三篇 上 その五
そこへ死んだ女房の霊も現れて、今度は、巫子に付いた亡妻の霊が
「あれ、唐の鏡には、ようがないか。私は、そなたの枕添いの女房じゃ。
厚かましくも、よくぞ問うて下さった。
そなたのような、意気地無しに連れ添って、私は一生食うや食わず、寒くなっても着物一枚着せてくれたことは無し、寒の冬も単物一つ。ああ、うらめしい。」
弥次郎兵衛は、それを聞いて、北八を一瞬見てから、
「堪忍してくれ、俺もその時分は貧乏で、可哀相におめえを、苦労の末に死なせてしまったが、心残りが多い」
北八この様子がおかしそうに、
「おお、弥次さん、お前、泣くのか。ハハハ、こいつは鬼の眼に涙だ。」
さらに、巫子に付いた亡妻の霊がいう。
「忘れもしない。そなたが悪性の腫瘍ができたとき、私にも、同じように悪性の腫瘍ができて、しかも、そなたの弟の次郎どのは体の震えが止まらない病気になって、その上、たった一人のわしら夫婦の子宝は、胃を患って異常にやせてしまった。
米はないし、毎日借金取りは押しかけるし、大家どのへの家賃の支払いも滞っているから、路地の犬の糞で滑っても、小言もいわれず小さくなって・・・。」
弥次郎兵衛は、『弟!?』と、一瞬、怪訝な顔をしたが、すぐに、元の様子に戻って、涙を流しながら、
「もうもう言ってくれるな。胸が裂けるようだ」
と、胸を押さえている。巫子に付いた亡妻の霊は、
「それに、わしが娘の時に奉公して、せっかく貯めた着物まで、お前様が、甲斐性無しだから、みんな質流れになってしまった。
悔しくて仕方が無い。一度、流したものはもう戻って来ない。」
弥次郎兵衛は、泣きながら、
「そのかわり、てめえはけっこうな極楽浄土へ行ってるじゃねえか。
娑婆に残った俺には、いまだに苦労が絶えぬ。」
巫子に付いた亡妻の霊は首をふりふり、
「やれやれ、何が結構なものか。友達らの世話で、私の墓の石塔は立てて下さったけれど、それっきり、墓参りもせず、寺へつけ届けもして下されねば、私の墓は無縁も同然になって、今では石塔も塀の下の石垣となりたれば、折りふし犬が小便をかけるばかり。
ついに一つ手向けられた事はござらぬ。
本当に、若くして死ぬと、いろんな目にあいます。」
弥次郎兵衛は、
「もっともだ。もっともだ。」
と、肯いている。
巫子に付いた亡妻の霊は
「そのつらい目に会いながら、草葉の蔭でそなたのことを、片時も忘れぬ。
どうぞそなたも早く冥途へ来て下され。やがてわしが迎えにきましょうか。」
弥次郎兵衛は、びっくりして、
「ヤァレとんだことを言う。遠い所を、かならず迎えに来るにゃァおよばねえ。」
巫子に付いた亡妻の霊が、
「そんなら、わしが願いをかなえて下され。」
「オオなんなりと、なんなりと。」
「この巫子どのへ、お銭をたんとやらしゃりませ。」
「オオやるとも、やるとも。」
と、しきりに肯いている。
巫子に付いた亡妻の霊は、
「ああ、名残惜しい。語りたいこと、問いたいこと、数限りあるけれど、冥途の使いは多忙なので、そろそろ弥陀の浄土へ。」
と、うつむいて巫子は梓の弓をしまう。
弥次郎兵衛は、流れる涙をぬぐいながら、
「これは、これは、ご苦労でござりました。」
と、約束の金を、紙に包んで巫子に渡した。
北八は、この様子をおかしく見ていたが、
「暗やみの恥を、とうとう明るみにぶちまけてしまった。ハハハ。
ところで、弥次さん、お前、なんだかふさぎ込んでいるようだ。
どれ、一杯飲もうじゃねえか。」
と、酒を飲む真似をすると、弥次郎兵衛は、こくりとうなずいて、
「それもよかろう。」
と、手を叩いて宿の女中を呼び、酒と肴をいいつける。
巫子がそんな二人に話し掛ける。
「今日は、お前さまがたァ、どこからおいでになりました。」
「はい、岡部から来やした。」
弥次郎兵衛がこたえる。
「それはお早うおざりました。」
弥次郎兵衛は、自慢げに、
「なに、私ら、歩くことは韋駄天さまさ。
さあ、というと、一日に十四五里づつは歩きます。」
それを受けて、北八が、
「その代わり後で十日ほどは、役に立ちやせぬ。ハハハ。」
と、この間、女中が酒と肴を持ち出す。
弥次郎兵衛は、
「ちとあがりませぬか。」
と、巫子に酒を勧めるが、
「わたしは一向にいただきませぬ。」
と、巫子は断ってきた。
「あちらのお方はどうだ。」
北八が、そう声をかけると、
「かかさんお出で、サァおかまさんもお来なさいまし。」
と、巫子は、奥の方にいる他の者に声をかけた。
これを聞いて、北八は、
