Tumgik
hibi-y-w · 7 years
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「言語人類学」講義・リアクションペーパーへのリプライ(6月30日分)
(付記)
1. 遅くなりましてすみません。
2. 簡略化のため、番号は単純に通し番号としてあります。つまり【 】にある数字は、コメントを出した人に固定的なIDではありません。(当初はそのつもりだったのですが。)
3. ただし、コメント&リプライの掲載の順番(授業中、紙媒体で配ったものを思い出してください)はそのままですので、容易に自分のコメントの場所を見つけられるものと思います。
【01】
バトラーの「構築」をめぐる主張は、単なる実在論対唯名論の二元論的対立を超えた、その対立自体の否定にあるという記述を読んだことがあります。⇒ 立論の究極的目標地点としてそういうことだと思います。唯名論でないのなら何なのだ、と今一つ理解できていないのですが、今日のバトラーの、わたしたちが「言語的な存在」で「言語の語彙のなかで……構築されている」という言葉の意味も掴みきれません。ただ、「物質的な現象世界を前にした、(私たち人間自身も含めた)事物がどのように在るか、という私たちの認識は、言語的表象を通じてしか達成されず、その意味で、言語の語彙の中で私たちが構築されていると言える」という意味なのだと理解しています。そして、私たち自身を説明する語彙は、私たち自身が生成したものではなく、私たちの誕生以前に既に先立って存在していたという意味において、そこには他者性が存在し、そこに本来的な被傷性が孕まれているという議論なのでしょうか。⇒ はい、うまくまとめてうれました。そのように考えています。他方、最後の、規制自体が発言に対して行為遂行的権力を付与するという議論は、とても刺激的に感じられ、そこは確かにな、と納得できたように感じます。⇒ ヘイトスピーチなどに言語行為論をかぶせるのは、ある意味「ふつう」なのですが、規制自体にパワーの根源を持ってきたところがバトラーの独自性だと思います。
【02】
コンテクストが言語の機能に大きな影響を与えていることは明らかなことではありますが、そもそもコンテクストという要素を言語に対してどのように位置付けたら良いのかわからなくなりました。コンテクストは、1)機能に基づくコンテクスト 2)臨場的コンテクストと(半)恒常的コンテクスト 3)言語的コンテクストと非言語的コンテクスト に分類される(コンテクストが言語の機能に大きな影響を与えていることは明らかなことではありますが、そもそもコンテクストという要素を言語に対してどのように位置付けたら良いのかわからなくなりました。コンテクストは、1)機能に基づくコンテクスト 2)臨場的コンテクストと(半)恒常的コンテクスト 3)言語的コンテクストと非言語的コンテクスト に分類される(児玉徳美「言語表現とコンテクスト」、『立命館文學』622号、2011年、133-144頁)とする言説が有りますが、この分類の妥当さは如何にして検証され得るものなのでしょうか。また、コンテクストの影響を受けにくい発話、というものは直感的に存在しづらいように思いますが、コンテクストと言語の関係は定式化され得るものでしょうか。⇒ 私はこの論文を読んだことがないのですが、それこそ、この分類はどういうコンテクストのものでしょうか。つまり、何らかの主張にはその主張先があって主張するコンテクストがあります。この場合でいうと、どうういうコンテクストで=どういう目的でこの分類がなされているのでしょうか。
【03】
発話の分類に関して、行為遂行的発話という概念はとても興味深く感じました。日常会話では事実について言及するだけの発話は少ないように思うが、その他の、挨拶や謝罪などの、発言内容そのものは意味を持たないような発言を行為遂行的であるとして説明できる理論は秀逸であると感じました。「その種の発言の行為遂行的権力を叙述することで、規制自体が、その種の発言を生産し、(中略) 暗黙の効果的な条件となる行為遂行性を行使している。」というところに、言語と意図を扱うことの難しさを感じました。以前、授業で、言語、思考、文化の三要素が相互に影響し合っていると習いましたが、この場合、規制というのは文化に含まれるものなのでしょうか。⇒ 言語・思考・文化の回のときの用語法でいえば、規制は文化なのですが、バトラーが考えていたのはそういうタイプの議論ではありません。
【04】
同性愛者の話題で、自分が同性愛者だと発話することがその行為を遂行する意図を表明するのと同じかどうかという話がありました。性自認や恋愛対象などのカミングアウト自体が性的な行為の遂行であるとされたり、行為遂行の意図の表明のように受け取られたりするとしたら、LGBTの人々(このくくり方も賛否両論ですが)にとってはあまりにも酷な話だと思いました。それは発話そのものの指標性の問題というよりは社会の風潮や大衆の思い込みと深い関係がありそうです。⇒ まさにこのことをバトラーは突いていました。ある発話をもってそれは行為遂行的だ、と言うこと・規制すること・判決を下すことが行為遂行しているのだ、と。  また、平叙文でも命令を意味してしまうなどの行為遂行が機能することがある一方で、一見行為遂行の宣言のように見える発話が、実際の意図とは別問題であることもある、というのがコミュニケーションを取る上で解決しがたい問題であるように感じられ、日常で私たちはその危うさを抱えながらしかし大体うまくコミュニケーションをとっているのだなあと思いました。⇒ 一応、そういう「危うさ」を引き受ける〈知的体力〉をつけるのが本講義の目的でした(希望としては)。
【05】
発話の真偽が人間にどう捉えられたのか、という問題に対して、客観主義のもとで、意味と言語表現は独立して存在する客体であり、発話自体に真偽が存在するという主張がある。これに挑戦する経験主義によれば、発話の真偽が、聞き手の経験に符合するかどうかによって真偽が判断された。ある発話や文を理解際に、聞き手はまずその文にある含意を無限に想像して、何等かの一貫性のある解釈をいくつ考えておき、そしてその発話が発生する状況に基づいて自分の経験と符合するものを真実として判断する。そのため、「黒人居住区前に十字旗を燃やすことは黒人に対する侮辱である」に対して、差別された経験のある黒人と差別が経験されていない黒人の判断は大別になるかもしれない。⇒ 発話行為の理解において、聞き手や聞き手の背景知識が問題になることは(例:KKKやその儀礼的行為を知らない黒人にとって、授業で出した例がどう立ち現れるか)指摘の通りだと思います。ただ私自身は、発話行為がまさに行為となる条件すべてを聞き手に置くのもどこか違和感を感じています。
【06】
ヘイト・スピーチは規制すべきか否かについて、自分の考えを述べます。大意を先に述べると、規制すべきだが具体的に規制する方法を決めるためには未解決の論点がある、ということになります。⇒ 私も同じような方向性で考えています。  まずヘイト・スピーチの行為遂行性について、ある発話の行為遂行性はその発話を解釈する人間(被害者)が決めるのであって、加害者の意図は(ここではまだ)問題にならないと考えます。これは、公共の場でナイフを振り回して誰かを傷つけた場合に、ナイフを振り回す行為の目的に関わらず、「誰かを傷つけた」という事実は変わらないこととのアナロジーで導けます。誰かを傷つける行為である以上何らかの規制を行うことが妥当ではないでしょうか。⇒ 傷つきやすさや傷については、ナイフの場合(刑法レベル)と違って、程度や主観性が加味せざるをえず、アナロジーがすぐに成立するとはちょっと思えません。言葉の暴力は暴行による暴力とすぐには一致しないということです。  次に、規制するためには対応する刑罰を定めることが必要になりますが、そのための考慮要素としては1.被害の大きさ、2.過失か故意か、があると思います。先生のおっしゃっていた加害者の意図(ゲイであることの単純な告白なのか、恋愛感情の示唆なのか)の問題は、ここで初めて登場するものだと考えます。ただ、これら2つの要素は共に、精神的被害や意図といった定量的でないものなので、具体的な量刑は困難であるとも思います。  表現の自由との矛盾については、表現内容の自由と表現の手段・様態の自由を区別することで解決できる問題と考えますが、長くなるので割愛します。⇒ 内容/手段の区別も難しいでしょう。こうした難しさすべてをひっくるめて考えていかなければならない対象だと思います。
【07】
今日の授業はかなり難しかったですが、結局は個人がどう感じるかでしか発話の意味を決められないように感じました。ただ、司法の場など「どのような意図による行為か」を明らかにしなければならない場面においては、本来誰にも分からない意図をわざわざ推���しなければなりません。これはほとんど不可能な場合も多いでしょうが、それでもその意図を推定する人にとっては自分が「その行為をどのように解釈するか」が重要な判断材料になるはずです。それでその人の価値観に沿った判断になってしまうのは果たして非難されるべきことなのでしょうか。⇒ ちょっと違う方向性かもしれませんが、授業でも触れたCharles Goodwinが法廷での言語コミュニケーションを扱った論文を思い出しました(“Professional Vision”)。意図の解釈は指摘の通り難しいものですが、その解釈の実際のプロセスでは様々な人やモノが介在し、各自が自由な判断というよりは、人やモノの介在により一定の方向性に判断が流れていく(流されていく)とも言えます。むしろこっちのほうが〈コワイ話〉ゆえ、重要(研究すべき)かもしれません。
【08】
バトラーの、「行為遂行性が『機能する』のは、ひとえに、それを起動させている構築的な慣習に頼るかぎりにおいて、またそのことを隠蔽しているかぎりにおいてだ」という引用のうち、「隠蔽」の意味することがいまいちよくわかりません。エリザベス号の例では、「構築的な慣習」については、発言者の権威や、「然るべき状況」のもつ意味のことだと理解したのですが、「隠蔽」については言及がないように思います。これは、米軍兵士の例でのカミングアウトが、今まで隠されていた事実を、受け手に対して明らかにしたように、発話によって、「隠されて」いたことが明るみに出ることで、初めて「行為」につながる可能性を受け手が理解する、ということなのでしょうか。⇒ これはその理解で良いです。正確には、この発言はこういう行為だと規定することが権力で、そうして権力が行為の側面を浮き上がらせている、ということですが。「隠蔽」の事実がない場合、つまり既に意図がすべて明確になっている状況においては、事実確認的発話しか行われないということなのでしょうか。個人的に解釈を誤っている気がして仕方ありません。⇒ 「隠蔽」について、特定の主体がはっきりした目的で何かを隠すという意味ではなく、ある事柄や背景について不問に付す、という理解したほうが良いと思います。
【09】
行為遂行的発話の話を、政治家が選挙の際に掲げるマニフェストを例として考える。マニフェストは宣言文や政策綱領といった訳があてられる外来語である。政治家がマニフェストを述べる際、彼らはその意図を宣言しているだけなのか、それともより具体性を持った政策綱領を目的としている(発話内行為)のか。日本では、前者のケース(マニフェストとして掲げても実現はさせない)が多いように思われる。一方で、有権者は後者として捉えていると考えられる。有権者は、発話者(政治家)が発言した内容を実行すると考えるからこそ、彼らにそれを行えるだけの権限を与えている。極端な考えかもしれないが、マニフェストが、行為を伴わない意図の宣言であるならば、掲げる意味はないように思われる。⇒ いくつか分けて考えるべきことが混在しているように思います。一つは、外来語による、外来語が入ったperformativityはそうではないperformativityと別に議論すべきかどうか。二つ目は、選挙でのマニフェストについて行為遂行性で議論できるか否か、です。少し時間をかけて考えたいですが、ぱっと見的にはどちらも「否」になりそうなのですが。
【10】
行為の3分類の話で発話内行為をとても不思議に思いました その行為が力をもつかどうかはとても環境に依存していて、言葉というのが環境がないとうまく作用しないと学びました。そう考えると発話内行為が効力をもつかどうかは受け取り手次第に思われるのに、「お前はクビだ」と言ったらちゃんとクビになったと受け取りかたが感じることができるのを不思議に思いました。でも発話媒介行為は、言われたことというよりその内容へのショックなような気がするので、定義が難しいと思いました。⇒ 「言われたこと」と「内容(へのショック)」との区別が無効になる辺りが言語行為論のミソかと思います。社会学のミードかハーバーマスの学説で、人の発話したことは常に客観性、妥当性、真理性という3つの尺度で試されているという話を思いだしました。⇒ 言語行為論とハバーマスの行為遂行性、妥当性の議論との関係の一つの問題は、やはりここでも、〈意図〉をめぐって、です(正確には、意図の時間性、持続性とでも言うべきでしょうが)。
【11】
発話は(録音でもされない限り)全く形として残ることのない、ただの音である。しかし「カバ」と言って傷つく人はいないが「���カ」と言われれば傷つく人が沢山いる。そして人はそれを記憶し、跡形もなく消えたはずのその音声により一生関係が絶たれる人たちも存在する。子音2つと母音2つの組み合わせが絶大なる影響力を発揮している。  またある人が「バカ」と言った時、発話者がしているのは何であり、聴き手が感じるのは何なのか。「お前は馬鹿だ」という事実確認をした/されたという認識なのか、「お前に『馬鹿』というレッテルを張る」「お前は馬鹿(になる)」という行為遂行なのか。⇒ この問題系に記憶の問題をからめるとさらにやっかいになります(「再文脈化」の話もそうですが)。  身近な発話にもわからないことばかりが潜んでいる。最近自分が発する言葉に以前よりもかなり敏感になってきている気がする。⇒ 言葉すべてに敏感になるのはある意味不幸の始まりです(ホントに)。敏感になる方法のようなものを授業のなかで少しでも得られたでしょうか。
【12】
 事実確認的に見える記述の多くはコンテクストにより行為遂行的発話となりうるのであり、事実確認と行為遂行は文の形式ではなく意味や意図のレベルの問題だといえるでしょう。⇒ ただ意図というのがクセモノであるのは講義でなんども確認したところです。しかしクリントンのような線引きは文の形式の規制でしかなく、またそれが法や国家による規制の限界でもあるでしょう。国家が意味を規制できない、逆に憎悪発話を生産する結果に終わってしまう、これは難点ではありますが、逆に言えばこれは全体主義的言論抑圧に対しても抵抗への一縷の希望を与えるような事実でもあると思います。⇒ 同感です。  我々は普段、例えば「こういう状況で自分が同性愛者であることを述べたら、それ以上の行為遂行的意味を持っていると受け取られてしまうな」などと、なるべく誤解が起きないように考えて発話するし、そう求められます。しかし誤解は完全には無くなりません。ここで、発話者はその意図していない指標的意味に対しどれくらい責任を負うべきなのか、が問題になってくると思いました。⇒ 「こう言うとこう解釈されてしまうかもしれないからこう言い換えよう」というメタレベルの操作を私たちはふだんから言語コミュニケーションのなかでしている訳ですが、人によってその〈モニタリング〉の度合いは別々で、同じ人でも時が違うと別々ということもあり得ます。意図していない指標性という場合、指標性というからにはその被指標の意味は「社会の一員として分かっているはずだろ」となる可能性があり、従って意図していないはずはない、と受け取られることがありえます。責任を帰すること、受けることの難しさがここにあります。
【13】
