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#いま小幌駅周辺は春真っ盛りです
u543z · 2 years
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ふたたび噴火湾🌊お花見散歩🌸🍞🌱✨ #ブーランジェリージン #BoulangerieJIN #伊達 #有珠善光寺 #エンレイソウ #小幌駅 #小幌海岸 #今季初ウド #キクザキイチゲ #アズマイチゲ #はじめて一枚のなかにおさめる📷✨ #ミドリニリンソウ #グラデーション少なめ #真緑が多い #伊達ワイルドルッコラ #定山渓渋滞 #いま小幌駅周辺は春真っ盛りです #奇跡的ダニ知らず #ニリンソウ満開 #ヒトリシズカ #ネコノメソウ #フッキソウ #ナニワズ #タニワサビ #静狩峠 #礼文華峠 #秘境駅 #お花と山菜どっち好き (有珠善光寺) https://www.instagram.com/p/CdI34lHvkDd/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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rayme-synk · 3 years
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5年半ぶりに北海道行った時の話-道南編-
北海道はなんか魔力みたいなものがある。そう思わんか。
町中から暫く走るだけで、視界が大きく開けて、牛や馬がのんびり草を食べている風景が広がり、またしばらく走れば海岸線や山奥を走り、四季折々の風景を数時間にわたって見せられる、「ザ・旅情」を濃縮しすぎた液体をそのまま飲まされたような感覚をこの島に来るたびに味わっているような気がします。
『北海道』を過剰摂取しすぎてそのうち医師から渡道は四半期に1回ねとか言われそう。(意味不明)
とは言ったもの、列車乗ったところで何してるって言ったら、止まる駅でカメラ取り出すっていうでんちゃっちゃオタクみたいな行為か、携帯取り出してヒをただ見てる現代人ムーヴなんですが。旅情云々とはなんなのか。
ただ何も考えず列車に揺られるのもアリかなぁ、それも旅情かなぁとか考えだしたりもしています。
どうせ行先なんてあってないようなものなので。楽しみ方もいろいろあればいいと思います。
今回は昨年の北海道・道東方面遠征です。
この時は北海道自体久しぶりで、その前は2015年初春。実に5年半ぶりでした。
その時から道内の状況は大幅に変わり、新幹線が開通した一方で、札沼線末端や留萌線末端、石勝線夕張支線の廃線や根室線十勝山地越えが台風で長期不通になるなどあまりよろしくない状況の方が目立ってしまいました。
根室線の不通は想定外すぎた。
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まずは前日入りのために定時退社からの終電ムーヴ。てか仙台20時台後半でも渡道できるのは美味しすぎる。
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5年半前は渡島大野という名前で文字通り寝ている間に通過した新函館北斗駅。
新幹線の終電からも接続するはこだてライナーがいるので、日付を跨ぎますが函館までたどり着けます。
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函館の宿はどこも満室だったので、ここで一泊。東横インがしれっとあるのは知ってたけど大浴場目当てでこちらに。シティホテルメインで全国展開しているABアコモグループの一つです。なお、風呂は早じまいしてた模様。
だいぶ割引効かせてくれました。はよGoTo復活しろ。
風呂は翌朝入りました。朝飯もおいしかった。
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北斗繋がりでケンシロウの銅像がある新函館北斗駅。
圧がすごい。
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在来線ホームへ。後は一面のクソミドリ。
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新函館北斗から函館方が電化されていますが、電車ははこだてライナーのみなので、設備も限定的。奥の3・4番線は電化されていません。
快速はこだてライナーで函館へ。
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函館駅。白鳥がいなくなって心なしか閑散となった感がしなくもない。
市電に乗り継ぎ十字街へ。
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なぜここに坂本龍馬像。
どうも彼には蝦夷地の開拓も頭にあったそうで、その計画は彼の甥である坂本直(高松太郎)が中心となって形になったそうです。
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赤レンガ倉庫群。横浜のアレが圧倒的知名度を誇りますが、赤レンガ倉庫自体、明治・大正期の建造物として各地に建っており、函館の赤レンガ倉庫は通称「金森赤レンガ倉庫」とも呼ばれています。
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函館港。カモメがたくさん。
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ちなみにこんなものもやっていました。
市電に函館駅前に戻り、時間つぶし。
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カモメまみれ。たまらねぇぜ。
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旧国鉄青函連絡船の摩周丸。とりあえず外観だけ。
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駅に戻り、乗りつぶし再開。まずははこだてライナー誕生で大幅に削減された七飯止めを回収。はこだてライナーと時間が近接しているけど地域輸送で残ったという変わり種。
キハ40系列で掲示している行先表示板は今年の改正あたりで掲示するのをやめたそうで、JRはそのうち、新車が流れてくるとは思いますが、いさ鉄は残してもよかったのでは…。
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七飯駅。中央に待避線がある典型的な2面3線構造。
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随分とこじんまりしてますが、運転上重要な駅のためJR直営の有人駅で駅長がいます。(ただし夜間不在)
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列車別改札という概念があるため、改札中の列車が案内板にかけられるという風景が見られます。
はこだてライナーで函館へ。