「ははあ、ありゃお前のお袋か。ええ、こいつは滅多なことは言えないな。
まず盃を上げやしょう。」
と、これより酒盛りとなり、差しつ差されつ、この巫子ども、思いのほかに大食らい大酒飲みで、いくら飲んでもしゃァしゃァとしている。
弥次郎兵衛と北八は大いに酔いがまわって、いろいろとおかしい洒落や冗談で女たちの気を引いたが、あまりくだくだしいので略す。
北八は巻き舌で、
「ナントお袋さん、今夜おめえのお娘を、わっちに貸してくんなせえ。」
それに、弥次郎兵衛が、割り込み
「イヤおれが借りるつもりだ。」
北八は目をむいて、
「とんだことをいう。おめえこそ今宵は精進でもしてやりなせえ。
かわいそうに、死んだ嬶衆があれほどに思って、どうぞ早く冥途へ来い、やがて迎えにこようと、親切にいうじゃァねえか。」
弥次郎兵衛は、
「ヤレそれを言ってくれるな。迎えに来られてたまるものか。」
北八は、それ見たことかと、
「それだから、おめえはよしな。ささ、お袋、おいらに決まった。」
と、巫子の娘にしなだれかかるを、突き放して巫子は逃げる。
巫子は、
「およしなさりませ。」
と、巫子の婆の後ろに隠れると、
「娘がいやなら、わたしでは。」
と、北八の方を見上げる。
「もう、こうなっちゃァ、だれかれの見境はない。」
と、夢中になって女たちの気を引こうと大騒ぎする。
この間にお勝手から膳も出て、ここでもいろいろあったが略す。
はや酒もおさまり、弥次郎と北八も次の間に帰り、日が暮れるやいなや、床を取らせて寝かける。
奥の間の巫子たちも、旅疲れのせいか、もう寝かけるようす。
北八は小声で、
「なんでも巫子の若い新造めが、一番こっちの端に寝たようすだ。
後で夜這いをかけてやろう。
弥次さん、寝たふりしてくれるのが粋な通人と言うものだぜ。」
それに答えて、
「おきゃァがれ。おれが抱いて女にしてやるわ。」
北八も、笑いながら、
「気が強え。大笑いだ。」
などといいながら、両人ともぐっと夜着をかぶって寝る。
すでに夜も五ツを過ぎて、四ツ時回りの火の番の拍子木の音が枕に響き、台所で明日の味噌をする音もやんで、ただ犬の遠吠えばかり聞こえて物さみしく、夜もふけ渡るころ、北八は時分はよしと、そっと起き上がり、奥の間をうかがえば、行灯は消えて真っ暗闇。そろそろと忍び込み、探りまわして、かの若い巫子のふところに、にじり込むと、思いのほかに、この巫子のはうから、ものをも言わずに、北八の手を取って引きずり寄せる。
北八は、こいつはありがたいと、そのまま夜着をすっぽりとかぶって、手枕の転び寝に、女と仮りの契りをこめた後は、二人とも前後を知らず、鼻突き合わせてぐっと寝入る。
弥次郎兵衛はひと寝入りして、目をさまして起き上がり、
「さて、何時だろう。手水に行こか。コリャ真っ暗で方角が知れぬ。」
と、小便に立つふりして、これも奥の間に這い込み、北八が先を越したとはつゆ知らず、探り寄って夜着の上からもたれかかり、暗がりにまぎれて、寝ているのはあの若い巫子と思い抱きつくと、ムニャムニャいう唇をなめまわしあんぐりと噛みついた。
噛まれたのは北八で、びっくり胆をつぶして目をさまし、
「アイタヽヽヽヽヽ。」
弥次郎兵衛は、その声にびっくりして、
「オヤ北八か。」
「弥次さんか。エヽきたねえ、ペッペッ。」
と、顔をしかめて大声を上げる。
この声に、北八と寝ていた巫子も目を覚まして、
「コリャハイお前っちはなんだ。そうぞうしい。静かにしろ。娘が目をさます。」
と言う声は、まさしく婆ァの巫子。北八は二度びっくり。
こいつは取り違えたか、いまいましいとはい出て、こそこそと次の間へ逃げ帰る。
弥次郎も逃げようとするのを、婆ァの巫子は手を取って、ひきずりながら、
「おまえ、この年寄りを慰んで、今逃げることはござらぬ。」
弥次郎兵衛は、真剣に、
「イヤ入違えだ。おれではない。」
「インネそう言わしゃますな。わし共は、こんなことを商売にゃァしませぬが、旅人衆の退屈を慰さめて、ちっとばかしの心づけを貰うが世渡り。
さんざっぱら慰んで、ただで逃げるとは厚かましい。
夜の明けるまで、わしがふところで寝やっしゃませ。」
と、婆の巫子は譲らない。
弥次郎兵衛は、大慌てで、
「これは迷惑な。ヤイ北八、北や。」
その声を隠すように、婆の巫子が、
「アレハイ大きな声さっしゃますな。」
と、弥次郎兵衛の口を押さえに掛かる。
弥次郎兵衛は、その手を引き離しながら、
「それでもおれは知らぬ。エヽ北八めが、とんだ目にあわしゃァがる」