行為の分類において例として挙げられていた"You are fired"という文は発話内行為を目的としたもので、発話媒介行為(この例では解雇された側が酔っぱらうこと)は発話者にとっては意図しない効果だと思います。しかし一方で、発話媒介行為を目的とした発話もあるのではないでしょうか。特に、ヘイトスピーチなどはそれによって聴き手に何らかの効果をもたらすことを目的としており、別に発話内行為は目的としていないように思われます。(実際、国家の規制の効果が及ぶのも直接的には聴き手の側だと思います。)  発話内行為と発話媒介行為の間の区別は曖昧だという話題もありましたが、どちらを目的とするかどうかは、発話を区別するファクターにできるのではないでしょうか。⇒ 少し時間をかけて考えてみたいですね。発話者に目的や意図(例の難題です!)がなくても行為が成り立ったり、聞き手がそこに行為を読み取ったり、逆に目的や意図があっても主に聞き手側の要因ゆえ行為が〈不発〉となる可能性などなど。
【14】
発話における意図(行為遂行性)というのが今回の講義のテーマであったが、結局のところ、発話に意図があるかないか、ある場合はどのような意図なのかを最終的に決定するのは受け手のほうなのではないかと考えている。たとえば「この部屋暑いね」という発話に対して受け手は「窓を開けたり冷房をつけたりしてほしい」という意図を読み取る、と考えるわけであるが、講義で触れた例なども考慮に入れると、受け手側のほうがそのようないわば「架空の」意図を作り上げてそれがたまたま発話者の意図と合致しただけだという考えはできないだろうか。発話者が単に部屋が暑いという情報を共有したいがために「この部屋暑いね」という発話を行ったのだとしたら、受け手の形成した「架空の」意図は過解釈なのであり、発話に意図があるのだと勝手に決めつけているのだといえる。⇒ 別のリプライでも書きましたが、受け手というアクターが重要であるのはもちろんなのですが、受け手に「万能な力」のようなものを与えて考えるのも少し行きすぎと感じます。
【15】
シベリアのブリヤート人の「オープレ、オープレ」[正しくは「オーフレー」です]はねぶた祭りの「ラッセーラー、ラッセーラー」を思い出しました。こうした儀礼的な言語は「どっこいしょ」など身近にも見られます。⇒ ただ、「儀礼的言語」という評価自体がmagic word なので注意したいと思います。旗を燃やすという事例については、確かに思想の自由は分かりますが、それを表明するにあたって単に言葉で述べるだけでなく「旗を燃やすという行為」で示すのは思想に留まる話ではないと思いました。これは脅迫と捉えられても仕方がないでしょう。『わたしは同性愛者です』の発言については、その状況でその兵士が何故それを発言したのか、発言しなければ苦しかったのか、といった文脈も気になります。仮に何か行動を起こすつもりなら自分の嗜好について告白しないほうがメリットは大きいように思えました。⇒ 文脈がポイントであるのは間違いないのですが、その文脈自体、事後的に改変の可能性に開かれていますので(「再文脈化」)、無根拠性と無縁ではありません。
【16】
name, promise, warnなどの動詞を含んだ発話以外にも行為遂行的発話はたくさんあると思われる。「寒いね。」や今回の授業で扱った”I’m gay”なども行為遂行的な発話の部類に入るように思われる。しかしこれらの発話は会話的含意を聞き手が理解し初めて行為遂行的な性質をもつもので、”I hereby christen this ship the Queen Elizabeth.”のような発話とは異なるというのも確かだと思う。⇒ 聞き手の位置づけに関しては別の箇所でのリプライを参照。なお、この例にしても、船の進水式ってこういうものなのだという知識がなければ、「あの人何言っているの?」となりますので、聞き手の前提知識がポイントであるのは同じかもしれません。米軍の同性愛者の事例も全く地位も権力もないような立場の人が発話したり、また聴き手の解釈によっては単なる事実確認的発話になることもあるだろう。その点でnameやpromiseを含む発話は単純に文面の意味だけで行為遂行的であり、会話的含意を必要とする行為遂行的な発話とは別の次元のものなのだろう。また会話的含意には「寒いね。でも窓は開けっ放しにしといて。」のような取り消し可能性もある。このような面を考えてもこれらの発話は話し手と聞き手のさじ加減や認識によって行為遂行的発話と事実確認的発話にもなり得る中間的なものなのではないか。⇒ 考える方向性はよくわかります。ただ、そのように、文法範疇別に考えることがいいかどうかは少し時間をかけて考えたいですね。
【17】
今日の講義は理論的な要素が多くて、少しわかりにくいところもありましたが、興味深かったです。  疑問に思ったことは、儀礼論の話で、例えばお祈りの仕方や将棋のやり方、なんでこうなったかは説明できないということなのですが、できるのではないかと思います。歴史文化の研究者がそれを調べて、わかるのではないかと思います。確かに専門家じゃないと説明しにくいと思いますが、羊の掛け声もおそらくオノマトペみたいに羊の声の真似をしてるか、ほかの理由があるのではないかと思います。とはいえ、由来のわからない意味もない言葉があるということについては論理的に考えるのは難しいから、あるのではないかと思ってしまうかもしれません。⇒ もちろん言語学者や人類学者(民族誌家)が解明できること、してきたことも少なくありません。しかしその際の説明とは、内在的解明というよりは、「とみなされてきた」というレベルのものが少なくない、ということがポイントです。  私はゲイだという言葉はperformativeということも興味深かったです。先生が前に紹介した"Queer in Russia"という本を今読んでいるのですが、ソ連時代に同性愛が禁止されていたから、バレたら刑務所に送られたらしいです。それで刑務所に男性同士の性行為がたくさんあったが、「私はゲイだ」と宣言した人がいたら、周りの人は逆に彼を避けたみたいです。(ゲイだから性感染症を持っているだろうとみんな思ったから) それで同性愛者はその発言で自分を守ったのです。⇒ となると、その宣言もある種の行為を引き起こしているので(引き起こす力をもち、実際引き起こした)、performativeと言えますが、次の問題は、そうすると「何か言われて感じたり思ったり何か行動を起こさせること」すべてに関してperformativeといえ、〈概念のインフレーション〉が生じることです。
【18】
全体的に難しくてよく理解出来なかった。構成的規則では、構成している要素を並べれば、行為について議論する段階に入れる、と言っていたが、具体的にどこまでが行為の(儀礼の?)構成要素として認められるのか。⇒ 社会とゲームとを比較して議論できるかと言われた場合、最初に出てくる論点がこれです。後者の場合、構成要素は有限で、ある程度は数え上げて限定できますが、社会的な事柄の場合できるか、ということです。行為遂行的発話はそれがなされる時にその行為が行われているかどうかとは関係ないのか、行為と発話の同時性は必要ないのか。⇒ 少なくとも言語人類学の観点からすれば、同時性は極めて重要な論点です(時間にギャップがあると、「再文脈化」が可能になり、行為もひっくり変える可能性があります)。バトラーの考えに、行為遂行性を機能させる「構築的な慣習」という言葉があったが、構築的な慣習とは発話内容や発言者の意図とは無関係なものなのか。⇒無関係ではないですが、一致もしない、ということです。
【19】
行為遂行的発話に関して、例えば上司による「お前はクビだ」という発話が直接解雇に繋がるか、あるいは実際の解雇には更に上層部との交渉や書類手続きなどが必要になるかどうかは、個々の職場環境から社会全体のシステムや倫理規範まで様々な要因によって代わってきます。しかし、一見「お前はクビだ」と言うだけで解雇できるようなケースでも、恐らくただ言えばいいというものではなく、本人を個別に呼び出すなどして普通の状況ではないことを示す、あるいは一定数以上の同僚に発話を聞かせるなど、発話そのものの枠を超えた何かしらの手続きが必要となるのではないかと考えられます。「お前はクビだ」という発話が上司の意図を表明しているものだと仮定すると、その発話そのものが意図を実現する行為としての役割を持ったり持たなかったりしているというよりは、単に意図の表明とその実現の間の距離が環境によって変わるというようにも思えます。⇒ 「意図の表明とその実現の間の距離が環境によって変わる」というのは面白い観点だと思います。物理的距離、時間的距離双方で考えられますね。ただ言語行為論の隠れたポイントとして、「情動 emotion」の次元があります。「おまえは首だ」と言われたとき、解雇という行為だけでなく、職を失う、失ったらどうしようという動揺の側面を、この距離の視座とどう絡めて考えるか。
【20】
今日の講義で出てきたシベリアの「オーフレー」と唱える儀式の例に関して,この言葉自体の意味は解釈困難ということであったが,日本語の挨拶語に見られる,本来の意味を失った言葉と比較してどのように「儀礼」を位置づけるか(分類するか)が気になった.例えば,日本語で食事前に「いただきます」というのは一種の儀礼(大げさかもしれないが)と言えるであろうが,この時の「いただきます」は本来の(目上の人などから何かを受け取ったときの)「ありがたく頂戴します」といった意味を超えた(勿論その意味も含むが),「これから食べます」ということをある意味周囲に共有しようとするような意味合いも含んでいる.⇒そうですね。「オーフレー」のように一種の掛け声をもとにした儀礼語とは異なり,日常語の文法の範疇で使われる言葉から派生したという意味で儀礼としての系統は違うと思われるが,儀礼の言葉から行為のあり方を考えることもできるのではないかと思った.⇒ 「オーフレー」も「いただきます」も行為の一局面を実行(少なくとも開始)している点では共通するが、行為の性質が違うというのも確かです(「オーフレー」は羊や牛を追いやるという行為のなかでこそ意味するが、「いただきます」は食事という行為の開始を自ら宣言することであり、食事の第一段階という行為でもある、など)。
【21】
権力と意図という2つの側面(?)については、考えさせられるところが多く興味深かった。発話者の意図が実際にどのようなものだったかは、究極のところ発話者にしか分からない。⇒ さらに言えば、発話者にも分からない可能性がありますね。意図を伝えるとすればそれも発話によるしかないだろうから。発話者以外には、彼・彼女の言葉を信じるか否かという選択が任される。だからこそ、レジュメ後半に挙げられたような政治的・社会的事例においては、ある意味で発話者の言う「意図」以上に、発話を受け取る側の感情や解釈が大きな力を持つようにも見えるのだろう。バトラーの言う、行為遂行性が機能するのは構築的な慣習によるという点は確かにその通りだ。その意味で、言葉を受け取る側、発話者以外の人(あるいはその集合体としての社会)もまた、言語行為において一種の大きなpowerを持っていると思った。⇒ ええ、その通りだと思います。慣習であるゆえそれを支えているのは、話し手個人、聞き手個人だけではありえませんので。ただ、powerが一様に偏在しているという方向性で考えるのはまずいのでは、とも考えます。
【22】
行為遂行的発話においてその文が成り立つためには"I"に適切な権限が付随していなければならないという点が興味深かったです。確かに「君はクビだ」と言われた場合、相手が店長であればクビになったことが同時に示されているかもしれませんが、バイト仲間に同じ言葉を言われバイトにいかなくなるのはおかしいので、誰に言われたかが重要であると思いました。一方例えば雇い主にクビだと言われた状況でもその人が笑いながら言っている場合には、冗談や嘘である可能性もある気がします。表情や声のトーンなどの言葉以外の情報があれば相手が冗談を言っているのか本気なのかまだ汲み取りやすいかと思いますが、文字だけでやり取りをしている場合は意図していた通りに伝わらないことが多々あり、絵文字や語尾に「笑」を付けることによってできる限り自分の感情や意図通り伝わるよう工夫していると思うのですが、いつも絵文字を使う人が急に使わなくなると逆に怒っているのかと感じられやすかったりと、文字、言葉だけでやり取りする時には会話の難しさを感じます。⇒ 言語行為のとき、付随するpara-linguisticな側面も考慮しなければならないのは確かです。ただ、笑い一つとったところで多様な笑いがあり、可笑しさを喚起する笑い顔で雇い主が「おまえはくびだ」と言ったとしても、聞き手が「自分は首になった」と解釈する可能性は常に開かれたままという感じもします。
【23】
行為遂行的発話が行為として実効性を持つのはそれが構築的な慣習の定める適切さに従う限りにおいてだ、とバトラーは述べていますが、船の進水式の例を考えると、この船を建造することやこれをQueen Elizabethと命名することはおそらく船主や造船所の人々によって予め決定されていたことであり、発話文中のIは進水式という適切に整えられた状況でこれを宣言することを委任された者に過ぎないのではないでしょうか。すなわち行為遂行的発話を作用させる構築的な慣習や背景的な文脈に注目すればするほど、その発話行為がそれまでの”流れ”から自然に生み出された形式的で予定調和的なものであるという側面が強く感じられ、それではこの発話自体は一体何の行為を成し遂げたといえるのだろうか、発話がなされなくても実質はさほど変わらないのではないか、という混乱に陥ってしまいました。。⇒ とてもいい「混乱」だと思います。この例でいえば、行為が発話によってなされたとしてもその〈貢献度〉はどれくらいなのか?ということで、たとえば進水式で「この船をエリザベス号と命名します」という政府高官やら造船所社長のことばが聞こえなかったとしても(マイクが壊れていた、隣の人とおしゃべりしていたなど)、進水式がそこでストップすることは考えにくい。他方、雇用者が被雇用者に向かって「おまえは首だ」という発話はちょっと違います。ですので、オースティンもサールも発話行為の分類に走るのですが。
【24】
言語の行為遂行性について、以前、他人との会話において、その人の発言からその人が当然行ったのだろうと予想していた行為を、その人が実際にやっておらず、その人とトラブルになった経験があり、(この説明だけではわかりづらく申し訳ありませんが、)この経験は個人間の発話内行為に関する認識のずれから生じた経験だったのかもしれないと思いました。⇒ 言語行為論の一つの死角は、まさにこういう「不発」をどう理解するかにあります。行為がなされなかったというのは、意味が伝わっていないことなのか、それとも言語行為論をあてはめること事態が無意味なのか、などなど、と考えさせられます。憎悪発話については、国家によって言説範囲の決定が行われることで、国家にとって都合のいい言説ばかりが人々の頭に刻み付けられ、逆に都合の悪い言説は意図的に人々の記憶・記録から忘れ去れてしまうという点はあると思います。さらに、そうした都合の悪い言説は社会的に見て立場が低い人々に関することが多いために、そうした傾向が助長されるのではないかと思いました。⇒ ですから、「言説範囲の決定」、つまりフレーミングに対して批判し、別のフレーミングを提示すること(リフレ—ミングすること)が重要なのでしょう。
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hibi-y-w · 7 years
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「言語人類学」講義・リアクションペーパーへのリプライ(6月23日分)
6月23日のリアクションペーパーへのリプライを以下にアップします。
いままでのリプライで受講者の「掲載順」はだいたいお分かりかと思います。順番に#001〜と割り当ててあります。
23日に欠席した人は、後ろに回る形でナンバーがふられますので、次回はそのように探してください。ナンバーは一種のハンドルネームで、固定です。
だいたい1ヶ月ほどアップし、後に削除します。
■ #001
