Tumgik
ymkkrhr2 · 1 year
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【自作を語る⑫】腐れる
【自作を語る⑫】『腐れる』
 2022年に書いた小説です。
 執筆中のBGMは、大森靖子「少女3号」でした。
  ※動画がYoutubeにありましたので、URLを貼っておきます。大森靖子「少女3号」→(https://www.youtube.com/watch?v=zSZ8BSn7x9Y)
 この小説は、伴美砂都さんが主催するロゼット文庫「増刊号クラウン vol.1」に掲載して頂いた作品です。「クラウン」は、以前寄稿させて頂いた、「文芸同人誌ロゼット」の増刊号であり、私を含め7人の書き手が「屈託」をテーマに書いた作品を集めたアンソロジーです。
 私は伴さんがこのアンソロジーの構想を練ってらっしゃる時から、ぜひ参加させてほしいと思っており、それは当初から、「クラウン」が「エロ・グロ表現があってもOK」なアンソロジーとして、構想されていたからです。私はその構想に非常に興味を持ち、伴さんから参加のお誘いを頂いた訳でもないのに、このアンソロジーに寄稿するにはどんな小説がいいかを考え始めました。それが、『腐れる』という小説でした。
 小説を書く時にまず考えるのは、どんな話にするか、ということです。「クラウン」が「エロ・グロ表現があってもOK」であるアンソロジーならば、作品の中にエロ表現もグロ表現も入れたい。そのためには、エロくてグロい話を書くのが最適解だ。では、エロくてグロいとは、一体何か。
 その時に辿り着いた答えが、「肉体が溶解しながらするセックス」でした。私は最初に、この小説を「肉体が溶けながらセックスする話」にしようと決めたのです。
 どんな話にするか考えている時、世間は新型コロナウイルスの影響を、引き続き受けていました。生活は変わり、今まで大掃除の時くらいしか装着しなかったマスクを毎日身に着けるようになり、手指消毒用のアルコールがいたるところで見られるようになりました。友人・知人、職場の同僚が感染するということももはや珍しいことではなくなり、テレビは毎日増減を繰り返す感染者数について報じ続けていました。
 私は未だ、コロナ以後の世界を舞台にした小説を書く勇気を持てずにいました。それは、あと数年経てば事態が収束し、コロナ以前の世界に戻るのではないか、と思う気持ちと、私たちの生活様式がコロナ以後のままで、もう元に戻ることはないのではないか、という気持ち、そのどちらもあったからです。コロナ渦を描いた小説を見つけるたび、「これから先もコロナ以前の世界ばかりを書いていくのは、現実を正確に捉えられていないということの表れではないか」と思ったり、しかし、「私がこの先書く小説はすべてコロナ以後の世界を舞台にしなければならないというのも、嫌だ」と思ったり、複雑な感情になっていました。
 何も、コロナ渦を主軸に据えた小説を書くべきだと思っている訳ではありません。しかし、たとえば、学生の話を書く時にリモート授業の様子を書いたり、会社員の話を書く時に在宅勤務の描写をしたり、そういう風に小説の内容を変化させていくべきなのか、否か。当時の私は、小説を書く上で、そういったことに頭を悩ませていました。
 考えた末に、直接的にコロナの話を書くのではなく、私なりの、感染症が蔓延している世界の物語を書くことにしました。そこで書いたのが、今作に登場する「接腐病」という病気です。この病を今作における大きな要素としたことで、今作は私なりの、「ふれ合わない」世界の物語となったのです。
 私が創作した、この「接腐病」は、人間の皮膚と皮膚が触れ合うと、そこから腐敗して溶けてしまうという病気です。その病によって、セックスをすると身体が溶けて死ぬ。この小説を「肉体が溶けながらセックスする話」にすることができる、と思ったのです。
 人と人が触れ合うと溶けてしまうので、人間はお互い、触れ合わないように生活をしなければなりません。ならば、防護服を着るだろう。頭部はヘルメットで覆うだろう。そんなところから、今作の世界の設定を考えていきました。
 触れ合えない世界で生殖はどうするのか。人工授精にするしかない。胎児を子宮で育てることはできるのだろうか。「人工授精で、受精卵も胎児も培養器で育てられるのであれば、必ずしも自分自身の生殖細胞を使用することはないのではないか」と思い、「カタログベビー」という設定も生まれました。
 そしてもうひとつ、考えた設定が「生活の変化に伴う、言葉の変化」です。この小説の序盤、私は下記のような文章を書きました。
 「ふれる」という言葉が、かつては「触れる」と表記されていたと習ったのは、中学一年生の時。歴史の授業だった。
  この文章は、現代において「触れる」という言葉が使用されていないことを示しています。では、「ふれる」という言葉は、どう表記されているのでしょうか。今作の文中では、ずっと「ふれる」とひらがな表記にしていますが、実際は「腐れる」と表記されているというのが、この世界の設定です。「触れる」と、そこから「腐って」しまうので、いつしか「ふれる」ことを「触れる」ではなく、「腐(ふ)れる」と表記するようになったのです。
「接腐病」という病気の名前も、私たち読者の感覚では「せっふびょう」とでも読みそうなものですが、この世界ではこれで「せっしょくびょう」と読みます。つまりは「接触病」なのです。「触」という字が、「腐」に置き換わっている。「触れる=腐る」ためです。
 その設定から、この小説の題名を『腐れる』と付けました。「くされる」ではなく、「ふれる」と読むのは、これで「触れる」の意となるためです。
 この「言葉が変化している」という設定を思いついた頃には、今作のあらすじはほとんど決まっていました。物語の最後の場面を冒頭に置き、ラストから始まるというのも、実際に書き始める前から決めていたことです。
 しかし、それでも、物語の終盤は書きながら悩んでばかりいました。「肉体が溶けながらセックスする話」を書く、というのがこの小説の目的であり存在意義ではありましたが、「肉体が溶けながらセックスをする」ということは、はたしてどういうことなのか、そこにはどんな感情があり、どんな光景があるのか、そのことに最後まで悩まされました。
 最終盤の描写は、人が死ぬ間際に見る走馬灯を想像しながら書いたものです。自分で書いておいてこんなことを言うのもなんですが、筆者としてはこの最後の描写が一番の気に入っている箇所です。この物語は決してハッピーエンドではないと思うのですが、だからと言って、バッドエンドでもない。その塩梅をなんとか見極めることができたのではないかと思っています。
 そしてもうひとつ、これは接腐病とは関係のない設定ではありますが、この物語の世界では、女性の名前は「ミチカ」、「セリカ」、「ホノカ」と最後に「カ」が付き、男性は最後に「キ」が付く(残念なことに、作中で名前が明かされる男性が「ヒロキ」しかいないので、断言できないのですが……)ことになっています。こういった、物語の本筋と関係のない設定を考えるのも、筆者なりの小説を書く楽しみのひとつです。
 この小説を書き上げてから思ったことは、「アンソロジーに寄稿させて頂く時に、こんな小説が書けることは、もう今後はないだろう」ということです。「エロ・グロ表現があってもOK」という条件を頂けたことも大きかったですが、今回このアンソロジーを主宰された伴さんが、筆者の原稿を何度も掲載して下さった方だということ、つまりは、私の小説を数作読んで下さっている読者であるということ、その安心感と信頼が、この『腐れる』を書くことができた最も大きな理由だと思います。重ね重ね、主催の伴さんに感謝です。そして、「増刊号クラウン vol.1」を手に取って下さったすべての皆様へ、ありがとうございました。
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ymkkrhr2 · 1 year
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【自作を語る⑪】八天楼エビチリ殺人事件(未満)
【自作を語る⑪】『 八天楼エビチリ殺人事件(未満)』
 小説はこちらから→(https://rosettebunko.web.fc2.com/hattenro/ebichiri.html)
 2022年に書いた小説です。
 執筆中のBGMは、ソウル・フラワー・ユニオン「宇宙フーテン・スイング」でした。
 この小説は、伴美砂都さんが主催するロゼット文庫「ウェブアンソロジー八天楼」に掲載して頂いた作品です。「ウェブアンソロジー八天楼」は、中華料理屋「八天楼」を舞台にした小説を集めたアンソロジーで、最初は伴さんがお書きになった3編のみでしたが、2022年12月末現在、6編の作品がウェブ上で掲載されています。
 主催の伴さんから誘って頂いた時、私は勝手に、同時期に伴さんが構想していらっしゃった「文芸同人誌ロゼット 増刊号クラウン」に参加させて頂こうと企んでいたので、「声をかけて頂いたのは、中華料理屋さんの方か!」と驚いたことを思い出します(その後、増刊号クラウンの方にも参加させて頂きました)。実は、私の小説には登場人物が食事をするシーンというものがほとんどありません。なので、飲食店を舞台にしたアンソロジーには誘われないだろうと、勝手に思っていたのです。しかし、誘って頂いたからには、なんとしてでも納得のいく作品を寄稿したい、そう思いました。
