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#トーマスに会えたよ
ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月4日(木曜日)
    通巻第8080号
 中国の「認知戦」専門チームは「311基地」の61716部隊
  敵の人々の認識を誤断させるフェイク、脅迫情報をおくり続けよ
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人間の知識を司る意識に巧妙に操作された攪乱、陽動情報、嘘の情報、フェイクなどを植え込んで戦意を削ぎ、モラルを弛緩させ、士気を低下させる高度な情報戦争が「認知戦」で認識の領域に侵入し、敵の総合戦略を麻痺させる。
 嘗ては地下出版や風船によるビラの散布、潜入スパイのたれ流した嘘情報からはじまって筆跡をまねた手紙、命令書の偽造もあった。印鑑も偽造した。
 近年の情報操作の戦場はラジオ、テレビ、新聞からネット網に移行し、ときに敵のプラットフォーム、公的機関のHPを乗っ取り、あるいは権威筋の機関を騙る詐欺(なりすまし)の手口に似た戦術が多用されている。
生成AI、チャットGPTは、いとも簡単に画像や音声を偽造し、たとえば敵の政治指導者になりすます。女性指導者の裸の写真やら擬装されたベッドシーンまで機械がつくってのけるのだ。
すでに中国軍機関紙である『解放軍報』は23年4月13日号点で、「対話型AI『チャットGPT』の軍事利用の可能性を議論する」という論文を掲載している。これによれば「偽情報で敵を混乱させて有利な状況を作り出す『認知戦』や情勢分析などは有望である。とくにチャットGPTの文章作成能力を利用し、偽りの言論を作り出し、民衆の心理に影響を与え、民衆の認知を誘導、欺まん、操作することで社会の分断や政権転覆の目的を達成できる」と明記しているのである。
 ロシアがクリミヤ半島を軍事占領し電光石火に併呑する前の段階で、こうした作戦をロシアの認識戦チームが行使した。「ハイブリッド作戦」と呼ばれた。
このハイブリッド作戦は、発案者がゲラシモフ参謀長だったために「ゲラシモフ・ドクトリン」と命名された。
 こうした認知戦(RECOGNITIVE WARS)を得意とするのが中国人民解放軍である。軍内部に「認知戦部隊」を持ち、とくに「台湾統一は歴史的使命だ」などと大言壮語を宣伝し続けてきた習近平にとっては重要な工作部隊である。
米国の軍事アナリスト、ティモシー・トーマス退役軍人が米国陸軍戦争大学の学術誌『パラメータ』に寄稿した論文「マインドにファイヤーウォールはない」では「人の心、意識、精神の重要性を無視することはできない」とし、ハードウェアだけの戦争はもはや意味が希薄になったとした。
 ▼情勢判断を誤らせる高度な戦争
認知戦とは相手の認識領域に誤った知識、情報を植え込んで情勢判断を誤らせる高度な心理戦争のパラダイムに含まれるが、人間の心理を読みこなさないと高度な戦術は取れない。しかし知的レベルの高い人に効果がなくとも、無知蒙昧な大衆の誌認識力を誤らせば良いのである。
個人のメールアカウントはすでに中国が掌握している。台湾、香港に、或いは日本を経由して個人情報を売り飛ばす輩がいる。
日本の例を挙げよう。LINEヤフーの利用者は9600万人。23年11月に無料通信アプリLINEで大規模な個人情報漏洩が発表され、夥しいプライバシー情報が漏れていたことが判明、なかでも取引先の企業、氏名、メルアドが特定できる情報だった。LINEヤフーは業務を中国、韓国から切り離すと再発防止を言明したが、徹底されていなかった。LINEヤフーは「韓国よりも、中国支配といった方が正確で、昔も今もLINE情報は中国に筒抜けだと見て良い」(「テーミス}2024年1月号」
ベトナム戦争のおり、ベトナム反戦運動がこともあろうに当事者のアメリカ国内で起きた。これはソ連がなして絶妙な世論工作だった。
「ソ連の代理人」たちがメディアを誤導したのだ。ヒューマズム、人命尊重という普遍的価値観は重要だが、戦略的見地から言えば、これは利敵行為となる。戦争をやっているときに自分の国の指導者を後ろから首を絞めるようなものだろう。
ま、日本でも朝日ブンカジンとか、小田実とか、アジビラ一枚でかけ回った、おっちょこちょい左翼がベ平連とかのソ連の代理業務のごときを展開していましたからね。
中国人民解放軍の対台湾『認知戦争』は福建省福州に」ある311基地が本拠だ。
ここで専門部隊が対台湾工作を担当とし、傘下メディアを通じて情報操作を行う。311基地の司令部は、台湾海峡対岸の福州市だから台湾と言葉も共通であり、また台湾人駐在員が多いので、脅迫やハニトラで工作員に成り下がった台湾人も多いらしい。
311基地は「世論戦、心理戦、法律戦基地」として編成された軍の機構改革によって新設された「戦略支援部隊」の傘下にあり、部隊番号は61716である。
311基地の由来は「世論戦、心理戦、法律戦」の三戦(3)と軍事作戦(1)、ネット上の情報作戦(1)の組み合わせだと台湾筋は推測している。傘下にラジオ局「海峡の声」と「中国華芸伝播公司」、出版社の「海風出版社」を持つ。 
フランス軍事学校戦略研究所(IRSEM)は、2021年の報告書『中国の影響力』のなかで、これらメディアの「会長」は偽名で、311基地の司令官(少将)と同一人物だと指摘した。
311基地はニュースサイト「華夏経緯網」を開設しており、北京のIT企業が開設したとされているが、新華社通信や中国共産党機関紙、人民日報と同列のメディアの一つだ。
▼若者の失業対策だった五毛幇
中国には失業した若者が展開する「五毛幇」が存在し、一説に20万人が従事したとされた。フェイクメールを一通打てば10円、一日に200通ほど打ち込んで発信し、日銭、食事代を稼いだ。
この五毛幇たちは党の指令通りの文書を無数のネットに流し続けたが、いまや生成AIで、人を雇わなくてもできる。あらゆるソーシャルメディアサイトやプラットフォームを活用して、攪乱、フェイク、陽動、恐喝などのニセ情報、心理的威圧を目的とする情報の発信を続ける。
中国は、認知ウイルスを拡散する手段として、内部対立の醸成、人々の怒りの扇動、分割と統治という3つのアプローチを使い分けている。
現地の協力者を招いて論争を煽り、虚偽の情報を拡散させることで、台湾の世論を操作し、政府に対する不満と怒りを引き起こす作戦である。周辺国も巻き込んで主要敵を孤立化させるのである。
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gupaooooon · 10 months
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきているこ���もあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償��を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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mlyzvt-no2157 · 4 months
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一文字の間違いで物凄い意味が違った事
【ご注意】
今回のエピソードは、かなりお下品です。っていうか、ガチで下品です。それでも大丈夫って方なら、どうぞ👇
私が前に勤めていた会社は珍事件の宝庫だった。特に、ユニークで面白いというか個性的(変な人とも言う)が非常に多く、常に誰かがネタを落としてくれていた。
私が新人の頃、嘱託で読書家だったZさんはスペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語を話すマルチリンガルで、若い頃の記者時代はキューバ革命や冷戦中のキューバ危機、コロンビアの紛争など、主にスペイン語圏の中南米の記者だった。そして、かのカリスマ革命家のチェ・ゲバラにも会ったという事で私も含めて若手記者達の目標と憧れでもあった。(ちなみに私は、アル・カイーダのウサマ・ビンラディンに会ってみたかったが、終ぞ、彼に会う事は叶わないまま、ビンラディンは死亡してしまった)
ただ、Zさんはラテン語は物凄く上手なのに、英語は超が付くほどド下手だった。ハッキリ言って、そこら辺にいる小学生や、中学生の方が遥かに英語が上手だろうと思うくらい、英語が下手で、普通に英単語の発音が間違っていたり、ラテン語が混ざっていたりするので、Zさんが使う英単語が何を意味するのか理解出来ない人がほとんどだった。例えば、イギリスのチャールズ皇太子(現チャールズ国王)をラテン語読みで「シャルル皇太子」と言うので、理解できるまで???状態になってしまう事もしばしばだった。
ある日、所属長のMさんと同期のS君と私との3人でのんびり過ごしている時、Zさんが我々の部署にやってきて、私の隣の席(もともと誰も座っておらず、常に空いている)に座り、声をかけてきた。
Zさん「なぁなぁ、みずほちゃん、今暇?時間大丈夫?」
私「暇なわけじゃないですが、立て込んでないので大丈夫ですよ」
Zさん「よかった。ところで、みずほちゃん、『ペニスの商人』って知ってる?」
私は教皇の間に呼び出されたミロのように、思わず、「はっ?」と言ってしまいそうになったのをグッと堪えた。
『ペニスの商人?なんじゃそりゃ????臓器売買のブローカーのことかな???いや、ペニスは臓器じゃないか(👈どうでもいい)...ペニスを除去するのなら、私が子供の頃はモロッコ、今はタイが主流だけれど、何の事だろう???そもそも、ペニスを取り除くって需要があるのは知っているけれど、ペニスが欲しいって需要なんかあるのかな?それとも、私が知らないだけで、ペニスの売買っていう市場があったのかな?しかし、需要と提供のバランスはちゃんと取れているのかな?ペニスを提供する人は何の為に提供するのかな?ひょっとして物凄い高額な市場なのかな?でも、聞いた事ないしな~???』
私の頭の中は疑問符が飛び交っていた。
私が珍妙な表情をして黙りこんでしまうと、Zさんは、「おーい、みずほちゃん、聞こえてる?」っと尋ねてきた。
「聞こえてますよ」
「じゃぁ、返事くらいしてよ」
「いや~、Zさんが仰った『ペニスの商人』って何だろう?って思って、考え込んでしまったんです。『ペニスの商人』って何ですか?臓器売買のブローカーか何かですか?」
「臓器売買のブローカーって恐ろしい事いうなぁ...ペニスの商人は明るい話で、有名な小説だよ。知らんの?」
「小説ですか。初めて聞きました。」
Zさんが、『ペニスの商人』が小説だと言うので、私はそのとき、ふと小松左京さんの『アダムの末裔』という小説の事を思い出した。以下がアダムの末裔の簡単なあらすじである。
ポルノ小説作家である主人公は、恋人と幸せに暮らしていたが、自分の作品がマンネリ化している事に悩んでいた。新しい小説の連載の締め切り期限が近づいているが、一向に新鮮なネタが思い浮かばず、悩んでいるとき、自宅のリビングの飾り棚に物凄く巨大なペニスのオブジェがある事に気付く。恋人と自分の関係もマンネリして、恋人がこの巨大なオブジェを買ったのだろうか?と疑問を抱きながら、主人公がオブジェを見ていると、なんと、そのオブジェが動き出した。ビックリ仰天した主人公は腰を抜かしてしまう。そして、気が付くと、自宅の周りには、その最初に見たオブジェと同じぐらいの大きさのペニスのオブジェが溢れかえっていた。恐れおののく主人公。巨大ペニスの大群が自宅の中を好き放題荒らしていったが、一匹(と言っていいのか分からないが💦)のペニスがネズミ捕りの罠にかかり絶命してしまう。その他のペニスはいつの間にか忽然と消えていた。すると、巨大な人がやってきて、そのペニスはずっと未来の人間の男性の姿なのだと言う。遠い未来、男性の役割は子種を残す為だけのものとなり、進化の過程の一環で、身体はペニスだけとなり、文明の繁栄をもたらす女性は巨大化したのだという。絶命したペニスは未来からやってきた女性に持って帰られ、主人公は男性の未来の姿がペニスだけになるという事い愕然とする一方で、男性で人類の祖先と言われている聖書の「アダム」の「末裔」が「巨大化したペニス」という小説のネタを思い浮かぶ
30年以上前に、親友に借りて読んだ小説なので、あまりはっきりとした事は覚えていないが、アダムの末裔のあらすじはこんな感じだったような気がする。私は、Zさんが言っている「ペニスの商人」と言うのは、ちょっと内容は異なるが、ひょっとして「アダムの末裔」のことではないかと思った。
私「ペニスをテーマにした題材なら、小松左京さんの『アダムの末裔』なら知ってますけど、「ペニスの商人」は初めて聞きました。誰の作品ですか?」
Zさん「ペニスの商人の作者は、日本人じゃなくて、外国人の作家。有名な作家だよ。けど、ボクは作者の名前を発音できないけど、ファーストネームは『ギジェルモ』で、ラストネームは『○×◆□×////』ダメ、ボクは発音できない。しかも、ペニスを売るからペニスの商人っていうタイトルじゃなくて、ペニスっていうのは地名だよ」
私「『ペニスの商人』は、ギジェルモ・ナントカさんって人が書いた小説なんで、ペニスは地名ですか...?」
私の頭の中は益々混乱した。
ギジェルモって誰だろう?有名な外国人作家でギジェルモなんて人はいたかな?トーマス・マン、フランツ・カフカ、オスカー・ワイルド、アレクサンドロス・デュマ、エミリ・ブロンテ、ビアトリクス・ポター、アーネスト・ヘミングウェイ、ドストエフスキー、レフ・トルストイ、チャールズ・ディケンズ、ヘルマン・ヘッセ...やっぱり、ギジェルモって人は知らんなぁ...
しかも、ペニスなんて地名はあっただろうか?一体何処だろう?未承認国家の山の奥地かな?それとも、インドネシアのジャングルの奥地に住んでいる原住民みたいなペニスケースを衣服としている人々の集落かな?うーん、検討もつかない...Zさんは、一体何の何処の場所を言っているんだろう??
