Tumgik
#椛島家住宅
poddyshobbies · 11 months
Text
糸島お宝美術館「椛島家住宅」
Tumblr media
JR筑肥線・一貴山駅の加布里側にある丘の上です。拝観無料です。
Tumblr media
駐車場らしきスペースはありません
Tumblr media
「富貴寺」の表札 ~ ご住職が椛島さん
Tumblr media
門を入って右手の建物
Tumblr media
左が一貴山銚子塚古墳(後円部側)
Tumblr media
お寺さんぽいのはここくらい(元は大地主の館)
Tumblr media
美術館と言うより建物そのものが文化財
Tumblr media
と言って、誰かがいるような様子は無し。
Tumblr media Tumblr media
屋内の明かりは点いてました。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
↓ 裏庭
Tumblr media Tumblr media
表門の前から東側
Tumblr media
2023.5.2
1 note · View note
korehayabai · 4 years
Text
知人宅に“拳銃隠し持つ” 柳川市の無職の男逮捕 入手ルートや暴力団の関与など調べ 福岡県(TNCテレビ西日本)
知人宅に“拳銃隠し持つ” 柳川市の無職の男逮捕 入手ルートや暴力団の関与など調べ 福岡県
8/6(木) 20:30配信
Tumblr media
エラーコード:1001100
ご利用の環境では映像を視聴できません。映像視聴における推奨環境はこちらをご確認ください。
テレビ西日本
福岡県柳川市内の住宅に拳銃1丁を隠し持っていた疑いで、無職の42歳の男が逮捕されました。
銃刀法違反の疑いで逮捕されたのは、柳川市吉原の無職、椛島克敏容疑者(42)です。
警察によりますと椛島容疑者は7月20日、柳川市内の知人宅に自動装填式のけん銃一丁を隠し持っていた疑いが持たれています。
警察は、椛島容疑者が拳銃を持っているとの情報を得て関係先を捜索したということですが、認否については明らかにしていません。
けん銃はベルギー製で、警察が鑑定したところ発射能力があり、家の物置にケースに入った状態で置かれていましたが、銃弾は見つかっていないということです。
警察は拳銃の入手ルートや暴力団の関与についても調べる方針です。
テレビ西日本
【関連記事】
「意味あるの?」飲み会“2時間ルール”福岡県が要請 県民は困惑と疑問 補償なく飲食店からは悲痛な叫び
小川知事「お盆帰省 各自判断を」 一律の自粛要請行わず 福岡県
鈴木哲夫の永田町スクープ~えっ コロナ税!?~
自転車で追い抜かされて腹を立て 逃げる中学生を約2キロ追い回す 66歳 無職の男逮捕 福岡市   
【速報】“福岡コロナ警報”発動へ 小川知事「第2波に入っている」 感染症対策不十分な店に休業協力要請
最終更新:8/6(木) 20:30
TNCテレビ西日本
source https://uyscuti.biz/2020/08/08/42072/
0 notes
barplasticmodel · 7 years
Text
悪魔と11人の子供達 / ブルース・クリエイション(篠原章)
Tumblr media
『悪魔と11人の子供達 』 ブルース・クリエイション (1971年(CD再発盤98年)) 日本コロムビア
はっぴいえんどとの出遭いは1970年にまで遡ります。あれから47年、ほぼ半世紀もの歳月が流れたのに、いまだにはっぴいえんどから足ヌケできていません。「人生ほぼはっぴいえんど」なんて、客観的に見ると、どこかおかしいんじゃないかと思うこともあります。
周りをみわたすと、人生ほぼビートルズとか、ストーンズとか、石原裕次郎とか、市川雷蔵とかいう連中ばかりですが、なんだかんだいっても、これらのアーティストは皆(元)アイドル、またはビッグ・スターですからね。はっぴいえんどはアイドルでもビッグ・スターでもなんでもありません。少々薄汚い、売れなかったジャパニーズ・ロック・バンドでした。
などと書き始めると、ここでもはっぴいえんどについて書くんじゃないか、と思うでしょうが、自他共に認める「はっぴいえんど系」の私も、もうあまり先が長くありません。そこでこのコラムでは、はっぴいえんど系・非はっぴいえんど系を問わず、「記憶のゴミ箱」をあちこちつつきながら、今まであまり触れたことのないアルバムやアーティストについて書き綴っていきます。ちょっとした遺書みたいなものですね。
で、第1回目のアーティストとして選んだのはブルース・クリエイション、取り上げるアルバムは『悪魔と11人の子供達』です。今や知る人ぞ知るバンドになってしまいましたが、1970年代前半の東京では間違いなくNo.1のブリティッシュ系ロック・バンドでした。
1970年代の日本のロック・シーンには3人の天才ロック・ギタリストがいました。東洋のちっぽけな島国に「3人の天才ロック・ギタリスト」とは、神様もずいぶん大サービスしたものですが、うちひとりがこのブルース・クリエイションの竹田和夫だったのです(他の2人は鈴木茂と高中正義)。