と、ようよう無理に引き離して逃げようとすれば、また取りつくのを突き倒して、がたぴしと蹴ちらかし、そうそうに次の間へ這い込みながら、
巫子ぞと 思うてしのび 北八に 口を寄せたる ことぞくやしき
しのんで来たと“きた八”が語呂合わせ。巫子の口寄せにこじつけて、北八に口づけしてしまったと悔やむということ。
三篇 下へつづく。
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第一場 大津三井寺
湖を望む舞台付の広間
湖畔の高台にある三井寺の一坊、板張りの大広間。奥一面の欄干の向こうには琵琶湖の眺望。上手側は湖を借景とした広い舞台になっており、芝居道具の大釣鐘が一つ、その中央に置かれている。
下手側、簡素な床の間に掛かった鬼の大津絵でここが近江の三井寺であることを示す。床の間の前には無人の円座が数枚、舞台の観覧席の様に並んでいる。床の間の裏手に伸びる欄干は庫裡へと続く出入口。
猿楽一座の頭・松阿弥と僧円了、語り合う様子で中央に板付きにて幕開く。やや下がって桐夜叉と梅夜叉、背筋を伸ばして控えている。
円了 なれば方々は紀伊紀三井寺道成寺より吉野を抜け、この大津三井寺園城寺にまで遥々と、猿楽舞の奉納のみならず、寺の鐘に伝わる物語を聞きに参られたと、そういう事にござりまするか。
松阿弥 はい、左様にござります。我ら女猿楽の一座。他の猿楽、能楽一座の方々と違い、常々、女性〈にょしょう〉ならではの情や念、美を舞って御覧じようと考えてございます。中でも、我ら一番の得意といたしまする猿楽舞の『道成寺』。蛇に成った清姫が安珍を焼き殺したというその物語の御寺の鐘、せめて一度は拝まねばならぬ──との思いから、紀三井寺道成寺に参りましたるところ「鐘と蛇、女人の情念の物語は道成寺だけのものにはあらじ。三井寺の梵鐘の物語も是非学ばれてはいかが」との御住持のお言葉。故にこちら、近江三井の御寺に参ったと、かような次第でございます。
円了 ウム。たしかにその御坊の仰せの通り、この三井寺の梵鐘にも蛇と女人の情念にまつわる話はござりまするが……。
桐夜叉 (少し身を乗り出して)……その情念とは、一体どんなものなのでございましょう? 嫉妬でございます? それとも執着?
円了 ホウ。何ゆえ左様に思われまするか?
桐夜叉 何故……と仰言いましても、女は嫉妬深いもの、蛇は執念深いもの ── それは現在後醍醐帝の御代になるよりもずっと昔、神武以来の決まり事。(隣の梅夜叉に) ……そうであろうノウ?
梅夜叉 神武以来かどうかは知りませんけれど、我らが猿楽で舞って御覧に入れる女人の相は、たしかに左様なものが多うございますわね。……和尚様。こちらの御寺の梵鐘には、サテ、どんな物語が伝わっているのでございますか?
円了 (笑いながら)残念ながら、方々が思われている情念とは、ちと種類が違いましょうな。
梅夜叉 違うのですか?
円了 左様。三井の梵鐘にまつわる女人の情念とは、コレすなわち捨身の誠。
桐夜叉 しゃしん?
円了 「身を捨つる」と書いて「捨身」。……大切なる者のため、自らの眼を刳り抜いた蛇の女房の物語が、当寺の梵鐘の響きには籠っているのでござります。
女たち、不思議そうに顔を見合わせる。
円了は立ち上がって上手舞台、芝居用の釣鐘の前まで進む。しばらくじっと鐘を眺め、そして語り出す。
円了 その昔、琵琶湖々底の龍宮、龍神の眷属の末に連なる一匹の蛇が、地上の世界、近江源氏の棟梁に恋をしました。美しい女人の姿に変成した蛇は、殿に見初められて奥方となり、玉の様に美しい若君を産みました。……なれど、その襁褓も取れぬうち、蛇は龍神のお召しにて、龍宮へ戻らねばならなくなったのでございます。別れ際、泣き止まぬ我が子に、母は形見と、地上に在っては宝珠となる己の片目を刳り抜いて与えました。その珠を握りしめた若君はようやく泣き止み、そして、蛇は水底、龍宮に帰ったと申します……。
しばしの間を置いて
円了 しかしその噂、鎌倉にまで届き、蛇の三つ鱗が紋所、龍神崇める北条殿より宝珠献上のご下命。鎌倉の将軍家はもとより、京の帝の御心さえも脅かす執権殿の御威勢、否と言えるはずもなく……。殿は珠を握りしめる若君の掌を解き、宝珠を六波羅に差し出したのでございます。
松阿弥 サテ、和尚様。鎌倉の将軍様、執権の北条殿、近江源氏の殿様……と申さるるからには、それはさほど昔ではない、当代の物語なのでございましょうか?