私の頭の中は、益々激しく疑問符が飛び交っていた。
私「ペニスってどんな場所ですか?未開の地のジャングルか山奥の原住民が暮らしている集落ですか?アフリカの奥地ですか?それともアマゾンの奥地ですか?もしくは、鎖国している国にある秘境か未開の場所ですか?」
Zさん「違う違う!ペニスはキレイな事で有名な街だよ。そうだな~一番の特徴は、お面を付けるお祭りがあることかな」
私「ペニスには、お面を付けるお祭りがあるんですか?」
Zさん「そうそう!お面を付けた華やかなお祭り!いっぱい観光客が来るよ♪」
私の頭の中はまたもや疑問符だらけになってしまった。第一「ギジェルモ」なんて名前の有名な小説家は聞いた事が無いし、お面を付けたお祭りなんて、ひょっとこのお面にドジョウ掬いぐらいしか思い浮かばなかった。ひょっとこのドジョウ掬いは、島根県に由来する事は知っていたが、私の頭の中で、島根県に『ペニス』なんて地名はない。島根県のドジョウ掬いを、外国の有名な作家が、わざわざ舞台にして小説化するだろうか?ドジョウ掬いの祭を見に行ったことはないが、観光客が押し寄せるとも考えにくい。しばらく考え込んでから、私は再びZさんに尋ねた。
私「お面を付けたお祭りって、もしかして、島根県でやる、ひょっとこのお面を付けたドジョウ掬いの事ですか?」
Zさん「違う違う。そんなんじゃなくて、もっと洗練されたカッコイイお祭!」
私「洗練されたカッコイイお祭りですか。ペニスってお面を付けたお祭り以外にも、何か有名な物ってないですか?」
Zさん「ええっとねぇ。まず、ヨーロッパにあって、観光客が常にいて、車の乗り入れが禁止されていて、アドリア海に面していて、昔都市国家だったときに凄く繁栄していた街。それでね、物凄く街並みがキレイで、世界遺産にもなっていて、ペニスは別名として『アドリア海の女王』とも呼ばれている所!」
私は、『アドリア海の女王』という言葉を聞いて、やっとZさんが言っていた「ペニス」が何処であるかを分かった。都市国家、車の乗り入れ禁止、物凄くキレイな街並み、かつては都市国家として栄光の歴史を歩んでいる、『アドリア海の女王』、これはすなわち、アドリア海に面した運河の街、イタリアのヴェネツィアで間違いないだろう、と。
私「Zさん、ペニスって、イタリアのヴェネツィアのことですか?」
Zさん「そうそう!ヴェネツィア!ヴェネツィアを舞台にしたギジェルモ・ナントカの喜劇小説!」
私「やっと分かりました。ウイリアム・シェイクスピアの『ヴェネツィアの商人』の事ですね」
Zさん「そうそう!その通り!」
ヴェネツィアは、英語読みすると『ベニス』と発音する。Zさんは、英語が恐ろしく苦手な人なので、濁音の「ベ」が半濁音の「ペ」になってしまっていたのだろう。そして、ウイリアム・シェイクスピアのファーストネームであるウイリアムはスペイン語読みで「ギジェルモ」と発音する。『シェイクスピア』をZさんは発音できなかったのだろう。
この後、Zさんとどういう会話をしたか、あまり覚えてないが、チラっとMさんとS君の方を盗み見ていると、PCの画面に顔を埋めて肩が小刻みに震えていた。恐らく我々の会話を聞いて、吹き出したいのを堪えていたのだろう。
私は、Zさんに、ヴェネツィアの英語読みは、『ペニス』ではなく、『ベニス』と発音すると教えてあげるかどうか迷ったが、Zさんに恥じをかかせる事になると思い、黙っておくことにした。
しかし、一文字の違い、しかも濁音か半濁音かの違いで、トンデモナイ意味の違いがあるのだなぁと改めて思った。同じ事を意味のつもりでも、『ヴェネツィアで、仮面を付け、仮装した人々でカーニバルが開催される』と『ペニスで、お面を付けたお祭りがある』では、Zさんにとっては同じヴェネツィアのカーニバルの事を意味していても、聞く方になってみると、全く違うモノを想像してしまう。
一文字の違いが、こんなに大きな意味の違いになってしまうとは、字書きとして、気を付けなければと思った瞬間だった。
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reportsofawartime · 1 month
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トランプ大統領の第2次独立宣言! 「アメリカは立憲共和国として設立された。選挙で選ばれた者は、市民の多数派の言いなりになってはならない。むしろ、多数派の意思にもかかわらず、その地区(州)にとって最善のことをしなければならない。このようにして、すべての人々が平等に代表され、誰も抑圧されることなく、立憲共和国は静かで、安定していて、効率的で、好ましいものとなる。」ー>日本ももともとこれでしょ、政治は アメリカ建国者と独立宣言の起草者に最大限の敬意と賞賛を表し、アメリカ国民は、ある種の永続的な専制と専制主義の台頭に対する彼らの思慮深い慎重な対応を謙虚に見習う。 https://amg-news.com/president-trumps-2nd-declaration-of-independence/… 私たちもまた、知識と機会に恵まれた人々が「人民」のために働くことは道徳的義務であり、「人民」は、その恩人たちが分裂よりも団結を、グローバリズムよりもナショナリズムを、服従よりも主権を、抑圧よりも自由を選ぶときに最もよく奉仕され、すべての人間は生来の価値において平等であり、アメリカは神のもとに建国され、神から与えられた権利は正当な手続きなしに取り消されたり、停止されたり、否定されたり、剥奪されたりすることはないと信じている。 第2次独立宣言がその祖先と異なるのは、独立を求める対象である。 残念なことに、私たちの大きな不幸、恥、そして落胆は、再三の警告や安全措置にもかかわらず、外国人投資家や私掠船の陰謀によって、私たちの土地、私たちの富、私たちの労働力、私たちの幸福、私たちの未来、そして私たちの子供たちまでもが所有権を得ることに成功した。 第二の "企業 "憲法の密かな採択や、国民を破壊するいくつかの修正条項の不確かな批准など、重要な出来事のさまざまな解釈によって歴史は混濁しているが、重要なのは、1つ以上の異質な集団がアメリカとその資産の所有権を主張していることだけである。 動機について推測し、偏った説明、検証不可能な情報、豊富な理論や意見に不利な重みをかけるよりも、私たちは完璧な解決策に取り組む。過去も現在も、宣言され、特定され、ベールに包まれたすべての主張者から独立することを徹底するのだ。 そのため、この宣言で名指しされた簒奪者は代表的なものであり、特定のものでもなければ、先祖伝来のものであろうと、先行する道具や過程に関係なく、網羅的なものでもない。 偏狭さを正当化するには、単に罪や簒奪を列挙すれば十分だろうが、重要な出来事を回顧することで、歴史から欠落している重要な事実が明らかになる。これらの忘れ去られた事実は、洞察力、展望、明瞭さを加え、我々の最善の進むべき道を照らしてくれる。 1.避けられない南北戦争はアメリカの経済を破壊し、家族を引き裂き、かつての有望な国家の未来に疑問符を投げかけた。アメリカは財政難に陥り、立ち直るためには大規模な資本注入が必要だった。 2.ヨーロッパの国家建設ベンチャーキャピタルの陰謀団は、アメリカの復興に資金を提供することに同意したが、その投資を確実にするために政府に積極的な役割を要求した。1871年、借金地獄に陥ったアメリカ議会は、ある提携を結んだ。無限の財政支援と引き換えに、外国の投資家はアメリカの行政上の必要事項を処理することになった。 3.当初は無害な譲歩に思えたが、国家を建設するベンチャー・キャピタルが合衆国憲法の保護を越えてアメリカのビジネスを行うことを許した結果、破滅的なことが判明した。投資家たちは、外資系企業政府およびワシントンD.C.の至る所に事業を展開し、国民よりもアメリカの金融業者の利益に奉仕し始めた。1871年、アメリカは事実上独立を失い、国家を建設するベンチャーキャピタルが新たな支配者となった。 4.1900年代初頭までに、アメリカに資金を供給していた外国人投資家たちは、主要な新聞社やニュースサービスを支配し、何が報道され、どのように報道されるかを決めることができた。彼らは、国民に暴露され、否定されるのを避けるために、自分たちの足跡を隠さなければならなかった。 5.国家を建設するベンチャーキャピタリストたちは、アメリカの不穏当な高位制度を和らげようと努力した。建国者たちは、特に多数派の市民が少数派の市民を抑圧するのを防ぐために、民主主義ではなく立憲共和制を形成した。多数派の意思を強制するのではなく、その地区(または州)にとって最善のことをすることで、代表者はすべての人々に平等に仕え、民主主義に内在する騒音、分裂、暴力を排除する。物語の主導権を握る外国人投資家たちは、アメリカは民主主義国家であるという欺瞞を巧妙に宣伝し、その欺瞞が不安と混乱を招き、アメリカを脆弱にし、 潜入と操作のさらなる機会を生み出すと信じていた。 6.1913年、外国人投資家たちは名誉毀損防止同盟を設立し、彼らや彼らのアメリカ政治への浸透を暴露する者を中傷した。 7.1913年、憲法修正第16 条によって、外国人投資家はアメリカ国民に直接課税する権限を与えられた。国民が自らの財産と労働力を強制的に没収されることを進んで受け入れるというのは、非論理的であり、批准の正当性に疑問を投げかけるものである。 8.1913年、第17条修正条項によって、外国人投資家は、敵対勢力の侵入から共和国憲法を守る重要な安全装置を破った。以前は、上院議員は各州議会によって任命される「ステーツマン」であり、国庫を強奪する下院議員をチェックする役割を担っていた。今後は上院議員は、票と引き換えに「無料」の公的資金とサービスを約束する、見栄を張った下院議員として立候補することになる。批准の信ぴょう性は低い。なぜなら、州議会は、国民の家の欲望に歯止めをかける権限を進んで放棄することはないだろうし、連邦政府への権限移譲に応じることもないだろうからだ。 9.1913年、トーマス・ジェファーソン、アンドリュー・ジャクソン、エイブラハム・リンカーン、アンドリュー・ジョンソン、ジェームズ・ガーフィールド、ウィリアム・マッキンリー各大統領の悲痛な警告にもかかわらず、外国人投資家は連邦準備法を議会に押し通し、外国資本の中央銀行制度を確立することで、わが国の通貨を支配するようになった。連邦準備制度法は、ほとんどの議員がクリスマス休暇で不在だった12月22日午前1時30分から4時30分の間に、妥協した議員たちの助けによって可決された。 10.1920年、議会は独立財務省法によって、米国財務省とその資産(金と銀)を、1913年に設立された外国人投資家が所有する中央銀行制度である連邦準備制度理事会(FRB)に引き渡した。 11.1921年、外交問題評議会は、世界におけるアメリカの利益を促進するために結成された。実際には、CFRはロンドン市によって後援されており、ニュースや情報ネットワークでの工作活動を通じて、大統領、議会、物語を指示することによって、外資の連邦準備制度理事会の利益を促進するために機能しています。 12.1925年、連邦準備制度理事会(FRB)の所有者たちは(再び)アメリカ合衆国株式会社を設立した。発行された100株のうちわずか5株が特定され、残りのUS CORPの株主は匿名のままであったが、その金はロンドン市、英国王室、バチカンにつながって いた。 私たちが内国歳入庁に送った税金は、彼らの支配下にある国際通貨基金と世界銀行に使われる。 13.米国企業の正式な設立は、アメリカを立憲共和制の国民から、外国の利害関係者とその一族が所有する企業へと変貌させる舞台となった。その後数年間で、個々の州も企業として登録され、アメリカ企業のフランチャイズとなった。下院議員も上院議員も、アメリカ国民を代表しているわけでも、アメリカ国民のために働いているわけでもない。むしろ、彼らは米国株式会社の経営者であり、そのようなものとして、彼らはまず米国株式会社の最善の利益に奉仕する義務がある。大統領はアメリカの大統領にすぎない。彼は米国企業のCEOである。 14.米国という略語は、米国と米国株式会社の区別を曖昧にするために、意図的に両者を表す言葉として使われた。同様に、オリジナルの合衆国憲法は、これまたアメリカ国民を混乱させ欺くために、似たような名前と外観を持つ偽者の「企業(すべて大文字)憲法」に静かに取って代わられた。具体的には、「アメリカ合衆国憲法」は「アメリカ合衆国憲法」に置き換えられ、後者の会社法がアメリカの最高法規となった。 15.1933年、アメリカ連邦政府は破産を宣言し、最高経営責任者(CEO)代理であるルーズベルト大統領は、アメリカとその資産(国民と労働力を含む)をアメリカ公社に譲渡した。アメリカとその資産には、国民と労働力も含まれていた。1933年の破産は、間違いなく不必要なものであり、儀式的なものであり、国民の同意なしに仕組まれたものであったが、アメリカとその資産の強奪と、アメリカ企業を所有する同じ外国の利害関係者への譲渡を完了させた。
16.1933年の破産で、アメリカの公社はアメリカ国民に金を放棄させ、「ドル」と呼ばれる負債紙幣と交換させた。不換紙幣は実質的な価値を持たず、インフレによって減価し続け、現在ではわずか4セントの価値しかない。 17.1933年の破産によって米国公社は非常事態に陥り、アメリカ国旗の周囲に金の縁取りがあることからもわかるように、提督法を実施することができるようになった。US CORPの法廷では、あなたは海上にいるとみなされ、アメリカの「市民」ではない。 18.1936年、米国公社は社会保障番号の発行を開始し、そうでなければ主権を持たないアメリカ人を、企業という虚構の受託者に変え、私たちの労働を課税対象とした。米国公社によれば、あなたは生身の男性でも女性でもなく、むしろあなたの名前の法人の代表者なのだ。 19.1945年、匿名の所有者であるアメリカのCORPは、平和、礼節、人道支援を世界中に広めるという名目で、国際連合を設立した。しかし、その真の目的は、市民に国際的権威を認めさせることであり、彼らが約束した 「新世界秩序」を確立するための第一歩である。 20.国連の出版物である『アジェンダ21』と『アジェンダ30』は、ナショナリズム、愛国心、私有財産、個人の権利、二親家族、自動車、空の旅、専制的な政府から自らを守る権利の終焉を求め、「新世界秩序」のアジェンダを明確に示している。持続可能な発展」という目標に沿って、彼らは人口を90%以上削減し、反体制派や "役立たずの食い物 "をアメリカと世界から排除することを計画している。残された "有用な召使い "たちは、沿岸部のコミュニティーに住み、そこでマイクロ・アパートに積み重ねられ、詰め込まれることになる。 21.彼らの「新世界秩序」を阻む唯一のものは、強く、繁栄し、安全なアメリカである。世界征服という彼らの目標を達成するためには、アメリカは主権と指導的地位を失わねばならない。そのため、アメリカCORPの所有者たちは、過去100年間、自由奔放な方法と戦術を駆使して、私たちの文化、システム、信念、基準、願望、モラルを貶めることに静かに取り組んできたのだ。 22.私たちの労働に課税することで毎年数百万ドルを自由に使えるUS CORP.のオーナーは、私たちの国家を転覆させ、反対する人々を黙らせるために活動する外交問題評議会を含む、左派の非営利団体に資金を提供している。彼らは、AMA、APA、CDC、FCC、SEC、FDAを含む、最大の慈善団体や組織を運営する役人や管理者に便宜を図り、国務省、司法省、NSA、FBI、CIAを含む公式・秘密情報機関に工作員を送り込んでいる。 23. 米国CORPの匿名の所有者たちは、多額の助成金と寄付金と引き換えに、公立学校、大学、カレッジのカリキュラムと政治的感情を形成し、次世代を担う私たちの子どもたちが、自国、自国の歴史、自国の文化、自国の家族、さらには自国の民族性を軽蔑するようになることを保証している。 24. US CORPの匿名のオーナーは、公教育、大手出版社、ニュースサービス、電波、社会・情報ネットワークを支配することで、歴史上最大の強盗と隠蔽であるアメリカの真の歴史について、国民を闇に葬り続けている。 25.米国公社の外国人オーナーは、社会と政府のいたるところで「操り人形」を支え、彼らの秘密主義とアメリカ征服のアジェンダを実行するために、何百万ドルもの取引をさせている。これらの裏切り者には、著名な政治家、ニュース読者、評論家、作家、映画スター、社会、ニュース、情報ネットワーク、主要スポーツチーム、音楽、娯楽産業のトップ、そして設計、製造、広告、購入、資金調達、消費される製品の90%以上を担う企業複合体が含まれる。 26.選挙キャンペーンに資金を提供し、選挙を仕組むことで、米国公社の所有者は最も影響力のある政治家たちに、アメリカを社会的、財政的に崩壊させるという彼らのアジェンダを推進するよう義務づけている。彼らは、国を蔑視し、政府に依存し、放縦、無法、不道徳を助長し、市民を甘やかし、落胆させ、世界のエリートが後援する国際的な選挙で選ばれたわけでもない政府の偽りの約束と主権を交換するように仕向ける。 27.民主党と、テレビの司会者、エンターテイナー、ジャーナリスト、評論家、政策専門家を装った工作員たちによって、米資本党のオーナーは国民を洗脳し、グローバリズム、社会主義、テクノロジーが私たちの道徳的羅針盤となるような神なき社会を求める無効な議論や疑似科学を受け入れるように仕向けている。 28.外資系アメリカ資本の工作員たちは、ニュースや情報ネットワーク、学界、政府、社会全体に深く根ざしている。俗に「ディープ・ステート」「影の政府」「沼地」と呼ばれる彼らは、死刑に値する反逆罪を犯しているため、集団心理で行動している。彼らは自分たちの共犯関係を隠そうと必死であり、そのため自分たちの裏切りや不正行為を暴こうと脅す者すべてを組織的に標的にし、悪者にし、さらには「自殺」させる。 http://29.USコーポレーションの幹部たちは、無制限の移民受け入れを支持している。同化する時間を与えることなく、不法移民でアメリカを溢れさせることは、傲慢、分離、反米主義、そして国民に対する怒り、反感、対立を確実にする。また、アメリカを成功に導いた原則、倫理、制度が着実に希薄化していくことも予想される。さらに、不法移民の大多数は、米国資本の外国人所有者の意向に従って立法を行う民主党に投票する可能性が高い。 30.自由で開かれた、ほとんど鎖につながれていないインターネットは、アメリカの隠された強盗や、影で活動する犯罪ネットワークを明らかにするため、アメリカと人類に対する犯罪の加害者であるUS CORPのオーナーは、暴露されることを強く懸念している。国民が目を覚まし、組織化し、正義を実現することがないように、彼らは私たちが目にする情報にセンサーをかけ、精神作用のある薬物を飲ませ、政府からのお金で私たちを満足させ、永遠に続くビデオゲームで私たちの気をそらし、次から次へと無意味なスポーツイベントを宣伝する。 31.歪んだ統計、欺瞞的な世論調査、虚偽の事実、決定的な情報の省略と連動して、米CORPのオーナーは反米主義と彼らの「新世界秩序」アジェンダを促進する。フェイクニュースは、国民を混乱させ、誤った情報を与え、民族、性別、性的指向、宗教、経済階級で分断させ続けている。一方、彼らの債務システムは、監視を通して私たちを奴隷化し、フッ素塗布、予防接種、その他のテクノロジーは、実質的な反対を弱めるために展開されている。
