2023/09/07
BGM: hi-posi - ジェニーはご機嫌ななめ
今日は早番だった。仕事が終わったあと図書館に行く。昨日話題にしたバートランド・ラッセル『幸福論』を借りようかなとも思ったのだけれど、なぜか二の足を踏んでしまい結局今日は多和田葉子『アメリカ 非道の大陸』と柄谷行人『漱石論集成』を借りる。思えば夏目漱石の小説を「ぜんぶ読んでしまいたい」「『吾輩は猫である』から『明暗』まで読み尽くしたい」と思ったのがいつの頃だったか。たぶん10年ほど前に思い立ったのだと思うけれど(いや、20年前だったかもしれない)、結局いまに至るも完読はできていないのだった。漱石1つとってもそんな有り様なので、この世にはぼくの知らない本・読めてない作品が数多と存在するという事実には常に謙虚でありたいと思っている。ただ最近、歳を取ってしまって自分の好みが変化してきたのを感じたりもしている。一度読んだことのある本にもう一度浸って安心したい、と思ってしまうようで、だからなかなか見たこともない未知の本に手が伸びないでいるのだった。好みが保守的になったのかどうなのかわからない。既知の本、すでに読んだことのある本でも(言うまでもないけれど)読み返すと新たな発見がある。そうした「再発見」の醍醐味がわかってきたのかもしれない。
未知の本ということで思い出した。ぼくは実を言うと40代になってはじめてドストエフスキーを読んだのだった。40代で、だ。それまでもドストエフスキーは読まなければならないと思って、でもページを開いて活字を読もうとしてもぜんぜん頭に入らず途方に暮れたことを思い出す。その経験から考えるに、ぼくは「いつどのような本とどのような出会いをするかはその人の人生次第である」と思っている。ゆえに40代どころか、50代や60代でドストエフスキーに出会おうがそれはその人のかけがえのない人生経験になりうる。だから、それを決して「遅すぎる」と恥じる必要などないのだ、と。世の中には一定数(いったい何が楽しいのかわからないけれど)優越感に浸りたい人というのがいて、そういう人が自分の読書経験からあれこれ「まだ読んでないのか」「いったい何やってきたんだ」と人を攻撃したりするものなのだけれどぼくはこれは端的にナンセンスだと思う。どんな本をいつ読もうが自由であるべきだ、とぼくは信じる。それがぼくのようにフェルナンド・ペソア『不安の書』であろうが、あるいは『はだしのゲン』や『チェンソーマン』であろうがかまわない。本を読むとはそんなふうなアナーキー(?)で自由自在なものだ。
ところで、こうして書いてきてぼく自身がこれまで自分の人生の中で「愛読書」として楽しんできたものは何だったんだろうと振り返ってしまった。思い出せるのはポール・オースター『ムーン・パレス』、ウィトゲンシュタイン『哲学探究』や先に書いたフェルナンド・ペソア『不安の書』といった本である。今日、ぼくはXで「これからの人生で1冊だけ本を繰り返し読めるとしたら」というポストを見かけて、たぶん自分なら今後もそうした本と向き合って生きていくことになるかなと思った。無人島に行こうが、旅行をしようが自分は旅先でこれまで折に触れて読みふけった堀江敏幸『河岸忘日抄』やリルケ『マルテの手記』や、あるいはそれこそ漱石の『硝子戸の中』などを読み返すのかなあ、と……こうして好きな本についてあれこれ書いていると、何だか猥談を独りよがりに楽しんでいるような気恥ずかしい気分になってきた。本とのつきあいとは個人的なものだ。ぼく自身の懊悩・煩悩を本にぶつけて、そこからパーソナルな対話を行う。それが読書だ。それでいいのかな、とも思っている。別の言い方をすれば、ぼくは読書の趣味を自慢したいとは思わない。自慢するにはぼくの読書はあまりにも個人的な、せせこましい作業である。
夜、ZOOMを立ち上げてミーティングに参加する。今日のミーティングではこの市で英会話を楽しめるところについて情報をシェアしあった。そうした施設・教室はないわけではないが授業料高価で、なかなかワンコインで楽しめるところがない……と。そこから、ぼくたち自身がZOOMか何かで教室を開くことができたらという話題にもなった。別段ネイティブの先生でなくてもいい、日本人の先生でもいいので(場所はオンラインで)開けたらと。ふと、Discordかどこかで英語を教えた経験のある人にこうしたことがらを相談できないかとも思ったりもした。教室を開くのが無理なら、英語でチャットを行うカフェを開くのはどうかというようなことも……その後、clubhouseやDiscordでチャットに興じた。寝る前に柄谷行人『探究II』を少しかじる。「この私」について、「自分は特別ではない」けれど「かけがえのない存在である」という微妙な事実について考えさせられる。上に書いてきたことをなぞれば、ぼくの人生は「ぼく自身にとって大事なもの」である。たとえそれが「なんら特別なものではない、ありふれたもの」であるにしても、だ……こんな当たり前のことをうんうん唸りつつ考えているのがぼくというどん臭い人間なのだった。
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北海道 221104-221107
4 fri.