 エスニシティは認知カテゴリーにすぎない、というブルベーカーの議論が印象に残りました。社会学者は、民族に限らず何かと構築論を好みます。これについては2点思うことがあります。まず、「エスニシティは認知カテゴリーだ」という結論には同意しますが、あるものが構築されている程度はカテゴリーの種類によって異なり、単純な一般化には同意できません。たとえば生物進化に由来しているであろう性別(集団を男女に二分すること)の恣意性は小さいはずです。次に、構築論が無条件に抑圧を解消するのではないということです。授業中にも、ブルベーカーの議論が容易に「アイヌ民族は存在しない」という議論に陥ってしまうとの指摘がありました。他にもクィア研究の領域では、性的アイデンティティのカテゴリーの構築性を過度に強調することは、日本においてようやく立ち上がってきた性的マイノリティのアイデンティティに立脚した運動を妨げてしまいかねないと指摘されています。ラディカルな議論は魅力的ですが、それを無条件にただ強調して済ませることに私自身は懐疑的です。⇒ 上のコメント、すべて同感です。社会学者に限らず、何かを明らかにするという研究の営みの性質上、(多くの場合あまり意識したり予想したりする形ではない形で)何事かを形成されてきた経緯を「解明」(時に発明)することにより、構築論はほとんど不可避的に生成します。一つ言えるのは、構築論自体は良いにしても、〈それだけでは〉議論が不十分、ということかと思います。
■ #002
 コードスイッチングについて、日本語における外来語をどのように扱うのかが気になりました。外来語の中には、普段そうであるとあまり意識しないような言葉もあるように感じますが、そうした言葉を使うことはコードスイッチングに含まれるのでしょうか。また、エスニシティや文化について、これらは個々人のアイデンティティと密接に結びつくものですが、アイデンティティが人類学の調査に影響を及ぼすようなことはあるのでしょうか。また、自分の民族性についてあまり意識したことがないのですが、それは自分が他の「民族」を意識した経験がほとんどないことに起因するのではないかと思っています。だとすれば、民族性というものは民族間の関わりが重要なものかもしれないと思いました。⇒ 他の方のところでもリプライしたのですが、外来語や借用語も単純に外来語や借用語と片付けられない場合もあることに気付かされました。エスニシティの問題が他のエスニック集団との関係の問題であることはまさにその通りで、1920年代にシロコゴロフというロシアの民族学者が(おそらく初めて)そう定義しました。
■ #003
 コードミキシングについて、英語の文の中に母国語の単語をいれて、英語流に活用させている例がありました。その文化で一般的に使われているわけではなく個人が(その場かぎりで)使ったという点で借用語とは少し異なる概念という認識でいいのでしょうか(言語学に詳しくないのでわからないのですが)。⇒ あの例では、個人のその場での用法ですので借用語ではありません。ほぼ日本語(と外来語として定着した英語など)しか聞かない環境にいるので実感がわかないのですが、コードミキシングには、その言語にない単語を表す以外の目的や機能はあるのでしょうか(自分の文化的なバックグラウンドを示す、または指標してしまう、など…?)⇒ 一言で言えば、「(そうした)目的や機能」を持つことがあり、持たないこともあり、持っていると見なされることがあり、スルーされることもあり、となるでしょう。  黒人文化においてI don't wanna read. が協力要請の意味になりうることに驚きました。他にもそのようなことがあるとしたら非常に多くのミスコミュニケーションが生まれていそうだなと思いました。⇒ 実際あの例はミスコミュニケーションの例でした。
■ #004
 ある集団がどの民族に所属されるのかを判断する際に何等かの指標を使って民族を分類する試みが多くあり、言語はその一つの指標である。しかし言語などのような指標的な共通要素で民族を分類すると多くの場合は明らかに経験にそぐわないケースが見られる。例えばスイス人が三つの言語を主要言語としているが⇒ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つでは?、同じスイス人というアイデンティティをもっている。そのため言語で民族を判断することには、指標より規範的な意義があるであろう。つまり、XX言語を使うからXX民族であり、XX民族であるからXX言語を使うであることではなく、XX言語を使うならXX民族であるべき、XX民族であることこそXX言語を使いこなせないといけないという言語と民族の間の規範的な関係こそ指標としての言語を捉えるべきではないか。⇒ この指摘自体は同感なのですが、その帰結については違ったように考えています。言語と民族(上記の例では国民としたほうが良いでしょうが)との関係は規範的であるけれども、それは言語の指標性とは別次元のことではないか、と(相互規定的、といったほうが良いかもしれません)。
■ #005
 言語と民族衣装の指標性の違いについて考えたところ、言語は他者に使用実態を比較的理解されやすく、民族衣装は単なるアイコン程度にしか理解されないことが多いように感じました。多言語状況で育つとしても人が身に付けられる言語の数には限界があり、大人になってから身に付けるのはさらに難しくなります。また、翻訳という行為が一般的であるように、言語の果たす役割は大方似通っています。一方民族衣装では、本来特別な時しか着ない服、一般的な普段着、制服など様々な種類が存在し、その中でも更に細かく分類されることが多いです。それなのに、有名な一種類(例えばアオザイなど)が代表格のように扱われたりもします。そう考えると、言語人類学で様々な議論がなされているのは分かったつもりになりやすいからなのかもしれません。⇒ 言語と民族衣装の比較、ゆっくり考えてみたいと思います。上の例ですと、例えば言語でも「本来特別なときにしか使わない話し方・語彙など」がありますので、もう一歩先まで考えられそうですね。
■ #006
 犬が関西弁で喋る動画を見ていると、中国にある故郷では普段互いに方言で話し合う中年層の人はいざペットの犬に話しかけると標準語に切り替える事象を思い浮かべた。⇒ これは、「内的世界 inner world」の保持とコードスイッチという観点からして面白い現象ですね。ペットの犬は話者の内的世界に属していないのでしょうか。同じ現象は彼らと彼らの子世代との間には前から見られていた。故郷では、本来標準語/Mandarinとは互いに意思疎通ができない言語(公式的には方言とされている)が使われてきた。田舎が故に、50年代以前生まれの人はMandarin(=官話)を解せない人が多い(特に女性は)。60、70年代生まれの人は方言が第1言語でありながら、標準語も操れる。90年代以降生まれの人は殆ど標準語が「第1言語」となった。中国の「改革開放」を真っ先に経験した故郷の中年層における生活様式の変化は著しい言語使用の変化を伴った。国民的統合には好都合だが、その背景には方言が常に価値の低いところに置かれている。学校では「標準語を身につけ、文明人であれ」といったスローガンも貼られていた。⇒ こうした世代間の変化はかなり普遍的な特徴なのでしょう。  文化本質主義への批判には賛成するが、人種(形質上の意味で)、性別、性的指向、人々を取り巻く社会的自然環境といった差異が超越し難く、それらに歴史的に附加された文化的差異も無視できない。しかし問題を生じさせたのは差異なのだろうか。「文化」に内包された倫理、道徳といった価値体系は人々の生を方向付ける。そういった方向付けは抑圧の源で、見下しといった負の連鎖も生み出す。複数形の「文化」に価値を置くことがまずいが、人類学者がヒエラルキーに位置付けられている以上、決して価値中立的にはなれない。価値が権力の媒体なのではないだろうか。「価値」の本質を問い直す作業が大事なことであると思う。⇒ 価値と権力が互いに通じているのはその通りです。倫理や価値の人類学といった英語の論集は人類学的知識がどういう価値(付け)を生成しているのかを探っています。
■ #007
 バイト先が沖縄料理屋なので、沖縄出身の店長や料理長の話す沖縄ことばを耳にする機会がある。上京して長くなる彼らは、私達非沖縄出身者に対しては、大変自然に東京弁で話しつつ、沖縄出身者同士で会話を行う際には、私が聞いても全く理解できないような沖縄ことばで会話を行う。一方私は、地元に帰っても殆ど方言を用いないし、知人に「福島弁で喋って」と言われた時には、イントネーションすら思い出せなくなって困り果ててしまう。身近な例だけを考えても、日常会話におけるコードの用いられ方は多様である。家庭で培われた何らかのコードをそのまま用いる者、上記の例のように円滑なコードスイッチングを行う者、その場で求められる(通常東京弁)コードのみを用いる者。こうしたコードに対する考え方というものは、自らが生後初めて身につけたコードと異なるコードが日常的に用いられる場に置かれた時に生じるものだと考える。主観的だが、俗にいう「関西弁」コードとして持つものは、場に影響されずにそのコードを用いる印象がある。その際、どのようにコードスイッチングが行われ、また、行われないのか、ということの背景には、本人の所属する文化圏が影響しているのだろうか、と考えたが、そもそも「文化圏」の定義自体が曖昧であり、やはり時と場合、個人的要因によるものと考えるほかないのかもしれない。⇒ 「自らが生後初めて身につけたコードと異なるコードが日常的に用いられる場に置かれた時に生じる」という指摘はまさにその通りと考えます。多くの場合、自分が使っているコードには無関心ゆえ意識することがありません。意識に上ってくるのは、差異が立ちあらわれるときです。さらにいえば、そうした差異への気づきは〈少数派〉のほうです。
■ #008
 言葉は指標性を持つ。それは意図的なケースもあれば、意図していないケースもある。また本来指標していたものとは、異なるものを指すようになる場合もある。その例に「炎上」がある。それが指し示すものは、元々は「火が燃え上がること」であった。しかし、今では「ブログやSNSに掲載した文章に対して批判的なコメントが殺到し管理機能を一時的に失う」というネット用語として広く使われている。今では、「炎上」という言葉を聞いて本来の示していたものよりネット用語のそれを先に思い浮かべる人もいる可能性がある。このように言葉の指標するものが時代ごとに変化していくことは興味深い。⇒ そうなのですが、この例はそれほど新奇なものとは思いにくいです。つまり、元々の意味でも「自分の制御能力を超えてしまうほど事態が進んでしまうこと」(火が燃え上がることだけでなく、激しく広く燃え上がってしまった結果、自分の力だけでは消化できないまでになってしまったこと)が含意されているので。
■ #009
 今回はエスニシティでしたが、同じI don't know という言葉をとっても白人白人と黒人で受け取り方が違うというのは日本人がマジョリティのコミュニティにいる身としてはなじみがあまりなかったです 言語変種もある地方が他と離れているからこそ成立するのだと思っていましたが、エス二シティによって違うのは興味深かったです 受け取りかたが個人によって様々ということはあってもそれが人種の間では共通というのが不思議です それぞれの文化を作る「場」が互いに交流があまりないのでしょうか また黒人のニュアンスを白人が知識としても心得ていないのも不思議でした またコードスイッチングについても前のターミネーターで出てきた時もおそらくそこまで深く考えていなかったのではないかと思いました しかしそれに何らかの意図を読み取ってしまう人がいるというのはメディアなど多くの人に話しているのを見られるとそれだけ誤解を生みやすいのかな、と思いました ⇒ 言語を数えること、互いに区別することの是非の問題を抱えつつ一つ言えるのは、黒人英語は英語のなかの一つの言語変種a linguistic varietyということかと思います(「方言」は差別的ニュアンスを含みますので、言語人類学や社会言語学ではあまり使いません)。
■ #010
 複数の言語的コードの指標的意味やその使い分けについてのメタなコード(社会の中の言語のハイアラーキーな関係など)や、言語外事実に関する知識や理解の違いが、コードスイッチをめぐる過解釈や、その他の言語の指標的意味をめぐる問題が生じる大きな原因だろうと思いました。発話者が意図しているか否かに関わらず、聞き手は自らのメタコードに基づいて指標的意味を読み込んでしまうから、発話者がその「民族性」を意図して行為していなくても、受け手がそこに民族のレッテルを貼り付ける、ということは生じてしまうのでしょう。⇒ まさにその通りで、それだからこそ指標性(意味してしまう/読み込まれてしまう)の議論が重要となるのです。  あともう一つ、民族衣装と言語の指標性の違いの原因の一つは、言語の方がコードの習得が難しい、乃至時間がかかる、ということにあると思いました⇒ これは外せない指摘でしょうね。ただ、指標にとっては正確な言語の知識は必ずしも不可欠ではないので、これも相対的であることは認めつつも、ですが。
■ #011
 コードミキシングの例として、英語の中にネパール語の単語が取り入れられている文が紹介されていました。例は外国語を使用する際に現地語が混じる、という場合のものでしたが、逆の例は日本語などにも多く見られます。(「コミュニケーション」などの外来語が日本語の中で使われている場合。)こういった場合には、その語の使用がコードミキシングなのか言語変化なのかという点も曖昧になっているように思います。(英語と日本語などの明らかに区別できる言語同士の場合ならまだはっきりさせることができるかもしれませんが、言語変種動詞の場合はなおさら曖昧になるのではないでしょうか。)こう考えると、言語を数えることの問題は人類学だけに留まらないものだと感じました。⇒ あの例の詳細は不明ですが、日本語の文における「コミュニケーション」という言い方(いわゆる借用語)の一例ではなく、話者が意図的に「額に紐をかけるような感じで背負う」という動詞をネパール語で言った、という例でしたので、コードミキシングの例ということです。
■ #012
 民族衣装と方言は、どちらもそれを着用する人や使用する人の「出身」を指し示すものであると考えられるが、その指標する「出身」の範囲の差異が民族衣装の指標性と方言の指標性との違いのひとつであると考える。  たとえばアオザイ、サリーといった民族衣装を着用している人に対しては、それぞれベトナム、インドの出身であるというように国単位での認識が得られる。他方、方言に関しては、青森県の二大方言である南部弁と津軽弁を例に挙げると、南部弁を用いる人は青森県東部(八戸など)の出身、津軽弁を使う人は西部(津軽地方など)の出身、といったようなより細かい地域単位での認識が得られる。  もちろん、「出身」という言葉の定義は正確に行わなければならず、単に生まれた場所によって決まるのか、ある程度の長い年月を過ごした場所を指すのか、はたまた別の意味かで差異が生じてくると思われる。⇒ さらに一歩先も考えていきたいですね。民族衣装では国単位の認識でしょうか。分かる人が見れば(この「分かる人」なら、というのが議論のミソなのですが!)、あの色使いは南部のほう、という認識が出てくることもありえないでしょうか(逆に言えば、南部弁と津軽弁を聞き分けられない人もいるでしょう)。
■ #013
 『水尻自子の方言アニメ』は方言自体面白いでしょう��いうのが第一にあると思いますが、日本語の中に差異があることをメリットとして活用しようという行為だといえます。また、全国ニュースなどでは標準語を用いるのが一般的であることから、背後にハイアラーキーな構図も存在しています。それに対して人類学において差異を作ることへの批判というのはおそらく差異を見出すことに留まってしまうことへの批判なのでしょう。差異に目を瞑ることではなく差異を認めつつも共約の可能性を探っていく、つまり当初は差異があるように見えても理解し合うことは可能であるということを示す必要があるということでしょう。⇒ おそらく多くの人類学者(私もふくめ)はこの意見に同意します。ただ悩ましいのは「共約の可能性」を十全に語る語彙が実は人類学や民族誌的研究に不足しているのでは?という危惧・不安です。個人的には勉強不足で冠詞という概念が今ひとつ乗り越えられていないので、この冠詞の成り立ちに民族性が関わっているのかどうかというのは少々興味があります。⇒ぜひ調べてみてください!