32.USコーポレーションのオーナーは、彼らの全体主義や抑圧的な "新世界秩序 "の邪魔をする何百万人もの法を守る愛国者の武装を解除するために絶え間なく働いている。画策された銃乱射事件によって、「包括的な身元調査」に同意するまで、US CORPのオーナーは国民を恐怖に陥れ続けるだろう。この "包括的 "という言葉は曖昧で定義されておらず、対象となる人物が情緒不安定で社会にとって危険であると判断されるまで、心理学的・医学的テストを実施することができる。あらゆる近未来的な本や映画の予言どおり、愛国的なアメリカ人は、精神衛生上のスクリーニングという名目で、政治的なプロファイリングによって武装解除されることになる。 33.米国株式会社の外国人オーナーは、その巨大な洗脳マシーンを通じて、アメリカは民主主義であり、民主主義が最高の政治形態であると国民に信じ込ませている。民主主義とは定義上「群衆支配」であるため、これは問題である。民主主義国家が必ず破綻するのは、「多数派の群衆」が、過剰な課税やその他の社会主義的な政策によって調達された、より多くの公的資金やサービスを常に要求し、その結果、経済が破綻し、債務が暴走し、財政が破綻し、最終的には社会が崩壊し、約束され、予測され、恐ろしい、そして常に迫っている「新世界秩序」への扉が開かれるからだ。主権は、民主主義の悪弊を暴き、私たちの崇高な立憲共和制を再確立することなしには持続不可能であるため、私たちは以下の宣言をせざるを得ない: 34.民主主義という言葉は、アメリカ建国文書のどこにも出てこない。なぜなら、民主主義はいかなる形であれ、偽装であれ、致命的な欠陥があり、必ず抑圧、不安、社会の失敗、暴力、死をもたらすことを、建国者たちは知っていたからである。 35.近代的な政治形態はすべて民主的に選出される。選挙が終わった後、誰が決定を下すかによってのみ区別される。 36.民主主義では、多数派の市民が売り上げを上げ、少数派の市民は抑圧される。その結果、民主主義は常に騒々しく、分裂し、分断され、不十分で、不安定で、燃えやすく、財政的に無責任で、短命である。 37.アメリカは立憲共和国として設立された。選挙で選ばれた者は、市民の多数派の言いなりになってはならない。むしろ、多数派の意思にもかかわらず、その地区(州)にとって最善のことをしなければならない。このようにして、すべての人々が平等に代表され、誰も抑圧されることなく、立憲共和国は静かで、安定していて、効率的で、好ましいものとなる。 38.民主主義という言葉は気持ちのいいものだが、その根底には暴徒の支配があり、それは社会主義や共産主義、その他あらゆる専制的な政治形態に似ている。 39.最後に、合衆���憲法第15条第4節が疑問を解決してくれる。合衆国憲法第4条第4節は、「合衆国は、この連邦の各州に対し、共和制の"統治形態"を保障しなければならない」という疑問を解決している。 歴史上最大の強盗と隠蔽工作を暴露したことで、我々は要約することができる。アメリカとその資産は静かに乗っ取られ、隠蔽工作は国民と人類に対する想像を絶する犯罪をもたらした。敵対的な乗っ取りを許せば、最終的には競争的かつ不可逆的な支配につながり、真実、正義、そして善なるものすべてが根絶される。 この第2 独立宣言は、アメリカ合州国を破壊的な統一国家公社から区別するものである。 この宣言は、米国公社が違法に設立され、外資系であり、その株主が150年以上にわたってアメリカと静かに戦争してきたことを主張するものである。政府と "フェイクニュース "ネットワークに組み込まれた反逆的な工作員たちは、意図的に国民を分断し、国家間の対立を助長して、米国企業が違法に設立されたこと、外国資本であること、株主が150年以上にわたってアメリカと静かに戦争してきたことを隠している。 政府と "フェイクニュース "ネットワークに組み込まれた反逆の工作員たちは、意図的に国民を分断し、原住民同士の争いを助長している。 この第2次独立宣言はまた、米国企業による悪魔的な世界統治計画を、確信をもって否定するものである。エリートの、エリートによる、エリートのためのものであり、人民のためのものではないことに加え、彼らの偽りの宣伝する似非ユートピア的な選挙で選ばれない全体主義的な「新世界秩序」は、アメリカの主権に取って代わり、自由と繁栄のかけらも永遠に消滅させるだろう。 人間は近視眼的で柔順であり、簡単に騙されるようにできている。だから、アメリカ国民は、多大な犠牲を払って祖国を確保した先人たちから受け継いだ祖国を騙し取られた責任を負うべきだろう、そして、自由、機会、繁栄という、ほとんど評価されていない恩恵を、得体の知���ない快適さ、軽薄な娯楽、大食漢の快楽という形の「装身具」と、ゆっくりと、しかし着実に交換してきたのだから。 しかし、アメリカ国民からの所有権の移転は、公然と、誠実に行われたのではなく、計算された意図と極悪非道な手段によって、身体の同意もなく、違憲のまま密かに行われたのである。アメリカ国民が是正の権利を主張するのは、後者の理由からである。 歴史上最大の強盗が合衆国憲法の制約の外で行われ、アメリカの最善の利益を代表するために選ばれた者たちが、受託者責任を犯し、権限を逸脱した。 戦争当事国による長年にわたる残虐行為の後、交渉により和平が成立した場合と同様、われわれは復讐を求めるのでも、過去の罪に対する正義を要求するのでもない。私たちはただ、正当に 国民のものであるものの返還を懇願し、アメリカが永遠に主権国家であり続けること、自由であり、自主的であり、現在の、計画され、革新された「新世界秩序」のいかなるバージョンやバリエーションにも属さず、依存しないことを、しっかりと、力強く、公に、公式に宣言する。 私たちは無血解決策を懇願する。偽旗イベントを含むすべての破壊活動を停止し、米国企業やその他の不法な法的構造および保管手段を解散させ、私たちの土地と金銀を含む資産を返還し、私たちの労働に徴収された税金をアメリカに戻し、「ディープ・ステート」と「 影の政府」の活動家を引退させ、秩序だった方法で影響力を後退させ、社会が繁栄し続けるようにする。 1776年に13の植民地がイギリスから、1825年にメキシコ国民がスペインから分離独立したことからも明らかなように、国家の束縛から解き放たれることは基本的かつ明白なことである。公認された代表によって歓迎される正式な宣言は、即時的で、完全で、無形であり、義務や条件や押しつけに邪魔されない独立をもたらす。 悲痛な領域に足を踏み入れるとき、私たちは、先人たちが自分たちを縛っていた政治的・家族的な絆を慎重に断ち切ったときに築いた不安定な道を思い起こす。私たちの心もまた、憂鬱と不安で満たされている。しかし、私たちもまた、より良い選択肢がないことに直面しているため、毅然とした姿勢と立場を貫いている。明白な危険にもかかわらず、黙認することの結果はさらに深刻であり、私たちは今一度、独立を厳粛に主張せざるを得ないのである。 そこで、神の摂理の保護に固く依拠するこの宣言を支持し、われわれは互いに、生命、財産、神聖な名誉を誓い合う。 (56名の署名者またはTHE TASK FORCEは、議会、大統領、50州議会、各州知事への贈呈時に付される)
目にしたんで備忘に、こんなん絶対トランプのちゃうやろこのルートは反欧ですまず反ユダヤなる
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lvdbbooks · 9 months
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2023年8月26日
【新入荷・新本】
A Magazine Curated By Sacai, A Magazine Curated By, 2023
Softcover. 200 pages. 230 x 295 mm. Color, black and white.
価格:6,600円(税込)
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『A Magazine Curated By』は、sacaiの創設者兼デザイナー、阿部千登勢を第25号のゲストキュレーターとして迎える。
家族や友人、アーティスティック・コラボレーター、ファッションブランドなど、作者と親しい様々な面々に寄稿を呼びかけ、200ページに渡り文化的かつ創造的なコンテンツを展開する。
ウルトラマリンブルーが彩る先駆的なイメージを表現したカバーと、英語・日本語の両方でコンテンツを紹介する本誌は、 #sacaiTHEpeople を用いて東京からロサンゼルスまで国際色豊かに見せるポートレートシリーズから、シェフ、工業デザイナー、建築家、アーティスト、ライター、ビジネスアナリストによるコミッション・プロジェクトまで、sacaiの背景にあるそのコミュニティとハイ・コンセプトの世界に迫る。ミニマリスト建築やアップサイクル工業デザインといった物質的な問題から、CGI製品やAI(人工知能)によるファッションルポといった無体の可能性まで、阿部はsacaiのコラボレーション精神を、ハイブリッドや「安心と裏切り」というブランドの柱に様々な方法でアプローチする、きわめて現代的なドキュメントへと注ぎ込んでいる。
主な収録内容:sacaiの著名な友人やコミュニティが私物コレクションを身にまとい、一流のフォトグラファーたちによって彼らの本拠地で撮影された国際的なポートフォリオのページでは、ラシダ・ジョーンズ(Rashida Jones)、忽那汐里、エディソン・チャン(Edison Chen)、チン・シューペイ(秦舒培 / Qin Shupei)、ドクター・ウー(Dr Woo)、窪塚洋介、ミシェル・ゴベール(Michel Gaubert)、カール・テンプラー(Karl Templer)、サラ・アンデルマン(Sarah Andelman)、ザ・ルーツのブラック・ソートことタリク・トロッター(Tariq ‘Black Thought’ Trotter)などの著名人が登場。
カール・テンプラーがスタイリングを担当し、ファッションフォトグラファーのクレイグ・マクディーン(Craig McDean)がオーストラリア人モデルのジュリア・ノビス(Julia Nobis)をニューヨークの街中で撮影。2023年秋冬コレクションとカルティエ(Cartier)、阿部千登勢により誕生した限定ジュエリーコレクション CARTIER TRINITY FOR CHITOSE ABE of sacaiをフィーチャーし、写真家エドワード・マイブリッジ(Eadweard Muybridge)にインスパイアされたファッションストーリー。
アート、建築の話題を中心とした東京発のインディペンデントマガジン『TOO MUCH Magazine』とのコラボレーションでは、sacai の旗艦店 sacai Aoyamaの大規模な改装をそれぞれ手がけた日本の著名な建築家、藤本壮介と関祐介への詳細なインタビューを通じて、sacaiと建築とのつながりを探る。
アメリカ人コンセプチュアル・アーティスト、ローレンス・ウェイナー(Lawrence Weiner)へのオマージュとしてキュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリスト(Hans Ulrich Obrist)との新たなインタビューと、ウェイナーとの歴史的な対談を収録。ウェイナーとは、 sacai の2018年春夏メンズ・コレクションでコラボレーションを果たしている。
「食」のストーリーの三部作『saCOOKBOOK』では��京都の老舗和菓子屋である とらや、ミシュラン二つ星シェフ成澤由浩、ニューヨーク・ブロンクスを拠点にする3人組のフードコレクティブ・ゲットー・ガストロ(Ghetto Gastro)が本号のために制作した、コンセプトと料理で構成されている。
巻頭では、阿部千登勢とsacaiのクリエイティブ・アドバイザーを務める源馬大輔に、東京を拠点にするカウンセラー、ジョセフィン・クレイトン(Josephine Creighton)が前代未聞のインタビューを実施。2人のクリエイティブ・コラボレーションを心理学の観点からアプローチする。
ハーバード・ビジネス・スクールの大学院生ショーン・ホーヴァス(Shawn Horvath)とステファニー・フェイ(Stephanie Fei)が実施した、ナイキとのアパレル&フットウェアのコラボレーションの進化に関する詳細なビジネスケーススタディと市場分析も掲載。
ダンスとファッションの世界を融合させ、数々の受賞歴を持つビートダンサーのソラキ(The D Soraki)が、カーハート(Carhartt WIP)やモンクレール(Moncler)とのコラボレーションを含むsacaiのボリューム感のあるデザインを身にまとい、東京・新宿のストリートで踊る姿をフォトグラファー、ROLLSWYZEが撮影している。
また、本書には、イギリス人ファッションフォトグラファー、クレイグ・マクディーンによるプリントが1枚差し込まれている。
コントリビューター: 鈴木親、クレイグ・マクディーン、源馬大輔、ダニエル・アーノルド、ドクター・ウー、エディソン・チャン、ゲルチョップ、ゲットー・ガストロ、ハンク・ウィリス・トーマス、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト、ジャック・ピアソン、ジャン・トゥイトゥ、ホアキン・ラギンジ、カール・テンパー、内藤カツ、キース・オシロ、川谷光平、ローレンス・ウェイナー、マーヴィン・ルーヴェイ、ミシェル・ゴベール、ヌーア・ウヌ・スタジオ、パブロ・ズレト・ザール、ピクゾー、ラシダ・ジョーンズ、ROLLSWYZE 、ローリー・ファン・ミリンゲン、サラ・アンデルマン、忽那汐里、秦舒培、藤本壮介、ホンマタカシ、ブラック・ソートことタリク・トロッター、ソラキ、とらや、ヴィンス・アウン、辻村慶人、成澤由浩、窪塚洋介、関祐介 他
sacai: ハイブリッドの発想を組み込み、ニットと繊細な織素材など、対照的なテクスチャーのファブリックを組み合わせ、パターンを再解釈し、予想外のフォルムとシルエットに洋服を変化させる。コレクションがフェミニンな様相を呈する一方、阿部の関心は、独特でありながら普遍的、そして革新的で実験的な服作りに傾倒し続けている。自身をとりまく日々の生活や、周囲の人々を観察することからインスピレーションを受け作られるコレクションは、ベーシックでクラシカルなアイテムを崩し変化させながら、独特のエレガンスを放つ。ある特定の機会だけでなく、様々なシーンにおいて成立するアイテムに仕上がっている。
2009年春夏よりsacaiのメンズコレクションをスタート。ウィメンズコレクションと同様の哲学とアプローチに基づいて、綿密さとさりげないエレガンスを併せ持つ、定番アイテムを展開する。
2009年10月より、パリファッションウィークでウィメンズコレクションのショーをスタート。現在はウィメンズ、メンズともに各シーズンの最新コレクションをパリで発表している。
2011年9月に東京・南青山に初の旗艦店をオープン。阿部は、自然と人工物、外と内、新しいものと古いものなど、相反する要素を統合した作品で知られる建築家、藤本壮介に強く共感し、タッグを組んだ。2022年に改装され、2023年4月、日本人建築デザイナーの関祐介による新たなコンセプトでリニューアルオープン。
sacaiは、東京以外でも、香港、北京、ソウルに店舗を展開し、世界各地のセレクトショップや百貨店などで取り扱われている。
(twelvebooksによる本書紹介文)
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kennak · 7 months
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英国オックスフォード大学の学生にとって、中世は死と隣り合わせの時代だった。中世英国のほかの街と比べて、殺人を犯したり、惨殺されたりする確率が約3倍も高かったのだ。  9月28日に「中世殺人地図」プロジェクトにより発表されたこの驚くべき統計は、当時の法的記録に基づいている。殺人が多かったのは、若い独身の男子学生が多かったことと、凶器、アルコール、セックスワーカーが身近だったせいだと研究者は考えている。  プロジェクトの主任調査員である英ケンブリッジ大学の犯罪学者マニュエル・アイズナー氏は、中世の「検視調書」に記録された英国の殺人事件を調査している。最近まで、このプロジェクトは英国の首都ロンドンに焦点を当てていた。しかしこのたび、当時英国の主要都市だったオックスフォードとヨークを追加し、そこで起きた殺人のパターンも明らかにした。  アイズナー氏によれば、オックスフォード大学だけでなく、当時、ヨーロッパ本土の多くの大学で同じ問題が起きていたという。 「フランスのパリ、イタリアのボローニャなど、ヨーロッパ全土で学生の暴力に関する苦情が出ていました」とアイズナー氏は話す。「あちこちで特に学生が問題視されていました」(参考記事:「切り裂きジャックに殺された女性たち、どんな人々だったのか」) 聖職者だった学生の殺人  当時、現代的な警察は存在しなかったため、殺人事件が起きるたび、地元住民から成る陪審員とともに検視官が調べ、責任ある者を突き止めようと試みた。中世の検視調書は英国最古の法的記録の一つであり、現在、研究者にとって重要な資料になっているとアイズナー氏は話す。  検視調書によれば、オックスフォードの殺人犯の75%、殺人被害者の72%が大学の学生や教師を意味する「クレリクス(学僧)」だった。  たとえば、こんな記録が残されている。 ウィリアムがアダムを捕まえて押さえ付けると、ウォルターが拳でアダムの頭を殴って地面に倒した。アダムが立ち上がると、トーマス・デ・ケティングが長いナイフでアダムの口元、さらには喉を刺し、すぐに同じナイフでもう一度刺した……アダムは翌日の夜中に息を引き取った。 学生アダム・デ・セイラム殺害事件、1303年3月25日 聖ニコラスの日を終えた日曜日、ちょうど門限のころ、デイビッドはウスターのクリスティアーナという「売春婦」を連れてスコレストレテ(学校通り)に行き、ある学校に入った。名前はわからないが、数人の聖職者(学生)がデイビッドを待ち伏せていた。彼らはデイビッドに暴行を加え、その暴行でデイビッドは負傷し、土曜日に死亡した。 大学に「売春婦」を連れてきた学生が殺害される、1296年12月22日  初期の大学は教会から資金援助を受けており、たとえ信仰がなくても、すべての学生が「下級聖職者」だったと、プロジェクトには参加していない考古学者のジュリアン・マンビー氏は説明する。そのため、殺人を犯した学生も「聖職者の特権」を主張し、コモン・ロー(普通法)の下で処刑を免れることができたとアイズナー氏は述べている。