 私は今まで、二次創作というものをしたことがありません。私ではない第三者の既存の作品を基に、新たに創作したことがないのです。何かを書こうとするたびに原作に当たり、原文を読み解き、そこから推察をして物語を創作するよりも、すべて一から自分で作り上げた方が簡単だと思っているからです。このアンソロジーを二次創作と呼ぶかはわかりませんが、すでに舞台が存在している小説を書くのは、生まれて初めてのことでした。
 私は、伴さんが書かれた「八天楼」が登場する作品を読ませて頂くことにしました。主催の伴さんからは、伴さんの作品における八天楼の設定を引き継いでも良し、まったく異なる設定の八天楼でも良し、と伺っていましたが、まず八天楼がどんな店なのか知ることにしました。
 伴さんの『にせもの花』を読みながらメモをとり、八天楼店内の見取り図を書き起こしました。見取り図を書いていて、ふと、八天楼が私の知っているお店に似ていることに気が付きました。それは私が学生の時に足を運んでいた、中華料理屋というか、定食屋というか、安くて量が多くて美味い、そんな店でした。その店のイメージが、八天楼の見取り図に重ねられているようでした。伴さんの小説には記述がないけれど、私が知っているそのお店のイメージで記述した描写はいくつかあり、それはテーブルに掛けられた、“色褪せたのか、申し訳なさ程度に薄ピンク色したテーブルクロス”や、“店内の壁には黄色いメニューがお札のように何枚も貼られ”ていることなどがそうです。また、主人公が注文する料理のうち、納豆チャーハンは、その店で実際に食べていた料理です。
 見取り図を書いている時点では、私はまだこの小説の内容を考えてはいませんでした。ただ、そうやって見取り図を見つめていると、今まで読んだ推理小説たちが頭をよぎりました。推理小説には、殺人の舞台となる館や密室なんかの見取り図がページに掲載されていることがあります。私は自分で書いた見取り図を見ているうちに、推理小説を連想していました。
「この小説は、推理小説にしよう」と思ったのはその時でした。八天楼を舞台に起こる殺人事件。それを書くことにしたのです。
 舞台ができ、物語の方向性が決まり、ではどんな人物に事件に遭遇してもらおうか。「私の小説の登場人物の誰かを、八天楼に遊びに行かせてみたい」、私はそう考えました。この作品をただアンソロジーに寄稿させて頂くのではなく、「伴さんの作品と私の作品のコラボレーションにしたい」と思ったのです。もちろん、そんなことをしたいと思ったのは初めてです。今まで書いた小説の中から、八天楼に誰かを送り込んでやりたい。では、誰にするか。
 この小説の主人公、江瑠川来栖は、私の小説『虫が死んでいる』(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/171759145608/)の主人公です。と言っても、『虫が死んでいる』の時は、名前さえも出てきませんでした。『虫が死んでいる』は、大学生だった彼の狂った日常を書いた話でしたが、今作ではあれから大人になった彼が探偵役として事件を解決します。
 この江瑠川来栖という人物は、常人ではありません。右手には小指が三本あり、姿が見えない友「ヘイスティングス」の鈴の音を耳にします。読んだ方は、それがなんなのか気になるかもしれませんが、その答えは記していません。そういう不可解な人物として書きました。江瑠川来栖、略して「エルクル」という名前は、アガサ・クリスティーの作品に登場するエルキュール・ポアロから、「ヘイスティングス」はポアロの親友、アーサー・ヘイスティングスから頂いています。
 八天楼に送り込むキャラクターを彼にしたのは、彼はたとえ��んな世界に行ったとしても、必ずそこで浮いてしまう、そんな雰囲気を纏っていると、筆者自身が感じているからです。八天楼が似合う登場人物が思いつかず、「どうせなら、どこへ行っても場違いな人物に行ってもらおう」と思ったのです。
 そんな不思議な主人公が探偵の小説が今作ですが、推理小説を書いたのは、これが初めてです。今まで推理小説を何気なく読んできましたが、自分で書くとなると、読んできた経験などなんの役にも立ちません。一体誰が、誰に、どうやって殺され、どこに伏線を張り、それをどうやって回収するか。それらを考えるのはとても大変で、ひとつひとつ書き記していくのはとても骨の折れる作業でした。
 事件の真相を考えたり、現場の状況を描写したり、探偵の思考を記したりするのは時間のかかる作業となりましたが、しかし、文章はリズムよく、疾走感があるように書いたつもりです。こればかりは、主人公の頭の回転が妙な方向に速いということに助けられました。
 一人称視点で小説を書くということは、主人公の見ているものしか描写できず、主人公の考えていることしか書けません。実際の事件現場がどうなっていたとしても、主人公の目を、耳を、身体を通してしか、語ることはできないのです。私が今まで読んできた推理小説では、その条件を上手く利用している作品がありましたが、私は上手く書けたでしょうか……。
 第三者が書いた小説の舞台に、自分の小説の登場人物を遊びに行かせる。それだけでも初の試みだったのですが、そこで事件を起こして解決させる。我ながら、なんだか大胆なことをしでかしてしまったなぁと、振り返ってしみじみと思います。しかしながら、書いている時はとても楽しかったです。
 初めての二次創作(?)、初めてのコラボレーション、初めての推理小説。初めて尽くしの今作となりました。とても貴重な経験をさせて頂けたと思います。改めて、機会をくださった伴さんに感謝です。
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ymkkrhr2 · 2 years
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【自作を語る⑩】満ちない
【自作を語る⑩】『満ちない』
 小説は以下から
 『満ちない』上→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/165044087503/)
 『満ちない』中→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/165292571313/)
 『満ちない』下→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/165512407853/)
 2017年に書いた小説です。
 執筆中のBGMは、きのこ帝国「猫とアレルギー」でした。
  ※動画がYoutubeにありましたので、URLを貼っておきます。きのこ帝国「猫とアレルギー」→(https://www.youtube.com/watch?v=H8z0x-i84_c)
 この小説は、『鳴かない』、『積もらない』、『咲かない』に続く“否定形シリーズ”の第4作です。前作『咲かない』は3月の物語だったのですが、今作はその5ヶ月後の8月から、11月にかけての日々を書きました。『咲かない』を書いた時点で、次の4作目を秋の話にすること、4作目をもってこのシリーズを完結することを決めていたのですが、その通りとなりました。
 シリーズ最終作の今作は、文字数がシリーズ中で最多となりました。『鳴かない』と『咲かない』が2万字台、気合いを入れすぎた2作目の『積もらない』が約3万5,000字だったのですが、今作の『満ちない』はそれらを越して約4万7,000字になりました。執筆している時も、書き上げてから推敲している時も、「長いなぁ……」と感じていましたが、改めて読み返しても、やはり長く感じます。
 主人公は『積もらない』から登場した田代世莉です。彼女は、��は美少女なのですが、私はいつもその設定を活かすことができないでいました。しかし今作では、彼女のモテっぷりを多少は表すことができたのではないかと思っています。
『積もらない』では先輩である鷹谷篤に恋をしている大学一年生の彼女を書きましたが、今作では二年生に進級しています。四年生だった鷹谷と、『鳴かない』の主人公であった魚原美茂咲は大学を卒業しており、彼らが学び舎を去った後の、残された田代の物語が今作となります。
 この“否定形シリーズ”は、郡田三四郎というある先輩の存在が、彼の後輩にあたる人々の恋の障害になっていく、という物語なのですが、大学に郡田を直接知る学年がついにいなくなるのが今作です。今まで物語の主軸にいてくれた登場人物たちが舞台を去ったので、今作では主要な登場人物を新たに迎えました。田代の友人である小堺夏希と、後輩の水瀬政宗です。
 夏希は、筆者にとって新しく、難しいキャラクターでした。
 小説を書く時、何かひとつルールを決めて、どうすればそのルールを破らないように書き進めることができるか考えるのが、私の小説を書く上での楽しみのひとつなのですが、今作では、夏希のことを「彼」とも「彼女」とも表記しない、というのがそのルールでした。これはとても難しかったです。地の文で登場人物のことを指す時、「田代」・「鷹谷」のように名前を用いるか、「彼」・「彼女」と代名詞を使うのか、その順序や頻度については毎回悩み、推敲の際に調整を繰り返すのが常なのですが、夏希のことは「夏希」と書くか、「この友人は……」と言い換えるくらいしかできず、代名詞を使えないことで苦労したのを覚えています。しかし、主人公の田代が比較的穏やかで受動的な性格なのに対し、夏希の激しい感情表現や行動力が、物語の進展に大きく貢献してくれました。
 一方の水瀬は、卑屈な面と一途でまっすぐな面、その両方を持ち合わせたキャラクターとして書いたつもりです。彼のセリフには、わざと自分を卑下した言い方をして、相手からそれを否定する言葉を引き出そうとしている時もあれば、自分の心に正直に言葉を発している時もあります。当初は、水瀬のことを、田代が鷹谷のことを思い出すような、彷彿とさせる、硬派な登場人物にする予定でしたが、私が想像していた以上に、水瀬は田代にメロメロになっていきました。それを思うと、かつて田代に言い寄られても動じなかった鷹谷は、ただ者ではないのかもしれません。