■ #014
 今日の授業で扱ったスターリンによる民族の定義で言語の共通性などの他に地域の共通性も挙げられている。この基準で考えると固定された居住地域を持たない民族はもはや民族とは定義されないのだろうか。現代の世界では様々な民族(と呼ばれる人たち)が同じ場所に集まって、また同じ民族間でも異なる場所に散らばって生活していることもあるはずで、その場合にも彼らは民族ではなくなってしまうのだろうか。また心理状態の共通性とは言語が同じであっても地域が同じでないと薄れて行ってしまうものなのか、など民族を定義したり数えたりすることの難しさや、また民族を枠でくくってしまうことが果たしてどのような結果を生むのかなど改めて考えさせられた。⇒ とても鋭い指摘です。まさにその通りで(とよく議論されています)、あの定義で排除されるのがユダヤ人(あとロマ)です。地域の共通性は、一方で行政運営上の必要性から導き出される概念の構成要素でありながら、他方で、ユダヤ人を政治的枠組から排除するメカニズムにもなるのがやっかいなところです。
■ #015
 日本では近い地域であれば方言に多少の違いはたれども文化的にはやや似通っているのかなと思います。関東と関西くらいの差が出ると文化的にもかなり違いがはっきりしますね。方言を一つの言語として数えることは僕は問題ないと思います。なぜなら同じ国でもかなり離れた地域ではイントネーションや言葉の使い方がまるで違うため、方言を勉強しないと意思の疎通がとれないような気がするからです。⇒ どのように文化の差を捉えるかは相対的であるゆえ議論が複雑になります。関東と関西との違いで文化の違いが「はっきり」するのであれば、例えば関東と東北、関東と沖縄となった場合、どういう「程度」になるのか、と。ですから違いの議論に慎重になる、というのが講義での話でした。  白人生徒と黒人生徒の話は同じ言語を話していてもその文化の解釈によって発言内容の解釈が変わる、ということですか?⇒ と議論されている、ということです。  あと、コードと言語というのは区分けとしてはどういう違いがあるのですか?⇒ 汎用性が高い形での用語として前者が好んで用いられます。同じ(本当はこれも議論になるのですが)日本語を用いても教員は教壇に上がった瞬間に「教授コード」で話す、といったようにです。
■ #016
 授業の最初に見た関西弁を喋る犬の動画を、私はユーモラスだと感じたのですが、その理由についてもう少し考えてみたところ、「犬がこんなに人間らしく喋るなんて」という意外性にあったのではないかと思いました。共通語は他の方言に比べて、一部の日本語話者同士の日常会話に留まらず、外国語でなされた発話の和訳や、アナウンサーやコンピューターなどの純粋な情報伝達を目的とした業務的な発話等にも用いられています。そのような場合、特定の共通語の発話や文章には、必ずしも「それが日本語共通語で生成された」というニュアンスが含まれていません。それに対して、上記のような目的で使用されることが稀である関西弁の発話の場合、「特定の方言で生成された」という指標性が強くなり、犬の動画のケースでは「ただ犬が会話しているというだけではなく、特定の日本語方言で会話している」というニュアンスを与えているのではないかと思います。⇒ 「方言」についてだけではなく、共通語(標準語)のun-marked-ness(無標性)をも同時に考えるという方向性はとても良いと思います。標準語話者は特にこの方向性が見えにくいので。
■ #017
 今日の授業ではコードスイッチ(ング)の概念が出てきたが,主に英語由来の外来語が日常言語で多く使われている日本語においては外来語の使用によるコードスイッチングに近いものが多く表れているのではないであろうか.例えば,「ランチをする」というとき,「お昼を食べる」「昼食をとる」といった言い方をせずに敢えてこのような言い方をする背後には,おしゃれな飲食店(外来語を用いて明確に表すのであれば「レストラン」)で,あるいは自分で手の込んだ料理をして(主に)洋食料理を食べるといった意図が込められるが,このような表現は(ランチという)外来語を用いないで表すのは難しい.一方,「ランチ」という名詞に「する」をつけて動詞化している点は日本語の文法の範疇で行われており,日本語と外来語(この場合は英語)の二つのコードが用いられていると言えるのではないだろうか.⇒ 「ランチ」は、単純に借用語といいにくいということですね。つまり例えば牛丼や鮨を昼食にとったとき「ランチした」とは多くの場合言わないゆえ(しかし言う場合もあるだろう。例えば話者が「ランチ」に、少し贅沢したという意味を込めてミックスしている場合など)、ある種の選択性が見られるというのは、コードを意識的にスイッチする、ミックスするというときの意識の問題を考えさせてくれます。
■ #018
 ダイグロシアについて。ダイグロシアという用語は、ハイアラーキーな構図を伴う場合にしか用いられないのか。例えば、1つの国の中で主に4つの公用語があるスイスの例。ドイツ語/フランス語/イタリア語/ロマンシュ語の話者の間に、カラーや政治的な立場、話者人口の違いはあるだろうが、明確な権力差があるとはあまり聞かない。このような社会的状況もダイグロシアと呼ばれうるのだろうか。⇒ は��。ただ、スイスやベルギーの多言語状況はかなり入念な制度設計に基づく(ヨーロッパの理念的な意味で)もので、世界的には例外的と考えたほうがよいかもしれません。  また、コードスイッチについて。最近はカフェやレストランでも、お互い通じることが分かっていれば日本人同士でも英語混じりに喋っているのを度々見かける。「このイベントが全然organizedされてなくてね」「あっちの大学の友達とはkeep in touchしてるから…」等。このように、より簡潔で的確な表現がすぐに取り出せる引出しにあるというだけで、2つ以上の言語が混ざることもあるだろう。さらに書き言葉も考えると、特に越境文学において、より意図的に言語を複数使用した作品も生まれてきていると思う(ex.水村美苗『私小説』)。⇒ 同感です。多和田葉子氏もそうですね。考えてみればドイツ語で書いたカフカも。ポイントは単に「言語を複数使用した」レベル以上のことが目指されている点かと思います。
■ #019
 コードスイッチの話がありましたがアラビア語の場合はメディアで使われている古典アラビア語を実際に会話の中で使えば、日本語でいう拙者やかたじけないというニュアンスになり笑われると言われました。口語アラビア語は古典アラビア語と全く異なりますが、さらに地域によって基本的な単語に含まれる文字も前置詞も細かく異なっていてほとんど別の言語です。⇒  私はアラビア語は分からないので、「ほとんど別」と考えてよいかどうか判断できないのですが、同じ言語であるが別の変種というには両者の差異が強すぎる、ということなのでしょうか。なので同じアラビア語話者であっても会話の中で普段は口語として用いない古典アラビアを所々混ぜながら話しているようです。またアイヌ語も日本語とは全く異なりますが、現代のアイヌの人々は学校など日常の中では日本語を使い、自分の名も日本人と同じような名字と名前であってもアイヌ語の歌をよく歌うと聞きました。複数の言語の話者であっても、一方の言語を意識的に使う状況もあるのかもしれないと思いました。⇒ この場合、その言語を用いることとその言語の歌を歌うこととの(論理的)関係をどう考えるかということになるかと思います。
■ #020
 滋賀県の例で示されていた、「関西弁」の分類の荒さがその観測者の属する言語(linguistic variety)によって異なるという話では、つまり究極的には言語や民族のカテゴライズ自身もまたそれぞれの文化に依存してしまうということが示されていたと思いますが、これはきわめて難しい問題だと感じました。このようななかで研究者が客観的な立場からその一元的な数え方を決めることには限界があると思いますし、私たちが自分の言語について自己言及してみようとしても詰まってしまうところがあります。しかし一方で私たちは、関西にルーツを持たない人でも親しさなどを表すために敢えて「なんでやねん」と言ってみることがあるように、日常レベルでは非常に曖昧な状態のままで文化のイメージを借用しているであろうことも興味深く感じます。⇒ ポイントをうまく言い当てていると思います。「曖昧な借用」はふだん多く我々はしていて、意図的に親しみをもたせるために使用したりするのですが、興味深いのは常に意識的とは限らない点です(だから意図の問題はやっかい、という話に戻るのですが)。
■ #021  ダイグロシアという状況について、この説明は日本における敬語表現と口語表現の違いについても当てはまるのでしょうか。⇒ 相異なるコードの併存という意味では当てはまるとも言えますし、敬語も口語も同じ言語の一部という視点からだと違うとも言えます。また、言語による思考法の違いについては、「言霊」の概念を思い出しました。私自身はあまり言われた覚えがありませんが、幼いころに「そんんな汚い言葉を使ってはいけません」というような注意をされたという話はよく聞きます。この現象も学術的に言えば言語決定論の考え方に基づいているのでしょうか。言語と社会的パーソナリティー、思考法、文化についての説明が、ステレオタイプ的でよく考えれば疑わしいものも多いにも関わらず、一般に支持されやすいということは、少なからぬ面で言語によるそうした影響を多くの人々が感じていることを表しているのだろうと思います。⇒ 「言霊」の話と言語決定論、ステレオタイプによる分かりやすさの問題は同じ土俵に乗っていないような気がしますが。
(7月22日 記す)
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hibi-y-w · 7 years
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■ ロシア語授業■ 補足プリント 格変化問題 偶数番
・授業で扱わなかった偶数番の問題の答えです。
・ポイントとなるところを太字にしてあります。
・二日目の試験の日まで掲示します。
【解答】
2) У меня (нас) нет нового учебника.
〈訳〉私(私たち)は新しい教科書を持っていません。
否定生格が要求されます。
4) ... твоим младшим братом.
〈訳〉今日私は電話で君の弟と話した。
c+造格で「〜と」の意味にする必要があります。
6) Я вижу здесь её старого друга.
〈訳〉ここで私は彼女の古い友人を見かける。
直接目的語の対格ですが、活動体ですので、形は生格となります。
8) Я помогаю изучать русский язык этому новому студенту.
〈訳〉私はこの新入生がロシア語を勉強するのを手伝っています。
помогатьは与格を要求します。
10) Я видел (Мы видели) на улице нашего иностранного профессора.
〈訳〉私(私たち)は通りで私たちの外国人の教授を見かけました。
直接目的語の対格ですが、活動体ですので、形は生格となります。(ここでは、直接目的語の否定という意味での否定生格ゆえでも生格になっていますが、このことについてはまだ教科書できちんと学習していません。)
12) ... известным русским писателем.
〈訳〉土曜日、ここで有名なロシアの作家との会合があった。
c+造格で「〜と」の意味にする必要があります。
14) У меня (нас) нет сейчас свободного времени. 
〈訳〉私(私たち)にはいま空いている時間がありません。 否定生格。-мя系の中性名詞は要注意。
16) Мне (Нам) надо ждать здесь моего старшего брата.
〈訳〉私(私たち)はここで私の兄を待つ必要がある。
ждать(〜を待つ)は生格を要求する動詞です。
18) ... этой новой квартире ...
〈訳〉この新しい家(マンション)にアリョーシャが住んでいる。
存在や行為の場所を示すв+前置格です。
20) Вчера он рассказывал эту интересную историю.