中世の英オックスフォードは「殺人街」だった、犯人は主に大学生 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
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notokra · 6 months
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MR.High Fashion vol.110 Pina Bausch ミスター・ハイファッション 2002年10月号 ピナ・バウシュ
目次 MR’S SPECIAL ミラノ発信のメンズモードと、ミラノのデザイナーのフェースアルバム。 トム・フォードが提案する、モダンフォーマルの再来。 by GUCCI Rosemary=写真 ラフでダンディな、ニューカントリースタイル。 by DOLCE & GABBANA 平間至=写真 ジル・サンダー。ウォーターカラーのエレガンス。 by JIL SANDER 戎康友=写真 エンポリオ アルマーニ。クラシカルなワークテースト。 by EMPORIO ARMANI 宮原夢画=写真 長瀬智也。ロメオ・ジリ。クールレジスタンス。 by ROMEO GIGLI 筒井義昭=写真 山下智久、生田斗真。ジリ。コントラスト&レイアード。 by GIGLI 筒井義昭=写真 バーバリー プローサム。ニュークラシシズムのシルエット。by BURBERRY PRORSUM 桐島ローランド=写真 ラフでラグジュリー、ヴェルサーチのニュールック。 by VERSACE 三枝崎貴士=写真 クールでラグジュリーな存在感。 by NEIL BARRETT 石坂直樹=写真 アレッサンドロ デラクア。アクティブでセンシュアル。by ALESSANDRO DELL’ACQUA 守本勝英=写真 エンニョ カパサが提案する、ダウンタウンシック。by ENNIO CAPASA FOR COSTUME NATIONAL HOMME 笹口悦民=写真 ディーゼルスタイルラブ。アーバンなクールカジュアル。 by DIESELSTYLELAB 川口賢典=写真 キーン・エトロと、エトロが生み出される場所。 矢島みゆき=取材・文 アーネスト・レヴィ=写真 MIUCCIA PRADA ミウッチャ・プラダのクリエーション。 二つのベクトルの均衡。/プラダ社の歴史と運営。 矢島みゆき=取材・文 西島秀俊。プラダ。半沢 健=写真/プラダ スポーツ。ニッキー・ケラー=写真/ミュウ ミュウ。半沢 健=写真 イタリア発信の革のツール。靴と鞄。 ミラノのデザイナーのフェースアルバム。 堀本洋一、畑口和功、牧田良輔、アーネスト・レヴィ=写真 ドメニコ・ドルチェ、ステファノ・ガッバーナ/ジョルジオ・アルマーニ/ドナテッラ・ヴェルサーチ、エンニョ・カパサ、ニール・バレット、ガブリエレ・ストレーレ、ミラン・ヴクミローヴィック、アントニオ・マラス、コンスエロ・カスティリオーニ、ロメオ・ジリ、ルカ・ミッソーニ、スコット・フェローズ、アレッサンドロ・デラクア、クリストファー・ベイリー、トーマス・マイヤー
FASHION PINA BAUSCH + YOHJI YAMAMOTO : Fusion Between the Two 同質のアビリティ。ピナ・バウシュが着るヨウジヤマモトのポートレート。松本康男=写真 イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ、ボヘミアンエレガンス。 半沢健=写真 ラージサイズでテンダーな6人のスタイル。 田中知之/長瀬哲朗/パラダイス山元/梶原由景/ジョン・ストーリー/三宅勝士 宮原夢画=写真 ポール・スミス氏と愛車ブリストルから始まる、クラシック&ストレンジワールド。 by PAUL SMITH COLLECTION アンソニー・クローラ、三枝崎貴士=写真 ヴィヴィアン・ウエストウッド マン、ワーキングクラスからの発想。 by VIVIENNE WESTWOOD MAN 守本勝英=写真 マーガレット・ハウエル。 クラシシズム&モダニティ。 by MARGARET HOWELL 筒井義昭=写真 クールで優しい、ステファン・シュナイダーというスタイル。 by STEPHAN SCHNEIDER 富岡春子=写真 進化するブリティッシュブランド、ダックス E1。 by DAKS E1 筒井義昭=写真 時を超越するSOのスタイル。 by SO BY ALEXANDER VAN SLOBBE 平郡政宏=写真 バーバリー・ブラックレーベル、ロックスターのように。 by BURBERRY BLACK LABEL 秦 淳司=写真 サンディー・ダラルがディレクションする、ICB menのアーバンエスニック。 by ICB men Rosemary=写真 ブライトンの自然と共生する、ポール・ハーンデンのクリエーションと暮し。 富岡秀次=写真 正岡雅子=取材・文 真木蔵人。ドレスダウンクロージング。 by RADMESS MEN’S BIGI 富永よしえ=写真 伊藤英明×オークリー。シャツとデニムパンツの、イージー&クールなスタイル。 by OAKLEY 三枝崎貴士=写真 A.A.R。ハードボイルドでクール。 by A.A.R 平郡政宏=写真 クールなインパクト。カスタム カルチャーのレザー。 by CUSTOM CULTURE 赤羽圭介=写真 東京発信のウォームスタイル。 川口賢典=写真 コンテンポラリーダンディズム。 富永よしえ=写真 DEPARTMENTS コム デ ギャルソンのラージサイズなコロン。 ニューショップ。ブリオーニ/コーチ/ラグビー ノース アメリカ/ フィラスポート・ライフストア/アディダス SOのオランダ通信。 Vol.13 パリのカルティエ現代美術館で再会した、村上隆と滝沢直己。 ミタ リツコ、森本美絵=写真 ビジュアルのコラム集。 ゴールドジュエリーの生産地、イタリア・ヴィチェンツァで開催された国際展示会。 11 トピックス。 PEOPLE 宇川直宏。34年分の記憶を押し込んだ、脳のような空間。 久家靖秀=写真 東谷隆司=取材・文 小林紀晴。幼いころから変わらぬ、アジアへの関心。 かばんの中身。一之瀬弘法。 男のカーライフ。ROLLY。 スーパースタイリストのリアルライフ。 祐真朋樹=写真・文 クレール・ドゥニが描いた、二人の怪物の物語。樋口泰人=文 伊東四朗。男の覚え書き。 沖山純久=文 松本康男=写真 小村和久(5351プール・オム)/リード・クラッコフ(コーチ)/リック・オウエンス ESSAY 犬の肖像。中川十内=写真 沖山純久=文 ハラショー・ボーイ。島田雅彦=文 記憶の中のカンヌ映画祭。秦早穂子=文 COLUMN COMING NOW カフェ・イン・水戸/BOOK 稲川方人=文/BOOK 佐伯誠=文/MUSIC 北中正和=文/CINEMA 樋口泰人=文/ART 椹木野衣=文/THEATER 渡辺美和子=文/NEWS 鳥越俊太郎=文 ETCETERAS INFORMATION/NEXT ISSUE/BACK ISSUES/PRESENTS/NEWS
編集長:田口淑子
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israeeel · 7 months
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ローマカトリックと正教会は、
様々な偶像を許すことにより
教勢の急速な拡張を図った。
異邦宗教を信じる人々に
「キリスト教と異邦宗教が同じだ 」
という認識を与えて、何の抵抗感もなく
キリスト教に入れるように
道を開いたのである。
これでローマカトリックと正教会において、
龍と蛇のいろいろな種類の彫刻品、絵画、工芸品などがよく発見されることとなった。
深刻なのは、今日ではこのようなことを
問題にすることもないということだ。
ローマカトリックは、
キリスト教を伝える目的で土着化を許容し、
そのための名文としてキリストの広い愛を打ち出した。
しかし、その過程を通してキリスト教は
霊的に暗くなる結果を生んだ。
これにより、土着化の弊害が
どれだけ危険なのかを悟ることができる。
【 宗教の起源/トーマス・ファン 】
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nyantria · 9 months
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思考停止、、
なぜCOVIDの妄想は続くのか
ジェフ・トーマス
大多数の人々は「正しいこと」をし、必要な初期予防接種を受けたと述べているが、ブースターは受けないと決めている人が大多数である。その理由は?ほとんどの人は、「疑い始めていた......でも、初回注射を受けてよかった」と言う以外、その理由ははっきりしない。
(中略)
ジャブを打つために家畜のように診療所に押し寄せた人々は、3つの重要な教訓を学んだことだろう。
大手製薬会社を信用するな
大手製薬会社に関するメディアを信じるな
大手製薬に関しては当局を信じるな
しかし、これらの教訓は、ごく少数の例外を除いて、まだ生かされていないようだ。
いまだに風邪の症状が出るたびに検査を受ける人がいる。その理由を聞かれても、明確な答えはないようだ。
また、ワクチンを推進する人々を信用するかと聞かれると、彼らの目は曇りがちである。ここでもまた、彼らは明確な答えを持っていない。
予防接種を受けた人のほとんどは、この1年で考え方を進歩させたようには見えない。彼らの学習曲線は、メディアがCOVIDについて語らなくなった瞬間に止まってしまったように見える。
しかし、なぜそうなるのだろうか?確かに、ビッグファーマとその支援グループによる欺瞞の証拠は、この時点で自明である。COVID後に行われた研究の結果を読むだけで、その証拠は圧倒的だという結論に達することができる: 大手製薬会社に何百億ドルもの利益をもたらした詐欺である。
残念ながら、この疑問に対する答えは、大多数の人々がワクチンのインチキを信じたという事実よりも難しいかもしれない。なぜ自分たちがされたことへの理解を進める人がほとんどいないのかという答えは、医学的な認識よりも人間の本質に関係している。
私たちが学校に通っていた頃、ほとんど丸暗記で教えられていたのは残念ながら事実だ。なぜ世界は戦争が必要だと信じているのかを学ぶことは求められず、将軍の名前と戦争が起こった日付を暗記するように言われただけだった。
偉大な作家の作品を読むように言われても、彼らの洞察力を理解することは期待されず、ただ彼らの有名な言葉を暗記することが求められた。
そして試験に合格すれば、暗記したことを忘れてもまったく問題なかった。
要するに、"普通の "教育の第一原則は、重要なのは、直近に教えられたことをオウム返しできることだったのだ。
それなら、大人になってからも同じことをしても不思議ではない。もちろん、大人は学生時代よりも勉強しなくなる傾向がある。その代わりに、夕方のニュースを頼りにしている。最新の緊急速報を聞き、注意を払う。そして、"専門家 "から受けた指示に従い、翌日の夕方までさらなる洗脳と指示を受ける。
その過程で、私たちは "権威のない "情報も耳にし、そのような情報を "陰謀論 "として分類するよう注意する。そのような情報が側頭葉に入るのはわずかな時間である。ほとんどの場合、人間の脳はそのような情報を削除するように訓練されている。さらに悪いことに、そうした情報はその指示に疑問を抱かせる。側頭葉は、そのような情報をあたかも受け取らなかったかのように削除することに長けている。
そしてここに、人間の脳の基本的な機能がある。それは、大多数の人々、いや、人生のある時点で自立した思考者になれなかったすべての人々に影響を及ぼすものである:
コントロールされた入力に反応し、周辺の入力を無視する
COVID詐欺に早くから疑問を抱いていた人々にとっては、それが実行されている間にも多くのことが学ばれた。しかし、疑問が残るのは、なぜCOVID詐欺を信じた他の人々は、時間をかけて発表された多くの研究から学ばなかったのだろうかということだ。
結局のところ、COVIDに関するコントロールされたインプットは1年以上前にプッシュされなくなった。つまり、単に情報を暗記するだけで、それに大きな疑問を抱かない人たちは、今や何も持っていないということだ。彼らはニュートラルな状態から抜け出せない。コントロールされた入力を否定するような周辺的な入力を時折受け取るが、それを周辺的な入力と解釈し、訓練された膝の反応として、その都度無視する。そのように考えるようにプログラムされていないため、その全体性を考えることはない。
(中略)
もし私たちや私たちの知り合いの大多数が、再びコントロールされた入力に反応し、周辺の入力を無視するなら、私たちは単にCOVID詐欺の現実を見落としただけではないだろう。
私たちは再び騙される素地ができているのだ。
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kurano · 9 months
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 プロパブリカは、総額は「数百万ドル(数億円)に上る」と推定。ヨットによる旅行や高額チケットなどの便宜供与の一部は、資産報告書の情報公開の規定に違反する可能性があると指摘している。プロパブリカは、関係者やトーマス氏の旅行の目撃者など100人以上へのインタビューと共に航空機の運航記録や電子メールなどを分析して報じた。
 トーマス氏は、これまでにも共和党の大口献金者である不動産王ハーラン・クロウ氏から豪華旅行の接待を受けた疑惑が指摘されている。最高裁判事は事実上の終身制で米国の価値観に大きな影響を与える司法判断を下すため、米議会でもトーマス氏の接待疑惑が問題となっている。【ワシントン鈴木一生】
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kazami-pro · 1 year
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🎬今日は〝映画の日〟らしいです。
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「映画」は、トーマス・エジソンが発明した「キネトスコープ」が1893年のシカゴ万博博覧会に出展された年にニュージャージー州に世界初の映画スタジオがオープンしたことから始まるのですが、翌年の1894年4月14日にニューヨークのブロードウェイ1155番地に世界初の「映画館」がオープンしたということで映画が世界で初めて上映された日に制定されています。
その後、東海岸から次々と映画会社がスタジオを建設したので、エジソンは1907年に映画の著作権を主張しています。
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映画会社はエジソンへの映画使用料支払いを逃れる為、1922年に西海岸からハリウッドに拠点を移して大規模な興行をスタートします。
そして現在のHOLLY WOODに至ります。
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ハリウッドで有名な〝Chinese Theatre〟は、中国のデザインを好んだ「Sid Grauman」が創始者です。
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シド・グローマンは、1927年に中国式映画館をハリウッドに造った創始者として有名です。
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特に、ハリウッドスターの〝手形〟を広告に利用したアイデアは有名です。
このスターの手型を記念に残すアイデアを考案したきっかけについて、自称映画評論家の有村昆氏がテレビで適当な酷い蘊蓄を語っていましたが、真実は女優のNorma Talmadgeの足跡がきっかけです。
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有村昆氏はテレビで適当な評論をする本当に質の悪い酷いコメンテーターです。
チャイニーズ・シアターの創始者シド・グローマンは、自慢のシアターを正式にお披露目する完成披露前に女優のノーマ・タルマッジを招きました。
この時、生渇きのコンクリートに彼女が誤って足跡を付けてしまいます。
このアクシデントを宣伝に利用しようと考えたシド・グローマンは、ハリウッドスターの手型を記念に残すアイデアを考案して「プレミアム試写会」を開催するきっかけになります。
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そして「レッドカーペット」や「ジャンケット」の演出が始まったのです。
「VIP」や「ゴールデンウィーク」のフレーズも映画業界から始まり現在に引き継がれています。
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「ジャンケット」はカジノで残っていますが、映画業界では無くなりました。
但し、現在のカジノで云う「ジャンケット」と云うのは言葉と雰囲気だけで中身は単なる「コンプ」に過ぎません。
言葉は残っていますが本来の「ジャンケット」とはまるで違います。
『シド・グローマン』は、東海岸から西海岸に移った最初の興行師であり、現在のHOLLY WOODを創った人物であることは間違いありません。
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🎬『Strictly Ballroom』
そして、今年の映画の日におすすめしたいのは、オーストラリアのダンシング・ヒーローという青春コメディー作品です。
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この作品は、バズ・ラーマン監督によって1992年にStrictly Ballroomのタイトルで公開されました。
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見所は、クライマックで踊っている「Paso doble」のシーンです。
〝パソドブレ〟というダンスは、スペインのアンダルシア発祥の闘牛とフラメンコをイメージした社交ダンスの1競技種目です。