 また、水瀬は田代にとって、1年前の自分自身の立場と重なる存在でもあります。今作の大きな主題となったテーマが、「他に好きな人がいる人を、ずっと好きでいる」ということだったのですが、『積もらない』においては「魚原 ← 鷹谷 ← 田代」と好意が向けられていたのが、今作では「鷹谷 ← 田代 ← 水瀬」の構図となります。自分に好意を向ける水瀬と向き合う中で、田代は鷹谷を想う自分自身を見つめ返していくことになります。
 この好意の矢印は、もともとは郡田の存在から始まっているので、「郡田 ← 魚原 ← 鷹谷 ← 田代 ← 水瀬」と、想いの構図が続いていることになります。田代も水瀬も郡田の存在を知らない世代で、自分の恋が上手くいかない要因のひとつが、過去から続いているとは知りません。特に水瀬は、卒業していった鷹谷と入れ替わりで大学に入学してきているので、『鳴かない』で書いた、郡田・魚原・鷹谷の3人が仲良くつるんでいたことが、田代への想いが成就しないに理由に繋がっているとは知るはずもありません。知りもしない“誰か”の影響で恋愛が上手くいかなくなる。それがこのシリーズのなんとも奇妙で、面白いところだと、筆者は思っています。
 今作は、そんな“否定形シリーズ”の最終作だったので、郡田、魚原、鷹谷、丸谷の、その後も少しばかり書きました。実は、郡田は前作までの3作品においては、回想シーンのみにしか登場してきませんでした。このシリーズは郡田の存在あってこその物語なので、今作でも彼を登場させたかったのですが、主人公の田代は彼を知らない世代なので、回想シーンに登場させることができず、それで終盤に、初めて生身の彼を書きました。ずっと“思い出の中のあの人”として描かれてきた郡田を、最後の最後で登場させることができたのは良かったです。
 また、余談ですが、『鳴かない』で魚原に恋をしていた岩下紡紀は、今作では大学三年生となり、文化部の部長となっています。魚原がかつて部長だった郡田を想っていたから、自分の恋が実らなかった紡紀が、今度は部長になる、というのも、なんだか皮肉な気もしますが、その後の彼の姿を書いてみたかったので……。
 今作をもって、“否定形シリーズ”は終わりなのですが、いつかまた、このシリーズに登場した彼らのその後の物語を、書いてみたいと思ってはいます。気に入った登場人物の物語を、延々と考えてしまうのは、筆者の悪い癖なのかもしれません。もともと、『鳴かない』で脇役のつもりで登場させた鷹谷に、筆者である私が異様に感情移入してしまった結果、2作目の『積もらない』が生まれ、そこからこのシリーズは始まりました。そして今作で完結したはずだったのですが、それでもまだ、「まだ、物語の続きを書いてみたい」と思うのだから、困ったものです。
 しかし、あくまでもこのシリーズはここで終了です。もし、いつか彼らの物語の続きを書くとしたら、その時その物語は、「今はいない“あの人”の存在が、誰かの恋の邪魔をする」というテーマを離れ、また違ったテイストになることでしょう。それもまた、筆者自身の楽しみでもあるのです。
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ymkkrhr2 · 2 years
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【自作を語る⑨】咲かない
【自作を語る⑨】『咲かない』
 小説はこちらから→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/162316166598/)
 2016年から2017年にかけて書いた小説です。
 執筆中のBGMは、Plastic Tree「冬の海は遊泳禁止で」でした。
 この小説は、『鳴かない』、『積もらない』に続く“否定形シリーズ”の第3作です。『鳴かない』が8月、『積もらない』が12月の話でしたが、『咲かない』は前作から2ヶ月以上が経過した3月が舞台となっています。夏、冬と書いてきたので、次は春の話にしようと思い、最初に『咲かない』という題名を考えたのを覚えています。
 3作目を書き始めた時点で、このシリーズは次の4作目をもって完結とすること、4作目は秋を舞台にすることを決めていました。「この3作目で物語を終わらせないようにしよう」と思い、シリーズの主軸からややずれて、寄り道するような作品になりました。“否定形シリーズ”の中で、この3作目だけが他の作品と比べて少し毛色が違うのはそのためです。
『積もらない』と同様に、シリーズ順に読んでいなくても物語が成立するように書いたつもりなのですが、さすがにシリーズ3作目となると、やや厳しかったかもしれません。冒頭部分が魚原美茂咲と鷹谷篤が大学を卒業していく場面なので、こればっかりはシリーズ順に読んでいない方には上手く伝わらなかったのではないかと思っています。
 主人公は『積もらない』に登場した丸谷文吾で、前作の時点で大学七年生であった彼の、大学一年生の時に郡田三四郎に出会ったところから、文化部で過ごしたこれまでの日々を振り返るというのが、この物語の大まかな内容です。『鳴かない』の主人公である魚原や、『積もらない』の鷹谷が文化部に入部した時、すでに郡田三四郎は異常なほどの女たらしで、サークルの中で誰も逆らうことができない存在になっていた訳ですが、今作では郡田がそうなっていく過程を、丸谷の目線から描いています。
 今作に初めて登場するのが真島ヨウコという人物で、彼女が郡田にとって、そして、丸谷にとっても重要な人物となっています。丸谷は「ガチガチの理系」という設定があったので、漢字の書き取りが得意ではなく、「ヨウ」の漢字を覚えていないため、作中ではずっと「ヨウコ」とカタカナ表記になっていますが、「真島擁子」というのが彼女の本名です。作中では一度も出す機会がなかったので、ここに記しておきます。どうも私の小説は、魚原の妹や田代の弟など、作中に出さないまま終わってしまう設定が多くて困ったものです。
 この小説の主要登場人物は三人とも、つまりは、丸谷も、郡田も、真島も喫煙者なので、煙草の話を少し。丸谷が「年寄りが吸う煙草」だと思っていた、郡田が吸っていたオレンジ色の箱の煙草はecho、真島が吸っている「タールが三十二ミリもある、妙なにおいがぷんぷんする煙草」はガラム・スーリア・マイルドをイメージしています。ガラムは筆者自身も吸ったことがあって、実際はタールが三十三ミリなのですが、火を点けるまでもなく独特なにおいがする強烈な煙草です。煙草の箱を放り込んでおいたら鞄の中じゅうそのにおいになってしまって捨てて以来、一度も買っていません。丸谷が真島と話している、「カプセルを潰すとリンゴの味がする」煙草は、メビウス・プレミアムメンソール・オプション・レッドで、これはちょうどこの小説を書いていた2016年当時に発売になった煙草でした。肝心の丸谷がなんの銘柄を吸っているのか、具体的な記述はしていませんが、筆者としてはマールボロのつもりです。
 前作『積もらない』を書いた時、この“否定形シリーズ”のテーマを「今はいない“あの人”の存在が、誰かの恋の邪魔をする」とし、今はもういない郡田三四郎の影響で、彼を知らない世代の後輩たちの恋が上手くいかなくなる物語、ということに決めたのですが、今作の場合は郡田がまだ大学に在籍している時の話のため、このテーマを引き継ぐことが困難でした。その意味でも、今作はシリーズの中で少し異端かもしれません。しかし、後に顔も名前も知らない後輩たちの恋愛に影響を与えることになる郡田三四郎自身もまた、「今はいない“あの人”の存在」に苦しんだのだということ、そういったことを描いた小説になったと思っています。
 また、『鳴かない』ではその謎が明かされないままだった、「郡田はどうしてサークルの女子たちと次々に寝るのか」、そして、「どうして魚原にだけは手を出さなかったのか」についての回答――の、ひとつとでも言えばいいのでしょうか――を、この小説では示すことができました。丸谷なりの解釈なので、実際のところは不明確ではありますが、郡田の陰の部分をある程度表現することができたのではないかと思います。
 前作の『積もらない』における丸谷は、病弱なのに煙草を吸い、後輩のことをからかうちょっと嫌な先輩、という立ち位置の登場人物として書きましたが、今作では彼の偏屈な面を強く押し出す形となりました。恐らくは、彼は後輩や仲間たちの前では軽口を叩くばかりで、その内面を他者に見せることはしなかったのではないかと、筆者はそう考えています。丸谷は郡田に対して棘のある言葉を選ぶことが多いですが、丸谷と郡田は、お互いにお互いが内面を吐露することができる貴重な存在だったのかもしれません。
 この小説の終盤は、主人公である丸谷の暗い未来を想像させる内容です。大学を卒業していく魚原や鷹谷は、この先も続いていくであろう日々のことを当たり前のように想像していますが、丸谷の場合は決してそうではありません。留年と休学を繰り返し、同級生どころか後輩たちの門出さえ見送り続けた彼は、この先の未来に残された時間や可能性が決して無限ではないということを知っています。大学を卒業した魚原や鷹谷がその後どうなるのか、そして丸谷がどうしているのかは、“否定形シリーズ”第4作で書いているのですが……。
 私は普段、自分で書いた小説の登場人物に対して、たとえ作中でどんなひどい目に遭わせたとしても、後悔や懺悔のような感情を抱くことはないのですが、丸谷文吾のことだけは、今も少し、心残りがあります。いつか、それを昇華させるような小説を書くかもしれません。