円了 左様。その殿というは先代の佐々木の殿様、佐々木宗氏様の事。
松阿弥 ならば、その若君と申さるるは?
円了 現在佐々木のご当主、佐々木高氏道誉様。
松阿弥 なんと。ご当地のお殿様の不思議の物語、この様に気安く話して、サテ、お咎めの恐れはないのでございましょうか?
円了 (穏やかに頷いて)方々もお噂はご存知あるやもしれませぬが、道誉様は少々風変わりなご気性のお方ゆえ、むしろその物語をご自慢なさってございまする。……事実、その出来事がきっかけで佐々木の御家は北条得宗家のご昵懇となり、道誉様は執権高時殿のお小姓として永の寵愛。そして昨年、高時殿ご出家の折には供にご出家。それ故の法号『道誉』をお名乗りなのでございます。
梅夜叉 マァ。近江の国のお殿さまは、お坊様なのでございますか?
円了、元の位置に戻って座る。
円了 仏法への深い帰依、得度をなさった ── という意味のご出家。坊主頭に墨衣 ── という訳ではござりませぬよ。……それどころかそのお姿は、まるでそなた方、猿楽舞の役者衆にも負けぬくらいの華やかさ。
梅夜叉 エ?
円了 目の醒める様な緋色の襦袢、その上に半身違いの金襴の直垂付けて、舞う様な軽やかな足取りで、西へ東へ、南へ北へ、遊戯神通〈ゆげじんつう〉、神出鬼没の立ち居振る舞い。近頃流行りの婆娑羅とか言う、型にはまらぬその生きざま。
桐夜叉 ばさら……にございますか?
円了 左様。真っ当真っ直ぐではなく、この様にこう(身を傾けて見せ)……傾〈かぶ〉いた生きざま。
松阿弥 ウム。女どもは存じぬやもしれませぬが、確かに、道誉様は当代きっての風流にして聡明な殿様と、我ら猿楽座頭の仲間内にも噂は聞こえておりまする。……しかし、その様な聡いお方が何ゆえ、風変わりな婆娑羅の道に生きられるのか?
円了 サテ。それは拙僧にも判りませぬ。直接お目に掛かり、みずからお尋ねなさるがよろしかろう。
松阿弥 お目にかかれましょうや?
円了 道誉様は連歌、猿楽、能、狂言……風雅な芸能に目のない殿様。方々の三井寺逗留の報告にも、きっとご関心をお持ちのはず。きっと、ほどなく……
松阿弥と女たち、密かに視線を交わして頷き合う。
円了が見ている事に気付き、桐夜叉は誤魔化す様に口を開く。
桐夜叉 ところで和尚様。その片目を失った蛇の女性の物語と御寺の梵鐘には、一体どんな関係があるのでございましょう?
円了 ああ、そうでござった。途中で逸れてしまった話の、続きに戻るといたしましょうか。
桐夜叉 ええ、どうぞお願いいたします。
円了 ウム。エヘン。母の形見、握った宝珠を北条殿に奪われた若君は再び泣き出し、どうあやしても泣き止まぬ日々が続いたそうにございます。ある夜、困り果てた父君は御自ら、せめて母親の近くへと、琵琶湖の湖畔へ若君を抱いてお連れになりました。すると、白い晒を目元に巻いた盲〈めし〉いの女人 ── 再び人の姿に変身した蛇の母君が現れ、あらためて若君に宝珠を授け、それにてようやく、若君は泣き止まれたと申します。
梅夜叉 じゃあ、母君様はもう片方の目も?
円了 左様。愛しい我が子のため、蛇の奥方は自らの両眼を捨てた ── それが、三井の梵鐘にまつわる女人と蛇の物語。
桐夜叉 けど和尚様、そのお話と梵鐘に、一体何の関係があるのでしょう?
円了 サテ、それはここからの物語。
湖底に戻る前、母君は言い遺したそうでございます。
「盲目の身となった上からは、水底の我はこれから、三井寺の鐘の音のみを導〈しるべ〉に生きてゆかねばならぬ。それゆえ日々 ── 自らの位置を知るため、忘れる事なく時の鐘を鳴らして欲しい。そして年々 ── 我が子の成長を知るため、大晦日に我が子の年と同じ数だけ除夜の鐘を撞いて欲しい。そしてもし、佐々木の御家、天下国家に一大事が起きたなら、夜中〈やちゅう〉続けさまに鐘を叩いて撞き鳴らせば、きっと龍宮の眷属率いて、加護に参上いたすであろう」 ── と。
松阿弥 ホウ。龍神眷属の加護とは心強い。その様な加護があるならこの世に道誉様の敵はなし。北条様の平氏から、佐々木様の源氏の手に、天下経営の権を取り戻すのも思いのまま……ではござりませぬか?