彼らのことを知ったのは1970年。ブルース・クリエイションは、『ニューミュージック・マガジン』のライブ情報の常連だったのです。が、観たことはありませんでした。当時は山梨県甲府市に住む中2でしたから、新宿まで2時間弱といえ、両親がライブ通いなど許そうはずがありません。
後に「ナイアガラ音頭」で有名になる布谷文夫が、ボーカリストを務めた第一期ブルース・クリエイションのファースト・アルバム『ブルース・クリエイション』は、1970年時点ですでに出ていたのですが(1969年10月リリース)、当時の日本ロックをめぐる情報環境は劣悪でしたから、このアルバムの存在は知りませんでした。『ブルース・クリエイション』は、だいぶ後になってから聴きましたが、竹田和夫の天才ぶりはよくわかるものの、折角の布谷文夫の声を生かしきれていない、ショボショボのブルース・ロックだと思いました。
1971年8月、両親を説得して、数人の友人たちと第3回全日本フォーク・ジャンボリー【岐阜県椛の湖畔(中津川市)で開催】に出かけました。いわゆる中津川フォーク・ジャンボリーですね。無論お目当てははっぴいえんどですが、2日間にわたって数え切れないほどのアーティストを観ることができました。そのなかにカルメン・マキ&ブルース・クリエイションがいました。ブルース・クリエイションが、「時には母のない子のように」からロック歌手に転身したばかりのカルメン・マキをサポートしていたのです。
1971年のブルース・クリエイションが「黄金時代」で、メンバーは竹田和夫(g)、大沢博美(v)、佐伯正志(b)、樋口昌之(d)。大沢を除くブルクリがカルメン・マキのサポートを始めたのもこの年のことでした。アルバム『カルメン・マキ/ブルース/クリエイション』も1971年9月に出ています。
カルメン・マキ&ブルース・クリエイションはメインステージの出演者でした。迫力はありましたが、マキの声がずいぶんうわずっていたという記憶があります。こちらがジャニス・ジョプリンみたいなパフォーマンスを期待していたせいもあったかもしれませんが、「まだロックに慣れていない」という印象でした(カルメン・マキ&OZの時代になるとその印象は一変します)。ブルース・クリエイション単独のステージ���、サブステージで予定されていたと思いますが、見逃したか、それとも同時刻に他のステージにいたのか、まったく憶えていません。
ブルース・クリエイションがナニモノかよくわからないまま、1971年8月にリリースされたセカンド・アルバム『悪魔と11人の子供達』を買いました。当時の甲府のレコード屋で日本のロックものを探すのは至難の業でしたが、偶然にもいつもレコードを漁っていた「飯島楽器」に入荷していたのです(このレコード店も今はもうありません)。甲府には中古盤屋はないし、レンタル屋もまだ存在しない時代ですから、1か月にアルバムを1枚買えるかどうかの小遣いのなかで、まさに「苦渋の決断」。棚に並ぶ英米ロックの新譜を観ないようにしながら、レジでお金を払って自宅に直行しました。
おそるおそる針を落としてぶったまげました。今ならNGタイトルですが、1曲目の「原爆落とし」はまさに英国系轟音。クリーム、ジミヘン、テンイヤーズ・アフター、レッド・ツェッペリンなどといったブリティッシュ・ハード・ロックに夢中になっていた時期でしたから、ジャストフィットです。聴いて間もなかったブラック・サバス『黒い安息日』(1970年)にも通ずるサウンドで、体の芯から打ち震えました。大沢博美の「アイ・ドン・ラブユ〜、エニ〜モア〜」という日本人英語は鼻につきましたが、竹田和夫はギターだけでなくボーカルも実にブルージー、ヘヴィなサウンドと斬新な楽曲構造にしてやられました。キーボードは入っていませんが、ギターをダビングして、ツイン・リード風にやっているところもカッコよかったのです。
ででで、忘れもしない1971年12月9日@山梨県民会館大ホール。ブルース・クリエイションがあのはっぴいえんどと一緒に甲府にやってきたのです。私にとって両巨頭相集う、こんな奇跡があろうものかと八百万の神々に感謝しました。おまけに仲の良かった先輩がたまたまライブの共催者で、私めはなんとローディーに任命されたのであります。ケーブルのつなぎ方さえ知らないのに「任せてください。ご安心を!」と売りこんだのですから、中学生ながら相当なタマだったわけです。
ケーブルやPAの準備やチェックは、結局、鈴木茂と竹田和夫を中心に先輩連がやってくれて、私はただただ感慨に浸りながら見物していただけでしたが、竹田和夫と大滝詠一が談笑するシーンまで目撃し、「えっ、ブルース・クリエイションとはっぴいえんどって仲がいいんだ!」とはしゃいだのを憶えています。「俺の選んだ道は正しかった!」と自慢したくなりました。
ライブの中身はというと…。実は情けないことに何も憶えていないのです。曲目も演奏も。相当舞い上がっていたんでしょうね。二組の「最高峰」がそこにいるだけでボクは幸せでした。「はっぴいえんどとブルース・クリエイションと一緒に日本のロックを創るんだ!」と考えながら、ステージを観ていました。裏方なんぞ手伝わなければ、もっと冷静だったと思います。