代休。8時に起きる、ゴミを出しついでにコーヒーでも買おうかとコンビニへ。コンビニHUNTER×HUNTERの37巻を買う。家にもどり1時間くらいかけて読んだ。食器を洗ったりする。13時半までゆったり家のことをして、北海道に向かう支度。14時には家を出た。行きはLCCに乗ることにしたので成田空港まで2時間くらいかけて向かった。電車の中では村田沙耶香 「コンビニ人間」を読む。コンビニ人間の文章は常に平たくて読みやすい。コンビニ店員の古倉さんの言うことが変人の発言として扱われるとき、そんなに変化かなという立場で読む場面も多々あり、むしろ無機質に情を伴わず判断を下せる古倉さんのほうがよっぽどまともに見えたりもした。飛行機が発進した直後に読み終わる。続いて機内で三島由紀夫 「裸体と衣裳」 を読む。新千歳につき荷物を置いてから、お気に入りのビストロへ向かう。空きっ腹にワインを入れるのはよくないと思い時計台近くのラーメン屋に立ち寄って、味噌ラーメンを食べた。ビストロのマスターも顔を覚えてくれていたので、カウンターで会話しながら、カスベのテリーヌをあてに白と赤をを一杯いただいた。赤ワインが渋味が強く少し飲みづらかった。24時過ぎに宿に戻りゆかりさんと少し電話する。主に春からの仕事の話をした。電話を終えて2時くらいに大学の芸術館での展示の件でグラフィックを担当してくれる学生から、アイデアスケッチが送られて来たので、LINEでフランクめにフィードバックをする。今回がファーストチェックだったので学生の力量も分からず心配していたが、スケッチを見てなんとかなりそう思った。次に向けての方向性などをまとめて送り、シャワーを浴びる。寝る直前にるかさんから連絡が来たので返す。4時。
5 sat.
9時に起きる。二度寝して9時半。ゆっくり支度して10時にとりあえず札幌駅構内の丸美珈琲へ。カフェラテを飲む。夕方までどこへいくかしばらく考えて、奈井江にある交点にいくことにした。函館本線で岩見沢で滝川行き各停に乗り換え、奈井江に到着したが肝心の交点が開いておらず、電話して聞くと今は月に2,3しか開けていないという。周りになにもなくこのまま札幌へとんぼ返りももったいないので、安田侃記念館アルテピアッツァに向かう。少し南にに降りた美唄からタクシーで10分。行くのは1年ぶりでスタッフの影山さんとも久しぶりに話した。ワークショップをしていて安田さんご本人の姿も見られた。こころを彫るワークショップでは参加者が石を鑿を打ちサンドペーパーをあてるなどしている。その横のカフェで鑿の響きを聞きながらチーズケーキを食べた。16時半。そこから札幌に向かい18時にチムウォッカでるかさんと合流。牡蠣や金目鯛を食べ、二軒目にowlで日本酒とるかさんはサングリアを頼んでいた。終電がなくタクシーで帰る。風呂に入り仕事の連絡を返して寝た。1時半。
6 sun.
9時に起きる。二度寝して9時45分。諸々の支度を済まして10時半に出る。るかさんは昼まで仕事なので私は石田珈琲店に向かった。札幌は中心街から外れたところにあり、11時の開店直後に着いたが、30分ほど待つほどの人気店であった。ブレンドコーヒー2杯とキャロットケーキをいただく。三島由紀夫「裸体と衣装」 を読む。三島の堀辰雄の文学批評がすごくよかった。13時に石田珈琲を出て13時半に札幌駅に着く、15分ほど後に改札でるかさんと合流する。函館本線に乗って小樽は向かう。日本海側は特に寒く気温は2℃。三角市場で海鮮丼ミニと八角の刺身をいただく。運河プラザで物産を見て北一硝子のカフェで一旦暖をとった。その後、CRAFT BEER BARでクラフトビールの飲み比べをした。店内にオルガンがあったので少しだけ弾いてみたりした。店を出てもったり駅まで向かっていたら予定の電車を逃して、飛行機の搭乗時間と際どい戦いに。新千歳に着いて搭乗口までふたりで走った。21時に北海道を発つ。羽田に着き京急に乗ると、横浜新町あたりで人身事故に巻き込まれて2時間缶詰に。終電をなくし、横浜駅までしか帰れずにあえなくタクシーに乗る羽目に。タクシーの運転手とハロプロの話で盛り上がり、下車時、五千円の支払い後ハロプロのアルバムを買えと言われ千円のキャッシュバックを受ける。3時半帰宅。シャワーを浴びて、大学の展示のメインビジュアルを担当する学生のデザインがあがっていたのでフィードバックを返す。寝る。4時半
7 mon.
7時半に起きる。二度寝して9時に起きる。シャワーを浴びて支度。いつもより一本遅い電車に乗った。通勤電車は各所に連絡を返す。仕事は上々、モーションの案件で上司に送るデータも特に修正もなく、いい調子であった。就業中にくる連絡にも返す余裕があった。11時まで作業して、退勤。駅から電車まで帰り道、ゆかりさんに頼みたい仕事があり、電話をかけるが出ず……。帰ってカルボナーラをやる。シャワーを浴びて寝る。1時半。
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何かに触れたい
スタバにいる。ホットコーヒーを飲むのもしっくりこない季節になってきた。とは言っても僕はアイスコーヒーがあまり好きではないから、これからもしばらくは、少なくとも六月くらいまではホットコーヒーを飲み続けるような気がする。アイスコーヒーは氷が入っている分薄いというか、なんというか純粋じゃない気がして、あまり飲む気が出ない。
スタバにいるのがしっくりこなくなってきた。今まではスタバなりドトールなりタリーズなりホリーズなりにいたら落ち着いた。落ち着いたいうか、少なくとも家にいるよりは落ち着いた。でも最近はそうではなくなってきている。最近はカフェにいると落ち着かない。ビビるほど落ち着かない。実際はビビってない。割と等身大で落ち着かない。でも、その変わり幅に関して言えば多分けっこう大きいものがあって、僕はそこに俯瞰的にビビっている。日本語がおかしい気がする。