 春が来ても一本だけ花が咲かない枝に自身を重ねていた彼のことを、まるで本当の友人のように、今も桜が咲く季節になるたび、思い出しています。
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ymkkrhr2 · 2 years
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【自作を語る⑧】積もらない
【自作を語る⑧】『積もらない』
 小説は以下から
『積もらない』(上) → (https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/160945465168/)
『積もらない』(下) → (https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/161090716178/)
 2017年に書いた小説です。厳密に言うと、2014年に書き上げて放置していた原稿を、2017年に完成させた小説です。
 執筆中のBGMは、ふくろうず「ベッドタウン」でした。
 この小説は、『鳴かない』という小説を書いたあと、そこに登場する鷹谷篤という登場人物を気に入ってしまった私が、彼を主人公に据えた話を書きたくてできたものです。『鳴かない』は夏の話でしたが、そこから4ヶ月が経過した12月を舞台にした話になっています。
 当初は『鳴かない』の番外編、もしくは後日談として書くつもりでしたが、登場人物や共有している時間軸が同じというだけで、物語の核が異なる内容のため、『鳴かない』と同じシリーズもののひとつとすることにしました。 “否定形シリーズ”の2作目です。
 私が子供の頃から敬愛している小説家が森博嗣です。著作の多い彼は10作で1シリーズとすることが多く、その作品はひとつもナンバリングがされていません。ナンバリングがされていないのは、シリーズのどの作品から読んでも構わない、刊行順に読まなくても楽しめるように書かれているためです。私は彼に倣い、この『積もらない』を『鳴かない2』にするのではなく、前作を読んでいなくてもひとつの作品として完結する、前作を読んでいればさらに楽しめる、そんな小説になるように書いたつもりです。
 今作の主人公である鷹谷は、『鳴かない』の主人公であった魚原の同期であり、友人であり、無愛想で口数が少ないけれど思いやりがあって優しい、という登場人物だったのですが、『積もらない』では、美人で可愛い後輩の女の子に振り回されて苦悩する、という役回りになりました。
 書いていて苦労したのは、この鷹谷の性格です。『鳴かない』が主人公・魚原の一人称視点の小説だったので、『積もらない』を鷹谷の一人称視点で書くことになんの疑問も持たなかったのですが、書き始めてから困ることになりました。鷹谷が他人に対してあまり興味がなく、人の美醜についてはなおさら興味がない性分のため、「美人で可愛い後輩の女の子」である田代世莉(タシロ セリ) の、「美人で可愛い」の直接的な描写ができなかったのです。
 鷹谷が女の子の髪型や化粧、ネイルなんかに興味や知識があるとも思えないし、田代が身に着けている洋服や鞄や靴の名前なんか知っているはずがない……。
 私はそれまで、小説における一人称視点や三人称視点について、特にこだわりがなく、「まぁどちらかと言えば、一人称視点の方が得意かな?」くらいにしか思っていなかったのですが、この小説を書くことで、「一人称視点だと、主人公が見ているものしか描写できない」ということに気付かされました。
 鷹谷は、親しい友人である魚原の瞳に反射している降る雪を見つめても、ただの後輩としか思っていない田代の唇に塗られたグロスには気付かない。結局、彼が田代の美しさに気付くのは物語の終盤なのですが、それが初めて鷹谷が正面から田代に向き合おうとした場面でもあるので���一人称小説らしいドラマチックな場面になって良かったと思うことにします。
 田代世莉は、魚原と正反対のキャラクターとして書きました。魚原が「ミモザ」と花の名前だったので、同じ植物の名前にしようと思い、春の七草から「セリ」という名前にしました。田代には「はこべ」という名前の弟がいる設定があるのですが、本作では使えていません。魚原に明咲実という妹がいる設定も使えていないので、明咲実ちゃんもはこべくんも、いつか書きたいところです。
『積もらない』で初めて登場した人物が田代のほかにもうひとりいて、それが丸谷文吾です。丸谷は、当初は関西弁を話すキャラクターだったのですが、筆者自身が関西弁に馴染みがないため上手く書けず、いろいろ調べはしたのですが、「関西弁っぽい謎の言語を話すキャラクターにさせてしまうくらいなら、いっそ標準語をしゃべらせよう」と思い、台詞をすべて標準語に直しました。方言を話す登場人物を書きたいという気持ちはあるのですが、その方言を正しく描写する技術がないため、いつも断念しています。私が書いた文章を方言に書き直してくれる人がいたらいいのに、と日頃から思っているのですが……。
 この小説を書き始めた当初、筆者としては「鷹谷が幸せになってほしい」と思っていました。しかし、書いていくうちに、『鳴かない』と同じシリーズとして書くのであれば、シリーズで一貫して同じ主軸が必要だと思うようになりました。改めて『鳴かない』を何度も読み返し、「この物語はどんな話だったのだろう」と考えました。そうして導き出した結論は、「今はいない“あの人”の存在が、誰かの恋の邪魔をする」というテーマでした。
『鳴かない』では魚原がかつての先輩である郡田のことを想い、岩下紡紀の恋が実らない。『積もらない』では、郡田のことを想う魚原を鷹谷が想い、田代世莉の恋が実らない。郡田が大学四年生の時、魚原と鷹谷は大学一年生だったので、魚原たちの後輩である紡紀や田代は、郡田のことを直接的に知っている学年ではありません。紡紀は『鳴かない』の中で魚原に対して「郡田のことを好きだったのか」と尋ねていますが、田代に関しては、鷹谷がどうして魚原と友人関係を続けることを尊重しているのか、その理由の背景に郡田の存在があることがわからないままです。
 今はもういない郡田三四郎の影響で、彼を知らない世代の後輩たちの恋が上手くいかなくなる。このシリーズの主軸は、そう決めました。
 結果として、この小説は鷹谷が幸せになったのか、筆者としてはなんとも言えない話になりました。でも不幸な結末になったとも思いません。それは鷹谷自身が、悲観的に捉えていないからでしょう。
 雪が積もらずに溶けていっても、雪が降らなかった訳じゃない。後に何も残らなくても、消えてなくなった訳じゃない。ずっと続いていく感情がある。そう締めくくった最後は、『積もらない』という題名にふさわしいラストだったんじゃないかと思っています。
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ymkkrhr2 · 2 years
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【自��を語る⑦】鳴かない
【自作を語る⑦】『鳴かない』
 小説は以下から
 『鳴かない』(上) →(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/159788237003/)
 『鳴かない』(下) →(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/159973860953/)
 2014年、大学生の時に書いた小説です。
 執筆中のBGMは、東京事変「群青日和」でした。
 ※公式の動画がYoutubeにありましたので、URLを貼っておきます。東京事変「群青日和」→(https://www.youtube.com/watch?v=gD2mhJ3ByGQ)
 私は大学生の時、サークルに所属して小説を書いていました。この小説はサークルの有志が集まって発行した作品集、『青瑪瑙』に掲載するべく書いたものです。
 大学生だった頃、私はなぜか、「大学生が大学生を描いた小説を書くなんてダサい」と固く思い込んでおり、大学生が登場する小説をまったく書いていませんでした。サークル誌を読んでくれるのは同じサークルに所属している仲間か、同じ大学に所属している学生がほとんどで、私の小説の読者というのは大学生がほぼすべてを占めていました。「大学生に、大学生の話を読ませて何が面白いんだ?」と思っていたので、ずっとそういった話を書くことを避けていたのですが、この小説で初めて、大学生たちを描いた小説を書きました。
 当時、私はあるひとりの先輩が卒業していく姿を見送りました。その先輩は後輩たちのことをとても可愛がってくれて、私のこともよく面倒を見てくれました。私は昔から、敬語をきちんと話すことができず、年上に対しても平気で失礼な口の利き方をしたり、生意気なことを言ったりしてしまうのですが、先輩は私のそんな態度に対しても寛容だったので、私はその先輩に懐き、まるで友達のように慕っていました。
 そんな先輩が卒業していなくなってしまい、私はとても寂しかったので、先輩と過ごした楽しかった日々のことを何か形に残したいと思いました。その日々のことを、決して忘れたくない、そう思ったのです。そこで書いたのが、この『鳴かない』です。それまでずっと避けていた、大学生たちの話を書きました。