円了 道誉様は執権殿第一のご昵懇。その様な事をせずともご安泰の御身の上。むしろ夜中に鐘を響かせ、謀反叛逆疑われる事をご用心なされ、三井の晩鐘を撞く事を固く禁じておられまする。とりわけ近頃は、先年露見した帝の倒幕の御企てなど、なにやら不穏な世の中ゆえに……。
松阿弥 ホウ。
梅夜叉 もし禁を破って晩鐘を撞いたなら、その者は一体、どんな罰を受けるのでございましょう?
円了 撞いた鐘の数だけなますに斬られ、その上で琵琶湖に沈めらるるが掟。
梅夜叉 マァ……恐ろしい。
ト、花道に取次の僧登場。七三にひざまづいて
取次の僧 本坊書院に京極貞満様、御入来になられてござりまする。
円了 左様であるか。……では、そちらに参るといたそう。
取次の僧 いえ、御坊様。京極様は猿楽一座の方々が居られる、こちら舞台の間にお越しになられたいと、その様に仰せでございます。
円了 ホウ、左様か。(一座に微笑み)道誉様は早速方々にご興味を示されたご様子。……では、こちらにご案内を。
取次の僧 はっ。
取次ぎの僧、元に退場。
松阿弥 京極貞満様……と申さるるは、サテ、いずれのお方にござりましょう?
円了 佐々木のご分家、道誉様の弟君にございます。
ト、揚幕開いて足音響く。舞台の全員、花道に向き直って頭を垂れる。
花道より京極貞満登場。落ち着いた色の直垂に折烏帽子、一般的な鎌倉武士の姿。舞台へ進んで円了の隣、床の間近くの円座に腰を下ろす。
円了 これはこれは京極様、ようこそお越し下さいました。
貞満 イヤサ御坊、���ばらくぶりにござりまするな。お変わりなき様で、何より。
円了 京極様におかれましても、ご機嫌よろしゅう何よりにござりまする。……サテ、本日は何御用ゆえのお出ましにござりましょう?
貞満 ウム。(松阿弥たちを見て)三井寺に逗留し、猿楽舞を奉納する女猿楽一座というのはその方らであるか?
松阿弥 はい。我らがその女猿楽一座、座頭と役者どもにござります。
貞満 左様か。……(円了に向き直り)御坊にはお察しあろう。彼らの来訪が兄上の耳に入り、その珍しき女人の芸能をご覧になられたいとの御仰せ。ご準備あった連歌の会をひとまず置いて、只今すぐ、こちらに参られたいとの事。先駆けて伝えて参れと、マァ、いつもながらの御性分。
円了 (松阿弥に)ソレ、思った通り。
松阿弥 御慧眼畏れ入りましてござりまする……。( 女たちを見遣り)殿様お見えの上からは、サァ、庫裏の楽屋に控える楽人どもに声を掛け、舞台の準備始めねば。
下手、床の間の裏手に続く欄干(楽屋の方向)に視線を向ける。
ト、揚幕の内より声。
声 道誉様、お出でになられてございます。
松阿弥 (驚き)コリャ、こうも早速。
舞台の全員居住まいを正し、道誉を待って花道に向き直る。
しばしの沈黙。
ややあって道誉、花道ではなく下手欄干奥、楽屋側から大きな足音を立てて登場。半身違いの奇異な直垂姿。片手に銀の鱗柄装束(道成寺衣装)を掴み、舞台中央にて堂々たる立ち姿。
続いて猿楽一座の男二人、道誉を追って登場。道誉の背後に立ち並んで芝居用の竹光握って身構える。
男一 どこのどいつかは知らねども、我ら一座の大事の衣裳、かっぱらうとは悪い了見。サァ、返せ、返せ。
男二 派手な姿に切れある身ごなし、真っ白顔の色男。こやつ、きっとどこぞの役者に相違ない。(顔を覗き込み)サテ、この顔どこかで見た様な……。わかった! 坂東にて評判の、〇〇一座の△太夫に相違ない!(※実演者に合わせて)そうであろう!
二人 そうであろう!
道誉 (ややあって機嫌良く)ハハハ、これは愉快なる人違い。
正体を察している松阿弥と女たち、両手を挙げて男たちを制する。円了と貞満、顔を見合わせて苦笑、道誉に向き直って頭を下げる。
円了 これはこれは道誉様、
貞満 兄上、
円了 ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じまする。
男たち え?