前に授業で、お前は自分の感情については書けるからそうでない部分を書けるようになったら尚いいね、みたいなことを言われた。ビビるほど雑な言い方だけれど(ビビってばかりだ)、でもそんな感じのことを言われて、厳密には、メールか何かにそういうことが書かれていて「君が書いていることは社会(?)的な場所ではあまり受け入れられないかもしれないけれど文学では歓迎されるだろう」とか書かれていた。これはまったく自信を持てる出来事ではなく「やっぱりな」という感じだった。やっぱり自分は、感情以外の部分を書けない。例えば山の稜線とか書けない。みなさんは「山の稜線」という言葉を書いたことがありますか? 僕は多分、今初めて書きました。稜線って格好いいですよね。
加えて言えば、感情的な文章は文学において歓迎されるのかと言えば、それも分からない。「文学」という言葉は大袈裟すぎるからやめたい。要する��、感情的な文章は辟易とされないかということが言いたい。「こいつどんだけ自分のことばっかり考えてるんだよ」とか「お前のこととか知らねえよ」とか、そういうふうにならないかが気になる。
他人のことを考えてもいても仕方ないから自分がどう思うか書くと、僕はそういうふうには思わない。他の人がどういうことを考えているのか、いわゆる「内面」が知りたいと思う。でもすべての内面(?)を知りたいかというと、それは分からない。卒業制作の中に、過去の自分の救済(?)のようなことをテーマに書かれているものがあって、僕はそれを読むのを途中でやめてしまった。正直読んでいてかなりきつかった。それこそ「お前のことなんか知らねえよ」と思った。この違いは何だろう。そう言えば一年の時の授業でも先生が「太宰の自分語りが読まれるのはなぜか」ということを言っていた。僕は太宰治を『人間失格』くらいしか読んだことがないから分からない。(女生徒はまだ読めていない)
女生徒がもし、『男生徒』というタイトルだったらどうだっただろう。多分それは限りなくどうでもいい問いで、この作品は女生徒以外あり得なかった。少なくとも太宰にそんな選択肢はなかったはずだ。『女生徒』という小説と『男生徒』という小説があったとき、前者なら手に取るけれど後者なら取らない人はけっこういるだろう。BLの需要と百合の需要ということだろうか。いやそうではない。なんだか分からなくなってきた。
これ、男生徒と女性徒の違いが本題に入る入り口になるかと思ったのだけれどなる気配がまったくないのでちょっと違う切り口を探す。カフェの落ち着かなさの話をしようと思ったけれどやっぱり先が見えないのでがんばって男生徒と女生徒の違いについて書く。
いやだめだ。もっと広いところから書く。最近、村上春樹の『騎士団長殺し』という小説を読んでいる(村上春樹の新作長編がもうすぐ発売されるらしい)。その中にこんな一説が出てきた。
「うまく言葉にはできない。でもそれはぼくが人生の途中でなぜか見失って、そのあと長く探し続けていたものであるはずだ。人はみんなそうやって誰かを愛するようになるものじゃないか?」
村上春樹 『騎士団長殺し 第2部(上)』p230 1〜3行目
本とキーボードを往復しながら打ったからあまり言葉が頭に入ってこなかった。ノートに書き写した方がいいけれどそれはできないので話を戻すと、僕はこの会話文を読んだときドキッとした。けっこうドキッとした。本を読んでいてドキッとしたのはすごく久しぶりのことだった。というか今気づいたけれど、多分、日記を書き始めてから一年以上経っている。一年ほど前も似たことを書いた。似たことというか、一年前も村上春樹の小説を読んで、ここにそのことについて書いた。『ドライブ・マイ・カー』の『木野』だ。騎士団長殺しのこの台詞にドキッとした感覚は、木野をドキドキしながら読んでいた感覚ととても近い。
春樹にとっては長編小説が一番大切なものであるらしく、彼は長編小説と長編小説の間に、短編や中編を書く。その中で色々、技術的な挑戦であったり、色々なことを試すらしい。多分、���編を書き始めるまでの準備��間なのだと思う。本人がそう言っていたかはちょっと定かじゃないけど、でも僕は『騎士団長殺し』に『ドライブ・マイ・カー』と似たものを感じた。ドライブ・マイ・カーの中でもとりわけ木野。喪失というか、失ってしまったものに対する向き合い方、みたいなことが書かれている。春樹が『グレート・ギャッツビー』が大好きなのは有名な話で、川上未映子との共著『みみずくは黄昏に飛び立つ』にもそういうことが書かれていた。春樹は谷をいくつか挟んだ先の豪邸に住んでいる誰かのことを書いた時点で、「ああ、これはギャッツビーだ」と思ったらしい。グレート・ギャッツビーは、入江を挟んだ先に住んでいるびっくりするくらい金持ちの男「ギャッツビー」が出てくる話で、春樹はそれになぞらえて『騎士団長殺し』を書いたらしい。
そういうのはなんだか良いなあと思う。そういうのというのは要するに自分が好きなものをうまく詰め込める箱があるということで、自分が持っている関心であったり問題であったりを表現する方法を確立できていることで、自分もそういうものが欲しいと思う。今欲しいのは方法だ。
だめだ。迂回してばっかりで全然一番大事な部分に到達できない。今、自分が書きたいと思っているのは人に言うことが憚られるようなことで、下手な書き方をしたら「きも」って思われることだと思う。というか思っていた。