社交ダンスのイメージが変わると思います。
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是非、鑑賞してみてください。
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ari0921 · 11 months
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我が国の未来を見通す(73)
『強靭な国家』を造る(10)
歴史から学ぶ「知恵」の適用(その5)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
ウクライナが反攻作戦を展開中の6月24日、ロシ
アで「プリコジンの反乱」が発生しました。民間軍
事会社「ワグネル」司令官のプリンコジンは、かね
てから国防省批判などを繰り返していましたので、
ロシアが“一枚板”でないことはわかっていました。
思い余った結果の決断だったものと推測しますが、
一時はモスクワに向かって進軍したものの、ベラル
ーシのルカシェンコ大統領の説得を受けて、プリコ
ジン氏は進軍を停止させ、ベラルーシに出国して反
乱はひとまず一件落着となりました。まだまだ先行
き不透明ですが、本事件は、今後、様々な形に発展
する可能性もあることでしょう。
そこで、まず不思議に思うことは、ロシアには「な
ぜこのような民間軍事会社が存在しているか?」で
す。現在、“雇い兵組織”はロシアの法律では認め
られていないようですが、このような民間軍事会社
は37あり、ウクライナ戦争には25の軍事会社が
参加しているといわれます。大統領に近いオリガル
ヒ(新興財閥)やショイグ国防相までも民間軍事会
社を立ち上げているようです。国防相が“私兵”を
持っているのですから驚きです。
日本では信じられないですが、これらの民間軍事会
社は何らかの形で国防省や治安機関FSBなど府側
と関わりを持っており、ワグネルに対しては、1年
間で860億ルーブル(約1400億年)もの資金
提供があったことをプーチン大統領が認めたように、
戦車や大砲まで所有しています。
このような民間軍事会社が活動している背景は3つ
あると言われています。まずは、兵員の補充の問題
です。不足する兵員を補充するために「国家総動員
令」を出すと国民の動揺や反発を恐れる政府側が、
その代わりに民間軍事会社を戦地に送り込むのです。
彼らはロシアの平均給与の数倍で雇われていますが、
“使い捨て”です。仮に多数の死傷者が発生したと
しても政府の責任は問われないのです。
第2には、クレムリン内の権力・利権争いです。今
回は、プリコジンがジョイグ国防相やゲラシモフ参
謀総長などの主流派を対立し、権力争いに野心を示
したことが、プーチン大統領の「裏切者」発言につ
ながっています。今回、ワグネル排除に動き出した
のも、プーチンの盟友が率いる国営企業ガスプロム
の“官製”民間軍事会社だと言われています。
そして第3には、プーチン体制が崩壊する時に備え
て、力ある政治家やオリガルヒたちが私兵部隊を整
え、自らの身の安全を確保するとともに、権力や利
権を奪取しようと目論んでいるというものです。
このような背景をよく知らず、日本の“常識”だけ
で、今回の反乱を分析すると様々なことを見落とす
でしょう。ワグネルがモスクワに向かって前進して
いる時、多くの市民が彼らを歓迎していた映像が映
し出されていました。もちろん、プーチン大統領や
政府首脳もそれらの映像を観たことでしょう。
そこから先は、ルカシェンコ大統領の出番でしたが、
まず“沈静化”を最優先したのでしょう。説得が成
功するや、プリコジンとワグネル兵士を“別扱いす
る”深夜の政治声明も発せられました。
今回の「プリコジンの反乱」がウクライナ戦争にい
かなる影響を及ぼすか、について現時点における安
易な予測は禁物ですが、歴史をたどれば、日露戦争
時、明石大佐などが暗躍し、やがてロシア革命に至
るロシア帝国内の動揺(1905年)、第1次世界
大戦時の「ロシア革命」(1917年)、それに冷
戦崩壊後のエリツイン元大統領らによる「モスクワ
騒乱事件」(1993年)など、戦時下などで時の
政府の混乱に乗じて体制が大きく変わるという歴史
を有しているのがロシアであることは間違いないで
しょう。
「歴史は繰り返す」のか、そのような事態を熟知し、
最も警戒しているプーチン大統領は、反乱が拡大す
ることを恐れ、眉間にしわを寄せたまま、2度の政
治声明を国民に向けて発出したのでした。
ここから先は推測ですが、無事にベラルーシに入国
したプリコジンを、KGB残党のプーチン大統領が
そのまま見逃すはずがないとみるべきでしょう。プ
リコジンが生き延びるためには、再びプーチン大統
領に忠誠を誓い、それを証明しなければならないと
考えますが、そのチャンスがあるかどうか不明です。
一枚板ではないロシアの中に、いつか再び「プリコ
ジンに続け!」との“流れ”が拡大する事態もない
わけではないでしょう。そうなれば、ロシア国内の
“内部崩壊”事態が急展開して、ウクライナ戦争の
行く末に決定的な影響を及ぼす可能性は残っている
と考えます。
後々、ウクライナ戦争を振り返る時に、このたびの
反乱がどのような地位と役割を果たしたことになる
か、についても現時点は不明でしょう。私自身は、
何としても政権にしがみつき、本戦争の目的を達成
したいとするプーチン大統領が“さらなる強硬手段
に訴える”可能性がまた一段上がったことを最も懸
念しています。
▼「健全な国民精神の涵養」の必要性
本題に戻しましょう。歴史から学ぶ4つの「知恵」
の4番目は、「健全な国民精神の涵養」です。書籍
でも紹介していますが、イギリスの歴史家トーマス
・カーライルの名言として「この国民にしてこの政
府あり」とあるように、いかなる国であっても、政
府は、国民精神の “縮図”と考える必要があります。
書籍の中で私自身は、健全な国民精神とは、愛国心、
誇り、道徳、文化、歴史などを含む日本の「心」と
表現していますが、一般的な意味での国民精神は、
「民意」と表現される場合が多く、国民の自覚とか
教養とか主義思想とか、あるいは国民のレベルなど
を総称しているものと考えます。
諸外国には、この「民意」などが入る余地がない国
もありますが、特に、国民が「主権者」である民主
主義国家は、制度の違いこそあれ、国民が自分たち
の代表として政治家や政府を選び、国民の負託を受
けた政治家が法律を作り、政府が政治(行政)を行
なうというシステムですから、少なくとも大多数の
国民の精神は即、政治に反映されます。
ただそのような見方だけでは不十分との考え方もあ
るでしょう。もう少し広い意味で、あるいは長い歴
史の中で、国民精神が基軸となって、国家の伝統や
国柄など「国の統治制度」にまで反映されてきてい
ると考える必要があります。
天安門事件をきっかけに中国と縁を切って日本に帰
化した石平氏は次のように述懐しています。「世界
の現実が『国家の興亡』、つまり栄えては滅びると
いう繰り返えしを行う中で、1系の王朝が3千年近
くも続いている国は、最も国家運営に成功してきた
国に他ならない。世界史の中で最も成功した国が日
本である」(『新しい日本人論』〔加瀬英明、ケン
ト・ギルバート、石平共著〕より)。
その上で、「『民主主義は、戦後にマッカーサーが
日本にもたらした』と大それた虚言を弄する者がい
る。とんでもない。日本の民主主義は、高天原の神
々が『天降って』もたらしたものである」(原文の
まま)として、その源流は、日本の神話は「八百万
(やおよろず)」神が共生する世界であり、ものご
とを進めるにあたり、数えきれない神々が「神議り
(かむばかり)」といって、議論をして意思決定を
することにあると解説します。
余談ですが、この「神議り」は、現在は、毎年10
月、出雲地方に全国の神々が集まって人生諸般のこ
とが議論されるという神話になっています(それゆ
えに、旧暦月で10月は「神無月」ですが、出雲地
方では「神在月」と呼称されています)。
そして、このような我が国の建国以来の伝統が、
「神武創業」に立ち返ることを目指した明治維新の
『五か条のご誓文』中で「万機公論に決すべし」と
して復活したのでした。わずか150年ほど前の出
来事ですが、多くの日本人の頭に中に残っていない
ことでしょう。このような「事実」について、帰化
人である石平氏に指摘されることは、改めて恥じ入
るばかりなのです。
石氏は、その根本精神は「平等感」にあるとして、
「栄華を極め、世界の富を集めたような王朝もその
不平等のゆえに滅びの道に至った。搾取される側が、
搾取した者を打倒しようとするからである」と補足
し、「日本の天皇は、蓄財や贅沢をしたことがなく、
常に民衆のことを思って、出来る限りの質素を望ま
れた。だから天皇を打倒しようとする機運はついぞ
国の中からは起こらなかった」と続きます。
このくらいにしておきますが、私たち日本人は、長
い間、このような我が国の伝統や国柄を国民の総和、
つまり「民意」として(少なくとも戦前までは)受
け入れてきたのでした。
さて、現在はどうでしょう。シリーズ「我が国の歴
史を振り返る」の最後の方で紹介したのですが、あ
る時、インターネットで日本人の“現状”を揶揄っ
ている次のような言葉を見つけ、私自身は「あなが
ち間違っていないだけに笑えない」と感じつつ、
「“戦後の日本人はなぜこうなってしまったのだろ
うか”としばらく考え込んでしまった」と補足した
フレーズがあります。
「(1)政局と選挙しか考えない政治家、(2)保身と省
益しか考えない官僚、(3)儲けることしか考えない経
済人、(4)視聴率と特ダネしか考えないマスコミ、
(5)目立つことしか考えない言論人、(6)権利のみ主
張し、義務を果たさない国民、(7)3メートル以内し
か関心がない若者」です。
石氏の主張するような精神が、多くの日本人の根底
に残っていると信じてはいますが、日本人の普段の
「行動原理」として、ここで揶揄されているような
特性を無視することはできないとも考えます。
最近、出生率0.81の韓国について、その原因は
「子供の数が少なければ少ないほど、高い消費水準
と外見的にモダンな生活水準により早く達成できた」
「短期間で先進国のモデルに追いつこうとすれば代
償は避けられない。強いられる近代化の加速が文化
的なひずみを生み、そのひずみの一つが出生率の低
下だ」(『ドット人類史入門』〔エマニエル・ドッ
ト、片山杜秀、佐藤勝共著〕より)とする分析を目
にしました。
しかし、このような“現実”はけっして韓国だけで
はなく、我が国もさほど差がないのでは、考えてい
たところ、本書の中で、ドットは「日本は、『直系
家族社会』がまだ残っているから韓国とは違う」と
の解説していました(細部は省略します)。
ただ、“3メートル以内しか関心がない”と揶揄さ
れるような若者たちの多くは、現在の生活水準や自
分たちの将来などには関心があっても、地域や社会
や国家に対して自分たちが何をできるか、何をしな
ければならないか、などについては、親からも学校
でも教わる機会がなかったこともあって、頭の片隅
にもないことでしょう。
私は、それが我が国の少子化の原因のひとつと考え
ていますが、その延長で、「明日食べる物がなくな
る」とか「エネルギーが枯渇する」との危機意識な
どについて、微塵にも感じたことがないのかも知れ
ません。
“権利のみ主張し、義務を果たさない”国民も巷に
溢れるようになりました。その結果、「愛国心」と
か「自国民であることの誇り」とか「国を守る気概」
などのような、どこの国民でも必ず保有している当
たり前の精神をどこか遠くに置いてきたような状態
になっているのではないでしょうか。
これらから、本シリーズでも再三指摘してきました
が、我が国の未来に立ち込める「暗雲」に対して果
敢に取り組むため、上記のような現代日本人の精神
的特性が“阻害事項”になっていないだろうか、と
どうしても考えてしまいます。
そして、本来、少子高齢化、食料問題やエネルギー
問題などについて、いち早くその本質を解明し、我
が国の置かれた状況を真剣に国民に訴え、国民の自
覚や協力を促すために、国民の先頭に立って「旗振
り役」を演ずべき政府や政治家の行動が、やはり
“政局と選挙が優先する”のか、その熱意や真剣さ
が国民に伝わっていないような気がします。
そればかりか、脱炭素とかSDGsなど、「国連が
先導している」として、その必要性や可能性などに
ついてロクに分析しないまま“垂れ流し”にしたり、
最近の事例では、少子化対策に逆行するような法律
についても政局の混乱の回避のみを優先したまま、
後先を考えずに制定したりしているように見えます。
前回、「部分最適」の話題を取り上げましたが、総
合判断ができないから、それらに対処するための
“共通の要素”があることなどに気がつかない、そ
して優先順位を間違えるから、国を挙げてやるべき
ことから“ずれて”しまう、よって国民は、これら
の問題対処を「自分のこと」として、言葉を代えれ
ば、「国民の義務」として腑に落とすレベルまで真
剣に理解していないような気がします。
少子化対策や農業問題などの解決は、“若者の3メ
ートル以内に、いかにパンチを聞かせ、納得させ、
その気にさせるか”にかかっていると考えますが、
現実はほど遠いような気がします。そこにこそ、我
が国の将来がかかっていると思うだけにとても残念
です。
▼国民が“覚醒”する時来たり
実は、石氏はもっと広く日本のあり方を観ています。
つまり、「日本のあり方が『今後、世界が存続して
ゆけるか』という厳粛なテーマの『解』を示してい
る」として、「世界で最も成功した国・日本がその
『秘密』を内包している」と強調します。
つまり、我が国が「平等感」を基軸にして「万機公
論に決すべし」として3千年近くの長きにわたり国
家運営を成功させてきた、その秘訣こそが、“これ
からの世界の存続に必要不可欠”と説いているので
す。私たち日本の未来に立ちはだかるであろう「暗
雲」を見事に乗り超えることは、日本だけの問題で
なく、世界の存族にまで影響を及ぼすと言えるのか
も知れません。責任は重大なのです。
日本は少子高齢化においては世界の最先頭を走って
いますし、食料やエネルギーの自給率では先進国で
ほぼワーストに位置しています。よって、これらの
危機を乗り越えることは、まさに世界のロールモデ
ルとなることでしょう。事実、『ライフ・シフト』
(リンダ・グラットン他共著)の冒頭でも「世界で
いち早く長寿化が進んでいる日本は、他の国々のお
手本になれる。(中略)世界の先頭に立ってほしい」
と期待が��べられています。
我が国がこれらを見事に乗り超えるためには、何と
しても、大多数の国民の“覚醒”が必要不可欠と考
えますが、“いかに覚醒するか”が難題中の難題で
あり、「任重く道遠し」との感をぬぐい切れません。
数年前からそのような問題意識を持っていた私は、
悩んだ果てに、今の日本人の精神を形成した「出発
点」に戻り、そこから出直すのが最も近道で、かつ
唯一の道ではないか、と考えるようになり、“我が
国の歴史を取り戻す”ことを狙いに、「我が国の歴
史を振り返る」と銘打ってメルマガを発信したこと
をよく覚えています。
戦後70年余りが過ぎましたが、私たちは自らの精
神などについて一度も顧みることなく、手つかずの
まま放置してきました。そのツケが一挙に噴き出し
たのが“今日”であり、我が国の“近未来”であろ
うと思います。
戦後世代の私たちは、長い日本の歴史の中で最も恵
まれた世代であると考えます。多少の天変地異はあ
りましたが、飢餓とか戦争などとは無縁でした。と
は言え、「後世のために、後に続く子孫のために、
必要なことを行ない、必要なことを残しているか」
と問えば、答えは「ノー」でしょう。このままでは
後世に顔向けできないでしょう。国家を挙げて、世
代を挙げて、様々な問題を「自分のこと」として真
剣にかつ全力をもって取り組む時が来た、と私は考
えます。
残された時間があまりないような気がしますが、早
期実現を目指すためにも、次回以降、歴史から学ぶ
4つの「知恵」から離れ、「『強靭な国家』を造る」
その必要性と手段について読者の皆様と一緒になっ
て考えつつ、本シリーズを総括したいと思います。
いよいよ終盤です。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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gupaooooon · 9 months
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・Nagasaki Peace
「An atomic bomb exploded over Nagasaki on August 9, 1945, three days after the explosion of the first atomic bomb over Hiroshima. The bomb was assembled at Tinian Island on August 6. On August 8, Field Order No.17 issued from the 20th Air Force Headquarters on Guam called for its use the following day on either Kokura, the primary target, or Nagasaki, the secondary target. That same day, the Soviet Union declared war on Japan. The B-29 bomber "Bockscar" reached the sky over Kokura on the morning of August 9 but abandoned the primary target because of smoke cover and changed course for Nagasaki, the secondary target, and detonated the atomic bomb at 11:02 a.m.」
・NO MORE HIROSHIMA & NAGASAKI MUSEUM
「The nuclear weapons dropped on Hiroshima and Nagasaki burned the victims to unrecognizable forms, and brought suffering from illness, poverty and discrimination unto the survivors. Nuclear weapons and humanity cannot coexist.