 と言っても、この小説はあくまでも小説、フィクションです。登場人物のモデルになった人は実在しますが、ひとりの登場人物に対してひとりの人をモデルにした訳ではありませんし、「飲み会」、「花火」、「鍋」など作品に登場するモチーフは実際にあったことですが、そこで起こった出来事や会話などは、100パーセント作り物です。「ただ大学生活を回想するだけでは単調な小説になってしまうから、衝撃的な内容にしたい」と思い、筆者自身が体験した大学生活とはかけ離れた内容になっています。そしてもちろん、この小説の主人公である、魚原 美茂咲(ウオハラ ミモザ) は、筆者自身がモデルになっている訳ではありません。
 私は当時、今とは比べものにならないくらい筆が速かったので、2週間で2万文字程度を書いて1作を書き上げ、それを2ヶ月かけて校正する執筆スタイルだったのですが、登場人物の名前が決まらないために、そこから話が進まないことがよくありました。
 主人公の名前の由来は、高屋奈月の漫画「フルーツバスケット」にあります。「フルーツバスケット」の主人公には親友がふたりいて、“魚谷ありさ”と“花島咲”というキャラクターなのですが、このふたりの名前を足して2で割ったイメージで、魚原美茂咲という名前に決めました。「ミモザ」という可愛らしい名前なのに、本人がまったく女らしくない、という設定が面白いのではないか、と思っていたのですが、「ミモザ」の「モ」が「萌」ではなく「茂」を選んだ時点で、「そもそも可愛らしい名前に見えない」、という結果となったと思います。
 彼女には、明咲実(アザミ) という妹がいる設定があったのですが、結局、作中では一度もその設定は使えていません。いつか使いたいところです。
 主人公は「フルーツバスケット」のキャラクターから連想した名前にしたので、主人公の同期として登場する人物には、「フルーツバスケット」の作者である高屋奈月の“タカヤ”から、「鷹谷」という名前を付けました。主人公を名字に魚という字が付く名前にしたので、友人の方は鳥の名前にしよう、と思ったことを覚えています。
 題名も、長い間決まっていませんでした。題名は、小説を書き始める前か、書き終わるまでに決まっていることがほとんどなのですが、この小説の題名が決まったのは、サークルのメンバーに推敲してもらうため、原稿を印刷してサークル室に提出するその時でした。それまで、『郡田さんのこと(仮)』という仮題が付いていましたが、それがこの小説の本当の題名ではないということは、筆者自身、よくわかっていました。
 この小説は夏の暑い夜から始まり、主人公の回想が約1年分続いたあと、また夏の夜に戻ります。そこで、蝉の鳴き声に着目して、『鳴かない』という題名を付けました。蝉が交尾の相手を求めず“鳴かない”というこの題名は、仮題よりもずっとふさわしいように思いました。
 この小説はフィクションです。実在の人物や団体は関係なく、起こった出来事はすべて作り物です。しかし、読み返すとそれがまるで自分の思い出のように、懐かしく感じます。私がいなくなってしまった先輩を恋しがって書いたからかもしれません。
 これは、ただ過去を回想するだけの小説です。しかし、出だしで主人公が後輩の岩下紡紀を背負っているところから始まったこと、それが、この物語の方向性をもどかしくさせたように思います。よく書きながら、むずがゆいというか、こっ恥ずかしいというか、そういう気持ちになったことを思い出します。
「好き」という言葉では片付けられない感情や、肉体関係を持ったことだけでは変化しない間柄。そして、たとえその相手が今はもうそばにいないのだとしても続いていくもの。そんなことを書いた小説になりました。
 これも私の悪いくせなのでしょうか、私はこの小説を書き終えたあと、鷹谷という登場人物をどうしても気に入ってしまい、彼を主人公に据えた小説『積もらない』を、その後書くことになります。そこから『咲かない』、『満ちない』と物語は続き、その4編をもって“否定形シリーズ”となりました。この『鳴かない』は、シリーズ1作目となった訳ですが、たった一度きりの、作品集に掲載するためだけに書いた小説だったので、最初からシリーズ化するつもりではありませんでした。しかし書いていくうちに、もっとあれこれ書きたくなってしまい、物語は長々と続くことになりました。
 どうかこの物語の世界を楽しんで頂けたら幸いです。
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ymkkrhr2 · 3 years
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【自作を語る⑥】せせらぎ
【自作を語る⑥】『せせらぎ』
 小説はこちらから→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/158813310418/)
 2017年に書いた小説です。
 執筆中のBGMは、大森靖子「さっちゃんのセクシーカレー」でした。 ※公式の動画がYoutubeにありましたので、URLを貼っておきます。大森靖子「さっちゃんのセクシーカレー」→(https://www.youtube.com/watch?v=U4LR7ZJUwxs)
 私は普段、小説を書く時、プロットを作ったりメモを書いたりすることはまったくしないのですが、おおよそのあらすじは頭の中に思い浮かべて書いています。しかし、「何も考えずに書いてみよう」と思って書いたのがこの小説でした。
「ある女性がひとり、洋子さんの部屋を訪ねる」ということだけを決めて、書き始めました。「洋子さん」とは一体何者なのか、どうして主人公は彼女の部屋を訪れたのか、ふたりはどんな関係なのか……。書きながら考え、考えては書き、書いてはまた考えて。それを繰り返しながら文章を紡ぎました。
 作中に登場する「洋子さん」には、実在のモデルは特にはいませんが、執筆当時、江國香織のエッセイを読むのにハマっていたので、洋子さんのしゃべり方や外見は、私の江國香織のイメージがだいぶ投影されています(※あくまでもイメージです)。「年上の素敵な女性」という登場人物をそれまで書いたことがなかったので、私の小説の中ではかなり珍しい部類のキャラクターになったかもしれません。
 題名を決めるまでにはかなりの時間を費やしました。題名に関しては、私は小説を書き始める前にすでに決めてしまうか、書き始めてからすぐ思いつくか、どちらかであることがほとんどなのですが、この小説の場合は難産でした。そもそも、一体どんな話を書くのかを決めずに書き始めたのですから、筆者自身、どんな題名がこの小説を表すのにふさわしいのか、わかっていなかったのです。
 書きながら、「何かこの小説の全編を貫くような、軸となるモチーフがほしい」と思い、私は過去に『全部明日には消えるもの』という小説で海を、『沼のほとり』という小説では沼をモチーフにしたので、「じゃあ今度は川にしよう」という安直な思い付きで、作中に川を登場させ、そこから題名を『せせらぎ』と付けました。
 そして、作中で初めて川を登場させた場面、そこから過去の思い出を振り返る回想シーンが始まるのですが、私はそこで場面転換によく用いる「空白行」を使用せずに回想シーンに突入できたことに気付き、この小説では場面転換に空白行を使わないことに決めました。
 主人公は洋子さんと会話をしながら思い出に浸ったり、我に返ったり、また過去を思い出したりしながら物語が進んでいくのですが、途中に空白行は入れず、それこそ絶え間なく流れ続ける小川のように、物語が分断されることがないように書き連ねました。私はいつも場面転換したい時に数行の空白行を挟んでから物語の続きを始めるのですが、それを禁じて書きました。そういったことを意識して小説を書いたことなど今までなかったので、初めての試みでしたが、どうすれば急な場面転換に見せずに次の話題に移行できるのか、考えるのは面白かったです。
 小説を書いていて最も楽しいのは、当初は自分でも予想もしていなかった一文が出てきた時です。悩みながら書き直し、「何かが違う」、「なんだかしっくりこない」と、何度も何度も文章を書き直し続けていると、思ってもみなかった文章が自分の内からぽろっと出てくることがあります。そんな文章が突然現れたことに最初は困惑するのですが、その文を読み返し続けているうちに、「ああ、そうなのかもしれない」と、納得する時がやってきます。あるいは、「ああ、そういうことだったのか!」と、膝を打つことがあります。
 その一文を書けたことで、目の前が開けたような、一段高いところに登って視点が変わったかのような、そんな感覚。ずっと「なんだか、違うな……」と思っていたその小説を理解できたような、と言うよりも、小説と和解することができたような、「この小説を書けて良かった」と思う、そんな感情に繋がる一文に出会えた時が、書いていて一番楽しいです。
 物語の終盤、主人公と洋子さんの関係性が明かされる場面があるのですが、これも書き進めていくうちに、「きっとそうに違いない!」と、ひらめいたその一文を採用した結果、そうなりました。書き始めた当初は主人公を二十代の会社員だと思っていたのですが、書き進めていくうちに「もっと若いかもしれない、十代なんじゃないか」と考えるようになり、最終的に主人公は女子高生になったのですが、主人公を十代に設定したことで、その一文がひらめいたのかもしれません。
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ymkkrhr2 · 3 years
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【自作を語る⑤】氷解・氷解 -another-
【自作を語る⑤】『氷解』・『氷解 -another-』
 小説はこちらから→ 『氷解 -another- (上)』(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/634137547287756800/)