キモって思われるようなことだから書けないと思っていて、だから人目につかない文章の中だったら書けると思って昨日書いてみたのだけれど、書けなかった。だから問題は人からの印象を気にしていることではなく、純粋に自分がその問題の核心を掴めていないことだと思う。
大学三年生の多分秋くらいから、自分は色々なことに対して安易に答えを出さずに考え続けた方がいいんじゃないかと思うようになった。だから僕は、あんまり一つの答えを言葉で表さないように努めた。あえて留保の態度をとった。いや違う。一番はじめは高校を卒業する少し前だ。その日は「ウイニングイレブン」のスマホゲームにメッシが入手できるガチャが実装された日で、僕はその日、メッシを当てることができるかだけを考えていた。FCバルセロナガチャで、確率は多分、8分の1くらいだったと思う。ガチャを引く前、僕はメッシの画像を十回タップした。メッシは背番号が10だから、一種の願掛けだった。そうしたらちゃんとメッシが出た。とてもとても嬉しかった。実家で、食卓机の後ろで寝そべりながら引いて、ほとんど叫び出しそうなくらい嬉しかった。叫びはせずともその場で何度かゴロゴロ転がったと思う。
ガチャを引いてから両親と三人で食事に行って、その時に高校の何が嫌だったかか聞かれて、僕は「分からない」と答えた。それまでも父親から聞かれたときは会話を避けるためというか言ったところで理解されずに咎められるだけだろうなと思って「分からん」って言ってたけど、その時は本当に分からなかった。高校のどんなところが嫌だったのか、うまく言葉にできなかった。今もできない。多分最初はできた。二年生の夏くらいまでは、「学校なんて画一的な人間を作るだけだ」的なことを考えていた、というか母親に対して言っていたのだと思う。その頃の僕は最悪で、ホリエモンの『すべての教育は洗脳である』という本を読んでいた。そこに書いてあったことを自分が学校に行きたくない理由として使っていた。他者に使っていたかは覚えてないけれど、でも母親とか、否定されてもその否定を否定し返すことができる相手には使っていたような気がする。最悪だ。つくづく最悪だ。ダサいこと極まりない。でも当時の自分がそれを特に何の後ろめたさもなく受け入れていたことは覚えている。今はホリエモンのことがなんとなくあまり好きではないから後ろめたく感じるだけで、当時はそうではなかった。
それがどこで「学校が嫌な理由が分からない」に変わったのか分からない。というか学校が嫌な理由を的確に掴んでいる(ような気がしている)状態に違和感を持ったのか分からない。今でこそ気持ち悪いと思うけれど(ホリエモン的な考え方とかが)、当時もそう思っていたのだろうか。覚えているのは研修旅行先のスイスで湖岸に座りながらホリエモンの『ゼロ』を読んでいたことで、どうしてせっかくスイスにまで行ってお前はホリエモンの本なんか読んでいるんだと今は思うけれど、当時の自分は、普通に「いい話だなあ」と思っていた。そしてそれは多分、否定するべきではない。当時の自分はわりと純粋に感動していた。ゼロはホリエモンの自伝的な本で、小さい頃から警察に捕まって堀の中で暮らしていた時期くらいまでが(多分)書かれていた。当時の自分は卒業後とかその先について不安に思っていたから、とにかく大学に行かなかったり中退したりして今うまく暮らしてる人の話が聞きたかったのだと思う。美学がどうとかより、とにかくそこに学歴に縛られていない匂いがあって、なおかつ脳にビビッとくる刺激があれば良かったのだと思う。
本当にそうなのかな。今の自分は死に様のことを考える(本当に?)。稼ぐことよりも、生活が安定することよりも、人に自慢できるような生き方を手に入れることよりも、学校の人を見返すことよりも、死に様のことを考えている、ような気がする。「死に様」というのは本当に雑な言い方で、多分もっと適切な表現がある。死ぬときにどういうことを考えているか? いやそれじゃ意味がまったく変わらない。死ぬときのことを考える。僕がものすごく貧しい想像の仕方で思いつく死に場所の一つは橋の下なのだけれど、それは多分、ありとあらゆるつながりを断ち切ろうとした結果たどり着く場所なんだと思う。たった一人で、橋の下で、ボロボロで、死にゆく。その時にできるのは多分、過去のことを思い返すことだけで、自分に都合の良い形で、これまでに関わってきた人たちのことを考えるのだと思う。あの時ああしていれば、自分にはもっと違った人生があった。でもそれはものすごく利己的な話で、そういう後悔の仕方では何も変わらない。というかそういう自己陶酔の中で生まれる後悔はどこか歪んでいて、たとえ過去に戻ったとしても、その考え方のままでは何も変えることができない。
幸せってなんなんだろう、ってことを考える。幸せなんて結局認識の仕方で、だったら橋の下でも高級ホテルの一室でも何ら変わりはない。だってそれは認識次第でどうとでもなるから。と、思ったけれど、体調は認識で変えられない。というか変えられる範囲に限度がある。死ぬほどお腹が痛い状態を認識の仕方によって幸せと捉えることは難しい、というか多分できない。幸せを認識次第で得られる範囲が五体満足で内臓、筋肉、骨に特に問題がない状態を必要とするなら、まずは生活を安定させることが大事だという考え方は間違っていない、けれどそれは「はいはいそうですか」という話で、それが人生なら今すぐ首をかき切ったほうがマシだという話になる。もちろんこれは口だけの話で、今、世界の真理的な何かが自分の元を訪れて「これが人生ですよ」と囁いても、自分は首をかき切ったりはしないと思う。まずは心が平静を取り戻すのを待つと思う。自分で自分の揚げ足を取る必要はない。