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いさ鉄のリバイバルカラー。
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函館周辺を支える2つの形式。折り返して右のキハで札幌方面へ向かいます。
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一見普通の長万部行きですが…。
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実は、電光掲示板に新函館北斗の隣の仁山の文字がありません。
いわゆる藤城支線経由で、七飯から直接大沼に抜けるルートです。
蒸気機関車時代の名残で北海道駒ケ岳周辺の急こう配を緩和するために建設された迂回路です。札幌方面の一方通行で、新幹線開通前は特急北斗も通過していましたが、新幹線開業後は新幹線アクセスにシフトしたため、旅客列車は普通列車が3本通過するほどで、あとは貨物がメインです。
藤城は走行区間にある七飯町藤城から来ています。駅があってもいいかとは思いますが、支線が一方通行なのと、同様に迂回路に駅を作ったけど乗客少なくて早々に廃止になった駅も前例があるため、なかなか厳しいでしょう。
ちなみに大沼から森まで鹿部・渡島砂原経由で走行する砂原支線も同じ経緯で建設された支線です。(五稜郭~本州へ向かう貨物が走行します)
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港へ線路繋げるために、急カーブになった函館駅構内。
今となっては北斗の増結時ぐらいしかホームが埋まるほどの列車は来なくなりましたが、青函連絡船全盛期には、ホームが埋まるほどの列車がひっきりなしに出ていたんだろうと思います。
キハに揺られ長万部へ。
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北海道限定のいろはす。ベリー系のやや酸味っぽい味が特徴。
ちなみに藤城支線走行中に本線を走行する函館行きの北斗16号とダイヤ上ですれ違います。はこだてライナーと時刻が近接しているのも一因ですが、単線メインの路線で走りながらすれ違える場所は結構重宝されたりします。
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赤井川で後続の北斗通過待ち。もともとは七飯と同じ2面3線の駅でしたが、のちに真ん中の線路がなくなりました。
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森で5分ほど小休止。
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長万部に到着。所要時間は2時間半程度で、赤井川から先は後ろの待避が無くなるため、意外とキビキビと走ります。
森から東室蘭までは複線と単線が入り乱れる特殊な区間で、貨物も多く走る内浦湾沿岸ではこの効果が大きく発揮されます。
要は複線区間で走りながらすれ違いができるので、全線複線化するよりもコストを抑えつつ、ダイヤを工夫することで行き違い待ちを大幅に減らすことができるのです。 (前述の藤城支線と同じ理屈) 
 JR東日本の羽越本線でも採用されている方式で、閑散区間だけど貨物とか特急が頻繁に通過する路線で見られます。
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電光掲示板はありませんが、特急列車の案内用にこんなディスプレイが設置されています。乗車位置もずらっと表記。
長万部からは後続の北斗21号で札幌へ。
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グッドデザイン賞の銘板が端で輝く電光掲示板。
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札幌に到着。長万部から特急で飛ばしても2時間はかかるあたり、スケールのデカさが違いすぎる。
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キハ281系は後継のキハ261系の増備により、来年か再来年辺りでの引退が噂されています。
現在は5両編成がメインで随分短くなってしましたが、最後ぐらいは10両ぐらいの大増結がみたいですね。
はよこの禍終われ。
札幌で一泊して、さらに東に向かいます。 つづく
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satowdays · 7 years
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帯広/Obihiro #001
先日、仕事で帯広市へ行く機会があったため、空いた時間で駅前周辺を散策してきた。
帯広の繁華街は駅前に東西四丁程度に渡る。 住所で言うと西1条から西3条、南7丁目から南10丁目あたりになる。
ちなみに、帯広中心部は札幌と同様碁盤の目になっているが、住所の表記は札幌が南4条西5丁目といったように南北が先で東西を後に呼ぶのに対し、帯広は西3条南7丁目というように東西が先で南北が後になっている。これが札幌人からすると非常に混乱する。こういった呼び方をするのは帯広だけではないのだけど、統一してもらいたいものだ。
さて、帯広にはどういうわけか私好みの〇〇小路とか〇〇街などと名前の付く盛り場が多い。 パッと調べてすぐ名前が出てくるものだけでも、いなり小路、新世界、八丁堀、エイト街、遊楽街、銀河街、祇園小路(現存せず)、金春街(現存せず)などなど、細かく調べれば10以上は見つかる。
何故これだけ多くのスナック街が出来たのか、明確な理由は分からないが、渡辺寛氏の昭和30年の資料によると「帯広」の段に以下のような記載がある。
「赤線は西二条通りから左に入った、十勝川と帯広川に挟まれたところに十五軒ほど。  それよりも駅近い飲み屋街百軒ほどの巷の青線が流行っている。」
いわゆる赤線は現在の繁華街よりもっと北にあったようだ。 赤線よりも前の時代にはその近くに「木賊原遊廓」という花街もあった。
先の記述によればむしろ、現在の繁華街は青線地帯に重なるようだ。 東京周辺の都会であれば「遊郭」→「赤線」→「カフェー」→「風俗街」といった変遷を辿るのが普通(?)だが、こういった地方都市では「カフェー」というおしゃれなものではなく、赤線青線から一時代が過ぎて、非合法な連れ出しスナックを含む飲み屋が同じ場所に集まって散発的に小集団を形成したと推測する。
帯広は広い道東十勝地方の中心地である。 道東から札幌まで出るには、北海道の背骨と言われる日高山脈を越える必要があるため、現在でも心理的な距離はかなり遠く、昔の人々にとってみればはるかに遠く感じただろう。 そんな中、十勝地方の人々は自然と帯広に集まり、一杯やって息抜きしていたはずだ。
そんな背景から、(私にとっては)雰囲気のよいスナック街が賑わったのではないだろうか。
文章が長くなってしまったが、本日アップしたのは「いなり小路」の景色。 以後、似たような写真が何枚か続くと思われます。笑
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