 2020年の夏、それから秋に書いた小説です。
 執筆中のBGMは、それぞれCö shu Nie「iB」と、きのこ帝国「Thanatos」でした。 ※公式の動画がYoutubeにありましたので、URLを貼っておきます。 Cö shu Nie「iB」→(https://www.youtube.com/watch?v=GGX_ZsUtWJQ)
『氷解』は、伴美砂都さんが主催する「文芸同人誌ロゼット」創刊号に掲載して頂いた小説です。そのアナザーストーリーとして『氷解 -another-』を書き、こちらはTumblrにて公開しました。
「文芸同人誌ロゼット」創刊号は、私を含め8名の書き手が集ったアンソロジーで、主催の伴さんから寄稿のご依頼を頂いた時は、とても嬉しかったです。しかし、喜びと同時に、「これは困ったことになったぞ……」と内心は困惑していたことを覚えています。
 創刊号の特集は「春を待つ」。執筆者は、テーマ「春を待つ」か、もしくは自由題で作品を書くことが求められていました。私は迷わず、「春を待つ」をテーマに小説を書くことに決めました。
 私はあんまりストーリーを思いつくのが得意ではありません。寄稿させて頂く場合、〆切というものが設定されます。書き上げるための時間は無限ではないのです。主催の伴さんがとても優しい方なので、お話を頂いた時から〆切まで、十分な時間がありましたが、そうは言っても、1ヶ月も2ヶ月もストーリーで悩んでいる訳にはいきません。普段、気が向いた時に原稿と向き合い、気分が乗らなくなってしまった原稿は数年に渡って放置している私ですが、寄稿となるとそうもいきません。
 世の中には、事前にきちんとプロットやら、登場人物の表を作ってから小説を書き出す方もいらっしゃるようですが、私は書きながらストーリーを考えたり、登場人物の過去や人柄に思いをめぐらせたりするタイプの人間なので、物語が大きな壁にぶつかり、そこから筆が進まなくなってしまう可能性や、あまりにも話が長くなってしまい、規定文字数に収まらないという状況に陥る可能性があります。せめてどんな話を書くか、物語の肝だけでも先に掴んでおく必要がありました。
 しかし、話のネタはなかなかすぐには思いつかないので、テーマの力に頼ることにしたのです。
 テーマというのはとても便利です。どんな話を書くか思いつかない時でも、テーマに沿った話を書けばいいのですから、こんなに有り難いことはありません。
 さて、今回のテーマは、「春を待つ」。
 そこで私は、すっかり困惑してしまったのでした。それは、「春」でもなければ、「待つ」でもない、「春を待つ」でした。
「そうか、私は春を待つ小説を書くのか……」と、しばらく虚空を見つめて過ごしました。春を待つ。春を待つ。春を、待つ。私は悩みました。ここから一体、どんな独自性を発揮していけばいいのだろうか、と。
 実は、私がアンソロジーに寄稿させて頂くのは、今回が3回目でした。そして3回とも、私以外の執筆陣が一体どんな作品を書かれる方たちなのか、よく知りませんでした。
 こういう時にいつも頭を使うのが、「他の方の作品と内容が被るような話だけは書かないようにしよう」ということです。1冊のアンソロジーで、ふたり以上の書き手が同じような物語を書いていたら、読者だって面白くないでしょうし(否、そういった効果がより面白く読ませる場合もあると思いますが……)、執筆陣だって、聞いたことも見たこともない栗原夢子という書き手の小説と、自分の小説の内容が被るのは面白くないことでしょう。
 しかし、テーマは「春を待つ」。このテーマを選んだ書き手は、全員、春を待つ小説を書いてくるのでしょう。さて、どんな「春を待つ小説」なら、私らしい物語になるでしょうか。
 春。入学や進学の季節。出会いと別れ。これからの未来に抱く希望。新たなスタート。もしくは、長い冬眠からの目覚め。つらく耐え忍ぶ日々からの解放。春を待つということは、明るい未来を思い描き、焦がれながら過ごす日々のこと……。
 そう思った私は、「春といえば異動の季節。よーし、嫌な上司が異動していなくなる話にしよう」という結論に至ったのでした。それだったら、他の執筆陣が「春を待つ」をテーマに書いたとしても、話の内容が被ることがないような気がしたのです。
 さて、これで話の肝は決まりました。あとは書き始めるだけです。
 嫌な上司が異動する話を書くならば、当然ながら、その上司が「どんな風に嫌な上司なのか」を表現しなくてはいけません。「あんまり文字数もないし、部下の女の子が泣いてるところから書き始めるか。女の子を泣かせた男が、いい上司に見えるはずないし」と、そんな安直な思いつきで、『氷解』の冒頭部分を書き始めたのでした。
 どういう訳か、私は小説を書き始めると、掴んだはずの話の肝をどこかに置いてきてしまうのが性分のようです。冒頭部分を書き始めた時、私が構想していたのは、上司が嫌で嫌で、仕事を辞めてしまおうとしていた「志保ちゃん」が、その上司が春に異動すると知って、それまで耐え忍んで働くか、それともやっぱり辞めてしまうか、葛藤しながらも前へ進む、みたいな話のはずでした。
 しかし、予想外のことが起きました。冒頭部分で、志保ちゃんが嫌な上司を「人の心がわからないんだと思うんですよね」と評した時、この物語の語り手である「私」が、「あの人は、人の心がわからないような人じゃないよ」という言葉を返したのです。
 自分で書いておきながら、どうしてこういうことが起きるのか不思議なのですが、私はその時、自分に問いました。「この主人公は、嫌な上司の一体何を知っているって言うんだ? 何を知っていて、こういう風に彼をかばうんだろう?」と。
 そこから、この『氷解』という物語は、語り手である「私」と、嫌な上司こと「縞本さん」の過去と現在、そして未来の話になったのです。志保ちゃんなんて、もうどうでもよくなってしまったのでした。
 題名の「氷解」という言葉には、「疑惑・疑念などが、氷が解けるようにすっかり消えてはっきりすること」(岩波国語辞典第七版より)という意味があり、これは偶然にも見つけた熟語なのですが、氷が解けて春を待つというイメージと、嫌な上司も本当はいい人という、ふたつのイメージがちょうど合致するように思えたので、採用しました。ただ、二字熟語なので、堅苦しい、小難しいような印象があり、もう少し柔らかい語感の題名にすべきだったかもしれません。
 なんとか題名も決まり、書き上がった『氷解』だったのですが、この物語を完全な形で表現しきるには、文字数が足りませんでした。こういう時、限られた文字数の中でもきちんと自分の世界を表現できたらどんなにいいか、といつも思うのですが、今の私の実力では、どうにも中途半端な作品に仕上げることしかできませんでした。
「こんな安っぽい言葉で語るしかないほど、縞本の過去や感情は、薄っぺらくないはず……」と、推敲を重ねるたびに思うようになり、私は彼にどんどん感情移入していき、ついには『氷解』が完成しないうちに、この物語のアナザーストーリーを書くことを決意しました。それが、『氷解 -another-』(以下、『another』とします)です。
『another』では、語り手は縞本本人とし、『氷解』とほぼ同じ時間軸を彼の目線から描きつつ、彼自身しか語れない過去を掘り下げています。また、『氷解』では語り手の「私」こと沙織が、縞本の氷を解かそうとする役割を担っていたので、『another』では反対に、縞本が沙織の氷を解かす役割になるように書きました。
 寄稿させて頂く『氷解』と違って、『another』にはなんの制限もないので、好き勝手に伸び伸びと、思う存分書きました。結果的に、本編である『氷解』の文字数が約6,000字だったにも関わらず、『another』は2万1,200字にもなってしまい、これではどちらが本編なのか、よくわからなくなってしまいました。しかし、書いていてとても楽しかった。筆者の自己満足かもしれませんが、こんなに書いていて楽しい小説は、なかなかありません。『氷解』が思うような作品に仕上げられなかったことの反動もあったのかもしれませんが……。
 さて、『氷解』が掲載された、「文芸同人誌ロゼット」創刊号は、たくさんの方に読んで頂いたようです。読んだ感想や紹介文を、私の目が届くところへ書いて下さった方も多く、私の小説は拙い言葉の羅列であったと思いますが、それでも、沙織と縞本、このふたりの関係の奇妙さ、そして愛おしさを、多少は伝えること���できたのかな、と安堵しております。
『氷解』に出てきたふたりの物語は、少なくともあと2編、構想はすでにあるのですが、それもいつか皆さまのお目にかけて頂けるように、精進したいと思っています。
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ymkkrhr2 · 3 years
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【自作を語る④】取り調べ室
【自作を語る④】『取り調べ室』
 小説はこちらから→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/149790833343/)
 2016年に書いた小説です。
 執筆中のBGMは、Marilyn Manson「If I Was Your Vampire」でした。
 この小説については、正直、上手く語れる自信がありません。書いた時のことをあまり覚えていないからです。どういう経緯でこの話を思い付き、何を表現したくて筆を執ったのか、残念ですが今となっては思い出せません。私は小説を書く時にノートを取ったりメモを残したりすることがまったくないので、こうなってしまうと記憶を手繰り寄せるための資料が何もないのです。