基本的に自分は甘えている。そして恵まれている。最近、ある人に「君は根がボンボンだ」と言われたのだけれど、多分そうだと思う。自分には捻くれたり勇ましいことを言う経済的、あと多分時間的な余裕もあったと思う。ほんの少し前までずっとそれは微妙なことだと思っていたのだけれど、最近はそうでもないかもしれないと思っている。ボンボン上等。いやそれは嘘。でも性質は変えられない、いやそれも違う、ボンボンの何が悪いかを考えず「もっと逞しくならなくては!」と動き始めるのは浅はかだ。違う、これも違う。
歴史上の偉人たちの中には、経済的に恵まれていた人が少なくない。ここで名前を列挙できないのが歯痒いのだけれど、でも、多分間違ってない。歴史上の偉人には経済的に恵まれていた人が少なくない。要するに、彼らの中にはボンボンがいたということだ。経済的に恵まれている人間=ボンボンとは限らないけれど、確か中原中也は親の脛をかじって生きていた。親の仕送りで生きている偉人は他にもいたと思う。
彼らが親の脛をかじらず自立して生活するべきだったかというと、そうではないと思う。いや、ある面では自立するべきだったような気がするけれど、親の脛をかじっていたことを絶対悪とすべきではないと思う。彼らには彼らの生活があり、彼らには彼らの苦しみがあった。でも、もし中也が良い作品を生み出すために親が相当の苦労を強いられていたとしたらそれはどうだろう。親が大地主とかで中也一人養うくらい何の苦労もなかったとしたら別に良いかもしれないけれど、もし、中也の身を案じていて、それゆえに身を削ってお金を稼いでいたとしたら、中也がそれを省みず作品執筆以外の時間を遊び呆けていたらそれはどうだろう。これは自分の実感と作家が書いている小説以外の文章から思うことなのだけれど、作家が四六時中作品を書いていることはほとんどあり得ないと思う。「作家にとっては日々の生活が創作の源泉になる」と言えば聞こえはいいけれど、そこに確証はない。たとえば、ある作家が日常生活で放蕩の限りを尽くしていたとして、その結果素晴らしい作品を書いたとしたら、彼が放蕩の中で傷つけた人のことはなかったことになるのだろうか。多分これはかなり古い作家観で、最近の作家はもっと生活態度が良い方が多い(生活態度とか高校生みたいだ)。
多分、苦しさは数字、というか視覚的に伝えられるものとそうでないものがあって、自分はそうでないものを軽視しようとしているのだ��思う。これはものすごく誤解を呼びそうな書き方なので具体的に書くと、経済的な貧困や身体的な不自由をより大きな苦難と見て、そうでないものを比較的軽い苦難だと判断しようとしているのだと思う。いや違う。これは言葉の話だ。要するに、苦しさを語れるのは、目で見える、物理的に感じ取れる苦難を抱えている人だけなんじゃないかということだ。言うまでもなくそれは違う。人にはそれぞれ苦しみがあって、それを相対化することに意味はない。
ちょっと話を戻そう。全然違うところに行こうとしている。基本的にどっちが上でどっちが下みたいな話に意味はない。話をボンボンに戻そう。自分はボンボンだ。ではどんなところがボンボンか。あーでもこれ前にも書いたな。食べ物を差し出されたときに一言形式的な遠慮をした後二回目で飛びつくのがボンボンだ。自分はそれだ。何かしてもらうことに屈託(?)がない。違う違う違う。問題はボンボンかそうではないかではない。結局は筋があるかどうかだ。一つ一つの行動に損得勘定や社会規範以外の尺度を持って対応できるかだ。
でもこれじゃ堂々巡るんですよね。「一つ一つの行動に損得や社会規範以外の尺度を持って行動しようね」「はい!」これじゃ思想強めの道徳なんだよね。これで答えが出たとしてパソコンを閉じてカバンを持ってルンルン気分でスタバを出ても、また家に帰ったときには死にたくなってるんですよね。欲しいのは正確な言葉ではなくて、それに触れたときに視界が一気に変わる言葉で、というよりこの場合は自分が書いた言葉だから、自分が実感を持って、その言葉を書いたときに世界が変わらないといけないんですよね。「世界が変わる」と書くとビビるほど大袈裟だけど、そんな大層な話じゃなくて、自分の考えていたこととか目の前にあったものが一新されるような感覚が欲しいんですよね。そういう意味で今自分はものすごく欲張りで、よく分からないことになっているような気がする。
読み返すとキモかったから書き直したい。欲しいのは実感だと思う。言葉を書き連ねていった先で欲しいのは実感だと思う。何かを掴んだ手応え。死にたい気持ちがあったなら、それが何か違うものに変質しているような感覚。いや違う。この部分に関しては机上の空論だ。最初は「死にたい気持ちがあったなら、それが少しは軽くなっているような感覚」と書こうとしたのだけれど、それは違うと思った。でもこれも違う。何か違うものに変質すればいいのかは分からない。松岡修造か誰かが「99回叩いて割れなくても、次の一回で割れるかもしれない」と言っていた。壁の話だ。でも、そういうことではないと思う。大事なのは再現性で、一回で割れる叩き方を知ることが必要なんだと思う。その壁はきっと、叩く回数によって割れるかどうか決まるものではないと思う。正しい叩き方をすれば一発で割れるものだと思う。一発かは分からないけれど、でも少なくとも正しい叩き方とそうでない叩き方はある。松岡修造が実際どういう気持ちで、どういうことを考えて壁を叩いているのは分からない。でも仮に、本当に情熱とか根性でただひたすら叩き続けてそれで割っているとしたら、彼はある種の天才だと思う。いやないな。松岡修造って世界ランクで結構上位まで行った人だった気がする。そんな人が何も考えずに叩き続けてたなんてあり得ない。絶対頭も働かせていたはずだ。でもそんな彼が現役を引退してから次の世代に伝えようとする言葉が「熱くなれよ」なのはどうしてなんだろう。そういう商売なのだろうか。だとしたらタチが悪すぎる。でも多分、そうではない。自分は松岡修造のことを詳しく知らないけれど、様々な体験をして色々なことを考えてそれで行き着いた先が「熱くなれよ」とか「やり続ける」とかそういう情熱、根性寄りの言葉で、そこが彼がたどり着いた境地であるはずだ。でも本当に? 成功者はみんな切れ味の良い言葉を発するけれど、誰もその言葉と自分自身の関係については語らない。そういうのはきっと評論家とか批評家の仕事なんだろうな。