We want people around the world to know about the consequences of nuclear weapons, and the journey of the Hibakusha - the atomic bomb survivors. As Hibakusha of Hiroshima and Nagasaki, we have held exhibitions at the United Nations four times to date, at the timing of the NPT Review Conferences. As the risk of the use of nuclear weapons is today at its highest, we have decided to open this exhibition as an online museum.」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・2023長崎平和宣言 全文
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した。」
・「長崎の原爆ドーム」なぜ解体されたのか? 浦上天主堂が幻の世界遺産になった理由【長崎原爆の日】(22/08/09)
「8月9日は「長崎原爆の日」。長崎市内への原爆投下で、1945年だけで7万人以上が亡くなった。長崎では平和祈念像が犠牲者に黙禱を捧げるモニュメントとして知られているが、実は広島の世界遺産「原爆ドーム」に匹敵する原爆遺構が、かつて長崎市内に存在していた。爆心地からわずか500メートルの位置にあったカトリック教会の大聖堂「浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)」だ。」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)(20/08/06)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。」
・祈りと異質な巨大芸術 平和祈念像 法王は今回も立ち寄らず(19/10/27)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/554327/
「長崎新聞の元論説委員長、高橋信雄さん(68)によると、浦上教会の主任司祭だった故川添猛神父は生前、高橋さんの取材に対して「私自身は平和祈念像の前には決して行かない」「巨大な芸術品の前で祈りをささげることなどできない。いくら像の名前に平和を冠していても、被爆者として、あの像とは相いれない」と語っていたという。」
「北村は戦前戦中にわたり、戦意高揚のための軍人像などを数多く手がけた。反核、反戦の美術評論家、故針生一郎氏は、北村について「戦後一転して平和や自由をうたいあげる公共彫刻に意欲を燃やしたが、戦前戦中の自作についての深い反省もなく百余歳まで生きたので、各地に醜悪無残な彫刻公害を残している」と酷評。その代表格が、北村の戦前戦中の作風そのままの男性裸像、平和祈念像ということなのだろう。」
「祈念像の周りをぐるりと歩くと、像の裏には北村の言葉が刻まれ、こんなくだりもあった。「山の如き聖哲 それは逞(たくま)しい男性の健康美」。祈りとはかけ離れた異質なもの。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府(22/09/05)
「長崎の「被爆地域」は、原爆投下時の行政区域をもとにしている。爆心地から12キロ圏内で原爆に遭っても、国の指定する「被爆地域」外にいた人々は「被爆体験者」として、被爆者と線引きされてきた。」
「原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。 「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」 残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。」
「広島の「黒い雨」訴訟で、国側は国際放射線防護委員会(ICRP)国内メンバーが記した論文を引用した上で、「内部被ばくをより危険とする根拠はない」などとしていた。国が政策で依拠するICRPとはどのような成り立ちなのだろうか?この組織は1950年、米国放射線防護委員会(NCRP)議長らが中心となって組織された。NCRPは1946年に発足しており、あの「人体実験」にも携わったマンハッタン計画の医学部長らが執行委員となっていた。中心メンバーも、マンハッタン計画に従事した科学者たちだった。」
「「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」」
・核廃絶専門委、長崎の被爆者落選 禁止条約に否定的な政府支援なく(23/07/23)
「【ニューヨーク共同】核兵器禁止条約の諮問機関「科学諮問グループ」の専門家委員に推薦された長崎の被爆者が落選していたことが23日、国連関係者への取材で分かった。核廃棄や被害者支援など「核なき世界」実現の方策を締約国に助言する「要」の機関。核実験の影響に苦しむカザフスタンが推したが、条約に否定的で非加盟の日本政府の支援は得られず、外交筋は落選への影響を指摘した。」
・NHK長崎放送局 WEB特集 原爆
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nemosynth · 1 year
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Season 2, episode 1 - Oberheim
「XpanderにはIBM社製PCの倍の演算能力を持たせてあります。ですが、それでもこの速さでしか数をかぞえられないのです」 (We've put twice the computing power of an IBM PC inside the Xpander, but even so it can only count SO fast!)
OBERHEIMの名機、Xpander(エクスパンダー)。その取説にある文章をちょこっと超訳してみた。お客様に 対しマトリクス・モジュレーションが最大20系統しかないことにご理解をもとめるこの文章。逆に20系統もできるのか!と驚いていたユーザーにしてみれば衝撃的に謙虚に映った。
Xpanderと言えばビンテージ・アナログシンセ最後期の名機のひとつ。だがその伝説は単に太くてあたたかい音 だけではなかった。そこには生みの親トム・オーバーハイム氏による卓越したデジタルテクノロジーも光っていた のである。こんにち的シンセの礎を築き上げた言わば第一世代のBUCHLA、MOOG、ARPが倒れたあと、シンセの開発を牽引した第2世代はOBERHEIMの創業者トム・オーバーハイム、E-MU SYSTEMSの創業者デイヴ・ロ ッサム、SEQUENTIALの創業者デイヴ・スミスなど。彼らが数々のビンテージ・アナログシンセの名機を世に送り出すことができたのは、ひとつには彼らがすぐれてデジタルテクノロジーのマエストロたちだったからでもあった。
そんな歴史を、簡単に追ってみたい。
♬     ♬     ♬
「創世神話」
トーマス・エルロイ・オーバーハイム(Thomas Elroy Oberheim)、通称トム・オーバーハイム。1936年七夕 生まれ、アメリカ中西部カンザス州出身。
戦後、高校の時から電子工作少年となりステレオを自作。大学でコンピューターサイエンスを会得した彼は電子 工学エンジニアとして就職。アナログ回路のみならずコンピュータープログラミングもまた楽しくて仕方がない。 楽器演奏はしなかったが趣味で音楽を聴くようになり、友人たちに求められるままにパワー・アンプなどを製作。 そんな中 1966年カリフォルニアで知り合ったエクスペリメンタル・ハプニング系プログレバンドのボーカリストだ った女の子から 「前のバンドにいたギター野郎がリングモジュレーターを使ってたんだけど、あたしにも作ってくれない?」 とかなんとか、たぶんそうだったんじゃないか劇場な感じで。
リング変調器? UCLA大学図書館にて資料をディグってみれば、ハラルト・ボーデ(Harald Bode)が1960年 に作っていたというぼんやりした雑誌記事あり。それは若きトム・オーバーハイムをして音楽と電子工学テクノロ ジーとを結びつけた、ひとつの小さな春の遠雷のようなものとなった。
趣味の一環としてリングモジュレーターをいくつか作っているうちに評判となり、1970年には映画『続・猿の惑 星』で使いたいというオファーが来た。20世紀フォックスのスタジオに機材を持ち込めばオケの団員数名が興味を 示し、なんとそれを買いたいというではないか。技術者だましいに火がついたトム。キャリア・オシレーターを追 加、プリアンプも付けましょう、原音とエフェクト音とも混ぜられるようにしてみました、愛らしいロゴマークを デザイナーに作ってもらったからおっきく載せてあげるね♬
かくして1970年、史上初のライブパフォーマンス向けリングモジュレーター、その名もMusic Modulator爆誕。 その不思議な音色は初のOBERHEIMブランド機種がかわいい産声をあげた瞬間でもあった。
すると今度は大手ディーラーが自社ブランドでも販売したいというではないか! いきなり我が子が人気者にな るを約束されたようなものか。
彼へオファーしたブランドとは、零細メーカーたちがテクノロジーを駆使して開発した電子音楽デバイスをその 大手ディーラーが仕入れて販売するためのものであった。それこそが今や人気不動のMAESTROブランド。
大手流通網に乗ったMAESTRO Ring Modulatorの名はまたたく間に広がり、大西洋を渡ったイギリスのハード ロック・キーボーディスト、ジョン・ロードがディープ・パープルでHAMMOND B-3にかけて叫ぶようなフィー ドバック的サウンドを出し、キーボーディストたちに「今まで台所でまな板に向かってとんとんしてるとしか見え なかった僕たちもギターみたくかっこよくなれる!」とハートに火をつけた。
続けてトム・オーバーハイムがMAESTRO Phase Shifterに至ってはベストセラーとなり、はるか後の2022年、 ついにネット配信されたシンセヲタ御用達のフランス映画『ショック・ドゥ・フューチャー』でもその勇姿を、た んと拝める。
やがてNAMMショウへ足を運ぶようになったトム・オーバーハイム。セミモジュラーシンセARP 2600がNAMM ショウでは人気好調なのに、彼が住んでいたLAではどの楽器屋さんも販売していない。そこで彼はARPのディーラ ーとなり、既にリングモジュレーターをお買い上げいただいたお得意様に今度はARP 2600を売り歩く。ビジネス うなぎのぼり。当時シンセを扱ってくれるディーラーなんて珍しかったから彼のお店はLA界隈で有名店。
そこからトム・オーバーハイムが作ったのがMOOG MinimoogやARP 2600を駆動できるデジタル・シーケンサ ー DS-2A。まだマイクロプロセッサーが無かった時代につき論理ゲートを組み合わせて製作、RAM容量1,024ビッ トで128バイトのはずが当時まだ8ビット=1バイトにまとめる概念もない。最初は48音しかメモリーができなかったらしいが、それでもせいぜい12ステップのアナログシーケンサーくらいしかない当時、鍵盤入力までできるDS-2Aはユーザーフレンドリー! トムの音楽的センスあふれる先進性がきらりと輝く。最終的には144ステップ もメモリーできたのだから言うことなし。
時に1973年。OBERHEIMブランド2番目の機種にして最初のシーケンサーが生まれたのである。
エフェクターの次に作ったのがシンセではなくシーケンサー、それもデジタルシーケンサーであったというこ と。MIDIが誕生する10年以上も前であったこと。そんな時代から既に彼がコンピューターサイエンス・エンジニア であったことを想起すれば、それはデジタルにも強い彼がやがて大輪を咲かせるであろうことを予感させる、シンボリックかつ既に迫力に満ちた存在だったのである。
♬     ♬     ♬
「SEMカンブリア時代」
持ち前の先取の精神を発揮したトム・オーバーハイム、矢つぎばやに次の機種を開発。これがアナログ・モノシ ンセ音源モジュールの名機 SEM(Synthesizer Expansion Module)、そしてそれを元にした鍵盤つきポリシンセの名機=2Voice、4Voice、8Voice。OBERHEIMは一躍アナログシンセメーカーとなって躍り出た。
まずSEMなる音源モジュールを先行開発した理由は、自身のシーケンサー DS-2AでMinimoogや2600やなんか を駆動するより、DS-2Aと音源モジュールとを組み合せて伴奏させ、それをバックにMinimoog みたいな鍵盤つき シンセでソロをとったほうが音楽的かつ便利だと気づいたから。しかも既存機種と音のキャラがかぶらないよう VCFの肩特性を−24dB/Octではなく−12dB/Octに変え、LPF/BPF/HPFの連続可変ステート・バリアブルフィルタ ーを採用。よりブライトな音色を得意とさせた。
次にSEMに鍵盤をつけて自前のキーボードシンセ化。SEMにくっつけた鍵盤とはE-MU SYSTEMSのデイヴ・ロ ッサム(Dave Rossum)が開発したデジタルスキャニング・キーボード。デジタルが分かる者同士の連携プレイで あった。しかもこれらは複数のSEMを1台にまとめて鍵盤をくっつけただけなので、いちいち各SEMで音作りしな いといけなかったが、逆に言うと1音ごとに違う音色に設定することもできた。すなわちポリフォニックかつポリ トーナル(polytonal)な楽器。1台ずつ違うピッチにすればコードメモリーっぽく和音を並行移調演奏すらでき た。さらにはポリフォニックポルタメントもできるシンセなんて当時なかなか他に無い。
ちなみに末っ子2voiceには秘密兵器8ステップ・アナログシーケンサーを搭載。2音ポリのシンセとして普通に 弾くモードだけでなく、1音は内蔵シーケンサーで駆動し、もう1音を本体鍵盤から手弾きできるというヴァンゲ リスやタンジェリン・ドリームやクラフトワークのファンが泣いてよろこぶモードも装備。1音ずつ別々の音色に できる意味はここでぐっと深まるね!ってか何気にもう原始的なワークステーション・シンセと言って良いんじゃ ないの?
4Voiceの開発が終わるころ友人づてにスティーヴィー・ワンダーへ知らせると、持ってこいと言う。プロトタイ プを持っていって弾いてもらうと、買うという! 試作につき中の配線がひでー状態なのだがスティーヴィーはま だその4Voiceを持ってるらしい!