〈訳〉昨日彼はこの面白い歴史を話した。直接目的語の対格です。-ия系の女性名詞には要注意。
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hibi-y-w · 7 years
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ペテルブルグ学会参加紀行⑤:10月27 日(木)
移動日(ペテルブルグ=>モスクワ)
《実況中継はこちら。》
■ 8時半過ぎに起床。寒そうな曇り空。今日はモスクワに移動するだけの日。
■ 朝食後、部屋で牧場を遠隔操作。このホテルはレギストラーツィアはチェックアウトのときに渡すという。11時過ぎにチェックアウト。もうちょっと遅くでもいいのだが、まあ早めに。
■ 地下鉄でマヤコーフスカヤ駅で降り、隣接のプローシャチ・ヴォススターニア駅へ移動、地上に上がってモスクワ駅に。地上であがってモスクワ駅構内に入ろうと歩いているときに警察官にパスポート掲示を要求される。国はどこですか、ロシア語上手ですね、何年学んでいるのですか、入り口はあそこですよ、と半ばマヌケなやりとりをへてすぐに無罪放免。構内に入るのにX線検査あり。番線表示はまだのよう。
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■ モスクワ駅構内ではウィンドーショッピングをしつつ、目星をつけた店でお土産を買う。この駅は待合室の座席が少ないように思う。番線表示が出たので、再度、手荷物X線検査を受け、ホームへ。
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▲ 向かいの列車、ネフスキイ特急とあるが、具体的にはどの街に行くんでしょ?
■ 不思議なことに、行きと同じ番号だが、同じく進行方向向き(同じなら進行方向逆向きになるのでは。ロシア的混沌の一つなのか、あるいは不思議でも何でもないのか)。今回は3号車。座席ポケットの案内を見ると、行きと微妙にサービスが異なる。
行き:10号車=「エコノミークラス+」
帰り:3号車=「エコノミークラス」
「+」の違いは飲み物・軽食が出るか出ないかのよう。
定時の13:08に発車。車中ではいつものように寝入ったり本読んだりこの日誌を書いたり。雪がそこそこ積もっていた。最高時速228km/hだったような。
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■ 定時(17:10)より少し遅れて17:13ぐらいにモスクワのレニングラード駅に到着。地下鉄でベロルースカヤ駅に移動し、同じホテル「ホリディ・イン・レスナーヤ」(レスナーヤ通りにあるのでこの名前、と覚えておけば、地下鉄の出口を間違えることもあるまい)に。
■ 風呂に入って少し休憩してから、近くのスーパーへ。空港で買うと割高だぞ…と思い、文化人類の研究室、「某バー」、ロシア語クラスへのお土産のチョコレートや密輸したかった某食材などを買い求める。そのままホテル一階のレストランで豪遊。ビールをngng、量が多くてすこしひるんだがサラダをがつがつ、ペテルブルグでハンガリー料理(グラーシュ;思っていたより具だくさん)、ウォッカも追加してキエフ風カツレツ(思っていたより大きくて、歓声?をあげるとウェイトレスさんに笑われた)に突進(さすがにカツレツに添えられていたマッシュドポテトはやや残した)。2770+チップで3000ルーブリ(約5000円)のお会計。自室に戻ってベッドのうえでひっくり返っているといつのまにか寝入る。
■ 起き出してビールを飲みながらパッキングなど。
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hibi-y-w · 7 years
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ペテルブルグ学会参加紀行④:10月26 日(水)
学会三日目(最終日)。
《実況中継はこちら。》
■︎ 最終日の今日は午前には何もなく、13時から映像人類学のセッション。8時過ぎに起床。1°C、室温22°C、みぞれのような雪が散らついている。 ■︎ 朝食後、本屋めぐりはとうに諦め、ホテルの部屋で牧夫をしたり(iPadだけでなく、キーボードも持ってきたのは良かった。PCは持参せず)、日誌を書いたり、今日のConcluding Lectureの要旨を読んだりして過ごす(やはりコンサイス露和ではきつい。岩波と研究社の辞書、早く電子版を販売してほしい)。日本から持って来た食材(アルファ米の炊き込み御飯など)で簡単に昼食を済ませ、会場へ。
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▲ Mホテルは、中庭に入り口がある。
■︎ 少しは遅れて入場。すでに上映は始まっていて、1本目の「サモイェード日記」を途中から観る形に。このセッションの代表D・V・アルジュトフが、主に1929〜32年にプロコフィエフ夫妻(もちろん作曲家のほうではない)が撮影したネネツの日常生活の映像を再構成したもの。ごくごく普通の日常生活(例えば洗面の様子など)も撮影されているのは良い。2本目は1978年にタィミールで撮影された「ヌガナサンの葬礼」(岩波新書で出ている『シベリアに憑かれた人々』の著者シムチェンコが学術監修者の一人となっている)。子孫の親族が同時に解説していく形だった。その後、後編とも言うべき短い現代版も上映された(ほとんどロシア化しているとのこと)。
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■︎ ふと横を見ると、外国人の夫妻の子どもがぐずっていたのだが、隣のロシア人参加者が自分のPCで『天空の城ラピュタ』を見せ、あやしている。音声なしにもかかわらず、子どもが食い入るように見ているのは面白かった。それにしても、もともとPCに動画ファイルがあったということ? ■ 反省が一点。今年出た英語論文をデイヴィッドに渡そうとして気付いたのだが、引用しなければならなかったのに(よりによって)デイヴィッドの本が見事に抜けていた。渡すのをやめるかとも考えたのだが、手書きで補充し、謝りながら贈呈した。「I try to forgive you」と笑ってくれたのでとりあえず良しとするが、校正や作業は丁寧に。 ■︎ 締め括りの講演は、A・V・ゴロヴニョフによる「遊牧民のモチーフ」。シベリア・北方3か所でのフィールドワークに基づき、「移動の人類学」(同名の本あり)を、時々笑いを誘いながら論じた。様々なアクターにGPSをつけ、空間認識や技能の違いを論じた講演は確かに3年に1回の〈お祭り〉を締め括るのに相応しかっただろう。
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■︎ 疲労を覚えていたので(発表もしなかったし、away感も半端なかったので。一緒に行こうと言って誘ってきた悪友自身が来られなくなってしまったし)、バンケットは辞退し、独り一昨日のビアホールへ。ペテルブルグでチェコ製ビール、ニンニクが効いたチェコ伝統料理のスープを味わう。隣のテーブルの女の子2人組から、スマートフォンで写真をとってくれと頼まれ、引受けるも、マヌケなボタンを押していたようで、お互い笑い出す。 ■︎ ホテルに戻って風呂とか洗濯とか。「シベリアの王冠、濃いめ」ビール(度数が8%以上ある)を飲みながら、翌日のために簡単にパッキング。
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▲夜のネフスキイ大通り。
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hibi-y-w · 7 years
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ペテルブルグ学会参加紀行③:10月25 日(火)
学会二日目。
《実況中継はこちら。》
■ 6時過ぎに起床、雪が散らつく。朝食を済ませ、会場へテクテク。
■ 午前最初のセッション、10時開始。大ホールの「北方を生業的に、情動的に自分のものとする(第1部)」に参加することに。8本の報告が予定されていたが、1本はキャンセル(ロシアでよくあるある。1本なら少ないほうだ)。拝聴した報告は以下の通り。
・K・B・クロコフ「北方の風景の情動的知覚」
・A・A・シーリナ「シベリアにおける生業の営み、社会的検討と情動」
・E・A・ピヴニェヴァ「『つらかっただけという理由でもあるのだろうか』ーシベリア先住民の民族的自己意識の情動的側面」
・E・A・ヴォルジャニナ「20世紀の最初の30年間におけるヤマル北方開発調査団参加者の情動的状態」
・V・S・ボロヴォイ「ソヴィエト生産集合体の労働関係における北極圏環境の影響」
・O・A・ポヴォロズニュク&P・シュヴァイツアー「バム鉄道建設ー過ぎ去った幸福に関する記憶は生きているか?」
・N・I・ノヴィコヴァ「トナカイ遊牧民と石油企業関係者は友人になれるか」
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■ お昼は、朝ご飯の残りで適当に。廊下のソファで独りmgmg。
■ 午後の最初のセッションは14時開始。小ホールの「移動、風景、環境の知覚」に参加。6本の報告予定のうち1本はキャンセル。
・V・N・ダヴィドフ「人間=家畜=風景関係における情動ータイミールにおける家畜追い込みの研究」
・E・G・フョードロヴァ「北方マンシに見られる空間への態度」
・L・Iu・ポポーヴァ「タィミールの先住少数民族の民族的オーナメントの構成における情動の役割」
・A・B・オストロフスキイ「ニヴフ文化のおける占有した空間の限界的状況での苦痛の個人化」
・V・A・べリャーエヴァ=サチューク「オカ・ブリヤートとソヨートの伝統文化における家畜ー食材か、働き手か、友人か、それとも神聖な存在か」
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▲ おー、さすが地理学協会。クロポトキン公爵様のお写真が(本のときには使わせていただきます。ポターニンのも)。
■ セッション終了後、座長をしていたアバーディーン大学のデイヴィッド・アンダーソン氏に話し掛ける。もうちょっと若いかと思っていたが。初対面だが、20年くらい前に市民社会概念を人類学のなかでどう使えるか、起源をどう考えるか(たしかデイヴィッドはシュッツを持ち出したが、私は人類学の流れの中としてはそれはないだろう、というようなこと)をメールでやり取りし合っていたことを覚えていて、ああ、君か、というような感じであった。今回来られなくなった友人の言づけも伝える。彼は最近、シロコゴロフの生涯と業績を調べていて、戦後直後に日本に送られた関連文書があるのだが分からないか、と聞いてくるが、あいにく彼の情報量だけではなんともいえず、もっと詳細なヒントはないか、と尋ねたりする(ロシアで急に英語にコード・スイッチするのは正直言ってツラい。どうしてもロシア語混じりの発話に)。
■ コーヒー・ブレークの時間に。今は確かに携わっていないが、ブリヤート民族誌研究の仲間ということで、べリャーエヴァ=サチューク氏に話し掛ける。ポーランドの大学に属している人。業績リストを渡すと、英語のはないのか、というので、少しはあると答える。これからも連絡を取り合いましょう、と言ってくるが、こちらはブリヤート民族誌研究はひと段落したので、どこまでお役にたてるかどうか。
■ さて、今回の最大のミッション、〈拉致のためのナンパ〉に着手。これまでの研究業績や発表内容、振る舞い(何を指すのかはまたいずれ)などで某氏に狙いを定め、話し掛ける。実は彼女の名前はよく知っていて、修士論文を執筆しているとき、ちょうど日本に来ていたモスクワの民族学研究所のx氏から、あなたのそのテーマならこの論文が役に立つかも、と教えてもらったその論文の著者なのだった。そんなx氏のことも話しながら(いまだにお元気とのことで安心)今回のナンパの目的を話す。私、日本語できませんが。いやいや、英語で発表してくれればいいんです。それに…といったやりとりを経て、〈商談〉成立。
■ 午後第2部のセッションは、「他としての自、自としての他」に参加(大ホール、16:30開始)。予定の5本全てが報告された。
・O・M・ルィンディーナ「ロシアのドイツ人の集団的経験におけるシベリアのイメージ」
・A・G・ヴォロパーエヴァ「トムスク州のウクライナ系移民の文化におけるシベリアの知覚と影響」
・P・P・シィンケーヴィチ「20世紀シベリアにおける農業移民ー情動と感情」
・V・B・イヴァノーフ「タイミールのマスコミー喜ばしいことと悲しむべきこと」
・I・V・アブラモフ「ウシク・マルコシアンのタイガの十字架」
■ プログラムでは19時までとなっているが、18:20頃には質疑応答を含め終了。最初と二番目の発表の方はトムスク大学から。ヴォロパーエヴァさん(まだ大学院生)には話しかけ(19世紀後半トムスクの知識人とウクライナ系知識人との交流の可能性についていずれ質問したい)、すでに発表論文があると聞き、自己紹介しあう。
■ 本当であればそれぞれの発表への自分のコメントを書き記しておくべきなのだろうが(メモはあるのである程度は再現できる)、とりあえず先を急ぐ。10時に始まって約8時間半、機関銃のように話されるロシア語の発表の洪水でさすがヘトヘト(日本の学会ならばこんな風に「まじめに」参加したりしない)。ホテルに戻り、日本から持って来た食材で適当に夕食を済ませ(もちろん風呂&洗濯も)、就寝。
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▲ 夜のグリボエードフ運河。
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hibi-y-w · 8 years
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ペテルブルグ学会参加紀行②:10月24 日(月)
移動日(モスクワ→サンクト=ペテルブルグ)&学会初日。
《実況中継はこちら》
■ 6時前に起床。晴れ、外はまだ暗い。栄養バランスを考えて多様性を重視した朝食をとる(バイキングの朝食で海外の場合はいつもだが)。パッキングを終え、ホテルをチェックアウト。事前に言っておいたので早めのチェックアウトでもちゃんとレギストラーツィアを受領。
■ まずは地下鉄でコムソモーリスカヤ駅に移動。「トロイカ」カードを100ルーブリ分チャージ(自動販売機ではクレジットカードでしかチャージできなかったので窓口にて)。何も考えずにカザン駅のほうに向かってしまうが途中で気づき、レニングラード駅(通称オクチャーブリスカヤ駅、eチケットではOKTと書かれていたりする)に。荷物のx線検査を通り(胸部なわけない)、構内へ。すでに「5番線」と表示あり。トイレを済ませ(30ルーブリの有料制だが、切符があれば見せるとタダ)、再度、x線検査を通過し、ホームに。
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▲ そっちはカザン駅だって。よく見ろ。 ■ 列車番号は758AA(通称「サプサン[隼]号)。私の10号車は最後尾。9号車の入り口からeチケットとパスポートを見せる。若い車掌さんの笑顔が素晴らしい(思わず「資本主義万歳」と叫びたくなる…というのは嘘)。席は窓際の31番。進行方向に向かっての席でよかった(やはり車窓を見るにはこうでないと)。シートピッチなどの仕様は日本の新幹線のグリーン車並み(4列仕様)。定時の9時半に出発。日本の新幹線より加速が早いような(車体はドイツのジーメンス社製)。のちに車内の電光掲示で分かったが、最高時速は220km/hらしい。
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■ 車内では本を読んだり、配られた軽食(惣菜パン、菓子パン、紅茶)をとったり、寝入ったり、車窓を愉しんだり。ペテルブルグに近づくにつれ、沼地が多く見られるようになり、やはりなあ、と思ったりしてしまう。定時(13:20)にモスクワ駅到着。気温7°C。