なんかもう洗いざらい書こうと思う。自分は、今ここにこうして書いている文章が小説になっていかないだろうかと思っている。というより、こういう感じで小説が書けないだろうかと思っている。いや違う。良かった書いて。ビビって書かないままだったら何も変わらない。「小説」という言葉を使うと、ハードルが一つ上がる。それは多分、過剰にあげてしまっている部分もある。無知ゆえに「こういうものが小説だ」というモデルタイプを考えすぎている可能性はあるけれど、でも「小説的な何か」というのは間違いなく存在していて、自分はそれを求めている。そうだ、多分、そういうことだ。小説的な何か、それは何か、それが小説として成立するための何か、だからと言って、自分は問いかけみたいなことがしたいわけじゃない。たとえば文章を書かずに何か具体物を展示して「これが小説だ」とか、そういう禅問答みたいなことがしたいわけじゃない。
最近、岡本太郎展に行った。岡本太郎は、芸術とは何か、人間とは何か、みたいなことを考えている人だった、と思う。いざ言葉にしてみると、岡本太郎が実際に芸術とは何か問うた文章を書いていたかは定かではない。でも展覧会で流れていた映像で「芸術は〇〇」みたいなことを喋っていたから、多分、考えてた人なんだと思う。何かを作る人には二パターンいる。いや、作る人に限らないかもしれない。多分、あらゆる領域に存在する。それは自分がやっているもの自体について立ち止まって考えようとする人と、やりながら言葉にせず、ほとんど無意識的に考える人だ。立ち止まって考えるかやりながら考えるかは重要ではないかもしれない。なんだろう、言語的に考える人とそうでない人ということだろうか、これでもまだピンとこないな。
芸術とは何か言葉で考えていないからと言って、その人が芸術とは何か考えていないとは限らない。言葉として発していないだけで、考えている可能性は十分にありうる。例えば小説において、まったく何も考えず、「小説を書く」という意識さえ持たず書き上げられたものを第三者が見つけて「素晴らしい小説だ」と思ってそれが実際に出版されて小説史に残る傑作になったとしたら、それは本当に問いなしで作られたものかもしれないけれど、大抵の場合、何にしても「小説を書こう」とか「ゲームをしよう」とか「試合に勝とう」とか「刺繍をしよう」とかその領域における具体的な目標は持っていなくても、少なくとも、その領域に収まる何かとしてやろうとしているわけだから、そこにその人なりの小説観なり絵画感なりゲーム観なり料理観なり掃除観は出る。例えばお風呂掃除をしようとなって、その日に排水溝にパイプユニッシュを注入するかは、その人の掃除観によるものだと思う。毎回のお風呂掃除でパイプユニッシュを注入するか、それとも三回に一回、ないしは月に一回にするか。お風呂のなかをどこまで磨くか、毎日お風呂に入る前にざっと浴槽だけは洗っておくのか、週末にまとめて洗うのか、鏡は毎回磨くのか、どのタイミングでスポンジを変えるか、そもそもどこから洗い始めるか、天井から洗うか、壁から洗うか、スポンジに洗剤を噴射するのか、洗いたい場所に噴射するのか、人によってやり方は意外と違うのではないか。そこにその人の掃除観は出ると思う。やる前に全体を問うのではなく、やりながら出てくる実際的な問題に対処していく。その人は「掃除とは何か」なんて考えているつもりはない。実際的な行動に、その人の掃除観が自然と出ている。
なんて書いたところで何も変わらねえええ。最近の自分はライターズ・ハイ的なところがある。とにかく手を止めて考えてられない。もちろん、お風呂に入っているときとか掃除しているときとか歩いているときとかは手を止めて考えている。手を止めてというか、その考えたことを目に見える形に起こしていない。でもいざパソコンとかノートを前にすると、考えてから書くということができない。具体的な内容を思い浮かべてそれを的確に描写しようとすることができない。これは良くない。
いくら書いても何も変わらない。保坂和志という人が(最近保坂さんのことばっかりだ)、「小説は考え続けるための装置」的なことを書いていた。自分はもしそうだったらどんなに良いだろうと思った。いや、待て、今ちょっと違う考え方が見えた。自分はこれまで「小説は考え続けるための装置」という言葉に対して、「小説を書き進めることによって考え続けることができる」というふうに考えていた。でも違うのかもしれない。この「考え続ける時間」の中には、小説を書こうとして考えている時間のことも含まれているのかもしれない。だとしたら腑に落ちる。が、腑に落とすために無理やり辻褄をつけた感も否めない。それはやだな。
「神」的なもののことを考える。小説とは何かとか、書くこととは何かとか、美しい瞬間とは何かとか、今までで一番良かった瞬間はいつかとか、そういうことを考えると、頭に神的な何かが浮かぶ。正確にはそれは神ではない(自分最近「厳密には」とか「正確には」ってよく書いてる)。でも、神としかいいようのない何かだ。さっき自転車に乗っていたときに考えていたのは、窪美澄さんの『ふがいない僕は空を見た』とトルーマン・カポーティーの『冷血』のことだ。両方とも一昨年の秋に読んだ。僕は「冷血」に神を感じて、「ふがいない」には感じなかった。冷血はそもそも主題で神を扱っているというか、精神の極地みたいな部分を書こうとしているから、神的な何かを感じるのは当然なのかもしれない。でも、良いなと思う小説には、なんというか言葉で言い尽くせない光みたいなものを感じる気がする。「ふがいない」は、現実で起こる出来事の悲惨さをただそのまま書いているように思えた。