男たち事情を察し、慌てて畏まってうずくまる。
男一 これはこれはとんだご無礼、
男二 つかまつりましてござりまする。
道誉、堂々と一座を見渡し
道誉 いやなに、庫裏の軒先に、この装束が掛かっているのが見えたのだ。……蛇の鱗柄は俺の産着と同じ柄。つい懐かしく思うてな。暫時羽織ってみたくなった……ただそれだけの事。
ト、装束を肩に掛けて扇を取り出し、上手舞台に進む。鐘の周囲を舞う様にして一周。元に戻って装束を脱ぎ、一座の男にポンと投げ渡す。
道誉 もう気は済んだ。返して遣わす。
男たち ハハッ。
男たち装束を持って退場。
道誉、中央に腰を下ろして松阿弥たち一座と向き合う。
道誉 サテ、当代めずらしき女猿楽一座というのは、その方らか?
松阿弥 (頭を下げて)左様にござりまする。身どもは座頭の松阿弥、それに控えまするは当一座の二枚看板、桐夜叉と梅夜叉と申す役者どもにござりまする。
一層深々と頭を下げ
松阿弥 京と鎌倉を結ぶ要衝、近江の国をご支配なさる佐々木源氏の棟梁、その名も高き道誉様。ご尊顔を拝し奉り、身にとりまして、いかほどか……。
ト、徐々に言葉に熱がこもって顔を上げる。道誉と松阿弥、じっと視線を交わす。
道誉 サテ、浮かれ稼業に似合わぬ眼光。いつかどこかで、見た事のある様な……。
松阿弥、ハッとして頭を下げる。
桐夜叉 (繕う様に引き受けて)オホホホ。お殿様と同じ様に、我らが殿さま……座頭も、よくどこぞの役者と間違われましてございます。
梅夜叉 ホホホ。何と申す役者でしたでしょう。たしか……
松阿弥 (とぼける)サテ、よく間違えられる何とやら……と申す者とは別人なれど、我ら猿楽舞の楽人の流儀、もし殿様のお許しあらば、ご挨拶代わりの舞を一指 ── 。
道誉 ウム、それは良い。許して使わす。
松阿弥 ハハッ。
松阿弥、立ち上がって上手舞台に進み、即興風の謡曲を舞う。
松阿弥 〽︎ 役者とは 是れ皆人なり
人も是れ 皆役者なり
折々の時々の
己が役を
舞いにけり
舞いにけり
舞い納め、腰を下ろして一礼。円了と貞満、穏やかに拍手。
道誉は満足げに頷き、立ち上がって返しの舞
道誉 〽︎ 舞いにけり 舞いにけり
今世一生捨て置いて
只ひたすらに舞いにけり
一生は嘘 舞こそ真〈まこと〉
一生は嘘 舞こそ真
舞い終わって着座。満座の拍手。
道誉 (女たちに)美しき白拍子を差し置いての余興の一指し、許してくれよ。
松阿弥 (頭下げて)かようにお見事なる身のこなし、本職の猿楽師でもなかなか出来るものではござりませぬ。それに比べて我が身のつたなさ……。まことに、恐れ入りましてござりまする。
道誉 つたなくはあるまいが、その方、どうやら本職の猿楽師ではない様子……。
なかば独白の様に言い、道誉はじっと松阿弥を見つめる。 松阿弥、恐れ入る様に一層頭を下げる。
松阿弥 身どもは表舞台の役者ではなく、一座を率いる座頭に過ぎませぬゆえ。
道誉 マァ、そう言うのならそれでよい……。
(明るく仕切り直し)シテ、その方ら何方より参ったのだ?
白拍子たち、揃って指着き
桐夜叉 我ら京の女猿楽一座、紀伊紀三井寺道成寺の鐘を拝みに参り、
梅夜叉 こちら三井寺の鐘の御噂承り、
桐夜叉 紀ノ川沿いに吉野へ上がって、
梅夜叉 千本桜の名勝と、尊皇の心篤き蔵王権現、修験者の方々にご挨拶、
桐夜叉 大和の道を北に上���、
梅夜叉 この近江三井寺園城寺へと、
二人 着きにけり。着きにけり ── 。
桐夜叉 という次第でござりまする。
道誉 左様か。(貞満に)そういえば先頃、帝倒幕御企ての折、吉野の修験者に化けて諸国遍歴、各地の武士に勅使して捕らえられた公卿がいたが、ハテ、その名を何と申されたかのう?
貞満 日野権中納言資朝〈ひののごんちゅうなごんすけとも〉卿とその従兄弟、日野蔵人俊基〈ひののくらんどとしもと〉卿であったかと。
道誉 シテ、その方々のご処分は?
貞満 確か権中納言殿は佐渡に配流、蔵人殿は帝のたってのご希望あってお咎めなし ── との決着のはず。
道誉 貞満、御坊、その方たちのお顔、存じ上げておるか?
円了 いいえ、
貞満 存じませぬ。……が、何故?
