにとか、俺も留学楽しみたいしとか、香澄のこともあるしとかって思いながら、だからまこにとって今は心地いい存在でいようって、その裏でずっと俺のはっきり伝えた気持ちが無視されることにどっかで苦しんで、それはまるで暗い部屋の中で延々と一人で届かない愛を囁きながら相手の望む姿を演じる日々のようで、そんな自分を 苦しいからって俺自身が無視し続けてたんだ
結局まこにはどういうアクションも取れないまま、これまで通り留学生活を続けていった。 浅く広くくらいのつもりで付き合ってたここでできた友達とも、何人か気の合うやつとは個人的なやりとりをするようになった。帰国後も連絡取り合おうって約束したり、クリスマスカード送るよって言ってくれるやつとか、勉強と関係ない完全にプライベートな話もしたりして。 俺は英語話すときはいつもより論理的なほうに頭が切り替わるから、日本語と英語の言語による思考の傾向変化とかを先生に話して考えて、それを個人的に綴って趣味で英語の小論文にしたり。そしたらそれを文学とは分野の違う先生が目に留めて評価してくれたりして、別の研究室にもさらに出入りするようになって。そういうのの繰り返しで俺が出入りできて顔のきく場所は日ごとに増えてった。 そういうのは本当に楽しかった、もう日本国内ではここまで派手に雑多に多岐に渡る人たちにまで人脈広げていくような真似はできないと思ってたから。
俺がどう思ってようと留学の間に自分の感情についての派手な動きはできない。ここは日本じゃないし。 ハンデを抱えてるのにも変わりはない。自己管理できる範囲には限度があるけどそれでも気持ちの向きとして俺は自分の不注意でうっかり死ぬ気もさらさらない。 こうやって友人知人や味方を増やして完全にアウェイではない場所へ環境を作り変えてくにしても、ここが留学期間中に俺のホームになることもない。 俺が本当に助けたい人も、いざって時に頼りたい人も、この国には居ない。…まぁ若干2名きてるっぽいけど。 自分がいつまでも現状に満足したふりでおとなしくしてるのが、もう無理なんだろうってことに気づいてからはかなり慎重に行動してた。前からまこの前では号泣したり感情だだ漏れになっちゃったりしてたから。 気をつけてたある日、それは起きてしまった。
構内の廊下で、ここでできた一人の友人に話しかけられて軽い雑談をしてたとき、日本とこの国での恋愛観の話を振られた。 ニュアンスからどっちだか微妙だったから俺はわざとプライベートな話を避けていった。そしたら次の日に同一人物から告白された。 想定内にしてもあんまり本気で予期してなかったし一瞬少しびっくりした、俺は男から告られんのは多分これが初めてだったから。これまでの圧倒的な男女比で俺は男にはモテないタイプなんだと思ってた。 一瞬の間ができたけどすぐ断った。日本ではこういうときなるべく検討してみたり丁寧に優しく穏便に断ったほうが相手によっては良かったりもするけど、海外では脈なしならすぐにはっきりNo.っていうのが礼儀だって聞いた。まあ礼儀じゃなくてもそうするけど…ってあとをついて来られるのを無視してたら壁際に追い込まれた 俺のほうが少し背が低い つーか骨格とか筋肉量からして全然違う どうしようか  言葉の上で礼節は尽くした、相手が本気なら尚更これ以上俺がどう言葉をかけても何ひとつ良い方向にはいかないし俺の中にそういう気持ちがない以上接すれば接するほど相手に失礼だ 俺にとってはここでの友人の一人だった、けど…ここで友情ごと関係失うのも仕方ない 相手の俺に対する美辞麗句に反論するいとまもなくて聞き流しながらあちこち見回してみる、無理やり逃げようとすれば体がどっかぶつかる、逃げ道に困ってたら、ちょうどそこに通り合わせたまこが俺のそばまで来て言った「Sorry. He’s my partner.」 「………」 そのまま腕ひっぱられてって脱出には成功した… 少し行ったところで足を止めたらまこも立ち止まって振り返った 「…」 まこが俺を助けるのはつまるところ香澄が俺を大事にしてるからだ。香澄は留学中に俺に何かあったときのことをまこに頼んでったかもしれない、同行者はまこ一人だから他に頼める人もいないし。頼んでなくても俺に何かあれば香澄は… つまり自分が望む香澄との現状の良好な関係を維持したいまこに、俺の気持ちは無視されて踏みにじられた、まこの中にも幾分かなら俺っていうまあまあ好感の持てる個人はあるだろう、それでもさっきの軽い嘘で俺を助けて俺がそれをどう感じたり傷つくかよりここに居ない香澄への感情と関係のほうが大事なんだろ。…香澄に対する感情を妙に避けて回るせいでそういうことに、結局自覚もねえんだろ…  
「二度とああいうふざけた真似するな、俺の、誰かの気持ちを軽視して自分に都合よく忘れ去ったまま自覚もなく行動するようなことを   …お前の品格を落とすぞ  」
まこの目をじっとただ正面から見つめたまま、通り過ぎざまに静かにそれだけ言ってまことはその場で別れた。
…まこに今すぐ香澄に告白しろとか関係はっきりさせろとか気持ちを振り切れとか、そういうことを迫ってるんじゃない…  俺の気持ちは無視された上で成り立ってたけど、自分にとって心地いい関係性を維持したいってのも理解できる。なるべくストレスのない安定した関係で自分の周囲を固めることで、外的なプレッシャーによる大きな変動のないメンタルを常に保つ、それが日常生活での精神的な余裕に繋がる、そうやって他者を自然に思いやることができる環境と状況に自分を置く。自分が機嫌よく過ごせることは周囲に無差別なプレッシャーを振りま��ないための個人主義の最たるマナーだしな。 それでも 今のまこは彼女だ恋愛だって話以前の段階だろ。俺っていう個人をたいして尊重してない、正しくはまこの信じるまこにとって当然のやり方でしか尊重してない、まこの中ではいつだって自分はできうる限りで公平平等で法に触れず清廉潔白で自分について自覚的だろう、そういうものがときに巨大な盲点を生み出す。なにが教育だ、笑わせる、こうやってはっきりと本人に正規の手続きで意思表示しても手前が落っことした人間を、仕方ないような目で見て流して挙句まるごと忘れやがって。 俺のことを  俺の気持ちを  自分なりに大事にしてるつもりか? 告白放置して返事もしないけどずっといい友達でいてやって?  好きでいたいなら好きでいさせてやろう的な?
ふざけんじゃねえよ
張磨寿峯視点 続き
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