とはいえまだまだ一般的に鍵盤楽器といえばアコピ、エレピ、オルガンという時代、シンセはニッチで「おたく な楽器」。その上4Voiceでも4,000ドル、8Voiceに至っては 8,000ドルもしたため、ばかじゃねーの!?というデ ィーラーもいたらしいが、前述のスティーヴィーはじめハンコック等そうそうたるお歴々がご購入ご愛用。
でもトム・オーバーハイムがアタックディケイエンベロープジェネレーターフリーケンシーレゾナンスミキサー VCAなどと技術用語マシンガントークしまくったがためにジョー・ザヴィヌルに至っては参った様子、我に返った トムが自粛したものの時既に遅しこれはあかんやろと思ってがっくりんこしていたら、ひと月ちょっとたったころ にザヴィヌルがやってきてドヤ顔で名曲「Birdland」のラフミックスを聴かせてくれたという。
かくして4Voice による名演はクロスオーバーという新ジャンルを開拓したのであった。新しい楽器が新しいジャ ンルをつくる。そのクロスオーバーに勘違いされたこともあった初期のYMOにて、矢野顕子が8Voiceをライブ演 奏していたのも不思議に楽しい因果。OBERHEIMの売上は伸び、徐々に会社らしくなっていった。
そしてSEMを踏まえて出てきたのが、小型アナログ・モノシンセに音色メモリーをつけたOB-1。1977年。
OB-1は8音色を完璧にデジタル・メモリーへとストアできたため史上初のプログラマブルシンセ(音色を記憶で きるシンセ)のひとつとなった。OB-1という機種名は大ブレイクした映画「スターウォーズ」の登場人物オビ=ワ ン・ケノービ(Obi-Wan Kenobi)のファースト・ネームから取ったとか逆なんだとかさまざまな都市伝説を呼ん だが、そんな偶然もまたおもしろい。
だが、この機種は不運にも日影の機種となった。
♬     ♬     ♬
「風雲児 OB-X〜カンブリア紀ポリシンセ大爆発」
1978 年1月、なにやら無名の新参ガレージメーカーがNAMMショウにて新しいシンセを発表するという噂が広 まり、「列強」たる既存シンセメーカーの社員たちはその小さなブースにたかっていた。OBERHEIMもそうした列強のひとつ。でも当日の朝になってもお目当ての新製品は見あたらない。昼ごろになってようやく1人が小脇に試 作品のキーボードを抱えてブースに持ち込んできた。徹夜で不具合を直しつづけ、朝までかかってしまったのだという。その実機を見た列強メーカーたちは「なんだ、ミニモーグをポリフォニックにしただけじゃね〜か笑」と気分は大山鳴動ねずみ一匹。
だがその無名の新参メーカーとはのちに伝説となった SEQUENTIAL、昼下がりのブースに1人で試作機を持ち込んだはトム・オーバーハイムと同じくデジタルに強い天才エンジニアこと誰あろうデイヴ・スミスその人、そして彗星のごとくデビューした新製品こそが後世にまでその名を轟かすこととなったゲームチェンジャー、ビンテー ジ・アナログ名機中の名機、そう、Prophet-5 であった。
メモリーもないモノシンセが常識だった当時、5音ポリで 40音色メモリーを搭載した Prophet-5 は革命的。そ れは当時誰もやっていなかったCPUでシンセ全体を制御させるデジタルの勝利。それを具現化���たデイヴ・スミス の先見性はすばらしく、NAMMショウ3日間だけで注文殺到、まさしくProphet-5はflying off the shelf=飛ぶように売れ、デビューから半年もたつとその独壇場ぶりが列強メーカーたちを慌てさせることになる。トム・オーバ ーハイムもその一人であった。なんせご自慢の4Voiceの売上が本人いわく「でっかい岩が転がり落ちるみたいに」赤丸急降下、真っ逆さまに奈落へと崩壊したのだからたまらない。
しかも相手はのちに「モノシンセはMinimoog、ポリシンセはProphet-5,デジタルシンセはDX7」などとシンセ技術史のランドマークとして並び称されることになる巨人。足元が文字通り崩落するがごとき未曽有の危機にトム・オーバーハイムは新製品開発を5カ月に圧縮、次世代シンセ開発突貫工事。
そして翌1979年夏、サマーNAMMショウにてSEQUENTIALの挑戦を受けて立ち、リングによじ登ってきた新機種こそが、王者Prophet-5の前に立ちはだかった最初のチャレンジャーことOBERHEIM OB-X だったのである。
してNAMMショウ当日。それでも過熱するばかりのProphet-5の大人気ぶりに、ショウが終わるころには俺の会社は倒産してんじゃねーかとトム・オーバーハイムは冷や冷や。いやぁ~未知の新機軸へ果敢にいどむ心労しかも 後追いモデルほんとうにお疲れさまです! そしてフタを開けてみれば3日間ほどで50万ドルもの絶好調セールスを記録、渾身の一撃、面目躍如! そしてここにポリシンセたちによる新しい群雄割拠の時代がスタートした。
OB-X は2音ポリ仕様の基板回路「ボイスカード」を採用。4音ポリ版、6音ポリ版、8音ポリ版という3バリ エーションが存在。ポリ数が不定であるために代数X(エックス)の文字を機種名に入れた。5ボイスのプロフェットと対決する後発にふさわしい優位性。それは 2Voice、4Voice、8Voiceを実現したSEM的発想か。
しかも旧機種では各SEMを違うピッチに設定しコードを並行移調して演奏できたが、OB-Xではコードメモリー を搭載することで再現可能。これもProphet-5には無い特典。コード「メモリー」という発想もデジタルですね。
他社とは違うー12dB/OctのLPFによる明るい音色も非常に好評、ざらざらしたダスティでブライトなサウンドは陽キャなアメリカン・ハードロックと融合し明るくかっこいい新境地を切りひらいた。先のクロスオーバーでもてはやされた4Voice、テクノの神器ヤオヤ、そしてOB-Xもまた新しい楽器が新しいジャンルに貢献した好例であろう。その他にもそれまで「No Synthesizers」を誇ってきた大英帝国クイーン陛下が初めて、かつ潔く大胆に導入 したシンセがOB-Xであったという点でも感慨深い。
かくしてトムとデイヴとでアナログ・ポリシンセという新しいマーケットを開拓、他社もこぞって追随しELKA Synthex、ROLAND Jupiter-8、Juno-6などヒーローとも言える新機種が輩出、時代に乗り遅れた旧世代MOOG と ARPは倒産、風雲児OBERHEIMとSEQUENTIALとがシンセ業界で双璧をなす存在となり台頭、黄金の80年代はさしずめカンブリア紀ポリシンセ大爆発、躍動感あふれる新時代となった。
♬     ♬     ♬
「OB紀」
勢いに乗ったトム・オーバーハイム。
OB-X 後継機種としてOB-Xa、OB-8へと活発にモデルチェンジ、ロジャー・リンが史上初 PCMリズムマシン LM-1を出すのを見て、ただちにより安価なPCM音源リズムマシンDMX、DXをローンチ。さらにデジタルシーケン サー DSXなど新製品の数々を送り出し、MIDIより先に独自のOBERHEIMパラレルインターフェイスをも開発、の ちのMIDIよりも高速の並列データ通信を実現。デジタルの強みを発揮しまくってOBERHEIMの機種だけですべてラ イブから楽曲制作までをも可能にするエコシステム、その名も「Oberheim System」を打ち立てた。
実は試作機の域を出ないがOB-Xaを元にした OB-Expanderなる卓上型音源モジュールまであった。ちなみにこ れは MIDI 時代の音源モジュールXpanderとは異なる、先駆者的存在。
さらに繰り出したるは奇想天外な機種、ミュージシャン向け卓上型ROMライターPrommer。これはユーザーサ ンプリングした音色に原始的なタイムストレッチやリングモジュレーションなどなど編集した上でEPROM (Erasable Programmable Read Only Memory:書き込みと紫外線による消去が可能なROM)に焼き、それを リズムマシンDMX内蔵EPROM とユーザーが差し替える(!)という恐ろしい機種。PrommerとDMXとのセット が中古であったら貴重♬ 8ビット/32kHzサンプリングなんてイカす♬ そして DMX はその安さがゆえにヒッ プホップ業界で AKAI PROFESSIONAL MPCへのオルタナとして後に再発見されることにもなった。
プリセット型シンセという自己矛盾したかのごとき機種 OB-SXに至っては、実はOB-Xと音色データが互換する がためにOB-Xで自作した音色をカセットテープに保存、それをOBERHEIMに郵送すると EPROM に焼いて返送し てくれるという神サービスまであった。
むろんPrommer/DMXもOB-SXも、EPROMはお客様が自分で交換。特に基板を触る前にはくれぐれも静電気を 放出しておいていただけますよう、よろしくお願いいたします。実はPrommerで焼いたEPROMはOBERHEIM以外 のリズムマシンでもこっそり使えたらしいよ。トム・オーバーハイムにはライブラリービジネスの曙光が見えてい たのかな?
ところでOB-X景気に湧いた1979 年から1980年にかけて、トム・オーバーハイムはカリフォルニア州立短大で コンピューター・ミュージックのセミナーを担当。するとそこに潜り込んできたるは高校生1名。そのハイスクー ルキッドにニュータイプとしての素質を見出したトム・オーバーハイム、なんと彼をスカウトしてフラナガン機関ばりに社員登用。そしてそのさとい彼が作ったのが実はシーケンサーDSXであった。その分解能は4分音符=96で あったというから、のちのMIDIハードウェア・シーケンサーの名機YAMAHA QX3やROLAND MC-500とも互 角、それでいて並列通信でもってMIDIより高速。
しかも彼は売るのもうまい。そしてこの若き才能はのちに電子楽器業界におけるデジタル革命家となる。
というわけでデジタルへの造詣の深きトム・オーバーハイムがもたらしたアナログポリシンセの繁栄。だがこの 先進性優位性が、逆にOBERHEIMをしてMIDIをあなどることにつながってしまう。
♬     ♬     ♬
「マトリクス・モジュレーション紀」
1983 年、MIDI爆誕、DX7爆誕。OBERHEIM沈黙。
1984年にOBERHEIMはこれまではとは全く違ったビンテージ・アナログの名機Xpanderをリリース。MIDI 規 格制定にかかわらなかった同社はスタートダッシュにこそ出遅れたが、しかしその1年後にマルチパートMIDI音源 モジュールを出してきたという、やはりデジタルに強いトム・オーバーハイム貫禄の力作であった。
しかもそれだけにとどまらない。
6音ポリの卓上型音源モジュールXpanderは音声経路こそフルアナログかつVCO→ VCF→ VCAと減算方式なカ タチに結線済みであったが、変調はすべてデジタル演算で行いその結果をアナログ音声回路に反映する機種。そし てこれら変調システムをXpander は史上初のマトリクス・モジュレーションというカタチに整理して搭載。24基 の内部モジュールにまたがるモジュレーション経路を冒頭に紹介したとおり、最大20本のルーティングでもって結 線する、つまり史上初のプログラマブル・セミモジュラーシンセ、仮想セミモジュラーとも言える存在であった。
Xpanderのモジュレーションソース・セレクト
・変調はデジタルで ・音声はアナログで
すなわち
・デジタルによる卓越した表現力 ・アナログによる豊潤な音色
2つの宇宙のおいしいとこ取り。
マトリクス・モジュレーションとしてパッチングした結果は100音色メモリーに保存され、MIDIプログラムチェ ンジで瞬時に切替可能。広大なパッチングを一発切替だなんて、なんという夢のようなセミモジュラーシンセであ ろう。パッチングのノウハウをプリセット音色から学べるのもありがたい。
PAGE MODIFIERは選択したパラメーターをコントロールするセクション ただEGが原始的なソフト処理のためにXpanderではアタックがナマる傾向にあった。よってXpanderはシンベには向かず、代わりにシンセブラスは荘厳なものになった。
さらに VCAにEGをつながない限り音すら出ないセミモジュラーの徹底ぶりゆえ、逆にLFOをつなげれば周期的 にゲートが開閉し、打鍵しなくとも電子ししおどしの如く音があちこちに散乱する楽しい芸もできた。LFOには他 の変調信号をクオンタイズするモジュレーション・シェイパー機能まであった。
内蔵モジュール24基×6音ポリなので、144基ものモジュールが内蔵されていたことになる。これをユーロラック で実現したらと考えるとき、仮想セミモジュラーとしてデジタルで具現化したトム・オーバーハイムのビジョン に、しかもプログラマブルであるという着想には感謝しかない。
Xpanderは6パートのマルチ音源にもなりパートやボイスごとにパンも設定可能。リアパネルにはCV/Gate入力 端子が6ペアも壮観に並び、CV/Gate to MIDIインターフェイスにすらなった。これはOBERHEIM DSXシーケン サーを通じて同社パラレルバス世界とMIDI世界とを橋渡しするだけでなく、ROLAND MC-4のようなMIDI以前な がらに強力な編集機能を有するシーケンサーがあった当時うれしい機能にもなりえた。
卓上型というのも操作しやすい。垂直ラックなんて腕が疲れる。3つもある蛍光管ディスプレイと6つのファン クションキーや6つのエンドレスエンコーダによる操作性もまた斬新。今ならFL管ってだけで雰囲気あるよね。
すなわち Xpanderとは
・デジタルによるマトリクスモジュレーション  ・デジタルによるリモート操作ことMIDI対応しかもマルチ音源 ・デジタルによるディスプレイで実現した多彩なパラメーター操作
これら3つのデジタルに支えられた画期的な新世代シンセであった。
加えて何よりも音の良さ。曲芸的なプリセット音色からは分かりにくいが、Xpanderは自分で音を作ると太い音 もする素性の良さがあった。ベロシティが効くVCOシンセというだけでも貴重! してお値段64万8千円と、安価な日本製とは一線を画す完全プロ仕様。
「Matrix Modulation」の名はそのままOBERHEIMの登録商標となり、他のメーカーは語順を逆にして 「Modulation Matrix」と呼んだり、ROLANDのように「Matrix Control」と別名称にしたりして回避している。 いまだにそうであるところを見るとやはりハードウェアものづくりにっぽんとは対照的なソフトウェア大国USA の、その自由な発想と底力とを垣間見る思いすらする。
史上初のバーチャルモジュラー。しかもCV/MIDI音源。内在する複雑なモジュレーション・ネットワーク。外在する広大な CV/MIDIネットワーク。
2つのネットワークがフラクタルであるかのごとくリフレインされるは、まるで大宇宙の中に小宇宙があるかの ようだ。もはや受動的な音源ユニットの枠を超え、能動的にネットワークの中でおしゃべりし聴き耳を立て反応し ながらさまざまな役柄をこなす存在なのであった。そして新しい操作性によりスコープを通して音の銀河を眺める ようにエディットする。
それは来たるべきネットワーク社会をも予見させる未来からの使者、未来のプロトタイプのような機種ですらあ った。
この後OBERHEIMはXpanderを2台分搭載した12音ポリ最終進化型アナログシンセ・キーボード、その名も Matrix-12を発売。98万円というハイエンド・プライス、ますます広大なマトリクス・モジュレーション、宇宙の 深淵をのぞきこむようなディープな音、これらはデジタルシンセ時代にあらがう巨大恐竜のようなビンテージ・ア ナログ最後の主役となった。
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「MARION SYSTEMS紀」
だが1985年にOBERHEIMは倒産。あげく弁護士連中に乗っ取られ、その2年くらい後にトム・オーバーハイムは退職。「弁護士を信用するなよ」とは彼の名言。
残された名機Matrix-6、Matrix-1000は哀しき遺児たち。目の付け所が秀逸だった史上初ジェネリックなサンプ ルプレイバッカーDPX-1なんて後のライブラリービジネスをどれほど先取りしていたことか。このコンセプトがそ のまま育まれ続けたなら今のDAW時代コンテンツ万歳テクノロジーはさらに数年先を行っていたかもしれないの に、ついえ去る。無念!
自らの名を冠した城を去った彼は一時期ROLAND初のハードディスク・レコーダーDM-80の開発顧問などを務 めた後、小さなメーカーMARION SYSTEMSを立ち上げる。
その初号機MS-9Cとは、当時の花方だった12ビットサンプラーAKAI S900を16ビット化する基板1枚という驚 きの新製品。S900特有のハイ上がりな周波数特性を再現するスイッチまで設けたこだわりっぷり。
続けて1994年に送り出した弐号機MSR-2は、1Uラックのアナログシンセ音源モジュールと思いきや、中身を 入れ替えることで違う音源になったりエフェクトになったりといくらでも機能が七変化するメインフレーム機種。 ピッチが安定したHROことHigh Resolution Oscillatorも搭載。
MS-9CとMSR-2に共通するのは、メインフレームとなるハードウェアへ基板ライブラリーをインストールする ことで機能をフレキシブルに変えるという先駆的ビジネルモデル。
ちなみにこの間トム不在のOBERHEIMからは、PerFX シ��ーズ、OB-Mx、OB-12、MC-3000 などなど出てい たとはいえ、あえて申し上げるなら決してトム・オーバーハイムが描いた “コミュニケーションするシンセ“ などの ように遠く未来を見通すビジョナリー的な視点に裏打ちされたものとは思えない。どちらかというとその場その場 で場当たり的に単独の魅力だけでぽっと出た感がある。むろん各機種の個性は光るので名機もあるには違いないの だが。
だが最後にはギター用エフェクトに転身しようとするも、何屋さんなのかよくわからないメーカーとなって同社 はついに21世紀初頭に消えた。
MSR-2メインフレームのデビューから15年たった2009年、楽器業界に戻ってきたトム・オーバーハイムはSEM 復活を宣言。紆余曲折を経て2011年から、 ・SEM MIDI版 ・SEM パッチパネル版 ・前2者を合体させたようなSEM Pro
この3機種を発売。SEM Proで14万4千円。2014年にはキーボードシンセTVS-2 Two Voice Proも発売。
2016年には良きライバルであるデイヴ・スミスとともに今の新生SEQUENTIALからのOBERHEIM機種となる OB-6を発売。OBと命名されるも中身はSEM ベースの設計、非常に良質なアナログの音がする現代版6音ポリシンセの名機。さらにOB-6は同社Prophet-6の姉妹機種。その Prophet-6は当時まだDAVE SMITH INSTRUMENTSと名乗っていた同社にとって、SEQUENTIALブランド復権の旗印。その姉妹機種にOB-6が来るという、2人のロ ゴが並ぶという、予想もしなかったレジェンダリー・エンジニア2人の元気コラボ。デビュー動画が旧友たちの友 情をあますところなく伝えていてイカス!