いや違うのか、なんか違うな。ただそのまま書いていたってこととも違う。いやいやいや待て。「ただそのまま書く」というのは、物事を描写する際の一つの理想系として扱われる傾向がある。それは果たして本当にそうなのか。一つ言えるのは、「冷血」に過剰な脚色は感じなかったということ。「冷血」という作品からは神的な何かを感じたけれど、そこに変な力みとか、読者を良い気持ちにさせようとする作為みたいなもの���感じられなかった(あくまで僕の感覚である。本当にそうか)。「ふがいない」はありのままに現実を描写し、「冷血」は神に寄せて(?)書いた。だから「ふがいない」には神が宿らなかった、と、そういうことではないと思う。そもそも「ありのままに現実を描写するとは何か。この瞬間にも世界は動き続けている。世界をありのままに描写したいなら、本当に余すことなくありのままに描写したいなら、全員の動きを捕捉し、それを書かないといけない。いや違う、それだけでもまだ足りない。「冷血」は世間に流布している価値基準一般から離れたところで書かれたから「悲惨だ」とか「すごい」とか「正しい」とか「格好いい」とか、そういうものを超えた何かに触れられたのだろうか。分かんねえな。
話が大きくなりすぎてきた。僕の感覚として「ふがいない」は「ね、これって苦しいでしょ?」と言ってきている感じがした。「はいはい、分かったわかった」と言いたくなる。でもきっとこれに関しては、僕の方に問題がある。分からない。堂々巡りだ。
そもそも今ここで「ふがいない」の話をしているのは、卒業式の日の二次会で、ある先生と「ふがいない」について言葉を交わしたからだ。一言二言で全然長くは話してないけど、僕が「あんまり好きではなかった」と言ったら、先生は「僕もそうだった」とおっしゃった。「もうそれは分かったから、ってなる」と言っておられた。僕が前の段落で「はいはい、分かった分かった」と言いたくなる、と書いたのは、先生の言葉の引用だ。だからちょっと虎の威を借りてる部分がある。
「ふがいない」はともかく、良いなと思った小説には、やっぱり光を感じるような気がする。高校生のときからずっと文章を読ませていただいている方が、以前、踏み絵の話をしておられた。踏み絵だっけか、多分踏み絵だ。ふまなかったら殺されるとしてもそれでも踏まなかった人の話だ。命より大切なものの話。「ふがいない」は、それ以前の話だと思う。でも今の世界には、そういう話が必要なんじゃないかと思う。「信仰」は、どんな状況に置かれても手放さず抱き続けることができる。もちろんそれは生半可な思い、覚悟、気持ち、なんだろう、とにかく極限まで追い込まれた状況でそれを手放さないことはまったく簡単ではないけれど、でもそれを手放さないかどうかは、多分、お金があるとかないとか、そういうこととは無関係なところで下されるのだと思う。でもこれはお金がある自分が書くべきことではないのかもしれない。分からない。
神を信仰すること、何か一つに願いを託すこと、希望を捨てないこと、どんなに悲惨な目に遭っても祝福されていることを忘れないこと、ここに列挙した言葉はすべて想像とかどこかに書かれていた言葉の中から響いたものを引用しただけで、本当にそういう状態が実現できるのか、実現したとしてそれが良いことなのかは分からない。でもこれらはすべて超常的な物事として扱われることが多い気がする。自分が思うのは、こういうことはすべて超常的なもので現世的なことからは一線を画しているから、経済的に恵まれてるとか貧しいとかそういうことからは一線を画しているから、だから、貧しい人に対して、何か現実的な仕組みによって苦しめられている人に対してそういう超常的な価値観を押し付けて、現実的な苦しみから目を逸らさせようとするのは、醜いし卑怯だということだ。
米津玄師の『kick back』の中に「『止まない雨はない』より先にその傘をくれよ」という歌詞があった。誰かがコメント欄で絶賛していたけれど、自分も良い歌詞だと思う。信念を貫いて死ぬことを美しいと思うのは勝手だけれど、それを他者にも押し付けるべきではないし、まずは現実的に救われるのが先の人もいる。だから自分が「ふがいない」に惹かれないとしても、あれは必要な物語なのかもしれない。というか多分そうだと思う。
「ふがいない」を読んだのはだいぶ前で正直内容をしっかり思い出せないのに引っ張りすぎるのは良くない、と思うからこのくらいにしておく。結局自分は何が書きたかったんだろう。もう九時半だからいったん家に帰る。寒い。今はスタバのテラス席でこれを書いている。厳密にはスタバのではないのかもしれない。少なくとも自分はよく、スタバで何も買わずにこの席を使う。咎められたことはまだないから、多分、スタバが単独で保持しているものではないのだと思う。多分。そう信じたい。(このスタバはホール会館みたいな場所に入っているテナントの一つで、テラス席はホール会館が保持しているのではないかと思っている)ちなみにこれは二軒目のスタバです。
こんなに色々なことを書くのは、どうしても、書くことによって何かに触れられる気がするからだ
もう少しこの続きを書こうとしたけれど、頭が死にそうになったからやめておく。やっぱり家では書けない。スマホで書こうとしたのが良くなかったかもしれない。
また!