道誉 いいや。修験者と聞いてふと思い出したまで。
ト、思い入れ
道誉 ……この道誉の元も、訪ねて下されば良かったものを。
貞満驚き
貞満 これは兄上、異な事を申される。我ら佐々木と京極、鎌倉の将軍様にも執権殿にも、御高恩筆頭賜る源氏の一家。兄上には、まさかの叛意……。
ト、人々に聞かれた用心、皆殺しの覚悟で密かに刀に手を掛ける。
道誉 ハハハハハ、そうではないのだ弟よ。俺はただ、見てみたいと思ったのだ ──
ト、思い入れ
道誉 帝、将軍、公卿、大名……我らは各々、自らの役を勤めて生きている。その普段の役とは別の役を演じ、この世の仕組みを変えようと企む者たち……その命を懸けた芝居とは、一体どの様なものだったのか、俺はただ、見てみたいと思ったのだ。
しばしの沈黙。
貞満 ハハ、ハハハハハ。兄上の物好きは筋金入り。酔狂、酔狂。ハハハハハ。
貞満、ホッとした様子で密かに刀から手を離す。
道誉 (冗談めかして女たちに)……よもやその方ら、猿楽一座に化けた帝の使い ── ではあるまいよな?
しばしの間あって
桐夜叉 ホホホホホ。殿様が左様な芝居をご所望なれば、我ら芝居が本分の役者ども。即興にて演じてご覧に入れましょう。ネ(背筋を正して松阿弥に)……日野蔵人、俊基さま。
松阿弥ハッと呑み込んで
松阿弥 ウム。左様なれば。……勅定である。
ト、一座の者姿勢を正す。松阿弥立ち上がって取り出した懐紙を綸旨に見立て、高く目の前に掲げる。道誉は居住まいを正し、懐紙に向かって頭を下げる。貞満と円了、呆然と様子を眺める。
柝、一打ち。
松阿弥、懐紙を広げて勅命を読み上げる心。
松阿弥 臣下たる執権北条一門が将軍家の実を握る逆さま事、そのまま鎌倉が朝廷を軽んずる逆さま事と相成りて、世の秩序、大いに乱る。その乱れ糺さんと、先年兵を募りしが、口惜しきかな、下臈の口より漏洩頓挫、時宜を得ず事成らず。なれどこの逆さま事、このまま続くを糺さざれば、天下太平程遠く、人心の荒廃せしをえとどめず。しからばこの度、朕と志ともにする有意の臣を再び募り、誤りの���を真の世に、天命を革むるの号令を、我が直臣、日野蔵人俊基をして各地各国の大名諸卿に、ここに勅定、申し伝えるべきものなり。
松阿弥、読み上げた体の懐紙の内側を道誉に差し向ける。道誉、畏まる様に頭を下げる。
ややあって道誉、肩を揺すって笑い出す。
道誉 ハハハハハハ。(松阿弥を見上げ)俊基卿、そなたは芝居の俊基卿か? それとも真の俊基卿か?
松阿弥 (元の猿楽師の様子に戻ってひざまづき)ハハッ。芝居の俊基卿……と申し上げますれば、道誉様にはいかな御言葉下さりましょう。
道誉 ウム。上使の役は、マァまずまずの出来。なれど、勧進帳の空読み、弁慶の様な役には、まだまだ勉強が必要だな。
松阿弥 (頭下げ)畏れ多きご指導、誠にありがとうございます。なれば……
すっくと立ち上がり、上臈の見得
松阿弥 猿楽師とは世を忍ぶかりそめの姿、麿こそは真の日野蔵人俊基……と申さば、道誉殿、そなたは如何いたしまするか。
ト、柝打って引っ張りの見得。
道誉 しからば俊基卿、その勅定に従えば、身どもには如何なる得がありましょう?
松阿弥 本領の安堵と加増、官位栄達。義に従って行動せば恩賞褒美は思いのまま。
道誉 我が本領、我が地位は今で充分。その様なもの、殊更欲しいとは思いませぬ。
松阿弥 ならば大義に従った忠臣 ── との、末代、未来の家名の誉れ。
道誉 そんなものは尚更要らぬ。むしろ北条殿の世が続けば、その未来の忠臣とやらはただの未来の謀反人。
松阿弥 なれば道誉殿、そなたは何をもって得と考え、何をもって進む道を決められまするか?
道誉 面白くもなきこの浮き世、ただひと時でも面白く、思いのままに楽しむ事 ── それこそが身どもにとって何よりの喜び。それこそが、身どもが進む婆娑羅の道。
松阿弥 面白くもなきこの浮き世を、ただひと時でも面白く、思いのままに楽しむ事……。
しばしの間。
ややあって梅夜叉おもむろに
梅夜叉 それは、我ら役者が生きる芝居の世界……まさにそうではございませんか?