余談ですが、この日のライブはU.R.Cの仕切りでした。URCというとアンダーグラウンド・レコード・クラブ、即ちURCレコードを想い起こす人が大半でしょうが、この場合のU.R.C.は「浦和ロックンロールセンター」です。安全バンドや四人囃子のマネジメントなどを引き受けて活動するグループでした。ネットで見たら、まだ健在みたいですね。凄いことです。
翌1972年、東京の高校に進学しました。日吉の学生アパートで一人暮らしです。「お金の続く限りライブもレコードも」と意気込んでいましたが、なんとブルース・クリエイションは上京後まもなく解散してしまったのです。しかし、当時、中学の仲間を集めて結成していたバンドでは「ブルクリ完コピ」に挑み、『悪魔と11人の子供達』収録の「原爆落とし」「悲しみ」「脳天杭打ち」「スーナー・オア・レイター」をほぼ完コピして、学園祭などで披露していました(担当はギターとボーカル)。「原爆落とし」を聴くと、今でも体と指先が熱くなってきます。ホントは、はっぴいえんども完コピしたかったのですが、入っている楽器の種類が多いだけでなく、和声(コード)が難しくて音を取れなかったので断念しました。
ところで、竹田和夫と大滝詠一の「関係」については、興味深いエピソードがいくつかあります。
1969年頃のことですが、大滝は布谷文夫を通じて交流のあったブルース・クリエイションと行動を共にしていました。布谷のアパートで、一晩中レコードを聴きながら布谷、竹田とポップスやロックについて語りあい、朝方3人で早朝ボーリングに出かける、といったような生活を送っていました。ブルース・クリエイションがステージに立つときは大滝も同行して、ときには「500マイル」をエルヴィス・スタイルで歌うこともあったといいますから、今思えばびっくりするような話です。当時すでに大滝と面識があった松本隆は、「ブルース・クリエイションのマネージャーみたいなことをやってる人」「麻雀のときやたら怒鳴る人」という大滝観だったようです。
ある日、布谷のアパートに入り浸っていた大滝が、同じく入り浸っていた竹田に、「俺、こっちの方(B面)が好きだ」といわれ、それまで放っておいたバッファロー・スプリングフィールドのシングル「フォー・ホワット」(B面は「ドゥ・アイ・ハフ・トゥー」)を聴くことになったと伝えられています。大滝はこのときバッファローの良さを初めて理解し、それを細野晴臣に伝えたことではっぴいえんどに誘われます。また、「やっぱりオリジナルを自分でやった方がいいよ」という竹田のアドバイスで、大滝が「初めて音楽に趣味以上のものを見出した」というエピソードも残されています。大滝詠一がはっぴいえんどで活躍し、アーティスト・作曲家として大成するきっかけは竹田和夫によってもたらされていたのです。人と人の縁とは実に異なものです。
今、『悪魔と11人の子供達』を聴くと、「あれれ、このベースライン音がずれてるじゃん」とか「ドラムの音が悪いねえ」とは思いますが、当時の興奮は鮮やかに甦ってきます。と同時に、あの頃の日本ロックのアンダーグラウンドでモニョモニョとした胎動や、なんだか妙に青臭かった東京の空気が愛おしく思えます。
【篠原章(批評.COM主宰・評論家・経済学博士(元大学教授))】 1956年生まれ。音楽分野の主著に、『J-ROCKベスト123』(講談社・1996年)『日本ロック雑誌クロニクル』(太田出版・2004年)、おもな共著書に『日本ロック大系』(白夜書房・1990年)『日本ロック大百科』(宝島社・1992年4月)『はっぴいな日々』(ミュージック・マガジン社・2000年)『大滝詠一スクラップ・ブック』(ミュージック・マガジン社・2015年)など。経済や沖縄問題に関する著作も多い。 ■公式サイト:http://hi-hyou.com ■twitter:@akiran0723 ■Facebook:akira.shinohara1
9 notes · View notes
poddyshobbies · 11 months
Text
糸島市二丈田中の地蔵堂
Tumblr media
JR筑肥線・一貴山駅の加布里側にある丘の上です。下を筑肥線が通り、すぐ近くには糸島お宝美術館(椛島家住宅・富貴寺)や一貴山銚子塚古墳があります。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
2023.5.2
1 note · View note
poddyshobbies · 11 months
Text
緑の一貴山銚子塚古墳(3)周辺から
Tumblr media
JR筑肥線・一貴山駅の加布里側にある丘の上です。
Tumblr media
古墳の横は糸島お宝美術館「椛島家住宅」(拝観無料)です。
Tumblr media
前方部と後円部を東西に分断する抜け道
Tumblr media
お宝美術館の裏手から ~ 写真左が後円部、右が前方部。
Tumblr media
↓ 標柱が立つ後円部
Tumblr media
↓ 後円部側から前方部方向
Tumblr media
↓ 前方部側から後円部方向
Tumblr media
前方部
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
↓ 後円部方向 ~ 写真左がお宝美術館の裏手
Tumblr media
2023.5.2
1 note · View note