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■ プローシャチ・ヴォススターニア/マヤコーフスカヤ駅で35ルーブリでジェトンを買い、第3系統でゴスチーヌイ・ドヴォール駅へ。ただし出口を間違えたようで、隣接のネフスキイ・プロスペクト駅から地上に出てしまい、カザン聖堂にご対面。まあこれも悪くないじゃないか。ロシア国立図書館の裏にある小さなホテル(「Mホテル」…本当にネーミングのセンスが理解不能だ)にチェックイン。部屋は3階の301。窓からはいかにもな中庭が見え、ほとんどドストエフスキイ『貧しき人々』の世界(友人の手紙の論考を思い出す)。
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■ 荷解きしたりちょっと休憩したりしてから学会の会場へ。グリボエードフ運河沿いを歩いて20分(慣れると15分もかからない)ほどのところに、今年の会場のロシア地理学協会がある。今日の朝から1日目が始まっているので途中参加の形。会場につき、コートをクロークに預けて階段を上がっていくとちょうどコーヒーブレイクの時間だった。
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■ 3つのセッションが同時に進行するプログラム。閲覧室(とっても小さい!)での「自空間をめぐる動揺・気まづさ・限界(ラウンド・テーブル形式)」のセッションに出る。すでに発表は終っていて、いきなり各発表者のコメントと質疑の時間になっていたので、選択としては失敗だった。今回の研究大会(「第10回国際シベリア研究大会」)全体のテーマは「生への情熱ー北方とシベリアにおける情動・感情・知覚」となっていて、それに基本路線をかなり合わせたセッション。情動を議論するにあたっての方法論的問題、いかに記述できるのか、インフォーマントとの関係などが集中的に議論された。「インフォーマント」、「(民族学者ではなく)人類学者」という術語が普通に使われるのは、開催地が西欧的人類学が流入しやすいペテルブルグならではのことなのか(次の日も「語り」とか出てきて少しびっくり)。
■ 来るときに見つけたスーパーでビール(「シベリアの王冠」)とウォッカ(「五湖」…こう訳すとなんだか紹興酒の銘柄っぽくなるな)を買い求め、ゴスチーヌイ・ドヴォールをウィンドーショッピングしながらホテルに帰還。このホテルでは夕食はやっていないという。フロントでオススメのお店を教えてもらうが(15%の割引カードつき)、行ってみると惣菜パンのお店で何か温かいものを食べたかったのでパス。間違った方角に行ったとき、「ヤキトリヤ」という日本食レストランらしきものを発見するが、店内はガラガラで、「君子、危うきには近寄らず」原則で素通り(日本食が恋しい訳でもないし)。しばし物色したのち、悪くなさそうな(決定打は、独りでジョッキを傾けていたオッサンの姿)ビアホールに(ネフスキイ大通り沿い;半地下;100種類以上のビールありという文句がガラスに踊っているところ)。様々な肉と付け合わせのグリル、キャベツのサラダ、ビール計850ml(なかなか美味しいパンつき)で1210+チップ100=1310ルーブリ(5000ルーブリ札を用いても文句言われず!)。 ■ 部屋に戻り、お風呂(バスタブがあるのはありがたい)、選択。ウォッカをちびちびなめながらあれこれしていると眠気におそわれ、ベッドにドボン。
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hibi-y-w · 8 years
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ペテルブルグ学会参加紀行①:10月23 日(日)
移動日(東京→モスクワ)。
《実況中継はこちら》
■ 5時前に起床。眠い目をこすりながら、軽い朝食を済ませ、5:45には家を出る。やや早めに渋谷駅に着いたのは良かった。成田エクスプレス(3号、渋谷6:40→7:52成田空港第二ビル駅)に乗るため、ホームで座席番号を確認しようとするとポケットに切符がないっ!自動改札で取り忘れたと気付く(普段考え事をしながら歩いているので、嘘、ボーッとしているので年に1,2回はやらかす)。買い直そうと一瞬考えるが、セコい自分の辞書にそんな用語はなく、トランク(といっても今回は小さめだが)を引きずって改札まで急ぐ(渋谷の遠い方のホームなのでそこそこ距離がある)。無事、発見。急いで探してくれた駅員さんに「まだ間に合いますよ」と促され、また走り、NEXに乗り込む。
■ 例によって爆睡。いつの間にか成田第二駅に。早めに着くように動いて良かった。チェックインカウンターはガラガラで、トランクを預け、搭乗券を受け取り、係員の方に「マイレージカードをお持ちなら」と言われ、ジーパン(ジーンズと言わないあたりでオヤジ年齢がばれてしまう)のうしろポケットをまさぐると空洞であることに気づく。一瞬フリーズするが、係員に会釈してその場の手続きを終えると、頭をフル回転。眠りこけたとき、財布は座席の上にずり落ち、そのまま列車から下車したに違いない。引き返した駅の改札でそう言うと(車両・座席番号をTWしておいて助かった。話がスムーズに)、終点の成田空港駅に電話してくれ、ちゃんと発見されてあるとのこと。シャトルバスがあります、往復何分くらいですか、30分くらいです、ああそうですか、ありがとうございましたっ、とバタバタと第一ターミナル行きのバスに。駅の事務室で書類を書き(場合によっては取得者が謝礼を要求することがあり、その場合連絡先を教えても良いかと承諾を 求められる。断れませんわな)、受領。またバスに乗って第二ターミナルに戻る。ふう、何やってんだか。二度あることは三度あるというので気をつけるべし。
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■ 出国手続きや荷物検査を突破、無事出国ロビーへ。マイレージカードの登録をしてなかったらどうなっていたのだろう、クレジットカードカードなしにロシアに行っていたら(もちろんドルは持参してるが。結果的にはクレジットカードは一回も使わなかったけれど)、係員が親切にマイレージの窓口での手続きを勧めてくれなかったら…とツラツラ考えてしまう。JAL 421便10:45発モスクワ行き、10:25に搭乗開始(席は48Aで窓際)。満席に近い。飛行時間は9時間15分を予定しているとのこと。使用機材はボーイング787-8。このJALのシート(「新・間隔エコノミー」)、前後左右に5センチの幅アップとのことで、悪くない(モスクワ行きの場合、これからはアエロフロートはやめよう)。
■ 11:23に離陸(地面から離れる)。『須賀敦子全集 第2巻』を読んだり(須賀作品の存在を知ったのは今年の大きな収穫の一つ)、窓の外を眺めたりしていると、12:35、機内食のお時間に。肉料理(照り焼きチキン)をチョイス、白ワインも(機内食もこっちのほうが良いようだ:当社の感知センサー比)。食後は同じように本を読んだり、学会の資料見たり、ブルックナー交響曲第8番をスコアを見ながら聴いたり(指揮はC・M・ジュリーニ)。やはり狭い席なので疲れを覚え、馬鹿馬鹿しくてもいいからなんか映画を、ということで、『インデペンデンス・デイ リサージェンス』を観る(本当に馬鹿馬鹿しかった)。軽食(カツサンド)のあとウツラウツラしていると、20:16、着陸態勢に。モスクワは曇り、気温は1°Cのこと。20:37、タッチダウン。
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▲ 1990年代の長期調査の近くを通るとやはり感慨が。
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▲ 突っ込みどころ満載(ディザスターものの映像の面でもイマイチ)。
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▲ モスクワ近郊の家々(ジオラマ風になってるが、このカメラ、こんな機能あったっけ?)。
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▲モスクワ・ドモジェドヴォ空港(現在JAL線はシェレメチェヴォ空港ではない)。
■ 入国審査、40分は待たされたのでは。パスポートのカバーを外しておくのを忘れ、注意されてしまう。トランクをピックアップし(JALの職員らしき方がレーンから降ろして並べておいてくれてあった)、税関はグリーンラインなのでスルー。時計をモスクワ時間に(6時間遅らす)。寒い…。アエロエクスプレスの駅は(空港・駅構内の案内はしっかりしていて、シンボル・カラーとして赤色で統一されているから迷うことはないが)やや歩く。自動販売機で切符を買い求め(470ルーブリ)、16時半発のに乗り込む。黄昏の車窓を眺める。17:17、地下鉄環状線の駅に接続しているパヴェレツカヤ駅に到着。反時計回りに移動してベロルースカヤ駅に。出口を間違え、少々歩いたのち(正しいところで出れば歩いて数分)、前回と同じ「ホリディ・イン・レスナーヤ」ホテルに到着。部屋は10階の1019。今度から普通のシングルと注文しておこう(ダブルの部屋だった)。
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■ しばし休憩して食材と酒の買い出し。前回と同じなので、手頃なスーパーの場所は分かっている。あれま、ウオッカなどハードリカーのコーナーが菓子類に占領されている。 部屋に戻り、ゆっくりバスタブにつかり(今日は洗濯なし)、軽食とビール。早めに休む。
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hibi-y-w · 8 years
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References and Select Bibliography (for Sep. 28; LAAS #1)
Bruggink, Gerard M. 2000 “Remembering Tenerife,” Air Line Pilot, 69(7): 18-23.
Cushing, Steven 1994 Fatal Words: Communication Clashes and Aircraft Crashes, Chicago: The University of Chicago Press.
Eco, Umberto, & Thomas A. Sebeok, (eds.) 1984 The Sign of Three: Dupin, Holmes, Peirce, Bloomington: Indiana University Press.
Giddens, Anthony 1991 Modernity and Self-Identity: Self and Society in the Late Modern Age, Stanford: Stanford University Press.
Kanki, Barbara, Robert Helmreich & Jos'e Anca, (eds.) 2010 Crew Resource Management, second edition, San Diego: Academic Press.
Thoreau, David Henry 1854/2004 Walden, with an Afterword by Sam Gilpin, London: Collector’s Library.
Sebeok, Thomas A. 1982 The Play of Musement, Bloomington: Indiana University Press.
Watanabe, Hibi Y. 2010 Ethnography as an Inquiry into Society: A Description and Analysis of Collective Categories and Ethnic Knowledge among the Selenga Buriats Living in Post-Soviet-Socialist Southern Siberia, An Essay towards the Concept of Reference, Tokyo: Sangensha. /in Japanese/ 2014 “Multiplication of the Risks in Aviation Accidents: A Theoretical Fable on Communication and Risk,” in: Kentaro Azuma et al., (eds.) Anthropology of Risk: Living in the Uncertain World, Kyoto: Sekai-Shisosha, pp. 157-175. /in Japanese/
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hibi-y-w · 8 years
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ロシア文献調査紀行⑳(9月11日、日曜日)
■ 移動日+最終日。晴れ。7時半過ぎに起床。モーニングコールを頼んでいたが、電話、鳴らず。やや皮肉まじりに「電話(7:30にお願いと言ってあった)鳴りませんでしたが」、と受付の方に言うと、今からしようとしていたんです、と回答(7時40分頃)。あのね…。いいんです、もう起きましたから、と笑顔で答える(それにしてもiPhoneのスヌーズ機能は素晴らしい)。 ■ 洗面して二階のバーに朝食をば。ほぼ満席で(こんなに泊まっているとは気づかなかったぞ)、待たされる形に。昨日、せっかく朝食メニューを部屋の案内で熟読して目玉焼きがあるセットを選択したのに、ゆっくり味わうことができず3分の1ほど残す。もっと早くに動き出すべきだった。9時過ぎにチェックアウト。空港までの道路は空いていて、9時半には空港に。
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■ まずはX線検査を経て空港の構内に。S7航空567便、ハバロフスク発成田行き11時50分発、14時に遅延とのこと。ありゃま。ウィキペディアによると、
「2015年3月以降、旅客機の発着時刻や遅延情報などの分析を行う米国のFlightStats社より毎月発表される報告によると、S7航空が世界で最も定時到着率の高い航空会社となっている(同年8月現在、同ランキング1位を5ヶ月連続で維持している)」
とのことなんですがっ。ベリー・レア・ケースということなんでしょうか。乗り継ぎ便があるわけでもないので、まあ仕方ない、ということであいているベンチに座る。自動販売機で珈琲を買い求めたり、売店で文化人類学研究室へのお土産のチョコレートを買ったり。日頃お世話になっている「某バー」にも買うべきだったと気付いたのは機内に入ってからだった(すみませぬ)。
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■ それにしてもこの空港、カウンターがあるけど機能していない(誰もS7航空らしき職員がカウンターにいない)。「どこでチェックインするのでしょう?搭乗券まだ受け取ってないんですけど」とInformation Deskで聞いてみると、「出国ロビーの中で」とのこと。はてな。それに以前は空港使用料を払った気がするけど。周囲を見渡しても、誰も搭乗券を持ってないようなので、まあいいやという気分になる。出国ロビーへの入り口にトランクの列が出来ているので、自分のもそれに並ばせ、自分は近くのベンチで読書。
■ 13時半過ぎになるとざわつき始める。空港職員らしき係員が待合室に入っていく。列に並ぶ。14時きっかり、出国ロビーが開く。(ちゃんと記憶してないが)再度、機内預け用の荷物のX線検査。税関検査(所持金を聞かれる。メモしてなかったので適当に3000ドルくらい、と答えると無罪放免)。チェックインして搭乗券を受け取る[最初にチェックインがあったほうが合理的と思うんですけど]。デスクにミネラル・ウォーターとジュースが置いてあり、前の日本人団体客の人たちがどちらかを選んで持って行っていったので自分もそうしたが、後から思うにこれは団体客だけの何らかのサービスだったかもしれない。そのあと出国検査(何も質問なし;ホテルの宿泊証明書の提出は求められなかった)、手荷物検査(X線とボディチェック、ベルトを外せと言われる;今度はルーズリーフはひっかからず)。二階の綺麗になった搭乗ロビーへ(香水や高そうなウィスキーの免税店があるが、私には縁がないところ)。