 自分で書いた小説は、大抵の場合、書いている時のあれこれを覚えているのですが、数作、このようにあまり記憶に残っていない作品というのがあって、読み返してみてもあまりピンとこず、「果たして、本当にこれは私が書いたんだろうか……」と自問することになります。
 そんな心もとない状況ではありますが、この作品についても少し語ってみるとしましょう。
 この小説は、取り調べ室の中で繰り広げられる質問とその回答を描写していく物語です。
 取り調べ室の中にいるのは、刑事でしょうか、ひとりの中年の男と、「史上最悪」と呼ばれているひとりの少年。しかし、この物語の語り手は、取り調べ室の中の男でも少年でもありません。ふたりのやりとりを俯瞰的に観察している第三者である「私」が、語り手を担っています。
「私」は、少年が起こしたとある事件についてのふたりのやりとりを見聞きしているだけではなく、事件の背景や関係者の人間関係について補足的な情報を読者に説明し、事件の全容を伝える役割を果たしています。これは、ふたりのやりとりだけでは事件の内容をすべて伝えるのが困難なため、語り手にその役目を任せました。
 確か、この小説を書き始めた時、私の頭の中にあったのは「取り調べ室で少年が取り調べを受けている」、という大筋の展開だけでした。取り調べ室で男からの質問に答えていく少年を書きながら、「一体、この少年がどんな事件を起こしたんだろう……」と、考えていたような気がします。
 この少年の受け答えの内容というのが妙で、少年は善悪の区別がはっきりとしているようでもあり、しかし質問が核心に迫ろうとすると、その境界線が揺らぎ、焦点がずれてしまう。自分の罪の重さを認めたくないがゆえの方便なのか、罪の重さを自覚できていないのか、それとも……。
 この小説は、『取り調べ室の中にいる子供は、外にいる大人たちから「史上最悪」だと言われていた』という一文から始まります。これは、読者にこの子供が「史上最悪」であるという印象を植え付け、“そういう目”でこの子供のことを捉えてほしい、という筆者の意思によるものです。この子供が一体どんな悪逆非道なことをしたのか、あれこれ想像しながら読み進めてもらい、そして途中でふと、我に返って考えてみてほしい。「この子供は、果たして本当に『史上最悪』なのだろうか」、あるいは、「この子供が『史上最悪』と呼ばれる所以は、これなのではないか……」と。
 私が10代の頃から興味を持っているテーマのひとつが、少年犯罪、特に少年による殺人事件でした。殺意のない殺人、いえ、殺意がない訳ではないのですが、善意による殺人とでも呼べばいいのでしょうか。そんなものが存在するはずはない、ではこの事件は、一体どうして起きたのか。少年の真意を掴むことができないまま、物語は進んでいき、なんの意味もない質問と回答が繰り返されていきます。
 物語の最後、語り手は何も明らかにできないまま、取り調べ室のふたりの前から去っていきます。こんな終わり方になってしまったのは、筆者である私の力不足なのかもしれませんし、これがこの問題に対する正しい終幕なのかもしれません。
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ymkkrhr2 · 3 years
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【自作を語る③】愛すべき半透明の隣人たち
【自作を語る③】『愛すべき半透明の隣人たち』
 小説は以下から↓
 『洗車坂』(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/130032232163/)
 『十円玉チョコの男』(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/130032640188/)
 『テレフォンガールはおうちに帰りたい』(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/145301747848/)
 『優しいおばさん』(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/146059504733/)
 2015年に書いた小説です。
 執筆中のBGMは、YUKI「星屑サンセット」でした。
 この小説は、『洗車坂』、『十円玉チョコの男』、『テレフォンガールはおうちに帰りたい』、『優しいおばさん』の4編からなる連作です。しかし、各編が時系列順に繋がっている訳ではなく、どこから読んで頂いても問題はありません。
 私はホラーと名の付くものならば小説でも映画でもゲームでも大好きなのですが、そういった作品に触れ、思う存分恐怖を満喫した後、必ず思い出しては怖くなってしまい、夜に風呂に入れなくなるという習性があります。
「怖くなるなら、わざわざ見なければいいじゃないか」と指摘されることが多いのですが、不思議なことに、手に取る前は「怖そう……」ではなく、「面白そう……!」としか思っていないのです。読んだり観たりしている最中も、「怖い……」と思いつつ、「おもしろーい!」という感情が勝ってしまいます。しかし、「あー、面白かった」と楽しんだ後、だんだんと脳が恐怖に支配されていき、最終的には布団の中で震えながら眠ることになります。恐怖を感じる神経の伝達速度が異様に遅いのか、ただの馬鹿なのかもしれません。
「どうして、ホラーを読んだ後は怖くなってしまうのだろう……」と、意味不明なことを考え始めた私は、そこでひとつのアイディアを得ます。
 読んだ後、怖くならないホラーというのはないのだろうか。怖くなるのではなく、読み終わって、心が温まるようなホラー。ほっとするようなホラー。そう、新ジャンル「ハートフルホラー」の誕生です。
 この果てしなくくだらない思い付きを友達に打ち明けたところ、「たとえば、どんな話だよ」と訊かれ、言い出したものの何も考えていなかった私は、ポンコツの脳味噌をフル回転させました。
 私が知る怪談に、こんな話があります。
 心霊スポットとして有名なあるトンネルは、夜中に車で走っていると、誰かが窓を叩いてくるのだと言います。もちろん、車の外には誰もいません。走行中の車の窓を叩いてくる人間も、そういるはずがありません。しかし、見えない何者かによって窓は叩かれ続け、その音はどんどん増え、大きくなっていくのです。大急ぎでトンネルを走り抜けるとその音は止みましたが、すっかり怯えてしまった運転手は近くのガソリンスタンドへ車を停めます。運転手が恐ろしい目に遭ったことなど知らない店員がすぐに笑顔で駆け寄って来て、車の窓を拭いてくれます。窓には、大小さまざまな手形がびっしり。トンネルの中で聞こえていた窓を叩く音は幻聴ではなく、本当に何者かに叩かれていたのです。しかし、窓を拭いてくれていた店員は、そこで異変に気付きます。「お客さん、この手形全部、窓の内側から付けられてますよ」……。
 そこでこの怪談は終わ���のですが、私はこの話を基に、「たとえば、そのトンネルを通ると、車の窓をばんばん叩かれるけど、トンネルを抜ける頃には、車がピカピカに磨かれているとか」と、言いました。聞いていた友達は「なんだそりゃ」と笑って受け流してくれましたが、私の頭の中の妄想は、そこでは終わりませんでした。
 車が磨かれるだけではなく、減っているはずのガソリンの量がいつの間にか増えている、というのはどうだろう……。でも、ごく普通の霊が、どうして車を磨いてくれるのだろう……。その霊は一体、どういうきっかけでそんなことをするようになったのだろう……。生前はどんな人間だったのだろう……。きっとそんな行動をするのには、心が温まるような、優しい理由があるはずなんだ……。
 そうして、私の意味不明な妄想が積み重なって書き上げたのが、1編目の『洗車坂』というストーリーです。
 1編目を書き上げ、既存の怪談をアレンジするとハートフルホラーができる、と気付いた私は、2編目の『十円玉チョコの男』はコックリさんを、3編目の『テレフォンガールはおうちに帰りたい』は都市伝説「メリーさんの電話」を基に書きました。4編目の『優しいおばさん』は参考にした怪談は特にありませんが、自分が死んだ時の状態を何度も何度も、時間を巻き戻すように繰り返している、というのは、ホラーにはよくある展開です。
 基本的には4編すべてハートフルホラー、「読んだ後に心が温まる」ことを目標に書いていますが、途中、「読んだ後に心が温まるのは、人間側の立場に限ったことではなく、怪奇現象側の立場でもいいのではないか?」と、またも意味不明なことを考えたので、3編目の『テレフォンガールはおうちに帰りたい』は、人間の心ではなく、霊側の心が温まる展開になっています。
 この物語は4編とも、主人公は御子草 金魚(ミコグサ キンギョ)という名前の男性です。彼の台詞は「 」は使用せず、地の文で書いてあります。小説において、登場人物の発した言葉というのは、「 」を用いて表記する、というのが一般的であると思いますが、使わないで表現できないかと、自分なりに挑戦しています。しかし、『テレフォンガールはおうちに帰りたい』の、電話をしている場面だけはどうにも上手くいかなかったので、「 」を使用しました。
 この、「台詞を地の文で表現する」という試みは、後に書いた、この作品とはまったく無関係の小説、『りょうちゃんはいつも変』でも挑戦しています。しかし、この書き方だとテンポの良い会話になかなか発展しないので、話し手が寡黙な印象になりがちかもしれません。