道誉、対勅使の芝居を終える。
道誉 ハハハハ。そうかもしれぬ。所詮は嘘に過ぎぬものを真〈まこと〉と崇める浮き世より、嘘こそ真の芝居の方が、俺にとってはよっぽど真。
ト、立ち上がって上手舞台に進む。
道誉 なれど、たかだか三間四方、この小さな舞台の上だけでは、俺はもう満足はできぬのだ。浮き世すべてを舞台にして、己が命を賭けた芝居 ── その一生を生きる事こそ俺の望み。それこそが近江源氏の棟梁、この道誉が進む婆娑羅の道。
ト、揚幕開いて再び取次の僧登場。早足で七三まで進んで注進。
取次の僧 御坊様に申し上げまする。六波羅探題詮議方、長崎高教様、糟屋二郎様。佐々木道誉様をお尋ねあって、書院の方にお見えになってござりまする。
取次の僧、舞台に進んで下手に控える。
円了 ハテ、六波羅の侍衆が、何の御用?(道誉に向かって)道誉様、六波羅の方々がお見えとの事でござりまするが……。
猿楽一座の者ども、用心する様に顔を見合わせ、道誉を見上げる。
道誉 連歌の会の約束を放り出して、俺は役者たちに会いに来た。さだめし、館で待つのにしびれを切らして俺を追って来たのであろう……。皆で出迎えこちらに案内、彼らも共に芝居を見物すると致そうか。
貞満と視線交わして頷き合い、松阿弥に顔向けて微笑む。
道誉 客を出迎えに参る間、ご準備のほど頼みまするぞ。俊基、卿。
道誉花道より退場。貞満、円了、取次の僧、後に従う。
揚幕が閉じるのを見計らい、女たち松阿弥のもとに駆け寄る。
桐夜叉 殿さま、
梅夜叉 俊基さま。
俊基(松阿弥) せっかく道誉殿に近づけたというのに、厄介な事になってしまった。
桐夜叉 その六波羅の者どもは、殿さまのお顔を存じ上げているのでしょうか?
俊基 ああ、宮中出入りの目付衆、もとより顔は見知った仲。
女たち、うろたえた様子で顔を見合わせ
梅夜叉 なれば我ら二人が舞いまする間、殿さまはひとまず先に、次なる目当ての越前へ。
俊基 なれど、さすればそなたたちは……。
桐夜叉 舞い納めれば、我らも急ぎ後を追い……。大津の浜の葦原にでも、隠れてお待ち下さいませ。
女たち頷き合って俊基を立たせ、下手欄干奥へと導いて退場。
裏方たちと楽人たち替わって登場。裏方たちは舞台の準備、楽人たちは舞台上手に並んで着座、囃子の準備を整える。円了、道誉、長崎、糟屋、貞満、花道より列を成して登場。下手の円座にそれぞれの座を占める。
ややあって楽人たち前奏を始める。
衣裳を整えた桐夜叉と梅夜叉、欄干を橋掛かりの様にして登場。舞台中央に座して一礼。
桐夜叉 これに控えまするは女猿楽の二人、桐夜叉と梅夜叉。
梅夜叉 お目に掛けまするは我らが十八番〈おはこ〉、二人勤めの道成寺。
桐夜叉 ご覧なされて、
梅夜叉 下さりませ。
糟屋 ……待て。猿楽の口上は座頭が勤める慣例。どうしたのだ、その方らの座頭は?
桐夜叉 畏れながら、これが我が一座の流儀なれば……。
長崎 (糟屋をなだめて)マァ待て、糟屋。それなる女役者がこの一座の座頭 ── と、そういう事ではないのかの?
桐夜叉、思わぬ助け舟 ── と、ホッとして頭を下げる。
ト、道誉おもむろに声を上げる。
道誉 サテ、俊基卿はどこへ行かれたのかのう?
糟屋 ナニ?
長崎 道誉殿、俊基卿とは、サテ、それはどちらの俊基卿にござりましょうかの?
道誉 俊基卿と申せば、ソレ、日野蔵人俊基卿にござりましょう。
糟屋 何と? 無罪放免を良い事に、まさか、再び帝の密使を?
長崎 道誉殿、それは一体、どういう事にござりまするかな?
道誉 ナニ、この一座が吉野から来たという話から、先ごろ修験者に身をやつしての諸国遍歴、かの密使の公家になぞらえた座頭の芝居、最前まで楽しんでいただけの事。
長崎 ほう。芝居、にござりまするか?
道誉 左様、芝居にござります。
長崎 ハハハハハ。道誉殿の相変わらずのご酔狂、げに面白き婆娑羅なお人よ。
糟屋 (なお承服しかねる様子で女に)ではその座頭は、一体どこに?
答えられずうつむき続ける女たち。ややあって道誉
道誉 オオ、そう言えば、次なる舞の奉納先に一足先の出立とやら、オオ、確かその様に申しておった。……ノウ、そうではなかったか?
梅夜叉 (咄嗟に辞儀し)ハイ、左様にございます。
道誉ひそかに思い入れる(梅夜叉の反応に、松阿弥の正体を確信する)。元に戻って長崎たちに向き直り
道誉 見逃してとりたてて惜しい役者 ── という訳でもござらぬ。ご両所もそう気になさらず、女どもの猿楽舞を楽しまれるがよろしゅうこざろう。……サァ、始めるが良い、女ども。
女たち頷き合い、あらためて頭を下げる。
楽人たち演奏を始める。女たち立ち上がり、鐘の前で舞を始める。しばしの舞。ほど良くして盆回る。
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