2019年にはGIBSONがOBERHEIM商標権をトム・オーバーハイムに返還。2021年8月3日にはBEHRINGERの 親会社MUSIC TRIBEからも商標が返還され、弁護士に乗っ取られてから実に36年ぶりに彼は自分の名前を手にす ることとなった。自分の名前すら自由に使えなかったんだから、ほんによかったですね。
彼が2度目に作り出したSEMシリーズやTwo Voice Pro などを特徴づけるのは、中身や音のこだわりもさること ながらCV~MIDIまで包括した統合的なネットワークへの対応であった。デジタルを駆使して生まれてきたDS-2A シーケンサー以来、SEMしかり、前MIDI時代の先駆者Oberheim Systemしかり、フラクタルなネットワークを意 識したXpanderしかり、新生SEMに至るまでトム・オーバーハイムが一貫して追い求めてきたものたちの一つは 「おしゃべりしあう楽器たち」であった。
それが今の時代ほど切実に求められていることはなかったかもしれない。
見通せない未来と希望もシェアするグローバルなプラットフォーム、それはトム・オーバーハイムが暗黙のうち に求め続けてきたネットワーク時代の具現化であろうか。そしてそのネットワークに載って配信されし映画『ショ ック・ドゥ・フューチャー』にて、トム・オーバーハイムの伝説 Maestro Phase Shifterが名脇役の如く存在感を 示しているのは、まさに彼が夢見た「つながる電子楽器」の夢ではなかったか。温かに揺らいで熱を帯びるアナロ グサウンドに耳を傾けつつ新生 SEMにパッチングしてネットワークにつなげるとき、そこに私たちはどんな音の未 来の景色を見るのか。
かつて高校生のときにトム・オーバーハイムにスカウトされシーケンサーDSXを開発した若き才能がいたと、先 に書いた。その名はマーカス・ライル。のちに彼はALESISにてADATを作ることで、史上初アマチュア向けデジタ ルレコーディング・ツールを実現、さらにLINE 6を興し、保守的で真空管信仰が根強いギター業界にあってフレン ドリーなアプローチでモデリング技術を持ち込み、PODというかわいいお尻のカタチでもってアンプシミュに市民 権を与えた。そんなデジタル革命児となった彼は今でもトム・オーバーハイムを恩人としてリスペクトを表してやまない。
OBERHEIMのテクノロジーはAKAI PROFESSIONALのウィンドシンセにも受け継がれ、初期のEWIシリーズは VCOシンセ音源に小規模なマトリクス・モジュレーションを搭載。さらに全く関係ないところでもARTURIAがアナ ログシンセ・ルネッサンスの波に乗ってミニ鍵アナログシンセMicroBruteを出すにあたり、小さなパッチパネルを 用意し「モジュレーション・マトリクス」と銘打っていたのは象徴的ですらある。
おしゃべりしあう楽器たちの時代。
DS-2AもSEMもDSXもXpanderも、来るべきソフトウェアとコミュニケーションとネットワークの時代を十分 に予感させるものでありながら、ほんとうに凌駕されるまで10年20年30年と待たねばならなかった。かくも人類が 回り道をするものならば、今もまた。
齢80を超えるトム・オーバーハイムにとって、事実上彼がたった一人で切り盛りしているMARION SYSTEMSの 経営は大変なものであり、ここしばらくの全世界的な半導体不足によってTOM OBERHEIMブランドの新製品は在 庫限りとなっている。文明の瓦解すら伝え聞く中、トム・オーバーハイムたち先人たちの叡智にならい早く全地球 的な支援のネットワークによって老オーバーハイム爺を助けられる日が来ることを、ほんとうに切に切に祈ってい たところであった。
それがなにやら2022年4月13日、新しくOBERHEIMの復活を予告する動画が、むたむたクールすぎるクールな動画が。
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こ、これは、OBERHEIM3度目の復活!!!!! そしてついに現るOB-X8、時に2022年5月10日!!!!! 
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https://www.oberheim.com
(2022年6月23日Sound&Recording公式サイト初出)
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watanabekaori · 2 years
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*展覧会のお知らせ* Any Kobe with Arts 2022にて作品展示・販売いたします。 私の作品は「旧トーマス住宅 風見鶏の館」でご覧いただけます。(別途入館料が必要です) 物販スペース(建栄ビル(MRSXビル)2F 南)ではポストカードも販売します。お土産に是非どうぞ。 見どころたくさんのアートフェスです。ぜひお越しください。 . [Any Kobe with Arts 2022] 於: 神戸北野・旧居留地界隈 会期: 2022年9月23日(金・祝)~ 2022年10月10日(月・祝) 開館時間: 11:00~18:00 会場により休館日・営業時間が異なりますので事前にご確認下さい。 料金: 周遊チケット 当日¥3,000 前売り¥2,700 (9/22迄販売) ローソンチケット(Lコード:55061) ◆展覧会概要(Any Kobe with Arts 2022 HPより) アートが観れる♪アートが買える。現代作家の作品を軸に目新しいものを一同に集結!
Any Kobe with Arts 2022 は、神戸北野と旧居留地の街に点在する観光資源を活用した街なか散歩アートフェス♪
在廊作家も多く直にアーティスト達と触れ合える良い機会となります。歴史ある建築物も楽しみながら芸術の秋にふさわしい展示物の数々を鑑賞しながら、ゆっくりと神戸の街をお楽しみください。 40ヵ所以上120名を超えるアーティストによる祭典♫ 1. 中学生以下は無料 ※学生証ご提示ください。 2. 1会場1回限りですが当日すべての会場を観られなくても開催中であればいつでも使用可能です。 3. 風見鶏の館(500円)・萌黄の館(400円)は別途入館料が必要となります。
※お得な2館券(萌黄の館・風見鶏の館)650円をご購入ください。
※高校生以下、65歳以上の神戸市民、障害者手帳をお持ちの方は無料となります。 4. 周遊チケットは有料会場7ヵ所+お好きな有料会場2ヵ所の合計9ヵ所で使えるチケットになります。チケット提示で協力店舗では様々なサービスを受けることができます。 . . . #kimono#art#arte#kunst #artfes#kobe#anykobe#exhibition#maiko#japanesepainting#painting#contemporaryart#미술#회화#日本画#舞妓 #絵画#美術#展覧会#神戸北野#旧居留地#神戸#風見鶏の館#異人館 (神戸市風見鶏の館) https://www.instagram.com/p/Cikfc-5v2cm/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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af3ura · 2 years
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2022.8.25-28
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イギリスにいます。 正確に言うとスコットランドのエジンバラ。 気がむいた時に書くこの日記だけど、3ヶ月のイギリス滞在中はせっかくだから何かあった日はちゃんと書き残しておこうと思って、ひさびさに更新に至った。 前回何書いてたんだっけと読んでみたら、一年前だし、日本から出ていきたいって言ってるし、なんか一貫してるな。
2022.08.25
出発は22:30成田発だったので、昼間は蜂巣さんの『abさんご 試演会』の稽古見学に駆け込んだ。 なんだかよくわからないけど閻魔様がいた。 蜂巣さんチームに混ざって、おぐセンターの美味しすぎるほっけを食べながら、急にマスク無しの生活したらコロナかかりそうだな、海外にもR-1ってあるのかな、ていうかR-1のCMって失礼だよね、とかいう話をして、空港に向かった。
成田空港、まじで全然店が開いてなかった。 仕方ないからセブンでR-1とグミを買った。
乗り換え地点のドーハ行きで出た機内食はカツ丼だった。 カツ丼は美味しかったけど、副菜の立ち位置の冷製パスタが思いっきりシソ味で、海外の人は食べれたのだろうか。私はちょっと嫌だった。 離陸までに40分くらいかかって、このまま陸路でドバイまで行くのかな?と思った。
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時差のこと何もわかってなくて日本時間出発22:30-ドーハ時間4:25到着なのに、愚かなことに到着時間も日本時間だと認識していて、出発する前は「6時間で着くじゃん。鳥取までの夜行バスの方が辛いわ」とか思ってた。 全然つかない。つく気配もない。まわりの人は爆睡してる。 途中で「違うわこれドーハ時間だから1、2、3、4…12時間かかる!」と気がついたが、手元の腕時計もiphoneもまだ日本時間。12時間かかるのがわかったところでじゃあ今何時ですか?what time is it now なんて英語の授業だけで使う言葉だと思ってたけどまさかリアルに使う時が来るとは。
2022.08.26
ドーハ乗り換えは4:30から3時間後の出発だった。全く眠くなかった。 ドバイっぽいお土産を見たり、謎のポテチを食べたり、アゴラのシフトを組んだり、周りにならって地べたに座って待ってみたりした。 ドーハからエジンバラまでは7時間くらい。 私は飛行機がかなり嫌いで、乗る前に必ず心の中で3回くらい十字を切っている(なぜキリスト式なのかはわからないけどとにかく必死に神頼みしたくなるくらいまじで嫌)なのだけど、私は空を飛んでるのが怖いのではなくて、空中の揺れが怖かったらしい。でかい国際線は平気だけど、小さい国内線は怖い。
エジンバラ空港は思ってたより小さかった。 SIMを変えて出発。空港のコンビニ店員さんのSIMの説明が全く聞き取れなくて焦る。
倫敦どんより晴れたら巴里って感じの曇り時々雨で、降り立ってすぐに早速イギリスらしさを感じる。 お腹空きすぎて街に出るまで我慢出来ず、空港でサンドウィッチを買った。美味しかったけど、円安を感じるお値段。
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滞在するゲストハウスはエンジンバラ城のすぐ下だった。 てかエジンバラ城めっちゃホグワーツじゃん。
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日頃の生活リズムが狂いまくってるおかげで、時差ボケは全くなく通常運転で活動出来そうだったので、時差分増えた8時間で散策。
ふらっと古い教会にたどり着いたら、ヨーロッパ1怖いと言われてる墓地だった。 骸骨のモチーフがたくさん刻まれてたのだけど、どうしてお墓に骸骨? マクゴナガル先生とトムリドルのモチーフになった方々のお墓を見た。 雨が降ってて写真が撮れなかったので、別日に再訪した時の写真。
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お墓を見てたら、お城の方から大歓声が聞こえてきた。 予約しなかったミリタリータトゥーだとすぐにわかった。 こんな盛り上がってんの?絶対見た方がよくない?と思い直してその場で即当日のチケットを購入。 一旦宿に戻って、夜、持ってきた中で一番あったかいトレーナーを着て出発。
まずお城に入るまでにすごい人だかりだった。東京の花火大会みたい。 パンフレットを買ったけど、まじで私以外誰も買ってなかった。なんで。 座席のスタジアムっぽさもあってか、野球やサッカー観戦のような盛り上がり方をしていた。 The Royal Edinburgh Millitay TATTOO という名前(タイトル?)から、かなり厳格で伝統的な感じなのかなと思ってたら全然違った。いや全然違くはないんだけど、本気出した王立のエレクトリカルパレードって感じだった。私の感想は終わってるけどまじで爆上がりしたし見てよかったから機会があればぜひおすすめしたい。 あと、スコットランドのチームの演技が始まった時が一番盛り上がっていて、ああここはスコットランドなんだな、と思った。 写真はプログラムが全て終わった後の向かい側の客席と、並ぶ国旗。
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2022.08.27
朝起きて、オンラインMTをしてから出かける。
最初にジャルジャルを見た。 私が出したワードが2つともコントになって喜び。CUTE / CAT Train Man というトーマスを模した新しいキャラクターが生まれてウケてた。
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でっかいスモアクレープを食べた。隣に並んでた小学生くらいの男の子も同じもの食べてた。熱すぎた。
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元学校のアートスペースで2本目の観劇。 プロジェクターに映るテキストやプリンターから出てくる台本に従って観客が演じる形式がとられていて、このノリ方は日本では無理かも…と思いながら楽しんだ。 構内を普通に犬の散歩で通り過ぎてる人&犬がいてびびった。ここそういう感じで通っていいんだ。
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快晴だったので、次の予約まで再び散策。
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↑終わってる感想 ディズニーランド?て感じの城?塔?あれはなに
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↑ヨーロッパ1怖いらしい墓地でChillってる若者たち。 墓地だけでなく、すごい傾斜でもとにかく芝生のあるところでは必ず1人はChillってる。 もしかしてここも 墓地 < 芝生 という認識?
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↑逆光のアダムスミス(人混みすごすぎて諦めた)
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↑両替してなくて出来なかったピンボール
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↑お城のある旧市街の方は丘になっている。 丘を登って、くだると旧市街。丘をそのまま登るとエジンバラ城。 イギリスの歌詞や物語にはHillがよく出てくる(Mountainより出る)イメージがあるのだけど、確かに空港からの景色も山よりも丘という感じの盛り上がった土地が多かったような気がする。
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↑トレーラーで暗闇の中ヘッドフォンをして体感するイマーシブシアターを見た。 普通に怖かった。日本でもウケそう。
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↑ていうかめちゃくちゃ美しい街なのにゴミすごいな…世界中から人が来てるからこうなっちゃうのか…?と思ってたらストライキ中らしい。 ゴミの写真撮ってたら自由な犬きた。
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↑最後にもう一本演劇を見た帰り道、23時くらい。 若者が集まってスケートボードをしたりお酒を飲んでる横を通り過ぎた。 Not British と書かれたジャンプ台が置かれていた。
2022.08.28
10時からシェイクスピアの子供向け朝食クロワッサン付き演劇を見た。 To Beer or not to beer だけ元ネタがわかるもじりだった。
前半書きすぎてもう書くの疲れてきたし観劇ばっかりしてたからもう今日はさらりとおわらす。
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洞窟みたいなところを進んだところにある劇場?でも観劇。 たぶんフリンジの多くの会場は、普段は別のスペースとして使われてるだろう場所に仮設で劇場が組まれているのだけど、期間外はどうやって/どのくらい使われてるんだろう。
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観劇の合間にスーパーのホットスナックを買った。 ソーセージパンって書かれてたけど、思ってたのと違った。ソーセージの中身が入ったパンだった。ソーセージに対する概念の違いが浮き彫りになった出会い。美味しかった。
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大きい教会で観劇。ここもトラス組んで照明吊ってた。 2階席みたい場所があったけど、普段は何の部���なのかわからない。教会のこと全然知らない。
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20:30の明るさ。 全然日が沈まないから時間感覚が狂う。そんなはずはないんだけど、ここには昼と夜しかない。
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22:30開演のダンス公演を見に行ったら耳栓配られて怯えた。 1日の最後に耳イカれてしまうのか…?と思ったけど作品は最高だったし、耳栓はくれて本当にありがとうという音量だった。
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黄色いコーンを被せたり刺したりするのが主流のいたずらっぽい。 確かに日本の赤いコーンより小さくて、銅像に被せるのにちょうどいいサイズ。
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なんか…なんか食生活やばいかも⁉︎と思って急に買った野菜ジュースと今日までの観劇メモ。 無地のノート売ってなさすぎて2日間探し回った。1.5£
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7月に埼玉で上演していたパパイオアヌーの『TRANSVERSE ORIENTATION』にて、演出家の強烈な原風景を感じたシーンがあった。舞台上に現れた海岸と地平線は明らかに日本の海ではなかった。はっきりと、まざまざとその”演出家(あるいはチーム)の原風景”を見せつけられて完全にやられた。どこからどう見てもギリシャの海岸沿いだった。自分のルーツを、自分を構成している文化や習慣を、原風景を自覚することは、自分たちの作品に軸を通すのかもしれない。私は私(と私を構成してきた環境・文化・慣習・社会)のことを全くわかっていない。鏡がないと自分の顔を見れないのと一緒で、自分の中身を観察するにも鏡のような何かが必要だと思っていて、それでやっぱり海外に行こうと決めた。短くてもいいから、次にまた長く来たらいいからと、とにかく今!自分を構成している環境から離れてみるタイミングだと思って。もちろん語学もちゃんと伸ばして、英語でのクリエイションに物怖じしないくらいのパッションは身につけたい。
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私が子供の頃から飾ってた実家のクリスマスツリーのオーナメントに小さいリンゴを模したものがある。幼少期から「変な大きさのリンゴだな」と思ってたし、最近まで「妙に小さくデフォルメされてるな」と思ってた。けど、あれはヨーロッパサイズのリンゴなのかもしれない。
書きすぎた。 もう早速明日書かないかも。
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