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■ これからが長く感じられた。搭乗の気配がまったくない。さらなる遅延のアナウンスもない(後に機長から、ハバロフスクへの到着が遅れた関係で、という説明はあった)。以前6時間ほど待たされた経験の記憶がよみがえる。あのときは(ハバロフスクかイルクーツクか)、周囲に同世代のロシア人グループがいて、「また1時間待たされるんだ」、「そしてさらに1時間待たされるんだ」、「結局、今日は飛びませんと言われるんだ。ロシアってそういう国だ」という自虐モード全開の会話を聞かされ、ため息をついたものだが、そのときでも定期的に「技術的原因のため遅れています」というアナウンスがあった。今回は一切アナウンスがないまま待機状態。こういうときはどっしり構えて本を読んでいればいいのだろうが、滑走路に目をやり、あれ、機材はすでに到着しているぞ、あのうちどちらかのはず、あ、バスが動いている、そろそろか、いや違った…というように、一生懸命何らかの記号を解読しようとするあたり、自分もまだまだ修行が足りない。目の前の、若いロシア人女性がいろいろな道具を用いて赤ん坊をあやしているのを見ながら(それにしても、鉄道でも飛行機でも、子連れの場合ほとんどが母親だけで、父・母・子という「セット」を見ないのは何故?離婚率の高さと関係している?某先生が言っていた、「ロシア人男性はろくに(大工仕事は別にして)家事をしない」という「放言」と関係している?この便の場合、旦那さんが日本人で、ということは大いにあるだろうけど)、動きを待つ。
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■ 15時過ぎ、バスがつけられ、1階に降り、乗り込んで搭乗開始。機材はA320。あれ、と思ったら、CAがみんな、ノヴォシビルスク=>ハバロフスクのときと同じ方々。あの便は最終目的地がユジノサハリンスクだから、と考えると、かなりの重労働では。窓際の席に腰を下ろす(首を下ろす奴はいないわな)。15:56、taxing開始。小さな空港ゆえ待ち時間ゼロで、15:59、テイクオフ(地面から離れる)。結局、約4時間の遅れ。
■ ぼーっとしたり、無事に飛びはじめて良かったと思ったりしているうちに、軽食が配られる(本当に「軽い」のですがっ)。17:40には降下スタート。17:55、陸地が見え始め、18:04にタッチダウン。成田空港第二ターミナルに無事に到着。
■ ターンテーブルでトランクを受け取り、税関で郵送物に関して書類を書かされ、出国ロビーへ。腕時計を1時間遅らせて日本時間に。帰国したら、「帰国の儀」として、蕎麦屋に入りまずは板わさとか天麩羅とかでお銚子一本、〆にざる蕎麦を食べて…という精緻な計画はオジャンなので、さっさとトランク託送を頼み、成田エクスプレスに乗車(44号;18:19空港第二ビル→渋谷19:38、11号車10A)。
■ 最寄り駅で降り、駅前の寿司屋で「えんがわ」を買い求め、自室に帰還。モスクワとオムスクからはすでに本が届いていて、注文していた『ロシア文学のシベリア関係の諸頁』も英国から着便。純米吟醸「加賀の井」を開封し、焼き魚などとともに、ささやかに帰国の儀を執行する。4合瓶なんてあっという間。明日は出勤ゆえ、日本への再適応を急がねば、ということでおしまい。
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hibi-y-w · 8 years
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ロシア文献調査紀行⑲(9月10日、土曜日)
■ 移動日+休息日。0:42、taxingスタート。0:46には離陸。
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■ 機内は暗く、iPadで読書など。2:14に料理が配られる(真夜中なんですが)。鶏肉をチョイス。そんなにお腹は減っていないので、パン類を残して後ほど食べることに。ワインでももらって寝付きたいが、ロシアの航空法上、アルコールはサーブされないとアナウンスであった。1時間ほどは眠った模様。
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■ 明るくなり始める。S7の使用機材は明るい緑色に塗装されているのが特徴。そういえば、1918年、オムスクを首都とした臨時シベリア政府の国旗は白と緑色の2色のストライプ。もしここから緑色にしたとすればずいぶん過激な話だ(たぶんシベリアの森をイメージしてのことだと思うけど)。5時、着陸態勢に入り、5:22にタッチダウン。ロシアの伝統、〈着陸したら拍手〉は生き残っていたが、拍手したのは少数派だったので、いずれ消え去るのだろう。時計を3時間進める。これで日本との時差は1時間で、こっちのほうが進んでいる形になる。
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■ ホテルへ。寒い…。「サッポロ」ホテルにチェックイン。以前(9年前)、2階あたりに日本企業が入っていた気がするが、いまはない様子。5階の510号室に。少し仮眠をとる。 ■ せっかくなので暖かく着込んで散策に。アムール川を直接見ないことにはハバロフスクに来たことにならない。いろいろな飲食店が川沿いに並び、土曜日ということもあって家族連れやカップルで賑わっている。土産品を買い、ホテルに戻る。
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■ 部屋で〈牧場〉を遠隔操作。教務上のポカをしでかしたことを知り、帰国後が思いや���れる。バスタブに温泉の素〈別府〉を投下。 ■ 夕食のため2階へ降りる。以前と変わってないですなあ(アサヒのスーパードライが置いてある当たりも。注文しませんが)。サリャンカと蕎麦の実のカーシャ、きのこを鶏肉で包んでフライにしたものを注文。このバー(という名になっている)、こぢんまりとしていて気に入っているのだが、調理場も近いので、電子レンジの音が2度聞こえる。一度目のチンは、サリャンカ(そりゃ、注文してからゼロから作るということはないわな。松屋の豚汁のようなもんか)。味は良かった。二度目のチンはおそらく鶏肉を解凍した時のものに違いない。なかなか美味で、ウォッカを飲みながら美味しく平らげた。まだ食べたい気もするが、腹八分目に押さえておく。チップ260ルーブリ込みで(はずみました)1400ルーブリ。
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■ 部屋のミニバーのビール(270ルーブリ)を呑みながら荷物をまとめ、紀行文をアップし、就寝。
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hibi-y-w · 8 years
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ロシア文献調査紀行⑱(9月9日、金曜日)
■ 休息日+〈牧夫〉日+深夜に移動日。昨晩のウォッカがきいて、9時過ぎに起床。晴れ。遅くまで朝食をやっているのが嬉しい。果物をたくさん皿によそる。この、ホテルを出たところの風景も今日でとりあえず最後。
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■ 部屋で資料整理や、〈牧場〉を遠隔操作。ネットが通じると業務が出来てしまう/せざるを得ないのは悲しい。重要なjpegデータをメモリースティックに保存しようとしたら、なんか調子が悪い。決心して、以前から考えていた、Dropboxをアップグレードし、重要なデータを全てアップする。背伸びをしながら窓の外を見ると、車両基地とオビ川が目に入る。河がある街中の風景は好きだ。
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■ なにげにノヴォシビルスク空港のサイトを見てみると、事前チェックインが出来るよう。試しにやってみたが、荷物を預けなければならないので、結果的には同じ(直接、搭乗口へ、という技が使えない)。手持ちの食材で適当に夕食をすまし、パッキングしつつ、〈お別れの儀〉を執り行う(=旅の後半に特徴的な、旅行用にとっておいた「そろそろ捨てましょ」の衣類・下着類との別離の作業)。 ■ 21時40分過ぎ、ホテルをチェックアウト。12時のチェックアウト時間から超過し、その日限りの使用ということで1泊分の半額(=1400ルーブリ)を現金で支払う。ノヴォシビルスク・トルマチョーヴォ空港へ送迎車で向かう。翌日の0:30発のS7-3503便が目的(夜間の離着陸制限はない)。S7はもと「シベリア航空」で、なんと発音するのだろうと疑問だったが、英語で「エスセブン」だった。かなり「近代的な」空港という印象。チェックインし(トランクは18.8kだった。ぎりぎりか)、2階へ。手荷物検査を済ませ(2カ所ひっかかる。一つは、リュックのなかの、B5版ルーズリーフの金属製の輪っか[鉄製の細長いものは何?と言われてなんのことか分からなかった]。もう一つはボディチェックのとき。ベストのポケットに入っていた、モスクワでXさんからもらった木製の笛がひっかかる)、待合室へ。少し腰を下ろしていたが、手持ち無沙汰でもあったので(?)、カフェでビール(初見のメニューで初めて見るビールの名前を、アクセントの間違いなしに発音できる訳ありませんな。それも外国産のようだったし)をば(295ルーブリ)。カフェ内ではカフェ特有のWifiが走っている。
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■ 目的のフライト、ゲートが掲示板で表示されない。直前でもそうだったはず。ひたすらアナウンスに注意するしかない。うん、5番ゲートね。搭乗券の半券をとられる場所の電光掲示板でも表示がなく、これが本当にハバロフスク経由ユジノサハリンスク行きのフライトなのかやや不安だったので、目の前のオッサンの搭乗券をガン見する(半券をちぎる係の人、ちゃんと搭乗券をチェックしているようには見えないんですけどっ!)。
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■ 使用機材はA320。ツポレフが懐かしいとは思わないけど。座席にオッサンが座ってる!私の席では?というやりとり(CAに伝えたが、無言で、「自分たちで解決してね」オーラを振りまきながらスルーされた。あとで分かったが、「困ったちゃん」乗客が一人いて、応対で忙しかったよう)。オッサンは窓際が良かったようで、通路側に座らないか、と言ってくるが、窓の外が見たいのでお断り。狭い座席に腰を下ろしてシートベルト。
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hibi-y-w · 8 years
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ロシア文献調査紀行⑰(9月8日、木曜日)
■ 移動日+休息+「牧夫」日。ミッションはほとんど終了したので、これからは帰国モードに入る。5時前に起床。晴れ。パッキングはほとんど済んでいる。洗面用具や寝具などをトランクに。5時ちょうど、頼んでいたモーニングコールが鳴る。 ■ チェックアウトし、5:50に送迎の車に乗り込む。街はまだ起き出したばかりで薄暗い。6時にはトムスク駅に到着。トムスク駅は、街がそうであるように、こぢんまりとしている。番線表示の電光掲示板は見かけなかったような気がする。列車番号141、6:57発ノヴォシビルスク行きの入線を薄暗い待合室で待つ。この列車は途中で長時間停車することもなく、4時間半弱でノヴォシビルスクまで行く。待合室は初めはまばらだったが、ぼちぼち乗客が集まり始める。ミネラルウォーターでも、と思っていたが、この時間、売店は閉まっていた。
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■ アナウンスがあり、ホームへ。入線。全部で客車は5両のよう。自分の座席は3号車5番(4人部屋)。寝台で、夜を明かさないが寝具はある。いつものようにパスポートを見せて乗車。ここでは端末ではなく、印刷された紙を見ながら車掌さんが乗客をチェックする。
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■ 定時に発車。車掌さんが説明しにコンパートメントに。胸につけているバッジを指しながら、「私は***と言います」とまで説明されたのは初めて。寝具をしき、毛布をかぶって眠ったり読書したり。
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■ あと40分ほどでノヴォシビルスクです、と言って車掌が入ってきたとき、アンケート用紙とボールペンを置いていった。どういう時間帯に走るのがいいと思いますか、どれくらいこのルートを利用しますか…といったような項目が2枚にわたって印刷されている。2枚目には回答者の名前、住所、電話番号まで記入させられることになっていた。それ以外はちゃんと回答し、回答者情報のところは空欄にしておいた。車掌が回収しにきて、空欄を見つけると、「書いてください!」。回答者の住所なんか必要ないでしょ、それに私は東京に住んでいるんですよ、と言うと、彼女も負けておらず、「じゃあ住所は『トムスク市』だけでいいから。電話番号は、そう、8*********で[どこの電話番号なんでしょ?]」というので、そのまま言われる通り記入して渡した。回収義務が厳しく課せられているのだろうか。ノヴォシビルスク駅の直前で車両基地に遭遇。旧式の緑色の客車は見かけたが、ロシア語の授業で見せているDVD「シベリア鉄道」に出てくるようなロシア国旗の三色の車両はついに見かけず(ストライプの、あの歯磨き粉みたいなやつね)。全てこの種のものに塗装されたということか。
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■ 定時、11:09に到着。ホテルへ。送迎車のなかで、ノヴォシビルスクでも中央アジアからの移民が多く、労働市場での競争が年々激しくなっていると聞く。いまのところ、職種別に分かれているようだが(例えば清掃婦はウズベク人といったように)。一極集中現象が進んでいることを再確認する。前と同じホテルにチェックイン。今度は10階のお部屋(1026号室)。3基あるエレベーターの真ん中の1基は、以前と同様にまだ修理中だった。チェブラーシュカの第4話を思い出す。
■ ホテルでは、資料の整理もしつつ、〈牧場〉を遠隔操作。ずいぶんとため込んでしまった。 ■ 夕方、散歩がてら、スーパーマーケットに食材の買い出し(ここはお総菜コーナーが充実している)。りんごとオレンジをそのままかごに入れてレジに来てしまい、重さを量ってシールを貼ってもらうのを忘れていた…(レジのオバサマの不機嫌な顔といったら!今後忘れるなかれ)。ここはバスタブがあるので、シャワージェルを使ってゆっくり入浴を愉しむ。部屋で夕食。カニ味のポテトチップスが美味しい。また期待していなかったが、カレイらしき魚のムニエルも悪くなかった。中国産のトウモロコシにかぶりつく。あとはプロフとか。こっちは(私には)乾燥していてなかなか(この時期は)暗くならないから、ビールを飲んでもぜんぜん酔わないのが困る。結果、ウォッカを飲み過ぎた。
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hibi-y-w · 8 years
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ロシア文献調査紀行⑯(9月7日、水曜日)
■ トムスク滞在最終日。8時過ぎに起床、晴れ。肩こりとともに目覚める。今日の朝食は目玉焼き(個人的にはもっと美しく焼いて欲しい)。 ■ 今日の突撃先はトムスク大学図書館の「手稿・書籍記念物係[ОРКП:Отделение рукописей и книжных памятников]」。言い方が文献では錯綜していて、ある文献で知った「稀覯本係[Отдел редких книг]」とどう違うのか疑問に思ったが、同じで前者のような名称に変わったとのこと。係長のコロソヴァさんの論文(Kolosova 2011)によると、ポターニンの手稿や遺品の多くはここに収められている。まずは、隣接する「書籍博物室」に。ここにはトムスク大学が所蔵する貴重な本や草稿がきれいに展示されている。係の方の説明を受けながらいろいろと拝見。スロフツォフのシベリア史の草稿なども保存されていた(写真はいずれ本でお目にかけましょう)。この部屋の一角にポターニン・コーナーがある。ただ残念ながら本当の遺品は、馬をかたどったインク皿(?)のみらしい。