 作中では詳しく触れていませんが、この主人公は右手の指を鳴らすと霊を払うことができ、左の踵を2回鳴らすと、霊を呼び出すことができます。また、友人の葛西や、人形師の月子など、登場人物たちにまだまだ活躍の余地があり、この後も続編が書けそうなのですが、私の唐突な思いつきで始まったハートフルホラー小説は、この4編で力尽きてしまいました。それがとても無念です。
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ymkkrhr2 · 3 years
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【自作を語る②】全部明日には消えるもの
【自作を語る②】『全部明日には消えるもの』
 小説はこちらから→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/129911159628/)
 2015年、大学3年生か4年生の時に書いた小説です。
 執筆中のBGMは、イツエ「海へ還る」でした。※公式の動画がYoutubeにありましたので、URLを貼っておきます→(https://www.youtube.com/watch?v=6cVD8VI06yg)
 当時、大学のサークルで小説を書いていた私は、発行されるサークル誌のためにこの話を書きました。しかし、この小説がサークル誌に掲載されることはありませんでした。これを書き上げた後、私がサークルを退部してしまったためです。
 大学生の時の私は、根気というものがまるでなく、一時期は3つのサークルを兼部していましたが、結局はすべてやめてしまいました。やめた理由はそのサークルによって異なりますが、小説を書いていたこのサークルに関しては、書くことが嫌になった訳でも、人間関係で揉めた訳でもありませんでした。なんとなく嫌気が差して、離脱してしまったのです。その後、時間を置いて再入部しているので、この時に退部した意味は、もはやなかったかもしれません。
 そんなどうしようもない理由でお蔵入りになってしまったこの小説ですが、「明日、人類滅亡」という企画のために書いたものでした。その名の通り、「明日、人類は滅亡する」というテーマで小説を書く、という企画です。企画そのものがそういう名称なので、「明日、人類は滅亡する」という設定については、作中であまり触れていません。そういった企画に合せて書いたものだと意識をしないと、物語の意味がわかりづらいかもしれません。
 この小説を書こうと思い立った時、まず考えたのは、「明日、人類が滅亡するとして、どうするか」ということです。明日、世界が滅ぶとして、大切な人と一緒に過ごす、美味しいものを食べる、いつも通りの平穏な1日を送る……。そんな回答が一般的なのでしょうか。お金持ちだったら、有り金をすべて使い切るような豪遊をしたかもしれません。誰かに片想いをしている人は、意中の相手に胸の内を打ち明けるかもしれませんし、その想いを秘めたまま最後の瞬間を迎えるかもしれません。人類が滅亡するとわかったら、将来の目標や夢に向かって日々打ち込んでいる人たちは、もう努力するのをやめてしまうのでしょうか。たとえば、大会に向けて部活動に励んでいる生徒たちは、あるいは、受験に向けて勉強に勤しむ生徒たちは、自分たちの思い描く「その先」がもう存在しないのだと知らされた時、それでも努力を続けるのでしょうか。
 そんなことを考えながら、私はこの企画において、なんとか他人と被らないような話が書けないか、思案していました。そうして思い付いたのが、この話です。
 この作品に登場する兄妹は、世界が崩壊する前日、ある事件を起こします。それは人類滅亡という大事件に比べれば、取るに足らない、する必要もない、無意味な事件かもしれません。私が考え付いた、他人と被らない物語の内容とは、「明日、世界が滅ぶとして、まったくもって無駄なことをする」だったのです。
 しかし、書き上げた後にサークルを退部してしまい、この小説が掲載されずに発行されたサークル誌を読んでいないので、他の執筆陣がどういう小説をこの企画に書いたのかはわかりません。
 私がこの小説で挑戦したかったことは、他人の話と被らないことと、もうひとつ、「文章でしかできない表現をする」でした。私はこの物語の序盤から中盤にかけて、真相へ繋がっていくような、いくつかの伏線を張りました。それは、もしもこの物語が漫画化や映像化されたら、観ている人が一目見てわかってしまうような類のものです。しかし、それが文章であるがゆえに、伏線となり得ました。
 たとえば、そこにひとつの果物があったとして、文章ではそれを「それはリンゴではなかった」とだけ書き、では一体なんの果物なのか、明言するのを避けることができますが、情景が視覚化された場合、同じように表現することは困難です。そこにバナナを置いて、「それはリンゴではなかった」と表現したとしても、視覚的にはそれがバナナであると、一目瞭然になってしまうからです。
 この小説には、そんな伏線をいくつか仕込みました。文章だからこそ、成立する伏線。私は小説を書く時にプロットを作らないので、話の展開は書きながら考えていくしかないのですが、伏線を張りながらは書けなかったので、話の結末が自分でもわかってきた頃に伏線となる文章を遡って書き足しました。
 この物語は、読んで気持ちの良い小説という訳ではないと思っていますが、この後も、同じようなモチーフの小説を書きました。世界観は異なりますが、『ひとでなし』や『沼のほとり』が近い傾向の作品だと思います。こういう形で子が親の支配下から脱しようとする話を書くのが、私は好きなのかもしれません。
 また、この小説を書き上げた直後、物語のその後として、作中に登場する兄妹の妹のほうに出会う、警察官の話を思い付きましたが、そちらはまだ文章化されていません。いずれ書くかもしれませんし、この物語の続きとしてではなく、まったく新しい形の物語として書くかもしれません。
 その時もまた、誰かの目に触れてもらう機会が得られれば幸いです。
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ymkkrhr2 · 3 years
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【自作を語る①】こかこおく、一本十四文
【自作を語る①】『こかこおく、一本十四文』
 小説はこちらから→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/129910983593/)
 2013年、大学2年生の時に書き上げた作品です。
 当時、大学のサークルで小説を書いていた私は、発行されるサークル誌で立てられていた「自動販売機企画」という企画に参加するために、この話を書きました。しかし、規定の文字数を70字ほど超過し、何度推敲してもその文字数を削ることができず、参加するのを断念しました。
 その企画は、「登場人物が自動販売機まで行くだけの話」であることと、「主要登場人物が1人」であることが縛りでした。ひとりの人物が自動販売機に向かうだけの設定で、各執筆陣がどれだけバラエティに富んだ小説を書けるかを試すような企画です。
 私は目立ちたがり屋だったので、サークル入部当時から、「他人と被るような話は書きたくない」と強く思っていました。与えられたこの企画でも、誰も書かないような話にしようと思っていました。しかし、自動販売機に向かうだけの話です。どうして自動販売機に向かうのか、それは飲み物を購入するためでは? 飲み物を買うのは、喉を潤すためでは? 何か特別な理由やストーリーが、そこから生まれるでしょうか。そこに、私独自の特異性を出すことができるでしょうか。
 そこで考え付いたのが、「もしも、江戸時代に自動販売機があったら……」という、この話の設定です。きっとそんな話を思い付く人間は、誰もいないに違いない。そう確信したのです。
 私は特別、江戸時代について詳しい訳でも、専門的な知識があった訳でもありませんでしたが、子供の頃からテレビで時代劇を観て、宮部みゆきの時代小説を愛読していたので、なんとなくの知識で誤魔化しながら書けるだろうと踏みました。
 それを思い付いてからは、深く悩むこともなく、さくさくと書き上げた記憶があります。最も悩んだところは、江戸時代に自動販売機があった場合、その飲料の値段です。これはインターネットで当時の食料品の値段を検索して、最終的には十四文にすることに決めました。作中でも記してありますが、かけそば一杯よりは安価で、甘酒一杯よりは高価です。妥当な金額なのかは、よくわかりません。主人公の名前は鰻次郎(もんじろう)です。字は異なりますが、これは『木枯らし紋次郎』から拝借しました。
 江戸時代に自動販売機があったとしたら、一体どんな姿なのか……。初めて炭酸飲料を口にした時、どんな反応を示すのか……。それはとても楽しい妄想でした。書いていてとても楽しかったです。
 どうしても文字数を減らすことができなかったので、私は参加できませんでしたが、完成したサークル誌を読んだ時、もちろん他の誰も、舞台を江戸時代に設定した小説を書いてきた部員はいませんでした。この作品が掲載されれば、さぞかし面白く見えたでしょうが、それは叶いませんでした。たった70字、されど70字です。
「70字を削れないのであれば、この小説はボツとして、イチから新しく小説を書こう」とは、思いませんでした。この、「江戸時代に自動販売機があったら……」という設定を超えるような、面白い話が思い付くとは思えなかったのです。
 今でも、「この話はこれで良かった」と、筆者としては満足しています。
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