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弾丸滋賀旅2日目
流石に仕事後に夜行バスで移動していた疲れからか、予定より少し寝坊して2日目がスタート。朝ごはんに昨日スーパーで買った滋賀県産の愛東ベリーAを食べた。
まずは八幡山のロープウェーへ。
上まで上がって山道を進むと、琵琶湖と近江の街並みを見渡せる絶景が待っていた。朝イチの景色にしては贅沢すぎる。
こういう自然に触れたときの感想がすんなり出てこなくてもどかしい。すごい、しか表現できない語彙力のなさに凹む。
昨日のお肉屋さんのお母さんが言っていたけど、近江八幡も碁盤の目のような道のつくりになっていて(城下町)、上からだとより一層わかりやすかった。整列している家たち綺麗だなあ。琵琶湖を見下ろしてたら、小さなことはどうでもよくなってきた。こんな大きな湖を今見ているわたしもすごい! という気持ち。自力でここまで来たよ。(ロープウェー使ったくせに)
景色を堪能してロープウェーで下山して、おやつ。
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▼たねや日牟禮茶屋
老舗の店構えという感じでツボ。暖簾かわいい。
つぶら餅が名物らしくて、抹茶と一緒にいただいた。あつあつの自然な甘さのあんこと、外はパリパリ、中はもっちりの生地がとっても美味。もなかとお餅とあんこをまとめたみたいな大好物のおやつだった。
そして山道を歩いて汗かいた体に染み渡る冷たい抹茶。
店内も落ち着いていてこのままここに滞在したい。
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そこから琵琶湖の目の前にあるカフェ、シャーレ水浜を目指して大移動。
なんだけど、シャーレ水浜に行くまでの道のりがめちゃくちゃ最高で、いちいち止まってしまうせいで全然先に進めない。琵琶湖沿いをぐるっと歩いていく。
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わたしの目に録画機能があればいいのにと心底思った。この景色を人に見せたい気持ちと、秘密にしておきたい気持ちと、ああまたすぐに訪れたいなという気持ちと、いろんな感情がいっぱい。さわやかな秋晴れで、ちょっと歌いながら歩いた。本当に気持ちがいい。
琵琶湖沿いをランニングしてる人、キャンプみたいなことをしてる人、ツーリングしてる人、いろんな人とすれ違った。
滋賀にきてからすれ違いざまに挨拶してくれる人とたくさん出会った。これすごく気持ちいいし、挨拶はやっぱり1番大事なことなんだな。誰にでもできるけど意外と難しい。挨拶をすることは、敵じゃないことを表す役割を持つと聞いたことがあるけど、本当にそうだ。この土地で少し受け入れられた気がする。
自然をたくさん吸収して、ぼーっとして、イライラするとか負の気持ちを全部デトックスした。琵琶湖沿いをのんびり散歩して、この景色を見たということがこの旅のハイライト。またやりたい、絶対来る。
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▼シャーレ水浜
琵琶湖を眺めながらビーフカレーを食べた。
シャーレ水浜から見る景色はもちろん最高なんだけど、観光地すぎて若者がたくさんいたし、ちょっとのんびりするのには違うかもと思った。地元の人と、少しの県外からふらっと来た人くらいしかいないところが理想だけど、わたしもただの若者観光客だから人のことは言えない。
帰りもまた琵琶湖沿いを歩く。本当にこんなスッキリした気分になったのはいつぶりだろう。国内の湖巡りとかしたい。
時間も少なくなってきたので近江八幡の方へ戻る。
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▼ ラ コリーナ近江八幡
ここでできたてのバウムクーヘンが食べたかったんだけど、ちょうどおやつの時間と重なりもうとにかく人人人。とりあえずバウムソフトを食べる。観光地的な場所はやっぱりどの地方も人が多い。
バウムサブレが乗ってるアイス。さすがの美味しさだった。
いよいよ時間がないのでサクサク移動。
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▼八幡堀めぐり
今回の1番の目的はこれ。レトロな街に行きたくて調べてる時に見つけた八幡堀めぐり。このために今回の旅を決めたくらいだった。
30分ほど船に乗って、八幡堀をゆっくり鑑賞する。
とにかく気持ちがいいし、ここを何百年も前の商人たちが移動してたというのはなんとも不思議な気持ち。それが今も残って、しかも体験できるなんて貴重だ。
陸路で移動するのは大変だから、琵琶湖から水を引っ張ってきて船を使って移動しよう、っていう発想から生まれたのかと思うんだけど、そんなこと思いつくかな、思いついてもやろうと思わないかもしれない。今の時代があるのは先人たちが切り開いてきたおかげなんだなあとしみじみ。
素敵な時間を過ごせて本当によかった。次乗るなら手漕ぎ船のほうにしたい。
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近江八幡から彦根へ移動。この移動のとき、外を見ながらぼーっと木綿のハンカチーフを聴いていたらすごく沁み渡った。いい曲。
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▼和菓子処 さわ泉
彦根城へ向かう途中にお団子をゲット。
柔らかくてふわふわしててとにかく美味しい生じょうゆのお団子。みたらしも食べたかったなあ。
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▼彦根城
まさかのまさかの、17時までで見に行けず入り口だけ。近江八幡と琵琶湖を楽しみすぎたということで。また滋賀県に来る理由ができた。
ぶらぶら歩いて見えた夕日がすごくすごくよかった。ここで旅の終わりを感じてセンチメンタルになる。
夢京橋キャッスルロードも通ったけど、時間が遅いのでほぼほぼ閉まっているという。でもレトロな街並みで大好きだった。街中のスーパーとかのぞきながら歩くの楽しい。
夕飯は駅前でひこね丼を食べた。わざわざ行くほどでもなかったかも……と少し後悔。早めに名古屋行って名古屋メシのほうがよかったかもしれない、旅の最後の食事ではなかったなあ。
まあそれもある意味思い出。赤こんにゃくを食べられてよかったということにしよう。
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今回の旅もまた最高なものになってしまった。突発的な旅も無計画な旅ももちろん大好きだけど、ひとり旅なら気分で行き先も時間も変えられるし、ある程度事前にプランを立てていいかもなと、ヘルシンキと滋賀の旅を経て感じている。
滋賀県に思い入れもなかったし、琵琶湖があるくらいしか知識もなかったけど、今回滋賀ダイジェストのような旅をして、好きな土地のひとつになった。
自分でスケジュールを組んで、うまく回れて、いい人とも出会ってたくさん会話して、なにより自然から癒しをもらい、心を浄化できて幸せだった。
日本一大きな湖を目の前で見て、周りを散歩して、そんな贅沢なことなかなかできない。この旅で見た全ての景色が本当に心に残っている。
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たしかにわたしの目は録画機能はないけど、だからこそ忘れずに覚えているんだろうな。
旅とは、いろんな人の日常にお邪魔して、非日常を味わわせてもらうことだと思う。
また来週も、いや明日にでも旅に出たいくらい。お金以上の経験と満たされた気持ちを得られる旅って本当に素敵なこと。
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