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■ 手稿・書籍記念物係の机を貸してもらい、今度はもっとマジメな作業に取りかかる。ここにはポターニンが受け取って保存していた手紙が残されており、閲覧可能となっている。そのリスト(送り主のアルファベット順)はおとといiPadで撮影しておいたので、今日は誰からの手紙を具体的に見るか、がミッション。詳しく読んでいる時間はなく、そもそも手紙であるから手書きであり、解読には時間がかかる(ノン・ネイティブにはもう不可能な悪筆もある)。写真撮影の許可は得てあるので、重要人物に絞り(ヤードリンツェフ、クレメンツ、コジミン、セレブレンニコフ)、閲覧要求を順に出して倉庫から持ってきてもらう。古文書と同様に閲覧者は署名する仕組み。写真機(Fujifilm, X30)には「文字モード」があるのでどこまで効果があるか分からないがこのモードにして、写真をとりまくる。中腰での長時間の作業ゆえ、肩こりのうえ腰痛が加わることに(ほんとにヘタレな007)。
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■ コロソヴァさんと話していて、ポターニンの書簡本を編纂した一人と知る。「さしあげます」とおっしゃってくれるが、すでに大学の売店で買ったので、いえいえ貴重なものですので結構ですよと答える。来年も来ることを約束し、お礼をのべてお別れ。 ■ ナム先生の講座室にお別れの挨拶にいくが不在。部屋にいた秘書(学生かも)の方が少し待っていては、と言ってくれるが、明日出発が早いのでホテルに帰ることに。トムスク大学は内部のみならずメイン通りに接しているところでも歩いていると気持ちよい。
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■ 買い物をしながらホテルに戻り、しばしシエスタ。起き出して資料整理やパッキング。夕食はいつものように「無料」メシを。キャベツのマリネが、ビーツで色づけされていて、味付けもちょうど良い。塊のような牛肉のレバーを食す最中、漬け物のような口直し的に食べていた。ビールにもあう。 ■ 明日早くトムスク駅から出発する。5時前に起きなくては。
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hibi-y-w · 8 years
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ロシア文献調査紀行⑮(9月6日、火曜日)
■ 7時半頃起床、晴れ。いつものように、洗濯物をたたみ(こっちでは一晩で、Yシャツでも完全に乾く)、洗面し、朝食におりる。 ■ 9:15にエゴル君とホテルのロビーで待ち合わせ。ナム先生に、「エゴル君に古文書館を案内させるから」ということ。事前に紹介していただいてあれば、あとは一人で十分で、そのほうが気楽なのだが、厚意を受けることに(また、相手が用意していることをあえて拒否すると別の面で不都合が生じることもあることを過去の経験で知っている)。ナム先生曰く、あなたは地方主義に関心があるというので、P-72とP-552をよろしくと文書館に言ってあります、とのこと(ありがとうございます、本当に)。バスで(ホテルから見て)北上する。 ■ 確かに「ガト」(トムスク州国立文書館;Государственный архив Томской области[ГАТО])は、メイン通りよりちょっと奥まった所にあった。近頃は古文書館もサイトが充実しており、事前にいろいろと調べておくことが出来る(「ガト」はここ)。パスポートなどを提示し、3階の閲覧室に上り、数種の書類を書いて利用許可を得る。P-72(シベリア地方ドゥーマ関連)はすでに倉庫から受け付けに持ってきてあり、早速閲覧する。すでに書いたように、今回は古文書史料をじっくり読むのは目的ではないが、〈出来ることを出来る時に出来る限りのことを〉の行動原則に基づき、一枚一枚めくっていく。何がどれほどあるかの大まかな目録をつくり、どこまで読むかを考えながら読む作業。「ガト」でどこまで作業をするべきか、すっかり目処をつけた。今回はP-72だけで十分。
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■ 疲労を残したままで、無理は禁物の体でもあるので、15時にはホテルに引き上げた。昼寝したり買い物したり。 ■ 夕食のメインディッシュ、魚にしてみた。あまり期待してなかったのだが、肉厚でふっくらした魚で(名前をメモしておくべきだった)、美味しく平らげた。
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hibi-y-w · 8 years
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ロシア文献調査紀行⑭(9月5日、月曜日)
■ 晴れ。サングラスを忘れたことを深く後悔。 ■ うかつにも寝坊する。これまでiPhoneで表示される時刻と現地時間が1時間ずれていることを常に意識し、目覚ましをかけるときは紙に書いて確認しながらしていたのだが、慣れたと思いそうしなかったのが災いした。 ■ 10時の約束が20分くらいおくれ、助っ人のキリル君を会う。トムスクの政治的弾圧史記念博物館(すごい博物館ですな。行くべきだったが今回は結局行けず)で研究員をしている。遅刻を詫びる。iPhoneでもアンドロイドでも1時間ずれて表示されず、同期されないのだそうだ。さっそく古本屋へ。残っているのは一つで、「古本屋スーズダリ」。ここは、今回の調査旅行で訪れた古本屋のなかで私が最も望むタイプのもので、ソ連科学アカデミー編纂の『シベリア史』などもあった。とはいえ今回のミッション(科研のテーマ)に関わるものは少なく、何かの役にたつかもと、『ゴーゴリとトムスク』とかを買い求める。『20世紀初頭のシベリアの芸術生活』は、地方主義者らが生きた環境を描くのに有益だろう(計570ルーブリ)。このあと、トムスクの郵便本局に行き、本を日本へ送る。例外的か、ほとんど待たずに済んだ。箱代いれて1915ルーブリ。
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■ キリル君に頼んだ今日のミッションは、現存するポターニンゆかりの家2軒を案内してもら��こと。一つはトムスクの観光地図にきちんと明示され、プレートがあるので自力で探せ出せるのだが、もう一つは昨日郷土博物館の方に「なにかで読んだのだけど」と教えてくれたもので知らなかったところ。キリル君は知っていた。写真は途中遭遇したチェーホフのいわばカリカチュア像(「酔っ払い農民の目から見たトムスクのチェーホフ」)。どうしてかは、いずれ(3年、少なくとも5年以内には仕上げたい大著で)書くのでそれまでお待ちを(要は、トムスクのことをよく書かなかったチェーホフへの被虐的批判)。
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■ 明示されていないポターニンゆかりの家はバクーニン通りを上ったところにあった。確かにプレートがなく、「穴場」である(誰にとって?)。ちゃんとした写真はこれまた拙著の刊行をお待ちを。途中、カソリック系の学校があって、素直に疑問を持つ(いずれ調べてみてもいいかも)。このあたりは高台になっていてトムスクの街の一部が展望できる。
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■ バスに乗ったりして(17ルーブリ)、中心部へ。昼食として、キリル君おすすめの店(Харчевня ШЕЛОМОК)に。地下にあるこの店で、ペリメニ・ブイヨン付きを頼む(180ルーブリ、安い方。なかなか美味しかったが結構な量だった。パンは不要だったかも)。お腹に収めてから、もう一つのポターニンゆかりの家へ(これも全貌は来たるべき本にて)。
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■ トムスク大学に行き、キリル君とお別れ。今度来たときは是非政治的弾圧史記念博物館に、と。約束の時間までまだ少しあるのでキャンパスを散策したり、ベンチに座って休んだり。15時に約束の教育棟第3号館3階に行き(あとで分かったが、最初、図書館旧館に入ってしまい、2階までしかないので守衛さんに質問して間違いが判明)、トムスクで世話してくれる(オムスクのスヴォロヴァ先生のつてです。本当に助かります)イリーナ・V・ナム先生と会う(ご主人が韓国系だそうで、こういう姓)。トムスク大の「社会人類学研究講座」の主任教授(競争資金がとれて出来た講座らしい。どこでも話が生々しい…)。お、研究室(というより講座室といったほうがいいのだろう、ロシアの場合)の書棚にレヴィ=ストロースの写真が。
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■ 極めてありがたいことに、あらかじめ送っておいた(自分から送りつけたのではなく、特にどういう文献を探しているの?とメールで聞かれていた)要収集文献リストに基づいて、かつ、そこで漏れているもの・関係ありそうなものをすでに用意してくださっていて、「さしあげます」とのこと(ご自身の博士号取得論文も含めて)。本当に感謝しようがありません。また、エゴル君という大学院生を助っ人につけてくれ、彼がいろいろ案内しますので、とおっしゃる。そこでナム先生と別れてエゴル君のあとをついていく。 ■ 場所は下見済の大学学術図書館で登録。50ルーブリ支払い、入館証(磁気カード)を受け取る(ワタナベの最後のЭが大文字なのはなぜ?)。そのあと階段を上ったり降りたりして旧館のほうに行き(のちのち数回道を間違えたが)、「手稿・書籍記念物係係長」のガリーナ・I・コロソヴァさんに紹介される(日本でDLしていた、ポターニン文書についての論文を書いていた人だとこのときには気づかず)。 ■ 図書館を出て、その地下の出口のすぐ前にある本屋(「Позитив」)へ。そこの郷土史・郷土研究コーナーを前に、思わず喜びの舞をしそうになる(こういうコーナーこそ求めていたんですよ。90年代ブリヤーチアのアカデミーと同じように、地方出版の学術書だけが、貧相な装丁のこともあるけれど中身はすぐれて堅実なものだけがあるような)。古本もあって2140ルーブリ分お買い上げ。再度、ナム先生と会う予定で、その約束時間までエゴル君とつぶす。彼の専門は、冷戦期のプロパガンダ・ポスターを通して見るソ連史という。中国との比較もしたいらしく、現在中国語を勉強中とのこと。 ■ ナム先生と再度会談。お茶しながらの話で、そこに若いアジア系の学生が来て、「いま3年生で、将来の人類学者よ」という。ゴルノアルタイスク出身のアルタイ人の男子学生で、ブリヤーチアにいたときの話を、iPadにあらかじめいれておいた写真を見せながら話した。 ■ このときもう体力の限界。ホテルに戻っても、「無料」の夕食を地下のバー&レストランに取りに行くエネルギーはゼロだった。今日いただいたり買ったりした本はトムスク産のものが多く、東京では入手はまったく不可能ではないが一期一会の度合いが最高度のもの。郵送せず自力で=トランクで持ち帰ることに。
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hibi-y-w · 8 years
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ロシア文献調査紀行⑬(9月4日、日曜日)
■ 8時半前に起床。晴れ。朝食にカーシャを食べ、体がぽかぽかしてくる。喉の痛みは、ロシアン・ティー+梅干し+ウォッカwの波状攻撃で押さえ込みに成功したが、鼻水は出る。 ■ 今日は約束がないが、時間も限られているので出来ることを今のうちに。まずは郷土博物館に突撃すべく、市電に乗る(15ルーブリ)。木立の中を進んでいくように見えたので、逆方向に乗ったかとあわててmaps.meで確認するが間違っていなかった。それほど樹木の多い街。
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■ 郷土博物館に入場する(入場料300+写真撮影許可50=350ルーブリ)。発掘された考古学的に貴重なものや動植物、「大祖国戦争」、(極めてシベリアらしいことに)流刑のことなど、かなり充実した展示なのだが、肝心要の地方主義者に関するものがゼロで、落胆せざるを得なかった(ちゃんと論文を読んでいたはずなのだが、ポターニンに関するものは別の場所に収められているのを忘れていたので落胆したということ)。
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■ 受付に戻り、ダメ元で「ポターニン&ヤードリンツェフ・コレクション」について確かめてみる(この存在はネットですでに調査済)。学芸員の方が飛んできて、来訪の目的を話す。「コレクション」は博物館の中にあるが別系統の管轄で、自分ではどうしようもできないとのこと(やはり、いきなりの突撃はこういう結果になる)。話していると、ちょうど良かったわ、ということで、若い大学院生を紹介される。この博物館の准研究員もつとめているサーシャさん。彼女は日本の博物館、とくに大学博物館で准博士号論文を書こうしているのだという。文献収集について帰国したら手伝うことに(広い交換のネットワークの円環は閉じられるであろう)。書籍コーナーでは、学芸員の方が目当ての本を探すのを手伝ってくれる。一般向けではなく学術的にきちんと書かれたトムスク史を見つけ、嬉しいことに長らく探していたポターニンの本1冊を見つける。支払おうとすると、売店の豪快なオバ様が、私たちの故郷に興味持ってくれてありがとう、プレゼントするわ、ということで、トムスク史だけ支払うことに(500ルーブリ)。お礼を述べて博物館を後にする。 ■ お次はトムスク国立大学へ。これはシベリアあるいはロシア領アジアで最古の大学で、創設は1888年(ちなみに東京大学は1877年)。地元の大学の設立は地方主義者らの理念の一つでもあった。広いキャンパスには散策して気持ちの良い木立がある。ますますトムスクの街が気に入った。その木立のなかにポターニン像(墓。再埋葬されたという)がある。「このために来たのだ」(おいおい、ちょっと違うだろ)と少し感慨にふけりながら写真撮影。キャンパスは日曜日だが、新入生らしき学生たちが集い、騒いでいた。すぐにお世話になる大学図書館の場所も確認。なかなか綺麗で使い勝手が良さそう。図書館の地下に本屋があると聞いていたので行ってみるとさすがに休みだった。
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■ 市電で一度ホテルに戻る。全部の停留所がそうだというのではないのだが、電光掲示板にトラムの路線番号、おおよその待ち時間が表示されるのはありがたい(ここでのсадの意味は遊園地)。帰り道、古本屋を見つけるが、収穫ゼロ。こういう時もありましょう。
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■ しばし休憩してから今度は(ホテルから見て)北方面に突撃。名前をうかがっていた「学術本屋」に入る。全国規模の学術書がそう広くない店内に綺麗に収められているが、今回の調査旅行に見合うものはなくまたもや釣果ゼロ。トミ川(オビ川に流れる;本当にこちらは川が大きい)の岸辺を歩きつつ、行く可能性のある(結局行かなかったが)プーシキン記念名称州立図書館(前のレポートで「地方」と訳していたのは誤り。「地方主義者」のことで頭がいっぱいなので、そう訳してしまった…)を下見。ここもサイトが充実している図書館。
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■ ホテルに戻る。食事したり、このレポートを書いたり、洗濯したり、であっという間に時間が過ぎていく。
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